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悟りについて(その31)質問者「「何を悟りとみなすかは2種類どころかいろいろある」とおっしゃいますが、もしそうなら、悟りについて語るのは、その人が信じている悟りについて語っているだけの、いわば先入観に満ちたものになるのではありませんか?」「そのとおりです。ただ、先入観なしで何かを言語化することはできません。言語化するとき、必ず先入観が入ります。 言葉ではうまくいかないのですが、言葉を使って説明しようとするなら、うまくいかなくても言葉を使うことになります」質問者「ようするに、うまくはいかないんですね」「そのとおりです。まあ、こうした悟りについての解説は、しょせんおおざっぱなものですし、細かな部分では間違いだらけの解説にもなるでしょう」質問者「なぜですか?」「私の能力不足もありますが、そもそも、言葉から離れることの重要性を言葉で言おうとしているわけでして、しょせん無理だらけではあるのです」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年07月28日
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空から湖へ魚を入れる(クリックしてね)うーむ、なるほど…
2021年07月18日
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最近では、「日に1時間くらいは思考を落とそうと試みる」はできていないし、「日に1時間くらいは体を動かす」「できるだけぼんやり過ごさない」というのも怪しい。でも、いまだ、いまのところ、有効な規則だと思っているので、あきらめず(変更せず)試みようと思う。■私のための個人的な生活の手引き体操と散歩と掃除と合わせて日に1時間くらいは、体を動かす。合わせて日に1時間くらいは、思考を落とそうと試みる。できるだけ、ぼんやり過ごさない。自分の行為・認識を、あたりまえだとみなさない。生きているのはつねに不思議な状況だと(できるだけ)確認しつづける。
2021年07月16日
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悟りについて(その30)「悟りにまつわる「本当のこと」について、体験はできなくても知識として知ってはいる、というのは、生きるのに重要なことに思えるのです。 それは、なんというか、穏やかに生きる手助けとなると思うのです。 しかしながら、ここで、「本当のこと」という表現がくせものでして、「本当のこと」という言葉を使うと、本当ではなくなってしまうのです。 繰り返しになりますが、「本当」という言葉と「本当」自体は別ですし、「の」という言葉と「の」自体は別ですし、「こと」という言葉と「こと」自体は別です。 あくまで、言葉は言葉にすぎません」質問者「屁理屈のようにも思われますが、そこのところはどうでしょう?」「言葉は言葉にすぎない、という事実を事実として認めず、そこのところを屁理屈とみなすなら、もうどうしようもありません。 ただ、ここでまたまたすごいところは、「事実」という言葉と「事実」自体は別ですし、それどころか、「言葉は言葉にすぎない」という文(言葉)と、「言葉は言葉にすぎない」ということ自体は別だという事実です!」質問者「なんだか聞き飽きた気もしますが…」「すみません」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年07月13日
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悟りについて(その29)「一時的でない悟りは、ある日ある時、突然与えられ、光が降り注ぐ感覚の中、数か月ほどをかけて、この世界がこの世界のままであるにもかかわらず、不思議なことに、この世界がまったく別の世界に変化して、生まれ変わったと実感する、というような奇妙な表現になってしまい、体験しないと理解できません」質問者「体験しないと理解できないなら、話を聞いたって時間の無駄ですね」「悟りたい、というがあなたの目的であれば、いちばんはじめに(悟りについて その1)お話ししましたように、あなたが悟れる可能性は低く、私の話はほとんど無駄でしょう。 ですが、悟りについて知りたい、というのであれば、知識としては、なんとなく伝わるのではないでしょうか。ただ、思ったほどわかりやすく説明できてはいないですけど…」質問者「悟りについて知識として知ったところで、つまらないのではありませんか?」「たとえ知識だけにせよ、生きるのに役立つと思います」質問者「どんなふうに?」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年07月07日
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悟りについて(その28)「「悟りは継続するのかどうか?」という質問の問題点は、何をもって悟りとみなすか、が明確ではないことでしょう。 そもそも、自分は悟ったと信じている人たちにおいて、体験が異なっているのだと思われます。 自身に起こった何をもって「悟った」と確信するかによって、食い違いが生じているのでしょう」質問者「どういうことですか?」 「悟ったら悟りっぱなし、というわけにはいかない、と信じている人たちもいますが、それとは別に、「悟ったら悟りっぱなし」という表現ができるような、悟りの前と悟りの後と、くっきり分けられる場合もあると信じている人たちもいます」質問者「2種類の悟りがあるとでも言うのですか?」「何を悟りとみなすかは2種類どころかいろいろあると思われますが、悟ったら悟りっぱなし、というわけにはいかない、と信じている人たちは、とある瞬間、たとえば、身心の状態が偶然、「ああそうか、そうなのか!」、という状態になった瞬間などに、悟った!、と感じるのでしょう。 そして、時間が経つにつれ、「ああそうか、そうなのか!」、は薄れてしまい、自分はあの瞬間悟っていたんだなあ……、と思い返すのです。 そしてまた、偶然、一時的に悟った状態になって……、を繰り返すのです。まあ、繰り返すことなく、1回だけ起こる場合もあるでしょうけど」質問者「では、悟ったら悟りっぱなし、と信じている人たちの場合はどうなのですか?」■悟りについて(その1〜その最新)
2021年07月02日
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