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26日(火)は、最初で最後となる雪組公演【fff -フォルティッシッシモ-】の観劇日だった。しかし、トップコンビのサヨナラ公演であるにも拘らず、全くそんな気がしない。これで終わりだとは、とても信じられない…。恐らく、日が経ってから突然、寂しさや哀しさに襲われるのだろうが、それまでは大劇場に轟いた歓喜の歌に酔いしれていようと思う。僕は常々「望海風斗は宝塚の枠を越えたスケールの役者だ」と形容して来たが、今公演ではトップコンビばかりでなく、雪組全体が宝塚の枠に収まらない熱演を見せている。それは、まるで望海の魂が組子一人ひとりに乗り移ったかのようで、観劇しながら「これが宝塚の舞台である事」を忘れる瞬間が何度もあった。もし、この舞台が雪組の初観劇であったなら、僕は「雪担」になっていたかも知れない。それ程、舞台から伝わる熱量に圧倒された。しかも、これで出演者の人数を制限しているのだから、凄まじいパワーである。ベートーヴェンが人生の最後に交響曲第9番を書き上げたように、望海風斗も卒業に際して、理想の組を完成させたと言えるだろう。それを後押ししたのが、上田久美子の脚本と演出だ。思えば、彼女も宝塚という枠を越えて、挑戦的な作品を幾つも手掛けて来た人である。彼女の作品からは、宝塚の可能性を内側からグイグイと押し広げようとするパワーを感じる。そして、音楽の世界で革命を起こした男、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。望海風斗、上田久美子、ベートーヴェンの3人が持つ情熱が、正に『fff(フォルティッシッシモ)』の如く一丸となり、ここまで力強い作品を生み出したのではないか。それにしても、西洋人であるベートーヴェンの生涯に、「生きる事は苦である」という仏教の思想を絡ませて描く発想は、なかなか興味深かった。仏陀は、「生」「老」「病」「死」の四苦に、「愛別離苦(あいべつりく)=愛する人との別れ」「怨憎会苦(おんぞうえく)=嫌いな人との付き合い」「求不得苦(ぐふとくく)=望んだものが手に入らない」「五陰盛苦(ごうんじょうく)=自分の身体が思い通りにならない」の4つを加えたものを「四苦八苦」とした。それは、人間が生きている限り避ける事のできない現実であり、運命である。そして、この「苦(=不幸)」こそが「謎の女」の正体となるのだが、個人的にはそれは単なる不幸ではなく、幸せになりたいという人々の「願い」或いは「祈り」でもあるように感じた。つまり、「謎の女」は本当は救いを求めている、苦しみから解放されたいと願っている…。(だからこそ、どんな困難にも屈しない心を持つベートーヴェンの前に現れた)そんな彼女(=人々)の願いを受け止め、抱きしめながら、「どんな絶望の中にあっても人々の心に希望の光を灯せるように」と自らの情熱と信念を音符に託し、書き上げた作品こそ交響曲第9番『歓喜の歌』なのではないか。それは生命の賛歌であり、たとえ彼の体が朽ち果てようと永遠に消える事のない未来へのメッセージである。そこには、僕が好きなルゥ・ザロメの詩『生に寄せる祈り』の最終節「もしお前が私に与える何の幸福ももはや残していないと言うなら よろしい お前にはなおお前の苦悩があるではないか」と同じ、ベートーヴェンの生に対する英雄的な肯定の感情がある。「希望の先に絶望があるのではない、絶望してもなおその先に光を見ようとする力こそ真の希望なのだ」という信念を持つ僕には、あのラストシーンは正に歓喜の瞬間だった。現在の不安な状況に生きる人達にも勇気を与えてくれるであろう、素晴らしい舞台だ。そして、この日は図らずも「A日程」の最終日で、終演後に望海風斗の舞台挨拶があり、更に嬉しい驚きに包まれた。彼女のサヨナラ公演を観られただけでも満足なのに、まさかこのような幸運に恵まれるとは思いもよらず、あの場面に立ち会えた奇跡に感謝したい。また、あの目まぐるしく転回する舞台を見事に操作してくれた裏方スタッフにも、ここで改めて謝意を表したい。あなた方も宝塚の誇りです。ありがとう!!ところで、あの時、客席にたまきちも居たの?俺も居たよぉおおおッ!!( ゚∀゚)人(゚∀゚ )♪でも、幽霊刑事だから見えなかったよ(笑)。
2021.01.27
何も書く事が無かったのか、何も書く気が起きなかったのか、10日振りの更新。先週、緊急事態宣言の影響かどうかは分からないが、雪組公演【fff】のチケット払い戻しが続き、思いがけず僕にもチャンスが巡って来た。観劇日は1月26日(火)。しかも1階席という幸運に恵まれた。さて、大の音楽好きを自認する僕が、唯一聴かないジャンル、それがクラシック。それ故、ベートーヴェンの生涯は勿論、彼が作曲した交響曲もたまに何処かで耳にする程度の認識で、ほとんど知識が無い。(ナポレオンと同時代の人というのも、本作品で初めて知った)そんな、僕にとっては鬼門とも言えるジャンルの、しかも「楽聖」と呼ばれる偉大な音楽家の物語をあの上田久美子が紡ぎ上げるとあって、果たしてどこまで正確に理解できるのか、最初は不安だった。偶然、稲垣吾郎がアンバサダーを務めるEテレの特集番組を昨年末に観る機会があり、それとなくにでもベートーヴェンの感性に触れる事ができたのは幸いだった。その中で、印象に残ったのが「革命」と「不滅の恋人」。この2つのキーワードが、雪組公演【fff】を読み解く上で何かヒントになるのではないかと考え、今回は少し予習してから観劇に臨む事にした。勿論、これは飽くまでも僕の予想であり、その通りに物語が進むという意味ではないので、まだ観劇していない人はその辺りを留意して読んで欲しい。(後で文句を言われても、謝罪はしない…笑)ベートーヴェンは、正に音楽界の「革命家」だった。それは単に、音楽面での業績ばかりではない。宮廷音楽家の地位の低さに憤っていた彼は、誰にも雇われずに活動した最初の音楽家だと言われている。あのモーツァルトでさえ所詮は雇われの身でしかなかった時代に、ベートーヴェンは権力に阿(おもね)る事を良しとせず、音楽にも自由と平等を求めたのだ。そんな彼を支持したのは、貴族でも教会でもなく、民衆だった。彼は、上流階級のご機嫌を取るための道具でしかなかった音楽を、民衆のために解放した。そして、自らの感情や思想を、音楽によって表現しようとした。その点でベートーヴェンは、ナポレオンがフランス革命でやろうとした事を、音楽で成し遂げようとした人物と言える。その原動力となったのが、逆境にも負けない、音楽に対する彼の情熱だ。それは時代の気運と見事に共鳴し、やがて「苦難を乗り超えた先にある歓喜に歌え」という交響曲第9番にて結実するのである。次に「不滅の恋人」だが、これはベートーヴェンの死後に彼の遺品の中から発見された、名宛人不明の恋文に出てくる女性を指す。この女性が誰かは、諸説あるものの未だに特定されておらず、まさに「謎の女」なのだ。特集番組では、この手紙の文面が他の女性に宛てた恋文と比べて非常に詩的であると紹介されており、ベートーヴェンにとって「不滅の恋人」とは実在の女性ではなく、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチが生涯手放さなかったあの絵画の女性、「モナリザ」のような存在だったのではないか…、という気がした。だからこそ、彼はこの恋文を投函する事なく、ずっと自分の手元に置いていた…。(初日舞台映像を観るに、「謎の女」はベートーヴェン以外の人間には認識できないようだ)そして、僕が「謎の女」と「不滅の恋人」を結び付けて考えたもう一つの理由が、この恋文が書かれた日付が1812年(ベートーヴェンが42歳の時)の7月6日から7日にかけてであるという事実だ。ファンの方ならもうお気付きだろうが、7月7日は真彩希帆の誕生日。上田久美子がそこまで狙ったかどうかは定かではないが、個人的には何か運命的な縁を感じた。更に、「謎の女=不滅の恋人」だとすれば、真彩こそ望海風斗にとっての「不滅の恋人」なのだと解釈する事もできる。ところで、ポスターの表題文字を見た時、真ん中の「f」が妙に小文字っぽくなっているのが気になったのだが、『歓喜の歌』のドイツ語原題が『An die Freude』であると知り、もしかすると【fff】というタイトルは単に音楽記号を表すだけではなく、『Freude für Fūto』(望海風斗に捧ぐ歓喜)という意味も含んでいるのではないか、と思った。そして、盟友・明日海りおのサヨナラ公演【A Fairy Tale(=お伽噺)】の結末がハッピーエンドであったように、「望海風斗との別れを飾るのは『悲愴』ではなく『歓喜』であるべきです」という上田久美子からのメッセージなのではないか、という気がした。(よもや、「謎の女」も「Mysterious Lady(謎の貴婦人)」と掛けてある訳ではあるまいな…笑)そうした事を意識しながら、当日は鑑賞したいと思う。そして、僕も一緒に歓喜に歌おう!!
2021.01.17
でも、この音は間違いなく眠くなる…(笑)。雨の中を走る列車バージョン。こちらは、ちょっと激しい吹雪と暖炉の火。
2021.01.07
明けましておめでとうございます今年も、ぼちぼち宜しくお願い致します年明け早々に、スマホをY!mobileからUQ mobileに乗り換え、機種もiPhoneからAndroidにしたため、色々と設定に手間取っている内に正月休みが終わった(笑)。とは言え、全く勝手の違うものを触っていると、良い刺激になる。数年振りに購入した宝くじはやっぱり当たらず、今年も地道にやって行くしかなくなった。雪組公演【fff】のチケットも相変わらず手に入らず、遠くから卒業生達を見送る事になりそうだ。 (とりあえず、公演が無事に進んでくれる事を願っている)特に書く事が無いので、年末に下書きしたまま更新するタイミングを逃したこちらの話題を。よもや、彩風咲奈のお披露目公演が【CITY HUNTER】になるとは思ってもみなかった(笑)。真風涼帆のシャーロック・ホームズに続き、ビジュアル的には完璧な役どころだ。とは言え、それ以上に宝塚ファンが気になるのは、やはりあのフレーズ(笑)。「も◯こり」因みに、何年前だったか『CITY HUNTER』の続編とも言える漫画『ANGEL HEART』がTVドラマ化された時は、この「も◯こり」というフレーズは(恐らくコンプライアンス的に)NGとされた。民放テレビ局がNG扱いする位だから、常識的に考えて「清く正しく美しく」がモットーの宝塚歌劇で駄目なのは当然だろう。そもそも、お披露目公演でトップスターに言わせる言葉ではない。ただ、このドラマで冴羽獠を演じた川上隆也は原作漫画の大ファンだったため、事ある毎にアドリブで「も◯こり」を言いまくり、遂に根負けした監督がそれを放送した、という裏話もあるにはあるが…(笑)。咲ちゃんは、そんなはしたない事しないよね?宝塚ファンも別にそこを期待してはいないだろうし、劇団にもそんな所で勝負して欲しくない。個人的には、この毎度お決まりのラブコメ要素に飽きて、後半はあまり真剣に読まなくなった経緯があるので(失礼…)、男性ファンとして「も◯こりは必要無い」に一票入れておく。寧ろ、アニメ主題歌の【Get Wild】のイメージを大切にして欲しい。(因みに、元妻が大ファンだった関係で、結婚後に単行本は全巻買って読んでいる)と、このように、どうしても「無類の女好き」というコミカルな部分ばかりが取り沙汰されてしまう冴羽獠だが、彼自身には「幼児期に両親と搭乗した飛行機が事故で中米のジャングルに墜落し、彼一人が奇跡的に助かるものの、拾われた先が反政府ゲリラの村だったため、そこで戦闘のノウハウを教え込まれ、子供ながらに異国の地でゲリラ兵として生きて行く事を余儀なくされた」という壮絶な過去がある。そのため、両親の記憶は勿論、本名から生年月日、国籍に至るまで身元を証明できるものが彼には何一つ無い。(唯一覚えていたのが、「りょう」という名前だけだった)そんな彼の孤独に触れた槇村香が、「2人が初めて出会った日だから」という理由で、3月26日を彼の誕生日に決める下りはなかなかロマンチックで、個人的に好きなエピソードだ。ただ、お互いに恥ずかしくて、香は「適当に決めた」と誤魔化し、獠も知ってて知らない振りをしてしまうのだが…。宝塚ファンとしては、ぜひその辺りを描いて欲しい所だ。冴羽獠を演じるコツとしては、きっちりメリハリを付ける事だろう。二枚目と三枚目キャラの振り幅は、早霧せいなが演じたルパン三世よりも激しいので、それを瞬時に切り替える事ができれば、原作のイメージを再現できると思う。そして、彼の女好きの顔の裏には、残酷な過去の記憶がある事を忘れない事だ。(女好きのキャラクターになったのは、日本に来てからという設定になっている)それが出来れば、後は彩風咲奈のスタイルの良さと身体能力の高さで乗り切れるだろう。それにしても、海坊主(ファルコン)は誰が演じるのだろうか…。花組の羽立光来なら様になりそうだが、それでもさすがに宝塚の舞台で坊主頭のキャラクターは、無理がある気がする(笑)。そうなると、彼が登場する前のエピソードになるのか。(因みに、ドラマ『ANGEL HEART』では、ブラザートムが演じていた)調べてみたら、2015年のドラマだった。台湾から来たシャンインという暗殺者の少女が、事故で亡くなった槇村香の心臓を移植された事から始まる物語。
2021.01.03
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