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* 写真は文章とは無関係です。 玉ネギの茎が倒れ始めた。土から見える球がかなり大きい。収穫期が近いようだ。春菊が大きくなった。雨の前に撒いた追肥が効いたのだろう。このまま放置すればやがて花が咲き出す。トマトの茎と脇芽の伸びが早い。脇芽を摘んで、茎を紐で縛る。ズッキーニの苗が大きくなり、野良のカボチャが負けじと伸び出した。気温が高く雨が多いこれからは夏野菜の成長期だ。 モッコウバラの残骸と散ったバラの花びらを掃くのが、毎朝の仕事になった。先日は増え過ぎた庭のワスレナグサを引き抜いた。そのまま「こぼれ種」が落ちたら、来年は大変なことになる。生活ごみと一緒にゴミ出し。離婚後の断捨離は先日大型袋30個目を出し、すぐさま袋を買い足した。 「嫁取り騒動」に関して、ブログ友のお姉さま方から「焦るな」との忠告多数。そのうち良い人が現れるのを待てとのご指示。「でもねえ」と爺は思う。老人の1年は青年の10年に当たり、壮年の5年分に相当すると。女性と男性の平均寿命にはかなりの差があるし、行動しなければ何事も動かない。それに私が話しかけた相手は、10年以上も人柄などを観察させていただいた方ばかり。 「お友達から始めたら」とは弟分。「お互いの家を行き来出来たら良いね」とは妹分のブログ友。みんな優しいね。そうなれたら爺も嬉しいな。我が子は皆遠くにいて、しかも今後爺の面倒を見てくれる環境にはないのだよ。だからあんな風に行動した訳。天女さまとは初対面だったけど、爺の直感は間違ってないと思うよ。ただし気持ちを伝えたのはブログの中だったけどね。 「そんなことを言うと老後の面倒はみないよ」とかつて長女に言われ、怒って電話を切ったことがあった。そして今回は「親子の縁を切る」だもんなあ。なぜそんな言葉を親に放てるのかが不思議。私は娘にこう言った。「Yさん(夫君)とお義母さんを大事にしないとだめだよ」。封建的な田舎でならなおさらのこと。それは長年の転勤暮らしで得た実感でもあった。 風呂場の換気扇のタイマーが壊れた。これまで騙し騙し使って来たのだが、ついに「うん」とも「すん」とも言わなくなった。故障の原因は分かっている。前妻がスイッチを逆に回したこと。風呂場の小窓の取っ手も彼女が逆に回して壊した。こちらは業者に修理してもらったが、彼女には自分が壊したと言う自覚が無かったのには驚いた。 IHクッキングテーブルの一部が焦げている。これも彼女が薬缶を空焚きにしたのが原因。先日お湯を沸かしていて気付いた。なんと薬缶の底にテーブルの焦げ目と同じ跡が残っていたのだ。おまけに薬缶がIH対応でないことも判明。タッパーウェアの蓋も幾つか壊れている。きっと彼女が無理やり使ったのだろう。だってこの家には2人しか住んでなかったからね。 使用中の調味料や洗剤などは同じものが多数あったし、雑巾類も30枚ほど出て来て驚いた。彼女が処分出来なかったものはほとんど捨て、実父の写真は先方に送った。前妻の身に何かが起きていることは確か。今頃になって、長女もようやくその「異変」に気づいたのではないか。もちろん何事も無い方が良いのだが。 兄宅に行った時、兄嫁が私に言った。「次男に成年後見人を頼んだみたいだよ」と。前妻は自分が出た後の家や財産を心配し東京の次男にそれとなく言い聞かせていたのだろう。「お父さんが耄碌したら、財産はお前が管理しなさい」と。 オーマイガー!!夫の健康よりも財産を気にしていたとは。でも私は自分が使い残した分を「遺産」と考えている。今後さらに歳を取って施設になど入ろうものなら、その遺産すらあっと言う間に消えてしまうだろうしね。 天女さまを良いなと思ったのは、この人とは老後を共に過ごせると感じたから。彼女なら「羽衣」を盗まれる心配もない。もう一緒のスピードで走るのは無理だが、自転車で伴走してのコーチは可能。彼女が強いランナーになれるなら、喜んで「肥し」になろうと思ったのさ。人生観や価値観が近く、しかも相手を尊敬出来れば最高。今後そんな女性が爺の前に現れたら嬉しいな。
2017.05.31
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先日行われたプロボクシングWBA世界ミドル級タイトルマッチで、フランスの同級1位エンダムに敗れた村田諒太(同級2位)の試合の再戦が決まった。これはメンドサWBA会長の裁定によるもので、不可解な判定を下した2人のジャッジへの6か月間の資格停止処分も、同時に決定した。村田が奪ったダウンを始め明確な点差があった試合で、判定直後から多くの疑問が呈されていた。 大相撲夏場所では、横綱白鵬が1年ぶり、38回目の優勝を14日目で決めた。また全勝優勝は13回目と言うから立派なもの。この1年は怪我などで体調が思わしくなく、力の低下も指摘されていたが、鶴竜、稀勢の里の両横綱が途中休場した場所を最後まで盛り上げてくれた。今後は40回の優勝を目指すと力強く宣言。 また関脇高安の大関昇進を審議する理事会の開催も決まった。最後は負けて11勝4敗に留まったが、横綱日馬富士を堂々たる相撲で破ったのは立派。フィリピン人のお母さんも涙を流して喜んでいたのが印象的だった。 女子プロゴルフの宮里藍選手が引退を表明した。まだ31歳の若さだが、昨年の夏には今シーズン終了後の引退を決意した由。理由はモチベーションの維持が困難になったことだが、ほぼ15年間のプロ生活で腰痛に悩まされていたのも確か。高校生でプロに転向して直ぐに優勝。十代で獲得賞金1億円の実力を発揮し、全米女子プロツアーに進出。人懐こい笑顔が愛らしい選手だった。結婚予定はない由。 なお私は沖縄本島単独一周ランの際に、彼女の実家がある東村平良の集落を通過したことがある。ただし夜の8時半ごろで、どこが自宅かは分からず終い。その日は朝の8時半から75km走り、夜の10時20分にホテルに着いた。長い長い走り旅だった。 わが東北楽天がパリーグの首位で、今日からの「セパ交流戦」に臨むことになった。開幕からずっと首位を走って、まだ1度もその座を譲っていないのは立派。今季は投打がかみ合い、ようやく助っ人3人衆の猛打が爆発するようになった。また先発、中継ぎ、抑えの各投手の調子も良く、早くも30勝を挙げている。今夜は本拠地のkoboパークで対巨人戦。先ずジャイアンツから血祭りに上げるか。 相変わらず北朝鮮の暴挙が止まない。先日もまた日本海へ弾道ミサイルを発射。日本を始め世界各国から非難の声が上がっている。イタリアのシチリア島で開催されたG7でも問題になり、今後国連などで強く制裁を求めることになった。「太陽政策」を図る予定だった韓国の文大統領もその方針を変え、非難せざるを得なくなった。 アメリカのトランプ大統領への風当たりは相変わらず強いものがある。G7では安倍総理の斡旋で「自由貿易推進」と「保護主義」の対立は避けられたが、「地球温暖化」に関してはパリ議定書と対立する立場を取り続けたトランプ氏。G7での雰囲気も決して良好とは言えなかった。 一方アメリカ国内での追及がさらに厳しくなった。例の「ロシアゲート」問題で、娘婿クシュナー氏のロシアとの秘密交渉が情報機関の捜査対象となるなど、激しい批判に晒されてる。南シナ海での中国軍との対立や北朝鮮近海への空母派遣なども含めて、今後のトランプ氏の動向が注目される。 豊洲市場問題への小池都知事の反応が今一だ。豊洲だけでなく、最近築地の土壌汚染も明らかになった。だが帰趨を未だに明らかにしない都知事。汚染対策を早急に立て、豊洲への移転を敢行すべきと私は考えるのだが。 加計学園の獣医学部新設問題はさほど問題にはならないと思う。先の森友学園問題もそうだが、マスコミの取り上げ方が変。今回内閣からの圧力があったと公表した文部科学省の前川前事務次官はどう考えても異常。先の「天下り問題」も前川氏の責任は重大なのだが、「出会い系バー」へ夜な夜な出没していたとは論外。第一あれは公文書の形式じゃない。やはり文科省は三流官庁なのだろう。
2017.05.30
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< お金と人間模様 > 電話が鳴った。掃除道具のレンタル会社からだ。床と花器台が接着した件については、弊社では承りかねるとのこと。う~む。住宅メーカーか塗装業者にでも聞くしかないか。 電話が鳴った。6月の尾瀬ハイキングは人が集まらず不成立の由。仕方がないので別な日に変更。こちらは何とか成立の見込み。梅雨が近いのでなるべく早い日にしたかったのだが。 電話が鳴った。S先生からの呼び出しだ。頼んでいた嫁探しだが、2人にお願いしたがどっちも断られた由。難しいだろうとは思ったが案の定の結果。丁重にお礼を言って「履歴書」を引き取る。帰路自販機でジュースを買ったら、何と大当たりでもう1本おまけ。こんなのはどうでも良いんだけどなあ。トホホ。 前妻との離婚について兄宅へ報告に行った際、「嫁さんをもらいたいんだけど」と兄嫁に言ったら言下に「無理だよ」と言われた。私の歳と健康状態では嫁が来るはずがないとの判断だろう。そうかなあ。俺はそうは思わないんだけど。家だってソーラー発電でオール電化だしね。 先日会った大学時代の級友にも「自分で探したら」と言われた。彼の本音は私の収入で嫁取は困難と見たのだろう。確かに相手に何がしかの資産がないと結婚生活は苦しいかも。年金だって年々減額しそうな雰囲気だしねえ。でも上手に資産を運用し、良き理解者が得られたらいけると思うんだけどなあ。 実は相談した級友は2人とも資産家だ。1人は学生時代からアパートを経営していたし、もう1人は定年後も高給で再就職していた。パートの肉体労働者を68歳まで頑張っていた私とは大違い。2人とも奥様も働き、自分の稼ぎは自分で使えたお大尽なのだ。そんな彼らから見たら、年金分割の私などは、箸にも棒にもかからない惨めな男に見えるのかも知れない。「でもなあ」と俺は思う。 この間見たネットのニュースにはこんなことが書いてあった。日本は高齢化社会でますます医療費が嵩み、財政悪化を防ぐためには老齢者同士の再婚が望ましいと。「おおっ、これはまさに俺のこと」。それで意を強くしたんだが、現実はそう簡単ではない。S先生が断られた理由は、今更再婚は面倒くさいと言うのと、将来は郷里に帰り子供の世話になるとの話。まあ、その気持ちも分かるよねえ。 俺が直接断られた理由の一つは「学歴」だった。彼女の学歴は知っていたし、もうそんなことに拘る年齢でもない。人柄は申し分ないし、女性的で優しい。それに服装のセンスが抜群なのだ。最初は喜んでいた彼女だが、2度目に訪ねた時は態度が違いこう言うのだ。「後2,3年働いたら息子たち家族と暮らす。息子がそう勧めてくれたので」。そう言われたら、それ以上は無理だよなあ。トホホ。 ある人に離婚したことを話したら、「自分の夫は体が弱く、経済力もない」と。んんん?まさか俺に気がある訳じゃないだろうなあ。「旦那さんを大事にしなさい」。そう言って俺はその場を去った。だって俺も絶不調の時に前妻に離婚を決断された身。そして女房と娘には経済観念の乏しい男と判断され、「親子の縁を切る」とまで言われた。何でだろ~お 何でだろ~お 何でだろ~お 何年か前のこと。やはり前妻との離婚話が深刻だった時、ある人に相談した。そうしたら自分が嫁さんになっても良いと言い出したのには驚いた。だってその人には旦那さんやお子さんがおられると聞いていたからねえ。女性としての魅力はあったが、そう言う方には近づかないのが自分の信条。正式に離婚が決まった今回も、その人には近づかないままだ。くわばら、くわばら。 土曜日は早朝から働いた。食事しながらの洗濯。それが終わると6つの部屋の掃除。「はたき」をかけ、掃除機をかけ、ドライのモップで拭いた後、フローリングの部分はウエットのモップで再び拭き掃除。これはピアノを搬出した時からの念願だった。その後玄関掃除に風呂掃除。料理を3品作ったらもうクタクタ。 春菊を畑から収穫し、洗濯物を取り込む。さて、この主夫業、果たしていつまで続くのか。ちょっぴり不自由な自由人だけど、付き合ってくれる人がいたら嬉しいんだけどなあ。<完>
2017.05.29
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<マックスと語る恋愛論> 「ご主人様、何だか元気がありませんねえ。お母さんと別れたって本当ですか?」。「おいマックス、天国にいるお前にまでそんな噂が届いてるの?」。「ふふふ。それについ最近失恋したこともね」。「んんん?それはちとまずいなあ」。「四国のお母さんとお姉ちゃんも笑っているかもよ」。「うん。お父さんはやっぱり失敗する人だとね」。「わはは」。 「失恋は失恋だけど、あれは俺の勘違いだった」。「何をです?」。「指輪さ、指輪」。「指輪がどうしたんです、ご主人様?」。「天女さまが指輪をしてなかったので、てっきり独身だとばかり思っていたのさ」。「でもご主人様は独身なのに指輪をしてる」。「うむ、これか。これは49歳の時にお母さんと大喧嘩し、反省して自分で買ったのさ」。「何とまあ」。 「これは自分からは決して裏切らないと誓ってのものなんだよマックス」。「それでお母さんと別れた後も指にはめてるのか」。「まあな」。「ところでその天女さまって?」。「それがとても素敵な人でね。抜群の距離感を持っていたのさ」。「んんん?」。「つまり初対面のレースで馴れ馴れしくもなく、かと言って冷たくもない」。「それで参ったのね。ご主人様は?」。 「うむ。人間的にもランナーとしても実に立派な人だった」。「どうして分かるんです?」。「距離感もだが、心配りかな。それに・・」。「何です?」。「フルマラソンを走るのは普段から鍛えていると言うことだし、レースに出ると言うのは生活が安定してる証拠っていう訳」。「なるほどねえ」。「それにブログに書いてくれたコメントが素晴らしい」。「それも気配りの文章?」。「そう言うことさ、マックス」。 「それは残念でしたね、ご主人様」。「うん。とっても残念だ。でも俺は嬉しい」。「失恋して嬉しいんですか?」。「やはり俺が思ってた通りの立派な女性だったからね」。「ふ~ん。でも淋しそう」。「あれは夢だと思って次も頑張る」。「まだ頑張る積りですか、ご主人様?」。「牛ちゃんなんか、振られても振られてもラブレターを出した」。「四四十六ですね」。「いや獅子文六の大番だ。マックス」。 「女性ってのは実に厄介だなあ」。そう言ってマックスを振り帰った時、愛犬の姿はもうなかった。きっと天国に帰る時間だったのだろう。「変にプライドの高い人。お芝居をする人。ご主人がいるのに裏切ろうとする人。初めはその気にしておいて、いざとなると逃げる人。良いなと思った人は結婚してるし」。声は小さくなり、最後は聞こえなくなった。でも人間不信じゃないようだが。 「可哀想なご主人様。誰か良い人が見つかると良いんだけど」。天国で男の様子を見ていたマックスがつぶやいた。「ヘックション。また誰か俺の噂をしたな」。男はブルブルっと震えながら、バラの花びらを掃除し始めた。「美しいバラも最後は散る。命短し恋せよ爺さん・・」。男が一人ごちた。風が笑いながら空を駆け抜けて行った5月下旬のある日のお話。<続く>
2017.05.28
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<あれから・・> ウワミズザクラ5/5 物凄い喧噪の中でPCを開いていた。早々に工事用の足場は組まれたものの、一向に工事に入る気配がなかった今回のリフォーム。何かの業者が半日来ただけで、後は「ナシのつぶて」。「これは経費が安いせいか?」と疑っていたのだが、ようやく今日は塗装業者が外壁の高圧洗浄をやった。ついでに1階の窓ガラスと網戸まで洗ってくれたので、きっと明るい窓になるはず。 ところで先日のレース後、着替えをしながら隣にいた駅伝チームのメンバーと話した。彼らは大崎市古川のランナー達。「チームあさとあゆ」を知ってるかと聞いたら、リーダーの職業を知っていた。そして私に「昨年7月のチャリティランでは、雨の中大変でしたね」と言う。大雨の中、私は傘を差しながら歩いた。よほどその姿が印象的だったのだろう。河川敷の道が大きな水溜りになって困ったもんね。 どこかで顔を見た覚えがあると思ったら、彼らもあの大会に出ていたんだねえ。「今年も出るの?」と聞いたら出るらしい。私も出る積りで申し込みはしてある。次は6時間走なので、今回よりも1時間長く走ることになる。もっとも台原よりはよっぽど家から近いので、参加するには楽なのだが。 レースの夜、寝る前に体操をした。少し動かしただけでも体のあちこちが痛む。悲鳴を上げながらも私は無理やり自己流のラジオ体操とストレッチ体操を続けた。そしてその夜うなされたことは、既に書いた通り。翌朝は早朝から近所の坂道を3km歩いた。7月のチャリティランへの備えだが、生活上の体調維持のためでもあった。老後は鍛錬が欠かせず、それを少しでも怠れば筋力は直ぐに落ちる。 仙台明走会からレース参加許可のメールが来たのは、その数日後。よしよし、これでまた次の目標が出来た。だが折角ラジオ体操、ストレッチ体操、早朝の坂道散歩が出来たのに、それから雨の日が続いた。もうランナーとは呼べない自分だが、魂だけは未だにランナーのまま。立ち向かう勇気は心の片隅に残っている積り。ともかく一人暮らしの私は、自分で体調管理をするしかないからなあ。 参考までに、今後の予定で決まっているものを以下に記す。6月12日(月)~13日(火) 尾瀬ハイキング。1日5km程度を2日間歩くツアー。7月8日(土)仙台明走会主催「第10回チャリティーマラソンin宮城」9時スタートの6時間走。於宮沢緑地(本部:宮沢橋下)8月19日(土)宮城UMC主催「薬莱山とお足」 集合は12時までに現地、薬莱山「薬師の湯」へ。出発地及び距離は各走友会で異なる。わが南仙台走友会は仙台市体育館前から3時出発55km。9月2日(土)「第1回みやぎ湯めぐりウルトラ」100kmのスタッフ。前日作並温泉に前泊。 ざっとこんなものだが、これを決めるにも躊躇した。理由は自分の体調に自信がなかったから。レースは数か月も前から開催日時が決まっており、参加するためには予め料金を払ってエントリーし、かつレース当日に最大のパフォーマンスを発揮して完走することが目的。だからそれに合わせて自分のコンディションを作れるかどうかが勝負の別れ道になる。 10月1日(日)開催の「東北みやぎ復興マラソン2017」は今年が第1回。走友会としてエイドステーションを設置し大会運営に協力したいとの意見がお花見の際に出たが、これはまだ走友会の正式な決定事項ではないしねえ。 このほか筑波勤務時代の悪友達との麻雀大会が東京で、9月から10月頃に開催予定。また個人で群馬方面に旅行したい。私が観たいのは、高崎市の保渡田古墳群とみどり市の(星野)富弘美術館なんだよね。さらに30km程度の峠越えランや被災地ランをしたいけど、これも今後の体調次第だね。自由人と言っても悲しいかな、爺のはこんな程度なんだよなあ。<続く>
2017.05.27
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<「自由人」の名刺> シラン 朝から雨だ。何だかもたもたする腹具合。そう、二日酔いではないが、確かに昨夜の酒が効いている。トイレに行ってもまだ出ないだろう。重苦しさを我慢して朝食の支度。昨夜の飲み屋で食べ残したヤナギガレイが1枚とフグの卵巣のチーズ和えを冷蔵庫から出し、レンジで温める。他には野菜炒め、カブとニンジンの浅漬け、納豆、カブと豆腐の味噌汁。デザートのオレンジ、ブルーベリージャム入りのヨーグルト。 サンズンアヤメ ふう~っ。ようやく食べ終え、BSで「ひよっこ」を観る。新聞は既に読んだ。昨夜中にもらったコメントへの返事も、起床後に書いた。当日の日記は予約機能で更新済み。食後再びPCを開くと、今日のコメントが幾つか入っていた。返事の前に庭の花を撮る。これは翌日分のブログ用。雨に濡れたバラやジャーマンアイリスなど。畑が雨で潤い、春菊がかなり大きい。これは後で切らないとねえ。 ヴィオラ 昨夜飲んだのは大学時代の同級生。クラスメイトと言っても夜学だから年齢はまちまち。Gさんは5歳上だし、Iさんは2つ下。それが集まったのは私の身の上話と相談のためで、少し前に日程が決まっていた。話題は私の離婚と嫁探し。調停の時から相談していたGさんだが、嫁探しならI氏が打ってつけだと言って話をしたようだ。I氏に事情を話し、2ページに亘る私の略歴などを手渡した。 クリスマスローズ I氏はしげしげとそれを見つめていた。彼とは同業だが分野が違った。山形では勤務先が一緒になったこともある。親分肌の苦労人で気の良いヤツ。だがこうと決めたらテコでも動かないこともある。一通り「書面」に目を通したI氏曰く。「自分で探したら?」。恐らく私のような経歴と性格の男は、趣味を通じるなどして直接自分の目で確かめろと言いたかったに違いない。 ジャーマンアイリス 私もそれに共鳴する部分はあった。でも私よりも若い割に経験豊富で人付き合いの良い彼なら、色んな人を知ってると思ったのだ。「実はこんなことがあってね」。と、私は日曜日のレースの話をした。2人は驚いたようだ。I氏は「ほらね」とでも言いたかったのかも知れない。次の会には後2人級友を呼ぶことにした。私はそのまま帰宅したが2人はそれぞれ夜の街へと消えた。 ジャガイモの花 G氏は飲み足らないのかもう一軒別の店へ。I氏はコッテリしたスープのラーメンを食べに。そして私は手にフグの卵巣とヤナギガレイが入ったプラ容器をぶら下げながら、最寄りの地下鉄駅まで歩いた。そして終点の駅からはバス。今回初めて地下鉄の駅にバスの便が表示される箇所があることを知った。一ケ月前のお花見の帰りは家まで歩いて酔いが回り、庭で倒れて大怪我をした。あの惨事を繰り返しちゃいけないもんねえ。 別れ際にI氏が私に名刺をくれた。表には「自由人」とあり、裏には略歴や現在の所属などが累々と印刷されていた。2人ともいわば社会の名士。死んだら死亡広告もデカデカと載るに違いない。それに比べれば私は何の取り柄もなく、死んでも訃報は出さない積り。 「だが」とこれは心の声。私に出来て彼らには出来ないものが2つある。1つは家の処分。これは私が1人住まいだから可能なこと。そして2つ目は人を恋すること。これも「チョンガー」の特権。無論妻子持ちの彼らにも恋愛の自由はあるが。結局I氏に見せた「履歴書」は持ち帰って来たが、果たして今後嫁さんが見つかるかどうかは五里霧中なんだよなあ。トホホ。<続く>
2017.05.26
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<ゴール。そして夢の中で> コースを覆う樹々 私が6周目の途中、10周を走り終えた天女さまと話した。「後4周です」と彼女。でも次に会った時彼女が言った。「足が痙攣して来たけどどうしたら良いのかな?」。そこで爺は言った。「エイドの冷たいスポドリに塩を入れて飲め」と。恐らく走っているうちに痙攣が来たのは初めてだったのだろう。驚いたはずだが、発汗と共に大量のミネラル分が体内から失われたせい。放置すれば熱中症にもなりかねないのだ。 7周目の最後(彼女は12周)の最後の登りを坂を天女さまと一緒に歩いた。初マラソンの対象にこの厳しいコースを選んだ彼女にとって、もう限界が近づいていたはずだ。痙攣もしかり。かなり体内のエネルギーを使って、内臓も足も悲鳴を上げていたはず。だが彼女は最後まで走ると言う。「では待ってるから」。私はそれだけ言って周回チェックを済ませ、最後の1周を逆走した。 広場で 残り20分以上の余裕がないと、最終ランが認められないルール。私はまだ余裕はあったが、多分3時までにはゴール出来ないはず。途中で会った天女さまが腕時計を確認した。そして大丈夫と見たのだろう。左右に別れ、私は先にゴールし記念撮影をしてもらい、着替えをして彼女を待っていた。 これがゴールの写真だが、「やらせ」だ。自分のデジカメで撮ってもらった写真をトレースしたもの。この後本部席に戻り、濡れタオルで体を拭き、シャツや靴下を取り換える。この日自分で決めたように、ほとんど最後まで歩かずに走ったつもり。今の体調で良く頑張ったと思う。全てを整えてから、スタッフがくれた味噌汁を飲み干す。この塩分が、水分を失った体には何よりのご馳走だ。 これが私の完走証。1周3kmのコースを8周し、合計で24km走った計算。5時間で24kmだから時速5kmにも及ばない遅さ。でも私は恥じない。これが現実の私なのだから。10年以上前のこのレースで、10時間歩き通した方がいた。確か神奈川県の方だったと思う。「9.11テロ」に抗議する幟を手に持って黙々とただひたすらに歩いていた。あの時の彼の年齢を、今の私は超えている。何が歩いて恥ずかしいものか。 天女さまはいつの間にか静かにゴールし、記念写真を撮られ、味噌汁を飲み、女性ランナーにだけ「ご褒美」として与えられる「パック」をされていた。普通なら撮られるのを嫌がるこんなシーンを、おおらかな彼女はVサインをして私に撮らせてくれた。ありがとうね天女さま。そして初マラソン、初完走本当におめでとうございます。きっと厳しい坂道で足も痛んだことだろうに、彼女は最後までにこやかだった。 <大会本部前の「茉莉花像」>作者は岩手県出身の彫刻家・舟越保武(1912-2002)。東京芸術大学名誉教授で、宮城県出身の彫刻家佐藤忠良(1912-2011)の朋友。なお宮城県美術館内に「佐藤忠良館」がある。 折角知り合った天女さまとこのまま別れてしまうのは、とても悲しかった。でも電話も住所も聞くことは出来なかった。唯一の慰めは、私のブログにコメントすることを約束してくれたこと。それを楽しみに地下鉄に乗った。そして座席に座って参加者名簿を観て驚いた。そして思わず笑顔になった。 天女さまの年齢を知ったのだ。私はコースで出会う度に年齢を推定していたのだ。最初は20歳若く、次に15歳若く。多分そんなものと踏み、爺には無理だと思ってたのだ。でもねえ。これくらいならひょっとして望みがあるかもなあ。ただし天女さまのことは何も知らないままなのだが。 <地下鉄旭ヶ丘駅前広場にある「牧神像」>作者は新潟県出身の彫刻家岩野勇三(1931-1987)。東京造形大学教授。死の前日この像の粘土の原型を完成させ、その翌日に亡くなった。佐藤忠良(東京造形大学名誉教授)の愛弟子である。 帰宅後入った水風呂が気持ち良かった。体重は3kg減り、体脂肪が4%ほど減少していた。ゆっくり5時間走ったことが脂肪の燃焼につながったのだろう。体の痛みや疲れと戦いながら、早速完走記を書き始めた。記憶がまだ体に刻まれているうちに。 その夜私は夢を見た。いや、うなされていただけだったのかも知れない。右肩が痛む。背中が苦しい。そして左足の甲の嫌な痛み。あの暑さの中で、今年一番の距離を走ったんだから、疲れるのが当然だ。 天女さま助けて~!!「ギンギラギンにさりげなく~♬」。「濃いって良いですよ」(原田知世)。右肩、背中、左足、ギンギラギン、そして濃いコーヒー。天女さま、天女さま。むにゃむにゃ。まんじりともせずに朝を迎えた私だが、本当に天女さまが私のブログにコメントしてくれるのだろうか。むにゃむにゃ。<完>
2017.05.25
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<ギンギラギンにさりげなく♬> クヌギの若葉 10時の一斉スタートと同時に、私はあっという間に一人取り残されてしまった。こんなのは想定内で、驚くこともない。1年ぶりのコースの感触をじっくりと楽しむ。やはりこのコースは良いねえ。木陰が気温を下げ、森のフィトンチップの香りが嬉しい。年々走れなくなった自分の足。もう走っているとは言えないほどのスピード。それでも自分が走っていると思えればそれで良し。ああ楽しい。ジョギング万歳だ。 青空と森の木 スタッフの方は古くからの顔なじみばかり。Wさん、Aさん、Fさん、そしてYさん。女性ボランティアのSさんとも1年ぶりの再会。皆気の良いランナー達だ。1周し終えて自分のカードを1枚ちぎり、2周目は逆走する。そうすると誰が今回参加してるか分かるのだ。そうそう散歩中のKさんがいた。所属走友会の長老で、久しぶりに森林公園へ来たと話していた。 ゼッケンをつけたKさんがいた。「仙台国際ハーフ」はお母さんと一緒に走り、ギリギリで完走した由。彼女は幾つも過去の記録が大会要項に残されている強者。今回はフルの部だが、不調なので途中で止めるかもと彼女。その言葉通り、時々歩いていた。そして5時間走の部のIさんは参加する都度顔を合わせる常連で、彼の記録も要項に載っている。周回ごとに顔馴染みのランナーとエールの交換だ。 コースの平坦箇所 さて、どうしても気になるのが謎の女性ランナーXさん。まだ走り始めて間もないことや、仙台の人であることは分かった。周回チェックの際に名前も知った。カードが張り付けているボードが彼女と一緒。だがそれ以上の情報はつかめない。そこで私は一計を図った。名付けて「ギンギラリンにさりげなく作戦」。心はギンギラギンでも近づくのはさり気なくじゃないとねえ。 作戦その1は逆走すること。そうしたら必ずコース内で会えるはず。ほら彼女が坂を下ってやって来た。慌てて後ずさりし、ポシェットからデジカメを取出して彼女の方に向けた。するとわざわざスピードを落として両手を振ってくれた天女さま。 それのみか、なななんと、私を撮ってくれると言う。それも逆光にならないように立ち位置まで考えてくれた。天女さまは何と言う気配りなのだろう。Vサインをした私だが、顔はどこかぎこちないまま。それもそうだよねえ、たとえ人生の大ベテランではあっても。 公園内風景 気になってもまさかマジマジと顔を見る訳にも行かない。パッと会ってさっと離れて行く選手達。それがレースだ。そこで爺さんランナーは次の手を考えた。名付けて「歓びのハイタッチ作戦」。逆走して出会った際に、天女さまの手に触れるのだ。これならエールの交歓で、ごく自然な行為。初心者の彼女を励ますことも出来るしね。慣れてなくてぎこちない分、その初々しさが愛しい天女さま。 でもちゃんと真面目なアドバイスもしたんだよ。「今日は暑いから早めの給水と給食を摂って」とか、「足が痙攣して来た」と言う天女さまに「給水所で冷たいスポドリをコップに注いで、中に塩を入れて飲むように」とかね。そして自分もこの日は違っていた。歩きと変わらないスピードだが、ずっと走ることを自分に課していた。思わぬ天女さまの出現で、気持ちも高ぶっていたんだろうけど。 私は1周おきに逆走し、天女さまとハイタッチを繰り返した。それだけで足らずに、ある周回時などは彼女を下の名で呼んだのさ。しかも「さん」付けなしで。その方が呼び易かったからだが、彼女の反応に悪い感じは受けなかった。 私は天女さまと2度目の写真の撮りっこをした。ちゃんと写っているかどうかを確認した彼女曰く。「まあ、飛び切りの笑顔!」と。そりゃあそうだよね、天女さまと出会えたのだから。でもこうして見ると、サングラスが曲がっているのにも気づかない自分が笑える。<続く>
2017.05.24
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< 天女様へのレクチャーとコース > 公園内のサツキ 天女様、自信がないのか「フルマラソンじゃなく5時間走にすれば良かった」と申される。理由はフルだと42.195kmを走り切らないと完走したことにならないが、5時間走なら5時間走れば済むからだ。そして「フルでも途中で止めても良いよね」と弱気になられたご様子。 そこで爺のレクチャーが始まる。ここのコースは1周3kmだがアップダウンが激しく、1周当たり約60mの高低差があること。つまりフルなら840mの山を上り下りした計算。日本中でそんな厳しいフルマラソンはない。だからイーブンペースを守ることが大事と説いた。そうじゃないと「激坂」が最後は走って登れなくなり、タイムロスに繋がるのだ。 <3時間走、5時間走の部の選手達> 9時45分。3時間走、5時間走、同駅伝の部、フルマラソンの部の選手が招集され、大会本部から注意事項が発表。私は10時間走(朝6時スタート)や5時間走、フルマラソンなどこれまで10回近く参加してるので、すっかり頭に入っている。ところが出走前にトイレに行っている間に記念撮影が終わっていた。この写真は私が撮ったもの。肩にタスキがあるのが駅伝の部の選手達。緊張感が漲っている。 これが仙台市「台原森林公園」の全体図。公園の西側には仙台文学館があり、その反対の東側に地下鉄南北線の「旭ケ丘駅」がある。黄色い線がコースで1周3km。フラットな部分は一番右の池付近から駅前広場までの間約300mほどしかない。赤丸が大会本部とエイドステーションで、1周した選手はゼッケンと同じ番号のカードを1枚自分の手で千切るシステム。コースは時計回りだが、逆走も可能。 激坂 ここがコース中最大の登坂。高低差は約50mで、登り切った個所に大会本部がある。ここを最後まで走って登れるかどうかが、距離を稼げるかどうかの分かれ道。だから最初から飛ばさないことが肝要なのだ。私は10時間走で25周し75km走ったのが最高。 ここは6月第1週の「岩手銀河ウルトラ」(50kmの部および100kmの部)の練習台だった。因みに25周すると高低差の累積は1500mとなり、標高1500mの山を上り下りした計算になる。この坂は上に行くほど傾斜がきつく、この辺りは緩い方。ここを私は歌を歌いながら走って登るのを常としていた。 コースと木漏れ日 この日の最高気温は28度Cとの予報。だがコースの9割は木立が頭上を覆い、気温は比較的低くて助かる。フラットな300mの区間(旭ヶ丘駅付近)だけが開けていて日陰が無く、容赦なく太陽が照り付ける。その温度差が案外大きい。 私は常に手にペットボトルを持ち、飲みながら走っている。ボトルの中には、アミノバイタル、お茶、水、スポーツドリンクなどを気分に応じて変え、発汗が進んだと判断すれば塩を混入する。もちろん日よけのための帽子は被り、サングラスも保有。 コース内の要所要所に、こんな標識が立てられている。ランナーのための目安だ。このコースでは高校の陸上部の選手や市民ランナーが練習している。この日も「仙台鉄人会」とは別な団体の駅伝大会が同じコースで開かれていた。10時間走の部の選手たちは、朝の5時半集合、6時スタートでずっと走り続けている。今でこそ5時間走の部だが、私も65歳までは10時間走が中心だった。<続く>
2017.05.23
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< 謎の女性はだれ?> 何なんだろうねえ、この間の悪さは一体。起きて直ぐに飲もうと思った牛乳を、何とまあ自分の口ではなく、先日買ったばかりのカーペットに飲ませてしまったのだ。いつも通りの場所に置いたのを忘れて、つい蹴飛ばしてしまった訳。これじゃ怒る訳にも行かないよね。朝からこんな調子じゃ今日のレースは一体どうなるんだろう。そんな悪夢が一瞬脳裏を過った。 地下鉄台原駅前の木立 前夜のWBAプロボクシングミドル級タイトルマッチで、あの強豪村田諒太が、何と何と不可解な判定で敗れたのも納得が行かなかった。この判定にはWBCの会長が疑問を呈したようだし、WBAの会長も謝罪したようなので、やはりかなりおかしい判定だったのだろう。 さて自分の左足が「コキッ!」と鳴った。このところ違和感があった左足だが、ひょっとしてこれで復調かと俺は喜んだのさ。 台原駅南口出口 それにしても体調はあまり良くなかった。転倒して強打した右肩が痛んでいたし、背中全体に違和感があった。これは多分「断捨離」の疲れ。両膝痛の原因は老化のはず。レース前日から急に高温が襲ったのも心配。今年はまだそんな高温の下で走ったことがなかったからだ。そんなこんなで直前まで参加への躊躇があった。でも不参加は思い止まった。 台原駅南口の階段 理由は主催する「仙台鉄人会」からの案内。大会への参加者数は限定されているため、無断での不参加はせずに他のランナーに出場機会を譲ってほしいとあった。もっともな理由で、この大会は参加費が2千円。今時こんな料金で5時間も10時間(この大会には10時間走の部もある)も遊べるレースはなかなかない。これはやるっきゃないね。それがマックス爺の覚悟だった。 地下鉄南北線の台原駅で下車し、南口から台原森林公園に向かうと、この横断幕が目に入る。ここが大会本部であり、エイドステーションであり、着替えの場所でもある。先ず受付をしてゼッケンや記念品などを受け取る。既にランパンは履いているが、ランシャツにゼッケンをピンで留める。ナンバーは96番。う~む。これは「苦労」が多いかもねえ。そう思った時、1人の女性が私に近づいて来た。 謎の女性ランナーXさん 不肖マックス爺、73年ほど過ごして来た人生で、レースの出走直前に女性ランナーから声を掛けられたことなどないのだよ。少々泡を食ったがそこはベテラン、そんな素振りは見せなかったのさ。何故ってこんな機会は滅多にないからねえ。そこで女神の声にじっと耳を傾けたって訳。そうしたら信じられない言葉が天から下った。マックス爺が再び驚いた瞬間だった。 先日の「仙台国際ハーフマラソン」は確か走れなかったと彼女。ひょっとして「クリック合戦」に敗れたのかも。最近はマラソンブームなのでそんなことも良く聞くのさ。だが10月開催の「東北みやぎ復興マラソン」には出場予定とか。それまでにフルをもう1戦したいと適当なレースを捜したら、このレースに行き着いたと言うのが天女様のお話だったのさ。 木漏れ日を撮影する爺の影 そして驚くことに、天女様は私に「このスマフォを観よ」と命じた。んんん?それは私が昨年書いたこの大会の完走記。それに爺がゴールした写真まで載ってたのさ。こんなことがあるから人生は面白い。後で彼女が言うには、会場で私を簡単に見つけられたのはオーラがあったからと。そこで爺は言った。「オーラ恥ずかしいなあ」。まあお互いの写真も謎で対抗だっちゃ。(仙台弁)<続く>
2017.05.22
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このシリーズでは暫くブログに載せそびれていた春の花を紹介しています。 5月2日に撮影した我が家のツリガネズイセン(釣鐘水仙)。まだ花に勢いがありましたね。 同じ日に花壇で撮ったオダマキ(苧環)の花です。薄いピンク色の花です。 5月4日に近所の畑で撮った菜の花。隣にネギが植えられているのが愛嬌です。 5月4日。散歩中に撮ったムベ(郁子)の花です。アケビ(木通)の親戚です。 こちらもムベです。少し高い所で咲いているのですが、肩痛で腕が上がらずピンボケです。 同じ日に近所で撮った白藤と八重桜のツーショットです。 白藤も八重桜も見事な色なのですが、早朝でさほど鮮やかに撮れてないのが残念!! こちらは白藤だけ。金網に2段になっています。実は藤色の花も2段に咲いています。 同じ日に撮ったハナミズキ(花水木)です。 白花のハナミズキも清楚で素敵ですね。 5月4日。我が家のモッコウバラ(木香薔薇)。まだ咲き始めです。 同じ日に花壇で撮ったツツジ(躑躅)。小さな花です。 5月5日撮影。散歩中に近所の花壇で出会った白花のアネモネ。 これも同じこどもの日に撮影したシャガです。よそのお宅の庭で。 チューリップの寄せ植えです。2か所で撮りました。(以下同様) 毎年美しい花を咲かせるには、花が咲き終わった後、球根を掘り上げて休ませるそうです。 それを手抜きして植えっ放しにしておくと、球根が弱って咲かなくなるんですねえ。 結局は花もお世話する人間次第ってことでしょうか。 同じ日、近所の散歩中に撮ったフジ(藤)の花。 上と同じ花。道路の直ぐ傍で咲いています。背は低くても花房にボリューム感がありますね。 5月8日撮影。我が家のオオテマリ(大手毬)。今は足場に隠れています。 <今日の独り言> これで撮り貯めた春の花の写真を全て公開して┐(´д`)┌ヤレヤレです。 お天気が良いと洗濯が楽で助かりますね。それに布団も干せるし。 洗濯機の音を確かめながら食事しています。「自分用」にセットし、お風呂のお湯をポンプで汲んでるものですから。 一人暮らしだと一日中誰とも口をきかないことが多いんですよね。せめてブログで文章を書かなくちゃね。 <完>
2017.05.21
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他の話題のブログが続き、折角撮った花の写真を載せそびれていた。そこで2回に亘って花の特集記事を組んだ。と言っても、私が撮る花はそんな大げさなものではない。大抵は我が家の庭に咲く花か、近所を散歩中に撮った、ごく普通の花ばかりなのだから。能書きはともかく、早速紹介しよう。 4月5日に撮影したクンシラン(君子蘭)。花屋の店先だったが、我が家にも全く同じ花がある。 4月13日。9kmのジョギングコースで撮影したヤブツバキ(藪椿)。以下同様。 このヤブツバキは国道沿いの竹林の手前に咲いているもので、ほとんど放置された野良状態だ。 背丈は2.5mほどもあるだろうか。我が家にも同じ種類があるが、ここまでは大きくない。 花びらは一重で何の面白みもないが、それだけに素朴で味わいがあるとも言えようか。 椿と言えば伊豆大島が有名。あの島では走友のT田さんと一緒に100kmを走ったのを思い出す。彼が東京の芝浦桟橋の待合室でひょっこり顔を出した時はビックリ。私を驚かせようと、彼も内緒でエントリーしていたそうだ。あの頃はまだ100kmを走れていたんだけどねえ。遠い目。 4月14日。近所のM公園で撮影したカタクリ(片栗)。(以下同様) あの時は、この公園で撮ったソメイヨシノ(染井吉野)を紹介したんだよね。そのうちに載せようと思って、ついそのままになってしまったと言う訳。 あの頃はまだ家に前妻がいて、心がザワザワしていたんだよねえ。それで忘れられたのかなあ? それにしても今年のカタクリは早かった。例年よりも2週間は早かったんじゃないのかな? 可憐なカタクリの花を、こんな身近な場所で観られるとは幸せだよね。 今年は仙台市野草園とこのM公園の2か所でカタクリと出会いましたね。 わずか2週間で花期が終わるカタクリ。今では葉っぱすら地上から姿を消してしまいました。 4月14日に近所の花壇で撮影した、純白のクリスマスローズ(以下同様)。 同じお宅の花壇ですが、こちらはややクリーム色がかったクリスマスローズです。 4月14日に撮影した白椿。と言っても資〇堂のPRではありません。 4月14日に撮影したレンギョウ(連翹)。マメ科の植物ですが、結構華やかです。 同じ日の散歩中に撮ったハナモモ(花桃)。花が密集していました。 こちらも同じ日に撮影したヴィオラの寄せ植えです。(以下同様) 5月2日撮影の我が家のアイリス。こちらはモミジの下です。 こちらは我が家の花壇で、チューリップ、スイセン、クリスマスローズ、ツツジなどと一緒に咲いています。 [今日の独り言] 東北楽天が好調で嬉しいな。目下トップなので毎日が楽しみ。さて、今夜はどうかな? 何種類かおかずを作っても、直ぐに無くなっちゃうんだよね。我ながら良く食べるなあ このブログは「予約機能」を使って前日の暇な時間に書いてます。そうすると朝もグッスリ眠れるしね <続く>
2017.05.20
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屏風岳 朝の散歩時はまだ寒い。特に風の強い日は、手がかじかむほどだ。それでも息を深く吸い込みながら歩いていると、肺の中まできれいになるような気がする。遠い南蔵王の屏風岳付近が見える。かなり雪融けが進んでいるようで、先日野菜の買い出しに行った時は、名取川の水嵩が増して流れが枝分かれしていたほど。散歩から帰宅し、モッコウバラの残骸を掃く。 家の補修工事に先立って足場が組まれた。鬱陶しいことこの上もない。まだ5月で明るいから良いが、これが梅雨時の曇り空ならますます室内が暗くなるだろう。それに足場があると、家の周囲を歩くのがとても大変なのだ。それで掃除道具や肥料、如雨露(じょうろ)などはガレージに移動した。南の畑へはアプローチ出来るが、東の畑には足場を潜る必要があって面倒になった。 家の中から見るとこんな感じ。まるで檻のようで面白い。まだ工事の人が来ないからだが、目の前を頻繁に人が通り騒音がしたら煩わしいかもね。食事は現在居間で摂っている。これまでお盆を持って階段を降りる際は、足元が見え難くとても危険だった。 パソコンも時折食堂の窓辺に移動し、ここで作業している。明るくて助かるし、椅子なので姿勢も正せて良い。それに簡単にお茶やコーヒーも直ぐ飲めるしね。 先だっては急に思いついて、台所の一角を模様替えした。長男が置いて行ったラックを物置台にしたのだ。以前移動した収納棚は食堂へ。ここへは辞書や地図類などを配置し、PC作業と連動させる予定。台所の物置台には、果物、野菜、ビン類、米袋などを収容。これでかなりすっきりし、掃除もし易くなるはず。ウエット用のモップもレンタルに再追加した。 肩の痛みがまだある。その痛む体で断捨離を行い、先日は11kmを走った。次の日曜日には5時間走大会に出場する予定。私は歩くつもりだが、今の体調で果たして5時間歩き通せるかが試したのだ。だが背筋が戻ってないため、逆に腕が「重石」になって負担をかけ、肩だけでなく、首や背中まで苦しくなってしまった。そこで慌てて整骨院へ逆戻りした次第。 そんな私にも嬉しい出来事があった。古いシンビジウムの鉢から2か所で新芽が出ているのを発見。これは前妻がかなり前に買ったもので、かつての勢いが衰え花も咲かなくなっていた。前妻は転居に際して、私が最後の職場から記念にもらったシンビジウムの鉢を持って行った。そちらは見事な花が咲くのだが、「これは自分が育てた」と言うのが彼女の論理。 全く理屈に合わない話だが、万事がこの調子で争う気も起きない。寝具なども古くなると皆私に押し付け、彼女は最新の立派なものだけ使っていた。こんな古株から久しぶりに出た新芽は、私の心を明るくしてくれた。これが花芽なら嬉しい。もし咲いたら、奇跡みたいなものだろう。断捨離は大型ゴミ袋の28個目、29個目を処理。 さてこんな話の最後で恐縮だが、秋篠宮家の長女眞子さまが、近くめでたくご婚約される由。次女の佳子さまと比べて地味な印象の眞子さまだが、秋篠宮家では常に先駆者だった。進学先にICUを選ばれたのもそうだし、英国への留学もそうだった。そして今回はICUの同級生との愛を実らせた。 これでまた女性宮家の創設は遠のいた。お相手は感じの良い好青年。若くして父親を失ったと言う話も好感が持てる。両殿下も良く理解され、付き合いを承諾されたと思う。きっと暖かくて素晴らしい家庭を築かれることだろう。眞子さまそして両殿下、本当におめでとうございます。 明日からは、載せそびれた春の花々を一挙公開する予定。どうぞお楽しみに~!!
2017.05.19
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オオテマリ 仙台は3日ぶりに晴れ、私は溜まっていた洗濯物を洗って干した。だがこれが厄介で、右腕を伸ばすと痛みが走る。走友会のお花見の日に庭で転倒した際の怪我が、まだ響いている。それでも以前に比べたらマシで、右肩の可動域がかなり広がった。肩を庇っているうちに右肘が痛み出し、右手の指も腱鞘炎になった。今は幾分良くなった感じ。 モッコウバラ 炬燵を始末した翌日は大雨となり、それから3日間降り続いた。まるで梅雨の頃のような寒さで、足に掻い巻き(かいまき)や毛布をかけて何とか凌いだ。掻い巻きは前妻のお下がりで、もう5,6年は洗ってない。毛布は30年も使用して擦り切れている。ようやく晴れた一昨日は掻い巻きをドライクリーニングへ出し、毛布は捨てた。これもまた決断。モッコウバラが散り始めた。 <キュウリ> <オクラ> 雨で潤った畑を検分すると、連休中に蒔いたキュウリとオクラの芽が出ていた。まだほんのチビッ子だが、こんな嬉しいことはない。ジャガイモは茎をそれぞれ2本だけ残して「芽かき」する。これは地中の芋を大きく育てるため。どの夏野菜も順調に育っている。これだけ雨が降るんだったら、追肥をしておくべきだったと反省。 <シソ> <雲南百薬> シソは昨年の晩秋に、枯れた実を適当に蒔いておいたのが発芽。そんなやり方でもう10年以上は命を繋いでいる。雲南百薬は晩秋に根を掘り起こして室内で冬越しさせ、4月中旬に地植えしていた。霜で葉が全て萎れたが、地温の上昇と共に新しい葉が芽吹き、蔓が支柱に巻き付き出した。こうなればもう何の心配もない。 <ニラ> <三つ葉> ニラは今期の初収穫。「ニラ玉スープ」を作った。三つ葉は6回目の収穫。徐々に茎が硬くなって来るが、まだ大丈夫。私は香りがあって大好きなお浸しを作った。 ミヤコワスレ ある人から前妻に電話があった。「もう離婚して家にいないんですよ」と言うとビックリし、「大変失礼しました」と言う。同じ職場の男性で絵が好きらしく、前妻とは話が合った由。まあ声の調子で「人畜無害」と判断したのだが。 前妻の高校時代の部活の顧問が彼女に気があったのか、論文を送ったり同窓会に来たりしていた。老後は千葉の施設にいるようだが、前妻を呼び出した形跡がある。彼女は出かけて会ったようだが、その日の夕方には帰宅した。人畜無害だが、残されていた彼の絵は破って捨てた。稚拙な絵だった。 シラン 少し前、ブロバイダーの代理店から電話があった。良くある「乗り換え」のお誘いだ。今よりも料金が安くなるとの話だが、私はこれまでに何度も騙されている。結局安くなどならず、敵の策略に乗るだけなのだ。それにメールアドレスをしつこく聞く。これも「闇商売」に売られる危険性がある。 これを機会に電話会社のリモートサービスを止め、ブロバイダーの電話サービスも止めた。これで月額1800円近く安くなる。翌日再び電話して来た相手にそれを伝えると、悔し紛れに「それほど安くなりませんよ」と一言。でも実態は全然違い、彼の提案額にほとんど近くなるんだよね。 フリージア 16回に亘って書いた離婚話だが、「老夫婦は仲良くあるべき」とのコメント。もちろんそうありたいのは山々だが、そう出来ずに離婚となった訳で、調停は前妻からの申し出だったのだ。また「そんなに赤裸々に描く必要があるのか」と別な方。もちろん必要はないが、私は全てを白日の下に曝け出して過去と決別したのだ。開き直って生きるためでもある。 さて離婚を選択したからには、その当事者が幸福になることが肝要。それが家族の心を癒し、和らげる一番の薬だろう。そんなことで、前妻と暮らすことを選択した長女一家に心から感謝したい。 アイリス 朝はキジの鳴き声を聞きながら歩き、夕方には鶯の声を聴きながら散歩している。断捨離は継続中で、先日も40リットル入りの大型ゴミ袋の26個目と27個目を集積所に運んだ。昨日はリフォームの足場搬入作業があった。最近同じ量の米でたくさんのふっくらしたご飯を炊く技術を獲得した。自動炊飯器ではなく圧力釜での話。こんな風に私の日常は極めて平和になった。
2017.05.18
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<すべてはここから始まった> 第一部では前妻と私の家庭裁判所における離婚調停を中心に、10回に亘って書いた。そして総集編では、調停後の暮しの実態を昨日まで5回に亘って紹介して来た。果たしてこんなことを書いて何になるのかと言う思いがあるのも確かだ。その一方で、最低これだけは書いて置きたいと言う気持ちがあるのも真実だった。第一こんなことを16回も書く人は先ずいないだろう。全て自分の恥を曝すことになるのだから。 さて、昨日書き忘れていた私の弁護料金について記す。最後の調停に陪席してもらった料金が消費税を入れて16万2千円。これは特別に半額にしてもらった額。そしてそれ以前の相談料が2万円。合計で18万2千円がたった1回の調停に掛かった。そしてこの料金は確定申告時の控除の対象にはならない由。弁護料金は高く、出来るなら離婚などしない方が良いと言うのが私の結論だ。 前妻と付き合い始めたのは彼女がまだ20歳になる前。出会ったのは当時通っていた夜学。彼女は英文学科で私は経済学科。彼女の方が1年先輩だったが、両親がいなかった私は4年遅れての入学だった。学生委員会に出入りして彼女と知り合い、絵が好きだった2人はデパートへ美術展を観に行った。そうして私が贈ったのがこの本。だが「なぜこの本をくれたのか分からない」と彼女が言ったのは、その暫く後だった。 フランス空軍のパイロットでありながら、童話を書いていたサン・テグジュベリ。最後はサハラ砂漠に散った。この本には彼の魂が込められていた。私から言わせてもらえば、こんな美しく分かり易い本はないのだが。 今にして思えばそれが別れの始まりだったのだろう。英文学科の彼女がこの本の素晴らしさが分からず、経済学科の私がさほど経済観念がなかったのが皮肉。結局彼女はこの本を捨てて家を出、今も私の手元にある。 さて町内会総会後の懇親会で挨拶した時、思わずウルウルと来た。直前まで前妻が若い頃に描いた紙芝居の絵や、子供達のために焼いたケーキの型抜きなどを処分していたのが突然脳裏に浮かんだのだ。あの時こそ彼女が最も輝いていた時ではなかったのか。 残念ながら最期まで人生を共にすることは出来なかったが、後悔はしない。50年以上も付き合いながら心が通じなかったのは、縁がなかったと思うしかない。 さて「婚活」はなんの手ごたえも成果もない。私は共にお茶を飲んで屈託のない話をし、温泉やハイキングや登山に行き、たまには泊りがけで旅行し、映画を観、畑で野菜を作り、それを料理して一緒に食べ、命ある限り同じ家で暮らし、花を愛でる暮らしが出来る相手が欲しいだけなのだが。そんなことは私の高望みなのだろうか。 それでもギブアップはしない。今月下旬には大学時代の級友2人と飲む機会があるので、その時にも頼むつもり。な~に、恥ずかしいことなど何もない。私はいつも真剣勝負だし、正攻法で行くつもりだ。不思議な出会いを楽しみにね。そのために心も体も健康でありたい。 2年ぶりにブログ友が私のブログを訪れてくれた。奥様と別れて1人暮らしだった彼のところに、2人のお嬢様が戻って来てくれたそうだ。その理由は聞いてないが、そのお嬢さんが社会人になり彼もようやくブログが再開出来た由。これもまた奇縁と言うべきだろう。こんなことがあるから人生は面白い。 先日78歳の高僧が亡くなった記事が新聞に載った。死因は老衰とか。その後、アランドロンが俳優を引退すると言うニュースを聞いた。こちらは81歳らしい。そして中曽根元総理が先日憲法改正の意義について熱く語っていた。御年99歳と言うから驚く。 そんな方々に比べれば、73歳の私などまだ洟垂れ小僧。たかが熟年離婚くらいで挫けるな自分。世の中捨てたもんじゃない。そのうち日の差すこともあるだろう。そう言ってマックス爺は、片目を瞑ったのだった。では、またね~!!最後まで付き合ってくれて、ありがとう。<完>
2017.05.17
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<経費の巻・「損して得取れ」の実践> ずいぶん早い段階で、前妻の弁護費用は70万円と知った。一方私が飛び込みで入った弁護士事務所で聞いた経費は手付金が50万円、裁判費用が350万円から500万円。そして成功報酬がその他にかかる由。それですっかりビビったのだが、今にして思えばその費用は調停に関する経費ではなく、民事訴訟になった場合の経費だったのだろう。 結局民事訴訟までには至らず、6度の調停でケリがついたため、前妻は70万円を弁護士に支払ったものの自分の取り分は1銭も減らず、逆に私から「解決金」が入ったのだから「得」をしたのだろう。だが私は目先の損得だけでは考えていない。残された人生を考えた場合、多少のお金は「必要経費」として出したら良いと思うのだ。古来日本には「損して得取れ」と言う立派な格言があるではないか。 結局私が今回の離婚で支払った経費は次のようになる。<解決金>300万円プラス振り込み料金756円 小計3、000、756円 これは実際とは異なるが、自宅と土地を前妻から買った形になったもの。<登記料>84,934円 <戸籍謄本など>750円 小計85、684円<カーペット>3畳用2枚プラス配達料 17,601円<ピアノ搬出費>32,400円 いずれは始末する必要があり、ここに含めるのが妥当かどうか。[合計]3,136,441円 これで私は晴れて自由の身となり、家も私の物となった。 次にここ1か月間で支払ったもののうち大物の臨時経費を以下に記す。<家のリフォーム>273,888円 住宅メーカーの20年点検を受けた最低限度の補修工事費。 この他に別途塗装工事を行う予定。お金は掛かるが、将来家を売る際の評価は上がる。<掃除機>29,190円 これまでのものが壊れたため新規購入。<BS配線>4、100円 近所の電気屋に修理依頼。<電動アシスト自転車>92、329円 これまで乗っていたマウンテンバイクが「旅」の翌日にパンク。今後の老化と食料調達などを考慮し、体への負担が少ないこの自転車を買うことにした。<運送費>1、623円 前妻が忘れて行った亡父の写真立てなどを先方に送った。[合計]401,130円 次に約1か月分の経常経費を以下に記す。*A<食糧費>38,141円 これには生活雑貨も含まれるが、意外と多かった。米10kg分も。<医療費>6、782円 3か所の病院プラス薬品関係。今月は整骨院へも行き、多い方。<園芸関係>2、552円 夏野菜の苗や種代。<衣料費>6、121円 パジャマ、下着、靴下。 *B<ランニングシューズ>8、532円 値引き品を購入。<走友会関係>3,000円<文化費>3,500円 美術館、博物館などの入館料。<旅行代金>39,980円 7月に行く尾瀬の1泊ハイキング代金。<新聞代>3、093円<清掃関係>810円 1か月分のモップレンタル料金。[合計]112、511円 AとBの合計。 以上の総計は3、650,082円となる。これは目に見えるもので、実際は口座から引き落とされた経費も加わる。今思い出したが、掛け捨て型に切り替えた火災保険もあった。これが年間で1万円以下なので、家や家具などに何事もなければ「儲けもの」。それに家を手放す時期が遠からず来るので、出来るだけ経費を節約したいのだ。 さて、前妻の申し出で私は「年金分割」の身となり、公的年金は実質月額10万円以下となった。これで果たして生活出来るのかと思うだろうが、それが出来るのだ。理由の一つがソーラー発電の恩恵。最近の電力会社の検針結果によれば、請求金額は5、245円。これに対して振り込み予定額(売電)は14、154円となり、差し引き8、909円の黒字。これで水道と下水道の料金を十分賄える。 新しい愛車 それに個人年金がまだあと何年か支払われるため、何とかなるはず。遺体を献体すれば葬儀代もさほど不要だろうし、火葬もお墓も「ただ」になると思うが、果たしてそう問屋が卸すかどうか。ともあれ長年節約に努めて財を成した前妻には感謝しておきたい。 彼女の考えで子供達の個人年金も僅かながら備えてある。後の課題はこの家をより高く売れるよう美しく保つことと、健康で充実した余生。そして最期は極力他人の迷惑にならない人生の閉じ方をすることなのだが。<続く>
2017.05.16
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<健康・食事・運動の巻> 前妻との「家庭内別居」期間中は睡眠薬を飲んでも眠れないことが良くあった。それも当然、同じ家に住みながら裁判所で争っているため、物凄いストレスなのだ。それが彼女が家を出てからは、薬など飲まなくてもグッスリと眠れるようになった。そして体調も著しく改善された。それだけ私にとって離婚問題は、心身への過度の負担になっていたのだ。 4月のラン&ウォークは31回で107km。うちランは6回65kmだった。久しぶりの月間100km越え。自分でも良く頑張ったと思う。それまでは寒かったこともあるが、精神的に外へ出て運動したいと言う気が起きなかったのだ。因みに前妻がいない今月は昨日までに13回92km。うちランは2回で20kmとなっている。右肩の負傷で痛みがあり、専ら歩くことに専念した。 前妻が家に居た頃は辛かった。彼女が作るご馳走を横目で見ながら、私は貧しい節約料理に徹していたからだ。それは自らに我慢を強いたせい。離婚と言う難題を乗り越えるためには、たかが食事で不満を抱いてはいけないと自分に言い聞かせた。そんな厳しい食生活を続けたせいか、体重は2kgほど落ち、体脂肪も3%ほど減少した。それは彼女がいなくなった今も続いている。 離婚話が出た後、1度だけ彼女が思い止まるような素振りを見せた。TV番組で離婚や死別した夫婦の片割れが、そうでない夫婦よりも生存期間が平均で7年短いと知った時だ。たまたま私も自室で同じ番組を観ていたが、彼女の態度を一笑に付した。離婚の決意がその程度だったのかと、真意を疑ったほどだ。「覆水盆に返らず」。人間一旦口にした言葉を、軽々に変更するものではない。 この歳になって、自分で炊事をする辛さを心底味わった今回の離婚劇。最初は投げやりになり、冷蔵庫にたまたまあったものを食べていた。それでは体が持たないと思い直したのは、1週間が過ぎた頃か。前妻が家を出てからは野菜を多く摂るようにし、さらに栄養のバランスに留意した。そして運動も積極的にするように心掛けた。早朝の坂道ウォークは寒さが身に染みたが、気持ちは爽快だった。 近所のスーパーへはリュックを背負って、極力歩いて行く。買い物メモは持っているが、どの店で何を買うかの見当はついている。戦後の食糧不足の中で育った人間はご馳走を鱈腹食べる誘惑すら跳ね除け、贅沢もしない。いかに安い食材で美味しいものを作るかが勝負。要は自分が満足すれば良いだけの話だ。時には遠い店に出かけ、見切り品の野菜を仕入れることもある。外食はせず、既製品も極力買わない。 驚くかも知れないが、私は良く魚の「あら」を買う。マグロやカツオのそれを100円か150円で買い、刺身になる部分、焼き魚にする部分に分ける。ただしこの刺身には、多少の小骨や筋は付き物だが。血合いの部分は出汁醤油と味醂の「たれ」に付け込んで焼く。この方法で最大4回分のおかずになる。大根の皮を刻んで漬物にし、焼きソバのソースを炒め物の調味料に使うなど無駄はしない。 豆類、海藻、乳製品、果物なども欠かさない。いずれも安い素材ではあるが。肉よりも魚。魚は腹を開いて内臓を出し、一夜干しにすることもある。ご飯は茶碗の8分目だし、アルコールは薄い焼酎1杯で十分だ。食物繊維をたっぷり摂るせいか、快食快便の日々。食事と運動は健康の元だし、長生きの要素の一つだろう。内科では次回血液検査をする予定。歯科では丹念な歯石除去で歯周ポケットが浅くなり、歯茎が引き締まった。<続く>
2017.05.15
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<断捨離の巻・各論> 新しい掃除機 昨日の朝は早めに朝食を済ませて家中の大掃除をすることにした。廊下に綿埃が目立ったからだ。○スキンのモップで拭いて済ませる手もあったが、週に1度なのでここは丁寧に行くことにした。先ず私の居場所である2階の部屋から。この日の決断は炬燵を外すこと。もう電源は入れてないが、毛布と炬燵布団があるだけでも暖かい。それを思い切って取り外すのだから勇気が要る。 和室の版画 新しい掃除機は実に気持ち良く作動する。古いのは前妻が家を出て直ぐに掃除した際に壊れた。「フィルター」が故障してるような表示が出たため、フィルターを掃除したが作動しない。仕方なく近所の量販店で上の掃除機を購入したのだ。何気なく古い掃除機を見たら、何とホースの蛇腹部分が2か所裂けていた。もう何年使ったのだろう。蛇腹が裂けるくらいだから恐らくは20年近く使ったはずだ。 玄関の版画1 自室に続いて2階の洋間2部屋と、書斎コーナー、クローゼットを掃除。順番としては「はたき」を掛け、掃除機で掃除し、最後にモップで拭く方式。2階に続いて1階へ。先ず2つの和室だが、ここはさほど汚れていない感じ。次いで廊下。ここは良く通る場所だけに汚れが目立つので念入りに。引き続き洗面所と台所と1階のクローゼット。特に台所は細かいゴミが目立った。 玄関の版画2 最後に居間。ここも予め炬燵を除去しておいた。食事を摂る際に炬燵布団を汚さないか冷や冷やしていたのだが、天板だけになれば汚れたら拭けば良いだけの話。全ての掃除を終えてから次の段階に入った。カーペットの入れ替え作業だ。既に新しく買った3畳用のものが2枚、配達されている。1枚は1階の炬燵付近が適当だろう。そこで今敷いてあるのを食堂部分に移動する。 廊下の壁画1 2階の自室のカーペットは捨てる。理由は毛が抜けて中の麻糸が見え、機械油のような嫌な臭いがしていたからだ。前妻が嫌がった悪臭の原因がこれだった。そうは言ってもかなり使い込んだ結果だから仕方がない。それで最初は「アトリエの分厚いカーペットを敷いたのだが、これも古くて少し臭う。そこで新しいものののもう1枚を自室用に充てた。まだ室内が臭うのは、カーテンのせいか。これも20年間洗っていない。 食卓に変身した物置台 次に台所の一角から物置台を食堂に移動。これまであった丸テーブルは前妻が持って行き、私は炬燵台で食事を摂っていたのだ。ここで食事を摂る積りでいたのだが、パソコンを2階から移動してここで作業するのも良いかもね。始末したピアノがあった場所には、2階の書斎コーナーからデスクを移動する予定でいる。物置台があった台所には、2階から長男の収納棚を移動し、梅酒などを入れた。メデタシメデタシ。 廊下の版画2 自室の古いカーペットはカッターナイフで5等分し、丸めて紐で縛り40リットル用のゴミ袋に入れた。これで26個目。多少余裕があったため、他のゴミも混ぜた。早朝から行ったこれらの作業に、約3時間ほどかかった。断捨離はこの後もまだまだ続くが、当面は片が付いた感じ。 資源ゴミ 次に雨の降る中、物置からガレージに資源ゴミを移動。これは子供会の資金とするため、第2日曜日にゴミ収集所に集めるもので、そのための準備だった。前妻が家を出てから断捨離を続けていたが、新聞紙だけでなく雑誌や「雑紙」もOKなのでまとめていたのだ。大きな画用紙に描いた紙芝居なども、この中にある。前妻たちが若い頃に苦労して描いた思い出深い作品ともおさらばだ。 居間の版画1 全ての作業が終わって一段落したところへ業者が訪ねて来た。我が家のソーラー発電とオール電化を請け負った方で、今回は彼の仲介で屋根と外壁の塗装をお願いする予定。実は住宅メーカーのリフォームもあるのだが、そこに塗装を頼むと莫大な金額になる。そこで必要最小限の工事だけ住宅メーカーにやってもらい、塗装は別途安い業者に依頼する魂胆だ。 居間の版画2 律儀者の彼は快く引き受けてくれ、改めて塗装業者を連れて打ち合わせに来る由。「その際に」と私は彼にお願いをした。2階から居間へデスクを下すのを手伝ってもらうのだ。これも快く承諾してくれた。他にも前妻が置いて行った和箪笥を処分したいのだが、これは便利屋に引き取ってもらうしかない。私がこの家で心安らかに暮らせるまでには、まだ色んな作業が残っている。だからそれまでは何としても健康でいないとねえ。 台所の絵 実は昨日も不用品の整理をしたのだが、台所などから使用したタオルや布巾の類が40枚ほども出て来た。また冷凍用のビニール袋や使いかけのキッチンペーパーなどもわんさかと。なぜ使いかけのものばかりが大量にあるのか。それこそが前妻の病巣ではないのか。そう考えるとちょっと怖いが、私には正直そんな風に感じられたのだ。<続く>
2017.05.14
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<断捨離の巻> 前妻が離婚後もまだ家にいた時は、自分の下着や古いパジャマを捨てる程度だった不用品の始末だが、彼女が引っ越した後は本格的な断捨離に取り組んだ。「自分がまだ元気なうちに、何とか家の中をすっきりさせる」。それはいずれこの家を売る時に必ず通る道だからだ。そこで近所のスーパーで市指定のゴミ袋を買って来た。40リットル用の大きなものが10枚1組で432円也。ゴミにも税金がかかるのだ。 <居間> 居間からは丸テーブルとカーペットが消えていた。前妻が持って行ったのだ。その代わり彼女がふんぞり返っていた「籐椅子」が放置されたまま。先ずその籐椅子を分解してゴミへ。ピアノはピアノ専門の引き取り業者に連絡して引き取ってもらった。もちろん有料だ。飾り棚からは不要な本と美術品を一部除去。カーペットは他の部屋のと合わせ、3畳用のを2枚新たに買った。 <和室及び玄関廻り> 2つの和室からは不要な花瓶類を除去。額装の刺繍も除去。前妻が忘れて行った義父の写真立てなどを四国に送付。下駄箱内の不要なランニングシューズを処分。下駄箱の上の敷物は、ピアノの上に敷いていた物と交換。 <1階のクローゼットなど> クローゼット内にあった端切れや毛糸玉などは全て処分。着ない私の服やズボンも処分。階段下の物置の不用品も全て処分した。 <台所、洗面所、風呂場> 台所の不要な食器は全て処分。重複した調味料で賞味期限を大幅に過ぎた物などは全て処分。冷蔵庫内の古い食品なども処分し、冷蔵庫内を清拭。これでかなりすっきりした。引き出物として戴いた重箱なども、そのうちに捨てようかと思う。 洗面所に残っていた前妻の香水(大半は私が彼女へプレゼントしたもの)などは全て捨てた。地下タンク内の不要食器類は処分。風呂場の不用品も全て廃棄した。台所と風呂場用の洗剤類はまだ確認していない。トイレに初めて水溶性の香料を置く。これはタンク内の汚れを除去するのが主目的。 <2階の洋間> 前妻がアトリエ代わりに使用していた部屋のものはほとんどゴミに出した。キャンバス、三脚、筑波時代に彼女たちが作った紙芝居、絵の複製、ストーブなど。押入れの中に収納していたクロス類、お雛様セット、五月人形、10年以上も前の食用油なども全て処分。 子供が帰省した時に泊まる洋間からは、オーディオ機器、ストーブなど。その奥のクローゼットからは、不要な旅行バッグや前妻のフォークダンス用のドレス、故障した扇風機、クリスマスの飾りなどなど。こんな風にしてこれまでに捨てた不用品は45リットル入り大袋にして25袋分。金額にして1080円になった。家中の絵とカレンダーは全て入れ替えた。これでスッキリ、気分一新した。 だが私の部屋と本箱、長男次男のCDやゲームソフトなどは一切片付いていない。また3人の子供達を中心とした写真が未整理のまま大量に残されている。また食堂にテーブルがないが、今は1階のコタツで代用中。そのうち寝室もPC用のデスクも1階へ移動する予定でいるが、1人だけでは動かしようもなく思慮のしどころだ。あの世に旅立つ前に、ドンドン断捨離しないと間に合わないだろうしね。<続く>
2017.05.13
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<告知の巻> 前妻が自分の実家と私の実家に行って「今度離婚することになったから」と告げたのは、まだ離婚についての協議もしてない段階だった。まあ言って見れば先制攻撃のようなものか。妻は四国の長女一家と暮らすことも私に告げた。 「そうなるとなかなか孫の顔も見られなくなる」と言うと、彼女の返事は「自業自得」だった。果たしてそんなものだろうか。誰だって自分の孫とは自由に会いたいと思うのが普通の心情だと思うのだが。前妻はそれを長女に伝えたのか、長女は2人の孫を連れて帰省してくれた。9月には私が四国に寄って、2人の孫が出場した合唱コンクールの会場へ行った。あれが孫たちの見納めになるのだろうか。 前妻は何度か東京で次男と会って、私たちが離婚することを伝えていたようだ。私からは昨年末に帰省した際に自室で話した。「二人とも頑固だからなあ」。彼はそう言ったが、そう言う問題でも段階でもないのだ。だが兄弟で一番下の彼が39歳。もう「大人の事情」は理解出来るだろうし、彼も一人で生きて行くことは出来るはずだ。本当は甘えん坊で、年末に帰る家があることを望んでいるし、私もそう願っているのだが。 東京の長男とは連絡がつかない。前妻とは相当昔から不仲になり、電話も着信拒否のままだ。私が電話をかけても留守電で、先方からはかかって来ない。もう少し落ち着いたら手紙を書こうかと思う。本当は東京で2人の息子に直接口頭で私の本心を伝えたいのだが。彼の荷物がたくさん家に残されたままだ。オーディオ関係などが嵩張るものから処分している。怒られようが、いずれは処分する運命なのだ。 最終調停で結論が出る前に告知したのが、前妻の姉の夫君。私と同学年で近所に住んでいるため、心やすい存在だ。だが一昨年の春に義姉が入院して以来、前妻も私も訪問していなかった。義姉の病気はレビー小体型認知症とパーキンソン氏病。訪れるとその後転院した由。1年しか病院に置いてくれないのだ。ことの顛末を話すと、「色々あるねえ」と一言。本当はその言葉の前に「お互いに」と付け加えたかったのだろうが。 兄宅には最終調停で結論が出た後に行った。挨拶だけして前妻の実家に先ず行き、両親と義兄の霊前に線香を上げて来た。残された病気がちの義姉に事情を話した。そして前妻側の甥や姪たちには、「もう年賀状を出さなくて良いと伝えて」と言って来た。私は義父が好きだったし、義父も私を信用して、良く転任先まで遊びに来てくれたものだ。申し訳ない気もするが、こればかりは許してもらうしかない。 兄宅に戻って、義姉に顛末を話した。兄は3度の脳出血で話が出来ない障害者。前妻が数日前に来たそうで、事情は全部知っていた。相変わらず私への不満を漏らしていたようで、長女が私を嫌いだとも聞いた由。この兄嫁は人の心理を見破るのが得意なので、そんなことでは誤魔化されず、私の話を淡々と聞いてくれた。父母と姉の霊前に線香を上げる。これで心の踏ん切りが着き、良いスタートが切れるはずだ。 前妻が家を出た翌日、お向かいさんに事情を説明しに行った。前妻は引っ越しの前日、同じ班の家々にあいさつ回りをしたが、どの家もあっけに取られていたようだ。お向かいさんが前妻の引っ越しの様子を驚いて見ていた姿が印象的だった。私が伺ったのは離婚の原因を話すためではない。一人暮らしを始める私に「もしものこと」が生じた際、最初に迷惑を掛けるのがお向かいさんだからだ。 町内会の総会が開催された日、私は懇親会の場でも飛び入りで挨拶をさせてもらった。離婚した事実をみんなの前で告知したのは、やはり不幸にして「孤独死」などした時には、必ず町内会に迷惑を掛けることになるためだ。町内会長は最後まで聞く前に「そう言うことね」と、もう合点していた。彼も奥様を亡くされているので、思い当たったのだろう。そのうち友人達にも事実を伝えたいと思っている。 最後に気になっていた所へ電話をかけた。長女の夫君の実家だ。前妻は実家のお母さんも一緒に住むと言っていた。そのために広い家を建てたのだとも。ところが丸テーブルは持って行ったが、椅子は3脚だけ。それでは計算が合わないので長女に尋ねたのだが、私とは無関係なので答えない由。そんなことはない。前妻とは別れたが、長女とは親子だし孫とはお爺ちゃんの関係。そして夫君の実家は親戚なのだから。 実家のお母さんは庭にいた由。その家は50代で亡くなったご主人と過ごした懐かしい場所。そこを動く気は無いそうだ。私は離婚の経緯を話したが、彼女は前妻を怖いと言う。電話で話している途中、突然怒り出すのだとか。私も何度か経験したので、彼女の気持ちが痛いほど良く理解出来た。そして私に時々電話して欲しいそうだ。前妻よりはずっと気持ちが通じるお母さんだった。<続く>
2017.05.12
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フランスの新しい大統領が決まった。名前はエマニュエル・マクロン氏。年齢は何と39歳の若さ。もちろんフランス史上最も若い大統領の誕生だ。大学を出てから銀行に勤務し、オランド政権では若くして経済相を勤めた新進気鋭の政治家。 夫人は25歳年上で、高校時代の恩師だった由。その連れ子が一番下でも自分より年上と言うからビックリ。所属政党が無いと言うのも驚く。一般的には中道左派で市場経済や自由競争を尊重する考え方。また親EU派でもある。 今回の選挙では極右政党「国民戦線」代表のルペン女史と決選投票で争ったが、大差をつけて圧勝した。EU離脱、外国からの移民政策反対の立場を取る彼女が勝っていたら、きっと大混乱に陥ったことだろう。 新しい韓国の大統領が誕生した。名前は文在寅氏で64歳。極左政党「共に民主党」所属。廬武鉉大統領時代は、乞われて秘書室長(日本の内閣官房長官に相当)を勤めた。親北派で反日、反米思想の持主と言われ、「自分が大統領になったら、アメリカよりも先に平壌に行く」と公言している。 夫人とは学生運動で知り合い、彼が催涙弾を直撃して倒れた際に助けたのがお付き合いするきっかけだった由。収賄罪で逮捕、起訴された朴槿恵前大統領の罷免直後だけに国民の支持は高いが、あの強硬な北朝鮮の若き首脳と果たして民主的な協議の場を持つことが可能か疑問だ。 また従軍慰安婦問題などを巡って、我が国との関係が悪化しないかが心配。また米軍によって実戦配備されたTHAADを、果たして新大統領がそのまま受け入れるのかどうかも注目される。いずれにしても韓国は、前途多難なように思えてならない。 先月は朝鮮半島に暗雲が漂っていた。北朝鮮は建国の記念行事が重なり、恣意的な軍事行動を示そうとしていたし、これに反発するアメリカは原子力空母や駆逐艦などを朝鮮半島を封鎖する形で配備しようとした。まさに一触即発とはこのことで、一時は両者の交戦の可能性すらあった。もしそうなったら我が国の安全はどうなるのかと、私は本気になって心配していたのだ。 中国首脳との会談で、トランプ氏は中国が北朝鮮に対してもっと圧力をかけるよう迫ったのは間違いない。それを受けて中国がこれまでよりも強力な経済制裁に踏み切ったことも明らかだ。そこで北朝鮮はこれまでの方針を変え、ロシアにすり寄る気配を見せている。 一方のトランプ大統領だが、まだまだ支持率は上がらずに苦戦中。だが、先日は「オバマケア」に対する見直し案が議会で承認されるなど、上昇気運が見え出した。フランスのマクロン新大統領にも、早速当選祝いのメッセージを寄せた。だがまたまたコミーFBI長官を解任するなど、余震は今も続いている。 現在はロシアに占領されている我が国の北方領土。プーチン大統領と安倍総理が協議した経済協力の動きについてあまり聞こえて来ないが、その後どうなったのだろう。ロシアは今回のフランス大統領選に関しても、極右のルペン女史を当選させるべく、ネットを介して妨害工作をしたとアメリカが発表した。 さて安倍総理は、テロ対策法案の今国会での成立を期しており、憲法改正に関しても並々ならぬ意欲を示している。だが民進党を始め、政府を追及する勢いは決して強くないと感じる。あれだけ朝鮮半島がきな臭いのに、我が国の防衛体制を積極的に見直すべきではないかと私は考えている。野党が「森友問題」にいつまでも拘泥しているようでは、優先すべき問題の解決は遅れるだけだ。 人気の小池東京都知事はどうだろう。東京オリンピックの会場に決まった県では、負担金の問題が少しも進捗しないと都知事に苦情を呈した。これに対する都知事の返答は不明瞭で、逆に安倍総理が早急に問題を解決するよう丸川五輪担当相に指示を出した。「何だかなあ」である。 豊洲市場問題に関する都の動きも相変わらず鈍い。小池都知事は都議選の争点にする積りなのか、なかなか豊洲への移転を口にせず、結論を先延ばしにしている。そのため築地市場の維持と豊洲市場の補償など都の負担はさらに増大中で、関係委員会では築地の改築なども提案するなど混迷が深まっている。オリンピックもそうだが、そんなことまで政争の対象にせず、早急な解決を図って欲しいものだ。
2017.05.11
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5月5日こどもの日。近所の公園まで散歩する。ソメイヨシノはとっくに散ったが、八重桜がどうか確認したかったのだ。 こちらはA公園の八重桜。まだまだ勢いがあるねえ。これならM公園の方も大丈夫かも。 これも上と同じ樹。青空に映えるピンクの花がとてもきれいだ。 ここからがお花見の名所であるM公園。花が咲いている樹はさほど多くないため、丹念に探して歩く。 M公園は八重桜の種類も多いのだけど、残念ながら表示板が無いものがほとんどなのだ。でもこの花は上のものとは明らかに種類が違うね。 老木に混じって、このような若い樹も植えられている。次代に引き継ぐ大切な役割を担ってのだ。 この花も八重でボリュームがあるねえ。 これは鬱金(うこん)。本来の花は薄いクリーム色をしているのだが、花が終わりに近づくにつれて、ピンク色に変わってしまう。 これも鬱金。左の方にクリーム色だった時の名残が見える。日本酒の銘柄にも「黄桜」があるが。 この木は御衣黄(ぎょいこう)。とても珍しい緑の花を咲かせる種類で、まだ緑色が残っている。だが咲き始めてから日が経ち過ぎ、葉と花の色が同じで区別出来なくなって来た。 花だけズームアップすると緑色が際立つが、中心部からピンクの色が戻り始めているね。 黄色から緑色に近い花だけを選んで品種改良したのだろうが、花が終わりに近づくようになるとこんな風に、「先祖返り」してしまうんだろうね、きっと。でもそんな様子も可愛いのだが。 この若木にもまだ花がありました。右側の道はかつての私のランニングコースです。こんな風に園内には土や芝生の道が残り、走っていると足に優しいんですよね。 これはまだまだ見ごたえがありますね。 公園の奥に3本の八重桜が見えますね。あそこまで行ってみましょうか。 これが上の3本のうちの1本ですよ。 小さなサイズでもボリュームがあるでしょ? 大きいサイズだとこんな感じになりますよ。 この3本の八重桜ですが、全部同じ種類ではないような気が・・。 ほら、花びらの中心部を見てください。そこから何か長~いものが飛び出してるでしょ?これは「普賢象」(フゲンゾウ)と言う種類。普賢菩薩(ふげんぼさつ)が普段乗るのは白象の背中。その象の鼻に形が似ているとして、こんな名前が付けられたみたい。きっと雄蕊か雌蕊が変化したんだろうけど、自然ってなかなか面白いもんだねえ。 八重桜の花を摘んで塩漬けにし、それをお茶として飲む風習も日本にはあるんだよ。多分こんな花ではなかったかな?さて、今年のお花見もこれで見納めとなりました。最後までお付き合いくださって、本当にありがとうね。じゃあ、また明日~!!
2017.05.10
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心が草臥れた時の農作業ほど良いものはない。そんな訳で、今日は農作業の話を書くことにしたい。初めに既に植えられている野菜の紹介で、その後に今年買った夏野菜を中心に紹介しよう。 左は昨年の秋に植えたタマネギ。タマネギネキリムシにやられて25本ほどしか育たたなったが、今では玉が見えて来ている。中には紫色の玉も混じっているので、追加で購入した分と最初の種類が違ったのかも知れない。 右はジャガイモ。今年は種類を変え、数も増やした。目下一人暮らしだが、この分では収穫後もかなり持ちそうで嬉しい。両方とも収穫は来月辺り。遅くとも来月の月末には新玉ネギと新ジャガイモの見参だ。 左はニラ。今年の若葉がもう出ている。前妻が家を出る前に一度刈ったが、私はまだ使っていない。そのうちに「ニラ玉」でも作ろうか。右は花ワサビ。花を落とした茎や若い葉を茹でて食す。食べるとピリリとそれなりに辛い。刻んで麺類の薬味にする手もあるね。 左は4月に種を蒔いた春菊で、まだ小さい。蒔いた覚えのない箇所からも少し大きな春菊が出ている。そちらはもう食べられそうだ。右は三つ葉。家の裏に三つ葉専用の畑があり、今年は春先に肥料を撒いたのが効いたかしてとても育ちが良く、既に4回ほど刈った。お浸し、お吸い物の具、麺類の薬味と重宝している。ここまでは手がかからないものと、連休前までの仕事。 左は誕生月の3月にさる園芸店から届いた葉書の一部で、ポイントカードとして使用出来る。300円割引が3度使えるとは嬉しいね。連休に入った5月1日に満を持して訪ねてみた。既に夏野菜の苗を売っていて、早速私も何種類か買った。右はその時もらった「お買物券」。こちらは500円分が「ただ」と言う剛毅さ。これも早速2回目の時に使った。両方で800円分得した計算。残り600円分もあるしね。 左はトマトで品種は桃太郎。10鉢買ったのだが11株ある。1つの鉢に2本の苗のが混じっていて、それを別々に植えた。毎朝せっせと水やりをしたせいか、今ではちゃんと根付いている。元々トマトは強いのだ。右はミニトマトで例年通り2本の苗を購入した。収穫期には食べるのが追い着くかどうか。保存が利かないため、今から贅沢な悩み。 左は追加で買ったパセリ。以前からあった1株がたまたま枯れてしまったので、ちょうど良いタイミング。偶然にしても、何だか不思議な話。右は勝手に生えて来たカボチャの芽。カボチャも強くて、生ゴミで作ったたい肥に混じっていたのが発芽したもの。このまま放置して育てても良いのだが、結構場所を取るんだよねえ。でも何本かは残して、成長ぶりを試してみたい気もするね。 左はズッキーニで、右が万願寺唐辛子。どちらも2株ずつ購入。ズッキーニはイタリア原産の野菜。万願寺唐辛子は一応「京野菜」と言うことになってをるが、京都は京都でも舞鶴市辺りが原産地らしい。唐辛子言うたかて、ちっとも辛うないんやてなあ。どっちもわての畑で作るのは初めてだす。まあ初物に挑戦するのもおもろい思うてな。まあ人間挑戦心が無うなったら終わりでんな。 左は長ナス。2種類あり全部で5株。漬物にするのがベストなんだろうけど、何にでも使おうと思案中。右はまだ小さなゴーヤ。これは昨年通り2株にした。たくさん生ったら果たして食べ切れるかどうか。2人でもタイヘンなのが今年は今のところ1人暮らしだからねえ。 以上が苗を買った夏野菜の紹介だが、種を蒔いたのがキュウリとオクラ。どちらもせっせと水やりの最中。早く芽が出て来ないかな。 最後に果樹の様子。左は昨年植えた渋柿で種類は「大蜂屋」。大果で干し柿に最適と書かれているけど、「桃栗3年柿8年」ですからねえ。柿が生るまで後7年だと私は80歳で、果たしてこの家に居られるかどうか。 右は青梅で、種類は豊後梅。昨年はたくさん実った表年でしたが、今年は実の少ない裏年に当たるみたい。でも幾らかは生っているので、何に使おうかと今から思案中。因みに昨年は私が梅干しを作り、現在もまだたくさん残っています。 「おまけ画像」はフェンス沿いのモッコウバラ(木香薔薇)。今年もまたモッコウバラの季節がやって来ましたね。明るくて良いのですが、汚れるのが難点かな。今も蕾の残骸が散り、花が終わると一面に花弁が落ち、その上雨が降ろうものなら惨めな光景が展開するんです。何事も「きれい」や「美しい」だけでは済まないのがこの世の定めでしょうか。命短し恋せよ乙女
2017.05.09
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(チュウ) 心無いコメントは即刻削除しますのでごチュウいを!!<最終調停に向けての作戦> 食事を別に摂るのは一昨年の7月以来ずっと。食事を別々に作るのも昨年の11月以来。そして寝室を別々にしてから19年になる。それだけ「家庭内離婚」の歴史は長かった。冷蔵庫の中でさえ、夫婦が置く食材を「段」で分けていたし、調理も洗濯もバッティングしないよう時間や日時を自主的に調整していた。同じ家の中に住む者同士が裁判所で争っているのだから、その緊迫とストレスは大変なものだった。 3月下旬のある日、私は前妻の考えを聞いた。もう直ぐ結論が出ると言うのに彼女の様子がおかしいと感じたからだ。彼女は言った。「4月以降も仙台に残り、弁護士を解任して裁判を続けるよ。今のままじゃ家の代価の半分がもらえないから」。四国には自分の住む家が新しく建築され、老後の暮らしが保証されている彼女が、さらに欲張る理由が分からない。困ったものだが、こうなったらこちらもその積りで戦うしかないだろう。 私は大学時代の友人に再び連絡して弁護士を紹介してもらい、その弁護士と今後の方策について意見を交換した。彼は最終調停の場にも立ち会ってもらうことになった。もし引き続き民事訴訟になった場合、どうしても彼の力を借りなければいけないし、民事訴訟へ円滑に移行するためには、最終調停での合意事項を弁護士にも直接確認してもらう必要があった。 最終調停に先立ち、私は前妻に自分の考えを伝えた。来たるべき民事訴訟に備えて弁護士を選定したこと、その経費、彼女がさらに裁判を継続する際に不利になると思われる事項等々。これには彼女もぎょっとしたようだ。家の代価どころか、逆にマイナスになることもあり得ると言うのが私の考え方だったからだ。予想もしない話に彼女は動揺した。そして彼女の疑問点を、私と一緒に金融機関に確認した。 彼女が描いていた構想が崩れた。疑問点が全て彼女の思い過ごしだったことが判明したためだ。さらに巨額な弁護費用などを差し引いたら、解決金300万円を私から受け取って調停に応じた方が得と判断したのだろう。私にとってもその方が「被害」が少なくて済む。今後の裁判にかける膨大なエネルギーと健康状態を考えれば、悔しいが300万円は「ドブに捨てるしかない」。男の決断だった。 彼女は私の提案を受け入れた。やはり裁判が長引くのは本意でなかったのだろう。私は彼女の担当弁護士に連絡し、最終調停へ臨む方針を伝えた。また、自分も弁護士を同席させることを伝え、解決金500万円の件はなかったことにして欲しい旨依頼した。彼も思いがけない顛末に驚きつつ、了解した。私は担当弁護士に全ての事態を伝えた。彼も急転直下の方針変更に驚いていたが、特段の意見はなかった。 実は四国の長女へ私がかつて書き送った手紙のコピーが前妻に届き、彼女は私が見るように黙って私の前に置いた。「長女は私の味方だから」。だが、そのコピーを読み返すと、私のこれまでの主張の正しさが裏付けられる内容。 前妻は民事訴訟の証拠資料にしようとしたようだが、前妻も長女も全くことの重大さを理解しておらず、彼女にとっては逆に不利な材料となることに気づいてなかったのだ。ともあれ、こんな風に法廷での争いは終わり、私の熟年離婚との戦いは新たな段階へと入った。<第一部完>
2017.05.08
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<調停は続く・・>(チュウ) 心無いコメントは即刻削除しますのでごチュウいを。 愚痴めいた話が長くなったが、調停はその後も続いている。昨年のうちは8月、10月、12月と偶数月に3度の調停があった。恐らくは先方の弁護士の都合に合わせたのだろう。私も色々考えた末、調停の場にその都度作成資料を提出した。少しでも自分が有利なようにとの想いだったが、それが逆に作用した要素もあったかも知れない。自分名義の動産についての資料もそうだった。 自分では当然と考え銀行等の残高を記したものを提出していたのだが、調停員からは保険金や個人年金なども全て解約した場合の支払額まで算出する必要があると言われた。そこで改めて調査し直したのだが、これが意外に手間取り、年末までかかった。ところが前妻の方はいつまで経っても提出しない。つまり自分名義の財産を明示しないのだ。恐らくは私より相当多いため、出し渋ったのが実態だろう。 彼女が私の分も含めて家計の全てを管理していたのだから蓄財も可能だし、簡単に比較が出来るのだ。結局前妻名義の動産が示されたのは、翌年2月の第5回調停でだったが、それも真実かどうかは分からない。真実はブラックボックスのままなのだ。今年に入ると月1回の調停となった。彼女の仕事は3月末までの契約。そして長女家族と一緒に暮らすための家も工事が終わり、新たな展開となる予定なのだ。 だが回数が増えても論議が積み上げられたとは言い難い。弁護士は何とか3月末までに調停を終えようとして、私に「解決金」の支払いを求めて来た。もっとも弁護士と直接対峙することはなく、調停員を通じて意向が伝えられるのだが、それが実は曲者。2人の調停員は法律の専門家ではなく、訴訟の片方にだけ弁護士が付いた場合、特にその意向を尊重する傾向が強くなってしまうためだ。 私は疲れていた。昨年の11月に私名義の通帳が全て私に返却される代わりに、食事を自分で作ることになった。家事に慣れ、どこにどんな食材があるかを熟知している彼女と、ほとんど無知の私とでは、大きなハンディがあったのだ。それに彼女は自分が使い易い包丁や圧力鍋を先に取り、そうでないものを私によこした。そんなこんなで、睡眠薬を飲んでも眠れない状態が続いていたのだ。 本来なら正当な離婚の理由などない。離婚は前妻側の一方的な申し出であり、私には「瑕疵」がないはず。慰謝料だってこちらが請求したいくらいだし、年金分割も彼女の言い分をそのまま受け入れなくても良いのかも。土地も家も私の「稼ぎ」で購入し、固定資産税も全て私が支払う形。それを自分にも半分対価を支払えとは強欲。彼女には新しい家と新しい生活と言う、何の不自由もない暮らしが約束されているのだ。 だが、先方には強力な助っ人が付いていて、こちらは孤立無援の身。おまけに本来中立公正であるべき調停員が、どうしても法律の専門家の意見に引き摺られる。仕方なく私は300万円の解決金を申し出た。だがそれでも彼女は納得しない。清水の舞台から飛び降りる気持ちで500万円の解決金を調停員に申し出た。ところが3月末の最終調停では、「どんでん返し」が起きるのだから分からないものだ。<続く>
2017.05.07
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<差別する気持ちは一体どこから来るのだろう?> 前妻は自分の実家と私の実家に対する対応を変えていた。墓参りの花も自分の実家の時なら千円の花を買うが、私の方は500円で済ます。自宅の新築祝いの時も、自分の兄弟や甥、姪を全部呼んで料理を出したが、私の方は一切呼ばなかった。恐らくお祝いの品が粗末と言う理由だと思う。私の兄は36歳の時以来脳出血で3度倒れ、医療保護を受けている身体障碍者だった。 彼女は私の姉の葬儀に出なかった。妊娠のため帰省中だったこともあるが、出たくない気分だったのだと思う。形見のブレスレットは自分が身に付けることなく、結婚した長女に渡したようだ。24金の重厚なもので、姉が生前身に付けていた姿を思い出す。 彼女は私の母の葬儀にも出なかった。こちらも出たくない気分だったのだろう。そのくせ、私が受け取った遺産は家計に繰り入れて、いつの間にか消え失せた。自分が両親から受け取った遺産は、それを元に財テクしたと称して、しっかり自分名義の財産として増やしたにも関わらずだ。 この10年、彼女の食欲旺盛ぶりには驚嘆した。私より体重が20kgも軽いのに、おかずは常に大きな方を取ろうとしたし、自分だけこっそり高級なものを口にしていた。私はインスタントコーヒーで十分だが彼女はドリップ方式で淹れていたし、私が袋物の駄菓子なら彼女はクッキーと言うように食べ物が違い、どこかに美味しそうな物を隠していた。また、自分だけ健康食品なども取り寄せていたようだ。 お金に対する執着心も凄く、少しでも無駄遣いを省こうとした。そのこと自体は悪くないが、考え方が極端なのだ。私が台所で水道を使っていると飛んで来て、蛇口が曲がっていると言う。ある地点から左寄りになるとお湯が出る仕組みだが、私がちゃんと確認してるにも関わらず文句をつける。だが自分はTVを点けっ放しにして、家の中を行き来してる。それで私がスイッチを切ると怒るのだから始末に負えない。 私が定年の1年前に辞職した時の剣幕が酷かった。「男なら病気になっても仕事をするんもんだよ」。その頃は組織改革の進行中で、全国の職場が血眼になっていた時。改革の指針が明確に示されないまま、膨大な作業に追われていた。もちろん前例のない事項で、中間管理職の私が前線に立たないと一歩も動かないどうしようもない職場だったのだ。 ヒステリックな女性の上司に顎で使われ、私の神経は疲弊し切っていた。おまけに同僚が上司のご機嫌取りで、私は不眠症にもなっていた。このままでは心身が持たないと判断し、後進に道を譲る形で退職した。その分退職金は割増しにしてもらったのだが、幾ら前妻に説明しても分かってもらえず、その時も彼女は離婚を口にした。全国の同僚の5名ほどが死んだことを知ったのは辞めた後。きっとその仲間も私と同様辛い思いをしていたのだと思う。やはりあの時に辞めて正解だった。<続く>
2017.05.06
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今日5月5日は「こどもの日」ですね。昔は端午の節句とも言い、子供たちの健やかな成長を祈って天高く鯉のぼりを上げて来ました。お風呂には香り高い菖蒲を入れ、軒先には邪気を払うヨモギを載せたりしてましたね。今日は暗い話はお休みし、「広瀬川の鯉のぼり」の特集とします。 ここは私が住む仙台市です。流れる川は広瀬川で、架かっている橋は愛宕橋。右側が青葉区で、橋の左側が太白区になります。ビルの後に見える雪山は左から後白髭山、船形山、北泉ヶ岳です。ここからカメラを手前に引いて来ると・・。 見えて来るのが宮沢橋。ここも橋の左手が太白区で、後ろの山が大年寺山。山の向こうに「仙台市野草園」があります。おっと、その橋と大年寺山を背景に、鯉のぼりが悠々と泳いでいますよ。 ここには毎年たくさんの鯉のぼりが飾られます。この日は幸いにも適度の風がありました。 宮沢橋の上流側と下流側に2本のロープがあり、合わせて40匹以上の鯉が泳いでいます。後ろの街路樹の内側が、仙台明走会主催のチャリティラン(7月開催:5時間走)のコース。今年も参加する予定です。まあ、私は歩くんですがね。 こちらは橋の上流側の鯉のぼりです。背景は太白区根岸の歩道橋です。 右岸から河原町方面を見ると・・。 遠足の小学生が通って行きました。 子供たちに焦点を合わせると、鯉のぼりが小さくなります。 遥か遠い雪山を背景に・・。 こちらは高層マンションを背景に・・。 こちらは橋を見下ろして。 緋鯉を追いかける真鯉。これが本当の「鯉の季節」? ボクたち「目刺し」じゃないよ。 その証拠に、ちゃんと泳げるもんね。ホラ!! ありゃりゃ?カヌーを持って川に入るみたいだねえ。 立ったまま1本のオールだけで漕いで、鯉のぼりの下へ・・。 ほほう。体はちゃんとロープでカヌーに繋いであるね。 鯉のぼりさんサヨウナラ。また来年ね。 カヌーの人サヨウナラ。川に落ちないようにね~!! お爺さんサヨウナラ。自転車気を付けて帰ってね。ヘ~イ了解。
2017.05.05
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<捨てられたもの> 認知症の初期症状の一つが「お金を盗った」と訴えることと聞いたことがある。私は前妻の職場を訪ね、彼女の勤務状況を上司の方に尋ねた。もちろん具体的なことは伏せてある。素晴らしい上司で、「訪問先でも人気は高いんですよ」とフォローしてくれた。勤務態度に特段の問題はないようだ。すると彼女の心身に、一体何が生じているのだろう。他にも気になることがあった。 旅先などで彼女が勝手な行動をすることが稀にあった。それが私の疑問になり、不和の原因にもなるのだ。転勤先の鳴門では4,5回そんなことがあった。沖縄ではなかったが、松山で1回、大阪でも2回あった。仙台に自宅を建ててからは、良く齟齬が生じた。 花見に行った先で姿が見えなくなったり、東京駅でも姿を消した。旅先の奈良ではその夜泊まる宿を知らないのに、勝手な方向へ行こうとした。長野でも2度大喧嘩になり、京都の東寺前では「お前なんか死んでしまえ」と人通りのある中で罵られた。 夫婦喧嘩の時に彼女が包丁を持ち出すことも何度かあった。刺しはしないとタカを括っていたが、ある時などは寸胴鍋で頭部を殴られて出血した。「これは危険」と察知した私は、それ以降必要以上の抵抗を止めた。彼女自身も「暴走」には気づいており、「でもコントロール出来ない」とつぶやいていたことがあった。 その極限が発狂。実父が亡くなった当夜、階段を上がって誰かが私の部屋に入って来た。照明を点けると、手を広げて私の首を絞めようとする前妻の姿があった。「どうしたのお母さん。今俺を殺そうとしていたんだよ」と言うと、彼女は黙って1階へ下りた。 翌朝の早朝、長男が驚くべきことを口にした。半狂乱の前妻が裸足で外へ飛び出して行った由。「飯食ったんだ。美味かった」と言って。そのことを後で彼女に言うと、全く覚えていない様子。私への恨みは、病院に入院中の実父を見舞いに行かなかったと言う理由。私はまさか急死するとは考えず、週末に行く予定でいたのだが。 振り返って見れば、彼女の奇異な行動は独身時代からあった。ハイキングや登山の時に、彼女だけ先に帰ることがあったし、結婚後1年7か月もの間、私に体を許さなかった。東京転勤後に告白を受けたが、職場の人とキスしたのだとか。私はそんなことも知らず、彼女に代わって年賀状まで書いていたのだ。何せ彼女は結婚後、自分の友人たちへ年賀状を出さなかった。理由は今でも良く分からないままだ。 その一方、私の後輩が結婚を祝って贈ってくれた手編みのセーターをさっさと解き、毛糸玉にしてしまった。その毛糸玉さえもいつの間にか無くなった。私の本箱のカーテンを取り外して捨て、ニスを塗り直して散々な姿にしたのも彼女。新婚旅行用に買ったバッグの色が気に入らなかったのか、実家に行って安物のズックのバックに取り換えて来たのも彼女。 大好きだった沖縄で買ったエメラルドグリーン色のパジャマも、いつの間にか捨てられた。好きで買ったマツバボタンの花も、2度の移植後に姿を消した。結婚指輪は大きく変形させた上に切断し、左の薬指から消えた。私がプレゼントした高級腕時計は、堆肥を作る容器の底から姿を現した。そうして最後に捨てられたのが73歳になった私自身。長い忍耐にも関わらず、「粗大ゴミ」になったのだ。<続く>(チュウ) 心無いコメントは即刻削除しますので、ごチュウいを!!
2017.05.04
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<前妻の疑惑> 初めに断っておくが、このシリーズは書きたくて書いてる訳ではない。自分としては止むにやまれぬ気持ちで書いているだけ。それにこれは前妻の悪口を書く場ではない。ただ自分の身に起きたことを、自分の認識に従って綴っている。また、このシリーズはブログ友に見せるためでもなく、意見を求めるものでもない。読むだけでコメントしたくないこともあるだろう。読者の同情を買うためでもないのは当然だ。 本当は子供には読んで欲しい気持ちが強い。何故なら私は前妻との離婚に関して、子供には本心を伝えていないからだ。だが、50年近い結婚生活でも理解し合えなかった夫婦の問題が、簡単に子供が理解出来るようにも思えない。それに夫には夫の言い分があるように、妻には妻の言い分があるだろう。そんなことで、このシリーズはまだ暫く続きそうだ。 私の31年間で11か所に亘る転勤生活はかなり厳しく、家族の生活にも大きく影響したと思う。各地の文化や暮らし方、人情、言葉、教育的環境などは様々であり、子供たちの成長とも相まって、最後まで一緒に暮らすことは無理だった。最後は学校の問題や就職の問題が関係したためだ。 41年間の前職のうち21年間は、創設関係の仕事だった。それも異なる県の3か所でだ。そんな経験をした者はほとんどいない。自分の非力なこともあって、その苦しみは想像以上だった。また家族には相当迷惑をかけたと思う。子供たちの成長期、そして反抗期に遭遇した前妻の苦労は並大抵ではなかったと思うし、そのことに関しては今も感謝している。 さて、話を前に戻そう。最初の調停後、前妻の行動に大きな変化があった。ある時、食器戸棚にあると聞いた封筒を捜したのだが、見つからなかった。封筒にはお金が入っており、それで新聞代を支払って欲しいと私は聞いていた。だが、どこにもないのだ。帰宅した彼女にそのことを伝えると、意外な言葉が彼女の口から飛び出した。「お父さんが盗ったんでしょ!!」。 そんな訳はない。第一その中に幾らお金が入っていたのかも知らないのだ。だが、彼女の疑いは晴れなかった。私は管轄の警察署の番号を調べ、彼女にこう言った。「疑うんだったら警察に調べてもらったら」。その話はそれで打ち切りになると思ったのだが、彼女はその「事件」を友人に教えたようだ。後日その友人に確認したら、旅行中の車内で往復ともずっとその話をしていたそうだ。 今回の調停中も彼女が私に尋ねて来た。「お父さん、私の通帳知らない?」。もちろん知る由もない。疑い深い彼女は通帳の在処を時折変更して、その場所を忘れてしまうのだろう。もちろん私はお金を盗ったこともないし、彼女が幾ら蓄えているのかも知らない。 あれは14年前のこと。四国の長女を訪ねた時、彼女にこう言われた。「お父さんは沖縄に好きな人がいるんだって?お母さんは2千万円渡して別れ、お父さんは沖縄の女に騙されて帰って来るけど、絶対許してやらないとお母さんが言ってたよ」。 もちろんそんな事実はない。実は、私が管理職として赴任した最初の土地が沖縄だった。そこで上司に散々虐められ、橋から飛び降りて死のうとしたことがあった。だが職場の「走ろう会」の存在が私を救い、命を繋ぐことが出来た。だから私は今でも沖縄が大好き。ところで沖縄の女性と言えば、いつも饅頭を1個おまけしてくれる市場のオバーがいるが、私よりもかなり年上の人だ。 前妻の被害妄想は性格から来るのだろう。それが加齢と共に酷くなった感がある。まだ自分の心の中に留まっているうちは良いが、それが「事実」として人に伝わると誤解が生じる。それに、生活を一緒にしていないと嘘か本当かを確かめるのは不可能だ。私はこんな風に「疑惑の人」に仕立て上げられて行ったように思う。<続く> (チュウ) 心無いコメントは即刻削除することがありますので、ごチュウいを!!
2017.05.03
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4月29日。「天皇誕生日」、「みどりの日」、そして「昭和の日」。そんな風に名前が変わったこの日。私は早朝から走りに行った。長袖を着て手袋をしてるのに手が冷たい。これなら外へ出した観葉植物が寒さで葉が萎れてしまうはずだ。帰宅後は洗濯、6つの部屋などを掃除し、洗濯物と布団を干す。10時半にはそれらを取り込み、最寄りの地下鉄の駅まで歩く。今日はこれから所属走友会のお花見に行く。 今年はM公園ではなく遠いT公園。ところが園内に入っても、それらしい集団が見当たらない。その時A原さん発見。彼と一緒に探したがなかなか見つからず、携帯で場所を聞く。それでも分からず、とうとう園内を一周してしまった。2度目の電話で何とか場所が分かり、ようやく合流。公園に入ってから既に20分以上が経過していた。 これがこの日のフルメンバー。男ばかり13名。O川さんがふざけて平均年齢を計算したら、何と69.2歳だった。良く言えばベテラン揃いだが、俗に言えば「暇な爺さん集団」。だけどもこのメンバーは凄いんだよね。本州を1521km走って縦断した人もいれば、ヒマラヤを走った人もいる。 かく言う私も、47都道府県を全て走破してるもんね。走ることが何よりも好きな連中なのだ。私はまあ過去形になってしまったが。 左からS木兄、D堂、K山の各氏。 左からK山、M仙人。F田前会長。 左からF田、M井、S木弟の各氏。 左からT野会長、O川、K野の各氏。 缶ビールを手にしたA氏。 T野会長(再掲)愛称はオンチャン。 カメラを向けるO川さんと、和やかなメンバー達。かなり出来上がって来たようだ。 左は力自慢のS木弟で、右はエールを送る同氏。彼はエゾシカなどの狩猟も趣味の一つ。私は会長と離婚談義をしていたのだが、それを聞きつけたK野副会長が私に15分間の時間を提供してくれた。それで自由に話せと言う趣旨のようだ。 挙動不審のF田前会長。 帰り支度の両レジェンド先輩。 そこで私は今回の経験について話した。平均年齢が70歳近くなれば、似たような苦労話は誰もが経験してるようで、女っ気のない飲み会もザックバランで良いものだ。私はビール、ワイン、日本酒の冷やをグイグイ煽り、ついに酔っ払って眠ってしまった。目が覚めた時は、そろそろお開きの時間。やはり昼の酒は効く。それに今日は朝から体を動かして疲れていたもんねえ。 楽しかった集いもお別れの時が迫った。最後に記念写真の撮影。なお、今回は私の写真は1枚もない。理由は全て私がカメラマンだったため。通常の5倍ほどアルコールを摂取した私は、歩いて仙台駅まで帰り、そこから地下鉄東西線に乗った。自転車で来なくて良かった。とても乗れる状態ではなく、怪我するか捕まるかのどちらかだったと思う。 何とか自宅まで帰って来たまでは良かったのだが、階段を登り終えたところで倒れ右肩を強打した。まだ夕方で、外にいたお向かいさんが異変を感じて飛んで来てくれた。もし庭石に頭を打ちつけていたら、出血多量で死んでいたかも知れない。私は血栓を防ぐ「血液サラサラ」の薬を服用しているため、普通の人より血が止まり難いのだ。 結局風呂には入らず、夕食も食べず、そのまま眠った。翌日は右肩が上がらないため、激痛をこらえながらの一日。ようやく整骨院に行ったのは昨日の月曜日で、診断の結果は打撲傷だった。前夜冷却スプレーと湿布薬を張って寝たのが幸いして、右肩の可動域は少し広がっていた。整骨院から帰宅後、自転車に乗って野菜の苗を買いに行き、畑にトマトの苗を植えた。そして痛い痛いと叫びながら、支柱も施した。 なお、今日は予定を変更しました。ご了承くださいませ。
2017.05.02
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(チュウ) 心無いコメントは無断で削除しますので、ご注意を。<今調停までの経緯> そもそも今回の離婚調停は2度目で、最初の調停は私の方から申し入れた。あれは13年ほど前になるだろうか。その当時は離婚に伴う「年金分割」が話題になった頃だ。前妻はそれに強い関心を示した。誰でも離婚によって相手の年金の半分を自動的に受け取れると勘違いしていたのだ。そして自分名義の財産は全て自分の所有になるとの誤解もあった。そうではないと私は確信しており、市の無料法律相談を受けた。 それによれば、先ず「年金分割」は結婚期間内が対象で、結婚前や自分が厚生保険などに加入した期間は除かれるものであること。そして夫婦のいずれかに悪質な行為がある場合などは、必ずしも50%にならないケースあること。土地や家屋などの固定資産については、離婚に伴う譲渡の場合税金はかからないこと。結婚期間内発生した収入は夫婦の共有財産となることなどが判明した。その事実は全て前妻に伝えた。 私はそれで前妻が納得したと思ったのだが妻は良く理解しておらず、以前と同様に自分名義の預貯金は自分の物との主張を最後まで変えなかった。私は弱り果てた。このままではどうなるのだろう。そんな不安が広がった。その原因の一つが、私の退職金の処分について。家計の全てを管理している彼女は、その運用まで自由に行っていたが、どうも話が嚙み合わないのだ。 例えば彼女が退職金の一部をAに運用したと私に話す。ところがまだ退職金は最後の職場があった県の地銀に入ったままで、私自身が引き落としたり仙台の銀行に移したりしていない以前に処理したとの主張。だからそんなことは不可能なのだが、財産管理を預かる彼女は自由自在で、ついそんな分かり易い嘘をついてしまったのだろう。夫に内緒でやり繰りし、財産を増やすのが彼女の最大の楽しみなのだろうけど。 このままでの結婚生活は不可能と判断して私は、家庭裁判所へ離婚の調停を申し出た。私としてはそれなりの手続きを踏んだ積りだったが、前妻としては身に覚えのない措置と受け取ったのだろう。1回目、2回目の調停には出席したものの、3度目の調停には「出席する謂れがない」との理由で欠席。これで調停は不成立となった。後は民事の訴訟となるが、そこまですべきかどうか私は悩んだ。 暫く経った頃、前妻が私に言った。「これからは何でもするから」。それはこのまま結婚生活を持続する意思を彼女自身が示したことに他ならない。「そうであれば」。私は彼女の意思を尊重することにした。そしてこんな風に笑顔で彼女に話した。「あの時は本当に死んでくれたらと思っていたんだよ」と。それが十数年後の2度目の調停でとんでもない「事実」にすり替わっていたのだ。<続く> 今日の写真のテーマは、日常生活で見かけた何気ない「形」。ブログの内容に関係なく楽しんでいただけたら幸いです。 さて、2日前に強打した右肩の激痛が治まりません。消炎スプレーや湿布薬を張ったお陰で、少しはマシなのですが、根本的な治療にはならなかった模様。今朝は朝一で、近くの整骨院へ行く予定です。
2017.05.01
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