仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.05.26
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カテゴリ: 教育
NHKラジオ第一(06年5月24日午後)いきいきホットライン「英語をめぐる“最近”事情」で慶応大教授の唐須教光さんが出ていた。車中で聴く。途中ホーマックで蟻の巣のクスリを買ったりして、途切れ途切れで全体の半分も聴いていないが、印象に残った氏の見解は概ね次のようだ。
(理解が一部不正確。私見も入って整理しているかも。)

(1) 母音子音の単純な日本語が母語の場合、音声の複雑な英語に慣れるには、小学校高学年までに始めた方が良い。文章の内容の理解はなくても良い。音になれること。
(2) 英語が母語で来日して間もないのにきれいな日本語をしゃべる人がいる。読み書きはできなくても。これは日本語の音声が単純だから。逆は、そうはいかない。
(3) (中学校から始める、あるいは必要に応じて、関心を持ってから英語を勉強すれば良いではないかとの意見に対して)それでは時間がかかる。損をする。もったいない。
(4) (しっかりした国語教育が先決だ、との意見に対して)英語教育で時間が奪われるとすれば、それはそれで議論しなければならないが(優先順位の問題)、英語をやるから国語がダメになる、ということはない。(極論すれば?)授業も日本語でやる必要もない。
(5) 世界的には幼い頃から複数言語の環境にあるところが少なくない。日本でも日常生活に英語が入っている。だから、まず日本語を確立するというだけに拘泥すべきでない。
(6) 日本語の形成過程である入学前だと複数言語に混乱があるかも知れないが、小学生なら混乱は生じず、ちゃんと使い分けられる。

なお、(6)の点は、ご家族の米国での体験を話しておられたので、氏の意見ではないかも知れない。そもそも、早期教育の必要性は、言語理解というより、音に慣れさせる点に主眼があるようだ。

敢えてキャッチフレーズ風に分類して、「有害」「不要」「有効」「必要」の各論者がいるとして、私は、早期教育「不要」論者であった。
 ■関連する過去の日記
  ○ 早期英語教育「あなたは本当に賛成?」チェックシートを開発! (05年10月6日)
  ○ Yellow Submarine と早期英語教育を考える (05年10月5日)

ただ、「有害」論に振り回されて、正しい議論になっていないという感覚は持っていた。つまり、国語の乱れを直すのが先決だ、という意見は、それはそれでもっともなのだが、だから英語教育を導入するのは良くない、とは論理的には結びつかない。せいぜい、学校の現行カリキュラムの総枠の制限を前提にして優先順位の問題となるだけのはずだ。国語の乱れを憂える気持ちが先行して、さらにこれを煽動する業界と煽られる哀れなお母さんたちの様を考えると、ついつい早期英語教育を否定する方向に気持ちが向く。

それでも、何か、罪のない早期英語教育をバッシングしているような、そんな気持ちは持っていた。

そこに今回の唐須さんの意見。「小学校高学年までに耳を慣らさないと、損である」という点。あっ、やっと正しい議論ができる、とピンと来る気がした。他の点はちょっと賛同できない(というより私にはわからない)面もある。
(やっと、じゃなくて、あんたが知らなかっただけでしょうが、と言われそうですが。)

科学的に正しいとすれば(学者が言うのだからそうなのでしょう)、確かに小学校から導入する方が良い。あとは、最低限必要な英語教育の内容はどうかの点と、既存教科との優先順位調整の点、だ。音声に親しむという点なら、時数も多くないだろうから、何とかなるようにも思われる。

ここで気づく。私の場合、早期英語教育バッシングは、何やら自分のノスタルジー擁護とつながっていたと思う。
しょせん第二外国語としての英語なのだから、それで良いだろう。文法と発音記号と、明治以来の伝統的な日本人向けの英語学習でやるべきだ。オレもそうやってきた。てな感じ。昔の若者が苦労して漢籍を学び、仏典を修めていくような、そんなイメージかも。日本人好みの、道を極めるイメージか。若い頃、渦中にいる頃は、さほど意識もしていないのに、年を取って無責任に振り返る立場に納まると、自分の中になる昔の感性を擁護したくなるのだろう。全く無責任な話だ。

勿論それだけではないが、その気持ちがあったことは今思えば否定できない。意識してか意識せずしてか、自分の何か守りたい事のために、あれこれ理屈を持ち出して、都合の良いように並べる。そして自分の心の安泰に至る。前回の日記でも、英語はリテラシーではないから、と理由付けして自分で疑問に思ってもいた。また、教育に対する過度の期待や産業界の煽動など、縁辺的な事情を、早期英語教育の否定の理由にすることにも、自分ながら割り切れないでいた。本質論でないところで増幅・混乱していることと、早期教育の是非は、別なのだ。

ところで、さらに気づくのは、この状況は、まさに仙台に今なお残る別学維持論者の精神構造なのだ。仙台二高の共学化対応予算の執行停止を求めるとか、よくもそんなに元気があるなと逆に感心もするが、結局はノスタルジー擁護、自分の感性擁護なのだ。

とりあえず、周辺的なモヤモヤを振り払って、真っ当な早期英語教育の議論ができそうで、安心しているのが、現時点の私です。ちなみに、キャッチフレーズなら早期英語教育「有効」論者に変わりそうです。
「有効」かどうか冷静に確認した上で、カリキュラムの調整(優先順位)と児童に楽しんでもらえる工夫、必要な施設設備、教員の資質と配備などを考えていくべきではないかと思います。





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最終更新日  2006.05.26 05:16:01
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