仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.11.15
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カテゴリ: 教育
ドキッとする指摘だ。

「先生」の権威を無くした教師は、社会全体の縮図である教室を支配する空気のコンダクターに堕し、教師が空気を読み違えると学級は崩壊する。担任という軸を失った学級は不安定となり、TVのバラエティのように道化役を求める。いじられて悲鳴を上げる道化役の存在で、空気は安定する。つまり教師もいじめに加担している、というのだ(藤原智美「『空気読み』と化した教師たち」、中央公論12月号)。

教育に関する論評や提言は星の数ほどある。学力低下、いじめや自殺、私立中学志向の是非、教育基本法改正まで飛び出してきた。混沌として、軸が見えない。軸が見えないけれども、私は、初中教育は教師の人間力が基本だと思っていた。

ところが、その教師の資質をズバリ指摘されたので、戸惑っている。

たしかに現在の教師は難しい。保護者や地域の意見も多様化し、また、校長や教育委員会の変わらぬ上意下達体質に戸惑いながら、学力向上や生活指導に日夜努力しなければならない。

学校もサービス業だろうという風潮がまかり通ってしまう。カネで教育を買う。子供も、あの学校はダメだ、あの先生はダメだ、と公言してしまう。何故勉強するのと聞かれて、いいから学校へ行け、と言いたくても言えない親。子供の権利なる観念、虐待防止、情報公開、評議員制度、などの流れも関連している。コストや競争の感覚の点は供給側の意識としては重要なことなのだが、経済合理性の見地の一本槍で教育現場を見ることは、本質を見失う危険をはらむ。対等な主体としての教師と生徒ということは、本質的な意味に置いてはあり得ない。言葉が適当かどうかわからないが、「強制」の要素が必要だ。

「教壇」が消えて、生徒様をお預かりする責任者。子供から見れば、教師も数ある大人の1人に過ぎない。

教師の人間力を基本に、などと考えていた私には、なんだか難しくなってきた。私は、答えられない。





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最終更新日  2006.11.15 06:15:42
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