仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.11.11
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カテゴリ: 宮城
仙台市街地にほど近い陸上自衛隊霞目飛行場を民間利用させる構想や要望などについて、どのような歴史があったのか。宮城県議会の議事録を読んでみる。

■関連する過去の記事
霞目飛行場 (2012年11月11日)


1 昭和26年10月定例会

建議第十八号議案として「仙台市霞目飛行場の空港指定並びに改修について」が上程されて可決されている。


建議
一、民間航空の空港を宮城県に指定されたい。
 右事件につき意見書を提出したいので別紙案を添え提出する。
 昭和二十六年十月二十三日
    提出議員 浅野喜代治外十名
宮城県議会議長今野貞亮殿
建議第十八号議案
    意見書
一、民間航空の空港を宮城県に指定されたい。
    理由
 今回再開される民間航空の計画を見るに、東京を基点として、札幌に直行し東北地方にこの民間航空の利便が何等もたらされないことは、誠に遺憾とするところであつて、若しこのままに放置せられる場合は東北の産業経済は日本の進運から取り残され愈々後退を余儀なくされることは実に寒心に堪えません。
 依つて当局におかれては民間航空の空港を宮城県下にも指定されるよう特段の御配慮を要望いたします。
 右地方自治法第九十九條により意見書を提出する。
 昭和二十六年十月二十三日
             議長名
運輸大臣、大蔵大臣    +
安本長官、航空庁長官   |あて
衆参両員議長、同運輸委員長+



意見書そのものには矢ノ目(岩沼)とも霞目とも具体的な表現はなく、ただ空港の指定をしてくれという内容だ。ただ、議案の名称から、県内の空港指定は霞目を前提としていたのであろう。

2 昭和29年2月議会。菊地清太郎議員が次のように質問している(おだずまジャーナルで趣旨要約)。


空港設置を岡崎仙台市長だけに任せていいのか。東京から旅客機が宮城県を素通りして青森に着陸して北海道へ行く。そして北海道の行政は成果を挙げ、本県は不便を知事以下みずから体験しておるにもかかわらず未だ一度も空港設置に発言せられたことがない。無関心か、忘れておるのか、その必要を認めないのか。今後のスピード時代における本県の不便をなくすため、空港を設置すべきである。一仙台市長に任すべきではない。知事が陣頭に立ち適当なる土地を探し、一日も早く実現すべきと考えるがどうか。


宮城音五郎知事の回答(要約同上)。


空港は仙台、宮城として必要であり、矢本飛行場その他あるが米軍専用で民間飛行としては使えない。県としては矢ノ目飛行場を市と一緒に接収解除を要求しているが、市長だけに任せていいかとの話はもっとも。私も一生懸命矢ノ目の解除に努力しており、上京の度に外務省や特別調達庁で解除方を話しているが、新聞に書いてあるようなそう簡単なものではない。代替地なしに矢ノ目飛行場は解除しないとのことだが、しかし大いに努力して、要する飛行機が東京から着いてここから札幌その他へ行くように持って行きたい。



3 昭和30年9月議会で門間正寿議員(要約同上)。


矢の目飛行場いわゆる仙台空港の問題は県と市が猛運動を展開していると新聞紙上に発表されている。矢の目飛行場が近く返還され民間と自衛隊で共同使用するとの基本方針を決定したと仄聞するが、管理が防衛庁か航空局かよって共同使用の性格も違ってくると思う。もし自衛隊管理とれば隊の運営に重点がおかれ、我々の望む親しめる空港や民間航空思想の啓蒙に資する仙台空港の実現にはならない。そこで、航空局管理による民間航空基地の実現を願いたい。また、建設資金は管理がいずれかに決定すれば、直ちに大蔵省が別枠で予算化できるはずであり、しかも民間飛行場になれば余剰土地の二万坪も解放できると聞く。


宮城知事の答弁(要約同上)。


かねてから矢の目を仙台市、県、両議会、仙台商工会議所とともに接収解除のお願いをしており、先般、航空局から返還してもいいとの見通しがついた旨の連絡があったところである。矢の目の現地に行き米軍の意向を打診したところ、集積してある弾薬類について以前は県で代替地と移転費用を出せと言うきつい問題があったが、今度は船岡に日本政府の金で輸送することになっているそうだ。弾薬をそこに輸送して全部なくなったら返すと聞いた。日本の自衛隊でも使いたい意向があるそうなので、最初の希望通り民間飛行場として一日も早くそれを活用したいことを当局に要望している。政府では管理について防衛庁か連輸省かの問題があるようだが、私どもはいずれでもいいから民間飛行が健全に発達ができることを願っている。



昭和30年代前半に、返還と定期便就航が実現しているため、矢ノ目を「仙台空港」としていくことで県内の方針は一応一致していたのだろうが、それでもその後、たびたび霞目や松島(矢本)が取り上げられる。

4 昭和35年2月議会で大江真志次議員は、松島空港(松島基地)の民間活用策を説いた(要約同上)。


昭和32年、東北初の空の玄関として矢ノ目の飛行場が利用され満3を迎えた。現在全日本空輸がDC3で矢ノ目から東京と札幌の間をおのおの一往復。しかし、滑走路延長1200メートルの第二種飛行場で地上誘導装置がなく天候が悪いと着陸できず、航空自衛隊松島基地に降りたり羽田まで引き返すこともしばしば。最近全日本空輸では最新鋭機コンベア440型メロポリタンを国内線に就航させているが、これを矢ノ目に発着させるためには500メートルの滑走路の延長が必要で、仙台市商工会議所等の協力を得て滑走路延長運動を展開している。予算獲得は困難で、また滑走路の延長ができても東北本線側の山が邪魔になつて、その安全性に疑問がある。そこで、この際松島飛行場の利用を考えるべきでないか。松島飛行場は2700メートルの滑走路と完備した地上誘導装置を持ち、仙台からの距離は北海道の千歳と札幌間の距離よりは短く、今後道路整備で解決されると思う。しかも松島は塩釜、石巻、古川、気仙沼という四大都市に近く、松島、金華山、気仙沼等の海岸観光地帯の中心であり、さらに塩釜、石巻等の将来の大工場地帯に近接する。〔以下原文ママ〕 矢ノ目の民間空港の開設されるまでの経過を考えて見まするに、昭和二十六年のころよりこの民間空港開設をめぐつて、仙台市と矢本町が猛烈な競り合いをいたしまして、一時は矢本側の運動が功を奏しまして、松島飛行場に民間航空の新しい事務所や、待合室が建築され、テレタイプ等も用意されたのでありますが、荒木航空局長の時代になつて、どうした関係か形勢逆転、仙台側が有利となりまして、遂に民間航空港は矢ノ目に決定、昭和三十二年四月開設されて今日に至つたものであります。 〔以下再び要約〕しかしながら現況は日航はもとより全日空の最新鋭機にも素通りをされ新時代に取り残された民間空港と相なった。矢ノ目一本槍の考え方を再検討する必要があるのでないか。


質問の中で、松島飛行場が矢ノ目と並んで宮城県の民間空港候補地であったとの経緯が興味深い。
これに対して三浦義男知事は、矢本は防衛庁のジェット戦闘機基地であり、周囲に人家も相当ある、玉浦(矢ノ目)は改良の見通しがありまた国道交通も便利になるなど、総合的にみて研究したい、とかわしている。

4 その後、昭和40年代に共産党の県議が自衛隊基地移転と併せて霞目地区の住宅地としての利用などを質問の中で論じているのが散見される。

5 昭和40年2月議会では、門間正寿議員が質問の中で次のように述べている(おだずまジャーナル趣旨要約)。


仙台市が検討している都市計画や輸送計画の中でも、ジェット機就航と東北開発を考えると仙台空港整備が重要である。仙台を中心に各県県庁所在地につなぐ航空ローカル線を政府も計画しており、そのためにも霞ノ目飛行場は、現在の自衛隊航空隊が他に移転する計画も聞くので、近い将来民間航空の基地に確保することも当然考えるべきである。


山本知事から具体的な回答はなかったようだ。





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最終更新日  2012.11.11 17:34:47
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