仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.05.18
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カテゴリ: 宮城
先日、震災後の野蒜築港跡の探訪記を書いた。

■関連する過去の記事  野蒜築港跡をたずねて (2015年5月8日)

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明治初年の営みの跡地が、さらに震災を受けて二重の意味で「跡」となった。地域にとって明治をどう受け止めていたのか、そして震災後はどう意識されているのだろうか。漠然とそんなことを考えてきた。

築港がこの地域においてどのように伝承されていたのか。改めて勉強しようとして、この本に出会った。

■西脇千瀬『幻の野蒜築港 - 明治初頭、東北開発の夢』(藤原書店、2012年)

西脇氏の著作は、築港をめぐる歴史を関わる人々の意識を、当時の新聞資料などをもとに丹念に拾い出す。それも、東北開発史としての期待と挫折の一面にとどまらず、時代背景や、携わる人々の思惑などの諸相を踏まえて、当時やその後や今を生きる個人の意識の中に、築港史がどう存在するかを浮かび上がらせる労作だ。

さらに、津波の跡の氏の活動や評価も示されている。たとえば、津波で流された跡から下水道跡が発見されている。記憶の過去に封印されかけた築港が、掘り起こしを待っているかのようだ。

私があの場に立って二重の意味での過去を感じてみたい、などと薄っぺらい感慨で満足しようとしたのが恥ずかしい。

忘れかけられた近代の一大事業だ。個人レベルでも、夢破れて当地を離れ、思い出したくもないという向きも相当あっただろう。数世代前のことだが、口伝を直に体験した世代なら、まだ最近までおられたはずで、今につながる歴史なのだ。

東松島市や観光協会のサイトには、もう築港跡の解説はなくなってしまったようだ。このまま消えてしまって良いのだろうか。人々の評価は様々だったろうが、近代都市を造営した特筆されるべきこの土地は、歴史を経て災害を受けてもなお、人々の意識の中で「掘り起こされる」価値を持つ。この地域の後世に生まれた我々は、さらに後代にまで掘り起こしを伝えていく、そんな責務があるように思う。





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最終更新日  2015.05.18 21:28:07
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