仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.09.16
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カテゴリ: 仙台
昨日のこと。朝のTBCラジオのニュースクローズアップで、毎日新聞社仙台支局長が、「河北新聞」と呼んでいた。安保法案に関するコメントで、報道ぶりを見ても河北新聞や読売新聞など、国民の理解が進んでいないことを指摘している、などと発言していたように思う。
(もし聞き違いだったら大変申し訳ありません。とすれば、以下の考察は空論ということで...)

安保法案の行方は重要問題で、今記事を書いているこの時間も参院の委員会室は審議が始まらない。だが、ここでは小さな問題だけ取り上げる。これまで仙台・宮城の人が「河北新聞」と呼ぶのに何度も接してきて、それはなぜだろうと、当ジャーナルのテーマとして、役にも立たない考察を進めて(?)きた。

しかし、ラジオを聴いていて、大きな盲点に気がついた。

コメンテーターの方は、昨年4月から前任者の支局長に替わってこの曜日のコラムを担当していると記憶している。最初にこの番組に登場した時に、たしか中国勤務の経験などを紹介して地方都市としての仙台の魅力について話しておられたように思う。かなり曖昧な記憶で正確ではない失礼をお許しいただきたいが、少なくとも、仙台に長く在住している方ではないだろう。

とすると、地元の人による地元紙の呼び方という視点ではなくて、東京から見た、あるいは全国視野から考えてみるとどうだろうか、との視点に気づかされたのだ。
(実は下記の過去記事にも多少触れていますが。)

想像になるが、同氏は、主要紙の論調を紹介する際に、全国紙と並べて地元で圧倒的に読まれている河北を例に挙げたのだろうが、「河北」の後に、全国紙と同様、つい「新聞」と続けてしまった。

つまり、一般に人々は、朝日、読売、毎日、日経、産経などと単に呼び習わしている。全国紙はすべて「○○新聞」だ。普段特に「新聞」まで続けて呼ぶことはないが、すべて「新聞」の名が続くことは意識している。というより、当然のこととして無意識の世界に入り込んでいると言えるかも知れない。

そして、仙台に来ればこれに加えて河北という新聞があることを知るが、普段は、みんながカホク、カホクと呼んでいる。カホクばかり頭に入っていて、次の呼称は普段から気にしない。全国紙の場合に後に続くはずの無意識的な接尾辞である「新聞」がついつい出てしまって、「カホク新聞」と表現してしまった、ということではないだろうか。

私自身は、河北新報という4文字7音節をもって不可分のワンワードと受け止めているから、「河北新聞」と呼ぶことはありえない(わざと言う場合は別として)。小さい頃から山田太郎君を知っている人が、かりに普段はヤマダと呼び習わしているとしても、山田の後にウッカリ「電機」と付け足すことが有り得ないように、地元に居て毎朝河北新報の実物に触れ、コマーシャルも聞いて、かほぴょんタオルも持っているから、カホク、カホクと略称で言うことはあっても、その後に「新報」が隠れていることはわかっている(無意識かも)。

たぶん仙台・宮城の人の大部分はそうだと思う(それでもカホク新聞と呼んでしまう地元人の意識構造については、これまでの当ジャーナル記事をご覧下さい。下記参照。)

しかるに、例えば東京の人や、東京から来た人からして見れば、この地でカホク、カホクという通称だけが飛び交っているから、正しい接尾辞が完全には頭に入っておらず、アサヒやマイニチと同様だろうとばかり、ついつい後に「新聞」と続けてしまう。こういうことではないだろうか。

これには、河北新報という名称の特殊性も背景にあるように思う。河北新報のことを仙台の人はカホクの3音節だけで呼ぶことが多い。しかし、例えば、岩手日報をイワテ、イワテと呼ぶ人は絶対居ない。今朝のイワテに書いてあったんだけど...と言っても誰も新聞の話とは理解してくれない。今朝のニッポー(日報)に書いていた...ならば岩手県域では通じる。仙台では、カホクだ。カホクなら、それだけで新聞だとわかるのだ。

もっと言うと、 カホク (第1音節にアクセント)という人は、東京や全国の視点の人で、ついつい新聞と続ける可能性が高い。 カホグ (第2音節にアクセント)なら本物だ。(何とも適当な説明)

東京から来た人が、河北新報の4文字を友人の姓名のように固有名詞として受け止める可能性は、地元の人ほどは高くない。他方で、巷間いわれるカホクの語だけが印象に残り、下の言葉は気に留めていないから、他紙と並べて姓名全体で表現する場面を迫られると、最も通常の接尾辞である(或いは全国紙と同様にしておけば間違っても言い訳になりうる)「新聞」と付け足す。こんなところでないか。岩手県では有り得ない現象なのだ(ひょっとすると、ニッポーが印象深くて、「盛岡日報」という人がいるかも知れない)。

いわば「全国視点仮説」だ。仙台・宮城のネイティブがカホク新聞と呼ぶ理由も、実はこの全国視点を持つ人々の言動から影響を受けたのかも知れない。ああ、奥が深い。(しょせんどうでも良いこと...)

■関連する過去の記事
なぜ宮城県人は「河北新聞」と呼ぶのか 第4論 (2014年6月4日)
なぜ人は「河北新聞」と呼ぶのか (2012年1月25日)
再び考える なぜ仙台の人は「河北新聞」というのか (2011年5月20日)
仙台・宮城の人はなぜ「河北新聞」と呼ぶのか (09年7月17日)





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最終更新日  2015.09.17 00:57:57
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