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こんにちは、當間です。すっかりご無沙汰してしまいました。ご無沙汰している間に、ゆったり~のの小原さんと再び仙台を訪れ、津波被害にあった仙台市の沿岸部を見て来ました。がれきはほとんど片付けられ、津波が襲ったことを知らない人が見れば、ただの荒れ地にしか見えません。しかし、そこにはかつて水田と集落が広がり、人々の暮らしがありました。荒れ地に見えるのは、塩水をかぶってしまったために草が変色してしまっているから。往時を知っている人々は、今の風景を見たら悲しくなるでしょうね。仙台では、日本冒険遊び場づくり協会の方々と災害子ども支援ネットワークみやぎの方にお会いしました。ゴールデンウィークに訪れたときには、3月11日の様子をお訊ねするなんて、とても出来る雰囲気ではありませんでしたし、思いもしませんでしたが、今回は、当時の揺れの凄まじさや津波に襲われたときの様子を直にお訊きしてきました。家や人が流されて行くのを嫌でも目にしてしまった子どもたちのことに想いを馳せ、いち早く遊び場の確保に動いた人がいたこと。出来ることをしようと動き出せたことで、おとなたちも前向きになれたこと。その一方で、避難所から仮設住宅、あるいは自治体借り上げの見なし仮設への入居が始まり、それまでにも見えにくかった個々の被災の状況がますます見えにくくなって来ています。見えない分、格差が広がっているとも言えます。阪神・淡路大震災で精神的ケアのために陣頭指揮を執った中井久夫さんは、こうした状況を「はさみ状格差」と呼んでいます。同じ震災の被災者同士が格差によって引き裂かれて行くというイメージでしょうか。震災から7カ月が経ち、支援の内容にも変化が求められています。さらに息の長い取り組みが必要になって来ました。仙台でお訊きしたことは、松田妙子さんと山田麗子さんが盛岡と大槌町でヒアリングしたことと合わせ30日に大正大学で開催するにっぽん子育て応援団主催の「東日本大震災復興子育て応援フォーラム ~誰も孤立させない子育て支援の仕組みづくり~」でご報告することになっています。震災被災地での子どもたちを取り巻く状況で露呈した、子ども・子育て支援の課題を共有し、課題解決に向けた仕組みづくりをみんなで考えようというもの。年明けに法案提出を目指して子ども・子育て新システム検討会議も動き始めました。フォーラムでは、震災から学んだことを通して、揺るぎないシステムづくりに向けた提言を行います。どうぞご参加ください。ご一緒に考えましょう。………………………………………………………………………………東日本大震災復興子育て応援フォーラム~誰も孤立させない子育て支援の仕組みづくり~★小宮山厚生労働大臣にお声がけしております★ 東日本大震災の被災地で起きている子どもを取り巻く問題から、現在の子ども・子育て支援施策が克服すべき課題を顕在化させ、どのような状況下においても子どもを取り巻く環境を担保する仕組みをどのように作り上げていくか知恵を出し合いたいと思います。 ◆日 時: 2011年10月30日(日) 13:30~16:45 ◆会 場: 大正大学 8号館 東京都豊島区西巣鴨3-20-1 ◆対 象: 子育て当事者、子ども・子育て支援団体、 市民団体、企業、研究者、行政担当者、 国会議員等 ◆定 員: 300名 ※必ず事前にお申し込みください。 ◆参加費: 無料 ◆保育料: 500円 ◆お申込みはこちら http://nippon-kosodate.jp/forum20111030.html ◆お問い合わせ にっぽん子育て応援団 info@nippon-kosodate.jp☆プログラム☆◆開会挨拶 勝間和代さん 経済評論家&公認会計士 にっぽん子育て応援団団長◆にっぽん子育て応援団の被災地支援活動・ヒアリング報告◆パネルディスカッション【第一部】 ~被災地からの発信・提案~パネリスト 両川 いずみさん NPO法人いわて子育てネット 副理事長 小林 純子さん 災害子ども支援ネットワークみやぎ 代表世話人 佐々木 健二さん NPO法人日本冒険遊び場づくり協会 理事 コメンテーター 山崎速人さん 内閣府企画官(少子化対策担当)コーディネーター 奥山 千鶴子さん NPO法人子育てひろば全国連絡協議会理事長 にっぽん子育て応援団 企画委員【第二部】 ~自治体からの発信・提案~パネリスト 中村吉徳さん 宮古市福祉課長 菊池 永菜さん 遠野市子育て総合支援室長 山田 正人さん 横浜市副市長(にっぽん子育て応援団企画委員)コメンテーター 政府関係者コーディネーター 樋口 恵子さん 高齢社会をよくする女性の会 にっぽん子育て応援団 団長◆提言・まとめ◆閉会挨拶 安藤哲也さん NPO法人ファザーリング・ジャパン代表 にっぽん子育て応援団団長☆主催:にっぽん子育て応援団☆独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成事業
October 21, 2011
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こんにちは、當間です。お盆休みもほぼ終了、真面目に現場復帰せねばと呼吸を整える感じの日曜の夜です。震災から5カ月が経ち、被災地では仮設住宅への入居が進んでいます。にっぽん子育て応援団が6月に開催したチャリティーイベントがらみで被災地の子育て支援団体の方々と連絡を取りながら、現地で求められていることが徐々に様変わりして来たと感じています。仙台在住で宮城県沿岸部の被災地を日々飛び回っている大泉さんからは、こんなお願いを頂戴しました。「仮設住宅に移った人々に、 お米とお弁当箱、水筒をお配りしたいと、 現在各方面に声をおかけしています。 ぜひ、ご協力を」避難所と仮設住宅での生活の大きな違いは何もかも自前で調達しなくてはならなくなること。その一方で、何もかも失っての仮設住宅入居ゆえ、入居に際してのさまざまな支援はあるけれど、先々のことを考えれば、義援金などの現金は手元に残しておきたい。職探しなどでの外出には、お弁当持参で出かけたいけれど、お弁当箱も水筒もない。食料そのものも、どこかで買ってこないと、ない。そんな、無い無い尽くしでスタートする新生活を応援するためのお弁当箱・水筒・お米をご提供ください、という呼びかけ。わかりやすいプロジェクト名があると伝えやすいんですが、今のところないようだし、よいアイデアが思い浮かばないので、6月から地元で始まった子育てひろば「ほっとスペースじいちゃんち」のメンバー用MLに、取り急ぎ上記の経緯を流してみました。子育てひろばの大家さんの岡村さんが、早速この呼びかけに応えてくださり、岡村さんの地元ネットワークにご紹介いただけそうです。この「ほっとスペースじいちゃんち」は、池上線洗足池駅から徒歩3分のところにお住まいの岡村さんのご自宅を開放していただいて、週に1回開催しています。どこかの団体名に似ているな、ですって?そう、品川のNPO「おばちゃんち」に敬意を表して名づけました。会の代表でもある岡村さんのご自宅で開催するひろばなので、「じいちゃんち」なんです。岡村さんは、お子さんもなく、お孫さんもいらっしゃらないけれど、子育て中の親御さんを応援したいと、自宅を開放して出来ることはないかと考えていらしたのだそう。大田区主催の区民大学で開催した子ども・子育て支援を始めたい人向けの講座で出会った思いを同じくする人々と始めました。“岡村じいじ”を「地域のじいじ」に。目指すのは「地域での孫育て」です。もっとも、メンバー6名のうち3名が未就学児と暮らすお母様方。そのうち2名はワーキング・マザーでもあります。あとは、実際に孫育てをしながら、保育ママやファミサポの提供会員もしているベテランの方と、そろそろ子育ても長ーい終盤戦にさしかかっている私。3月に「@あみーご」を見学させていただき、あとは大田区教育委員会社会教育課と大田区社会福祉協議会のご協力も得ながらスタートしました。現在のところ月4回のうち3回が水曜日、残り1回は土曜日に開催しています。7月、8月はベランダでの水遊びが大人気で、水曜日はいつも大にぎわい。土曜日は、まだちょっと寂しい感じもあるけれど、7月のガレージセールのときには同じような活動を計画している方が来てくださるなど、いつもとはちょっと違った雰囲気で、それもまた、迎え入れる側としては、楽しみ。週に一度、ちっちゃな方々と過ごす時間はかけがえのない愛おしさがありますが、8月は、ほとんど関われなくて申し訳ない限り。子ども手当と子育て支援制度アンケートからスタートした子ども幸せ研究所でも、2カ月に一度の子育ておしゃべりカフェと小中学生に向けた子どもの居場所アンケートを行っています。現在アンケートのまとめに入っているところ。いずれまた、ご報告しますね。なお、冒頭のお弁当箱と水筒、お米は、以下の住所にお送りください。(送り先が変わったため訂正)〒982-0833 宮城県仙台市太白区八木山弥生町17-20 第二大松コーポ102号株式会社ティータイム大江さんお弁当箱と水筒は、子ども用でなくても構いません。出来れば新しくてきれいなものを、どうぞよろしく。
August 21, 2011
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こんにちは、當間です。大型連休後半、5月3日から5日にかけてゆったり~のの小原さんとともに全国の方々から届いた鯉のぼりを届けに東日本大震災の被災地を訪ねて来ました。http://ouendankoinobori.sblo.jp/震災直後から現地の方々と情報交換を行い、何が出来るのか、何が必要とされているのかを確認しながら、訪問の準備をして来ました。第一の訪問先は宮城県気仙沼市の冒険遊び場「あそびーばー」。風光明媚な海水浴場で知られる大谷海岸から1キロ足らずの高台にあります。ご存知のように気仙沼は津波で大変な被害を受けたところ。海岸からかなり離れた内陸にまで津波が押し寄せ、家々を押し流していたのには驚きました。大谷海岸も地形の美しさはわかるものの松林はなぎ倒され、マンボウの飼育で知られた建物は無惨な姿をさらしています。ぐにゃりと曲がった線路は、すでに片付けられていましたが、押し流された家や建物、車などがすべて片付くまでには相当時間がかかりそうです。ボランティア渋滞と言ってもよいくらいの断続的渋滞で現地にたどり着けたのは予想到着時間の2時間半後。現地スタッフのみなさまを大変お待たせしてしまいました。現地に到着したときには、たくさんの子どもたちが遊んでいました。翌日、改めて訪問、鯉のぼりを飾り付けました。ゆったりとした時間が流れるのどかなところで大変なことがあったなんて忘れてしまいそう。まだ、遊び場開始前なのに、すでに子どもが来ていて、遊びたくてうずうず。冒険遊び場があって、よかったなあと思いました。次の訪問先、仙台の中心部は、休日ということもあって大変なにぎわい。幹線道路に陥没したところがあって工事していたり、修復工事のためにシートで覆われたビルがあるなど、一見復興したかのように見えても、ところどころに地震の爪痕がはっきりと残っています。相変わらず余震が続いていて、子どももおとなも不安な日々を送っています。のびすく仙台の館長さんがお母様方の精神的な疲労について心配なさっていました。「親自身も被災者なんですからケアが必要」と。同じことは震災以来支援活動に奔走する医療者や福祉関係者、土木関係者、自衛隊や警察、行政の方々にも言えることです。夜、中間支援NPOの方とお話ししたら震災孤児の実態把握に困難を来しているとのこと。避難所に身を寄せる人々のことは把握できるけど、震災孤児のほとんどは親戚に引き取られているから、実態把握が困難。親族里親制度が知られていないことも気がかりだし、精神的なケアも必要であると、引き取られた子どもと、引き受けた親族のことをひたすらに慮っていらっしゃいました。最終日の5日は、福島県内4カ所を訪問。原発事故以来、ともかく先行きの見えない不安が福島県内で暮らす方々に重くのしかかっている。「県外に出ると、福島やいわきナンバーの車は ガソリンも入れてもらえないの?」「ホテルや旅館にも泊めてもらえないんですって?」「転校先でいじめられたと報道されているんだけれど」徐々に下がって来ているとは言え、決して安心できるとは言えない放射線量に加え、福島県から来たというだけで排除されるんじゃないかという不安が加わる。事前のやり取りの時点で、戴いたメールを読みながら涙が出て来てしまいました。お会いした方々は、ママサークルの代表や、子育てひろばの代表。みなさん地域の子育て支援に関わる方々だけあって、少しでも今の状況をよい方向に向けて行こうと心を尽くしていらっしゃいました。不安を一人で溜め込まず、今何が起きているのか、どういう対処をすればいいのかについて少しでも正しい情報や知識を得ようと、放射線に関する不安や疑問を語り合う会を開いています。福島県内で子育て支援ネットワークを立ち上げる寸前で震災に見舞われたため、こちらのほうはストップしてしまったそうですが、福島在住の保護者や子育て支援関係者などがつながって福島の子どもを放射能から守るネットワークを結成。専門家を読んで学習会を開いたり、作業部会を立ち上げ、テーマ別にさまざまなことを調べたりしています。今できることを、粛々と実行している。「(被災した私たちのことを)忘れられてしまうんじゃないかと、 それが一番心配、恐れています」絶対に忘れないと約束するのは難しい。でも、私、これまでの震災のこと忘れてはいないよ、と断言できるのだけれど。逆に、今回の被災地訪問では、そこで暮らす方々の姿を伺い、お話を訊いてみて今このときを一生懸命に生きていらっしゃることになんだか訪問した私たちのほうが励まされたように思います。車窓から眺めていると、着実に田植えは始まっていたし、気仙沼でも漁船が漁港に停泊していました。頑張れるところから復興に向けて動き始めている。動き始めた人々の背中を押すためにも長期にわたる支援、応援が必要です。気仙沼での冒険遊び場への応援は募金で出来ます。○被災地復興支援活動の特設サイトhttp://www.playpark.jp/asobibasien/NPO法人子育てひろば全国連絡協議会が被災地の地域子育て支援拠点に向けた義援金を受け付け。○東北関東大震災子ども子育て義援金BOXhttp://kosodatehiroba.com/82gienkin.htmlFathering Japanの東日本大震災特別支援活動○パパによるパパのための災害緊急支援活動 パパエイド募金http://www.fathering.jp/papa-aid/NPO法人全国父子家庭支援連絡会がJustGiving Japanを通じて募金にチャレンジ。○被災された母子・父子世帯・親を亡くした子ども達への応援! http://justgiving.jp/c/1952にっぽん子育て応援団でも、6月4日にチャリティ・イベントを開催します。http://kokuchi.sblo.jp/article/45018923.html(*募金に関する情報を加筆しました)
May 16, 2011
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こんにちは、當間です。東日本大震災からひと月と10日経とうとしています。桜前線の北上とともに、事態が好転しますように!と祈っているうちに、東京のさくらは散ってしまいましたが、まだまだ桜前線は北上を続けています。たくさん方々が現地へボランティアとして出向き、さまざまな活動を続けていらっしゃる一方で被災地へ行くことは出来なくても、今暮らしているところから精一杯の応援の気持ちを込めて、さまざまなサポートが始まっています。絵本を送るプロジェクト、使い終わったランドセルをリフォームして現地の子どもたちに届けるプロジェクト。被災地の妊産婦さんとそのお子さまのために産後のホームステイ先まで準備して受け入れる東京里帰りプロジェクトや、震災発生時に0歳のお子さまが20歳になるまでサポートするハタチ基金、被災したひとり親世帯のための110311父子連募金。被災地のNICU支援のための救児基金……。支援物資や支援金を集めるためのバザーも、次々に開催されています。そんな状況で統一地方選が始まりました。前半戦では、いつものように「選挙に行こう!」とひとりキャンペーンをやることさえ忘れてしまっていて、大いに反省しました。後半戦に向けて、さてどうしようと思っていたら、ブログとツイッターで「子連れ投票キャンペーン」を始めた方がいらして思わずみなさんにご紹介したくなりました。子連れ投票キャンペーンhttp://ameblo.jp/misatom73/day-20110418.htmlツイッターでのハッシュタグは「#kodomotohyo」。被災した自治体では延期になりましたが、4年に一度、地元自治体の首長や議員を選ぶ貴重な選挙。投票に行ける地方の私たちは、ぜひ、投票に行きましょう。育休明け寸前で緊急入院してしまった若い友人のSさんは病院で期日前投票を済ませたそうです。「貴重なわたしたちの一票!」(Sさん)今回の選挙戦では、どの候補者も災害対策を取り上げていて、いかにもな感じ。その一方で子育て支援も重要ポイントに上げられていてよしよし、と思う。そして、改めて思い出す、こんなフレーズ。「晩のおかずを考えるように、 社会に思いを馳せられたら、 いいよね!」
April 20, 2011
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こんにちは、當間です。東北関東大震災から1週間が経ちました。一日一日がとてつもなく長く感じられた1週間でした。こんなときだからこそ、必要なことがあります。まずは、チャイルドライン支援センターの加藤志保さんのメッセージを。「緊張感を持ちながらの一週間、 おとなのみなさまも大きな疲労感を 感じる一週間だったのではないでしょうか。 子どもさんたちの様子はいかがでしょうか。 もしも、とっても元気でしたら、 どうぞ遊びたがることを歓迎して たっぷりと遊べるようにしてあげてください。 もしも、とっても疲れているようでしたら、 たっぷり寝かせてあげてください。 もしも、よく眠れなくなったり、食欲がなくなったり、 元気がなくなったり、大人にまとわりつくようになったり、 学校に行きたがらないようでも、 どうぞ、あせったりあわてたりなさらないでください。 心の病気にかかったのではないかしら、 と心配するのはもう少し先でもいいかと思います。 ただ、揺れの体験がなくてもTVや新聞や大人の会話からも、 子どもたちの心に不安を与えることは確かです。 上記のような様子がみられましたら、 情報に子どもたちがどう接しているのか、 よくよく気をつけてください。 できれば、ゆったりした気持ちで、 一緒にお料理をしたり、洗濯ものを畳んだり、 お掃除をしたり、 いつもよりも一緒の時間を長く過ごしてみてください。 身体を動かすことができるようでしたら、 サッカーでも、なわとびでも、ジョギングでも、 お散歩でもいいですし、 身体が触れる遊び、プロレスごっこや、 お相撲ごっこなども、いいと思います。 もしも子どもさんが、ふさぎこんでいたり、 殻に閉じこもる様子がみられるようでしたら、 ゆっくりと抱きかかえてあげてください。 言葉にならないものを抱えている そのことによりそう気持ちで、 ゆっくりと、背中をさすってみたり、 肩をさすってみたり、 手をつないでみたりしてください。 おとなもそうしていると安心します。 もしもお話し始めたり、 泣き始めるようなことがありましたら、 ゆっくりと受けとめてあげてください。 そして、もしもご自身もとってもお疲れでしたら、 まずは、自らの身体をゆっくりと休めてください。 目が覚めたときに、 子どもたちに向けるとびきりの笑顔が戻っていますように。 子どもたちの笑顔と 弾けるエネルギーから元気を分けてもらって、 なんとかかんとかやっているおとなのひとりとして、 お伝えできるわずかなことを。」福井新聞のこちらの記事も参考になります。東日本大震災、子どもに災害をどう伝えるか非常事態の中、話をして、心を支えるために私にも、阪神淡路大震災のときの苦い思い出があります。ふるさとを襲った大災害を報じるテレビを見ながら、次々とかかってくる実家の安否を訊ねる電話の対応をして、その日も暮れようかというときになり「いけない!」と気づいたときには、遅かった。当時3歳だった娘も、街が壊れている悲惨な映像をずっと凝視し続けていたんです。しばらくの間は、私がそばにいないと不安でパニックになる娘を誰かに預けて外出することが叶わなくなりました。申し訳ないことをしてしまったなあと反省しましたが、あの時の私には、自分自身の心の動揺を抑えることができませんでした。今回、娘はその10日前から福島の妹のところにいて、大学の研究室で、研究データのデジタル入力のアルバイトをしていました。大きな揺れがあったとき、娘と妹は同じ部屋にいて、揺れが収まると同時に、研究室の方々と外に避難しました。硝子が飛び散り、惨憺たる状況だったとか。2日後に、妹が車で娘を送り届けてくれたのですが、疲れ果てて布団に倒れ込んだ妹に比べ、娘は大変元気で、元々約束していたからと、友人のところへ出かけてしまいました。妹は、勤務先からの呼び出しに応じて4日後に戻って行きました。戻る前日、放射線量に関する勉強会のようになりました。東京電力が公開していた福島原発周辺の放射線量計測データの単位が、事故の前とあととでは違うものになっていたので、何故だろう?と妹に訊ねたのがきっかけ。妹は学生時代から現在に至るまでの知識を総動員しつつ、インターネットの信頼できるサイトを探しながら、丁寧に解説してくれました。まだまだ楽観的になれそうな状況ではありませんが、何かの一助にと、以下、貼り付けておきます。【日本産婦人科学会サイトより】福島原発事故による放射線被曝について心配しておられる妊娠・授乳中女性へのご案内(特に母乳とヨウ化カリウムについて)(平成23年3月16日付で日本産婦人科学会が発表した資料)http://www.jsog.or.jp/news/pdf/announce_20110316.pdf【東大病院放射線治療チームのツィート】放射線と健康に関する知っておきたい専門知識をわかりやすくツィート。グレイ、シーベルト、ベクレルなどの耳慣れない単位が意味するところも理解できる。http://twitter.com/#!/team_nakagawa
March 21, 2011
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こんにちは、當間です。このところインプット過剰気味で、なかなかブログに書くテーマが決まりません。どうしようと悩んでいたら、草薙さんが素敵な日記を書いてくださっていて!頭の上に重しがのしかかっていたような気分だったのが急にもやもやが消えて、気持ちが楽になった(苦笑)。おかげで、やる気まで復活したみたい。単純だなあ>ぢぶん。先週は、久しぶりに子ども・子育て新システム検討会議を傍聴しました。3月からは会議の様子をインターネット上で公開するのだとか。わははネットの中橋さんやFJの安藤さんが参加している「社会保障改革に関する集中検討会議」も会議の模様を動画(生中継)で公開していますね。より多くの人々が会議の様子を見られるのは幅広い議論を求めるのにはよい方法かもしれません。ただし、それまでの議論の流れがよくわかっていないうえに、会議で飛び交う用語が難解だったりすると、その場の議論だけで物事を判断したり、議論の内容がよく解らないまま手前勝手な解釈で受け取る人が増えたりして、かえってややこしいことになったりするんじゃないだろうか?という不安も聞こえて来ます。もちろん、公開しても大丈夫だと判断出来るところまで議論が煮詰まって来ているからこそのインターネット中継開始なんだろうと思います。理解の助けになるのがマスコミ報道だとよいのですが、例えば新システムでの幼保一体化議論でも、傍聴した人や参加委員の方々からお話を聴くと、きちんと理解して書かれた記事は案外少ないようです。大筋のところをうまく“翻訳”してわかりやすく伝えてもらえるといいのになあ。昨年11月に参加した周産期診療ガイドライン作成に関する総意形成会議(あまりに長くて難解なので意訳してしまいました)でも、患者家族の一人として参加するにあたり、第一線でご活躍中の小児科医、N先生の懇切丁寧なレクチャーをいただいて、なんとか無事にお役目を果たすことが出来た私ですから、なおさら、そう思います。この「周産期診療ガイドライン」は、ほぼまとまりつつあり、現在意見を公募中です。専門用語についてはひととおり注釈も添えられており、それぞれのトピックをあげるに至った背景も解説しているので、門外漢でもかなりわかりやすく出来ていると思います。とは言え、一般の方々に合わせて書かれたものではないので、途中で読むのが嫌になってしまうかもしれません。このガイドラインを使用するのは専門医なので、一般向けに噛み砕いてわかりやすく表現しようとすると逆に冗漫になってわかりにくくなる恐れもあります。そのわかりにくさゆえに、医療者は患者を排除しようとするのか?という反発を生み、これまでは医療者vs患者という構図がいたずらに強調されて来たようにも思います。そこをなんとか変えていきたいという思いは、医療者にも患者にもある。だから、総意形成会議に患者家族の代表が参加している。もうひとつ押さえておきたいのは、ガイドラインが作成されるのは医療現場では、その専門医でさえ判断に苦慮することが次々に生じるからこそです。その事情への理解も、もっと広まって欲しいと思います。専門医が判断に悩んだときに使うガイドラインがどのようにして作られているのかを垣間見るチャンス。興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。同じように、これから詰めの議論へと移っていく「子ども・子育て新システム」についても、子どもとその家族を支えるためのさまざまな制度や運用のためのガイドラインが作られて行くと思います。あるものは専門家向け、またあるものは一般にもわかりやすく作り分けられていくものもあるでしょう。出来上がるプロセスや、それが文言に落とし込まれていく様子を関心を持って見守る。実際に文書として出来上がったときの表現についても自分なりに吟味して、疑問をもったら内閣府に問い合わせてみたりすれば、いいんじゃないかな。ツィッターもいいけど、事務局が対応に苦慮するくらいに問い合わせが寄せられたら、会議やマスコミ報道そのものが変わっていくような気がします。(事務局のみなさま、業務に忙殺されているのに 煽るようなこと書いてごめんなさい。 先にお詫びしておきます)
February 27, 2011
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こんにちは、當間です。みなさま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。地元では、15日に今年度5回目となる子育ておしゃべりカフェ@おおたを開催しました。毎回、真摯に子どもと子育てを考える人々やいま、子育てに忙殺されながらもわが子のこと、そして育児を通じて社会を新たな視点で見直している人々との新たな出会いがあって、とても嬉しく思っています。第4回目からは、生活学校の折り紙名人の方々が同室保育のためにご協力くださっています。それぞれの体験が培った子どもへの見事な対応には、感動を覚えます。さらには、せっかく折り紙名人が来てくださっているのだからと、ラストにおとなに向けた折り紙講座もお願いしています。子ども時代に、さんざん折り紙に親しんだはずなのに、鶴しか折れない私。「からだのほうでは、ちゃんと覚えているものですよ」折り紙名人は、にこやかに、そうおっしゃる。で、実際に教えていただくと、途中から記憶が蘇り、「ああ、そうでした」と手がどんどん動いて行くのです。なんて素敵な、私のからだ(と脳)。生活学校とは、「女性を中心に、 身近な暮らしの中の問題を、学び、調べ、 企業や行政と話し合い、 ほかのグループとも協力し合いながら、 実践活動のなかで解決し、 生活や地域や社会のあり方を変えていく活動」で、全国で、約1,000の生活学校が活躍しています。(財団法人あしたの日本をつくる会公式サイトより)大好きな国語学者・寿岳章子さんの著書で生活学校のことを知りました。1950年代に、生活学校で学ぶ農村の女性たちが語っていたことを紹介していたのです。当時、日米安保条約の行方が社会をにぎわせていました。生活学校で学ぶ女性たちは、自分たちの家業である農業が、日米安保条約から、どのような影響を受けているのかをきちんと理解していました。ミクロとメゾ、マクロが、彼女たちの中では、つながっていた。それを知ったときから、生活学校の存在に大変な尊敬の念を抱くようになったものですから、いま、自分たちの活動に生活学校の方々がご協力くださることにこころから感謝しているのです。こうした先人の知恵を、いまにも伝え、活かしたいと、強く念じます。さらに、憲法学者の娘として生まれ、優れたエッセイストとして多くの著作を残した寿岳章子さんにも感謝。その気になれば、ネットを通して簡単にさまざまなことがゲット出来る時代になったからこそ、こうした先人の活躍を伝えておきたいし、多くの方々に知っていただきたいと思うのです。17日は、阪神淡路大震災から16年を迎えます。震災を通じて得られた、おびただしい知識と経験を今後、最大限に活かしていきたいと願うのと思いは同じです。ツィッターやフェイスブック、mixiの存在がそれを可能にしてくれるかな。(勝間さんがつぶやいてくださったおかげで、 にっぽん子育て応援団の個人サポーターが 飛躍的に伸びたこと、こころから感謝しています)
January 16, 2011
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こんにちは、當間です。更新のお当番の日を一日過ぎてしまいました。ごめんなさい。17日には東京国際フォーラムで開催された「子供未来とうきょうメッセ2010」で、たくさんの方にお会いしました。こういうイベントがあるたびに、普段なかなか会えない方々に一度にたくさん会えて、お互いの近況を伝えあうことが何だか当たり前のようになりつつありますね。今年のとうきょうメッセは企業からの出展も多く、さまざまな意味合いで企業が子育て支援に取り組み始めたというか、子育て支援業界に入り込んで来たことを実感しました。さて、先月の終わりには、非常に専門的な会議に患者家族代表として参加する機会がありました。厚生労働省科学研究費補助金(特別研究事業)「周産期医療の質と安全の向上のための戦略研究」に向けたフィージビリティ研究「根拠に基づいた標準的治療の考え方 (周産期診療ガイドライン)」総意形成会議。非常に長い会議名ですね。周産期診療ガイドラインを、関わる人々の総意に基づき決定しようという、なかなかチャレンジングな会議です。妊娠28週でいきなり破水が起こり、緊急入院して3日後に帝王切開で娘を出産という、私が母親となったルーツを再び振り返るような時間でもありました。といっても、非常に専門的な内容の資料がどどーんと届き、あまりに難解なので事務局の方に泣きついてレクチャー役をつけていただいての会議参加。センチメンタルになっている暇もなく。資料に出て来る専門用語などについては、すべてレクチャー役の小児科医、N先生にメールでお訊ねし、当日もお隣の席で解説していただきました。私のように緊急入院し、今にも生まれそうな状態で本人がパニクっているときでも、どういう状況で、どのような治療を行うのか、さらに今後どのようなことが予想されるのかを冷静に、かつ親身な態度で説明しなくてはならないということは、実は大切な治療の一環。患者家族代表は4名で、そのうちお二人は医療関係者。で、それ以外の会議参加者は医師と看護師、MSW。ということで、会議での発言は、患者家族も理解可能な平易な表現を心がけるようにと冒頭で説明がありました。それでも、議論が白熱してくれば、専門用語、それも略語や横文字が飛び交う一幕も。これについては、当たり前なんだろうなあと思いました。患者家族への説明はともかくとして、治療の現場で噛み砕いて説明なんてしている暇はない。出来る限り短く、端的な表現で情報共有していかないと、患者さんは死んでしまうかもしれないのですから。医師のやり取りの難解さの意味を深く理解出来たのは、事前に細かくレクチャーを行ってくださったN先生がいてくださったから。本当にありがとうございました。(事務局のM先生、T先生、ありがとうございます)やりとりをしているうちに、徐々に諸々の事情についての理解が進んでいったみたいです。非常に目的が明快な会議だけに、扱う内容がどんなに広範囲で深刻なものであろうが、誰もが集中して事前準備に臨み、ほとんど無駄のない議事進行。なにより扱っているものは命なんだということ。生まれて来る命、生まれたばかりの命をひとりでも多く、後遺症のない状態で救うために、日々第一線で治療に臨んでいらっしゃる方々の真摯な態度は、会議の様子からも垣間見ることが出来たように思います。(途中で母乳栄養に関して意見を求められる場面があり、 母乳が出ない母親の立場からお話をさせていただきました。 そのときに知った「母乳バンク」の存在は、 個人的にはかなりのインパクトがありました)先月末の会議では、意見のばらつきが多くて「総意形成」に至らなかったトピックがいくつかあり、この先もしばらくお役目は続くようですが、大変貴重な体験をさせていただきました。果たして19年前のご恩返しになるのかどうか?先週、妹と久しぶりに食事をし、出版されたばかりの本をもらったのですが、そこでも患者家族代表の活躍の様子にも触れられていて、最近の医療業界は、医療を受ける当事者もちゃんと仲間に入れてくれるようになったのだなととても嬉しく思いました。もっともね、自分の体験を、より多くの人々の抱える課題として整理整頓して話せるかどうかというのも見落とせないポイント。これはもう、それこそ経験積むしかないのかもしれませんが。反省も込めて。(地元でのバリアフリーデザインを考えるワークショップに参加。 そこで、しょうがい児の母親でもある仲間が 当事者ならではの視点で 行政担当者にいろいろ進言するのを見て、 だからこそ一番切羽詰まっている立場の人=当事者の参加が 欠かせないんだよなあと、機会を逃さない彼女に感動)これまで、どちらか一方の視点や都合で物事が進められて来たことがほとんどだったろうと思います。ようやく、さまざまな立場の人々が一堂に会してお互いの意見を交換出来る時代になってきた。子どものために、さまざまな立場の人々が一堂に会して語り合う。そういう場にも、当事者である子どもの参加がますます必要になっていくだろうと思います。(子ども・子育て新システム検討会議の幼保一体化WTに、 幼稚園に子どもを通わせる親代表がいないのも謎)
December 20, 2010
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こんにちは、當間です。先日、「子育てと介護の両立」を考えるシンポジウムに、体験報告者として登壇しました。デレビ局の取材が入っており、夜のニュースで映像が流れたおかげで、母から電話がかかって来ました。「あなた全然帰って来ないけれど、 元気そうな顔が見られてよかったわ」相変わらずの親不孝娘で、ごめんなさい(苦笑)。それはともかくとして、ニュースでの紹介の仕方が気になりました。──晩婚化の流れに伴い、 子育てと介護の両方を担わなければならない時代になった。初婚年齢、初産年齢とも上がっているのは事実。ですが、それでは、ほんの一面しか見ていないことになる。介護対象となるのは親だけではないんです。親世代から兄弟の数が少なくなっているので、祖父母の介護と子育ての時期が重なる。あるいは、独身や単身世帯となった大伯母や大伯父の介護を担うことになる。登壇者のお一人は、義理の祖母の介護から始まり、夫の両親の介護から看取りまで、10数年にわたり、介護と育児の両立生活を続けました。我が家でも、夫の両親は夫の兄夫婦が、大伯母3人の介護は夫の姉家族が担いました。核家族ですと、家族の誰かが入院すれば簡単に一家はバラバラになってしまいます。我が家でも夫が入院したときに、娘を夫の実家に預けざるを得ない事態となり、一時的に“一家離散”状態になりました。父が倒れたときには、娘の友人の家に娘をお願いしたこともあります。常に綱渡りのような生活を強いられているのは何も子育て家庭に限りませんが、介護だけ、子育てだけを見ていては見えないことがあるのです。この先、少子高齢化はますます加速していきます。一人で両親と祖父母、伯父や伯母の介護を担わなくてはならない時代は、もう、すぐそこまで来ています。これまでのイメージ、体験だけでは対処しきれない。もちろん体制そのものも変えていかなければダメでしょう。いきなり大きな話になってしまいましたが、今いる場、立場でものを考え発言するだけでは、とうてい解決出来ないことは、たくさんあるだろうと思うのです。“明日”のために譲歩する、譲り合い、手を取り合って、新たな道を模索する時期が来ているんじゃないかな。どこの誰かさんたちのこととは言いませんが、そう思いながら、いろいろなことを見つめています。
November 21, 2010
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こんにちは、當間です。谷亮子さんが議員活動に専念するために柔道界を引退したというニュース。その記事を読みながら、何だか寂しくなってしまいました。柔道界を背負って頑張り続けて来た裏では、育児との両立のためにベビーシッターを雇い、遠征先までの旅費や滞在費までも自ら負担していたとのこと。谷さんが議員になろうと決心した背景に、「結婚や出産をしても競技を続け、 子どもを帯同できる国がたくさんあるのに、 日本ではそれがクリアされていない」ことがあり、今後は「女性選手が競技を続けて行ける環境づくり」を議員活動の主軸としていくとか。その女性議員も、育児との両立で苦戦を強いられていることはつとに知られています。とにもかくにも、日本は意識のほうはまだまだなんだなあと改めて痛感。でも、そんなこと言ってる場合じゃない。前回の日記で、私の住む大田区の現状を書きました。社会増で子どもの数はかろうじて横ばいだけれど、徐々に高齢者の数が増えている。平成21年現在の統計では、65歳以上の方1人を、16歳~64歳の生産人口3.44人で支えている計算です。これが地方に行くと、どうなっていくか。母の実家がある鳥取県下の町の統計を見ると、平成17年度の数字では、65歳以上の方1人を1.99人で支えています。この町では、過去20年間に高齢者人口が1.4倍に増え、また年少人口は6割に減っています。人口そのものも減っているので、この勢いで行くと……。子どもの頃、長期休みのほとんどを過ごしたところですから、どういう状況にあるのか、身に迫ってくる感じ。町の公式サイトで次世代育成支援プランに目を通し、目標数値を前期と後期とで下げざるを得なかった事情を思い、涙が出そうになりました。幼稚園選びに迷うくらいに幼稚園がたくさんあり、保育園は作っても作っても待機児童がなくならない大田区と、幼稚園は1園だけで、あとは保育園が11カ所、その保育園も統廃合が計画されているという鳥取の町と。比べようもないくらいに環境が、実情が違う。でも、高齢の方からこれから生まれて来る赤ちゃんまで、共に地域で暮らしていくのだということに変わりはありません。法制化に向けて、国の「子ども・子育て新システム」検討会議の作業チームが3つのワーキングチームに分かれて本格的な検討を始めた今、未来に禍根を残さないシステムとなるように、私たちも声を上げるべき時が来ているように思います。にっぽん子育て応援団の「子ども・子育て新システム」勉強会全国ツアーも、残すところ明日の府中のみとなりました。24日には、その集大成とも言える第3回子育て応援フォーラム「子どもが輝く心豊かな社会を目指して ~子ども・子育て新システムで実現するの?~」が開催されます。さあ、子どもが輝く未来を実現させるために、出来ること、やるべきことは、どんなことでしょうか。
October 17, 2010
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こんにちは、當間です。沼田さんの日記でもご紹介があったように、にっぽん子育て応援団と全国の子育てNPOのみなさまとの共催で行われている「子ども・子育て新システム勉強会」全国ツアー、いよいよ佳境に入っております。厚生労働省や内閣府の担当官からのレクチャーのあと、新システムのシミュレーション・ワークという二部構成。かなり刺激的です。横浜、埼玉に続き、千葉での勉強会に参加した翌日に、地元団体主催の政策ワークショップに参加しました。これがまた、よくしゃべる人たちばかりのワークで(笑)。グループ分けでテーブルについたとたん、顔見知りのスタッフから記録係を命じられたものの、矢継ぎ早にキーワードが語られるので、書き留めるのが大変。今日初めてこの場で出会った人も少なくないのに、気後れして言葉が出ないという人は誰もいない。地元の課題を抽出し、その解決策について語り合い、自治体への提案につなげようというのがテーマ。地元の魅力について語り合うワークから始まりましたが、いくつか出されたカテゴリーの中でも、「人」に関する言葉が一番多く語られました。日本経済を土台から支えて来たものづくり。それを支えるのは、やはり人。技術を培い、育て、後進に伝えながら、また育てる。幾度もの不況や困難を乗り越えてきた地元パワー。みんな、このまちの人々のことが大好きなんだ。これだけ素晴らしい人々が住んでいるまちなら、その気になればいくらでも課題解決に向けて動き出せそう?と、期待を抱かせて?本題に入ると、子どものこと、高齢者のこと、このまちのトップが語る「地域力」の核と思われる町会・自治会の課題が次々に出されます。地元大田区は、出生率こそ東京都とほぼ同率で推移していますが、大型マンション建設などで転入者による社会増が続いています。そのせいか、15歳以下の子どもの数はほぼ同数で推移。子どもの数は減ってはいないけれど、徐々に65歳以上の人口が増えています。これじゃあ、少子化対策よりも高齢者向けの施策にウエートが置かれ続けているのは確かに致し方ないかも。でも、若い世帯も増えているので、保育所待機児童問題は慢性化しているし、随分数が増えた学童保育も、どこも満杯。転入して来た若い世帯が入居するマンションが、町会に入れてもらえなかったりする一方で、町会役員の高齢化が目立って来ています。一人暮らしの高齢者の増加とともに、密室育児で苦しさを抱える核家族世帯の増加、居場所をなくした青少年の自立支援など、地域の課題も、従来とは随分違って来ているというのに、地域を支える仕組みは変わっていないどころか、新たな課題に対応出来る体制づくりも困難な感じ。コミュニティーの危機?同時に指摘されたしつけや子育てを外注しようとする親の増加にも、何らかの対応策が欲しい。異年齢、しょうがいの有無や種類、国籍などで、使える施設が隔てられ、お互いを知るチャンスがない。地域に細かく点在する児童館と、高齢者用のいこいの家。これらを従来の年齢別専門館ではなく、地域の人々すべてが利用出来る複合施設に変えられないだろうか?世代を超えた交流の場を作って、お互いが知り合うチャンスを増やす。もちろん、コミュニティーに存在する課題解決に向け、さまざまな地域資源をつないでいく、ソーシャルワーカーの存在も欠かせません。民生委員児童委員という仕組みに手を加え、さらなる専門性を持たせられないか?私たちのグループはコミュニティーの課題に終始しましたが、ほかのグループでは、保育所待機児童解決策および女性の雇用問題解決策として、グループ保育などの小規模保育室の設立と、それによる新たな雇用の創出など、雇用面や産業面への課題を話し合っていました。バッティングする課題がひとつもなく、多種多様なアイデアが出されていたあたりは、このまちの人材の多彩さを物語っているよう。面白かった。翌日は、隔月で開催している子育ておしゃべりカフェの第3回目。こちらは、子どもの居場所をテーマに区内6カ所をキャラバン中のワークショップ。参加者が少なくて、ワークというよりは気楽なおしゃべりの場という雰囲気でしたが、ちゃんと課題抽出と解決策に見事に着地。場が用意されれば、これだけ前向きな意見が出てくるんだ。静かに感動を覚えた数日間でした。
September 20, 2010
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こんにちは、當間です。世の中がお盆休みで民族大移動中の最中に、地元議会では結構重要な条例についての審議を行う委員会が開催されていました。「まちづくり条例」案。早速区民説明会が、週明け1週間の間に足早に行われる予定です。ほとんど平日の午後開催ですが、1回だけ夜にも開催されます。傍聴に行かなきゃ。区民説明会は、土日開催のこともありますが、絶対にそういうことがないのが区議会。議会の傍聴人が少ないとの嘆きをよく聴くけれど、平日の昼間に出かけられる人は、そう多くはないよね。議場の傍聴席には親子用のガラス張りのブースも設けられています。子どものお世話に追われている時期に、「議会の傍聴に」と思いつく人がどれくらいいるんだろう?という疑問もわきますが、子連れでも傍聴出来るということ自体、ほとんど知られていません。この春からスタートした子育て応援サイトでこうしたことも伝えてもらえればいいんだけれど。子ども手当をきっかけに子育て支援制度に関するアンケートを行ってみて、小さな人たちと暮らす人々の行政の制度に向けるその関心の高さについては、改めて思いを強くしたところ。何かよいきっかけがあれば、議場の傍聴席に人を増やすことは出来そうな気がする。議会に足を運ぶ人を増やしたからと言って、そんな簡単に何かが変わる訳でもないだろうと思われがちだけれど、実はそうでもないみたいです。普段は、一人か二人くらいしか座っていないところに、5人、10人と固まって人が座っていると、それだけで議員も行政職員も、かなり緊張するみたい。ギャラリーがいると“燃える”のは、ストリートミュージシャンだけじゃない。一人で行くのは気が引けても、お友だちと一緒なら怖くない。子どもとのお出かけに不向きそうな場所でも、せっかく親子席まで用意されているんですから、お出かけリストに加えてみたらどうでしょうね?(と、少しだけ煽ってみる)税金を払うのがばからしくなったりするかもしれませんが、ともかく「百聞は一見にしかず」、ですよ。何故こんなことを書くのかと言えば、今日が終戦記念日だからです。自由にものが言えて、議員の選出に票を投じられて、その気になれば、さまざまな情報を得て、自由に行動を起こすことも出来る。せっかくそういう時代に生きているのだから、持てる権利とやらを、少し行使してみませんか?権利と書きましたが、それ(議会を注視すること)は、市民の義務でもあると思うのです。いきなり議会の傍聴は敷居が高くても、何かの勉強会に出かけてみるのもいいかも。こういうのもありますよ。月に一度のブログお当番の日が何かの記念日だったりすると、こんなふうに、いつもとは少し違うことを書きたくなります。そういえば、1月のお当番日は阪神淡路大震災の日でした。
August 15, 2010
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こんにちは、當間です。子どもたちの夏休み到来を祝うかのように梅雨明け、まぶしく強烈な陽射しが戻ってきました。歳とともに夏が苦手になっている私は、1週間前に夏風邪で寝込み、一足早い夏休みのような時間を過ごしました。体調が悪くならないと休めないというのは、よくないよね。反省……。体調を崩して寝込んだ週末を挟んで、ある方を大田区内の子育て支援施設にご案内する機会がありました。テーマはユニバーサルデザインのまちづくり。はじめてユニバーサルデザインという言葉を耳にしたとき、デザイン専門誌の編集長から美大の教授に転身した友人に、具体的にはどんなこと?と訊ねたことがあります。彼女が具体例として挙げてくれたのが「ウォシュレット」。誰もが気持ちよく使えて、しかも使用に当たっては、誰も恥ずかしい思いをすることがない。この「誰もが」というところがユニバーサルデザインの大切なポイント。あらゆる人が使用することを想定した駅や空港なんて、絶対にユニバーサルデザインの視点で設計すべきですよね。でも、案外バリアフルで困っちゃうというのが日本の現実。車椅子生活の父を連れてハワイに出かけたらあちらは設備も人の対応も非常に快適で、嫌な思いをすることなく過ごせた。で、帰国後に、夫が出かけるたびに設備の劣悪さに激怒するという余計なオマケまでついてきてしまって思わず苦笑という過去を持つ我が家です。地下鉄の駅に何故エレベーターがつけられないのか?構造的に無理だというのはおおよそ理解できるけれど、だったら、道路拡張計画で立ち退きを要求するのと同様、エレベーターの地上階部分の土地を買収すればいいじゃん。それをやろうとしないのは何故?>東京都。(恐らく、そんな風に考えたこともないのだろうな)地元の福祉関係の会議でも、高齢者、しょうがい者、子どもと分野別に討議され、「誰もが」という視点で全面的に討議ということにはならない。元々それぞれ専用施設に“隔離”されて過ごしていたりするので、お互いを知り合う機会そのものがありません。今回は「子ども交流センター」と「こあら村」を訪ねました。「子ども交流センター」が出来るとき、同じ建物の下の階には区民活動支援施設「こらぼ大森」があり、そこに入居予定の高齢者関連団体から、「学童さんたちとは出入り口を別にしてもらいたい」との要求があったと聞いています。 地元町会役員によって構成される団体が運営することとなり、施設を利用するのは地元の子どもたちや高齢者はもとより、同じ区民なんだからということで、玄関も階段もエレベーターも共有になりました。で、今ではどうなっているかと言えば、赤ちゃんからお年寄りまでが自由に行き交い、夕方には、音楽スタジオ利用のためにギターを担いだ10代の若者も訪れる、「誰もが」楽しめる施設になっています。場を支える人々にお話を伺うと、ここに至るまでにどれほどの努力が積み重ねられたかを実感します。「ここで活動する子どもや若者には、 まず周囲への理解を得られるように、 チラシを持って挨拶に行ったり、 イベントにお誘いするようにと声をかけています」まずはご挨拶から始めるのかあ。そう言えば、親よりもご近所に顔なじみが多いうちの娘は、「ご挨拶作戦で知り合いを増やした」と言っていました。保育園の行き帰りに親子でご挨拶して地域にその存在を認知していただくようにしていると話してくれた若い友人もいたなあ。その存在を認知してもらえると、やがて仲間として受け入れてもらえる。これは「子ども交流センター」そのものが普段から心がけていることですが、「地域には、さまざまな生活時間帯で暮らす方がいらして、 完璧に受け入れていただくことは難しいです」。以前ここでも書いた公園と煩音の話に通じるところがあるかも。とまあ、「誰もが」受け入れてくれる施設を目指すのはなかなか難しいようですが、「誰もが」受け入れられる施設というのは実現できた。設備がバリアフリーでなくちゃダメということでもないみたい。段差がバリアと感じられるなら、人手で解決という方法もとれますからね。「0歳から100歳までが対象です」と謳っている「こあら村」には手すりつきの階段がありますが、階段がバリアになって苦情が来たという話は出ていません。利用者が過ごしやすいようにとアレルギーフリーな空間を目指す等、場づくりの工夫や努力は続けています。「運営している人自身がユニバーサルデザインな考え方だった」もともと地域に開かれた場所をつくろうとした「子ども交流センター」。スタートしたときから全ての人を対象に考え、誰もが心地よく過ごせる場づくりを目指した「こあら村」。共に地域に受け入れられ、多くの人に支えられながら続いている。むしろこちらのほうにヒントがあるんじゃないかなあ。(社会保障費の分捕り合戦やってる場合じゃないよ)
July 18, 2010
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こんにちは、當間です。いよいよ子ども手当の支給開始、参議院選挙の日程も定まったということもあるのか、子ども幸せ研究所にも取材依頼が舞い込むようになりました。理由はただひとつ。昨年の政権交代の後、子ども手当と子育て支援制度に関する子育て当事者向けアンケートを行い、報告書をまとめたと共に、シンポジウムを開催したからです。728という、そこそこの回答数を得られただけでなく、思いがけず多くのコメントが寄せられました。そこに綴られた思いの数々に背中を押される感じで、報告書の巻末には、自由記述を一挙掲載するとともに、集計作業に関わってくれた自らも育児の真っ最中という方々に感想や子ども手当、子育て支援に対する思いを伺う座談会も実施して、これをまとめとしました。アンケートの設問を考える段階から、その場に居合わせた人々で積極的な意見交換を行い、コアメンバーが固まった以降も、ミーティングのたびにますます熱を帯びる形で意見交換を続けてきました。先日、定例ミーティングに取材が入った折りにも、テレビカメラが回る中、取材そっちのけで意見が飛び交い、クルーを驚かせてしまいました。単に意識の高い人たちだから、ではなく、アンケート作成から現在に至るまでずっと子ども・子育てに関することに注視し続けてきて、情報や意見を交換し続けてきたことが大きいと思います。* * *「子ども手当」は、確かに現政権の政策を語る上で重要なキーワードのひとつでしょう。多くの人々に、様々な思いを喚起させ、自分たちが本当に望む政策とは何かについて考えるきっかけにもなりました。けれども、現在内閣府で議論が進められている子ども・子育て新システム検討会議での議論の中身や基本的方向として打ち出された制度設計図をわかりやすく解説してくれたメディアはどのくらいあるんでしょう?子ども・子育て支援に関する報道で目につくのは「子ども手当」と「保育所待機児童」だけ。「幼保一体化」もキーワードのひとつではありますが、待機児童解消のためだけに打ち出された訳ではなく、就学前の子どもたちに、どのような生育環境、どのような教育プログラムを提供して行くのかという、非常に重要な課題があるはず。さまざまな仕組みを包括的に取りまとめ、切れ目のない支援、全ての子どもたちが排除されない仕組みづくりも目指すべきことでしょう。そして、これらは国や自治体、支援者のみならず、地域で生活する全ての世代の理解と支えを必要としています。(これは子ども・子育て施策に限りませんが)* * *アンケートの設問を考えるにあたり、子育て真っ最中ながら地元の幼稚園情報誌を作成・発行する団体で活躍する方々を中心に、区内で子育て支援に関わる方々にも意見を求めました。というのも、官民合わせても区内の子育て支援メニューにはかなり偏りがあり、アンケート回答を通じて、さまざまなメニューの存在に気づいてもらいたいという思いがあったからです。回答には、不足しているものへのご指摘もありました。アンケートを通じて、具体的な提案が多数寄せられたことも大きな収穫のひとつだったと、私たちは思っています。アンケートで、「もらえてうれしい」と応えた人はひとりもいませんでした。お金の使い道に疑問を呈したり、意見を述べる回答、今ある仕組みへの不満や注文、具体的な提案を綴る回答、意識改革を訴える回答……ばかり。「あってよかった」ことも書いてありました。そこに関わる人々が、「あってよかった」、「うれしい」と感じられる仕組みを考えるべきなんじゃないか。そのためにも、一般市民の声を意思決定に反映させる仕組みが必要だ。これは先日の取材での意見交換でも強調されたこと。地元での活動がそれなりに長くなってきたので、変化は感じています。対応する側にも、訴える側にも歩み寄りがあるし、相互理解も進んでいます。何より、勉強する市民が増えてきた。しかし、児童館や子育てひろばを訪れる区議会議員には会ったことがありません。そこのところもネック?まずは一人でも一緒に踊ってくれる人を増やさないとね。わがまちのティッピングポイントはどの辺りでしょうか?
June 20, 2010
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こんにちは、當間です。5月18日(火)の4つ葉プロジェクト+政策研究会、まだまだお席に余裕があります。子ども・子育て支援の新しい仕組みについて検討が進む今、お金を配るってどういうことなのか? 改めて考えてみませんか。さて、地元・大田区で子育ておしゃべりカフェというのを始めました。「子どもの居場所」をテーマに、区内各所を巡回していく予定です。昨日はその記念すべき第一回目。なんと、4つ葉プロジェクト+にも関わりの深い、マドレボニータの方が来てくださいました!沖縄から大田区に転居してらしたのですって。ブログを読んでくださっている方と地元でお会いする機会は滅多にないので、びっくり半分、嬉しさ半分、照れくささ百倍のような不思議な感じ。これもご縁ですねえ。KMさん、これからもどうぞよろしくです。(ぺこり)おしゃべりカフェの前夜は、P研の勉強会で、絵本作家で画家の梅田俊作さんのお話を聞きました。忙しいのに何をやっているのか?というスケジュールだったのですが、忙しいときこそ、無理矢理時間を作って普段とは違う世界に身を委ねちゃおうというのが、アクティブなとき(そうじゃないときもある)の私のポリシー。遅刻してしまい、お話の後半しか聴けなかったのだけど、とても大事なキーワードがたくさんちりばめられていて、一気に引き込まれて癒されつつ、何度も頷いたり、笑ったりの貴重な時間となりました。梅田さんと言えば、小学校6年生の卒業までの数カ月を描いた絵本「しらんぷり」(ポプラ社)などで知られていますが、なるほど、こんなにたくさんの宝ものを持っていらして、その大切さ、意味を十分ご承知で、だからこそ、ああいう絵本たちが生み出されるんだ、ととても深いところで納得してしまいました。徳島のフリースクールとの関わりも深く、いわゆる不登校の子どもたちとも交流なさっている梅田さんは、「(中身が)がらんどうの子どもが増えている」と何度もおっしゃる。「小学校に上がる前までは、ともかく遊び尽くすもの」「子どもは、生まれてから、体験するたびに、 自分自身で自分の中のスイッチを押していく」「遊びは与えられるものじゃなく、自分の中から生まれてくる」「遊び尽くす時期に、 (周囲からグッドストロークをいっぱいもらうべきときに) それが出来なかった子どもは、がらんどうのまま育つ」「たらふく遊んでいない」東京と徳島とを行ったり来たりの生活を送る梅田さんが徳島で暮らしていらっしゃるのは、人口100人の村。そこへ、いろいろな子どもやおとながやって来るのだそう。「自分の中の空洞を埋め尽くそうと 埋め直しの作業のために、村へやって来る」村の人々は、かつてと変わらぬ農業や漁業を営みながらの暮らしです。よそから訪れた子どもたちを特別扱いせずに受け入れます。「どうせ他人だから」受け入れられるのだと言って。勉強会のあと、買おうかどうしようか迷っていた「しらんぷり」を買って、横顔の似顔絵!と為書き付きのサインを描いていただきました。「正面からだと、笑っちゃってうまくないんだよね」がらんどうの子どもの脇に、そっと寄り添うような感じで、でも、真っ正面からとことん遊びにつきあっていらっしゃるのでしょうね。この日記の冒頭のリンク先は、にっぽん子育て応援団のブログです。現在、緊急アンケートを実施しています。政府で進められている子ども・子育て新システム検討会議は4月27日に基本的方向を発表しました。そこにちりばめられている、いささか堅苦しい言葉から、何が読み取れるでしょうか?応援団のブログの解説を手がかりに、考えてみたいと思います。がらんどうの子どもたちをひとりでも増やさないようにするために、社会に、おとなに、何が出来るのかを考えながら。
May 16, 2010
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こんにちは、當間です。ようやく晴れた昨日の午後、犬を散歩させていたら、もう鯉のぼりを掲げているお宅がありました。思わず、にっぽん子育て応援団が呼びかけている「鯉のぼりに乗って 国会に届けみんなの声」を思い出し、「君もどうですか?」と鯉のぼりに声をかけたくなりました。さて、4つ葉プロジェクト+でも、5月に第4回政策研究会を開催すべく準備を進めています。まだテーマと日程が決まっただけですが、手帳にメモをして、予定を空けて待っていてくださると幸甚です。以下、その概要です。どうぞよろしく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4つ葉プロジェクト+ 第4回政策研究会テーマ:子ども手当と子どもの貧困 ─子ども手当からベーシックインカムを考える─日 時:5月18日(火)18:00~20:30場 所:日本児童教育専門学校 企画概要:いよいよ子ども手当が支給される運びとなりました。 全ての子どもに対して現金給付を行うという、 今までにない政策については、未だに賛否両論ありますが、 社会保障論のひとつとして、 全ての国民に薄く現金給付を行うという考え方 =ベーシックインカム・子ども版として捉えてみると、 子ども手当についての見方、社会福祉や社会保障への考え方が、 少し変わるかもしれません。登壇者:堅田香緒里さん (埼玉県立大学保健医療福祉学部/ベーシックインカム研究者) 西川正さん (NPO法人ハンズオン!埼玉常務理事/子育て家庭の現場から) 政策担当関係者(予定)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新年度がスタートして早くも半月余。我が家でも先月、娘が高校を卒業し、もう高校生の母ではなくなりましたので、今月からは所属を「子ども幸せ研究所」と改めることにしました。「子ども幸せ研究所」とは、子ども手当と子育て支援制度についてのアンケート実施から始まった大田区の仲間との活動です。このほど、「大田・子育て支援制度アンケート実行委員会」という固くて長ーい名前を改め、子ども(0~18歳)の幸せにとって何が必要かを考え続け、行動していくことになりました。アンケート報告を兼ねたシンポジウム開催を通じて、またまた新たな仲間が加わり、パワーアップしています。まずは年間を通じて、区内各所で、子育てについて自由に意見を交換出来る場、「子育ておしゃべりカフェ@大田」を開催、第一回開催は5月15日と決まりました。お申し込みはこちらから。(Yさん、どうぞよろしくね♪)諸々動く春。こんなことがあったり、あんなことも始まりました。来週は、こういうことも開催されます。お知らせしたいことが盛りだくさんだったので、つい、リンクだらけになってしまいました。どんなに多くのことが起こっていても、身はひとつ。家族との時間も大事にしないとまずいなあ。と反省も、いつもより多めの春です。(苦笑)
April 18, 2010
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こんにちは、當間です。愛媛の鷲野陽子さんからの山里通信を拝見していて、狭い狭いと言いながら、気候ひとつとっても、日本の国土って本当にバラエティーに富んでいるんだなあと改めて感じます。海に囲まれた島国であること、北から南まで非常に細長く位置していることなどから、実際に訪ねてみると、その土地その土地の気候・風土、さらには文化の違いなどにも気づかされ、非常に豊かな気持ちにもなります。沖縄本島と、その南隣の宮古島とが実は300キロメートルも離れていて、全く異なる文化を形成していることを知ったときにも、沖縄とひとくくりにして、わかったような気持ちになっていてはいけないなあと痛感しました。前回ご紹介した、地元大田区の仲間と実施した子育て支援制度アンケートの報告を兼ねたシンポジウム、おかげさまで盛況のうちに終了しました。開催当日NHKニュース7でも紹介していただき、シンポジウムに足を運んでくださった、4つ葉プロジェクト+でもご一緒している遊育の山田さんが「子ども手当だけじゃダメということは、 ちゃんと届いたようです」と感想を送ってくださいました。15日には朝日新聞生活面でも、「子育て支援 親の思い」と題し、シンポジウムの様子だけでなく、アンケートの自由欄への書き込みも丁寧に紹介していただきました。取材してくださった朝日新聞の記者さんに、シンポジウムの2日後の9日に開催のにっぽん子育て応援団と大分大学福祉科学研究センター、福祉自治体ユニットの共催によるフォーラム「新しい子ども・子育て支援施策をどうつくる?」も取材してみると面白いと思いますよとお勧めしたら、実際に取材に行ってくださったみたいで、嬉しかったです。9日のフォーラムでは、三鷹市・横浜市・遠野市から市長をお招きしてそれぞれの地域の子ども・子育て支援施策について各市の現状を交えたお話をお聞きするとともに、にっぽん子育て応援団企画委員の奥山さんから、子育て支援NPO・市民団体の立場からの発言がありました。事前に実施された自治体アンケートの回答を読むと、保育所待機児童問題や財源の不足など、一見似たような課題が書き込まれているように見えて、人口過密地域と過疎地域の持つ課題の大きな違いもきっちりと書き込まれています。どの自治体も、行政だけで子どもの育ち行く環境をどうにかできるとは全く考えておらず、地域力・市民力といった表現の違いや市民に協力を求めたい分野の違いなどはあれど、地域全体で取り組むべきことであるという認識を持っていることも十分に伺える回答内容だったと思います。地元で行ったシンポジウムは、市民側から声を上げ、行動しようという呼びかけでもありました。教育委員会の支援事業を利用したので、大田区からもご協力をいただき、実質的には協働事業とも言えるかもしれません。そのように振り返ってみると、また違った感想が生まれそうです。アンケートの自由記述欄には、大変建設的な提案もあり、むしろそちらに注目してもらいたいと、まとめながら思っていました。「地域ごとに抱える課題を解決できるような 弾力性のある子育て支援方針を立て、 そのための予算配分を望む」朝日新聞の記事では、そこのところもきちんと押さえてくださっていて、とても有り難かったです。ごくごく一般的な市民であり、妻であり、夫であり、母であり、父である私たちは、ただ漠然と不安や生きづらさを抱えたままで日々を暮らしているわけではないんだ。その人なりに思うこと、感じることがあって、普段はなかなか言語化できないけれど、環境さえ整えば、言葉にできるし、形にすることもできる。そして、それは実に個性豊かでバラエティーに富んでいる。12年前、「あなたの子育てについて教えてください」と多くの方々にインタビューを実施したときから、そういう実感は、常に私の頭の中にあります。ところで、15日は、25日まで開催中の地元区議会へ実行委員会メンバーの何名かが傍聴に行き、翌朝は、その感想メールが飛び交っていました。まさに百聞は一見にしかず、だったようです。地元での活動は、この先、定期的なしゃべり場開催へと移りますが、その前に、「みんなで傍聴に行こう!」キャンペーンが始まるかもしれません。
March 21, 2010
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こんにちは、當間です。現地時間で私の誕生日から始まったバンクーバーオリンピック。やるべきことが山積みになっていて、テレビ観戦の時間がとれません。例年、2月、3月は行きたいイベントが目白押しで、手帳とにらめっこする時期でもあるんですが、今年は主催者として関わるものが多くて、行きたいイベントに行けずに泣いています。(苦笑)2月27日に開催される4つ葉プロジェクト+の政策研究会には、なんとか参加したいなあ。徹夜したら行けるかしら?20日は、月に一度の未熟児親子フォローアップの会でした。毎回、いろいろなメニューで子どもたちの発達を観察しつつ、親御さんたちには、家庭で心がけていきたいアドバイス的なことをおみやげに持ち帰っていただくという趣向の会です。中心となるお子さんの年齢は3歳~3歳6カ月。今月は、高いところから飛び降りたり、平均台を歩いたりと、からだを使ったプログラムでした。昨年夏に初めて平均台に挑戦したときのことを思うと、みんな驚くほどの成長ぶりを見せてくれました。中には、モーグル・スキーやフィギュアスケートに刺激されたのか、飛び降りながらからだをひねろうとするお子さんもいます。「親子でオリンピック観戦してみたら? 子どもたちのミラーニューロンが刺激されるわよ」なんて保育の先生のコメントを聞くまでもなく、その気になってる子どもが、ほら、ここに。(笑)大田区で実施したアンケートには、未熟児親子フォローアップの会の方にもご協力いただきました。報告書はなんとか出来上がり、思わぬご縁に恵まれて、さまざまな方のところに届けることが出来ました。ご縁をつないでくださった方々に心から感謝します。次は、地元のみなさまと情報を共有し、「社会全体で子どもの育ちを支える」社会の実現に向けて、3月7日に、その報告を兼ねたシンポジウムを開催します。アンケートを企画した頃から、すでにそうでしたが、次の段階に進もうとすると、そのために必要な知識とスキルを持ったプロフェッショナルが登場するのがこのプロジェクトの特徴。報告書づくりにはExcelの達人が、シンポジウムに向けてはPRや舞台・演出のプロが参加。通常のシンポジウムでは考えられないほど、細かなところにまで、惜しみなくパワーが注がれています。みんなアンケートの趣旨に賛同して集まって来た人ばかり。普段は別々のフィールドで活躍しています。プロジェクトのコアメンバーは、シンポジウム後に向けても企画を練っているところ。大田・子育て支援制度アンケート実行委員会という固い名前も、そのうち変わっていくのかな。アンケートに回答を寄せてくださった方々、同様に子どもと暮らす方々はもちろん、子ども・子育て支援に関心をお持ちの方々もサプライズゲストに惹かれた方も、当日、会場でお会いできたら嬉しいです。
February 21, 2010
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こんにちは、當間です。予定の日にブログをアップすることが出来ませんでした。ごめんなさい。阪神・淡路大震災からちょうど15年目ということで、いろいろ思い出しながら書き出したら、あまりにセンチメンタルな内容になってしまい、アップする勇気が持てませんでした。自分のふるさとでもあり、友人の大切な家族が亡くなったりして、いまだに冷静に表現できないのだなと思い知りました。同じ単語なのに、それを発する人によって全く違う意味で発せられていることに気づいたのはいつの頃だったかしら。同じように、とても攻撃的な態度の裏に実は悲しい事実が隠されていたり。人の表現には、表から受けるイメージとは遥かにかけ離れた計り知れないものが潜んでいます。おとなだってそうなのだから、子どもなら、なおさらわかりやすく表現するなんてこと出来ないでしょうね。物事は、大きくざっくりと意味や意義をとらえつつも一人一人に起きていることについては、個別にじっくりと対応していかないととんでもない勘違いをしてしまうことになる。前回のブログでご紹介した大田区内で実施したアンケートのとりまとめに入り、多くの書き込みを読みながら、さらにそう感じました。現場というものは、元々そういうところだ。とても一言で言い表せないよね。久田恵さんのルポ「ニッポン貧困最前線 ケースワーカーと呼ばれる人々」(文春文庫)を、病院の待合室で読みながら、思いを新たにしたところです。先週は、さまざまな業務の傍ら、報告書の叩き台づくりで夜なべをするなど、ハードな1週間でしたが、今週はどんな週になるのかな?何が起ころうとも、やるべきことを、粛々とやるだけです。
January 17, 2010
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こんにちは、當間です。杉山さんの1000回めのメッセージを読んだ後、しばらくして内田樹さんのブログでこんな一文を読み、4つ葉プロジェクトのこれまでに思いが及び、なぜだか胸が熱くなりました。この一文のどこの部分を読んで胸が熱くなったのか、それはみなさまのご想像にお任せ致します。杉山さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。どうぞしばらくは療養にご専念くださいませ。* * * * * * *現在、地元大田区の仲間とともに子ども手当支給と子育て支援制度に関するアンケートを行っています。ブログによる呼びかけとアンケート用紙をあちこちに配布する旧来のやり方の二つの方法で行っていますが、効率から言えば、どうやら紙ベースで行うやり方のほうに軍配が上がりそうです。それはともかくとして、まだ集計中でありながら、いろいろと興味深いことがわかってきました。子ども手当に賛成で、「これで充分だ」と答えた方の多くが、延々と続く子育て支援制度についての設問にもあれこれとご要望をお持ちだということ。「どちらかと言うと賛成」であっても、「子ども手当支給で財源を使い果たし、 将来増税による負担増につながるのであれば、 やらないほうがいい」と、本音としては子ども手当支給には反対なのかな?という回答もあります。古野さんがご指摘のように、子育て支援もその範囲は広く多岐にわたっており、とても一言で言い表せるものではありません。子ども手当に関して言えば、西川正さんが書いていらしたようにすべての人々の生活保障のために最低限の保障を行うベーシックインカムの子ども版ということになるでしょうか。子どもの貧困について書かれた労作「子どもの貧困」(明石書店)の文中にも、これからの施策提案として「ベーシックインカム子ども版」と明記されています。「またまた固ーいことを書こうとしてるな」と思われた方、その直感は正しいです(笑)。長年福祉に携われてこられた方々が「社会保障と福祉は違うのに、 福祉が制度化されて社会保障となり、 人々は福祉ではなく保障を求めるようになった」と、どちらかと言えば現状に対して疑問を感じていらっしゃるという話をあるところで聞いて、まさに目から鱗が落ちました。社会保障がよくないという話ではありません。その人自身の努力ではどうしようもないことが世の中にはたくさんあるけれど、社会的な仕組みでなんとか手助けできることもたくさんある。現在、社会保障制度として確立されていること、確立されつつあることは、そのほとんどが、大変な状況にある人々をなんとか助けしようとして思わず手を差し伸べようとしたところからスタートしている。その必要なこと、必要度は時代によって、社会的な変化によっていろいろと様変わりして来ています。高齢化社会を予見して、政府が高齢者医療費の無料化や医療保険給付率の改善、年金の物価スライド制の導入などを始めたのが1973年で、当時の内閣は福祉元年と位置づけました。以来、福祉と言えば高齢者、さらにしょうがい者に向けた施策という方向で進められてきましたが、その一方で、子ども・子どもと暮らす家庭への目配りはされず、今に至っています。子育て支援業界では、まさかと思われるかもしれませんが、自治体の社会福祉協議会によっては、「福祉とは高齢者・しょうがい者に対することで 子どものことは福祉ではない」と、子ども・子育てに関することでお願いにあがっても相手にされないことだって、未だにあるんです。まして「母親たちに支援をお願いします」と言ったら、一笑に付されておしまい。(1999年の、あの事件のときに 誰も学習しなかったということですよね? そんなことだから少子化なんだってば!)社会全体の意識が、子どもや子育てに向いて来なかった。ようやく今になって、意識されるようになって来た。アンケートの集計作業をやりながら、こんなふうにあれこれ思いが駆け巡ります。アンケート結果をもとに、いろいろなことを企画しています。いずれこちらでもご報告できるようになるかもしれません。
December 20, 2009
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こんにちは、當間です。久しぶりによく晴れた休日、七五三のお参り帰りの親子をたくさん見かけました。まずは業務連絡から。11月21日(土)に開催される4つ葉プロジェクト+第2回子育て政策研究会「子ども政策の先進国に学ぼう ~独、仏、欧州8か国の取り組み」。まだまだお席があるようです。まだお申し込みを済ませていらっしゃらない方は、トップのオレンジ色のバナーをクリックするか、またはこちらまで。さて、私が大田区内でも大好きな場所のひとつ、「子ども交流センター」が設立5周年を迎え、これまでの軌跡が1冊の本になりました。その本のタイトルが「「廃校」に地域力がはじけるとき」(萌文社・刊)。本の出版を記念して、11月20日には白梅学園大学学長の汐見稔幸先生をお迎えして、講演会が行われます。サブタイトルに「「恊働」が開花する地域NPO立子ども交流センター」とあるように、子ども交流センターは地元町会や民生児童委員地区協議会など、廃校になった小学校の元学校区関係者が立ち上げたNPO法人おおもり子どもセンターが運営する児童館類似施設です。子ども交流センターは廃校になった小学校の4階建ての元校舎の3、4階にあり、1、2階には区民活動支援施設・こらぼ大森があります。大田区には51館もの児童館がありますが、中高生がのびのびと過ごせるところは、ここだけだと言っても言い過ぎではないと思います。中高生好みのバンドの練習が出来るスタジオ設備やダンスの練習場もありますし、ライブ・コンサートが行われることもあります。毎週木曜日の午後には駄菓子屋さんが出現。お小遣いを握りしめた子どもたちがやって来ます。店番をするのは館長面接に合格した小学生ボランティアや民生児童委員さんなど。元小学校ですからグランドで外遊びを楽しむほか、グランドの片隅で小麦や稲を育てて、小麦粉でパンを作ったり、ワラでわらじづくりまでしています。食にこだわったユニークなプログラムがあるんです。実はそれだけじゃなく、近隣にはいろいろな名人が住んでいて、入れ替わり立ち替わりやって来ては、壊れたところの修繕や遊びの指南、ときには梅干しづくりなどの指南をしてくれたりします。職員と地域のおとなが子どものために力を合わせてる。子どものために力を合わせることでおとなもまた、そこに居場所を見いだして行く。夏に行われる施設全体のお祭りや、グランドを借りて行う秋の「子どもまつり」には、施設を利用するさまざまな年齢の人が企画から参加。地元はもとより大田区中から人が集まります。廃校が地域コミュニティーの“核”に変身したんですね。開設当時にはさまざまな苦労がありました。何と言っても、自分たちが通った小学校が廃校になってしまったんですから、複雑な思いを抱えていた方は少なくないでしょう。「わが子が通う小学校が廃校になること自体、 とてもショックでした」そう語ってくれたSさんは、NPO法人おおもり子どもセンター理事のひとりで、こらぼ大森の運営を担うNPO法人大森コラボレーションの事務局長。廃校前の小学校のPTAに関わっていたことがきっかけで活用を協議する段階から参画、元の仕事を辞めてNPO法人に関わることになりました。人生が変わった人もいる。開設当時の苦労話は本に譲るとして、イベントのたびに近隣に挨拶して回らなくても町会の方々にお願いしておけばOKというのも、Sさんのように元小学校を支えてきた地域の人々が運営に直接関わっているからこそ可能なこと。何より欲しい備品や用品が地域の人から届けられるんです。困ったことが起こると誰かが現れて解決してくれる。これだけでも、ほかの施設とはかなり違う。苦労は決して無駄じゃなかった。むしろ苦労したからこそ、今がある。初代館長の竹内敏さん執筆の本のあとがきを読んで、木曾の山奥まで竹内さんに会いに行きたくなりました。子ども家庭支援センター運営委員時代にときどき立ち寄っては、子どもへの熱い思いをお訊きしたことが昨日のことのように思い出されたからです。
November 15, 2009
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こんにちは、當間です。現在各自治体で、次世代育成支援行動計画の後期行動計画策定に向けた議論が進んでいると思います。地元大田区でも、前期行動計画の遂行状況を検証しながら議論が続いています。一つひとつの事業をつぶさに検証するというのは限られた時間の中ではなかなか難しいものですが、ある日の会議では、公園利用についてかなり突っ込んだ話が出来ました。たまたま細かな事業計画項目が並んだ資料の中で公園についての記述が実態に即さない表現となっていたため、一人の委員が、疑問を呈したのです。「乳幼児や中学生に遊びの場を提供するとなっていますが、 現実には、子どもたちの遊び場たり得ていませんよ」子育て支援課長の説明によれば、遊びに来る子どもたちの歓声がうるさいし、ボール遊びなんてされたら、危なくて仕方がない。「公園は今や公共施設の中でも、迷惑施設の筆頭なんです」ボール遊びが出来る公園は高いフェンスで囲まれ、ボール遊び専用となっているけれど、区内に18カ所しかない。いやいや、私の家の近くでは、そのボール遊び専用の公園ですら、ご近所からの苦情でボール遊び禁止になったことがあります。中高生の男の子の母たちが「思い切りからだを動かせる場所を取り上げられるなんて、 10代の子どもたちは どこで有り余る体力を発散すればいいのよ!」と憤慨していました。それでなくても、10代の子どもたちには居場所がないというのにね。近隣の方々は直接公園に出向いて子どもたちに注意をすることはありません。区の公園課や警察に直接通報する。通報を受けたほうでは、苦情として対応します。もともと公園には禁止事項は定められていないのだけれど、苦情が持ち込まれるたびにその対応として禁止事項が増えて行く。近所の犬を散歩させる人たちが集まる通称「犬公園」には、「犬のフンは持ち帰りましょう」という看板が公園の至る所に立てられています。顔見知りの常連さんに聞いてみると、何となく犬連れが集まるようになった頃、いきなり看板が公園の至る所に立てられ、ぎょっとしたとか。お互いに同じ地域に住む人同士。でも、公園のそばに住む人たちの目には、公園を利用する人は、おとな、子ども関係なく、騒音や迷惑行為を引き起こす要注意人物としか映らないないみたいです。会議では「公園周辺の住民のみなさま」の問題という方向に向かい、出張所長の経験のある職員委員から、住民同士の話し合いで使い勝手がよくなった例と話し合いが決裂してしまった例が報告されました。公園にまつわる問題は、地域コミュニティの問題でもあるんだなあと思っていたら、10月5日放送のNHKクローズアップ現代で、まさに、公園の「音」についてのトラブルを取り上げていました。公園を利用する人の出す音が、近隣の人には非常に煩わしくていらいらする「煩音」になっている。番組でこう紹介されていたのを見て、1974年に起きたピアノ殺人事件を思い出しました。ピアノを練習する音がうるさいからと同じ集合住宅に住む人に殺されてしまったという事件です。お互い同じ建物に住んでいるのに、顔も知らなかった。小さな子どもの居る家族が集合住宅に転居する場合、両隣だけでなく、上下階とその両隣、計8軒に挨拶して顔見知りになっておくと、子どもの声などの苦情を避けられると言われるようになったのはいつ頃からだったでしょうね。大田区の次世代育成支援行動計画の会議では、後期行動計画には区民の役割についても明記しようと議論しています。男女共同参画を進める大田区男女平等推進プランにその前例があるんです。「同じ地域に住む区民同士が 顔の見える関係づくりに努力する」そんな一文が加えられることになるんでしょうか?会議はまだまだ続きます。
October 18, 2009
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こんにちは、當間です。カナダの子育て支援の現状を生協の仲間とともに視察に出かけたのは2001年の秋。アメリカで同時多発テロが起きた翌月でした。現地に到着した日にアフガニスタン空爆が開始されました。スケジュールが一日でもずれていたら、恐らく私たちの視察ツアーは中止になっていたでしょう。夫の出張とスケジュールが重なったことと、「子どものための施設に出かけるのだから、 娘を連れて行って、娘の反応も見てみよう」という思いもあって、直に10歳になる娘も学校を休ませて連れて行きました。まず訪れたのは、トロント郊外のピーターボロ。ピーターボロのヘルスユニット(保健所)で、NPのデモンストレーションを見学しました。ファシリテーターのMさんは、自身もNPを受講し、生活自立の手だてという意味もあって研修を受け、ファシリテーターとなった方でした。Mさんは、ある企業で営業部署のマネージャーとして働いていましたが、夫の暴力があまりにひどく、子どもとともにヨーロッパへ逃げたのだそう。ヨーロッパから再びカナダへ戻り、途方に暮れていたところで、NPを紹介され、生活を立て直すことが出来たと言います。当時、大田区男女平等啓発誌の編集委員をしていました。その取材の一環で、DVの講演会に出席していた女性相談員に話を聞いたことがあります。そのときに、最も驚愕したのは「出来るだけ遠くへ逃げようと飛行機に乗り、 羽田空港から私たちの窓口に直行する女性がいる」というコメントでした。おとなだから逃げ出すことが出来るのだけれど、おとなでも、逃げ出すまでにはよほどの勇気を振り絞らなくては逃げ出せない。逃げるからには、出来るだけ遠くへと考える。家庭という閉鎖的な空間で繰り返される暴力は、身も心もぼろぼろに傷つけ、何もかも放り出して逃げる以外に解放されない……。事実、社会的地位も経済力も、Mさんを暴力からは守ってくれなかった。デモンストレーションの前のレクチャーでは、児童虐待などのリスクの高い家庭を支援するためにNPが生まれたこと、リスクの高い家庭とは、大まかに言って経済的困難、社会的孤立、教育の不足という三大リスクがいくつか重なった状態にあることなどについて説明されました。児童虐待のリスクについては、「虐待死に至った子どもの90数%が未熟児だった」というアメリカの研究機関の発表に驚愕した思い出があります。15年ほど前のこの発表によれば、未熟児が生まれた背景に先の三大リスクが関与している場合、虐待死に至る確率が高まると分析されていましたが、当時、未熟児だった娘を必死で育てていた私は「こんなに可愛いのに、どうして死なせるの?」と一方的に憤慨していました。憤りながら何度も読み返して、ようやくリスクはひとつだけでは本当の意味でのリスクとはなりにくいことに気がつきました。そして、これらのリスクは、残念ながらいくつも重なる可能性を持っていることにも。カナダでの子どもと家庭に関する重要課題のひとつが10代での妊娠が増えていることでした。10代での妊娠がいろいろな意味でリスクの高いことは、わざわざ説明するまでもないと思います。ピーターボロのヘルスユニットでも、ブライダルフェアを開き、思いがけない妊娠から身を守る大切さなどをそれとなく広報していくことで、少しずつではあるけれど、10代での妊娠を減らすことに成功しつつあるのだと話していました。ヘルスユニットを訪れた翌日、泊まっていたホテルに娘宛の贈り物が届きました。ヘルスユニットのみなさんからのプレゼントです。娘はすでにMさんからロザリオをいただいていました。日本から来たちっちゃな女の子を気遣って、「motherは日本語で何と言うの?」などと声をかけてくださっただけでなく、直にプレゼントまでいただいていたのです。その後も、行く先々で最も歓待されたのが娘でした。密かな目論見は成功裡に終わりました。今、月に一度お会いしては、母子寮と母子生活支援施設の歴史についてあれこれとお話してくださる施設長さんは、こんなふうにおっしゃいます。「この施設を贅沢だと感じる方も いらっしゃるかもしれません。 しかし、ここに来る方々は、 身も心もすっかり疲れ果てて、ここに辿りつかれるんです。 何の不安もなく、居心地のよい部屋でゆっくりと休み、 身も心も癒していただきたい。 そうでなければ、自立のために 立ち上がることなんて出来ません」遠い国から訪れた私たちを温かく迎えてくださったMさんが、夫の暴力から逃れて再び笑顔を取り戻せたのには、何の不安もなく眠れるベッドを用意して迎えてくれた人のぬくもりがあったはずだと、改めて気づかされます。
September 20, 2009
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こんにちは、當間です。すっかりご無沙汰しているあいだに、こんなにもたくさんの方々がブログに寄稿してくださるようになって、なんだか頼もしく感じています。元々ご縁のあった母子生活支援施設とさらに深い関わりが始まったのが今年の初めのこと。ここ数カ月は、かつて母子寮と呼ばれ、1997年の児童福祉法改正以降、母子生活支援施設と名称が変わった施設の来歴と、児童・女性・母子福祉の歴史をたどる毎日を過ごしています。日本で最初に母子寮がつくられたのは、日露戦争に出征した軍人遺族の保護・救済のためだったといいます。戦争が家族から夫を、父親を奪い去り、生活困難に陥れたのでした。日露戦争よりも遥か昔から夫に先立たれたり、置き去りにされ、生活に困窮している母子はたくさんいました。平和を謳歌する現代にも、手厚い保護と支援を必要とする母子がいます。その名称が示す通り、死別や生別などの理由で母子家庭となった親子に、住まいなどを提供して自立を支援していくのが、この施設の役割です。どんなに自助努力をしようとしても、どうすることもできない母子が入所する最後の砦のような存在。入所出来るのは18歳以下の子どもと、その母親です。行政からの委託などで緊急一時保護事業も行う施設が多いと書き添えれば、入所時の緊迫した状況がお分かりいただけるでしょうか。もっとも、緊急一時保護で入所するのは母子に限らないので、それが入所の主だった理由というわけではありません。多くは、孤立無援で住むところもなく貧窮している母子です。死別から離婚による生別が母子家庭になる理由を上回ったのが1984年のこと。最近では非婚世帯も増えており、入所する母子ともに低年齢化の傾向にあります。入所期限のない時代もありましたが、現在では入所期限は2年間と定められています。「2年で自立を実現させるのは、あまりに非現実的」現場の職員はもとより、関わる専門家の誰もが2年間という期限の短さを嘆きます。福祉の最前線には、「何がどうなったらこうなるの?」と立ちすくんでしまうような状況に追い込まれている人々がたくさんいらっしゃる。それが決して他人事ではないのかもしれないと気づかされたのは、カナダでNP(Nobody's Perfect)のデモンストレーションを見学したときでした。長くなったので、続きはまた次回に。(現在では、母子家庭、父子家庭とも 「ひとり親家庭」と書くのが一般的ですが、 今回は敢えて「母子」という言葉を使用しました)
August 16, 2009
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ご無沙汰しています、當間です。(松田さん、諸々どうもありがとう)相変わらず、本を読み、人と会い、という毎日です。そのなかで、最近一番強い印象を受けた言葉を備忘録代わりに記しておこうと思います。ドキュメンタリー映画監督の森達也さんがTOKYO FMの朝の番組「森の朝ごはん」でホストを務めていらしたときの番組からの採録と、それぞれのテーマについて書き下ろしたエッセイとで構成された「『マジョガリ』ガリ」(TOKYO FM出版)から。詩人のアーサー・ビナードさんは、来日後、商店街の看板を見ながら、日本語を覚えたそう。「看板というのはとても面白く、 ほかでは出会いない具体性がそなわってい ます。 言葉を実感を持って体内に入れていくには、 一番いい出会いの場だった」ところが、「この十七年間で、 驚く早さで街がつまんなくなってきましたね。 ほとんど空爆に近いペースで破壊が進んでいる」。街の豊かさ、日本の豊かさが、彼の故郷アメリカ同様に「潰されていっている」。その流れに対し、どうやれば抗することが出来るのか?と、森達也さんが問います。森 どうやれば抗することが出来るのでしょうか? 言い換えれば社会への影響力を持つことが出来るのか。 一般の人にとって具体的な政治参加は、 まずは選挙ですよね。 でも投票ぐらいでは世の中なにも変わらないと、 無力感を持っている人も多い。 実際にこの国の投票率はとても低い。ビナード ただ、選挙に行くことだけが投票じゃないですよね。 十円玉でも百円玉でも投票が出来ます。 (中略) ネラルウォーターを買うことで その運搬費を消費者が払っているわけで、 消費者が買わなければ大気汚染もゴミも減る。 日常生活の中でちょっと意識すると、 できることがけっこうあるんです。 日何を買うか、どこに銭を落としているかで、 街を作っているんです。 駅前に嫌だなあと思う店が増えているなら、 その店に営業資金を与えないことです。 消費者はあまり気付いていないかもしれないけれど、 はすごい力をもっているんですよね。 言ってみれば銭を使うたびに投票をしている。 経済と政治とは垣根もなく密接につながっていて、 「消費者がどういう街に住みたいか、 子どもたちにどういう環境を 残したいかということを考えて、 財布の紐を締めたり緩めたりすればいい。 政権が何かやってくれるのを待っていても、 いつまでも経ったって方向転換できないので、 まず消費者が自分の財布で投票する、 それが大事だと思います。日本でも、粉ミルクにヒ素が混合するなどの重大事件などで不買運動が起こるなど、消費行動で世の中にNOを突きつけるということもありました。ある企業を潤したり、商品や企業のやり方にNOを突きつけたり。私たちの消費行動は、世の中への意思表明にもつながっている。移動は自転車を使い、ミネラルウォーターは買わず、出先では、使い込んだペットボトルに詰めた水道水を飲むというビナードさんだからこそ、上記のコメントには大きくうなずかされます。ビナードさんは、このあとアメリカの水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸のことに触れ、本当の英雄とは何を考え、どういう行動が出来る人なのか、ということについて語ります。じ日本人に起きた出来事であり、東京都熱帯植物園のそばに存されている第五福竜丸にも乗ったこともあるのですが、あのとき、実際に何が起こっていて、人々はどのように行動したのかということについては、ごく表面的なことしか知らなかったことを痛感しました。まだまだ知らないことがいっぱいある。うかうか暮らしてるんじゃないわよ!と、思わず自分で自分にツッコミを入れてしまいました。(久しぶりにアップしたものが、 あまりに不出来だったので差し替えました。 お詫びします)
April 15, 2009
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こんにちは、當間です。ついさきほど、(恐らく時報とともに)公式HPが更新されました。綾部さん、どうもお疲れさまでした。今回は武田信子先生からのメッセージと、“データの鬼”度山徹さんの『わたしのものがたり』というラインナップです。お二人とも、お忙しい中、どうもありがとうございました。武田信子先生へのインタビュー中に、何とも懐かしいお名前が出て来て、思わず、わが家の書棚にある1冊の本のことを思っていました。『こころのせかい「私」はだれ?』(小倉清・著/彩古書房・刊)懐かしいとは言っても、私は直に著者にお会いしたことはないのだけれど、かれこれ20数年前に読んだ、児童精神医学入門書のような1冊。子どもの親になったときに再読、今回、改めて読んでみました。今読んでも全く古さを感じない。人の生きる悩みに寄り添う現場の医師の慧眼に、改めて恐れ入ったというところでしょうか。残念ながら、この本はすでに絶版となっています。生来の本好きに加えて、仕事のためにたくさんの本を読んで来たけれど、生活体験を重ねれば重ねるほど、本当に腑に落ちていくものなんだなあと、1冊の本を読み返すたびに思います。4つ葉プロジェクトの3周年を皮切りに始まった公式HPの毎月更新も、今回でひと区切り。11の4つ葉へのメッセージと、12人の「わたしのものがたり」、そして行政マンリレーエッセイとNPOリレーエッセー。ご協力くださったみなさまに心から感謝するとともに、読んでくださっているみなさまにも、運営スタッフ一同、こう申し上げます。ありがとうございます!来月には4歳になるよつばちゃん。さて、どんな風に成長して行くんでしょうか?
March 21, 2009
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こんにちは、當間です。アメリカの新しい大統領、オバマ氏の所信表明演説を聴いて、ああ、かの国もいよいよ変わって行くのかななんて思ってしまいました。特にそう感じたのは、例えば、銀行に対する財政支援について語った次のようなくだりです。「私の仕事、そして我々の仕事は、 問題を解決することだ。 我々の仕事は、責任の感覚を持って統治することだ。 私はウォール街の重役たちの利益のために、 1セントたりとも支出するつもりはない。 ただ、私は、従業員の給与を支払えない小企業や、 貯蓄しても住宅ローンを組めない家族を助けるためには、 あらゆることをするつもりだ。 これが目指すところなのだ。 銀行を助けるのではなく、人々を助けるのだ。」(asahi.comより)まだ演説がなされたばかりで、本当にその内容通りのことが行われていくのかについては分かりませんが、大統領が言ったのだから、アメリカ国民は期待する。就任式の緊張した姿とは打って変わって、大統領である自分自身をすっかり受け入れた感じのオバマ氏の演説を聴きながら、つい、筒井康隆さんの「美藝公」という小説を思い出していました。容姿端麗で歌にも踊りにも秀でた政治家だけが、国民の代表として国会議員に選ばれる。歌に政治家としての信念ときちんとした政策が盛り込まれていなくてはダメなんです。歌と踊りに最も秀でた議員が首相になれる。その首相は、尊敬の念を込めて「美藝公」と呼ばれる。小説なのに、大判で美しいイラストが施され、まるで絵本のような装丁。いかにも筒井さんらしい風刺が効いた1冊でした。出版されたのは、私がまだ学生だった頃。歌や踊りまでは要求しないけれど、中身=政策を何とかしてくれ。そのくらいのことは、当時も思っていたかな。たいして関心もなかったくせにね。今読んでみたら、どんな印象を受けるかしら?本棚の奥に仕舞い込んだままで、引っぱり出すのに随分苦労しそうです。アメリカは変革に向けて一歩踏み出したことになるのかな。そして日本は、跳躍の前に全身を縮めて力をためているところかしら。それとも、これからががもうとしているところ?
February 25, 2009
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こんにちは、當間です。昨年10月に行われた財団法人東京市町村自治調査会・東京都市町村職員研修所主催の調査研究発表フォーラム「多摩地域の子育て支援について ~『子育て・子育ち』が楽しくなるまちづくり」。前年度に調査研究チームからヒアリングを受けた多摩地域の子育て支援団体のリーダーのみなさんが実行委員を務めてくださいました。年末に行われた振り返りの会には、個人で参加してくださった方も足を運んでくださるなど、フォーラムがきっかけとなって、新たな出会いとつながりが生まれました。この「出会いとつながり」をさらに活かしていこうと、有志による話し合いが重ねられています。つい先日も話し合いがあり、「NPO法人東村山子育て支援ネットワークすずめ」さんが運営する「すずめ保育センター」へお邪魔して来ました。「すずめ」さんは、45年前に預かり保育からスタート、3歳児のグループ保育から3~5歳児の一貫保育へと対象を広げ、1970年代には幼児教室へ。ちょうど全国に自主保育グループが生まれ、活動が盛んになって行った時期と重なります。幼児教室と言っても、通信教育会社や出版社などで行っているものとは違います。専従の保育者と保護者による預かり合いなどによって、自主的なプログラムを設定、子どもたちの保育を定期的に行う、いわゆる自主保育。1、2歳児は週に3回、3歳児以上は週5日といった具合。かつて生協の仲間とともに子どもの居場所づくりを模索していた頃、鎌倉や横浜、世田谷での自主保育について、主宰者にお話をお聞きしたり、実際に見学もするなどして調べたことがあります。親も子どもも仲間とともに育ち合う場づくりという大変魅力的な活動として、当時のことは強く記憶に残っています。「すずめ」さんは1998年に保育室も開設、そこから専用園舎づくりへと模索を始めたようですが、専用園舎が完成した今でも、市内の施設を使った0、1、2歳児向けの活動を続けています。活動の本拠地でもある「すずめ保育センター」は認可保育園「つばさ保育園」と幼児教室を併設、木の香りが清々しい園舎。打ち合わせの前に、少し見学させていただきました。木をふんだんに使用した園舎見学は、建築に関することが大好きな私にとっては見どころ満載のサプライズでした。ハードが素敵でも居場所としてはどうなのかということも見逃せないポイント。柔らかな笑顔と優しい物言い。グッドストロークを交わしながら子どもたちを第一に考え場づくりをしていることは、そこで立ち働く人々や子どもたちの様子から充分に伝わって来ます。何より、外来者の私たちが居心地よく、打ち合わせも、どんどん進む。この空気感、場の雰囲気は一朝一夕に出来るものじゃない。積み重ねられて来た45年という年月を思いました。打ち合わせ場所は、毎回変わります。参加メンバーの本拠地を巡回していくことになりそうです。初回から、ただ者ではない(でも心地よい)様子を感じるだけに、この先にも大いに期待。多摩地域の子育て支援の層の厚さ、実力のほどをじっくりと味わえそうです。
February 18, 2009
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こんにちは、當間です。昨年4月から始まった公式HPの毎月更新も1月で10回を迎えました。改めて、これまでのHP更新分を読み返してみると、いろいろなことが思い出されます。記念すべき依頼原稿第一号、埼玉県の小峰さんから、行政マンリレーエッセイへの執筆承諾のお返事が届き、メンバー間で喜びのメールが飛び交ったときのこと。春先に、制度が改正される予定でお話しいただいた4つ葉へのメッセージを掲載後の5月、国会の空転で改正児童福祉法案が廃案になってしまったこと。その後、無事に成立したのは、確か11月でしたっけ?タウンミーティングの最中に、新しくNPO法人子育てサポート・チャオの代表になられた近澤さんのお写真を撮るのに、懇親会まで粘って、ようやくよい表情が撮れたこと。(それも裏技を使って……)榊原さんへのインタビュー後に、新聞社編集局の見学をさせていただいて、タバコの煙がもうもうとしていて、怒号が飛び交ってるという大昔のイメージがすっかり払拭されました。あんまり楽屋落ちの話ばかりでもいけないな。そうそう、これから更新される福川先生の研究室で見せていただいた、各国の家の前に家財道具一式を並べて撮った写真。これが衝撃的。東京で暮らす日本人家族の家財道具の多さと言ったら、もう一軒家が建ってるんじゃないか?というくらいのものすごいボリューム。シンプルに暮らすブータンと比べたら嫌になるくらいで。残念ながら、記事には反映されていないのだけれど、改めて、わが暮らしを見直したくなる写真でした。記事には反映できないけれど素敵なお話が訊けたり、思いがけない体験ができることが、インタビューの素敵なところ。何より直にお会いして、その人となりに直に触れられるというのは、今のご時勢、得難い経験です。原稿の依頼でも、原稿を戴いたあとまで続くやり取りの中で、さまざまなエピソードが生まれる。そんなエピソードの数々が、宝物のように思い出されます。もっとも、これらは送り手の密やかな思いに過ぎません。読んでくださるみなさまは、読みながら、何を感じていらっしゃるでしょうか?今、PCのディスプレーの前にいるあなたにも、いつか直接お会いして、声を聴くチャンスがあるといいなと思っています。
February 11, 2009
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こんにちは、當間です。いつの頃からか、出先でこれはと思うチラシや広報誌などを、持ち帰る癖がついてしまいました。かつては、企業のPR誌などでセンスの良いものだけを選んでいました。今でも、そういう傾向はあるけれど、行政がらみの場所へ出向くことが増えたので、参考資料的に持ち帰ることも増えて来ました。特に区役所などの情報コーナーへ行くと、国や都のさまざまな部署で発行している立派なパンフレットが無償配布になっていて、思わず立ち止まって読んでしまったりもします。で、ふと思う。コート紙にオールカラーの多色刷り。随分お金がかかってるなあ。デザインだって、それなり。(ときにひどいものもあるけど。苦笑)実際にどのくらいかかったんだろう。頭の中で計算してみる。かなり下世話な話のようだけれど、そういう思考が身についていて、つい……。(ちょっと恥ずかしい?)それにね、税金を使って作っているんだもの、どうしても気になってしまう。持ち帰っても、いらなくなれば資源ゴミ。定期的に整理して片付ける。そんな整理の日にふと見つけたのが、東京国税局発行の「税のポケットガイド」でした。表4の片隅に(平成17年10月現在)とある。ちょっと古いなーと思いながら読んでみる。所得税と確定申告や、税金の控除など、税金の主な種類や控除の方法などについて書いてある。税の徴収に関わる国税局らしい内容。ふと目に止まったのが、消費税の使い道についての説明。ここにきて、ようやく税金の具体的な使い道について説明している。しかもグラフとマンガ付き。商品の価格にかかる消費税5%の内訳は、4%が消費税で、1%が地方消費税。地方消費税はそのまま地方へ回る。で、4%の消費税の内訳は、福祉予算と地方交付金。消費税全体で説明すると、56.4%が基礎年金&老人医療・介護に、残り43.6%が地方分にそれぞれ振り分けられている。なるほど、消費税って今のところは老後の生活の安定と、身近な地域の暮らしのために使われているんだ。ご存知の方は、あなた今頃何を言ってるの?と呆れてしまわれるでしょう。恥ずかしいことに、このパンフレットを見るまで、消費税の使い道、その内訳をちゃんと知らなかったんです。ちゃんと知らなかったとは言え、手元にあったパンフレットだけでは、まだまだ疑問が残ります。例えば、地方分に回されると言っても、地方に回されるお金の具体的な振り分け方、使い道が分からない。老人医療・介護に振り向けられるとしても、それだけでちゃんと足りているのかしら?(恐らく足りてない、と思う。なんとなく)* * *パンフレットを発見する少し前に、大田区の公式HPにアップされた「財務白書」を読んでみました。歳入と歳出の内訳について一応は詳述していますが、それでも記載されていない項目もあります。それはさておき。ここで「そうなんだ!」と新たに知ったのは、歳出のところの義務的経費に、児童手当やこども医療費助成金が組み込まれていること。義務的経費とは法令の規定あるいはその性質上、支出が義務づけられているもので、「歳入が減少したからといって 容易に削減することはできない経費」です。その内訳は、職員などの人件費、過去に発行した区債の元金及び利子の支払いに要する公債費、そして扶助費です。扶助費とは、「社会保障制度の一環として、 生活保護法や児童福祉法などに基づき、 生活困窮者、児童、高齢者、障がい者に対して 支給されるサービスで、 性質別では義務的経費に分類」されるもの。なるほど、予算を組むときに、あらかじめ確保しておくべきお金の中には児童手当が含まれているんだ。(で、そこに当てられるお金は 誰がどういう名目で払った税金?)* * *これまでつらつらと書き連ねたことは、その気になれば、知ることができる。なのに、知らなかったのよね、私ったら。せっかく税金を使って広報しているというのに。もったいなかったなー。一票を投じて、市民の代表として議会に議員を送り込んでいる(ことになっている)けれど、彼らが代理で決めてくれる税金の使い道を、ちゃんと見て行きたい。「ちゃんと見てるよ。 でも、ここのところは、どうなんだろう?」という応援(監視?)と疑問、「こういうところにも振り向けて欲しいなあ」という希望については、どうやって伝えていけばいいんでしょうね。もちろん選挙には必ず行くけれど、調整して欲しいなと思ったときにどうやって声を届ければよいのか、そんなことも知りたいと思っているんです。
February 4, 2009
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こんにちは、當間です。友人の誘いもあって、東京工業大学世界文明センターの公開シンポジウムを聴いてきました。司会が東浩紀さん、登壇者が浅田彰さん、磯崎新さん、宇野常寛さん、濱野智史さん、宮台真司さんというすごい顔ぶれだったので、開場30分前にして、既に立ち見状態。そこに、友人の保育園仲間の新聞記者さんが現れ、プレス席を私たちの分まで確保してもらい、前から二列目の真ん中という特等席で聴くことができました。何と言う幸運♪お礼を言いながら、すかさず4つ葉プロジェクトと、「Amazonで買えるから」と杉山さんの新著まで宣伝してしまいました。「ちゃんとまとまった内容の本が 出てるんですね」と感心してくださったから、買ってくださるかな?買ってくださるといいなあ。実は先週、大田区地域保健福祉計画審議会こども専門部会が行われたので、その席上でも、参考図書としてお勧めしたのでした。行政担当者向けにも書かれた箇所があるので、ぜひ読んでもらいたい!と思いました。(K課長にU課長、どうぞよろしく!)* * *一緒に公開シンポジウムを聴きに行った友人Mさんとは、昨年、ハナマル・キャリアコンサルタントの上田晶美さんの新刊イベントで出会って以来。このときは、会場のご好意もあって、4つ葉のパンフレットを全員に配ったのでした。仕事三昧で、わが子が生まれてようやく地域に目が向いたという私同様に、Mさんも、保育園デビューが地域デビューという方。しかも彼女は、私よりもずっと若いのに、困ったときはお互いさま、誰でも自由に出入りOKという地域コミュニティーの中で育った経験の持ち主。現在は、自宅を開放して残業などで保育時間終了後も保育を必要とする保育園仲間同士の子どもの預かり合いを実践中。今日のシンポジウムの間は、たまたま家にいることができたMさんの夫がお子たちにご飯を食べさせ、母たちのお迎えまでを過ごしていたそうです。仲間同士でフルタイムで働く母たちのサポートを事業化したいと勉強会も開いているそう。「こういうことが必要だと、声をあげていきたいの」おお、それってまさに4つ葉プロジェクト。「そうなの。 いただいたパンフレットをみんなで読みながら、 必要なことがこれだけきちんと書かれてるって 驚いたの」よつばちゃんにではなく、パンフレットの中身に、これだけ反応してくださる方々が、地元にいると知ったことは、嬉しかったなあ。* * *とまあ、地元でも盛り上がっていたりするこの頃ではありますが、昨年の肉離れに続き、今度は膝を痛めてしまった私。今はじっとしてなさい、と声なき声がするようで、ちょっと不安な冬でもあります。
January 28, 2009
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こんにちは、當間です。わが子との暮らしが始まった頃、「現代を生きる親って大変だなあ」と思ったことがふたつあります。ひとつは、アンパンマンやポケモンなど、子ども向け文化にそれなりに精通して、キャラクターの名前を覚えるのはもとより、アニメや映画を一緒に楽しまなくてはならないということ。自分自身の好みとはまったく関係なく、わが子が好むものを受け入れ、付き合う。幼い頃に、私の母が妹と私のために、ピーターパンごっこに付き合ってくれたことを「ずいぶん大変な目に合わせてしまっていたのだなあ」という思いとともに思い出しました。アニメソングの「ポケモン言えるかな?」なんて、「ええー? これ全部覚えるの?」と悲鳴を上げる親たちへのサポートソングだったかもしれません。ただ、その気になってはまってしまえば、それもまた面白く、まさに童心に還る感じ。あるアニメには、娘よりも私のほうがはまってしまい、コミックスを大人買いして姪に呆れられたことを打ち明けておきます。もうひとつは、当時の育児雑誌に掲載されていた予防接種法の改正記事を見て、「なれない育児に孤軍奮闘する日々なのに、 こういう社会的な仕組みについても、 その動きをきっちりフォローしていかないと いけないんだよね」と感じたこと。後者のほうは、まさに、「そりゃあないよね、しんどすぎるわ」と感じて、密かに嘆いたことでした。ただ、この嘆きは誰もが感じることではなかったかもしれない。というのも、それまでの私の職業が、まさに、そのややこしそうな社会の仕組みの一端を分かりやすく伝えていくというもので、噛み砕いて伝えていくことと伝え続けていくこと、常に変わっていく状況をフォローする、フォローし続けるしんどさを、常に感じていたからです。この記事を読み、実際の生活に引きつけて考えられる人がどのくらいいるんだろう?かなり余計なお世話という気もしますが、「誰が読むんだ?」と感じても、そういう記事を掲載し続けることに意義があり、それこそがメディアの役割だとさえ痛感してもいました。(現在の育児雑誌からは、 そういう面倒くさそうな記事、 すっかり姿を消してしまいましたねえ)私が社会的な仕組みが云々と感じていた頃、元同僚はこんなことを言っていました。「子どもが生まれてからというもの、 食の安全が気になって仕方がないの。 残留農薬なんて、もう深刻に受け止めちゃう。 わが子に食べさせることを考えるとね、 どうしてもそういう見方になるのよね」これにもなるほど、と思った。食いしん坊で食材にまでうるさい家庭で育ったから、そういう視点は、確かに私の中にある。ただ、生協活動がことのほか活発な地域で育ったので、「だったら生協に入ればいいんだ」ぐらいにしか思いませんでした。「生協に入るくらいなら今日にでもできるじゃん」って。本当は、そういう話ではなかったかもしれないのに。* * *かつて一緒に仕事をしていた人に、「そういうふうに考えるのは當間さんだけです」と言われて、はっとしたことがあります。何か新しいことにチャレンジするときに、その新分野について精通している人のところへ行ってあれこれ教えを乞い、実現に向けた具体的なアドバイスを受ける。どちらかというと、そういうスタンスで仕事というものが動いていたので、同じ感覚で捉える癖がついていたのですね。仕事というものは、一定レベル以上のものが求められるものだから。でも、そのときの話題は市民活動についてで、仕事における物事の取り組み方というのは市民活動では一般的ではなかった。新しいことをやろうと決めたら、まず、やってみる。一歩踏み出す。やりながら試行錯誤して、よいものに変えていく。そのプロセスの中で、ノウハウが身につき、関わる人たちにも力がついてくる。「うまくやる」ということよりも「まず動く」ことのほうが、大事。動いたら、次は「続けていく」ことが重要になる。「まず動く」ということを批判したような物言いになっていたんでしょう。「そういうふうに考えるのはあなただけ」と言われて、ようやく、私はちょっと違った考え方をするらしいと気がつきました。* * *続けていくためには、やっぱり面白くなくちゃ。わが子との暮らしが楽しかったのは、わが子観察があまりに面白かったからだ。わが子の世界がだんだん私の世界に近づいて来て、それでも、「おお、今度はこう来たか!」と、いまだに面白がらせてもらっている私としては、しみじみと、思います。親だから、投げ出したりできないのも事実だけれど。一方の社会の仕組み云々については、どうなんでしょうね。例えば、新しい分野を知ろうとすると、図書館へ行き、関連分野の棚の本を端から端まで全部読破して、さらには行政関連の動きをHPでチェックし、関わる人に直にお話をお聞きして……。それを自然とやってしまう“からだ”になっている。だから、私にはとっても面白い作業なのですが。ただ、ほかの人にお勧めするにはあまりに面倒な作業であることくらい分かるので、誰かにお勧めしたことはありません。何を面白がれるのか?というところは、ひとり一人違う。でも、あまりの面白さに、「ねえねえ、こういうところ、面白いよね?」って、ついつい誰かに伝えたくなっちゃうようなことがないと、続かないだけじゃなく、広まらないよね。面白さ=楽しさ、だと思うから。
January 21, 2009
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こんにちは、當間です。犬の散歩のついでに、行きつけの絵本屋さんに立ち寄ったら、1冊の本を見つけました。「子どもたちの遺言」(佼成出版社)1年がかりで田淵章三さんが撮影した0歳から20歳まで子どもの写真に谷川俊太郎さんの詩が添えられています。一番最初の「生まれたよ ぼく」には、生まれたばかりの赤ちゃん。以下、幼児期から小学生、中高生、成人式まで。それぞれの年代の姿を切り取った写真に、それぞれの心情を物語るかのような詩。思わず購入して子育てひろばに立ち寄り、そこに居合わせた方々に紹介してしまいました。三人の子どものお母さんが手に取ると、1歳4カ月のKちゃんが、近寄って手を差し伸べました。赤ちゃんの写真を眺めながら、そのお母さんが思い出したように言いました。「そういえば、Hがこの間、 「Kが生まれたとき、ものすごく泣いてたね。 何故だったんだろう?」って 急に言い出したの」それからしばし、わが子が生まれたときの話に花が咲き……。まるでこの本に出会うために出かけたような日だったな。なぜ表題が「子どもたちの遺言」となったのかについては、谷川さんご自身があとがき「子どもの身になって」に書いていらっしゃいます。本当はここでご紹介しようと思ったのですが、本を紹介するに留めます。「生きているってこういうことなんだ さびしい自分 不安な自分 でも何かを待ってる自分 もどかしい自分 そういう自分をみつめる自分」(「子どもたちの遺言」64ページ、103ページ収録 「もどかしい自分」より)
January 14, 2009
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こんにちは、當間です。新年最初に開いたメールボックスには昨年の10月にパネラーを務めたあるシンポジウムの報告記事原稿の確認依頼メールと添付ファイルがありました。テーマは乳幼児保育や教育現場における大きなテーマのひとつ「保護者への対応」でした。保護者の立場での私の拙い話がコンパクトにうまくまとめられていて、ライターのNさんに心から感謝するとともに、一緒にパネラーを務めた先生方のコメントを読み、ああ、そうだったと、改めて学ぶ思い。公設民営化された保育園にいきなり園長として招かれたS先生が最初のお一人。「慣れ親しんだ園が民営化で変わってしまうことに、 在園児も保護者のみなさんも心を痛めていらっしゃる。 まずは、そのことを気にかけていようと思いました」園長以下スタッフが全員変わってしまうのは致し方ないとしても、玄関ホールの飾り付けなど、インテリアをいきなり変えてしまうことは止めよう。このお話は原稿には書かれていませんでしたが、シンポジウムのときには、いちばん心に残りました。お二人目は、親業シニアインストラクターのN先生。幼稚園の先生から「お弁当のお肉は、もう少し 細かく切っていただけないでしょうか」と言われ、むっとしたという私の体験談を元にこんなお話をしてくださいました。「當間さんが嫌な気持ちになったのは、 主語が『あなた』だったからなんです」「あなたはお弁当のお肉を細かく切ってください」と伝わってしまったから、言われた私が嫌な気持ちになってしまった。「きっと、その先生は、お子さんが 大きなお肉を食べにくそうにしているのを見て、 心配になってしまったのだと思います。 心配になった気持ちを そのまま伝えればよかったのです」自分の気持ちを伝えれば、相手に嫌な思いをさせることもなく、相手のほうも、何をすればいいのか気づくことができる。ふーむ、なるほど、“Iメッセージ”ね。実は、さっきまで、4つ葉プロジェクト公式HP1月更新予定の福川須美先生のインタビュー原稿と格闘していたのです。Nobody's Perfectの親グループでも、カナダの人たちはすぐに話が盛り上がるようになるけれど、日本人は、最初は戸惑ってしまう。そこに、それぞれの国の成り立ちや文化的背景の違いがみてとれる。「モノより関わりが大事」これは、惜しみながらも削ってしまった部分のコメント。(インタビュー原稿では、 いつも泣く泣く削る部分が多くて困ります)再びシンポジウムに戻って、当日のコーディネーターで主催NPOの代表でもあるF先生のコメント。「私たちは伝統的に相手を思いやり、 問題を押し隠して過ごしてしまうことが あるのかもしれません。 でも、見かけの対立を怖がらず 問題を取り上げる勇気が必要かもしれませんね」問題を抱える子どもと親に向けた、保育者・教育者、あるいは支援者としての関わり方、声のかけ方。日常的コミュニケーションでもお手本にしたいなと、思ったことでした。
January 7, 2009
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こんにちは、當間です。年末年始を家族と過ごすため、実家に帰っています。自宅のある大田区界隈では、子どもが公園で遊ばなくなったといわれるようになって久しいですが、実家のある芦屋では、逆に帰るたびに公園で遊ぶ子どもの姿を見かけることが増えているような気がします。今日も、買い物がてら犬の散歩に出掛けた帰りに、近所の公園でたくさんの子どもたちがボール遊びに興じていました。大晦日の夕方に、外遊びに興じる子どもたちの姿を眺めることができるなんて……。「いい風景だねえ」と言いながら帰ってきました。もっとも思春期真っ只中の娘に言わせると「大晦日というめぐり合わせなだけで、 別に今日が何か特別だというわけでもないよね」ということになります。昨日と変わらない今日、今日と変わらない明日。大晦日だ、お正月だといわれても、子どもにはいつもと変わらない日常こそが大事で、朝からおせち料理を食べなきゃならないこと、大好きな朝食メニューにお預けを食うことが、どちらかというと迷惑。遠い昔、私も同じようなことを考えたなあ。連綿と続く時間をすごしながら、あるとき振り返ってみて、初めて「変わったなあ」と感じる。子どもの時間はまだ短いので、別にスケールとなる区切りは必要ないかもしれない。何十年も生きているから、おとなはなんとなく区切りをつけたくなるのかな。今日から明日へ、今年から来年へ。ちょっとだけ特別な区切りのある今日と明日。本当にお疲れ様でした>2008年。どうぞよろしくね>2009年。みなさま、よいお年を!そして、来年もどうぞよろしく!
December 31, 2008
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こんにちは、當間です。今日はクリスマスイブ、みなさまいかがお過ごしですか?私は朝から応援歌代わりにクリスマスソングのCDをかけていましたが、一番聴きたい山下達郎の「ON THE STREET CORNER 2」が見つからず、致し方なくSUGAR BABEの「Songs」をかけて、学生時代の思い出に浸りつつ、一休みといったところです。子どもの頃、カトリック系の幼稚園に通い、近所に教会があったことなどから、日曜日の朝には教会へ出かけていました。実家は神道ですから、別にクリスチャンではありません。今では、くたびれた両親が日曜くらいはゆっくり寝ていたいと思い、妹と私を教会の日曜学校に送り出したのでは?と密かに疑っているのですが。クリスマス・ミサの荘厳さ。キャンドル・サービスの幻想的な美しさ。人並み以上にクリスマスを心待ちにしているのは、そんな子どもの頃の体験が大きく関わっているんじゃないかな?(京都に住んでいたこともあって、 お神輿担ぐ普通のお祭りや 駄菓子屋さんを知ったのは学生になってからだし、 私の子ども時代の体験はかなり偏っています)先日、以前もここでご紹介したおとなの読書会でディケンズの「クリスマス・キャロル」を読みました。かつての盟友ジェイコブ・マーレイから戒めを受け、三人の幽霊の訪問を受けた高利貸しのスクルージは改心し許され、無知も欠乏からも解き放たれて、破滅から救われる。この読書会では、毎回、事前に、自分なりの作品のタネをピックアップ、会の席上でメンバーに向けて披露します。今回の私の「タネ」はかなり暗い言葉でした。第二の幽霊の足下にしがみついていた男女二人のこどもの名前。「無知」「欠乏」そして、男の子の額に書かれた「破滅」の文字。我ながら、ずいぶんひどい言葉を選んだものです。でも、この作品が書かれた時代背景に思いを馳せつつ、現代の日本を思うと、「無知」「欠乏」と呼ばれ、「破滅」に向かっている子どもたちの姿が、身に迫ってくるのでした。親に虐待された子どもという設定にすら臨場感が漂い、おとなが悪いのに、子どもが責めを負う理不尽さに怒りさえ感じてしまう私たち。「子どもの権利条約」をちゃんと読んでいなくても、子どもが理不尽な状況に置かれていることに対しては、無性に腹が立つ、怒りを覚えるというのは、おとなの常識なんだろうな。救われたのは、クリスマスの定義についての言葉。「とにかくクリスマスは、 親切と、許しと、恵みと、喜びのときなんです」(「クリスマス・キャロル」ディケンズ作/脇明子訳/ 岩波少年文庫より)これを「タネ」に選んでくださった方がいて、よかった!別にクリスチャンではなくても、年に一度そういう日があると嬉しい。ちょうどCDが終わったので、次に何をかけようかなあとラックを覗いたら、見つかりましたよ、さっきは見つからなかったものが。ああ、でも、これには一番好きなクリスマスソングが入っていない。(「Season's Greeting」だけに入ってたのか。 それはさっき聴いたわ)ジュディー・ガーランドが歌った名作「Have Yourself A Merry Little Christmas」。Have yourself a merry little ChristmasLet your heart be lightFrom now on our troubles will be out of sightマンハッタン・トランスファー版もシンガーズ・アンリミテッド版も好きだけど、山下達郎のもいいのよ。一日早いけれど、祈りにも似たこの歌の最後の歌詞を紹介して、Merry Christmas!Someday soon we all will be togetherIf the fates allowHang a shining star upon the highest boughSo have yourself a merry little Christmas now
December 24, 2008
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こんにちは、當間です。高校生の娘は期末考査が終わり、現在試験休み。夏休みにボランティアでおじゃました子育てひろばに出かけて行きました。ずいぶん間が空いたにもかかわらず、年長さんはもとより、未就園児のみなさんにもしっかり覚えてもらっていたようで、「なんだか(私の)取り合いになっちゃって疲れた」と言いながらも、晴れやかな顔つきで帰って来ました。子育てひろばに集まる子どもたちの多くは乳幼児、それも未就園児がほとんどですが、曜日によっては幼稚園児や小学生も集います。今日は小学生も来たらしい。未就園児さんたちは幼稚園や保育園のことは知っているけれど、小学校のことは知らない。幼稚園児さんたちは小学校のことは知っているけれど、中学校や高校のことはよくわからない。「小学生でも高校のことはよく分からないみたいなの」どうやら、娘が高校生と聞いても、お子さまたちには高校生が何者なのか上手くイメージできなかったようです。中学生が職場体験で幼児施設に行くようになったものの、幼児には中学生が、中学生には幼児のことが、よく理解できずに、上手く遊べるようになるのに時間がかかると聞きました。確かに、幼児と中学生の接点がない現状では、いきなり出会って戸惑うのは当たり前のようにも思います。事前教育はどうなっていたんでしょうか?娘が中学生時代に部活動の一環として幼稚園に出かけて行ったときには、事前に、どんなプログラムにするのか準備をしていました。それはともかくとして、小さな人たちにしてみれば、中学生と高校生の違いなんてイメージできなくても仕方のないことなのかもしれません。が、逆はどうなんだろう?自分たちだってかつては幼児だったはずなんだけれどな。* * *からだも小さい上に、親族の中では一番年下の娘は、いまだにプライベートでは常にかわいがられる一方の存在です。それが2歳の時、未熟児親子フォローアップの会に一番おねえさんという立場で迎えられました。「まあ、たまにはこういう立場にいるのもいいかな と思ってね」主宰者の新生児科医T先生に言われて、おお、なるほどと思いました。もっとも当時は、おねえさん的振る舞いも必要とされず、同い年の子どもたちはみんな平等な立場でふれあい遊びを楽しんだり、おやつをいただいたりして過ごしていました。おねえさん的振る舞いを求められるようになったのはやはり幼稚園に入園してからのこと。入園式の翌日、お迎えに行くと「おかあさん、お友達ができたの」と言うので、“あんたは「となりのトトロ」のさつきちゃんか”と内心突っ込みながらも驚いたのですが、そのお友達第一号が、娘のお世話係さんでした。縦割りクラス編成の幼稚園だったこともあり、年長さんになると、同じクラスの年少さんのお世話係として、1年間お世話をするお相手が決められます。「私よりもちっちゃな子が入園して来てよかった!」そう笑っていたのが、娘のお世話係さんでした。常に一番ちっちゃかった娘でしたが、娘が年長さんになったときにはなんと、娘よりも小さなお嬢さんが入園、娘がお世話をすることになったと知って、「世の中上手くしたものだなあ」と感心したものです。人生は、こうやって役割をチェンジできるから面白い。* * *ちっちゃくて愛らしかった子が、中学生ともなるとおとな顔負けの体格になる。集団で歩いてると、ちょっと怖いような気もする。おとなのほうも、中学生から高校生ぐらいの子どもにあんまり慣れていないような気がします。娘の話を聴きながら、ちょうど抱えていた行政からの宿題のひとつによいアイデアが浮かびました。よかった、これで次の課題に進めるわ。お母さんずるい!まったく彼女の宿題を手伝わない母への抗議も込めて娘から非難の声が上がりそうです。(苦笑)
December 17, 2008
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こんにちは、當間です。先週来ずっと風邪を引いていて、まだまだあなどれない状態です。風邪予防のために、朝起きたらすぐにうがいをし、外出から戻ったあともうがいと手洗い。娘が幼い頃に親子で身につけた習慣を、いまだに続けているにもかかわらず、どうしても年末年始にひどい風邪を引いてしまいます。娘が肺炎で入院したときにお世話になった医師が「風邪を引かずに済まそうというのは至難の業」と、苦笑いをしていたことを思い出します。7日、大田区主催の小児救急講演会が行われました。症状の見極めと対処、症状に合わせた家庭看護の実際について、小児科医と小児救急看護認定看護師のお二人が資料を元に詳しくお話ししてくださいました。一人でも多くの親御さんに聴いていただきたいと保育付きで開催されましたが、定員100名の会場が満員とはいかなかったようです。9月にお産に関する講演会が行われたときも関係者を入れて来場者は70名ほどで、せっかくのチャンスなのに、何とももったいないと思いながら、医療を受ける私たち自身が学ぶ機会をもてるよう何かできないかなと思ったのでした。区民大学でお隣になったMさんに声をおかけして、Mさんのお友達4名の方が手を挙げてくださり、まずは小児医療について学ぶ会を始めることになりました。小児救急講演会をみんなで聴き、終了後に場所を変えて、立ち上げについての初顔合わせ。きゅりあんで「秋のおさんの時間」が行われていた日に作戦会議を行ったとここで書いたのも、まだ名前もついていない、この集まりのため。集まった人、ひとり一人それぞれに、知りたいこと、学びたいことがあり、知識も経験もさまざまではありますが、噂に惑わされず、わが子や家族の健康のことに対処できるようになりたいという気持ちは同じです。気の早い私は、先月都庁ひろばで行われたイベントで「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会代表の阿真京子さんに「大田区でも始めますよ」とご協力をお願いしてしまいました。もちろん講演会の講師のお二人にも、ご協力をお願いしたのは言うまでもありません。さ、どのような活動になっていくんでしょうか。* * *昨晩は、大田区新教育プランについて意見具申を行う大田区教育懇談会がありました。向こう20年間の大田区の施政方針となる基本構想が決定、それに基づく10年間の基本計画の素案ができたところで、新教育プランも6つのアクションプランと体系図の素案がまとまったところです。漠然とプラン全体について思うところを述べていたのが、具体的な骨組みが提示されると、委員としても具体的なイメージが膨らみます。これまでの中で最も活発な意見交換がなされました。この会議でも、からだのこと、健康教育の大切さについて意見を申し上げてしまいました。どこまで家庭で育み、どこから学校教育の中で伝えていくのか。乳幼児の頃から、自分のからだの感覚、体調に意識を向けさせることは、基本的生活習慣を身につける上でも大切なことだと感じています。初めは親から子へ、そして親子で、当たり前のように話題にしてもらえるといいなあ。そこで改めて思ったことは、もうひとつの大田区での役割、次世代育成支援後期行動計画の策定。これは地域保健福祉計画の子ども分野の計画策定として行います。こちらにも、ちゃんと提案していかないとね。夜、床に入ったあとで、ずっと頭の中で引っかかっていたことにひとつの解決策を見つけました。教育プラン策定となると絶対に出て来る親教育という言葉。親教育ではなく親支援と捉えればよかったんだ。私自身が教育という言葉に妙に敏感ということもあるけれど、家庭教育、親教育と言われると親がますます追い詰められるように感じてしまう。でも、そもそも教育って、追い詰めたり押し付けたりするものじゃなかったはず。親教育と言う人たちが、具体的にどのようなものをイメージしているのか、お尋ねしてみればよかったかな。もしかしたら、親支援のイメージだったかもしれない。教育にも福祉的側面はあるのだから。新教育プランは来年4月頃には素案が完成し公表されて、パブリックコメントの募集もなされる予定です。それまでに懇談会としての意見や提案の取りまとめをと、来月までに各委員とも自分の意見などを文書にまとめて事務局に提出することになっています。手元にある宿題が、また増えてしまいました。風邪を引いている場合じゃないぞ。
December 10, 2008
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こんにちは、當間です。公式HPチームも走り出す(走らざるを得ない?)師走=12月の到来です。人と人との“人間”としての「つながり」をつくりたいね、と始終やさしい笑みをたたえていらした新澤誠治先生のインタビュー原稿がまとまったと思ったら、福川須美先生のインタビューの日がやって来て。紅葉真っ盛りのキャンパスで、国際理解の教材の写真を見せていただき、日本人家庭の持ち物の多さに驚くとともに、保育のニーズはシームレスというカナダの言葉を聞く。15日には武田信子先生にもお会いします。4つ葉へのメッセージ以外にも、たくさんのギフトをいただいているのがインタビューの時間です。この合い間にも、行政マンや子育て支援者から有り難ーい原稿が届きます。こんなにたくさんのモノを受け取って、インプット過剰気味の今は、「出るものが出ない妊婦さんみたい」な状態。(Mさん、いただいたメールの言葉にウケちゃって、 ついここで使ってしまいました!)ご協力いただいているみなさま、本当にありがとうございます。インプット過剰なのに、今日は厚生労働省へ少子化特別部会の傍聴に行き、まとめに入る議論を拝聴して来ました。部会が終わって街に出たら、輝いていたのはクリスマス・イルミネーション。そう言えば、10年くらい前に、ある周年史に似たような言葉から始まる編集後記を書いたのでした。学生時代、「10年後を見ろ!」が口癖の友人がいて、当時の私は、5年で充分だよって思っていました。若かったから。彼は、大学卒業後10年経たずに、病気で逝ってしまいました。ちょうど20年前のことです。12月らしい慌ただしさの中、彼の命日が近づくと、つい10年後に思いを馳せてしまう。自分の人生と重ね合わせてみれば、これまでの10年なんて予定調和的に過ぎた平和な10年だったかもしれない。この先の10年は波瀾万丈必至。社会の状況は、どう変化するのかな?次の10年も、友人の代わりに、ちゃんと見ておこう。
December 3, 2008
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こんにちは、當間です。昨日の暖かな日射しから一転、冷たい雨が降る今日の東京です。さて、1週間前の日記でご紹介した「児童福祉法などの一部を改正する法律案」の審議経過、25日に参議院厚生労働委員会で可決、本会議でも26日、全会一致で可決しました。4つ葉プロジェクトの予算関連勉強会で法律改正案を取り上げたのが2月。「あまりに時間が経ちすぎて、 どんな内容だったか忘れちゃった」という方は、こちらでご確認くださいね。HPで確認して、おやっ?と思ったのは、本会議での採決方法。押しボタンによる投票が行われていて、誰が賛成・反対のどちらのボタンを押したか、全議員の投票結果が公表されています。全会一致なので、反対票を投じた議員はいませんが、投票ボタンを押していない議員がちらほら。あなたが票を投じた議員や応援している議員はちゃんと投票に参加しているかどうか、こんなところで確認出来る。また、ほかの法律案の審議経過を見てみると、採決方法が違ったり、いまだ審議の途中であったりと、思わずニュースの見出しや新聞記事が思い出される。どんな理由から採決方法を変えているのかな?なんて疑問もわいてきてしまいます。(どなたか、教えてくださいませんか?)せっかくこういう形で公表されているのだから、たまには覗いてみることも大事かも。票を投じた議員や応援している議員がちゃんと仕事をしているところを確認しておかないとね。放ったらかしにしておいちゃ、彼らのモチベーションが続かないかもしれません。* * *まだ駆け出しの社会人だった頃、「ニュース記事を書いたら、 必ずその後のこともちゃんとフォローしておくんだよ」と誰かに言われた記憶がある。ブログといえども、その後のフォローは致します。いや、ブログだから、大事件で予定稿が飛ばされることもなく、このようにフォロー出来るのかもしれませんね。(長くて重い人生の話は、また今度ね)
November 27, 2008
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こんにちは、當間です。石山家、大変でしたねえ。でも、とってもいい判断。恐らく小児科医に褒められたのではないかしら?「この日は何かが違った」親だからこそ、家族だからこそピンと来る。この第六感はとっても大事です。以前取材した医師も、娘のことでお世話になった医師も、みんなが口を揃えて言うのは、この「何かが違う」「いつもと違う」感じを絶対に見逃さないこと。特に親の勘の鋭さ、観察眼の確かさには、どんな名医もかなわない。(きっと、それが愛よね)自分自身の体調管理でも、「何だか変だな」「おかしいな」という感じは絶対に見過ごさないことが肝要です。日記を読んで、そうだ!と思ったので、思わずしつこく言いたくなってしまいました。これから先は多種多様の風邪のシーズンでもあるし、小さなお子さまや年配の方がいらっしゃるご家庭では特にご配慮を。(余計なお世話だった?)* * *先週土曜日に東京都庁で開かれた「子育て応援とうきょう会議2008」のイベントに、私も行ってみました。ちょうど17年ぶりに学生時代の仲間と新宿で飲み会があったので、少し早めに家を出た。いしやまきょうこさんや市川望美さん、阿真京子さん、大田区や品川区の仲間などなど、いろいろな方にご挨拶していると、なんと研修で上京していらした京都・宇治の迫さんにお会いして、言われちゃった。「4つ葉のブログ、長過ぎるわ。それに重いし」はいはい、その自覚は充分にございます。重くて済みません。本当は、「人生はそれほどに長く、重い」という話を書こうかと思ったのだけれど、(本当よ)迫さんとお約束したので、(苦笑)今日はこの辺で。God bless you!(風邪つながり)
November 26, 2008
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こんにちは、當間です。先週末、品川・大井町で行われた「秋のお産のじかん」では、たくさんの方にお会い出来てうれしかったです。出展していた「おおたde子育て」のみなさん、NPO法人「おばちゃんち」のみこおばちゃんこと渡辺さん、武田ひろみさんをはじめ、品川子育てメッセ実行委員の方、マドレボニータのみなさま、さらには吉岡マコさんにまで!21日に更新する公式HPでは、吉岡マコさんに「わたしのものがたり」へご寄稿いただいています。先にそのお礼を直接申し上げることが出来ました。実はその日、大田区の若いお仲間とちょっとした作戦会議を行う予定になっていて、その待ち合わせ場所も「秋のお産のじかん」の開催会場と同じ建物内にして、“会議”の前後にイベントでの交流も楽しんだのでした。何のための作戦会議だったのか?ということについては、また改めてご報告しますね。品川区と大田区とは単にお隣同士というだけではなく、人と人との交流もかなり頻繁です。元大田区民で現在は品川区民もしくはその逆という人も結構いらして、そこからまたご縁が広がっている感じ。そこに4つ葉プロジェクトという条件を付け加えると、イベントなどをきっかけに、さらに広がっています。大本のところには、みんな同じ問題意識をもっているという共通項目があります。ちょっとカタそうな方向に話が向かいそうですが、(苦笑)「同じ問題意識」をもってるということは、「解決したいと思っている問題が同じ」であるということ。人は誰でも、問題に出くわすとそれを解決したくなる生き物なんだなあと、改めて思わせてくれたのが、ほぼ日刊イトイ新聞で現在連載中の座談会梅田望夫×岩田聡×糸井重里「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」です。「インターネット上では適切な大きさの問題さえ生まれれば、 そこに問題があるというだけで、それを解決する人が現れる」というRuby開発者・まつもとひろゆきさんの言葉に、「目からウロコが落ちた」というウェブ評論家の梅田望夫さん。これぞ「オープンソースの開発に携わってきた人ならではの発想」。「問題がそこにあると、 当事者として考え、解決しようとする」人が次々に現れる。そんな人の代表だと、座談会の冒頭で糸井重里さんが感動していらっしゃるのがニンテンドーの岩田聡さん。「なにかの意味のためにやるんじゃない。 単に、自分が解決したい問題がそこにあった」(岩田聡さん)「いちばん大事な情報さえ共有されていれば、 それでいいわけですから」(梅田望夫さん)(いずれも「適切な大きさの問題さえ生まれれば。」より)インターネット開発の起源には、共通する問題解決に向かって、思いを同じくする者同士、情報を共有しながら、よってたかって意見を出し合っていくためのツールという意味合いがあったと聞いたことがあります。現実世界では出会える人は限られていますが、インターネット上では、肩書きや年齢はもちろん、国境も人種も越えることが出来ますよね。世界中から知恵やアイデアが集まってくる。コメント欄に多くの方が惜しげもなくご自分の知識などを披露、真摯な議論が戦わされているブログなどを読むと、「おお、これは勉強になるなあ」と思う前に、「人って素晴らしいな」って感じます。問題提起の仕方が素晴らしいからかもしれない。ブログやmixiを通じて広がった「妊娠の心得11か条」も、そうしたインターネット上のコミュニティがあったからこそ生まれ、広がっていったんだろうと思います。いずれも、机上の空論なんかではなく、実際に業務に携わっていたり、活動に従事している方々による実践的なことだから、価値がある。4つ葉も、そうなれるかな?なれるといいな。それには、「よい問いを立てる」(by:松田妙子)ことよね。*追伸:前国会で廃案になった「児童福祉法などの一部を改正する法律案」、ようやく参議院厚生労働委員会に付託されましたね。
November 19, 2008
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こんにちは、當間です。実家からの帰り、日帰りでくたびれたので夕飯代わりにと羽田空港で空弁を買ったら、レジで一つひとつ賞味期限を読み上げて確認を促されました。売る側にも説明責任ってことなんでしょうか?買うほうとしても、賞味期限は一応チェックしているんですけれどね。(ふふふ、手抜きをしていることがばれちゃった)行き帰りの飛行機の中では、萩原久美子さんの近著「「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任」(勁草書房)を読んでいました。1965年、日本で初めて育児休業を電電公社との労働協約の中に明文化した全電通(全国電気通信労働組合)。その成立過程を詳細な調査とインタビューでまとめた力作です。まだまだ途中ですが、労働組合の年史などを手がけてきた身としては一気に引き込まれてしまう面白さ。でも、描かれていることの一つひとつにう~むと考えさせられるので、一気呵成に読み終えるというわけにはいきません。バッグの中には、もう1冊、「子どもが減って何が悪いか!」(赤川学・著/ちくま新書)。こちらは、少子化対策についてのさまざまな言説を一つひとつ論破しています。でもね、最後の最後に、こう書いてある。子どもは、親や周囲の人たちから愛されるために産まれてくる。それ以外に、産まれてくる理由は必要ない。本書は、煎じ詰めれば、そのことを伝えたかっただけである。筆者のこの気持ちは、本文中の随所に出てきます。そのために、おびただしい論文や書籍を読破、さらに精査して、これだけの反論を書いたのか、と、その熱意と馬力に、ただただ感嘆させられてしまいます。「どんな本も、2回読んでみてくださいね」と「貨幣論」の岩井克人さんがおっしゃっていて、確かに、「これは!」と思った本は2回以上読んでいます。ただし、続けてではなく少し間を置いてから読む。読むたびに、ずいぶんと感想が変わってくるし、新たな発見もあります。賞味期限がある本もあるけれど、まったくそんなものを感じさせない本もある。何度も繰り返し読もうと思う本は、多分賞味期限とは無関係。いやいや、それは本だけに限らないんだけれど。もうひとつ、「今が読みどき」というのも。こっちは、読む人にとっての「旬」みたいなものでしょうか?(*1カ所変換ミスがあったので訂正しました。 眠気と格闘しながら打つと、こういうことになります)
November 12, 2008
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こんにちは、當間です。先週、地元の区民大学で杉山さんの講義を聞いていたら、よく知った方が遅れて入っていらして、驚きました。この春まで私が所属していた子ども関連施設の運営委員会のメンバーで、定年で仕事をリタイアなさったばかりのNさん。「友人が若い妻と結婚して、 何と今更育児を始めたものだから、 仲間と一緒に、一生懸命に 今の子育てを勉強している最中です」講義のあとの彼の自己紹介です。全6回の連続講座をどうやら皆勤で受講、若いお母さんたちとも、なんとなくなじんでいます。区民大学だけじゃなく、この夏から私が関わるようになったふたつの会議の傍聴席でもNさんのお姿をお見かけしています。勉強熱心で行動力もある。帳票の整理や企画の提案の仕方などから、現役時代も、かなり仕事のできる方だったのだろうと容易に想像されます。杉山さんの講座終了後に子ども関連施設の広報誌と新規事業の子育てサロンのちらしを渡してくれました。「ベビーカーのメンテナンスをします」ベビーカーのメンテナンスの間に、親子向けに紙芝居や絵本を読んだりパネルシアターなどを披露して楽しんでもらう企画。小さな字で「ママチャリの整備もできます」と書いてありました。自転車の整備はともかく、ベビーカーのメンテナンスだなんて。汚れを落としたり、シートを洗うことはあっても、油を注すこと自体、思いもよらなかったわ、私。「目の付けどころが違うよね」地元で人に出会うたびに宣伝したら誰もが口を揃えて褒めていました。とても丈夫に作られているベビーカーではあるけれど、油を注すだけでも、見違えるくらいに動きが軽く、操作しやすくなるんです。ご近所の私立高校では、もともと工業高校だったということもあり、社会貢献活動の一環として「おもちゃの病院」と「車椅子のメンテナンス」を行っています。この高校生の活動と、Nさんたちの子育てサロンとが手を結べば、なかなかいい活動になるよね。区民活動支援施設事務局長のIさんと勝手に盛り上がってNさんに提案しに行ったら、「次回かその次辺りにお願いするつもりで 打診してあります」。Nさん、もう手を打ってる。さすが。実は両親学級を受講して、最近の両親学級の傾向までしっかりリサーチ済み。これには、区民大学で出会ったとき以上に驚きました。驚くというよりも、その腰の軽さにシンパシーを感じてしまった。いいなあ。実は、もうひとりNさんがいらして、こちらのNさんは、絵本の読み聞かせや折り紙など、子育て支援にぴったりの特技をお持ちです。孫育ての経験から親子支援をと運営委員になった方。保育園や学童保育の事情にも詳しい。情報提供などを目的としたスペースの運営でも、ふたりのNさんの“接客”術はずば抜けています。不安げに足を踏み入れた若いお母さんたちにさり気なく声をかけて、相談に乗ることができる、頼もしい“じいじ”たち。発足して7年目となった運営委員会にも、新しい風が吹き始めているなと感じます。地元でも、ここ数年でたくさんのNPOが誕生、その多くがリタイア後に地域で何かをという方々が中心となって立ち上がっています。最近のトレンドは、リタイアした人たち同士の相互支援活動です。できれば、親子の支援にも関わっていただきたいなあ。地域の子どもたちの“じいじ”として、力を貸していただけるとうれしいなと思うのは、ひょっとして私だけかしら?
November 5, 2008
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こんにちは、當間です。「ほしいものが、ほしいわ」コピーライターの糸井重里さんの代表的なコピーのひとつ。初めてこのコピーに出会ったとき、何と意味深長なコピーなんだろうと、うなってしまいました。“自分が本当に欲しいもの”が欲しいのに、市場に出回っていないことを意味するのか、“私が欲しいもの”を誰か作ってと言っているのか、ものに充足されすぎてしまって、“欲しいもの”が分からなくなってしまった人の悲鳴のようなものなのか、ただ単に、「欲しいものが欲しいものなの」と言っているだけなのか、いったい、どれなんだろう?このコピーは、1988年、西武百貨店のポスターに書かれたもの。当時のことをよく覚えている人には、上に書き出した解釈のうち、どれが当てはまるか、よくお分かりだと思います。* * *暮らしの中での困りごとには、既成の物やサービスでは対処出来ないさまざまなものがあります。行政や民間のサービスどちらかではとても補い切れないこともあり、あれこれ組み合わせてみてもどうも今ひとつしっくりこないこともあるでしょう。じゃあ、作ってしまえ!と自分たちで作り上げてみたものの、思惑が外れてしまったということはないでしょうか?本当は自分が支えてもらいたかったのに、“製造責任”で支える側に回ってしまい、支えてもらえなくなってしまった……。あるいは、誰かが頑張って作ってくれた仕組みを享受することだけが当たり前になってしまって、消費し尽くし、壊してしまった……。* * *着ている服も靴も住居も、売られているものから選ぶ生活にすっかり慣れてしまっている私たち。ベッドやタンス、食器棚といった家具も既成のものから好みにあったものを選びます。お店には、次々と目新しいものが並べられていき、そうした中にも好みや体型にぴったり合うものを見つけたときにはなんとなくほっと安心したりします。いずれにせよ、すでに用意されたカタログのようなものの中から選ぶことに慣れていて、完全な自分の好み、体型などに合わせたオーダーメイドのものに出会うことは、めっきり少なくなりました。日々、オーダーメイドでつくられているものと言えば、唯一食事ぐらいのものでしょうか?それだって、忙しさについ、出来合いのおかずを買ってきたり、コンビニ弁当やファーストフードなどで済ませてしまうことがあります。宛てがい扶持のもので適当にやり過ごしているうちに、どれが本当に欲しいものだったのか、自分に合うものはどういうものだったのか、分からなくなっていたりしないでしょうか?お気に入りの靴をようやく手に入れて、そのフィット感もデザインも大好きだったのに、次にお店に行ったときには、もう手に入らなくなっていた……。仕方がない、次を探そう。そんなことばかり続けていては、だんだん居心地が悪くなる一方のような気がします。
October 29, 2008
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こんにちは、當間です。お昼前に1通のファクシミリが届きました。「いま、動かなければならない! 介護保険を持続・発展させる大きな輪を作ろう!! 『介護保険を持続・発展させる1000万人の輪』の設立へ!!」おお、これは先日の杉山さんの日記にあった、田中尚輝さんが関わっていらっしゃるイベント。現状のままでは介護保険制度が壊れてしまいます。よりよい介護保険にするためには、広範囲な個人や団体がそれぞれの利害を超えて一致協力することが必要です。そこで、「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」を設立することにしました。(ちらしリードより)「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」設立準備会の共同代表呼びかけ人は樋口恵子さんです。ちらしによれば、1000万人という数字の根拠は「介護保険サービス利用者約400万、 家族のひとりを代表として400万、 介護従事者100万以上、事業者・専門家を合わせたもの」だそうで、少しも大げさではないとのこと。ふーむ。この有権者の1割を占める国民の声がまとまれば、必ず財源を含めて、信頼に足る社会保障に打ち立て、利用者の視点に立った持続可能な介護保険制度を再構築できると確信します。(ちらしリードより)子どもや子育てのことで一緒に活動してきた仲間の多くが、介護保険の分野にも関わっています。開催当日のプログラムを見ても、見知ったお名前、団体名が散見されます。このちらしが私の家に届いたのは、決して不思議なことではありません。みんなで知り合いを紹介し合って、こうやってメッセージを届けているんだ。そうそう、8年ほど前に子どもの環境を守ろうと大田区内の主だった人たちが集まったときも、今日のようにファクシミリが届いたのでした。* * *先週末、娘の17回目の誕生日を祝いました。この日、東京・明治公園で市民団体「反貧困ネットワーク」が集会を開くことは知っており、子どもや子育てに関する分科会のような集会の呼びかけチラシも受け取っていました。行きたいけれど、さすがに休日と重なった娘の誕生日に家を留守にするわけにはいかないよなあ。珍しく家に居た夫とともに家族そろって買い出しに行き、夕飯を囲みました。で、週明け。週刊東洋経済の「家族崩壊」という文字に目が止まり、目次に目を通して、そのまま買って帰りました。「考え直しませんか? ニッポンの働き方」一番気に入ったのはこのサブタイトル。経済誌がこういう切り口で特集を組むなんて!特集の前文に当たる部分では、グラフや図とともに問題点をかいつまんで紹介しているのですが、こんな風に締めくくっています。振り返れば、日本政府も1994年の少子化対策「エンゼルプラン」など家族に関する政策は多数打ち出している。しかし、部分的な政策に終始し効果は薄かったといわざるをえない。すべてつながっている問題を解きほぐすには、税制・社会保険改革から雇用戦略、社会保障の拡大まで総合的な政策のコーディネーションが重要になってくる。昨今の非正規雇用の急増にしても、全体のコーディネートを怠りながら労働派遣法の緩和だけに手を付けたための副作用という側面がある。人は、不安や恐怖のあるところで創造的な仕事はできないものだ。家族崩壊の連鎖を止めるような雇用戦略や社会保障改革が進めば、日本経済でもイノベーションが起き、経済成長が刺激される可能性は高い。家族崩壊を食い止めることは、日本経済を立て直すことでもあるのだ。雑誌の編集なんて仕事に関わってきたから、「誰がどういう発言をしてくださるのが最も効果的か」ということを常に考えてしまいます。経済誌でこういうことを言ってもらうと、何だか心強い感じ。「手当を増やすと言ったお金の問題より、 男女の歪んだ働き方を是正すべきです。 女性が産みたがらないことと男性の働き過ぎは 表裏一体なんです。 少子化問題の背景には、 長時間労働で家庭責任を負わない男性の存在がある」よくぞ言ってくださったと思った週刊東洋経済の特集記事でのこのコメントは、「経産省の山田課長補佐、ただいま育休中」(日本経済新聞社)の著者、山田正人さんがおっしゃるからこそ、響くべきところに響く。それでも、壁は厚そうだなあ。“長時間労働で家庭責任を負わない男性”そのものが、何だか恵まれているように見えてくる昨今。責任を感じすぎて結婚できない若い男性も大勢いるわけで。同誌が特集「子ども格差」を組んだのは、今年の5月のこと。親の年収と子どもの学力とがパラレルになっているという話だけじゃなく、貧困の世代間連鎖、社会保障制度の問題点、子どもの心身の危機などについても取り上げていました。しかし、今回のように家族の危機という切り口で取り上げたほうが、年代を超えて貧困や格差に喘ぐ人たちが増えていることや、その構図などがよく見えるように思います。“子ども格差”の構図もより深く理解できる。ネットカフェ難民という言葉を聞いて、第一に感じたのは、家族というセーフティーネットの本格的崩壊でしたし、個室ビデオ店放火事件のとき、夫が「カプセルホテルに泊まればよかったのに」とつぶやいていましたが、カプセルホテルという存在自体、すでに働く人たちの窮状を物語っていたのでは?なぜ子育てと仕事の両立、ワーク・ライフ・バランスの必要性が叫ばれているのか、保育の質と量の向上、両方が不可欠と言われる意味、そして改めて介護保険制度の充実が求められるのは何故か、家族という形態の変化、環境の悪化を一つひとつ見つめて、ようやく見えてくるものがあります。本当にね、「子ども格差」のときのサブタイトル、「このままでは日本の未来が危ない」って思っちゃいます。よろしかったら2冊とも読んでみてください。図書館には必ず置いてあるはずです。* * *暗ーい話をしていますが、「迷走する両立支援」(太郎次郎社エディタス)の著者萩原久美子さんが、こんなことをおっしゃっていました。「辛くて暗くなっちゃうかもしれないけど、 ちゃんと現実を知っておいたほうがいい」自分の娘が高校生にもなってくると、さらに現実味を帯びて身に迫ってきます。かつてはわが身に迫ってきたことが、わが子にまで迫りつつあるかもしれないんですよ。もしくは、わが身は守れたのにわが子が守れないことになるかもしれない。まさかと思うでしょ?そのまさかが、まさかで終わらないところが一寸先は闇という現実の怖さです。
October 22, 2008
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こんにちは、當間です。今日は府中にある東京自治会館で「(財)東京市町村自治調査会 平成20年度調査研究発表フォーラム 多摩地域の子育て支援について ~「子育て・子育ち」が楽しくなるまちづくり」が開催されました。ご参加くださったみなさま、どうもありがとうございました。また、実行委員として尽力いただいた多摩地域のNPOのみなさまお疲れさまでした。事務局スタッフとして私も参加の予定でしたが、緊急事態発生で参加は叶わず、気分はお留守番。事前の実行委員会で記録を取らせていただき、日々現場に立って現実に直面していらっしゃるNPO代表のみなさまの真摯なご意見に直接触れた者として、フォーラムの内容に大きく期待を抱いていただけに、武田さんがご自分のブログに会場風景をアップしていたのを拝見して、参加できなかったことをとても残念に思いました。* * *昼間はお留守番気分だったのですが、夜は次世代育成支援行動計画推進委員のほかにもうひとつ大田区から委員を拝命している教育懇談会に出席しました。大田区では20年後のあるべき姿を目指して基本構想を策定、昨日区議会で議決されました。今後は、議会決定を受けた基本構想を元に、10年後を視野に入れた基本計画の策定が始まります。この基本構想と基本計画は、大田区のこれからの施策の根幹をなすものになります。教育についても、ちょうど5年前から推進されている教育プランを新たに策定すべく検討が始まったところで、今回議会決定された基本構想が基本理念として色濃く反映されていくことになります。教育プランの具体的な内容については、新教育プラン策定委員会で検討され、教育懇談会は、検討された中身について各委員それぞれの立場から意見具申を行います。今日のところは、現行の教育プランの昨年度の評価と今後の課題を踏まえての各委員からの意見と提案に留まりました。今日出された意見提案が、どのように反映されていくのかについては、まだわかりませんが、これまで関わってきた児童福祉分野との違いが少しずつ分かり始めてきたところなので、個人的には興味津々といったところです。国も東京都も、「教育の基本は家庭教育にあり、 親が子どもの教育の最終責任者である」というのがベースにあるので、下手をすれば本田由紀さんの著書「「家庭教育」の隘路」(勁草書房)のサブタイトル「子育てに強迫される母親たち」という状態に拍車をかけることになりかねません。現行の教育プランの策定時にも「最後に指摘されたのは 親の教育をやり直せということだった」そうですから、大田区もうかうかしていられないのですが、そこのところは、現在推進しているもうひとつの子ども関連のプラン、次世代育成支援行動計画もありますよとアピール、より幅の広いところから見てくださいとお願いしたし、これからもお願いしていきたいなと感じたことでした。親の教育をやり直せということは、これまでの教育がもたらした結果をなんとかしろと言っているのと同じことなんじゃないかしら、そこには今の親を育てた人への批判も込められていることにもなるよね、とこっそり思ったりもして。* * *次世代育成支援行動計画も、後期行動計画については基本構想が反映されていくことになるんでしょう。先日、参加したあるフォーラムの資料で東京都内のいくつかの自治体の行動計画策定の取り組みを一覧表で比較することができました。それぞれの自治体には、それぞれの基本構想や基本計画があり、また子ども条例の有無などの違いもあって、行動計画への取り組みにも、そうした背景の違いなどが色濃く出ているなあと感じました。行政の取り組みと奮闘ぶりを垣間見る格好の本として、大豆生田先生から推挙いただいた元横浜市副市長の前田正子さんの著書「福祉がいまできること」(岩波書店)を挙げておきます。じっくり紹介しようと思いながらも日が過ぎてしまったので、今日はご紹介だけ。
October 15, 2008
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こんにちは、當間です。こんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせる事故がもとで、メーカーのひとつがこんにゃく入りゼリーの製造中止を発表しました。ひとくちサイズのカップ入りで、その食べやすさと食感、こんにゃくという素材でできていることから、スタイルを気にする女性を中心にとても人気のある食品のひとつです。私の周りにも、ファンがたくさんいます。事故の被害者は幼児と高齢者に集中しており、昨年は小学生による事故も報告されています。食べ物をのどに詰まらせる事故の原因には、こんにゃく入りゼリー以外に、餅、ご飯、パン、ナッツ類、飴玉など、さまざまなものがあり、特にナッツ類の危険性については、乳幼児の親御さんの間ではよく知られていることでしょう。* * * * *料理関係の記事を担当していた頃、当時絶大な支持を受けていた料理研究家に、高齢の家族の食事について取材をしたことがありました。「子どもを育てた経験のある女性にとって、 お年寄りの食事は、離乳食のおさらいみたいなもの。 そう考えると、楽よ」まだ独身だった私には、イメージし難いメッセージでしたが、離乳食・幼児食と介護食の調理のコツを一気にご指南いただけて、何だか得をした気持ちになったことを覚えています。そしゃくして飲み込むおけいこや味付けに工夫が必要な乳幼児といろいろな機能が徐々に衰えて行く高齢者。離乳の進んだお子さんには、お肉を小さく切ったり、お魚をほぐしたりすれば家族と同じ献立の食事を提供できるのと同様に、高齢の家族についても、同じような工夫をすれば食べやすくなる。ちょうどビデオを逆回しにするような格好ですが、調理で心がけたいポイントはよく似ています。ただ、柔らかく煮たり、細かく刻むだけではときに危険を伴う状態の人もいらっしゃり、さらなる工夫が求められます。ホームヘルパー2級講習を受講したときのこと。調理実習のその日、たまたま風邪気味で喉に軽い炎症を起こしていました。そこにひき肉料理が2種類供され、片方を飲み込もうとしたとたん、喉がいがらっぽく感じられるだけでなく、気道に入り込みそうな気配と殺意のようなものを感じてしまいました。食べたものから殺意を感じるなんて、初めてです。どきりとしました。ひき肉がひと粒ひと粒バラバラになっており、その固いツブツブが気道に入り込みそうだったのです。つなぎを使ってまとめた団子状のもののほうが柔らかく、楽に噛むことができ、喉の通りもスムーズでした。細かくなっていればいい、とろみを付ければいい、というものではないんだということを身をもって知った瞬間でした。そしゃくや飲み込みの状態をしっかり観察する必要があるという点では、乳幼児も高齢者も同じです。食べるご本人の状態に合わせた調理法が求められるゆえんでもあります。大きさや柔らかさ、食べる方のそしゃくや嚥下機能などに留意すれば、安全に食べられるという点では、こんにゃく入りのゼリーだって同じかもしれませんね。(乳幼児や高齢者にこんにゃく入りゼリーを 食べさせる必要があるのかどうか、 という疑問や 韓国や米国、EUではこんにゃく入りゼリーの 回収や規制が行なわれているという事実は、さておき)* * * * *ただ、どんなに調理に工夫を凝らしても、どうしても食べられない場合があります。それは、ご本人が食物アレルギーである場合。そばや小麦、甲殻類、ナッツ類などは、いのちの危険が及ぶような激しい反応=アナフィラキシーショックを起こすことがあり、この場合には、食べられません。また、食べられないだけではなく、吸い込んだり、触ったりするのもダメな場合があります。そりゃあ、特別なケースでしょ?と思われるかもしれませんが、意外と身近なところに、そういう方がいらっしゃったりします。ひとくちに「安心・安全な食べ物」と言っても、ずいぶんといろいろなことが思い起こされるものだなあと、溜め息が出そうです。からだの害になる物質が入っているなんていうのは、もちろんレッドカードですけれど。
October 8, 2008
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こんにちは、當間です。なんだか国の内外が大きく揺れているようで落ち着かない気分にさせられる報道が続いていますね。あっという間に10月。しかも寒いっ。思わずセーターを引っ張り出してきてしまいました。月曜日、今日と同じように雨の降る肌寒い夜、P研(保育者の専門性研究会)の勉強会に参加、4つ葉プロジェクトのパンフレットを配らせていただきました。熱いこころをお持ちの保育者のみなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。このブログでもおなじみのゼミ長の今井さん、世話人の山田麗子さん、木村明子さん、どうもありがとうございました。勉強会での話題提供者は、ネパールの子どもたちの瞳の輝きに魅せられ、仕事を辞めて現地に飛び込んでいった元保育士桜井ひろ子さんでした。この日は、勉強会の前におとなの読書会に出席。おとなの読書会と言っても児童文学を読むのが目的で、目下のところは、この春に逝去なさった石井桃子さんの作品を取り上げています。この日の課題図書は「クマのプーさん」(岩波書店)。石井桃子さんが、元首相の犬養毅氏のお孫さんたちに読んで聞かせたのをきっかけに翻訳、日本に紹介された物語です。といっても、多くの方にはディズニーの「クマのプーさん」のほうがおなじみかもしれませんね。雑誌のコラムニスト、劇作家として活躍していたA. A. ミルンが、わが子クリストファー・ロビンと彼の部屋のぬいぐるみたちを主人公に語り始めるところから始まる、このお話は、言葉を覚え始め、自分の世界を自分の目と足で広げ始めた子どもの視点で書かれています。プーさんはクリストファー・ロビンのお気に入りのぬいぐるみ。夜、寝る前になると、クリストファー・ロビンに連れられて、居間へ降りてきます。物語の冒頭、クリストファー・ロビンがお話をねだります。「お話はどうかな?」と、クリストファー・ロビンがいいました。「お話がどうしたって?」と、わたしがききました。「すみませんけど、おとうさん、プーにひとつしてやってくれない?」「してやろうかな。」と、わたしはいいました。「プーはどんなお話がすきだっけね?」「じぶんが出てくるお話。プーって、そんなクマなんだよ。」「なるほど。」「だから、すみませんけど。」「じゃ、やってみようかね。」というようなわけで、わたしはやってみました。(「クマのプーさん全集」より抜粋)いかにもイギリス。おとうさんにお話をねだるときにも、「すみませんけど」と紳士的振る舞い。でも、いかにも子どもらしいおねだりの仕方で、思わずこちらのほおが緩んでしまいます。作中に出て来るプーさんの歌が素敵で、子どもの頃に何でも歌にして歌ってしまった記憶が蘇ります。たとえば……。頭のわるいクマのうたえる晴れてあつい月曜日、ぼくは、しみじみかんがえる「なにがどれで、どれがなにか というのは、ほんとうか、またうそか」雪あられふる火曜日に思いは、つもるぼくのむねこれがあれか、あれがこれかそれをだァれも知らないゆえに……(「クマのプーさん全集」より抜粋)「なにがどれで、どれがなにか というのは、ほんとうか、またうそか」なんて、まるで哲学者みたい。翻訳ですから、読みながらこの言葉、原文ではどのようになっているんだろう?と知りたくなる部分がたくさん出てきます。そこは会場が絵本屋さんだということもあり、お店の書棚から原書が持ち出され、ひとつひとつ確認していきます。確認しては、訳した石井さんの感性やセンスにますます感動してしまいます。クマのプーさんとその仲間たちは、現在、ニューヨーク公共図書館にひっそりと展示されており、ニューヨークに住んでいたメンバーのひとりがポスターとカードを持ってきてくれました。さらに、プーさんのデザインとは少し違うけれど、いくつかのテディベアも持ち込まれました。やっていることは、極めておとなチックだけれど、きゃあきゃあ言っているので、知らない人が見たら、いい歳をしたおばさんたちが何をそんなに女子高校生のように騒いでいるのか?といぶかしく思うでしょう。(苦笑)まあ、そんな会で子どもの世界にどっぷり浸ったあとに、ネパールで暮らす子どもたちの話をお聞きする。いい一日だったなあ。とまあ、まったく偶然なのですが、このように読んでいた本の内容とリンクする出来事があったり、ちょうど考えていたことに呼応するような活動をしている方に出会ったりと、さまざまなものやこと、人とつながりながら、日々が過ぎていきます。そういえば、昨夜のNHK総合「爆問学問」でも、最近気になるテーマのひとつとして読んでいた「反貧困」(湯浅誠・著/岩波新書)や「軋む社会」(本田由紀・著/勁草書房・刊)とリンクする内容が語られていましたっけ。タイトルが「愛の政治学」。(姜尚中さん、声も素敵だった!)海の向こうで金融不安に巻き込まれた友人家族の行く末を気にかけていることも、世の中と私をつなげていることのひとつ、と言えるのかな。
October 1, 2008
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こんにちは、當間です。10日ほど前に、地元大田区から次世代育成支援行動計画策定のためのアンケート調査票が届きました。調査票が届いたと言っても,私に期待されているのは回答することではありません。8年間にわたる地元自治体とのコラボに別れを告げたはずでしたが、この夏から次世代育成支援行動計画推進会議委員を拝命しており、アンケート実施の前に目を通しておき、区民からの問い合わせがあったら応じるようにというのがお役目のひとつなんです。だから、「就学前児童保護者向け」「小学生保護者向け」「中高生向け」の全種類が届きました。今回のアンケート調査は、平成22年から26年にかけて実施される後期計画策定のための事前調査です。すでに無作為抽出で選ばれた家庭には届いています。現在推進中の前期行動計画策定の際には、小学生保護者のひとりとして回答しました。5年前のことなのでうろ覚えですが、育児・子育てに関して、現在利用している公的サービスや相談先、これまでに困ったことや現在困っていること、あったらいいなと思われる支援策などについての設問が並んでいたように記憶しています。当時、すでに子ども関連施設の運営委員をしており、ラストの自由記入欄には、「親は、一緒に悩んで、一緒に考えてくれる人が、 少し大きくなったこどもは いつも見守ってくれるおとながいて欲しいのだと思う。 児童館や図書館の職員が2、3年で異動していくという 現行のローテーションは短すぎる」と書きました。当時は、ようやく子育てひろばができるかできないかという状況でもあったのです。前回同様、アンケート調査票に挙げられる項目は国から提示された項目を精査、地域保健福祉計画との連携をとりながら実施されています。たまたま2回ともアンケート調査票を目にすることになって、おお、そうか、と気がついたのは、前期行動計画の推進状況と区民の満足度をはかるだけでなく、この先に重点項目として盛り込んでいきたい内容についてもしっかり訊いておこうという内容になっていたことです。国から届いたものをたたき台に作られているので、大日向先生や杉山さんが関わっていらっしゃる少子化対策特別部会などで審議されている内容がそれとなく反映されているような、いないような……。前回の中高生本人に向けたアンケート結果の一部は中学校PTAの広報誌にも転載させてもらいました。自己肯定感に関する設問があったからです。今回の中高生向けアンケートにも、同じ設問がありました。どのような集計結果がもたらされるのか、それをもとにどのような議論がなされるのか、まずは回答用紙が届くのを待たねばなりません。(届いた人は、記入してちゃんと送り返してくださいね)前回のアンケート結果は冊子にまとめられており、区役所内の区政情報センターで閲覧できます。今回も冊子にまとめられて、閲覧可能になるはずです。大田区には、地域住民の保健福祉に関わる保健福祉計画を策定、推進する地域保健福祉計画推進会議が設置されており、前期の次世代育成支援行動計画は、地域保健福祉計画推進会議委員と区内の関連団体代表者からなるこども専門部会を立ち上げて策定されました。後期行動計画をどのような方法で策定していくのかは現在協議中です。子育てひろばや児童館などにも出向いて直接ヒアリングができないかな、子どもや育児・子育て当事者にも審議に参加できる機会を与えてもらいたいななどなど、一区民としての願いはそれなりにあるのですが、実現できるでしょうか。みなさんのお住まいの自治体でも、もう後期行動計画策定に向けて動き出しているでしょう。どのような状況か、情報交換しませんか?(とんでもないことになりそう!とおっしゃっていた 井出崎さん、その後どうなりましたか?)
September 24, 2008
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