星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

PR

プロフィール

星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.08.03
XML
​​  来週の火曜日(8月9日)はシンガポールのマレーシアからの独立記念日で「National Day(ナショナル・デー)」と呼ばれ今年で57回目となります。ナショナル・デーの祝日を祝う航空ショーや花火などのリハーサルは7月第1週から今週の土曜までの6回行われます。


フリーペーパー「SingLife」から。

 「SingaLife」には1965年に独立を決めたリー・クアンユー元首相(1923-2015)が全身全霊​で国造りに邁進したこと、そして現在世界でも有数の富裕国家となるための当初の舵取りは困難を極めた事が書かれています。

日本と同じように資源が少ない状況の中、あるのは「人的資源のみ」の強みを全て生かし「商業ハブ」「金融センター」「グローバルハブセンター」の地位を確保して行きました。勿論きれい事ばかりの采配ではなく反対派の投獄等の凄まじい話も聞いています。

 そしてリー・クアンユー氏と言えば思い出すのは「国葬」です。今、日本で安倍元首相の「国葬問題」が色々取り沙汰されていますが、私が初めて国葬を体験したのは7年前の2015年3月です。1959年のマレーシアとの合併中から31年間という長きに渡ってシンガポール首相を1990年まで務めた「国葬」はシンガポールで長く語り継がれ、そして私の記憶にも残るものだと思っています。

 首相官邸から国会議事堂に遺体が移され、一般の市民も午前10時から8時までほぼ一週間弔問が許可されました。その時国会議事堂への弔問の行列がもの凄い長さで知り合いのシンガポール人も3時間暑い中並びましたと言っていたのが印象的でした。私はたまたまタクシーで友人とその近くを通り過ぎたのですが、日本人の友人が行列を見て「ここから黙禱して」と私に言うほど国が悲しみに包まれた日でもありました。確か葬儀が全て終了した時に号砲が鳴ったのですが、私でもシンガポールで1つの歴史が終わり、新たな歴史が始まるのだとしみじみ思ったほどです。

 2003年に来星した時は政府の強権性について様々な噂がまだ飛び交っていて「政府を批判するような事を軽々しく人前で言ってはいけない」とか「政府ににらまれた日系企業にスパイが付けられた」とか少し不安になるところもありましたが、長く住んでいるうちにそのような事よりも「国の安全性」「国の将来」特にコロナ禍「政府の対策に従っていれば安心」と多くの国民が思っていること等の大切さを実感しています。

 1人の政治家が夢みた国の実現のために少なからずの人達が協力して今の国を造り上げたのだと思うと、政治にいかに「人」が関わっているのかを痛感させられます。

 下記は1965年8月9日のリー・クアンユー元首相がマレーシアからの独立に際してのスピーチの一部です。国として先が全く読めない不安の中涙を流した場面もあったそうです。

「私にとって、今は苦渋の時です。生涯、私は2つの領域(シンガポールとマレーシア)の合併と統一を信じてきました。自由と正義の原則、多くの人々の福祉と幸福の探求、平等な社会を築くことに基づき、本日1965年8月9日にシンガポールが永久に主権民主主義、並びに独立国家であることを宣言いたします」


 ​​​

​​







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.08.03 11:44:49
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: