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『レトリックと詭弁』、『論より詭弁 』と読んで、三冊目がこれ。 副題の「その意義と訓練方法」に見られるように、 先に読んだ二冊との違いは、「反論」の訓練方法が主眼の一冊ということ。 具体的に、どのように「反論」するかについて、具体的に説明されている。 本著は、明治図書から出版されている教師向けの一冊で、 「反論」するということについて、どのように指導するかを示したもの。 そのため、著者が大学で行った授業をベースに、記述がなされているが、 教師以外の者が読んでも、知識として結構役に立つと思う。
2013.10.27
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前作の印象がよかったので購入。 これも、シリーズものの仲間入りをしたんですね。 私の中で、読まずにはおれない作品が、どんどん増えていきつつあります。 読み始めると、途中で止めるのは、どうしても難しくなってしまいますから。 そして、今巻ですが、4つのお話しから構成されています。 最初は、姉と妹との関係について。 二つ目と四つ目は、夫婦の関係について。 そして三つ目は、時計を捨てた男と、それを拾った男とのお話。どのお話も、前作と同じ雰囲気を保っており、読んでいて、嫌な気分にならない癒し系のものばかりで、安心出来ます。特に、夫婦関係のお話しは、少々作為的で無理な設定も感じ取れますが、最後には、まぁ納得できるところに収束していきます。そして、前作から大きく展開したのは、太一の存在。彼に関しては、かなりオカルトチックな感じが強くなってきました。この後は、この「不思議感」を背景にしたお話しも、増えていくのでしょう。まぁ、前作でもそういうところは多々あったので、違和感はないと思います。
2013.10.27
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『ナイチンゲールの沈黙』で登場した、5歳の男児・佐々木アツシ。 彼は、網膜芽細胞腫のため右眼摘出後、残された左眼まで発症していまい、 全盲回避の医療技術進歩に望みをかけて、5年間の凍眠に入る。 本作は、その続編に当たり、アツシが冬眠中の場面から、お話しが始まる。 アツシのことを「モルフェウス」と呼び、その生命維持管理を行っているのが、 未来医学探求センターの非常勤職員・日比野涼子。 彼女は、その職務を遂行する中で、被験者の凍眠中の人権制限や、 覚醒後の権利・義務について論じた「冬眠八則」に欠落点を発見する。このことから、アツシの将来に危機感を抱いた彼女は、「冬眠八則」の提唱者・曾根崎教授とのメールのやりとりを開始したのだった。この曾根崎教授、『ジーン・ワルツ』では、曾根崎理恵の離婚した夫として言及されているのだが、『医学のたまご』でも、曾根崎理恵の夫、息子・薫の父として登場しているらしい。ここで「らしい」と述べたのは、私が『医学のたまご』について未読だから。「なぜかな?」と思って調べてみると、この作品、文庫化されていない。そして、この作品を読んでいないことで、曾根崎理恵についての情報量が少なく、『ジーン・ワルツ』に共感できなかったのではと思い至り、先程発注したところ。さて、本作には『ナイチンゲールの沈黙』でアツシに関わった田口先生や高階院長が登場。また、如月翔子も、オレンジ新棟小児センター看護師長として登場している。さらに、看護師・浜田小夜や、入院患者・牧村瑞人も、名前だけだが登場し、『夢見る黄金地球儀』における事件にも、触れられている。
2013.10.27
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『レトリックと詭弁』と共に購入。 そもそも「レトリック」関連の書物を読んでみようと思ったのは、 『ローマ人の物語』の、どの巻だったかは失念したが、 文中に、それに関する記述を見つけ興味が湧いたから。 だが、やはり、なかなか難しい。 というか、本を何冊か読むだけで簡単に議論のテクニックが向上するのなら、 それに対して身構える必要もないし、苦手意識など持つこともない。 それでも、本著は読んでいて結構面白かった。 *** 論理的思考や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。 強者には、そんなものは要らない。 いわゆる議論のルールなど、弱者の甘え以外の何ものでもない。 他人の議論をルール違反だの詭弁だのと言って非難するのは、 「後生だから、そんな手を使わんで下され」と弱者が悲鳴を上げているのだ。 そして、そのような悲鳴に過ぎないものを、 偉そうに、勝ち誇って告げるのも、また弱者の特徴である。(p.9)何とも過激な記述だが、そこに現実を見る者が多いのも、また事実である。 日常的な議論の場で、われわれは、しばしば相手に問いつめられ、 絶句してしまうことがある。 が、これは必ずしも相手の主張が正しいことを意味しない。 多くは、その問いが相手にとって都合のいい言葉で組み立てられていることを失念し、 馬鹿正直に答えてしまうことからくるのである。(p.61)これは、『レトリックと詭弁』でも記されていた内容。問われた側は「答える」のではなく、「言い返す」必要がある。 しかし、論理的であろうとすることが、しばしば正直者が馬鹿を見る結果になる。 相手の意図などわからないのだからと、定義の要求に馬鹿正直に応じ、 その結果散々に論破されて立ち往生する。 いつでも論理的に振る舞おうとするから、 論理を悪用する口先だけの人間をのさばらせてしまうのだ。 われわれが論理的であるのは、 論理的でないことがわれわれにとって不利になるときだけでいい。(p.92)これも同様。問われた側は「答える」のではなく、「言い返す」のだ。 要するに、自分たちに反対する意見のみが、 詭弁と呼ばれる資格を持っているということだ。 詭弁の認定が公平ではないという事実が、 われわれが本当は詭弁を嫌ってなどいないということを裏側から示している。(p.106)これも、また現実。しかし、こんなことばかり考えていると、また、頭の中が混乱してきた。哲学的であったり、議論好きであったりすることは、私からは、ほとほと縁遠いことのようである。
2013.10.14
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『推理劇』シリーズ最終巻。 ということを、全く知らず読み始めたものだから、 最後は、あまりの呆気なさに暫し呆然…… しかも、納まりどころが何か微妙で、もう一つパッとしない。 今巻は、雨森華蓮やαシリーズの絢奈、那沖を始め、 これまで莉子が解決した事件や人物が多数関係、登場する総集編的お話し。 しかも、コピアは、これまで出会った相手の中でも最強の雰囲気を漂わせ、 その鬩ぎ合いが、これから続くお話しの核になるのかと思っていたら……波照間でコピアは呆気なく捕まり、事件は即解決、『推理劇』シリーズも終了。そして、次回から『万能鑑定士Qの探偵譚』シリーズが始まるとのこと。前回もそうでしたが、このシリーズの変更については、何だかよく分かりません。そうそう、『短編集』シリーズは、まだ終わってませんよね?
2013.10.14
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赤松が期待した榎本によるスクープ記事は、 ホープグループの圧力により、『週刊潮流』に掲載されなかった。 それでも、赤松は榎本から事故リストを入手することに成功し、 自ら、そのリストを頼りに全国を飛び回り、真実を突き止めようとする。 一方、東京ホープ銀行から融資を全額返済するよう申し渡され、 PTA会長を務める小学校では、その解任をめぐり臨時総会が開かれるなど、 赤松は、益々弱り目に祟り目の状況に。 そんな中、赤松は北陸ロジスティックスの元整備課長・相沢と出会う。相沢から手渡されたのは、ホープ自動車が国交省に提出した「事故報告書」。そこには、事故原因が「不良整備」と記されていたが、その事故車は、走行距離わずか320キロの新車だった。また、「極めて稀な破損」「多発性はない」も、事実に反していた。赤松から「事故報告書」を突きつけられた港北警察署は、遂に動き始める。そして、ホープ自動車は家宅捜索を受けることになるが、企業ぐるみで虚偽報告が行われたという事実を裏付ける証拠は見つからない。その時、港北警察署に現れたのは、ホープ自動車商品開発部の沢田だった。このお話しでは、沢田が良くも悪くもキーマンである。『オレたち花のバブル組 』でいうと、近藤のような役どころだが、彼の行動には、サラリーマンとして生きるということについて、深く考えさせられる。上下巻で900頁超、読み応え十分、半沢直樹シリーズにはない感動が味わえる。
2013.10.13
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「半沢直樹」ブームに煽られて、既刊のシリーズ3冊と 文庫最新刊の『ようこそ、わが家へ』を読み終えた私が、 次に読むべき池井戸作品として選んだのが、この『空飛ぶタイヤ』。 理由は、カスタマーレビューの評価が、驚異的に高かったから。 そして、その評価の高さに、一切の誇張はなかった。 まさに「スゴイ!」の一言。 半沢直樹シリーズを、遙かに凌ぐ密度の濃い作品。 池井戸潤、恐るべしである。 ***赤松運送のトレーラーのタイヤが、走行中にはずれ、歩行者の母子を直撃、それが原因で、母親は死亡してしまう。トレーラーの製造会社・ホープ自動車は、事故は、赤松運送の整備不良が原因だったと発表する。赤松運送の社長・赤松徳郎は、警察から加害者扱いされ、大口の取引先を失い、銀行からの融資も断られ、社員は退職してしまい、被害者の家族からは恨まれ、子供は学校でいじめにあう……まさに、泣きっ面に蜂、ハチ、はちのどん底状態。それでも、自社の整備点検に問題はなかったと確信・主張し、歯を食いしばって、この危機を切り抜けようと奮闘する姿は感動もの。それを支える家族や社員との絆にも、心を大きく揺さぶられる。そして、人と人との繋がりの大切さにも。さて、本巻は、もうすぐ事件がマスコミにとりあげられ、真相が明らかになりそうな気配が出てきたところで終了。しかし、まだまだ、そう簡単に事は運びそうもない。と言うのも、まだ下巻には、400ページ以上のお話しが待ち構えているのだから。
2013.10.12
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副題は「禁断の議論術講座」で、以前出版されたときのタイトルは 『「論戦術」に勝つ技術-ビジネス「護心術のすすめ-」』。 無神経な人間の言葉の暴力に対し武装し、 言葉で自分の心を守れるだけの議論術を身につけてもらうための一冊。 まずは、議論における「問い」の技術の重要性が説かれる。 問う側は、問いを作ることができるという「特権」をもっている。 それは、自分に有利、相手に不利になるような言葉を選ぶことができるということ。 自分の主張を、二者択一の中に紛れ込ませることもできる。そして、応答を期待せず、わかりきった返事を示唆するための問いもある。これを「修辞疑問」といい、「相手の沈黙」を一番の狙いとする。その時、問われた側は「答える」のではなく「言い返す」こと。宇佐美寛氏の「問いの構造」という論文が、とても役に立つそうだ。そんな中、私が本著の中で最も印象に残ったのは次の一文。 日常議論の領域で立証責任という概念を確立したのは、 19世紀英国の修辞学者リチャード・ウェイトリーですが、 彼は議論において絶対にやってはならないミスは、 相手側に立証責任があるときに、 勘違いしてこちらがそれを引き受けてしまうことだと述べております。 それは議論のもっとも強力な武器を放棄し、 無防備なまま相手の攻撃にさらされることを意味するのです。(p.96)振り返れば、どれほどのミスをおかしてきたことか……。
2013.10.06
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12人のスポーツ界著名人へのインタビュー集。 著名な方たちばかりなので、周知のエピソードが多いと思いきや、 「あの時、実はそんなことが起こっていたのか」ということが大部分。 あの人が、人知れず、そんなにも、もがき苦しんでいたとは…… 最初の4名は、リーダーとして活躍した人たち。 野球の野村克也氏、ソフトボールの宇津木妙子氏、 先日、現役最後の公式戦を終えたばかりのヤクルト宮本慎也氏、 そして、全日本男子バレーボール監督として活躍した松平康隆氏。宇津木氏、宮本氏、松平氏のオリンピック舞台裏のお話は、驚かされるものばかり。これらのエピソードだけ見ても、真実というのは、なかなか伝わってこないこと、マスコミからの情報で、私たちは何でも知っているつもりになっているけれど、実は、そうではないということに気付かされる。その後に続くのは、ビーチバレーの佐伯美香氏、テニスの杉山愛氏、ボクシングの竹原慎二氏、野球の川崎憲次郎氏、サッカーの城彰二氏、スキージャンプの船木和喜氏、マラソンの有森裕子氏、卓球の松下浩二氏。いずれも、その競技において、何らかのパイオニアとなった人たちである。その言葉からは、前例のないことに挑戦し、道無き道を切り開くことの困難さが、伝わってくる。その際、周囲から否定されたり、非難されたりすることも多々ありながら、いずれの人も、それを乗り越え、現在の自分に辿り着いた。そのタフさこそ「打たれ強い心」なのだが、それを獲得することは容易ではない。本著は、それを獲得するための、ヒントにはなるだろう。
2013.10.06
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西ゴート族を率いるアラリックは、再びローマ劫掠を行い、 皇帝ホノリウスの妹ガッラ・プラチディアを連れ去る。 その後、アラリックが亡くなると、跡を継いだアタウルフが彼女と結婚するが、 ホノリウスはこれを認めなかった。 そして、アタウルフが殺害されると、ガッラ・プラチディアはイタリアに戻り、 将軍コンスタンティウスと結婚、ヴァレンティニアヌス三世を出産する。 コンスタンティウスは、共同皇帝にまでなったものの、その年に死去。 さらに、ホノリウスが亡くなると、ガッラ・プラチディアが実権を握った。四半世紀の後、彼女が亡くなると、アッティラ率いるフン族がガリアに侵入。451年には、シャンパーニュの平原で、西ローマ帝国軍と会戦するが、それに敗れたアッティラは、イタリアへと侵攻し、略奪を繰り返す。そして、ローマ司教レオとの面会の後、フン族はドナウ川以北へと戻っていった。さらに455年、北アフリカのゲンセリック率いるヴァンダル族がイタリアに上陸し、ローマ劫掠が行われる。467年には、東西ローマ帝国が共闘して、ヴァンダル族制圧のため、北アフリカに軍隊を派遣するが、カルタゴで壊滅してしまう。そして476年、蛮族出身の将軍オドアケルが謀反、皇帝軍に勝利して、皇帝ロムルス・アウグストゥスは退位させられてしまう。オドアケルはイタリア王を名乗り、その後、皇帝を継ぐ者がなかったため、西ローマ帝国は滅亡したのである。
2013.10.06
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次の一文は、本著冒頭「はじめに」のものである。 退職校長そして現場教師の生の「声」に耳を傾けると、 学校内外の困難な状況を乗り越えるような教育実践の 奥深さと力強さを感じさせられる。(p.xiv) そして、著者は、こう続ける。 しかし一般の世論としては、 ともすると教師バッシングの風潮に押し流されがちで、 そうした豊かな内容の「声」が隅々まで届いていない。 そこで、本著では教師の「声」を手掛かりに、 教師を育てる制度と教師が育つ環境をさまざまな角度から検討しながら、 教師の質や教員政策の仕組みと方向性などの基本的諸問題について解き明かしてみたい。 そして、私自身の意見と提案も織り込んでいこう。まず、印象的なのは「保護者との信頼関係」について語る教師の言葉。彼女は、中学校で長年勤めたあと小学校に転勤した50代半ばの女性である。 それに地域住民の転出入が増えて地域の連携が弱まるなかで 保護者が個人として物を言うようになったからでしょうか、 あるいは保護者の学歴が上がってきたからでしょうか、 保護者は学校での勉強や生活についてよく注文を出すようになりました。 70年代でしたら「先生にお任せします」、 80年代でしたら「先生と一緒に対処します」といった言い方が一般的だったのに、 90年代以後は「先生は×××してください」といった言い方に変わってきているように感じます。 それまでは保護者と学校の間に暗黙の信頼感があって、 教師はその上に立って安心して仕事をすればよかったのが、 今では暗黙の前提そのものが失われ、各保護者との間で信頼関係を 最初から築き上げねばならない時代になったのかも知れません。(p.14)これだけの言葉の中に、学校と保護者との関係の変遷が、ものの見事に言い尽くされている。 そうした点からすれば、人間関係の視点を正面に据えて教職を捉え直す必要がある。 その際に参考となるのが「対人関係専門職」という考え方である。 対人関係専門職とは、医師・看護師・カウンセラー・介護士・ソーシャルワーカー・ 弁護士・教師に共通に見られるような「対人関係」を核とする職業を指す。(p.54)そして、著者は、教師には「対人関係」の資質が求められるとともに、その能力を、教員養成段階および就職後の現場経験で磨く必要があると言う。そして、資質に決定的な問題があり、教育と経験をいくら積んでも対人関係「能力」を磨くことが極めて難しい場合、その人は教職に不向きだと言う。 そうすると、よく分からない授業も不適切な指導法も保護者とのトラブルもすべて、 この対人関係能力不足から来ているのではと思い至る。 資質能力の六層で言えばD(対人関係力)の欠如であり、 「対人関係専門職」に即して言えば、その専門性がきわめて低いというのが 指導力不足教員に共通する特徴である。(p.76)著者は、元教師たちが語る内容から、教師の資質・能力は大学の教員養成教育を通じて得られる部分は少なく、教職に就き実際に子どもたちに教える経験のなかで形成される部分が大きいとする。そして、「教員養成」以上に「初任者研修」「現職研修」を重視せねばならないとする。その後、「教員免許更新制」や「全国学力・学習状況調査」にも言及しており、その課題や、著者の提言も簡潔に記されている。普段、マスコミでは取り上げられることが少ない現場の声に耳を傾けながら、実際に現場に足を運んで知り得た実態に即した、現実味のある一冊となっている。
2013.10.06
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