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本巻は、四頭政の中で生じた権力闘争を制し、 唯一の正帝となったコンスタンティヌスの生涯を振り返る内容。 上巻・中巻を読んでいない読者でも、本巻だけ読めば、 この時期のことは大凡理解できるようになっている。 と言うか、本巻では、彼が唯一権力者となった後の施政についてだけでなく、 上巻や中巻では言及されていなかったディオクレティアヌスとの関係や、 父・コンスタンティウスとのエピソードが語られており、 より、彼の実像に迫ることが出来るようになっている。また、彼がビザンティウムに築いた新都と、それに関連して起こったローマ帝国の変容、さらに、彼が切り開いたキリスト教との新しい関係についても、久しぶりに、ワクワクしながら読み進めることが出来た。やはり、ネガティブな時期よりもポジティブな時期の方が、読んでいて楽しかった。 ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの二人の皇帝によって、 ローマ帝国は再生したとする研究者は多い。 だがこの二人は、ローマ帝国を全く別の帝国に変えることによって、 ローマ帝国を起たせておくことには成功したのである。 もしもこの二人がいなかったならば、 帝国の終末は早くも三世紀末に訪れていたかもしれない。(p.136)
2013.03.24
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『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の山田真哉さんによる一冊。 私は、『食い逃げされてもバイトは雇うな』も、 『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』も読みましたが、 本著を含め、タイトルのつけ方が、本当にお上手です。 さて、じゃあ中身の方はどうかというと、 1ページ当たり40字×15行で、かなりゆとりある紙面の使い方。 それ故、スイスイどんどん読めてしまいます。 気が付けば、付箋を1枚も貼ることなく、あっと言う間に読了。 ***「1日目 平社員会計学」は、収益の仕組みについてのお話し。続く「2日目 数字力」は、プロスペクト理論やアンカリング効果、単位変換といった数字のテクニックについてのお話し。本著のタイトルについての内容は、ここで「土俵変換」の一例として扱われています。 正解は2つあります。2つとも当てないと、正解とは言えません。 1つめは、「弁当」と呼ぶのをやめましょう。(中略) 正解の2つ目は、2000円の弁当の隣りに、次の価格帯の弁当を用意することです。(p.088)この他、ナンバリングやランキング、フィッティングについてのお話しもあり、この章が、本著の中では核であり、最も興味をひかれた部分。ところが、「3日目 社長会計学」の財務三表のお話しになると、やはり少々固い。内容的に仕方がないとは思うけど、ここでウンザリという人も多いのでは?それでも、「4日目 パーソナル・ファイナンス」に入ると、「!」の連発。老後「夫婦で20年間生活するために必要な額は8000万円」とか、そのために「現役時代に自分たちで貯めなければならないお金は2000万円程度」、「お金を貯めるゴールデンタイムは、1期と3期しかありません」は、目から鱗。ここで言う「1期」は、就職してから結婚し、子供が10歳になるまで、「2期」は、子供が10歳から就職するまで、「3期」は、それ以降のことです。そして山田さんが、最初のゴールデンタイムを既に逃している人たちに対し、資産運用の事を説明しつつも、次のように述べているのが、とても良心的だと感心しました。 しかし、僕はあくまで、コツコツと貯金していくことをオススメしたいですね。 なぜなら、伝説の投資家・本多静六の言葉にもありますが、 「貯金なくして投資なく、利殖なし」だからです。(p.187)さらに最後は、消費税増税対策にも言及して、本著を締めくくっています。巻末には、本著の続編が出版されることを予想させるページが挿入されていますが、そこに示された内容よりも、「4日目 パーソナル・ファイナンス」に焦点を絞った一冊の方が、間違いなく、多くの読者に興味を喚起すると思うんだけど。
2013.03.24
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神戸に長年住んでいる人にとっては、特段目新しい内容はないだろう。 それでも、読み進めながら「そうそう」「あるある」と頷いてしまうに違いない。 そんな情報満載の、思ったより結構充実の一冊。 これから神戸に住み始める人や、通勤・通学しようとする人には、お薦め。 もちろん、既に神戸に住んでいる人たちだって、 「昔のことはあまり……」という若い人たちには、「!」のことも多いハズ。 「山、海へ行く」や「コープさん」「異人館」「日本初モノ」辺りのお話しは、 知らない人は、知らないかもしれない情報ですから。(当たり前か)
2013.03.17
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これまで、原作を(1)、(2)、(3) と読んできた流れから、 月9の方も、何だかんだ言ったり思ったりしながら、結局ずっと見てるんだけど、 とうとう次回は、まだ読んでなかった第4巻の内容に突入するのだと気付き、 「原作は、絶対にドラマで見るより前に読んでおかねば」と慌てて購入&読書。 すると、このシリーズ初の長編で、遂に栞子の母・智恵子が登場したり、 その母・智恵子と、ヒトリ書房の井上との過去の出来事が明らかになったり、 さらには、五浦と栞子の関係が、確実に一歩前進したりと、盛りだくさんな内容。 そして、レベル的にも素晴らしく、間違いなくこのシリーズ一番の出来映え。また、今巻が扱っているポプラ社の「少年探偵シリーズ」は、かつて、何冊かが自分の書棚に並んでいたこともあり、とても懐かしかった。そんな思いから、今巻の暗号解読には思わず熱が入ってしまい、途中あれこれ考えたり、次のような作業をしたため、読み終えるのに、結構時間がかかってしまった。 ***まずは、WEB上で「点字自動翻訳システム」のサイトを見つけ、ここの「点字解読 on the web」を使って、暗号を解読することにした。まず、「点字解読 on the web 入力方法」に従って、「南無阿佛、南無陀佛、彌、阿彌陀、南彌、南無彌、陀、南無陀佛、南阿陀佛」を点字の配置(南=7 無=4 阿=1 彌=8 陀=5 佛=2)に当てはめ、「7412 7452 8 185 78 748 5 7452 7152」と入力した後、変換する。すると、「ひし拗音ようえじま」と出てきた。「拗音よ」は「ょ」のことだろうから、これは「ひしょうえじま」って読むのだろう。けれど、「ひしょうえじま」って、一体何のことだ?私は、すぐにそう考えたのだが、実はこれは間違った解釈だった。ところが、何と乱歩も同じ過ちを犯したらしい。そして、これは後に戦後版で修正されることになるのである。つまり、点字で「しょ(syo)」と表記するときには、「拗音記号(y)」+「そ(so)」とするのが、本来は正しいのである。ところが、今回の暗号は、乱歩が間違った際の解釈で読まねばならないので、図らずも、私の間違った解釈こそが、大正解だったわけである。この辺りのお話しは、p.271の表を見ただけでは、最初意味が分からず、「点字表」と付き合わせて考えみて、何とか理解出来たのだった。 ***さて、これで安心して、次回の月9を見ることが出来る。これまで同様、原作とは異なる、かなりアレンジされたお話しになると予想されるが、それでも、剛力彩芽さんやAKIRAさんは、思った以上にイイ感じで演じており、どんなエンディングを迎えるのか、楽しみである。
2013.03.17
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副題は、絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想。 現在、日本では「ダメ出し」があふれているが、それだけでは進展を望めない。 現状を動かしていくため、真に必要なのは、物事をポジティブに捕らえる姿勢と それに基づく意見を皆で出しあっていく「ポジ出し」。 これが、タイトルやサブタイトルから、私が受け取った本著のイメージだが、 実際に本著で述べられているのは、これとは結構隔たりのある内容。 本著が扱っているのは、主として政治の動向についてであった。 ネットで、タイトルや目次だけ見て購入すると、こういうことも起こりうる。 *** ただ気をつけなくてはならないのは、現在頭をもたげてきている問題のひとつとして、 「しっかり決断する政治」がますます困難になる一方で、 「すっきり感を与えてくれるパフォーマンス」だけが横行しがちになる、ということがあります。 実際海外でも、閉塞感の漂う先進国において、 「第三極としての排外主義」がじわりじわりと再浮上したりしています。 友敵図式を活用するやり方で、特定の「敵」を名指し、 排除するスタイルの政治には、警戒が必要です。 いつまでも「石を投げる側」でいられると思い込んでいる人は多いように見えますから。 一方、現在、様々なニュースなどで 「決断する政治を求めたいものです」といった発言がなされているけれど、 これもかなり頭の痛い問題です。 なぜなら、その政策の是非もよく吟味されぬままに 「とりあえず実行する人間が偉い!」といった議論も、 現在の日本で散見され出してきているからです(p.47)この辺りの指摘は、的確で鋭い。「すっきり感を与えてくれるパフォーマンス」が得意な政治家と、「とりあえず実行する人間が偉い!」と思っている有権者が結びつくとき、その先に待っているものは……歴史は繰り返されるのか…… 「政治家がしっかり仕事をするようになれば社会はよくなる」とか、 「みんなが優しくなればいじめはなくなる」 「問題の重要さにみんなが気づけば前に進む」といった具合に、 なんでも気持の問題で済ませようとする議論は多くあります。 どれも同語反復にしか見えない、意味のない議論です。(中略) そもそも心に訴えかけるタイプの議論というものは、 その効果として、届く範囲に限界があります。 そして、想像できる選択肢が乏しく、「心でっかちな」議論によりがちな人は、 いつも、「心の問題で社会問題を力尽くでなんとかしよう」と考えてしまいがちなのです。(p.147)これも、現状を見るときに大切な視点。「心の問題で社会問題を力尽くでなんとかしよう」とする姿勢も、蔓延している。
2013.03.16
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内田先生が、2006年から2008年までの2年間に 様々な媒体に寄稿した文章をまとめたエッセイ集。 その第1章が「昭和のエートス」で、少々固めの文章、内容。 核を成すのは、最初の「私的昭和人論」か。 その他の章は、それに比べると緩めないつもの内田節。 これまでに繰り返し述べられてきた内容も多く、読みやすく分かりやすい。 2007年、安倍首相辞任の際に書かれた「改憲派に訊きたい二つのこと」は、 2013年の今、首相に返り咲いた安倍政権の今後を考えるとき、参考になる。 ***いつものことながら、私の場合、内田先生の著作を一冊読み終えると、あちこち付箋だらけになってしまう。本著についても全く同様であったが、その中からいくつかご紹介。 「惰性が効いている」制度は、 多少現場の人間の出来にでこぼこがあったとしてもそれなりに回る。 だから、優れた経営者は 「自分がいなくても経営が停滞しない」ような経営システムを構築する。 ルーティンの仕事はできるだけ部下に権限委譲し、 自分は「生成的」なプロジェクトに全精力を注ぐ。(p.188)これぞ、私が常々思い、目指しているところを、ものの見事に、ズバッと言い尽くしてくれた一文である。私にとっても「自分がいなくても回る組織」が理想である。そして、それを完成させたとき、自分の役目は終了するのである。 これまでメディアは何か事件がおこるたびに 「責任者出て来い」と怒号する「被害者」にはほぼ無条件に同調してきた。 クレーマーの増加はメディアのこの安易な「正義主義」と無関係ではない。(p.227)メディアに登場する人々のなかに、「責任者出て来い」と怒号することを仕事だと思っている人が、何と多いことか。 その点、ブログ日記は個人的な備忘録として最高のものである。 なにしろ、もともと「他人向けに書かれた日記」であるから、 私の内情をまるでご存じない他人にもわかるように 「私がどうしてこのようなことを思いつくに至ったのか」が事細かに記してある(p.263)このブログも、ほぼ同じ動機で続けている。ただ、内田先生のように、事細かにまでは記し切れてはいないけれど。
2013.03.16
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東方を、正帝ガレリウスと、副帝マクシミヌス・ダイア、 西方を、正帝コンスタンティヌス・クロルスと、副帝セヴェルス、 この4人が帝国を分割、担当することになった第二次四頭政だったが、 西の正帝の突然死により崩壊、6人の皇帝が乱立する事態となる。 まず、西の正帝の息子コンスタンティヌスが、父の後を継いで正帝就任を宣言。 その際、東方の正帝ガレリウスは、西方について、 セヴェルスを正帝に、コンスタンティヌスを副帝にすることで、 何とか四頭政を維持することに成功する。しかし、その後、第一次四頭政における西方正帝・マクシミアヌスの息子であるマクセンティウスが、ローマで皇帝就任を宣言。そして、マクセンティウスは父・マクシミアヌスに紫衣を贈り、帝位復帰を勧める。こうして、西方には4人の皇帝が乱立する状況となる。ここに至って、西方正帝セヴェルスは、マクセンティウス討伐に向けローマに進軍するが、前西方正帝・マクシミアヌス軍により捕らえられ、自死することになる。東方の正帝ガレリウスは、第一次四頭政における東西の二人の正帝であるディオクレティアヌスとマクシミアヌスをカルヌントゥムに招いて会談を開く。そして、西方正帝には、ガレリウスの親友リキニウスを据えることで合意し、これによって、第三次四頭政が始まった。東方を、正帝ガレリウスと、副帝マクシミヌス・ダイア、西方を、正帝リキニウスと、副帝コンスタンティヌスが担当するという布陣である。西方副帝・コンスタンティヌスは、マクシミアヌスの娘と結婚、が、マクシミアヌスは、蛮族の侵入に乗じ、コンスタンティヌスを倒すクーデターを図る。コンスタンティヌスは蛮族との講和を果たし、マクシミアヌスに反撃、自死に追い込む。そして、その翌年、東方正帝・ガレリウスが死去する。東方正帝の座は、西方正帝だったリキニウスが継ぐことになり、結果、西方正帝の座が空席となる。一方、西方副帝・コンスタンティヌスは、マクセンティウスとの決戦に向けイタリアへ進軍、ローマ近郊での戦いに勝利し、マクセンティウスは戦死する。ローマに入城したコンスタンティヌスは、西方正帝への昇格を果たす。また、東方正帝・リキニウスは、コンスタンティヌスの妹と結婚する。一方、東方副帝・マクシミヌス・ダイアは、リキニウス管轄の小アジアへ侵入するが、リキニウス軍に敗れ、逃亡の末に死去する。その後、遂にコンスタンティヌスとリキニウスとが対戦するが、コンスタンティヌスが第一戦、二戦共に連勝して講和。さらに9年後の決戦でも勝利し、リキニウスは正帝の座を降りて引退、コンスタンティヌスが、唯一の正帝となったのだった。
2013.03.10
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前内閣府参事官補佐で、現在陸前高田市副市長を務める久保田さんが著者。 1976年生まれだから、まだ本当に若い副市長さんである。 あの震災から、明日で2年目。 相当忙しい中での、本著の執筆であったと思われる。 本著は、相手を説得するテクニック、ダメな部下や上司の対処法、 メールや話し方、スピーチの上手な行い方等々、 著者のこれまでの経験の中で掴んだ様々な技術を、公開してくれている。 その内容やレベルは、著者の経験や年齢に見合ったものと言える。私が、本著において興味を持ったのは、特に第六章と第七章との二つ。第六章は、著者が官僚時代に財務省といかに交渉したかについて、第七章は、一般市民が行政を動かすには、どのような方法があるかについて述べたもので、裏話的な要素もあり、情報としてかなり面白いものだった。
2013.03.10
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確かに日本国内で過ごすのなら、 英語が読めなくったって、話せなくったって大凡大丈夫。 仕事だって、本当に日々英語が必要な人なんて限られているだろう。 街角で外国人に道を尋ねられても、向こうが日本語で聞いてくれれば問題ない。 やはり、日本国内で生活するなら、日本語をきちんと身につけることが最重要。 読み書きがちゃんとできて、正しい言葉遣いで話すことができるのは当然、 自分の思いや感情を、より正確に言語化することが、頭の中でできてこそ、 自身の感情や行動を律したり、考えを整理して外部に発信できたりするのだ。 言葉は人格を形成する骨格となるものである。 その国の文化を理解するのも、歴史を理解するのも、 その国の言語を自分のものとしているからである。 人は言葉によって思考するのだから、その言葉がおぼつかないと、 思考まで揺らいでしまうのである。(p.140)それでも、世の流れは「英語偏重」である。英語の得点力がなければ、大学受験や入社試験の際には、大いに不利となり、また企業人となってからも、昇進に大きな影響を及ぼす。そんな風潮が、日本語さえ確立できていない時点での早期英語教育を「良し」としてしまう。 大勢が学ぶ言語は特技にならないが、 マイナーな言語なら通訳や翻訳の仕事が舞い込むかもしれない。 誰もやらないことこそ、成功の芽が隠れているのである。(p.77)若くて経験が乏しい年頃には、どうしてもメジャー指向になりがちで、競争相手の多いところで、無駄に競い合うことを選択してしまいがちだが、後になって気付くのは、競争相手の少ないところで独自の努力を積み重ね、そのスペシャリストとなった者が、真の勝者になっていたというケースが本当に多いことだ。 日本で教育を受けてきた日本人には、教育は水や電気のように当たり前のものであり、 どれほど大切なのかが実感できないだろう。 教育は義務であり、学びたくもないことを一方的に押し付けられるものだと考えている。(p.134)なるほど、納得である。さて、最後は書籍にまつわるお話し。 2010年の夏、東大の駒場にある生協のスタッフが ツイッターで文庫本の売り上げベスト3を発表した。 それによると、1位は平坂読『僕は友達が少ない』第4巻、 2位は伊坂幸太郎『砂漠』、3位は石田衣良『美丘』。 1位の『僕は友達が少ない』はライトノベルである。 ライトノベル自体を知らない読者は、まともなので安心して欲しい。 ライトノベルはマンガを小説にしたようなもので、対象者は中学生や高校生である。 「東大生、大丈夫か?」と思わず心配になるだろう。 本のタイトルからして心配ではないか。(p.119)どうやら、私は「まとも」ではないらしい。ところで、成毛さんは『僕は友達が少ない』を、自身の目で読んだことがあるのだろうか?
2013.03.10
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パンクハザード島でのお話も、幾分盛り上がってきた。 今巻では、シーザーのこれまでの悪行三昧や、 ジョーカーことドンキホーテ・ドフラミンゴとの繋がりが明らかになる。 また、トラファルガー・ローの行動の真の狙いも。 さらに、狐火の錦えもんが探している息子との対面が、 思わぬ形・姿でなされることに。 そんな中、麦わらの一味もそれぞれの個性を発揮する場面が、 随所でチョコチョコっと見られるようになってきた。まずは、ヴェルゴを前に絶体絶命のピンチを迎えたタシギ。そこに駆けつけたサンジの言葉が、これ。 「女の…涙の落ちる音がした」うん、これぞサンジだ。お次は、モネを前に絶体絶命のピンチを迎えたタシギ。そこで遂にモネに一撃を放ったゾロの言葉が、これ。 「聞くがお前 絶対に人を噛まねェと保証できる“猛獣”に会った事はあるか…!?」 「おれはねェな…」この前後のタシギとゾロの間で交わされる会話は、今巻最大の見所。このように、今巻ではタシギの活躍が際立っている。モネへのとどめは、大佐となった覇気使いの剣士・タシギの「斬時雨」。そんなタシギが、ゾロの肩に担がれながら、らしさを見せた言葉が、これ。 「は…!! やっぱりコレ 伝説の名刀「秋水」では!?」
2013.03.10
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村上さんのインタビュー集。 かなり分厚い文庫本(586頁)だが、読みやすさを考慮して、 インタビュアーの質問と、村上さんの回答との間に空白部が設けてあるので、 思ったよりも、スイスイ読み進めることができた。 そして、それが書かれた文章ではなく、語られた言葉であっても、 そこには、村上さんらしさが漂い、ファンにとっては何とも心地良い。 また、その言葉の中には、今まで私が知らなかったことも多々あり、 4月に発売される新作への期待が、ますます高まることとなった。 *** 今は、全部答えを与えてもらうのが当たり前になっているから、 物語が完了しない、不安がそのまま残るということに慣れていない。 それだけに、登場人物たちがどうなっていくのかわからないまま放り出される 村上さんの小説は、取り残された感じになってしまうのかもしれませんね。(p.56)これは、島森さんというインタビュアーの方の言葉だが、まさに村上作品の核心を突いている。そして次の言葉は、これとは別のインタビューに答えた村上さんのものだが、実に見事に、呼応しているように思える。 しかし今あの物語を書き直すとしたら、 あるいは違う結末を選ぶことになるかもしれません。確信はないけれど。 僕が言いたいのは、それが最終的な結末ではないということです。 それは変更可能なものです。結末はオープンエンドです。結末は最終的なものではない。 僕はいつもそう考えています。(p.364)さて次は、メディアに対する村上さんの思い。 バブルが崩壊したあとは、ネガティブなものが主流をとっていた。 「こいつはバカだ」とか「こいつはダメだ」とか「これはくだらない」とか、 今のメディアを見ていると、何か悪口ばかりじゃないですか。 でも、そういうものというのは、 人びとの心を淋しく虚しくしていくのはだけだろうという感じがしてならない。 ネガティブなことを言ったり書いたりしているのは、簡単だし一見頭がよさそうに見える。 実際、今のマスメディアでもてはやされているのは、 それに適した頭のよさだったりする傾向があるけれど、 僕はやっぱり、そろそろ新しい価値観を作るべき時期だと思うんです。 それも、偉そうなものじゃなく、ありきたりのもので作っていく時期が。(p.76)本当に、今、メディアが扱っているのは、否定と批判、非難といった内容のオンパレード。文句を言うこと、ケチを付けること、ダメ出しすることが「善」だと言わんばかり。しかも、それは自分たちのことは、脇に置いといてと来ている。そんなメディアに、先ほども登場して頂いた、島森さんというインタビュアーの方の言葉。 その方が、何かわかったような気分になれるんでしょう。 ネガティブな方が頭がよく見えるのと同じように。 嫉妬がないという話もあったけれど、今の日本の、特にマスメディアは、 嫉妬をエネルギーにして動いているようなところがある。 でも、マイナスの力を利用していくのは、確かに力を発揮すると思うけれど、 何かが気持ち悪いですね。何かが肌が合わない。(p.81)そう、今、世の中には「負の力」に満ち溢れている。そして、その「負の力」が、日本の社会を動かしている。この状況を作り出しているのは、誰なのか。次は、別のインタビューにおける村上さんの言葉。 我々が我々自身の意見だと見なしているものの多くは、よく考えてみれば、 彼らの意見のただ受け売りに過ぎないということが、往々にしてあります。 心寒くなる話ですが、我々は多くの場合、 メディアを通して世界を眺め、メディアの言葉を使って語っているのです。(p.384)そして、最後は「なぜ今、閉じた世界が力を得ているのか?」という質問への村上さんの言葉。 でも、小さな、閉じた世界に入れば、何も考えなくても済みます。 導師や独裁者が、何をしたらいいか、何を考えたらいいか、教えてくれるんです。 すごく簡単で、楽で、誘惑的です。 オウム真理教に入った人たちのように、知的な人たちにとっても。 でもそれは罠です。いったん閉じた世界に入ったら、逃げられません。 ドアは閉じてしまうんです。(p.404)複雑で、白黒ハッキリしないことがままあるはずの世の中において、過度に単純明解な答えを見出そうとする姿勢は、危険を伴う。
2013.03.03
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今巻から「最後の努力」シリーズ全3巻の始まり。 このシリーズで描かれるのは、「危機の三世紀」を脱し、 「帝政後期」と呼ばれる絶対君主政体に移行した時期のローマ帝国。 その契機を作ったのは、ディオクレティアヌス。 彼は皇帝に即位すると、友人のマクシミアヌスを「カエサル」に任命し、 自身が帝国東方を、友人は西方を担当する「二頭政」を開始。 登位から8年で、当面の問題を解決することに成功したディオクレティアヌスは、 さらに、東方と西方に、それぞれ正帝と副帝を置く「四頭政」を開始する。東方は、正帝ディオクレティアヌスと、副帝ガレリウスが担当、西方は、正帝マクシミアヌスと、副帝コンスタンティウス・クロルスが担当するこのシステムは、その効力を大いに発揮し、帝国が蛮族の侵入に脅かされることはなくなった。しかし、一方では、軍事力の倍増や官僚機構の肥大化を招くことになる。 また、通貨改革や価格統制等の経済政策にも失敗し、人々は重税やインフレに苦しむように。そんな中、20年の統治を経て、ディオクレティアヌスは自らの意志で友人と共に退位する。これにより、東方は、正帝ガレリウスと、副帝マクシミヌス・ダイアが担当、西方は、正帝コンスタンティウス・クロルスと、副帝セヴェルスが担当することになった。 ***さて、今巻の中で私が印象に残ったのは、次のようなもの。 またこれは、安全保障というローマ帝国にとっての最重要事に タッチできなくなってしまった元老院気議員から、 国家を統治する者には欠かせない公共上の問題意識を 減退させることにもつながったのである。 権力とは、それを持つ者を堕落させるが、 持たない者も堕落させるという性質を持つ。(p.112)「権力」の扱いは難しい。
2013.03.03
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秋元康さんの手がけたシングル総売り上げ枚数が、 故・阿久悠さんを抜いて、作詞家売り上げ歴代1位になった。 秋元さんは作詞家としてだけでなく、プロデューサー業の方でも大活躍、 妻の麻巳子さんは、自らプロデュースしたおニャン子クラブのメンバーだった。 そんな秋元さんがプロデュースするAKB48は、今や世間の誰もが知る存在。 SKEやNMB、HKTは勿論、JKTまでもがメディア露出度を高めている。 おニャン子の大ブレークから二十数年の時を経ての、AKB大ブレーク。 その根源にあるものは何なのかを知るべく、本著を購入してみた。 *** 40歳くらいまで、僕は「自分は作り手だ。 自分のターゲットは視聴者やオーディエンスである大衆だ。 大衆が求めていることは何だろう」と必死に考え、それを作ってきました。 でも、いまは違う。 「自分は大衆の一人だ。だから自分が楽しくなきゃダメなんだ」と思っています。(p.30)「送り出す側」と「受け取る側」の境界線を取っ払う。まさに、これこそが秋元流であり、最近のトレンドなのだろう。そして、これは芸能界だけの現象に留まらず、広く日本社会で起こっている現象。それを「善し」とするかどうかは、別の問題として。 AKBを始める前に僕が考えていて、会議でもいちばんよく口にした言葉は、 「刺さるコンテンツじゃなきゃダメなんだ」ということです。 「認知」と「人気」は違うと。 テレビは何千万もの人に認知させることができるけど、 それは「あ、知ってる」というだけのこと。 「この人のためなら行列してもいい」とか 「どこそこに出かけてこの人に会いたい」というのが人気で、 そこまで刺さらなければダメなんだと。 テレビで有名になると、すぐ歌を出しましょう、 写真集を出しましょうという話になるんだけど、全然売れない。 なぜか?“認知”でしかないからですよ。(p.51)この「認知」と「人気」の違いは、分かりそうで分かりにくい。と言うか、世間でブームと呼ばれるものは、おおよそ「認知」を得たという段階のもので、真の「人気」を得たのではない場合が、ほとんどなのではないか。その辺りの判断をきちんとできるかどうかが、成功と失敗の分かれ目になるのだろう。 これだけ豊かな時代、物があふれている時代だからこそ、 みんなほしいものしかいらないんです。 田原さんや僕らの世代は、街でティッシュや花の種なんかが配られていると、 思わず受け取って鞄やポケットに入れますよね。 いまの若い人たちは、どうしても必要でない限り、けっして受け取らない。(p.53)この後、若者が読み終えた単行本を、電車の網棚に平気でポンと投げ捨るとか、奥さんが、電池やトイレットペーパーなんかは買い置きしておかなくても、切れたら近くのコンビニに買いに行けばいいじゃないと言ったとか、所有についての価値観が大きく変わってきたという話になる。この辺りの記述は、本著の中でも最も「なるほど」と頷かされたところであり、自分の世代の価値観が、広く世間一般の価値観とはならないことに気付かされた。そして、世間を相手とし、様々な年代の人たちと相対する場面においては、このことを、しっかりと肝に銘じて対処していかねばならないと反省させられた。 通常のシングルの場合、だいたい400~500曲くらいかな。 デモが20曲くらい入っているCDを20~25枚ほど、僕が一人で聴きます。 AKBの曲を書きたいといういろんな作曲家の曲を聴いて、いいものに丸印をつけていき、 最終的に1曲を決めます。 なかなか決まらないときは1000曲くらい聴く。(中略) それを聴いて、最終的に1曲を決めてから、作詞にかかります。(p.72)これだけの曲が、AKBのために書かれているという事実が、まず驚きであり、そして、その中の1曲だけがCDとしてリリースされるという事実は、それが、どれほどのレベル、完成度を持つものとなるかは、容易に想像がつく。これこそが、AKBの曲が売れる秘密だったのだ。 *** しかし、そんなAKBの曲ですら、30枚目のシングル「So long!」は、オリコンCDシングルデイリーランキングで初登場1位となったものの、2012年8月発売の「ギンガムチェック」以来、4作連続で初日売り上げ減少となった。売れ続けること、人気を獲得し続けることは本当に難しい。
2013.03.03
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