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ついに放送が始まった・・・・。ひな壇の一番上に座った私は体をゆすりながら手の平にかいた汗を気にしていた。やはり緊張してるんだ・・・・。事前に親友、親、兄弟はもちろん親戚まで宣伝していた。会社の社長、社員も見ているに違いない。いまさら後悔しても仕方がない・・・。相手の作品のコメントなど耳に入らないし、己の作品説明や、インタビューに答えるのが精一杯の現状である。スタジオとはやはり異様な雰囲気であり、カメラのレンズの向こうには日本中の人が見ている。集計が終わったらしい。いよいよグランプリ1名と準グランプリ2名の発表である。とってつけた安物のファンファーレーがなり、司会者が姿勢を正しながら「準グランプリの2名を発表いたします。」静寂をついて2名の名前が告げられた。なんと私の名前が入っていた。オーバーアクションはしたくないけど、やはりテレビ用にある程度は喜びをあらわさなければならない。アシスタントの女性がやたらとはしゃいでる・・・。「さぁグランプリです。発表いたします。・・・・・」「大阪代表の・・・」まさか・・・取ってしまった・・・。グランプリも取ってしまった。複雑な心境、一番前に出てきたときに優越感など正直沸いてこなかった。これで終わった。虚脱感と疲労感に襲われていた。司会とアシスタントは非常に喜んでいる。場を盛り上げようと・・・。表情の乏しい受賞者に手を焼きながら質問してきても、すでに魂の抜けがらで、早く帰って餃子とビールが飲みたい者にとってはそんなことはどうでもいいことである。翌日、お世話になった会社の社長に報告に向かった。どうもこの社長が推薦したのか?そう疑われても仕方がない。当時社長はNHKでレギュラー番組のゲストで出ていたのだ。それ以上の詮索は以後しようとも思わない。その後3年間NHKとの縁が続く事になる。それは審査員というかたちでかかわっていくことになる。
2006.08.31
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会議が始まった。やたらと張り切る輩や疲れたのか居眠りをしている輩など、こちらの心配はよそに気楽なものである。600枚ほどの中から私の気にいった写真をまず提示した。写真に説明は要らない。どう感じるかだ。みんなそれなりに見つめている。デレクターが口を開いた・・・「いける・・。面白いよ!」「いいね~。共感できるね・・」体勢の雰囲気は作品には肯定的な意見が多い。今までの疲れがどっと出たような疲労感に襲えわれたのもつかの間「あ~3点絞るのが難しいなぁ~」「一人3点だから・・」それからのセレクトがまた大変で終わったのはとうに1時を回っていた。その3点を選ばれた事に非常に満足している。私自信の意見を押し通すことができたからだ。多少の自信はある。と大それた事を考えながら・・・・。放送当日、ふだんはあまり縁のないスーツに身を飾って靴擦れを起こしそうな硬い安物の革靴を履きながらNHKへと向かった。会場に着いたとき全国から集まったであろうカメラマンがひな壇に座っているのだ。女性がちかずいて来て無造作に胸に名札を付ける。みんなのリラックスしているように見えるがかなり緊張しているようだ。作品は斜め前にある。さすがにうまいなと感心しながら眺めていると、デレクターの声が響きわたった。放送開始10分前!一気に緊張感が走った。
2006.08.30
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とにかく急がなくては・・・。車を飛ばしても20分でいける。写真を紙袋に無造作に詰め込んで走りだした。しばらく走っていると阿倍野警察界隈で検問をやっている。頭の中が真っ白になった。夕食時にビールを飲んでいたのだ。いわゆる飲酒運転。あてが餃子だからたまらない。車が警察官の誘導のもと一列に並ばされる。写真や人が待っていることじたい頭の隅にもない。「もう、アカン・・」そんな時、偶然とは恐ろしい。私に少しの運があったのか一列に並んだところが路面電車の線路の上で運よく前方から満員の路面電車がやってきた。警官は私の車に大きく右折しろと合図が出たのである。助かった・・・検問の列から私の車ともう1台の車が検問から抜け出した。「こんな事があるんや」と自分でこれは奇跡に近いと自分自身に納得させていた。NHKの表玄関に車を無造作に止め、紙袋を抱えて制作室に転がりこんだ。「遅いなぁ~」「何をしてたの~」「今日じゃないでしょ!」「あ・・・変更になった・・あ・・連絡いかなかった?」いい加減さに閉口した。夜11時なのに、このにぎやかさはなんだ?「この人が当日司会するアナウンサーの方」と紹介された。やたらと腰が低いのだ。「どこかで見たことがあると思えば先ほどのニュースに出てた方・・」とは聞かず、テレビの姿とあまりにも違うではないか・・・・と内心そのギャップに可笑しさを感じたのだ。「さぁ・・・写真を見せてください。」騒がしかった部屋が一瞬、静まりかえった・・・・・。
2006.08.29
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船場通いが始まった。社員は非常に協力的で私の質問や意見に嫌な顔一つせずに答えてくれた。社員食堂、経理室、コンピューター室など会社のあらゆる場所を見せてもらった。余り外部の人間には見せたがらないものである。数日間社員の行動や仕事ぶりを見ているとある面白い行動に気がついた。もちろん写さない訳が無い。この写真が、後に賞を頂くことなどこの時点では微塵も頭の中には浮かばない。約600枚、今のデジタルと違って当時はプリント仕上げ。写真を見たとき「・・・・うんうん・・・いける。これならいけそう・・・」と部屋の中に足の踏み場も無い写真を眺めながら、「写真を見てにゃとしてくれるか?」「共感してくれるか?」自問自答しながら3日後の会議の戦略を練っていた。またこれだけの写真を撮らせてもらった会社と協力して頂いた社員の方には今もっても感謝の念を忘れることはできない。その夜、10時頃に遅い夕食を食べ終わるのを見透かしているように電話のベルが鳴った。「・・・こんな遅い時間に・・・」少し不機嫌になりながら受話器を取ると「NHKです。」「みんなずっと待っているんですよ・・・・早く写真持ってきてください。」「今日じゃないでしょ?」「何を言ってるんですか・・・とにかく早く来てください。アナウンサーも待ってます。」体から全身の血が引くのがわかった・・・・・。
2006.08.28
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限られた時間内に写真を撮影しなくてはいけない。満員の地下鉄や昼間のオフィス街、アフター5の居酒屋、赤のれんなど観察して回った。イメージが専攻してどうも頭で描いているサラリーマンと出くわさない。数日間続いた・・・。カメラを持っているとどうも警戒されてしまう。いったい何者?表情があからさまに急変する。らちがあかず2~3日が過ぎてゆく・・・・。日数は焦りと正比例する。そんな時、それほど昔でない時に、繊維業界の老舗で、船場の名物社長が出版したエッセー集に私の生き様を書いていた。私はその社長に事情を説明した。社長は嬉しそうな顔をしながらうなずいている。社長はまるで孫をあやすような目でこちらを見ながら、「うちの会社使えばいいよ。全社員に協力するように言っておくから・・好きなように写真を撮りなさい。」目の前が急に明かりがさしてきた。よし!これでいける!次の日からカメラを下げた私の船場通いがしばらくの間続くのである。
2006.08.27
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NHKの番組制作室に入った。もうそこはタバコの煙と大声で騒ぎたてる輩が意見とも騒音とも判断がつかないぐらい大声でまくしたてている。私がは入った瞬間、視線がこちらに注視しだした。その顔の面々は妖怪のような品のない顔をしている。えらいとこに来てしまった・・・と思った瞬間、責任者の一人が「待ってた・・・待ってた・・・こっちこっち・・・」とまるで十年来の親友かのように甲高い声で呼んでいる。憮然とした。「大阪代表で出てね。・・・」「とりあえず10枚お気に入り持ってきてね。」「全体会議で各1名3枚ずつ選んでエントリーさすね。」「3枚持って本番するね。」「あ・・金は出す出す・・・」「締め切りは3週間後のこの日、放送が2週間後のこの日」矢継ぎ早に自分の言いたいことを喋り捲る。閉口した。「番組に出るんですか・・」「作家が出なくてどうするの。大阪発の全国ネットやで。ローカルと違うよ。」といかにも嬉しそうな表情が印象的だ。「どうして選ばれたんですか・・少し迷惑やなぁ」「推薦です。皆さんが推薦されたんです。」推薦人がいたのか・・・だれ?そのときはまったく解るよしもなかった。そう、もう私は完全に大阪代表になっていた。締め切りまでの3週間、死に物狂いの撮影が始まった・・・・。
2006.08.26
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随分昔の話になるが、NHKから連絡があり、全国のカメラマンがスタジオで一同に集まり写真コンテストをやりたい。全国の視聴者から投票でグランプリを決めたい。そんな企画があり、なぜか私が選ばれた。なぜ?選ばれたかは、今もって理由が解らない。期限は1ヶ月。テーマは「サラリーマンの哀愁を撮る」今で言うサラリーマン川柳みたいなものである。NHK教育にしたら割りと視聴率がいい。日曜日の午後6時のゴールデンタイムが放送時間であるらしい。それらは後に解った事だが、まだ参加するとは決めていないし、内容があんまり解らなかった。最大の疑問はなぜ自分が大阪代表なんだ?プロデューサーに詳しく聞かないと判断がつかない・・・。当日、大阪馬場町のNHKに待ち合わせの時間に行くことにした。そして、この、のん気ものは、大きな渦にのまれようとしていた・・・・。
2006.08.25
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お客が殺到してきた。昼休みも取れないぐらい次から次へとやってくる。隣が靴のトミヤマだからか?近所の奥さんも自転車でやってくる。在庫が切れそうな時、社長が商品を持ってやってきた。よう売れるやろ・・・面白いほど売れるやろ・・・。商売は仕入れに金かけたらアカン。仕入れは物だけと違うで。安く仕入れて安く売る。もちろんいいもんをや。お客はよう知ってるで。素人をなめたらアカンで。流行や売れ筋作ってるのは庶民やで。社長は少し自信げに言った。露天なのでかかっているのはショバ代だけ。日が暮れると電気もないので自然と閉店になる。残っているのはダンボールのクズだけだ。本日の売り上げ約60万・・・廃棄処分行きの商品をただ同然の値段で買い付けた物だ。単価の安い靴下でこれだけ効率よく儲けるのは、大企業で働く人間には想像できないかも知れないだろう。たたき上げの雑草のような根性を持っている社長しかこんな商売はできないかもしれない。もしかして社長の考えが学生の私に多少の影響を与えたことは否めない。
2006.08.24
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今日はここで商売するで・・・。商売するってここは人様の家のシャッターの前。隣はあの靴のトミヤマ前は国道26号線。そう・・ここは西成の大黒町。いくらなんでもカッコ悪い・・・しぶしぶ露天の準備をする。安い。安すぎる。安いけどお客は来るのか?こんなテントもないダンボールだけを積んだ露天に人が来るだろうか?家の人が出入りする為、少しだけ隙間をあけてある。トミヤマの開店時間が近ずくと人どうりが恐ろしく増えてきた・・・。斜め方向にたこ焼きの露天のオヤジがこちらを眼光鋭く見ている・・・。どうやらショバ代を請求しているようだ。ショバ代・・社会悪だが露天で商売する以上、極道の世界には縄張りがある。収めなければ商売はできないのである。いくらか包んで渡すと態度が急変、凄く親切にいろいろ教えてくれる。もちろんたこ焼き、他の露天のものも、タダになる・・・。トミヤマがオープン・・・・この吹けば飛ぶような露天に信じられない光景が走った。
2006.08.23
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靴下の話の続編・・・・。社長は私に日曜日出勤できる?と切り出してきたのだ。もちろん金欠の私は二つ返事でOKを出した。日曜日はお得意様が休みだし、配達もなし、暇なはずだけど・・・?と考えつつ日曜日を迎えた。倉庫がやたらと騒がしい、社長親子でダンボールに激安価格をマジックで書き込んでいる・・・・1足¥50、3足¥200・・・・それら靴下の山盛りを車のバンに押し込んで私と社長の息子さんと二人でどこへ行くとも知らされず大阪のあるところに向かった。こんなに早く店が開いてるのかと思いつつ、その場所に到着した。 う・・・ん?どこがお店・・・?うん。ここや。えっ!・・・自分の目を疑った。
2006.08.22
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人間の心理として、同じ金額でも見せ方によっては高く感じたり、安く感じたりする。詳しくはこれ以上書けない。同業者がこのプログを見ていたら困るからである。何しろよく盗まれる。(笑)その値段設定の仕方が功をとうしたのか、キャロルさんは安いというイメージが定着した。何しろワンちゃんの撮影は高かった。一部の愛犬家だけが楽しめる世界だった。でもこんな楽しい世界を万人の愛犬家に味わってもらいたいたかった。それもハイレベルな写真で。何よりも皆が参加したくなるような撮影会を目指した。靴下屋の社長はいったいどこへ行くのか・・・奈良や西脇の靴下工場を回るのである。しかも工場止まり、従業員が帰った後、その社長は現れる。あまった靴下を現金で買う。たとえば1日工場が稼動して3千足の靴下を生産するとする。しかし3千足きっちりと生産する工場なんかない。B品、汚れなどを出ることを見越して100~200足は余分に生産する。もちろん50~100足は余ってしまう。それを現金で買い集めてしまう。それも安い金額で。工場にしたら在庫品、それもお金にならない廃棄処分品だ。それを安くても現金で処分してくれる社長は非常にありがたかったに違いない。翌朝、店がオープンと共にその商品が店先に1足50円で並ぶ。瞬く間に完売するのだ。本音を言うとじつはその靴下は有名ブランド商品、マークが付いてないだけの商品である。その社長、また私に一つの難題を吹っかけてきた・・・・
2006.08.18
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学生時代靴下屋さんでアルバイトをしたことがある。私の人生の中でもっとも 肉体を酷使した時期だった。そこの社長は実に愉快で商人道とも言うべき 己の知恵でわずか1人の従業員と3人のアルバイトで年商1億3千万を稼ぎ まくる。それも単価の低い靴下やパンストだけである。じつはこの社長、店が閉ま ると車で一人闇のかなたへと出かけるのである。仕入れである。しかもこの 時間でないといけないのである。そこに仕入れの秘密があった。あっと驚く 社長の知恵があった・・・・。
2006.08.17
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今日のお昼、王将で餃子を食べた。夏の餃子は 汗をかきかき食べるのが美味しい。ところで王将にも 京都王将、大阪王将がある。別れた訳は解らない。 昔、大阪餃子になる前の王将。そう、創業まもなくの 王将に食べに行ったことを思い出した。大阪の京橋の 路地裏に長屋風の小さな店があった。そこが王将発祥 の地と知ったのはつい最近のことだが当時を知る自分 としては店はお客でごった返していた。食べれるのは 餃子だけ。1階はカウンターだけ8人も座れば一杯。 当時1人前¥80だったか? 10人前食べると食い逃げOK! 高校生の体育会系が 必死に挑戦していた姿を思い出す。その餃子の新鮮な 美味しさは当時右に出るものが無いぐらい私の味覚に マッチしていた。今から約30年も昔のことだが・・・・。
2006.08.16
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