全31件 (31件中 1-31件目)
1
2005/12/31 sabato29日に退院した88歳は、シルバーカーで歩けるということだった。しかし実際は、体重の殆どを預けて、押していく状態。ベッドから立ち上がるのにも危なっかしい。いったい病院のリハビリって何をしていたのか?とケアマネさんが悔しがる。夜間の1人体制になった時の介助・見守りに不安があるというので、実は退院の29日から私が88歳の部屋に泊まっている。夜中にトイレに起きた時、ベッドから、シルバーカーを押して、廊下に出ればスタッフが後は面倒見てくれるし、早めに気が付いて、部屋の中まで来てくれることもあるので、私がすることは殆どない。ただいるだけ。本人が、必要を感じて、大きな声で呼んでくれればいる必要ないのだが。病院のナースコールもとうとう覚えなかった、というよりどういう時に使えばいいのかがわからないようだった。そもそも、必要を認識することができないのだ。自分は出来るつもりで行動してしまうということは、私たちでもあることで、誰が見ても無理なことを、本人だけは大丈夫と思う。それが大事を引き起こす。という風に考えてみると、何も高齢者に限ったことではないと思えてきてしまうが・・・ともかく、起きる気配を察して、ベッドに座って靴を履き、シルバーカーを確保して歩き出すまでで、時に手を貸し、見守る。これだけのことなのだが・・・熟睡することは出来ない。夜9時から翌朝7時までが私の待機時間。紅白歌合戦も、護国寺の除夜の鐘もない年越しになる。
2005年12月31日
コメント(0)

2005/12/30 venerdi今年はないかと思った、関白の大掃除。88歳にすっかり振り回された感じの1年間で、私の方は新年なんて何処か遠いところにある。とにかく、彼女がGHで再び落ち着くまでは、計画立てて、段取りしてなんて事はまるで出来ない。自分の体調とバランス取りながらの刹那的な毎日。勝手に大掃除でも何でもやってくれい!で済むならとても有り難いのだが、そうはいかない。あれ持って来い!これ持って来い!これはどうする。こんなに汚かったぞ!こんなにきれいにしてやったぞ!その間にこっちもカーテンの洗濯をしたり、今年最後の八百屋さんが来たり、Nさんが洗面所の棚を付けに来たりの対応をしているわけだが、関白から見れば何もしていないのだ。何はともあれ、気の済むようにお掃除が終わると「お飾り買ってあるか?」実は私、ン千円もの玄関飾り毎年買っては捨てることに酷く抵抗がある。一応神事のものをゴミとして捨てるって・・・今や、氏神様でも消防の指導でどんどん焼きが出来なくなっている。何処かの大きな神社や、郊外に行けばやっているのかも知れないが、それだけのためにわざわざ出掛けるほどのものもない。そこで、ゆずり葉だとか裏じろだとかの生ものを使ってない、かといってあまりポップでないお飾りを去年買って密かに取ってある。ところが関白、去年のなどダメと言うに決まっている。夕方クリーニング屋に行ったついでに、自動車用の紙とビニールで出来たちゃちなお飾り買ってきた。「こんなのしかもう残っていなかったんだけど・・・」「え~っ、何処行ったんだ」「いつも出ている角はなくて、クリーニング屋さんで教えて貰ったとこ」「これ、自動車用じゃないか」「文字を消すとか、切るとかして・・・これ、去年のナンだけどどっちがいい?」「いいよ去年ので」と言うことで、決着。さて、自動車用のはどうしよう。こんなもの付けた走ったこと無いけど付けてみようかな?それには洗車して、少しはきれいにしなくちゃ!
2005年12月30日
コメント(0)
2005/12/29 giovedi大腿骨転子部骨折で入院していた88歳が今日退院。11月24日に救急車で運ばれ、28日にチタンのプレートで固定する手術を受けた。そこまではまあ、順調といえよう。ところが、その後のベッド上での2週間が長かった。術後の説明では、2・3日後から立つ練習を始め、杖歩行が出来るようになったら退院ということだったが、何だか遅れ気味の感じがして、看護師に訊くと「いいえ、普通に順調にいってますよ」という。術後2週間の12月12日になって、やっと歩行器を使うことになったものの、10mもない狭い廊下はトイレに行く以外歩く練習をすることも出来ない。入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくれるグループホームのスタッフも心配してくれて、「受け入れ準備があるので」と、ケアマネさんが先生・病棟師長と17日に話してくれた時にはもう29日退院が決まっていた。そしてゴールは杖歩行ではなくシルバーカーだという。その後、GHも年末年始は手薄になるので、年明けまで病院に置いて貰えないかと師長に話したが社会的入院なので、4週間だとか、退院はGHと病院で決めることだとかおかしなことを言う。その後、親戚の医者を始めいろいろな人に訊き、ついには当病院の医事課でも訊いてみたが、社会的入院などという言葉は、初めて聞くというし、退院のことはあくまでもご家族に連絡行くはずですという。そして、26日の朝GHから「29日の退院時間を知らせろという電話が師長からあったので、家族に言って下さいと言いました」とのこと。午後病院に行ってみると、衣類を入れているロッカーに貼り紙。【お伝えしたいことがありますから病棟スタッフに声を掛けて下さい】と印刷されているところに手書きで【12/29の退院時間をお知らせ下さい】とある。早速、ナースのところに行くと、驚いて「退院て、誰が言ってるんですか?ご本人ですか?」ビックリするのはこっち!手術の終わるの待って主治医の話も訊いたが、「レントゲンの結果もいいし、シルバーカーで歩いているから年内退院」レントゲンの結果って、さっき撮ったばかり。普通、退院診察というのがあって、退院許可が出るのでは?朝GHに電話あった時には、まだ最新の写真は見てなかったはず。ともかく、はとこDr.のKkちゃんも「手薄のGHより、手薄のこの病院に置いとく方がもっと怖ろしい」というし、この上は1日も早く脱出した方が・・・様々な不信を全て置いて、師長の笑顔に送られて病院を去った。実はこの日退院準備をしている時、更に怖ろしい話を聞いたのだ。88歳の隣のベッドのお婆さん、すでに介助無しの杖歩行で、退院間近に見えたが、数日前私が居た時に、「夜中に呼吸が苦しくなって眠れないので、何かお薬を」とナースに訴えていた。ところが「お薬といわれても此処は整形病院なので」とけんもほろろに取り合って貰えなかった。そのお婆さん、昨日の明け方苦しんで、急遽転院。肺炎で助かるかどうか分からないという。荷物を取りに来た家族が、「病院にいるからって、安心できませんね」
2005年12月29日
コメント(0)
![]()
2005/12/28 martediNHKの「プロジェクトX」が最終回。毎週楽しみに見ていた頃があったが、最近は《あ、これって前に見たんじゃないかなあ?》ってことが多くていつの間にか見なくなっていた。それに、あまりに個性的なナレーションというのも、長くなると飽きて来るというか、鬱陶しさを感じるようにもなっていた。この番組のもう一つの話題は、「地上の星」のヒット。中島みゆきは自分で歌っているものだけでなく、他の歌い手でも沢山のヒット曲を出しているのだが、この曲はそれまでと全く違う客層が買っていったという。私は?といえば、ニューミュージックといわれた頃、中島みゆきを聴きまくった。家族中の名前で葉書を出して、当たった1枚でチケット買ってライブにも行った。ラジオからテープにとって、仕事しながら聴いて、車の中で聴いて、「そんな暗い曲聴きながら運転してると、崖とか跳び込みたくならない?」なんて言われたりしたけど、私自身は彼女の曲がそんなに暗いとは思っていなかった。何がきっかけか?初めて聴いたのが何の曲だったか?なんて事は全く覚えていない。そして、そのテープもいつの間にか飛散して、何処に行ったか・・・ニュースのエンディングに流れた「最後の女神」そしてこの「地上の星」を聴くとやっぱりいいなと思って何かのついでに衝動買いしたCDが2枚、手元にある。歌詞にはっきりしたメッセージがあること。必ずしも美声である必要はないが、心地よく聴ける声。鮮明に歌詞を伝える発声。私が求めるのはそんな歌い手。
2005年12月28日
コメント(0)
2005/12/27 martediどうやらOggi Chiara今日が1000件目らしい。最近は、1日200アクセスの日などあって驚かされると同時に、いつまでもつまらないことばかり書いてて申し訳ないと思う。そもそもが、喘息日記としてきわめて個人的な、他の人が読むことを全く想定しないまま始めてしまった。もともと、そして最近はとみに、忘れっぽい自分の備忘録にもなるし・・・と、思いつくまま何のコンセプトもなく書きつづっている。確かに、書くという作業が、記憶を確実にするための1つの手段であることは、学生時代から実践してきたこと。そして、「あれはいつだっけ?」といったことを確かめる手だてがあるということは、どうやら精神衛生上かなり良いことのようだ。とはいえ、心安らかに送れる日などそうあるものではないということも、また確認できてしまう。予期せぬ効用は、近いといえども毎日顔を合わせるわけではない子供たちに、我が家の日常を知って貰うことが出来ることだ。友人たちにはあまり知らせておらず、実名や写真で登場して貰った人とその周辺、何らかの理由で私が読んで貰いたいと思った人だけなのだが、それでもいいことはある。それは、たまにあった時、少なくともこちらの近況報告が省けること。何しろ、吐くのも吸うのも息が足りないので、以前のように怒濤のような友達との会話は出来ないのだ。それでも、声を枯らして喋ってしまい後で辛い思いをすることがあるのだけれど・・・喋り出したら止まらないのと同じように、書き始めるとついつい長文になってしまう傾向もある。とりとめもなく続くので、読んで下さる方にはさぞ迷惑だろうと思ったりもするのだが、そもそも、飽きっぽい私に日記書くなら、HPにすると三日坊主にならないよと言ってくれた者がおり、ともかく1000件までも来たのだから・・・まあ、このままどこまで続くやら。この年末年始もどうやら普通には迎えられそうもなく・・・
2005年12月27日
コメント(1)
![]()
2005/12/26 lunediやっと「ローマ人の物語」文庫版を読み終えた。まだ、単行本の?を終えたに過ぎない。それもこの最後の3冊に、一月半以上もかかっている。次の文庫版がいつ出るのか?例年だと9月から3ヶ月にわたって、単行本の一冊分ずつが出るのだが、何故か今年は2冊分しか出なかった。だから尚更急ぐ気にならなくて、読むのに思いがけない日数が懸かってしまったとも言えないことはないのだが・・・現実として、読めない、読む気にならないという問題がある。それも本の内容が云々というのではなく、私の気力の問題だ。寸暇を惜しんで、電車の中は勿論、待ち時間も、お風呂の中、1人ご飯の時、本を手放すことはなかったのに、病院の待合室でさえ、取り出すのが億劫な時がある。ベッドの入る時、手元に置いておくのだが、開かないままということも多い。とにかく、今年の後半になって、ガックリ読んだ数が減っている。「天使と悪魔」「ダ・ヴィンチ・コード」といった、結構ボリュームのある本が話題になって、読んでは見たけれど、こんな物を読んだから、年間の読書数が少なくなったとは決して言えない。この手の物はむしろ、面白さで、読み飛ばしてしまう物だ。昨年、一昨年読んだ「晴子情歌」「クアトロ・ラガッツィ」のように、一字一句をおろそかに出来ないような濃密な内容のある物は確かに、読み終えるのに時間は掛かるけど、それだけ読み応えがあるのだ。今年読んだ物の中には、そういったものはなかった。なのに、記録している物が30冊に満たない。これでは、最新の「ローマ人の物語 キリストの勝利」(単行本)にたどり着けるのはいつのことになるのだろう。もっともこれは、出版社が早く文庫版を出してくれなければ仕方のないことではあるが。でも、待ちきれなければ勿論単行本でも構わなくなるのだけど。実際、文庫版が出るのがいつのことやら?永久に出ないのでは?と思われる高村薫なんぞは、とうの昔に文庫化を待つのを止めている。その高村薫の新作だって気になってるのに、とても手が出せないでいる。特にこういった本は、嵩張るし、じっくり落ち着いて読みたい。いっそ88歳に変わって入院でもしたいくらいだけれど、本当のところは、読みたい本を抱えて海の見える温泉地で、のんびり過ごしたい。
2005年12月26日
コメント(0)

2005/12/25 domenicaようやく、今日からお風呂に入れる。所謂ユニットバス(乾式工法)にすれば、2日ぐらいで終わってしまうのだが、壁タイルはそのまま残したいこともあって、タイルにこだわった。お陰で、中2日は床タイル養生のために、立ち入り禁止。(それを破って覗きに入ったヤツはいるのだが)で、やっと5日目の今日入れるというわけだ。その間、nonのところに代わる代わる入りに行ったりしたのだが。しかも、今回は、工務店のNさんの発注ミスというおまけが付いた。薄ピンクの筈が、ブルーが来たらしい。残念ながら私がお葬式に行って居ない時で、見てないのだが、流石にタイルやさんが変に思って問い合わせ、番号間違いの発注ミスと分かった。改めて入荷が昨日。お昼から貼って、2時半に終わって帰っていった。さて、出来上がったのを見て・・・???ここに入った細い1枚???どうやら、奥から、壁タイルに合わせていった結果らしい。1番手前を丸々1枚で納めるためにこうなった。「他の現場もこういう処理の仕方してるから、どうやらこれが彼ら(タイル職人)の美学らしいですよ」Nさんによるとそういうことなのだが、一瞬驚いた。「貼り直させましょうか?」どうせ壁タイルの目地にこだわれば、こうなるのだ。「床のタイル貼っても良かったですね」しかし、ザラザラした床タイル貼るのもね~。で、やっぱりモザイクタイルが良いな~と思ってしまう。しかし、使っているうちに汚くなってくる目地は出来るだけ少なくしたいと思うと、50角以下は避けたいというのも本音。タイルはこういうところが難しい。目地を通すということは、結構大変なのだ。施工図を描いてた頃、資料に付いてきた外壁タイルの割り付け図。角には役物使うから、何処に半端物を置くか、色や大きさによってやけに目立ったりする物もあることだし、いやはや大変と思って見ていたこと思い出す。
2005年12月25日
コメント(0)

2005/12/24 sabatoクリスマスの夜は寒い。そして星がきれい。去年に続いて、女子修道院のミサに行く。都心だというのに、星がいっぱいで、ha-が大喜び。中庭に車を止めると、目の前に数名のお客さんを建物の中に案内するSr.Inの姿。昨日電話をしておいたので、後でお話しできるからいいと思ったのだが、向こうが気が付いて、出てきてくれた。NHKのドキュメントでバチカンが取り上げられると、必ず協力者としてテロップに名前を連ねるシスターは、私のイタリア好きに火を付けた1人だ。 8:00からのクリスマスミサの前に洗礼式。司教が指導した大人10名と幼児洗礼が2名。いつもの大きな教会では、志願式をあらかじめ済ませておいて、最後のところだけミサの中でというが多いので、フルコースの洗礼式は久し振りの気がする。ミサには、思いがけない人との出会いも。名前を呼ばれて振り向くと、中高校生時代の数学の勉強のお相手していたやんちゃ坊主のご両親だった。「その節はどうも・・・ハハハハ」「ホントに楽しかったわ~~~ハハハハ」「最後に、お礼にって男の子みんなであげたのが、シャネル?5だったのよね」「ホントに嬉しかったわ~~~ハハハハ」他にも、お互い名前を思い出せないまま、見覚えのある顔が。「○○教会の方よね」「××でご一緒だった方よね」こんな会話で済ますようになっちゃって~。アブナイアブナイ。終わった後は、院長のもてなしで、受洗者のお祝い。手作りのサンドイッチが美味しくて、そういえば、最近家で作らなくなってるな~。アブナイアブナイ。
2005年12月24日
コメント(0)
2005/12/23 venerdi88歳の従姉妹86歳が今日お見舞いに来るというのは、1週間前にAtちゃんが、病院の枕元のカレンダーに書き込んだ。このカレンダーは、病院の物なのか?それとも以前このベッドにいた人の物なのか?分からない。「書いといて」って言われたけど、書いていい物やら分かんなくて、でも今年も残り少ないことだし・・・まあいいかと思って書いてきちゃった以来、毎日のように「86歳ちゃんが来るのはいつだったかしら?」と訊く88歳。そして《23日には88歳ちゃんのお見舞いに行く》としっかりインプットされた86歳。そこに、一昨日飛び込んだ突然の訃報。86歳に誰が付き添ってくるのか、2転3転したらしい。86歳と88歳には予定の変更はあり得ない。結局、お葬式はAtちゃん、付き添いはDr, のKkちゃんが3歳児検診の仕事を終えてから昨日のうちにすれ違いで上京、1泊してお昼過ぎに病院に現れた。86歳さんは、昨年2月に大腿骨骨折した先輩だ。プレートを入れた88歳と違って、人工骨頭にしたのだが、普通の杖で歩くまでに回復している。伊豆のリハビリ病院での話などするものだから、88歳は「私も行けるかしら」なんて羨ましそう。突然声を潜めて86歳が私に訊く。「ねえ、芸能人てどの人?」「・・・???」そういえば、誰かにも此処の院長の奥さんが芸能人なので、芸能人の入院患者が多いのよなんて言ったらしい。いつかの、芝居を上演しているような幻視が、まだ何処かに繋がっているのだろうか?そうかと思うと、此処も学校で、看護師さんたちは生徒になってたりもするのだ。頭の中は回り舞台?
2005年12月23日
コメント(0)
2005/12/22 giovedi昨日の朝から、一気にPF値が下がっている。風邪を引いたわけでもなく、原因不明。ただこのところずっと、階段上りなど、負荷の掛かる行動は確実に苦しい状態だったから、そこに、思いがけない訃報で、自分で予想付かなかったダメージがあったのかも知れない。ともかくそれでも、お通夜、お葬式と出掛けなくてはならないので、1ヶ月半ぶりくらいで、プレ補給。通常呑む時は、20mg/1d*5という指示を貰っている。ところが出してみたら、ケースに3日分しか入っていない。今月に入っての受診日には、「この前戴いたのが、まだそのままそっくり残っていますから・・・」って断ったから、11月の時に貰った10日分が袋毎無いことになる。いつも、これは特別の薬だからと別にしておく。さ~て、それがどこだか分からない。それにこの薬はお守りの意味で持って歩くので、バッグの中にでも?と思ったりもしたが、このところ泊まりがけで出掛けることもなかった。それでも心当たりを探したのだがない。「プレドニン何処かに行っちゃって、3日分しかないんです」「呑んじゃったんじゃないの?」「いえ、そんなに呑んでません」というやりとりの末、出して貰ったのはいつだっけ?そしてその後、《あ、こんなとこに・・・》ってなことあったような記憶。とにかく、大事な物を大事にしまうのはダメ。大事な物は、直ぐ出せるところ、見えるところにしまおう。とはいえ、物の位置を決める出したら戻すは鉄則。耳にタコ、目にもタコの筈。なのに、こんなことしょっちゅうだ。しかも、頻度が高くなっているのではないか?年末だし、貰いに行っといた方がいいかな?でも、いざ救急外来に行くことになったら、その時出してくれるだろうから良いかな?あとはまたマーフィーの法則が頼りだから、貰ったら無くしたのまで出て来るか?此処で告白することで、出てきてくれれば1番良いのだけど・・・
2005年12月22日
コメント(3)

2005/12/21 mercoledi夏からの~~~~びのびになってたお風呂工事が今日から。20年以上使ってた琺瑯浴槽をやっと取り替える。随分前から表面がザラザラになっており、子供たちがお尻が痛いとと文句を言っていたのだが、88歳が来たのを機会に、やっと取り替えることにしたのだ。ところが、汗を掻かない季節を待っていたら、88歳はグループホームに入ってしまった。で、なんとなくの~~~~びのびになってしまったというわけ。ところが昨日飛び込んできた訃報。今日がお通夜なので、4:00には家を出たいからと、工務店のN氏に段取りを変更して貰い、昼前に訃報を持って病院に行く。歳は私に近い故人だが、88歳の従兄弟である。流石に驚いてくれて、ほっとする。直近の記憶はまるでダメだが、長いお付き合いの人のことは良く覚えていて、話が通じる。「私はこんなことになっちゃって行けないから、よろしくね。あなたも気を付けてね!」まではよかったが、後に「太ってるから」と付いた。一言多い!今日の斎場は、外房線の初めて聞く名の駅から、タクシーで5分という。4:00に家を出る設定で、携帯で経路を検索していたが、水道屋さんが結構ギリギリまで仕事していたので、少し廻ってしまった。歩きながら現在時刻設定で探したら、また全然違う経路がでてきて、結局東京駅から外房直行の快速に乗った。ただ、向こうの駅着が15分前というのが・・・でも5分というし、通夜だから、と思ったのだが。いざ駅に着いてみると、駅前は暗くタクシー乗り場も見つからない。止まっているタクシーもなければ、看板も暗くて見えない。タクシー乗り場のない駅か~?家族迎えの自家用車とおぼしき車は3台ほど待っている。人に訊いて、数人並んでいるところがタクシー乗り場だということが分かった。なるほど近づいてみると、低いバスストップのような丸い看板が立っていたて、それも黒っぽい地に白い字で書いてあるので、暗闇の中ではまるで見えにくい。そもそも、駅前広場がこの暗さってことが信じられない。おまけに、タクシーもなかなか来なくて、結局電車降りてから乗るまで30分近く懸かってしまった。故人の兄弟に飛び出して迎えられた時には、もう親族の焼香は終わっていた。男ばかり5人兄弟の真ん中を突然失って、彼らの衝撃的な悲しみは・・・
2005年12月21日
コメント(0)
2005/12/20 martedi一時、いい感じになってきて、大台に乗るかと思ったPF値が、また下がっている。実際、階段上るのを極力避けたいのだが、今日は病院とグループホームの2カ所廻らなくてはならないので、電チャリ使えない。何とか地下鉄の階段上がって、やっぱり、しばらく動けない。昨日、GHの方から、リハビリ用にシルバーカー(近頃お年寄りが買い物などに使っている手押し車をこういうみたい)を持ち込んでくれた。この間、ケアマネさんが病院の先生に聞いたところ、シルバーカーがゴールだと言われ、少しでも早く慣れるように、デモ用のものを貸してくれたのだ。試した上で、種類もいろいろあるらしく、88歳に1番合うもの、使いこなせるものを買うことになる。「ど~お?これ」「昨日使っていいと言って持ってきて下さったの。でも、借り物だから汚しちゃいけないと思って、遠慮してるの」「良いようだったら同じの買うんだから、様子みる為なんだから遠慮しないでよ~」どうやら、歩けているらしいのでホッとする。病院からGHまではタクシーだ。損害保険の申請のこと出来て欲しいということだったので、統括責任者のNgさん(♀)、GHのTkさん(♂)と3F事務室で話す。2人とも何回も病院に尋ねてくれ、特にTkさん(♂)は週に2・3回は帰りによってくれているので、88歳の様子がよく分かっている。GHは自分の学校であり、周りでお世話してくれてる方たちは生徒たち彼女の頭の中ではすっかりそういう構図が出来ていること、分かってくれている。そういえば、ケアマネさんも最近88歳のことを「先生」という。本当にこのGHで、暖かく迎えて貰っているということを感じさせられる。我が家での、普通の家庭の生活よりも、GHでの生活の方が、それまでの88歳の生活と共通するものがあって、ストレスが少ないのかも知れない。結構長い時間話し込んでしまって、家に帰ったら、留守電7つも入っていた。66歳親戚男性の突然死を告げるものだった。親戚中に衝撃が走っていることだろう。
2005年12月20日
コメント(0)
2005/12/19 lunedi捻挫の治療2回目。「内出血はどう?」「殆ど消えた」「よ~し、これからが治療ですよ」「え~っ!?」そういえば、この間は応急処置だといってお金取らなかった。まず、アイシングから始まって、右足の前後というか裏表というか両面鍼をしてからマッサージ。「謝りなさい」丁度、この前私が捻挫したこと知っていて、Sgさんに伝えるのを忘れたTnさんが戻ってきたとこだった。「すみませんでした」と私の傍に来て言う。それから何かガサゴソ雑用を始めたらしい。「仰木監督なくなったんですか~?」脇から、「先週だよ!」「おいTn、遅いんだよお前!chiaraさんのことだって~」私も思わず笑ってしまった。それからやおら、私の空いてる方の足(それが痛めた方の足)のマッサージを始めた。これが痛い!しつこく患部をしごくように揉む。痛すぎ~!「痛い~~~」「どこがですか?」と、涼しい声のSgさん。「Tnさんの方」「今押してるとこ?」「そうそう」「それならいい」とあっさり続行。この痛さに較べたら、いつもの腰や、腕の付け根の痛さなど、それほどに感じなかった。全身終わった時には、2時間半を経過。「歩いてみて!・・・まだ、足引きずってるね」と、今度はTnさんと廊下に出て、歩行訓練。「肩の力抜いて~!手が自然に振れないと・・・」こんなところで、ウォーキングの指導受けることになろうとは!そして再びアイシング。お風呂に入って帰ってきたが、一日中身体がボ~ッ。
2005年12月19日
コメント(0)

2005/12/18 domenicaサムイッ!寒い!さむ~い!今からこんなに寒くていいものかと思うけど、1月後半からは暖冬になるという予報もある。大寒といわれるその時期と同じ気候なら、いつものその頃の服装すればいいのだが、何故かまだ極寒期の格好はしていない。一応一通りの冬物は出してあるのだが、分厚いものを着る気にならないのはどうして?本当にこの後暖冬が待っているんだとすると、着る機会をなくすものも出てくるかもしれない。そう言えば、今年こそウールのちゃんとしたコートを調達しなくてはと、見に行ったが、メーカーは暖冬予想で僅かしか作らなかったとかで、どこも品薄なんだそうだ。お陰で、出費は押さえられ、20年近いコートの寿命をまた延ばすことに・・・日曜日の病院というのは、おそらくリハビリも休みで、看護師さんたちの動きもあまりなく、患者にとっては退屈なものだ。先週はまだ、ベッドから降りられなかったこともあり、ストレス満杯の88歳はハチャメチャだった。普通歳をとると同じことを何回も言うという。ところが、この年寄りは話が彼方此方して、そのたんびに前言ったことと違う話になるのだ。例えば今自分のいるところだって、いろいろ。周りにいる人もいろいろに変身。それも想像も付かない突拍子もない変わり方をするので、とても付いてけない。幸い歩行器で歩行練習をするようになってからは、そんな様子はみられなくなり、普通に話が出来るようになっているのだが、さて、この日曜日は?一昨日、Atちゃんが来てくれたし、昨日は、ケアマネさんが、病院の先生や病棟師長さんと話してくれている。それも、どうやらベッドサイドで話した(そういうことの為の部屋などこの病院にはないらしい)ような感じで報告受けたが、そんなこと覚えているだろうか?結局、Atちゃんについては覚えていて、彼女の母親も近々来てくれると言ってたことも楽しみにいているようだったが、ケアマネさんは、ただお見舞いに来てくれただけと思っている。退院の目処とか、これからのリハビリのことだの、細々した話などは、もう理解不可能なのか、他人事と思っているのか、全く知らないという。でもまあ、先週と比較すれば、穏やかで、やはりストレスが少しは解消されていることを伺わせてくれてホッとした。
2005年12月18日
コメント(0)
2005/12/17 sabatoひかり文庫は、新しく始めようという人の為のものとは別に、月2回の勉強会と年数回の特別勉強会をする。いずれも、講師を迎えてのものだ。でも、最近私は殆ど参加していない。今日は、初めての先生で「呼吸法」の1回目。勿論よりよい朗読のためのものなのだが、喘息患者にも参考になるはず。その上、密かに歌をまたやりたいと思っているので、そのとっかかりにならないか?なんて下心もあって参加。前半は、足とか手とか少しずつ動かしながら、その時呼吸はどうなっているのか気付かせていくというやり方。自分の身体を見つめるとか、無理にみんなに会わせるのでなく自分のペースでとか、ヨガ煮よく似たことをやる。そうすることにより、深い呼吸が得られ、深いところから声が出る。呪文のように聞かされてきたでしょうと先生のいう「腹式呼吸」という言葉は、敢えて使わない。お腹を膨らませたり凹ませたりするのが腹式呼吸と誤解される(或いは誤解されてる)ことを恐れてのことかも知れない。とにかく、身体をほぐして、腰を安定させて声を出す・・・これは歌の時よく言われてたことだ。かつては、2時間ぶっ通しの対面朗読も、長時間連続録音も、他の人が呆れるくらい平気だった。声帯を傷めた時は、薬の副作用だけでなく、それまで酷使しすぎたかとちょっぴり反省もした。しかしそれは、10年以上もやっていたヨガと、コーラスだシャンソンだと、子どもの頃から何となく歌と縁が切れずに来たお陰だったのか。今は、普通の人のように吐けないから、当然吸う空気も少なくて、以前の様なわけにはいかないのだけれど、改めて「呼吸法」を勉強してみることで、突破口が出来たらなあと思う。しかし、後半になって、2人組で、マッサージみたいなこともした。これがチョット・・・して貰う方の時はいいのだが、してあげる側になったら無理な姿勢をとらなきゃならなかったり、力もいるしで、捻挫の足にきつかった。手を抜くわけに行かなくて、人と組むのは難しい。寒さの所為か、PF値もこの2・3日また下がっているし、午後になって何だか調子悪いので、病院はパス。
2005年12月17日
コメント(0)

2005/12/16 venerdi今日で、今年の授業は終わり。長いbacanzaの前は、大概みんなでランチする。勿論、都合のつく人だけ。お休み1人、お仕事1人、具合が悪くて、みんなにお医者に行くように言われて帰った1人、そして、20歳のニャ~が今朝入院して気になるので帰ったのが1人。残り8人で、いつものイタメシや。980円のAランチにデザートで、ランチ時間の終わりまでお喋り。帰りにパネトーネを買ってきた。今年は、ツリーもアドベンツクランツも出してない我が家に唯一のクリスマスグッズ。このところ休んでばかりで、それが何故かCl先生の時が多くて、今日は本当に久し振り。なので、恒例の近況報告もちっとも近況ではなくなってしまう。とりあえず、休みのいいわけにもなるかと、88歳の骨折そして私の捻挫のことを話したのだが・・・普段あまり馴染みのない単語ばかり必要なので、勿論調べてメモしといたんだけど、いざ話す段になると、自分で書いた字が判読できなかったり、どこに書いたか分からなくなってしまったり、しどろもどろで・・・88歳はfratturarsi(骨折する)、私はprendere una storta(捻挫する)、そしてClのお子さんはよくslogarsi(脱臼する)そうな。せっかくだから、もっと楽しい話をした方が良かったかな?初めて見た歌舞伎で、essere appassionato/a di 染五郎(染五郎に嵌った)隣のMkさんみたいに,essere appassionato/a di AYADOで、サインまで貰ってきたことなど。
2005年12月16日
コメント(0)

2005/12/15 giovediエポック10(男女平等推進センター)の運営委員会は、主にパネル展示の準備。2月に予定されている都市宣言に備えての宣伝だ。会場が庁舎のロビーと言えば、月~金の9:00~17:00しか空いてないわけで、そんな時間に役所に行き、しかものんびり展示など見ていられる人がどれくらいいるのだろう?と思うけど。まあ、近くの窓口に用事のある人なら、書類の出来るまでの待ち時間に見てくれるかも知れないけど、近頃の役所は待ち時間を短くするように努力しているところでもあり、どうだろう?なのに、職員の考える展示は、どうやら文字だらけ。ならば、1枚くらいはぱっと目に入るもの作らなきゃ~というのが委員の考えること。この意味不明のシンボルマーク。13年前の開設時に公募で決まったものだという。作者はなんとかさんのお嬢さん。青い色は海を表すんだそうよということしか分からない。ではそれを逆手にとって、「あれはなんだろう?」と近寄ってもらおう。マークを中心に、写真をちりばめて、活動を知って貰う、という形で作っていったのだが、その写真に写っている人達が判別できちゃうのはマズイ?個人情報保護法が・・・という話はみんなの口に上るのだが、先日来、どうやら私の頭の中では、著作権法の方が脳の浅いところでウロウロしているらしくて気になる。このシンボルマーク。公募なので、権利は区或いはエポック10にあるのだろうが、作者の名前、とか意図とか誰も知らないままでいいものだろうか。少なくとも、所長とか、職員とかが。何処かに資料は残っているだろうけど、それを探して確認しようとはしない。いや、ひょっとすると書類の保存期間というものが決まっているようだから、それによってすでに処分されてるのかも・・・これじゃ公募でいいもの集まるわけないよな~。勿論、このマークが良くないというわけではないけど。
2005年12月15日
コメント(0)
2005/12/14 mercoledi病院から帰ったら何だか足が痛い。考えてみたら、捻挫して丁度1週間だ。整形の医師は、1・2週間で痛みが取れるといった。ホント?それってもしかして、安静にして、つまり使うな!ってこと?湿布と、痛み止めくれただけだった。いつものマッサージSgさんに電話してみる。「捻挫しちゃった。nonが○○さんに話したらしいけど」「聞いてないよ、いつ?」「1週間前」「遅いよ!内出血は?」「少し引いたけど、甲全体に色が変わっている」「じゃあ、チョットでも早い方がいいから、7時15分に来て」バタバタと夕飯の用意をして、テーブルに書き置きして、間に合うように家を出た。割り込んだので、まだ前の人が終わってない。「足見せて」というので、固定ベルトとって、靴下脱いで、湿布剥がして足を突き出す。「わつ、すげ~」どれどれという感じで、他の人も覗きにきては「すげ~っ」1番ベテランのSさんまでが傍にきて、「すげ~っ、やったら次の次の日位に来なくちゃダメですよ」いったい何本の鍼をうたれたのか・・・そもそも私は鍼がイヤで、ずっと拒否してきた。何やらなが~い針を背中に刺して、電気に繋いでいるのを、初めて近所の外科医で見た時、ビリビリ来そうとか雷落ちるんじゃないかと思って恐かった。そして10数年前に、やはり捻挫した時、治りが悪くて(結局後に別の整形医で、剥離骨折だったらしいと言われたのだが)近くの接骨医院に行ったら、「どう、痛くなくなったでしょ」と言われながら毎日鍼をうたれ、結局あんまり効果があったとは思えず、鍼嫌いになった。ある時、足がパンパンに張って、こむら返りを何回も起こしていた時に、「今日は、鍼をうたして貰いますよ~」とSgさんに言われてからは、何回かうっている。でも今日のは特別って感じ。それに電気も2種類くらいやって、最後は5分のアイシング。終わったら9時を廻ってた。「次の時はもっと早く来てね」って、私また捻挫するの~?考えてみれば、スポーツ選手のトレーナーとしての仕事をしている此処の人達には、捻挫など日常茶飯事。そして、そのくらいのことでは休むこと出来ない人達を相手にしてるから、チョットでも早く楽になる方法、使いながら直す方法を知ってるのだ。ボワッと晴れてた右足が、一回り小さくなったようにスッキリして、帰り道、悪くない方の足が何だか重く感じられた。
2005年12月14日
コメント(0)

2005/12/13 martediいつの間にか、クリスマスはもうすぐそこ。幼稚園の最大イベント聖劇の日。私がこれを見るのは、3人の子供たちは2年保育だったので、計6回。そして、ha-が今年で3回目、でなんと9回目になる。その30年余、大理石の祭壇上で、同じ台本、同じ音楽、同じ衣装で、繰り返されてきた。先ず1番チビさんのクラスは、全員白いセーターに白いタイツで、羊さん。その上のクラスの男の子羊飼いに連れられて、はいはいで登場。女の子の役割は、黄色い衣装に、頭と両手に星を付けてお星さま。一番大きいクラスになると、男の子は東方の博士。王冠を頭に載せ、金モールで飾られたマントを羽織り、家から持ってきた大事なものが入った箱を捧げて、ゾロゾロと登場。そしてha-たち女の子は、羽の付いた白い衣装に銀モールを頭に巻いた天使たち。何と言っても、大役はマリアさまとヨゼフさま、そして受胎告知の大天使ガブリエル。台詞はあるは、歌のソロはあるは、結構長時間じっとしてなきゃならないは・・・で、やっぱりしっかりした子でななくちゃ。今年はまた、マリアさまとヨゼフさまの身長差がかなり・・・マリアさまが大きい子だった。おまけにヨゼフさまが高い声で、とっても落ち着いたマリアさま。でもね~、よく考えてみるとやっぱり、落ち着いてしっかりしてなくちゃ救い主の母にはとてもなれません!
2005年12月13日
コメント(0)

2005/12/12 lunedi随分ご無沙汰している友人のブティックから、葉書が来ていたのを思い出し、病院に行きがてら、寄ってみる。今回は百日草をモチーフに、様々な布地でブラウス・スカート・コートなどの新作が並んでいる。そして、20年くらい前からのバラや麦のモチーフのものも一緒に並んでいるのを見て、私は安心する。相変わらずのデザイナーとしてのセンスが何とも言えず素晴らしい。この玄関前におかれた椅子の上のわんちゃん。その辺に転がっているただの石に描いただけ。彼女の作品なのか?これを子供たちに指導しているという彼女の友達の作品なのか?はたまたその子供たちの作品なのか?それをこんな風に、店の顔みたいなところに飾るセンスが好き。しかし、こうして、季節毎に新作を発表していく苦労も並大抵のことではないと思う。彼女の場合、1つ1つの作品の織りから染めから、刺繍の糸の1本1本の色まで試作を繰り返し、しかも決して大量生産はしない。老舗の雑誌に取り上げられようが、NHKで紹介されようが、この路線は変えないで頑張っている。この彼女の姿勢に励まされ、この店の雰囲気に癒されて、たまには足を運びたくなる。今日から歩行器でのリハビリが始まってるはずの88歳は、流石に昨日の乱れ様は影を潜めている。が、当人に訊いてもやってるようなやってないような返事しか帰ってこない。今週末、ケアマネさんが病院側のスタッフと話してくれるまでに、どれだけリハビリが進むのか?まだまだ今なら、グループホームに帰ればまた楽しく暮らしていけるだろうと思うので、頑張って欲しいのだが・・・心許ないけど、本人次第なのですよね。
2005年12月12日
コメント(0)
![]()
2005/12/11 domenica子どもの頃、大人達のこんな質問にとても悩まされた。殆ど初対面状態のよそのおばさんだったり、親戚の人だったり。それが、何か食べ物をくれようとして訊いているのでもなく、何か買ってくれようとしているでもなく、今思えば単に子どもに対する社交辞令だったのかとも思う。その頃の私には、取り立てて好きな食べ物というのもなく、嫌いなものもなく、学校の授業にしたところで、みんなそれぞれに面白いと思っていて、今思えば、食べるのが遅くていつもビリになる給食がいやだったくらい。勿論そんなこと思いつかず、ただただ返事に困った。そして今、私の好きな音楽は何だろうと考えている。このところのハプニング続きで、机の上に積み上がった書類とも言えない紙の山から掘り出した2枚のCD。同時に買ってきた物だ。まだ封も切ってない。何故この組み合わせ?フィリッパ・ジョルダーノの方は、すでに2枚持っているので、目に入った時、《あ~3枚目が出たんだ》と手に取ったんだと思う。上原ひとみは全く衝動買いとしか言いようがない。大体ジャズはアヤド以外持ってないし、特に、ヴォーカルはともかく、ジャズピアノのCDを買おうなんて思ったことなかった。ただこの子は、いつかワイドショーでちらっと見た時、《へっ、この子がジャズ?》そして、弾いた曲が《これって、ジャズ?》容姿も曲も何だか可愛い。私のジャズの定義を変えてくれそうな予感がその時した。早速、ipodに2枚とも吸い取らせる。これで、私のCDの棚も、ipodの中も、更にゴチャゴチャになったというわけ。
2005年12月11日
コメント(0)
2005/12/10 sabato今日もまた88歳の病院に行く支度をしているところに、グループホームのケアマネージャーのSさんから電話が掛かってきた。術後2週間近くなり、受け入れの準備などあるので、1度病院のスタッフと話をしたいという。正直いって、今の状態で、とても退院なんて見えていなかった私。まだずっと先のこと、ととらえていた。しかし彼女は違った。この前責任者のOさんも、早く連れて帰りたいと言ってくれていたが、毎日のように、職員の誰かしらが、病院に行ってくれており、その話を聞いて更に心配が募り、具体的に動いてくれようとしているのだ。何が心配って、認知症の進行。そもそも、グループホームという施設そのものが、認知症の進行を遅らせるのに効果があると、欧米で認められ、日本でも最近推奨されるようになった施設。そして、88歳が入所して1ヶ月半近く、顕著にその効果はあって、別人のようになっていた。そこへ今度のアクシデント。口惜しかったのは私だけでなく、GHのスタッフみんなだった。88歳でさえ、入院当初口惜しいという言葉を口にしていた。懸念された術後のせん妄も見られず、我が家で起きていたならさぞ酷いことになっていただろうに、と感謝でいっぱいだった。しかし、この数日は、まるで、クスリが切れたかのように、どんどんおかしくなっている。おそらく、ベッドの上だけというストレスが貯まってきたのだろう、とSさんと話した。そして、病院がどこまで、理解してくれているのかについての不安もやはり感じてくれている。それは彼女の方が私などよりよほど沢山の事例を知ってるだけに、具体的な心配なのだ。来週中には病院に行って、退院の時期と受け入れ態勢について、ケアマネージャーの立場で話をしたいから時間を作ってくれるよう話しておいて欲しい。彼女の伝言と、薬の謎の追加分を持って行った。昨日薬の件で電話をくれたり処方箋を貰ってきてくれた看護師さんが、「病棟主任」という名札を付けていたので、その看護師さんに話そうとしていたら、脇から「私が伺いましょう」と別の「病棟師長」という名札を付けた看護師さん。この前、久し振りに幻視が見えたのかと思った、芝居の日、私が思わずナースステーションの前で、「あ~、どっか違う世界へ行っちゃってる~」と嘆いた時、ニッコリ振り向いて「そうね、時々違う世界に行くみたいね」と言った看護師さんだった。そして、伝言をしっかり聞いてくれて、「では、医師にも連絡をして、私の方からお電話差し上げるようにします」と、改めて名刺をくれた。私の喘息でお世話になっている病院は、もっともっと大勢のスタッフがいても、患者の対応の仕方にそんなに差を感じたことはない。しかし此処は、最初に説明を受けた院長と、手術時の若手の先生、そして、線の入った帽子を被った年配の看護師と、若手の看護師。大きな違いを感じる。前々から、メスを持つのは若い方がいいに決まっていると思っていたから、手術については却って心配しなかった。が、病棟のスタッフについても、話せば聞いてくれる人と無駄な人が、やっと見当付いてきた。でももう入院してから2週間が過ぎている。
2005年12月10日
コメント(0)
2005/12/09 venerdiイタリア語休んだ。chiとかcheとか、また分かりにくい関係代名詞のとこなので、休みたくなかったのだけど・・・昨夜のうちに2人のクラスメートにメール入れといたら、どちらからも「任しといて!」と言う有り難い返信。これでナンとかついてってる状態なのだ。昨日の帰り、つい駅まで歩いたのがいけなかったか?夜になって結構痛んだ。いくら胃薬呑んでも、気分悪くなるので、痛み止めは極力呑まないようにしているのだけれど、呑まないとやっぱり辛い。朝、お風呂から出てきたらtamに「アイシングしないと」と言われたけど、見回しても2階にはバケツがない。階下まで降りていくのは痛いし面倒だしで、止めちゃった。午後からは、数日前に終わったまま、まだ手元にあった校正テープを図書館に届けながら、病院。私の顔を見るなり88歳、「あ~よかった、さっきから変な男に付きまとわれて困ってるのよ」「・・・・・・?」「ホラ、あのカーテンのところにいるあの男」「あれは、理学療法士さん。リハビリの先生よ」ったくも~~~やっぱり日毎におかしくなってる。ベッド上の滞在期間が長すぎやしないか。入院したての頃は「認知症って伺いましたけど・・・」って看護師さんに不思議がられる程、しっかりしているように見えたのに、もうダメだ。逆に、あんなこと言うから、リハビリのペース遅らせられてるんじゃないか心配になる。この間も、年配の看護師さんに「時々私たちの分からないこと仰います」といわれたので、「レビー小体型痴呆という診断頂いているんです」といったら「ナンですそれ?初めて聞きました』と言われてしまった。幻視があることだけでも言いたかったのに、忙しいと逃げられた。少しずついろいろなことが心配になってきてるところに、今朝はまた、持ち込んだ薬が切れたから、院外でとってきて欲しいと電話があった。てっきり、2週間ずつの処方になってる内科の方だと思ってたら、そっちは同じ効果の薬が院内にあるので、それを使っており、メンタルの方がないのだという。《おかしい???》確か、次は26日を予約しているので、それまで保つはず。念のため、グループホームに残ってないか電話をしてみるがやはり全部持っていったという。とにかく処方箋書いて貰ったが、こっちの薬は、やたらその辺のクスリやどこにでもある物ではないので、一旦持ちかえり、私の勘違いか?と調べてみたが、やはり先月21日に、5週間分出ている。どうしちゃったのだ・・・?
2005年12月09日
コメント(5)

2005/12/08 giovedi音訳雑誌の校正日で、今月は「小説新潮」担当。「歴史読本」の時は2人で組むし、いろいろ調べなくてはならないことが多いので、時間が掛かる。けれど、「小説新潮」は1人だし、今日のは読み手もしっかりしていたので楽だった。それに、読んでる文章によってもこっちの疲れ方は違うものだ。今日は谷村志穂と阿刀田高だったので、それも助かった。谷村志穂の作品は、私にとって初めての出会い。本屋でよく見るものの、手に取ろうとは思わない作家とも、こうして出会えるのは楽しい余録だ。終わって、88歳の病院に行く。昨日からタクシー乗り通し。痛めた足のこと考えると、ホントは彼方此方しない方がいいのだろうけど、昨日行けなかったので、洗濯物とか気になるし・・・捻挫したのが、左足なら、オートマ車OKなのに、今回は右足だもんね。タクシー使うしかしょうがない。もう術後10日目になる。歩行器で歩くのは来週からという。流石に、88歳ストレスたまってきているのか、あまりいい状態ではない。我が家にいた時のようになってきている。「この間のあなた達の芝居ね~」なんて、突然言い出す。この前、チョット熱のあった時、芝居の幻視があったのか変なこと言ってたけど、それが続いているのだろうか?「私たちって?芝居なんかしてないわよ」「そ~お?それじゃまあいいわ」やっぱり、幻視或いは夢とは思っていない。88歳の中では、私たちでなければ他の誰かが芝居を上演していたことは間違いないのだろう。前から不思議だった。他のことは直ぐ忘れちゃうのだけれど、幻視で見たものはいつまでも覚えている。何週間か経ったあとでも、病院の先生の前で、直後に私に話したのと同じように話している。それがリアルな世界のことはそうはいかない。私の居ない時に来て下さった方に、何か書き残してって貰おうと、ノートとボールペンを置いて、ちゃんと言っておいたのに、翌日にはボールペンがどうしても見つからず、代わりを持ってきたら、今度は、ノートも消え失せている。深く追求すれば「さっき誰かがそ~っと持ってった」などと言いかねない。まだベッドから降りられない状態でも、こんな風に物が無くなるのが不思議。グループホームに入ってからは、こうした訴えが殆どなくなったのは、自分のテリトリーが狭くなったからと思っていた。幻視だって、嘘のように消えているようだったのに。もう冬至も近く、5時前だというのに、病院を出るとすでに暗い。この季節、其処此処のイルミネーションを見ながら、帰りは駅まで歩いてしまった。
2005年12月08日
コメント(0)
2005/12/07 mercoledi朝から張り切って、「DAISY普及のための研修会」に茅場町まで出掛けた。そもそも、昨日は喘息の診察でいい感じだったのに、その後88歳のところに廻って帰宅したらすごい疲労感。とりあえず、一眠りと横になってしばらくしたらナンか熱っぽい。測ってみたら最近無かった高熱。心当たりはチョット喉が痛かったくらい。そういえば、このところまた早朝に目が覚める癖が出て、睡眠時間が短くなってるかも?ご飯も食べず、デパスで爆睡。ほかの薬は呑み忘れた(×_×)そして、今朝は快適な目覚めだったのだ。茅場町の、日本図書館協会と言うところで今日明日行われる研修会だが、明日は所属のひかり文庫で、雑誌の校正を担当する日なので、今日だけの参加。でも、テキストが欲しいので、一応2日間参加にはしてある。フルタイドを許容量超えて使って、見事声をダメにして、読めなくなっていた時、DAISYやってみない?と会長から言われ、私も前々から関心あったし、仕事もなくなったから時間もとれるだろうしと、考慮中ではあった。もちろん、ひかり文庫内ではもう数年前からチームが出来て、デジタル編集をしているので、わざわざ外の研修を受けなくてもいいようなものだが、私としては真っ新な状態からの基本的な知識が欲しいし、他の図書館或いはボランティアグループの様子も知りたかった。新たに導入する図書館対象という形をとった研修会だったが、講師はもうすでに相当経験を積んでいる人達だったので、話はとても具体的。2007年デジタル化というのが1つの目安になって、最早テープデッキもモニターも生産ストップ状態で、一方、ちゃんと教育を受けている障害者のIT技術も凄い。利用者にとってもサービス提供者にとっても、使い勝手が良ければそっちに流れるのは当然の成り行き。その中で取り残されていく人達もいるだろうが、それは今日のテーマではない。実際のパソコン上の画面をプロジェクターで見せて貰い、音声だけでなく、画像や拡大文字も出せて、タッチパネルで、と、様々な障害者が使えるようなマルチメディアDAISYというのも初めて見た。旧型から、近く発売になる、普通のCDウォークマンと大して変わらない大きさのものまで、再生機(録音も出来るもの含めて)の全種も見ることが出来たり、すでに、パソコンで、デジタル録音している人の話も聞けた。ただ、大きな問題は著作権で、ひかり文庫の場合は、私が関わるようになった15年前にすでに、1つ1つ許可を取らなくてもいいという、お墨付きを貰っているようだが、他は随分苦労しているらしい。特に、こういう講習会で使う教材は、不特定多数を対象にしているからだろうか特に難しく、フリーをうたっているものしか扱えないようだ。技術はどんどん進歩して、法整備が後手後手になるということなのか。それもあちら立てればこちら立たずという、権利のバランスが難しい。人情に訴えるしかないってものどうかと思うけど。ともかく、10:00~16:30まで、得るところも、考えさせられることも多かった研修会だった。が~~~帰ろうと階段を下り、すれ違った盲導犬にチョット道を譲ろうと除けたら、そこはもう手すりが切れてるところだった。焦って飛び降りたつもりが、転倒。しまった~!マズイ!やっと立ち上がったものの、動けず、職員が運んできてくれた椅子にしばし。その間に、湿布を持ってきてくれたり、まだやってる病院探してくれたり。あ~、恥ずかしい!《折れてるとは思わないけど、最悪ヒビかな?》それにしても、今固定されちゃうと困るんだけど。隣駅の前にクリニック見つけてくれて、タクシー呼んでくれて行ったけど、整形医ではなかった。それでもx線は撮って、捻挫ということに。「木曜日の午後整形の先生が来ますから」「松葉杖お貸ししましょうか」といわれても、こんなところまで、もう来ないと思う。ロキソニン・ムコスタ・モーラステープとおきまりの処方だが、この頃院外で処方箋出すたびに、また問診票書かされるのが面倒。何しろ、今呑んでる薬をずらずら書き並べなきゃなんないのがね~。必ずいろいろ聞かれるし。「良く全部覚えていますね」と感心されたのか?呆れられたのか?書かなきゃいいと言われそうだが、何だか騙してるみたいで、後ろめたいのよね。今日の薬局なんて、もう絶対絶対絶対絶対行かないと思うんだけど。あ~なんてオバカな私
2005年12月07日
コメント(2)

2005/12/06 martedi午前中、エポック10で展示パネルの相談してから、午後病院。総合診の方で貰ってる薬の残りを確認してこなかった。それはカルテで分かることだし、ま~いいとして、こっちの先生、直ぐ体重測るという。そもそも今診て貰ってる先生の初めての時が悪かった。いつもより長くプレドニン呑んで、何だか調子が悪かった時で、その時測りに載せられたのが始まり。次から必ず「体重測っとこうか」と言われる。「変わらないと思います」って、逃げようとするのだが、載らされて、まあホントに変わらないからいいようなもので・・・でも、今回はチョットやばいかも。だからってわけでもないんだけど、今日は、診察無しで薬だけにして、待つ。ところがちっとも呼んでくれない。どうやら、同じ診察室の、午前の患者さんさえまだ終わってないという。呼吸器の予約時間が迫ってきたので、後回しにして2階の呼吸器科に行く。何だかこっちも込んでいる。中待ち入りの表示番号の動きが遅い。私の前で止まっちゃってる・・・と思ったら、先生が外まで呼びに出てきた。「番号出てなかったので・・・」「ボクまだ、これよく分かんなくて・・・」「ナンか、今日込んでますね」「前のHd先生の時と待ち時間どう?」「いや~、前は殺人的でしたよ。診察券通したら2時間くらい遊んできていいからって言われた時ありましたよ」「そりゃ酷いや、ボクなら怒っちゃう、な~んて、先輩なんだけけど」確かに、看護師さんに噛みついてる人もいたけど、私はそんなもんだと思っていたから、休息の時間と割り切って気長に待ってた。それにしても、Hd先生は今どこに?この病院にはもういらっしゃらないと、看護師さんが他の人に説明してたの聞いているけど、ググッても、前はヒットした論文なんかも出てこないし、どこぞで開業でもしてるのかな~?PFのグラフを出したら、何故か端っこチョット破けてる。「クリアファイルの挟んでいるのに」「いいですよ、中身だから」ここで、88歳骨折して、ここで手術して、と説明。「随分はっきりしてるな~」と言われて、改めてみるとホントにその間が1段下がっている。今はもう徐々に回復して、ここ2・3日は結構いい数値が出ている。指パッチンは96~97、モシモシも、随分久し振りに「ん、きれいだ。プレドニンも今回呑んでないし、次はダイエットだね」え~っ、そうきましたか。減薬ではないのですか。風邪引いてる患者さん多いから、なるべく先に延ばして、次は5週間後、もう来年だ。
2005年12月06日
コメント(2)
2005/12/05 lunediこの間、法事で信州に行った時、同じ列車に乗り合わせ、12月半ばに88歳の居るグループホームを訪ねたいと言ってくれたYkちゃん。先週電話をくれて、今日がいいということだったのだが、実は病院に入ってて、それなら病院に行くと言ってくれた。我が家の近くの有名私立小学校で先生してるのだが、今日は半日で終わりということで、2時に地下鉄の改札で待ち合わせ。これがまた、携帯電話があって良かった!というような待ち合わせになっちゃったんだけど・・・実は私、昨日初めて病院行きをサボった。植木屋さんが帰った後、寒いし雨は降るし、関白が言ってた薬は家で見つけたからnonのところに取りに行く必要もなくなって、お夕飯に食べるものも、あるもので何とかなりそうだったし、88歳の着替えも足りてるはずだし、何より、やっとPFちが持ち直してきたのに・・・さ~て、私が行かなかったこと、覚えているだろうか?Ykちゃんも、「わたしのこと、分かるかしら?」結果、昨日のことは、何も言わない。が、Ykちゃんには「今日、お仕事は?」「学校行ってるんでしょ?」「○○さん(彼女の兄の名)たちはお変わり無い?」(・・||||rパンパンッ帰り道、いつも気になっていた珈琲屋さんに入った。2人とも、体重気にしながら、ついついケーキまで付けて、久し振りにお喋り堪能。
2005年12月05日
コメント(0)

2005/12/04 domenicaとにかく寒い。師走なんだから当たり前、と言われればしょうがないんだけど、改めて、自分は寒いの苦手と確認する。雪も降らない暖かいとこで、小中高の12年間育っちゃったんだからと確認。遊びや旅行でだって、雪のあるとこなんてわざわざ行ったこと殆どないんだからと確認。スキーだって、後にも先にも1回切りで、あまりの寒さに懲り懲りしたんだからと確認。今日はお天気が悪くなると言うのが、数日前からの予報だった。「雨降らなかったら、日曜日に行きます」と電話してきていた植木屋さん、8時にはもう玄関先の椿に梯子が掛かった。「けやきが、ようやくいい色になったわね~。写真撮っておかなくちゃ!」とtamと話して、ふと見ると、もう遅かった。すでに殆ど丸坊主。春にはまた赤い可愛い葉っぱが出て来るのだが、それまでさようならという気分。お昼過ぎからとうとう降りだし、植木屋さんも明日に仕事を残して帰った。休日返上で、新しい仕事の研修に行ってる関白が電話をしてきた。「何だか、風邪貰ったみたいだけど抗生物質あるか」抗生物質依存症で、貰い薬大好き人間。「何処かにあると思うけど、探しとく」と言ったら、しばらくして「nonのところにあるって言うから取りに行って」とまた電話。「家にもあるかもって言ったじゃない」「探してなかったら困るから」オイオイ、そんなにせっぱ詰まっているの?電話ではそれほどには思えないけど・・・それに明日もまだ行かなきゃ行けないんでしょ~久し振りに勉強なんかして知恵熱じゃないの!というのがtam説。
2005年12月04日
コメント(0)

2005/12/03 sabato持ってきて欲しいと言われていたものがあったので、グループホームに寄ってから、88歳の病院に廻った。GHでは、みんなはデイサービスの方に行っていて、責任者のOさん1人が留守番をしていた。いろいろなスタッフの人が入れ替わり立ち替わり、お見舞いに行ってくれているのをお礼いいながら、今後のことを話し合う。幸いにも、認知症が、極端に進んだ様子は見えない。みんなの名前はもともと覚えていないのだが、顔は記憶しているようだし、手術をしたことも分かっている。後はリハビリに懸かっているわけだが、病院がどこまでやってくれるか?どの段階で退院になるのか?ということ。例えば、歩行器を使っての訓練にしたところで、病院の狭い廊下を行ったり来たりしたところで、距離が知れてる。看護師さんたちが往ったり来たりしている中を、自発的に練習するのは難しい。リハビリ室というのが何処かにあるはずだが、建物全体からみてそれほど広いとは思えない。GHの廊下の方が余程長い距離歩けるし、デイの方には、ちゃんとリハビリスペースもあるのだ。Oさんは、歩行器使ってでも歩けるようになったら連れて帰ってきた方がいいと言ってくれる。ベッドのマットレスを薄いものに換えて、低くしようなどと話し合って、その日にみんなで作ったというパンを1個お土産に戴いて、病院に向かった。もともと落ちつきなく、じっとしていられない88歳は、ベッドの上で可能な限り動いているという感じ。お陰で、布団も枕もとんでもない位置にある。おとなしくじっと寝ているなんてことは出来ないのだ。これなら、リハビリ頑張ってくれるかな~と思うけど、痛い痛いとさぞ騒ぐだろうとも思う。
2005年12月03日
コメント(0)

2005/12/02 venerdi最近、夕方からの疲労感が酷い。とは言っても、88歳が家にいた頃はホントに、お夕飯の用意をして、並べるともう立っているのも辛いという感じで座り込んでいたけれど、それよりはマシ。でも、夕食後に何かしようと思っても出来ない。何十年もの間、1時2時に寝るのは当たり前、日が変わらないうちに寝るなんて考えられなかったのに、今は食事が済むやいなや、時には、食事中にさえ睡魔が襲う。昨夜も、イタリア語の宿題出来そうもないし、明日はまた休むことになっちゃうかな~、なんて思いながら、友達から送られてきたコピーを取り出した。休むと必ず、自分のノートと、前の週の宿題の答え合わせしたコピーを送ってくれるクラスメートが居る。特に仲良しだからと言うのではなく、彼女は手紙を書くの好きだからと言って、誰でも休んだ人のところに送ってくれている。折角だからと、自分のテキストに書き写したり、次の宿題出来ないまでも、分からない単語くらい調べておこうと始めたら、何とか、最後まで出来てしまった。あとは、朝起きてみてのこと。駅のホームに上がったら、苦しくなった。これに乗らないと遅刻という電車をやり過ごす。引き返そうか、病院に行こうか考えているうちに次の電車が来て、降りてダメだったら・・・教室入ってダメだったら・・・その時、それから病院駆けつけてもいい。そう思って行ったのだが、結局着いてしまえば忘れたように、最後まで楽しい授業。関係代名詞も、いろいろあって、結構難しいのだが、映画「SAYURI」だの、ニューヨークタイムズの良い本10冊に村上春樹が選ばれたなんてことをMtは例題に出してくるのでinteressanteなのだ。朝、新聞なんて読んでこなかった私は、村上春樹のことなんぞ知らなかった。読んでたら、先生が「プラハの何とか・・・」って言ったのを、「海辺のカフカでしょう」と突っ込めたのに~。でも、イタリア語じゃサッとはいかず、モゴモゴしているうちにスルーされちゃったかも。終わってから病院に廻った。昨日はどっかに行っちゃってた88歳、今日はもう、こっちの世界にいた。芸術劇場の前の、プラタナス(すずかけ?)の並木が、いろいろに色づいて、おまけに、とげとげの丸い実をぶら下げて何ともきれい。
2005年12月02日
コメント(0)
2005/12/1 giovedi「泣けて、泣けて、こんなに泣いたこと無かったわ」《何があったんだ?》顔を見るなりこんなことを言うので、一瞬ドキッとしたではないか。「素晴らしい作品だったわ~」《何のこと?》「役者も良かったのよね」《は~ん、またぶっとんでる》「お寿司持ってきた?」「ううん」「いらしてる皆さんにお出ししようと思ってたのに」《・・・・・・》「アタシ原作料貰った方がいいわね」挙げ句に、お隣のベッドとの境のカーテンを開けて、「さっきから、皆さんが貴女のこと先生先生と呼んでいらっしゃる(呼んでない)けど、作家さんでいらっしゃいますか?何処かでお見かけしたような気がするんですけど、有名な方なのでしょう?」ンなわけないでしょ!90歳だそうだけど、とてもしっかりして、起きあがって、本など読んで、廻ってきた理療士さんとの楽しそうな会話が聞こえてくる。《すみません》あ~、また何か芝居を上演しているのか見ているのか?前に家にいた時も、朝起きてきて「衣装だから」とパジャマを脱ごうとしなかったり、「大勢見に来てくれた」とか言って、この手の現象があった。確かに芝居見ることは大好きで、米寿のお祝いには歌舞伎座の枡席ねと言ってたから、早めに5月に勘三郎の襲名公演に連れてった。その公演に共演していた役者のお父さんを、修学旅行で京都に行った時訪ねたなんて話をしていた。女学校時代に宝塚の追っかけだったことも聞いている。その当時は、宝塚ファンvs.SKDファンの喧嘩なんかも女学校ではあったらしい。本当は見るのではなく自分がやりたかったのだろうか?そして、今、幻の世界でプロデュースしたり演じたりしているのだろうか。とにかく今日は何も話にならない。昨日、持ってきて欲しいと言ってた物にも、何の関心もない。看護師さんは、リハビリは普通に進んでいると言うから、ま、いいか。
2005年12月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1