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●現代のジュングンがイチローを殺す?2009年WBCは日韓対決を日本が制して幕を閉じた。イチローの「相手が向こう30年は手を出せないなと思うぐらいの」という発言は、もちろん韓国を名指しにしたものではなかったにせよ、もともとケンカ腰の相手を刺激するに十分だった。韓国の好投手・秦重根(フォン・ジュングン)がイチローを抑えると、韓国人はかつて伊藤博文を暗殺した同じ名前の安重根(アン・ジュングン)になぞらえ「現代のジュングンがイチローを殺した」と狂喜した。はては「イチロー暗殺Tシャツ」が、秦投手の所属するLG電子球団公認で発売され、連日完売するという異様は、日本を含め海外メディアには韓国の狂気を強く印象付けた。●日韓併合阻止の最後の砦・伊藤博文を撃った男1909年、韓国総監の職を辞任した伊藤博文は、ロシア要人との会談のため訪れたハルピン駅で凶弾に倒れる。伊藤博文を撃った男の名は安重根(アン・ジュングン)韓国では「韓国独立の英雄」と称される。韓国歴代No.1の「偉人」だという。しかし、日本人は・・・いや世界中の歴史学者がこの評価を理解できない。そもそもテロリストを英雄にする民度も理解できないが、根本的に不可解なのは、安重根は日韓併合反対派の最長老で、韓国独立主張派のリーダーであった伊藤博文を・・・いわば韓国の擁護者を・・・殺害したテロリストであるという点だ。少年期から日本に招かれ伊藤博文らの英才教育を受けていた、時の韓国皇太子・利王根は述懐する「伊藤はいつも『陛下はいずれ韓国帝になられるお方。それにふさわしいご修行に励んでください』と私に諭していた」伊藤の前提は一貫して「独立国家・韓国」なのである。韓国は韓国民の手で再建し、いずれ同盟関係を築くというのが大政治家・伊藤博文の日韓ヴィジョンであった。太平洋戦争後、アメリカが日本をどのようにして復興・教育し、同盟国としたかを思い起こせば分かるだろう。しかし、安重根は韓国最大の保護者を殺害した。伊藤は息絶える直前、犯人が韓国人と聞くと「ばかなやつだ・・・」とつぶやいたという。実際、伊藤亡き後、寺内正毅ら併合推進派は勢いを増し、伊藤暗殺を政治圧力にした。安重根の凶行の翌1910年、ついに日韓完全併合(第三次併合)の条約が結ばれた。「安重根=寺内・山縣の刺客説」すらささやかれているのも無理はない。●明治天皇のため奸臣・伊藤を撃った安重根安重根は裁判において伊藤殺害の理由を15項目にわたってあげているが、詳細と解説は他ブログに詳しいので譲る。結論として15の理由は、伊藤には直接関係ない件、または安重根が時事情勢を理解していないための誤解に由来しており、はっきり言って傾聴に値しない。しかし、その中に興味深い点がある。それは安重根が明治天皇を崇拝していたこと、非常に親日的であったことである。公判録を丁寧に読むと、安重根は日露戦争宣戦の詔勅の中で、明治天皇が「東洋の治安」「韓国の保全」という言葉を使ったのに痛く感動し、以来、明治天皇を韓国の保護者と尊敬するとともに、過度ともいえる期待をしたらしい。安重根は第3回公判で弁護士が犯行理由について尋ねたところ、次のように答えている(口語訳)それはたくさんありますから申し上げます。私は日本四千万、韓国二千万の同胞のため、且つは日本天皇陛下および韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんがために今回の挙に出たのであります。いままで既に数回申し上げしとおり、私の目的は東洋平和の問題にあるので、日本天皇陛下の(日露戦争)宣戦の詔勅のとおり、韓国をして独立を強固ならしむるは、私の終生の目的にあり、また終生の仕事であります。私が伊藤公爵を研究したのは、統監として来られたる当時でありますが、そのとき公爵は日本の政府を代表して、韓国の独立を強固にするために来たものと思いました。ところが事実はそれに反し、日本天皇陛下の聖意を遮り、日韓両国を疎隔せしめて韓国を今日のごとき悲境に陥れました。日本天皇陛下の高徳を遮り、かつ日韓両国を疎隔せしむる伊藤公爵をなきものににせば、平和が維持せらるるものと思いて、殺害するにいたったのであります。他の記録からも、安重根が明治天皇を崇拝していたこと、日本に好意的で日韓協和を望んでいたことが分かる。●天皇の言葉を都合のよいように思い違えた安重根しかし、実際の日露戦争宣戦の詔勅の文言はこうである〔東洋平和?〕「文明を平和に求め列国と友誼を篤くして以て東洋の治安を永遠に維持し各国の権利利益を損傷せすして永く帝国の安全を将来に保障すへき」〔韓国独立?〕「帝国の重を韓国の保全に置くや一日の故に非す。是れ両国累世の関係に因るのみならす」全文と口語訳はこちらから読める → 「公文書に見る日露戦争」「東洋の治安」という言葉は、ロシア・欧州勢のアジア侵略を日本が防げば、アジア諸国も戦渦に巻き込まれず治安が保たれる、という意味だろう。後の大東亜戦争の「大東亞ノ安定」のような意味合いとは違う。「韓国の保全」も同様で、ロシア・欧州勢の南下戦略に対応するには、地理・戦略上重要な韓国を保護して安全にする・・・掌握するという意味だ。韓国の独立をボランティアで全面援助するといった意味とは違う。まともな読解力があれば明らかだ。安重根は「東洋の治安」を「東洋平和」に、「(日本による)韓国の保全」を「韓国独立」に置き換えたのだ。そして(当時の韓国が、明日にも欧州列強に一蹴される弱国で、破たん寸前の極貧国だった現実を省みず)明治天皇の御意志(韓国独立)が成就しないのは、天皇の御心に反する逆臣がいるためと信じて疑わなかった。〔安重根の思考フローチャート〕明治天皇は韓国独立を掲げる偉大な帝だ ↓だが、韓国独立どころか着々と同化(併合)が進んでいる ↓これは偉大なる明治天皇の御意志ではない ↓強大な権力を持つ奸臣が天皇の意思を遮ってるに違いない ↓ それほどの奸臣は初代総理であり朝鮮総督であった伊藤博文以外にない ↓明治天皇のため伊藤を殺し、御意志を成就させなければならない!こういった機微、いわば安重根の暗愚と純真が理解できなければ、日本人も韓国人も、世界の近代アジア史家も、決して安重根の行動を理解できないだろう。安重根と伊藤博文伊藤博文はなぜ殺されたか伊藤博文と韓国併合
2009/05/07
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●ひぐらしのなく頃にを冷静に評価すると・・・ひぐらしを冷静に評価すると、単純にPCソフトとしてみた場合、サウンド、グラフィック、インターフェイスなどは10年前のエロゲーにすら劣る。あくまで中身・・・ストーリーが読み手を唸らせるかだけが「ひぐらし」の価値だといっていい。元がインディ作品だからどうというわけではない。お金を取って売っている「作品」なのだから、プロもアマもない。対価を得て売る以上、それは「商品」だからだ。価格の分、クオリティが求められて当たり前。私が「ひぐらし」が評判倒れの凡作だと思うのは、そんな出自の話ではない。当然だが、ソフトは面白いかどうかだけで評価されるのだ。そして、私はつまらなかった。なにかハッとする感動を求めて、深い謎を求めてクリックを続けた長い時間が、とても無駄に思える。評判やレビューに期待しすぎた自分が愚かだった。●細部にはこだわるが、全体像はちぐはぐいったい、「ひぐらしのなく頃に」の作者の性格だろうか?所々しつこいほどのディテールの凝りを見せるのに、アドバイザーは得られなかったのか?そのディテールが、これでもかという間違いだらけだったりする。知ってる人が見たら失笑やら、腹立たしいやら、傍ら痛いやら・・・武道をやってる人、自衛隊の人、医学系の人、みんな「ひぐらし」には総ツッコミだった。いくつかのレビューにあるように、緻密な物語だとも感じない。「なるほど!そういうことだったのか!」と感じるより「へぇ、そうだったことにするのかぁ」と感じる方が多かった。大風呂敷と壮大なスケールというは違う。細かいのと精緻なのもまったく違う。私が「ひぐらし」に感じた違和感は、詰まるところそういうことだろう。さまざまな謎、トリックの種明かしにしても、作者は後出しジャンケンばかりする。もはや後半からは、その後出しジャンケンにすら驚かなくなった。たとえば、トリックを解き明かす重要なキーワードのほとんどが後半になって初見する。これが後出しジャンケンでなくてなんだろう。その上、少なくないトリックが無知や間違いを根拠にしているのだ。(たとえば喉をかきむしって死ぬ謎のトリック)お手上げである。●フィクションは悪くない・・・が、無知はつらいもちろん、ゲームや小説、サウンドノベルは創作なのだからフィクションであっていい、飛躍もあっていい。だが、陳腐なのはいけない。物語が安くなる。面白くなくなる。つまらない。手塚治虫の「ブラックジャック」が、歳月を越えて、現在も最高の医学ものヒューマン漫画であるのはなぜか?医師でもあった手塚は、フィクションや医学的飛躍を確かに書いた。人間に羽をつけて鳥人にまでした。しかし、手塚は夢を書いたが、無知は書かなかった。だから、手塚治虫をすごい想像力だ、とは思うが、すごいバカだとは思わない。その突拍子もないものは夢か?無知か?それが手塚とひぐらし作者の決定的な差だ。医学的な内容にせよ、他の内容にせよ(作者は兵器や右翼についても記述が細かい)総論を知らない人間、基本を学んでいない人間は、往々にしてそういう間違いをしでかす。グーグルは神のように情報を教えてくれるが、それも枝葉の付く幹がなければ、単に偏った知識でしかない。この「ひぐらし」の作者のように「活かせない」よい作家は、得意分野に特化するか、知らない分野の調査や研究を、基礎から入念にするものだ。●プレーヤーは「どの謎」を解けばいい!?私がげんなりしたのは、このゲームは作者が自身の構成力のなさやトリックの穴の補完を、プレーヤーに丸投げすることで成り立っているソフトだということに中盤以降に気付いた時だ。作者の力では半分だけしか完成していないストーリーを、プレーヤーが答えを持ち合ってああでもない、こうでもないという作品だ。20年前、庵野監督が精神的にまいっていて(本人談)、とりとめのない終わり方をしたエヴァンゲリオンで起こった現象だ。あの時も、ネットや書籍で、膨大な「エヴァ謎補完計画」が行われた。しかし、答えなどどこにもない。誰も教えてくれない。なぜなら、作者は作中の謎に対する明確な「答え」を考えていないからだ。そもそも作者は現在、このゲームに関しては「答え」そのものが不要と言い切っている。公式サイトによると、作者の意図は「各物語の共通点(ルール)」と、ルールを発見して「いかにして惨劇を防ぐか」を推理してもらうという点にあったという。だから、ひぐらしには(一般の推理作品のような)答えがないらしい。そもそも、この意図が伝わらず、プレーヤーが勝手に通常の推理ものとしてゲームを理解してしまった誤解が「ひぐらし」への強い非難になったという、非常に擁護的な見方をする人もいる。が、本音を言えば、私はこの見方や作者の弁に甚だ懐疑的な見方をしている。「それって、ちらかった物語をまとめきれなくなったから、途中で勝手にルール変えただけじゃ?」実際、公式サイトやゲームの販促には「楽しみ方はあなた次第」とプレーヤー主体の自由度を謳っている。そして、ゲーム序盤では、複数の登場人物から「どうか謎を解いてください」とのメッセージすら出てくる。「お疲れ様会」でも、前半までは確かに「寄生虫の正体は何か?」「連続怪死事件の真相は?」「オヤシロ様とは?」などと直接ゲーム内の謎を議論している。しかしゲームの後半(つまり作品として後に発表された部分)になると、突然作者は「ボクがいいたかったことは云々」としつこいぐらいに語りだす。後半に折り返したあたりで、いきなり作者の意図を読み取るゲームに変わっている。プレーヤーはいきなり作者の意図を正確に探すことを求められ、思い思いの推理をする自由はなくなったのだ。これが詐欺的手法でなくしてなんだろう?だが、あくまで製作・販売サイドが商業的成功を優先したのなら、詐欺的ではあるが巧妙といえなくもない。これは「ひぐらし」とその作者に関する推理だがたぶん初期のひぐらしは、純粋にプレーヤーが物語の中の謎解きをするゲームとして世に出た。しかし、作者があまりに多くの伏線を引きすぎて、途中で前後関係や左右関係に矛盾が生まれることが避けられなくなった。そこで、もともとひぐらしの世界観を構築する手段であった「パラレルワールド」という概念を、矛盾をかわす手段として前面に押し出しすることにした。さらに作中の様々な謎について、明確に答えることを避けなければならなくなった。ひぐらしは同人ソフトとして推理もののジャンルにあったが、作者がぼんやりと考えていた解答は、推理マニアのプレーヤーをとても満足させる内容ではなかったからだ。要は作者のもっていた解答はレベルが低かった。そこで、後半、矛盾をかわす手段として前面に浮き上がった「パラレルワールド」を謎そのものに変えて、作中の謎ではなくこっちの法則を導きだせ、というゲームに方向転換した。これが、ひぐらしをプレイした誰もが経験する「前半と後半のあまりの異質さ」の正体ではないか。さらに、ひぐらしがPSやDSに打って出るとき、パラレルワールドの法則性を見つけ出すゲームというのでは買う人がいない。商業的成功のため、前半部分の推理ゲーム色をあえて押しだした。一方で、法則性を見つけるゲームに方向転換するときは、PC版の時ほどの矛盾や違和感がでないようにした。だから、ひぐらしPS版はPC版と構成が変わっているのだろう。●ひぐらしは最初から法則性をみつけるゲームだったのか?仮に(もはやありえない話だが)最初からパラレルワールドの法則性を見出すゲームだったとしたらどうだろう?その場合は「法則性を推理するゲーム」として、作品の緒編から最終編まで、作者が「気付き」のきっかけを示す義務がある。だが、この仮説に立つと、ひぐらしの作者にはそれを伏線として巧妙にはりめぐらす構成力も、行間にこっそり忍ばせておく文章力もないことになる。別に推理するものが、事件の原因だろうが、真犯人だろうが、作者の意図だろうがもちろん作家の自由だ。だが、読み手に推理を求めるからには従来だろうが、現在だろうが、確固たるルールがある。それは、推理するものを明示的にあるいは暗示的に示すという約束だ。ヒントや伏線を巧妙かつしっかりと明示して、最後に読者をアッ!と言わせたら作者の勝ち。「このミス」確定。読者がヒントや伏線の背後にあるものを読み取って、答えを見つけたら読者の勝ち。作者が伏線やヒントといったものを示さず、ひとりよがりの答えを押し付けるのは、もはや推理ものではない。ただの推理小説まがいか、ファンタジー崩れの三文小説。ひぐらしは3つのうちどれかというと、残念ながら、3つ目に一番近い気がする。このゲームを「従来と全く違ったゲーム(作者)」「斬新なシステム(某誌レビュー)」と言えるのかは、やはりシナリオのクオリティに依存するのだ。伏線やヒントを巧妙に示せていないのなら、作者の意図も伝わらないのが当然。「正解率は1%未満」と作者が言うのは意図を伝えるのが下手にして「ボクの意図を分かってくれる人は1%もいない」と言っているにすぎない。作者を神のように全て計算づくだったと考えるのは、さぞかし重荷だろう。もちろん、その「謎解き」「答え作り」を面白がっているプレーヤーを否定するものではない。創作活動は楽しいものだから。●「ひぐらしのなく頃に」に興味がある方はとはいえ、アニメ化、映画化、漫画化、フィギュアの発売など、メディアミックス手法により知名度は増すばかりの「ひぐらし」(中でもたぶん漫画は元ソフトより格段にクオリティが高い)これからPCソフト「ひぐらしのなく頃に」を購入する方にはまず無料公開されている体験版をおすすめしたい。だが、それが気に入ったとしても、全部パックはおすすめしない。たぶん「ひぐらし」で一番期待できて面白いのはその「鬼隠し編」だから。全部パックは、途中で私のように呆れても、返品できない。あくまで単品での購入をお勧めする。バラ買いしても合計の金額は同じなので安心してほしい。(もっとも「ひぐらし」の質が急に落ちるのは 謎明かしをする「解」からなのだが・・・)ちなみに同じ作者による「うみねこのなく頃に」という作品もあるらしい。たとえ全部無料で利用できたらプレイするか?・・・私はもう作者氏の力量は分かったので要らない。
2009/04/26
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●長文にわたる茶番劇「ひぐらしのなく頃に」のスケールを大きいと言えるかは疑問がある。作家という個人が、緻密で精細な世界観を文章にし、その幅が広ければ「壮大なスケール」ということもできる。だが、穴だらけで雑な世界観が延々と繰り広げられる長文を壮大というだろうか?それはただの「長大」な作文にすぎない。長ったらしいだけの茶番劇だ。なにが茶番かって、一番酷かったのがフィナーレを飾る「祭囃し編」だ。ここで、主人公らは黒幕擁する特殊戦闘部隊と延々と戦うのだがこれが戦闘のプロ相手に、気持ちが悪いほどの連戦連勝・・・(ちなみに主人公らは、ごく普通の小中高生である)「ご都合主義」という言葉がもはや恥ずかしくなってくるほど「特殊戦闘部隊」はマヌケで弱い。そして主人公らの策に面白いようにはまる。偶然も主人公の有利にしか動かない。どう酷いか、ネタバレはしないが「ホームアローン」よりは確実に陳腐で酷い。「ザ・ワールド」を荒木飛呂彦以外の作家が使うとこんな有様になるのか!?と改めて荒木の凄さに思いをはせてしまうほどだ。ホームアローンはコメディだが「ひぐらし」はシリアスで、この戦いも重要な意味を持つ。そこに茶番劇(作者は真面目らしいのが辛い・・・)を持ち込んで、強引にフィナーレに持ち込むのがしんどい。うんざりして「選択肢まで進む」ボタンを押す。スキップ機能がなかったらさぞ辛かったろう。●作家の力(説得力)が無いソフトは罪説得力がない、というのはこうも読み物を苦痛にするのか・・・と、まざまざと思い知った。逆に突拍子もないおとぎ話でも、説得力があればこそ、それは名作たりうるのだな、とも。説得力とはなにもリアリティのことだけではない。いや「ひぐらし」の作者は、リアリティには人一倍のこだわりがある。それでも話が陳腐になってしまうのは、人を納得させることができない・・・説得力がないからだろう。なにも「ひぐらし」がフィクションだから、説得力がないわけではない。あるいは、一部知識に重大な誤認や欠陥があるから、説得力がないわけではない。(もちろんそれも大きいが)説得力とは、読み手を納得させる力だ。読み手がどの部分に納得するかは、その読み物が史実でもフィクションでも関係ないのだ。具体的に言えば、昭和を代表する文豪・江戸川乱歩、あるいは漫画家・手塚治虫は、壮大なフィクション(というよりほとんど病的に巨大な夢物語)を、圧倒的な説得力で描いた代表例だろう。これほどの巨魁の域は無理にしても、フィクションを書く物書きは、この点に細心の注意を払う。だが「ひぐらし」全般にいえることは、説得力を欠いたまま強引に話を進めてしまう傾向だ。「ひぐらし」の作家は、読み物における説得力の重要さを理解していないか、技巧によって騙せるものだと勘違いしている節がある。そういえば、作中頻繁に出てくるフレーズがある「~なのは当然だ」「~でもおかしくない」「~は仕方がない」「それは~である証左(=証明)だ」・・・こんなセリフが本当に頻繁に出てくる。こんなに作家が読み手に納得を強要する読み物は初めてだ。作者は読み手に納得を迫るのだが、読み手としては、ほとんど共感や同感ができない。「ああ、作者はそういうことにして欲しいのだな」と思うだけだ。納得は強要するものではない。説得力は実態がなければならない。納得を強要し、説得力を得ようとしても、読み手がそう感じなければなんの意味もない。読み物ってそういうものだ。●キャラが薄っぺらいから説得力がないでは、名作と呼ばれ、多くの人に共感される作品の「説得力」とは何だろう?私は深い人間描写だと思う。たとえ次元を飛ばされ、魔法と剣の支配する幻想世界に迷い込んだとしてもそこでの人々の心の動きにリアリティがあれば・・・つまり「ああ、自分もそうするだろうな」とか「そういう風にする人は周りにもいるよ」「お前はそうするのか、気に入ったぞ」と思えれば、それは圧倒的な説得力を持つ。だから、出会ったこともない作者が描く空想の舞台で、泣いたり、笑ったり、勇気づけられたりする。実は「ひぐらし」は全体や細部の設定ではなく主人公らをはじめとした人物描写にリアリティがないのだと思う。人物描写こそ、ジャンルを問わず「作品」の基本であり中心であるはずだ。これが実にチープなのだ・・・なまじ文章の量が多いだけに薄っぺらさが際立つ。だから「ひぐらし」を表現するとき、「安い」という言葉が一番しっくり来る。「安っぽい」と「安い」の決定的違いをふまえて「安い」だ。ところで、ここまで書いてなんだがもちろん私は「ひぐらし」の作者氏に個人的恨みはなにもない。協力者が沢山いるようだし、とてもいい人で人望も厚く真面目なのかもしれない。(ぜんぜん違うかもしれない)だが、柳美里の例を持ち出すまでもなく、作家が人格者でなくても佳作は生まれる。柳美里は、人の心を踏みにじる行為をし、極端な主義主張を展開する人格だ。一方、人間観察とそれを丹念に描写することについては、確かに才と技量がある。だから柳美里は作家として一定の成功を収めている。もちろん私は「ひぐらし」の作者の人格など知らない。が、作者氏は物書き、クリエーターとしての能力と技術の全てがダメではないにしろ、少なくとも一部が決定的に欠けていると思った。●彼はどこで間違えたのだろう?たぶん、その欠陥は、「ひぐらし」というスケールの大きい物語を思いついた歓喜に始まったのだろう。歓喜を性急に「売り物」にしてしまったのが間違いの始まりだったのではないか。作者は(少なくとも自分が)独創的だと思うアイディアを産んだ歓喜を実現すべく、物語全体を構成する多くのキャラクターを創出した。キャラの名前や村の言い伝えなど、細部の設定に異様なほどのこだわりが見られるあたりに、彼がアイディアマンだということがうかがい知れる。だが、キャラの名前は凝っていても、人格として掘り下げているか?人格を表現しきれているか?という根本にこれまで挙げてきたような重大な瑕疵がある気がするのだ。そして、そのキャラに自分のシナリオを忠実に演じるよう強要してしまった。だからキャラは薄っぺらいセリフとどこかで見たような感情表現で、物語を進めざるを得なかった。そして、全体としてはなんとも安くて大がかりな読み物が出来上がった。(例えて言えば、大文字焼きで「へのへのもへじ」を書いたような)ひぐらしはストーリの奇抜さ、面白さ、マニア的こだわりを評価されるかも知れない。しかし、作者がかなり力を入れている人間劇はあまり評価されないだろう。そして、そういう物語は、決して時を超える読み物にはなれない。5年後、10年後には誰も憶えていない。
2009/04/26
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●病原体の設定があまりに陳腐で無知この期待の病原体・・・作中の文言によると「寄生虫」・・・らしい?が感染者の雛見沢症候群は、感染者は発症すると凶暴になるが、すぐに喉をかきむしって死んでしまう。さらに潜伏期間が長く、しかも極度の精神状況にならないと発症しない。おおよそ生物兵器としては、まったく使えない病原体が、なぜ核の代用とまで期待されたのやら・・・ちなみに作中では「国の運命さえ変えかねない」とまで持ち上げられる。この病原体がある意味で「ひぐらし」の主役なのだが、なんとも安い主役だ。安いのは、作中の人々の病原体への期待だけではない。その設定もチープというか、ずさんというか・・・●猛烈な感染力を持つ透明な寄生虫この病原体「基本は空気感染で、経皮的にも感染する(作中)」という設定らしい。現時点、地球上には存在しないほど感染力が強い。正常な皮膚組織をすり抜けて体内に入る?という感染力は猛烈だ。もっとも運動力のあるレプトスピラのような寄生虫なら話は別だ。だが、空気感染するなら、気流に乗れるのだから、サイズは少なくとも細菌以下だ。レプトやトキソプラズマなど脳内感染する寄生虫は空気感染できるほど小さくはない。(ウイルスは基本的に運動性がない。だからインフルエンザウイルスは咳を出させて外に出る)つまり、作者が示しているのはウイルスでも寄生虫でもありえない。それをフィクションだからアリとするか否か・・・?「ひぐらし」は不条理小説ではなく「謎解き」で味わうゲームだ。謎解きをする大前提として、一定の常識を踏まえるという約束・ルールがある以上病原体の設定ミスはナシにしてもらわないといけない。●なぜか発見不能の病原体この病原体、作中ではどうしても発見できなかったという。宿主の死後、数時間で溶解するから見つからないのだという。実際は寄生虫が溶解したとて、解けた虫体タンパクが残るので分かる。「溶解後はごく普通の成分となってしまう(作中)」って何て非科学的なことを!?と思った。血液や髄液に含まれるタンパクは、アルブミンなどごく限定されている。だいたい、異タンパクだから脳炎やリンパ節の変化が起きるのだ。ごく普通の成分って何ですか?しかも、リンパ節の異常で喉をかきむしったというのに、「ひぐらし」中の警察(鑑識)は「死因は不明」という。薬物やウイルスが検出されないというのはまだアリにしても、これはない。創傷部位のリンパ節の異常を検死官が見落とすとは、医師もずいぶん無能な職業と思われたものだ。それぐらい解剖においてリンパ節の検分というのは基本中の基本なのだ。ちなみに、リンパ節は生きてる時にだけ変化するので、死後、正常に戻ったりはしない。腫れたり出血したら、死んでもそのままだ。この一貫性のなさは、フィクション性の産物というより科学的無知とご都合主義の産物といった方がいいだろう。正直、このあたりの設定の無理さに少し腹たしくもある。「それとも宇宙から来た未知の病原体と言いたいのかな?」そう考えて自分で嗤った。さすがにそこまでは考えていないらしいことは、ひぐらし文中の(あくまで新種の)寄生虫というこだわりに見える。ご都合主義を薄々自覚しているのか、作中このあたりの詳細には触れそうで決して触れない。まだ最近のゾンビ映画に多い「人間をゾンビ化させるウイルス」の方が、ウイルスとして一貫している分、理解できるというものだ。そういえば、ひぐらしの病原体は、名作ホラー「28日後・・・」「28週後・・・」のヒト凶暴化ウイルスに設定が少し似ている。まぁ、28日後のウイルスは、ウイルスとして無理がない設定で、ひぐらしと比べるべくもないほどのリアリティの差があるが・・・●女王感染者が巻き起こす矛盾ひぐらしの病原体に設定された女王感染者という設定も、病原体やフェロモンの知識がある人には失笑ものではある。だが、女王感染者の問題は設定が陳腐なことではない。その設定によって、ツッコミどころ満載の矛盾が生まれその矛盾(バグ)が謎解きをできなくするという致命的欠陥が発生することにある。作品の舞台である雛見沢の村人は全員この病原菌に感染しているキャリアーだ。その発症は、近くに女王感染者がいる間だけ・・・つまり雛見沢にいるときだけ抑えられる。だが、いくら村外に出たがらないといっても、外出したり、旅行もしている。逆に人の出入りが少ないとはいえ、外からまったく人が入らないということもない。(たとえば警察とか観光者とか)大戦中には従軍もしたわけで、軍隊という濃密な空間で「空気感染で経皮的にも感染する」強力な感染力を持つ病原菌の流行・・・アウトブレイクが起こらないわけがない。さらに、強烈な感染力を持つ病原菌を持った人間が、またあちこちに移動したら・・・今度は爆発的流行(パンデミック)だ。戦時中に満州で見つかるずっと前に、日本中で感染が起こっているはずだ。だが、、、なぜそういったアウトブレイク、パンデミックが起こらなかったかは全くスルー。(このあたり、まったく説明がないので、作者はどうも考えてなかったらしい)「女王感染者」というSFで、病原体の矛盾をかわそうとした意図はよく分かるが、結果的にもっと大きな矛盾が出てきてしまって、それが感染症や病原微生物になまじ知識がある人を混乱させてしまっている。そもそも、爆発的流行が起こりやすい病原体=良い生物兵器なのに。つくづく片手落ちな、陳腐な病原体だ。作者が異次元の感染力に設定しておきながら、その設定を使いこなせていないのは毎日のように雛見沢を訪れている大石クラウド刑事がなぜか感染せず、田舎で隠居生活を送っている!?(その他にも赤坂刑事とか雛見沢観光に訪れた人々とか・・・)などのように、設定を貫けない、使いこなせていない事実に如実に現れている。こういうのを、物書きの業界では「構成力がない」という。●自殺したがるヘンな病原体さらに、発症者が死ぬほど喉をかきむしるのは喉のリンパ節に異常なかゆみを訴えるからだという。が、リンパ節は体中にあり、頭首だけに限っても特定の喉のリンパ節(咽頭リンパ節かその中の気管リンパ節?)だけがかゆくなるというのはまずない。たとえば、耳下とか顎下のリンパ節とか、接続近接している他のリンパ節もかゆくなるはずだ・・・作中、これをエクソダス(寄生虫が体外に出ること)と説明しているが空気から経皮感染できるほど感染力が強い病原体は、わざわざ宿主に掻き出してもらわない。セキやくしゃみで十分だ。それにこの病原体は、宿主の死後、融解・・・死んでしてしまう。じゃあ、なんで宿主に喉をひっかかせて、わざわざ病原体自ら死んでしまうのか?それはエクソダスじゃなくて自殺だ。ここらへんの根本的矛盾はひぐらし愛好家のために突っ込まない方がいいのだろうか?どうも、作者はトキソプラズマやギニア虫の特徴を持った寄生虫を設定しているみたいだが、サイズや特性の件がなおざりだ。ウイルスと寄生虫は地球と石ころぐらい大きさが違う。●SFですらないモノを前提に話をされても・・・要するに、作中の寄生虫というのは、それそのものが架空のモンスターのようにファンタジックな存在だ。もはやSFの域すら超えている。平べったく言えば、無理がありすぎる。たぶんWikiなどで多少寄生虫の知識をかじったはいいが、基本的な知識を持たないので、こういう設定ミスをしてしまったのだろう。これでリアリティを感じて欲しいと思われても、謎解きをしてくれと言われても無理な病原体ですねぇ・・・としか言いようがない。「正解率1%」を豪語する「ひぐらし」を難解と評する人もいる。だが、謎が難解すぎて解けないのと、無理がありすぎてワケが分からないのは全く違う。
2009/04/26
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●舞台の背景が安いネタバレはしないので、詳細は書けないが脳に感染して人格を凶暴化させる病原体(ウイルス?)が風土病的に存在する雛見沢村で病原体に冒された登場人物たちが猟奇殺人の犯人になったり被害者になったりする。さらに、そこに核兵器に代わる軍事兵器としてその病原体を研究している右翼結社が絡んでさあ大変・・・というのがざっくりとした「ひぐらしのなく頃に」のストーリーだ。この設定こそが「ひぐらし」の中核、核心、心臓なのだが、ここからしてもう安い。まず、どうやら作者はウイルスと寄生虫の区別がついていないらしい。(苦笑)病原体の性質からしてウイルスに近いものだと思うが、作中「寄生虫」とくり返し、たまに細菌としているのには呆けた。●国際条約は無視しても非核三原則には忠実な過激派おおもとの事件の黒幕は過激派右翼結社だが、その理念がまた安い。日本は脱アメリカ依存して軍事国家に戻らなければならない。そのためには、核兵器のような強力な武力が必要だ。だが「日本は非核三原則で核を放棄したから」代わりに生物兵器を研究する。そこで雛見沢の病原菌に目をつけたからだ、という。おいおい、生物兵器の研究をしていたまではよくても、さすがに核の代用にしようとしてたという設定は笑止だ。そもそも、生物兵器は核よりずっと前に国際法で禁止されている。非核三原則は頑なに守るが、生物兵器を禁じた国際法は無視というロジックが陳腐すぎる。だいたい核兵器と生物兵器では格段に威力が違う。核の破壊力は他の兵器とはケタが違う。だから北朝鮮のような貧国が核保有国となり、外交的優位に立とうとすることはできても、生物兵器でそれをすることは決して叶わないのだ。北の将軍様レベルの分別もない右翼結社が「ひぐらし」の黒幕というのは・・・いかにも安い。●トリックが安易ミステリー、ホラー、サスペンス、推理・・・「ひぐらし」がどのジャンルに分類されるにしても、このトリックは酷い。はっきり言って、陳腐レベルを通り越してウケを狙っているのではと思うほどだ。ひぐらしのトリックは後半から明かされてゆく。さんざん読み手を悩ませてきたトリックだが、おおむね4つに帰結する。・偶然、たまたま・勘違い、被害妄想・超常現象・トリックを明かさない・・・酷いが、プレイした人はみんなこれが本当だと知っている。ひぐらし前半の謎に仕掛けられたトリックはこの4つで説明されるのだ。偶然、勘違いという偶発的要素が、計算どおり起きることを「ひぐらしご都合主義」という。ひぐらしの世界では、ご都合主義は意志の力でいくらでも起こせる前提なのだ。これは私の揶揄ではなく、作者自身が認めている前提だ。詳しくは言えないが、ひぐらしご都合主義が起こっていることを発見せよというのが、作者の意図らしい。だが、後述するが、私はこれは詭弁だと思っている。超常現象はトリックとしては禁忌だ。しかも、最初からホラーならともかく、ひぐらしの前半は超常現象色を見せないようにしている。だが、後半からガラリと超常現象一色に染まり始める。最初からトリックを理論的な何かで考えた人は、ここでゲームを投げ出しても仕方がない。なお明かされないトリックについては、ひぐらしwikiなどでプレーヤーが思い思いの答えをつむいでいるがたぶん、作者本人は明確な答えを作っていないものと私は確信している。元の同人ソフト時代、半年に1作というスローペースで発表されていることそして、「ひぐらし」の前半部分と後半部分の作者が変わったか!?という程のカラーの違いそれらを合わせると、前半で謎や伏線を使いすぎたが、後半自分では収集がつかなくなったので、プレーヤー丸投げに切り替えたと見るのが妥当だろう。そして、その手法は熱狂的なファンが集まりやすい同人ソフトにおいては使いやすい。作者自身も考えていなかった「解答」を受け手が勝手に作ってくれるというのは、エヴァンゲリオンの時と同じだ。謎をぼかしていれば、プレーヤーが勝手に推理を働かせてくれる。二次創作、謎解きサイトの盛況振りを見ていると、この目論見にズバリはまったプレーヤーは多いようだ。作者にハメられて、というより自分で好き好んでという人も多い様子だ。いずれにせよ、目論見が見事に機能しているあたりには、確かに作者の卓越したセンスを感じる。●癖馬は名馬になるが、駄馬は駄馬だが、冷静に見た場合、ひぐらしのトリックはやはり安っぽいか無理がある。そもそも、「ご都合主義」そのものがテーマであり主題のゲーム。斬新だ!という意見もあれば。そんなもん読み物として成り立つか!という意見も少なくない。まあ、はっきり言って読み物としては成り立ってないだろう。商品にはなっている様子だが。ただ、これをアニメや漫画や映画にすると、ひぐらし本編以上の惨劇が起こる。元が同人ゲームという、きわめて寛大な世界で通用してきたものを、一般人を対象としたPSやDSで発売することすら問題があった。案の定、同人ソフト時代には巻き起こらなかった「ひぐらしご都合主義」批判が広がってしまった。そして、漫画はともかく実写版映画は一番まずかった。原作がしっかりしていても実写版は往々にしてコケるのだ。原作が安っぽいのに、どうやってヒット映画を作れというのだ?案の定、この手の憎まれ役を引き受ける駄作メーカー・及川中が監督をつとめたが、映画版は「金返せ!」「映画なめんな!」怒号の嵐である。弁護するつもりもないが、及川中監督は実力がないわけではない。彼は原作がダメ、もしくは映画化になじまない作品をよく引き受けるのだ。原作が悪くなければ「冨江(1999)」のように中ヒットは生み出せる。だが、「ひぐらしのなく頃に 映画版」は及川中のこれまでの作品の中でも最悪・最低の評価である。たぶん、原作のクオリティがずば抜けて低い上に、低予算で役者を確保できなかったためだろう。出来のしっかりしていない原作を加工することも、進化させることもままならない。こういうものをメディアミックスしても決して良品は生まれないという典型が、打ち切られた深夜アニメ、非難轟轟の実写版映画という結果に顕れている。
2009/04/26
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●安っぽい作品だなぁ・・・「安い」「ひぐらしのなく頃に」をひと言で言うと・・・安い物語だと思うなぜそう感じたのか? 言葉では説明しにくい・・・物語が精巧でなかったから?一貫性がなかったから?芸術的でなかったから?美しくなかったから?バランスが悪いから?説得力がなかったから?ご都合主義がすぎるから?全部といえば全部だが、うまく言えない。作者は作品をとおして「どうぞこの物語の謎を解明してください」という。サウンドノベルという性質上、読者は作中のヒントだけを手がかりに、そこに自分の知識を重ねて推理するしかない。だが、作中の陳腐でチープで現実とあまりにかけ離れていたら?●たとえば、ある興ざめな2時間サスペンスドラマサラリーマンの怪死事件、場所は密室、死因は心臓発作。容疑者は3人・心臓外科医である男・フランス外人部隊にいた男・超能力が使えるという噂の男刑事は2時間の番組のうち1時間50分必死に捜査する。しかし、3人とも謎が多く、手がかりが掴めない。そこに幽霊を見たという証言や謎の光の目撃。事件は混沌としてくる。だが放送ラスト10分になって、唐突にUFOと宇宙人が出てくる。宇宙人は特殊なビームを使って男を殺したという。男を殺した理由は、実はその男の子孫が、30世紀ごろ世界大統領になって宇宙人の星を襲うと予言されたからだという。そして呆気にとられる刑事を殺して、宇宙人はUFOに乗って去る。こんな糞ドラマを2時間かけて見たら、あなたはどう思うだろう?そんなトリックあるか!と激昂しても仕方ないだろう。なんせ物語の終盤まで宇宙人の「う」の字すら出てこない。作家の完全な後出しジャンケンだ。たしかに、話のつじつまはきちんと全部合う。物語全体としては(一応)矛盾がない。しかし、間違いなく、つまらないことこの上ないだろう。そして、意識してかせずか?「ひぐらしのなく頃に」にはそういう手法が多い。だから、この言葉が頭をよぎった「安い・・・」●良質な謎解きの最低条件いいサスペンスやスリラーは、共通点がある。それは「伏線」が見事に機能することだ。良質な謎解きを見せられると、パズルのピースがパチン!と合う快感を感じる。私が見た映画ではシックスセンスやTHE EYE、箪笥などがそうだろうか。推理ものではシャーロック・ホームズや刑事コロンボなど。私の好きな海堂尊の「チーム・バチスタ」や「ジェネラル・ルージュ」もそう。マンガだが「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部・東方仗助編(クレイジーダイヤモンド)もそうだった。でも「ひぐらし」にはそういった快感はなかった。最後まで「パチン!」はなかった。パズルのピースを合わせる代わりにバラバラのパズルの上に、全く新しい絵を重ねてそのまま額縁に入れられたような不快感が残った。絵が完成されさえすればいいのか?そうじゃないだろう・・・と思う。結果、安っぽい絵だけが壁に残るのだ。●プレーヤーが謎と思いこんでいたのは単なるバグ?「ひぐらし」の設定に矛盾や間違い(=バグ)はあっても謎は浅い。だが、矛盾を謎と思いこめば、読者は勝手に深淵を見た気分になる。はたして作者はそこまで計算したのだろうか?・・・文章から垣間見える詳細に拘る彼の性格からするに、最初から計算したわけではなさそうだ。おそらく、話を広げすぎて、前半でちりばめた謎や伏線を収集できなくなった、そのあたりが真実だろう。
2009/04/26
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『残虐強調…中国映画「南京」公開 暴行・殺戮シーンに観客悲鳴』いわゆる「南京虐殺事件」をテーマにした中国映画「南京!南京!」が22日、上海など中国各地で公開された。事件をめぐる認識は日中で異なるが、全編を白黒フィルムで製作するなど記録映画に似せた手法が使われ、観客には映画の内容が、さも“史実”であったかのような印象を与える演出となっている。「従軍慰安婦」とする中国女性を多数出演させ、暴行や殺戮(さつりく)シーンをことさら残虐に強調した。この日、初上映された上海市内の映画館では20代の若者がめだち、女性への暴行、大衆の殺害シーンでは観客の悲鳴や激しい怒りの声が渦巻いた。一方、主人公の若い日本兵を上官の命令で虐殺を強要された「軍国主義の被害者」と描くなど、反日一辺倒ではないストーリーに仕立てた。この日本兵が最後に中国人を逃して自殺するシーンがあり、映画を見たOLの陳維蔚さん(29)は涙をふきながら、「日本人の人間としての一面も見て印象が変わった」と話した。〔産経ニュース 4/22〕 THE FAKE OF NANKINGステレオタイプの残虐日本軍を描いた反日・憎日プロパガンダ映画はこれまでも存在した。だが、この映画の一番の悪意は、善良な日本兵を描いた点にある。これによって、中国内の潜在的親日派が映画に感動する→映画の内容を肯定する→南京大虐殺があったと思うこのステップには、おそらく社民党やサヨクに惑わされている日本人の歴史オンチもやられる。南京残虐行為のくだりは、信頼に足る一次資料がほぼ皆無というでたらめ・ねつ造だが、善良な日本兵が、現実世界の「善良な日本国民」とリンクして映画のリアリティを増している。要するに南京の件は、多くの日本兵も不本意ながらやったことなので、「東京裁判ですら証言されていない多数の残虐行為があった」ということにして、日中両国民とも「全面的に史実として」受容しましょう!という詐欺的譲歩を勧めている点で、きわめて悪質だ。 ○実際の南京事件で「一般市民」の被害者はほぼ皆無南京の"被害者"は一般人ではない。休戦の協定も結んでもらえず、戦闘継続のまま指揮官に見捨てられた哀れな中国兵だった。これは日本側にも戦果として記録がある。この点、南京大虐殺論争の肯定派、否定派ともにほぼ異議がないところである。だが、中国側としては南京戦にさんざんに負け、さらに指揮官が休戦の打診すらせず逃亡したため、壊乱した兵が日本軍に一網打尽にされた「事実」はメンツ上で非常に都合が悪い。だから「日本軍は"一般市民"を30万人殺した」と言うしかないのだ。一般市民がゆえなく惨殺されたという記録は、当時の駐留外国人の記録にも少ない。少なくとも、外国人自身の目撃証言は皆無といっていいほど無い。ほとんどが中国人からの伝聞だ。婦女暴行も(皆無ということはないだろうが)、2千人足らず日本兵で一晩に千件の事件とは笑ってしまう。さらに、伝聞を鵜呑みにした在留外国人によると、放火も婦女暴行も主に夜間に行われたという。実際の日本軍は夜間外出禁止だった。うかつに外出すると、昼間は潜んでいた中国兵残党に殺される。部隊は毎晩点呼を行って、夜間は自隊でじっとしていた。THE FACT「南京で日本軍による大規模な暴虐はあったのでは?」と心配な人は、日本と在留外国人の記録に残っている次の点は知っておいた方がいい。・中国側は日本兵が南京に火を付けまくったというが、南京に消防団を作ったのは日本軍だった。・中国側は日本兵が女性という女性を暴行したというが、南京には軍規が乱れないよう、すぐに慰安所(売春宿)が作られた。※日本軍から慰安所の設置が告知されると「金が稼げる!」と中国人の娘たちが大量に応募したので、大学教授をしていた外国人は貞操観念のなさに唖然としたと書いている。キリスト教にもとづき売春しないよう説得していた宣教師すら、最後には「生活費のためであれば仕方ない」と折れた。つまり、南京に大規模なレイプ事件はもとより(中国側にすら堕胎の記録がない)、従軍慰安婦はいなかった。しかし「訪軍売春婦」がたくさんいた。ちょうどアメリカGHQが慰安所(RAA)を設置させ、多くの日本人女性が売春行為をしたように・・・・日本軍は戸籍管理されていない南京市民に「良民証(中国兵でない証)」を交付して、中国兵と市民を明確に区分けて監督しやすくした上で、自宅に戻らせた。・中国人による自治会を発足し、警察的自衛団を作らせ治安回復に努めた。中国軍残党だけでなく市民まで盗みなど不法行為をはたらく者が多かったため。私は個人的には日本兵がまったく規律正しく、紳士的であったとは思っていない。「軍規の乱れ」があったことは、日本兵の中にも証言がある。しかし、それをどんなに拡大解釈しても30万人という虐殺数にはならないし、一晩1000件のレイプ事件にもならない。だが、このような史実を踏みにじり、反日映画は続々と作られる。○中共が推進する反日映画の目的は何か?いうまでもなく、中国は中国共産党(中共)による独裁国家だ。中国共産党の原点・アイデンティティは「日本軍から中国を守った」という大儀名分だ。(もっとも、この大義名分からして虚偽が含まれているのだが・・・)だから中共が一党独裁を死守するためには日本は過去には征服者で、未来には脅威でなくてはならない。永遠に悪者でなければならない。もっと正直に言えば日本が怖い。日本人がキレたらと思うと、私も怖い。自衛隊の防衛力はアジア随一。世界第2位の富と世界最高の技術力を持ち、自衛隊員も兵器も少数ながら精鋭。これが専守防衛の軍隊でなかったら、とっくに朝鮮半島ぐらいは落ちてる。また日中戦争に逆戻りだ。中共としては、自国の力が日本を上回るまで日本には萎縮しておいて欲しい。だから被害者を演じ続け、おしなべて穏和な日本人の罪悪感を煽ってきたのだ。そうしておけば(たとえば橋下知事のような)日本核武装論者が政権を取ることはない。(個人的に橋下徹が為政者に向いているとは思わないが、国防についてはある程度正論を言っていると思う)しかし、史実や現実はもちろん中共に不利だ。最初は被害者2万人(南京戦直後)から4万人、30万人、ついには50万人(2008年)と、コロコロ変わる中国側の「南京大虐殺被害者」見解をまともに相手にする国はない。史実の日本軍は(中国軍に比べればはるかに)残虐ではなかったし、現代の自衛隊は専守防衛に特化している。かたや中国は国内だけでもチベット、ウイグル、内モンゴルでの暴虐の限り、文化大革命、天安門事件とまさに「最後の虐殺国家」現在も中国に戻りたがらない台湾にミサイルを向けて「対話中」の核保有国だ。かたや日本は世界中から品格のある平和国家と認知されている。もちろん、核はおろか長距離ロケットも長距離爆撃機も保有していない。これが中共にとっての「不都合な真実」だ。○中共の不都合は、中国人と日本人の好都合しかし、これらの事実は、あくまで中共のトップで利権を貪っている連中にだけ不都合なだけである。中国国民および中共に侵略されたチベットなど自治区の人々、中国に脅され続けてる台湾の人々などにとっては利益だ。あれほど憎み、なにより恐れてきた日本人は善良な民族だった。中共と違って、自分たちを侵略しようとなど思っていない。これまでだって、小国の国家予算に匹敵するほどのODAを行ってきた。中国人が日本からのODAを知らないのも無理はない。中共はそれを懐に入れたか、武器に変え、他国に売ってさらに儲けた。国民の手元には一元も渡らなかった。(少なくとも歴史虚偽をもとに)日本を責めることを止めれば、おとなりの経済大国が友好国になってくれる。いまや中国と日本はお互いに貿易の最大相手国同士なのだ。ビジネスパートナーとしても日本以上に心強い相手はいない。中国の人々は、中国共産党によって、最良の隣人、友人、パートナーを奪われているのが現実だ。歴史の共通認識は、信頼できる資料で確認できる範囲にしか落としどころはない。中国は中共が言うような被害者ではなかったし、日本も極右団体がいうほど清廉潔白ではなかったろう。その落としどころ・・・正しい歴史共通認識をもって、はじめて日中双方が心実ともに協力できる。そうは思わないだろうか?中共がプロパガンダを止めることはないだろう。しかし、中共の時代はソビエト連邦のようにいずれ終わる。その日のために、まずは、われわれ日本人が自虐でも開き直りでもない、真実の歴史を知っておくことが大事だ。中国、韓国の人々は対日歴史に敏感だ。無知では済まされない。真実はどこに・・・日本軍最強伝説 南京の真実 - ねつ造された大虐殺それでも日本は黙っているのか?
2009/04/22
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●契約の不更新は粛々とした企業活動 雇用者vs被雇用者という構図に、正規職員で働く人も含めた国民の肩入れも見られる。だが、派遣社員はそもそも本質的に調整要員。継続雇用を前提とした正社員とは存在意義が違う。業績が悪くなれば真っ先に人員整理の対象になるのは当然だし、契約を満了したのならば契約を継続しなくても企業に何ら非はない。派遣社員に任される業務の範囲からしても、豪華な職歴書が書けるわけもない。つまり、企業側の理由で失業して当然の労働力なのだ。人格や人権を否定するのではなく、「派遣」とは本質的にそういう「お仕事」なのだから。しかし彼らは「雇用せよ!住まいをよこせ!」と叫ぶ。これに違和感を覚える国民は少なくないだろう。あるサイトの投票では7割が「派遣切りは自己責任、努力不足」に賛同していた。新聞・テレビなど、マスコミは弱者の味方とばかりに派遣社員の苦難を報道する。だが、大手マスコミは経団連や日商(商工会議所)などの大企業グループに近いので、経営者側はあまり強く叩けない。矛先はもちろん、いつもの公務員と政治家だ。しかし、地方自治体は大分に代表されるよう、厚労省が動くより先に救済に動いた。自治体の人件費には議会で決める予算という限界があるのだから、公務員の給料アップはその分苦しくなる。だが、自治労連HPなどを見る限り、むしろ派遣労働者の救済を求めている。おかしな勘ぐりはやめて素直に評価したい。そして、酷い嫌われようの麻生[現]首相だが、派遣切り対策の支持は比較的速やかだったと思う。厚労省などに努める官僚も頑張っているはずだ。とにかくにも厚労省が矢継ぎ早に政策を打ち出したのことだけでも評価していい。この短期間にこれだけの政策を立て続けだ。おそらく帰宅もできず、官庁に寝泊まりしながら、寝る間も惜しんで救済政策を起案したのだろう。あとは、国会や地方議会だが、ここが一番肝心で一番動きが少ない。議員というのは利権やしがらみにがんじがらめなので、国民(住民)がしっかり取捨選択しなければ目立った動きはあるまい。それでも、与党・野党を問わず、雇用改善に取り組む姿勢をブログで公開する議員は多い。一方・・・どこのテレビ会社が、職を失った人々に仕事を提供したという類の話は一切聞かない。マスコミは、正義を雄弁に語り、正義の実現には興味がない。その口先集団が、麻生首相や議員の発言にいちいち反応して記事(=カネ)にしようとしている様は薄気味悪くすらある。麻生首相を擁護する気はさらさら無いが(有能とは言えないと思っている)が「仕事を選ばなければ(働き口は)ある」「何がしたいのか決めずに仕事をくれと言われても(政府も企業も)困る」という内容のごく常識を口にしただけで、バッシングの嵐だ。これには首をかしげる。正論に聞こえるからだ。失言ではなく、首相・総理だからこそ、敢えて厳しく指摘しなければならない事がある。財源には限りがあるのだから、なんでもかんでもはできませんよ・・・ともちろん(ここでも度々指摘しているように)大企業の搾取構造は是正しなければならない。現時点で、GDPの7割を内需から稼ぎ出す日本の経営は、消費者たる労働者の所得がなければ復活できないからだ。経団連など日本を牽引する経営者側は国益、公益を考えなければならない。「国家と企業は両輪でこそ発展できる」という不変の経済原則を、残念ながら大企業幹部も政治家も忘れてしまっている。だが、派遣社員の中途解雇は不当としても、契約更新をしないことについてマスメディアが感情的になりすぎている気がする。仮にテレビ番組で高名な政治経済学者が(ごく短期間のつなぎでやる人は別にして)何年も派遣をやっている労働者には1. (例え真面目で有能であっても)企業に「ぜひ正社員になって持続的に貢献してほしい」と言わせる要素が揃っていない人あるいは2. いったんは正社員で入社したか、過去にそのチャンスがあったものの、人間関係に嫌気し、あるいは責任や困難を敬遠し、自ら「下りた」人あるいは3. パラサイト、配偶者収入など生活環境に恵まれ、勤労意欲が希薄で、とりあえず派遣で働いていた人・・・そんなケースが相当多いのではないか?と堂々と言ってしまったらどうか。誰しもが頭をかすめるであろう素朴な疑問を、公の場で口にした阪本政務官のように強く非難されるだろう。確かに政務官が公でそんなことを発言するのは、素養が大いに疑われる。即刻為政の舞台から退場してもらわなければならない。しかし、阪本発言の内容そのものまで的はずれだと思う国民は多いだろうか?つまり、今回の派遣切り騒動について、心のどこかで「契約社員の雇用事情など、前から分かっていたはずなのに、 いざ解雇となったら、俺たちの税金で助けてもらう魂胆か?」と思っている国民は、そんなに少数派だろうか?阪本政務官発言について連帯責任を追及されている麻生総理にしても、諸々の発言内容がトンチンカンか?というと違う気がする。どちらかというと、なにかにこじつけて「だから解散、総選挙!」と具体的政策も示さず、解散だけを求める民主党の方に違和感を感じる。今の民主は大きく負ける気がする。「まじめに働いていたのに解雇された」と解雇された派遣労働者らは言うが対価を払う価値がない人間を、営利企業が継続的に雇用するわけがない。「派遣社員ではあったが、正社員より優秀だったし、会社に利益をもたらせる存在だった」と言う人もいる。そうなのかもしれない。だが、なぜそんな価値を持つ人材を企業が「囲おう」としなかったのか?あるいは、なぜそれほどの人が他の同種企業で正社員として雇われなかったのか?もう若くなかったから?時期を逃したから?やりたいことがあって?・・・そんな理由を口にするのだろうか。私の知っている会社でも、優秀なアルバイトを正式に雇おうとしたら「他の(大きい)会社に就職したいので、今は勉強中の身なんです」と断られたという。その人は今はどうしているのだろう?少なくとも、もう会社にはいないはずだ。去年から派遣社員は契約満了を待って全員更新をしなかったから・・・就職のチャンスは無限に何度もあるわけじゃない。期間限定の数少ないチャンスをのがせば、不利になるのが必定。受験なり、競技なり、恋愛なりを通じて、誰もがそんな条理を知っている。年齢を重ねることは悪いことではないが若い頃から努力をしてきた人間チャンスを貪欲にものにしてきた人間に出遅れた人間がどんなに慌てても負けると知っている筈だ。もちろん「やむにやまれない事情」で不本意ながらも派遣の身に甘んじている人も沢山いる。そういう人はいわば「被災者」だから、国家が緊急に救わなければならない。では、「やむにやまれない」とは、どんな、どれほどの事情か?例えば、障害や困難な持病を持つ方は、ほぼ例外なくそうだろう。「社会的弱者」という言葉に反感を覚えられるかもしれないが、間違いなくやむにやまれない状況だ。しかし、心身共に一定の水準を満たす人の「やむにやまれない」とは相当な事情であるはずだ。私個人の見解でいえば「やむにやまれない」事情とは・子供の頃から持病があり虚弱で、外見も悪く・家計の苦しさ、両親の不仲など、幼少期から家庭環境は劣悪であり・父親が職を失い自己破産。極貧の少年・青年時代を送り・貧乏コンプレックスと、肉体コンプレックスに悩み・学校では小中高とそれを理由にいじめられ続けられ・ある時は心を病み、荒れそうにもなり・貧しさゆえ公的教育以外の塾や家庭教師とは縁がなく・進学といえば授業料減免を受けられる国立大にしかなく・大学の生活費はほぼ毎日のアルバイトと奨学金。遊びも知らず(できず)、欲しいものも持たず(買えず)・自分の虚弱さを恨み、武道で有段者になるほど体を鍛え・大学の専門教授は質が悪く、ほぼ自力で教授を抜き去る程の学究をし・教授のコネも押しもなかったので、就職活動では業界・企業を研究しつくし、足を棒にしたそ・れ・で・も・・・そこまでしても、派遣の身分に甘んじなければならなかった程の事情が「やむを得ない」だ。上記一読して分かるようこれは強者の理論ではない弱者中の弱者の理論だジャングルに生を受けた小動物の理論だ人間社会の仕組み…と大げさに言ってもいいここまで読んだ方、ご明察のとおり「彼」は、現在はある機関で、早くから非常に立派な仕事をし、今は若くして部門を託されていおる。私の幼なじみであり、親友であり、尊敬する人物であり、実在する人物だ。彼は特別な人間ではない。今でこそ尊敬しているがはっきりいって心身とも弱い人間だった。おまけに進んできた道は険しく障害だらけ。本人の力の及ばぬ部分で不運も続いた。それでも、いつでも前向きで、苦しくても笑顔・・・いやいや、そんな大層な人間ではない。ただただ惨めにあがいて悩んで苦しんで、不細工で不器用で何度も諦めて、時には荒れたり、心の病にかかったり当然、自己の境遇を恨み、他人を妬みそれが人間関係も狂わせ身内に捨てられ、私を含めた友人も距離を置き、いつも孤独・・・でもそんな日々をなんとか、かろうじて、ようやく耐えた人間。ボロボロになりながら今日まで立っていた人間だ。「成功した」のではなく「生き残った」感が強い。「勝った」というより「負けたまま終わらなかった」だけだとも思う。派遣問題に、労働者側の自己責任問題は決して無関係ではない。どころか大いに関係がある。そんな彼らが「オレたちを(正社員の給料を削ってでも、税金を投入してでも)助けろ」と声高らかに言うからには最低限この程度の努力や苦労には耐えろ!話はそれからだ!・・・と彼に面と向かって言われたら、友人の私でも返す言葉がない。ヒステリックな新聞を置き、テレビを消して、シンプルに考えて欲しい。どこの就活中の学生が「仕事をよこせ!寮も提供せよ!」というか?だが、派遣社員達は紛れもない就活中であるのに、平気でそんな要求を叫ぶ。彼らの声は企業どころか一般国民にも伝わらない。いったい貴方が社長だったら、そんな人間と労使契約を結びたいだろうか?もし誰かが正社員や持続的な雇用を強く希望するといのであれば要求 と 自己研鑽どちらが必要か?誰もが即答できるはずだ。契約をされなかった派遣労働者たちが、企業や政府に伝えるべきは「いま私をサポートしてくれれば、これだけのことをします!」「すぐは無理でも、近い将来必ず公益や企業利益をもたらします!」といったような、自己価値と熱意しかありえない。価値を身につけ、優秀な人材であることを十分にアピールすることこそが大事。(というより、企業的にはそれ以外に興味ないだろう)そういった意思をもつ人々の成長と機会をサポートすることが本来の政治家・官僚の本来の仕事といえるだろう。急場しのぎは長くは持たない。国策として日本人の精鋭化を図る政策が次の重要課題だ。・・・聡明で真面目で、辛抱強い・・・1500年代に海を渡って来日した欧米宣教師たちは日本人をそう評している。
2009/01/08
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昨年4月のJパワー買収問題のころから日本の株式市場について海外の投資家から閉鎖的だと指摘されています。長期低迷が予測される日本の株式市場について、この「鎖国」市場問題は昨年秋からまた再燃し、今年も議論されるでしょう。鎖国を解けば株は上がるか・・・?一時的には上がるでしょうが、長期スパンでは深刻な問題を引き起こすリスクの方が明らかに大きいと思われます。株式市場の役割は、市場が株主と企業を銀行の預金者と債務者のように結びつけることで、企業と株主の双方に「健全・適正」な利益がもたらられることに他なりません。いわば株価の適正値を形成するのが本来機能です。決してマネーゲームの場ではありません。(残念ながら多くの人がそう思ってしまっていますが・・・)かつての外需依存から内需重視(GDPで約7割)へとシフトしてきた日本企業ですが、それでも世界屈指のモノ作り国。世界で勝負できるポテンシャルを秘めている企業がたくさんあり、海外投資家や海外企業が虎視眈々と狙っています。そういった意味で、今の日本市場は、良くも悪くも注目されています。日本市場の回復は確かに資金調達という面で企業にとっても重要ですし、株式保有者にとっても含み損を解消し、利益転換するという意味で重要でしょう。市場改革は経済政策として、景気回復に次ぐ(というより一体の)超重要課題です。しかし、新聞などのおおよそ経済専門記者?が書いたとは思えない記事を見るにつけ、彼らは事の本質を見失っていると言わざるを得ません。新聞などマスメディアはかつてほどではないとはいえ、現在も世論形成に大きく関与しているのだから記者が無能か視野狭窄なのは、一企業の社員が無能であるという以上に深刻です。日本株式市場を復活させるのに重要な問題は 「日本市場を海外にどれだけ解放するか」ではなく 「日本市場に国内外からいかに投資を集めるか」です。つまり、企業と投資家の双方に利益となる資金を集めることです。単に海外からの資金が流入しやすくなっただけでは、企業買収や企業価値を損なう株主要求のリスクを抱え込むだけです。しかし、残念ながらこれまで日本株にはあまりにも「投機」マネーが集まりすぎていました。08年のアメリカ金融危機による世界同時不況で、アメリカよりぜんぜん傷が浅い日本株が米国株より大きく下落したことは、いかに外資マネー(というより投機マネー)が多く流入し、不健全な市場であったかを物語っています。※08年間下落幅 日経平均=42%↓ > NYダウ=34%↓本社(米国、EU諸国)の資金が不足したから、手っ取り早く子会社(日本)を売ったということです。このような、短期的に濡れ手に粟の利益を奪い、残りカスを企業と一般投資家に押しつける「投機」マネーを今後しっかり見張り、厳しく制限するのが持続的な国益です。日本企業が、日本の投資家が必要としているのは、あくまで海外からの「投資」です。監督官庁はこの本質によくよく注意する必要があります。決して浅はかなマスメディアや短絡思考の一般投資家の圧力に負けて、いつものように「お茶を泥で濁す」ような真似はしてはなりません。
2009/01/04
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スーパーカテキンV99(150カプセル=50日分) 15,750 円EGCG 90ベジタブルカプセル(90カプセル=45~90日分) 1,880 円
2009/01/02
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先日、忘年会で神経内科医の知人と脳の話をしていて、誰もが多少は経験する「物忘れ」とその改善方法についていい助言をもらった。役立つことも知ったので、了承を得てメモがてら書いてみる。●物忘れと痴呆症、健忘症の違い「物忘れ」と言う言葉は医学用語ではない。しかし、一般に医師が「物忘れ」というときには、病気でない記憶の弱りを指す。つまり、アルツハイマー病や脳血管障害が原因でない、神経の衰退のこと。これは普通の人間なら誰にでも多少は・・・子供や青年にすら見られる。こういった物忘れは、医学的には「記憶減退」という。これは正常な生理現象で、運動しないと体力が落ちるのと同じ。頭を使っていないため、記憶を流す神経回路の機能が落ちた状態だ。使わない器官が弱るのは自然なので、医学的治療の対象とはならない。これに対し、認知症(痴呆症)や健忘症は病的な記憶障害を起こす症状を差し、医学的治療の対象となる。例えば「事故で脳に傷がつき、その日覚えたことも、寝たら全て忘れてしまう」というような症状は前向性健忘症という。ベストセラー「博士の愛した数式」や、映画「ガチ☆ボーイ」など、映画や小説でよく使われる題材でもある。うつ病やストレスが一時的な健忘や痴呆を引き起こすこともある。これは、環境や心の状態がよくなれば治療を受けなくても自然に治る。また、思い出せないといっても、ナンバーなど数字はあまり気にしなくていいらしい。意味のない数字の羅列は、そもそも記憶に残りにくいからだ。日本史の年代覚えで「鳴くよ(794年)うぐいす、平安京」のように、数字を言葉に置き換えるのは、数字に意味づけをして記憶に残りやすくする工夫だ。●物忘れと病気(認知症・健忘症)の簡単な見分けかた物忘れは、ざっくり言えば弱った神経の流れが悪くなる現象だ。だから、記憶を流し出すきっかけが有れば、一気に思い出す。話によると正常範囲の物忘れには大きく2つの特徴があるという。1.きっかけやヒントがあれば思い出せる2.思い出した時にスッキリした納得を感じる。 (「あ、そうだった!」)これに対し、病気の記憶障害は、神経の経路が切れているので、ヒントがあっても思い出せない。記憶そのものが失われているので、納得感がない。(「そうだっけ?」「そうなのかぁ・・・」)ただ、これも程度問題で、思い出せない記憶は性状でも多少はある。たとえば2日前の昼食のメニューなど覚えてなくて当然。●脳トレは物忘れ予防(改善)に有効か?物忘れを改善するには、神経を鍛え直せばいいことは分かる。だが、どんな鍛え方をすればよいのだろう?最近「脳力トレーニング(脳トレ)」もののゲームや本が流行っている。様々な専門家が監修しているが、基本的には神経の伝達を刺激して、太く流れの良い神経に戻すというごくシンプルな理論がベースらしい。脳トレの効果については、少なくとも知人の医師が知っているニンテンドーDSのものなどは効果があると考えているらしい。だが全部がよいわけではなく、効果のあるゲームとそうでないゲームの差も大きいらしい。●これを心がければ物忘れを予防・改善できるでは、簡単にできて万人に有効な「物忘れ予防法(改善法)」はあるのか?友人医師は「予防法とかたいそうな事でなく、当たり前のことをすればいい」という。当たり前のこととは「思い出す努力をすること」実に単純だが、よくよく考えてみると私たちは忘れたことをすぐ人に聞いたり、ネットで調べたりして安易に答えを出す。これではほとんど脳神経が活動しない。使われなければ脳神経は弱る。弱った脳神経では思いだし作業が辛いので、また安易な答え探しに走る。この悪循環で、脳神経回路がだんだん衰弱して「忘れっぽい人」になるのだという。物忘れ対策は、この悪循環やめることにほかならない。つまり・なにかを思い出せないとき「えーと・・・」とせめて1分考える。・思い出せないときは、いきなり答えではなく、ヒントから思い出すようにする。この程度の単純な努力を怠る人が多くなりすぎているという。自分自身にも思い当たるふしが多々あり、実に耳の痛い話だ。●運動や栄養の見直しも大事神経の流れは精神状態や栄養状態にも大きく影響される。血糖値の低い朝食前や深夜は、神経がにぶって物事を思いだしにくい。しかし、恒常的に栄養状態が悪い、ストレス解消に有効な運動をしないとなると・・・これは少々問題だ。精神面や栄養面でいいコンディションを維持することは、一般の人が考えている以上に物忘れ予防として大事だという。ではどの程度の運動や栄養が要求されるのか?(一般に医師は栄養学や運動学にそれほど強くないが・・・)彼は栄養と運動は脳機能の維持に重要という事実から熱心に勉強した結果、明確な意見を持っていた。私が聞いた内容としては下記のようなもの。「物忘れを改善するために、サプリメントや栄養剤で、特定のビタミンを大量に取る必要はない」※イチョウ葉エキスやEPAが脳血流循環を改善し脳機能を改善・維持することが良く知られている。また最近ピクノジェノール、フォスファチジルセリンも抗酸化作用や神経伝達を改善することによって脳機能を改善することが明かになっている。「明らかに野菜などが不足しているならサプリメントはアリ。特別なものより不足がないように」「週1回ハードなスポーツをするより日常の動きが大事。例えば歩く・階段を使うなど」「習慣的にスポーツをしている人は、そのスポーツであまり使わない筋肉もケアする」「全身的なストレッチを強く勧める。筋肉がほぐれると脳と精神に良い影響をもたらす」●この忘れ方はまずいかも・・・と思ったときに行く診療科は?では、物忘れの程度が日常生活に支障をきたすほどで心配になった時、どの診療科を訪ねればよいか?真っ先に思い浮かぶのは「精神科」かもしれない。だが、精神科より「神経」と名の付く科が良いかもしれない。たとえば「神経内科」は、まさに痴呆症や記憶障害、つまり脳や神経をメインにしている診療科で、認知症などを疑うときの初診にはうってつけだ。厳密な守備範囲からは少し離れるが、気分障害やうつ病の治療にも強い。(病的な記憶障害は、うつ病や気分障害を伴うことが多いため)神経内科は認知度が低いため、心療内科や精神科とごっちゃにされて困っているらしい。神経内科医はその名の通り「神経」の専門医で、「心(ココロ)」の専門医である精神科医とは異なる。・目に見えないココロを診るのが精神科、心療内科・モノである神経や脳を診るのが神経科、脳神経科ぐらいに考えていれば概ね合っているだろう。●余談~「にわか精神科医」にご注意精神科といえば、近年うつ病をはじめとした「心の病」が増え、精神科医が増えているそうだ。だが、これについて少し恐い話も彼から聞いた。精神科は、目に見えない「ココロ」が対象なだけに(ガイドラインや指針はあっても)あいまいな部分が大きく、医師の裁量もその分大きい。逆に言えば、治療や診断に少々の間違いがあってもバレにくいし、訴訟リスクも少ない。そして、現代「心の病」のお客さんはたっぷりいる。こういった背景から、まったく畑違いの外科や内科の医師から、ろくに専門勉強もせずに、精神科に転身する医師・・・にわか精神科医が増えているという。「にわか精神科医」は金儲け目的の転身者なので、患者の回復には関心がなく、診療報酬を稼ぐため、あびせるように薬を出す。(現行法も精神薬の乱発を援助してしまう内容になっている)こういった不埒な医師は、できるだけ治療を長引かせ、でも薬はたっぷり出す、いわゆる患者を「囲う」タイプだ。いま、故意に治療を長引かせる悪徳歯科医師のせいで、歯科医師全体の信頼が失墜している。歯科医師の社会的地位は地に堕ち、有能な人材が歯科医師を目指さなくなった。歯学部の偏差値はガタ落ちし、全体的に見ても同じ6年制の医学部や獣医学部とは大きく差が開いた。多くの私立大学の場合、薬学部よりもさらに下だ。挙げ句「バカでも金をつめば成れる歯医者」とまで陰で言われる状態だ。粗造乱造の末路に漏れず、儲かる職業でもなくなった。優秀で誠実な歯科医師にとっては憂き目というほかにない。もちろん、医師が儲けようとすることは悪いことではない。しかし、儲け主義のにわか精神科医は悪徳歯科医師とまったくの同類で、社会の癌といっていい。法規制もさることながら、医学界による内部浄化を期待したい。
2008/12/31
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まず非難する前に論文に目を通そう「日本は侵略国家であったのか」 田母神(たもがみ)俊雄アパグループ・第1回「真の近現代史観」論文 最優秀藤誠志賞賛否を言う前に、まずは田母神氏の論文を読んでいただきたい。いうまでもなく、この論文は旧・日本政府および旧・日本軍に寛容すぎる内容である。しかし、いくつかの無視しがたい重要な指摘と、メディアが世論を作ったのに「旧日本軍=悪」「旧政府=無能」イメージを大衆に植え付け、すべての害悪の根元を「公」や「官」に押しつけて自分たちは常に無罪を装うメディアと世論の悪しき風潮に投石をしている。日露戦争当時の信頼できる資料を読む限り、伊藤博文など明治政府首脳陣や明治帝は、勝ち目の全くない大国ロシアとの開戦を回避する方向性を必死に模索していた。しかし、世論(当時、急激に普及したメディア…新聞が誘導した)の強大な圧力に徐々に主戦論に傾いていったというのが、開戦に踏み切った要因の一つであることは間違いない。メディアが頻繁に持ち出す「村山談話」と政府対応田母神論文に対するマスメディアの批判は2点に集約されるだろう。・田母神論文は日本に一方的な戦争責任があるとした『村山談話(村山声明)』と矛盾する・日本植民地であったアジア諸国との関係が悪化する懸念がある後者については、中国、韓国とも現在は「侵略戦争を正当化した自衛隊幹部が更迭された」と報道するのみで、目立った動きはない。 また、インドネシアやタイなどといった親日的アジア諸国の声明はいまのところ報道されていない。中国や韓国にしても、麻生総理は就任早々『村山談話』を踏襲する方針を明示したし、この程度のネタでまた日本を脅すのは難しいと判断したのだろう。なにより、中・韓とも、おりからの土地バブル崩壊と世界同時株安のダブルショックで経済的に大ダメージを受けている。いま、世界中で唯一無傷と言っていい日本経済界を逆に刺激して、莫大な融資を引き上げられてはたまらないといった思わくもある。 では、前者の村山談話と矛盾するという点はどうか?もともと、十数年前(平成7年)に発表された村山談話には、歴史的事実を折り込んでおらず、さらに卑劣な手段で採決したという根本的瑕疵(かし)があり、国民の一致した見解とはほど遠い。(詳細ついては他の方のHPに詳しいのでにゆずる)だが、安倍、福田、麻生総理も(中韓関係に配慮して、おそらくはやむを得ず)これを踏襲すると明言した以上、田母神論文の内容を認められないのはやむを得ない。超スピード更迭も(中韓関係に配慮すれば)、正当であったかは別にして、きわめて有効であったろう。少なくとも外交上は最も適切な対応に近かったとは思う。ただし、田母神論文の内容が、ねつ造だらけの村山談話と矛盾するからといって、まったくの「妄言(韓国報道)」か?という点については、別次元の話だ。 日本の「刷り込み自虐史観」に風穴をあける田母神氏の戦略 というより、田母神論文は戦後、日教組や朝日新聞を始めとした反日日本人から一方的に押しつけられてきた自虐史観に、敢えて「真実の歴史は違うと思う」と疑問を提起した重要な論文だ。 私がこの(あきらかに旧政府・軍に寛大すぎる)田母神論文に一定の評価をしたい理由は2つ1.ねつ造と刷り込みだらけで、事実を隠蔽する歴史教育に一石を投じたこと2.田母神氏は、論文を撤回する意思は皆目ないが、更迭を甘んじて受け入れていること「そんなの関係ねぇ」発言など、これまでも注目されてきた田母神氏。このような論文を発表すれば、まず、確実にメディアが総力バッシングに回ること、自分が社会的に抹殺されることは分かっていただろう。さらに、現役自衛官の立場で、という点も看過しがたい。更迭の時点で60歳。定年まで2年。退官して一般人になった後でいいではないか、という人も多いはず。しかし、田母神氏には現役自衛官、しかもトップ級でなければならなかった理由があったのだろう。現役自衛官のトップでなければ、そして処罰されなければ、この論文がこれほど注目を集めることは難しい。確信犯的で、正道ではない。しかし、論文を書いた動機は、日本国の真の国益のため、未来のためという信念に基づいている。「伝えなければならない!たとえ自らの進退を賭しても!」という信念が感じられる。やや詰めの甘い論文の内容より、そういった田母神氏の憂国の情を高く評価したい。論文内容の正確さや考察は評価が分かれるだろうが、田母神氏が(多大なリスクを負って)日本の国益のために論文を書いたことは事実だ。 自分だけの利益のため「平和」を語る山師たち~マスコミ さて、一方、なにかというと「平和」「未来」「自由」と連呼するマスコミや日教組はどうか?彼らには、田母神氏の論文をあれこれと非難する以前の資格を問いたい。 いったい彼らは、田母神氏のほんの数分の1でも日本国の将来を真剣に考えているか?北の大国・・・中国が、チベットやモンゴルをどれほど卑劣なやり方で「侵略」したかを知っているのか?北の隣国・・・韓国で、「竹島を武力制圧するにはどうしたらよいか?」という話題が盛んだと知っているのか? 何度も指摘してきたことだが、マスコミは企業である。つまり本質的に利益追求のための組織である。特に(パチンコ業界や食肉業界などを牛耳る)中韓系の資産家から莫大な資金を注入されている朝日新聞ら反日メディアは酷い腐敗ぶりだ。他も朝日ほど酷くなくても多少は似たり寄ったりだ。多少骨のある企業もあるにはあるが、結局カネをくれる所になびく。そのくせ(真面目な人も多いだろう)無抵抗の地方公務員をこれでもかとバッシングする。しかし監督官庁の総務省のスキャンダルは恐くて報道しない。今回のマスコミ報道で目を覆わんばかりに酷いのは、田母神論文のどこがどう間違っているのか、を歴史的根拠をふまえて全く検証できていないところだ。ただ、けしからん!問題だ!というだけである。ネット掲示板の左翼論調の方がよほど質が高い。今のマスコミをジャーナリストと呼んだら故・黒田清氏が鬼になって化けて出てくるだろう。 かたや日教組や全教は、当初の教育に対する理念こそすばらしかった。だが、堕落し、教育のことより保身を優先する姿勢に、若い教師たちは反感すら覚えているという。(そのため日教組の組織率は、創設当初の90%から現在30%まで落ちた)国民は平和、未来、公益という言葉が、特定団体の利益追求ためのスローガンとして道具化にされている現実から、決して目をそらしてはいけない。 このような汚染された教師とメディアが、自傷による傷口を広げてきた。 戦後、人々は学校で日教組の教師に洗脳され、社会人になって反日メディアのたれ流す情報に囲まれてきた。しかし、通信革命で光も見えてきた。ここ十年、従来の自虐史観に囚われず、自分で歴史資料を探し、自分で考え、ネットで真の歴史について熱く議論する若者が増えている。おそらく、子供の頃から先生も間違うと理解し、ネットがあるから新聞は要らないという若者が増え、反日教育・腐敗メディアの洗脳から解放されたからだろう。 パール判事の憂慮どおり自虐史観で日本人は堕落した それでも、この国の少なくない人々が、太平洋戦争は日本が一方的に悪く、多くの日本人や外国人が死んだり苦しんだりしたのは「すべて」日本の責任だと信じて疑わない。東京裁判という名の国際リンチ・・・世界法学史上最大の汚点・・・。そこで、GHQの圧力に屈せず、判事団の中でただ一人国際法の専門家として「全員無罪」を主張したインドのラダ・ビノード・パール判事が、広島の原爆慰霊碑を見て激憤したという話がある。 広島の原爆慰霊碑にはこう書いてある。。。今も『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』パール氏は同行の通訳に対して怒鳴った。「なぜ日本人が謝るのですか!原爆を落としたのはアメリカではないですか!」そして、暗澹たる表情でつぶやいた。「東京裁判の被害は、原爆の被害よりも甚大だ・・」パール氏はこうも言った。「何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった」パール氏が看破したように、多くの日本人が持つ史観がデマに基づいた歪んだ教義に固定されてしまった。事実、多くの日本人が神のようにあがめる「欧米式」「国際感覚」「グローバルスタンダード」からはほど遠いトンデモ思想もまかり通る。 「戦争に巻き込まれないためには、武力を完全放棄すればよい」 福島瑞穂(社民党党首) こんな感覚で日本を子供達に引き継ぐつもりなのか?と問いたくなる。 少なくとも私は200cm・150kgのプロレスラーが、街でヤクザにからまれたという話は聞かない。しかし、老いたホームレスが少年に遊び半分に撲殺された話や、か弱い女性が暴漢に無理矢理レイプされた話なら山ほど知っている。 ・・・ああ、そういえば、こんな話も知っている。中国も韓国も、できれば武力をもって、黄金の国・日本(まずは尖閣諸島、対馬や竹島から)を手中に収めたく、日本を仮想敵国として日々苛烈な訓練を行っている。しかし、日本の国防力が自国の軍事力より格段に高いので、ヘタに偵察機すら飛ばせないという。田母神俊雄(元)航空幕僚長
2008/11/01
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物書きの私にいわせれば、本をきれいに残しておきたいと、実用書にボトムライン(下線、傍線)やメモを書き込まない人は、問題集に回答を書けない出来の悪い学生より愚かだ。(ウォルトマン?劇作家)
2008/08/31
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■やはりどこかおかしい? 物議が絶えない橋下知事。理由は注目度ばかりではないようだ。 こんどは、関空活性化のため、伊丹空港を廃止すると言いだした。しかし、政府、所管省庁からは反論ではなく、冷ややかな反応しか返ってきていない。冬柴鉄三国土交通相は1日の記者会見で、大阪府の橋下徹知事が大阪空港の廃止も視野に入れた検討を府庁内に指示したことについて「素人の発言」と言下に切り捨てた。(ニッカン 08/8/1)■かつて「地方は国策に口を出すな」と言った橋下知事が・・・ 08年2月、山口県岩国市長選で、橋下知事は重要な発言をしている。米軍基地移転が争点となった選挙であった。橋下知事は支持政党である自民党所属「米基地容認派」の福田良彦氏(現市長)の応援に回った。これに対したのが前市長「米基地反対派」の井原勝介氏。井原氏は市長時代、住民投票を実施し、87%の圧倒的米基地反対の民意をもって、安部政権に米基地の移転見送りを申し出た。これについて、橋下徹知事は井原氏を激しく非難。橋下知事は「国の防衛政策に地方自治体が異議を差し挟むべきでない」と発言。住民、自治体は国に口をだすなと言ったのだ。 さて、伊丹空港は国が設置、管理し、運営委託している空港である。そして、いま橋下知事は「お国の空港ですが、私は廃止するつもりです」と言っているわけだ。 そもそも米軍の駐留所を決める話であって、国防とは関連の少ない米軍基地移転とちがいこちららはまさに運輸・通商政策のための空港だ。橋下知事よ、自治体が国に口を出すべきではなかったのじゃないか? 「朝令暮改」 この四字熟語は、いまや発言がころころ代わる橋下知事の代名詞のようになっている。弁舌や論理を尽くす弁護士の素地によるものだろうか?いや、友人の弁護士は、話題が橋下知事になると「あいつはタレント。三流弁護士ですらない。"ゴ"の字がちがうよ。“弁誤士”だ!」と、非常に迷惑顔の様子。同業者としては、イメージダウンと感じているらしい。 ■橋下徹はやはり弁誤士か? さらに岩国基地移転問題について、橋下知事はいかにも法律家らしく 「井原市長にはもう少し憲法を勉強していただきたい」と皮肉った。その理由として、住民投票について「憲法が間接代表制をとっているのだから、直接民主制(住民投票)の対象は制限される」との解釈を披露した。この橋下解釈については、すでに法学者、法曹家から根本的誤りがビシビシ指摘されているので、ここでは多くを語らない。「橋下さんこそ憲法を勉強した方がいい」 小林良彰・慶大教授(政治学)要は、橋下知事は憲法をよく理解していなかった。 だが、見苦しいかったのは間違いでははい。開き直った上さらに恥の上塗りをしたことだ。橋下「机の上だけの憲法論しか知らない憲法学者にとやかく言われたくない!」「政治家は自分の憲法感覚をもって政治行動をしなければならない!」記者「知事は岩国の現場をどの程度ご存じですか?」橋下「現場は・・・知りません…」この正直なところがどうも憎めないのだが。。。とにかく、この日から橋下知事は「法律家」から「元タレント」に堕ちた。 ■公約を反故? 公共事業は「聖域」にする橋下知事 当初、橋下知事の人気を高めたのは、人格でも、大阪への愛情でも、行政手腕でもなく「公務員バッシング」だった。組織のトップなのに、職員の意識を高めたわけでも、士気を高めたわけでもなく、ただ叩きのめしたことで奇妙な人気を得た。しかし、その後がつづかない。そもそも、大阪府の5兆円以上の大赤字に人件費は関係ない。もともと、大阪府の職員給与はラスパイレス指数97で都道府県42位という低水準だった。日本第2の自治体の職員は(少なくとも全国水準からみると)安い給与で働いていたのだ。 (ちなみに東京都は同指数104で1位)しかし、橋下プランによって、これが89にまで激減。ダントツの最下位に。これほどの大出血なのに3~4百億円程度しか借金は返済できない。一方、職員の士気は下がり、採用者の質も悪化、行政効率は確実にダウンするだろう。この懲罰的ともいえる過激な給与削減、ほんとうに府民のため、再建のためになるのだろうか? 少なくとも、橋下知事が大阪維新を達成しようと(本気で)しているのならば、大赤字の本丸に切り込まなければならない。 その本丸とは、公共事業である。WTCなどビル、ダムの無秩序な開発、そして、件の関西国際空港拡張だ。これに橋下知事はどういう対処を見せるのか? 橋下知事を「ミニ石原(都知事)」という人もいるが、違う気がする。直球型の石原知事と違って、橋下知事は論旨のすりかえ、パフォーマンス、そして変わり身という変化球型。たとえば、橋下知事は、府知事選の公約として「ゼロベース見直し」「優先順位付け」を挙げた。公共事業についても、見直しをする旨の発言を繰り返していた。果たして府知事に就任するや、橋下知事は公共事業に「一応」見直しのポーズは見せた。しかし、結局ダムを始めとした公共事業はほとんど現状維持。関空に至っては「関空が沈めば日本が沈む」と率先援護に回る始末だ。財政再建路線をひた走る大阪府の橋下徹知事が国直轄事業負担金という「聖域」に手を つけられないでいる。 国の道路や河川の整備費用を地方自治体に負担させる仕組みで、府は今年度400億円以上を支出する。「直轄事業はどうしても削れなかった。やろうと思うと法律改正運動をしなければならない」。 今月11日(08/6/11)の記者会見で国直轄事業負担金について問われた橋下知事は、珍しく「白旗」をあげた。 「橋下知事に残った「聖域」 どうする国直轄事業負担金」 (朝日新聞) 元弁護士の橋下知事は「法」を理由に「直轄事業(公共事業)」は削れないと明言し、争う気もなさそうだ。※(国)直轄事業・・・国主導で国と自治体が資金を出し合って行う公共事業しかし、本当にそうだろうか?自治体や住民は、自分たちの意思はそっちのけで、絶対お国の決めたとおりに税金を負担するしかないのだろうか?否! 橋下知事は「法」を盾に嘘をついている!そして、そのカギこそ、橋下知事がかつて切り捨てた住民投票だ。 ■住民投票で国直轄事業を白紙撤回させた徳島市 実際、徳島県では住民投票によって、旧・建設省にダム建設を白紙撤回させた。参考:吉野川第十堰と住民の歩みこの住民運動と住民投票は徹底していた。建設省が建設しようとしていた吉野川の可動堰(かどうぜき=開閉式ダム)計画に疑問をもった住民達が決起。まずダムが不要であることを科学的に証明し、反対運動を拡大。1万の署名募集者と10万の署名者を集めた。しかし、市議会はなんと署名を無視し、ダム予算審議を進めた。これに住民は選挙権で猛反撃。ダム推進派議員はほぼ総入れ替えという事態に、犬猿の仲であるはずの共産党と公明党までもが協調。ついに市議会で「住民投票条例」が制定。住民投票92%の反対票を確認し、元建設省官僚だった小池正勝市長自ら建設推進の立場を一変。建設省、与党3党に計画反対と代替案を申上。当時の自公保連立政権は「これに抵抗しては世論の支持を失う」と判断。ついに、計画撤回を表明した。これぞ民主主義というべき快事だ。 ■橋下知事は大阪府をどうしようとしているのか? 前出の通り、橋下知事は言質を取るに、住民投票を「大衆の騒ぎ」ぐらいにしか評価していない節がある。さらに、直接投票を代議制の仇敵とみなしているようだ。確かにそのように考える国会議員や為政者が多い。なぜなら、大衆は容易に懐柔できない。棒給以外のカネもくれない。そのような世界では、議員も為政者も住民の下僕にすぎない。(それこそ本来の姿だが)しかし、代議制では、いったん「先生」になりさえすれば政官業の癒着構造により、莫大な利益と強大な権力を手にすることができる。人間・橋下徹は、そのような野望欲望に取り憑かれていないだろうか? 悪人ではないと思う。しかし、野心家だろう。良くも悪くも常に自己を正当化する性格の分、自信や欲も強いのではないだろうか。 個人的には、TVで見ていた頃から彼に抱き続けている違和感が、いまだにどうしても抜けない。 活発、明るい、聡明、ユーモアフル一方で 自尊肥大、強情、お調子者、プライドが高い、常に上から目線・・・ たまに拍手喝采をしたくなる快弁をふるう。が、常に強者の立場から、強者の弁をかざすところが、どうも気に入らない。 例えば、年金問題にコメントした彼は「年金ぐらい国民が自己責任で管理するべきだ!」と言った。・・・記憶力も体も弱った、身寄りのない老人のことを塵ほども考えての発言だったのか? この東京から来た知事が、無益か悪益しかもたらさなかったら、、、、大阪府民が、なんで自分たちは借金まみれなのに、ゼネコンと官僚が笑っているのだろう?と疑問に思ったら、、、、 橋下知事はゆめゆめ府民の民意・民度、そして県民性を甘く見るべきでない。 なにせ、相手は大阪人なのだ。
2008/08/01
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■韓国、日本に強硬対応検討=駐日大使召還も-竹島問題【ソウル14日時事】 韓国の柳明桓外交通商相は14日、与党ハンナラ党幹部に対し、日本が中学校社会科の新学習指導要領の解説書に竹島(韓国名・独島)を「日本の領土」と明記した場合、強い対応を取ると説明した。聯合ニュースが伝えた。(2008/07/14 時事通信)■韓国の教科書には「独島(竹島)は韓国固有領土」と明記韓国のこのような強直な態度はなんの根拠があるのだろう?日本は日韓関係に配慮した記述をすると表明している。しかし、韓国は数十年前から「独島(竹島)は韓国の領土」と公言してきたし、教科書にもそう記述してきた。日本は竹島問題を軽視していたわけではなく、大人の対応(?)で韓国の主張や言論を弾封することはしなかっただけだ。ところが、日本が竹島を領土と明記せず、韓国の主張も併記するという、きわめて穏便な形で、日本の教科書に記載することについて、韓国のこの対応。はたして国際社会にはどちらが「大人の国家」に映るだろうか?■日韓関係と日米関係の違い韓国は日韓併合以来、日本に教育と資金を注入され、さらに日本を模倣するやりかたで、日本より一歩遅れの飛躍的な進歩を遂げてきた。滑稽なことに、この「史実」は世界中の近代アジア史家では常識なのに、当の韓国と日本の歴史家だけが言及しない。韓国の歴史家は「日本に助けられ、模倣してわが国は育った」とは口が裂けても言えない。日本の歴史家は「日本は韓国の発展に重要な貢献をした」とは韓国の顔色が恐くて言えない。両者とも、一方でねつ造した歴史を主張し、一方で相手の顔色に極度に配慮し、ウソの歴史を子供達に教えてきたという点で共通する。その子供達が、将来の日韓関係を担う政治家や企業家や官僚になる。土台が間違ってるのに「正しい歴史認識」の上に立った関係など成り立たない。例えば、日米関係が100点満点の歴史認識を共有しているとまでは言わないが、その強力なパートナーシップの元となっているのは、比較的正確な歴史認識だ。日本とアメリカは確かに戦った。日本が負けた。しかし、アメリカは日本のポテンシャルを、日清・日露戦争、そして太平洋戦争を通じて高く評価したために、アジアにおける民主・資本主義の拠点国としようとした。そして、憲法改正など民主化を進め、資本主義の原理を注入し(マッカーサーがそこまで予想していたかは不明だが)50年にわたる奇跡ともよべる成長を促した。詳細では意見が分かれる部分もあるが、このぐらいの大ざっぱな史観については、日本の教科書にも、アメリカの歴史書にも乗っている両国の共通認識だ。日本人は戦後復興がアメリカの助力なしに達成できなかったことを否定しないし、アメリカ人は日本を援助したのはアメリカ国益のためであったことを否定しない。それでも、双方に一定の利益をもたらしたこの関係は、両国の間に概ね好意的な空気を作ってきた。日韓関係は、同じアジア経済の牽引車として、日米関係よりも強固になる可能性があるのだが、その足かせとなっているのが、韓国の虚勢と日本の配慮であるのは間違いない。■ケンカして困るのは韓国 ~混乱する内政、低迷する経済、見放す世界~このように竹島問題で強直姿勢を示す韓国政府だが、李明博(イ・ミョンバク)大統領本人がはたして竹島にこだわってまで日本との関係を悪化させたいのかは甚だ疑問である。というのも、韓国はここ2、30年こそめざましい民主化・経済発展を遂げてきたのは事実であるが、ここ数年その傾向に翳りが見えているばかりか、後退の一途を辿っているからだ。私が私感を述べるより、韓国人の言葉を紹介しよう。朝鮮日報(韓国最古参、最大手の新聞)日本語版より引用する。 ●韓国内政の混乱・世界経営研究院は13日、海外ファンドマネジャー23人を対象に実施した調査の結果、韓国に投資を行う際に政治的安定の回復を最も重視していることが分かった。 それによると、回答者の42%が「韓国投資で最も重要だと考える要素」として「李明博(イ・ミョンバク)政権の改革推進を可能にする政治的安定の回復」を挙げた。●韓国経済の衰退・韓国経済がどこまで落ち込むのかという話で持ちきりだ。さまざまな景気討論会に足を運ぶと、明確な結論が得られないまま、凶悪な怪物が襲ってくる恐怖感だけを共有して、心に何か引っ掛かったまま終わるばかりだ。・経済の現場には大惨事を引き起こす地雷が数多く埋まっている。不動産価格の下落は深刻で、地方の建設会社や仲介業者が相次いで廃業している。ファンド保有者は膨らむ損失に何とか憤りを抑えている。・韓国の現代経済研究院が「韓国は日本を追い越せない」という報告書を発表した。また「追い越すためには日本をまねてはならない」という提言も行った。・ 韓国と日本の経済力格差は、かつての10倍程度から最近はさらに広がっている状況だ。対日経済報復を行えば韓国のほうが大きな損失を被ることになるわけだ。 ●世界で孤立する韓国・韓米同盟が根幹まで揺さぶられ、韓米日のトライアングル協力体制も働かなくなって久しい。・韓米同盟は亀裂が生じてしまった一方、米日同盟は両国の接近を加速化させている。・日本は独島問題を最終的に国際司法裁判所に持ち込む青写真を以前から描いている。(中略)韓国側の対応がこのようなわなにはまることだけは必ず避けなければならない。※注:国際司法に竹島問題が提訴された場合、韓国が負けることを認識している。・国際的な信用評価会社であるスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)首席エコノミストのデビッド・ウィス氏は、「反政府勢力主導による牛肉関連デモは、外国人投資家の韓国に対するイメージをこっけいなものにしている」と指摘した。 このように多くの人が潜在的にイメージする「躍進する韓国」「日本を追い越そうとする韓国」は5年以上前の姿である。いまの韓国は国際的・経済的にきわめて苦しい状況にある。そして、先行きはまったく見えない。いま対日関係を悪化させて、困るのは韓国なのだ。■韓国知識層は対日強硬路線による反動を恐れる実際、朝鮮日報では「対日強硬カード、韓国にブーメラン効果も」という記事で、韓国があまりにも日本に対して強硬な対応をとりつづけることに懸念を示している。原則として穏和な対応をしてきた日本が、逆襲に転じると韓国はあらゆる面で不利だと、分析している。詳細は本文を見てもらうとして、要旨は・日韓関係が悪化すると(既に米韓関係が悪化しているため)日米が韓国を切り離し、韓国は孤立する。(注:もちろん、中国や北朝鮮は韓国が弱体化すれば一気に併合しようとする)・日本の韓国投資や融資がうち切られ、韓国経済が崩壊する。(注:韓国経済を支えているのは実質日本のみである。一方、日本政府は投資先を韓国からインド、東南アジアへシフトしようとしている)・紛争になれば、軍事力の差がありすぎて韓国に勝ち目はない。 まったく、この状況で韓国はよくこれだけ大きな態度に出られたものだ。と呆れる。それ以上に、日本はよくここまで韓国をのさばらせたものだ。 というのが実感だ。■間違った教育を正してこそ日韓は友人になれるなぜ、韓国は一時の栄光を失い、急速に堕落しはじめたのだろうか?日本で韓国の歴史について学ぶと、様々な国が樹立しては倒れ、時にはロシアや中国の支配下にあったことが分かる。これは、世界の歴史書とは矛盾しないが、韓国の歴史教科書とは矛盾するようだ。韓国は、歴史教育によって極端な愛国政策を取ろうとするあまり、現在の反動にぶつかったといえる。反動とは、反日、反米、反資本、反民主主義だ。日本の支援を受け、アメリカの仲介で飛躍し、資本主義で経済発展を遂げたのに、自分たちの原点に抗っている。もはや、国家的自殺と呼ぶに等しい。その苦悩は、韓国教育科学技術部の金道然(キム・ドヨン)長官(日本の文部科学大臣に相当)の言葉に如実に現れている。「偏向した歴史教育によって、子どもたちが反米、反市場主義的な思想を持つようになっている」「韓国は短い期間で、経済成長と民主化をともに成功させたが、この誇らしい歴史が子どもたちにきちんと教えられていない」日韓併合以前から(少なくとも10年前までの)韓国の飛躍を語るとき、日・米・資本・民主のキーワードはどうしても除けない。私は、日本とアメリカこそが韓国にとって最高のパートナーだとは言わない。資本主義、民主主義こそが最高の思想だとも言わない。ただ、韓国は確かに民主化してしまった。そして、その韓国民の根底に流れている「常識」「認識」「概念」が間違っているのだ。間違った民衆・・・よく愚衆政治といわれるが、この場合「誤衆政治」か?・・・が世論を作り、政治を動かす。実際には、日本とアメリカが手を離せば(実際、工業技術の提供で手を離したのが今日の韓国経済衰退の原因)、韓国は堕ちるしかない。 逆に、韓国が大きく衰退しても、日本のうけるダメージは少ないか、むしろ短期的には利益となる。それなのに、これまでの日本の弱腰外交に気をよくしてか、いよいよ傲り、間違い、それを正しいと思いこんでしまった韓国民は、日本へ高圧的な態度を取るのが得策だと思ってしまっている。それに対し、日本人は高圧的な韓国人の顔色をうかがい、ひたすら低姿勢で彼らの好意を引き出すことのみに腐心してきた。こういった日本の外交姿勢について、作家であり慶応義塾大学教授の福田和也が非常に興味深い指摘をしている。日本人の大きな間違いは、相手によいことをしたら、相手もよいことで返してくれるだろうという希望や期待を、冷徹に国益を追求する場であるはずの外交にまで持ち込むことだ。言い得て妙。正鵠を射るとはこのような言葉をいうのだろう。福田和也はアクの強い人間で好き嫌い、毀誉褒貶がはっきり分かれる人だが、この言葉に賛同しない日本人は少ないのではないか? こと竹島問題では、対韓の弱腰、配慮外交は日本のみならず、韓国民のためにもならない。誤った教育で、気の毒きわまりな認識を植え付けられ、今危機に瀕している韓国民。彼らが現実を直視し、真の国際感覚を得るためには、過去の韓国教育の欺瞞と虚構の象徴である「独島」問題は、決して避けてはならない試練なのだから。 理不尽を言ってくる相手には、毅然と対処し、大きな声で正論を言って周囲に認めさせよう。 彼と握手するのは、彼が十分反省した後でいい。 馴れあいの関係より、きっといい友達になれる。
2008/07/14
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●関数やマクロをつかわず、ツールバーだけで簡単にできる方法 スペースだけで区切った、テキスト文書(いわゆるベタ打ち文書)をエクセルで表にしたい場合。そのまま、コピー→貼り付けしたのではセルに分割されないので、並べ替えや計算ができない。そういうときの簡単な対処法。なお、ここではかなり旧式のExcel97を使っているが、Excel95から最新のバージョンまでやり方はまったく同じ。(表示される文書などは若干違うが、気にしなくてよい) 例(くだもの価格と売上)品 名 価 格 個数 売 上------------------------------------------りんご 100円 20個 2000円みかん 30円 100個 3000円スイカ 500円 5個 2500円------------------------------------------ 1.右上カドのセル(A列1行)のセルをクリック2.テキストをコピーして貼り付けA列を選択する(をクリックすると列全体が黒く反転する)3.ツールバーの「編集」→「置換」を選ぶ4.スペースをカンマに置換する・検索する文字列に「 」(スペース)を入れる ※スペースの全角、半角の違いがある場合は、「全角と半角を区別する」をチェックする・置換する文字列に「,」(半角カンマ)を入れる・「すべて置換」をクリック 5.カンマでセルを区切る・置換を行うとりんご 100円 20個 2000円→りんご,100円,20個,200円のようにスペース部分が半角カンマに変換される・次にツールバーの「データ」から「区切り位置」を選ぶ6.「カンマやタブなどの区切り文字によって・・・」を選ぶ→「次へ>」7.区切り文字で「カンマ」を選ぶ→「完了」8.文字列がセルに分割される 完了
2008/07/12
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私は肩こりが悩みの種で、よく整骨院に行く。整骨師の先生は、開業してからもかなり勉強している方で、ご老人はもとより、医療関係者の来院者も多い。その院には、近くに大きな総合病院があるので、勤務明けの看護師をはじめ、外科医(看護師以上に重労働らしい…)など医師も何人か通っている。通常の肩こり治療は、筋二点療法で筋肉をゆるめ、シンプルなテーピングで効果が持続するよう補強するというもの。施術時間にして10~15分のこれだけでも3日から1週間はぜんぜん違う。筋二点療法というのは、例えば右の首筋のコリを取るために、左腕のツボを刺激するというもの。えっ、首のコリをとるために腕? それも逆側の??と疑問に思う方も多いだろうが、これが実際にやってみると劇的に筋肉が緩む。具体的な治療光景はこんな具合だ。まず、整骨師が右の首筋を揉んで「今のコリ具合を10としてください」と言う。次に左の上腕のツボを10回ほど軽く揉む。そして右の首筋を再び揉んで「今のコリ具合は?」と聞かれた時には「5」とか「3」のレベルに落ちているというものだ。コリの落ち具合が今ひとつ(「7」など)の時はさらに別のツボを揉み、コリを和らげてゆく。この施術、もちろん、整骨師学校や医学部などでは学べない。筋2点療法のセミナーでのみ修学でき、その技術は外に出ないようになっているからだ。(一部、ニセモノ2点療法が出回っているし、私もたまたま行った整体院でニセモノ療法を施術されたが、ぜんぜん効きが違った。悪いツボを揉まれると弊害すらあるらしい)待合室で、知り合いの医師とこの不思議な療法について話したが、おそらく、神経系統の連動作用によるものだろうが、原理はぜんぜん分からないという結論になった。さて、この整骨院で、私がアドバイスされたことで、非常に役に立っていることが2、3あるので、書いておこうと思う。~ピップのマグネループが一番いいらしい~肩こりネックレスは沢山出ているが、効果も皮膚への影響も、ピップエレキバンで有名なピップが出している「ピップ マグネループ」を推奨するとのこと。院内ではファイ●ンの商品も売っているが、マグネループの方が「効果あり」の声が圧倒的に多いという。これは単純だが分かりやすい。赤血球にはヘム鉄という鉄分が含まれている。鉄は磁石に引き寄せられるので、マグネループをしていると血液が集まりやすくなり、コリも軽減されるという原理だ。私も使っているが肩こり3~4割減というところだろうか。他の使用者もだいたい半減とまではいかないが、3割ほど楽になったという人が多いらしい。ピップ マグネループ楽天市場価格 1,500~1,980円装着感がよく、身につけているのを忘れるが、寝る前には必ず外すこと。~塗り薬、貼り薬は2種類以上を使い分け。こる前に塗る~サロンパス、フェイタスなど、塗り薬・貼り薬を使う場合は2種類を使い分けた方が良いとのこと。理由の一つは筋肉が慣れてしまい、効きが悪くなる。もう一つの理由は薬や基剤が皮膚に軽いアレルギーを起こす可能性があることだ。この整骨師のおすすめは「フェルビナク」と「インドメタシン」フェルビナクは効きが良い上に、皮膚にも優しい。インドメタシンは鎮痛薬としては最強。浸透もきわめて早い。ただし、まれに皮膚に合わない人もいる。コリが酷いときはインドメタシンを、それほどでない時にはフェルビナクを使うというのが良いだろうとのこと。塗り薬は一日2~3回塗るが、1日に2種類を交互に使うのが良い。さらに言えば、仕事の前など「肩が凝る前」に塗るのがポイント。インドメタシンもフェルビナクも、痛み成分が増産されるのを防ぐ作用がメインなので、疲れや痛みが出るまえに使うのがいいということだ。4.0%インドメタシン (インドメタシンは吸収が早く軟膏タイプでもすぐ浸透する。手をよく洗うこと)3.0%フェルビナク(チックタイプは塗りやすいし浸透も早い。サラサラしているので女性に特におすすめ)鎮痛剤やビタミン剤など、飲み薬を併用するのも良い。ただし、寝る前に鎮痛薬やビタミン剤を飲むと、カフェインやビタミンB群の作用で神経が活発になるため寝付きが悪くなる。飲み薬は就寝前2時間より前に飲むのがよいだろう。ちなみに、、、意外に知らない人が多いのだが、薬のパッケージに書いてある効能効果は、最初に書いてある症状ほど効果がある。たとえば解熱鎮痛薬だと「発熱・頭痛・筋肉痛に」と書いてあったら「発熱」に一番効果がある。「筋肉痛・頭痛・のどの痛みに」と書いてあったら「筋肉痛」に一番効果があるということだ。薬を買うときの目安になるだろう。~肩こりの予防には上腕を揉むクセを~整骨師の先生いわく「肩をもむより腕をもめ」筋2点療法の応用だが、素人には正確なツボは分からないが、腕全体をもみほぐせば自然とツボも刺激される。もう一つ、揉まれている方の腕は弛緩しているわけだが、このとき、肩や首筋も弛緩する。腕をこまめに揉むクセがついていると、肩や首の力を抜くクセもつくのでいいということだ。頻度だが、パソコンを一日中使うようなデスクワークの人なら、30分に1回、片腕全体を10回程度揉む程度でいいとのこと。文章を1ページ打ち終わったら1回腕もみをする感覚でいいのではないだろうか。私はマグネループと鎮痛薬、腕もみでかなり肩こりが軽くなった。なにもしないときの半分以下になっていると思う。同じ悩みを持つ方の参考になると嬉しい。
2008/07/05
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■大阪府、人件費350億円削減 橋下知事が方針■大阪府の財政難は人件費でなく大型開発事業が原因 ~大企業に不利な根本原因には対策を示さない橋下知事~■公務員は「手始め」・・・次は誰を狙う?~悪平等の共産主義的改革を迫る土台が揃ったら・・・~■行政に民間の感覚をなんでも当てはめてよいのか?~やはり行政感覚のない知事か? 優れた自治体と優れた企業は違う~■実績に関係のないゼロベース見直しは公益を損ねないか?~良いときも悪いときも平等、若く優秀な人材ほど行政を去る~■労働争議権をもたない公務員を一方的に叩くのはどうか?~再燃する労働争議権問題、公務員がスト権を持ったら~■財政が回復・安定したら、職員の給与は上がるのか?~カットはされるが、アップはない公務員。優良財政県との給与比較~■お役人、官憲、教師、専門職は優れた人材でなくてはならない。~高度専門職・高評価の人材を確保する必要性~■財政再建のときこそ、優秀な人材の確保と育成を。~知事任期の数年だけ良くてもダメ。未来の行政を担う人材を~■「帳簿合わせ」橋下知事はどこを見て知事をしている。~彼が見ているのは大阪府の未来か?それとも・・・~
2008/06/11
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これから刑事裁判で明らかになる事はたくさんあるだろう。弁護人の錦の御旗「精神鑑定」が使われるだろう。しかし、トラックで突っ込み7人を殺傷し(9日14時現在)、馬乗りになって何度も刺すなど犯行は残虐かつ非道。さらに、インターネット掲示板で犯行予告をするなど殺意、計画性が明か。白昼、数百人の目撃者がおり、死刑廃止論者の大好きな「えん罪」「誤審」の可能性は皆無。犯行者・加藤智大は、まずもって死刑を逃れ得ないだろう。私は以前に、多くの日本人が死刑存置を支持するのは人の命を非道に奪った罪科の代償として、死刑以外に均衡する罰を持たないこと人権および命について、殺されたから無くなり、殺したけど保障される矛盾を決して容認しないことが理由だと考えた。今でもそう思っている。さらに、法的には憲法で刑罰につき人権制限が認められていること死刑は残虐な刑ではないと司法が判断していることも併せて指摘した。さて、加藤智大の行動で、非常に興味深いのは、逮捕に至る経緯である。加藤智大は、警察官の「撃つぞ」という威嚇に怯えて、ダガーナイフを捨てたのだ。何人も刺して、何人かは間違いなく殺して、死刑相当の犯罪を犯していることは分かってる。つまり、自分のしていることが緩慢な自殺だと知っているはずなのに・・・なんと命が惜しくなった、という事実だ。加藤智大は、大型トラックに乗り、丸腰の通行人を襲っているときは、自分の命の危険を感じなかった。被害者を介抱しようとした警官も背中から刺した。警官と、いやピストルと真正面から対峙して、はじめて、撃たれる痛みを、自分の命が消えることを思い、怯えた。おそらく、奪ってきた他人の命が、その惜しくて惜しくてたまらない自分の命と等価だとは、いまだに気付いていないだろう。責任能力とは別に、理性が欠けていた証拠だ。これは、自分の命を意識した段階は違えど、審理差戻しという事実上の死刑宣告を受けて、はじめて己の罪を振り返りはじめた、山口光市母子殺害事件の福田死刑囚の心理と極めて似ている。そして、死刑廃止論者の、命や人権に対する誤解は、彼ら凶悪犯の思考と驚くほど一致している。つまり、殺人犯の立場にせよ被害者の立場にせよ、殺人が他人事か自分事か、その一点だ。日本の8割の死刑存置論者のうち理性的な多数は、被害者の無念と苦痛を思い、犯罪者の事情を斟酌してなお、やむをえない死刑があると考える。(だから、殺人犯だからといって、一律に死刑を求めるわけではない)日本の2割の死刑廃止論者は、犯罪者の心理にはなれるが、被害者の命と人権に無関心だから、死刑を認められない。(だから、どんな殺人犯であっても、一律に死刑を回避せよという)誤解を恐れずに敢えて言おう。私は、他人と自分の命を、同じに思える人が8割超という、この数字こそが、この国の平和の根本だと信じている。死刑廃止論者(そして凶悪犯罪者)は、自分が不条理にも殺されることを想定しない。あるいは"具体的に"想像しない(できない)。 彼らは、いかにも理性を装った、似非の論理を展開できる。たとえば映画「グリーンマイル」や「休暇」で、死刑囚が死ぬところだけを見る。そうすると彼らは理性を失って、感情に走る。似非の論理がいくら破綻していても、死刑廃止!廃止!廃止!とカルトのように連呼する。理性が希薄だから、死刑囚を生かしておくコストと、デメリットという緊急切迫な話題を「命」の一文字とすり替える卑怯ができる。彼らの理性の希薄さ極まるのは、驚くべき事に「凶悪殺人犯を生かすため」被害者遺族のケアを「交換条件」にすることだ。被害者遺族のケアは、死刑制度とはぜんぜん関係ないものであるはずなのに・・・死刑制度の存廃と関係なく、被害者遺族のケア、見舞金の充実を訴える「常識的な人々」とは、思想の根本が違う。もはや、本質を、守るべきものを見失っているとしか言いようがない。挙げ句に、アメリカや中国の死刑存置をもちだし、日本を同列にして非難しようという、重大な錯誤をしでかす。一般論として、他国の法制に干渉してはいけない。だが、確実に言えるのは、アメリカ、中国、そして日本の死刑制度の社会的要求は、それぞれまったく違ったものだ。そして、彼らが潜在的に持つ恐怖・・・欧州諸国と同じ死刑廃止国にならないと、非文明国と思われるのではないか?・・・という恐れも、浅はかさゆえまったく見当違いだ。事実、イギリスやフランスで世論調査をすると、(調査の仕方にもよるが)過半数が死刑制度の再開を望んでいる、という結果が出る。死刑を廃止して数十年が経つのに、いまでも凶悪犯罪が起きるたびに死刑復活論がまきおこる。決して、文明度でも民意でもない。死刑廃止論者だが有力な政治家が政権をとったか、政治家が死刑存廃論を政権党争に利用したか(国民新党・亀井静香がしようとしているように)のどちらかだ。欧州のそれは、政治家が合法的に大衆の総意を押さえつけた結果であり、文明度や民意とはむしろ反するものだ。欧州諸国には、是非はともかく、れっきとした軍も徴兵制度もあり、戦争で歴史を積み上げてきた。戦争による人的被害も、死刑も「国家による合法的な生命剥奪」である点に争いはないだろう。いったい、そんな欧州の国で死刑が廃止されたとして、どれほど開明しているというのだろう?死刑の存置または廃止は、法制とはいえ、その根本は文化、思想、理念、そして宗教によるものであり、時代や国家によって異なるのが当然。ひとことでいえば「価値観」そのものだ。それが、他国の価値観の上に立つ、民意の支持と正当な司法を経た刑罰であれば(国際利害に反しない限り)、そういうものとして認めるのが「国際常識」というもの。他国に自国の価値観を押しつけてはいけない、という国際常識だ。その意味で、欧州など他国の態度は、白人至上主義、キリスト教至高主義の域をいまだ一歩も出ないものであり、はっきり間違っている。(よくよく考えれば、これは捕鯨問題とも深く関連するが、それはさておく)さて、ここまで言った上で、死刑廃止論という原理主義から、身動きが取れない人々に問いたい。それでも死刑を日本から無くしたいですか?日本人の人生観・道徳観を失いたいですか?ここが、日本でなく、ヨーロッパになればいいのに、と思うのですか?そうではない・・・というのなら死刑廃止論者は、加藤智大の、福田死刑囚の、松本智津男をはじめとしたオウム事件死刑囚の・・・超凶悪犯罪者の死刑判決および執行に徹底的に抵抗せよ。理念があるなら彼らを擁護しつくせ。決して「超」凶悪犯罪から逃げるな。家庭で、職場で「オウムでも通り魔でも関係なく死刑は許さない」と公言せよ。超凶悪事件の死刑から逃げるのならば、それは死刑存置の卑怯な容認だ。自分たちが言っていたのは、結局、単なる感情論だったと認めるべきだ。それでも、死刑に反することも、過ちを認めることもできぬなら、せめて以後沈黙せよ。加藤智大容疑者(25)がインターネット掲示板に書き込んだ記事(原文ママ)6月8日午前5時21分 秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな6時00分 俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には 友達は、できないよね6時04分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴らがいる6時05分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった6時10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする6時31分 時間だ 出かけよう6時39分 頭痛との闘いになりそうだ7時12分 一本早い電車に乗れてしまった7時30分 これは酷い雨 全部完璧に準備したのに7時47分 まあいいや 規模が小さくても、雨天決行9時41分 晴れればいいな10時53分 酷い渋滞 時間までに着くかしら11時17分 こっちは晴れてるね11時45分 秋葉原ついた 今日は歩行者天国の日だよね?12時10分 時間です12時30分ごろ、過去10年で最悪かつもっとも卑劣な通り魔事件発生。
2008/06/09
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〔霊園が倒産した!?〕 霊園が倒産し、誰も管理しない荒地になってしまった・・・そんな事件が現実に起きている。ある霊園を運営していた、お寺の住職が失踪してしまった。お墓は誰も管理せず、荒れ放題。 そんな話を、法律関係の仕事をしている知人から聞いた。裁判や関係者のことがあるので、具体的なことは書けないが、書ける範囲でその事件を紹介したい。 この霊園、今のところは、霊園に親族が眠っている近所の住民が、ボランティアで清掃などをしているそうだ。が、その方々もいずれ高齢化で活動できなくなる。遺族は住職を訴えたが、海外にでも逃走したのか?行方は分からない。関係者は、自治体に霊園維持を求めているが、お墓はあくまで私有財産。税金を投入できるわけもなく八方ふさがりだ。これは、特殊なケースではない。おそらく、あと数年のうちに、全国の墓地で類似ケースが多発するだろう。「名義貸し」という言葉をご存じの方なら、事件の顛末が理解しやすいはずだ。 〔少子高齢化は霊園業者のビジネスチャンス〕 いま、お墓のバーゲンセール時代だ。だれでも、霊園のパンフレットが、ポストや新聞に入っていた経験があるはずだ。少子高齢化の加速する今日、お墓は莫大な利益を生む「不動産ビジネス」なのだ。これから人口は減って、土地は余るので、住宅は儲からない。しかし、高齢者は増えているので、お墓は飛ぶように売れる。ここに、悪徳業者は目を付けた。悪徳業者とは、主に墓石を売る石材店だ。それと、土建業者、不動産業者が手を組む。暴力団やエセ同和団体、葬儀業者、さらには地元議員が関わっているケースもある。そして、彼らは、お寺(宗教法人)の生臭坊主を担ぎ出す。墓地埋葬法では、公営墓地を除けば、宗教法人にしか墓地経営が認められていないからだ。悪徳業者は坊主に「名義代」を払って役所の許可を取り、実質的には自分たちが霊園を作り、そして売る。これが、いわゆる「墓地の名義貸し」である。 〔坪2万円の土地が200万円に変わるお墓錬金術〕 悪徳業者が霊園候補地として目をつけるのは、都市から少し離れた地域で、人口が少ない所だ。地域住民の反対が少なくて、土地が安い。 県庁所在地から少し離れた町があるとしよう。その街には、電車やバスを乗り継いで行かなければならないので、人はあまり住まない。必然、土地も安い。そこに、一坪1万円のクズ値でも誰も買わない1千坪の荒れ地がある。その地主のもとに、ある日、土建業者が住職を連れてやってきた。話を聞くと、住職がそこに霊園を作りたいと願い出た。そして、なんと一坪2万円で、あの荒れ地を、丸ごと買い取りたいと申し出たのだ。地主は、喜んで土地売買の契約書にサインした。しかし、悪徳業者にとってこの荒地は坪2万円どころか、坪200万円以上の価値があった。荒れ地は整地され、1000坪のうち、半分は駐車場や休憩所、通路になった。残りの500坪に1坪3基、計1500基のお墓を作った。お墓の購入者は、まず「永代使用料」という、お墓の利用料を払う。これが都市部付近の相場で100万円ぐらい。さらに、墓石は実際に霊園を作った「指定石材店」からしか買えない契約になっている。お年寄りは、一生の買い物だからと、奮発して200万円で墓石を買う。つまり、一基のお墓につき300万円。材料費や造成費を抜いても200万円以上の利益がでる。200万円×1500基=30億円 (!!?)なんと、2千万円で買った土地が、30億円に化けた!まさに現代の錬金術だ。お墓はすぐに予約でいっぱいになり、1年目に半分が、5年後にはほとんど全て売れた。儲けの30億円は、実質的な主体者の石材店と土建業者が9割を山分けした。残りの1割は広告費のほか、暴力団や地元議員への謝礼、そして名義を貸してくれた住職への謝礼に充てられた。 名義代として、住職には1億円が渡された。住職のやったことといえば、保健所と住民説明会に、それぞれ一回だけ顔をだしただけだ。あとは委任状をもった石材店と土建業者が全部やった。この住職は、ほとんど座っているだけで1億円の大金を手にしたことになる。〔売り逃げされた墓地〕もともと、宗教法人にしか墓地経営が認められないのは、永続性、非営利性がもとめられることが理由だ。では、この住職の場合はどうか?カネ目あてで名義貸しをしたのだから、永続的に霊園を運営することなど頭にない。それどころか、お墓は全区画が売れてしまったら、もはや儲けはない。あとは、お寺として墓地を管理するための費用だけがかかる。遺族から管理費を年あたり5千円程度取る霊園もある。しかし、その遺族もいずれ年をとって亡くなるし、その子孫に拒否されたら、管理費は入らない。 この霊園の場合、名義を貸した住職はよかった。豪遊し、管理費も入ったので、霊園も表面的には運営できた。 割を食ったのは、息子の二代目住職である。名義代の1億円は、先代が使い切ってしまい、ほとんど残っていない。管理費収入は年々減ってゆく。ついには、借金して霊園を管理するまでに追いつめられた。寺だけを次ぐつもりだったのに、霊園管理という借金まで背負わされることになった。ある日、二代目住職は、不動産や金品を処分し、こつ然と消息を絶った。〔ザル法では名義貸しを防止できない〕 遺族や住民にしてみれば、なぜ、そんな霊園を許可したのか!と役所に詰め寄りたくもなるだろう。しかし、現行の法律では、残念ながら、役所が名義貸しを発見するにはあまりにも限界がある。 宗教法人の名義貸しが横行する理由には、そもそも「墓地埋葬等に関する法律」そのものに問題がある。この法律、昭和23年に作られて、ほとんど中身が変わっていない。名義貸しビジネスの無い時代の法律だから、それを規制する条文がないのだ。 その証拠に「墓地埋葬等に関する法律」には、「許可取り消し」の規定はあるが、「不受理」「不許可」の条件がすっぽり抜けている。まったくザル法だ。 よく、霊園に反対する住民が、役所に「許可するな!」「あの霊園は名義貸しだ!」などと言ったりする。 だが、保健所などに「許可するな!」と言っても、役所は申請書を拒むわけにはいけない。(行政手続法) いくら住民が「名義貸しだ!」と言っても、証拠がなければ、許可するしかない。さもなければ、悪徳業者は必ず訴えてくる。(行政事件訴訟法) もちろん警察ではないのだから、疑いのレベルで名義貸しでないかを捜査する権限も、確認する方法もない。 名義貸しの証拠など、裁判所がきちんと捜査令状を出して、強制捜査をして念書でも発見しなければ、まず見つからない。 だから、役所を責めたり、住民の署名を渡したりしても、もともと権限がないのだから、まったくムダと言っていい。 実際に、判例もそういう見解を示している。 参考:さいたま地裁 平成17年6月22日判決※ 名義貸し霊園の許可取り消しを不服として業者が訴えた裁判。裁判所は許可そのものについての是非は問わず、不許可処分のみ妥当と判断した。 さらに業者はますます悪質になり、地元議員や法律家まで巻き込むようになった。 例えば、平成19年9月19日に、千葉市が墓地条例を改正した。名義貸し霊園を厳しく規制できるよう、市が条例を変えたのだ。この条例は「公布の日から施行する」とあるように、即日施行の条例であった。 しかし、なぜか施行の直前になって、一斉に3件もの霊園の申請があった。 一説には、条例が市議会で可決されるという情報が、霊園業者とつながっている議員から漏れたのではないか、と言われている。 いずれにせよ、先手を打たれてしまった千葉市は、相当困っているだろう。 参考:千葉市・野本信正議員の一般質問に対する答弁 〔安全な霊園・墓地を選ぶ〕 私が自分の墓を建てるなら、公営霊園が一番安全だと思う。価格は、名義貸しのバーゲン霊園ほどではないが、安い。公営はなにしろ堅実だ。国や自治体が潰れることはない。 もし、特定宗派を信仰していたなら、伝統あるお寺の境内墓地なら入っていいかもしれない。間違っても、宗教不問なのになぜか「指定石材店」がある霊園は買わない方がいいだろう。お墓は人生最後の買い物。"超"のつく安全物件だけしか買ってはいけない、ということだろう。 参考 : ~全横浜墓地条例を見直す会~カバチタレ! 第10巻私の愛読書「カバチタレ!」「坊主丸もうけ」と副題された10巻には、墓地の名義貸しの悪質な手口が、分かりやすくかつリアルに書いてある。
2008/05/30
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NHKニュース(5月15日 18時32分)今回の告発にあたってグリーンピース・ジャパンは、乗組員が送ったとみられる宅配便の荷物の1つを、本人に連絡しないまま運送会社の配送所から持ち出し、中を開けたということです。この行為についてグリーンピース・ジャパンの弁護士は「証拠品であるうえ、不当な利益を得る意思もなく、違法性を免れることができると考えている」と話しました。一方、宅配便を取り扱った業者は「この荷物が見つからないため調査していたが、このような形で発見され驚いている」としていて、15日、警察に遺失物の届けを出しました。鯨肉の横領があったとして、警察でなく。なぜグリーンピースが調べられたのか、疑問に思っていたが、とんでもない事実が発覚した。 なんと、グリーンピースは西濃運輸の宅配便を盗み出していたという。しかも、そのことについて、グリーンピース弁護士は「違法性は免れる」と断言している。いやはや、FBI認定のテロリストに雇われる弁護士というのは、とんでもないことを言い出す。思わず、オウム事件の青山弁護士を思い出した。 さて、この事件について「違法収集証拠の排除法則」という専門用語がネット上で散見される。刑法、刑事訴訟法の用語で、要は「違法な手段で得られた証拠は裁判で採用しない」ということだ。 もともとは、公的権力の濫用を想定したもので、たとえば・令状のない強制捜査で見つかった証拠物品・強迫的な取り調べで得られた証言などが、この違法収集証拠にあたる。 では、グリーンピースジャパンはどうか?結論を先に言うと、私人による違法収集証拠も、原則として証拠採用されないというのが通説だ。 そうでなければ、「正義のため」と称する盗難や脅迫が相次いでしまい、治安が乱れるからだ。 しかし、証拠能力があるか否かの判定は、公権力による違法行為よりは、ゆるやかであるのも確かだ。(なのでグリーンピース弁護士は上記のように発言したのだろうが・・・)具体的には、違法性がどの程度かということを司法が総合的に判断する。盗品を証拠として告発するかは検察が、刑事裁判になったら裁判所が考える。 さて、今回の場合はどうだろう?配達人、受取人、配達業者になんの断りもない。「不当な利益を得る意思もなく」 とグリーンピース弁護士は言うが、盗人の意思などは窃盗罪の構成要件になんの関係もない。(緊急切迫の場合・・・たとえば貧乏で1週間なにも食べてない人が、他人のパンを盗んだ、というようなケースならば、窃盗罪を免れることがある) 刑法第235条(窃盗罪):他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役または50万円以下の罰金に処する。 おそらく違法性の度合いが低い(だから証拠能力がある)と言いたいのだろうが、あまりにも我田引水な論法だ。 たとえば、盗まれた配達業者の西濃運輸は、今日15日になって、遺失物届けを出している。おそらく、グリーンピースが宅配物を持っていったのは気付いていたのだろう。 西濃運輸のような大企業になると、トラブル対策として、かならず法務部のような法律の専門部署や、顧問弁護士が存在する。推測だが、西濃運輸の法律専門家たちは「グリーンピースの窃盗罪が成立する可能性が極めて高い」と判断したのではないだろうか?そこで、窃盗に関与していないことを示す意味と、善良管理責任を問われないための予防線として、警察に届け出たのかもしれない。 さらに、西濃運輸から荷物がどのように盗み出されたかは不明だが、内部に関与者がいる可能性もある。その場合、会社としてグリーンピースに関与したのではなく、一社員が勝手にやったこと、として処理する腹づもりではないだろうか。(西濃ほどの大企業が、テロに協力するメリットも思い当たらないので、実際そうなのだろうが・・・) すると、困るのはグリーンピースである。正義のお題目を唱えた立派な犯罪である上、応援紙の朝日新聞を除いて四面楚歌の状態である。モラルの高い日本では、このような告発のやり方が受け入れられるわけもなく、世論の支持も得られないだろう。 まず、窃盗罪、遺失物横領罪の構成要件を満たしてしまったことは、事実として残る。 さらに、グリーンピースはもう一つの大愚を犯している。ニュースを見て、報道が真実なら、グリーンピースは真性の馬鹿モノだと思った。 グリーンピースは、他人の宅配物を、不法な手段で勝手に盗み出しておいて、そこに高級クジラ肉が大量にあったと主張している。しかし、盗品を証拠にするのは不適切というより、むしろ不都合なのだ。 是非はともかく、調査捕鯨船「日新丸」の乗組員の中では、数キロのクジラ肉を乗組員がボーナス的にもらう慣例があったという。これは確からしい。調査捕鯨をしているのは、水産庁が委託する民間機関だから、水産庁がこれを見逃していたかどうかの問題は確かにある。だが、組織が無償配布を認めているのだし、数キロならば社会通念上も大きな利益を得ているともいえず、業務上横領罪にあたらない。(事実、乗組員が捕獲した鯨を、夕食として食べる事に問題はない。) さらに、それらを罰する法律も今のところない。(牛肉や豚肉の「と畜場法」に該当するような法律は、鯨肉にはない) そのような慣例が事実でも、せいぜい水産庁から「そのような慣例は止めるように」と、命令が下り、関係者がなんらかの処分をされるだけだ。 問題は、乗組員が得ていた鯨肉の質量が、社会通念を逸脱して、とんでもなく高価かどうかだ。箱の中身が、グリーンピースの主張通りだと、確かに横領罪が成立するかもしれない。 しかし、なんせそこは盗品。いくらでも中身のすり替えは可能。 検察が「盗品による告訴は受けることはできない(原告不適格)」として、告訴を不受理としたとしよう。残りの箱に、グリーンピースの主張通り、高級鯨肉が大量に入っていたとしても、彼らのいう「真相」とやらは明らかにされない。 逆にグリーンピースが盗難を行ったことだけが、歴然とした、自他共に認める、唯一の事実としてあるので、窃盗罪による有罪は免れない。年間数百億円の募金を当て込んでいる、本家環境テロリストとしては「収入減」に直結すると思うのだが、どうだろうか。 こうして考えると、いかにも愚行だが、もしかしたら、グリーンピースは不受理か、裁判での無罪を望んでいるのかもしれない。 自分の記憶が確かならば、鯨肉はDNA鑑定に回され、細切れのベーコンになっても、どのクジラの肉かを判定することができたと思う。もし、すり替えるとすれば、日新丸のクジラ肉とすり替えなければ「完全犯罪」は成立しない。万一、グリーンピースが「証拠」と主張する鯨肉が、日新丸以外の捕鯨船から取られた鯨肉であることが科学捜査で明らかになった・・・などということがあれば、グリーンピースはどう言うだろうか? 「日本は国家を挙げて、我々の証拠を握りつぶしました!」 「(乗務員が鯨肉を横領するぐらい)日本人は鯨の肉が大好きです!」 といった、逆ギレアピールを、世界に発信するのではないだろうか? もしかすると、反捕鯨国が、さらに日本への反発を強めるかも知れない。反捕鯨の急先鋒、豪・ラッド首相などは、公式声明で抗議を出しかねない。 しかし、科学的根拠にもとづかない反捕鯨、他国文化への鑑賞は、やがて愛護や保護といった麗句のウラにある本音(鯨肉が増えて、対日牛肉輸出を減らしたくない、など)を白日のもとに晒すだろう。「テロ朝」こと朝日新聞を除く、読売・毎日・産経の3大新聞、および時事・共同の5大新聞は、あくまで冷静にこの問題を報道して、国内・国際世論の評価を得て欲しい。 最後に念押しだが、仮にグリーンピースの主張が通ったとしても、業務上横領罪と、捕鯨はまったく別であることは言うまでもない。 ある離島と、本土をつなぐ橋を建設する公共工事があったとしよう。それを、受注している土建業者が、たとえば資材を盗んでスクラップ屋に横流しても、それは契約や会社の問題であって、工事意義の問題ではない。「離島と本土に橋がないのは住民にとって非常に不便だが、工事を中止すべきだ!」・・・などと、主張する人はいないだろう。 この問題はそういうことだし、そこに金(募金)に目が眩んだ、環境テロリストの浅はかさがあるのかもしれない。グリーンピースは宅配便の中に、畝須(ウネス)という高級部位があったと主張している。しかし、ウネスはベーコンに使われているぐらいで、例えば牛のロースやマグロのトロのような高級部位ではない。牛や豚でいえば、バラ肉よりはちょっと上、せいぜいモモ肉ぐらいの位置付けだ。自分はクジラベーコンが好きなのだが、結構高い。。。(ここが一番安かった)
2008/05/15
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テロ団体でも他人の不正行為は許さないということだろうか?まったくの私観だが、ねつ造、でっちあげ、誇張の得意なテロリスト集団だけに、今回の件には疑問を持っている。。。漁業では太古から船長が乗組員に「ねぎらい」「ボーナス」的に漁獲物を裾分けする慣習があるが、この鯨肉もそういったもの(不正横領にあたらない)ではないだろうか?
2008/05/15
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〔チベットが中国の植民地だから人権家は怒る〕聖火リレーで「フリー・チベット」という言葉が、日本一般国民にとって認識されてきた昨今。ニュースについて知人と話していて、チベットが中国の植民地であることを大半の人が知らないという事実に気付いた。ブログを読んでいても、どうやら大半の人が「チベット=植民地」だということに気が付いていない。〔米国国務省が報告したチベットの惨状〕 以下、ウィキペディアから引用。植民地 -中華人民共和国-中華人民共和国はチベット(西蔵自治区、青海省など)や内モンゴル(内蒙古自治区)、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)などを中華民国から継承したが、これらの地域は「法制(中華人民共和国憲法の民族自治規定等)上は完全に他の中華人民共和国省区、内地と同格であり、住民は中華人民共和国公民としての公民権を有している」と中国政府は主張するが、これらの地域では現在問題となっているような民族元来の文化、宗教、思想の弾圧が行われており、特に東トルキスタンやチベットにはその傾向が強い。さらにチベット民族の政治的・労働的劣位が明かにされている(米国務省「世界の人権状況」2002年次報告)。もともと、1950年に中国共産党軍がチベットを武力侵略した狙いは、チベットの豊富な鉱物資源だったといわれ、実際に鉱物資源を輸送する青蔵鉄道の建設、大規模な採掘事業など、チベット鉱物の開拓は中国国策として着実に進められている。また中国政府が推進する「チベット地域支援政策」によって、大量の漢民族が社会的・経済的優位が保障されるチベット自治区に流入し、現在の自治区人口比では漢民族がチベット民族を凌駕している。 さらに前述の政治的・労働的優位性のもとに、漢民族がチベット民族を低廉な賃金で就労させている現状が米国務省報告に記載されており、資源の搾取、原住民族の労働力化など、植民地定義の要件を満たす実態があり、東トルキスタン亡命政府やチベット亡命政府などの独立や自治を目指す諸団体が「中華人民共和国の植民地支配」という表現を使用するように、自治区という名目の中国植民地であるという理解がなされることが多い。〔チベットは中国共産党軍に突然侵略された〕 1950年に100万の中国共産党軍は、宣戦布告もなくチベットに侵攻。わずか8千人のチベット軍をまたたくまに圧倒し、チベットを勢力下に置いた。そこでチベット側と結ばれたのが、いわゆる「17ヶ条協定」である。帝国主義時代の宗主国と植民地国の各協定同様、美辞麗句に飾られてはいるが、チベットを政治的、文化的、民族的に中国の意のままにするという内容である。チベット代表側は背後から銃を突きつけられながらも、これに調印することを拒んだ。しかし、中国共産党はチベットの印章を模造し、一方的に調印してしまった。印章のねつ造というのは世界史上類をみない暴挙だ。この侵略は、銅・鉛・亜鉛・鉄など、世界有数の地下資源そして、その掘削事業に従事する安価な労働力をねらったものだった。中国共産党から中華人民共和国に変わっても、チベット地下資源の搾取は続いている。現在も新5ヶ年計画で、あと10~20年で枯渇するといわれる中国本土の鉱物資源に代わる、チベット鉱物資源の調査・開発に躍起だ。チベット民族は「他の各民族と同じく民族平等の権利を持たせ」ると保障されたはずなのに、なぜか、最低賃金は漢民族より低く設定されている。そして、漢民族=使用者、チベット民族=鉱山労働者の図式のもと、安価な賃金で過酷な労働を強いられている。・武力侵略による侵略・資源の強奪・原民族に対する弾圧・労働力化(半奴隷化)このタイムズ紙のみならず、アメリカ国務省すら指摘する現実を見て、チベットを中国の一般的な自治区だと考える人はいないだろう。チベット自治区は明らかに植民地である。チベット民族の人権保障を謳っている点が違うという媚中派もいるが、これも実際にはまったくお題目だけ。「平等」「発展」「支援」「解放」などという文句は、帝国主義時代の植民地協約文書に普通にみられる。 〔チベット侵略と日韓併合の違い〕日韓併合を「植民地支配」とすることに、異議をとなえる歴史学者は内外に多い。他サイトに詳しいので、ここではさておく。 今日後付けの是非はともかく、日韓併合は韓国の(少なくとも一部)為政者と日本の為政者の思わくの一致であった。李完用(イ・ワンヨン)首相ら韓国の為政者は、あまりに弱い韓国の力では、いずれかの国の植民地となることは避けられないと判断した。一方、アヘン戦争以後、欧米諸国に虫食い状態にされた、清王朝(中国)の惨状を知っていた。そこで支配者が、人種差別をするだろう欧米であるよりは、日本であることが望ましいと考えた。 日本はまだ文盲率の高かった韓国人に、きちんとした教育を普及した。韓国人教員の育成から着手するという徹底ぶりだった。 そして、中国属国時代以来、漢語を強要されていた韓国人に、李氏朝鮮時代に作られた純粋な韓国語(ハングル語)を復活させた。理由は、日本は韓国を独立した国家として再興する方針でいた(そして、将来は強力な友好国としようとしていた・・・皮肉なことに)ためだ。さらに漢語は画数が多すぎるなど難解すぎて、一部知識層でしか理解できなかった。日本のカタカナに近いハングル語ならば、老人でも学習できると考えたためだった。そして、実際に、文盲率を大幅に引き下げた。読み書きが出来る人が多くなるとどうなるか?・情報が伝わるようになり、市民の社会参加意識が高まる→(民主化)・全体の教育レベルが高まる→国民総生産(GDP)アップ・貧困で埋没してきた人材を、試験で掘り出すことができる→(格差是正)そして、なにより、韓国人が韓国語を使うことで、自国に誇りを持つようになる。 純韓国語・・・ハングル語は、日韓併合がなければ復活しなかったと私は考えている。他の欧米植民地は、英語、仏語など「宗主国」の言葉を教育されたのだ。〔更なる不平等に追い込まれるチベット民族〕 さて、中国もチベットの文盲率が下がったというが、チベット民族の教育レベルが上がったためではない。流入した漢民族の比率が高くなって、読み書きが出来る人が増えただけだ。純チベット民族は、貧困のため、いまだ低い教育レベルにある。(文盲率70%) しかも、チベットの言葉は中国語ではない。純チベット語あるいはサンスクリット語だ。すでに純チベット民族の子供達のほとんどがチベット語を知らない。チベット民族は母国語を奪われようとしている。日本人が米英軍に占領されて、英語は多少できるようになったが、日本語は使えなくなったようなものだ。文盲率うんぬんの話ではないのは自明だろう。 中国政府が喧伝する死亡率の話にしても同様で、漢民族が増えただけの話だ。(だいたい、死亡率の話をするのなら、1950年のチベット侵略とその後の大飢饉で何百万人のチベット民族が死んだというのか?)現在、チベット自治区に流入した漢民族は、チベット民族の人口を約3:2の比率で上回っている。すでに90年代に過半数を超えているのだ。そして今も増え続けている。さらにチベット民族と漢民族の混血が進んでいる。もちろん、それ自体は悪いことではない。悪いのは、流入した漢民族の男性が、チベット民族の女性を暴行して産ませた混血児が増えているということだ。もちろん、漢民族の男は「ゆきずりの女」の子供を認知したりしない。そういった母子は、苦しい生活に追い込まれ、チベット植民地化が産んだ新たな貧困層となる。現在、低廉な労働力となっている純チベット民族に代わって、3~50年後は混血チベット民族が新たな「被支配民」として、労働力となることは確実だろう。〔なぜ日本人はチベット=植民地を知らない?〕 豊かなチベット。。。紀元前からアジア大陸の文化発信点であったチベットは、中国によってアイデンティティを破壊されたのみならず、民族としても消滅しようとしている。善きにつけ悪しにつけ、人権に過敏な欧米人がこれに義憤を感じ「フリー・チベット!」と叫ぶのは当然だ。では、どうやら、今の中国が(旧日本軍の)被害国家でななく、実は信用できない腹黒い国家だと国民が気付きはじめ、嫌中ムードが高まっている日本ではなぜ「フリー・チベット!」の声が小さいのだろうか?要因はいろいろあるだろうが、私はマスメディア・・・特に新聞の姿勢について指摘したい。1950年に中国共産党軍がチベットを侵略した時、その後100万人の大虐殺が行われたときさらに「生かさぬよう、殺さぬよう」をやろうとしたチベット政策が失敗し、大量の餓死者が出たとき(累計で数十万人以上が死んだとされている!?)日本の4大新聞はどう報じたか? 産経新聞は中国に批判的な記事を掲載した唯一の大新聞だった。しかし、その紙面は惨劇の酷さに比してずいぶん小さかった。毎日新聞、読売新聞はそれらを報じなかったか、中国当局のコメントをそのまま掲載した。「中国の機関誌」と呼ばれる朝日新聞は、チベット侵攻を「チベットの近代化」と持ち上げた。そして、今日現在にいたるまでその論調を変えていない。<参考>チベット消滅に手を貸す朝日新聞 竹内 正右 (月刊日本 2001.4)4大新聞がこの調子では、国民が「チベット自治区=中国の植民地」という実態を知らないのも無理はない。大衆のくすぶる疑惑にメディアが油を注ぎ、世論を炎上させる、その大衆を見て、票を守るために政治家が動く。言ってしまえば、これが議会政治によって動く民主主義国家の構造である。メディアが油を注がねば、世論の火種はいつまでも燃えない。政治も動かない。民主主義国家ではメディアがどんなに大きな役割を担っているかということだろう。タイムズ紙の代名詞は「世界の世論」だ。日本には本当のメディアがない。真のジャーナリストが少ないか伸びない。それが、この先の日本に暗い影を落としているのは間違いない。 卓球の福原愛選手の肩を抱く穏和そうな男は「チベット・ラサ暴動鎮圧」「天安門事件鎮圧」の影の功労者として国家主席にまで上り詰めた男だと愛ちゃんを含め国民の何%が知っているのだろうか...
2008/05/13
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日本が後押ししてきたミャンマーの民主化が・・・5月2日のミャンマーのサイクロン被害は日を追うごとに深刻であることが分かってきた。8日現在の死者は報道によると約2万5千名(人口5300万人)、行方不明者4万名、最終的な死者は5~6万名という大惨事になる可能性が高い。これは、関東大震災時の日本の被害にほぼ相当する大国難であると言っていい。ミャンマーはもともと国軍が政権を握る社会主義国家であったが、農業主体の貧国で(発展途上国認定すらされている)、軍事政権の政策のずさんさから国家財政は逼迫。人民はそれでなくとも極貧の生活に耐えていた。経済状況はアメリカとEUという2大勢力が民主化が遅れるミャンマーを見放したため(ともに経済制裁を発動中)、日本がミャンマー民主化のリーダーシップをとり、アウン・サン・スー・チー氏を支持する民主化と援助の2本柱で90年代後半からねばり強く現政権と交渉を続けてきた。ここにきて、積年の日本の努力がようやく報われ、現政権が新憲法案の是非を問う国民投票を5月10日に実施すると発表した矢先の被害だ。日本が応援してきた国の被災者の方々にお見舞いの気持ちを送りたいところだ。ネットバンクの雄 独り立つ270万の口座数を誇る、国内最大のネット専用銀行であるイーバンク銀行は(いつものことであるが)このような義援金活動に一切手数料を取らない。なにより、ネット決済なので、口座さえ持っていれば募金箱に100円玉を入れるぐらい簡単に義援金を送ることが出来る。イーバンク銀行のこういった姿勢を正当に評価したい。もちろん、ネット銀行はメガバンクに比べて人件費が格段に安いのも確かだ。しかし、イーバンク銀行と同等のネット決済機能を持っているメガバンクは、こんな時ですら手数料(儲け)を取ろうとする。「メガバンク」と呼ばれ、日本の経済の趨勢を握っている大事な立場にいるのに、いまだに護送船団方式時代の殿様商売感覚でいる。だから、7兆円近くの公的資金を注入してもらっても、金利を優遇してもらっても、中小企業への貸し出しをしぶり、代わりに国債や為替を買ってばかりいる。メガバンクは国民(税金)からもらった公的資金で潤ったのに、国民と公益を一切省みない。客どころか、持ち主への見返り(株主優待など)すらない(UFJのみ)メガバンクに限らず、銀行はどこでも公益に寄与する(そして自らも儲ける)というお題目を掲げているが、実際にそういった具体的行動を示すことがない。イーバンク銀行の義援金手数料無料は、確かに会社のイメージアップ戦略もあろう、口座数や預金を増やすことにもなろう。しかし、公益・国益に寄与して、かつ自らも成長する企業にこそ、我々は投資する~口座を作り、金を預け、あるいは株を買う~価値があるのではないだろうか?もちろん一時の義理人情のためではない、自分のために、日本のため、すべてはメリットのためだ。どの銀行でも、一顧客としてシステムもサービスも金利も大差ないのなら、そういう銀行を応援し、「メガバンク」に育てたいものだ。今回の義援金はイーバンク銀行からユニセフを通じてミャンマーに送られるという。自分もささやかながらミャンマーへお見舞いを送った。ログインから決済まで30秒足らずだった。"話題の"中国とミャンマー軍事政権、そして「チベット」中国はミャンマーへの軍事輸出大国である。ミャンマー軍事政権の権威は中国によって支えられているといえる。中国としてはミャンマーを実質的な影響下に置き、インド洋に覇権を広げる構想だ。もちろん、ミャンマー軍事政権により国民の人権が著しく制限される結果など「人権蹂躙大国」の頭にはない。ミャンマーでも親国同様、度重なるデモと血なまぐさい軍事制圧が繰り返されているのだ。(記憶に新しい昨年9/27の報道カメラマン・長井さん銃殺事件も民主化を求めるデモの最中だった)逆にスー・チー女史らが民主政権を作ると、中国拒絶・社会主義離れ→親日・民主主義転向が明確になり、中国としては(儲けてばかりで大した投資もしていないのだが)非常に困ったことになる。民主化がいっこうに進まないミャンマー軍事政権(5300万人の人口で40万人が軍人という徹底した徴兵ぶり)に業を煮やし、EUと米国が経済制裁を発動し、日本も援助の一部を凍結したとき、中国だけが「ミャンマー国民のため」と、いったいどの口から言えたのか?とにかく反対した。実際には、経済支援が行われていた時も、民衆は貧しかった。ミャンマー国民は15円のワクチンも受けられず死に、ただただ農業で日々食いつないでいるだけだった。お金は軍事政権に流入し、武器の売買を通じて中国に入っていた。EUや米国がミャンマー国民の上を素通りして、軍事政権を支える武器に変わり、ついには中国共産党に流れ込むドルやユーロを凍結したのは、国際常識から言えば正当な行為だった。先進国・大国・・・G8の中で、ほとんど日本だけがミャンマーの孤立を防ぐという立場から経済的・技術的支援を継続し、民主化を推進した。日本はミャンマー連邦にこれまで250億円(年間10~15億円)の無償資金協力を行っている。技術協力(JICA、年間約15億円)、日本ユニセフなどからの募金を合わせると、実質的な援助は400億円にのぼるといわれる。一方、中国は武器をミャンマー軍事政府に売りつけるだけで、援助はわずかに40億円。ミャンマーには東南アジア随一といわれる鉱物資源(金・スズ・銅・宝石など)がある。また、森林資源、石炭・バイオマスなどエネルギー資源も豊富だ。ミャンマーのヒスイとスタールビー ミャンマーの宝石はいずれも世界最高品質ただ、大衆はいまだに米しか作れない貧しい生活を続けている。軍事政権の圧迫で、そのような資源がほとんど開発されないのだ。日本による世界最高の鉱業技術支援にもかかわらず、大衆に金持ちになられては困るという理由だけで、まだ数%しか金脈は掘られていない。7億トンが埋まっている石炭に至っては、わずか0.3%しか発掘されていない。そんな軍事政権を支持する中国が、軍事政権の後見人という立場を利用して、豊かなミャンマー資源をかすめ取ろうとしている。資源だけではない。ミャンマー国民の自由と主権をも搾取しようとしている。ヤクザに武器を渡す人と、貧者にパンとペンを渡す人。一時の勢いはないとはいえ、日本人には、まだまだマネーとモラル、そして義理人情がある。かつてのビルマ・・・ミャンマーの真の友人にふさわしいのは中国と日本どちらか?日本政府は世界にアピールしなくてはならない。アウン・サン・スーチー女史英国植民地ビルマ時代、独立運動を主導した「建国の父」アウン・サン将軍の長女として生まれる第二次世界大戦中、アウン・サン将軍は日本軍と手を組みビルマ独立の実力を付けた。日本軍は、もちろん戦略上の意味でビルマ民族と手を組み、独立も支援したのだが、ビルマ民族の利益であったのは変わりはなく、最終的にビルマ軍と日本軍は対峙することになったが、日本人とビルマ人の関係は概ね良好であった。いまでもビルマ(ミャンマー)国民の日本への感情は、非常に好意的であることを意外に日本人側が知らない。(皮肉なことに、今の軍事政権の母体は、日本軍の訓練を受けたかつてのビルマ軍である。日本がミャンマーの民主化を支援する背景には、現在の禍根の種をまいた責任を取るという意味がある)スーチー氏は、インド・デリー大、英・オックスフォード大、日本・京都大学などで学ぶ。民主化運動への貢献が評価され、1991年ノーベル平和賞を受賞。国民の支持も絶大で、軍事政権による軟禁状態にも関わらず投票では圧勝。夫はチベット研究家の英国人。スーチー氏ともに夫婦でチベット解放論者親日、チベットこれも中国がスーチー政権を拒絶する一因である
2008/05/07
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アジア最悪の狂犬病汚染国家・中華人民共和国 中国情報局のニュースによると中国全土での狂犬病発症者は06年3279名でうち3209名が死亡(死亡率97.8%)。わずかな生存者も意識不明の重体であり、残念ながら最終的には死に至るだろう。狂犬病には完治はないと言っていい。この事態はまったく改善されておらず、07年同局の発表では10月末日時点で患者数2717名と前年を上回るペースで患者が増えている。これは世界的にみても突出した発症率、患者数であり、中国が濃厚な狂犬病汚染国家であることは明らかである。しかも、田舎ではなくオリンピックの行われる北京など都市部の発生率が高いのが特徴で、WHOも「中国では過去3年間、大都市でヒト狂犬病患者が急増しており、きわめて危険である」との声明を発表している。だが、日本の四大新聞のどの北京オリンピック特集でも、この事実には中国政府に「配慮」してか?触れられていない。狂犬病予防接種の大切さを訴える記事は一つもないのだ。日本人の中にも「狂犬病などが恐いのは田舎で、北京なら大丈夫」と誤った認識で、楽しみにオリンピック観戦のプランを立てている人もが少なくない。(北京市内だけでも06年10名が狂犬病で死亡)近年、フィリピンからの帰国者2名が狂犬病で無くなっているが、中国はフィリピンとは比較にならない汚染国家であり、オリンピック直後には北京から帰国した狂犬病感染者が世界中で発生するだろう。 中国の国策失敗が狂犬病のまん延を招いたなぜ中国ではこれほど狂犬病がまん延しているのだろうか?(もっとも、中国が風土病のようにまん延させ、世界各地に病原菌をばらまいているのはSARS、鳥インフルエンザ、口蹄疫など枚挙に暇がないが・・)狂犬病の場合、大きな理由の一つは犬の放し飼いである。 世界中で発症している狂犬病の9割以上が感染犬の咬傷・ひっかきによるものだ。タヌキ、キツネ、コウモリなどの野生動物による感染は1割に満たない。中国では(おそらく少なく見積もって)公表されているだけでも、なんと1億5千万頭の犬(食用、愛玩用、野良犬)がおり、愛玩犬は放し飼いが一般的で、咬傷事故が非常に多い。公表されているだけで、月約1万件の咬傷事故があり、年間では10~15万件の咬傷事故がある。これは病院などから届けれられた数なので、実際の咬傷事故はこの10倍以上であると考えられる。ちなみに、日本の犬の飼育頭数と野犬頭数は、かなり多く見積もっても1500万頭。咬傷事故は年間5~6000件前後であり、もちろん狂犬病は発生していない。 人口の比率から言えば、日本と中国の犬の飼育率はほぼ同じだが 、咬傷事故にあう確率は、中国が日本の16倍も高いのだ。次に、中国における狂犬病予防接種率はきわめて低い。一つには高い予防接種料金が原因だ。日本の登録費用と狂犬病予防接種料金が3000円+4000円前後なのに対し、中国では日本円にして15000円と2倍以上の費用がかかる。中国の物価は日本の約3~10分の1なので、中国人の所得などから日本人の感覚だと、登録や予防接種に5~10万円もの大金がかかると考えていいだろう。実際、中国の予防接種率は0.5%以下と絶望的に低い。中国の「予防」は未完成というか破綻しているのだ。さらに事後対応も絶望的だ。中国で狂犬病ウイルスを持った犬に噛まれても、適切な処置を受けられる可能性は低い。狂犬病はウイルスが少量で、ワクチンや血清が早く処置されれば助かる可能性がある。しかし、中国では救急車が大病院に1、2台あるだけで少なすぎ、日本の消防署のように数分で到着することはまずない。さらに、中国国民は救急車に道を譲らないので、しばしば1時間も待たされる。(中国在住の友人談)また、中国では狂犬病ワクチンも含め偽薬がまん延しており、医師も医療機関もはたして自分の使っている薬が偽薬でないかを把握できない。そもそも狂犬病ワクチンを薄めて打つような悪徳獣医師や医師も少なくない。これら狂犬病に関する様々な問題は、結局は中国政府の問題とすることができるだろう。中国は官吏の汚職怠慢がほとんど国民性となっており、日本の厚労省や環境省、農水省に相当する省庁が機能していない。メディアを監視するあまり、国民への啓発も滞りがちで、犬の飼育者、医療関係者のモラルや危機意識がきわめて低い。野良犬が走り回り、ワクチンは高額で、さらにニセモノが出回っても取り締まれないのはある意味当然だ。 そして無辜の犬たちを襲った大虐殺中国政府は自国の汚染状況を対外的には隠蔽しながら、オリンピックを控えて2006年頃から狂犬病対策に乗り出した。まず「イヌ版1人っ子政策」である。飼育は一家に1頭。大型犬種や気性が荒い犬は飼育禁止とし、飼育されているのを見つけたら問答無用で捕獲し、処分する。さらに警察による犬(登録犬含む)の殺処分は苛烈かつ凄惨をきわめた。たとえば産経新聞中国総局記者の記事によると、当所、予防接種で狂犬病防止をはかろうとした政府だが、増えない登録数と増えつづける咬傷事件数、狂犬病死亡者数に業を煮やし、ついに大規模な「犬狩り」に打って出た。例えば雲南省牟定県では、無差別犬狩りが行われている。爆竹や鐘を鳴らして犬を驚かせ、発見された犬を撲殺するという方法で、5日間でなんと5万頭を殺処分した。驚くべきは、なんと飼育登録済み・狂犬病ワクチン接種済みの犬も無条件で殺されたことだ。しかも、日本円にして15000円の登録料・接種料をかけた犬に対し、政府は「国家のための犠牲」として、たった70円(五元)の補償金を払ったのみだった!?さらには、警察を動員する人件費ももったいないとして、07年6月、重慶市では「愛犬を(予防接種に関係なく)飼い主が自分で殺すこと」という通知が出された。1週間程度の「自主殺処分期間」が設定され、その後は「強制殺処分期間」と一方的に決め、自分で殺すのが忍びなく強制期間に殺されると罰金という、酷いを通り越してため息しか出ない措置だ。改めて、非民主国家の恐ろしさに震撼する。もっとも、近代3大大量虐殺者(ジェノサイダー)の一人・毛沢東が創立した中国共産党の恐怖弾圧政治の歴史を知っていれば、人間ですら5000万人(チベットだけで1000万人以上が殺された)も殺戮されたのだから(残りの2人、ヒットラーは600万人、スターリンは4000万人)、犬に対してこれぐらいのことは何とも思わないだろうと考えようもあるが・・・ 2008年4月・・・もう狂犬病ワクチンは間に合わないという事実中国では、すでにSARS、鳥インフルエンザ、狂犬病、赤痢がまん延している。動物にも水や食料にも注意が必要だ。特に狂犬病は発症すればまず生還できない。治療が早く、1%の確率で生還できてもまず植物人間。運が良くて重度の神経障害者だ。もちろん、北京オリンピックを現地観戦したい方には、ワクチン接種をおすすめする。しかし、もう間に合わないだろう。というのも、予防用のワクチンは4週間ごとに2回、さらに半年~1年後に追加ワクチンをしてはじめて完成する。(といっても、もちろん他のワクチンと同様100%の免疫ではない)つまり、狂犬病のワクチネーションが完成するまで少なくとも240日が必要である。2008年8月8日からはじまる北京オリンピックまであと130日足らずとなった今、もうワクチンのための期間が足りないのだ!個人的には、知人であれば中国行きに強く反対するところであるが、それでも追加ワクチンの期間を短くするなど、方法がないわけではない。詳しくは厚労省検疫所のホームページ「海外渡航と予防接種」を見ていただきたい。 死亡率99.9999…%の恐怖狂犬病を発症してから生還した人は、歴史上たったの6人しかいない。パスツール研究所・狂犬病ユニット長のチアン博士が発見した最新の狂犬病治療法は、神経系を大量の麻酔でストップさせ、ワクチンも血清も使わず、自力の免疫力でウイルスを排除するという、きわめて荒っぽいものだ。成功例も2004年米国女性のたった1例しかなく、その後も世界中で試みられているがすべて死亡している。しかし、現在、この方法しか発症後の有効な治療法はないといわれている。紀元前の古文書からも狂犬病と推定される記載があることから、これまで狂犬病で命を落とした人は、それこそ数知れない。20世紀だけでも五千万人が狂犬病で死んだと推定されている。20世紀の戦争で死んだ人が約1億人というから、膨大な数だ。 そして、これだけ医学が発達した現在でも、WHOが把握しているだけで毎年5万人が亡くなっている。このような死亡率99.999…%の感染症は、狂犬病の他にはクロイツフェルト・ヤコブ病(BSEがヒトに感染したもの)ぐらいで、ほんのわずかしかない。たとえば、話題のSRASや鳥インフルエンザなどは、発症後おおよそ50~70%の死亡率と推定されている。映画「アウトブレイク」や最近では映画「L -change the world-」などでモデルにされた「悪魔のウイルス」ことエボラ出血熱やコンゴ・クリミア出血熱ですらも発症後の死亡率は80~90%。狂犬病発症後の「死亡率99.99%」がどんなに恐ろしいか分かるだろう。そんな中国の狂犬病に対処するには、古き中国の賢者が教えてくれたように「君子危うきに近寄らず」しかないと思うのだが・・・ 海外勤務健康センター(JOHAC)のパンフレット
2008/04/03
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鳩山邦夫法相は2月5日の記者会見で、児童買春・児童ポルノ処罰法をめぐり、個人が児童ポルノ画像を所持するだけでも処罰する規定を議員立法で新設するよう与党に要請する考えを明らかにした。(産経新聞) ●「単純所持」はえん罪の温床 児童ポルノ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)は子供を守るための法律である(第一条)。現在、児童ポルノ法には単純所持に対する規定はない。しかし、ユニセフ、市民団体などから、単純所持も法規制の対象にすべきとの声が強まり、福田首相は鳩山法相に児童ポルノ法強化の指示をしたという。結論から言えば、これはきわめて危険な法改正だと考える。新聞等でいわれるように、憲法でいう内心の自由や警察権力の拡大も確かに問題だ。しかし、なにより痴漢と同様、えん罪を大量に生み出す可能性が非常に大きい。さらに過去の記事で紹介したような「児童ポルノ詐欺」などの被害も拡大するだろう。所持しているだけで処罰されるものに麻薬、拳銃がある。特に麻薬は海外渡航者で「単純所持」によるえん罪が多い。なかでも有名なのがメルボルン事件である。1992年、オーストラリアへ観光旅行をした日本人5人グループのケースが盗まれ、現地ガイドから貸されたスーツケースからヘロインが発見され逮捕。全員無罪を主張したにもかかわらず、2008年現在、未だ拘留中。日本人らは前科も麻薬使用歴もない一般人で、現地ガイドらによって知らぬ間に「運び屋」にされていたという説が有力。「単純所持」というのは、これぐらいえん罪を生み出しやすいのだ。まず、「所持者」をでっち上げやすい。(CDやパソコンの画像を入れておけば済む)次に、犯罪者でないことの証明が難しい。これはかろうじて繊維判定ができる痴漢えん罪以上に困難だ。そして、メルボルン事件のように、真犯人が見つからない可能性が非常に高い。 <ケース1・ライバルを陥れるため> AさんとBは同期入社。Aさんは仕事が良くでき、Bとは出世でかなり差が開いてしまった。Bはインターネットでダウンロードした児童ポルノ画像を、職場のAさんのパソコンにインストール。数週間後、会社と警察に、Aさんが勤務中に児童ポルノ画像を見ていると匿名電話。Aさんは無罪を主張したが、「単純所持」で刑が確定した。<ケース2・ダウンロード画像の中に>Cさんは、よくインターネットで(成人の)ポルノ画像を集めていた。そんなサイトの中に、たまたま児童ポルノ画像が入っていたのか?数年後、Cさんからオークションでパソコンを購入した女性が、児童ポルノ画像を発見し、警察に通報。Cさんは無罪を主張したが、「単純所持」で刑が確定した。<ケース3・いつの間にかCDが!?>Dさんは付き合っていた女性E子と別れた。E子はDさん逆恨みし、児童ポルノ画像入りのCDをDさんのCDラックに忍び込ませて置いた。E子の通報でCDが発見、Dさんは無罪を主張したが、「単純所持」で刑が確定した。実はこの「単純所持」、既に奈良県の「子どもを犯罪の被害から守る条例」で規制されている。実際、この条例のため、23歳の男性が、児童ポルノも扱っていたDVD販売店の購入者リストから浮かび上がり、家宅捜索を受けている。(審理中)奈良県は条例の制定にあたってパブリックコメントを募集したが、当然えん罪を危惧する意見が多数寄せられた。(意見)他人に送りつけられたり、インターネット上で図らずも所持した場合、冤罪となる。(意見)密告の奨励である。気に入らない人を簡単に犯人扱いできる。 これに対する、奈良県側回頭の無責任さはあまりに酷かった。(回答)捜査機関において、適正に捜査した上、判断することとします。奈良県知事・いったい適正とはどういう事か!?被疑者が地力で潔白の証明をしなければならないことが、どんなに大変なことか。痴漢えん罪の裁判を見るまでもない。えん罪を作る方がはるかに簡単なのだ。この条例案に、県議会で唯一抗議したのが、意外なことに共産党だった。「単純に児童ポルノをもっているだけで、処罰することは、刑法の原則にも反する」などとして条例の撤回を求めたが、数の理論に負けた。昔から警察権力とは犬猿の仲の共産党という背景もあるのかもしれないが、それにしても他の議員(特に福島瑞穂の社民!)が県民の安全を守るためになにもしなかったのには驚かさせられる。単純所持を罰則の対象にしていないのは、先進国で日本ぐらいだ、とユニセフは批判する。だが、ユニセフは単純所持を規制している国の方が性犯罪が多いことを隠している。さらに、数々の痴漢えん罪と同様、今の日本司法がそれを裁くのだ。アメリカでは、犯罪者逮捕時の手続に問題があっただけで(弁護士が来るまで待たなかったなど)無罪になってしまう。今の日本司法レベルで児童ポルノ法を改正するのはあまりに危ない。 ●「単純所持」規制が性犯罪を増やすユニセフは隠しているが、単純所持を規制している国のほうが性犯罪が多い(増えた)という事実がある。児童ポルノ単純所持禁止国と日本の性犯罪(婦女暴行) ※10万人あたり〔単純所持禁止国〕カナダ 78.1件||||||||||||||||||||||||||||||~||||||||||||||||||||アメリカ 32.1件||||||||||||||||||||||||||||||イギリス 16.2件||||||||||||||||フランス 14.3件||||||||||||||ドイツ 9.1件|||||||||イタリア 4.1件||||〔単純所持非規制国〕ロシア 4.9件||||| 日本 1.7件|| 日本人のモラルが高いことは世界中に知られているが(米タイムズ紙「尊敬する国」5年連続1位)、ロシアでも性犯罪が少ない意味は理解できるだろう。個人的に児童ポルノ作品にいい気はしない。だが、街角の男性100人にアンケートするまでもなく、ビデオや本、ひいては風俗産業が、犯罪抑止力を持つことは事実である。有名な例では、ベルリンの壁が崩壊した後の西ドイツでは、ポルノ雑誌が解禁になったとたん性犯罪が減少した。逆に(いまの日本のように)1999年に単純所持を禁止したスウェーデンは、規制した当年から性犯罪が急伸した。スウェーデンはここ数年、犯罪件数全体が増えているが、それにしても殺人件数は1999年から2005年の6年間に23%増なのに対し、性犯罪は79%増で明らかに多い。さらに殺人事件に、性犯罪と関連したものが少なからず含まれており、決して看過できない数字だ。しかしながら、ユニセフはこの関連をスウェーデンの内情不安と片付けて、省みない。非常に無責任な話だ。現在、G8の中で一番低い性犯罪件数を、違憲すれすれの(実際、アメリカでは単純所持禁止について違憲判決が出ている)規制で増やす必要はどこにもない。これはもはや児童ポルノ愛好者だけの問題ではない。 女性や児童を守る観点からも、単純所持規制は取り下げるべきである。 ●日本の落としどころは?児童の人権を守り、さらにえん罪を増やさないため為にも、現行の刑罰対象「販売」「頒布」「陳列」の法定刑をグッと引き上げて厳罰化するのが一番適切な方法だろう。たとえば販売は10年以下の懲役などのように、銃刀法に準じるなどだ。(実際、暴力団の拳銃所持は厳罰化でかなり減少している)児童ポルノ法は総務省の所管である。法改正の前にはパブリックコメントや総務省へのメールなど、えん罪の温床となる「単純所持・刑罰対象化」に意見を送るのがよいと思う。・政府への意見フォーム:https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose・総務省・パブリックコメント募集:http://www.soumu.go.jp/menu_06/iken_bosyu/index.html(児童ポルノ法改正に関する意見募集は国会提出以降)参考:日弁連 - 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」見直しに関する意見書」(「児童ポルノの単純所持は処罰の対象とすべきでない。」と政府に意見) 署名募集中子どもの人権と表現の自由を考える会児童ポルノ単純所持の罰則規制は、児童の保護に効果がありません。児童ポルノ単純所持を規制している国の方が日本より児童が性的被害に遭う確率がはるかに高いのです。逆に単純所持という罠は、確実にえん罪の温床となります。既に諸外国ではポルノ単純所持のえん罪により社会的に全てを失ったばかりでなく自殺した人までもが多数出ています。いうまでもなく人権は守られなければなりません。そして、その大切さに児童も大人も違いはありません
2008/03/15
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〔30歳の女性職員に大喝されしどろもどろ〕 お騒がせのつづく橋下大阪府知事がまた失言。今回のは今までのとは性格が違う。あまりの知事発言の無責任さに30歳の若い女性職員に一喝されたのだ。民間なら社長がヒラ社員に叱られるほどの失態だが、そのショックでさらにとんでもない失言をしてしまった。背景はこうである。 〔パフォーマンスが裏目に〕改革を掲げる橋下知事に「具体的なものが見えてこない」「理想論を言っているだけ」との非難が挙がっている。橋下知事としては、これを打開すべく、3月13日、本庁勤務の30歳以下の職員約330人を集め、異例の「若手朝礼」を実施した。問題の一喝事件があったのはその時である。橋下知事は、この朝礼がマスコミにの目の前であることを意識し、自身のコスト感覚をアピールするため「始業前に朝礼をしたかったが、超過勤務になるのでできなかった。15分の朝礼ができないというならば、勤務時間中のたばこ休憩や私語は全部減額させてもらう」と発言これを聞いた30歳の女性職員が突然立ち上がり「どれだけサービス残業をやっていると思っているんですか!」と一喝橋下知事は「ありがたい意見。どんどんいってほしい」と応じたが、突然のパンチに明らかに動揺しておりなんと「サービス残業には感謝しています」と、とんでもないことまで言ってしまった。 〔橋下氏2つの大きな間違い〕・「朝礼が超勤になるなら、私語も認めない」 ・・・典型的な論理の飛躍。トップと部下との温度差が顕著。そもそも朝礼は「全体会議」だから、業務の一環として勤務時間内にやるものである。だから「始業前に朝礼をしたら超勤になる」のは当たり前だ。それを不満顔に言うなど、公務員もりっぱな賃金労働者であるという、労働基準法の基礎概念すら分かっていない発言といわれても仕方ない。 もっと酷いのは、業務(朝礼)と非業務(息抜き)を一緒くたにして「朝礼が超勤になるのだから、私語も一切認めない」は明らかにおかしい。(それにしても、息抜きが一切ない職場というのは、逆に非効率的になるだろうに・・・)私語をするなという指示自体は、まぁよしとしよう。だが、私語をしているから残業が増えるのだ、といった意味を含むこの発言は「どうせ職員は私語や休憩ばかりして残業を増やしている」という思いこみの強さが現れている。もともと弁護士で、深く接する公務員といえば、敵役の検察と、思うような判決にしてくれない裁判所。これまでの発言でも気になったが、橋下知事の頭の中には「公務員=悪」という、きわめて単純な決めつけが頭の中にこびりついているのだろう。もちろん、ダメ・やる気のない公務員は少なくない。そういうバリューの無い職員はどんどん賃金カットすべきだし、できればリストラしたほうがいい。だが、また一方で、有能でマジメな公務員も少なくないのだ。こういった公務員は、公益に寄与すると言う意味で、まさに「人材」とよぶべきもの。バリューの高い職員の戦意まで削いでしまっては、すなわち公益に反する。そして、そのどちらでもない職員のやる気を、バリューの高い方に導くか、低い方に落とすか、これもトップの手腕だ。少なくとも、今のように職員全員をバッシングしているようでは、結局役立たずの知事だったということになるだろう。もちろん、私語や休憩が「業務を円滑にする」レベルを超えているなら、バッサリ切るべきだ。しかし、府民から選ばれて、行政のトップに立ったのだから、行政現場のことをよく勉強し、慢性的にサービス残業をして市民に対応している部署があること認識しなければ知事は務まらない。サービス残業の裏には、常に待たされている市民がいる事を知らなければならないだろう。 それを理解せず「◯◯するな」とだけ言うのは、あまりに無責任だろう。この女性職員は、このようなトップの無責任さと、現場軽視(ひいては府民軽視につながる)に反感を覚えたのではないか? ・「サービス残業には感謝しています」・・・労働基準監督署に通報されたら是正勧告もの。感謝でなく改善せよ。サービス残業は「賃金不払残業」で、強制、容認すれば立派な違法行為。勧告に応じなかった場合、罰金刑、懲役刑まで設定されている。橋下知事はたしか昔は弁護士だったはずだが?女性職員の突然のパンチに狼狽して、このような失言をしてしまったのだろう。金融、食品産業をはじめ、賃金不払いが社会問題としてまっただ中にある今 公の場で、賃金不払い残業を「感謝する」などと容認、いや推奨するような発言は、行政のトップとしていくらなんでもマズすぎる。民間会社の不払い社長が「橋下知事も言っているように・・・」とシステムの不備を、部下の責任に転嫁するような事態も起こりうる。大げさだが、公人とは、知事とは、そういう立場なのだということが、どうやら橋下知事には理解できていないようだ。 また、労基署が賃金不払いについて調査をすれば(実際、本庁ではサービス残業があるのだろう)、是正勧告を受けるだけではすまない。是正したというためには2年前に遡って、不払い分を支払わなくてはならない。それは、橋下知事の失言で、府民の税金が大量に使われることを意味している。サービス残業は、ほとんどの場合、業務システムの不備で発生する。社労士や労務コンサルタントがサービス残業対策として指示するのは、賃金でなくシステム(人員配置や委託など)の改善だという。大阪府本庁の事情は知らないが、とても楽で簡単な部署と非常にハードな部署のバランスが悪いのではないか?これを改善すれば、業務効率が上がり、それこそ橋下知事のいう「体質改善」ができるというものだ。そして、業務効率の改善は、税金(総賃金)を抑え、市民サービス向上に直結する。橋下知事がそれほどマスコミを気にするなら「サービス残業については、早急に調査委員会を立ち上げ、人員配置や業務改善を検討するよう指示します」・・・とでも言っておくべきだった。 〔おそろしく行政感覚に乏しい知事?〕過去、そしてこのような、橋下知事の発言を見ていると、表面(パフォーマンス)はともかく、中身(実力)としては、知事としての自覚、能力に乏しいことが分かる。実際は、知事ではなく、せいぜい行政監査員になった弁護士といったところだろう。だから、府民に対しても、職員に対しても、無責任な発言を「つい」してしまうのだと思う。 いうまでもなく首長(知事)は地方行政庁のトップである。職員を上手につかって、法にに定められた業務や公的サービスを円滑に行わせるのが本分。なにを差しおいても第一の任務である。議会やマスコミへの対応はその次だ。しかし、現場感覚に乏しい、言い換えれば、末端の職員が直面している問題に乏しい、彼のこの感覚はどうか?(サービス残業ありがとう!など)下っ端の気持ちがよく分かる叩き上げの知事は少ないが、それにしても橋下知事の心はあまりに現場から遠い。現場から遠いということは、現場にいる職員と府民から遠いということだ。 マスコミがよく指摘するよう、橋下知事の心は、府民にではなく、知事室と府議会、そして数年後の国会議事堂にあるのかもしれない。。。。
2008/03/15
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●「海の狂犬」シー・シェパード捕鯨船に劇物投げつけ侵入-シー・シェパード 2008/1/16南極海で捕鯨調査にあたっている日本鯨類研究所(日鯨研)の調査船に、米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の活動家2人が薬品を投げつけながら侵入した。豪政府から早期の釈放を要請されたこともあって、日本鯨類研究所は、「シー・シェパード」の船などを通じて2人の身柄を引き取りに来るよう求めているが、同団体側から応答はないという。シー・シェパード広報担当は「人質を使って要求をしてくるというのはテロリズムの証。テロリストとは交渉しない」と独自の解釈を展開している。水産庁の担当者も失笑するほかないといった様子だ。同様に「本家」環境テロリストとして名高いグリーンピースも、調査船の前を横切ったり、給油活動を妨害しては「大型の調査船に体当たりされそうになった」と主張し、その模様を自らYouTubeにアップしたところ、逆に世界中から非難のコメントが集中する結果になった。●もはやクジラの保護と捕鯨は科学的に関係がない(環境テロ団体の息がかかっていない冷静な)海洋生物学者は「今や、捕鯨問題は環境問題ではない」と指摘している。実は、ミンククジラなど、日本が捕鯨対象とするクジラの数(現在70~80万頭)が調査捕鯨数によって、影響を受けないことは海洋生物学者の間でもすでに争いがない。争われているのは、増やすとすればいつ頃からが適当か、であって、捕鯨を無くすどころか減らすという議論すらない。また、日本が捕鯨したクジラは、全てDNA解析されているため缶詰になっても、どのクジラの肉かを特定できる。これは、昔とちがって密漁・乱獲が不可能であることを意味している。もともと、密漁・乱獲は日本ではなく、欧米の仕業だ。工業製品に加工され、食用部分の肉はぜんぶ破棄されていた。●「捕鯨を認めると海外の牛肉輸出がダメージを受ける」 ~欧米の政治家がクジラ保護を叫びながらCO2緩和を求める理由クジラの肉に食用価値を見いださなかった欧米は、日本がかつてのようにクジラを一般的な食用肉とすることで、BSE問題にゆれる牛肉の輸出が落ちることを恐れて、捕鯨に反対的な立場を取っているにすぎない。牛豚や鳥、魚介類を含めた、日本の食肉消費量は約350万トン。うち、牛肉は約100万トンを締める。(国内30万トン、輸入70万トン)2006年の調査捕鯨(1240頭)による鯨肉は5千トン。捕鯨の枠を科学的根拠によって決めるとすれば、この頭数は3~10倍に膨れあがる。もし、日本やノルウェーの食肉の占める割合のうち、1万トンが鯨肉になったら・・・牛肉の消費が引き替えて減るとすると、欧米の牛肉輸出は1.5%減ることになる。3万トンになれば4%(このレベルの捕鯨まではまず問題ないとされている)10万トンになれば7%。欧米の牛肉産業は大ダメージを受けることになる。もはや農業国ではなくなった日本では分からないだろうが、反捕鯨国のテロ支援国家とも言えるオーストラリアのほか、EUや米国・カナダのように、大農家が地元の名士となり、大票田を握っているという国家において、農業政策(=牛肉輸出推進)は政治家にとって、無視できない問題なのだ。※特にオーストラリアは「オージー・ビーフの国」として主要な産業である牛肉輸出を減らせない事情から、異常に反捕鯨熱が強い。さらに、悪いことに多くの豪国民がこれを動物愛護と錯誤している。だから、ほんの200年前まで、日本よりはるかに多くのクジラ(のみならず、現在絶滅した海洋ほ乳類のほとんど)を虐殺してきた国が、ここにきて手のひらを返して反捕鯨を訴える。彼らは「1頭たりともクジラを捕ってはいけない」つまり「牛肉の輸出を1頭たりとも減らすことは認めない」と言っているのだ。「クジラを捕るな」という政治家が同じ口で「CO2をもっと排出してもよいようにするべきだ」と主張するのはこのためだ。科学的根拠やましてや、動物愛護の観点からでもなく、クジラの問題が政治家の保身に基づいているのだという認識は知っておかなければならない。もちろん、牛肉は大変栄養価の高いタンパク源だし、美味である。栄養価値、食文化の上でも後世によい牛肉を残すべきだと思う。しかし、その一方で、牛を育てるためには大量の穀物が要る。牛の「そしゃく」ではき出される温暖化ガス(地球上の総メタンガス排出の15%)も無視できない量だ。現実的に人口爆発に歯止めがかからない以上、海洋にタンパク源を求めることは間違っていない。クジラへの同情は別として、科学的観点のみからいえば、適正なクジラ捕獲は、鯨肉という良質なタンパク源の確保と同時に、クジラが大量に消費してしまう小型魚介類からのタンパク源確保という2重の食料確保となることは事実だ。まだ日本には貴重な食文化が残っている。●環境テロリストは捕鯨問題で2重に儲けている環境テロ団体「グリーンピース」には年間200億円という寄付金が寄せられる。純利益として考えると、超巨大企業でも200億円はなかなか叩き出せない。その200億円は主にPR活動の反響として寄せられるのだが、一番の稼ぎ頭は「捕鯨妨害」である。良しににつけ、悪しきにつけ、過激な活動はテレビなどで大きく取り上げられる。その活動資金は、もともと「クジラで損をする人たち」から寄せられる。そして、シー・シェパードら、環境テロ団体は「飼い犬」として危険行為を行う。彼らが環境「テロリスト」団体である所以は、環境をネタに私服をこらすからである。シー・シェパードは、なぜあそこまで危険な行為に走るのか?まったく理解できない人もここを抑えれば、テロリストの魂胆が分かるだろう。環境テロ団体の筆頭はグリーンピースであり、寄付金はグリーンピースに流れがちである。2流のテロ団体としては、より過激な行為でアピールするしかない。「グリーンピースより危険なシー・シェパード」と呼ばれたがっているのだ。そして、テロ行為(いかにも正義に満ちた環境保護活動を装ってPRされるが・・・)の後には、必ず無知な人々からの寄付金が寄せられる。役員は寄付金で潤い、テロ行為の筆頭に立った団体員にはボーナスが出る。危険行為の実践する一般会員の多くは、そんな事実を知らされず、自分たちは環境を守っているのだと信じ込んでしまっている。しかし、環境テロ団体にとって捕鯨問題はいいネタだ。環境テロ団体は捕鯨問題が長引けば長引くほど(つまり、クジラが増え続けて漁業が損害を受けたり、問題になればなるほど)儲かる。捕鯨全面中止を最も恐れているのは、実はグリーンピースら環境テロ団体だ。この問題を引っ張るために、別の活動団体をロンダリングして、捕鯨推進議員にすら政治資金が流れている。捕鯨問題を長引かせて、苦しむのは、クジラと海に生きる人々なのに。。。●環境テロリストの本質を知る利益のために、活動をする事自体は悪いことではない。しかし、環境テロ団体は違法行為で利益を出そうとするから「テロリスト」なのだ。しかも、最前線で過激行為を行っている団員のほとんどは、洗脳によって「環境保護のため」と信じている。だから、命がけの行動もできる。もはや、構造的にも、活動的にも、カルト教団に近い。環境保護のためには、日ごろの心がけの他に、具体的にお金が必要である。そのお金が、200億円もグリーンピースのようなテロ団体に流れている。シーシェパードなど大手環境テロ団体(メガNGOと言われる)全体では400~600億円も流れて、前述のような違法行為にしか使われない。シーシェパードやグリーンピースは調査捕鯨を「違法行為だ」と言う。根拠ははっきりと示さず、違法だと言うばかりである。違法だ!と責めながら、もっと違法な妨害行為を平然とする。仮に調査捕鯨が違法だとしても、環境テロ団体の違法行為を正当化する理由にはならない。違法なら、しかるべき取締機関に捉えさせ、正当な司法に裁かせよ。テロリストの捕鯨妨害のような私的制裁はどんな文明国家も認めていない。数年前、デパートの警備員が、万引きをした女子高生を捕まえて、恐喝し、レイプしたという事件があった。「お前は悪いことをした、二度とできないように体罰を加える。他言すると家や学校にバラす」と言って、無抵抗な女子高生をレイプし、その後もたびたび呼び出してはレイプし、さらにはお金まで巻き上げたという事件だった。吐き気をもよおすほど下品で卑劣な行為だ。そして、グリーンピースやシー・シェパードの捕鯨妨害は、本質的にそういった行為である。●テロ資金に流れる寄付金は「クジラのために」使われるべき捕鯨を行いたい国の中には、クジラが小型の魚介類を消費してしまうため、漁業へのダメージを警戒する声が少なくない。漁をする人々は、クジラを食べなくてもいいから、イワシやイカを食べられたくないのである。イルカや小型のクジラが漁に与える影響は意外にも深刻だ。単に魚介類の数が減るだけではない。増えすぎたイルカやクジラは、漁師が仕掛けた網を襲って中の魚を食べてしまう。翌日には破られた網は空になっている。漁獲量が減れば廃業せざるをえない。「クジラをなんとかしてくれ!」というのは漁業界の切実な思いだろう。捕鯨をせず、クジラ(やイルカ)が増える一方になるというのならば、人間とクジラが共生できるようなシステム作りのために、寄付金500億円を使った方が確実にクジラを守れる。たとえば、近海養殖漁業への切り替えのための貸付金とする、クジラの漁域内侵入防止のためのパトロールに使う、魚類学の進歩のための研究資金とする、などだ。メガNGOのように過激行為によらない、科学的根拠と環境への愛情のバランスに立とうという、善良な環境活動団体はいる。寄付金が悪いとは言わないが、知名度でなく、活動実態で送金先を考えるべきだろう。●善意をテロリストに利用されてはいけない捕鯨反対でもよいと思う。非科学的だけども、クジラを殺したくないという感情論でもいい。しかし、その純粋な気持ちをいかなる形でも、環境テロ団体に利用されてはいけない。テロリストは狡猾な卑怯者だが、その支援者は愚かな犯罪者である。彼らは、自分たちの団体と支援者の利益のために、環境と他人を危険にさらすテロリストたちだということを理解してほしいと思う。マメ知識~名古屋城で有名な鯱(しゃちほこ)は顔がワニ、胴がクジラの空想動物金運↑↑の金の鯱ストラップ
2008/01/26
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一昨年の台風4号が過ぎ去ったあとに沖縄の空に現れた「神の手」と呼ばれる雲。数十年に1度あらわれ、この雲を友人7人に伝えると、その友人が幸福になるという。さらに、その友人もまた7人に教えると・・・その伝説を信じて、この写真は一部の間でやりとりされた。しかし・・・おや? どこかで聞いたような話である。大体、何十年に1度って、そんな携帯も(もしかしたら電話も)ない昔に、雲が崩れないうちに、7人の友人に連絡を取るなんてできただろうか?実はこれ、アメリカで作られた合成写真!TBSの気象予報士として有名な森田正光氏も結論から言えば、この雲写真は加工されたものです。どうやら、4年ほど前に海外で別の目的で作られたものが、「7人に送ると幸福になる」とのコメントを付けられチェーンメールとして出回ったのが真相のようです。(チーム森田の"天気で斬る!" )とバッサリ。 以前は、森田氏が専門家として素早い判断を示したことまた、沖縄の人々が「そんな雲見たこと無い」と口を揃えたことでこの下らないスパムはほとんど出回ることがなかった。しかし、最近またチェーンメールとして流行っているそうで「7人にこの画像を送ると幸せになれる」とか「神様からのメッセージ」などとして出回りはじめた模様。さらに、何も知らない送信者は「あなたも7人に送るといいよ」と善意のスパム推奨。この手のスパムメールの許せないところは、他人の善意や、はかない希望をあざ笑う愉快犯ということ。しかも、この合成写真。最初のタイトルは「ケツの穴を開く白人親父」という題名だったというのだから、なおさらたちが悪い。この写メをもしあなたの友人が送ってきたら、悪いことは言わない。友人が恥をかく前に、そしてスパムに手を貸してしまう前に、事実を教えて挙げて欲しい。「この写真はニセモノだったけど、私の幸せを願っていてくれることが嬉しい。ほんとうに有り難う。」と・・目の健康のためにはときどき空を見るのがいい
2008/01/22
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[ネット情報の漏出]過去の記事(新手の児童ポルノ架空請求「刑事訴訟裁判通達書」にご注意)でも書いたように、どうやらネット通販等から漏洩したと思われる架空請求詐欺が流行っている。ネット通販やオークションはインターネットに接続している人の9割が利用している。ヤフーの情報管理の甘さにも見られるよう、今後も情報漏洩そのものを完全に防ぐのは難しいだろう。しかし、少し工夫をすれば、個人情報を悪用しにくくすることは可能だ。[おすすめはカタカナ宛名]商品を購入する際、住所・氏名・電話番号を入力しなければならない。これがデータベース化され、一人あたり5~50円という情報量で取引されているわけだ。まず氏名で是非工夫したいのが「カタカナ」である。例えば 西 島 秀 俊 ↓ ニシジマ ヒデトシのようにカタカナ表記にするのである。(もちろんフリガナも「ニシジマ ヒデトシ」と書く)もしこの情報を頼りに詐欺目当ての封書が送られてきたら、宛名は「ニシジマ ヒデトシ様」となっているはずなので、一目であやしいと分かる。もし、リスト配布元の業者にちょっとでも智恵が働くのであれば、カタカナ表記されていることで、どこからリストが漏れたか発覚するのかをを恐れ、リストから削除するかもしれない。アパート・マンションの名前をカタカナにするのも悪くない。 メゾン一刻101号 → メゾンイッコク101号ただし、住所地をカタカナにしてもあまり意味がない。例えば「カナガワケン」と書いていても「神奈川県」と確実に変換できるからだ。「ニシジマ ヒデトシ」なら、西島なのか西嶋なのか、秀俊なのか英敏なのか分かりようがない。もちろん、日本郵政や宅配便に迷惑をかけることもない。たとえ宛名がアルファベットでも彼らはきちんと郵便物を届けてくれるぐらいだから。[電話番号は書かないのが原則]電話番号は架空請求だけでなく、うるさいセールス電話にも悪用される。電話番号は明かさないのが基本である。例えば、オークション等で冊子小包やクロネコメール便をで配達してもらう場合、電話番号は不要なので書かない。仮にどうしても書く必要があっても携帯電話にすべきだ。携帯電話では、ナンバーディスプレイが普及するよりはるか前に、電話番号通知のシステムが整っていたので、有線電話より対策もかんたんだからだ。まず、詐欺・商用電話の7割が「非通知」設定でかかってくる。携帯の設定で非通知拒否は簡単に設定できる。さらに、電話番号が表示された場合でも、DoCoMoやAUの携帯は、本体で番号指定拒否ができる。(Softbankのやり方はHPを見たが不明)迷惑電話への対策>> DoCoMo au Soft Bankつまりイザというとき、対策が取りやすいからだ。さらに言えば、個人的には本当の電話番号を書く必要もないとっている。電話で緊急に事態を確認する必要がある場合はないし、電話がつながらなければ間違いなくメールで問い合わせてくるからだ。たとえば 03-XXXX-XXX1 という電話番号だったとしよう。これを 03-XXXX-XXX2 のように実在しない番号に変えておく。もし、宅配業者が「電話がつながりませんでしたよ」と小言を言ってきても「ああ、タイプミスでしょう。すみません」で済む。(実際、自分は1度そういうことがあった)ただし、これは住所に間違いがないことが前提なので、注意が必要だ。[フリーメールの活用法]メールアドレスも、スパムの原因となる。ネット通販やヤフオクなどで、プロバイダーのメールアドレス正直に書くのは良くない、というより間違いと言っていい。(銀行や公共機関への登録ならまだしも・・)一番いい方法は 1. 通販専用のフリーメールを使うこと 2. 定期的にメアドを変えることの併用だ。いわゆる捨てアドを活用するということだ。フリーメールは登録する情報も本メアドとハンドルネーム程度だし、情報漏洩の心配がない。ただ、多くの通販ではyahooやgoo、hotmailなどの有名どころのメアドはダメという所も少なくない。自分が使った経験で、Outlookなどでメールが受信でき(POP対応)、送受信の状態がいいところで、さらにどこの通販でも使えるのはZENNO.COM と Inter7 フリーメール がいいと思う。どちらもWebメールに対応しているので、外出先や職場でもメールチェックできる。さらに、この2つがいいのは、同一人物が同じメアド(プロバイダーメール)で、複数のメアドを取れることだ。捨てアドとしてはこの点が一番重要だ。このメアドを使っていて、迷惑メールが目立つようになったら、そのアドレスは捨てて(特別な退会処理は要らない)、新しいメアドに引っ越せばよい。[業者に嫌われよう] セールス電話でマンションを売る会社に勤めていたことのある人に聞いたことがあるが、商用電話をかけてくるような会社は、どんな人がお客さんかを嗅ぎ分けるマニュアルを持っている。ひとことでそれを言うと「きまじめな人」ということになる。住所・氏名・自宅の電話番号・プロバイダのメアドがキチンと書いてあるような人がカモということである。逆に、情報にいろんな工夫をしている人は、防御が固いとして望み薄で、始めからかけてこないか、かけてもすぐ引き下がる。カタカナ・電話番号・フリーメール。この3つを実施するだけで、情報が仮に漏出したとしても、被害を最小限にできるだろう。うまく業者に警戒されたら、業者間で取り引きされるリストから「逆ブラック(要警戒人物)」として外される。[おまけ・消費生活相談員がおすすめするセールス電話の断り方]もう一つ、消費生活センターの相談員に聞いた話がある。英会話でも、マンションでも、セールス電話を断る文句を多くの人が間違うそうだ。「忙しいので」「勤務中ですから」・・・お忙しくないときは何時ですか?「それは要りません」「間に合っています」・・・別のおすすめがあります!意外にこういう答えをして、業者に付け入る隙を与えてしまう人がいるそうだ。一番よい電話の切り方は「迷惑だから、二度と電話しないでね」と、相手が話している途中に、この2言だけ言ってガチャン!と切ってしまうことだそうである。・まず、相手の話を聞かないことが一番のポイント(はじめ要件を切り出さないタイプには、「で、要件は?」と聞いて話し始めた出鼻でガツンと切ると相手のダメージ大)・他にはなにも言わず「迷惑」と切り捨てること・二度とかけるなと明白な意思表示をすることこの3つが肝心かつ効果的だという。そういえば、前出の元・セールス電話の人が言っていたが、掛ける方も「どんなに罵倒されるかとビクビクしていた」「プルルルッという電話の音が恐くなった」「電話に出てくれないでとどこかで祈っていた」と語っていた。他人様に迷惑をかけている、という自覚のある常識人なら恐いのだ。当然だろう。そういう人をまっとうな仕事に戻らせ、そうでない厚顔無恥な人には鉄槌を下す。そのためにも「迷惑!ガチャン!」が一番いいのだと、消費生活相談員は説明してくれた。[余談]「迷惑!ガチャン!」をすると、ごくまれに、話を聞いてもらえなかったことに逆ギレして、再度電話を掛けてくる阿呆としか言いようのないセールスもいるが、その場合、脅迫罪(もし業務中ならプラス業務妨害罪)にあたるので警察(110番)に相手の電話番号を通報してよい。警察から相手方に電話し、即逮捕まではしないまでも、二度とかけてこないし、要警戒者としてリストからも外してもらえる。もっとも、ちゃんとした?セールス電話のマニュアルには逆ギレで警察沙汰にならないよう、これを厳しく禁じているそうである(前出の人の会社では「警察出てきたらクビ」だったそうだ)。マニュアルには「迷惑だ!ガチャン!」にも耐えて次の客を探せと書いてあるそうだ。
2008/01/05
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2006年知花くららがミスユニバース2位。2007年ついに森理世がミスユニバース優勝。人種差別の壁を超え、世界を席巻しはじめたアジアンビューティたちの先駈けとなった明治女性がいる。 「日本のミスコン優勝第一号」末広ヒロ子【少女期】1893年、福岡小倉市長・末広直方の七人兄弟の四女として生まれた末広ヒロ子は透き通るような白肌に奥二重の大きな瞳と長い睫毛が美しく、近所では評判の美少女であった。幼い頃から舞踊、茶道、華道に励み、音楽も琴とピアノをたしなみ、聡明な上に、いかにも良家の子女らしく温厚誠実な人柄で明るく人当たりがよい。小倉では評判の美少女だった。【日本初のミスコン開催】明治40(1907)年9月、アメリカの新聞社(シカゴ・トリビューン紙)が「ミスワールドコンテスト」を企画。アメリカ、イギリス、カナダ、スエーデン、スペイン、日本の六カ国から代表を募り世界一の美女を決定するという壮大なものであった。日本では時事新報社が打診を受け日本予選として明治41年3月5日、「日本美人写真募集」と銘打って、全国22新聞社の協力のもと大々的なキャンペーンを展開した。自薦他薦は問わないが、芸妓・女優など芸能人は参加不可。これが日本初の本格全国的ミスコンであり、のちに3月5日は「ミス・コンテストの日」とされ、さまざまなミスコンが開催されている。スポンサーも現れ、優勝者はダイヤモンド指輪など総額3000円相当(現在の2~3千万円に相当)の景品という、まさに日本初にして最大の写真コンクールとなり、なんと7,000名もの応募があった。100年後の2006年に行われたモー娘の第8期オーディションの応募総数が6,883名である。当時、人口は現在の半分以下(約5千万人)、メディアといえば新聞しかない時代にあって驚異的な注目度といえる。審査は写真選考で、まず明治40年に全国各地の審査員による一次審査が行われ各地域ブロックから5名ずつ、計215名を選抜。ついで翌明治41年に時事新報社にて第二次選考が行われ、洋画家の岡田三郎助、彫刻家の高村光雲、女形俳優の河井武雄、歌舞伎俳優の中村芝翫、医学博士の三島通良など名だたる著名人13名が審査に当たった。【知らぬ間に優勝】この時、ヒロ子は16歳。学習院女学部3年に在籍し、通学のため義兄・江崎清の家に下宿していた。江崎はこの当時珍しい職業カメラマンで、ヒロ子もよく義兄に写真を撮られた。もっとも写真を撮られることより、モデルとして化粧や髪結いをしたり、綺麗な着物を着るのが好きだったらしい。江崎は写真を公開したがったが、ヒロ子がひどく嫌がるので、日ごろから残念に思っていた。そんなとき新聞の「日本美人写真大募集」の広告に出会った。ヒロ子の美しさもあったが、なにより己の写真家としての技量を世に試したいという気持ちが強まるあまり、ついにヒロ子との約束を破り、無断で自信作数点を応募してしまった。実際、応募された写真の質にかなりのばらつきがある中で、江崎の撮影技術やセンスはヒロ子の美しさを一層引き立たせた。ヒロ子は一次、二次審査をすんなり通過、審査員13人満場一致で堂々優勝となった。このコンクールの最終目的が「ミスワールド」で、国際的に認められる美人というのが条件であったから、瞳が大きく、どこか西欧風の顔立ちのヒロ子が最適だったのだろう。ヒロ子の写真は海を渡ってアメリカの総主催シカゴ・トリビューン紙に送られたが、こちらでは順位は付けられなかったようである。俗説の6位入賞というのは、紙面の並びで6番目に写真が掲載されたことの誤解らしい。時事新報社から優勝の報せを受けて、江崎は想像以上の結果に驚いたが「優勝ならば妹も喜ぶだろう」とようやくヒロ子に一切をうち明けた。しかし、ヒロ子は激しく泣き「そんなことをされては嫌です。必ず兄様が新聞社から写真を取り戻して下さい」と訴えた。そう言われても、時事新報社としてはこの日本初の巨大イベントの優勝者に下りられては困る。ヒロ子の写真がこのイベントの成功そのものだった。社主自らヒロ子を拝みこむように説得し、その熱意と新聞社の面子を思い、ついにヒロ子は折れて写真掲載を容認した。ヒロ子の写真が全国の新聞に大きく掲載されるや否や、一躍時の人となった。すぐに父・直方のもとには数百もの縁談の申込みが殺到した。だが、ヒロ子だけは「一等にあたったなんぞって、私は困ります。兄様の写真は一等か存じませんが、私は一等ではありません」と困惑していた。さらに新聞に載ってからと言うもの、学習院中が大騒ぎになり、中にはヒロ子の美貌を妬む者もおり、平穏な学生生活が台無しになったのが辛かった。【退学処分】それどころか、ついには学生生活を送れなくなった。学習院の首脳部がヒロ子の優勝を問題視したのである。この時、学習院院長は前年に就いたばかりの陸軍大将・乃木希典。女学部長は松本源三郎であった。学習院側はヒロ子がこのコンクールに参加したことを知ると、直ちに協議会を開き「女は虚栄心の盛んなるもの、いわんや女学部生徒のごとき上流の家庭に育ちしものにありては、本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば、他の生徒等の取り締まりの上、停学もしくは論旨退学の処分をなさんと目下しきりに協議」した。現代の価値観では偏見まみれの論旨退学は主に松本が主張した。乃木はこれに同意も反対もしなかったらしい。学習院がヒロ子を退学処分にしようとしていることを知り、コンクールを主催した時事新報社や全国の新聞社は紙上で一斉に反発。ヒロ子の退学問題は世論を巻き込む大論争に発展した。たとえば時事新報社が「学習院女子部には末広ヒロ子以外にも写真を応募したものが多数いる。優勝したからヒロ子だけが退学になるのは不条理だ」と責めると松本が「応募者は全員処分する。順位の如何にかかわらず学園の風紀を乱すものである」と応戦するといった具合だった。優勝賞品を受け取らなければ停学までという折衷案も出たが、結局、松本の強固な主張を乃木が承認した形で、末広ヒロ子の論旨退学処分が決定した。ヒロ子はひどく悲しんだが、それでもなお一切の弁解をしなかった。【乃木大将、奔走】乃木がヒロ子が知らぬ間に写真を応募されたという顛末を知ったのは、既に論旨退学処分が決定した後であった。乃木は驚愕し、まず松本に問いただしたが、松本だけでなく学習院の誰も知らない。なにしろヒロ子の退学問題を巡って事があまり大きくなってしまい、義兄が責めを受けることを案じたヒロ子が、固く口を閉ざしてしまったので、学習院首脳部はおろか当の新聞社すらほんの一部の者しか事情を知らない。乃木にこの事実を知らせたのは、義憤に駆られた新聞社の抗議によるものらしい。(江崎が学園に赴いて陳情したという説もある)乃木は激しく後悔した。虚栄心などかけらもなく、逆に義兄をかばった立派な娘を退学処分にしてしまった。しかも、ヒロ子を巡って論争になったため、同情論が多かったとはいえ、晒し者のような格好である。このままでは、ヒロ子はなんの責もないのに、16歳の若さでこれから日陰道を歩まなくてはならないかもしれない。考え抜いた末、乃木はヒロ子のために、よい縁談を探すのが一番いい方法だと思った。この時代の女性は、良家に嫁ぐことが女子としての栄誉、親孝行という考え方が根強かったから、この思いつき自体は決して間違っていない。ただ、陸軍大将自らが他家の子女の縁談のために腐心するというのは例がない。しかし、乃木は大まじめであった。乃木は自分の顔が効く陸軍の左官クラスで将来有望かつ出自の良い者を探した。が、既に結婚しているもの、未婚でも遊びをおぼえすぎてしまっている者、素行振るまいに(乃木の基準で)問題がある者、適材はなかなか見つからず、乃木は奔走した。【侯爵夫人へ】そんな折、乃木の苦労を人づてに聞いた日露戦争の戦友、陸軍大将・野津道貫が乃木のもとを訪れた。先輩格である野津がユーモア混じりに切り出したのは、望外の助け船であった。「たいそうな美人の縁談があるそうだが、息子(野津鎮之助)ではどうか?」野津道貫の長男・鎮之助は、その前年侯爵となったばかりで、次は貴族院議員となるのも確実視されている。この時代、未婚の爵男というだけでも珍しい。早くから「良家子女」との縁談が殺到するのだ。乃木はさっそく小倉市の末広家を訪問し、処分の間違いを深く詫びるとともに、侯爵との縁談という破格の手みやげを披露した。末広家も地方有力者とはいえ平民といっていい。爵家との結婚など夢のような話だった。ヒロ子もこれからの人生を不安に思っていた矢先、いきなり侯爵とのお見合い話で、喜ぶより先に大いに恐縮した。野津鎮之助は陸軍軍人であったが教養人で、武人然としたところは少なく、実直な人柄をヒロ子は気に入った。初めてヒロ子と対面したとき、鎮之助はその美しさにまともに話せず、後に「あのように美しい娘が自分の妻になるなど何かの間違いであるまいか」と漏らした。ヒロ子は自分よりずっと年上の鎮之助のそういった純朴さも気に入り、初対面の時の鎮之助の緊張した様子を後年まで面白おかしく語った。鎮之助の方も「日本一の美女」末広ヒロ子が、美しいだけでなく礼儀・作法・教養を具備している女性であることを知り、なにより義兄をかばって不条理な処罰に甘んじた心の美しさと強さを大いに気に入った。退学処分の不始末と、陸軍大将が女生徒のために婿探しをしたと言われないよう、野津鎮之助とヒロ子は以前から婚約者だったということにされた。二人は最初から許嫁だったという意見があるが、全ては乃木と野津の策である。当時の陸軍大将(しかも野津と乃木)はいまの大臣などよりずっと権威があり、野津などが「息子とヒロ子は旧知で許嫁」と言えばもはや絶対だった。縁談はトントン拍子にすすみ、翌年に式を執り行った。媒酌人はもちろん乃木が買って出た。しかめ面の多い乃木も、この日は相好を崩して上機嫌だったという。美貌が災いして、一度は不遇を味わった末広ヒロ子であったが、内面の美しさが彼女を救い、ついには侯爵夫人として東京赤坂の野津邸(鹿鳴館などで有名な建築家ジョナサン・コンドル設計の豪邸)に迎えられ、一躍明治のシンデレラとなった。 大手のミスコンテストでは、美貌だけでなく、内面すなわち知性・教養も審査するとして、いわゆる高学歴候補者が(おそらく話題作りの目的で)必ず上位進出するということが起こっている。さらに、そのように「内面」を評価されて上位進出したはずの候補者が、むしろ内面の卑小を露呈することもある。末広ヒロ子のシンデレラストーリーは、女性として、人としての内面の素晴しさは、学歴や職業といった軽薄安直なモノサシでは決して計れないことを、100年前に証明している。
2007/12/30
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元福岡市職員に懲役25年求刑 福岡・3児死亡飲酒事故福岡市で06年8月、3児が水死した飲酒事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われている元福岡市職員、今林大被告(23)の論告求刑公判が6日、福岡地裁(川口宰護(しょうご)裁判長)であった。検察側は「他に類を見ない悪質犯罪で、法が許す限りの最高刑で臨むほかない」と述べ、両罪の併合罪で最も重い懲役25年を求刑した。今月20日に弁護側の最終弁論があり、来年1月8日に判決が言い渡される。(asahi.com)今林被告のこの事件によって、各自治体で飲酒運転に対する即時懲戒免職などの厳罰条例が次々と定められたのは周知の通り。被告人の今林大は、福岡市動物センターに勤務する野犬捕獲員で、一般職員と異なる技能労務職員である。公務員による飲酒運転が多発しているが、多くが技能職員によるものであることが多くの新聞記事より推測される。(あくまで私感である)なぜ技能職員のモラルに問題があるのか??「技能労務職員(現業職員ともいう)」といえば、いかにも専門技術をつかう仕事のように思われるが、実際は「技能職員」とは、一般職に属する職員で次に掲げるもののうち、技術者、監督者及び行政事務を担当する者以外の者をいう。(1) 自動車運転、庁務、看護補助、土木作業、清掃作業、下水作業、給食調理、葬祭用務等の業務に従事する職員(2) (略)(千葉市条例)という、要は簡易または単純な作業に携わる職員のことである。「単純な労務に雇用される職員」→「単純労務職員」(千葉市)という名称の方が適切かもしれない。実は、この技能労務職員こそ「公務員=楽業で高収入」の典型なのだ。たとえば、今林被告は技能労務職員の職務の一つ「野犬捕獲員」である。野犬を捕獲するのは狂犬病予防法にもとづく措置で、野犬捕獲員を指揮・監督するのは「狂犬病予防員」たる獣医師である。獣医師と野犬捕獲員の関係は、医師と看護師に例えられるだろう。野犬捕獲員はあくまでその補助であり、獣医師の命令がなくてはなにもできない。つまり、保健所や動物センターで働く場合、たとえ新人25歳の獣医師とベテラン係長級50歳の技能労務職員でも、指揮系統の上では 獣医師(狂犬病予防員)>技能労務職員(野犬捕獲員)と法律で決まっているのだ。これも、医師と看護師長の関係を思い出せば分かりやすい。たとえ新人の医師でも、看護師長は医師の指示に従わなければならない。どんなに優れた看護師でも、医師の代わりに診療したり、投薬したり、手術したりできないし、医師法でも固く禁じている。民間の意識なら、これほど職責と技能が違えば、当然給与に差が付けられる。たとえば、35歳の医師の基本給が60万円なら、35歳の看護師の基本給は30万円とだいたい倍ぐらいの違いがある。では、福岡市の獣医師と技能労務職員の給与はどうか?・福岡市〔初任給〕技能職(24歳)・・・¥187,600獣医師(24歳)・・・¥189,400(+¥1800)〔課長級〕技能職課長級(6級)・・・最高¥459,200獣医師課長級(6級)・・・最高¥465,700(+¥6500)なんと、初任給はほぼ同額。課長になっても1万円の差もつかないのだ。民間の感覚ではわけが分からない、理解できないこの給料基準は以下のような公務員独特の基準による。(技能労務)職員の給与の額は,福岡市職員の給与に関する条例及び退職手当条例に規定する職員の給与の額を基準として定める。〔単純な労務に雇用される職員の給与の種類及び基準を定める条例(福岡市)〕つまり、職責や特性をほとんど考慮することなく、一般職員との悪平等をやろうというのだ。これはどの自治体でも同じようで、条例を調べると「技能労務職員天国」の実態が浮かび上がる。技能労務職員がいかに優遇されているか。首都圏4大都市を例に、医師や弁護士と並んで労働基準法第14条の5年特例職(=高度専門職)である獣医師と比較してみよう。参考:首都圏4政令指定都市の技能労務職員と獣医師の給与比較・横浜市〔初任給〕技能職(24歳)・・・¥194,400獣医師(24歳)・・・¥194,400(+0)〔係長級〕技能職係長級(3級)・・・最高¥422,600獣医師係長級(4級)・・・最高¥431,300(+8700)・川崎市〔初任給〕技能職(24歳)・・・¥193,900獣医師(24歳)・・・¥184,200(-¥9700)〔係長級〕技能職係長級(4級)・・・最高¥404,300獣医師係長級(4級)・・・最高¥425,600(+¥21300)・千葉市〔初任給〕技能職(24歳)・・・¥158,700獣医師(24歳)・・・¥196,400(+¥37700)〔係長級〕技能職係長級(4級)・・・最高¥421,600獣医師係長級(4級)・・・最高¥456,100(+¥34500)・さいたま市〔初任給〕技能職(24歳)・・・¥190,400獣医師(24歳)・・・¥194,900(+¥4500)〔係長級〕技能職係長級(3級)・・・最高¥426,500獣医師係長級(3級)・・・最高¥417,800(-¥8700)なんと、川崎市では技能労務職員が獣医師の初任給を上回り、さいたま市では係長級(主査)で技能労務職員が上回っている。獣医師の給与があまりに低いのにも驚かせられるが(こんな給料で行政獣医師を目指す人がいるのだろうか?)、技能労務職員の給与水準が同等以上なのは、まさに悪平等の最たるものであろう。調べていて分かったことだが、獣医師の給与も、栄養士や検査技師と同じ給料で、これでは給料が安いのも当然だろう。ここにも大きな悪平等がある。狂犬病予防員というのは法律で獣医師しかなれない。(狂犬病予防法第3条)ひるがえって、獣医師はそれだけ高度な専門性を要求されるし、責任も重く、職責・専門性とも野犬捕獲員(技能労務職員)の比ではないが、待遇は同じというねじれ現象が生じているのである。考えるとこれは非常に非効率な人事である。例えば、現状では月給30万円の獣医師1人と、その指揮下に月給30万円の捕獲員が5人いるような状態だ。(→人件費180万円)それならば、優秀な獣医師1人を月給40万円にして、その指揮下に20万円の捕獲員を5人にしようというのが民間の(というか正常な)感覚だ。(→人件費140万円)なんと、給与水準を民間水準にするだけで、管理職一人分ほどの人件費が浮く。これをどうしてどこの自治体もやらないのか理解に苦しむところである。どうやら、公務員の労働組合「自治労(じちろう)」の構成員のほとんどが技能労務職員のようである。そして、自治労から特定政党・政治家に対して多大なバックアップがあるため、技能労務職員の給与適正化にメスを入れられないことが最大の原因のようである。(そう考えると、獣医師など高度専門職の給与が低いまま放置されているのは、絶対数が少なく発言力がないためだろう)また、技能労務職員はゴミ収集、給食、庁舎管理(用務員)、運転手など民間委託がしやすい職域に集中していることも見逃せない。そして、いまだ根強い「縁故採用」が多いのも、独自の採用枠である技能労務職員の特徴だ。(ネット情報で未確認だが、今井大被告も地元有力者の親戚とのこと。家庭も裕福で、今林被告が乗っていたクラウンマジェスタは時価200~250万円と当時21歳の若者の給料のみで手の届くものではない)縁故採用職員は「能力試験を受けず(仮に受けても出来レースで)採用された」「勤労意欲はなく、世間体のためにとりあえず公務員で仕事をしている」などの理由のため、仕事に対する熱意が低く、公務員の自覚に乏しい。これが、縁故採用の多い技能労務職員に特にモラルの低下がみられる原因ではないかと考えられる。いずれにしても、行政は正規の公開試験を通過していない(つまり縁故採用が起こりやすい)技能労務職員の採用実態と、給与水準と業務を、国民によく知らせるべきだろう。自治労も技能労務職員の給与が適正だと言い張るのならば、堂々と国民に示し、納得されればよい。断っておくが、私は「公務員」というのは、そもそもお役人、公的奉仕人なのだから、なんでもかんでも民託したり、民間の感覚(営利優先)を持ち込めばよいというものではないと考えている。"民"優越新興ともいえる現在の風潮は、早晩その足もとのあやうさを露呈するだろう。本来、警察や保健所などに代表される純粋な「お役人」仕事。民では採算がとれなくてとてもやれないが、社会相互扶助という観点から必要とされる高齢者・障害者サービスなどに代表される「非採算サービス」仕事はやはり「公」が責任をもって担当すべきだろう。(逆に言えば、それ以外の分野は民と連携・委託する余地があるのだが)しかし、業務はともかく、各地方自治体は人事ぐらいは「民間の感覚で」見直すべきだ。なにより、まずは悪平等の排除年功序列ではなく、勤務成績が優秀ならば、技能労務職員も(現在の異常な高待遇でなく)同種民間と同程度の枠内で、昇給も昇格もさせる。もちろん、危険な業務にあたるときは、基本給でなく危険手当でフォローする。(基本給は退職金の基準になるのであまり膨張させてはいけない)要は、あまりにも優遇されている技能労務職員の待遇を見直し、代わりがきかない高度専門職を民間レベルの待遇で民間レベルの能力を発揮させるべきだ。そのような、真に公平なシステムの上で、組織パフォーマンスを向上させることで、公務員の組織力向上と人件費は大幅削減ができるはずである。これが国益であることはいうまでもない。また、公務員側の利益として考えても、組織を適正化して「削るべきは削る、増やすべきは増やす」を徹底することで、民託や民営化による大リストラは回避できるだろう。さんざん甘い汁を吸ってきた技能労務職員でも、中年になってリストラの憂き目と失業生活よりは、適正給与を甘んじて受けた方が長い目で得なはずだ。
2007/11/06
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近年、インターネット通販などから漏出したと思われるリストが悪用されている。その中でも、最近特によく目にするのは関東を中心に展開する「あじさいの会」「ひまわりの会」「日本婦人の会」など「児童・猥褻物被害者の会・◯◯の会」だ。まず、刑事訴訟裁判通達書または刑事事件訴訟通知なるものが郵送されてくる。(そのような名称の文書は法令上存在しない、インチキ文書)要約すると以下の通りである。---------------あなたが買ったDVD販売業者がポルノ禁止法違反で逮捕されました。(まず「ポルノ禁止法」などという法律はない。◯児童ポルノ禁止法)あなたの購入履歴が証拠として提出されたので通知します。(この段階で既に「誰から(例えば検察から)、どこに(例えば裁判所に)という主語述語がない珍文章)あなたは刑法第175条に対しての訴状を提出して、裁判所に受理されました。(詐欺師が勝手に提出したことにしているが、「訴状」とは民事裁判のための書類で、刑事裁判には使われない)◯◯年◯月◯日が裁判取り下げ期間です。(どうやら刑事訴訟は、民事とちがって取り下げができないのを知らないようだ)このまま放置されると、刑事告訴され、敗訴となり懲役、罰金刑に処せられます。(もはや意味不明。仮に児童ポルノDVDの購入者であっても、刑法第175条には購入者の処罰規定はない)刑事訴訟に対し、あなたが取り下げを希望されるなら、◯月◯日までに当方までご連絡ください。(勝手にやって警察に捕まって欲しいものだ)第175条(わいせつ物頒布等)わいせつな文書、猥褻物所持、猥褻物購入(性器が露出している物)図画その他の物を頒布しまたは販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。(赤字は刑法175条にないデタラメ文章。しかも同じ文で「わいせつ」と「猥褻」を混在)あなたは上記の刑法に違反しているので、逮捕される恐れがあります。(デタラメ刑法に違反してなんのおとがめが??)全国犯罪 児童・猥褻物被害者の会「ボランティア団体・◯◯の会」代表弁護士 ◯◯ ◯◯ (弁護士名簿にない架空の氏名)住所:東京都◯◯区~ ◯◯ビル (◯◯ビルは実在するが、そのような団体は入っていない)電話番号:03-XXXX-XXXX ---------------最後の電話番号に電話すると、弁護士の手数料ほか諸々として、数十万円(20万円位らしい)を要求されるという寸法だ。しかし、いかにも珍妙な文章で、民事と刑事をごっちゃにしたり、刑事訴訟は被害者が届け出て、警察が調査し、検察が起訴するという基本すら分かっていない。とてもまともな法知識の持ち主が書いたとは思えないが、数々の詐欺のように、動揺した人がうっかり電話し、お金を振り込んでしまうこともあるだろう。しかも、この手紙、こんなに大事な内容なのに「普通郵便切手 80円」で送られてくるというオチ付きだ。通常の重要文書のように書留や証明郵便を使うと、すぐに足がつくと考えたからだろう。(といっても、警察に調べられればすぐにバレるだろうが・・)さて、どのように対処すればよいか?まず、少額訴訟詐欺と違って、無視していてもなんら問題は起きない。少額訴訟詐欺は正式な法手続を使っているが、この詐欺は法手続を使っていない・・というより使いようがない愚策だからだ。心配なら、最寄りの消費生活センター、または警察署の生活安全担当に相談するのがよいだろう。しかし、放置しておくと、新たな被害者が増えるかも知れない。公益のためにもう一工夫するのがよいと思われる。まず、封筒の消印を見て、投函元の消印を確かめる。その投函元、例えば渋谷なら渋谷警察署、新宿なら新宿警察署など、所轄警察署の担当課にそのまま転送してしまおう。詐欺師はたとえ失敗しても、詐欺未遂罪で処罰されれる。(刑法第250条)詐欺事件の担当課は犯罪二課などという名称であるが、課名が分からなければ「●●警察署 架空請求詐欺事件 ご担当課様」宛てでも間違いなく担当課に届く。忘れずメモ紙も挟んでおこう。----------------平成◯年◯月◯日●●警察署 ご担当者様架空請求詐欺にかかわる情報提供前略。貴警管轄の郵便局から配送された、架空請求目的の封書を郵送します。まったく身に覚えのない内容であったので、インターネットで調べたところ、指定された番号に電話すると、架空の裁判費用や裁判取り下げの費用として数十万円を要求されるとのことです。すでに被害が発生している模様ですので、詐欺犯罪捜査および防犯活動の資料としてご活用ください。住 所 氏 名 (印)----------------参考までに、ネットで入手した全文を公開する。名称や所在地、電話番号、弁護士名はコロコロ変わるようであるが、だいたい同じ内容の文面でくるらしい。 ----------------刑事訴訟裁判通達書事件名 猥褻物所持・ポルノ禁止法違反以前、貴方殿がご購入されました。DVD販売インターネットサイト 経営者主犯 東京都足立区西新井2丁目無職小森裕二容疑者(31)・ポルノ禁止法違反(提供目的所持)ら以下7入が2007年10月10日に逮捕され(現在公判中)貴方殿の購入履歴・銀行入金履歴が事件証拠として提出された事を通達致します。貴方殿は猥褻物所持・ポルノ禁止法違反の刑法第175条に対しての訴状を提出し管轄裁判所が受理した事をご報告致します。2007年11月10日が裁判取り下げ期日なります。取り下げ期日を過ぎますと改めて出廷命令通知が届きますので記載期日に出廷して頂くようお願い致します。尚、このまま放置されますと刑事告訴後、受理し敗訴となり3年以下の懲役・300万以下の罰金に処される事となります。また、刑事訴訟に対し貴方殿が取り下げを希望される場合は必ず最終日の2007年11月10日迄に全国犯罪・児童・猥褻物被害者の会(あじさいの会)までご連絡下さい。刑事訴訟期日が早まる場合も御座いますので取り下げを希望される場合お早めにご連絡下さい。ポルノ禁止法違反について、刑法第22章第1条(目的)この法律は、女性に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、買春、ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、女性の権利の擁護に資することを目的とする。第2条(定義)(1) この法律において「児童」とは、18歳に満たない者をいう。(2) この法律において「買春」とは、次の各号に掲げる者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。)をすることをいう。 1 児童 2 児童に対する性交等の周旋をした者 3 児童の保護者(親権を行う者、後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者(3) この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。1 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの2 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの3 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの第7条(ポルノ頒布等)(1) ポルノを頒布し(※虚偽。処罰の対象は「児童」ポルノのみ)、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、3年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。第175条(わいせつ物頒布等)わいせつな文書、猥褻物所持、猥褻物購入(性器が露出している物)(※この部分は虚偽)図画その他の物を頒布しまたは販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。貴方は上記の刑法に違反している為(※繰り返すが、購入者は刑法の対象ではない)上記記述の対象となり上記刑法に基づき、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金の処罰を課せられる事となります。但し、貴方の犯した罪は、より軽微なものの為、今事件による裁判は、略式裁判となる可能性がありますので、早急に、下記連絡先にお問い合わせ下さい。なお、裁判費用等につきましても、下記連絡先にお問い合わせ下さい。全国犯罪・児童・猥褻物被害者の会(あじさいの会)代表弁護士弁護士 菅原琢己弁護士 伊藤敏也他13名名称:全国犯罪・児童・猥褻物被害者の会(ボランティア団体あじさいの会)住所:〒150-0034 東京都渋谷区代官山5-16 3F(児童親族・女性被害者専用)住所:〒153-0063 東京都目黒区目黒1-5-19 目黒第一ビル307電話番号:03-5459-5687 平日10:00~20:00迄 土日祝日はお休みとさせて頂きます。詐欺師が土日休むんじゃない!!
2007/11/01
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父・史郎「わかってるやろ (小声で)金タマ打ってもエエから」 兄・興毅「大毅、肘でもエエから目ぇ入れろ」TVで見た感じでは、亀田大毅はパンチは一発一発はいいものがあるが、全体を通しての数は内藤の半分も打っていない。大毅は足も使ってないから(というか過去の対戦で使ったのを見たこともないが)、スタミナは残っているだろうし、単発で強いパンチが打てるのは当然だろう。有効打、顔やボディに入って、相手にダメージを与えたパンチは、内藤の方が倍以上入れているだろう。特に、大毅のガードのヒジ下(わき)を狙ったボディは明らかに効いていたように見える。内藤は単発でこそいいパンチをもらったが、最後まで足を使っていたし、連打を許さず(そして大毅も連打で畳みかける技術も地力もなく)、まるで健在だった。内藤は12Rにして、軽やかに大毅の周りを回り、強いパンチも打った。33歳にして、いくら相手が格下とはいえ、このスタミナには頭が下がる。相当に厳しい練習を地道に続けないと、大舞台でこういうことはできない。逆に10~12Rの大毅は相当キツかっただろう。組み付いてばかりいないで、腹をくくって打ち合ってほしかった・・的な意見も聞くが、亀ガードを崩して打ち合えばまず倒される。ボディを効かされていたので、打ち合えばガードが下がることになり倒されていた可能性が非常に大きい。大毅としてみれば、亀ガードから内藤の大振りの打ち終わりを狙ったフックで一発勝負をする・・・その作戦は正解だと思う。そのチャンスがくるまで、ひたすらクリンチで逃れるのも間違ってはいないだろう。戦略的にはこうだが、大毅のパンチ力や当てる技術は「良い」が「別格」ではないので、スタミナ十分の内藤を倒すのは難しい。だから、あの下品きわまりない投げ連発をやらかした。それまでも、大毅のローブロー、特にモモ打ち、組み付いてのヒジは、なぜレフェリーが取らないのか不思議なくらい目立った。これは過去の試合で兄・興毅がよく使っていたから、自分が特に気になったのかもしれない。ただ、セコンドである父・史郎や兄・興毅が直接指示していたのには、TVの音声では気が付かなかった。なるほど、確かに急所を狙え、目を狙えと言ってる。12R、判定で大差がついて倒せなければ勝ち目はない。しかし、内藤はまぶたを切ってるものの、ワセリンを厚く塗り、まだ軽やかにフットワークを使えるほどピンピン、ダメージもさほどない。コイツは倒せないよ、強いよ・・・と思ったらしい、大毅の投げ技連発については報道されている通りだ。自分はその光景を見て「ああ、ケンカで負けそうになってナイフ持ち出すチンピラだなぁ」と思った。ドラマで、ヒーローにボコボコにされた挙げ句「テメェ!」とナイフを持ち出した挙げ句、さらにドカーンと豪快にやられてしまうアレだ。物書きをしている友達にそうメールしたら「(最後の投げ連発は)ファミコンのリセットボタンを連打する子供みたいだったね」と返ってきた。なるほど物書きって人種は、感性が鋭くて表現が的確で巧い人間じゃないとやれないのだなぁ、と感心した。格闘技でもスポーツでも同じだが、強ければ、上手ければ人間的に正しいかというと全然違う。では、厳しい・辛い・苦しい鍛錬を乗り越えれば・・・つまり努力すれば、尊敬できる人格になれるか?それも違う。大毅もすごく努力しただろうが、土壇場で本当の自分が出るときに「下品」そのものだった。技術と同じで、人間性も尊敬できる人物、憧れる人物がいて、その人みたいになりたい、と思いながら日々の行動を通じて努力するからこそ身に付くものだろう。人間性も真似ぶ(学ぶ)ものなのだから、よい教本と長い練習が必要だ。大毅は、、というか亀田家はなぜ下品なのか?この20秒にも満たないの短いやりとりにそのすべてが出ている気がする。
2007/10/13
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<水族館でイルカをみたいあなたへ イルカ施設で一緒に泳ぎたいあなたへ>イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク 記事より------------------------------------------- イルカはかわいい、賢いから好き!という人は年々増えているようです。 さまざまなシンボルや、企業イメージなどにもイルカの姿が使われています。 丸いおでことほほえんでいるような口元で、親しみやすく、水族館でもなつっこくよってきてくれる彼らにいやされる人がいるというのも分かります。 でも・・・・・・・ あなたはイルカたちがどこから来たのか知っていますか?イルカが大好きなあなたに、そのことをぜひとも知っていただきたいのです。 昨日、静岡県の富戸で行われたイルカ猟のようすをお伝えしましょう。 早朝、沖でバンドウイルカの群が100頭ほど地元の富戸の漁業者たちによって湾に追い込まれました。富戸港の入り口は漁網で封鎖され、イルカたちは仕切りの中で一晩を過ごしました。翌朝8時過ぎから、漁業組合の人と水族館の関係者によるイルカの選別と捕獲作業が始まりました。 岸壁には大きなクレーンが横付けされ、赤や青の担架がつりおろされて、7,8人のダイバーにとりおさえられて捕獲されたイルカを中に入れると、 再びクレーンがあがります。待ちかまえていたトラックがイルカを運び去ります。そうした作業がえんえんと続きました。そうして、12時過ぎには14頭のイ ルカが捕獲され、作業が終了しました。 狭い仕切りから、イルカたちが船で追い立てられて、広い仕切りの仲間と合流しました。イルカとともに、赤い水が帯となって流れ出します、濁った白い泡も流れてきました。もがきつかれて、仲間の方に泳ぐ力も残っていないイルカが狭い仕切りの中にとどまってただよっています。 弱って傷ついたイルカたちは、こののち海に帰されて、はたして生き延びることができるのでしょうか?ショックで死んだイルカもいました。 80頭ほどのイルカが海に戻されましたが、一方で、漁船の網には、解体される3頭のイルカが頭を上にしてじっと動きません。彼らが生きていることは、時折ブシュッと噴気があがることでわかるだけです。 解体作業は、イルカを愛する人たちからの抗議を受けたからという理由で、関係者以外には公開されなくなりました。以前よりも、短い時間で殺す方法に変えたと言われますが、本当かどうかの確認はできませんでした。いずれにしても、仲間が捕獲されるのを身近に目撃し、仲間が海に戻されるのを知りながら網に閉じこめられ、生きたまま頸椎を切断されるのですから、本当にこれが「人道的」なのかどうかはおわかりでしょう。 今回の捕獲は、伊豆下田海中水族館や伊豆三津シーパラダイス、しながわ水族館などからの注文で行われたと言うことです。この中には、みなさんがイルカをごらんになった施設も入っているのではないか、と思います。 こうした人工的な施設で飼育されるイルカたちの多くは、野生での寿命を全うできないでこの世を去ると言われます。多くの水族館ではイルカは消耗品で、イルカ捕獲の注文も次々とつきないわけなのです。 皆さんが、水族館やイルカ施設でイルカをみたい、一緒に泳ぎたいと考える限り、こうした悲惨な運命に合うイルカは後を絶ちません。 あなたはそれを望みますか? イルカが見たいのであれば、ウォッチングや野生イルカと泳ぐプログラムもあります。その方が本当にほほえんでいるイルカたちを見ることができるはずです。 富戸では、元イルカ漁師だったIさんがドルフィンウォッチングをしています。 -------------------------------------------文末の某I氏は「若い頃はイルカを捕まえてカネにし、老いて捕まえられなくなったら見せ物にしてカネにするのか」と非難されたそうである。I氏は「なにも言えなかった」と述懐しているが、他人の生き方だし、人に迷惑はかけていないのだから、そこまで言わなくても・・と思う。さて胸に迫るものがある文章である。が、冷静に読めばこれがクジラ(イルカ)ファシズムと同列であることが分かるだろう。証拠に「イルカを助けろ」とは言うが「マグロやサバを助けろ」とは言わない。どころか、イルカと同じほ乳類の「アシカやホッキョクグマを助けろ」とすら言わない。うちはイルカとクジラ専門ですから・・・とでも言うつもりだろうか?イルカやクジラの知能が高いことは有名だが、ブタやウシも頭はいい。食肉になるため殺されると分かれば暴れるし、仲間が死ぬところを見ると混乱する。(そのためと畜場では、仲間が死ぬところを後の動物に見せない構造になっている)北野武がクジラファシズムについて(たしかTVタックルで)こんなことを言っていた。「どうもあのクジラ捕るなっての危ない気がするんだよな。 知能が高いから捕るなって言うんだろ。 すると知能で動物を差別するんだから、いつか人間の知能差別につながっちゃうと思うんだよ。」この意見は、クジラファシズム問題の核心を突いている。某料理マンガで、食材となる動物がかわいそうという子供に、植物が生長するビデオを見せて「植物に生命を感じないのなら、それはただ想像力の欠陥だ」と指摘するシーンがあった。痛い、怖いのは人間に捕食される魚も、ライオンに捕食される鹿も、イルカに生きたまま噛み砕かれる小魚も同じだ。もちろん、愉快的な殺戮を自然界の動物はしないし、人間でも許されない。自然は殺生を前提として成り立っている。人間も含め、それはどの生命体とて例外ではない。理由があって殺し、殺され、自然界を形成しているのは地球誕生以来の真理だ。その真理に「心情的に同意できない」という考えこそ、自然への無理解に他ならないだろう。あのグリーンピースをはじめ「アニマルライツ(動物の権利)」をさも特別なことかのように声高に叫ぶ人たちだ。動物が自らの種の維持のために、他の動物を殺すのは自然の摂理だ。ヒトや動物が動物や植物を殺して食べることが最たるものだろう。これは自然が決めたルールのため、生き延びるために行うのだ。ひるがえって、医薬品の動物実験もヒトが生きるために行われているという点で、食と同一視できる。(もっとも現在の科学レベルで現実的に安全上必要な動物実験のことである)いったい、貧困国の子供が、どれほどワクチンと薬を待ちながら死んでいっているのか?蚊が運ぶマラリアに殺される前に、どれほど殺虫剤を欲しがっているのか?※1それをアニマルライツという言葉の意味を知らないまま振りかざし「心情的に同意できない」などと言うのなら、薬を使うことはもちろん、あらゆる生き物・・・獣、鳥、魚はおろか植物も食べることを止めるべきだろう。そのために自然に過度に干渉していいとは言わないが、ヒトはヒトのアニマルライツを最優先にするのが自然の摂理だ。少なくとも、現状で直接の自然破壊につながってはいない動物実験の反対に精力と資金をつぎこんでいるヒトより、研究室で動物実験をしてでも薬を作っているヒトの方が「自然」であり「アニマルライツ」をよほど正確に理解しているといえる。(たとえ、それが自己の名誉と企業の利益につながっても…だ)そもそも、権利(ライツ)にヒトとアニマルという区分を設けていることこそ傲りそのもの。「人間が自然を守る」というドンキホーテと変わらない愚行。私たちは、そういう風に「自然」から離すぎた頭になってしまっている。言い古された言葉だが「人間も自然の一部」という言葉の意味が少しでも分かっていれば「アニマルライツ」などとは、無知を晒すようなもので恥ずかしくて口に出せない。それが分からない、気持ちは変わらないのは仕方ないにしても、少なくとも動物らしい自然を失った状態だと理解した方がいい。実際、私も馬刺を食べる時は、美しく人なつっこい馬を思って少し気が引ける。だが、少なくとも私はこれが「感情」であることを知っているし、これが「理性」ましてや「正義」だとは微塵も思っていない。刀を鳥に加えて鳥の血に悲しめども魚に加えて魚の血に悲しまず声ある者は幸福也 斎藤緑雨他の動物に優れるというヒトの英知とやらが、自らの種を守るためというごく自然の摂理に反しては本末転倒だ。人口爆発の議論も、環境破壊の議論も、すべては自然の摂理を見失った感情論だから破綻する。欲望のままに自然を壊すのも、一動物にすぎぬヒトが「地球を守ろう」などとそもそも間違った願いを抱くのも、本質的には同じだと言われれば、自然保護、動物保護、環境保護を使命と自認する人々は反発するだろうか?考え事が大きくなりすぎて、理解が難しくなったら、本質を変えずサイズを小さくするのがいい。例えば、イルカを捕って食べることはどうか?例えば、だれもが電車に乗れば水族館に行けて、イルカを見れることはどうか?例えば、水族館や動物園があることが、自然から隔離された社会の中で、自然に対する心をはぐくむことはどうか?それらは自然の摂理に反することか?それが無意味であるか、誰か一人の価値観で決まるものではないことぐらいは少なくとも分かるだろう。※1 1950~60年代、低コスト・高効果の「奇跡の殺虫薬」DDTは後進国の蚊を駆逐し、10年以上にわたって少なくとも3000万人ものマラリア死を救った。(算出法によって異なるが、一億人以上を救ったという説もある)しかし、DDTは動物実験を含む安全性検証が不十分だったため、十分なデータがないまま発ガン物質、環境汚染物質と疑われ世界中で禁止された。DDTが生産されなくなった後、高価な殺虫薬が買えない後進国では、蚊の復活と同時にマラリア死が再び急増。そして今現在も毎年数百万人がマラリアで亡くなっている。一方、その後の研究でDDTの発ガン性は無いか無視できるほど小さいこと、環境への影響も濫用しなければ十分コントロール可能なことが分かった。DDT禁止から30年以上を経た2006年、ようやくWHOはマラリア対策にDDT使用を公式に認めた。なお、DDT耐性の蚊も発生しており「DDTより安価で同等の効果と安全性を持つ殺虫薬を造った化学者はノーベル賞確実」「マラリアに悩まされる国々から礼服が埋まるほどの勲章を授けられるだろう」と言われている。しかし、今「殺虫剤=環境汚染物質」のレッテルのため殺虫剤研究に費用が使えないこと(日本でも大正製薬が2000年に殺虫剤部門を休止)、特に欧米の研究者は動物実験がなかなか行えないことなど、「環境・動物保護原理主義者」の直接・間接の干渉により、殺虫剤研究は遅々として進んでいない。DDT耐性の蚊が増えたとき、また後進国の人々の生命が脅かされるが、環境・自然保護派の人々はこの点には無関心というより冷酷なようである。「ドルフィンセラピーを受けてみたい!」と大のイルカファンを公言する上戸彩(2007ロッテ販促用限定カレンダーより)
2007/08/21
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米アリゾナ州で宝くじ付き投票法案提出も住民投票で破れる2006年8月。大統領選で40%を切る同州の投票率低迷を打破するため、アリゾナ州のマーク・オステロ氏が「宝くじ付き投票用紙」案を提出した。これは、同州が行う宝くじで換金されずに残っている残金のうち100万ドル(約1億円)を投票者のうち1名に抽選で与えるというもので、内容を審査したが憲法や州法には違反しないということで、オステロ氏と有志は18万人の署名を集め、住民投票で採否を決定することになった。この提案がマスメディアで報道されると、米国中で賛否両論の物議をかもしだした。結局、同年11月の住民投票で反対多数で廃案となった。-------------------以前のブログにも書いたように「投票宝くじ」は米国で現実に検討されたことがあった。私も投票宝くじには投票率をアップさせる効果があると思う。ただ、オステロ氏の敗因の一つは、アリゾナ州100万人の有権者のたった1人にしか当選の機会がない案だったことだと思う。もっと当選者数が多く、人々が「うまくすれば私も…」と思える案なら合理的な欲が安い理性を上回るのではないか?みかけはどうあれ結果的に国益となる制度ならばいいのだ。運用次第だと思う。そこで、投票宝くじが法的にどうかは置いて、遊び心でちょっと考えてみた。まず、日本の宝くじであるが、サマー、年末などの冠を付けたジャンボ宝くじの知名度は抜群だ。(財)日本宝くじ協会調査によると、ジャンボ宝くじを年に1回以上買った人は国民の61%。一回当たりの平均購入枚数は年末ジャンボで5.7枚(1732円)。賞金総額は年末ジャンボで約1000億円。一等2億円は75本。(平成18年)「明日からいきなり億万長者」の夢が買えるため、職場などで話題になることも多い。特に年末ジャンボ宝くじの「もう買った?」「当たったら会社辞めるよ」などの会話は、年の瀬の恒例行事といっていいほどだ。ジャンボ宝くじのデータで注目したいのは、18~29歳の59%、30~39歳の73%もが宝くじの購入経験があることだ。これは平成15年衆院選の投票率が20~29歳が35%、30~39歳が59%だったように、若者の政治無関心(投票不参加)に、投票宝くじ導入の効果があるのではないかと期待させる数字である。※これ以降の年代では、投票率と宝くじ購入経験はほぼ60~70%であまり差がない。投票を奨励するための「投票宝くじ」なのだから、年末ジャンボよりずっと魅力的なのが好ましいと思う。思い切って「タダなのに最高賞金も賞金総額も日本最大の宝くじ!」なんてキャッチがいいのではないか。というわけで賞金総額6000億円(年末ジャンボの6倍!)ぐらい大きく出てみよう。もちろん大金だが、あの小渕内閣の「地域振興券」の予算6200億円の前例があるのでアリではないかと思う。(衆参院選は平均で年に1回もないのだし…)さて、日本の有権者は約一億人だから、単純に10人に1人が6万円を手にできるというのも悪くない。しかし、宝くじの魅力を使って、投票所に足を運んでもらおうという魂胆なのだから、宝くじ本来の魅力を忘れてはならないだろう。宝くじの魅力はなんといっても一攫千金、億万長者だ。実際、協会のアンケートでも「賞金目当て」(59.3%)と「大きな夢があるから」(50.6%)が2大理由であった。すると、1億円以上の賞金はあった方がいい。年末ジャンボ宝くじの場合、一人平均5枚購入するとして、一等2億円が当たる確率はおおよそ1/200万、二等1億円なら1/50万である。「億万長者」の夢のために、少なくともこれより魅力的でなければ、宝くじ目当てで投票所に来る人はいないだろう。1億円以上の当選確率は倍以上、さらに法定最高賞金4億円の金看板は捨てがたいので、こんなのはどうか?特賞 4億円× 10本(!?) 1/1000万一等 2億円×100本 1/100万二等 1億円×500本 1/20万三等 1千万円×2500本 1/4万無料の宝くじなのに法定最高賞金4億円の代名詞・ロト6で年に0~5回しか出ない4億円が10本!そして2億円の当選確率は年末ジャンボの2倍!、1億円は2.5倍!宝くじファンならずともワクワクする魅力的な確率だろう。かなり多くの政治無関心層が(特に若者、低所得層が)投票所に出向いてきてくれるのではないか?だが、せっかく6000億円も使うのだ(いや仮定の話だが…)。単に投票率がアップするだけでも効果があるが、この6000億円に二次効果、できれば消費拡大を期待したいところである。1000億円分の億万長者の誕生による経済波及効果は個人差がありすぎて計算しがたい。残りの5000億円で、多くの当選者を出して確実な効果を狙いたいところだ。純粋なギャンブルとしてはジャンボ宝くじのように、300円~100万円の細かい等級の方が面白い。だが、5000億円の使途を消費拡大という目的に絞るなら、等級をつけず「四等 ◯万円」という単一設定がいいのではないかと思う。一億人の有権者に、なるべく多くのお金を使ってもらいたいとなると平成10年の"天下の大失策"こと地域振興券の教訓が思い出される。地域振興券は、配布対象が15歳以下の子供と65歳以上の老人、社会弱者などだけで、流通どころかその65%以上が貯蓄に回されてしまった。また、いわば地域の商品券であるため不便さがあり、使われたとしてもほとんどが生活必需品の購入に当てられたと分析されている。結果、当初政府が期待していた経済波及効果の大きい家電製品・旅行などの大型出費にはつながらなかったのである。結局、消費を拡大することはできず、経済効果は2000億円、GDPは0.1%↑にとどまった。この配布層の問題は、有権者の1/4が高齢者であることを差し引いても、成人にランダムに配布されることから、投票宝くじでは改善されるであろう。地域振興券は2万円分を3000万人に交付したことになる。地域振興券のポイントは「商品券」であったということだ。2万円の商品券をもらったので、自分のサイフから1万円を足して3万円の家電を買おうと考えるだろうと、+1万円の消費拡大を政府は期待した。その期待は今となっては泡だったが、それはともかく、投票宝くじの賞金は通貨である。(別に地域振興券でもかまわないが・・・)では通貨だと、どのぐらいを何人にばらまけば消費拡大が期待できるのであろうか?予算5000億円、投票率が100%に近く1億人と考えると四等賞金の設定と確率 1万円 1/2人(5000万本) 2万円 1/4人(2500万本) 5万円 1/10人(1000万本) 10万円 1/20人(500万本) 25万円 1/50人(100万本) 50万円 1/100人(100万本) 100万円 1/200人(50万本) 500万円 1/1000人(10万本) 1000万円 1/2000人(5万本)消費拡大のためにはどの選択肢が一番良いか。これはたぶん経済や統計の専門家を集めた専門委員会でも意見が分かれるのではないか?当時の政府が地域振興券を2万円としたのは、予算の都合が大きかったが、合理的な理由もあっただろうから、地域振興券と額も数もほぼ同じ2万円を2500万本でもいいかもしれない。だが、2万円でできる「ぜいたく」がそれほど多いとは思えない。(ホテルグルメやちょっといい服くらいか?)経済効果で旅行、家電というが、旅行は(できれば国内)旅先でのグルメや買い物といった付加行動が消費拡大になる家電だと、個人的にはきたる地デジ対応AV機器、PCなどが有力だろうと思う。小旅行や生活家電だと5万円からいけるが、これはキツキツだろう。ハワイなら格安パックで2泊3日、家電だとPCは難しく小型液晶TVやゲーム機か。10万なら旅行はほぼ満足。だが、家電なら地デジ対応AV機器、PCとも買なくはないがやや貧弱だ。しかし、25万円なら、長期の海外旅行とハイスペックな家電がいける。庶民のボーナスの夏分だと思えば、各業界にとってもこの設定はやりやすい。100万円ならさらに上の消費活動がいけるし、500万円以上であれば新車も買える、部屋も変えられるが、如何せん当選確率がガクンと落ちる。200人~1000人に1人では、学年に1人とか大会社の社員で1人という感覚だろう。これでは当選の期待が低くて肝心の投票効果が期待できなくなる。投票効果を期待するなら、やはり「数十人に1人」という二桁が心理攻防ラインになるかと思う。個人的には、クラスに1人という確率なら「もしかして!?」と思わせるものがある。ということで、自分だったら四等賞金は当選確率への期待とボーナス感覚を重視して25万円あたりが手頃ではないかと思う。賞金25万円と1/50の確率いうのは微妙だと思う。この確率でもぜひ当てたいという人は学生、低所得層に集中するだろう。組織票的に投票に参加する大企業の社員、業界・労働団体等の組合員とは性格を異にする「第三勢力」だ。この無党派層を中心とする第三勢力の政治参加を促すことが、目玉だと考えてもいいぐらいだ。衆参院とも投票率90%台を狙いたい。もちろん、その目的が達成されたら、投票宝くじの規模はずっと縮小していいだろう。終戦後1946年に誰でも投票できる普通選挙始まって、ほんの15年前の1993年衆院選まで、投票率は70%前後で推移していた。それがここ10年年々悪化し、07参院選ではこれほど注目を集めた選挙だったのに58.6%。自分の経験から言うと、投票所に行く機会があるだけでも、政治に関心を持つようになる。「どうせなら、いい候補に、政党に」と考えるからだ。すると政治関心や有権者意識が高まり、地方議会選、首長選などの選挙にも波及効果が現れるのではないかと思う。民意がより反映されたあるべき議会を作るためには、私たちが国会議員を通じてなにかしら手を打つ必要がある。投票促進と経済回復の一石二鳥を狙った「投票宝くじ」ローリスク・ハイリターンを望む国民性の日本ではウケると思う。できれば、投票率が上がるほど議席が伸びる少数政党に提案してもらいたい。たとえば、かつて地域振興券を強烈にプッシュした公明党の議員さん、汚名挽回にひとついかがだろうか?または、その公明党案を猛烈に批判した共産党の議員さんも、ウチは経済政策だって上手くできるんだ、というところを示す絶好の機会ではないか?国民の大好きな宝くじとしてだけではなく、真面目に経済効果も検討すれば、提案しただけでも大きな支持を得られるというメリットもあるかもしれない。無論、本稿はあくまでネタなので、真面目な考察やツッコミはご遠慮願います。公明党のアイドル・山本かなえさん、この法案いかがですか?
2007/08/18
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前の記事を書いたあとにふと考えたこと。安部首相は「政治とカネ」の問題解決に尽力するという。もちろん「カネ」問題には記憶に新しい裏金や使途不明金も含まれるが、政治献金の問題こそが大きいと思う。今回の選挙結果を見るに「政治とカネ」問題の根本解決には、法制度だけでなく国民の参政意識が大事だと感じた。安部首相は市場原理優先主義といわれるように、これまで明らかに「大企業優先」の政策を採ってきた。この政策を支持する経団連がらみの政治献金は、総合すると毎年数十億円は下らないという。この政治献金は議員の懐も暖めるが、いうまでもなく主に選挙のための潤沢な軍資金として使われる。選挙で勝つために軍資金がモノをいうというのはひとつの真理だろう。しかし、選挙は経団連会長も30代ニートも等しく一人一票である。森元首相の「寝た子発言」に見られるよう、以前から自民党がいわゆる無党派層の動向を特に恐れるのはそのためであろう。極端な仮定だが、有権者が一人残らず投票せざるをえないような法ができたとすれば、政治家はおろか経団連すらも末端の労働者や社会弱者に多大に配慮せざるを得ないのではないか?投票するならなるべく自分の生活が改善されるように・・と願うのが当たり前の人情だろうから。そうすれば、経団連・富裕層が政党にいくら軍資金を調達しても、民意がその政党を拒否するのでは意味がない。もちろん、経団連や富裕層の牽引あってこその日本経済でもある。「経団連・富裕層=悪」という単純な理解はしていない。しかし、あまりにも軍資金の調達者が幅をきかせすぎると、国民は「年収400万円以上は残業ゼロ法」や「GDPは伸び続けるのに生活は不景気のまま」という憂き目にあう。政党と経団連が手をつなぐのは、選挙に勝つことと経団連有利の政策という利害が一致しているからに他ならないのであれば、いまいちど国民は普通選挙の原点に戻って、民意こそが政治も経済も動かすのだという意識を思い出す必要があるのではないか?代議士は、いくら軍資金が調達されても(民意を得られないと)選挙に勝てない。大企業団体は、自分達に有利な政策を通して欲しくても(息のかかった)議員がいない。こういう状態になれば、政治献金の重さがずいぶん変わってくるだろう。前にも書いたが、国民は「世界一の金持ちでなくても、生活満足度は世界一」の日本を求めていると思う。かつて、経済の本を読んでいたときにこういう解説があった。「日本経済は史上まれに見る共産主義と資本主義の融合の成功例だった」「社会システムに共産主義の長所を取り入れ、市場システムに資本主義の長所を活かすことを高度に成し遂げた」「企業は社員の生活給与を重視したため、愛社精神、連帯感、責任感が芽生え、結果的に会社の実力を安定向上させた」という内容であったと思う。なぜ、こういう形の成功が他国でなかったかというと、最大の要因は日本人の国民性に寄るところが大きいからだという説明だったかと記憶している。数年も昔のことなので著書も著者も失念したが、成る程と思ったものだ。このような分析が、経済学の中でメジャーなのか超マイナーなのかは門外漢なので分からない。もちろん、日本のいま置かれている状況はその書が例示していたいわゆる高度成長期とはまったく異なるのも分かる。国際競争力、人口減など新しい問題に取り組まなくてはいけないし、そもそも高度成長期とは人々の意識もずいぶん違うだろう。それでも、少なくとも国民の生活がないがしろにされるような経済政策を容認する必要はないはずだ。国民の生活満足度を向上させつつ、経済も高いレベルで維持するという、非常に贅沢で困難な要求を堂々と政治家にしていい。生活するのも労働するのも私たちなのだから、よりよい生活と労働環境を求めるのは国民の権利だし、「みなさんの意向に添うよう最大限に頑張ります」という政党を支持するのが、当たり前だろう。「公示日からが投票日」というほど期日前投票が充実し、投票所に行くことができないという人は少ないと思う。せっかくの一票。むざむざ捨てるには、あまりにも、あまりにも勿体ない。政策に自信のある政党は、より国民が投票しやすいよう、公選法を改正するよう努力してみてはどうだろうか。民意をもっと政治に反映するためという大義名分が通るはずだ。逆にそのような案に難癖をつけて反対したりするような政党は、国民の信任を裏切って個人欲に走る気満々の「国賊政党」だとみなしていい。とりあえず投票行動を奨励する「投票宝くじ」なんていいのではないかと思っている。国内最大、賞金総額6000億円(年末ジャンボの約5倍)ぐらいドーン!と。大金だが、あの故・小渕内閣の「地域振興券」の予算6200億円と同額で考えてみた。この賞金なら一等5億円を100本打てる。まさに夢の宝くじ。まあ、投票宝くじは冗談としても、権力も富も「民意」の容認あってこそ。次の衆院選は、各党がそう実感するような選挙になって欲しい。「法人税をさらに引き下げるべき」と主張する日本経団連・御手洗会長。法人税率は20年前(1988年)より12%も引き下げられ現在30%。法人税は個人の所得税に該当するものであるが、年収400~600万円の平均的サラリーマンの個人所得税率が20年間ずっと20%に据え置かれている現状を考えれば、大幅な引き下げと受け止められても仕方ないだろう。このため大企業が急速に不況から回復し、成長に転じているわけだが、経団連側は「国際競争力の向上、ひいては国民のために」さらに引き下げるべきだという。一方で、御手洗会長は「法人税減税の補填分は消費税率を上げることでまかなう」べきとも発言している。消費税アップ、定率減税廃止など庶民負担は増加しつづけ、GDP上昇や累進課税見直しの恩恵を受けない多くの人々はじりじり貧しくなっているのに、いったい彼は何を言っているのだろうか?こういった経団連の発言を「自分たちへの利益誘導のため"国民"を錦の御旗にしている」「バブル崩壊以来、経団連の主張が国民のためになった試しがない」などと痛烈に非難する声も多い。【追記】ハナコさんからの情報提供いただきました。冗談で書いた「選挙(投票)宝くじ」ですが、アメリカのアリゾナ州で昨年法案提出されたとのこと。マジメに考える人もいたんですねぇ・・・
2007/07/30
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自民党惨敗の厳しい結果にもかかわらず、安倍首相は29日夜のテレビ番組で「反省すべき点は反省していかないといけないが、私の国造りはまだスタートしたばかりだ。改革を進め新しい国をつくっていくために、これからも総理として責任を果たしていかなければいけない」と語り、続投する意向を示した。自民大敗も続投の意思を表明した安部首相。退陣時には首相候補・麻生氏も続投を支持。------------------------安部首相のガンコなところは時に長所としてよいと思うが、その「国造り」とやらに国民が付き合えないと表明した結果だとなぜ考えないのだろうか?今回ばかりは「国民の声に傾聴して方針を変えるべきところは変える」と素直に言うべきだろう。それを言ったら野党から「ならば、民意を問うべく衆院も解散せよ」となるのは分かるが・・・どっちにしても詰まり手だが、その状況は自民党内部でももはや決定的なようだ。------------------------ 自民党の加藤紘一元幹事長は30日未明、取材に対し、参院選での自民党惨敗にもかかわらず安倍晋三首相が続投を表明したことについて「えっと思った」と強い疑問を呈した。 さらに「続投した場合、首相だけではなく、自民党自体がぼろぼろになる危険性をはらむ」と強調。「よほど政策面で市場原理主義からの大転換など大胆なことをしないといけない」と述べた。 また、山崎拓前副総裁も29日夜、地元民放テレビに出演し、「国民の審判だから謙虚に受け止めなければならない」と述べ、退陣を決断しなかった首相を批判した。-----------------------国民の多くが「もう安倍に付き合う気はない」と表明した今となっては、「安倍では6分4分、悪くすると7分3分の戦でも勝てない」と考える自民党員も多いだろう。「引責辞任は責任をとったことにならない」というケースがまま見られる。責任者が辞めても、なんの生産性もない。それより、滅私奉公して、残された限りの任期を償いに励むべし、という考え方だろう。しかし、少なくとも私は「この先1日たりとも安倍首相に国造りに励んでもらっては困る」と投票所で告げたつもりだ。とはいえ、「個人は4分6分の不利でも民主なら勝てる」状況の今回、32議席から60議席の大台を突破し、初の第一党となった民主(小沢代表)も、国民からすれば政策の内容、具体性、実現性が見えてきたわけではない状況に変化はないだろう。今回、参院選で勝てても、衆院で勝てなければ政策を実現することすらかなわない。内閣の失言・スキャンダルだけを追い風にするには無理があるだろう。この先、この首相では結果的に富の再配分が行われない日本になる…との危惧は大きいはず。参院第一党として、何を主張していくのか?どんな議論を積み重ねていくのか?早期の衆院解散に執着するあまり、国民が民主党の今後の振るまいこそを見ているということに気付かなければ「追い風」「タナボタ」では衆院で勝つのもおぼつかないし、たとえ勝っても細川連合政権なみの短命に終わるだろう。「政権を取りたい輩の呉越同舟」とのレッテルがまた顕わにならないよう祈る。
2007/07/29
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法学を勉強する人にとって、中立的な法曹家的思考を学ぶのに好評のモトケン氏「元検弁護士のつぶやき」中の記事「光市母子殺害事件の上告審弁論について」が安田弁護士らの行動について刑訴法413条と引き合いに考察されており非常に興味深かったので、下記のようにコメントした。-----------------------------No.37 真鍋かおり さんのコメント | 2007年07月28日 05:44 | CID 69683 | (Top)私は法曹ではありませんが、法学はたしなみ程度にやっています。弁護士は現代日本でも希有なムラ社会の生き物です。一般国民からすると、その職業性を差し引いても、まったく珍妙としか取れない発言をする(せざるをえない)のは、生態まで考慮すれば「アリ」でしょう。しかし、そこまで理解を示しても、今回の安田弁護士らの発想や具体的行動は私の限界を超えている。モトケン氏の「刑訴法413条を延命のために利用しようとしているのでは?」という推測を読んで「成る程」と感心する一方で、ますます分からなくなりました。なにも、「彼の人間性が理解できない」という類の感情を言うのではありません。「弁護士の中でも極端な死刑廃止論者である安田弁護士」というフィルターで、冷ややかに彼を見たときにどうしても分からないのです。これだけ社会の関心を集める事件。さらに、被害者遺族である本村氏が堂々たる死刑存置論者であることを、マスメディアが取り上げている。死刑制度という観点のみから言えば、オウム事件よりも注目度が高いとすら言え、歴史的にも重要な裁判でしょう。法曹界だけではなく、世間一般でも今後の死刑を考える上で「語りぐさ」になるであろうことは疑いありません。そんな中で、まず、モトケン氏ご指摘のとおり、構成要件のうち(誤りとの指摘アリ※構成要件(法律用語wikipedia))計画性ではなく、その前の殺意を争おうとしている点。法廷戦略として明らかに無謀です。しかし、このやりかたは弁護手法の無理だけではなく、被告人の証言の無理も産む。結果、怒りを通り越して失笑する程の珍妙な証言の山となり「甘える気持ちで」「死体を蘇生」「ちょうちょ結び」「来世で結婚」これでは、国民の応報感情を高めるだけでしょう。弁護団がこのセリフを与えたことは疑いないが、百歩譲って被告人のオリジナルだとしても、弁護団による「火消し」が見られた様子もなく容認しているとしか思えない。マスメディアとネット界で、被告人の発言や態度が、痛烈な批判をもって、あるいは面白おかしく、どうしても不利にしか取り上げられない。仮に安田弁護士らが、その危険性を踏んででも、刑訴法413条を利用しようとしたのであっても、それは1人の延命にはなるかもしれないが無期(地裁)→無期(高裁)→死刑(高裁)→死刑(最高裁)というルートを辿ることになり、本件を歴史的にも強固な死刑支持判例として存在せしめる結果になるでしょう。以上、それぞれを鑑みるに中嶋博行の言い様ではないが、「死刑廃止論者・安田好弘」が今後の実務的な法の運用上のみならず、国民感情の上でも、死刑を支持しやすくしているとしか思えない。国民感情が死刑を支持しているかどうか?この認識こそが、法の番人である前に、一人の弱い人間である裁判官の背中をこれまでどれだけ押してきたか。それを知らない安田弁護士ではないでしょう。どんな悪魔でも弁護する、どんな悪魔の命でも救うという安田弁護士の姿勢は理解できないではない。悪魔すら救おうとした弁護士がいたという事実のみであれば、死刑廃止論を後押しするでしょう。しかし、死刑制度を国民感情の上でも、法運用の上でも堅牢なものにしてしまった弁護士がいたとしたら、理解が真逆になります。いったい、日本中のどれだけの刑事弁護士や弁護士を目指す人々が、今回の安田弁護士らの法廷戦術に嘆息をついていることか。。。どうやっても「死刑廃止」を訴えたい理性人のする行動ではないとの感が強いのです。私にとってかろうじて一つの理解の仕方は、安田弁護士を「死刑廃止論者」としてではなく、怯懦の人と見る方法です。死刑をもって敗北した弁護士が、あたかも自分が被告人に死刑を言い渡したかのような錯覚にとらわれると聞きます。安田弁護士がある種の「後遺症」ともいえるであろう怯懦をもって、死刑となろうとする現在の被告人を助命することに執心するあまり、それが後々の社会に与える影響を鑑みないと考えれば、そして、彼の展開する死刑廃止論は、その延長線上にある理由付けにすぎないと考えれば、かろうじて納得できなくはないのです。そのためには、あの熱く堂々とした安田弁護士の瞳の奥底に、怯えの炎がゆれるのを見なければならないのですが・・・ 他の人にも読んでほしいコメントに1票を -----------------------------残念ながら、どうやらこのコメントに対するモトケン氏の意見は聞けそうにない。fuka_fuka(イソ弁)なる、ハンドルネームからして弁護士であろう人が私のコメントに過剰反応してしまい、板が荒れそうなのでこちらからのコメントの扱いをモトケン氏に一任して去ってきたからだ。詳しいいきさつは下記のとおりである。-----------------------------No.38 薬屋の企画屋さんのコメント | 2007年07月28日 08:35 | CID 69695 | (Top)No.37 真鍋かおり さん安田弁護士に対する評価は違うかもしれませんが、おっしゃりたいことに100%同意します。 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.39 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント | 2007年07月28日 09:25 | CID 69699 | (Top)>>37真鍋かおまで読んだ# 一言だけマジレス 日本の殺人罪や強姦致死罪に「計画性」なる構成要件はない。 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.40 psq法曹さんのコメント | 2007年07月28日 09:37 | CID 69707 | (Top)真鍋かおりさんご本人なのでしょうか?(マ、それは話の枕ということで)被害者の声が強くなって何も言えなくなって来ているような現状(一般論です)に対して、自己の職務・職責を使って、果敢にものを言っている(そしてそれが被告人の望むところでしょうから)と考えたりする今日この頃です。 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.41 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント | 2007年07月28日 09:58 | CID 69712 | (Top)psqさま「眞」でも「を」でもありません。自分のブログへのアクセスが欲しいだけでしょう。それが偶然「似た」実名であってもなくても。フィッシングの一種ですねw 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.42 真鍋かおり さんのコメント | 2007年07月28日 10:55 | CID 69724 | (Top)>>薬屋の企画屋さん力強い同意、ありがとうございます。>>psq法曹さん被告人の望むところ・・・ですか。ものを言うことが彼の望みは延命、助命だけだと思いますが。私は被告人を気の毒に思うことすらあるのですよ。彼が本心から「悪人のまま終わりたくない」と言ったのなら弁護団の方針が、少なくとも法廷で彼に悔悛の善人であることを許さないのですから。>>fuka_fuka(イソ弁) さんご指摘ありがとうございます。日本語を広くとらえて死刑支持の構成要件・・・とでも置き換えてお考えください。その方が当方の意思もよく伝わります。単純に安田弁護士に迷惑だと思うときもあるのではないですか?弁護士に対する認識も一昔前よりずいぶん変わってきましたし。 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.43 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント | 2007年07月28日 11:16 | CID 69727 | (Top)>>42その名前でナニを掻いても説得力null既存の価値にfree rideする必要があると考えている時点で自分の固有の意見に価値がないと自認しているのだろう私はそうみなすお前がやっていることの悪質性は"goggle"と同レベル。http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=118541納得したならそのブログは閉鎖して名前変えて引っ越しな。 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.44 fuka_fuka(イソ弁) さんのコメント | 2007年07月28日 11:24 | CID 69730 | (Top)> 日本語を広くとらえて死刑支持の構成要件・・・とでも置き換えてお考えください。自分から「構成要件」というテクニカルタームを使っておきながらこうやって後出しの言い抜けをする人間を私は徹底的に軽蔑するここで続けるのは迷惑かもしれんので、場外乱闘掲示板に 「真鍋かおり(≠眞鍋かをり)を叩こう」 というスレでも立てようか? 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.45 薬屋の企画屋さんのコメント | 2007年07月28日 12:33 | CID 69736 | (Top)No.43 fuka_fuka(イソ弁) さん>既存の価値にfree rideする必要があると考えているこの問題については同意 他の人にも読んでほしいコメントに1票を No.48 真鍋かおりさんのコメント | 2007年07月28日 18:46 | CID 69786 | (Top)>fuka_fuka(イソ弁) さん当方に関する不快感をお示しになるのはご自由ですが自覚されているとおり、こちらでは場が荒れます。ご自分のところ、場外、私のところいずれでもかまいませんのでご非難の場をご移動ください。>管理人さま至って真面目にコメントしたつもりでしたがもともとの私のHNとブログの名がふざけていたばかりに思わず一部の人を過剰に刺激してしまい、場が荒れてしまいました。当方のコメントの扱いについてはお任せします。私はこのようなお客さんがいらっしゃる以上、下がらせていただきます。文字通り彼の中では「シャレにならない」ようである。過去ログを読むと、彼は弁護士として専門知識や自身の見解について頻繁にコメントしている人のようである。私が>弁護士は現代日本でも希有なムラ社会の生き物です>弁護士に対する認識も一昔前よりずいぶん変わってきましたしなどと書いたものに弁護士として、反感を抱いたのだろうか?それにしても執拗な感がある。モトケン氏より頻繁に登場している時もあることから「ヌシ」的存在を自認しているのか?少なくとも私のコメントに限定とはいえ同意した人、または意見を述べた人に「被せる」形でコメントしてくるところを見ると、どうやら彼のパーソナリティに原因がある気もする。残念ながら、場の空気をよめなかった人間とよめない人間がいたということだろう。。。せっかく長文で書いたコメントが削除されるのは残念なので残すという意味と、こういう人間がいますよ、という意味で記事にしてみた。私のブログで虚偽なくあったことをあったまま書くのに、さすがのfuka_fuka(イソ弁)氏も異論はないだろう。
2007/07/28
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山口母子殺害事件の最高裁審理差戻しや安田弁護士ら21人の大弁誤団と被告人・福田孝行の裁判での様子については、他ブログに詳しいので譲るとして、被告人・福田孝行がここにきて反省の手紙を遺族・本村洋氏に送りはじめたという事象が興味深い。実は、本村洋氏は福田孝行のこの行動を7年前の事件発生直後に予言していたのである。福田孝行は犯行当時未成年であったことから、せいぜい7~8年で出所できると信じていた。----------------------福田孝行が知人に宛てた手紙「五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし」----------------------よもや検察が法の善良を信じて一審、二審の無期懲役を不服として、最高裁まで粘るとは思っていなかったらしい。しかし、本村洋氏は最初から違った。彼は報道番組「ニュースステーション」でこう切り出した。「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺します」これは、ただの復讐予告ではなかった。さらに彼はこう続けたのだ。「死刑を廃止してはいけません。死刑の意味は、殺人を犯した人間が、自らの罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が冷たく奪い去ることです。その非業さと残酷さを思い知ることで、命は等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、だから死刑が存在する意義があると思うのです。」私の記憶と他ブログ参照の言葉なので、一字一句正確でないのが残念だが、彼はたしかにこういう内容のことを言ったのだ。そして、本村洋氏のこの発言の通り、被告人・福田孝行は一・二審とも一貫して犯行を認めつつ上記のような手紙をのうのうと書いていた。本村は死刑の意味を公共の福祉(社会)に求めたが、当の本人が人の命の重さと尊さを自覚していなかったのだ。----------------------福田孝行が知人に宛てた手紙「犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま『やっちゃった』、・・・これは罪でしょうか」「選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある」----------------------そして、最高裁審理差戻し・・・すなわち、過去の判例では実質的な死刑判決予告に至って、はじめて罪を悔いる努力をはじめた。「本村さんの心情や意見を知りたい」と、それまで読んでもいなかった死刑を求める本村さんの公判調書を読み、さらには本村洋氏のインタビューが載った雑誌や新聞の差し入れまで求めはじめた。そして、本村氏へ反省の手紙を送りはじめた。ついに、福田孝行は「罪は重く極刑以外ないが生きたい。悪人のまま終わりたくない」とまで言った。法学を知った今、本村洋氏の死刑存置論、その内容に改めて驚かされる。死刑制度なくして、福田孝行がここまで積極的な反省ができたであろうか。福田孝行自らの「極刑以外にない」「生きたい」という言葉は、間違いなく死刑制度が存置してこその発言だ。哀しいかな、彼のように自分の命の危険を感じなければ、他人の命の尊厳を知ることができない人間がいるということだ。そもそも、日本の司法で死刑が保持される理由はたった2つである・憲法で人権制限が認められていること・司法が死刑を違憲でないと認めていること後者は言うまでもなく1948年、最高裁が「死刑は(憲法で禁じられる)残虐な刑にあたらない」としたこと、そして60年を経た今日もすべての裁判でその判断が堅持されていることである。この二本柱のどちらかが崩れることがなければ、日本の司法では死刑が維持されるであろう。では、その司法が拠り所とする「法」において、今後も死刑が維持されるかどうか?これは世論が、日本国民が決めることである。国家による究極の人権制限行為「死刑」の合理性を日本国民がどう納得するか。これが、死刑存置論と死刑廃止論の分岐点である。確かに、死刑の存置理由を予防効果(一次予防、特別予防)に求めるのは非合理ではない。しかし、これのみで日本国民は諸外国と同様「法」を維持しないであろう。むしろ、刑罰に矯正効果のみを求めているわけではない。被告人が犯した罪に相当する罰を与える罪刑の均衡感すなわち、バランス感覚こそが日本における死刑存置論の大きな拠り所だと思われる。なれば、死刑存置論という「合理的な生命剥奪」を罪と天秤にかける錘(おもり)としてあえて維持するのはなぜか?それは、日本国民が、人の命と天秤にかける錘を持たないからであろう。日本国民のバランス感覚は特定宗教にも揺るがず、社民党・福島党首や国民新党・亀井党首らのようなトップ政治家のプロパガンダにも惑わされない。死刑制度を無くした国=道徳的な国家だというわけではないことを知っているから詭弁に惑わされない。死刑を実質的に無くすのは簡単である。死刑廃止法案を国民の代表たる議会で通過させるのも簡単である。事故でも誤りでもないほど故意に満ち、かつ同情の余地もない残虐で自己中心的な程の凶悪犯罪を思いとどまればよいだけだ。そうでない犯罪では懲役刑にしかならない。事実、死刑相当犯罪は毎年千数百件の殺人事件のうち、たった数例しかないきわめて特殊な犯罪である。絶妙のバランス感覚を持った日本国民・本村洋氏は、死刑の意味は「悔悛までした犯罪者が命を奪われること」だと言い切った。福田孝行がこの後悔悛し、たとえ死刑を言い渡されたとしても、後の生涯を見事に生ききって、ロープを首にかけられたとしたら。その時に、すでに福田孝行を赦していた国民は、「善人の死刑」という違和感覚の狭間で、ようやく被害者である母親と少女の命の重みを思い出すだろう。そして、社会秩序の堅牢さを痛感するとともに、自分たちがそういう社会で生きる存在であることをどんな道徳教育よりも優れて教えられるだろう。はたして7年前、若干23才の若者であった本村洋氏の予言は的中した。死刑制度は、25才の福田孝行に命の尊さを実感させた。もし、悔悛し善人となった福田孝行の死刑が執行されれば、日本中に命の尊さを思い知らせるだろう。なぜなら、死刑制度がある日本で凶悪犯罪を犯した"悪人の"福田孝行は、被害者二人と"善人の"福田孝行の三人もの尊い人命を奪った、と理解するしかないからだ。そうすれば、日本国民はゆめゆめ「懲役150年」が人命と釣り合える刑罰だと思いこむような愚行(愚考)に及ばないだろう。最も人命を尊重する国家が、死刑制度を堅持している事実をもって、テロや戦争に走る世界中に命の尊さを訴え続けるだろう。改めて、人が人を殺さない善良を信じて、そして人が人を殺さない日が来るために、我々は死刑という制度を維持しているという面に気付かされた。それを大学新卒と同じ23才で、過酷極まりない精神状況の中で、時にバッシングの対象となりながらも毅然と指摘した人間がいた。----------------------福田孝行が知人に宛てた手紙「 被害者さん(本村洋氏)のことですやろ?知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。・・・でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」----------------------本村洋、恐るべし。罪を忘れて刑を語ることなかれ・・・死刑の理由 (井上薫・新潮文庫)1984年から1995年までの12年間に、最高裁の判決で死刑が確定した全43件について、「死刑の理由」が述べられている。なぜ裁判所は死刑という判決を下したのか。似たような事件では無期懲役だったのに。死刑と無期懲役の境界線はどこなのか。死刑を考える上で、なぜ裁判所が死刑という判決を下したかを知る必要がある。でなければ、死刑という制度について議論を進めることは難しいだろう。この本は、あくまで資料である。しかし、死刑を考える上で、必読の資料である。どのような「罪状」で死刑になったのか。裁判所はどのような判断を下したのか。ただ新聞記事で「死刑」という結果を見るだけではなく、その過程を知るためにも重要な一冊である。
2007/07/26
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TV、映画化もされた浅田次郎 不朽の名作「壬生義士伝」貧困のため愛する故郷を去り、新撰組に入隊。土方歳三をはじめ齋藤一や沖田総司ら剣客に一目置かれるほどの達人ながら、出稼ぎ浪人と蔑まれ仕送りを続けた質朴な吉村貫一郎の姿が、サラリーマン世代を中心に共感を集めつづけている。その壬生義士伝上下2巻の最後を締めくくるのは、最大の読ませ所(泣かせどころ)といわれる全漢文で書かれた親友・大野次郎右衛門の手紙だが、いかんせん漢文のため読みにくいとの声もある。そこで、私なりにできるだけ正確を期して現代語訳してみた。断って置くが壬生義士伝を最初から読まずして、この手紙の真意は読みとれないだろうし、感情移入もできないだろう。必ず本を読んでほしい。------------------------------------謹啓 寒中の折 御全家御前ますますごお栄えの事のことと 大いに慶ばしく存じます大坂(蔵屋敷)勤務以来 あまりにもご無沙汰すぎて恐れ入ります突然手紙でかように大事なお願いを申し上げること この上なく失礼と承知しておりますご無礼を重々承知しておきながらではありますが この件につきましては 拙者一生のお願い事とご理解くださり なにとぞお聞き届け願います首を垂れ手を合わせお願い奉りますこの度の奥州騒動(秋田戦争)の件につきましては 風聞をお聞きおよびでしょう さぞかしご心配くださっているかと存じますはなはだ不本意ながら 戦乱の件は(盛岡藩の敗北で)とりあえず落着し ついては拙者は逆賊の首謀者の大罪と裁かれ いま盛岡城下の寺にてご沙汰(斬首処分)を待っている次第でございますこの書状がご尊台(あなた様)のもとに届いた頃には 既にご沙汰が下っているでしょう (ですからこの書状は)拙者の遺書とお心得くださって なになにとぞ ご無理ご無礼を お聞き入れ願いますよう お願い申し上げますさて この手紙を持参した者 名を佐助と申し 拙家(大野家)に永らく忠勤してきた中間(召使い)でございます容貌いかめしい大男でございますが この度の戦では常に拙者の馬口(馬引き)を務めた忠義の者ですので どうぞご安心ください お願いというのは 寒中佐助に同行し盛岡の国を出てきた少年のことでございますこの者は我が藩の縁故のご子息ではありません むろん 拙者の家系の者でもなく ただ 拙者の組付配下(直属の部下)の足軽の息子でございます主家縁故のご子息をさておき ましてや 拙者の家系の者もさておき 足軽の息子一人を ご尊家に委ねようとする理由を 残さずお聞き入れくださいこの者の父 姓名を吉村貫一郎と申す者で 去る鳥羽伏見の戦中 討ち死にいたしました(この者の父が)文久二壬戌の年(1862年) 盛岡の国を脱藩した時 この者の母は決死の夫が盛岡に帰ることはなかろうと 未だ生まれざる子に (父と)同じ貫一郎の名前を与えましたよってこの者 姓名を吉村貫一郎と申しますご尊台様に重ねてお願いします この先この者の姓名を変えることないようご配慮ご養育たまわれば幸いの至りでございますそれならば このような大事なお願い(養育の願い)をした上で さらなるご無理(姓名不変の希望)を申し述べる理由を しっかりご説明申し上げますこの者の父は誠の南部武士にてございます義士でございます身分はわずか二駄二人扶持(俸禄:米14俵に相当)の小身(下級武士)なれど その人格は質朴(偉ぶらない)誠実 高邁(志高い)潔癖にして賤しいところがなく まさに本邦(日本)の武士道の鑑(かがみ)でございます天保五年甲午の年(1834年) 盛岡城下の上田組丁同心屋敷に生まれ それ以来 日々怠ることなく勉学に勤しみ 撃剣に励み ついには 藩校講学の助教(教官)兼剣術教授方の大任を務めるまでになりましたその学識 技量 藩士の中でも抜群でしたので (本来であれば)立身出世につきましては しかるべき処遇にあるべきですが なにぶん足軽という小身の生まれでございますので 昇格は叶わず さらに藩政が窮迫していた時期のため お役目料などの御代物(報酬)を 特別に給することもできず ただ (父祖)代々受け取ってきたわずかな禄(二駄二人扶持)のみで妻子を養っておりましたそれでも 生まれついての質実で身のほどをわきまえ あえて富貴を欲せず 道を良く知り 貧賤をいやがることなく 同輩の窮状を思いやり 拙者をはじめ 上司の情けにも頼らず 赤貧を洗う窮迫切実の日々をすごしておりました重ねて申し上げますこの者の父は誠の南部武士にてございます義士でございます天保の年以来 百姓領民が(不作で)飢え 空腹のあまり眠れぬという惨状を察し この者の父は 己一人の栄達(出世)を潔しとせず 仁慈(思いやり)の衷情(誠意)をもって貧しい身の上に甘んじておりましたよくよく思慮するに 学識や技術の卓越というものは ひとえに各人の努力精進のたまものであるのに その質力(実力)を評価できなかった事は 組頭としての拙者の不徳のいたすところでございます 面目ありません拙者は盛岡藩の勘定方差配(経理責任者)のお役目を与えられ 多年にわたり奮励努力いたしましたが このように 藩の財政を回復できず 百姓領民の苦渋を救済することもできず 藩士の生計(の救済は)言うに及ばず ついに 吉村をはじめ有能の士をして 脱藩の挙におよばせました 多くの罪わざわいはすべて 勘定方たる拙者ただ一人にありますですから拙者は 不倶戴天の賊(決して許されざる罪人)であります(しかし)天朝のご沙汰をお待ち申し上げる身なれど 錦旗に弓を引いたことについては いささかも悔悛(後悔反省)の念などなく ただただ(藩財を立て直す勘定方として)お役目の至らなかったことだけが 万死に値する大罪と存じておりますむろん近々斬首の土壇場に臨んだ際には拙者は非力のため 窮状を救うことができなかった百姓領民足軽同輩諸士に向かい 心よりお詫び申し上げますそもそも 拙家は代々四百石もの大録を賜り 組付の足軽三十人余をあずかる身であったにもかかわらず ひたすら藩政の安泰に粉骨しお殿様とその家名の安寧にのみ奔走してきたことが 大きな間違いでございました畏れ多くもこのたびご公儀(徳川)と幕閣のご失態の原因は 拙者の間違いと同様 百姓領民足軽郎党の苦難をみじんも斟酌することなく 長年幕府の安泰と家名こそが大事と執心してきたことにあると拝察いたしますこのような事が すなわち 忠義であるはずがなく ただ単に各々の保身にすぎません愚なことに拙者も忠義の言葉をかりながら知らぬうちに保身を計ってきたのですですから幕府が転覆したのも 公方(徳川)様ご災難の顛末も ことごとく天誅と存じます 私の四百石の俸禄は民の脂汗 徳川様の八百万石もまた民の汗 民の血にてございます 昔からこれ(民の苦労)により 武士は武士たる長年の優位を保ち続いてきたのであります言うまでもなく士農工商の分別など笑止千万の勝手な理屈でしたので 早速天誅が下り 武士同士が相撃つところとなりましたつまり 黒船来航以来 攘夷論が 世の中をおおった(武士の世が終わった)という経緯は 全部幻影にございます (真実は)徳川幕府成立以来二百六十余年 各家門が世襲の代を重ね 士道がうしなわれ (武士は)保身しか考えない獣の群れとなり果てた(滅びた)のですしかしながら 蛮勇で無能の獣の中ただ一人 赫々たる(立派で本物の)武士の鑑がここに有りました重ねてお願い奉りますこの者いまだ少年ではございますが この者の父は 誠の南部武士にてございます義士でございます拙者がご家老の楢山佐渡様をはじめ御重臣の方々に意見し 天朝に刃向かって戦乱を起こすに及んだ理由は ただこの一つの思いにありますこの者の父吉村は 身命をおしまず妻と子供のために戦いました その行いを軽率な輩の賤しい行いだと言い下す者が 多々いましたが 拙者よくよく思いを巡らしたところ その行いは まさに男子の本懐 士道の精華と思い至った次第ですよって拙者は吉村貫一郎の士魂を 南部一国と 取り替え申しました妄挙(無分別)だ狂気の沙汰だという 非難は十分覚悟の上でございますしかしながら この後予定どおり 御一新がめでたく成功し 統一された皇国が確立されすべての段取りがうまくいったとしても 万一 一兵が妻子をかえりみず滅私奉国すること これをもって義となすような世の中になれば かならずや 国破れ 異国の奴隷となり果てるであろうと拙者は固く信じておりますわが国日本人は 古来より義をもって至上の徳目としてきました しかしながら 先人が意図をもって 義の一字を盗み意味をすり替え 義道とは忠義のことであるであると定めました 愚かなことです かくのごとき詭弁(人心を惑わす弁)こそが天下のあやまりでございます義の本領は正義に他なりません 人の道の正義をこそ(義と)いうのでございます義がひとたび失われれば かならずや 人の心は荒れ果て 文化文明がいかに興隆しようと関係なく 国があやうくなることでしょう 人の道の正義を道をかえりみずして 何の繁栄や幸福がありましょうか日本男児が 身命を惜しまず妻子のために尽くすことは 断じて賤しいことではなく 断じて義の行いであると存じますよって拙者は後世の万民のためと思い定めそしてそう信じて母国南部 父祖の地盛岡 郷土の山河 ことごとくお殿様をはじめご家門の方々 ご朋輩 郷友の皆々様むろん拙者の一族の者の命も ご一新の皇国に捧げましたさいわい城下の焼失はのがれましたが この後お国替え減封の罪状をまぬがれないでしょう また 幸い死を逃れたとしても 皆々様が賊の汚名を着せられ 辛酸を嘗めるであろうことは必定でしょうしかしながら 南部士魂の一滴が 苦難の後に残ったならば その一滴は 北上の大河となり ご一新の皇国を 必ずや正道に導くことでしょう吉村貫一郎が常々申していたことがあります南部の桜は岩を割って咲くと(拙者は)その一言に感銘し 非力ながらこれまで実力以上の精進をなすことができたのです(今までの人生を)省みてこのような結果となったこと 力の及ばざるところではありますが 私個人の努力精進という点においては一片の後悔もありません 岩を割って開花する春は来たらずといえども ここまで死力を尽くした事は 士道の冥利と存じています畏友(尊敬する友)である吉村貫一郎君の最後は 誠に見事でありました死に臨んで五体をことごとく妻子に捧げ尽くしたその亡骸(なきがら)には 血の一滴すら残っておらず わずかに死顔に 涙がひとすじあるのみでした何度言っても言い尽くすことはできませんこの者の父は誠の南部武士にてございます義士でございますどうか心よりお願い致します ご尊台 この少年をお膝元に留めおき給わりご配慮ご養育くださいませ平伏し手を合わせ 心より お願い奉ります義士の血脈が いつの日にか岩を砕き 枝もたわわに開花することを 夢幻の中で慶賀してこれにて筆を置かせていただきます 恐惶謹言(敬い申し上げます)明治二年己巳二月八日 大野次郎右衛門 拝江藤彦左衛門殿 御侍史------------------------------------〔追記〕江戸幕末の一俵は現代の価値で5~7万円。吉村貫一郎の二駄二人扶持(14俵)は、年収100万円未満の給与ということになる。しかも、この頃の盛岡藩はほぼ隔年で無収穫という悲惨な有様であった。
2007/07/21
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いうまでもなく、君が代は『国旗及び国歌に関する法律』で定められた、日本の国歌である。この君が代について、様々な議論や事件が起こり混乱が生じている。その多くは、君が代の「君」が指すものについての理解によって生じていると言える。君が代の「君」って誰?小・中学生あたりに聞いたら、半分が「天皇陛下」と答え、半分が「分からない」と答えるだろう。まず、間違いなく言えることは正解は後者の「分からない」だということだ。そもそも、君が代の歌詞は平安時代の詠み人知らずの詩である。だから「君」が誰なのか、詠い手以外の誰も知っているはずがないのだ。もともとこの「君が代」については、詠み人が自分を厚遇してくれた家に、その家系が永く安泰であるよう誓願した詩という説が根強い。さらには恋人説、恩人説など、自分が大切に思う人の幸せを願った詩という説もある。天皇説もないわけではないが、仮にそうであれば内容から御前披露された歌(端的にいえば「おべっか」)であろうから、貴族または皇族であるはずの詠み人の名が残っていないのはいかにも不自然というもっともな疑問がある。だいたい、当時「神」であった天皇に対して「君が…」などという呼び方は畏れ多くてとても出来ない。当時なら不敬として処罰ものだろう。そんなミスをすることはありえない。要は「君=天皇」とすると文法的に整合性がとれないのだ。このため、「君=天皇」説に多くの学識者は否定的である。「君」は天皇以外であるのは文法からも明らかだらだ。君が代は平安時代から貴族などの間で親しまれていた普通の「縁起のよい歌」だった。明治になって政府の英国人顧問が日本に国歌がない・・・というより国歌という概念そのものがないことを知り、大山巌(西郷隆盛の従兄弟、後の元帥)に「いまや国歌のない先進国などない。日本の国際化のために国歌を作るべきだ」と進言した。そこで大山巌らは、永く広く親しまれていた「君が代」に曲をつけて、即席国歌とした。この時点で「君=天皇」などという解釈は一般的でなく、日本古来の雅歌に曲を付けたもの、という程度の(有り体に言えば簡単に作った)国歌であった。そのような即席国歌であったが、君が代は日本国歌として、国内外の公式舞台で歌われ、世界的に認知度を広めていった。特に猛々しい国歌の多いヨーロッパ人は、君が代に日本的な美しさを見いだし高く評価していた。君が代をとりまく情勢が急変したのは満州事変以来の第二次世界大戦。統帥権(軍部は天皇直属であって独立性があるという主張)をふりかざした軍部は「天皇」の威光を徹底的に利用した。それから「君=天皇陛下」という解釈が強調されたのだが、いうまでもなく、これは政治意図をはらんだこじつけの域を出ない。そして・・・太平洋大戦後。内心の自由を保証した日本国憲法が成立した後も、いまだ「君とは『天皇』のことで間違いない!」と勝手に強弁しているのは、日教組や左翼・右翼団体である。(日教組には古典の教師もいるだろうに、文法上おかしいことを無視するのか?)日教組や思想団体が「君とは天皇陛下」「君が代は天皇陛下賛歌」と勝手に言っているのだ。ウソだと思うなら、政府・・・国旗国歌法を所管する文部科学省に「君が代の『君』とは天皇陛下のことですか?」と聞いてみるといい。文部科学省は「いいえ、君を天皇とするのも国家とするのも他のものとするのも、解釈はあくまで個人の自由に委ねられています。」と答えるだろう。実際、国旗国歌法が施行された後の国会答弁では、そのようなやりとりがあった。政府は「君は天皇あるいは日本国とする解釈が普及している」としながらも、「あくまでも『君』の解釈は内心の自由に委ねられる」と明言している。だから、日本国民の一人一人が「『君』とはわたしの大切なるもの」と解釈して、君が代を歌ってよい。それこそが憲法が保証する内心の自由というものである。しかし、日教組が「君とは天皇のことだから、君が代斉唱は天皇賛美、ひいては民主政治の崩壊と軍国化につながる」と子供達に教えがっているとしたら、それこそ恣意的な解釈と主義主張の刷り込み。日教組がやっていることこそが、子供達の内心の自由を束縛する違憲行為に他ならない。 さらに言えば、内心の自由とは「君が代の君が天皇陛下で何が悪い」「君が代は美しい歌だ」「天皇陛下は上品だし温厚そうで好きだ」と考えてもまったく自由ということだ。内心の自由の前には、教師であっても子ども達に「天皇を敵視せよ、君が代を拒否せよ」などと束縛することはできない。極端に言えば、内心の自由とは「日本も中国共産党やナチ党の様な独裁制をとるべきだ」「中国やナチスドイツのようにどんどん侵略戦争をすべき」というような考えであっても弾圧してはいけないという考え方なのだ。ここで現場の教師の皆さんにはっきり申し上げたい。国歌斉唱が気にくわなければ不本意に面従腹背する必要はない。ただちに教師を辞めればよい。伴奏しない?起立しない?国歌斉唱を妨害する?民主国家で法を変える術を知らず、テロまがいをやる輩に教師たる資格はない。ただちに教壇から去るべきだ。もう一度申し上げる。教師がテロや反民主・反自由の模範を示してどうする!!即刻現場から去れ!!そして子供たちを二度と汚すな!!良識ある現場の教師の皆さんに心よりお願いしたい。子供達に君が代を説明するときには「『君』というのは天皇や日本でなくてもよいのです。国が憲法が『君』はあなたの大切に思うものでよいと公式に認めています。この歌は、あなたの大切なものが永く平安でありますようにという歌ですよ」ときちんと教えて欲しい。日本国憲法が堅守する思想・内心の自由のもとに高らかに歌いあげられる君が代。「わが大切なるものよ どうか永く永く安泰なれ」という日本国歌。「君」はなにも我が国や天皇陛下などでなくてよい。家族や友人・恋人でもよい。地球を「君」と想いながら恒久の安泰を歌ってもいいのだ。これこそまさに平和憲法の国にふさわしい国歌だと私は思うが、いかがだろうか?--------------------------------日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。(ラモス瑠偉 元サッカー選手・監督、ブラジル出身、32歳で日本に帰化)--------------------------------
2007/07/19
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初防衛戦に亀田興を指名 WBC新王者の内藤 18日の世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチで勝って新チャンピオンとなった内藤大助(宮田)が19日に東京都内で記者会見し、初防衛戦の挑戦者に人気者の亀田興毅(協栄)を希望した。 内藤はこれまで亀田興との対戦を希望しながら実現しなかった。内藤は「勝つ自信はあるし、正直言ってやりたい。大みそかの生放送で(『亀田のけんか祭り』でなく)『内藤祭り』なんてどう。またうまいこと言って逃げるんじゃない?」と挑発気味に話した。記者会見でチャンピオンベルトを肩に掛けるWBCフライ級新王者の内藤大助(32)(共同通信)--------------------------亀田父と金平会長の頭から湯気が浮かぶのが見えるようだ。しかし、理由はどうあれ協栄の同門・坂田との試合をやりたい亀田陣営。内藤は「逃げるんじゃない?」などと亀田の退路を断つ先述に出て、一気にスターダムにのし上がるため、亀田を踏み台にするつもりらしい。しかし、あえて筋道を言えば、3度も挑戦を受けてくれたポンサクレックが対戦の意を示してきたら、絶対に受けなければならない。WBA王者・坂田が統一戦を挑んできたら、一歩も引いてはならぬ。現時点でWBAフライ級ランカー、すなわち一介の選手にすぎない亀田のことはせいぜい3番目の選択肢だ。亀田陣営も敵地ホームの有利も関係なく、素人目にも明かな大差3-0判定で、絶対王者・ポンサクレックを破った内藤を軽く見るわけにはいけない。なにせ「向こう(タイ)は判定がおかしいから」と敵地での試合を避け続けてきた亀田に対し、内藤は敵地も含めタイ人と試合をすること9戦8勝(7KO)すなわち、ポンサクレック以外のタイ人をことごとく「判定不要」のKO勝で破ってきたのだ。そして、今回の勝利も判定の有利不利を挟む余地のない見事な「判定勝ち」だったのだ。これだけ見ても「口先だけ」の亀田と「実際やってのけた」内藤の価値の違いが分かるというものだ。ポンサクレックすら、今回の試合前「過去に内藤に2勝してるが彼を決して侮らない。なぜなら彼は自分以外の対戦相手に負けたことがない最強の挑戦者だからだ」と内藤を評価している。一方でスパーリングで手を合わせた亀田のことなど「良いボクサーだが、内藤とは比べるまでもない」と切って捨てている。亀田家の「夢」、そして関係者の「利得」を、32歳の遅咲きの日陰ボクサーに叩きつぶされる分けにはいかない。亀田陣営は内藤の挑発にどう応えるか?真価の問われる時である。
2007/07/19
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WBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(29=タイ)陣営が13日、WBA同級1位・亀田興毅(20=協栄)に対戦オファーを出した。12月5日、タイ王宮前広場で予定している20回目の防衛戦の挑戦者として、亀田にファイトマネー15万ドル(約1800万円)を提示した。「何でタイでやらなあかんのや!」。ポンサクレック陣営のオファーを聞いた亀田父の史郎氏は激怒した。「ポンサクレックは興毅は内藤より弱いと言ってるんやろ。だったら日本でやってもええやないか!」と昨年から求めている国内での対戦を迫った。アウエーのタイでの世界戦は判定が不利になることも多く、勝った日本人はいない。 (日刊スポーツ)亀田親子に言うことは一つ「どこでやっても勝てるんなら、タイで勝った方が価値は高い。 あなた方がいつも言ってるようにK.O.すれば判定なぞ要らない。」タイで国際式ボクシングと同価値の国技として重みがあるムエタイ。その殿堂であり聖地・ラジャダムナンスタジアム。ラジャダムナンスタジアム史上はじめて、外国人王者となった藤原敏男。そして2001年、史上4人目の外国人王者となった武田幸三。ともに敵地タイで王者に文句なしのK.O.勝ちをして判定の余地をはさませなかった。(藤原の現地戦はノンタイトル。タイトル奪取は翌年)
2007/07/14
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「ぼくは痴漢じゃない」の著者で、元東証一部上場企業の社員でありながら、痴漢冤罪のため無罪を勝ち取ったものの、職を失い、現在はアルバイトで生計を立てている鈴木健夫氏が、周防正行監督の「それでもボクはやっていない」を鑑賞したコメントを述べた。------------------------------------------「ぼくは痴漢じゃない」(新潮社)「痴漢犯人生産システム」(太田出版)の著者です。試写会に当って、11日に観てきました。 まず最初に申し上げておきたいのが「同じ痴漢冤罪裁判を味わった私が、感情移入が出来なかった」という感想です。映画そのものは「ああ、そうそう。その通りだった」という、私の記憶にも残る箇所がいくつもあり、見事にリアルなドラマに描かれていました。にも関らず感情移入できなかったのは、本当の裁判がなんのドラマ性も期待できない、あまりに陳腐な現実であったからだと思います。 しかし、ここにこそ「痴漢冤罪裁判」の本当の闇があります。取り調べの刑事が言っていましたが、痴漢=迷惑行為防止条例違反は交通違反並みの罰金刑です。認めた別の犯人はすぐに帰っていきました。ところがやっていないのだから裁判で闘うと決めたとたんに「人生を賭けたルールの分からないゲーム」になってしまうのです。「本当におしりに触ったかどうか」を若者は将来を賭け、警察・検察はメンツを賭けて、「5万円の罰金刑(2002年当時:現在は30~50万円の罰金もしくは懲役6ヶ月)を争う」のです。 私の場合は1審有罪、上告、2審で無罪は勝ち取ったものの、判決までの2年間に会社を追われ数百万の借金も背負いました。またどんな些細な嫌疑、例えば「台所の電気つけっぱなしだったでしょう?」程度の疑いにさえ、「絶対オレじゃない!第一昨夜最後にここに来たのは・・」等、「過剰な自己弁護」をしてしまうという症状?に悩まされました。 私達の中には「最後は正義が勝つ」という、ほぼ無意識の期待があります。依り頼む先は親兄弟、お金、法律、国家、お天道様や神様と順序の違いはそれぞれでも、上にいくほど「まさか裏切らないでしょう?」という「夜明け前」的な期待の元で暮らしています。 ところが取り調べ・調書作成の過程で、「警察はどうしてもオレを犯人にする気だ」という事が分かってきます。映画の中の刑事たちの態度、検察庁での副検事の態度は、まさかと思うでしょうが、全くあの通りなのです。痴漢に間違われる→駅事務室に行く→警察に連行→取調べ(否認)→拘置→起訴→裁判(有罪率99.9%)というでっちあげの仕組み(痴漢犯人生産システム)が出来上がっているのです。 無罪判決の後でさえ刑事、副検事、1審の裁判官を殺してやろうと本気で思っていました。いっそ殺人犯の方がまだ納得できる。それほどのやり場の無い怒りに見舞われます。 さらに過酷なのは、それが「日常生活の中で行われる」という事です。裁判所でのやり取り、留置場での出来事は非日常の闘争状態ですが、家に帰ったとたんに、仕事はどうする?保釈金が返ってくるまでの生活費は?家族への影響は?等の、「現実(いつも)の生活」に引き戻されるのです。常に襲う「有罪」という恐怖、それでも家に帰ればいい息子、いい友達、いい住人を期待されるのです。そんな精神状態の中で3ヶ月先の次回の公判を待つという生殺し状態が続くわけです。 裁判で無罪を勝ち取ってから6年が過ぎ、最近ようやく友人や知人に話が出来るようになりました。それはキリスト教に出会い、洗礼を受け、神様が本当にいることを信じることが出来たからです。それでなければ、わが身に降りかかった「理不尽」に耐えられず、精神を病んでいたことでしょう。 「雨の日に道を歩いていたら、さしていた傘に雷が落ちた。そう思うしかないんだ」という弁護士の一言が今は懐かしく思い出されます。 この映画が逮捕・取り調べ・司法判断に影響を与え、1件でも冤罪が減る事を祈ります。------------------------------------------鈴木健夫氏「ぼくは痴漢じゃない!」の中で痴漢冤罪に詳しい弁護士は、次のように痴漢冤罪を未然に防ぐ対策を解説している。痴漢冤罪事件の教訓からいえば、本当に、自分は冤罪だ、そんなことをしていない、という意識のある人は、駅員に「一緒に駅の事務室で話を聞きましょう」と言われたときには、「行きません」と言うしかありません。「どういうことなんですか?」と言って、連絡先を渡して、その場から立ち去るしかないのです。警察が本気で事件にする場合は、改めて呼び出しがあるでしょう。その場合、いきなり逮捕状を持って迎えにこられる可能性も残りますが…。でも、一緒に事務所に行くと警官が呼ばれて、警察に連れていかれて…というベルトコンベアに乗ってしまうわけですから、これは、「究極の選択」です。このブログでもたびたび紹介してきたように、痴漢冤罪を防ぐには最初の違法な現行犯逮捕を封じるのがやはり一番有効なのだ。真の犯人ならば繊維鑑定など科学的・客観的証拠が捕らえてくれる。とにかく、間違われたら身分証を示して去る。もし駅員室に連れてゆかれたら決して警察には同行せず当番弁護士に連絡する。 これが鉄則なのだ。
2007/07/01
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【1回量あたり単価(楽天市場最安値)】☆5250円以上買い上げで送料無料の場合1位 大正製薬 ネオディ12錠 980円 (1回2錠=163.3円)2位 東宝製薬 ドリーネン10錠 980円 (1回2錠=196.0円)3位 カイゲン プロリズム6錠 1430円 (1回1錠=238.3円)4位 エスエス製薬 ドリエル12錠 1430円 (1回2錠=238.3円)※ただし、1注文につき3箱までの個数制限アリ5位 グラクソ・スミスクライミン ナイトール12錠 1520円 (1回2錠=253.3円)【1回量あたり有効成分含量】いずれもジフェンヒドラミン塩酸塩50mgのため同位【塩酸ジフェンヒドラミンとは?】もともと安全性の高い抗ヒスタミン薬として、花粉症の治療やアレルギー性鼻炎の治療に広く使われてきた。ただ、副作用として催眠作用が強いため、同じく抗ヒスタミン薬で眠気の少ないマレイン酸クロルフェニラミンに主役の座を奪われつつあった。しかし、製薬メーカーはその副作用を逆手に取って、睡眠薬としての認可を獲得。市販されている睡眠薬としての地位を確立した。塩酸ジフェンヒドラミン50mgで平均約8時間(5~9時間)の睡眠持続作用とのデータがある。これまで、市販睡眠薬としてはクラシックな精神安定薬・ブロムワレリル尿素を使ったウットなどがあったが、ブロムワレリル尿素は依存性や耐性が生じやすいこと、連続服用で肝障害が生じる可能性があることなどがネックとなっていた。(…といっても市販薬として認められている位なので、それほど強い副作用ではない)隠れ1位? 伊丹製薬 ウット※ブロムワレリル尿素250mg プラス 塩酸ジフェンヒドラミン25mg12錠 1260円 (1回1錠=105.0円)なお、塩酸ジフェンヒドラミンも連続投与で耐性が生じるが、依存性や肝障害のリスクはブロムワレリル尿素よりもさらに低いといわれている。ただし、体質によって抗ヒスタミン薬自体が効きにくい人もいるので注意が必要。逆に効きすぎる人もいるので、半量(25mg)からはじめることを勧める薬剤師もいる。☆当記事は薬剤師の監修を受けていますが、実際の購入にあたっては必ず薬剤師(薬局)に相談してください。なお、薬種商(薬店)の方は一般の人が薬を売るのに最低限必要な知識を得ただけなので、大学の専門教育を受け、国家試験に合格した薬剤師ほど知識が豊富ではありません。
2007/06/14
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MACの新CMを見て吹き出した人も多いはず。「オフィスの仲間」編である。どうやら。。MACでマイクロソフトオフィスが使えると言いたげな様子だ。しかし、オフィスソフトたちは「さあ仕事、仕事!」のかけ声に顔を見合わせるだけで動こうとはしない。はからずも『MACではオフィスはまともに動きませんよ!』と宣言してしまったのである。昔からMACで作ったオフィスのファイルをWINに持っていこうとすると、文字化けや図・グラフの位置ズレが起こりやすいのは良く知られた事実。最新の「Office 2004 for Mac」でも、互換性は向上したものの、それでも担保しきれないために「互換性チェック」機能などをわざわざ付けなければならなかった程だ。しかし、次期「Office 2008」でも、MAC⇔WINの互換性に問題が生じることは避けられそうにない。Mac版登場でOffice互換性に問題の恐れ 2007年後半にリリース予定のOffice 2008のMac OS X版。現在判明している情報によれば、VBAやマクロ利用時に互換性問題の恐れがある。(ITmedia エンタープライズ)かく言う私も文字化けには悩まされた。だからMACでワードの文書を作ってもベタ打ちだけで、フォントはデフォルトのMS明朝のみ、装飾は一切しない。装飾はWINに移してからやることにしている。仕事のスタンダードPCが事実上WINしかない現状では「マックのオフィス」は効率化のためにはなるべく避けたいのが私の正直な気持ちだ。それを表現してしまっているこの自虐CM。もう失笑するしかない。先のウイルス編で『MACはソフトウェア会社どころかウイルス作成者にすら見向きもされないマイノリティですよ!』と大々的に宣言した。この手の自虐CMは欧米ならともかく、日本人には笑われるだけだとなぜ気付かないのか?このCMの話題を振ると、MAC一筋10年の友人は「オレはMACしか使わないが、あの手のCMは大嫌いだ!」と吐き捨てるように言った。マックユーザーとしてまったく同感である。一般ユーザーならなおさらだろう。一連のCMに対して、一般市民がどのように反応しているのかちゃんと調査すべきだ。これ以上、シェアを減らさないために、MACの良さをアピールするCMを作ってくれ!2005年→2006年 国内PC出荷台数(IDC Japan調べ)MacはiPod人気に便乗して米国ではシェアを1%ほど伸ばしているのに日本国内では8.9%↓と大手ベンダーでは独り負け状態!?(PC市場全体は2.3%↓)このCMの悪影響で一般ユーザーのMac離れが進まないか?常識的なMacユーザーは本気で懸念している・・・
2007/06/11
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現行犯逮捕をせず、微物鑑定(繊維鑑定)で合理的に有罪に 容疑者の手についた繊維成分を調べる「繊維鑑定」が決め手になり、電車内で女子高生の下半身を触った男が、犯行から2カ月半後に警視庁に強制わいせつ容疑で逮捕された。痴漢は現行犯逮捕が一般的で、繊維鑑定はこれまで公判上の物証として利用されてきた。鑑定結果をもとにした逮捕は異例という。満員電車での痴漢捜査は目撃者らの証言に頼ることも多いとされ、関係者は「逮捕前の“ミクロの証人”ともいえる繊維鑑定の活用は、新たな手法になるだろう」としている。 逮捕、起訴されたのは埼玉県越谷市の会社員(61)。被告は1月29日午前7時半ごろ、東武伊勢崎線西新井~北千住駅間の電車内で、埼玉県内の女子高生(17)のスカートの中に手を入れ、下半身を触ったとされる。 千住署は被告が否認した上、目撃情報などが得られなかったため、現行犯逮捕は見送り、任意で捜査。容疑固めの一環として、採取した手と指の付着物を警視庁科学捜査研究所での鑑定に回す手法を試みた。 その結果、被告の指から採取した繊維が女子高生の下着の繊維と同種と確認され、犯行から約2カ月半以上経過した4月18日、逮捕にこぎつけた。北岡被告は逮捕後も否認しているという。 警視庁は全国の警察でも比較的早い平成9年から痴漢の捜査に繊維鑑定を導入している。 逮捕後に容疑者が否認している場合に実施しており、同種の繊維が検出されれば裁判の有力な物証になった。逆に検出されなければ、慎重な捜査が必要となり、冤罪防止の有力な“武器”となっている。 警視庁によると、都内を走る電車内の痴漢被害件数は16年は約2200件と8年間で約3倍に増えた。女性警察官の増加などで被害者の泣き寝入りが少なくなってきたのが一因とみられるが、9年は1件だけだった繊維鑑定も16年117件、17年192件、昨年326件-と増加している。 肌質や汗の有無などで個人差はあるが、一般的に、繊維は軽く触っただけでは付きにくい。素材や色、形状などの組み合わせは膨大で、同一とは断定できないが、「『類似』との鑑定結果が出た場合、その精度は非常に高い」(捜査幹部)。痴漢で無罪判決が相次いだこともあり、冤罪防止の観点からも繊維鑑定の重要性は大きい。 捜査幹部は「痴漢はすべて摘発されるわけでなく、泣き寝入りしている被害者は依然多い。否認する容疑者も少なくなく、繊維鑑定は今後は逮捕前の捜査でも、必要不可欠な手段になるだろう」と話している。----------------------------- 痴漢冤罪事件に詳しい荒木伸怡・立教大法学部教授(犯罪社会学)の話 「痴漢捜査では、被害者の思い込みだったり、客観的証拠がないまま、現行犯逮捕されることがあった。供述だけに頼らないためにも、繊維鑑定などで、捜査に客観性をもたせることは望ましいことだ」-----------------------------【繊維鑑定】 痴漢捜査では容疑者の手に、被害者の衣類と同種の繊維が付いていないかを調べる。「鑑識採証テープ」と呼ばれる特殊なテープで両手の指の表裏、手のひらと甲から付着物を取り、顕微鏡などで素材や色などを比較する。素材は綿、絹など10前後、色は最大1000以上に分類。形状は星形やフルーツ形などメーカー特有のものが多い。-----------------------------(産経新聞Web 2007/5/17)問題のある現行微物鑑定(繊維鑑定)~太さが1.5倍も違う繊維を「非常に類似している」と!?しかし、現行の微物鑑定(繊維鑑定)は手放しで賞賛できるレベルのものではない。微物鑑定が証拠として提出された97年痴漢冤罪、いわゆる「長崎事件」では、「繊維鑑定書」では被疑者の手から採取された200本の繊維のうち、10本が痴漢をされたとする女子高生の下着と同じポリエステル製であり、「非常に類似している」との鑑定結果が添えられた。しかし、被疑者と弁護人が私財を投げ打って民間の研究機関、大学、下着メーカーなどに改めて繊維の鑑定を依頼し、調査した結果は「繊維の太さが45%も違う」「別の衣類の繊維である可能性が極めて高い」というものだった。ポリエステル繊維の太さが1.5倍も違うということはどういうことか?旭化成で繊維の開発に従事した経験のある友人に聞いたところ「繊維の太さが変われば下着にせよ、上着にせよ、厚みも通気性も変わってくる。特にポリエステル自体は吸水性が乏しいので、下着であれば用途や季節が別と考えていいだろう」とのことであった。そのため、裁判所もさすがに「鑑定結果は結局不明」として証拠採用を取りやめた。さて、結局この裁判は証言の信憑性のみが争われたが、女性が「痴漢の手も腕も見ていない」、「手をつかんでいない」と証言しているにも関わらず、第一審および控訴審は「男性は手を払われた(あるいは掴まれた)瞬間に『すみません』と痴漢を認める謝罪の言葉を発した」ことをほぼ唯一の決め手として有罪とした。被疑者男性と弁護人は「例えば満員電車の中で肩やカバンがぶつかった(と女性が誤認している)時に、事実を争うよりとりあえずは謝意を示してその場を収め、無用なトラブルを避けるためのごく一般的な発言」と主張したが受け入れられなかった。私見だが、このような「とりあえずゴメン」は、人によって「やってもいないのに」「そんなこと知らない」と決してしない人も確かにいるが、トラブルを避けることが国民性と言っていい日本では、そういう対処をする人が多いのは顕著な事実といって差し支えないかと思われる。事実、男性は手を引いて電車から連れ出そうとする女性に対し、意図がわからなかったので「すみません?」と呼びかけけたと証言しているが、裁判所はこの「すみません」も「痴漢を認めた謝意の言葉である」と認定(誤認)した。もはや和を重んじる国民性などとは言ってはいられない。身に覚えのない痴漢の嫌疑をかけられたら、問答無用で「手をいきなり掴んでなにをする!何もしていない人様を確かめもせず痴漢呼ばわりとは無礼な!」と一喝しなければならないということだ。また、満員電車で女性に体の一部が触れても決して「すみません」などと軽い気持ちで謝ってはいけない。司法はそのような発言は男性が痴漢行為を認めたと解釈するとこの判決は教えている。どうしても謝りたければ、周囲の乗客にも伝わるように「いま、つり革を持とうとしたとき肘が貴女の腕に当たりましたが、わざとではありませんのでご容赦ください。」などと内容を明確に、大きな声で伝えるしかないのだろう。少なくとも、こんな裁判官が人を裁いているこの国では・・・。【重要なポイント】・痴漢犯罪においての現行犯逮捕はすべての場合に必要でないし、現行犯逮捕が「人権制限行為」である以上、どうしても必要とする場合にしか行ってはならない。・そもそも逃走のおそれなど合理的な理由無くして現行犯逮捕はできない。過去記事参照:痴漢冤罪対策マニュアル ~もし貴方が痴漢に間違われたら… ・痴漢と間違われた男性は、容疑を否認した上で、微物鑑定(繊維鑑定)を希望し、不当勾留を避けることが、真の痴漢を逃さないためにも、冤罪の被害者を増やさないためにも重要である。・微物鑑定は痴漢捜査のいまだ1~2割の案件でしか実施されておらず、仮に犯行を素直に認めた案件が半数以上と考えても、認知度があまり低い。・女性と男性の人権を守り、痴漢被害も痴漢冤罪も減らすためのこのような捜査を、全国の警察もすぐに導入するか(大阪府警などが導入済み)、外注鑑定ができる体制を整えるべきである。・現行の微物鑑定(繊維鑑定)は精度が低すぎるため、真の犯罪を証明するのではなく、冤罪を構成するための証拠となる可能性がある。全国警察はこれが人の人生を左右する重要な証拠となることを認識し、鑑定の精度を高めるための努力を惜しまないとともに、必要な人員の配置を行うよう勤めるべきである。・我々国民は、痴漢被害者の泣き寝入りを防ぎ、冤罪被害者の発生を防止する科学捜査を充実させるために、血税が使われることを承認する姿勢を示すべきである。 最後に新聞記事では「千住署は被告が否認した上、目撃情報などが得られなかったため、現行犯逮捕は見送り、任意で捜査」とあるが、千住署のこのまともさを高く評価したい。おそらくは被告人が駅員室への同行を拒み、現行犯逮捕に至らなかったのだろうが、それが法治国家というものだ。検察が明らかに嫌疑不十分な状態で起訴し、無能で非常識な判事がとりあえず有罪にする。物覚えはいいが、人間性、有能性に欠陥のある法曹たち。そういう司法側の信頼性を失わせる状態で痴漢えん罪が次々と生まれている中、行政側(警察)に常識と法治国家の誇りが残っているのは国民として喜ばしい。さらに、科学的信頼性では不安の残るものの、人証よりはるかに信頼できる物証をもって逮捕に至ったのだ。これぞ警察の面目躍如といったところだろう。千住署に拍手。長崎事件など痴漢冤罪に関する書籍裁判官はなぜ誤るのか Stop!痴漢えん罪 ~13人の無実の叫びなぜ痴漢えん罪は起こるのか
2007/05/26
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「一審は明らかに間違っている!」この裁判所はいったいどうなっているのだろうか?大阪地方裁判所である。5/25 大阪高裁第6刑事部(陶山博生裁判長)は、電車内で銀行員が女子高生に痴漢行為を行い、大阪府迷惑防止条例違反で有罪となった一審を「一審判決は明らかに間違っている。」と切り捨てた。「主文、原判決を破棄する。被告人は無罪。」陶山裁判長が主文を読み上げると、被告人の妻が感極まって泣き出した。呆然とする検察官、握り拳を固める弁護団。 そして深く、深く頷く被告人。被告人の妻があまりに激しく鳴くので「しばらく待ちましょう」と陶山裁判長は言い、彼女が泣きやむのを待ってこう続けた。「被告人の供述は、被害者証言に照らして信用できないと一審判決は言うのだが、被告人供述のほうが客観的事実に照らして合致しているのに信用性を認めなかった一審判決は明らかに間違っている。」「確認できなかったけど・・・」「手を後ろ向きに追いかけて」この事件の顛末はこうだ。女性(当時17)は満員電車に乗っていたところ、背後から尻を触られ、その手を何度か払った。しかし、手の主があまりにしつこく触り続けてくるので、電車が停止しドアが開いた瞬間「ずっと見ていた訳でなく、半身の体勢で確認もできなかったが」「尻を触った後、体から離れていく手を後ろ向きに自分の手で追いかけて」手首をつかんだ。被告男性は、乗車中ずっと新聞を読んでいたが、ドアが開いた瞬間新聞を降ろした。その手を女性がいきなり掴み、わけの分からないうちに痴漢と決めつけられた。被告人と弁護団は一貫して無罪を主張したが、大坂地裁一審判決は女性の証言の信用性を「態度が真摯であり、不合理でない」として採用。逆に被告人男性の供述は、被害者証言に照らして信用できないとして有罪とした。一審と全く同じ証拠で逆の結論今回の逆転無罪判決に先だった第1回公判。弁護人は一審判決は事実誤認であるとし、多くの書証、証人を申請したが、検察側は「不同意」「必要性なし」といずれも下した。一方、大阪高裁もこれらを採用せず、被告人質問も行わなかったため、一審の証拠のみで争われることとなった。しかし、陶山裁判長は最後に被告人男性に向かって「我々はこれらの証拠だけで十分に事件を把握しています。」と述べた。そして、今回の逆転無罪である。これは、全く同じ証拠で、高裁が地裁と逆の結論を出したことになる。数多くの逆転判決でも異例といえよう。しかし、その内容を吟味すれば、異例・・・というより異常だったのは「ずっと見ていた訳でなく、半身の体勢で確認もできなかった」という女性の犯人確認を有効とした、大坂地裁のでっち上げ判決であったといえるだろう。再犯?04年にも痴漢冤罪をでっち上げていた!?実は「痴漢冤罪製造所」大阪地方裁判所のでっち上げ判決は今回が初めてではない。03年1月、地下鉄で男性会社員が女性の股間にひざを差し入れたとして現行犯逮捕された件について、大坂地裁が「女性の証言に不合理な点はない」として有罪とし懲役四月(執行猶予五年)とした判決も、04年11月、大阪高裁で逆転無罪となっている。この判決も大阪高裁(瀧川義道裁判長)によって「証言は被告を犯人とする方向で具体的、詳細になるなど不自然に変遷しており、信用できない。」と一蹴された。反省なき大坂地裁の体質を厳しく断じた今回の高裁判決。「一審判決は明らかに間違っている。」第一審を退けるのであっても、ここまで厳しく言う必要はない。同じ裁判官を明らかに非難するような言い回しは通常避けられるからだ。証拠の再確認を行わないというのも異例だ。そのままの証拠で審理もろくにされず、高裁からまったく逆の判決を出されたのならば、地裁のメンツは丸つぶれだからだ。しかし、「明らかに」とまで断じた陶山裁判長の言葉の裏にはこのような変わらない大坂地裁の「決めつけ体質」「思いこみ体質」に対する戒めが込められていると推察される。「女性は被害者→被害者がウソを言うわけがない」「痴漢の被害が沢山ある→この男も痴漢だろう」その程度の認識で「被告を犯人とする方向で」ゆがんだ判決を出し、またも「明らかに間違っている」判決を出した大坂地裁。法の番人・裁判官という仕事に誇りをもっているならば、同業者への共感ではなく「オマエらと一緒にされたくない!」との怒りが沸いてむしろ当然だろう。冤罪製造所・大坂地裁は猛省し、裁判官全員がもう一度司法の原点に帰るべきだろう。裁判だって税金がかかっているのだ。三度目の正直ならなければ、今度は世論が黙ってはいない。裁判官の爆笑お言葉集 裁判狂時代
2007/05/26
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「冤罪メーカー裁判官」松丸伸一郎(元東京地裁、現前橋地裁)といえば、松本サリン事件冤罪問題で一躍有名になった裁判官である。松丸伸一郎は「松本サリン事件」で、被疑者不詳のまま河野さん宅を家宅捜索させる令状を発行した世紀の大冤罪事件の張本人である。しかも、農薬の調剤ミスをしたという河野さんに対し、本来なら「過失傷害(ないし致死)」で出すしかないはずの令状を、ご丁寧にも「殺人容疑」で出していたという悪質裁判官である。また、群馬大学医学部が受験時に年齢制限をしていなかったにもかかわらず、当時55才の女性を不合格とした件の民事訴訟に対し「同大が『医師には知力・体力・気力が必要』などと説明していたことについては、合理性がある」とし、一方的に請求を却下したことなどでも知られている。その松本伸一郎が、電車内での携帯電話通話を注意された女子大生が、逆ギレして上場企業課長を痴漢として訴えた痴漢事件で、刑事裁判で女性の証言がことごとく覆され無罪となった(痴漢行為の状況が不自然、接触部位が物理的に不可能、携帯電話の相手が女性が痴漢を非難した発言をまったく聞いていない)にも関わらず、刑事訴訟ばりの審理を行い、一転して「痴漢行為はあったと認定できる」とし、冤罪被害者である男性の損害賠償請求を退けた。裁判は民事部門と刑事部門の判事が分けられていることからも分かるように、それぞれの法的性質の違いにより、裁判官の専門分野を分けるのが一般的である。(もちろん異動はありうるが、裁判官によって得意分野はやはり分かれる)民事の裁判官が刑事の裁判官の判決を覆すのだから、これは一般国民が考えるよりただ事ではない。端的に言えば、外科医がメスで切開して病変を視認して出した診断を、内科医が聴診器を当てて「そんな病気ありませんよ」と言うようなものだ。棄却理由を簡潔に説明すると「携帯電話を注意されたぐらいで、痴漢をでっちあげるわけがない」と松丸と2人の女性判事が判断したからだというからとんでもない!詳細は判決文そのものを読んでいただくしかないが、この判決文が「はじめに痴漢ありき」「はじめに棄却ありき」で作られたことは明白と言わざるを得ない。合わせて「冤罪メーカー・松丸伸一郎」に、我々一般国民の常識で物事を審理する能力がないこと、そもそも裁判官として最低限のセンスや論理的思考能力が認められないことも明白となった。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060418155826.pdf痴漢冤罪 逆転 損害賠償請求棄却の判決文苦言を呈すれば、この民事裁判は冤罪メーカー・松丸伸一郎が裁判長であった上、小泉満理子、西里香の2裁判官が女性であった事も、審理の公平性を妨げるものであったのではないか。原告男性は控訴する構えである。当然だろう。司法は痴漢があった、無かったでということよりも(大体、それは刑事訴訟で争うべきことである。女性と検察は男性の無罪について争っていないことがでっち上げ痴漢であった証拠と考えられる)、国民が司法を信頼できるような審理が尽されることで、納得させてほしい。この論理性も常識もないトンデモ棄却が正当として認められてしまうようでは、日本は冤罪大国である。美人局(つつもたせ)という古来からの犯罪が今でもある。ならば、痴漢でっち上げ脅迫があってもおかしくないと考えるのがどちらかといえば常識だろう。そこにこんな判決では、犯罪者を鼓舞するだけだ。また、このような問題裁判官のため、我々市民が法の下で公平で正当な扱いを受ける権利が妨げられてはならない。冤罪メーカー裁判官を飼うための金を1銭も収めているつもりはない。司法を毀めた松丸伸一郎は司法試験から、、いや人としてやり直せ。 沖田事件国家賠償訴訟HP(「被害者」沖田さん本人のHP)裁判官の爆笑お言葉集 裁判狂時代
2007/05/24
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