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いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。日本人の平均寿命は男女とも81歳を越えたとのことです。宇宙での実験では、寿命が伸びた例もありますね。火星や木星などの衛星に近い未来に移住すると、人の寿命の限界も変わるのかもしれません。100万年前の人の寿命と、現代人の寿命の差は、数十年の違いでしょうから、人は何も変わっていないとも思えます。何故、地球人でいるのか、経験、学びのためと言いますが、本当の理由を知りたいものです。】ほほほ、限界があると決めるのは心よの。限界など知らぬ子は、日々の暮らしを通し、限界を心に刻んでいくのじゃ。が、子の遊びには、限界はないよの。遊ぶほどに、心は広がるのじゃ。これ以上、何も心に入らぬと思えば、一度、空っぽにしてみることよの。すっきりした心は、広々としておるであろう。己の部屋のように、家具も、置き場所も好みに合わせて決めればよい。むなしいとき、遊ぶ気にもなれぬな。が、心が静まり、動いてみようと思うのは、遊びからよの。遊び心は人がもともと持つ、心の質なのじゃ。己の心の内に入っていくのが、子の遊びよの。そこにある物語の世界は、大人になっても、狭くなることはない。宇宙など、このような世界、と知ったとたん、全てわかった気になろう。物語の最後を知れば、読み進む気にはなれぬよの。寿命とて、知るのは命の最後じゃ。それまでは知らぬでもよいことよの。物語を読み進み、最後がどうなるか、知りたいと思う、どのような筋であっても、何も決まってはおらぬ、故に、面白いのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月21日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。人生の転換するポイントはいくつかありますね。四季が移り変わるように、目まぐるしく変わっていくような転換もあり、頻繁になれば、慣れるのも大変です。大きな転換期は、エネルギーも大きく、数ヶ月も前、出来事によっては数年前から予兆はあるように思えます。】ほほほほ、梅雨が過ぎ夏の季節じゃ。セミも鳴きだしておるよの。土の何年もの暮らしに慣れた頃、地上に出れば、わずか数週間の命じゃ。【花の命も短いですね。輝く期間は短いと例えられもしますね。】花を咲かせ、種を産むがごとく、虫もその数日で卵を産むのじゃ。虫も花も、産むには、相応の力を使うよの。幾月も幾年も蓄えた力じゃ。産むとは、そなたがいうように、まぶしい位の輝きであろうよの。卵を産めば、己の命はそれまで、よの。卵、種に命を移し終えたのじゃ。【親子に伝えていくのは遺伝子ばかりではないということですね。】虫の卵を産む力は、また、虫を食べる者たちの、申し分のない養分となるのじゃ。血を吸う蚊など、命の素を吸っておるとなろうな。遺伝子も命の素、餌の場所を伝えるように、蚊は、遺伝を伝え合う。ただの蚊とて、利用できるものは、何でも利用するのじゃ。命に例外などはない。命とは、それぞれの生き物にとって宝よの。命が揺らぐほどの出来事であれば、そのきざしを嗅ぎ分けるのも、本能じゃ。きざしは強くも弱くもなる。揺らぎは、親しい者どうし、互いに打ち消し合うこともあろう。あってはならぬことも、何事もなかったように、無難に終わる。命は柔らかいものよの、が、しなやかでもある。互いに、助け合えばよいのじゃ。が、命そのものを譲ることはできぬな、最後は一人じゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月14日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。ようやく梅雨も明け始めました。例年にない雨の量は平成始まって以来とのことです。龍神は雨、水の存在として知られていますね。あなたたち龍神の力を持ってしても、雨の制御には限界があるのでしょうか。それとも何も制御していない、というのが本当のところでしょうかね。他の国では気象を科学的に制御するような研究も随分進んでいるようです。自然は、もともとそこにあったわけではなく、準備された世界であり、人はその原点に近づいているような気もします。】この度のこと、随分心が痛む、我らとて同じ気落ちじゃ。雨に限ったことではないが、何が起こるかわからぬのが、これからの自然じゃ。とっさの時に動ける者、動けぬ者、その差は歴然よの。身の危険を感じること、生まれつき誰しも持つよの。が、生まれつきの能力とはいえ、磨いてこそ、真に使えるようになるのじゃ。【神童も二十歳過ぎればただの人という言葉もありますね。磨かなければ、次第に劣化してしまうのでしょうね。】雨が降れば、腕や足腰、痛むものもおろう。怪我をした故、弱くなったのではない。棘はほんのわずか触ったくらいでも、痛みは感じるであろう。身体の傷とは、心にできた棘のようなものよの。つまり、感じる力とは、心に棘がなければ、感じることはできぬ。感じぬようになるとは、棘が丸くなったと言えるものじゃ。【棘はセンサーのようなものでしょうかね。センサーの感度は、棘が多いほど、細いほど、繊細に感じるとか。】心を研ぎ澄まし、耳を澄ませば、かすかな物音も聞こえるものじゃ。それは空気の振動よの、大地と空を空気が反射し、奏でる音じゃ。繰り返し、心の痛みを持ち、その度ごとに前に進んだ者、棘を持つとは、心を磨き続けておると同義じゃ。【敏感でも鈍感でも、どちらも生き難い、程度の問題でしょうけれど、生殺しという感じもしないでもありませんね。】雨、風を我らが動かしてしまえば、やがて人はその仕組みを知ろうとするであろう。古来、人は己たちの力では風景を動かせぬゆえ、自然の力を神に置き換えたよの。仕組みとは、すなわち原理じゃ。言い換えれば、真理よの。が、万物の真理などはない。この矛盾に人は気づいておらぬ。真理とは、作られたものじゃ。つまり都合を望む者に合わせたものじゃ。原理に基づき、自然があるのであれば、原理が変われば、自然も変わる。古来の人のように、神は自然の守護などと思わぬことよの。一人ひとりが、命を守る時代じゃ。感じる時、考える時、真理はその者に顕れる、道が見えるということよの。【ありがとうございます。】
2018年07月10日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。観察しなければ物事は現象化しないという原理は、科学的に証明されたともされていますね。未来の可能性は、パラレルワールドとか、アカシックレコードのバリエーションとか、色々と現象化のパターンがありますが、幾つもの可能性の間を移動するのは、宇宙人でもできるものなのでしょうか。観察と現実化が人特有の性質ではないとすれば、宇宙人たちが思い通りに、地球も、宇宙も現象化させているはずですよね。】ほほほ、思い通りにはならぬ人生、そう教えられ、その通りと達観するものも多いよの。地図も道具もなければ、願いの場所に辿り着くこともできぬであろう。が、それらが揃ったとしても、使いこなせなければ、役には立たぬな。心は道具じゃ。まだまだ人は使いこなしておらぬ。子供に初めて鋏を渡す時、親は使い方を教えるものよの。心は渡されたものではない、が、使いかたを教えられ、その通りに使っておるのじゃ。鋏の役割を教えられ使いこなす。が、本来は刃じゃ。強い力を持つものよの。刃は、鋏にも剣にも役割は変わるのじゃ。心も普段、適度に力を絞っておる。当たり前と思えば、それが正しいともなる。絞ったまま、固まるのじゃ。いざとなれば、思いも寄らぬ力を出すであろう。心の蛇口を開くようなものよの。火事場の馬鹿力も心の力じゃ。その時、整っていた因果が壊れるのじゃ。【どういうことですか。】そうよの、空間が壊れるとでも言えば、よいな。【ぜんぜん分かりません。】昔の記憶も将来の夢も、心には時の方向など理解できぬ。現象は、時を前後に行ったり来たり、つまり因果を往復し顕れるのじゃ。心は、時に力を加え、前後左右に揺さぶるのじゃ。現象は絵を描くようなものよの。まずはスケッチじゃ。行きつ戻りつ形を整えていく。色をつけ、仕上げよの。描く力はそのまま、心の力じゃ。無論、絵が下手なものは、心の力がないわけではないよの。絵でなくとも、物語を描くことは、他にもあろう。思いの強い場所は、現象、つまり星、生命が産まれる場所じゃ。ほほ、重力波というが、現象波もある。宇宙への発信源の一つはこの地球じゃ。宇宙のところどころにある現象の濃淡、そこには必ず人がおるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月07日
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