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いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。事を進めようとする時、壁にぶつかることがありますね。感覚でつかむまでは、試行錯誤して、きっかけを見つけようとします。そこで何かつかむか、諦めて別の方向に進むか、その違いはどこにあるのでしょうか。】ほほほ、進もうとする強い意志があれば言うことはないよの。が、気持ちだけではなく、その時期が大切じゃ。何をしてもうまくいかぬ時期があれば、とんとん拍子に事が進む時期もあろう。【時期を見極め進めることですね。】無論、それもあろう。が、時期がきた時には、整ったことを知らせる出来事があるものよの。整っておらぬのであれば、物事は中途半端じゃ。まだ煮えておらぬ鍋に箸をつけるようなことよの。もう食べ頃であると、色や匂い、ことこと言う音、柔らかさが教えるであろう。誰しも経験の懐に、その時期になったと分かる物事をたくさん覚えておるのじゃ。故に、初めての出来事とはいえ、経験があてにならぬわけではない。が、試行錯誤し経験に当てはめることができなければ、別の物事が必要じゃ。別の物事を経験の物事に置き換えた時、それはきっかけとなり得るよの。壁にぶつかった時、進むことができるか否かの違いになるのじゃ。【つまり、別の物事が前に進んだ経験に合えば進むし、別の道に進むような経験を思い起こしたのであれば、別の道を選ぶとなりますかね。】良い経験を思い起こす物事を、選べばよいのじゃ。旬の料理しかり、朝起きて夜は寝るというような習慣しかり。時期というからには、身近な時期の物事に合わせてみる。出来事が出来事、つまりきっかけを呼び、時期はしだいに整うのじゃ。待っておるのではなく、進むことになるその時期を呼び込めばよいよの。【ですが出来事が起こる時期は決まっているとも言いますし、逆に時間がないとも言いますね。】ほほほ、きっかけは、それに繋がる出来事が起こる時期を決めるのじゃ。つまり、きっかけもない出来事が起こる時期はないとなる。出来事と時期は一体となり、他の出来事と時期に、合わせ鏡のように共鳴しあうのじゃ。壁を越えるきっかけは、既に己の周囲にあるのじゃ。一つひとつ当たり前とも思える出来事に置き換えてゆけばよい。最初は繋がりなどないと思えても、やがて壁を越える出来事と時期がこよう。それを待てばよいのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月29日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。細胞が休む間もなく思考しているとすれば、その結果、答えは意識のどこに現れるのでしょうね。細胞が状況を危険と判断したとすると、想念であれば恐怖?思考であれば、回避方法の探索?などでしょうか。どちらもありそうですね。】ほほほ、何が起きておるか分からぬとも、胸がざわつくと申すであろう。思考のきっかけは、まずは魂からじゃ。考えるとは、意思があってこそよの。意思は思考でも想念でもない。現象を見つめる、それが意思の行為じゃ。ただ見つめておれば、現象の様子がおぼろげながらも見えてくるであろう。内側に隠れておる何かがあぶり出されてくるのじゃ。その何かが考え始めるきっかけとなる。あぶり出される程に、正体が明らかとなるよの。【魂と意思の関係はどうなるのでしょうか。】きっかけと申したように、魂の意思は身体を見つめ考えておることをあぶり出す。魂は、その思考を己の内側に再現するのじゃ。まあ、たとえを申せば、水晶の玉に映る景色よの。身体の意思は正体を知ろうとつぶさに景色を見つめる。つまり、己の思考の正体を自身が明らかにするのじゃ。声が山に「こだま」するように、思考は意思に「こだま」する。その思考と意思のざわつきが想念よの。【意思が思考にデータを集めさせ、その意思が情報処理し、意思による答えが想念なのでしょうかね。】意思は答えの中身をあてにしておらぬ。何が出てくるか、興味津々よの、意思が感情であればな。じっくり考えておる時は、「わからぬ」と、うなることもあろう。答えがでた時は、気持ちも晴々しいものじゃ。意思があってもデータを集めるだけの存在であれば、答えは不要よの。人とて外からの意思に思考を動かされてしまえば、答えの想念も利用されるだけじゃ。意思が曲がれば思考と想念も曲がるのじゃ。意思を真っ直ぐにすれば、思考と想念も自力するのじゃ。ほほほ、身体の細胞のように、魂も意思の粒の集まりよの。その意思を真我と申すのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月22日
いつもありがとうございます。寒くなりましたね。。。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。思考すると言いますが、考えることが面倒になる人もいますね。自分も人のことは言えませんが、時々おっくうになることもあります。考えることは、人にとって自然なことではないということ? まあ、たいていは楽な方に流されてしまいますが。】ほほほ、何の為に頭があるのじゃ。使わぬものは錆びてゆくばかりよの。【考えることも力が必要ですね。疲れた時は何も考えたくないですし、別なことも考えたりします。】疲れた時はしっかり休むことよの。まあ、疲れたことに気づかぬ者も増えておるな。真綿で首を絞めるようにじわじわくれば、気づくのが遅れることもあろう。気をつけることじゃ。【身体と会話するといいますね。それがよくわからないですね。】会話は音とは限らぬよの。身振り手振り、文字、模様、なんでもありじゃ。胸の鼓動、空腹を知らせる腹が鳴る、こちらは気づくであろう。音だけではない、寒さに身体は震え、暑さには汗をかくものじゃ。暑さ寒さを気持ちよくすごすのが、よくないとは申さぬ。程度はあろうが、無理に涼しくし、暖かくするなど、自然ではないな。春の桜が秋に咲いたとしても、天候に馴染む自然の姿じゃ。気温をすなおに感じ、うまく自然に合わせておる。そうは思わぬか?【まあ、桜の勘違いも無理に同期しているようでもありますね。】桜とて変化の全てを記憶しておるわけではない、考えておるのじゃ。つまり、全身の細胞は一粒ひと粒、思考する粒子ということじゃ。身体の声とは、ようするに身体の思考よの。【身体は量子コンピュータ並み?とすれば間違いはない?】人は身体と頭、それぞれが思考したことをやり取りし、考えを比べ一番良い答えを出すのじゃ。それを素直と申すよの。昔の電話は混線すれば、別の声も聞こえたであろう。気温とて、すなおに感じなくなれば、粒は均らされ、違いが消えるのじゃ。つまり思考も混線し、声の違いがわからぬとなる。そうなれば、わけのわからぬ思考をし、憑依などと他の所為にするのじゃ。考え尽くし腑に落ちれば、頭も身体も納得するのじゃ。頭を使わずとも、身体は止まることなく考えておる。考えるとは、自然そのものの様子じゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月14日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。転生を繰り返すのは、地球の環境に馴染むため、という話もありますね。今、日本は少子化が進んでいますが、転生も少なく なるのでしょうかね。つまり、もう馴染む必要もないと。】ほほほ、この星では転生そのものが少し変じゃ。【どう変ですか?】そもそも前世など覚えておらぬであろう。魂など信じておらぬ者もおるよの。【前世の記憶はリセットされるらしいですね。】魂の記憶は無くならぬ。魂の初期化などあり得ぬ話しよの。そなたたち、意識と無意識と申すであろう。が、魂と無魂とは、誰も言わぬな。 前世の記憶がないのは、その無魂の状態じゃ。簡単に申せば、魂が入る前の身体は無魂じゃ。身体に入った魂は、身体を己に合わせてゆく。つまり、身体は魂が入ったと気づくのじゃ。その身体に別の記憶があれば、気づかぬやもしれぬ。【つまり、完全には前世の記憶がなくなっていない身体に魂が入ってしまう?】魂が身体に入る前に、親が子の身体をいじるのじゃ。それが良いことも、そうでないこともある。まあ、親には子の身体に、どこの誰の魂が入るのか知るすべもないよの。ゆえに型くずれを防ぐ詰め物として、己達の魂を型としておくのじゃ。魂は女として生きたいゆえ身体を女にして生まれる。男も同じじゃ。が、例えば、反対の性に型がついておれば、思うようには生まれられぬ。転生と申しても己の魂だけの話しでは済まぬのじゃ。【それが、変な転生というのですかね。性の不一致など今の時代、珍しくもないですね。】まだ型は親の影だから良いが、そこに宇宙の者達も割り込む時代じゃ。そうなれば、人の魂が入れぬ身体となる。人の転生は、そのようにして減ってゆくのじゃ。【地球人はいなくなる?】行き場を失った魂は、一人に重なり、集合意識ならぬ、集合魂となるよの。つまり、一枚の絵に色を重ねるようなことじゃ。転生はパズルを一片ずつ集め絵にする方法じゃ。幾度も転生し身につくかもしれぬ幅が広がるといったことが、別の方法により成されるのじゃ。【憑依の別バージョンの感じですかね。それでトカゲのような自在にシェイプシフトする身体になるのでしょうかね。】まだそこまではいかぬな。が、身体に魂が入った後は、遺伝子も変化しておるよの。星に馴染むとは、心も身体も柔軟になる事よの。どこにでも己の居場所はあろう。何も転生や魂を重ねることだけが方法ではないよの。一度の生で絵は描き切れるのじゃ。ゆえに前世など覚えておる必要はないのじゃ。やり直しが転生ではない、ゆえに変な転生と申すのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月04日
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