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久しぶりに久しぶりに妹のことを少々。もんもんが2歳半を迎えました。いろいろと自分の事が自分でできるようになってきたので随分と手が離れ、妹も職場が変わってから土日が完全に休日となり落ち着き、お姑さんにも手伝ってもらい、すべてが上手く循環するようになったらしいです。これについては私もとてもよかったと思っています。以前の生活ではいずれ行き詰まっていたことでしょう。(おそらく、この春から旦那さんも妹と同じ職場に転職します。)もんもんを朝保育園へ預けるのは旦那さんの仕事、お迎えはお姑さんの仕事です。お姑さんはもんもん家の合鍵を持っているので、毎日妹よりも先に帰宅するのはお姑さんともんもんです。今住んでいるマンションを結婚と同時に購入しましたが、旦那さんの実家の近くに住むと決めたということは、いずれ生まれるであろう我が子の育児の全面協力をお姑さんと暗黙の了解で契約したようなものでした。結果、めでたく双子が生まれ、実際にそうなりました。さて、マンションを購入し、現在新車を2台所有し、夫婦揃っての目下の目標は、一軒家を購入することです。すさまじい勢いで、「一軒家」という今後の人生においておそらく最大であろう大きな買い物へとまっしぐらです。「生活圏は変えない」と言います。ということは、つまり今のマンションの近くで探しているという意味であり、これからも旦那さんの実家の近くに住み続けるという意味であり、これからもお姑さんの全面協力を求めながら子育てをしていくということを意味します。それは、要するに、ほほぅ、将来的にお姑さん夫婦の老後の生活を看るのも妹夫婦の役目だという意味でもあると、私は捉えています。お姑さんはもともと子どもが好きだったらしく、地域で子どもを見守るボランティアにでも参加しようかと考えるほど子どもに携わりたかったようです。そこへ願ったり叶ったりでまさかの二人もの孫が同時に誕生しました。しかも初孫なので(旦那さんのお兄さんは2人の子連れの方と結婚したので直接の血の繋がりはありません)喜びもひとしおだったようです。妹としても、想定外の双子の出産でどうしても人手が欲しく、小言など言う暇もありません。お姑さんはもちろんもんもんがかわいくて仕方なく、自分が親として子育てをしているという自負があるように私には見受けられます。お姑さんは老後の生活を妹夫婦に任せられたと心で確信し、妹はきっとそうだろうことを了承した上でお姑さんに全面協力してもらい、はい、利害関係が一致しました。双方の関係が上手く循環しているというのは、上手くいくようにいくようにと、そうしないことにはお互いの利害関係と生活が成り立たないからなのです。ところで、私の母のことです。今記述したことをすべてわかった上で、マンションの購入資金を少しだけ結婚祝いとして妹へ贈ったり、今のマンションを売り払って、今のマンションの近くに一軒家が欲しいということも、お姑さんが育児に全面協力していることも知っています。ただ、お姑さんにだって時々私用はあるだろうから、そういう時にだけ呼び出しがかかるのがどうも最近癪に触るようなのです。大体呼び出しがかかるのは土曜日か日曜日。旦那さんが不定期で出勤する日です。毎日お姑さんに手伝ってもらっているのだから一日ぐらい一人で見られるでしょう、そもそも誰の子どもなの?、メールしてきたと思ったら「来て」、私だって土曜日は習い事があるのに、と口には出しませんが、母のその行間から読み取れることは明らかです。妹も妹で、実の母だから遠慮なんてものはこれっぽっちもないらしいのです。そりゃそうでしょうね、いくらなんでもお姑さんにはわがままは言えませんもの。なんと言ったって、これから先人生長い訳ですから、何があってもお姑さんとの不祥事は起こせません。それに比べ、母に対しては遠慮などという言葉がある訳もなく、図々しさ極まりない態度で指図するようなのです(私のことはさて置き)。その辺りが、だんだん母のストレスとなってきているようです。もちろん母だって孫はかわいいのですよ。ただ、それ以上にお世話係の疲れがひどいらしく、最近初めて妹に対して愚痴をこぼすようになりました。私は、なんとなく母の気持ちがわかるのです。自分の都合で、ピリッと僅かなスパイスを効かすほどの圧力を以て、自分の都合の良いように他人を操ることが出来る長けた妹です。(お姑さんはそれもわかっていらっしゃると私は容易に感じましたが。)詰まるところ、旦那さんを動かしているのも妹で、世間から見たらしっかりしてよくできた嫁なのでしょう。また、そういう面を一切見せず、夫を立てた優しい妻を自然と演じられるのも妹の才能なのです。いえ、お姑さんとしても自慢の嫁なのですよ。ただ、私から見ると、みんながみんなどことなく腹に一物あるだろう微妙な人間関係なのですよね。さて、この生活は、このまま続けられるのでしょうか。もちろん、妹は名誉にかけて意地でも守り続けます。だって、体裁が何よりも大事ですから。それが崩れてしまえば自殺行為です。だけど、何の役にも立たない第三者としての立場を守り通す私、姉としては、いつかどこかでひずみが生じるのではないかと思わずにはいられない訳なのです。もんもんが小学生になり、多感な時期へ突入すると問題も次から次へと出てくることでしょう。双子だからなんでも要り用が同時なので、金銭面についても妹夫婦としては悩みの種だと思うし、一軒家を購入するならばローンも返済していかなければなりません。例えば30年ローンと考えたとして、返し続けていける保障などどこにもない世の中です。なんらかの問題が発生した時、妹は自我を押し通し陰で家族を牛耳って手のひらで転がした末、何を誰を拠りどころにするつもりなのか、ついついそんなことを考えてしまいます。お節介かもしれませんが、これでも一応この世にたった一人の姉ですので。何の役にも立っていませんが。と言っても、今が一番大事です。妹夫婦ともんもん、お姑さんにはがんばってほしい限りです。誤解を招くといけないので、最後に一言。妹家族はとても上手くいっています。
2016/02/29
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第五十九回「私、社会復帰できますか?」毎日声を発しない生活だから、せめて声を発する練習をしておこうと細々と朗読を始めてみた。嫌々ながら3ヶ月ほど粘ったものの、あっさり挫折。私には向かないわ。(2015.8.27. 11:30)
2016/02/28
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第五十八回「私、社会復帰できますか?」大学の頃からの友達から、ピアノコンサート出演のチラシが送られてきた。精力的に活動している様子。私は毎日何もせず、一体何をしているのだろうか。この友達は自分のことが大好きで、ドレスを着て撮ってもらった自分の写真をアイドルのポスターほどの大きさに引き伸ばして、豪華な額縁に入れて家の壁に飾ったりしている。写真立てどころの騒ぎではない。私は、この額縁を見た時一瞬ぎょっとしたが、ある意味そこまで自分のことが好きになれて羨ましい。(2015.8.25. 23:00)
2016/02/27
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【左側の顔面痙攣 エピソード230】2/23(火)満月朝一番にアキヲに会って、なんだか良い事が起こりそうな予感♪2/24(水)美術館へ行く。美術館へ行くと、放っておいたら何時間でも居座るから、少しセーブするようにしている。結構疲れちゃうからね。それでも入って出て2時間。私、今何が欲しい?と尋ねられれば、大真面目に美術館のチケットと答えるかもしれない。巨大な筋骨隆々の外国人の男性が二人、電車の切符の買い方がわからないのか券売機の前にかわいらしくじっと佇んでいたが、気になりながらも素通りする。今度もしそんな場面に出くわしたら声をかけて手伝ってみようと思った。少しでいいから外国人と交流がしてみたいんだよ。なぜかふと部屋の模様替えの案が浮かび、近々実行しようと思う。今頃になってようやくちゃんとした冬が訪れたような気がするね。どうでもいいけど、おいしーいパスタが食べたいな。2/25(木)おそらくピアノの先生をチラと見かける。私の家と先生の家とは直線距離では少し離れているのだが、実は最寄り駅は同じだった。はて、どのぐらい会っていないだろうか?ざっと3年は会っていないと思うが…。いや、一度電話がかかってきたのだった。「(私より)一つ年下の薬剤師がいるんだけどね、いいじゃないの〜嫁に行きなさい」何が「良い」のだかまったく理由になっていない。(もっとずっと前には、結婚さえすれば一生働かなくていいとまで言われた。)考えます、とかなんとか言って返事を濁し、それっきり連絡をしていなかったのだった。はい嫁に行きます、と私が答えるとでも思っているのかしら。先生は「(自分の生徒たちは)だ〜れも私の言うことを聞かない」と言うけれど、そんなの当たり前じゃないの!馬鹿馬鹿しくって笑えてくるわね!2/26(金)最近とても眠い。もうすぐ春だからかな。重い足を引きずって市役所へ。受給者証をいただくのも大変だ。
2016/02/26
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生と死は予約されたものだ「世の中は結局釣り合うようにできているのだろうか。一つの方向に行き過ぎると、自動的に反対への動きが生じ、バランスが回復される」「金銭は、心の貧しい人、趣味や喜びに乏しい人のところに集まるもののようだ」「戦争は、いつも他人事で始まる。(略)戦争が他人事でなくなるなど、私たちは考えもしなかった」「たぶん、誰にも秘密がある。自分だけの箱にしまい、他人には見せない苦悩がある」「郵便切手の糊(のり)だけでつながった間柄(あいだがら)ほど悲しいものはありませんし、見えも聞こえも触れ合えもしないなら、いっそ忘れてしまったほうがいいのかもしれません」「知りながら、見て見ぬ振りができるというのは、人間の輝かしい才能の一つだ」「思うに、人間ってなあ、ものを知らなきゃ知らんほど幸せかもな」「愛情ってのは、きっと人を疑り深くするんだろう」「人間は、さまざまな欲望や衝動を隠し持っている」「死んでみたところで何の役に立つだろうか?…まだ死ぬには早すぎる。せっかく自分のために生れてきたものを、全部真に自分のものにしもせずに、あの世へ旅立つなんて、果してなすべきことだろうか?」「人はどのようにして作家になるか?まず、当たり前のことだが、ものを書かなければならない。それから、ものを書き続けていかなければならない。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人が一人もいなくても。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人などこの先一人も現れないだろうという気がしても」「人は、やるべきことに追われていると、“今”が自然の営みの一部であることすら忘れてしまいがちです」
2016/02/25
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自分治療「増えた!」のお話私、趣味が増えました。なんだと思いますか?なんと、映画鑑賞です!この私が映画を観るようになるとは、なんという心境の変化でしょうか。ご存知のように私は映像には興味がないので、テレビは見ないし、もちろん映画もまったく観ない生活をしていました。とにかく流行に疎いです。現代の流れにまったく付いて行っていません。映画館は行ったことはもちろんありますが、35年間の人生の中でおそらく10回程度。しかもそのほとんどが、私がまだ幼い頃に母が何度か連れて行ってくれたジブリぐらいのもので、物心がついてから自分の意思で行ったことは2回ほどだったと思います。直近で行ったのはいつでしょうか。大学生の時でしょうか(しかも当選してもらった試写会だったと思う)。いずれにせよ、ジブリが私の映画人生のすべてだったようです。だから、映画については何の知識もなく、有名俳優なども知らないし、私の生活の中にはまったく以て介入しない代物でした。ところが、この夏、図書館で本の棚しか見ない私がなぜか引き寄せられるようにDVDの棚へ行き、フランスのあるモノクロ映画を手に取ったのです。これがまた目が爛々と輝くほどおもしろかった!ここからなのです、映画の世界に興味を持つようになったのは。もっぱら私の興味の対象は、海外の古いモノクロ映画もしくはカラーの走りの頃の映画です。特に1930、40年代がおもしろくてたまりません。80年代は私にとって最新作なので、それ以降のものはあまり観ません。美術館や本と同じで、映画も現代のものには興味がなく、やっぱり私は古いものに惹かれるようです。いえ、時代は古いかもしれませんが、私にはむしろ現代よりも遥かに新鮮に映るのです。おそらく非現実がいいのでしょう。否、昔は現実だったことで、非現実になってしまったこと。美術館に行く感覚と同じで、目に映るものすべてがまるで展示品を見ているかのようです。ミュージカルやバレエやダンス、この時代の音楽もとんでもなく好きです(ピアノでジャズが弾きたくなりますね)。私が現代のものがこれっぽっちもいいと思わないのは、おそらく「経年という熟成」を感じないからのような気がします。どうしても文明発達の浅はかさだけが記憶に残ってしまい、真の良さを見い出せません。さらに、年々歳を重ねる毎に、あらゆる面で技術的にもかなり質が高くないと受け入れられない自分がいます。現代のものに興味もそそられないのは、きっと、私は、芸術に触れている時だけは空想の世界に浸っていたいのでしょうね。きっとそれが私にとっての「芸術」なのです。こんな私の知らない世界があったとは、単色だった日々の生活が少しだけ色付きました。感動して涙を流したり、五感が刺激されて私の身体にもうれしい作用がある模様です。また、古い映画だと、一般市民の生活にもどうしても戦争の闇が影を落とすので、そこも私にとっては魅力的なような気もします。恥ずかしながら私は戦争の知識がまったくありません。ちょうど勉強したいと思っていたところだったのでした。因みに、決して戦争のアクション映画が好きという意味ではありませんよ。本の世界とはまた違う映像の世界。どちらも非常に素晴らしいと感じます。本と映画、さらに美術館。気楽に楽しんでいる写真、そしてこれまでのピアノ。単品だったこれらが、点と線となって意外なところから繋がってきたようです。思わぬ趣味ができた自分に驚くと共に、今以上に自分の内面を肥やしていけたらいいなと思います。さて、これからこの趣味たちがどう影響し合って私を高めてくれるのでしょうか。もう楽しみで仕方がありません。発病してからの8年半は、体調の劇的回復に加え、趣味の分野に関しても実り多き年月であり、自分の中にある不変の核たるものが日に日に太くどっしりと腰を据えて不動のものに変わっていった年月だったと、改めて振り返る所存です。
2016/02/24
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第五十七回「私、社会復帰できますか?」WindowsXPが使えなくなったのはいつだったかしら。妹がいらないと言って譲ってくれたけど、使えなくなって以来スマートフォンだけで生活している。そろそろパソコンを買おうかな。買って勉強しようかな。結局はそれがいいのかな。(2015.8.7. 12:00)
2016/02/23
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【左側の顔面痙攣 エピソード229】2/18(木)片付けや整理や「断捨離」という言葉が一般化したが、私の場合そんな流行とはまったく関係なく、結婚する妹の引っ越しに便乗して部屋の大掃除に取りかかったのだった。というか、正直なところもう人生を半ば諦め、自らの手で閉じたかったので、身辺整理のつもりだった。見られたくないものは自分で処分しておかねば。ところが、皮肉にもこの大掃除が部屋だけでなく私の心をもすっきりごっそり大掃除してくれることとなる。ははは。2/19(金)雨水美術館のチケット、安くで買える♪2/20(土)雨。雨が降ると底冷えする。ということで、掃除機をかけてから靴下を繕って細々した雑用をして図書館の本をネット予約をしてボーっとして、ブログを書く。少しお昼寝もする。なかなか充実した一日となる。と思っていたら、裏のお宅に救急車が来て、雨音がその不気味さを助長させる。2/21(日)晴れ!やっぱり晴れないと元気が出ないよね!2/22(月)人は嫌でもその環境に慣れる。良くも悪くも適応し、それが普通となる。私は、もうこの生活にどっぷり浸かってしまった。抜け出せない。あゝ、妹と足して2で割れたらいいのに。ほんと、うまくいかないものよね。
2016/02/22
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わたしの人生はきみのためにある「人間の魂にとって本当に大事なことが国境線から始まったり、そこで終わったりするということが信じられない。美徳も悪徳も、悦楽も苦痛も、国境線で縛られたりしないよ」「家を家庭にするにはずいぶん手間がかかるよ」「人生あるところには ー 人生がある」「絵は言葉を破壊するものです」「大きな奇蹟もあなたがもって生まれた才能の一つなのよ」「人生はいくつかの時期に分かれておる。一つ一つの時期はそれぞれ他とは全然違うが、それぞれの時期に何をすべきかがわからなくてはいかん。それが人生で成功する秘訣だよ」「もしも死後に別の人生があるのならば、その次の人生においてわたしは次のような言葉が本当に適用されるような人間に生まれかわりたいと思う、「許してやってください ー 彼は自分が何をしているか知らなかったのですから」」「何事も、目に見えているほど善くもなく、悪くもないものです」「いくら善人で、弱くて、万事に受身であっても、誰でも背負えるだけの罪は背負っているものです」「神が自分に対して残酷であると考えて動けなくなったのではない。わたしは神にはいっさい期待するなと自分に教えていた」「つきが回ってきた。こんなチャンスが一生に何度ある?つきってのは、回ってきたときにそれと悟ることも含むんだ」「いまあるものは、来(きた)るべきものの種(たね)である」
2016/02/21
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自分治療「更新」のお話書き漏れがあったことに気付いたので、まずはそこから。私、大事なことを書き忘れていました。姿勢のことです。お散歩する時はなるべく大股で姿勢を正して歩くように心がけていますが、普段の生活の中でも姿勢には特に気を付けています。まず、足は絶対に組みません。ま、厳密に言うと足のしびれがきっかけで組めなくなってしまったのですが。発病するまでは座った途端に組み、しばらくすると組み換え、またしばらくすると組み換え、その繰り返しで座っている時は基本的に足を組んでいることが常でした。今は、座っている時は2本足を少し前に出して揃えることを意識しています。それと、本を読んでいたりするとどうしても猫背になっていってしまうので、胸を張って肩甲骨を内側に寄せるなどして定期的に意識的に動かすようにしています。姿勢は良いに越したことはありません。侮ることなかれ、実は身体の不調をも招きうる恐ろしい習慣だと思います。しかも、足を組んだり猫背で丸まっていたりしている人は見た目にも美しいものではありませんしね。以前からバレエに興味がありました。それは体の線がまっすぐきれいになるからです。こんな年齢ですが、やっぱりいつかバレエを習ってみたいような気がします。それと、この自分治療日記を書いている最中に既に更新されたことをいくつか。その1。朝ごはんに、白湯か、レモンを絞ってハチミツを少々垂らした白湯のどちらか、米、納豆、果物を食べていましたが、「米、納豆、味噌汁」になりました。果物は夕食後に食べています。特にこれと言った理由はないのですが、たぶん朝ごはんを純和食にしたかったのだと思います。その2。この冬初めて湯たんぽを使い始めました!暖冬のようですが、まぁそこはご愛嬌。ホットカーペットの温度を一番低く設定して、始終湯たんぽと引っついています。夜寝る時も足元に入れているので、24時間足元が気持ちのいい温かさに保たれています。やっぱり体が冷えていると神経が立ってくるので、足元が温かいと心も落ち着いていいですね。湯たんぽの温もりって、なんだか幸せを感じます。天下泰平です。その3。「冷えとり」のお話に、2度ほど1ヶ月以上に渡った下痢が続き、その2度目の下痢の後、腸の調子が目に見えるように変わったと綴りました。その後の話の続きなのですが、コーヒーに対する味覚が変わったような気がしています。「嗜好品」のお話にも書きましたが、コーヒーは私にとって嗜好品だったのです。体に染み渡り、ため息の出るおいしさで、自分へのご褒美の一杯という感覚とも言えるほど至福のひとときが流れていましたが、最近そこまで格別においしいという感覚がないのです。コーヒーは摂らなくても一向に構わないものであり、タバコやお酒のようにむしろ依存性が高いもので、しかも体を冷やしてしまうので、もしかしたら私にはもういらなくなるのかもしれません。頭ではなく体がいらないのであれば、それに素直に従って止めようと思っています。まだもうしばらくは飲むとは思いますが、以前ほどの愛情はないらしいですね。これも自分では思ってもみない変化ですが、腸がそうなのだから受け入れるしかなさそうです。いえ、おそらく喜ぶべき変化なのだと思います。「冷えとり」って、なぜか体にとって悪いものが自然といらなくなるのですよね。現在の私の至福の一杯は、朝一番に口にするお味噌汁のようです。その4。最後に、下着のお話を少々。肌に直接触れる素材は絹が良いそうなので、諸事情あってついにオーガニックコットンから絹に変えてみました。24時間絹の長袖長ズボンを着ています。昨今絹がブームなので、べらぼうに値段が高い訳ではなく、結構一般化しているように感じます。さらりとしていて、汗をかいてもべたつかず快適です。しばらくは絹で過ごしてみようと思っています。
2016/02/20
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第五十六回「私、社会復帰できますか?」昔ギリシャのイカロスは〜♪「勇気一つを友にして」急に頭に流れ出した。(2015.8.6. 18:00)
2016/02/19
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【左側の顔面痙攣 エピソード228】2/13(土)よくしゃべる関西人丸出しのおばあちゃん7人がカフェへご来店。7人でケーキを2つ注文して分け合いっこすると言う。注文を取った店員もぎょっとした。つまり一人一口か二口ってことでしょう?いや〜それはどう考えても足りないだろう(苦笑)これは追加注文になるな。みなさんがおちょぼ口でケーキを嗜んでおられる時だけカフェがしんと静まり返る。私はそそくさと退散する。2/14(日)昨日と今日は春の大嵐。これだけ急に気温が上がるとさすがにしんどい。日傘を差している人を何人も見る。何度か行ったことのあったカフェが年末で閉店していた…。2/15(月)読書が趣味だけど、私は読む速さは速くないと思う。長編なんかを読むとたっぷり2ヶ月かかることもあるし、私は重く深い本が好きなので、いかんせんするするとは進まない。冊数で数えると年間さほど読めないな、ということに最近ようやく気付く。だったら、そりゃあ良いものを読みたい。となると、ますます新刊から遠ざかり、年代が遡ってゆく。2/16(火)「もともと健康で体力もあり、20代から体形の変化もなく、感情のアップダウンもない。常に高めの安定という感じ。40代女性」一度でいいからこんなことを言ってみたいものである。この1週間はいまいち心と身体がすっきりしなかった。花粉が本格的に飛び始めたことと、あまりに急激な気温差はこの私の身体にはどんと堪える。何事も極端は良ろしくない。今日は図書館でたっぷり本を借りて、少し気分が上向きになる。2/17(水)これからもまだまだ痙攣と付き合う日々が続くとは思うが、痙攣も一つの経験だったと今は前向きに捉えている。ちょっと無理をしたり、こっちの道はたぶん私の道じゃないけど好奇心から進んでみたいなーと自分の心に反する道を進んでみようとした途端、神経がピクピクして教えてくれるのだから。軌道修正してくれるのだから。まったく、うれしいのやら悲しいのやら。
2016/02/17
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年月の作用はひっそりと進行する「死なせてやったほうが楽かもしれないとき、君はほんとうに馬を撃つだろうか」「わしは人生を一種の音楽だと思っている。必ずしもいい音ばかりではないが、それでも様式と旋律がある。わしの人生は、もう長いことフルオーケストラではなかった。フルオーケストラどころか、音符の一個だ。不断の悲しみという音符…それだけだ。こういう人生態度はわしだけではないぞ。人生が敗北で終わると感じている者は多い。たぶん、多すぎる」「友がいるとわかっているときは、わざわざ会いにいかない。いなくなると、会わずにしまったことを猛烈に後悔する」「わしは君に生き方を教えることはできん。だが、話すことといえば生き方のことになる。君が、過去にありえたかもしれないことを忘れ、いま世界に吹いている風に当たってくれれば、それに越したことはないと思う。だが、そう言うわし自身が、いま記憶を篩(ふるい)にかけておるところだ」「人生なんて何の意味もないと思っていると ー するとだ、突然に、大事な目的にピタリとねらいがついていることに気がつく」「悪とは何だ?悪とは、たいていの人間の中にある限りなく何かを憎もうとする気持、神を味方につけて人を憎みたがるそのことだ。およそ醜いはずのことに魅力を感じる人間の心にあるんだ。そういう人間の白痴的な部分が人を罰しようとしたり、中傷したり、喜んで戦争をやったりする」「未経験の状況に出くわしたとき、人は沈黙で反応する」「嘘は周囲を病ませます」「公式な場での礼儀作法というものは、きっと、クッションとして心痛を和らげる働きをするのではないでしょうか」「誕生から誕生に戻る。そのとき描く弧には無数のパターンがあるからな」
2016/02/16
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ねことサツキ冬と春が交互に訪れる。というより、今年は真冬はあったのでしょうか?私の理想のねこちゃんの色はこれなんです。こんなねこちゃん飼えたらいいな♪ま、どんなねこちゃんでもかわいいけどね(笑)お散歩してたらもうサツキが咲いてた!
2016/02/15
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第五十五回「私、社会復帰できますか?」就活生「就活本読んでたら、どんどん自分が消えてく」だったら、就活なんて辞めればいいじゃない。(2015.8.3. 17:00)
2016/02/14
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第五十四回「私、社会復帰できますか?」私の天職って何なんだろう。そもそも私には、そんなものあるのか?(2015.8.2. 20:40)
2016/02/13
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【左側の顔面痙攣 エピソード227】2/10(水)美術館へ。やっぱり美術館は最高!仏像を仰いだら雑念が浄化される。ようやく2つ目のヘルペスが完治する。2/11(木)昨日に引き続き美術館へ行く。昨日の美術館とはまったく違う内容なのに、どこか重なる部分があって、昨日生まれた疑問が解決される。今日行った美術館が数日前から無性に気になっていたので、今日行きなさいということだったのかもしれない。みんな自分の人生を犠牲にし過ぎよね。〜しなければいけない、としか言わない。2/12(金)私はご存知の通り神経過敏だ。その日その日の行動も直感を頼りにしていて(軽く言えばその日の気分)、私は自分のこの直感というものに人生が支配されていると言っても過言ではないと思う。とにかく頭で考えるよりも先に直感が働き、妹の友達のmちゃんが離婚するという直感もなんなく当たった。幸せ絶頂の結婚式の写真を見せてもらった瞬間、とっさに「離婚やな」と口走ってしまったのである。ね、間違いなかった。また、直感とは少し違うかもしれないが、あのカフェへ行こうと思ってカフェの前まで行ったにもかかわらずなぜか引き返してしまったとか、やっぱり気になってもう一度行ってみるもまた引き返し、それが何度か続いて気が付いたらカフェが閉店していたということも結構ある。おそらく行くなということだったのだろう。(因みに霊感と呼ばれるものは一切ありません。)良く言えば、ちゃんと身体の声を聞いて日々を送っている。でも結局神経質で敏感だから、正直日々疲れるのである。感じなくてもいいことまで感じ取ってしまい、神経が休まる暇がない。人間関係を上手く築けないのもここに原因があること、無きにしもあらず。相手の考えていることや波長や、何か言葉では言い表せない何かが直感で伝わってしまうのだ。(ちょっとぐらい鈍感の方が生きやすいと思う。でも、ピアノを弾くにはうってつけだった。)だから、あれだけ常連客になれたおねえさんのカフェは私にとっては本当に珍しかったと思う。今でもたまに行きたくなる時があるもの。実はとてつもない直感が働いたことがあった。大きなものは2つ。ここには口が裂けても書けないが、これだけは私の直感が間違えていたということにしてほしいと願っている。それから、顔面痙攣も今後止まることはあるのだろうか。ここ2週間ほどは左耳にも痙攣が響いているし、足のしびれの後遺症のように一生背負うことになるような気がしてならない。神経過敏体質はどうしたらいいのかしら?
2016/02/12
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気のきいたやり方ではないが、ありがたさはずっと長つづきする「これは回転木馬だってことなのよ。わたしがここから出たときは、出発点にまた逆もどり」「わたしには奇妙なことなんだけれど、誰も彼も生きていくことにあれほど気をつかっているのに、死ぬことにほとんど気をつかわない。なぜ、おえらい科学者たちが、生命を終わらせる楽な方法を見つけるかわりに、生命を伸ばそうとしてがんばってばかりいるのかしら?わたしと同じような人たちがこの世の中にいるにちがいないわ ー 死にたくてもその勇気のない人たちが ー 」「旦那様、人はたわいないことを考えていて、ある年齢から急に重要なことを考えはじめるとお思いですか。十歳の自分といまを比べたとき、いまのほうが感覚が鋭く、頭脳が明晰だとお思いですか。いまも当時も劣らず見え、聞こえ、味わえるとお思いですか」「なるほど、君の言うとおりかもしれない」「時が人に与えるものは、年齢と悲しみです。それ以外の何かだと思うのは、わたしには大きな過(あやま)ちのように思えます」「記憶はどうだろう」「ええ、記憶もです。いったい記憶がなければ、時は人に対して無力ですからね」「わくわく…たぶん、人間に起こりうる最高のことだ」「人間は自分の進む道を選び、そこを戦い抜いて、勝利できる」「人間とは実に重要なもの ー たぶん星より重要なもの ー と思えます」「人間の心には、暗い奥底でひそかに問題を吟味し、拒否したり受け入れたりする能力が備わっているように思う」「芸術がいかに大事なものか気付くのにわしはなぜこんなに時間がかかったのだろう。若い頃は芸術なぞてんから軽蔑しておった。今では、考えるたびにその前にひざまずいてすすり泣きたい気持になる」「ヒナゲシがヒナゲシの花を咲かせ、バラがバラの花を咲かせるように ー あんたは作家として、わしは画家として花咲かなくてはいかん」
2016/02/11
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歴史は時おりスポーツと手をつないで進む「おっと、時間の過ぎるのが速いことだ。人生と同じ。気をつけておらんとあっと言う間だし、気をつけているとちっとも進まん」「回復など、病の栄光を汚すものだと考える人もいるが、そんな栄光など、時という湿布の前には屁のつっぱりにもならん。誰でも、じっと待っていれば必ず回復するものだ」「人間というものは、感情が傷つくと何かに当たりたくなる」「誰でもそうではありませんか。みんな両腕にいっぱい、貴重品か何かみたいに罪を抱え込んでいます。きっと、人間はそうしたい生き物なんですよ」「異国の岸辺をさまようことをやめて足を故郷のほうへむけたときに心の燃えあがるのを感じないような男「これは俺の国、俺の生まれた土地!」と自分にむかって言ってみないような男それほど死んでしまった魂の持主がいるだろうか?」「わたしは生きることに飽きて、死ぬことがこわいのよ」「創造的な人々というのはまことにうらやましい ー 創造性とはまさに神々からの贈物ですからな」「生と死は厳然たる事実なのに、それに影響される程度は人によって異なる」「新しき友を作れ、しかし古きを失うな。一方は銀にしてえ、他方は黄色なりい。」「ばかになれば、利口なときにはできないことができる。試して損はないよ」「戦後までわたしを生きのびさせた麻薬とは、あること以外では決して感情を動かされないという能力のことだ ー そしてあることとは妻に対する愛である」
2016/02/10
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【左側の顔面痙攣 エピソード226】2/6(土)父が使っていた小さな小さな目覚まし時計を私が譲り受け、ずっと使っていた。この度、ついに寿命が訪れたようです。もう20年以上になるのじゃないかしら。よくがんばって動いてくれたよ。ありがとね。今日は家でごろごろ。2/7(日)毎年花粉が飛び始めるこの時期になると(もうお正月から飛んでいるけれども)、のどがイガイガして鼻が出る。アレルギー体質だから仕方ないわね。ま、要するに花粉症なのよ。図書館に自動貸出機が設置されたが、エラーの連発甚だしい。貸出処理ができなかったり勝手に貸出延長処理になっていたりで、結局職員総出で対応に当たっているため、全然「自動」の意味がなし。2/8(月)新月久しぶりに友達と会う。カフェを3つも巡って楽しかった。いつも単独行動だから、新鮮だった。2/9(火)細々とした雑用を済ませ、部屋の模様替えをしようかどうか、配置などをあれやこれやと想像してみる。ちょっと家具を動かすだけでがらりと雰囲気が変わるのよね。以前は模様替えをするも何も、物がたくさんあり過ぎて替えようがなかったけれど、今は物を処分したから気分によっていろいろと楽しめるようになった。
2016/02/09
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自分治療「冷えとり」のお話「冷えとり」を始めるといずれ好転反応が訪れます。これこそがまさに「真の自分治療」だと思いませんか?薬に頼らず、ただただこれまで溜めてきた毒を自分の力で出し切るのです。これを辛抱強く乗り切る毎に一段階また一段階と体が良くなっていき、心底願っていた「真の健康」が我が掌中に収まります。さらに、これ以上の毒を増やさないように「冷えとり」をして、その日の毒はその日の内に排出してしまえるような体作りと生活を心がけるのです。私のブログを読んでくださっている方は、おそらく大半は同じ病気を抱えておられる方だと思っています。こんな病気を発病するぐらいだから、小さくても何か様々な身体の不調を感じておられるのではありませんか?それは心の状態をも含めてです。元気発剌で日々逞しく前向きで羨ましいほどの健康状態の人が、いきなり難病を発病するはずがありませんもの。私は思うのです。心の状態を、はい、今日から変えます!と言っていきなり変えるのはそれは無理な話です。私なんてマイナス思考の鑑のような思考でした。すべてにおいて悲観的だったし、人に認めてもらいたい、ただそれだけを求めていたように思います。おそらく私が考えるに、心の病が先で、体はその後から症状として現れるのではないかと想像します。でも、たった一つだけでも不定愁訴が消えたなら、それだけで心は少し前を向くものです。そうやって、一つまた一つと体の不調を改善させていくと、それに追いかけるように心も一つまた一つと大きく前進していくのではないでしょうか。順番をちょっと変えてみるのです。私たちはきっと、心と体どちらもが悪い方へと引っ張り合っていて悪循環に陥っているのです。ぜひ「冷えとり」健康法を始めてみて生活を変え、まずは一つだけ「体の」不調を改善させてみてください。すると必ず「心も」それに付いて行きます。(ただ、何度も綴っていますが、「冷えとり」とは一見宗教じみた健康法だと思います。始める時は、専門書を読んだりして納得した上で始めてみてくださいね。)その間、いずれ訪れるであろう好転反応を受け入れる準備をしつつ、気長に自分と向き合ってみる時間を作ってみるのです。薬に頼ってしまうのは私も重々承知しています。しんどく辛いですから。でも、その大きな山を乗り越えると、一回り大きくなった自分にきっと出会えるはずです。ただ、人にはそれぞれ必ずタイミングというものがあると思うので、その時が来たら今がそういう時だと思って一歩進んでみてください。「冷えとり」健康法の本には「万病が治る」と書いてあります。正直、それはちょっとどうかわかりません。でも、どんな時でも「日々自分治療に励む尚」という仲間がこのブログ上にいることを忘れないでくださいね。一緒にがんばっていきましょう。同じ病気の方たちがみんな今の状態より少しでも元気になれることを心から願っています。かなり長くなりましたが、これにて「冷えとり」のお話を終わります。
2016/02/08
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自分治療「冷えとり」のお話去年の10月。なんとなく、これまで地道に続けてきた自分治療を日記としてまとめてみようかと思い始めた頃です。この日記を書くにあたって、もう一度「冷えとり」の本を読んで勉強してみることにしました。実際に自分で文章を書くとなると、読み方も捉え方も変わってきます。よくよく読み直してみると、適当に靴下を履くこと以外はほぼやっていなかったようで、半身浴もしたりしなかったりだったし、食べることは好きなのでたくさん食べていたし、でも逆に考えると、綿綿になりつつも靴下だけでこれだけの効果が出たのだから、もう少しちゃんとやってみるともっと良くなれるような気がしたのです。そこでようやく、この期に及んで4年もの紆余曲折を経た末、まじめに「冷えとり」を始めることとなります。きちんとルールに則り4枚履き、毎日半身浴をし、食べ過ぎないように心がけ、いつでも下半身が温かい状態に保たれるような生活をしていきました。もう、背に腹はかえられぬのです。と、幸か不幸か、ちょうどタイミングよくまた下痢が始まりました。ついでに尿もとてもたくさん出て、一日に何度となく尿意を催します。今回の下痢は前回とはまた違った様子でした。また1ヶ月ほど続いたのですが、なぜか食欲が急に落ちてあまり食べたくなくなったのです。極めて少食になった期間でした。むしろ1食や2食ぐらい食べなくてもいいかと思うほどで、一日3食きちんと摂っていた私には珍しい現象でした。そんな中でご飯や納豆、漬物という日本食のおいしいことと言ったら!もう舌鼓を打つほどのおいしさなのです。いわゆる御馳走と呼ばれる飽食時代の食べ物は受け付けません。そして下痢が止まってふと気付くと、加工食品や添加物が満載の食べ物が以前よりも加速して欲しくない腸へと好転したようです。腎臓も好転したのかもしれません。なんと不思議!また食生活が一歩前進しました!頭で考えるよりも先に体が反応するのです。頭ではこの甘〜いチョコレートを食べてみたいと思っても実際体が食べようとは思わないとか、満腹になる前に勝手に食べることを止めているとか、思考優先ではなく体が優先になりました。現在は、下痢は止まり、とても良い便が出ます。食欲も回復したのできちんと3食食べていて、やっぱある程度は食べないと力が出ないし循環しないとは思って食べていますが、結果的に、一日あたりに摂取する食べ物が少し減ったような気がします。でもそれは、おそらく摂り過ぎていた加工食品や添加物が減っただけのことだと自分では解釈しています。
2016/02/07
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自分治療「冷えとり」のお話さて、そんなこんなで、足の裏の汗が気持ち悪いという理由から勝手に始めていたらしい「冷えとり」歴も4年が過ぎました。ついに4枚セットを購入して履いてみたり、絹の5本指と綿の5本指だけは必ず履くようにして後は適当に手持ちの靴下を重ねて履いたり、破れては繕ったり(因みに私はいつも1枚目の小指と薬指が破れます)、夏も冬も、その時の自分にできる負担にならない程度の「冷えとり」を続けてきました。特に冬は「冷やさない」ことにも気遣うようになり、腹巻きやレッグウォーマーなどを日常に取り入れるなど自分なりの工夫も始めるようになりました。さらに、4枚も履くと手持ちの靴が入らなくなったので、買い換える際にはワンサイズ大きいサイズの靴を買ったり、ここに綴ってきたちょっとした自分治療を少しずつ始めるようになったのもこの期間からです。その間、前回書いたような好転反応が何度かありました。もしかしたら自分でも気付いていない小さな好転反応もあったかもしれません。それに伴って年々身体は元気になっていきました。口癖だった「しんどい」と「ダルい」という言葉を発することはなくなり、頭痛も消え、急にうつ状態になって落ち込むことも少なくなり、すると必然的に自殺願望を抱くこともなくなりました。また、これまで多量に出ていた汗はサラリとしたきれいな良い汗ではなかったのでひどく臭いがきつく、自分でも脇や足の裏の臭いは耐えられないほどツンと臭っていたのですが、臭いが消えました。もう、ここに書き切れないほど劇的な変化です。そうやって、いわゆる不定愁訴と呼ばれる症状が一つまた一つと消えていき、心の在り方が正常になり、自律神経も整った次第です。ただ、靴下はすぐには破れなくなりましたが、半年ほど履いているとやっぱり小指と薬指が破れてくるようでした。(破れる箇所から身体のどこが悪いかがわかるそうです。注:足のツボとは違います。)そして、現在へと続きます。
2016/02/06
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【左側の顔面痙攣 エピソード225】2/1(月)あら、2月ね。一つ目にできた左の鼻の中のヘルペスが治る。ヘルペスは2つもできてしまったけど、こんな変な気候でも大きく体調を崩すことなく身体はちゃんと順応しているようです。(たぶん花粉が飛んでいるせいで目がくしゃくしゃしてのどがガラガラするけど。)本当に、私、元気になったなぁ〜。そう思いませんこと?(笑)2/2(火)早くも美術館の春季展がちらほらと始まり出した。行きたい展示がいくつか見つかる。少しだけ安くでチケットが買えるから、格安チケット屋さんを覗きに行こう。さて、コンピュータシステムを大幅に変更すると言って2週間も休館していた図書館へ行ったら、館内に「自動貸出機」「自動返却機」なるものが設置されている。今までは職員にカウンターでスーパーのレジのようにピッピッと処理してもらっていたのだが、まぁ、要するに、人件費削減の波がここにも押し寄せたということである。これは私的な意見だが、機械を介しているだけで人とのやり取りがなくなったので、何日まで借りられるのかという把握が曖昧模糊とした記憶になってしまい、結果、利用者みんなの返却期限がルーズになるような気がする。2/3(水)節分恵方巻きといわし食べたよ。おいしいね。2/4(木)立春春が来た。うれしくもあり、あゝ、また一つ歳を重ねたなぁ、とにわかに感じる日でもある。(桜という花も、一年という月日の流れを如実に感じさせると思う。)それにしても、花粉でのどがガラガラする。2/5(金)節分に福豆を食べ損ねたので、今日食べる。図書館の利用方法が変わり、なんだか館内が雑然としている感は否めないが、そんな私もまだ慣れていないため、自動貸出機を通すのを忘れて本を持って帰って来てしまったらしい。ところで、入口に盗難防止センサーが設置されたのだが、えー、作動しなかったようで…?
2016/02/05
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立春のらねこちゃんに会った。桜が咲いた。春ですよ。ちょっと通りますよー(アキヲじゃないよ)。桜のピンク色ってほんとかわいい。これ好き。
2016/02/04
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自分治療「冷えとり」のお話私の場合の好転反応を具体的に記すと、まずは先に書いた下痢でした。さらに、アトピーとは明らかに種類の違う卵ぐらいの大きさの湿疹が腕に、後は目に頻繁に出ていた結膜炎も今となってはそうだったような気がします。月経期間ではない時に微量の不正出血が続いたこともありました。これはおそらく1年以上です。そして、アトピー。これは正直よくわかりません。もともとのアトピーがある上に好転反応の湿疹も加わっていたようにも思いますが、かゆさには耐えられないのでずっとステロイドを塗り続けていました。ここらへんが少し未知なのです。だから、ステロイドと目薬だけは続けていたのです。いずれにしても、好転反応とは体内の毒を出し切ってしまえばその後体調は好転して元気になるということです。そのために、好転反応が現れたらいつもよりもさらに頭寒足熱を心がけて上半身と下半身の温度差を小さくなるような努力をして、自然治癒力を存分に発揮させてあげるといいようです。とはいえ、好転反応の症状がとてもひどい場合は、心身共に辛くなるものです。今まで体内に溜め込んでいた毒が出て好転するのだからと頭ではわかっていても、そのひどい症状が余計に心を不安にさせてしまうのなら、そこは割り切って病院へ行く方がいい場合もあるそうです。なぜかというと、その心の不安がさらにストレスという毒となって体内に溜まってしまうからです。ここの辺りが、私が「冷えとり」は簡単そうで実は奥が深いと感じる理由です。自分が長年着々と溜め込んだ毒があまりにも多かったら、もちろん好転反応の症状もひどくなります。自分の行いや心の在り方のせいでそれだけ溜め込んできたのだから、ひどい症状に耐えなければならないことは仕方ないことだけど、でもそこをどう判断するかも自分次第なのです。つまりは、どんなに辛くても好転反応に耐えるか、はたまた弱い自分を認めて一旦諦めるか ー 。すべてその人の判断に委ねられるのが紛れもない「冷えとり」健康法です。医者へ行けば、待ってましたとばかりにほいほいと薬を処方してくれます。患者はその薬を飲みさえすればいいだけだから、楽ができます。お、治った!と錯覚します。でもそれはただ体内に押し戻しただけでした。私は、何度か自分の好転反応を経験して、自分に打ち勝つか、敗北するか、自分と向き合う日が必ず訪れることを覚悟の上で「冷えとり」を始めなければならないな、と切に感じたのでした。でも、その後待っているものは、輝かしき真の健康なのですよ。
2016/02/03
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自分治療「冷えとり」のお話もう少し続きます。ところで、不思議なこの好転反応とは一体どのようなものなのでしょうか。症状は実に様々なようです。軽い症状なら、鼻水や咳、目やに、頭痛、肩こり、湿疹、風邪など。内蔵に癌などの重い疾患を抱えていたなら、吐血や血便、女性なら大量の不正出血など。いずれにしても「体内から外へ出るものすべて」と考えていいそうです。あかぎれやほくろやシミもだとか。ただ、気を付けなければならないのは、きちんと「冷えとり」をしている上での症状であることが大前提です。「冷えとり」をしていなければ、それは本当に調子が悪い症状だからです。では、本当に調子の悪い時の症状と好転反応の症状との違いは何かというと、他人から見たらとても大変そうでも本人は至って重篤感はなく日常生活が普通に送れていること。確かに私の下痢もそうでした。全然しんどさは感じられなかったのです。そして、繰り返しになりますが、重要なことはこの好転反応は体内の毒が排出されようとしているので、薬などで止めてはいけません。もしそこで薬を飲んでしまうと、せっかく排出されようとしている毒を再び体内に押し戻してしまい、本末転倒になってしまいます。つまり、薬そのものがまた毒になるということです。症状が出てきたら、どんなにひどい症状でもただひたすらに出し続けます。そして、その時点で出ようとしている毒が出切ったら自然に症状は止まり、以前よりも好転して体は元気になるという訳なのです。もちろん、体内に溜まっている毒が少ない人は靴下も破れないし、好転反応も訪れません。また、いくら毒が溜まっていてもその体に毒が出せるだけの力がない時も、出ません。これには極めて個人差があり、靴下が破れる時期も好転反応が訪れる時期も、その状態もその症状も、千差万別だということです。
2016/02/02
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凡庸さは世に広くはびこる病だ「召使というものは屋敷内の風向きに敏感で天気予報の能力を発達させるものなんです」「自分の将来を ー 良いにせよ悪いにせよ ー 滲(にじ)み出させる人間というものはいる」「生きる振りをしつづけるんだ、芝生みたいに。しばらくすれば ー いや、長くやりつづければ ー それが真実になる。君自身が休閑地になったつもりでも、雑草や茨(いばら)は生えてくる。必ず何かが生える」「人間が最後までやめられない悪癖は、忠告のようだ」「いったんこうと思い定めた道は、それが前へ前へと歩かせてくれるものであるかぎり、それが一番いい道なんだ!」「人間は、どれもこれも実に不思議だ!誰の興味もひかないような人間でさえ。君は気がついているかしら?自分の知ってる人について、やはりその人を知ってるほかの人たちと話すとき、どんなに大切な、どんなにその人を知るのにかんじんなことが、相手に全然わからないでいるかということを。そうしたことから、人間同士、とても誤解が多いんだ」「幾度だって言えるわ。あたし、誰も遠慮する人なんかいないの。あたし、質素に暮して行くだけのものは持ってますの。そして、それで満足なの。あたし、まったく自由なのよ」「わし自身の価値は、わしの一生の仕事として決まる」「勇気と忍耐という美徳は、どちらも使う対象がないとたるんでしまう」「彼女は、長いこと、樹木のあいだ、闇の中を、車に先だって走る光線のあとを目で追っていた。それから、庭の塀にもたれ、犬をしっかり抱きながら、つよく胸を刺すようなめいった気持、何か自分にもわからないものにたいする怨みの気持、目的のない希望といったような気持をひしひしと感じていた。そして、星が燦爛とかがやいている空のほうへ顔を上げ、しばらくのあいだ、生きようとするより、むしろこのまま、死んでしまいたいとねがっていた」
2016/02/01
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