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今日はお話集会の話。 娘の小学校には、学芸大学を出た教員養成専門教育を受けた自信ばりばりのすごーい先生がいました。特に国語の授業が得意で、授業参観の時のはりきりようったらすごかったです。 で、その先生がうちの小学校ではじめたのが『お話集会』というやつです。長男が通っていた頃にはそんなものがあるなんてぜんぜん知らなかったのです。なにしろ男の子ってあんまり言わないし。 で、読み語りを始めて、知ったのでした。 さて、お話集会とは何か。 これはつまり読み語りの拡大版。というか、ジャンボサイズというか。 読み語りを体育館を使って、先生たちによって、一人一役、づつわりふって、まるでお芝居のように行われます。全学年の生徒が体育館に集合です。音楽もつきます。そして、舞台の上に大画面でパソコンに入れた絵本の画像を映し出します。館内は暗幕をはって真っ暗にします。お話の進行とともに絵も、一枚ずつ進んでいきます。歌も入ります。お話しにあわせて、自作のものです。さらに『ガヤ』も、はいります。ガヤというのは、原文にはないのですが、演出上 より物語の表現を派手にするためにセリフなどを入れていくのです。騒いでいる場面で、それぞれ役をふられている人たちが 役にあったセリフをそれぞれ考えて入れていきます。「おーい。」とか、「がんばれー。」とか。場面によっては場内を走る。舞台の上で泣く。叫ぶ。効果音を入れる。太鼓を叩く。 そしてお話が終わったら、エンドロールそして最後に舞台挨拶までありました。 これを私たちPTA読み語りクラブでも、やりました。大変でした。もう例の先生に練習でがんがんしごかれました。元気がない。読みが甘い。感情が出てない。読み方が平板。もっと、もっと、もっと。て、感じでした。もう、泣きそう。ハードでしたが、楽しかったです。おもしろかったです。すっごく勉強になりました。そして、このあとみんな読み語りがすごくうまくなりました。最初はここ↓読み語りに参加してくださいその1
2005年12月06日
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私が読み語りで読んだ本の三冊目です。半日村 斉藤 隆介 作 滝平 次郎 絵表紙絵はこちらから 斉藤隆介 滝平次郎といえば ベストコンビの二人ですよね。私が子供の頃、図書館でよく読んだな。滝平次郎さんの切り絵は有名ですよね。これだけの芸術作品に絵本を通して触れることができるというのはすごいことだと思います。そしてこの絵本のシリーズは、今でも名作だと思います。 しかも、斉藤隆介さんの文はとても音読しやすいのです。読み語りで読んでみるととても読みやすい。ハリーポッターの英語は英語で読める人には、すごく読みやすい文章なのだそうですが、斉藤隆介さんの文もとても読みやすい。普通に黙読していた時には気づかなかったのですが、声に出して読んで見ると、とてもリズム感のある文章なのです。よく 詩なんかだと 韻を踏んであったりするし、俳句や和歌も内容とともに言葉のもつ音の面白さを究極まで追求した形なわけですが、斉藤隆介さんの作品もそこまではいかなくても、音の美しい文章です。そして子供たちにとてもわかりやすい内容なのです。まるでいづれはじまる読み語りブームのために用意されていたような作品です。 「半日村」は昔教科書で読んだ気がするのですが、不思議と記憶に残っている作品でした。 内容としては、大きな山の陰にかくれて一日の半分しか日の当たらない寒い貧しいむら。仕方ないと諦め気味の大人たち。ところがある日、村に住む一人の少年が山の土を袋に詰めて、少しづつ村のそばの湖に捨てる。ということをはじめます。初めはバカにしていた周りの子供たちがやがて、一人また一人と手伝いはじめます。黙って見ていた大人たちもまた協力し始めます。村中のものがみんなで、毎日毎日 何十年もかかって、山の土を運び 湖を埋める という作業を根気よく続けていった時、あんなに高かった山は低くなり、とうとう朝から村に日が差し、冷たい風を村に運んでいた湖も埋まった。半日村は一日村になった。 この本を読んであげたクラスの子供たちは、終わった後でいろいろと感想を言ってくれました。「毎日つづけるなんてえらいと思います。」と言った意見の後に「あなたたちが大人になるまで毎日毎日やるんだよ。」と私がいった瞬間 一人の男の子の顔がはっとしました。それは 絵本の中の物語と 現実の自分の世界がリンクした瞬間です。自分自身が毎日毎日山に登って土を運ぶ、それをこんな子供の自分があんな大きな大人になるまで続けるということを、実体験としてリアルに実感してみる。ということでしょうか。 私は斉藤隆介さんの作品のなかでも特にこの物語が好きです。山がなくなるなんてありえないという考え方から、邪魔ならなくせばいいという考え方への転換。山を山という一つの巨大な存在から、土の塊と捉えなおした考え方の転換。無理 不可能という固定観念から、できることは何かという発想の転換をどのようにして生み出していけるのか。そしてそれを実践していくにはどうすればいいのか。主人公の少年は無言でただ一人で行動することからはじめます。周りの意見や批判に振り回されずに、自分自身の信念を貫き通す姿に、私は感動したのだと思います。 さて、子供たちには伝わったでしょうか。つづきはこちら↓読み語りに参加してくださいその6
2005年11月23日
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読み語りで読んだ本 二冊目です。 『樹のおつげ』 ラフカディオ・ハーン 著 さいとうゆうこ さいわ ふじかわひでゆき え なんと楽天ブックスに売ってない。おかげでアフィリエイトがはれません。楽天は本の品揃えがわるすぎる。ついでにコンビニ受け取りにして欲しい。安い本が買いづらい。 というわけで本の表紙絵はこちらをご覧ください。 小泉八雲が中国地方に伝わる話を集めて本にした「生霊」という本からさいとうゆうこさんが、子供たち向けにわかりやすい文章になおし、絵本にしたものです。 中国地方の小さい貧しい漁村にある日地震がおこり、そして、村に津波がやってくる。津波の到来にいち早く気づいた村長の久作は、浜辺にいる村民を守るために、収穫したばかりの稲穂に火をつけて、村民たちに高台へ非難するようよびかけます。轟音とともに訪れた大きな津波に、村の半分が飲み込まれてしまいます。 いまどきは津波なんて関係ない暮らし。まして都会っ子はなおさらです。でも津波はとてもこわいものです。この絵本を通して子供たちに津波が来たときの大変さをかなりリアルに伝えることができたのではないかと思います。 それとともに、非常時におけるリーダーのあり方をも、考える糸口となる作品です。 低学年の子供たちには難しい作品ですが、大人になり始めた五、六年生にはちょうどいい作品だと思います。 いくらか前に東南アジアでも、おおきな津波があり、世界的なニュースとなりましたが、この絵本を読んであげた子供たちは、津波の大変さがこのニュースの大変さがわかりやすかったのではないかと思います。またこちらにもすばらしい解説がありましたのでご覧ください。つづきはこちら↓読み語りに参加してくださいその5
2005年11月16日
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読み語りでわたしが読んだ本です。「ジュマンジ」 クリス・バン・オールズバーグ 作・絵わたしが一番最初に読み語りで、読んだ本です。結果。大好評でした。もうとにかく初めてなので心臓バクバクドキドキでした。まちがえることなく読めはしましたが、練習の大事さをつくづく実感したひと時でした。読み語りで読むことになったとき一番最初にわたしの頭の中に浮かんだ本でした。「そうだ、あれを読もう。あの本すごく面白かったし。でも四年生にむいてるかなあ。」と戸惑いもありましたが、娘に「やっぱり読むならこれがいい。これだよ。」とお墨付きも、もらいました。読み語りで読む本といえば、やはりカラフルで絵のきれいな絵本。と、まず考えますが、「ジュマンジ」は白黒で字数も結構あり、15分の制限時間内で読むのはハードでした。でも、内容の面白さはピカイチです。一緒に聞いていた担任の先生が思わずびっくりしていました。読み語りでこんな本もありなのかとちょいカルチャーショックという感じでした。うふふ。自慢です。ストーリーは設定、外国。パーティに両親が出かけてしまい留守番をしていた姉と弟。公園でみつけたボードゲームをはじめると…ゲームの中のことが現実になっていくのです。猿が現れてキッチンをめちゃくちゃにし、ライオンが現れて二人を追いかけ扉に爪をかけてバリバリ。大蛇があらわれ、火山が噴火し、もう家の中はぐちゃぐちゃです。「どうしよう、お父さんとお母さんが帰ってきたら、なんていえばいいの」このお話。一読目はとにかくおもしろい!でも、二回、三回読むうちにさすがのわたしにも作者の意図するところがわかってきました。ちっちゃな子供のいる家はとにかく散らかって大変です。家の中は子供のおもちゃや絵本やそのほか子供の散らかしたものでいっは゜いです。少しぐらい怒ってもおさまるものではありません。まるで家の中に猿やライオンや水牛やとにかく野生の動物を飼っているようなもの。子供たちは家の中であばれまわるし。ドタバタドタバタうるさいし。近所から苦情はくるし。それを絵本で表現してみたのでしょう。絵本の中で二人の子供たちはその母の経験をリアルに体験することになるのです。そして自分たちが散らかしたおもちゃを自分たちで片付け始めます。お家の中を散らかしたり、ドタバタ暴れまわったりしないようにしようねと作者は言いたかったのですね。でも一回の読み語りではなかなかそこまで子供たちには伝わりません。しかたないけどね。わたしですら、何回か読んでやっとですから。でも普段絵本にしろ、普通の本にしろ、一回だけ読んで面白かったーで終わりだったのでわたしには貴重な体験だったし、すっごくいい勉強になりました。なんども読むって大事だな。「読書百篇 意 自ずから通ず」ってほんとなんですね。いや、もしかして賢い人は一度でわかるんか。それからこれは「ジュマンジ」の続編です。今度の舞台は宇宙です。「ザ・スーラ」クリス・バン・オールズバーグ 作・絵他にもオールズバーグはこんなにいい絵本を作っています。「ジュマンジ」は映画にもなりました。でも、原作の方が全然いいぜ。ついこないだ映画になった「ポーラー・エクスプレス」もオールズバーグの作品です。そして「ザ・スーラ」も今度映画化されるようです。楽しみです。続きはこちら↓読み語りに参加してくださいその4
2005年11月10日
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前回読み語りについて書きましたが、書ききれなかったことがあるのでもう少し。さて、読み語りをするためには、毎回実際の教室に行くわけですが、そのときその教室の雰囲気を感じ取ることができます。つまり先生の指導が上手であれば教室に入った時すでに机がさげられ、前に一つ椅子が用意され(ここに座って読みます)、子供たちは教室に座って(娘のの学校では読み語りの時は床すわり形式でしたので)待っていてくれます。おはようの挨拶にも元気に返事が返ってきます。わたしたちが読んでいる間も静かに聞き入ってくれますし、読後の感想もしっかり手を上げて応えてくれます。ここの先生はよく子供たちの気持をつかんでいるなとたった一回の読み語りでもわかるものがあります。こんな時は読み語り冥利に尽きるというかとてもうれしくてやっててよかったーと思います。ところがごくたまにあぶない教室があります。教室に入っても机はそのままだったり、さて読もうと思って椅子に座って絵本を開いても、子供たちはすごく遠巻きのポジションにつまりは教室のなるべく後ろの方に全体が座っていて、教室にしらーっとした雰囲気があります。読んでいても私語が多く、感想もありません。なにか教室全体の雰囲気がさめていて、それが毎週のことなので、「このクラスどうしちゃったの?」と当番のお母さんたちがいいあうような状況です。明らかに学級崩壊寸前です。どうしよう。そこでみんなで話し合うこともありました。 所詮完全な解決などできようものではありませんが、ぎりぎりのところで食い止められたかもしれません。実際どうだったのか。とにかくそのときは当番でない時も毎週見学には行きましたが。家にいて子供と話していても、学校のことはわかりづらい。保護者会に出席しても話の嫌いな先生はすぐに終わらせてしまいます。いろいろ話してくださる先生もいらっしゃいますが、やはり限界があります。読み語りのために教室に入っていると学校のことがかなりよくみえてきました。自分の子供のクラスメートがどんな子たちで、教室がどんな雰囲気で担任の先生がどんな風に子供たちとかかわっていてくださっているのか。あの組の先生は厳しいとかこっちの組の先生はやさしい。とか。どのクラスのどの子が問題児で、だれだれはリーダーなんだな。とか。あの子はいつもしゃべってるよ。じゃあ毎回感想言ってもらおうなんてうちあわせ。読み語りのために学校に行くということは、子供と先生だけの世界に少しだけ別の色の絵の具を落としてくるようなものかな。教室を少し開かれた世界にしていくことで、今行き詰っている学校のあり方に改革というとオーバーですが手助けをしていきたいのです。先生とは違うスタンスで子供たちと接していく大人が入っていくことで、今までの学校の呪縛をほどいていけるでしょうか。続きはこちら↓読み語りに参加してください その3
2005年11月07日
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娘が小学生の三年間、私は小学校の読語りに参加していました。この春の娘の小学校卒業と一緒に私も読語りを卒業しましたか゛、とても勉強になった三年間でした。読み語りを通して私自身国語の読解がなんなのか改めて勉強できたという感じです。国文科をでていながら、読書好きを自負していながらぜんぜんわかっていなかったなあとつくづく痛感したことでした。音読が国語の勉強にいいとはよく聞く話ですが。実際に教室で絵本を読むために家で三回は声をだして読んでみます。評判のいい絵本だと他のクラスでも読むことになるのでまたまた家で練習となります。これはただ読んでいるのとは違うんですね。子供たちに読むために、子供たちが聞いてよくわかるようにということを頭にいれて読むのですが。本を読む、というとまず思い浮かぶのは朗読だと思います。でも、読み語りはちょっと違います。これは小学校の三年生か四年生で、授業で習うことなのですが、「表現読み」という一つの国語の教育法なのです。どういうことかというと、楽しいところはたのしく、悲しいところは悲しく怒ったところは怒った声で読むのです。つまりここはどんな場面か、主人公や登場人物はこのセリフをどんな気持で言っているのかひとつひとつ考えながら聞いている人にそれが伝わるように読んでいくということです。大きな声で呼んだり、ささやくように読んだり今にも泣き出しそうな声で呼んだり。そうすることで聞いている子供たちはその絵本のその文章がどんな場面でどんな気持なのかより理解しやすく、そして物語世界に入りやすくなっていく、そして読解能力を上げていくということです。実際こういった抑揚をつけていくことで一人で黙って読んでいた時とはまるで違う絵本の楽しさを伝えることができるのです。そして一人で読むのとはちがう、クラスのお友達に囲まれた中でお話を聞くことでなにか別のパワーが生まれてくるような、そんな感じでしょうか。みんなの力にたすけられる。家でわが子一人を相手に呼んであげるよりクラスのみんながいる中で読んであげることで得るものがあったのです。もちろん私は朗読の読み方のほうがいいというお母様もいらっしゃいましたのでそれはそれ、なんでもありでいいことです。いろんなお母さんがいろんな本をいろんな風に読んでいく。バラエティあふれる楽しい世界です。ここ数年全国的に読み語りが各小学校で盛り上がってきました。できればこのブームが下火になることなく続いていってくれますように。続きはこちら↓読み語りに参加してくださいその2
2005年10月17日
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