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2017/03/11
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カテゴリ: 原発を考える
【3.11に寄せて】17/3/9報道ステーションから


画像は コチラ より

昨晩の報道ステの内容が良かったので動画を探したが見つからん。
その代わり、文章の書き起こしを見つけたので紹介します。
上は概略。下は同時入力(のため、テロップ表示などに抜けがある)
「報道ステーション」 2017年3月9日(木)放送内容
報道ステーション 2017.03.09
資料として残す意味で、両方とも福島にかかわる所を引用させてもらいます。
重要なところは色を変えました。
福島第一原子力発電所
福島県飯舘村から中継。福島第一原子力発電所事故からまもなく6年が経過しようとしている。原発から40キロ離れているということもあり、事故直後すぐには避難指示が出なかった。そのため、大量の放射性物質が降り注ぎ、多くの住民が放射線を浴びた。除染の際に出た汚染された土を入れた袋が大量に積まれた中、避難指示解除の日を迎えようとしている。

福島県飯舘村から中継。福島第一原子力発電所事故からまもなく6年が経過しようとしている。除染された場所が埋められ固められた為に水がはけない状態が続いている。避難指示が解除されても簡単に農業を開始できない厳しい現実がある。

福島県飯舘村は、かつて日本一美しい村と呼ばれていた。40年に渡り飯舘村で酪農を営んできた男性は隣町で避難生活を送ってきた。 自宅の前には汚染土は山積みで撤去のめどは立っていない 。男性は「あの事故がなければ、ここに牛の餌のトウモロコシを作付けする予定だった。 飯舘村で酪農を再開する人はいないと思う 」と話した。

福島第一原発事故により、放射性物質が飯舘村にも大量に降り注いだ。被ばく線量が高かった牛は殺処分となった。40年に渡り飯舘村で酪農を営んできた男性は「俺の40年間の苦労がびっちり詰まっていた。それが原発の事故で一瞬でなくなった」と話した。 飯舘村の7割の山林では、ほとんど除染が行われなかった

飯舘村では線量への不安からか、村の機能を調えることもままならない。特別養護老人ホーム「いいたてホーム」では、職員が避難先から通勤して運営を続けてきたが、震災後職員は半減し入居者を受け入れることができない状態。施設長は「放射能との絡みがあって避難せざるを得ない。退職した職員が戻ってくる見通しを今のところない」と話した。

これまで一般の人の被ばく限度は年間1ミリシーベルトだったが、避難指示解除の基準は年間20ミリシーベルト。410年に渡り飯舘村で酪農を営んできた男性は「日本全国1ミリシーベルトなんでしょ。なんで福島の事故の所だけ20ミリで避難解除なんですか」と話した。 ICRP副委員長は「年間20ミリシーベルトの被ばくは長期間続くと安全ではない。 当時細野豪志原発担当大臣ら政府は、ICRP国際放射線防護委員会の勧告を拠り所にしていた。しかICRP副委員長は 「20ミリという数字に固執しているのは残念だ。私には理解できない」 と話した。

いいたてホーム
飯舘村では線量への不安からか、村の機能を調えることもままならない。特別養護老人ホーム「いいたてホーム」では、職員が避難先から通勤して運営を続けてきたが、震災後職員は半減し入居者を受け入れることができない状態。施設長は「放射能との絡みがあって避難せざるを得ない。退職した職員が戻ってくる見通しを今のところない」と話した。


ICRP副委員長は 「年間20ミリシーベルトの被ばくは長期間続くと安全ではない。ICRPでは「事故後の落ち着いた状況では、放射線防護の目安は1~20ミリの下方をとるべき」と勧告している」 と話した。ICRP専門委員の男性は 「20ミリというのはある意味緊急時の数値でしたから。こういう環境回復の段階ではもっと別の数値を選んで20ミリと1ミリの間の中で目標値を立てて、1ミリに近づけていきなさいとそういう数値を設定しなさいというのがICRP的な考え方」 と話した。内閣府原子力被災者生活支援チーム参事官は「ダブルスタンダードとは考えておりません。19.9とかそこで解除している実態はございません。もっと1ミリに近いところになっているというふうに考えておりますし、 政府として長期1ミリを目指す 」と話した。

福島県飯舘村から中継。汚染土の入った袋の近辺で放射線を測定すると、 0.77マイクロシーベルトだった。除染基準の3倍以上の放射線量 があることがわかる。



≫福島第一原発の事故からまもなく6年が経とうとしています。
こんばんは。
私は今日は原発から40kmほど離れた福島の飯舘村に来ています。
この飯舘村は原発から40km離れているということもあって事故直後には、安全だ大丈夫だという専門家の声もあってすぐには避難指示が出ませんでした。
そのために、原発から北西に向かって吹く風に乗って大量の放射性物質がやってきて降り注ぎました。
多くの住民が放射線を浴びてしまいました。
あれから6年が経ちました。
きれいに整地された場所には草木が生い茂っています。
そして、大量の黒い物体が積まれています。
これは、除染の際に出た汚染された土を入れた袋です。
こういった袋があちこちに大量に積まれています。
こんな状況の中、3月31日に飯舘村のほとんどの地域が避難指示解除の日を迎えます。
住民の皆さんは帰るのか帰らないのかそれぞれの心が揺れています。
今日は、そんな飯舘村を中心に福島の今を見つめてまいります。

≫では、ここで福島県飯舘村から富川キャスターです。
富川さん、お願いします。
≫福島の飯舘村は福島第一原発から40kmほど離れていまして原発の補助金は出ていません。
そんな飯舘村を支えてきたのは農業や畜産業です。
私が立っています、この更地は牛舎があった場所です。
しかし、あの事故のあと大量の放射性物質が降り注いでここは廃業を余儀なくされてしまいました。
そして、周りに広がる田畑を見てみます。
水がたまっています。
実は、1か月ほど前からこの辺り雨は降っていないんですが除染された場所にきれいな土が埋められて、入れられて固められてしまったために水がはけない状態が続いているんですね。
非常に硬くなっているというのがわかります。
避難指示が解除されて 農家の方が戻ってきたとしても簡単には農業を始められない厳しい現実 というのが見えます。
避難指示が解除される直前飯舘村は今どうなっているのか。
先日、見てきました。
≫これが今の飯舘の景色なんですね。
除染された際に出た汚染土ですね。
今、カバーがかけられていますが仮置きされている状態です。
やっぱりシャッター閉まってますね。
郵便局も当然、開いてません。
こちらはスーパーですか。
こういったところで食材を皆さん買ってらっしゃるんだと思いますが 4月から営業できるようには見えません ね、全く。
こちらの牛舎もずっと手付かずの状態になっていますね。
許可はいただいていますので失礼いたします。
ドアも外れてガラスが割れていますね。
ここで酪農を営んでいらっしゃった方は放射能汚染によって何もできなくなってしまったということで 廃業に追い込まれてしまった ということなんですね。
失礼いたします。
餌もあげている途中だったんですかね。
そのまんまですね。
ただ、牛は1頭も、もういません。
こういったところがあちこちにあるんですよね。
≫かつて、そこは 日本一美しい村と呼ばれていました
福島県飯舘村。
≫すいません、長谷川さん今日は。
お忙しいところすみません。
よろしくお願いします。
≫40年にわたりこの地で酪農を営んできた長谷川健一さん。
原発事故のあと隣町で避難生活を送ってきました。
自宅の前には、除染で削り取られた汚染土が山積みのまま。
撤去のめどは立っていません。

≫異様な景色ですね。
≫こっち側この汚染度が置かれている畑これは加工トマト。
≫変わり果てた故郷の姿。
本当にこの場所に戻っていいのか。
正直、迷っています。
≫放射性物質は雲のような塊となり北西に流れていきました。
原発から40km離れた飯舘村にも大量に降り注いだのです。
≫頑張ってね。
被ばく線量が高かった牛は殺処分 に。
長谷川さんの牛からも高い線量が検出され 牛乳は全て廃棄処分
1代で築いた牛舎も解体。
廃業に追い込まれました。

≫自然と涙が流れた、これは。
悔しかったな。
≫事故直後、安全とされながら一転して6000人の村民全てに避難指示が。
長谷川さんの家族もこの団らんを最後に別々の場所へ避難を余儀なくされました。
≫以来、国は放射線量を下げるため除染を行ってきました。
基準としたのは毎時0.23マイクロシーベルト
これは、一般の人の被ばく限度の目安年間1ミリシーベルトから算出されたものです。
あれから6年。
国は、除染が進んだとして飯舘村などの避難指示をまもなく解除します。
しかし、住民の放射線への不安は残されたまま。
長谷川さんの庭先では除染基準のおよそ5倍の数値が
しかも、 飯舘村の7割を占める山林では除染がほとんど行われていません
≫線量への不安からか村の機能を整えることもままなりません。
現在34人が入居するこちらの介護施設では避難指示が出されたあとも職員が村の外から通い運営を続けてきたのですが…。
≫原発事故前は各部屋に入っていらっしゃる方いらっしゃった。
≫ここ全体で15床あるはずですが。
≫今は、このように空き部屋になってしまっていると。
≫そうです、はい。
≫震災後、職員は半減。
新たな入居希望者は40人ほどいますが受け入れることができないのです。
≫職員の方はなんで減ってしまったんですか。
≫一番はやっぱり子育ての世代。

≫避難指示の解除を前に開かれた地元の新年会。
≫避難から6年。
一人ひとりが厳しい選択を迫られています。
≫最新の意向調査では村に戻りたい世帯が3割。
戻らない世帯も3割。
判断がつかないと答えた世帯が2割。
村民の分断される姿が浮かび上がってきます。
一体、何が分断を招いたのか。
長谷川さんはその一因が国の定めた避難指示解除の基準にあると指摘します。
≫確かにこれまで一般の人の被ばく限度の目安は年間1ミリシーベルトでした。
しかし、避難指示解除の基準はそれを上回る年間20ミリシーベルト。
これは国が航空機で測った放射線量の変化。
飯舘村では10ミリシーベルト以下を示す緑色に覆われてきたことなどから避難指示の解除が決まりました。
≫それじゃおかしいでしょ。
≫年間20ミリシーベルトの基準はどのように決められたのでしょうか。
政府は避難指示を出す際年間20ミリシーベルトに達する恐れがあることを1つの基準にしました。
そして、その数値を下回りインフラなどが整えば避難指示を解除するとしたのです。
では、なぜ20ミリシーベルトだったのか。
政府がよりどころにしたのはICRP・国際放射線防護委員会の勧告 でした。
各国の専門家が集まり被ばくを抑えるための考え方や基準を取りまとめています。
そこで、実際に訪ねました。
帰還の基準年間20ミリシーベルトをどう考えるのか。
≫日本が事故対応のよりどころにしたICRP・国際放射線防護委員会の副委員長ジャック・ロシャール氏。
帰還基準の年間20ミリシーベルトをどう考えているのでしょうか。
1ミリから20ミリの下のほうをとるべき
では、日本が採用している20ミリシーベルトという数字はなんだったのでしょうか。
≫この年間1ミリシーベルトというのは一般の人の被ばく限度の目安とされているものです。
しかし、福島での帰還基準は20ミリシーベルト。
これは二重基準ダブルスタンダードではないのでしょうか。
≫年間1ミリシーベルト以下というのは毎時にすると0.23マイクロシーベルト以下ということになります。
これが、除染基準です。
これを覚えておいてください。
私の後ろに見えています汚染された土が入った袋。
周りには、「遮」という文字が書かれているのがわかると思います。
これは、遮断を意味していまして汚染された土から放射線が外に漏れないように遮断している。
つまり「遮」と書かれた袋の中にはきれいな土が入っていまして壁となっているわけです。
この状況で放射線量を測ってみます。
0.77マイクロシーベルト

除染基準の3倍以上 の放射線量があることがわかります。
このような状況の中避難指示が解除されて住民が戻ってこられるということになるわけです。
3年ほど前にすでに、避難指示が解除されて暮らしが始まっている場所がこの隣南相馬にあります。
そこで暮らす皆さんは今、何をどう感じているんでしょうか≫ここは飯舘村の森です。
この森の途中からは南相馬市。
飯舘村より早く避難指示が解除されました。
まず2014年に黄色い部分に点在していた避難地点が解除され去年7月に青とオレンジの区域が解除されました。
今は、帰還困難区域が残るだけです。
2014年に解除された地点がある高倉を取材しました。
山沿いに田園が広がる南相馬市高倉。
代々農業を営んできた遠藤八郎さん。
震災前は、この家で娘夫婦や孫と7人暮らし。
今、帰還に向けて放射能で汚染された室内をリフォーム中です。
≫避難解除から2年あまり。
いまだ仮設住宅で避難を続けています。
理由は 自宅にあるホットスポット です。
≫南相馬市でも、毎時0.23マイクロシーベルトを基準に除染を進めてきました。
住宅や道路などの生活圏はほぼ除染が完了したとして避難を解除。
市は遠藤さん宅の除染も4年前に終えたとしていますが…。
≫放射線は、どれくらいの数値なのでしょうか。
特殊なカメラを持つ専門業者に協力してもらい目には見えない放射線を映像化しました。
≫この方向に放射能の高いところがあるということがこれでわかりますので。
≫赤くなったのは雨どいの下の辺り。
この地域の線量を調べている住民オザワさんが測ってみると…。
≫だんだん上がってきますね。
6、超えていますね。
6マイクロシーベルト 、毎時。
地面から1m国の測り方は1mですから。
0.5ぐらいですね。
≫除染基準である、毎時0.23マイクロシーベルトの倍以上の数値です。
遠藤さんは、 敷地内にまだホットスポットがあると再除染を求めましたが…。
≫なぜ、すぐに除染ができない
のでしょうか。
再除染は国が個別に判断します。
遠藤さん宅の場合、敷地内にホットスポットがあっても玄関先のように 頻繁に通る場所ではないことなどが理由 とされました。
≫更に、ホットスポットは自宅だけではないのです。
すぐ横の資材置き場で測定してみると…。
≫4.2。
≫高さ1mで毎時4マイクロシーベルトを超えました。
除染基準のおよそ18倍もの数値

原因はこの工事用のシートでした。
≫国は、 地面の除染は行いますが資材は対象外 だといいます。
この工事用のシートの場合所有者が自費で処分しなければならないのです。
由美さんの末っ子は遊び盛りの小学1年生。
≫更に、住民が不安に思うことがあります。
風によって巻き上がるこの土です。
住民らは、2012年から土壌の中に含まれる放射能を測定してきました。
その結果除染が済んだはずの場所でも高い数値があったといいます。
今回、高倉地区の土を取り放射能の量を調べる装置で測定しました。
≫1平方メートルあたりですと437万ベクレルという数値が出ました。
≫ベクレルとはこの土に含まれる放射能の量です。
住民を支援している専門家河野さんは出た数値をこう説明しました。
≫ダンプが通るたびに舞い上がる土ぼこり。
それを人が吸い込むことで内部被ばくにつながらないのか。
≫解除基準の年間20ミリシーベルトには外から放射線を受ける外部被ばくだけで内部被ばくは考慮されていないのです。
≫もはや国は信じられない。
住民たちは裁判に踏み切りました。
≫避難解除から4か月後。
住民らは解除の取り消しを求め国を訴えました。
原告は南相馬市の西部8地区の206世帯808人です。
解除基準の年間20ミリシーベルトは違法だとする原告は公衆の被ばく限度年間1ミリシーベルト以下にすることが国の義務だと主張。
これに対し、 国は原告らの追加被ばく線量を年間1ミリシーベルト以下にする法的義務は負っていないと全面的に争う姿勢です
しかし、解除したあと国は長期目標として住民たちの追加被ばく線量を年間1ミリシーベルト以下になることを目指すとしていたはずです。
世耕経済産業大臣に聞きました。
≫今も仮設住宅に暮らす遠藤さん。
しかし、まもなく出て行かなければなりません。
福島県は 自主避難者への仮設住宅などの無償提供を今月で打ち切る からです。
理由は、除染などが進み生活の環境が整ってきたからだとしています。
≫南相馬市の除染委員会で委員長を務める児玉氏は住民の選択の自由を優先すべきだと訴えます。
≫今回、飯舘村で取材をさせていただきました長谷川さんのお宅にお邪魔しております。
夜分遅くにすみません。
よろしくお願いいたします。
避難解除から3年。
南相馬の現実をご覧になって、いかがですか。
≫飯舘村もそうなんですけどやっぱり隣の町ですから現状的には飯舘も同じだなとそのように思ってます。
≫いろんな不安を感じていらっしゃっていろんな問題点が指摘されていましたけれども実際に、3週間後避難指示が解除されるこの飯舘に住んでいらっしゃる長谷川さんにとってどんなところが心配ですか?≫まず、私は飯舘村に住んでいません。
≫これから住む状況になるかもしれない長谷川さんとしては。
≫避難解除という部分については6年ですからね。
住民の方々は避難を4年くらいで限度を超していると思うね。
だから6年これも、なかなかどうしたもんかなと思います。
ただ、そこでそれぞれの考え方によって自分で判断するべきだろうとは思ってます。
そういう中でやっぱり、 今避難解除という部分だけが先行して、そして、インフラとか医療の問題はどうなのか。
あとは買い物はどうなのか。
我々、戻りたい人が戻ってきて飯舘で生活するのに何で生活していったらいいのかそういうものが全く整理されていない整備されていないそういう現状なわけですよ

ですから、そういうものをやっぱりしっかりとやってもらわないと我々が戻るにしても安心して戻れる環境づくり。
これが非常に私は大事だと思うんですね。
≫ただ、安心した環境というのは現時点で考えると非常に難しいですね。
≫はっきり言って難しいですね。
でもやっぱり国の責任でこうなったものですから事故が。
国にははっきり、きちっと責任を取ってもらわないとだめだと私は思ってます。
≫そして、これまでどおりの6年前までの生活っていうのは戻りそうにもありませんね。
≫これは、やっぱりはっきり言って戻りませんね。
私なんかもここで8人家族で暮らしていたわけですけどねそれがもう、バラバラ。
やっぱり、私の考えでは 若い人、子どもたち含めここには戻ってくるべきではないと私は考えています
≫後藤さん、お話を聞いていかがですか。
≫本当に身につまされるといいますか 今回の一番の問題は初めにスケジュールありき という感じがするんです。
避難指示解除と支援打ち切りがワンセットになっている。
国には2020年の東京五輪このときには避難者対策という政策を終わらせようというタイムスケジュールが浮かび上がってくるような感じがするんですね

今の長谷川さんのお話にありましたように 戻りたいという人に対しては医療、介護あるいは教育といった生活に必要なインフラが整っていない。
一方、戻れない人たちに対しては支援が打ち切られると。
意に反して原発事故で故郷を追われてその人たちに選択の自由がないと。
こんなことが起きていいのかということをもう1回、問い直す必要があると思います。
国には、戻る人はもちろんですけれども戻りたくても戻れない人に対しては考える時間とそれを、補強するための資金面の支援。
この責任があると私は考えますね。

≫戻りたいといっている人も戻れないといっている人も30%ずつ。
まさに分断されてしまっている状況ですね。
今の後藤さんのお話を伺っていかがですか?≫全くそのとおりだと私も思います。
そして、これから私らも子どもたちはもちろんのこと我々も健康被害が非常に心配なわけですよ。
ですから、やっぱりこれからは、広島、長崎の原爆のときに健康手帳をやったように我々もそういうものを健康の担保として国に責任を持ってやってもらわなければならないと私は考えています。
≫長谷川さんは3週間後避難指示が解除されたら戻りますか?≫いや、なかなかそうはいきません。
でも、いずれは帰るという、私は判断をしようと思っています。
≫やっぱり、戻りたい気持ちが強いですか?≫それはそうですよ。
今、この広大な農地がありますね。
これは、なんにも手にかけなかったらあのチェルノブイリのように林に戻るわけですよ。
我々は、やっぱりそんなことはとてもとても、考えられない。
だけど、子どもたち孫たちはだめ。
だったら、我々が体の続く限りはここで、手入れをしたいと考えています。
≫国にはインフラ整備などしっかりと安心できるような材料を与えてもらって自分たちは自分たちで頑張るということですね。
長谷川さん、どうもありがとうございました。



これが福島の現状です。福島の全体がそうだとは言いません。風向きや地形によって汚染度は変わるので、比較的汚染の軽い地域もあるでしょう。
けれど、こんな地域が他にも多数存在し、いまだ避難解除出来ない地域もあります。
また、福島第一原発の廃炉は行き詰まってます。
溶け落ちた燃料がどうなってるかすら、まだ分かりません。線量が高すぎていつになったら調査出来るか分からない状態なのです。

まだ何も終わってないのです。
なのに、終わったごとく扱われている。
避難解除の事、食物に含まれる放射性物質の事、実際の線量の事、フクイチの廃炉の進捗状況、
テレビはほとんど報じません。
私たちも話題にするのに何か躊躇う部分があります。
政府は二言目には風評、風評と言います。
もっと議論してしかるべきなのに、しにくい空気があります。

他でもないこの日本で起きて、今もまだ現在進行中なのに。

とても変ですよ、この国は。そう思いませんか?


本日安倍総理がこんな事を言いやがりました。
「大熊町、双葉町を除き、すべての居住制限区域、避難指示解除準備区域が、この春には解除され、本格的な復興のステージを迎える。」
ステージかなんか知らんけど、誰か早くこの男をブタ箱にぶち込んで欲しいです。
福島 帰還困難区域除く地域で避難指示解除へ

また、籠池氏の記者会見にぶつけて、こんな会見をしやがりました。
あくまで「危険だから撤退」ではなくて「活動の終了」らしーです。
首相 派遣の陸自施設部隊「大きな貢献した」

なぜか目がうつろ…

ここでも「新たなステージ」らしーです。
ついでに官房長官、防衛相、政調会長もブタ箱にぶち込んで欲しいです。


人の命を大切にしないのが、今の日本の政府です。
わたしたちはそれをもっと自覚すべきです。





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最終更新日  2017/03/11 12:52:53 AM
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