inti-solのブログ

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2012.02.23
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
<河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言
河村たかし名古屋市長は22日、東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見し、南京事件を否定する発言をした根拠について「目撃者がほとんどいない。(これが)かなり決定的」と述べ、撤回する考えのないことを強調した。姉妹都市提携を結んでいる中国江蘇省・南京市はすでに交流の一時停止を発表しており、両市の関係が一層、ぎくしゃくすることは避けられない情勢となっている。
河村市長は20日、名古屋市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らと会談し、「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言。南京市は市民感情が傷つけられたなどとして21日、名古屋市との交流停止を発表した。
河村市長は22日の日本記者クラブでの会見で、南京事件に関する自身の発言について「裏で言うより堂々と言うべきだ。うそだったら、その時にたたきのめしてくれればいい」と述べ、南京市政府に現地で討論会を開くよう引き続き求める考えを示した。
また、数年前、米国の高校教科書副読本に「日本人が南京で数十万人虐殺した」と記載されていることを知り、「ショックを受けた。史実を明らかにすべきだと思った」と説明。南京事件の被害者数について「ロサンゼルスの副読本で数十万人、中国の主張は30万人、東京裁判は20万人、一部の学者が3万~4万人、庶民の虐殺はなかったと、いろんな幅がある」と語った。

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「目撃者がほとんどいない。(これが)かなり決定的」
だそうです。ダメだ、こりゃ。都合の良いものしか見ず、都合の悪いものには目を閉ざそうとする典型です。
南京大虐殺にどれほど多くの目撃証言があるか知らない、知ろうともしない市長のようです。
中国側の証言が信用できないというなら、日本側にも、証言や当時の陣中日誌や戦闘詳報など、動かしがたい記録が山ほどあります。日本側の証言・日誌は、下は兵士から上は師団長まで多岐にわたっており、その多くに捕虜や非戦闘員(民間人)の殺害が記述されています。
松井石根司令官の副官であった角良晴大尉(敗戦時大佐)の証言によれば、松井司令官自身が折り重なる虐殺死体を目の当たりにしています。

総司令官は明くる日の18日、下関を見に往くと言われたが、道という道はすべて延々2キロ(米千)地上が見えぬほど折り重なった死体の山である。この状態では絶対に案内できぬ。『治安が悪くて責任が持てない』と偽りを申し上げ、参謀長飯沼少将にお願いしたが、3日目、油をかけて焼き、土をかぶせただけであった。
4日目、総司令官は、
「おれは一人でも行く、車を用意せよ」と言われた。事ここに至っては如何ともしがたいので、私は出来る限り外が見えぬ位置に座り、出掛けた。
自動車は無理して土を盛られた屍体の上を走った。総司令官は、モノを言わずにただ泣いておられた。

(「私の見た南京事件」奥宮正武 PHP研究所 P48)

もっとも、虐殺が発生した大きな理由は、松井が補給を無視して南京攻略を急いだ(しかも独断専行で)ことにもあるのですが。
松井は、後に東京裁判で死刑判決を受けます。その後、松井は教誨師の花山信勝氏に以下のような言葉を漏らしています。

南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
(「南京事件-「虐殺」の構造-」秦郁彦 中公新書795 P45-46)


さて、では具体的に南京でどれだけの人が虐殺されたのか、実際のところは分かりません。でも、それは仕方がないことです。南京はそのあと8年間日本の占領下にあり、当然真相調査なんか行いようがありませんでしたし、その後は国共内戦もありました。それだけ期間が経ってしまえば、正確な犠牲者数を算定するのはきわめて困難です。
しかし、日本側の記録(各部隊の戦闘詳報)に記載されている捕虜殺害の記録を積み上げていくだけでも、犠牲者の数は軽く10万人くらいにはなる。もっとも、「戦果」の水増しや重複が混ざっている可能性はありますが。一方で、戦闘詳報が見つかっていない部隊もあるし、捕虜殺害はともかく、一般市民の虐殺は当時でも戦闘詳報に記録されていません(しかし、多くの兵士が日誌に記録しているので、あったことは分かっている)。
そんなこんなを考え合わせると、犠牲者数の下限は4~5万、上限は15万くらい、ごくおおざっぱに言って多分犠牲者数10万人というところだろうと私は推測しています。そりゃ、中国の公式見解である30万人よりは少ないけれど、とてつもない規模の大虐殺であることに違いはありません。





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最終更新日  2012.02.23 21:51:11
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