inti-solのブログ

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2012.07.07
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テーマ: 戦争反対(1248)
アルゼンチン元大統領に禁錮50年 軍事独裁下で赤ん坊を奪った罪で
アルゼンチンの裁判所は5日、1970年代後半から80年代前半に軍事政権が国民を弾圧した「汚い戦争」の時代に反体制派の囚人から赤ん坊を奪ったとして、軍事独裁政権の指導者2人に有罪判決を言い渡した。
軍が政権を握った76年のクーデターから81年まで大統領を務めたビデラ被告には禁錮50年が言い渡された。82年から83年の民政移管まで大統領だったビニョーネ被告は禁錮15年だった。
両被告は組織的に政治犯の囚人から赤ん坊を奪い、新たな身元を付与した罪で有罪となった。2人は未成年者を略取、隠匿し、その身元を書き換えたとして罪に問われている関係者のなかでも、最も大物として知られている。
裁判では34人の乳児が親から奪われた事件への関与が争われた。5日、法廷は傍聴人で満杯になり、ビデラ被告に有罪が言い渡されると喝采が起きた。
判決後、同国のテレビ局カナル7の取材に応じた被害者家族は判決に満足の意を表した。「これこそ私たちが求めていたものだ。私たちは復讐を求めたことはないし、憎んだこともない。求めたのは正義だけで、そのために36年間戦ってきた」とある父親は語った。
ビデラ被告は昨年12月に大統領在任中の人権侵害の罪で終身刑の判決を受け、現在服役中だ。ビニョーネ被告も56人を誘拐、拷問したとして、今年4月に禁錮25年の有罪判決を受けている。

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1970年代後半のラテンアメリカには、軍事政権の独裁政治の嵐が吹き荒れていました。その中でも、アルゼンチンは血の凍るような弾圧が行われていました。正式な逮捕や裁判によらず、「死の部隊」と呼ばれる非公然の治安部隊が、夜な夜な左派の活動家や労働組合員などを拉致しては、闇から闇に葬り去っていったのです。「行方不明者」の数は3万人といわれます。(公式に認められている人数はそれよりずっと少ないのですが)
記事にあるように、妊娠中の女性を拉致してきた場合は、出産と同時に子どもを奪い取って、軍人の家庭に養子に出したのです。記事には書かれていませんけれど、母親は全員、出産直後に殺害されたようです。そうやって奪われた(=母親を殺された)子どもが、400人くらいいるとされます。その一部は、最近になってDNA鑑定で身元が判明しています。彼ら彼女らは、すでに30代を過ぎていますが、その年になって「両親」だと思っていた人物が、実は本当の親を殺害して自分を奪い取った人物だと(もちろん、直接的に養父母が殺害の実行犯だったとは限らないにしても)知った衝撃というのは、相当に辛いものがあるだろうと思います。

アルゼンチン軍部による反体制派狩りは、実はアルゼンチン一国だけの問題では収まりませんでした。当時はラテンアメリカの主要国が軒並み軍政下にありました。アルゼンチンの軍部は、自国で培った反体制派弾圧のノウハウを、他国の軍事政権に売ったのです。各国の軍部は反体制派弾圧のために秘密裏に協力しあっていました。「コンドル作戦」と呼ばれます。

そんな恐怖政治に対して、公然と異を唱えたのが「行方不明」となった人たちの母親です。首都ブエノスアイレスの5月25日広場で抗議を始めたのです。彼女たちの活動が始まったのは、苛烈な軍政のまっただ中の時代です。一歩間違えれば、彼女たち自身だって闇から闇に消されかねない危険の中でのことですから、並大抵の勇気ではありません。やはり「母は強し」なのでしょう。

結局、アルゼンチンの軍政は経済政策が無策で、狂乱インフレを招いた挙げ句、国民の不満を逸らそうと、無謀な対外戦争に走ります。マルビナス(フォークランド)諸島のイギリスからの奪回を叫んで侵攻したものの、イギリス軍の反撃の前に惨敗を喫します。
この敗北によって、アルゼンチンの軍政は民意の支持を完全に失い、アルゼンチン軍降伏の2日後には軍政は崩壊しました。
ところが、軍は政権を引きずり下ろされたものの、軍政時代の人権侵害には頬被りを続け、民政復帰後の歴代政権もまた、それを追認して免罪し続けたのです。
流れが変わったのは2003年、ネストル・キルチネルが大統領に当選して以降です。キルチネル自身も軍政時代に投獄された経験があったからです。

「地球人間模様」「5月広場の女性たち」

この時代に敢然と戦った音楽家を2人
まず、メルセデス・ソーサ。アルゼンチンの「国民的歌手」でしたが、2009年に亡くなりました。軍政時代に彼女自身は国外亡命していましたが、夫は「行方不明」になっています。

1980年、ちょうど「汚い戦争」の最中で、彼女は亡命していた時期です。

そして、レオン・ヒエコ。この人も、軍政の最盛期に軍部を公然と批判する曲を発表しています。その代表曲が「ただ神に祈ること」。ただし、この曲の発表直後、彼もまた命の危険から1年間国外に身を隠しています。


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余談ですが、今日(日付はもう昨日)は、朝8kmのランニング、午前中はパールフルートのフルートアンサンブル倶楽部、午後はエストレジャ・アンディーナ(3月に作った新しいフォルクローレ・グループ)の練習、ほぼ体力の限界でした。





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最終更新日  2012.07.08 00:58:56
コメント(4) | コメントを書く
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私も  
Bill McCreary さん
このアルゼンチンの事例をはじめて知った時はかなりショックでした。ほんと、彼ら彼女らの衝撃はいかなるものか…。

>アルゼンチンの軍部は、自国で培った反体制派弾圧のノウハウを、他国の軍事政権に売ったのです。

中国や北朝鮮、もちろん韓国なども、日本の憲兵や特高の反体制派弾圧のノウハウを参考にしている(た)というのも、これまたなんとも…。

>流れが変わったのは2003年、ネストル・キルチネルが大統領に当選して以降です。キルチネル自身も軍政時代に投獄された経験があったからです。

日本も、岸信介なんてのは論外として、やはり自民党の政権が長きにわたって続いた現状では、特高や憲兵の人権弾圧なんてものも「見て見ぬふり」をされつづけたというのも当然だったんでしょうかね。 (2012.07.08 08:32:06)

Re:私も(07/07)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

>日本も、岸信介なんてのは論外として、やはり自民党の政権が長きにわたって続いた現状では、特高や憲兵の人権弾圧なんてものも「見て見ぬふり」をされつづけたというのも当然だったんでしょうかね。

そうかもしれません。本当は、自民党の中にも、戦時中は大政翼賛会に属さず、人権弾圧の被害にあった政治家だっていたはずなんですけどね。全体としてみれば、そういう人は自民党内で少数派だったわけです。 (2012.07.08 23:18:02)

Re[1]:私も(07/07)  
はやし さん
inti-solさん
Bill McCrearyさん

こんにちは。はやしです。

>そうかもしれません。本当は、自民党の中にも、戦時中は大政翼賛会に属さず、人権弾圧の被害にあった政治家だっていたはずなんですけどね。全体としてみれば、そういう人は自民党内で少数派だったわけです。

安倍晋三の父方の祖父安倍寛はまさに少数派の一人でした。 (2012.07.09 00:16:12)

Re[2]:私も(07/07)  
inti-sol  さん
はやしさん

>>そうかもしれません。本当は、自民党の中にも、戦時中は大政翼賛会に属さず、人権弾圧の被害にあった政治家だっていたはずなんですけどね。全体としてみれば、そういう人は自民党内で少数派だったわけです。

>安倍晋三の父方の祖父安倍寛はまさに少数派の一人でした。

そのとおりですね。それなのに、その孫ときたら・・・・・・。 (2012.07.09 22:25:41)

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