inti-solのブログ

inti-solのブログ

2018.06.10
XML
カテゴリ: 政治
ネット右翼のアイドルはこうして自滅した
南京事件における「百人斬り訴訟」の弁護を務めて保守派の注目を集めた稲田朋美氏。その後衆院議員、防衛大臣とステップアップしたが、PKO部隊の日報問題で辞任した。文筆家の古谷経衡氏は「よく言えば無垢、悪く言えば無教養。防衛大臣という重責を果たす実力がないのに、ゲタを履かさて任され、自業自得の如く自滅した」と分析する。
稲田朋美には保守の世界観や、タカ派的価値観が虫食い状に存在するだけで、体系的なものはない。この虫食い状の保守色は、稲田が「30歳まで東京裁判のことをほとんど知らなかった」という後天性のためである。だから稲田には筋の通った体系的な保守的世界観がなく、漠然と当世の保守やネット右翼が好むものをトレースする態度がうかがわれる。
稲田がネット右翼から支持を受けるきっかけは2003年。稲田が、毎日新聞、朝日新聞、朝日新聞記者を相手どり「百人斬り訴訟」裁判の原告側代理人を務めたことである。
「百人斬り訴訟」とは日中戦争当時、南京攻略戦に際して日本陸軍の2人の少尉が、敵軍兵士百名の首数を競ったという、「百人斬り競争」なる戦時中の新聞報道に対する「名誉回復」を求める提訴である。
この裁判は、毎日新聞・朝日新聞というリベラル系メディア批判を梃子に、「南京大虐殺は無かった」「南京大虐殺はでっち上げ」という主張を全面的に肯定する運動の中心となり、その主張に稲田が奔走した。
「百人斬り訴訟」は、両少尉の遺族からの名誉回復が本義であると同時に、「南京大虐殺はでっちあげ」論を司法の場で認定させ、既存のリベラルメディア、毎日新聞や朝日新聞攻撃の嚆矢としよう、という一種の右派イデオロギー運動に移り変わっていたのである。
しかし、この裁判は原告敗訴が確定した。稲田はとんだ歴史修正主義をかざして訴訟に及んだものの、司法の場からその主張を却下されたのである。
これ以降、右派によるリベラルメディアに対する濫訴はエスカレートした。「既存のリベラルメディアを糾弾する運動」は、当時のネット界隈を巻き込んで一大保守運動に発展したのであり、この契機を作った1人が稲田である。
無垢、無教養の稲田が、「百人斬り裁判」を契機に熱狂的な保守派・ネット右翼の支持を受け、衆議院議員になったところで、30歳までの無学習のつけは消えない。自身でも認める無知・無教養ぶりを土台として打ち立てられた政治観は、必然的に既存の保守、ネット右翼の既定の方針をトレースすることになる。
憲法9条改正は当然肯定、靖国神社参拝は全力肯定、教育勅語廃止と教育基本法によって堕落した戦後の日本人云々、選択的夫婦別姓絶対反対、在日外国人参政権絶対反対等々、それら全てを「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「目指すべき道義大国」などと、安倍内閣のスローガンと直線的に結びつけた。
2012年末、安倍内閣は「クールジャパン推進会議」を設置。有識者を招いて国の文化戦略の方針を議論させた。その議長となったのが稲田であった。アニメ、漫画、コスプレ、日本のポップカルチャーや若者文化を、海外に積極的に売り出そうという「クールジャパン推進会議」は、議事録を読む限り惨たんたる状態であった。
特に議長を務めた稲田の文化に対する無知ぶりは、突出を通り越して失笑を買った。この後「防衛大臣」の重責を任されると、民進党の辻元清美議員からの追及に涙ぐむ。
国家国防を任された陸海空三軍のトップが、いち野党議員の質問に窮して泣き出すという不始末に、稲田の人格的欠点であるという以前に、防衛組織の長としての資質を危ぶむ声も出始めた。(要旨)

---

記事にも触れられている百人斬訴訟、わたしは被告側の支援団体「南京への道・史実を守る会」に参加している関係で、何度か東京地裁の傍聴席から、稲田朋美のご尊顔を至近距離で拝見する機会がありました。(もちろん、見ただけで、話をしたことはありません)

※引用記事には書かれていませんが、毎日新聞、朝日新聞とともに訴えられたのは、元朝日新聞記者の本多勝一氏と柏書房です。毎日新聞が、前身である東京日日新聞の日中戦争当時の「百人斬り報道」について訴えられたのに対して、朝日新聞、柏書房、本多勝一氏は、1970年代以降に、「百人斬り」について触れた記事や書籍を執筆、発行したことについて訴えられています。本多勝一氏と朝日新聞に対する攻撃がこの裁判の主目的で、毎日新聞は原告にとっては「つけたし」同然だったとわたしは理解しています。

稲田は、弁護士だけあって、弁は立ちます。話の内容はともかく、よく通る大きな声で堂々と話す、その話し方は人をひきつける力があるのは確かです。それは、おそらく政治家にとっても求められる能力のひとつではあるでしょう。

ただし、堂々とはしていたけれど、弁護士としての実務能力は疑問符がいっぱいでした。
もっとも、百人斬り訴訟のとき、あちら側の弁護団は稲田と高池勝彦(今は「新しい歴史教科書を作る会」の会長)でしたが、この高池というのが、これまた無能弁護士である上に、稲田ほど弁も立たないので、相対的に稲田は「高池よりは(多少)マシ」に見えたのが正直なところです。

百人斬り裁判の原告側(弁護士)は、裁判を100%政治宣伝の場として利用する、あるいは支持者にそのようにアピールすることだけを目的にしていた、としか考えられませんでした。もちろん、政治的な意味合いを帯びた裁判では、政治的アピールを前面に出すこと自体は珍しくありません。しかし、百人斬り裁判が異様なのは、原告側が裁判に勝訴するための努力を一切放棄していたことです。

たとえば、原告側の呼んだ証人が原告側主張を破綻させる、ということがありました。
原告側の主張は「記者は,両少尉に「百人斬り競争」という冗談話を持ちかけたところ,その武勇伝に両少尉が名前を貸し,この冗談話を基に本件日日記事が掲載された」というものでしたが、それに反する証言(つまり、2人の少尉の側から百人斬りの話をもちかけてきた、という証言)を行っている、元東京日日新聞カメラマン佐藤振壽氏の証人申請をして、そのとおりの証言を得た結果、原告側の主張が破綻してしまったのです。
驚くべきことに、原告側はこの証言を聞いても、自らの主張が破綻したと認識していないのです。佐藤氏の証言は、大要「百人斬りの話は二人の少尉から聞いたが自分は信じなかった、百人斬りはでっち上げだ(と信じている)」という趣旨でした。しかし、佐藤氏が両少尉に会ったのは、インタビューに立ち会って撮影したときだけです。したがって、インタビューで2人の少尉が話した内容については、氏の証言には重要な意味があります。でも、それ以外の場で2人の少尉が何をしていたかは見ていないので、「百人斬りはでっち上げ」というのは、自身の感想、予想、願望の類でしかありません。それなのに、原告側はその感想、願望の方だけにしか目が行っていない様子でした。

もうひとつ、原告側は高裁で裁判官忌避を申し立てたのですが、その申し立てのタイミングを間違える、という失態もやらかしています。私も裁判の専門家ではないので詳細は忘れてしまいましたが、裁判官忌避の申し立ては、結審する前に行わないと意味がないのだそうです。ところが、彼らは間違えて、裁判官が「結審」と言った後で忌避の申立をしてしまったのです。

これらの失態から考えて、稲田にしても高池にしても、どう考えても有能な弁護士とは言い難いのです(最大限抑制的な表現です、実際はもうちょっと手厳しい表現のほうが実態に近いと思いますが)。
そのことと直接の関係はないかも知れませんが、原告団の内部対立で、稲田は元お仲間の保守陣営から懲戒請求をくらったことがあったはずです。

ただし、裁判の勝敗などどうでもよい、むしろ負けたほうがネトウヨ層への危機感を煽り立てて、「日本の誇りが危機に瀕している」とアピールできるから望ましい、くらいに思っているとしたら、このような行為も意味があるのかもしれません。そうだとしたら、弁舌は立つことも考え合わせて、アジテーターとしては有能です。
もっとも、アジの材料として負ける裁判の原告に祭り上げられた2人の少尉の遺族はいい面の皮です。わたしが心配する必要のあることでもないでしょうけど。

アジテーターとしての才能もあるけれど、実務処理能力は乏しい、稲田の弁護士としての能力はそういうものでしたが、政治家に転進後の一連の経緯を見ると、政治家としても、それはまったく変わらないようです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018.06.10 22:32:32
コメント(8) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: