inti-solのブログ

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2023.05.24
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
「目はくりぬかれ、胸が切り取られていました……19歳だったのに」戦争をきっかけに「子どもが産めなくなった女性」も…史上最悪の戦争「独ソ戦」の過酷さ
人類史上最悪の戦闘とも言われる「独ソ戦」(1941~1945年)とはどんな戦いだったのか?
1941年6月22日、硬直した対英戦線の打開のため、ドイツ軍は国境を越えソ連へとなだれ込みました。
人類史上最大、最悪の戦争といわれる独ソ戦の始まりです。
ヒトラーとスターリン、冷酷な独裁者同士の殴り合いは情け容赦が一切なく、投下された火力と共に、蕩尽された人命も桁違い。戦争を通じて、ドイツは400万~600万人、ソ連は1500万人~3000万人の死者を出したといわれています。
戦前、ソ連とドイツは不可侵条約を結んでいたため、ドイツの攻撃は完全な不意打ちとなりました。全戦線でソ連は敗退。「一つの世代が消えた」ほどの損失をおぎなうため、ソ連は戦争の初期から男の代わりに女性兵士を活用するようになります。
その数は、80万人とも100万人ともいわれ、軍務も衛生指導員、狙撃兵、機関銃射手、航空兵、高射砲隊長、工兵など様々。その多くが志願してのもので、彼女たちは国のためというより、もっと魂に近い、かけがえのないもの、自分の生まれ育った土地を守るために、自ら戦場に赴きました。~
奮戦する彼女たちの姿に、最初は反発していた男たちも次第に受け入れはじめます。戦闘に参加した女性たちは口をそろえて、男たちは立派で、敬意をもって接してくれたと語っています。男たちは砲弾が降ってくると、必ず女性をかばい、食料はまず女性に分け与えました。~
男たちは戦争が終わると掌を返したように冷淡になりました。英雄となった男たちは、かつての戦友を結婚相手には選ばなかったのです。~
戦争に行かなかった女たちはさらに辛辣でした。
「で、戦地ではたくさんの男と寝たんでしょ? へええ!」
「戦地のあばずれ、戦争の雌犬め」
やっと帰った実家から母親の手でたたき出された女性もいます。そして、こうした仕打ちから男は女を守ってくれなかった。自分たちだけで勝ったような顔をして。(以下略)

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独ソ戦といえば、「絶滅戦争」とも言われ、史上最悪の犠牲を生じた最悪の戦争です。引用記事にはソ連は1500万人~3000万人の死者を出したといわれるとありますが、かつてソ連の犠牲者は2000万人と言われていました。しかしソ連崩壊後に明らかになった資料によれば、これは過小評価の傾向があったようです。スターリンは第二次大戦後、米国との冷戦に際して自らの立場を強く見せるため、第二次大戦での被害の大きさをあまり大きく見せたくなかったと言われます。そのため、現在では旧ソ連の犠牲者数は約2600万人とされています。
2000万にしても2600万にしても、主要都市が焼け野原になり2発の原爆が落ちた日本の第二次大戦の犠牲者数より1桁多いわけで、その凄惨さは想像を絶するものがあります。

そのソ連で多くの女性が兵士、軍人として参戦したことは有名です。航空部隊では引用記事に女性エースパイロットであったリディア・リトヴァクの名がありますが、それ以上に「夜の魔女」と称された女性ばかりの夜間爆撃隊、第46親衛夜間爆撃航空連隊が有名です。その実績もさることながら、使用した爆撃機Po-2は、複葉布張り、最高速度150km/hという、第1次世界大戦レベルの超旧式機でした。日本で戦争末期に「赤とんぼ」九三式中間練習機(やはり複葉布張りの超旧式機)を使ったのに近い話です。夜間爆撃ということで、性能より飛行中の音量が小さく、発見され難いことを優先した選択だったようですが、ひとたび敵に捕捉されたらひとたまりもなかったでしょう。

そこまでして多くの犠牲を払って戦争を生き残った女性たちに、戦後の社会は冷たかったようです。ただ、これは旧ソ連の女性に限った話ではないでしょう。日本でも、南方の玉砕の戦場から奇跡の生還を果たしても、戦後恵まれない生活を送った元兵士は多いです。
米国でさえ、クリント・イーストウッドが監督した映画「父親たちの星条旗」によれば、すり鉢山の山頂に星条旗を立てる写真に収まったとされて一躍英雄となった6人の海兵隊員のうち、硫黄島からの生還者は3人だけ、そしてその3人のいずれも、戦後の人生はあまり恵まれなかったことが映画で描かれます。個人名を特定されて英雄として祭り上げられた3人ですらそうなのですから、ましてや悲惨な戦場から生還した無数の名も知られぬ兵士たちは察するに余りあります。

戦勝国でもひときわ国力に余裕のあった米国ですらそうだったのですから、大量の犠牲を払い、国土を焦土としてやっと勝った旧ソ連における、元兵士の苦しみは容易に想像できます。その兵士の中でも、もっとも阻害されたのが女性兵士たち、というわけです。
もちろん、これはドイツ側にも当てはまります。ドイツが攻め込んで始まった戦争ですから、ソ連としては応戦すること自体は選択の余地もない話でした(ただし、スターリンの粛清が軍の力を極度に弱め、人名軽視の拙劣な戦力によって犠牲が拡大したことは否定できません)。このような戦争がなければ失われずにすんだ命が、独ソだけでなく大平洋に至るすべての戦場をあわせれば、おそらく5000万人を優に越えるはずです。

そして、この悲惨な戦争を糧として、戦後のドイツはファシズムと決別し(冷戦の間は重武装ではあったけれど)経済発展も成し遂げたのに対して、旧ソ連の方は、スターリンの最悪の粛清だけは繰り返すことはなかったけれど、ずっと独裁体制、半独裁体制が続き、経済力に見合わない重武装で、国民生活という意味でも恵まれない時代がずっと続いてきたわけです。

ロシアのウクライナへの侵略の結末がどうなるか分かりませんが、この過去を振り返れば、ウクライナ側もロシア側も、戦った兵士たちの戦後に、幸多い未来は予想し難いのが現実です。一将功なりて万骨枯る、勝っても負けても戦争は多くの人の命を奪い、また心や体に癒しがたい傷を残します。悲惨としか言いようがありません。





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最終更新日  2023.05.24 19:00:09
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