FLESH&BLOOD 二次創作小説:Rewrite The Stars 6
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月 芸能界転生パラレル二次創作小説:愛の華、咲く頃 2
火宵の月 ハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁 0
火宵の月 帝国オメガバースパラレル二次創作小説:炎の后 0
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:幸せの魔法をあなたに 3
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 0
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 昼ドラ大奥風パラレル二次創作小説:茨の海に咲く華 2
火宵の月 転生航空風パラレル二次創作小説:青い龍の背に乗って 2
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
火宵の月×薔薇王の葬列 クロスオーバー二次創作小説:薔薇と月 0
金カム×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:優しい炎 0
火宵の月×魔道祖師 クロスオーバー二次創作小説:椿と白木蓮 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:それを愛と呼ぶなら 1
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黄金の楽園 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:蒼き竜の花嫁 0
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
火宵の月 転生昼ドラパラレル二次創作小説:それは、ワルツのように 1
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
火宵の月 現代ファンタジーパラレル二次創作小説:朧月の祈り~progress~ 1
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:ガラスの靴なんて、いらない 2
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 吸血鬼オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黎明を告げる巫女 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:光の皇子闇の娘 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 昼ドラファンタジー転生パラレル二次創作小説:Ti Amo~愛の軌跡~ 0
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:花びらの轍 0
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
火宵の月 千と千尋の神隠し風パラレル二次創作小説:われてもすえに・・ 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
火宵の月×天愛クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月×ハリー・ポッタークロスオーバーパラレル二次創作小説:闇を照らす光 0
火宵の月 現代転生フィギュアスケートパラレル二次創作小説:もう一度、始めよう 1
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:愛の螺旋の果て 0
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風パラレル二次創作小説:愛の名の下に 0
火宵の月 和風転生シンデレラファンタジーパラレル二次創作小説:炎の月に抱かれて 1
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風昼ドラパラレル二次創作小説:砂塵の彼方 0
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「俺は彼を助ける。リヒャルト、俺を邪魔立てするというのならば殺せ!」 聖良はそう言うと、リヒャルトの前に立った。「わかりました。では、あなたと共に参ります。」「そうか、ありがとう。」 数分後、ワルテール病院へと向かった聖良とリヒャルトは、病院周辺に暴徒たちがうろついていることを確認し、彼らの目を盗んで病院内に入った。病院内は略奪が尽くされた後のようで、医療品倉庫はもぬけの殻となっていた。「これで、輸血用の血液があるかどうかわかりませんね。」「希望を捨てるな、行くぞ。」 懐中電灯の光を頼りに、二人は輸血用の血液が保管されている場所へと向かった。「ミスター・ハトエの血液型は?」「B型だ。」聖良はそう言ってリヒャルトに淑介の保険証を見せた。「ありました。」クーラーボックスにB型の輸血用の血液を詰め込み、二人が病院を跡にしようとしたとき、外から銃声が聞こえた。「銃撃戦が始まったようです。早くここから出ましょう。」「ああ。」病院の裏口へと回ると、暴徒たちと警官隊が銃撃戦を繰り広げていた。「リヒャルト、先に行け。」「はい。」クーラーボックスを守るかのように物陰に隠れながらリヒャルトは病院から貧民街へと戻っていった。『セーラ様、無事戻りました。』「そうか、わかった。」銃撃戦が沈静化された様子を見ていた聖良は、貧民街へと戻っていった。「リヒャルト、淑介は?」「それが・・」嫌な予感がして聖良が手術室へと向かうと、そこにはショック状態の淑介が手術台に横たわっていた。「一体何があったんだ!?」「輸血を開始したら、突然意識不明に陥ってしまって・・」「彼は助かるのか!?」「もう、長くは持たないでしょう。」「そんな・・」医師の言葉に絶望した聖良は、そっと淑介の手を握った。「鳩江さん、わかりますか?」「セーラ様・・」薄っすらと目を開けた淑介は、聖良の手を握った。「すいません・・ご迷惑をおかけしてしまいまして・・」「いや、いいんだ。あなたを救ってあげられなくて、すまない・・」聖良は涙を流し、手術室から出て行った。「セーラ様・・」「すまないが、一人にしてくれないか・・」リヒャルトは主に声を掛ける代わりに、その場から立ち去った。 数時間後、鳩江淑介は静かに息を引き取った。にほんブログ村
2012年09月25日
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「畜生、クソアマ!」仲間を目の前で倒され、いきり立った暴徒が聖良に向かって金属バッドを振り翳したが、聖良の額を割る前に彼は暴徒の脇腹を鉄パイプで打った。「ふん、たいしたことないね。役立たずのもんをつけているの、お前たちは?」額に張り付いた汗を拭った聖良は、余裕の笑みを浮かべながら暴徒たちを見た。「くそ、行くぞ!」「このままで終わると思うな!」暴徒たちは戦意喪失し、次々と引き上げていった。「セーラ様、ご無事ですか!」「リヒャルト。」聖良が安堵の溜息を吐いていると、リヒャルトが駆け寄ってくるのが見えた。「お怪我はありませんか?」「ああ。それよりも夫人は?」「彼女は大丈夫でしょう。さぁ、ここを離れましょう。」「わかった。」 聖良とリヒャルトがアリエステ侯爵邸から離れ、王宮へと向かっている間、貧民街では住民たちがバリケードを作り軍隊を入れないようにしていた。「あいつら、いきなり撃ってきやがった!」「もう許せねぇ!」「あいつらを一人残らず火達磨(ひだるま)にしてやらぁ!」市民達に無差別に軍隊が発砲したこの事件は世界中で報道され、鳩江淑介(はとえしゅうすけ)はすぐさま現地へと飛んだ。 リヒト郊外から車を走らせ、首都へと向かった彼らが見たものは、破壊し尽くされた官民街と貴族街だった。辺り一面には黒煙が上がり、銃声や怒号、悲鳴などが絶え間なく聞こえた。淑介は我を忘れて、街の風景を何枚も撮った。「危ない!」何処からか悲鳴が聞こえたかと思うと、突然淑介の近くに建っていたビルが崩落し、コンクリートの塊が彼に降ってきた。「誰か、来てくれ!怪我人だ!」 貧民街にある病院に担ぎ込まれた患者を見た聖良は、それがリシェーム王国で知り合った淑介だとわかり絶句した。コンクリートの下敷きとなったのか、彼は大量に出血し、意識を失っていた。「彼は助かるのか?」「難しいところです。これほど出血が酷いと、輸血用の血液だけでは足りないかもしれません。」「そんな・・」聖良は、淑介を助ける方法を必死に模索した。「他の病院では、どうだ?」「どうだと申されますと?」「輸血用の血液は大量に保存されているのか?」「はい。確かワルテール病院なら大丈夫ですが、ここから最短ルートを通っても片道30分はかかります。」「そうか。じゃぁ俺が行って血液を取ってくる。」「セーラ様、危険です!」「黙れ!」 異を唱えるリヒャルトを、聖良は睨みつけた。にほんブログ村
2012年09月24日
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「奥様、大丈夫ですか?」「ええ。けれど、火事でもうここは長く持ちませんわ。」「そうですね。」リヒャルトは椅子を手に取ると、それを窓へと放った。窓ガラスが割れ、新鮮な空気が入ってきた。「奥様、これで外に出られます。」カーテンを素早く引き裂いて即席のロープを作り、リヒャルトはそれを窓に垂らした。「ありがとう、このご恩は忘れないわ。」「早く行ってください!」アリエステ侯爵夫人が“ロープ”で壁を伝いながら地面へと降りてゆくのを見守ったリヒャルトが彼女の後を追おうと窓枠に足を掛けたその時、煙がどあの下から漂ってきた。 慌ててハンカチで鼻と口を覆った彼だったが、次第に意識を失って絨毯の上に倒れてしまった。「くそ、これじゃ近づけない!」 一方聖良は、燃え盛る夫人の部屋に向かうのを諦めて、ここから脱出することを決めた。ハイヒールを脱ぎ捨て、一階の裏口に繋がる階段を駆け下りて外に出た聖良は、暴徒の群れに襲われている女性を見かけた。その女性は、アリエステ公爵夫人だった。「何をなさるの、離して!」「うるせぇ、卑しい貴族のメス豚め!」暴徒の一人が、悲鳴を上げて逃げ回る夫人の脇腹を執拗に蹴った。夫人はそれでもなお悲鳴を上げ続けていたが、周囲の者は暴徒を恐れ、彼女を助けようともせずに通り過ぎてゆく。聖良はあたりに武器になるようなものはないかと見渡すと、建築現場に鉄パイプが置いてあることに気づき、彼はそれを掴むと暴徒たちの中へと飛び込んでいった。「彼女には手を出すな!」「なんだてめぇ、殺されたいのか!?」「この婆は放っておけ!」暴徒の注意を自分に逸らした聖良は、夫人に逃げるよう目配せした。「何処からでもかかってこい、ならず者どもめ!」聖良は全身にアドレナリンを放出させながら、暴徒たちに向き直った。「相手は女一人だ、やっちまえ!」角材や金属バッド、果ては道路から引き抜いた標識を片手に携えた暴徒たちは、下卑た笑いを浮かべながらじりじりと聖良との距離を詰めていった。 警官時代武道の心得はあるものの、こんな多人数相手に戦った経験はなかった。だが、彼らに背を向けて“臆病者”の烙印を押されるのは嫌だった。暴徒の一人が威嚇しながら聖良に飛び掛ってきたが、彼は素早く暴徒の向う脛を蹴飛ばすと、間髪いれずに鉄パイプを彼の頭に叩き込んだ。「くそ、生意気だぞ!」「女の癖に!」「ハッ、戦場でレディーファーストなんざ関係ないだろうが!それともあんたら、いつの間に紳士になったんだい?」 乱暴なロシア語で聖良は暴徒たちに向かって一気に捲くし立てると、彼らに中指を突き立てた。にほんブログ村
2012年09月24日
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「まだ撃つなよ!」 徐々に膨らみ始め、白鳥宮へと行進する市民達に銃剣を向ける部下たちを、連隊長・レオンはそう言って制した。「まだだ、あいつらが我々の近くに来るまで、誰も撃つな。」「わかりました、隊長。」 一歩、二歩、三歩・・市民達の足が徐々に連隊へと近づいていく。「いまだ、撃ち方用意!」レオンの掛け声で、兵士たちは一斉に弾を装填した。「撃て!」行進していた市民達は、軍隊が銃剣で自分たちを狙っていることに気づき、慌てて背を向けて逃げ出そうとしたが、遅かった。一斉に数百もの銃剣が火を噴き、無抵抗の市民達に銃弾の雨が降り注いだ。「次、撃て!」市民達の何人かは、諦めずに王宮へと行進を続けたが、軍隊に阻まれ物言わぬ骸となった。「一体これはどういうことだ!」「すべてはわが国の為ですよ、陛下。このまま暴徒たちをのさばらせておくおつもりですか?」ディミトリはそう言って金色に輝いた瞳でアルフリートを見た。「だが、わたしは市民への発砲命令は下しておらんぞ!暴徒を鎮圧せよと命じたまでのこと!」「暴徒たちを鎮圧するには、武力鎮圧以外、方法がございません。さあ陛下、このような場に長居は無用です。」 ディミトリは真一文字に口を結び、広場の惨状をバルコニーから見つめているアルフリートの背中を押すと、彼を閣議室へと連れて行った。「父上。」「お前は・・」 閣議室に入ったアルフリートが見たものは、青と白のドレスを纏い、王笏(おうしゃく)を持ったミカエルの姿だった。「お久しぶりです、陛下・・いえ、父上とお呼びしてもよろしいでしょうか?」ミカエルはアルフリートにそう言うと、口端を上げて嫣然(えんぜん)とした笑みを浮かべた。「何ですって、軍隊が市民に発砲した!?」「はい、奥様。これをご覧ください。」アリエステ侯爵夫人は、パソコンに映し出された映像を観てショックを受けた。そこには、無抵抗の市民達を無差別に発砲する軍隊の姿が映っていた。「これは一体どういうことだ!?」「セーラ様、もはや暴動を止めることはできません。すぐさま安全な場所に避難してください!」「だが・・」聖良が慌てて荷物を纏めていると、階下から突然悲鳴が聞こえた。「セーラ様、奥様が・・」「どうしたんだ?」聖良たちが階下に降りると、メイドが泣きながら彼らの方へと駆け寄ってきた。「先ほど暴徒達が家の中に侵入し、奥様が刺されました!」「リヒャルト、彼女の手当てを。俺は医者を呼ぶ。」「わかりました!」 夫人の部屋へと入っていくリヒャルトを確認した聖良は、携帯で救急車を呼ぼうとした時、まるで地の底が崩れ落ちるかのような轟音が外から鳴り響いた。「王家の犬を殺せ!」「全員火炙りにしろ!」「そら、燃やせ!」興奮した暴徒達によって投げられた火炎瓶がリビングの飾り窓を突き破り、深紅の絨毯を舐めるかのように炎が辺り全体に広がった。「セーラ様、早くお逃げください!」「リヒャルト、お前を置いてはいけない!」聖良がリヒャルトと夫人の部屋へと向かおうとした時、炎が彼の行く手を阻んだ。「リヒャルト、返事をしろ、リヒャルト!」炎を避けるようにして聖良が夫人の部屋のドアノブを掴もうとすると、それは溶けた鉄のように熱かった。にほんブログ村
2012年09月24日
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「セーラ様、大丈夫ですか!」血相を変えたアリエステ侯爵夫人が部屋に入ると、聖良は蒼褪めた顔をして彼女を見つめた。「大丈夫だ。あなたは?」「ええ。それよりも一体誰が・・」「奥様、大変です!橋の向こうで暴動が起きました!」「何ですって!?」アリエステ侯爵夫人とともに聖良がダイニングへと向かうと、そこには使用人達が深刻な表情を浮かべてテーブルに座っていた。「一体何があったの?」「実は、警官隊が孤児たちに発砲して・・そのせいで孤児たちを支援する団体が中心となって抗議デモを行っていたのですが・・」暴動を目の当たりにしたメイドの一人が、そのときの様子を語り始めた。 はじめ、抗議デモは平和的に行われていたという。だが、メンバーの一人が商店に投石したのをきっかけに、警官隊に発砲して暴動が発生したのだという。「これからどうなってしまうのかしら?」「さぁ・・橋の向こうにはわたくしの家族がおりますから、心配で・・」「大丈夫よ、きっとあなたの家族は無事よ。」泣き出すメイドの肩を、アリエステ侯爵夫人は優しく抱いた。「夫人、どうなさいますか?」「そうね、今から窓の鎧戸をすべて閉めて!裏口の鍵もね!」「はい!」アリエステ侯爵夫人はてきぱきと使用人に指示していると、出仕していた侯爵が帰宅した。「おい、街は一体どうなっているんだ!暴徒達が貧民街を襲ってるぞ!」「あなた、ご無事だったのね!」夫の姿を見た途端、侯爵夫人の緊張の糸が切れ、彼女は夫の胸に飛び込んだ。「どうしたんだ、お前らしくもない。」「申し訳ありません、あなた。あなたが暴動に巻き込まれやしないかと、心配で・・」「そうか。食料の確保は充分にできているから、暫くは大丈夫だ。それよりも、暴動が沈静化するのはいつかわからないな。」「ええ。これから外出を控えませんとね。あなた、これからどうなさいますの?」「そうだな・・」その数分後、宮廷の呼び出しを受けた侯爵は、慌しく自宅から出て行った。「皆を呼び出したのは、他でもない。今回の暴動についてだ。」 閣議室にて召集された貴族達は、アルフリートの言葉を重く受け止めた。「陛下、暴徒を食い止める為には軍隊の介入しかございません。」「このまま暴徒を野放しにしておくと、大変なことになりますぞ!」貴族達は皆、暴徒の鎮圧に軍隊を介入すべきだという意見が大半だった。「ならぬ。よく考えてみよ、今回の暴動の原因は孤児達に警官隊が発砲したこと。何故警官隊が孤児を発砲した理由すらもわからぬのに、更に軍隊を介入させるとどうなるか、考えてみよ。」「陛下、それではどうすればよいのですか?」「それはそなたらが考えてみよ。家に細君がそなたらの無事を神に祈り、心細い思いをしていることだろう。早く家に帰るがよい。」「陛下、お待ちください、陛下!」貴族達の制止を振り切り、アルフリートは閣議室から出た。「陛下、少しお話がございます。」廊下を歩いていると、アルフリートをディミトリが呼び止めた。「なんだ?」「実は、今回の暴動についてわたくしに考えがございます。」「何だと?」「ええ・・」ディミトリは、アルフリートの耳元に何かを囁いた。 橋の向こうで始まった暴動は、沈静化するどころか、徐々に過激化するばかりだった。銃撃された孤児達への追悼と、警官隊への抗議デモは、いつしか現王室に対する政治批判へと風向きが変わっていった。「独裁政治を許すな~!」「立憲君主制を廃止せよ~!」プラカードや横断幕を掲げながら、市民達は王宮広場へと粛々とデモ行進を進んでいった。白鳥宮の前では、武装した軍隊が銃剣を構え、いつでも発砲できるような体勢を整えていた。「皆、準備は出来たな?」「はい!」「計画通りにやれ。失敗は許さないからな。」 ディミトリはそういうと、望遠鏡で市民達が白鳥宮へと向かっていくのを眺めた。にほんブログ村
2012年09月23日
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「誰だ、そこに居るのは?」聖良はそう奥の部屋に潜む“誰か”に向かって声を掛けたが、返事はなかった。「セーラ様、どうかなさいましたか?」「さっき、奥から物音が聞こえたんだが・・」「空耳でしょう。さぁ、早くこちらへ・・」リヒャルトが聖良の肩を抱き、出口へと向かおうとしたが、再び奥の部屋で物音がした。「行ってみましょう。」「ああ。」リヒャルトが拳銃を手に奥の部屋へと向かうと、物音が徐々に大きくなっていった。「セーラ様、さがってください。」「ああ。」ドアノブを回そうとしたが鍵がかかっていたので、リヒャルトはそれを蹴破り中へと入っていった。 どうやら奥の部屋はリネン室として使われていたらしく、中はシーツが散らばっていた。物音は、シーツの山の中から聞こえた。リヒャルトがシーツを退けると、そこには一匹の猫が居た。どうやら物音を出していた犯人は、この猫らしい。「割れた窓から入って、ここから住み着いていたんでしょうね。」「ああ。」聖良がシーツの山を退かすと、そこには生後数週間くらい経っている子猫が数匹蹲(うずくま)っていた。「どうやら親子で住み着いていたらしいな。何か猫を入れるようなものはあるか?」「はい、これなら。」リヒャルトが段ボール箱に親子の猫を入れると、孤児院から出て行った。「お帰りなさいませ、セーラ様。まぁ、それは?」「下町にある孤児院で見つけてな。獣医を呼んでくれないか?」「わかりました。毛艶のよさから見て、何処かの家で飼われていた猫でしょうねぇ。」「そうか。見たことがない種類の猫だな。」メインクーンには似ているが、若干違う毛色をしている。「ああ、これは“王家の猫”と呼ばれる種類の猫ですわ。」「“王家の猫”?」「ええ。昔この国にロシアから嫁いだお姫様が連れてきた猫が大層美しかったようでして、王侯貴族が競い合うように猫のブリーダーをすることが流行したそうですわ。」「ほう、そうか。ならこの猫はブリーダーが飼っていた猫かもしれないな。」「恐らく、そうでしょうね。それよりもセーラ様、夕食は何になさいますか?」「まだいい。」「そうですか。では失礼いたします。」アリエステ侯爵夫人が部屋から出て行くと、聖良は猫の親子たちをつぶさに観察した。孤児院で見たときはみずぼらしかった彼らだったが、浴室で汚れた毛を洗うと何処かしか高貴な雰囲気が漂ってもなくはない。子猫たちは一心に母猫の乳首に吸い付いていた。「さてと・・」猫の親子たちから目を離し、聖良はノートパソコンにメールが届いていることに気づいて、そのメールを開いた。そこには、信じられないことが書かれていた。「リヒャルト、今起きてるか!?」『何か、ありましたか?』「ああ、今メールが来て・・」携帯でリヒャルトと話していると、窓ガラスが割れる音がした。にほんブログ村
2012年09月23日
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「なんだ、さっきのは!?」「行ってみましょう!」 店から出た三人は、悲鳴がするほうへと向かった。悲鳴がしたのはパン屋の前で、商品を数人の孤児達が略奪していた。皆風呂に入っていないのか、肌が汚く、服もボロボロだった。「何をしている!」リヒャルトがホルスターから拳銃を抜き、空に威嚇発砲すると、孤児達が一斉に彼の方を振り向いた。「畜生、ずらかれ!」「こら、待て!」孤児達は蜘蛛の子を散らすかのように路地裏へと逃げていってしまった。「まったく、これじゃぁ商売上がったりだよ!」エプロンの端で涙を拭ったパン屋の女将は、そう言って悔しそうにめちゃくちゃになった店先を見た。「あいつらったら、いつも店先を荒らすんだ!害虫以外の何物でもないよ!」「手伝います。」聖良達が荒らされた店先を片付けると、パン屋の女将はお礼にと彼らに茶を振舞った。「あの孤児達は、何処から?」「ああ、橋の向こう側にある孤児院から脱走してきたんだろうさ。あそこは貴族が運営していたんだがねぇ、数年くらい前に有り金全部持っていっちまって、孤児院の経営が立ち行かなくなって、あの餓鬼共が街をうろつくようになったのはそれからさ。警官隊も目を光らせてるんだけど、あいつらの方が上でねぇ。」「そうですか・・救護院ではそのような子供たちは保護されていないのですか?」「ふん、あいつらが救護院に大人しく行くもんかい。貴族の旦那、あいつらが居る限りあたしらの商売は立ち行かなくなっちまう。お願いだから近々警官隊にあいつらを一掃しろと命令を出してくれないかねぇ?」「・・考えてみます。」 パン屋から出た三人は、暫く互いに一言も交わさなかった。「リヒャルト、俺はまだまだこの国のことを知らなかったんだな。」聖良はそう言って目を伏せた。「俺も孤児院で育ったが、食う物や着る物には困らなかったよ。それに何よりも、養父の愛情に包まれていたから、寂しいとは思いもしなかった。」「それは恵まれた境遇におられたのですね、セーラ様は。わたしとは大違いだ。」アフマドが何か含みのあるような言葉を聖良に向けた。「アフマド殿、あなたは・・」「わたしは親に捨てられました。というよりも、彼らは端金(はしたがね)でわたしを奴隷商人に売りつけたのです。」「奴隷商人に売られただと?それは本当なのか?」「ええ。わたしは生きる為に芸を身につけさせられ、一日分の食費にも事欠く生活を送っておりました。そんなわたしを拾ってくださったのが、リシャド様でした。」「そうか・・お前も色々と辛い思いをしたのだな。」「ええ。ですがわたしはリシャド様のお陰で救われた。セーラ様は養父殿のお陰で道を踏み外すこともなくこうして生きておられる。ですが、あの子達には、自分を救ってくれたり、支えてくれたりする人間が居ない。それがどれほど辛いことか、想像できますよ。」「そうだな・・リヒャルト、問題の孤児院に行ってみたいんだが・・」「あそこは貧民街に近いので、治安が余り良くありません。何かあれば発砲する許可を頂けますか?」「許す。」聖良達は、パン屋の女将が話していた問題の孤児院へと向かった。その途中に通りかかった病院で、彼は信じがたい光景を目にした。 入り口まで怪我人が溢れ、彼らは碌な手当も受けられず、膿んだ傷口に蛆虫(うじむし)が這っている者もいた。ちらりと聖良が中を覗き込むと、そこも入り口と同じような状態だった。「医者は居ないのか?」「居ることは居ますが、この地域の住民は平気で医療費を踏み倒すので診察したくない医師が多いのだとか。なのであんな風に放っておいて、死ぬのを待っているのだそうです。」「酷いな・・」「セーラ様、まもなく問題の孤児院に着きます。」 問題の孤児院へと向かった聖良は、割れた窓を見て絶句した。以前は手入れされていたであろう庭は雑草が生い茂り、辺りにはゴミが散らばっている。外壁は煤(すす)けており、全体的に陰気な雰囲気が漂っていた。「中に入ってもいいか?」「ええ。」内部は、外と同じように荒れ果てていた。あちこちにゴミが散らばり、奥の部屋からは凄まじい悪臭が漂っていた。「セーラ様、もうよろしいでしょう。」「ああ・・」 セーラが孤児院から出ようと踵を返したその時、奥の方から物音がした。にほんブログ村
2012年09月23日
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「これは美味そうだ。」「そうでしょう?子どものころ父に連れられてから、ここのピロシキに夢中になっておりましてね。」「じゃぁ、いただくとするか。」聖良はそう言うと、食前の祈りを済ませてからピロシキを一個摘んでそれを頬張った。「美味いな。どうやらお前の目に狂いはなかったようだ。」「ありがとうございます。」リヒャルトが少し照れくさそうに笑うと、店に労働者風の男たちが入ってきた。「ったく、昼間からこき使われて嫌になるぜ。」「おうよ、重労働の癖に給金は安い!こんな店に来るのは久しぶりだぜ。」「劇場の拡張工事だかなんだかしらねぇが、俺らみてぇな庶民には無縁の場所だ。」どうやら彼らは、この先にある劇場の拡張工事で借り出された者達のようだった。「リヒャルト、彼らは?」「恐らく地方からの出稼ぎ者でしょう。彼らの多くは農民で、職がない為都市部で出稼ぎにくるものが多いのですよ。」「そんなに民の生活は逼迫(ひっぱく)しているのか?」聖良の問いに、リヒャルトは静かに頷いた。「内戦が終わったとはいえ、貧富の差はなくなるどころか拡大する一方です。貴族達は自分が所有する土地の領民達から高い税を徴収し、私腹を肥やすばかり。その結果民は飢え、貴族達は悠々自適に暮らしているというわけです。」「そんな現実を変えようとしないのか、父上は?」「ええ。国王陛下は地方の領主達に納税免除をするよう命じたのですが、実行する者達は少ないようです。まぁ彼らにしてみれば、唯一の収入源を失いたくないのでしょう。」「収入源だと?他人の金を搾取して贅沢をするなど、笑止。」「彼らは働くことを最大の罪と思っているような輩ですよ、セーラ様。わたしの父のように民達に自分の資産を提供する貴族はごくまれです。」「近いうちに反乱が起きるだろうな。」「そうですね。ですがこの国では言論の自由があります。共和国となってから我が祖国は情報統制や言語統制などが多少緩くなったものの、まだまだ前時代の“負の遺産”は残っておりますよ。」アフマドはそう言うと、コーヒーを飲んだ。「アフマド殿、最近やつれたようだな。」「ええ。新しい国を作ることはなかなか骨が折れる作業ですからね。新しい時代の芽を育て、それを樹木にさせるのは長い時間がかかります。」「そうか。」聖良たちの会話を密かに聞いていた男達の一人が、彼らのテーブルへとやって来た。「貴族の旦那、あんたらには俺達の生活がどれほど苦しいかわからねぇだろうよ。まぁ、貧民街に行けばこの国の現実がすぐに見えるだろうがね。」「ご忠告どうも。」明らかに自分を挑発している男の怒りをあおらぬよう、リヒャルトは至極冷静に努めて言うと、彼は面白くないといったように鼻を鳴らしてテーブルへと戻っていった。「さぁ、もう出ましょうか。」「そうだな。」 食事を終えた彼らが店から出ようとすると、外から甲高い悲鳴が路地に響き渡った。にほんブログ村
2012年09月22日
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「では、これより判決を申しあげます。」 裁判は意外にも早く終わりそうだった。裁判官は判決文を取り出すと、朗々とした声でそれを読み上げた。「被告人セーラ=タチバナに掛けられた異端信仰の容疑は無罪とし、異端審問所による被告人の不当な身柄確保の件については、検察が近々調査するものとする。以上。」判決を聞いた瞬間、傍聴席からは安堵の溜息と喝采、そして怒号が響き渡った。「やりましたね、セーラ様!」「お前とアフマド殿のお蔭だ、ありがとう。」聖良は身の潔白が証明され、安堵の表情を浮かべながらリヒャルトとアフマドに微笑んだ。「アフマド殿、あなたには本当に感謝しても足りないくらいです。ありがとうございます。」「いいえ、わたしは当然のことをしたまでです。」リヒャルトがアフマドとともに法廷を後にし、聖良が出てくるのを待っていると、ロメスが彼らに近づいてきた。「今回はあなた方の主張が通ってよかったですね。」「ええ。裁判官は一方的な意見を鵜呑みにする方ではありませんからね。こんなところでのんびりしている暇はないのではありませんか?今頃異端審問所は蜂の巣をつついたかのような騒ぎでしょうから。」リヒャルトの言葉を受けたロメスは怒りで頬を赤くすると、リヒャルトに背を向けて立ち去っていった。「嫌な男ですな。」「相手にしない限り、害はありませんよ。」リヒャルトがそういったとき、鉄製の扉から聖良が姿を現した。「セーラ様!」リヒャルトは喜びのあまり、人目も気にせずに聖良に抱きついた。「おいリヒャルト、離れろ。恥ずかしいだろうが。」「も、申し訳ございません・・」リヒャルトが慌てて聖良から離れると、アフマドがくすくすとその様子を見て笑った。「セーラ様、疑いが晴れてよかったですね。」「アフマド殿、お久しぶりですね。ご多忙な中、わざわざ遥々お越しいただきありがとうございます。」「そのような堅苦しい挨拶はならさないでください。もう私たちは気心が知れた友人ではありませんか。」「それもそうでしたね。」聖良がそう言うと、アフマドはにっこりと笑った。「さてと、ここにはもう用がありませんから、どこか食事でもいたしましょう。」「ええ、そうしましょう。」聖良とリヒャルト、アフマドは裁判所を出て、しばらくリヒトの中心部を歩いていた。「お勧めの店などはご存知ですか、マクダミア様?」「ええ。少し先にある店は、ピロシキが美味しいと評判ですよ。」「ではそちらに参りましょうか。」聖良がリヒャルトのお勧めの店へと入ると、店主夫婦が彼らを笑顔で迎えてくれた。「これは、これは。誰かと思ったらマクダミアの旦那。今日は美人さんをお連れですね。」「済まないが女将さん、美味い料理をありったけ持ってきてくれないか?」「承知しました。ほらあんた達、ボケッとしてないで働きな!」リヒャルトに熱い視線を送る給仕娘たちの尻を、女将はそう言って叩いた。「良くこんな店を知っていたな。貴族はあまり下町には出入りしないと聞くが?」「ええ、大抵の貴族は官民街から一歩も出たことがありませんが、わたしは違いました。というのも、父が身分というものにあまり拘らなかったからです。」「そうか、父上は良い教育をお前にされたようだ。」「ええ。今では父に感謝しておりますよ。」リヒャルトがそう言葉を切ったとき、揚げたてのピロシキがバスケットに山盛りになって彼らの前に置かれた。にほんブログ村
2012年09月22日
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入廷してきた異端審問官は、30代後半と思しき銀縁眼鏡を掛けた男性だった。「では、あなたの氏名を述べてください。」「はい。わたしはロメス=メンドーサと申します。」「ではメンドーサ審問官にお尋ねいたします。あなたにとって異端信仰とは、いったいどのような信仰を言うのでしょうか?」裁判官の問いに、異端審問官・ロメスは淀みなくこう答えた。「異端信仰とは即ち、カトリックの教義、または信仰に背いた者、それに準ずる行為を為した者とされます。」「たとえば男色行為といったものは、カトリックの信仰に背いたということ、そういったように捉えられるのですね?」「はい。現にセーラ皇太子はリシェーム王国に於いて男色行為を行い、国王の妃となったことがございます。これは明らかにカトリックの教義・信仰に背いた行為であり、異端信仰にほかなりません!」「濡れ衣だ!」リヒャルトが思わずロメスの発言に抗議すると、アフマドが彼を慌てて制した。「今騒ぎを起こすのはおよしなさい。セーラ様のお立場が悪くなるだけですよ。」「ですが・・」「彼の顔をよく御覧なさい、まるであなたを貶めてやろうという魂胆が見え見えではありませんか。」怒りに満ちた顔でリヒャルトがロメスを見ると、彼は怜悧な表情を浮かべていた。まるで、こちらの反応を楽しむかのように。「ではロメス審問官、被告人は明らかに有罪だと?」「はい、間違いありません。」「一旦休廷と致します。」裁判官が木槌を叩くと、傍聴席に座っていた人々はトイレ休憩に行ったりしてざわつきながら法廷から出て行った。「君が、リヒャルト=マクダミア殿か?」少しコーヒー休憩でも取ろうとリヒャルトが腰を浮かせたとき、ロメスが話しかけてきた。「はい、そうですが。わたくしに何かご用でしょうか?」「君はセーラ様の懐刀と聞いている。ひとつ忠告しておくが、我々に逆らわない方がいい。」「主を黙って見殺しにはできません。それにセーラ様は改宗されておりませんし。」「ふん、証拠がないというのに・・」「それはわかりませんよ?」リヒャルトが証拠を持っているという思わせぶりな態度をとると、ロメスが少し動揺したかのように眉をピクリと動かした。「せいぜい悪あがきでもするがいい。天は我々の味方だ。」 数分後、リシェーム王国側の証人として、アフマドが証言台に立った。「アフマドさん、あなたは被告人がカトリックからイスラムへと改宗していないという証拠をお持ちなのですね?」「はい。ここに、我が王国における信徒記録が記されておりますが、その何処にも被告人の名はありません。どうぞ、裁判官ご自身の目でご確認ください。」「ふむ・・」アフマドから信徒記録を手渡された裁判官はルーペでそれを流し読みすると、次第にその顔から焦りの色が見え始めた。「いかがでしょう?」「確かに・・信徒記録には被告人の名はありませんね。」裁判官の言葉を聞いたロメスが隣で舌打ちするのが聞こえ、リヒャルトは微かに口端を上げて笑った。 裁判はセーラ側の優勢となりつつあった。にほんブログ村
2012年09月21日
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「セーラ様、お加減のほうはいかがですか?」「点滴を打ったから、随分楽になった。」 聖良が入院してから数日が経ち、リヒャルトは今日も病室に見舞いに来ていた。「わたしの裁判のほうはどうなっている?」「それは強力な助っ人がおりますので、心配は要りません。」「そうか。いつも俺はお前に助けられてばかりだな。」聖良がそう言って目を伏せると、リヒャルトは彼に優しく微笑んだ。「これから長い戦いになりますから、ゆっくりと身体を休めてください。」「ああ、わかった。」 病院を後にしたリヒャルトが一旦自宅へと戻ると、執事が来客を告げた。「思ったよりもお早いご到着でしたね。」「ええ。セーラ様はご入院されたと聞きましたが、ご容態の方は?」「ただの風邪です、たいしたことはありません。」「そうですか・・」アラブの民族衣装・トーブを身に纏ったリシェーム共和国初代首相・アフマドはリヒャルトの言葉を聞くなり、安堵の表情を浮かべた。「今回、ご多忙であるあなた様をこちらにお呼びしたのは、セーラ様に掛けられた異端信仰の疑いを晴らしていただきたいためです。」「セーラ様が異端信仰を・・イスラム教徒であるという言いがかりを誰かがつけてこられたのですね?」「まぁ、そういうことになります。しかしセーラ様は貴国に居られた期間に、改宗された記録がありません。それを証拠としてこちらに差し出してほしいのです。」「わかりました。セーラ様はわたしにとっては恩人です。力になりましょう。」「宜しくお願いいたします。」アフマドはそう言うとソファから立ち上がり、リヒャルトと固い握手を交わした。聖良の身柄が拘束されて一週間後、遂に聖良の裁判が始まった。「被告人セーラ=タチバナは、リシェーム王国に於いてカトリックからイスラムに改宗し、また土着の異端信仰をした廉でその身柄を拘束されている。」裁判官が朗々と起訴状を読み上げる中、法廷内の被告人席に立たされた聖良は背筋をピンと伸ばし、臆することなく好奇の視線を撥(は)ね付けるかのようにぐるりと法廷内を見渡していた。その中には、ミカエルの侍女・アーニャの姿があった。燃えるような赤毛が映えるかのような黒テンのケープを纏った彼女は、聖良に好戦的な視線を送った。(ここで負けてなるものか!)「それでは、今よりセーラ=タチバナの審理を開始いたします。全員、起立してください。」傍聴席に座っていた人々が一斉に立ち上がった時、聖良ははじめてリヒャルトとアフマドの姿を見つけた。リヒャルトと目が合うと、彼はまるで自分を安心させるかのようににっこりと笑った。「被告人、あなたは今読み上げられた訴状の罪を認めますか?」「いいえ、わたしは無罪です。」聖良の言葉に一瞬法廷内がざわめいたが、裁判官が木槌で叩くと静かになった。「それでは今から、異端審問官による質疑応答に入ります。」(いよいよだ・・) 聖良は顎をぐっと引き上げ、異端審問官が入廷してくるのを待った。にほんブログ村
2012年09月21日
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「クソッ、霧のせいで何も見えやしねぇ!」「ハンス、何処だ!?」 突如として白い霧に包まれたリヒャルトは、敵の死角に回り込み、彼らの様子を窺った。「あいつ、何処行きやがった!」「クソッ、見失っちまったじゃねぇか!」男達が悪態を吐いている隙を狙って、リヒャルトは彼らに刃を向けた。「うおっ!」リヒャルトの攻撃を受けた男達の一人が道を踏み外し、崖下へと消えていった。「野郎、よくも!」仲間の死を目の当たりにした男達は憤怒に駆られ、リヒャルトを取り囲んだ。「これでもう逃げられねぇぞ、覚悟しな!」「それはどうかな?」そう言ってふっと笑ったリヒャルトは、次々と男達を崖下へと叩き落とし、まるで何事もなかったかのようにバイクに跨って峠を下っていった。「相手が悪かったね。まぁ、証人を消したんだからこちらにとっちゃぁ好都合だけどさ。」ミカエルはそう言って扇子を開いたが、その指先は微かに震えていた。「ミカエル様・・」「報告が終わったのなら出て行け。」「は・・」恭しくミカエルに頭を下げたまま、ディミトリは彼の部屋から辞した。 一方、地下牢では聖良が寒さに震えていた。 冬を迎えたこの国は朝夕の寒暖の差が激しく、氷点下になることも稀ではなかった。剥き出しの大理石の床は、否応がなしに聖良の体温を徐々に奪っていった。聖良は激しく咳き込みながら、寒さで歯を鳴らせていると、誰かが地下牢に入ってくる気配がした。「セーラ様。」「誰だ?」コツコツという誰かの靴音が、聖良の前で止まった。「わたくしです、セーラ様。」そう言って牢の前に立ったのは、リヒャルトだった。「リヒャルト、無事だったのか?」「ええ。それよりもご無事でよかった。」「ああ・・」リヒャルトが無事であることで気が緩んでしまったのか、聖良はそのまま床の上に倒れた。「誰か医者を呼べ!」リヒャルトが慌てて獄吏を呼ぶと、彼は錠前に鍵を挿し込んだ。「セーラ様、しっかりなさってください!」牢に入ったリヒャルトは、びくともしない聖良を抱き上げると、地下牢から出て行った。「肺炎になる手前ですな。」 病院に連れて行った聖良を診察した医師は、そう言ってリヒャルトを見た。「そうですか・・」「余り無理をさせないようにしないと。栄養失調のようですしね。」「わかりました。」聖良の居る病室にリヒャルトが入ると、彼は苦しそうに呼吸をしながらベッドに横たわっていた。「今はゆっくりとお休みください、セーラ様。」リヒャルトはそっと聖良の髪を優しく梳いた。「ふぅん、あいつがセーラを病院に・・」「どういたしましょうか?」「しばらく様子を見てみよう。」 ミカエルは悔しそうに唇を噛むと、ディミトリの方へと向き直った。にほんブログ村
2012年09月20日
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「今日はみんなにプレゼントがあるんだよ。」そう言って自分に群がる子供達にミカエルは、大きな袋を開けて中を見せた。そこには、たくさんのぬいぐるみやおもちゃなどが入っていた。「うわぁ~、おもちゃだ!」「ありがとう、皇太子様!」キラキラと目を輝かせながらおもちゃを手に取る子供達を見ながら、ミカエルは満足げに微笑んだ。「院長、子供達の食事はどうです?最近支援金が減りつつあるという噂がありますが。」「今のところは、ボランティアの皆様の協力を得ております。しかし、子供達の食費については厳しくて・・」「そうですか。」昔よりは随分マシになったが、この国では汚職などが蔓延(はびこ)り、孤児院をはじめとする福祉施設などへの助成金を着服している役人は星の数ほど居る。その所為でこの国の孤児達は毎年冬を越せずに、伝染病や飢餓で死んでゆくのである。 孤児院に居る子供達はまだ運が良い方で、マンホールの下で暖を取り、そこで寝起きをしているストリートチルドレン達の状況はもっと悲惨だ。彼らは時として犯罪組織の手駒となり、同情心を通行人から買う為に手足を切り落とされ、物乞いをさせられるのだ。そんな国の現実を、セーラは見ていないのだ。彼は長年、戦争や飢餓のない安全な国で何不自由なく暮らしていたのだから、無理もない。だがそれが言い訳にしか過ぎないことを、ミカエルは彼に思い知らせてやるつもりだった。「お帰りなさいませ、皇太子様。」「お前、まだ居たのか。」寝室に入るなりディミトリの姿を見たミカエルは、眉間に皺を寄せながら彼を睨みつけると、ソファに腰を下ろした。「セーラのことなら、お前に全て任せる。わたしはやることが山のようにあるのでな。」「解りました。それよりもリヒャルトのことですが・・」「あの峠を越えている間に始末しろと命じた筈だが、何かあったのか?」「いえ・・それが・・」落ち着きなさげに淡褐色の瞳を動かすディミトリの様子を見て、自分に報告できないことが起きたのだと、ミカエルは悟った。「まさか、失敗したのか?」「申し訳・・ございません!」ディミトリはそう言うなり、絨毯に額を擦りつけんばかりにミカエルの前で跪いた。「詳しく話を聞かせろ。誰がどのようにリヒャルトを始末し損ねた?」「はい、それが・・」ミカエルに跪いたまま、ディミトリは部下からのメールに書かれてある内容を話し始めた。 峠を越えようとしたリヒャルトは、突然前方の視界を遮られ、バイクを停めた。そこには、風体の悪い男達が腰に剣を提げ、棍棒を肩に担いでニヤニヤしながらリヒャルトを見ていた。「お前達、何者だ?」「悪いが、貴族の旦那にはここで死んで貰うぜ。あんたを殺せば、たんまりと礼金を弾んでくれるからな!」リーダー格と思しき男がそうリヒャルトに吼えると、彼らは一斉に剣を抜いてリヒャルトに襲い掛かってきた。躊躇いなく、リヒャルトは背負っていた剣を抜き、狭い山道で彼らに応戦した。だが突然激しい雷鳴が轟くとともに雨が降り出し、その後に白い霧が彼らを包んだ。にほんブログ村
2012年09月20日
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何処かで狼の遠吠えが聞こえ、リヒャルトはバイクのスピードを緩めることなく峠を通過しようとしていた。 ここは20世紀初頭まで地方の商人が王都・リヒトまで使用していたが、飢えた狼が跋扈し、霧が立ち込める事で旅人や商人達にとっては難所と言われていたが、馬がバイクに変わった現代になっても、難所であることには変わりはないらしい。(急がねば、セーラ様のお命が危ない!)突然聖良に掛けられた異端信仰の容疑をでっち上げたのは、ミカエルに他ならない。彼は皇太子として成りすますだけでは飽き足らず、聖良を極秘裏に亡き者にしようとしているのだ。異端審問所は聖良の拷問は禁止されていると手紙では書いてあったが、気まぐれなミカエルがいつ聖良を拷問しても良いという命令を出すことがあるだろう。(待っていてください、セーラ様!わたくしがあなた様をお守りいたします!)「ぐ・・う・・」「全く、いつになったら根を上げるんだい?」 一方異端審問所では、拷問台に縛り付けられた聖良は漏斗を無理矢理咥えさせられ、獄吏によって水責めをされていた。鼻と口、そして肺と胃を同時に圧迫され、呼吸できずに聖良の顔はみるみる蒼褪めていった。「そこまでにしろ。あまりやり過ぎるなと言われているからね。」「は・・」漏斗を口から外され、拷問台によって固定されていた身体が自由になると、聖良は近くにあった木桶に水を吐いた。「良く耐えたね。ここまでの拷問に根を上げない奴は、君だけだよ。まぁ、こちら側としてはいたぶりようがあるというものだ。」ディミトリはそう言ってくつくつと笑いながら、冷たい大理石の床に蹲っている聖良を横目で見ると、拷問部屋から出て行った。(リヒャルト・・どうか、無事でいてくれ・・)「いつまであの者を異端審問所に拘束しておくつもりでございますか?」「それは、どういう意味だ?」皇太子に晩餐会に招かれたディミトリがそう言って彼を見ると、彼は不快さを隠しもせずにそう彼に聞き返した。「拷問しても決して根を上げません。長引きますとこちらとしては困ったことになります。」「ふん、そうか。」ミカエルはもうディミトリには興味がないと言わんばかりに、椅子から立ち上がってダイニングから出て行った。「皇太子様、このようなお時間にどちらへ行かれるのですか?」「視察だよ、孤児院の。」「わたくし達もお供いたします!」「護衛だけで充分だ。」 晩餐会を途中で抜け出したミカエルが向かったのは、リヒト市内にある孤児院だった。「皇太子様、ようこそお越しくださいました。」車から降りてきたミカエルの姿を見た院長が、そう言って彼に頭を下げた。「子供達は?」「中に居ります。」子供達が居る部屋へとミカエルが入ると、彼らはパジャマ姿で遊んでいた。「あ、皇太子様だ!」「みんな、元気そうだね。」孤児達にそう言ったミカエルの声は、砂糖を塗したかのように甘く優しいものだった。にほんブログ村
2012年09月19日
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「セーラ様が、異端信仰の咎で身柄を拘束された!?その情報は確かなのですか?」 聖良が地下牢に囚われている頃、リヒャルトは遠征先で聖良の身柄が拘束されたという知らせを受けていた。「ああ、すぐさま王宮へと戻った方がいい。」「わかりました。」遠征先から王宮まで公共の交通機関を使っても、最低片道4時間はかかる。馬を使うと半日くらいかかるだろう。「リヒャルト、俺のバイクを使いなよ。」宿舎に戻ったリヒャルトが陰鬱な表情を浮かべながら手紙を握り潰していると、ルーイがそう言って彼にバイクの鍵を放った。「ありがとうルーイ、恩に着るよ。」「いいって。困った時はお互い様だろ?」 もう日は暮れて辺りは暗くなっているものの、霧が立ち込めていない夜の山道をリヒャルトはフルスロットルで駆け抜けていた。(セーラ様、待っていてください!必ず、必ずあなた様を助けますから・・)一刻も早く王宮へ着きたい一心で、バイクを飛ばしたリヒャルトはやがて飢えた狼が跋扈(ばっこ)する峠へと入っていった。「セーラ様、どうしてこのようなことに・・」数日振りに再会したアリエステ侯爵夫人は、薄手のカーディガンの下にシュミューズを纏っただけの聖良を見て今にも泣き出しそうな顔をしていた。「俺のことは心配しないでください。それよりもリヒャルトが危ないんです。」「リヒャルト様が?」「ええ。俺をここに連行するよう近衛隊に命じたのはミカエルです。ディミトリは俺が拘束されているということをリヒャルトに手紙で告げ、遠征先まで誘き出して彼を亡き者にする策を練っています。」「まぁ、何と恐ろしいこと!」ディミトリの策略を聖良から聞いたアリエステ侯爵夫人はそう叫ぶなり、ブルブルと恐怖で震えると胸の前で十字を切った。「リヒャルトの連絡先はご存知ですか?」「ええ。わたくしの知り合いがマクダミア家と懇意にしておりますわ。セーラ様、決して屈してはなりませんよ。神のご加護を。」「あなたにも、神のご加護を。」アリエステ侯爵夫人は聖良に優しく微笑むと、地下牢を後にした。「アデーレ、少しお遊びの時間だよ。」夫人が出て行った後に地下牢へとやってきたディミトリは、そう言って聖良を見た。「俺を何処へ連れて行くつもりだ?まさか拷問するつもりか?」「う~ん、どうしようかな?君を痛めつけてくるよう、あの方から言われているからねぇ。」ディミトリはわざと迷った振りをしながら、横目でちらりと聖良の様子を窺っていた。彼の言葉に一喜一憂し、命乞いをする哀れな姿を見たいかのように。だが、ディミトリの嗜虐心を満足させるつもりは聖良にはなかった。「拷問でもなんでもすればいい。簡単に根をあげると思ったら大間違いだ。」「あっそ。」 ディミトリは背後に控えていた獄吏に目で合図すると、彼は腰につけていた鍵束を鳴らしながら、錠前に鍵を挿し込んだ。冷たい大理石の廊下を歩かされ、聖良が連れて行かれたところは数人の獄吏が控え、数々の拷問道具が並べられていた拷問部屋だった。「さてと、君が何処まで強がっていられるのか見せて貰おうか。」ディミトリが右手を上げるなり、獄吏たちが聖良を羽交い絞めにして拷問台に縛り付けた。にほんブログ村
2012年09月18日
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アリエステ侯爵邸から近衛隊に連行された聖良が着いたのは、王宮内にある異端審問所だった。「一体どういうことなのか、説明して貰おうか?」「実は、あなたに異端信仰の疑いが掛けられております。」そう言った近衛隊長は、聖良を見た。「異端信仰だと?どんな根拠で?」「恐れながら、セーラ様は一時期イスラム圏にいらっしゃいましたよね?」「俺がリシェーム王国に居たのは事実だが、それが異端信仰とどうつながりがある?俺はカトリックで、リシェーム王国滞在中は一度もモスクには行っていない。」「そうですか・・ですが、それだけでは疑いが晴れないかもしれません。」「疑いが?」 つまり、ミカエルが近衛隊を出動させ、聖良を連行するよう命じたのは、何かを企んでいるからだ。よくもまぁ、次から次へと悪知恵が働くものだ。「俺をここに連行せよと命じたのは、ミカエルだろう?」「はい。申し訳ありませんが、疑いが晴れるまであなた様の身柄を拘束いたしますので、ご辛抱を。」「わかった。」自分が動けぬ内に、ミカエルに対抗する策を練る機会ができた。「さぁ、こちらへ。」馬から降りた聖良は、近衛兵隊長とともに異端審問所へと入っていった。 同じ王宮内でありながら、そこは陰鬱な場所であった。聖良が入れられた場所は、暗くジメジメとした地下牢だった。ここで何人もの犠牲者が解放の時を待ちながら死んでいったのだろう。そう思うと、聖良は悪寒が走った。「いつまでここに居ればいい?」「それはわかりません。手荒にするなと上から言われておりますので。」「拷問するな、という意味か?」聖良が近衛隊長にそう尋ねると、彼は静かに頷いた。「そうか・・あいつが地下牢に入れられたか。」「はい、全て手筈通りに。」「ご苦労。ディミトリ、獄吏に鼻薬をうんと嗅がせておけ。計画に狂いがないようにな。」「わかりました。」ディミトリは金貨の袋をミカエルから受け取り、彼の部屋から出て行った。「君、案内してくれないか?」彼は金貨の袋を獄吏にちらつかせながら言うと、彼は素直に袋を受け取った。「ご気分はどうですか、セーラ様?」「お前も一枚噛んでいたのか、ディミトリ。」聖良はそう言って蒼い瞳でディミトリを睨みつけると、彼は鈴を転がしたかのような笑い声を上げた。「おやおや、わたしはあなたから随分と嫌われているようですね。」「ひとつだけ質問に答えろ。一体お前とミカエルは何を企んでいる?」「そんな事を教えるわけにはいかないな。」ディミトリの口調が突如砕けたものとなった。それと同時に、金色の瞳に嗜虐的(しぎゃくてき)な光が躍った。「近衛隊は君を拷問するなと命令されているが、それもあの方の作戦の内でね。じきに君が拘束されていることを知った騎士殿がここへと駆けつけてくるだろう。まぁ、その途中で彼は何者かに襲われ不慮の死を遂げる。君は彼の死を嘆き、絶望して命を絶つ、というストーリーだ。どうだい、いい脚本だろう?」「地獄に堕ちるがいい、悪魔め!」「何とでも怒鳴り散らすがいいさ。さてと、こんな陰気な場所には用がないから、わたしはもう失礼するよ。」「おい、待て!」 地下牢から出て行くディミトリを前に、聖良は手も足も出なかった。(クソッ、一体どうすれば・・)にほんブログ村
2012年09月17日
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「ほう・・それは面白いことを聞いたぞ。」ミカエルは口端を上げると、そう言ってディミトリを見た。「いかがされますか、皇太子様?」「さぁ・・それは後々考えることにしよう。それよりもディミトリ、何故そのような情報を俺に?お前にとって俺は敵の筈。敵に塩を送るなど・・」「利害が一致すれば、敵も味方もありますまい。それよりも皇太子様・・いえ、ミカエル様、今後どのようになされば宜しいので?」「それは、お前が色々と工作すれば良い。そなたほどの策士は、この国に於いて二人ともおらぬからの。」「かしこまりました。では、失礼致します。」ディミトリがミカエルの部屋から出ると、そこで待ち伏せしていたかのように柱の陰からフリードリヒが現れた。「フリードリヒ様、どうなさいましたか?」「別に。ねぇディミトリ、あいつとさっき何を話していたの?」「お言葉を慎みなされませ。仮にもあのお方は兄上様でいらっしゃいますよ。」「だがあいつは皇太子ではないんだろう、違うか?」フリードリヒの真紅の瞳に見つめられ、ディミトリは思わず噴き出してしまった。「何が可笑しい?」「これは失礼。余りにもフリードリヒ様は聡いお方になられたなと思いましてね・・」ディミトリがこうやって突然噴き出すのは、他人に指摘されたことが言い当てられた時だった。「いつから気づいていらっしゃられましたか?今の皇太子様が偽者だということに?」「あの舞踏会の後だ。いくら容姿が似ていても、偽者は偽者。貴様はあれを皇太子として偽り、何を企んでいるんだ?」「それは申し上げられません。気心が知れたあなた様の前では、特に。」「ふん、そうか。」フリードリヒは急に興味を失ったかのようにディミトリに背を向けると、去っていった。(さてと、これから色々と面倒な事が起きるだろうな。フリードリヒ様に勘付かれぬよう、慎重に動かねば。)ディミトリは僧衣の裾を翻すと、闇の中へと消えていった。 一方、アリエステ侯爵から与えられた自室で、聖良はミカエルに対抗する策を練っていた。彼のほうが自分より宮廷の事情もある程度把握しているし、人脈もある。だが自分には何もない。一体どうすれば情報が集められるだろうか―聖良がそう思いながら寝返りを打っていると、外が急に騒がしくなった。「何だ、この騒ぎは!?」「セーラ様、裏口からお逃げくださいませ!」夜着を羽織り、何が何だかわからぬまま、聖良はアリエステ侯爵夫人とともに裏口へと向かった。 だがそこには、近衛隊が居た。「一体こんな夜中に、何のご用です?」「これをお読みくださいませ。」隊長が一歩聖良たちの前に出ると、一枚の羊皮紙を突きつけた。「“アリエステ侯爵夫人付侍女・アデーレを異端信仰の咎で身柄を拘束する”なんですか、これは!?異端信仰など・・」「詳しくては異端審問所にて伺います。さぁ、こちらへ。」「お待ちください!わたくしの侍女は何もしておりません!」アリエステ侯爵夫人が必死に抗弁するも、非情にも隊長は聖良の両手に手錠を掛け、彼を馬に乗せた。「セーラ様をどうさなるおつもりです!」「心配するな、すぐに戻って来る!」徐々に遠ざかってゆくアリエステ侯爵邸を眺めながら、聖良は不安に駆られた。にほんブログ村
2012年09月17日
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「ディミトリ様、わたくしに何かご用ですか?」 聖良がそう言ってディミトリを見ると、彼は慌てて目を逸らし、アリエステ侯爵夫人に会釈するとその場から去っていった。「一体何なのでしょう、あの態度は。仮にも皇太子であるセーラ様に対して・・」「今はあなたの侍女である俺に、わざわざ挨拶する必要はないということだな。」聖良は溜息を吐くと、アリエステ侯爵夫人とともに王宮から辞した。「お帰りなさいませ、奥様。」「ただいま。アデーレ、今から出かけるから、着替えを手伝ってちょうだい。」「かしこまりました、奥様。」 聖良がアリエステ侯爵夫人の寝室に入ると、彼女は溜息を吐いてソファに腰を下ろした。「さてと、これで二人きりでお話ができますわね。」「ああ。何処へ行くんだ?」「今夜、友人とバレエを鑑賞する予定ですの。侍女同伴ということで、セーラ様もご一緒に。」「わかった。それで、演目は?」「白鳥の湖ですわ。」「そうか。」 数時間後、聖良はアリエステ侯爵夫人とともに劇場へと向かった。「お久しぶりね。その方は?」「わたくしの新しい侍女の、アデーレよ。」「まぁ。今日はわたくしも侍女を同伴させようとしたのだけれど、みんな都合が悪くてね。」そう言ったアリエステ侯爵夫人の友人・フェリシア=アベルツェフ伯爵夫人は朗らかな声で笑った。 劇場の中へと入った聖良は、贅を尽くした劇場の内装に目を見張った。金箔を施した天井や壁、そしてチンツ張りの椅子。その中で一般席から離れている金箔を豪奢に使われた場所は、貴族や王族専用のロイヤルボックスだった。「こちらですわ。アデーレ、あなたはここに来るのは初めてでしょう?」「ええ。」ロイヤルボックスに座った聖良たちは、ゆっくりと真紅の緞帳(どんちょう)が上がるのを見た。 バレエ「白鳥の湖」は、誕生日を迎えた王子が花嫁を選ぶように言われ、友人達と共に向かった湖で白鳥から姿を変えた美女・オデットと出会う。たちまち恋に落ちる王子とオデットだったが、王子に懸想している悪魔の娘・オディールの策略に嵌り、二人の恋に危機が訪れる。 死闘の末、王子は悪魔を倒すが、オデットに掛けられた白鳥の呪いは消えず、絶望した二人は湖に身を投じる。「セーラ様は、オデットのようですわね。」劇場からの帰り道、アリエステ侯爵夫人はそう言って聖良を見た。「優雅で清楚なオデットが俺で、邪悪で魅惑的なオディールがミカエルだと?」「まぁ、そうなりますわね。ご存知でしたか、オデットとオディールは一人二役なんですのよ。」「そうか・・じゃぁ、あなたの解釈は正しいな。」「ありがとうございます。」そう言ってアリエステ侯爵夫人は嬉しそうに笑った。 一方、昼間聖良にしてやられたミカエルは、怒りに震えながら扇を握り締めた。「アーニャ、お前ほどの実力の者が、侍女ごときに負けるなど、情けない!」「申し訳ございませぬ、皇太子様。」「まぁ良い、もう過ぎたことだからな。今度しくじったらお前の命はないと思え。」「はい・・」アーニャは恐怖に顔を引き攣らせながら、ミカエルの部屋から辞した。「皇太子様、まだ起きておられますか?」扉の向こうから、ディミトリの涼やかな声が聞こえた。「どうした、ディミトリ?何か用か?」「いいえ。ただ、お耳に入れたいことがありましてね。」ディミトリはミカエルの元へと向かうと、彼の耳元で何かを囁いた。参考資料白鳥の湖 ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%B9%96にほんブログ村
2012年09月16日
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「その娘は?」「わたくしの侍女・アデーレですわ。」 アリエステ侯爵夫人は、そう言って聖良をミカエルに紹介した。「他人の空似とは良く言ったものだね。地味なドレスを着てはいるが、外見はわたしとそっくりだ。」ミカエルは扇子を開いて口元を隠して笑うと、傍に控えていた侍女たちがそれにつられて笑った。まるで、上司のつまらない冗談に愛想笑いをする部下のように。「アデーレとやら、お前は何が出来る?」「何が、と申しますと?」「宮廷に上がることの意味を、お前は解っていないようだな。全く、これだから会社員の娘の腹から生まれた女は嫌なんだ。」ミカエルは聖良のことに気づいていたらしく、母親が貴族階級出身ではないことをあげつらい、わざと彼を怒らせようとしていた。(その手には乗るものか。)「まぁ、それは申し訳ございません。わたくしは皇太子様のおっしゃるとおり、ただのしがない会社員の娘でございます。ですが、剣術の腕は誰にも負けませんわ。」「そうか。では、それを証明してみせるがよい。誰か、剣を持って参れ!」「お待ちくださいませ、皇太子様!殿中で斬り合いなど物騒な事を・・」慌ててアリエステ侯爵夫人がミカエルを止めようとしたが、遅かった。「セーラ様、わたくしがお相手いたしますわ。」そう名乗りを上げたのは、ミカエルの傍に控えていた侍女の一人だった。「手加減をしろよ、アーニャ。」「わかりました。」ミカエルの言葉を受けたアーニャはそう言って笑ったが、聖良を見つめる目は笑っていなかった。「では、はじめ!」「皇太子様、どうかおやめくださいまし。」「くどいぞ。」ミカエルはそう言ってアリエステ侯爵夫人を黙らせると、聖良が完膚なきまでに叩きのめされる様を観察しようとして、蒼い瞳を光らせた。聖良が剣を構えると、アーニャが間合いを取って責めてきた。寸でのところで彼女の攻撃をかわした聖良は、下段の構えを取りアーニャの脇腹を突いた。金属の擦れる音がして、アーニャのドレスが破れる音がした。「なかなかやるじゃないの。」「お褒めのお言葉、どうも。」聖良は間髪入れずにアーニャの左肩を斬りつけた。(リヒャルトに剣術を習っていてよかったな。)欧州大会で何度も優勝したほどの剣術の達人・リヒャルトから直接指導を受けた聖良は、稽古を重ねる内に足の運びや間合いの取り方などが自然と解るようになっていた。『相手が油断している隙を狙いなさい。』聖良は左足を一歩踏み出し、剣の切っ先をアーニャの首に突きつけた。「そこまで!」「アデーレ、怪我はない?」「ええ。皇太子様、わたくしはこれで失礼致します。」ミカエルに聖良が勝ち誇ったような笑みを浮かべると、彼は悔しそうに扇子を乱暴に閉じて部屋から出て行った。その後を慌てて侍女達が追い、部屋には聖良とアリエステ侯爵夫人だけとなった。「全く、一時はどうなるかと思いましたわ。」「だが、勝っただろう?」「それはそうですけれど・・あの方は、セーラ様のことを必ず陥れようとするに違いありませんわ。」「油断大敵だな。」 聖良がアリエステ侯爵夫人とともに宮殿の廊下を歩いていると、ディミトリの視線を感じた。にほんブログ村
2012年09月15日
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そこには王宮のバルコニーで笑顔を浮かべ、国民達に手を振るミカエルの写真が掲載されていた。聖良はざっと記事に目を通すと、彼は聖良の代わりにローゼンシュルツ王国皇太子として国民達をまんまと欺くことに成功したようだ。「セーラ様、指輪をわたくしにお預け下さい。」「母上の指輪を、お前に?何故だ?」「実はミカエルは、セーラ様がお持ちになられている指輪の存在に気づき、力ずくでもあなた様から奪う気です。」「そうか。俺の予想通りだな。だがお前に預ける気はないよ、ミヒャエル。」聖良はそう言ってリヒャルトを見た。「俺は逃げも隠れもしない。正々堂々と戦う。だから指輪を手放すつもりはない。」「それが、あなたの望みならわたしはあなたに従うまでです。」リヒャルトはそっと聖良を抱き締めた。「またこちらに伺います。その時までお身体に気をつけて。」「解った。」リヒャルトを玄関ホールまで送った聖良が仕事に戻ろうとした時、アンリがつかつかと聖良に近づいて来た。「あら、さっきの男、身なりからして貴族だったわね。メイドの癖に貴族を誑かすなんてやるわねぇ。」「おほめの言葉、どうも。今まで何処に居たんだ?その膨らんだポケットの中身、まさか奥様の宝石じゃあないだろうな?」「なっ・・!」図星だったらしく、アンリの顔が怒りで赤くなった。「最近宝石が消えていると、奥様がお嘆きになられてな。メイドが犯人だと知られたら、どうなるか・・」「何よ、あんた生意気ね!」アンリが頬を張ろうと自分に向かって振り上げた腕を、聖良は掴んだ。「余りいい気になるなよ。今までの新人のように徒党を組んでここから追い出そうと思っても無駄だと思え!」アンリは歯ぎしりをして聖良を睨み付けると、取り巻き達を連れて二階へと上がっていった。 それからというもの、アンリ達の聖良達に対する嫌がらせが酷くなった。持ち物を隠されるのは序の口で、侯爵夫人の予定が変更したことをわざと知らせず、夫人に恥をかかせようとしたりと、陰険なものになっていった。「セーラ様、お話が。」「はい・・」一日中働いてくたくたになった身体を引き摺り、聖良が侯爵夫人の部屋へと向かうと、彼女はにっこりと聖良に微笑み、こう言った。「セーラ様、これからはわたくしの侍女として宮廷に出入り致しませんか?ミカエルが何を企んでいるのかを知るには、これが最善の策だと思うのですが。」「そうだな。」アリエステ侯爵邸に聖良が滞在して一週間が過ぎ、彼は侯爵夫人の侍女として宮廷に潜入した。「セーラ様、決して正体を知られてはいけませんよ。」「解っています。」侯爵夫人と廊下を歩いていると、向こうからディミトリがやって来た。「アリエステ侯爵夫人、お久しぶりです。」「まぁディミトリ様、ご無沙汰しておりましたわ。」「そちらの方は?」ディミトリの視線が侯爵夫人から聖良へと移った。今の聖良が纏っているのは、胸元にレースの繊細な刺繍が施された緋のドレスで、王宮で暮らしていた頃の華美なものよりも少し地味なものだった。「こちら、わたくしの新しい侍女のアデーレよ。」「そうですか。侯爵夫人の事をセーラ様がお呼びでしたよ。何やら火急の用とかで・・」「そう、伝えてくださってありがとう。すぐに参りますとセーラ様にお伝えして。」 数分後、聖良は自分になりすましたミカエルの元を訪れていた。「侯爵夫人、わざわざいらしてくださってありがとうございます。」そう言ったミカエルと聖良の視線が一瞬ぶつかった。 ミカエルはまるで己の存在を誇示するかのように胸を反らし、勝ち誇ったかのような笑みを聖良に向けた。 それを見た聖良の敵愾心が、一層激しく燃え上がった。にほんブログ村
2012年06月05日
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「舞踏会を突然抜け出して、どうしてこちらでメイドをなさっておられるの?」最初に聖良の姿に気づいた貴婦人がそう言って彼を再び見た。「皆さん、何か深い事情があるのではなくて?そうですよね、セーラ様?」侯爵夫人が助け船を出してくれ、聖良は彼女達にミカエルの事を話した。「まぁ、あのミカエル様がそんなことを?」「色々と悪い噂は聞いているけれども、まさかセーラ様になりすまそうだなんて・・大胆な事をなさるのね。」扇子を開きながら、貴婦人達はひそひそと囁きを交わした。彼女達はミカエルの事を良く知っているようだった。「ミカエルの事を、知っているのですか?」「知っているも何も、あの方が皇妃様がお産みになられたお子様だということは、宮廷では周知の事実ですよ。陛下が未だにご存知でないことは皇妃様にとっては幸いですけれど。」「そうなのですか。」「まぁ、皇妃様はなかなか子宝がお授かりになれなくて、陛下や皇妃様は皇太后様に知られぬよう密かに不妊治療をなさっていましたからね。」「母上が・・」アンジェリカが不妊治療をしていたことは、聖良にとって初耳だった。「我が王国の皇妃となるお方は、国内では最高位の貴族出身、国外では王族・皇族でなければならないという掟がありましてね。ですが皇妃様のご実家は普通の会社員の家庭だったのですよ。皇妃様が今日の地位を築かれるまで、血の滲むような努力をなさったのか、わたくし達見ておりましたもの。」アリエステ侯爵夫人の友人であるキャスリーンがそう口を開くと、数人の貴婦人達も次々と口を開いた。「皇太后様付の女官達にドレスを捨てられたり、破られたりしておりましたわね。」「食事に変なものを混ぜられたりとか。」「宮廷行事のドレスコードをわざと教えずに公の場で恥を掻かせられたりと、色々と皇太后様は皇妃様を宮廷から追い出そうと執拗な嫌がらせをなさいましたよ。」彼女達から、平民出身であるアンジェリカが皇妃として認められるまでの苦労と努力を聞き、宮廷内の複雑な人間関係を垣間見た気がした。 ミカエルは自分に代わって皇太子になろうとしている。これまで一貴族として生きてきた彼が聖良の存在を知り、野心が芽生えて自分を潰そうとしていることは、リシェーム王国に拉致された時に確信した。 昨夜は油断していたが、ミカエルに潰されて堪るものかと聖良は思い、彼に反撃する機会を狙った。「セーラ様、あなたはこれからメイドの仕事を引き続きしてくださいますか?あちら側の動きがわからない今、ここにあなた様がいらっしゃると知られたら危険ですからね。」「ええ、そのつもりです。侯爵夫人、俺の話を信じてくださってありがとうございます。」聖良が頭を下げると、侯爵夫人は微笑んで彼の手を取った。「あなたは決して嘘を吐かない方だと、わたくしは信じておりますの。共にミカエルに反撃するため、力を尽くしましょう。」「ええ。」侯爵夫人の手を握り、聖良は彼女に微笑んだ。 数日後、聖良が侯爵邸のダイニングを掃除していると、玄関ホールに来客の気配がしたので、ダイニングから出て客人を出迎えた。「いらっしゃいませ。只今奥様を呼んで参りますので、少々お待ちくださいませ。」聖良がそう言って客の顔を見ると、彼は聖良の顔をじっと見た。「セーラ様、こちらにおられましたか。」「リヒャルト、どうしてここに?」「アリエステ侯爵夫人は父の古い知り合いで、父からあなたがこちらに居る事を知りました。」リヒャルトはそう言うと、聖良を見た。彼の菫色の瞳は、喜びに満ちていた。「宮廷はどうなっている?まさか貴族どもはミカエルを皇太子として認めたんじゃないだろうな?」「その、“まさか”が起きてしまいました。」リヒャルトはソファに腰を下ろすと、溜息を吐き、朝刊の一面記事を聖良に見せた。にほんブログ村
2012年06月05日
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「あの、ここは?」「ああ、ここはアリエステ侯爵様のお屋敷さ。あたしはメイド長のハンナ。昨夜物音がしたと思ったら、あんた裏口に倒れてたんだもの、びっくりしたわ。」女はそう言って笑った。「俺は、どうすれば・・」「安心しな、あたしが奥様に言ってここで働かせてくれるよう頼んだから。何も心配しなくてもいいからね。」「ありがとうございます。」聖良が頭を下げると、女は彼の肩を叩いた。「さ、仕事するよ!さっさと顔を洗って来な!」「はい・・」ミカエルが何を企んでいるのかは知らないが、彼に負けては堪るものかと、聖良はミカエルへの闘志を燃やしながらベッドから降りて、冷たい水で顔を洗った。 屋根裏部屋を出て一階に降りると、既にそこには部屋の掃除をしているは数人のハウスメイド達が居た。白のエプロンと黒のワンピースという、揃いの制服を着た彼女達は一斉に新入りのメイドを見た。「あんた、見ない顔ね?」そう言って聖良の前に立ったのは、漆黒の髪を結いあげ褐色の瞳をしたメイドだった。「今日からこちらでお世話になります、セーラと申します。」「ふぅん。あたしはアンリ。その様子だとこの仕事は初めてらしいけれど、あんたに仕事を教える程あたしらは暇じゃないからね。」メイドは鼻を鳴らして聖良に背を向けると、居間から出て行った。「暖炉の掃除をして頂戴。絨毯を汚したら承知しないからね。」「解りました。」アンリ達に言いつけられた仕事を聖良は一通りしたが、慣れない重労働に身体が悲鳴を上げた。 彼が裏口の階段に座り込んで溜息を吐いていると、館の中からこちらへと向かう足音が聞こえた。「君、どうしたの?もしかして、アンリにいじめられた?」聖良が振り向くと、そこには癖のある金髪を靡かせた青年が、真紅の瞳で彼を見ていた。「あの・・あなたは?」「僕?僕はフレッドさ。君は?」「俺は・・」「セーラ、あんたこんな所で油売ってんじゃないわよ!」廊下の向こうでアンリの怒鳴り声が聞こえ、聖良は慌てて青年に頭を下げて彼女の元へと駆けていった。「綺麗な子だなぁ・・」アリエステ侯爵の次男坊・フレッドはそう呟いて聖良の背中を眺めた。「セーラ、奥様がお帰りになられるまでこれを全部下ごしらえを済ませておいてね!」「これを、ですか?」「そうよ。あんた新入りなんだから、当然でしょう?」テーブルに山のように積まれた林檎を前にして戸惑う聖良を、アンリ達はせせら笑った。「いいこと、奥様のお怒りを買ったらあんたはクビよ。」アンリ達はキッチンから出て行くと、聖良を一人館に残して外出した。(ふん、まるでガキのいじめだな。レベルの低い連中に付き合ってられるか。)聖良は包丁で林檎の皮を器用に剥き終えると、アップルパイの下ごしらえを全て済ませた。「ただいま。」「お帰りなさいませ、奥様。」アリエステ侯爵夫人が帰宅すると、新しく雇ったメイドが彼女を出迎えた。「あら、他のメイド達は?」「さぁ、わたしにはわかりかねます。それよりも奥様、パイはいつごろお持ちしたらよいですか?」「そうね、3時にお願いするわ。今日はお茶会があるのよ。」 アップルパイを焼いた聖良がそれをトレイに載せてダイニングに入ると、そこには鹿狩りで会った数人の貴婦人達が居た。「あら、あなたセーラ様ではないの?」「まぁ、セーラ様ですって?」侯爵夫人はそう言うと、聖良を見た。にほんブログ村
2012年06月05日
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聖良がミカエルによって故意にドレスを濡らされ、メイド服に着替えて部屋から出て行った後、彼は何故か身に覚えがない盗みの濡れ衣を着せられ、連れて行かれたのは下働きのメイド達が集まる詰所だった。「こいつです、こいつがあたしの金を盗んだんだ!」「俺は何も盗んでなどいない!」「嘘を吐くんじゃないよ、この売女が!」自分よりも二倍も横幅が広いメイドに頬を張られ、聖良は床に倒れ込んだ。「あんたの顔なんて見たくもないよ、さっさとここから出て行け!」メイド達に裏口へ追いやられ、聖良はあてもなく雨の街を彷徨った。履いていたダイヤが鏤められた靴はメイド達の戦利品として取り上げられ、雨に濡れた石畳の冷たさを直に感じながら、歩き疲れた聖良は噴水の淵に腰を下ろした。一体何がどうなっているのか、状況が解らなかった。(もしかすると、ミカエルが全て仕組んだのか?)あの時、自分に急に抱きついて来たのは、ミカエルが何かを企んでいる事くらいすぐに気づくべきだった。完全に油断した―聖良はミカエルの罠に嵌ってしまったことに舌打ちしながら、今夜はどこで雨を凌ごうかと考えていた。 一方王宮では、ミカエルが聖良になりすまし、彼のドレスを着て大広間へと戻って優雅に貴族達と談笑していた。「おや、セーラ様。この間はどうも。」アッヘンバッハ伯爵がそう言ってミカエルに頭を下げると、彼は伯爵に微笑んだ。「アッヘンバッハ伯爵、この前のゴルフは楽しかった。」「あなた様はゴルフの筋が良いですね。今度わたしの友人が経営するゴルフスクールに通われてみては?」「考えてみよう。ではわたしはこれで・・」ミカエルはそそくさと伯爵の元へと去ろうとすると、彼はミカエルの右手を凝視した。「指輪はされておられないのですね?」「え?」「ルビーの指輪ですよ。皇妃様から譲り受けた指輪だと、この前おっしゃったではありませんか?」虚を突かれたミカエルに畳みかけるかのように、伯爵はそう言うと笑った。「きょ・・今日は忘れてしまってな。色々と忙しくて。」「ほう、そんな事もありますね。」大広間を去って行く伯爵の背中を、ミカエルは睨みつけた。「どうした、怖い顔をして?」「別に。あのアッヘンバッハっていう奴、観察力が鋭いね。ボロを出さないよう、気をつけないと。」ミカエルはドレスの裾を翻すと、ディミトリの方へと歩いていった。「おや、随分と遅かったですね。」ディミトリの淡褐色の瞳が、レーダーのようにミカエルの姿を捉えた。「あなたはセーラ様ではありませんね?顔は似ていても、性格は似ませんからねぇ。」「ふん、鋭い奴は伯爵だけじゃないね。まぁお前はセーラの事を憎んでいるから僕に協力してくれるよね?」「さぁ、それはどうでしょうねぇ。」ディミトリは暫くミカエルと腹の探り合いをしていたが、利害が一致したのでミカエルに協力することにした。(絶対に陛下達にバレないとでも思っておられるのでしょうかねぇ、あの方は。まぁ、わたしにとってはどうでもいいことですが。) 舞踏会は深夜まで続き、ミカエルは疲れた身体を長椅子に横たえた。「お疲れでしょう、お召し替えを。」クララがそう言ってミカエルが履いていた靴を脱がした時、部屋を出るときに履いていた靴と全く違うものに気づいた。「どうしたの?」「いいえ・・」(おかしいわね、わたしはセーラ様に白い靴をお出ししたのに・・)クララは首を傾げながら、主の部屋から出て行った。 翌朝、聖良は小鳥のさえずりで目を覚ますと、そこは王宮内の自分の寝室とは違う所だった。「気が付いたかい?」ドアが開き、中年の女が入って来て聖良に微笑んだ。にほんブログ村
2012年06月05日
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「久しぶりだな、ミカエル。」聖良は胸のむかつきを抑えてミカエルに精一杯の笑顔を浮かべた。「リヒャルト、お前も久しぶり。いつもセーラ様と一緒だね。」「そういうあなたこそ、随分とその方がお気に入りのご様子。ウィーンでもお見かけいたしましたよ。」リヒャルトはそう言って溪檎を睨むと、彼は軽く咳払いした。「少し話したいことがあるんだけれど、いいかな?」「別に構わないが。」ミカエルは聖良の言葉を聞くなり、彼の腕を掴んで大広間から出て行った。「セーラ様・・」「待て、わたしも貴様と話したいことがある。」聖良の後を追おうとしたリヒャルトの腕を、溪檎が掴んだ。「わかった、聞こう。」リヒャルトは溪檎を睨みつけながら、再び人気のないバルコニーへと向かった。「それで、話とは?」 一方、ミカエルに連れられ空き部屋に入った聖良は、そう言って彼を睨んだ。「そんなに警戒しないで。ただ僕はあなたと話したいだけなんだから。そう・・たとえば、どうしてあなたと僕が同じ顔をしているのかとか。」ミカエルは優雅にソファから立ち上がると、そっと聖良の頬を撫でた。 確かに、ミカエルは自分と瓜二つの顔をしている。他人の空似とは良く聞くが、ここまで自分とそっくりな人間には会ったことがない。こんなにも似ているなんて、双子以外ありえない。(もしかして・・?)聖良はミカエルを見つめると、彼はフッと口端を歪めて笑った。「そう、あなたと僕は一卵性双生児だよ。」「それは、確かなのか?」「ああ。皇妃様は僕とあなたをこの世に産み落とし、あなたを皇太子として育て、僕をヴェントルハイム家へと預けた。」「何故そんな事を?」聖良の問いに、ミカエルは再び笑った。「双子は国を滅ぼすという、建国以来の迷信が今もこの国では生きていてね。特に王家で双子が生まれるとそれは不吉な予兆とされてきたんだよ。昔は双子の片割れが殺されたりしたものだけれどね。」「信じられない・・」日本にも双子に関する迷信などがあったが、授かった命を殺すなど残酷すぎる。「それで?そんな話を俺にして一体何を企んでいる?」「別に何も。ただあなたと話したかっただけ。」ミカエルは聖良に近づくと、そっと彼を抱き締めた。その途端、花瓶に入っていた水がこぼれて聖良のドレスを濡らした。「ごめん・・」「いや、いい。じゃぁこれで。」聖良が部屋から出て行こうとすると、ミカエルが彼の腕を掴んだ。「そんな格好では風邪をひくから。あっちで着替えてきたら?」ミカエルが指した屏風の向こうへと行くと、そこには下働きのメイドが着る黒いワンピースと白いエプロンが置かれていた。「暫く待っていて。」ミカエルはそう言って聖良のドレスを抱えると、そのまま部屋から出た。(セーラ様、遅いな・・)リヒャルトはミカエルとともに大広間から出て行った聖良が戻って来るのが襲いことに気づき、落ち着かなかった。「貴様、あいつとは一体どのような関係だ?」「それはこちらの台詞です。ミカエル様と何を企んでいらっしゃるのかは知りませんが、セーラ様に害を為すようでしたらわたくしが許しませんよ。」「その言葉、覚えておこう。まぁ今頃貴様の主は王宮から追い出されているだろうがな。」「何だと!?」リヒャルトの美しい眦が上がるのを見た溪檎は満足気な笑みを口元に浮かべると、バルコニーから去っていった。 その頃メイド服に着替えた聖良は、何故か王宮の裏口から外へと叩き出されてしまっていた。「出ておゆき、この泥棒め!」鉄製の扉の向こうから、数人のメイド達の笑い声が聞こえた。聖良はいつも右手に嵌めている指輪を首に提げていてよかったと思いながら、冷たい雨の街を歩きだした。にほんブログ村
2012年06月05日
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「一体何の騒ぎだ?」「申し訳ありません、皇太子様。この者が是非皇太子様にお目通り願いたいと。」「そうか・・」聖良はじろりと男を冷たく見下ろした。 男の全身からは饐(す)えた臭いがして、貴族達は不快そうに鼻に皺を寄せ、ひそひそと謎の珍客について話していた。「貴様、名は?貴族ではないお前が何故このような場に?」皇太子から直接話しかけられ、男は恐縮した様子で聖良に跪いた。「皇太子様、わたしは皇妃様を亡き者にしようとしておりました!」男の告白に、周囲は騒然となった。「詳しく聞かせよ。」「わたくしは、ある者に頼まれて皇妃様を暗殺するよう命じられました。報酬は前払いでした。」「ある者というのは?この場に居る者か?」「はい。あのお方です!」男がそう言って指したのは、蒼褪めた顔をしているアドリアーノだった。「アドリアーノ、やはりお前が母上を・・」「いいえ、違います!わたくしは決して皇妃様を襲ってはおりません!信じて下さい!」「どうだろうな。あの森でお前の腕時計を俺は確かに拾った。それにお前とこの男は以前から知り合いだったらしいな?」「そ、それは・・」「俺が何も知らないとでも思っていたのか?リヒャルトの部下に色々と調べさせて貰ったよ、お前の全てをな。」アドリアーノは蒼褪め、もはや立っていられないほど全身が小刻みに震えていた。「連れていけ。」衛兵たちに半ば引き摺られるようにして、アドリアーノは身柄を拘束された。「セーラ様、彼はどうなりますか?」「さぁな。後は彼らの仕事だ。」聖良はそう言って笑うと、再びディミトリとワルツを踊り始めた。 その後、貴族達と踊った聖良は少し疲れてしまい、人気のないバルコニーへと向かった。「セーラ様、こんなところにおられましたか。」「ああ、踊り過ぎて足が痛い。」聖良がそう言って欠伸を噛み殺していると、首に提げている黒真珠のペンダントが月光に照らされ美しい光を放った。「そのペンダントは?」「ああ、これか?リシャド殿からプレゼントされたものだ。」「そうですか・・」リシャドの名を出した途端、柔らかな表情を浮かべる聖良の顔を見て、リヒャルトは嫉妬に駆られた。 今まで聖良を一途に想ってきただけに、自分と離れている間に聖良には愛する者が出来たのだと思うと、悔しくて堪らなかった。「それで、その方は今どちらに?」「もうこの世には居ない。彼は新しい国を作る為に奔走したが、その国は彼の命と引き換えに新しく生まれ変わった。皮肉なものだな。」聖良の寂しげな横顔を見て、リヒャルトは彼を抱きしめたくなった。「そろそろ戻るか。主役がいつまでも抜け出していてはだめだろう。」「そうですね。」リヒャルトと聖良が大広間へと戻ると、一組の男女がシャンパン片手に貴族達と談笑していた。(あれは・・)男が鷹城溪檎だと気づいた聖良の顔から笑顔が消えた。「セーラ様?」「おや、どなたかと思ったら・・今夜はやけに着飾っているじゃないか?」溪檎の方も聖良に気づいたかと思うと、彼をじろりと睨んだ。「そちらの方は?」「紹介しよう、彼は・・」「ミカエルです。お久しぶりですね、セーラ様。」自分と瓜二つの顔をした青年・ミカエルは、そう言って聖良に微笑んだ。にほんブログ村
2012年06月05日
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舞踏会の時刻が刻一刻と迫りつつある中、聖良はアルフレドや女官達によって髪のセットや扇子やアクセサリーといった小物類選び、ネイルなどで疲労困憊していた。「まぁセーラ様、どうなさいました?舞踏会の前だというのに、そんな疲れた顔をなさってはいけませんよ!」「もう支度がめんどくさくて出たくない。」聖良が本音をぼそりと呟くと、アルフレドは聖良の前に仁王立ちした。「んまぁ、いけませんよ!セーラ様、皆様があなたの事をお待ちしておられるのですよ!」「解った・・解ったから少し休ませてくれ。」聖良が寝台で横になろうとすると、アルフレドが悲鳴を上げた。「なりませんよ、折角セットした髪が崩れてしまいます!」「ならどうしろというんだ?もう俺は支度の段階でくたくたなんだぞ。」苛々しながら聖良が貧乏ゆすりをすると、アルフレドは溜息を吐いた。「そうですねぇ、読書などしてはいかがですか?セーラ様の為に、わたくしの愛読書をお持ちいたしました。」アルフレドはバッグから少し年季の入ったペーパーバックを取り出すと、それを聖良に差しだした。 それは日本に居た頃よく書店で見かけたロマンス小説のレーベルだった。小説のタイトルは『愛は秘密を越えて』という、どうもありがちなタイトルだったが、暇潰しにはいいかと思い、読んでみた。「セーラ様、そろそろお時間です。」「解った。」本から顔を上げた聖良は、小説の続きが読みたくて堪らなかったが、ドレスの裾を払って部屋から出た。「良くお似合いですよ、セーラ様。」「そうか。ありがとう。」「セーラ様はお肌の色と瞳の色が映えるような寒色系がお似合いですわ。アルフレドの腕は確かなようですわね。」クララがそう言って嬉しそうに主とともに大広間へと向かうと、そこには宮廷貴族達が談笑していた。だが聖良の姿を見つけるなり、賑やかだった大広間は水を打ったかのように静まり返った。 彼らの視線は聖良が纏っているドレスに注がれた。アルフレドが仕立てたアイスブルーのドレスには、ローゼンシュルツ王国の象徴でもある白薔薇を象ったレースが胸元を飾り、聖良のブロンドの髪には真珠の髪飾りが輝いていた。 彼が纏う高貴さと優雅さに圧倒された貴族達は、暫く声が出なかった。「セーラ様、良くお似合いですよ。」靴音を鳴らしながら、正装したリヒャルトがそう言って聖良の手を取った。「ありがとう。」やがて楽団がワルツを奏で始め、聖良とリヒャルトがワルツを踊り始めた。「わたくしが申し上げた通りでしょう?リヒャルト様がセーラ様のエスコートをなさると。」「それにしてもあのお二人が並んでいらっしゃるところはいつ見ても一幅の絵画のようね。」「美男美女とは、まさしくあのお二人の事をおっしゃるのだわ・・」ご婦人方が聖良とリヒャルトが踊っている姿を見つめながらそれぞれの感想を述べていると、白いアスコットタイに黒のタキシード姿のディミトリが大広間に入って来た。「セーラ様、一曲お願いできますでしょうか?」「誰かと思ったら、珍しい。では貴様と踊るとするか。」ディミトリは聖良の言葉に苦笑すると、聖良の手を取った。「司祭であるのにワルツが上手だな。何処で習った?」「独学ですよ・・というのは嘘です。わたしは司祭ですが、男爵家の三男坊でしたからね。宮廷作法やダンスは身に付けておりますよ。」「ほう、そうか。今日はフリードリヒの姿が見えないな。」聖良がそう言って周囲を見渡した時、廊下の方が急に騒がしくなった。(一体何があった?)「離せ、離せよ!」「大人しくしろ!」 槍を持った衛兵が一人のみずぼらしい身なりをした男の身柄を拘束しながら、大広間へと入って来た。にほんブログ村
2012年06月05日
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「今のショット、惜しかったですね。」 突然背後から声を掛けられてアッヘンバッハ伯爵が振り向くと、そこには噂の皇太子が立っていた。「セーラ様、でしたかな?あなた様のショットは大変良かった。」「そうでしたか。ゴルフでは全くの初心者でして。あれはまぐれです。」そう言って伯爵ににこりと笑う聖良は、彼のカールした口髭を見つめた。「おや、その指輪は・・」「ああ、これですか?この前、母上がわたしにくださいました。何かこの指輪に特別な意味でも?」ルビーを嵌めている左手で髪を弄っていると、伯爵は咳払いをして聖良を見た。「その指輪は、ローゼンシュルツの次期国王の証として我が国に受け継がれてきたものです。」「そんな大層なものとは知りませんでした。では母上にすぐお返ししなければ・・」聖良が慌てて指輪を抜こうとすると、伯爵が動揺した。「なりません、その指輪はあなた様のものですから!」伯爵の言葉に、周囲の者達は怪訝そうに彼を見た。「冗談です。ではこれで。」聖良はそう言って伯爵に背を向けると、呆然と突っ立っている彼を残してアルフリート達の元へと向かった。「セーラ、遅かったな。」「申し訳ありません、父上。少しアッヘンバッハ伯爵と話をしていて遅くなりました。」「そうか。」アルフリートが聖良に何かを言おうとした時、フリードリヒが彼らの間に割りこんできた。「父様、もう疲れてしまったよ。」「そうか。では今日はここまでにするか。」一瞬フリードリヒはちらりと聖良を見ると、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。彼の安い挑発に乗るつもりはなかったので、聖良は彼を無視した。「伯爵とは何の話を?」「別に。ただ挨拶をしただけだ。あいつ、俺が嵌めた指輪を見て驚いていたぞ。」「そうですか・・アッヘンバッハは密かに王位を狙っていたという噂を聞いたことがありますから、余程悔しかったのでしょうね。」 その夜、王宮で聖良がゴルフ場での事をリヒャルトに話すと、彼はそう言って笑った。「まぁ今回のゴルフで、誰が密かに父上を裏切っているのかは解った。後は犯人を上手く炙り出せるかどうかだ。」「セーラ様はご立派になられましたね。初めてお会いした時は皇族の自覚のかけらもなくてどうなるのかと思いましたが。」「・・それは貶しているのか、褒めているのか?」「どちらとも受け取ってくださって構いません。それよりもセーラ様、明日の晩は宮廷舞踏会ですので、準備を怠らぬように。」「舞踏会ねぇ・・王族とやらはパーティー好きの者が多いんだな。」聖良はそう言うと、寝台に寝転がった。「舞踏会は海外からの来賓をもてなす場であるとともに、貴族達の情報交換の場でもありますからね。当然のことながら、アドリアーノも来るでしょう。」「あの成り上がり者も来るのか。それは楽しみだ。」聖良はにっこりと笑うと、明日が来るのが待ち切れなかった。 翌日、聖良が部屋で朝食を食べていると仕立て屋が部屋に入って来た。「セーラ様、早速ですが採寸をさせていただきます。」「舞踏会用のドレスはもう持ってるが?」聖良がそう言って仕立て屋を見ると、彼は顔の前で人差し指を振った。「良いですか、セーラ様。舞踏会であなた様は燦然と光り輝く存在でなくてはなりません!着たきり雀などわたくしが認めませんよ、さぁ!」リヒトの中心部に店を構える仕立て屋・アルフレドは、皇太子のドレスを作ることになり、いつもよりも張り切っていた。 一方、宮廷内では聖良がどんなドレスを着て舞踏会に来るのかが、既に注目されていた。「セーラ様をエスコートされる殿方はどなたかしら?」「それはあなた、リヒャルト様に決まっておりますわ。」とある伯爵夫人の館で開かれたお茶会で、ご婦人達は聖良が舞踏会でどのような振る舞いをするのか、彼が皇太子として相応しいのかを語り合っていた。にほんブログ村
2012年06月05日
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翌日、聖良とリヒャルトはリヒト郊外にあるゴルフ場に居た。 大のゴルフ好きの国王・アルフリートが突然ゴルフに行きたいと言ったので、彼の機嫌を取ろうとする宮廷貴族達が供をし、宮廷内の人間関係を把握しておこうと考えた聖良も国王に同行する事となった。「セーラ様、ゴルフはなされるのですか?」「いや、全くの初心者だ。お前は?」「昔ジュニア大会を総なめにしたことがありました。父上がゴルフは紳士の嗜みだと煩く言って習ったものですから、仕方なく・・」「ほう。」リヒャルトの新たな一面を知り、聖良は思わず目を丸くした。今でこそゴルフは誰でも楽しめるスポーツであったが、100年以上前では上流階級でしか楽しむことを許されぬスポーツだった。だから貴族であるリヒャルトがゴルフを嗜むのは当然のことなのかもしれない。聖良はゴルフについてはルールも知らぬド素人であるため、リヒャルトの助けなしでは楽しめないと思い彼を連れてきたが、どうやら正解だったようだ。「ナイスショット!」アルフリートの放ったボールがグリーンへと着地すると、彼の傍に侍っていた貴族達が一斉に拍手を送った。どの国でも、接待する相手の機嫌を損ねないようにしているのは同じらしい―聖良はそう思いながら、クラブを握った。「セーラ様、大丈夫です。」「そんなにプレッシャーを掛けるな。」聖良はじろりとリヒャルトを睨むと、クラブを大きく振った。聖良が放ったボールはグリーンに着地し、旗の近くで停止した。「初めてにしては上出来だな、セーラ。」「ありがとうございます、父上。」「今度アンジェリカも交えて3人でここのコースを回らないか?」「考えておきます。」アルフリートと聖良が談笑していると、一台のカートが彼らの前で停まった。「父上、こちらにいらっしゃっていたのですか!」カートから降りてきたのは、フリードリヒと彼とよく一緒に居る美貌の司祭・ディミトリだった。「これはこれは、皇太子様もお揃いで。」そう言ったディミトリは、淡褐色の瞳で聖良を見て微笑んだ。「お前達も来ていたなど、知らなかったぞ。どうだフリードリヒ、一緒にコースを回らないか?」「はい、父上!」フリードリヒはアルフリートと聖良との間に割りこむと、聖良に舌を出した。「いつも子守は大変だろう、ディミトリ?あいつのことだ、わたし達がここに居ると知ってお前を運転手代わりにしたのだろう?」「そんなことはございません。それにしても以外ですねぇ、セーラ様がゴルフをなさるとは。てっきり王宮内の行事に出席されているのかとばかり・・」「宮廷内の人間関係を少しでも把握したくてね。誰が一番権力を持っているのか。それと、誰が父上を密かに裏切ろうとしているのとかをね。」聖良とディミトリの間に、気まずい沈黙が流れた。「兄上、早く参りましょう~!」アルフリートと腕を組みながら、フリードリヒが呑気な声で聖良を呼んだ。「では、わたくしはこれで。」ディミトリはさっと笑顔を作ると、フリードリヒの元へと駆けていった。「油断なりませんね、あの司祭。」「顔は良いが、かなりの野心家のようだな。恐らくあいつがフリードリヒに色々と吹き込んでいるんだろうよ、俺の悪口を。」「お気になさることはありません。」「そうだな。」聖良とリヒャルトがアルフリート達の後を追っていくと、ある貴族がへたくそなショットを打っていたところだった。「ナイスショット!」彼が下手であることを知りながらも、周囲の者は彼をおだてている。「あの男は?」「昨日の茶会でお会いになられた、アッヘンバッハ伯爵です。」「ほぉ、では彼が宮廷の実力者か。少し行って来る。」聖良はそう言うと、男の方へと歩き出した。にほんブログ村
2012年06月05日
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白鳥宮の王宮庭園では、駐日大使・吉田輝信とローゼンシュルツ王室外務大臣が談笑していた。「いやはや、我が国と貴国との国交が樹立されてもう120年ですか。」「めでたいですなぁ。」そう言いながら両国の官僚たちが談笑していると、振袖姿の聖良が庭園にやって来た。「皆さん、本日はお忙しい中来ていただき、ありがとうございます。」聖良がそう言って吉田達に頭を下げると、彼らは聖良の振袖姿に見惚れていた。「ほう、本日お召しになられているお振袖が良くお似合いですね、セーラ様。」「そうですか?余り着慣れていないものですから、粗相をしないかどうか心配で。」聖良はすっかり会話の中心となり、外務省の職員は90人近いゲストを上手くあしらう彼の社交術に感心していた。「セーラ様、宮廷生活はいかがですか?」「そうですねぇ、派閥などもあって色々と慣れないことがありますが、上手くやっておりますよ。」聖良がそう言った時、遠くで叫び声が聞こえた。「何だ、今のは?」「さぁ、お気にならさず。」聖良はシャンパンを飲みながら客達と談笑していると、怒りで顔を赤くしたアドリアーノ=オージェが警備兵に拘束されていた。「離せ、貴様ら!わたしはセーラ様に話があるのだ!」「下がれ!」「どうした?」聖良の顔から笑顔が消え、彼は冷淡な口調で警備兵に尋ねた。「申し訳ございませぬ、皇太子様。この者が勝手に庭園に入り込んでしまって・・」「彼を離せ。アドリアーノ=オージェとやら、話を聞こうではないか。丁度お前に渡したいものがある。」聖良は振袖の裾を器用に捌いて庭園から出て行った。「それで、俺に話というのは?」「皇太子様は、あの事件の犯人はわたしであると疑っていらっしゃるのですか?ならばとんでもない誤解です!わたしは、皇妃様を殺害しようとした男を知っております!」「知っているだと?それは何処のどいつだ?」「リヒトの中心部から外れたところに、貧民街がございます。そこにその男は潜んでおります!」「貧民街、ねぇ・・俺はこの国の事は良く知らんが、庶民が苦しい生活を送っていることは把握している。それならば母上を殺害しようとしている犯人の目星がつくな。」「では、今すぐ参りますか、貧民街へ?」アドリアーノの瞳が、ぎらりと光った。「いや、止めておこう。今日はめでたい日だ。俺は余り暇ではないのでな。」聖良はソファから立ち上がると、部屋を出て行こうとした。「ああ、忘れていた。これ、お前のものだろう?」彼は去り際に時計をアドリアーノに渡すと、彼の顔が蒼褪めた。「ど、何処でそれを・・」「さぁな。」聖良は口端を歪めて笑うと、客達が居る庭園へと戻っていった。「くそ、あの野郎・・」部屋に残されたアドリアーノは舌打ちしながら、苛立ち紛れにテーブルを拳で叩いた。(世間知らずな外国人かと思っていたが、甘かった・・あいつに腕時計を拾われたなんて知られたら、父上からどんな目に遭うか・・)聖良から腕時計を渡され、アドリアーノは少し焦り始めていた。だがそれを彼に悟られてはいけない。(あいつが気づく前に、証拠を消しておかなければ・・)アドリアーノは俯いていた顔を上げ、部屋から出ると廊下を歩き始めた。王宮の裏口から出た彼が向かったのは、自分に繋がる証人―即ち皇妃襲撃の犯人である男が潜んでいる貧民街であった。途中で服を着替え、貴族だと解らぬような服装をしたアドリアーノは、裏路地に充満する悪臭に吐き気を催しながらも、路地の奥へと進んでいった。にほんブログ村
2012年06月05日
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「目撃者は?」「居ない。現場は人気のない森で、居たのは俺と母上だけだ。それに母上が落馬した騒ぎに乗じて、犯人は現場から逃げ出したんだろう。」「セーラ様、現場に案内してください。何か証拠を残しているのかもしれません。」「そうだな。」すぐさま聖良とリヒャルトは、狩猟場へと向かった。「ここが、母上が襲われた場所だ。」聖良が指した先には、矢で傷ついた木があった。「矢はどんな種類のものですか?洋弓ですか、それとも日本の弓ですか?」「いや、ボウガンだ。素人でも簡単に扱えるものだ。それでも、母上が居た場所と犯人が居た場所の距離はだいたい3メートル前後。鬱蒼と茂った森の中で母上に狙いを定めて射つのは至難の業だ。」「では、弓術に長けている者の犯行でしょうか?」「決めつけるのはまだ早い。さてと、日が暮れる前に犯人につながる証拠でも探すか。」聖良とリヒャルトは手分けして現場周辺を探ってみると、リヒャルトが突然大声を上げた。「どうした?」「セーラ様、こんなものが落ちておりました。」「見せてみろ。」リヒャルトがハンカチで包んで聖良に見せたものは、男物の腕時計だった。ダイヤの文字盤から見て、高級品だと一目で解った。「犯人は男ということですか?ですが、皇妃様のお命を狙う暗殺者なら、このような物を身につけない筈。」「それもそうだな。この事は、お前の父に伝えよう。戻るぞ。」「ええ。」リヒャルトと聖良が狩猟場から去っていくのを、誰かが見ていた。「森で、この時計を見つけたのですか?」「ああ。何か知っていることはあるか?」その夜、聖良はマクダミア邸でリヒャルトの父・ハインツに腕時計を見せると、彼は低く唸った。「そういえば、その時計を嵌めていらっしゃる方を存じております。確か・・アドリアーノ=オージェ殿が・・」「本当ですか、父上?アドリアーノ殿が、この時計を嵌めているのを見たのですか?」「ああ。気障な彼は、全身高級ブランドで固めていてな。サングラスや時計、靴でも高級品しか身につけない性格なんだ。しかし森に何故彼の時計が?もしや、セーラ様はオージェ殿が犯人だと?」「彼は違うだろう。母上から聞いたが、オージェ家の人間は王家を憎むよりも、王家に取り入ろうと必死だ。まぁそのアドリアーノとやらとは面識がないから、奴が何を企んでいるのかは知らんがな。」「アドリアーノは一方的にわたしを憎んでおりました。遠征先では色々と嫌がらせを受けました。」「ほう、面白そうな話だな。夜は長い。リヒャルト、詳しくその話を聞かせてくれるか?」リヒャルトは遠征先でアドリアーノから陰湿な嫌がらせを受けたことを話した。「ふん、そんな器の小さい男は放っておけ。ハインツ殿、この時計は俺が預かっておきます。いざという時の為に。」「何をお考えなのですか?」「それはまだ申し上げる事はできません。夜分遅くにお訪ねして失礼致しました。では俺はこれで。」聖良はそう言ってハインツに頭を下げると、颯爽と愛馬に跨り、マクダミア邸を後にした。「やはり、あのお方がこの国の未来を変えるのか。それまでに、長生きしなければな。」ハインツはそう呟くと、寝室へと戻った。 翌朝、聖良はクララに振袖の着付けを手伝って貰っていた。今日はローゼンシュルツと日本の国交樹立120周年を祝して、王宮庭園内で茶会が行われる予定であった。「良くお似合いですよ、セーラ様。」「そうか。」鏡の前に立った聖良は、真紅の布地に桜と牡丹の模様をあしらった振袖を纏っていた。「さぁ、参りましょう。皆様がお待ちですわ。」にほんブログ村
2012年04月13日
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何者かが放った矢でアンジェリカの馬が興奮して暴れ、彼女は落馬したが、大した怪我ではなかった。「良かったわ、軽いかすり傷でお済みになって。」「ええ、本当に。」アンジェリカ付の女官達はそう言うと、いちように安堵の表情を浮かべた。「まぁあなた方、何をおっしゃるの!もし打ちどころが悪かったら、皇妃様はお亡くなりになられたのかもしれませんのよ!」アグネタは、そう言って聖良を睨んだ。「お前、わたしの所為で母上が怪我をしたとでも言いたいのか?」「そんなことは・・」「わたしが、母上を殺したいとでも思っていると考えているようだな、お前は。だがあれは突然起きたことだ。もし母上が一人で先に森を散策していたら、無事では済まなかっただろうよ。」聖良はそう言っている間、アグネタをじっと見据えていた。「もういいでしょう、セーラ。アグネタ、わたくしは大丈夫なのだからセーラを責めないで。」「申し訳ありません、皇妃様。わたくしはこれで。」アグネタはそそくさと部屋から出て行った。「ふん、気に入らない女だ。家名の威光の陰で尊大な態度を取っている臆病者が。」「セーラ、ごめんなさいね。わたくしの所為であなたにまた辛い思いをさせてしまったわね。」アンジェリカはそう言うと、そっと聖良の手を握った。「では母上、俺はもう行きませんと。」「待って頂戴、セーラ。あなたに渡したいものがあるのよ。」アンジェリカが寝台から降り、宝石箱の蓋を開け、一個の指輪を取り出した。 それは、周りにダイヤが鏤められた、ルビーの指輪だった。「これは?」「この指輪はわたくしの祖母の代から伝わる指輪なの。あなたに、この指輪を贈るわ。」「そんな・・いただけません。」アンジェリカに指輪を返そうとした聖良だったが、彼女は聖良の指にそれを嵌めた。「あなたに持っていて欲しいのよ。わたくし達のことを思い出せないと聞いて、はじめはショックだったけれど、こうしてあなたに会って話しているだけでも幸せなの。記憶は、少しずつ取り戻せばいいわ。」「母上・・」自分を見つめるアンジェリカの瞳は、澄んだ蒼だった。その澄んだ瞳と目が合った時、自分が記憶を失くしてもいなくても、彼女は自分の子として聖良を受け入れてくれるだろうと思った。「ええ、母上。ありがとうございます。」「決して失くさないようにね。」 アンジェリカの部屋から出た聖良が廊下を歩いていると、ディミトリとフリードリヒが何かを話している姿を庭園で見た。さっと柱の陰に身を隠し、聖良が二人の傍に近寄ると、話の内容は解らないものの、フリードリヒはどこか興奮した様子だった。「・・ではフリードリヒ様、わたくしはこれで。」「じゃぁね、ディミトリ。」フリードリヒと別れたディミトリは庭園を後にし、宿舎へと戻っていった。二人が話していると、何か悪だくみをしているのではないかと聖良は思ってしまう。「セーラ様、どうなさいましたか?」「リヒャルト、急に背後に立つな。いつ戻って来たんだ?」聖良が背後を振り返ると、そこには遠征に向かった筈のリヒャルトが立っていた。「先ほど、戻りました。セーラ様、その指輪は皇妃様の?」「ああ、これは母上から譲り受けた。それよりもリヒャルト、報告したい事がある。来い。」「御意。」リヒャルトは真顔でそう言うと、聖良の後を続いた。「それで、お話とは?」「母上が鹿狩りの際、何者かに矢を放たれた。犯人はまだ見つかっていない。」聖良の言葉に、リヒャルトは息を呑んだ。にほんブログ村
2012年04月13日
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「何だよ、あれ。あいつ病気だな。」朝の点呼の後、食堂でルーイはアドリアーノの嫌がらせに憤っていた。「そんなに怒るな。銃剣を隠したのがあいつだという確固たる証拠もないし、感情的になったら相手の思うつぼだ。」「そうだけどさぁ、良くお前平気でいられるな?」「まぁあんな幼稚な嫌がらせ、士官学校でよく遭ったから慣れっこさ。」士官学校で優秀だったリヒャルトは、彼をやっかむ同級生からよく教科書や体操服などを隠された。しかしそんな事にいちいち反応していては相手のレベルに落ちると思い、リヒャルトが無視していると嫌がらせは自然消滅した。「相手と同じレベルに落ちるなと、父から言われたよ。一時の感情で人生を棒に振りたくないからな。」「そうだよな、お前の言う通りだ。」リヒャルトがパスタをフォークに巻いて口に運ぼうとした時、アドリアーノがわざと彼らの居るテーブルにぶつかってきた。「済まん、前を見ていなかった。」そう言った彼の澄ました顔に、リヒャルトはコーヒーを掛けた。「貴様、何をする!」「手が滑りまして。それよりも先ほど閣下があなたの事を呼んでおりましたよ。」アドリアーノの顔が赤くなったり、蒼褪めたりしている内に、リヒャルトはさっさと食堂でベーグルサンドを買い、ルーイとともに出て行った。「さっきのは痛快だったぜ、見たかよあいつの顔!」ルーイは腹を抱えて笑いながら、リヒャルトを見た。「やられっぱなしだと気が済まないからな。それよりも今頃、セーラ様はどうなさっておられるのか・・」彼はベーグルを一口齧りながら、聖良の事に想いを馳せ、空を仰ぎ見た。そこには雲ひとつない青空が広がっていた。 一方、白鳥宮にある王宮図書館で聖良はローゼンシュルツ王国に関する本を読んでいた。実の家族に関しての記憶がなく、この王国の皇太子であるのに自国の事を知らないだけでは済まされない。アグネタのようないけすかない連中に好き放題させてたまるかと、聖良は寝る間も惜しんで歴史や地理の勉強に励んだ。 そんな中、皇妃アンジェリカが主催する鹿狩りに、聖良も招待された。「セーラ様、お気をつけて。」「ありがとう。」乗馬服に身を包み、愛馬に跨った聖良は、自分を心配してくれているクララに微笑むと、彼は厩舎を後にした。「まぁセーラ、乗馬姿がさまになっているわ。」女性用の乗馬服に身を包み、横座りをしているアンジェリカは、聖良の姿に気づいて目を細めた。「ありがとうございます、母上。」「ふん、うわべだけ立派でも、実力が伴っておりませんと皇妃様の足を引っ張るのではないかしら?」従者たちの中で口火を切ったのは、アグネタだった。「ほう、ではお前の腕前を拝見しよう、アグネタ。お前の愛馬がお前の体重に悲鳴を上げる前に。」聖良がそうアグネタに言い返すと、彼女は金魚のように口をパクパクしている姿を従者たちはせせら笑った。「さぁ参りましょう、母上。あの者など放っておいて。」「ええ。」王家の狩猟場は、新緑豊かな森全体だった。「素晴らしい所でしょう、セーラ?ここに来る時は、大抵疲れている時なのよ。」「そうですか。マイナスイオンを浴びて癒されますね。」聖良とアンジェリカが話していると、突然何かが彼らの前を横切った。(何だ?)近くの木に刺さったのは、ボウガンの矢だった。「母上、伏せてください!」「何、一体何が起こったの?」アンジェリカがそう聖良に尋ねた時、矢が彼女の乗っていた馬の足に刺さった。馬は暴れ出し、彼女の身体は宙に舞った。「母上、大丈夫ですか!?」「まぁ皇妃様!大変だわ、誰かお医者様を!」静謐(せいひつ)な狩猟場は、騒然となった。騒ぎに乗じて、1人の青年が森から姿を消したことに、誰も気づかなかった。にほんブログ村
2012年04月13日
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アドリアーノはリヒャルトの腕を掴んで部屋から飛び出すと、彼を突き飛ばした。「何をなさいます。」「うるさい!」彼はそう叫んだかと思うと、リヒャルトに殴りかかろうとした。だがその前に、リヒャルトがアドリアーノに足払いを喰らわせ、彼は地面に倒れた。「突然部屋に押し入ってきて急に殴りかかろうとするなど、紳士にあるまじき行為ですね。理由をお聞かせください。」リヒャルトがそう言ってアドリアーノを睨むと、彼は怒りで顔を赤くしながら何かを喚いた。「お前、わたしを馬鹿にしているのだろう!」「はぁ、何のことでしょう?わたしがいつ、あなたを馬鹿にいたしましたか?そもそも、あなたと会ったのは今回の遠征が初めてです。」「とぼけるな、お前はいつもそうやってわたしを馬鹿にしてきた癖に!」リヒャルトはアドリアーノが何故自分に対して敵意を剥き出しにしているのかが解らなかった。初対面の彼に、一体何の恨みを買ったのだろうか。「失礼、あなたがおっしゃることが理解できません。」「理解できないだと?わたしにあんな屈辱を味あわせておいて、忘れただと!」そうリヒャルトに向かって唾を飛ばすアドリアーノの顔は怒りでますます赤くなり、こめかみの青筋が浮き上がっていた。「一体何の騒ぎだ、こんな夜中に!」アドリアーノの怒鳴り声を聞きつけた上官が二人の元へとやって来ると、彼はじろりとアドリアーノを睨んだ。「申し訳ございません、閣下。お騒がせ致しました。」リヒャルトは上官に頭を下げたが、アドリアーノは尚も意味不明な言葉を喚き立てていた。「こやつはわしに任せておけ。」上官はそう言うなり、アドリアーノの腕を掴んで自分の部屋へと連れて行った。「大丈夫か、リヒャルト?」「ああ。それよりも何故オージェ殿はわたしに対してあんなに怒ってるんだ?」「なんだお前、覚えてないのか?士官学校に居た頃、馬術大会があったじゃん?そのレースであいつ、お前に大負けしたんだよ。それで勝手にあいつが逆恨みしてたんだ。まぁ、あいつは色々とおかしくなってるって聞いてるから、余り気にすんなよ。」ルーイはそう言ってリヒャルトの肩を叩くと、部屋の中へと戻って行った。(逆恨みか・・迷惑な事だ。)士官学校で開催された馬術大会のレースでリヒャルトは優勝したが、その事をアドリアーノが根に持って一方的に自分に対する恨みを募らせているとは、はなはだ迷惑だった。どっと疲れが押し寄せて来て、リヒャルトはベッドに突っ伏すとそのまま眠った。「一体あれは何の真似だ、アドリアーノ!わたしの顔に泥を塗る気か!?」「ですが閣下、あいつの顔を見たでしょう?わたしに屈辱を味あわせておいて飄々とした様子で・・」「いい加減にしろ、昔の事でマクダミアを恨むのは止せ!公私の区別を弁えろと言った筈だぞ!」上官はアドリアーを自室に連れて来るなり、そう言って彼を叱責した。しかしアドリアーノには反省のかけらもなく、上官から叱られているのはリヒャルトの所為だと、ますます彼を恨むようになっていた。 昨夜の騒動やら一夜明け、リヒャルトが起床して軍服に袖を通そうとした時、装備していた銃剣がないことに気づいた。「どうしたんだよ?」「わたしの銃剣を知らないか?部屋に入った時にクローゼットに立て掛けておいたんだが・・」「紛失したのか?ちゃんと置いてある所を俺は見たよ。一緒に探そうぜ!」朝の点呼が近づく中、ルーイとともにリヒャルトは銃剣を探したが、部屋の何処にもそれらしきものはなかった。「どうした、朝寝坊とは感心せんな?」「申し訳ありません。」集合時間に遅れたリヒャルトを、アドリアーノは嬉々とした様子で見た。彼と目が合った時、自分の銃剣を隠したのは彼だとリヒャルトは勘で解った。にほんブログ村
2012年04月13日
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「セーラ様にお会いできると言って来たのに・・これは一体どういうことだ!?」「申し訳ございません、伯爵・・」 聖良がアグネタの主催する茶会が開かれている部屋から出て行った数分後、彼女は激怒したアランデル伯爵から怒鳴られていた。「どうお前のことだ、セーラ様につまらぬ嫌がらせをしたのだろう?」「そんな・・」「このわたしを甘く見ない方が良いぞ、アグネタよ。お前がこの王宮で何人もの女を闇に葬ってきたかを、わたしは良く知っているのだからな!」足音荒く伯爵が部屋を出て行くのを黙って見送ったアグネタの顔は、病人のように蒼褪めていた。「リヒャルト、誰かと思ったらリヒャルトじゃないか?」遠征先の宿舎で突然肩を叩かれたリヒャルトが振り向くと、そこには士官学校で同期だった男が立っていた。「久しぶりだなぁ。お前日本に行っていたとか聞いたけど、大変だっただろう?」「まぁな。」「なぁ、聞いたか?遠征の指揮を取るのはアドリアーノ=オージェだってさ。」「ふぅん・・」同期というだけで、自分に対して馴れ馴れしい態度を取っている男にうんざりしていた時、突然リヒャルト達の前に純白の軍服を纏った男が現れた。「全員整列!」純白の軍服を纏った男は、鷲を連想させるような鋭い目で整列している兵士達を睥睨した。 彼の名はアドリアーノ=オージェ、ローゼンシュルツ王家に代々仕えている貴族でもある。アドリアーノは、リヒャルトの姿を見て顔を顰めると、彼の元へと向かった。「リヒャルト=マクダミアだな?」「はい。何でありましょうか?」リヒャルトがそう言ってアドリアーノを見ると、彼はいきなりリヒャルトの横っ面を張った。「おい、大丈夫か!?」慌ててリヒャルトの隣に立っていた男が地面に倒れた彼を抱き起こそうとしたが、アドリアーノがそれを手で制した。「上官に向かって何だその口の利き方は?うちの家が金で爵位を買ったなりあがり者だからと馬鹿にしているのか?」「いえ、そのつもりはありません。」「ふん。」アドリアーノはリヒャルトの答えに満足したのか、彼に背を向けた。「リヒャルト、あいつには気をつけたほうがいいぜ。」その夜、宿舎の部屋で同室となったのは、地面に倒れたリヒャルトを抱き起こそうとしてくれた男―ルーイだった。「気をつけろって、何をだ?」「アドリアーノはさぁ、お前に妬いてんだよ。まぁあいつも一応貴族だけど、家柄が悪いとか色々と周囲に言われてさぁ。その上お前と比べられてたから・・」「そんなことがあったのか。」士官学校に居た頃、周囲でそんなことがあったことをリヒャルトは初めて知った。勉強や鍛錬漬けの生活を送っていて、自分の部屋に籠もりきりだった所為もあり、同級生達との人間関係は余り把握していなかった。「まぁアドリアーノには気をつけた方がいいぜ。あいつお前を目の敵にしてるからな。何かあってからじゃ遅いからさ。」「そうか。」リヒャルトがスタンドのスイッチを消して眠っていると、突然ドアが激しく誰かにノックされた。「なんだよ、こんな時間に・・」ルーイがあくびを噛み殺しながらドアを開けると、不機嫌な顔をしたアドリアーノが立っていた。「リヒャルト=マクダミア、来い!」「こんな夜中に如何されたのですか?」「いいから来るんだ!」 アドリアーノは苛立った様子でずかずかと部屋の中に入るなり、リヒャルトの腕を掴んで外へと連れ出した。にほんブログ村
2012年04月13日
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「クララ、あの者達は我が物顔で宮廷を歩いているが、そんなに偉いのか?」「あぁ、アグネタ様達のことですね?あの方達は王家に近い血をひく名家の者達で、宮廷内から一目置かれている存在なのです。なので、女官達は自然に彼女達に従うことが暗黙の掟となりつつあるのです。」「ふぅん、そうなのか。何とも馬鹿げた掟だな。」聖良はそう言うと、コーヒーを一口飲んで溜息を吐いた。あのアグネタとかいう女は、自分を全く歓迎していない上に敵意を抱いている。「クララ、俺は滅多に争い事は好まない。だが売られた喧嘩は必ず買って勝つ。あのアグネタとかいう女、親の七光りで偉そうに振る舞っているんだろうが、俺の方が自分よりも立場が上だということを思い知らせてやろうじゃないか。」そう言った彼の蒼い瞳が、闘志で輝いた。 朝食を食べ終えた聖良が身支度を終えて部屋から出てくると、軍服姿の一団が聖良の前を通り過ぎた。その中には、リヒャルトも居た。「リヒャルト!」「セーラ様、おはようございます。」聖良に気づいたリヒャルトは、そう言って彼に手を振った。「どうしたんだ、こんなに朝早くから。何処かへ出掛けるのか?」「ええ、急な遠征が入りまして。戻るのは一週間後になります。セーラ様、わたくしが居ない間にくれぐれも・・」「解ってるよ、気を付けろよ、お前こそ。」「では、行って参ります。」リヒャルトは聖良に頭を下げると、聖良に背を向けて歩き出した。「リヒャルト様とお知り合いなのですか、セーラ様?」「まぁな。彼は俺のことを色々と助けてくれたよ。それにしても急な遠征だなんて、あいつも忙しいんだな。」聖良はそう言うと、クララとともにその場を後にした。「何よあの方、リヒャルト様と親しそうに・・」「仕方ないじゃありませんか、リヒャルト様はセーラ様とは旧知の仲なのですから。」「それでも、許せませんわ!」先ほどのリヒャルトと聖良との会話を聞いていた令嬢たちが扇子の陰でひそひそと囁きを交わしながら聖良を睨みつけた。「セーラ様、急ぎませんと。」「わかってるって。それにしても、布が足にまとわりついて走り難いな・・」聖良はドレスの裾を摘みながら、アグネタ主催のお茶会へと向かった。自分を憎んでいる相手のお茶会へと行きたくないと思った聖良だが、宮廷内の実力者というべき彼女を皇太子である自分が無視することはできなかった。「まぁセーラ様、いらしてくださっただなんて。」アグネタはそう言って聖良に笑顔を浮かべてはいたものの、目が笑っていなかった。これは何かあるなと聖良が警戒していると、案の定案内された席には誰かが使った皿とティーカップが置いてあった。「申し訳ありません、セーラ様。突然お茶会を開くことになったものですから、食器の用意ができておりませんの・・」申し訳なさそうな顔をしているアグネタだったが、取り巻きたちと視線を交わし合っているのを聖良は見逃さなかった。(すぐにバレそうな嫌がらせをするなんて・・)「まぁ、それは大変だったな。アグネタ、お前はこの宮廷の女官達を統括していると聞いたが、そんなお前がこんなミスをするなんて信じられんなぁ。」「まぁ・・」「一度だけならいいがな。二度目はないと思え。」アグネタの意地の悪い笑みが、少し恐怖に引きつるのを見た聖良は椅子から立ち上がった。「さてと、わたしはこれで失礼しよう。お前は“お友達”と人の噂話で盛り上がるといいさ。」「そんな・・お待ちください、セーラ様!もうじきアランデル伯爵がいらっしゃるというのに!」「そんなの、俺が知ったことではない。」アグネタ達の元を去った聖良に対し、クララは微笑んだ。「お見事でしたわ、セーラ様。」 リシャーム王国の後宮で第二王妃・シェーラから受けた洗礼に比べれば、アグネタの嫌がらせなど小学生の悪戯程度でしかなかった。にほんブログ村
2012年04月13日
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「おはようございます、セーラ様。」「ん・・」 翌朝、聖良が目を開けると、女官の手によってひかれたカーテンの隙間から朝日が射し込んできた。「昨夜は良く眠られましたか?」そう言って女官が聖良を見て微笑んだ。彼女は昨夜、自分の身支度を手伝ってくれた者だった。「まぁな。それよりもお前は?」「わたくしはクララと申します。今後セーラ様にお仕えいたしますので、お見知りおきを。」そう自己紹介した女官は、優雅にドレスの端を摘んで腰を折った宮廷式の挨拶をした。「こちらこそ宜しく。早速だがクララ、この宮廷の事を教えてくれないか?皇太子と言っても、俺には・・」「その事についてはリヒャルト様から聞き及んでおります。」聖良の事情を知っているクララは、そう言って聖良に微笑んだ。「朝食はいかがなされますか?」「部屋に運んで来てくれないか?リヒャルトと少し話がしたい。」「かしこまりました。では失礼致します。」クララは部屋から下がる時に一礼し、彼女が居なくなると急に部屋は静寂に包まれた。(落ち着かないな・・)皇太子の部屋だけあって、今聖良が身を横たえている寝台も、内装の壁紙や家具に至るまで、一流の職人の手で作られた最高級品ばかりだ。今まで「白百合の家」の二段ベッドで寝ていた聖良にとって、こんなに贅を尽くした寝室で朝を迎える事は、初めての経験であった。(サリーシャに、会いたいな。)リシェームの後宮で囚われていた時、自分を何かと気遣ってくれ、心から尽くしてくれた侍女の姿を、自然と聖良は探してしまう。ここには彼女が居ない事を知りながら。「セーラ様、失礼致します。」聖良が溜息を吐きながらリシャドから贈られた黒真珠のペンダントを指先で弄っていると、扉の向こうで声がした。その声は、クララのものではなかった。「誰だ?」「失礼致します。」聖良の了解なしに、数人の女官達がずかずかと寝室へと入って来た。「俺はまだ入ってもいいと言ってはいないぞ?相手の了解も得ずに寝室に入るとは・・これがここでのやり方か?」聖良がそう言って女官達を睨み付けると、彼女達の中から一人の女性がすっと歩み出てきた。年は40代半ばといったところだろうか、長い髪を髷のようにひっつめて結いあげ、翠の双眸で聖良を見つめるその姿は、何処となく厳格な雰囲気を醸し出している。「お前は?」「お初にお目にかかります、セーラ様。わたくしはアグネタ=フロイハイシェンと申します。後ろに居る女達はわたくしが統括している女官達です。」自分を歓迎していないのはフリードリヒだけではないと、この時聖良はアグネタの好戦的な視線を見て解った。「ほう、わざわざこんな朝早くに俺に挨拶に来るとは・・アグネタとやら、何か言いたい事があるのなら言ったらどうだ?」「では言わせていただきますが、セーラ様はこの国をお捨てになられ、今まで能天気に日本でお暮らしになっておられたとか?」「能天気、ね・・」そんな悪意ある噂を広めたのは、他ならぬアグネタだろう。それを知っていて、わざと聖良に意地悪な質問をぶつけた彼女に対して聖良の中で敵愾心が燃え上がった。「宮廷とは、何処の国に於いても暇を恐れる愚かな人間が居るようだな。もう下がれ。」「まだ質問に答えておりませんよ?」「俺は下がれと言った筈だ。どちらの立場が上か、解っているな?」聖良の言葉にアグネタの顔が怒りで赤くなり、憤然とした様子で寝室から去って行った。「セーラ様、朝食をお持ちいたしました。」にほんブログ村
2012年04月13日
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「俺の顔に何かついているか?」「別に。」 聖良がそう言ってフリードリヒを見ると、彼は不貞腐れた顔でそう答えて聖良にそっぽを向いた。「フリードリヒ、お兄様に何て口の利き方をなさるの、お兄様に謝りなさい!」フリードリヒの態度をすぐさまアンジェリカが厳しく叱責すると、彼は乱暴に椅子を引いて立ち上がり、ダイニングから出て行ってしまった。「セーラ、ごめんなさいね。あの子は最近いつもああなのよ。気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こして。困った子だわ。」「いいえ、お気になさらず。フリードリヒも突然俺が現れて戸惑っているんでしょう。」聖良はそう言って両親の前で笑顔を浮かべたが、憎悪の視線を去り際に投げつけたフリードリヒの事が気になった。「さぁ、今夜はあなたの為にご馳走を用意したのよ。」「ありがとうございます、母上。」実の両親との22年振りの再会を果たし、聖良は彼らと和気藹藹とした雰囲気で夕食を食べた。 ダイニングを飛び出したフリードリヒは、宮殿内にある教会に来ていた。 信徒席に座り、イエス=キリストの生涯を描いたステンドグラスを眺めながら、彼は亡き姉・マリアの事を想った。(姉様はあいつに殺されたのも同然だ。)病弱で役立たずの自分を、何かと庇ってくれた姉。自分の陰口を叩いている女官達を叱り飛ばしてくれた姉。フリードリヒにとって、姉は自分を照らす太陽のような存在であった。だが、その姉はもう居ない。(姉様、どうして僕を置いて死んでしまったの?僕はこれから、どうやって生きて行けばいいの?)「フリードリヒ様、こんな所に居ては風邪を召されますよ。」突然肩に柔らかいものが掛けられた感触がしてフリードリヒが振り向くと、そこにはディミトリが立っていた。「僕の事は放っておいてよ。今は誰とも話したくないんだ。」「セーラ様の事が、気になられるのですね?」フリードリヒの顔を覗きこんだディミトリの、淡褐色の瞳が怪しい光を宿した。「ねぇディミトリ、何であいつは突然僕達の前に現れたの?」「それは、陛下と皇妃様がお望みになられたことだからですよ。お二人はセーラ様のお帰りを誰よりも待ち望んでおりましたから。」「でもあいつ、お父様達の記憶を失っているんだよ?そんな奴が次期皇帝になるだなんて、認めない。」「ご家族の記憶をセーラ様が失っていらっしゃると?それは本当なのですか?」フリードリヒが頷くと、ディミトリは大袈裟なしぐさで手に胸を当て、天を仰いだ。「嗚呼、何ということでしょう!皇太子様が記憶を失っていらっしゃるなんて!こんな事が世間に知られでもしたらどうなることでしょう!」フリードリヒはディミトリの臭い演技を醒めた目で見ていた。「ディミトリ、何か企んでいるんだろう?」「おや、フリードリヒ様は読心術をお持ちのようで。」ディミトリはすっと胸から手を下ろし、嫣然とした笑みをフリードリヒに向けた。「ねぇ、良かったら僕にも教えてくれない?僕の前から姉様を奪ったあいつを宮廷から追い出す方法を。」「フリードリヒ様にだけ、わたくしの考えをお教えいたしましょう。いいですか、これはご自分の胸に収めておいてくださいませね?」ディミトリはフリードリヒの耳元に艶やかな唇を寄せると、何かを彼に囁いた。「ふぅん、いい考えだね。」フリードリヒは、祭壇の背後に飾られた幼子キリストを抱く聖母マリアが描かれているステンドグラスを見つめた。月光がステンドグラスに射し込み、フリードリヒの真紅の瞳を緋に染めた。「ねぇディミトリ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど。」「何でございましょう?」「お前は、僕を・・必要としてくれている?」「勿論でございますとも、フリードリヒ様。」そう言ったディミトリの、我欲に塗れた顔を背を向けていたフリードリヒは見る事が出来なかった。にほんブログ村
2012年04月13日
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アンジェリカは、自分の目の前に立っている青年を見つめた。「あなたは、本当にセーラなの?」「はい、母上。」聖良はアンジェリカの手に、短剣を載せた。「これは・・あなたが日本に行く際、あなたの養父に託したもの・・」アンジェリカは過去の辛い記憶を思い出した。内戦勃発から数ヵ月後、王宮にその戦火が徐々に迫りつつある中、自らの保身に走った貴族達は王家を捨て、海外へと次々と逃亡した。『皇妃様、酷なようですが、セーラ様を海外へ亡命させてはいかがでしょう?皇太子様はいずれこの国を担う方です。』ハインツに説得され、アンジェリカは日本人神父・セイタ=タチバナに聖良を託し、断腸の思いで幼い我が子と別れた。(必ず会えますからね、セーラ。主の御加護がある限り、わたくし達は再び会えます。)養父の手をひき、去ってゆく幼子の背中にアンジェリカは涙を流して語りかけた。その生き別れた息子が、今目の前に居る。「セーラ、わたくしの息子・・」アンジェリカはそう言うと、そっと聖良の頬を撫でた。「こんなに大きくなって・・別れた時はまだ幼かったのに・・」(主よ、感謝いたします。わたくし達母子を再び巡り会わせてくださったことを。) 両親との再会を果たした聖良は、通された部屋の寝台に腰を下ろし、深い溜息を吐いた。「セーラ様、入ってもよろしいでしょうか?」「ああ、いいぞ。」「失礼致します。」部屋に入って来たリヒャルトは、初めて会った時と同じ漆黒のスーツを着ていた。「父上と母上は?」「陛下と皇妃様はダイニングにてお待ちです。お支度を。」「解った。」「セーラ様、失礼致します。お召し替えを。」数人の女官達が部屋に入って来ると、リヒャルトは聖良に頭を下げて部屋から辞した。「おや、これはどなたかと思いましたら、リヒャルト=マクダミア様ではありませんか?」リヒャルトが廊下を歩いていると、漆黒の僧衣の裾を翻しながらディミトリが話しかけてきた。彼の姿を見た途端、リヒャルトの美しい顔が嫌悪に歪んだ。「貴様、ここで何をしている?」「別に何も。ああそれより、セーラ様がお帰りになられたとか?フリードリヒ様は、少し不安になっておられるようですよ。」「不安?実の兄との対面が、フリードリヒ様のお心を掻き乱すことがあるのか?」リヒャルトがディミトリの言葉に引っ掛かりを感じ、そう言って彼を睨み付けると、彼は悠然とした笑みを口元に浮かべていた。「お解りになられませんか、リヒャルト殿。セーラ様がいらっしゃらなければ、この国を担うのはフリードリヒ様の筈。フリードリヒ様はご自分が次期皇帝になるのだという思いから、スポーツや勉学に励まれ、漸く周囲からその存在を認められ始めたのですよ。それなのに、セーラ様がお帰りになられるとは・・」要するに、フリードリヒとディミトリは聖良を歓迎していないのだ。フリードリヒは今まで皇太子である聖良と、姉皇女・マリアの陰に隠れて生きてきた。だがディミトリに嗾(けしか)けられ、次期皇帝としての実力を周囲に認めさせようとして躍起になっている中での皇太子の帰国は、フリードリヒにとっては脅威以外の何物でもなかった。「わざわざ忠告してくれて、感謝する。」リヒャルトはそれだけ言うと、ディミトリに背を向けて歩き始めた。 陰謀渦巻くローゼンシュルツ宮廷でのリヒャルトと聖良との戦いが、静かに始まろうとしていた。 一方ダイニングに入った聖良は、自分を憎悪の瞳で見つめる第2皇子・フリードリヒに気づいた。にほんブログ村
2012年04月13日
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「こちらでございます、セーラ様。お足もとにお気をつけて。」ハインツのエスコートにより、聖良は白鳥宮の中へと入った。 600年もの長きに渡って栄華を誇ってきた王家だけあり、宮殿の天井には天使の美しい壁画が描かれており、そこからは光が射し込んで白亜の柱を照らした。「陛下があちらのお部屋でお待ちです。」「わかった・・」いよいよだ。20年以上も離れて暮らしていた実の父、ローゼンシュルツ王国皇帝との対面を前に、聖良は緊張の所為で顔が強張っていた。「セーラ様、肩のお力を抜いてください。」「わ、わかってるが・・息が苦しくなってきた・・」リヒャルトは苦笑すると、そっと聖良の項にキスをした。「今のは?」「元気になるお呪いです。」そう言って自分に微笑むリヒャルトの笑顔を見て、緊張していた聖良の心が少し安らいだ。「陛下、セーラ様が・・」「入れ。」扉の向こうから厳めしい声が聞こえたかと思うと、急に扉が開き、真紅の絨毯の向こうにある玉座には、軍服に身を包んだ皇帝が座っていた。「お初にお目にかかります、皇帝陛下・・」「そんなに堅苦しい他人行儀な言い方をするでない。近う寄れ、セーラ。そなたの顔が見たい。」「は、はぁ・・」聖良がドレスの裾を摘みながら玉座に近づくと、彼は聖良の前に跪いた。「陛下、なりませぬ!」慌てて皇帝の側近が彼を止めようとしたが、皇帝はそれを制した。「顔を見せよ。」ゆっくりと聖良が俯いていた顔を上げると、そこには真紅の双眸で自分を見つめる皇帝アルフリートの姿があった。「セーラ、会いたかった・・」アルフリートは涙を流しながら、20年以上離ればなれとなっていた息子の頬を撫でた。「あの・・いかがされたのですか?」「セーラ、少しお願いがあるのじゃ。」「何でしょうか?」「わたしのことを父と呼んでくれぬか?」突然の皇帝の申し出に聖良は戸惑ったが、アルフリートに向かって微笑むと、こう言った。「ただいま戻りました、父上。」「セーラ!」これまで必死に堪えてきた感情を押さえることが出来ずに、アルフリートは聖良を離れていた22年間の想いを込めて、強く抱き締めた。「ち、父上、苦しいです・・」「す、済まぬ・・そなたに会えて嬉しかったものだから、つい力を込めてしまった。」「父上、わたしはもう何処かへ消えたりはいたしませんから、安心してください。」「そうか・・」22年もの長い歳月を経て、聖良は漸く実父・アルフリートとの再会を果たした。「皇妃様はどちらに?」「アンジェリカは数ヶ月前から床に臥せっていてな。お前が死んだというデマを聞いてからは、部屋に籠もりきりになってしまって・・」「母上は、お部屋ですか?」「ああ。顔を見せてやってくれ。」「解りました。それでは父上、失礼致します。」謁見の間から出て行った聖良は、リヒャルトとともに皇妃の部屋へと向かった。「皇妃様、セーラ様が・・」「あの子は死んだのでしょう、嘘を吐かないで。」「いいえ、わたしは死んでなどおりません、母上。」聖良がそう言って扉を開けると、寝台には蒼褪めた顔の皇妃・アンジェリカが驚愕の表情を浮かべて彼を見ていた。「セーラ・・あなたは本当にセーラなの?」「はい、母上。」聖良は寝台に近づくと、そっとアンジェリカの手を握った。
2012年04月13日
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「セーラ様、お迎えにあがりました。」パイロットはそう言うと、聖良を菫色の瞳で見た。その瞳は、今まで聖良が会いたいと思っていた人が持つ、美しい瞳だった。「リヒャルト、リヒャルトなのか?」「漸くあなたを迎えに来れました。セーラ様、参りましょう。」リヒャルトはさっと聖良の前に左手を差し出した。「待ってくれ、リヒャルト、少し済ませたい用がある。」聖良はアフマドの方へと向き直った。「アフマド、済まないがわたしは・・」「解っております、セーラ様。わたくしがリシャド様の遺志を継ぎ、この国の為に尽力をつくします。あなたに神の御加護がありますように。」「アフマド、今までありがとう。お前にも神の御加護がありますように。」聖良はそう言ってアフマドに微笑むと、彼に背を向けてリヒャルトの元へと戻った。「もう宜しいのですか?」「ああ。お前が居ない間、この国で色々な事を知ったし、様々な出逢いをした。この国が新しく生まれ変わるのが見られないのが残念だが。」「心配することはありません。彼らは自分達の力で新しい国をつくれると信じております。」「そうか・・」次第に遠ざかってゆく砂漠に囲まれた街並みに、聖良は密かに別れを告げた。 米軍が武力介入して数ヶ月後、職権乱用と大量虐殺の廉によりシェリーム王国警察長官・ホメイニは斬首刑に処された。リシャドを国立競馬場で暗殺したサリーム皇子とその部下・アルマドは銃殺刑に処され、刑の執行は市民の前で公開処刑という形を取られた。長年国を支配し、腐敗させてきた第一皇子とその部下の死に、民衆たちは歓声を上げて一日中踊り狂ったという。旧政権が斃れると同時に、紀元前から続いて来たリシャーム王家もなくなり、アフマドが主体となって新しい国作りに奔走した。「セーラ様、入りますよ。」「ああ。」リシャーム王国での一件から数ヵ月後、ウィーンのホテルで聖良は疲弊した心身を休めていた。「リシャーム王国は、着実に新しい国へと生まれ変わっているようですね。」「ああ。次は、俺の番だな・・」聖良はリヒャルトが淹れてくれたダージリンティーを飲みながら、ドナウの滔々とした流れを眺めていた。数ヵ月後、聖良は約22年振りに故国・ローゼンシュルツ王国の土を踏んだ。(これが、俺が生まれた国・・)専用機からタラップを降りて空港の外に広がる青々とした草原を眺めた聖良は、懐かしい思いに何故か駆られた。「セーラ様、こちらです。」「あ、ああ・・」リヒャルトのエスコートでリムジンに乗り込んだ聖良は、これから実の両親に20年振りに会うと思うと緊張して喉が渇いて来た。「リヒャルト、これから俺は上手くやっていけるだろうか?」「何も心配なさることはありません。このリヒャルトがついております。」顔色が悪い聖良の手を、リヒャルトはそっと握った。「俺、怖いんだ・・実の家族の記憶を失くしているのに、受け入れてくれるのかなって・・」「陛下も、皇妃様も、一日たりともあなた様の事を忘れたことはございません。」「そうか・・だといいんだけど・・」実の両親に会えるという嬉しさとは反面に、彼らが自分を受け入れてくれるだろうかという不安を抱えながらも、聖良は首都・リヒトの中心部に位置する白亜の宮殿―白鳥宮へと到着した。(これから、会えるんだ・・俺の両親に・・)リムジンから降り、壮麗で優美な宮殿を前に、聖良は深呼吸して中へと入った。「お帰りなさいませ、セーラ皇太子様。あなた様のお帰りを長い間お待ちしておりました。」宮殿の中に一歩入った聖良を待っていたものは、自分に対して恭しく頭を下げる一人の老人だった。「紹介いたします、セーラ様。わたくしの父・ハインツです。」「リヒャルト、よく無事で帰ってきたな。」 老人―ローゼンシュルツ王国親衛隊隊長・ハインツ=マクダミアは、息子にそう労いの言葉を掛けると、微笑んだ。―◇第3章・完◇―にほんブログ村
2012年03月22日
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「ここは?」「ここは我が主、シェーラ様が少女時代を過ごした別荘さ。あたしにとっては青春の一部でもあるね。」アメイルはそう言うとバッグから煙草を取り出して口に咥えると、それに火をつけて煙を聖良に吹きかけた。「あたしは家計を助けるために、12歳の時にシェーラ様の元にお仕えするようになった。想像できるかい、同い年であるのに天と地ほどの境遇の差をまざまざと思い知らされる厳しい現実を?」「想像は出来る。俺は一国の皇太子といっても、幼い頃は施設で育ったからな。」「ふん、嘘を吐くんじゃないよ。あたしを油断させてその隙に逃げようって算段だろう?」「嘘じゃない、真実を言っただけさ。俺には実の両親の・・家族の記憶が全くなくてね。それもその筈、俺は5歳の時に養父に連れられ内戦中の母国から日本へと亡命した。そして養父の籍に入り、高校まで施設で育ったんだよ。」聖良はゆっくりと目を閉じ、幼い頃の記憶を思い出していた。 横浜の児童養護施設で育った聖良は、金髪蒼眼という容姿もさながら、施設育ちであるというだけで、小学校でいじめを受けていた。“外人は日本の学校に来るな。”“基地の学校に行けばいいんだ。”“施設の中でも勉強ができるんだろう?” 級友たちから投げつけられた酷い言葉は、彼らの親が言ったことをそのまままねたものだと今となって解ったが、当時はそんな言葉にすら傷つき、部屋に籠りがちになっていた。自分達と意見や価値観が違う者を、徹底的に爪弾きにする―大人達の世界は、そのまま子ども達に反映されていた。だからといって、簡単に泣き寝入りする聖良ではなかった。自分をいじめた者達には、何倍もの仕返しをした。そのうち誰も自分をいじめる者はいなくなり、中学に進学する頃には女顔で金髪蒼眼の美しい容姿に演劇部の目が留まり、一躍人気者となった。「どんなに辛い状況でも、それを好転させる手を考えれば後は追い風を待つだけだ。アメイル、お前のように己の境遇を恨みつつも、黒い本心を隠して主に仕えるような人間とは違うんだ。」「生意気な事を言っていられるのは今のうちだけさ。ここであんたはあたしと一緒に死ぬんだ!」アメイルの黒目が血走り、彼女は隠し持っていた鉈を聖良の頭上に振り翳した。「セーラ様!」慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、アフマドが自動小銃でアメイルに発砲し、彼女は鉈を振り翳したままの姿で大理石の床の上に倒れた。「アフマド、どうしてここが?」「サリーシャが教えてくれました。早くここから逃げませんと!」「解った。」別荘から王宮へと戻ろうとする車の窓から、聖良は上空で米軍の爆撃機が焼夷弾の雨を街に降らせているのを目撃した。「どうして米軍が街を爆撃してるんだ?」「かねてからアルハンは、核燃料や化学兵器を密売しているという嫌疑で、米軍にマークされていました。今回の出来事で、今まで静観していた米軍が漸く重い腰を上げたのでしょう。」「そうか・・」聖良はサリーシャが無事であることを祈った。王宮まであと少しというところで、一機の米軍ヘリが自分達の車とまるで並走するかのように飛んでいるように思えた。(気の所為か・・)「セーラ様、どうなさいましたか?」「いや、何でもない。」聖良はそう言ってハンドルを握っているアフマドを見ると、彼は突然車を停めた。「どうした、何があった?」「米軍のヘリが道を塞いでいます。」聖良が身を乗り出して前の道を見ると、そこにはあのヘリが停まっていた。(一体あのヘリに乗っているのは、誰だ?)やがて、ヘリの中からパイロットと思しき男が出てきた。にほんブログ村
2012年03月22日
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「セーラ様、ホテルでシェーラと会ったと?」「ああ。お前を監禁した侍女頭のアメイルと一緒だったぞ。」聖良がそう言ってサリーシャを見ると、彼女は不安そうな表情を浮かべていた。「あの女・・アメイルには用心した方がよろしいかと。あの女はシェーラとは少女時代の頃から主従関係を結んでおり、主の為ならば死をも覚悟している女です。」「解った。」聖良は寝台に横たわると、疲れと睡魔が襲ってきて泥のように眠った。 異常な音に彼が目を開けたのは、侍女達が寝静まった深夜の事だった。シャッシャッと、何かが擦れる音が断続的に外から聞こえてくる。(何だ?)聖良は短剣を胸に提げ、枕元に置いてあるジャンピーアを握り締め、外へと出た。音は中庭の方から聞こえてくる。「誰だ?」聖良がそう言うと、音が突然止んだ。 そっとランプで辺りを照らして見ると、棕櫚の木の近くで人影のようなものが動いている気配がした。聖良は相手に気づかれぬよう、ゆっくりと棕櫚の木へと近づいた。「そこで何をしている?」「てめぇ・・」人影は、サリームの部下・アルマドであった。彼は新聞紙の切れ端と、ライターを握っていた。「放火でもしてその騒ぎに乗じて俺を殺そうとしたのか?」聖良の蒼い瞳に射すくめられ、アルマドは彼の足元に跪いた。「俺はやりたくなかったんだ、お願いだ・・」「ふん、いいだろう。ご主人様に伝えておけ、次はないと。」聖良がアルマドに背を向けて歩き出そうとした時、後頭部に鈍痛を覚えたかと思うと、彼は意識を失った。「さっさとこいつを運びなさい。誰にも見つからぬように。」「わかったよ。」棕櫚の木陰に隠れていたアメイルは、気絶している聖良が提げている短剣を見た。「他国の心配をする前に、ご自分の国の心配をした方がよかったものを・・」彼女は低い声でそう呟くと、短剣を鎖ごと聖良の首から外してそれを近くに放り投げて闇の中へと消えていった。「なに、セーラ様のお姿が何処にも見当たらないだと!?」「ええ、わたくし達がお部屋に入った時には、既に寝台を出た後でした。」侍女達はそう言ってアフマドに申し訳なさそうな表情を浮かべていた。「アフマド様、棕櫚の木の近くでこんなものを見つけました!」サリーシャが血相を変えた様子でアフマドに聖良の短剣を渡した。「これはいつから?」「今朝からです。もしかして、あのアメイルがセーラ様を拉致なさったのかもしれません!」「それは充分に有り得るな。サリーシャ、あの女がセーラ様を監禁できる場所に心当たりはあるか?」「ええ。ナリーハから西に10kmほど離れた場所に、シェーラの一族がかつて所有していた空き別荘があります。」「ありがとう!」アフマドが宮殿から出ようとした時、突然空に爆音が轟いた。見上げると、そこには米軍のヘリが上空を旋回していた。(何故米軍のヘリがこんなところに?)暫く彼が米軍のヘリを見つめていると、暫くして王宮の外から銃声が何発も聞こえた。「大変だ、米軍が攻めてきたぞ!」「すぐに戦闘の準備をしろ、奴らを迎え撃つんだ!」突然の米軍による襲撃で、王宮内はパニックに陥った。アフマドはその隙に車で聖良が監禁されている空き別荘へと向かった。「う・・」「気が付いたかい?」聖良が目を開けると、そこにはシェーラの侍女頭・アメイルが邪悪な笑みを湛えて自分を見つめていた。にほんブログ村
2012年03月22日
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シェリーム王国秘密警察本部にある局長室で、ホメイニは怒りで身を震わせながらパソコンのモニターを見つめていた。そこにはソーシャルネットワークサイトのあるコミュニティが映っており、政権批判をして過去に逮捕された学生達が立ちあげたものであった。“独裁者に死を!” 暗殺された皇太子・リシャドのシンボルである鷹をモチーフにした紋章が掲げられたそのページには、国王・アルハンと第二王妃・シェーラとその一族が過去50年において隠蔽していた犯罪が暴露されていた。(一体何処からこんなものを・・リシャドめ、死んでも尚わたし達を追い詰めるつもりか!)ホメイニは携帯ですぐさまシェーラを呼びだした。「こんなコミュニティがあるだなんて・・一体誰が・・」『それはお前が調べることだろう、シェーラ!陛下のお傍に居て一体何をしていたんだ!』耳元に響く従兄の怒鳴り声に身を竦ませながら、シェーラは深い溜息を吐いた。「アメイル、出掛けるから支度をお願い。」「かしこまりました、シェーラ様。」少女の頃から自分に仕えてくれた侍女頭に髪をブラシで梳かれながら、シェーラは何故自分達の犯罪が今になって暴露されてしまったのかを考えていた。「シェーラ様、最近セーラがおかしな動きをなさっているようです。」「おかしな動きですって?」「ええ。これをご覧ください。」アメイルはそう言って一枚の写真を見せた。それはホメイニの部下がホテルから出て来るリシャドの側近と聖良の姿が映っていた。「何故セーラがリシャドの側近と居る訳?」「それはわかりません。ですがシェーラ様、セーラは夫がありながら異性と不義密通を重ねていた証拠になりますわ。」「まぁアメイル、お前も悪知恵が働くのねぇ。」シェーラがそう言ってアメイルを見ると、彼女は笑った。「わたくしはシェーラ様の為にこの命を捧げる覚悟はできております。シェーラ様の敵は、わたくしの敵です。」「頼りにしているわよ、アメイル。」鏡に映ったシェーラの笑顔は、邪悪なものだった。 一方、聖良は淑介が宿泊しているホテルを訪問していた。「どうだ、反響は?」「上々です。昨夜ネットに情報を流したら、こんなコミュニティが出来てました。」そう言って淑介は、ソーシャルネットワークサイトのアイコンをクリックした。「シェーラ側は大いに動揺しているだろうな。」「ホメイニは何としてもこの情報を漏洩させたくないようですが、無駄でしょう。民衆たちが一斉に立ち上がれば、その勢いは誰にも止められません。」「このまま、上手くいけばいいが・・」淑介の部屋から出て、聖良がホテルのロビーへと降りると、そこにはシェーラと彼女に仕える侍女頭・アメイルの姿があった。「あら、奇遇だこと。」「おや、誰かと思えば。」聖良は漆黒のアバヤ越しにシェーラを睨み付けると、彼女は悠然とした笑みを口元に浮かべて、ゆっくりと彼に近づいた。「あなた、夫がありながら他の男と会っているそうじゃない?この国では不義密通は死罪にあたるのよ、ご存知?」「勘違いされては困るな、シェーラ。妻がある男を誘惑し、堕落させた上に生ける屍にさせたお前と同じにするな。死罪にされるのは貴様の方だろう?」シェーラの表情はアバヤの布に覆われてはっきりと見えなかったが、その顔が恐怖と憤怒で強張るのがわかった。「では御機嫌よう、シェーラ。」悠然と立ち去る聖良の背中を睨みつけながら、シェーラは悔しそうに唇を噛み締めた。「あの者、一筋縄ではいきませんね・・」(シェーラ様の為に、わたくしが何かしなければ・・)アメイルは主の前に立ちはだかる敵を倒す為、ある行動に出ようとしていた。にほんブログ村
2012年03月22日
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ハシャシェプト銀行頭取に案内され、アフマドと聖良は貸金庫へと向かった。「鍵を、お預かりいたします。」「どうぞ。」聖良はバッグの中から封筒を渡すと、頭取は鍵の番号がある貸金庫をテーブルの上に置き、鍵穴を挿し込んだ。カチャリと鍵穴が開く音がして、金庫の蓋が開いた。「それではわたしはこれで。」頭取が部屋から出た後、聖良は金庫の中からUSBメモリを取り出した。「セーラ様、どうぞ。」アフマドは鞄の中からノートパソコンを取り出して電源を入れると、それにUSBメモリを挿し込んだ。 そこには、アルハンとシェーラ達一族がこれまで隠蔽してきた犯罪の証拠が残されていた。「これを世界中に流せば、シェーラ達も無傷ではいられませんね。」「そうだな。だがアフマド、お前はそれでいいのか?この国に居られなくなるんだぞ?」「この国を変える為ならば、わたしはどうなっても構いません。リシャド様が望まれた国へと生まれ変わることが出来るのなら、何でも致します。」銀行を出た2人は、その足で淑介が住むアパートへと向かった。「シュウ、わたしだ、アフマドだ。」「待ってくれ、今行く。」数分後、淑介がドアを開けて2人を中に招き入れた。「少し見て貰いたいものがあるんだが、いいか?」「ああ、構わないさ。」アフマドがUSBメモリを渡され、淑介がそのデーターを見て絶句した。「これは酷いな・・今まで彼らは自分達の罪を隠蔽していたのか。」「ああ。リシャド様はそれを知っていて証拠を集めていた。だがそれを公開する前に殺されてしまった。お願いだシュウ、これを世界中に流してくれ。」「わかった。」淑介はすぐさま作業に取り掛かった。「セーラ様、王宮へ戻りましょう。」「ああ・・」聖良はこのまま淑介を一人で残すことに何か嫌な予感がした。「淑介、作業には後どれくらいかかる?」「せいぜい見積もって20分といったところでしょうか。」「ここは危ない、場所を移そう。荷物を纏めてくる。」「実は明日帰国する予定なので、もう荷物は纏めてます。ホテルも予約しましたし。」「そうか・・じゃぁすぐにここから離れよう。」淑介達がアパートから出てタクシーへと乗り込み、ホテルへと向かおうとした時、黒塗りの車とすれ違った。その車は先程まで彼らが居たアパートの前で停まり、中から数人の男達が出てきた。「間一髪でしたね。あの時わたし達が王宮に戻っていたら、シュウの命はなかったのかもしれない。」アフマドはそう言って聖良を見た。「あの狡猾で陰険な女の事だ、淑介が情報を流していることなど既に知ってるだろうし、従兄の情報網で彼が住んでいるアパートも簡単に突きとめただろう。」「ありがとうございます、聖良様。」「礼なんて要らない。」淑介達が予約したホテルのロビーへと向かうと、そこには怪しい人物は一人も居なかった。「このホテルは警備も厳しいですが、その抜け穴を通って暗殺者が従業員に化けることがあるかもしれない。シュウ、もし頼んでいないルームサービスが来た時に備えて、ドアチェーンを掛けておけ。」「解った。では聖良様、お気をつけてお帰り下さい。」「ああ。淑介も気をつけろよ。」ロビーへと戻る為聖良とアフマドがエレベーターに乗り込むと、7階でエレベーターが停まり、扉が開いて数組のカップルが入って来た。「もう行きましょうか。」「ああ。」フロントで頼んでいたタクシーに2人が乗り込む様子を、ホメイニの部下が密かに撮っていた。にほんブログ村
2012年03月22日
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鍵がかけられた引き出しの中には、一枚の封筒だけが入っていた。(何だろう?)聖良は封筒を取り出し、中身を確かめると、そこには一本の鍵が入っていた。鍵の表面には、何かの番号が彫ってあった。(銀行の貸金庫か?)用心深いリシャドが、王宮の中にアルハンやシェーラ達の悪行を暴く証拠を置いておくわけがない。本人以外に誰も触れられず、奪われない場所に彼は隠す筈だ。聖良は封筒を持ち出し、再び引き出しに鍵を掛けて書斎を後にした。「セーラ様、それは何ですか?」「リシャドの書斎から見つけた。どうやら銀行の貸金庫の鍵のようだ。」「そうですか。少し見せてくださいませんか?」「ああ、いいが。」サリーシャに鍵を渡すと、彼女は暫くそれを見つめて聖良に返した。「ナリーハ市内にあるハシャシェプト銀行の貸金庫の鍵ですね。セーラ様、その鍵を開けられるのはリシャド様だけでは?」「多分そうだろうが・・明日、銀行に行ってみて確かめないと・・」聖良がそう言って封筒の中に鍵を戻していると、寝室のドアがノックされた。「誰だ?」「セーラ様、アフマドです。少しお話ししたいことがあるのですが、宜しいですか?」アフマドは確かリシャドの側近だった男だ。彼なら何か知っているのかもしれない―聖良はそう思い、ドアを開けた。「サリーシャ、俺はアフマドと話がしたいから、暫く俺の部屋には誰も近づけないように人払いを。」「承知しました。ではこれで失礼致します。」サリーシャはアフマドに頭を下げると、寝室から出て行った。「アフマド、リシャドの書斎からこの封筒が出てきた。サリーシャに見て貰ったら、ハシャシェプト銀行のものだった。」「そうですか。リシャド様は、ご自分に万が一のことがあったらこれをセーラ様に託すよう命じられておりました。」アフマドはそう言うと、亡き主を想って熱くなる目頭を押さえた。「アフマド、お前とリシャドは長い付き合いだと聞いている。俺よりももっと辛いだろうな・・」「いいえ。いつまでもリシャド様の死を嘆き悲しんでいては、彼が来世に転生出来ません。セーラ様、明日ハシャシェプト銀行へと参りましょう。」「ああ。この事は誰にも漏らさないように。」聖良はそう言うと、寝台やソファ、クローゼットの下や裏を探り、盗聴器が仕掛けられていないかどうか確認していた。「盗聴はされてないようだ。」「シェーラはサリーシャとの一件以来、あなたの事を警戒しております。いつ何処で誰が聞いているのか解りません。人払いを命じていても、外で聞いている者が居る筈です。」「そうだな・・」聖良とアフマドの会話を、サリームの部下・アルマドが立ち聞きしていた。「あの羊飼いの男、一枚上手だなぁ。さてと、サリーム様に知らせないと・・」「ほらねセーラ様、敵が居たでしょう?」自分が盗み聞きをしていることがバレていないと思っていたアルマドだったが、突然寝室の窓が開けられ、アフマドは鬼のような形相を浮かべてアルマドを睨みつけた。「俺はただ、散歩をしていただけで・・」「そうか。ならそんなものは不要だな。」アルマドは2人の会話を録音していたICレコーダーを慌ててポケットに入れようとしたが、それをアフマドは奪い取り、データーを消去した。「これは預かっておこう。ご主人さまの元へ大人しく帰るんだな!」「くそっ!」アルマドは舌打ちすると、夜の闇に紛れて姿を消した。 翌日、聖良はアフマドとともにハシャシェプト銀行へと向かった。「いらっしゃいませ、どのようなご用件でお越しに?」「貸金庫の鍵を開けたいんだが?」「どうぞ、こちらへ。」頭取はアフマドと聖良を貸金庫がある部屋へと案内した。
2012年03月22日
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「リシャド、気が付いたんだな?」「ああ・・」リシャドはそう言うと、しっかりと聖良の手を握り返した。「競馬場で、わたしを撃った男の顔を憶えている。」「どんな男だったんだ?」「あれは・・あの男が飼っている犬だ。赤いバンダナを巻いた・・」リシャドの言葉を聞いた途端、聖良の脳裡に自分を拉致した赤いバンダナの男―第一皇子・サリームの部下・アルマドの顔が浮かんだ。「そいつは、サリームの部下の、アルマドだ。あいつはきっと、サリームに命じられてお前を・・」「そうだろう。あの男はわたしが民主化運動に加わっていることを知り、消そうとしたんだ・・競馬場でシュウと会う事を知っていた・・」リシャドの呼吸が急に荒くなり、それと共に心電図が耳障りな機械音を鳴らし始めた。「リシャド、どうしたんだ、しっかりしろ!?」リシャドは苦痛に歪めた顔をしながら、涙を流している聖良の頬を撫でた。「書斎の・・三番目の引き出し・・」「え?」「もしわたしに何かあったら、わたしの書斎の三番目の引き出しを開けてくれ・・」「そこには何があるんだ、教えてくれ!」「頼んだぞ、セーラ・・」リシャドはそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。「すいませんが、出てください。」「嫌だ、リシャド、リシャド!」看護師達に取り押さえられ、集中治療室から出された聖良は、窓ガラスを掌で叩きながら涙を流していた。リシャドは一旦意識を取り戻したものの、その後容態が急変し息を引き取った。「午前3時、ご臨終です。」心電図に映しだされた平行線を見た医師は、そう言うとリシャドの口から酸素マスクを外し、聖良と淑介に頭を下げ、集中治療室から出て行った。「どうして・・こんなことに・・」リシャドが死んでしまったなんて、聖良は未だに信じられなかった。まだ彼の手はこんなに温かいのに、死んでしまったなんて信じられない。「セーラ様・・」「済まないが、彼と二人きりにしてくれ・・」「解りました。」淑介が集中治療室から出て行くと、聖良の嗚咽が部屋の中から聞こえてきた。 リシェーム王国皇太子・リシャドが国立競馬場の駐車場で何者かによって暗殺されたニュースは、国内外のメディアで報道され、志半ばで亡くなった若き皇太子の死を国民達は嘆き悲しみ、悼んだ。「セーラ様、お休みになりませんと・・」リシャドの葬儀が行われた後、彼の亡骸から離れようとしない聖良を、サリーシャが促した。「ああ、そうだな・・」すっかり憔悴しきった主の顔を見てサリーシャは泣きそうになったが、自分まで泣いてしまったら駄目だと必死に彼女は涙を堪えていた。「サリーシャ、リシャドの書斎が何処にあるのか解るか?」「リシャド様の、書斎でございますか?」「ああ。死ぬ前、彼がそこに何かを隠していると俺に伝えてくれた。」聖良は寝台から起き上がり、サリーシャを見た。泣きはらした彼の目の下には、黒い隈が出来ていた。「案内いたします。その前にセーラ様、その隈を隠しませんと。」「こんなみっともない顔でシェーラには会いたくはないな。」軽く化粧をして聖良はサリーシャの案内でリシャドの書斎へと向かった。(確か、三番目の引き出しを開けろと言っていたな・・)聖良が三番目の引き出しを開けようとすると、そこには鍵が掛かっていた。「どうなさいました?」「鍵が掛かっている。」「そうですか・・では一旦戻りましょう。」聖良は再びリシャドの亡骸の元へと戻ると、撃たれた際に彼が身に着けていたネックレスを手に取ると、中から変な音がした。正方形の飾りを爪にかけて中を開けると、そこには鍵が入っていた。聖良がそれを持って三番目の引き出しにある鍵穴に入れて回すと、引き出しは容易く開いた。にほんブログ村
2012年03月22日
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「セーラ様、どうしてリシャド様とここに?」「知らなかったのか?わたしとセーラはもうすぐ夫婦になる。」「夫婦?」淑介は面食らったような顔をして2人を暫く見ていたが、すぐに真顔に戻った。「これから場所を変えて話をしませんか?」「ああ、そうだな。わたしが行きつけのレストランがある。予約を入れてあるから行こう。」リシャド達が競馬場を出て駐車場へと向かおうとした時、近くの草叢で何かが動いた。「どうした、セーラ?」「いや・・何かが動いたような気がして・・」「猫でも居たのだろう。」聖良をエスコートして運転席側へと回ったリシャドが車に乗り込もうとした時、突然草叢から何か光るものが見えた。(あれは、銃口!)「リシャド、伏せろ!」聖良がそう叫んだのと、駐車場に銃声が聞こえたのとほぼ同時だった。銃声の衝撃で車の窓ガラスが粉々に砕け、先に車に乗り込んでいた淑介と聖良は咄嗟に身を屈めた。「ご無事ですか、セーラ様?」「ああ、俺は大丈夫だ。リシャドは、リシャドは何処に居る!?」「俺が見てきます。」淑介は半狂乱になっている聖良を宥めると、後部座席から車を出てリシャドの姿を探した。アスファルトの床に、リシャドは仰向けに倒れていた。「リシャド、しっかり!」「シュウ・・」荒い呼吸を繰り返しながら、リシャドは淑介の手を握った。「俺の肩に掴まってください!」「悪いな・・」リシャドの肩に手を回し、淑介は彼を後部座席に乗せた後、素早く運転席へと回り、エンジンを掛けて猛スピードで駐車場から出て行った。「競馬場の近くに病院はあるか?」「ああ。すぐ近くの総合病院だ。手前に見えている建物だ!」淑介が車を総合病院へと走らせていると、突然通りの向こうから一台のパトカーが走って来た。「どうした?」「何でもありません。」淑介はパトカーを無視して病院の駐車場へと車を停めると、中から医師達が担架を運んできて、後部座席のドアを叩き始めた。「急患です!」「解りました!」医師達はリシャドを担架に乗せると、手術室へと彼を運んでいった。「一体彼はどうなるんだろう?」「それは解りません。ですが、あれ位のことで彼が死ぬわけがありません。」「そうだな・・」手術室の前で、聖良と淑介はひたすらリシャドの命が助かるように神に祈っていた。 手術室から再びリシャドが担架に乗せられて出てきたのは、夜明け前のことだった。「先生、彼の容態は?」「腹部に残っていた弾丸は全て摘出しましたが、未だ意識がなく危険な状態です。今日が峠でしょう。」「そうですか、ありがとうございました。面会は出来ますか?」聖良が集中治療室へと入ると、そこにはベッドにリシャドが横たえられていた。生気に満ちた精悍な顔は蒼褪め、美しい黄金色の双眸が閉じられている。「目を開けてくれ、リシャド。お前を待っている者達が大勢いるんだ。」聖良がそう言ってリシャドの手を握ると、その手は少し冷たかった。その日は一日中、彼は休みもせずにリシャドの傍に居た。「セーラ・・セーラなのか?」 リシャドが意識を取り戻したのは、撃たれて2日目の夜の事だった。にほんブログ村
2012年03月22日
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長年の独裁政権に対して遂に、国民達が沈黙を破り、逮捕された学生達の解放を各地で訴えた。「直ちに国王は学生達を解放せよ!」「国王は政治の場から退くべきだ!」「シェーラを廃妃にしろ!」民衆の声は日が経つにつれて収まるどころか、徐々に大きくなり、民主化の嵐が熱砂の王国全体を包んでいった。「全く、頭が痛いったらありゃしないわ。誰もかれも、陛下の事を考えもせずに自らの保身ばかり!」後宮では第二王妃・シェーラがそうヒステリックに叫びながら、今日も痛みだしたこめかみを右手で擦った。「シェーラ様、セーラ様がお見えです。」「誰とも話したくないと伝えなさい。」「は、はい・・」侍女が頭を下げながら自分の元からさがると、シェーラは溜息を吐いてパソコンのモニターを眺めた。そこにはあのホームページが映っており、国王・アルハンと第二王妃・シェーラが犯した過去の悪行が書かれていた。情報規制をかけたくても、このホームページの作成者もそのIPアドレスも判らずじまいでは、自分達には何も出来ない。このままでは、アルハンと築いて来たこの王国の存在自体が危ぶまれてしまう。(どうすればいいの・・一体どうすれば!)「お待ちください、セーラ様!」「お前達は下がっていなさい。わたしはシェーラ様にお話があるのだ!」外で侍女達が聖良と言い争っているのを聞いたシェーラは、うんざりした顔で寝室から出てきた。「一体わたくしに何の用なの、セーラ様?あなたの侍女はもうおかえししたでしょう?」「おや、気分が優れないと言う割には、怒る気力があるのだな。さては仮病を使って上手く言い逃れようとしていたのか?」聖良はそう言ってつかつかとシェーラに近寄ると、彼女の頬を叩いた。「何をする、無礼者!」「それはこちらの台詞だ。わたしの侍女を監禁してタダで済むと思うなよ、シェーラ。お前を絶対に潰してやる!」聖良の蒼い瞳が、一瞬シェーラには黄金色の炎が宿ったように見えた。「ふん、お前のような者が、わたくしを潰すと?ふざけた事を言うんじゃないよ!」「今まであの男の陰に隠れ、この国を我がものにしようとしたお前の罪など、すぐに暴かれるだろう。お前やお前の従兄が何をしても無駄だ。虐げられた者が団結したらどうなるか、その恐ろしさを思い知るがいい!」聖良はさっとシェーラに背を向けると、自分の部屋へと向かった。 数日後、シェーラは従兄・アルマドに学生達を解放するように命じた。「何故だ?今あいつらを解放したら、奴らの思う壺だぞ!」「そうすればいいのよ。一度連中を安心させて、向こうの要求を呑めばいいのよ。そうすれば、わたし達が動きやすくなるじゃない?」「ふん・・逆手に取るのか。お前は大した女だよ、シェーラ。」(セーラ、お前はわたし達の怖さを知らない・・見てなさい、お前をあの羊飼いの娘が産んだ男ごと、この世から葬り去ってやる!)聖良はまた、リシャドとともに国立競馬場へと来ていた。今回は日没後に行われるナイターを観戦していた2人であったが、彼らはある人物を待っていた。「お待たせしました。」「いや、今来たところだ。シュウ、何か大きな動きはあったか?」リシャドは淑介を見ると、彼は静かに頷いた。「今朝になって急にアルマドが逮捕した学生達を解放しました。恐らく、これも彼らの作戦かと。」「そうか・・海千山千のあやつらが考えそうな事だ。まだまだ油断はできないな。ところでシュウ、この方を憶えているか?」「どなたなのですか?」「お久しぶりです、鳩江さん。」聖良はそう言って淑介に笑みを浮かべると、彼は少し呆気に取られた表情を浮かべた。にほんブログ村
2012年03月22日
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「おのれ、誰がこんなふざけたものを!」 自分とシェーラを激しく批判するホームページを見たアルハンは激怒し、シェーラの従兄で警察長官であるホメイニに連絡を取った。『陛下、恐らく民主化運動をしている学生達が作ったものでしょう。』「すぐさまそやつらを捕えろ!」アルハンから連絡を受けたホメイニは部下を集め、民主化運動を行っている学生達を連行し、拷問を行った。そんな中、後宮で聖良が蜂蜜水を飲みながら読書をしていると、侍女が騒がしい足音を立たせながら聖良の部屋に入って来た。「セーラ様、大変です!」「どうした、何かあったのか?」「あの狡猾な雌狐が、サリーシャを捕えました!」「何だと!?」聖良は思わず椅子から立ち上がり、報告に来た侍女を見た。「それは本当なのか?」「ええ・・」「すぐに支度を、シェーラと会ってくる。」「いけません、セーラ様。ただでさえシェーラはセーラ様の事を快く思っていないのです。今お行きになられたら、どんな酷い仕打ちをなされるか・・」「サリーシャはこの俺に良く尽くしてくれた、実の妹同然の侍女だ。主である俺が話をつけてくるのは当然だ!」怒りで心が鎮まらぬうちに、聖良は侍女を数人連れてシェーラの部屋へと向かった。「シェーラ様は何処におられる!すぐに出て来い!」「まぁこれは、誰かと思えばセーラ様ではございませんか。主は今外出しておりますよ。」シェーラの侍女頭・アメイルはそう言って聖良を馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべた。「サリーシャは何処に居る?俺の侍女を返せ、今すぐに!」「それは出来ませぬ。あの女は密かに民主化運動をしていた学生と通じていたのです。結婚前の女が異性と繋がりを持つなど恥ずべきことであるのに、その上民主化運動に加わっているなど・・陛下がお許しにならないと、シェーラ様が捕えよと申したので、わたくし達はそれに従ったまでです。」「アメイル、そなた第四王妃の俺に逆らう気か?サリーシャをここからすぐ解放せよ、そうしなければそなたの首をこの場で刎ねるぞ!」「そのような脅し、わたくしには通じませぬ。」自分の娘と同年代である聖良に脅されても、アメイルは毅然とした態度で彼の前に立っていた。「脅しだと思うのか?」聖良はジャンピーアの鞘を抜き、その刃を傲慢な侍女頭の額に突き付けた。「ひぃぃ!」「ふん、虚勢ばかり張りおって、お前はシェーラの威を借りる狡猾な狐だ。主なしでは何も出来ぬ己を恥じよ。」恐怖で床にへたり込んでいるアメイルの脇を通り過ぎ、聖良はサリームが監禁されている部屋へと向かった。「サリーシャ、助けに来たぞ!」「セーラ様!」サリーシャの服はところどころ破れたり汚れていたところがあり、顔には傷がないものの、彼女が立ち上がった拍子に見えた足首には拘束された赤黒い痣が残っていた。「もう大丈夫だ。さぁここから出よう。」「はい・・」 その頃、シェーラはホメイニの元を訪れていた。「ホームページの作成者はわかったのかしら?」「いいや。」「民主化運動をこれ以上拡大させてはならないわ。民主化なんてふざけたものが実現すれば、陛下の威光が消えてしまう。」「心配するな、シェーラ。わたしに任せておけ。」ホメイニは顎鬚(あごひげ)を弄りながら、従妹の肩を力強く叩いた。 民主化運動をしていた学生達がホメイニに逮捕されたというニュースは鳩江淑介により瞬く間にインターネット上で広がり、長年アルハンと第二王妃・シェーラとその親族による独裁政権に耐えていた国民達が遂に沈黙を破った。にほんブログ村
2012年03月22日
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ナリーハ市内中心部にあるユールー競馬場は、沢山の人でごった返していた。「凄い人だかりだな。いつもこんな風なのか?」「今日はレースがある日だからな。昼間行われるレースよりも、夜開催されるナイターの方が多いな。日中は暑くて観戦どころではないからな。」リシャドはそう言って人混みから聖良を守るようにして、彼を抱き締めた。 アラブの民族衣装・ガラベーヤで長身を包み、漆黒の髪を純白の布で包んだ彼の姿は、まるで聖良が幼い頃読んだ童話に出て来るアラビアの皇子そのものだった。対する聖良はアバヤという漆黒の布を纏っている。リシェーム王国はイスラム教国で、女性の外出は制限され、女性が運転免許を取得することを法律で禁じているほど、生活の中にイスラム教が根付いている国である。聖良は男性なので本来同性であるリシャドの付き添いなしに何処でも外出できるのだが、「王妃」という身分なので、聖良はリシャドとともに競馬場に来ていた。「暑くないか?」「全然。それよりも喉が渇いたな。」「ここで待っていろ。」リシャドがそう言って席から離れるのと同時に、靴音が聖良の元へと近づいて来た。「もし、そこのあなた。」「何でしょうか?」聖良が背後を振り向くと、そこにはアメフト選手のようながっしりとした体格をしたスーツ姿の男が自分を見ていた。「もしやあなたは、ローゼンシュルツのセーラ皇太子ではありませんか?」「まさか、人違いでしょう。」聖良は男の質問を難なくかわしてレースを観戦していたが、背後に男の視線が執拗に絡みついてきて、気持ちが悪かった。「セーラ、どうしたんだ?」「リシャド・・」飲み物を買ってきたリシャドは、気まずそうにこちらを見る聖良と、彼を見つめている男を交互に見つめた。「貴様、何者だ?セーラに何か用があるのか?」「これはこれは、リシャド皇太子殿下ではありませんか。失礼致しました、わたしはこういう者です。」男は、一枚の名刺をリシャドに渡した。“アサド=サリファール”とだけ印刷された名刺を見たリシャドの黄金色の瞳が、険しい光を宿した。「どうした、リシャド?」「セーラ、これから彼と話がある。一緒に来い。」「わ、解った・・」緊迫した空気を感じ取った聖良は、そう言ってリシャドの手を握った。「それで?わたしに話とは?」「殿下、是非わたくしどもにお力を貸していただきたいのです。この国の未来を憂えているのは、あなたも同じでしょう?」競馬内に設けられたレストランで、アサドはそうリシャドに切りだした。「あのシェーラとかいう女の従兄が、警察長官の職権を濫用して罪なき者を牢に繋ぎ、拷問し殺していることは知っている。アサドと言ったな?暫く待ってくれないか?」「暫くとは、いつまで待てば宜しいでしょうか?」アサドの黒い瞳が、険しく光った。「そうだな、出来れば今夜辺りまで。その頃には、この国について世界中の者が知ることとなるだろう。」リシャドは聖良とともにレストランを出ると、王宮へと戻った。「何だ、これは!」その夜、自室のパソコンの前でアルハンはあるものを見てそう叫ぶと、怒りでわなわなと震えていた。「どうなさいましたか、陛下?」シェーラはそう言ってアルハンの元へと駆け寄ると、パソコンのモニターにはアルハンを批判するホームページが映っていた。“富を独占する王とその毒婦を、追放せよ!”にほんブログ村
2012年03月22日
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