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火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月 芸能界転生パラレル二次創作小説:愛の華、咲く頃 2
火宵の月 ハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁 0
火宵の月 帝国オメガバースパラレル二次創作小説:炎の后 0
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:幸せの魔法をあなたに 3
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 0
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 昼ドラ大奥風パラレル二次創作小説:茨の海に咲く華 2
火宵の月 転生航空風パラレル二次創作小説:青い龍の背に乗って 2
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
火宵の月×薔薇王の葬列 クロスオーバー二次創作小説:薔薇と月 0
金カム×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:優しい炎 0
火宵の月×魔道祖師 クロスオーバー二次創作小説:椿と白木蓮 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
火宵の月 遊郭転生昼ドラパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:それを愛と呼ぶなら 1
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黄金の楽園 0
火宵の月 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:Ti Amo~愛の軌跡~ 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:蒼き竜の花嫁 0
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 6
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君 1
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陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
火宵の月 転生昼ドラパラレル二次創作小説:それは、ワルツのように 1
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
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火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:ガラスの靴なんて、いらない 2
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 吸血鬼オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黎明を告げる巫女 0
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火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
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火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
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薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
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魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月×ハリー・ポッタークロスオーバーパラレル二次創作小説:闇を照らす光 0
火宵の月 現代転生フィギュアスケートパラレル二次創作小説:もう一度、始めよう 1
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火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風パラレル二次創作小説:愛の名の下に 0
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火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 1
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火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風昼ドラパラレル二次創作小説:砂塵の彼方 0
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ミカエルに連れられてヘルネスト伯爵家の大広間へと入ったフリーゼを待っていたものは、四方八方から向けられた氷のような冷たい視線だった。―何故あんな者がここに・・―反逆者の息子が・・―伯爵も趣味が悪い、よりによってテロリストを招待するとは・・笑いさざめきあいながら自分の陰口をたたく貴族達を、フリーゼは醒めた気持ちで見ていた。 ここにいる連中はどんなに派手に着飾っても、所詮は劣等感の塊を抱き、機会があれば他人を貶めようとする下劣な者達ばかりだ。こいつらに比べたら、道端に寝ている野良犬の方が賢いだろう―フリーゼはそう思いながら、ボーイの手からシャンパンが入ったグラスを取った。「僕はちょっと皇太子様を探してくるよ。もうそろそろ来ている頃だろうからね。」フリーゼの肩をポンと叩きながら、ミカエルはそう言ってセーラ皇太子を探し始めた。フリーゼは会場の隅に立ち、シャンパンを一口飲んだ。自分に招待状を出した男が誰であれ、こんな退屈な舞踏会に呼んだことに対して一言文句を言ってやりたい気分だった。父親は祖国では反逆者、海外ではテロリストと呼ばれ、自分達兄妹は父親の所為で後ろ指をさされ、迫害される。自分達が辛い目に遭っているからといって父親に対して恨みもないし、憎しみもなかった。それよりも、いつまで無意味なことを続けているつもりなのだろうと、少々呆れている。武力によって政権を奪っても、同じ事が続くだけだ。何故父はそんな簡単な事がわからないのだろうか・・貴族たちがワルツに興じているのを眺めていると、突然大広間が水を打ったように静かになった。何だろうと思って入口の方を見てみると、1組の着飾った男女が入って来るところだった。男は純白の軍服を纏い、肩や胸に勲章をぶら下げている。艶やかな黒髪に澄んだ菫色の瞳を持った美しい容姿に、彼の周りに居た令嬢達が黄色い悲鳴を上げた。対する連れの女の方は、夜空に散る星空のような美しい黒のドレスを身に纏い、ブロンドの髪に宝石を散りばめて、まるで天空から舞い降りた女神のような気高い美しさだ。女は軍服姿の男と何かを話しながら彼から離れ、誰かを探しているのか、大広間の中を歩きながら視線をきょろきょろとさせている。そんな彼女の姿を、いつ声をかけようかと財閥2世や貴族の子息達が機会を窺いながら見ている。やがてフリーゼと女の目が合い、女は彼の方へと向かって歩いてきた。その時タイミング良く、楽団がハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を奏で始めた。ワルツなど踊る気はさらさらないので、誘われたら断ろうと思いながらシャンパンを飲んでいると、女がいつの間にか自分の目の前に立っていた。「わたくしと、踊っていただけないかしら?」そう言って艶やかに微笑み、右手を差し出す彼女を見て、フリーゼはその美しさに心を奪われた。「喜んで。」心とは裏腹の言葉が口をついて飛び出したが、断るのはもう遅いと気付いた時には、女ととともにワルツのステップを踏んでいた。「なかなかお上手ですのね、ワルツは初めてじゃありませんの?」女はそう言って妖艶な笑みを浮かべた。「ええ。社交界デビューしてから毎日のように踊っていましたから。今はこのような場所に呼ばれることがないのでワルツを踊るのが久しぶりで・・」「あなたのこと、もっと知りたいわ。」女の笑顔を見た時、フリーゼは彼女に一目惚れしてしまったことに気付かなかった。女の正体が父親の敵であることにも気付かずに。にほんブログ村
2012年03月18日
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ヘルネスト伯爵家の舞踏会が明日に迫った頃、リヒャルトに呼ばれて聖良はダイニングを出て自分の部屋へと入った。「俺に見せたいものって、何?」「その前にセーラ様、大変言いにくいことなのですが・・あなた様には女装して舞踏会に出席していただきたいのです。」「え・・」過去に暁人の頼みで松久家で女装して舞踏会に行き、そこで人質となった出来事が聖良の脳裏に浮かんだ。もうあんな思いをするのは御免だ。「どうして、急にそんなこと言うの?タキシードで正装して出席すればいいことじゃないか。」「あなた様の身の安全の為です。ミカエル様があなたのお命を狙っているとも限りませんし。」「ミカエルって、昨日俺を襲った奴?あいつが何で俺を狙っているの?」「それは今話せません。どうか、あなた様の安全の為だと思って御理解していただきたいのです。」日本から遠く離れた異国でまた女装する羽目になるとは・・聖良はそう思い、溜息を吐いた。「俺がわざわざ女装して舞踏会に出なきゃいけない事情でもあるの?ちゃんと説明して。そうではないと納得できない。」「実は、わたしはある男が明日の舞踏会に出席するとの情報を得ました。その男の名はフリーゼ=クラインシュタイン。あのガンネルトの1人息子です。あなた様は彼と接触してテロリストに繋がる情報を掴んでください。」「つまり、スパイになれって事?っていうか、フリーゼとかいう奴の顔とか知らないし。」「フリーゼは漆黒の髪に黄金色の髪をした美丈夫です。この写真をご覧になればおわかりいただけるかと思いますが。」リヒャルトはフリーゼの顔写真を聖良に見せながら言った。「俺をこの人に会わせて何をさせるつもりなの?彼のお父さんや部下達にテロを止めさせろ、とでもお願いしろとでも?」聖良はそう言ってリヒャルトを見据えた。その時の彼の瞳は、病院で見たミカエルの瞳と同じ冷たさを持っていた。「そういうことなら、俺は舞踏会に出席しない。命を狙われているんなら、尚更ね。」「わたくしはあなた様の為ならこの命でさえも惜しまずに差し出します。ですから機嫌を直して下さい。」スパイのような真似をするのは好きではないが、リヒャルトが自分やまだ見ぬ祖国のことを考えてこの作戦を自分に話したということに聖良は興味を持った。「解った、あなたを信じるよ。どんなことがあっても俺を守ってくれると約束するなら。」「わたくしはあなた様を全力でお守りいたします。」リヒャルトは聖良に跪き、彼の手に接吻した。「で、俺に見せたいものって何?」「舞踏会には、このドレスをお召しになっていただきます。」そう言ってリヒャルトが聖良に見せたのは、黒の布地にダイヤを散りばめた夜空を連想させるような美しいバッスルスタイルのドレスだった。「舞踏会にはわたくしがあなた様をエスコート致します。」「コルセットでまたウェストを締めつけられるのは嫌だけど、このドレスだったら文句は言えないな。」ドレスをそっと撫でながら、聖良はそう呟いて笑った。舞踏会当日、ヘルネスト伯爵邸には各国の貴族や政財界の大物、地元の名士達などが集まり、会場である大広間は婦人や令嬢の纏う華やかなドレスが大輪の薔薇の花弁のようだった。「準備はいいですか、セーラ様?」宝石を散りばめたブロンドのエクステンションを付け、艶やかに変身した聖良は、リヒャルトの手を借りながらゆっくりとリムジンから降りた。「いいですか、決してフリーゼやミカエル様に正体がバレてはいけませんよ。12時の鐘が鳴ったら帰ってくるのですよ。」「何だかまるでシンデレラみたいだね。」「12時の鐘のことは冗談ですから、お気になさらず。さぁ、参りましょう。」リヒャルト共に大広間の前に立った聖良は大きく深呼吸して、華麗なる戦場へと赴いた。にほんブログ村
2012年03月18日
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「皇太子様の怪我のお具合はいかがですか?」 聖良が鹿狩りの帰りに何者かに襲われたことを知ったロバートの両親であるヘルネスト伯爵夫妻が聖良が手当てを受けている診察室の前にやって来た。「幸い怪我の程度が軽く、脳震盪(のうしんとう)を起こしていましたが脳に異常は見られませんでした。すぐに退院できるとお医者様がおっしゃっておりました。」「このたびは息子が鹿狩りに誘った所為で皇太子様を危険な目に合わせてしまって、大変申し訳ございません。」ヘルネスト伯爵夫人は顔面蒼白になりながらリヒャルトにそう言って詫びた。「あれは事故です。誰の所為でもありません。どうか顔をおあげになってください。舞踏会には必ず伺いますから。」ヘルネスト伯爵夫妻は安堵した表情を浮かべながら病院から去って行った。「入ってもよろしいでしょうか?」リヒャルトがそう言って診察室のドアをノックすると、中から聖良の叫び声が聞こえた。「セーラ様、どうされましたか!」「痛い、しみる!」怪我をした箇所に消毒薬を押しあてられ、聖良は悲鳴を上げた。「消毒くらいで悲鳴を上げないでください。」リヒャルトは溜息を吐きながら眉間を揉んだ。「あの人、何処行ったの?俺、あの後のこと全然覚えていないんだけど・・」「ミカエル様の事でしたら心配要りません、わたしが話をつけておきます。」リヒャルトはそう言って診察室を出た。「ミカエル様、お待ちください!」病院のロビーを横切ろうとしていたミカエルを見つけ、リヒャルトは大声で彼の名を呼びながら階段を駆け下りた。「煩いなぁ、ここは病院だよ?少し静かにできないの?」「あなたにお聞きしたいことがあるんです。」「何?」「セーラ様を襲ったのは、ミカエル様、あなたですね?」リヒャルトの言葉を聞いたミカエルの蒼い瞳が、少し翳ったが、またいつものような冷たい輝きに戻った。「だったらどうだっていうの?言いたいことがあるならはっきり言いなよ。」「あなた様は、一体何を考えていらっしゃるのですか?セーラ様に何をなさるおつもりで英国に・・」「そんなこと、お前ごとき話すことじゃないよ。立場を弁(わきま)えなよ。」ミカエルは冷たくリヒャルトを睨むと、溜息を吐いた。「お願いです、ミカエル様。決してセーラ様を傷つけないと約束してください。」「今週末の舞踏会で楽しいことが起きるよ。」「ミカエル様っ!」遠ざかってゆくミカエルの背中をリヒャルトは、いつまでも見ていた。「やぁ、待たせたね。」病院のタクシー乗り場で、ミカエルは黒いコートを纏い、寒空の中自分を待っていたフリーゼに声をかけた。「俺に話したいこととは何だ?」「まぁ、それはタクシーの中で話そうじゃないか。それより、舞踏会には出るの、出ないの?」「出るに決まっている。客として招かれたんだからな。」「そう・・じゃぁ君にひとつ、頼みたいことがあるんだけど。」ミカエルはリヒャルトの耳元に何かを囁いた。「お前・・本気なのか?」「僕は本気だよ、いつでもね。」ミカエルはそう言って笑った。「今週末が楽しみだね?」天使の名を持つ青年は美しかったが、その心は悪魔のように醜かった。にほんブログ村
2012年03月18日
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青年の訪問から数日が経ち、聖良は徐々に英国の生活にも慣れてきた。「皇太子様、今日の午後ロバート達と鹿狩りへ行きませんか?ロバートがいい狩猟場があるというので、案内したいのです。」ある日、朝食の席でシャーロックはそう言って聖良を見た。(何だか急な話だな・・スケジュール空いてるかな?)チラリと隣のリヒャルトを見ると、彼は聖良の言いたい事を察したのか、静かに首を縦に振った。「喜んでお受けいたします。」この時、聖良はあの青年が仕掛ける悪意の罠に、気付く暇もなかった。「あそこですよ。」ミルトネス伯爵邸を車で出て30分ほど走ったところに、ヘルネスト伯爵家所有の狩猟館があり、周辺は鬱蒼とした木々に囲まれていた。「冬になると一面雪で白くなって素敵ですよ。今はまだそれを見ることはできませんけど。」ロバートは自慢げにそう言いながら車から降りた。狩猟館で一息ついた聖良達は、ロバートが手配した馬に乗って鹿狩りを開始した。だがまだシーズン前なので、余りいい獲物は仕留められなかった。「残念でしたね、皇太子様。せっかくお誘いしたのに、このような結果になってしまって・・」ロバートは済まなそうにそう言って聖良を見た。「いいえ、お気になさらず。誘ってくださってありがとうございました。」聖良は何故急に彼が自分を鹿狩りに誘った深い理由を知らず、そう言って彼に微笑んだ。「そろそろ狩猟館に戻りましょうか。これから冷えますし。」「そうですね。」ロバートはシャーロックとともに一足先に馬で狩猟館へと戻っていったので、聖良はひとり、狩猟館への道を戻っていた。その時、あの青年の姿がないことに、初めて気付いた。つい先ほどまで自分達と居たのに、彼は一体何処へ消えたのだろうか?そう思いながらも狩猟館へと馬を進めてゆくと、突然近くの草むらが激しく揺れた。ただの風かと思ったが、草むらから何処からともなく数匹の狼が出てきて黄金色の瞳で聖良が乗っている白馬を舌なめずりしながら睨んだ。白馬は恐怖で目を見開き、パニックを起こす寸前だったが、聖良は白馬を落ち着かせ、狼を睨みつけながらゆっくりと後ずさって行った。狼は唸りながらも聖良への距離を徐々に縮めてゆき、その中の一匹が聖良の喉元に喰らいつこうと飛びかかって来た。聖良は咄嗟に首に提げている短剣を抜き、狼の左目に刃を突き立てた。狼は左目から血を流しながら哀れな鳴き声を出し、仲間の元へと戻って行った。「へぇ、その短剣君が持ってたんだ、セーラ。気がつかなかったなぁ。」草むらの中から声がして、あの青年が現れた。狼達が青年の足元に纏わりつき、尻尾を振り始めた。「一体これはどういうつもりですか?俺に狼にけしかけるなんて・・」「手荒な真似して御免ね、セーラ。こうでもしなければ君が短剣の在り処を話さないんじゃないかと思ってね。だってその短剣は次期皇帝の証だから、誰かに奪われたら困るものね。」蒼い瞳に冷たい光を宿したまま、青年はそう言って馬上で唖然としている聖良を見た。「次期皇帝の証・・この短剣が?」「おやおや、あの菫色の瞳をした男に何も聞かされていないようだねぇ。まぁ、その方が僕にとって少々都合が良い。その短剣を渡して貰おうか。」「嫌だと言ったら?」聖良はそう言って青年を睨んだ。「そうだね、この場で僕の忠実なペットに命じて、君をなぶり殺しにしてあげようかな?それとも、人目につかない狩猟小屋で発狂するまで辱しめてやろうかな?」聖良は手綱をひき、狩猟館とは反対の方向へと走った。その直後、馬の悲鳴のような甲高い嘶(いなな)きと共に聖良の全身に激痛が走り、彼は落馬した。狩猟館の方から雷鳴のような蹄の音が近づいてくるのを感じて、聖良は意識を失った。にほんブログ村
2012年03月18日
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「シャーロック、どうしたんだ?」自分をじっと見つめる冷たい光を放っているミカエルの蒼い瞳に悪寒が走ったシャーロックは、彼がテーブルについて紅茶を飲んでからも、暫くその場から動けなかった。「すまん、ちょっとボーっとして・・」慌ててシャーロックはそう言いながらテーブルについた。「皇太子様にお会いしたいのですが、今よろしいでしょうか?」「皇太子様ならお部屋でお休みになられていますが・・」「どうしても皇太子様にお会いしたいのです。シャーロックは黒檀の執務机に置いてある電話の受話器を取り、リヒャルトの部屋へと掛けた。『もしもし、どちら様ですか?』「すいません、シャーロックです。皇太子様にお会いしたいとおっしゃられるお客様がお見えなんですが、どうなさいましょうか?」受話器の向こうで、一瞬沈黙が流れた。『皇太子様に伝えておきます。』ダイヤルトーンの音が聞こえると同時に、シャーロックは受話器を置いた。「セーラ様、今よろしいでしょうか?」リヒャルトがドアをノックする音で聖良は目覚め、ゆっくりとベッドから起き上がってドアを開けた。「何?まだ夕食の時間には早い筈・・」「突然で申し訳ありませんが、先ほどシャーロック様からお電話がありまして、あなた様にお会いしたいとおっしゃられるお客様がいらっしゃられていますが、いかがいたしましょう?」「俺に、お客様?」英国には知り合いなどいないのに、誰が自分と会いたがっているのだろうか?「シャーロックさんの部屋にいるんだよね、そのお客さん?案内して。」「かしこまりました。」リヒャルトとともにシャーロックの部屋へと向かった聖良は、躊躇いがちにドアをノックした。「すいません、セーラです。入ってもよろしいでしょうか?」「どうぞ。」部屋に入ると、そこにはシャーロックと見知らぬ黒髪とブロンドの男性がテーブルから立ち上がって自分を見ていた。「あの・・俺に会いたいという方は・・」「あちらの方です。」シャーロックがそう言って手を向けた方を見ると、自分と同じ容姿をした男性がニコリと聖良に微笑んだ。「久しぶりだね、セーラ。僕を覚えていないかい?」「あなたは、一体誰なんですか?」聖良はまるで鏡に写したかのように容姿が瓜二つの青年を見ながら言った。「悲しいねぇ、物心ついた時からずっと一緒にいたのに、覚えてないなんて・・」青年は溜息を吐きながら聖良に近づいた。「セーラ様は記憶を失くされておられるのです。少しずつですが祖国に居た記憶は戻っておりますが、ご家族の事や幼少時の事はまだ・・」「僕は君に話しているんじゃない、皇太子様にお話ししているんだ。余り出しゃばらないで欲しいな。」青年はジロリと冷たくリヒャルトを睥睨すると、聖良に向き直った。「君に会いたかったのは、少し尋ねたいことがあるからなんだ。」「俺に、聞きたいこと?」「そう。中世風の凝ったデザインで、中央にルビーが嵌め込まれている短剣が何処にあるか教えてくれない?もしかしたら君が日本に向かった頃に宮殿から持ちだしていると思うんだけど?」聖良は首に提げている短剣のことをこの青年に話してはいけないと本能的に思った。「いいえ、知りません。」「そう。じゃぁ皇太子様、一週間後に開かれるヘルネスト伯爵家の舞踏会でまたお会いいたしましょう。それでは、これで失礼。」青年はそう言って聖良に背を向けて部屋から出て行った。彼が去った後、リヒャルトは菫色の瞳でじっと彼が消えたドアを見つめていた。「リヒャルト、どうかした?」「いいえ、何でもありません。」にほんブログ村
2012年03月18日
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ミルトネス伯爵一家との気まずいアフタヌーンティーの後、聖良は用意された部屋に入り、天蓋付きのベッドの上で寝転がった。 鷹城家に滞在している時に宛がわれた部屋よりも天井が高く、広さは鷹城家の部屋の2倍あった。エメラルドグリーンで統一された部屋のインテリアは華美ではないが気品が感じられ、まさしく英国貴族そのものといった感じのものだった。生まれて初めての海外―しかも英国貴族の邸に長期間滞在するという体験は鷹城家の時と同じように不幸な結果を招くのか、聖良は不安になった。日本に居た時は養父という心強い味方がいたし、時間があればいつでも会える距離だったので、さほど寂しくはなかったが、今回は誰も友人知己がおらず、頼れるのはまだ完全に心を開く事が出来ないでいる大使のリヒャルトと、王室関係者だけだ。リヒャルト達のスパルタ教育の成果もあってか、キングス・イングリッシュは挨拶程度から日常会話まで短期間で完璧に話せるようになったが、生まれてからキングス・イングリッシュを話す英国人に通じるのかどうかが分からない。考え始め出したら、色々と不安な事ばかり考えてしまう。ほんの数ヶ月前までは一警官として上流階級とは全く無縁の世界で生きてきた聖良にとって上流階級の世界―貴族の世界は未知との遭遇そのものであった。(このまま日本に帰りたい・・帰ってお義父様と一緒に暮らしたい・・)国会議事堂前ではしゃいでいた気持ちは今や空気を失った風船のように萎え、あとは望郷への想いと、異国で暮らすことへの不安ばかりが募っていた。だがこのまま日本に帰る訳にはいかない。あの事件の後、聖良は友人を1人失った。彼はもう元には戻らない。彼の心を深く傷つけた自分が日本にいる資格はないと思って、もう日本には戻るまいと決意してここまで来たのだ。(弱気になっちゃだめだ・・どんなことがあっても歯を食い縛って耐えなければ・・)聖良はそう思いながらゆっくりと目を閉じた。やがて彼は眠りの底へと沈んでいった。その頃、ミルトネス伯爵家の長男・シャーロックは、自分の部屋で親友のロバートと談笑していた。「お前のところにあの皇太子様がご滞在中って本当か?」「ああ。何でも日本から来たとかで・・色々と事情を抱えているらしいよ。」シャーロックはそう言って紅茶を一口飲んだ。「お前は皇太子様のことを歓迎しているようだけど、あの我儘娘が皇太子様を受け入れるかどうかが問題だな。お兄様至上主義だから、お前と皇太子様が親しくなるとヒステリー起こすだろうよ。」「エリザベスは兄離れが出来ないんだ。もう良い年頃なのに、困ってしまうよ。」ロバートはシャーロックの言葉を聞いてクスリと笑った。「あの娘に比べて、ガブリエルの方が可愛げがあるってもんだな。俺もあんな弟が欲しかったなぁ・・」ロバートには寄宿学校に入っている9歳下の弟が居るが、悉く兄に対して反抗し、憎まれ口を叩いていると聞いている。「ガブリエルは可愛いよ。それに賢いしね。将来が楽しみだ。」「お前はブラコンか・・いい年して・・」「シャーロック様、お客様がお見えでございます。」ノックの音と共に、執事の声が聞こえたので、シャーロックとロバートは同時にドアの方を振り返った。「お客様?」「はい、何でもロバート様の寄宿学校時代の同窓生だとかで・・」「入って貰いなさい。」「かしこまりました。」ドアが軋む音と共に、宗教画から抜け出した天使のような美しい容姿をした金髪蒼眼の青年が、部屋に入って来た。「久しぶりだね、ロバート。元気にしていた?」「ああ。お前はどうだ、ミカエル?」ロバートはそう言って旧友を抱き締めた。「シャーロック、紹介するよ。俺と同じ寄宿学校の同窓生だったミカエルだ。」「初めまして。」ミカエルはシャーロックに手を差し出した。シャーロックはミカエルの手をそっと握った。彼を見ると、彼の美しい蒼い瞳には冷たい光しか宿っていないことに、シャーロックは気付いた。にほんブログ村
2012年03月18日
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国会議事堂前でリムジンから降りた聖良は、テムズ川沿いに見えるビック・ベンと国会議事堂を眺めた。(本当に来たんだ、英国に・・)今まで海外旅行に行く機会が全くなかった聖良は、ロンドンの名所を満足げに眺めていた。「御満足されましたか、セーラ様。」「うん、とっても。ねぇ、写真撮らない?」「わかりました。」聖良は携帯をポケットから取り出し、テムズ川と国会議事堂をバックにして写真を撮った。「では参りましょうか、セーラ様。これからお会いしなければならない方がいらっしゃいますから。」「誰?」「あなた様が英国におられる間、ご滞在されるお邸の持ち主であるミルトネス伯爵夫妻にご挨拶をしなくてはなりません。」「俺が英国貴族の邸に滞在するの?何だか気まずいな・・」鷹城家での滞在中は始終気まずい雰囲気で、しかもあんな事件が起きてしまったため、聖良は鷹城家の者達に礼の一言も言わずに半ば逃げるように日本を去って行ってしまった。「ホテルとか、滞在先は何処にでもあるんじゃない?何も他人様の家に泊らなくても・・」「そういう訳には参りません。あなた様は英国貴族の下で貴族社会の作法を学んで貰います。今まで日本でやってきたレッスンでは充分とは言えませんからね。」「わかったよ・・」国会議事堂前を出発したリムジンは、ロンドン郊外にあるミルトネス伯爵の領地に入った。周辺に田園地帯が広がり、絵葉書に出てくるような茅葺の家屋が建ち並ぶ美しい風景に、聖良は目を奪われた。(同じ英国でも、こう風景が変わるなんて・・なんだか新鮮だなぁ・・)「セーラ様、もう間もなくミルトネス邸に着きます。降りるご用意を。」「わ、わかった。」白亜の美しい正門がゆっくりと開き、邸内路から邸までの短い距離が聖良にとっては長く感じられた。リムジンが正面玄関に停まると、使用人達が両側に並び、その中央には主人と思しき年配の女性と彼女の夫らしき男性が立っていた。「セーラ皇太子様、英国へようこそいらっしゃいました。わたくしはウィリアム=ミルトネスと申します。こちらは妻のローラです。」ツイードの上着を着た痩身の男が、そう言って聖良に微笑んだ。「セーラです。このたびはご滞在をお許し下さり、誠にありがとうございます。」「いえいえ、滅相もございません。皇太子様がお気に召すのなら、いくらでもご滞在下さって結構です。ここでは立ち話でもなんですから、ダイニングでお茶でも飲みながら話しましょう。」ミルトネス伯爵は、妻と共に聖良をエスコートしながら邸の中へと入った。リヒャルトは聖良の後についてダイニングへと向かった。ダイニングに入ると、白いシルクのクロスがかけられた長方形のテーブルに、20脚程の美しいアンティークの椅子が並べられ、そのうちの3脚には10代の少女が1人、そして20代後半と思しき男性が座っていた。「皇太子様、わたくし達の子ども達を紹介いたしましょう。長男のシャーロックです。」伯爵に名前を呼ばれた男性は立ち上がり、聖良に向かって微笑んだ。「シャーロックです。セーラ皇太子様、お会いできて光栄です。」「こちらこそ。今後ともよろしくお願いいたします。」聖良は男性に微笑み返し、男性が差し出した手を優しく握った。その時、男性の隣に座っていた少女がジロリと聖良を睨んだ。「エリザベス、皇太子様にご挨拶なさい。」伯爵にそう言われた少女は、ブスッとした表情を浮かべて席を立ってダイニングへと出て行った。(嫌な予感がする・・)鷹城家での滞在と同じく、ミルトネス伯爵邸での滞在も暗雲が立ち込めそうな予感がした。にほんブログ村
2012年03月18日
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「お前は、一体何者なんだ?」「それは愚問だね。」皇太子と瓜二つの容姿を持った青年は優雅にティーカップを手に取った。「反逆者の息子が僕に会いたいなんて、どういう風の吹き回しだい?僕は王党派の人間だよ?」「父は反逆者だが、俺はそうではない。」フリーゼはそう言って、怒りの炎を宿した黄金色の瞳で青年を睨みつけた。「これは失敬。君はお父上よりも少しまともな人間のようだ。僕はミカエル=ヴェントルハイム。この名前は聞いたことあるよね?」フリーゼは青年の名を聞いた瞬間、顔が強張った。王室と姻戚関係があるヴェントルハイム侯爵家出身で、セーラ皇太子の幼馴染であり、彼の影武者でもある。道理で容姿が似ているわけだ。「その名は聞いたことがあるぞ。皇太子の影武者だろう?」「ご名答。僕は皇太子様の御身をお守りする為に物心ついた時から彼の影武者になった。」「お前に聞きたいことがある。俺に頼みたい事とは、何だ?」青年は持っていた鞄の中から1枚の写真を取り出した。「これ、何だか分かるよね?」写真に写っていたのは、中央にルビーを嵌めこんだ短剣だった。「皇位継承者のみ持つことが許されるものだろう?それがどうした?」「この短剣でひと騒動起こしたいんだけど、見つからないんだよねぇ。てっきり君の父上が掠め盗ったとばかり思っていたんだけど。」「この短剣のことは、父は知らん。」「じゃあ皇帝が絡んでいるね。とにかく、この短剣なしじゃ始まらないんだよね。」「貴様、一体何を始めるつもりだ?」「それは後のお楽しみさ。これ僕の携帯の番号とアドレス。じゃぁね。」青年はそう言ってメモをフリーゼに手渡すと、店から出て行った。(あいつは一体何を考えているんだ?それに、あの短剣は今何処に・・)パブを出たミカエルは、ピカデリー・サーカス広場を歩きながら携帯電話を取り出し、ある番号にかけた。英国への長時間のフライトを終え、ヒースロー空港へと降り立った聖良は、初めての海外に子どものようにはしゃいでいた。「ロンドン市内の観光はいつにしようかなぁ・・」「余りそんな事をする時間がありませんが、スケジュールを調整してみましょう。」到着ロビーを出ると、大勢の取材陣と野次馬がリヒャルトと聖良達を迎えた。「胸を張って歩きなさい。皆があなたを見ていらっしゃるのです。」リヒャルトは聖良に続いてリムジンに乗り込もうとした時、携帯が鳴った。フラップを開き、リヒャルトは通話ボタンを押した。「もしもし?」『やぁ、英国へようこそ。皇太子様にとって今回の滞在が楽しいものになるよう願っているよ。』「あなたの目的は一体何ですか?」『それはまだ言わないよ。楽しみがなくなるからね。そうだ、君ならあの短剣が今何処にあるか、知ってるよね?』「申し訳ありませんが、存じ上げません。」リヒャルトはそう言うと携帯の電源を切った。「つれないなぁ・・まぁ、それも彼の良い所だけどね。」ミカエルは口元を歪めて携帯をポケットにしまい、再び歩き出した。「電話、誰からだったの?」「知り合いからです。それよりもこれからロンドン観光に参りましょうか。せめて国会議事堂だけでも。」「ありがとう。」聖良達を乗せたリムジンは、一路国会議事堂へと向かった。同じ頃、下宿先のアパートへと戻ったフリーゼは、郵便受けにある伯爵家の蜜蝋が押されている手紙を見つけ、封を切った。中には、1週間後に開かれる舞踏会の招待状が入っていた。フリーゼはクローゼットを開け、まだ一度も袖を通していないタキシードを数分見た後、クローゼットを閉じた。にほんブログ村
2012年03月18日
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「ん・・」朝日に照らされた聖良は、ゆっくりと身体を起こした。 部屋を出て階下の浴室に入ってシャワーを浴びていると、首筋から胸にかけて薔薇色の鬱血痕が花弁のように散らばっていた。それを見た瞬間、聖良の脳裏に昨夜の事が思い出してしまった。裕樹と仮初の関係を持ったことを早く忘れようとしようとしたが、昨夜の出来事がどうしても忘れられない。「セーラ様?」浴室のドアから人影が見え、リヒャルトの声がした。「何?」「セーラ様、朝食が出来ておりますと神父様が。」「わかった。」シャワーを浴びて身支度を整えた聖良は、食堂へと向かった。「あなたと過ごす朝も、今日で最後ですね。」聖太がコーヒーを飲みながら、そう言って聖良に微笑んだ。「お義父様、向こうで落ち着きましたら、毎日手紙を書きます。だから、そんなに寂しがらないでください。」聖良は養父の手を握り締めた。「セーラ様、わたくしはこれで。」リヒャルトはそう言って、食堂を出た。「聖良、お前に渡したいものがあります。こちらへ来なさい。」「はい、お義父様。」2人は食堂を出て、聖太の書斎へと向かった。「渡したいものとは、なんでしょうか?」聖太は机の引き出しからネックレスを取り出した。「これは?」「皇帝陛下がわたしに託されたものです。いずれあなたが母国に戻る時が来たら、渡すようにと。」聖太はそう言ってネックレスを聖良に渡した。ネックレスは、一流の職人によって作られた中世風の洋剣を象ったデザインで、中央にルビーが嵌め込まれていた。「ありがとうございます・・」聖良はそっと剣の柄の部分に触れた。「このネックレスは肌身離さず持っておきなさい。何かがあったら、あなたの事を守ってくださるでしょう。」「お義父様、行って参ります。」聖良は聖太を抱き締め、書斎を出て行った。聖太はその背中を、いつまでも見送った。成田までのドライブはあっという間だった。「皇太子様、こちらです。」飛行場に停まっているローゼンシュルツ王国専用機のタラップを、1歩ずつ聖良は上がっていった。“聖良”その途中、誰かに呼ばれたような気がして聖良は背後を振り返った。飛行場から少し離れたところで、裕樹が微笑んで手を振っていた。「どうなさいましたか?」「裕樹が、あそこに・・」そう言って裕樹がいた場所を指すと、そこにはもう彼の姿はなかった。(気の所為か・・)「セーラ様、急ぎませんと。」「わかった。」聖良は裕樹がいた場所をもう一度見ると、機内へと入って行った。やがて彼らを乗せた専用機は、滑走路から英国へと飛び立っていった。「もう日本とはお別れか・・何だか寂しくなるな・・」窓の外に映る東京の街を眺めながら聖良はそう呟いて溜息を吐いた。「あなた様はこれから過去と訣別しなければなりません。あなたの肩には、700万もの国民の命がかかっているのですから。」「分かってる、分かってるけど・・」聖良は養父から手渡されたネックレスを取り出して、それを握り締めた。「そのネックレスは?」「義父が別れる前にくれた。何でも皇帝陛下が俺と義父が共に日本に渡る前、託されたものとか・・」「そうですか・・」(王位継承者の証であるこの短剣を、陛下はあの方に託されたということは、最初から陛下は王位をセーラ様にお譲りするおつもりで・・だからセーラ様を日本へ亡命させた・・)「どうしたんだ、リヒャルト?顔色悪いぞ?」我に返って隣を見ると、心配そうに自分の顔を覗きこむ聖良がいた。「セーラ様、このネックレスは、肌身離さず大切に身につけておいてください。あなた様にとってこれは命の次に大事なものとなるでしょう。」「それ、どういう意味?」「いずれ分かります。英国に着いたら全てをお話しいたします。それまではゆっくりと身体を休めてください。」「わかった・・」聖良はそう言って欠伸をしてゆっくりと目を閉じた。彼らを乗せた専用機はロシア上空にさしかかった。聖良は喉に渇きを覚えて起きた。「すいません、お水貰えますか?」客室乗務員に話しかけると、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。「申し訳ございません、お水はただいま切らしておりまして。グレープフルーツならございますが。」「じゃあ、それをひとつ頂きます。」客室乗務員からグレープフルーツを手渡された聖良は、果物ナイフを持ってきていないことに気付いた。聖良は咄嗟に首に提げているネックレスを掴んだ。すると剣の柄の部分が外れ、中から銀色の刀身が出てきた。(これ、短剣だったんだ・・)別れ際、養父が肌身離さずそれを持っているように言ったのは、万が一のことが起きた場合はそれで身を守れという意味だったのだろう。養父の言葉は理解できたが、リヒャルトの言葉はいまいち理解が出来なかった。「命の次に大事なものって・・この短剣に何か意味があるんだろうか?」首をかしげながら聖良は短剣でグレープフルーツの皮を剥き始めた。その頃、ロンドン市内にあるパブで、フリーゼはある人物と待ち合わせていた。「やぁ、待たせたね。」紅茶を飲みながら読書をしていると、その人物がそう言って店に入って来た。輝くようなブロンドの髪に、蒼い瞳。その人物は、あの皇太子と瓜二つの容姿を持っていた。にほんブログ村
2012年03月18日
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「やめろ、裕樹・・やめろって・・」聖良は裕樹を押し退けようと彼の胸を押すが、鍛えられた厚い胸板はビクともしなかった。「お前は今夜だけ俺のオンナになるんだ。」裕樹は聖良の両手首を掴むと、聖良のネクタイを外してベッドの枠に縛り付けた。「嫌だ、嫌ぁっ!」「大丈夫だ、優しくしてやっからよ。」裕樹はそう言って行為を再開した。それから聖良が長いと思っていた悪夢はあっという間に過ぎ去り、聖良はベッドで力無く横たわった。ニコチン特有の臭いがして隣を見ると、半裸になった裕樹が気だるそうに煙草を吸っていた。「どうして、あんなことを・・」「お前を抱きたかったんだよ、一度だけ。お前が俺の手の届かない所に行く前に。」裕樹はニコチンを吐き出しながら言った。「お前とはいつも一緒だった。けどお前が警官になって、あの事件や暁人のことが起きて、お前が何処かの国の皇子だと知った時、お前はもう俺の元に戻って来ないと悟ったんだ・・だからあんな酷い言葉をお前に投げつけた。」「裕樹・・」「馬鹿だよな、俺。相手はその気じゃねぇのにずるずると初恋ひきずって前に進めねぇなんてよ。」自嘲めいた笑みを浮かべ、裕樹はゆっくりとベッドから起き上がった。「一夜だけでも、お前と関係を結べてよかったぜ。」彼はそう言って、聖良の首筋にキスをして部屋から出て行った。“白百合の家”を出た裕樹は、勤務先のホストクラブへと向かった。「遅かったな、ヒロキ。今まで何処行ってた?」店のナンバーワンホストである美晴がそう言って彼を睨んだ。「ちょっとこれと楽しんでたんすよ。」裕樹は小指を立てながら笑った。美晴は何も言わず、客が待つテーブルへと向かった。「ヒロさん、例の人が見えてますよ。」「わかった、今行くわ。」裕樹はある客が待つテーブルへと向かった。「久しぶりね、裕樹。」テーブルには、艶やかな黒髪を結いあげた和風な美女が座っていた。「お久しぶりです。」「後で話、いいかしら?ちょっとあれのことで。」「わかりました。」店が閉店の時間を迎え、朝日の光が新宿の街を照らし始める頃、裕樹はテーブルに座っていた美女と近くの喫茶店で待ち合わせた。「ヒロ、うちの人がね、あんたに頼みたい仕事があるって言うんだけど、引き受けてくれないかしら?」「わかりました。」仕事の内容は聞かなくても危険なものだと分かっていた。「じゃぁこの時間に、お願いね。」美女は店のナプキンに走り書きし、それを裕樹に握らせて店を出て行った。裕樹はメモに書かれた時刻に都内某所にある美女の夫が経営している事務所へと入った。「失礼します。」「おう、裕樹か。」黒いスーツに身を包み、いかつい顔をした男は、新宿界隈に縄張りを持つ暴力団の頭だった。「俺に頼みたい仕事って、何ですか?」「まぁ、座れや。」黒革のソファーに裕樹が腰を下ろすと同時に、頭は彼に拳銃を向けた。「一体何を・・」「おめぇ、この前の事警察にチクッただろ?その所為で商売あがったりだ。だからてめぇに落とし前つけねぇと気が済まねぇのよ。」眼前で銃を突き付けられているというのに、裕樹は恐怖も何も感じなかった。脳裏には、長年想い続けてきた愛しい人の笑顔が浮かんだ。裕樹は護身用に隠し持っていたナイフを取り出し、頭に突進した。1発の銃声が事務所内に響いた。腹部を撃たれた裕樹は床に崩れ落ち、爪でリノリウムの床を引っ掻いた。いつも死など恐れなかったのに、このときだけは何故か生きたいと思った。ここで死んだら、聖良に永遠に会えない。あの笑顔を、もう見ることができなくなってしまう。(聖良、聖良・・)裕樹の眼前には、初めて出逢った頃の聖良が立っていた。天使のように襟元をレースの白薔薇で飾ったワンピースを纏い、白いリボンを付けた聖良が自分に手を差し伸べていた。『ねぇ、僕と遊ぼ?』裕樹は聖良の小さい手を握ろうと必死に手を伸ばしたが、後少しというところで、彼の手は力なく床に落ちた。「あばよ、聖良・・」裕樹は幼い頃から聖良にプレゼントされた手作りのロザリオを取り出し、それをしっかりと握り締めながら果てた。「笑っていやがるぜ、こいつ・・」事務所内から裕樹の遺体は東京湾へと運び出され、海の藻屑となって消えた・・にほんブログ村
2012年03月18日
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知幸と元同僚達と夢のような楽しい夜を過ごした後の聖良には欧州社交界デビューを控え、リヒャルトをはじめとするローゼンシュルツ王室関係者によるレッスン漬けの日々であった。外国語の勉強も加わり、朝から夜までの分刻みのスケジュールは、鷹城邸にいる頃よりもハードになっていったが、聖良は弱音ひとつ吐かなかった。(俺は決して日本には戻らない。ここには俺の居場所はないんだから・・)そう思い込み、聖良はひたすらレッスンに打ち込んだ。週末、彼はリヒャルトと共に横浜へと向かった。「来ましたね。」養父はそう言っただけで聖良を優しく抱き締めてくれた。「お義父様、今までわたしを育てていただいてありがとうございました。もう俺は二度と日本に戻る事はないでしょう。」「わかっていますよ、聖良。あなたをこの家に迎えた時から、いつか別れが来ると思っていました。」聖太は実の息子のように慈しみ愛情深く育ててきた皇子をギュっと抱き締めた。「今夜はここで夕食を食べてゆきなさい。親子2人の、最後の晩餐になると思いますから。」「ええ、いただきます。」聖良はそう言って養父を抱き返した。養父と共に施設内に入ると、かつての仲間が聖良を出迎えた。そこには、裕樹の姿もあった。「よう、久しぶりだな、俺の椿姫。」彼は聖良の腰を強く抓った。聖良がその痛さで顔をしかめると、彼は憎しみの籠った瞳で聖良を見た。「俺を捨てたんだな、この裏切り者。お前だけは信じていたのに・・」聖良は裕樹の言葉を聞いた瞬間、自分に襲い掛かって来た暁人の姿が脳裏に浮かんだ。「後で話がある、いいか?」裕樹の言葉を無視して、聖良は養父とともに食堂へと入った。「聖良の新たな旅立ちに、乾杯!」聖太の言葉で、ワイングラスが高々と掲げられ、宴が始まった。警官時代の送別会とは違い、幼い頃から気心の知れた仲間達との宴は、聖良にとって楽しいものとなった。「こうしてみんなでテーブルを囲むのも、これで最後でしょうね・・」聖太はそう言って愛しい子ども達を見た。「お義父様、何言っているんですか?まだ施設は運営してゆくのでしょう?」「運営を存続しようとあらゆる努力をしてきましたが・・もう限界のようです。今年のクリスマスが終わった後、“白百合の家”の歴史は完全にピリオドを打つこととなります。聖良、あなたはわたしの父になれてよかったです。あなたが記憶を取り戻しても、あなたはわたしの愛しい息子であることは変わりません。」「お義父様・・」聖良の脳裏に、聖太と過ごした22年間が走馬灯のように駆け巡った。あの時祖国の事や家族の事など忘れ、何も知らなかった幼い子供だった自分は、いつも聖太の温かな愛に包まれて成長した。(お義父様、あなたの息子であることを誇りに思い、一生忘れません・・)「ちょっといいか?」楽しい晩餐の後、かつて自分が過ごした部屋へと向かおうと階段を昇ろうとしたとき、聖良は裕樹に声をかけられた。「いいけど、何?」「いいから、来いよ。」裕樹は聖良の腕を引っ張り、空いている寝室へと入るなり、聖良をベッドに押し倒した。「おい、何する・・」「決まってんだろ、お前を今ここで抱くんだよっ!」裕樹は聖良の顎を掴むと、荒々しくその唇を貪った。「ん、苦し・・」裕樹は聖良の口腔内を充分に味わうと、彼の象牙色の首筋に薔薇色の刻印を刻み始めた。「俺はお前のもんになるんだ、絶対に・・」にほんブログ村
2012年03月18日
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事件から数週間後、聖良は退院してすぐにかつての勤務先だった築地署をリヒャルトと共に訪れた。「失礼します。」築地署に入ると、そのフロアにいた警官が全員聖良を見た。「あの、署長はどちらにいらっしゃられますか?」「聖良じゃねぇか、久しぶりだな!」そう叫んで聖良に声をかけ、抱きついてきたのはかつての同僚である知幸だった。「久しぶり。署長は何処?」「署長なら部屋で休んでるよ。それよりももうすぐイギリス行っちゃうんだって?何か寂しいなぁ・・俺達、いつも一緒だったのに。でも聖良は皇子様だから仕方ないよな。」「俺まだ皇子様っていう自覚がないんだよね。寧ろ警官に戻りたいくらい・・」そう言って溜息を吐いた聖良の瞳が少し翳っているのを、知幸は見逃さなかった。「そうだ、今夜時間あるか?」「あるけど・・何かあるのか?」「それはひ・み・つ!このメモに書いてある住所に今夜7時半な!じゃ!」知幸から手渡されたメモを受け取った聖良は築地署を後にした。「お友達とは話されましたか?」車で待機していたリヒャルトがそう言って主を見た。「ああ。今夜7時半にこのメモが書かれた住所に来いって。リヒャルトも行く?」「あなた様が望めば。」その夜、聖良はリヒャルトと共にメモに書かれてあった住所へと向かった。そこは、警官時代よく昼食を取っていた洋食屋だった。(久しぶりだなぁ、ここ来るの。)懐かしい思いとともにドアベルを鳴らしながら入ると、クラッカーから飛び出た紙吹雪が聖良の頭上に降り注いだ。「待ってたぜ、聖良!」唖然としながら辺りを見渡すと、店内にはかつての同僚達や上司達が笑顔を浮かべながら聖良を見ていた。「知幸、これって・・」「送別会だよ、送別会!俺達一緒に食事できるのは今夜が最後だし。今夜は大いに飲んで騒ごうぜ!」「ああ。」聖良は少し戸惑いながら、知幸の手からビールグラスを取った。「わたくしはお先に失礼いたします。」リヒャルトはそう言って店を出て行った。「あの美人さん、お前の護衛か?」先輩刑事・中山朝久がそう言って聖良の肩を叩いた。「彼はリヒャルトと言って、ローゼンシュルツ王国大使です。今は俺の護衛兼教育係ってところです。」「そうか。これから大変だな、お前も。」中山はビールを美味そうに飲みながらまた聖良の肩を叩いた。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆき、送別会が終わった後は皆千鳥足となっていた。(ちょっと飲みすぎたかな・・)ほろ酔い気分で街を歩いていると、足がもつれて転びそうになった。「少し出来あがっていらっしゃいますね。」リヒャルトが寸での所で聖良を抱き留め、彼に微笑んだ。「英国行きまで、ゆっくりしてられませんよ。今夜だけは、ゆっくりしてください。」ホテルへと向かうリムジンの中で、聖良はリヒャルトの膝の上で寝入ってしまった。その寝顔は、天使のような清らかな美しさがあった。(この方と気軽にお話しできるのは、今だけ・・)そっと聖良の髪を梳きながら、リヒャルトは溜息を吐いた。スーツの内側に入れていた携帯が虫のように振動した。「はい、わたくしです。」『久しぶりだね、リヒャルト。僕の事を覚えている?』玲瓏な声を聞いた途端、リヒャルトは声の主が誰なのかがわかった。にほんブログ村
2012年03月18日
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聖良は、病室で本を読んでいた。 行方不明となった皇太子が現職の警官宅で刺されたという事件は、野火のように瞬く間に広がった。救急車に搬送されている間、マスコミが担架に乗せられた聖良の姿を一枚撮ろうと群がって来た。彼らは今、入院中の聖良の姿を見ようと病院の待合室を半ば占領していた。自分の所為で他人に迷惑をかけていることを、聖良はひしひしと感じていた。トイレに行こうとベッドを下りて廊下を歩くたびに四方八方から突き刺さる冷たい視線が、自分の置かれた状況と立場を思い知らせた。「セーラ様、お加減はいかがですか?」リヒャルトはそう言って主に向かって微笑んだ。「経過は順調だって、お医者様は言ってた・・俺の所為でここのみんなが迷惑してるから、早く退院したいな。」「セーラ様、あの事件の事はもうお忘れ下さい。あなた様を彼と2人きりにさせたのはわたくしのミスです。主を守る騎士でありながら、わたくしはあなた様のお命を2度も危険に晒してしまったのですから。」いつもは澄んだ色をしていたリヒャルトの菫色の瞳が、今日は憂いと罪悪感で少し翳っていた。「俺が悪いんだ、あんたの所為じゃない。暁人を傷つけた俺が悪いんだよ・・」聖良はそう呟いて、再び活字に視線を戻した。「セーラ様、何の本をお読みになっていらっしゃるんですか?」「前から気になっていたシリーズ小説。暇つぶしにはいいかなって。」「退院するまでにはまだ時間があります。この際、語学の勉強を始めたらいかがでしょうか?」「そうだね・・」読書でも語学の勉強でも、気を紛らわすものがあれば何でもよかった。「では、わたくしはこれで。」サイドテーブルに外国語のテキストが入った紙袋を置き、リヒャルトは病室を出て行った。病院の駐車場に車を停め、病院内に入った溪檎は、待合室を半ば占領しているテレビの取材クルーを見た。どうやら、弟が起こした事件は全国的に知れ渡っているらしい。現職の警察官が2人もいる家で、殺人未遂事件が起きたのだから当たり前の事だ。その事件の所為で、父は長年勤めた警視庁を辞めることになったのだから。弟の精神を殺したのも、父を辞任に追い込んだのも、全てあの忌々しい男の所為だ。溪檎は聖良の病室のドアを乱暴に開けた。そこには唖然とした表情で自分を見つめる聖良の姿がベッドにあった。「鷹城警部補、どうして此処が・・」「君の所為で、弟は死んだ!」溪檎は聖良に突進し、彼の胸倉を掴んだ。「弟は今何処にいると思う?精神病院だ!さっき面会に行ったらもうわたしのことも分からず、ひたすら君に対しての呪詛の言葉を吐きながら暴れていたよ!弟の心を殺した君をわたしは一生許さない!」「本当なんですか・・暁人が、そんな・・」「退院したら行ってみるがいい。まぁ、君が行ってもあいつが元に戻るとは限らない。寧ろ悪化するだけだろうな。君は英国にでも何処にでも行けばいい。そして二度とわたしたちの前に姿を現すな!」溪檎はそう怒鳴り、病室から荒々しく去っていった。(暁人・・ごめんな・・)幼い頃、暁人は一人ぼっちだった自分と初めて友達になってくれた。あれから何十年経っても、その友情は変わらないと信じていた。あの事件が起きるまでは。 事件が起き、長年暁人と自分との間に築き上げてきた友情と絆が一瞬にして粉々に砕け散り、壊れてゆくのを聖良は感じた。そしてそれらはもう二度と元に戻ることはないということを、彼は知っていた。(俺は、もう日本にはいられない・・もう日本には戻れない・・)家族の記憶がないまま母国に戻れば何が自分を待ちうけているのかは分からないが、このまま日本に居ても苦しい思いをするだけだと聖良は思っていた。聖良は紙袋の中からMDプレイヤーを引っ張り出し、イヤホンを両耳につけてあらゆる雑音から耳を塞いだ。にほんブログ村
2012年03月18日
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暁人に刺された聖良はすぐさま病院に搬送され処置を受けたため、一命を取り留めた。暁人は一命を取り留めたものの、精神に異常をきたした。渓檎は事件の数日後、異母弟が収容されている精神病院へと向かった。「春宮暁人さんに面会したいのですが。わたしの弟です。」「春宮さんは、まだ不安定な状態でして・・」「そうですか、では院長に会ってきます。」渓檎はそう言って院長室へと向かった。「すいません、春宮暁人の異母兄ですが、入ってもよろしいでしょうか?」「どうぞ。」院長は書類処理の手を止めて、渓檎を見た。「弟さんに面会したいのですね。あの事件以来、彼は意味不明なことばかり口走っては暴れています。昨夜は病室を抜け出して自分の頭を掻きむしりながら徘徊していました。」院長の口から異母弟の精神状態を聞かされた渓檎は酷くショックを受けた。「そんなに、弟は悪いのですか?」「ええ。もう回復は望めないでしょう。今は拘束具でベッドに縛り付けています。それでも良いとおっしゃるのなら・・」「お願いします、弟に会わせてください。」院長はゆっくりと革張りの椅子から立ち上がった。「では、一緒に来てください。」院長とともに廊下の奥に進むにつれ、辺りに澱んだ空気が漂い、溪檎は息苦しくなって吐き気がした。「こちらです。」異母弟が収容されている病室のインテリアは、壁も天井も家具も無機質で殺風景な白一色で、窓には獄舎のように鉄格子が嵌められていた。暁人は白いベッドの上に拘束具で全身を縛られ、虚ろな目で天井を睨んでいた。「暁人・・」廃人となってしまった異母弟の姿を目の当たりにして、溪檎は今にも溢れ出そうになる涙を必死に堪えた。「また、来てもよろしいでしょうか?」「構いませんよ。ではわたしはこれで。」白衣の裾を翻しながら、院長は来た道を戻って行った。「暁人、わたしだ。聞こえないのか?」溪檎がドアを軽く叩くと、暁人が天井からドア付近へと視線を移した。「兄・・さ・・ん・・」暁人はそう呟いて口元に笑みを浮かべた。「暁人・・元に戻ったのか・・」溪檎が再び暁人に声をかけようとしたとき、耳をつんざくような叫び声を暁人が上げた。「許さない、嘘吐きの裏切り者!よくも俺を騙したな!」狂気と怒りを宿した榛色の瞳がカッと見開かれ、暁人は怒声と共にベッドの上で暴れ始めた。「殺してやる、裏切り者、裏切り者!!」ベッドが彼が暴れるたびに軋みを上げ、彼の全身を縛っていた拘束具が鈍い音を立てて切れた。「兄さん、助けてよ!あいつを殺してよ!」口端から涎を垂らしながらドアを叩いて叫ぶ異母弟の姿を、これ以上溪檎は見ていられずに彼から背を向けて走り出した。「どうでしたか?」「もうここへは来ません。」溪檎はそう言って院長に頭を下げた。病院からの帰り道、溪檎の脳裏には憤怒の叫びを上げる異母弟の姿が焼きついて離れなかった。昔はあんな風じゃなかったのに。もう弟の精神は戻らない。あの事件で彼の心は死んだのだ。道端に車を停め、溪檎はハンドルに顔を埋めて嗚咽した。(あいつが、暁人を狂わせた。)ひとしきり泣いた後、溪檎は車を急発進させ聖良が入院する病院へと向かった。彼の美しい顔には憤怒の表情が浮かび、それはまるで鬼のようだった。にほんブログ村
2012年03月18日
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「セーラ様は、一体どちらにおられますか?」すぐに誤解が解けると聖良は暁人と共に廊下の向こうへと消えて行ったが、中々戻ってこない。もう数時間が経っているというのに、どうしたのだろうか。(まさか、何かが起きたのでは・・)妙な胸騒ぎがした。聖良の携帯に何度かけても、繋がらない。「どうしました?」「セーラ様が、携帯に出ません。一体何処に・・」「あたし、見たわよ。」背後から声がしてリヒャルトと溪檎は同時に振り返った。携帯を握りしめながら華子はリヒャルトを見た。「あたし、あいつがあの人とレッスン室に入っていくところ見たわ。あいつ、父さんの日本刀持ってた。」「案内してください。」華子とともに、2人はレッスン室へと向かった。レッスン室では、聖良が必死で暁人の猛攻をかわしていた。「元警官でしょ?反撃してみせてよ。殺られる前に殺らないと。たとえ相手が幼馴染でもね!」暁人は醜く顔を歪ませながら日本刀を振った。「俺はお前を傷つけることはできない・・大切な友達だから・・」「はぁ、何言ってるの?お前はもう俺の友達なんかじゃない!」彼が吐きだした言葉は、刃となって聖良の胸に深々と突き刺さった。「暁人・・」「お前は俺に嘘を吐いて裏切った!小さい時からずっと一緒だったけどもうお前なんか友達じゃない!俺にはもう友達なんていない!」「暁人、お前とはずっと一緒だった。あの頃俺は家族の記憶を失くし、友達もいなかった。そんな俺に最初に声をかけてくれたのはお前だった。あんなに嬉しかったことは、今までもこれからもあの時しかない。」聖良は自分に日本刀を振りかざそうとしている暁人の目を見た。「聖良・・」「暁人、ごめんな。傷つけるつもりはなかったけど、俺は確かにお前との約束を破ってお前を傷つけた。そのことは許して欲しい。」暁人は日本刀を下ろし、聖良を見つめた。そして彼はゆっくりと聖良を抱き締めた。「暁人、目を覚ましたんだな・・よかった。」聖良がホッと溜息を吐いた瞬間、脇腹に激痛が襲った。「そんな甘い言葉で俺が騙されるとでも思ってるの?案外お人よしだよね、聖良って。」暁人がそう言って耳元で嘲笑った。その時、外から銃声がして、ドアが開いて男2人が入って来た。「セーラ様から離れろっ!」「なんだよ、邪魔するなぁっ!」暁人は唸り声を上げてドア付近に立っている男に突進した。レッスン室に再び、銃声が響いた。聖良の前で、銃弾を受けた暁人が仰向けになって床に倒れていった。「聖良なんて、大嫌い・・」暁人はそう呟くと、乾いた笑みを口元に浮かべた。「セーラ様、すぐに救急車が来ますからね!」暁人を撃った男はそう言って暁人に刺された脇腹を止血し始めた。定まらなかった焦点がゆっくりと合わさり、聖良の瞳に男の姿が映った。その男は、リヒャルトだった。「お前が・・暁人を・・」「あの状況では止む終えませんでした。ああしなければあなた様のお命が危なかったので、ああするしかありませんでした。」「人殺し・・」リヒャルトを睨んでそう呟くと、聖良は意識を失った。やがて鷹城邸にパトカーと救急車のサイレンが鳴り響いた。「暁人、何故あんなことを・・」次第に遠ざかってゆく救急車を見つめながら、溪檎はそう呟いて手袋を嵌め、邸の中へと戻った。にほんブログ村
2012年03月18日
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「話って何?この後レッスンが控えてるから・・」「ねぇ聖良、あの人の事、どう想ってるの?」暁人はそう言って聖良を見た。「あの人って、リヒャルトの事?あの人に対してはただの教育係としか思ってないよ。」「じゃあなんで急にイギリスに行くって決めたの?あいつと一緒にいたいからでしょう、違う?」「違う、俺は・・」「聖良はいつも俺の事大切にしてくれて、学校でも俺がいじめられてると必ず助けてくれた・・でもそれも全部、嘘だったんだよね?」暁人はぶつぶつと独り言を言い始めた。「あの時だってそう・・一緒に舞台に出られるって言われて喜んだけど、本当は仕方なく俺と出たんだよね?先生が代役を立てたから・・」「暁人?」「俺、嬉しかったのに・・いつも学校でいじめられて、一人ぼっちで・・聖良達に優しくして貰えて、とても嬉しかった・・あの舞台だって、いつも俺をいじめてる奴らも俺に優しくしてくれた・・それなのに、聖良はずっと俺を騙してた。いい子の振りしてずっと俺の事、陰であいつらと笑ってたんだ・・」「暁人、違う!それは誤解だ!」「ねぇ、さっき言ったよね?俺と聖良がずっと一緒にいられる方法が見つかったって。」「うん・・それがどうした?」聖良は自分を見つめる暁人の目がおかしいことに気付いたが、既に遅かった。「ねぇ聖良、俺と一緒に死んでくれる?」暁人は父の書斎に飾ってあった日本刀の鞘を抜き、刀身を聖良に向けた。「暁人、一体何を言ってるんだ?冗談キツイぞ。」「冗談じゃないよ、本気だよ。」暁人は口元に笑みを浮かべながら、ゆっくりと聖良に近づいた。「俺とずっと一緒にいてくれるって約束したよね?だから一緒に死んでくれるよね?」「そんなつもりで言ったわけじゃ・・」「俺と一緒に死にたくないんだ・・俺がデブであいつより綺麗じゃないから、俺は聖良と一緒に死ぬ価値もないってこと?へぇ、そうなんだぁ・・段々腹立ってきたなぁ・・」(一体どうすれば・・携帯は部屋に置いてきてるし・・何か武器になるものを・・)辺りを見渡したが、武器になりそうなものは全くない。「聖良、大好きっ!」暁人はそう叫んで刃を聖良に向けて突進した。辛うじて暁人の攻撃をかわした聖良は、部屋の隅に立てていた譜面台を掴み、応戦した。「流石元警官だけあるね、楽しくなるなぁっ!」乾いた笑みを浮かべながら、暁人は聖良を睨んだ。「暁人、俺の話を聞いて・・」「うるさいっ!」憎悪で歪んだ顔でかつての幼馴染は日本刀を構えて襲いかかろうとしている。「暁人、お前の事が嫌いで約束を破った訳じゃない。英国行きは本当に突然決まったことだ。」「言い訳なんて聞きたくないよ、この嘘吐きっ!」部屋に鈍い音が防音用の壁に反響した。「聖良、俺の事嫌いだったんでしょう?正直に言いなよ。僕よりもあいつの方が好きなんでしょう?」「違う・・俺は一度もリヒャルトのことなんかなんとも思ってない・・」「嘘吐き!」どんな言葉を暁人に言っても、彼は何も聞こうとはしなかった。「聖良のこと今まで大好きだったけど、もう俺の事愛してないってわかった。もう俺、誰も信じられなくなっちゃった。一番大好きな人に嘘吐かれて裏切られたもんね・・」暁人はそう呟いて譜面台を斬りつけた。譜面台は真っ二つに割れた。「どうする?もう武器は無いよ?」(どうすれば・・どうすれば暁人は目を覚ます?)にほんブログ村
2012年03月18日
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暁人は部屋に入ると内側から鍵を掛け、頭から毛布を被ると声を押し殺して泣いた。(信じてたのに・・ずっと一緒にいられるって信じてたのに・・)聖良はこの家に来て約束してくれた、ずっと自分の傍にいると。だが彼は自分を裏切って、あの男と英国へ行こうとしている。(許せない・・俺に期待を持たせておいて、最後には俺を裏切り、あいつと一緒になるなんて・・)暁人は布団をベッドに投げ捨て、机の上に置いてあった写真立てを手に取った。そこには笑顔で自分と写る聖良の姿があった。「裏切り者、聖良の裏切り者!」暁人は写真立てを力一杯床に打ちつけた。ガラスがその衝撃で砕け散り、床に飛び散った。暁人はガラスの破片で聖良の顔を何度も突き刺した。「聖良、絶対に許さないからね・・裏切り者・・」暗闇の中、暁人は血を流しながらくつくつと笑った。床に散らばったガラスの破片をちりとりで拾い集めた暁人は、そっと部屋を出た。「どうして弟の気持ちを弄ぼうとする?答えろ!」溪檎は聖良を壁に押しつけながら彼に怒鳴った。「俺は暁人を弄ぼうと思ったことは一度もありません。英国行きは全然知らなくて・・」「嘘を吐け!」溪檎はカッとなり、聖良の首へと手を伸ばした。その時、後頭部に冷たいものが押し当てられた感触がした。「それ以上セーラ様に触れると、あなたの頭を吹き飛ばしますよ。」氷のような冷たい声でリヒャルトは溪檎の耳元に囁くと、引き金に指をかけた。「君がこの場で警官を撃てるのか?そんなことをしたら君は犯罪者となるぞ。」「それでも良いです。わたくしの役目はセーラ様の御身をお守りすること。セーラ様に危害を加える輩がたとえ警官であろうと許してはおけません。」「本気なんだな。」溪檎の漆黒の双眸と、リヒャルトの菫色の双眸が互いに火花を散らした。「これだけは覚えておいてくれ、橘君。わたしは弟を傷つける奴は何者で会っても許さない。たとえ幼馴染の君であっても、だ。」溪檎は聖良の首から手を離し、廊下から足早に去って行った。「お怪我はありませんか、セーラ様?」ホルスターに拳銃を納めながら、リヒャルトはそっと主に近寄った。「鷹城警部補に言われたよ、弟を傷つけるなって。俺はあいつを傷つけるつもりはなかった。それなのにどうして勝手に俺に何の相談もせずに英国行きのことを決めた?」「あなた様の為です。」リヒャルトはそう言うと、聖良に跪いた。「あなた様に相談もせずにわたくしの独断であなた様のことを決めてしまったことを、どうぞお許しください。罰は、いくらでも受けます。」「もういいよ。それよりも、暁人に謝りに行ってくる。傷つけたつもりはないとは言え、あいつを傷つけたのは事実だから・・」「わたくしもお供いたします。」「俺1人の方が良い。あいつ、ああ見えても嫉妬深いから。」「セーラ様、これを。」リヒャルトはホルスターから拳銃を手渡した。「そんなもの、必要ない。俺とあいつは話せば解る仲だから。」聖良はそう言って笑い、リヒャルトに拳銃を返して暁人の部屋へと向かった。「暁人、いる?」部屋のドアをノックしたが、中から返事がない。「暁人、いないのか?」「ここにいるよ。」いつの間にか聖良の背後に暁人が立っていた。「暁人、さっきの事は悪かった。俺、別にお前を傷つけるつもりじゃ・・」「聖良とずっとに一緒にいられる方法、俺考えたんだ。ねぇ、今からレッスン室に行かない?ここじゃ話にくいことがあるから・・」「分かった。」暁人の言葉に何の疑いも抱かず、聖良は彼とともにリヒャルトから遠く離れたレッスン室へと向かった。暁人が口端を歪めて恐ろしい笑みを浮かべているとも知らずに。にほんブログ村
2012年03月18日
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聖良がローゼンシュルツ王国皇太子として鷹城家で暮らし始めて2週間が経った。突然知らされた自分の出生の秘密に驚く暇もなく、聖良は日夜リヒャルトら王室関係者から皇太子となる為のレッスンを受けていた。「セーラ様、今日からわたくし達があなた様を立派なプリンスにしてみせます。」そう言ったリヒャルトの言葉で、分刻みのレッスンが始まった。テーブルマナーから始まり、帝王学や楽器のレッスン、そしてワルツのレッスンなどが朝から晩まで休みなしに続いた。初めはそのハードなスケジュールに困惑し、疲労困憊だった聖良だが、今更皇太子をやめて警官に戻るなどということは許されない状況にある為、全力でレッスンに臨むしかないと彼は決意した。レッスンにも漸く慣れてきた頃、聖良宛に某有力政治家から舞踏会の招待状が届いた。「この間まではこんな人から招待状貰う身分じゃなかったのになぁ・・何だか変なカンジ。」招待状を見ながら、聖良はそう言ってコーヒーを飲んだ。「セーラ様、皇太子様としてのあなたには擦りよって来る連中が沢山いらっしゃることをお忘れなく。彼らはあなたの寵愛を受けようと欲を出すハイエナ共です。」リヒャルトは使用人に聖良宛の招待状を処分するよう命じた。「今は舞踏会やパーティーに出ている暇はありません。来月末には英国の長期滞在が控えていらっしゃるのですから、本日からキングス・イングリッシュのレッスンも受けませんと。」「待てよ、そんな話一度も聞いてないぞ!?」聖良はリヒャルトを睨んだ。「あなたがどうお思いになられようと、最終的に決めるのはわたくし達です。今までの急ごしらえのレッスンではまだまだ社交界にお出しできません。英国で紳士の作法を身につけませんと。」「急にそう言われても・・まだ職場への挨拶も行っていないし、それに義父にだって・・」聖良の隣で荒々しく椅子が引かれる音がして、暁人がダイニングを飛び出して行った。「暁人、待って!」聖良は慌てて暁人の後を追った。「嘘吐き、ずっと一緒にいてくれるって言ったのに!」暁人はそう叫んで涙を流した。「俺だって渡英することはさっき知ったばかりなんだ。俺はお前に嘘なんか吐いてない・・」「ねぇ聖良、俺におにぎり作ってくれたとき、ずっと一緒にいてくれるって言ったよね?約束してくれたよね?どうして俺を傷つけるの、どうして俺にできない約束なんかするの、答えてよ!」暁人は目に涙を溜めながら幼馴染に詰め寄った。「暁人、英国行きのことはあの人と話し合ってみるから・・だから落ち着いて・・」「落ち着いてなんかいられないよっ!聖良の馬鹿、大嫌いっ!」暁人は聖良の頬を平手で打ち、廊下を走り去って行った。「暁人、ごめん・・」赤く手形が残り、ヒリヒリする頬を擦りながら、聖良は小さくなってゆく幼馴染の背中に向かって小さく呟いた。「セーラ様、どうなさいましたそのお顔は!?」リヒャルトが血相を変えてダイニングから出てきた。「暁人とちょっと喧嘩しちゃった。多分あいつもう俺の事許してくれないだろうな。」「こんなに腫れてしまって・・すぐに氷で冷やしませんと・・」「大丈夫、これ位大したことないから。」聖良は無理に笑顔を作り、ダイニングへと戻った。「橘君、君にちょっと話したい事があるんだが、いいかな?」朝食後、部屋に戻ろうとした聖良を、溪檎がそう言って呼び止めた。「いいですけど・・俺に何か?」「君は弟の事をどう思っているんだ?英国行きの事を弟に黙っていて、彼に許されるとでも思っていたのか?」溪檎は聖良を睨んだ。「俺は別に、暁人を傷つけようとしたんじゃ・・」「ではどういうつもりで英国行きを決めた?答えろ!」憤怒の表情を浮かべながら、溪檎は聖良の華奢な身体を壁に押し付けた。にほんブログ村
2012年03月18日
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NY郊外、高級リゾート地ハンプトン。 この地は富裕層が競って別荘を建て、夏になると避暑目的で訪れる高級リゾートとして有名で、「東のハリウッド」と呼ばれている。その数ある豪邸の中でも一際目立っているのが、マクドゥス上院議員の別荘である。ルネッサンス様式の、上品なソリッドブルーの建物は人目をひく程の美しさを百年以上前から保っていた。別荘内にはプールやテニスコートがあり、10の寝室と20の客室があった。その別荘の一角にあるテニスコートで、ローゼ=クライシュタインとその親友、アリスはテニスを楽しんでいた。「今日もわたしの勝ちね、アリス。約束通りアイスを奢る約束よ。」豊かな金髪をなびかせながら、ローゼはベンチに置いていたタオルで汗を拭った。「あなたには一度も勝てたことがないわ。」親友のアリスはそう言って溜息を吐きながら愛用のラケットをケースに戻した。「これからどうする?シャワー浴びてショッピングモールにでも行きましょうか?」「そうね。」2人は色々と話をしながら浴室へと向かい、シャワーを浴びた。「ねぇ、知ってる?日本で行方不明だった皇太子様が見つかったんですって。」「皇太子様が?」髪を乾かしていたローゼの手が止まった。「ええ、何でも皇太子様は記憶を失ったまま日本で警官として暮らしていたそうよ。早くても来月ごろには渡英するんですって。」「そう・・」「あなたのお父様はどうするつもりなのかしら?」「さぁ、あの人の事は良く知らないわ。それよりも早くアイスが食べたいわ。」「もう、毎日そればっかりじゃない。太っても知らないから。」「お生憎様、わたし痩せやすい身体なの。」ローゼはそう言ってニッコリと笑った。2人は別荘から車を走らせて10分ほどのところにあるショッピングセンター内のアイスクリームショップで他愛のないおしゃべりをした。「ねぇローゼ、こんな所では話しにくいんだけど・・」「なぁに?」「最近、ネット上であなたの悪口を書いてるブログがあってね。後は自分の目で確かめればいいと思うわ。」「そう、ありがとう。」ショッピングモールで親友と楽しい時間を過ごした後、ローゼはノートパソコンからアリスが話してくれたブログを見た。そこには自分や兄に対するありとあらゆる罵倒の言葉が載っていた。(酷い・・誰がこんなことを・・)画面をマウスでスクロールしていくと、自分のことを書いた記事があったので、ローゼは迷わずそれをクリックした。だがその記事を読んだことに、彼女はすぐに後悔した。そこには、ローゼの顔写真と共に「反逆者の娘」というタイトルがつけられていた。彼女は激しいショックを受け、画面を閉じた。「ローゼ、入るわよ?」ノックの音がして、ローゼは我に返った。「いいわよ、入って。」ドアが開き、アリスが部屋に入って来た。「ブログ見たのね、ローゼ。顔が真っ青よ。」「何だかショックだわ・・わたしやお兄様は何もしていないのに、こんなことネット上で書かれるなんて・・」ローゼはそう言って涙を拭った。「きっとあいつらよ。ローゼが可愛いし頭が良いから、嫉妬しているのよ。あんなの気にしない方がいいわ。」「そうね、ありがとうアリス。」アリスに笑顔を浮かべ、彼女と共にローゼは夕食が用意されているダイニングへと下りていった。にほんブログ村
2012年03月18日
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聖良が東京でリヒャルト率いるローゼンシュルツ王国関係者から皇太子になる為のレッスンを連日受けている頃、ロンドンでは1人の青年の事が話題になっていた。その青年の名は、フリーゼ=クラインシュタイン。父はローゼンシュルツ王室殲滅と政権簒奪を虎視眈々と狙う反逆者である。反逆者であり、世界的なテロ組織と密接な関係を持っている父・ガンネルトに幼い頃から育てられたフリーゼは、18の時に父親と訣別し、医師となる為ロンドンの大学へと留学した。父がいない遠い異国でなら、人殺しの息子と罵られ、後ろ指さされることもないだろうと思っていたが、それは甘い考えだった。反逆者の息子として生まれてきたフリーゼは、一生反逆者の息子として生きなければならない現実を知った。子に罪はないとよく言うが、そんなのは甘い綺麗事だとフリーゼは思っている。現に、20年以上前に父親が引き起こした内戦の所為で、学校や近所では石を投げつけられ、罵声のシャワーを毎日浴びた。自分は父とは違う、自分は誰も殺してはいないと思っているのに、父に家族や恋人を殺された遺族たちはそう思ってはくれないらしい。秋が深まり冬の気配が感じ始められる日の朝、フリーゼは下宿先のアパートの窓から見える霧に包まれたピカデリー・サーカス広場を見ていた。その昔、工場の煙によって「霧の都」と呼ばれていたロンドンだが、今でもその名にふさわしいほどに、この日街は濃霧に覆われていた。米国に留学している妹は元気なのだろうか。英国に留学して以来、欠かさず手紙やメールのやり取りをしているが、最近勉強が忙しいせいなのか、連絡がない。母を早くに亡くし、家庭を顧みない父の代わりに使用人達に囲まれて育った妹にとって、自分が何よりの支えだった。フリーゼも、自分に懐く妹が愛おしくて仕方がなかった。学校で妹がいじめられているといじめっ子に立ち向かって彼女を守ったり、使用人の口がさない噂を彼女に聞かせないようにするのも自分の役目だった。妹が世界中のだれよりも愛していたから、フリーゼは彼女が留学するまでいつも彼女を守った。たとえ遠くに離れていても、妹の為ならば何処へでも行ける。フリーゼは窓の外から視線を逸らし、テレビをつけた。画面にはポーランド国境付近で何者かに殺害されたマリア皇女の事件現場が写っていた。皇女がウィーン市内の大学寮から連れ出され、ポーランド国境付近で何者かによって射殺されてから数カ月余りが経つが、犯人は未だ見つかっていない。ローゼンシュルツ王国内では皇女を殺したのは父の手の者だという噂が立っている。誰が皇女を殺したのかは分からないが、聖母のように慈悲深く優しかった皇女の命と彼女の夢を奪ったのは王室を敵視している父の仕業に違いないと国民達や海外のメディアは決めつけていた。何処へ行っても反逆者の息子と呼ばれ、罵られる日々。いつになればそんな日々は終わりを告げるのだろうか。妹と自分が安心して祖国に帰れる日はいつ来るのだろうか。「ローゼ、お前に会いたい・・」フリーゼはそう呟くと、テレビを消してアパートを出て行った。ドアが閉まる音を聞いた大家の妻は、反逆者の息子が外出したことを知った。「あいつ、いつここを出て行くのさ?」でっぷりとした身体をゆすりながら、彼女は夫を見た。「彼はここを出て行く事はないよ。彼の父親は酷い奴だけど、息子はそうとは限らんだろう?」「けどね、テロリストを匿ってるって警察に知られたら、あたし達はどうなるんだい?」「その時はその時さ。」大家の老人はそう言って新聞を読み始めた。同じ頃、ロンドンから海を隔てて遠く離れたNY郊外にある高級リゾート地・ハンプトンにある豪邸のテニスコートで、2人の女性達がテニスを楽しんでいた。女性の1人は、米国留学中のフリーゼの妹、ローゼだった。
2012年03月18日
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「鈍感で悪かったですね。俺あなたみたいに人の癇に障るような性格じゃないんで。」「・・嫌味ばかり言うんだな、わたしには。」「嫌味を言いだしたのはそちらの方でしょう?」「本題に戻ろうか。単刀直入に言うが、わたしは君がこの家に滞在することを快く思っていない。それだけは覚えておいて欲しい。あと、妹にはあまり親しくしないようにしてくれ。」「シスコンですねぇ、鷹城警部補って。あんなミーハー女、相手にいたしませんからご心配なく。押しが強いのはタイプじゃないので。」聖良はそう言って溪檎をベッドから押し退けた。「お話はもうお済みになりましたか?」「ああ、お休み。」溪檎は眉間に皺を寄せながら、部屋を出て行った。その頃、リヒャルトは鷹城のレッスン室でピアノを弾いていた。曲名はショパンの「革命」。ピアノを習い始めた頃すぐにマスターした曲だ。目を閉じて弾きながら、リヒャルトは故国のことを思った。自分が生まれ育った国は、かつては山の緑と海の青が美しい国だった。だが内戦により、豊かだった国土は荒れ果て、民は飢餓や病気に苦しんで次々に死んでいった。何としてでも故国をあの独裁者の手から救い出さなくてはならない。そしてかつて欧州一風光明媚と謳われた故国の美しさを、必ず取り戻さなくては・・。ピアノを弾き終わり、レッスン室を出ようとした時、人の気配がして振り向いた。だが薄暗い廊下には誰もいなかった。「気の所為か・・」リヒャルトはそう呟いて廊下を歩き始めた。数秒後、暁人が遠ざかるリヒャルトの背中をじっと見ていた。(あいつが、聖良の好きな人・・)あの舞踏会の夜、聖良と楽しそうにワルツを踊っていたあの男。艶やかな黒髪に、ラピスラズリのような美しい瞳。そして、自分にはない、逞しく引き締まった肉体。聖良はあの男に惚れている。自分といる時よりも、聖良はあの男と楽しそうに笑っていた。松久邸で自分とあの男以外人質を解放しろと彼が言いだしたのは、あの男と一緒にいたかったからだ。暁人はベッドサイドに置いている1枚の写真を見つめた。そこには高校2年の時の文化祭に撮ったもので、十二単衣姿の聖良と束帯姿の自分が写っていた。たった一度だけ、自分が舞台の上で輝いた劇だった。あの時、周囲は自分に優しくしてくれた。いつもクラスの中心的存在だった聖良も、あの時は完全に独占できた。もうあんなチャンスは二度と来ないと思ったが、再び自分にチャンスと幸運が巡ってきた。あんな男に聖良を奪われて堪るものか。(聖良は俺のものだもん・・絶対にあいつなんかに渡さないんだから!)翌朝、暁人が台所へ行くと、聖良が昨夜の約束を守ってくれていた。「おにぎり、本当に作ってくれたんだぁ、嬉しいなぁ。」「お前との約束は守らないとな、友達だし。具は何がいい?鮭がいい、おかかがいい?」「ツナマヨがいいなぁ。」「わかった。じゃあ向こうで待ってろ。」「ねぇ、聖良。」「何だ?」聖良が振り向くと、暁人が昨夜見せたあの表情を浮かべながら、自分を見ていた。「聖良は、ずぅっと一緒に俺と暮らすんだよね?」「・・まだ、解らないけど、そういうことになるかな。」「そう・・聖良は何処にも行かないよね?俺の傍にずっと居てくれるよね?」「も、勿論だよ。」「そう、よかったぁ・・」そう呟いた暁人の瞳には、狂気の色が少し滲んでいた。◇―第1章:完―◇にほんブログ村
2012年03月07日
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「何時までここに居られるか解らないけど、宜しくな。」そう言って聖良は暁人に微笑んだ。「ねぇ、その人あの舞踏会で聖良と踊った人だよね?誰?」「この人はリヒャルト=マクダミアさん。ローゼンシュルツ王国大使で、彼もここに暫く滞在することになったんだ。」「へぇ・・そうなの・・」先ほどの喜びに満ちた表情を浮かんでいた暁人は、少し暗い表情を浮かべてリヒャルトを睨んだ。「立ち話はそのくらいにしたらどうだ、暁人。」険悪な雰囲気が流れそうになった時、溪檎がそう言ってその場を取り成した。「ねぇ、皇太子様はお好きな女性のタイプはどのような御方なんですの?」チキンの胸肉を器用にナイフで切りながら、華子は興味津々に聖良の顔を見ながら言った。「俺あまり恋愛には疎いんで・・好きな女性のタイプは、普通ですが家庭的な人が好きかな。」「お料理が上手い方がお好きなのね!わたくし、早速お料理教室に通おうかしら。」「俺、少しは作れますので・・」「あら、じゃあ少し教えていただけないかしら?肉じゃがとか。」「華子、いい加減にしないか。」「お兄様、わたくし達は普通に会話しているだけですわ。」華子はそう言って少し頬を膨らませた。「聖良、昔良く俺におにぎり作ってくれたよね?あのおにぎり、もう一度食べたいなぁ。」「時間があったら作ってやるよ。」「時間ならいくらでもあるじゃない、俺達これから一緒に暮らすんだから。ずっと一緒に暮らすんだから。」暁人のただならぬ様子に、聖良は少し寒気がした。「明日にでも作ってやるよ。」「ありがとう、聖良。」「皇太子様、これからどうなさるおつもりですか?」「今日は少しお疲れのご様子のようですので、明日から色々とスケジュールの管理をこちらの方でさせていただきます。」「そうでしたか、一緒にゴルフでもプレーしようかと思いましたが・・」溪太はそう言って笑ったが、こめかみには青筋が立っていた。気まずい雰囲気のまま夕食を食べ終わると、聖良はメイドの案内で用意された部屋に入った。「あ~、疲れた・・」退院からどれくらい時間が経っているのかはわからないが、ここにきてから神経を張り詰めてばかりいて、全然リラックスできなかった。ベッドに横になりながら、聖良は初めてリラックスできた。これからこの調子で鷹城邸に滞在することになるのかと思ったら、ますます憂鬱になってきた。それに、溪檎のこともある。彼とはあまり仲が良くないというよりは、聖良にとって彼は天敵そのものだった。(これからどうなるかわからないけど、先の事を心配しても仕方ないか・・)聖良はそう思いながら眠りに就いた。熟睡しかけていた時、力強いノックの音が聞こえ、聖良は目を擦りながらドアの前に立った。「誰だ?」「わたしだ。少し話がしたいんだが、いいかな?」「明日の朝じゃいけませんかね?今夜中の2時なんで。」聖良はそう言って鍵を掛けてベッドへと戻った。「明日では遅すぎる。直ぐに済むから、開けてくれないか?」あの事件以来、溪檎とは顔を合わせたくなかったが、どことなく切羽詰まった様子なので、聖良は鍵を開けて彼を部屋の中に入れることにした。「どうぞ。」「ありがとう。」溪檎はベッドの淵に腰掛けながら、眼鏡を外した。「お話とは、なんですか?」「暁人の様子が最近おかしいのには、気付いているのか?」「いいえ。ただ、夕食の席では少し怖かったような・・」「どうやら暁人は君の事を好きらしい。いや、愛していると言っていいのだろうか。」「俺は暁人の事はただの幼馴染としか思ってませんけど?」「・・つくづく鈍感な男だな、君は。」溪檎はそう言って口端を上げて、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。にほんブログ村
2012年03月07日
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松久邸で傷を負った聖良はこの日、退院を迎えた。これでやっと自分の家に帰れると思いながら着替えていた時、リヒャルトが病室に入って来た。「セーラ様、お支度の方はよろしゅうございますか?」「着替え少ないから、もう終わった。帰りは電車かバス使うから。」「あなたのご自宅はわたくしが引き払いました。」リヒャルトは病室を出ようとする聖良の腕を掴みながら言った。「俺の部屋引き払ったって、どういうことだ!?俺はまだ皇太子として生きるって決めたわけじゃねぇぞ!」「あなた様はまだ、ご自分が置かれている状況がお分かりにならないようですね。」病室の窓を分厚く覆っているカーテンを勢いよく開けた。眼前に広がっているのは、病院前に陣取り自分の姿をカメラに収めようとする取材陣と、皇太子の姿見たさに来た野次馬の姿だった。「あなた様はもう警官として生きることはできません。今までの生活をお捨てなさい。」「皇太子として生きるしかないってことか?俺、礼儀作法とか学校で少し習った程度のものだし、英語もあまり喋れないし・・」「礼儀作法も外国語も、全てわたくしたちがあなた様に叩きこんでさしあげます。あなたは今日から新しい人生を歩むのです。」「・・わかった。」(これからどうなるんだろ・・)病院の正面玄関から出ると、取材陣と野次馬の波が一気に聖良の方に押し寄せてきた。「皇太子様、こっち向いてぇ~!」「握手してぇ~!」「インタビューをお願いいたしますっ!」彼らにもみくちゃにされながら、聖良はやっとのことでリムジンに乗り込み、溜息を吐いた。「出してくれ。」運転手は滑らかなハンドル捌きでリムジンを病院から出した。「俺これから何処に住めばいいんだ?あんたがマンションの部屋引き払っちゃったんだから、また住むところ探さないと・・」「それにはご心配要りません。あなた様のご滞在先はもう決まっております。」リヒャルトはそう言って一枚のメモを聖良に手渡した。そこには、自分が天敵と思っている人物の住所が書かれていた。「なんで鷹城警部補のところなんかに、俺が住まなくちゃならないんだ!俺はあの人の事苦手なんだ!」「それはあなた様がそうお思いになっておられるだけですよ。」(滞在先がどっかのホテルだったらよかったのに、まさかあの人の家なんて・・キャリアとノンキャリアの俺は職場が違うから毎日顔合わさずに済んでいたから良かったけど、これからは毎日あの人と顔合わさなきゃならないのか・・なんかそれだけでも憂鬱になってきた・・)これからの事を思うと、何故か急に眠気が襲ってきて、聖良は目を閉じた。「セーラ様、着きましたよ。」どれくらい眠っていたのだろうか、リヒャルトに揺り起こされて目を開けると、空は茜色に染まっていた。車から降り、鷹城邸の玄関ホールに入ると、30人もの使用人達が両脇に並び一斉に聖良とリヒャルトを出迎えた。「ようこそおいでくださいました、セーラ皇太子様。皆様はダイニングでお待ちしております。」2人がダイニングに入ると、そこには鷹城家の主人と、その子ども達がそれぞれの席に座っており、その中であの時聖良が暴力をふるってしまった溪檎は、じっと聖良を睨んでいた。「聖良!」一番端の席に座っていた暁人が椅子から勢いよく立ち上がり、聖良をぎゅっと抱き締めた。「退院したんだね、よかったぁ。怪我はどう?大丈夫?」「暁人、苦しい・・」「ごめん、気がつかなくて!」暁人はそう言って慌てて聖良から離れた。「これからはずっと一緒にいられるんだねぇ、嬉しいなぁ。」暁人は半ば嫉妬と狂気に彩られた栗色の瞳で、聖良の傍らに立つ青年を睨んだ。にほんブログ村
2012年03月07日
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「お兄様、お父様と一体何を話していらっしゃったの?」「それはお父様から夕食の後話して貰えるだろう。華子、ローゼンシュルツ王国の皇太子様は知ってるか?」「新聞に出てた人?あんまり良く知らないわ。それがどうかして?」「それだったらいいんだ。」溪檎はそう言って椅子に腰を下ろした。「華子、溪檎、お前達に話がある。」溪太はどっかりと椅子に腰を下ろして2人の子ども達を見た。「明日、ローゼンシュルツ王国のセーラ皇太子様が退院される。そこで、皇太子様を暫くの間我が家で滞在していただくことになった。」「お父様、その話は本当なの!?」少し不機嫌な表情を浮かべる溪檎とは対照的に、喜色満面の華子はそう言って溪太を見た。「ああ。先ほど王国大使のマクダミア殿から連絡があってな。何かと皇太子様が不便な思いをなさらないようにしなくてはいけないな。華子、手伝ってくれるか?」「ええ、勿論よ!それにしても皇太子様ってどんな御方なのかしら?お会いできるのが楽しみだわv」妹の喜びに弾んだ声を聞きながら、溪檎は複雑な思いで夕食を食べ終えた。「華子、お前に話がある。」「なぁに、お兄様?」夕食後、溪檎は生前母が丹念に手入れをしていた庭へと華子を呼び出した。ガーデニング好きだった母は、時間さえあれば庭の手入れをしていて、それは癌で亡くなるまで変わる事のない習慣だった。今はプロの庭師達の手によって手入れされ、母の死後溪檎達はそこへ足を踏み入れることさえなかったのだが、溪檎は何故か母の愛した庭で妹と話をしようと思ったのだ。「お前は皇太子様が誰なのかは知らないだろう?皇太子様はかつて警官だった男で、橘聖良と言うんだ。」「その名前、何処かで聞いた事があるわ。確かこの前テレビに出ていた方じゃないかしら?金髪に蒼い瞳の、素敵な方でしたわね。本当に彼が皇太子様なんですの?」「ああ。ここだけの話だが、わたしは皇太子様がこの家に滞在することを余り良く思っていない。いらぬトラブルは避けたいからな。」溪檎の言葉を聞いた華子は噴き出した。「心配性ですわ、お兄様。わたくしと皇太子様との間に何かがあったらと恐れていらっしゃるんでしょう?大丈夫です、わたくしにとって皇太子様は憧れの方。恋愛対象には決してなりませんから。」(そんなことを心配しているんじゃない、華子。父上はローゼンシュルツ王国に恩を売り、今まで以上の権力を手に入れたいだけだ。)「華子、これだけは言っておく。皇太子様とあまり親しくなるな。わかったな?」「わかりましたわ、お兄様。お話はそれだけですか?」華子は怪訝そうな表情を浮かべて、邸の中へと戻っていった。溪檎は暫く庭に佇んでいた。周囲を見渡すと、母が愛した花々が月光の下で美しく咲いていた。思えばあの頃―母がまだ生きていた頃は、華子と暁人とここでよく遊んでいた。あの頃はまだ、互いを憎むことも知らなかった。母の死後、3人の関係には大きな亀裂が入り、この庭を3人で来ることもなくなった。こうして久しぶりに母の庭に居ると、溪檎は少しだけ心が安らぐような気がした。(母上、何故わたしと華子、暁人を置いて逝ってしまったのですか?この家にはまだ、あなたが必要だったのに・・)溪檎は母の庭を出て、ゆっくりと邸の中へと戻っていった。「溪檎様、リヒャルト様という方からお電話です。」「わかった。」メイドから受話器を受け取った溪檎は、それを耳に押し当てた。これから彼には色々と災難が降りかかる事だろう。だがそれらは彼自身の高貴な出生ゆえのものだ、自分には全く関係ない。「もしもし?」『明日の退院の事で、少しお話ししたいのですが・・』「わかりました。」口元に乾いた笑みを浮かべながら、溪檎はどこか醒めた気持ちでリヒャルトと会話を交わした。にほんブログ村
2012年03月07日
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あの松久邸の事件から2週間経ち、瀕死の重傷を負った聖良は順調に回復していき、数日後には退院できるほどになっていた。長期間仕事を休んでしまったため、早く職場復帰しなくてはと思いながら、聖良はベッドに横になっていた。「失礼いたします、セーラ様。」ノックの音とともに病室のドアが開き、紺のスーツを纏ったリヒャルトが入って来た。「いかがですか、お加減は?」「大丈夫。それよりも、早く仕事に戻らないと・・みんなには迷惑をかけっぱなしだし・・」「警官としてまたお働きになられるというのですか?」「だって俺の仕事だし。それがどうかしたの?」「セーラ様、あなた様がローゼンシュルツ王国の皇太子様だという事実は、もう皆に知れ渡っております。今までのようにあなた様が警官として働くか、一国の皇太子として生きるか・・あなた様は今、大きな転換期を迎えておられるのです。」リヒャルトの言葉を聞いた聖良は、深い溜息を吐いて枕に顔を埋めた。「俺、どうしたらいいかわからない・・数ヶ月前突然あなたに皇太子だって言われた時も、全然実感が湧かなかったし・・それに俺は本当の家族の事について何も知らないし・・」数ヶ月前、リヒャルトから突然自分が東欧の王国の皇太子だと知らされても、皇太子としての記憶を失くしていた聖良は、自分が一国の皇子であるという実感が湧かなかった。それは今でも変わらない。こんな状態のまま、皇太子として生きろというのだろうか。「俺は皇太子として生きたくない。自分の祖国の事も、家族の事もよく知らないし・・」「ではあなた様に希望を持っている国民を見捨てる、とおっしゃるのですか?」冷たい光を帯びた菫色の瞳が、射るように聖良を見る。「あなたは皇太子として生きたくないという生き方を選ぶというのなら、それはそれでいいのかもしれません。ですが、あなた様の存在を知った彼らはどうなさるのです?」そう言ってリヒャルトがつけたテレビの画面には、黒煙と紅蓮の炎で包まれたリヒトの街が映っていた。“反王党派のテロによる死傷者は今年に入って3000人を超え、そのうち15歳以下の乳幼児の死者は700人を超えており、更に増えると思われます・・”場面が切り換わり、病院の様子が映し出された。そこにはテロで負傷し、傷つきながらも手当てを待つ人々がいた。『皇太子様には、この国に戻って来て欲しいと思いますか?』リポーターの問いに、全身を包帯で巻かれ、ベッドに横たわる子どもは屈託のない笑みを浮かべて言った。“皇太子様には、この国に戻って来て欲しいです。あの方なら、きっと僕達を助けてくれるから・・”「この映像を見ても、あなたの決心は揺らぎませんか?」「少し、考えさせてくれ。」リヒャルトは黙ってテレビを消し、病室から出て行った。(これから俺はどうすればいい・・)その夜、溪檎は父に呼ばれ、書斎へと向かった。「お呼びでしょうか、父上。」「入れ。」書斎に入ると、父は今日の朝刊を見ていた。その第一面には橘聖良の写真が載っており、彼がローゼンシュルツ王国皇太子であるという文字が大きく書かれてあった。「溪檎、お前は皇太子様にお会いしたことがあるな?」「はい・・彼とは何度か会ったことがありますが、それが何か・・」「部屋を直ちに用意させろ。皇太子様には暫くの間我が家に滞在していただく。」「父上、急に言われましても・・」「これは決まったことだ。」溪檎は父に背を向け、書斎から出て行った。 ほんの数か月前まではただの所轄の一警察官でしかなかったあの男が皇太子だと知って何日か経つが、溪檎は未だにそれを信じることが出来ないでいた。にほんブログ村
2012年03月07日
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「先生、脈拍、血圧が低下しました!」医師や看護師が慌ただしく聖良に処置をする様子を、リヒャルトは壁際で呆然と突っ立って眺めていた。(どうか、セーラ様をお助けください、主よ・・)静かに祈りを捧げていると、突然ピーッという無機質で鋭い機械音が部屋中に響いた。「心肺停止しました!」「セーラ様、まだ死んではいけません、こんなところであなたはまだ死んではいけないっ!」リヒャルトは制止する医師や看護師を振り切り、蝋人形のように蒼白な顔をした聖良の手を握り締めた。「あなた様には、あなたの帰りを待っている民が居らっしゃいます!彼らにとってあなた様は希望の星なのです!あなたがいつかローゼンシュルツの夜空で燦然と光り輝くお姿を彼らに見せてください!」―セーラ様・・闇の中で、誰かが呼んでいる。クリーム色のドレスの裾を摘みながら、聖良は声のする方へと走って行った。だが、そこには誰もいない。(誰なんだ、俺を呼ぶのは?)しばらく歩いていると、突然人影が目の前に浮かんだ。「よぉ、また会えたな、お姫様。」「お前は・・」それは、自分が松久邸で殺した男だった。「一体どうしてこんな所に?ここは何処なんだ?」「そんなの俺にも知ったこっちゃねぇよ。」男はそう言って笑い、聖良の腕を掴んだ。「俺と地獄へ堕ちて貰うぜ、お姫様。1人じゃ寂しいからな。」「嫌だ。」男の手を振りほどこうにも、それはビクともしない。「俺を殺したんだから、俺と一緒に地獄に堕ちてくれてもいいだろう?俺はお前の事、気に入っているんだよ。」男は口端を歪めて下卑た笑みを浮かべながら、聖良の腕を掴んでいた手を、腰に回そうとしていた。「お止めなさい!」凛とした声が響き、聖良は何者かに男と引き離された。(一体、誰が・・)聖良が振り向くと、そこにはあの動画に出ていた女性が立っていた。「やっとお会いできましたね、お兄様。」真紅の瞳を潤ませながら、女性はそう言って彼の手を握った。「君は・・誰?」「わたくしはマリア、あなたの妹です。お兄様、こんなところに居てはいけません。」そう言って女性は聖良の背中を優しく押した。「お兄様、わたくしの分まで生きてください。」漆黒の闇の中に、突然一筋の光が射し込んできて、聖良は思わず目をつぶった。―セーラ様、死んではいけません、セーラ様!力強く、張りのある凛とした声が光の向こうから聞こえた。聖良はゆっくりと、その向こうへと静かに歩いていった。「セーラ様・・」ゆっくり目を開けると、そこには涙で菫色の瞳を潤ませた青年が自分の前に立っていた。「リ・・ヒャ・・ル・・ト・・?」そっと彼の頬に触れると、聖良は再び目を閉じた。「セーラ様!しっかりなさってください!」「眠っただけです、もう出て行って下さい。」手術室を出たリヒャルトは、神に感謝した。(主よ、ありがとうございます・・セーラ様のお命を救ってくださって・・)「彼の容態はどうなんですか?」警官がそう言って彼を見た。「セーラ様は、もう大丈夫です。」そう言った彼の菫色の瞳から一筋の涙が流れ、頬を濡らしていた。にほんブログ村
2012年03月07日
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聖良は、都内の病院に救急車で搬送された。手術室の前で、リヒャルトは真紅のランプを見ながら彼の無事を祈っていた。もしここで彼が死んでしまったら、王国の政権はあの男に簒奪されてしまう。やっと彼を見つけたのに、彼がここで死んでしまったら、今までの努力が水の泡になってしまう。(主よ、どうかセーラ様をお守りください・・)リヒャルトがそう思いながら胸の前で十字を切っていると、慌ただしい足音が廊下の向こうから聞こえた。「聖良、聖良は何処にいるんですか!?」カソックを着た70代の男性が、そう言って聖良が錯乱の余りに暴力をふるってしまった警官に詰め寄っていた。「彼は今、手術を受けてます。失礼ですが、神父様は彼とはどういったご関係で?」「彼の養父です。」神父はそう言って警官を見た。その顔に少し見覚えがあったリヒャルトは、2人の方へと歩いていった。「失礼ですが、もしやあなたは・・」警官と何かを話していた神父は、ゆっくりと自分の方を見た。「あなたは、あの時の・・」神父とリヒャルトの視線が合わさった時、突然廊下の向こうから1人の青年が2人の間に割って入って来た。「あの、ここに運び込まれた女性というのは、行方不明になったローゼンシュルツ王国の皇太子様だとききましたが、それは事実ですか?」清潔感のある短い黒髪に、皺が寄っていないスーツに糊の利いたシャツに身を包んだその青年は、そう言ってリヒャルトの方にボイスレコーダーを向けた。「何なんだ君は。一体何者だ!」先ほどまで神父と話をしていた警官が眦を上げて青年に詰め寄った。「自己紹介が遅れました、わたくしこういう者です。」青年はそう言って警官に名刺を渡した。「帝朝新聞社会部鳩江淑介・・すまないが、今マスコミの取材は受け付けていないんでね。」警官はそう言って青年の目の前で彼の名刺を破り捨てた。「少しだけでもいいんです、今回の事件の事だけでも・・」記者は尚も食い下がり、今度は警官に向かってボイスレコーダーを向けた。「いい加減にしたまえ!」警官と記者が揉めている間、神父はそっとリヒャルトの耳元でこう囁いた。「ここは人目がつきます、あちらでお話ししましょう。」「わかりました。」リヒャルトと神父は待合室を離れ、人気のないカフェテリアへと向かった。「あなたは確か、皇太子様とよく遊んでおられた神父様では・・」「そうですよ。よく憶えておられましたね。当時わたしはヴァチカンからあなたの祖国に派遣され、教会に勤めながら皇太子様の世話係でしたから。それにしてもあの頃のあなたはまだほんの小さな男の子でしたのに、もうこんなに立派に成長したんですね・・」神父は感慨深そうな目で、リヒャルトを見つめた。「皇太子様を日本へ連れて行かれたのはあなただという噂が昔、宮廷で流れていましたが・・それは本当の事なのですか?」リヒャルトの問いに、神父は静かに頷いた。「・・あの頃、あなたの祖国は滅亡の危機に瀕してました。反乱軍が王宮まで迫り、皇帝一家を処刑する機会を虎視眈々と狙っていました。そんな中、わたしは皇帝陛下と皇妃様から、あることを頼まれたのです。」「ある事?」神父が言葉を継ぐ為に口を開こうとした時、警官と言い争っていた記者がカフェテリアに入って来た。「・・では、わたしはこれで。」神父はいそいそと椅子から立ち上がり、カフェテリアを出て行った。リヒャルトはその小さな背中を、静かに見つめていた。待合室に戻ると、そこは俄かに慌ただしくなっていた。どうやら聖良に何かが起きたらしい。「セーラ様!」リヒャルトは堪らず手術室の中へと駆け込んだ。そこには、力無く手術台の上に横たわる聖良の姿があった。にほんブログ村
2012年03月07日
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「う・・」大広間の爆発に巻き込まれ、聖良は瓦礫の下から這い出した。 辺りを見渡すと、黒煙と紅蓮の炎が大広間を包み、瓦礫の下には自分を撃とうとした男が押し潰されて死んでいた。男の死体を見た瞬間、聖良の脳裏に3年前の悪夢が甦って来た。あの夏の日、自分宛てに届いた荷物を開封しようとした時、爆弾が炸裂し、自分と同僚がいた部屋は一瞬にして黒煙と炎、轟音に包まれた。自分以外その場に居た同僚は、命を落とした。その中には結婚し、子どもが産まれる者もいた。何故自分だけ助かってしまったのか・・聖良はいつも死んだ同僚への罪悪感を抱えながら生きてきた。もう、あの時と同じ思いをしたくない。聖良は必死に同僚達の姿を探した。「待ってろ、今助けてやるからな!」瓦礫の下を覗きこんでも、誰もいない。皆は何処へ行ったのだろうか?多分あの時とは違って皆はもう脱出して無事なのかもしれない。そして外で自分の事を待っているのかもしれない。聖良はそう思いながら両開きの扉を開けた。「人が出てきたぞ!」「誰か、担架を!」やっぱりみんな、自分の事を待っていた。喜びに溢れた表情を浮かべながら皆の顔を見ると、そこには血に塗れた顔が一斉に自分を見ていた。―どうしてお前だけ生き残ってるんだ?―俺はまだ生きたいのに・・―どうしてあなただけが・・血塗れの手が聖良の腕を掴もうとする。「嫌だ、やめろ!」聖良は恐怖の叫びを上げてマシンガンの銃口をかつての同僚に向けた。美しいクリーム色のドレス―今はその残骸に身を包んだ女性は、傷の手当てをしようとした救急隊員に突然銃口を向け、引き金を引こうとした。「伏せろ!」マシンガンの銃弾が近くに停まっていたパトカーを穴だらけにした。「もう大丈夫です、あなたは助かったんです。」溪檎はそう言って女性の方に少しずつ歩いて行った。「・・嫌だ、近寄るな・・」恐怖の表情を浮かべた女性は、マシンガンの引き金を再び引いた。だが弾切れらしく、カチカチッという音しか出ない。「あなたの命は安全です。誰もあなたを傷つけません。」溪檎はそう言って女性の腕を掴もうとしたが、女性は低い唸り声を上げて彼の鳩尾を膝蹴りした。「警部!」痛みで蹲る溪檎に馬乗りになった女性は、邸の中から持ってきたと思しき肉料理用のナイフで溪檎の喉を切り裂こうとしていた。だがその時、正面玄関から1人の男が飛び出してきて、女性からナイフを取り上げた。「目を覚ましてください、セーラ様!」女性は迷彩服姿の男に振り向き、安堵の表情を浮かべた。「俺・・一体何を・・」そう言って女性は気を失った。「警部、大丈夫ですか!?」慌てて駆け寄って来た部下を手で制した溪檎は、目の前の男を睨んだ。「あなたは一体何者ですか?橘君と一体どういう関係が・・」「それを今教える訳にはいきません。今は皇太子様を安全な場所へお運びしなくては。」腕に気絶した女性―聖良を抱きながら、男は溪檎に背を向けて歩き出した。「皇太子様・・だと?じゃあ彼は・・」「わたしの祖国をいずれ治める方です。」にほんブログ村
2012年03月07日
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聖良は初めて持つマシンガンの重さに慣れずに、柱の陰に隠れながら廊下を移動した。今のところ、敵の気配はない。松久一家は一体何処へ行ったのだろう?警察に救出されたのだろうか? 歩くたびにヒールの音が甲高く響き、聖良はもっと歩き易い靴を履いてくればよかったと後悔したが、今更そんなことを思ってももう遅い。今はどうやってここから脱出できるかを考えることだ。リヒャルトは何処かに消えてしまったし、頼れるのは自分自身だけだ。大理石の廊下を暫く歩いていると、何か奥の方から物音が聞こえた。(何だ・・?)廊下の奥は、大広間があった筈だ。聖良は柱に身を隠しながら、ゆっくりと大広間の扉を開けた。そこには犯人グループや松久一家の姿もなかった。やっぱり一家は警察に保護されたのかと思って安堵の溜息を吐き、聖良がマシンガンを下ろそうとした時、等身大の鏡に犯人グループと思しき男の姿が映った。聖良は咄嗟にマシンガンの引き金を引いた。「中から銃声がしたぞ!」松久邸を包囲していた機動隊が銃声を聞き、一気に突入した。一家とパーティーの招待客2人が人質に取られて2週間近く経ち、溪檎の訴えにより父をはじめとする上層部がやっと重い腰を上げ、松久一家と人質救出の為に動き出したのが、24時間前のことだ。「外の状況が全く見えんな・・一体どうなっているんだ?」隣で年配の刑事がそう言って望遠鏡を覗きながら唸った。溪檎は眼鏡を外して、目を凝らして大広間と思しき部屋の中を眺めた。そこには2つの人影が蠢いていた。「ちょっと失礼。」隣の刑事から望遠鏡を覗いた溪檎は、驚愕の表情を浮かべた。「あれは・・まさか・・」大広間では、聖良は犯人グループの男1人と死闘を繰り広げていた。間断なく響く銃声と部屋中に飛び散る銃弾。聖良は何とか銃弾を躱(かわ)しながら男に向けてマシンガンを乱射したが、男はこちらの動きを完全に読んでいるようで、なかなか当たらない。「お姫様は銃の扱いが下手だな!」男がそう言って嘲りの笑みとともに聖良にマシンガンを乱射した。何とか聖良は銃弾から逃れたが、男が乱射した銃弾の1発が左内腿に当たった。「ぐ・・」激痛に歯を食い縛って耐えながら、聖良は着ていたドレスの裾を引き裂き、その布を傷口に巻いて男に向けて乱射した。男は銃弾をまともに喰らい、全身から血を噴き出しながら白亜の床に血の染みを作り、倒れたまま動かなくなった。聖良は負傷した左足を庇いながら、出口へと向かった。その時、左頬を何かが掠め、激痛が走るのを感じた。「まだ終わっちゃいないぜ、お姫様!」螺旋階段に身を潜めていたリーダー格の男が聖良に躍りかかって来た。「松久一家はどうした?」「あいつらは裏口から逃がした。用があるのはお前達だけだ!」男はそう言うなり携帯していたダガーナイフで聖良の脇腹を突き刺した。灼熱の炎が全身を嬲る様な痛みに襲われ、聖良は床に蹲った。「さようなら、お姫様。」男が聖良に拳銃の銃口を向けた時、激しい炸裂音と共に紅蓮の炎が大広間を包んだ。「爆発したぞ!」「機動隊はどうなっている!」「無線が繋がらない!」戦場と化した現場で警官たちは口々に叫んだ。「救急車を呼べ、怪我人がいるかもしれない。」溪檎はそう言って現場を警備している警官に声を掛け、松久邸の中へと入って行こうとした。「警部補、危険です!中にまだ爆発物が残っている可能性が・・」「どけ!人質がいるかもしれないんだ!」制止する部下を振り切って溪檎が邸の中へ向かおうとした時、黒煙の向こうから人影が見えた。それはあの夜、異母弟がエスコートしていた女性だった。にほんブログ村
2012年03月07日
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聖良は突然裸同然の格好でベッドに入って来た麗華を押しのけた。「俺はあなたとはそんなことをするつもりはありません。出て行ってください。」「わたくしはあなたの妻になりたいのです、皇太子様。せめて一夜のお情けを頂ければ、ここから出てゆきますわ。」「悪いけれど、今すぐ出て行ってくれないか。俺は今そんな気分じゃない。」「それではわたくしの気持ちが治まりませんわ。何故わたくしを拒絶なさるの?」麗華は聖良に抱きつこうとして、彼の背中に手を伸ばそうとしたが、彼はその手を振り払った。「お願いだから、出て行ってくれませんか?」「今夜は諦めますわ。」口端を尖らせ、麗華は部屋を出て行った。聖良は溜息を吐いてベッドに戻り、眠ろうとしたがなかなか眠れなかった。(国会議員の娘だから、深窓の令嬢かと思っていたが・・夜這いに来るなんて・・)自分が皇太子だということは、まだ彼女は知らない筈だ。多分彼女はマスコミの情報に踊らされ、何か誤解しているのだろう。聖良は寝返りを打ち、目を閉じて眠りの淵へとゆっくり落ちていった。夢の中で、またあの女性に会った。―セーラ、やっと会えたわね・・そう言って自分に似た女性は、聖良を抱き締めた。『あなたが、俺の母さん?』―ええ、そうよ。わたしはあなたを産んだお母様よ。20年以上経って、やっとあなたに会えた・・女性はそう言って蒼い瞳を涙で潤ませた。『俺の義父は、どうしてあなたと俺を引き離したんですか?』―止む終えない事情があったからよ。あの時今すぐ王国から離れないとあなたの身が危険に晒されるから、仕方なく・・『止む終えない事情?それは一体どういう・・』聖良の問いに女性が答えようと口を開こうとした時、遠くから銃声が聞こえた。―逃げて、セーラ!お前まで奴らに殺されてしまう!ベッドから飛び起きた聖良は、夢の中で聞いた銃声がまだ聞こえているような気がして窓際に寄り、カーテンを少し開けた。薔薇園の向こうには、警察車両がいつの間にか停まっており、その後ろにはマスコミの取材クルーのバンがあり、上空にはマスコミのヘリコプターが鳶のように旋回している。自分が寝ている間に一体何が起こったのかがわからず、呆然と窓の外の風景を眺めていると、荒々しいノックの音がした。「皇太子様、早くここからお逃げください!奴らがあなたを探しています!」いつの間にか迷彩服に身を包んだリヒャルトが、そう叫んで聖良の手を掴んだ。聖良はクローゼットの中を掻き回し、スラックスを探したが、あるのはドレスとワンピースだけだった。(畜生、こんなときに動き難い服ばっか・・これ用意したやつ、ただじゃおかねぇ!)ここで時間を浪費するわけにはいかない―そう思った聖良は、手近にあったクリーム色のドレスを掴み、寝間着を脱いだ。「ベッドの柱にお掴まりください。コルセットを締めますので。」「そんな時間ないだろ、コルセットは締めないでこのまま着て・・」「直ぐに済みますから。」リヒャルトによってコルセットでウェストを少しきつく締めつけられた聖良は手早く化粧を終え、彼と共に部屋を飛び出した。廊下は人の気配がなく、しんと静まり返っていた。「一体何があったんだ?俺が寝ている間に何があった?」「それは後でお話しいたします。それよりもこれを。」リヒャルトがそう言って聖良に渡したのはマシンガンだった。「いつの間にこんなもの手に入れたんだ?っていうか、こんな物騒なもん持つほどヤバいのか?」「それを反乱軍の1人から先ほど奪いました。わたしの分は背中に背負っております。使い方はわかりますね?」「マシンガンなんか一度も撃ったことないって!」聖良がそう叫んだとき、廊下の向こうから銃声がした。それが合図かのように、階下でガラスが割れる音がした。(畜生、やるしかないか!)抱えたマシンガンの重さがズシリと響いて、聖良はよろけそうになった。にほんブログ村
2012年03月07日
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昼食を済ませた麗華は、優雅な足取りで薔薇園を後にし、邸の中へと戻って行った。「麗華、今まで何処に行っていたの!?お部屋にあなたの姿が見えないから心配しましたよ!」與利子が真っ青な顔をして自分の方へ駆け寄って来た。「ごめんなさい、お母様。あまりにも天気が良いから、外でお昼を食べていたの。」「そう・・あの男と一緒にお昼を食べたの?あいつは何か言っていた?」「少ししかあの方とお話しできなかったわ。まぁ、わたくし達には危害を加えないとおっしゃってたから、大丈夫よ。」「それは良かったこと。じゃあ彼らの目的はあの方だけなのね?」「多分、そうだと思うわ。」麗華はそう言って聖良の姿を探した。「麗華、あの方は本当にローゼンシュルツ王国の皇太子様なの?なんだか胡散臭いわね。」與利子は不快そうに鼻を鳴らしながら言った。「今は彼が本当に皇太子様かどうか判らないけれど・・もし皇太子様だとしたら、わたくし彼と結婚したいわ。」「あなたには溪檎さんが居るじゃありませんか。それに一国の皇太子妃になろうなんて・・向こうは600年も続く伝統がある王室ですよ。いくらお父様が国会議員だと言っても、皇族や王族の出身ではないのだから、諦めなさいな。」「わたくしは諦めないわ、お母様。わたくしは欲しいものは決して手に入れるまで諦めない。」「困った子だこと・・」次第に遠ざかっていく背中を見送りながら、與利子は溜息を吐いた。自分の部屋に戻った麗華は、溜息を吐きながら帯を解き、結いあげた髪に挿していた真珠の櫛を外し、ベッドに寝転がった。「お嬢様、お入りになってもよろしいでしょうか?」ドアの向こうから乳母の声がして、麗華はゆっくりとドアの方へと歩いて行った。「入って頂戴。」「失礼いたします。」ゆっくりと部屋に入って来た乳母とは、乳飲み子の時から顔見知りで、麗華にとっては実の母親以上の存在だ。「ねぇ總子(さとこ)、わたしが突然ローゼンシュルツ王国の皇太子妃になりたいと言ったら、お前は反対する?」「わたくしはいつでもお嬢様の味方です。もしお嬢様が異国に嫁がれても、總子が奥様の代わりにお嬢様をお守りいたします。」「・・それを聞いただけで勇気づけられたわ。ありがとう、總子。あなたはお母様とは大違いね。」麗華は薔薇園に咲き誇る大輪の薔薇のような微笑みを乳母に浮かべた。「少し1人で休みたいの。」「かしこまりました。」ドアが閉まり、静寂が部屋を包み込んだ。麗華は全身が映る鏡の前に立ち、身に纏っていたものを全て脱いだ。鏡に映るのは、ジム通いで美しく鍛えられた贅肉のない完璧な肉体だった。母親譲りの卵型の顔に、アーモンド形の黒い瞳に艶やかな黒髪を持った自分を、世の男性達が放っておく筈がない。それはあの皇太子にも当て嵌まるだろう。警察官僚の妻という地位もいいが、それよりも高い地位を麗華は欲していた。たとえ皇族や王族ではないとしても、自分の美貌と知性さえあれば、皇太子妃にだってなれるかもしれない。いや、絶対にローゼンシュルツ王国の皇太子妃になるのだ。(わたくしはきっとなってみせるわ、あの方の妻に!)その夜、聖良はベッドで熟睡していたが、人の気配がしてベッドから起き上がった。「こんばんは、皇太子様。」自分の前に立っていたのは、身体の線が見える薔薇色のミニのドレスと、揃いのミュールを履いた麗華だった。「どうしてこんなところに、あなたが?」「決まってますわ、既成事実を作る為です。」麗華はそう言ってするりと自分の隣に入って来た。にほんブログ村
2012年03月07日
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薔薇園を出て、部屋に戻った聖良は、溜息を吐きながらベッドに大の字になって倒れた。その途端おなかがぐうぐう鳴り始め、こんな状況の中でも腹は減るのかと聖良は苦笑した。昼食を抜かしてしまったが、今更薔薇園に戻るわけには行かないし、戻ってもあの2人と食事をする気分でもない。どうしようかと考えていた時、躊躇いがちなノックの音がした。「誰だ?」「わたくしです、リヒャルトです。」「入れ。」部屋に入ってきたリヒャルトは、ピクニックなどでよく見掛ける柳製のバスケットを持っている。「お昼をまだお召し上がりではないのでしょう?一緒に軽く頂こうと思いまして、厨房の者に用意させました。」「ありがとう・・」バスケットを開けると、そこにはクラブハウスサンドイッチとツナサンド、フライドポテトと鶏の唐揚げがギンガムチェックの弁当箱の中に入っており、魔法瓶の中には淹れたてのコーヒーが入っていた。「気が利くな。どうして俺が薔薇園での昼食会を抜け出したことを知っているんだ?」「さぁ、単なる勘です。それよりもここでお話ししたい事がございますが、よろしいでしょうか?」「別に構わないが・・」「あなたは、どうやって日本に来られたのか、憶えておられますか?」聖良は眉間を揉みながら、幼い頃の記憶を思い出そうとした。確か施設に引き取られる前、聖太とともにイタリアへ行って飛行機で日本まで来たことは憶えている。「確か、義父(ちち)が俺を何処かわからないが・・多分そこからイタリアまで行って、そこで飛行機で日本まで来たことは憶えてるけど・・」「あなたのお義父様のお名前は?」「セイタ=タチバナ。俺が育った施設を運営していて、昔はヴァチカンで働いていたらしいってことは一度聞いたことはあるんだけど・・それ以外はあんまり・・」「無理に思い出そうとなさらなくてもいいのですよ。時があなたの失われた記憶をいつか取り戻してくれることでしょう。」リヒャルトは菫色の瞳を細めながら、じっと聖良が食べているのを見ていた。王家を守る近衛隊長のマクダミア伯爵家の次男として生を享け、厳格な父からは“己の身を盾にして陛下と皇妃様を守れ”と耳にタコが出来るくらい言われ、武術の稽古や学問に励み、士官学校を首席で卒業して軍隊に入隊しようとしたが、持病で止む無く断念し、外交官への道を歩むこととなり、王国大使として日本に赴くこととなった。行方不明の皇太子を探せという皇帝陛下の使命を受け、漸く皇太子を見つけたものの、当の本人には皇太子としての記憶が全くないことを知り、愕然とした。(必ずあなた様の記憶を取り戻してみせます・・わたしが必ず・・)「さっきから一口も食べてないな。どうした?」「いいえ、何でもありません。それよりもこれからどうなさいますか?あの2人は完全に信用できません。」「そうだな・・特にあの国会議員の娘は・・」聖良はサンドイッチを食べた手をナプキンで拭いながら、薔薇園の方を窓から眺めた。一方薔薇園では、麗華とあの男が優雅にイタリアンを食べていた。「それにしても、あなたは皇太子様のことをどう思っていらっしゃるの?わざわざ東欧からここまで追いかけて来たって言うことは、相当皇太子様にご執心のようね?」麗華は優雅にチキンの胸肉をナイフで切りながら、目の前に座っている男を見た。「勘違いするな、俺は主の命令によって日本に来たまで。皇太子本人には全く興味がない。」男は荒々しく椅子を引き、薔薇園から立ち去った。「つれない男達ばかりですわね・・」麗華は溜息を吐き、メインディッシュに舌鼓を打った。色とりどりの薔薇の香りに一羽の揚羽蝶が誘われ、薔薇の蜜を吸っていた。 美しい薔薇園の中に座る麗華の姿は一層美しく見えたが、彼女の黒曜石のような瞳の奥に昏い悪意が潜んでいることを、聖良達はまだ知らなかった。にほんブログ村
2012年03月07日
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聖良が息を切らして薔薇園に行くと、そこには麗華と暗殺部隊のリーダーがいた。「どうしてお前が・・」「わたくしが呼びましたの。一方的に相手のお話ばかり聞いていると、この状況が何時まで経っても改善されないと思いまして。それにここでお昼を取るのにいいお天気だと思いましたから。」そう言って麗華は屈託のない笑みを浮かべた。第一印象としては“甘やかされたお人形のようなお嬢様”だと思ったが、そんなことを考えるとは、流石国会議員の娘だと聖良は思った。自分達に危害を加えようとしている男と、その男と敵対関係にある自分を同席させて、昼食を取ろうとするとは。度胸があるというか、肝が据わっているというか、この娘は侮れない。「・・わかりました。あなたの言う通りに致しましょう。」「では、こちらへ。」麗華の後ろを歩こうとしていた聖良は、男に突然腕を掴まれた。「お前に話がある。」「俺はお前に話すことなどない。その手を離せ。」「あの女に気を付けろ。あの女、見た目は儚げで虫も殺さないような顔をしているが、本性は俺や俺の主よりも恐ろしい。」「それは、一体どういう・・」「どうかなさいましたの?」麗華が突然聖良と男の方を振り向いた。口元には笑みを浮かべている。先ほどまで美しいと思っていたその笑顔が、聖良には急に恐ろしく思えた。「いえ、なんでもありません。」「そうですの。ではその方とこちらにいらっしゃってくださいな。」麗華が指さした方向には、白いヴェネチアンレースのクロスがかかったテーブルが薔薇園の中央に置かれており、温室でも見掛けた白亜の華奢な椅子が3人分置いてあった。「ねぇ皇太子様、さっきこの方に聞いたんですけれど、あなたが今この場で皇位継承権を放棄してくれれば、わたくしたちを解放してくれるのですって。この提案にあなた様はどう思われますか?」麗華の言葉を聞いた聖良は、一体彼女が何を言っているのかが解らなかった。「・・俺にはどういうことなのか、さっぱり解りません。」「そうですわよね、皇太子様はまだ記憶を取り戻していらっしゃらないんですもの。あなたはこれからどうなさりたいのかしら?」麗華は男に向き直って彼を見た。「記憶がないというのは俺達にとっては好都合だ。お前が皇位継承権を破棄したら、主が病身の皇帝に代わって政権を握れるからな。それに、愛しい女も同時に手に入れられるし。」「愛しい女?それは一体誰の事だ?」男は1枚の写真を取り出し、それを聖良に見せた。その写真はあの動画に出ていた若い白人女性が持っていたものと同じ物だった。そこにはどこかの王室のもののようで、国王夫妻と思しき若い男女と、あどけない笑みを浮かべている2人の子どもが映っていた。「主が心から愛しく思っている女は、お前の母親だ。」そう言って男が指したのは、時折幻覚や夢に現れる金髪蒼眼の美しい女性だった。「この人は、一体誰なんだ?」「アンジェリカ=フォン=ローゼンシュルツ、ローゼンシュルツ王国皇妃だ。主とは学生時代の友人でな。皇妃様を巡られて若き頃の陛下と恋の鞘当てをしたことがあるとか・・」「この人が、俺の母親・・」聖良はそう呟いて写真を見た。今まで家族は“白百合の家”のみんなと、養父である聖太だけだと思っていたが、自分がそんな高貴な王家の出身だとは夢にも思わなかった。「皇位継承権を破棄するか?ここで答えを出したら、お前は今まで通り普通の生活を送れる。俺達や俺達の主、そして皇帝一家と俺達の祖国とは一切無縁のまま、ただの一市民として暮らせるんだ。」「・・少し考えさせてくれ。」聖良はそう言って椅子から立ち上がり、薔薇園を去った。「なかなか落ちませんわね。」麗華は涼しい顔でフランスパンを千切りながら言った。「彼は動揺しているんでしょうねぇ。まぁ、無理もない。」男は口元に笑みを浮かべると、コーヒーを一口飲んだ。にほんブログ村
2012年03月07日
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「あの、俺に何かご用ですか?」 今まで会う機会がなかった国会議員の令嬢に突然部屋を訪ねられ、声を掛けられた聖良は戸惑いながらそう言って麗華を見た。「いいえ、ただお部屋に閉じ籠ってばかりいると気が滅入るかもしれませんから、ティールームで御一緒にお茶を頂けないかと思いまして。」麗華は笑みを浮かべたままそう言って聖良を見た。「俺なんかがあなたのようなお嬢様と御一緒にお茶などしてもよろしいんでしょうか?それに俺、今回の事であなた方のご家族に大変ご迷惑をおかけしておりますし・・」「それは構いませんわ。こんな状況では何もできませんから、せめて楽しむ位しなくてはと思って、お誘いしましたの。もし都合がお悪ければ・・」「い、いえ、構いませんよっ!ちょっと待っていてください!」寝癖を整え、着替えを探しにクローゼットを開けたが、そこにはここ数週間着っ放しのドレスと、女物のドレスや服しかなく、男物の服は見当たらなかった。一体誰が用意したのかわからないが、それぞれのドレスに合う女物の靴やバッグなどがドレスの下に置いてあった。(俺に女装しろって言うのかよ、あの男・・)溜息を吐きながら鏡台の前に座り、手早く化粧と身支度を済ませた聖良は部屋を出た。「こちらですわ。」麗華がそう言って聖良を案内したのは、邸から少し離れた温室の中だった。そこには洒落た白亜のティーテーブルと椅子があり、テーブルの上にはアフタヌーンティーの用意がされていた。「それにしても皇太子様はお綺麗でいらっしゃいますわね。パーティーの時のドレスも素敵でしたけれど、今日のお召し物も素敵でしてよ。」「・・それはどうも。クローゼットに生憎こんな物しかなかったもので・・」男なのに女装姿を女性から綺麗だと褒められても、聖良は余り嬉しくなかった。だがそんなことはお構いなしに、麗華は口元に笑みを浮かべている。「皇太子様は、幼い頃の記憶を失くされていらっしゃるとか・・それは本当ですの?」「ええ、まぁ・・俺が皇太子かどうかも判らないし・・」「そうですの・・ご自分のご家族の事を思い出されないとなると、辛いですわね。」「あんまり、辛くないです。俺には俺を我が子のように愛情を持って育ててくれた義父が居ますから。それに、俺の家族は義父と、施設の仲間達だけと思ってますし。」聖良はそう言い切ると、紅茶を一口飲んだ。「あなたは、周りの方々からいっぱい愛情を注がれてお育ちになられたんですのね・・わたくしとは大違い。」ふっと寂しそうに笑いながら、麗華は紅茶を一口飲んだ。「これから少し薔薇園の方を散歩しませんこと?憂鬱な気分が紛れるかもしれなくてよ。それに、わたくしあなたの事をもっと知りたいし。」麗華は椅子から立ち上がり、温室を出て行った。(こいつ、一体何が狙いだ?俺が皇太子だと知ったから、親切にしているのか?)この邸に監禁されて数週間、これまで会うことがなかった麗華が突然自分に対して興味を持っている事に訝しがりながら、聖良は慌ててドレスの裾を摘んで椅子から立ち上がり、彼女の後を追って温室を出た。その頃、鷹城家では華子が朝食の席で父親に向って不満をぶちまけていた。「どうしてわたしがお祖母ちゃんの介護をしなくちゃいけないの!あれはあいつの仕事でしょう!?」「あいつにも仕事があるんだ。それに碌にアルバイトもしないで暇を持て余しているお前があいつの仕事を手伝ってやってもいいだろう。とにかく、もう決まったことなんだ。」溪太はそう言って椅子から立ち上がってダイニングルームを出て行った。「何よ、お父様ったら勝手なんだから・・」華子は乱暴に椅子から立ち上がり、祖母の部屋へと向かった。そこでは暁人が祖母と楽しく何かを話していた。それを見た途端、華子の胸の中に宿る暁人への憎しみが一層強くなっていった。(お母様を殺した人殺し・・許せない、あいつだけは!)激しい憎悪を宿した瞳で暁人を睨みつけた華子は、廊下を走り去って行った。「どうしたんだい、暁人?」「今誰か居たような・・気の所為かな。」暁人はそう呟いて祖母に向き直った。にほんブログ村
2012年03月07日
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マリアはドレス姿のまま、謎の男の車に乗り込み、大学寮を出た。2人を乗せた車は中心地からだんだん離れて行く。「あの・・どちらに行かれるんですか?どこでお兄様と会えるんですか?」「まだ時間はかかりますよ、これからいくつか国境を越えてワルシャワに向かわなければなりませんから。」その言葉を聞いた途端、マリアの背中に悪寒が走った。「わたくしをどうなさるおつもりですか?」謎の男は、マリアの問いには答えず、ひたすら車を走らせた。助けを呼ぶ為にハンドバッグから携帯電話を取り出すと、液晶画面には「圏外」と表示されていた。(これからどうすれば・・)「どうかなさいましたか、皇女様?」「い、いいえ・・」「ポーランドへはお行きになったことはございますか?緑がとても美しい、いい国ですよ。きっと皇女様も気に入られると思いますよ。」謎の男はそう言って、自分に微笑んだ。その笑顔は、ゾッとするような恐ろしいものだった。「あなたは、一体わたくしに何をするつもりですか!?」「それはポーランドに着いてからのお楽しみです。」やがて車はウィーンから遠く離れたポーランドの国境地帯へと入って行った。マリアはトイレに行きたいと言って車から離れた。(助けを呼ばないと・・)携帯電話の液晶画面には、アンテナが3本立っていた。リダイヤルボタンで親友の番号を呼び出したが、なかなか繋がらない。「娘は何処だ?」「まさか逃げたんじゃないだろうな?」背後から話し声がして、どんどん近付いてくる。このままでは男達に捕まってしまう―マリアはそう思い、鬱蒼とした森の中へと逃げ込んだ。茨で美しいエメラルドグリーンのドレスはたちまち裾がボロボロになり、白いハイヒールは土で汚れ、足には肉刺が出来たが、マリアは逃げることを止めなかった。(お願い・・電話に出て・・)電波の状態が悪いのか、なかなか親友に繋がらない。男達に見つかるのも時間の問題だ。漸く5度目のダイヤルで、親友に繋がった。“アンナ、今何処にいるの?突然寮を飛び出しちゃったからびっくりしたわよ。”「わたし、今変な男達に追われているの。ポーランドの国境地帯の森に居るわ。お願い、助けて!」“マリア、もしもし、マリア!?”マリアが握り締めていた携帯電話は謎の男によって破壊された。「さようなら、お姫様。」謎の男はそう言って、銃口をマリアに向けた。(お兄様・・)朦朧とした意識の中でマリアの脳裏に浮かんだのは、幼い頃兄と過ごした夏の思い出だった。またあの頃のように兄と共に過ごせたら、と思いながら今まで兄の消息を探していた。やっと兄に会えると思っていたのに、こんなところで死ぬなんて嫌だ。(お兄様、助けて・・)徐々に光を失っていく血のような真紅の瞳から、一筋の涙が流れ、地面に零れ落ちた。(お兄様、さようなら・・)その頃日本では、ガンネルトが送り込んだ暗殺部隊に監禁されている聖良がためらいがちなノックの音でゆっくりと蒼い瞳を開いて、ベッドから起き上がる所だった。(今誰かに呼ばれたような・・)そう思いながらドアを開けると、そこには艶やかな黒髪を結い上げ、上品な色合いの振袖を着た女性が立っていた。「初めまして、皇太子様。わたくしは松久拳四郎の娘、麗華です。以後お見知りおきを。」そう言って女性はニッコリと聖良に微笑んだ。にほんブログ村
2012年03月07日
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「さあ、こちらへどうぞ。」 若く美しい司祭―ディミトリに連れられてフリードリヒは、王宮から少し離れた聖職者用の宿舎へと入った。「ありがとう。」「それにしても、一体あそこで何をしてらしたんです?」カモミールティーを淹れながら、司祭はそうフリードリヒに尋ねた。「さっき、あの人達・・フロイハイシェン男爵夫人が話していることを聞いちゃったの・・僕が、次期皇帝に相応しくないって・・」ディミトリから渡されたマグカップを、フリードリヒは関節が白くなるまで握り締めた。「お母様はあいつ・・兄様の事ばかり心配してる・・あいつなんて、死んだも同然のやつなのに・・」ディミトリは黙って皇子の話に耳を傾け、アップルパイをオーブンで焼いていた。「お父様も、お母様もあいつのことばかり・・姉様は僕の事を置いていっちゃった・・どうしてみんな、僕の事を少しも見てくれないの!」「そうやって自分のご不満ばかりを相手にぶつけては、離れて行ってしまいますよ。」「え・・?」カモミールティーを飲んだフリードリヒは、ディミトリの言葉を聞いて噎せそうになった。「先ほどから聞いていましたが、あなたはいつもご自分の事ばかりにお話しになられてばかりで、相手の言うことなどちっともお聞きになろうとしない。相手の気持ちも解らず、自己主張ばかりしていては、いつまでたっても子ども扱いされますよ。」椅子に腰を下ろしたディミトリは、そう言ってペリドッドの瞳で皇子を睨んだ。「・・だって、誰も僕の言うことを聞いてくれないんだもの。」「皇帝陛下や皇妃様、皇女様があなたのことを蔑ろにされているとおっしゃいましたが、陛下や皇妃様はちゃんとあなた様の事を考えていらっしゃいますよ。捻くれた考えはお捨てになり、これからのことを考えましょう。」「これからのこと?」「ええ、そうですよ。」ディミトリはフリードリヒに笑顔を浮かべながら、彼の前に焼き立てのアップルパイを置いた。「もし皇太子様・・あなたのお兄様がここに戻ってきたら、あなたはどうなさいます?皇太子様を、殺しますか?」「殺す・・兄様を・・」「あなたは皇太子様の事が邪魔なんでしょう?」ぺリドットの瞳が、きらりと美しい光を放った。それを見たフリードリヒは、一瞬彼の後ろに恐ろしい悪魔が見えた。だが目を擦ると、悪魔は居なくなっていた。「どうかなさいましたか?」「ううん・・なんでもない。」フリードリヒは良き相談役の司祭が焼いたアップルパイを一口食べた。「ディミトリ、僕はどうしたら、皇帝になれると思う?どうしたら、お父様やお母様に愛されると思う?」ディミトリは暫く考えた後、フリードリヒの耳元にこう囁いた。「皇帝陛下に、自分は後継者に相応しいと思われる程に知識と教養をつけ、陛下を感心させるような人間に努力するのです。それから、ライバルは容赦なく蹴落としてしまいなさい。どんな手を使っても、たとえ肉親でも情けを与えてはなりません。」「わかったよ、ディミトリの言うとおりにする。ありがとう、ディミトリ!」フリードリヒはそう叫んでディミトリを抱き締めた。「あなた様が頼りに出来るのは、このわたくしだけですから、いつでも御相談に乗りましょう。」ディミトリはフリードリヒの肩越しで口端を上げてほくそ笑んだ。それはまさしく、悪魔の笑みだった。
2012年03月07日
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薔薇園を飛び出したフリードリヒは、あてもなく王宮内の長い廊下を走っていた。脳裏には何度も母の声が響く。“こんな時に、あの子が居てくれたら・・”母は自分が一度も会ったことがない兄にばかり気を揉み、父も兄の事で心労が溜まり、病に倒れた。両親はちっとも自分の事を気に掛けてはくれない。彼らが心配するのは、いつも兄の事ばかり。自分が熱を出しても、喘息の発作を起こしても、侍医を呼ぶだけで母は自分の傍に付き添ってくれない。父は父で、病に倒れる前は公務にかかりきりで、自分の事など見てくれなかった。自分に一番優しくしてくれ、理解者だった姉は、故国を遠く離れたウィーンへ留学してしまった。この国で一番恵まれた生活をしているにも関わらず、フリードリヒの心は両親の愛に飢えていた。(どうしてお父様やお母様は、僕の事を見てくれないの?どうして僕はいつも独りなの?)寂しい。柱の陰で泣いていると、数人の女官達が向こう側から歩いてくるのが見えたので、泣き顔を誰かに見せたくなかったので、フリードリヒは慌てて近くの茂みに隠れた。「ねぇ、お聞きになりまして?皇妃様の元に例の書類があの男から届いたとか・・」いつもフリードリヒに嫌味を言うフロイハイシェン男爵夫人の声が聞こえた。「ええ、その書類は皇妃様と行方不明になられた皇太子様とのDNA鑑定書とか。その男の部下によると、皇太子様は日本にいらっしゃるとか。」「日本に?てっきり内戦で死んだのかと思いましたわ、反乱軍の手にかかって殺されたのかと。」「それが・・内戦の時、ヴァチカンから派遣された日本人の神父に、皇妃様は皇太子様を託されたそうです。それで皇太子様は日本人として生きておられるようで・・」「日本人として、ですって?いずれはこの王国を統べる方が外国籍だなんて、この国の未来はもうないのかしら。」フロイハイシェン男爵夫人はそう言って大袈裟に溜息を吐いた。「皇太子様がおられなくても、フリードリヒ様がおられますわ。あの方は病弱ですけれども、陛下に似て聡明な方ですし・・」「あんな子に、何が出来ると言うのかしら?いつも母親を恋しがって泣くあの子に。」「確かに、少し精神的にはフリードリヒ様は幼いですわね・・」「陛下は皇位継承権をフリードリヒ様にお譲りになられるのかしら?」「そんなことになったらこの国は一体、どうなるのかしら・・」女官達は口々に好き勝手なことを言いながら、廊下の向こうへと消えていった。彼女達の会話を盗み聞きしていたフリードリヒは、茂みの中で怒りに身を震わせていた。兄さえ居なければ、自分が周囲と比べられることもなく、両親に蔑ろにされずに済んだ筈だ。兄さえ居なければ、自分が正当な皇位継承権を得られた筈だ。彼さえ―一度も会ったことがない兄さえ居なければ、自分の宮廷内の地位は安定するのに・・。(兄様さえいなければ、僕は・・この国の次期国王になれるのに!)「どうなさいましたか、フリードリヒ様?」突然声を掛けられ、フリードリヒが顔を上げると、そこには黒い裾長の法衣を纏った若い司祭―何かと自分の相談に乗ってくれる司祭が立っていた。「ううん、なんでもない。ちょっと疲れただけ。」「そうですか・・ではわたくしの部屋で少しお話いたしませんか?カモミールティーを飲みながら。」「そうだね・・」まだあどけない子どもの面影を残した美しい少年の心に、次第に憎しみの種が少しずつ芽生え始めた。本人さえ知らぬところで、その種は静かに成長をしつつあった。にほんブログ村
2012年03月07日
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ローゼンシュルツ王国の首都・リヒトの中心部に位置する王宮―白亜の宮殿からその名を白鳥宮と呼ばれる―の中にある薔薇園で、皇妃・アンジェリカは、深い溜息を吐いていた。(どうしようかしら・・このことを知れば陛下はどうなさるのかしら・・)彼女が溜息を吐いている理由は、彼女の美しいドレスの前に広げられた数枚の書類であった。 その書類は反王党派の筆頭であるガンネルトが今しがた送って来た、DNA鑑定書であった。数ヶ月前、ガンネルトから行方不明となった皇太子と思われる青年を日本で見つけたというメールを受け取ったアンジェリカは、我が子に会えると知った喜びと同時に、彼がもし皇太子を騙る偽者だったらどうすればいいのだろうという困惑を感じた。何せ皇太子が失踪したのは22年前で、アンジェリカは彼がもうとっくに死んでいると思い込んでいたからだ。 あの内戦を生き抜いている者は、この宮廷内にも数えるほどしかおらず、かつて王党派として王家の縁の下的存在となってくれた頼もしい重臣達はガンネルトによって一族郎党皆殺しにされ、今残っているのは王国建国以来王家に忠誠を誓い続けたマクダミア侯爵家と、王家と姻戚関係のあるヴェントルハイム伯爵家だけだ。600年以上続いたローゼンシュルツ王家の歴史は落日を迎えようとしていた。 内戦終結以降相次ぐテロ、高まる反王家感情、そして皇帝が病床に臥せ、一向に病状に回復の兆しがないこと・・今の状況ではガンネルト率いる反王党派に政権を簒奪され、自分達は闇に葬られてしまう。そんなことだけは決して避けたいとアンジェリカは思っていた。アンジェリカと現皇帝との間には行方不明となった皇太子の他に、奇跡的に授かった第2皇子のフリードリヒがいるが、彼は病弱で、皇帝の激務が到底勤まるようには思えなかった。この国を救う唯一の望みは皇太子だけだった。「お母様、どうかなさったの?」溜息を吐きながらアンジェリカが書類から顔を上げると、そこには心配そうな顔をして自分を見つめているフリードリヒが立っていた。「何でもないのよ、フリードリヒ。お父様のご病気がなかなか良くならないから、不安で堪らなくて・・」「お父様ならきっと良くなるよ、お母様。」「そうね・・それよりもわたしはお父様よりもあなたのことが心配だわ。お父様が病に倒れて、もしあなたも病に倒れでもしたら・・と思うと眠れなくなるのよ・・こんな時に、あの子が居てくれたら・・」母の言葉を聞いたフリードリヒの表情が急に曇った。「・・また、セーラ兄様の事を考えているの?」「フリードリヒ?」アンジェリカが息子の方を見ると、彼は昏い光を瞳に宿しながら自分を睨んでいた。「いつもお母様はセーラ兄様の事ばかり・・僕の事なんかどうでもいいんでしょう?」「そんなこと、言ってないわ。わたしはただ、あの子に・・」「いいよ、もう!僕なんか、要らない存在なんだ!」フリードリヒはそう怒鳴ると、廊下を走り去っていった。「フリードリヒ・・」息子を傷つけるつもりは、アンジェリカにはなかった。だが、フリードリヒは自分の言葉に深く傷ついていた。それは自分が行方不明の我が子のことばかり拘り過ぎて彼の事を蔑ろにした所為だ。こんな時、夫なら何と言うのだろうか・・そう思いながらアンジェリカは書類を握り締め、薔薇園を出て夫の居室へと向かった。同じ頃、ウィーンではマリアが大学の寮にある食堂でミニコンサートを開いていた。彼女が奏でる美しいヴァイオリンの音色に聴き惚れていた学生達の前に、突然1人の男が現れた。「ローゼンシュルツ王国皇女マリア様、ですね?」「ええ、わたくしですけれど・・」「あなたのお兄様の事でお話があります、少しわたしと来ていただけませんでしょうか?」マリアはドレス姿のまま、謎の男とともに寮を出た。にほんブログ村
2012年03月07日
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「お母様、わたくし達これからどうなるのかしら?」突然大広間に両親とともに集められた麗華は、不安で怯えた表情を浮かべながら2人を見た。「大丈夫ですよ、麗華。あの人達はもうすぐ出て行きますよ。何も心配は要りませんよ。」與利子は自らを励ますように麗華に言いながら、大広間を見渡した。「俺達は目的のものを手に入れた。だからここから出てゆくことにする。」リーダー格の男がそう言って松久一家を見た。「そう・・よかった・・」與利子はほっと安堵の表情を浮かべていた。「短い間だったが、迷惑を掛けたな。」リーダー格の男は松久一家に軽く頭を下げ、大広間を出て行った。同じ頃、彼の仲間によって別室に監禁されていた聖良とリヒャルトは、窓の外を眺めていた。「一体何が起こっているのでしょう?」「さぁな。もしDNA鑑定の結果次第で、俺達は殺されるかもしれない。」リヒャルトの表情が聖良の言葉を聞いて強張った。「ええ、そうですね・・彼らは反乱軍です。あなたの存在を亡き者にする為にわざわざ海を越えて日本まで来たんですから。」「もし俺が皇太子ではなかったら、彼らは俺の事を放っておいてくれるかな?」聖良はソファに座りながらドレスの皺を伸ばした。「それはわかりませんね。」「そうか・・」聖良はソファから立ち上がり、部屋の中を見渡した。そこはかつて誰かが住んでいたものらしく、天蓋付の真紅のベッドのそばには、洒落たアンティークのナイトテーブルが置いてあった。「このままここでじっとしている訳にはいかないな。ここから出る方法を探さないと・・」窓の方へ近寄り、周囲を観察すると、真下の芝生には誰もいない。今なら何とかここからカーテンを吊るして脱出できるかもしれない。聖良はカーテンを手繰り寄せ、窓の外に下ろそうとした時、激しいノックの音がした。聖良は慌ててカーテンを窓際に戻し、ドレスの裾を摘んでドアへと向かった。「誰だ?」「リーダーがお前と話したいと言っている。」「そうか。ではあの男を同席させて・・」「お前と2人きりで話したいということだ。」「松久議員一家は?あの人達は解放したのか?」聖良の言葉に、男は静かに頷いた。「・・わかった。あの男と2人きりで話そう。その間、あの男には手出ししないと誓え。」「わかった。」聖良は部屋を出て、男と共にリーダー格の男が待つ部屋へと向かった。「ここだ。変な真似はするな。少しでも動いたら撃つ。」「わかった。」聖良はそう言って男と共に部屋の中に入って行った。「では、俺はこれで。」男がドアを閉めると、聖良は部屋の中を見渡した。部屋の中はカーテンが閉め切られており、薄暗い。「やっと来たな、皇太子様。」凛とした声がして聖良がソファの方を見ると、そこには彼が座っていた。「俺は皇太子じゃないって言っているだろう。何度言ったら解るんだ?」聖良はそう言ってきっと男を睨んだ。「これを見たら、お前はそんなこと言えなくなるな。」男は聖良に1枚の書類を見せた。聖良は書類の文面を目で追った。文面を追う内に、その表情が険しくなった。「まさか、そんな・・俺が・・」パサリという音を立てて、書類が床に落ちた。にほんブログ村
2012年03月07日
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ローゼンシュルツ王国・首都リヒト。 ここでは数ヶ月前に王党派と反王党派による衝突が起き、それが火種となってリヒト市内で自爆テロや爆弾テロが相次いだ。リヒト市民達は買い物やカフェで食事することにも怯え、衝突が起きる前の、穏やかな街の風景は忽ち殺伐としたものとなった。「またテロか・・」リヒト市内のカフェのテラス席で、路地の向こうから立ち上る黒煙を眺めながら、1人の男がそう呟いてコーヒーを飲んだ。銀髪を上品にセットし、イタリア製のオーダーメイドスーツを身に纏った彼こそ、反王党派のリーダー、ガンネルト=クラインシュタインその人である。日本に暗殺者や武装集団を送りこませたのも、全て彼の仕業だ。彼の目的はただひとつ、皇太子暗殺だ。22年前、この国に内戦が起きた時に王宮から皇太子の姿が消えていたという部下の報告を受け、ガンネルトは血眼になって皇太子の消息を掴もうとしたが、成果は上がらなかった。皇太子はきっと何処かで死んでいるだろうと思い始め、諦めかけた時に、ガンネルトはある情報を掴んだ。行方不明の皇太子と思しき青年は、日本で生きていて警官をしていると。そして、内戦時の記憶―自分が皇太子であった記憶を失くしていると。その情報を掴んだガンネルトは、自らが所有するゲリラ部隊や諜報員を使い、彼らを日本に潜入させ、青年のありとあらゆる情報を掴ませ、彼を脅迫し、彼の職場に爆弾を届けた。だが、彼はそれで死ななかった。暗殺者を青年の職場の近くに送り込み、彼が職場を離れる時を狙うよう指示したが、暗殺者は青年と似た女を殺し、失敗した。今度こそは逃がして堪るかとガンネルトは日本にいる部下から青年がとある政治家のパーティーに出席するという情報を得、そこへ暗殺部隊を送り込んだ。3度目の失敗は許されない―ガンネルトはそう思いながらラップトップを立ち上げた。画面にはパーティーに出席したドレス姿の青年が映っていた。淡い蒼の布地に薔薇が刺繍されている美しいドレスを纏い、華やかに着飾った青年の姿は、学生時代の初恋の人であった皇妃にどこか似ていた。学生時代―特に大学生の時、名門侯爵令嬢であり常にリーダーシップを発揮し、サークルのまとめ役だった皇妃は、才気煥発とした女学生で、皆のあこがれの的だった。ガンネルトも皇妃に憧れ、彼女に恋焦がれていた男子学生の1人であった。しかし皇妃はガンネルトよりも、当時皇太子だったあの忌々しい皇帝を選んだ。最愛の人を奪われたガンネルトは怒りと屈辱、皇妃への愛憎を抱えながら20年以上もの歳月を生きてきた。皇妃は殺したくないが、やがてこの国を治める血筋は絶たなければ―ガンネルトはそう思いながらメールをチェックした。新着のメールが1通、入っていた。それは、日本から送って来た青年のDNAと、皇妃のDNAを鑑定した研究所から鑑定結果を知らせるものだった。「やはり・・あいつは皇太子様だったか・・」ガンネルトはほくそ笑んで、空に向かって不気味に立ち上り次第に消えてゆく黒煙を眺めた。青年をこの国に来させてはならない。誰にも自分の野望を邪魔させる訳にはいかない。その為にも綿密に計画を練って来たのだ。いずれこの国の王となる計画を。(あの忌々しい皇帝を倒し、わたしはこの国の王となり、今度こそ愛する人を手に入れる!)喜色満面でラップトップを抱えてカフェを出たガンネルトは、軽やかな足取りで通りを歩き始めた。松久邸では、彼が送り込んだ暗殺者のリーダーが携帯に出た。『DNAの鑑定結果が出た。あの青年を今すぐ殺せ。他の奴も口封じの為に始末しろ。』「承知しました。」リーダーは携帯を切り、青年と他の人質が待つ大広間へと向かった。にほんブログ村
2012年03月07日
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「ったくもう、一体あいつ何処で何してるのよっ!」白金の高級住宅街に建つ鷹城家本邸にあるリビングで、鷹城華子はそう言ってリダイヤルボタンを乱暴に押した。“・・この電話は、電源が入っていないため、かかりません・・”華子は乱暴に携帯のフラップを閉じ、それをバッグに入れて2階にある自分の部屋に入って行った。「お嬢様、暁人坊ちゃまからお電話は?」夜食を載せたトレイを持って部屋に入って来た家政婦がそう言って華子を見た。「ないわよ、そんなもの!それにしても、兄様は一体何処にいるの?」「存じ上げません・・」「そう、さがっていいわ。」「失礼いたします。」ドアが閉まると同時に、華子はコーヒーを飲みながらバッグから携帯を取りだし、リダイヤルボタンを再び押した。結果は同じだった。華子は荒々しくコーヒーカップを机に置き、ラップトップを起動させた。今夜は急いで仕上げないといけないレポートがある。祖母の介護は誰かに頼もう―華子はそう思いながらフラッシュメモリをラップトップの挿し込み口に入れた。レポートを書き始めようとした時、ノックの音がした。「どうぞ。」「すいませんお嬢様、大奥様が暁人坊ちゃまのことを探しておられて・・」「ここにはいないと言っておいて頂戴。わたしは忙しいんだから。」「わかりました。」舌打ちしながら回転式の椅子の前に座り、華子はレポートを書くことに没頭した。漸くレポートを書き終わり、印刷ボタンを押してリラックスしていると、廊下から祖母の声がした。「華子、いるのかい?返事しておくれ。」「ここにいるわ、お祖母様。」ドアを開けると、寝間着姿の祖母が部屋に入って来た。「暁人知らないかい?あの子ったらドラマを録画してくれるっていうから来るの楽しみにしてるのに、いつまで経っても来ないんだよ。」「あの人なら来てないわ。もう遅いからお休みになって、お祖母様。」華子はそう言って祖母の手を引こうとすると、祖母は残念そうな溜息を吐いた。「この家じゃ誰もあたしのことを大事にしてくれない・・溪太や溪檎は仕事に夢中で、華菜子さんは何処にもいないし、お前はいつもあたしを部屋から追い出そうとする・・あたしが邪魔なんだね。」「そんなことちっとも思っていないわよ、お祖母様。」華子は無理に笑顔を作って祖母の手を引いた。「暁人だけがあたしに優しくしてくれる・・あんた達とは大違いだ。」祖母はそう言ってゆっくりと廊下を歩き始めた。「・・何よ、お祖母様はどうしてあんな奴の事を褒めるのよ?」華子はボソリと呟きながら、部屋に入って行った。レポートを印刷し終え、クリアファイルに入れたそれをバッグに入れて一息ついた華子は、ベッドに倒れ込むようにして横になった。今日はあの忌々しい暁人と連絡がつかなかった。松久邸のパーティーに出席していた暁人にすぐ家に帰るよう電話したのに、いつまで経っても帰ってこない。この家でかつて受けた不当な扱いを思い出すから、暁人は滅多にこの家に帰ってこないのだ。別に暁人が帰ってこなくても華子はどうもしないのだが、祖母はそうではないらしい。祖母は昔から自分や兄よりも、暁人の事を可愛がっていた。小さい頃祖母に何処かに連れて行って貰ったり、お菓子やおもちゃを与えて貰ったりした記憶がない。暁人さえいなければ、自分や兄は祖母から愛されていたのにと思いながら、華子はゆっくりと目を閉じた。にほんブログ村
2012年03月07日
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溪檎は首を回しながら、自分のオフィスでデスクトップのキーボードを叩いていた。 婚約者―もとい今日の見合い相手である松久麗華の母親である與利子に、ある事について調べて欲しいと頼まれ、彼はその事についてあるサイトを見ていた。そこにはローゼンシュルツ王国に関する情報、特に22年前の内戦のことについて詳しく書かれており、街頭で公開処刑された軍関係者の写真や、反王党派による虐殺の犠牲となった国民の遺体が路上を埋め尽くす写真などが載せられてあった。サイトのトップには、内戦当時の皇帝一家の写真が載せられていた。がっしりとした体躯に漆黒の軍服を纏った若き皇帝の真紅の瞳には、強い意志が宿っていた。その傍らに立つ金髪蒼眼の美しき皇妃は、笑顔を浮かべながら夫に寄り添っている。 皇帝夫妻の前には皇妃と瓜二つの容姿を持った幼い軍服姿の皇太子は、母親譲りの金髪を背中まで伸ばし、紺碧のリボンで結んでおり、皇太子の隣にはあどけない笑顔を浮かべた皇女が立っている。この写真を見る限り、皇帝一家には内戦の暗い影が差していないかのように見えた。だが内戦勃発時、反王党派率いるゲリラ軍が王宮前広場に押し寄せ、彼らの手によって皇帝一家は処刑寸前まで追い詰められていた。そんな緊迫した空気の中、突然皇太子が失踪した。 ゲリラ軍が皇太子の消息を掴むため国中を駆けずり回っている間、反王党派は皇帝軍により蹴散らされ、内戦は22年前の夏に終結した。だが皇太子の消息は未だ掴めず、反王党派の筆頭であるガンネルト=クライシュタインは未だ政権の簒奪を虎視眈々と狙い、彼の支持者らが国中で物騒な花火を上げている。もし行方不明の皇太子があの気に食わない聖良であったなら、世界は激しく動き出すことになる。その前に、松久夫人の目的を知らなくては。溪檎はサイトを閉じ、背もたれに背中を預け、眉間を揉んだ。松久議員邸で開かれたパーティーの最中に武装した男達が乱入し、松久議員夫妻とその娘と、そして聖良とローゼンシュルツ王国大使の男が人質に取られている。この男達の目的は聖良なのか、それとも松久議員なのか・・今の状況では松久邸で一体何が起こっているのかがわからないので、打つ手がない。「鷹城警部補、お疲れ様です。」そう言って自分のデスクにコーヒーを置いたのは、この春に入ったばかりの新人の警官で、事務を担当している女性だった。「ありがとう。」溪檎がそう言って女性に微笑むと、彼女は頬を赤く染めて走り去って行った。「いいですね、いい男は何処に行ってもモテるんだから。」隣のデスクで仕事をしていた自分より1年下の後輩が、恨めしそうに自分を見ながら言った。「わたしは迷惑しているんだが。それに一生独身でいたいと思っている。」「どうしてですか?先輩のような人ならいくらでも女性が寄ってきますよ。」「彼女達はわたしよりもわたしの肩書や家柄にしか興味がないんだ。もっとも、あのわたしに嫌味を言う所轄の警官はそうでないらしいが・・」「何か言いました?」「・・いや、なんでもない。」溪檎はそう言ってコーヒーを一口飲んだ。数分後、彼は聖良が数年前に巻き込まれた築地署爆破事件に関する捜査資料のデータを見ていた。資料によると、爆発が起こる数分前、聖良宛に宅配便が届き、聖良が書類仕事をしている最中にそれが爆発したのだが、本人は宅配便について全く記憶がないという。(断絶的な記憶・・彼は自分の出生に関する記憶もない・・彼のことをもっと調べれば、彼や数年前の事件について何かわかるかもしれない・・)この時、歯車が軋みを上げて静かに回り始めた。溪檎はそのことも、これから自分の身に起こることも知らずに、仕事にただひたすら没頭していた。同じ頃、松久邸から赤坂の高級マンションの最上階にある自宅に戻った暁人は、ほっとひと息ついていた。シャワーを浴びようとした時、携帯の着信音が音割れしそうなほど部屋中に鳴り響いたが、暁人は携帯に出る代わりに携帯の電源を切って浴室へと入って行った。にほんブログ村
2012年03月07日
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「一体何がどうなっているの、あなた!?」2階にある松久夫妻の寝室で、松久拳四郎の妻・與利子(よりこ)はそう言って夫を睨んだ。「わたしにもさっぱり解らん。だが彼らの狙いは、わたしではないようだ。」「そうですの。ですがあの男どもがわたくしの麗華に手を出したりしたら、わたくし何をするかわかりませんわ。」「落ち着け、與利子。今はここで大人しく嵐が治まるのを待とう。」「落ち着いてなどいられますか!そもそも何故あんな兄弟をパーティーに招待したんです?正妻の子と愛人の子を招待するなんて・・」突然邸を武装した男達に占拠された與利子は激しい怒りの余り夫に小言を言い始めた。「あの愛人の子、暁人とか言ったかしら・・あの子の所為で鷹城さんの奥様は2人のお子さんを残して若くして癌でお亡くなりになったっていうじゃありませんか。正妻の子である溪檎さんは何を考えているのかよく解らない方だし、愛人の子である暁人さんは自分の身分を弁えないで女性を連れてきたし・・」「お前はいつもそうやって他人の粗探しをするな。お前は他人を非難する以外にすることはないのか。」拳四郎はうんざりした口調で言うと、妻に背中を向けて寝室を出て行こうとしていた。「何処へお行きになるの、あなた?」「書斎だ。お前といると一晩中小言に付き合う羽目になるからな。」拳四郎は妻がまだ何か言おうと口を開く前に、ドアを荒々しく閉めて廊下に出た。「お父様、どうかなさったの?」暫く廊下を歩いていると、1人娘の麗華が部屋から出てきた。今夜のパーティーに出席するために、彼女はお気に入りの真紅のドレスを纏い、艶やかな黒髪を結い上げ、真珠の髪飾りを挿している。「今どうなっているのか、わたしにも全く解らん。ただ、武装した男達がパーティーの最中に乱入し、わたしたちを人質に取っている。」「他の皆さんは?溪檎様はここにはいらっしゃらないの?」「ここには多分いないだろう。お前は何も心配せず部屋に戻りなさい。」「でも、お父様・・」「わたしはお前を危険に晒したくないんだよ。さ、行きなさい。」麗華は父親の言葉に静かに頷き、部屋へと戻って行った。(全く、あいつらは一体何が目的なのかわからん・・娘や妻には危害を加えないといいのだが・・)拳四郎は深い溜息を吐きながら書斎に入り、愛用しているソファに深く座り込んだ。その頃1人寝室に取り残された與利子は、右往左往しながらこれからどうするかを考えていた。あの男達の正体を探らなくてはいけない―そう思った與利子はベッドサイドに置いてある電話の受話器を掴むと、娘婿となる男の携帯番号をダイヤルした。暫くして、彼が電話に出た。『もしもし、どなたですか?』「溪檎さん、わたくしよ。麗華の母の與利子です。あなたにひとつ、やっていただきたいことがあるの。」そう受話器を関節が白くなるまで握り締めながら、與利子は手早く用件を溪檎に伝え、勢いよくそれを叩きつけるように置いた。その頃1階の大広間では、聖良がリヒャルトと話をしていた。「あいつらは何時までここにいるつもりなんだ?」「わかりません・・多分、あなたが皇太子様だという確固たる証拠―皇帝陛下とのDNA鑑定の結果が届くまで、奴らはここに留まる気でしょう。」「結果なんてもう判ってるさ。俺は皇太子じゃないっていうことが、証明されるな。」もうこれで自分の生活を他人に引っ掻き回されることもないのだと思うと、急にこの終わりの見えない軟禁生活によるストレスが少し減ったような気がした。「さっき俺らの主にお前のDNAのサンプルを送った。結果が出るのは2週間後だ。それまで楽しく俺達と過ごそう。」リーダー格の男はそう言って聖良に微笑んだ。聖良を階段から密かに冷たい瞳で與利子が見つめていた。(あの子が我が家に招かざる客を招いたのだわ・・)数分じっと聖良を睨むと、與利子は寝室へと向かい、ドアの内側に鍵を掛けた。そして溪檎への2度目の電話を掛けた。「もしもし溪檎さん、またやってもらいたいことがあるんだけど・・」にほんブログ村
2012年03月07日
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「人違いだ。俺はローゼンシュルツ王国という国自体何処にあるのかさえ知らないし、俺は日本国籍を持った民間人だ。一体どうして俺を誰も放っておいてくれないんだ?」聖良はそう言って深い溜息を吐いた。「とぼけるな。お前は22年前に内戦が起きた時、日本人の司祭の養子となって密かに日本へ亡命し、日本人として暮らしていた。俺達の主がそう言ったんだから間違いねぇ。」リーダー格の男はイライラと貧乏ゆすりをしながら言った。「皇太子様は記憶を失くしておられます。」玲瓏とした声が恐怖で静まり返った大広間に響き渡った。聖良達が振り返ると、男の仲間に銃をこめかみに突き付けられているリヒャルトが立っていた。「皇太子様は記憶を失くしておられます。わたくしが直に皇太子様から聞いたのです。」「嘘を吐くな!お前は皇太子を守りたいが為に適当な嘘を作っているだけだろう!」リーダー格の男は痺れを切らしてリヒャルトを殴り飛ばした。「嘘ではありません。皇太子様、あなたのご両親のお名前は憶えておられますか?」「俺の両親は交通事故で死んだと聞いたが・・」聖良の言葉を聞いた男達は目を丸くした。「本当に記憶を失くしているのか・・なんてこった・・これじゃあ俺達の仕事がなくなるじゃないか。」「それはこちらにとっては好都合だな。」聖良はしてやったりと言った笑みを浮かべながら、リーダー格の男を見た。「人質を俺とあの男以外全員解放しろ。そうすればあとは俺を煮るなり焼くなり好きにすればいい。」「こんな状況で取引をするつもりか?馬鹿な奴だ。」リーダー格の男は聖良の言葉を鼻で笑った。「このまま長時間人質を監禁していたら、何人かがお前達に対して反抗的な態度を取るかもしれないぞ。そうなったらあの男に銃を突き付けている気の荒そうな男がこの大広間を血で染めてしまうかもしれないな。目的は俺一人なのに、何の罪もない民間人を撃ち殺したなんてことを聞いたら、お前達のボスはどう思うかな?」聖良はそこで言葉を切り、口端を歪めて笑みを浮かべながらリーダー格の男を見た。「・・少し考えてみよう。」男はそう言って仲間を集め、隅の方で話し合いを始めた。数分後、男が聖良のところに戻って来た。「お前の取引に応じよう。だがお前の方も俺達の要求を呑んで貰おう。ギブアンド・テイクだからな。」「わかった。俺は何をすればいい?」「お前の髪を俺達に寄越せ。お前が皇太子を騙る偽者かどうか、俺達の主がDNA鑑定で証明してみせる。」「そんなの、お安い御用だ。」聖良は男に微笑んで、エクステを外して髪を1本抜いて男に手渡した。「お前達、全員外に出ろ!パーティーは終わりだ!」武装した男達から突然解放を告げられた客達は、ほっと安堵の表情を浮かべながら、次々と大広間へと出て行った。「聖良、俺ここから出て行けない・・だって俺のわがままに付き合ってくれた所為でお前がこんな目に遭ったから・・」暁人はそう言って聖良の手を握った。「暁人、そんなに自分を責めるな。俺は大丈夫だから。」聖良は暁人に微笑み、彼の手を優しく握り返した。「もし俺に何かあったら・・神父様に、義父に伝えてくれ、『あなたの息子になれて良かった。』と。」「・・わかった。」暁人は溢れ出そうになる涙を堪えながら、そっと聖良の手を離して大広間を出た。彼の背後で観音開きのドアが軋んだ音を立てながら静かに閉まった。にほんブログ村
2012年03月07日
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エントランスから聞こえた銃声に、歓談していた客達やワルツを踊っていた客達は一瞬にして凍りついた。「一体何事・・?」「バックファイアの音じゃなくて?」「それにしても近い気が・・」客達はシャンパンや料理を載せた皿を片手にエントランスの方をちらほら見ていたが、やがて誰も気に留めずに歓談し始め、ワルツを踊り始めた。「わたくしに聞きたいことは何ですか?」そう言ってリヒャルトは自分のステップに合わせてワルツを踊っている聖良を見た。「あなたはわたしの・・俺の事を知っているのですか?例えば、俺が失くした記憶の事についてとか・・」「記憶?」リヒャルトは聖良の言葉を聞くと、眉を顰めた。「俺は両親の記憶が全くない。特に5歳前後の記憶が・・」「全くないということは、ご自身が何者で、ご両親や御兄弟のことも全く憶えておられないということですか?」聖良は静かに頷いた。「・・なんということだ、神よ・・」リヒャルトの美しい顔が失望で少し曇った。「こうしてあなたと再びお会いできたことを嬉しく思いましたのに、肝心のあなたはご自身についての記憶を憶えていらっしゃらないなんて・・この事を陛下や皇妃様に何とお伝えすればいいのか・・」リヒャルトはそう言って溜息を吐いた。「それよりも、さっきエントランスで聞いた銃声は・・あれはバックファイアの音じゃないような・・」「確かに、あれは・・」リヒャルトがエントランスの方へと向かおうとした時、突然武装した男達が大広間に闖入してきた。シャンパンや料理の皿を持った客達は銃声を聞いた時よりも凍りつき、その顔は蝋人形のように青白かった。「お前達全員動くな!抵抗したら全員撃ち殺すぞ!」リーダー格と思しき男がそう叫んでマシンガン銃を天井に向かって発砲した。客達は悲鳴を上げ、逃げ惑った。「あなた達、一体何者!?」松久夫人はそう言ってリーダー格の男を見た。「俺達はある方から頼まれ、このパーティーにローゼンシュルツ王国の皇太子がいると聞いた。俺達は皇太子に言いたいことがある。1時間以内に皇太子と話をさせなければ、人質を10分ずつ処刑する!」“処刑”という言葉を聞いた客達は更にパニックを起こした。聖良はそっとバッグから携帯を取り出し、警察に通報しようとしたが、男の仲間に気付かれ、携帯を取り上げられた。「警察に通報すると人質を処刑する。もう一度妙な真似をしてみろ、お前の命もないと思え。」「わかりました。」(畜生、一体どうすれば・・)「大丈夫ですか?」背後から声がして振り向くと、リヒャルトが心配そうな顔で自分を見ていた。「一体あいつらは何者ですか?」「・・あの者達は、反王党派のリーダー、ガンネルトが雇っている過激派ゲリラ達です。最近欧米で潜伏している者達と手を組んで自爆テロを行っています。あなたが日本にいると睨んだガンネルが、あなたの暗殺の為に彼らを・・」「聖良、何処にいるの?」暁人の恐怖に怯えた声が何処かで聞こえた。「俺はここにいる。暁人、何処だ?」そう言って彼を探したが、大広間の何処にも彼の姿はない。「暁人、一体何処に・・」薔薇園に入ると、そこにはゲリラの1人に拘束され、首筋にナイフを突き立てられた暁人が恐怖で目を見開きながら自分を見ていた。「暁人っ!」「少しでも動くとこの男を殺すぞ。」「お前達の目的は何だ?一体何が望みだ?」「それには答える訳にはいかないな、皇太子様。」そう言ってリーダー格の男が薔薇園に入ってきて聖良の額に銃口を突き付けた。にほんブログ村
2012年03月07日
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『おばあちゃんの様子が変なのよ、すぐに帰ってきて。』電話越しに聞こえる声は、切迫した様子だった。「でも今はパーティーの真っ最中なんだよ。それにまだ松久様達への挨拶も済ませていないし・・」『何よ、おばあちゃんよりもパーティーの方が大事なの!?大体、誰のおかげで愛人の子であるあんたが、あたし達と同じ屋根の下で暮らせると思ってんの!?』その言葉を聞いた瞬間、暁人の身体が強張った。『あんたの所為で、おばあちゃんが倒れたのよ!あんたがうちに現れてから、お母さんは癌で死んじゃうし、おばあちゃんは倒れるし・・あんたの所為で、うちはおかしくなっちゃったのよ!おばあちゃんの介護はあんたの仕事なんだから、さっさと帰って来なさいよ、いいわね!』暁人は携帯を乱暴に閉じて、内ポケットにそれをしまった。「・・畜生、今に見ていろ・・」ボソリとそう呟いて大広間へと戻ると、そこではあるカップルが客達から注目されていた。男の方は黒絹の軍服に宝石がついた勲章を肩に付けた長身の白人男性で、女は薔薇の刺繍が施された淡い蒼のドレスを着た金髪の美女―聖良だった。―美しい方ね・・―お似合いのお2人だこと・・―まるで映画のワンシーンのようだわ・・2人のワルツを見ながら、令嬢達が扇子の影でそんな囁きを交わしていた。美しいシャンデリアの輝きを受けながらワルツを踊る聖良と男性の姿は、まるで一幅の絵画のようだった。聖良も美しいが、彼と踊っている男性は堂々としていて、贅肉がないしなやかな肉体美の持ち主だ。それに比べて自分はどうだろう―暁人は大広間の鏡に映った自分の姿を見た。背は170センチ弱とそれなりに高いが、27になるというのにいまだに高校生と間違われるほどの童顔に、最近ストレス解消のための暴飲暴食によって付いてしまった腹部の贅肉・・聖良と踊っている男性とは似ても似つかないほど醜いものだった。自分はいつも脇役だった―唯一の肉親であった母親が交通事故で亡くなり、鷹城家では奴隷のように働かされ、学校では「汚い」、「臭い」とからかわれ、いじめられた。自分を変えたくて中学の時に演劇部に入ったが、自分にまわって来るのは木とか通行人などの脇役ばかり。主役はいつも美男子達ばかり。相手役の女子生徒達の何人かには恋心を持っていたが、彼女達は彼らに熱を上げていた。美男子達は自分の事をいじめ、彼女達の気を惹こうとした。教師ですら、自分の事を「お前は馬鹿で臭くて汚いからいじめられるんだ」といじめた。家でも学校でもどんなに酷いいじめや仕打ちを受けても必死に耐えてきた。自分さえ我慢すればいいのだと思いながら。私立の男子校に入学し、聖良と同じクラスになり再会し、演劇部に入部した時、大好きな聖良が一緒にいてくれることでいじめに耐えられた。だがその聖良は今、美しい男性とワルツを嬉しそうに踊っている。こんなに醜い自分では聖良と一緒に踊ることなんてできない。あの堂々として、美しい容姿を持った男性が羨ましくもあり、憎らしい。(あいつ、俺の聖良を・・絶対に許さない・・)今まで自分にとって聖良は幼い頃から醜くてコンプレックスばかり持っている自分の心を照らす唯一の光だった。彼だけが自分をいじめず、優しくしてくれた。それなのに、聖良はかつて自分をいじめた奴らと同じ美しい容姿を持った男性とワルツを踊っている!(お前には聖良は絶対渡さない!聖良は俺のものだ!彼がいなければ俺は生きてゆけない!)嫉妬の炎で全身を焼かれながら、狂気じみた光を瞳に宿しながら、暁人は2人のワルツをじっと見ていた。周囲の視線を浴びながら聖良と男―リヒャルトは、ワルツを踊りながら互いのことを探り合っていた。(こいつ、一体何者なんだ?俺の何を知っている?)(女装していらっしゃるが、この方は紛れもない我が国の皇太子様・・何故このようなところに・・)「あの・・」聖良が口火を切ろうとした時、エントランスから銃声がした。にほんブログ村
2012年03月07日
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「本当に大丈夫か、暁人?」女性に浴びせられた冷たい言葉を受けてから、暁人の顔色は優れなくなっていた。「大丈夫・・パーティーを楽しもう。」「ああ・・」パーティーの客の中には政財界の大物や、芸能人や各国大使などが集まり、豪華な顔ぶれだった。大広間には女性達が纏う豪華絢爛なドレスの色彩で埋まり、色の洪水がこの場所からエントランスまで溢れ出そうだった。暁人のエスコートで聖良はゆっくりとこのパーティーの主催者である松久夫妻の元へと歩いて行った。一歩一歩歩くたびにブロンドの髪がシャンデリアの光を受けて美しく輝く様を、男性客はほうっと溜息を吐きながら見つめていた。それに大して女性客達は、嫉妬と羨望の視線を聖良に送っていた。松久夫妻の元まであと一歩というところで、聖良は少し眩暈がした。目を開けると、そこは松久邸よりも何千倍も絢爛豪華な大広間で、奥には宝石を散りばめた真紅の玉座が2つあった。“なんて可愛らしいこと・・皇妃様によく似ておいでだわ。”白地に金糸の刺繍を施した豪華なドレスを纏った女官の1人が、そう言って贅を尽くした豪華な揺り籠の中で眠る赤ん坊を見て微笑んだ。“この子がローゼンシュルツの次期皇帝よ。みんな、可愛がって頂戴ね。”いつも夢の中に出てくる女性が女官に微笑みながら言った。“命に代えても皇太子様をお守りいたしますわ。”だがその刹那、大広間に銃声が響いた。先ほどまでの穏やかな空気は一瞬として殺伐なものへと変わってゆき、辺りには悲鳴と怒号が響いた。揺り籠の中に、血飛沫が飛んだ。「・・ら、聖良?」はっと聖良が我に返って辺りを見渡すと、そこには怪訝そうな顔で自分を見つめる松久夫妻と客達がいた。「どうかなさったの?気分がどこかお悪いのではなくて?」松久夫人がそう言って聖良を見た。「いいえ、ちょっと眩暈がしまして・・」愛想笑いを夫人に浮かべながら、聖良は隣に立っている暁人を見た。しかし、暁人はそこにはいなかった。目で彼の姿を探していると、彼は人気のない薔薇園で携帯電話を片手に誰かと話していた。「少し失礼いたします。」夫人に一礼して、聖良はドレスの裾を摘みながら、ゆっくりと中庭へと向かった。ライトアップされた薔薇園には、夫人か松久家に雇われている庭師の手にとって丹念に手入れされている色とりどりの薔薇が美しい輝きと芳香を放っていた。暁人は薔薇園のアーチの下に立ち、誰かと話していた。聖良が声を掛けようとした時、背後から誰かに手を掴まれた。「またお会いできましたね、皇太子様。」振り向くと、数週間前に会ったローゼンシュルツ王国大使が自分に微笑んでいた。「人違いされておられるのではないのかしら?」聖良はそう言ってさっさと薔薇園を出て、大広間へと戻った。そこではシュトラウスのワルツがプロの楽団によって奏でられ、女性客が纏うドレスの裾がヒラリ、ヒラリと舞う。(タイミングが悪いな・・今更薔薇園に戻ることも出来ないし・・)そう思いながら壁際に向かって歩いていると、先ほどの大使が自分に手を差し出してきた。「わたくしと一曲、踊って下さいませんか?」1人で居るのは目立ち過ぎるし、暁人は今立て込んでいるようだし、それに目の前の男の誤解を解くいい機会だ―聖良はそう思いながら大使の手を取った。「喜んで。」聖良がそう言うと大使は満足したような笑みを浮かべ、彼の手を優しく握って踊りの輪の中に加わった。その頃薔薇園では、暁人が携帯電話片手に電話の相手と揉めていた。にほんブログ村
2012年03月07日
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「暁人、隣の方は?」「彼女は・・え~と・・」暁人は困ったように隣に立っている聖良を見た。「エリザベスです。どうぞ宜しく。」咄嗟に嘘を吐き、聖良は溪檎に微笑んだ。「それにしても、お前が女性を連れてくるなんてな。」「だって同伴者出席って招待状に書いてあったから。本当は行かないつもりだったけど、兄さんのフィアンセが招待してくれたから、行かないといけないと思って。」(鷹城警部補婚約者いるのか・・確かに適齢期だしな・・)聖良はそう思いながら溪檎を見た。その視線に気づいたのか、溪檎が自分の方を見た。「エリザベスさん、でしたね?異母弟(おとうと)とは何処でお知り合いに?」「街中で突然声を掛けられましたの。パーティーなんて久しぶりなので出てみようかと思いまして。」作り笑いを浮かべながら聖良は暁人の腕を引っ張り、エントランスの方へと向かった。(あの女性、何処かで見たような・・)「お前と鷹城警部補って、知り合いか?」「うん。あの人とは腹違いの兄弟なんだ。それにしても聖良、今日のドレスよく似合ってるよ。」「褒められても嬉しくない・・」暁人に無理矢理プレゼントされた7号サイズの所々に薔薇の刺繍が施されている淡い蒼のドレスを見ながら言った。「一晩だけだぞ、こんなもん着るのは。」「わかってるよ。」「お前俺を女装させてパーティーに連れてくるより、彼女作った方が良くないか?一応鷹城家の一員なんだし。」「・・俺は認知されてないよ。姓は母方のままだし、父親やあの人達は俺のこと疎ましがってるし、お情けで置いて貰っているだけだよ。兄さんが結婚したらさっさと出て行くけどね。」暁人と出逢った頃、彼には優しい母親がいて立派な豪邸に住んでいて何もかもが恵まれているお坊ちゃんだと聖良は羨ましがっていたが、彼の口ぶりからすると幼少期は余り幸せではなかったらしい。暁人と共に松久邸の中へと入ると、そこはまるで別世界のようだった。天井にはヴェルサイユ宮殿の鏡の間に掛けられているような美しいシャンデリアが燦然と輝き、そこには天使のフレスコ画が描かれている。玄関ホールだけでも豪華だが、パーティー会場となる大広間は更に豪華だった。大広間のインテリアは真紅で統一され、ここでもシャンデリアが美しい輝きを放っていた。「凄いね・・ここ日本じゃないみたい。」「ああ、そうだな。」ボーイからシャンパンを受け取り、それを一口飲みながら聖良は暁人の言葉に頷いた。「あなた、いらしていたのね。てっきりこんな所には来ないと思っていたのに。」背後から氷のような冷たい声がして、聖良と暁人は同時に振り返った。大広間から上階へと繋がる螺旋階段から、薄紫の着物を着た60歳代と思しき女性が静かに降りてきた。「今夜はご招待いただき、ありがとうございます。」暁人は緊張した様子で女性に挨拶した。彼を品定めするように女性はジロジロと暁人を見た。「それにしても、あなたいい服を持っているのねぇ・・愛人の子とは思えないわね、そんな格好をしていたら。」暁人の笑顔が少し強張るのを、聖良は見た。「奥様、そろそろ時間です。」「わかったわ。」女性は暁人と聖良の傍を通り過ぎ、客達と歓談し始めた。「暁人、大丈夫か?」「うん・・大丈夫。」そう言った暁人の顔は、青ざめていた。にほんブログ村
2012年03月07日
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横浜の児童養護施設“白百合の家”に久しぶりに帰省した聖良は、養父の橘神父とともに昼食を作っていた。「みんなは?」自分が居たころは50人くらいの大所帯で、食事の時間となると一斉に食堂が蜂の巣をつついたように煩くなるのに、今日はしんと静まり返っていた。「今ここには20人くらい子ども達がいますが、この時期になると東京に出て働いているか、親元に帰っているかでいません。」「そうなんですか・・最近経営が苦しいと、静江さんからの手紙で知りましたけど・・」静江さんというのは、玄関で聖良に挨拶した職員で、聖良が施設に引き取られている頃からここで働いている。「不況の影響を受け、毎日の生活費もままなりません。行政の援助も期待できませんし・・最悪の場合、閉鎖するしかないようです。」神父は溜息を吐きながらポテトを油で揚げた。「なんだかさびしいですね・・」「しかたありません。閉鎖の危機にあってもわたしは助けを求めている子ども達の手を優しく握り、その子達をここに迎えます。」「神父様・・」幼かった自分や裕樹のほかに40人もの子ども達を育てるのは、さぞや大変なことだったろう。だがそんな苦労も見せずに、養父は慈悲深い心で自分を優しく包んでくれる。そんな養父を心から敬愛し、彼のように1人でも多くの命を守りたいという思いから警察官となったのだ。警察学校に入学する為にここから出て行って9年ぶりの神父との食事は、静かなものだった。「聖良、辛かったらいつでもいらっしゃい。わたしはどんな時でも、あなたの味方ですよ。」「はい、神父様。」そう言って聖良に神父が微笑んだ時、食堂のドアが開き、懐かしい顔が彼を見つめた。「聖良・・聖良じゃないか!」人懐っこそうな栗色の瞳が、自分を見つめた。「暁人・・暁人か?」「聖良、憶えててくれたんだ俺の事!嬉しいなぁ!」そう言って春宮暁人は幼馴染に抱きついた。暁人は幼い頃から“白百合の家”に遊びに来ては聖良と遊び、それは中学・高校になっても変わらなかった。何処へ行くにも、何をするにも暁人と聖良は一緒だった。「どうして来たんだ?お前仕事は?」「今日は休みさ。それよりも聖良、お前に頼みがあるんだけど・・」「何?」「今夜兄さんの見合い相手の家でパーティーがあって、俺の所に招待状が来たんだけど・・パートーナ同伴で出席するようにって書いてあって・・だから一晩だけ、俺と行ってくれないかな?」「え・・じゃあもしかして俺に女装しろってこと?」聖良の顔が強張った。「中学も高校の時も、お前劇ではいつも女役だったじゃないか。大丈夫だよ、絶対にバレないって!」「お前・・勝手に決めるな!俺は今はそんな・・女装なんか・・」「俺の一生のお願い!だから頼むよ!」道端に捨てられた子犬のような目で縋られて、聖良は断れなかった。「一晩だけだからな。」「ありがとう、聖良大好き!」(こいつの頼みは絶対に断れないんだよな・・)聖良は暁人の肩越しに神父を見た。彼は2人の一部始終を聞いて優しげな笑みを浮かべていた。その夜、田園調布の松久議員邸で開かれたパーティーに、タキシード姿の溪檎はゆっくりとフェラーリから降りた。昼の事もあるし、松久議員に愛想笑いでも浮かべて5分くらいで帰るとしよう―そう思いながら松久邸の中へと入ろうとした時、異母弟が運転するプラチナのレクサスが溪檎のフェラーリの横に停まった。「兄さん、来てたんだ。」そう言って異母弟は自分に人懐っこい笑みを浮かべた。その隣には淡い蒼のドレスを纏った美しい女性が立っていた。にほんブログ村
2012年03月07日
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愛車のフェラーリを首都高で走らせながら、溪檎はあのまま横浜で異母弟を見張っていればよかったと思った。今から自分は父が閨閥づくりの為に設けた見合いの席に行かなければならない。 警察官僚として30代前半で警視となり、それから警視総監まで経験と実績を積んできた父は、鷹城家の基盤を確かなものにするため、長男の自分に国会議員の娘と結婚させようと企んでいた。独身生活を満喫している溪檎にとって、迷惑以外の何物でもないが、父の決めたことには絶対服従しなければならないというのが鷹城家の掟であった。(あの人はいいな、閨閥などに縛られずに生きて。)脳裏に浮かんだのは、嫌味を言ったら嫌味でいつも倍返ししてくるあの金髪蒼眼の警官の姿だった。彼とは犬猿の仲だが、いっそ自分も天涯孤独の孤児であったなら、望まぬ結婚もしないだろうにと思った。そう思いながら車を走らせ、ハイアット・リージェンシーに着いた。お見合い場所のフレンチレストランへ向かうと、そこには父と見合い相手の松久麗華とその父親である松久拳四郎国会議員とその妻が座って自分の到着を待っていた。「遅かったな溪檎。何処に行っていたんだ?」「すいません父上。横浜に行っていたものですから。」溪檎はそう言って静かに椅子に腰を下ろした。「初めまして、松久麗華です。お目にかかれて嬉しゅうございますわ。」目の前に座っている振り袖姿の松久麗華は、そう言って溪檎に微笑んだ。「初めまして、鷹城溪檎です。麗華さんは、今おいくつですか?」「まぁ、女性に年齢を聞くなんてナンセンスですわ。23歳です。今は聖花女子大の英文学科に在籍しておりますの。今就職活動中で、客室乗務員になる為に毎日努力を重ねておりますわ。」麗華は水を一口含んでから溪檎に微笑んだ。美人で頭も良く、家柄も申し分ない―父が鷹城家の嫁として迎えるには非の打ちどころがない娘だ。だが自分の見合いだというのに、溪檎は冷めた気持ちでこの場に臨んでいた。初対面だが、溪檎は麗華が嫌いになった。自分と妹をこの世に産み出した母と、目の前にいる娘が同じ類のものだと気付いたからだ。どうせ彼女と結婚しても、亡き母が夫である父と表面上は仲のいい夫婦として振る舞い、パーティーのホステス役をそつなくこなし、夫が外に女や子どもを作っても平然と素知らぬふりをして作り笑いを浮かべる生活を送るのだろう。そんな生活より、夢に向かって突き進んだ方がこの娘の為になるのではないかと、溪檎は思った。「麗華さん、あなたはまだお若いのに、何故結婚したいと思われるのです?」溪檎の問いに、麗華は目を驚きで見開いて彼を見つめた。「一度溪檎様にお会いしたいと思ったので・・溪檎様はわたくしとの結婚は乗り気ではありませんの?」「いいえ。しかしあなたのような若くて美しく、頭の良いお嬢さんが家庭に埋もれるよりも、夢に向かって突き進み、バリバリと社会で働いている方が似合うと思いましてね。もし僕と結婚しても、共働きでもいいと思っているんですよ。」溪檎の言葉を聞いて父が隣で渋面を作ったのに気付いたが、溪檎は無視した。麗華は先ほどから一言も発さずにこにこと微笑んでいる。溪檎は自分にへらへらと笑っている彼女を段々嫌いになって来た。「急用が出来ましたので、僕はこれで失礼しますよ。」「溪檎さん、今夜我が家でパーティーがありますの。もしよかったら来て下さらないこと?」「気が向いたら来ますよ。」溪檎は素っ気なく答えて、レストランを出て行った。「無礼な息子で申し訳ありません。今夜のパーティーには、必ず倅を行かせますので。」「いやはや、溪檎さんはリベラルな考えをお持ちですな。わたしも見習わなくては。」そう言って拳四郎は豪快に笑ったが、目は笑っていなかった。にほんブログ村
2012年03月07日
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