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最近寝る時に聴いているCDがある。「蟲(むしのね) 音」蟲師というアニメ のサントラ。少し前、深夜に放映されていたもののサウンドトラックだ。ここでの蟲とは動物でも植物でもない、微生物や菌類とも違う、もっと命の原生体に近いモノ達。それらを総じて「蟲」と呼ぶ。それらは形や存在が曖昧で、ヒトと蟲とが重なる時、人智を超えた妖しき現象が生まれ、ヒトは初めてその存在を知る。生命とは、他をおびやかすために在るのではない。ただ、それぞれが在るように在るだけ──こうした「蟲」とヒトとをつなぐ「蟲師」である主人公ギンコが、旅の途中で様々な人々と、それに関わる蟲達に出会ってゆく。 といったあらすじ。そのオリジナリティあふれる世界観はもとより、さほどセリフの多くない中に流れる静寂と懐かしさを感じさせる音楽に惹かれた。映像を盛り上げたり、イメージを膨らませる音楽というのはこれまでにいくつも聴いてきたが、静寂を連想させ、なおかつそれが世界観、映像にマッチしたものとなるとそうそう見かけない。一昔前の日本らしき場所を舞台にした話の内容と同様、どこか懐かしい気持ちに浸らせてくれる、久々に自分の中でヒットの音楽。
2006.04.30
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久しぶりにマッサージをしに行くことにした。4時半に予約を入れて店に入ると、マッサージ師さんが一人しかいない。普段なら最低でも2~3人はいるはずなのに。マッサージをしてもらっている間にも何人かのお客さんや予約の電話が入るが、7時まで他のマッサージ師さんが来ないらしく、それをお客さんに伝えると、皆予約をあきらめていく。ふいに話しかけられた。「ゴールデンウィーク中はずっと仕事ですか?」一応5月1日と5日は休みだと言うと、「そうですかぁ うちはたぶんGW はずっとみんな仕事ぶっ通しですよ^^;」と言う。前半は普段なかなか時間が取れない人が、連休はじめだからということで来店し、後半は行楽疲れのお客さんが来るのだという。なるほど、GW中はずっと休みもとれず働かなければいけないから前もって今のうちに皆休みをとっている ということなのだろう。そう思えばGW中にそれなりに休みをとれる自分は案外恵まれていると思える。小売業やサービス業。当たり前のことだが、他の人が休みだったり世間でイベントがある時こそが稼ぎ時で忙しい。そういう仕事に携わっている人がいるからこそ、他の人たちは心おきなく、また快適に休日やイベントを楽しむことができるのだ と改めて実感する。
2006.04.29
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PCの修理のために川崎のヨドバシカメラへ行った。ふと前を見ると、こちらをジーッと見ている店員さん。その顔を自分も見返すと、どうも見覚えのある顔。その人は学生時代、マックでバイトをしていた頃に中途の新入社員として入ってきたAさんだった。いつからここで働いているのか聞いてみたところ、昨年の8月に転職したという。マックもここ最近は開店時間が早まり、閉店時間は遅くなり、それどころか24時間営業の店まで出てきた。客にしてみれば便利なのかもしれないが、そこで働く社員にとってみれば非常に過酷な環境だということもあるのだろう。マックにいた頃、バイトの女の子と付き合っていたはずだが、あれからもう8年以上が経ち、今ではぜんぜん別の方と結婚したという。にしても純純の顔を見て言った一言。「ぜんぜん変わらないなぁ~」 たしかに久しぶりに会う人会う人によくそう言われる。まぁAさんも人のこと言えないくらい以前のままだったが。意外な場所に意外な再会があった。
2006.04.28
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というわけでmy PCのフェルナンデス君、、、故障です。ずっと電源コンセントの接触が悪くて、ちょっとした拍子に電流が流れなくなる状態が続いていた。なんとかだましだまし使ってはいたものの、とうとうここにきて全く起動せず、ウンともスンとも言わなくなってしまったのだ。ちなみに今使っているPCはおとんのPCを使わせてもらっている。はぁ、、、修理にだしてこなきゃ、、、λトボトボ
2006.04.27
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友達のバイトの話。バイト先で最近友達が、新人(トレーニー)の教育をまかされた。バイトにはそのスキルによってランク付けがされているそうなのだが、なかなかそのトレーニーを上のランクにしてあげられないと言っていた。純純自身、学生時代はマックでバイトのマネージャー、スウィングマネージャーをしていたこともあり、人を教育することの難しさはよくわかるつもり。そこで教えられた、人の教育の仕方は今の会社に就職し、正社員となった今でもとても役立っている。基本は教育の4段階、いわゆるPDCAと呼ばれるもの。PLAN→DO→CHECK→ACTIONまず教育の環境を整え、自分が模範を示してみせる。次に教える本人に実際にさせてみる。それに対して教育者である自分がチェックをし、それに基づいて反復練習させるといったような一連の流れ。これが基本になる。それにくわえて教えられたのが、本人の持つ能力よりも少し高めの仕事を与えなさい というもの。本人の能力以内のことばかりしていては、いつまで経ってもそれ以上のレベルには成長しえない。もちろんあまりにかけ離れたレベルの内容の仕事を押し付けてももちろんできるわけはなく、あくまで少しレベルの高い仕事をさせてみなさい という意味。その友達、おそらく今のバイト先では自分が責任を持って人を教育するという経験は初めてか、それに近い程度のものだろう。人を教育するという仕事を与えられたこと自体、そもそも友達にプラスαの仕事を与えられていることなのだ ということ。自分の教育しているトレーニーの子を成長させ、ランクをUPさせることは、友達もまた自分自身のレベルをあげることにつながる。
2006.04.26
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子供の頃、近所に住んでいたおばさんがいる。その人が最近入院しているということで、おかんが見舞いにいってきた。おかんの遠い親戚の奥さんで、子供の頃はよくその家の子たちと遊んだりしてお世話になったものだ。入院したという割りには意識もはっきりしていて、思いのほか元気そうにみえたというが、実は癌に冒されているらしい。すでに内臓はどこもかしこもボロボロ。そのせいで腹は常に張っていて肺にもすぐに水がたまる。水を抜くと一時的には楽になるらしいのだが、その水の中からは大量のがん細胞が確認されるという。もう癌も末期でおそらくいつ逝ってしまってもおかしくない状態。家族にはすでに告知されているらしいが、当の本人にはまだ告知していないらしい。たしかに癌の告知というのは非常にデリケートで難しい問題。告知がその人にとっていいことなのか悪いとなのかの見極めは非常に難しい。もし自分が仮に癌になったとしたら告知してほしいとは思うが、もしかしたら健康な今だからそう言えるのであって、実際にその時になってみたらどうなるのかは自分でもわからない。告知したことで治療と日常生活への復帰の意欲を高め、仮に末期だとしてもその死期を先に延ばすこともできるかもしれない。片や、告知したことで気落ちして、治療の意志を失ってしまったり、下手をすると死期を早めることにもなりかねない。その判断は相手の性格などによるところが多いのだとは思うが…本人はもちろん辛いだろうが、その姿を間近で見なければならない家族のきつさというのも察するに余りある。自分の家族が同じ境遇になってしまったなら…と思うと胸が詰まる。自分が子供だった頃はあんなに元気で朗らかだったおばさんを思うと死期の迫った姿を見にお見舞いに行くことなど辛すぎて自分には到底できそうもない。せめて最後の刻を心安らかに過ごしてほしい。
2006.04.25
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友達と千葉のマザー牧場へ行った。2,3ヶ月に1回くらいのペースで会って遊ぶ友達。ここ最近は近場でしか遊んでいなかったので、ちょうど行楽にはいいこの季節に久しぶりに遠出することにしたわけだ。川崎からアクアラインをわたり千葉県へ。そこから水田と林に囲まれた道をしばしドライブ。窓を開けると車内に入ってくる空気がとても心地いい。暑くもなく寒くもない、たいていの人がおそらく一番快適に感じるであろう、ここ最近の時期を堪能。そしてマザー牧場に到着。平日にもかかわらず、駐車場に停められている車の数は結構なものだ。動物を見るだけでなく触れる楽しみを味わえる、このへんでは数少ない場所のためだろうか。根強い人気を思わせる。園内に入り、とりあえず気分転換に搾りたての牛乳で作ったと謳われているソフトクリームを食す。やばい美味さ。本当に牛乳のやさしく、濃い味がする。こんなソフトクリームを食べてしまうと、そんじょそこらのアイスでは満足できなくなってしまいそうなほど。少し離れたところにある広場を見ていると、山の上の方にある牧場から牧羊犬に追われて羊150頭が駆け下りてくるという。しばらくするとものすごい勢いで羊の群れが駆け下りてきた。柵の中に入って羊に触れられるということで早速行ってみることに。コモコの羊毛が印象的。さすがにこれだけの数 羊が集まるとなかなか壮観だ。その後、山の上の牧場へと歩いていくことに。道の途中には300万本という、このへんでは随一の数を誇る黄色い菜の花が咲き乱れる。菜の花の独特のにおいにむせかえりそうなほど。このマザー牧場には羊や牛、豚をはじめ、鳥やウサギ、変わったところではダチョウなどが飼育されている。羊やダチョウのショーを観て、子豚のレースを見物した後、ウサギやモルモットを抱ける時間がきた ということで早速ウサギ小屋の方へ。衛生面への配慮のため、入り口においてある手袋をつけ、係員の人からウサギかモルモットを手渡してもらえる。自分はウサギ、友達はモルモットを。やばいほどにかわいすぎる…元々犬や猫をはじめとした小動物好き。そんな自分に対してこのウサギのつぶらな瞳は犯罪だ。よほど慣れているのか、腕の中でじ~っとしているものの、時折バタバタ暴れて爪がTシャツをとおして腹や腕をひっかいてくる。そんな仕草もかわいらしくて、実に癒される。かたや友達の抱いているモルモットはほとんど身動きもせずジーっとして、服に顔を押し当てたまま。だがそんなところもウサギと違うタイプのかわいさ。自分で言うのもなんだが、ここ最近ここまで素直に笑顔になれたのも久しぶりだ。もちろん店でお客さんや従業員と接する時にもなるべく笑顔で接するように心がけてはいるつもりだ。が、そういう場所での笑顔とは根本的に違う笑顔。店での笑顔は、その場を離れてしまえば自分の意志で真顔に戻れる程度の笑顔。けれど小動物と触れ合ったときに出てくる笑顔は心底からの笑顔。癒し なんていう言葉を軽々しく使ったりはしたくないが、これこそ癒し系。笑顔は人を楽しい気分にさせ、楽しい気分は笑顔をひきだす。善循環。心地よい場所で心地よい空気に触れ、心地よい友達と心地よい時間を過ごす。実にぜいたくな休日の過ごし方。
2006.04.24
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「人生はオセロ。赤ちゃんの時は白。 その後、黒ばかりが多くなっても、 最後には、多くが 白にひっくり返ることもある。」ネットでこんな言葉をみつけた。ネットオセロをたしなむ身としては、なるほどとうなずかされる説得力のあるたとえ。オセロというゲーム、最初から相手の石を取りすぎると最終的に大量にひっくり返されて逆転されることがままある。喜怒哀楽の感情の中でも【怒】や【哀】にあらわされるような、いわゆる負の感情を抱きやすい経験。それは一時的に人を奈落へと叩き落すこともある。けれどそういう経験がまったくない人生よりは、ある程度そういう経験のある人生の方がいい。心地いい経験という名の白い石ばかりを積み重ねていったなら、ひとつ間違えると最後にすべてを黒にひっくり返されることにもなりかねない。糧にすればいいのだ。辛さも悲しさも苛立ちも、存在する意味はある。それらを乗り越える強さを人の身につけさせるための糧なのだ。乗り越えるものがそこになければ乗り越えること自体をできるはずもない。オセロは8×8の計64マスでその石の数を競い合う。だが人の生きる年月に照らし合わせるなら、64マスではまったく足りない。人生を仮に1000×1000マスのオセロにたとえるなら自分はまだその盤面の半分すら埋めてはいない。盤全体を見渡すことすらできていないのだ。そんな広大な盤の中で、もう二度とひっくり返すことのできない黒石のような経験ももう二度とひっくり返されることのない白石のような経験もそれなりに積んできたつもり。そしてこの先黒石に返されることも当然あるだろうし、白石が返す余地もまだまだ残されている。もちろん白石を置こうと思った矢先に自分の意思にかかわらず、はさもうと思った先の種石を黒石に消されるような理不尽なこともあるかもしれないし思わぬところに種石が出現するかもしれない。傍から見れば不利な展開でもどこかに一発逆転の勝負手が残されていることもあるだろう。けれどどんなに不利になっても途中で盤をひっくり返して投了することは64マスのオセロでは許されても1000×1000マスのオセロの世界では許されない。打ち始めた以上は打ち続けなくてはならない。そして人生の終わり、最後の石を置いた時、多くなっているのは黒か白か。。。それはこれから先の自分自身にかかっている。
2006.04.23
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以前の3月11日のエセエッセィで書いていた、横浜市の鶴見区と川崎市を走る鶴見線。終着駅の海芝浦駅に行ってみたいとその時書いていたが、昨日ようやく行って来た。↓3月11日のエセエッセィhttp://plaza.rakuten.co.jp/junjunpure2/diary/200603110000/JR鶴見駅から3両編成の鶴見線に乗る。ローカル線らしくこの辺には珍しい車輌数の少ない電車。乗客は川崎の臨海工業地域にある企業や工場へ向かう年配の男性が大半。昼間ということもあってその数もそれほど多いわけではない。自分が子供の頃に住んでいたのは現在住んでいるところから歩いてものの7,8分ほどの場所。そこはまだ鉄鋼の加工工場や貨物列車の操車場などがあってそれらの音を聞き、風景を眺めて育った。そんな幼年期の環境のせいだろうか、工場や工業地帯の風景は自分の心の琴線を強く刺激する。たぶん田園風景とか下町の風景に多くの人が郷愁を駆り立てられるように自分にとっては工業地帯がそれなのだろう。それは大人になった今も変わらず、工業地帯を通る度になつかしい感覚に襲われる。ローカル線というと都市部や街をはずれ、人も住宅も少ない田舎や山などを走るものをイメージしがちだが、鶴見線は先ほどから述べるように工業地帯を走る電車。始発駅の鶴見駅以外はすべて無人駅。その大半を工業地帯で働く人たちを運ぶのが目的という路線のため、出勤と退社の時間帯を除けば1時間に数本と数えるほどしか電車は走らない。終着駅の【海芝浦駅】は海沿いの駅。線路の隣はすぐそこまで海が迫っている。ひと駅前の新芝浦駅と海芝浦駅の区間は東芝の敷地内を走っていて、海芝浦駅では会社関係者以外に駅の外に出ることができないという、全国的にも珍しいタイプの駅。そのかわり駅構内には海芝公園という小さな臨海公園が作られていて、対岸には鶴見つばさ橋や巨大なタンク、遠くには横浜ベイブリッジなどを眺めることができる。この特殊な造りのためもあるのか、この海芝浦駅は関東の駅100選にも選ばれている。そんなこともあって、以前から機会があれば是非訪れてみたいと思っていたわけだ。人は誰でもその人なりの強い思い入れのある原風景とそれにまつわる記憶を持つ。そこにはきっと自分の親、その親、そのまた親と過去にさかのぼって脈々と受け継がれてきた遺伝子レベルでの記憶も含まれているのかもしれない。ローカル線の傍らのさびれた線路に放置されてたたずむさびれた車輌。使われなくなってゆっくりと忘れ去られ消え去っていくであろうその姿。それこそ自分の記憶に眠る郷愁という概念を目に見える形に具現化したもののひとつなのかもしれない。
2006.04.22
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新たな事実発覚!!先日書いた成分解析…さらに解析してみると…じゅんじゅんの95%は厳しさで出来ています。じゅんじゅんの4%は純金で出来ています。じゅんじゅんの1%は犠牲で出来ています。じゅんの99%は濃硫酸で出来ています。じゅんの1%は利益で出来ています。JUNの99%はやさしさで出来ています。JUNの1%はかわいさで出来ています。以上のことを踏まえた上で改名しようと思います!!ポクポクポク…チーン!!というわけで新しい名前は【JUN】に決定!!!だって、、一番自分にぴったりな成分ですから♪(*μ_μ)アハン♪
2006.04.21
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先日書いた、店でのドラマの撮影、悪天候により結局中止ということになったらしい。次回撮影するかどうかはまだ決まっていない。まぁいたし方なし(;´д`)トホホ
2006.04.20
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残したものの上から上描きすること一度全てを消去したのちに新しく描くこと結果は同じけれどその過程と込められた意思は全く異なるどちらが正しいというわけでもなくどちらが理不尽ということもないただもしどちらを選ぶかと問いかけられたならおそらく前者を選択する良きにつけ悪しきにつけ 自らに降りかかったものは全て自らの血肉となり、自分を形成している消去してしまえば今ここに この自分が在るという結果を無にしてしまうような強迫観念にも似た想いをきっと抱いてしまうすべての忘れられぬ過去とこれから先 忘れられぬ過去になっていくであろう未来記憶の底に沈むことはあっても決して消え去らない決して消し去らない
2006.04.19
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ネットの友達の話。先日ネットオセロをしていたときに荒らしがやってきたらしい。普段なら相手にせず軽くあしらうところなのだが、その日に限って少々機嫌が悪くて苛立っていたらしく、少々暴言を吐いてしまったらしい。間の悪いことにそこに知り合いがやってきてその場面を見られてしまったそうなのだが、その知り合い、「○○のそんな姿みたくない」 と言い放って出て行ってしまったらしい。そもそもなぜその友達がそんな暴言を吐かざるを得なかったのか、その理由すら確かめることもせず、普段の友達への印象と違ったというだけで立ち去ってしまう。まったくもって失礼な話だ。友達に対する単なるイメージの押し付けではないか。普段は穏やかで優しいと思われている人でも、虫の居所の悪い時だってある。荒らしにどんな暴言を吐かれても悠然と構えていられるほどの人格者などむしろ少数派だろう。もちろん人は他人に対して様々なイメージを持つ。しかしそれが絶対ではないし、また普段はそのイメージどおりの人格だとしても時と場合によってはそれすらも変化する。人としてそれはごく当然のこと。それすらもわからず自分のイメージによってのみ他人を判断するなど自分自身の愚かしさをさらけ出す結果になるだけ。
2006.04.18
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家の庭に小さな藤棚がある。春になると毎年薄紫色の花の房をつける。今年もまた花が咲いた。桜の花が咲くとその圧倒的な存在感に心躍るけれど藤の花が咲くとその優しい色彩に心和む。
2006.04.17
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最近ネットサーフィンをしていてたどり着いたサイト↓http://tekipaki.jp/~clock/software/index.html単語を入力するとその成分が解析されるという、ばかばかしくも面白いソフトをダウンロードできる。早速ネット上の名前である【純純】と入力して解析してみると、、、純純の成分解析結果 : 純純の48%は信念で出来ています。純純の46%は情報で出来ています。純純の2%は柳の樹皮で出来ています。純純の2%はハッタリで出来ています。純純の1%は苦労で出来ています。純純の1%はやましさで出来ています。 やましさとかハッタリって、、、おっしゃるとおりでございます _| ̄|○ ガックリってか柳の樹皮ってまた微妙な物質ですなぁ、、、まぁ一番多い成分が信念でちょっとほっとした♪さらに本名で解析してみると、、、****の成分解析結果 : ****の67%は言葉で出来ています。****の19%はハッタリで出来ています。****の7%は月の光で出来ています。****の3%は華麗さで出来ています。****の3%は世の無常さで出来ています。****の1%は電力で出来ています。 ハンドルネームでも本名でも結局ハッタリは出てくるんですねλ...トボトボ67%は言葉でできているってのはこうしてHPでもの書きをしている自分としてはちょっとうれしかったけれど、、、、世の無常さが3%、、、まぁネットの友達は****の成分解析結果 : ****の99%は世の無常さで出来ています。****の1%は欲望で出来ています。 面白すぎ♪ ( ´艸`)ムププ 色々と解析してみたけれどここまで極端なのは他になかった ヾ(●´▽`●)ノ彡☆勹"ノヽノヽノヽノヽノヽちなみにその半分は優しさでできている とCMで謳われているバファリンを解析してみると、、、バファリンの成分解析結果 : バファリンの77%は知識で出来ています。バファリンの15%は着色料で出来ています。バファリンの6%は愛で出来ています。バファリンの2%は回路で出来ています。 半分は優しさでできていませんでした♪あのCMはほら吹きです♪
2006.04.16
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一昔前、人面犬とか人面魚とかはやったけれどよくよく考えてみれば機関車トーマスは人面機関車だし、アンパンマンは人面パン……いやなんとなくふとそう思っただけ…(´д`)
2006.04.15
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先日店に とある電話。ドラマ撮影をさせてくれないか?という話。以前にもTV撮影の話はあった。意外とうちの店はTV撮影が多い。ちなみにその時のエセエッセィはこちら↓http://plaza.rakuten.co.jp/junjunpure2/diary/200504100001/http://plaza.rakuten.co.jp/junjunpure2/diary/200504130000/http://plaza.rakuten.co.jp/junjunpure2/diary/200506090000/PCからしか見られないかもしれないのであしからず^^;今回はトリビアの泉ではなく、2時間ドラマの撮影。タイトルは忘れてしまったが、たしかTV東京のドラマだった。4月20日の木曜に撮影に来るという。時間は19時~21時半。来るのは舘ひろし、モト冬樹と総勢20名のスタッフ。にもかかわらず自分はその日は休み。残念~~~ _| ̄|○ ガックリ誰か純純のかわりに店まで撮影現場を見にきてくださぃ!そして写真でも撮ってきてくださぃ!!m(__)mペコリ
2006.04.14
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ここふた月ほど、仕事帰りに一駅前から歩いて帰るようにしている心地良い疲労感がすがすがしいこれまではなかなか通らなかった夜の道を歩いているとふと線路沿いに植えられている植物が目に入るオレンジ色に近い優しい色をしたクラシック調の街灯に照らされ紅い色をした葉がその色を照らし出す昼間に観たのでは周囲の景色に溶け込んでしまい 目立たない葉けれど暗闇の中、オレンジ色の街灯に照らされることで本来持つ色以上に鮮やかな色を浮き立たせる明るい場所で自ら光を放つものもあれば暗闇の中 照らされてこそ浮き立つものもある
2006.04.13
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このHPを観たネットの友達に「人のことを醒めた目で見ている?」といわれた。全くもってそんなことはなく、ただ自分も含め人のことを冷静な目で見られるようになったのは事実。醒めているのではなく冷静なのだろう。冷静なのはどちらかといえばたぶん良いことなのだと思うが、あまりに冷静すぎるとそれはそれでつまらない人間だと思われてしまうかもしれない。なぜなら自分の器を意識することなく、自分の分をわきまえずにいられればどんなことでものめりこめるから。子供の頃は誰でもきっとそうなのだろう。ただ歳を重ねて自分の能力、環境、常識などを含めて様々なことが見えてくると自然と自分で自分の器の大きさと形を決めてしまうのかもしれない。それが冷静になることと同じことを指すのだというのならつまらないことだ。もちろん社会生活を営むなら常識は身につけなければならないし、自分の分をわきまえなければならない場面というのはいくらでも出てくるが必要以上に自分の枠をせばめるようなつまらないことはやめた方がいい。もっとも自信を持つことはその人を魅力的にはさせるが過信はその人を薄っぺらくさせるし、自分の自信とまわりの評価はえてして釣り合わないことが多いのもまた事実ではあるのだが…
2006.04.12
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コンビニで買い物をしていると目に入ってきたチョコのパッケージ。ちょっと高級感漂うそのパッケージには【CACAO99%】の文字が。さらにその下には『これは大変苦いチョコです。召し上がるときには少しずつ溶かすように食べるか、甘いものと一緒に召し上がることをおすすめします』 といった内容の断り書き。そういえば最近ポリフェノールブームで、ビターチョコが軒並み売り上げを伸ばしているそうだ。わざわざ断り書きで苦いと断言しているほどのチョコ。ちょっとこわいものみたさもあって試しに買って食べてみることにした。1カケラ分割り取って口の中で溶かすように食べてみる。って、、、にげぇぇぇ~~~!(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル 想像を超える苦さ!苦い苦いとは謳いつつも、チョコなんだからいくらなんでもそこまでじゃないだろぉ~と侮った自分が甘かったil||li _| ̄|● il||li ガーンチョコは苦いけど、自分が甘かった。゚(゚`艸´゚)゚。 クゥゥ苦味がある というよりも苦味しかない というのが正しいだろうか。それでもせっかく買ったんだから と思い、さらにもう少し食べてみたが、3カケラでギブアップ。それ以上は食べられなかった。チョコに負けましたよ 自分。。。λ...トボトボこの口惜しさ、なんとか晴らしたいと思い、家に帰ってリビングに残りのチョコを置いておく。家族の誰かをはめてやろう という魂胆。案の定 妹が目ざとく見つけ、早速パクついた。「なんだこれ~~!!にがぁぁぁあぁ!!」 とこれまた期待以上の焦り方♪あわててうがいをしにキッチンへと走っていく。ちょっと胸がスッとした♪(*`▽´*) ウヒョヒョこのチョコを食べる時は、よほど苦いものに慣れている人でなければ少々覚悟して召し上がった方が無難だろう。
2006.04.11
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数学離れが問題視されるようになって久しい昨今。そういう自分自身、理数系は大の苦手。分数の計算や正負の数、微分積分などなど、算数や数学には難解な関門が多いような気がする。分数の計算や負の数の計算なら今でもできるが微分積分になってくると、高校時代に習った内容など全く頭に残っていない。というより、そもそも頭に入ってすらいないのが実情。ただ、数学的な思考という意味では理解しがたい内容でも、それの持つ意味を考えると意外と面白かったりもする。たとえば虚数単位。これは二乗すると-1になる数。通常ならマイナスの数でもプラスの数でも、二乗すればプラスの数になるはずなのに二乗するとマイナスになってしまう というその理不尽さ。英語では虚数のことを【Imaginary number】という。【想像上の数字】という直訳。学校で習った時、数式上での扱い方は全然理解できなかったが、そういう想像上の数字というのを創造してまで解かなければならないような問題を考える人間の想像力のたくましさには脱帽させられる。たとえばある数字に0を掛け合わせると、どんな数字も0になる というのは常識だがどんな数字も0で割ることはできない というより、0で割るという操作自体を禁じられている という不可思議さ。1÷1=11÷0.1=101÷0.001=1001÷0.0001=1000このように1÷1からスタートして、割る数の1を次第に小さくし、0に近づけていくと答はどんどん大きくなる。割る数が限りなく0に近づけば答えは限りなく大きくなっていく。それは【無限大】と呼ばれるものだ。これは感覚的には最も大きい数 というイメージだが、それに1を足した瞬間、無限大より大きい数ができることになってしまい、無限大ではなくなってしまう。要するに無限大というのは数そのものではなく、そういう状態を指し示しているということ。無限大が数ではない ということは1÷0の答は数ではなくなってしまうので、数式として成り立たない。よって0で割る計算というのは禁じられているのだそうだ。0で割るという概念と無限大という概念の繋がりにみる奥深さは一見難解そうにみえて実は単純で面白い。たぶん自分も含めて数学が苦手な人というのは数学以外のことに関しては物事をイメージすることが出来るのに数式ではそのイメージを思い浮かべることができない というのが数学が苦手な原因の最たるものなのだろうと思う。今でも数学にはアレルギーがあるが、その概念の世界には意外と哲学的な思想にも繋がるところがあるような気がして面白い。
2006.04.10
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最近仲良くなったネットの友達。このHPの存在を知って過去に遡ってエセエッセィを読んでくれたらしい。言葉を伝える上手さに感心したという、うれしいコメントをBBSに残してくれた。自分自身ではそこまで言ってもらえるほど文章力が身についているとは正直思わないが、たまに昔のエセエッセィを読み返してみると、少なくともこのHPを始めた頃と比べれば随分と上達はしていると思う。そもそもHPというのはえてして自己満足の固まりではあるが、さほど多くはないとはいえ、観てくれている人がいる以上は出来る限り実のある内容を目指したい。でなければ公開している意味がない。少なくとも人が観て、時間の無駄だったとは思われないだけのレベルまでひきあげ、キープしていきたい。
2006.04.09
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人間関係に波風立てるのが煩わしくて上っ面の言葉を並べ立てたり、言いたいことも言い合えないような人間関係がどうも自分のまわりで目立つ。相手に苦言を呈することで嫌われたり嫌な顔をされたりするのは敬遠したい、そういう気持ちはわからなくはない。けれどそんな関係は歪で、結局自分がストレスを抱え込んだままズルズル妥協していくか、どこかで破綻してしまうかのいずれかだと思う。ただ単に相手にとって居心地がいいだけの存在では自分にとっても相手にとってもいい結果は生み出せない。たとえその場では嫌な顔をされたり、一時的に嫌われたりしたとしても筋の通ったことであるならば、相手に自分の考えや想いを主張した方がいい。もっとも それを伝える相手にきちんと人の話を聞く耳がなければいずれにしろ破綻するには違いない。自分にとって心地の悪い言葉や批判を受け止めるくらいの器は持ち合わせたい。
2006.04.08
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子供というのはえてして背伸びして、早く大人になりたいと思うもの。自分自身、小学生から中学生、中学生から高校生になるたびに自分はもう大人だ!!と思い込んでいたものだ。もちろんそれは大きな勘違いで、ただ単に以前の自分と比較すれば少しは大人に近づいたなという程度のもの。自分はまだ子供だな と思い出したのは大学生になってから。もちろん年齢は重ね、バイトもして自分で金を稼ぐようになったけれどもその分社会に触れ、色々な立場、年代の人との付き合いが増えるにつれ<自分の未熟さが自分自身の目に付くようになった。今にして思えば、それを意識できた時にようやく初めて大人への入り口に立つことができたような気がする。どんな形であっても社会との接点を持たなければ、しょせん自分だけしか見えていない井の中の蛙。自分がどんなに望もうと、どんなに自分は成長したと思い込もうとたぶん本当の意味での成長は望めないような気がする。人というものは、自分自身よりも高く、優れた物差しや手本を見つめる心がない限り、決して、自分を変えようなんて思いもしない。 そして現在、気楽な学生だった頃に戻りたいとふと思ってしまうこともある自分。大人になったというよりも老けてしまったということなのか?
2006.04.07
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生活関連用品売り場で子連れの妊婦の人が出産準備用品を万引きするところをパートさんが見かけてしまったという。基本的にうちの店では管理職ないし、保安員の人が万引きするところを現認し、店外へ出るところを確認しなければ捕まえることはできない。万が一店員が声をかけた人が実際に万引きしていなかったりした場合には大問題になってしまうからだ。そのパートさん、かなりショックをうけていた。特にスーパーなどでは万引きはそれこそ日常茶飯事なので、それ自体はともかくとして、盗んだのが子連れの妊婦だったというのがすごいショックだったようだ。本来なら子供のことを愛情込めて育てるのが親の姿だと思うのだが、万引きした商品で子供を育てたとして、良心に呵責はないのか?それが子に見せる親の姿といえるのだろうか?将来子供がもう少し大きくなって、たとえばちょっとした出来心や冒険心から万引きをしてしまったとして、それをその親はちゃんと叱ってやれるのだろうか?パートさんがその後売り場をチェックしたところ、先ほど万引きされた商品とは別の出産準備用品も見当たらないのを発見し、現認した万引き商品以外にもその妊婦が万引きしたのか、それともちゃんと売れているのかを確かめるため、あわててPOSで売り上げ実績をチェックしていた。結果、ちゃんとその商品は売り上げがたっていて、その妊婦が万引きしたのは現認した商品だけだった ということがわかったときのパートさんのほっとしたような表情。それは少しでもその妊婦にまだ良心があることを信じたかったがための安堵の表情だったように思える。ちなみに以前チェックしたところ、うちのパンも毎日確実に数点、万引きされているのでは?と疑いたくなるような怪しいものもあったし、実際、保安員が捕まえた犯人の万引き商品の中にうちのパンが含まれていたことも数知れない。美味しいと思っているから万引きしていくのかもしれないが、そんな人には自分やパートさんが一生懸命作ったうちのパンを食べて欲しくはない。万引きをしている当人は気付いていないのかも知れないが、どの客が万引きをしているか、少なくとも怪しい、万引きしているおそれがあるというのを店員が勘付いている場合というのは意外と少なくない。そんな風に怪しむのは本来店側の人間としても気分の悪いことだし、怪しんでいる当の客が店の人間を油断させるためか、愛想よく話しかけてきたりした日には表向き 顔では笑って応対しつつも腹の中では腹立たしさでいっぱいだ。うちの店では基本的に万引き犯を捕まえた場合は警察を呼ぶことにしているが、おそらく常習者であろうその客がそれまでに盗んでいった商品というのは確認のしようもないし、損害額の計算もできない以上請求するのはなかなか難しい。だが一向に減らない万引き件数、万引きによると思われる在庫の欠損額などをみているとその処罰はもっと厳しくするべきだと思う。初犯だというならいざしらず、前科があるような悪質な場合は店への出入り禁止は元より、それまでの損害額とは別にたとえばある程度高額な罰金を請求するとか…万引きをする方としては軽い気持ちでも、される方としてはたまったものではない。しょせん綺麗事を述べているだけだ と思われるかもしれないが、小売に携わり、自分の扱う商品を盗まれた経験のある方ならこの口惜しさと気持ち悪さはわかってもらえると思う。以前にも書いたかもしれないが、うちは全店で一年の万引きによる損害額が数十億円にものぼる。一件一件は些細な額でもそれを全部合算すればそれだけの損害にのぼってしまう。自分一人が万引きしたところで大企業なら大した損害ではないだろう というのは大いなる誤解。万引きは軽犯罪だ という誤った認識を修正し、万引きは窃盗という名のれっきとした犯罪なのだ という認識を万引き犯にはもってもらいたいものだ。でなければますます人の良心というものを素直に信じることができなくなってしまいかねない。
2006.04.06
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他店に配属されていた同期の友人。先日発表された全店の異動辞令一覧表で店舗から人事部へ異動になっていた。こういう辞令は、大抵はなにかしらの事情により長期休養をとらざるを得ない場合に発令される。他店へ異動して疎遠になったとはいえ、一時期は一緒の店で仕事をしてきた仲。どうしたのかと思って気になり、事情がわかる人に聞いてみたところ、どうも奥さんが病気で倒れてしまい、彼が家と子供の面倒を見なければならないための長期休養ということだった。もちろん彼は結婚していて子供もいることは知っていたものの、一緒に働いている間は店での彼の姿、ひいては彼個人の面しか見えていなかった。しかし実際こうしてそういう事情を知ってみると会社人としてだけではなく、当たり前のことではあるが旦那として、親としての一面を彼が持ち合わせていという感覚を感じてなんだか不思議な感覚に襲われた。家族ができる、家族に対しての責任を果たすというのは、口で言うのとは裏腹にとても重いものなのだと思う。長期休養すればもちろんその間の収入は失われてしまうし、復帰したとしても、それまでと同じポストというわけにもいかないだろう。そういう犠牲を払ってまでも家族の面倒をみることを最優先した彼の苦渋の決断は素直に尊敬に値する。一刻も早い奥さんの回復と彼の仕事への復帰を望む。
2006.04.05
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【風】という言葉のつく熟語。風流 風雅 風情 花鳥風月 風待草といえば梅の異称、風待月といえば陰暦6月の異称だという。なかなか赴きのある言葉が数多いように思える。それらの中に【風化】という言葉がある。【地表およびその近くの岩石が空気、水などの物理的、化学的作用で次第に崩されること。比喩的に心に刻まれたものが弱くなっていくこと。】一般的には消え去るというネガティブな意味で使われることが多そうだ。しかし捉え方を変えて【風と化す】としてみたらどうだろう。記憶や思い出は消えてなくなるのでも、腐り果てるのでもなくただ風と化す。これはこれで非常に赴きのある言葉ではないか。もちろん風という現象は物理的に考えれば単なる空気の移動のことであり、春に風が強い日が多いのは上空で寒気と暖気がぶつかりあいやすいからだ というのも理論的にはわかる。けれど咲き誇った桜を散らせてしまうほどに春の風が強いのは別れと出会いのこの季節に人が新しい思い出を求めて古く、懐かしい思い出を風化させるため?などと柄にもない想像を働かせてみるのもまた風流。目に見えるものは風化して消え去るとしても人の古い記憶や想いは風と化して今もたぶん駆け巡っている。
2006.04.04
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久々にTVで大食いを見た。相変わらずあの食いっぷりは迫力がある というか鬼気迫るものがある。一体あの身体のどこにあれだけの食べ物を詰め込む容量があるというのだろうか。。。そういえばこれとは違うが、最近自分も似たような体験をしている。それはズバリ、、、鼻水!! ここのところの不安定な天気のせいで風邪をひいたのか、なにせ鼻水が止まらない止まらない!!ノンストップ超特急状態である。京浜東北線に乗ったら一回も止まらずに大宮から大船まで行っちゃいましたよ!といった状態!冗談抜きで傍らには鼻をかんだティッシュの山がある。アルピニストの野口さんにこのティッシュマウンテンに登っていただきたいくらい、、、とまでは言わないがたった一日ですでにボックスティッシュ半分くらいは使ってしまった。一体どこでこんなに鼻水が生産されているのだろう、、、下手すると脳みそが徐々にとろけて鼻水になっているのではないか、、、はたまた異次元から純純の鼻へと空間移動されているのではないか、、、などという想像力豊かな妄想をかきたてられる。あらためて自分の下らない妄想力に思いを馳せ思わず苦笑してしまいそうな春の日。[壁])≡サッ!!
2006.04.03
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最近精神的に打たれ弱い人が多いと思う。そういう人に限って周りを拒絶するために自分自身に鎧を纏わせてしまいがち。ではその鎧は一体どこから持ってくるのかというと、周囲と自分を隔絶するための鎧だから周囲から持ってくるわけにもいかず、結局自分の身体の中で一番硬い部位である骨を自分自身の身体からえぐりとって、鎧に加工し自分の表面を堅く覆ってしまう。そんなイメージを自分は持っている。こうすることで外側からの衝撃はやわらいだとしても、自分自身の芯を形成すべき骨はすでにないのだから立ち上がることも自分を支えることすらもできない。芯をなくしてまで周囲に対して鎧を纏って一体どうしようというのか。それならば自分の足で立ってちゃんと芯を持ち、周囲からの痛みを感じ、耐え、超えることを知るほうがよほどいい。意識的にか無意識か、自分が傷みを感じたくないがために先手を打って周りを傷つけてしまうような人がいるがそうやって周りの人たちに痛みを与えるということは、いずれ自分が受けるであろう痛みを累積しているのと同じこと。いつかそのしっぺ返しを取り返しのつかない形で受けることにもなりかねない。ありきたりな言葉だが、人は一人じゃ生きられないし、自分が好意を抱く人たちとだけでも生きられない。自分の嫌いな人、自分を嫌う人もまた自分の生きるこの世界を形成するピースの一片。痛みや苦しみのない人生にはさほどの価値もない。痛みや苦しみすらも、人を形成する一片のピース。鎧よりは芯を持ち続けたい。
2006.04.02
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毎年毎年このエイプリルフールの時期になると今年はどんな嘘をついてやろうか と賢い頭をひねってひねってひねり倒すのだがなにせ普段はまったくといっていいほど嘘をつくことのできない純純さん…この世の中で【嘘】ほど嫌いなものは戦争とテロだけですよ!という考えの持ち主の純純さん…付け焼刃で皆をだませるほどうまい嘘を思いつくこともできずにまたこうして今年のエイプリルフールも過ぎ去っていってしまうのです…(;´д`)ハァンはぁ~ 嘘をつけないって……不器用なほどに罪な男なのねぃρ(TεT イジイジあ ちなみにこの内容への突っ込みは一切却下デスカラ!(`Д´)ノ クワッ!!
2006.04.01
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