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1941 イギリス 監督:アンソニー・アスクィス出演者:ジョン・ミルズ、アラステア・シム、レスリー・バンクス、ジャンヌ・デ・キャサリー、マイケル・ワイルディング ほか86分 モノクロ COTTAGE TO LET 第二次世界大戦時のスコットランドを舞台に起こる、ドイツ軍スパイによるイギリス人科学者誘拐事件を描いたサスペンスドラマ。モノクロ映像にベタな展開はいささか古さも感じるが、スパイサスペンスのセオリー通りの作品だ。字幕無しの英語版で視聴したため、ストーリーの理解度には大いに不安が残るが(汗)、ややコミカルな登場人物を取り入れ、会話の投げ合いのテンポが良い作品となっているようだ。 題名のCOTTAGE TO LETは直訳で「貸しコテージ」であり、スコットランドの上流階級バーリントン夫人の貸しコテージが作品の舞台となっていることからついている。バーリントン夫人の夫がイギリス軍兵器開発に携わる科学者となっており、彼を誘拐しようとするドイツ軍スパイは誰なのかが謎解きとして描かれる。 登場人物は余り多くなく、謎の捻りも難しくないので、比較的わかりやすい部類だろう。途中から徐々にスパイらしき人物が判明してくるので、後半はもう少しどんでん返しを期待したがさほどでもなかった。スパイものとして銃撃戦もあるが、ほんの少しでアクション性はないに等しい。特に終盤のクライマックスはかなり端折った感じで、ちょっと肩すかしをくらった感じ。もう少し、ハラハラドキドキがあったら面白かっただろう。そういう意味では単調な作品だと言え、時代性を感じさせる。 ドイツ軍によるロンドン空襲は1940年8月頃から本格化するのだが、本作ではそのロンドン空襲から疎開してくる少年が登場する。ちょうど制作期は被害が甚大な時期であり、集団で疎開してきて田舎町にホームステイする様子が生々しい。また、バーリントン家でチャリティパーティを開催するのだが、主役はあくまでバーリントン夫人で女系社会のイギリスらしい雰囲気が良く出ている。 本作は個性的な役者陣も一つの見所だろう。作品の鍵を握る小生意気な少年ロナルド役はジョージ・コールでデビュー作。イギリスの名優だがすでに堂に入った演技で好演している。また、空軍中尉ペリー役にはジョン・ミルズ、天然ボケ風科学者ジョン・バーリントン役はレスリー・バンクス、好奇心旺盛な謎の男ディンブル氏にはアラステア・シムなど濃すぎるほどの個性が豊かだ。 全般にオーソドックスなサスペンス映画だと言え、特段特筆すべき点も見あたらない。スパイものとは言え、ドイツ軍の実情にもイギリス軍の内情にもほとんど触れられていないので、ミリタリーものとしても物足りない。本当に「フツー」な出来なのであった。興奮度★★沈痛度★★爽快度★★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ドイツ軍のロンドン空襲がひどくなってきたころ、スコットランドの上流階級バーリントン夫人のコテージにロンドンからの疎開してきた子供たちがやってくる。そのうち、二人の子供がバーリントン家に割り当てられ、一人は生意気な12歳の少年ロナルドだった。だが、コテージはすでに好奇心旺盛な中年チャールズ・ディンブル氏が借りており、帰宅したディンブル氏の要望で、ロナルドは執事のエバンスに連れられて母屋に移る。また、コテージの一部は軍の病院として貸すこととなり、折しもパラシュート降下し負傷したスピットファイア戦闘機パイロットのペリー中尉が担ぎ込まれ、最初の入院患者となる。 ペリーの看護にはバーリントン夫妻の美しい娘ヘレンが当たる。だが、ペリー中尉は軍に電話するふりをしてコンセントに何かを差し込むなどどうも行動が怪しい。ロナルドは実験室に勝手に侵入し、風変わりだが聡明な発明家である夫のジョン・バーリントン氏と仲良くなる。バーリントン氏は現在英空軍の爆撃照準機の開発に携わっているのだ。アシスタントのアラン・トレントリーはヘレンに恋心を寄せているが、ペリー中尉がヘレンに接近し懇意になるにつれ、嫉妬心を燃やすようになる。ディンブル氏も旺盛な好奇心で、双眼鏡で観察したりとペリー中尉やトレントリーの周辺を探っている。 英軍はバーリントン氏が開発している軍事機密の秘匿性を心配していたが、撃墜した独軍機のタンクに英軍が開発した防弾タンクがコピーされていることが判明し、内部スパイ疑惑が持ち上がる。当初はドイツでの教育経験のあるトレントリーが疑われる。ディンブル氏は実はイギリス諜報部員であり、トレントリーらを内偵していくうちにバーリントン家の情報が、家政婦のミセス・トリムへの伝言や伝書鳩を使ってストークス家政婦派遣代理店?に伝えられていることを知り、ミセス・トリムを尋問する。 バーリントン家ではパーティーが企画され、夫人は不得手な料理の準備にかかり、結局ミス・フェネリーのを手を借りる。ロナルドは翌日母が誕生日のためジョン・バーリントン氏に手紙とプレゼントを託す。 パーティの後、ヘレンはペリーに言い寄られキスをする。だが、その後トレントリーも強引にキスをし、ヘレンはトレントリーのことが好きだと答えるのだった。実験室ではジョン・バーリントン氏がフィルムをチェックしていたが、謎の二人組が拉致し、自動車に乗せ水車小屋に連れ去る。だがスパイの乗った車にはバーリントン氏の鞄をこじ開けようとしていたロナルドも乗ったままだった。ロナルドは水車小屋について、小屋の中に潜入すると、そこに拉致されたバーリントン氏と執事のエバンスを見つける。ロナルドは助けを呼びにいこうとしたとき、ペリー中尉が水車小屋にやってくるのを見つける。スパイの一人を倒してペリー中尉に助けを求めるが、実はペリー中尉はドイツ軍スパイの一味だった。結局ロナルドも拘束され、ペリーは明日飛行機でベルリンに連れて行くと言う。 一方、バーリントン氏の行方を追うディンブル氏はドイツ軍スパイと目されるミセス・ストークスの家政婦派遣代理店に乗り込む。そこには複数の男達がおり、ディンブル氏はストークス夫人を尋問するが、逆にイギリス諜報部員とばれて取り囲まれる。なんとか危機を脱出し、バーリントン氏の捜索を開始する。 水車小屋ではロナルドが縛られていた紐を切り、監視しているスパイを倒すために大きな石製車輪を転がり落とす準備をする。その時、水車小屋に警官隊が来襲し銃撃戦となる。その隙にロナルドらは車輪を転がしてスパイ二人を倒す。 パーティ会場ではオークションが開催されており、ペリーは何食わぬ顔でオークションの司会を務めている。だが、そこに蒼い顔をしたストークス夫人がやってくる。さらにディンブル氏も追いかけてくる。事態を悟ったペリー中尉はディンブルにオークションの壺を投げつけて逃走を図る。警官やトレントリーを銃で撃ちながらペリーは逃げ、テントの中で水車小屋から逃げてきたロナルドを拘束。後からやってきたジョン・バーリントン氏も拘束して脱出を図ろうとする。だが、そこにディンブル氏がやってきてペリー中尉を射殺するのだった。
2009年08月14日
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1944 イギリス 監督:パット・ジャクソン出演者:パット・ジャクソン、H・S・ヒルズほか83分 カラー WESTERN APPROACHES DVD検索「暁の雷撃戦」を探す(楽天) 第二次世界大戦時の連合国輸送船団とドイツ軍潜水艦との戦いを背景に、英国商船乗組員の活躍を描いたセミドキュメンタリー映画。米英間の輸送に従事する英国商船が、撃沈され漂流する商船クルーの救出に向かい、ドイツ軍潜水艦と一戦を交えるのだ。一応ストーリー仕立てにはなっているが、連合国海軍や商船の実際のクルーを起用したドキュメンタリータッチとなっており、クラウンフィルムによって製作された戦意高揚映画である。戦前にもかかわらず、カラー作品というのが凄い。 戦闘シーンそのものはあまり多くなく、漂流する商船乗組員などの勇敢で切迫する心情を前面に出したヒューマンドラマ性もあるようだが、字幕無しの英語版で視聴したために、そのあたりは余り理解できていない(汗)。 イギリス西側の海域を指す「WESTERN APPROACHES」は、アメリカや連合国と結ばれた重要な大西洋商船航路であり、イギリスにとって軍需物資確保の貴重なライフラインだった。そのため、第二次世界大戦中にはドイツ海軍潜水艦と熾烈な戦いが行われ、多くの商船主が命を投げ出して協力することとなる。「WESTERN APPROACHES」が海戦の代名詞として用いられることもある。 役者と言えるのは監督自らが砲術士官として出演しているのみで、あとは全て本物の海軍軍人及び商船員なのだそうだ。その割に演技はしっかりしているなあという印象だが、滑舌だけは悪い人も多く、ただでさえ認識できない英語がほとんどわからなくなった(汗)。 本作で主役となるのはニューヨークからイギリスに向かう輸送船団で、「H4」という護衛艦隊が護衛に回る。主役の商船レアンドロス号はイギリス船籍の輸送船で、船上に3もしくは4インチ砲を搭載している。船長は4本線の袖章、砲術士官は3本線となっている。護衛駆逐艦は連合軍混成という設定のようで、フランス語を話す駆逐艦もある。 登場する艦船類は当然本物で、駆逐艦はカナダ海軍C型駆逐艦アシニボイン(I18 元英軍ケンペンフェルト)が映っている。これは映像がやや悪いことから映画用に撮影されたものではなく、記録映像を用いているのではないかと思われる。ドイツ軍潜水艦に化けているのは英国のU型潜水艦("U"Class)と思われ、前方に3インチ砲を搭載している。艦船ナンバーはI87と読み取れ、ウナ(Una-N87)ならば訓練従事艦のために撮影協力も可能と思われる。また、上空で哨戒・捜索に当たっている航空機は英軍に供与されたカタリナ飛行艇と思われる。 レアな題材であり第二次世界大戦の裏舞台を知るにはなかなか興味深い作品ではあるが、やはり素人演技ということで深みのある内容にはなっていない。戦闘、アクションシーンもややキレが悪く、14日間漂流する商船救命ボート上の雰囲気もいささか切迫感に欠けるのも致し方ないところか。役者を使わないという斬新な試みは面白いが、映画全般としてはメリハリに欠けてしまうのだろう。 商船からの視点で描かれた映画としては、「激戦ダンケルク(1958 英)」もあるが、やはり英国にとって第二次世界大戦は総力戦であったことを偲ばせる。民間人にも関わらずその命を賭した勇敢な商船乗組員の活躍があってこその勝利であり、本作はそのレクイエムでもあるのだろう。 興奮度★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 大西洋商船航路上のWESTERN APPROACHESで、撃沈された商船ジェイスン号の乗組員が救命ボートで漂流していた。残り少ない食料と水を分け合い、船長以下少年を含む10数人が乗っていた。一人は頭に怪我を負っていた。通信員が救難要請を送信するも音沙汰がない。 英国本国では戦争に重要となる戦車、戦闘機、貨車などを輸送するため、ニューヨークからイギリスへの船団が計画される。商船レアンドロス号もその一員となり、船長は戦車、戦闘機、貨車などを積み込む。護送する連合軍駆逐艦隊の司令官と商船船長らは打合せを実施し、いよいよ大西洋横断を開始する。輸送船の足は6ノット程度しか出ず、落後しないよう互いに確認しながら航海を進める。連合軍艦隊の中にはフランス軍の艦船もいる。 漂流ボートの上空を英国の偵察機が飛来する。ボートでは手を振るが気づいてもらえず、飛行機は去っていく。この偵察機はUボート情報を船団に送り、航路の安全を確保するのだ。 ドイツ軍Uボートは救命ボートを発見する。そして救命ボートから打つ救難用要請信号を傍受し、艦長は救援にやってくる艦船の撃沈を狙う。魚雷はあと2発のみ残っている。ついに、レアンドロス号の電信員が「SOS 55N 17W JASON」の信号を傍受し、船長は救援に向かうことを決断する。 だが、救命ボート上ではドイツ軍潜水艦の潜望鏡に気づく。徐々に接近するレアンドロス号にUボートの存在を知らせようと苦心し、射程距離間近になってようやく手旗信号で「ATUB」とUボートの攻撃を伝えることが出来る。だが、その瞬間魚雷は発射され、1本が命中してしまう。レアンドロス号の船長は退船を決意し、乗組員をボートに乗せて降ろす。だが船長と砲術士官、逃げ遅れた船員の3名が船上に残っており、砲術士官は浮上するUボートを船に据え付けられた砲で砲撃することにする。 ドイツ軍潜水艦では全員退船したと思い、潜水艦を浮上させる。その瞬間商船の砲が火を噴く。潜水艦の3インチ砲も応戦し、さらにレアンドロス号船長も機関銃を射撃する。船員が撃たれて死亡するが、砲術士官はついにUボートに命中弾を放つ。沈んでいくUボートでは乗員が我先にと海に飛び込む。 海域には応援に駆けつけた駆逐艦が到着し、ジェイスン号とレアンドロス号の乗員を拾い上げるのだった。
2009年08月07日
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1984 アメリカ 監督:ジョセフ・ジトー出演者:チャック・ノリス、M・エメット・ウォルシュ、ジェームズ・ホンほか101分 カラー MISSING IN ACTION地獄のヒーロー●チャック・ノリス DVD検索「地獄のヒーロー」を探す(楽天) ベトナム戦争後もベトナム国内に抑留された戦争行方不明者(MIA)救出を題材にしたアクション映画。いわゆる典型的B級ベトナム戦争映画であるが、チャック・ノリスにとってはその後の「地獄のヒーロー」「デルタフォース」シリーズの端緒となる作品である。チャック・ノリスは朝鮮戦争で従軍経験があり、米空手チャンピオンとしても知られる格闘家でもある。弟がベトナム戦争で戦死しており、本作はそのレクイエムとして製作されたということらしい。ほぼ同時期のシルベスター・スタローンの「ランボー」シリーズと双璧となりうる作品であったが、演出のチープさ、インパクトの弱さ、そして何と言っても主演俳優の個性から、残念ながら格落ちの作品というポジションに甘んじている。 本作は実際にあった戦争行方不明者(MIA)の問題を題材にしているが、戦後しばらくはベトナムら共産国側は不当抑留捕虜の存在を公式に認めていなかった。そのため、アメリカでは戦争行方不明者や戦時捕虜の捜索や返還を求める動きが活発となり、こうした反ベトナム作品が多く製作されている。ただ、その実態が闇の中であることも多く、このベトナム戦争捕虜奪還ものは、反ベトナム戦争、反ベトナムといったテーゼのもと架空のストーリーとして描かれることが多くなっている。本作も架空のストーリーで、ベトナム政府批判的な傾向が強い。 ストーリーはかなり短絡的な展開で、ベトナム潜入に至るまでの設定自体にリアリティが感じられない。潜入後も、安直な行動や戦闘が目立ち、とにかくMIAを救出さえすれば良いといった、強引に力で押すタイプの映画だと言える。起承転結に乏しく、伏線もクライマックスも盛り上がらないのだ。 また、チャック・ノリス自身も申し訳ないがスター顔ではないので、個人に感情移入できるタイプでもなく、助演陣も演技力や個性が活かされる起用にはなっていないのも残念。 本作の命となるアクション性だが、そのアクションも正直言って大したことはない。爆薬使用量、銃撃戦、格闘戦ともにじっくり描かれることなく、端折り気味で淡泊。さらに、敵弾に当たらない主人公はともかく、どれだけ撃っても弾切れしない機関銃や、MIAを目視確認していないのにベトナム軍キャンプを攻撃してしまったり、軍用トラックに追いつかれるジープ、ロケット砲を持っているのになかなか撃たずに味方を見殺しにするヘリなど、首をかしげる場面も多いのが気になる。 登場する兵器類はヘリコプターのUH-1イロコイと哨戒艇程度。フィリピンロケということなので、在比米軍のものを借りているのだろうか。 まあこんなもんかというレベルの作品。良いところを見つけようと思ったが、なかなか見つからない(笑)。見るに堪えない駄作というほどでもないので、チャック・ノリスの原点を見ようと言うのならば、それもありかな。興奮度★★沈痛度★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 38歳の退役陸軍大佐ジェームス・ブラドックはベトナム戦争当時の夢にうなされている。本人も7年間ベトナムに抑留され脱走してきた経緯があり、今もベトナムに残る2,500名余りの戦争行方不明者(MIA)の存在に心を痛めている。 折しもアメリカ政府はベトナム政府と国交復活を目指しており、その会議に上院議員はMIAの証拠を握るブラドッグ大佐を連れて行く。だが、ホーチミンに降り立ったブラドックはMIAはいないと言い切るベトナム軍トラン将軍と、かつて部下を虐待した幹部の姿を目撃し、不敬な態度を取る。その態度に怒ったトラン将軍らはベトナム人証言者を連れてきて、ブラドッグ大佐の戦争犯罪を非難し始める。ブラドック大佐に申し訳なさそうに話すベトナム人らに、わかっていると言う顔で大佐は去っていく。 ブラドック大佐はホテルで監視されるが、国務省の女性事務官フィッツジェラルドの部屋から密かに外出する。トラン将軍の屋敷に忍び込み、将軍を脅してMIAのデルタ収容所の場所を聞き出す。帰り際に反撃しようとしたトラン将軍を射殺し、守備兵との銃撃戦の末ホテルに戻る。ベトナム側はブラドックの仕業と疑い、部屋を捜索するが、すでにフィッツジェラルドの部屋に戻ったブラドックは戻っていた。 ブラドックはデルタ収容所に向かうため、タイのドン・ムアン空港に降り立つ。その後からベトナム軍の幹部が追う。ブラドッグ大佐はかつての戦友ジャック・タッカーを探してマダム・パールの売春宿に向かう。途中で視角に襲われるが撃退する。売春宿でタッカーを探し出し、1,000ドルで船をチャーターする。さらに、銃や急襲上陸用ボート、帰還用ヘリのチャーターを手配する。 いよいよ出航しようとした際にベトナム軍幹部が攻撃を仕掛けてくる。それを何とか撃退し、ベトナム軍幹部を殺害する。ベトナム沿岸に達し、ブラドッグ大佐はタックに12時間たっても戻らなかったら帰れと言う。だが、タックは陸にはあがらないぞと言いながら上陸用ボートの運転を受け持ち内陸部に潜入する。川を逆のぼっていくとベトナム軍の武装ボートに出会う。陸上にはベトナム兵がおり、見つかりそうになったブラドッグらはそれを撃退する。いよいよデルタ収容所付近に到着し、船にタックを残してブラドッグが潜入する。 収容所にはたくさんのベトナム兵がおり、ブラドッグは夜になって爆薬を仕掛ける。爆発とともに急襲し、ベトナム兵を壊滅するが、収容所にはベトナム人ゲリラ隊のディン軍曹らしかいなかった。米人MIAは数時間前にトラックで移送されたという。彼らを解放してブラドッグ大佐はトラックの後を追う。上陸用ボートでトラックに追いつき、銃撃戦が始まる。ボートがバズーカで破壊されるが、なんとか5,6名のMIAを救出することが出来る。だが、すぐにベトナム軍の追っ手がやってきたため、ブラドッグらはジープで海岸に向けて逃走。途中で反撃を繰り返しながら沿岸に待機する船を目指して海に入る。だが、沖からベトナム軍の哨戒艇が接近し、船に残っていたベトナム人が機関銃で反撃するも撃たれて死亡。危険を感じたブラドッグらは再び海岸に戻ろうとするが、タックだけは船に上がり機関銃で哨戒艇に応戦する。上空からようやく帰還用ヘリが到着し、ブラドッグらを吊り上げる。その間にタックは撃たれて死亡する。ヘリはロケット砲で哨戒艇を撃破しホーチミンに戻る。 ホーチミンではベトナム政府がアメリカとの和解会見を行っている最中だった。そこにMIAを連れたブラドック大佐が乱入するのだった。
2009年07月23日
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2007 ドイツ 監督:ダニ・レヴィ出演者:ウルリッヒ・ミューエ、ヘルゲ・シュナイダー、シルベスター・グロート、アドリアーナ・アルタラスほか95分 カラー MEIN FUHRER-DIE WIRKLICH WAHRSTE WARHRHEIT UBER ADOLF HITLEREわが教え子、ヒトラー デラックス版(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「わが教え子、ヒトラー」を探す(楽天) カリスマ的演説で有名なヒトラーにボイストレーナーがいた、という事実をもとに描かれたコメディ映画。予告編等で「善き人のソナタ」で男優賞を取ったウルリッヒ・ミューエの真顔の印象が強すぎて、シリアスものと誤解した視聴者も多いようだが、ほぼ99%まではブラックコメディである。 ボイストレーナーはオペラ歌手だったポール・デヴェリンというドイツ人が実在しており、本人による「我が教え子アドルフ・ヒトラー」という著書をネタ本にしているようだ。だが、本作ではボイストレーナーを強制収容所にいるユダヤ人俳優という設定にし、描かれるエピソードもほぼ事実とは関係ないようだ。 監督はスイス生まれのユダヤ人で、ナチスドイツやヒトラーに対する強い憎悪感でもあるのかと思いきや、思ったほどでもなく、ドイツ人の勤勉さやヒトラーを始めとする側近らをブラックな笑いで装飾していく。 内容は、敗色濃くなる中で威厳の落ちたヒトラーの演説を復活させるため、宣伝省大臣ゲッベルスがかつてヒトラーのボイストレーナーを勤めたことのあるユダヤ人と強制収容所から引っ張ってくる所から始まる。このユダヤ人アドルフ・グリュンバウムが騒動に巻き込まれ、ゲッベルスを始めとする側近らとのドタバタが面白おかしく描かれていく。 ドイツ人の異常とも言える勤勉さを、ハイル・ヒトラーという挙手の連続で笑わせたり、一つの決定が束のような書類を通さなければならなかったりするのだ。また側近らも、不真面目で打算的な宣伝相ゲッベルス、右腕を挙手状態に固定した内務相ヒムラー、ヒトラーに犬のように忠誠な軍需相シュペーアなど個性的ながらも微笑ましい人物像が描かれる。肝心のヒトラー自身も不幸な生い立ちや孤独感を強調しながらも、人間味を感じさせる人物像に仕立て上げている。ちょっとエロシーンでは愛人エヴァの「総統、入っている気がしません」がとてもシュールだ。また、ヒトラーもグリュンバウムも同じアドルフ姓というのも巧妙な仕掛けだ。 こういった点で、愚かな連中ではあったけれども、個人悪者に仕立てて攻撃するのではなく、ブラックコメディというオブラートの中でナチスドイツ全般の滑稽さを表現したのだと思う。いわゆる戦後世代によるナチスドイツ映画の視点の変化なのだとも感じるのだ。 こうした表現方法については、かなり様々な評価があるようだ。事実を元にと言いつつも、ほぼフィクションであること。ドイツ人等を馬鹿にしすぎていること。ヒトラーを始めとする人物像が滅茶苦茶なことなど、酷評する向きもあるが、私自身は結構楽しめた。日本人であるからという側面もあるが、政治的、人種的思想を深く考えずに、完全なるフィクション娯楽として楽しむ気で見ればなかなか面白い。そもそも、ヒトラーやゲッベルス、シュペーアなどの性格付けは完全に誇張、粉飾されまくっているのだから、歴史上の人物と言うよりは架空の登場人物として見た方がいいのだ。そう言う点では評価は大きく二分しそう。 残念だったのはラストシーンだろう。これだけ喜劇調で来たのだから最後まで喜劇で終わって欲しかった。この辺りにユダヤ人監督の不用意な熱情が現れてしまったのだと感じる。ユダヤ人がいかに差別され、虐待されていたかも取り入れたかったのだろうが、それまでにヒトラーやゲッベルスを意外なほど好人物に描いてきたために、逆に裏切り行為が強く印象づけられてしまった。 グリュンバウムを演じるのはウルリッヒ・ミューエでシリアスな演技だけでなく、こうしたコメディでもその演技力を発揮できることに感嘆する。残念ながら亡くなってしまったが、偉大な役者だ。ヒトラー役はヘルゲ・シュナイダーで、相当メイクを施しているがかなり似ていない(笑)。だが、似ていないことでフィクションコメディとして楽しめる要因にもなった。 また、エンドロールも興味深かった。演技か本当かわからないが、ドイツ人各年代にヒトラーやグリュンバウムを知っているかと街角インタビューするのだ。若い子たちはヒトラーのことを意外に知らなかったりする。そう言えば、日本でも「東条英機」知ってるかと聞いたら知らないかも知れない。 ロケはドイツ国内で、ヒトラー官邸などは実在の古い建物を利用しているそうだ。中庭は現財務省だそうで、ハーケンクロイツの掲揚も許可されたのだとか。廃墟の模型セットも製作されたようだが、合成CGの具合が今ひとつでスケール感は思ったほど感じられなかった。 全般に楽しめたし、こういったジャンルの作品は余り多くないので新鮮だった。ただ、ヒトラーやナチスドイツが題材だったから、さほど思い入れることなく楽しめたが、これが日本人監督で、例えば東条英機や天皇陛下を同様のブラックコメディ化していたら・・・評価はかなり変わっていただろう。そう言う意味では、良くドイツで公開できたなという感想も。興奮度★★★★沈痛度★★★爽快度★★★★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1945年1月1日、ヒトラーの演説台の下で一人の男が頭から血を流して顔を出す。ユダヤ人のアドルフ・グリュンバウムは5日間ヒトラーの側におり、この日もその真下にいたのだ。 宣伝相ゲッベルスは最近のヒトラーの凋落ぶりとしわがれ声に困惑し、かつての栄光を取り戻すため、かつてヒトラーのボイストレーナーを勤めたことのあるユダヤ人のグリュンバウムをザクスハウゼン強制収容所から呼び寄せる。 呼ばれたグリュンバウムはヒトラーの指導をいったんは断るが、ゲッベルスはヒトラーの怒りがちょうど良いのだとして、グリュンバウムの家族を収容所から呼び寄せることでヒトラーの指導を行うことに同意させる。5日後にはパレードと演説が控えており、グリュンバウムは指導を始めるが、ボクシングでヒトラーを殴り倒してしまったりと何やら変な雲行きになっていく。それを見ていたSS大将らはグリュンバウムを排除しようとするが、ゲッベルスは楽しんでいる。 ゲッベルスらは廃墟のベルリンを見せないようにと、軍需相シュペーアの計画した建物カバーとパレードコース、式典を準備する。 次第にヒトラーはグリュンバウムを気に入ってきて、父親からの虐待などの辛い過去を話し始める。息子から臆病ものと言われたグリュンバウムはヒトラーを殴り殺そうと思うが、その手を止める。 グリュンバウムはゲッベルスにザクスハウゼン収容所の解放を求める。しかし、ゲッベルスはそれを拒否し、家族共々収容所に送還する。だが、ヒトラーはグリュンバウムを待ち望んでおり、ゲッベルスは仕方なくグリュンバウムを引き戻す。グリュンバウムは解放された友人からの電話を確認するが、実際は銃に脅されており、解放はされていなかった。 グリュンバウムはヒトラーにベルリンが廃墟になっていることを明かす。だが、ヒトラーは驚くこともなく、グリュンバウムに信頼を寄せるのだった。その姿を見たヒムラーは心配するが、ゲッベルスは想定内だというのだった。実は、演説の際に爆弾を仕掛け、ユダヤ人のせいにしてヒトラー共々抹殺しようというのだ。このことを聞いたシュペーアはヒトラーに密告する。 その晩、ヒトラーは眠れずにそっとグリュンバウムの部屋を訪ねる。驚くグリュンバウム夫妻だが、ヒトラーを間に入れて練るのだった。だが、妻はヒトラーを殺そうと枕を押しつける。ヒトラー一人を殺しても変わらないと、グリュンバウムはそれを止める。 1月1日となり、パレードと演説の準備にはいる。ヒトラーは整髪に行くが、そこで髭を落とされて激怒。そのため声が出なくなってしまう。そこでヒトラーのかわりに陰でグリュンバウムが演説をすることとなる。演題に上ったヒトラーは口ぱくで演技し、台の下でグリュンバウムが原稿を読み上げる。しかし、途中のユダヤ人差別あたりからグリュンバウムは読むのをやめ、ヒトラーの生い立ちや秘密を暴露し始める。グリュンバウムは銃で撃たれて血だらけに。ヒトラーが退席した演題が爆発するのだった。
2009年07月17日
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2008 ロシア 監督:アレクサンダー・フランスケヴィッチ出演者:セルゲイ・ベズラコフ、アレクサンダー・フランスケヴィッチ、パブェウ・デロンク、マグダレーナ・グロスカほか206分(前後編2巻 全4話) カラー VALKYRIEV IYUNE 41-GO/JUNE,1941バトル・ライン~復讐のソ連兵・ナチス壊滅~[後編](DVD) ◆20%OFF! DVD検索「バトル・ライン 復讐のソ連兵」を探す(楽天) 第二次世界大戦のドイツ軍によるソヴィエト侵攻「バルバロッサ作戦」を背景に、国境警備隊のソヴィエト軍士官の対ドイツ軍抗戦とポーランド人女性の悲恋を描いたアクション系ヒューマンドラマ。ロシアのテレビムービーで、全4話で構成されてはいるが、全編を通した一つのストーリーとなっている。 バルバロッサ作戦はドイツによる1941年6月22日のソヴィエト越境に端を発したもので、開戦準備を怠っていたソヴィエト軍に対し、周到に準備されたドイツ軍は圧倒的な兵力と装備で緒戦を勝ち進んでいく。厳しい冬が到来するまでの間、ドイツ軍は白ロシア、ソヴィエトを蹂躙する。本作は明確な地名が出ていなかったようだが、元ポーランド人領地をソヴィエトが占領しており、ダムのある河川堤防の警備隊ということから、1939年にソヴィエトが占領したポーランド西部なのだろう。また、時系列が明瞭ではないが、雪が舞い始める時期までの数ヶ月間を描いているものと思われる。 同じくバルバロッサ緒戦あたりを描いた作品には「ソビエト侵攻 -バルバロッサ作戦1941-(2003露)」「レニングラード攻防戦 (1974,1977ソ)」あたりが有名所。 作品は4話構成となっており、内容の濃さの割にはやや冗長な作りで、見終わった後の印象はどうもしっくりこない。一応中核となるストーリーはソヴィエト軍士官とポーランド人女性との禁断の恋にあると思われるが、そこに開戦、ドイツ軍との戦闘、部下の死、ドイツ軍将校との決闘といったアクションシーンが加えられ、それなりのイベントが盛り込まれてはいる。だが、どうもしっくり来ないのは、禁断の恋がストーリーの展開の中で必ずしもスムーズに入りこんでいないからだと思われる。中途半端な恋愛と同等以上に、全滅していく部下との友情、占領しているドイツ軍将校らとの確執といった側面が強く支配し、いつの間にかテーマ性がぶれてしまっているのだ。4話構成の1話ごとにそれぞれのテーマを強く押し出して完結させていればそうは感じなかっただろうが、ダラダラと続く4話構成はちょっと不完全燃焼。 また、残念だったのは後半になってからの尻すぼみ。徐々に盛り上がってくる期待感を見事に裏切ってくれた。アクションなのか、恋愛なのか、どこに力点を置こうとしているのかわからない。イベント毎の細かい描写はそれなりに充実しているだけに、全体の構成に問題があるのだろう。描写の重点バランスや、シナリオのつなぎ方次第ではもう少し良い作品になったような気がする。 全体的には、アクションなどにかなりハリウッド映画的な要素も感じられるが、ロシア風フォークのような叙情的な音楽や自然風景、ベタベタの心情描写シーンなどはかつてのソヴィエト記録映画的な雰囲気も感じられる。それが先に述べた冗長感を醸し出してははいるので、ロシア的な味と言えば言えなくもない。ただ、テレビムービーだけにエキストラも兵器類もしょぼいのでスケール感はあまり感じられない。戦闘シーンも銃撃戦がメインで、もう少しドイツ軍の圧倒的武力が示されていれば、雰囲気が変わったであろう。 ポーランド人女性ハンナ役は金髪美女。主役のソヴィエト軍士官イワンは国境警備隊所属のハンサム中尉で、肩章が緑色となっている。ロシア映画の主役はお決まりの美男美女なのだ(笑)。このほか戦車隊少佐や空軍兵などの姿も見られる。 このほか、興味深いのは、ドイツ人やポーランド人の描き方。確かに、ドイツ兵は残忍ではあるが、その中にも苦悩や葛藤と言った人間らしさも覗かせている。ポーランド人は領地を奪われたとしてソヴィエト兵を憎んでいる。最終的にはソヴィエト側に協力はするのだが、そう言った意味でロシアも多彩な描き方ができるようになったのだと感銘を受けた。 全般にそこそこの出来で、決してつまらなくないが、まとまりに欠けた印象。歴史的事象としても余り突っ込まれているわけでもなく、アクションも尻すぼみだし、恋愛ものとしても・・・・。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)(第1話) ソヴィエトの駅から国境警備隊中尉のイワン・ブロフが列車に乗ろうとしている。ある歩兵は占い師に死ぬと言われるが、イワンはそれをなぐさめる。そのイワンの姿を見てポーランド人女性のハンナが近寄ろうとするが、イワンはそれを制止する。実は、イワン中尉はポーランド人女性と交際しているという噂によるスパイ容疑で取り調べを受けていたのだ。列車での帰路途中、警官を人質にしたポーランド人レジスタンスの襲撃を受ける。イワンの機転で難を逃れるが、あの歩兵は死亡してしまう。 国境警備隊の基地に戻り、ポーランド人の妻を持つ警備隊の隊長(少佐)はイワンに気を付けるよう忠告するが、イワン中尉はハンナと水車小屋で密会する。ハンナの祖父ベリスキー・ヴォイツェフは領地を奪われハンナの両親を殺害したソヴィエト兵を憎んでおり、交際を認めていなかった。また、部下のリュリャクはイワン中尉がハンナとつきあっているのを知っており、嫌みを言う。彼が密告者でもあったのだ。 水車小屋で密会中に緊急召集がかかる。ドイツ軍が対岸に集結を始めたのだ。堤防で陣を構えるイワンらの前でついにドイツ軍がボートで渡河を始める。機銃で応戦するも多勢に無勢であり、イワン中尉は生き残ったルスタムとミハシ軍曹を連れて退却することに。(第2話) 基地に戻った3人だが、すでにドイツ軍の攻撃で陣地は壊滅していた。新たに堤防に陣を構えたドイツ軍のオットー大尉のもとに、兄のカメラマンギュンターがやってくる。前線の記録映画を作ろうというのだ。3人はドイツ軍の本拠地に接近するが、軍用犬に追いかけられて逃げる。途中で、死亡したドゥダレフ曹長の死体を見かける。陣地についた3人のもとにドイツ軍が接近してくる。死体の間で死んだふりをする3人。カメラマンのギュンターは転がる死体に大喜びして撮影するが、オットー大尉はあまりいい顔をしない。 ルスタムは死んだふりをしながらも、恋心を寄せていた隊長の娘の死体を見て逆上。気が触れたように踊りまくり、ドイツ兵に射殺されてしまう。オットー大尉はほかにも生き残りがいないか確かめさせ、危機一髪のところでイワン中尉とミハシ軍曹はそこから脱出を図る。イワン中尉らはドイツ軍の通信線を切る妨害工作を行い、ドイツ兵から兵器や食料を奪う。しかし、初めて人を殺したミハシは錯乱状態に。イワンはそれをなだめるのだった。 イワン中尉はハンナの所に忍び込むが、祖父ヴォイツェフに見つかってしまい追い返される。その帰路にドイツ兵に見つかり、イワン中尉は捕虜になってしまう。ヴォイツェフは訪ねてきたドイツ軍オットー大尉に土地を返還してくれるものだと信じ込んで、堤防修理の協力に応じる。(第3話) ギュンターは白兵戦のシーンが足りないとして、オットー大尉に頼み込み、ソヴィエト軍捕虜同士を戦わせる。イワン中尉は密告者のリュリャクに殺されそうになっているところに、陰で潜んでいたミハシの銃弾が助ける。その隙にイワン中尉は逃げ出すが、その際にギュンターを刺して殺害する。だが、ミハシをはじめ他のソヴィエト兵は皆殺されてしまう。 怒り狂ったオットー大尉はウルフ上級曹長に命じてイワン中尉を追跡するが、ドゥダレフ曹長の死体をイワン中尉と誤認して戻る。イワン中尉は水車小屋でハンナと再会。ここを離れず、ハンナを誰にも渡さないと強く抱きしめる。 イワン中尉は単身でドイツ軍車列を攻撃。オットー大尉は周辺を捜索させ、イワンの立てた国境碑(墓碑?)を見つけて引き倒す。ハンナは祖父とともにオットー大尉に招待されるが、兄を殺されていらだつオットー大尉はハンナだけを招き入れる。身の危険を感じたハンナだったが、この場はなんとか帰ることが出来る。イワン中尉は寒空の中、死んだミハシの亡霊に出会い、励まされる。(第4話) イワン中尉はダムに潜入して爆破。オットー大尉は視察に来た将軍に堤防の修理を完成させるよう命じられ、イワンの捜索を強化する。イワンは追いつめられて崖から飛び降り、足を怪我する。それをハンナの使用人ヤチカが見つけ、ハンナとともに手当を施す。ハンナは祖父ヴォイツェフにイワンを匿うことをお願いし、祖父もようやくそれを認める。オットー大尉はハンナの村に捜索に来るが、ヴォイツェフらは間一髪のところでイワンを村の外に連れ出す。しかし、ハンナがイワンと通じていることを悟ったオットーはついにイワンを追いつめる。イワンを捕らえたオットーは祖父ヴォイツェフ氏を殺害し、イワンのいる小屋に火をつけさせる。ハンナは兵のなぐさみものとして連行される。燃え尽きた小屋の地下室で難を逃れたイワンはハンナを救出するために、ドイツ軍車両を奪い司令部に潜入し、オットー大尉と対決する。なんとかハンナを助け出したイワンだったが、背中に銃弾を受けており、ハンナの腕の中で息絶えるのだった。
2009年07月13日
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「カティンの森」 お正月公開が決まったようです。アンジェイ・ワイダ監督作品で、ソヴィエトNKVDによるポーランド人将校大量虐殺事件を題材にしています。当初はドイツ軍SSの仕業とされ、連合国の非難を受けた事件ですが、後にソヴィエトの仕業であったことが判明したものです。 何でも、ワイダ監督の父もこの事件で亡くなったそうで、いよいよアンジェイ・ワイダの東側の暗闇を撞く作品の総決算といったところでしょうか。 全国公開だそうですが、ローカル館上映の予感もしますね。なんとか、地方でもやって欲しいところです。 アンジェイ・ワイダ監督の戦争系映画名作地下水道(1957 波)灰とダイヤモンド(1957波)ドイツ降服直後のポーランドを背景とする、ロンドン派の抵抗組織に属した一人の若者の死に至るまでの姿を通じて悲痛な心情と挫折を大胆な映像で描いた”巨匠”傑作!DVD未発売。■灰とダイヤモンド POPIOL I DIAMENT■鷲の指輪 (1992波・英・独・仏)戦場ロマンシリーズ(ドイツ編) 鷲の指輪アンジェイ・ワイダ聖週間 (1995波・独・仏) どれも暗いです・・・(笑)。なかなか入手困難なものも多いですが、時折CSのシネフィルイマジカなんかでやっているようです。
2009年07月01日
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1976 フランス・イタリア 監督:ジョセフ・ロージー出演者:アラン・ドロン、ジャンヌ・モロー、シュザンヌ・フロン、ミシェル・オーモンほか124分 カラー Monsieur Klein[枚数限定][限定版]パリの灯は遠く/アラン・ドロン[DVD] DVD検索「パリの灯は遠く」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のドイツ占領下フランスのパリ。ナチスドイツのユダヤ人差別政策を受け、パリでも行われたユダヤ人強制収容を背景に、フランス人の美術商がユダヤ人に間違われて波乱に巻き込まれていくというサスペンスドラマ。ユダヤ人差別を正面から捉えたものではなく、もし自分が命に関わる人間違いに遭遇したら・・・という恐怖から人種差別の愚かさを改めて実感させるような、シュールで奥深いサスペンスとして高い完成度を誇る。 監督はジョセフ・ロージーで、1950年代にハリウッドのアカ狩りに会い、イギリスに亡命したことでも知られる。重厚な作品が多いとされる監督だが、自らが(思想)差別の憂き目にあっているからだろうか、こうした人種差別的な映画でもおどろおどろしい怨念のようなものを感じさせる。 ストーリー自体は、フランス人の美術商ロベール・クラインが、同姓同名のユダヤ人と間違われることから始まっていく。ユダヤ人のロベール・クラインは姿を現さぬ謎の人物として描かれ、見る側の興味を惹き、様々な想像をかき立てていく効果を生む。一方、フランス人ロベール・クラインは、当初は身の潔白を証明しようとするのだが、次第に謎の男の正体への興味に傾倒しはじめ、最後は自身の身を滅ぼしていく。彼の行動は恐怖心を煽るようでもあり、道化のようでもあり、実に複雑な感想をもたらすのだ。 演出としては、ショッキングなシーンをオブラートに包むこともなく、事も無げにぶつけてくるのが特徴的だ。冒頭のユダヤ人の骨格検査シーンが前ふりとして強いインパクトを与える一方、ラストシーンの結末もまたショッキングだ。後味が悪いといえばそうなのだが、監督に強く突き放されたかのように茫然自失となる自分があった。この年代のサスペンスものには良くありがちなテクニックではあるが、その中でもフランス人ロベール・クラインの目だけがギロギロするしている本作のシーンは印象的だ。 また、非説明的なのも本作の特徴である。謎の人物像をより浮だたせる演出でもあるのだろうが、随所に暗喩的な表現や抽象的表現が盛り込まれ、それらがほとんど会話や言葉で説明されないのだ。視聴者側は様々な想像をかき立てることとなり、必然的に謎解きを堪能することとなる。ただし、その謎が全てすっきりと解消されるわけではないので、若干の消化不良感は残るが(笑)。 全般に、非常に良く練られた脚本と、サスペンスフルなストーリー展開はさすが異色監督ジョセフ・ロージーだと唸らされる。だが、先にも述べたように説明不足の映画のため、かなり難解な部類の映画であることは間違いない。加えて、登場人物が極めて限定的であることや、セットが大人しめで単調な映像が続くため、途中で中ダレする感も否めない。 そう言う意味で、すっきりと楽しめるかというと若干疑問で、もう少し映像的な膨らみが欲しかったかな、と言う点でやや評価が低めとなった。 なお、主役はアラン・ドロンで渋いフランス男を演じている。どう見てもユダヤ人には見えないのだが、フランス人の高慢さも見え隠れし、ユダヤ人との対比という点でもなかなか興味深いものがある。興奮度★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年ドイツ占領下のパリ。フランス人美術商ロベール・クラインは美女ジャニーヌを囲い、優雅な生活を送っている。一方、町ではユダヤ人選別のための骨格検査が行われている。 ロベールのもとにユダヤ人が絵を売りに来る。著名な作家の作品だが、ロベールはそれを安く買いたたく。彼を見送り玄関に出るとそこにユダヤ人新聞が届けられていた。フランス人のロベールは間違いではないかと新聞社に行くと、新聞社では予約がされていると答える。誰かが、ロベールの名で予約を入れたのだ。ユダヤ人リストは警察にあるというので、ロベールはその足で警察署に行き、課長に確認を取ると同姓同名のユダヤ人がいるらしいことがわかる。 聞き出した住所のアパートに向かうと、そこは空き部屋となっており、管理人が警察の事情聴取を受けていた。どうやらユダヤ人のロベールは警察にも追われているらしい。その部屋でロベールは写真を見つけ、現像にまわす。写真には女と犬の姿が映っていた。 家に戻ったロベールだが、家には警察が事情聴取に訪れていた。人違いだと説明するが、どうも釈然としない。さらに、見知らぬフローランスという女性から手紙が届き、イブリ・ラバターユに来てくれとあった。ロベールはそこに向かうと、迎えがあり大きな屋敷に通される。そこで人違いだと言うことが判明するが、ユダヤ人のロベールが何者なのか、何故迷惑をかけるのかは判然としない。 ロベールは弁護士のピエールの勧めで両祖父母までの出生証明書を取り寄せることにする。母方のほうはアルジェリアですぐには書類が届かない。父方の方はルイ14世からフランス人だと言うが、ユダヤ系の存在に父は口ごもる。 ロベールは謎のユダヤ人の行方を追おうとするが、イブリ・ラバターユの屋敷はもぬけの空になっていた。例のアパートを再度訪れたロベールに電話がかかってくる。イザベルという女でユダヤ人の知り合いらしい。ロベールはその女の行方を追うことにし、娼婦街の聞き込みで爆薬工場に勤めていることが解る。しかし、そこでも何かを隠している女によって写真を破られて捜査は頓挫する。 フランス警察はロベールの家宅捜索と財産を押収する。勝手に移動することも禁じられ、ロベールは新聞を買いに出ると、写真に写っていた犬がついてくる。ロベールは犬を飼い始めるが、ジャニーヌは家を出て行ってしまう。さらに、ユダヤ人?らが爆薬を積んでゲシュタポに突っ込む事件が発生し、ユダヤ人に間違えられたロベールの身が危険になってきた。 そこで、弁護士の手配でド・ギーニに化け、マルセイユ経由で海外逃亡を図ることに。しかし、列車に乗り合わせた女性こそが写真の女だった。女はユダヤ人ロベールとアパートの管理人が出来ていることを話し、ロベールは列車を降りアパートに向かう。ユダヤ人ロベールはずっとアパートにいたのだ。しかし、危険だと感じた弁護士ピエールが警察に連絡し、先にユダヤ人ロベールが逮捕される。 さらに、ロベール自身も誤認逮捕でユダヤ人らと一緒にゲットーに輸送されていく。途中で、新聞売りに弁護士に連絡を取るように頼み、弁護士ピエールは証明書を持って助けに来る。だが、その時、ロベールはロベール・クラインの名に手を挙げるユダヤ人の後ろ姿を発見。弁護士の救出を後回しにしてその後を追いかけていってしまう。姿を見失ったロベールはいつの間にか強制収容所行きの貨車の中に詰め込まれてしまっていたのだった。
2009年06月30日
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1975 イギリス 監督:スチュアート・クーパー出演者: ブライアン・スタイナー、デイヴィッド・ハリーズ、ニコラス・ボール、ジェリー・ニーサムほか83分 モノクロ OVER LORD 第二次世界大戦における欧州戦線最大の山場、ノルマンディ上陸作戦(オーバーロード作戦、D-Day)を題材に、無名の青年兵士の儚い姿を描いたセミドキュメンタリー。内容は一応ドラマ仕立てにはなっているのだが、作品の半分ほどは実写記録フィルムとなっており、架空の青年兵士像を通して、ノルマンディ上陸作戦、そして無名兵たちの実態を描こうとしたもののようだ。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞している。 ストーリーは、イギリスの青年トーマスが徴兵され、厳しい新兵訓練を経て、ノルマンディ上陸作戦に参加するというもので、世間知らずの青年が次第に軍の非人道的な扱いに諦め、死に麻痺していく様子を描いている。だが、セミドキュメンタリーということで、ストーリー性自体はやや浅く、映画としてはさして面白いという部類ではない。加えて、兵士トーマスの回想、夢想シーンが度々挿入され、現実の出来事なのか、夢の中なのかがわからなくなり混乱することも多い。無名の一兵士が儚く命を落としていく過程により、戦争のむごたらしさや無意味さを説く要素もあることはあるが、全般的には余り心に響いてこない。 何と言っても、本作の素晴らしさは実写記録部分にあると言っても良いだろう。本作の半分近くがIMPERIAL WAR MUSEUMなどのアーカイブから選び抜かれたノルマンディ上陸作戦絡みの記録映像となっており、制作にあたり4年間もの期間をフィルムチェックに費やしたのだそうだ。中には見たことのあるような有名な映像もあるが、大部分は貴重な発掘フィルムと言っても良いだろう。現在ではヒストリーチャンネルなどのドキュメンタリー制作番組で観ることもできるが、当時としては非常にレアで画期的な映像だったと思われる。言わば、解説のないヒストリーチャンネルのようなものか。 登場人物は主人公の二等兵トーマスとその戦友ジャック、アーサーの3名を中心にまわっているが、演技らしい演技は要求されていないようだ。棒読みのようなセリフと固い顔の表情ばかりで、演技を期待するタイプの映画ではない。ラブシーンもあり、ジェリー・ニーサムのヌードシーンだけが華か(笑)。 さて、本作の目玉である記録映像に登場する兵器類について記しておく。航空機ではスピットファイア戦闘機、アブロ・ランカスター爆撃機(KM-B)、ダグラスA-20ハボック爆撃機、B-25ミッチェル爆撃機に曳航されるホーサ輸送グライダーが見える。いずれも飛行シーンが映されているが、ほかに機内映像による戦闘機の地上や船舶銃撃シーン、爆撃機の爆弾投下シーンも多く挿入されている。地上すれすれを飛ぶ戦闘機の映像や、機関車を銃撃するシーン、地上で次々に爆発する爆撃シーンはリアルを通り越して恐ろしいほどだ。このほか、ドイツ機シュトルヒからと思われる占領直後のパリ上空からの映像や、英軍機に撃墜されるフォッケウルフFw-190戦闘機の映像もある。 地上兵器類ではシュノーケルをつけたM4シャーマン戦車、M.k.IVチャーチル戦車、ブレンガンキャリアー、DUKW353水陸両用トラックをはじめ多くのソフトスキンが登場する。野砲等の姿も多い。中でも興味深いのはノルマンディー上陸作戦に向けて開発された特殊兵器の映像が多数入っていることだ。映像は実戦時のものではなく、イギリス海岸での実験映像のようだが、シャーマン戦車ベースのシャーマン・クラブII地雷処理戦車(先端のチェーンを回転させて地雷を爆発させる)、チャーチル戦車ベースのチャーチルAVREカーペットレイヤー(カーペットを敷いて軟弱地盤や有刺鉄線を超える)、自走爆雷パンジャンドラム(ロケット噴射で自走して爆発する)、英仏海峡間に油送パイプを敷設するプレート・システムのコナンドラム、マルベリー人工港の浮遊式桟橋の映像がレアだ。特に実戦には使えなかったパンジャンドラムの失敗映像が面白い。 海上兵器類も多数登場し、英米軍の輸送船や上陸用舟艇の姿が見える。中でも輸送船から投げ落とされる?LCTの姿が圧巻だ。 ストーリーはどうでも良いレベルだが、イギリスの保有するオーバーロード作戦記録という貴重な映像を堪能できた。ただ、そのほとんどが事前の訓練風景もしくは作戦後の比較的落ち着いた時点での上陸風景なので、迫力という点ではどうしても劣ってしまうのが残念なところだが。そのあたりはドラマ部分として派手な戦闘シーンで補って欲しかったかな。シャーマン・クラブII地雷処理戦車 チャーチルAVREカーペットレイヤー パンジャンドラムコナンドラム興奮度★★★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イギリスの20歳の青年トーマス・ベダーズが陸軍に召集される。トーマスは召集にあたり、まるでキャンプに行くかのように両親と別れを告げ、列車に乗る。ロンドンではドイツ軍の激しい空襲により酷い惨状となっていいた。 トーマスは途中で列車に乗り遅れ、新兵訓練キャンプに遅れて到着する。新兵訓練キャンプで頭を刈られ、注射に失神し、新しい軍服を着せられると徐々に兵隊の厳しさがわかってくる。もとから運動神経の良くないトーマスは行進で絞られ、池や穴に落ち、上官から厳しく叱責を受け、人間的な扱いがなされないことに嫌気が差し始める。戦友にはアーサーやジャックがおり、訓練の休暇には映画を見たりと束の間の楽しみに興じる。だが、トーマスは自分がドイツとの戦いで戦死するシーンを夢想し、未来への希望を失うのだった。 いよいよ戦局はノルマンディ上陸作戦に近づき、トーマスらも上陸戦の訓練に入る。イギリス軍は新兵器の実験を試みている。そんな中、トーマスとジャックらはダンスホールに出かける。そこでトーマスは一人の女性と出会い恋に落ちるのだった。だが、女性と会う機会もなく次の場所に移動させられる。21歳の誕生日にはトーマスは遺言状を書き、髪の毛を入れて両親に送る。軍は手紙や写真などを焼却するよう命じる。 いよいよ上陸作戦が始まり、ノルマンディ海岸近くでトーマスらは上陸用舟艇に乗り移る。極度の緊張にジャックやアーサーらと会話を交わし緊張をほぐすが、トーマスはダンスホールで出会った女性と結ばれることを夢想する。 そして敵の銃弾がトーマスの頭をあえなく撃ち抜くのだった。
2009年06月25日
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2009 東映 監督:木村大作出演者: 浅野忠信、香川照之、松田龍平、宮崎あおい、仲村トオル、役所広司ほか139分 カラー 明治40年、国防のため日本地図を完成させるべく前人未到の地「立山剱岳」登頂を果たした、日本陸軍参謀本部陸地測量部測量手柴崎芳太郎を中心としたドラマ。原作は新田次郎の同名作で、監督は「八甲田山」で撮影監督を務めたカメラマン木村大作。本作は原作に沿って、ドキュメンタリー風ヒューマンドラマに仕上げられている。 剱岳は富山県に所在する標高2999mの山で、日本でも最も険しい山とされる。立山信仰の立山曼荼羅では針の山と称され、血の池地獄や餓鬼の田んぼと並んで立山地獄界を構成する。初登頂の際に山頂で発見された錫杖は「銅錫杖頭 附鉄剣」として国の重要文化財にも指定されており、すでに古代修験者によって登頂されていたことが判明した。陸軍陸地測量部の剱岳登頂は測量三角点の設置を目指したものだが、「点の記」として記録される三等三角点は設置できず、四等三角点を設置している。測量にあたり大山村出身の宇治長次郎をガイドとし、立山温泉を起点とした。その立山温泉は国指定重要文化財となった立山カルデラ内の白岩砂防ダムの上流にあり、現在は立ち入りできずタイルや浴槽などの残骸が残っているだけである。 さて、本作は「八甲田山」「聖職の碑」に次ぐ雪山三部作とでもいうべき作品で、前二作は雪山の厳しさを衝撃的、感動的に表現した名作だ。特に「八甲田山」で見せた自然の厳しさの映像は世界トップレベルといっても過言ではないだろう。それだけに映像の美しさやスケール感、大自然の脅威と畏敬の念がどう表現されるのかが興味深く、、そのカメラマン木村大作監督ともなればいやがおうにも期待は高まった。 結論から言えば、本作の映像に関しては及第点。美しくも険しい立山連峰の映像は素晴らしいし、何よりも映画でここまでの撮影ができたことは賞讃に価するだろう。剱岳をはじめとする各山頂の登頂シーンはもとより、雪渓や痩せ尾根の歩行、雪崩、落石シーンは命を張った緊迫感が伝わってくる。特に雪庇上を歩行するシーンは手に汗握った。また、山岳シーンでの雲の早い動きも素晴らしい。高山では天候の急変はつきものだが、まるで早回しのように素早く流れる雲の動きにはいつも驚かされる。 撮影は大部分が富山県内で行われたようだ。当然剱岳をはじめ立山連峰での撮影が主体だが、立山温泉セットは富山市内にある国重要文化財旧浮田家住宅で行われ、明治時代の市内電車など東京の様子は愛知県の明治村とのこと。驚いたのは田園部から立山を望むシーンで、現在の家や鉄塔などが全く映っていないのだ。今日現代構造物が映らない撮影ポイントはなかなかないはずなので、良く探し出したものだと感心する。 だが、残念ながら映画全体のストーリー性や完成度から言うとやや残念な結果となった。期待外れだったのは登場人物から伝わってくる情熱や感動がやや薄いことで、その理由の一つとしてストーリー上の起承転結がなく平坦な内容になってしまっていることがあげられる。三角点設置に臨む陸軍の意気込み、山岳会との登頂競争、地元ガイドの確執など、盛り上がるべき要点は描かれてはいるが、非常に淡泊なのだ。ここから得られるインパクトが薄いために台詞や行動からなかなか心情の起伏が伝わってこないのだ。 もう一つは役者の表情のアップシーンが少なかったことだろう。山岳自然映像に力点が置かれすぎたのか、人物描写がおろそかになっている感じがした。どれも画一的なアングルと引き具合で、登場人物の表情から苦しさ、楽しさ、嬉しさの表現がなかなか伝わってこないのだ。主人公柴崎役の浅野忠信が非常に淡泊で感情のない人間に見えてしまったのはマイナス要因だろう。ガイド長次郎役の香川照之にしてもあまり片田舎の人間に見えず都会的な臭いがしたのは私だけだろうか。 また、余談だがちょっと富山弁に違和感が・・・(笑)。日頃から富山弁を聞いている身からすると、すごくとってつけたような台詞に聞こえてシリアス感が阻害されてしまった。他県人ならあまり気にならないところだろうが(笑)。 全般にコンパクトにまとめてきたが、やはりインパクト不足の感は否めなかった。確かに山岳映像は美しかったが、映画はストーリーあっての映像なのだと改めて感じた。ストーリーの強弱や登場人物の心情描写がしっかりと色づけされていれば、きっと立山連峰の映像がもっと生きてきたであろう。天下の剣といえども八甲田の山は超えられなかったか・・・・。興奮度★★★★沈痛度★★爽快度★★★★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 明治39年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎は、参謀本部の大久保少将、矢口中佐、玉井大尉らに呼び出され、日本地図最後の空白点である前人未到の山「剱岳」の三等三角点設置を命じられる。ロシア軍などの列強の脅威から国を守るためと大義を掲げてはいるが、折から西洋登山術を取り入れた日本山岳会会員小島烏水らの剱岳登頂計画を知り、軍の威信をかけて初登頂を目指そうというものだった。すでに、数年前に引退した先輩古田盛作がチャレンジしたものの、登山口すら見つけられずに失敗していた。 無謀な計画だったが、柴崎は断ることもできず、古田から地元ガイド宇治長次郎を紹介され、立山へ視察に向かう。新婚の柴崎は妻葉津よを残して富山駅に降りたつ。ガイドの大山村出身の長次郎は駅まで迎えにきており、長次郎の家に投宿する。長次郎の描いた山の絵、そして長次郎の勘を頼りに剣岳周辺から登山口を探す。だが結局ルートを見つけることができず、根雪となる天候の悪化のために視察を中止する。その際に修行中だった行者を岩殿から救って帰る。行者は剣岳登山のルートについて「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」と言い伝えがあると教えてくれる。 いったん帰京した柴崎の報告に矢口中佐ら陸軍参謀本部は怒る。なんとしても日本山岳会よりも先に初登頂せよとの厳命に、玉井大尉は同情を示しつつも柴崎に初登頂を託す。 翌明治40年早春、柴崎は測量部の測士木山竹吉、助手の生田信を伴って再び富山入りする。剱岳登頂には麓の芦峅寺集落のガイドが適していたが、立山信仰の村では剣岳登頂はタブー視されていたため、測量機材の提供は受けられたものの、ガイドは宇治長次郎ほか大山村の宮本金作、岩本鶴次郎、山口久右衛門らが徴用された。宇治長次郎もこのガイドをすることで芦峅寺集落との関係が悪化するうえ、芦峅寺集落で働く息子とも険悪な関係になっていた。 柴崎は測点観察に取り掛かり、27カ所の観測点を設置し始める。手間のかかる仕事にガイドらは不満を漏らすが、柴崎はこれが測量部の仕事だと地道に行っていく。一方若い生田は早く剱岳登頂を目指そうと焦るのだった。柴崎らが測量を行っているうちに、日本山岳会の小島烏水、岡野金次郎、林雄一、吉田清三郎らも富山入りする。剱岳登頂を行わない柴崎らを横目に小島らは剱岳登頂のルート探しにいそしむ。 そんな中、生田は剱岳登頂ルートの開拓を焦り、岩場を滑落して大けがを負う。いったん立山温泉に戻った柴崎らは先に降りて石標を製作していた木山と合流する。なかなか剱岳登山への道筋がわからず、初登頂競争を余儀なくされる柴崎は妻や古谷苦悩を手紙する。妻は夫を信じ、古田は測量をやることが仕事だと励ます。 池ノ平山、雄山、奥大日岳、剣御前、別山などに三角点を設置し、生田も復帰し、いよいよ剱岳登頂を目指すことになる。日本山岳会の小島らはいまだ登頂ルートを探し出せずにいたが、次第に遊び半分の自分たちと違って測量をしながら登頂を目指す柴崎らに敬意を示し始める。 「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」の言葉をヒントに万年雪の雪渓から登るルートを発見する。雪崩など非常に危険なルートだが、ほんの僅かな時期だけ登るチャンスがあるのだ。柴崎、木山、生田、宇治長次郎ら数人のガイドとともについに山頂付近に達する。最初の一歩を記すことを固辞する長次郎に、柴崎はあなたがいなければ登頂できなかったとして長次郎が先頭で剱岳山頂に達する。石標を持っては無理だったため、石標のない四等三角点だったがついに三角点を剱岳に設置することができた。だが、山頂では古代の修験者による銅錫杖頭と鉄剣が見つかった。剱岳はすでに古代に修験者によって登頂されていたのだ。富山日報記者は初登頂ではなかったことを新聞に書きたて、参謀本部では初登頂でなかったことにひどく失望する。だが、玉井大尉だけは柴崎の功績を讃えるのだった。 それでも柴崎らは黙々と測量を続ける。別の観測点から剱岳山頂を望むと、そこには剱岳登頂に成功した小島らの姿があった。彼らは手旗信号で柴崎らの初登頂と偉業を讃える。柴崎らは小島らにも登頂の祝辞を送り、両者の間に厚い友情が生まれたのだった。
2009年06月18日
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先日、富山で先行上映している「剱岳 点の記」を見てきました。 新田次郎の冬山三部作ということで、「八甲田山」「聖職の碑」といった名作に引き続き大変期待をしておりました。富山が舞台と言うのもなおさらです。 監督は八甲田山のあの厳しい雪山の映像を撮った木村大作。いやがおうにも期待は高まるばかりです。 で、結果は・・・。 うーん、そこそこでした(汗)。 確かに立山連峰の厳しい山岳を舞台に素晴らしい映像と、危険覚悟のロケは感嘆ものです。さすが名カメラマンだけあります。 でも、内容的には起承転結、盛り上がりに欠けるきらいが。もう少し攻めても良かったんじゃないかなあという印象。富山弁もなんかちょっと変だったし(笑)。 天下の剣も八甲田の山は超えられなかったか・・・ 詳しくは後日。
2009年06月16日
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2009 東宝 監督:篠原哲雄出演者:玉木宏、北川景子、堂珍嘉邦、吉田栄作、平岡祐太ほか119分 カラー 第二次世界大戦末期、日本海軍の潜水艦艦長と米海軍の駆逐艦艦長の死闘を描いたアクション系ヒューマンドラマ。いわゆる潜水艦映画としてのアクション性も高く見ごたえがあるが、両艦乗員の人間性を描いたヒューマンドラマとしても成り立っている。「ローレライ」「亡国のイージス」原作の福井晴敏が監修を手がけ、従来の日本戦争映画とは一線を画した両国側からのフラットな視点を目指したのだという。 本作は池上司の小説「雷撃深度一九・五」を原作としており、これは実在したイー58潜水艦と艦長橋本以行中佐をモデルとしている。橋本中佐のイー58潜水艦は原爆をB-29基地に運搬した巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したことでも知られ、人道的な橋本中佐の人となりは幾多の書籍として出版されている。本作では、イー77潜水艦の倉本艦長として登場し、敵は米駆逐艦「パーシバル」に姿を変え、ストーリーもフィクションとなっている。それだけに内容は結構シリアス調で、これまでの「ローレライ」などのお子様的映画に比して雰囲気が大人だ。とはいえ、後に述べるように完全にシリアス調にはなりきれず、ファンタジー的な軽さも残っているのだが。 内容では、劣勢に立たされた日本海軍潜水艦の艦長が米駆逐艦と巧みに駆け引きして死闘を繰り広げるシーンが一つの見どころだろう。既に兵器類の遺存していない日本においてリアルな映像を撮ることは困難だが、本作では米軍の退役駆逐艦DE-766スレーター(キャノン型護衛駆逐艦)の撮影を活用してリアルな映像を再現している。また、航行シーンではメキシコ海軍のD-111マヌエル・アズエタ(元米エドサル型護衛駆逐艦DE-250ハースト)が利用されたそうだ。さすがに潜水艦はCGで誤魔化しているが、出来は悪くない。内部のセットも「Uボート」には及ばないものの比較的良くできており、これまでの潜水艦系邦画とは一線を画する。爆雷シーンや浸水シーンなど戦闘シーンは手に汗握る絶妙な描写だが、発令のタイミングや間の取り方が悪かったり、爆雷CG映像がちょっとしょぼかったり、潜航停止中にやたら物音立ててたりと、何箇所かリアリティに欠けるシーンがあったのが残念。たかがその程度なのだが、やはり戦争モノとしてはこの小さな非リアリティが全体のバランスに大きく影響してしまう。 また、長期間狭い艦内で寝食を供にする乗員の人間模様と艦長の人間性も本作の大きな見どころとなっている。イー77は艦上の砲塔を撤去し人間魚雷「回天」を搭載しているのだが、橋本艦長は回天をできるだけ使用しないようにしたことでも知られ、本作の倉本艦長も史実通り死に急ぐ回天搭乗員の命を救っていく。軍人と言えば常に勇猛果敢に戦う姿が思い浮かぶが、軍人といえども人の子であり、優しさや普通の感情も持っている。本作ではそうした日本軍に限らず米海軍艦長など様々な乗員の感情を扱っている。 本作のキーとなるのは、倉本艦長の孫娘が戦争で殺し合う敵同士なのに楽譜が守られてきた疑問を問うシーンで、老人となった旧乗員が「みな一生懸命だった」と言う台詞だろう。戦場の兵士にとって戦う意義や理由など関係なく、自身が生きるため、仲間とともに生きるため、ただただ一生懸命でなければならないのだ。本作における登場人物の行動は全てそれに尽きる。 ただ、このヒューマンドラマ部分についてはやや違和感もあった。それは描かれる人物感情の割にはあまり心に響いてこなかったところだ。確かに涙腺の緩くなるようなシーンもあったことは確かだが、全般に軽々しいのだ。その理由として台詞に問題もあるだろうが、一番は役者の演技だと思われる。主演の玉木宏の演技が全体の中では浮きすぎている。顔立ちが格好良すぎるのもあるが、軍人らしさや感情の表現が浅い感じがする。反面機関長役の吉田栄作が渋すぎて男気出しすぎだし、炊事長役の芸人も現代風すぎ。余り重い映画にしたくないという意図もあるのだろうが、全体にアンバランスになってしまい、シリアス性が阻害されファンタジー的な匂いがした。 なお、最近の流行りなのか、本篇の前後に現代シーンが挿入されるが、本作ではそれなりの伏線として一応は機能している。まあ、なくても良かったレベルだが。 兵器類では前述の米駆逐艦が実写で、さすがにリアルな映像となっている。日本海軍の潜水艦は当然内部のみのセットだが、イー77のほかイー81が登場し、発令所セットは各々微妙に異なっているという凝りようだ。また、戦史考証はしっかりしているようで、特に潜水艦での食い物に関して力が入っているようだ(笑)。曜日感覚を取り戻すための金曜カレーはもとより、ビタミン剤、おにぎり、サイダーなどが登場する。 全体としてはベタベタの恋愛も強引な感動描写もなく、スマートな出来と言えよう。だが、ヒューマンドラマ部分もアクション部分もスマートすぎてインパクトに欠けた。良い作品ではあるのだけれども、内容的には薄っぺらく物足りない印象なのだ。もう一歩どこかで踏み込んでも良かったかなあ。興奮度★★★沈痛度★★爽快度★★★★感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 現代・・・女教師の倉本いずみが古ぼけた楽譜を手に老人を訪ねる。楽譜は亡くなったマイク・スチュワート艦長の遺品で、孫が日本の遺族会あてに送り、潜水艦艦長だった倉本艦長の孫であるいずみのもとに届いたのだ。老人は倉本艦長のイー77潜水艦の水雷員だった鈴木一水で、楽譜が何故アメリカ兵のもとにあったのか疑問を問ういずみに対し、「私たちはみな一生懸命だった」と答える。 1945年8月の戦争末期、倉本艦長のイー 77潜水艦は沖縄南東海域で、アメリカ軍輸送船団の撃破を任務としていた。日本海軍は5隻の潜水艦が5重の網をかけ敵輸送船団を待ち受けていたが、アメリカ海軍の対潜駆逐艦によって次々に撃破されていく。イー77の前方海域には倉本少佐の友人有沢少佐のイー81潜水艦が任務に就いていた。有沢の妹志津子は倉本に恋しており、出撃前にお守りとして一枚の楽譜を渡していた。それは真夏のオリオンという曲で「オリオンよ、愛する人を導け」とイタリア語でメッセージが添えられていた。有沢は倉本に絶対生き残れと言って出撃したのだった。 米駆逐艦「パーシバル」は弟を回天攻撃によって失った凄腕のマイク・スチュワートが艦長をしており、有沢のイー81は爆雷によって大破着底させられてしまう。次に待ち構えていた倉本のイー77は見事敵輸送船を2隻撃沈しパーシバルの攻撃から離脱することに成功する。 倉本少佐の艦では航海長の中津大尉、水雷長の田村特務大尉、機関長の桑田特務機関大尉、烹炊長秋山ら歴戦の仲間が倉本を支えており、新兵は軍医長の坪田中尉、水雷員の鈴木一水らだけだった。鈴木一水は次第に家族的な潜水艦搭乗員の姿に触れ、倉田艦長の自由奔放で柔軟な戦術眼を知っていく。また、イー77には人間魚雷回天が4基搭載されており、遠山少尉ほか3名の特攻隊員も搭乗していた。 倉本少佐は航海長らの反対を押し切って、イー81が消息を絶った海域に向かう。そこで金属音のモールス信号を捕える。着底した有沢からのメッセージだった。危険を顧みず倉本は有沢を励ますが、駆逐艦パーシバルも感ずいて接近してくる。有沢は倉本に妹を頼むと残して爆雷攻撃で撃沈する。 倉本はエンジンを停止し海中に潜む。パーシバルのマイク艦長も倉本の行動を読み、3昼夜を超える我慢比べとなる。酸素が尽きた潜水艦では血気盛んな回天搭乗員をなだめ、倉本は回天の圧縮酸素を艦内に注入する。これで回天の出撃はできなくなったが、その理由を倉本は「(搭乗員の命が)もったいない」からと言うのだった。 いよいよ倉本は攻撃を決意する。パーシバルが左旋回することを読んだ倉本は爆雷回避後に浮上して魚雷攻撃を仕掛ける。だが、1番魚雷発射管が故障し、敵艦に向かった魚雷もマイク・スチュワートの機転で回避されてしまう。再びパーシバルの爆雷攻撃を受けたイー77は搭載した回天が1基が駆逐艦艦底に接触して大破し200mの海底に着底してしまう。安全深度をはるかに超え、機関や排水弁などが破損した状況で修理を急ぐ。1本だけ残った魚雷と2基の回天しか攻撃手段はない。しかも、魚雷整備の最中に水雷員の森が下敷きになって死亡する。倉本にとって初めての部下の戦死だった。倉本は森の遺体を楽譜を入れた瓶やゴミとともに放出し撃沈の偽装をする。だがマイク艦長はそれを偽装と見抜き、楽譜の真夏のオリオンを眺め、日本兵も人間だと悟る。それでも戦わねばならないマイク艦長は本隊の命令を無視し、イー77との対決に熱意を燃やす。 倉本少佐は最後の決戦を決意する。鈴木一水にハーモニカで楽譜の「真夏のオリオン」を演奏させる。その音を聞いたパーシバルはイー77の位置を確認する。それとともに倉本少佐は2基の回天を無人で発射させる。2基のエンジン音を聞いたパーシバルはその後を追っていく。倉本は最後の圧縮空気を放出して浮上し、最後の魚雷でパーシバルの艦尾に命中させる。パーシバルは撃沈はしなかったが大破した。イー77は攻撃兵器をすべて失い、倉本は駆逐艦パーシバルの横に浮上する。パーシバルは砲撃戦の用意を始めるが、マイク艦長はイー77の総員退艦を待つよう命じる。その時パーシバル上で歓声がわきあがる。終戦となったのだ。回天搭乗員の遠山は倉本に銃を突きつけて攻撃続行を要求する。だが、倉本の説得によって銃を下ろすのだった。 鈴木老人の話を聞き、いずみは帰っていく。その後ろ姿に鈴木のハーモニカの真夏のオリオンの音色が響くのだった。
2009年06月14日
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早速「真夏のオリオン」観てきました。隣で「剣岳点の記」が凄い行列で驚きましたが、こちらはすいてました(笑)。 本作はあのイー57の橋本艦長をモデルにした架空戦記物なんですが、「ローレライ」のようなふざけた感じではなく、一応シリアスを目指して作ったのだそう・・・。 詳しいレビューは後日にしますが、出来具合は★4つかな。今までの日本映画にはないシリアス風というのは確かですし、潜水艦内部の描写は「Uボート」なんかには遥か及ばないものの、まあ頑張っているほう。ベタベタの恋愛も強引な感動描写もなく、スマートな出来と言ったら良いでしょう。戦闘シーンも結構多いし、米駆逐艦艦長との駆け引きはなかなか面白かったです。実写の米駆逐艦もあったし、CGも悪くない。 ただ、主役の玉木宏と機関長の吉田栄作・・・・。ちょっと格好良すぎるんですよねえ。その分シリアス感が阻害されました。男気感はたっぷりなんですが、なんかちょっと違う・・・。現代風スマートすぎる男気なんですよねえ。女受けはするかもしれないけど・・・。 あと、なんか台詞が平べったいんですよねえ。日本語だからなのか、役者のせいなんか、とってつけたような雰囲気は重みが感じられなかったです。登場人物の心理描写の深みももう一歩というところでしょうか。 ところで、グッズ売り場で登場するイー77潜水艦と米駆逐艦の1/700スケールモデルの模型を売っていました。 これと同じものなのかな?PIT-ROAD 【海軍・プラモデル】 ピットロード 1/700 【真夏のオリオン】1/700 PZ06「1/700 WWII 米国海軍 護衛駆逐艦 DE-766 パーシバル」ピットロード 1/700 真夏のオリオン 日本海軍潜水艦 イー77 塗装済み完成品(U7773)ピットロード 1/700 真夏のオリオン 米海軍駆逐艦 DE-766 パーシバル 塗装済み完成品(U7772) グッズ売り場では完成品の潜水艦が1100円位、駆逐艦が1300円ぐらいだったような気が・・・ 1/350スケールもあるようですね。真夏のオリオン レジン製塗装済み完成品 1/350 日本海軍潜水艦 イ-77[ピットロード]《発売済・取り寄せ品》真夏のオリオン プラモデル 1/350 米海軍駆逐艦 DE-766 パーシバル[ピットロード]《発売済・取り寄せ品》
2009年06月13日
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1969 アメリカ 監督:シドニー・ポラック出演者:バート・ランカスター、ピーター・フォーク、ジャン・ピエール・オーモン、アストレッド・ヒーレンほか105分 カラー CASTLE KEEP DVD検索「大反撃」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のベルギーを舞台に、ドイツ軍の攻勢を古城に立て籠もって防戦する8名のアメリカ兵を描いたアクション系ヒューマンドラマ。ヒューマンドラマとは言うものの、実はかなりカルト的で、「キャッチ22(1970)」、「ジョン・レノンの僕の戦争(1967)」にも似たブラックコメディとも、なんちゃってシリアスとも言えるような微妙な作風。 時期的には、バストゥーニュの森の戦い(1944.12)前後のようで、いわゆるアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)のドイツ軍反攻が描かれている。アメリカ軍敗残兵で溢れる町はサンクロワと呼ばれており、籠城する城はフランス国境近くのベルギーにある10世紀頃の古城という設定になっている。 冒頭から宗教がかったような叙情的な出だしで、登場人物は職業軍人、作家志望、牧師見習い、美術史家、音楽演奏家、フォルクスワーゲンマニアなど、それぞれが個々の哲学を持った変人の集まりだ。ストーリー展開や、映像には隠喩的な場面も多く、真面目にストーリーを追うと、訳がわからなくなってくる。厭戦的・好戦的、強欲的・禁欲的、理想的・功利的など様々な対比された人間模様が描かれているのだが、それが行こうとしている方向性はなかなか理解しづらい。正直、私は??だった箇所が多いのだが、監督一流の厭戦や人間の不条理メッセージだったのだろうと理解している。 では、全編メッセージ性ばかりなのかというとそうでもなく、終盤は信じられないくらい激しい戦闘シーンに転換する。それまでの隠喩的な表現は何だったのか、と唖然とする視聴者(私)を無視して(笑)、ドンドンバリバリと機関銃、戦車、バズーカ砲、迫撃砲が撃ちまくられる。使用した火薬量はかなりの量と想定され、城のセットは見事に破壊されていく。戦闘シーンのリアル性はややチープだが、激しさだけは一流だ。その激しい戦闘の中に死を見いだしていくアメリカ兵に、監督は厭世的メッセージ性を込めているようにも見える(成功しているようには思えないが・・・)。衝撃度も高く、そう言う意味で「戦争のはらわた (cross of iron)(1977)」に通じる部分もあるように思えるが、いささか叙情と技巧に走りすぎた嫌いもある。 ロケはユーゴスラビアで、この当時はチトー大統領のもと外国資本の映画ロケ地の提供が良く行われていたようだ。それだけに、登場する兵器類はユーゴスラビア軍のものが使用されている。ドイツ軍戦車に化けているのは、砲身先にマズルブレーキが取り付けられたソヴィエト製T34-85戦車で、もちろん稼働して射撃も行っている。何台かは娼婦たちにモトロフの火炎瓶を投げつけられて炎上してしまうけど。 また、ドイツ軍航空機として上翼単葉の一見シュトルヒ風の飛行機が登場する。いつの間にか設置してある城上の機関銃で撃墜してしまうのだが、ユーゴスラビアオリジナルだろうか、水平尾翼の形状が長方形でシュトルヒとはちょっと異なる。あと、フォルクスワーゲンが水に沈まないシーンも余興で面白い。何故かハシゴ消防車まで登場するが・・・(笑)。 防御舞台となる古城はセットで、激しい爆破シーンで破壊されていくが、やはりセットだけに古城としてはややチープ感が漂う。とってつけたような庭や彫刻が・・・・笑える。 主人公のアメリカ兵8名は補充兵という位置づけらしく、階級も所属もバラバラのようだ。少佐、大尉、中尉、軍曹、一等兵となっており、肩パッチもバラバラだ。 せっかくアルデンヌを舞台にしてある映画だが、戦史的な視点を期待すると残念な結果に。全然「大反撃」じゃないし(笑)。また、バート・ランカスターが登場するからといって正統なアクションを期待しても駄目。ちょっと一人で空まわりしている感もあり。まあ、風変わりな戦争風風刺映画でも良いというのならば、怖いもの見たさでどうぞ。面白いような面白くないような、自分の価値観が壊されたような、何とも微妙な気持ちで見終わること請け合いである。(参考)動画youtubeよりシュトルヒ似航空機シーン トレイラー 興奮度★★★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1944年秋、疲れ切ったアメリカ兵8名がジープでマルドレーを目指してやってくる。そこに現れたのは白馬にまたがったマルドレー伯爵で、彼らはマルドレー伯爵の城を目指していたのだ。 指揮官のファルコナー少佐は隻眼で、マルドレー城をドイツ軍防戦の拠点にしようと考える。美術史家のベックマン大尉は城の調度品や美術品の山に驚嘆し、これらが戦塵に帰すことを恐れて、居城にすることに反対する。マルドレー伯爵や姪(伯爵夫人)もそれに賛同するが、少佐は頑として聞き入れない。 ファルコナー少佐はマルドレー伯爵夫人と関係を持ちながら、部隊の指揮を執る。ある日、伯爵と少佐は斥候中にドイツ斥候隊と遭遇。途中のあばら屋で応戦して撃滅する。だが、ドイツ兵の指揮官が見あたらず、彼は城の伯爵夫人に会いに行っていた。彼もまた伯爵夫人と姦通していたのだ。実は伯爵は不能者で、姪であり妻である夫人に妊娠させようとしていたのだ。 真面目に哲学を述べるベックマン大尉は小説家志望の黒人ベンジャミン一等兵と話題があうが、その他のアンバージャック中尉ら5名は町にある娼婦宿「赤い女王」が気になって仕方がない。彼らは赤い女王に通い女を楽しむ。また、その隣に主人を失ったパン屋があり、パン屋だったロッシ軍曹は未亡人と一緒になりパン屋を始める決意をする。その外では勝手に除隊したアメリカ兵が気勢をあげている。 城ではクリアボーイ伍長が伯爵の所有するフォルクスワーゲンに執心となる。アンバージャック中尉は斥候に出かけドイツ兵と笛で懇意になるが、部下が射殺してしまう。城の上空にはドイツ軍航空機が襲撃をかけ、城を戦場としたくないベックマン大尉だったが、機関銃で応戦しこれを撃墜する。 いよいよ、少佐はサンクロワの町に攻勢に出て、ドイツ兵を挑発することを決意。娼婦宿の娼婦たちにモトロフの火炎瓶を与えて戦車に攻撃するよう指示する。また、町の敗残兵を城に連れ戻り戦力にしようとするが、逃亡するか、ドイツ軍の砲弾の餌食になってしまう。 ロッシ軍曹はパン屋を続けるつもりだったが、仲間に説得され軍に戻る。アンバージャック中尉、クリアボーイ伍長、ロッシ軍曹は街中で応戦しながら敵戦車を奪取する。娼婦達も火炎瓶を投げて敵戦車を炎上させる。 だが、多勢のドイツ軍は城に接近する。少佐は跳ね橋を上げさせ、地下に避難させた美術品が駄目になるのを覚悟で堀の水を流すようベックマン大尉に命じる。ベックマン大尉は美術品をついに諦めるのだった。跳ね橋の外側では中尉やロッシ軍曹、ドバッガ軍曹、クリアボーイ伍長、エルク一等兵ららが応戦するがついに戦死する。 城の上ではファルコナー少佐、ベックマン大尉、ベンジャミン一等兵が応戦しているが、少佐も大尉も負傷する。マルドレー伯爵は戦場に飛び出し、撃たれて死亡。少佐はベンジャミン一等兵に堀にガソリンを撒き、伯爵夫人を連れて逃げるよう指示する。そして少佐と大尉は戦死するのだった。以上がベンジャミンの書いた小説の一幕であった。
2009年06月08日
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1968 アメリカ・イギリス 監督:ブライアン・G・ハットン出演者:リチャード・バートン、クリント・イーストウッド、メアリー・ユーアほか158分 カラー Where Eagles Dareエントリーで全品ポイント5倍!6月4日am9時59分迄荒鷲の要塞(期間限定)(DVD) ◆20%OFF!DVD検索「荒鷲の要塞」を探す(楽天) 第二次世界大戦時の南ドイツ。難攻不落の要塞「鷲城」に監禁された米将軍を救出するために、英軍の特殊スパイチームが潜入するサスペンスアクション映画。リチャード・バートン、クリント・イーストウッド出演という豪華作品であり、練りに練られたサスペンスストーリー、そして今となってはちょっと笑えるスーパーアクションと、当時としては最高の娯楽作品だったに違いない。 もちろんフィクションだが、二転三転する謎解きサスペンスは非常に複雑で、繊細だ。途中から本当に誰がスパイなのかわからなくなってくるし、見ている側がすっかり疑心暗鬼にさせられるテクニックは見事だ。それも過度すぎず、ちょうど良いタイミングでアクションに移行するのが心地よい。映画のテンポと言い、起承転結性、盛り上げ方ともにかなりの秀作の部類である。制作年が古いだけに映像がやや汚なかったり、アクションシーンで明らかな合成だったりするのが玉に瑕(笑)。 サスペンススパイものとしては、かなり細かい設定が用意されている。一見愚かだったり無意味な行為に見えるシーンでも、実は全て綿密な計画通りであり、寸分の隙もないのだ。例えば、通信室のドイツ兵を殺害するシーンでは、クリント・イーストウッドが一瞬躊躇して警報を鳴らされてしまうように見えるのだが、実は警報でドイツ兵を混乱させるために敢えてスイッチを押させたように見える。また、映画のかなり早い段階で設置した意味のわからなかった仕掛け爆弾が、忘れられた頃に活躍する(笑)。この他、多くのシーンで計算尽くの仕掛けが炸裂しまくるのだ。ただし、これらの綿密な仕掛けは、万が一ちょっとでも想定外のズレが発生すれば、全てパーなのは一目瞭然。まあ、アクション映画だから許される楽しみ方なのである(笑)。 なお、ドイツ語圏なのに全て英語なのも・・・ちょっと残念かな。 アクション戦闘シーンともに、爆薬使用量はかなり多く、見応え十分。ドイツ軍要塞内への潜入、要塞内での戦闘ともにかなり細かい設定と描写がある。特に、要塞内のマッピングや距離的時間差などはかなり正確なようで、見ているだけで要塞内の構造が読めてくるのは素晴らしい。銃撃シーンも激しく手に汗握るが、主役側は弾に当たらない法則は健在だ(笑)。手に汗握ると言えば、やはりロープウェイ上での格闘シーンだろう。明らかに合成だとわかっているのだが、やっぱり高所は怖いんだなあ(笑)。 その要塞のロケ地は、オーストリアのヴェルフェンに実在する「 ホーヘンヴェルフェン城」。現在は観光地にもなっているそうだ。 登場する兵器類では、ドイツ軍冬期迷彩を施したJu-52輸送機が飛ぶ。息の長い航空機で、当時も現役で飛んでいるものを使用しているようだ。雪山の間を飛行するシーンや、雪原に着陸するシーンがなかなか見物だ。また、難攻不落の城に着陸するヘリコプターとして、ベルH-131スーも登場。確かに第二次大戦末期にはヘリの原型のようなものは存在したが、このヘリではかなり違和感がある。わざわざ実機を使わなくてもいいから、せめてドイツ軍のFw61くらいにして欲しかったな。この映画で唯一気分を阻害したのはここだけ。 このほか、空港に駐機するドイツ軍機はT-6テキサン練習機。ドイツ軍冬期迷彩を施してある。AFVではキューベルワーゲン、サイドカー、軍用トラックといったところか。 サスペンスものも、ここまで痛快にドタバタしてくれるとなかなか楽しめる。ただ、これ以上やるとうるさくなってしまうので、本当にギリギリの線かもしれないが。古くても楽しめる名作である。興奮度★★★★★沈痛度★★爽快度★★★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ドイツ南部の難攻不落の要塞「鷲城」に、連合軍反攻のキーマンとなるアメリカ軍カーナビー将軍が捕らえられてしまう。視察中に付近に不時着してしまったのだ。イギリス軍情報部のローランド提督はカーナビー将軍の救出作戦を計画、ターナー大佐によって人選が行われる。選ばれたのは、スミス少佐らイギリス人情報部員6名とアメリカ陸軍レンジャー部隊のシェイファー中尉の7名だった。 7名はドイツ軍機に化けた輸送機で鷲城の近くに落下傘降下する。だが、落下時に無線手のハロッド軍曹が何者かに首を折られて死亡。スミス少佐は内部にスパイがいることに気づく。さらに、他の隊員には秘密で同時に降下した女性スパイのメリーと密会する。 スミス少佐らは鷲城の麓にある駐屯地に潜入し、酒場で情報収集を図るが、そこで二人目のマクファーソンが殺害されてしまう。スミス少佐は酒場の女スパイマリアと接触し、ハイジ(メリー)と引き合わせて、鷲城への潜入工作を進める。だが、スミス少佐らが潜入している情報は漏れており、スミス少佐ら残った5名はドイツ軍によって逮捕されてしまう。 一方、鷲城では守備隊長クラマー大佐のもとに将軍がヘリで到着し、カーナビー将軍の尋問を始めようとしていた。彼らは城に駐在するゲシュタポのフォン・ハッペン少佐にだけは渡したくなかった。マリアらはハッペン少佐に接近し、同伴で城に上る。そこで、スパイ逮捕の情報を聞いたハッペン少佐はクラマー大佐に激怒するのだった。 逮捕されたスミス大佐とシェイファー中尉は護送中に脱出に成功する。スミス少佐は本部のターナー大佐の撤退命令を無視し、ロープウェイの上に飛び乗って鷲城の潜入に成功し、マリアの手引きで城の中に入り込む。シェイファー中尉はスミス少佐からカーナビー将軍は偽物役者の米軍カートライト伍長であることを聞かされる。 スミス少佐らはヘリコプターパイロットを殺害し、将軍のもとに行く。そこには捕らえられた3人がおり、実は彼らはドイツの二重スパイだったのだ。将軍が自白剤を打たれようとした時、スミスらは突入する。しかし、何とスミス少佐はシェイファー中尉にも銃を置けと命じるのだった。実はスミス少佐もドイツの二重スパイであり、3人こそイギリス情報部が送り込んだ偽者だというのだ。その証拠にイギリスに潜入しているスパイ名簿を3人に書かせる。そしてドイツ情報部のビルスナー少佐に電話をさせて自分がドイツスパイであることを確認させるのだった。だが、名前を書かせた上で、スミス少佐は再び寝返る。この作戦の目的の一つはイギリスに張り巡らされたスパイ名簿を得ることであり、本物のドイツスパイのトーマス、バークレー、クリスチャンセンは身の潔白のためにまんまと本当の名簿を書いてしまったのだ。 そこに、不審に思ったハッペン少佐がやってくる。スミス少佐はまたもや嘘をつこうとするが、今度は聞きいれられない。そこにマリアがやってきて、隙を見たスミス少佐らはハッペン少佐、クラマー大佐らを射殺する。 あとは撤退だけだが、スミス少佐は3人の二重スパイを連れ、武器庫を爆破しようと試みる。シェイファーが各所に爆薬を仕掛け、スミスらは通信室に向かう。合流した彼らは通信室を狙うが、兵に非常ボタンを押されてしまい、駆けつけた兵らと激しい銃撃戦となる。無線で本部に救出の要請をしたスミス少佐らは脱出路を探る。途中で、わざと壁を降下させた二重スパイが銃撃されて殺される。 スミス少佐らはロープウェイ操作室に辿り着く。しかし、そこでシェイファー中尉が二人の二重スパイに倒されてしまう。二重スパイはロープウェイで逃げるが、上に乗って追いかけたスミス少佐の仕掛けた爆弾で爆死する。スミス少佐はすれ違いの対向車に乗って元に戻った。一行は再びロープウェイに乗って下に降りていく。下ではドイツ軍機関銃が待ちかまえているが、スミス少佐らは途中で川に飛び込んで脱出する。小屋ではメリーが待っており、準備しておいた除雪バスに乗って脱出を図る。来る途中に設置した罠爆弾を駆使しながら空港に到着したスミス少佐らは、ターナー大佐の乗った救援輸送機に飛び乗って脱出に成功するのだった。 機内では、スミス少佐がスパイ名簿を渡し、ターナー大佐に「肝心の大物が抜けている」と言う。「誰だ」というターナー大佐に「あなただ」と答え、ターナー大佐はスミスに銃を向ける。だが、その銃を渡したのはローランド提督であり、発火ピンが抜いてあった。ローランド提督はターナー大佐をもドイツスパイの容疑で疑っており、スミス少佐にその大役を頼んでいたのだ。 ターナー大佐はスミス少佐の許可を得て、機上から飛び降りて命を絶つのだった。シェイファー中尉は「次の作戦は英国純血主義で頼むぜ」と言うのだった。
2009年06月02日
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1950 イギリス 監督:ロイ・ウォード・ベイカー出演者:ジョン・ミルズ、リチャード・アッテンボロー、ナイジェル・パトリック、ジェームス・ヘイターほか98分 モノクロ MORNING DEPARTURE/ OPERATION DISASTER DVD検索「暁の出航」を探す(楽天) イギリス海軍の潜水艦が訓練中に沈没し、決死の脱出を図るサスペンス系ヒューマンドラマ。舞台は明確ではないが、戦時の緊迫した雰囲気がないので、第二次世界大戦後間もない頃という設定のようだ。本作の制作年が1950年だから、事実上第二次世界大戦モノと思って良いだろう。原作は小説のようだが、実は本作の完成後間もなくに、テームズ川で実際にイギリス潜水艦の沈没事故が発生している。数十人の犠牲者が出たそうで、本作の公開も自粛ムードになったそうだが、追悼の意も込めての公開となったそうだ。映画冒頭にその旨のコメントが登場する。 海底に閉じこめられた緊迫感あふれる設定なのだが、戦闘シーンがあるわけでなし、さほどリアルな描写もなく、意外にのんびりとした描写が続く。確かに恐ろしい密室空間での出来事なのだが、むしろ閉じこめられた乗員達の心情推移を的確に描くヒューマンドラマの性格が強い。司令塔や魚雷発射管から脱出を試みるが、救命具が足りない。そして、刻々と酸素濃度が薄くなっていく。最後には、訓練後に退役を考えているアームストロング艦長、過去の失敗から部下に命令を下すことを拒否する副長、陽気な老水兵ヒギンス、閉所恐怖症で小心者の若者水兵スナイプの4名が取り残される。当初は足手まといだったスナイプが、次第に水兵としての尊厳を取り戻していく過程も見所だ。エンディングは決してハッピーではないが、視聴後にさほど深刻にならずに済むのは、ヒューマンドラマ中心の描き方にあるのかもしれない。 この脱出のために潜水具が足りない、という設定は後の「72M (2004露)」でも採用されている。潜水具くらい余計に搭載しておけよと思うが、とにかく潜水艦というのは恐ろしいものだ。 登場する潜水艦は「トロージャン」と呼ばれるT型潜水艦で、イギリスでは1970年代まで現役だったらしい。当然本物が撮影に用いられているようだ。艦内の映像はあまり登場しないのはやや残念。また、駆逐艦類も数種登場し、判明できたものにはZ型駆逐艦(艦番号002=zest)」がある。型名は不明だが潜水母艦も登場する。 潜水艦モノとしては王道でオーソドックスな作品である。特に傑出した内容があるわけではないが、潜水艦映画の草創期としては上出来なのではないだろうか。興奮度★★★沈痛度★★★☆爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イギリス海軍潜水艦「トロージャン」の艦長アームストロング少佐は、妻から安定した家庭生活を望まれ、そろそろ退役を考えていた。同艦の老水兵クラーク一等水兵は間もなく子供が生まれる予定であり、鳩を飼っていた。若い帰還兵スナイプ水兵は金遣いの荒い妻のために給金の高い潜水艦乗りに志願した。 トロージャンは新型ソナー訓練のため、駆逐艦ブルフィンチとともに出航することになる。その際クラーク一水は艦長から子供が生まれた旨の電報を受け、休暇を与えられる。クラーク一水は友人のヒギンス一水に鳩を託して下船する。 潜望鏡深度で航行中、ソナー反応で副長のマンソン大尉が何かを見つける。それは古い電気式機雷だった。艦長は急速潜航させるも、機雷が爆発し、潜水艦の船首が吹き飛び、船尾も浸水してしまう。65 名の乗員のうち12名のみが生き残った。排水も不能で、電池も1個だけ。酸素は4時間しか持たない。 海底90フィートで脱出口は司令塔と魚雷発射口の二つ。1回に4名づつしか脱出できないため、残りの4名は艦に注水して脱出するしかない。スナイプは閉所恐怖症の混乱から脱出したいと騒ぎ始めるが、艦長はそれを叱責し、副長らがそれを取り押さえる。海上では駆逐艦等による捜索活動が始まり、艦長は副長と最初の4人の人選を始める。まずは位置を知らせることができる航海士のマーフィー中尉(sub.LT)とアンドルース兵長、ケリー兵長、ブロウ兵長の4名だ。4名は司令塔から脱出し海上の駆逐艦に救出される。 続いて4名の選出にあたるが、艦長が重い口を開く。潜水具があと4つしかないのだ。残りは撃沈時の衝撃で破れてしまったのだ。艦長は公平を期すためにカードで4名を決めることにする。ヒルブルック兵長、バーロウ上等兵曹、機関長(オークリー中尉?)、マークス(EAR)が選ばれ、スナイプは落選する。興奮するスナイプを見て、艦長はマークスに代わってやってくれないかと頼む。マークスは受諾するが、次第に人として恥ずかしくなってきたスナイプは怪我をしたとしてマークスに潜水具を託すのだった。これを見て、艦長も安心する。 4名が脱出した後、艦長の友人ゲイツ中佐の指揮するサルベージ船は、酸素管の挿入とロープでの吊り下げを試みる。内部に残った艦長、副長、ヒギンス、スナイプの4名はほっとするが、副長が振動で大怪我をしてしまう。スナイプがなんとか救い出すものの、副長の様態は悪化する一方だった。スナイプは次第に落ち着きと兵としての尊厳を取り戻し始める。 だが、海上は嵐となり、救出活動は危険となってくる。救出続行を求めるゲイツ中佐だったが、サルベージ船の乗員に危険が及んだため、やむなくロープを切断するのだった。
2009年05月31日
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中国が南京事件を描いた作品「南京!南京!」が話題になっているようで。新視点から南京事件描いた中国映画、上海で日本人向け上映会(読売新聞) 【上海=加藤隆則】旧日本軍が多数の中国人を殺害した南京事件を描いた映画「南京!南京!」の日本人向け上映会が23日、上海で行われ、留学生や駐在員ら約250人が参加した。 同会には中国人の陸川監督も参加、質疑に応じ、「戦うか、死を選ぶしかない戦争の悲劇を描きたかった」と制作の意図を語った。 同作品は4月下旬、中国で公開。中国人捕虜を逃がし、自殺する日本人兵士を主役の一人に据えて反戦を訴えたシナリオが、「日本人を美化している」などの議論を呼び、話題作となっている。同事件を題材にした従来の中国映画は、旧日本軍の残虐さを強調することに主眼が置かれてきた。 映画を見た上海在住の横川美都さん(35)は「日本人には違和感なく見ることができるストーリー。監督の勇気に感動した」と話した。また、会社経営の真崎英彦さん(33)は「一般の中国人が見た場合、残虐シーンだけが印象に残り、監督の意図が伝わらないのでは」と不安を語った。 質疑の際には、日本人と結婚した中国人女性が「この映画なら両国関係の発展に役立つ」と涙で声を詰まらせる場面もあった。 同上映会は、上海の日本人留学生グループが、「日中相互理解の懸け橋に」との陸監督の呼び掛けに応じて主催した。日本での上映は未定。(2009年5月23日21時06分 読売新聞) うーん、どうなんでしょう。中国人にとっては物足りないのでしょうが、日本人にとっては痛い映画のような・・・。自虐史観に染まった人や、中国への留学生のようなちょっとバイアスかかった人なら標準に見えるのかもしれないけど。 こんな意見もあります。恐るべし!南京事件を“描く”中国映画『南京!南京!』(サーチナ)(前略) 結論から言うとなかなかの力作である。全編モノクロ、日本の古い戦争映画を思わせるカメラワーク、ドキュメンタリーフィルムのような質感、迫力ある虐殺シーン。従来の反日プロパガンダ映画に出てくるお定まりの日本鬼子とはまったく違う繊細で人間的な日本兵らの心理描写。(略) しかし日本人にとってはこれほど恐るべき映画もない。映画や芸術は本来政治性が強い。特に洗練された戦争映画は最高のプロパガンダになりうる。「南京!」は日本兵を普通の人間として描き、死者30 万人といたウソくさい数字や日本人を非難するナレーションなどまったくはさまないことで、逆に旧日本軍の残虐行為を際だたせ、物語に真実みを出す演出となった。 ひょっとしたらこの映画が、中国を含む世界中の人々に南京事件のイメージを決定づけることになるかもしれない。本当にこの映画の描写が真実であるかどうかという疑問すらもたず。そうなったら、一部の学者がいくら「南京事件の真相は」と騒いだところで意味をなさなくなる。 逆上した中国人観客がスクリーンに飲料瓶を投げつけ破壊、映画館側がその観客の感情に理解を示しスクリーン弁償費用を受け取らなかったという「美談」や、「日本人をよく描き過ぎた」という理由で陸監督がつけねらわれるといった「南京現象」がすでに中国紙で多く報じられている。陸監督の狙いははずれて、日本人への憎しみはかき立てられる結果となった。(後略) 是非とも見てみたいとは思うけれども、すでに日本軍の虐殺30万人という前提で描かれているとしたら「批判」も「議論」も成り立たないですわな。金払って映画館で見るのも、DVD買うのも癪だから、これこそ海賊版でも出ないかな(笑)。
2009年05月24日
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今年の戦争映画では6月に「真夏のオリオン」がありますね。橋本艦長の潜水艦をモデルにしたフィクションノベルの映画化だそうです。 また、「 嗚呼 満蒙開拓団」「三十九枚の年賀状」「花と兵隊」というドキュメンタリー系のものも上映されるようです。 夏以降期待は「イングロリアス・バスターズ」「セントアンナの奇跡」「縞模様のパジャマの少年」が気になるところです。イングロリアス・バスターズはフランス戦線のユダヤ人部隊、セントアンナはイタリア戦線、縞模様のパジャマの少年はユダヤ人収容所の少年が主役のようです。 どれも楽しみな作品ですが、田舎でも上映してくれるかな。
2009年05月22日
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2005 ドイツ 監督:マニュエル・シュベンマン出演者: サブリナ・ホワイト、マックス・ヴォン・サン、ハンス・マイケル・レバーグほか104分 カラー IN EINEM ANDEREN LEBEN DVD検索「ヒトラーの追跡(DVD) ◆20%OFF!」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のドイツにおけるロマ(少数民族)差別を描いたシリアス系ヒューマンドラマ。ドイツのテレビムービーで、全体にややチープ感が強いものの、なかなかレアな題材を扱っているのは興味深い。それにしても、かなりのマイナー作品のようだが、よくもまあこんな作品を日本でDVD化したものだと感心する。 主人公の女性はロマと呼ばれる北インド系の移動民族の出身で、ドイツ国内及び占領地にもそういった少数民族が存在していたようだ。本作中ではジプシーという蔑称でも呼ばれているが、ナチスドイツはユダヤ人と同様にロマを劣等民族と認定し、ロマ以外との婚姻禁止、商売禁止、移動禁止などの制限を設け、大戦期には強制収容所送りにしたと言われる。本作ではアウシュヴィッツのジプシー収容所という名称が出てくる。 内容は、ポーランドのジプシー収容所から逃げた女性リナが、ドイツ兵ヴィルヘルムに助けられ恋仲になるのだが、ロマである彼女には人種差別という大きな障壁が待っている、というものだ。ユダヤ人の陰に隠れ、余り表舞台に登場しないが、こうした少数民族への迫害、偏見が少なからずあったことを物語っている。ただ、ストーリーからは余りその背景や、悲壮感というものは伝わってこないが。 また、リナを助けるあまり逃亡兵の汚名を着せられるヴィルヘルム一家の姿も痛々しい。ドイツの家柄や血統を重視する高慢さが良く表現されており、こうした気位の高さが第二次大戦の悲劇を招いたのだとも言えよう。そう言う意味ではかなりシビアな題材を意欲的に取り上げた作品なのだとは思う。 ただ、映像はハンディビデオを多用したようなチープさが気になる。特に爆撃を受けるシーンあたりはかなりしょぼい。もう少しなんとかならなかったのか。 編集そのものはさほど悪くなく、ストーリーもそれなりに起承転結があって、コンパクトにまとめられてはいるが、テレビ版ということで短尺だったのも起因したのだろう、ちょっと深みが足りない印象だった。各エピソードが急ぎすぎで、登場人物への心情移入が難しいうえ、設定等が軽々しく扱われている感じがするのだ。もう少しロタの歴史的背景や差別の状況を描いてくれれば、心に沁みたかもしれない。 メインとなる舞台はポーランドのドイツ軍野戦病院で、恋仲になるヴィルヘルムは足を負傷した士官候補軍曹。そのほか、悪役の主計中尉、SS大尉などが登場する。 全般に、内容としては重い題材なのだが、思ったよりも心に響いてこない作品だった。日頃耳にする機会のない題材だけに、見て損はないと思うが、歴史の真相を知るにはいささか消化不良の感が強い。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 一人の女性リナが列車から逃げ出し、途中の農家や死体から衣類を奪いながら徒歩で移動を続ける。途中でドイツ兵の乗る車に拾われ、リナはポーランドの野戦病院に連れて行かれる。バイエルン出身だと言うリナは主計中尉によってクリスマスまで看護婦として働くことを許可される。 足を負傷した士官候補生軍曹ヴィルヘルムは、髪の短いリナに恋心を抱く。だが、実はジプシー出身でジプシー収容所から脱走してきたリナはなかなか心を開くことが出来ない。ヴィルヘルムは、バイオリン職人の父を持つリナに、バイオリンとピアノの合奏を申し出る。二人の仲をやっかむ兵もいたが、二人は映画を見に出かけるまでに進展する。だが、映画館で検閲がはじまり、リナは慌てて逃げ出す。いなくなったリナを探して部屋に来たヴィルヘルムはリナの出自を悟るが、二人はついに結ばれるのだった。 クリスマスが近づき、主計中尉はリナの滞在延長を持ち出すが、実はリナの体を狙っていた。リナは主計中尉の部屋で襲われそうになり、逃げる際に誤って死なせてしまう。動転するリナに、同部屋の友人マーリスとヴィルヘルムは死体を処理し、リナの逃亡を手助けする。 ヴィルヘルムは逃亡兵になることを覚悟して、リナを車で駅に送ろうとする。途中でSS大尉に遭遇し、なんとか乗り切るが、空爆でヴィルヘルムが負傷。二人は近くの空き家で身を隠すことに。しばらくはリナの献身的な行動で過ごすが、傷は悪化し、ヴィルヘルムの家に帰ろうと移動を始める。だが、オーデル川間近でヴィルヘルムはドイツ軍の銃弾に倒れてしまう。 ヴィルヘルム(ラントグラーフ家)の家では父母が逃亡兵の親として冷たい仕打ちを受けており、息子の帰還を心待ちにしていた。戦争が終わり、1946年になると、ジプシーの村に子供を連れたリナが戻ってくる。リナはどうしてもヴィルヘルムの両親に子供を会わせたいと思い、ヴィルヘルムの母レギーナを訪ねる。まだ息子が死んだことを知らない母は、ジプシーの悪口をいいながら応対するが、リナはいたたまれなくなって去る。それを追って父親がリナを訪ね、リナの子供の父親がヴィルヘルムだと知るが、父親はショックのあまり無言で立ち去る。母親は金目当ての虚言ではないかと勘ぐる。 リナは、これ以上ヴィルヘルムの両親と会わないほうがいいと考え、ニュルンベルグの親類を頼って去っていく。リナが去った後、父親が再度訪ねるが、リナはいない。ジプシーの女からヴィルヘルムが死んだこと、二人が愛し合っていたことを聞き、真実を悟る。家に戻ったヴィルヘルムの父に母らはどうだったか聞くが、父は「今は何も話したくない」と言うのだった。
2009年05月21日
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1978 松竹 監督:山本薩夫出演者:渡瀬恒彦、吉永小百合、山本圭、三国連太郎、滝沢修、高橋悦史、山崎努ほか140分 カラー 皇帝のいない八月(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「皇帝のいない八月」を探す(楽天) 元自衛官らが政権奪取と自衛隊の国軍化を目指して武力クーデターを試みるというフィクションドラマ。サスペンス的な乗りもあるが、社会派ドラマのようなヒューマンドラマのような中途半端な印象が強い。映像的にも、ストーリー的にも、今となってはひどくしょぼく感じられる作品だが、逆にカルト的なメモリアル作品としての価値があるような気がする。 監督は共産党員でもあった山本薩夫で、どうしてこのような作品を手がけたのか不思議だ。確かに、軍国復古を目指す自衛隊員や与党腐敗政治家の陰謀を描くことで、右翼批判的なものを試みたのかも知れぬが、今となっては信じられないくらいに非リアルな内容だけに、右翼自衛隊員、内閣調査室ともなかなか格好良いじゃんという印象しか残らない(笑)。 原作は小林久三の推理小説だが、小説ではサラリーマンの石森(山本圭)視点によるものだが、映画ではクーデター指揮官藤崎元一尉(渡瀬)が中心に据えられている。そのため、謎解き推理ものというよりは、自衛官クーデター事件ものという側面が強い。しかも、クーデター自衛官を演じる渡瀬(藤崎元一尉役)、山崎務(東上元一尉役)、三上(小森一尉役)らが男気溢れる演技をするものだから、なおさら格好良く見えてくる。民間人の犠牲も厭わぬ無茶な政府転覆を企てる悪者のはずなのに、何故か肩入れしている自分がいるのだ(笑)。そう言う意味では、山本薩夫的には大失敗だったのではないだろうか。 本作を見ていると、随所に三島由紀夫の写真が登場する。明らかに1970年の三島由紀夫市ヶ谷割腹事件に強く影響されていることは間違いない。三島の檄文内に「・・・われわれは四年待った。最後の一年は猛烈に待った。もう待てぬ。・・・これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。・・・」という有名な一節があるが、本作中でも藤崎元一尉が「我々は5年待った。もう待てない。・・・憲法を変えるために死ぬ奴はいないのか・・・」というフレーズがあり、そのまんまなのである。藤崎元一尉が制服をきちんと着こなし、熱く語る姿はまるで三島由紀夫そのものなのである。 また映画中にも出てくるが、1961年のクーデター未遂の三無(さんゆう)事件もモチーフにしているようだ。三無事件は九州北部出身の元軍人らによる政府転覆計画だったのだが、本作も九州の元自衛官らを核とした武装蜂起となっている。 上記のように、実際の事件等をモチーフに仕立て上げられているとは言え、構成、演出、映像ともにかなり稚拙だったため、そのリアル感や緊迫感は思い切り阻害されてしまっているのが残念だ。社会派と称される山本監督だが、私は映画監督してはかなり下手な部類だと思っている。個人の性格付けはもとより、場面毎のつながりとテンポが著しく悪いのが特徴で、ドキュメンタリーのような平坦な作品ならともかく、ストーリーの起承転結を作るのが実に下手だ。本作では著名な役者をたくさん起用しているのに、彼らの演技の良さが全く引き出されず、いわば役者殺しのようなものだ。特に江見陸将補役の三国連太郎、内閣調査室長利倉役の高橋悦史は酷いもので、個性派俳優らしからぬ平凡さだ。ラストシーンの三国のフランケン状態は・・・・(爆)。また、ヒロインに吉永小百合を起用するものの、三角関係の恋愛がまるで盛り上がらない。こんな程度の女のために命を賭す男二人に心情移入などできなかった。石森役の山本圭はストーリーの鍵を握っているようで・・・ただ叫んでいるだけ。唯一渡瀬のほとばしる熱情が見所だとはいえ、もっと効果的に著すこともできたであろう。 なお、松竹の遊び心だろうが、ほとんどストーリーに関係なく「寅さんシリーズ」の渥美清が登場したりするが、うーん、いかがなものか。 本作のクーデター名は「皇帝のいない八月」。政治家やCIAを黒幕として、西部方面の元自衛隊員蜂起部隊に呼応して、北部方面旭川第2師団、中部方面金沢第14普通科連隊、東北方面青森第5普通科連隊、東部方面静岡第34普通科連隊、第1師団市ヶ谷駐屯地らが参加することとなっていた。多くは未然に防がれるのだが、武力鎮圧も実行され、幾度かの銃撃戦シーンが描かれている。64式自動小銃は沢山出てくるが、はっきり言ってしょぼい。 西部方面の実行部隊が乗っ取る列車は特急「さくら」。長崎・東京間を結ぶブルートレインだったが、2005年に廃止となっている。列車を爆破するシーンがあるということで旧国鉄の協力は得られなかったそうで、セットを用いているのだとか。また、同様に自衛隊の協力も得られなかったので、ヘリコプターがミニチュアだったり、陸自装備もほとんど出てこない。 全般に、典型的B級映画なのだが、何だか気になる作品でもある(笑)。良い作品でも何度も見たいとは思わないものが多い中、また見たくなる不思議なカルト作品なのであった。興奮度★★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 8月14日、岩手県の国道4号線で不審なトラックを追跡したパトカーが銃撃され炎上する。調査にあたった仙台の陸上自衛隊から、銃弾は5.56mmのもので、日本では用いていない米国の輸出用だと報告される。内閣調査室長の利倉は、アメリカが一枚かんだクーデターの可能性を考える。 鹿児島県で妻の墓参りをしていた陸上自衛隊幕僚監部警務部長の江見為一郎陸将補は、利倉からすぐに帰京するよう命じられる。その途中福岡の第4師団司令部で、危険思想の持ち主である「特定退役者」の情報を仕入れ、娘杏子の夫藤崎顕正元一尉が運送会社を経営していることを聞く。さらに、藤崎のアパートへ赴くが、藤崎は不在で杏子だけがいた。杏子から藤崎の状況を聞き出すが、特に不審な点はなかった。 だが、江見が帰ると、杏子のもとに藤崎から手紙が届き、杏子は藤崎が5年前に失敗したクーデターを起こそうとしていることに気づく。杏子は駅に向かい、夫を捜す。その時、靴メーカーで働く、元の恋人石森と出会う。石森は5年前自分の前から忽然と消えた杏子を詰問しようとするが、杏子は何も答えない。駅から特急「さくら」に乗ろうとする石森は謎の男達に切符を奪われそうになるが、なんとか「さくら」に乗り込む。男達は自衛隊の靴を履いていた。 利倉は現首相佐橋と対立する元総理大畑周造が怪しいとにらむ。時期政権を握ろうとする大畑派の小山田建設大臣とも結託しており、右翼の巨頭大日本菊花会長兵藤や右翼的経済人の日本経営連合会会頭氷山ともつながりがある人物だ。更に自衛隊の真野陸将とも繋がりがあり、今回のクーデターの黒幕と目された。 案の定、真野陸将を拘束するとアメリカ軍G2のトーマス中佐と一緒にいた。真野陸将を元憲兵隊だった江見が尋問するが、真野は舌をかみ切って自殺する。だが、ついに江見は車の天上から「皇帝のいない八月」計画の書類を発見し、クーデター計画の全貌が明らかになる。佐橋内閣を倒し、小山田が総理となり軍事内閣を組閣、左翼を武力鎮圧しようというものだった。 利倉は指揮をとりたがる統合幕僚会議議長の三上陸将や江見陸将補を制止して、治安出動の実行指揮をとる。函館の皇帝幹部を逮捕、練馬の第1師団が不参加表明、富山・長野県境で金沢部隊を武力制圧、千葉習志野第1空挺団不明、青森第5連隊武装解除、市ヶ谷駐屯地の皇帝主力部隊武力鎮圧、神奈川県で皇帝静岡部隊を武力制圧、さらに藤崎隊と合流予定だった東上一尉の部隊も第13師団によって武力制圧される。 「さくら」に乗った石森は列車の下に爆弾をつける人影を見る。停車駅で車掌に確認させるも、発見できない。そして杏子から5年前に藤崎にレイプされ、結婚したことを告白される。そんな時、ついに藤崎隊が列車内の制圧を開始する。乗客360名、乗員5名を人質に東京を目指す。第13師団が停車駅で取り囲むが、藤崎は起爆装置を片手に投降しない。さらに、ホームに連れてこられた瀕死の東上一尉と会釈して撃ち殺すのだった。 娘杏子が乗っていることを知った江見陸将補は、安全な方法をとるため自分が指揮をとりたいと申し出るが、利倉は民間人の犠牲もやむを得ないとして最終突撃を決断し、江見を拘束する。また、事件をかぎつけていた毎朝新聞の正垣政治部長や有賀報道部員らは、利倉の画策した報道規制により報道ができなくなった。国民には列車事故にみせかけようというのだ。 一方、大畑は姿をくらませていたが、裏でつながっていた佐橋首相が毒ワインを飲ませてひそかに暗殺していた。大畑を追っていた利倉は佐橋の魂胆を薄々感じ始める。 列車の中では藤崎が30分過ぎたことから車掌の一人を射殺する。それを見た部隊の一人、島三曹は人質を殺した藤崎を見限り、起爆装置を奪うことを計画。杏子と石森に協力を頼む。しかし、銃を藤崎に向けたまま撃つことが出来ない石森と藤崎らの間で膠着状態が続く。 その時、列車が急停車し、自衛隊の急襲部隊が突入してくる。起爆装置を落とした藤崎と杏子は銃弾を受けて倒れる。島三曹も撃たれ、乗客らも流れ弾に当たって死んでいく。石森はなんとか列車外に逃げ出すが、杏子の身を案じて再び列車に駆け寄り、銃弾を浴びて死亡。瀕死の藤崎はようやく杏子の手をふりほどいて起爆装置を入れ、列車が爆発を起こす。 事件は世間には列車転覆事故として扱われる。佐橋も利倉もようやく仕事が終わったと安堵し、アメリカ軍の武官も何事もなかったかのように挨拶して過ぎる。そして、頭を手術し記憶を奪われた江見が車いすで静かに通っていくのだった。
2009年05月18日
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1960 東映 監督:島津昇一出演者:高倉健、田崎潤、水木襄、久保菜穂子ほか90分 モノクロ 楽天ダウンロード殴り込み艦隊 第二次世界大戦時の日本海軍駆逐艦「黒雲」を舞台に、機関科士官として着任した石山中尉と駆逐艦黒雲の活躍ぶりを描いたアクションドラマ。萱沼洋原作「駆逐艦黒雲一家」の映画化で、完全なるフィクション仕立ての、ややヒーロー型に近いストーリー展開である。助監督に深作欣二が名前を連ね、東映戦争ものシリーズの黎明期作品である。 駆逐艦黒雲は剛田中佐(後に大佐)を艦長に、水雷長酒井大尉、砲術長熊本大尉、機関長寺田大尉、航海長山下中尉、軍医長北村中尉らの幹部、髭の先任伍長のもと大野兵曹、野呂金太郎兵曹、和田二水、春木二水、松本二水ら猛者揃いだ。歴戦で鳴らした彼らは黒雲一家として強い結束力を持っている。そこに、上官に背いたとして戦艦大和から飛ばされてきた石山中尉(後に大尉)、刑務所上がりの陸戦隊出身南兵曹が赴任してくるのだ。最初はとまどう石山中尉らだが、その黒雲一家たる所以が次第にわかってくる。 艦内は私的制裁は禁止。懲罰は「金太郎訓練」と呼ばれるもので、笑える。 主役の石山中尉役は若き高倉健で、いわゆる東映スター的な扱いではあるけれど、高倉健の持ち味である木訥さによってなんとかぎりぎり浮きすぎずに保っている。とはいえ、ストーリー的には石山中尉中心に回りすぎるので、全体のバランスとしてはいささか収まりが悪い。 全般に映像カットや台詞の出来は良くなく、テンポ、各シーンの深みといった点ではかなり劣る。脇を固める役者陣の個性はそれなりのものがあるのだが、歯の浮くような台詞だったり、表情表現を活かしきれない映像で潰してしまっている。まあ、ストーリー、編集、映像ともにB級邦画の域を出ない。 駆逐艦の映像は艦橋、機関室、釜室のほか、主砲、機関銃の旋回、射撃シーンが登場する。機関室、釜室はそこそこの雰囲気を出し、機関銃射撃シーンもまあまあの出来だが、主砲は思い切りミニチュアぶりが炸裂し、あり得ない動きと角度で砲弾発射している。駆逐艦自体もミニチュアで撮影され、波の具合や対鑑砲撃戦など特撮としてはあまり出来は良くない。 戦闘シーンでは、ラバウル寄港中の敵空襲、敵潜水艦との攻防戦、捷一号作戦、菊水特攻作戦が描かれている。いずれも実写に米軍及び日本軍の記録映像を随時挿入して構成しているが、最後の菊水特攻作戦は特攻の記録映像だけで終わってしまい、がっかり。その中で程度が良いのは、対潜水艦戦の爆雷投下シーン。ソナー員の報告により、逐次投下する爆雷は迫力を感じた。 本作の主役「黒雲」は実際には存在せず、撮影に用いられるミニチュア模型もいい加減なので、モデルになる駆逐艦は不明だが、映画中ではレイテ沖海戦(捷一号作戦)では第二艦隊第一遊撃部隊第三部隊に所属、菊水特攻作戦(戦艦大和水上特攻)にも参加という戦歴から鑑みて、第三部隊ではなかったものの、唯一駆逐艦「雪風」が該当する。本作中で「黒雲」は不死身艦と称されており、「雪風」も沈まない幸運艦と呼ばれていたから、そうだと思って見ると楽しいかも。ちなみに、僚艦として「早雲」「青雲」という艦名も出てくるが、実際はない。 リアリティ重視でも、典型的な娯楽ヒーロー型でもなく、中途半端な位置づけの映画だった。まあ、艦船ものは経費がかかるのでこういう作品があるだけましかもしれないが。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 昭和17年のラバウル。戦艦大和から上官反抗のため飛ばされた石山中尉が駆逐艦黒雲の機関長付として着任する。大和ホテルで幹部のていたらくを目の当たりにした石山中尉は第一線勤務に燃えるのだった。だが、下着姿の艦長剛田中佐以下、駆逐艦内の雰囲気は家族然としており、規律に乏しかった。そんな堅苦しい石山中尉に剛田艦長は「戦争は理屈じゃない。実戦のカタログなんてものはない。裸になれ」と諭すのだった。艦には水雷長酒井大尉、砲術長熊本大尉、機関長寺田大尉、航海長山下中尉、軍医長北村中尉らの幹部、髭の先任伍長のもと大野兵曹、野呂金太郎兵曹、和田二水、春木二水、松本二水ら猛者が揃う。石山中尉には母子一人の和田二水が従兵としてつく。 石山中尉と一緒に赴任してきた南兵曹は刑務所上がりの陸戦隊員だった。すぐに機関室で春木二水らといざこざを起こすが、先任伍長は喧嘩を許さず「金太郎訓練」を課すことを艦長に求める。金太郎訓練を見て石山中尉は失笑するが、艦長は戦意を維持するには必要なことだとそれをたしなめる。また、松の屋のタカと言う女性から手紙が来るが、石山は知らないとして捨ててしまう。 停泊中に敵機の空襲を受ける。てきぱきと動く兵を見て石山中尉は黒雲一家の所以を感じる。また、空襲で従兵の和田二水が戦死し、厳しい現実を知ることとなる。 出航中に敵潜水艦の魚雷攻撃を受ける。青雲が撃沈され、黒雲も回避行動に出るが、機関の出力が出ない。石山中尉は金たまを掴んでっ気合いを入れてなんとか乗り切る。爆雷を投下して敵潜水艦を撃沈。初陣の石山中尉は誉められるのだった。 ラバウルで上陸を許された石山中尉は空襲に会い、防空壕へ。その中でタカに出会う。呉時代に松の屋の養女になったタカだった。タカは石山中尉に惚れていたが、石山中尉は愛想なく帰途につく。艦に戻ると、機関長の寺田大尉が転任することとなり、石山が後任の機関長になる。 昭和19年北ボルネオ、ブルネイ。再びタカからの手紙が来るが、破り捨てる。10月17日になり、黒雲は第1遊撃部隊第3部隊に所属して捷一号作戦に参加する。スリガオ海峡より突撃し、敵の橋頭堡を急襲するのだ。敵艦船や潜水艦との撃ち合いとなり、黒雲も被弾。機関室の修繕をしながら、殿として生存者を拾いながら航行する黒雲だが、先の戦闘で南兵曹が戦死する。 黒雲は一時呉に帰還。神奈川県日吉の連合艦隊司令部に赴いていた剛田大佐は大和による菊水特攻作戦を知らされる。作戦の無謀さに反対した剛田大佐は艦長を降ろされる。 大尉になった石山は呉のなじみ松の屋で酒を飲んでいたが、壮行会を兼ねて黒雲の下士官以下を集めて飲み始める。そこに白井少将と宇田参謀がやってくるが、参謀は下士官の来るところではないと怒り狂う。反抗する石山大尉に石山をかばう女将のおしずだったが、白井少将がなんとかその場を収める。艦に戻った石山大尉だったが、すぐさま上官侮辱罪で憲兵隊にしょっぴかれてしまう。そんな石山大尉を戻ってきた剛田大佐が救い出し、連れてきたタカと面会させるのだった。タカとの面会も直ぐに終わり、石山は別れ際に階級章を渡す。 昭和20年4月7日、石山大尉は剛田艦長が降りた黒雲で最終決戦に向かう。殿だった黒雲は生存者を回収しながら帰路につく。救助者の中にはあの剛田大佐もいた。 黒雲は敵潜水艦に攻撃され被弾。新艦長は総員退艦を命じるが、石山大尉は奇跡を起こす艦だとして復旧を進言する。瀕死の剛田大佐も奇跡の復活をとげ、なんとか息を吹き返す黒雲。その時、艦隊司令部より電信が入る。四国沖にいる敵巡洋艦と駆逐艦を邀撃せよというものだった。黒雲一家の兵員は「殴り込みだー」と威勢をあげるのだった。
2009年05月12日
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2007 イギリス 監督:ジョー・ライト出演者:123分 カラー ATONEMENT[DVDソフト] つぐない DVD検索「つぐない」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のイギリスを舞台に、純粋無垢な少女のついた嘘と嫉妬から生まれる、引き裂かれた悲恋を描いたサスペンス調ラブロマンス。イギリスの著名作家アン・マキューアンの小説『贖罪』の映画化で、音楽担当のダリオ・マリアネッリがゴールデングローブ賞、アカデミー賞を受賞している。 少女ブライオニーのついた衝動的な嘘が、思いの外事態を大きくしてしまうのだが、償いきれない罪の意識をどこに、どのように向けていくのかが主題の一つでもある。少女の姉から引き裂かれた恋人のロビーは、北フランスのダンケルク撤退戦に参加する設定のため、一部戦争映画風の描写も見られるが、大部分はラブロマンスとサスペンスによって構成されている。 細かな静物描写と同じ場面のリプレイ映像を多用した手法は、いささか鬱陶しいと感じる所もあるが、猟奇サスペンス的な雰囲気を醸し出すのに大いに役立っている。また、前半部分は悠長な流れの描写に加え、少女の姉セシーリア役のキーラ・ナイトレイの繊細でエロティックな雰囲気は、フランス映画的な甘美な印象を強くする。また、タイプライター音を多用したBGMや効果音も新鮮だった。 原作は重厚で衝撃的なストーリーで評判を呼んでいるが、本作もわずか2時間の間で良くまとめあげ、視聴者を引き込むことに成功したと言えるだろう。それも、前半部分の無駄とも思えるような冗長なシーンが伏線となっており、後半のどんでん返しを盛り上げているのだ。 ただ残念なのは、後半の贖罪部分の描写がやや平坦になってしまっていること。ブライオニー役は少女、成人、晩年の3世代を3人の役者が演じているが、少女時代にうまく描かれていた異性へのほのかな興味と生真面目な貞操観念の錯綜が、成人や晩年の演技に全く引き継がれていないために、罪の意識がどのように変遷し、贖罪につながっていくかが掴みにくい。そのため、ブライオニーへの感情移入が難しかった。正直言って、思ったほどはストーリーに感動できなかった。 何故なのだろうと考えていたところ、やはり性に対する意識の違いなのではないかと思った。本作は性と貞操の淫靡な錯綜が描かれており、少女から大人への脱皮の過程でもある。男女の恋愛に性は必然のものでありながら、公然と肯定できないもどかしさのようなものがある。そう、イギリスはキリスト教国家なのだ。性に対する意識と贖罪の方法に、仏教徒である私はどこか違和感を感じているのかも知れない。報われなかった姉と恋人の恋愛を自身の小説の中で完結させていくという手法は、贖罪の一つの手法ではあるけれど、モラルが教会で作られ、神に罪を告白する国ならではの感覚ではないだろうか。モラルが社会共同体で形成される日本人にとって、罪は地獄に持って行くものであって(笑)、冷ややかに見てしまっている自分があったような気がする。 さて、私の本分である戦争シーンだが(笑)、姉の恋人ロビーは刑務所から徴兵され、英軍兵卒としてベルギーもしくは北フランスで兵役についていたようだ。ドイツ軍のベルギー侵攻に伴い、撤退する最中に本隊からはぐれてしまったようで、たった3人でダンケルク海岸に向かう。そのダンケルク海岸シーンは、多彩なセットと2,000人余りの地元エキストラを使い、約5分間のワンカットシーンを撮影している。2日間で撮影したそうだが、鞍馬している兵、馬を射殺する兵、喧嘩している兵、歌を歌っている兵など海岸にひしめく撤退待ちの兵の様子が描かれている。ただ、結構力を入れた割にはさほどインパクトなし。「激戦ダンケルク(1958 英)」、「ダンケルク(1964 仏伊)」を知っているだけに、ちょっと物足りない。まあ、それが主眼の映画じゃないので・・・余り突っ込まないけど(笑)。 全体に完成度は高い名作だと思うが、心が汚れている私にとっては(汗)、あまり楽しめなかったのが正直な感想。何分、「つぐない」という観念的な題材を描いた作品だけに、作品から感じる印象は自身の人生経験や体験によって、相当の温度差があるものと思われる。私は★3.5にしたが、感動具合によっては ★4.5くらいにはなりうるのかも。 興奮度★★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1935年のイギリス。上流階級の官僚タリス家の次女ブライオニー・タリスは13歳で小説や戯曲を書くのが得意だ。兄のリーオンが帰省するのを機会に演劇をしようとするが、身を寄せている従兄弟のローラ(15歳)、双子のピエロ、ジャクソンはやる気がない。 外を見ていたブライオニーは、美しい姉のセシーリアが使用人の息子ロビーの前で、下着になって噴水池に飛び込むのを目撃する。見てはいけないものを見たような気がしたブライオニーは目を背ける。実際は、花瓶の水を汲もうとした時にロビーが花瓶を壊してしまい、セシーリアが池に沈んだ破片を潜って拾っていただけだった。 ロビーはセシーリアに恋心を抱くが、セシーリアは身分が違うと口もきかなかった。ロビーはセシーリアに先ほどのミスを謝ろうと手紙を打ち、晩餐会に出席する途中で妹のブライオニーに手紙を託す。しかし、手紙の内容は遊びで書いた女性器名を記した淫靡なものを間違っていれてしまい、ブライオニーはそれを盗み読んでしまう。 セシーリアの方は逆に淫靡な手紙で自身の気持ちに気づき、ロビーと図書室でセックスする。廊下に落ちていたセシーリアのピアスを届けに図書室に来たブライオニーはセックスしている二人を目撃してしまう。それに気づいた二人は行為をやめるが、ブライオニーにはロビーが無理矢理姉を犯しているように見えたのだった。 晩餐会の席で双子の兄弟がいなくなる。皆で探しに出るが、ブライオニーは男に襲われているローラを発見する。男は逃げていくが、ブライオニーは犯人がロビーだと告発する。ロビーではないとわかっているが、実は密かに恋心を寄せていただけに、嫉妬心も手伝ったのだ。ロビーは駆けつけた警察によって逮捕連行されてしまう。 4年後、刑務所から徴兵されて北フランスにロビーはいた。ドイツ軍から撤退する途中ドイツ兵に殺された多くの女子学生を見て、ロビーはセシーリアに会うため生きて帰ろうと決心する。 出兵前、ロビーはロンドンでナースになったセシーリアと再会する。二人は愛し合うが、ロビーはフランスに出兵しなければならなかった。妹のブライオニーは嘘をついた罪の意識に駆られ、大学には行かずナースの訓練を受けていた。姉のセシーリアに会いたいと手紙をよこすが、姉は無視するのだった。 ダンケルクの海岸に到着したロビーら3人の兵は、海岸にたむろする沢山の兵を見る。生きて帰ろうと思うロビーだったが、次第に衰弱していく。 その3週間前、ロンドンでナースになったブライオニーは「噴水の二つの人影」という小説を書いていた。昔愚かだった少女は何も理解できなかった。一生懸命に働いても償いにはならない。真実を小説にするしかないという思いで小説を書いていたのだ。看護していた見知らぬ兵士リュック・コルネはブライオニーを恋人のように話し、死んでいく。ブライオニーは恋の大事さを知り、どうしても姉に会いたいと願う。さらに、ローラが犯されていたと思っていたが、実は兄の友人で当日来ていたチョコレート会社経営のポール・マーシャルとの情事であったことが判明する。ローラとポールの結婚ニュースが流れてきたのだ。 姉のアパートを訪ねたブライオニーはそこにいた姉とロビーに謝罪する。しかし、ロビーはそれを許さず、嘘だったことを両親に説明し、法的に証明しろと責める。 晩年、小説家となったブライオニーは21作目の作品として「つぐない」を出版する。あの嘘の事件を描いた自叙伝でもあり、これを遺作とするつもりだが、彼女のはじめての作でもあった。嘘も装飾もなく真実を描こうとしたものであるが、実は姉の青パートを訪ねていったシーンは想像だった。実際に会いに行く勇気もなく、謝罪することもなかったのだ。ロビーは 1940年6月1日にダンケルクで敗血症のため死亡。姉のセシーリアも1940年10月15日空襲非難の地下道で水死。二人は結ばれることはなかった。 ブライオニーは、一緒になれなかった二人を小説の中だけでも結ばせ、幸せにしてあげることで贖罪しようと思うのだった。
2009年05月08日
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2001 アメリカ 監督:ティム・ブレイク・ネルソン出演者:デイビッド・アークエット、スティーブ・ブシエミ、ハーヴェイ・カイテル、アラン・コーデュナーほか109分 カラー THE GREY ZONE灰の記憶(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「灰の記憶」を探す(楽天) 第二次世界大戦時、ポーランド最大のユダヤ人収容所アウシュヴィッツで起こったユダヤ人虐殺の実態を、実話に基づいて製作したヒューマンドラマ。原作は本作の主人公でもある、ハンガリー系ユダヤ人医師ミクロシュ・ニスリの著書「アウシュヴィッツ」で、彼は収容所でドイツ軍軍医ヨーゼフ・メンゲレ大尉のもとで人体実験に加担させられていたという。多くのユダヤ人が殺される中、ニスリは生き延びるが、1956年にルーマニアで55歳という若さで「老衰」にて死去したそうだ。ちなみにメンゲレを描いた作品に「MY FATHER マイ・ファーザー 死の天使 アウシュヴィッツ収容所 人体実験医師(2003)」があり興味深い。 本作はポーランドのビルケナウ(ブジェジンカ)にあった第二アウシュヴィッツ収容所を舞台にしており、ニスリ医師のほかに第1班(ハンガリー系ユダヤ人)、第3班(ポーランド系ユダヤ人)と呼ばれた「ゾンダーコマンド」がメインに描かれている。ゾンダーコマンドとは、収容されたユダヤ人の中から死体処理のために選ばれた特務班で、彼らは4ヶ月から6ヶ月ほど処刑が延期されたという。アウシュビッツでは全部で13期のゾンダーコマンドがいたそうで、本作は第12期のゾンダーコマンドが描かれている。その12期ゾンダーコマンドは1944年10月7日に、収容所死体焼却炉の破壊を目的に武装蜂起しており、ニスリはそれを目撃していたのだ。 ドイツによるユダヤ人強制収容所を描いた作品は「夜と霧(1955)」を皮切りに1980年代以降特に増え始めたが、ドキュメンタリー作品が多く、本作のようにアウシュヴィッツを題材に描いたドラマ作品は珍しい。それだけ、真実が闇に埋もれ、描きづらい題材なのだろう。 ストーリーは、次々に送られてくるユダヤ人と、ガス室で殺害されたユダヤ人を黙々と処理するゾンダーコマンドたちの苦悩を描きながら、彼らの武装蜂起とその結末までを描いている。数ヶ月の延命のために、同胞や家族をガス室に送り込み、焼却炉で焼くゾンダーコマンドの苦悩と絶望感。「生」への執着に何の意味があるのか、彼らは一人の少女の命を救うこと、そして決死の蜂起に「生」の証を求めようとするのだ。 起承転結がしっかりとし、内容的に濃いものではあるが、やや混沌とした作りとなってしまっている。監督はまだ若いときの作品のようで、ユダヤ人たちの複雑な心情を描こうと気負いすぎた感があり、登場人物に芯の通った性格付けが甘く、あちこちに目がいってしまってまとまりが悪い。名前と顔も一致しにくいし、背景の説明もあまりないので、誰がどうして、何が起こっているのかがわかりにくいのが欠点。かなり省けるシーンもあったように思えるので、もう少し腰を据えた描写にしたら、もっと心に響いたのではないかと思う。一人一人の生と死の観念が微妙に異なり、それにどう対応するかというという点が見所だけに、もったいない感じ。 役者陣は先にも述べたが、一人一人の性格付けが浅いので余り印象が残らない。主役のニスリ医師にしても役割が中途半端な感じだ。その中で、ドイツSS軍曹役でも出演しているハーヴェイ・カイテルがやや光っており、彼は本作の製作総指揮を務めている。実はカイテル自身がポーランド系ユダヤ人の血をひいているらしい。 PG-12指定がかかっている作品で、裸の登場率が高め。少女ヌードシーンもあるが、ほとんどは死体・・・。 撮影はブルガリアにアウシュヴィッツ収容所を再現したようだが、そのわりにちょっとスケール感が乏しい印象。多分、カメラワークの問題だろうと思われるが、メイキング映像を見ると結構広い空間なのに、映画中ではえらくちんまりとしているのだ。セットを生かし切れていないのは、やはり監督の若さなのかな。 内容的には重く、心して見なければならないような作品だが、思ったよりも心に残らず後味の悪さばかりが目立った映画だった。アウシュヴィッツでのユダヤ人蜂起が描かれただけでも良しとしておこうか。(参考)アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(wikipedia)興奮度★★★沈痛度★★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1944年、ポーランドのビルケナウにあった第二アウシュヴィッツ強制収容所に第12期ゾンダーコマンド(特務班)のユダヤ人がいた。ハンガリー人主体の第1班にはミクロシュ・ニスリ医師、シュレイマー、マックス、ホフマンなどの男がおり、日々ガス室で殺された同胞の死体を焼却炉で焼くのだった。 ニスリ医師はドイツ軍医メンゲレに病理学者として気に入られ、メンゲレのもとで人体実験の助手に誘われる。別棟にいる妻子のこともあり、やむなくその条件を飲むのだった。 ポーランド人主体の第3班と第1班は密かに武装蜂起の計画を練っていた。すでに4ヶ月近くになり、自分たちの処刑も近いうえ、シーツや食料、酒と引き換えに同胞を焼き続けることに罪の意識を感じていたのだ。武器や火薬は軍需工場で働くユダヤ人女性軍需コマンドから運びこまれていた。火薬を送るダイナらは見つかることを恐れながらもそれを死体に隠して送るのだった。 第1班のリーダーアブラモヴィッチはなかなか蜂起を決意せず、脱走の計画まで練り始める。第3班のシュレーマーやマックスらは、どうせ死ぬのだからと焼却炉破壊だけを望み、イライラするのだった。 新しいユダヤ人が送られてくると、ゾンダーコマンド達は服を脱がせ、金品を回収する。裏切り者と罵るユダヤ人に、どうせ死ぬのだと心の中で叫びながらも暴行を働くのだった。 一方、ニスリ医師はメンゲレの手下として、子供たちの解剖をし、胆石を集める。付き人のムスフェルドSS軍曹はニスリに暴動の情報と引き換えに妻子の保護を持ちかけ、ニスリはそれを受け入れる。その結果、妻子は安全な軍需工場に移送される。 一人の女の告白により火薬送付の件が発覚する。ダイナら3人の首謀者は厳しい拷問を受け、一人が死亡。だが、ダイナらは輸送先について口を割らなかった。 マックスはガス室で生き残った少女を発見し、助けようとする。囚人らと距離を置いていたニスリ医師も少女を助けるために力を貸すが、シュレイマーらはどうせ死ぬのだからと乗り気ではない。しかし、少女に生きる希望を見いだした彼らは第3班に少女の逃亡を依頼しようとする。 しかし、そこにムスフェルド軍曹がやってきてしまい、第3班のアブラモヴィッチが射殺され、少女も見つかってしまう。軍曹はどうせ死ぬし、自分も殺される運命だと、少女を殺そうとするが、ニスリ医師が彼を説得する。だが、暴動の情報を少しだけ話したものの説得できなかった。 女性収容所では口を割らないダイナらの目前で他の収容者が殺されていく。ダイナはついに電気柵に飛びついて死んでしまう。 1944年10月7日午後3時頃、ついに第3班が焼却炉の爆破を実行。第1班も武器を取り出してドイツ兵と交戦を開始。だが、ついに追いつめられ第1班は焼却炉を爆破して果てる。 生き残ったマックスらは地面に伏せさせられて次々に処刑される。だが、マックスらはやり遂げた顔で死んでいくのだった。 そして、捕まっていた少女も軍曹の手によって銃殺される。その光景をニスリ医師はじっと見つめるのだった。 少女達の骨は灰になり、煙となって消えた。わずかに残った灰は次のグループと一緒になり、焼却するユダヤ人やドイツ兵の靴や灰に入る。 ニスリ医師は解放の10年後に老衰で死去。妻は70年代後半に死去し、娘は行方不明。ムスフェルド軍曹は1947年クラクフの死刑宣告され、処刑された。
2009年05月06日
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2006 ドイツ 監督:アンドレ・マイヤー出演者:ドキュメンタリー52分 カラー LIEBTE DER OSTEN ANDERS? - SEX IM GETEILTEN DEUTSCHLANDコミュニストはSEXがお上手?(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「コミュニストはSEXがお上手」を探す(楽天) 第二次世界大戦によって東西に分断されたドイツ。1989年にベルリンの壁が倒れるまでの約40年間、社会主義と自由主義に別れて成り立ってきた、東ドイツと西ドイツのセックス事情を描いたドキュメンタリー。ドイツのテレビドキュメンタリーとして製作された作品のようだが、何故日本でDVDになったのかは不明(笑)。私のテリトリーである戦争映画でもないのだが、まあ東西冷戦の絡みということで視聴してみた。・・・というか気になるよね、この題。 まず、東ドイツと言えば、スポーツ大国、特に体操などの女性スポーツが強いというイメージで、社会主義国にありがちな厳しい規制下に抑圧されているのではという印象が強い。例えば、東ドイツの恐怖体制下を描いた「善き人のためのソナタ(2006)」でも暗い生活が表現され、性に関しても党教育によって厳しく監視されているといった印象がある。 ところがである。本作ではまるで正反対のことが明らかにされるのだ。性は厳しく監視され、モラル正しい青少年といった姿ではなく、自由奔放、開放的な性生活があったというのだ。党が率先して性教育を施し、16、7歳で肉体関係、十代の婚前交渉は当たり前、結婚とセックスは別物と言い切る環境はまさに「フリーセックス」そのものだ。従って、22歳までの出産は日常的で、25歳以上の出産は高齢出産と言われるのだそう。片や西ドイツでは教会の道徳観により、性というものが表だって表現されることはタブーなのだ。どちらが自由主義国なのかと驚いてしまう。 こうした性の実態がどうしてこうなったかも本作では触れている。確かに、同じ社会主義国家の北朝鮮の性事情もひどく乱れていることは知られているが、某地方や某学園都市に行くとやることがないので、セックスばかりやっている、などということがまことしやかに言われるように、暇だから?という思いもあった。だが、本作ではきちんと社会学的な見地から考察されているのが凄い。(内容は下記のネタバレにて) まあ、他人の庭を覗くようなどうでもいいようなドキュメンタリーだが、意外に政治背景や社会背景が垣間見れて面白い作品ではあった。ちょっと旧東ドイツに憧れたりして・・・・(笑)。 なお、映像のほかに変なアニメが多用されていて、裸はそこそこ出てくる。(以下 ネタバレ含むので注意) まず、東ドイツは女性の地位が高い国であること。それは、第二次大戦で多数の男が戦死した結果、捕虜や抑留された男は皆西ドイツに帰ってしまい、東ドイツには男が慢性的に足りなかったということがあるようだ。その結果、女が働いて社会を支えなければならず、西ドイツでも戦後まもなくは同様であったがすぐに元に戻ってしまったとか。労働し、社会的地位も強くなった女性は、自然に性欲も強くなったのだという。 次に、女性が労働をするために母子家庭でも生活できるシステムが充実した。子供の養育費、子供が生まれると住居が与えられるなど子供が負担にならないシステムが構築されていく。そのため、若い頃から性生活や子供養育に対する不安や抵抗がないのだという。 また、社会主義国家にとって若者の育成は重要である。国の礎として政治的洗脳を施すために、下手な反抗心を植え付けるわけにはいかないのだ。そのため、党自体が若者の性に寛容になり、早くから性教育を率先して行っている。若者たちは党公認のもと、正しいセックスライフを堪能するわけだ。若者たちは「特定の相手を作りたくない」「いろいろな相手を楽しみたい」「いろいろ試せる」などと驚きの発言を平然とするのだ。 西ドイツと、東ドイツの差はこのほかにもあげられている。性に開放的な東ドイツだが、実はポルノは禁止だったそうだ。ポルノ雑誌や映画は公然と見ることはできず、アマチュアのセックスビデオがアンダークラウンドで出回っていたそうな。その代わり、公式の性教育映画は充実し、青少年達はセックスに対する正しい知識を得ていくのだ。一方、西ドイツはポルノ映画が氾濫し、金で性も買える環境でありながら、教会の道徳感で性を語ることはタブー視され、1967年まできちんとした性教育が施されなかった。従って、逆に性に臆病になるのだ。東ドイツはやるセックス、西ドイツは見るセックスということか。 また、西ドイツでは女性がオルガスムに達することを重視するが、東ドイツは一体感を楽しむのだそう。ピルについても西ドイツでは避妊薬と言うが、東ドイツでは無料の妊婦用ピルという表現だそうだ。東ドイツでは1972年の法改正で12週まで中絶が許可された。 なお、男のモノの長さも、オルガスムの到達率も、性の目覚め、テクニックも東ドイツが勝っていたそうだ。 東ドイツでは1980年代頃にヌーディストビーチなどヌーディズムが大衆化する。国民の9割が経験しているそうで、裸に対する羞恥心やセックスの目的が大きく異なっていることがわかる。 だが、1989年のベルリンの壁崩壊と共に、東ドイツに西ドイツのポルノ文化が流入し、東ドイツの女は西ドイツの男に群れたがり、西ドイツの男は東ドイツに女を買いに行くようになったという。それから15年たち、すっかり旧東ドイツのセックス事情も均一化されてきたとのこと。興奮度★★★★★沈痛度★爽快度★★感涙度★
2009年04月29日
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2001 アメリカ 監督:シドニー・J・フュリー出演者:キャスパー・ヴァン・ディーン、ジェームズ・ウールヴェット、ボビー・ホセア、キャリー・オーティスほか118分 カラー GOING BACK DVD検索「フィアーズ・オブ・ウォー」を探す(楽天) ベトナム戦争で起こった誤爆事件を巡って、深い確執を負ったままの米海兵隊元上官とその部下が、戦後にベトナム入りして真実を解明しようとするアクション系ヒューマンドラマ。ジャーナリスト女性キャスリーンの仲介で両者の溝を埋めるべく、ベトナムの現地で事件の再現を試みようとするもので、ヒューマンドラマ的な要素もあるが、回想シーンではベトナム戦争のリアルな戦闘シーンも描かれ、アクション性も高い。 監督のシドニー・J・フェリーは、今や押しも押されぬB級映画名監督(笑)で、かつてスーパーマン4で失脚?してから、カナダを本拠地にミリタリー系アクション映画を作っているが、本作はその端緒を切った作品とも言える。自己陶酔的な、感傷に入りすぎの独特の映像観と、とにかく下手くそな(笑)ブツ切り編集が特徴なのだが、「アメリカン・ソルジャーズ(2005)」ではまずまずだったので、それなりに期待もしてみたが、結果はやっぱりムフフ・・・。 とにかく、監督が何に酔っているのかは知らないが、彼の感傷が視聴者からぐんぐんと遊離していってしまうのだ。ベトナム人を殺してごめんなさい的な、こっ恥ずかしくなるようなベタな展開なのに、全然引き込まれない。何故なんだろう(笑)。 それでも、彼の戦闘シーン描写は結構良い。アクション指導も十分だし、時代考証も悪くない。登場する兵器類は少なめで、ヘリのイロコイや装甲車、無反動砲搭載のジープが登場する程度だが、 戦闘シーンの映像割りも適度にスピーディだし、地下基地掃討戦や姿の見えないベトコンの恐怖感など、 リアル感は上出来の部類。、これだけ立派に戦闘シーンを描けるのだから、それに特化してしまえばいいのに、無用な感傷描写が思い切り邪魔してしまうのはもったいない。 役者陣もちょっと手抜いているかなあという感じ。主役のラムジー大尉役のキャスパー・ヴァン・ディーンは、B級映画の常連俳優らしい。結構格好いい顔立ちながら、著名作に恵まれない。確かに、本作でも妙にはずしちゃった感のあるオーラを醸し出しており、自分の魅力の出し方をちょっと勘違いしているのかな。 相方の女性役は報道記者役のキャリー・オーティス。彼女は有名ファンションモデルだったそうだが、この作品以降出演がないようだ。正直スタイルは良いけど、顔立ちは角張っていて口が大きいし、ちょっと怖い。確かに女優としては使いにくいかもしれないなあ。この二人の存在感が強すぎて、見ている側は別世界のようでちょっと引いてしまうかも知れない。 他の役者陣もテキサスの車販売員、刑務所の警備隊長、大学教授、牧師など、 個性的な配役ではあるのだけど、それがあまり生かされていない。どうせフィクションなんだから、もっと弾けたキャラクターでも良かったのでは。 本作のストーリー自体も、設定が今ひとつ意味不明。何故、報道記者とカメラクルーが彼らの確執に目を付けたのか、現地での再現検証を誰が言い出したのかなど、その必然性や現実味がとても薄い。学芸会的なノリで無理矢理こじつけた感が強い。また、現在とベトナム戦争当時 のフラッシュバックを多用しているが、これがまたウザい。戦闘シーンが卓越しているので、ベトナム戦争時は良いのだが、現代に戻ると一気にダラダラで見る気が削がれてしまうのだ。 キャリー・オーティスのヌードシーンもあるのだが、ちょっと入れ所を間違ったかな。 エンディングの映像と音楽はやたら力が入っている。スケール感のある映像と情緒たっぷりの音楽は、超大作の余韻を楽しむには最高の演出だが、本作では・・・・ここだけ浮いてしまっている(笑)。 アクション映画として見れば、回顧シーンだけはそこそこの出来。だが、ヒューマンドラマ部分は反戦的、平和的なメッセージはたくさん入っているけれど、それらは余り心に響いてこないし、確執が解けたあとの友情も・・・・。それが シドニー・J・フェリー監督の真骨頂なのだ(笑)。 興奮度★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1968年4月25日、南ベトナム共和国。アメリカ海兵隊のE中隊の進軍先にベトコンが潜んでおり、上空のヘリから連絡がある。ラムジー中隊長は反撃のために砲撃を要請するが、砲弾は味方の上に落ちてくる。軍曹らはラムジー中隊長を非難するのだった。 戦後しばらくの期間を経て、エコー中隊の生き残り兵、テックス(テキサスで車販売)、レッド(刑務所の警備隊長)、エリック(スタンフォード大学東洋言語学教授)、ジミー・ジョー(警備コンサルタント)、レイ(愛の光伝道教会牧師)の5名が報道記者のキャスリーンとともに、ベトナム社会主義共和国のタン・ソン・ニャット国際空港に降り立つ。そこにラムジー大尉の姿はなかった。 ラムジー大尉は交代で着任した中隊長で、前は高等戦術の教官だった。ベトコンの待ち伏せ包囲攻撃に的確に対応し、イントルーダーから燃料タンクを落下させて急場をしのぐなど、部下の信頼を集めていた。それだけに、あの事件で人が変わったと部下達は口を揃える。 一行はホーチミン市でベトナム人の歓迎を受け、元人民革命軍のグエン大尉の挨拶ののち、代表者が挨拶をすることとなったが、そこにラムジー大尉がやってくる。キャスリーンが電話で連絡したのだ。不快感を隠さない部下達を横目にラムジーは平和の尊さを訴えるのだった。 対立する両者にキャスリーンは、あの村で何が起こったかを話し合うべきと諭し、もう一度現地で再現しようと提案する。また、戦闘で行方不明になった衛生兵の息子キース・ジョーダンも合流する。 一行はベトコンの地下基地に連れて行かれる。そこにはたった3名の生き残りティーサイ元中尉(女性)が待っていた。当時掃討戦を行っていたラムジーらはベトコンの地下トンネルに悩まされていた。トンネルを発見したラムジー大尉は内部に入る志願者を募るが、衛生兵のドッグが手を挙げる。しかし、ドッグは内部に潜むベトコンの手投げ弾で負傷行方不明になってしまう。大尉とレイ軍曹は救出に向かい、内部の兵を掃討するが、地上ではベトコンの迫撃砲攻撃に曝されていた。エリック伍長、レッド、テックスらは迫撃砲陣地を襲いほぼ全滅させるが、それはベトコンの女性部隊だった。若い女性を殺してしまった罪の意識に気がおかしくなる彼らを、戻ってきたレイ軍曹がしかりとばす。しかし、そのレイ軍曹もただ1人生き残った若い女性兵を看護するのだった。それがティーサイ元中尉で、ティーサイは感謝の言葉を述べる。 次に一行はダナン市の元第2海兵隊司令部跡に向かう。そこには当時彼らが記したサインが残っており、行方不明になったキース・ドック・ジョーダンの文字もあった。 ラムジー大尉は次第に重い口を開き始める。戦争で一番酷かったのは、ベトコンとの銃撃戦後の司令官の言葉だった。一般の村を中佐がベトコン基地を決めつけ、ヘリで40体の民間人死体を落下させたのだ。ラムジー大尉は最高司令部に訴えるも、中佐は大統領とのコネで却下されたのだ。 また、ラムジー大尉は、米軍のB-52爆撃機の200kgナパーム弾攻撃で死んだ北ベトナム軍大尉の日記を持ち帰っていた。アーク灯任務と呼ばれた爆撃は、爆撃音が聞こえたときにはすでに遅く、そのままの姿で死んでいた。ラムジーはその日記に書かれていた妻のもとを訪れて日記を渡す。妻は感動し歌を歌ってくれるのだった。 なかなか真実を語らないラムジー大尉だったが、次第にキャスリーンに惹かれ始め、二人は愛し合う。 1968年の1月30日、北ベトナム軍はテト攻勢に出る。市街戦に巻き込まれたラムジー大尉らは包囲されてしまう。無反動砲ジープで打開する。しかし、ガニーやトップが戦死する。生き残ったベトコンの1人が民間人に紛れ込み、米軍の牧師を射殺。追跡したラムジーらは手榴弾を構えるベトコンに銃撃を加えてしまう。ラムジーは制止したが、仲間を殺された部下たちは民間人もろとも殺してしまったのだ。民間人虐殺によりラムジー大尉は指揮権を返上しようとするが、上官はそれを許さなかった。ラムジー大尉は民間人を撃たない方法もあったはずだと部下に言うが、部下達はベトナム人は皆敵だという気持ちが強く対立する。部下達はこの時の恨みでわざと誤爆させたのではと疑っているのだ。 事件の起きたトゥク・フォン村にやってくる。当時、そこでは南ベトナム軍少尉がベトコンの少女を拷問していた。ラムジー大尉はそれを阻止しようとするが、それを臆病風にふかれたと取る向きもあり、徐々に混乱が始まっていた。道路上の行軍を命じるラムジー大尉に対して、ついにレイ軍曹らが危険な命令だとして拒否。命令を無視して田んぼ道を進み始める。ラムジー大尉は軍法会議ものだと怒りながらも残った兵で道路上を進む。その時、上空のヘリからレイ軍曹らの進む先にベトコンが潜んでいるとの連絡があり、ラムジー大尉らは大声で退却を命じるが、聞こえない。やむなくラムジー大尉は砲兵隊に砲撃を要請するが、直後に南ベトナム軍少尉のいた村で爆発が起こり、焦った無線兵のテックスは誤った方位を伝えてしまう。砲弾はレイ軍曹らの上に降り注ぎ、チコ、シカゴといった兵が戦死した。 命令違反に怒ったラムジーがわざと味方の上に爆撃させたと思いこんでいた部下達は、テックスのミスだとようやくわかるが、既に現地で逆上していたジミー・ジョーはラムジーを射殺しようとする。銃弾はかばいに入ったレイに当たり、瀕死となる。ようやく事態をしったジミー・ジョーは泣き崩れ、自分のミスだと知ったテックスの狂乱する。だが、レイの命を救うため、ラムジーが一括し、ヘリの救援要請を頼む。 レイはなんとか一命を取り留める。ジミー・ジョーは裁判を覚悟するが、皆なかったことにしようと口裏を合わせる。帰国する部下達を見送るラムジーが「マリーン」と叫ぶと部下達は一斉に敬礼を返すのだった。
2009年04月26日
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2007 アメリカ・カナダ 監督:ブライアン・デ・パルマ出演者:パトリック・キャロル、ロブ・デヴァニー、イジー・ディアズほか90分 カラー Redacted!リダクテッド 真実の価値(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「リダクテッド 真実の価値」を探す(楽天) イラク戦争の最中に実際に起こった、アメリカ軍兵士によるイラク人少女レイプ・殺人事件を題材にした、ドキュメンタリー調ドラマ。監督は同様にレイプ事件を扱った「カジュアリテーィズ(1989)」のブライアン・デ・パルマで、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞したものの、FOXニュースが上映ボイコットを呼びかけるなど、話題を呼んだ。ストーリーの核となる事件は実際に起こったことだが、その前後の状況や細かい描写についてはフィクションとなっている。 本作は、実際の映像を用いるのではなく、兵士自身が撮影したプライベートビデオやフランスやイラクのテレビニュース映像、監視カメラ、youtubeなどのインターネット動画といった風体をなすフェイク(疑似)映像によって構成されている。いかにもドキュメンタリーのようにも見えるのだが、全て作り上げられた映像で、あくまでフェイクドラマということなのだ。 映画の元となる事件は、2006年3月にバグダッド南部のマハムディヤで起き、14歳のイラク人少女が米陸軍兵5人から性的暴行を受け、一家4人が殺害されたものである。彼らは検問所で酒を飲み、カードをしながら犯行計画したとされ、本作もそれを踏襲している。なお、軍法会議により、主犯格の1人ポール・コルテス軍曹には禁固110年の有罪判決が下っている。また、イラクテロ勢力は報復のために捕らえた米兵の首を切断して殺害している。 さて、フェイク(疑似)ドキュメンタリーという手法の効果だが、本物のドキュメンタリー映像に比べて、ショッキング性や生々しさが薄れる効果が発揮されているようには感じた。より詳細な描写をしながらも、やはりフェイクなんだという意識が強く働く。解説や評論では「ドキュメンタリーを超えたリアルさ」などと書かれていたりするが、どう考えてもドキュメントを超えることはないと思う。視聴者は映像の全てをそのまま鵜呑みにしているのではなく、色々と考えながら見ているのだから。従って、あまりそのリアリティということに固執する意味はないと思われ、むしろ実際に起こった事件をドラマ化して見やすくしたものと捉えた方が良いだろう。 また、監督は原題にあるとおり「リダクテッド(編集済み)」を主テーマにあげており、本事件の顛末を含め、アメリカに都合の悪いものは公表・報道されないということを指摘したいようだ。ベトナム戦争で米軍が学んだことは、反戦運動にならないよう報道規制をかけることなんだそうで、イラク戦争の真実の映像がリダクテッド(編集済み)されており、監督はリダクテッドされた事実を、フェイクによって再現しようというのだろうか。 ただ、残念ながら本作からはそのリダクテッドについては、余り響いてくるものがなかった。余り突っ込みすぎると、アメリカ社会で問題になると判断したのだろうか、監督の意気込みの割には大人しめで、肩すかしを食らった感じ。そもそも、このイラク人少女レイプ・殺害事件については、映像こそ出てこないが、結構報道もされているし、そんなにリダクテッドされている題材でもないような気はするのだが・・・。まあ、この題材を映画として取り上げたことには評価したい。 ストーリー的にはレイプに加担する兵がいる一方で、レイプを拒否する兵、傍観する兵といったバランス性、映像撮影に固執する兵が最後は自分が被写体になってしまう悲劇など、設定自体はなかなか興味深い。だが、ドキュメンタリー調の欠点とも言える人格描写や契機づけの浅さが気になる。どうしても深く描写しようとすると説明調になってしまうし、ドキュメンタリー風映像の中では描ききれない部分が多い。従って、犯罪を犯していく兵士や、それに加担するもの、拒否するものの心情変化が心に響かない。犯罪に苦悩して告発する兵士の葛藤も思ったよりも伝わってこないのだ。それも一つの手法なのかも知れないが、映画としての起承転結から言うと物足りなく、中途半端。 映像としては、やはり不満が残った。本物のハンディビデオとフェイクでは撮り手から伝わってくるものが違いすぎる。本作のハンディビデオ映像は、余計なものが排除されて綺麗すぎる。監視カメラ映像も鮮明に音声が入っているのも不自然。 登場する兵器類としては検問所に止まっているM1エイブラムス戦車や機銃装備のハンヴィーの姿が見える。銃撃シーンや仕掛け爆弾爆発シーンは結構リアル。 最後に、どうも合点がいかないことがある。本作には、とても憎むべき犯罪行為が描かれているのだが、その悲惨さや怒りというものを思ったよりも感じることができなかったのは何故だろう。終盤になるにつれて白けていく自分があり、それは監督のフェイク映像遊びに飽きてきたのかもしれない。描写も細かく、手の込んだ映像ではあったけれど、いささか映像遊びに走りすぎていたのかもしれない。題材が題材だけに普通のドラマ仕立てで作った方が、ずっと心に響くものがあったかもしれない。 興奮度★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 2006年4月、イラクのサマラにあるアメリカ陸軍駐屯地。E中隊所属のある分隊に属するメキシコ系サラサール上等兵は、映画学校に入学を夢見て、ハンディビデオでイラクの真実を撮ると張り切っている。分隊の仲間には妻帯者で弁護士のマッコイ特技兵、本を愛するゲイブ上等兵、南部出身で気の荒い二人組フレーク上等兵とラッシュ特技兵がいる。 彼らの任務は検問所で、それまでは戦闘らしい戦闘はなかったが、言葉の通じぬイラク人との接触は緊張を伴った。サラサールは取り留めもない映像を撮っていたが、イラクの真実を撮っているとは言い難い現状にやや不満だった。 ある日、検問所に制止をきかない自家用車が突っ込んでくる。軍曹の命令でハンヴィ上にいたフレーク上等兵が銃撃を加える。車内には産気づいた妊婦とその兄が乗っていた。言葉の通じぬ彼らは病院に急いでおり、検問所の通り方がわからなかったのだ。妊婦は胎児とともに死亡し、そのニュース映像がヨーロッパに流れる。基地に戻り、サラサールはカメラを回してフレークに気分を問う。フレークは戸惑いながらも「思ったほどビビらなかった。魚をさばくようなもんだ」とうそぶく。マッコイはこの言動に怒りを表すが、軍曹の「命令に従っただけだ」というとりなしで場は収まる。 6月になり、椅子などのゴミが置かれた場所に不用意に近づいたラッシュを、スイート曹長がたしなめる。仕掛け爆弾に気をつけろと。だが、そのスイート曹長自身が爆弾の餌食となって戦死してしまう。イラク人に憎悪の感情を強くするラッシュとフレーク。 テロリスト容疑のイラク人家屋に捜索任務で潜入する。泣きわめく家族をしり目に男を連行し、読めもしないアラビア語の手紙を押収する。その男の娘二人は通学路として検問所を通っていた。15歳の姉に性的興味を抱いたラッシュは検問の度に体を触る。 7月になり、酒を飲んでカード遊びをしていると、フレークが姉妹の家にレイプ(遠足)に行こうと言い出す。ラッシュはすぐに賛同し、サラサールもカメラに収めたい一心で同行する。ゲイブは拒否したが、マッコイは仲間の警護のためしぶしぶと付き合うことに。 気がふれたように家に潜入するフレークとラッシュ。マッコイは彼らを制止しようとするが、外に追い出されてしまう。フレークは騒いだ祖父と母親、妹を殺害し、15歳の姉をレイプした上で殺害する。サラサールはその一部始終を撮影するのだった。起こった事態に苦悩するマッコイだったが、ラッシュにきつく口止めされる。 家族を殺されたイラク人の父親はアメリカ兵の仕業だと確信し、怒りを覚える。ある日、カメラで撮影中のサラサールがテロリストに拉致される。翌日サラサールは首を切られた姿で野原に放置されていた。イラクのインターネットには少女レイプの報復として首を切断されるサラサールの姿が流される。 米軍はこのことを認めようとしなかったが、罪の意識にさいなまれたマッコイは匿名でネット上で告白。事件が明るみになり、分隊員は事情聴取を受けることに。マッコイは真実を話そうとするが、軍の上官は臭いものに蓋をしたい雰囲気だ。フレークとラッシュは悪びれるわけでもなく、上官の聴取にも開き直る始末だった。
2009年04月23日
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2008 日本(森の映画社) 監督:藤本幸久出演者:ドキュメンタリー118分 カラー DVD検索「アメリカばんざい」を探す(楽天) アメリカ海兵隊の新兵キャンプやイラク戦争帰還兵、脱走兵の姿を介して、ホームレスなどアメリカ格差社会の抱える問題をクローズアップしようとしたドキュメンタリー。アメリカのホームレスの三分の一が帰還兵なのだそうで、帰還兵や兵役拒否者、その家族など、多彩な人物が登場するが、全体的にはアメリカのホームレス事情を描いたような印象が強い。一応、米軍による劣化ウラン弾の使用、民間人虐殺、軍病院の新薬モルモットなど闇の部分も取り上げ、アメリカ批判、米軍批判を前面に出してはいるが、主題があちこちにブレがちで、以下にあげるような理由で、ひどく説得力に欠ける出来となった。映像的、内容的にも映画である必要はほとんどないレベル。 米軍の戦争後遺症(PTSD)や兵役拒否者(脱走兵)を扱った映画作品は近年増えており、PTSDでは「勇者たちの戦場 (2006米)」「アルティメット・ソルジャーズ(2007米)>」「ジャーヘッド・レスキュー(2007米)」、 兵役拒否では 「ストップ・ロス 戦火の逃亡者(2008米)」などがある。それらに比べると、平和ボケ国家日本で製作された本作はかなり甘い、浅いという印象は拭えない。取材対象の選定から始まって、その証言裏付け根拠、構成に至るまで、正直言って舐めてるのかという怒りさえ覚えるレベルだ。まあ、協賛が連帯、国労などといった制作サイドの背景を考えればそんなもんだろうとは思うが。 本作は貧困、格差を扱った題材ゆえに、登場する人物らはいわゆる社会の底辺層、アウトローに属する人たちだ。その彼らは軍や体制批判はするものの、非常に感覚的・感傷的で、理知的なコメントはほとんど見られない。もちろん、こうした人々を取り上げること自体は意味のあることだが、本作の支援者コメントなどでは「アメリカのごく普通の人々を取材」などという表現も見られ、彼らがアメリカ社会の一般的意見のようにすり替えられていくのが気になる。どうみてもごく限られた特殊な人々でしかないように思え、彼らの偏狭な視点から、アメリカ社会の一般論に仕立て上げることには違和感を感じざるを得ない。彼らがアメリカ社会の中でどのような立ち位置におり、どれくらいの割合を占めているのかがわからないことには、正確な理解には至らない。うがった見方をすれば、瑣末な出来事をことさら大事件に仕立て上げようとしている風に見える。 やはりドキュメンタリーとしてこうした問題を真面目に取り上げるなら、もう少し社会的に受容される知識層の意見は欲しいところだ。社会的に認知された証拠や、数字的なバックボーンをきちんと明示し、彼らと対極側の意見もきちんと取り上げて欲しかった。この作品では、社会弱者の愚痴にしか聞こえず、内容が薄っぺらいのだ。個人主義、自分さえ、自分の家族さえよければいいという風にさえ見えてくる。 ちなみに、脱走兵母子の例では、母親は息子を「スポーツ万能でとてもいい子だった。軍に入ってすっかり性格が変わった」などと言っているが、息子は「高校卒業後に職がなく、寄生していた祖母の家を追い出されて軍に入らざるを得なかった」のが実情らしく、「モンスター親子」の姿がちらついた。他の登場人物も多かれ少なかれ同様だ。 確かに、彼らのような考え方や生き方があるのも確かだし、尊重すべきだとは思う。だが、実際の兵士たちの多くは、正しいか正しくないかはともかく、逃げることなく義務を全うしているのであって、こうしたドキュメンタリーで軍や貧困格差を批判するのであれば、両者を対比する作りこみにしないと、視聴者は公平な判断ができないのでは。もちろん、端からそういうつもりがなく、単なる一方的アジテーション作品なら、別にそれでもいいんだが。 また、本作では、PTSDや脱走兵の増加の背景に、貧困層を対象にした騙し的徴兵制度にあるとしている。確かにこれはその通りだろうと思うし、アメリカ軍に限らず世界各国の軍でも同様の問題を抱えている。ただ、これだけ悲惨な状況と新兵勧誘の裏話があるにもかかわらず、何故アメリカ軍入隊の若者が途切れないのか。学費稼ぎや技能習得のために「貧困層が騙された」というには余りに短絡的すぎるだろう。そこには、同胞としての義務と責任、人間の尊厳や友情といった、社会共同体を形成する上での最低限のルールというものが存在しているはずだ。本作には、日本人には理解できないアメリカ人のルールというものの視点がまるで欠落してしまっているのだ。あの、アメリカ人の高慢とも言える愛国心とプライドを描かないことには始まらない。 まあ、そういうわけで、ドキュメンタリー、映画としての価値はかなり低いと評価せざるを得ない。アメリカにはこういう底辺層(ホームレス)の人々がいるのだ、ということを知ることができるのは価値があるが、ただそれだけ。日本の危機的将来像(徴兵制?)に直結させようとする意図もあるようだが、本作からはそこに結び付けるのは、相当妄想力が逞しくないと無理だろう。脱走兵やPTSD兵士については、すでに多くの映画作品やドキュメンタリーでも描かれているし、そこに内在する問題については様々な議論や問題提起がなされている。貧困層の入隊、戦争の不条理、アメリカの大義。そんなことはアメリカ人の誰もがわかりきっていることであり、葛藤し続けていることだ。よその国日本人が取り上げたところで、大多数のアメリカ人は余計なお世話だと感じるのではないだろうか。 もちろん、個人的には帰還兵のPTSDについては、かなり深刻な問題だとは思っているけども。 余談だが、ラストシーンに出てくる海兵隊新兵訓練場面でのおチビな指導教官。八百屋のようなしわがれ声になっちゃって、ずっと新兵訓練で声張り上げてるのだろうな。でも、やさしく銃の持ち方直してあげたりと、とっても優しい。 興奮度★沈痛度★★★爽快度★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) サウスカロライナ州の海兵隊新兵キャンプには毎週新兵がやってくる。教官の罵声のもと、髪を刈られ、電話口で肉親に機械的なあいさつを絶叫させられる。 イラク戦に参加し、少年を射殺しPTSDになった娘を持つアデール・クペインは、二度と娘を戦場に送らない決意を持ち、反戦を訴える。 息子をイラク戦争で失ったシンディ・シーハンも、子供を失った母親の気持ちを語る。 横須賀の海軍駆逐艦勤務だったパブロ・パレデスは日本人妻と結婚して、イラク派遣を拒否し服役させられた。今は兵士達の電話相談に乗っている。 ダレル・アンダーソンはスポーツ選手だったが高校卒業後に職が無く、やむなく陸軍に入隊。イラクに派遣後、2度目の派遣を言い渡され、母親の説得によってカナダに逃亡。その後、アメリカに戻り、なんとか職を得る。 湾岸戦争から従軍したデニス・カインは劣化ウラン弾に被爆し、そのことを訴えている。 こうした、戦争後遺症や兵役拒否者にはホームレスになるものも少なくない。ホームレスの三分の一が元兵士で、ベトナム戦争の元兵士も多いが、最近はイラク戦争の元兵士が若くしてホームレスになるという。 ワシントン州オリンピアにはホームレスの自主キャンプ「キャンプ・キホーテ」があり、支援組織「ブレッド&ローズ」には多くのホームレスが集まってくる。住所を与え、自立支援をしているが、そのボランティアの1人トム・スタンフィールドももとは麻薬中毒者でホームレスだった。アフガン、イラク戦に従軍したスティーブ・ローレンスも逃亡兵となり、今はキャンプで職業訓練をする身で、子供が7人もいる。フィリピン出身のサージは元海兵隊員で、麻薬には手を出さないが酒に溺れる。 その自主キャンプではホームレス同士のいざこざも多く、二人のホームレスが殺害される事件も起こる。また、ホームレスには政府の支援を切られた精神障害者たちも多いという。 アメリカ国内の基地の放射能汚染も問題となっている。ケリー空軍基地では労働に従事していた地域の住民がガンなどで次々に死去しているという。 軍の新兵勧誘所前では老婆達が座り込みをする。何度も逮捕されながらも嬉しそうに座り込む老婆達。 新兵キャンプでは新兵達が次第に一人前の兵士になっていくのだった。
2009年04月20日
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2007 イギリス 監督:クリストファー・スペンサー出演者:ジョン・ハナー、ケネス・クラナム、フローリアン・パンツァーほか90分 カラー LUSITANIA: MURDER ON THE ATLANTICU-20(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「U-20」を探す(楽天) 第一次世界大戦時にドイツ軍潜水艦「U-20」が、イギリス船籍客船ルシタニア号を撃沈した事件を描いたノンフィクション風ドラマ。イギリスのBBC放送が制作したテレビムービーで、一見「タイタニック(1997)」を彷彿とさせるサスペンスドラマ風だが、実際は撃沈事故そのものよりも、撃沈の背後にある政治的、軍事的思惑を暴くという趣旨が強い。描かれているイベント等は、史実にそれなりに忠実に作られているようだが、登場人物やそれに伴うヒューマンドラマ部分のストーリーはフィクションのようだ。 ルシタニア号は当時世界最速の豪華客船として名を馳せており、水密区画が装備された艦船として、いわばイギリスのシンボル的な船でもあった。そのルシタニア号がドイツの潜水艦によって撃沈され、約100名の子供を含む1,198名の死者を出してしまうわけだが、その撃沈劇には多くの謎が隠されている。その謎については現在もなお議論の余地が多く残されており、本作で取り上げられた内容のいくつかは賛否両論あるようだ。 まず一つ目は、当時禁じられていた民間船での武器弾薬輸送の有無である。当時はあたかもドイツ軍の民間船無差別攻撃として、ドイツは世界の非難をあびたのだが、ドイツが主張していたようにルシタニア号が173トンの弾薬類を積み込んでいたことは事実のようだ。しかも、ドイツは大使館を通じてルシタニア号の撃沈予告まで広告に出していたのであるから、その正当性は揺るぎない。事実、イギリス海軍は弾薬輸送を隠蔽するために、大爆発による撃沈(弾薬が誘爆したかどうかは依然不明)を魚雷数発によるものとして報道したが、戦後魚雷一発で沈没したことを認めている。 二つ目はイギリス海軍当局が、ルシタニア号撃沈の予測をどこまでしていたのかと言う点である。本作ではイギリス海軍がアメリカの参戦を引き出すがために、ルシタニア号の攻撃を利用したかのような描写になっている。非常に微妙な描写だが、奇しくも当時の海軍大臣は後の首相チャーチルであり、スキャンダル好きのイギリス人にとっては格好の題材だ。実際、ルシタニア号撃沈事件はアメリカの参戦に少なからず影響を与えたわけで、それが偶然の結果なのか、隠蔽工作だったのか、実に興味深い。 なかなか興味深い題材ではあるのだが、いかんせん映像等の考証がダメダメだ。映画を見始めてすぐに、はてこの映画の時代はいつだったかな?と疑問を感じるほどの違和感がある。映像が第二次世界大戦的で、服装もそうだが、背景の街並みの雰囲気が新しすぎるし、何といっても準主役級のドイツ軍潜水艦がXIIC型なのだ。ルシタニア号事件は1915年で、潜水艦U-20といえば潜水艦のひよこのようなものなのに、XIIC型は1936年製造の第二次大戦時の主要艦なのだ。たった20数年の差とはいえ、第一次大戦と第二次大戦の間には技術的にも文化的にも大きな隔たりがあるのであって、映画の時代感を大きく損ねる結果となった。やはり第一次大戦であれば、もっとゆったりとした時の流れと、稚拙な技術力の雰囲気を出して欲しかった。 なお、ドイツ潜水艦U-20の艦長はシュワイガー大尉で、1917年にドイツ最高栄誉を授与されるが、その2ヶ月後に戦死している。 内容的には事実告発的なものであり、イギリス本国のマスコミが自国の歴史を暴くというスキャンダラスさが新鮮だった。ドイツ軍の描き方についても決して残虐性を強調するばかりでなく、水兵の一人フォーゲルが民間船に対して魚雷発射を拒否するなど、人道的側面も描いている。戦時の命が、政治や軍部などの思惑によって操作されているのだ、ということを印象づけるにはインパクトがあるものであったが、反面チャーチルが劇中で語る、「(沈没で)死んだ(35名の)赤ん坊たちは、10万の兵に勝る(活躍をした)」という、アメリカの参戦を勝ち取った事実も歴史が語る一面であり、歴史の正否は結果でしか語れないのだということを強く感じる。 それにしても邦題が良くないね。やっぱりルシタニア号の名前を出すべきじゃないかと思う。興奮度★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1915年、イギリスはドイツに対し経済封鎖を行い、それに対してドイツは民間船の無差別攻撃も辞さないとの通告を出していた。 1915年5月1日、アメリカニューヨークの船着き場にイギリス船籍の豪華客船ルシタニア号があった。ニューヨークの新聞にはドイツ大使館の名でルシタニア号など民間船撃沈の警告広告が載せられ、乗客は不安に駆られる。船長のウイリアム・ターナーは、ルシタニア号が25ノットという高速を誇り、14ノット以上の船は潜水艦に撃沈されないと話し、安心させる。だが、積荷に弾薬173トンを積んでいることは隠していた。Uボート攻撃の危険性については、イギリス本国の海軍ホッブズ大佐にも知らされるが、その報告を無視する。船には、スコットランド人のホーバン教授や大金持ちのヴァンダービルト氏、歌手で愛人のドロシー、両親を失ってイギリスに渡る少女エイヴィス、幼い子供連れの夫婦など、2,000名あまりの乗客がいた。うちアメリカ人は 200人余り、子供も129名乗っていた。 ドイツ軍潜水艦U-20のワルター・シュワイガー大尉の艦はイギリス戦を撃沈するために、アイリッシュ海峡へ向かう。この行動はイギリスの情報部によって察知されていたが、イギリス海軍は暗号が解読出来ている事実を悟られたくないために、民間船への連絡をしなかった。 ルシタニア号とU-20の距離が徐々に詰まってきたが、海軍はUボートが近くにいるという警報を出すだけに留まっていた。何も知らないターナー船長は濃霧のために速度を15ノットに落とし、位置観測のために海峡中央から岸に寄せる。直前に海軍からコニング湾で漁船が撃沈されたことを知らされるが、詳細はわからない。 そんな矢先にU-20がルシタニア号を発見する。シュワイガー艦長は魚雷発射を命じるが、新兵のフォーゲルは民間船攻撃をためらう。しかし、艦長はそれを制して発射し、ルシタニア号に魚雷1本が突き刺さる。 ルシタニア号はすぐに傾斜を始め、機関に浸水したために速度を止められず、浸水が著しくなっていく。ホーバン教授は仲良くなった少女エイヴィスを連れて甲板に出るが、甲板上では救命胴衣の奪い合い、救命ボートに群がる人々で混乱していた。ヴァンダービルト氏は甲板で混乱する人々を誘導し、女子供を優先させようとする。そして歌手のドロシーを捜すが、ドロシーはエレベーターの途中に閉じこめられ、水没していく。傾斜がひどくなり、救命ボートがうまく降ろせない。女子供を優先させるも落下する人々が続出する。先に降ろしたエイヴィスも海に投げ出され、ホーバン教授は海に飛び込む。船は18分で沈没し、結局 94名の子供と35名の赤ん坊を含む1,198名が死亡する。運よくエイヴィスとホーバン教授は助け出され、ターナー船長は船と運命を共にしようとしたが、意識不明のまま救出された。 海軍のホッブズ大佐は積荷に弾薬を積んでいたことを隠蔽しようと画策を始める。ターナー船長が命令を無視したことや、無能であったことを証明しようと審問委員会の委員に根回しを図る。また、ドイツはルシタニア号が弾薬を積んでいたことを表明したため、ルシタニア号が魚雷1本でなく数本による撃沈であったと事実を捏造する。審問委員会ではホーバン教授が真実を知ろうと傍聴する中、裁判長の良識で2本の魚雷による撃沈としてターナー船長の責任は回避された。 だが、事実は隠されたままであり、アメリカを参戦させるためにルシタニア号が利用されたのだった。海軍大臣チャーチルは「死んだ赤ん坊は10万に兵に勝る」と語る。政府が守るのは政府自身なのだ。 U-20のシュワイガー艦長は1917年にドイツ最高栄誉を授与されるが、2ヶ月後に戦死。フォーゲルは反乱罪で投獄され、終戦まで投獄された。
2009年04月17日
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1942 イギリス 監督:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー出演者:ゴッドフリー・ティアール、エリック・ポートマン、ヒュー・ウイリアムズ ほか106分 モノクロ ONE OF OUR AIRCRAFT IS MISSING DVD検索「わが一機未帰還」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のイギリス空軍による欧州爆撃任務を題材に、オランダに不時着した英空軍クルーがオランダ人によって助けられるドラマ。いかにも航空機映画のようでありながら、そのほとんどはオランダ国内、しかも室内での掛け合いに終始するので、アクション性といった側面は薄い。とはいえ、本作は 1942年6月公開で、まさに英米空軍によるオランダ、フランス、ドイツ空爆の真っ盛りに製作されたという、超リアル作品なのだ。監督は「戦艦シュペー号の最後(1956)」「将軍月光に消ゆ(1956)」などを手がけたマイケル・パウエルで、イギリス映画的なサスペンス調を得意とする監督のようだ。 この作品は英情報省などのバックアップなどもあり、これから激しくなっていくドイツ軍との戦いを控え、戦意高揚的意図がかなり強いようだ。また、ドイツ占領下のオランダを舞台にし、戦争の命運を握る重要な役割を果たす現地オランダ人レジスタンスへの賞賛や、亡命王室オレンジ家への敬意といったものが強く感じられる。 ストーリーはいたって単純明快だが、随所にサスペンス、コミカル的な演出も見られる。冒頭の無人爆撃機が墜落するシーンから謎かけが始まっているし、搭乗員の一人ボブ・アシュレイ軍曹は元サッカー選手というのも伏線となっている。決して面白いというものでもないが、ただ堅いだけでは士気高揚にならないということだろうか。また、イギリス人、オランダ人には死者が一人も出ないこと、搭乗員(クルー)の構成に年配、若者混在で職業も俳優など多彩である点は、徴兵士気を高めるという点で配慮されているような気がする。 正直言ってストーリーの大部分を占める、オランダ国内逃避中の会話は余り面白くない。英語版視聴なので私の理解が乏しいというのもあるのだろうが、イギリス人、オランダ人の自慢のようにしか聞こえないし、リアル感に乏しいからだ。だが、本作でやはり興味深いのはさほど多くはないが、登場する実機たちだ。 撮影はイギリス国内で行われているが、登場する航空機類はほとんどが実物、実写だ。冒頭に登場する爆撃機は双発のヴィッカーズ・ウエリントン爆撃機で、墜落シーンこそミニチュアだが、実機が離発着、飛行の姿を見せてくれる。機内のシーンはセットを用いているが、コックピットの構造など結構リアルだ。本作の主役であるこの6人乗り爆撃機 B for Bertieには、操縦士ジョン・グリン・ハガード中尉、副操縦士トム・アーンショー中尉、ナビゲーターフランク・シェリー大尉、無線オペレーターボブ・アシュレイ軍曹、前方銃手ジェフ・ヒックマン軍曹、後方銃手ジョージ・コーベット卿少尉が搭乗している。ドイツ、ステュッツガルトのメルセデスベンツ工場爆撃任務の帰路に対空放火で被弾するのだ。爆撃機の名称にはこのほか、T(T for Tommy)、Q(Q for Queenie)、M(M for Mother)などがある。 このほか、帰還後に新機種に乗り換えるのだが、そこに登場するのは4発のショート・スターリング爆撃機。これらの機体はMGのマーキング(第7飛行隊)が描かれ、実際に本物の第7飛行隊の隊員がエキストラで出演しているらしい。 陸上兵器ではドイツ軍装甲車役でイギリスのガイ装甲車が2台登場する。独特の甲高いエンジン音が面白い。 海上兵器ではE-boats(高速魚雷艇)が登場するだけだが、海上の救難ヴイの存在が興味深い。墜落など遭難した兵員を海上で収容するための施設のようだ。 本作で変わっているのは、音楽がほとんどないこと。効果音も少なめだし、ごく自然感を出そうという意識を感じる。ただ、その分作品としての重みが感じられないのだが。 全般にインパクトが薄く、さほど面白いとは感じられない作品だった。だが、制作年のことを考えれば、やはり貴重な作品なのだと言えよう。(参考)http://en.wikipedia.org/wiki/One_of_Our_Aircraft_Is_Missing興奮度★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1941年、ある日曜日の朝4:31イギリス空軍基地付近で帰路途中の爆撃機B for Bertieが鉄塔に激突して墜落する。機体にはどうやら人は乗っていないようだった。 この物語はこれより15時間早くに始まっていた。基地の司令官レイノルド大佐はジョージ・コーベット卿少尉の搭乗申し出を許可していた。コーベット卿は後部銃手としてウエリントン爆撃機B for Bertieに乗ることとなった。 爆撃機Bはドイツのシュツットガルトにあるメルセデスベンツ工場の爆撃任務を命じられた。離陸前にナビゲーター(航法士)のフランク・シャーレイ大尉は歌手である妻の演奏を帰還後に聞きに行く約束をする。無線士のボブ・アシュレイは戦前の1938年にシュツットガルトのサッカーチームでプレイしていた経験があった。 21:40分に爆撃機は離陸を開始する。オランダ上空に達するとドイツ軍の対空放火が激しくなってくる。敵機を警戒しながら、途中で宣伝ビラやワインを投下し、ついにシュツットガルト上空に達する。高度を下げて無事に爆撃を完了するが、対空放火によってエンジンが被弾してしまう。なんとか、片肺で飛行を続けるもオランダのアーメルスフォールト上空に達した時点でエンジンが両方止まってしまう。パイロットのジョン・グリン・ハガード中尉は機体放棄を決意し、パラシュート降下を命じる。全員が脱出した後、機体は再びエンジンを復活させ飛んでいってしまう。 搭乗員は林の中に落下するが、ボブ・アシュレイ軍曹だけ姿が見つからなかった。五人は林の中で遭遇したオランダ人の子供たちに連れられて教師のエリツェ・ミーティン女史のもとに行く。そこには多くのオランダ人が集まっていたが、彼らはドイツ抵抗分子でもあった。だがエリツェらは彼らをなかなか信用しない。六人目はどこにいる、制服は誰でも手に入る、機体が墜落した情報はないなど押し問答の末、ようやく信頼を得る。なんとかオランダ人の手を借りて海上に脱出しなければならない。エリツェによれば、海岸でヨー・デ・フリースという未亡人が待っていると言う。彼女は夫が英軍の爆撃で殺され、イギリスを憎んでいるふりをしてドイツ軍に信用されているのだという。 彼らは食事と服を与えられて、まず教会に移動することに。オランダの木靴に履き替え、フランクは女装のうえ自転車で教会に。ドイツ軍は一つのパラシュートを発見し、教会にも捜索に来る。緊張の中ドイツ軍の捜索隊は帰っていく。 次に一行は市長の家に。そこで食事を取っていると親独の男デ・ジャンがやってくる。彼は一行がイギリス人と知り、ドイツに通報しようとするが、居合わせた牧師らはそれを阻止する。デ・ジャンが市長の子のコルネリにドイツ軍に届けさせた蓄音機からはオランダの祝歌が流れ、皆デ・ジャンの仕業になるぞと脅すのだった。一行はサッカーの試合を見に行くが、そこで目撃したのは試合をするボブ・アシュレイだった。ボブも運河に降下し、牛に乗ったトラックで移動して無事だったのだ。六名に揃った一行は、ようやくヨー・デ・フリースの家に。 ドイツ軍の検問を抜けた一行はヨー・デ・フリース夫人と合流し、裏道や小屋裏を抜けて夫人の部屋に落ち着く。脱出の機会を窺いながら、ラジオを聴いていると、ラジオからフランクの妻の歌声が聞こえてくる。妻の演奏時間だったのだ。ヨー・デ・フリース夫人は彼らにロンドンにいる夫の住所を渡す。実は夫は生きており、ロンドンのラジオオレンジのアナウンサーだったのだ。 イギリス軍の夜間空襲が始まり、この機に乗じて一行は地下道を移動する。しかし、オランダ人同志ルイスがボートで待っている場所にはドイツ兵がおり、ヨー・デ・フリース夫人が何とか場をしのぐが、背後からもドイツ兵が来てしまう。一行は仕方なくドイツ兵を殺害し、夫人の所にいたドイツ兵2人も殺害する。 一行は、ボートに乗り、夫人らと別れる。あとは見張りのドイツ兵がいる跳ね橋の下まで漕ぎ、2つのダイヤが描かれた船を待つのだが、うまく合流できない。仕方なくボートを漕いで移動するが、ドイツ兵に見つかってしまい、コーベット卿が背後から撃たれてしまう。 翌日の朝7:42になり、一行はドイツ軍が設置した救助ブイの中にいた。中にいたドイツ兵2名を捕虜にし、イギリス軍の救援を待っていると、2隻の高速魚雷艇がやってくる。ドイツ軍かもしれず、しばし沈黙していたが、それはイギリス軍だった。魚雷艇に乗り換えようとするが、重傷のコーベット卿は動かせなかった。しかたなく魚雷艇はブイごと曳航して本国に帰還する。 それから3ヶ月後、再び後部銃手として志願するコーベット卿の姿があった。今度はもっと大型の最新鋭機が彼を待っていた。
2009年04月16日
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1993 アメリカ 監督:オリヴァー・ストーン出演者:ヘップ・ティー・リー、トミー・リー・ジョーンズ、ジョアン・チェン、ハイン・S・ニョールほか141分 カラー HEAVEN&EARTHワーナーエンターテイメントジャパン 天と地 特別版(期間限定生産) DVD検索「天と地」を探す(楽天) 実在のベトナム人女性レ・リー・ヘイスリップの自伝を元に制作された半世記で、「プラトーン」「7月4日に生まれて」などヴェトナム戦争もので知られるオリヴァー・ストーンが監督した作品。ベトナム戦争の勃発とともに、ベトコンとアメリカ軍の間で振り回され、生きるために性を売り物にしながらも、米兵と結婚しアメリカで成功するなど、たくましく生きていく姿を描く。だが、単にサクセスストーリーというのではなく、彼女の家族の苦悩をはじめ、米兵やベトミンの苦悩など、ベトナム戦争が生み出した功罪について深く描いている。 レ・リー・ヘイスリップはベトナム中部の小さな村キーラに生まれ、ベトコンとして戦闘に参加したこともあるという。ベトナム中部の村は、昼は米軍(南政府軍)、夜はベトコンに支配されるという非常に苦難の生活を強いられたことで知られ、男には死、女には性の奴隷という道が待っているのだ。ベトナムは古くは中国、フランス、日本と戦い、アメリカの後は再び中国との戦いを強いられている。 オリヴァー・ストーンの作品は嫌いではない。だが、彼の性格なのだろう、主人公にかなり思い入れてしまう傾向があり、映画作品としては佳作か駄作か思い切り別れてしまいがち。本作は主人公であるレ・リーを演じたヘップ・ティー・リーの存在感がいま一つ薄いことと、アメリカ海兵隊一等軍曹の夫役のトミー・リー・ジョーンズが濃すぎたためか、正直言ってバランスが悪すぎる。ただでさえ、波乱万丈の人生を描いた141分と言う長尺映画なので、バランスの悪さは致命的だ。 また、クライマックス的な箇所が途中に幾度もあり、何度も盛り上がっては冷めを繰り返すといい加減集中できなくなる。さらに原作がそうなのかもしれないが、題名にある「天と地」のような哲学的な表現が多く、なかなか難解。もう少し、コンパクトにまとめ上げた方が良かったのでは。 ヘップ・ティー・リーはベトナム生まれの女優で本作が映画デビュー作のようだ。ヌードも披露し、東洋人独特のチャーミングさに魅かれるが、アメリカに渡ってからのボンバーヘッドにはやや引いた(笑)。トミー・リー・ジョーンズはなかなか難しい役柄を好演してはいたが、何せ缶コーヒーのCMでの宇宙人役のイメージが強すぎて(笑)・・・。このほか、レ・リー・ヘイスリップ本人が宝石商の役で登場しているらしい。 オリヴァー・ストーンだけあって、映像のスケール感と細かい描写はなかなかのもの。タイでロケされたようだが、東南アジアらしい農村風景が美しく、影や太陽を有効に利用した映像美が光る。また、上空からの俯瞰映像が秀逸で、平穏な農村に登場する兵器が良く似合う。音楽も美しく、かなり上出来。 登場する兵器類には定番のUH-1イロコイのほかに、F-80シューティングスター、トランザールC-160A輸送機?などの姿が出てくる。陸上兵器ではM-113装甲兵員輸送車やM41ウォーカー・ブルドック軽戦車が登場する。 また、少女たちへの拷問シーンは足に蜂蜜を塗って蟻をたからせたり、胸元に蛇を入れたりと、なんともエロえぐい。 一生懸命作ったという努力感は伝わってくるが、全体の完成度には疑問が残る作品だった。決して駄作とは言いたくはないが、どこか制作者側と観客側の気持ちがすれ違ったような印象が強く残った。興奮度★★★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1949 年にベトナム中部の農村キーラで、小作農民のプング夫婦のもとに女の子レ・リーが生まれた。かつてフランスの支配下にあった村はレ・リーが10歳になったとき、今度はアメリカとの戦争が勃発する。村にやってきたベトコンに影響され二人の兄はベトコン兵士となる。大好きだった次兄サオがいなくなったことに悲しむレ・リーだったが、次第にベトコンのスパイとして活動を始める。村は昼は政府軍、夜はベトコンによって支配されていたのだ。 だが、ある日レ・リーはスパイ容疑で南政府軍に捕らえられ、厳しい拷問を受ける。レ・リーは口を割ることなく耐え、父親の用意した保釈金で釈放される。しかし、今度はベトコン側にスパイ容疑を掛けられ、兵士によってレイプされてしまう。レ・リーの身を案じた母親はサイゴンに移って暮らすことにする。二人は金持ちのベトナム人の使用人として働くが、妻帯者の主と恋に落ち、子供を身ごもってしまう。妻のマダムリンに家を追い出されたレ・リーはダナンの闇市で生計を立て、子供ハン(ジミー)を出産する。しかし、生活は苦しく娼婦をする姉キムにすがって生きるしかない。そして、ついにレ・リーも体を売ることになる。キーラ村に残っていた父は体を悪くして死んでしまう。 そんな時にアメリカ軍海兵隊一等軍曹のスティーブ・バトラーと出会う。離婚歴のあるバトラーの強い求愛にレ・リーも折れ、ついに結婚することに。3年がたち、バトラーとの間に子供トミーも出来た頃、サイゴンにベトコンが攻め入ってくる。撤退するバトラーとともにレ・リーは二人の子供を連れてアメリカのサンディエゴに移り住むことに。母も誘うが、母は父の残した土地を守るためにベトナムに残る。 アメリカでは優しい母親たちに迎え入れられるが、習慣の違いなどからなかなか馴染むことが出来ない。それでも、優しいバトラーに支えられ生活していたが、バトラーが戦争後遺症によりおかしくなってくる。すれ違いと喧嘩のあげく、二人は離婚を決意する。だが、バトラーはそれに耐えられなくなり自殺。レ・リーは子供たちを育てながらも事業を成功させていく。 1986年になり、アメリカで成功したレ・リーは息子達を連れてベトナムに里帰りする。長男を実父に会わせ、ベトナムの母親や生き残った長兄とも再会する。しかし、没落した元主人や老いた母や姉ハイ、やつれた長兄ボンの姿は見る影もなく、ベトナム戦争の残した陰がレ・リーに重くのしかかるのだった。南北、東西に翻弄されてきたレ・リーは天と地の間に生きる宿命だったのだ。
2009年04月13日
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1952 アメリカ 監督:アンドレ・ド・トス出演者:ゲイリー・クーパー、フィリス・サクスター、デヴィッド・ブライアン、ポール・ケリー、フィル・ケリーほか93分 カラー SPRINGFIELD RIFLEスプリングフィールド銃(DVD) ◆20%OFF!DVD検索「スプリングフィールド銃」を探す(楽天) 南北戦争を舞台に、北軍の輸送作戦を妨害する南軍スパイを探るサスペンスアクション。いわゆる西部劇的な傾向が強い作品で、ゲイリー・クーパーを主役とするヒーロー活劇でもある。表題のスプリングフィールド銃とは、本作では北軍の制式採用となったレバーアクション小銃M1873のことを指しており、1発ずつ弾込めしなくてもよい新型銃である。だが、生産は南北戦争終了の1865年より後の1873年であり、時代錯誤がある上に、本作品のストーリー上、スプリングフィールド銃の存在が占める割合は低いので、命名としてはやや疑問がある。 銃のことはさておき、ストーリー自体は二転三転する謎解きムードでなかなか楽しめる。ヒーローであるゲイリー・クーパーが悪者になるはずがないので(笑)、薄々と先が読めてはいるものの、展開するテンポの良さもあいまって画面に引き込まれる。ただ、ラスト近くの作りがやや粗雑で、表題のスプリングフィールド銃が登場する辺りから怪しい雲行き。せっかくそれまでのサスペンス的な緊張感が粗雑なアクションで台無しになってしまっているのが残念だ。 もちろん北軍カーニー少佐役のゲイリー・クーパーの存在感は素晴らしいが、脇を支える役者陣の個性もなかなか豊かだ。上官のハドソン中佐役のポール・ケリー、テニック大尉役のフィル・ケリーが自身の存在感をたっぷりと表現しており、ゲイリー・クーパーが浮きすぎない役割をはたしている。 南北戦争とはいえ、南軍と北軍の戦いはなく、南軍側のゲリラとの戦いなので、小銃と拳銃といった程度の戦闘シーンしかない。いわば典型的な西部劇であって、勇猛な戦闘シーンは期待できない。ただ、撮影スケールはまあまあの規模で、荒野を使用した野生馬の群居シーンは立派。まあ、もう少しロングショットで空間を表せていたらとは思うが、この時代ならこんなものか。 勧善懲悪の西部劇を楽しむならば及第点。でもそれ以上のものではないことも確か。興奮度★★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) アメリカ合衆国北軍は来る総攻撃に控え、馬の調達を図っていた。しかし、ことごとく輸送ルートで謎のゲリラに襲撃されて失敗に終わっていた。ハレック将軍は作戦部長のシャープ大佐に対策を講じるよう命じる。しかし、兵員の増加も探偵(ジョージ)も一人しか雇えず、難儀する。 シャープ大佐は現地の司令官ジョン・ハドソン中佐のもとを訪れ、ハドソン中佐は第5騎兵隊新任のレックス・カーニー少佐がグレイロック峠を越える新しいルートで馬の輸送任務を遂行中だと答える。今回は成功かと思われたが、再び数倍の敵に待ち伏せされ、カーニー少佐は馬を放棄して退却する。 戻ったカーニー少佐をテニック大尉が敵前逃亡したと告発する。かつての教え子だったカーニー少佐を擁護するハドソン中佐だったが、結局軍法会議にかけざるを得ず、軍法会議ではかつての部下スノウ軍曹らがカーニー少佐は勇敢だったと弁護するも、有罪判決で軍を罷免されてしまう。今度軍の敷地に入ったときは銃殺だ。 カーニーのもとへ妻エリンが訪ねてくる。息子のもとに帰って欲しいと頼む妻にカーニーはまだやるべきことがあるといって断る。カーニーは地元の村に留まっていたが、ある日作戦に失敗したテニック大尉と喧嘩となり、思わず軍の敷地内に入ってしまい、逮捕される。同時に捕虜となった二人の男シムズとミゼルとともに収監され、3人は協力して監獄から脱走に成功する。3人は北軍に馬を納入している牧場主マクールのもとに行く。ゲリラの黒幕は脱走の手引きをしたピート・エルムとともにマクールだったのだ。 マクールは5回の襲撃で1000頭の馬を獲ており、南軍に売り渡しにいくことに。カーニーもその手伝いをすることとなる。エルムはカーニーに事ある毎に反抗するが、カーニーは力でそれをねじ伏せ、マクールの信任を得る。 マクールのもので馬を売るカーニーを見て、エリック大尉は苦々しく思っているが、カーニーが密かに入っていった小屋にエリック大尉も入っていく。そこにはシャープ大佐、ラムジー・プール軍曹らがおり、実はエリック大尉との確執も全て隠密作戦だったのだ。カーニーは息子が父の汚名を恥じて家出したことを知らされ、任務を終了して欲しいと願うが、シャープ大佐は許さない。そして、マクールを殺害するよう命じる。マクールの後がまに座れば、北軍にいる南軍スパイからの接触があるだろうと踏んだのだ。 カーニーは泣いて頼む妻を無理矢理帰らせ、テニック大尉との連携作戦を実行する。テニック大尉の攻撃でマクールが死亡。しかしテニック大尉も戦死してしまう。カーニーは無事にマクールの後がまに座り、エルムと協力することに。しかし、なかなか南軍スパイからの連絡がない。そしてついに南軍スパイからの連絡がある。なんとそれはハドソン中佐だった。馬の買値の下二桁が地図の番号だったのだ。 シャープ大佐らはハドソン中佐の摘発に乗り出そうとするが、息子が発見されたとの報をカーニーが妻に知らせたために、ハドソン中佐が感づき、ハドソン中佐はシャープ大佐やプール軍曹らを殺害し、カーニー少佐も捕らえてしまう。シャープ大佐殺害の汚名を着せられたカーニー少佐は処刑の直前にスノウ軍曹によって救出される。カーニーと6名の兵は、新型のスプリングフィールド銃を携えて、ハドソン中佐のいる襲撃場所に向かうが、すでにジョンソン中尉の隊が襲撃を受けて引き返す途中だった。カーニー少佐はジョンソン中尉らに新型銃を与えて、ハドソン中佐らを襲撃することにする。 包囲されたハドソン中佐らゲリラ隊はなんとか逃げようとするが、新型銃の威力に壊滅する。カーニー少佐は逃げるハドソン中佐を捕らえるのだった。 カーニー少佐は戦功から情報省長官に推薦され、息子も無事に戻ってくる。そして、スプリングフィールド銃は制式に標準装備になるのだった。
2009年04月09日
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2007 アメリカ・カナダ 監督:アラン・ハーモン出演者:マイケル・マドソン、スティーブ・ベーシック、ゲイリー・ストレッチほか103分 カラー AFGHAN KNIGHTSアフガンナイツ(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「アフガンナイツ」を探す(楽天) 内戦やテロリストで混迷するアフガニスタンに潜入した傭兵が、チンギス・ハーンが残したモンゴルの秘宝を巡るトラブルに巻き込まれていくサスペンス・ホラー。てっきり戦争映画かと思って視聴したが、お粗末なB級ホラーだった(泣)。 一応アメリカ人の元軍人らによる傭兵が要人護送のためにアフガニスタンに密入国し、パキスタン国境警備隊などと戦闘を繰り広げるシーンもあることはあるのだが、ほとんどは意味不明のゴーストととの戦いに終始する。チンギス・ハーンやジャムカの魂が込められたという秘宝の矢を入手しようとするあたり、いわゆるインディー・ジョーンズシリーズのような冒険アクション的なノリもないわけではないが、役者のオーラ感といい、ストーリー性と言い、その比ではない。 フラッシュバックなどブツ切りのシーン編集も良くないのだが、登場人物の名前も顔も一致しにくく、核となるサスペンスやホラー部分の蓋然性が欠如しているので、全然面白くなく、何でそうなるの?という疑問ばかりが残る。どうせゴーストの繰り出す摩訶不思議な光景を描くのなら、中途半端でなくとことんやった方が良かったのに。 また、伏線的なシーンの堀り込みが浅いので、どんでん返し的な期待感も盛り上がりそうで、盛り上がらない。ほとんど、先が読めていてバレバレ。 映像的にもかなりチープで、登場する兵器類はジープの類と小銃、機関銃がメイン。唯一ラストにUH-60ブラックホークヘリが飛んでくるのみ。火薬使用量も乏しく、撮影フィールドは渓谷と洞窟のみ。まあ、これではアフガニスタンという雰囲気を出すのは到底無理だったと言えよう。 総じて、アクションもサスペンスもホラーも全て中途半端な結果で、残念なB映画でしかなかった。興奮度★★沈痛度★爽快度★感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1930年代、ソヴィエトのスターリンはモンゴルを弾圧し、モンゴルの北方寺院にあったチンギス・ハーンと盟友ジャムカの魂が込められた二本の矢は一人の僧侶によってアフガニスタンに逃されていた。その矢を手に入れると力を得ることができると言い伝えられていた。 アメリカ軍元軍曹のペッパーのもとにエージェントのクーパーが訪ねてくる。アフガニスタンの要人アマードが国外に逃れたいとの要望があり、報酬15万ドルで護送を依頼したいというのだ。前回ミッションでアフガニスタンに義弟ジョニーを残してきたことに悩むペッパーは、それを受諾する。メンバーには黒人のJ・T、ゲイのフランク、元傭兵のリックの息子ジョーイを集める。 パキスタン国境に集合したペッパーらに、クーパーが雇った元SASのナッシュが加わり、出動する。このミッションは米軍の公式のものでなく何の援護もないもので、できるだけ会敵を避けたかったのだが、アフガニスタン国境でパキスタン国境警備隊に遭遇し、多額の金を要求されたために殺害してしまう。 アマードの潜伏する村に到着し、アマードと接触し護送を始めるが、荷物を軽くするためにアマードは妻のうちの一人を殺害する。渓谷の道を移動するうちに、ナッシュが用を足すために車を止める。付近には死んだ少年と謎の黒こげの死体が横たわっていた。姿の見えなくなったナッシュを探しにペッパーらは車を離れるが、そこに米軍のピンポイント攻撃を受け、ペッパーらは洞窟に逃げ込む。洞窟の入口が爆撃でふさがれて、ペッパーらは閉じこめられてしまうが、そこで行方不明だったジョニーと再会する。ジョンは捕虜となりタリバンに売られて生き延びていたのだという。ジョンによればこの洞窟は怪しい雰囲気に包まれ、この地は霊に取り憑かれているという。 白い衣装をまとった女の霊が出現し、フランクはその後を追いかけるが、フランクは肝臓をえぐり取られて死亡する。一行は出口を探すが、アマードが妻のソラヤとセックスをしているうちにアマードは霊によって焼死してしまう。怯えるソラヤをジョーイがなだめるが、ジョニーの雰囲気がおかしい。J・Tのサーモグラフにジョニーの体温が映らないのだ。J・Tは出現した少年の霊の音声に気が狂って頭を強打して死亡する。 一方、ナッシュはリュックの中にあの二本の矢を携えていた。問いつめるペッパーに、クーパーに頼まれたのだと告白し、白い女の霊に腹を切り裂かれて死亡する。 リックは連絡が取れない息子達を案じ、クーパーを説得して米軍の救援隊を派遣させる。ジョーイとソラヤが見つけた穴から脱出するが、ジョニーは「私はハーンだ」と叫び、ペッパーを刺そうとする。これまでの殺人は全てペッパーが幻覚にまどわされて行った行為だったのだ。我々に加われと言うジョーイだったが、ペッパーが矢を折ると正気に戻る。だが、余りに弱りすぎていて死亡する。 ようやく洞窟から脱出したペッパーはヘリに乗ってきたクーパーに矢のありかを教える。クーパーは洞窟内に降りるが、垂らしていたロープは引き上げられるのだった。
2009年04月05日
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1955 アメリカ 監督:ジョン・V・ファロー出演者:ジョン・ウエイン、ラナ・ターナー、タブ・ハンター、デヴィッド・ファーラーほか117分 カラー THE SEA CHASE<WARNER COLLECTION 今だけ \980 2008 Winter>[DVDソフト] 男の魂 (期間限定生産) DVD検索「男の魂」を探す(楽天) 第二次世界大戦時、オーストラリアに寄港中のドイツの貨物船船長が友人の乗る英軍駆逐艦と繰り広げる船舶チェイスと、乗り合わせたドイツ人女性スパイとの恋愛を描いたヒーロードラマ。ジョン・ウエイン主演ということで、あくまでヒーロー型映画の範疇を出ないが、アクションやサスペンス的なノリも盛り込まれており、そこそこ楽しめる娯楽作品となっている。ただ、内容の濃さに比して、若干長めの映画でダラダラ感があるのも否めない。今となってはやはり古い作品というイメージを拭うことは出来ない。 ジョン・ウエインは元海軍士官でナチスドイツ批判をして民間に降りた船長役。対するのはイギリス海軍駆逐艦で航海長を勤める少佐役のデヴィッド・ファーラー。これにドイツ人女性スパイ役のラナ・ターナー、ドイツ貨物船一等航海士役のタブ・ハンターの4名で実質まわっている映画だ。それだけに各役者の個性が際だった作品で、さすがに見応えはある。 ストーリーはドイツとイギリスの開戦を背景に描かれているが、アメリカが描いているだけに結構いい加減な感じ。さすがに貨物船からイギリス駆逐艦を攻撃することはないけれど、なかなか蒸気船の貨物船をキャッチ、攻撃することが出来ないイギリス海軍は情けない。艦船アクションとしては今ひとつ盛り上がらないのもちょっと残念。 おきまりの女性を巡る恋愛も盛り上がるようで、さほど盛り上がらない。ジョン・ウエインものって結構そういうのが多いような気がする。憎々しい雰囲気のラナ・ターナーはお色気たっぷりだが、ジョン・ウエインは無愛想なくせに、やるときだけはやるというのも(笑)、何だかなあ。まあ、ヒーローだからそれでいいのかもしれないけど。 イギリス海軍駆逐艦として登場するのは1本煙突の軍艦(No.315)。アメリカのものだろうが、今ひとつ該当するものがわからなかった。沿岸警備のフリゲートかコルベットだとは思うのだが。 レアな設定な作品だけに、内容的には面白いことは面白いのだが、ちょっとインパクトには欠ける嫌いはある。ジョン・ウエインのヒーローぶりを堪能した人には楽しめるかも。興奮度★★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) オーストラリアのシドニー。ドイツ軍のポーランド侵攻が迫る中、ドイツのおんぼろ貨物船エルゲンストラッセ号が出港を控えていた。船長は元ドイツ海軍士官のカール・エーリッヒで、政府に異をとなえて民間に降りた人物だ。そのカールを訪ねて友人のイギリス海軍航海長ジェフ・ネーピア少佐が美しい女性エルザ・ケラーを連れて訪ねてくる。カールはエルザの浮き名を知っており、ネーピアが席をはずした隙に追い払ってしまう。 いよいよイギリスのドイツ宣戦布告が迫り、オーストラリアの総領事は万が一の場合は船を爆破するよう命じる。だが、カールは意地でも出港を試み、宣戦布告された晩に出港することに。出港間際に逮捕される前にドイツの諜報員を乗せてくれと頼まれ、出港する。 カールは諜報員を船長室に招くが、それはエルザだった。困った船長だが、エルザに船長室を貸し、勝手に船内を歩き回らないよう命じる。 カールは追跡を開始したイギリス海軍から逃れるため、横浜へ行く予定を変更し、オークランド諸島へ向かうことにする。ネーピアの乗る駆逐艦ロックハンプトン号もカールの貨物船を捜索するがなかなか見つけることが出来ない。 搭載した石炭や食料が枯渇しはじめ、カールは諸島の遭難者避難所から食料を調達することに。島に乗り込んだ一等航海士のキルヒナーは食料を奪った後、勝手にそこにいた3人の漁民を殺害してしまう。さらに、燃料が足りなくなったため、船内にある家具や救命ボートを解体して薪にするよう命じるが、救命ボートがなくなることに船員達は不満を持つ。特にシュライターはカールに敵意をむきだしにする。 ポンポンガリ島に到着し、そこで燃料用薪の伐採にかかる。元通信兵だった老人ハインツは山頂で見張りにつき、ハインツに食事を届けにいったカールとエルザは恋に落ちる。シュライターは事故を起こし、二人分働けとカールに命じられるが、次第に和解し始める。また、船内に鼠が繁殖したために、カールは腐った食物で鼠をおびきだして退治する。さらに、ステムが海水浴中にサメに襲われ、壊疽がひどくなって自殺してしまう。 そんな間に、ネーピアらイギリス海軍は漁民の虐殺事件を知り、カールらを激しく憎む。カールもオークランドでのキルヒナーの殺害事件を知り、キルヒナーを強く叱責する。 いよいよ出港となり、病気のヴィンクラーとハインツを島に残し、エルゲンストラッセ号はパルパライソに向かう。島に残った二人は後からきたイギリス海軍の捕虜となり、船は爆破したと嘘を付く。イギリス海軍は他戦域の急変もあり、エルゲンストラッセ号の追跡をあきらめる。 中立地のパルパライソに着いたカールは大歓迎を受ける。ドイツの新聞は英雄扱いとなり、漁民殺害の件も敵通信兵であったと嘘の情報を流していた。その場に立ち会ったネーピアはカールを殴って去る。カールはいずれキルヒナーに出頭させるつもりだ。 エルザはこの場に降り、カールは再びドイツに向けて出発する。だが、ノルウェー沖に至ったところで、ドイツ軍情報部はカールを囮作戦に利用し、情報を流す。ネーピアはカールの貨物船を撃沈するために志願する。 ついにネーピアはカールの貨物船を発見。カールは船員を救命ボートに降ろし、漁民殺害事件の真相を書いた航海日誌をイギリス軍に渡すよう託す。船に残ったカールとキルヒナーは砲撃された貨物船エルゲンストラッセ号とともに海に沈んでいく。
2009年04月03日
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2006 バンダイ 監督:黒木和雄出演者:原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫ほか111分 カラー 【最大半額決算セール!】 紙屋悦子の青春(DVD) ◆25%OFF! DVD検索「紙屋悦子の青春」を探す(楽天) 劇作家松田正隆の母の実話をもとにした戯曲を映画化したヒューマンドラマ。第二次世界大戦時の特攻隊員ら軍人とその恋人をめぐる悲喜こもごもを描いたもので、元が演劇なだけに非常にスローで台詞重視の一風変わった作品となっている。 テレビ朝日系列の映画と言うことで、ちょっと嫌な予感もしたのだが、意外にも予想を裏切る好作品であった。近年の映画においては異常とも言えるほどの長廻しワンカットシーンが延々と続いたり、映画の時間をまるで気にしないかのようなスローなテンポでのストーリー展開、従来なら無駄と省かれるような細かい所作や小道具、台詞など、通常の映画とは一線を画している。演劇をそのまま映像化したような感じなのだが、ともすればメリハリや物語の空間的広がりに致命的な欠陥を生じてもおかしくないところだが、本作は見事にまとめあげてきた。 特に、台詞や所作が異常に細かく長いのだが、それが決して説明調ではなく自然なところが実によい。無駄とも思える自然な会話の中に、登場人物の性格や心情の推移を見て取ることが出来るのだ。説明的映画が多くなった現代、日本人の心を美しく表現できたという意味で、いかにも昭和的、邂逅的な作品に仕上がっている。 また、兄夫婦の夫婦喧嘩、勝手に上がり込んだ軍人らのかけあい、便所に行くと見せかけての退席、弁当箱を電気回路に変えることに固執する少尉など、随所に笑える箇所があるのも楽しい。決して哀しいだけのストーリーではない。 もちろん、実話をベースにということだが、演劇ベースのためオーバー演出の感は否めないが、本当の昔の姿を知ると言うよりは、観客自身の心を洗うくらいのつもりで見るのがいいだろう。本作では全てがちょっと美しすぎるからね(笑)。 演じる役者陣は皆若く、冒頭の老後のシーンはどうにもいただけないが、全般に溌剌と青春群像を演じて見せた。登場人物、場面、イベントともに上映時間の割にはかなり少なめであり、映画の出来はかなり役者の演技力と個性にかかっていると思われる。かなりの長台詞にもかかわらず、それを感じさせない自然な演技は好感。また、歳を感じさせない原田知世の清楚さにも驚かされた。永瀬や松岡の木訥とした軍人演技も良かった。 舞台は鹿児島県の米ノ津町。登場する軍人は海軍航空隊のパイロットと整備士官。残念ながら航空機等の兵器類はまるで登場しない(笑)。劇中に出てくる「敵機が脱去せり」から「らっきょ」を食べると弾に当たらないという迷信も面白い。 全体に美しくすっきりとした出来具合。かなり美化している感は強いが、あえてそこを突っ込まずに素直に感動するのが得策かも知れない。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★★★★感涙度★★★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 戦後、病院の屋上で老いた夫婦が話しをしている。妻の実家にあった桜はまだあるだろうか、と問う夫に妻はまだあるでしょうねえと答える。 昭和20年春。鹿児島県米ノ津町に住む紙屋悦子は鉄道に勤めており、兄の安忠は特殊技師として働いている。兄嫁のふさは悦子の幼馴染みでもあった。 安忠は学生時代の後輩だった明石海軍少尉の紹介で永与少尉の縁談を悦子に持ってくる。悦子は本当は明石のことが好きだったのだが、明石の紹介と聞いて困惑するも、会うだけあってみることにする。 3月31日 だが、縁談の当日、安忠は熊本の工場に徴用されて不在。ふさもついていったために、悦子は一人で永与少尉と明石少尉を迎えることとなる。時間を聞き間違えていたために、明石らは先に家にあがっていた。テーブルの上にはおはぎが作られており、二人はそれが気になる。明石少尉はパイロットとして死を覚悟しているために、親友である永与少尉に悦子を紹介したのだった。永与少尉に色々と会話のテクニックを教えるが、根っからの理系の永与少尉はなかなか理解できない。 悦子が戻り、明石は便所に行くふりをして退席する。永与少尉はとまどうが、素直な気持ちで会話を続け、結婚の意思を伝えることが出来る。悦子もまた永与のまっすぐな気持ちに答えようと思う。帰り際、おはぎを弁当箱に詰めて貰った永与はどうしても弁当箱を電気回路にしてしまうことばかり考える。 4月8日 兄が二日間の休暇をもらって帰ってくる。「敵機が脱去せり」から「らっきょ」を食べるといいなどと話しをしているところに、明石少尉がやってくる。ついに沖縄戦に参加するのだという。だが、誰にも特攻隊員として必死なのだとわかり、ふさは悦子に明石を追いかけるよう言うが、悦子は陰で泣き崩れるのだった。 4月12日 永与少尉がやってくる。大村航空隊への転属が決まったのだという。両親にも会って欲しいとお願いし、悦子はそれを承諾する。そして少尉は明石大尉(死後昇進)の悦子宛の手紙を渡す。永与少尉は「あいつの分もあなたのことを大事にせねばならん」と決意を固めるのだった。
2009年03月30日
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1956 ドイツ 監督:ファルク・ハルナック出演:ヴォルフガング・プライス、アンネマリー・デューリンガーほか 93分 モノクロ Der 20. Juli総統爆破計画(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「総統爆破計画」を探す(楽天) 1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件「ヴァルキューレ作戦」を扱った映画。前年には同じドイツ映画で「ヴァルキューレ作戦」を扱った「ヒトラー暗殺(1956)」が製作されており、そちらが史実に沿ったドキュメンタリー調であるのに対して、こちらは架空の人物が登場する物語調の色合いが強い作品である。史実として作戦の全容を理解するのならば「ヒトラー暗殺」の方がわかりやすいが、架空の人物の視点も取り入れた本作は、蛋白ではあるがより多くのイベントも描いているので違った視点で楽しむことが出来る。 本作では架空の役として、シュタウフェンベルグ大佐の補佐役リントナー大尉が登場している。また、クレーという女性がタイプライターとして登場するが、こちらは実際のマルガレーテをモデルにしているものと思われる。果たしてこの架空役の存在に意味があるかというと、やや疑問だが、若干外部の視点からヴァルキューレ作戦を眺めるといった意味では面白いとは言える。特に、他作品ではあまり描かれない東部戦線の状況やヒトラー暗殺未遂「閃光作戦」、民間レジスタンスの活動も描かれるなど、イベントとしての厚みがある。 ただ、ストーリーの大部分が史実に沿って進められていくので、架空役の存在が見ている側を混乱させている感は否めない。シリアスなのか、サスペンスとして見れば良いのかわからないのだ。本作では架空の人物の心情変化も挿入されているので、実在の人物もからめてヒューマンドラマやサスペンス仕立てにしてしまった方が面白かったかも知れない。映画としてはやや落ち付かないものとなってしまっている。 また、登場人物が多いのがこの題材の特徴だが、ご多分に漏れず人物紹介が少ない。登場人物が誰なのか、どういう背景なのかは知識がないと辛いだろう。また、かなり多くのイベントを盛り込んでいるので、各イベントの描き込みが浅くなってしまい、人物同士の関係はちょっと端折られてしまっているのが残念。 全体にお金のかかっていない作りで、ストリー展開はともかく、細部の描写の検証については結構甘いようだ。シュタウフェンベルグ大佐は眼帯を右目にしているし、失われた右腕は明らかに服の中に隠しているのがバレバレ。鞄の中の爆薬も1個だし、細かいところには気を遣っていない様子。ただ、映画当初ではシュタウフェンベルグが中佐、トレスコウは大佐として登場し、途中から大佐、少将に昇進している点などはしっかりしている。 映像もチープで、セットは同じような場所を使い回している。兵器類は、ベンツ乗用車などのソフトスキンだけで、航空機は後部の張りぼてと粗末な模型。東部戦線シーンでは実写記録映像が多用されており、ドイツ軍も映ってはいるが、多くはカチューシャやソ連軍戦車T-34ばかりで、ソ連側の記録映像を使用しているようだ。 他作品の比べ、やや作戦の裏舞台を描いたようなタイプとなるが、ちょっと描き方が浅いことと、映画の方向性が見えてこないのが残念。真面目に見るにも、娯楽として楽しむにも中途半端になってしまった感がある。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1943年アフリカ戦線で負傷した片腕片眼のシュタウフェンベルグ中佐(後、大佐)がベルリンの駅に降り立つ。予備軍司令部に配属された中佐は、退役したベック元上級大将、ヘプナー上級大将、オルブリヒト大将らと、ヒトラー政権転覆の機会をうかがっていた。司令部に勤める女性クレーは、東部戦線に赴くリントナー大尉の家を借りて、暗殺計画指令書の作成を手伝っていた。リントナー大尉はクレーがロンドン放送を聞いていることに激怒、国防軍の兵として勇敢に戦うことに意義を感じ、前線に向かっていく。 民間レジスタンスリーダーのキューファーはユンケら男女とともにビラや落書き等で反ナチの活動を行い、ベックらの軍人達の「水曜会」に参加し協力関係を結ぶ。だが、ナチ党員ネッセルらの密告もあり、ゲシュタポは次第に捜査網を狭めていく。水曜会では暗殺後の政権について君主制、社会民主主義、道徳宗教主義など各者の意見が割れる。だが、一刻も早いヒトラー暗殺が重要だとして、その後はドホナニー氏が連合軍と和平工作をすることに。シュタウフェンベルグは暗殺、通信遮断、ワルキューレ発動の3段階の計画を練る。デーブリッツ歩兵学校、ヴェンスドルフ戦車兵学校、ユーダーボック砲兵学校、クランプニッツ戦車教導団が重要拠点を確保し、守備大隊がSSやゲシュタポの武装解除をすることとした。 東部戦線の中央軍集団では、ヒトラーが撤退を認めず、第3大隊は軍曹1名、兵10名を残して全滅する。第2装甲師団の作戦も失敗し、3日で1万8000人が戦死する。中央軍集団主席参謀トレスコウ大佐(後、少将)は、クルーゲ元帥にヒトラー暗殺計画を持ちかけるが拒否される。前線に赴いたリントナー大尉はユダヤ人大量虐殺の現場を目撃し、ヒトラーへの忠誠を失う。トレスコウはリントナー大尉は仲間に引き入れ、シュタウフェンベルグのもとに送る。 トレスコウ大佐は、ヒトラーが東部戦線の視察に来た機会に、ヒトラーの乗る航空機に同乗するフランク大佐に爆薬を仕掛た酒瓶を預けるが、起動せず失敗する。なんとか酒瓶を回収する。 ベルリンのゲシュタポはレジスタンスのフォーゲル牧師を逮捕。さらにキューファーのアジトに踏み込み逮捕し、ユンケは射殺されてしまう。ゲルデラー博士も追われ、この報を聞いたシュタウフェンベルグは7月20日に狼の巣でヒトラー暗殺を計画する。ベックはシュタウフェンベルグが蜂起後も必要な人物だとして戻ることを前提に許可する。シュタウフェンベルグは教会に寄り、狼の巣へ向かう。 いよいよ、シュタウフェンベルグ大佐はヒトラーの司令所「狼の巣」に潜入し、通信総監フェルギーベル大将と打合せ後に、カイテル元帥とともにヒトラーのもとに。机の下に爆弾を仕掛け、電話を掛けると言ってその場から脱出。だが、鞄は脇にずらされて爆発するもヒトラーは軽傷だった。シュタウフェンベルグ大佐は死亡確認できないまま、検問所でミュラー曹長に止められ、警備隊長に電話をするなどしてなんとか突破しベルリンに戻る。 ベルリンではヒトラー死亡の情報確認が手間取り、オルブリヒト大将はヴァルキューレ作戦発動できずにいた。空港からのシュタウフェンベルグ大佐の報告で、ようやくメルツ大佐によって発動。フロム上級大将を自宅に軟禁し、主要拠点を確保。ヴィッツレーベン元帥も赴任する。パリではSSとゲシュタポが逮捕される。だが、ゲッベルス逮捕に向かった守備隊長のレーマー少佐はヒトラーからの直接電話を聞いて寝返る。ヴィッツレーベン元帥は失望して帰宅。放送局も確保できず、国防省司令部のヒトラー派幹部は武器を持ってオルブリヒトらに迫る。オルブリヒト大将はリントナー大尉とクレー嬢に名簿を託して建物から脱出させようとする。だが、銃撃戦が始まり、腕に銃弾を受けたシュタウフェンベルグ大佐らが拘束される。リントナー大尉はクレー嬢の機転でなんとか脱出することができる。 ベック上級大将は拳銃で自決。ヘプナーは収容所に、オルブリヒト大将、メルツ大佐、「何とかという」大佐、中尉の4人は即時裁判で銃殺刑とされた。4人は並べられて銃殺される。その光景を見たリントナー大尉らは建物を後にするのだった。東部戦線ではトレスコウ少将が自決する。
2009年03月25日
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2008 アメリカ・ドイツ 監督:ブライアン・シンガー出演者:トム・クルーズ、ケネス・ブラナー、ビル・ナイほか120分 カラー VALKYRIE 第二次世界大戦時のドイツを牛耳った独裁者アドルフ・ヒトラー。そのヒトラー暗殺計画は幾度もあったが、その中で最も有名で悲劇的な暗殺未遂事件が 1944年7月20日の「ワルキューレ作戦」であった。本作は首謀者の一人クラウス・フォン・シュタウフェンベルグ大佐を主人公に、ワルキューレ作戦を描いたサスペンス調ヒューマンドラマである。 トム・クルーズを主演に迎え、アメリカ・ドイツ合作で制作されたものだが、制作当初はトム・クルーズの宗教(カルト集団)的問題からドイツ側の撮影拒否もあった。監督のブライアン・シンガーは中堅どころの監督で、実話ベースの作品は初めてだそうだ。ロケはドイツ国内で行い、制作にあたりシュタウフェンベルグ大佐の遺族らへのリサーチなどを行ったということだ。 ワルキューレ作戦とは、もともとドイツ国内の反乱鎮圧のために戒厳下で予備軍が全てを掌握するという計画名のことだが、ヒトラーに反抗心を抱くドイツ国内の政治家や軍人からなる一派「黒いオーケストラ」は、ヒトラー暗殺のうえでこのワルキューレ作戦を利用して政府転覆を図ろうとしたのだ。本作の主役シュタウフェンベルグ大佐は、1944年7月20日にドイツ郊外の森に設置された総統大本営「狼の巣」に爆弾を仕掛けてヒトラー暗殺を試みるが失敗、ベルリンでは国内予備軍副司令官のオルブリヒト大将が司令官のフロム上級大将の名でワルキューレ作戦を発動するも、ヒトラーが生存していることが判明したため、警備大隊長のレーマー少佐の反逆によって鎮圧されてしまう。 失敗の要因は様々なものがあるが、当日の会議会場が密室ではない開放的な部屋に変更されたため爆破威力が半減したこと、オルブリヒト大将が慎重を期しすぎてワルキューレ作戦発動が遅れたこと、制圧部隊の指揮系統に欠陥があったことなどがあげられる。ちなみに、狼の巣爆破では総統副官ブラント大佐など4名が死亡したもののヒトラーは軽傷で済んだ。ちなみにレジスタンス組織「黒いオーケストラ」は、ベック元上級大将、ライプチヒ市長のカール・ゲルデラーらが中心をなし、多くの上級将校が名を連ねていた。この失敗により約200名余りが自決もしくは処刑されている。 このワルキューレ作戦を描いた映画はいくつかあり、「ヒトラー暗殺(1955 独)」「総統爆破計画(暗殺計画7・20)(1956 独)」「オペレーション・ワルキューレ(2004 独)」が著名である。前者の二作は戦後間もない時期の制作でありモノクロとなっている。時代が新しくなればそれだけ史実の検証がなされて、良作になるのが当たり前だが、実のところ初期作の「ヒトラー暗殺」の出来が意外に良く、本作と比較して大枠のストーリーやイベントに差異はない。細かい部分の設定や言動に若干の新事実が加わっているようだが、期待するほど優れたものではなかった。また、本作は「オペレーション・ワルキューレ」とかなり似ている。細部の設定や言動もほぼ同一と言ってよく、「オペレーション・ワルキューレ」が説明不足で若干端折りすぎの感があったのを、補足して焼きなおしたような印象である。そう言った意味でリメイクの4作目と言っても良く、確かに徐々に映像や音響等で良くなってはいるものの、新作と言うには若干期待はずれだったか。 本作で進化した点としては、まず各種イベントの追加がなされていることがあげられる。ワルキューレ作戦に先立つ暗殺計画「閃光作戦」が描かれていたり(「総統爆破計画(暗殺計画7・20)」では描かれている)、狼の巣爆弾設置が一度中止になった場面まで描かれるなど、ストーリーとしての幅は広がっている。また、従前の作品では余りに登場人物が多いために、人物の所属や氏名すら説明されないことが多かったのだが、多少は人物の性格付けや名称等がわかりやすくなっている。とは言え、難解であることには違いなく、事前の知識は絶対に必要だが。 次に音響だが、銃撃音や爆発音はかなりリアルで衝撃的だ。従前の作品が大人しすぎたため、戦争系映画として厚みが出た。 映像では建物や兵器類も違和感なく、かなり秀逸な部類に入る。近年のCG多用ではなく、実際の古い建物やセットのリアル感は満足できる。登場する航空機では、実機のJu-52輸送機が飛行しているし、ドイツ軍のキューベルワーゲンなどソフトスキン類も悪くない。このほか、アフリカ戦線で攻撃する英軍戦闘機P-40ウォーホークや、ベルリン飛行場の格納庫にはBf-109、ほかにステアマン・ケイデットも実機を使用しているそうだ。さらに、軍装等の衣装類がかなり凝っているのに感動した。ドイツ軍の軍服のウール生地の雰囲気も良く出ているし、何といっても一人一人の衣装が微妙に違うのだ。金満ゲーリングはいかにも高級そうだし、シュタウフェンベルグ大佐もお洒落な薄色の上着を着用するなど、立場や階級の違いもきちんと出ているのが凄い。 また、狼の巣は蚊が多いことで知られており、森に防虫布で顔を覆った守備兵がいたり、シュタウフェンベルグの義眼も新登場。こうした細かい部分ではかなり進歩していることは間違いない。 残念だった点としては、やはりトム・クルーズの主役抜擢。悪い役者ではないと思うのだが、本作では目立ちすぎの演技や軽々しい雰囲気が強く前面に出てしまい、作品全体が凡庸な出来になってしまっている。ワルキューレ作戦は残念な結果に終わった実在の史実だけに、重い歴史のリアリズムが重要だと思うのだが、せっかく細かい史実の検証や描写がなされたのにもったいない感じがした。作品の重厚さが欠けてしまったという点でマイナス。 また、ワルキューレ作戦での各種予備軍や兵学校の動きがほとんど描かれなかったのが残念。ワルキューレ作戦の失敗はレーマー少佐の寝返りだけではなく、各部隊の配置、指揮計画にも問題があったのであって、もう少しなんとか描けなかったのかな。 徐々に進化しつつあるワルキューレ作戦関連映画ということで、決して悪い作品ではないが、もう少し改良の余地ありということでこの評価。リメイク5作目があればもっと良くなるはず(笑)。ちなみに、4作品のうち最もドキュメンタリー風なのが「ヒトラー暗殺」で作戦そのものを描くのに対し、他の3作品は物語り調が強い。「オペレーション・ワルキューレ」と本作はシュタウフェンベルグ大佐の伝記的視点となっている。興奮度★★★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) アフリカ戦線の第10機甲師団の主任参謀将校のシュタウフェンベルグ大佐は、ヒトラーの独裁政権と人種差別にひどく失望し、ドイツを救わなければという念に駆られていた。アフリカ戦の敗戦を予期し、上官に撤退を進言するが、シュタウフェンベルグは連合軍の空襲で左目と右手首、左手の指を失ってしまう。 ベルリンに戻ったシュタウフェンベルグ大佐は国内予備軍司令部に勤務するようになり、妻ニーナと4人の子どもと再会する。 反ヒトラー一派のトレスコウ少将らは政権転覆を試み、ヒトラーの乗る航空機に爆弾を持ち込むが爆発せずに失敗する。何とか爆弾を回収するも、あやうく総統副官のブラント大佐に気づかれるところだった。 トレスコウ少将らはヒトラー暗殺計画にシュタウフェンベルグ大佐を引き込むことにする。カール・ゲルデラーら民間人は軍事的行動に否定的だったが、元上級大将のベックらは暗殺しかないと判断していた。シュタウフェンベルグ大佐はワーグナーのレコードを聴いて、緊急時鎮圧作戦「ワルキューレ作戦」を利用することを思いつく。ワルキューレ作戦発動の権限は予備軍司令官フロム上級大将のため副司令官のオルブリヒト大将と大佐は説得するが、日和見のフロムは参加に同意しない。 その後、シュタウフェンベルグ大佐はフロム上級大将のもとで予備軍参謀長に就任し、トレスコウ少将は東部戦線の前線に赴く。トレスコウ少将とシュタウフェンベルグ大佐はトレスコウの女性秘書マルガレーテにワルキューレ作戦の改訂版をタイプさせ、シュタウフェンベルグ大佐はヒトラーの山荘に赴いてヒトラーにサインを貰うことに成功する。また、総統大本営の通信を握る通信総監フェルギーベル大将を仲間に引き入れることに成功する。 いよいよ、シュタウフェンベルグ大佐が狼の巣に行くことが決まり、オルブリヒト大将の副官のクヴィルンハイム大佐が爆薬を用意して出発する。しかしその日の会議にはヒムラーがおらず、実行の決断を仰いだ結果、カール・ゲルデラーが中止を決める。ベルリンでワルキューレ作戦発動を睨んで非常呼集を勝手に行ったオルブリヒト大将はフロム上級大将にひどく叱責を受ける。 ベック上級大将らは軍人主導で一気に決行しなければならないと判断し、シュタウフェンベルグ大佐に実行を一任する。そして、いよいよ7月20日になり大佐はヘフテン中尉とともに再び狼の巣に向う。狼の巣でシュタウフェンベルグ大佐は血がついたシャツを着替えるという名目で別室に入り、爆薬に信管をつけペンチで起動させる。爆薬は約10分で爆発することとなっていた。だが、途中で邪魔が入り、ヘフテン中尉の分は起動できなかった。さらに、会議が密閉空間の防空壕ではなく、暑いために通常の部屋で行われることに。シュタウフェンベルグ大佐は耳が遠いという理由でヒトラーの近くに接近し、机の下に鞄を置く。フェルギーベル大将から電話が入るふりをしてそのまま脱出する。ほどなく爆発が起こり、シュタウフェンベルグ大佐は飛行場に向けて急ぐ。途中で封鎖の検問に会うが、警備司令官に電話を入れて突破する。一方、ヒトラー暗殺成功を知らせるはずのフェルギーベル大将だったが、意味不明の言葉を発したのみでベルリンにはうまく伝わらなかった。オルブリヒト大将は成功の確信が持てずにワルキューレ作戦発動に慎重になっており、ベルリンに戻ったシュタウフェンベルグ大佐は3時間のロスを怒る。すぐさまフロム上級大将を拘束し、クヴィルンハイム大佐はワルキューレ作戦を発動するが、次第にヒトラーが生きているとの情報が入り始める。放送局の占拠に失敗し、ラジオ放送でもヒトラー生存の報が流れ、通信室も両陣営からの情報が入って混乱し始めるが、通信室の士官らはヒトラー側の通信のみを流すことを選択する。ベルリン制圧の大隊長レーマー少佐はSS司令部やゲシュタポ本部の制圧を行い、ゲッベルス逮捕に向うが、ヒトラー側からはシュタウフェンベルグ大佐逮捕の命令が出ており困惑する。レーマー少佐はゲッベルス邸でヒトラーから直接電話で反乱軍鎮圧を命じられ寝返ることに。 予備軍司令部では各部隊への連絡調整に追われるが、なかなか思うようにベルリン制圧ができない。さらにレーマー少佐が寝返り、司令部内でもヒトラー派の将校らが武器を調達して反旗を翻す。オルブリヒト大将らは計画の失敗を悟り、シュタウフェンベルグ大佐は司令部内の銃撃戦で腕を負傷し、解放されたフロム上級大将によって逮捕される。 ベック上級大将はフロムに頼んで拳銃自殺を図る。ヘプナー大将は法廷に出ることを望み、上級大将は即決軍事裁判でオルブリヒト大将、クヴィルンハイム大佐、名を口にするにも値しない(シュタウフェンベルグ)大佐、ヘフテン中尉の4名に銃殺刑を命じる。シュタウフェンベルグ大佐は妻に連絡を試みるも通じず、即日オルブリヒト大将、クヴィルンハイム大佐の順に処刑されていく。シュタウフェンベルグ大佐の番にはヘフテン中尉が駆け寄って先に銃殺され、その後シュタウフェンベルグ大佐も銃殺される。
2009年03月23日
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1955 西ドイツ 監督:G.W.パプスト出演:ベルンハルト・ヴィッキー、カール・ルートヴィヒほか 73分 モノクロ ES GESCHAH AM 20. JULI戦場ロマンシリーズ(ドイツ編)#ヒトラー暗殺【DVD】ヒトラー暗殺/ウォルフガング・プライス DVD検索「ヒトラー暗殺」を探す(楽天) ドイツの敗色が濃くなった1944年7月20日に起きた、ヒトラー暗殺未遂事件「ヴァルキューレ作戦」を描いたノンフィクション風ドラマ。純粋に暗殺計画を時系列に描いたもので、人間味などの脚色はあまりなされていない。戦後間もない時期にもかかわらず、かなり詳細な描写がなされており、ヒトラーの総統大本営「狼の巣」やドイツ軍将校の服装などが忠実に再現されている。その分ストーリー性という点では若干面白さに欠けるが。 本作は、暗殺未遂事件の中心人物で実行犯の伯爵クラウス・フォン・シュタウフェンベルグ大佐(予備軍参謀長)を中心に描かれる。ヴァルキューレ作戦は二段階で行われ、まず、シュタウフェンベルグ大佐がプロイセンの総統大本営でのヒトラーとの作戦会議に出席した際に、アタッシュケースに入った爆弾を爆発させる。第二段階として、ベルリンで待機していた反ナチの一派(ベック上級大将、オルブリヒト大将など)が大爆発でヒトラーが死亡したと判断し、国防省や警察、放送局の占拠を目論むのだ。だが実際には、国防省でフロム予備軍司令官の軟禁に成功するが、ナチ宣伝相のゲッベルスはヒトラーが生きていることを知り、逆にゲッベルス逮捕に向かったレーマー少佐の寝返りに成功する。放送局の占拠にも失敗し、反ナチの一派は次第に形勢が不利になり、逆に逮捕されてしまうのだ。 情報伝達の不備と指令系統の不備が失敗を招いた一つの要因だが、本作ではその過程が比較的良く描かれている。ヴァルキューレ作戦を描いた映画はいくつかあるが、本作はそれらの中でも、蜂起部隊が武器学校や火薬学校、歩兵学校といった新兵で、しかも歩兵学校のヒッツフェルト大将が不在だったというようなミスが比較的詳しく描かれている。また通信部の混乱も詳しく描かれ、ヒトラー側の電信かシュタウフェンベルグ大佐側の電信のどちらを選択すべきか悩むのだ。結局ヒトラー側につくのだが、この功績で通信部のローア少尉が大尉に、フェルケン下士官が少尉に昇進するシーンも登場する。 この時期にしてはかなり史実に沿って作られていることに感銘するが、爆弾をペンチで起動させること、狼の巣の検問を嘘電話で突破すること、フロム上級大将が即決軍事裁判でシュタウフェンベルグ大佐のことを「名を口にするにも値しない」と称することなど、既にこの時期にきちんと検証されているのが凄い。ただ、オルブリヒト大将の副官名がデュレンシュタイン大佐となっていること、ベック上級大将の自決が一発で成功すること、最後の銃殺が四人一緒といったあたりなどは、現在の史実とは若干異なるようだ。 登場する兵器類では、シュタウフェンベルグ大佐らが移動に用いる航空機としてハインケルHe111爆撃機が出てくる。飛行シーンもあるが、モノクロなので実機なのか記録映像なのかは判然としない。地上兵器ではM47パットン中戦車、M8グレイハウンド装甲車がドイツ軍として登場。ドイツロケなので、戦後駐留していた米軍のものを使用したのだろうか。このほか、キューベルワーゲンやメルセデス・ベンツなどのソフトスキンも登場する。 全般にシンプルかつ真面目に作られている印象が強い作品だ。面白みという点では劣るし、内容の性格上登場人物が多い割に名前がわかりにくいとう欠点はあるものの、この時期の作品にしては歴史モノとしてかなり上出来な部類に入るだろう。現在でも色あせずに見ることができる作品だ。 なお、ラストに「この犠牲を生かすも殺すも我々次第である」というテロップが流れる。戦後間もない新生ドイツとして、ナチスドイツの犯した罪を反省し生まれ変わろうとする、真摯な意思を垣間見ることができ、本作の置かれた想像以上に真面目なポジションを確認できるのが興味深い。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 反ヒトラー派のシュタウフェンベルグ大佐やベック元上級大将らが集っている。現在のドイツ国民の名を語る横暴の数々を阻止し、悔い改めることが急務だと考え、ヒトラー暗殺を計画する。シュタウフェンベルグは唯一ヒトラーに爆弾を仕掛けることができる人物であるととともに、その後のクーデター実行にも必要な人物だった。従ってヒトラーの死を確認することなく脱出する必要があり、そのことが懸念された。 シュタウフェンベルグ大佐は実行当日、兄弟?のベルトルドから爆弾を渡され、教会に寄り、ヘフテン中尉と合流して狼の巣に向かう。2つの検問を通過し、通信総監のフェルギーベル大将と最後の打ち合わせを実行する。暗殺成功をフェルギーベル大将がオルブリヒト大将に連絡し、通信を遮断。その後、ベック上級大将がラジオ放送、ヒッツフェルト大将の歩兵学校が通信施設を占拠することとなっていた。 シュタウフェンベルグ大佐はカイテル元帥と会見後12:15からの会議に向かう。大佐は鞄を忘れたとしてちょっと戻り、鞄の中の爆弾の信管をペンチで起動する。会議は防空壕ではなく、通常の会議室に変更されており、大佐は入口の兵に電話があったら呼んでくれと言い残して、中に入る。ヒトラーの近くに鞄を置いて大佐は退出。だが、鞄は蹴飛ばされて机の奥に置かれてしまった。爆発が起こり、大佐と中尉は空港まで脱出を図る。 フェルギーベルは「想定開始」の電話を入れるが興奮のあまり聞き取れなかった。通信も遮断され、オルブリヒト大将は作戦開始の決断が付けられない。シュタウフェンベルグ大佐は検問所を嘘電話とメンドルフへの電話で突破してベルリンに戻る。だが、ベルリンではワルキューレ作戦が発動されていなかった。すぐさまワルキューレ作戦が発動され、通信室にヴィッツレーベン元帥からの指示が追加される。武器学校は橋頭保を確保、火薬学校は中央電信電話局占拠、兵器庫に指揮所設置、レーマー少佐の守備大隊は国防省(ベントラー地区)防御、武装SS・親衛隊の武装解除、ゲッベルス逮捕が命じられた。 オルブリヒト大将と大佐はフロム上級大将の所へ行く。フロムはカイテル元帥に電話し、ヒトラーが生きていることを確認する。フロムは参謀長ケルスト大佐が勝手にワルキューレ作戦を発動したことに怒るが、副官室に軟禁されてしまう。また、大佐は出頭してきたゲシュタポ幹部を逮捕する。一方ゲッベルス逮捕に向かったレーマー少佐は、ヒトラーとの直接電話で生存を確認、逆に反乱軍鎮圧を命じられる。 パリではゲシュタポを拘束するなど順調だったが、キンツェル大将が命令拒否、ヒッツフェルト大将の所在が不明で放送局が占拠できないなど綻びも見え始める。さらに、大本営がラジオでヒトラーの生存を放送、通信所では両陣営からの電信が錯綜し、通信士官はオルブリヒト側からの通信を止めることを決断する。ヒムラーが国内予備軍総司令官に任命され、オルブリヒト側の通信を遮断したローア少尉は功績で大尉に、フェルケンは少尉に昇任される。各地で蜂起した部隊も元に戻るよう指令が出される。 シュタウフェンベルグ大佐らはなんとかゲッベルス逮捕を目論むが、人員が確保できず、歩兵学校のミューラー大佐がようやく出頭するも遅すぎた。オルブリヒトは妻エヴァにさよならの電話をかけ、国防省内のヒトラー派将校との銃撃戦で腕を撃たれたシュタウフェンベルグ大佐は、解放されたフロム上級大将によって逮捕される。 観念したベックはフロムから拳銃を借りて自決。オルブリヒト大将は遺書を書き、ヘプナーは法廷闘争を望む。即決軍法会議でオルブリヒト大将、幕僚長デュレンシュタイン大佐、名を口にするにも値しない大佐と中尉に銃殺刑が申し渡される。4名は中庭に並べられ、銃殺される。 その後も事件の犠牲者は続き、戦争が続いたために一般兵や民間人の犠牲者も続いた。 この犠牲を生かすも殺すも我々次第である。
2009年03月22日
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2004 ドイツ 監督:ヨ・バイヤー出演者 セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、ハーディ・クルーガー・jr、ウド・シェンクほか96分 カラー STANFFENBERGオペレーション・ワルキューレ(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「オペレーション・ワルキューレ」を探す(楽天) 昨日トム・クルーズの「ワルキューレ」見てきました。まあまあの出来でしたが、それにしてもこの「オペレーション・ワルキューレ」に良く似てましたねえ。細かい部分の描写まで同じ作品かと思うくらいで、よりたくさんの事象を盛り込んだ長尺版のような感じです。とうことで、先にこちらの作品をレビューしておきます。 第二次世界大戦時のドイツで起こったヒトラー暗殺未遂事件「ワルキューレ作戦」を描いたヒューマンドラマ。ドイツのテレビムービーとして制作されたようだが、スケール感の大きい映像と、セバスチャン・コッホの演じるシュタウフェンベルグ大佐役の重厚感で完成度の高い作品となっている。ワルキューレ作戦を描いた映画は「ヒトラー暗殺(1955 独)」「総統爆破計画(暗殺計画7・20)(1956 独)」があるが、いずれもモノクロ作品でやや古くさいイメージがする。本作はカラー版でかなり詳細な検証によって、新事実等を盛り込んだリメイクのような位置づけになる。 ワルキューレ作戦とは、もともとドイツ国内の反乱鎮圧のために戒厳下で予備軍が全てを掌握するという計画名のことだが、ヒトラーに反抗心を抱くドイツ国内の一派「黒いオーケストラ」は、ヒトラー暗殺のうえでこのワルキューレ作戦を利用して政府転覆を図ろうとした。1944年7月20日に国内予備軍参謀長シュタウフェンベルグ大佐がドイツ郊外の森に設置された総統大本営「狼の巣」に爆弾を仕掛けて爆破、ベルリンでは国内予備軍副司令官のオルブリヒト大将が司令官のフロム上級大将の名でワルキューレ作戦を発動するも、ヒトラーが生存していることが判明したため、警備大隊長のレーマー少佐の反逆によって鎮圧されてしまうのだ。 ストーリーとしては、史実にかなり忠実に作られており、シュタウフェンベルグ大佐のアフリカ戦線での負傷から「狼の巣」爆破、そしてワルキューレ作戦発動・失敗までを描く。ただ、96分というやや短めのためにイベントそのものは大分端折った感がある。従ってワルキューレ作戦の歴史に詳しい人ならば問題ないだろうが、詳しくない人にはちょっと理解しにくい箇所も多いだろう。特に、ワルキューレ作戦に関わる反ヒトラー一派の登場人物が理解できていないとかなり苦しく、トレスコウ(ヘニング)少将、オルブリヒト大将、ベック上級大将、クヴィルンハイム(メルツ)大佐、ヴィッツレーベン上級大将、フェルギーベル大将らの素生と背景ぐらいは知っておきたいところ。だが、本作ではドイツ向けのためほとんど人物紹介がなく、知識がなければいきなり出てきて何者だということになるだろう。知っていて当然ということを前提に作られているのだ。本作では上記のほか、ヘプナー上級大将、トレスコウの女性秘書マルガレーテ、カイテル元帥、フロム上級大将、レーマー少佐、ブーレ大将、ヘフテン中尉、ゲッベルスあたりが重要な役どころとして出てくる。 シュタウフェンベルグ大佐は存在感のあるセバスチャン・コッホが好演。大佐はアフリカ戦線で負傷し、隻眼、片腕なのだが、大佐の反ヒトラーの強い意志と熱情をその表情で上手に表わしている。ただ激しいだけでなく、心の奥に潜めている大義や理想が感じられるのが素晴らしい。ちなみにヒトラーはウド・シェンクが演じるが、お世辞にも似ているとは言えない。 映像もテレビムービーとは思えないほどスケール感がある。アフリカ戦線のシーン自体は短いが、砂漠の俯瞰映像はなかなか良い。また、ベルリン市街や狼の巣のシーンもチープさを感じさせない良好なセットとなっている。 登場する兵器類では、シュタウフェンベルグ大佐が移動に用いる航空機としてJuー52輸送機が出てくる。Juー52輸送機は現在でも飛行する機体があり、実機の姿を見ることができるのは凄い。もちろん、飛行、着陸シーンもある。冒頭のスピットファイアは合成映像。 シュタウフェンベルグ大佐のヒューマンドラマだが、若干セミドキュメンタリー風のイメージもある。それだけ時系列、事象に関して史実に沿って作られており、ワルキューレ作戦を描いたものとしては秀逸な出来と言える。ただし、先にも書いたようにかなり端折ったり、登場人物等に説明不足の面が強いので、玄人向けの作品と言え、十分知識を持って挑みたい作品である。もちろん全編ドイツ語。 興奮度★★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1933年のベルリン。若きシュタウフェンベルグ中佐は恋人のニーナとワーグーナーの演奏会に出かけ、そこで総統ヒトラーの姿を目撃する。その後、ニーナと結婚したシュタウフェンベルグ中佐は、東部戦線の参謀を務めていたヘニング・フォン・トレスコウ大佐から東部戦線の状況、ヒトラーやヒムラーによるユダヤ人虐殺の実態を聞き、次第にヒトラーの人種差別政策の失望感を感じる。また、トイレで酔ってヒトラーに失望感を露にする通信部門フェルギーベル大将の姿もあった。 1943年3月、連合軍の攻勢によってアフリカのドイツ軍は崩壊寸前だった。第10機甲師団の主任参謀を務めていたシュタウフェンベルグ大佐は、目の前で新任の将校ファーバーが戦死し、自身も英軍戦闘機の銃撃で左目と右手首、左手指を失う大けがを負ってしまう。 1943年9月、ベルリンに戻った大佐はグルンワルドの森の中でトレスコウとトレスコウの秘書マルガレーテとともに、ヒトラー暗殺のためにワルキューレ作戦の改訂版を作成していた。そんな大佐の姿に妻のニーナは大義に踊らされていると非難し、4人の子どもと田舎に疎開していく。 1944年7月18日、予備軍司令部参謀長の大佐は司令官フロム上級大将から20日に総統大本営「狼の巣」に行けと命じられる。大佐はヒトラーと会うこのチャンスに暗殺を実行することを決意する。 20日、副官のヘフテン中尉と合流し、ラングスドルフ空港から輸送機に登場して狼の巣に向かう。狼の巣でブーレ大将、カイテル元帥らと合流し、大佐はシャツを着替えるとして個室に入り、鞄の中の爆弾に信管を設定する。だが、途中で邪魔が入り、爆弾は半分しか用意できなかった。会議室に入り、大佐は耳が遠いのでヒトラー近くの場所を頼み、爆弾の入った鞄を置く。そしてフェルギーベル大将に電話をし、呼び出されたように装ってその場を離れる。爆弾は爆発し、暗殺が成功したと思った大佐はヘフテン中尉とともに脱出をする。途中で曹長に封鎖されるが、上官に電話をしてなんとか突破する。 空港に戻った大佐はベルリンで何も行動が起こされてないことに驚く。フェルギーベル大将からの電話でヒトラーが生きている可能性があったため、ワルキューレ作戦を発動すべきオルブリヒト大将が慎重になっていたのだ。すぐさま、副官のメルツ大佐らはヒトラー派のフロム上級大将を監禁し、フロムの名でワルキューレ作戦を発動する。ベルリン守備隊のレーマー少佐の大隊が市街のSS本部や要衝を制圧する。だが、ラジオ放送局や通信施設の占拠を怠ったため、次第にヒトラーが生きているとの情報が入り始める。大佐はゲッベルス逮捕を命じ、狼の巣からは大佐の逮捕命令が出る。大佐らはゲシュタポの幹部を拘束するも、各地の予備軍の蜂起は思ったように進まない。 さらに、レーマー少佐はゲッベルス邸に赴き、そこで電話でヒトラー自らのベルリン制圧の命令を聞く。ヒトラー派のレーマー少佐はすぐさま、シュタウフェンベルグ大佐ら反乱派の制圧に向かう。また、予備軍司令部においてもヒトラー派の将校らが武装し、オルブリヒト大将や大佐らの拘束を試みる。腕に負傷した大佐らはついに解放されたフロム上級大将によって逮捕される。大佐は家族への連絡を試みるも通じない。 フロムは自決を求めるベック上級大将に拳銃を渡すが、ベックは二度も失敗し、最後はフロムの部下に射殺される。そして、オルブリヒト、メルツ、シュタウフェンベルグ、ヘフテンの4名に銃殺刑を命じる。 オルブリヒト、メルツが銃殺され、シュタウフェンベルグの番となった時、ヘフテン中尉が駆け寄り、二人が銃殺される。 一方、東ポーランドの森の中で、トレスコウ少将が手りゅう弾で自決を図るのだった。この後100名以上が処刑された。シュタウフェンベルグ大佐の妻子は生き残ることができた。
2009年03月21日
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2007 イギリス 監督:ブライアン・カーク出演者:ダニエル・ラドクリフ、デヴィッド・ヘイグ、キム・キャトラルほか95分 カラー MY BOY JACKマイ・ボーイ・ジャック(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「マイ・ボーイ・ジャック」を探す(楽天) ハリーポッターシリーズの主役で著名なダニエル・ラドクリフが主演するシリアス系戦争ドラマ。映画ではなく、イギリスのテレビドラマとして制作されている。名子役が大人になってどのような演技をするのかと話題にもなったそうだが、内容は至ってシリアスなもので、演技そのものは可もなく不可もなくといったところか。ただ、顔の表情が乏しくちょっと能面的な所が気になったが。 本作は英国の著名作家が、自分の息子を第一次世界大戦の戦場に送り出し、戦死させてしまうという悲劇を描いたものだが、実は実話に基づいているらしい。ラドクリフが演じる息子の父親はラドヤード・キプリングと言い、「ジャングル・ブック」「少年キム」の作者で1907年にはノーベル文学賞も受賞している人物。児童文学者・詩人でもあり日本にも二度の来日歴があるのだそうだ。そのラドヤード・キプリングと息子のジョンの半生記ということになる。 全般にのっぺり感が強い作品で、一応起承転結はあるのだが、ちょっと深みに欠け、なかなか感情移入はしずらいなというのがファーストインプレッション。ドラマとして見た場合には、インパクトのあるテーマ性に欠けるため、結局何に注目すれば良いのかがわからない。特に、我が息子を送り出し、戦死した息子に後悔の念を持つシーンなどは、他にも多くの同様な思いを持つ家族がいたであろうことから、今ひとつピンとこなかった。 だが、本作は伝記ノンフィクションであると認識して見た場合、見方は変わる。陛下や政界にまで権力を及ぼすほどの名作家が、我が子一人すら守れないという、宿命であり愚かさがもたらす悲劇が実話だというインパクトがある。一人の人間として、父親としてどのようにするべきだったのか、多分回答のない命題として見る者に投げかけてくるのだ。海軍などの軍隊に固執する名誉欲、そして権力。それが肉親の心を傷つけていくことに気づかない。だが、その息子もまた同様のジレンマに陥っていく。果たして、他の選択が可能だったろうか。 また、母親、姉の心境も見所の一つである。姉はストレートに感情を出すが、母親は父親に従属し、心に秘めた気持ちを表に出さない。だが、行方不明となった後は立場が逆転し、父親を従えて精力的に捜索活動に奔走する。戦前日本の逞しい母親像とオーバーラップするものがある。 実話だと思えば同じ会話でもやはり心に響いてくるものが強い。ノンフィクションの持つ力というものを感じさせる。ただ、私はラドヤード・キプリングを知らなかったし、知ってさえいればより一層心に響くものがあったであろう。英国人ならば、心に響くものが強かったに違いない。 映像的にはテレビムービーのため、どうしてもチープ感は否めない。英国のカントリーならではの自然を、ビデオならではの彩色感で捉えてはいるが、肝心の戦闘シーンはかなりしょぼい。物語の緊迫感を醸し出す重要なシーンだけに、ちょっと残念。ただ、突撃直前の塹壕シーンは気迫こもるものがあってよい。 なお、主人公の息子ジョンは陸軍士官として任官するが、何と17歳で少尉となっている。第一次大戦時にはそんなもんだったのだろうか。何せ今なら高校生だからね。高校生に指揮される年取った兵たちというのはどういう気分だったのだろう。映画中でのラドクリフはまさに童顔の少尉といった感じだ。 全般にさっぱりとした展開で、エピソード的にも少なめなので、ちょっと淡白なイメージがするかもしれない。せっかくならば、ラドヤード・キプリングについて学習してから見るといいかもしれない。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 英国の著名な作家ラドヤード・キプリングの息子ジョン・キプリングは17歳だったが、父親の希望もあり海軍士官学校入学を希望していた。しかし、視力が著しく悪く、不合格となっていた。父親は英国の陛下とも親友であり、陸軍省プロパガンダ委員会の委員でもあり、ドイツとの開戦を予期し、軍備増強を謳っていた。ある公演中についに開戦となり、若者に兵士いなれと鼓舞する一方、志願できない息子に頭を痛めていた。息子のジョンは友人らと同様に志願することを夢見ながらも、半分は父親から逃れ自由になるためでもあった。 ついに、父親は陸軍元帥のもとに赴き、陸軍士官学校に合格することができる。母親は裏工作をしたことに不満を漏らし、姉は怒るがジョンはついに入隊するのだった。ジョンはサセックス連隊第2大隊所属となるが、視力が悪くメガネのためにうまく射撃できない。しかし、オリアリー伍長の指導のもと、努力して優秀な成績をおさめ、少尉に任官する。 ジョンは第2大隊第2中隊第5小隊の小隊長となり、20人の新兵を迎える。鍛錬した射撃と体力で新兵の尊敬を勝ち取り、ついにフランスの前線に赴くことに。直前に家に戻ったジョンは、」すでに士官が16名戦死し友人のラルフも負傷したことから、少し恐怖を覚えながらも立派に出かけていく。送る母親と姉は心配でしょうがない。 北フランスのルースの塹壕に配置されたジョンの小隊は8月17日の大攻勢に伝書鳩小隊として出撃することに。極度の緊張の中、ついに塹壕を出てドイツ軍陣地に向かって走り出す。次々に倒れていく兵。 イギリスの家に電報が届く。緊張した父親が開いた電報にはジョンが行方不明になったと記載されている。母親は止めるべきだった、姉はジャックは家から出たかったのよと父親を責めるのだった。ルースの戦いでは385人の将校と7861人の兵が死傷した。 母親は赤十字などのつてを頼ってジョンの行方を探し始める。捕虜の写真を4000枚もコピーし、チェックする作業に父親も付き合い始める。徐々に父親も行かせるべきではなかったと後悔の念を持ち始める。 そんな中、マイケル・ボウという一人の復員兵がやってくる。彼はジョンの小隊の部下で、ジョンの最期を知っていたのだ。ボウは塹壕に飛び込み、ドイツ軍機銃陣地に向かって突撃し、撃たれて戦死するまでの話をするのだった。ジョンは眼鏡を落とし、それを探して戦っていたのだ。 父親は話を聞いて、立派だった、長く苦しまずに幸運だったと言うが、母親は苦しかったでしょうね、会いたいと嘆くのだった。父親は次第に私が我が子に死を宣告したのだと自問し始める。そして、二人は乗り越えていこうと決めるのだった。
2009年03月16日
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1955 アメリカ 監督:デヴィット・バトラー出演者:ジャック・セルナス、ペーター・ヴァン・アイク、クルト・カッツナー、パット・ブレイクほか93分 モノクロ JUMP INTO HELL DVD検索「地獄へ突込め」を探す(楽天) 1954年、インドシナのディエン・ビエン・フーを巡るベトミンとフランス軍の戦いを描いた戦争アクション映画。当事国ではないアメリカが制作したもので、ややヒーローアクション的要素があるものの、比較的シリアスな佳作である。ディエン・ビエン・フーの戦いは植民地支配国であるフランスが大敗を喫した歴史的な戦闘だが、「スカイミッション空挺要塞 DC3(Dien Bien Phu) (1992仏)」「インドシナ激戦史 1954 -要塞ディエン・ビエン(2004越)」など数は決して多くない。前者は著名な作品だが、後者はちょっとピントはずれな作品である。そういう意味でも貴重な作品だが、何と言っても制作年が1955年と実にリアルタイムなのが興味深い。戦闘の考証がまだなされているとは思えない時期で、ストーリーや設定的にはいささか?な箇所もあるが、それを超越する新鮮さがそこにはある。 ディエン・ビエン・フーの戦いは1954年3月に行われた激戦で、フランス植民地インドシナ(現ベトナム領内)のフランス軍防衛拠点であるディエン・ビエン・フーを巡ってベトミンと 57日間の戦いを行っている。ベトミンはフランス軍の防衛拠点を包囲して補給線を絶ち、フランス軍は危険な空輸に頼らざるを得なくなっていく。基地内には多くの外人傭兵を含む約16,000名が駐屯し奮戦するが、圧倒的な人海戦術に勝るベトミンの大攻勢により多くが戦死し捕虜となった。その問題点にはフランス軍上層部の無能さと政治的・外交的ミスなど色々あるのだろうが、ディエン・ビエン・フーの戦いでは孤立無援で玉砕覚悟の奮戦が光っている。 この戦闘は自由陣営対共産陣営の戦いでもあり、ベトミンの支援に中国人民軍将校やソヴィエト軍兵器が描かれている。この辺りは朝鮮戦争で苦渋をなめたアメリカの反共産的な意味合いが強く表れている様な気がする。 ストーリー的にはやや設定が甘い箇所が多いのが気になる。防衛拠点の状況や、追加派遣のシステムや理由がややわかりづらいので、緊迫感にやや欠ける。また、登場する主役級の兵士は4人のフランス人士官で、個々の兵士らの性格付けはなかなか面白い設定ながら、いざ戦場となると心情描写が中途半端になってしまい、ラストに向けての心情移入がしずらかった。さらに、最前線での緊迫した雰囲気という点では、主たる兵士である外人傭兵が余り登場せず、フランス人士官との互いの考え方の違いや確執はほとんど描かれていないのが残念。 それに加え、アメリカ映画らしく意味のないラブロマンスを絡めてしまっているために、ストーリーの盛り上がりや起承転結のバランスが悪い。内容的には玉砕覚悟の鬼気迫る奮戦なだけに、かなりもったいない感じがした。 映像はモノクロでちょっと見にくい箇所もあるが、戦闘シーンは米軍所有と思われる実機が登場するなど迫力はある。記録映像も入っているかも知れないが、グラマンF8Fベアキャット、C-47スカイトレイン輸送機、C-124グローブマスターII輸送機、シコルスキーH-19ホワールウインドヘリなどの航空機のほか、M4シャーマン戦車も登場している。このあたりの兵器類は実際にインドシナ戦争で使用されていたようだから、映像的にはかなりリアルなのだと言えよう。 作品のトータル的な出来具合から言うと、まあまあなのだが、その評価以上に本作はレア性を持ち合わせている。ディエン・ビエン・フーでのフランス軍の大敗を違った角度から見ることが出来る作品なのであった。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1954年になりインドシナを占有しているフランス軍にベトミンが徐々に攻勢を強めてくる。前線でフランス軍のダーブレイ大尉は捕虜を捕らえてハノイの司令部に送る。尋問の結果、うち一名がベトミン第17対空連隊付の中国人民軍の中尉であることが判明する。彼はベトミンのザップ将軍ら4万人が囲んでいることを語り、フランス軍の内部についての情報も持っており、内通者がいることがわかる。内通者はアジア系の傭兵タック中尉で、タック中尉は「腐ったリンゴ作戦」として空中から敵陣に落下傘効果させられる。 いよいよ大攻勢が迫っていることがわかり、兵員増派のためディエン・ビエン・フー最前線の指揮官クリスチャン・デ・カストル大佐はボネ少佐に命じて、4名の士官を写真持参で呼ぶように命じる。フランス軍の前線防衛拠点はそれぞれ女性の名前が付けられていたのだ。 フランス本国で事務についていたガイ・ベルトラン大尉は、第二次世界大戦の復員兵だったが、ドイツでの捕虜生活を2年送っただけだった。インドシナ派遣の情報を聞き、自ら志願する。ハノイには恋人のジゼルがいたのだった。 ベルトラン大尉は米軍機に乗りハノイに向かうが、途中で小太りで美しい妻のために志願したジャン・カロ大尉、モロッコで軍隊経験があり恋人のジャクリーヌを置いてきたハインリッヒ・ヘルマン中尉、全くの未経験だが共産主義に怒りを覚えるアンドレ・モーパン中尉が合流する。 ハノイでは敵の攻撃により着陸時に炎上。危険なために荷物だけが先に前線のディエン・ビエン・フーに降りる。そこで開けられた荷物の中から妻のジゼルの写真が出てきてボネ少佐は驚く。 ハノイ司令部では増派部隊の落下傘降下を決定。4人も迷わず志願する。その晩ベルトラン大尉はジゼルと会うのだった。 落下傘降下では敵の攻撃を受け、カロ大尉が肩に軽い負傷を負う。ベルトラン大尉はモネ少佐と面会し、口論となる。モネ少佐は妻を愛していないのに離婚せずにいるのだ。 カロ大尉は救護所で瀕死の負傷兵リゴールを見て、自分の怪我が恥ずかしくなる。モーパン中尉は早速孤立した拠点マドレーヌへ救援に行くことに。モーパン中尉は拠点に着くもマドレーヌのダーブレイ大尉は重傷を負っていた。モーパン中尉は機転をきかせてなんとか脱出に成功する。 敵の大攻勢を前に運よくモンスーンが来る。しばらくの間時間を稼ぐことが出来るのだ。この奮戦により大佐以下の12,000名に戦功十字章が与えられ、大佐にチャーチルやアイゼンハワーから電話が入り、准将に昇進する。お祝いに空輸でシャンパンを届けさせるが、敵陣に落ち、なんとか取り戻す。 准将のいる基地内にフランス兵に化けた偽物のベトナム人が潜入。爆弾を仕掛け銃撃してくるが、ヘルマン中尉が身を張って爆弾を処理し、准将は助かる。ヘルマン中尉はレジオン・ド・ヌール勲章を得る。また、献身的な軍医リロイ大尉にも名誉勲章が与えられる。 基地内の水不足が顕著になり、基地の外に水を確保する任務にカロ大尉が志願する。カロ大尉の妻シモーヌは浮気をしており、それを知ったカロ大尉は死亡保険の受取人を妻から、死んだ兵士リゴールの6歳の娘の名義に変えようとする。それが昇任されるためには書類が無事に基地からハノイに届くことが必要であった。カロ大尉は水を汲みに行くが撃たれて死亡する。死に際に書類を乗せたヘリが飛び立っていくのを確認する。 ボネ少佐の隊は孤立し、ボネ少佐は降伏しようとする。しかし、敵に撃たれて負傷。ベルトラン大尉がそれを救出するが、基地に着いたときには事切れていた。 いよいよベトミンの大攻勢がはじまり、掘られたトンネルから次々に出てくる。拠点は次々に陥落し、最後の抵抗を続けるのだった。
2009年03月14日
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2008 オーストラリア 監督:バズ・ラーマン出演者:ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン、デヴィッド・ウエンハム、ブランドン・ウオルターズほか165分 カラー 第二次世界大戦の折、オーストラリア白人による原住民アボリジニへの人種差別を背景に、亡夫の経営していた豪州の農園を引き継いだ英国夫人が、白人牛追い男との恋愛に落ちながら、アボリジニ混血児に愛情を注いでいくというアドベンチャー系ドラマ。戦争映画ではないことは重々承知だったが、日本軍のダーウィン空襲が登場すると聞いて、興味本位で見てみた(笑)。原住民への迫害や旧日本軍ということで、当初はオーストラリア人が行ってきた原住民への同化政策、人種差別を描いたシリアス系歴史劇かとも思ったが、メインはラブストーリーで、映像や展開に何やらファンタジー的な非リアル感もあって、アドベンチャーファンタジーと言った方が良いかも知れない。 そもそも英国連邦国の一つであるオーストラリアは英国の強い影響下にあり、1800年代に英国が植民地支配し、強い白豪主義のもと原住民(アボリジニなど)への迫害、殺害を続けてきた歴史がある。アボリジニの同化政策が公式に中止となったのは1970年代のことであり、ヨーロッパから遠く離れた白人国家だけに、人権や国家品格という点では大きく遅れをとってきた国である。特に第二次世界大戦時は勇猛ではあるが、野蛮な軍隊としても知られ、日本兵を捕虜にせずに殺害することを栄誉とした部隊もあったほどだ。 さて、本作ではアボリジニへの謝罪のようなテロップも流れるが、どう見ても白人至上であるという根底は変わっていないように見える。オーストラリア人にとっては反省なのかもしれないが、本作品をアドベンチャーファンタジーにしてしまった時点で、かなりの違和感を感じる。 また気になるところとしては、ダーウィンを空襲する日本軍が登場するのだが、これに続いて島に上陸した日本兵がアボリジニを射殺するシーンがあるのだ。アボリジニが先に発砲しているし、メイン部分ではないのでさほど気にする表現でもないのだが、そもそも日本軍によるダーウィン空襲は事実だが、オーストラリアに上陸した事実はなく、日本兵を悪玉にしようとする意図なのだろうか。近年、捕鯨問題でテロ組織シーシェパードをオーストラリア政府が黙認するなど、反日的な姿勢も気になるところであり、このシーンの挿入の意図は何なのか、いささか不愉快ではある。ちなみにオーストラリア製作の戦争映画だと「特別奇襲隊Z(1981豪台)」や「男たちの戦場(2006豪)」などがあるが、いずれも日本兵はひどい描かれ方だ。 ストーリーそのものだが、ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマンの美男美女のラブストーリーという実にベタな内容だった。悪者に乗っ取られそうになる牛や農園を守るというアドベンチャーも面白いし、神秘的なアボリジニ少年の成長過程も悪くはないのだが、全般に盛り上がりに欠けた。全体のまとまりが悪いわけでもないのだが、映画としては多々のイベントを盛り込みすぎ、長尺すぎたのが良くないのかも。食肉牛売買の成功までを第一部とすると、第二部が日本軍来襲からの生還になるのだろうが、第一部だけでも十分だったという印象。 また、作り込みがあくまでアドベンチャーファンタジー調なので、リアル感が全く感じられず、歴史的背景やアボリジニに対する思い入れというものが完全に薄れてしまったのも残念かな。どうせなら全く関係なく、もっとドキドキの冒険かファンタジーに徹した方が良かっただろう。真面目に見るべきなのか、ふざけて見るべきなのか、ちょっと中途半端になってしまった感がある。 映像はCGを多用。町や港の俯瞰映像はほとんどがCGで、スケール感も良く出来てはいたのだが、そればかりだといい加減醒めてくる。実写でいけるところは、できるだけ実写でやったほうがリアル感が出ていいと思うのだが。 ただ、ダーウィンを空襲する日本軍航空機部隊のCGだけは良い。零式艦上戦闘機、九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機がきちんと描かれており、飛行、爆撃シーンもなかなか秀逸。ここがメインじゃないのかと思うくらい丁寧に?作られており、これがまた格好良いのだ(笑)。ここまで立派に描いてくれたのだから、日本兵上陸捏造シーンとは相殺かな(笑)。このほか、英豪軍駆逐艦等の艦船もCGだが、結構リアルにできていた。 全体として、まあまあ見れたという程度の出来で、アボリジニを出汁にした白人ラブストーリーでしかない。アドベンチャーにしてもファンタジーにしてもちょっと中途半端で、大作というほどのものではなかった。やっぱり心に染みるものがなかったのが最大の欠点かな。ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン見たさならば、言うことはないが。興奮度★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1939年のオーストラリアのダーウィンの港。英国夫人サラ・アシュレイはオーストラリアに渡った夫を追ってやってくる。夫はファラウェイ・ダウンズという牛牧場と農園を経営しており、英軍の食肉売買契約を控えていた。迎えに来たのは野暮な牛追い男ドローヴァー。白人だが、アボリジニと結婚(死別)し、アボリジニを使うため、他の白人たちからは煙たがられ卑下されている。 長い道のりを経てようやく牧場にたどり着いたが、夫は殺害されていた。管理人のニール・フレッチャーはアボリジニの呪術師キング・ジョージの仕業だと言うが、実はライバル経営者カーニーと裏でつながっていたフレッチャーの仕組んだものだった。このことを、牧場にいるフレッチャーとアボリジニの混血児である少年ナラが暴露し、サラはフレッチャーを解雇する。しかし、その際に1,500頭の牛を放牧したうえ、カウボーイたちも連れて行ってしまう。 途方にくれたサラだったが、ドローヴァーが戻ってくる。気位の高いサラだったが、フレッチャーを見返してやるために1,500頭の牛を軍に売るため、ダーウィンまでの移送を手伝うようドローヴァーに頼む。同化政策のためにナラを捕まえに来た警察から逃れるため、ナラの母親が死んでしまうが、サラ、ドローヴァー、ナラ、アボリジニのマガリ、グーラジ、アボリジニ女性のバンディ、中国人料理人シング・ソング、アル中白人会計士キプリング・フリンたちは協力して牛の移送を始める。 カーニーやフレッチャーはサラが牛を移送し始めたことを知り、妨害工作を始める。フレッチャーがつけた火に驚いた牛が暴走を始め、キプリング・フリンが死亡するも、ナラが牛の暴走を止める。また、オアシスの水源に毒を入れられ、サラらはキング・ジョージの導きで死の砂漠を横切っていく。 ギリギリの所で軍に牛を納入できたサラは、夫の意志を引き継いでファラウェイ・ダウンズを復活させることを決意する。ドローヴァーに管理人を頼むが、最初は断る。だが、舞踏会の会場に現れ、二人は結ばれる。 ファラウェイ・ダウンズでの農場経営は順調だったが、フレッチャーがカーニーを殺害し、経営を乗っ取ると、次第にサラの農場にも手を出し始める。また、ナラがアボリジニの習わしで旅に出ようとするが、それを止めたいサラとドローヴァーが喧嘩し、ドローヴァーは農園を飛び出してしまう。 そして、1942年になるとオーストラリアは日本に宣戦する。ナラとキング・ジョージはフレッチャーの罠で捕まってしまい、同化政策のために伝道の島に連れて行かれる。サラはナラを追いかけてダーウィンに来るが、どうしようもない。フレッチャーは農園を売れば助けてやると持ちかけ、サラは契約書にサインをする。その時、ダーウィンは日本軍の空襲を受ける。 ひどい損害を負ったダーウィンから皆が避難を始める。駆けつけたドローヴァーはサラが死んだものと思い、伝道の島にナラを助けに行く。島には日本軍が上陸しており、なんとか船に乗せて子供たちを脱出させるが、アボリジニのマガリは殿で射殺されてしまう。 ダーウィンでは死んだと思っていたサラが生きており、皆でファラウェイ・ダウンズに帰ろうとするが、血迷ったフレッチャーがナラを銃で撃とうとする。そこをキング・ジョージの矢が貫いて助かる。 牧場に戻ったナラは改めて祖父キング・ジョージと旅に出るのだった。
2009年03月11日
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2005 フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ 監督:ハニ・アブ・アサド出演者:カイス・ネシフ、アリ・スリマン、ルブナ・アザバル、アメル・レヘルほか90分 カラー PARADISE NOWパラダイス・ナウ/カイス・ネシフ[DVD] DVD検索「パラダイス・ナウ」を探す(楽天) イスラエルと対立関係にあるパレスチナの自爆テロに身を投じる若者たちを描いたヒューマンドラマ。テロを扱った映画と言えば、どちらかというとイスラエル視点やアメリカ視点でのものが多いが、本作は自爆テロ実行側からの視点で描かれた希少な作品である。もちろん、アラブ系制作の映画もないわけではないが、とかく過激な内容になりがちな中、比較的穏やかな視点と展開を見せているのが好印象だ。 監督はパレスチナ人であり、パレスチナの置かれた環境とパレスチナ人の考え方をしたたかに描いている。決して政治的な匂いが強いわけではないが、やはりその背景には根深いユダヤ人とパレスチナ人の対立というものが見え隠れする。遠く離れた我々日本人にはなかなか理解しがたい題材であり、どちらが正しくて自爆テロが正攻法なのかという難しい課題はあるが、少なくとも実際のパレスチナ人がどのように思い、生活しているのかということは認識できるのが実に新鮮だった。 9.11テロをはじめアラブ系による自爆テロは、とかく日本の特攻隊と比較されるのだが、これまで庶民をも平気で巻き込む自爆テロと純粋な特攻隊とはまるで違うのだ、と私も漠然とイメージをしてきた。だが、本作を見ていてその違いというものが何であるのか、いささか迷いを感じた。自爆テロも特攻隊も愛国、大義に基づく信念の結果であり、そのきっかけや決意の裏にある純粋な思い、そして逃げることの出来ない呪縛と恐怖を振り切るための確信の持ち方などに共通項を感じざるを得なかった。自爆テロに向かう若者の未練、苦悩というものを垣間見て、結局は上層部の口車に乗せられた犠牲者でしかないということは、ある意味同じ人間として安堵を覚えた。 だが、自爆テロはやはり自爆テロであって、それを真っ向から正当化できない、という感情があるのも事実だ。特攻隊との分かりやすい違いで言えば、敵対する相手が正規軍か一般民衆を巻き込むかという点なのだが、ただそれだけでは納得しがたいものがある。要は幼い頃からの刷り込みによってアメリカ人=敵とか、キリスト教徒=敵いう構図が出来上がっているのであれば、相手が何者かということは単に価値観の相違でしかなくなる。我々が一般民衆だと思っている人物が相手にとっては敵でしかないのだから。 その答えになるのかどうかはわからないが、本作中に「(自爆は)犠牲でなく復讐よ」と自爆を引き留めようとする女性の台詞が出てくる。なるほど、大きな精神的な違いがここに隠されているかも知れないと感じた。日本の特攻隊員には犠牲の心はあっても復讐心で突入した者は少ないと思われる。だが、全ての自爆テロがそうとは言えないと思うが、自爆テロの場合、教義上もしくは組織上で犠牲という言葉は用いてはいるが、その発端は復讐心にあるのかもしれない。 映像はパレスチナの雰囲気を良く感じることが出来る。貧困と紛争にまみれた環境の中ながら、したたかに生きるパレスチナ人の姿はある意味新鮮だ。 ストーリー的にはもう少し自爆テロを決意する背景が理解できると良いと感じた。イスラム教の教義への馴染みが薄い日本人にとっては、聖戦や殉教といったニュアンスがわかりづらいからだ。とはいえ、必然的に欧米主導の勧善懲悪型の作品を見る機会が多い中、こうした異なった視点での作品はレアだ。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ヨルダン川西岸ナルブス。イスラエル占領地に住むパレスチナ人の若者サイードとハーレドは自動車修理工場で働いているが、顧客を怒らせてハーレドはクビになってしまう。サイードはフランス生まれモロッコ育ちの殉教者英雄アブ・アザームの娘スーハに恋心を抱く。 そんな二人の所にテロ組織のジャマールがやってきて、二人にテルアビブでの自爆テロ指令が下る。明日という急な指示だが、モサドに殺害されたリーダーの報復のため、二人の覚悟は出来ていた。二人は家族にも告げず、家族とのわずかな時を過ごし、準備に取りかかる。 腹に巻いた爆弾は自分では取り外せない仕組みになっていた。二人は辞世のビデオで聖戦の意義と決意を語り、殉教者となることに誇りを感じるのだった。 作戦は二年ぶりの重要な作戦で、イスラエル兵や警察官を見かけたらやられる前に自爆しろと言われる。一人が先にやり、15分後にもう一人が自爆する手はずとなった。サイードは果たして正しいことなのかと疑問を感じるが、二人は案内役のイスラエル人に連れられて国境フェンスを越える。しかし、裏切られて、イスラエル軍に発砲されてしまい、ハーレドはアジトに戻るが、サイードははぐれてしまう。テロ組織のリーダーアブ・カレムはサイードが裏切ったとしてアジトを撤収する。ハーレドはサイードを探し始める。 サイードはいったんは実行しようとイスラエル国内に再潜入するが、元に戻りスーハと再会するが去っていく。ハーレドはサイードをようやく見つけ出すが、サイードは自決しようとしていた。スーハは自爆テロは犠牲ではなく復讐でしかない、もっとモラルの戦いをすべきと諭すのだった。ハーレドはもう自爆はやめようと言うが、サイードはもう一度チャレンジすると決心し、ハーレードも一緒に行くことに。 イスラエルに潜入した二人だが、サイードはハーレドをパレスチナに送り返し、イスラエル兵の乗るバスに乗る。ハーレドは泣きながらパレスチナに戻り、サイードの家ではジャマールやアブ・カレムが殉教者として母親を讃えるのだった。
2009年03月08日
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2007 アメリカ 監督:ロバート・レッドフォード出演者:ロバート・レッドフォード、トム・クルーズ、メリル・ストリープほか92分 カラー LIONS FOR LAMBS大いなる陰謀/ロバート・レッドフォード[DVD] DVD検索「大いなる陰謀」を探す(楽天) アメリカのアフガニスタン軍事政策を背景に、上院議員、マスメディア記者、政治学の大学教授と学生が絡むサスペンス調ヒューマンドラマ。権力への野望のために真実よりも大義を優先する上院議員、報道の影響力を知るが故、真実と大義の間に揺れる記者、そうした政治家を育てる理想を追求しつつも現実に苦悩する教授、真実にも大義にも目を背けるノンポリの若者らが、それぞれの立場で正しいと思う選択をしていくのだ。そこには政治や国策の正解のない迷走がある。当然内容はフィクションだが、イラクやアフガニスタンで今もなお戦い続けるアメリカの特殊性をひしひしと感じる。 会話、ストーリーともに、比較的隠喩的表現が多く、わかりづらい映画である。実は映画館で見たのだが、レビューを書く気にもなれず放置状態で、レビューがないので間違ってまたレンタルしてしまった(汗)。それだけ、内容的には重くヒューマニズム系なのだが、何に着目すればよいのか、焦点が絞りにくい。特にラストシーンは色々なシチュエーションを想定できるような作りこみとなっており、作品としてはいささか締まりの悪い結果となっている。監督としては、アメリカの持つ軍政問題を一つの結論に押し付けるのではなく、視聴者側で考える余地を与えたということなのだろうが、かなり消化不良を起こした視聴者も多いのではないだろうか。共和党(与党)批判とも、マスコミ批判とも取れるし、無関心な学生への警告とも取れる。 本作はそういう意味で非常に奥の深い内容なのだが、私はあまり心に響くものがなかったのだ。それは私が日本人だからなのかもしれないが、やはり本作がプロローグ的な作りになっているからではないかとも感じた。これから更に激動し、泥沼化していくアメリカの軍事行動への不安と警鐘をあらわしているのだろうか。そう言った点では、この続編を作るのも面白いのではないだろうか。 上院議員役のトム・クルーズは妙な爽やかさが気になった。確かに若手議員というのは日本でも、妙にハイで艶やかなんだけど、事の重大さに比べて言動の軽さがどうもしっくり来なかった。また、女性ベテラン記者役のメリル・ストリープは深みのある名演技だったが、その深みを醸し出す記者人生の背景描写がもう少しあると良かった。イラク戦争開戦時の失策が伏線となっているのだが、その辺りから描かれていると分かりやすかったのでは。 映像的には、議員執務室と戦闘シーンが大部分を占め、撮影予算的にはあまり金がかかっていないように見える。その戦闘シーンもかなりチープな作りで、暗い画面でチープさを隠そうとする意図がミエミエ。大学出志願入隊ですぐに特殊部隊員というのも、うーん・・・という印象だが、多用するCGも何だか見づらい。こんな程度ならむしろ大幅カットした方がすっきりしたかもしれない。 全般に社会的問題と課題を重く漂わせる作品なのだが、思った以上に伝わってこなかったのが残念。作品として楽しめるか、というとそれほどでもなく、どうしても評価的には低くならざるをえない。ただ、アメリカがカオス状態にあることだけはわかるが。 最後に、公式HPでタイプ診断があるのだが、私は「あなたは権力のために生きるアーヴィング」に分類された(笑)。公式HP興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 共和党のJ・アーヴィング上院議員は旧知のベテラン女性新聞記者ジャニーン・ロスを執務室に招き入れる。ロス記者はかつて若きアーヴィングを評価して記事にした経験があったのだ。 議員は新たなアフガニスタン攻撃の新計画をリークし、自身の保身と飛躍を目指そうとしている。今がターニングポイントだとして、特殊部隊が標高2,400mの高地に侵入し優位な戦略ポイントを確保。少人数チームで最小限の被害で敵をおびき出そうとするのだ。作戦の効果と企図について質問するロス記者に対して、陸軍士官学校を優秀に卒業し、情報部勤務経験のある上院議員はイラク戦争の失敗を認めるが、マスメディアの共犯性についても言及する。今度こそ共同して勝利を目指すべきだと説得する。勝利のため手段は選ばないのだと。 バグラム空軍基地では、アーネスト・ロドリゲスとアリアン・フィンチらの特殊部隊がファルコ中佐の指揮下でアルカイダ掃討作戦計画にとりかかっていた。だが、敵のいないと思われた高地でヘリが銃撃され、フィンチとロドリゲスが機体から落ちてしまう。フィンチは足が雪に埋まってしまい身動きが取れず、ロドリゲスは手足などを骨折して重傷だった。 カリフォルニア大学 政治学のS・マレー教授が学生トッド・ヘイズを呼び出す。教授は才能のある学生をみつけることに生きがいを感じていたが、学生は政治に失望し、やる気を失っていた。教授は出来ることを何かすべきではないかと説得する。トッドの前に目をかけていたロドリゲスとフィンチは、教授の制止をきかずに志願兵としてアフガニスタンに赴いており、教授はそのことを残念に思っていた。自身もベトナム戦に参加したこともあり、軍に入ることに肯定も否定もしなかった。ただ、黒人とプエルトリコ系であるにも関わらず、国のために軍に入った彼らの責任感と勇気には敬意を感じていた。 タリバン兵に囲まれたフィンチら二人を救出するため、ファルコ中佐はA-10攻撃機を現地に投入する。しかし、到着まで十数分かかり、その間にもタリバンが迫ってくる。弾の余裕もない二人は窮地に追い込まれる。 この状況は執務室のアーヴィング議員のもとにも知らされる。異様な雰囲気を察知したロス記者はテレビ局に戻るが、スクープ報道として製作する気がしない。上司の命令に背いて政府のプロパガンダとしてそのままを流すことを拒否し、テレビ局を後にする。 Aー10の攻撃にも関わらずフィンチら二人の弾は切れ、死ぬときは立って死にたいと言って二人は立ち上がり銃弾に倒れる。また、トッド・ヘイズは教授に言われた言葉をかみしめ、テレビで流されるアフガニスタン急襲作戦のニュースを眺める。
2009年03月04日
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1959 東宝 監督:橋本忍 脚本:橋本忍 原作:加藤哲太郎出演者:フランキー堺、新珠三千代、水野久美、笠智衆ほか89分 モノクロ 【送料無料選択可!】私は貝になりたい <1959年公開作品> / 邦画 DVD検索「私は貝になりたい」を探す(楽天) 前年TBSテレビのドラマで話題を呼んだ作品の映画版。主役はそのままフランキー堺で、高知で床屋を営んでいた二等兵が捕虜殺害容疑で戦犯となり、無念にも絞首刑に処されてしまうヒューマンドラマ。処刑にあたって書いた遺書の中で、「生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい」と言う名フレーズが話題を呼んだ。すでに講和条約は締結されているものの、多くのBC級戦犯が一方的な極東裁判で過酷すぎる刑を受けたこと、旧日本軍の無謀な上官命令や矛盾をクローズアップさせた反戦的メッセージが色濃い。2008年になり、橋本忍により脚本が改訂されリメイクされた。 なお、本作は橋本忍による脚本だが、後年私は貝になりたいのフレーズの原著作加藤哲太郎から著作権に関する提訴を受け、以降原作者加藤哲太郎のクレジットが記載されている。登場人物、ストーリーはフィクションである。 フランキー堺による朴訥とした男の演技は特筆もので、苦悩と絶望の表現や映像が衝撃的。決してハッピーエンドではないストーリー展開は見る者に衝撃を与え、そして戦争とは何か、人生とは何かを考えさせる。脇を固める妻役の新珠や笠の演技が華を添える。 ただ、今となっては映像や編集、そしてストーリー展開にはいささかの古さも感じる。セリフや役者のしぐさはいかにも戦後間もない時期の雰囲気や匂いを醸し出してはいるが、ストーリーの深みという点ではやや物足りない。終盤部の間の取り方は特筆すべきものがあるが、全般に人物の性格付けがさほど強くないうえ、ストーリ展開が早いので感情移入がしずらい側面がある。ただただ、悲壮感と絶望感だけは伝わってくるが、それがどこに起因するのかがいま一つ判然としないので、物語のスケール感が乏しいのだ。予算的なもの、技術的なものの限界なのかもしれない。 音楽はこれまた古いタイプの雅系。決して悪くはないが、今となってはちょっと違和感も。ただ、随所に無音の効果を入れることによってメリハリをつけているのは良い。 当時の作品としては衝撃的で、画期的な作品であったと思われる。それだけの評価を受けている作品だが、リメイクも数多くされているだけに、どうしてもそれと比較して総合評価は抑え目になてしまった。興奮度★★沈痛度★★★★★爽快度★感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 土佐の高知で床屋を営む清水豊松は妻房江と息子の健一と細々と暮らしていた。戦局は悪化しており、友人の酒井正吉が応召されるが、間もなく豊松のもとにも町役場の竹内が赤紙をもってやってくる。房江はショックを隠せないが、豊松は気丈に入隊していく。 軍では二等兵として教練を受けるが、豊松は動作の鈍い滝田とともに班長の立石上等兵に目を付けられる。400機ものB-29による空襲の日、高射砲により撃墜された1機の米軍搭乗員が数名大北山中に落下傘降下する。中部軍司令官の矢野中将は、民間無差別爆撃の米軍に怒りを覚え、国民士気にも関わることから捕虜の捜索と処分を尾上部隊に命じる。尾上中佐はすぐさま配下の日高中隊に捜索を命じる。日高大尉の中隊は大北山山中に入り、豊松らが属する足立少尉の小隊が米兵を発見する。しかし、一人はすでに死亡、2名も意識不明の重症となっており、処分を処刑と判断した日高大尉は新兵教育の一環として2名の米兵銃剣刺殺を命じる。足立少尉、木村軍曹を経由して立石上等兵が最も頼りない豊松、滝田二等兵の2名を選抜。二人は銃剣刺殺を命じられるが、なかなか刺せない。しかし、殴られたあげく再度の銃剣刺殺を敢行させられる。 日本は敗戦となり、豊松は無事床屋に戻る。闇市の仲介役などをしながら生計を立てているところに、MPを連れた県警察のジープがやってくる。米兵捕虜殺害の罪で戦犯容疑者となったのだ。BC級が集められた横浜軍事裁判所では矢野中将が自分の罪だと認めるものの、それ以下の将校、下士官らは罪や命令を否定する始末。日高中隊長は終戦ととともに自決していた。豊松は言葉の通じない軍事裁判と、日本軍の絶対命令指揮系統を理解できない連合軍裁判員に悩まされ続ける。結局、矢野中将と尾上中佐は絞首刑、足立少尉は終身刑、木村軍曹と立石上等兵にはそれぞれ30年と15年の重労働が課せられる。豊松と滝田はさらに軽い罪かと思ったが、なんと絞首刑を命じられる。 死刑囚のみ集められた建物に豊松は収監され、ボルネオで犯した罪で収監されている大西と同居となる。自殺者が出るため2人制となっているのだ。大西は聖書を読み心を落ち着かせている。木曜日の朝、収容所中に読経の声が響き始める。木曜日の朝になると処刑者のチェンジブロックが行われるのだ。その朝は大西が連れていかれてしまう。収容者らに別れの挨拶をし、収容者の合唱となった讃美歌を歌いながら大西は出ていく。 ある日、中庭の散歩で豊松は矢野中将に声をかけられる。しかし、自分の罪を命令した張本人であり無視する。矢野中将は看守を使って何度も訪問を頼んでくる。根負けした豊松は矢野中将の訪問を受け入れる。意外にも矢野中将は豊松に詫びを入れ、自分一人を処刑し、関係の部下の減刑嘆願書を出したと告白する。心を打たれた豊松はその後たびたび矢野の部屋を訪れるようになり、矢野に英文での嘆願書の書き方を教わる。そこで教誨師とも出会う。そして、矢野中将は絞首刑を執行される。豊松は新たな同房者の迷惑にも関わらず、矢野の弔いを続けるのだった。 妻房江のもとに戦犯委員会から絞首刑となった旨の書類が届く。初めて知った房江は単身巣鴨に面会にやってきて、なぜ真実を言ってくれないのかと責めるのだった。 矢野中将の絞首刑ののち、処刑が途絶える。1年間の中断により戦犯の間にも安堵感が生まれ始め、さらに講和条約締結の話も浮上してくる。房江も床屋の理髪台や椅子の新しいカタログを持ってきて、豊松はそれを眺めるのが楽しみだった。 ある木曜日。豊松は看守にチェンジブロックを命じられる。同房者は減刑だと大喜びし、他の収容者たちも豊松の減刑を大喜びする。しかし、所長室で聞かされたのは絞首刑執行だった。あまりのショックと絶望で豊松は動けなかった。教誨師との晩さん会で葡萄酒を飲み、ようやく遺書を書き始める。そして、絶望の気持ちで処刑台の13階段を上っていくのだった。「せめて生まれ代わることが出来るのなら。いいえ、お父さんは生れ代わっても、もう人間になんかなりたくありません。人間なんて厭だ。牛か馬の方がいい。いや牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも。そうだ、貝がいい。貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。兵隊にとられることもない。戦争もない。房江や、健一のことを心配することもない。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい」
2009年03月02日
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2008 日本(南京の真実製作委員会) 監督:水島総出演者:浜畑賢吉、藤巻潤、寺田農、渥美國泰、久保明、山本昌平、十貫寺梅軒、三上寛ほか171分 カラー 「南京の真実」HP 送られてきたDVDを鑑賞。こういう立ち位置での作品に凄く期待していたのですが、ちょっと残念な結果に。でも、製作の意欲には敬意を表しますし、次回作に期待したいと思います。 南京陥落70周年を迎え、近年諸外国で制作されようとしている「南京大虐殺」映画に対抗し、南京事件の真実を知らしめようと言う意欲的な発意のもとに制作された第一部。第一部は七人の死刑囚、つまりA級戦犯を主題に取り上げたもので、南京事件の真実に直接触れたものではなく、その前段という位置づけのようだ。 南京事件とは、1937年の日本軍の南京入城の際に起こった虐殺事件のことを指し、数万人とも40万人とも言う虐殺を行ったとされる事件のことである。実際に捕虜の処刑、民間人殺害、婦女暴行などが行われたことは確からしいことではあるが、アメリカや中国によるプロパガンダに利用された結果、誤謬や誇張がなされて伝わっている可能性が示唆されている。南京事件の実態については、諸説紛々とした状態であり、未だ的確な検証が行われたとは言えない。しかし、敗戦国として戦勝国のプロパガンダによって戦後60年以上にもわたって執拗に悪玉扱いを受け続けることは、非常に理不尽なことであるし、日本軍が何を行ったにせよ、真実を求めていくことが重要なことである。我々日本人自身が受け入れられる、そして政治や外交カードとして利用されることのない、真実を自ら検証していく姿勢が必要なのだ。我々日本人は自虐史観から次のステップに移るべき時期に来たのだとも言える。 そう言う意味で、本作に課せられた使命は重要であり、特に日本発の外国人に向けた新たな一歩であって欲しいと願うものであった。 だが、その期待と願いは脆くも崩れた。相当贔屓目に見ても、本作が外国に発信できる資質を持っているとはなかなか言い難い。製作委員会には相当な面々が名を連ねており、それなりの脚本と映像ができるものと思ったが、内容及び映画としての出来映えにはいささか疑問を覚える。 内容面での課題としては、主題のブレが気になる。本作は、南京事件の真実を探るという大目的の上で、第一部でA級戦犯を主題に選んだようだ。特にA級戦犯の潔さと精算への決意の美を描こうとしている点で評価できるのだが、前半部分で記録映画の映像等を多用して南京事件についても触れ、ダブルテーマになってしまっている。精神的な心情推移描写とドキュメンタリーでは余りに視聴者側の意識が異なるので、とても見にくいし、内容を理解するには不適切と言わざるを得ない。やはり、本作ではA級戦犯部分だけに焦点を絞り、似たようなシーンは割愛してメリハリをつけるなどして、半分程度の長さに仕立て上げるべきだったのではないか。その方が理解度は高かったと思われる。 また、本作ではA級戦犯の戦犯容疑内容についてほとんど言及されることがなかったのも疑問だ。極東軍事裁判が戦勝国による一方的裁判であることは、「巣鴨の母(1952 大映)」などで既に古くから問題視されてきた題材である。これを今一度諸外国に知らしめ、公平性を理解して貰うためには、それを理路整然と証明していく過程が必要ではなかったろうか。本作ではA級戦犯のストイックな精神面ばかりが強調され、論理性という部分では外国人に逆効果を与えてしまうのではないかという懸念さえ持った。特に、ラストシーンで被告側弁護人B・ブレークニー弁護士の反対弁論映像が出てきたが、「原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか。」というフレーズこそ冒頭で使うべき素材ではなかったろうか。1919年のパリ講和会議における日本による人種差別撤廃決議案のシーンもしかりである。 南京事件に関する描写の中では「南京 戦線後方記録映画(1938 東宝)」からの流用映像が用いられている。貴重なフィルムであり、この映像からの検証も重要ではあるが、どうせやるならもっと突っ込んで検証して欲しかったところ。私のヘッポコレビュー程度の視点じゃあ物足りない(笑)。 映画としての完成度という面では、まず映画の長さが致命的だろう。描かれている内容に比して、余りに長い。同じようなシーンの繰り返し、長すぎる間の取り方など、見ている側の集中力が切れてしまい、映像に視聴者の心をつなぎ止めることができない。内容云々以前に、視聴者の人間心理をまるで無視してしまっているのだ。一人でも多くの日本人と外国人にも見て欲しい映画にするならば、気軽に見て貰えるような作り込みにしなければならないだろう。今からでも遅くないので、短尺のディレクターズカット版に編集しなおして欲しいところだ。 また、本作では難解な「能」表現を織り込んでいる。確かに日本人の精神性を描く手法としては「あり」なのだが、それが決して成功したとは思えない。まず、日本人ですら能の精神性がわからなくなった現在、外国人に本作で用いられた能の死生感や「幽玄」「妙」が理解できるとは到底思えないのだ。能の解説があるのならばともかく、処刑台の上に現れる能シテ方の存在や、無音や笛、小鼓の入り方などの「幽玄」「妙」が活かされているとは言い難い。そう言う意味では、かなりの玄人好みの作品になってしまっており、そこまで行くなら能そのものに仕立てた方が良かったかも知れない。ちなみに能を有効に活かした映画としては「憂国(1965 東宝)」がある。 あと余談だが、子供を使っちゃ駄目。使いたくなる気持ちはわからなくはないが、左翼映画や中国映画が多用する情に訴える手法であり、個人的にはタブーの域なのだ。 正直言って商業映画としてはほとんど駄目出しレベルで、政治・社会的映画として微妙なところ。第二部の出来を期待して★2.5まで引き上げたが、焦らずしっかりと後世にも伝えられるような作品の製作を願いたい。興奮度★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 昭和20年3月東京無差別空襲、8月広島、長崎原爆投下により数十万の民間人が虐殺された。その日から南京大虐殺30万人の嘘が準備され始めた。 昭和23年11月23日、極東国際軍事裁判により、土肥原賢ニ、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、東条英機、武藤章、松井石根の7名がA級戦犯として絞首刑を宣告された。 同12月21日午前9時、武藤と松井を皮切りに所長からマッカーサー元帥による刑の執行通告がなされる。刑の執行は23日午前0時1分とされた。松井らは皆国民の代表として死することを潔く受入れ、仏のお導きと達観の境地に達するのだった。家族等への遺書をしたためる各人の中で、広田だけは一切の書き物を遺さなかった。広田の妻はすでに自決していたのだった。教誨師の花山信勝は各人と面会を続ける。 東條は、2日前の通告に感謝しながら、立派に日本人として死ぬことを決意する。松井は長く生きすぎたとしながら、南京で部下が起こした事件について責任を取る覚悟だ。松井は中国戦線で命を落とした日本人や中国人のために、両国の土で熱海に興亜観音を設立していた。広田は亡き妻の姿を見ながら、回りに累が及ばぬように沈黙を続ける。各人とも仏と一体となり、国の再建の礎になることを望むのだった。 いよいよ最後の夕食となり、花山との最後の聴聞が行われる。午後11時26分、松井、武藤、東條、土肥原の4名が房から出され、焼香、署名のうえ、花山から葡萄酒とお菓子を渡される。そして別れの水杯をかわし天皇陛下万歳を三唱する。0時1分、1回目の絞首刑が執行される。続いて残りの3名も同様に花山と最後の別れをして処刑される。
2009年02月26日
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1970 イタリア 監督:フランチェスコ・ロージ出演者:マーク・フレチェット、アラン・キュニー、ジャン・マリア・ヴォロンテほか102分 カラー UOMINI CONTRO/MANY WARS AGO DVD検索「総進撃」を探す(楽天) 第一次大戦時のイタリア軍対オーストリア軍の戦闘を背景に、イタリア軍内部の確執と矛盾を描いたシリアス系ヒューマンドラマ。無謀な突撃命令を下す無能な上官と、それに反抗する兵士との板挟みとなった士官の苦しみと立ち振る舞いがメインとなっているが、そのテーマ性や展開は同じく第一次大戦のフランス軍を描いた「突撃(1957米)」に類似している。とはいえ、単なるパクリというわけでもなく、しっかりとした設定とストーリー性により独自の第一次大戦史観というものを感じることができる佳作である。映像とカメラワーク、編集のつなぎに若干の稚拙は残るものの、マカロニコンバット映画全盛期において、こうしたシリアス系映画がしっかりと作られていたことに感動する。 課題としては、登場人物の性格付けが浅めで、登場する主要人物の階級や立場がややわかりにくいことと、エピソードの繋がりに脈略のない箇所が多少あるために、一回見ただけでは全てを把握しがたい点がある。イタリア人の顔がわかりにくいことも相まって、完全に映画にのめり込むことが出来ないままに進んでしまい、心に響くインパクトを欠いてしまっているのが残念。エキストラ数や砲撃、突撃シーンの映像やスケール感はなかなかのものだっただけに、ストーリー性や登場人物への心情移入がもっと出来ていれば、主題である軍内部の確執や矛盾告発がもっとリアルに、シリアスに感じることも可能だったと思われる。 いずれにせよ、第一次大戦時の上官の無能さに起因する、無謀な作戦や指揮系統の乱れというものはしっかりと描かれており、第二次大戦にはない、毒々しい緊迫感と恐怖を十分に堪能できる。兵卒の命は第二次大戦時以上に軽んじられ、単純で無謀な突撃は悲壮感を通り越して、怒りさえ感じてくるのだ。特に、それが余り日の当たることのないイタリア軍であるというレアさが新鮮だ。 戦闘シーンでは銃撃戦、白兵戦、砲撃シーンが多く描かれているが、第一次大戦特有の塹壕戦の恐怖感もしっかりと描かれている。監視所に撃ち込まれる狙撃兵の銃弾は、塹壕戦ならではの近距離戦の恐怖を感じさせるし、敵味方中間地帯の空間は目に見えない固まった緊張感をヒシヒシと感じさせる。 本作に描かれているのはオーストリア軍に対峙するイタリア軍師団で、無能な師団長はレオーネ大将となっている。主人公のサッスー中尉は第291連隊第2 大隊所属の中隊長で、大将の命令に忠実な大隊長マルキオーディ少佐と対立していく。元の上官だった大尉以下は中尉に好意的で、兵卒らの信頼を勝ち得ていく。だが、士官は士官であり、兵卒と迎合するわけにもいかず、責任と人情の板挟みとなっていくのだ。 「突撃」と同様に結末は決してハッピーではない。怒りさえも感じる、軍の不可解な矛盾が心に重くのしかかってくる。だが、見終わった後に比較的早く鬱屈感が抜けていくのは、題材がはるか昔となった第一次大戦だったからであろうか。今では考えられない倫理観と常識が、他人事のように思えてくるからかもしれない。今の言葉で言えば「ありえなーい」、そんな言葉が思い浮かぶ作品であった。 興奮度★★★★沈痛度★★★★☆爽快度★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 第一次大戦。イタリア軍師団は山岳地帯でオーストリア軍と対峙している。そんな中、兵卒のマッラージ・ジュゼッペが迷い込んでくる。脱走兵ではないかと疑われる。 サッスー中尉は第10中隊に配属され、砲兵隊のアバティ大尉のもとにやってくる。そこから見えた風景は3000名の死者を出して撤退してくるレオーネ大将の師団第291連隊の姿だった。レオーネ大将は撤退を忌み嫌うが、無謀な突撃を繰り返したが作戦に失敗していた。さらに、先頭にいた偵察隊が敵の待ち伏せにあったことに怒り、偵察隊の責任者を射殺するようオットー中尉に命じる。無茶な命令にオットー中尉は悩み、戦死者の死体を使って責任者を射殺したように見せかける。 砦では、脱走兵を砦外に縛り付けているが、そこにオーストリア軍騎兵隊が突撃してくる。なんとか撃退するものの、次第に状況は悪化してくる。 レオーネ大将はフィオレ山奪回作戦を敢行。師団は再び進軍を始める。馬に乗ったレオーネ大将は馬に振り落とされ、崖から落ちそうになるが、一人の兵がそれを助ける。大将を嫌う多くの兵は余計なことをと舌打ちをするのだった。 レオーネ大将は塹壕の中を臨検し、サンティーニ中尉、オットー中尉らの中隊を臨検する。銃剣やナイフの有効性などについて語り、自ら塹壕から顔を出して敵の狙撃にも動じない。だが、次に顔を出した伍長は狙撃されてしまい、大将は勇敢だと褒美を出す。 大将の命令で大隊長のマルキオーディ少佐は敵の有刺鉄線を切るための尖兵を派遣することにする。決死の覚悟でアヴェリーニ中尉ら3名が赴くが、ペンチが切れずに一人死亡、一人負傷で戻ってくる。切れるペンチを用意した少佐は次にサンティーニ中尉に命じるが、中尉は無駄だと断る。しかし、臆病だと罵られ、サンティーニ中尉は部下を連れて出発する。しかし、上官の馬鹿さにあきれた中尉は隠れることもせず、堂々と有刺鉄線に赴き、敵の銃弾によって倒れる。 大将らの無謀な作戦に、兵卒らが反乱を起こす。師団の大佐や少佐らは鎮圧に赴き、反乱に荷担しなかったオットー中尉に鎮圧を命じるが、革命を志す中尉はそれを断る。ようやく鎮圧された反乱兵らは大将の命令により20名ほどが銃殺される。 次に少佐らは鎧を着せた兵士に有刺鉄線に向かわせるが、これもバタバタと撃たれて戦死する。撃つオーストリア兵も「もうやめろ」と騒ぎ出す始末だ。突撃したオットー中尉はついに切れ、後方の大将を殺せと立ち上がる。そこを銃撃され負傷したオットー中尉をサッスー中尉が助ける。大将は戻ってきた二人を見て何故戻ってきたのかと叱責する。 塹壕の第14監視所は敵の狙撃兵が確実に狙撃してくる危険エリアだった。監視の不備を怒る大将に、サッスー中尉は狙撃されることを期待して第14監視所に連れて行くが、運悪く大将への狙撃はなされなかった。 後方の病院では大佐による簡易軍法会議が開かれていた。ほとんどの兵士が自傷行為だとして厳しく裁かれていく。サッスー中尉は負傷したアバティ大尉を見舞う。 冬になり、脱走しようとしたマッラージがマルキオーディ少佐によって射殺される。兵は士官を憎んでいた。さらに中尉らの下級士官もまた大将を憎んでいた。サッスー中尉らは噂で大将が戦死したと聞き、祝杯をあげるが、その場に大将がやってくる。 敵の砲撃を受け、マルキオーーディ少佐は塹壕に退避するよう命令を下す。しかし、混乱した兵らは言うことを聞かない。怒った少佐は兵を並べ、10番目の兵を処刑するようサッスー中尉に命じる。しかし、サッスー中尉は拒否し、パヴァン中尉に命じられる。しかし、パヴァン中尉は威嚇射撃だけにとどめ、サッスー中尉がマルキオーディ少佐を射殺する。 サッスー中尉はレオーネ大将に召喚され、一度も負傷してないことを指摘される。そして、サッスー中尉の平和主義観を否定し、少佐殺害の罪で銃殺を決定する。 サッスー中尉は堂々と射殺場に向かうのだった。
2009年02月25日
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2007 チェコ・スロバキア 監督:イジー・メンツェル出演者:イヴァン・バルネフ、オルドジフ・カイゼル、ユリア・イェンチ、マルチン・フバほか120分 カラー OBSLUHOVAL JSEM ANGLICKEHO KRALE /I SERVED THE KING OF ENGLAND DVD検索「英国王 給仕人に乾杯」を探す(楽天) 第二次世界大戦前夜から社会主義国家となった戦後までのチェコスロバキアを舞台に、一介のチェコ人給仕人(レストランボーイ)が織りなすラッキーとアンラッキーの繰り返しを描いたコメディタッチのヒューマンドラマ。なかなかチェコ映画を見る機会はないのだが、イジー・メンツェル監督はチェコでは著名な監督だそうで、原作者のボフミル・フラバルもチェコではカリスマ的な小説家なのだそうだ。日本ではメジャー級公開ではないが、ヨーロッパ等ではかなりの評価があるらしい。 チェコスロバキアと言えば、1938年のドイツによるズテーテン地方併合(占領)を皮切りに、1939年にはチェコのドイツ保護領化、スロバキアのドイツ管理下独立と、ヒトラードイツに蹂躙された暗い歴史を持っている。さらに、プラハがソヴィエト軍に解放されたため、戦後は共産主義体制のもと東欧的社会主義の独裁圧政に抑圧されてきた。本作は1963年までを描いているので出てこないが、1968年にはプラハの春という激動を経験しているし、1989年のビロード革命まで文化・経済ともに暗い閉鎖性を余儀なくされたのだ。 それだけ暗いチェコスロバキアの歴史を題材にしているのだが、意外にも本作はとにかく明るい。それでいて、明るいながらもきちんと負の歴史を描ききっているのが凄い。ボフミル・フラバルが原作を執筆したのは1971年頃で、共産党政権下でこういった作品は公開できないため、ずっとアンダーグラウンドで読まれていたそうだ。お隣ポーランドの作品でもそうだが、表現の自由を取り戻したあとの爆発的なエネルギーを感じる。とにかく、作品を自由に作れる楽しさ一杯なのだ。戦争系のチェコ映画だと「大通りの店 (1965チェコスロバキア)」があるが、これは抑圧下のため微妙な作品に仕上がっている。 内容は第二次大戦前から戦後までを描いた割に、非常にコンパクトに凝縮してまとめあげている。たかが120分でこれだけの期間の描写をわかりやすく、テンポよく見せるのは見事だ。主役の給仕ヤンは青年時と壮年時を二人の役者で演じており、共産党に逮捕され懲役を受ける15年間は空白となっているのだが、まるで違和感がないし、フラッシュバックシーンの転換もテンポ良い。一つ一つのエピソード描写も深入りせずにインスピレーションを働かせる作り込みになっているのが心地よい。 それに加え、主役のイヴァン・バルネフのコメディチックな演技が楽しい。かなり小柄なのだが、そのコンプレックスを逆に利用し、出世と笑いに変えてしまうのが小気味よい。髪型をちょっと変えるとヒトラーに似ているのも面白い。 また、何と言っても本作に描かれる女体の美しさは特筆ものだ。バストトップどころか全裸の女性が続々と出てくるのだが、これが皆美しい。エロチックな部分もあるのだけれども、それ以上に女性のラインや魅惑的な所作に見とれてしまうのだ。本作では金持ちの道楽が一つの大きなテーマになっているのだが、道楽の定番である「美食」と「女性」が何度も登場する。おいしいものをひたすら欲するのと同様に女性も欲するが、それが単なる性的行為への欲求ではなく、女性美つまり女体の鑑賞というのがいかにも金持ちらしい。 全般にコメディタッチなのだが、随所に元社会主義国家ならではの皮肉やブラックな面も隠されている。冒頭の出所シーンから「・・・刑期は15年。幸運にも、恩赦のおかげで14年と9カ月で釈放された」なんて出てくるが、恩赦か・・・おいおい、たった3カ月かいと突っ込んでしまった。 もちろん、負の歴史にもしっかりと触れている。ドイツによる併合管理では、頑なにドイツ語を拒否する給仕長の愛国心が描かれている一方、ズテーテンのドイツ人女性と結婚する主人公の微妙なバランス感覚がチェコの置かれた複雑な環境を物語っている。また、ドイツSS長官ハインリッヒ・ヒムラーが実践した「生命の泉 レーベンスボーン(レーベンスボルン)計画」も登場し、ドイツ人の純血主義思想を半ば嘲笑気味に見るチェコ人の姿が浮かぶ。ちなみにレーベンスボーン計画を描いた作品では「第三帝国の野望(1961独)」がある。 オープニングやエンディングに流れるピアノ音楽も印象的だ。日頃映画の音楽には無頓着な私だが、本作では随所で音楽に引き込まれ、映画のイメージにぴったりだった。 役者は余り見たことのない人ばかりだが、主役のイヴァン・バルネフを始め、給仕長役のマルチン・フバなど、なかなかの個性派だ。ドイツ人女性を演じたユリア・イェンチは「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々(2005独)」でも主役を演じており、本作ではヌードも披露。 また、小柄なエチオピア皇帝が登場するが、なんとチェコの女性シンガーが演じているのだそうだ。 全般にとても見やすく、後味の良い作品だった。テンポや場面編集のテクニックにも非常に感銘を受けたし、チェコスロバキアの歴史をしっかりと描いており、侮れない名作と言えるだろう。興奮度★★★★沈痛度★★爽快度★★★★★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1963年頃のチェコスロバキアの刑務所から一人の小柄な男ヤン・ジーチェが出所する。15年の刑期を恩赦により14年9ヶ月で出所したのだ。ヤンは国境に近いズデーテンに行き、道路工事の労働につくことになる。借りた一軒家は終戦で追い出されたドイツ人たちのボロボロの元ビヤホールだったが、そこを修理しはじめる。近所には同様にプラハ再教育監獄から出てきた音楽の樹を探す大学教授と娼婦のマルツェラがいた。そんな生活をしながら昔を思い起こすのだった。 ヤンは1930年代に駅のソーセージ売りをしていた。お釣りを渡しそびれるふりをして小銭を稼ぎ、小銭をばらまいては拾う人々の姿を楽しむ日々だったが、次に小さなレストランの給仕人として働くようになる。レストランでは町の名士達がビールを注文し、様々な話題で盛り上がる。その中に行商で儲けた小柄の男ヴァルデン氏がおり、臓物料理以外を全て注文するのだった。ヴァルデンはかつて駅でお釣りをヤンに取られた男だったが、小柄のヤンを気に入り、自室に招き入れる。ヴァルデン氏は自室の床にお金を敷き詰め、ヤンに「上手にコインを捨てることを覚えれば、やがて札束になって帰ってくる。金があれば世界はお前のものになる」と言うのだった。 ある日、レストランの軒先に美しい女性が雨に濡れて立っていた。支配人は中に招き入れ、濡れた女性に客の注目が集まる。彼女はヤルシュカといい、近くの売春宿天国館の娼婦だった。ヤンは稼いだお金を握りしめ、天国館のヤルシュカを訪ねていく。ヤルシュカに導びかれ事を終えると、ヤンはヤルシュカの裸体にヒナギクの花を飾るのだった。それからヤルシュカはヤンにぞっこんとなるが、余りに懇意になりすぎたたため、支配人とぶつかりレストランを辞めることになってしまう。 次にヴァルデン氏の紹介で勤めたのは、ユダヤ人チホタ氏の経営するチホタ荘だった。チホタ荘には大富豪や将軍がやってきて、豪華な料理と女達を堪能していた。客達は奔放に遊び、食べ、最後は女達と部屋に消えていく。ヤンも女給仕のヴァンダに誘われる。翌朝、帰り際に将軍は支払いを済まそうとするが、食べ物や破壊したものなど膨大な金額だった。しかし、将軍は平然と金を払い、支払額よりも多い残りの札束をヤンにチップとして渡すのだった。ヤンはまたしてもここを辞めざるを得なくなるのだった。 次にヴァルデン氏に紹介されたのは、プラハで一番の高級ホテル・パリのレストランだった。そこには英国王の給仕をしたこともある優秀な給仕長スクシーヴァネクがいた。スクシーヴァネクは客を見ただけで客の国籍、注文がわかるのだった。そこでスクシーヴァネク氏にかわいがられるヤンだったが、主任給仕には嫌われていた。オーナーのブランデイス氏のお気に入りだった主任給仕だったが、ヤンが足をひっかけたために料理をこぼし、プライドの高い彼は店をやめる。代わりにヤンが主任給仕に昇格するのだった。 店の二階では金持ちらが裸の美女を肴に料理を楽しんでいる。ヤンは宴席が終わると裸の美女と事を始め、裸体にフルーツを盛りつけるのだった。 ある日、エチオピア皇帝の晩餐会がホテルで行われることになる。アフリカ料理を披露し、皇帝が給仕長に勲章を授けることになる。しかし、背の低い皇帝はスクシーヴァネクの首に勲章をかけることが出来ず、隣にいたヤンにかけてしまう。こうしてヤンは勲章を手に入れるのだった。 時代が変わり、ズデーテン地方がドイツ支配下に置かれる。街ではドイツ人が威張り始めるが、チェコ人たちはドイツ語を話すことも、ドイツ人の客を入れることも拒否して抵抗する。だがヤンはチェコ人の不正も嫌いで、街で虐められているズデーテンのドイツ人女性リーザを助ける。それが縁で二人はつきあいはじめるが、ドイツ人のリーザと親しくするヤンを、スクシーヴァネク給仕長は気にくわない。ついにヤンはホテル・パリもスクシーヴァネク給仕長のもとも去らねばならなかった。それから間もなく、チェコはドイツの保護領となり、ホテル・パリはドイツ軍人らで占められるようになる。 リーザはドイツ純血主義を信奉しており、チェコ人とは結婚できないが、ヤンの祖父の名にドイツ系の名があり、リーザはヤンとの結婚を決心する。晴れて結婚したヤンは、ドイツ軍に入隊したリーザの勧めで、ドイツ軍が接収したチホタ荘で働くことに。そこはスラブ民族優生種を生むための若い男女が生活する「優生学研究所」だった。裸のドイツ人女性と軍人らに囲まれてヤンは給仕をする。 妻のリーザは前線に赴むくこととなり、ヤンはそれを見送るが、その奥の貨車に詰め込まれたユダヤ人のヴァルデン氏を見かける。ヤンはパンを渡そうと走るが、ヴァルデン氏に渡すことは出来なかった。 やがて、リーザはユダヤ人の家から奪ってきた切手とともに帰還する。莫大な価値を持つ切手を売ればホテルも買えるのだった。だが、戦局は悪化し、研究所は傷病兵の病院に。そして、爆撃を受け、リーザは死んでしまう。 戦争が終わり、ヤンは切手を売ってチホタ荘を買い取って、ホテル・ジーチェを開く。有り余る金で豪華な調度を揃えるが、2月事件によって社会主義政権となり、金持ちのヤンは全てを失い、監獄に送られる。監獄にはかつての金持ち達が収監されているが、かつて同胞を裏切ったヤンは仲間に入れてもらえない。 ビアホールを修繕し終わったヤンは、年老いたヴァルデン氏を迎え、ビールを注ぐ。そして小銭を渡し、「あの日のお釣りをお返しします」と言い、二人はジョッキを合わせるのだった。
2009年02月23日
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「英国王 給仕人に乾杯」というチェコ映画をやっていたので、見てきました。ドイツ支配、社会主義化の混乱の中、ホテル給仕人の半生をコメディタッチに描いたものです。若い女性の裸もたくさん出てきて、なかなか良かったです。 全般にチェコの歴史を上手に描いた感じで、歴史ものとしても十分価値がありそうです。もちろんストーリーも非常にコンパクトに濃くまとまっていたので良作でした。 後日れびゅーします。 関係ないですけど、ついに30年物のベルトが破損・・・切れました。 なんか格好いいのないかなあと思ってみたら・・・魅せる大人のイタリアンモード"SilvanoBiagini”~made in Italy~イタリア製 レザーベルト~リアルリザード~【送料無料】【2009新作】魅せる大人のイタリアンモード"SilvanoBiagini”~made in Italy~イタリア製 レザーベルト【送料無料】【2009新作】 おー格好いいっすねえ。でも高い。やっぱり、近所の2000円位のを買うべきか。
2009年02月22日
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そういえば、先日南京の真実製作委員会から第一部「七人の「死刑囚」」のDVDが届いてました。 近年の諸外国の南京事件映画に対抗する形で、意欲的に制作されているようですが、出来はどうなんでしょう。ちょっと長いという批評もみられますが、ちょっと楽しみです。 南京事件は当時のアメリカや中国政府によって、反日プロパガンダ政策に利用されて、相当誇張、捏造された部分がありますから、真実をきちんとしておきたいところです。日本軍が犯した罪があってもなくても、我々は歴史として学び、次に生かしていく義務がありますからね。 以前、記録映画「南京 戦線後方記録映画」というのを見たことがあるのですが、その時の印象が南京虐殺とは違うのですよねえ。きちんとした歴史を知りたいところです。
2009年02月21日
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最近の円高のおかげで、イギリスのポンドが暴落しているようですね。日頃なんの関係もないあたしですが、ふと気づきました。イギリスものの戦争映画DVDを購入するにはチャンスではないかと。 過去に2回ほどamazon・ukでイギリス版しかない戦争映画を購入しておりましたが、まあ高くも安くもない感じでした。調べてみたら2006年には1ポンド208円、2007年度には1ポンド250円で購入してました。今は・・・なんと1ポンド130円台ではないですか。2007年の約半分・・・。つまり2年前の半額で買えると言うことですな。 そこで、色々とリストアップしました。まずは、日本未発売もしくは入手難VHSしかないようなものだとWestern Approaches(暁の雷撃戦1944)£15.69 San Demetrio, London(船団最後の日1944)£7.98 BATTLE OF THE V1(V1号作戦1959)£9.79 The Devil's Brigade(コマンド戦略1968)£4.98 Overlord(兵士トーマス1975)£6.98Angels One Five (日本未タイトル1952) £6.08 Above Us The Waves (潜水艦隊帰投せず1955)£5.98 The Way To The Stars (日本未タイトル1945)£6.58 Best Of British War 3本入りBOX £14.98 THE FIRST OF THE FEW (スピットファイアー1942) TOMORROW WE LIVE (日本未タイトル1943) CANDLELIGHT IN ALGERIA (日本未タイトル1944)3 Classic World War 2 Naval Battles 3本入りBOX £12.98 The Battle Of The River Plate (戦艦シュペー号の最期1956) In Which We Serve (軍旗の下に1942) We Dive At Dawn (日本未タイトル1943) なんかがあります。以前購入したものではDunkirk 激戦ダンケルク Cockleshell Heroes 生き残った二人 One Of Our Aircraft Is Missing わが一機未帰還 The Heroes Of Telemark テレマークの要塞 THEIRS IS THE GLORY 第一空挺兵団Ice Cold In Alex 恐怖の砂 THE COLDITZ STORY コルディッツ物語 The Dam Busters 暁の出撃 The Cruel Sea 怒りの海 もお勧めですね。 しかも、消費税?のような関係で、日本から買うと表示価格よりも13%ほど安くなる商品も結構あるので、£130円台なら1本実質600円から1,000円くらいで買える計算です。 送料も本数によりますけど、数本なら£7くらい、15本位なら£22くらいになるようです(実績)。 ただし、イギリス版はリージョン2で日本と同じなので問題ないのですが、テレビに映すときはPAL方式なので、日本のテレビでは映りません。パソコンなら問題ないです。 あと、当然英語版なので日本語字幕はついてません。中には英語字幕すらないものもあって、完全ヒアリング状態になるものもあります。あたしのような英語が駄目駄目な人間にとってはかなり地獄です。戦争アクション重視なら、戦闘に言葉は要らない!のでなんとかなりますが、ヒューマンドラマ系だと・・・さっぱりわからないことも(汗)。 まあ、円高がいつまで続くかわかりませんが、ちょうどいいチャンスかも知れませんよ。amazon.uk
2009年02月20日
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2007 カナダ 監督:シドニー・J・フューリー出演者:マーク・オブライエン、カーティス・モーガン、ニック・エイブラハム、ナタリー・ロイほか95分 カラー THE FOUR HORSEMENアルティメット・ソルジャーズ(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「アルティメット・ソルジャーズ」を探す(楽天) ちょっと名高い(笑)B級映画監督シドニー・J・フェリーのローカルビデオ作品。イラク戦争に思い入れが強いようで、「アメリカン・ソルジャーズ(2006)」に続いての作品となる。本作はイラク戦争そのものではなく、イラク戦争に参加した海兵隊員の本国帰還での苦悩がメインテーマになっている。大学のアメフト仲間だった4名組みが友人を亡くし、罪の意識にさいなまれる者、再び兵役に付くことを嫌う者、手足を失って生きる希望を失う者などイラク戦争での戦争後遺症や世論バッシングによる戦闘の意味について考えさせられる、深く重い内容だ。 ただ、やっぱりこの監督の作品はB級なのであって、内容的にはシリアスで感動的なはずなのだが、心に響いてくるものが少ない。というのも、フラッシュバックや断片的編集を多用するために、感情の起伏などの臨場感が伝わってこないのだ。加えて台詞に語彙が乏しく、学芸会的な雰囲気が強すぎて感動できないのだ。 また、イラク帰還兵を題材にすると同じようになってしまうのだろうが、商店に立て篭もって射殺されるシーンは「勇者たちの戦場(2006)」に似ているし、脱走しようとするが結局海兵隊に戻るシーンは「ストップ・ロス戦火の逃亡者(2008)」に似ている。どちらに比してもやっぱり稚拙に感じてしまうのは残念だ。設定やストーリー自体は決して悪くはないのだが、この監督は感情表現が特に不得意らしい。 主人公らは第1海兵師団第5海兵連隊第2大隊G中隊第1小隊第2分隊所属で、4人組のリーダ格であるダグ軍曹が分隊長を務めている。任務は2005年5 月頃から8月頃までが描かれ、反政府ゲリラグループの拠点急襲、警官救出作戦などが出てくる。実は、戦闘で手足を失ったエリック伍長役は、実際にイラク戦争で手足を失ったマーク・オブライエン伍長が演じており、ある程度史実に沿った内容となっているのかもしれない。このマーク氏はもちろん役者としては素人だが、素人らしからぬ堂々とした名演技が良い。 戦闘シーンそのものの量は少なめで、銃撃戦とロケット弾程度。銃撃戦はややチープ感が強く、映像的な演出も今ひとつ。余り金を掛けていない印象だ。 それなりに盛りだくさんのエピソードが描かれてはいるが、先にも書いたように臨場感がないので、どうもまとまりが悪い。感情表現がわかりにくいせいもあって、本作がどの方向に行こうとしているのかがわからない。バリバリの反戦や戦争批判というわけでもなく、もちろんアクション重視でもドキュメンタリー調でもない。かといって青春的ヒューマンドラマという程の深みもない。何だかわからないところがこの監督の真骨頂なのかも。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ニューヨークのニューヨーク州立大学アメフトで活躍していたテリー、エリック、マニー、ダグの4人は四騎士と呼ばれる名選手で、イラク戦争に海兵隊員として赴いていた。2005年6月の反政府ゲリラに捕えられた警察官救出任務などで、分隊長だったダグが戦死してしまう。また、エリックはRPG攻撃により右手足を失ってしまう。 8月になり、青銅星章の授与のため残った3名が本国帰還し、広報部のカーンズ中尉により授与式が行われる。授与式にはダグの妻キャシーも参列するが、キャシーは酒におぼれていた。テリーは妊娠していた恋人のアンジーと結婚することを決意し、ナイアガラで式をあげる。テリーはもう軍に戻らずに、脱走することを決意していた。エリックは手足を失い、恋人のジョディに別れを告げられていた。ダグとマニーのおかげで命を救われたが、生きる希望を失い欠けており、酒に溺れ男に見境無くなっていたキャシーを諫める。 マニーは一人悩んでいた。実は親友のダグはマニーが後方から撃ったロケット弾によって戦死していたのだ。罪の意識に苛まれ、父親と元恋人のローザに会いに行き、貯めたお金を全て渡す。そしてコンビニに籠城して自殺を図ろうとする。 テリーとエリックが一緒に乗り越えようと説得にやってくる。ようやく説得に応じたマニーだが、コンビニを出たところで警官に射殺されてしまう。 エリックはキャシーへの恋頃を抱き始めていたが、絶望のあまり薬物自殺を図る。キャシーが寸前で助け、二人は愛し合うようになる。マニーの葬儀のあと、エリックは海兵隊新兵勧誘の場に顔を出し、手足のない自分の姿をさらけ出して言う。「これが真実の姿だ。大勢に非難されても戦えるか、人を殺せるか。海兵隊は良いところだ、殺せるなら行け」 テリーは考えを変え、仲間が血を流して戦っているところに戻ると、軍に戻ることを決意。エリックもまた軍の病院に戻っていく。 テリーはその後、イラクから無事帰還し、海兵隊教官になる。エリックは退役し大学に戻り、キャシーと結婚する。
2009年02月18日
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