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1994 韓国 監督:イム・グォンテク 出演者:アン・ソンギ、キム・ミョンゴン、オ・ジョンヘほか 151分 カラー THE TAEBAKE MOUNTAINS DVD検索「太白山脈」を探す(楽天) 戦後まもなくに行われた朝鮮人による共産主義と資本主義の骨肉の争いを題材にした、在日一世小説家、金達寿の原作「太白山脈」の映画化。共産主義と資本主義(地主)の両者に分かれ、憎悪にまみれた争いを繰り広げる兄弟、中道として両陣営を冷静に見つめる教師を中心にした歴史的ヒューマンドラマだ。 朝鮮半島は、1945年日本が敗戦すると、いわゆる38度線を境として、ソヴィエト・中国庇護下の北朝鮮とアメリカ庇護下の韓国に分断される。すぐさま共産主義者らは共産党を立ち上げるが、韓国領内では朴憲永を中心に南朝鮮労働党が活動を始める。しかし、1948年に正式に韓国が独立し、李承晩が大統領に就任すると、アカ狩りが厳しく行われ、主要人物は北朝鮮に逃げ込むこととなる。その一方、麗水(ヨス)順天(スンチョン)反乱事件など国軍第14連隊が関与した共産パルチザン(反乱軍)の活動も行われ、1950年6月の北朝鮮南侵事件を機に北朝鮮労働党と合体し朝鮮労働党となっている。 本作は1948年10月の麗水順天反乱事件から始まり、北朝鮮の韓国侵攻(朝鮮戦争)を経て、1953年の停戦までを描く。共産主義者は南朝鮮労働党の(全羅南道)道党構成員及び小作農を中心とした武闘派パルチザンで、マルクス主義の高い理想を掲げつつも、その矛盾と北朝鮮共産党の独裁的な支配に翻弄されていく。一方、資本主義者は地主や警察、軍からなり、政府の政策に従ってアカ狩りを行っていく。両者は血を血で洗うような粛正やリンチを互いに繰り返し、復讐や報復心で民衆が支配されていく。本作がどこまで史実に沿っているのかは不明だが、北朝鮮南侵時に同様の事態が多数勃発したことはよく知られており、本作の舞台となる全羅南道は、韓国内の南西部に位置し、辺鄙な農村地帯として共産化浸透教育の影響が強かった地域でもある。 革命とは往々にして血によってなされるものだが、本作は実にリアルで衝撃的な内容を映像化している。生き延びるために最悪の手段に手を下してしまう人間の性、そして、動き出した復讐の流れは決して止めることが出来ないという恐怖を、嫌という程見せつけられる。 とにかく、見ていて辛くなってくる映画だ。何が辛いって、罵倒、殺人、強姦、密告、裏切り、粛正と次から次へと極悪非道の行いばかりが続くのだ。人としてあるべき道徳心も博愛の精神もそこにはないに等しい。その根底にあるのは共産主義と資本主義の戦いであり、元を正せば日本(日帝)が押しつけた土地制度(地主・小作制度)にある、と映画中では日本に責任を押しつけている。まあ、そう思っているなら勝手に思っているで構わないが、同じ民族でありながら血で血を洗うような抗争の歴史は、日本が押しつけたものではあるまいに。 映画全般にわたって繰り広げられる抗争の姿を見ていて辛いのは、何と言ってもその理由が理解できないことなのだ。確かに、日本人にも極悪非道な輩はいるが、それは一部の犯罪者でしかないし、戦前の全体主義的な統制下においてさえ、韓国のような殺し合いの歴史はない。最も近しいものとしても、過激派の内ゲバとヤクザの抗争ぐらいのものであろう。本作を見ていて、日本人とはいかに大人しい民族なのだろうとつくづく思った。朝鮮人はとかく、感情的、激情的と揶揄されるが、まさにそれを映画で実証して見せたようなものだ。全編をとおして、女性の目をむいた金切り声や男性の怒号が飛び交い、いい加減気持ちが鬱になってくる。 唯一主人公のみが日和見主義と揶揄されながら中道を歩んでいくのだが、その冷静さや道徳的な行いだけが救いとなっている。本作が結局何を表現したかったのか良く分からなかったが、個人的には、自身の行動を熟考することなく、刹那的、感情的に行動・発言することの愚かしさというものを感じ取った。昨今の日韓摩擦もそうだが、未来のあるべき道を思慮することなく、現状の怒りをぶちまけることでは何も解決につながらないということを、韓国映画がしっかりと示しているのである。本作を見て過去の過ちを繰り返さない努力は果たして行われているのだろうか。 映画として見た場合、やや冗長な印象はあるが、朝鮮戦争前から停戦後まで描いたものとすれば致し方ないだろう。ストーリー構成も、人物設定もわかりやすく、完成度という点では結構良い。ただ、複雑な政治的歴史背景をテロップで随時流してくれてはいるのだが、南朝鮮労働党や農地改革などの制度や内容についてもう少し説明してくれると有り難かった。さらに、南朝鮮労働党と北朝鮮の関係、悪名高い北朝鮮義勇軍(志願兵)、農地改革の功罪などはもっと深く掘り下げてくれると、ずっと深い映画になったと思うのだが、それだとちょっとやりすぎかな(笑)。 映像的には撮影セットが狭い印象があり、スケール感はあまり感じられない。市街地などはいかにもセットぽい。兵器類もほとんど登場せず、高速で飛び去る国連軍航空機が一瞬出てくるのみ。まあ、ヒューマンドラマ中心なので仕方ないが。 本作は単に、歴史的、政治的ヒューマンドラマというだけではなく、道義的、道徳的なアンチテーゼとして視聴するのが良いだろう。ただ、視聴し終わった後には、何とも言えない虚脱感が襲うことは間違いないが。少なくとも、残酷な虐殺は日本のせいではない。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1948年10月20日、全羅南道のポルギョ警察にクァンジュ警察から、ヨス(麗水)の第14連隊と共産党パルチザンが反乱を起こしたと報が入る。すでにスンチョン(順天)が陥落し、警察は鎮圧部隊を送る。しかし、反乱軍は翌21日にはポルギョにも侵入し、ポルギョの地主を粛正して殺し始める。 22日になり、鎮圧軍がスンチョンを奪還。反乱軍はパルチザンとなってチリ山に退却していく。共産主義者でポゾン郡党の指導者サンジン、小学校教員のアン・チャンミン、ハ・デチ、カンらが家族らを置いて山に籠もる。サンジンの弟ヨム・サングはアカを取り締まる監察部長で、サンジンとは犬猿の仲だった。 10月24日、ポルギョも鎮圧部隊が奪還し、鎮圧隊長イムヒが着任する。イムヒ隊長はナム警察署長の意見も聞かずに、アカ協力者を独自にあぶり出し、戒厳令のもと活動家と協力者を逮捕し、次々に処刑していく。そんな中、裕福な造り酒屋社長の息子チョン・ハソビは、労働党道党委員であり、巫女のソファのもとに匿って貰うが、ソファを無理矢理に犯してしまう。一方、監察部長のサングはカン同志の妻を無理矢理に襲って自分の女にしてしまう。街には「反共団」が大手を振ってはびこり、やりたい放題だった。この状況に苦言を呈した教師のキム・ボムは反共団に襲われる始末だった。 12月1日、国家保安法が公布される。中央からチェ議員が訪れ、造り酒屋の社長に逮捕状が出る。理由はと言うと、先の選挙に投票しなかったからであり、世間に不正な密告と摘発が吹き荒れる始末だ。 1949年1月8日、反民特別委員会が発足。パルチザンは寒い山中で越冬を余儀なくされる。鎮圧隊長には物わかりの良いシム中尉が着任し、キム先生と連携して治安の維持に努めようと試みる。キム先生は、この混乱は日本が残していった土地小作制度にあると説く。しかし、パルチザンは小作人をけしかけて地主を襲わせ、青年団長になったサングは取締を厳しくする。 アン同志が負傷して病院に担ぎ込まれる。医者は恋人のイ先生を呼び輸血をする。イ先生は医者にも戦うべきだと責めるが、医者は人を救うのが道だと断る。また、カン同志は自宅に戻り、妻を寝取ったサングを撃とうとするが取り逃がす。夫にばれたカンの妻は実家に戻るが、サングは結婚しようと追いかけ金を渡す。 ポゾン郡のパルチザンが総動員され、ユロが占領される。パルチザンのリーダーサンジンは、公平分配の地上の楽園を標榜し、多くの住民や小作人が同調しはじめる。しかし、両者への密告が相次ぎ、住民らは互いを信用できず戦々恐々とする。 6月5日、国民補導連盟ポルギョ支部が発足し、政府は農地改革法を公布する。鎮圧軍はパルチザンのアジトを急襲し、パルチザンは窮地に追い込まれる。カン同志は好色の女を色仕掛けで利用して薬を届けさせるが、女の裏切りで多くのレジスタンスが殺される。 キム先生は、良心的な地主として無償で土地を解放するよう求められるが、拒否する。共産主義の分配とは、国に全部渡して公平に分配することであり、努力や成果は反映されないのだと説く。 巫女ソファがパルチザン内通者として逮捕され、拷問で身ごもっていたハソビの子を流産する。ハソビの母親は黙っていろと釘を刺す。 1949年11月、左翼鎮圧が開始される。パルチザンはペグン山に移動するが、90%までが殲滅される。本屋のムン・ギスはパルチザンのスパイだったと自首をする。さらに農地改革法が施行され、地主の土地は有償分配されはじめる。 1950年6月、北朝鮮が38度線を越えて侵入。一転して共産主義者は勢いを取り戻し、町を支配下に置く。カンは密告者の女を殺害し、補導連盟が集団処刑される。北朝鮮軍が到着し、サンジンは人民委員会を開催しようとするが、北朝鮮労働党は南朝鮮労働党など信用していないと一蹴されてしまう。さらに、理想と現実を混同するなとまで言われ、相手にされない。北朝鮮軍は韓国人から人民義勇軍を志願させる。 8月末、優勢だった北朝鮮軍だったが、ナクトン川で戦況が逆転。北朝鮮の物資強制供出や高額の税などで民衆の不満も噴出する。カンの妻が服毒自殺を図る。巫女のソファは共産主義体制で禁止されているお祓いで霊を清める。サンジンは実家に隠れていた弟サングを発見。銃で撃とうとするが、見逃してやる。 9月15日、国連軍が仁川上陸。道党は後退を命じ、地下組織でゲリラ戦に転じることとなる。街では共産党の撤収に当たり、報復攻撃と称した殺人が行われる。キム先生はサンジンに止めさせるよう怒る。サンジンはその光景を見て、自分の理想が非現実的であったことを実感するのだった。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月18日
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1959 ソヴィエト 監督:セルゲイ・ボンダルチュク 出演者:セルゲイ・ボンダルチュク、ジナイダ・キリエンコ、パベル・ボリスキンほか 97分 モノクロ SUDBA CHELOVEK /A MAN'S DESTINY DVD検索「人間の運命」を探す(楽天) ノーベル文学賞受賞作家ミハイル・ショーホロフの短編小説を題材に、ソビエト芸術映画界の草分け的存在のセルゲイ・ボンダルチュクが監督主演した、ソビエト映画の名作。第二次世界大戦に巻き込まれたロシア人の男が家族を失い、捕虜として肉体的、精神的な打撃を受けながらも、たくましく生きていく様を描いた、感動的ヒューマンドラマ。ボンダルチュク独特の自然風景や音楽を駆使した前衛的とも芸術的とも言える映像美に、決して美しくはないが、泥臭く忍耐強い生への執着が切々と描かれている。いわゆる、共産主義体制下での労働者階級闘争的な臭いが強く、多分にプロパガンダ的要素もあり、日本人から見るといささか臭い芝居とも受け取れるのだが、そこは時代と体制を考慮して見るといいだろう。 やはり、注目すべきはボンダルチュクの映像美に尽きるだろう。象徴的で暗示的な自然物の映像は、深遠な人間の心を描いているようであり、アップや回転するアングルなどカメラの用い方は、今となっては古くさく感じるものの、逆にインパクトを強く受ける。また、ボンダルチュク自ら演じる主人公ソコロフや子役バベル・ボリスキンの演技は心に染みいる名演技。ソコロフがドイツ兵に勧められる酒を次々と飲み干すシーン、子役が感極まってソコロフに飛びつくシーンは特に秀逸。ソビエト映画はどちらかというと会話が少なく、あっても単語の羅列が多いのだが、本作も、言葉ではなく顔の表情で演技することが多く、それだけ役者の演技力が生きてくるのがわかる。 ストーリー的には比較的凡庸な内容で、どうしても思想的統制がかけられるソヴィエト映画としてはやむを得ないところなのだろう。一般的には反戦映画として評価される事が多いが、バリバリのスターリン体制下で堂々と反戦など描けるはずもない。本作は悪玉(ドイツ)の屈辱に耐え、しぶとく立ち上がる農民魂を描いたものであり、本来なら「さあ、武器を持って立ち上がれ」となるところなのである。決して赤軍が戦うことに対しては反戦ではないのであって、単に戦禍に巻き込まれた哀れなロシア人を描いただけではないのだ。ラスト近くで子供がソコロフに飛びつく感動的なシーンなどは、日本人から見れば人道的な感動と捉えるところなのだろうが、単にそれだけでは反戦的な被害者面になってしまう。だが、ボンダルチュクはそこに不屈の精神もからめた表現を施すことによって、ソヴィエト体制への順応を図っていると見受けられる。ボンダルチュクが当時のソヴィエト国体についてどのように考えていたかはわからないが、後の「戦争と平和(1965)」「祖国のために(1975)」の作品を見る限り、なかなか狡猾な人物と見受けられる。 さて、本作はいわゆる感動的ヒューマンドラマの範疇なのだが、全編見終わった後にどうも息苦しさを感じる。これはボンダルチュク作品に限らず、ソヴィエト映画全般に通じるものだが、ソビエトという国家体制に原因がある様な気がする。ソヴィエト映画の場合、自らの成長を含めて、行動する上での契機付けに必ず悪玉を必要しており、それに対抗する忍耐と義務が強調されている傾向が強い。我々自由主義社会の人間にとっては、自由や権利の方が強調されることが多いので、この点で違和感を感じているのだろう。このあたりの違和感を念頭に視聴してみると、本作の背景にある必然性や歴史性というものが見えてくるのが興味深い。 登場する兵器類としては、台数こそ多くないがT34/85戦車が登場している。ドイツ軍側の戦車にはT34戦車の砲塔を四角く覆ったと思われる、ヤクートパンター似のものが数台見える。このほか、ソヴィエト軍の対戦車砲や野砲が出てくる。航空機は双発のIl-4爆撃機様のものが多数編隊を組んで飛行する映像が出てくる。合成とも思えないので、実機を飛ばしているのだろうか。 戦後、たくさんの国で多くの戦争映画が制作されており、今となっては内容的にはさほど突出したものとは言えないが、歴史的名作として映画史に残るものであることは間違いない。また、ラストシーンに登場する子役バベル・ボリスキンの可愛らしさは万国共通のものであろう。それだけでも十分見る価値はある。 興奮度★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★ 感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 第二次世界大戦後最初の春。運転手のソコロフ・アンドリューシャは息子を連れ、仲間と休息で一服する。その会話の中で、ソコロフは暗黒で酷い目にあった過去に思いを馳せる。 1900年ヴォロネジ生まれのソコロフは、キキウィッゼ師団に入隊後、大工として働き、妻イリーナと知り合い、1男2女をもうけた。長男のトーリカは 17歳になり、新進数学者として選ばれるなど幸せの絶頂だった。しかし、突然のドイツ軍侵攻により、ソコロフは徴兵され、前線に駆り出される。妻と泣き別れ、前線でトラック運転手の任についていたソコロフは、敵弾で負傷し気を失い、ドイツ軍の捕虜となってしまう。劣悪な環境下で仲間が次々に死んでいくが、ソコロフは軍医に治療をして貰う。そんな中、小隊長を密告しようとした男を道義心から殺す。翌日、共産党員、政治局員、ユダヤ人が銃殺となり、小隊長も軍医も殺されてしまう。 ソコロフは妻と子供に再会するべく、一度は脱走を図るも捕まってしまう。その後、ザクセン、ルール、バイエルン、チューリンゲンとドイツ国内の収容所を転々とし、その場所場所でユダヤ人の女子供のガス室送りを目撃する。最後に送られたのは第14収容所で、所長のミュラーは残酷な男だった。過酷な労働の中、グチを言ったソコロフは内通者の密告でミュラー所長に呼び出され、射殺を言い渡される。最後の酒だと言って勧められたウォッカを一気飲みし、「つまみは食わないのか」と問われ、「2杯目を飲み干すまでは食べない主義だ」と言ってソコロフは次々と酒をせしめる。その姿を見たミュラー所長は勇敢な兵士だと気に入り、処刑を中止する。 その後、ソコロフはドイツ軍陸軍少佐の運転手を命じられ、隙を見て少佐を拘束して前線を突破。ついにソヴィエト軍に戻ることが出来る。だが、休暇を貰いヴォロネジに戻ったソコロフは、無惨に消え去った自宅を目の当たりにする。妻も娘2人も即死し、長男は軍に志願したと聞かされる。生きる目的を失ったソコロフは再び前線に戻るが、そこで砲兵隊大隊長(大尉)になった息子の消息を知る。だが、喜びもつかの間、息子ソコロフ大尉は戦死してしまう。再び失意のままベルリンが占領され、ついに戦争が終わる。 戦後、車の運転手になったソコロフだったが、生きる気力を失い、ヴォロネジに戻る気もしなかった。そこで孤児のワニューシカと出会い、ソコロフはワニューシカをトラックに乗せて連れ回す。父も母も失ったワニューシカの哀れな姿に、思わず父親だと名乗ったソコロフに、ワニューシカは喜んで飛びついてくる。ソコロフはワニューシカとともに生きていく決意をするのだった。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月15日
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1993 ヘラルド 監督:神山征二郎 原作・脚本:毛利恒之 出演者:渡辺美佐子、滝田裕介、田中実、石野真子、仲代達矢、田村高広ほか 112分 カラー DVD検索「月光の夏」を探す(楽天) 元NHK契約ライターで報道ドキュメンタリー作家の毛利恒之原作の「月光の夏」を映画化した作品。特攻出撃の前日に、佐賀県鳥栖にある鳥栖小学校のピアノを借りにやってきた陸軍特攻兵の消息を巡る逸話で、当時ピアノ担当をしていた実在の先生(上野歌子さん)の証言をもとに、ドキュメンタリー作家が生き残った特攻兵の消息を訪ねて回るというドキュメンタリータッチのドラマになっている。月光の夏の映画化にあたっては、いくつかの地元テレビ局のドキュメンタリー番組を経て、映画化の話が起こり、鳥栖市をはじめ行政や市民団体の資金支援により、独立プロの(株)仕事が制作するという異色の経歴を持つ。感動的な秘話は、多くの市民の感動を呼び、映画は160万人の動員を誇り、文化庁優秀映画作品賞も受賞している。また、ピアノはドイツ・フッペル社製の高価なもので、老朽化が著しく廃棄処分される所だったが、保存されることとなった。なお、上野歌子さんは映画上映の前年に亡くなられたそうである。 映画(原作?)中では、鳥栖小学校を訪ねてきた陸軍特攻兵は特操1期の少尉2名とされ、目達原基地から知覧へ転進する前日に線路を走ってやってきたとされる。一人は上野の音楽学校ピアノ科専攻でベートーベンのピアノソナタ「月光」を弾き、もう一人は師範学校で音楽教師を目指している青年である。翌日(6月頃)知覧へ転進し、第225振武隊(架空)として、そのまま特攻に飛び立っていったものとして描かれている。戦後45年ほど経過して、特攻隊員の弾いたピアノが処分される段になり、当時のピアノ担当教師(吉岡先生)がその話を生徒にしたことを契機に、特攻隊員の消息探しが始まる。一人(海野少尉)は特攻で戦死するものの、残りの一人(風間少尉)が生き残っていたことが判明し、紆余曲折のうえ吉岡先生やピアノと再会するというものなのだが、生き残りの風間少尉は福岡の振武寮という特攻出戻り兵を集めた施設で、屈辱を与えられたという証言も披露されている。 上記のように、女性教師は実在しているのだが、原作も映画も仮名を用いており、完全なるノンフィクションではないようだ。とはいえ、劇中で一式戦隼を乗機とし、中尉を隊長に6名編成で飛んだとあったので、知覧から飛び立った特攻隊の一覧から大体の当たりはつくだろうと思い調べてみたが、まるで見当がつかなかった。いくら何でも、実話の感動話であり、生存者の消息までわかったというのだから、全く想定できないというのもおかしな話だと思った。そこで、ネットで検索してみると「月光の夏の真実」というHPに出会った。そこでは何と、ピアノを弾きに来た特攻隊員がいたのは事実にせよ、生存者が特定できたこと、振武寮の話は全くのフィクションではないかという結論になっていた。確かに、毛利氏の著作としては「月光の夏」はノンフィクションとはされておらず、小説となっている。だが、世間的にはノンフィクションとして一人歩きしてきており、果たして上野朝子先生の体験談という事実を利用してまで、小説にする必要があったのか疑問を感じる。本作の後半以降の消息調査及び振武寮の話は全くの作り事ということなのだろうか。生き残った特攻隊員が何を思い、何を話したか、それを率直に知りたいのであり、脚色されたものなどさほど興味はない。私もすっかり勘違いしていた。 特攻隊員は若いときと戦後で役者が異なっているが、若い時を演じた永野と田中はちょっと大根演技。脚本の台詞自体にも問題があったのだろうが、どうも切々と伝わってくるものがない。反対に戦後を演じた仲代らは重みのある演技で良かった。ただ、本作でとても気になったのは登場するマスコミの姿。石野真子扮するラジオ記者や山本圭扮するドキュメンタリー作家の態度の鷹揚なことといったら酷いものだ。相手の気持ちも考えずにグイグイとマイクを押しつけるだけでなく、相手の感情や立場も無視して「真実を伝えなければならない」の一点張り。実際のマスコミも全く同様だが、見ていてかなり不愉快な気分になった。知らない方がいい事実もある。人間の心を忘れた語り部など・・・・何の意義があろうか。 レベル的には映画とテレビドラマの間くらいの出来で、ストーリー展開や、映像カットも低年齢でも理解できるような良心的な作り込み。ドキュメンタリータッチをとっているために、説明的な箇所が多く、低年齢の子にとってはいささか退屈に感じるかもしれない。映画として質の高いものではないが、広範に見て貰おうという趣旨からすればこれで正解なのだろう。 登場する兵器類は少ない。特攻隊員が搭乗する機体はほとんどが操縦席のアップで、一応一式戦隼のような気もするが、海軍機にも見える。あとはミニチュアの特撮で、ちょっと不思議な米軍機も登場する。まあ、戦闘シーンが主眼ではないのでチープであっても致し方ないが、このほかで気になったのは、主人公ら特攻隊員が小学校に行く時も、汽車に乗って振武寮に出頭する時も、飛行服のうえ飛行帽とゴーグル着用であること。飛行服に飛行帽・ゴーグル着用で外出することってあんまりないんじゃないかと思ったがどうなんだろう。 本作がノンフィクション映画として成立するならば、感動的であり、戦争の悲惨さやむごたらしさを訴える貴重な1本であり、高く評価できるところであった。しかし、明らかにフィクションものだとなると、内容が内容だけに、この映画は特攻隊員や関係者にひどく不信感を抱かせるものだと言える。小説家としての恣意的なウケ狙いということなのだろうが、ノンフィクション映画と勘違いしている視聴者にとっては史実捏造ということにもなり、せっかく感動的な話しに仕上げた本作の価値を著しく低下させているような気がして残念である。初めからフィクションであると謳ってしまった方がよっぽど良かったのではないだろうか。だからといって訴えたいことが変わるわけでもないのだろうが、何だかすっきりしないのであった。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 終戦から45年ほど経過したある日、佐賀県の鳥栖小学校を退任していた吉岡公子先生は、体育館の片隅で埃を被っていた古いグランドピアノが廃棄処分されると聞き、思い出深いピアノを引き取らせて欲しいと頼む。 終戦間際の昭和20年6月、吉岡先生は当時高価だったピアノの担当をしていたが、最期の名残にピアノを弾かせて欲しいと二人の特攻隊員が訪れ、このピアノを弾いたというのだ。一人は上野の音楽学校のピアノ科専攻で、ベートーベンの「月光」を弾き、もう一人は熊本師範で音楽教師を目指している青年だった。 5km離れた目達原基地から線路を走ってやってきた特攻隊員の最期の演奏を聴いた吉岡先生は、生けてあった花を二人に手向ける。その後、特攻隊員が再び訪れることはなかったが、この話しを聞いた校長先生は全校生徒に講演することを勧める。 この逸話は瞬く間に広がり、テレビ等でのドキュメンタリー番組として取り上げられるが、放送を見た人々から様々な反響がある。廃棄処分されることとなっていたピアノは修理して保存しようという運動となり、二人の特攻隊員の消息の情報も入り始める。自らも特攻隊員だったという老人結城は、特繰1期の隊員ではないかと推理し、隊員名簿から音楽専攻の出身者を捜したところ、熊本県に生存している風間森介さんではないかと情報提供する。すぐさま九州日報の記者が電話連絡を入れるも、本人は全く覚えていないと答える。このことが記事となり、実は吉岡先生の体験談は嘘ではないかとの憶測すら出始める。 不信感を抱いた地元ラジオ局の記者石田りえは、ドキュメンタリー作家の三池安文の協力を得て取材を進めるが、風間は堅く口を閉ざしたままだった。三池は吉岡先生を連れて知覧特攻会館を訪れ、そこでピアノを弾いた隊員が海野光彦少尉であることを確認する。また、特攻から引き返してきた隊員が福岡の第6航空群司令部にある「振武寮」に集められていたことを突き止める。大牟田に在住の石倉氏から振武寮について話しを聞き出したところ、外部との接触も一切認められず、臆病者として4,50人が厳しい監視下に置かれていたことが判明する。三池の従兄弟もまた特攻帰りとして不遇の戦後を送っており、三池自身他人事ではなかったのだ。 ついに風間が口を開く。風間少尉は知覧に転身した後、久本啓之中尉(22)を隊長に、海野少尉(22)、木場周一伍長(17)、新藤武志伍長(18)、中島秋男伍長(17)の6機で特攻に出撃するも、エンジントラブルで単機引き返した。再出撃もなく福岡の司令部に出頭を命じられるが、そこで待っていたのは矢ケ島作戦参謀少佐の痛烈な皮肉と侮辱だった。臆病者として振武寮で精神の涵養を命じられ、外部との接触を一切禁じられた。振武寮には、再起をかけ同様に引き返してきた隊員がおり、中には侮辱した作戦参謀の部屋に特攻をかけようというものまでいたというのだ。 風間は妻を連れて吉岡先生の待つ小学校へ赴く。風間の妻は海野少尉の妹だった。吉岡先生とピアノに再会した風間は、ベートーベンの月光を弾くのだった。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月13日
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2002 イタリア 監督:ロビドコ・ガスパリーニ 出演者:アレッサンドロ・ガスマン、トニ・ベルトレッリ、バーボラ・ボブラヴィ、ペッペ・フィオレオほか 200分 カラー LA GUERRA E FINITA DVD検索「激動ヨーロッパ戦線」を探す(楽天) イタリア人青年の親友同士が、混乱する戦火の中、枢軸国ドイツ側と連合国レジスタンス側に別れて戦う羽目となるヒューマンドラマ。発売は彩プロで、表題はご覧の通りだし、キャッチコピーは「ヨーロッパ戦線拡大を枢軸国側からリアルに描写」となっている。いかにも軍事的なリアル描写が期待できそうだが、毎度のことだが騙されてはいけない(笑)。本作は確かにイタリア視点による第二次大戦なのだが、むしろドイツという強国に翻弄される弱小国のイタリアの悲劇を描いたものであり、強者か弱者か、正義か悪かといった国家の大儀すらままならないまま、戦火に振り回されていくイタリア人の姿が切々と表現されている。イタリアと言えば、日独伊の枢軸国として参戦したことで知られるが、時の独裁者ファシスト党党首ムッソリーニの国内人気はさほど高くなかったのが実情であった。従って、開戦当初から国内には反政府的組織も根強くあったし、士気の低いことで悪評高いイタリア軍にやる気がないのも致し方ない部分もあったのだ。 本作はイタリアのテレビムービー。200分という長編ながら中ダレすることなく、開戦からドイツ敗戦までを、飽きさせないエピソードでしっかり描ききっている。長期間にわたる内容なので、ストーリーが若干飛ばし気味な傾向はあるが、時系列的に押さえてあるので理解しやすい。背景となる戦史もドイツ軍側、連合軍(レジスタンス)側ともに公平に描いてあるので、映画自体のバランスとしては結構良い出来といえる。イタリア戦争物と言えば、どちらかというとドイツ軍に支配されたという、被害者意識的なものが多いのだが、本作は被害者的な一面を描きつつも、加害者としての側面も描いているのが好感だ。イタリア人にも先鋒的なファシスト信者もいたし、反ナチス、共産主義者もいたことを描き、結局は国を愛すると言うところに帰着するのは、どの国にも共通なことなのだと実感する。中でも、イタリア人によるユダヤ人狩り、レジスタンスによる暗殺、ナチ協力者の吊し上げなど、負の部分が描かれているのが良い。 また、ヒューマンドラマながらも、ギリシャ戦線、ソヴィエト戦線の描写もあり、戦争映画として見た場合でもイタリア軍の置かれた状況をイタリア軍視点で見ることが出来るのが興味深い。欲を言えば、もう少しイタリア軍やレジスタンスの規範や構成体系などを説明してくれると有り難かったが。 主役は男2人女1人の親友3人組。女性を巡る争奪愛と血の契りの友情が波乱とともに描かれるのだが、男性はいかにもイタリアぽく女たらしの二枚目風。話し方や仕草からしてちょい悪風のイカス男だが、本当にイタリアにはそんなのしかいないのかとちょっと妬ましくなる(笑)。ヒロイン役の美女はバーボラ・ボブラヴィで、やや性格きつめなのがイタリア女性らしく、セミヌードも披露しているのが見物。 映像はビデオカメラによるものと思われ、鮮明な色合い。戦闘シーンのリアル感という点では今ひとつだが、自然風景や町中の風景としてはそれでも十分。戦闘シーンは潤沢な資金がなく、エキストラが雇えなかったと見え、どんな場面でも敵も味方も小隊規模というのはいささか貧相。登場する兵器類にしても、ドン戦線でソヴィエト軍戦車としてシャーマン戦車が1台登場するのみ。主人公エットレ中尉が手榴弾で爆破するのだが、戦車の炎上シーンは陳腐な合成。なお、エンドロールの協賛に「ニッサンイタリア」の名があったが、はて日産車は出てきただろうか。クラシックカーは多数登場していたので、その供与でもしていたのかな。 全体に脚本も良く練られていたし、ハラハラドキドキ、悲喜こもごものストーリー展開も楽しめた作品だった。ムッソリーニは野望どころか、ほとんど登場しないし、単なる悪玉だったが、イタリア国民の立場や感情を垣間見ることができる秀作であった。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イタリアの男子大学生、クラウディオ、エットレと女性ジュリアの3人は、気の合う親友だった。1940年6月10日、ムッソリーニは英仏に宣戦布告し、ベネチア広場ではファシスト学生同盟(GUF)の入隊活動が行われていたが、3人はクラウディオの父の車で海に出かけ、帰りにガス欠のうえ車をぶつけてしまう。それでも、3人は楽しく幸せだった。 クラウディオ、エットレともにジュリアのことが好きで、クラウディオはジュリアをボートに誘ってキスを迫るも、ジュリアはどちらかを選ぶことなど出来なかった。クラウディオはそのことをエットレに打ち明け、二人はお互いに抜け駆けをしないことを誓う。しかし、3人で映画を見に行こうと約束した晩、クラウディオがやってこない。帰り道に軍服姿のクラウディオが現れる。クラウディオの父親も軍人であり、クラウディオは軍に志願したのだ。ジュリアは3人が離ればなれになることを危惧し、絶対に一緒にいようと血で誓うが、クラウディオは士官学校に入隊していく。 1940年10月、クラウディオは士官学校を卒業し、前線に向かうことになる。手紙をもらっていたジュリアはクラウディオに惹かれ始めており、一時帰省したクラウディオと夜を共にする。それを目撃したエットレは怒り、クラウディオとジュリアに絶交を宣言する。さらに、ジュリアはクラウディオの子を妊娠してしまい、エットレに相談するも冷たくあしらわれる。世間体を気にするジュリアの母親は、ジュリアを田舎に追いやり、ジュリアはそこで子供マウロを出産する。 クラウディオはギリシャ・アルバニア戦線に出動し、激しい前線にいた。ジュリアとの音信も途絶え、ソヴィエト軍の攻撃に部隊は壊滅状態となる。クラウディオも瀕死の重傷を負い、病院に収容されるが、部下を失ったショックから記憶をなくしてしまう。とにかく、前線に戻りたいクラウディオは死体から軍識標を盗み、ティレリ中隊長に化けて前線に戻る。ティレリ中隊長の遺品の中には妻と娘の写真が入っており、娘はジュリアと言った。1941年10月、ロシア戦線で対峙するソヴィエト軍に対し、クラウディオはレコードとウオッカを交換する。 ついにエットレも召集される。1942年10月、ドン戦線で中尉となったエットレはクラウディオを目撃するが、記憶のないクラウディオは行ってしまう。そのエットレはソヴィエト軍の戦車と戦闘し、部下1名を残して全滅する。負傷したエットレは部下ジャーニを連れてドイツ軍の車両に助けを求めるが無視され、部下は死亡する。 クラウディオの部隊も退却を始め、途中の民家に立ち寄るが、そこで部下の1人が死亡する。その死を見たクラウディオはショックから記憶を取り戻す。「兵番0984554 戦闘区域第16区ガルビアッチ隊所属 ヴァルチ・クラウディオ」。 田舎でひっそりとマウロと暮らすジュリアの隣人に大きな音声で反政府ラジオを聞く政治学者チェッキ教授がいた。反政府的な言動に反発するジュリアだったが、次第にムッソリーニ政府が間違っていることや、イタリア軍が敗退していることを理解し始める。何故、もっと政府の暴走を止めなかったのかと詰問するジュリアに、チェッキは後悔の念を強くする。そのチェッキのもとにファシスト党の手が伸び、逮捕される。逮捕の間際、チェッキはジュリアに、妻とレジスタンス頭領のアルフレードへの手紙を託す。しかし、教授の妻はユダヤ人であり、手紙を届ける前に惨殺される。さらに、レジスタンスのアルフレードのもとに手紙を届け、チェッキ教授が処刑されたことを知る。ジュリアは父母の反対を押し切ってレジスタンスに参加することを決意する。 1943年9月9日、イタリアはアイゼンハワーに休戦を申し入れる。怒ったドイツはイタリア駐留を強め、レジスタンスによるゲリラ戦が市街地で頻繁に起こるようになる。エットレの母親もまた市街戦で命を落とすが、そこでエットレとジュリアが再会する。レジスタンス参加を勧めるジュリアだが、エットレはそれを断る。しかし、追われたジュリアを匿ったことから、エットレもまたファシスト党に目を付けられることとなり、レジスタンスに参加することを決意する。二人はアルフレードの指示によりファシスト党員ジェラルカの暗殺支援を命じられる。ジェラルカとは実はクラウディオの父でありマウロの祖父で、ジュリアは寸前に暗殺を止めさせようとするが、クラウディオの父は暗殺されてしまう。マウロの祖父を殺した罪に落ち込むジュリアをエットレは慰め、二人は次第に恋に落ち、結婚する。 クラウディオは、名誉のために戦うことを決意し、ドイツ軍側に所属するミラノのデチマ・マス師団「MAS」に参加する。クラウディオはドイツ軍にレジスタンス掃討を命じられるが、レジスタンスとMASの協定で干渉し合わないことになっており、それを拒否する。 1944年4月、エットレとジュリアはロンバルディア州の山地に潜伏する。レジスタンスの一人ブレスキは個人的恨みから、協定を破ってMASの兵隊を殺害してしまう。MASはレジスタンスへの報復を開始し、MASのモスケッティ隊長は民間人やレジスタンスを殺害し始める。クラウディオは嫌気がさして自殺を試みるが、同棲しているアリーダに止められる。いよいよ連合軍がイタリアに上陸しはじめる。ジュリアとエットレはミラノに移動するが、その際の検問でクラウディオが二人を目撃する。しかし、クラウディオは無言で二人を行かせる。 1945年4月28日、連合軍がイタリアを解放。クラウディオと部下のドナーティは、軍服を脱いで逃げる。しかし、同棲していたアリーダはファシスト協力者として髪の毛を切られて吊るし上げに会う。実家に戻ったクラウディオは父親がレジスタンスに殺され、母親も失意のま死亡したことを知る。秘密結社カルボナリにアルフレードが黒幕であることを知らされたクラウディオは復讐を期するが、クラウディオ自身が警察から追われる身であった。(字数制限のため以下略)
2007年07月08日
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1998 アメリカ 監督:ランス・フール 出演者:トム・ベレンジャー、ヨキアム・デ・アルメイダ、ダニエラ・ロモ、マーク・モーゼスほか 123分 カラー ONE MAN'S HERO DVD検索「ワン・マンズ・ヒーロー」を探す(楽天) * 現在の所DVDなし。レンタルVHSなら僅かにあるかも。 1846年から1848年に起こったアメリカとメキシコの間の戦争(米墨戦争)を題材にした、人物伝的ドラマ。1830年代にメキシコのサンタ・アナ将軍の中央集権的支配から独立(例:アラモの戦い「アラモ(1960米)」など)したテキサスは、1845年にアメリカが併合を主張していたが、その所属を巡ってメキシコと衝突。両国は戦闘状態に入り、アメリカのポーク大統領はテイラー将軍を派遣し、カリフォルニアやニューメキシコを占領。最終的に破れたメキシコは領土の1/3を失った戦争である。 その戦闘の最中、アメリカ軍籍を放棄したアイルランド人を中心に兵士約800名がメキシコ側につき、聖パトリック大隊を結成している。その中心的人物が本作の主人公ジョン・ライリー大尉(砲兵出身)であり、本作はかなり史実に沿って製作されている。ちなみに、聖パトリック隊は、1846年9月21日モンテレーの戦いで初めて戦い、1/3は1847年2月23日にヌエボレオンのブエナビスタの戦いで戦死。さらに1847 年8月20日チェルブスコ橋の戦いでほとんどが全滅し、ライリーを含む85人が捕虜となった。見せしめのため、チャプルテペク城の戦いでアメリカ軍旗が揚がった瞬間に30名が絞首刑にされ、他の捕虜はD(脱走兵)の焼き印を押されて強制労働に処されたと言われる。ライリー大尉は1850年に死去したとされている。 本作は日本未公開映画だそうだが、スケール感、スタッフ、題材と言いなかなかの大作である。ロケはメキシコだそうだが、広大な土地をふんだんに使った映像はスケール感十分。また、隠れ家や城などもセットにしては大がかり。兵士役のエキストラの数も多く、アメリカ軍、メキシコ軍の制服だけでも相当金がかかっていそうである。戦闘シーンも、時代が1840年代のため大砲と小銃しかないが、その割に迫力は立派。もちろん音響効果もあるのだろうが、発射炎や煙などエフェクト効果も十分に練られているのが良い。白兵戦シーンも悪くなく、迫力を感じる。近年の映画にありがちな、グロイ映像がほとんどないのも好感が持てる。 なのに、日本未公開なのは何故なのだろう。一番の理由は題材の持つ重さと非普遍性だろう。アメリカ映画でありながらメキシコ視点で描いた作品であるだけでなく、現米軍の祖先たるアメリカ軍をかなり悪者として描いている点。もちろん、よく見るとアメリカの自己弁護的表現が隠されたりしてはいるのだが、アメリカ人にとってはあまり面白くないだろう。ましてや、そんなアメリカとメキシコの過去の歴史など知らない日本人にとっては退屈な作品と受け取られたのかも知れない。かなりの部分で史実に忠実に作られており、歴史物としては十分に力作の部類と言える。しかし、残念ながら迫力ある戦闘シーンを盛り込んでいながら、中だるみしてしまうような盛り上がりに欠ける作品であったのも事実である。やはりよその民族の歴史に感情移入しづらいのは致し方ない所だ。アメリカ市民だろうが、メキシコ市民だろうが知ったこっちゃないというのが率直な心境か。 このほか気になった点としては、制服がやたらカラフルなのは良いが、敵か味方かわからない点。また、メキシコ軍は兵器どころか制服にも困っていたはずなのに、山賊から国軍に加わったのも含めて寝返ったアイルランド人部隊の制服が立派なのはちょっと。しかも、ずっと制服が汚れずに綺麗で、トム・ベレンジャーときたら放浪してても髭は綺麗で髪の毛もバッチリ・・・。 そのベレンジャーを含む各配役は、歴史物らしい個性を際だたせた演技で悪くない。過去の人物というのはある程度美化されていた方が面白いものだ。登場人物も多すぎず、スコット将軍、テイラー将軍など実在の人物も登場するので、物語を理解しやすい作りとなっている。ヒロイン役にはメキシコ人美女のダニエラ・ロモだが、見た目ちょっと年齢不詳(実はこの時40歳近い!)。 全体的には、決して出来の悪い作品ではなかったのだが、ちょっと消化不良感の残った作品であった。シリアス歴史ものと娯楽的ヒューマンドラマの間にあるような中途半端な位置づけなのが良くないのだろう。どちらにしても、製作するには難しい題材であったことは間違いない。 (Gyaoで視聴) 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1840年代飢饉のためアイルランドから多くの難民がアメリカに渡ってきていた。若い青年はアメリカ市民権を得るために、アメリカ軍に志願する者も少なくなかった。パディもその一人であり、軍に志願したが、軍のカトリック教徒であるアイルランド人への偏見差別はひどかった。ジョン・ライリー軍曹は歴戦の強者で、第5連隊司令官のレーシー大佐の信頼も厚い男だが、彼もアイルランド人であり、部下のアイルランド人の処遇を気に病んでいた。 アメリカとメキシコは戦闘状態に入りつつあったが、ライリー軍曹は上官の大尉によるアイルランド人虐待に業を煮やし、12人の部下と共に軍を離脱する。ライリー自身は帰隊するつもりだったが、メキシコ領内でメキシコ人山賊のコルティナに捕まり、部下を5人も失ってしまう。同じカトリック教徒であったことから、ライリーらはコルティナのもとに保護され、ライリーはコルティナの女マルタに恋心を抱く。マルタもまたライリーに好意を寄せるが、コルティナはいい顔をしない。 1846年5月11日、出張中のレーシー大佐が戻り、大尉の虐待でライリーが脱走したことを知り、大尉を降格させる。テイラー将軍はレーシー大佐を補佐官に命じ、モンテレイの攻略に着手する。 山では山賊のドミンゲスがコルティナと共に戦うことを拒否し、去っていく。そこに、メキシコ正規軍のマクシモ・ネクソル大佐がやってきてコルティナに正規軍に参加するよう迫る。縛り首か恩赦かのどちらかを選択させられたコルティナはやむなく正規軍参加を受諾する。また、ライリー軍曹らにも土地の提供とメキシコ市民権を与える条件で正規軍に参加を迫る。ライリーらはもはや後戻りはできないと判断し、メキシコ軍に加わることを受諾し、ライリーは中尉に任命され、聖パトリック大隊を結成する。 モンテレイの戦いで初参戦となった聖パトリック大隊を見て、アメリカ軍のレーシー大佐はライリーに使者を出すことを提案するが、テイラー将軍は脱走者を助長するとして許さなかった。モンテレイの戦いではメキシコ軍は破れるが、テイラー将軍の計らいでライリーを含むメキシコ軍は捕虜になることなく、退却をする。この戦いでコルティナは逃げてしまう。 さらに、ブエナ・ビスタの戦いでもサンタ・アナのメキシコ軍は破れ、ライリーらは撤退を続ける。途中でバルガス神父に会ったライリーはマルタの所在を追ってコルティナのもとに出かける。ライリーはマルタを巡ってコルティナと争うが、マルタのいるペサドゥンブレの村に行くと、山賊ドミンゲスが村を襲っていた。コルティナはドミンゲスを殺害し、ライリーはマルタら村人を救う。マルタとキスをするライリーを見て、コルティナは無言で去っていく。ライリーはマルタに、一緒に行こうと誘うが、マルタはまだやることがあると言ってそれを断る。 隊に戻ったライリーは、いよいよ決戦となるチュルブスコ橋の戦いに臨む。今度こそ決戦であり、部下の意志を問うが、全員が戦うことを選ぶ。1847年8 月20日、チュルブスコ橋の戦いが始まり、部下のケリーニ伍長、パディらが戦死。ライリー自身も怪我を負って捕虜となる。 捕虜となったライリーのもとにレーシー大佐がやってくる。部下を守るために脱走したと話すライリーを何とか救おうと、レーシー大佐はスコット将軍に掛け合うが、次期大統領をねらうスコット将軍は裏切り者には厳罰を処すと言って聞かない。メキシコ軍将軍も聖パトリック隊救済の嘆願が出ていると掛け合うが、それも聞かずにスコット将軍は処刑を実行する。 チャプルテペク城の攻略でアメリカ軍の旗が揚がった瞬間に、捕虜となった30人が絞首刑となる。それを目の当たりにさせられたライリーはむち打ちの上、頬にD(脱走)の焼き印を押され、強制労働に処された。 8箇月後、アメリカ軍の撤退が決まり、ライリーは自由の身となる。放浪するライリーはコルティナと遭遇し、マルタとも再会する。マルタはボロボロになった聖パトリック大隊の旗を手渡す。二人は新しい生活に向け姿を消すのだった。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月07日
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1973 アメリカ 監督:ハル・アシュビー 出演者:ジャック・ニコルソン、ランディ・クエイド、オーティス・ヤングほか 104分 カラー THE LAST DETAIL DVD検索「さらば冬のかもめ」を探す(楽天) 二名のアメリカ海軍憲兵下士官が、募金箱からたった40ドルを盗もうとしたという、陳腐な罪で懲役8年の刑を受けた水兵を護送することから始まるコメディドラマ。登場人物もこの3名がメインで、スケールの大きい作品ではないが、軍隊のとある些末な事象を、兵のやりきれない気持ち、生まれくる連帯感、同情心などを交えながら事細かに描写するのは斬新だ。ただ、コメディとはいえ、物語は淡々と冷静に描かれており、舞台が厳冬のアメリカであるのも加味されて、もの悲しい寂しい雰囲気を感じる。かなりシュールな部類に入ると言えよう。 主役のバダスキー一等兵曹役はジャック・ニコルソン。ちょい悪な雰囲気をよく醸し出して好演。哀れな兵卒メドウズ役にはランディ・クエイドで、ちょっと抜けた憎めない役柄を淡々とこなす。バダスキーの相棒マルホール一等兵曹役のオーティス・ヤングはちょっと真面目な役柄で、狡賢いバダスキーの歯止め役として好対照だ。 3人はそれぞれ初対面で、偶然にトリオを組むこととなるのだが、バダスキーのお節介心から徐々に連帯感が生まれてくる過程が面白い。3人は途中に立ち寄る町々で、様々な事件を引き起こすのだが、それも二人の下士官が童貞で世間を知らないメドウズに、兄貴分としての愛情を感じ始めることに端を発する。しかし、単に愛情だけでなく、その背景には下士官にとっても、軍の閉塞感や将来への不安が見え隠れする。自分自身の発散でもあり、何事もなかったかのように終わるラストシーンはその象徴でもある。軍というものを遠回しに風刺しているのだろう。また、幼く世間知らずのメドウズが徐々に大人になっていく(すれていく)のも見物だ。 映画は移送中の車両や途中に立ち寄る町中、宿泊場所という限られた空間が描かれているだけだが、撮影はノーフォークからポーツマスまで実際の町を舞台になされているようだ。従って、セットでの撮影とは違う、ドキュメンタリー的なリアルな雰囲気が漂っているのも特徴。 3人のほかに登場する人物で可笑しいのは、日蓮正宗を名乗るカルト?集団。畳敷きで仏壇を前に「南無妙法蓮華教」と唱える集団はなんとアメリカ人青年男女たち。年代から見てヒッピーか反戦主義者のようにも見えるが、南無妙法蓮華教を唱えると願い事が叶うというちょっと間違った宗教観が笑える。メドウズが感化されて電車内でも唱え続けるのは滑稽。 全体に特に盛り上がりがあるわけでもなく、コメディとして抱腹絶倒というわけでもなく、淡々とした描写はやや物足りない気もする。しかし、軍の日常に限らず、我々一般人の日常というものはこんなものだろうという親近感を得る作品である。派手なアメリカ映画にしては珍しいような気もする。ちなみに、原脚本はかなり汚い言葉の羅列だったそうだが、映画化にあたって大人しい表現に直されたそうだ。邦題のかもめは水兵とかけているのだろうが、なかなかセンスいいなと感じた。 興奮度★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 海軍一等兵曹のバダスキーとマルホールは、募金箱からたった40ドルを盗もうとして捕まり、懲役8年の刑を受けたメドウズをノーフォークからポーツマス基地まで護送する任務を命じられる。募金箱は隊長の奥さんが設置したもので、不当に重度な罰が与えられてしまったのだ。当初は嫌がった二人だったが、実質2日の距離を1週間の期間を与えられ、喜び勇んで出かけていく。 メドウズは19歳で、手癖は悪いが、童貞で世間知らずの青年だった。護送の列車中で、バダスキーは徐々にメドウズに同情を感じ始める。マルホールは深く関わるなと言うが、バダスキーはフードショップで注文すらまともに出来ないメドウズに、せめて護送中でも良い思いをさせてやろうと思い始める。 バダスキーは次の列車の時間までビールを飲み始め、未成年のメドウズにも飲ませる。酒を飲んだ3人は盛り上がるが、列車は発車してしまい、一泊することにする。通信兵のバダスキーはメドウズに手旗を教える。 翌日、メドウズの母親に会わせてやろうと実家を訪ねるが不在。家に入ったが乱雑に散らかった内部を見て、3人は会わずに帰ることに。駅のトイレでバダスキーは海兵隊に喧嘩をふかっけ、メドウズも一緒に殴って逃げる。次第にメドウズも笑いを漏らすようになってくる。また、バーのダーツでバダスキーは旅費をかけて勝ち、儲けた金は山分けにする。その帰り道、怪しい声に引かれていくと、そこは日蓮正宗の道場だった。若いアメリカ人男女が正座して仏壇にお経を唱えていた。南無妙法蓮華教のお経を唱えると願い事が叶うと聞いたメドウズは、レストランで覚えたお経を唱えていると若い女性が寄ってくる。お経の効果かと色めき立つバダスキーらは女性の家に上がり込む。家には女性3人と男性一人がおり、兵とは全く住む世界の違う人種だった。メドウズは女性に何故逃げないのかと諭され、バダスキーは話しを完全に無視され、マルホールは政治論議をふっかけられる。 護送期限まであと1日となり、メドウズに筆おろしさせてやることになる。バダスキーは元海兵のタクシー運転手に頼んで女郎屋に行き、メドウズを男にしてやる。かわいらしい女性に相手をして貰ったメドウズは男らしくなる。 一度になにもかもやりすぎた3人は、最後に公園でバーベキューを始める。厳寒の寒い中、ソーセージを焼いている中、メドウズがいきなり逃げ始める。追いかけて殴る二人。 顔に傷を負ったメドウズは、ついにポーツマスの海兵隊基地に入る。海兵隊の少尉は逃亡しようとして殴ったのかと問いただすが、二人は口を閉ざす。罵る少尉に反対に書類の不備を指摘したバダスキーは、ざまあみろと捨て台詞を残して基地を去っていく。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月03日
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2002 タイ 監督:チャーレム・ウォンピム 出演者:ポンパット・ワチラバンジョン、ポンサック・ポンスワン、トサポール・シリウィワットほか 112分 カラー HEAVEN'S SEVEN DVD検索「バトル7」を探す(楽天) 作品解説でベトナム戦争末期のタイとあったので、てっきり戦争映画かと思って視聴したが、思い切りコメディだった(笑)。タイトルからしてわかるが「七人の侍(1954日)」「荒野の七人(1960米)」のタイ版のようなもの。タイ的おちゃらけムードはやはり香港映画系のノリとなっており、非現実的でふざけた表現はとても戦争映画とは言えないが、まあそういうもんだと思ってみれば楽しめる。 登場する人物は二丁拳銃の赤パン、殺人キックの鬼ムエタイ、ジェームス・ディーンみたいな男の子ジミー、ドツボ・ギャンブラーのイカサマ、失恋番長のロマンス、直撃マグナム弾の鉄拳、禁欲エロ坊主の和尚の7名に、ちょっと抜けた隊長、金の亡者社長タノン、その娘ムアイ、赤パンの娘サンゴアを加えた豪華版。物語の設定やシチュエーションはかなりいい加減だが、個性豊かな俳優の演技はなかなか楽しい。赤パンを除けば決して強い奴らではないし、悲喜こもごものそれぞれの人生背景もしっかりと描かれている。映画としては物語の展開もほどよくスピーディーで、無駄なシーンも少なく完成度は悪くない。 敵役は何故かアメリカで、枯れ葉剤を使用とする悪玉アメリカに、反米デモのシーンも取り込まれており、タイにおける米軍の位置づけがなかなか難しいものであることがわかる。日本で言えば、沖縄のような感情なのだろうか。そのアメリカ軍の兵士の軍装や兵器はかなり変。変と言えば、タイ軍兵士の軍装もなんだか違和感があるのだが、このあたりは突っ込んではいけないのだろう。突っ込みたくなるけど(笑)。 登場する兵器類としては、ヘリコプターではイロコイとチヌーク。どちらも実機が登場しており、タイ軍の所有機なのだろうか。戦車も一台登場し、よく覚えていないのだがM-41ウォーカー・ブルドッグだったような気がする。タイ王国陸軍のM-41は2006年のクーデター時にも活躍していたので記憶に新しい。 興奮度★★ 沈痛度★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 二丁拳銃の赤パン、殺人キックの鬼ムエタイ、ジェームス・ディーンみたいな男の子ジミー、ドツボ・ギャンブラーのイカサマ、失恋番長のロマンス、直撃マグナム弾の鉄拳、禁欲エロ坊主の和尚の7名はかつての戦友であった。除隊後のベトナム戦争末期、イカサマは飲食店経営の社長タノンとの賭けでムエタイの戦いを行うが、かつての戦友ムエタイが勝ってしまったことから社長に半殺しされそうになる。しかし、タノンの娘ムアイはイカサマに熱を上げており、その計らいで命は助けて貰うが、アメリカ軍が密かに秘宝を国境に運んでいるとの情報を得たタノンはイカサマにその秘宝を奪ってくるよう命じる。 イカサマはかつての戦友らを招集。個性豊かな連中にタノンはたじたじとなり、当初は秘宝の2割という約束が5割にまで引き上げられてしまう。そこで、タノンは7人を殺すよう6人組の殺し屋を雇う。 アメリカ軍の輸送車を襲撃するにあたり、彼らはかつての隊長と出会う。隊長は秘密任務でアメリカ軍がナパーム弾を隠しているとの情報を調べていた。しかし、それを無視して進み、トラックを乗っ取ることに成功する。トラックを奪った見返りに金を要求するイカサマ達であったが、タノンは殺し屋に七人を殺すよう指示してあった。ちょっと間の抜けた殺し屋たちは銃を乱射して岩を崩し、トラックは洞窟の中に閉じこめられてしまう。洞窟の中で脱出法を探る七人だったが、そこにトラックの枯れ葉剤を奪還するために米軍の精鋭部隊がやってくる。殺し屋達は殺され、七人にも米軍が迫る。赤パンは米兵と一騎打ちで谷底に落下。残りの六人は隊長の助けもあってトラックで脱出に成功する。 赤パンの娘サンゴアは父の死に涙しているが、そこにムアイが助けを求めにやってくる。父タノンが米軍に捕まり、街の人々を殺すと脅されているのだ。イカサマたちは米軍と戦うことを決意する。ムアイやサンゴアの助けを借り、米軍との激しい銃撃戦を繰り広げるが、劣勢になった六人のもとに赤パンが古めかしい大砲を持って現れる。赤パンは不死身だったのだ。さらに、トラックを吊ったヘリコプター上でも激しい格闘戦ののち戦いに勝利する。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月02日
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今月からwowowで気になる放送が2本+α。 一つは「ザ・ユニット 米軍極秘部隊」全13話 米軍のデルタフォースを題材にしたもので、全米CBSネットワークで2006年3月から放送が始まるや、高視聴率をマークしたのだそうです。「24」で大統領役をしたデニス・ヘイスバートが主役らしい。銃後を護る夫人達の話も織り込まれているらしく、雰囲気的にはワンス・アンド・フォーエバー?。期待できるかな。 もう一つは「GSG-9 対テロ特殊部隊」全13話 こちらはドイツのドラマで、ドイツ警察の対テロ特殊部隊を題材にしたものです。ハイジャックやテロの作戦が登場しそうです。イギリスのテレビドラマ「S.A.S英国特殊部隊」のような雰囲気になるのでしょうか。 いずれにせよ、ドイツは近年国策で映画やドラマに力を入れていますので、良い作品が多いですね。期待しても良いんでしょうか。 さらに「S.A.S. 英国特殊部隊IV」全5話 いよいよ第4シーズンのリピートも放送されるようです7/20と21。今月は豊作かな。 このほか、「ROME[ローマ]」というのも気になる所です。 wowowって一度も契約したことなかったのですが、7月一杯までは加入料無料期間中だとかなので、とりあえず今月で契約切ってもいいやということで、スカパー!で契約しました。月2100円とお高いのですが、今月は映画も戦場のアリアなど色々とやっているので、元は取れるかな。 ちなみに今日はスカパー!で無料開放デーですので、上記ドラマの1話目がタダで見ることが出来ます。
2007年07月01日
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2005 ロシア 監督:ヴァジリ・チィギンスキー出演者:ドミトリー・オルロフ、ウラジミール・ゴスティウキン、ニーナ・ルスナローヴァ、ユーリ・ステファノフほか95分 カラー PERVYY POSLE BOGA /FIRST AFTER GOD DVD検索「極限水域」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のソヴィエト潜水艦隊の活躍を題材にした、アクション系ヒューマンドラマ。近年の量産型ロシア戦争映画の流れで製作されたものだが、内容映像ともにチープ感は強い。ロシア映画の特徴でもあるねちっこい人物描写は健在で、本作は「英雄」である潜水艦長アレクサンドレ・マリーニン大尉を主人公に、女性との絡みの中で悲壮感を際だたせていく。被害者意識的視点の流れで、結局はソヴィエト軍賞賛に至るのはおきまりのコースだが、昔に比べると悲壮感やソヴィエト軍賞賛の表現も薄くなってきている感じはある。 マリーニン大尉は実在の人物だそうで、モデルは多分、Alexander Ivanovich Marineskoのことだと思われる。彼はソヴィエト海軍で有数の撃沈トン数を誇る潜水艦長であったが、ドイツの民間船ガストロフ号(映画「ガストロフ号の悲劇(1959独)」にもなっている)を撃沈したことにより、評価が下げられ実際は「英雄」ではなく「赤旗勲章」を授与されている。死後の1990年になって改めて「英雄」を授与されていることから、本作の映画化につながったものと思われる。マリーニン大尉が乗艦しているのは中型潜水艦「S-113」(架空)でドイツのグレタ号を撃沈したとしている。実際の乗艦も「S-13」のいわゆるS型潜水艦で、映画中では乗員が「親衛隊」の称号を得ていることが描かれているが、実際は「赤旗勲章」である。こうしてみると、ガストロフ号の話は出てこないし、西側から見ると民間船や病院船を撃沈した戦犯的な苦しい立場なのに、単に英雄として描かれるあたりは事実と食い違う点も多いので、実在のマリンスコ大尉を題材にしたフィクション映画と捉えた方がよさそうである。 潜水艦を題材にしてはいるが、潜水艦映画と呼べるほどの描写もなく、映像、緊迫感ともに期待はほとんでできない。マリーニン大尉は実在の人物ということで、その人間ドラマとしての色合いが濃いが、それにしても人物描写の掘り下げが甘く、関連する登場人物に深みが足りない。男女の恋愛にしても、それまでの伏線がほとんどないので盛り上がらないし、本作で最もサスペンス的シーンのはずのGPU(ゲーペーウー)の執拗な監視も思ったより盛り上がらない。全体に薄っぺらく、心情移入できるだけの描写がないのが寂しい。 主役のドミトリー・オルノフは存在感のある大男だが、現代風の感じが強く、第二次大戦時の英雄という雰囲気ではない。潜水艦の甲板長役には「捕虜大隊(2004露)」でも存在感のあったユーリ・ステファノフ。今やロシア戦争映画の顔になりつつあるか。 撮影はロシアのバレンツ海を中心に行われたようで、内海の様子や自然風景はいかにもロシア的。ただし、戦争(潜水艦)映画としてはスケール感が乏しく、廉価映画であることは間違いない。登場する潜水艦もドック係留中のもの以外はCGだし、艦内部のシーンは本物の潜水艦を利用しているようだが、満足できるだけの量はない。ドイツ艦隊や水中戦闘シーンもCGのようだが、出来はそんなに悪くはないが、インパクトを残すほどでもない。実際に登場する艦船のほとんどは漁船改造型の哨戒艇のようなものばかり。このほか、ドイツ軍戦闘機としてBf-109が一瞬登場し実機映像ぽく見えたが、どこかからの流用か。所属は第373空軍援護隊となっていた。興味深かったのは、マリーニン大尉の敬礼がグーからパーに変化させながら行っているシーン。他の兵はそうしていないのだが、マリーニン独自の敬礼なのだろうか。 全体に描写が甘く、盛り上がりに欠けてしまった映画。英雄を描こうとしすぎた結果なのか、単に脚本が駄目だったのか。戦闘シーンも駄目レベルだし、全てが中途半端になってしまったのが残念。素直に伝記ものとしたほうが面白かったろうに。 興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1944年秋、レニングラードで家族を失った少女ターニャは、フィンランドのソヴィエト海軍潜水艦基地へ働きに行く。同乗の船にはいかめしい顔をした特務官少佐(GPU)も乗っていた。港にはドイツ軍の艦船を多数撃沈し「英雄」の称号を与えられた潜水艦長サーシャ・マリーニン大尉が上陸してくる。旅団長(大佐)が出迎える中、給仕として働き始めたターニャは彼に一目惚れする。帰還する潜水艦を歓迎するのは、負けたら帰ってこないから帰還潜水艦は常に勝利者という理由だ。 特務官の少佐は森の中で自傷して逃げようとする若い兵ゴルシコフを逮捕する。さらに、こともあろうに英雄のマリーニンを監視しはじめる。マリーニンの父親は海軍中将だったが粛正で逮捕され、兄のロマンは白軍士官だったため、マリーニンにも疑いをかけていたのだ。特務官少佐はゴルシコフをマリーニンに預け、マリーニンはゴルシコフを機関士にする。 マリーニンは町で知り合ったフランス人女性アンナ・テレザ・マリア、通称アーニャと懇意になる。ホテルで逢い引きしている際、ドイツ軍の護送船団が迫ってきたとの報がはいる。しかし、マリーニンはそれを無視し、かわりにガリエフ少佐が出撃するが撃沈されてしまう。恋人のマーシャは泣き崩れるが、規定通り遺品だけが帰っていく。マリーニンは自戒の念に駆られるが、追い打ちをかけるように特務官少佐から潜水艦勤務を禁止されてしまう。 特務官少佐はさらにマリーニン大尉を追い込みはじめ、兄ロマンが生きているかのような偽情報を流す。マリーニンはアーニャの助けで兄の所在を探し始める。しかし、その先には特務官少佐が待ちかまえており、マリーニン大尉はニセ英雄として逮捕されてしまう。一方、ターニャはマリーニンがアーニャと一緒にいるところを目撃し、一方的に失恋したと泣きじゃくる。 マリーニンを護送する船が海軍の艦船によって取り囲まれる。ドイツ軍の大規模輸送船団が発見され、海軍旅団長はマリーニンを出撃させろとの艦隊司令官命令を提示し、特務官少佐からマリーニンを奪い返す。 出撃したマリーニンは敵駆逐艦の爆雷攻撃で損傷を受けるも、勇敢に浮上して魚雷を発射。さらに艦砲で攻撃を仕掛ける。敵艦を撃沈させるも被害甚大で副艦長らが戦死する。 基地では、消息不明のマリーニンの艦が失われたと報じられるが、マリーニンはボロボロになった艦で帰還する。特務官少佐は取り上げた銃をマリーニンに返上する。それを見たターニャは「彼は神の次に尊い人なのだ」と感じるのだった。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月30日
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1994 フランス・ドイツ・イギリス・アメリカ 監督:ジャック・エルトー 出演者:ジャン=ピエール・ヴーヴィエ、ザビエール・デュリック、モーリス・バリエ、ヤン・エプスタン、へスター・ウィルコックスほか 115分 カラー D-DAY MINUS ONE, 1944/Un jour avant l'aube 昨日に引き続きDデイ関係映画。これもVHS版しかないので、中古ショップから捜してきました。テレビでも何度か放映されたことがあります。大量処刑シーンが印象に強いです。 Dデイ(ノルマンディ上陸作戦)50周年に製作されたフランスのテレビムービー。Dデイ前夜に、いち早くフランス内陸部に降下し、破壊工作に従事した自由フランス軍特殊部隊の活躍を描いたもので、登場する人物、地名ともに実在のものとされ、Dデイ作戦の先陣を切った陰の功労者的扱いとなっている。レンタル落ちのVHSで見たせいもあるのだろうが、画質はかなり劣悪で、セピア色に退色したような画像で見づらかったが、内容的には激しいアクションあり、悲劇あり、恋愛ありと飽きさせない出来。 ただ、自由フランス軍部隊がノルマンディー上陸作戦の先陣を切ってパラシュート降下潜入するという、何とも勇敢な話なのだが、どこまで史実に沿っているのかが気になる。一般的には、ノルマンディ上陸作戦で最初にフランスに降り立ったのは、上陸戦に先立ってパラシュート降下した米軍第82及び101空挺師団と英軍第6 空挺師団とされ、自由フランス軍はソード海岸上陸戦参加の英軍第1特殊任務旅団配下としてフィリップ・フケ中佐のコマンドー部隊がDデイ当日に上陸しているのみである。本作の自由フランス部隊はそのコマンドー部隊とは違うものであり、一体何者なのか。 当時、イギリス特殊工作部(SOE)とアメリカ戦略事務局(OSS)は、ノルマンディ上陸作戦の成功を期すため、ド・ゴールが結成していたフランスレジスタンスの国内軍(FFI)と協力して、フランス内部の鉄道、道路、トンネル、独軍軍事施設などの破壊工作を行っていた。その支援のための組織に「ジェドバラ」「クーニー」「サセックス」といったチームが組織されており、その一部に自由フランス軍兵士が割り当てられ、Dデイまでに相当数の兵士がフランス国内にパラシュート降下していたらしい。本作のコマンドー部隊は、そのフランスレジスタンス支援組織のことを指しているのではないだろうか。Dデイ前日にも降下した部隊があったのかどうかは知らぬが、本作に描かれているような破壊工作任務についた部隊があったことは間違いないようである。ちなみに、本作のエピローグでは、「430人の落下傘兵のうち77人が死亡。190人が負傷又は行方不明となった。戦後、フランス解放勲章を授与」とあったので、Dデイ前後にフランスに降り立った自由フランス軍兵士の逸話をもとにしたということなのだろう。自尊心の強いフランスだから、かなり誇大誇張したのであって、ノルマンディー上陸作戦の先鋒を切ってというのは、いささか言い過ぎだろう。 本作中で登場するもう一つのエピソードとして、レジスタンスが集団虐殺されるシーンがある。実に悲惨なシーンなのだが、Dデイからわすか4日後にオラドゥール村で起こった、武装SS「ダス・ライヒ」装甲師団ディックマン少佐による虐殺事件をモデルにしたのではないかという気もする。このオラドゥール村の惨劇は村民 643名が殺され、わすが6名(うち女性1名)だけが生き残ったとされる。 全編フランス語で進んでいくが、登場する自由フランス軍兵士役は大人しめの演技で、片腕の中佐(字幕では大佐になっていたが)だけは目立っていたが、全体にインパクトが弱い。登場人物の性格付けも浅めで、ドキュメンタリー調にするには丁度いいのだろうが、顔がわかりにくい分、思い入れがしにくいのが難点。女性では英軍士官とレジスタンス少女役の美女が登場し、アクセントとなっており、英軍士官役の美女へスター・ウィルコックスは一瞬だが美乳も披露している。一応恋愛シーンも入ってはいるが深入りせず、性格付けも浅めなために、全体に淡々とした流れで進んでいく。後半は特に悲壮感が強くなり、エンディングも結構凝っていて、悲しいような勇壮なような複雑な締めくくりは、本作がDデイ50周年という記念的企画であることを物語っている。 戦闘アクションは、そこそこの火薬量で派手さはあるが、自由フランス軍兵士の銃乱射シーンや横一列でなぎ倒されていくドイツ兵など、やや粗雑な作りも目立つ。使用される航空機としては、Fieseler Fi 156 Storch(シュトルヒ)連絡機が登場する。カウルがついておらずエンジンむきだしで、脚が細いこの機体は「ザ・ロンゲスト・デイ2(1994米)」にも登場した機体と同一のものと思われる。このほか、兵員輸送機としてC-47スカイトレインが出てくる。AFVでは、実車と思われる10連装ロケット搭載のオペルマウルティア42式ロケット砲(15cmパンツァーベルファ42、150mmPanzerwerfer42/SdKfz.4/1)が1台登場している。実際に走行もしているし、ロケット砲も発射しているように見えるが、どこから調達したものか。このほか、これも実車と思しきヘッツァーやキューベルワーゲン、トラックの類が出てくる。 また、本作では記録映像も随所に取り込まれており、ノルマンディー上陸戦はもとより、パラーシュート降下シーンなどの映像が用いられている。中でも、フランスレジスタンスの破壊活動を表現した映像シーンでは、爆破される橋や構造物に混じって、ドイツ軍車両を乗せた機関車転覆シーンが登場する。このシーンは「鉄路の闘い(1945)」からの流用だ。 エピソード的には刺激的で興味深い題材を扱っているが、全体にのっぺりとした作りなのでちょっともったいない。もう少し、登場人物の性格付けに力を入れてあれば、商業的映画としては成功しただろう。ただ、ノルマンディー上陸作戦の裏で、こうした自由フランス軍やレジスタンスの活動があったことを知るうえでは、貴重なフィルムだといえる。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 自由フランス軍のロッシュ大尉、モリー中尉、ロナン中尉は親友で、ともに英国内で英軍特殊部隊の訓練を受けていた。早くフランスに戻って戦いたいロッシュ大尉らは、英軍空挺部隊司令官のマックィーン将軍に直訴するものの却下され、逆に自由フランス軍の指揮官ブルジャン中佐に叱責される。自由フランス軍にはパン屋のデブノ、インテリのデコルピエールら一般人も志願し、ブルジャン中佐は「この世で役に立たないものは法皇の性器とパン屋(インテリ)だ」と罵る。そのデブノは降下訓練で飛び降りることができず、中佐から除隊を言い渡される。 ドイツ軍の空襲もひどくなり、いよいよ連合軍のノルマンディ上陸作戦の日が近づいてくる。ロッシュ大尉はマックィーン将軍に呼び出され、フランス上陸戦への参加を聞かされる。酒場で英軍兵と喧嘩をしていた兵士のもとにも伝えられ、歓声が沸く。作戦会議が開かれ、自由フランス軍は上陸地点とはまるで関係のないウィストルアムへ行けとの命令が下される。主力からはずされたとして中佐とロッシュ大尉は司令官に抗議に行くが、実は自由フランス軍部隊をDデイより一日前に降下させる(一番にフランス上陸を果たす)という、司令官の配慮であったことを知る。 450名の自由フランス軍兵が降下することとなり、クロワジク中尉、シャントルイユ中尉の隊はコート・デュ・ノール(現コート・ダルモール)に行き、モリー中尉とロナン中尉の隊は南部モルビアンのサン・ミッシェルへ降り、パリ・ブレスト間の鉄道トンネル破壊を命じられる。だが、最も行きたかったロッシュ大尉は司令官の命令で司令部に残ってまとめ役をするよう言い渡される。 自由フランス軍部隊はDデイ前夜に降下。モリー中尉の隊は無線機を失い、4名がドイツ軍に捕まってしまう。捕まったデブノは逃げだそうとして射殺され、戦死者第一号となる。ロナン中尉は部下を引き連れてトンネル爆破を計画し、フランス人駅員の協力で爆薬を仕掛ける。しかし、手違いから列車が反対路線を走ってしまい失敗。だが、運よくドイツ軍の輸送列車が通りかかり、トンネルもろともドイツ軍列車が吹き飛ぶ。 司令部のロッシュ大尉は、モリー中尉からの無線連絡がなく心配していたが、合流したレジスタンス国内軍のビナチェ大尉の無線機で作戦が成功した事を知る。さらに、レジスタンス志願兵が多数応募してきており、速成で訓練を施してやる必要が発生した。マックィーン司令官は勝手な行動に怒るが、数日の猶予を与え、現地支援のためにブルジャン中佐を送る。またもや、フランス行きから漏れたロッシュ大尉は、つきあっている彼女(マリー中尉)がチャーチル首相の姪だと知り、そのせいだと言ってマリーにイライラをぶつける。 レジスタンスは数百人にふくれあがり、ドイツ軍も黙ってみているわけにはいかなくなる。レジスタンス根拠地を包囲したドイツ軍は、ロケット砲などによって攻撃を仕掛け、レジスタンスも独兵200名を殺害するも30名の損失を出し撤退を余儀なくされる。モリー中尉とブルジャン中佐は分散して潜伏することに。 モリー中尉から無線機を遅れとの要請に、司令部ではスタインバック少尉を送り込むことに。しかし、落下傘降下に失敗し、独軍に捕まってしまう。独協力フランス人のズィンマーはスタインバック少尉になりすまして、レジスタンスの少女ジャクリーヌと接触に成功する。独軍は迎えに来た神父を殺害し、モリー中尉らレジスタンスの隠れ家を探り出し、攻撃に向かう。一方、状況報告の異変に気づいたロッシュ大尉は、罠だと察知し、すぐさまブルジャン中佐に連絡し、中佐はジャクリーヌにモリー中尉へ撤退しろとの伝言を託す。しかし、ジャクリーヌは夜間外出の禁止で拘束されてしまい、モリー中尉への連絡ができなかった。 モリー中尉の隠れ家に独軍が突入。モリー中尉らはその場で全員射殺される。その中で、ロナン中尉だけが奇跡的に生き残った。遅れて駆けつけたジャクリーヌは親友のミレイユの死体にすがって泣くのだった。 親友の悲報に接したロッシュ大尉に、ついに出動の命令が下る。ブルジャン中佐と合流したロッシュ大尉は、独軍がプルベラックに集結しているとの情報で、米軍が空爆を計画していることを知る。村民1,750名の命が危ないと察したロッシュ大尉は、ロナン中尉らと2台のジープに搭乗して独軍の集結する市街地に突入する。独軍のヘッツァーの直撃を受けてロッシュ大尉は戦死する。 戦後、生き残ったロナン中尉はインドシナのディエン・ビエン・フーの戦闘に参加、捕虜となるが脱走。さらに、アルジェリア戦線にも参加し、フランス東部の駐屯地部隊の隊長で引退する。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月28日
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イギリスの戦争映画は戦前ものから色々あるのですが、著名作品以外はなかなか日本語DVDになりません。近年のテレビムービー系は比較的DVD化されているのですが・・・。 ということで、イギリスのDVDを検索しておりましたら、イギリスでも古い英国映画のDVD化が進んでいるようで、日本で未DVDの垂涎ものを発見しました。Dunkirk (激戦ダンケルク 1958英)£4.97 9th Company(9 rota 2005露)£11.98 The Falklands War(ドキュメンタリー 2007英)£21.48 Cockleshell Heroes(生き残った二人 1955英米)£4.97 One Of Our Aircraft Is Missing(わが一機未帰還 1942英)£4.97 The Heroes Of Telemark(テレマークの要塞 1965英米)£6.98 The Sorrow and the Pity(ヴィシー政権のドキュメンタリー)£17.98The War Collection Volume 1 £11.97 3巻セット THE COLDITZ STORY(コルディッツ物語 1955英) The Dam Busters(暁の出撃 1954英) The Cruel Sea(怒りの海 1953英)The War Collection Volume 2 £12.97 3巻セット I Was Monty's Double(モントゴメリーのドキュメンタリー) Ice Cold In Alex(恐怖の砂 1958英) Went The Day Well(??1942英) まだまだ沢山あったのですが、今回はとりあえずこれだけチェックしました。 みんな欲しいんですが、9th Company(9 rota 2005露)だけはいずれ日本語DVDが発売されそうな気がするので、それ以外を購入することにしました。問題は・・・英語が聞き取れるかどうかです。 ちなみに、イギリスのDVDは日本と同じリージョン2ですので、日本のDVDプレーヤーで見ることが出来ます。ただし、映像方式がPAL方式なので日本のテレビでは見ることが出来ません。パソコン上なら問題なしです。
2007年06月27日
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1994 フランス・イギリス・アメリカ 監督:ウォリス・フセイン 出演者:ジェームズ・フォックス、マイケル・ヨーク、タラ・フィッツジェラルド、リシャール・アンコニナほか 178分 カラー Fall from GraceDVD検索「ザ・ロンゲスト・デイ2」を探す(楽天) ちょっと映画レビューが貯まり気味なので、連日掲載中です。この作品はDVDになっておりませんので、古いVHSを購入して視聴しました。 Larry Collinsの小説を原作とし、ノルマンディ上陸作戦50周年を記念して製作されたと思われるテレビムービー。監督はインド生まれで英米のテレビムービーを多く手がける人物だが、本作がどのような経緯で制作されたのかは謎が多い。178分という長尺ものはいかにも英国テレビムービーらしいが、上映は 1994年にアメリカで行われている。日本ではかつてVHSとして販売されたのみ。 ストーリーはノルマンディ上陸作戦時を舞台にしてはいるが、実はその裏で行われていた、連合軍上陸地点を巡るスパイ情報戦がメインである。史実でも、連合軍はパットン将軍を架空部隊の司令官に仕立て上げ、ノルマンディー上陸を秘匿するために、パ・ド・カレー上陸情報を流してドイツ軍を騙した(フォーティチュード作戦)わけだが、本作もそのカレー上陸偽情報をいかにドイツ軍に信じ込ませるかといったスパイ情報戦が描かれている。カレーの軍事施設破壊工作も実際に行われており、本作で描かれている英国情報部員のスパイ活動と破壊工作が、果たしてどこまで史実なのかはわからないが、物語としてはなかなか面白いものである。 約3時間という長編にもかかわらず、適当な量のエピソードを挿入することにより、さほど中ダレすることなく楽しむことが出来る。というのも、本作は単に時系列にスパイ戦を描くだけでなく、サスペンスドラマ的な謎解きが多く設定されているからである。登場人物も適切な量に抑えられており、謎解き物にありがちな複雑な人間関係でストーリーを見失うことはない。最後の最後まで二重スパイ、裏切りなど真相が見えてこないのはハラハラする。ただし、スパイの結末は決してハッピーエンドではなく、かなり重い内容であることは覚悟する必要がある。 一応主役はアメリカ軍のオニール少佐のようだが、比較的大人しめの設定で、劇中ではどちらかというと傍観者的な立場となっている。むしろ、英軍情報部諜報員のフランス人女性キャサリン、同諜報員フランス人男性ポール、英軍情報部のリドレー大佐、パリのゲシュタポ(国家秘密警察)本部の少佐といったところの駆け引きが重要な役割を担っている。ノルマンディ上陸作戦成功のための思惑に翻弄されていく諜報員の絶望感と危機感がしっかりと伝わってくる。ただし、私個人的にはいずれのキャラクターも、中途半端に世俗的で、どうも好きになれなかったが。なお、キャサリン役のタラは拷問時に全裸となっているようだが、ヌードシーンそのものはない。ポール役は貧相なシルベスタ・スタローンと田中邦衛を足して割ったような顔立ち。 VHS版で視聴したためか映像はやや不鮮明で、1994年制作とは思えないレベル。ロケはイギリス、フランスあたりで行ったと思われるが、大がかりなセットを用いたようには見えない。登場する兵器類としてドイツ軍戦闘機に扮したものと連合軍戦闘機・連絡機に扮した機体が実際に飛行している。ドイツ軍戦闘機の2機編隊飛行場面では、スピナー下の吸気口の形状が独特で尾輪が出たままになっている機体が出てくるが・・・良くわからない。ホーカーテンペストかタイフーンのいずれかのような気もするのだが。続いて英国上空の偵察に来るドイツ軍機は明らかにホーカーテンペストMK.II(シーフュリー)。一方、英軍機としては、迎撃にあがるスピットファイアMk.IIが2機のほか、連絡機として上翼単葉の機体が登場する。なんとこれはFieseler Fi 156 Storch(シュトルヒ)なのだ。いずれにしても、他の映画ではあまり見かけない機体も登場し、どこからの借用物なのかが気になる。 もう一つのノルマンディ上陸作戦とも言える、フォーティチュード作戦を描いた作品としてレアであり、裏舞台を垣間見ることが出来たのは収穫。ボロボロになった諜報員の姿は、かなり重苦しい題材ではあったが、全般的にはそれなりに楽しめた作品だった。??な機体 ホーカーテンペストかタイフーン??分かる人教えて。エンジンむき出しのシュトルヒ。民間レストアものと思われるが・・。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1940年ドイツがフランスに侵攻し、フランス人女性のキャサリンはイギリスへの避難途中に、ドイツ軍機の攻撃で母親を失う。 1944年になり、連合軍はノルマンディ上陸作戦を計画していたが、その成功は連合軍がカレーに上陸するという偽装をヒトラーに信じ込ませることにかかっていた。アメリカ軍のオニール少佐がイギリス軍情報部に赴任してくる。オニール少佐は、カレー上陸に準備された架空の軍団の存在を信じ込ませるために、風船で作った戦車や戦闘機を地上に並べてドイツ軍偵察機に写真を撮らせたり、偽の交信電波を無線車で流すなどの工作を担当した。 そんな中、オニール少佐はかつてアメリカで恋人だったキャサリンが情報部にいることを知る。キャサリンは英軍諜報員としてフランスに行く覚悟だが、オニールは危険だとしてそれをやめさせようとする。しかし、情報部のリドレー大佐はキャサリンをコードネーム「デニーズ」としてカレーのリンドマン砲台爆破任務のためにフランスに送り込んでしまう。リンドマン砲台は1.4ktもあり、英国内陸8kmまで砲弾を飛ばすことが出来、頑強な防御で400kg爆弾をも跳ね返す難物だったのだ。 フランスに降り立ったキャサリンは連絡引率役のポールと会い、カレーへの道を急ぐ。検問や、列車やレストランでの危機をすり抜けていく中、ポールは次第にキャサリンに惹かれていく。キャサリンもまたポールを受入れ、二人はベッドをともにする。しかし、ポールは裏でドイツ軍ゲシュタポの少佐とも密会を重ねていた。 カレーに着いたキャサリンは地元のレジスタンスと合流し、指令のリンドマン砲台爆破任務に着手する。砲台内の洗濯女に化けて内部を探り、電源装置の碍子に爆弾をとりつけることを計画する。その電源装置の鍵を持っていたのは、キャサリンが駅で遭遇したメッツ中尉で、キャサリンは体を武器に接近し、鍵のレプリカを作る。しかし、その際に中尉に見つかり、レジスタンスにより中尉は殺害される。その鍵を用いて、キャサリンは電源装置に爆薬を仕掛けることに成功する。そのことを本国に通信するが、ドイツ軍の無線傍受車がしつこく追跡を開始し、やむなく緊急連絡用のカフェに伝言を頼む。しかし、そのカフェはドイツ軍が仕掛けた罠で、ドイツ軍はレジスタンスの無線解読に成功する。 本国では、オニール少佐がキャサリンの動向を探っていたが、それに協力したデルドレという女性がクビなる。デルドレはオニール少佐に急接近し、二人は関係を持つようになる。 キャサリンはいったんイギリスに帰国するが、諜報員のエイジャックスはポールが二重スパイとの疑いをかける。イギリス情報部のリドレー大佐は、すぐに処刑せずに本国に呼び戻して情報を聞き出すことを提案する。ドイツ軍ゲシュタポ少佐の了解も得たポールはイギリスに行く。そこで、キャサリンと再会し二人は深く愛し合う。そのことを知ったオニール少佐は心境複雑だったが、リドレー大佐から立ち入らぬよう釘を刺される。実はポールはリドレー大佐の命令で、二重スパイのふりをしていたのだった。 一足先にフランスに戻ったポールのもとに、砲台爆破実行のために再びキャサリンが送られるとの報が入る。しかし、無線は傍受されており、ゲシュタポ少佐がキャサリンを逮捕することをポールに知らせる。反対することもできないポールは、イギリスにキャサリン派遣の中止を進言するが、リドレー大佐はそれを無視して、キャサリンにカレー上陸情報の書かれたマイクロフィルムを持たせて送り込んでしまう。それを知ったオニール少佐もポールも激しく怒るが、全てはドイツ軍にカレー上陸と信じ込ませるためのリドレー大佐の計画だったのだ。 ポールはなんとかキャサリンを逃がそうと画策するが、逆にレジスタンスの疑惑を呼び、ポールもまた逃げなければならなくなる。キャサリンはカレーでゲシュタポに逮捕され、厳しい拷問を受ける。裸にされ、爪をはがされるなどしてもキャサリンは口を割らなかったが、ポールがレジスタンスの狙撃を受けて死亡したことを知り、自らも靴に隠した毒薬で自殺を図ろうとする。しかし、この毒薬も偽物でありキャサリンは自殺すらできなかった。そして、ついにマイクロフィルムの所在を明かす。ノルマンディーでは上陸作戦が始まり、カレーのリンドマン砲台はレジスタンスによって破壊された。それでもドイツ軍は陽動作戦かもしれないと考えていたが、マイクロフィルムの解読によりドイツ軍はカレー上陸と信じる。 ノルマンディ上陸作戦は成功に終わる。パリには連合軍が進駐し、オニール少佐も派遣される。デルドレにも一緒に行こうと誘うが、デルドレは涙を流して、実はリドレー大佐の姪でありオニール少佐を監視するために接近したことを告白する。さらに、オニール少佐はキャサリンが強制収容所に収容されていることを聞き、キャサリンにポールは裏切ってはいないことを伝えに行く。憔悴しきったキャサリンはわずかに笑みをもらし、その場を去っていく。 かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月27日
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1939 謹製:皆川芳造 指導監修:陸軍省情報部20分 モノクロ DVD検索「戦時下のスクリーン 」を探す(楽天) 昭和14年製作の靖国神社を解説した映画。陸軍省情報部の監修とあるだけに、靖国神社の神格と、靖国神社に祀られた英霊についての理解を国民に知らしめようとした意図が窺われる。時に日中戦争真っ盛りであり、戦死者の数も増加しつつある世相と思われ、徴兵や出征、そして戦死の不安が国民の間に蔓延するのを和らげる意図があるのだろう。殉国英霊は靖国神社に祀られ、天皇陛下までもが参拝する畏れ多い祭神となるのである。決して、恐れることもなく、不安に思うこともないのだ、ということを暗に訴えている。 「謹みてこの一遍を護国の英霊に捧げまつる 謹製 皆川芳造」 製作者の皆川芳造という人はミナトーキーと呼ばれる音声映画の開発者だそうだ。本作の製作に何故関わったのかは不明。 映画は、靖国神社の成り立ち、祀られている人々のこと、全国から戦死者遺族を招待した招魂式の様子を写している。 靖国神社については 「本神社ははじめ招魂社ととなえましたが、明治12年6月4日靖国神社の社号を賜り、別格官幣社に列せられました」「靖国とは御祭文に いましみことたちのあかきまごころをもて、家を忘れ身をなげうちて、おのもおのもみまかりにし、雄々きいさおによりてし、大御国をば靖国としろしめすことぞとおぼしめすがゆえに、靖国神社と改めたまえ、とのたまわれ給いました」と、明治天皇の時代に英霊を祀る神社となったことを述べている。 そこに祀られているのは、国のために殉じた殉国烈士の忠霊であり、古くは鳥羽伏見の役から、日清戦役、「日露戦役、満州事変、支那事変までの戦没者である。支那事変の映像では、九五式軽戦車、九三式双軽爆撃機が写っている。さらに、英霊は男性の軍人に限られたものではないとし、ペンを持って報道に殉じた報道班員をはじめ、野戦病院の女性看護婦、北満警備の夫に従い銃を取った大和撫子などまで含まれるとしている。 靖国神社の例祭に伴い、全国から遺児や遺族を招いた招魂式が開催されている。招待された遺族は記念品を貰い、新宿御苑参観や慰安会などが催されている。また、立て看板には「英霊に感謝、遺族に敬意 遺族の方には席を譲ろう、遺族の方には親切に道を教えてあげよう」という、至れり尽くせりのもてなしの様子が描かれ、死して遺族の栄誉に慰労なしといった様子である。ただし、招待されているのは全国の戦死者遺族のうち、ほんの一握りと思われ、参列する遺児の整然とした行進は逆に哀れさを感じる。 このほか、皇族、軍人の参拝が続き「靖国神社は武人の為には武運長久の守護神であり、国家のためには国運発展の守護神と申すべきであります」として海ゆかばの音楽とともに終わる。 この映画は、製作者側と、映像に映し出される遺族を初めとする国民の間に、暗黙の了解の異なった企図があることを映し出している。製作者側はきれい事や建前を述べるだけだが、本来国民や遺族にとって靖国神社で英霊として祀られることなど本望ではないはずだ。靖国神社に祀られるよりも生きていた方が嬉しいに決まっているのだが、映像の中の遺族の神妙で誇らしげな表情は何なのか。それは、言うまでもなく遺族の被害者意識の共有だと思われる。悪い言い方をすれば傷の舐めあいなのであり、靖国神社という場をもって全国の遺族が悲しみや苦しみを共有できるのだ。そのことがわかっていて施政者も国民も靖国神社を利用しているのだ。現代の靖国神社論争とはかなり視点の違う靖国神社を見た感じがする。興奮度★★沈痛度★爽快度★感涙度★かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月26日
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2001 イギリス 監督:ビル・アンダーソン 出演者:ダニエル・クレイグ、ミーガン・ドッズ、リチャード・コイル、ロバート・パフほか 192分 カラー SWORD OF HONOUR 原作はイヴリン・ウォーの小説「SWORD OF HONOUR」で、約3時間のテレビムービーとして製作されたもの。原作は半自叙伝とも評されるもので、ある程度は史実に基づいているらしい。映画は、第二次世界大戦時に35歳という兵士としては高齢にも関わらず志願した、イギリス士官クラウチバック大尉を主人公に、タイトル原題にもあるとおり、名誉とは何かをメインテーマに進んでいく。ただ、純朴で勇敢なストーリーとはほど遠く、元妻である恋多き女性をはじめ、欲や悪に駆られた多くの兵士が多数登場し、戦時における名誉や道徳といったものを深く考えさせる作りとなっている。シリアスでありながら、コメディ部分も多分に盛り込まれ、さらにはストーリー全体としてはサスペンス的な謎解きまでも含む、複雑な展開をする。 確かに一貫してクラウチバック大尉の持つ名誉感が映画の根底にあるのだが、あまりにも多彩で複雑な人間関係は混乱をきたす。加えて、映画の舞台はクラウチバック大尉が入隊するところから始まり、西アフリカ、アイルランド、クレタ島、ユーゴスラビアと実にめまぐるしく移動するにもかかわらず、時系列、戦史的な解説はまるでないので、何が起こっているのかわかりづらい。一つ一つのエピソードにしてもかなり端折られた編集で、展開としては唐突で突飛な印象が強い。早いテンポで断片的、ブツ切りに話しが進んでいくので、全体的なバランスはかなり悪い感じ。与えられたテーマやエピソード自体は面白いだけに、あれもこれも盛り込んでしまったというのはもったいない。オチだけはしっかりあるというのも、ちょっと寂しい。テレビムービーだから仕方ないのか。 登場人物は実に個性的。唯一道徳的でシリアスなクラウチバック大尉とその家族を除き、他の登場人物はそれぞれ破天荒な欲に溺れていく。中でも、複数の男たちを翻弄する魅惑の女性ヴァージニア、怠惰でありながら英雄に祭り上げられていくトリマー(大尉から大佐に昇進)、謎多き小説家ルードヴィック(伍長から少佐に昇進)、最前線での戦闘に固執し突進してしまうリッチー=フック准将、腰抜け指揮官のハウンド少佐などは印象的。このほかにも多数の個性的人物が登場し、ちょっと脚色しすぎではないかと思うくらいの個性派ぶりだが、それはそれで面白い。さらに、それらの人物が裏で密かにつながっていたりという、サスペンス的な読みも楽しめる。ただ、ちょっと描き方が浅いのが残念だが。 クラウチバックは敬虔なカソリックで、貴族の出身という設定。まわりの人間が悪を利用し出世していく中、一人取り残される主人公の姿は道徳観の化身でもある。35歳で軍に志願するほどくそ真面目なわけだが、演じる役者のダニエル・クレイグはちょっと役不足か。もう少し貴族的なオーラが欲しかった。一方、元妻のヴァージニア役ミーガン・ドッズは、お色気たっぷりだが超尻軽な設定。イギリス人女性といえば貞操硬そうなイメージがあるのだが(最近はダイアナ元妃の件もあるので崩れつつあるけど)、どの映画でもアメリカ人以上に貞操感がなく描かれているのは、やっぱり英国貴族文化とはこういうものだということなのだろう。 撮影はどこでされたのかわからないが、基本的には英国内なのであろう。大規模なセットを用いている様子もないが、それぞれの国の雰囲気を良く出している。テレビムービーにしてはかなり頑張っている方だ。 登場する兵器類は多くはない。航空機では合成映像のスツーカ爆撃機のほか、実機のC-47スカイトレイン輸送機が出る程度。このあたりは金をかけていない。興味深かったのはV1飛行爆弾が上空を飛ぶシーン。もちろんCG合成だろうが、独特の唸り音を響かせて飛んでいく様はレアだ。 全体としては、描かれているエピソード自体と、根底に描かれた名誉の意義というテーマ性はかなり面白い部類。しかし、ストーリー展開があまりに早すぎて、じっくりと味わうことができないのが最大の難点。ちょっと消化不良感を感じる作品だ。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イタリアにいたイギリス人のガイ・クラウチバックは、戦局の悪化をみて軍に入隊して祖国に尽くすことが名誉と考え、本国の有力軍人に手紙を送る。しかし、35歳という年齢から芳しい返事はもらえずにいたが、知人の将軍の紹介で新しく結成された旅団のハルバルディア連隊に入隊することが出来た。新士官として訓練を受けるクラウチバックだったが、トリマー、アンソープら他の兵士たちはまるでやる気がなく、トリマーは除隊処分にされる始末だった。 クラウチバックには元妻のヴァージニアがおり、ヴァージニアはその後友人のトム・ブラックハウス大佐の妻となり、現在はトロイの妻だった。クラウチバックはヴァージニアと再会し、性急に体を求めるが冷たくあしらわれる。 いよいよ訓練期間が終わり、大尉となったクラウチバックはいかにも軍人らしい豪快なリッチー・フック准将に認められ西アフリカの特殊作戦に実戦参加する。その隠密上陸偵察作戦でリッチー准将の無謀な突撃によりクラウチバックは責任を取らされて本国に送還されてしまう。その際、病気に冒されたアプソープに酒を渡したことでアプソープは死亡してしまう。 しかし、特殊任務での功績を認められ、クラウチバックはスコットランドのマグ島に駐在するブラックハウス大佐の特別奇襲隊への転属命令が出る。そこには、あのトリマーがマクダヴィッシュと名を変えてスコットランド連隊の砲兵指揮官として潜り込んでいた。広報担当のイアンは庶民兵士の英雄を求めており、クラウチバックは適当にトリマーを推薦する。そのトリマーは豆鉄砲作戦の指揮官としてポーツマス上陸作戦を行うが、誤ってフランスに上陸し、図らずも鉄道爆破という功績をあげる。その結果、トリマーはイアンによって英雄に仕立て上げられていき、旧知だったヴァージニアに熱を上げ始める。また、連隊にはアイヴァー・クレア少尉という狡賢な男がおり、将軍の妻の愛人でもあった。 旅団はクレタ島上陸作戦に参加することとなり、特別奇襲隊は本隊の支援にあたることとなっていたが、ブラックハウス大佐が負傷し、急遽副官のハウンド少佐が指揮官となる。ハウンド少佐は欲の固まりのような男で、かつ小心物だった。上陸後も的確な判断ができず、クラウチバックが事実上の指揮をとっていた。クレタ島のイギリス軍はドイツ軍の反撃を受け、撤退を余儀なくされる。特別奇襲隊はハルバルディア連隊とともに後衛を命じられる。クラウチバックが小説家のルードヴィック伍長とともに前線の状況把握している間にハウンド少佐は勝手に撤退し、ルードヴィック伍長も姿を消す。ルードヴィック伍長はハウンド少佐と同じ理由で戦線を離脱したのだが、脱出船乗船の便宜を図ってもらえなかったことから少佐を射殺してしまう。 クラウチバックらの特別奇襲隊は海軍の艦船が先に撤退してしまうことから、ドイツ軍に投降するよう命令書を受ける。しかし、クラウチバックは海岸でボートでの脱出を決意し、海岸で合流したルードヴィックら数名の兵とともにアフリカを目指して出発する。炎天下のもとクラウチバックは意識朦朧となるが、ルードヴィック伍長は仲間を次々と殺害し、ボートには二人きりになっていた。ルードヴィック伍長はアフリカにクラウチバックを上陸させ、再び姿を消す。カイロの病院に入院したクラウチバックは、クレタの海岸に残ったはずのアイヴァー少尉が帰還したことを知る。どうやって脱出したのか、訝しがるクラウチバックだったが、愛人の将軍の妻がそれをもみ消す。 本国ではトリマーが大佐に昇進し、ヴァージニアと交際していた。ヴァージニアはトリマーが好きになれずにいたが、生活の安定のために仕方なくつきあっており、妊娠までしてしまう。思い悩むヴァージニアはアメリカに移住しようと言うトリマーから離れることを決心する。 傷の癒えたクラウチバックは本国に戻り、再び特別奇襲隊に所属するが、その司令官はなんと少佐に昇進したルードヴィックだった。「死の願望」という小説を書いていたルードヴィックはクラウチバックに会うことを極度に恐れていた。そのクラウチバックは降下訓練で足を負傷してしまう。さらに父親が死去し、莫大な財産を受け継ぐこととなる。そんなクラウチバックのもとにヴァージニアが訪れる。ヴァージニアがトリマーの子を妊娠していることや、財産目当てであることを知りながらもクラウチバックは結婚を承諾する。 クラウチバックはユーゴスラビアのベゴイに飛び、共産主義者であるユーゴパルチザンへの支援任務につく。パルチザンの国務大臣は実に横柄であったが、連合軍の勝利のためには協力を得る必要があった。そんな中、イタリアの収容所にいたユダヤ人が送られてくる。ユダヤ人をイタリアに戻すよう働きかけるクラウチバックだったが、国務大臣はユダヤ人の電気技術者夫妻を利用するため許諾しない。さらにアメリカ軍スピッツ将軍がパルチザン支援可否のための視察に訪れる。随行者の中には広報官イアンやリッチー准将の姿もあった。ドイツ軍小要塞の攻撃作戦でリッチー准将はパルチザンに先駆けて単身攻撃粉砕するも戦死する。その勇敢な姿をパルチザンと誤解したスピッツ将軍は支援を決定するが、事実を知っているクラウチバックは何も語らなかった。 本国ではドイツ軍のV1飛行爆弾がロンドンを襲っていた。ヴァージニアは相変わらず優雅な生活を送っていたが、子供も生まれ、クラウチバック家の嫁として認められつつあった。しかし、ヴァージニアとクラウチバックの叔父は爆撃で即死してしまう。 転属したクラウチバックは国務大臣にユダヤ人を帰すよう電報を打ち続け、ようやく解放される。しかし、絶対に帰すと約束した電気技術者夫妻は反逆罪で投獄されたと聞き怒りを覚える。そのカイーニ夫人が語った「善人も人殺しを好む」という言葉をかみしめながら、名誉とは何かを悟るのだった。 戦後本国に戻ったクラウチバックはヴァージニアの残した息子を抱きしめるのだった。 DVD検索「バトルライン」を探す(楽天)
2007年06月25日
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おもちゃのネタもないし、プラモデルの色塗りするには時間とスペース・・・(子供が暴れているんで)がないので、ちょっと近所の中古ビデオ屋へ潜入しました。 DVDにならないような、レンタル落ちのマイナーB級作品探しが目的です。アニメとかも置いてあるので、子供も連れて行きたいのですが、店の入り口はどーんとアダルト一色。そこを抜けていかないと到達できない仕組みなので、一人で行ってきました。 <収穫品>WWII太平洋戦線■特別奇襲隊Z(1981豪台)オーストラリアで組織された対日奇襲部隊■戦場(1989米) ボルネオの奥地で王となった脱走兵と対日工作員朝鮮戦争■リトル・ソルジャー 戦場の天使たち(1987米)朝鮮戦争の米兵と朝鮮人の孤児達ベトナム戦争■ファントム・ソルジャー(1987米) 北ベトナム国境に出没する謎のガスマスク集団その他アクション■デルタフォース2(1990米) デルタフォースによる南米麻薬王との戦い■デルタフォース3(1991米) デルタ・フォースによるアラブテロリストの陰謀との闘い航空機アクション■戦争の荒鷲/ウォー・バーズ(1988伊) 中東で起こった軍事クーデター鎮圧ミッション■F-16/デビルスフライト/ウォー・バーズ2/天空を駆ける無敵のF-16(1991米) 核搭載ミラージュと対決するF-16■メタル・スカイ/勇者たちの翼(1995典) ■アロー(1996米) カナダ政府の計画した最新鋭機アローが起こす問題これまでに数回行っているので、大分当たりが少なくなってきましたが、まあまあの収穫でした。 ついでですが、7月のCSではWOWOWが良いラインナップです。イノセント・ボイス12歳の戦場(2004墨)オデッサ・ファイル(1974英独)鬼軍曹ザック(1950米)ククーシュカラップランドの妖精(2002露)ジャン=クロード・ヴァン・ダム ザ・コマンダー(2005米)白バラの祈り ゾフィー・ショル 最期の日々(2005独)ステルス(2005米)戦火の傷跡(1959米)戦場のアリア(2005仏英独)戦争と人間第1部、第2部、第3部(1970~)トップガン(1986米)長い灰色の線(1955米)プレシディオ殺人事件(2005米)ブロークン・アロー(1996米)ホテル・ルワンダ(2004南ア英仏)ミュンヘン(2005米)メル・ブルックスの大脱走(1983米) 鬼軍曹ザックはレア作で良いですねえ。ククーシュカとか戦場のアリア、ホテル・ルワンダは最新作なので、DVD買わずに録画できますね。ありがたや。
2007年06月24日
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2005 アメリカ 監督:ブライアン・トレンチャード=スミス 出演者:エイドリアン・ポール、マシュー・セント・パトリック、キャサリン・デントほか 98分 カラー TIDES OF WAR アメリカのテレビムービーで、世界情勢を反映させてか北朝鮮を敵国として潜水艦バトルを繰り広げるアクション映画。北朝鮮を敵国とした映画が近年多くなっているのはなかなか興味深いのだが、果たしてアメリカ国民が北朝鮮という国をどれほど理解しているかは別問題だ。潜水艦映画とは言え、かなりお手軽に作った様子で本物の原子力潜水艦映像はほとんどなし。あっても記録映像と思しきものが多く、水中シーンは全てしょぼいCG。北朝鮮軍がアメリカ原潜を上回るステルス原潜を所有していること自体非現実的だが、戦闘シーンは安っぽく余りにあっけない展開。ソナーにも反応しない凄く強そうな北朝鮮潜水艦なのに、魚雷2発であっというまに撃沈されてしまうし、特殊ミッションで北朝鮮の海中ケーブルに盗聴器を仕掛ける!?「カニ」と呼ばれるロボットも、著しくショボイ。 映画は、北朝鮮潜水艦とのバトルアクションのほかに、米原潜艦長をとりまく友情物語も織り込まれている。部分的に裏切り?極秘ミッション?というようなサスペンス的な人間関係も登場するが、実に盛り上がりのないつまらない展開で終わってしまう。いかにも裏がありそうな登場人物なのに、裏がないってどういうこと。かなり消化不良な印象を得たので、脚本としての練度もかなりまずい部類なのだろう。 北朝鮮相手なので、舞台は日本海や黄海。といっても全て海中なので、らしい映像はなし。ただ、北朝鮮軍に撃沈される役として海上自衛隊のゆうしお型「おおさか」という名の潜水艦が登場する。先にも書いたが、米原潜のまともな映像はほとんどなく、潜航シーンが一部あるだけ。その代わりハワイに繋留されていると思われるガトー級潜水艦が一瞬映る。米原潜の名称としてはSSN-727サンタマリアとポセイドンが出てくる。実際のSSBN-727はミシガンなので、もちろん架空の存在。このほか、連動している機動部隊という設定で空母とF-14トムキャットの映像が数度登場するが、空母はCVN-70カールビンソンと思われる。F-14の方はVFA-25のマーキングで、これは見事に「トップガン」の使い回し。ご丁寧なことに北朝鮮軍のF5タイガーと空戦まで繰り広げているが、もちろん「トップガン」の映像そのもの。 艦長ハブリー中佐役のエイドリアン・ポールは渋めの好演だったが、他の役者は役柄の設定が浅めでせっかくの個性を生かし切っていない。唯一の女性大尉役のキャサリン・デントも感情の表現に抑揚がなく、ストーリーの盛り上がりに寄与できていないのが残念。アメリカ映画特有の無駄なラブシーンがないのは良かったが、逆に本作の場合、あったほうがまだましだったかもしれない。 全体に、尻切れトンボ的な展開で面白味に欠けた。戦闘シーンも潜水艦映画としてはかなり稚拙だったし、ミリタリーに詳しい人が見たら、あまりに杜撰な考証であっけにとられるだろう。潜水艦映画はお手軽に撮ってはいけないという好例だ。 興奮度★★ 沈痛度★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) アメリカと北朝鮮の軍事的緊張が高まっている。10月14日、ハブリー中佐が艦長を務める米海軍原潜SSN-727サンタマリアは、日本海で北朝鮮のミサイル基地攻撃命令の許可待機任務についていた。副長はハブリー中佐の友人のパラトニオ少佐で、マレー兵曹とともにハブリーを支えていた。 北朝鮮領海内にいたサンタマリア号はソナー反応がないままに、敵潜水艦に魚雷攻撃を受ける。ステルス性を持った北朝鮮の新型潜水艦のようで、いったんは回避するものの、次の魚雷で機関室を損傷してしまう。機関室の火災消火作業の際に、マクワナ機関長が戦死、パラトニオ少佐も重傷を負ってしまう。なんとか、公海上に逃げ込むことができたものの、パラトニオ少佐は死亡し、ハブリー中佐はハワイの潜水艦隊司令部に呼び出しを受ける。 軍法会議では北朝鮮の新型潜水艦の存在を認めず、北朝鮮軍哨戒機の攻撃をハブリー中佐が取り乱した結果の判断ミスとされ、ハブリー中佐は左遷されてしまう。ハブリー中佐は、パラトニオ少佐の葬儀の席で少佐の妹で海軍情報部勤務のトリフォリ大尉と面会するが、トリフォリ大尉はハブリー中佐を恨んでいる様子だった。 10月27日、ホノルルの海軍本部にバーカー少佐が呼ばれる。バーカー少佐は士官学校をトップで卒業したエリートで、折から北朝鮮との緊張が高まったために、北朝鮮の地中ケーブルに盗聴器を仕掛ける特殊任務を命じられる。しかし、付近の海底に詳しい人物が必要であり、ハブリー中佐に繰艦させることとなり、その副官として監視にあたることとなる。さらに、情報部のガラッソ大佐とトリフォリ大尉、安全保障局のウィンタースも乗艦することとなる。ハブリー中佐は乗艦を固辞していたが、11月1日に乗艦を受諾する。 11月3日、日本の潜水艦が撃沈されたことを副官のバーカー少佐がハブリー中佐に知らせなかったことを皮切りに、ハブリー中佐やマレー兵曹はガラッソ大佐やバーカー少佐に不信感を抱き始める。また、トリフォリ大尉は海水温による探知業務についていたが、謎の巨大物体を発見するも、ガラッソ大佐はそれを封じ込める。 11月5日、ついにバーカー少佐はハブリー中佐を解任し、潜水艦の指揮権を奪取する。次第にトリフォリ大尉はガラッソ大佐のやり方に不信感を持ち、ハブリー中佐に情報を提供し始める。また、海上では北朝鮮の哨戒艇に発見され、謎の潜水艦からも魚雷攻撃を受ける。バーカー少佐は間違っていたことを悟り、指揮権をハブリー中佐に戻し、ハブリー中佐は哨戒艇をミサイル攻撃して撃破する。さらに、姿の見えない敵潜水艦の正体を暴くため、通称「カニ」と呼ばれる盗聴器設置ロボットを出動させて敵潜水艦の映像撮影に成功する。緊迫した状況の中、カニの回収には失敗したものの、ついに敵潜水艦を撃沈する。 帰還したハブリー中佐は英雄となる。しかし、パラトニオの墓の前でトリフォリ大尉に退役することを伝えるのだった。 DVD検索「タイド・オブ・ウォー」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月22日
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2004 ロシア 監督:ジェフ・セレンターノ 出演者:マイケル・ヨーク、アレクサンダー・ネフスキー、リチャード・タイソンほか 89分 カラー ロシアンマフィアに息子を殺された元外交官とニューヨーク市警警官が、ロシアに乗り込み、ロシア警察の協力でマフィアをやっつけるという友情アクション映画。アクションとは言ってもそれほど過激なものでもなく、ちょっとした銃撃戦とフェンシング格闘アクション程度で、比較的おとなしめ。また、ヒーロー的な主人公が特に設定されているわけでもなく、アクション映画としてはやや盛り上がりに欠ける嫌いもある。だが、ストーリー構成自体は悪くなく、アメリカ人とロシア人が協力するというレアな設定も面白いし、引退した老アメリカ外交官とマッチョなロシア警察官の友情という取り合わせもなかなか。 絶賛するほどの映画でもなく、かといって駄目出しするほどでもなく、出来の良いB級映画といったところか。お手軽にアクション映画を楽しむ分には十分な出来。製作はロシアで、監督や役者には英米人が関わっている。このあたりが、ハリウッド的な雰囲気を持ちつつも、何かちょっと違う印象を与える要因となっているのだろう。数は多くないが、ユーモアを含んだ場面もあり、モスクワ空港での女性職員や元外交官に騙されてしまうロシア警察官など、思わずニヤリとしてしまう。 願わくば、もう少し伏線とか黒幕の存在などをしっかり描いていれば、盛り上がったことだろう。起承転結的バランスは良いのだが、淡泊すぎるのだ。 ロシア警察官ブラッド役のアレクサンダー・ネフスキーは、すごいマッチョ。盛り上がった二の腕はすごいし、余りに筋肉がつきすぎて着ている制服がとっても格好悪く見える。ぱっと見シュワルツネッガーにも似ており、それを意識してか劇中にもシュワルツネッガーのファンであることが表現されている。女性役としてはマフィア側のマーシャ(Mariya Golubkina)と警察側のサーシャ(ジョアンナ・パクラ)が登場し、どちらもロシアン美女だがマーシャの方はサディスティック的なエロスが魅惑的。 比較的淡泊なアクションなため、爆破シーンなどは合成を用いていたりと、登場する兵器類はさほど多くない。ロシア撮影だけあってロシア警察のヘリコプターとしてミルMi-8ヒップが1機出てくる。多分軍用と思われるが、機体には「31」の数字が見える。このほか、民間ヘリとしてロビンソンR44が出てくる。ヒップにミサイル攻撃されて爆破される(もちろん合成画像)。 興奮度★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ニューヨーク市警の警官アンドリューは同僚のルディとともに、密輸武器売買の現場の捜査に赴く。父のロジャーは元イギリス総領事の外交官で、息子の任務を心配していた。武器売買はロシアンマフィアのクリモフが親玉であり、市警が現場を押さえようとした際にアンドリューはクリモフに撃たれて死亡してしまう。 ルディとロジャーは、ロシアに国外逃亡したクリモフを追ってアンドリューの仇を討つことを計画し、ロシアに入国する。まず、小組織のボスで情報屋のオレグと接触し、クリモフの居場所を聞くとともに銃を入手する。クリモフはほかの幹部らとともに飲食店におり、ルディとロジャーは店内に潜入する。そこで、クリモフとルディが遭遇してしまい、ルディは肩を撃たれクリモフは逃亡する。これとは別にロシア警察もマフィア摘発のために店内に突入する。店を抜けたクリモフは店外にいたロシア警察官デニスを殺害して逃亡する。 親友のデニスを殺されたロシア警察のブラッドはルディとロジャーを参考人として拘束する。しかし、二人ともロシア入国の理由を語らなかった。ロジャーは監視の警察官を騙して逃亡し、再びクリモフの情報を得るためにオレグの元を訪れる。オレグからクリモフの愛人マーシャの家を教えられるが、その代価として亡き妻の形見である指輪を取られる。ロジャーはマーシャの家に行くが、オレグの手先が抹殺にやってくる。ロジャーは命からがら逃げるが再びロシア警察の厄介となる。 ロジャーが元米外交官と知ったロシア警察は国外退去を命じる。空港への移送中にロジャーはブラッドに全てを語って見逃してもらい、ブラッドはロジャーにクリモフの逮捕を約束する。ブラッドはオレグのもとを訪れ、力で脅してクリモフの居場所を聞き出す。二人はマーシャの後をつけてクリモフを見つけ出すが、クリモフは連邦保安局の保護下にあり手が出せなかった。不審に思ったブラッドは工作員のサーシャに情報を調べてもらうと、クリモフが単なる武器密輸だけでなく、背後にもっと大きな組織がありそうなことがわかってくる。しかし、ブラッドは突然上司から捜査中止の命令を受ける。ブラッドは警察手帳と銃を返し、民間人としてクリモフを追うことにする。 そんな矢先、ロジャーの旧友エドワードと連絡が付き、ロジャーはキエフ駅の2番ホームで待ち合わせする。しかし、エドワードはマフィア側の人間であり、ロジャーとブラッドはクリモフらに捕まってしまう。二人は厳しい拷問を受ける。その頃サーシャは、エドワードやクリモフらがミンスクから盗まれた核弾頭の売買を目論んでいることを突き止める。さらに、本拠地を突き止めることにも成功し、ロシア警察が急行する。 ブラッドは危機一髪のところで力任せに鎖を切って脱出。マーシャに殺されそうになっていたロジャーを助け出し、マーシャを殺害。さらに、クリモフとロジャーはフェンシングで一騎打ちとなる。ロジャーは見事クリモフを片づけ、核弾頭売買現場にはロシア警察が急襲する。 黒幕はシショフ議員であり逮捕される。いよいよロジャーの帰国となり、ブラッドは例の指輪をロジャーに返す。そしてシュワルツネッガーのファンであることを打ち明けるのだった。 DVD検索「バレット・ダウン」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月21日
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2006 ドイツ 監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演者:ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホほか 138分 カラー 映画館へ見に行ってきました。比較的抑揚のない映画でしたが、かなり良かったです。感動的でもあるし、政治史的にも興味深いものでした。もうすぐ、DVDも出るようですので是非ご覧あれ。 1989年のベルリンの壁崩壊まで存在した社会主義国家、ドイツ民主共和国(DDR)、通称東ドイツで、恐怖社会を作り上げた秘密警察(国家保安省)シュタージ(STASI)を題材にしたヒューマンドラマ。シュタージは、ドイツ社会主義統一党の独裁を維持するため、反抗分子や危険分子を徹底的に排除・監視するために組織され、正規局員1万9000人のほかに、密かに密告する非公式協力者(IM)が17万人も存在したとされる。こうした非公式密告システムは、北朝鮮、中国、旧ソヴィエトなどの共産主義国家には必ず存在するもので、自由や文化を徹底的に束縛し、さらには生命さえも脅かす恐怖の根元となっている。ベルリンの壁崩壊から20年近くになるにも関わらず、シュタージの存在はいわばタブーのようにされてきており、こうした映画等で公然と著されるのは珍しい。2006年度アカデミー外国語映画賞受賞。 今なお旧東ドイツ出身者と西ドイツ出身者の格差や差別は顕著であると言われるが、本作は主役のシュタージ所属大尉役を、東ドイツ出身で、自らも妻の密告でシュタージの監視を受けていたというウルリッヒ・ミューエが演じる。製作関係者にも東ドイツ出身者がおり、若き監督はシュタージに関する徹底的なリサーチをこなしたとされる。それだけに、演じられる内容は実にリアルで真に迫るものがあり、シュタージの呪縛から解放された東ドイツ出身者の傷ついた心と、それを融和させていこうとする社会の変革までを描くことに成功している。 本作は、詳細なリサーチによって製作されているが、ドキュメンタリーではない。実在した人物をモデルにはしているようだが、むしろ登場人物を普遍化することによって、視聴者を映画に同化させることに成功している。国家権力側であるシュタージ職員と監視対象となる文化人たちの構図は、まさに好対照で、東ドイツ国家の縮図でもある。シュタージはもちろん悪玉ではあるのだが、登場人物を単なる善玉、悪玉感で描いていないのも好感だ。 主役であるシュタージのヴィースラー大尉は、寡黙な中年男なのだが、我々自由主義社会の人間とは異なる無機的な人物を演じる。密告社会で誰も信じることが出来ず、一人孤独な暮らし。性欲のはけ口はシュタージ専属売春婦。システムの歯車として機械的に監視をこなすことだけが、自分の身を救うのだ。ひたすら、他人の性生活まで覗き続ける姿は、まるでストーカーか変質者のような気色悪さを覚える。もし、我々が社会主義国家に身を置いたら・・・、そんなことを想像させるおぞましい姿だ。 一方、監視対象の脚本家のドライマンと恋人である女優のクリスタらは、文化人らしく豊かな感情をもって行動する。しかし、それでいて体制の監視に怯え、時と場合によっては体制を利用するしたたかな生き方も見せる。西側文化への憧憬と自身のプライドが、監視という閉塞感の中、行き場のない葛藤として描かれる。 その血も涙もないヴィースラー大尉が、ドライマンとクリスタを監視していく過程で、次第に心の変化を見せはじめていくのだが、そのきっかけや行動は実に劇的だ。ドライマンの部屋から持ち出した東ドイツの芸術家ブレヒトの詩集。監視のヘッドホンから流れてくる、「善き人のためのソナタ」。この曲を本気で聴いた者は、悪人にはなれない、という言葉通り、大尉は溶けていく氷のように人間味を取り戻していく。体制に身を任そうとするクリスタを、一ファンとして思いがげず諭してしまう瞬間、彼のささやかな憧憬は、次第に命さえ厭わない大きな希望へと変わっていく。寡黙にそして時に雄弁に・・・。 ベルリンの壁崩壊後は、東ドイツ国民にとっては必ずしも希望ばかりではなかった。ヴィースラー大尉もまたそうであり、本作は感動的なエンディングで生きる希望を与える。淡々とした流れの中でサラリと演じられるこのシーンは、たった十数秒の出来事ではあるが、まさに旧東ドイツ国民の希望と未来を象徴しているかのようだった。 本作は、ヒューマンドラマとしてはかなり完成度が高い。登場人物の量や性格付けが適度で、無駄なシーンが少ない。無機的なシュタージと感情豊かな文化人の対比も鮮やかで、人々の刻々と変化する心境の変化も刺激的だ。主役のヴィースラー大尉役のウルリッヒ・ミューエは、最後まで一度も笑みを漏らさぬ寡黙で平凡な中年男を快演。女優クリスタ役のマルティナ・ゲデックは40歳過ぎとは思えぬ、妖艶でかつ存在感のある名演技。また、「善き人のためのソナタ」をはじめ、挿入される音楽はガブリエル・ヤレドの手によるもので、物語にマッチしている。2時間を超える作品にも関わらず、しっかりと見入ってしまった。 さらに、本作は政治的な題材としても完成度は高いと言える。詳細な国家保安システムについては解説されていないが、大臣、国家保安省部長(中佐)、局員である大尉の関係、シュタージの秘密監視の手法、それに怯えるシュタージ職員自身を含めた国民の動揺などが良く伝わってくる。 こうした意味で、本作は東西ドイツの融合を象徴する歴史的作品となったのではないだろうか。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★ 感涙度★★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1984年の東ドイツ。東ドイツのシュタージ(国家保安省)職員のヴィースラー大尉は、職務に忠実な寡黙な中年男だ。演劇脚本家ドライマンの恋人である女優クリスタに目を付けたヘムプフ大臣からの命令で、シュタージ文化部長のグルビッツ中佐は、ドライマンの反体制的証拠を見つけ出すよう命じられる。大臣に取り入って出世を目論むグルビッツ中佐は、ヴィースラー大尉に命じ、ドライマンの部屋に盗聴器を仕掛け、屋根裏部屋の監視室を設けて監視を始める。 ドライマンとクリスタの生活を監視するドライマンと部下の軍曹は、彼らの会話と性生活までを詳細に記録し報告する。しかし、集まる反体制文化人とは裏腹に、ドライマンの反体制的な証拠は見つからない。ドライマンらの楽しげな生活を24時の監視し、一人家に帰るヴィースラー大尉は、娼婦を呼んで性の満足を得ようとするが、空しさを覚える。 クリスタはヘムプフ大臣に強制的に関係を求められ、女優生命を絶たれる恐怖から断り切れない。これを知ったヴィースラー大尉はドライマンに情事を目撃させ、二人の仲を悪化させようとする。また、ヴィースラー大尉はドライマンの部屋からブレヒトの詩集を拝借して読む。次第に大尉の中で何かが変りはじめる。 シュタージから目を付けられ、仕事が禁止されていた演出家のイェルスカが自殺する。友人だったドライマンは衝撃を受け、イェルスカが残した「善き人のためのソナタ」を弾く。この曲を本気で聴いた者は、悪人にはなれない、とされるその旋律をヘッドホンで盗聴していたヴィースラー大尉の目から涙がこぼれる。 ある日、大臣に呼ばれて出かけようとするクリスタをドライマンが引き留める。しかし、女優生命のためにドライマンを振り切って家を出て行く。一部始終を聞いていたヴィースラー大尉は、バーでクリスタに遭遇し、一ファンとして大臣のもとに行くべきではないと諭す。クリスタは心を動かされてドライマンのもとに戻る。 イェルスカの死が公表されないことに怒りを覚えたドライマンは、ついに反体制活動に手を染め始める。東ドイツの自殺率が高いことを西ドイツの雑誌に投稿しようというのだ。盗聴で反体制家たちとの作戦の一部始終がヴィースラー大尉の耳に入ってくる。しかし、ヴィースラー大尉は報告には台本を書いていると嘘の記述を記す。さらに、共に監視を続けていた軍曹を担当からはずすようグルビッツ中佐に頼み、単独での監視を始める。 ドライマンらは家が監視されていないかどうかを試すため、偽の越境計画を流す。ドライマンは本部に連絡しようとするが、今回だけは見逃してやると通報しない。ドライマンらは監視されていないと確信し、タイプライターを持ち込んで本格的な原稿作りに着手する。原稿は西ドイツに持ち込まれて掲載される。グルビッツ中佐はヘムプフ大臣から叱責を受けるが、ヴィースラー大尉は心当たりがないとしらを切る。 大臣はクリスタがやってこないことに腹を立て、薬物使用の罪で逮捕させる。クリスタは自身の保身から、記事についてドライマンの関与をほのめかしてしまう。グルビッツ中佐はドライマンの家宅捜索をするが、証拠品のタイプライターを見つけることが出来ない。そこで、ヴィースラー大尉に進退をかけて尋問させることとなり、クリスタとヴィースラーは再会する。ヴィースラーの尋問についにクリスタが隠し場所を吐いてしまう。グルビッツ中佐はすぐさまドライマンの家へ急行する。しかし、隠し場所のはずの敷居下からはタイプライターが見つからなかった。実はヴィースラー大尉が先回りしてタイプライターを他に移動したのだ。釈放されたクリスタだったが、裏切ったという自責の念で大通りに飛び出し、トラックに轢かれて死亡する。ヴィースラーは、降格され地下の郵便検閲業務に追いやられる。1989年のベルリンの壁崩壊をヴィースラーは地下の郵便業務室で聞く。 ドライマンは、クリスタのショックから、ドイツ統一後に脚本を一つも手がけていなかった。数年たってシュタージの記録が公開されるようになり、自身の記録を調べてみたドライマンは、自分がずっと監視されていたという事実に驚く。何十冊にも及ぶ報告記録を見ていたドライマンは、雑誌投稿計画時の報告について虚偽がつづられており、報告書にサインしてある「HGW XX/7」という人物が自分を救ってくれたのだと気づく。HGW XX/7がヴィースラーであることを突き止めたドライマンは、郵便配達をしているヴィースラーを見つけるが、声をかけずに去る。 ドライマンは新しい脚本を書き上げる。書店でドライマンの書籍を見かけたヴィースラーは、表紙をめくる。そこには、「HGW XX/7に感謝の意を込めて」の文字がつづられていた。 DVD検索「善き人のためのソナタ」を探す(楽天)
2007年06月19日
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2005 イギリス 監督:スチュアート・オーム 出演者:ダミアン・ルイス、トム・ハーディ、ソフィア・マイルズ、ローレンス・フォックスほか 184分 カラー 第二次世界大戦時の悪名高きドイツのコルディッツ城収容所を舞台に、連合軍捕虜の脱走作戦と英国に残してきた恋人を巡るラブロマンスが織り込まれる。コルディッツ城は連合軍脱走の代名詞にもなっている実在の城で、ドイツのザクセン州ライプツィヒ行政管区ムルデンタール郡にある。元は中世に作られた城で、捕虜の脱走に手を焼いたドイツ軍が脱走不可能な収容所として利用したものである。士官専用の収容所で、ポーランド、イギリス、カナダ、フランス、オランダ、アメリカなどの士官が集められ、脱走意志の強い士官が様々な脱走を図り、成功したことで知られている。 本作は、イギリスのテレビムービーで、DVDでは前後編の二分割になっている。かなりの長編であるが、幾度にも渡る脱走と本国イギリスでの恋愛、友情ドラマが、次から次へと巻き起こるので、飽きることはなく見応えは十分。特に、脱走作戦は奇想天外な手法で、様々な国籍の戦友の手を借りて試行錯誤するシーンが秀逸で、緊迫感やリアル感を十分堪能することが出来る。 ただ、舞台がドイツのコルディッツ城と本国イギリスの2箇所で同時並行して展開していくので、ストーリーにやや散漫な嫌いがあるのと、脱走モノとしてもラブロマンスモノとしてもちょっと主題がぶれがちで、全体としては中途半端な出来という印象はぬぐえない。さらに、脱走アクションとラブロマンスという形は取っているが、実はその裏に友情と裏切り、脱走への固執という大きなテーマが隠されており、特に後半はサスペンンドラマ的な雰囲気が強くなり、どうも腰が落ち着かない。前半から後半にかけて主題が大きく転換してしまうのは、製作者の意図なのであろうが、映画を見終わったときの釈然としない不快感が強く残り、単純な脱走アクションや純粋なラブロマンスを期待すると裏切られるかもしれない。 主役の一人マクグレイド英軍伍長は、「バンド・オブ・ブラザーズ(2001米)」の主役ウィンターズ大尉役のダミアン・ルイス。今作はいわば悪玉的なキーマンとなっているが、軟派な姿はまるで別人。もう一人の主役ジャック・ローズ英軍少尉役にはトム・ハーディで、派手さはないが愛する人への異常なまでの執念を良く表現している。その相手役にはソフィア・マイルズで、柔らかい笑顔の美女。このほか、英軍、仏軍、独軍兵など個性豊かな脇役が多数控えており、映画としては実に華やかな役者陣と言える。 撮影はチェコとロンドン。テレビムービーにしてはスケール感のある映像だった。本物のコルディッツ城を用いての撮影で、全景の映像こそないが、閉塞感のある建物の印象を良く出している。登場する兵器類はドイツ軍のキューベルワーゲンと軍用トラック程度。このあたりは余りお金はかけていない。英仏独蘭加米ポと各国軍兵が登場するので、軍装はなかなかしっかりしている。各国軍の兵士の特性もうまく表現されており、この点は見ていて爽快だ。 全体としては、個性豊かな俳優陣を揃え、見応え十分なものであるのだが、ストーリーの重さからちょっとすっきりしない映画であった。面白いかどうかでいえば、面白い部類であることは間違いないが、戦争映画マニアからすると期待を裏切られちゃったかなという感じ。逆の視点から見れば、視聴者を裏切ることができるストーリーの奇抜さとも言えるのかもしれないけど。評価は分かれるところだろう。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1939年のロンドン。青年のジャック・ローズは少尉として戦地に赴くこととなり、恋人のリジー・カーターと別れを惜しむ。ローズ少尉は結婚を申し込もうと思うが、うまく言葉にできなかった。 ローズ少尉はドイツ軍の捕虜となり、ドイツ軍の収容所から同じ英軍のマクグレイド伍長、ウィリス大尉らと脱走を図る。仲間からはぐれたローズ少尉とウィリス大尉は方向を見失ってしまう。途中で立ち寄った家屋でマググレイド伍長と合流し、3人はスイス国境を目指す。国境には貨物列車がスイスへ通じているが、ドイツ軍の警備が厳しい。3人はドイツ人の子供に通報されて、ドイツ軍の追撃を受ける。足を負傷したローズとウィリスは捕まるが、マクグレイドだけは列車に飛び乗って脱出に成功する。スイスに入国したマクグレイドは、そのまま住み着くつもりで酒に女に手を出すが、大使の仕組まれた罠により本国に強制送還される。 イギリス本国に帰国したマクグレイドは、初の収容所脱走者ということで、ロンドンのM19という特殊機関に配属され中尉に任官される。今後のドイツ軍捕虜収容所の情報収集と、発明家のウォレン氏の装備品開発の手助けが任務となった。また、逃亡中にローズから託された恋人リジーへの言づてのために、空襲監視員をしていたリジーのもとを訪問するが、一目見てリジーに恋をする。 ローズ少尉は脱走が困難とされるコルディッツ捕虜収容所に送られる。そこにはカナダ空軍のレット・バーカーがおり、借金に困っているドイツ軍警備兵マイズナーを金品で買収していた。そのバーカーと土木技師だったヤンの手引きで、ローズとウィリスは再び、汚水の下水道を通って脱走を図る。しかし、下水道の出口にはドイツ兵が待ちかまえており脱走は失敗し、ローズ少尉らは独房に送られる。 コルディッツ収容所にさらに脱走失敗兵が送られてくる。その中に芸術家だったソーヤー大尉、フランス兵のルブランらがいた。ローズ少尉は恋人リジーの面影を求め、画用木炭を仕入れて、ソーヤーにリジーの肖像画を描いてもらう。ローズ少尉とウィリス大尉は次なる脱走としてドイツ兵の格好をして脱走する計画を練る。縫製のできる捕虜が制服を作り、身分証はソーヤーが担当、ドイツ語が出来るオランダ兵のトニーを仲間に入れて脱走する。しかし、途中で落ちたボタンが偽物であることがばれ、再び独房に入れられる。一方、ソーヤー大尉は入城した電気技師に化けてまんまと脱走に成功する。 イギリスのマクグレイドは、新たな発明品の開発を手助けする一方、リジーの口説き落としに躍起になっていた。しかし、リジーはローズへの一途な想いからそれを拒み続ける。ついに、マクグレイドはコルディッツ城のローズから届く手紙を自分の所に確保し、ローズが死亡したとの手紙を偽造する。 リジーはローズの死亡通知を受け取りショックを受けるが、マクグレイドの求愛を受ける気にはならない。しかし、空襲で友人のジルが大怪我を負い、処女のまま死ぬのは嫌だという言葉を聞き、次第に心が揺らいでいく。さらに、マクグレイドが脱走のための経路確保のためイタリア国境に派遣されることとなり、危険な任務で死ぬかもしれないと聞かされたリジーはついに、マクグレイドに処女を捧げてしまう。 コルディッツ収容所では、名の知らない人々からクリスマスプレゼントが届く。それは、ウォレンが発明した脱走補助用具だった。レコード盤に隠された地図、ラケットに隠された金属品、胡桃の中に隠されたコンパスなどであった。しかし、それを察知したドイツ軍は金属探知器を導入して摘発に努める。そこで、摘発された荷物を奪い返すため、錠前師だったオランダ兵のヴァンデンブルグ大尉の協力で錠前をはずして荷物を奪取。その協力の見返りにヴァンデンブルグを連れて、ローズとウィリスは脱走を図る。しかし、耳の不自由なヴァンデンブルグ大尉は屋根から足を踏み外して転落死し、ローズとウィリスはまたもや独房に入れられてしまう。 ロンドンのM19には脱走に成功したソーヤー大尉が加わる。そこでソーヤー大尉はローズが死亡したとの情報を聞き、重大な不正義が行われていると察して調査を始め、マクグレイドに不信感を抱き始める。そのことを察知したマクグレイドはリジーに求婚し、アメリカに移住しようと性急に求めはじめる。 コルディッツ収容所ではローズが必死に脱走委員会に脱走を要請するが、順番はウィリスが先となっており待たされることに。しかし、どうしてもリジーに会いたいローズはバーカーの手を借りてウィリスの代わりに脱走を図る。今度こそはなんとか脱走に成功したローズはポーランド地下組織の助けを借りてワルシャワの隠れ家にたどり着く。そこにはすでに脱走兵が複数隠れており、帰還へのタイミングを待っていた。 ワルシャワの脱走兵を帰還させる任務にはマクグレイドに代わってソーヤー大尉がつく。ソーヤー大尉はすでにマクグレイドが不正を働いたことを察知しており、マクグレイドは逆上してソーヤー大尉を誤って殺害してしまう。さらに、マクグレイドは素知らぬ顔でソーヤー大尉の任務を引継ぎ、ドイツ軍にワルシャワの隠れ家の情報を流す。ワルシャワの隠れ家はドイツ軍の急襲を受け、ローズ一人が命からがら脱出に成功する。 ついに、ローズ少尉はイギリス本土に帰還する。その帰国を知ったマクグレイドは焦ってリジーのもとに走り、アメリカ移住を促すが、そこにローズがやってきてしまう。怒ったローズはマクグレイドと格闘になり、マクグレイドがローズに銃をつきつける。そこにイギリス憲兵隊が到着し、抵抗したマクグレイドは射殺される。 一方、終戦が間近となったコルディッツ収容所ではウィリスが脱走を試みるが、麻薬中毒になっていたバーカーの裏切りで逮捕。バーカーは自殺する。ウィリスはもはや脱走することだけが生きる目的となっており、米軍が近づいたことを知り、「良くないことだ」と言い残し、白昼堂々と収容所を抜け出して射殺されてしまう。 ローズはリジーにやり直そうと投げかけるが、リジーは「また愛せるかわからない」と答える。それでもローズは待ち続けると言うのだった。 DVD検索「大脱走 コルディッツ収容所」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月15日
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2004 セルビア・モンテネグロ・フランス 監督:エミール・クストリッツァ 出演者:スラヴコ・スティマチ、ナターシャ・ソラック、ヴク・コスティッチほか 154分 カラー 1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を背景にしたヒューマンドラマ。ただ単にヒューマンドラマというだけでなく、寓話的な会話や映像を多様に盛り込んだコメディタッチでもあり、やや非現実的なストーリーながらも完成度の高い映画となっている。エミール・クストリッツァ監督の独自の映像観と倫理観というものが色濃く出されており、ハリウッド映画にはない、抑揚がないながらも真に迫ってくる手腕が光る。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は旧ユーゴからのボスニア・ヘルツェゴビナ独立を巡って、セルビア人とムスリム人・クロアチア人が戦った戦争であり、背景には民族問題が深く根ざしている。 本作はセルビア人の主人公が、捕虜となった息子と捕虜交換のために軟禁したムスリム人の女性と、禁断の恋に落ちていく過程を描いたもので、いわば 「愛は民族よりも強し」といったところがメインテーマとなっている。他のユーゴ紛争関係を扱った映画が暗く重い映画になりがちなのに対し、本作は比較的明るく楽しいタッチで描かれているのが救いだ。もちろん、その背景にある根深い問題をなおざりには出来ず、劇中に登場する「これは我々の戦争じゃない、誰かの戦争だ」という台詞は、何のために戦っているのかというユーゴ内紛の不条理な実情を如実に言い表している。 主人公ルカ役のスラヴコ・スティマチは、木訥としたやる気のなさげな人物が、戦乱の流れの中を飄々と生き抜きながらも、次第に自己の信念に目覚めていく姿を好演している。ムスリム女性役のナターシャ・ソラックは色気のある美女で、ヌードも披露するが、包容力のありそうな雰囲気が良い。本作で陰の主役とでもいうべき存在は、ロバ。ルカの父親の飼うロバなのだが、人間の死生観を代弁するかのように要所要所に登場する。このほか、鳥や犬、猫など多くの動物が登場し、戦争に突き進む人間をせせら笑うかのように生き生きと描かれている。また、トロッコ、ブランコ、家屋など有形物の描写が実に上手で、生活感あふれる姿から朽ち果てていく様まで、時間の経過や物質の滅亡(形あるものいつかは滅ぶ)という概念を強く印象づけている。 旧ユーゴと言えば、サッカーが盛んな所であるが、本作もルカの息子ミロシェがプロサッカー選手を目指す姿が描かれている。そのサッカーの試合のシーンも妙にこじんまりとした映像と、随所に盛り込まれたコメディが笑える。 また、映画中では日本のことも会話中に登場し、「日本は鉄道だらけ」や戦争の代名詞として「ヒロシマ」が用いられるなど、日本に対するイメージが窺われる。 ヒューマンドラマのため、戦闘シーンや登場する兵器はほとんどなく、一瞬装甲車が映るが、多分セルビア軍所有のBOV装甲車ではないかと思われる。 先にも書いたように、ストーリーに激しい抑揚があるわけではないので、ぐいぐいと引き込まれるタイプではないが、いつの間にか最後まで展開を追ってしまうという作品。何カ所か寓話的なシーンが出てくるので、若干意味を理解しにくい場面もあるが、逆にその意味を考えてみるのも楽しみ方の一つだろう。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) セルビア人の鉄道員ルカは、オペラ歌手の妻ヤドランカ、プロサッカー選手を目指す息子のミロシュと、妻のアレルギー転地療養のためベオグラードからボスニアに移り住んでいた。鉄道は未完成だが、義兄である市長はセルビア側と開通させようと目論んでいた。しかし、その反面鉄道を使った密輸が盛んになることも危惧されていた。ある日、ルカの父親ヴーヤンのロバが線路を塞いでいた。父によれば失恋のあまり自殺をしようとしているというのだ。 息子のミロシュはプロサッカーチームのパルチザンからオファーが来るが、直前に徴兵義務が課せられて兵役に行くこととなる。妻のヤドランカは泣き叫び、ルカも友人の軍人アレクシチ大尉に戦争がないことを確かめるなど不安を隠せない。しかし、ミロシュが兵役つくとセルビアとムスリムの間で戦争が勃発し、サラエボは火の海となる。妻のヤドランカはハンガリー人男と駆け落ちし、ルカはひとりぼっちとなる。鉄道も軍の管理下となり、ルカはアレクシチの指揮下に置かれ、町の人々も兵役につくようになる。また、市長は法律家のフィリポヴィチに暗殺され、新市長にはフィリポヴィチが就任する。 郵便屋のヴェーリョがミロシュが捕虜となったことを伝える。ルカはアレクシチ大尉のもとに行き、軍に配属になるように頼むが「これは我々の戦争ではない」と断られる。そんな矢先ミロシュの友人だった軍人のトモが一人のムスリム人女を連れてくる。彼女はサバーハと言い、かつて妻の通っていた病院の看護士だった。トモによれば、ベシレヴィチ家の令嬢であり、ミロシュとの捕虜交換のために軟禁し、手紙を書かせて利用しようというのだ。一つ屋根の下で暮らすことにとまどいを覚えるルカだったが、こうして不思議な同居生活が始まる。献身的に食事や掃除をするサバーハに次第に心惹かれていくルカだったが、サバーハから実はベシレヴィチ家の人間ではないことを告白され、怒りをあらわにして出て行ってしまう。しかし、サバーハはルカを追いかけて諭し、二人はついにベッドを共にする。 戦局はセルビアに不利となり、ムスリム軍が攻め込んでくるようになる。鉄道を使った密輸を推進するフィリポヴィチは生真面目なアレクシチ大尉を抹殺しようと目論むが、反対にアレクシチ大尉にやられてしまう。 妻ヤドランカが戻ってくる。ヤドランカはサバーハの姿を見て怒り出すが、ルカはもはやヤドランカに未練はなくサバーハを愛していた。しかし、アレクシチ大尉からミロシュの捕虜交換が知らされ、交換要員としてサバーハの名が入っていることを告げられる。ルカはサバーハを渡すまいと逃げ出すが、その途中でムスリム軍の狙撃兵によってサバーハが足を撃たれてしまう。仕方なくルカはサバーハをアレクシチの軍病院に連れて行き、治療を行ってもらう。 いよいよ捕虜交換となり、ミロシュが戻ってくる。反対に去っていくサバーハに未練を残すルカ。再び3人で生活を始めるルカだったが、家も何もかもが破壊されつくされていた。サバーハを失い、生きる希望をなくしたルカは線路の上に横たわり自殺を図ろうとする。近づく列車を遮ったのは、あのロバだった。ロバに命を救われたルカは感謝の言葉をかけるが、その目の先にはサバーハの姿があった。ロバにまたがり二人は去っていく。 DVD検索「ライフ・イズ・ミラクル」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月14日
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2003 アメリカ・スペイン 監督:オリヴァー・ストーン 出演者:フィデル・カストロ、オリヴァー・ストーンほか 100分 カラー 2007年5月から渋谷のユーロスペースでやっているものを見てきました。かなり難解な映画なんですが、結構お客さん来てましたね。 ベトナム戦争映画「プラトーン(1986)」「7月4日生まれて(1989)」、「セイヴィア(1998)」などを手がけた社会派監督オリヴァー・ストーンが、謎とされてきたキューバ共和国国家評議会議長兼閣僚会議議長だったキューバ革命司令官フィデル・カストロに直接インタービューを敢行した、ドキュメンタリー作品。本編全てが30時間に渡るインタビューで構成され、一度足りと撮り直しのない(やらせのない)、カストロの生の声を聞くことが出来る貴重な映画である。随所に記録映像等も織り込まれるが、カストロの生涯伝記という物ではなく、2002年のオリヴァー・ストーンの取材インタビュー記録といったほうが良い。従って、映画としての面白みには欠けるし、キューバ革命から現在に至るまでの歴史的、政治的背景についての知識を多分に必要とするものであるが、ある程度知ってさえいれば、カストロという独裁政権者の持つカリスマ性、そしてキューバ国民の置かれた境遇と内在する功罪が自ずと浮き彫りになってくるのが興味深い。ちなみに、本作は「不快」「批判的」であるという理由でアメリカ公開が禁止されたいわくつきである。私個人的には、映画自体はいかようにも解釈できる作りとなっているので、非公開にするほどのものではないと思ったが。 フィデル・カストロは1926年生まれで、弁護士業の傍ら、1953年親米のバティスタ政権打倒のための武装蜂起をはじめる。以後逮捕や武装攻撃失敗などを経ながらも、ついに1958年にキューバ革命を成し遂げる。その後、アメリカの経済制裁や武力制裁などを受けたため、ソヴィエトと近しい関係となり、結果社会主義国家として西側諸国と対立を深めていく。1962年のキューバ核ミサイル危機や中南米、南アフリカ諸国への武力支援など、テロ支援国家として認定される反面、ラテンの血の明るさから、地上の楽園とも評される謎の国家体制が話題を呼んだ。深刻な経済危機を抱えながら、スポーツや音楽など世界に発信する力の秘密は、カストロのカリスマ性に負う所も多分にあると言われる。また、1967年革命の盟友チェ・ゲバラがボリビアで処刑されたり、2000年のゴンサレス少年返還事件なども話題となった。2003年重病となり、弟のラウル・カストロに暫定的に全権を委譲している。 本作では、忌憚のないオリヴァー・ストーンのインタビューに、髭を蓄えたカストロが質問を遮ることなく答えていく。武装蜂起や革命時の裏話に始まり、チェ・ゲバラとの関係、対ソヴィエト、特にフルシチョフやゴルバチョフとの関係、さらにケネディ、ニクソンとの対立、ベトナム戦争参加など、推測の域を出なかった事件の真相をカストロの口から聞き出しているのが凄い。また、カストロの私生活の話にまで話題は及び、好きな映画や女優、さらには結婚関係までが語られている。だが、これらの会話はオリヴァー・ストーンがインタビュアーとして投げかけているのだが、国家元首として事実を答えることができないことも当然あるはずで、先の事件の真相にしてもどこまでが本当で、本音なのかは疑わしい。 聞き手のオリヴァー・ストーンが、時に優しく、時に威圧的に語るカストロの口調や現実主義的な内容に、巧妙に丸め込まれていっているのが良くわかる。いつの間にか、質問事項ですらカストロに操作されているような気までするのだ。カストロの語っている内容については、話半分程度で聞いておくべきであろうが、本作で注目すべきは、むしろカストロの語り口調の奥にあるカリスマ性とキューバの未来にあると言えるだろう。 カストロは、インタビューの中で自らを共産主義者ではないと言っており、国家体制を社会主義化したのはアメリカに対抗するために必要だったと表現している。彼の言う理想の新しい秩序は未だ完成を見ておらず、インタビューの中でもこれまでの政策が正しかったとは言っていないのが興味深い。奥ゆかしくも「他のラテンアメリカの国よりは多くのことをしてきた」というに留まり、世界の未来について「早く新しい秩序に到達すべきだ。到達が遅れれば、人類は滅亡の危機に陥る・・」「軍事力で平和は訪れない」といった悲観的な発言は、カリスマ的な人物とは思えないほど現実的だ。 革命家というのは、高い理想と強い意志、そして時には鬼のような残虐性が求められるものだ。盟友だったチェ・ゲバラはむしろその傾向が強い人物のように思えるが、カストロの場合はいずれもが実に薄い、普通のおじいさんといった印象が強い。インタビューの端々に、やや疲れたような敗者的な発言が印象的だったのだが、実はカストロのカリスマ性はここにあるのかもしれないと感じた。無神論者であるカストロは、極端なまでに現実主義者なのであり、無駄な理想や片意地を張ることの無意味さを知り尽くしているのかもしれない。 唯一、インタビューの中で知りたかったが出てこなかったのは、側近体制のこと。無神論者で自らを「自分自身の独裁者であり国民の奴隷」と呼ぶ彼は、生涯誰にも相談したことがない、と言い切る。世界各地の独裁者は、ほぼ例外なく疑心暗鬼となり、側近の粛正が始まっていく。謎に包まれるカストロの場合はどうであったのか。本作ではカストロの残虐性については一切触れられていないが、生涯孤独の男がここまで国体を維持できた背景に何があるのか、気になる点である。 ドキュメンタリーとしては、恣意的な点は感じられず、ドキュメンタリーとしてあるべきセオリー通りの良作。だが、冒頭にも書いたが、映画としてはストーリー性、映像ともども面白みはないに等しい。単に伝記を期待した人には、100分が恐ろしく苦しいものとなるだろう。本作は、世界に名だたるカリスマ的独裁者の生声を聞き、彼のカリスマ性に魅入られるか、はたまた騙されないぞと言動の裏を探るか、そこに楽しみ方があると言ってもいいだろう。はっきり言って、オリヴァー・ストーンは骨抜きにされちゃった感はあるけれど(笑)。 興奮度★★★ 沈痛度★ 爽快度★★ 感涙度★ DVD検索「コマンダンテ」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月11日
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1996 ドイツ・フランス・イギリス 監督:フォルカー・シュレンドルフ 出演者:ジョン・マルコヴィッチ、ゴットフリード・ジョン、ディーター・ラーザーほか 118分 カラー 幼少期に受けた心の傷から、大人へのトラウマを持ったフランス人の大男が、第二次世界大戦のドイツとの戦いの中で、様々な善悪の出来事の中で翻弄されながらも、本意ではないにも関わらず結果的に生き残っていく姿を描いたヒューマンドラマ。しかし、ベタなヒューマンドラマと言うよりは、幻想的でややオカルト的な要素の強い映画である。その背景にはキリスト教の信仰的な部分が色濃く、原作が子供(キリスト)を背負って河を渡ったという大男聖クリストフォロスの伝説を題材に作られた、ミシェル・トゥルニエの小説「魔王」というだけのことはある。私はキリスト教の教義的なことは全くわからないのだが、きっとキリスト教の信仰者の人にとっては、随所で納得のいく場面があるのだろう。善人の無知たる悪、そして贖罪、と難しい表現の中、主人公は神の子なのか、魔王なのか、神に問うていくシーンが印象的である。主人公がユダヤ人の子供を肩に背負って沼地を渡っていくラストシーンは、まさに聖クリストフォロスの伝説なのだそうだ。聖クリストフォロスは、王や悪魔に仕えたあとにキリストに仕えたということだが、王はフランス、悪魔はナチスドイツということになるのであろうか。 それでいて、映画のストーリーとしては、決して非現実的でもなく、いかにもあり得そうなものとして進んでいく。時期的にはドイツ軍のフランス侵攻からソビエト軍によるドイツ占領までで、ドイツ軍元帥ゲーリングが登場したり、ヒトラー暗殺未遂事件やアーリア人種優性実験が関係したり、私的幼年士官学校が舞台となったりと、戦史的にも興味深い。登場する人物は比較的善玉、悪玉がはっきりしており、ドイツ軍(人)でも両者が存在し、人間的な部分の表現が繊細である。もちろん、ゲーリングは見事な悪玉だが。また、純真なはずの幼年兵たちが頑なまでにナチスに毒されていく姿は誠に哀れである。 撮影はポーランド、ノルウェイ、フランス。幼年士官学校の舞台となる貴族の城はフランスなのかな。街並み、湖沼、城などそれぞれのシーンで上手にロケ地を使い分けている感じがする。 登場する兵器としては、ドイツ軍の88高射砲(本物かどうかよく分からないが(汗))とソヴィエト軍の戦車T34/85が数台。ロケ地の関係から言うとポーランド陸軍の所有しているものだったのだろうか。一応稼働しているように見えた。このほか、パンツァーファウストの訓練風景も登場し、噴射ガスで事故が発生するシーンはちょっと衝撃的。 とにかく、見ているだけで現実と非現実がわからなくなるような不思議な映画だ。芸術映画とも言えるかもしれないが、どちらかというと宗教映画のような印象が強い。本映画を見て、自分の過去の贖罪を考えてみるのも一興かもしれない。 興奮度★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1925年のフランス、パリ郊外。少年寄宿舎に入っていた孤児のアベルは、級友からのいじめ、校長である聖クリストファーの体罰を受けながらも、唯一の友人ネスターの助けを借りながらなんとか生活していた。ネスターの父親は用務員であり、寄宿舎においては特権階級であった。そのネスターはアベルの不注意から火事で死亡してしまう。寄宿舎など火事になってしまえばいいと心に念じていたアベルは、自分が神に頼んだためにネスターを殺してしまったと自戒の念を抱く。 アベルは大男に成長し、自動車修理工となるが、周囲からは不気味がられており孤独であった。大人への不信感が強く、子供の写真を撮るのが唯一の楽しみであった。そんな中、上流階級の女の子マルティネが接近し、二人は仲良しになっていく。しかし、カメラに触らせることを拒んだため、マルティネはアベルに強姦されそうになったと狂言を言い放つ。その結果、アベルは逮捕され、刑のかわりに対独戦の前線に出征させられてしまう。 フランス軍で通信兵となったアベルは伝書鳩の管理をまかされていたが、脳天気に食事とワインを楽しむ大尉ともども、電撃侵攻してきたドイツ軍の捕虜となってしまう。アベルは大事に鳩を持ち込み、収容所内で鳩を飼育する。収容所は比較的管理の杜撰な所であり、アベルは監視の目を盗んでは無人の山小屋へ抜け出していた。その山小屋で目の見えない老ヘラジカと出会う。また、山小屋で収容所所長のドイツ軍大佐とも遭遇するが、見逃してくれる。 収容所では脳天気な大尉が鳩を食べてしまう。気落ちしたアベルだったが、ドイツ軍大佐から呼び出しをうけ、ゲーリング元帥の狩猟用山荘の助手に抜擢される。山荘では雑務のほか、狩猟の助手を務めることとなり、次第にドイツ兵やゲーリングの信頼が厚くなってくる。ゲーリングは盲目の老ヘラジカを撃ちたがったが、大佐がそれをなんとか止めていた。しかし、自分の城を幼年士官学校として使わせているカルテンボーン伯爵がヘラジカを撃ってしまう。カルテンボーン伯爵はナチスドイツにやり方に不満を持っていたのだ。怒り狂ったゲーリングは大佐とカルテンボーンを前線に送ってやると言い放つが、その時スターリングラードから手紙が届く。ドイツ軍が劣勢に陥り、ゲーリングも大佐も皆東部戦線に駆り出されることになったのだ。 残されたアベルはカルテンボーン伯爵の幼年士官学校で働かせてくれるように頼む。子供が好きなアベルにとっては楽しい場所であったのだ。城には200人の少年がおり、すぐにアベルは人気者となる。ある日、湖で旅をする少年たちの一団を発見し、城に連れてくる。軍医で遺伝学教授のプレトヒェンは連れてきた少年の骨格等からアーリア人優性遺伝を認め、アベルの勧誘を高く評価する。実は、幼年学校は地元の母親たちには不評であり、なかなか生徒が集まらなかったのだ。アベルは意気揚々と少年たちの勧誘のために村々を回る。アーリア人優性主義者の軍医は北欧系以外の少年はいらないと言うが、他の教官は誰でもいいとして入学させた。次第に、村々ではアベルのことを「鬼」と呼ぶようになる。 そんな風評にとまどいを覚えながら、アベルはローターというか弱い少年に特に目を配っていた。そのローターはパンツァーファウストの後噴射ガスで大やけどを負って死亡。自分が連れてきた少年の死にアベルは罪の意識を強く感じるようになる。 ヒトラー暗殺未遂事件が起きる。カルテンボーン伯爵は事件の黒幕として逮捕される。さらに、東部戦線の戦況悪化で年長の生徒や教官たちが出征してゆき、学校には数人の軍人と年少の生徒、アベル、食事係の婦人だけが残される。ソヴィエト軍の接近を知り、軍医のプレトヘェンはアベルの馬を使って逃亡していく。しかし、避難する住民たちの車列の中で軍医は事故死する。また、ソヴィエト軍に解放されたという、かつての収容所にいたフランス人捕虜とも出会うが、子供たちのことが心配なアベルは一緒に行くことはできない。さらに、その帰り道で弱り切ったユダヤ人の少年エフライムを拾う。学校に戻ったアベルはエフライムを匿って介抱しながら、幼年学校の生徒らに逃げるよう諭す。アベルの言うことを聞こうとする少年も多かったが、一部の少年が徹底抗戦すべきだと言いだし、それまでに洗脳されたナチスの絶対信奉のために城に立てこもることとなる。 いよいよソヴィエト軍が城を包囲する。戦車など圧倒的な兵力のソビエト軍の前に倒れていく少年兵たち。その哀れな姿を横目にアベルはエフライムを連れて城を脱出する。肩に少年を乗せて湖沼を渡るアベルは、ユダヤ人少年を救うことでこれまでの罪を贖罪していると感じるのだった。 DVD検索「魔王」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年06月09日
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2005 アルゼンチン・スペイン 監督:トリスタン・バウアー 出演者:ガストン・パウルス、パブロ・リバ、ヴィルジニア・イノセンティほか 100分 カラー アルゼンチン製作のシリアス戦争系ヒューマンドラマ。本作の題材となっているのは、フォークランド戦争、フォークランド紛争とも言い、アルゼンチン側ではマルビナス戦争と呼んでいる、1982年に勃発したアルゼンチンとイギリスの戦争である。アルゼンチンの東側海上に位置するフォークランド(マルビナス)諸島の所有権を巡る争いから始まった戦争であったが、当時のアルゼンチン軍事独裁ガルチェリ大統領の独善さと、イギリスサッチャー首相の国内事情の問題から泥沼化していく。サッカーでも有名なアルゼンチンが、近年戦争をしていたことを知らない若者も多いのではないだろうか。 約2ヶ月間の戦争で、英軍の死者は256名、負傷者777名、損失機18機、損失艦艇7隻、アルゼンチン側は死者746名、負傷者1,336名、損失機 83機、損失艦艇は巡洋艦1隻を出している。実戦経験と近代装備に勝る英軍にしては、想像以上の損害である。イギリス軍が本国から遠く離れていたこと、西側の装備を整えていたアルゼンチン軍をなめていたこと、などが要因としてあげられている。アルゼンチン軍の使用航空機としては、シュペルエタンダール攻撃機、A-4スカイホーク攻撃機、ダガー戦闘機が英軍艦艇への攻撃に果敢に出撃している。この結果、駆逐艦シエフイールド、コヴェントリーをはじめ、フリゲート艦アーデント、アンテロープなど計7隻が沈められている。また、このフォークランド紛争では両軍共に空対艦ミサイルエグゾゼなど西側製兵器が多量に投入されるなど、西側国同士の近代戦という新しい局面を示した。さらに、英軍はチャーチル級原子力潜水艦「コンカラー」を実戦投入し、アルゼンチン海軍巡洋艦を撃沈する成果を上げた。短い戦闘期間ではあったが、近代戦にしては多くの死傷者を出し、兵器運用等の面でも大きな課題と研究材料となった。 撮影はアルゼンチン、フォークランド諸島そのもので行っており、アルゼンチン軍兵士を用いたリアル感あふれる映像となっている。凍結した表土やひもじい食糧事情など、アルゼンチン側でしか表現できない秀逸なものとなっている。ただ、戦闘シーンは音声や射撃シーンともにそれなりにリアルな箇所もあるのだが、メインとなる英軍との上陸攻防戦シーンが夜間映像でほとんど内容がわからないうえに、アルゼンチン軍の最大の活躍の場である航空機による英軍艦艇攻撃シーンが全くないなど、フォークランド紛争全体を描いたものとはなっていないのが残念。 その分、本作が力を入れているのが兵士の厭戦感や戦後の後遺症などであり、ヒューマンドラマの基幹ををなしている。唐突に戦場に駆り出された若者の苦悩、孤独が鮮明に描き出されている。ベトナム戦争でも帰還兵の後遺症と世間の冷たい目というものが問題となっているが、この短いフォークランド紛争に於いても同様なことが起こっていたとは驚きである。兵士役の演技等に特筆すべきものはないが、むしろその自然で木訥な演技から、アルゼンチンにおけるフォークランド紛争に対する視点というものが如実に伝わってくる。フォークランド紛争に冠する映画が戦後 20年以上経過してようやく作られたということは、アルゼンチンの暗部がようやく認められようとしてきたということなのであろう。 全体としてややアルゼンチンの感傷に浸った雰囲気が強く、ちょっと過剰な演出と間延びした印象があるが、アルゼンチン軍事政権への批判や歴史的見直しとしての位置づけが明確となっている。エンディングに流れるフォーク調のテーマ曲は、まさに反戦音楽そのものであり、アルゼンチン版長渕といったところか。なお、戦闘中に手の空いた兵士がおもむろにサッカーを始めるのはさすが国民性だ。 登場する兵器としては、銃器以外には特にめぼしいものはない。一部アルゼンチン軍を爆撃する英軍のハリアーが写るが、合成かCGぽい。このほか、記録映像として英軍艦艇(駆逐艦、フリゲート艦)、空母から発艦するハリアーのほか、地上で破壊されたアルゼンチン軍のFMA IA58プカラ攻撃機が映っている。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 2001年12月、アルゼンチンのブエノスアイレス。街頭では反政府デモが行われていた。アルゼンチン軍の元兵士バルガスが服毒自殺を図り、妻マルタが泣き崩れるが、そこに旧戦友のエステバンが訪れる。これまでに自殺を図ったマルビナス戦争の帰還兵は290人を越え、マルビナス島での戦死者の数に匹敵したいた(ママ)。危篤状態のバルガスを前にエステバンはマルビナス島での戦いに思いを馳せる。 1982年4月、第4航空旅団に所属していたエステバンはコモドロからマルビナス島に派遣される。アルゼンチン大統領は世界とアメリカに力を示してやる、と威勢を張り、マルビナス島ではイギリス軍と一触即発の状態となっていた。 5月になり、マルビナス島はイギリス軍の上陸作戦に備え、寒さと食糧不足の中、塹壕を構築して待ちかまえていた。エステバンとバルガス、ホアン・チャモロは迫り来る恐怖に怯え、上官の暴力を受けながらも、食糧難を補うために島にいる羊を捕獲して食べていた。そのことが軍曹にばれ、バルガスは隊長のジルバール大尉のもとに連行され、処罰を受ける。イギリス軍の艦砲射撃は激しさを増し、大尉の命令により、目を付けられていた3人は最前線に荷物を運ぶ任務を命じられる。イギリス軍が上陸した最前線では激しい戦闘が繰り広げられ、アルゼンチン軍は退却を余儀なくされる。その過程でホアンが撃たれて戦死。初めて戦友の死を目の当たりにしたエステバンは放心状態となる。バルガスは足を負傷したが、退却の途中でエステバンとはぐれてしまう。エステバンは軍曹から大尉の荷物を運ぶよう命じられるが、自分のカセットデッキを運ばせようとする大尉の身勝手さに命令を無視する。 エステバンはさらに市街地へ後退する途中でバルガスを発見し、医療所へ連れて行く。バルガスは一命は取り留めたものの足を切断されてしまう。後退した集合場所では兵士たちがサッカーを始める。そこに、将軍がやってきてマルビナス島全域の停戦を知らせる。「諸君はよくやった。祖国のために。」と話す将軍に、エステバンは無意味で無謀な戦争に疑問を感じるのだった。アルゼンチン軍パイロットは英国艦船への攻撃を果敢に試みたが、士官の無計画さと兵士への暴力行為が敗北に導いたのだ。本国では出征時と異なり、冷たく歓迎されなかった。待っていたのは母だけだった。 危篤状態のバルガスが死亡する。エステバンは再びマルビナス島へ赴く。未だイギリス領となっている現状であり、多くの地雷が埋まったまま立ち入り禁止の場所も多い。エステバンはホアンやバルガスと籠もっていた塹壕を発見し、そこでホアンの時計と家族の写真を発見する。ホアンの墓の前でエステバンはむせび泣くのであった。 DVD検索「ステイト・オブ・ウォー」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月29日
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1981 ソビエト 監督:ユーリ・ポレッツキ 出演者:アレクサンドル・ヤコヴレフ、ニコライ・グリンコほか 71分 カラー 今は独立国家となっているベラルーシは第二次世界大戦時はソビエト連邦の一国家として属しており、1941年から1944年まではドイツ軍の侵攻により支配下となっていた。本作はそのドイツ軍支配下のベラルーシを舞台に、ベラルーシの孤児院の教師と子供達が戦火に巻き込まれていく物語である。 日本語表題はいかにも激しい戦闘を予期させるが、実際には孤児院を巡るドイツ軍と白ロシアレジスタンスの陰謀と駆け引きというサスペンスドラマ。序盤や終盤にはヒューマンドラマ系かなと思わせるシーンもあるのだが、人物描写がかなり浅いのでヒューマンドラマとしては成り立っていない感じ。サスペンスとしては、一応若干の謎解きや伏線のようなものも描かれてはいるが、ひねりが少なくすぐにネタバレしてしまうのが難点。陰謀と駆け引きというにはちょっとお粗末。しかも、キーとなる人物の設定が今ひとつ明瞭でなく、性格付けの描写が浅いために面白みという点に欠ける。 本作は1981年制作ということで、ソビエトではソビエト芸術記録映画から大衆娯楽映画への転換期にあたる。サスペンス調にしたり、冒頭の鹿狩り映像と孤児院攻撃作戦「ディア・ハント」と掛けてみたり、ハリウッド的な娯楽性を打ち出そうと模索している感がある(ちなみに、有名なアメリカ映画「ディア・ハンター」は1978年作品)。しかし、その一方で自然や光を利用した芸術的カットや子供などの弱者を用いて情を訴える手法など、前代的なソビエト芸術記録映画の名残も見られる。また、フィルムは退色が著しい安物のカラーフィルムを使用している。 音楽は前衛的なのだが、サスペンスドラマのようにも感じ、かなりミスマッチ。 登場人物がやや大目で、しかもドイツ国防軍、ドイツSS武装親衛隊、ソビエト軍、レジスタンス、ソビエト秘密警察など多様な機関が出てくるが、説明がほとんどなされないので、ストーリーについていくのが大変。その上サスペンス的な展開になるので、味方なのか敵なのかわからなくなることも。名前をしっかり覚えておきながら視聴することをお勧めする。 登場する兵器類としては、ドイツ軍車両役として、多数のサイドカー、軽車両、トラックが出てくる。型についてはよくわからないが、ソビエト軍の保有車両だろうと思われる。唯一の航空機としてはAn-2COLT輸送機が出てくる。きちんと尾翼にはドイツ軍マークが描かれている。 全体としては、完成度があまり高い作品とは言えないし、ベラルーシを題材にした歴史モノとしても掘り込みが浅い。ただ、両軍の間で放浪する孤児達の哀れな姿がとても印象的であり、サスペンスものという視点を捨て去って、無理にヒューマンドラマとして見るならば・・・・、どうなんだろう。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年春、ドイツ支配下のベラルーシ。ドゥビナ孤児院の院長ダシケヴィッチと子供達は、冬の間に世話になった村を出て、ドイツ軍支配下となっている孤児院に向かって歩を進める。橋にある検問所にさしかかり、ダシケヴィッチは通行許可を請うが、良い返事は貰えない。そこに、ドイツ軍大佐と部下のロガス一行が通りかかり、ある策略を持つ大佐は孤児院の通行を許可する。その際に車列と並行させて孤児達を歩かせることにより、橋の爆破を狙っていたソビエトパルチザンの計画は失敗に終わる。 大佐は、ロガスに孤児院に先回りさせ、備蓄してあった食糧等を没収させる。孤児達は貧しい生活を余儀なくされる。実は大佐は、孤児院がソビエト秘密警察の議長ジェルジンスキーによって立てられたことを知っており、ソビエト軍が孤児達を見捨てるはずがないと踏んでおり、ソビエト軍をおびき寄せるための囮に使おうという魂胆なのだ。前線指揮官のマイゼンカンフSS大尉は、司令部から孤児院砲撃の命令を受けていたが、大佐はそれを認めずに、ソビエト軍をおびき出す「鹿狩り」作戦を命じる。マイゼンカンフSS大尉の部隊は孤児院の周辺を包囲し、孤児院にスパイを送り込む。 孤児院には大人は、ダシケヴィッチのほかに音楽実習教師のオリガがいるだけだった。ソヴィエトパルチザンのトルブニコフらは密かに食料等の調達を手助けする。そこに、役人のドゥジンという男がドイツ語教師のゴロヴィンという男を連れてくる。いかにも怪しげな男だが人手の欲しいダシケヴィッチは受け入れる。さらに、収容所から逃げ出してきたという、足の悪いソビエト軍中尉ストウロフが美術教師として加わることとなる。 大佐の司令部にドイツ軍大将が視察に訪れるが、その際にパルチザンによる爆破事件が起きる。現場から去っていった足の悪い男が怪しいと目される。その後、大佐のもとに教師と呼ばれる男がひとりやってきて、大佐は「任務はうまくいったか、私以外を信用するな」と命じる。さらに、ドイツ軍車列が橋で爆破され、いよいよドイツ軍も強硬手段に訴える必要が出てくる。大佐はダシケヴィッチに子供を2人づつ処刑すると警告。これによりソビエトパルチザンをおびき出そうとする。最初に2名を連れ出して森で処刑しようとするが、すんでの所でパルチザンによって助けられる。これによりパルチザンが動くことが判明したため、次回は確実に待ち伏せを実施することとする。一方、孤児院側も危険を察知し、21時にパルチザンの手引きにより安全地域へ脱出を図ることとする。 大佐は機密書類を載せ輸送機を飛ばすが、墜落。機密書類は焼失したかと思われたが、実はソビエト軍によって捕獲されていた。大佐の所へ、その機密書類の写しを持ってドイツ語教師コロヴィンがやってくる。コロヴィンは実はソビエト秘密警察で、機密書類をちらつかせて孤児院の脱出を黙認するよう命じる。やむなく大佐はこれに応じ、孤児院への総攻撃を翌日の21時に設定する。しかし、その頃SS大尉に美術教師のストウロフがスパイ容疑で捕まっていた。実は彼こそが大佐の諜報員であり、SS大尉は孤児院の脱出が今日の21時だと知る。SS大尉は大佐の命令を無視して孤児院攻撃準備に取りかかる。 孤児院では移動の準備を進め、21時前に孤児院を脱出。孤児院には数名のパルチザンが居残ることとなる。SS大尉は21時になり孤児院の攻撃に取りかかる。激しい銃撃戦が続き、少数のパルチザンも一人を残して全員戦死。その一人も最後の最後でSS大尉とロガスと相討ちして果てる。 孤児達は無事ドイツ軍支配地を脱出することができた。 DVD検索「ベラルーシ侵攻1942」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月26日
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6月からスカパー!の360(スーパードラマチャンネル)で名作「U・ボート」の完全版が6週にわたって放送されるそうです。 U・ボートは1981年ドイツ製作で、息もつかせぬ緊迫したUボート艦内の映像が素晴らしいわけですが、もとはテレビドラマとして製作されたものらしいです。それを劇場用に再編集したものが映画として出回ったのですが、日本のテレビ放送では135分に縮小されていました。 近年はデジタルリマスターされたDVD版が発売され、ディレクターズカット版では209分となっています。このほか、完全版と呼ばれる313分ものもあり、これがテレビ放送版のようです。劇場上映に遅れて1985年に放送されたそうです。U・ボート パーフェクト・コレクション もちろん、DVDになっているので購入してもいいんですが、テレビドラマ版の雰囲気を味わうために録画しようと思っています。 ちなみに、360chはケーブルテレビでも結構入っています。6月3日(日)午後11時から毎週、6回にわたって放送されます。
2007年05月24日
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2006 アメリカ 監督:ジェームズ・ドッドソン 出演者:ニコラス・ゴンザレス、ピーター・コヨーテ、キース・デヴィッドほか 96分 カラー ボスニア紛争を題材にしたヒット作「エネミー・ライン(2002米)」の続編?という位置づけのようだが、本作は舞台が北朝鮮となり、主役は米海軍特殊部隊SEALS(シールズ)となっている。近年北朝鮮の核保有が問題となっているが、本作はその北朝鮮が保有した核弾頭を大陸間弾道ミサイル(ICBM)に装着したことから始まり、抑止措置としてアメリカが秘密裏にミサイルを破壊するというミッションを描いたものである。もちろん、フィクションだがアメリカ政府(大統領)と軍部の駆け引き、アメリカと韓国の駆け引き、そして SEALS隊員のハプニング満載のミッションが見所となっている。 前作も、アクションシーンが見所だったので、それを期待したのだが、残念ながら期待はずれ。それよりも、やたら細かくカットしたシーンのぶつ切り編集や、やけにコマ落とししたストップモーション映像、モノクロ調に減色した映像は見ていて鬱陶しい。これが、一部のシーンならいいのだが、ほぼ全編にわたってやられると、 臨場感というよりはダイジェスト版を見せられているようで、映画全体にメリハリを感じず、チープさが目立つ。映像をじっくりと見ることが出来ないので、映画に感情移入もしにくいし、何が起こっているのかすら判別できないことも。特に、せっかくの戦闘シーンは、揺れ動くカメラワークに、めまぐるしく変わるカットで滅茶苦茶。政治的な駆け引きシーンも、会話等の内容が子供だましで、緊迫感を感じない。大統領の考えていることが理解できないこともしばしば。とりあえず、戦争を題材に映画を作ってみましたという程度でしかなく、前作「エネミー・ライン」の続編と言うにはほど遠い出来。日本未公開というのも頷ける。 また、ストーリー構成もチープさが炸裂で、核弾頭搭載の北朝鮮ミサイルを破壊するというなかなか面白い発想にもかかわらず、登場人物の設定や会話、シーンのつなぎが杜撰。登場人物一人一人の名前と所属が紹介されるのは有り難かったが、ストーリーの盛り上がり(クライマックス)設定があるようでなく、一番盛り上がるはずのミッション遂行シーンが急速展開であっけなく過ぎ去ってしまう。さらに、意味不明のオマケシーンに多くの時間を割くというバランスの悪さ。結局、映画のテーマなんてものはなく、何に主眼を置こうとしていたのかが不明。余談だが、北朝鮮伝説の「老人とトラ」映像の挿入も・・・効果は・・・。あと、主人公の大尉は北朝鮮軍の拷問で手に釘を打ち込まれていたが、その後その傷は?・・・・すごい治癒力だ。 唯一、海軍特殊部隊SEALSの訓練風景や、連帯感というものを垣間見ることができたことだけが救い。SEALS教官の鬼曹長が格好いいのと、高度1万mからのパラシュート降下のすさまじさは圧巻。 ところが、結局駄作だったなあなんていうことを思いながら、エンディングを見ていて驚いた。本物のライス国務長官や韓国統一相などの映像と本物のニュース映像が流れていたのだが、その映像は2004年9月9日の北朝鮮キノコ雲事件 (私のBLOG記事)ではないか。当時、北朝鮮の核実験事故だの、ミサイル事故だのと騒がれて、結局北朝鮮は水力発電所の発破だったという発表をし、韓国統一相は爆発自体がなく自然の雲だと言い放った、アノ事件である。そう、この映画はアノ事件をネタに、実はあのキノコ雲は米海軍SEALSと韓国特殊部隊の核ミサイル爆破ミッションだったというオチを付けていたのだ。最後の最後で妙に納得してしまった。なんだ、面白い設定じゃないか、それを先に言え(爆)。 本作のロケはブルガリア。北朝鮮軍の兵器として登場するものに、BTR-80装甲兵員輸送車とT-55AM戦車が一台づつ。ブルガリア軍のものを利用しているようだ。T-55AMは簡易複合装甲がついたもので、実際に動いている。航空機ではB-2爆撃機が登場するがCG。パラシュート降下シーンもCGだったが、あんまり出来は良くない。いずれにしても、このあたりにはさほど金はかけていないようだ。 SEALSの軍装はよくわからないが、大尉を隊長に少尉、特務曹長、下級准尉、二等軍曹といった兵士が登場する。北朝鮮軍の軍装は良くできているようで、上佐や中尉?が登場する。韓国軍は第121特殊部隊というゲリラ隊が登場している。 映画としてのバランスはよろしくないのだが、エンディングを見た時点でちょっと評価が上がったかも(笑)。北朝鮮の金さんは大の映画好きのようだが、本作もどこかから入手するのだろうか。これをみてどう思うのだろうか。気になる所である。 興奮度★★ 沈痛度★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1994年4月、北朝鮮(DPKA)は核兵器不拡散条約(NPT)から脱退し、核兵器の製造を公然と開始する。時の米大統領クリントンは、寧辺の核ミサイル基地の攻撃を計画するも、前大統領カーターの私人としての平壌入りで、一触即発の事態を回避する。 時は進み、ミズーリ州のアメリカ地球空間情報局で、北朝鮮の核ミサイル準備を探知する。マニング大統領、アーミテージCIA長官、ノーマン・ヴァンス統合参謀本部議長、ダンビー首相補佐官、ブリヤード国務長官らが集まり、その対策に追われる。 ヴァンス議長は先制攻撃で核ミサイル基地を空爆することを提案するが、大統領は北朝鮮の報復により韓国が戦場になる事を怖れていた。しかし、北朝鮮の場合、外交の余地はなく、大統領はついに沖縄のB-2爆撃機、鎮海のF-117の準備を決断する。そこに、韓国鎮海に駐留する海軍マッキー司令官から、民間航空機に乗って海軍特殊部隊SEALSを潜入させ、極秘裏にミサイルを事故に見せかけて爆破する「スウィフト・レージ作戦」の意見具申があった。海軍大将らの推挙もあり、大統領はこの作戦にGOサインを出す。 すぐさま、鎮海に駐留する、ロバート・ボビー・ジェームス大尉を隊長にバーンズ少尉、ローレンス・メイデロス下級准尉、キャラハン特務曹長、ショルタイス二等軍曹らSEALSが出動する。民間航空機に搭乗したSEALESは、北朝鮮上空に至り、まずショルタイス二等軍曹、メイデロス下級准尉が落下傘降下する。しかし、この時、米軍の合成開口レーダー(SAR)によって北朝鮮の嶺底里(ヨンジョリ)基地で核物質を検出し、燃料が注入されていることが判明。核が搭載された3弾式ICBMが発射されれば30分でアメリカに到達することが予期されたため、急遽SEALSの作戦は中止し、空爆に切り替えられた。 しかし、SEALSの二名はすでに降下し、ジェームス大尉も足を滑らせて落下。キャラハン特務曹長もまたバーンズ少尉の制止を振り切って降下する。 降下した四名は救出が行われるまでの間、嶺底里(ヨンジョリ)基地に接近し、空爆の成果確認をすることにする。しかし、地図にない村で北朝鮮人少年に発見され、北朝鮮正規軍との銃撃戦となってしまう。この銃撃戦でショルタイスとメイデロスが戦死。キャラハン特務曹長も目を負傷し、ジェームス大尉とともに捕虜となる。その様子を韓国軍第121特殊部隊の隊員がカメラに収める。その報を受け、韓国のリー大使は、アメリカ大統領に韓国に内緒で作戦を行おうとしたことにクレームをつける。そのため、空爆も一時中止となる。 北朝鮮軍の将校(中尉?)は功を焦り、ジェームス大尉の手を釘で撃ちつけるなど厳しい拷問をする。そこに上佐が現れ、ジェームス大尉の拷問を止める。上佐は亡命支援組織のメンバーであり、金正日の体制に不満を持っていた。ジェームス大尉らSEALSの潜入を金正日が知れば、自国軍を過大評価した金正日は戦争を仕掛けるだろう、この件は自分で処理するのでここで死んでくれと言う。上佐は、アメリカ映画「タクシー・ドライバー」を模した車をジェームス大尉に見せ、キャラハン特務曹長を射殺しようとした瞬間、韓国特殊部隊が窮地を救う。 韓国特殊部隊に救出されたジェームス大尉は、無線で韓国軍と共同でミサイル基地の破壊工作を行う「聖夜作戦」を進言。大統領も韓国もこれに同意する。 ミサイル基地に接近したジェームス大尉らは崖側から基地に潜入し、爆薬を装着する。基地で労働させられている政治囚人らの解放も目論むが、北朝鮮軍に見つかってしまう。その窮地を救ったのは、再びあの北朝鮮軍上佐だった。その頃、無線の壊れたジェームス大尉から連絡がないため、大統領は聖夜作戦が失敗したと判断し、沖縄基地のB-2爆撃機を発進させる。 上佐に窮地を救われたジェームス大尉らだったが、北朝鮮軍との銃撃戦で、韓国軍特殊部隊は指揮官のチャン大佐以外は全員戦死。ジェームス大尉とチャン大佐は奪った車でなんとか基地を脱出する。基地を出ると同時に仕掛けた爆薬が爆発。衛星画面で爆発を認めた大統領は空爆作戦を中止させる。 ジェームス大尉らは救出されて帰国。ノーマン議長は解任され、ジェームス大尉は大統領から褒賞を受ける。一方キャラハン特務曹長は上官暴行、命令違反の罪で懲役10年の刑を言い渡されるが、大統領の計らいで賞罰相殺となる。 DVD検索「エネミー・ライン2」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月21日
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1974 アメリカ・カナダ 監督:ドン・エドマンズ 製作:ハーマン・トレーガー出演者:ダイアン・ソーン、グレッグ・ノフ、シャロン・ケリー、トニー・マロモ、マリア・マークスほか90分 カラー 題名からして想像が付くが、ナチの収容所を舞台にしたエロス映画。後の「イルザ シベリア女収容所 悪魔のリンチ集団」「イルザ アラブ女地獄 悪魔のハーレム」と併せてイルザ三部作と呼ばれるが、その第1弾となる。このナチ女収容所は日本でも公開されており、知る人ぞ知るマニア映画でもある。戦争映画マニアとしては、一応チェックしておかねばならない題材なのであった(笑)。今回、ヘア解禁リマスター版として発売されたものを視聴。デジタルリマスターされた映像はかなり鮮明となっていた。アンダーヘアーは解禁されているが、男の珍などはボカシあり。 本作は、爆乳のナチ収容所長をはじめ女看守、女囚人と裸、裸のオンラッシュ。だが、無駄に裸になっているだけで、エロスとかセクシーとかいった感情は沸いてこない。むしろ、本作は人間の性や肉体を題材にした残酷ショック物語であると言って良い。男性器を切り取ったり、女性器に異物挿入、はたまた各種拷問など人間の出来うる極限を映像化している。かなりの衝撃度なので、トラウマを危惧する人は見ない方が良い。この手を喜ぶのはSMマニアか、グロマニアといった所か。 とはいえ、本作が残酷マニアのためだけに作られたというわけではなさそうである。映画の冒頭に製作者のハーマン・トレーガーのコメントとして、本作が「事実をもとに制作された・・・」と出てくるように、製作者側としてはドキュメンタリー素材として、ナチスドイツの生体実験という悪行を告発しようと言う意図もあったようだ。ただし、「事実をもとに」というのが果たしてどこまでが事実なのかはかなり怪しい。「登場人物や設定は架空で、ナチスドイツの悪行を凝縮したもの」とも言っており、総体としてナチスが囚人の男女に、病原菌実験やアーリア人優性実験のため生体実験を行っていたという事実をもとに、女所長イルザ(医師)はドイツ収容所に実在した恐怖の女SS上級主任「Irma Grese」や人体実験女医「 Dr. Herta Oberheuser」といったあたりを元ネタにしているような気がする。登場する生体実験の内容も多くは聞いたことのある内容ではある。 さて、爆乳所長役のダイアン・ソーンはこの時すでに42歳。顔の皺の割に張りのある肌と爆乳は実に見事。最近日本でも巨乳アイドルが、自分の顔は乳だと言っているが、まさにその通り。所長と言う権限で男女の囚人にやりたい放題なわけだが、騎乗位で性をむさぼり食う姿に、巨乳は暴力だとしみじみ感じた(笑)。このほか、看守役や女囚人役がそれぞれ様々な裸を披露してくれる。男囚人で強精のアメリカ人役も登場するが、こちらの性表現は大人しめ。女を裸にして酷い拷問シーンは多く出るが、男女のSEXシーンは意外に少ない。 ストーリーは意外にもしっかりしている。あれだけ、無駄なヌードシーンや、極悪の生体実験を入れている割に、きちんと物語が進んでおり、第二次世界大戦時の戦争を背景にした映画であることを思い出せてくれる。もちろん、深みのあるものではないが、オチまでしっかりと作られているのが好感。本作のジャンルは果たして何だったのだろうと悩ませるぐらいまともだったりする。 登場する兵器としては、ドイツ軍のグレー塗装されたキューベルワーゲンと装甲車。装甲車はM8グレイハウンドがほぼ原型のままドイツ軍マークを記入して登場する。アメリカ撮影ということでそれも納得。 全体として、思ったほどふざけた内容でもなく、かといって真面目な内容とも言えず微妙な位置づけ。ただ、残酷ショッキングであることだけは間違いない。本作が誰を対象にした映画なのか、どこに向かおうとしているのかがわからない。エロスを求めるのならばちょっと違うし、戦記モノとしても違う。残虐グロが一番近いのだろうが、それにしてもちょっと中途半端。果たして誰が評価するんだろう。爆乳所長 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ドイツの第9医療収容所の女所長イルザ(医師)は、囚人の男女に非道な生体実験を行うことで畏れられている。男囚人はイルザの夜の慰み者として呼ばれるが、イカすことができない者は一晩限りで生殖器を切り落とされてしまう。切られた生殖器はイルザの信奉するベルリンのバウム博士のもとに送られ、劣勢民族は体の一部で証明できるという学説の証明に用いられた。 収容所に新たに女囚人たちが送られてきた。その中にはロゼッタ、アンナらがおり、気丈なアンナは早くもイルザ所長の目にとまる。身体検査に抵抗した女囚人は早くも人体実験の餌食となる。イルザは、命じられた梅毒やチフス、狂犬病の菌を植え付けるなどの病原菌生体実験のほかに、個人的医学実験を行っており、それは女の方が男よりも激痛耐性があるという証明だった。イルザは女囚人に激しい痛みをかけていく。 収容所に男の囚人もやってくる。その中にはアメリカ人のウルフもいた。ウルフは仲間のマリオからイルザに夜に呼ばれて去勢されなかったものはいないと教えられるが、ウルフはバウム博士の論理をくつがえしてやると言い、イルザに呼ばれた晩にイルザをイカせてしまう。ウルフは屈強な強精者であり、イルザは次第にウルフに溺れていく。 一方、ロゼッタら女囚人らは、電気バイブを女性器に突っ込まれるなど厳しい検査が始まっており、他にも深度6000mの気圧をかけた部屋や温度82度の熱湯風呂に浸けたりという命を落とす実験も頻繁に行われるなど、命が長くない事を悟り、マリオら男子囚人らと共謀して収容所脱走を計画する。決行日はドイツ軍のワルデック将軍が訪問した翌朝と言うことに決まる。しかし、アンナが所長に捕まってしまい、アンナは激痛を伴う生体実験にかけられる。それでもアンナは悲鳴を上げずに耐え抜く。 ワルデック将軍はウジ虫につけた新型チフス菌やガス壊疽などの実験を視察した後、晩餐会に招かれる。そこには裸で天井から首に縄をかけられた女囚人が見せ物とされており、足下の氷の上に立っていた。宴の途中で氷から足を滑らせた囚人は首を吊る。イルザは最後にワルデック将軍への贈り物として自らの肉体を提供しようとする。しかし、将軍はイルザをブロンドの女神と崇め、小便を顔にかけてもらうことを懇願する。 翌朝、暴動を決起。所長イルザはウルフによって手足を縛られて監禁。男女の囚人らはナイフや奪った銃で看守達を倒していく。ついに、収容所を制圧し、ウルフとロゼッタは脱走する。しかし、残りの囚人たちは脱走せずに復讐する事を選択。女囚人らは女看守や医師を射殺する。イルザのもとへは瀕死のアンナが向かい、ナイフで殺そうとするが直前で倒れる。 収容所にドイツ軍の救援部隊が到着。男女の囚人達はみな殺される。イルザの元にドイツ軍の伍長が入ってくる。手足の縄をほどくかと思われたが、イルザを射殺する。伍長は将軍に「第9収容所は消滅しました。連合軍に知られる心配はありません」と報告するのだった。 DVD検索「ナチ女収容所」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月19日
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1953 東宝 監督:本多猪四郎 特撮監督:円谷英二 脚本:橋本忍 出演者:大河内伝次郎、柳永二郎、二本柳寛、高田稔ほか 119分 モノクロ 山本五十六海軍大将の半生記と日本海軍史が合わさったような歴史劇。山本五十六連合艦隊長官を題材にした映画は多く、「軍神山本元帥と連合艦隊(1956新東宝)」「連合艦隊司令長官山本五十六(1968東宝)」「連合艦隊(1981東宝)」が有名である。これらの中では出来の悪い部類に入ってしまうが、1953年製作で最も早くこの題材を取り上げたという点では評価できる。 日米開戦前夜から真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦、ラバウル、山本長官機撃墜といった一連の史実が描かれているが、かかっている時間の割にそれぞれのエピソードがかなりさくっと流されており、ストーリー構成に難がある。山本長官のエピソードも練り具合が甘く、それに対応する映像も今ひとつ。記録映画なのか、物語なのか中途半端な印象で、後半になっていきなり時間経過が早くなっていくのも稚拙なイメージ。大河内演じる山本五十六像だけは、独特のオーラが出ていて良かったが。 このほか、本作で注目すべきは円谷特撮だろう。真珠湾攻撃の際の攻撃機の谷間通過シーンや米艦船攻撃シーンは、あの有名な「ハワイ・マレー沖海戦(1942 東宝)」の使い回しだが、その後のミッドウェイ海戦、ブーゲンビル島上空の長官機撃墜シーンは新たに制作されたもので、特にミッドウェイ海戦での空母発艦、空母爆発、格納庫爆発シーンが見物。これに用いられた空母は実際の砂利運搬船を改造したものらしい。空母上の艦載機は実物大模型も作られており、九七式艦攻がメイン。だが、やはり1942年のハワイ・マレー沖海戦の時の映像に比べると格落ちの感はあるが。 他映画から流用では、冒頭の海軍航空隊訓練シーンで登場する九〇式初歩練習機は「ツチ601」のマーキングで、「決戦の大空へ(1943 東宝)」から。真珠湾攻撃で発艦する実映像の零戦は「AI-158」「AI-108」などで「ハワイ・マレー沖海戦(1942 東宝)」と同じもの。真珠湾攻撃での米軍格納庫爆破シーンや、空戦シーンは「加藤隼戦闘隊(1944 東宝)」からの流用。 円谷特撮以外の戦闘シーンは米極東空軍司令部(当時)から借用した記録映像で、米軍撮影のものと日本軍から接収したものが用いられている。だが、物語の内容とはほぼ一致しておらず、使えるものは使ってしまえという姿勢は「ミッドウェイ(1976米)」とも似たところがある。例えば、海軍航空隊の訓練なのに飛んでいる戦闘機は陸軍第64戦隊の「隼」。これらのいくつかは「加藤隼戦闘隊(1944 東宝)」からの流用シーンでもあると思われるが、その後も海軍ラバウル基地や空母シーンで、隼、九七式重爆など陸軍機が何度も登場してくる。ひどいのはミッドウェー海戦で、ミッドウェー島攻撃に向かう航空機が九六式陸攻。そんなのが艦載されていたというのか・・・。米軍機はF6FやP38ライトニングなどの実機映像が出てくる。ラバウル航空戦やブーゲンビル上空での長官機空戦シーンはミニチュア特撮と記録映像の合体だが、ここで出てくる記録映像は米軍ガンカメラと地上からの撮影によるもので、なかなか良い。 全体としては、歴史的事実にしても、山本五十六物語にしても、今更見るべきものではないと言ったものだし、円谷特撮にしてもちょっと資金不足でしたという雰囲気が強い。日本映画史の中では貴重な一本と言えるだろうが・・・。 興奮度★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 海軍中将山本五十六は米内海軍大臣のもと次官と航空本部長を兼任していた。陸軍や右翼の日独伊三国同盟締結の圧力に対抗し、物量、工業力に富むアメリカとの開戦をなんとか回避しようと工作を続ける。しかし、支那事変の急変、独ソ不可侵条約の締結、ドイツのポーランド侵攻など、世界的な情勢の変化に、近衛、平沼、阿部内閣ののちに総理大臣となった米内内閣は倒閣し、第二次近衛内閣のもと日独伊三国同盟が締結される。さらに、東条内閣となり1941年12月8日、海軍連合艦隊長官となった山本五十六の意に反し、日米開戦となってしまう。 山本五十六大将は、アメリカとの開戦に絶対反対であったが、やむなく開戦の場合には先制攻撃によってのみ1年間の日本軍優位に自信をもっていた。それが、真珠湾攻撃作戦であり、日本海軍の主力空母によって、1941年12月8日、ハワイ真珠湾を奇襲する。 真珠湾奇襲の大成功に国民は大いに沸くが、その後密かに日本沿岸に接近したアメリカ軍ドゥーリットル爆撃隊により本土空襲を受け、アメリカ海軍空母の壊滅が必須と認識に至る。 山本五十六長官は、アメリカ機動部隊を壊滅に追い込むため、ミッドウェイ作戦を計画。ミッドウェイ島の空爆とともに、おびき出した敵空母を戦艦部隊と空母艦載機が叩くというものであったが、アメリカ軍の暗号傍受、日本軍偵察機の無電不備、攻撃に対する判断ミスなどによって、日本軍の主力空母四隻は海の藻屑となってしまう。 さらに、ガダルカナル海戦で打撃をうけた連合艦隊は、戦うべき母艦がなくなった海軍航空隊を、ラバウル基地に上げる。零戦隊や攻撃隊が奮戦するも、圧倒的多数のアメリカ軍航空機によって次第に劣勢となり、山本五十六長官は後方に下がる事となる。その際、全滅を覚悟した残留基地部隊を視察するため、長官は一式陸攻により移動するが、全てアメリカ軍の無電傍受によって筒抜けであった。1943年4月18日、山本長官の乗った一式陸攻はブーゲンビル島上空で、待ち伏せていたアメリカ軍P-38戦闘機によって撃墜される。 DVD検索「太平洋の鷲」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月15日
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2007 東映 監督:新城卓 製作総指揮・脚本:石原慎太郎出演者:岸恵子、窪塚洋介、徳重聡、筒井道隆、伊武雅刀、戸田菜穂ほか135分 カラー 早速初日に見て参りました。初日なのに結構ガラガラなのが気になりましたが、個人的には気分が高揚しておりましたので無問題。予想以上に良い出来でしたが・・・・良かったんですが・・・・終わりの方がちょっと・・・。以下、ネタバレも多少含みますのでご注意を。 東京都知事石原慎太郎氏が製作総指揮・脚本を手がけた、知覧特攻基地の特攻おばさんこと富屋食堂の鳥濱トメさんの回顧録をもとに、陸軍特別攻撃隊を題材にしたヒューマンドラマ。石原氏はトメさんとは旧交が深く、ずっと映画化したいと考えていたそうだが、トメさんの語った逸話の多くはすでに幾多の書籍として公開されている。本作を構成するエピソードの多くもその逸話をモチーフにしており、史実をもとにしたフィクションとなっている。 知覧にはトメさんの尽力により「知覧特攻平和会館」が所在し、知覧から飛び立った436名をあわせて1,035柱が祀られている。会館には多くの隊員の遺品や遺書が展示され、20歳そこそこで散った隊員の想いが涙を誘う。戦後60年以上も経過して、特攻基地でも最も有名とも言える知覧の映画が製作されたことは、石原氏嫌いの私でも感謝せざるを得ない。特攻を題材にした映画はこれまでにも数多く制作されているが、陸軍ものは意外に少ない。戦前の記録映画だが「陸軍特別攻撃隊(1945)」「日本ニュース 第241號(1945 日本映画社)」があるほか、戦後では「あゝ決戦航空隊(1974東映)」がある程度。海軍零戦特攻の影に隠れて今ひとつ知名度が低かったところであり、陸軍の特攻もあったのだということを世に再認識させることが出来たと言える。ちなみに、本作では約5,000万円かけて2機の陸軍一式戦闘機「隼」三型を制作しており、特攻機の中心は一式戦隼として描かれているが、実際には一式戦のほか三式戦飛燕、四式戦疾風といった戦闘機のほか二式双襲撃機、九九式襲撃機、九九式双軽爆、四式重爆、百式重爆といった爆撃機も特攻している。さらに、後期になると機体が足りずに九七式戦闘機、二式高等練習機、九九式高等練習機といった型落ちや練習機での特攻も行われた。 さて、見る前から大方のエピソードがわかっており、感涙物であることは間違いないと踏んでの視聴であったが、間違いなく映画の9分目(2時間程度)までは文句なしのストーリーと映像で95点。エピソードは、史実から人物や場面を改変してあるが、ほぼ実話通りの感動ストーリーに仕上がっていた。ちなみに、三度の出撃でも帰還する妻持ちの田端少尉(筒井)の逸話は川崎少尉、朝鮮人士官の金山少尉(前川)は光山少尉、トメに残りの人生をあげると言いホタルになって帰ってくる河合軍曹(中村)は勝又少尉と宮川軍曹がモデルとなっている。ただ、石原氏の著作とはいえ、人物名や設定を改変するのはかなり疑問で、実名、史実通りの描き方でも十分だったのではないか。。特攻映画は死に直面する心境の表現がクライマックスであり、最も難しいところである。本作は重たくなりすぎない程度にうまく表現できていたと思う。本当の隊員の気持ちなど到底計り知れない所であろうが、死とは何か、決死とはどういうことかを考えさせる契機にはなったであろう。 なお、私が特に涙したシーンをあげると、知覧町民の鶴田(石橋)が特攻機に向かって土下座するシーン、弟の呼びかけに板東少尉(窪塚)が後ろ姿の阿波踊りで答えるシーンだった。これに限らず、わかっていながら涙するシーンは数多い。 映像はややテレビドラマ的な雰囲気のする箇所もあったが、多分これはカット割りが多すぎるため。もっとロングシーンを多用していれば映画らしくなったと思うが、まあ許せる範疇。戦闘シーンは復元した隼と米軍艦艇以外はCGと特撮によるものらしいが、これが実に素晴らしい。空中での飛行シーン、特攻機のコックピットからの視点シーン、そして特攻シーンと、ハリウッドを含む全ての作品中でも最も出来が良いと感じた。特に飛行シーンの微振動や米艦突入シーンは本物と見まがうほど。また、コックピット内からの視点は、これまでにはありえなかった斬新な試み。私個人的にはずっと見てみたかった視点であり、これだけでも十分満足。 役者では、トメさん役の岸恵子、特攻隊員役の窪塚洋介をはじめ、出過ぎず大人しすぎずの演技で、全体にバランスの取れた大人の雰囲気。特に窪塚は多くを喋らせなかったのが良かったのか、背中で演じる名演技。欲を言えば、岸恵子はちょっと女優すぎで、もう少し俗っ気のある役者の方が実感があったのでは。ミスキャストかなと感じたのは中西少尉役の徳重聡と関大尉役の的場浩二で、演技が不自然なのがちょっと残念。特に徳重の方は重要な役割だったので、いくら「21 世紀の裕次郎」とはいえ力不足だったのでは。これでマイナス5点なのだ。なお、田端少尉の恋人役には戸田菜穂だったが、こういう悲壮な薄幸役はまさに適役。でも、はまりすぎていていたたまれなくなるのが欠点か(笑)。 これで終わりでも良かったのだが、映画はまだ終わらなかった。確かに、これで終わったら従来の特攻映画と内容的にはなんら代わり映えしないという風にも取れる。石原氏は残り20分に戦後の逸話を持ってくることで一線を画したようだ。トメさんは戦後もずっと知覧特攻隊員の慰霊に尽くしてきており、戦後は心ない平和主義者や転向組から、戦争加担者として罵声を浴びせられたことも知られている。本作ではそうしたエピソードも交えつつ、トメさんが特攻隊員の慰霊に尽くす様が描かれた。さすが、石原氏だけのことはある、特攻は悲惨で愚かなものだっただけでは終わらせない。そう言えば本作は「トメさん物語」だったんだな、と改めて実感させられた・・・・・・・のも束の間だった。あれ、あれ、あれ・・・・。中西少尉(徳重)と板東少尉(窪塚)の戦後エピソードは何なのだ。どちらもなんとなく参考にしたのかなと思う逸話も知らないではないが、史実に沿っているのだろうか。もし、そうだとしても話のストーリーとしては突飛すぎるし、せっかくの感動が一気に薄れていくのを感じた。近年の戦争邦画はどれもこうした現代シーンを挿入する傾向にあるようだが、私個人的には非常に嫌いである。多分、そこまで説明しないと意図が伝わらないということなのだろうが、余韻を持たせて視聴者にもっと考えさせる(想像させる)手法が日本映画らしくて好きなのだが。どうにかならないのだろうか。加えて、大西中将の逸話もあそこで生々しい映像は不必要だったのではと思う。映像なしの伝聞という形の方が責任を取るという、より印象的なものになったような気がするのだが。とにかく、最後の20分はかなり質の悪い蛇足だったといえ、トメさんの回顧シーンだけで十分だったのでないかと思う。これで一気に採点は80点に。余りにもったいない。 主題歌はB’zの「永遠の翼」。事前に聞いた時はあまりにミスマッチと感じたが、実際の使用はオープニングにイントロと、あとはエンディングロールのみで、映画に干渉しないよう上手に組み合わせてあった。意外と気にならないし、妙に耳に残った。悪くないかも。 登場する兵器類としては、航空機では先にも書いたが実物大の隼2機が復元されているほか、CGで飛燕が飛んでいたが、余り活躍がなかったのは残念。隼の実機は架空の第47振武隊と第71振武隊をイメージしたマーキングを施してある。このほか1/10スケールの模型も製作したらしい。アメリカ軍ではヘルキャット戦闘機やB-24リベレーターがCG若しくはミニチュアで登場。艦船ではフィリピン海軍が所有する元米軍駆逐艦や掃海艇を撮影に用いている。駆逐艦はキャノン型駆逐艦アサートン(ラジャー・フマボン)で、なんと一時は日本の海自護衛艦「はつひ」を名乗っていたこともある艦だ。掃海艇はレーヴン/オーク級掃海艇ヴィジランス(ケサン)。これらは実際に3.5インチ砲や機銃を発射させて撮影しており、リアル感は当然だ。また、米空母はスケール1/25の模型を用いている。 最後の20分を除けばかなり出来の良い映画だった言える。石原氏にしては癖のないオーソドックスな仕上がりで、我々日本人が忘れてはならない精神と博愛の心を伝える歴史的な作品にもなり得るものだ。特攻に散った若者の決して単純ではない葛藤と決意。銃後に残された家族の悲しみと忍耐。そして、最後の20分で言おうとしていた戦後マスコミ・進歩人の無責任豹変ぶり。平時の我々には想像も付かない決断と苦しみが、いつどんな形で我々の生活に降りかかるか知れない。その時にパニックにならずに冷静な判断が下せるのか。我々はそのためにも、先人の残してくれた功罪をしっかりと心に刻んでおく必要があるのだろうとつくづく思った。 一部で右翼映画とか戦争賛美という批判も見られるが、そういう企図はないに等しく、公正な視点で描かれていると言える。美化しているとすれば、特攻隊員とトメさんの容姿ぐらいのものだろう。この映画を通して、特攻隊員が後世に言い残したかった無念を汲み取ることができないのならば、右翼左翼・平和主義云々以前に人としての心を失っているとしか思えない。思想や主義主張などはいくらでも変えることが出来る。しかし、変えられないのは生への欲求であり希望なのだ。興奮度★★★★沈痛度★★★★爽快度★★★感涙度★★★★★あらすじは文字数の関係で割愛しますDVD検索「俺は、君のためにこそ死ににいく」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月13日
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1977 オランダ 監督:ポール・ヴァーホーヴェン出演:ルトガー・ハウアー、エドワード・フォックス、ジェローン・クロッペ、スーザン・ペンハリゴン、Belinda Meuldijkほか 148分 カラーSOLDIER OF ORANGE /SOLDAAT VAN ORANJE 第二次世界大戦時、オランダは開戦と同時にあっという間(たった4日)でドイツに占領され、以後5年間ドイツ占領下にあった。本作は一人のオランダ人青年を主人公に、ドイツのオランダ占領から始まり、解放後にオランダ女王が亡命先の英国から帰還するまでを描いている。まさに、第二次世界大戦時のオランダ史とも言うべき本作は、当時のオランダ映画史上最大の経費をかけて制作されたもので、映画冒頭にオランダ女王であるオレンジ王家がノールアイデン宮殿に帰還する記録映像を挿入したり、その背景映像にオランダ国旗が大写しにされるなど、国家の威信というものを感じる。 本作は、主人公エリックのモデルでもあるエリック・ハーゼルホフ・ルールズマの同名小説を原作としており、冒頭の女王帰国シーンでタラップを降りてくる女王の側に立っている士官は、原作者エリック本人だという。従って、本作の内容は、ある程度は史実に基づいているのだろうことが予測される。 私が視聴したDVD版は148分だが、以前に発売されたVHS版は116分だった。しかし、オランダでは4つのエピソードとして215分版が存在するらしい。 はっきり言ってしまうと、本作の148分版は映画としてはかなりバランスが悪い。かなり冗長に間延びしている感があるかと思えば、尻切れトンボに端折られた感もする。従って、エリック・ランスホフという主人公の生き様を中心に据えておきながら、今ひとつ感情移入しきれないし、物語自体にインパクトがない。やはり、オランダ版の4つのエピソードを変に切ってしまったからこうなってしまったのだろう。4つのエピソードは想像の域を出ないが、(1)ライデン大学入学とドイツ開戦 (2)ドイツ占領下のレジスタンス活動と英国脱出 (3)要人救出特殊作戦 (4)空軍パイロット志願と爆撃任務 と言った感じになるのだと思う。DVD版ではこのうち(4)の空軍爆撃任務のあたりがえらく端折られている感じがする。途中途中には、どう考えても無駄な女性との絡みやエッチシーンとかが沢山あるのだが(もちろんヌードも)、ヴァーホーヴェン監督としてはそこは切れなかったということか。この他、監督の真骨頂であるブラックジョークやスパイス的な要素は、面白いと言えば面白いんだけど、作品自体の構成の中ではあまり効いているように思えなかった。 制作年代が1977年で、オランダ視点の大戦映画という点では、かなりポイントが高いが、内容的には米英戦争映画と類似する点も多く、ありきたり。レジスタンスもので言えばフランス映画が秀逸だし、特殊作戦や爆撃任務ものはイギリス作品が秀逸。そういう中で、もう一つインパクトや特記できる内容が欲しかったところで、そうなるとやはりオランダ国内での住民の感情や軍隊の様子を細かに描写して欲しかった。特に、オランダはドイツ系住民も多かったようで、フランスなどのように反ナチス一辺倒というわけでもなかったようだ。本作中でも友人の一人がオランダナチス党員になっていく様子が描かれてはいるが、オランダらしさというものが表現しきれていないのが残念。 俳優人は美形揃い(笑)。仕草も立ち姿も様になっている。幾度かヌードも披露するオランダ人女性エスター役(ベリンダ)とイギリス人女性スーザン役(スーザン・ペンハリゴン)は、両名とも美女ではないが愛嬌のある顔立ち。出過ぎず、かといって存在感もある名助演と言えよう。 なお、要所要所で流れるメインテーマの音楽はやや古めの印象だが、耳に残る名曲だ。 撮影はオランダ国内とイギリスで行われたようで、登場する兵器類の多くは現役オランダ軍の物を使用しているようだ。ドイツ軍の空襲シーンではBf-109の姿が見える。実機で飛行しているのでどこからか調達したのだろう。英国への脱出シーンでは、フロート付きのDe Havilland Canada DHC-2 Beaverが英軍機として登場する。主人公がパイロットとして搭乗する機体はデハビランドモスキート爆撃機。実機が実際に飛行している。その際後方にちらっと映る機体はアブロランカスター爆撃機ぽいが、ちょっと違うような気も。ラストにオランダ女王を運ぶ輸送機はC-47。いずれもオランダ識別マークを描いている。これらの機体のいくつかは、オランダ空軍ヒストリックフライトチームRNAHF(Royal Netherlands Air Force Historic Flight)の協力を得ているそうで、リアルなのは当然なのだ。ただ、海外の映画評HPを見ていると、本作ではこの他に「North American T-6 TexanがフォッカーDXXIに、Fokker S-11がドイツ軍スツーカに、De Havilland DH-82 Tiger MothがフォッカーC.Vに化けている」と記載されている。このうち、T-6TexanはPiper PA-18と一緒にC-47の背後に一瞬映るのがそうだろうと思われるが、その他の機体は全く登場しなかった。多分、オランダ版からカットされた飛行訓練シーンに用いられていたのだろう。残念だ。 また、陸上兵器系としてはドイツ軍II号自走榴弾砲ヴェスペに似たものやIV号戦車(パンター?)に似たものが登場する。ヴェスペ似の元はさっぱりわからなかったが、「映画の中の戦車」さんHPによればSPzクルツの改造?とされている。同じくIV号(パンター)似はオランダ軍所有のレオパルド戦車だそうだ。このほか、一瞬だが、シャーマンM4M3とファイアフライが写っている。この辺りは映画の中の戦車さんHPを参照願いたい。 海上兵器では魚雷艇(PTボート)と少し大きめの掃海艇?が数隻登場する。いずれも現用オランダ海軍所属のものと思われ、魚雷艇の艦首にはP254、P102といったナンバー、掃海艇クラスのものにはA154,M114,M117といったナンバーが見える。 兵装類についてはあまり多く登場しないが、序盤のシーンでドイツ軍降下猟兵が登場するのが面白い。迷彩ポンチョを着て、律儀に牛乳屋に代金を払っているのが微笑ましい。また、主人公が英海軍士官のコートでドイツ軍陣営の中に侵入していくシーンで、暗がりではドイツ軍服と良く似ているからわかりゃしない、というのも面白かった。 全体とすれば、オランダ戦争映画としてレアな部分もあって、それなりに楽しめるが、やっぱりオランダ軍って第二次世界大戦では全然活躍していないんだなってことが如実にわかる。もちろん、アジアでは日本軍にけちょんけちょんにされているしね。観て損はないけど、どうせならオランダ完全版を見てみたいと思った。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1945年DC-3輸送機に乗ったオランダ女王がオランダに帰国する。オランダ女王をオランダ国民は熱狂的に出迎える。 1938年ライデン大学にエリック・ランスホフは入学する。その新入生歓迎パーティは、事実上ひどいいじめで、会長であるヒュースの暴力により、ランスホフは頭を縫う大怪我を負う。とはいっても、これは恒例の行事であり、翌日ヒュースはランスホフに謝罪にやってきて、ふたりは親密度を増していく。 1940年5月9日、イギリスのドイツ宣戦布告のニュースを聞いても、ランスホフらは緊迫感がなくテニスをしている始末。しかし、ドイツ軍の電撃戦はまたたくまにオランダに侵入し、ドイツ軍の空爆や戦車が攻撃してくる。ランスホフとヒュースはオランダ軍に志願するため、軍司令部に赴くが相手にされない。町にはすでにドイツ軍の降下猟兵の姿すらある。オランダ王室はイギリスに逃げ、たった5日間でオランダは降伏する。 ドイツ軍の支配下で、大学の友人ロビーは密かにレジスタンス活動を始めていた。イギリス本国のファン・デル・ザンデンと無線で連絡しあい、イギリスへの渡航を手助けしていた。ランスホフもその活動に協力し、イギリスに渡ることとなる。このころ、ドイツの影響でユダヤ人排斥が強まっており、大学の友人でユダヤ人のボクサーチャンピオンのヤンの身にも危険が迫っていた。そこで、ランスホフは自分の代わりにヤンをイギリスに渡らせる事を計画し、実行に移る。 しかし、イギリスの水上機がやってきたところを、ドイツ軍哨戒艇に見つかってヤンは捕まってしまう。ヤンはドイツ軍情報部の厳しい拷問を受け、収容所に送られる。その際、ヤンはドイツ軍将校から、ファン・デル・ザンデンがスパイであることを知らされる。 ランスホフはヒュースの家に身を隠すが、代わりにヒュースがレジスタンス活動に手を染める。ドイツ軍基地の写真を撮っていたヒュースは罠にはまり、ランスホフと二人でいる所を急襲される。ランスホフは自分の身を挺してヒュースを逃がすも、ドイツ軍に捕まってしまう。収容所でヤンと会ったランスホフは、ファン・デル・ザンデンがスパイである事を知らされるが、ヤンはその後処刑されてしまう。 ランスホフは尾行を附けられて釈放。ロビーの彼女エスターの手助けで、ロビーと再会しレジスタンス活動を再開する。一方、大学の友人でドイツ系だったアレックスはオランダSS党に入党していた。 ランスホフは、ニコの手助けでスイス行きの船員に化けてイギリスに脱出する事になる。情報を入手したドイツ軍公安部隊の中尉が船員検査にやってくるが、乗船していたギリシャ海軍とオランダ人船長の計らいでなんとか難を乗り切る。ようやく出航した船内で、ランスホフは缶焚き夫に化けたヒュースと再会する。二人は、途中でイギリス軍の船に乗り換えて、晴れてイギリスに上陸する。 イギリスではオランダ女王が出迎えてくれた。しかし、オランダ亡命政府の国務大臣がファン・デル・ザンデンだと知り、ランスホフは暗殺を試みる。しかし、見事失敗に終わり、まんまとドイツ軍の偽情報に騙されていた事を知る。 ヒュースとランスホフは、正式にオランダ軍に入隊し、訓練を受ける。軍曹となった二人は、情報部大佐より、オランダ女王の命により、オランダ国内の重要人物の護送任務を仰せつかる。ヒュースは相変わらず手が早く、大佐の秘書官スーザンと寝るなど脳天気だが、オランダ潜入という危険な任務を買って出る。魚雷艇に乗ってオランダ沿岸に達した二人は海岸に上陸し、ヒュースは礼装に化けて内陸部に侵入していく。ランスホフはいったんイギリスに戻る。ヒュースはなんとかニコ、ロビーと接触し、ターゲットである重要人物と会う。しかし、途中で無線機が壊れ、イギリスへの無線送信ができなかった。その状況に危機感を感じたランスホフはオランダに向かう。(以下略 続きは本HPで)DVD検索「女王陛下の戦士」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月10日
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1981 ソビエト 監督:エフゲニア・ジグレンコ 出演者:ワレンティナ・グルシナ、ヤナ・ドゥルジ、ディーマ・ザムリンほか 76分 カラー 第588女子夜間爆撃機連隊(通称ナイトウイッチ[夜の魔女])を主役にした、航空アクションを交えたヒューマンドラマ。女子だけで編成されるという、いかにもソビエト赤軍らしい爆撃部隊なのだが、夜の魔女と呼ばれ、ドイツ軍にもソビエト軍の男子にも一目置かれた部隊は、実際に存在していたようだ。女子だけで構成された連隊には、この第588連隊以外にも第586戦闘機連隊、第587爆撃機連隊がある。第588連隊は1942年に結成され、使用機はポリカルポフPO-2(U-2)練習機で、木製の旧式複葉機を夜間爆撃に用いている。特に、スターリングラード攻防戦では夜間の睡眠妨害で心理作戦的にもドイツ軍を苦しめたと言われる。 本作は、その第588女子夜間爆撃機連隊の活動や活躍を織り込みながら、実戦に向かう若い女子パイロットらの愛情や苦悩を描いている。映画中に登場する飛行機は実際にポリカルポフPO-2が用いられているし、登場する連隊長らの階級等も結構リアルで、時代考証的にはそこそこしっかりしていると思われる。あとは、描かれている女子パイロット達の生態(爆)やエピソードがどれくらい史実に沿っているかだが、このあたりは全く不明。まあ、それでも秘められたる花園が映像化されたというだけでも十分レアだが。 映像は、80年代のソビエト映画に特有の劣悪なカラーフィルム。製作後20年もたつとかなり劣化しているのがわかる。それもソビエト映画らしさと割り切ればいいんだが。先にも述べたが、ポリカルポフPO-2の実機が複数機登場し、実際に飛行するシーンもかなり多い。80年代とはいえ、このような旧式機をこれだけ揃えられるのもさすがソビエトだ。空中戦シーンでは単葉機との絡みもあるが、ホンの一瞬。また、爆撃シーンや被弾シーンはミニチュアのワイヤー吊り下げがミエミエ。この辺りは、金をかけていないというしょぼさが露呈してしまっている。 本作にはソビエト芸術記録映画の系譜の特徴である、長大なロング戦闘シーンや、芸術的自然映像といったものがほとんど組み込まれていない。本編が76分とソビエト映画にしては短いので、海外DVD版になる過程でカットされているのかもしれないが、いずれにしてもソビエト映画にしてはテンポが良く、見ていて小気味良い。各エピソードの配分時間や転換も実にスムーズで、ストーリーもわかりやすい。反面、ハリウッド映画を意識したのだろうか、奥行きに物足りなさを感じるのは残念な点でもある。このあたりは「北極圏対独海戦1944(1983)」や「レニングラード大攻防1941(1985)」とも類似点が多く、ペレストロイカ前夜の新ソビエト活劇といった位置づけになるかも知れない。 ソビエト映画らしさが相変わらずなのは、登場人物の説明がほとんどない事。野戦服の肩の階級章と特徴ある顔でなんとか判別できたが、もう少しわかりやすくして欲しいところ。肩の階級章では、連隊長トーニャが少佐。連隊付き政治将校も少佐で比較的歳を取った女性となっている。若く見える主人公の一人である中隊長オクサーナは大尉のようだ。もう一人の主人公ガーリャは最初は中尉で後に上級中尉になっているように見える。この他クルー仲間のカーチャ、ユーリャといった若い娘は曹長、上級軍曹の肩章をつけている。 ヒューマンドラマ部分としては、そこそこの出来。戦争孤児を巡る母性本能との葛藤や、若い男女の恋愛が描かれており、戦争映画の多くにありがちな、単なるラブロマンスだけでないところが良い。それも比較的さっぱり目に描かれており、ドロドロと陰湿な暗い展開にならないので助かる(笑)。ただし、もちろんソビエト映画なのでハッピーエンドにはならないけどね(爆)。 演技的には特筆する点はないが、ロシア女の強さというものはヒシヒシと感じることが出来た。逞しく勇敢なパイロットという姿の裏には、強い情欲が生命力としてあるのだと思い知らされる。恐るべしロシア女性。なお、本作では女性の水着(下着)姿は登場するがヌードはない(笑)。 登場する兵器類としては、既にあげた3座式複葉機ポリカルポフPO-2のほか、ドイツ軍機役として単葉機がでてくる。ほとんどがシルエットのため判別できないがBf-109のように見えるのだが。地上兵器では、ドイツ軍戦車に化けたT-55が数台登場。砲塔部分を方形に覆ったものだが、ドイツ軍の何をモチーフにしていたのだろうか、不明。 全体には、悪くはない出来と言った感じ。もう少し、ストーリーに練りがあれば面白かっただろうし、もっと迫力のある航空機アクション映像を撮れていればインパクトも強かっただろうと思う。しかし、本作の中に描かれているエピソードがたとえフィクションだったとしても、このような女性爆撃機部隊が実際に存在していたのだと思って観ると、その思いはまた違ってくる。ストーリーの内容云々に関係なく、ちょっと切なくなってくるのであった。赤軍野戦服肩章見本作ってみましたPO-2 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ソビエト赤軍は、対独戦に対して女性だけの飛行部隊第588女子夜間爆撃機連隊を組織し、スターリングラード攻防戦の爆撃任務を行っていた。連隊長はトーニャ少佐、連隊付政治将校はドゥーシャ少佐、飛行第2中隊長は軍人の夫と生き別れになっていたオクサーナ大尉が指揮をとっていた。部下には1年前に負傷の身でありながら病院から抜け出してきた強者ガーリャ・ポリカルポワ中尉、下士官のカーチャ、ユーリャなどうら若い女性が連なっていた。 使用する爆撃機はポリカルポフPO-2練習機で、木製複葉の旧式機で爆撃も手で爆弾を落とす有様だったが、夜な夜なの夜間爆撃はドイツ軍の安眠を妨害する上で、十分効果的であった。しかし、ドイツ軍の新型戦闘機には歯が立つはずもなく、被害も甚大だった。1日に8回にも及ぶ出撃は彼女たちに極度の疲労を強いていたが、気丈な彼女たちは明るく任務に励む。 ある出撃任務で、オクサーナは地上のドイツ軍戦車にやられたロシア人家族を目撃し、強行着陸して生き残っていた幼い少年フェージャを救出する。オクサーナは夫と生き別れた上、幼い息子を失っており、フェージャにその面影を被せるようになる。そのフェージャはオクサーナに母の意識を感じる事はなく、むしろ若い娘ガーリャに惹かれていく。ガーリャを慕うフェージャの姿にオクサーナは気が気でない。 連隊は対岸の海軍陸戦隊への物資輸送任務につく。その際、積み荷が落ちない事態にガーリャは身を挺して紐を切り落とす勇敢な行為を果たす。さらに、陸戦隊の護衛任務についた連隊は、久しぶりに男達と対面し興奮する。その際にオクサーナは行方不明の夫グレゴリー・ザハルチェンコが副隊長で活躍中との情報を得る。喜んだオクサーナは基地に戻り、フェージャに「お父さんが見つかったよ」と思わず告げるが、実の子供でなかった事に気づき我に返る。 連隊に空軍少将らが来訪し、連隊が親衛隊に昇格した事を祝福する。女性の活躍が認められたのだ。一方、ガーリャは病院を抜け出すときに知り合った陸軍のコスチャ・ラザレフ大尉と恋仲になり、ラザレフ大尉はバイクでわざわざやってきて、二人は仲むつまじく抱き合う。そんな姿にフェージャは焼き餅を抱き、ラザレフのバイクに小便を引っかける。 連隊で養っていたフェージャだが、隊の命令でモスクワの孤児院に送られることとなる。手放したくないオクサーナは連隊長に懇願するも許されない。失意のオクサーナは夜間出撃に出るが、その際パラシュートを置いていったために、撃墜されて戦死してしまう。同乗していたガーリャはパラシュートのおかげで1週間かけてなんとか戻ってくるが、この戦いで多くの女性搭乗員が戦死した。 新たに新人パイロットが補充される。その中にフェージャの姿もあった。モスクワの孤児院が移転していてなかったので戻ってきたというのだ。フェージャは中隊長オクサーナの戦死を聞いて、自ら爆撃機に搭乗して敵を討つと言い出す。ガーリャは代わりに敵を討つと約束し、出撃していく。帰還時間が過ぎてもガーリャの機は戻ってこない。心配して食事も取らないフェージャに、やってきたフィアンセのラザレフ大尉が語る。「ガーリャはこれまでにも2度撃墜されても帰還している。大丈夫だ」と。 DVD検索「対独爆撃部隊 ナイトウィッチ」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年05月07日
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しつこいようですが映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のお話です。 映画の主題歌はB'zが歌っているのだそうですが、この「永遠の翼」がGyaoやらヤフーで流れているようです。B'z特集-永遠の翼- 映画映像集(Gyao) んんー・・・・・・・・・ 全然あってねー 「なにか~」の歌詞を「なにきゃー」はねえだろう。 やっぱりB'zじゃダメだったんじゃ・・・。どういう選択だったのか・・・。それにしても、B'zは事前にシナリオも読み、知覧特攻会館にも行って曲の構想を練ったらしいんですが、全然理解できなかったのか、もしくは身に付いた曲調は変えられないのか・・・。まあ、後者なんでしょうけど、ちょっとねえ。映画の中でミラクルにマッチングされていることを期待します。 ところで、上記Gyaoの映像には予告編3編分が流れます。すごいのはやっぱりCG。戦闘シーンのほとんどはCGのようで、米国艦船や空戦、特攻シーンは実に見事な映像ですね。リアルなのはもちろんですが、これまでの戦争映画、記録映画にはなかった視点、つまり、特攻機の機内からの視点や僚機からの視点、さらには突入される米兵からの視点などです。 実は私がこれまで戦争映画・ミリタリーマニアとして追求してきたものの一つを、今回垣間見ることができそうな気がします。もともと、私は兵器そのものには強い興味はなく、兵士の心理や死生観というものに強い興味を覚えています。その一つに特攻兵(に限りませんが)が死に際(突入)に見たものへの探求というものがあります。単なる興味、畏敬、憧憬、そんなものが入り交じった不思議な感覚なのですが、今作ではそれに近い疑似体験ができるのではないかと期待しているのです。(何故、私がそこにこだわるかは・・・いつか・・・) そんな本作はCG大作と言ってもいいでしょうね。特攻記録映像で見られた断片的なシーンが、見事CGで蘇ったといったところでしょうか。涙もののストーリーと、CG。この2点に着目したいと思います。
2007年04月28日
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2001 アメリカ 監督:ティモシー・リン・プイ 出演者:パトリック・スウェイジ、フォレスト・ウィッテカー、ドン・ズオン、キャスリーン・ルオンほか 115分 カラー ベトナム戦争の最中から始まった南ベトナム人(自由主義陣営)難民を扱ったヒューマンドラマで、アメリカのペンドルトン難民一時キャンプが舞台となっている。アメリカ軍は共産北ベトナム軍の南侵事態に介入し、南ベトナム軍の支援を行っていたが、1975年4月30日についに南ベトナムの首都サイゴンが陥落する。劣勢にまわった南ベトナムの人民は早くからアメリカ等への外国に難民として脱出したが、その多くはアメリカ関係者と縁のあるものや富裕層だった。取り残された南ベトナム人の知識階級や富裕階級の人々の多くが、無惨に惨殺された事は周知の事実だが、本作は命からがら逃げ出した難民の苦渋と不安の気持ちを如実に表現したものとなっている。その苦渋と不安の気持とは、国を見捨てて逃げ出した事への後悔、羞恥心のほか、失われた祖国への郷愁、そしてこれからアメリカで生きていかねばならない不安なのである。 監督はベトナム人であり、まさに彼らベトナム難民の気持ちを代弁するのにふさわしい人物である。しかし、作品として見た場合、余りに感情移入しすぎているのか、行動等を理解するのにかなり難解な部分も多い。ベトナム人にしかわからない感情や、難民という独特の環境での感情は、いささか刺々しい感じすらある。役者にはアメリカ人の名優も起用しており、ヒューマンドラマとしてのチープさはない。しかし、あくまでベトナム人中心のため、アメリカ人俳優の演技が完全には生きていない感がある。また、人間関係の複雑なパズル的つながりや、複数設定された主題となる家族の多岐にわたる悲劇的トピックスや隠しネタ的トピックスなど、ドラマ部分の設定があまりに凝りすぎていて疲れる。あれもこれも盛り込みすぎ。加えて、比喩的な表現まで用いるものだから、見ていて脱落する人も多いのでは。 複雑に錯綜するヒューマンドラマの中で、良かったのはウィッテカー演じる黒人コックと母親を探し続けるベトナム人少年ミンの関係。言葉の通じない中、ホットな関係は心温まるのだが、ここでも悲劇が用意されているのにはちょっと辟易。この他、キャンプ責任者でベトナム戦で弟を失ったランス一等軍曹、裕福な夫婦とお妾さん、リトル・サイゴンを作ると希望を持つドゥク、戦死者の供養に没頭しながらもベトナム唐辛子を栽培する元将軍、親兄弟のため祖国に戻るといきり立つハイ、そして主人公タイと恋仲になる将軍の娘トゥイ、など実に多彩な人物や関係が個性的に描かれているが、いずれも無駄に複雑で、その場面での必然性に乏しく、全体的な盛り上がりに欠けてしまっている。 先にも述べたが、本作は比喩表現や対比印象表現を多く用いている。叙情詩的な映画作品としての品格を形成する上で、効果的な役割を果たしているとは思うが、ただでさえ複雑で難解な人間関係を主題にしたドラマの場合逆効果のような気がする。ストレートに表現してくれない事にかなりのストレスを感じた。言ってみれば謎解きヒューマンドラマといった感じか。 アメリカ映画だけどベトナム映画的。アメリカ映画っぽいベトナム映画と言った方がいいかな。それだけ、洗練されているようなされていないような微妙な感じ。海外映画評などでは、感動映画だという評もちらほら見かけるが、うーん、私には響かなかったなあ。どちらかというと、難民のエゴというものが目に付いてしまって共感できず。もっと身近な立場の人ならば感動できるのかもしれない。そう言う辺りが、ベトナム人向けの映画なのかなと思わせる。 なお、完全に難民キャンプ中心の話なので、戦争映画の部類には入らないかもしれない。ただ、冒頭にベトナム戦記録映像が少量挿入されてはいる。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1975年4月、アメリカのペンドルトン難民キャンプに、南ベトナムを脱出してきた難民が収容される。その中に、母と別れ別れになった少年ミンと妹のアインがいた。ミンは母が探し回るが見つからない。そんな姿を叔父のタイは寂しげに見守る。友人のドゥクはお調子者で、すでに黒人コックのアディと知り合いになっており、物資の調達にいそしんでいる。将来はアメリカにリトル・サイゴンの街を作るのだと張り切っている。 南ベトナム軍と米軍は日に日に劣勢に陥っており、カンボジアではクメール・ルージュの虐殺が開始された。ベトナムに親兄弟を残してきたクワン・ハイはベトナムに戻って戦うといきり立つ。 ベトナムで裕福だったある夫婦は今や何も残されていなかった。しかし、夫は連れてきた妾と夜な夜な逢い引きを繰り返し、夫人は怒りまくっていた。その妾は田舎の出身で、実はドゥクの元恋人だった。再会したドゥクは一緒になろうと声をかけるが、彼女は首を振らない。 少年ミンはコックのアディと仲良くなる。言葉は通じないが、マイティ・マウスの漫画を通じて心を通わせていく。アディもまた孤独の身であり、二人は壁に絵を描くようになる。 キャンプには南ベトナム軍の元将軍がおり、元部下から吊し上げを受けている。それでも黙々と戦没者の供養をしながら、植物に水をあげて育てている。その娘トゥイは縫い物をしているが、タイはトゥイに想いを寄せ始める。タイは将軍から義兄(ミンの父親)のクオン大尉がスアンロックの戦いで戦死した事を聞くが、ミンに伝える事が出来ない。 タイは英語が出来る事からキャンプの責任者ジム・ランス一等軍曹から管理人を任せられ、キャンプで英語を教えていた。 1975年4月30日、ついに北ベトナム軍がサイゴンに無血入城を果たし、元将軍は自殺を図る。悲しみにくれるトゥイに求婚するタイだが、トゥイは首を縦に振らない。また、トゥイに父が死んだのはアメリカが裏切ったせいだと詰め寄られたランス一等軍曹は、タイにベトナム戦争で死んだ弟の話をする。彼もまたベトナム戦争の傷を負っていたのだ。 ミンは将軍の亡き後も植物に水をあげ続ける。その植物はアメリカにはないベトナムの唐辛子だった。しかし、仲の良かったアディは病気で死んでしまう。 ドゥクは身元引受人が見つかり、キャンプを出る事になる。元恋人の妾を連れて行こうとするが彼女はついて行かない。さらに、タイは身元引受人が現れてもキャンプを出ようとしない老婆をランス一等軍曹が強制的に退出させたのを機に、管理人を辞する。殺伐とした雰囲気になる中、ランス一等軍曹はタイを外部の街に連れ出す。そこには大きな家と高級外車が走り回る風景があり、タイはキャンプでそのことを伝え、次第にアメリカ社会に出ようと言う気運がキャンプにみなぎってくる。そしてトゥイがついにタイの求婚に応じ、二人は結婚する。そこにタイの弟が難民ボートで脱出してきて、姉(ミンの母親)がボート脱出中に死んだことを伝える。タイはミンにそのことを伝える事ができなかったが、キャンプを出る事を決意する。夢と希望に満ちたタイらがキャンプを出た後、ランス一等軍曹はタイの乗っていた自転車にまたがって走っていく。 DVD検索「グリーン・ドラゴン」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年04月26日
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2005 ロシア・イタリア・フランス・スイス 監督:アレクサンドル・ソクーロフ 出演者:イッセー・尾形、ロバート・ドーソン、佐野史郎、桃井かおり、つじしんめい、ゲオルギイ・ピツケラウリほか 115分 カラー ロシアの異色監督ソクーロフの製作した、第二次大戦人物伝「モレク神(1999)・・・ヒトラー」「telets(2001)・・・レーニン」に続く3作目。監督独特の歴史観、人間観に基づいて、粛々かつコミカルに昭和天皇(ヒロヒト)の人物像を描くドキュメンタリータッチのヒューマンドラマ。ポツダム宣言受諾の決意から人間宣言、そして極東軍最高司令官マッカーサーとの対面まで、昭和天皇の孤独と苦悩を描いている。日本人ではストレートに描くことが出来ないタブー的題材を、ロシア人監督が描いたと言う点で高く評価できるが、本作を視聴した感想はかなり複雑。昭和天皇の人柄と神格という常人には理解しがたい状況を描いていく中で、日本人の礼節と美徳というものを的確に描いているのには感銘する反面、お飾りで自由のない権力者として滑稽なチャップリンに比喩するなど、小馬鹿にしているように感じる点はいたたまれない気持ちになる。 本作は監督も言っているように、完全なるドキュメンタリーではない。戦後世代で人間昭和天皇しか知らない私はもとより、ほとんどの日本人が知るよしもない昭和天皇の一挙一動、生活を描くことなど到底無理なことであり、イッセー尾形の名演技にしても全てが想像の域を出ないものである。従って、本作の内容を見て史実にどうのこうのというのは愚かな行為だとは思うが、監督の他作品「ヒトラー」「レーニン」と並べて大戦の奇人扱いとして品評されるのは忍びない。というのは、もちろん日本人として日本びいきである点は自覚しているが、現代日本において皇室というものが連綿と続いている理由がいずこにあるのかを考えてみた時、本作中にも登場するが、昭和天皇自らの台詞として「・・・天皇は楽ではない。趣味や習性は怪しまれる・・・」とあるように、皇室に伝わる伝統や祭事、習俗こそが日本人の根底に流れる「礼節」「美徳」のルーツなのだ。世俗人から見たその皇室の異様さは、ヒトラーやレーニンの奇行とは全く一線を画するものであり、失脚後にヒトラーやスターリンのように掌を返されることがないのは、日本人が自身の存在価値の根源をそこに求めているからだとも言える。 こうした天皇=皇室=日本人根源という感性は、本作中でもマッカーサーの通訳官が異常なまでに天皇に敬意を示す姿や、人間宣言した天皇に対する侍従たちの困惑という形で描かれている。少なくとも監督は、こうした日本人特有の感性を理解していることは窺われる。ただし、やはり外国人には日本の歴史における天皇というものを完全には理解できかねると思われる箇所も多い。映画として面白おかしく現人神から人間への変化を描きたくなるのもわからないでもないし、それを滑稽と捉えるのも当然かもしれない。しかし、我々日本人は、それが滑稽であることを自認したうえで納得しているのであって、そのあたりの背景が抜け落ちてしまっているのは残念に思う。とはいえ、もっと辛辣に描こうと思えば出来た事象を、ここまでオブラートに包んだように仕上げたのは十分評価に値するとも言えるのだが。 映像はカラーだが、彩度を落として限りなくモノクロに近いものとなっている。時代と神秘性を感じさせる効果に長けていると思われるが、やや見にくい。また、いかにも終戦直後の空虚感を感じさせるように、BGMはほとんどなし。バックに流れる効果音も電信音のような雑音がずっと続く。当然のことながら場面はほとんどが皇居の退避壕と執務室であり、昭和天皇の動きが緩慢であるために、映画全体はかなりゆっくりとしたテンポで進む。私個人的には、一日のスケジュールや昭和天皇の独り言など、昭和天皇の一挙一動が興味深かったので、ほとんど冗長な印象は受けなかったが、見る人によっては間延びした印象を受けるかもしれない。外国人にとっては、なぜあんなに動きがのろいのかと訝しがるかもしれない。 さらに、本作はドキュメンタリータッチではあるが、芸術的映画の匂いもある。東京大空襲の映像でB-29爆撃機が空飛ぶ魚として描かれるシーンは印象的。海洋学学者の昭和天皇と絡めた映像であろう。 昭和天皇を演じたのはイッセー尾形。彼の独特な演技力で、昭和天皇の話し方や口元、挙動の癖を再現している。我々にとっては、年に数回のテレビ映像のみでしか知ることのなかった昭和天皇に似ているのかどうかは何とも言えないが、コミカルな挙動がともすれば不敬的印象を与えかねない緊迫感ある演技を、見事に内面から出る人徳というものの表現でカバーした。ソクーロフ監督は演じたイッセー尾形の身の安全を心配したらしいが、ギリギリセーフといったところか。侍従長には佐野史郎、老僕にはつじしんめいが好演しているが、鈴木首相、陸海軍大臣役ともに、やたら汗をかく不思議な演出。言葉少なに奥に秘めたる感情や想いを感じ取れということだろうが、ちょっと違和感を覚えたのは事実。相当奥が深いのか、単なる勘違いなのか、詮索するときりがない。皇后陛下役は桃井かおりで、かなり変だが登場時間が少ないので許せる範疇。このほか、印象的だったのはマッカーサーの通訳官で、昭和天皇にひたすらアメリカ兵の無礼を詫びる不思議な役割。確かに、知日派米士官がマッカーサーが天皇に対して非礼にならぬよう汗をかいたという逸話はあるが、ここまで極端だと微笑ましい。 本作に対する外国人のレビューを眺めていると、やはり戦犯としての天皇という視点で言及している例も目につく。しかし、不可解な日本という感性を感じている人も少なからずいるようで、本作が与えた意義は小さくないと思われる。日本の敗戦、そして戦後の世界貢献に尽くす平和国家日本を理解してもらうためには、通らなければならない関でもある。外国人から見た日本と天皇とはこういうものなのだと、真摯に受け止めておきたい。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1945年8月、東京の皇居。昭和天皇は執務室で食事をとり、侍従長から一日のスケジュールを知らされる。首相や軍首脳らとの御前会議を前に、「最後に残る日本人は私だけということにはならないかね」「私の体も君らと同じ」などと侍従長を困らせながら、降伏を受け入れる決断に戸惑いと苦悩を見せる。身の回りの世話をする老僕は汗をかきながら天皇のシャツのボタンをかける。 会議では、阿南陸軍大臣が徹底抗戦の意志を陳述するものの、昭和天皇は明治天皇の歌を引き合いにしながら、降伏を受け入れることを決断する。会議後には海洋学研究所に赴き、カニの研究に没頭するが、大正13年のカリフォルニア人種差別事件を思い出し、大戦を避けられなかった過程と軍部の暴走を止められなかった経緯を邂逅する。その後、疎開している皇太子へ手紙をしたためるが、敗北の原因についても言及していく。 終戦となり、GHQが皇居にやってくる。昭和天皇と鈴木首相は極東軍総司令官マッカーサーに呼び出される。横柄なマッカーサーに米軍通訳官の少佐は言葉を選んで通訳する。しかし、天皇は英語が堪能であり、英語でマッカーサーと話し始める。マッカーサーは初めて見る天皇に戸惑いを覚え、「子供のようだ」と言いすぐに帰す。天皇は自分でドアを開けることすら慣れていなかった。 米軍からチョコレートが贈られてくる。天皇はチョコレートを侍従に分け与えるが、毒が入っていないかと侍従長は大あわてする。人間宣言をした天皇のもとに科学者が訪れる。人間となった天皇と直接面会することに慣れていない科学者は馴染むことが出来ない。さらに、昭和天皇は米軍の写真撮影を許す。侍従らは人間であることが国民に知らされることへの懸念を抱くが、昭和天皇は快く撮影に応じる。 夕刻、マッカーサーが夕食に招待する。マッカーサーは、天皇が心の内を明かさず、本当の気持ちを伝えないことに気づき始める。昭和天皇は老子を引き合いにしながら日本の心を話す。通訳官が席をはずしたのを契機に、昭和天皇は次第に心を解きはじめ、ハバナ葉巻を貰って吸い始める。マッカーサーが人間になった気持ちを問うと、「・・・天皇は楽ではない。趣味や習性は怪しまれる・・・」と語る。マッカーサーも次第に天皇に理解をしはじめ、疎開先の皇后や子供たちを呼び寄せるよう諭す。 皇居に戻った昭和天皇は、現人神になったことを自問自答する。皇室と国と国民の安定と平和のために、神格という身分を返上するのだと。間もなくして、皇后と皇太子らが戻ってくる。子供らに会いに部屋を出ようとする天皇は侍従長に「私の人間宣言を録音した若者はどうした」と問う。侍従長は「自決しました」と答える。びっくりした天皇は「もちろん引き留めたんだろうね」と問い返すが侍従長は「いいえ」と答えるのだった。 DVD検索「太陽」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年04月24日
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東映映画俺は、君のためにこそ死ににいくの前売り券を買ってきました。 前売り券を買うと特典品で「桜舞う「隼」ドーム」がついてきます。 だからどうってことない代物ですが、なんとなく欲しくなって・・・。 ところで、見に行く前に色々と調べようと、公式HPなんかを見ておりましたら、5,000万かけて製作した陸軍一式戦闘機隼があるのですが、その尾翼マーキングが見たことないんですね。隼関係の本を見てみたんですが、ない・・・。 そこで、登場人物のプロフィールを見てみると・・・、主役となる部隊が第47振武隊と第71振武隊となっていました。むむむ、どちらも実在しない特攻隊ですね。ストーリーやプロフィールを見ている限りでは、トメさんに「ホタルとなって帰ってくる」と言った第104振武隊の宮川三郎軍曹や、「残りの人生をあげる」と言った第78振武隊の勝又少尉、朝鮮出身指揮官の第51振武隊の光山少尉、「日本は負ける」とつぶやいた園田少尉など、著名なエピソードをそのまま受け継いでいるようです。ところが、登場人物はそれぞれ田端少尉、金山少尉、河合軍曹と名や部隊名を架空にしています。直接実名を出しにくい理由もあったのでしょうが、実話に限りなく近いエピソードを用いていながら、あえて架空にする理由がちょっと不信感を抱かせます。 脚本はもちろん石原慎太郎。鳥浜トメさんとは旧交があったことは存じておりますが、すでに周知の実話談をフィクション仕立てにしてまで、自分の著作としたいのでは・・・という憶測まで考えてしまいます。うーん、何だか心配になってきた。 映画の著作物ですから、脚本家も著作権者として名を連ねるわけですが、石原さん、得た収入はどうするんだろう。普通なら、知覧に寄付するところなんだろうけど、あの人のことだから、自分の当然の権利だとか言い出しそう。 で、謎のマーキングなんですが、マルシン工業さんが1/48スケールの金属モデルを発売するんだそうです。「俺は、君のためにこそ死ににいく」劇中モデル・隼3型 \9,000 これで謎が解けました。主役となる第71振武隊のマーキングなんですね。もちろん架空なので、オリジナルで作ったようです。確かに71と読める。 映画を見る前からちょっと不安が募ってしまいましたが、事実の話を映画でどこまで再現してくれているかですね。あんまり石原流に改変してなければいいけど。傲慢な人だから・・・ちょと心配。 それはさておき、予告編の隼突入シーンはすごいですねえ。もちろんCGなんだそうですが、実機と見まがうばかりのリアルさは見事。ここは期待できそうです。
2007年04月22日
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5月12日に石原慎太郎総指揮の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の公開がはじまりますね。俺は、君のためにこそ死ににいく公式HP 個人的には石原慎太郎氏は大嫌いな部類の人間なんですが、映画の中身はあの著名な知覧特攻基地の話しであり、映画化されることは大歓迎です。石原氏の息がかかっているということで、変な脚色がなされていないことを願うばかりですが、事実は一つであり、それを寄せ付けないだけの歴史の重みが詰まっているに違いありません。男たちの大和に続いて大いに期待している映画であります。試写会にも応募しておりますが、当たらなくても5月12日は仕事を休んででも(あっ、土曜日か)見に行く所存です。 もう10年ほど前になりますが、訪れた知覧特攻会館では本当に感動して涙しました。今度は子供を連れて行きたいなあと思っています。若くして命を賭した特攻隊員たちの想いを感じることで、我々が今生きる価値と命の尊さを改めて理解できることでしょう。 ですから、本作で石原氏がどんなに内容を改変しようとも、視聴者側にはもっと重い歴史が伝わってくることでしょう。それが戦争賛美になどにつながるはずもありません。そうでなければよっぽど心が枯れている人ということになりましょう。 ところで、こんな面白い記事がありました。窪塚洋介猛反撃「井筒監督はアホ」 石原慎太郎東京都知事(74)が製作総指揮した映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(5月12日公開)のPR会見が19日、大阪市内で行われ、W主演の俳優・徳重聡(28)、窪塚洋介(27)と新城卓監督(63)が出席。特攻隊員を描いた作品で、井筒和幸監督(54)が「戦争の美化」と批判していることに対し、窪塚は「見る前に言うヤツはアホ」と猛反撃に出た!(デイリースポーツ)井筒監督が知事にパッチギ!(デイリースポーツ) 在日朝鮮人兄妹の青春を描いた映画「パッチギ!LOVE&PEACE」(5月19日公開)のトークイベントが15日、都内で行われた。「タイトル通り愛と平和を描いた」という井筒和幸監督(54)は、同時期(5月12日)に公開される石原慎太郎東京都知事(74)製作総指揮・脚本の特攻隊映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」をやり玉に挙げ、「あの人の趣味でしょ。戦争の美化はやめてほしい」と挑発。タイトルの“LOVE&PEACE”らしからぬ雰囲気に、主演・中村ゆり(25)、井坂俊哉(27)は苦笑いするばかりだった。 あちゃー、やってますねえ。井筒監督って前からこんなんでしたかねえ。戦争映画好きで通っていたはずなんですが、パッチギあたりから豹変しましたね。もうこの人終わっちゃったんでしょうか。 少なくとも、あたしはパッチギは見に行きませんが、俺死には見に行きます。
2007年04月20日
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2004 ドイツ 監督:デニス・ガンゼル 出演者:トム・シリング、フロリアン・シュテッターほか 110分 カラー 第二次世界大戦下のドイツ。ボクシングの才能を認められ、ヒトラーのエリート養成機関「ナポラ」に入学した青年が、理想と現実の間で翻弄される姿を描いたヒューマンドラマ。「ナポラ(napola)」とはNational-politische Erziehungs-Anstaltの略で、いわゆるベルリン防衛戦などで登場する「ヒトラー・ユーゲント」とは別物だ。国家の最高エリートを養成する目的で作られたナポラへは、NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の管区指導者と学校の教官の推薦を得なければ進むことができないのだ。 本作は、その秘められた組織ナポラを描いた珍しい作品ではあるが、内容的にはフィクションで、ドイツ国内の旧関係者からは、真の姿ではないとの批判もあったようだ。 全体にコンパクトにまとまっており、映像的、出演者、ストーリー的にも標準以上。ヒューマンドラマとして、喜怒哀楽が上手に織り込まれ、登場人物の性格付けも分かり易く、良くできている。特に、学校にも行けないほど貧しいボクサーのフリードリヒがナポラに入学し、次第に権威と優越感に感化されていく様や、友人で知事の息子アルブレヒトが裕福でありながら絆のない家庭に救いを求めようとする様は、実に良く伝わってくる。設定が現代日本ではあり得ないものではあるが、学歴競争社会とも似る部分が多く、共感される方も多いのではないだろうか。 本作の根底に流れる主題に「無抵抗の相手を撃(打)つか否か」がある。ボクサーとしては倒れた相手に留めを刺すのか、兵士としては丸腰の敵兵を撃つのかといったことなのだが、いわゆる人としての自制心、残虐性の克服を導きだそうとしているのだろう。しかし、戦時の、しかもナチスドイツを背景にしている割には、ちょっと甘いというか、主題としては軽すぎる気がする。そんな単純な割り切りではないだろうに。 もう一つ、上記とも連動しているのだが、本作は全体の感情抑揚を一定ラインで押さえ込んでいるかのようにのっぺりとしている。悪く言えば、特筆すべきものがない。ショッキングなシーンもないわけではないが、あまり心に響いてこない。 さらに、ストーリーが単純化されすぎている感もあり、特に助演する登場人物の裏の顔、心の葛藤というものがもっと描かれていれば面白かったかも知れない。 なお、本作が戦後ドイツの反省史観に基づいているのが素晴らしい、という論評もちらほら見られるが、私にはあまりそう見えなかった。無論、ナチス容認・肯定というスタンスではないが、どちらかというと被害者、他人事といった立場を感じる。同じ敗戦国でも、日本は天皇陛下、A級戦犯も含め、国民が皆当事者として反省するから自虐的な史観を引きずる結果になってしまうが、ドイツの場合はヒトラーやナチス党は消滅した過去の産物として捉え、こうした集団を二度と輩出させませんという宣言こそが反省となっているのだ。本作も、ドイツ人監督のそのあたりの被害者意識的な感覚が見え隠れしているような気がしてならない。まあ、映画的にはそれで十分なんだけど。 ほとんどが学校のシーンなので結構低予算の部類に入るのだろう。登場する兵器類はキューベルワーゲン風の車が少しとトラック。面白かったのは、手榴弾訓練のシーンで、キャップはずし、紐引き、投擲という手順が良くわかった。ここで英雄が登場するのだが、一目散に逃げ出す教官の姿には苦笑。 また、入学試験では「生命の泉 レーベンスボーン計画」とも関連する、顔の骨格サイズや瞳の色、髪の色の検査がなされているのが興味深い。 全体に良くできている映画で、喜怒哀楽のバランス感が心地よい映画であった。まあ、その分ちょっと物足りなさも感じたが。題名の印象が強すぎるが、あくまでヒューマンドラマなので留意されたし。 なお、ナポラは15,000名の学生を輩出し、その大半が武装親衛隊の士官として戦死している。 (参考) 朝鮮新報の映画評(珍評) 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 工場労務者の息子フリードリヒ・ワイマーは、日雇いアルバイトの傍ら通っているボクシングジムで、ナチスエリート士官養成学校「ナポラ」の生徒と試合を行う。試合ではナポラの選手をダウンさせるが、ルールでは気絶するまでとされており、フリードリヒは最後の一撃を出す事が出来ず、逆に打たれてノックダウンする。しかし、ナポラの教官フォーグラーに素質を見いだされ、ナポラの入学試験を受けるよう勧められる。 フリードリヒの父親は、ナチスに関わるなとナポラ入学に反対だったが、フリードリヒはエリートになるチャンスだとして、勝手に同意書にサインして家出してしまう。見事、ナポラ入学を果たしたフリードリヒだったが、父親は非協力的としてゲシュタポに連行されてしまう。 ナポラでは、お調子もののクリストフ、肉屋の息子ウィルヘルム、おならの記録を持つジェイデン、寝小便のジークフリート、知事の息子アルブレヒトと同室になるが、フリードリヒは早くも上級生に目を付けられてシゴキを受ける。それを助けたのがアルブレヒトだった。アルブレヒトは権威ある知事の息子で、学校でも一目置かれていたが、父親や母親の愛情を受けているとは言い難い環境で、そのことが不満だった。作文や詩を書くのが好きなアルブレヒトは父や母に読んで貰おうとするが、多忙な両親は目もくれない。 フリードリヒは教官フォーグラーの指導で実力を高めていき、同じナポラのポツダム校との試合に出る。そこでは、ついに倒れた相手への一撃で勝利を得る。フリードリヒはナポラでのドイツ民族至上主義、ナポラの教育精神に次第に感化され、権威に喜びを感じるようになっていた。しかし、アルブレヒトはやりすぎだとたしなめるのだった。 寝小便がクセになっているジークフリートは、寝小便をネタに上級生や軍事教官の卑劣ないじめに合っていた。ナポラの汚点だとまで蔑まれたジークフリートだったが、手榴弾投擲訓練の際に、マルティンが失敗して落とした手榴弾に身を挺して覆い被さる。ジークフリートの勇気ある行為に学校長や知事らは絶賛するが、フリードリヒらは一目散に逃げ出した教官らに怒りを感じ始めていた。訓練の際にフリードリヒは教官の腹に思い切りパンチを打ち込んで、憂さを晴らすのだった。 知事の誕生日に、フリードリヒは家へ招かれる。そこで、ボクシングの選手と知った知事や取り巻きたちは実演を命じる。相手はひ弱なアルブレヒトが指名され、フリードリヒはやむなくアルブレヒトを殴り倒す。知事はふがいない息子に冷めた目を向け、フリードリヒを賞賛する。 戦況の悪化で8年生の出動が決まる。さらに、最上級生となったフリードリヒら7年生にも、森に逃げ込んだロシア人捕虜の捜索任務が出る。銃を携帯して森にむかったフリードリヒらは森に潜むロシア兵を発見し銃撃する。近づいてみるとロシア兵はまだ子供だった。罪悪感を感じたアルブレヒトは息のある兵の治療を続けるが、後からきた父親(知事)は無情に射殺してしまう。この一件でアルブレヒトの父親への軽蔑とロシア兵射殺の罪悪感が一層増してくる。 国語の時間の作文でアルブレヒトはロシア兵射殺は間違いだったと述べる。それを聞き怒った知事はアルブレヒトを武装親衛隊に志願させ、ウクライナの前線行きを命じる。父親の厳命に逆らえないと判断したアルブレヒトは、湖の寒中潜水訓練の際にわざと溺れて自殺してしまう。 アルブレヒトの自殺にショックを受けたフリードリヒは、学校新聞でアルブレヒトの死亡告知を載せるよう頼むが、校長は自殺などあり得ないととりつく島もない。 ボクシングの試合で勝利を託されたフリードリヒは、相手を倒すが、ギャラリーに知事や校長の顔を見て、留めの一撃を打つ事を拒絶する。結局試合に敗れたフリードリヒは、ナポラを追い出されるのだった。 DVD検索「ナポラ」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年04月17日
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1977 橋本プロ(東宝) 監督:森谷司郎出演:高倉健、北大路欣也、三国連太郎、前田吟、加山雄三、森田健作、緒方拳ほか 168分 カラー 私が生まれて初めて本格的映画を見に行ったのがこれ。明治35年(1902)、青森県八甲田山で青森第5連隊と弘前第31連隊が雪中行軍を行い、青森連隊が遭難し、多数の死者を出した事件を映画化したもの。当時私は小学生だったが、新田次郎の原作「八甲田山死の彷徨」を読んで以来、映画化されると聞き、親父に頼み込んで連れて行って貰った。製作期間3年、制作費7億円という、当時の邦画としては史上最大のスケールを誇る作品だけあって、初めて映画館で見る映画の迫力に圧倒されまくった。これが私の戦争映画の原点でもある。その後数年の間で、「戦国自衛隊」「ガラスのうさぎ」などの戦争映画も作られたが、全く持って比較にならないものであり、以降現在に至るまで、私の邦画最高峰に君臨する作品である。 当時、CMにも用いられたキャッチフレーズ「天は我々を見放した!」は一世を風靡し、実にインパクトがあったし、作品に挿入される音楽や効果音は絶妙。これほど耳に残る作品は他にない。特に、行進中に唄われる軍歌「雪の進軍」は今なお私の口ずさむ愛メロディでもある。監督は森谷司郎で翌年には、山岳遭難シリーズ「聖職の碑」の監督もしている。制作・脚本は後に超迷作「幻の湖」を作った橋本忍。 原作と比較すると、映画で描ききれることはどうしても限られてしまうが、本作はそれに負けない出来となっている。確かに、青森、弘前両連隊の指揮官の心情、性格描写がやや甘いという指摘もあるが、それは原作やその他の資料で補完すればいいと思わせるだけ、本作の完成度は高い。上級幹部の身勝手な発想に振り回される、両指揮官の決断と苦悩だけにとどまらず、両連隊に分かれて雪中行軍に参加する兄弟など、兵たちそれぞれの置かれた苦痛と必死さが抑え気味の表現として描かれているのがいい。特に、兄(前田吟)が死んだ弟を見つけて「おとっと(弟)を背負っていきたいんであります」のシーンはグッと来る。それに対して指揮官(高倉健)が「弟を背負った貴様が倒れれば、それを助けた者が倒れ、我が隊は全滅する!」と毅然と命じる対比は、もう男泣き。 また、八甲田という大自然との闘いの描写も凄まじく、寒中、雪原の描写は、全世界の映画でも未だこの右に出る映画を知らない(あくまで私の知っている範疇でね。汗)。吹き殴る雪の寒さ、壁となって立ちはだかる氷、そして氷に飛び散る血しぶき・・・。嗚呼、自然を敵にまわしてはいけないのだと痛感させられる。もちろん、雪中行軍の研究のために行った行為なのだから、想定の範囲内なのだろうが、何故こんなところを行軍しているのだという疑問すらぶっ飛んでしまうぐらいに迫り来る大自然の恐怖なのだ。加えて、極寒地での体験がない者にとっては新鮮だったが、暖の取り方、握り飯の保存、汗や小便による凍死など真に迫るものがあった。 映像的にも音響的にも、今となってはどうってことなく劣る面も目立つのだが、それでもなお画面から迫り来るインパクトは健在である。それは、全編に渡って挿入される音楽と効果音が実にマッチしているのと、八甲田山死の彷徨という作品に真摯に取り組んだ姿勢そのものから来るのだろうと思う。 音楽は冒頭の主題曲?が実に印象的で、悲劇の到来を予期させる前兆となっている。本編中では、音の強弱による演出や、無音、自然音シーンの挿入など風や雪などの効果音をうまく用いているほか、それと対比させる回想シーンの青森の伝統祭りや春夏の自然映像は実にインパクトが強い。青森出身でなくとも郷愁を感じるし、死の直前(極限状態)のフラッシュバックというのものを疑似体験したかのような衝撃感がある。映像技術としても、フラッシュバックの使い方(間の取り方)としては最高レベルといってもいいのではないだろうか。 また、本作はいわゆるドキュメンタリーに近い作品になるのだろうが、ドキュメンタリーに肉付けしたヒューマンドラマが程よくマッチしている。ドキュメントだけでは面白くいないし、かといってヒューマンドラマを創りすぎるとリアリティがなくなってしまう。本作は原作に沿いながら、過度でない程度にうまくまとめあげているのがいい。 とにかく、映画としてここまで完結した作品というのは稀なのである。しかも邦画で・・・。 主役は両連隊の中隊長高倉健と北大路欣也。両者とも日本を代表する名優なわけだが、やはり私的には北大路欣也の熱演を評価する。明治の軍人らしい厳しさと、上官との板挟みで苦悩する心情を良く表現している。高倉健は渋く決めすぎで、ちょっと軍人らしくないのが興ざめ。青森連隊の大隊長役の三国連太郎は存在感たっぷりだが、ちょっと年取りすぎのイメージ。このほか、本作を名作にまつりあげたのは、前田吟、緒方拳などの下士官兵卒役。東北弁で話す木訥さと純朴さが悲劇をさらに際だたせていくのだ。ただ、唯一倉田大尉役の加山雄三だけが・・・・ミスキャスト、場違いとしか言いようがない。 ややネタバレだが、青森第5連隊210名のうち生還したのは17名。行軍踏破成功した弘前第31連隊26名も含めてほとんどが、2年後の日露戦争黒蒋台の戦いで戦死している。まさに生き証人のほとんどいない知られざる歴史なのだと実感する。なお、登場人物名は史実とやや異なっている。神田大尉→神成大尉、徳島大尉→福島大尉、山田少佐→山口少佐、江藤伍長→後藤伍長など。 一応念のためだが、本作は私の映画史の貴重な1本なので、いささか過度な評価になっているのは自認している(笑)。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★★★ (以下あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 明治34(1901)年10月、弘前の第4旅団司令部に、麾下の歩兵第5連隊(青森)、歩兵第31連隊(弘前)の幹部が集められていた。友田旅団長(少将)は、予期される日露開戦を見越して、寒地装備や寒地戦の調査を目的に、雪の八甲田山で雪中行軍を実行しようと言うのだ。 青森第5連隊の実行指揮官には第5中隊長の神田大尉(北大路)、弘前第31連隊の実行指揮官には第2中隊長の徳島大尉(高倉)が命じられ、八甲田山の両側から登り山中で交差する計画となった。 若干の経験のある徳島大尉は、下士官以上の志願兵を中心に最小装備の小隊規模26名の少数精鋭を編成した。行程は弘前から出発し、十和田湖-三本木を経て八甲田山入り、鱒澤-田代温泉を経て田茂木野村へ至る10泊11日の長期とした。 一方、夏山の経験しかない神田大尉は徳島大尉のもとを訪れるなど調査し、徳島隊と同様に小隊規模の編成を申し出たが、山田大隊長(三国)の関与で、大隊本部付き14名を加えた中隊規模編成210名にさせられてしまう。指揮権はあくまで神田大尉にあるというものの、実際には山田少佐の権限が強い。行程は青森-田茂木野村から八甲田山へ入り、小峠・大峠-賽の河原-馬立場-鳴沢-田代温泉へ抜け、三本木から汽車で青森に帰隊する2泊3日のものだった。 徳島隊の斉藤伍長と神田隊の神田大尉の従卒長谷部は実の兄弟だ。 明治35年1月20日、先に弘前を出発した徳島隊は、できるだけ野営は避け、民間人の道案内を雇った。出発に先立ち徳島大尉は神田大尉に対して、万が一八甲田山中で立ち往生していた時には助けて欲しいと手紙を出していた。一行は、行程毎に道案内を頼んでいたが、その中にはサワ(秋吉久美子)という女性も含まれていた。 一方、神田隊は1月23日に青森を出発する。その際田茂木野村の村民が道案内を買って出るが、山田少佐は金欲しさだとして拒絶してしまう。その結果、道案内なしで八甲田山山中に突入する事になる。賽の河原を過ぎたあたりで、荷物を積んだ橇隊が遅れ始め、神田大尉は放棄しようとするが、山田少佐が認めない。天候が悪化する中、馬立場に到着し、田代温泉まであと2kmと迫り、藤村曹長ら12名を先行させる。 風雪がいよいよひどくなり、神田隊は道に迷い始める。さらに、神田大尉の意向とは異なり山田少佐が指揮を取り始める。指揮権は一体誰にあるのか、と悩む神田大尉だったが、とにかく先頭に立って田代への道を進む。しかし、隊の最後尾にいるはずの橇隊の後ろから先行したはずの藤村曹長らがやってくる。神田隊はすっかり道に迷っていた。 神田隊は鳴沢付近で雪を掘って宿営する。そこで、山田少佐が行軍の中止と夜間の帰営を命じ、神田隊は夜間行軍を余儀なくされ、ついに隊から凍死者を出す。田代への道を発見したという新藤特務曹長により、再び田代へ歩を進めるが、またもや道に迷う。仕方なく隊は川に沿って進むが、ついに氷の壁を登る事に。滑落して血だらけになる兵も続出する。兵は次から次へと倒れ、ついに長谷部も倒れる。疲弊した大隊長をかつぐ兵も倒れるなど、神田隊はほぼ壊滅に近かった。神田大尉は田茂野木村へ江藤伍長を先行させ、遭難を知らせるよう命じる。 1月26日、徳島隊は三本木に到着する。第5連隊では三本木に到着したのが第31連隊と知り、遭難を危惧し、行軍の中止を命じる。しかし、その伝達手段はなかった。 1月27日、徳島隊は八甲田山に入る。そこで、雪に埋もれている江藤伍長を発見し神田隊の遭難を知る。すぐさま、連隊本部に知らされ、連隊、師団をあげての救助活動が開始される。さらに、徳島隊の行軍の中止命令も出されるが、徳島隊はすでに出発した後だった。 1月28日、鳴沢付近で徳島隊の斉藤伍長が雪に埋もれている神田隊の実弟長谷部を発見。亡骸を背負って行きたいというが、徳島は隊の全滅につながると許可しない。賽の河原に至ると、多くの兵士の死体に出会う。その中に神田大尉の死体もあった。徳島大尉はようやく会えましたねと語りかける。 田茂野木村に到着した徳島隊は、救助に来ていた第5連隊の指揮官に神田大尉の遺体を発見したと報告するが、指揮官はすでに昨日遺体は収容されていると言う。徳島が会ったのは幻だったのか。 神田隊210名のうち、救助されたのはわずか17名だった。その中には大隊長山田少佐、倉田大尉なども含まれていた。山田少佐は責任をとって自決する。DVD検索「八甲田山」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年04月15日
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2005 アメリカ 監督:マーカス・アダムス 出演者:ウェズリー・スナイプス、エマ・サムズ、ウィリアム・ホープほか 94分 カラー チェチェンに巣食うテロリストがアメリカ人科学者を誘拐し、原子力発電施設を占拠。アメリカ陸軍特殊部隊が出動し、テロリストの謀略を阻止する、というアクション映画。もちろん史実になんか全く関係ないフィクション。アメリカ政府、ロシア政府の思惑が絡むサスペンス的な部分もあるが、非リアリティ的な展開なので、アクションだけを楽しむべき作品かな。ハッキリ言って、戦争映画の仲間に入れてあげるべきかどうかのボーダーライン。さらに、一応クセのある主人公ペインター(ウェズリー・スナイプス)が設定されてはいるが、いわゆる「ランボー系」映画のような強烈なキャラクターではない。そのあたりも思い入れという観点で、ちょっと微妙。 上映時間は94分と決して短くはないのだが、かなりテキパキとした展開であっという間にエンディング。それなりに緊張感を持って楽しめたのだが、ストーリー自体はかなり浅めの作りなので期待はできない。ただし、アクションシーンはボチボチの出来で、爆発シーンや銃撃シーンは特筆するほどのものではないが及第点。それに、アメリカ海軍空母とF-14トムキャットの映像を織り込んでおり、少しは迫力感がある。 登場する兵器類としては、先に挙げた米空母とF-14トムキャットがあげられるが、トムキャットは「NG」マークのVF-211ファイティングチェックメイツ。ところが、本作のためにわざわざ撮影したのかと思ったが、VF-211がトムキャットでNGを掲げているのは2001年まで。ということは、米軍の記録映像か、どこか他の映画からの流用ということになりそうだ。映っている空母はよくわからないが、キティホーク級の空母で艦番号が64と推測される。となるとCV-64コンステレーションということになり、VF-211は1977年から82年にかけてCV-64に載っていたことがあるので、その頃の映像ということになるかもしれない(映画中では空母オークラ(oakla)とされている)。なお、核施設のピンポイント攻撃に出かけたトムキャットがロシア機と空中戦するシーンでは全く別のトムキャットに変わっているし、ロシア機はF-16だったりF-5だったり・・・。んん、どこかで見たと思ったら尾翼マークが「トップガン」のものと一緒。部分的にトップガンから流用しているようだ。しかも画質落として(涙)。 このほか、テロ組織の保有する兵器に戦車と装甲車が登場し、戦車は前面に簡易複合装甲を取り付けたソヴィエト製T55AMのようだ。装甲車はBTR- 70かBTR-80装甲車。各1台づつしか登場しないが、撮影場所がルーマニアということなので、旧東側国の兵器というのも納得。このほか、救出に駆けつける米軍ヘリにはユーロSA330ピューマで、これもルーマニア軍保有かもしれない。ただ、確か空母を出るときはブラックホークだったような気がするのだが(笑)。 おかしいと言えば、米空母の艦長(大佐)が登場するが、彼のかぶっている帽子に「SSN-798」の文字が・・・。それって2019年就役予定の原子力潜水艦じゃないのか。まあ、別にいいけど。 あと、米軍特殊部隊も何の組織なのか全く不明。隊長が大尉であるのはわかったが、他は階級なし。F-14に陸軍パイロットが乗っていってしまうのも意味不明。細かいところのミリタリー的検証はかなり杜撰と言える。 何だか批判ばかりになってしまったが、良かった点としては音響があげられる。壁や建物をぶっ壊して爆走する戦車のシーンは迫力があるし、地下トンネル内での銃撃戦シーンも靴音などがなかなかリアル。 そう言う意味では、細かい事を抜きにしてアクションだけを楽しむならば、まあそれなりに楽しめる。主人公のスナイプスの性格付けがもっと強く出ていれば、シリーズものとしてやっていけたかもしれない。 余談だが、マークスマンとは狙撃手とか仕掛人という意味。本作の場合、航空機によるピンポイント爆撃誘導のための標的を設置する兵士のことを指している。 興奮度★★★ 沈痛度★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) チェチェン共和国カムツェフ村の原子力発電所施設が、イゴール・ゼイザ将軍のテロ組織に占拠された。ゼイザ将軍はブレジネフ時代の鉄の男で、チェチェンで武器を扱うテロリストだ。占拠された発電所は廃止されていたが、1基は再運転も可能な状態で、現在ロシア政府の要請で解体のため科学者が派遣されていた。そのうち4名がアメリカ人でうち2名が救援を求めて来たのだ。 ゼイザ将軍の副官ブリントフが北朝鮮の死の商人ジョン・リー・キムから核実験に失敗した核燃料棒を買い付けたとの情報で、アメリカ軍はゼイザ将軍が核施設の再運転を計画していると判断し、核施設の破壊とアメリカ人科学者の救出作戦を決断する。 陸軍特殊部隊のナイシュ大尉、ペインターらに出動が命じられ、ドイツのヴィースバーデン空軍基地からチェチェンに潜入する。ロシア軍のイワノフ大臣は核燃料棒の輸送阻止に協力を約束するが、どうも裏がありそうだ。 ペインターに白羽の矢を立てたのはCIA?のアマンダ・ジャックス(女性)で、かつてボスニアで作戦ミスによりペインターの同僚を死に至らしめていた。ペインターは不快な顔をしながらも命令に従って出動する。 ペインターらは旧病院に隠れていたアメリカ人科学者モフィットとバレンティア(女性)を救い出し、さらに核施設に潜入する。核施設では残りの科学者が殺されており、ペインターらは爆撃誘導用のターゲットを設置して脱出する。脱出地点には米軍のヘリが待機しているが、余りに簡単すぎるミッションにペインターが疑問を感じる。そのことをナイシュ大尉に伝えた瞬間、バレンティアが特殊隊員を射殺し、ヘリを爆破する。モフィットもバレンティアも命欲しさにゼイザ将軍に協力しており、罠だったのだ。ペインターとハーグスだけが逃げる事ができ、ナイシュ大尉らは捕虜となる。ペインターはジャックスに電話をして罠だと伝え、黒幕が誰かを捜させる。 調査の結果、核燃料棒の輸送はダミーで、すでに核燃料施設が稼動している事をつきとめる。このまま各施設を爆撃すれば大惨事を引き起こす。クレムリンに不満を持つイワノフ大臣の策略で、アメリカに核施設の大惨事を起こさせて国際批判を浴びせようと言う計画だったのだ。しかし、すでに空母からは陸軍パイロットの乗ったF-14が発進しており、核施設につけたターゲットに向けて進んでいる。 ペインターはハーグスと協力してナイシュ大尉らを救出し、取り付けたターゲットの停止を試みる。しかし、すでにF-14の誘導ミサイルは発射された。核施設に潜入したペインターは間一髪の所でターゲットの停止に成功。ミサイルはペインターが不測の事態を予期してつけておいた役場跡の第2のターゲットに向かって変針し、突入。そこにはザイゼ将軍がおり、爆破される。クレムリンではイワノフ大臣の自殺が報じられるが、黒幕は・・・。 DVD検索「ザ・マークスマン」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月29日
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2003 イギリス・ブラジル・ハンガリー 監督:エジディオ・エローニコ 出演者:トーマス・クレッチマン、チャールトン・ヘストン、マーレイ・エイブラハムほか 112分 カラー ドイツ軍武装親衛隊SSの医官大尉だったヨゼフ・メンゲレは、ドイツ軍のユダヤ人収容所アウシュヴィッツにおける、遺伝学実験、特に双子の子供に対する常軌を逸した残虐な人体実験を行ったことで知られ、重要戦犯として手配されながらも死ぬまで南米の地を転々として逃げ回った実在の人物である。その異常なまでに固執したゲルマン民族優位性を証明するための人体実験により、表題にもある「死の天使」と呼ばれるに至る。 本作は、その息子ヘルマンの告白等を元にペーター・シュナイダーが小説化したものであり、多少の脚色はあるが大筋としてはノンフィクション仕立てと言っていいだろう。ヘルマンは父メンゲレの南米逃亡後もドイツに住み、級友や教師からのいじめに会うなど不遇の生活を送り、その後父親に会うために南米に移る。そのメンゲレは国際的な捜査にもかかわらず、1979年に海水浴中の心臓発作で死去するまで、約35年にわたって逃亡に成功するのだが、余りに謎が多かったため、その事故死には疑問が投げかけられ、1992年の遺骨DNA鑑定という事態にまで至ることとなる。当時の日本でも新聞記事になった事件である。ちなみに、こうしたナチ戦犯の逃亡を手助けした組織として「オデッサ」の存在が知られており、本作でもその一端が見え隠れする。 本作は、メンゲレの悪行たるアウシュヴィッツ収容所の惨劇が主題ではない。多少の記録映像等による虐殺シーンも含まれてはいるが、むしろメンゲレと息子ヘルマンの人間性に重点を置いたヒューマンドラマが主体となる。ほとんど会ったこともない卑しむべき罪人の父親と再会し、自首を促すべきなのか、父を理解するべきなのか、という葛藤がヘルマンを悩ませ続ける。ゲルマン民族至上主義・進化論淘汰主義の思想に凝り固まった父メンゲレと、ユダヤ人虐殺の反省史観の上に育ったヘルマンの間にある大きな溝。お互いに理解しようと試みるが決して歩み寄ることのできない絶望感。そして憎しみや愛情の入り交じった切っても切れない親子の絆と言ったものが、複雑に絡み合ってくる。メンゲレの行為が悪行であったか否か、ヘルマンは父親を赦すべきか否か、などといったごく普通のヒューマンドラマにありがちなレベルをはるかに超越している。 「私の仕事を理解してくれるとは思わない。しかし、正当化するつもりもない」と言いつつも自己の理論から決して脱却できない父親メンゲレ。父親を理解しようと努めるも、戦後史観の呪縛から逃れられない息子ヘルマン。一筋縄ではいかない断絶があるが、むしろそこにあるのは、宿命とか血の絆といった不可避なものであり、それにどのように対面していくかという過程でもある。いずれにしても、余りに深遠で複雑なこの親子関係を理解することは、我々視聴者には到底不可能なことであると思われ、単純化されている映画ですら実に難しい内容となっている。 映画はサスペンス調に謎解きモードで展開していくが、実話であり実際はもっと複雑なものであったことを考えると、決して謎解きは明快ではない。メンゲレ、ヘルマンのどちらに心情移入することも難しく、それだけに映画としての盛り上がりや完成度という点では劣るものがある。一緒に見ていた家内などは、メンゲレの死の裏にまだ大どんでん返しがあるだろう、とサスペンスドラマ的深読みして期待していたほどだったが、どうやらそんなことはないようだ。あくまでノンフィクションにこだわった作品と言っていいのだろう。 映像は現代、近過去、遠過去の場面によって彩度を落とした映像で違いを示しており、それなりにわかりやすい。ただし、かなりの頻度で現代、過去が行ったり来たりするのでちょっと慌ただしい感がある。時代背景等の知識がなくても理解は出来るが、やはりユダヤ人問題、オデッサの存在くらいは知っておいたほうがいいだろう。 ロケはブラジルがメインでハンガリーでも行われているようだ。俳優には「戦場のピアニスト」のクレッチマンや「ベン・ハー」のヘストン、「アマデウス」のマーレイ・エイブラハムなどの大優を用いてはいるが、大がかりなロケという風には見えない。役者で魅せようという意図がはっきりしている。それぞれの役者の表情は見事で、演技に深みがあるのはさすがだ。この辺りに安物作品では出ない重みを感じる。 題材が題材だけに、直接我々に問いかけてくるような命題は無いに等しい。共感できる場面も少なく、糧となる内容でもない。しかし、実話が持つ人生の重みと、波瀾万丈の凄みだけはひしひしと伝わってくる。時代に翻弄された人間の脆さというのものを実感できる佳作である。 余談だが、映画中のメンゲレの墓の隣は日本人となっている。「YANIRO OGATA KIOTO1926 MANAUS1976」とあるので京都出身のオガタヤニロウさんという設定なのだろう。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1985年6月、アマゾン州マナウス市で、あるナチ戦犯の墓が暴かれる。それはアウシュヴィッツ収容所の医師で死の天使と呼ばれたヨゼフ・メンゲレのものであり、顧問弁護士とオーストリア人夫妻の自宅で、墓の場所を示唆する手紙が発見されたことが切っ掛けであった。そこに立ち会っていたメンゲレの息子ヘルマンは、取り囲むユダヤ人群衆から非難の声を浴び、老婦人に「犯罪者の息子も人殺しだ」と首をつかまれるのだった。 ユダヤ人原告団の弁護士であるミンスキーは、メンゲレの死と遺骨が本物かどうかに疑問を感じており、ヘルマンに真実を語るよう迫る。何故今頃公表されたのか、1979年に海水浴の事故で死んだとされる証拠など、謎が多いのだ。一部にはメンゲレがまだ生きていると見るものもいた。しかし、ヘルマンは頑なに口を閉ざす。 ホテルに戻ったヘルマンは、ホテルを取り巻く群衆の罵声に恐ろしさを感じ始め、ミンスキーを呼び、8年前に父に再会した時からの話をしはじめる。 1976年5月29日、ヘルマンは南米ブラジルに逃亡中の父ヨゼフ・メンゲレと面会するために、ブラジルへ旅立つ。父メンゲレはユダヤ人収容所アウシュヴィッツの医師であり、残虐な人体実験をした罪で問われていたが、支援組織により南米に逃亡中の身であった。 幼少時からいじめを受けて育ったヘルマンは、父の罪の重さに苦しみ、父親の口から真実を聞き出してみたくなったのだ。母や伯母の制止を振り切ってブラジルへ向かったヘルマンは、アマゾン州マナウス市のスラム街アルゲン通りで、オーストリア人夫妻の支援により、ひっそりと暮らす父を見て驚く。ナチ戦犯としてもっと威厳に満ち、悪玉と想像していたヘルマンにとって、年取った実際のメンゲレは近所の子供にも優しい普通の老人だった。父を糾弾し、自首を促そうとまで考えていたヘルマンだったが、父の姿を見てそれを切り出すことが出来ずにいた。頑なに自らの行為が間違いではなかった、「誓って言う。一人も殺していない」と主張する父メンゲレと、メンゲレが極悪犯罪人と教育されてきたヘルマンの間には深い溝があった。ドイツ民族の優越感のために戦い、望んで親衛隊に入った父メンゲレのことを理解しようにも理解できない。だが、ブラジルで近所の子供の病気を治し、慕われる父の姿も真実である。次第に、ヘルマンは父親の言葉(声)に苦しめられ始める。メンゲレに銃を向けてもみるが、撃つ事は出来ない。 しかし、ヘルマンが婚約者の話を父メンゲレにした際に、ゲルマン民族至上主義の言動に怒りが爆発する。ヘルマンは警察署に通報しにいくが、結局話せなかった。そこで、ヘルマンはドイツの親友ロベルトを呼び寄せる。ロベルトは親身に相談に乗ってくれるが、父親メンゲレの存在を知り、写真を撮り警察に通報しにいってしまう。 ところが、メンゲレの支援者たちの工作で、逆にロベルトが逮捕される。ヘルマンは父親を救おうと遠くに逃げようとするが、父親の白人種至上の考え方に反意を感じ、結局ブラジルを去る事にする。 ロベルトは解放されたが、2年後、メンゲレが海水浴中に溺れて死んだとの報を受ける。オーストリア人夫婦から遺品を受け取ったヘルマンは「博士の支援者を守らねばならない」と言われ、封印を決意した。 話し終わったヘルマンに、ミンスキーは、70歳代のメンゲレが何故海水浴を一人でしたのか、溺れたメンゲレを女一人で引き揚げられるのか、棺や墓がすぐに用意されていたのは何故か、そして墓の場所を示唆する手紙が家に残されていたのは何故か、などの疑問を提示し、ヘルマンがメンゲレの余生を確保するための偽装ではないかと疑う。 そこに、電話が入る。発見された骨はDNA鑑定の結果メンゲレのものと確定された。 改めてヘルマンがミンスキーに感想を問う。ミンスキーは、死んでもなお一族の絆があり、罪を背負って生きていくヘルマンに対し、自分がヘルマンの立場になることは耐えられないと述べる。ヘルマンは、父の遺品を全てメンゲレに預けて去っていく。 DVD検索「マイ・ファーザー 死の天使」を探す(楽天) かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月23日
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1976 アメリカ 監督:ジャック・スマイト出演:チャールド・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、三船敏郎、ジェームス・コバーン、ジェームズ繁田ほか 131分 カラー ミッドウェイ海戦とは、第二次世界大戦の昭和17年6月5日~7日にミッドウェー諸島沖で起こった海戦で、真珠湾奇襲攻撃の成功で優位に立った日本海軍が初めて致命的な敗北を喫し、日米戦のターニングポイントとなったものである。この戦いでアメリカは航空母艦1隻、日本海軍は航空母艦4隻を失った。この日本の敗北の理由として、アメリカ軍の暗号解読成功や、日本海軍偵察機の無電故障などが挙げられるが、本作もそうした史実にそれなりに忠実な内容となっている。 全編を通して、ドキュメンタリータッチを取っているが、主役級の登場人物の中には架空のものもおり、ラブロマンスや家族ドラマと言ったヒューマンドラマも盛り込まれている。折角の歴史史劇大作としては、果たして架空のラブロマンスなどが必要だったのかという疑問は残る。 また、制作者、監督の意図としては、日米公平な視点となるよう日本人を賢く知的に描いた、とのことであるが、確かに日本人をそれまでの映画のように愚かで猿のような下等人種として描いてはいないが、日本兵役のほとんどに日系人を起用するなど違和感が強い。日本人は唯一山本五十六大将役の「世界の三船敏郎」だけ。あとは、南雲中将役のジェームズ繁田、友永大尉役のサブ・シモノ、山口少将役のジョン・フジオカ、草鹿参謀役のパット・モリタ(カラテキッドで著名)、源田中佐役のロバート・イトーなど、見た事はある日系人役者。お色気ムムンの東洋美女佐倉春子役も日系人のクリスティーナ・コクボ。こうした中、唯一の日本人、三船は撮影にあたって、制服を自前で調達したり、作戦用地図が間違っているのを指摘するなど、誤解や誤謬の訂正に活躍したそうだが、やはり日本軍の描写は戦史的にも映像的にもおかしい点は多い。 アメリカ的には、ハワイの日系人強制収容所という人種差別の汚点を白日のもとに晒したという点で評価されている。 さて、本作はミッドウェイ海戦を日米の両視点から描いた作品として、内容、ボリュームともに大作なのだが、映像という点ではかなりの問題がある。というのも、本作は戦闘シーンの撮影に用いるだけの資金がなく、戦闘シーンのほとんどを記録映像と他の映画作品からの流用で補っているのだ。従って、映像に真実みがなく、映画作品として評価できるのかという疑問が生じるのだ。継ぎ接ぎだらけに色々な映像を用いたために、航空機や艦船の形状や色調に一貫性が無く、なんともおかしなものになってしまっている。当時としては許されるのだろうが、今となってはこのような製作方法は許されないだろう。 とはいえ、130分にわたり、これだけ多様な映像をつないで作り上げた根性には感服する。記録映像、流用映像にしても決してロングで引用はせず、こまめに切ってつないでいるのだ。実に、綿密にシーンのつなぎを検証して編集しており、まさにパクリの天才だ。映画の映像がどこから転用され、どのように用いているかを考えるだけでも面白い。なお、本作の上映ヒットを受けてTV用に40分近い映像の追加がなされたらしい。その多くは主役のガース海軍少佐と婚約者とのシーンである。 本作で用いられている映像シーンについて。 ミッドウェイ空襲でジープが壁に突っ込むシーンや飛行する九九式艦爆などは「トラ・トラ・トラ(1970)」から流用されている。出航する空母に手を振る漁師や空母から発艦する九七式艦攻や零戦、翼から燃料が漏れる友永機などは「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960)」からの流用。見た事のあるシーンが細切れに上手に突っ込まれている。中でも笑ったのは、艦橋に駆け上る海軍パイロットのシーンで、思い切り佐藤充や夏木陽介の顔が映っている。次のシーンには日系人役者にすり替わっているが、ここだけは映っているのが主役級の役者だと気づかなかったのか(笑)。この他、ヨークタウンの艦橋に日本軍機が突入するのは「全艦発進せよ (1956)」のシーンだし、冒頭のB-25が空母から発進するのは「東京上空三十秒前(1945)」からだ。この他にもありそうなのだがわからない。 登場する日本軍機は色々な映画からの流用のため、実に多彩。主に、零戦、九七式艦攻、九九式艦爆が登場するが、カラーリングがバラバラ。太平洋の翼からの流用は見れるが、変なのは濃緑色迷彩や翼上に旭日が描かれた攻撃機や銀色機体の零戦。どこからのパクリなのか。 記録映像のシーンもかなり多い。米海軍の資料室から使えそうなものを探してきたとの事だが、都合の良い使い方なので、映画のシーンと実際の映像は全くリンクはしていない。派手なアクションを好むという点では、どうしても日本機の特攻シーンや撃墜シーンが多くなるのも仕方がないのだろう。また、さすがに米軍機の映像は豊富なようで、F4F、F6F、アベンジャー、B-17、P-40など多くの米軍機の発着艦や飛行シーンが登場する。中でも圧巻なのはクラッシュシーンで、ガース大佐の息子が艦橋に激突するシーンに用いられたものと、ガース大佐が着艦に失敗して炎上したシーンに用いられたもの。炎上シーンは、よく見るとジェット戦闘機で時代が合わないのだが、実際のものだと思うとドキッとする。 実際に撮影された兵器類は、他映画の流用やら記録映像が大部分のため、本作のオリジナルがどれなのか判然としない。その中で、映像のクリアーさなどから明らかに撮影されたと思われるのは、空母シーンとF4F、PBYカタリナ飛行艇。空母はレキシントンが用いられたということで、時には日本の空母に化けたりと大活躍。 音響は、最新技術の「センサラウンド」が用いられている。椅子にまで響く臨場感や迫真感が大評判だったとか。今ではごく普通になってしまっているが、爆発シーンなどの地響き音はさぞかし圧倒した事だろう。 なお、本作自体の出来とは関係ないが、私の視聴したDVDの日本語字幕はひどかった。かなりの誤訳、誤字で、例をあげると、空母「竜虎→龍鳳?」、空母「曽柳 →蒼龍」、「魚雷→攻撃機」、「爆弾→爆撃機」、「水平→水兵」など。もちろん、日本軍の階級もぐちゃぐちゃで中将なのに大将だったりする。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年4月18日、アメリカ軍は日本沿岸に忍び寄った空母からB-25のドーリットル隊を発進させ、日本本土の空襲に成功する。真珠湾攻撃以降、絶対的優位を誇っていた日本にとってはショッキングな出来事であり、日本海軍山本五十六大将は、日本に最も近いアメリカ軍基地ミッドウェー諸島の占領とアメリカ海軍空母部隊の壊滅作戦を実行に移す。アメリカ軍は真珠湾での痛手に続き、先の珊瑚海海戦でも空母を失うなど、戦力的にも大きく劣っていた。 海軍パイロットのガース大佐は、体力の面から地上勤務にまわされ、日本軍の動向を探っていたが、情報部のロシュフォール中佐から日本軍の暗号を解読しつつあるとの情報を得る。このところA-Fという地点の暗号が増えており、そこが次の作戦拠点と判断されるのだ。ロシュフォール中佐はニミッツ大将に、囮情報として「ミッドウェイの淡水装置が壊れた」との平電文を送ってもらう。日本軍はまんまとひっかかり、A-Fがミッドウェイである事が判明する。 ガース大佐の息子トム少尉もまたパイロットだったが、ガース少佐のいるハワイに赴任してくる。トムは父に日系人佐倉春子と結婚したいと告白する。しかし、春子はFBIの調査で危険分子と判断され、日系人収容所に収容されていた。ガース大佐は春子と会ったり、友人の情報部員に頼むなどして春子の潔白を証明しようとする。 日本海軍は北方のアリューシャンで細萱中将の部隊が陽動作戦を行い、それに乗じて南雲中将の航空艦隊がミッドウェイ島の攻撃とおびき寄せた米航空母艦を殲滅する作戦に出る。しかし、暗号を解読していたニミッツ提督も虎の子の空母3隻を駆使して対抗措置を講じる。病気のハルゼー中将に代わって指揮を執るスプールアンス少将率いる「エンタープライズ」「ホーネット」、損傷後応急処置で出航したフレッチャー少将の「ヨークタウン」の3隻の空母がミッドウェイ方面に向かう。ガース大佐とトムもヨークタウンの乗り組となる。 日本海軍は友永大尉を長とする攻撃隊をミッドウェイ島に出す。しかし、反撃も激しく友永大尉は「二次攻撃の要あり」と打電し、南雲艦隊は魚雷から爆弾への換装を決断する。ミッドウェー基地からのアメリカ軍攻撃隊は日本海軍に襲いかかるが、零戦隊の活躍で撃退される。しかし、これにより米航空艦隊の攻撃準備が整い、スプールアンス少将は攻撃隊を発進させる。その中にはトムの姿もあった。 一方、無電の故障から米空母の発見情報を知らなかった日本軍はようやく米空母を発見情報に接し、急遽爆弾から魚雷へ再換装を始める。しかし、これが致命的となり、急襲した米軍機により空母「赤城」「蒼龍」「加賀」の3隻が失われた。トムは被弾して重傷のまま帰還する。 残った日本空母「飛龍」の山口少将は、全機を発進させて米空母の攻撃に向かわせる。この結果空母ヨークタウンの破壊に成功する。一方、ガース大佐は空母飛龍への再攻撃にパイロットとして出撃する。飛龍の撃沈に成功するが、ガース大佐機は被弾し、空母への着陸に失敗して戦死する。 ハワイに帰還したヨークタウンをニミッツ提督や春子が出迎える。DVD検索「ミッドウェイ」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月22日
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2004 ベトナム 監督:ミン・トゥアン・ドー出演者:キュー・アン、ファム・クァン・アン、イサーク・ル、ヌイ・ルほか117分 カラー フランス軍とベトミン(ベトナム独立同盟)軍がインドシナで戦った、第一次インドシナ戦争のディエン・ビエン・フーの戦いを扱ったベトナム映画。植民地支配を死守しようとするフランス軍の防衛拠点ディエン・ビエン・フーを巡る死闘は、1954年に行われた57日間の激戦が著名で、これを扱った映画には仏の名作「スカイミッション空挺要塞DC3(愛と戦火の大地)(1992)」がある。数千人の死者を出したとされるフランス軍の壮絶な戦いと植民地戦争の矛盾が描き出される。本作はベトナム側からの視点で描いたということで、戦史の両側面を垣間見る事ができるという点で大いに期待が高まった。 結論から言うと、本作はシリアス戦争ものというよりは、ラブロマンス系ヒューマンドラマの系統に近いようだ。しかも、戦争アクションもヒューマンドラマもメロドラマも、全て中途半端に消化し切れていない。何に重点を置いているのかがさっぱりわからず、それぞれが独立して互いの持ち味を消し合っている。さらに、ディエン・ビエン・フーの戦いで敵同志だったフランス、ベトナムの兵士が40年後に再会すると言う現代シーンと、両者の回想にあたる戦争シーンが交互に繰り返されていくのだが、挿入のタイミングとバランスが非常に悪い。通常なら少量の現代シーンの間に回想シーンをメインとして挟み込むのだろうが、現代シーンの量が多いうえ、孫娘の病気?や気色悪い夢、モダンダンスなど意味不明の設定や映像があるため、作品の方向性を見失う結果となっている。多分、 40年の年月を経てフランスとベトナムの和解というようなテーマを盛り込もうとしているのだろうが、さっぱり・・・。 シリアスな戦争ものとして期待すればかなり失望するだろうし、ヒューマンドラマとして成り立つほどの内容もない。ラブロマンスとしても、掘り下げが浅いので・・・。 また、ベトナム製作ということで、ベトミン側視点はどうかという点だが、単にベトナム人を描いたと言うだけで、戦史的、戦術的にはさしたる新事実もなく、戦史考証はかなり甘い感じ。しかも、ベトナム社会主義のプロパガンダとまでは行かないものの、やはりベトナム人美化の視点は否めず、完全なフィクション映画として見るべきものと思われる。実は、本作は対仏勝利50周年記念国家事業としての国策映画なのだ。自由化の道が開き始めたとはいえ、ベトナムの民主化はまだまだ遠い。 さらに、主人公のフランス兵は投降兵というよりは脱走兵に近い。死ぬのが怖くて投降し、機密情報を流しまくる売国奴でしかない。フランス兵憎しという描き方ではないが、完全にフランス兵をコケにしている。本作はさすがにフランスでは上映できないだろうなと思わせる内容だ。 さて、肝心の戦争シーンだが、火薬使用量はまあまあだが、兵士が登場するシーンはチープさが浮き彫りとなる。フランス兵は画一的にサブマシンガン所持でベトミン陣地に突撃しちゃうし、演技も下手。夜間シーンが主なのでチープさを隠す事には成功しているが、撮影ロケーションが限られており同じ映像シーンの使い回しが気になる。 登場する兵器類は戦車と野砲のみ。仏軍戦車はM41ウォーカーブルドック軽戦車のように見えるが、どこで調達したものだろうか。ベトナム戦時の鹵獲兵器なのだろうか、一応稼動しているようだ。フランス軍の航空機も登場するが、いずれも合成かCGによるもの。合成などは映像が飛んだりずれたりと技術的に甘いし、CGと思しき機影は同じものが何度も繰り返して登場するのはなんとも情けない。ひどいのは、ベトミン軍隊列への空襲シーンが何度かあるが、飛行音だけというお粗末さ。まあ、チープな合成を見せられるよりはましかもしれないが。また、フランス空挺部隊の落下傘シーンもあるが、これはミニチュアかな。いずれにしても、ベトナム製作だから大目にみるけれど、努力した痕跡はあまりない。 戦史的に納得できたのは、ディエン・ビエン・フーのフランス軍を包囲するベトミン軍が山中に野砲を隠しているシーンと、丘上のフランス軍トーチカを突破するために、地下トンネルを掘って爆薬を仕掛けるシーン。どちらも、「スカイミッション空挺要塞DC3」でも描かれており、対比してみると面白い。このほか、ベトミンの突撃は太鼓を合図で、命令直前に太鼓を取りに行くあたりが興味深い。いわゆる突撃太鼓だね。 なお、フランス軍、ベトミン軍の両方とも部隊名称や階級はほとんど出てこない。ベトミン軍では主人公の若い兵士の所属する部隊長(中隊長クラス?)、旅団長のみ。 全体として、肩すかしを食らったような作品だが、ベトナム視点の作品という点では新鮮。フィクションとはいえ、ベトナム人が何を考え、どのように行動したかの一端を垣間見る事はできるだろう。出来具合はともかく、これだけレアな作品を見る事が出来た事に感謝だ。意味不明のシーンその1 塹壕の兵士意味不明のシーンその2 モダンダンス意味不明のシーンその3 水上歩行興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 元フランス兵のベルナルドは、かつてインドシナのディエン・ビエン・フーで共に戦ったバオと再会する。ディエン・ビエン・フーの戦いについては、1954年にルモンド紙がベトナム人を勇敢と讃え、1984年にはニューヨークタイムズが世界の16の勝利のうちの一つにあげている。(回想シーン) 1954年、フランス軍空挺部隊員としてディエン・ビエン・フーの要塞陣地に籠もっていたベルナルドは、包囲されて食料や医療品不足にあえぐ惨状に気が滅入っていた。ベルナルドはパリ生まれのソルボンヌ大学卒だったが、死にたくないという気持ちが強くなり、塹壕の中でベトミン(ベトナム独立同盟)に投降する。捕虜にしたのはベトミンの若い兵士バオだった。バオはビエン部隊長にベルナルドを引き渡す。 ビエン部隊長の尋問で、ベルナルドは「生き抜く自信が無かった。今は友人の死が一番怖い」と告白し、戦争の早期終結のため、フランス軍の情報を提供する事を約束する。 フランス軍のトーチカのあるA1の丘の攻防戦は一進一退を繰り返しており、部隊長はベルナルドを安全な後方へ移送させる事にする。護送はバオが担当することとなるが、前線で戦いたいバオは嫌な顔をする。 後方へ移動中にベトミンの隊列とすれ違った際にフランス軍機の空襲を受ける。この時にベルナルドは足を負傷し、通りかかった女性看護兵のメイの治療を受ける。メイも早く前線に行きたがったが、バオは頼み込んで護送に付き合ってもらうことにする。三人は徒歩で後方陣地に向かうが、次第にバオはメイに恋心を抱き始める。しかし、メイは父親が教師だったこともありフランス語を話す事が出来たため、ベルナルドと親しく話す姿を見て心穏やかではない。(現代シーン) ベルナルドはフランスに帰国後、40年ぶりにベトナムのバオを尋ねてくる。メイと結婚したバオは二年後に息子ソンをもうけ、その後ベトナム戦争にも参戦した。メイは1972年に病死し、今はメイそっくりな孫娘パンと暮らしている。そのパンはメイの大切にしていた造花を拾うために転落事故を起こし、病気(怪我?)を煩っている。ベルナルドはパリの病院で手術を受けるよう進言する。(回想シーン) もう少しという地点でベルナルドはフランス兵の捕虜とすれ違う。その姿を見てベルナルドは再び前線に行きたいと言い始める。友人を救うためA1の丘の情報をもっと伝えるという。ベルナルドとメイはトラックに便乗して先に戻る事にする。しかし、後から追う事となっていたバオが遅れ、夜を一緒に過ごしたメイはベルナルドに恐怖を覚える。二人はバオの到着を待たずに先に出発してしまう。 ベルナルドとメイは道に迷って山中の機密エリアに迷い込んでしまう。スパイではないかと疑いをかけられたメイだが、歌を歌って疑いを晴らす。翌朝、ベルナルドが逃亡したのではないかと疑っていたバオのもとに合流する。 前線では、すでに飛行場を攻略しておりベルナルドの情報は必要なかった。そこで、ベルナルドは新任務として料理人タックのもとで食事作りを手伝う事になる。通訳兼監視としてメイも一緒におり、楽しげに会話する二人の仲を次第に怪しむものが出てくる。前線任務でA1の丘攻略のために地下トンネルを掘っていたバオもその噂を聞き、心中穏やかでない。さらに、ベルナルドが機密のトンネル情報をフランス軍に流さないかも気がかりだった。結局、部隊長の配慮でメイはバオの隊に配属となる。 戦闘は佳境を迎え、フランス軍、ベトミンともに総力戦となる。塹壕でバオはフランス軍の偽投降兵に胸を刺され、ベルナルドへの不信感を増す。さらに、親友のバンやビエン部隊長が撃たれて戦死し、フランス兵への憎しみを増していく。一方、ベルナルドはベトミン兵が持ち帰ってきた戦利品の中に親友の水筒を見つけ絶句する。そして、ベルナルドは姿を消す。ベルナルドが姿を消した事を知ったバオは、やはりスパイだったかと捜索するが、ベルナルドは前線で親友の名を呼び続けていた。 5月6日、ついに地下トンネルに爆薬を詰めて爆発させ、翌日A1の丘に白旗があがる。ついに、フランス軍のド・カストリの司令部は落ちた。(現代シーン) 戦後、ベルナルドはフランスへ帰国。一時は反逆罪として問われたこともあったが、40年後に罪悪感からバオのもとを訪ねる。バオの孫娘パンはパリの病院で治療を行って完治。そのお礼にと、ベルナルドにモダンダンスの発表会を開くのだった。DVD検索「インドシナ激戦史」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月20日
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2006 アメリカ・イギリス 監督:ケヴィン・マクドナルド 出演者:フォレスト・ウイッテカー、ジェームズ・マカヴォイ、ケリー・ワシントン、ジリアン・アンダーソンほか 125分 カラー R-15指定 今年のアカデミー賞主演男優賞を獲得した映画ですが、早速見て参りました。あの食人大統領がどのように描かれているのか、楽しみなところです。 アフリカの国、ウガンダで実在した独裁大統領イディ・アミンを主題に扱った人物伝的映画。ウガンダ陸軍大佐兼副司令官だったアミンは、1971年1月25 日に軍事クーデターを起こし大統領に就任する。当初は、「ウガンダの独立と自由、愛と友情」をもたらすと宣言し、国民の熱狂的な支持を受けた。アミンは元ボクシングチャンピオンというスポーツマンであったうえ、ユーモアに富んだ弁舌は国民のみならず、海外の多くの人々をまでを魅了したと言われる。 しかし、その反面、貧しい家の出のアミンは、他人を信じることが出来ず、敵対するオボテ元大統領派などとの抗争などにより、次第に孤立しはじめ、冷徹で残虐な一面性を強く出すようになってくる。より過激なイスラム教国とのつながりを強化し、1972年8月の「非ウガンダ国籍アジア人追放令」で国内の貴重な技術者であったインド人を追放して経済を悪化させたり、1976年6月27日のPFLA(パレスチナ解放戦線)が起こした「エア・フランス139便ハイジャック事件」を支持し、イスラエル軍がウガンダのエンテベ空港で奇襲救出作戦を行うなど、宗主国イギリスやイスラエルとの関係を悪化させ、ついに 1979年4月11日、タンザニアに支援されたウガンダ民族解放戦線によって政権を追われることとなった。その間、反抗的な部族や敵対する人物など、身内や側近まで30万人とも50万人とも言われる人を虐殺した。また、アミンは5人の妻を持っていたが、第二夫人のケイは外科医ムサカとの不貞で妊娠し、見せしめのために四肢バラバラで惨殺されている。ほかにも行方の知れない妻もいるといわれる。「アフリカで最も血にまみれた独裁者」「人食い大統領」とも呼ばれた。 本作は、こうしたアミンの半生を題材に描いたジャイルズ・フォーデンの小説を原作に、架空のスコットランド人青年外科医の視点で、第二夫人ケイやエア・フランスハイジャック事件を交えたものである。スコットランド人医師ギャラガンは、複数の実在した白人をモデルにして作り上げられたものらしいが、あくまでフィクション的存在であり、映画はノンフィクションをもとに作り上げられたフィクションである。 アミンの人物像や行った言動についてはかなりの真実味があるらしい。アミンを演じた主演のフォレスト・ウイッテカーはこの作品で見事、アカデミー賞主演男優賞、ゴールデングローブ男優賞、英国アカデミー賞をはじめ、多くの男優賞を総なめ状態にした。それだけ、真に迫る名演技だったことは間違いない。アミンの懐の広い優しさとカリスマ性、そして残虐性と孤独感が豊かな表情で画面に問いかけてくる。これまで、ウイッテカーは「プラトーン(1986)」「グッドモーニング・ベトナム(1987)」「グリーン・ドラゴン(2001)」など戦争物でも名脇役として存在感があったが、主演として大役を十分果たしたと言っていいだろう。ただ、残念なのは迫真の演技ではあったが、アミンの持つカリスマ性表現はもっと演出できたのではないかと言う点。観客までが引き込まれるほどの演説やインパクトがあった方が映画としては成功しただろう。 もう一人の主人公ギャラガン医師役はジェームズ・マカヴォイで、「ナルニア国物語」で有名らしい。世間知らずで傲慢な青年が、権力と愛欲とに魅惑されながらも、正義に目覚めていく姿を好演している。このギャリガン青年の行動は見ていてとてもイライラさせられるのだが、アミン政権の重圧的な圧迫感と、アフリカのもつ根深い絶望感に陥りがちな題材に、明るく起伏のある展開をもたらしている。 本作は実在の人物が多く登場するが、映画中のほとんどのエピソードは、架空の人物ギャラガン医師をめぐるフィクション仕立てとなっている。ノンフィクションとフィクションがうまく融合した成功例の一つとも言え、ストーリー展開に厚みと明確な起承転結をもたらしている。ただこの手法は、映画としてのストーリー性を面白くする上で、非常に効果があったものと思われるが、実在の人物アミン大統領とウガンダという国を理解する上ではいささか障害ともなっている。 本来、アフリカを題材にした場合、アフリカに根ざす様々な問題を明確にしなければならない。白人国家による長年の植民地支配、宗主支配、キリスト教とイスラム教などの部族間抗争、急速な独立化による政治腐敗と虐殺など。いずれも、白人国家の関与が原因の一つであり、特に近年の性急な独立と、熟成していない民度と社会経済が大きな混乱を招いているのだ。アミンという存在も、決してアフリカの地が作り上げたのではなく、イギリスなどの宗主国によって作り上げられた人物なのである。ところが、本作ではこのあたりの描き方が曖昧で、アミンの個人的な残虐性ばかりが強調されている感がある。むしろ、スコットランド人青年の無知やイギリスの植民地支配贖罪という側面も描いて欲しかったところだ。このあたりが、イギリス人作家原作によるイギリス・アメリカ製作映画たる所以なのだろう。映画の起承転結としての完成度は高いのだが、最後にどうもしっくりこない感があるのだ。イギリス、アメリカは決して悪者じゃない、アフリカが愚かなだけだという見下した思念を感じてしまう。 本作はR-15指定がかかっている。ごく僅かだが残虐シーンとSEXシーンがある。そんなに酷くはないが、気にする人は注意。 ロケはウガンダ本国で行ったそうだ。従って、市街地映像等は現代のものが写っていたりもするが、アフリカに行ったことがない者にとっては無問題。登場する兵器には、アミン大統領クーデターシーンでT-55戦車が1台。1990年代に輸入した機材と思われるが、1970年代にはT-55は保有していないはず。 全体として、商業的映画としてはかなり面白い部類。映像、音楽、ストーリー共にバランスが良く、アクション性、ヒューマンドラマ性ともに及第点。ただ、この映画がウガンダ、そしてアミンの真実だと思ってはいけないという点でマイナス要素。主題となるテーマ性はやや薄く、商業ベース作品と思ってみるならば良いだろう。 ちなみに、「エア・フランス139便ハイジャック事件」をイスラエル側視点から映画化したものに、「エンテベの勝利(1976米)」「特攻サンダーボルト作戦(1976米)」「サンダーボルト救出作戦(1977イスラエル)」があるので、こちらと比較してみると面白いかも。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1970年スコットランドの医大を卒業した青年ニコラス・ギャリガンは、自分の力を発揮したいと地球儀を回して選んだウガンダのムガンボ村の診療所で働くこととする。ムガンボ村にはすでにイギリス人医師がおり、その妻サラが出迎える。ちょうどその時、ウガンダではアミンがクーデターを起こし、新たな政権ができようとしていた。 サラは新大統領アミンに興味も持たなかったが、ギャリガンはアミンに大いに興味を抱く。村に遊説に来たアミンの演説に感銘を受けたギャリガンは、帰りに事故を起こしたアミンの手当をすることになる。その際、泣きわめく牛を射殺したことから、アミンが興味を抱き、ギャリガンがアミンの嫌うイギリスと敵対するスコットランド人と知るや否や彼の着ていたシャツの交換を申し出る。 後日、厚生大臣のワッサワがギャリガンのもとにやってくる。アミンが首都カンパラに招待したものだが、アミンはギャリガンに主治医になるよう申し出る。一旦は断ったギャリガンだったが、ムガンボ村では人妻のサラと危ない関係になりそうだったことも助け、アミンの申し出を受けて主治医となる。 当初は単なる医者であったが、ギャリガンの歯に衣を着せぬ発言に、アミンは次第に信頼を置くようになり、重要な会議への代理出席や施策への助言を求めるようになる。その度に、アミンからベンツをプレゼントされるなど贅沢三昧な生活を送るようになる。また、ギャリガンはアミンの第二夫人ケイの息子の病気を助けたことをきっかけに興味を抱くようになる。 ある日、アミンを車に乗せたギャリガンは反政府ゲリラの襲撃に遭遇する。危うく難を逃れるが、アミンは内部に裏切り者がいると疑心暗鬼になっていき、側近すら信用しなくなる。そんな、アミンの一面性を見てギャリガンは恐ろしさを感じ始める。それでもアミンを信用するギャリガンは、イギリス人と会話するワッサワをアミンに報告してしまう。イギリス人の高等弁務官ストーンから、ワッサワが行方不明となったことを知らされ、ギャリガンは自分の一言の重みを感じる。次々に消える要人に、ギャリガンは主治医の辞職とスコットランドへの帰国を希望する。しかし、アミンはそれを許さなかった。 完全に幽閉されたギャリガンは、ケイと急接近し不倫の関係となる。パスポートまで奪われたギャリガンはストーンに助けを求めるが、これまでの非協力のために断られ、暗にアミンの暗殺以外道はないと示唆される。 アミンは非ウガンダ国籍のアジア人追放令を計画する。ギャリガンはこれに反対するが、アミンの罵倒で一蹴される。しかし、その後何故強引に止めなかった非難され、アミンの二面性に恐怖を感じる。それでも、アミンに会見を開くべきだと進言し、補佐役としての存在感をアピールしていく。 しかし、ケイが妊娠し大問題となる。不貞が発覚すれば命の補償はない。堕胎の手配をするギャリガンだったが、一足先にケイは病院で四肢バラバラにされて処刑される。ギャリガンは意を決してアミンに毒入り薬を手渡す。その時、パレスチナ解放戦線のハイジャック機がウガンダの空港に着陸する事件が発生。アミンは、ギャリガンに同行を命じる。 空港に到着した一行は、人質の処遇をマスコミに発表するが、ギャリガンが渡した薬に不信感を持つ護衛によって毒薬であることがばれてしまう。ギャリガンはアミンの激怒を買い、生きながら皮を剥いで殺されるという処刑にかけられる。それを助けたのはウガンダ人の前主治医だった。彼を解放される人質に紛れ込ませて飛行機に乗せるが、前主治医は護衛によって殺されてしまう。間一髪ウガンダの空港を飛び立った飛行機をアミンが眺める。 DVD検索「ラストキング・オブ・スコットランド」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月18日
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本日の午後1時から日本映画専門チャンネルで「ガラスのうさぎ (TVドラマ)〔全15話〕 1980 カラー BS・CS初 未ビデオ化 」が放映されます。 ガラスのうさぎと言えば、1979年製作の映画版が有名で、主役の子役蛯名由起子が巷のロリロリファンには絶大な人気を誇っているようですが、こちらはアノ高部知子が主演したテレビ版全15話です。このテレビ版は全然見たことがないので、どんな風に仕上がっているのかわかりませんが、映画版と違って極レア的存在です。最近では2005年にアニメ版も製作されていましたね。 今日は1時から7時半まで全15話一挙放映ですので、お見逃しなく。 先日「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」のDVD予約を書きましたが、硫黄島からの手紙の発売日と同じ日に、フジテレビはまたまた「硫黄島~戦場の郵便配達~」をあててきました 放映日を公開日に当ててきたりと、やることが姑息と言うか、ウケ狙いなのか。 ついでといっては何ですが、DVDの安売りを探していたら・・・・73.6%OFF★大決算セール◆トップガン スペシャル・コレクターズ・エディション MA-1 BOXもう2年も前に発売になったアルファ社製のトップガン仕様のMA-1とヘルメットバッグの入ったDVDBOXですが、当時で安くても4万円ほどしていたため、買わずに断念していたのですが、今では13,800円。 まあ、普通に買っても1万円程度はするアルファのMA-1に何のパッチがよくわかりませんが、パッチ付きですからね。結構お買い得と言えるんじゃないでしょうか。ということで私も一つ買いました。トップガンのDVD持ってるんだけどね・・・
2007年03月10日
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早くも「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」のDVD発売予約です。硫黄島からの手紙(期間限定)(DVD) 4/20発売予定 定価2,980硫黄島からの手紙 特別版(2枚組)(DVD) 4/20発売予定 定価3,980父親たちの星条旗(期間限定)(DVD) 5/3発売予定 定価2,980父親たちの星条旗 特別版(2枚組)(DVD) 5/3発売予定 定価3,980 思ったよりも安いですねえ。やっぱり洋画はお手軽価格なのがいい。どちらも特別版が出ていて、メイキングなどのボーナスDVDがついています。どうせ買うなら特別版なのですが・・・、このあとスペシャルとか、ディレクターズカットとかも出そうなんですよねえ。 いつも慌てて買って、あとからもっと充実したのが出てきたりして悔しい思いをするので・・・。はて、今回はどうしようかなあ。今回の特別版はカットシーンは入っていないんですよね。やっぱりカットシーンを収録したバージョンを待つか・・・。 そういえば、今日は「バンド・オブ・ブラザース コンプリート・ボックス」の発売日ですね。 私は2002年の新発売の時にコレクターズBOXを購入したのですが、それとどこが違うんだろう。<特典映像>収録&次巻エピソード日本版予告編/戦場マップチャプター採用/スタッフ&キャスト・プロファイル(静止画)ってなってるんですけど、戦場マップチャプター採用ってなんだ?。こちらは未公開シーンは入っていないようですが、私のコレクターズには入ってましたね。まあ、すでにコレクターズBOXの入手は困難なので、買い逃した人はこれを買うしかなさそうです。
2007年03月09日
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1965 チョコスロバキア 監督:ヤン・カダール、エルマール・クロス出演者:イダ・カミンスカ、ヨーゼフ・クロネル、ハナ・スリフコワほか128分 モノクロ 1965年のアカデミー賞外国語映画賞受賞作。監督のヤン・カダールは親族をアウシュヴィッツ収容所で失った経験のあるチョコスロバキア人。共産主義政権下のチェコスロバキア共和国で製作された作品である。 チェコスロバキアはチェコ人とスロバキア人で構成される国家であったが、隣国ドイツ、ポーランドなどの外圧に常に苛まれ、1939年にはついにチェコがドイツに併合、スロバキアがドイツ管理下として独立するはめになる。本作はドイツ管理下のスロバキアにおけるユダヤ人迫害問題を、ユダヤ人商店主の老婆とその管理を任された平凡なスロバキア人大工の男の物語である。序盤は明るく、ジョークも交えたテンポで進むが、段々と東欧映画独特の陰気で惰性的な雰囲気が色濃く漂ってくる。というのも、題材がやはりユダヤ人迫害であり、権力と富に翻弄され揺れ動く庶民の葛藤というものが主題になっているからである。本作には、監督の深く沈痛な想いが込められているのを感じる。ユダヤ人問題を扱った幾多のドキュメンタリーよりも、物語調である本作は心に重く響いてくるし、ましてや冒頭の妙な明るさが後半に思い切り反動として返ってくるのがつらい。 ただ、チョコスロバキアという国民性はまるで知らないのだが、本作に登場するスロバキア人の男とユダヤ人の老婆の性格、思考にはかなり違和感を感じた。考え方や物事に対する接し方がかなりの部分で日本人である私と異なるため、映画の登場人物に対する感情移入という点ではほとんどできなかった。愚かしさを感じたり呆れる事はあっても同情には至らない。それだけ、文化の違いもあるのだろうし、第二次世界大戦時のヨーロッパで起きた事象に対する知識的隔離があるのだと感じた。残念ながら、それだけ心に響いてくるものが無かった点に、私の本作に対する評価が低い事由がある。ヨーロッパ人やしかるべき人が観れば高い評価なのかもしれないが、あくまで私の評価という事でご理解願いたい。 とはいえ、ユダヤ人老婆ラウトマン役を演じるイダ・カミンスカの演技は白眉もの。ユダヤ人の敬虔さや生真面目さがありありと伝わってくる反面、老獪さというのも垣間見えて来るのが凄い。また、凡庸な大工トーノ役のヨーゼフ・クロネルも本当に木訥とした小市民を好演している。決して善人でも聖人でもない彼が権力と富と恐怖政治に翻弄されていく様は名演技である。この他、トーノの妻エベリーナ役のハナ・スリフコワは強欲で権力志向の典型例だが、最も人間らしい姿とも言える。 本作は若干の叙情的、芸術的な雰囲気を持った作品でもあり、ニヒリズムも感じさせる。登場人物や時代背景についてはあまり解説をはさまない。衝撃的なエンディングシーンにしても多くを語らずに、視聴者に理解させようと言う意図が見える。この題材において、こうした手法は敬虔な西欧宗教的な心を持った人になら受け入れられるであろうが、私にはどうしても受け入れがたいものがあった。そう言う意味で、なんとも微妙な評価になってしまうのだ。ちなみに、アメリカの映画データベースIMdbでは8点を超すなど相当の高評価となっている。高評価のレビューを見る限りは、やはり宗教的な葛藤や感情に深い感銘を受けている様子が窺われる。また、厳しい共産主義下の検閲のもと、覆い隠された人道的な怒りをも見いだしてもいる。そう言う意味では、同じ社会主義国家のもとで名画「地下水道(1956)」「灰とダイヤモンド (1957)」「鷲と指輪(1992)」「聖週間(1995)」などを制作したポーランド人監督のアンジェイ・ワイダと良く似た雰囲気がするのも当然のことなのだろう。 本作を見てどのような感想を持つだろうか。色々な人の意見を聞いてみたい作品である。 興奮度★★沈痛度★★★★★爽快度★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1939年スロバキアはドイツの管理下としてチェコスロバキアから独立する。1942年になりドイツからの命令でアーリア法に基づく、ユダヤ人隔離政策が行われようとしていた。 アントニン・ブルトコ(通称トーノ)はごくごく普通の大工で、恐妻のエベリーナの説教にまいっていた。義兄のマルクス・コルコツキーはファシスト党の地方支部長であり、広場に記念碑バビロンの塔を建設させていた。妻のエベリーナは義兄に頼んで塔の建設に参加させて貰うよう頼めと言うのだ。愛犬エッセンスを連れて広場に行くトーノだが、どうも義兄コルコツキーが好きになれない。 ある日、突然コルコツキー夫婦が酒やご馳走を持参してトーノの家にやってくる。トーノにユダヤ人商店街の店の管理をやらせようというのだ。タダで店が手に入ると聞いてエベリーナは大喜びするが、トーノは気に入らない。それでも、次第にコルコツキーにおだてられてその気になっていく。 翌朝、指定されたユダヤ人ラウトマンのボタン屋へ出かける。そこには老婆の主人ラウトマンがいるが、耳が遠く、さらには世情に疎いため、トーノが新しい管理人であると言う事を理解できない。挙げ句の果てには使用人と勘違いする始末だ。そこにやってきたユダヤ人に理解のあるイムロ・クハールの機転で、対外的には管理人でありながら、実態は使用人として働き、ユダヤ人協会から給金を貰うということにする。妻には管理人であると嘘をつきながらの奇妙な関係が始まる。 しばらくはうまく立ち回っていたトーノだったが、次第にユダヤ人の強制収容所行きの話が持ち上がってくる。トーノはラウトマンを守らなければと言う気になってくる。そんな矢先ユダヤ人を助けた罪でイムロが逮捕され拷問を受ける。ドイツにもファシスト党にも嫌気が差したトーノは、家で妻エベリーナがユダヤ人を蔑視する発言を聞き怒って殴りつける。その足でラウトマンの所へ行き、隠れるよう示唆するが、ラウトマンは全く理解できず夫婦喧嘩してきたのだと勘違いする始末。 翌朝、広場にはユダヤ人が集められる。義兄コルコツキーの配慮なのか、ラウトマンの名前は呼ばれなかった。冷や冷やしながらラウトマンを匿っていたトーノだったが、次第に逮捕されたイムロのことを思い出す。このままでは自分の身が危ないと思ったトーノは、ラウトマンに荷物をまとめて広場に行けと強要する。驚いたラウトマンは抵抗し、初めて広場を見て事態を把握する。嘆き悲しむラウトマンの姿を見て、トーノは再び考えを改める。 店の窓にコルコツキーが近づいたのを見て、トーノはラウトマンを慌てて小部屋に押し込む。コルコツキーが去ってラウトマンを呼ぶが返答がない。見てみるとラウトマンは頭を打って死んでいた。愕然とするトーノは、ラウトマンと手を取り合って広場を駆けていく夢を見ながら首を吊るのだった。DVD検索「大通りの店」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月06日
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2005 MGP 監督:辻裕之 出演者:北村一輝、小沢仁志、本宮泰風、船木誠勝、江原修ほか 95分 カラー チンピラ映画でお馴染みの小沢仁志率いる「MGP(ムービー・ギャング・プロダクション)」の制作で、制作総指揮は小沢仁志自身が努めたオリジナルビデオ。フィリピンミンダナオ島における、政府軍対反政府軍(モロ・イスラム解放戦線)の紛争に参加する外人部隊(傭兵)と、伝説の傭兵「リヴァイアサン」を求めて取材に行った日本人フリーライターの話。いわゆるB級映画であることは間違いないのだが、日本のマイナー配給でこれほどの作品が作れるのか!というほどマニアックに凝ったアクション作品である。難点をあげれば切りがないのだが、邦画で海外紛争を題材にして、これだけのスケールで映画を製作できるとは驚きだ。 主演は北村一輝で軽薄なフリーライター役をそつなくこなしている。元プロレスラーの船木誠勝、松本明子の旦那の本宮泰風が傭兵役と出演しており、本宮の傭兵隊長役はなかなか堂に入ったもの。船木は出番は少ないが、役者としては・・・・。最後まで顔のはっきり見えない「リヴァイアサン」役は・・・消去法で行けば小沢仁志のようだ(映像の見た目は忌野清志郎に見える)。この他、特筆できるのはフィリピン人や傭兵などが全て外国人を起用している点。それなりの人数を揃えており、それだけでも日本映画の域を出ていると言える。ただし、演技に関してはかなりベタで、何人かは良い演技をするのだが、ほかは素人に毛が生えたような感じ。特に、外国人特有のジョークのシーンは・・・・まるで学芸会のよう。日本人にしても、台詞が浮くシーンがやたら多い。少なくとも日本人役者は一流の人たちなのだから、台詞が浮いて見えるのはシナリオのセリフ設定に問題があるのだろう。 また、カメラワークで言えば、ビデオ撮影のためにスケール感が乏しいのは致し方ないが、人物へのアップ、パンがやや雑。その点で映像的に素人ぽいイメージが先行する。戦闘シーンはまあまあの出来。銃器類の発射炎や着弾炎がCGだったり、百発百中のはずの「リヴァイアサン」の射撃が主人公相手にだけは当たらない、というのは変だったが、邦画にしては頑張っている部類だろう。頑張りすぎたのは特殊メイクで、やりすぎと思うぐらいのグロ映像続出。ザクロ頭に、下半身チョチョ切れ、腕取れちゃったヨー、内蔵ドロン、など見るに堪えない。ホラー映画並。 本作はアクション映画でありながらも、伝説の傭兵「リヴァイアサン」を探し求めるという、ミステリー的な楽しみもある。姿の見えない敵の緊張感や徐々に核心に迫っていくストーリーはそこそこの出来。主人公のフリーライターの心情変化もそれなりに描かれている。ただ、アクションやミステリーを強調しすぎたためか、本作のテーマというものが一貫して伝わってこない。随所に会話やナレーションで命の尊さや憎しみ合いの無意味さを説いているのだが、どうも空回りしている。そもそもアクション映画にそんなテーマが必要なのかという疑問もあるし、逆にそうしたテーマを伝えたいのならば、本作の作り込みではちょっと薄っぺらすぎるのだろう。とにかく「平和万歳」的会話やナレーションが浮いてしまってバランスが悪い。 「小さな憎しみが積み重なって戦争になっていくのだ。」「小さなリヴァイアサンを倒すために真実を伝えていく。」「世界中の戦場で人知れず命を落としていった名も無き英雄達に捧ぐ。」など、言わんとすることも理解できるし、なかなか名文句もあるのだが、映画中では思わず失笑してしまうのは、作品のバランスに問題があるのだろう。むしろ、徹底的にアクションに徹した方が、暗にそうしたテーマを伝えられたではないかなと思う。 登場する兵器類は当然の事ながらほとんどない。銃器類、RPG以外にはジープのみ。ヘリコプター映像はCGか合成。しかし、本作の醍醐味は傭兵隊員の軍装にある(笑)。本作はミリタリー軍装マニアによる製作ではないかと思ったほどマニアック。傭兵隊長の日本人郷田(本宮)は陸上自衛隊の戦闘服で、もちろん!?腕には日の丸がついている(爆)。このほか、私はあまり良くわからなかったがロシア軍系、イギリス軍系、アメリカ軍系、アジア系などそれぞれの国のカモ柄戦闘服とパッチ、帽子を着用しているのだ。まるで、カモ柄戦闘服コスプレショーのようだ。それを見ているだけで楽しくなってくる。 なお、協力者としてフィリピン海兵隊(MC-7)司令官(大佐)やMBT(Marine Base Ternate)の司令官(中佐)や同基地のTBS(The Basic School)教官(大尉、少尉)、軍事教練指導官(曹長)の名前が出てくる。映画に登場するフィリピン政府軍やモロ解放戦線の兵士役としてフィリピン海兵隊員が出演しているということなのだろう。 作品としては決して完成度が高いとは言えないが、本作には意外性がある。題材もロケーションも邦画には希有なものなので、たまに変わった趣向のものを欲するのならば楽しめるだろう。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) フィリピンのミンダナオ島。キリスト教徒の多いフィリピン政府軍とイスラム教徒の反政府軍であるMSIJ(モロ国家独立聖戦)が激しい戦いを繰り広げている地域である。そこには政府に雇われた外国人傭兵の姿があり、反対に反政府軍側には一人で数十人の活躍をするという伝説の傭兵「リヴァイアサン」の存在が噂されていた。 駆けだしのフリーライターの平川(北村)は、ミンダナオ島のリヴァイアサンの取材を依頼され、軽い気持ちで引き受ける。事前に元傭兵の岡部(船木)に会うよう勧められ、面会するが岡部は「やめておけ」と言う。岡部はボスニア紛争の最中にリヴァイアサンに遭遇し、彼以外の戦友が皆殺された経験を持っていた。 ミンダナオ島に向かった平川は、飛行場で日本人の傭兵隊長郷田(本宮)に出迎えられる。そこから基地に戻る途中でイスラム教民兵の襲撃に合、平川は恐怖に震える。一旦は民兵を撃退したかのように見えたが、後を追っていった傭兵のヤコヴィッチとマイク・ジョンストンは伝説の傭兵リヴァイアサンに殺されてしまう。 傭兵の基地でリヴァイアサンに会うまでは帰らないという平川を、傭兵達はせせら笑い、あと何日生きているかを賭けるのだった。特に、スティーブはかつて取材に来たフランス人記者の言動に腹を立て、マスコミを毛嫌いしていた。 翌日、郷田の隊はMSIJの偵察隊掃討作戦に出かける。平川も随伴していくが、MSIJとの交戦の最中に目の前で次々に死んでいく仲間や敵兵の姿を見て放心状態となる。さらに、捕虜にした無抵抗の敵兵を撃ち殺す郷田を見て軽蔑と憎しみの眼差しを向ける。それを見て郷田が言う。「そのちょっとした憎しみが積み重なって戦争になるんだ」 その夜、第一中隊のガルシアの部隊がリヴァイアサンの襲撃を受けて全滅。さらに、郷田の部隊の宿営地にもやってくる。異常なまでに正確な射撃で次々に傭兵が殺されていき、ついには郷田も撃ち殺される。平川は必死に逃げるのだった。一方、フィリピン政府軍はリヴァイアサンの存在に気づき、全軍を挙げての掃討戦を決意する。 平川は逃亡の先で洞窟を発見する。そこはリヴァイアサンの根城でそれまでに殺した兵士の軍識票が所狭しと置かれていた。そこにリヴァイアサンが戻り、平川は見つかって殺されそうになる。間一髪でフィリピン政府軍の攻撃が始まり、平川は殺されずに済む。リヴァイアサンと政府軍は派手な攻防戦を繰り広げ、ついには多量の爆薬でリヴァイアサンの洞窟は爆破される。それ以後、リヴァイアサンの姿は見えなくなったが、彼の死体は見つかっていない。 負傷から癒えた平川は誓うのだった。「小さなリヴァイアサンを倒すために真実を伝えていく。」 DVD検索「武装戦線 政府軍vs革命軍」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年03月01日
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1977 アメリカ 監督:ジョセフ・サージェント出演:グレゴリー・ペック、イバン・ボナー、ニコラス・コスター、ダン・オハーリヒー、サンディ・ケニオン、ディック・オニールほか 129分 カラー アメリカ陸軍極東軍司令官であり、進駐軍(GHQ)最高司令官マッカーサー元帥の半生記。ドキュメンタリータッチのドラマで、マッカーサー役をグレゴリー・ペックが熱演する。 マッカーサーは陸軍大将を退役後、余生をフィリピンの軍事顧問として送っていたが、日本との開戦を目前に、ルーズベルト大統領から極東軍司令官の任を受ける。開戦後の日本軍の快進撃は凄まじく、フィリピンのコレヒドール島に司令部を構えていたマッカーサーは部下残してて脱出を余儀なくされる。部下からも日本軍からも嘲笑を買った彼は「私は必ず戻ってくる」との名言を吐き、その通り1945年1月にフィリピンに戻ってくる。その後は強引で攻撃的な手腕で、硫黄島、沖縄攻略、広島と長崎に原爆を落として日本軍を敗戦に追い込む。戦後は占領軍(GHQ)の最高司令官となり、一時は大統領に推されることもあったが、最高司令官に留まり、1950年朝鮮戦争の勃発とともに、再び前線で指揮を執る事となる。朝鮮戦争では劣勢の国連軍を仁川上陸戦で一気に攻勢に転換する功績をあげるも、半島全域の統轄に固執したためトルーマン大統領の逆鱗に触れて解任される。議会での退任演説で「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ」との演説は著名である。 マッカーサーという軍人は、父親も軍人であり、根っからの軍人であった。指揮官としての才能は功績を見ればわかるとおり、米軍内でも卓越したものであったが、その野心的で無鉄砲な手法は幾多の批判を買ったのも事実である。結果良ければ良しというのが戦争だが、いわばラッキーマンだったとも言え、名将でありながら愚将と紙一重といったところであろうか。彼が仕えたルーズベルト大統領、トルーマン大統領をはじめ、各将軍と折り合いが悪かったことは良く知られているが、その反面部下や国民の信頼は厚かったようだ。本作はマッカーサーの半生記であるので、彼の勇猛果敢で温情豊かなシーン、エピソードが多く描かれており、彼のマイナス面や批判的な部分は思ったよりも抑えめに描かれている。従って、エピソード的にはいささか首をかしげざるを得ない箇所も少なくなく、日本の描写も誤解が多く違和感がある。その辺りの史実についてはさほど綿密な調査や資料によったものとは思えない。マッカーサーという人物像を初めて知る人にはちょうどいいかもしれないが、あまりに人格者マッカーサー像が出来すぎた感がある。グレゴリー・ペックが熱演しているから尚更なのだ。フィリピンに莫大な財産を持っていた事や、権益や権力への指向、さらにはあくなき戦功への欲望が描かれていないのは残念なところ。まあ、一つの美談として捉え、ドキュメンタリーとしては信用しないといった程度で見るのが良いだろう。 129分と長編にわたって1941年から1951年までの10年余りを描いているが、各時代のエピソードはかなり駆け足。コレヒドール島の戦闘も、フィリピン再上陸戦もお情け程度で、南方諸島戦、硫黄島、沖縄戦、広島原爆は記録映像で流す程度。朝鮮戦争に至っては戦史が追えないほど端折られてしまっている。そもそも戦史を描いた作品ではないので、仕方がないとも言えるが、もう少しなんとかならなかったものか。マッカーサーが各戦場でどのような立場に立ち、どのような考え方でいたかを把握するにはちょっと物足りない。反面、各大統領や海軍提督、陸軍将軍との関係については良く描かれている。誰と対立し、誰と信頼関係にあったかが分かり易い。とはいえ、全体としてはかなり薄っぺらい印象はぬぐえないが。 登場する兵器類としては、陸上ではフィリピン攻防戦でM4A3E8イージーエイト戦車、朝鮮戦争でM48パットン戦車が登場する。どちらも実車のようだ。航空機では記録映像と思われるものとしてF4Uコルセア艦上戦闘機、F6Fヘルキャット艦上戦闘機が見えるほか、実機のB-17爆撃機、C-54スカイマスター輸送機などが出てくる。海軍艦艇ではマッカーサーがオーストラリア退却に用いた際にPTボート(魚雷艇)のほか、LVT、戦車揚陸艦(LST)、戦艦ミズーリ(BB-63)が見える。ミズーリは実物でワシントンのモスボールで保管中の物を撮影している。このほか、記録映像で艦砲射撃をする戦艦、巡洋艦群の映像が多数出てくる。微妙に実車が登場はするが、戦闘シーンもお粗末で、本気でリアリティを追求する気はなさそうだ。また、随所に見られる記録映像も決して内容と一致しているものとも思えず、雰囲気で使っている感がある。そう言った意味で資料価値には乏しい映画だ。なお、ほんの一瞬だが朝鮮戦争仁川上陸戦の所で記録映像としてF-4ファントムがナパーム弾を落としていくシーンがある。この時期F-4ファントムは飛んでいないのでおかしいとの指摘がある。 10年にわたる伝記を時系列に並べていくため、どうしても走り気味の内容となってしまい、ややわかりづらい所もあった。それでいて、悠長なシーンもあっていささかダレ気味になることも。マッカーサーって誰?という疑問で観るならば価値があるだろうが、普通に映画としての価値を求めるにはちょっとお勧めできない。 余談だが、マッカーサー役のグレゴリー・ペックの脳天が円形禿げに再現されているのには笑った。しかし、そこまで力を入れた彼の熱演ぶりは見事だった。魂が乗り移ったかのような演技はラストのウエスト・ポイントでの演説シーンに集約される。グレゴリー・ペックの演技の中でも最高のものと言えるのではないだろうか。演説を聴いているだけでウエスト・ポイントに憧れを感じるほどで、それを目的に見るだけでも十分かも知れない。本作で登場する米軍関係者ダグラス・マッカーサー大将(極東軍司令官、GHQ最高司令官)、ウェインライト少将(のち中将)、リチャード・K・スターランド中将、マーシャル大将、シドニー・ハフ大佐(副官)、ディーラー大佐(副官)、トルーマン大統領、ルーズベルト大統領、ホイットニー大佐(参謀)、チェスター・ニミッツ提督(大将)(元帥)、サンプソン大将、エイシェルベルガー中将、ハスレー提督(大将)、ウォーカー中将、マーカット少将(スタッフ)、ウイリアム・クルーガー中将(第6軍司令官)、フォーレスト・ハーディング准将(第32師団長)、シェパード中将(USMC)、ドイル少将(RADM)、ウイリアム・リーヒ提督(元帥)、ジョージ・ケニー大将(第5空軍司令官)、ジョージ・ブラミー大将(南西太平洋方面軍司令官)、コリンズ大将、アーネスト・キング提督(元帥)、デレヴィヤンコ中将(ソヴィエト軍)、ブラッドリー大将(のち元帥)、フォレスト・シャーマン少将(RADM)、バークレイ大尉(第3魚雷艇隊長) 興奮度★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1941年12月の真珠湾攻撃から3ヶ月後、日本陸軍はフィリピンのコレヒドール島に迫っていた。コレヒドール島要塞には極東軍司令官マッカーサー大将が籠城していた。物資支援を要求するマッカーサーだったが、本国では「マッカーサーは誤解している。日本海軍の海上封鎖を軽く見ている」と批判する。ルーズベルト大統領はマッカーサーにオーストラリアへの後退命令を下す。部下を残して後退することに抵抗するマッカーサーだったが、結局妻子を連れて後退する。ただし、危険を顧みず潜水艦ではなくPT(魚雷艇)での移動だった。 日本軍、部下からも嘲笑を浴びたマッカーサーだったが「私は必ず戻ってくる」と明言し、オーストラリアで再起の軍備増強を図る。しかし、コレヒドール島に残ったウェインライト少将は耐え切れなくなって日本軍に降伏。マッカーサーは死守する約束だと激怒する。 1944年、マッカーサーは空軍のケニー将軍の協力も得てフィリピン再上陸作戦を計画し、攻撃に移る。日本軍の激しい抵抗にも会うが、マッカーサーは次第に日本軍を撃退していく。次なる攻略として、本国の大統領はニミッツ提督の推す台湾攻略を進めようとしたが、マッカーサーのフィリピンとの約束を反故にできないという強い要望で、10月にはレイテ島レイテ湾に上陸、翌年にはマニラに進軍し、ついにフィリピン全土を掌握するに至る。その勇猛ぶりに本国の国民は英雄として熱狂した。マッカーサーは元帥に昇進する。 マッカーサーは陸軍による日本本土上陸戦を計画したが、大統領の意向で広島、長崎に原爆が落とされ、1945年8月日本は降伏する。東京湾の戦艦ミズーリ号上で降伏調印式が行われ、マッカーサーはGHQの最高司令官に就任する。日本人を力で押さえつけようとする幹部に、マッカーサーは日本人の心と文化を理解し、米兵の横暴を厳しく監視するよう命じる。さらに、天皇に正面から権威を示すべきでないと尊重し、農地改革によって小作解放、極右資本家の抹殺、労働運動の奨励などの独自の施策を展開していく。また、日本の幣原首相の申し出により、武力の永久放棄を憲法に盛り込む事を承認する。ルーズベルトの死後、新しく大統領となったトルーマン大統領は、マッカーサーの独善が気に入らなかったが押さえきる事が出来ずにいた。マッカーサーは新大統領になることを決意するが、予備選で落選してしまう。 1950年、突然北朝鮮が38度線を越えて南朝鮮に侵入。トルーマンはすぐさま警察行動として派兵を決断する。マッカーサーは前線指揮官として指揮を執るが、勝手に台湾の蒋介石と軍事同盟を結ぼうとした事がばれて大統領に叱責される。さらに、情勢を一気に打開するため仁川上陸戦を計画するが、大統領や一部の軍幹部は諸手をあげては賛同しない。困難な作戦だけに弱気なマッカーサーだったが、仁川上陸戦は大成功をおさめ、情勢が逆転する。 マッカーサーは一気に中国国境線まで北朝鮮軍を追い込み、場合によっては中国領内の攻撃も辞さないつもりであったが、中国軍、ソ連軍の介入を怖れたトルーマン大統領は自らウェーキ島まで行き、マッカーサーと会談して抑制する。こうした宥和政策に不快感を表すマッカーサーだったが、ついに中国軍が介入してくる。人的圧倒を誇る中国軍に追い込まれた国連軍だったが、第8軍のリッジウェイの奮戦でソウルを奪還する。さらに攻勢をかけようという矢先に、トルーマンからマッカーサー解任の命令が出る。これ以上、勝手な行動を許さないためだった。 本国に凱旋したマッカーサーは国民の圧倒的支持を受ける。しかし、彼の戦争はこれで終わりだった。議会での退任挨拶で彼は「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」との名言を残して去っていく。DVD検索「マッカーサー」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年02月19日
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2005 カナダ 監督:シドニー・J・フューリー 出演者:カーティス・モーガン、ザン・カラブレッタ、ジョーダン・ブラウンほか 104分 カラー 兵器類は銃器以外ハマーとトラックしか登場しない低予算映画だが、端から期待しなければ意外に楽しめる。イラク戦争を題材にした本格派戦争映画としては先駆けとも言えるし、現在もなお死者を重ねているイラク駐留米軍の内実を知るには良い作品だろう。ただ、監督はかつてワースト監督賞にもノミネートされたこともあるシドニー・J・フェリーで、ちょっと平和主義的な思想かぶれの嫌いがあるB級映画監督。あのスーパーマンシリーズでは駄作と評判の高い四作目を手がけた人でもある。今作は出身国のカナダで制作したもので、その辺りを差引いて鑑賞するなら無問題(笑)。 本格派戦争映画だけあって、戦闘シーンは銃撃音やRPGの攻撃などかなりの迫力があり、頻繁に登場する死体等のシーンはかなりエグい。敵のRPGは米軍車輌になかなか当たらなかったり、格闘戦で米兵がやたら強い、といういくつかの不自然さはあるものの、次から次へと迫り来るテロリストの姿はかなり緊迫感のあるストーリー展開を見せる。これでもか、これでもかと襲いかかるテロリストの恐怖は「ブラックホーク・ダウン(2002)」を彷彿とさせるものがある。時間を表示させて時系列形式で描いていく手法は、「ブラックホーク・ダウン」やTVドラマ「24」でも用いられる手法で、ドキュメンタリー的なリアル感と緊張感を高める効果があるのだが、本作の場合、それぞれが短めの単発戦闘にまとめられてしまっている上、いちいち暗転フェードアウトで編集されるため、緊迫感の持続が著しく阻害されてしまったのが残念。視聴者側の緊張感の持続時間とメリハリを考慮し、もっと戦闘シーンの回数を減らしてロングシーンにしてみたり、兵士の心情をじっくりと描いてみたりすれば良い作品になったであろう。 その兵士の心理描写については今ひとつで、演技と会話のミスマッチが気になった。迫り来る恐怖や、戦友を失った悲しみの言葉を羅列している割には、表情が淡泊だったり行動が伴っていない。最も気になったのは、何か事がある度に隊員が集合するのだが、感傷にひたっていて周囲の警戒を完全に怠っている点。いつどこからテロリストに狙われるかわからない、という恐怖と緊張感が重要なはずなのに、そこが抜け落ちてしまっているために、映画全体に緩みを感じる。また、腹部に重傷を負った軍曹が時を追うごとに元気になっていく、というのも緊迫感を阻害する。このあたりが、テレビドラマのようなチープな雰囲気を感じる要因となっているようだ。 映画中では幾度となく米兵の死の意味、価値が問いただされており、本作の最大のテーマになっているようだ。イラク人にとっての聖戦(ジハード)と米兵の正義の矛盾。「何のためにイラクで死ななければならないのか」米兵の自問自答する姿が切ない。結局は「仲間のために戦うのだ」という、あきらめにも似た軍隊特有の義務忠誠心に返っていく。 また、イラク人警察との連携協力シーンではイラク国民と米軍の緊密感がアピールされる。個人的にはここで登場する警部補が最も好きなキャラなのだが、米軍を救援しに来るイラク警察が格好良いし、ストーリー的にも面白く、もっとこの設定を引きずっても良かったのではないかと思った。反対に、虐待されていたイラク人テロリスト捕虜の救出シーンは面白くない。アメリカCIAの息のかかったイラク人組織の犯行ということでオブラートに包んではいるが、米軍の行為を暗に非難している。映画のストーリーとしては突飛すぎるし、蛇足としか思えない設定だった。 このほか、衛生兵(ドク)の苦悩も大きなテーマの一つとして描かれている。一人の仲間の命すら救うことができない苦悩と葛藤は観ていて苦しくなってくるが、こうしたことはどの時代のどの戦争でもあったことであり、当事者にとっては最大の関心事なのであろう。 軍装や兵器については結構細かい考証がなされているようだ。武器の名称も事細かに登場するし、銃声音もリアル。主役の所属は陸軍第一騎兵師団で、三等軍曹が率いる分隊のようだ。途中から合流する部隊は陸軍第一歩兵師団でオハイオ州兵。中尉が率いるミリタリーポリス(MP)中隊だ。本作のエンドロールには本作で戦死した兵士の名前、階級、出身地が流れる。ということは、本作は史実ということなのだろうか?。そのあたりについては今ひとつ判然としないが、本作で描かれていた内容は、イラク戦争における日常としてあり得なくはない話なのであろう。ノンフィクションならば、なおさら緊迫感と切実感が増してくるのだが。 撮影はカナダ国内のようだが、道路や建物などは実に良くできており違和感はない。 全体に、都合の良いように脚色した感が強く、完成度としても決して高い映画ではないが、イラク戦争の日常や米兵の苦悩を垣間見るという点では良くできていると言える。粗も目立つのだが、何だかんだ言って映画に引き込まれていくのは、やはり題材がイラク戦争という未知の世界だからこそなのであろうか。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イラク戦争が終結宣言されたのちもイラク駐留の米兵は死傷者を重ねている。2004年4月12日、午前6:25、米陸軍第一騎兵師団の一分隊を乗せたハマーとトラックがパトロールに出かける。 7:00 橋の上で警戒中の分隊にイラク人テロリストが83mm迫撃砲で攻撃を仕掛けてくる。指揮官のデルベッキオ三等軍曹はテロリストへの攻撃に転じるが、その過程で新兵のダウディ上等兵が崖下に転落し孤立する。テロリストは殲滅するも、その援護に当たったデルベッキオ軍曹は腹部に重傷を負ってしまう。緊急の縫合手術が必要であり、指揮を代わったストーカー三等軍曹は近くの民間病院に向かうこととする。しかし、テロリストがいつ現れるかわからない。 7:40 民間病院に到着。ダウディ上等兵、カーバー特技兵が見張りにつき病院内へ。そこには治療を受けるテロリストがいた。院内での銃撃戦の末、デルベッキオ軍曹は腹部の縫合手術を受ける。その間にも病院付近にテロリストが終結し、絶え間ない銃撃とRPG攻撃を仕掛けてくる。危険を感じた分隊は病院を脱出することにする。 8:15 移動するトラックの後方からテロリストのRPG攻撃を受ける。ピーナ上等兵は「ルイジアナ2ステップ」と呼ばれる待ち伏せ攻撃で敵を殲滅する。大声でイラク兵の死体を罵るダウディをストーカー軍曹が敬意を払えと諫める。初めて死体を間近で見たジョンソン上等兵は顔が青ざめるのだった。 8:50 通りでIDE(仕掛け爆弾)を発見。処理の際に飛び出したイラク人少年をかばったカーバー特技兵が負傷。治療に当たった衛生兵コーエン特技兵(ドク)は軽傷だと笑い、何故イラク人をかばったのかと聞く。カーバーは自分にも似た歳の妹がいるからだと答える。 9:20 自動車爆弾を発見し、退避中にRPGの攻撃を受ける。この攻撃でハマーが損壊し、ストーカー軍曹が負傷する。トラックごと近くの倉庫に退避するも、周囲をテロリアスに囲まれてしまう。ドクは懸命な治療を続けるも、ストーカー軍曹は死亡してしまう。ストーカー軍曹は死に際に「仲間を助け合え」と言い残す。指揮は黒人のジャクソン特技兵に移る。無線で大隊本部に救援を求めるが、大隊も襲撃を受けており断られる。絶体絶命の危機にイラク警察部隊が救援にやってくる。分隊はイラク警察部隊とともに倉庫を脱出する。 10:30 分隊はイラク警察署に身を寄せる。救援してくれたのはアーメド警部補の部隊で、本職の警官はほとんど死亡しているが、その親兄弟がともに戦っているという。警察署前で腹に爆弾を巻いた男が自爆する。間一髪の所をアーメド警部補に助けられるが、側では多くの民間イラク人が巻き添えで死亡する。 警察署にもテロリストのRPG攻撃が迫ってくる。この攻撃でデルベッキオ軍曹の縫合が破れてしまう。ドクは初めての外科手術に挑む。ジャクソン特技兵は一人のイラク警察官がスパイであることに気づく。携帯電話でこちらの情報を流していたのだ。アーメド警部補が射殺するが、テロリストの攻撃でアーメド警部補が気を失い、テロリストに連れ去れそうになる。そこをジャクソン特技兵が助け出す。さらに、テロリストは大型トラック爆弾を差し向ける。警察署直前でこれを撃退する。 無線連絡で救援ヘリがやってくることとなる。 13:00 イラク警察と別れた分隊はヘリ到着地点で待つ。しかし、ヘリは来なかった。途中でRPGに撃墜されたのだ。分隊に生存者救出の命令が下る。 13:25 ヘリ撃墜現場に到着するが、生存者はいない。イラク人の子供たちは米兵の遺体を弄び、テロリストもまた死体をさらに痛めつけている。怒ったジャクソンらはテロリストを射殺する。エイカース上等兵は殺したイラク人テロリストが少年であるのを見て、ショックを受ける。 13:45 テロリストのRPG攻撃を受け、トラックが故障。敵兵に囲まれて往生しているところに、陸軍第一歩兵師団のMP中隊の狙撃部隊が通りかかる。バニング中尉が指揮する部隊に窮地を救われた分隊は、バニング隊に同乗して基地に向かう。 14:25 イラク人捕虜を移送中だったバニング中尉はCIAに一任された組織が管轄する収容所に到着。イラク人の青年を収容所のフェデリコ司令官に引き渡す。しかし、その収容所では捕虜への虐待、拷問が行われており、ジャクソン特技兵は正義感からこれに反抗することにする。他の隊員も同調し、バニング中尉もまたこれに参加し、捕虜を解放して連れて行くことにする。 15:35 捕虜を連れて移動中にRPG攻撃を受ける。近くの倉庫に逃げ込んだ一行だが、バニング中尉の狙撃兵が戦死。さらにカーバーがRPGの攻撃を受けて戦死。兵達は何故、こんな国のためにしななければならないのかと苦悩する。 さらに、移動中にIEDでトラックの一台が炎上。乗っていたバニング中尉の部下とイラク人捕虜が死亡。 17:40 一行はテロリストの車列に追跡を受ける。逃げられないと悟った一行は待ち伏せ攻撃に転じる。敵兵を倒していくが、ついに全員の銃が弾切れとなる。一行はナイフでの格闘戦に持ち込み、イラク人テロリストを打ち倒す。 18:00 さらにテロリストのRPG攻撃を受ける。デルベッキオ軍曹は最後の力で敵に立ち向かい戦死。結局、助けられなかったとドクは自問する。 18:20 ジャクソン特技兵らはバニング中尉と別れ、18:40に帰還。長いイラクの一日が終わる。 DVD検索「アメリカン・ソルジャーズ」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年02月16日
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2005 イギリス 監督:ニック・S・トーマス、マイケル・G・トーマス出演者:アール・パーマー、ヴィクトリア・ジェンキンス、クリス・ホプキンスほか81分 カラー イギリスのオリジナル(独立系)ビデオで、通称トーマスブラザース製作の戦争映画。低予算映画と思われるが、一生懸命頑張った雰囲気だけはわかる作品。こうしたレアな作品をDVD化してくれるトランスワールドアソーシエイツには感謝ものだ。 ストーリ-は、平和活動を行うイギリスの学生男女6人が、内戦下のボスニアでセルビア軍の虐殺を目撃し、それを撮影したフィルムを巡って追撃・逃亡が繰り広げられる、といったものだが、エンディングにはいかにも実話に基づいたかのようなテロップも出てくる。ただし、果たして実話なのか、それに基づいたものなのかは不明。 暴力による虐殺を糾弾する「平和活動」がメインテーマで、人道的な見地からユーゴ紛争における非人道的行為を告発するという、いわば思想的な企図を色濃く出した映画であるが、それ以上にそもそも「平和活動」とは何ぞや、という逆説的な意味でも考えさせられるところが大きかった。 イラク戦争では平和活動家の某日本人の拉致事件などがあったが、それと重ねてみるべき視点も多く、果たしてこうした戦地での平和活動が意味があるのか、そして果たして正義なのか、という点でいくつかの重要な命題があることに気づかされる。第一に、丸腰の平和活動家が虐殺という過程を阻止しうるかという命題。第二に、自らの命を投げ打ってまでの覚悟がある(価値がある)のかという命題。そして第三に、虐殺加害者に対面した時、自らが殺人者にならずにいられるのかという命題である。結論から言ってしまえば、平和活動とは自己の価値観(信念)に基づいた独善的行為でしかなく、命の大切さ、命を救うという観点で言えば、大いなる矛盾を抱えている。特に、ユーゴ内戦という民族間、宗教間での抗争では、第三者が介入する事が極めて難しいのである。 本作のイギリス人学生の行動を、実に愚かしいということも簡単だし、勇敢であったというのも簡単である。しかし、それは彼らを外部の者(第三者)として見ているからであって、実のところ、彼ら自身が第三の敵(当事者)になってしまっているという事実に注目したい。当初は平和ボケだった学生たちが、敵の厳しい拷問に耐え、死をも厭わない行動を取る、という設定自体にはかなり違和感と不自然さを感じるが、それはさておき、彼らが死を賭して守ろうとするフィルムが、結局虐殺者の告発のためでしかなかった、万人の平和や生命のためではない、というのは重要なポイントである。イラク戦争において、「平和主義者」から世界の警察を自称するアメリカが非難されるように、「他人の庭で勝手に裁く」という行為と本質的に何ら変わりはないのだ。こうした行為が正義なのか、必要なのかということを自問する上で、本作が与える命題は重たい。 なお、本作はユーゴスラビア紛争のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~1995年)を舞台としており、善玉をムスリム軍、悪玉をセルビア軍(ユーゴ軍)と明確に分けている。実際のところ、どちらも残虐な行為を働いているのであって、一概に善悪をつけられないのだが、大抵のボスニア紛争映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ(1997)」「セイヴィア(1998)」「エネミー・ライン(2002)」ではセルビア軍が悪者風に描かれることが多いのはちょっと可哀想な気もする。 撮影はイギリスで行われているが、ほとんどが原野と森林シーンなので、あまり違和感はない。ただ、映像はビデオのようで、映像の視界がやや狭く、フラッシュ映像のような駒落とし的手法を多用した、「バンド・オブ・ブラザーズ」のようなハンディカメラ映像が多い。戦闘シーンでのリアル感を産むための方法なのだろうが、本作の場合、やたら画面が揺れるのが目障り。やりすぎると単に手抜きか安物的な印象しか残らない。また、編集技術も稚拙で、フェードアウトや暗転を用いるつなぎ方は安直で、まるで全編を通してダイジェスト版を見ているかのようだった。時間的経過を示したり、迫り来る時間との戦いを見せるには効果的かも知れないが、全編通してやられると鬱陶しい以外の何者でもない。さらに、音楽チョイスが悪く、戦闘シーンとピクニックシーンが交互にやってくるようなふ抜けた雰囲気はストーリーの緊迫感を阻害している。 役者の演技も、やはりオリジナル系の域を出ていない。頑張っているのは評価するが、メイン以外の兵士役の動きや表情は単なるエキストラレベル。もっと必死に走れよ、と言いたくなる。加えて、主役級の学生たちについても、半数はただいるだけといったレベル。演技力もさながら、役の設定にも疑問が多かったが。ヒステリックで馬鹿な男子学生がちょっと良い味出していたが、ひ弱だったはずがセルビア軍の拷問にも口を割らないというのには興ざめ。ランボー並の精神力だ。当然、そこは泣き叫んで命乞いだろうと思うのだが。 好感だったのは、ただでさえ困難な内紛背景を会話の中で色々と説明してくれた点。ストーリーとしてはやや説明的なものになってしまってはいるが、理解するうえで助かった。また、登場人物も名前を何度も出してくれたので、理解しやすい。 登場する兵器としてはヘリが1機のみ。機影からユーロコプターのSA330ピューマのように見える。あとは主役の乗るランド・ローバーくらい。戦闘シーンは、リアル感を阻害しないギリギリの線。射撃姿勢や発射、着弾シーンにチープさはあるもののまずまず。ただ、銃器の発射映像と銃撃音声が今ひとつマッチしていないシーンがあり、BGMとして射撃音が入っているかのような印象はいただけない。格闘シーンもまあまあだが、肝心な所を下手なカメラワークで潰してしまっているのが残念。それにしても、足を負傷して歩けなかった兵士が、格闘戦では元気よく立ち回っていたのは不自然だ。 全体としては、スケール感の小さい小者映画で、ストーリー展開や登場人物の行動にちょっと無茶な設定も多いのだが、、題材の深さという点では特筆出来る作品と言えよう。邦題は明らかにエネミー・ラインを意識したものだが、あんまり感心できない。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1992年のボスニア・ヘルツェゴビナ。4月2日、キャッシー(女)、ペッキー(女)、クレア(女)、ニック、ポール、スコットのイギリス人男女学生6人はユーゴでの民族浄化を名目にした虐殺に抗議するため「平和活動」としてサラエボに向かった。道案内はクリストフで、彼の運転するランド・ローバーはサラエボに向かうが、途中で休戦状態だったセルビア軍がサラエボに侵攻したとの情報を得る。セルビア軍とともにゲリラのチェトニクス軍も関与しているようだ。ニックは「戦闘に抗議しにサラエボに行こうと」と叫ぶが、クリストフは危険と判断し、国境に戻ることにする。 夜道は危険なため森で一泊し、翌4月4日、道を進んでいくと炎上するミリシナ村を発見する。クリストフ、ポールらが偵察に行くと、そこではセルビア軍のマルコヴィッチ大佐やチェトニクス軍のブルッコ中尉らが村人を銃殺していた。ポールらはその光景をカメラに納めるが、その姿が見つかり、クリストフは射殺されポールも腹部に重傷を負ってしまう。キャッシーらはスコットの運転でその場から逃げるが、ブルッコ中尉らがフィルムを奪おうと追跡を開始する。また、ドレスノス軍曹の部隊が先回りしてゼニツェの町に向かう。ポールは瀕死となり、ランド・ローバーはオイル漏れで故障する。道路上にはユーゴ軍第42連隊が接近しており、キャッシーらは森の中へ徒歩で逃げ込む。 4月5日、森の中でポールが野犬に襲われて死亡。さらに、地図を奪おうと発狂したニックが崖から転落して行方不明に。そのニックは追跡してきたブルッコ中尉に捕まり、厳しい拷問を受ける。残ったキャッシーら4名は森の中を進むが、そこで待ち伏せした兵士と遭遇する。彼らはムスリム軍の兵士で、セルビア軍を追っていたのだった。虐殺フィルムを持っていることを知ったムスリム軍の隊長マサノヴィッチは、彼らを保護してゼニツェに向かうことにする。ゼニツェは唯一セルビア軍に占領されていない地域なのだ。 ムスリム軍は隊長のマサノヴィッチのほか、ペギール、ファディル、ザイム、メミッチ、傭兵2名らがおり、傭兵は激しくセルビア人を嫌いアメリカをも嫌っている。先行して偵察していたファディルらはセルビア軍の小隊を発見し殲滅する。しかし、そこで発見した無線機からはニックを盾にフィルムを要求するブルッコ中尉の声が聞こえてくる。マサノヴィッチが要求を断ったため、ニックは射殺される。 4月6日、ゼニツェに近づいた一行だが、すでにゼニツェはセルビア軍の攻撃に会い、占拠された。マルコヴィッチ大佐はブルッコ中尉に大学生らの捕縛を命じるが、チェトニクス軍のブルッコ中尉は実はフィルムを使ってユーゴ軍のマルコヴィッチ大佐の失脚を狙っていた。ブルッコ中尉の追跡に反撃しながら一行は逃亡するが、ファディルが足を負傷し、ペッキーが死亡。ファディルは単身残って敵の追跡を絶つこととする。ファディルはブルッコ中尉と1対1の格闘戦の末戦死する。 4月7日、大学生とムスリム兵はセルビア軍に包囲される。マサノヴィッチは死を覚悟で残って援護し、大学生を逃がすこととする。先頭を傭兵が走り、その後をキャッシー、クレア、スコットの3名が走る。その途中でクレアが撃たれて死亡。スコットも足を撃たれる。スコットはキャシーにフィルムを託し、走らせる。スコットはブルッコ中尉に捕らえられるが、隙を見てファディルから貰ったナイフでブルッコ中尉を殺害する。その頃、キャッシーは無事危険地帯を抜けていた。 キャッシーの持ったフィルムは虐殺の証拠となり、マルコヴィッチは1997年に逮捕、02年に起訴された。スコットは行方不明のまま。あのムスリム兵達は生存の記録はない。ファディルの行為は伝説となり、国民的英雄となる。 DVD検索「セイビング・フロム・エネミーライン」を探す(楽天)かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年02月12日
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