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2007 アメリカ・日本 監督:リサ・モリモト出演者:ドキュメンタリー89分 カラー WINGS OF DEFEATTOKKO-特攻- DVD検索「TOKKO-特攻-」を探す(楽天) 日系二世アメリカ人女性が製作した、特攻を題材にしたドキュメンタリー映画。製作はアメリカと日本の合作と言う位置付けだが、カナダの国際映画祭で上映して評価を得たために、日本での公開となったそうだ。 監督の日系二世リサ・モリモトは、叔父砂田敏夫が元特攻隊員であった事を知り、それまで「カミカゼ」は9.11のような自爆テロと同じ狂信的なものという価値観と、柔和な叔父のイメージの相違点に疑問を持ったことから製作に至ったと言う。すでに叔父が亡くなっていたことから、自らの親族、日本人の元特攻隊員、特攻機に沈められたアメリカ駆逐艦生存者などへの取材を通して特攻(神風)の真実に迫っていく。 海外での評判も良いということで、ちょっと期待をしたのだが、結論から言うとやや肩透かし。特攻に興味を持ったというアメリカの監督の製作というだけに、やはり内容的には初心者レベルで、掘り下げがかなり浅い。 もともと海外向けの作品であろうから、日本軍の特攻作戦や特攻隊員の心情に迫る作品という意味では貴重で評価されるべきものだろうとは思う。とかく、9.11自爆テロと同様だとか、嬉々として敵艦に突入する化け物というイメージを外国人が持ち続けることは、日本人として悲しいことであり、画期的な作品であることは間違いない。 しかし、あくまで日本でドキュメンタリー映画として見た場合、あまり目新しい事はないし、特攻を扱うには最低限押えて欲しい事柄も多々抜け落ちている。また、日米の記録映像を多用しているのだが、単に背景映像としての利用であり、映像と内容の関連性や正確性がかなり乏しいのもドキュメンタリーとしては致命的。日本にはもっと良く出来たドキュメンタリー作品がたくさんあるので、むしろ監督自身の気持ちや叔父の真実を探るといった構成の方が面白かったのではないかと思う。 本作に登場する元特攻隊員は著名な方ばかりで、海軍百里原航空隊所属の江名武彦氏(予備学生 偵察)、上島武雄氏(予備学生 操縦)、中島一雄氏(乙種予科練 偵察)、浜園重義氏(丙種予科練 操縦)の4名。江名氏は神風特別攻撃隊第三正気隊の九七式艦攻偵察員として出撃し、黒島に不時着後帰還している。浜園氏と中島氏は九九式艦爆のペアで出撃後に敵戦闘機3機と交戦し、被弾しながらも帰還した経歴を持つ。 本作で貴重なのはこうした方々の生の声を聞けることであろう。3,000名余の特攻隊員には当然のことながら一人一人の人生や思いがあり、たった4人とはいえ実に様々な思いがあったのだと知らされる。予備学生出身の二人はやはりインテリだったということを髣髴とさせる語り口で、世情を達観し、自身の置かれた立場を十分に理解していたように見える。それに比して予科練出身の二人はより熱情的な雰囲気が強い。それぞれがいかに死に直面していったか、その違いを知る事で一口に特攻と言えども、死の覚悟とは単純ではないと思い知らされる。 興味深かったのは、浜園氏の凛とした語り口で、歴戦のパイロットらしい強い意志と信念を感じた。優しい笑みを浮かべながらも固い信念が顔に表れているのだ。今の日本人にはなくなってしまった何かを強く感じさせる。 このほか、数人の歴史家や作家が登場するが、今ひとつ素性が良く分からない。元東レ社長の作家森本忠夫氏も特攻について語るが、このあたりの人選が適当なのかどうかはやや疑問。 本作の中で気になった証言をいくつか。 特攻で撃沈された駆逐艦ドレックスラーの生存者が「日独に追い詰められていれば、あれだけのこと(特攻)をやるアメリカ兵だっていただろう」と言っている。これは多分その通りだろうと思う。事実、アメリカ兵も陸上戦などでは自己犠牲の攻撃を行った例もあり、追い詰められれば日本軍以上だったかもしれない。 元特攻隊員は戦後に多くを語らなかったことは良く知られている。上島氏は終戦時のことを「生きている(ことに驚いた) どうしていいかわからなかった」と言っている。自身を死んだものとして扱ってきた人にとって、いきなり生を突きつけられることはどんな気持ちなのだろうか。多分、彼らはすでにその時に一度死んでいるのだろう。死んだ者が何も語らないのは当然な事なのかもしれない。 おまけだが、作品中に登場するアニメ・・・チープなんだが、なんだかいい味出していた(笑)。興奮度★★沈痛度★★★爽快度★感涙度★★
2008年09月24日
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1960 アメリカ 監督:フィル・カールソン 出演者:ジェフリー・ハンター、デヴィッド・ジャンセン、早川雪洲、青木鶴子、高美以子 ほか 132分 モノクロ HELL TO ETERNITY戦場よ永遠に(期間限定)(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「戦場よ永遠に」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のサイパン島。立て籠もる日本軍と民間人を片言の日本語で説得し、1,000名以上を投降させた「サイパンの笛吹き男」ガイ・ガバルトン海兵隊一等兵の実話をもとに製作されたヒューマンドラマ。 ガイ・ガバルトン氏は1944年6月に海兵隊一等兵としてサイパン島に上陸し、「一匹おおかみ(lone-wolf)」と名付けた説得を実行した人物だという。映画ではどこまで史実に忠実なのかは不明だが、映画によればガイは日系アメリカ人家族の養子として育てられたということだ。このため、無駄な死を防ぐため、単身日本軍や民間人が潜む洞窟に赴き、説得を重ねたという。この結果多くの日本兵や民間人の命が救われたのだ。ガイ氏は2006年8月に80歳で死去した。海軍殊勲十字章を授与されている。 製作は1960年で、まだまだアメリカ戦争映画では日本軍が愚鈍で残虐であるように描かれる時代だが、アメリカ海兵隊員の功績を讃える一方で、普通の日本人の姿にも触れるという、微妙な位置づけの映画となっている。ただ、決して日本人に配慮したものではないため、全体的には不快な所も多々あるのだが。 ガイが養子となる日本人家族役には早川雪洲の妻青木鶴子ら在米俳優や日系人俳優が当てられている。従って、会話などはかなり正確な日本語で撮影され、セット等も極端におかしいところはない。しかし、サイパン島での戦闘シーンになると噴飯もののシーンが続出する。日本兵が愚かで弱いのは致し方ないが、皆戦闘帽や鉄兜の上に太い鉢巻きをしていたり、松井中将(早川)の訓辞を聞く日本兵がインディアンのように山の稜線に並んでいたり、やたら万歳してたりと滅茶苦茶。まあ、アメリカ人がガイの半生記として見る分にはそれでいいのだろうが、日本人として見た場合やはり気になる。 ガイは日系人家族に育てられ、日本人に対する親愛感が強いという設定なわけだが、前半部の出征前まではまあまあヒューマンドラマとして見られるのだが、後半のサイパン島激戦になってからのガイの心情変化の表現は稚拙。戦友を殺されて日本兵憎しと殺しまくったり、身投げする日本人を見て説得を始めたりする、その心の変化が演技、設定ともに甘く伝わってこない。結局の所、ガイの英雄的武勇伝が重要なのであり、日本人の命などさほど関係ないといったところなのだろうか。 ストーリーや演技ともにかなり古くさい印象を受ける。1960年前後のアメリカ映画全般に言えることだが、ヒーロー賛美的な展開が多いため、作為的な展開がミエミエだし、かなりダラダラしたシーンも多い。女性との絡みシーンも無駄に長く、132分は冗長でかなりつらかった。 戦闘シーンは記録映像を織り交ぜたものとなっており、上陸用舟艇での上陸シーンは実写となっている。ただ、スケール感には乏しく、着弾シーンや火炎放射シーンはお粗末。日本軍の戦車はM48パットンに方形の大型砲塔を乗っけた不思議なもの。米軍もM48パットンの火炎放射戦車が登場する。全体に戦闘シーンはお粗末の部類。また、身投げシーン等に合成映像も入るが、かなり稚拙。 ちなみに、ガイが所属するのは第2海兵師団第2海兵連隊情報部で、上官はシュウェイブ大尉。日系人家族の兄弟カズとジョージは日系人部隊442部隊に入隊し、イタリア戦線で戦う設定となっている。 ガイ・ガバルトンという人物がいたという伝記ものとしては、それなりに興味深いが、どうもかなりの脚色が入っているようでちょっと眉唾的映画の印象。ストーリーとしてもそんなに面白くも感動的でもなく、積極的に勧められる作品とは言い難いかな。 興奮度★★★ 沈痛度★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1930年代初頭のロサンゼルス。母子家庭のガイ・ガバルドンは小学校で問題児だった。その母も入院し、ガイは友人の日系人ジョージの家にやっかいとなる。ジョージの母ウネをはじめ、父や兄カズらはガイに良くしてくれた。特にウネとは大の仲良しだった。 ガイの母親が死去し、ガイは正式にジョージの家の養子となった。 1941年になり日本軍の真珠湾攻撃が始まり、日系人家族は強制的に収容所に送られることとなる。ウネはもとよりジョージやガイらも収容所送りとなり、ガイだけが取り残される。ガイにも召集令状が届くが、鼓膜に穴が開いていたことから入隊できない。 ガイは日本人と戦うことに抵抗があったが、カズとジョージが日系人部隊で出征したことを聞き、海兵隊入隊を志願する。日本語ができることから情報部に所属することとなり、第2海兵師団第2海兵連隊として訓練を受ける。 所属部隊の戦友にはヘイゼン軍曹(ビル)、ルイス伍長(ピート)らがおり、前線に赴く直前に3人はハワイで酒と女を楽しむ。ガイらは日本語を駆使して日本人女性のソノやストリッパーのフミカ、米人ジャーナリストのシェイラと大騒ぎをする。 いよいよガイらはサイパン島に上陸。想像以上の激戦にガイは恐れを抱くが、次第に勇敢に戦っていく。日本軍は万歳突撃を繰り返し、ルイス伍長が戦死する。ガイは洞窟に籠もった日本軍を攻撃した際に幼い少女を含む日本人民間人を投降させる。ガイはシュウェイブ大尉に申し出て日本兵の投降を呼びかけるようになる。 しかし、日本兵の襲撃でヘイゼン軍曹が戦死する。怒ったガイは次々に日本兵を問答無用に射殺していく。そんな姿に大尉はガイを諫めるが、ガイは言うことを聞かない。しかし、ある日、アメリカ軍に捕らえられることを嫌う民間人が崖から投身する現場に出くわす。母子が飛び降りるその姿に、ウネとジョージを思い出したガイは、次の日から単身で洞窟での投降を呼びかけ始める。 さらに、日本軍の松井中将の本拠地に潜入したガイは、松井中将を人質に取り、投降を呼びかける。戦友のレニー曹長は万歳突撃の地図を持って司令部に帰るが、途中で殺されてしまう。しかし、ガイは意地でも松井中将に無用の血を流さないよう説得する。ついに、松井中将が折れ、800名の日本兵が投降するのだった。
2008年09月20日
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2006 オーストラリア 監督:アリスター・グリアソン 出演者:ジャック・フィンシュテラー、トラヴィス・マクマホン ほか 92分 カラー KOKODA男たちの戦場(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「男たちの戦」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のニューギニアにおける、日本軍とオーストラリア軍の戦いを題材にした本格派戦争映画。オーストラリア軍を題材にした映画も少ないが、オーストラリア製作というのもレアだ。 本作は原題にもあるように、1942年の日本軍によるポートモスレビー攻略戦に対するオーストラリア軍の抵抗戦「ココダの戦い」を描いたもので、登場人物はどうかわからないが、登場する部隊名等は史実に沿ったものとなっている。10倍近い兵力を有した日本軍第17軍麾下の南海支隊はポートモスレビー目前まで達するが、補給線が伸びきってしまい、食糧弾薬不足のため死の撤退を余儀なくされている。これに対し、オーストラリア軍は正規兵が足りなかったため、当初はニューギニア兵や民兵を前線防衛に当てていた。本作はその民兵第39大隊の戦闘を描いたものとなっている。 最近のオーストラリアは、捕鯨反対など反日感情の高まりが報じられているが、本作でもそうした日本人敵視または蔑視といった感情を感じる。牛やカンガルーを大量に殺しておいて何をば言わんや、と思うのだが、そもそもオーストラリアと日本というのは近くて遠い国だということを実感する。日本人は欧米に比してオーストラリアのことはほとんど話題に上らないし、オーストラリア人も日本の事はほとんど知らないようだ。もともと英国領だったために、対日感情は英国譲りなわけだが、それに加えて日本の情報が必ずしも正しく伝わっているわけではない。 そのためだろうか、本作中に登場する日本兵は実に残虐で愚かに描かれている。捕虜を処刑するのは両軍同じなのだが、どう見ても日本兵だけがけだものに描かれていると感じるのは私だけであろうか。その点で、映画の出来以前にちょっと不愉快だった。 さて、映画そのものだが、ストーリーは民兵第39大隊の凄惨な攻防戦を、一組の兄弟兵のヒューマンドラマを交えて描いている。登場人物が良く似た顔なので、ややストーリーを見失うこともあったが、全般に起承転結がしっかりしており、完成度は低くない。ただし、あくまでオーストラリア軍民兵の功績を称える作品で、オーストラリア人万歳的なノリではあるが・・・(笑)。 激しい戦闘シーンはさほどないが、訓練されていない民兵は逃げまどい、次々に戦死していくあたりは結構リアル。銃撃シーンや着弾シーンは標準的な出来。特筆できることもないが、特にチープさを感じることもない。もう少し日本兵がしっかり登場し、攻防戦の全体像や位置的な事がわかれば良かったとは思う。一応、ニューギニア戦線であること、ココダ村、ココダ街道の攻防戦であることは解説がある。また、ニューギニア戦らしく敵は日本軍だけでなく、雨、虫、マラリア、空腹であることも良く描かれている。ややグロ系の映像もあるのは個人的趣味ではなかったが。 映像的にはクリアな映像が印象的で、山、川、密林などオーストラリアの大自然を生かしたスケール感を感じる。雰囲気的には「シン・レッド・ライン」に似たものがある。 ちょっと気になったのは音響効果で、音が大きいのと、ホラー映画のようなショッキング効果音が耳障り。確かに密林戦の緊張感は高まるが、あんまり脅かさないでくれ。 登場する兵器類は銃器以外ない。密林山岳戦なので当然だが、白兵戦がメインとなっている。日本兵の軍装は明瞭ではないが、違和感は感じない。オーストラリア軍は第39大隊のほか、正規兵の第2/16大隊、第2/14大隊の名称が出てくる。また、興味深かったのはマラリアで下痢をする兵士のズボンの尻を切って、歩きながらでも糞ができるようにしていた場面。 全体に良くまとまっている作品という印象ではあったが、実のところあまり内容にインパクトは感じられなかった。オーストラリア軍の功績を称えるという所に持って行ってしまった点で、私の心証が悪くなってしまったのかもしれないが、小ぶりな作品だったとも言えるかも。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年、ニューギニア。日本軍はポートモスレビー攻略のため、ココダ村占領し、さらにココダ街道を進軍してくる。これを迎え撃つのはオーストラリア民兵第39大隊で、正規軍である第6師団が援軍に来るまでの間、ココダ街道防衛のため拠点陣地のイスラバ村に配置されていた。しかし、ほとんど訓練を施されていない素人集団にとって、それは過酷なものであった。 その一員ジャック・スコルトは、マラリアにかかっており、夢で弟のマックス・スコルトが戦死するのを見る。そして、いよいよ彼らの小隊は第9小隊と交代して前線陣地に出かけることとなる。 赴任したばかりの小隊長を筆頭に、ジャック、マックス、バーク、ジョンノ、ダーコ、ブルー、ウィルステッド、サムらは前線監視に付く。そして、もやの中から日本兵が現れ、小隊長(中尉)が戦死。ジャックらは必死に防戦を続けるが、多勢に無勢だった。ウィルステッドは恐怖の余り逃亡し、大木の下に隠れていたが、日本兵に見つかり、頭を銃剣で突かれて戦死する。 小隊長に代わって指揮を取るジャックは、イスラバ村陣地への撤退を決断する。順次後退を始めるが、援護射撃していた機関銃手のブルーの行方が分からなくなる。ジョンノは狼狽し、ジャックはダーコを連れてブルーを探しに戻る。しかし、ジャックらが見たものは、生きたまま柱に縛られ、銃剣で滅多差しにされるブルーの姿だった。 ジャックとダーコは後退していたバークらと合流。日本軍の進撃速度も速かったことから山越えルートを取ることにする。しかし、足を負傷していたサムが足手まといに。サムは自ら荷物を置いて姿を消す。 途中で日本兵と遭遇。マックスが腹を撃たれて負傷する。ジャックは担架に乗せてマックスを運び、原住民の無人村に到達する。ここから陣地まで3日はかかり、ダーコとジャックは連れて行くか、置いていくかの議論となる。結局ジョンノが看護のために残り、ジャック、バーク、ダーコの3名が陣地に向かって進むこととなる。 3名は途中で日本兵を殺害しながら、ようやく第2/16大隊と合流を果たす。ジャックはもしかもするとマックスが運び込まれているかも知れないと救護所を回るがいない。さらに、傷ついた第39大隊に再呼集がかかる。負傷した兵らは皆手当を中断して前線に向かう。ジャックらもまた前線に向かい、第2/14 大隊と合流し、日本軍の攻撃を食い止める。その戦いでバークが戦死する。 一方、マックスのいる村に日本兵がやってくる。ジョンノは囮となって密林に逃げ込むが、日本兵に殺害される。マックスは原住民に助けられる。 大隊長の大佐は傷つき負傷した第39大隊の兵を前に、ねぎらいの言葉を掛けるのだった。
2008年09月10日
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2006 ドイツ 監督:ローランド・ズゾ・リヒター 出演者:フェリシタス・ヴォール、ジョン・ライト、ベンヤミン・サドラー ほか 144分 カラー DRESDENドレスデン 運命の日(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ドレスデン 運命の日」を探す(楽天) 日本で言えば東京大空襲に当たる、ドイツのドレスデン空襲を背景にしたフィクションメロドラマ。ドレスデン空襲は第二次世界大戦末期の1945年2月 13日から14日にかけて、英国空軍が延べ773機もの爆撃機によってドレスデンの町を無差別絨毯爆撃したものである(実は、直後にさらに米軍によって数派にわたって駄目押し爆撃がなされている)。もはや、軍事目標等の空爆ではなく、一般市民を巻き込んだ無差別攻撃だが、名目上はソヴィエト軍支援となっているが、実際は英国空軍のプライド誇示のためとも言われる。この空襲により数万人の死者が出たと言われ、古い文化財級の建物が多かった古都ドレスデンが灰燼と帰した。 英米の戦争犯罪の典型例とも言えるドレスデン空襲を扱った映画ということで、骨太な内容を期待したのだが、どうにもまとまりのないメロドラマに終始してしまった。というのも、本作はドイツのテレビ局によるテレビムービーで、日本公開はその再編集版ということらしい。従って、単品映画のようなキレに欠ける。ストーリー、構成ともにかなり陳腐で、メロドラマとしてもパッとしない。もちろん、史実ドキュメンタリーとしても、ヒューマンドラマとしても物足りない。さらに、本作のテーマは「和解」だそうで、英独両側にも偏らない構成を心がけたために、戦争批判、反省ともに及び腰で何とも浅い内容になってしまっている。このあたりは、現代ドイツの置かれた微妙な立場を示しているような気がする。 ただ、本作の映像については一般劇場映画の標準を凌ぐ、優れた出来。セット規模、映像の美しさ、カメラワークともに迫力十分で、見ごたえがある。特に、空襲シーンにおける爆撃機内部からのシーン、崩れ落ちる建物、荒れ狂う炎のシーンは秀逸。建物背景や飛行する爆撃機アブロ・ランカスター、B-17はCGによるものだが、本物と見まがうほどの出来具合。実物大模型も制作して使用しているらしい。 また、製作にあたり、フィクションドラマとはいえ、大学教授や歴史家が考証に当たっており、真摯な製作姿勢が窺える。このあたり、日本のテレビ局製作のドラマとは一線を画する。日本はテレビ局のプロデューサーや担当者が知識人ぶって作ったふりをしているが、ほとんどはパクリや受け売りでしかないからね。 なお、空襲で崩壊した聖母教会は2005年に再建され、それを記念した作品という位置付けなのかもしれない。ラストにその映像が挿入されるが、ストーリー的にはかなり強引な使い方だ。 全体に冗長感が強く、様々なイベントが相互に噛みあっていないので、ストーリーがブツブツ切れている感じがする。従って、メロドラマが成り立つはずもない。もう一つ苦言を呈すれば、ドイツ人看護士女性と撃墜された英軍パイロットが恋に落ちるという何ともベタな展開は、全然面白くなかったし、感情移入のしようがなかった。とにかく英独両国民にいい顔をしたいという製作者の良い子ブリッコ的な雰囲気がプンプンなのだ。このあたり、日本のアメリカに対する感覚と、ドイツのイギリスに対する感覚の違いを如実に感じる。結局、彼ら白人は喧嘩はしたけど身内なのだな。 折角のレアな題材ではあるが、もったいない作りだったというのが印象。どうせなら劇場映画版でリメイクして欲しい。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ドレスデンの病院の看護婦アンナはマウト院長の娘で、外科部長のアレクサンダーと恋仲だった。妹のエファはヒトラー・ユーゲント?に所属していた。 英軍パイロットのロバート・ニューマンは夜間爆撃で撃墜され、一人ドイツ国内に降り立つ。ドイツ兵の制服を盗み、アンナの病院地下室に潜入する。 アンナは地下室でロバートを発見。ドイツの逃亡兵と思い、手当てをし食料を与える。その地下室には欠乏しているはずのモルヒネが蓄積されていた。大管区指導者(ガウライター)ムッチマンの副官とマウト院長が取引し、病院で使うはずのモルヒネを副官に横流しし、院長は富を得ていた。院長はドイツの敗北を予期し、中立国スイスへの一家移住を計画していたのだ。 SSによる地下室の検察から逃れたロバートは自傷してドイツ兵に化ける。アンナは次第にロバートがイギリス人パイロットだとわかってくる。 アレクサンダーはマウト院長がモルヒネを横領していることを知るが、いずれ娘婿になるアレクサンダーを丸め込む。モルヒネがないために、アレクサンダーは幼い子供の命を見捨てるが、アンナをそれを咎め、次第にロバートに心惹かれていく。アンナの婚約発表パーティの席に、ロバートが現れる。そしてモルヒネ隠匿の件をアンナに伝える。アンナはロバートと駆け落ちする覚悟で屋根裏部屋に隠れるが、見つかってしまい、ロバートも軟禁されてしまう。 アンナの同僚看護婦マリアの夫ジーモンはユダヤ人だった。その夫にも、ついに出頭命令が来る。 いよいよ、イギリス空軍によるドレスデン無差別空爆が決定される。 アンナとその家族は強引にスイスに向けて出発する。父のマウト院長は最後に副官にモルヒネを渡し、お金を受け取る。そこで空襲が始まる。アンナは監禁されたロバートのもとに逆戻りする。それを追うアレクサンダー。二人は地下室に退避する。しかし、酸欠及び熱波により外に出ざるを得ない。外は燃え盛る炎と焼かれる人々で地獄模様だった。そこで父マウト院長と出会うが、院長は直撃弾により死んでしまう。さらに、監禁された部屋から何とか逃げ出したロバートと再会し、3人は病院地下を通ってエルベ川に出ようと試みるみる。しかし、地下室は一酸化炭素中毒で全滅状態となっている。そこを突破し3人は進むが、先を行ったロバートが崩れた瓦礫の下敷きになってしまう。一旦はロバートを置き去りにしたアンナだったが、アレクサンダーと別れてロバートのもとに戻る。空襲が終り、わずかな空気穴で助かったロバートとアンナは廃墟となった地上に出る。 また、戦火で別れ別れになったマリアとジーモンは再会する事ができる。 ロバートは帰還への道を探して聖母教会に登る。 ロバートは帰還数ヶ月後、飛行中に北海で消息をたつ。娘が出来、ドレスデンに来る途中だった。 崩れ落ちた聖母教会は2005年再建された。
2008年09月09日
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2004 ロシア 監督:ウラディミール・ホチネンコ 出演者:セルゲイ・マコヴェツキー、マラト・バーシャーロフ ほか 100分 カラー 72METRA 72METERS72M(セブン・トゥ・エム)(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「72M」を探す(楽天) ソヴィエト海軍からウクライナ等が独立し、ロシア海軍となってからの潜水艦部隊を題材にした、ヒューマン系アクション映画。ロシア海軍の演習中に、潜水艦に事故が発生し、潜水艦乗組員らが対処していくというアクションに、ラブロマンス、友情が絡んでくるというもの。 単に物語を展開させるだけでなく、自然風景や抽象的事象を取り込む、ソヴィエト芸術記録映画の系譜は健在。どうもこの監督は動物好きなようで(笑)、本作にはカモメ、金魚、牛などが準主役級(笑)として頻繁に登場する。自然生物を取り入れることで、人間界の狭量さや身勝手さをクローズアップさせる意図があるのだろう。ただ、どうみてもコミカルであり、シリアスなストーリー展開の上では、いささかマッチしていないような気はするのだが。 そもそも、近年のロシア(ソヴェエト)映画のパターンはコメディ、シリアス、ラブロマンスを全て取り込む傾向が強いのだが、本作もまさにその通り。また、きっとロシア人は爆笑するのだろうが、登場するロシアギャク?はかなり濃いし、お下劣なのが多いので、日本人には馴染みにくいかも。そういう意味では、ロシア映画というのは日本人の感性にはあまり合っていない様な気がする。 潜水艦アクション映画としてのストーリー自体は、事故で着底してしまった潜水艦からの脱出、というありきたりの展開ながらも、それなりに面白く、手に汗握るシーンも多い。だが、いただけないのはラブロマンスシーンと家族愛の回顧シーン。決してあってはいけないとは思わないが、挿入タイミングとシーンの長さのバランスが悪い。ダラダラ続くので、それまでの緊迫感が一気に途切れてしまうし、映画に集中できない。この辺りのシナリオ製作、編集技術というものはいかにもロシア的と感じる。 また、閉じこめられた艦内のロシア海軍水兵の冷静沈着さが気にはなる。一応、もう少しパニックぐらいは起こして欲しいなあ(笑)。 しかし、何と言っても、ラストシーンの終わり方・・・・。すんごく気になる!。いや、本当にこの終わり方でいいのだろうか。それまでの潜水艦から脱出できるのか、という極度の緊張感を引きずりながら・・・・。その緊張感の納め場所が(笑)。ちょっとフラストレーション溜まるかも。 映像的には、やはり潜水艦シーンが一つの見所となっているが、内部の映像が断片的で、迫力やリアル感という意味ではたいしたことない。 ただ、本作で凄いのはロシア海軍全面協力だったのか、登場する航空機、艦船がてんこ盛りな所。これでもかと言うぐらいにロシア海軍の艦艇類が登場するのは、本当に珍しいし興味深い。どこかの使い回し映像かも知れないけれど、十分見応えあるのだ。 まず、主役の潜水艦はキロ級通常動力潜水艦。最新鋭ではないけれど、いまだ現役の潜水艦だ。同型のものが数隻停泊しているシーンも見られる。 演習に登場する水上艦艇では、キーロフ級原子力ミサイル巡洋艦(ピョートル・ヴィェリーキイ 099)、スラヴァ級ミサイル巡洋艦(モスクワ 121、マーシャル・ウスチノフ 055)、ウダロイ級駆逐艦(650など)など黒海艦隊、北方艦隊旗艦級のそうそうたる艦が見られる。艦番が記されているので、艦が特定できる。いずれも、本映画のために撮影されたものと思われるが、凄いのはキーロフ級巡洋艦の対潜ミサイル発射シーンがあるところ。輸送船のような船体から対潜ミサイルが飛び出していくという、実にレアな映像を見ることができ、いわゆるミリタリードキュメンタリーとしても十分価値がある。 航空機では、巡洋艦搭載のKa-27ヘリックスヘリコプター、Il38メイ対潜哨戒機の実飛行シーンが見られる。 潜水艦の水中シーンは、ミニチュア模型を使用しているのだと思うが、結構リアルに出来ている。映像が暗いことで誤魔化してはいるのだろうが、本物を見ているかと錯覚するほどだ。 この他興味深かったのは、何気なくウクライナ海軍とロシア海軍の確執が描かれていたりして、ロシア人、ウクライナ人の民族的反発心が根強いのだということがわかるし、ウクライナ独立にあたり、どうやって海軍兵力及び人員を分離したのかかが、少しわかったような気がする。 全体に、ストーリー展開の流れに問題を感じるが、潜水艦アクションとしては平均点は与えられそうだ。でも、何度も言うようだがラストシーンは・・・あれでいいのか(笑)。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ロシア海軍の潜水艦「スラヴガール」の艦長はヤニーチャ大佐で、海軍の演習のために乗員を召集する。一人でも遅れれば連帯責任と言われ、モロドイ水兵は航海長ピョートル・アルロフ大尉を捜しに行く。ようやく営倉で探し当てたモロドイだが、アルロフ大尉は車で通りかかった第一区画長イワン大尉の車に乗らない。期限ギリギリで戻ったアルロフ大尉にヤニーチャ大佐は笑って迎え入れる。 今回の演習は、水上艦隊の旗艦を撃沈し、24時間隠れきるというもので、宇宙医学研究所から派遣された医者クラウスを乗せて出港する。クラウスは水兵に憧れており、初めての乗艦だったが、ノルウェーのゴム製女性人形を探してこいとからかわれる。また、ニコライ准尉からはイヤリングを買わないかと誘われる。 アルロフ大尉は、中尉時代に親友だったイワン中尉と女性ネリーを奪い合った経緯があった。ネリーはイワンと結婚を約束していたが、アルロフが奪い取ったため、二人の仲は決して良いものではなかった。 潜水艦からの旗艦攻撃は成功したが、潜航中に第二次大戦時の機雷に接触し、潜水艦は72mの海底に座礁してしまう。浸水により艦長をはじめ多くの水兵が水死。アルロフ大尉とクラウス、モロドイ水兵の3名が生き残る。3人は浸水した艦内を潜りながら第一区画に到達すると、第一区画には多くの乗員が生き残っていることがわかる。第一区画長のイワン大尉は、3人が生きていることを知り、危険を押して気圧を高めて防水扉を開き、第一区画に救出する。 一方、水上では作戦時間が終わったにも関わらず、音信不通の潜水艦の安否を気遣うが、情報がない。アルロフ大尉の妻となったネリーは3人目の子供を身ごもっており、心配していた。 イワン大尉は潜水具を装着し、魚雷管を通って脱出することを計画する。しかし、潜水具は12個なのに対し乗員は13名いた。アルロフ大尉は自分が残ると言うが、イワン大尉も自分が残ると言う。ところが、潜水具のうち11個は壊れていた。潜水具管理担当のニコライ准尉が、浮気した妻の気持ちを取り戻すため借金のかたに新品を売り飛ばしていたのだ。クラウス准尉は自殺しようとするが、イワン大尉に制止される。 残された道は1名が海上に浮上し、救援を呼ぶしかない。その1名に唯一の民間人であるクラウスが選ばれた。クラウスは魚雷管を通って海上に浮上する。そこから走って街に向かうのだった。
2008年09月06日
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2004 イラン 監督:アーマド・レザ・ダルヴィシュ 出演者:サイード・ラド、ペズマン・バゼイ、パリヴァシュ・ナザレフ ほか 132分 カラー DUELエネミー・ゾーン 沈黙の作戦(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「エネミー・ゾーン」を探す(楽天) イラン・イラク戦争を背景に、スパイ・裏切り容疑をかけられた元イラン兵の苦悩を描いた、イラン製映画。あえてジャンルを書かなかったのは、本作は本当によく分からない作品だったからだ。私の解釈で言えば、多分サスペンスなのだろうと思うのだが、内容的には友情や愛情を描いたシリアスドラマの臭いもあるし、戦争や世相を批判した社会派正義ドラマとも取れるし、激しい戦闘アクションもある、複雑怪奇な作品だったのだ。要は全てのジャンルを盛り込んだものなのだが、当然見ている側にとっては何に集中すればいいのかわからず、常に振り回されてしまって、結局何も残らない。凝り過ぎなのだ。シナリオや編集技術にも難点があるのだろうが、サスペンスドラマの展開としても、それらが非常に阻害してくる。作品のストリー的出来具合から言えば、★1.5つでもいいくらいなのだが、★2つにしたのは後述する戦争アクション部分がレアだから。 作品の背景となるイラン・イラク戦争は、1980年から1988年にかけて勃発した戦争で、両国民を巻き込んだ激しい戦争であった。主人公の元イラン兵は、ある事情によりイラク軍の捕虜となり、イラン側からはスパイ容疑と裏切り容疑をかけられ、20年後の帰国とともにその容疑を晴らしていくという、謎解きサスペンスが核になっているものと思われる。その容疑の背景には、イラン軍内部や一般市民の欲に絡んだ思惑があるのだが、イラン国内事情、さらにイランに残る?部族的慣習が、本作の理解を妨げる要因にもなっている。イランの情勢についての知識が乏しいために、何故そのような行動、言動を行うのかが、なかなか理解できないのである。特に、部族的慣習については、族長のような存在と軍、行政官が混じり合い、前近代的な社会構造がなかなか難解である。彼らの正義、勇気、友情、愛情ともに、我々日本人の感覚とはかなり異なっているような気がする。従って、シリアス部分や社会正義部分については、なかなか映画中に心情移入しずらかった。 また、本作では登場人物がかなり多い。主役以外、顔つきや名前を覚えることができるほどの性格付けがなされていないうえ、イベント発生の契機付けが浅いので、ストーリーの流れが実に理解しづらい。サスペンスにとって、かなり重要なポイントと思われるシーンが何度見ても理解できないこともあり、致命的と感じた。 そのほか、主人公ザイナールは、ホンアーを死なせてしまった罪悪感を持っていると出てくるのだが、ホンアーって誰?劇中には結局登場しなかったような・・・。もしかもすると、DVDではかなりカットされているのかも知れない。こういった意味不明の会話シーンも所々見られる。 本作で唯一評価出来た点は、アクション部分だ。映画の約半分近くを戦闘シーンに費やしており、火薬使用量や登場兵器類はかなり多い。列車爆破シーンは実際に大がかりな爆発をさせていたり、戦闘機銃撃シーンや砲弾着弾シーンの砂煙などは、かなりの技術を有しており、アメリカ映画に比しても遜色はない。 私が特に評価点を上げた理由は、登場する兵器類の多さである。特筆すべきはイラン空軍のF-14トムキャットが2機実際に飛行していることである。実際の稼働機数が少ないとされるイラン空軍の協力で、飛行しているイラン空軍トムキャットを見ることが出来るのだ。また、陸上兵器では多彩な戦車、装甲車が登場している。幾分の近代改装や増加装甲を施しているようではあるが、アメリカ製M-60パットン戦車、イギリス製チーフテン主力戦車、ソヴィエト製T-55戦車、ソヴィエト製BMP-1歩兵戦闘車、BMP-2歩兵戦闘車が20台近く登場するのだ。もちろん全て稼働しており、撮影年が2003年頃として、イラン地上軍の実情を垣間見る上で貴重なものと言えよう。 映像はやや画素がやや粗い感じがする。カメラワークは、着弾と共に揺れてみたりと悪くない。ただ、抽象的シーンの挿入がやや唐突だったりと、映像バランスとしては違和感があった。 原題のDUELは、決闘、勝負といった意味で、正義を貫いて悪と戦うという趣旨で理解できるが、邦題はちょっと・・・・。 かなり、生と死とか(イラン的)正義という会話が多いので、邦訳も難しかったのだろうが、一度の視聴ではなかなか理解しがたいだろう。私はあまり感じることは出来なかったが、イランの社会的正義とか人道というものが描かれているのならば、何度も視聴しないとわからないかもしれない。ただ、サスペンスものとしては何度も見たいと思わないが・・・・。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1961年コーラムシャー州ハイエン市生まれのザイナール・ハビダビは、「開戦後まもなくコーラムシャーにて敵に捕らわれ、そして20年間投獄された後、最後の囚人交換期に名誉軍人とともに解放された。ハイエン市民の証言によると、本戦争の初期に容疑者は敵軍のスパイとして活動し、我が国の公有財産を盗み、敵軍に入隊した。彼の犯した罪により多くの軍人と一般人の命が奪われた。」という罪状により裁判を受け、20年の捕虜生活及び11ヶ月の監禁を考慮されて、釈放される。 1980年のイラン・イラク戦争の勃発により、コーラムシャー州ハイエン市の駅はイラク軍の攻撃対象となった。ザイナールは防衛軍の一員として防衛戦を構築して戦っていた。駅には一般市民が避難のためにごったがえし、友人のヤーヤが連絡係として働いていた。避難民の中には、ヤーヤの妻サリメー、ザイナールの兄ナクホダ、父母らがいたが、その駅もイラク軍戦闘機によって空爆を受ける。サリメーらは安全なアホワーズに逃げようとし、ヤーヤは駅に残って戦う決意を決める。ザイナールはサリメーにヤーヤを守ると伝える。 エスカンダールが知事を連れて駅になってくる。敵に破壊された列車の中に国家機密書類の入った金庫があり、それを奪取しろとの命令が下る。ザイナールは、ジャーナラが徹底防衛を命令していること、エスカンダールがペテン師だとして、命令を拒否する。しかし、ヤーヤは作戦に参加しようとし、サリーメーとの約束があったため、自分が代わりに行くことにする。 バラボン、マンスール、モラッドらの部下に、駅員のサフダレを加えて敵陣に潜入する。ようやく金庫を発見するも、サフダレは恐怖で怯え続ける。金庫は重さが4トンもあり、人手で運べるものではなかった。そこで、マンスールはイラク軍の装甲車を奪い取り、金庫を鎖でつないで引っ張っていく。しかし、エスカンダールの部下?は後方でイラク軍と戦っている仲間を見捨てて装甲車を発進させ、マンスール、サフダレ、ザイナールを除く全員が戦死する。 敵陣を突破し自陣に戻ってくるが、エスカンダールの部下?は金庫をトラックに移し替え、サフダレを射殺して逃走しようとする。マンスールも流れ弾に当たって戦死し、ザイナールは金庫を積んだトラックを奪い、無線でアホワーズに運ぶことを連絡する。 エスカンダールと知事はすぐさまザイナールを追いかけて、金庫を渡せと迫る。ザイナールは拒否し、ジャーナラの元に向かうが、ジャーナラは居らず、代理人がいた。代理人は知事の思い通りにはさせないと言い、ザイナールを逃がす。 ザイナールはジャーナラのもとに金庫を届けるため、船に移し替えて移動する。その際、追跡してきたヤーヤと合流する。船は途中でイラク軍に発見され、撃沈される。その際、ヤーヤは金庫の鎖にからまって水中に没し、ザイナールはイラク軍の捕虜となる。 20年ぶりにハイエン市に戻ったザイナールは、市民から白い目で見られた。基地指令?になっているエスカンダールはザイナールを迎え入れ、長老のラティーフとともに、ザイナールを許してやると公言する。その晩、ラディーフの息子が撃たれる。撃ったのはサリメーの息子イスマイールで、ザイナールを撃とうとして誤射したのだった。サリメーは夫ヤーヤを殺したのはザイナールだとして、強烈な憎悪を抱いていた。ザイナールは和解のため、サリメーを訪れるが、逆に瀕死の重傷を負わされてしまう。 ザイナールは真実を明かすためには水没した金庫を探すしかないと考え、甥の軍人カセムと一緒に軍の協力を仰ぐ。軍の司令官は何とジャーナラの代理人だった男だった。最初は、司令官は遺骨収集で善を探しているのだとして、金庫探しの協力を拒む。しかし、ザイナールの説得に応じて、ダイバー等の協力をする。そして、ついに金庫とヤーヤの遺骨が引き上げられ、ヤーヤ殺害の容疑が晴れる。 エスカンダールはザイナールの動向を観察し、苦々しく思っている。サリメーを妻にしようとも目論んでいた。イスマイールはザイナールの姪フィルザと恋人同士だったが、難しい立場に置かれていた。それを利用して、エスカンダールとラティーフはザイナールを殺すようけしかける。しかし、勇気のないイスマイールはザイナールを殺すことはできなかった。 金庫をアホリーズに運ぼうとするザイナールをカセム、サリメー、イスマイール、フィルザが手助けする。しかし、エスカンダール、ラティーフら市民に包囲されてしまう。ザイナールは仕方なく地雷原の中を突っ切ろうとする。追ってきたエスカンダールらと銃撃戦になり、エスカンダールは全てを暴露する。金庫の中には何もなく、金庫自体が4トンの金塊だったのだ。それらは密輸で得た隠し金だったのだ。 不意をついて、カセムが撃たれてしまう。さらに、ザイナールはエスカンダールに刺され、エスカンダールは金庫を積んだトラックで逃走を図る。しかし、地雷を踏んで大爆発する。 ザイナール、サリメーらは馬車に乗って走る。
2008年09月02日
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2005 ドイツ 監督:ハインリッヒ・ブレロアー 出演者:セバスチャン・コッホ、トビアス・モレッティ、ミヒャエル・グビスデク ほか 3部作270分、ドキュメンタリー90分 カラー SPEER UND ER SPEER AND HITLER: THE DEVIL'S ARCHITECT[DVDソフト] ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア DVD-BOX DVD検索「ヒトラーの建築家」を探す(楽天) ドイツのテレビ企画で製作されたドキュメンタリードラマ。第二次世界大戦時、ドイツの軍需大臣だったアルベルト・シュペーアをテーマに、ドラマ仕立ての中に関係者のインタビューを交えて、3部及びドキュメンタリーで構成されている。 第一部:戦争の記憶 ~ヒトラーの片腕から、ニュルンベルク裁判の被告へ~ 第二部:ニュルンベルグ裁判 ~戦犯として唯一責任を認めた男~ 第三部:牢獄のシュペーア ~20年の禁固刑、ベストセラー作家となる~ ドキュメンタリー:アルベルト・シュペーア アルベルト・シュペーアは生粋の建築家であったが、宣伝省改築やナチス党大会の演出などの仕事を手がけていくうち、芸術や建築に興味の強いヒトラーに気に入られ、建築総監、そしてヒトラーの腹心とでもいうべき軍需大臣に抜擢されていく。ヒトラーに近しい数少ない人物ではあったが、他のゲッペルスやゲーリング、ヘスといった重臣と異なるのは、政治家でも軍人でもなかった点であり、純粋に芸術家としてヒトラーと接し、意見を言えたとも言われる。 しかし、ドイツが戦争に破れると、ユダヤ人虐殺、外国人強制移住・強制労働の罪で戦犯容疑者となり、その事実や計画を知っていたかどうかが大きな焦点となる。ニュルンベルグ裁判の結果、結局懲役20年の刑に服し、釈放後には回顧録も出版したシュペーアだったが、シュペーアが大きな権力をも持ちながらも、本当にユダヤ人虐殺、捕虜等強制労働に加担していなかったかどうかは、未だ大きな謎のままである。 本作は、シュペーアがヒトラーに出会う過程、建築家としてベルリン再開発計画にのめりこんでいく様子、軍需相として戦争に関わっていく様子、戦犯としてヒトラーとの決別、服役中の姿を時系列に追っていく。シュペーアがどのように、ヒトラーを思い、感じ、共感して行ったか。いつ、ヒトラーの狂気に気付き、自身の道を改めていったのか。そうしたシュペーアの波乱の人生がありありと描かれている。 また、随所随所にシュペーアの実子であるアルベルト・シュペーアJr(長男)、ヒルデ・シュラム(長女)、アルノルト・シュペーア(次男)本人のインタビューが入る。シュペーアに最も近い人物の告白により、より生に近いシュペーア像を窺い知る事ができる。 その息子や娘たちだが、父親が服役によりちょうど思春期に離れて暮らしているせいもあるのだろうが、インタビューの中では実に他人行儀なのが気になる。戦犯の父を持った後ろめたさもあったのだろう、尊敬したくてもできない彼らの苦しみのようなものさえ感じる。忘れてしまいたい、話したくないという気持ちもあるのだろう。シュペーアの物語は、時の権力に翻弄された一家の苦難の物語でもあるのだ。 しかし、本作はとにかく長い・・・・。ドキュメンタリー大作であることは認めるが、さすがに270分は長い。丁寧に作りこんではいるのだろうが、裁判と回想録が混じったり、子供達のインタビューが入っている分、ダラダラ感がある。やはり、ドキュメンタリーとドラマを一緒くたにして作ることは良くないのではないかと感じた。ドラマ部分とドキュメンタリー部分は切り離しておいたほうが、ずっと引き込まれるし理解できたと思う。そうすれば、ドラマ、ドキュメンタリー単品として、コンパクトな作品に仕上がったんじゃないかな。全般に内容がしっかりしているだけに、ちょっともったいない。 映像的には、かなり大がかりで多様なセットを用意しており、、見ごたえはある。また、ドキュメンタリー部分にしても、要所にモノクロの記録フィルムを取り入れ、効果的に用いている。歴史ものとしては、かなりわかりやすい作りにはなっているのではないだろうか。 シュペーア役は「ブラックブック」でも活躍したセバスチャン・コッホ。本物のシュペーアより格好良いし、オーラがあるけど(笑)、いい味出している。 奇しくもちょうど、邦画「明日への遺言(2008)」を視聴した所なのだが、本作と比較してみると面白い。「明日への遺言」はB級戦犯として横浜で裁かれた岡田中将がモデルだが、両者とも敗戦国の戦犯として、戦犯容疑を認めるという点で共通する。しかし、同じ責任を認めると言っても、片や岡田中将は部下の責任を軽減し、自ら死を選んでいくのに対し、シュペーアはあくまで抗弁に努め、自己の非だけを認めていくという違いがある。そこには個人的な差異なのか、民族的差異なのか、大きな違いがあることがわかる。非常に興味深い部分である。 蛇足だが、本作で面白いのは、シュペーアが収監されたシュバンダウ刑務所は、連合軍とはいえ、ソヴィエト軍が主として管理していたようで、ソヴィエト軍の処遇のひどさがよく描かれている。劇中でも、ソヴィエト軍管理の時は体重が十キロも減るが、英米軍管理の時に元に戻るというようなことを言っている。 ドキュメンタリードラマとしては大作であるが、本作を見る気ならば心してかかるべし。どんなにつらくても、決して早送りをしてはいけない(笑)。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1945年10月、ドイツのニュルンベルグで国際裁判が行われていた。ドイツ軍需相だったアルベルト・シュペーアは、平和に対する犯罪、人道に対する犯罪、その実行のための共同謀議による参戦などの罪に問われていた。つまり、ユダヤ人虐殺、外国人及び捕虜の強制労働の罪であった。 1930年12月のベルリン。ヒトラーの演説に聴き入るシュペーアがいた。シュペーアは建築家であり、理想主義に燃えていた。ナチス党に入党し、宣伝省改築の仕事を受ける。1933年2月、ヨゼフ・ゲッペルスが宣伝相となり、彼に引き立てられたシュペーアは1933年7月のミュンヘン党大会の演出をまかされることとなる。その際、計画等の承認のため、シュペーアはヒトラーと面会することとなり、もともと建築に興味のあったヒトラーは、シュペーアを気に入っていく。そして、シュペーアは建築総監の要職を得る。 1934年、シュペーアはベルリンの首相官邸の設計を始め、1936年ルイスポルト競技場完成。1939年には新首相官邸が完成する。これらは壮大なベルリン都市計画の端緒であった。ヒトラーはシュペーアの設計構想に天才だと感嘆する。1940年パリ入城を果たし、いよいよヒトラーとシュペーアのベルリン再開発計画は果てしない夢想へと広がっていく。 1942年になり、戦線が拡大し始めると、産業のみならずバクー油田、ドネツの鉄鉱石など軍需物資確保が急務となってくる。時の軍需大臣はトットであったが更迭され、シュペーアがその後任に任命される。シュペーアは門外漢でありながらも、ヒトラーと親密な関係にあり、絶対的な信頼を得ていた。 シュペーアは軍需相として、建築のみならず、軍需生産にも深く携わるようになり、労働者確保のために外国人・捕虜・ユダヤ人労働者に移動、労働を命じるようになる。194年の10月には100万人のロシア人を労働力として確保する。この頃より、シュペーアの心にも変化が見え始め、弟が東部戦線のスターリングラードで行方不明になった際にも、家族に英雄が欲しかったと言ったとされる。 1945年11月、23人の戦犯が起訴される。シュペーアは全責任を取ると言うが、弁護人ハンス・フレクスナーは、「あなたは建築家で芸術家だ」と諭し、シュペーアの弁護資料をシュペーアの秘書だったアンネ・マリに頼む。 シュペーアの容疑の焦点はまず、1943年10月6日のポーゼンでの党員会議におけるユダヤ人抹殺計画を知っていたかどうかであった。ゲットー地区にユダヤ人を強制移住させたことからも、シュペーアがユダヤ人の行く末を知らなかったはずがないとの意見もある。裁判では、ユダヤ人虐殺の映像が流され、シュペーアは愕然とする。 弁護人フレクスナー博士は秘書アンネ・マリにヒトラーに反対意見を出した書簡を探し出させる。つまり、シュペーアはヒトラーの言いなりではなく、反対していたのだという証拠だ。実際、ヒトラーへの意見を何度か進言している。しかし、シュペーア自身、ノルトハウゼン北方のV1ロケット地下工場であったドーラ収容所で見た捕虜の姿、さらにはアウシュビッツ収容所のバラック建設に許可を出したことなど、自分の責任であることにも気づいていた。 シュペーアは労働者の確保を承認したという自身の罪を認めつつも、地下官邸でヒトラー暗殺を計画したこと、ゲッペルスの批判、労働者への優遇を命じたこと、ユダヤ人や労働者への虐待は副官ザウケルが行ったこと、との供述を始める。それを聞き、ゲーリングやザウケルは、シュペーアを裏切り者と罵る。 シュペーアは、1944年中頃から、ドイツの勝利はないと思い、ヒトラーの出した重要建築物破壊命令に抵抗していた。1945年3月29日、ヒトラーに呼ばれ休職を命じられる。だが、本音を言うのが私の任務と言い、ヒトラーを全面支持すると言いながらも、結局施設の保護を続けていく。 1945年4月23日、シュペーアはヒトラーと面会する。すでにヒトラーは心神衰弱の状態で、ベルリンがもしもの時は存在の苦痛から自由になれるとまで言い放つ。シュペーアはその姿を見て、忠誠心は失っていない、望むなら最後まで共にいると言う。 5月1日、ヒトラーは自決して果てる。 シュペーアの証言から、罪状は「軍備のための強制労働」だけとなる。シュペーアの弁舌に説得力があったのだ。その結果、ゲーリング、カイテル、ローゼンベルグ、リッペントロープ、ザウケル、ハンス・フランクは絞首刑となるが、シュペーアは禁固20年の刑に軽減される。ゲーリングは1946年10月16 日、収監先で服毒自殺する。 (文字数の関係で以下略)
2008年08月30日
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1987 イタリア 監督:テディ・ページ(アーヴィン・ジョンソン) 出演者: マックス・セイヤー、ジャック・イエーツ、コーウィン・スエリーほか 96分 カラー PHANTOM SOLDIERS DVD検索「ファントム・ソルジャー」を探す(楽天) ベトナム戦争の最中、北ベトナム国境で謎のガスマスク集団、ファントム・ソルジャー部隊が出没。失踪したグリーンベレー隊員の弟を探してベトナム入りしたテキサスレンジャーが、ファントム・ソルジャーに遭遇し、その謎を解いていくという、サスペンスアクション。ファントム・ソルジャーは一体何者なのか。CIAか北ベトナム軍か。意外な展開が面白い。 監督はどうやらフィリピン系アメリカ人らしく、フィリピン映画やテレビを多く手がけているようだ。ビデオパッケージにはイタリア製作となっているが、どう見てもアメリカ映画なのだが??。 なんとも奇抜な設定でわかるとおり、典型的なB級映画で、ふざけているのか、シリアスなのか判断できない。結果からみるとシリアスのつもりなんだろうが、やっぱり設定は笑ってしまう。大体、ガスマスクに黒戦闘服、機関銃弾帯をたすきがけ、ドイツ軍風ヘルメットなんて変だぞ。ストーリーも、奇抜な発想で意表つく展開は結構面白いのだが、筋の連続性や必然性、個々の設定という点でちょっとお粗末。 ところが、使用されている火薬量、兵器類、エキストラ数はB級にしては法外に多い。アクションシーンの倒れる動作は、学芸会並のチープさだが、かなり長まわしの銃撃戦、爆破シーンはド派手でかなりのインパクト。これぞ戦争映画といった感がある。エキストラの演技指導さえもう少ししっかりやっていれば、かなり良いものになっただろうに。 このように、完成度はちょっと低いのだが、なんだかんだで最後まで興味深く見てしまう、何とも迷作なのだ。雰囲気的には、B級版ランボーとも言えるかもしれない。 ロケ地はフィリピンらしい。カメラワークや編集がお粗末なのでもったいないのだが、ロケに使用している土地やセットは結構立派だ。 登場する兵器類はなかなか豊富。ヘリではUH-1ヒューイ、OH-6?、AFVではV-150装甲兵員輸送車、M113装甲兵員輸送車、スコーピオン装甲偵察車(FV101)が登場する。このほか、数隻の揚陸艦、81ミリ砲、迫撃砲などもある。これらは多分フィリピン軍か在比米軍のものと思われるが、かなりの軍の協力があったことが窺われる。 まあ、わざわざ見たいという内容の作品ではないが、迷作という意味では特筆できる作品かもしれない。 興奮度★★★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 北ベトナム国境のベトコンの拠点村。そこに、ガスマスクと黒一色の戦闘服に身を包んだ謎の部隊が急襲。ベトコンのみならず、婦女子老人までを皆殺しにする。容赦なく機関銃を撃ちこみ、手りゅう弾で村を爆破しまくる。さらに、海岸に逃げた女子供らを毒ガス攻撃で殺害し、額に印のついたドクロを置いて行く。 ベトナムのグリーンベレーマイケル・カスター中尉の部隊が虐殺されたベトコンの村を発見する。またもや、ファントム・ソルジャーの仕業だ。使用された武器はアメリカ製だが、そこで行動している部隊はいない。CIAか反共産ゲリラの仕業か。中尉の小隊はファントムソルジャーの追跡を開始する。先頭を歩いていたレッドレッグスが、ガスマスク黒戦闘服の何者かを発見し銃撃する。しかし、手ごたえはなかった。部隊の大尉は深追いするなと命じる。 次の偵察で、再びファントムソルジャーを発見。味方か敵かもわからないが、マイケル中尉は銃撃して追跡。ファントムソルジャーは逃げていくが、一人が負傷し血の痕が残る。その痕をたどっていくと、そこは北ベトナム地域であった。そこで謎のファントム・ソルジャーと遭遇。両者は対峙するが、そこでファントム・ソルジャーが実はアメリカのシークレット部隊であると名乗る。マイケル中尉らはファントム・ソルジャーについていくが、実は罠であり、中尉と二名を残して全滅する。中尉らも包囲され、捕虜となる。 一方、アメリカテキサス州では、マイケル中尉の兄、テキサスレンジャーのダニエルがヤクの密売人を追跡、一毛打尽にする大活躍。そこに軍から弟が行方不明になったとの報が入る。落胆するダニエルだが、どうもおかしいと感じ、旧友のダンにベトナム行きを頼む。しかし、断られダニエルは勝手に大佐を名乗り、ベトナム入りをする。 北ベトナム政府は村民虐殺をグリーンベレーの仕業だとし、アメリカはそれを否定。泥仕合の様相を呈する。 ダニエルは北ベトナム軍に急襲されるている最中のコ・ドン特殊部隊基地に到着する。ダニエルは神がかり的な活躍で壊滅寸前の基地を救う。そこで、捕まえたベトナム兵からファントムソルジャーの存在を知る。 ダニエルは北ベトナム地域に潜入するため、海軍の旧友トンプソンを訊ね手助けを求める。しかし、海軍基地もベトナム兵の襲撃を受け、仕方なくダニエルは歓楽街に行き、金と力で一緒に行く荒くれどもを探すが失敗。次に特殊部隊基地に捉えられているベトナム兵捕虜を勝手に連れ出し、道案内をさせることにする。 ベトナム兵は英語ができないふりをするが、実はインテリで、次第にダニエルに協力的になる。北ベトナムに潜入したダニエルだが、すぐにファントムソルジャーに捕まってしまう。 ファントムソルジャーは米軍の特殊部隊と名乗り、任務は監視と墜落飛行士の救出だと言う。司令官はハマー中佐だ。ダニエルは国防省の調査でファントム・ソルジャーの調査に来たと言うが、ハマー中佐はしらをきる。基地の外部は地雷原で脱出場所は1箇所しかない。いかにもアメリカ軍の風だが、そこでダニエルは弟のつけていたテキサスレンジャーバッジを見つける。マーフィー准尉はマイケル中尉と一緒に行動したが行方不明になったと言う。ダニエルは彼らがCIAではないかと疑う。ところが、ある瞬間コックのウインチが、指を切ってロシア語を話すのを聞く。ダニエルはファントム・ソルジャーがロシア兵だと気付く。 ファントムソルジャーは世界世論工作任務が完了し、撤収に入る。マーフィー准尉はダニエル大佐を殺害すべきだと言うが、ハマー司令官は生かして帰すと言う。そこに、ウインチがロシア語を聞かれたと報告しに来、様子をみることにする。 一方、ダニエルはマイケル中尉らが拘束されている水中牢を見つける。密かに接近し、マイケルらを解放する。脱走に気付いたファントム・ソルジャーが追跡を開始。レッド・レッグスが撃たれる。レッド・レッグスは一人残り戦死する。ファントムソルジャーはロケット砲、ヘリを使用して追跡。ダニエルとマイケルは協力して敵を全滅させる。 ダニエルが言う。「法は超えられない だれもな」
2008年08月28日
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1987 アメリカ 監督:ハン・ウー・ジュン 出演者: デニス・クリステン、ユン・キョン・ソー、ゲイリー・ウッドほか 110分 カラー SOLDIERS OF INNOCENCE 典型的B級映画ながら、実に意外性とインパクトのある変わった戦争映画。朝鮮戦争を舞台にしており、タイトルのように幼い子供らが兵士として戦う悲惨な内容ながら、なんとも形容しがたい不思議な完成度を誇る。子供兵士はある意味タブーだし、ストーリー、役者の演技、アクションとも秀逸とは言えないし、とてつもなく地雷ぽいのだが、全編見終わってみると感動と達成感のような不思議な感覚に襲われるのだ。監督は韓国人?のようだし、主演のデニス・クリステンも見たことない。だが、「超」B級作品なのだ。ストーリーや映像といった映画作品的には★3.5を超えることは出来ないのだが、実はインパクト度から言ったら★5つと言いたいくらいである。それだけ、レアというか、反則的作品なのだ(笑)。 実は主役のデニス・クリステンは、朝鮮戦争にも従軍歴があり、戦後韓国の俳優として名を馳せた人物。従って本作はアメリカ映画とは言え、韓国映画に近いのだ。アメリカ映画のようで韓国映画のような不思議なバランスはここに理由があるのだろう。アメリカ的なヒーロー主義と韓国的な悲壮感がうまくB級的に融合した作品と言える。 ストーリー的には、子供や女が銃を持って戦ってしまうという、あり得ないような練られていない設定ではあるが、どうせフィクションならこんなのがあっても良いかなと思わせるストーリー。韓国、中国映画と言うのはここまでするか、という位子供を使って悲壮感を際だたせるものが見られるが、本作も見事だ。兵士や大きいお兄ちゃんたちの真似をして、鉄兜代わりに木の椀を被る幼い男の子のいじらしさはただ者ではない。爆薬を持ってとぼとぼと歩いていく後ろ姿シーンは、感極まるばかり。ただ、韓国語というのはヒステリックで、どうも耳障りなのが難点。 アクション的にはちょっとやりすぎ。米兵1人と女子供だけで北朝鮮軍正規兵数十人をやっつけてしまうなど・・・無茶だろう。せめて分隊程度の北朝鮮兵にしておいた方がリアルだったんだが。 撮影は韓国かアメリカかわからない。しかし、韓国人の子供らも皆英語を話しているので、アメリカ向けに作った映画と思われる。火薬使用量は結構大目で、爆発シーンや銃撃戦シーンはそこそこ迫力がある。ただ、演じる兵士の動きは稚拙で、エキストラの動きが緩慢で、撃たれた兵士の倒れ方が画一的。このあたりのアクション演技指導は手抜きらしい。ラストの北朝鮮軍の崖陣地のセットはなかなか良くできている。もう少し陣地のアップを使ってくれればリアル感が増しただろう。 描かれている戦闘は北朝鮮軍が侵攻し、撤退するシーンであることから洛東江の戦いあたりなのだろうか。なお、韓国人シスターを演じるユン・キョン・ソーは田中美佐子似の美人。 かつてビデオになっただけで、本作を見る機会は極めて少ないと思われる。しかし、これほど強烈なインパクトの映画はレアだ。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1987年、元アメリカ軍兵士コリンズは20年ぶりに韓国を訪れ、犠牲となった子供達の記念碑の前で回想にふける。 朝鮮戦争の最中。爆撃で荒らされた町から人々が逃げ惑う中、アメリカ人宣教師や尼僧が負傷者を救っている。 北朝鮮軍の攻勢に押された米軍は、61ミリ砲も届かず、80ミリ砲もない中、撤退を余儀なくされる。ウォーター大尉らは撤退するが、コリンズ軍曹は言う事を聞かずに単身残る。 本隊から1人離れたコリンズは、負傷しながらも一人で北朝鮮軍から逃げ、辺鄙なカソリック教会にたどり着く。そこにはアメリカ人尼僧アンと韓国人尼僧テレサ、12人の戦争孤児がいた。アンはコリンズに親切で、食料を与える。テレサは水を汲みに出るが、そこでアメリカ兵を探しに来た北朝鮮兵二人に出くわす。宣教師に化けたコリンズは二人を射殺するが、テレサはコリンズを人殺しと罵る。アンとテレサは北朝鮮兵に捕らわれていた子供達を引き取ることにする。 大勢の子供に困惑するコリンズだったが、食料も欠乏する状況の中、仕方なく食料調達のためアンとともに町に出かける。食料を見つけたアンだったが、仕掛けられた罠に間一髪のところをコリンズに救われる。 アンやテレサらと反りの合わないコリンズだったが、武器を回収しに出た隙に北朝鮮兵が教会に潜入していた。またもや危機を救ったコリンズだったが、教会の防護のため、壁の穴を塞ぎ、トラップを仕掛ける。子供達は武器のかわりにパチンコを練習し、テレサはそれを苦々しく思う。 外出するなと厳しく言うコリンズだったが、子供達は次第にコリンズを慕っていく。特にキムは兵士になりたがっており、コリンズは見張りの仕方を教える。コリンズはキムの袖にマークを描き、伍長に任ずる。喜んだキムはコリンズと2時間おきの見張りにつく。そんな姿にテレサも次第にコリンズを理解し始める。 食料を探しに出たアンが北朝鮮兵に捕まる。助けに行こうとするテレサをコリンズが制止する。協力して子供たちの面倒をみなければならないからだ。子供達は皆兵士になりたがる。そこで、教会の中に隠れ穴を掘り、庭中にトラップを仕掛けて、その操作方法や合図を訓練する。 コリンズと子供たちは北朝鮮軍陣地に潜入し、食料や武器を調達して爆破する。さらにテレサとコリンズは打ちとめ始める。 コリンズとキムは偵察に出かける。コリンズは傷が悪化し、弱ってくる。そこで、キムの廃家に寄り、薬草でコリンズの傷を手当てする。その間に北朝鮮兵と遭遇し、キムは恐怖で撃てなかった。そして、キムは北朝鮮軍に虐殺された家族の死体を発見し、泣きじゃくる。 コリンズたちを追いかけた北朝鮮兵らが教会に侵入する。すぐさま、テレサや子供達は地下に隠れる。しかし、子供の咳で発見されてしまう。間一髪のところでコリンズが助け、キムが北朝鮮兵を尋問する。北朝鮮軍は退却中であり、退却の過程で教会を通過する危険性があった。 アメリカ軍は北朝鮮軍陣地を攻撃するが、苦戦。そこで、キムは北朝鮮軍陣地に爆薬を仕掛けることを考える。大きい子供に混じって幼いキムの弟も着いていってしまう。キムは死ぬ覚悟で単身陣地に行くと、走り始めるが、仲間に取り押さえられてしまう。もみ合っているその隙にキムの弟は「僕だってできるんだよ」と言い、爆薬をもって敵陣地に歩いていってしまう。 爆薬を持って橋を渡る姿に、両軍とも銃撃を止める。そしてついに北朝鮮軍陣地に入ったキムの弟は「届ものだよ」と言って爆破する。泣き叫んで駆け寄るキム。 そのころ、教会に北朝鮮軍が接近していた。必死に闘うコリンズ。テレサも機関銃を構えて撃ちまくる。子供達もトラップをかけて戦う。キムたちが戻ったとき、北朝鮮軍は全滅していたが、教会もボロボロだった。しかし、皆無事だった。 コリンズはテレサに修道女になれそうかと問う。わからないと答えるテレサ。アメリカ軍本隊に戻るコリンズに、キムは行かないでと頼む。コリンズは初めてキムの名を尋ね、「子供に戻るんだ」と言って去るのだった。 教会で回想にふけるコリンズの背後に牧師が近づく。「私はキム伍長です。」二人は再会を果たすのだった。
2008年08月17日
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2006 ドイツ・オランダ、ベルギー・フランス 監督:ポール・ヴァーホーヴェン 出演者:カリス・ファン・ハウテン、トム・ホフマン、セバスチャン・コッホ ほか 144分 カラー BLACKBOOKブラックブック(スマイルBEST)(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ブラックブック」を探す(楽天) オランダの巨匠ヴァーホーヴェン監督の手がけた壮大なサスペンスドラマ。第二次世界大戦時のオランダを舞台に、占領者ドイツ軍とオランダレジスタンスの情報戦・破壊活動を、複雑に絡み合う人間模様として描いた。性を武器にして戦う女性、ユダヤ人迫害、裏切り行為、戦後のナチ協力者狩りなど、辛辣な社会風刺は健在。幾度にも渡るどんでん返しに、すっかり画面に引き寄せられる。 だが、ヴァーホーベン作品にしては、過激な性描写やブラックユーモアという点では、やや丸く収まった感もあり、反面、一般の視聴者にとっては娯楽映画として十分楽しめると言う点で、完成度が高いとも言える。 オランダはもともとドイツ系住民も多いことから、親ナチス派も少なくなく、ユダヤ人迫害もひどかったと言われる。そうした複雑な状況下で、主人公のユダヤ人女性が生きていくのは実に過酷なことだ。ユダヤ人であることを隠すためアンダーヘアの色さえ染め、性を武器に、したたかに生き抜く術は、実にたくましい。 さらにオランダ人であってさえも、密告、裏切りの中、疑心暗鬼になっていく。ドイツ軍諜報部の策略とはいえ、人間の弱い部分を巧みに利用していく様は、まさに恐怖である。 このような、混乱した状況やオランダ人の国民性については、同監督の「女王陛下の戦士(1977)」が詳しく描いている。 一方、人間である以上、愛情や友情が芽生えるのも必然である。本作でも、敵味方を超えての愛情、友情が一抹の清涼剤として描かれている。自己の保身を図り、疑心暗鬼になる中、それでも信念を貫き通す、人間の尊厳というものが見事に描かれている。この点が、ヴァーホーヴェン監督の意図するところでもあるのだろう。 ストーリーはかなり複雑な部類にはいる。上映時間も長めだが、サスペンスドラマとして単純には終わらない。重要なターニングポイントの場面が幾度もあるのだが、それぞれが適度な描写で的確に次のシーンにつながっていくので、流れとしてはかなりスムーズだ。これだけ複雑な構成をよくぞここまでまとめ上げたものだと感心する。 ただ、戦争物という観点で見た場合、ちょっときれいにまとめすぎていて、真に迫る迫力には欠けた。ドイツ軍の将軍、ムンツェ大尉、フランケン中尉がそれぞれ表面的な性格付けだけで終わってしまっているので、その背後にある戦時の異常さというものが伝わってこない。例えば、ムンツェ大尉の妻子が連合軍空爆で死んだことを告白するが、その辛さや怒りがほとんど表現されていないため、彼の連合軍、オランダ人に対する感情を読み取ることができなかった。また、オランダレジスタンスにしても、組織の構成や闘志の性格付けがやや甘かったため、何のために抵抗しているのか、対象は何かといった点がややぼけてしまい、熱気が伝わってこなかった。また、主人公エリスも目の前で両親を殺害された割に淡泊な印象だった。とはいえ、その辺りを濃くしてしまうと、きっと本作のバランスが崩れてしまうのだろうけど。 映像的にはややこじんまりとしたセットが多いが、鮮明な画像が印象的。 主役エリス役のヌードは美しい。それでいて汚物を頭から被るなど、いわゆるエログロ路線のヴァーホーヴェンの片鱗を感じる(笑)。汚いフランケン中尉が迫ってくるのも、妙に美女と野獣的興奮がある。 タイトルのブラックブックは・・・もっとストーリーの核心にせまるキーかと思ったが・・・。あんまり関係ない(笑)。 とにかく、これだけの社会風刺を盛り込みつつ、壮大なサスペンスを作り上げた監督に脱帽なのだ。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1956年10月、イスラエルのキブツに一人のオランダ人女性が旅行してくる。そこの施設で子供たちを教えていたユダヤ人女性を見て「エリス」と叫ぶ。二人はかつてのオランダで知り合いだった。帰り際ユダヤ人女性は「私はラヘル・ローゼンタールよ」」と言う。 1944年9月のオランダ。ドイツ軍に占領され、ユダヤ人の迫害が酷くなっているおり、歌手だったラヘルは良心的なオランダ人に匿われていたが、連合軍の爆弾で家が倒壊。知り合ったオランダ人青年に匿われるが、身分がばれて自称レジスタンスのファン・ハインと名乗る男にオランダ南部への逃亡を勧められる。そこで、父と旧知のオランダ人公証人スマールの元へ行き、お金を工面して貰い脱出を開始する。途中で、両親や弟とも合流し、船に乗って暗闇の中を進んでいく。しかし、そこにはドイツ軍が待ち伏せており、ラヘルを除き全員が射殺されてしまう。死体から金品を奪うドイツ兵の姿を眺めるラヘル。 ラヘルは良心的農民に助けられ、髪を染め、エリス・デ・フレースと名乗ってオランダに戻る。レジスタンスのヘルベン・カイバースの元で働くこととなるが、5ヶ月後、レジスタンスへ協力を求められる。レジスタンスにはハンス・マールテン、共産主義者のティム、弱々しいテオらがおり、連合軍からの武器空輸品を回収に向かう。そこでドイツ軍に見つかってしまうがハンスが窮地を救う。 列車に乗って銃を輸送する任務の最中、危機を乗り越えるためエリスはドイツ軍諜報部の指揮官ムンツェ大尉と知り合いとなる。一方、銃の輸送中の事故でヘルベンの息子ティムら3人が捕まってしまう。 ヘルベンは息子を救うため、エリスにムンツェに近づいてくれないかと頼む。当然、女の性を武器にするのだ。エリスはそれを受入れ、ムンツェの女となってドイツ軍司令部に潜入する。そこには両親を殺害した張本人フランケン中尉がおり、その愛人ロニーがいた。ロニーの口利きでエリスは司令部での職を得て、公証人スマールの勧めで盗聴器を仕掛ける。 スマールとムンツェは休戦を交渉中だったが、レジスタンスを処刑したいフランケン中尉とムンツェ大尉は対立していた。盗聴器によって、フランケン中尉のもとにファン・ハインがユダヤ人の情報を持ってきていることが判明。ハンスは勝手にファン・ハインの誘拐を計画し、実行するが、失敗してテオが撃ち殺してしまう。これにより、休戦交渉が決裂し、ヘルベンの息子ティムの命が危うくなってしまった。ムンツェはエリスがレジスタンスであることを察知したが、本当のことを話すことでそれを許す。さらに、ムンツェ大尉は立場を失い、命令違反として逮捕、処刑されることに。 口論するヘルベンとハンスだったが、スマールがドイツ軍司令部の地図を入手。強引な捕虜救出を計画する。エリスはムンツェの救出を条件に手伝うことを承諾。エリスは本気でムンツェに惚れていた。 パーティーの晩、エリスが鍵を開け、ハンスらレジスタンスは牢獄に潜入。ティムらを解放したかと思ったが、実はフランケン中尉は情報を知っており、レジスタンスは一網打尽にされてしまった。命からがら逃げたハンスは、仲間にスパイがいることに気づく。 エリスもまたフランケン中尉に捕らえられ、盗聴器を利用してスパイがエリスであると偽情報を流す。ヘルベンやハンスらレジスタンスはエリスを裏切り者だと罵る。 ムンツェ大尉とエリスは、ムンツェの腹心の手助けで逃亡。しかし、もはやレジスタンスのもとには戻れなかった。 程なくして終戦となる。街は連合軍歓迎の旗で一杯となり、ロニーは早くもカナダ兵の彼を作っていた。ムンツェとエリスは公証人スマールが黒幕と判断し、スマールの家に行く。スマールはそのことを認めながら手帳を(ブラックブック)を見せる。そこに謎の男が闖入し、スマールを射殺してしまう。男を追いかけたムンツェは戦犯として捕らえられ、エリスも裏切り者として刑務所に入れられてしまう。 ムンツェは寝返ったドイツ軍カウトナー大将によって処刑されてしまう。エリスも刑務所でひどい仕打ちを受けていたが、そこに英雄となったハンスがやってきて助け出す。しかし、ハンスの家に連れて行かれたエリスは大量のインシュリンを打たれてしまう。実はハンスは1944年2月に逮捕歴があり、フランケン中尉の脅しに屈し、ユダヤ人を売っていた張本人だったのだ。さらに、フランケン中尉すら殺害し、ユダヤ人から奪った財宝を独り占めにしていた。エリスはチョコレートを多量に食べ、窓から逃げ出す。 息子の遺体を発掘していたヘルベンのもとにエリスがやってくる。強く怒っていたヘルベンだが、エリスから真相を聞かされてハンスを追うことにする。ハンスはすでに財宝をもって霊柩車に乗って逃亡中であった。すぐさま、霊柩車を追跡し、ついにハンスを追いつめる。エリスはハンスが隠れている棺のふたをきつく締める。暴れていた棺のなかのハンスが、やがて静かになる。 イスラエルのキブツ・シュタイン。それはユダヤ人犠牲者の資産によって建設されたものであった。
2008年08月17日
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1970 アメリカ 監督: フィル・カールソン 出演者: ロック・ハドソン、シルヴァ・コシナ、セルビオ・ファントーニ、マーク・ユレアノほか 109分 カラー THE HORNET'S NEST DVD検索「要塞」を探す(楽天) 第二次世界大戦のドイツ軍支配下イタリアを舞台に、破壊工作に潜入した米兵と親を殺害されたイタリア孤児たちの、駆け引きと触れあいを描いた、ヒューマン系アクション映画。全般に戦争の悲哀を前面に出した、もの悲しいストーリーで、任務に忠実で冷徹な米兵と、幼い孤児たちの純朴で熱情的な姿が好対照である。戦争映画としてのアクション性も持ってはいるが、それ以上にヒューマニズム的な側面が強い。 特に、パルチザンとなっていく子供たちの、純粋で一途な感情が、無知さや幼さから来る悲劇と絡み合っていく姿は、余りにもの悲しく、少年兵の悲哀を描いた「橋(1959)」「リトル・ソルジャー(1987米)」とオーバーラップするものがある。 ストーリーそのものはフィクションであり、設定やアクション(ミッション)自体はリアル感がない。銃を持ったばかりの少年らがドイツ軍正規兵と対等に戦ってしまったり、特殊工作員以上の働きをするのはちょっと・・・。だが、その辺りは百歩譲って、米兵や少年たちの活躍劇として見れば、それなりに楽しめる。 本作はそれ以上に、やはり子供たちの心の葛藤と変化が見物なのだ。丸腰の両親を目の前で虐殺されたショックや怒りは、今ならば心療カウンセリングが必要となるのだろうが、そんなものがない当時の子供たちの衝撃は察するに余りある。その上、孤児となり洞窟に隠れて自活し、ドイツ兵に激しい憎悪を抱く彼らの心情は、米兵の登場とともに、次第に正常心を失っていくのだ。米兵は任務に忠実な余り、使うべきでない少年たちを戦争に利用し、巻き込んでしまう。そこには、少年たちと米兵の葛藤や駆け引きがめまぐるしく動いている。さらに、ドイツ軍女性医師が母親的存在として現れ、父、母、子供といった歪んだ家族的関係が生まれる。戦場で生まれたアンバランスな関係が、一抹の不安を醸し出しながらも、どこかでお互いを信用しようとする姿に安堵するのだ。 このように、本作の凄いところは、映画中で人間愛、家族愛を変則的ながらも、実に強烈に描いている所なのである。肉親ではない、アカの他人だからこそ、一層強烈に感じる絆なのである。アクション、映像的にはB級と言っても良い程度なのだが、本作がB級映画ではない大きな理由でもある。 登場する兵器や兵隊の数は少なめ。トラック、キューベルワーゲンといったソフトスキン類は多少出るが、戦車や航空機といったものは登場しない。銃器類はそれなりに登場するが、発射音は単一的で今ひとつ。製作年代からすればやむを得ないのか。ダム破壊ミッションシーンはミニチュアを使用しているが、迫力は今ひとつ。 登場する米兵は大尉。ドイツ軍側では国防軍大尉が主役級で、このほか国防軍大将、SS大佐、少佐の姿が見える。SSは当然悪玉なのだが、国防軍大尉が心ある人物に描かれているのも面白い。 ドイツ軍女医役のシルヴァ・コシナはきつめな感じはするが、なかなかの美女。 子供を題材にする映画はある意味反則(笑)で、幼い子供たちが戦場をよちよちと歩いているのを見れば、もう居ても立ってもいられない(爆)し、精神的にも成熟しきっていない少年らが無為に死んでいくのも切なすぎる。そういう意味でも、本作は実に心に染みる作品に仕上がっている。映画全体の完成度はちょっと微妙だが、心にズシンと来るものが欲しいならば必見の作品である。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1941年、イタリアのレアノート村。ドイツ軍のSS部隊がイタリアパルチザンを追って村にやって来て、匿った罪として丸腰の住民を皆殺しにしてしまう。陰に隠れていた子供たちは助かったが、目の前で両親が殺されてしまった。10歳から3歳ほどの子供たち10数名は、洞窟で自活するようになる。 連合軍はドイツ軍が保持するデラ・ノルテダムの爆破工作を計画。アメリカ軍が夜間に降下するが、一パルチザンの密告により、ドイツ軍の待ち伏せでターナー大尉を除いて全滅する。ターナー大尉は洞窟に運ばれるが、重傷ですぐに医者の手当てが必要だった。パルチザンのスカルピは街の医者を呼びに向かうが、ドイツ軍に医者ともども射殺されてしまう。子供たちは、仕方なくドイツ軍の女医ビアンカをうまく誘導して洞窟に連れてくる。騙されたと怒るビアンカだったが、幼い子供もいることを知り、やむなく洞窟に留まることにする。 傷の癒えたターナー大尉は、ダム破壊ミッションに子供パルチザンを利用しようとする。しかし、子供たちのリーダーのアルドはレアノート村のドイツ軍への報復が先だと言い、銃の撃ち方を大尉に教えるよう迫る。ターナー大尉は協力することを承諾し、まず村の指揮官フォン・ヘヒト大尉のもとにアルドを送り込む。アルドは靴磨きとして潜入し、ジェニングス大佐に偽情報を教える。ターナー大尉らはドイツ軍が出撃した隙に宿舎に潜入し、無線機やダイナマイトを盗み出す。ターナー大尉は連合軍に全滅したことを送信。ドイツ軍はそれを傍受する。 ターナー大尉は子供らに銃の撃ち方を教え、ダム潜入のために水泳訓練を施す。また、ターナー大尉は遭遇したドイツ兵を殺害する。子供たちは、ターナー大尉がレアノート村への報復約束を違えるではないかと思い、ダイナマイトの信管を隠してしまう。困った大尉は仕方なくレアノート村襲撃を先に行うことにする。 ドイツ軍司令部では、他の戦線に2個師団移すという命令が出る。フォン・ヘヒト大尉は、連合軍(パルチザン)の目的はダムにあるとジェニングス大佐に進言するが、聞き入れられず、さらに指揮権をタウシュッヒSS少佐に移管される。 ターナー大尉と子供たちはレアノート村の襲撃に成功。ドイツ兵を全滅させ、弾薬庫も爆破する。初戦果に興奮し、大喜びする子供たちにターナー大尉は困惑を隠せない。村に戻ってきたタウシュッヒ少佐とフォン・ヘヒト大尉だったが、未だダム警備に人員を割かない少佐を大尉が撃ち殺してしまう。その足で、ダムに向かったヘヒト大尉だったが、ダム警備隊に逮捕されてしまう。 いよいよ、ダム破壊ミッションとなり、ターナー大尉と4人の少年がドイツ軍機銃陣地からダム堰堤下へ潜入を開始する。ダイナマイトの装着が終わろうとしたとき、発見されて銃撃戦が始まる。なんとか泳いで逃げるが、追ってきたドイツ兵によって少年一人が死亡する。近くにいた女医ビアンカは幼い子供を助けるため、思わずドイツ兵を射殺する。 ダム堰堤上ではアルドら数名の子供たちが重機銃陣地を奪取して、応戦。両親を殺された怒りから、ドイツ兵を殺すことに快感を覚えたアルドは、目の前で邪魔になった幼い少年カルロを射殺してしまう。それでも、アルドは興奮冷めやらない。 アメリカ軍が進軍してくる。気勢をあげるアルドを横目に、ターナー大尉は子供たちの銃を取り上げて破壊し、アメリカ軍の方向へ進む。途中でアルドが逃げてきたフォン・ヘヒト大尉と遭遇し殺そうとする。ターナー大尉がそれを阻止するが、アルドは裏切り者だと言ってわめく。 アメリカ軍のトラックに搭乗した子供たちだが、アルドは乗ろうとしない。ターナー大尉を裏切り者だと言って泣き叫ぶアルドだったが、次第に落ち着きを取り戻し、カルロを殺すつもりなんてなかったんだと泣き始めるのだった。
2008年08月15日
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2007 中国・日本 監督:リー・イン出演者:ドキュメンタリー123分 カラー 靖国 YASUKUNI DVD検索「靖国」を探す(楽天) 上映中止問題も勃発した、中国人監督が製作した靖国神社をめぐるドキュメンタリー。内容が反日的であると右翼団体が騒いだり、文化庁文化振興基金助成にそぐわないと国会議員が問題視したり、出演者である刀匠や靖国神社が撮影時の説明と違うと出演場面カットを要請したりと、何かと物議をかもした問題作となった。一方、上映中止や延期は言論の自由を侵害するものだという勢力も登場した。 靖国神社といえば、首相参拝やA級戦犯合祀問題など中国・韓国らの政治的カードとしても使われ、国内政治・思想団体の論戦の対象ともなっているキナ臭い施設であるが、元をただせば大東亜戦争に殉じた死者を祀る神聖な場所でもある。ただ、靖国神社の成立過程や戦後の靖国神社の立場の不明確さがあいまって、様々な立場の人々や団体による価値観がそれぞれ一人歩きしてしまっているのが現状だと言えよう。従って靖国神社とは何なのだ、どうあるべきか、といった確固たる回答を得ることは当面の間難しいような気がする。そうした中、中国人監督が靖国神社をどのように取り上げ、ドキュメンタリー化するのかは、あるいみ興味深いところでもあった。 結論から言えば、本作品はどうってことのない作品であった。昨今の中韓言論のような反日的な内容ではないし、思ったほど恣意的な誘導も感じられなかった。右翼団体、左翼団体、政治家、その他諸々のインタビューや映像をまんべんなく取り入れ、中国人監督にしては公平感を感じる内容であった。監督自身の意見はほとんど挿入されず、ただただ靖国神社をめぐる映像を垂れ流している手法はドキュメンタリーとしては成功している。やや長めのワンシーンは、視聴者にそれぞれ考えさせる時間を与え、映像の挿入も基本的に時系列となっているのが良い。 だが、ドキュメンタリーとしては重みを感じることができなかった。その最も大きな要因は監督自身が何を感じたかという点の違和感である。そもそも本作は靖国刀と呼ばれる日本刀を奉納する刀匠刈谷直治氏を中心に据えた二元的ドキュメンタリーという手法をとっており、監督自身も日本刀の神秘的な力と不思議な靖国神社をドキュメンタリーとして捉えることにより日本人の心に迫ろうと試みたに違いない。しかし、刀鍛冶の伝統的技術と百人切り事件をからめて靖国神社問題と結び付けようと試みても、結局それが融合することはない。当たり前のことだが、日本人ですら消化しきれない問題を中国人が理解できるはずもない。ましてや刈谷氏は刀鍛冶職人であって、それ以上でもそれ以下でもなく、靖国問題とはまるで関係がない。刈谷氏の職人気質らしい朴訥とした口数の少なさから監督は結局何も導き出すことができないまま終わる。 日本人の特性はよろず神信仰にあると思っているが、多くの日本人にとっては靖国神社は肯定でも否定の対象でもないだろう。家庭の中に仏壇と神棚が混在するように、靖国の英霊に敬意を表するけれどもそれが全てではない。全ては自身の心の問題であり、行動や態度の相違は決して矛盾しないのだ。一元的信仰による単一価値観民族にとっては理解しがたいところであろうが、刈谷氏のインタビューはそのことを如実に表していた。中国人監督がそのことに気づき、ターゲットを絞っていたら良いドキュメンタリーになっていたかもしれない。 従って、靖国問題を巡る騒動シーンのみが浮き上がってしまい、右翼団体も左翼団体もおかしな人々の滑稽シーンのオンパレードといった印象しか残らない。台湾人女性議員の通訳が感極まって「神道はクソだ!」と叫んでみたり、式典に乱入した左翼青年に「中国に帰れ」と繰り返し叫ぶ中年らには失笑せざるを得ない。彼らは自己の主義主張を述べるために行動しているのであって、決して日本人の心を表明しているわけではない。日本人の心を祀る場所でありながら、日本人の心ではないという滑稽さは中国人監督にとって非常に興味深いことであったろうが、結局それ以上の突っ込みや掘り下げには至らなかったようだ。 いわば、本作は中国人から見た「おかしな日本」といったコメディドキュメンタリーといった位置づけに収まるだろうか。 挿入された小泉元首相のコメントに「靖国参拝は個人の心(気持ち)の問題だ」とある。刀匠の刈谷氏も同様の意見であり、恒久の平和を願うために英霊に参拝するのだ、という気持ちが全てではないだろうか。監督がそのあたりに気づいているのかどうかかわからないが、恣意的に排除したのならば偏向作品なのかもしれないし、気づいていないのならばその程度のレベルということになろうか。興奮度★★沈痛度★★爽快度★感涙度★
2008年07月30日
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1968 イギリス 監督:アンドレ・ド・トス 出演者:マイケル・ケイン 、ナイジェル・グリーン、ナイジェル・ダヴェンポートほか 118分 カラー PLAY DIRTY DVD検索「大侵略」を探す(楽天) 北アフリカ戦線における、イギリス軍特殊部隊(前科者部隊)のドイツ軍燃料補給地攻撃ミッションを題材にした、アクション系戦争映画。製作者のハリー・サルツマンは「007」シリーズや「空軍大戦略」も手がけている。本作は、設定、舞台ともに完全なるフィクションで、ならず者部隊の活躍という、ヒーローアクション娯楽である。「特攻大作戦(1967米)」のパクリと言えなくもない。 ならず者だとか、極秘スパイ潜入といった、娯楽ものとしては王道な設定だが、ストーリーの練度、映像シーンの美しさ、アクションシーンのリアル感、いずれもB級である。スパイ戦の設定や、ならず者の設定などが結構安直、お気楽な割りに、ストーリー自体はシリアス系なので、どうもしっくりこない。楽しい系の設定でストーリーが悲しいというのは、見ていてどうにも落ち着かないのだ。さらに、悲劇的な結末は、見終わった後にテンションが落ちまくる。 また、マイケル・ケイン、ナイジェル・ダベンポートなど、それぞれの役者の個性が強すぎて、全体のバランスが悪く、どこに着目すれば良いのか迷ってしまう。真面目な指揮官大尉と刑務所上がりの大尉というのもちょっと極端すぎる対比。従って、ストリーの主題を見失いがちで、見終わった後の充実感が今ひとつ。 アクションシーンもマカロニウエスタンレベルで、銃撃シーン、爆破シーンいずれもリアル感がなく、スペインロケということらしいが、今ひとつスケール感、臨場感がない。 アクション以外にも、一応謎解きのようなミステリーも隠されているが、これがまたお粗末。二重スパイという伏線で思い切り期待させておきながら、ほとんどストーリーの主題にはならないというのが残念。 砂漠シーンが多いが、登場する兵器類のほとんどはジープとトラック。ラストシーンになってようやく英軍戦車役のM24チャーフィーが登場するのみ。兵器的にもチープな映画の類である。 ドイツ軍燃料補給基地破壊ミッションの背景は、1942年、モントゴメリー上陸の支援ということらしい。 エンデイングテーマ曲は「リリーマルレーン」。いい曲だが、本作の内容とは、全くマッチしていない。 少しは良い所も(笑)・・・。 面白かったのは、断崖に行く手を阻まれたシーンで、ジープ・トラックを牽引ロープでつり上げていく所。落下するトラックもあったりして、なかなかの迫力があった。あとは、砂嵐のシーンや砂漠でのスタックシーンがリアル。見ているこちらまで砂っぽくなった(笑)。 酷評とまではいかないが、余り期待する作品でもない。気楽に見るにはちょっと悲劇的だし・・・難しい。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年北アフリカ。英軍はドイツ軍の情報を入手するため、極秘の偵察部隊を潜入させていた。しかし、すでに8回も失敗し、ことどとく士官は戦死していた。指揮官のマスターズ大佐はシディ・バラ収容所長に左遷される。 空中写真にドイツ軍の燃料庫が写される。准将はマスターズ大佐に最後のチャンスを与える。大佐は石油会社に詳しいダグラス大尉を指揮官に任命し、残りの7名は皆問題のある兵士ばかりを集めた。リーチ大尉は元汽船の船長で刑務所上がり。爆薬係のサドックはチェニジア人の犯罪者。兵器係のコスタス・マヌは密輸の罪。通信係のブディッシュ、運搬供給係のカフカリデスも一癖ある。アラブ人ガイドのハッサン、アシンは同性愛だ。 一応の指揮官はダグラス大尉だが、実戦経験の乏しいダグラスをリーチ以下は馬鹿にする。無事にダグラスを帰還させたら2000ポンドという契約さえ結んでいるのだ。 一行はイタリア兵に変装して出発。途中のオアシスで現地兵に遭遇。イタリア兵のふりをするが、バレて交戦殲滅する。さらに、進んでいくが、途中で何度もタイヤがパンクし、断崖に先を阻まれる。リーチは迂回しようというが、ダグラスは強引にウインチでつり上げることを命じる。2台はつり上げることが出来たが、最後の1台はリーチ大尉が荷を降ろさなかったために切れて転落炎上してしまう。 そこに、イタリア軍の装甲部隊がやってくる。崖の上で身を潜める一行だったが、後から英軍のワトキンス少佐の部隊がやってきて、イタリア軍の待ち伏せを食ってしまう。実は、ダグラスの隊は囮で、ワトキンス隊が本隊だったのだ。ダグラスは、ワトキンス隊に待ち伏せを知らせようとするが、自分たちの身を守るため、リーチ大尉に制止される。結果、ワトキンス隊は全滅する。 先に進み、ハッサンが地雷にやられて負傷する。その治療のために、ドイツ軍の救急車を襲い、看護婦を拉致する。看護婦はハッサンを治療するが、部下は看護婦をレイプしようとする。 敵燃料庫に到達するが、そこはダミー基地だった。本物を探そうとするダグラスに対し、リーチらは言うことを聞かない。しかし、脱出のために、燃料庫を爆破している間に船に乗るという約束で、一行は本物の燃料基地に潜入する。しかし、船に乗り込もうとした瞬間、ドイツ軍のサーチライトが光る。情報は筒抜けになっていたのだ。マスターズ大佐が情報を売り渡していたのだ。一方、救急車ではハッサンと看護婦が相打ちとなる。 ダグラス大尉とリーチ大尉の2名はなんとか脱出して、小屋に潜む。そこに、英軍の機甲部隊が侵攻してくる。ドイツ兵の変装をしていた二人は白旗を掲げて道に出る。しかし、イギリス兵は二人を射殺してしまう。
2008年07月20日
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2008 アメリカ 監督:シルベスター・スタローン 出演:シルベスター・スタローン,、ジュリー・ベンツ、ポール・シュルツほか 90分 カラー RAMBODVD検索「ランボー 最後の戦場」を探す(楽天) 見てきました。予想以上に良かったです。でも、かなり衝撃的映像が多いので要注意。年行ったランボーでしたが、それを感じさせない格好よさです。 ついにシルベスター・スタローンのランボーが完結することになる4作目。舞台はアジアの独裁軍事政権国家ミャンマーで、ランボーはミャンマーと国境を接するタイでヘビ取りをしている設定。前作のアフガニスタンの戦いで疲れ果て、この地でひっそりと暮らしていたのだ。ミャンマーのカレン族を支援するアメリカ民間人がミャンマー政府軍に拉致され、彼女らを救出するためランボーは再び戦いに挑むことになる。今作はランボーだけでなく、5名の傭兵が登場する。 本作の舞台となるミャンマーは、2008年のサイクロンの甚大な被害によって軍事政権の独裁ぶりがクローズアップされたところだが、キリスト教徒の多いカレン族との対立や虐待は以前より良く知られている。そういう意味では実にタイムリーな作品と言えるが、本作の公開でミャンマー軍事政権の対米感情が悪化しまいかと心配してしまうほど悪役に描かれている。 本作はR-15指定がかかっているように、かなり衝撃的、グロい映像が多い。最新の映画らしく特殊メイクや特殊効果が素晴らしくリアルで、吹っ飛ぶ頭や、体を粉砕する銃弾、飛び散る内臓など見るに堪えない。さらに、死体には蛆や蝿がたかり、衣装も時を経るにつれてドンドン汚くボロボロになっていく。こうした視覚効果はかなり秀逸な作品だと言えるだろう。シルベスター・スタローン自身は、こうした衝撃的な映像こそがミャンマーでの真実であり、苦痛や残酷さを感じて欲しいのだと言ってる。 また、映像だけでなく音響効果も力が入っており、突然の爆音や音楽などで心臓がバクバクすること請け合い。 アクションはかつてのランボー作品のような奇想天外、超人的アクションというものはほとんどなく、かなりシリアスな戦場が描かれている。戦争アクションではあるのだけれども、シリアス度合いの強いランボーだともいえよう。それが、実際のミャンマー事情を見ているようで、ミャンマー軍事政権の圧制と言う、国際人道的風刺としての価値も高めている。ただし、本作はアメリカ的勧善懲悪型のストーリーなので、決して公平性や政治性をもって見てはいけないだろう。あくまでランボーなのだから。 また、戦争に参加することにも、戦争被害者を救おうとすることにも心を閉ざして懐疑的になっているランボーが、再び殺戮マシーンと化するのは意味深な内容でもある。単にアクション映画としての視点になりがちだが、本作は戦争、兵士、家族といったものを考えさせるものでもある。やっても何も変わらないことをする意義、敵を殺すことを生業とする兵士の意義。そこにはベトナム戦争を戦ってきたアメリカ人の葛藤が含められているような気がする。 作品は90分という近年の映画としては短尺の映画で、やや物足りなさは感じる。先にも述べたようにスーパーアクションがないことも加え、かなりコンパクトに仕上げられているので、もう少しランボーのアクションを見ていたいような気もする。 スタローンはすでに60歳を超えているが、実に若々しい。前作までのような激しいアクションこそ少ないが、顔や肉体は前作に劣らないように感じる。さらに、齢を重ねた重厚さが増しており、控えめな口調にも威厳と迫力が満ちており、画面を見て格好いいと素直に思った。これまでのランボーシリーズの中で一番格好いいだろう。5名の傭兵もそれぞれの個性がよく出ており面白い。ただ、もう少し性格付けがしっかりしていればより良かったかな。拉致されるアメリカ人民間人たちは相変わらずイライラさせられる。偽善的行為を否定するわけではないけれど、本作ではやっぱりランボーに肩入れしてしまうね(笑)。 ミャンマーが舞台なため、兵器類は銃器以外登場しない。ランボーも弓矢と拳銃に、最後にジープ搭載機関銃をぶっ放すだけ。へたに大型兵器などを登場させなかったのはミャンマージャングル戦らしく良かったかもしれない。 とにかく期待以上のリアル感とアクションで見ごたえ十分。特に迫力の映像と音響が良いので、是非映画館で見る事をお勧めしたい作品。なお、本作がラストとなるようで、ランボーはついに父親の待つ実家に帰る。果たして父親に逢えたのだろうか。実家につながる長い道を歩いていくエンドロールシーンが象徴的だ。 興奮度★★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ジョン・ランボーはタイ北部の川沿いの小さな村で、観光客相手のヘビショーに使うヘビを捕獲して、ひっそりと暮らしていた。そんなランボーのもとにアメリカ人キリスト教団体のマイケル、サラ(女性)らが訪ねてくる。ミャンマー軍事政権によって虐殺されているカレン族の村を支援するために、ランボーの船でミャンマー国境まで運んで欲しいというのだ。ランボーは危険なこと、そんなことをやっても平和にはならないことから一旦は断るが、サラの熱意によって故郷の父親を思い出し、サラらを運ぶことにする。途中でミャンマーの海賊に襲撃され、ランボーが海賊を殺して事なきを得るが、マイケルは人殺しをなじるのだった。 その後、タイの関係者がランボーを訪ねてきて、軍がカレン族の村を襲い、サラらがミャンマー軍に拉致されたと言ってくる。今度は5人の傭兵をミャンマーまで運んで欲しいと言うのだ。今度は二つ返事で引き受けミャンマーに向かい自身も奪回に向かおうとするが、傭兵のリーダー元SAS隊員のルイスは船に残っていろという。 ルイス、スクールボーイ(狙撃手)、エン・ジョー(韓国人)、リース、ディアスの5人に案内役のレジスタンスはカレン族の虐殺現場に着く。そこは凄惨な状況だった。そこに軍がやってきて村人を地雷をまいた田に放って殺し始める。息を飲んで潜めていた一行だが、ランボーの放った矢が兵士を倒していく。ついにランボーが立ち上がったのだ。 ランボーを加えた一行はサラらが拉致されているミャンマー軍第360軽歩兵大隊の基地に潜入する。サラ以外の民間人を救出したルイスらはそのまま脱出。サラを助けたランボーとスクールボーイの3名は遅れて脱出する。 事態に気付いたミャンマー軍は追跡を開始する。ルイスの一行はルイスが地雷で負傷し、ミャンマー軍に捕まってしまう。ランボーはサラとスクールボーイを先にやり、一人残ってミャンマー兵を倒していく。 しかし、待っていた船の前でルイスらが捕まっており、殺されそうになっていた。スクールボーイは多勢に手が出せずにいたが、危機一発のところでランボーが到着し、ジープの機関銃でミャンマー兵をなぎ倒していく。傭兵もともに戦うが、エン・ジョーやリース、アメリカ人民間人らが死亡する。マイケルも思わずミャンマー兵を叩き殺す。さらに、カレン族レジスタンスも戦闘に加わり、川からやってきたミャンマー軍のボートと激しい機関銃を繰り広げる。 やっとのことでミャンマー軍を撃退し、ランボーはミャンマー軍の隊長を殺す。 ランボーは父親の待つアメリカの実家に帰っていくのだった。
2008年05月31日
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2001 ロシア・日本 監督:アレクサンドル・ソクーロフ 出演者: レオニード・モズゴヴォイ、マリヤ・クズネツォーワ、ナターリヤ・ニクレンコ、セルゲイ・ラジュークほか 94分 カラー TELETS TAURUS DVD検索「牡牛座 レーニンの肖像」を探す(楽天) 独自の映像観で奇才とも呼ぶべきソクーロフ監督の、歴史人物シリーズ3部作「モレク神(ヒトラー)」と「太陽(昭和天皇)」の間に制作された2作目作品。「太陽」では日本人監督が描けないような昭和天皇をストレートかつ繊細に描いて見せた。このレーニンでは全盛期ではなく、半身麻痺で病床についた後、つまり権力を失った晩年の姿を題材に据えている。 言うまでもなく、レーニンはボリシェビキの中核的指導者であり、旧ソヴィエト連邦の産みの親でもある。マルクス主義に傾倒し、労働者の階級闘争から社会主義政治闘争を試み、暴力革命を推し進めた。ロシア革命後はロシア共産党の代表として、ソヴィエト政権の権力を得るに至り、強引とも言える土地の没収や言論等の自由を制限していく。1918年、レーニンは狙撃されて体の具合を悪くする。そこから階段を転げ落ちるように半身麻痺、脳障害などを病み、一気に権力の座をスターリンに奪われてしまうのだ。1924年に死去するのだが、本作は1923年前後を描いているものと思われる。 ソクーロフ監督が何故レーニンの晩年を題材に選んだのか。どうせなら、躍進著しい若きレーニンの活躍、さらには政友であり政敵であったスターリンとの確執など、題材としてはずっと面白いものがあるのだが。監督のコメントを見る限り、レーニンを不幸の者、スターリンには良い感情を抱いていないことが分かる。スターリンを主題に選んだ場合、直接的な感情が出過ぎると思ったのだろうか。いや、私としては監督が描きたかったのは、権力者自身が弱者であり、権力とは儚いものであり、それを作り上げるのも奪い去るのも本人の意志ではない。つまり、レーニンの晩年における権力構造の揺れ動きが最も適していると判断したからではないだろうか。 「太陽」の時もそうだったが、映画中では政治的、思想的な言い回しや映像を極力避けている。従って、ドキュメンタリー風ドラマとしては、いささか骨抜きの感があるのだが、むしろ主人公を取り巻く周囲の人間の細密描写によって、それを描こうとしているように思える。それを示すように、監督は20世紀の権力者を描きながらも「(数百万の人生を破滅に追い込んだ権力に対して)主たる指導者には責任はなく、”人民”の中にあることを私は確認します。しかし、この責任から人民は絶えず回避し、ヒトラーたちや、レーニンたちの背後に隠れるのです・・・」とコメントしている。権力への志向は我々一般国民の中にある。そしてその責任も我々の中にある。 こうした視点で本作を見てみると、映画中の不可思議な言動や映像の謎が解き放たれていく。権力者とても全てを自分の意志で動いているわけではなく、一人の人間として振り回されているのだと。それ故、本作ではレーニンの名前もスターリンの名前も登場しない。 ソクーロフ監督の映像は、ソヴィエト芸術記録映画の系譜を継承しているようで、空、森林、太陽など自然風景を多用する。また、BGMも極力抑え気味に、自然音を効果音として多用する。それでいて、寓話的なシャープな映像が新しいソヴィエト芸術映画を彷彿とさせる。 レーニン、妻クルプスカヤ、スターリンそれぞれ役者が演じるのだが、ごく自然なふるまいに、いかにもドキュメンタリーを見ているような錯覚にも陥る。レーニン、スターリンとも本物に良く似た役者とメイクを施しているが、一番印象的だったのは妻クルプスカヤだった。一見冷淡にも見えるが、目の奥には深い母性愛のようなものも感じられる。クルプスカヤ自身が革命家であり、夫レーニンの失脚とともに自身の粛正の恐怖に怯えていたとも言われる。同士である夫とともに政争に振り回されるクルプスカヤは、権力の儚さと理想と現実のギャップに最も敏感な人物ではないかと思えてくる。それが悲しげな表情に表れているのだろうか。本作の主人公はクルプスカヤだったのでは、とさえ思えてくる。 ストーリーは保養施設に軟禁状態となっているレーニンの日常を描いているが、権力に関係する人物、しない人物が数多く登場する。それぞれが、権力に無関心であったり、関心があったりと実に様々なのである。こうした人々が寄せ集まって生きているのが社会なのだ。 レーニンは薄れ行く記憶の中で、権力への回帰に焦燥する。スターリンもまた着々と権力の奪取と確立に野心を燃やす。しかし、二人が決定的に違うのは、レーニンが革命という理想のためであるのに対し、スターリンのそれは俗的な保身のためである。道を塞いだ倒木の処理を巡る問答の中で、それが如実に現れる。倒木がそのまま朽ち果てるのを待つか、排除するか。スターリンの提案した答えは「切り刻んでしまう」だった。その後の粛正の嵐を予感させる。 前半までは悠長な流れで制作されており、若干眠気を誘うが、後半にスターリンが登場してからは一変して面白くなってくる。ソクーロフの世界を十分に楽しめる内容になっているだろう。個人的には、もう少し即物的に描いてくれた方が楽しめるのだが、ソクーロフワールドとすればこんなものなのだろう。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 半身麻痺となったレーニンは保養施設で医者、軍人、妻、妹らの世話で生活している。電話も閉ざされ、手紙も没収される軟禁生活で、もはや中枢の権力の座から引き離されたレーニンを周囲の人間は冷めた表情で扱っている。妻クルプスカヤはレーニンの求めに応じて、マルクスの記録を読み聞かせる。 そんな折りにスターリンがレーニンを訪ねてくる。今や権力者の代表に上り詰めたスターリンの威風堂々としたたたずまいに対し、老いぼれたレーニンの姿が対照的だ。レーニンはスターリンに政策について進言するが、スターリンは適当に受け流す。さらに、レーニンは道を塞いだ倒木の処理について「朽ち果てるまで待つか、排除するか」と聞く。スターリンは「切り刻む」と答える。 その日の食事の席で、レーニンは忘れてしまった今日の来訪者の名を妻に尋ねる。また、使っている食器などが搾取されたものと聞き、錯乱したレーニンはスターリンから貰った杖で破壊し始める。 車いす生活となったレーニンを庭に連れて行ったところに、共産党から電話が入る。夫を置いて電話に走る妻クルプスカヤ。後で叫ぶレーニン。
2008年05月29日
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1999 スイス・ドイツ・イギリス 監督:ケヴィン・マクドナルド91分 カラー ONE DAY IN SEPTEMBERブラック・セプテンバー ミュンヘン・テロ事件の真実(DVD) ◆20%OFF!DVD検索「ブラック・セプテンバー」を探す(楽天) あの1972年に起こったミュンヘンオリンピックでのテロ殺人事件を扱った記録映像映画。特に注目すべきは、テロ実行犯の唯一の生き残りジャマール・アル・ガーシー本人が初めてインタビューに答えている。 あのテロ事件とは、イスラエルに抵抗するパレスチナ人テロ集団「ブラック・セプテンバー」がドイツのミュンヘンで開催中のオリンピックの最中、1972 年9月5日未明にイスラエル選手団11人を拉致、うち2名を射殺し宿舎に籠城。最終的に11名全員が死亡した事件である(黒い九月事件)。私はほとんど記憶に残っていないが、平和の祭典を利用した卑劣なテロ事件として、今日まで語り継がれている。 本作は、当時のテレビ映像、生中継シーンをふんだんに取り入れ、関係者へのインタビューを交えた記録映画となっている。特徴的なのは、先にも挙げた主犯のインタビューのほか、テロリスト側の取材や映像も入っているほか、テロ事件発生に対してのドイツ政府の対応の遅れ、オリンピック委員会の不誠実さなど、当時の批判的姿勢をも取り入れたものとなっている点だ。衝撃的な映像が多いので、なかなか的確な判断がしずらいが、テロへの批判を込めながらも決して一方的にはなっていない点が良い。多くの民間人を殺害した卑劣なテロリストが、アラブ社会では歓迎されている姿。これも一つの価値観であり、社会の常軌なのだ。ジャマール・アル・ガーシーも一つも悪びれた風がない。 事件発生までの経過、背景。発生後の犯人側の行動、人質の行動。さらに、ドイツ警察や外交筋の動き。これらが時系列に記録映像とともに描かれていく。そこには、ドイツ警察の不手際、人が殺されている側で平然と行われる競技など、今では信じられないような映像がニュースとして流れている。ドイツ警察はこの大失策を契機に、特殊部隊GSG9を創設した。また、オリンピック委員会に限らず危機管理という意識が高まった。そういう意味で、前近代的な部分から現代との大きな脱皮点となった事件だとも言えよう。テロリストにとっては、一つの重要な成功例ともなった。 事件後捕まったテロ実行犯3名は、謎のルフトハンザ機ハイジャック事件で解放される。さらに、怒ったイスラエルは空爆やモサド機関等による暗殺で報復に出る。このブラック・セプテンバーは、未だ続く血なまぐさい抗争の歴史の通過点でしかない。殺された11名のユダヤ人スポーツ選手は何のために死んだのだろうか。 ニュース映像は臨場感あふれ、生々しい映像が出てくる。記録映画なので、最後に救いがあるわけでもない。気の弱い人は視聴を避けた方がいいかもしれない。全て事実ということにショックを受けるかもしれない。ミリタリー、警察マニアにはなかなか興味深い出来になっている。非常時の対応のしかた、即応連絡体制の強化の必要性など、この事件から学んだものは多いように思える。そうした欠点や失敗もしっかりと検証されているのが良い。 ちなみに、2005年にスピルバーグが制作した「ミュンヘン」という映画は、事件後のイスラエル工作機関モサドを題材にした映画。興奮度★★★沈痛度★★★★★爽快度★感涙度★★
2008年05月22日
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1977 アメリカ 監督:テッド・ポスト出演者:バート・ランカスター、クレイグ・ワッソン、クライド草津ほか114分 カラー GO TELL THE SPARTANS【送料無料選択可!】戦場 / 洋画 DVD検索「戦場」を探す(楽天) ベトナム戦争終了後まもなくに製作されたベトナム戦映画。製作時期が早いだけでなく、描かれている題材はベトナム戦初期の米軍軍事顧問団であるのが特筆できる。助演にはバート・ランカスターがおり、役者の色が濃く出ている作品でもある。映画自体の出来はたいしたことはないが、米軍軍事顧問団を描いた作品は多くはなく、米軍軍事顧問団の性格や、南ベトナム政府軍との関係などを知る上で、興味深い作品である。 舞台は1964年のペナン。米軍が戦闘部隊として前面に出ることは、まだ公式には表面化されていないが、すでに1万人近い米兵がベトナムに駐留していた時期である。映画では、米軍軍事顧問団のペナン司令部がマクワ村の防衛を、米軍軍事顧問団とベトナム人傭兵及び農民兵に命じ、北ベトナム軍の攻撃により壊滅してしまうのだが、これはマクワの戦いを題材にしたベストセラー小説「マック・ワ事件」を映画化したもので、同じくインドシナ戦争で壊滅したフランス軍を絡めながら、ベトナム戦争の悲劇と不条理さを描いている。 1970年代の映画らしく、アクション性やストーリー性は二の次で、役者の個性や心情性格を中心に描いており、今見るといささか物足りない気もする。物語の内容的にはシリアス性が高いのだが、役者の個性が強すぎてややヒーロー物的な傾向を感じる。助演のバート・ランカスターは主演のクレイグ・ワッソンを食ってしまっている感じでもったいない。また、ストーリー展開もおかしい点はさほどないのだが、構成や演出の展開に今ひとつ連続性を欠き、シリアス性が損なわれてしまっているのが残念。さらに物語が尻切れトンボ的なのも気になる。あえて尻切れにして、これからベトナム戦の泥沼に入っていくのだという示唆という風にも取れるが、作品単体としては盛り上がりのポイントが掴みにくく、起承転結的なものがないと面白くない。もっとシリアスに徹底すれば、なかなかの名作になったような気がする。 アクションでは、爆発、銃撃ともに及第点だが、特に特筆すべきものでもない。火薬使用量も少ないわけでなく、小銃や迫撃砲の発射シーンもきちんと描かれているのが良い。ただ、撮影ロケ地の設定が狭かったのだろうか、スケール感が感じられないのが残念。マクワの三角陣地も全景が映ることが少なく、兵士の数の割に迫力が感じられなかった。 登場する兵器類にはヘリコプターで、ベルH-13スーとシコルスキーH-34が登場する。いかにもベトナム戦初期らしい武器選択が良い。 なお、役者には南ベトナム政府軍大佐、片目のベトコンなど日系人が多く出演している。 本作自体はそこそこの出来。単体としてはちょっと消化不良で、この後の時代のベトナム戦争映画とセットで視聴するとちょうどいいかもしれない。興奮度★★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1964年、ベトナムのペナン。アメリカ軍軍事顧問団第7班のペナン司令部の指揮官にバーカー少佐がいた。結構な歳ながら少佐のままのバーカーは過去に将軍の妻を寝取った罪で出世できないのだ。副官には若いオリベッティ大尉。そこに本国から来たばかりのハミルトン少尉、少佐とともに戦ったことのある歴戦のオレオノスキー曹長、麻薬中毒のリンカーン伍長、大学出の爆破専門家コーシー伍長が赴任してくる。 バーカー少佐の元部下だったハーニッツ少将からマクワ村調査の命令が来る。バーカー少佐は平和な状態だけに、行くだけ無駄と偵察に行ったふりをして 200名の村民がいると報告する。しかし、ハーニッツ少将は自らやってきて、偵察に行っていないことを暴く。すぐさま少将はバーカー少佐にマクワ守備隊を結成することを命じる。ハミルトン少尉を隊長に、オレオノスキー曹長、コーシー伍長、リンカーン伍長、アクレー伍長、カウボーイを頭とするベトナム人兵士と農民兵の20名あまりがマクワに向かう。 途中でベトナム兵の待ち伏せにあうが、これを排除し、一行はマクワに到着し、三角陣地の設営に入る。そこにはインドシナ戦争時に全滅したフランス軍 300名の墓地があった。コーシー伍長とカウボーイらは偵察に出かけ、老人と女子供と遭遇し、カウボーイがベトコンだと言うにも関わらず連れ帰ってきてしまう。少尉も歓迎し、陣地に引き入れる。また、コーシー伍長はフランス軍墓地で片目のベトコン兵に遭遇したほか、4名のベトコンを射殺。そのベトコン兵は女子供であった。 司令部のバーカー少佐のもとに情報専門家ワッツバーグ中尉が赴任。ベトナム軍の攻撃分析を行う。 マクワではベトナム軍の攻撃を受ける。撃たれたベトナム兵を救出するため、オレオノスキー曹長が止めるのも聞かずにハミルトン少尉が突撃。少尉は蜂の巣になって戦死する。オレオノスキー曹長は罪悪感から頭が変になり、自殺してしまう。指揮官が不在になったため、バーカー少佐はオリベッティ大尉を送り込む。マクワはベトナム軍に完全に包囲され、壊滅の危機にあった。バーカー少佐は少将に増援を頼むが断られ、仕方なく南ベトナム軍のミン大佐に300名の増援と砲兵による砲撃を頼む。さらに米軍による空爆を依頼するが断られ、バーカー少佐は少将あてに電報を送る。この電報により少将は空爆を許可し、水際でベトコンを撃退する。しかし、多勢のベトナム軍に対し壊滅は必須であり、少将はマクワからの撤退を命令する。 バーカー少佐はヘリに乗ってマクワに向かう。しかし、ヘリの搭乗人員の関係でアメリカ兵のみしか搭乗できず、ベトナム兵と民間人は取り残されることに。しかし、コーシー伍長だけは現地に残ることを主張し、バーカー少佐も同調する。バーカー少佐らは陣地の破壊を行い、味方の砲撃に紛れて徒歩で撤退を開始する。しかし、陣地に引き入れた民間人はベトコンで、少女がベトコンの手引きをし、待ち伏せ攻撃にあってしまう。カウボーイが戦死し、バーカー少佐以下、ベトナム兵や農民兵は全員戦死する。唯一コーシー伍長だけが生き残り、マクワに戻る。そこには砲撃で半死となった片目のベトコンがいた。よろよろと歩くコーシーはベトコンに「国に帰る」と言うのだった。
2008年05月15日
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2003 ロシア 監督:アンドレイ・マルコフ出演者:アレクサンダー・バルエフ、ウラディスラフ・ガルキンほか102分、97分、102分(3巻6話構成) カラー sPECIAL SQUAD SPETSNAZロシア特殊部隊 スペツナズ-チェチェン・ウォーズ-(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ロシア特殊部隊スペツナズ」を探す(楽天) ロシアの秘密部隊である特殊部隊スペツナズを題材にしたテレビドラマ。DVDは3巻6話で構成され、「レッド・ハイジャック」「ジハード・聖戦」「チェチェン・ウォーズ」のタイトルが付けられている。舞台はアフガニスタン、タジキスタン、チェチェンで、ロシア軍側のスペツナズのブラトフ少佐以下5,6名の少数精鋭が、アフガニスタンやチェチェンのテロリストと対峙していく。 アクションや戦闘シーンはいささかスペツナズ賞賛に偏向している嫌いがあり、やたら強いスペツナズには苦笑もの。また、隊員の渋い語りにおどけた仕草など格好はいいけれど、作りとしてはB級映画を彷彿とさせる臭さを感じる。ロシアの一般向けテレビムービーなので、ヒーロー物的な受けねらいが必要だったということなのだろう。 ただ、設定や背景については、これまで題材になることの少なかったスペツナズの活動や、ロシア軍の対テロ軍事的行動を垣間見ることが出来、興味深い物がある。テロリスト本拠地への急行の方法や、少数精鋭での戦闘方法は米軍特殊部隊とは一風違った面白さがある。また、ロシア軍(正規軍)とスペツナズの関係というものも興味深い。 また、ロシア製作であるため、ロシア軍兵器が多数登場するのも見所の一つで、戦車は登場しなかったが、装甲車や航空機としてツポレフTu-160ブラックジャック、Mi-8ヒップヘリコプターなどの姿が見える。 戦争ものとしての完成度は低いのだが、レアな題材にシリーズもの特有の重厚感が楽しめる一品である。興奮度★★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)第1話 レッド・ハイジャック アフガニスタンのテロリスト集団がロシア民間航空機のハイジャックを行う。犯人らはニトロベンゼン入りの水鉄砲で武装しており、テロリストが制圧しているサラブ飛行場に着陸させ、飛行機に兵器を搭載してモスクワに突入するつもりなのだ。すぐさま、スペツナズ隊長のブラトフ少佐らに出動命令が下り、超音速爆撃機に乗り、サラブ飛行場の制圧に向かう。ハイジャックされた航空機にはスペツナズの隊員フルストが偶然乗っており、フルストは単身でハイジャック犯人を倒す。しかし、その情報はテロリストのボスの知るところとなり、サラブ飛行場にテロリストが終結を始める。一足先にサラブ飛行場に到着したスペツナズは間一髪のところでテロリストを掃討し、民間航空機も無事離陸することが出来た。第2話 アフガニスタンの山頂に作られているテロリストの研究所では毒薬ウイルスが製造されている。北部同盟の攻勢により、撤退を余儀なくされたテロリストはウイルスと解毒剤を持って撤退を図ろうとしていた。スペツナズは細菌学者ファルハドフを同行して研究所の破壊とウイルス焼却を命じられる。着陸地点で襲撃されフルストが負傷し、パイロットが死亡する。現地には子供がおり、近くの村への道案内を頼むことにする。しかし、子供はテロリストであることが判明し、子供は自爆する。スペツナズはフルストの治療のため、敵の医療テントを襲撃し、医者を道案内にして研究所に突入する。研究所内で敵のボスを倒すが、ウイルス解毒剤は金庫の中であった。しかも隊員の一人がウイルスに感染。スペツナズは逃げた科学者を追跡し、金庫の暗証番号を聞き出すことに成功する。第3話 ジハード・聖戦 スペツナズは派遣されてきた神父を迎えに行くが、神父は敵弾に倒れて瀕死となる。神父はオルロフと言い、元スペツナズの隊員であった。5年前にオルロフ大尉は自身の娘の通う学校を占拠した犯罪者を倒すために出動するが、娘の命を救うことが出来なかった。その後スペツナズを引退し、神父となったのだ。神父としての教育を受け、セルビアの教会再建のために派遣される。そこにアルバニア軍が侵攻し牧師らを殺害する。女子供までが殺されそうになったとき、国連軍のフランス軍大佐がらがやってくる。ところが、アルバニア軍は国連軍さえも殺害してしまう。オルロフはついに武器を持って対抗し、単身アルバニア兵を全滅させる。オルロフは戦う神父として目覚めるのだった。第4話 タジキスタンのオビガルム。ロシアとアフガニスタンの首脳会談が行われる。アフガニスタン代表のボルザニ将軍が狙撃未遂される。会談の中止を目論む者の犯行と思われ、警護のためにスペツナズが出動する。将軍をドゥシャンベへ移送するための計画を練るが、情報部のリリンから内部にスパイがいるらしいと伝えられる。移送の際に将軍を別行動にすることで、スパイがタジキスタン軍の大佐とその姪であることが判明。途中で待ち伏せに会い、激しい銃撃戦となるがなんとか撃退し、タジキスタン軍の大佐も抹殺する。第5話 チェチェン・ウォーズ チェチェンのシャトイ地区。スペツナズのロパタがテロリストによって殺される。一方、チェチェン共和国連邦軍ではミサイルストレラ2Mがテロリストに横流しされ、ミサイルにより戦闘機撃墜が頻発していた。防諜部のリリンはスペツナズに撃墜されたパイロットの救出とミサイルの製造番号を確認するよう依頼する。パイロットの1人は死亡するが、スペツナズはパイロットの1名を救出。さらに、連邦軍兵士と接触しミサイルを入手しようとするテロリストを発見し、流出を未然に防ぐ。第6話 チェチェン内で輸送部隊が頻繁に襲撃されるようになる。実はテロリスト側に元SAS隊員の英国人ラシュディが傭兵としてついたのだ。チェチェン連邦軍はスペツナズに護衛を依頼。スペツナズは敵に辣腕兵士がいると判断し、慎重な行動を勧めるが、輸送隊長のオゾルニク中佐は頑固に独自の戦闘を敢行する。その結果、幾度も敵を取り逃がすことに。そこでスペツナズの指揮の下ラシュディと決戦に。テロリスト部隊を殲滅し、変装して逃げようとするラシュディを見事捕縛する。
2008年05月03日
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2007 ドイツ・オーストリア 監督:ステファン・ルツォヴィツキー出演者:カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ ほか96分 カラー DIE FALSCHER THE COUNTERFEITERヒトラーの贋札 ナチスドイツが第二次世界大戦中にイギリス紙幣ポンド札を大量に偽造した「ベルンハルト作戦」を題材に、偽造作戦に従事したユダヤ人の視点を中心に描いたヒューマンドラマ。実際に従事し生き残ったアドルフ・ブルガーの著書をベースに、フィクション部分を加えて製作されている。一部は仮名を使っているが、ほとんどが実名で登場し、おおまかな作戦自体は史実にかなり忠実にできているようだ。 ベルンハルト作戦は、1943年から終戦までの間、ナチス親衛隊国家保安本部第IV局(諜報部外国局)の紙幣偽造課が実行した史上最大の紙幣偽造事件と言われる。目的は、敵国の経済攪乱にあり、終戦までに1億3000万ポンド以上が偽造され、スパイへの報酬、工作資金、武器調資金などとして使用され、ポンド全流通量の10%近くを占めたともされる。 贋札は紙幣偽造課長のベルンハルト・クリューガー親衛隊少佐の指揮のもと、マウトハウゼン、ザクセンハウゼン、エーベンゼーの強制収容所内に設置された贋札工場で偽造され、従事者144名のうち135名がユダヤ人であった。 終戦時にナチス親衛隊は贋札や書類をオーストリアのトープリッツ湖に沈めたが、1959年に雑誌社によって回収され、一般にその存在が知られるようになった。 本作は、ユダヤ人贋作師サロモン・ソロヴィッチ(サリー)を中心に贋札工場の経緯、出来事を描いたもので、紙幣偽造課長のフリードリヒ・ヘルツォーク少佐とサリーの関係、従事者のユダヤ人同士の関わりのヒューマンドラマがメインとなっている。特に、一人一人の人物の置かれた立場や性格がしっかりと描かれており、最後までその性格付けがぶれることがないので、ストーリーに安心して入れ込むことができた。何と言っても、主人公サリーの生きるための確固とした信念の強さは凄い。贋作師としてのプライドとユダヤ人仲間に対する共感の揺れ動きが生じるのだが、それを封じ込める意志の強さは並大抵ではない。全ては生きるために。このほか、共産主義者のブルガー、クリンガー医師の立場や個性も充実している。 全体に個人的感情表現は抑えめという印象だ。ユダヤ人収容所という鬱屈した空間であるが故に、感情を押し殺そうとする意図もあるのだろう。喜怒哀楽が少なめな点、精神的には安定して見ていられる(笑)。唯一、パスポート偽造過程で我が子のパスポートを発見してしまうロセックの嗚咽に涙したが。 96分という上映時間はあっという間に過ぎた。特に盛り上がる場面があるわけでもなく、淡々と流れていく映画であったが、いつ殺されるかわからないという緊迫した雰囲気が続き、ようやく終戦という解放感を存分に味わうことが出来る。そういう意味で、物語の起承転結がコンパクトにまとめ上げられていると言えるのだろう。ラストシーンは、やや抽象的な展開だが、これは視聴者に考えて貰おうという監督の意図らしい。モデルとなったサリーは実際には再び贋札作りに携わったらしいので、へたに現実に引き戻されるよりは良かったかもしれない。 そのサリー役のカール・マルコヴィクスはほとんど笑うこともなく、ポーカーフェースの快演。贋作師のしたたかさ、ユダヤ人の生命力などを実に良く表していると感じた。決して善人でもなく、ヒーローでもない主人公は、実に印象的だった。 全体的には、紙幣偽造過程もわかりやすく描かれているのも興味深く、ベルンハルト作戦の全体像がわかりやすいのも評価できる。ただ、何となくなのだが、映画そのもののインパクトという点ではちょっと物足りない。ドキュメンタリー映画を見たような蛋白感が残る。ネチネチとした感情を余り入れ込まずにコンパクトに仕上げたからなのだろうか、ユダヤ人収容所を取り上げた作品の割にはカラッとした雰囲気なのだ。 良い作品なのだが、もう少し心に響く何かがあると良かったかなあ。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★★★★感涙度★★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 第二次世界大戦時のベルリン。ユダヤ人贋作師のサロモン・ソロヴィッチ(サリー)は、パスポートや贋札作りの罪で国家保安局のフリードリヒ・ヘルツォークに逮捕される。サリーはマウトハイゼン強制収容所に送られ、過酷な強制労働を課せられる。次々に死んでいくユダヤ人を目の当たりにし、サリーはドイツ監視兵の肖像画を描くことで、ドイツ兵から重宝され命を長らえる。 そのサリーにザクセンハウゼン収容所行きが命じられる。同じ貨車には美大生だったユダヤ系ロシア人のコーリャが乗っており、同じ美大に通っていたことから親交を深める。 ザクセンハウゼン収容所には、かつてサリーを逮捕したことが評価され紙幣偽造課長に登用されたヘルツォークSS少佐が待っていた。サリーのほかに印刷技師のブルガー、印刷工を名乗るロセックらは、収容所内の偽造工場に連れて行かれる。 ドイツはイギリス経済混乱のために、ポンド紙幣の偽造「ベルンハルト作戦」を実施していた。サリーらは紙幣偽造のために利用されるために集められ、そこにはすでに多くのユダヤ人が従事していた。 サリーは原板作成の主任としてポンド紙幣の偽造に成功し、ヘルツォークSS少佐は褒美に卓球台を与える。彼らの工場の外では他のユダヤ人たちが殺されていく。生き残るために、協力するほかないのだ。ヘルツォークSS少佐は次なる業務としてアメリカドル紙幣の偽造を命じる。サリーは生き延びるために仕方ないと仲間を説得するが、急進的な共産主義者ブルガーはそれを拒否し、印刷をわざと失敗させる。 そんな中、ロセックが回収されたユダヤ人パスポートの中から、自分の子供たちのパスポートを見つけてしまう。ロセックは自殺を図ろうとし、仲間に助けられる。また、コーリャは肺結核を患ってしまう。ユダヤ人医師のクリンガーは薬が必要とし、サリーはコーリャを救うため、ヘルツォークSS少佐と取引することにする。 サリーはブルガーの妨害を回避し、ついにドル紙幣の偽造に成功する。交換条件として少佐から薬を手に入れが、少佐の部下が病気のコーリャを発見し射殺してしまう。 落胆の空気が流れる中、収容所内に不穏な空気が流れる。ついに連合軍がやってきたのだ。少佐らはユダヤ人を残したまま立ち去っていく。サリーは偽造紙幣を取りに戻った少佐を脅して金を奪う。そして収容所は解放され、自由の身となる。 戦後、サリーは偽造ドル紙幣を使って身なりを整え、カジノに金を投じる。それを見たカジノの女が寄ってくるが、次第にサリーの心に変化が現れる。サリーは全ての偽造紙幣をカジノに投じ、無一文になるのだった。
2008年04月22日
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2003 イタリア 監督:アレッサンドリ・バローリ 出演者:ピア・ジョルジョ・ベロッキオ、ピエトロ・タリコーネ、マッシモ・ボッシほか 84分 カラー RADIO WESTブラックバード・フォース(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ブラックバード・フォース」を探す(楽天) コソボ紛争の最中、国連平和維持軍として駐留するイタリア軍を描いた、ヒューマンドラマ?、サスペンス?アクション?。同年代に同じコソボを題材にした「ブラックバード・ライジング(2003)」という作品があるが、余りたいしたことないと思っていたが、本作よりはずっと良い。本作のジャンルは何だろうと悩むほど不思議な内容だし、致命的なのはつまらないこと(笑)。ニュージャンルということなのかもしれないが、何にしても内容の掘り下げが甘いし、話しのつながりや登場人物の性格付けが余りに稚拙。謎のセルビア人女性ユリアナがキーマンとなってはいるのだろうが、サスペンスともホラーとも言い難い。原題はRADIO WESTということで、ラジオDJの放送が頻繁に出てくるが、この位置づけも結局意味がない。 せめて戦闘シーンだけでもと思うのだが、敵らしい敵は登場せず、銃を撃つこともほとんどない。登場する兵器類も少なく、装甲車がちょろっと出るほか、イロコイ、チヌーク、アグスタ・マスタング対戦車ヘリ?が出てくる程度。これはどこで撮影したのかな。 唯一の救いは、イタリア兵同士の会話や葛藤が描かれていること。脳天気で陽気なイタリア兵らしさと、戦場での精神的苦悩が興味深い。また、コソボでの国連活動の緊張感も少しながら感じることが出来る。特に、隊が分断された後の対応やパニック感は国連活動ならではのものだろう。 いずれにせよ、戦争映画やヒューマンドラマと思ったら大間違い。本作のキーマン、ユリアナの行動や心情を理解できる人がいるのならば、それはそれで凄いことかもしれない。 興奮度★★ 沈痛度★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) コソボに駐留する国連平和維持軍にイタリア軍がいる。真面目な兵ボナーニは歩哨任務の最中、目の前で現地人の自殺を阻止できず、本国送還されることになってしまう。 そんな中、イタリア軍はアルバニア人保護の任務につき、大尉を指揮官とした車列で移動を開始する。途中でセルビア人勢力の危険が高まり、ルート変更となるが道に迷い、ルゴバ村にたどり着く。そこにはアルバニア人住民がいるが、出発の間際にセルビア人女性ユリアナが助けを求めてくる。アルバニア人の男は自分の妻だと言い張るが、ユリアナはレイプされ殺されるとわめく。 大尉は女性を連れて行くこととするが、トンネル通過中にトンネルが崩落。最後尾のペトローニ、アル、リッツォの3人とユリアナを乗せた車輌のみが分断されてしまう。大尉や准尉の車輌は先に基地に戻るが、ペトローニらは迂回路を進むこととなる。道がわからなくなり、ユリアナの進言で進むが、車は地雷に破壊されてしまう。無線機も壊れ孤立し、リッツォとアルはユリアナを連れて丘の小屋に潜伏することにする。 ほどなくペトローニも合流するが、ユリアナはペトローニに接近。ペトローニはユリアナを信用するなと言うが、リッツォはユリアナに恋心を抱く。ユリアナはアルにもキスを迫るが、アルは距離を置いて拒否。リッツォにも油断するなと忠告する。 警戒線を張って警戒している彼らにアルバニア人の村人が接近。男はユリアナの赤ん坊を抱いていた。そして「あの女は美しくかしこい」と謎の言葉を残して自殺する。さらに、村人らが接近し、激しい銃撃戦の末小屋は爆破される。小屋の中ではリッツォがユリアナに撃たれていた。アルに「おまえの言うとおりだった」と言い残して死ぬ。ユリアナの姿はもうそこにはなかった。 翌日、イタリア軍の救援がやってきてペトローニとアルを回収する。
2008年03月27日
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1955 イギリス 監督:ホセ・ファーラー 出演者:ホセ・ファーラー、トレヴァー・ハワード、ドーラ・ブライアンほか 97分 カラー THE COCKLESHELL HEROES 日本では発売されていないので、イギリス版DVD「THE COCKLESHELL HEROES」を購入して視聴しました。英語テロップが付くので、内容はなんとか理解できたかな?。 ドイツ軍に占領されたフランスボルドー地方で、1942年12月に実行された特殊任務フランクトン作戦を題材にしたアクションドラマ。作戦名や登場人物などに若干の脚色がなされているようだが、全体としては概ね史実ベースのようだ。 実際のフランクトン作戦は、潜水艦から発進した6隻のカヌーに乗った英海軍の特殊部隊員12名が、フランス・ボルドー川上流に停泊中のドイツ軍艦船への吸着機雷爆破任務を遂行したもので、うち4名が目的地に到着。数隻の掃海艇等を破壊に成功したものの、生きて本国に戻れたのは指揮官のハーバート・ハスラー少佐ら2名のみであった。残りは事故死か、捕虜となり後に処刑されている。 本作では、ストリンガー少佐を指揮官とし、10名の特殊部隊員が出撃する。作戦名はCocklesheilで、4名が目的地に到達し、作戦を実行。ストリンガー少佐ら2名だけが生き残り、他のものはナチに処刑されるのは史実とほぼ一緒となっている。 本作はカヌー作戦のミッション描写もさることながら、前半部分は作戦実施にいたるまでの確執、訓練などにも重点が置かれている。コメディ的要素も多分に盛り込まれ、作り話のような展開は引き込まれる。栄誉を求めて破天荒に邁進するストリンガー少佐と、真面目だが過去の失態から窓際事務に追いやられ自暴自棄になっている海兵隊トンプソン大尉の確執は、おかしくも悲しい。ねたみ、勇気、栄誉と軍隊における宿命をまざまざと見せつけられる。また、特殊任務要員選抜のためにストリンガー少佐が行う、自力帰還テストは実に面白い。ドイツ兵の格好でパラシュート降下させ(もちろん英国内)、自力で基地に戻ってこさせるのだが、死体に化けたり、変装したりとありとあらゆる手を駆使して帰還するエピソードが興味深い。どんな手を使ってでも生き残る術を持つ荒くれどもが作戦の成否を担っているのだ。このあたりは、日本映画での「ルバング島の奇跡陸軍中野学校(1974)」をちょっと思い出した。こうした訓練はどこでも行われていたのだろうか。 一転してCocklesheil作戦シーンはシリアスモードとなり、夜間シーンが多いので画像も暗いのだが、息詰まる見応えのあるシーンが続く。ボルドー港内でのドイツ軍との駆け引き、銃撃戦は絶望感で一杯だ。 カヌーを発進させる潜水艦は実際の英国海軍T型(トライトンclass)潜水艦が用いられており、対するドイツ軍掃海艇に扮するのは「K383」の艦番をつけたコルベット艦HMSフリント・キャッスル。このほか「F384」のリーズ・キャッスルの姿も出る。ドイツ軍側航空機も登場するが、シュトルヒのようにも見える。 また、ボルドー港内での艦船爆発シーンはミニチュア特撮。まるで円谷特撮を見ているかのようなシーンはなかなか秀逸。 イギリスにとっては歴史的なヒーローを扱った映画であるから、全体にシリアス色が強く、リアル感を感じることが出来る。さらに、ストーリーの中に人間ドラマを盛り込み、かつコミカルな部分もあるので、映画としての完成度はかなり高いと言える。時代が古いせいもあろうが、無駄な脚色やカットがないのも好感だ。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1942年3月、ポーツマス。海兵隊トンプソン大尉、クレイグ軍曹のもとに、特命を帯びたストリンガー少佐が赴任してくる。ボルドー川上流へカヌーで侵入し、ドイツ軍艦船に吸着機雷攻撃を仕掛けるという無謀な任務だ。1918年入隊のベテラン トンプソン大尉はストリンガー少佐にも、無謀な作戦にも乗り気になれない。 まず、少佐は特殊任務の兵を選別することから始める。すでに志願してきた海兵隊43名の面接を実施するが、その志願理由は、元ディエップ 急襲作戦の生き残り兵、子供養育費のため、運動がしたい、母親が空襲で死亡した恨み、訳も分からずサインした、戦士の家系など実に様々だった。そこで、少佐は最終選考としてテストを実施することにする。380マイル離れた場所にパラシュート降下し、途中に待ちかまえる守備兵に捕まることなく、48時間以内に帰隊しろというものだ。ただし、ドイツ軍の服装を着用し、所持金はゼロ、法律は守るべきだが破る際には捕まるなとされた。 少佐自ら先頭に立ってパラシュート降下していく。降り立った兵たちはてんでに帰隊への工夫を始める。ストリンガー少佐は、近くの民家に潜入して洋服に着替え、自転車を盗んで乗っていく。途中で、ドイツ軍の服装のままトラックに便乗していた兵の荷台に潜り込み、運転手らが食事に出た隙にトラックを奪って駅に。列車では他の乗客から切符を入手し検札を誤魔化し、見事一番に帰隊する。 続いて帰隊したのはローマス兵卒で、死体に化けて救急車で帰隊する。3番目はブラッドリー兵卒で、貴族の特権を利用して堂々と黒塗りの車で乗り付ける。クラーク兵卒は、愛人宅に寄るもけんもほろろにされ、ショーウインドウで見つけた士官服に着替えて帰隊。ラドウィック兵卒は、ランニングシャツ姿となってマラソンを続けて帰隊する。結局少佐を除いて8名しか帰隊することが出来ず、11名が守備隊に捕まり、3名が銃撃による負傷、2名が警察に逮捕、6名がいまだ行方不明中であった。この結果、5つの軍警察から苦情が殺到し、機材の多くは失われ、いくつもの裁判が起きている現状に、トンプソン大尉は少佐への不満をぶちまける。こうした無謀な行動も、作戦も、少佐も嫌いだと言う。 選抜された8名の兵にクレイグ軍曹、ストリンガー少佐の10名はカヌー訓練に入る。しかし、トンプソン大尉は不満に思い、訓練の邪魔を仕掛ける。何故、邪魔をするのかと問う少佐に、あなたは間違っていると批判する。それでも、少佐は訓練を続け、いよいよ吸着磁石機雷の訓練に入る。少佐は本物の機雷を兵に渡し、兵らは大あわてで海上で爆発させる。 いよいよcockle shell作戦の実施命令が届く。1942年12月6~11日に実施しろと言うのだ。少佐は大尉を連れて飲みに行く。その席で、大尉は自分が少尉としての初陣(カンブライの戦い)で大失策をし、それ以来どうでもいい管理部門に回されていることを告白する。これまでの行為は活躍の場のある少佐へのやっかみでもあり、改めて少佐の活躍を祈るのだった。兵らは酒場で水兵と大げんか。そんな中、ラドウィックの姿がない。ラドウィックの自宅に探しに行った大尉は、間男と遭遇。酒場にいたラドウィックに大尉は3分間の自由を与えると言い、ラドウィックを自宅に連れて行く。3分間で間男をぶっとばし、ラドウィックはすっきりした顔で隊に戻る。 いよいよ出撃となり、潜水艦に搭乗する。一つのカヌーは2人乗りで、6つの機雷と一つの自爆装置を積んでいた。少佐は決して自決用ではなく、生き延びろと説明する。ただし、作戦任務は必ず実施し、他のカヌーは助けずに、トラブルは自ら解決しろとも言うのだった。 敵駆逐艦の攻撃を受けながらも、ようやくボルドー川河口にたどりつく。しかし、ローマスが爆雷攻撃で負傷。その代わりにトンプソン大尉が名乗りを上げ、5隻のカヌーが出発する。「CONGER」「CRAYFISH」「CUTTLEFISH」「CAALFISH」「CATFISH」と名付けられたカヌーは急流に逆らって上っていく。うち1隻が転覆し、乗員は海岸線でドイツ兵に使ってしまう。残りの4隻は昼間は隠れ、夜間に川を遡っていく。 ドイツ軍歩哨の下をくぐり抜ける際に1隻が発見され銃撃を受ける。残り3隻はじっと隠れてドイツ軍の追跡をまく。しかし、クーニーとトッドの艇がドイツ軍に見つかり撃たれてしまう。 ストリンガー少佐とトンプソン大尉の2艇はなんとかボルドー港に潜入成功。生け捕りにしろというドイツ軍の執拗な捜索の目をかいくぐって、ドイツ軍艦船に機雷を吸着させ、爆破に成功。トンプソン大尉の艇は大型船に向かうがそこでドイツ軍に捕まってしまう。ストリンガー少佐の艇も転覆するが、近くにいたフランスレジスタンスに救助され、本国への帰還を果たす。捕虜となった8名は銃殺される。
2008年03月21日
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2006 イギリス 監督:マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス 出演者:アルファーン・ウスマン、ファルハド・ハールーンほか 96分 カラー THE ROAD TO GUANTANAMO DVD検索「グアンタナモ、僕たちが見た真実」を探す(楽天) アメリカがキューバ東部に設置しているグアンタナモ海軍基地における、外国人テロ容疑者の不法収容・虐待を描いたドキュメンタリータッチの再現ドラマ。結婚式のためにパキスタンを訪れたパキスタン系イギリス人の若者たちが、軽い気持ちでアフガニスタン入りしてテロリスト容疑で拘束されてしまうという衝撃的な内容であり、生き残った関係者本人のインタビューと再現ドラマを織り交ぜた構成となっており、2006年ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。 グアンタナモ基地は、約100年前にアメリカが租借権を得たものとして占有しており、アメリカ国内でもキューバでもないという特性により、アメリカの法律も国際法も適用されないと言われている。この基地には、2001年の9.11テロ事件の後、アフガニスタンに侵攻した米軍が捕らえたテロリスト容疑者が、敵性戦闘員として多数収容され、そのほとんどが正式な司法手続きを経ていないとされる。さらに、その待遇はジュネーブ条約を無視した非人道的なものであり、国連人権委員会による修正指摘もなされた。 2004年頃から人権運動家によって、グアンタナモ基地の閉鎖運動が盛んになるが、決定的だったのは、不法に逮捕収容されていた3名のパキスタン系イギリス人の解放であった。本作はこの3人が2001年に拘束されてから、2004年に解放されるまで約2年半にわたる監禁拘束、虐待の姿を映像化している。 映画は重い題材を抱えており、いわばブッシュ政権批判とも言えるのだが、単にブッシュやアメリカ批判として見るのではなく、その背後にある様々な問題や価値観の相違を一歩引いて見ることをお勧めする。真実性の証明に欠ける嫌いがあるので、政治的材料として理解すべき作品ではないからだ。 まず、第一にグアンタナモ基地の存在自体はアメリカ政府及び軍の汚点の一つであり、アメリカ的独善民主主義手法の典型例だとも言える。世界の警察を自称するアメリカがその権威を維持するためには、正義と悪をこしらえる必要があるのであって、本来はテロリストであった悪が次第に混沌の中で、対イスラム教徒になっていった過程を垣間見ることが出来る。宗教の相異が悪にはならないことは自明の理だが、それを知っており、一番とまどっているのは、現地のアメリカ兵そのものである。無理矢理のこじつけで悪を作り上げなければならない、現場の苦しみと狂気が実に良く描かれている。こうした正義感の押しつけは、アメリカにかかわらず、日本においても警察の誤認逮捕という形で存在する。誤認逮捕をしなければならない過程、そして過ちを認めることの出来ない組織体制というものの根っこは同じなのだ。 2007年6月22日、アメリカ政府がグアンタナモ基地廃止に向けて検討を始めたとの報道があった。アメリカがどのように尻を拭くのか興味深いところでもある。 次に、イギリス在住のパキスタン人の存在。本作に登場する5名のパキスタン人のうち4名はイギリス在住であり、いわば自由主義社会に育った甘ちゃんである。本作では被害者としてのみ描かれてはいるが、今なおイギリス国内でパキスタン人摘発が繰り返されているように、イギリス国内では治安を脅かす集団であることは否定できない。その彼らは、タリバンに荷担するする気もなく、不用心にもアフガニスタン入りをして拘束されてしまうのだが、彼らの軽率な行動は、紛争地での外国人報道員やボランティア活動家の軽率な行動と同じように批判されるべきものである。しかし、大きく異なるのは彼らがイスラム教徒であったという点で、タリバン本拠地に到達できたのも、アメリカ軍の厳しい拷問に耐えられたのも、やはりイスラム教徒であったからなのだ。本作の後半はアメリカ軍の拷問・尋問シーンがメインだが、イスラム教徒の打たれ強さと、末恐ろしいほどの強迫観念をヒシヒシと感じることができる。 このことは、反面こうして反米テロリストが育成されていくのだということでもある。イギリス国民であった彼らは、最後には十分反米テロリストと言ってもおかしくない風貌に変わっていく。2007年7月10日、パキスタン・イスラマバードのモスク(イスラム礼拝堂)「ラル・マスジッド」ろう城事件が発生したが、ごく普通にモスクに出入りする彼らが、いつテロリストになってもおかしくないと感じさせる。彼らが自ら進んでテロリストになっていくのか、アメリカがテロリストを育てているのか。テロ行為の根絶は重要なことであるが、いたちごっこでしかない現状は、いつか解決の道が見えてくるのだろうか。 なお、アメリカの弁護をするわけではないが、当時イギリス国内でのテロ行為の主犯格がパキスタン系とされており、そのパキスタン系英国人がタリバン本拠地にいたわけだから、実に「クロ」いとアメリカが思うのも致し方ないだろう。さらに言えば、テロリストは正規兵ではないので、その取り扱いや認定法は難しい。人混みに紛れて石を投げてくる群衆を前に、立ちはだかる警察官の気持ちを考えてみればわかりやすい。 また、アメリカ軍のあの手この手の拷問手法はなかなか興味深い。肉体的にはさほど酷くはないが、精神的にダメージを与えようと言う手法は、不謹慎ながら笑えるものが多い。ただし、敬虔なイスラム教徒相手にはなかなか通用しない。 映画は当事者のパキスタン系イギリス人本人と、それを演じる役者が登場し、インタビューと再現ドラマが交差しながら進んでいく。事実に忠実に製作されているとのことであるが、テンポ良く時系列に進んでいくストーリーは結構見やすい。最後まで飽きずに見ることが出来た。衝撃的で悪玉アメリカの勧善懲悪型展開も、次第にブチ倒せブッシュと叫びたくなるほど盛り上がるので、なかなか楽しめる(笑)。ただ、本人と役者はイスラム教徒らしく髭を生やしたりと剃ったりとめまぐるしく変わるので、徐々に誰が誰だか分からなってくるのが難点か。 登場する兵器類としてはC-130輸送機ぐらい。このほか、記録映像でT-55戦車などのロシア製兵器や米軍機がちらほら登場する。なお、アメリカ軍兵士は第1騎兵師団のパッチを付けているものも見えるが、ほとんどがいい加減な軍装。行動もいい加減で、へなへな動く米兵にはちょっと違和感あり。ロケはアフガニスタンとイラン、パキスタンで行われたようで、山岳地帯の風景などはなかなかリアルだ。 本作はタリバン側からの映像ということで、なかなかレアな視点である。逆にタリバンと戦闘状態にある北部同盟側からの潜入を描いたドキュメンタリー風映画には「セプテンバー・テープ(2004米)」がある。両者を見比べてみるのも面白いだろう。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 2001年9月28日、パキスタン系英国人のアシブ・イクバルは両親がセットした縁談のため、父親が待つパキスタンへ飛ぶ。パキスタン中部のファイサラバード空港からタクシーで村に行き、見合いによって結婚することとなる。早速イギリスにいる同じパキスタン系英国人へ結婚式の招待メールを送り、10月5日、ローヘル、シャフィク、ムニールの3名がパキスタンにやってくる。3人はパキスタン南部のカラチのモスクに泊まる。そこではタリバン支持のデモなどの風景があり、そこで1週間を過ごす。 10月11日、アシフがカラチにやってくる。シャフィクはパキスタン在住の従兄弟ザヒドを連れてくる。折しも9.11事件の余波で米軍がアフガニスタン侵攻の噂があった。5人は実際にアフガニスタンを見てみようと思い立ち、12日バスで国境まで行く。途中でバスが人をはね、運転手が逃亡。なんとかバスを乗り継いで13日パキスタン西部のクエッタに着く。しかし、そこで下痢のシャフィクがバスに乗り遅れ、一人後を追いかけることに。4人は国境を越える。まだ、戦闘の臭いは薄く、国境貿易も入出国も厳しくない。 ようやく追いついたシャフィクと合流し、5人は車に乗り換えてカンダハルに向かう。ここはタリバンの本拠地であり、米軍の空爆が始まっていた。さらに5人はカブールへ向かい、そこで2週間半を過ごす。アシフは病気にかかる。しかし、米軍の爆撃も市街地ははずされ、街でも商売が盛んであるなど、5人はここにいること自体に飽きてくる。 そこで、車を手配して帰国しようとするが、便乗した車はアフガニスタン北部のクンドゥズ付近に向かってしまう。ここは米軍と協力する北部同盟とタリバンの最前線であり、激しい空爆と北部同盟の包囲が迫っていた。5人は帰るに帰れず、ついに11月、北部同盟の侵攻が始まる。5人はパニック状態の中、撤退するタリバンの車に乗って脱出を図るが、その際にムニールだけがはぐれてしまう。郊外に逃げたトラックにも攻撃は加えられ、ムニールとはそれきり再会することは出来なかった。 夜間の攻撃を受け、命からがら助かったシャフィク、アシフ、ローヘルだったが、ザヒドはひどい傷を負ってしまう。そこに北部同盟のトラックがやってきて、彼らは捕虜として連行されることに。射殺されるのではという不安感の中、蒸し暑いトラックでマザリシャリフへ連れて行かれる。途中で北部同盟のトラックへの銃撃で多くの人が死亡する。 2001年12月、アフガニスタンのシェベルガーニ収容所に4人は収容される。そこには、多くのタリバン、外国人義勇兵が捕虜となっており、劣悪な環境だった。4名は赤十字や外国人記者に英国人であることを告げようかとも考えるが、パキスタン人でいた方が安全だろうと判断する。しかし、12月30日になり、アメリカ軍がやってきて、英語の話せるローヘルが司令官の前に連れ出される。そこで、英国のバーミンガム出身だと明かしたローヘルだったが、司令官はアルカイダの一味と判断、シャフィク、アシフとともにアフガニスタン南部のカンダハル航空基地に設置されたアルカイダ一時収容所に送られる。そこでは、話すことも寝ることもままならない厳しい環境で、尋問が続けられる。(以下略)
2008年03月14日
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2008 TBS プロデューサー:島田喜広出演者:仲村トオル、原田泰造、竜雷太、酒井美紀ほか129分(正味80位?) カラー 昨日TBSで放映したテレビドラマです。録画しようと思いましたが、DVDレコーダーの調子が悪く(入ったままのメディアが出てこない!分解して取り出しました。)、急遽ビデオに録画しました。相変わらずTBSモード炸裂ですが(笑)、TBSにしてはまあまあの出来だったかなと思います。 月曜ゴールデンの「シリーズ激動の昭和」で放映された、ドキュメンタリータッチテレビドラマ。1945年3月10日、東京は米軍のルメイ将軍指揮下のB-29爆撃機の大編隊により無差別大空襲を受けた。10万人を超える死者が出た東京大空襲を撮影した地上の写真は33枚しかないと言われる。本作はその33枚の写真を撮影した警視庁警察官、石川光陽を主眼に描いたものである。再現ドラマ形式に、記録映像、記録写真、CG、関係者のインタビューを交えた構成となっている。記録映像は、戦時中の日本のもの、アメリカ製作のものが見られる。 警務課写真係だった石川光陽(仲村トオル)は当時41歳で、坂警視総監から記録写真を残せと命じられ、撮影したと言う。大被害の最中に見た凄惨な状況と、写真を巡る戦後の逸話が描かれている。このほか、幼い子供を守ろうとして殉職した、若き警察官刑部(原田泰造)の逸話が挿入される。 東京大空襲の惨劇と、無差別爆撃のむごたらしさが映像からひしひしと伝わってくる。33枚の写真は、著名な親子の焼死体など見るに堪えないものであるが、決して目をそむけて通るわけにはいかないものである。死んだ10万人の親子、兄弟にそれぞれの人生があり、無縁仏として奉られる多くの魂の鎮魂を願わざるを得ない。逃げ惑う幼い子供たちの姿にはただただ、涙するばかりだ。そう言う意味で、本作の持つ意義は小さくない。 ただし、ドキュメンタリードラマとしての出来は今ひとつ。2時間超えの長さにも関わらず、内容がちょっと浅い。とにかくコマーシャルが多すぎるのも辟易としたが、実質のドラマ部分は1時間分くらいしかなかったのでは。記録映像やナレーション解説、インタビューも断片的で、多角的な視点というものがほとんど見られない。最悪なのは、ラストに登場する筑紫哲也得意の何でも批判主義コメント。彼の政治的視点にもっていくための、恣意的な誘導編集がやたら目に付いた。そのため、無差別空襲に対する真実の検証や、亡くなった多くの日本国民の実情が真摯に描かれることはなく、本作が何を企図したのか焦点がぼやけてしまっている。1年間の取材というのが本作のうたい文句のようだが、今回取り上げられた東京大空襲のデータ類は、はっきり言って入門編程度のもので、新知見や深く掘り下げたものがまるでないのが残念。1時間もののクイズ番組レベルかな。 石川がライカで撮った33枚の写真は我々に何を伝えてくれるのか、我々は何を伝えていくべきなのか。アメリカ軍の無差別爆撃は何故起こったのか、その実態とは。本来はそうしたところに企図が向くのだろうが、本作では何故か、米軍の新兵器、しまいにはベトナムのナパーム弾、イラク・アフガンのクラスター爆弾批判に向かっていく。あー、やっぱりそういう方向に作りたかったんだなあ、と思わざるを得ない。 また、ルメイ将軍に司令官が替わってから無差別爆撃に切り替わったこと、戦後にルメイが日本政府から叙勲されたことなど、ルメイの行った罪について検証していくことは重要なことであるが、それが単に批判だけに終わってしまうのはもったいない。本作でも若干触れられてはいたが、ルメイは何を考えていたのか、ルメイの国際法違反命令に米兵は何故反対できなかったのか、その時アメリカ政府はどのように位置づけていたのか、米軍の無差別爆撃に日本はどのように対応したのか、と言った部分についてもっと突っ込んで欲しかった。戦時の狂気というのは、軍人や政府だけでなく、一人一人の国民の意識にも直結しているものだからだ。確かに、国民は被害者ではあるけれど、被害者意識だけでは戦争の惨劇から逃れることはできない。国民の一人一人が国体を形成していた訳であり、戦争行為とは単に善悪二元論で評価できるほど単純ではないはずだ。 ドラマ部分の映像やCGはなかなか秀逸。燃え盛る火のシーンや焼夷弾落下シーンはかなり迫力ある。画面から熱さも感じるし、圧迫感と凄惨さが十分に伝わってくる。これだけしっかりとした映像、CGで描いていたので、もっと、33枚の写真に焦点を絞ったドラマ部分だけにするか、東京大空襲のドキュメンタリーに特化するか、どちらかの方が良かったのにと思う。本作のようなドラマにインタビュー挿入形式は、どうもしっくり来ないのだ。もちろん、ドキュメンタリーにするならもっと多角的、深層的な取材は必要だろうけど。 ドラマ部分に描かれたストーリー自体は悪くないし、アメリカの無差別爆撃の再評価の契機という点では貴重な作品である。個人的にはドラマ仕立てにして欲しかった。妻と子供の遺体を見つけて慟哭する警察官のシーン。それだけで十分伝わるものはあるだろうに、どうしてもそれだけで終わらせることができなかったのだね、TBS。願わくば、他局でもう一度作り直して欲しい(笑)。 最後に、気になった点。東京大空襲の写真はほとんどないとされているけれど、本当に軍部の報道班等の写真はなかったのか。通常の軍なら戦略的資料として、記録写真を撮ることは必須業務だと思うのだが、日本軍はもはやそこまでの体力がなかったのか、またはGHQに接収されたのか?。機密保持の観点から一般人の写真撮影は禁じられているのは当然としても、軍の写真班の動向も調べてみたら面白かったんじゃないかと思った。興奮度★★沈痛度★★★★爽快度★感涙度★★★
2008年03月11日
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2000 アメリカ 監督:マーク・L・レスター出演者:アントニオ・サバタ・Jr、ジェームス・レマー、デュアン・デイヴィス、ユージ・オクモトほか97分 カラー THE BASE II /GUILTY AS CHARGEDラストソルジャー(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ラスト・ソルジャー」を探す(楽天) アメリカ陸軍内部の腐敗と軍法会議を題材に、無罪釈放となった犯罪兵士を私的処刑する謎の組織に潜入した情報部員の危機と活躍を描いたサスペンスアクション。テレビムービだが、スケール感、ストーリーともにまずまずの出来で、アクションやスリル感についても悪くない。もちろん、軍装や武器、設定などミリタリー的な点についてはつっこみ所は沢山あるようだが、あくまでも娯楽アクションとして楽しんでおきたい。 登場人物の量が少なめであること、撮影ロケ地やセットが安っぽいという点はチープ感があるが、火薬使用のポイント、格闘アクションについてはツボをおさえた良い出来。特に、ストーリーに起承転結がそれなりに設定されていて、テンポがいいのでサスペンス的なスリル感が十分持続できるのが良い。また、いかにも次弾がありそうな余韻のある締め方もいい。 欠点をあげるとすれば、格闘アクションで徒手格闘の比率が高いこと。アメリカ陸軍なのだからもっと銃撃戦を期待したいところなのだが、どうやら徒手格闘系が監督のお好みのようだ。そういう意図もあってだろうが、悪役兵士軍団の構成が黒人強力マッチョ、アジア系カンフー使い、白人ムチムチ美女というゴールデントリオが核なのだ。アジア系カンフー使いには、日系のユージ・オクモトが出演しているのが興味深いが、どうしてもこういうセットになってしまうのだな(笑)。そういえば、悪役中佐役の部屋にも脇差しとか短刀が飾られていて、監督は日本通? また、主人公が足や腕を負傷したにもかかわらず、やたら強いのもちょっと興ざめ。確かに主人公がやられてしまっては駄目なのだが、もう少し負傷に合わせた戦い方をひねって欲しかった。この他、白人美女とのSEXシーンもあるが、なんとも中途半端。脱ぐなら脱ぐ、脱がないならカットしてしまえ、と言いたい(笑)。 銃は詳しくないので良く分からないが、色々な形状の銃が登場していた。何か使い分けがあるのだろうか。精鋭隊員なのにやたら銃を乱射し、当たらないのは気になるが。 まあ、色々と突っ込みたくなる所もあるが、力を抜いて単にサスペンスアクションとして見れば結構楽しる作品だろう。B級だと思ってみると意外にいけるぞといった感じ。決して最初から期待しないように。興奮度★★★沈痛度★★★爽快度★★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) モンタナ州ヘレナ。アメリカ陸軍のラミレス上等兵らの乗ったジープがマフィアと密会する。軍からくすねてきた武器を密売しているのだ。しかし、マーフィが隠しマイクを持っているのを発見され、マフィアと銃撃戦となる。ラミレスとマーフィはトラックを奪って逃走し、追走するマフィアをバズーカ砲で撃退する。取引をお釈迦にされたラミレスはマーフィに食ってかかるが、逆に逮捕されてしまう。マーフィは潜入調査員だったのだ。 軍法会議にかけられたラミレス上等兵だったが、証拠不十分で釈放されてしまう。マーフィ中尉とハワード大佐は苦々しく思うが、こうして無罪放免になった犯罪者兵士はごまんといたのだ。 国防総省軍事情報部のグレイ准将からマーフィ中尉が呼び出される。最近、前科者の兵士が謎の失踪変死を遂げている件を調査しろと言うのだ。調査の対象となったのはフォート・チェニー基地で特殊訓練を行っているストラウス中佐で、変死体の爪から部下のグース軍曹の皮膚が検出されたのだ。マーフィ中尉はホークス軍曹としてストラウス中佐の分隊に潜入する。分隊には黒人のグース、白人のウィレッツ、アジア系のデービス、白人女性のリーの4名がいた。配属されていきなり、4人がかりの格闘訓練を挑まれる。ストラウス中佐は、軍の腐敗と弱体化を憂いていた。 同僚の女性中尉をレイプしたザック中尉が軍法会議にかけられるが、上院議員を父に持つザック中尉は無罪となる。ストラウス中佐が謎の連絡員から何かを渡されるのを目撃したホークス軍曹は、連絡員を問いつめるが、口を割る前に事故死してしまう。ストラウス中佐はホークスを除く部下にザック中尉を拉致するよう命令。拉致されたザック中尉はストラウス中佐の前で有罪判決を言い渡される。異変を感じたホークスは一行の車輌の下に潜り込み、後を追う。山林に連れ込まれたザック中尉は2分間の猶予を与えられ、森に隠された武器で戦えと命じられる。それを4名の部下が狩っていくのだ。ウィレッツが一担躊躇して取り逃がすも、ついにザック中尉は包囲される。ストラウス中佐はウィレッツに射殺を命じるが、ウィレッツは実行できず中佐が射殺する。一部始終を目撃したホークスは連絡員とコンタクトをとるが、もっと証拠を集めろと指示される。 その晩、グースとデービスがウィレッツをリンチ。止めに入ったホークスだが、結局グースがウィレッツの首を切る。リーはホークスに接近し、関係を結ぶ。リーは薬に溺れていたところを中佐に救われた恩義があるのだと語る。 ホークスはストラウス中佐のオフィスに潜入し、そこでこれまでに処刑した兵の軍識票と切り取った耳を発見する。すぐにグレイ将軍に電話して撤退許可を求めるが、さらに証拠を集めろと指示される。 次なる標的はアルベルト・ラミレス上等兵となる。前回の潜入調査で無罪となった男だ。ストラウス中佐はウィレッツのかわりにホークスを仲間に入れて行動を起こす。夜間にラミレス拉致に出かけた際、グースがラミレスの父を射殺してしまう。ストラウス中佐による有罪判決が下り、ラミレスの処刑が始まる。ホークスはラミレスに助けてやると小声で伝え、北側の地点で隠れ、生き証人としてグレイ将軍のもとへ行くよう指示する。しかし、ラミレスと落ち合っている現場をデービスに目撃されてしまう。格闘戦のすえ、デービスが手榴弾で爆死。ホークスはラミレスも死んだとストラウス中佐に報告する。 一連の黒幕の一人はハワード大佐だった。ハワード大佐は事件が露見したとして自殺。ストラウス中佐はホークスが裏切り者だったとしてグースとリーに拘束させる。他の黒幕から派遣された兵士2名を加えたストラウス中佐は、ホークスの処刑を開始。ホークスは追ってきた2名を殺して逃走するが、足に負傷をおう。さらに、リーとの一騎打ちで背後をとり、リーはホークスを逃がしてやる。それを知ったストラウス中佐はリーを射殺する。続いてグースと対決し、格闘の末グースを殺害する。基地に戻っていたストラウス中佐を追って、ホークスが詰め寄り格闘戦に。銃声を聞いたMPが駆けつけてホークスは拘束されるが、隙を見て銃を手にしたストラウス中佐を射殺する。 グレイ准将のマスコミ会見では、ストラウス中佐らの死はテロリストによるものと報道された。ストラウス中佐は軍葬扱いとなり、何事もなかったかのように取り扱われる。マーフィーは次の任務を指示されるが、軍識票を置いて去っていく。兵の失踪死は後を絶たない。
2008年03月10日
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2004 アメリカ・ドイツ・イタリア 監督:アリ・ターヴ 出演者:ジョン・マカヴォイ、トーマス・ポーン、ファヴィオ・サルトールほか 110分 カラー THE FALLENフラッグ・オブ・ソルジャーズ 勝利なき戦場(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「フラッグ・オブ・ソルジャーズ」を探す(楽天) 第二次世界大戦末期、イタリアのゴシック線防御戦における独米伊3国の軍人が織りなす、複合視点型の不思議系ヒューマンドラマ。監督は新進気鋭のアリ・ターブで、アメリカ軍補給分隊、防衛のドイツ軍歩兵小隊、支援にきたイタリア軍小隊をそれぞれの視点で、彼らの置かれた立場を並行時系列に描いていく。かなり独特な雰囲気を持つ作品だが、頻繁なシーンカットかつ登場人物の性格付けが淡泊なので、展開を追うのがやや大変で、登場人物の関係や誰なのかわからなくなることも。ストーリーは、単に戦闘シーンを描くだけでなく、彼らの日常をありのままに描いていくことにより、淡々としたヒューマンドラマの体をなす。さらに随所にコメディ的シーンも織り込まれ、シリアスなのかコメディなのか、イタリア映画とロシア映画を混ぜたような不思議な感覚だ。 本作では先の3軍の他にも、イタリアパルチザン、イタリア人マフィア、イタリア人住民など、地域に居住する人々が多数登場する。その分登場人物に割く時間は少なくなり、エピソードの掘り下げが浅くなってしまっているのだが、反面、映画の空間的広がりに臨場感を醸し出す効果をもたらしている。戦闘地域というものは単にその場で戦っている兵士だけでなく、住民やそれに関わる人々で構成されているということなのだ。普通の戦争映画では飛ばしてしまいがちな些細なエピソードを、紡ぐように組み立てているのが面白い。 本作の原題は「The Fallen」でいわゆる戦死者ということだが、本作で描きたかった主題の核はここにあるのだろう。本作における死亡確率はかなり高く、彼らの死には目的や理由がそれぞれある。意に添ったものもあれば、意に反したものもあり、お互いが偶然の繋がりによって死に直面していく。まさにここがミソであり、淡々とした死を描くことにより、戦場の不条理さ、偶発性というものを描き出しているのだろう。 本作の海外映画評の評価はかなり高め。結構低予算映画らしく、インディーズものとして評価されているらしい。マイナー映画祭とはいえ、ミラノ国際映画祭、ブルックリン国際映画祭で最優秀監督賞を受賞しているとのことで、8年の歳月をかけて製作しただけあって期待度はかなり高い。確かに、個々の映像シーンは綺麗だし、挿入される音楽や効果音は牧歌的だがかなり秀逸。軍装や兵器考証にはリエナクターの協力を得ているようで、ややマニアックさは感じるが大変興味深い。また、役者はそれぞれ米独伊人を起用し、それぞれ自国語を話すなど、映画作りに対する点ではチープ感を感じさせない。もし、もっと予算があったならばという期待度からすれば、評価されるのも頷ける。 だが、個人的には評価するのがなんとも難しい。単に映画の完成度で見た場合、主題となるテーマが捉えにくく、やや中途半端な印象を得たからだ。前半までは、アル中の軍曹に率いられたやる気のない米軍分隊、堅物のドイツ兵をおちょくるイタリア兵、イタリア兵を小馬鹿にするドイツ兵、イタリア兵を挑発して尻を出すパルチザン、米兵の体を求めるイタリア老婆やすきっ歯女など、テンポの良いコメディ調の乗りはかなり面白かったのだが、後半になって要所要所に盛り込まれるシリアスな「死」とのバランスがどうもしっくり来ない。ぶつ切りのシーンに、唐突な展開は、ある意味B級映画と紙一重であり、このアンバランスが新手の手法と言えば体裁は良いが、私個人的にはいささか消化不良だったのだ。 ただ、不思議な魅力に満ちているのも事実であり、気になったので何回か見直してみたところ、浅い性格付けの背後に細かい裏技がいくつも隠されていることに気づく。例えば、ちょっとした仕草や行動なのだが、それが後になってボディブローのように効いてくることが多い。幾多の兵士の戦死シーンも唐突で意味深なものが多いのだが、どこかのシーンでさりげなくその意味を示唆しているのだ。あえて淡泊な性格付けで表現した本作は、緻密なシナリオと編集があったことを想起させる。 登場する兵器類にはドイツ軍の8輪装甲車Sd.Kfz233に似たものと、米軍4輪軽装甲車M8グレイハウンド、M3ハーフトラックがある。いずれも実際に走行している。これらも含めた銃撃戦や着弾シーンはそこそこの出来で、迫力にこそ欠けるが悪くない。また、登場するアメリカ軍は第34歩兵師団所属の軍曹率いる補給分隊。ドイツ軍は第334歩兵師団で少尉率いる小隊?、イタリア軍は山岳師団第2連隊所属で中尉率いる小隊規模となっている。いずれも役者のほかにリエナクターが協力しているようだ。 余談だが、DVDの字幕は誤訳が目立つ。米軍中佐を大佐、イタリア軍中尉を少尉と言っているほか、装甲車を戦車など。また、連続性という点では、ドイツ兵ハンスが眉間ど真ん中を撃ち抜かれたのに、その後の死体シーンでは右にずれていたりするのはご愛敬。 本作は抽象的映画や芸術的映画ではないし、かといってリアリズムを追求したものでもない。笑える所もあるし、笑えない所もある。新手のシュールな作品とも言えるが、非常に評価に苦しむ作品であった。凡作と一言では片づけ難い不思議な魅力もあり、噛めば噛むほど味の出る、やっぱりアリ・ターブの今後に期待ということになろうか(笑)。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1944年10月4日、イタリア北部のゴシック線。連合軍の北上を阻止するドイツ軍第334歩兵師団のブロイクナー少尉の小隊が守備していた。損耗する兵力に少尉はイタリア軍の援軍を要望する。 一方、アメリカ軍は第34歩兵師団のワッツ中尉率いるC中隊が苦戦を強いられており、弾薬と無線機の補給を要望。司令部のボーエン中佐はアル中のマロン軍曹率いる補給分隊に前線への補給を命じる。部下のイタリア系サルはイタリア人マフィアのロッシーニと密売をしていたが、この出撃で約束の時間にいけなくなる。マロン軍曹らは護衛として前線復帰するパッカード伍長を加え、前線に赴いていく。途中でイタリア人避難民と遭遇するが、そこでジープが故障。マロン軍曹は車を放棄し、避難民の手押し車を徴発して徒歩で進むことにする。途中で民家を見つけて潜入すると、そこには老人と女たちが隠れていた。彼らはアメリカ軍と知ると歓迎し、女たちはアメリカ兵にすり寄っていく。パッカード伍長は老婆とセックスし、若いルーイ二等兵は若い女性フランチェスカとキスをするが、彼女がすきっ歯と知り尻すごみする。そんな所にスコットランド人を名乗るトミーが立ち寄るが、彼はドイツ軍のスパイであった。 防衛線北部32キロ地点にいたイタリア軍アルプス山岳師団第2連隊のジャン・ニーニ中尉の小隊は、ようやくブロイクナー少尉の待つ防衛線北部14キロのドイツ軍宿営地に到着する。イタリア軍のサルヴォトーレ軍曹は勇敢な男だが字が書けず、ジャンニーニ中尉は貴族的な雰囲気を持つ男だった。ドイツ軍とイタリア軍は互いに馬鹿にしあい牽制していたが、食事の分配で喧嘩に発展する。さらに、地雷の設置を教えるドイツ兵に隠語を教えてからかう始末だ。そのイタリア兵をからかうのはパルチザンで、森の中で尻を出して徴発する。 パルチザンはドイツ軍の電話線を切断し、復旧するドイツ兵を狙撃した。装甲車で捜索に出たハンスは、勲章を得ることで頭が一杯だったが、仲間のヨハンの悪ふざけで足を狙撃されてしまう。ハンスは結局足を切断する羽目に。パルチザンに困ったブロイクナー少尉はジャンニーニ中尉にパルチザン掃討を依頼するが、同胞とは戦えないと拒否され、イタリア軍は周辺偵察を受け持つことになる。その周辺偵察でイタリア軍のサルヴォトーレ軍曹、ピピーノらはパルチザンに包囲されてしまう。サルヴォトーレ軍曹は銃を捨てての撤退を選択する。 パルチザンに襲撃されたドイツ軍車輌から物資を盗んでいたロッシーニ親分ら一味はドイツ軍に捕まる。ジャンニーニ中尉はロッシーニの部下を徴兵し、イタリアをドイツに売ったと罵るロッシーニを銃殺に処す。 サルヴォトーレ軍曹と2名のイタリア兵が守る機銃陣地に、米軍のマロン軍曹の部隊が接近する。サルヴォトーレの銃撃でサルが戦死。マーフィーも親指を飛ばされる。マロン軍曹はジミーにサルの背負っていた無線機を取りにいかせ、先の大戦で臆病者とレッテルを貼られた父のことを話し、自分は臆病者にはならないと呟く。パッカード伍長は単身イタリア陣地に接近、サルヴォトーレ軍曹と目が合う。直後、アメリカ軍の装甲車が到着し、イタリア軍機銃陣地は破壊される。2名のイタリア兵は装甲車のホークス軍曹に投降するが、サルヴォトーレは直撃弾を受け瀕死状態だった。パッカード伍長が近づき、静かにサルヴォトーレの目を閉じてやる。 宿営地では再びイタリア兵とドイツ兵が喧嘩を始めるが、その隙に一人のイタリア兵がドイツ兵の銃で鹿を仕留める。「これはイタリアの鹿だ」「ドイツの銃で捕った」「イタリアで生まれた鹿だ」「今はドイツの占領地だ」とブロイクナー少尉とジャンニーニ中尉が口論するも、結局は両軍仲良く鹿肉を料理するのだった。 C中隊に弾薬と無線機を届けたマロン軍曹の一行は、帰ることを許されず攻撃に参加させられる。一方、ドイツ軍は撤退を始め、ブロイクナー少尉は第292 てき弾兵師団の撤退援護と現地死守を命じられる。ブロイクナー少尉は死を覚悟し、2名の志願者を募ったうえ、残りの兵をピアノロの第365歩兵大隊に合流するよう命じる。部下やジャンニーニ中尉らと別れを告げた少尉はヴォルフ曹長、ハンスとともに機銃を陣地に陣取る。 接近するアメリカ軍とブロイクナー少尉との銃撃戦が始まる。ハンス、ヴォルフ曹長が戦死し、ブロイクナー少尉も負傷するが、アメリカ軍のマロン軍曹、パッカード伍長も銃弾を受ける。起きあがったパッカード伍長はブロイクナー少尉を銃撃するが、そのまま自らも倒れていく。ドイツ兵3人の死体をアメリカ軍広報班が写真に納めていく。
2008年03月08日
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1941 アメリカ 監督:ハワード・ホークス出演者:ゲイリー・クーパー 、ウォルター・ブレナン、ジョーン・レスリーほか134分 モノクロ SERGEANT YORKヨーク軍曹(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ヨーク軍曹」を探す(楽天) 第一次世界大戦における実在の英雄、アメリカ陸軍アルヴィン・ヨーク軍曹(1887-1964)の伝記的映画。敬虔な信仰により良心的兵役拒否者であったヨークが、1918年10月8日のアルゴンヌ攻撃で、20名のドイツ兵を殺害、132名を捕虜にするという武勇をあげ、一躍英雄となったものである。製作年代からして、戦意高揚的企図が多分にあるが、ヨーク自身の手記を元にした小説を題材にしており、かなり史実に忠実なようだ。 ヨークはもともとテネシー州の貧しい農家の出で、放蕩息子であったが、牧師との出会いにより敬虔なクリスチャンに変貌していく。本作の前半はこの改心するヨークの様子を描いている。後半になると一転して第一次世界大戦に徴兵され、良心的兵役拒否も許されず軍に身を置くこととなる。持ち前の射撃技術によりめきめきと頭角を現していき、アルゴンヌの戦いでは先述の大功績をあげることとなる。米軍からは殊勲十字章、名誉勲章、フランス軍からは陸軍勲章を授与されている。 アメリカ国内では英雄として祭り上げられ、各界からの祝福や歓迎の式典に引きずり回されるが、第二次世界大戦硫黄島の英雄を描いた映画「父親たちの星条旗(2006)」にも通じるものがある。しかし、大きな違いは、帰国後のヨークは多くの誘惑を断り、地道にテネシーで農業普及に努めたとされる点である。実際に彼の農業研究所も存在し、遺産を管理する財団法人もあるようだ。 ヨーク自身は自伝が映画になることを敬遠していたようだが、ゲイリー・クーパーが演じるという条件で承諾したそうだ。恋人で妻となる女性グレイシー役も16歳という若いジョーン・レスリーで納得したとのこと。いささか美男美女すぎるような気はするが、本人希望の気持ちもわからないでもない(笑)。そのヨークを演じたゲイリー・クーパーはアカデミー主演男優賞を獲得。これを機に一躍著名となっていく。 伝記をもとに作製されたものとはいえ、時期が時期のため内容的には兵役美化的な匂いが強い。アメリカ人に限らず敬虔なクリスチャンにとっては、永遠の命題なのだろうが、キリストの教えの「殺人」への忌避と、友情や国家のための戦闘殺戮の矛盾にさいなまれる姿が一つの見所である。日本人のほとんどは絶対的信仰を持たないが故に、なかなか理解しがたい所だが、絶対的信仰であるクリスチャンというのは、戦闘で殺人を犯す行為に様々な理由を求め、探し求めるものだと感心する。はっきり言って、彼らの論理は詭弁や歪曲以外の何者でもないと思うのだが、殺人を絶対否定していたはずの主人公が、次の瞬間には平然と敵捕虜を殺害するあたりは、何とも言えない高慢な身勝手さを感じてしまう。それなら信仰を捨てるべきだろうと思うのだが、そうしないあたりがキリスト教国家の傲慢さなのであろう。まあ、人様の宗教なのでどうでも良いが、ストーリー展開としてはどうにも腑に落ちない感じが残る。 ヨーク軍曹が徴兵されるのは第82歩兵師団(オールアメリカン)の第328歩兵連隊第2大隊。第二次世界大戦時にはノルマンディ上陸作戦で勇名を馳せる空挺師団の前身である。フランス戦線従軍時には伍長となり、壊滅的打撃を受けた分隊を指揮し、対するドイツ軍第120、125ウュルテンベルク連隊, 第7バイエルン中隊、第210プロシア予備連隊の132名を捕虜にするのである。 その戦闘シーンは、広角のアングルを用い、エキストラの兵も多いためかなりの迫力感がある。上部に陣取るドイツ軍の機銃座からの射撃に、下方からワラワラと突撃をかけるアメリカ軍の姿はいかにも第一次大戦だ。また、銃や砲の着弾シーンも上出来で、いささかも手を抜いた風はない。なお、映画ではスプリングフィールドライフル銃が使用されているが、実際にはドイツ兵を捕らえるのにM1917エンフィールド銃を使用したそうである。 ストーリー的にはやや美化されているような気もするが、戦闘シーンや戦術という点ではなかなか興味深い作品だ。また、英雄となるのは生き残った一握りの人物であるが、その陰には多くの名もない兵士が存在しているということも忘れてはならない。ヨーク軍曹が栄誉に奢ることがないのは、せめても救いである。蛇足だが、米軍兵器に自走砲「M247 Sergeant York」という、ヨーク軍曹の名のついたものがある。興奮度★★★沈痛度★★爽快度★★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1916年春、テネシー州カンバーランド山脈の高地「狼の3本指」の谷で農業を営むヨーク家があった。ヨーク家のアルヴィン・ヨークは荒れた農地を耕す一方で、父の死後信仰を一切信じず、悪友と飲んだくれ悪事を働いていた。ヨークの母はアルヴィンの気持ちを理解しつつ、真っ当になるようパイル牧師に頼む。パイル牧師はアルヴィンと話をするが、なかなか心をつかむことは出来ない。 しかし、転機は幼馴染みの娘グレイシーと出会いから始まる。グレイシーを巡って恋敵ゼブへの対抗心から、低地の土地を手に入れようと決心する。そのために60日間必死に働くが、120ドルまで僅かに金が足りない。アルヴィンは売人トムキンズに頼んで4日間だけ待って貰う。七面鳥撃ち大会の賞金で払おうと考えたのだ。七面鳥撃ち大会では見事優勝し、商品の牛を売って金を作るが、トムキンズは既にゼブに土地を売ってしまっていた。 約束破棄に怒るアルヴィンはトムキンズを撃とうと出かけるが、途中落雷にあって銃が壊れてしまう。そして、その先にあった教会に足を踏み入れる。教会ではパイル牧師を始め、ヨーク家の家族、グレイシーらが暖かく迎え入れてくれる。アルヴィンはキリスト教の信仰に目覚めていく。 すっかり改心したアルヴィンはゼブの所へ行き、低地の土地で働かせて欲しいと願う。ゼブは嫌がらせで買った土地だから好きにして良いと言う。トムキンズの所では、先に売ったロバを安値で買い戻すことが出来た。さらに、グレイシーは土地などなくてもいいとアルヴィンとの結婚に同意してくれるのだった。 ところが、第一次世界大戦が勃発。ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告。徴兵法が成立し、志願か徴兵かが選択された。アルヴィンは教義に従い、良心的兵役拒否をするため、徴兵免除を申請するも却下され、結局招集されてしまう。 第82師団に招集されたアルヴィンは、ゴードン野営地でキャンプが始まる。良心的兵役拒否者として上官から目を付けられたアルヴィンだったが、射撃訓練の際に群を抜いた成績で、逆にバクストン少佐、ダンスフォース大尉、パーソンズ軍曹から、射撃の特別教官(伍長)就任を推薦される。アルヴィンは殺人への加担を拒否するため、これを辞退しようとするが、少佐や大尉から聖書の教義と自由獲得の戦いについて考えるため、10日間の休暇を貰う。 地元に戻ったアルヴィンは「シーザーのものはシーザーのもの。神のものではない」と悟り、軍に残って国家のために闘うことを決意する。 1918年10月8日、アルヴィンの部隊はフランスアルゴンヌにあった。ドイツ軍はデコヴィル鉄道で弾薬補給を行っており、アルヴィンの部隊は鉄道分断の任務を言い渡される。しかし、ドイツ軍の機銃座により、部隊は壊滅的な被害を受ける。そこで、ヨークを含む分隊がドイツ軍の背後へ回って攻撃するよう命じられる。分隊は見事ドイツ軍の背後を取り、一部のドイツ兵を捕虜にするが、一瞬の隙をついてドイツ軍の機銃射撃を受ける。残った兵はたった8名であり、アルヴィンは単身ドイツ軍銃座に忍び寄る。鳥撃ちと同様に一番後から順に射撃し、ドイツ軍機銃座のドイツ兵を倒していく。ついに、全ての銃座を支配し、大量のドイツ兵を捕虜にする。しかし、親友のロスが捕虜の投げた手榴弾で死亡。アルヴィンは犯人を見つけ容赦なく射殺する。 たった8名で多くの捕虜を連行していく途中に、再びドイツ軍の兵と遭遇。アルヴィンはドイツ軍士官に命じて投降するよう説得させる。その結果、132名のドイツ兵が捕虜となり、たった8名のアルヴィンらによって連行されることとなる。 この信じられない功績により、アルヴィンは殊勲十字章、名誉勲章を授与され、本国で圧倒的な歓迎を受ける。少将からの問いで、殺人を否定していたはずのアルヴィンの心変わりについて、仲間が殺されるのを防ぐためだと答える。 アルヴィンは数々の招待やCM出演が舞い込む中、それらを断り、テネシーの実家に戻る。テネシーではグレイシーが待っており、あの低地にはテネシー州の人々の寄付で立派な住居が建てられていた。
2008年03月06日
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1981 オーストラリア・台湾 監督:ティム・バーストール 出演者:メル・ギブソン、ジョン・フィリップ・ロー、サム・ニール、シルヴィア・チャンほか 93分 カラー ATTACK FORCE Z / THE Z MEN 第二次世界大戦時、実在したオーストラリア軍のZ特殊部隊の活躍を描いたアクション映画。若きメル・ギブソン出演で、オーストラリアと台湾の合作という異色作。 Z特殊部隊とは、シンガポールから撤退したイギリス軍特殊部隊員を核に、オランダ(蘭印軍)兵、ニュージーランド海軍兵、オーストラリア兵などによって 1942年に組織され、日本軍施設の破壊工作などの特殊ミッションに従事している。オーストラリアを拠点として訓練され、284の作戦を実行したとされる。特に、1943年のシンガポールへのカヌー上陸作戦(Jaywick Raid)、 1944年のリモー奇襲作戦(Rimau Raid)が良く知られており、リモー奇襲作戦では施設爆破に成功したものの、23名全員が戦死している。 本作は、「遂行された作戦の忠実な報告である」とされてはいるが、その事実関係については不明である。作戦は日本軍が占領する島に不時着した米軍機の生存者を、5名のZ特殊部隊がカヌーで上陸し、現地住民ゲリラと協力して救出送還するというもの。時は1945 年1月10日、場所は日本軍が占領するインドネシアのサンパラン海峡付近の島だが、何故か島民はみな中国人という設定。なんとも怪しげな設定なのだが、実際、本作のストーリー自体あまり登場人物の性格付けがなされておらず、アクション重視なので、史実かどうかは二の次なのだ。284のミッションのうち、面白そうなのを適当に見繕って仕上げたのではないだろうか。 アクションシーンにしても、銃撃戦やナイフ格闘シーンがしばしば登場するが、かなりチープな部類。銃器にしてもかなりいい加減で、なんだか色々な銃が登場する。また、戦闘では日本軍の弱いこと弱いこと。数少ない素人中国人住民と互角以下の銃撃戦を繰り広げ、たった5人のZ部隊に殺戮される。メル・ギブソンはZ特殊部隊のリーダー役だが、今ひとつ存在感なし。むしろ、抗日ゲリラの中国人が主役級の活躍。ヒロイン役の中国人女性チェン・ホア役はシルヴィア・チャンで、本作中ではかなり目立った存在。 日本兵は台湾人が演じているようで、動きや会話が変。陸軍大佐役の役者は実際に流暢な日本語を話しているが、その他の兵は不気味なかけ声に怪しい日本語。ただ、重要な会話のシーンは綺麗な日本語吹き替えになっており、日本語ビデオ版用に吹き替えられたのであろうか。なお、日本兵はかなり悪役に作られており、大佐がやや人情的な会話をするシーンもあるが、全般には悪玉。ただ、気になるのはZ特殊部隊の素行。ヒーロー扱いのZ特殊部隊員の活躍は何気なく見てしまうが、良く見ると死んだ日本兵の遺体を足蹴りにしたり、傷ついた仲間を足手まといだと射殺したり、丸腰の中国人民間人を口封じに殺害するなど、日本軍以上に戦犯級犯罪行為を行っているのだ。日本軍がZ特殊部隊に懸賞金を賭けているとされているが、ほとんど無法者といった印象だ。 ほとんどが島内での銃撃戦なので、あまり兵器類は登場しないが、特筆できるのは、映画冒頭にカヌーを発進させる潜水艦が出てくる。これは、オーストラリア海軍のOberon(Oxley) class潜水艦のようだ。本作のほとんどが台湾ロケとされるが、このシーンはオーストラリア海軍の協力を得たのだろう。 せっかく、オーストラリア軍の数少ない戦史的映画なのだが、内容、映像ともにかなりの駄作。メル・ギブソンも全然目立たないし、どっちかというと抗日中国映画を見ているような印象だった。 余談だが、翌年日本とオーストラリアの合作で「南十字星The Southern Cross(1982)」というZ特殊部隊のジェイウィック作戦を題材にした映画も製作されている。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 「Z特殊部隊とは、オーストラリアの軍秘密部隊である。マッカーサーの直接指揮下に同盟国側の志願兵が集結。Z特殊部隊は太平洋で284の作戦に従事。有名なのは「クレイト」からシンガポール湾へのカヌー上陸作戦と23名の死者を出したリモー作戦である。本フィルムは遂行された作戦の忠実な報告である。 ジョン・R・ガードナー」 1945年1月10日太平洋南西、サンパラン海峡。オーストラリア軍ケリー大尉率いる5名のZ特殊部隊員が2隻のカヌーに搭乗し、潜水艦から発進していく。ケリー大尉のほかは、オランダ陸軍のヴェイチ中尉、オーストラリア軍のコステロ軍曹、ニュージーランド海軍のキング中尉、イギリス海軍のバード二等兵の混成部隊だ。日本軍が支配する島に上陸してすぐ、日本軍の監視所からの攻撃でキング中尉が負傷する。ケリー大尉らはすぐに日本軍を撃退するも、足を負傷したキング中尉が足手まといと判断、射殺する。 内陸に進み、住民の中国人を捕まえて日本軍の動向を探る。ヴェイチ中尉は口封じのためその中国人を射殺する。さらに進み、一軒の中国家屋を発見し、潜入する。そこには若い女性チェン・ホアと3人の子供がいた。そこに日本軍の軍曹と一等兵数人がやってきたため、ケリー大尉らは射殺する。そこに、チェン・ホアの父リンが戻ってくる。リンは日本兵を極度に嫌い、レジスタンスの指導者でもあった。 ケリー大尉はようやく任務が島に墜落した米軍機の生存者確保であることをあかす。リンの道案内でケリー大尉らは墜落現場へ進み始める。途中で日本軍の部隊に遭遇。「本日は母の命日なので、寺へおまいりに行ってもよろしいでしょうか」と寺に行った日本兵殺害を皮切りに壊滅させる。うち、ヴェイチ中尉だけが生存兵を追いかけて行ってしまう。ケリー大尉ら3名とリンは墜落機の見える場所まで行くが、目の前で飛行機が爆破されてしまう。レジスタンスの仕業のようだった。 日本兵殺害事件を受けて、日本軍大佐は島の中国人に尋問を始める。チェン・ホアに父や特殊部隊の行方を聞き出そうとするが、口を割らないため熱湯に手を入れさせる。見かねた子供が日本軍の行方を教えるが、実はそれは大嘘であった。日本兵の去ったあと、ヴェイチ中尉はチェン・ホアに米軍機の生存者はビンタンに匿われていると聞かされ、ともにビンタンへ急ぐ。二人は次第に恋心を抱き始め、ヴェイチ中尉らZ特殊部隊には日本軍の懸賞金が賭けられていることを知る。 ケリー大尉らはリンからビンタンに生存者がいることを聞き出し、道を急ぐ。ビンタンにはヴェイチ中尉とリンが先に到着し、生存者とは米政府のエイルズとロンドン大使館付武官の今口という二人であることを知る。今口は裏切り者であり、アメリカ政府にとって重要な人物だったのだ。ヴェイチ中尉とリンは床を共にする仲に。 ようやくケリー大尉らが到着し、二人の生存者を潜水艦に護送することとするが、中国人レジスタンスの協力が必要だった。島に残っても日本軍の拷問が待っており、中国人らはZ特殊部隊に協力して戦うことを選択する。日本軍は海岸でカヌーを発見し、防備を固める。 負傷している今口を担架に乗せ、ケリー大尉らは海岸に急ぐ。海岸線に至るまでにコステロ軍曹、さらに米政府のエイルズが死亡。ヴェイチ中尉はチェン・ホアの事を思い島に残ることを決意して内陸に戻っていく。一方、内陸部ではリンらレジスタンスが、祭りに乗じて日本軍を攻撃する。しかし、数に勝る日本軍が次第に攻勢を強め、リンが死亡、助けにきたヴェイチ中尉も撃たれて死亡する。泣き崩れるチェン・ホア。 海岸では日本軍の機銃陣地を捨て身の攻撃で破壊したバード二等兵が戦死。ただ一人生き残ったケリー大尉は今口を船に乗せて出発する。しかし、担架の毛布をめくってみると今口の胸には銃弾の跡があり、すでに事切れていた。
2008年03月04日
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2008 アスミック・エース 監督:小泉堯史出演者:藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックイーン、富司純子、蒼井優ほか110分 カラー 早速見てまいりました。さっぱりした作りでしたが、なかなか良かったですね。ただ、客層が高齢(5、60台)でマナーが悪かったのが残念です。おしゃべり、携帯、いびきなど・・・。この映画観て何思うのだろう・・・。 名古屋無差別空襲で撃墜されたB-29搭乗米兵を処刑した罪で、B級戦犯として絞首刑となった第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将の「法戦」を巡る秘話を描いたヒューマンドラマ。原作は大岡昇平の「ながい旅」で、部下を守りリーダーとして一人絞首刑になることを「本望である」と受け入れつつ、米軍の非人道的無差別爆撃が国際法違反であることを主張した、戦勝国による一方的な裁判と闘った男のノンフィクションである。映画化にあたり主演の藤田まことは、実在の人物を演じることに悩んだということだが、本作では見事岡田中将になりきったかのような名演技を魅せた。 この手の作品は「戦争美化」だとか、「日本の戦争責任の回避」だとか、「右傾化を増長する」といった論評を受けやすいものだが、もし本作を見て本当にそう思うのであれば、非常に残念なことだ。 本作は、確かに軍事裁判を題材にし、岡田中将の法戦を描いたものではあるが、その内容の是非は主眼ではない。この世に生を受けた人間としてあるべき道の一つの実践例を示すものであり、岡田中将の人格や思想信条を正すものでもない。そこには岡田中将の人間としての尊厳、そして実践に対しての尊敬の念のみが存在する。人間の尊厳は、法や社会体制、さらには時の価値観に勝るものであり、移ろいゆく時代の流れの中においてでも、決して変わる事のない人間の原点である。本作において、人間としての尊厳を守ろうとする岡田中将に尊敬の念を感じることが出来れば、それで十分なのだろうと思う。本作において、たとえ製作者にそれ以上の企図がたとえあったとしても、その比重ははるかに低いものとなっている。 尊敬は信奉とは違う。決して彼の行動や言論をそのまま受け入れるというのではない。人間が存在する以上争いは絶えない。人間が人間を裁く以上完全なる公平は不可能である。善悪の二元論、唯物史観に毒された我々の視点で見れば、岡田中将の取った行動、軍事裁判そのものに対して、一つ一つの是非の論争があるだろう。しかし、人の価値観が多様である以上、結論付けること自体無理であり、法による線引きは人間の尊厳を包含することなどできはしない。 岡田中将は米軍の無差別爆撃を国際法違反と主張し、米兵殺害を米軍規定にある「報復」ではなく「処罰」と言い切る。彼が「法戦」と位置付けるこの裁判だが、彼自身多くの矛盾が存在することを感じていたであろう。国際法違反かどうか、軍規違反かどうかの論点は、裁判上重要な論点となるが、違反でなければ何でも良いのかという矛盾がある。名古屋空襲で多くの犠牲を出した国民の気持ちの代弁者として、戦時の軍人として責務を共有した責任者として、人として彼が背負うものは非常に大きい。裁判で勝てばいい、白黒がつけばいいというものではなく、それ以前に人として伝えるべき、信ずるべきものがあるのだ。命を賭してまっとうする姿に、人として尊敬の念を抱くのだ。 その対比には、平然と寝返る戦後法務局の元軍人、自己責任を回避しようとする軍幹部がある。戦後多くの国民が責任を回避し、他人に責任を押し付けてきた。戦争責任は個人に帰結するものではなく、世論を形成した国民全員で負うべきものではなかったか。生活が苦しいのも、社会が不安なのも、全て役所や政治家のせいにしてしまう、現代への警鐘のような気がした。 岡田中将の姿を理想の上司、リーダーと論じる声も聞こえる。だが、間違ってはいけないのは、この上司と部下の間には全幅の信頼がなければならない。上司の命令は絶対であり、上司は部下の行動に全責任を負う。もはや、個人主義が闊歩する現代において、我々には到底なしえない姿なのかもしれない。 映画としては、ややインパクトに欠ける。ノンフィクション母体ということもあるのだが、法廷シーンと収監シーンがほとんどで、面白みや娯楽性はかなり低い。随時、竹野内豊のナレーションで解説は入るが、軍事裁判の背景や国際法などの知識は最低限必要となる。そういう意味で、テレビドラマ的なチープさを感じてしまう。個人的には名古屋空襲や列車への機銃掃射シーンの映像があったほうが良かったかとも感じたが、あえてそういうシーンを入れないことで恣意的な感情を排除し、岡田中将の心に集中させたのだとすれば、それもありかとも思う。娯楽性を求める人にとっては、退屈に感じるだろう。 本作の大部分は裁判シーンではあるが、実際の裁判内容を映画に置き換えるにはやや時間が足りない。だが、戦犯容疑の是非を問う映画ではないとすれば、それで十分だろう。岡田中将の人間性を表すシーンも適度だった。心情に深入りしすぎず、数少ない言葉によって、人としての生きかたを自分自身に照らし合わせることができる余裕を持たせてあるのが良い。カメラワークも動きが少ないが、淡白に見えるこの作り方は、視聴者に考えさせ、余韻を残すうえで効果的だったと言える。 感涙したシーンとしては、敵対する立場のバーネット検察官との会釈シーン、フェザーストーン弁護人と傍聴席の家族との交流シーン、岡田中将の裁判委員長ラップ大佐への感謝の言葉シーン。いずれも、敵国米国人との交流シーンだが、そこには全てのしがらみを越えての、人としての尊厳がある。結果として絞首刑を宣告せざるを得ないが、後にバーネット検察官が減刑嘆願を出した事でわかるように、人である以上、法律解釈では片付けることのできない気持ちは世界共通であることに、安堵した。 その3人のアメリカ人を演じた役者の演技は見事だった。なかなか難しいであろう顔の表情で、言葉の奥にあるものを演じ切っており、藤田まこと以上とも言える存在感を醸し出していた。 人はその場その場の立場環境で、多くのしがらみに縛られる。そのしがらみや法律、規範に縛られながらも、人は人としての尊厳を持って生きていかねばならない。現代社会では、法令や白黒をつけたがるマスコミ等の世論によって、監視型社会になりつつある。だが、その前に人としての尊厳を忘れてはいまいか、そう岡田中将が語っているように思えてならなかった。追記:比較映画として「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア(2005独)」を見ると興味深い。こちらはドイツのニュルンベルグ裁判で軍需相シュペーアの裁判を描いたもので、ドイツ人の戦争に対する考え方や軍事裁判への対応がこうも違うものかと感じる。特に、ゲーリング等の判決後の姿勢に、本作の岡田中将のような礼節や尊厳というものがまるで感じられないのは、やはり日本人には礼と義理を重んじる特性があるのだと再認識できる。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★★★感涙度★★★★★
2008年03月02日
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2006 アルジェリア・フランス・モロッコ・ベルギー 監督:ラシッド・ブシャール 出演:ジャメル・ドゥブーズ、サミー・ナセリほか 119分 カラー INDIGENES DAYS OF GLORYデイズ・オブ・グローリー DVD検索「デイズ・オブ・グローリー」を探す(楽天) フランスで大好評を博した、第二次世界大戦時のフランス領アルジェリア兵の悲劇を描いたシリアス系戦争映画。フランスをドイツから解放するため、立ち上がったアルジェリア人ベルベト族義勇兵が、命を賭して最前線を戦い抜いていくが、昇任、待遇の差別に、次第にその意義に疑問を感じ始めるという、ヒューマンドラマでもある。2006年、アカデミー賞ノミネートもされた作品で、ストーリー的、映像的、社会風刺的にも完成度の高い作品となっている。 アフリカ北部のアルジェリアは1962年にフランス植民地から独立を果たしたが、1830年来のフランス植民地化という長い歴史から、フランス人としての意識の強いアルジェリア人も多いなど、単に植民地からの解放という単純なものではなかった。1950年代には独立を巡ってアルジェリア戦争が勃発したのだが、本作はその原因とも言える、フランス人のアルジェリア人差別、アルジェリア人の出自・帰属の混乱というものを色濃く出した名作である。 植民地からの解放と言えば、通常は宗主国への強烈な批判と憎悪に尽きるのだが、本作に登場するアルジェリア人にはそうしたものはない。むしろ、アルジェリアがフランスの一部であり、自身がフランスを本国と認識しているのである。母国フランスの自由を取り戻すため、見たこともないフランスの地に渡って、戦闘に命を捧げるアルジェリア兵の姿は、なかなか理解しがたい。フランス人に利用され、洗脳された哀れなアルジェリア人と言ってしまえば簡単だが、その根底にはもっと複雑なものが垣間見える。文明、社会的地位といった栄光に惹かれながらも、自身のあるべき姿との葛藤に悩む原住民の姿でもある。フランス人女性に手を出せば死罪、フランス国内での略奪は厳禁など、侮蔑されながらも、下士官への昇格、フランス人になることを夢見ていくのだ。それが儚い夢であることも知らず。 現在、フランスではアルジェリア、モロッコ系移民の貧困層が社会問題にもなっているが、フランスが国内に内包する差別や、犯罪の根源にはフランスの犯した植民地政策があると言っても過言ではないだろう。フランスが触れられたくない恥部を、本作は見事にさらけ出していると言っても良い。 映画の最後にテロップが流れる。1959年、アルジェリア独立を前にフランスは現地兵の恩給を凍結。係争の末、2002年満額支給を決めるも、後継政府は支給を延期。フランスが抱える差別の問題は今なお続いているのだ。 本作の監督はラシッド・ブシャールで、アルジェリア系フランス人である。役者の多くも移民系フランス人で、必ずしも刺々しいアルジェリアからの告発といったものではない。しかし、彼らはフランスに生まれ育った環境の中で、少なからず差別を感じてきたことだろう。本作の前半は、フランス万歳的な違和感のある内容であったが、それは後半への伏線であった。監督、役者からにじみ出す、アルジェリア人同胞への呼びかけのようなものを感じる。決して、反体制的なものではないが、十分に心に打つものがある。 映画の舞台はアルジェリア、モロッコ、イタリア、フランスと大戦の進行とともに移り変わる。撮影は主にモロッコで行われたようだが、暑い砂漠、厳寒の山岳などなかなかリアルに描写されている。主人公らアルジェリア兵が所属するのは、第七アルジェリア歩兵連隊で、イタリア戦線では連合軍第五軍(クラーク)麾下のフランス派遣軍(軍団)アルジェリア第3師団に属する。フランス自由軍と言っても、ほとんどが植民地召集兵であり、指揮官はフランス人のみとなっている。アルジェリア兵は下士官にすらなれないのが実態だ。 本作のストーリー自体はフィクションとされているが、転戦の様子はかなり史実に沿っているようだ。イタリア戦線は1944年5月のモンテ・カッシーノ攻防戦と思われ、モンテ・カッシーノ要塞南西のアウルンチ山脈を昔ながらの人海戦術で突破したのがアルジェリア部隊である。本作でも、山上のドイツ軍陣地に肉弾突撃する姿が描かれている。また、フランス戦線では1944年10月以降のドラーグン作戦を題材にしていると思われ、ローヌ渓谷、ヴォージュ山脈で激戦が描かれている。アルザスでは米軍第37部隊の救援と出てくるが、第4機甲師団の第37戦車大隊のことだろうか。不明。登場人物やエピソードはフィクションとしても、実際にアルジェリア兵が辿った苦戦の道を知ることが出来る。 戦闘シーンは激しくはないが、銃撃戦などはそれなりにリアル。砲弾炸裂の爆薬使用量もなかなかだし、ドイツ軍との市街戦シーンは秀逸。多彩な銃器類も登場し、狙撃ライフル、機関銃などが各所できちんと使い分けられている。パンツァーシュレックも登場する。車両類はトラックとジープのみで、戦闘機編隊はCG。 多くの戦場を扱ったため、急ぎ足の感はあるが、ヒューマンドラマを十分に包括しながら、戦争映画としも見応えがある。ただ、前半部分が特に急ぎ足で、フランス植民地下のアルジェリアの立場、フランス兵として立ち上がるアルジェリア人の心境といった部分の解説がそぎ落ちてしまっているので、外国の人間にとっては若干理解しずらい部分があるような気はする。 とはいえ、これだけの社会問題を風刺しつつ、ストーリーとしてもヒューマンドラマとしても、本作はきれいにまとめてきている。 3rd Algerian Infantry Division 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1943 年のフランス領アルジェリア。貧民階級ベルベト族の若者サイードは、フランス本国をドイツ軍から救うために、母親の制止を振り切って義勇軍に志願する。「山の民」「ベルベト族の雄」として、彼らはモロッコに移動し、訓練を受ける。文字の読み書きが出来るアブデルカデは兵長として取り立てられ、中には金を稼ぐために兄弟で志願したヤシール(兄)、ラルビ(弟)兄弟もいた。 1944年イタリアに赴き、アブデルカデ兵長、ルルー兵長以下は第七アルジェリア歩兵連隊として、フランス人のマルチネス伍長の指揮下に入る。そこで、メスードは射撃のうまさを買われて狙撃手に、サイードは手榴弾の操作を誤って伍長に殴られる。 いよいよ実戦の時が迫り、連隊は山上のドイツ軍に向かって突撃を開始。降りかかる砲弾と機銃に、仲間がバタバタと倒れる。アブデルカデは恐れをなして動けずにいたが、部下が直撃弾で戦死したのを見て、気を取り直して突進する。サイードは機銃陣地を手榴弾で粉砕、さらに危ないところをマルチネス伍長に助けられる。 激戦を制したアルジェリア部隊だったが、フランス兵との待遇には温度差があった。休暇も昇格もなく、食料のトマトすら公平に分配されなかった。怒ったアブデルカデは伍長に食ってかかり、フランス人大尉の取りなしでトマトが分配される。 1944年8月フランスのプロヴァンス地方に上陸。街ではフランス人が歓迎を示す。メスードは禁じられていたフランス人女性イレーヌと恋に落ちる。ラルビは教会で金を盗もうとするが、兄のヤシールに制止される。サイードは文盲だったため、アブデルカデは軍紀に基づいて学習を伍長に進言するが、サイード自身が無理だと断る。 1944年10月ローヌ渓谷。サイードはマルチネス伍長にかわいがられ、従卒に取り立てられるが、仲間内からは「アイーシャ(女)」と呼ばれ、馬鹿にされる。アブデルカデはサイードに頑張れば大佐にだってなれると励ます。 1944年11月ヴォージュ山脈。厳しい寒さの中、激戦が繰り広げられ、アブデルカデは伍長の命令に背いて攻撃する。伍長はおまえに指揮は無理だと叱責される。たこつぼの中で寒さに震えるアルジェリア兵にドイツ軍の宣伝ビラが落ちる。「哀れなムスリムよ、フランスから逃げ出すのだ。」という趣旨に、アブデルカデは「フランスのために戦うのだ」と叫ぶ。ようやくアルジェリア兵にも休暇が訪れる。 マルチネスは軍曹に、ルルーは伍長に昇格する。マルチネスは大尉にアルジェリア兵にも昇格をと進言するが、認められない。サイードはマルチネス軍曹のポケットにアルジェリア系の母親の写真を見つける。軍曹もまたアルジェリア系だったのだ。軍曹は「二度とそのことを言うな」とサイードを突き飛ばす。 夜の娯楽ショーはバレエだった。楽しむフランス人をよそに、アルジェリア兵は皆つまらなそうに退場していく。外でアブデルカデは「我らにも自由と平等を。同胞と認めろ。」と気勢をあげる。制止に入ったマルチネス軍曹と喧嘩となり、営巣に入れられてしまう。また、イレーヌから手紙が届かないことを心配したメスードはマルセイユに向かう途中に逮捕される。イレーヌへの手紙は検閲で止められていたのだ。 大佐と大尉はアルザスで苦境に陥っている米軍第37部隊を支援するため、危険な先発隊に志願することを条件に、アブデルカデを放免する。「成功すれば行賞を与える」と言われ、アブデルカデは張り切る。 しかし、山中のトラップで先発隊の大尉らフランス兵、ラルビが戦死し、マルチネス軍曹も瀕死の重傷を負う。指揮はアブデルカデに任され、任務遂行か退却かの決断を問われる。アルジェリア兵の手柄を優先したアブデルカデは任務遂行を勧める。 アルザスの街はすでに兵の姿はなく、少数の住民がいるだけだった。アブデルカデは数少ない部下とともに街を死守することを決意する。 いよいよ、ドイツ軍の小隊が街にやってくる。アブデルカデらは反撃を開始するが、ますメスードがパンツァーシュレックで戦死。マルチネス軍曹を助けに言ったサイードもまた軍曹とともにパンツァーシュレックで戦死。残ったヤシールとともに退却を開始するが、ヤシールも戦死する。一人残ったアブデルカデは追いつめられるが、そこに友軍の本隊がやってくる。 アブデルカデはジープに乗った大佐に話しかけようとする。しかし、無視され、他の伍長の指揮下に入らされる。(以下略)
2008年02月26日
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2004 イラン 監督:カゼム・マ・アスーミ 出演者:ハミッド・ファラネシャド、ホセイン・マハジョウブ、アリ・アーマディ ほか 76分 カラー LEFT FOOT FORWARD ON THE BEATクリミナル・トレンチ-地獄の塹壕- DVD検索「クリミナル・トレンチ」を探す(楽天) イランが製作した映画と言うだけでレアな作品だが、本作は1980年から1988年にかけて勃発したイラン・イラク戦争を題材にした、ヒューマン系シリアス戦争映画である。製作経緯等は良くわからないが、世界的に孤立するイランの映画事情を知るうえで、なかなか興味深い。国策面等から映画に対する検閲もあるそうだが、本作は戦争に対する厭戦的な内容も含まれていたり、当時の軍首脳部の無能さを示唆するシーンもあったりと、厳しい検閲という印象はない。 イラン・イラク戦争は1980年9月22日のイラク側からの奇襲に始まり、1988年8月に和平停戦が引かれるまで行われた戦争である。単にイラン・イラク両国だけでなく、直接、間接的に中東、ヨーロッパ、アメリカの国々が関与した複雑な戦争であった。イランは1979年にホメイニ師のもとイスラム革命が成立し、イスラムテロの活性化を危惧したヨーロッパ、アメリカ、ソヴィエト、クウェート等がイラクを支援した。一方孤立無援に見えたイランだったが、現在も蜜月な関係を持つ北朝鮮が兵士・武器を供与し、イスラエル、リビア、シリアといった国が武器供与を果たした。 一説には両国で150万人以上の戦死者が出るなど、近代戦としては異例の死者数を誇った。その戦闘の多くは砲撃、無差別空爆、砂漠での塹壕戦であり、壮絶なものであったと想像できる。 本作は、劇中に「メフラーンの解放」という言葉が出てくることから、1983年8月の第3次ヴァル・ファジール作戦当たりを題材にしているものと思われる。ここは、イラク国境近くのイラン領で、開戦後イラクが占領を続けていた街で、近郊の高地では塹壕戦が繰り広げられたことで知られる。 シリアスな戦争ドラマだが、何と登場人物はたった4人。しかも、ロケ地は塹壕のみという、超お手軽作品だ。資金的にはかなり安価に仕上がっていると思われるが、意外にチープさは感じない。映画の主眼に置かれているのは、イラン兵の戦場心理とその変化である。イラク軍の砲撃から生き残った隊長(少佐クラス?)と二人の兵卒の問答が、かなり長時間にわたって繰り広げられる。やや眠たさを催すような会話だが、職業軍人である隊長の使命感、死の恐怖と戦闘の無意味さに狂乱する兵、その仲立ちを果たす兵。その会話の背景には、言葉とは裏腹な兵士の深層心理が見え隠れする。後半の劇的な展開も、全て前半部が伏線となっている。それぞれの兵士の心情変化が、心痛いまでに伝わってくる。 そして、たった一人敵国イラク兵も登場する。決して憎き敵国兵という描き方ではない。いささかベタなストーリーだとはいえ、ここまでの戦場心理描写を描けるとは、イラン映画も捨てたものではないと唸らされる。それも、激しい消耗戦を戦った記憶が新しいからなのだろうか。 全てのシーンが塹壕なのだが、イラクとイランが対峙する塹壕中間点に、廃棄された車輌が映っている。一台はアメリカ製M4シャーマン戦車。もう一台はソヴィエト製BMP-1歩兵戦闘車らしきものが登場する。このあたり、西側、東側陣営が入り乱れる複雑な戦争であったことを感じさせる。銃撃戦はほんの1回のみ。あとは迫撃砲着弾がちょっとだけと、戦争映画らしい激しさはほとんどない。それでも、いかにも戦場らしく感じるのは、圧迫感のある塹壕と、乾燥している砂漠の苦しさが良く出ているからだろう。 音楽はやや耳慣れないタイプ。中東風とまではいかないが、新鮮だ。役者はなかなかの演技派で、やや絶叫がうるさく感じられるが、若い兵士の「左足よ 出てこい!」と繰り返し叫ぶシーンは実に印象的。全般的にはアメリカ映画風の印象を受ける。 イラン映画という特別な特徴も感じられないが、失礼ながら、イランでもこうしたまともなヒューマン系ドラマを作ることが出来るのだ、と感銘を受けた。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イラク軍と対峙するイラン軍の塹壕。足を負傷した若き兵卒メヘラン、その隊長ヤーヤ。部隊からはぐれた中年兵卒ハーフェスの3名がいた。メヘランは足を負傷し、死への恐怖に絶叫し、部隊を全滅に追いやったヤーヤ隊長を責め立てる。ハーフェスはそれをなだめるが、ヤーヤ隊長はそれに怒ることもなく、静かに任務に従事する。 いつイラク軍が攻めてくるかと言う緊張感の中、ヤーヤ隊長は死んだ兵隊の死体を集めて埋め、軍識票を集める。軍の命令とはいえ、大勢の部下を殺してしまった自責の念を感じているのだ。 メヘランは傷のために意識を失う。ヤーヤ隊長は壊疽を起こしたメヘランの足を切断する。意識が戻ったメヘランは激怒し、足を返せと絶叫する。ハーフェスは命があるだけましだと説得し、ヤーヤ隊長も生かすためだと答える。 そんな矢先、イラク軍塹壕から白旗とともに一人の兵がやってくる。中間地帯にある水を汲むためだ。銃を構えるヤーヤの脇をハーフェスも水筒をつ携えて水場に行く。ハーフェスとイラク兵は言葉を交わし、戻ってくる。水を得たハーフェスとメヘランは大喜びだが、ヤーヤ隊長は水筒を3つしか持っていかなかったことで、こちらの兵員数がばれてしまったと、怒る。 ハーフェスは危険も顧みず、再び沢山の水筒を持って水場に行く。イラク兵に撃たれることなく帰還する。今度はイラク兵が水場にやってくる。その時、迫撃砲弾が付近に弾着する。ヤーヤ隊長はイラク軍にこちらの位置が知れたと判断し、水場にいたイラク兵を狙撃する。 ヤーヤ隊長がイラク兵を撃ったことを知った、メヘランとハーフェスは激怒する。迫撃砲弾は流れ弾だったのだ。ヤーヤ隊長は二人に本隊に戻れと言い残し、単身イラク軍陣地に赴いていく。死ぬ気だと悟ったメヘランは隊長を呼ぶが、戻ってこない。 イラク軍陣地はもぬけの殻だった。実はイラク兵はたった一人だったのだ。小屋の中で瀕死のイラク兵を見つけたヤーヤは彼が手に握った手榴弾を見つける。ついに、息絶えたイラク兵とともにヤーヤ隊長は自爆する。塹壕内の無線が告げる「作戦は成功した。メフラーンの街は開放された!」
2008年02月23日
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2001 ロシア・日本 監督:アレクサンドル・ソクーロフ出演者: レオニード・モズゴヴォイ、マリヤ・クズネツォーワ、ナターリヤ・ニクレンコ、セルゲイ・ラジュークほか94分 カラー TELETS TAURUS 渋谷の映画館で上映していました。昭和天皇を描いた「太陽」がなかなかの傑作だったので、是非とも観たいと思っておりました。ちょっと局部的な描写でしたが、ソヴィエトの歴史を背後に想像しながら観ると、唸らされるものがありました。そのうちDVDにもなるでしょうね。太陽 ソクーロフ 独自の映像観で奇才とも呼ぶべきソクーロフ監督の、歴史人物シリーズ3部作「モレク神(ヒトラー)」と「太陽(昭和天皇)」の間に制作された2作目作品。「太陽」では日本人監督が描けないような昭和天皇をストレートかつ繊細に描いて見せた。このレーニンでは全盛期ではなく、半身麻痺で病床についた後、つまり権力を失った晩年の姿を題材に据えている。 言うまでもなく、レーニンはボリシェビキの中核的指導者であり、旧ソヴィエト連邦の産みの親でもある。マルクス主義に傾倒し、労働者の階級闘争から社会主義政治闘争を試み、暴力革命を推し進めた。ロシア革命後はロシア共産党の代表として、ソヴィエト政権の権力を得るに至り、強引とも言える土地の没収や言論等の自由を制限していく。1918年、レーニンは狙撃されて体の具合を悪くする。そこから階段を転げ落ちるように半身麻痺、脳障害などを病み、一気に権力の座をスターリンに奪われてしまうのだ。1924年に死去するのだが、本作は1923年前後を描いているものと思われる。 ソクーロフ監督が何故レーニンの晩年を題材に選んだのか。どうせなら、躍進著しい若きレーニンの活躍、さらには政友であり政敵であったスターリンとの確執など、題材としてはずっと面白いものがあるのだが。監督のコメントを見る限り、レーニンを不幸の者、スターリンには良い感情を抱いていないことが分かる。スターリンを主題に選んだ場合、直接的な感情が出過ぎると思ったのだろうか。いや、私としては監督が描きたかったのは、権力者自身が弱者であり、権力とは儚いものであり、それを作り上げるのも奪い去るのも本人の意志ではない。つまり、レーニンの晩年における権力構造の揺れ動きが最も適していると判断したからではないだろうか。 「太陽」の時もそうだったが、映画中では政治的、思想的な言い回しや映像を極力避けている。従って、ドキュメンタリー風ドラマとしては、いささか骨抜きの感があるのだが、むしろ主人公を取り巻く周囲の人間の細密描写によって、それを描こうとしているように思える。それを示すように、監督は20世紀の権力者を描きながらも「(数百万の人生を破滅に追い込んだ権力に対して)主たる指導者には責任はなく、”人民”の中にあることを私は確認します。しかし、この責任から人民は絶えず回避し、ヒトラーたちや、レーニンたちの背後に隠れるのです・・・」とコメントしている。権力への志向は我々一般国民の中にある。そしてその責任も我々の中にある。 こうした視点で本作を見てみると、映画中の不可思議な言動や映像の謎が解き放たれていく。権力者とても全てを自分の意志で動いているわけではなく、一人の人間として振り回されているのだと。それ故、本作ではレーニンの名前もスターリンの名前も登場しない。 ソクーロフ監督の映像は、ソヴィエト芸術記録映画の系譜を継承しているようで、空、森林、太陽など自然風景を多用する。また、BGMも極力抑え気味に、自然音を効果音として多用する。それでいて、寓話的なシャープな映像が新しいソヴィエト芸術映画を彷彿とさせる。 レーニン、妻クルプスカヤ、スターリンそれぞれ役者が演じるのだが、ごく自然なふるまいに、いかにもドキュメンタリーを見ているような錯覚にも陥る。レーニン、スターリンとも本物に良く似た役者とメイクを施しているが、一番印象的だったのは妻クルプスカヤだった。一見冷淡にも見えるが、目の奥には深い母性愛のようなものも感じられる。クルプスカヤ自身が革命家であり、夫レーニンの失脚とともに自身の粛正の恐怖に怯えていたとも言われる。同士である夫とともに政争に振り回されるクルプスカヤは、権力の儚さと理想と現実のギャップに最も敏感な人物ではないかと思えてくる。それが悲しげな表情に表れているのだろうか。本作の主人公はクルプスカヤだったのでは、とさえ思えてくる。 ストーリーは保養施設に軟禁状態となっているレーニンの日常を描いているが、権力に関係する人物、しない人物が数多く登場する。それぞれが、権力に無関心であったり、関心があったりと実に様々なのである。こうした人々が寄せ集まって生きているのが社会なのだ。 レーニンは薄れ行く記憶の中で、権力への回帰に焦燥する。スターリンもまた着々と権力の奪取と確立に野心を燃やす。しかし、二人が決定的に違うのは、レーニンが革命という理想のためであるのに対し、スターリンのそれは俗的な保身のためである。道を塞いだ倒木の処理を巡る問答の中で、それが如実に現れる。倒木がそのまま朽ち果てるのを待つか、排除するか。スターリンの提案した答えは「切り刻んでしまう」だった。その後の粛正の嵐を予感させる。 前半までは悠長な流れで制作されており、若干眠気を誘うが、後半にスターリンが登場してからは一変して面白くなってくる。ソクーロフの世界を十分に楽しめる内容になっているだろう。個人的には、もう少し即物的に描いてくれた方が楽しめるのだが、ソクーロフワールドとすればこんなものなのだろう。興奮度★★★沈痛度★★★★爽快度★★感涙度★(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 半身麻痺となったレーニンは保養施設で医者、軍人、妻、妹らの世話で生活している。電話も閉ざされ、手紙も没収される軟禁生活で、もはや中枢の権力の座から引き離されたレーニンを周囲の人間は冷めた表情で扱っている。妻クルプスカヤはレーニンの求めに応じて、マルクスの記録を読み聞かせる。 そんな折りにスターリンがレーニンを訪ねてくる。今や権力者の代表に上り詰めたスターリンの威風堂々としたたたずまいに対し、老いぼれたレーニンの姿が対照的だ。レーニンはスターリンに政策について進言するが、スターリンは適当に受け流す。さらに、レーニンは道を塞いだ倒木の処理について「朽ち果てるまで待つか、排除するか」と聞く。スターリンは「切り刻む」と答える。 その日の食事の席で、レーニンは忘れてしまった今日の来訪者の名を妻に尋ねる。また、使っている食器などが搾取されたものと聞き、錯乱したレーニンはスターリンから貰った杖で破壊し始める。 車いす生活となったレーニンを庭に連れて行ったところに、共産党から電話が入る。夫を置いて電話に走る妻クルプスカヤ。後で叫ぶレーニン。
2008年02月19日
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2007 イスラエル 監督:ヨセフ・シダー 出演者:オシュリ・コーエン、イタイ・ティラン ほか 127分 カラー BEAUFORTボーフォート レバノンからの撤退(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「ボーフォート」を探す(楽天) イスラエル映画を見てきました。結構良かったですよ。最近の戦争映画にしては蛋白系ですが、とにかく題材がレアなので面白かったです。六本木の単館系でやっています。 レバノン南部における、イスラエル軍と民兵組織ヒズボラとの戦闘を題材にしたヒューマン系戦争映画。2007年ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作。 現在もなお、戦闘状態にある数少ない国イスラエルの制作であり、題材もほとんど描かれることのなかった、レバノン南部の軍事拠点ボーフォート砦というのが実にレアだ。イスラエル映画はどうしても過去の歴史の重みから、精神的苦悩や複雑な邂逅的な作品が多いような気がするのだが、本作はヒューマンドラマではありながらも、意外にも正当派戦争映画だ。前半まではやや冗長な展開で、イタリア映画的な雰囲気が強かったが、後半からは一転して正当派戦争映画の雰囲気に化けた。 イスラエルは1982年にPLO掃討のためにレバノンに「ガリラヤ平和作戦」として侵攻。以降、敵対する相手がヒズボラに変わりながらも、レバノン占領を続けるが、ついに2000年5月拠点であるボーフォートから撤退する。その後、現在に至るまで小競り合いが続いているが、本作はこの2000年5月のボーフォート砦撤退を題材にしている。比較的死傷者数の少ない近代戦であり、激しいものではないが、民族・宗教戦争の持つ、緊迫した泥仕合の様相は十分に伝わってくる。 監督はユダヤ人のヨセフ・シダーで、自身もレバノン侵攻作戦に砲兵として参加した経歴を持つ。それ故、独特の戦場の臨場感は迫真のものがある。ストーリー的には、若き指揮官の戦場での苦悩、帰国間近の部下の死など、映画としてはごくありふれた内容であるにも関わらず、変に感傷的になりすぎず、それでいて戦場の緊迫感が伝わってくるのはさすがだ。戦場での兵士の心の葛藤を物語としてではなく、戦場心理学的に描いているからなのだろう。敵の姿も見えず、銃で撃ち返すことも一度もない。唯一ヒズボラからの砲撃を受けるのみなのだが、これほどにも緊迫感ある映像に仕上がっているのは、兵士の消耗した心理描写によって、観客側も消耗させられていたからなのかもしれない。 本作はボーフォート砦からの撤退という、後ろ向きな題材のうえ、厭戦的な雰囲気も漂っているがゆえ、反戦映画的な位置づけという評論もまま見られる。パンフレットでは、田原総一朗氏が軍部と一般国民という、得意の二元論で「戦争の空しさ」を論じていたり、監督自身が反戦的コメントを述べてもいるようだ。しかし、戦場の兵士には善と悪など関係なく、戦友と戦場への不条理な愛着に支配されていくのだということが、本作にはありありと描かれている。そこには単なる厭戦ではなく、イスラエル人の諦めにも似た義務感と疲れ切った達成感を感じるのだ。監督自身がそれを意図していたのならば傑作なのだが。 主人公である小隊長リラズは、部下を統率する義務感と自身の戦闘への恐怖との葛藤に悩む。ここまではごく普通の描写であるが、見物は部下の死などの体験を通過するごとに、次第に恐怖の根源である砦への愛着が増してくるところだ。砦は戦略的に確保したり、放棄したりできるが、この場で死んだ兵の魂はずっとこの場に留まるのだ。死を見届けた身として、あるいは死の責任を負う身として、この場所は彼にとって神聖な場所になっていくのだろう。一見、アメリカ映画の「ハンバーガー・ヒル」にも似た状況描写だが、決定的な違いはこの後ろ髪を引かれるシーンの有無にある。まさに他人には理解できない戦場の心理なのである。 一応撮影にはイスラエル国防軍の協力を得ているようで、若干の兵器が登場する。戦車では旧型のメルカバが1台登場し、この他装甲兵員輸送車のナグマホン、M-113系装甲車?の姿が見える。ナグマホンは馬鹿でかい箱形装甲を搭載しているのが面白い。ヘリコプターではUH-60ブラックホークが出てくる。 戦闘シーン自体は、姿の見えないヒズボラの砲撃だけなので若干物足りなく感じてしまう。ただ、地雷除去作戦シーン、砲撃を受けた監視哨救出シーン、地雷敷設爆破シーンなど手に汗握る場面もあり、臨場感あふれる。また、軍装も様々なアーマージャケット、防寒着、帽子などなかなか見所が多い。この他、歩兵による肉眼監視も行っているが、監視カメラや赤外線など近代的な装置による前線の様子が興味深い。6体置かれたダミー人形も笑える。砦は18年かけて設置された膨大なコンクリートと鋼鉄製トンネルによって構築されている。この辺りも、他の戦争には見られない独特のものと言えよう。 なお、階級章が余り出てこないのでよく分からなかったが、主人公のリラズは中尉、爆破処理班のジヴも中尉のようだ。この他、作戦会議で少佐及び少将と思しき人物も登場。 全体に良くまとまっている良作。若干歴史的背景を知らないと理解できない部分もあるかもしれないが、登場人物も多くなくわかりやすい。グロいシーンもなく、強引に感傷的に持って行くこともないので、若干インパクトには欠けるかもしれないが。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) レバノン南部の軍事拠点ボーフォート砦の小隊指揮官としてリラズ中尉?が着任している。イスラエル国防軍はレバノンからの撤退を決めており、ボーフォードからもいずれ撤退する予定だ。しかし、道路に爆薬が仕掛けられており、その解除のため砲撃の中をジヴ中尉?がやってくる。ジヴは当初、任務が危険と判断するが、リラズは任務遂行を強く意見する。ジヴは志願してやってきたのだが、父親はそのことを知らない。ジヴの伯父はかつてこの砦で戦死している。そのこともあり、ジヴは任務決行を決意する。 リラズらが後方で待機する中、ジヴが爆薬除去に取りかかる。しかし、失敗してジヴは即死。リラズは自責の念に駆られ、部下のコリスも不信の念を強くする。 撤退に向け、物資の後送が命じられる。リラズはこれに反抗するが聞き入れられない。そんな中、帰国が間近に迫っていたジトラウィの監視哨が対戦車ミサイルの直撃を受けてジトラウィが戦死。さらに、負傷したオシュリの姿にただ呆然とするリラズ。指揮官としての能力のなさを図らずも露呈してしまう。 それでも部下を守るため、ただ砦に籠もるだけの戦略に憤慨したリラズは、上官にヒズボラ攻撃を進言するが、却下される。これ以上の死者は出さないようにとの配慮だ。危険な監視業務に自らも就くことを表明するリラズだったが、さらにヒズボラの砲撃でシュピッズも失う。 ようやくボーフォード砦撤退の命令が届き、砦の破壊のため12名を残して、地雷敷設作業に取りかかる。全ての地雷を設置し、爆破命令を待つだけとなったが、なかなか実行命令が出ない。もし、ヒズボラの砲撃があれば砦ごと12名は吹き飛んでしまうだろう。コリスは命令を無視して爆破すべきだと進言するが、リラズは実行をためらう。心の中に砦への愛着が芽生えてきるのを感じる。 極度の緊張感の中、泣き出す兵士も出てくる。リラズは部下をなだめながら最後の命令を待つ。 ようやく、命令が下る。装甲車で待機しながらリラズはボーフォード砦の大爆発を確認する。イスラエルに戻ったリラズは、緊張から解放され、そしてボーフォード砦への思いから涙を流すのだった。
2008年02月18日
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2008 松竹 監督:山田洋次出演者:吉永小百合、坂東三津五郎、浅野忠信、志田未来、佐藤未来、笑福亭鶴瓶、檀れいほか132分 カラー 明確な戦争映画ではないが、昭和15年から16年頃の東京で、治安維持法違反で逮捕された父と残された二人の娘を守りぬく母の姿を描いた、ホット系ヒューマンドラマ。戦前の人々のつつましい暮らしぶり、反戦思想の人々と特高警察、国防婦人会など、戦雲立ち込める時期の風俗を描いたものとして興味深い。内容的には切ない内容だが、コミカルな場面や登場人物も多く、笑い感動できる仕立てとなっている。 原作は野上照代原作「父へのレクイエム」で、自叙伝だそうなのでフィクションではないらしい。監督は山田洋次で、人間味を重点においたホットな作品となっている。ただ、最近の山田監督作品に共通するように、どうも伝わってくるものがなく、恣意的なきな臭さを感じてしまう。中途半端な左巻き思想家のようで、人間愛と世俗風刺が互いにけん制するようにぶれているのを感じる。さすがに歳を取って、戦争の傷に感傷的になっている自分に気付いていないのだろうか。監督としては致命的だ。 また、何で最近の映画は皆そうなのか疑問だが、現代回帰シーンの挿入がいただけない。せっかくの戦前の母への感傷が一気に冷める。とても可愛らしい二人娘の初べえ、照べえが・・・・倍賞千恵子と戸田恵子に・・・・。お二人ともお美しいですが、でもそりゃないだろうって感じ。このシーンは必要なのだろうが、映像はカットして声だけで良かったんじゃないかな。 そういうわけで、せっかく感動的なストーリーなはずなんだが、どうも涙が出そうで出ない。 もう一点、感動を阻害したのは、父(とお)べえと母(かあ)べえの立ち回り方。ノンフィクションだということなので、おかしいと言っても仕方のないことなのだが、ドイツ文学者の父べえが日中戦争反対の思想で逮捕されるわけだが、ドイツ文学者としての書き物なのに何故反戦思想が盛り込まれるのか、よく分からない。映画中でも明確にされないが、「アカ」なのか単に反戦思想なのかも、どうも判然としない。もし、映画中で言われるように日中戦争反対なだけならば、もっと簡単に転向できそうなものだし、家族に辛苦をなめさせてまで意地を張ることもなかっただろう。映画では温和で良識人として描かれている父べえだが、あの意地の張り方からして、かなりのアカなのではないかと疑ってしまう。 加えて、母べえもまた頑固なまでの意地の張り方。辛抱強く、鉄の意志と言ってしまえば言葉はいいが、子供の労苦や実父の苦境にも意思を曲げないあたり、かなり確信犯的なイメージを感じてしまった。 私としては、実話なのだからどちらでも構わないと思うのだが、こうした背景などの描写は(意図的に?)かなり甘めに作ってあるため、かえって色々な疑義を醸し出してしまい、集中できなかった。アカだろうが、全体主義者だろうが、一途に闘い、耐え忍ぶ姿は感動的なのだ。 個人的には燃料屋のおじさんが一番人間味が出ていて面白かった。良心的一般人なのだが、時局の変化とともに全体主義的な行動に染まっていくあたりは、ごく普通の人々の一般的な姿なのだろう。全体主義が政治家や軍部、官憲によって主導されていた時代と言うよりは、こうした良心的国民の総体として全体主義が出来上がっていったんだろうと思う。 また、鶴べえが国防婦人会の「贅沢は敵だ」に抵抗して警察にしょっ引かれるシーン。一見ヒステリックなご婦人達に酷い嫌悪感を覚えるのだが、そのご婦人達も夫や息子を最前線に送っている身であると仮に想像してみると、夫や息子が最前線で何日も食べるものがなく、腐りきった死体の側で休息し、撃つべき弾もなく肉弾突撃の恐怖に怯えているとしたら・・・国内で贅沢している連中に憤りを感じるのも当たり前かもしれない。映画を見ながらそんな妄想をしていたら、逆に鶴べえに怒りを感じてしまった(笑)。これが戦時の狂気なのだろう。「死」を介在に物事を推し量れば、必ずやこうした争いのもとが出来るのだ。 さて、主演の母べえ、吉永小百合は60歳台とは思えない若さだ。確かにもはや色気というものではないが、日本人女性の美のオーラや母性というものを感じる。ただ、海でおぼれた浅野を助けに走るシーンでは、もろに歳が出ていたが(笑)。 浅野忠信は父べえの教え子役で母べえに密かに恋心を寄せる青年役を好演。純朴でコミカルな青年像は、今の世相にはない姿だ。このあたりは山田監督の真骨頂とも言えよう。子役の志田未来、佐藤未来は戦前の少女らしいかわいらしさが良く出ていた。 戦前の建物などの雰囲気はそれなりに出ていたが、撮影背景はかなり限られていて、しかもスケール感はない。まあ、スケール感を感じるべき作品ではないのでいいのだが、山田監督は寅さん映画のようなセット感覚の絵が得意なのだろうか。ただ、いただけなかったのは輸送船撃沈シーン。なんともしょぼい映像で、あれならむしろ音声などで想像させたほうがまし。なお、兵器類では一度だけ5機編隊の戦闘機が登場する。銀色機体なので隼かなんかのつもりかな。 全体としては、そこそこの出来といった感じか。切ない内容とはいえ、深刻になりすぎるものでもないし、適所に笑いも入ってくるので、気楽に見る事ができる作品だとはいえる。だが、反面伝わってくるものが少なく、心に響くことを期待していると肩透かしを食らうかも。本物の母べえは、きっと凄く苦労して頑張ったんだろうが、映画からはちょっと・・・。興奮度★沈痛度★★★★爽快度★★★感涙度★★★☆2/12ちょっと追加しました
2008年02月10日
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2007 アメリカ 監督:デビッド・リーフ、ジョン・シャインフェルド出演者:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ロン・コービック、ジョン・シンクレアほか99分 カラー PEACE BED 昨年の命日に公開された映画。一応反戦活動家ということで視聴しました。ドキュメンタリーとしてはまあそこそこの出来 1980年凶弾に倒れた歌手ジョン・レノンのドキュメンタリー映画。特に、ジョン・レノンが後半期に精力を傾けた、反体制運動、平和運動、革命に焦点を絞り、ジョンがどのようにしてこうした活動にのめりこみ、彼自身の思考が変わって行ったかを描いている。 私自身はジョン・レノンについて余り知らないし、興味もなかった。むしろ若者やヒッピー達を扇動する芸能人といった印象が強かったのだが、本作を見て若干その見方も変わった。 ジョン・レノンの不遇な生い立ちゆえの反体制的な行動を基盤に、オノ・ヨーコとの出会いで非暴力の平和主義に傾倒していくのだが、ここまでは個人として出来うる平和行動として理解ができた。その行動成果の有無はともかく、人気歌手グループ「ビートルズ」の影響力を理解した上での自己アピールは、私個人的には肯定できないまでも、理解はできる。しかし、こうした若者や反体制的行動者に対する強大な影響力は、ただそれに留まる事を許さなかった。結局、ジョン・レノンは反体制政治活動家たちのグループに利用され、抱きこまれることにより、自身の基盤である非暴力的反体制の制御力を失い、自身の行く道を徐々に外していってしまう。言うまでもなく、多くの革命的行動、反体制活動はリーダーのための虚栄に陥る事が多いのだが、彼の場合も自身がそれを嫌うはずであったにも関わらず、リーダーだけが感じうる崇拝的虚栄心に毒されていったのだと感じる。ただ、彼が自己矛盾に気付き、混迷する前に凶弾に倒れたことが唯一の救いであっただろう。 本作は、ジョン・レノンの思想や思考にはさほど深くは立ち入らないものの、関係者の証言等を多く用い、彼の生きてきた道をわかりやすく描いている。やや反体制側の嗜好に沿いすぎている感は否めず、体制側(政府等)における論理や理屈が描かれていないのは残念だが、しっかりと深読みすればその辺りはわからなくもない。 ジョン・レノンはある意味無知であったが故に、あそこまでの平和主義を貫く事ができたとも言えよう。純真とも言えるし、素直に人の生や愛というものに立ち向かうことが出来ていたのだろう。ある意味うらやましい気持ちも感じるが、そこに潜む危険性というものも感じる。平和主義、反体制に限らずも、行動というものを一貫性、公平性をもって続ける事がいかに難しいか、それが人数が増え影響力を増すことによって、ますます組織構造の複雑化を招いていくか。彼らの行動活力源である反体制という理念そのものが、強大化することによって彼らのもっとも嫌うべき権力化に繋がっていくのだ。そもそも、反体制という思念は個々人のみが持ち合わせるものであって、統一的に規範されるようなものではないからだ。 「WAR IS OVER」。彼が広げようとしたこの言葉は、芸術活動を通して広がっていった。それがいつの間にか政治活動に転化していく。個人の主張でしかない芸術の世界だからこそ良かったのではないか。政治と芸術(文化)、そして宗教・・・。それらが交わるとき暴力の火種が起きる。そのことをジョン・レノン自身が気付いていなかったとは思えないのだが。 政治活動に触れればやけどをすることを彼は知ってはいたのだろう。だが、政治活動に触れなければ彼自身の完全燃焼ができない。そうした葛藤を感じることができる映画だ。ジョン・レノンファン、反体制的趣向の人にとっては、また感じ方が違うのかもしれない。 そういえば、1967年に「ジョン・レノンの僕の戦争」という映画があった。戦争映画としては酷評したが、ちょうどジョン・レノンが反体制的行動をアピールし始めた頃の作品である。彼自身、平和アピールをどのようにすればいいのか確立していない時期であり、芸術を通して訴えることを試行錯誤していた時期である。そういう目で改めて見てみると、ジョン・レノンの訴えようとしているものが見えてくるかもしれない。 興奮度★★沈痛度★★★爽快度★★感涙度★ ミッドナイト・イーグルのレビューも書いたんだけど、データ消えちゃった・・・へたこいたー
2008年01月20日
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1954 イギリス 監督:マイケル・アンダーソン 出演者:マイケル・レッドグレーブ、リチャード・トッド、ウルスラ・ジーンズほか 120分(日本公開は102分) モノクロ THE DAM BUSTERS 第二次世界大戦における英国空軍の著名な活躍の一つ、「ダム破壊作戦」を題材にしたヒストリードラマ。日本語版のDVDもビデオもなく、英国版での視聴のため詳細な会話等についてはあまり理解できていないが(汗)、航空アクション、ドキュメントヒストリーものとしては上質の出来に入るだろう。 ドイツ工業力の弱体化を狙ったイギリスは、電力供給源であるドイツ西部のルール地方にあるダムを破壊し、下流域の工業地帯を無力化するという、無謀とも思える作戦を計画、成功させている。その爆撃を実行した第617飛行隊指揮官ギブソン中佐の報告書及び、ハロルド・ブリックヒルの小説をもとに制作された映画で、作戦の計画と兵器類の開発に当たった兵器会社ヴィッカース社技師バーンズ・ウォリス博士を物語の中心に据えて展開していく。 対象となったダムはモーン、エーダー、ソープの3つのダムで、ダムの堰堤に亀裂を入れることで水圧で自壊させるというのが基本作戦だ。しかし、爆撃では堰堤に当てにくいし、魚雷攻撃では防御網が多重に張られていて不可能だった。そこで、ウォリス博士は、石を水面に投げる水切り遊びにヒントを得て、特殊爆弾を水面上を跳躍させてダム堰堤に当て、水中に沈んだ所で爆発させることを発案する。あとは、爆撃隊の腕次第であり、防諜目的からたった5週間の訓練で、高さ60 フィートの飛行訓練と、特殊爆弾投下の技術及び装備の開発を余儀なくされる。史実では、アブロ・ランカスター爆撃機に5トン特殊爆弾を搭載した19機が出撃し、3つのダムの破壊に成功。うち8機が未帰還となっている。ちなみに、ギブソン中佐は本作戦では生還するが、後の戦闘で戦死している。 本作は、史実にかなり忠実に製作されているようで、爆撃作戦実行シーンで若干の省略と変更がなされているが、ほぼ史実通りと言って良いだろう。空軍幹部などへの説得や、幾度もの実験と修正の過程がメインに描かれ、ギブソン中佐の愛犬「二ガー」が事故にまきこまれるのも史実らしい。こうした、技術的な側面や裏話を中心にした映画は、やや盛り上がりやインパクトに欠けるが、内容的には非常に面白い。作戦の成功失敗の結果やヒーロー的アクションもいいが、このような背景があることを知るのも探求心をくすぐるのだ。例えば、特殊爆弾の仕組みであるとか、夜間に低空飛行高度を保つための工夫、投弾距離を測る工夫など、極めて単純な発想ではあるが、こうした技術が人の生死を左右するのだということに感銘を受ける。 映像では、ウォリス博士によるプールを使った実験シーンや爆撃機の低空飛行訓練シーンが興味深い。実物大の実験プールを使用した撮影は大がかりだ。また、航空機類は全て実機で、アブロ・ランカスター爆撃機が実際に飛行している姿は迫力満点。特に湖面すれすれに飛行するシーンは圧巻だ。ランカスターと極似するアブロ・リンカーンも使用されているようだ。また、投弾実験に使用されている機体には、記録映像も含めてブラックバーン・ボータ爆撃機やモスキート爆撃機の姿が見える。 機内からのシーンやダム攻撃シーンは一部合成やミニチュアが用いられ、対空火砲類の砲弾光も合成となっているが、飛行にあわせてカーブしているのはなかなかリアル。投弾を援護するために、投弾を終えたランカスターが併走して銃撃するシーンも格好良い。 ラストシーンには記録映像なのだろうか、水浸しになった工場や建物群が映し出される。本作では、ダム破壊のミッション成功という、栄光の場面だけが描かれているが、ダム決壊の被害を受けたルール川沿いの被害者もいたことも忘れてはいけない。戦争には必ず表と裏があるのだということを、図らずも思い出させてくれた。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 第二次大戦中、イギリスの兵器会社ヴィッカース社のバーンズ・ウォリス博士は、ドイツ工業力を弱体化させるため、ルール工業地帯の電力源となっているダムを一気に破壊させる作戦を考える。ルール川上流にはモーン、エーダー、ソープの3つのダムがあり、ドイツ軍は1トンの鉄鋼を生産するのに100トンの水を必要としているのだ。破壊すれば400万トンの水が下流に流れ出す。しかし、ダムを破壊するには30トンを越える爆弾が必要なうえ、致命的な打撃を与えるのは困難で、魚雷攻撃にしても二重三重の魚雷防御網が張られていて不可能だった。そこで、5トンの爆弾を水面跳躍させてダム堰堤に当て、水底に沈んだところで爆発する特殊爆弾を開発する。 ウォリス博士は、空軍のハリス大将に作戦を提案するが、なかなか承認が得られず、実験のフィルムを見せてようやく許可を得る。しかし、作戦の実行には大型爆撃機で約150フィートの高さで夜間飛行することが求められ、ハリス大将はコクラン少将に命じてベテランのパイロットを第617飛行隊として組織するよう命じる。コクラン少将は飛行隊の指揮官にギブソン中佐を任命し、ギブソン中佐はホイットワース大佐の協力で、オーストラリア人のナイト中尉、マーティン大尉、ニュージーランド人のマンロー、アメリカ人のマッカーシー、そしてイギリス人のローパー大尉、ハチソン大尉、スパフォード中尉、ティラム大尉、パルフォード曹長、ヤング少佐、モーズレー少佐、ホップグッド大尉、アステル大尉、モールトビー大尉、シャノン大尉、ヘイ大尉、レゴー大尉、パウエル曹長ら20機分の隊員を選別する。訓練期間は防諜とダムの満水時期のため5週間に制限され、ギブソン中佐は低空飛行の訓練を開始する。 一方、ウォリス博士は跳躍爆弾の実験を続けるが、どうしても水面跳躍がうまくいかない。もはや特殊爆弾のそこで、ギブソン中佐に高度を60フィートまで下げるよう要望する。これを受諾したギブソン中佐だったが、夜間の低空飛行はあまりに無茶であった。 ギブソン中佐と部下は、ロンドンのラインダンスを見に行った際に、二筋のスポットライトを見て妙案を思いつく。機首と後尾にライトを設置し、高度60 フィートで水面上に交差するようにセットすれば、夜間飛行が可能になるのだ。さらに、ダム堰堤まで600ヤードの投弾距離を測るため、ダムの両端を目測する測距儀を開発する。 いよいよダム攻撃の日が近づく。ギブソン中佐はブリーフィングで初めて作戦の内容を明かし、三派に別れての攻撃編成を示す。ギブソン中佐の第一派は9機からなる主力で、第二派はマッカーシー大尉ら5機、第三派も5機となった。その日、ギブソン中佐の愛犬ニガーが事故死する。 19機133人の搭乗したランカスター爆撃機が離陸。海上を低空で飛行し、オランダ沿岸に上陸を果たす。さらに、ドイツ国内へ入りルール川に沿って遡上を開始するが、ドイツ軍の対空放火が激しさを増す。アステル中尉機が撃墜される。 ギブソン中佐機はモーンダム上空に到達し、激しい対空放火の中、跳躍爆弾を投下する。爆弾は見事堰堤で爆発するも堰堤は壊れない。続いて2番機のホップグッド大尉機が侵入するが被弾し、爆弾はダムを越えて爆発。大尉機も爆発する。3番機のマーティン大尉きは投弾に成功するがダムは壊れない。4番機ヤング少佐機の番となり、ギブソン中佐は対空放火を抑えるため、1番機と3番機の機銃掃射援護を行う。ヤング少佐機の投弾が成功し、ダムはゆっくりと倒壊していく。本国の無線で傍受していたハリス大将、ウォリス博士らは歓喜する。 さらに、6番機シャノン大尉機以降の3機はエーダーダムに侵入し投弾するが、7番機のモーズレー少佐機は投弾後に迫る山腹に激突してしまう。8番機のナイト中尉機の投弾でエーダーダムは決壊する。 この攻撃によりルール下流域の工業地帯は水浸しとなり、ドイツ工業は大打撃を受ける。作戦終了後、ウォリス博士はギブソン中佐から出撃19機のうちホップグッド大尉、モーズレー少佐、アステル中尉機が墜落し、ヤング少佐機は帰りの海上で墜落。さらに4機が行方不明となったことを知らされる。56名もの隊員を失う危険な任務であったならば・・・と悔やむウォリス博士を、ギブソン中佐はそれでも彼らは行っただろうと慰めるのだった。
2008年01月18日
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1962 東映 監督:小林恒夫 撮影:藤井静 出演者:鶴田浩二、岩崎加根子、池谷盛彦、江原真二郎ほか 94分 モノクロ 第二次世界大戦の終末期、無条件降伏であるポツダム宣言の受諾を迫る連合軍に対し、日本は八月十五日の正午に天皇陛下の終戦詔勅を放送する。いわゆる玉音放送であるが、その降伏受諾に至るまでには陸軍を筆頭とする徹底抗戦派による抵抗や、玉音放送を阻止しようとする一部強硬派軍人によるクーデター「宮城事件」が発生している。 本作はその終戦に至る過程と宮城事件とを、時の首相鈴木貫太郎とその秘書官を核としてドラマ化している。この終戦詔勅、玉音放送逸話については「日本敗れず(1954)」「日本のいちばん長い日(1967)」などがあるが、これらはノンフィクションベースで歴史劇的なものであるのに対し、本作は史実に忠実に沿っている点も多いが、架空の人物とエピソードを入れたドラマ仕立てとなっているのが特徴だ。鈴木首相の秘書官として終戦工作に活躍する架空の中島秘書官(鶴田)と、その義理の弟でクーデター首謀者の一人である川崎大尉(江原)の人間ドラマがストーリーの中核をなす。玉音放送レコード盤の製作や秘匿に関するエピソードはドラマ向けに創作したものだが、全体としてそれに関わる人物設定やエピソードはなかり史実に沿っているので違和感は余り感じない。ちなみに、登場人物は全て仮名となっている。 鶴田浩二は脂ののった時期だが、演技的には抑えめな感じ。立場思想の異なる義弟との会話でも、説得力、迫力ともにちょっと物足りない印象で、その分ドラマとしての盛り上がりには欠けてしまった。義弟役の江原真二郎はいかにも陸軍軍人らしい風体で、クーデター戦士を好演。このほか、鈴木首相役の宇佐美淳也は本物に結構似ている。また、御前会議や玉音放送録音など天皇陛下の出番もあるが、役者は立てられておらず、陛下の視線での映像にするというのはなかなか面白かった。 本作で気になったのは映像が丁寧である点。小細工をしている風でもないのだが、一カットずつアングルや時間などが丁寧に作られている感じがする。また、特撮映像がなかなか良く、冒頭のシーンに少ししか登場しないのだが、建物空襲爆発シーン、B-29空爆シーンはなかなか秀逸。B-29は一瞬実機かと思うほど良くできている。もう少し特撮映像があっても良かったかと思うほど。 歴史物、娯楽ドラマとしても他作品に比べてややインパクトに欠ける作品だが、過度な映像や衝撃的なシーンが嫌で、柔らかめに終戦秘話を見たい人には丁度いいかもしれない。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 内閣総理大臣秘書官の中島浩は、空襲で焼け出され、義弟である近衛歩兵第二連隊中隊長川崎一郎大尉の家に居候していた。川崎大尉の弟二郎は慰問劇団員として中国地方に出張していく。8月6日、広島の原爆で二郎は死亡する。 時に日本政府は、連合軍から無条件降伏であるポツダム宣言受諾を迫られており、受諾派の首相、外相と徹底抗戦派の陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長との意見が食い違い、回答期限の8月15日までもはや猶予がなかった。川崎大尉を含む陸軍近衛師団の一部士官は、徹底抗戦を呼びかけ、陸軍大臣にも布告を出すよう要望する。しかし、陸軍大臣は結論が出るまで待てと命じる。一方、陸軍をおさえたい首相秘書官の中島は重臣に工作を図るが、憲兵隊にかぎつけられ失敗に終わる。 首相はついに、決断を天皇陛下の御聖断を仰ぐことを決意する。陸軍大臣らには意見を聞くだけと説得し、8月14日に異例の御前会議が決定される。陸軍徹底抗戦派は、御前会議の前にクーデター決起をすべきと考え準備を整える。この動向を察知した中島は、御前会議の開始を早めることを計画。密かに宮内省小宮侍従を訪ね、内大臣を通して陛下の直々の同意を得ることに成功する。 8月14日、午前10:50。吹上御苑の防空壕で御前会議が始まり、陸軍大臣らは徹底抗戦を主張するも、天皇陛下は終戦の御聖断を下す。すぐに、15日正午の陛下直々のお声による詔勅放送が決定され、中島は放送局との準備に取りかかる。 陸軍徹底抗戦派の石山大佐をはじめ、小島少佐、川崎大尉らは陸軍大臣を訪問、決起を進言するが、陛下の言葉には逆らえないとして拒否される。陸軍大臣は若手将校の行動に危機を感じ、山中東部軍司令官、林近衛師団長を呼び、クーデターを抑えるよう指示する。さらに、首相のもとを訪れ、それまでの非礼を詫びるのだった。 NHKでは陛下の録音準備にために宮内省に部屋を設け、約15分の詔勅を録音する。この頃、近衛師団長の部屋には小島少佐、川崎大尉らが押しかけ、決起命令書の布告を迫っていた。これを拒否した林師団長及び同席していた少佐を殺害し、師団長名の命令書として宮内省及び放送会館を包囲占拠する。玉音放送の放送を阻止するため、録音盤の奪取も目的とされ、録音されていた宮内省の捜索が開始される。 完全に封鎖された宮内省で、録音盤を持った放送局の三原と小宮侍従が息を潜めて隠れる。内大臣、情報局総裁、中島秘書官らも拘束されるが、誰一人として録音盤の所在を明かさなかった。中島秘書官は隙をついて脱出、女官部屋に隠れていた小宮侍従らと合流する。 刻一刻と放送時間である8月15日正午が迫り、放送局に録音盤を持ち込まねばならない。中島秘書官は、宮内省病院を利用することを思いつき、女官を急病人に仕立て、入院を装って中島秘書官と小宮侍従は宮内省建物からの脱出に成功する。しかし、すぐにその偽装を見破ったクーデター派が病院の捜索を開始。女官部屋に残ったNHKの三原は射殺される。録音盤を持った中島秘書官は、単身地下室から脱出し敷地内を逃走するが、ついに兵に追いつめられる。絶体絶命の危機に、歩兵第二連隊長が間に入る。山中東部軍司令官から真相を聞かされた連隊長はクーデター行動を中止したのだ。クーデター首謀者の白井大佐は自決。その頃陸軍大臣も自決していた。 急遽放送会館に急ぐ中島秘書官だが、放送会館は川崎大尉らが占拠していた。あくまで玉音放送を阻止しようとするクーデター派の少佐は中島秘書官を殺害しようと刀を抜く。川崎大尉は少佐を銃で撃って中島秘書官の危機を救う。中島秘書官は録音盤を持って放送室に駆け込んでいく。 川崎大尉は皇居前広場で自決する。
2007年12月03日
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2004 アメリカ 監督:クリスチャン・ジョンストン 出演者:ジョージ・カリル、ワリ・ラザキ、サニル・サダランガニほか 94分 カラー SEPTEMBER TAPESセプテンバー・テープ デラックス版(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「セプテンバー・テープ」を探す(楽天) 9.11テロ事件の首謀者オサマ・ビンラディンへの取材を敢行するため、危険なアフガニスタンに潜入したドキュメンタリー映画監督が残した8本のテープとボイスレコーダーが発見された、というドキュメンタリー風の映像手法を用いたアクションサスペンス。内容はフィクションであり、本物のドキュメンタリー作品ではない。とはいえ、実際にアフガニスタンで、本物の武装グループや武器商人に取材撮影しただけあって、雰囲気や迫り来る圧迫感は十分感じる。アクションとしても、サスペンスドラマとしても及第点だし、何よりもドキュメンタリーフィルム風に仕立てた手法は斬新で、フィルムに映されたものだけでストーリーを展開させるのは、見る側にとっても想像力の幅が広がって楽しい。本作の主役はビデオカメラなのであり、私個人的には結構楽しめた。 テロリスト、アフガニスタン、アルカイダ、オサマ・ビンラディンなどかなり政治色の強い題材を扱ってはいるが、本作からはその政治色というものは感じられない。誰が悪者という設定ではなく、最愛の人を奪われた人間が、復讐のために人格を変貌させるという点に焦点がある。ただ、それもヒューマニズム的な視点ではなく、あくまで娯楽サスペンス的なノリでしかないが。 本作は日本ではかなりの酷評に類しているようだ。何故なのだろうと思っていたが、日本版劇場予告編を見てわかった。日本版予告編では「なお、取材テープ8本が米政府に押収されたままである。ブッシュよ何を隠している!」というのが売り文句だったのだ。どうも、役者とシナリオは決まっていたが、アフガニスタン現地でのぶっつけ本番撮影したフィルムの一部が、米政府に押収されているということらしい。実際の取材フィルムと演技とが入り交じった映画ということで、押収されたフィルムに何か謎が・・・という点をクローズアップしているのだろうが、この妙なうたい文句により、多くの視聴者は本作を政治的ドキュメンタリーと誤解してしまったようにも見える。ブッシュが何を隠したのか知りたくなるのも人情というものだが、当然本作ではそんなことを描いていないのだから、視聴者の失望は当然至極なのだ。 ところで、不思議なのは、アメリカ版予告編でも本編でも、米政府がテープを押収しただとか、ブッシュよ何を隠しているなんて文言は出てこないのだ。もちろん、アメリカの映画評でも「騙された!ドキュメンタリーじゃないじゃないか!」という怒りは見られるが、押収は話題にすらなっていない。たとえ押収されたことは事実にせよ、要は国家防衛上調査に値する映像があったという趣旨であって、本作の成立上ほとんど関係のない問題なのだと言える(実際、映画公開後返却されたそうだ)。それを、本作を売るために、時節柄ブッシュ批判にしておけばウケるだろうと、コンセプトを日本上映業者が勝手にすり替えたものらしい。ある意味、日本の業者の悪癖によって、一気に作品価値を下げさせられてしまった典型例と言える。 監督が政治的な意図を持っていたのかどうかはさておき、とにかく娯楽作品だと思ってみれば、結構良い出来だ。主人公のジャーナリストにしても、行動が余りにお馬鹿で軽率なのも、「バッカじゃねーの」と笑い飛ばせば良いし、実際の戦場のお馬鹿ジャーナリストの顛末を再現してくれたようなものだから、ある意味痛快でもある。 また、何が起こるか分からない現地で、国連関係者と偽って入国し、本物の武器商人や武装グループに突撃インタビューした勇気は評価できるが、それがウリの作品とも思えない。監督は確信犯的に偽ドキュメンタリーにしたそうだが、実際どれが本物かわからないような作りでは、真実味もへったくれもないからだ。この辺りが賛否両論の別れるところなのだろう。 登場する兵器類では、米軍のチヌークと北部同盟が使用する装甲兵員輸送車が出てくる程度で、たいしたことはない。だが、銃器類ではAK-47やRPGがふんだんに用いられており、戦闘シーンはそこそこリアル。もちろん、銃弾や爆発シーンはCGだったり別映しだったりもするが、主人公がアルカイダ組織と戦うシーンでは、ドキュメンタリー風カメラアングルを逸脱してはいるが、迫力満点。 本作は変に政治的、社会的な意識を排除して、単にアクションサスペンスとして見ることをお勧めする。米軍のアルカイダ掃討戦に関する映画がほとんどない現状で、ミリタリーヲタの視点でみるとなかなか興味深いところが多々あるのだ。なお、撮影はインド内のシーンも多いという説もある。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) CMP社はアフガニスタンの北部同盟よりセプテンバーテープを入手した。そのテープはオサマ・ビンラディン、アルカイダへの取材を試みたアメリカ人ドキュメンタリー監督の一行が映したもので、国境付近で発見された。 テープ1 2002年7月1日、ニューヨーク。ドキュメンタリー監督ドン・ラーソンは、友人を9.11テロ事件で失い、その首謀者であるオサマ・ビンラディンに迫るための取材を計画した。 7月6日、アフガニスタンのカブール空港。通訳兼ガイドのワリ、カメラマンのソニーと合流し、取材を開始する。ワリは極めて危険であるので、取材相手や場所は自分に任せて欲しいと言う。北部同盟職員のハディールの取材では、アメリカ人は敵視されており極めて危険であり、夜間の行動はやめた方が良いと忠告される。 テープ2 北部同盟特殊工作員シャリー・フ・オマルに取材。ビンラディンを追ってカンダハルへ行きたいというが、危険と忠告される。夜になりザリフ家に招待されるが、そこでアメリカの政策や9.11テロの正当性について意見が割れ、家を出る。その足で夜間外出時間を過ぎているにも関わらず、武器商ラマーンの元へ。ワリは行くのを嫌がるがラーソンは強引に潜入。いざこざから命の危険を感じて脱出。 テープ3 朝からラーソンがいない。ワリは周辺を捜すが、ラーソンは脳天気に子供たちとサッカーをしていた。警察の検問でラーソンは写真を撮ったため警察に拘束。ラーソンは刑務所で賞金稼ぎババク・アリとの接触に成功する。ババク・アリは故マスード将軍の知人であり、オサマ・ビンラディンの頸をねらっていた。 テープ4 ババクの本拠地パンジャール渓谷に着く。ババクはパキスタン国境の前線への同行を認める。途中で強盗団の検問でワリが銃を突きつけられ、取材を降りると言い出す。ラーソンはそれをなだめる。7月21日、ホーストから西へ5kmの地点。この辺りでは報道や人道支援者にも懸賞金がかけられていると聞かされる。 テープ5 アフガニスタンのホースト。ハバクとラーソンの一行はアルカイダに待ち伏せされ、攻撃を受ける。米陸軍に5年従軍した経験のあるラーソンは与えられていたAK-47で応戦。辛くも脱出を図るが、銃やRPGで執拗な追撃を受ける。夜間に米軍の空爆を受ける。ようやく別れていたハバクと合流。そこで、ハバクが2日後にオサマ・ビンラディンに奇襲をかけることを知る。ラーソンは脱水症状でダウンし、付近の現地住民の集落で休息を取る。その間、ワリとソニーはハバク部隊の指揮官ワヒド・アブドゥル・アジズの取材を行い、ビンラディンがアメリカ軍の手ぬるい攻撃をかいくぐってパキスタンに逃げたと聞く。 翌朝、起きるとハバク部隊は人っ子一人いなかった。邪魔にされ置き去りにされたのだ。 テープ6 パキスタン国境まで16km。遠方でハバク部隊と思われる砲撃を見る。夜間、馬に乗ったハバク部隊兵に襲撃されワリが死亡。 テープ7 パキスタン国境。ラーソンがボイスレコーダーに呟く。まだやることが残っている。 テープ8 夜間に戦闘が起こる。ラーソンとソニーは接近を試み、ソニーが流弾で死亡。ラーソンはアルカイダに捕まる。洞窟内で拷問を受けるラーソンだったが、米軍の空爆によりアルカイダは撤退。置き去りにされたラーソンは銃を取ってアルカイダ兵に銃撃を仕掛ける。置き去りにされたカメラには去っていくラーソンの姿が・・・ 2002年7月3日、ロンドンヒースロー空港。ラーソンがボイスレコーダーに残していた。「愛する人を失ったとき人格が変わる。死んでも本望だ」ラーソンの妻サラが9.11の突入機に搭乗し、殺された復讐のために。
2007年11月16日
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2005 ブロードバンド・ピクチャーズ 監督:井出良英 製作:堀江貴文 出演者:山本康平、稲田奈緒、市瀬秀和ほか 92分 カラー DVD検索「八月拾五日のラストダンス井出良英」を探す(楽天) 終戦60周年記念作品と冠された、南方戦線の飢餓と病気に苦しむ日本兵を描いた戦争ヒューマンドラマ。製作はブロードバンド・ピクチャーズという会社で、突然何故このような映画を作ったのか。DVDパッケージには表示されていないが、実はクレジットの中に堀江貴文の名が出てくる。そう、あのホリエモンだ。この他制作者やエグゼクティブプロデューサーに大和田広樹、渡辺健太郎、渡部裕子といった名も出てくるが、これらは映画関係者などではなく、全てライブドアの関係者。つまり、本作はライブドア製作の映画ということになる。時に、テレビを初めとするマスコミを手中に収めようとするライブドアは、動画コンテンツのネット配信を目論んでおり、自社ネット配信に乗せるためのオリジナルコンテンツとして、映画製作に手を出していたということらしい。ただ、映画製作に当たっては色々と問題を起こしていたようで、ホリエモン逮捕直前の貴重な一作品とも言える(笑)。もちろん、ホリエモン自身が映画に口を出したというのではなく、単に本社利益粉飾の小道具として利用していただけのようだが。 まあ、ライブドアが何をしようと構わないのだが、問題は本作のでき次第ということになる。だが、監督、役者ともに二流どころという感は否めず、演技、ストーリー、映像ともにかなりのチープ作品である。映画とは言え、ほとんどテレビドラマ級。 監督は「零 ゼロ」の井出良英で、うーん、どうなんでしょう。主役の山瀬一等兵役はハリケンジャーのハリケンイエローだった山本康平。頑張れ戦隊物出身者!と言いたいところだが、あり得ないぐらいに場違いな演技力では締まらない・・・。彼の母親への手紙形式のナレーションも、ちょっと場違い。従軍看護婦役の稲田奈緒は映画初出演らしくかなり可愛らしいのだが、演技の方は・・・・悲壮感に乏しい。あと眉毛書くなよ・・・。かわいいから許せちゃうけど(笑)。この他の役者陣も、ストリーや設定にマッチしない現代劇風で興ざめ。また、アメリカ兵として20名ほどの外国人が名を連ねてはいるが、今ひとつ迫力がない。 ストーリーの方はかなり安直で、悲壮な撤退作戦の中バタバタと日本兵が死んでいき、最後に残った日本兵と看護婦の悲恋というベタなもの。それはそれで良いのだが、会話が稚拙で練られていないのと、カット割りのタイミングが悪く、お涙頂戴のはずのシーンなのに、全然盛り上がらない。ただ、ストーリーを展開させているだけで、視聴者の感情の盛り上がりや期待している事を一切無視した結果と言える。武器も食料もなく、ただただ敗走するだけの日本兵の空しさを、切々と描くこともできたであろうに、どうにも絵空事のような空虚感が漂う。 映画の舞台は南方という設定で、主人公は陸軍烈部隊所属の敗残兵となっている。史実の烈部隊とは1944年のインパール作戦に参加した第31歩兵師団のことで、師団長は撤退を決断した佐藤中将。従って舞台はインパール周辺ということなのだろうが、どうにもジャングルの雰囲気がない。ロケはフィリピンということだが、普通の竹林に手頃な雑木林と言った感じ。お手軽ロケで誤魔化した雰囲気。 さらに、本作の問題点としては映像のグロさ。白骨化した死体や蛆、足の切断シーンなど、ヒューマンドラマには不必要な映像が満載。戦争映画はグロければいいというものではないという好例だ。 日本軍の軍装やボロボロ加減についてはそこそこの出来。米兵の火炎放射器もパワーは落とし気味だが、本当に炎が出ていてなかなか良い。家屋爆発シーンもそれなりだが、手榴弾爆発や機銃掃射シーンは花火のようで今ひとつだった。 設定でのつっこみ処としては、負傷した米兵を助けるまではいいが、米兵のために空輸された食料を根こそぎ持ち去ってしまうあたり。おいおい、人道的配慮じゃなかったのか、米兵の分はどうするんだ。このほかどうでもいいけど、空爆、機銃掃射するアメリカ軍機が欧州戦域帯(インベンションストライプ)付。 映画としては落第点だし、ネット配信するにしてもちょっと食いつきの悪いレベル。主題もブレがちだし、伏線もなく、視聴者の求める物と遊離した中途半端な作品だ。せめて、ラストダンスをもっとストーリーの中核に据えていれば・・・。 興奮度★★ 沈痛度★★★ 爽快度★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 昭和20年8月、陸軍烈部隊の山瀬一等兵は、現地を死守せよとの命令を受けながらも、もはや弾も食料もなく敗走するのみだった。山瀬一等兵は寄せ集まった磯部少尉、松本一等兵、広長軍曹、森安上等兵らと行動をともにする。磯部少尉は新任で精神に異常をきたしており、広長軍曹はひどいマラリアにかかっていた。途中で負傷兵と将校に出会うが、もはや救う手だてもなく置き去りにする。本隊と合流するため、夜間に行軍し日中は物陰に隠れる日々が続くが、米軍機の機銃掃射で広長軍曹が戦死。磯部少尉とも別れ、山瀬一等兵も肩を撃たれてしまう。 森安上等兵の手で山瀬は第6兵団移動治療班に合流し、柏田軍医と日赤従軍看護婦市川によって手当を受ける。しかし、この治療部隊も食料が底をつき、柏田軍医は歩ける山瀬一等兵に米軍食料庫から食料の調達を頼む。 市川看護婦とともに山瀬一等兵は米軍食料庫へ行くが、途中で米兵に遭遇し米兵を打ち倒す。やっとたどり着いた食料庫には負傷した米兵が一人おり、山瀬は米兵に詰め寄るが、市川看護婦がそれを制止し、手当をしてやる。食料庫にはすでに食料はなく、米兵は自分のために空輸があることを二人に教える。空輸された食料を手に入れ、二人は治療部隊に戻るが、米軍の空爆により柏田軍医をはじめほとんどの兵が死傷していた。重傷の柏田軍医は毒を飲んで自決。山瀬一等兵は、部隊に戻って重傷を負った森安上等兵ら生き残った兵を連れて本隊へ向かうことにする。森安の口から磯部少尉、松本一等兵がゲリラに殺されたことを知る。 同行していた飯田が自決。西本は戦死し、山瀬、市川、森安の3名となる。森安は生まれたばかりで残してきた息子に会いたいと呟きながら息を引き取る。ようやく山を越えて本隊に合流しようとするが、すでにそこは米軍が占拠していた。山瀬と市川は洞窟に潜み、劇作家志望だった山瀬は市川とともにワルツを踊る。米軍の銃声が近づき、山瀬は最後の最後まで戦うとして、市川に手榴弾を託して洞窟を出る。米兵に突撃をした山瀬は、食料庫で助けたアメリカ兵に終戦したことを知らされる。慌てて洞窟に戻った山瀬だが、洞窟内で手榴弾が爆発する。
2007年11月07日
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2003 ロシア 監督:ニコライ・スタンブラ 出演者:ウラジーミル・ヴォルガ、オルガ・チュルシナ、エフゲニー・コーズィレフほか 111分 カラー MARSH-BROSOK/THE CHARGE/THE FORCED MARCH厳戒武装指令(DVD) ◆20%OFF! DVD検索「厳戒武装指令」を探す(楽天) 現在もなおロシア政府を苦しめている第二次チェチェン紛争を題材に、派遣された若いロシア兵の苦悩と活躍をラブストーリーを交えて描くアクション映画。チェチェン紛争は1994年から勃発し、長期化する混沌とした状況にロシア兵の間でも厭戦感が漂う中、どちらかというと若者の戦意高揚を狙ったような意図が感じられる。比較的多くのロシア軍新鋭兵器が登場するのも、軍の積極的な協力があったからと推定される。 戦闘シーンそのものは戦闘車輌やヘリの実機を用いたそこそこの出来なのだが、いかんせんストーリー構成がハチャメチャ。主題はチェチェン紛争におけるロシア兵の苦しみと忠誠だと思われるのだが、戦闘アクション、ヒューマンドラマ、さらにはラブロマンスがただ無造作につなぎ合わされているといった印象で、物語の起承転結やバランスが非常に悪い。戦友の死に直面するという悲壮感漂うクライマックスの次に、いきなり美少女とデートじゃどっちらけに決まっている。頑張って健闘すれば良いこともあるんだぞ、ということか。 主役のサーシャ軍曹役のウラジーミル・ヴォルガは、本物のモスクワボクシングチャンピオン。やや小柄で貧相な顔つきは主役級には不似合いだが、さすがにアクションや立ち振る舞いは一級品。他のアクション映画だったらブーイング確実の、飛び込み前転射撃や格闘アクションも、彼がやれば格好良く見える。本作の見所の一つは彼のアクションとも言え、ロシアのアクションニューヒーローといった感じか。 もう一つの見所は戦友の妹マーシャ役の美少女オルガ・チュルシナ。スラリとしたスレンダーな容姿にノーブラタンクトップ姿は萌える(笑)。ブロンドの髪にミニスカートから延びた長い足には目が釘付け(爆)。 戦友ウラジーミル役はプヨプヨに太った坊ちゃん。こんな奴がえり抜かれた空挺隊員に?という素朴な疑問はあったが、きっと主人公がフォローするためのボケ役だろうと勝手に思っていたのだが、何のことはないドタドタ走りながらも大活躍してしまう。何のためにこんなキャラを設定したのだろうか疑問。疑問と言えば、冒頭のシーンで主人公と喧嘩した兵が「いつか殺してやる」とか言うものだから、きっと本作のキーマンに違いないと思っていたが、これもいつの間にか消えていくキャラ。他にもいわくのありそうな司令官、裏のありそうなテロ組織リーダーなど濃いキャラは多数いるのだが、いずれもほとんど意味がない(笑)。 描かれる数々のミッションは設定が安直で、アクションに見合うだけの深みがない。ロシア軍の作戦や体質はもとより、チェチェンゲリラにもらしさを感じない。その分戦闘シーンに緊迫感やリアル感が欠落してしまっており、主人公の格闘アクションさえあればいい、といった雰囲気にも見える。 登場する兵器類は見所の一つ。BTR-80装甲兵員輸送車やBMD-2空挺戦闘車が何台も登場する。兵員を車上に満載して装甲する装甲車や装甲車上からの俯瞰映像が面白い。また、ヘリコプターではミルMi-8ヒップ、Mi-24ハインドが登場し、ハインドの攻撃シーンそのものはないが、上空を徘徊する姿を見ることができる。 全体にチープ感が強く、締まりのない典型的なB級映画だった。ニューヒーローと思しきウラジミール・ヴォルガ君も、その後の主演作品を見かけない所を見ると、ロシア国内の人気も・・・・その程度だったということか。 興奮度★★ 沈痛度★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 大学に合格したばかりで徴兵されたフェドトフ・ウラジーミルは、面接所で柄の悪い男に煙草をせしめられる。側にいた孤児院出身のサーニャ・ブイダはそれを取り上げ、二人は仲良くなる。サーニャの進言で二人は落下傘部隊に志願し、サーニャは懲役2年の執行猶予付の身だったが、なんとか入隊することができた。 訓練期間を終え、二人の部隊は前線チェチェンに派遣される。そこで、面接所で煙草を取り上げた男と再会し、男は「いつか殺してやる」と気炎をあげるのだった。サーニャ、ウラジーミルらは、BTR -80装甲車に乗った本隊を先導して偵察に出るが、チェチェンゲリラは本隊を急襲し被害が出る。サーニャらはとって返し、チェチェンゲリラに反撃する中、例の男はサーニャに銃口を向けるが撃つのをやめる。そんな中、ウラジーミルがチェチェンゲリラに捕らえられてしまい、サーニャがその後を追う。しかし、サーニャもまた捕まってしまい、ゲリラの頭ハサンの捕虜となる。 ハサンは二人のビデオを撮り、ロシアに身代金を要求。ウラジーミルの妹マーシャはそのテレビ放送を見て両親に知らせる。両親はすぐさま身代金を用意する。ロシア軍司令官は敵の捕虜を取って交換する作戦を提案するが認められず、父親にゲリラに手紙を書くように勧める。どうせ殺されるならば苦しまないようにとの配慮だった。 捕虜となっていたサーニャは監視の隙をついて、ウラジーミルと共に脱走に成功する。しかし、逃亡の途中でウラジーミルが仕掛け爆弾にかかって戦死してしまう。 部隊に戻ったサーニャの元にウラジーミルの妹マーシャからの手紙が届く。ウラジーミルが書けと言っていたのだ。ロシア軍はゲリラの本拠地攻撃に出る。ロシア軍内のスパイがハサンに情報を流すが、ロシア軍は圧倒的な兵力でチェチェンゲリラを攻撃。ゲリラの幹部は逃亡に成功するが、ハサンはサーニャによって捕らえられる。 ハサンはロシア軍部隊長のマルチェンコ大佐によって尋問されるが、二人はかつての戦友だった。ハサンは息子の安全をマルチェンコに託す。ロシア軍内のスパイはハサンに近づき、ハサンを逃がす。しかし、金の取り分の喧嘩からスパイは殺される。息子のもとに戻ったハサンは仲間のゲリラともめるうちに射殺されてしまう。 サーニャは宿営地でゲリラの投げた手榴弾を投げ返した際に負傷。そしてウラジーミルの棺に付き添ってロシアに戻る。ウラジーミルの父、妹と対面したサーニャは、次第に妹マーシャに惹かれていく。マーシャもまた次第にサーシャに惹かれていき、帰りの汽車時間までデートを楽しむ。そこに、マーシャにつきまとう地元のチンピラが絡んでくる。サーシャは4人のチンピラをあっという間にのめして、マーシャと抱擁する。
2007年10月31日
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2007 アメリカ 監督:ピーター・バーグ 出演者:ジェイミー・フォックス、クリス・クーパー、アシュラフ・バルフムほか 110分 カラー THE KINGDOM DVD検索「キングダム 見えざる敵」を探す(楽天) 戦争映画と言うよりはアクション色の強い映画だが、サウジアラビアのテロ事件を題材にし、イスラムテロリスト対アメリカFBIとの戦いを描いたものであり、背景にはアメリカの対テロ政策やイスラム教徒の思念というものがシリアスに描かれている。たかだか4人のFBI捜査官がサウジアラビアに乗り込んで、テロリスト集団を壊滅させてしまうという、ちょっと無茶な設定はいただけないが、爆破シーンやカーチェイス、銃撃戦シーンはかなりの迫力がある。多くの市民やテロリストが殺害されてはいくが、さほどグロい映像もなく、映画のストーリー自体はさっくりと流れていくので比較的見やすい部類。冒頭のサウジアラビア関連説明シーンが良い。 見所の一つはやはりアクションシーン。テロリストの情け容赦ない爆破、銃撃は背筋がぞっとするものがある。また、ジェイミー・フォックスを隊長とするFBI捜査官のテロリスト掃討シーンも手に汗握る。米軍兵でも特殊部隊でもないのに、なんでこんなに強いのかという疑問は感じるが、その辺りは差し引いても余りある充実感がある。 もう一つは、イスラム社会における白人(アメリカ人)への敵意とアメリカ人の対テロへの考え方だ。9.11テロの主犯格にも多かったサウジアラビア人は、厳格なイスラム法を守ろうとするワッハーブ派が根強く、王家とも対立し国際テロを引き起こしている。アメリカにとってもサウジアラビアとの友好関係を保つ上でのネックとなっている。テロリストとアメリカの互いに根底にあるのは復讐観念であり、やられたらやり返すという報復の繰り返しがテーゼになっている。最終的にはFBIに協力するサウジアラビア警察だが、テロリストも内包する警察の対アメリカ、対テロのジレンマが微妙に描かれている。テロリストが生まれる素地、そして平民の中にも混在する平和主義者とテロリストの縮図が見て取れる。また、石油権益での微妙なバランスを保つサウジアラビア王家の立場も面白い。 確かに映画ではアメリカFBIの勝利で終わるのだが、決してそれでは終わらない悪循環への伏線も描かれ、継続されているアフガン、イラク戦争へのやりきれない気持ちを強く感じる。そういった点では、単なるアクション映画では片づけない監督の意図がうまく表されていると言える。とはいえ、やはりアメリカ寄りなのは間違いないが。 残念だったのは、FBI捜査官が限られた証拠の中で、テロリスト(犯人)探しを行っていくのだが、せっかく敏腕FBIが主役なのだからもっと謎解きシーンがが欲しかった。サスペンスものとして評価することも可能だっただけに、銃撃戦ではなく、FBIならではの捜査中心の解決方法の方が盛り上がったような気がするのだが。 撮影のスケール感は大きく、所々に特殊効果も入っているようだが、それを感じさせない。アラビア文字が乱立する市街地シーンは、UAEのアブダビ撮影のようだ。登場する兵器類はさほど多くなく、ヘリではAH-64アパッチなど、地上では装甲車が一台登場する程度。興味深いのはサウジアラビア警察と国家警察の軍装で、いかにも中東らしいタイトな制服だ。階級では少将、大佐、軍曹が見られる。 全体にまとまりのある映画で、十分見応えがあった。もう少し評価を上げたいところだが、設定や戦闘シーンにどうしてもフィクション感を感じざるを得ないので、こんなものか。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) サウジアラビアの石油会社の従業員らが居住する外国人居住区で、警官を装った自爆犯により大規模なテロが発生。300人以上が死傷する大惨事となり、現地のFBI捜査官も死亡する。犯人はアルカイダ系のアブ・ハムザと目されたが証拠もなく、FBI捜査官のフルーリーは現地調査を要望するが、国務省ら外交筋は穏便解決のためそれを許可しなかった。 FBI長官は独断でフルーリーにサウジ大使と交渉することを許し、フルーリー、爆発物専門家サイクス、法医学調査官メイズ、情報分析官レビットの4名が5日間の期限でサウジアラビアに降り立つ。しかし、現地では外交官のシュミットが活動を制限し、サウジアラビア警察のアブダルマリク将軍によって体育館に軟禁状態となる。 フルーリーらの対応はテロで部下を失ったアル・ガージー大佐で、部下のハイサム軍曹はテロリストを射殺したことで証拠隠滅容疑をかけられていた。当初はフルーリーらの活動に目を光らせていたが、次第にFBI捜査に協力を始める。目撃者への聞き込みや、周辺ビルの捜索によりテロ犯人がアブ・ハザムと断定される。フルーリーは王子との会食の際に、ガージー大佐を捜査の責任者に推薦する。その甲斐あってガージー大佐とフルーリーらはアブ・ハザムの捜索に着手することが出来た。 サイクスの努力により、爆破車輌が病院の救急車と判別され、犯人の一人のアジトを急襲する。そこで若者を数名射殺するが、アブ・ハザムではなかった。シュミットはこれで捜査は終わりだとして、無理矢理フルーリーらを帰路につかせる。その移送中にガージー大佐とフルーリーらはテロリストの襲撃を受け、レビットが捕まってしまう。捕らえられたレビットを追ってテロリストの本拠地に潜入したガージー大佐、フルーリーらは銃撃戦の末、斬首寸前だったレビットを救出。さらに、家族といたアブ・ハザムを発見する。しかし、ハザムの親族によってガージー大佐が射殺され、やむなく親族とハザムを射殺する。 残されたハザムの孫娘に死に際のハザムが囁く「大丈夫だ、仲間が皆殺しにしてくれる」。一方、フルーリーがメイズにサウジアラビア行きを決心させた一言も「皆殺しにしてやる」だった
2007年10月16日
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2006 イギリス・アイルランド・ドイツ・イタリア・スペイン 監督:ケン・ローチ 出演者:キリアン・マーフィ、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルドほか 126分 カラー THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY DVD検索「麦の穂をゆらす風」を探す(楽天) イギリスの西側に位置するアイルランドで、1919年から1921年にかけて起こったアイルランド独立戦争及び1921年12月の英愛条約締結以降のアイルランド内戦を題材にしたヒューマンドラマ。監督は、本作でカンヌ映画祭パルム・ドール賞を受賞した、社会派監督と称されるケン・ローチ。 アイルランドは中世からすでに大英帝国の統治下にあったが、1916年にアイルランド民族主義のシン・フェイン党及び義勇軍(IRA)がイースター蜂起し、アイルランド独立宣言を行ったことにより、イギリス軍とアイルランド義勇軍(IRA)の間で戦闘状態に入る。1921年の休戦協定により英愛条約が締結されるが、条約内容はあくまでイギリスの自治領でしかなく、北アイルランドは依然イギリス領だったことから、自由国側穏健派と共和国側強硬派の間で内戦が勃発する。共和国側IRAによるダブリンのフォー・コーツ占拠を皮切りに内戦は泥沼化し、テロやゲリラ戦で独立戦争以上の犠牲者を出したと言われる。 本作はこれらの史実に基づいて構成されており、イギリス軍の横暴な様子、敵味方に分かれた旧知の手による処刑など、アイルランド史の暗部を如実に描き出している。 本作は複雑なアイルランド史を題材にしてはいるが、意外にも政治的、思想的な色合いは薄い。むしろ、人間愛や友情、義理といったヒューマンドラマが中心であり、アイルランド独立という社会問題に振り回される人々の葛藤と現実を示している。従って、アイルランド人の役者を多用しながらも、決して政治的な企図を前面に出すものではなく、イギリス人、アイルランド人をそのまま人として描いているのが好感だ。 ただ、本作のような作りは個人的には好きではない。監督が社会派と言いつつ(本人が言っているわけではないのだろうが)、歴史的、社会的に何かを痛烈に風刺するものでもなく、かといって娯楽的ヒューマンドラマにも徹しきっていない、セミ・ドキュメンタリーのような中途半端な印象を受けるからだ。せっかく、重く切実な歴史的問題を取り上げているのだが、エピソード、登場人物ともにインパクトが弱く、どこに焦点を置いてみるべきか定まらず、見終わった後に思ったほど余韻が残らない。 おそらくは、IRAのリーダー格テディと弟のデミアン兄弟が中心となり、戦争の大義と友情、裏切りが映画のキーとなっていると思われる。肉親や親友を自らの手で処刑しなければならない苦悩は「二度と顔を見せないでくれ」というキーワードで昇華する。だが、このシーンにしても、登場人物の性格付けが疎かになってしまっているため、なかなか心情を入れ込みにくい。ヒューマンドラマとして評価するならば、もっとこの辺りの苦悩と背景を描写して欲しかったところだ。 また、アイルランド独立、内戦を描くにあたり、政治的局面を解説しようとするあまり、ストーリーが急ぎすぎる嫌いがある。一つ一つのエピソードのバランスが悪く、冗長にだらけるシーンとサラリと無味乾燥なシーンの差が顕著だ。特に、終盤の内戦シーンは流し気味に感じ、ちょっと興ざめだった。 このほか、アイルランド人やイギリス人というのはプライドが高いという印象を感じた。逆に言えば冷酷でもあり、処刑や殺害に至っては、我々日本人との価値観に相異を感じる。イギリス軍のアフリカ、インド等の植民地での暴虐ぶりでも窺えるように、相手を見下したような君主支配的思考が強いのだろうか。この辺りも本作に心情移入しにくい理由があるのかもしれない。 前評判が良かったためにやや辛辣な評となったが、ヒューマンドラマ部分にもっと比重がかかっていれば面白くなっていたのではないかと感じた。決して駄作ではないのだが、深みという点では・・・・残念な出来。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1920年アイルランド南部のコーク地方。医者のデミアンはロンドンの大病院に招聘され、赴任しようとしていた。時に、アイルランドはイギリスの統治下にあり、国土防衛法の名のもと、イギリス兵による暴虐が行われ、アイルランド人が殺害されていた。デミアンの恋人シネードの弟ミホールも英語で名を答えなかったために殺害された。 出発の列車を待つデミアンは、イギリス兵に殴られる機関士ダンの姿を見てロンドン行きを辞め、アイルランド義勇軍(IRA)に参加することを決意する。IRAのリーダー格テディ・オドノヴァンはデミアンの実兄で、IRAはイギリス軍兵舎攻撃やイギリス兵殺害などを実行し、武器を調達していた。しかし、農園領主の密告で使用人クリスがIRAの拠点を吐いてしまう。拠点を急襲されたテディ、デミアンらは逮捕され、テディは爪をはがされるなどの拷問を受ける。処刑が迫るが、イギリス兵の一人に同胞がおり、ケヴィンら3名を残して脱走に成功する。しかし、ケヴィンらは翌日処刑されてしまう。 テディは密告者の領主とクリスの処刑をデミアンに命じる。クリスはデミアンの幼なじみであったが、デミアンは自らの手でクリスを撃つ。そのことをクリスの母親に伝えに行くが、「二度と顔を見せないでくれ」と言われ、心が何も感じなくなった自分に気づく。 独立宣言した共和国では裁判が行われ、金貸し業のスウィニーが有罪となる。しかし、スウィニーの資金力を利用したいテディと、共和制の法を遵守すべきだとするデミアン、ダンらと対立する。 テディ、デミアンらはイギリス軍オークシャリーズ増援部隊を襲撃し、全滅させる。その報復でイギリス軍はシネードの家を襲撃。シネードの家は焼かれ、シネードは髪を切られる。絶望に沈むシネードをデミアンが慰める。 そこに、休戦宣言の通知が届く。シン・フェイン党とイギリス政府が英愛条約を締結しようというのだ。しかし、条約はアイルランド自由国の自治を認めるものであり、真の独立ではなかった。それでも良しとする穏健派と反条約の強硬派の対立色が強まってくる。テディはアイルランド自由国軍に所属するが、デミアンはあくまで完全独立を目指すIRAに居残る。 条約は結局批准され、共和国派のIRAはフォー・コーツに籠城する。自由国軍がフォー・コーツを砲撃したことから内戦状態に突入する。特に共和体制を強く望むダンは自由国軍兵を殺害し、報復のために自由国軍のIRA狩りが始まる。ダンが殺され、デミアンも捕まる。兄のテディは武器庫の所在を明かすようデミアンに迫るが、裏切り者のクリスを処刑した自分が裏切ることはできないと断る。翌朝、デミアンの処刑が実行され、テディ自身がその指揮を取るのだった。テディは、デミアンの恋人シネードのもとを訪れ、遺書と遺品を手渡す。泣き崩れるシネードはテディに「二度と顔を見せないでくれ」と言うのだった。
2007年10月10日
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2002 イタリア・フランス・イスラエル 監督:アモス・ギタイ 出演者:アンドレイ・カシュカール、エレナ・ヤラロヴァ、ユーセフ・アブ・ワルダ、モニ・モシュノフほか KEDMA 94分 カラー DVD検索「ケドマ 戦禍の起源」を探す(楽天) 第二次世界大戦後、ドイツの収容所などから解放されたユダヤ人は帰る場所はおろか、住む場所さえなかった。やっとドイツから解放されたにも関わらず、ユダヤ人は再びイギリスやアメリカの手によって収容所に入れられ、共産主義国からは排斥され、ポーランドでは虐殺事件まで発生する。こうした戦勝国の施策に業を煮やしたユダヤ人は、シオニスト運動に傾倒し始め、イギリスが武力統治するパレスチナへの移住を強行し始める。1948年になってイスラエル建国宣言がなされるが、本作はその1948年のパレスチナを舞台に、建国・独立戦争に巻き込まれていくユダヤ人の姿を、様々な問題提起をしながら製作されている。監督のアモス・ギタイはイスラエル建国後の生まれで、イスラエルが抱える諸問題を独特の映像観で描く。 アモス・ギタイの手法は極めて抽象的、客体的であり、言わんとする意図をくみ取るのはなかなか難しい。映像も無言のシーンが延々10分近く続くなど冗長なシーンがあるかと思えば、哲学的で難解な言葉が朗々と語られる饒舌なシーンもある。それだけに、心に響く深遠なインパクトはあるのだが、内容が理解できなければ、ただ鬱陶しいだけでしかない。さらに、本作は登場人物の性格付けや時代背景などの説明が全くと言っていいほどない。ユダヤ人問題、パレスチナ問題、イスラエル建国などの歴史についての知識がなければ、ほとんど理解できないだろう。 その難解さゆえ、同年に日本人監督藤原敏史によって「インディペンデンス アモス・ギダイの映画「ケドマ」をめぐって」というドキュメンタリー映画も製作されている。こちらもなかなか難解なのだが、本作を理解する上で、先に「ロングウェイホーム 遙かなる故郷 イスラエル建国への道(1997米)」を視聴することをお勧めする。イスラエル建国に至るユダヤ人の行動、パレスチナ支配に固執しユダヤ人を排除しようとするイギリス、事なかれ主義アメリカ大統領トルーマンの関与、ユダヤ人とアラブ人との確執などが良く分かる。その上で本作を見ると、描かれている人物や時代背景がくっきりと浮かび上がってくる。 1948年当時、パレスチナは石油資源を掌握したいイギリスによって武力統治されており、イスラエル建国に向けて多くのユダヤ人がパレスチナに密入国をしている。本作はケドマ号という密航船による密航シーンから始まる。パレスチナで出迎えるのはユダヤ人地下組織「イルグン」「シュテルン」「ハガナ」のいずれかと思われ、密航した人々ははかなくも、イギリス軍との交戦に巻き込まれ、さらには先住民のアラブ人との戦闘への参加を余儀なくされる。 ドイツナチスにあれ程にまで迫害され、生と死というものに特に敏感であったはずのユダヤ人が、何故あえて戦闘という災禍の中に身を沈めていくのか。さらには、現在もなお武力をもって隣国と争うイスラエルの存在とは何なのか。本作はそのユダヤ人による戦禍の起源を紐解こうとしているのだ。ドイツナチスのような独裁者はもとより、共産主義者をも憎むユダヤ人の根底にあるものが、本作のラストに蕩々と語られる。 「ユダヤ人は歴史のない民族となった」「ユダヤ人は国から国へと流れ、流浪する」「苦難がユダヤ人を作り、ユダヤ人には苦難しかない」 痛々しいまでの絶望感と虚脱感に支配されるユダヤ人だが、裏を返せば、永住の地、永遠の歴史を求めて異常なまでに固執しているともとれる。何故ユダヤ人が世界各地で嫌われたのか、武力に訴えてでもイスラエルに固執するのか、その答えの一端を本作で垣間見ることができる。 なお、戦闘シーン自体はなかなかリアル。小銃と機関銃程度しか登場しないが、アラブ人との交戦シーンは飛び交う銃弾、倒れ行く戦友など、下手な戦争映画よりもずっと良くできている。特に、アラブ人家屋への攻撃は、イラク戦争のテロリスト掃討作戦を見ているようで、手に汗握った。 映画として見た場合、非常に難解で分かりづらいため、評価自体は高くできないが、ユダヤ人、イスラエルというものを理解する上では重要な作品だと言える。 興奮度★★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1948年5月7日(イスラエル建国宣言の7日前)、ケドマ号に乗ったユダヤ人の一行がボートに乗り移り、パレスチナの海岸に密入国する。密入国した一行の中には、初老のヤヌシュとローザ夫婦?、歌手のメナヘム夫婦などがいた。いずれも家族を強制収容所等で失い、命からがら逃げてきた者ばかりだ。パレスチナはイギリス軍によって武力統治されており、上陸にあたってはテロ活動を行うユダヤ人地下組織リーダーのムサ、元教師で共産主義のクリバノフ、ミレク、女性戦士のヤルデナらが手引きしていた。 上陸して間もなくイギリス軍の攻撃を受け、ユダヤ人らは地下組織の案内で分散して移動を開始する。メナヘムはクリバノフの案内で行動するが、途中で土地を追われて逃げるアラブ人の一行に出会う。彼らはユダヤ人のせいで逃げなければならないと罵る。 ヤヌシュは一時ローザとはぐれるが、合流して露営テントにたどり着く。地下組織の兵は密入国したユダヤ人たちに銃の取り扱いを教える。クリバノフはコミューンのあるキブツへ行こうとメナヘムを誘うが、メナヘムは国のために戦うといって聞かない。 アラブ人部隊との交戦が始まり、ヤヌシュの脇でエステルが死亡。アラブ人が立てこもる住居の交戦でヤルデナをはじめ多くのユダヤ人が戦死する。ヤヌシュは累々と転がる死体を見て呆然とする。さらに、メナヘムが狙撃されて重傷を負う。ムサはアラブ人の老夫婦を拘束して、アラブ部隊の根拠地を聞き出そうとするが、アラブ老人は「我々はここに壁のように留まる」「この地から出て行け」といって叫ぶのみだった。 負傷者をトラックに積んで、ユダヤ人地下組織が移動する。ヤヌシュは戦闘の意義を見いだせずに混乱し始める。「ユダヤ人は歴史のない民族となった」「ユダヤ人は国から国へと流れ、流浪する」「苦難がユダヤ人を作り、ユダヤ人には苦難しかない」と。
2007年10月01日
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11月23日公開予定の映画「ミッドナイトイーグル」の券販売が始まりましたね。先行で買うとキーホルダーのようなものがもらえます。 食玩でもタイアップ商品が予定されていますし、ちょっとだけ期待です。 体調がおもわしくないので、あまり外出する気力もないのですが、たまには映画館に行くのもいいかなと思っています。でも、今はあんまり面白そうなのやってないんですよねえ。 というわけでもないのですが、この間面白そうなゲームソフトを発見。最後の日本兵 最初は操作が難しかったのですが、結構単純で面白いですね。今、戦車をやっつけることができなくて難儀中です。
2007年09月30日
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1945 フランス 監督:ルネ・クルマン 出演者:トニ・ローラン、リュシアン・ドゥザニョオ、ロバール・ルレほか 86分 モノクロ LA BATAILLE DU RAIL / THE BATTLE OF THE RAILS DVD検索「鉄路の闘い」を探す(楽天) ドイツ降伏後まもなくに製作された、フランス国有鉄道員らによるレジスタンス活動を描いたルネ・クルマンの長編処女作。レジスタンス国民会議とフランス国有鉄道の協力により、ドイツ降伏のその年に製作されたというのも驚きだが、出演者のほとんどが当事者や素人というのも凄い。映画の舞台は1944年6月から1945年5月頃のフランスで、史実では連合軍によるノルマンディー上陸作戦に呼応して、フランス国内のレジスタンスが破壊工作など、ドイツ軍の軍事行動妨害を行っている。フランス国有鉄道も例外でなく、ドイツ軍の物資・兵員輸送の遅延妨害を試みるため、サボタージュや破壊工作などで活躍したことが知られ、本作はその国有鉄道員の命がけの抵抗活動を讃えるものとなっている。映画冒頭でも「フランス国有鉄道は対独関係を維持しつつ、敵のバリケードを人間と郵便で突破した。フランス解放に果たした役割は大きい」と述べられている。 そもそも、フランスはドイツ電撃戦で早々とドイツの占領下となり、第二次世界大戦においては、華々しい軍事的活躍がない。対独戦勝に沸く国民にとって、勝利の美酒はレジスタンスに求める以外ない、というある意味屈折した喜びなのであろう。 製作年代が古く、映像が暗く荒れているのは残念だが、本作の高い評価は登場する列車や兵器類、人物が本物であるという点にある。史実をもとに構成されたストーリーは、物語調ではあるが、むしろドキュメンタリー的な雰囲気が強い。当事者が本物の列車や兵器を用いて、事件を再現して見せている、といった感覚なのである。 ストーリー自体は、Dデイに呼応して破壊工作や抵抗を続ける国鉄職員やレジスタンスの活動と、抵抗に業を煮やしつつ対抗措置を執るドイツ軍との駆け引きで構成される。表現されているエピソード自体はなかなか面白いのだが、あえて登場人物に個性を持たせないようにしているのだろうか、説明不足で分かりづらい場面が多いのは残念。登場人物の名前や階級もよくわからないし、裏で動いているレジスタンスの組織的な策略が今ひとつわかりにくかった。ドキュメンタリー的に、レジスタンスの活躍さえわかればいいのだ、ということなのだろうか。 興味深かったのは、国鉄職員らのドイツ軍妨害活動の様子。列車ダイヤが大幅に遅れるように工作するのは当然だが、機械に小石を挟む、行き先表示板を入れ替える、ブレーキホースを切る、燃料を抜く、磁器爆弾を取り付ける、脅迫ビラをまくなど実に様々だ。もちろん、ドイツ軍は犯人捜しも行っており、銃殺に処される場合もある。この辺りの様子は「大列車作戦(1964)」という同じフランス鉄道レジスタンスを描いた名作に詳しい。 本作に登場する兵器類の花形はなんといっても、ドイツ軍のBP42型装甲列車。本物の装甲列車を走らせての映像はなかなかレア。さらに、ドイツ軍戦車などの兵器を搭載したまま貨物列車を転覆させるシーンはまさに圧巻。崖の上から機関車をはじめ貨物、戦車が惜しげもなくバラバラと転落していく。転落シーンに搭載されていたのはルノーR35戦車、II号戦車、7.5cm対戦車自走砲マルダーI、Sdkfz.251装甲車など。このほか、転落したかどうかは未確認だが、貨車に搭載されたIV号戦車パンター、カルロ・ベローチェL3豆戦車、スタイヤーRSO角形キャビン、ワーゲンなどの車両も映っている。これらは、ドイツ軍が遺棄した兵器と思われるが、ルノーR35戦車は装甲列車にも搭載され、実際にレジスタンス掃討シーンで走行もしている。ちなみに、ルノー R35はフランス、ベローチェL3はイタリア製だが、いずれもドイツ軍が接収して使用していたようだ。 戦争映画としては、レジスタンスの破壊活動なわけで、あまり華々しさはないが、フランス人にとってはまさに英雄そのものなのだろう。申し訳ないが、私個人的には姑息なテロ行為に困っているドイツ軍の方に心情が傾いてしまうが(笑)、こうした色々な視点での映画があるということに感謝したい。 興奮度★★★ 沈痛度★★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) フランス国有鉄道は、ドイツ軍検問の目を盗んで、人間や郵便を送り続けた。また、ドイツ軍の軍事車両の運行を少しでも邪魔するため、機械に小石を入れたり、行き先表示を変える、ブレーキホースを切る、燃料を抜く、磁器爆弾を取り付ける、脅迫ビラをまくなど様々な妨害を行った。 ドイツ兵が殺害されたり、橋が爆破されるなど著しい妨害があると、ドイツ軍は国鉄職員を連行し射殺することもあった。機関士らは一斉に汽笛を鳴らして抵抗の意志を示す。 1944年6月、ノルマンディに連合軍が上陸すると、フランス国有鉄道のレジスタンスには、西部戦線へのドイツ軍輸送の遅延妨害が指令された。ドイツ軍は12列車で兵と武器を輸送する「アプフェルケーン隊」を西部に送ろうと試みるが、フランスレジスタンスによりコルバン橋、ロルム駅が破壊され、サンタンドレ駅に迂回を余儀なくされる。 サンタンドレ駅にはレジスタンスが先回りし、燃料不足で動かない機関車を退役した機関士ジュール、ビクトールの協力で動かして転覆させる。ドイツ軍は転覆した機関車の撤去のため、30トンクレーン機関車を送るが、そこでもクレーン車のアンカーを工作して、クレーン車自体が転覆してしまう。ドイツ軍はさらに50トンクレーンを現場に送り、なんとか復旧に成功するが、数日間のロスを負ってしまう。 レジスタンスは、戻っていく50トンクレーン機関車を停止させ、乗っていたドイツ兵を捕虜にしたうえで、線路を逆送させる。慌てたドイツ軍は列車を転覆させようと試みるが、国有鉄道職員の機転で逆送を続けてしまう。 すっかり邪魔されたドイツ軍は、ついに装甲列車の投入を決意し、輸送列車の前に装甲列車を走らせて破壊されたレールの修理をしながら進む作戦に出る。レジスタンスは装甲列車を阻止しようと、果敢な攻撃に出るが、返り討ちにあってしまう。 修理を追えて、進み出した装甲列車に対し、レジスタンスは大がかりな暴力に訴えた作戦に出ることを決意する。装甲列車の次に走る輸送列車を脱線させようというのだ。運行される列車の間隔が狭く、危険な任務だった。その危険な輸送列車S1504の機関士にはランパンが搭乗することに。間一髪のところでランパンは脱出に成功し、兵や戦車などを満載した輸送列車S1504は脱線して谷間に転落していく。 さらに、鉄道司令部では残りの11台の列車を止めるべく、電化列車の電源を切ったり、機関車の燃料を放棄したりと妨害工作に出る。ついに10台の列車が立ち往生となる。さらに、立ち往生した列車には連合軍の空襲が襲う。 ドイツ軍は敗走し、サンタンドレは連合軍に解放される。サンタンドレの解放1番列車がフランス国旗を掲げて出発する。そして、脱線して散乱する輸送列車S1504の脇を走り抜けていく。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月28日
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1944 9月 社団法人日本映画社 11分 モノクロ サイレント DVD検索「戦時下のスクリーン 続」を探す(楽天) 発掘された国策映画としてDVD「戦時下のスクリーン 続」に収録されている一つ。パッケージ解説より「社團法人日本映画社では、映写設備や音響設備が整っていない地域での移動映写会などの上映用に、数週間分の『日本ニュース』をとりまとめた『映画月報』を発行、その多くは上映条件を考慮して、16ミリ サイレント版として製作されていた。本月報の内容は、「風雪と闘う北の航空基地」「決戦つづく南の航空基地」「大陸進攻作戦」「つづけ小國民」」。内容テロップと映像海軍(1) 風雪と闘ふ 北の航空基地 海軍省検閲第140号「北方からわが本土空襲をねらふ敵に備へて」 カムチャッカ、千島列島の映像「エンジンも凍る厳しい寒さと闘ひながら海鷲たちは北方の第一線の護りについている」 凍土の中の零戦、一式陸攻 一式陸攻機首からの映像(2)決戦つづく南の航空基地 海軍省検閲第139号「ラバウルを奪ひ返へさうとすきをうかがふ敵を求めて」彗星艦爆「ムンダ・ツラギの敵基地を眼下に海鷲の水ももらさぬ索敵がつづく」上空からの地上映像「有力なる敵機動部隊 ブーゲンビル島沖を北上中」「索敵機からの報告に待ちかまへた基地の海鷲は敵撃滅の決意に燃えて出撃」魚雷を抱いた九六式陸攻、一式陸攻陸軍(3)大陸進攻作戦「重慶軍が難攻不落を誇った常徳に総攻撃開始」山砲、迫撃砲の砲撃「激戦一週間 常徳遂に陥落」捕虜となった重慶軍(4)つづけ小国民「勇ましい少年兵もまじって小国民総決起大会が東京都で開かれた」九七式中戦車(旧砲塔)「先輩の少年兵も母校を訪れた」九五式軽戦車など「翌日代々木で十万の学童を前に大攻防戦が行われた」九七式中戦車と九五式軽戦車、代々木が大平原!聴音機、八八式高射砲、航空機「ぼくたちも後からつづくぞと分隊行進に参加した」行進風景興奮度★★沈痛度★爽快度★感涙度★かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月26日
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映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」DVDの発売予定が来ました。10月21日予定だそうです。特別版と通常版があります。特別版 \7,140<封入特典>豪華ブックレット「特攻」 -その真実(42P)/特典ディスク<特典映像>特報/劇場予告編/TVスポット<特典ディスク内容>メイキング映像/豪華セレモニー集/「真実」の証言/アメリカから見た「特攻」/戦闘機「隼」とは?/壮絶な特攻シーン~VFX完全解説~/キャスト&スタッフインタビュー/「シネコン通信」集/「ナビゲートDVD」収録/ポスターギャラリーだそうです。通常版 \3,990やっぱり、ここは特別版でしょうね。楽しみであります。このほか、「ラストキング・オブ・スコットランド」10月5日発売予定です。「ルワンダの涙」9月19日発売予定です。
2007年07月25日
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2006 ドイツ・オーストラリア 監督:トーステン・シュミット 出演者:ゾフィー・シュット、メラーブ・ニニッゼ、ロンフ・カニエス、マレイク・フェルほか 189分 カラー HIMMEL UBER AUSTRALIEN / RAPTURE OF THE DEEP DVD検索「U-196」を探す(楽天) オーストラリアの澄んだ海コーラル・エッジに沈む、第二次世界大戦のドイツ海軍潜水艦U-196の積み荷が引き起こす、サスペンスパニックという触れ込み。DVDでは前後編に分かれ、189分の長編テレビムービー。邦題でUボートの冠を付けてはいるが、どうも戦争映画の系統ではないなと思いつつ、外国映画評では8.5/10という好成績であったため、駄目もとで視聴した。 やはりというか私の予感は的中し、本作はUボートの存在はほんの片隅に追いやられているのであって、しかもサスペンス・パニックというよりは、ロードムービー、エコ(環境)ムービーといった手合い。確かに、毒が流出したり、悪玉が暗躍するのを阻止したりと、ドキドキシーンもあることはあるが、それにしても189分というのは実に長い。大半が、オーストラリアの大自然と、現地の人々のほのぼのとした会話、そして主人公らのどうでもいいようなヒューマンドラマで構成され、ゆったりダラダラと時間が流れていく。いつUボートが出てくるのか、激しいアクションは・・・と期待していたが、結局最後まで裏切られた(笑)。 シナリオ自体が、サスペンスと言うにはあまりに稚拙で、大学生の自主制作映画かと思うような、先が見え見えの展開。主人公の父親探し、オーストラリアの石油掘削会社社長親子の確執、現地アボリジニの女性の人間関係など、ヒューマンドラマ要素も多分に盛り込んではいるが、どれも有機的に関連しそうでせず、長時間映画の割に深みがない。ダイビングシーンが多いので、ダイバー志向の映画かとも思ったが、それもちょっと違うようだ。 また、ラブロマンスも盛り込まれているが、主人公エレナ役のゾフィー・シュットは30歳すぎの微妙な年齢で、ちょっとごつい感じは個人的には趣味じゃない(笑)。もう一人の若い女性デビー役も30歳越えで、どちらも美女ではあるのだろうが、どうにも華がないのだ。さらに、エッチシーンもあるのだが、バストトップが映りそうで映らないもどかしさ。不完全燃焼(爆)。 このほか、ストーリー設定に陳腐な点も目立つ。Uボートに積まれていた毒はボツリヌス菌毒素で、1グラムで100万人の致死量があるとされている。潜水艦から漏れだしたボツリヌス菌毒素によって大量の魚が死亡したことから大騒ぎになるのであるが、確か積み荷のボツリヌス菌アンプルは全部で20本存在するとしておきながら、主人公らが引き上げ回収したのも20本。じゃあ、その前に漏れ出た菌は一体どこから?もし、そのうちの1本が破損して漏れているのだとしたら、防護服も着ずに潜って回収していた彼らの身は・・・? また、主人公が父親を確認するため、血液型を調べるのだが、本国にいる友人に頼んで血液型対照表を取り寄せ、特別な鑑定でもするのかと思いきや、判明したのは「AB型の父親からはO型は生まれない」・・・・。ドイツではそんな基本的なことも取り寄せないと分からないのか・・・ガッカリ。 ついでに、主人公のエレナがドイツ語を話すのは当然だが、オーストラリアの人々も皆ドイツ語を話しているのは変。テレビムービーなので仕方ないのだろうが、ドイツ語は独特の圧迫感があるので、オーストラリアの広大な自然にはマッチせず、かなり違和感があった。 結局、本作のジャンルは何だったのか。ドキドキ感を期待するのも、ゆったり感を期待するのもどちらも中途半端。ストーリー自体、面白いか面白くないかと言ったら・・・かなり面白くない。戦争映画じゃないからという問題以前に、久しぶりに失敗しちゃったな。 興奮度★ 沈痛度★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ドイツ海洋研究所の研究員エレナは双子の兄をダイビングで失い、トラウマ状態にあった。折しも研究所の館長選挙が迫っており、エレナはマーティンからの推薦もあり、館長候補に立候補する。エレナは、自宅の屋根裏の整理の際に、亡くなった母親の隠していた手紙を発見する。手紙は墜落事故死したと聞かされていた父からで、1975年10月の消印で内容は、「刑務所に入れられてしまうのでドイツから逃げなければならなくなった。オーストラリアのコーラル・エッジでダイビングスクールを開いたので、余裕が出来たら母子を呼び寄せる」といったものであった。 気になったエレナはインターネットで検索し、コーラル・エッジに海洋観測所があることを発見。所長のスティーブ・アトキンスが年齢的にも父親に近かった。友人のコリンナの勧めもあり、エレナは10日間の休暇を貰ってオーストラリアに旅立つ。観測所までの道に迷ったエレナはアボリジニで女性保安官のマルチダに助けられる。観測所にようやくたどり着いたエレナは、青年のカイル・ビッカム、フィル、女性研究者デビーと出会う。しかし、スティーブにはなかなか会えなかった。 当初はイルカの研究という名目で滞在していたが、海岸でイルカの変死体を見つけてから事態は急変する。イルカの死体から毒物ボツリヌス菌が検出されたのだ。人体への影響も懸念されたことからスティーブらの血液検査を提案したエレナは、町で唯一の医者パーカーに検査を依頼する。そのパーカーはどうも胡散臭く、何かを隠していた。血液検査は実はスティーブが父親かどうかを調べる意図もあった。しかし、スティーブはAB型、エレナはO型で親子関係にはなかった。逆にカイルの父親で海洋観測所と敵対関係にある石油掘削会社社長ジョージ・ビッカムが候補として浮上する。 そのビッカム社長は市長らも抱き込んで、コーラル・エッジ自然保護区の掌握を狙っていた。そのため、ボツリヌス菌の公式調査を阻止した。スティーブらは独自にイルカの背にカメラを装着して海底の調査を実施する。その結果、毒物の発生源にドイツ海軍のUボートU-196が沈んでいることを突き止める。調査のためにカイルとエレナが潜るが、海流の変化でカイルが危機に陥る。エレナは兄フランクの死が頭をよぎり、カイルをなかなか助けることが出来なかった。これに怒るカイルとエレナを支持するフィルの間で喧嘩が起きる。スティーブはカイルに休暇を与えるが、カイルは怒って父親のもとに行ってしまう。 エレナは、スティーブの破けた服の隙間から兄フランクと同じアザがあることを発見。スティーブの家を捜索して、母からの手紙を発見する。やはりスティーブが父親で、血液は他人とすり替えていたのだ。スティーブは、ドイツ軍務中に軍曹と喧嘩し、終身刑となりそうだったので逃亡したと理由を語るが、母子への謝罪の言葉はなかった。 さらに大量の魚が死ぬ。ボツリヌス菌の容器が腐食して流れ出したと判断し、海軍に連絡を入れる。一方、エレナはドイツの大学教授に連絡し、U-196の積荷についての調査を依頼し、U-196は日本に行く途中に撃沈されたもので、ベーネミュンデ港でボツリヌス菌アンプル20本を積み込んだことが判明する。海軍はなかなか重い腰を上げず、海域への到着が遅れそうだった。 ある夜、不審なゴムボートを見つけたフィルとエレナは追跡し、フィルが潜水艦に潜る。フィルは海中で不審者に襲われ、間一髪のところでエレナが救出するが、不審者の仕掛けた起爆装置が爆発する。この爆発で、エレナらに怪我はなかったが、不審者が大怪我を負う。その不審者とは父親に誉めて貰いたくて爆破を狙ったカイルだった。 カイルは意識不明となり大病院へ搬送される。カイルの恋人であるデビーもビッカム社長側につき、社長に情報を流し始める。エレナとフィルは急接近し、ついに関係を結ぶが、エレナはなかったことにしようと言う。さらに、スティーブとも喧嘩をし、館長選挙の期限が迫ったためにドイツへ帰国することにする。帰路につくエレナを追ったフィルの車が何物かに工作されて事故を起こす。次第に父親ともわだかまりが溶け始める。 スティーブは、サイクロンが接近していることを知り、海軍の到着まで潜水艦がもたないと判断。自力でボツリヌス菌を回収しようと試みる。いったんは帰ろうと考えたエレナだが、父親とともに回収することを決意する。スティーブはボツリヌス菌アンプルを回収。しかし、引き上げ時に足を挟まれてしまい、エレナに救われる。一足先に海上の船に戻ったスティーブはビッカム社長に襲われ、またもやエレナに救われる。 サイクロンが去り、医者のパーカーが自殺する。館長選挙に早く戻ってこいと言う電話にエレナはもう戻らないと宣言する。 かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月23日
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2006 ロシア・ベラルーシ 監督:ジノヴィ・ロイズマン 出演者:アンドレイ・パニン、デニス・ニキフォロフ、アンソレイ・ソコロフほか 100分 カラー POSLEDNIY BRONEPOEZD /THE LAST ARMORDE TRAIN DVD検索「限界戦線」を探す(楽天) 第二次世界大戦のソヴィエト・ドイツ攻防戦を舞台に、戦略上の重要拠点である鉄橋攻防でのソヴィエト軍装甲列車の活躍を描いたアクション系ヒューマンドラマ。特に歴史的事実に基づいたものではなさそうだ。 撮影に用いた道具類、爆薬量、エキストラともにスケール感の大きい作品で、アクションに関して言えばかなり見応えはある。オープニングの映像、挿入音楽、効果音などもいかにもロシア風で、なかなか格好良い。だが、内容に関して言えば、ハリウッド映画を意識しているのか、せっかくのロシア映画的なねちっこさがない。前半までは戦争アクション色の濃い展開だが、後半になるにつれ、無意味なラブロマンスや格闘アクションが挿入されてしまい、映画のリアル感や流れが一気に阻害されてしまったのが残念。特に、後半に挿入されたロシア美女のヌードシーンや主人公による徒手格闘シーンは全くの蛇足であった。さらに、画面転換の際に映像が止まったり、ブチ切れたりしているのは、DVD化にあたって元テープが短く編集されているのか、単に仕事が雑なのか、見ていて目障りだった。 本作は、独ソ戦の中でもソヴィエト軍の装甲列車というレアな題材であり、いわば列車アクションと言うにふさわしい。だが、せっかくの列車アクションなのに、格闘シーンなどはアメリカ映画の劣化コピーのようなイメージで、アクションや展開に斬新さがないのがなんとも寂しい。さらに、せっかくの装甲列車自体の作り込みや映像が今ひとつで、装甲列車が関わる戦闘シーンが少ない上、搭載兵器類がほとんど映されないのは減点要素。もっと装甲列車の活躍があると良かったのだが。 アクションにかかる爆薬使用量はかなり多い。惜しげもなく建物や構造物を破壊しているので、迫力は十分感じる。ただし、炸裂箇所や爆薬の量がシーンとマッチしていない箇所もあり、リアル感という点では今ひとつ。 ストーリーで興味深かったのは、ソヴィエト赤軍の粛正等がごく普通に描かれ、スターリンも赤軍幹部も善人には描かれていないこと。本作では、特に政治的意図もないのだろうが、ごく普通にソヴィエトスターリン体制の恥部を描ける時代になったのだと感慨を覚えた。もちろん、ソヴィエト軍賛美の傾向は強いのだが、決してドイツ軍が極悪というわけでもない。むしろ、ソヴィエト映画の楽しさは、コテコテの政治色にもあったのだが、そうした色合いが薄くなってきたのはロシア人の趣向が変わってきたと言うことなのだろう。 主人公は、元陸軍少将(旅団長)だった政治犯兵(アンドレイ・パニン)で、見た目も渋く、アクションシーンもそこそここなしているのだが、声がかん高くてビックリ。妙に違和感を感じる。その他の兵はとってつけたような役柄だったが、特にインパクトなし。看護兵トーマ役はかなりの美少女で、ヌードシーンも披露。ヌード自体はストーリーを阻害する極悪なものだったが、彼女のヌードを入れてみたい監督の気持ちはよくわかる(笑)。なお、独兵がきちんとドイツ語を話していたのは好感。 ドイツ軍の軍装がちょっと変な感じだが、迷彩服を着用しソヴィエト兵に化けるのは、いわゆるドイツ降下猟兵を描いているのだろう。バルジの戦いでアメリカ兵に化けたドイツ降下猟兵の逸話は有名だが、対ソヴィエト戦でもこうした活動は頻繁に行われていたのだろうか。 その降下猟兵が乗ってくるのは、ANT-7(R-6)風の曳航機に曳かれたグライダー。グライダーはYAK-14風にも見えるがちょっと違う。いずれの滑空、着陸シーンとも限りなく実機に見えるのだが、もしミニチュアやCGだとすれば、かなりの技術だ。このほか、ドイツ軍用車としてBTR-40装甲車が登場している。ソヴィエト軍装甲列車は実物大のものを製作してはいるが、前述のとおりあまり迫力はない。 ストーリーの流れや全体のコンセプトという点では、かなり中途半端で残念な出来。前半までの出来が後半に引き続いていれば合格点だったかもしれない。時刻表示をしながら進めていくストーリーながら、緊迫感がなかったのはシナリオや編集に問題があったように思える。 なお、邦題に関しては、期待する方が良くないのだろうが、何が限界戦線なのか意味不明。 興奮度★★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) ソヴィエト軍陣地にソヴィエト軍の脱走兵の集団がやってきて混乱となる。その機に乗じてドイツ軍が襲撃をかけて全滅させる。ドイツ軍指揮官はソヴィエト軍中尉の軍服に着替えて、戦線の要衝となっているドルチ川鉄橋の守備隊に接近する。ツェフツォフ中尉を名乗る独兵は、上空からグライダーで侵入してきたドイツ軍降下猟兵と呼応して、ソヴィエト軍ヤホントフ大尉の守備隊を撃破し、鉄橋の奪取に成功する。 7月15日7時15分、ソヴィエト軍の第63歩兵団司令部の兵団長は、ヤホントフ大尉と連絡がつかなくなったことから、鉄橋が奪取された可能性が高いと判断した。しかし、攻撃部隊を組織するのに時間がかかるため、急遽虎の子の装甲列車をドルチ川鉄橋に向かわせることにする。すぐさま、オリホフカ駅に列車兵が召集される。 鉄橋では事情を知らないソヴィエト軍列車が通過していく。ドイツ兵のツェフツォフ中尉は列車に便乗してマリヤモボ駅まで一緒に行動する。列車には囚人兵の一群が乗っており、政治犯のレソルプやラザリ、ミーシャといった兵がいた。些細な喧嘩からシェルパン中佐の懲罰を受けている最中に、列車はドイツ軍に占領された陣地からの砲撃を受ける。レソルプの手引きでラザリ、ミーシャ、その場にいた看護兵のトーマはファデエフ機関士とともに機関車を動かして脱出に成功する。さらに、ドイツ軍の背後にまわってドイツ軍を殲滅する。茫然自失のシェルパン少佐は自殺し、レソルプらはそのまま姿を消そうとするが、鉢合わせした装甲列車に見つかってしまい、逃亡兵として監禁されてしまう。 尋問の際にレソルプは「兵団長に会わせろ」と不審な発言をするが、実は彼は元旅団長の陸軍少将だったのだ。スターリンの粛正で政治犯となっていた。 第63歩兵団がマリヤモボに到着し、兵団長は副官のギャリボイ大佐にツェフツォフ中尉を連れて偵察に行くよう命じる。ツェフツォフ中尉はギャリボイ大佐から装甲列車の情報を聞き出し、先回りして装甲列車を待ちかまえる。レソルプらを乗せた装甲列車が駅に到着し、ツェフツォフ中尉は列車のソヴィエト兵を皆殺しにする。唯一監禁されていたレソルプらだけが難を逃れ、床下から脱出して装甲列車ごと逃亡に成功する。その際、ギャリボイ大佐も脱出に成功し、装甲列車に飛び乗る。ツェフツォフ中尉は、勲章欲しさに装甲列車奪取失敗を報告せずに追跡を開始する。 レソルプはギャリボイ大佐がドイツ軍に情報を売ったことを知り、自分を政治犯送りにした男でもあるギャリボイ大佐に罪を償えと射殺する。 7月16日12時、クリチェボ退避駅に装甲列車が着く。そこにはドイツ兵がいたが列車で攻撃して制圧。捕虜となっていたソヴィエト兵らがドイツ兵を撲殺する。その中から希望者を乗せて列車は出発。さらに、ドイツ兵と仲良くしていたために目の敵にされていた美女ソフィヤも乗せてやる。ソフィヤはドイツ人でロシア人に育てられた女だった。次第にレソルプとソフィアは恋仲になっていく。また、ミーシャは看護兵のトーマに恋心を寄せていく。 ドルチ川近くに第63歩兵団が到着し、装甲列車の到着を待つ。装甲列車は追いかけてきたツェフツォフ中尉(ディートリッヒ中佐)に襲撃を受けるが、これを撃退。ツェフツォフ中尉と降下猟兵隊長のクリューゲは内争を始め、追われたツェフツォフ中尉は、まんまとレソルプの装甲列車に乗り込むことに成功する。ツェフツォフ中尉は装甲列車を鉄橋にやらないように、空襲から避けるためセメント工場に避難することを提案する。さらに、厭戦的なソヴィエト兵を煽動して味方に付け、ドイツ軍に情報を流す。ドイツ軍はセメント工場に接近し、レソルプらは危機一髪のところで工場を脱出する。 工場を出て第63歩兵団の待つ鉄橋付近へ移動する装甲列車の中で、ついにツェフツォフ中尉が行動を起こす。ツェフツォフ中尉は屋根で警戒に当たっていたラザリを刺し、反乱兵達が列車内を制圧する。異変に気づいたレソルプらだったが、機関士のファデエフが肩を撃たれ、ミーシャも危機一髪のところをトーマに助けられる。レソルプはツェフツォフ中尉と一騎打ちとなり、列車から転落。付近の廃屋での決闘で、ついにレソルプはツェフツォフ中尉を倒す。 装甲列車が予定時間に到着しないため、第63歩兵団長は鉄橋への突撃を開始。しかし、ドイツ軍陣地の反撃で兵がバタバタと倒れていく。その時、ようやく装甲列車が到着し、ドイツ兵は逃げていく。 その後、レソルプはプラハに行き死ぬ。ソフィアは行方がしれない。ミーシャとトーマは戦後も生き残る。ラザリは9日後に死亡。機関士は1947年まで装甲列車の運転をした。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月22日
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1998 アメリカ 監督:ヨッシー・ウェイン 出演者:マイケル・マクグラディ、サイモン・ジョーンズ、ロバート・パテリほか 105分 カラー OPERATION DELTA FORCE 2 OPERATION DELTA FORCE II: MAYDAY DVD検索「オペレーション・デルタフォース2」を探す(楽天) アメリカ陸軍第一特殊作戦部隊D(デルタ)分遣隊を題材にしたシリーズもので、「オペレーション・デルタフォース(1997)」から5作目まであるうちの2作目。デルタフォースは対テロ作戦特殊部隊ということで、本作もイラクでの捕虜奪還作戦に続いて、テロリストに乗っ取られたロシア原子力潜水艦を奪還すべくデルタフォースが乗り込んで解決するわけだが、テロリストに拉致された元米海軍潜水艦長の息子がデルタフォースの隊長という安直な設定。このシリーズは駄作との評判で名高いので、ストーリー展開には端から期待してはいけないのだが、それにしても背景となる軍の指揮系統や世界情勢などまるで無視というのもいかがなものか。 そもそもデルタフォース自体の描き方が変というのは致命的。デルタフォースの連中は常にノーヘルで無防備状態だし、地上、空中、水上いずれの敵地潜入でも隠密潜入どころか、わざわざ敵に見つけてくれと言っているような行動ばかり。とにかく行動が不用心で見ちゃいられない。その上、絶対的多数の敵兵に囲まれても絶対に弾に当たらないデルタフォース(笑)。逆にテロリストの親玉も同様で、テロリストの目的や行動も実に不可解。あまりに作戦が杜撰だし、部下が弱すぎ。このほか、父親の元艦長もテロリストの拉致からせっかく逃げ出したのに、不用意に動き回るのですぐ捕まっちゃうし、イライラが募る。アクションシーンも、弾に当たる奴当たらない奴がはっきりしすぎているし、酷いのは爆発前にジャンプしちゃってる敵兵も・・・。唯一見応えがあるとすれば、派手な火薬使用と実車の戦闘車両、航空機ぐらいのものか。冒頭シーンのイラク戦はなかなかの火薬量で、ここだけならば立派な戦争映画だ。 登場する兵器類はなかなか豊富で、イラク捕虜奪還作戦シーンでは、UH-1イロコイ、ミルMi- 8ヒップといったヘリコプターのほか、T-55戦車、BMP-1歩兵戦闘車、BTR-60PB装甲兵員輸送車が登場している。本作の撮影は南アフリカのヨハネスバーグだとされるが、はてこの兵器類はどこから調達したものか。南アフリカ軍自体はこれら東側の兵器を持たないはずので、モザンビークやザンビアと言った近隣国からの調達なのか、兵器レンタル商からの調達なのか。また、驚きなのは、Mi-8ヒップヘリの実寸大模型を思い切り落下爆破させている点だ。シナリオ、アクションが劣悪な分、こういうところで予算を使っているのが面白い。 ロシア原子力潜水艦乗っ取りシーンでは、さすがに潜水艦はCG処理だが、関連するシーンではC-130ハーキュリー輸送機、BTR-60P装甲兵員輸送車の姿が登場する。ちなみに、ロシア原子力潜水艦は弾道ミサイル原潜グレミハ級SSBN-AK208クルスク号、アクラ級SSN-K157ブレモフ号、シエラ級SSN-SK587アレクセフ号の名称が出てくる。グレミハ級とは聞いたことがないので、最新鋭という意味でグレミハ潜水艦基地からとってきたのだろう。なお、クルスク号は巡航ミサイル原潜として実在しており、2000年8月に沈没事故を起こしている。 アクション映画としてもリアル系ではなく、ヒーロー系の類。セットや爆破シーン等には結構な金がかかっていそうだが、それを十分に生かすだけのシナリオと演技がなされていないのは残念。指揮系統や命令も今ひとつ理不尽だし、全体をとおして視聴してもストーリーに引き込まれることがなかった。申し訳ないが、このシリーズは勢いで作ったとしか思えないのであった。 興奮度★★ 沈痛度★ 爽快度★★ 感涙度★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) イラクのテロリスト集団の捕虜となったアメリカ兵を救出するため、スキップ・ラング大尉をリーダーとするデルタフォースが出動する。ヘリコプターによる低空侵入により、イラクテロリスト基地付近に潜入したラング大尉らは、思いの外堅固な防御陣地に愕然とし、激しい抵抗に窮地に追い込まれる。司令部は作戦中止を命じ、軍曹は撤退を進言するも、ラング大尉は強引に救出作戦を強行する。その結果、一部兵の負傷もあったが見事捕虜の救出に成功する。この一件で、ラング大尉は命令違反として軍法会議の査問に召喚されてしまう。しかし、結束力の強い部下の証言により命令違反は不問にされる。 ラング大尉の父ハスレイ・ラング元海軍大佐が船長を務める豪華客船が、テロリストによって乗っ取られる。船内にはラング船長の妻子も乗っていたが、テロリストは容赦なく抵抗する民間人を射殺する。また、客船の付近海域でロシア海軍の原子力潜水艦グレミハ号が、テロリスト内通兵によって乗っ取られ、テロリストリーダーのルカシュによって支配される。ロシア政府はアメリカ政府にクルスクの撃沈を許可する。しかし、ルカシュは原潜クルスク号を客船の真下に潜航させ、アメリカ軍が攻撃できないように仕組む。 ロシア海軍もまたクルスク号の撃沈を試み、潜水艦ブレモフ号を急行させる。ルカシュはこれに対抗するため、元アメリカ海軍原潜艦長だったラング元大佐をクルスク号に移乗させ、客船乗客の命を盾に、ブレモフ号への攻撃を仕掛けて撃沈させてしまう。 アメリカ政府はデルタフォースの投入を決意。ラング大尉らが客船内に潜入。客船内のテロリストは一掃し、ラング大尉の家族ら乗客の生命は確保できたものの、クルスク号は海中深く消えてしまう。 クルスク号は、テロリストによって占拠されたロシアの海軍基地に入港する。そこには、ロシア海軍が保有する核ミサイルがあり、ルカシュは核ミサイルでアメリカ及びロシアの主要都市を攻撃すると警告してくる。 ラング大尉らデルタフォースはロシアの海軍基地に潜入。海中の侵入防御網を破壊して、テロリストを急襲。デルタフォース隊員が1名戦死するも、テロリストの大半を倒すことに成功する。間一髪でルカシュは原潜クルスク号を出港させるが、ラング大尉らもクルスク号に乗り込むことに成功。父親のラング元大佐をいったんは確保するも、ルカシュによって再び拉致されてしまう。デルタフォースの活躍でなんとかルカシュを倒すが、死を確認しなかったために蘇ったルカシュによってデルタフォース隊員に死者が出る。 ロシア政府はクルスク撃沈のため、原潜アレクセフ号を投入。激しいバトルの末、クルスク号が撃沈されそうになる直前、ようやくラング大尉はルカシュを倒すことに成功する。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月21日
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2004 ドイツ・スイス・オランダ・ルクセンブルグ 監督:ニコ・フォン・グラッソウ 出演者:イワン・ステブノウ、ベラ・B・フェルゼンハイマー、ヨッヘン・ニッケルほか 97分 カラー EDELWEIBPIRATEN DVD検索「ラストデイズ・オブ・サードエンパイア」を探す(楽天) 第二次世界大戦時のドイツで、ナチスヒトラーに反抗していた若者の組織「エーデルワイス海賊団」を題材に描いたヒューマンドラマ。ドイツと言えば、ナチ党による強力な独裁というイメージも強いが、実際はこうした抵抗組織が多々あったことは意外と知られていない。 エーデルワイス海賊団(Edelweibpiraten)とは変な名称だが、もとは若者の娯楽集団のようなもので、ハイキングを主としたものであるなど、その自生については余り明確ではないようだ。同じく反ナチ組織には、KJVD(ドイツ共産主義青年連盟)、KPD(ドイツ共産党)など共産主義者を中心とした左翼組織も知られているが、このエーデルワイス海賊団は非政治的なのが特徴とされる。ナチ党やゲシュタポ(秘密国家警察)へのテロ行為や盗みのような行為もあったようだが、同じ若者組織であるナチス側のヒトラー・ユーゲントと抗争するなど、いわばお子様ギャングとか愚連隊、ヒッピーといったようなイメージが強いようだ。 本作は、1980年代にエーデルワイス海賊団の存在を公表した、元海賊団員"Kurt Piehl"の手記をもとに、監督、原作のニコ・フォン・グラッソウが映像化したものだ。ただ、自由奔放にアンダーグラウンド生活しながらも、彼らはナチやゲシュタポからは追われる身であり、実際に1944年10月27日にはケルンで11名が公開絞首刑にされている。本作では 1944年11月10日となっているが、同じくケルンでの公開処刑を描いており、実話をもとに製作されていることがわかる。それだけに、切実に緊張感をもって描かれた本作は、かなりリアルな印象となっている。 主人公カールはエーデルワイス海賊団の一員で、弟ペーターは正対する組織ヒトラー・ユーゲントに属している。相反するキャラクターで、自由を求めながらも優柔不断な兄カールと、頑なまでに実直な弟の対比は、大戦末期であるがゆえにもの悲しい出来事を引き起こしていく。それでも、兄弟の絆は強く、互いをかばいながら大戦末期の混乱を生きていく姿は感動的だ。また、キーマンにはユダヤ人脱走者が設定され、カールらとともに権力に抵抗しながらも、カールの義姉をめぐるラブロマンスを含め、生きようとする意義や目的のすれ違いがクローズアップされる。さらに、義姉の幼い子供たちの姿は愛らしく、そしてなんとも弱々しい。 生と死に直面する極限の生活の中、人は何を思って生きていくのだろうか。誰の行動が正しかったのか、自分ならどうしたか。そんなことを考えさせる映画であるとともに、考える事への恐怖心すら感じさせられた。 ストーリーは大戦末期の短期間を描き、戦史の説明的なシーンもないのだが、時系列的な出来事が比較的わかりやすい出来。エーデルワイス海賊団にしても、ヒトラーユーゲント、ゲシュタポも詳しい解説がないのだが、流れの中でなんとなく理解できる。登場人物も程度な人数で、顔の判別もしやすい。テンポのバランスも悪くなく、起承転結もしっかりしているので、全体的にまとまりのある作品だと言える。ただ、人物描写はやや世俗的でストレートな傾向がある。刺激的な表現も多く、少女ヌードも出てくる。こうした表現を見るとお国柄の違いを感じる。 映像は35mm映画のようだが、序盤はハンディカメラを利用したような色合いや揺れが気になった。途中からは慣れてきてあまり気にならないが、ちょっとチープ感を感じてしまうのは減点要素か。撮影はロシアのサンクトペテルブルグ、リトアニアということで、当時のヨーロッパ的建物の雰囲気をよく出している。廃墟、瓦礫シーンも多かったが、セットとしてはかなり大がかりな印象。 ヒューマンドラマなので、兵器類は全く登場しない。だが、航空機や戦車などは映らないものの、空爆弾着シーンや砲撃シーンなどはかなりの迫力。ストーリーに緊迫感を与えることのできるリアルな映像は良かった。 映像にやや難点を感じたが、ストーリー、テンポなど完成度は高い作品だった。こうした、戦火の裏に隠れた人々の日常や非日常を描いた作品が、今後も多く作られることを期待したい。 興奮度★★★ 沈痛度★★★★ 爽快度★★ 感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 1945年3月、連合軍がドイツのケルンに侵攻。ゲシュタポの警部は自殺を図り、カールは刑務所から解放される。 その1年前、ドイツのケルン。エーデルワイス海賊団に属するカールは、母親を爆撃で失い、父は前線に出征している。弟のペーターはナチスのヒトラー・ユーゲントに所属し、戦死した兄嫁ツィリーには幼い子供アントンとフリッツィがいる。エーデルワイス海賊団は、ケルンに数千人おり、バッブス、ギュンター、バルテルなどとともに、反ナチス行動や、ヒトラー・ユーゲントとの抗争などに明け暮れていた。それでも、少年の彼らはお遊び的な所もあり、ゲシュタポから目を付けられるほどではなかった。ナチ党員のゼントゲンは義姉のツィリーに愛人を迫っており、カールは苦々しく思っていた。 ある日、ユダヤ人囚人の通称爆弾ハンスは、不発弾を誘爆させて看守を殺害する。自らも重傷を負ったハンスを、カールらが発見しツィリーの家に匿うことになる。ツィリーの献身的な看護によりハンスは全快し、ツィリーの息子アントンが不発弾の下敷きになったのを助けるなど、二人は恋に落ちる。カールもまたツィリーに恋心を寄せており、ハンスに出て行けと突っかかる。ハンスは、倉庫から武器や食料を盗み、レジスタンス組織のヒュッペラーらと共謀し、ゲシュタポ本部爆破を計画する。 カールとペーターのもとに前線の父から手紙が届く。ナチも戦争も憎む父親の手紙を読み、ペーターはヒトラー・ユーゲントを抜け、エーデルワイス海賊団に参加することを決意する。さらに、ハンスはエーデルワイス海賊団の少年らにゲシュタポ爆破計画への参加を呼びかけ、カールもペーターも参加することとなる。また、ツィリーは反ナチ宣伝のチラシ用の紙を買いに行くが、紙屋の老婆に通報されるなど危険な橋を渡る。 ゲシュタポのキュッター警部とヘーゲンは、レジスタンスのヒュッペラーを逮捕。ヒュッペラーが爆弾ハンスの名を吐いてしまったために、ゲシュタポがツィリーの家を急襲する。しかし、その直前にハンスとカールが喧嘩し、ハンスも海賊団員もツィリーの家にはいなかった。 ゲシュタポは、ツィリーと子供たちを盾にハンスの帰宅を待ちかまえていた。ツィリーが捕まったことを知らされたハンス、カールらはツィリーの救出作戦を決行。しかし、ツィリーの家にはツィリーも子供たちもすでにいなかった。ハンスらとゲシュタポの銃撃戦が始まり、ハンスはヒトラー・ユーゲントの少年に背後から撃たれてしまう。瀕死のハンスを見つけたカールは、弟ペーターにケルンから脱出しようと言うが、ペーターは見捨てておけないと譲らない。このままでは弟の命が危ないと感じたカールは、ゲシュタポのヘーゲンのもとを訪れ、兄弟の命の保証を条件にハンスの居場所を教えてしまう。ドイツの敗戦を感じ取っていたヘーゲンもまた、カール兄弟の命を救ったことを証言するよう要求する。 結果、ハンスや海賊団員は次々と逮捕され、ゲシュタポの厳しい尋問を受ける。キュッター警部は見せしめのために、公開処刑を行うことを計画。ヘーゲンはカールとの約束を守るために、ペーターに偽証をするよう説得するが、生真面目なペーターは仲間を売ることを潔しとしない。カールの説得にも耳を貸さないペーターは、結局処刑リストに名をあげられてしまう。 1944年11月10日、兄カールの見守る中、ハンスをはじめペーターら海賊団員はケルンの街中で公開絞首刑となる。観衆の中には海賊団員の親や姉妹のほか、ヒトラー・ユーゲントの姿もあった。 1945年、ケルンに連合軍が侵攻。解放された囚人の中にカールの姿があった。連行されるヘーゲンはカールに助けたとの証言を求めるが、カールはそれを拒否する。 戦後、ツィリーは施設に預けられていたアントンとフリッツィを取り戻し、1970年まで生きた。ルースと母親はアメリカに渡った。ヘーゲンは9年の懲役後ケルンの食料品店を経営。エーデルワイス海賊団はイスラエルの団体から1984年に表彰を授与された。かぽんの戦争映画レビュー新着順かぽんの戦争映画レビュー分類別
2007年07月20日
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