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青葉通りや定禅寺通りの欅並木の萌えがいっそう鮮やかになって来た。毎朝の散歩で気づいたことだが、定禅寺通りの欅の木々は足並みをそろえて萌えだしているように見えるが、青葉通りの欅は萌えはじめにムラがあるようだ。青葉通りの下を通っている地下鉄東西線の工事が長く続いた影響でもあるのだろうか。 金デモの集会場の勾当台公園には、仲の瀬橋を渡り、西公園を抜け、定禅寺通りの欅並木の下を歩いて行く。わが家からおよそ徒歩20分だ。高校入学から仙台だが、仙台駅から仙台城址にまっすぐ向かう青葉通りが仙台市のもっとも重要な幹線道路だと思っていたが、定禅寺通りの方がはるかに人通りは多い。 青葉通りの下を通る地下鉄ができたことで、人通りや街並みは変わるのだろうか。そういえば、私の住む地域の地価上昇率が全国で何番目かに入って、町内会にマスコミの取材があったという話を聞いた。これも地下鉄駅が近くにできた効果なのだろう。 八重桜が満開の勾当台公園で。(2017/4/28 18:07~18:33) 勾当台公園はピンクの濃い八重桜が満開だった。桜の品種をそんなに知っているわけではないが、「カンザン(関山)」という品種によく似ている。 階段を上がって野外音楽堂に行くと、すでに主催者挨拶が始まっていた。前半を聞き逃したが、更迭された復興相の話のようだった。 続くスピーチは、昔の地震や火山噴火のこと、節電をして電力消費量を減らすことで脱原発をという訴え、共謀罪のこと、そして7月の仙台市長選挙の話と続いた。 仙台市議の花木さんも話されたことだが、今日の昼過ぎ、仙台市庁舎の記者クラブで「私たちの市長を選ぶ仙台市民の会」の記者会見が開かれた。この会は、すでに2回の集まりで準備が進められ、5月6日午後2時から東京エレクトロンホール(旧名:宮城県民会館)601会議室で「結成キックオフの集い」を開催する。 私も発起人の端っこに名前を連ねているが、私たちが選ぶ市長候補者の条件として6項目を挙げ、仙台の新しいリーダーを市民の側から選ぶ機会を作っていこうということで動き出した。 さまざまな立場の市民を広く結集したいということで、6項目にはあまり細かな条件を盛り込まないようにしたため、「原発」に関する文言も入ってはいないのだが、「自然エネルギーへの転換を促進し、将来にわたっての市民の健康・環境の保全に尽くす政策を実現するリーダーを選ぶ」という項目が脱原発を含意している。 「東日本震災による被災者の心に寄り添った復興を実現するリーダーを選ぶ」という項目もあって、集会でさんざん批判された更迭復興相とは真逆の精神を持つリーダーを私たちは選びたいのである。 最後に、ゴールデンウィーク中の金デモは休みで、次回は5月12日という案内があった。5月からは夏時間に替わり、集会は18:30から、デモは19:00出発となる。表小路を一番町へ。(2017/4/28 18:40~18:47) 集会が始まるころは十分に明るく、スピーチを聞きながら暮れていく空気を感じていたが、勾当台公園を出発して表小路を歩いている短い間に夜に入っていくように時間が過ぎていく。一番町で。(2017/4/28 18:49~18:59) 3月12日の「福島原発事故を忘れない3・12アクション」の集会で、「脱原発をめざす宮城県議の会」の中嶋廉さんが女川原発再稼働へ向けた宮城県の動きを報告してくれたが、その中に原発事故時の避難路に設置されるゲートモニターを1台から7台に増設する予算措置が講じられているという話があった。 ゲートモニターというのは、原発事故から避難する人や車の放射能汚染をスクリーニングする場所に設置される。放射能物質を取り扱う管理区域から外に出るときに身体や持ち出し物品の汚染を調べることと同等である。それには二つの目的がある。放射能に汚染された人を発見し、速やかに除染することによってそれ以上の被曝を防ぐとともに人体や車などによって放射能がそれ以上拡散することを防ぐことを目的とする。 管理区域で汚染検査をするところにはシャワー室やさまざまな除染用薬品、用具が供えらえている。当然ながら、ゲートモニターにもそのような設備が必要になる。いっせいに避難してくる大勢の車や人に対応しなければならないので相当な設備になるはずだ(実際にどの程度の設備を作る予定なのかまだ知らないのだけれども)。 ただ、福島事故の避難者の放射能汚染スクリーニングで起きたことを考えると、ゲートモニターがほんとうに機能するにはそれに関わる人間(行政)がどう行動するかに依存しているとしか言いようがない。岩波科学ライブラリーに『見捨てられた初期被曝』 [1] という本があって、東電1F事故の直後における初期被曝の測定はきわめて限定的で、いわば被曝者は「見捨てられた」に等しい状態だったことが証言されている。 事故が発生した時点で、日本における汚染限度は1平方センチメートルあたり40Bq(管理区域外持ち出しの場合は4Bqで運用)と定められていた。これは大口径GM計数管で10,000cpm(counts per minute)程度となるため、人体の除染基準を13,000cpmと定めていた。 ところが、現場で汚染スクリーニングを行っていた福島県は、地震による断水などで除染のための水が不足していることを理由に、除染基準を13,000cpmから1桁近く大きい100,000cpmに引き上げてしまった。初期被曝を防ぐことが短半減期のヨウ素131の内部被曝による甲状腺がん防止にきわめて大切のことなのだが、水不足を理由に大勢の人たちの将来が見捨てられたのである。 さらに、かってに100,000cpmに引き上げた福島県の決定を国が追認して、厚生労働省が自治体に「10万cpm以上は部分除染、10万cpm以下は心のケア」とを通知するに至った。被曝を防ぐのは「心」なのである。甲状腺がんは、心の弱い人間に発症するとでも言うのだろうか。これらの悲劇的な経過は、3月11日の地震発生から3月21日の間になされたものだ。 政府が法によって安全基準を定めていても、いったん事故による緊急事態が発生すれば、その基準を政府自体が恣意的に変更してしまうということが起きた。それが意味するのは、さまざまな社会事象にたいして法によって国民を守るべき基準が作られていても、その基準にはまったく信頼性がないということを意味している。「これこれの安全基準、これこれの安全対策を責任をもって実施します」などと言う役人の言葉を信じろというのは無理であることを意味しているのだ。青葉通り。 (2017/4/28 19:09~18:12) 東電1F事故による初期被曝への対応は無残なものだったが、そこから日本の政府は学んだのだろうか。事故後に設立された原子力規制庁は、将来の原発事故対策に有効な政府組織たりえるのか。これは原発大国日本の国民にとって深刻な疑問だが、それに対する一つの答えのような事実をジャーナリストのまさのあつこさんが書いている。そのニュースについ笑ってしまったが、これは私たち国民が明らかに悲劇的状況に置かれていることを示す「事実」だ。 九州電力玄海原発の事故を想定したある自治体の避難訓練のとき、避難経路にあるスクリーニング地点(ゲートモニター)で車の除染を水で洗浄するという訓練に対して、事故時に水が確保できるのかという疑問が出されたため、次の訓練では、水で洗浄する代わりに「コロコロ」で車やタイヤに付いた放射性物質を取る訓練に変わったというのである。「コロコロ」というのは、家庭で掃除に使う粘着性のロールのことである。 笑いどころはここではない。規制庁が「大まじめに」こう反応したとまさのさんは書いている。「確かに、自治体から、『コロコロは有効なのか』と問い合わせあってですね、『車にはちょっとアレですが、人の衣服に付いている分については、ある程度の除染効果はある』と回答はしています。」 「コロコロ」で除染訓練を行い、その除染効果を規制庁に「大まじめ」に問い合わせる自治体、それに「大まじめ」に答える規制庁。そんな人間たちが放射能被曝から国民を守るというのである。悲劇だ。 しかし、悲劇はまだ続くのである。結局、「コロコロ」では車の除染は無理なので、スクリーニング地点に車を捨てて徒歩で避難しろ、というのが結論である。まさのさんは次のように批判している。 しかし、例えば、玄海原発のある玄海町から避難の受け入れ先である小城市までは、車で1時間半かかる。その距離を、車が除染基準を超えるほど汚染された中、車を置いて徒歩で避難することはあまりにも非現実的だ。しかし、これが、原発の敷地内の規制だけを行い、避難計画を自治体に丸投げする規制庁の限界だ。 女川原発の事故時の避難も自家用車での避難が原則だ。その車をゲートモニターの地点で乗り捨てて徒歩で避難することになりそうだ。ところで、宮城県はゲートモニターの設置の予算化を行っているが、その地点に乗り捨てる自家用車のための広い駐車場敷地を確保する予算も含まれているのだろうか。まあ、そんなことはないだろう。東電1F事故では除染基準を引き上げてしまったように、「もう駐車スペースがないので除染なしでそのまま避難してください」という想像が最も確度が高いように思う。私たちの放射線被曝は将来にわたって見捨てられるという予想しかたたない。悲劇である。 この悲劇を避ける唯一の道は、私たちが先に原発を見捨てること以外にはない。 それにしても、ジャーナリストのまさのあつこさんの記事は見逃さないようにしなければ………。[1] study2007『見捨てられた初期被曝』(岩波書店、2015年)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.04.30
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ヤマザクラや八重ザクラが咲き始めれば、まもなく仙台の桜の季節は終わる。年年歳歳、春がせわしい。花が好きで、増やしてしまった鉢植えの植え替えに追われる。体力の衰えは労働力の低下となり、やってもやっても(本人はそう思っている)終わらないのである。 しかし、よくしたもので、花の手入れの質と量が低下するにつれて枯死するものが増えてきて、少しずつ鉢数が減りつつある。そうした時の流れに逆らわなければ何とかなりそうな気もするのだが、そのためにはあの花、この花への執着を抑え込む必要があるのだが、これがなかなか………。 ずっと勾当台公園での集会が続いたが、今日の金デモは元鍛冶丁公園集合である。私の家からは一番近い集合場所なので、10分ほど時間が節約できる。公園に着いた頃から小雨が降り出した。急遽、屋根のあるステージに上がって集会は始まった。35人ほどの参加者だった。久しぶりの元鍛冶丁公園。(2017/4/21 18:10~18:31) マイクなしで始まった主催者挨拶の初めの部分は聞き取りにくかったが、たぶん放射性廃棄物の農地へのすき込みの作業のことだったと思う。薬局で売っている風邪予防に使うような簡単なマスクをした人が細分された放射性廃棄物をパラパラと撒いている作業に驚いたという。いったい放射線に関する知識があったうえでの作業なのか疑問だとして、作業する人の内部汚染は可能なかぎり避けるべきではないかと批判された。 仙台市役所前で今日の朝8:00~9:00、夕方16:45~17:45に行われた宮城県に一斉焼却を再考するよう求める署名と仙台市に女川原発再稼働に反対することを求める署名集めの活動の報告があった。 朝は10名、夕方は15名の参加で、正確な集約はまだだが一斉焼却反対の分は108筆の署名が得られたという。市役所前でのこうした署名活動は、おそらく放射線ばら撒きにひそかに反対している市役所職員を励ますことになっているだろうと話された。 さらに、一般焼却や農地へのすき込みなど、これから行政がやろうとしているのは薄く広く放射能をばらまくことになり、県民にとっては低線量被ばくの危険が増すことになる。そこで、「低線量被ばくによる健康障害」と題する学習講演会を6月17日(土)13:30~16:00にせんだいメディアテーク7Fで開催することにしたという案内があった。講師は、元放射線医学総合研究所主任研究官の医学博士、崎山比早子先生である。 韓国がホヤの輸入を止めていることを県知事は批判するが、その原因は日本政府の放射能汚染対策のいい加減さにあると批判するスピーチのあと、佐藤栄佐久前福島県知事の謎の収賄事件を描いたドキュメンタリー「『知事抹殺』の真実」が好評だったため、ゴールデンウイークの4月29日から5月5日まで桜井薬局セントラルホールで再上映されるという案内があった(上映時間は15:30~)。 ネットに「原発に反対する人のなかに放射線に関する疑似科学に引っかかる人が多くいる」という書き込みがあったことを紹介し、ある種の電解水が放射能を消すとか、EM(有用微生物群)が放射能で汚染された土壌を浄化するなどというニュースが流れることがあるが、物理的にはまったくありえない典型的な疑似科学であると話したのは私である。 放射線を恐れるあまりそのような詐欺・疑似科学・病理的科学に縋りつきたくなる心理に陥りやすいが、原発推進勢力の嘲笑の的になるばかりではなく、私たちの反原発の運動のためにもけっしていいことではないので、注意する必要があるだろう。 最後に、今日の昼、岩沼で行われた金デモに参加してきたという人が話された。15人の参加者だったし、こっちの金デモの参加者もけっして多くはないけれども、県内では仙台、岩沼、塩釜、大崎でもやっていて、全国を見ればじつにたくさんの場所で脱原発、反原発の行動が行われている。1か所での参加者が少なくても全国規模で見れば大勢の人が声を上げている、頑張りましょうと締めくくられた。 集会が終わって、デモが出発するころには雨はあがっていた。「やんでよかったですね」とお巡りさんが、代表の西さんに話しかけていた。元鍛冶丁通りを一番町へ。(2017/4/21 18:33~18:35) ここ2、3回ほど集会でスピーチをした。以前は、放射線や原子核のことなどを尋ねられれば答えるという程度の話しかしなかったが、じつのところ、毎回スピーチネタを一つか二つ用意している。誰もスピーチをする人がいなくて司会者が困っているときにでも時間つぶしができればと思っているのだ。 しかし、正直なところ、スピーチはしたくないのだ。人前が苦手で演説も苦手ということもあるが、職業上の性癖のせいでもある。職業人であったとき、学会発表や講演で話す内容は私のオリジナルでなければならない。誰もが知っていることを話すのは恥ずかしいことだし、新しい発見や論理を含まなければ話す価値がない。例外は学生への講義の場合だけである。教科書になっている知識なので、ある分野の人々ならだれでも知っている内容を話すことになる。学生にとっては知らない知識だというのがせめてもの救いだ。 脱原発の集会に参加する多くの人は原発のこと、放射線のことをよく知っている。そういう場所で似たような話題について話すのは気が引ける。「みんなが知っていることを話して偉そうに見えたらいやだなぁ」といつも思う。要するに、引っ込み思案なのだ。 今日は集会の時間が余ってるのに誰も手を上げないので、疑似科学のことを話したのだが、私の後に三人が手を挙げてスピーチをした。最初からそうしてくれれば私が話すことはなかったのにと、少しばかり力が抜けてしまった。一番町で。(2017/4/21 18:37~18:46) 一番町の広瀬通り角にはものすごい数の若者が待ち合わせている。大学の新入生歓迎コンパの待ち合わせのように見える。歓迎会の会社員もいたのかもしれないがほとんど学生ふうで、目を丸くしてデモを見ている人もいて、それを見ているこちらもなんか楽しいのだった。 私はどちらかと言えば人が多いと引いてしまうたちで、東京の街を歩くとよく人酔いで調子を崩すことが多かった(退職後、東京歩きを趣味にしていくぶんましになったが)。しかし、デモ人には聴衆が多いと元気になる人が多い。この年なって気性が変わる望みはないけれども、どこかうらやましい。青葉通り。 (2017/4/14 18:53~19:00) デモが終わり、本屋を2軒ほど回ってから帰ろうと思ったが、諦めた。一昨日、用事があって街に出たとき、数軒の本屋を覗いてみた。どの本屋にも読みたい本があったが、そこそこ高価だったので安いカメラ技術の本を1冊だけ購入した。 「自分の小遣いなんだから読みたい本を買ったらいいのに」と妻に茶化されたが、じつはこの頃本を買うときはカードを使い、支払いは妻が管理する口座から支払われる。まだ気づいていないらしい。高価な本をまとめて買ったら気付かれそうなので我慢するのである。 それにしても、アメリカのカメラマンが書いたカメラ技術の本は「目から鱗」本だった。今日のデモ写真撮影にちょっとだけ取り入れてみた。写真の「物語性」を強調する技法だという。その言葉にも惹かれた。まあ、何かが良くなれば何かが悪くなるというのが凡人の常なのだが。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.04.21
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とりたてて花見というものをやらなくなってから久しい。仙台城址近くに位置する私の家の近辺には花見にいい場所がいくつもあるので、季節になれば毎年のように義母の車椅子を押して花見に出かけることもあった。113歳になった今ではそれもいくぶん無理になった(それでも、明後日の日曜日に義母は教会に行きたいと言っている)。 年齢とともにどんどん酒量が減って、それに見合うように私のなかで花見への関心も薄れていったようだ。つまり、情けないことに私にとっての「花見」とは「飲み会」のことだったということなのだ。 ただ、けっして桜の花への関心がなくなったわけではない。2年ほど前には、仙台城址近辺の桜の花の写真を撮り、それぞれの品種名をできるだけ調べ、所在地をマップ上に記したブログを6回にわたって書いたこともある。いまでは、そのブログを町内会のホームページに転載して、近所の桜木の案内として利用している。 仲の瀬橋を渡って西公園を過ぎると、公園に向かう大勢の花見客とすれ違う。桜がすっかり満開になった錦町公園にもたくさんの花見客が芝生の上で円座になって宴を開いている。金曜日の夕べは花見かデモか、というわけだ。 金デモの集会は、花見で賑わう芝生からグランドを挟んだ反対側で始まった。桜満開の錦町公園で。(2017/4/14 18:09~18:24) 民主党の細野豪志衆院議員が党代表代行を辞任したことに絡んで静岡県知事選に立候補するのではないかと取り沙汰されている。「細野さんは民主党政権時代に原発の再稼働を主張した人だ」と、主催者挨拶はその話題に触れた。脱原発知事はいわばブームのようなものだが、「私たちは脱原発知事を見たい。ただの権力亡者は見たくない」と話は進んだ。 飯館村と福島市の中間にある川俣村は東電1F事故の被災地といえるが、その川俣村で毎年開催されるフォルクローレの音楽祭「コスキン・エン・ハポン」の話題と、東北電力の話を聞くだけの宮城県の「女川原発2号機の安全性に関する検討会」の批判スピーチのあと、三つの告知があった。 一つ目は、4月22日、23日の二日間にわたって錦町公園で開催される「アースデイ東北2017」の案内である。22日は10:00~16:00(昼の部)、17:00~20:00(夜の部)、23日は10:00~16:00の開場で、フリーマーケットや音楽ライブなどが行われる。 弁護士の河合弘之さんが監督した映画『日本と再生――光と風のギガワット作戦』の上映会がせんだいメディアテーク7階スタジオシアターで5月14日13:30~16:30と5月17日10:00~12:30に開催される。原発から自然エネルギーへの転換を求めて、世界の自然エネルギーの実際を描いている映画である。へ申し込みは専用サイトまたは電話(生協あいコープみやぎ 0120-255-044)で。 『規制基準の問題点』と題する舘野淳さん(核・エネルギー問題情報センター事務局長)の講演会が仙台市・フォレスト2階第7会議室で5月14日13:30から開催される。日本の原子力規制は世界の水準に程遠いもので、政府が言う「世界最高水準」は大ウソであることなど、原子力規制委員会の新規制基準と審査の問題点について話される予定。 最後に「春が来た」の替え歌の脱原発ソングが披露され、デモで歩きながら歌いましょうということになって、歌えるコーラーが選ばれた。太陽が好き 春風が好き 雪解け水も好き豊かな大地 自然が一番 原発入らない定禅寺通りを一番町へ。(2017/4/14 18:32~18:43) 集会には「脱原発をめざす宮城県議の会」の中嶋廉さんと角野達也さんも参加され、中嶋さんはデモのコーラーも引き受けられ、替え歌脱原発ソングも美声でこなされていた。 集会が始まった時はまだ明るかったが、集会中に薄暗くなり、40人の「春宵デモ」は定禅寺通りの緩やかな坂を下って一番町に向かう。一番町。(2017/4/14 18:45~17:00) アッキードスキャンダルと共謀罪法案などいやな話題でネットは賑わっている所へ、アメリカによるシリアへのミサイル攻撃や北朝鮮近海への米空母攻撃群の移動などのニュースが加わって、原発関連の話題はすっかり霞んでしまった。 そんな中でも、九州電力玄海原発3、4号機の安全性が確認されたと佐賀県知事が発言し、佐賀県議会は再稼働容認の決議をしたという報道があった。玄海原発の30km圏内には佐賀、長崎、福岡3県にわたる一町七市が含まれ、そのうち伊万里市、松浦市、平戸市、壱岐市が再稼働に反対している。 玄海町と唐津市は、ちょうど東北電力女川原発の立地自治体としての女川町と石巻市に相当する位置にある。玄海町は、2016年度の町予算の59%、42億5千万円が原発関連の収入になっている。ほかの立地自治体と同様、原発関連収入はいわば「麻薬」となってしまって、原発にすがるしか自治体の未来はないかのようだ。 女川町も、2011年以降は震災復興予算が大幅に増額して原発関連収入は判然としない(経済音痴の私には読み取れない)のだが、2009年度予算では65%の64億円が原発関連の収入だった。 3・11以降に停止している原発への国の交付金は、原発の81%が稼働しているものと見なして交付されているが、例えば、美浜町の原発関連収入が昨年度の41.5%から今年度は37.3%に減っているように、軒並みその額を減らしている。 ところが、3、4号機をいったん再稼働した高浜原発のある高浜町では前年度の30%から一挙に55%へ増額した。これは、原発交付金を欲しがる立地自治体に再稼働を急がせようとする政府の方針があって、原発が稼働する立地自治体へは交付金を重点配分するためである。 このような交付金配分は、地方自治体の「金め」を当てにした政策であって、こんな政治を続けてきたる自民党の政治家には国民がすべて「金め」で動いているとしか見えないのである。しかし、原発建設を阻止して拒否し続けている地域は全国に29ヵ所もある。処理施設や貯蔵施設を含めれば64か所に及ぶ(水口憲哉『淡水魚の放射能』(フライの雑誌社、2012年)より)。「金め」で動いてしまった自治体より、「金め」に動じない自治体の方が多いのである。 原発を容認し、建設を認めてしまった自治体は、その収入を原発に依存する体質から抜け出せず、原発廃炉どころか、原発の増設を望むようになる。「禁断症状」が亢進してしまうのだ。 東京電力福島第一発電所のある大熊町に生きて、事故後に避難先のいわき市で亡くなった歌人、佐藤禎祐が原発立地の町を詠んでいる(佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年))。原発依存の町に手力すでになし原子炉増設たはやすく決めむ原発に縋りて無為の二十年ぢり貧の町増設もとむリポーターに面伏せ逃げ行く人多し反対を言へぬ原発の町原発に自治体などは眼にあらず国との癒着あからさまにて原発を本音で言ふはいくたりかうからやからを質にとられて原発に縋りて生くる町となり燻る声も育つことなしうからやから質に取られて原発に物言へぬ人増えてゆく町 そして、原発事故後、次のような歌が詠まれていた(『短歌』2011年10月号)。眠れざる一夜は明けて聞くものか思はざりし原発の放射能漏れ死の町とはかかるをいふか生き物の気配すらなく草の起き伏し青葉通り。 (2017/4/14 19:01~19:07) 闇がしっとりしている。闇のぬくもりに触る。毎年毎年、春の宵にはそんな思いを感じ直している。昨年の春宵の闇より今年の闇が濃くなったはずはないのだが、ひとつ老いた分だけ闇が濃いのか。神経が脆弱になった分だけ闇に圧倒されるのか。いずれにしても、そんなに悪くない味わいではある。 できるだけ暗い方へ暗い方へと道を選んでデモから帰る。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.04.15
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昨日から突然暖かくなった。今日も暖かい。先週の金デモの服装から中着を1枚抜いて家を出ようと思ったが、まだまだ厚そうでジャケットを薄いものに替えた。 急に春になって、気分がソワソワする。蒔かなければいけない花の種、温室から庭に移植するダリヤやカンナ、植え替え期の日本春蘭や中国春蘭の目の前でちらつく。もっと面倒なのが茶碗蓮や睡蓮などの水生植物の植え替えで、蚊絶やしのために同じ鉢で飼っているメダカの面倒も見なければならない。 庭で長時間草花の世話をしていると家の中で飼い犬が騒ぎ出す。とかく、生き物は面倒だ。面倒だが、生き物だけにタイミングを外すわけにはいかないというのが辛い。同じ仕事なのに負担感だけが年々増えて行くのだ。人間は引き際が大事、そろそろ人生の撤退戦に入らなければならない。勾当台公園野外音楽堂。(2017/4/7 18:08~18:24) 今日は50人の集会になった。暖かいということもあるだろうが、これまでの経験から言えば、参加人数と寒暖の相関はそれほどはっきりしているわけではない。 「ボロが出た、語るに落ちた」。主催者挨拶は、当然のように今村復興相の話題である。福島からの自主避難者は「自己責任」だとか「裁判でも何でもやればいい」と語ったこと、その後の記者会見で記者に追及されていやいやながら「(発言を)撤回したと受け取っていただいて結構」などと発言したことを取り上げて、「怒りを込めて訴えましょう、「怒ってもいいんだ」と訴えましょう」と結んだ。 4月2日に川内原発の外部電源の一部が停止したが、どの電源が停止したのかもわからず公表もしなかったと批判するスピーチがあったが、正確には次のようなことだ。 川内原発への3系統の外部電力の一つが5時間ほど遮断され、保安規定に定める3系統の電源確保ができないという事故があった。3系統のうち1本が経由する近くの火力発電所の施設改修工事のための遮断が理由だったという。 当初、九州電力は保安規定に定めた3電源が確保されていない逸脱状態として地元自治体に報告したが、別系統の電源が代替として確保されたため、その後、逸脱ではないと訂正した。しかし、規制委員会が再確認を要求したところ、代替電源は保安規定に定める電源として登録されていなかったため、ふたたび逸脱があったと公表、報告したという。 外部電源の1本が遮断すると簡単に保安規定を逸脱してしまうという川内原発の電源設備にも大いに問題があるが、保安規定が守られているかどうかの判断が2転、3転するという方が将来に不安を残す。現場が自ら定めた安全対策(保安規定)を実行できる「実力」があるのかが危ぶまれるのだ。東電1F事故を自然災害によるものと考えたい人もがいるだろうが、明らかに人災であり国と東電に責任があると前橋地裁は判断している。このニュースは、保安規定の意味も知らない人間たちが運転する原発の人災事故の可能性の高さを証明するような事例の一つだ。 今日、仙台市環境局に放射能汚染廃棄物の一般ゴミとの混焼を中止するようにとの3回目の申し入れを行ったという報告があった。文書による回答を求めるとともに県の担当者を含めた説明会を開催するように申し入れたがきわめて消極的な態度だったという。 また、4月12日(水)には県に対して一斉焼却を止めるよう申し入れを行う予定で、参加者は9:20まで県庁ロビーに集合されたいということだった。さらに、4月21日朝8:00~9:00、夕16:45~17:45に市役所前で行う署名活動(宮城県に一斉焼却を再考するよう求める署名と仙台市に女川原発再稼働に反対することを求める署名)への参加の要請もあった。 仙台市議の高見紀子さんが、奥山仙台市長が7月の市長選挙に立候補せずに引退するという今日発表されたニュースについて話された。10月の知事選もあわせて、これからみんなと市民の側に立つ候補者を選ぶことになるが、このような市民活動の場からの声と一緒になって、このチャンスを生かせるよう頑張っていきましょうと決意を語られた。 「東日本大震災と原発問題」と題する市民公開講座の案内があった。日本科学者会議宮城支部の主催で、4月16日(日)13:30~15:30に仙台弁護士会館で開催される。科学者会のメンバーがそれぞれの専門の立場から短い講演を行うという企画で、ゲストで「女川原発の再稼働を許さない!みやぎアクション」世話人の篠原弘典さんが「原子力工学からとび職に、その思いを語る」と題して話される。 原子炉等規制法(「原子力利用における安全対策の強化のための核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」)などの一部を改正する法案が3月23日に衆議院を通過し、参議院に送られたことが報告された。改正の目玉は、原発などに予告なしで立ち入り検査ができるようになることと報道されているが、「放射線障害の技術的基準に関する放射線審議会の機能の強化等の措置」を講ずることも改正の目的とされている。 放射線審議会では、放射線作業従事者や一般国民の被ばく限度の数量を審議、提案するので、ICRP2007年勧告にある緊急時などの20mSv/年が取り入れられる可能性も考えられる。すでに、読売新聞は1mSvから20mSvに変更するよう社説で主張しており、原子力推進サイドはその気運(雰囲気)の盛り上げを始めている。 一般国民の被ばく限度が20mSvに引き上げられれば、福島の汚染地域への帰還政策に後付けといえども法的な根拠を与えることになってしまうので、今後の放射線審議会の動きに注目する必要があるということだ。まもなく一番町へ。(2017/4/7 18:41~18:45) 今日は仙台市議の高見紀子さんとふなやま由美さんも参加されてコーラーも引きうけてくださった。ふなやまさんは共産党の衆議院比例代表候補者になって忙しく走り回っていながらの参加である。 40人と50人のデモでは感覚がかなり違う。デモの最後方の写真を撮って最前列にもどるときの仕事量がはっきりと異なるのである。 若くて体力があれば誤差範囲に違いないようなことが、私の年齢になると体ではっきりと認識できるのである。つまり、体力の限界に関する認知能力だけが発達するのである。一番町。(2017/4/7 18:47~18:54) 今村復興相が福島の放射能汚染地からの避難者について「故郷を捨てるのは簡単」と話したとき、言葉は悪いが「この人はほんとうにゲスだな」と思った。「下衆」ではなく「ゲス」である。「下衆」だとまだ少し人間臭さがあるが、それ以下である。 彼らは故郷を捨てたのではない。「捨てさせられた」のである。国の原子力政策と東京電力の安全への不作為によって故郷を追い出されたのである。どんな思いで故郷を離れたのか、その思いに想像が及ばない限り、「被災者に寄り添う」などということは美辞麗句どころか、ただの虚言である。 しかし、4月4日に復興相はさらに言葉を極めてしまった。福島に帰れずに避難生活を続けるのは「自己責任」で、不満なら「裁判でも何でもやればいい」と発言した。ここまで言ってしまったらこの大臣が下衆かどうかという話ではなくなる。 原子力事故子ども被災者支援法(「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」)には、東電1F事故の責任が国にあることを明記している。第三条 国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任並びにこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、前条の基本理念にのっとり、被災者生活支援等施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。 その上で被災者に対する支援を次のように定めている。第二条の2 被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。 第八条第一項にある政府の恣意性を問題にしなければ、「帰還についての選択を自らの意思によって行うことができる」というのに「自己責任」と主張するのは、法に逆らう言明ということになる。大臣というのは、その所掌する事柄に関する法律を誠実に実行すべき行政サイドの責任者である。これは、法からの逸脱などではない。法に反する発言である。 こうした復興相の発言を聞いたという人間が新潟県の避難者施設に電話して「自主避難者は勝手に避難している」「毎日遊んでいるのに何で避難しなければいけないんだ」と繰り返し主張したというニュース(4月6日付け朝日新聞)があった。法には次のようなことも定めている。第二条の4 被災者生活支援等施策を講ずるに当たっては、被災者に対するいわれなき差別が生ずることのないよう、適切な配慮がなされなければならない。 「適切な配慮」どころか、大臣は「いわれなき差別」を煽っているのである。何重にも法に反しているのである。人格下劣な人間はその辺にもそれなりにいるが、職掌義務に反する人間というのは社会的に存在が許されないはずだ。それなのに、首相は復興相を辞任させる必要がないと発言している。たぶん、真意は「辞任させられない」「辞任させても意味がない」ということだろう。 復興相より省格が上とみられている法相や防衛相ですらあのような無残な国会答弁しかできない(答弁ができない)のを見ていると、自民党には人がいないということは明らかである。復興相を変えたくても彼よりましな人間がいないということだろう。法相も防衛相も変えられなかったのは同じ理由に違いない。少なくとも、首相に忠実な政治家から選べば首相以下の能力ということになるので、極端に能力が低い人物になってしまうのはごくごく当然なことである。首相以下そっくりと交替させる以外に改善の道はない。青葉通り。 (2017/4/7 19:00~19:06) 暖かくなると心が伸びやかになる。子どものころ、遅い東北の春をそんな感じで楽しんでいたが、大人になるとそうもいかない。自主避難者のこと、共謀罪のこと、身近な人間の利益のためだけに奔走する政治家夫婦のこと、冬だろうが春だろうがお構いなしに襲ってくる愚劣な人間たちのニュースに心が泡立つようになってしまう。 できるだけ平静に眺め、判断し、振舞おうというのも大人になっての知恵だが、そう努めようと思う分だけ季節の味わいが遠のく。まあ、まもなくすっかり呆けて、子どものころのように季節を楽しめるようになるかもしれない。この3月末に113歳になった義母は、部屋から眺められる椿(藪椿が満開に近い)を見るたびに感嘆の声をあげて楽しんでいる。 呆けるのもきっと正しい生存戦力の一つに違いない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.04.07
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