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金デモの翌日早朝に、デモ写真の整理をする。暗い時間帯に写すので使えない写真も多く、それらを棄てることから始めて、残った写真のRAWファイルを1枚ずつ補正してJPEGファイルで保存する。その作業を終えてから、フェイスブックやブログに投稿する写真を選び出し、それぞれの仕様のサイズに変更する。 それからブログの文章を書きだすのがいつものことだが、デモ翌日の7月28日から翌々日の29日になっても書くべき文言の一語も思い浮かばないのである。二日目にはすっかり諦めて、何か書く気になるまで放っておこうという気分になった。 好きな鮎釣りもいろいろあって、この夏一度も川に入っていないのだが、これも、何もかも振り切って川へ行こうと思うまで放っておいている。ブログ書きもこれとまったく同じように放っておくということだ。ブログも鮎釣りもやらないでいるとだんだん義務を遂行していないような気分になってしまうが、どちらもただの趣味にすぎない。義務感のようなものに左右されるのはやっぱりいやだ。 しかし、どうして好きで始めたことに義務感のようなものが浸み込んでくるのだろう。こんなふうに思わず知らずに自縄自縛に陥っていることが結構あるのかもしれない。それを「真面目」と思い誤っていることがあるのではないか。心理学的な総点検を行うべきかと思うが、自己点検ができる能力があれば、もともとそんな心理的陥穽に嵌まりはしないだろう。しょうがないのだ。 「しょうがない。しょうがない。雨の日はしょうがない」などと口ずさみながら、雨が続く土曜日と日曜日、ふて寝していたのである。 さて、気を取り直して、金曜日まで時間を遡行することにしよう。錦町公園から定禅寺通りを。(2017/7/28 18:51~19:09) 出先から帰ってきた妻と入れ替わって家を出ようとすると、「雨が降ってきたわよ」と言う。「降っていないね」と玄関を出て歩き出したものの、ぽつりぽつりと顔で感じるようになった。傘を出さずに歩きとおして錦町公園に着いたが、集会は休憩所の屋根の下で行われている。屋根から外れた人は傘をさしていて、私もここでザックから折り畳み傘を取り出した。 仙台市長選に関わりきっていた人の顔もちらほら見える。集会でどんなスピーチがあったか分からないが、ここに集まっている人の(たぶん)ほとんどが投票しただろう人が市長に選ばれて、胸のうちに「次は知事選だね」と意気を燃え立たせているに違いない。そんなことを思いながら参加者の顔々をファインダーから覗いていた。 雨脚はとても弱くなっていて、35人のデモが錦町公園を出たところで傘をバッグに戻した。一番町(定禅寺通り~広瀬通り)。(2017/7/28 19:15~19:22) 定禅寺通りから一番町に入る。市民へ次のような言葉が呼びかけられる。 この秋には、宮城県の知事選があります。昨年当選した新潟県の米山知事は「知事には住民の安全を守る義務があり、安全協定を根拠に、原発の運転停止を求められる」と発言しています。また、6月に当選した静岡県の川勝知事は、浜岡原発の再稼働について、同意しない意向を明らかにしています。宮城県でも、秋の県知事選では、女川原発の再稼働をストップさせる知事を選びましょう! 知事の権限は大きい。反原発を標榜して選挙を闘いながら、当選後は態度を豹変させて川内原発の再稼働を容認した鹿児島県知事のような薄汚い例もあるけれども、立地県の知事の容認なしの原発再稼働が難しいのは確かだ。国政選挙も決定的に大事だが、地方選挙から脱原発に近づいていく道筋もあるのだ。知事に廃炉の権限はないが、再稼働がかなわなければ経済的にその先は廃炉となるしかない。一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/7/28 19:23~19:27) 定禅寺通りから広瀬通りまでの一番町のアーケードは道の両側にしかない。デモは通りの中央を歩くので、雨が心配だったが、何とか持ちこたえた。広瀬通りを越えれば、青葉通りまでの一番町の通りは全面がアーケードで覆われている。 30年以上も前、カメラバッグもろとも渓谷の流れを泳ぐ羽目になったことがある。一眼レフカメラを買いなおすことができなくて、それ以来ずっと小型で安価なコンパクトカメラばかり使っていた。山や川用には防水のコンパクトカメラを用意していた。 思い立って4年前に一眼レフを手に入れた。思い立った理由はほかでもない。コンパクトデジカメでは、夜のデモの写真を撮るのが難しいと気づいたからである。当時、3台のコンパクトデジカメを持っていたのだが、どれを使っても満足できる写真が撮れなくて、妻の顔色を窺いながら購入したのだ。 しかし、昔のカメラ事故がトラウマになって、カメラが濡れるのがとても心配なのである。青葉通り。(2017/7/28 19:29~19:39) 一番町から青葉通りに出るとふたたび降り出してきて、しだいに雨脚が強くなってくる。傘を出して、カメラを抱えるようにデモの前後を歩いた。 もう一人、デモの写真を取る人がいて、「路面がぬれるときれいですね」、「絵的には雨降りは悪くないね」などとのんきに話していたのだが、本心は気が気ではないのだった。東二番町通り(国道4号)を渡るころには、広い交差点の向こうのデモの列が煙って見えるほどの降りになっていた。 強く降る雨の中でデモは終わった。たいていの日は歩いて帰るのだが、いかにも雨脚が強いので、地下鉄一番町駅に向かって歩き出した。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.07.28
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7月1日に自宅前を流れる広瀬川の鮎釣りが解禁になった。勤めていたころは、解禁日は休暇を取って釣りをしていたが、今年はまだ竿を出していない。偶然、小さな用事がいくつか重なったためだ。 かつて鮎釣りに夢中になって、トーナメントにも出ていた。たまたま東北大会で優勝したことがあって、岐阜の長良川の全国大会に出た。それがきっかけになって、シードやら招待でのトーナメント参加、釣り具メーカーのインストラクターとしての釣りなどもあって、土日と年休はすべて鮎釣りという時期もあった。助教授、教授と仕事の役割が変わって、それもいつの間にか終息したのだが、定年退職こそかつての鮎釣りの復活と思い込んでいた。しかし、二度とあの時代の情熱は戻らないのだった。 3日前、今年の竿おろしの予定だった。前日に釣り仕掛けの準備も終え、当日の義母の介護の段取りも妻と相談していた。ところが、目が覚めると吐き気におそわれた。それから二日間、吐き気と下痢でひっくり返っていた。 今日の朝、何とか釣りができそうな体調だったので川に入ったのだが、3日前から川に沈めていたおとり鮎が2尾とも死んでいた。すっかり気落ちして、今日の釣りを諦めた。まもなく7月も終わろうというのに、私の季節の巡りは限りなく不調なのである。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/7/21 19:01~19:04) 大遅刻だった。元鍛冶丁公園に着くと、すぐにも出発するようにデモの列が並んでいた。急いでカメラの準備をしていると、近づいて声をかける人がいた。顔を上げると、初めて会う人だが良く見知った顔があった。 フェイスブック上の知人の金浦さんという方で、東京のデモの写真をたくさん投稿している人だ。仙台と違って、日本の統治機関が集中する東京ではじつに多種多様なイシューで政治意思を表明するデモがある。そのほとんどを取っているのではないかと思えるほどの多さで投稿される写真付き記事を、私はいつも注目して見ていたのである。日本の権力機構の象徴のような東京の空間に、さまざまな人々がいわば自分たちのヘテロトピアを構築しようとする運動の報告のように思えるのである。 私の写真記事は、たまにはほかの政治イシューのデモのこともあるがたいていは金デモのことばかりである。お互いに「写真記事を見ています」と挨拶したのだが、デモの列が動き出したのでほとんど会話ができなかった。デモのスタッフからスピーチもしていただいたと聞いたが、どんなお話をされたのか、残念ながら知る由もない。一番町(広瀬通りまで)。(2017/7/21 19:05~19:10) 35人のデモが一番町に出て広瀬通り交差点にさしかかると、はす向かいで仙台市長選の候補者の選挙カーが停まっていて、選挙演説の真っ最中だった。デモは選挙演説を邪魔しないようにサイレントデモと化した。 交差点で信号待ちをし、交差点を渡り、選挙カーから少し離れるまで聞こえていた選挙演説は、候補者が完全無所属を強調するばかりで、つい「だからどうした」と合いの手を入れたくなるのだった(もちろん無言で通り過ぎたが)。 仙台市長選挙の結果がどうなるのかは、当然のことながら政治的問題として大いに気になるのだが、今朝がた、もう一つ選挙結果を気にしなければならないようなことがあった。敬老の日に113歳になる義母を市長が訪問したいがどうか、という問い合わせがあったのである。 昨年、仙台市最高齢から宮城県の最高齢になったのだが、3年ほど前から敬老の日のお祝いの訪問を遠慮させてもらっていた。今年は県知事ともどもぜひということだった。義母の様子を見ながら検討させていただくということになっているが、市長さんが誰になるかは、こんなことでも大いに気になるのである。やはり、私が投票する人に来てもらう方が嬉しいに決まっている。ちなみに、義母は社会党一辺倒だった。一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/7/21 19:12~19:16) 吐き気と下痢に悩まされながら寝込んでいた二日のあいだ、とても退屈なのだが、本を読む気力はない。今読んでいるのは『デリダ、ルーマンの正義論――正義は〈不〉可能か』 [1] というタイトルの本で、私はルーマンが苦手なのだが、デリダという名前に惹かれて買ったのだ。 しかし、ほとんどルーマン派の学者の論文で、わたしにはあまり面白くないのである。我慢して読んでいれば、何かが見えてくるかもしれないとわが身に言い聞かせて読んでいたということもあって、けだるい気分ではまったく読む気が起きない。 それでユーチューブで探した歌をポツポツと聞いて時間を過ごした。その中に加藤登紀子さんが歌う「美しき5月のパリ」もあった。1968年の5月革命のことを歌ったと言われている。1968年、パリばかりではなく東京でも私が住んでいた仙台でも学生たちの闘いはあった。 1968年5月、私は22歳と5か月、大学院の学生だった。いま思い返せば、私は闘ってなどいなくて、ただ立ちすくんでいただけだった。若いときのことはあまり思い出したくはないのだが、そんなふうにしか思い出せないのである。 一枚の印象的な写真がある。1968年5月6日のパリ、一人の若者が投げた石礫がはっきりを写っている。この写真の主役はあの石礫である。発煙弾で煙る街路の向こうに壁のように並んでいるのは機動隊という権力システムである。ジル・キャロン《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》1968年、ヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリント、30×20cm [2]。 かつてこの写真を見ながら、「私は石を投げる人間になりたかったのか、投げる人を撮る人間になりたかったのか」と自問したことがある。結局、私はそのはざまで立ちすくんでいただけだった、というのがその時の答えだった。 加藤登紀子さんが訳した「美しき5月のパリ」は次のような詩句で終わっている。ほこりをかぶった 古い銃を取りパリの街は今 再び生まれるAh! le joli mois de mai à ParisAh! le joli mois de mai à Paris歌え 自由の歌を 届け 空の彼方にこの五月のパリに 人は生きていくAh! le joli mois de mai à ParisAh! le joli mois de mai à Paris ユーチューブにはフランス語で歌っているものもあって、それを聞いていると最後が違っているように聞こえる。私はフランス語はまったくわからないので、ネットで朝倉ノニーさんという人の翻訳を見つけた。「ああ!パリの美しき5月」という歌は、Jean-Frédéric Brossard(別名Evgen Kirjuhel)という人の作詞、作曲で、歌詞の最後の部分は次のように訳されていた。まもなく日が昇ろうとしている仕事場は地雷の原にある。蘇った反乱がくたばった古い世界を葬る。Ah! le joli mois de mai à ParisAh! le joli mois de mai à Parisおのおのが完全に自分をそこに委ね自分の運命と人類の運命に責任を持ち得る社会を僕たちは築きあげるだろう。Ah! le prochain mois de mai à ParisAh! le prochain mois de mai à ParisAh! le prochain mois de mai à ParisAh! le prochain mois de mai à Paris 「ああ! パリの美しき5月」の最後は、「ああ!来たるべきパリの5月」で終わっているのだ。パリの5月革命は成就されなかった。日本の学生叛乱も成功しなかった。思想や文化状況に大きな変化をもたらしたが、政治的に得たものは少ない。 しかし、「過ぎ去ったパリの5月」があったけれども、「来たるべきパリの5月」もあるのだ。1968年5月に「石を投げた人」、「石を投げる人を撮った人」、「そこで立ちすくんでいた人」それぞれは、その時心に抱いていたヘテロトピアを「来たるべき5月」のために育ててきただろうか。私の残りの人生で、それぞれのヘテロトピアが見えてくるといいな、そんなことを寝床のなかで考えていた。病んだ体で、すこしばかり感傷的になりながら……。青葉通り。(2017/7/21 19:17~19:26) ツイッターで「夕涼みデモにどうぞ」などと投稿したのだが、昼の暑さはけっこう残っていて、汗まみれのデモだった。 金浦さんと挨拶を交わして別れたのだが、先日美術展を見に東京に出かけたという私のFB記事も目にされていたらしい。金曜日に出かけて、美術展だけを見て帰り、仙台の金デモに参加した日のことだ。 以前であれば、金曜日の東京行きでは午前の美術展、午後の街歩き、夕方の官邸(国会)前抗議行動というスケジュールが普通だったが、いまはそうもいかなくなってきた。体力の問題でもあるが、義母の介護の手伝いもちゃんとやりたいのである。ヘルパーさんが来る金曜日だから東京に出かけられるのだが、午後の部のヘルパーさんが帰る時間までには帰宅しようと思えば、美術展だけということになってしまうのだ。[1] グンター・トイプナー編著(土方透監訳)『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』(新泉社、2014年)。[2] 『ポンピドゥー・センター傑作展――ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで――』(朝日新聞社、2016年)p. 163。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.07.21
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本を読む。面白い本であれば、抜き書きをする。さらに興味が募った本については、抜き書きをベースにして読んだ思いを書き記しておく。書評などと称しているが、要するに感想である。そうするようになったのは、かなり重要な本だと思えるのに、読んだことを忘れてもう一冊買ってしまうということが一度ならずあったためだ。すっかり忘れているという事実はけっこうショックなのだ(二度買いしたことも口惜しいが)。読む、抜き書きする、書くという3段階を経ると、さすがに読んだ本のことは忘れなくなる。 だが最近は、本を読んで抜き書きまでやっても書評を書くという段階にはなかなか進まなくなった。思考に粘りがなくなったというか、脳内CPU速度がだいぶ落ちてきている感じがする。書評を書いた方がよい、書いておくべきだ、そう思いながら手つかずのままかなり積み残している。 昨日、今日と、どれかの書評に取りかかれないものかと抜き書きのファイルを次々と開いて読む作業を始めた。ところがどうだ。読んで抜き書きまでしていたのに、読んだことも抜き書きしたこともすっかり忘れていた本を発見した。『ポストフクシマの哲学』という本で、文字通りの哲学者から映画監督まで、原発に反対する立場の人たちが論考を寄せている本だ。抜き書きを終えた日付は2016年8月19日となっている。まだ1年も経っていないのだ。 この本のことを忘れていたのは、抜き書きをしていながら書評を書くことを最初から断念していたためらしい。抜き書きの量がとても少ないのだ。たとえ大事なことが書かれていても、それが私の知っていること、容易に考え及ぶことであれば抜き書きする必要もないし、一生懸命考えて書評を書いておく必要もないのである。 少ない抜き書きの量だが、抜き書きした部分はやはり抜き書きしただけの理由がある。エティエンヌ・タッサンの論考の中の「権力」と「原子力」についての次のような文章が抜き書きされていた。 ところで、アウシュヴィッツが明らかにしたこと、それは全体主義的支配の唯一の出口は全体的な破壊だということだった。ヒロシマとナガサキという二つの分かちがたい罪が明らかにしたのは、原子力エネルギーのもつ致死的なまでの主権的な力であり、この主権的な力は全体権力という幻想(国家やそこに住む人々をコントロールするという幻想)から切り離せない、ということであった。チェルノブイリとフクシマが語っているのは次のような事態である。すなわち、こうした死をもたらす事故(アクシデント)は偶然(アクシデント)ではないということである。このことは、死が主権的な支配の企てに最初から織り込まれていたのと同じように、制御という企てそのものにすでに織り込み済みのことなのだ。原子力エネルギーの使用という企てに参与していく者は、自分にはこの企てがもたらしかねない破壊を予防することができないし、それがもたらす諸々の帰結を拒むことができないということを認めておかなければならないだろう。 エティエンヌ・タッサン [1] そのうえで、私たちの脱原発運動も含まれるであろう「政治的な行為」の世界における意味、歴史における意味を次のように述べている。 ヒロシマからフクシマへといたる連続性が、原子力のファンタスムが含みもつ世界の破壊可能性にあるとすれば、またフクシマが、原子力の権能の無能さ、その裏面、その否定性を証言しているのだとすれば、世界の原子力ロビーに対して行われるべき政治的な行為は、世界のための行為ということになるだろう。それは、単に諸々の称えるべき、重要な行為のうちの一つというのではなく決定的な行為であろう。というのも、それのみが、人間の自由のもろさおよび世界の貴重な異邦性に結びついた無世界性の危険に加え、異邦性の状況が含みもつ哲学的な争点を凝縮するものだからである。この意味で、フクシマという名は、自然的・技術的な災害を指すだけでなく、同時に、コスモポリティックな戦いの象徴ともなるのである。 エティエンヌ・タッサン [2] 反核、反原発の運動は、けっして大げさでもなんでもなく、「世界の破壊可能性」への反対の強い意思表示に他ならないのだ。 そう思い定めて、夕方になっても炎暑のおさまらない街を抜けて、脱原発の意思表示のために勾当台公園に向かうのである。勾当台公園から一番町へ。(2017/7/14 18:55~19:10) 集会が終わるころに勾当台公園に着くといつもより参加者が多いように思えたのだが、デモが始まると35人とさほどの人数でもなかった。 集会の初めから参加すると、時として10人ほどで始まる場合もあって、いつのまにかデモが出発するときには増えている人数に驚くのだが、集会の終わりごろに参加すると初めからこんなに人が集まっているという感覚になるらしい。デモが出発するときにはもっと集まるだろうと錯覚するのだが、集会の終わりはデモの始まりと同じ時間なのである。人間は都合よく錯覚するらしい(私だけか)。一番町。(2017/7/14 19:10~19:15) 7月4日付けの東京新聞WEB版に福島の農地汚染の記事があった。エティエンヌ・タッサンの言う「コスモポリティックな戦いの象徴」の現場の話である。 福島県農民運動連合会(農民連)は、二〇一四年度から遠藤さんの畑の放射能表面濃度を測定し続けてきた。 一四年度はセシウム134、同137を合わせて一平方メートル当たり四二万九六〇〇ベクレルだった。 事故から六年が過ぎた今年五月にも、同二二万七六〇〇ベクレルもの値が検出された。 原発や病院など放射線を扱う施設には、無用な被ばくを防ぐために立ち入り制限などをする「放射線管理区域」が設定される。この区域の設定基準は同四万ベクレル。遠藤さんの畑の数値は、実に放射線管理区域の五倍を超えている。 〔中略〕 県農民連では一六年四月と五月に、県内の果樹園百六十二カ所を計測した。このうち百六十一カ所で、同四万ベクレルを超える値が出たという。会長の根本敬さん(59)らは、こうしたデータを基に、何度も国に悲惨な現場の実態を訴えてきた。 だが話はかみ合わない。 厚生労働省の電離放射線労働者健康対策室によると、農業法人などに雇用された労働者の場合は、「除染電離放射能障害防止規則」(二〇一一年十二月発令)に従って、雇用主に定期的な健康診断や被ばく状況の届け出などの義務が生じる。 しかし、福島県の農業生産者の99%を占める自営農家の場合、雇用者がいないので労働者と位置付けられず、厚労省の所管ではないという。 「被ばく防止のためのガイドラインはあり、対策を提案していますが、誰がそれを実施するのかといえば、ご自分でやっていただくしかない」と同省の担当者。農林水産省の生産資材対策室の担当者も「ガイドラインを活用していただくしかない」。 根本さんはこう話す。 「事故で農地を汚されても、農民は自己責任で働くしかないという。こんなバカな話はない。国は、きめ細かな汚染マップ作りをし、農民の被ばくの実態を把握するべきだ。その上で、福島県が農業をする上で大きなハンディを背負う地域になったという事実を認め、救済策を探さなければいけない。事実を事実として認める。その覚悟が今、国に求められている」 「除染電離放射能障害防止規則」とは、広範な汚染地が発生した東電1F事故後に除染に従事する作業者の安全管理のために作られた法律で、正式には「東日本大震災により生じた放射性物質により汚染された土壌等を除染するための業務等に係る電離放射線障害防止規則」(「除染電離則」と略称される)のことである。 この法律の基となっているのは、放射線を出す装置や放射性物質を扱う事業所(会社や公的機関など)における放射線作業従事者の安全を図るための「電離放射線障害防止規則」である。そこでは管理区域での作業における線量限度などが細かく定められている。 しかし、もともと放射線を扱う事業所は、事業所境界における線量限度を1mSv/年以下になるように義務付けられている。福島を広く汚染した放射能物質は東京電力福島第1発電所という事業所が営利を目的として利用していたもので、東京電力は事業所外の福島のすべての地での線量限度を1mSv/年以下にする義務がある。そのような法律だったはずだ。 東京電力が事業所(東電1F)外の福島のすべての地を1mSv/年以下にする能力も資力もないために国が肩代わりするしかないのだが、「雇用者がいないので労働者と位置付けられず」などという厚労省の解釈は従来の法の趣旨とは異なる。ここで言う「雇用者」は東京電力で、「労働者」は東京電力の社員または下請け労働者で、福島の農民は事業所外の1mSv/年以下が保証されるべき一般人である。 この記事で描かれた現実は、明らかに立法府のサボタージュと行政府の悪意ある法の運用が福島の地を覆っているということだ。「世界の破壊可能性」を日本の立法府と行政府が福島の地で担っている姿をはっきりを見せているのだ。仙台のデモ人。(2017/7/14 19:16~19:21) 「おしどりマコ・ケン」さんの報告記事も、福島の農業が置かれているでたらめな現実を明らかにしている(「DAYS JAPAN」の記事)。 おしどりマコ・ケンさんは、福島県が避難指示区域の農家の方々を対象に2016年11月11日に福島県川俣町で開催した「農作業における放射線対策と健康講座」を取材している。講座の講師は、放射線医学総合研究所(放医研)、県の農業総合センター、日本原子力研究開発機構(JAEA)からの3人、受講者の農民は6人。講演の内容は益体もないものなので省略するが、講演後の質疑応答の異様さを次のように報告している。さて、一番取材したかった質疑。これが凄かったのです。60代男性:自宅や農地の周囲は除染されています。でも自宅から農地に行くまでの道、林道や山の脇の道がまだまだ汚染されていて線量が高い。ここを通るときに被曝するのですが、県としてどんな考えですか?JAEAの方:そういう場合は走り抜けてください!(えええ! ケンちゃんと顔を見合わせました!)自宅や農地には長時間滞在しますが、道には滞在しません、できるだけ早く通過してください。あと、除染されていないところも確かにありますが、待っているだけではなく、草を刈るとか自分でできることもしてください。(それもまた被曝するよね……)70代男性:私は大々的に農業をやっているわけではなく、家庭菜園程度です。が、草を刈ったり土埃が舞ったりしてそれを吸い込めば、内部被曝すると思います。放医研の方:そういう場合は、鼻をかんでください!(また顔を見合わせました!)土壌にセシウムがくっ付いて離れにくい状況になっており、確かに吸い込みますが、鼻の粘膜に微量付く程度です。できるだけ鼻をかむなりすればよいのです。あと、マスクをすることも有効です。(現在でも福島県内の農家の方々はマスクするよう言われているんだよね。でも真夏の猛暑の中、マスクをすることなんてできないんだって)講座が終わったあと、出席された地元の方々にインタビューすると、「これが安心・安全の中身ですよ。あなた、これで安心して戻れる? 俺たちはね、被曝前提で戻れって言われてんの」と話されました。 日本で原子力に関わる行政や研究機関の役人が「世界の破壊可能性」を実行する末端の仕事をしていることが見えてくる。立法府のサボタージュや行政府の悪意ある法の運用、そして下部機関の役人(研究者)の実態をすべて総合すると、やはり福島では「棄民政策」が採られていると思わざるを得ない。青葉通り。(2017/7/14 19:24~19:32) デモが終わり、仙台の街はすっかり暗くなっているが、まだまだ暑い。急ぎ足になると汗をかく。ゆっくり静かに歩いて帰ろうと思っていたが、途中で雷がなって大粒の雨が降り出した。ゆっくりどころではない。傘は持ってきていない。 カメラとスマホをできるだけ濡れないようにバッグにしまいなおし、急ぎ足である。スーツ姿のサラリーマンが駆け足で私を追い越していく。さいわい、雨は強くならないでおさまった。雨にはさほど濡れることはなかったが、汗でシャツがずぶ濡れである。[1] エティエンヌ・タッサン(渡名喜庸哲訳)「フクシマは今――エコロジー的危機の政治哲学のための12の註記」、村上勝三編著『ポストフクシマの哲学——原発のない世界のために』(明石書店、2015年)pp. 54-5。[2] 同上、p. 61。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.07.14
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朝5時22分、玄関で老犬にハーネスを装着しているとき、突然体を硬直させて10回ほど吠えて動かなくなってしまった。失禁もして絨毯が濡れている。寝ていたはずの妻も起きだしてきて、二階からは息子が駆け下りてきた。 吠え出したときほぼ全身を抱きかかえていたのだが、そのまま抱き上げて彼女のベッドに移した。眼を開けたままぐったりとして身動きもしない。呼吸もとても静かなままだ。 数年前に2回ほど癲癇のような発作が起きたことがある。獣医さんに処方された薬をちょっとの間飲んでいたのだが、最近はまったくその症状は出ず、薬もずっと飲んでいなかった。前の発作と比べれば、今朝の発作はあっという間に終わったのだが、間もなく17歳という年齢だけに側を離れられなくなった。 呼びかけてもまったく無反応だったが、30分ほど経つと少しずつ反応するようになった。妻や息子の呼びかけにもかなり反応するので、飲み水の容器を前に置いて抱きかかえてやると、自力で飲みだした。 やっと安心して側を離れると、自分で立ち上がり、あいさつ回りよろしくぐるぐる歩き出した。そこで、もう一度ハーネスを着けなおして外へ出た。いつものようにオシッコとウンチをして戻り、朝食に二口ほど口をつけてから、自分のベッドに横たわった。 そんなことがあって、今朝の私の散歩は取りやめとなった。夕方、癲癇状の発作の時にもらった薬を飲ませ、まったくいつもと変わらない夕方の散歩をさせて、私は金デモのために家を出たのである。勾当台公園から一番町へ。(2017/7/7 18:53~19:15) 朝から雲一つ見えないような晴天で、とても暑い一日となった。昼過ぎのもっとも気温が高くなった時間帯に、仕事があって自宅と県庁を往復した。また金デモのために同じ道を歩いているのだが、さすがに風は少しばかり涼しさを運んでくるようになっていた。デモに出発するころにはだいぶ気温が下がっていた。 先週と同じように、今日も脱原発カーなしのデモである。どんな理由があるのか、たぶん集会で話されたのだろうが、デモ出発ぎりぎりの参加なので聴いてはいない。 40人のデモが勾当台公園を出発したが、今日は若い人が熱心にデモの写真を撮っていて、私としては少し気が楽になって、のんびりした気分でシャッターを押せるのだった。写真をどのように使われるのか知らないが、いくぶん期待はしているのである。戦争法案反対か何かのデモのときに熱心に写真を撮っていた若い人である。一番町(定禅寺通りから広瀬通りまで)。(2017/7/7 19:16~19:22) デモに出発するときはまだかなり明るく、歩き出すとしだいに暗くなり、一番町に入ると人工の光でまた明るくなる。撮影条件の変化が大きくて、私としてはけっこう楽しめるのだが、かなりの数の失敗写真も生産してしまう。 しかし、家に帰ってから削除するだけの手間が増えるだけなので、フィルムカメラ時代の名残が全く消えてしまった今は、大量の失敗写真の制作に歯止めがかからないのだ。 気楽に失敗できるので、カメラの腕はまったく上達しないのである。一番町広瀬通り角で。(2017/7/7 19:23~19:24) 一番町を広瀬通り角まで来ると、花魁道中に扮している一団がいて、エールの交換のような形になった。そういえば、毎年、この時期にこの一団に出合うようだ。一団が国分町の飲食店街に入っていくのを見たことがある。そこで働く人たちのパフォーマンスなのかもしれない。 花魁道中が行き過ぎると、信号待ちの金デモは「ええじゃないか」コールを始め、ええじゃないか、ええじゃないかと踊りまくるパフォーマンスを披露するのだった。こうなれば、見たくない人もつい見てしまうだろう。脱原発ばかりでなく、デモは楽しいのですよ、というアピールでもある。一番町(広瀬通りから青葉通りまで)。(2017/7/7 19:25~19:30) このごろ、変な言葉に憑りつかれて、いつかどこかで自分でも言いだしそうで心配である。「拍手をもってオマヌケください」というフレーズである。事の起こりは、東京都議選の選挙運動の最終日(7月1日)、秋葉原の街頭演説に安倍首相が現れたことを紹介するために石原某という国会議員が発した言葉である。 ネットでいろいろ流布されているが、石原さんの名誉のために正確に書き出すと次のように話している。「ただいま安倍総理が到着でございます。どうぞみなさん、拍手をもってオマヌケ……、オマグメ……、ください。」 ご本人は言いよどんで、間違ったという自覚はあったらしいが、なぜか修正できなかったようだ。言い間違いのはまり方があまりにも見事だったので、ネットでは「拍手をもってオマヌケください」という発言として流布されて、そのフレーズが私の中を駆け巡っているのである。 このフレーズは、「まぬける」という動詞が日本語にあれば、すんなりと受けとることができる。この新しい語彙のオリジナリティは、もちろん石原さんにある。石原さんのオリジナリティを尊重しながら、その日本で最初の用例の意味を考えるとどうしてもこういうことになってしまう。「安倍総理が演説のために到着されましたので、みなさんで拍手をしながら安倍総理のオマヌケぶりをご覧ください。」 自動詞的用法の「まぬける」の意味は、「間抜けなことをする」ということで単なる間抜けな状態を指すのではなく、主語となる主体がパフォーマティブに間抜けなことを行うという意味になる。つまり、従来の「間抜け」という言葉が持つある人間の属性を罵るような意味合いは薄れる。 用例としては「安倍総理はまぬける」のような使い方になる。活用は「食べる」という動詞と同じである。まぬける(食べる)、まぬけない(食べない)、まぬけましょう(食べましょう)、おまぬけください(お食べください)、など。 いっぽう、石原さんのように他動詞的に使う場合は、「誰それ(目的格)のまぬけぶりを見る、まぬけぶりを笑う、まぬけぶりを嘲笑する」という意味になる。「安倍さんはまぬける」も「安倍さんをまぬける」も安倍さんがマヌケなことをするという意味では同じ事象を表現することになる。 このように「まぬける」という動詞が定着すれば、日本で最初の用例のように「ただいま安倍総理が到着でございます。どうかみなさん、拍手をもってオマヌケください。」というようにとても使い勝手のいい日本語になるのである。金デモでの使い方としては、「再稼働だって! みなさん、コールをもってオマヌケください!」など。故郷喪失につながるような原発の再稼働などという想像力なきマヌケな政治はごめんだという意思表示ができる。 一国の宰相を引き合い出して「まぬけ」だの「あほ」(とは言ってないが)だのとはあまりにも無礼ではないか、と良識ある国民や安倍首相のネトウヨサポーターのみなさんはお怒りになるかもしれないが、これは「オマヌケください」という表現を発明された石原さんのオリジナリティを尊重し、その日本最初の用例を重んじる立場としては止むを得ない仕儀なのである。オリジナリティを徹底的に尊重する学術論文の引用の仕方に準じて記述しようとした私なりの努力の結果なのである。 青葉通り。 (2017/7/7 19:32~19:37) 7月7日の金デモだが、時差はあるものの同じ2017年7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採決された。核兵器を持つことばかりではなく、核兵器をもって他国に脅威を与えることも禁止する画期的なものである。核兵器を保有する「先進的」軍事国家は参加しなかったし、唯一の被爆国たる日本もアメリカに従属するために参加しないものの、122の国と地域の圧倒的多数の賛成で条約は採択された。 美しいか醜いか訳の分からない日本の政治家の言葉はさておいて、条約の一部を抜き書きしておく(7月8日付の毎日新聞から)。第4条(核兵器の全廃に向けて) 一、2017年7月7日以降に核兵器もしくは核爆発装置を所有、保有、管理し、また本条約の発効前に全ての核兵器関連施設の廃棄もしくは後戻りしない形での転換を含め核兵器計画を廃棄した締約国は、核兵器計画が後戻りしない形で廃棄されたことを検証する目的のため、第4条の六項で指定する法的権限のある国際機関と協力。その機関は締約諸国に報告。そうした締約国は申告済みの核物質が平和的な核活動から転用されていないことやその国全体で未申告の核物質・核活動がないことについて信頼に足る確証を与えるため、国際原子力機関と保障措置協定を締結。協定の交渉はその締約国について本条約が発効してから180日以内に開始。協定はその締約国の本条約発効から18カ月以内に発効。それゆえ各締約国は将来において採択される可能性がある追加の関連文書にかかわらず、これら保障措置の義務を守る。 二、第1条(a)にもかかわらず、核兵器やその他の核爆発装置を所有、保有、管理する締約国は、それらを直ちに核兵器システムの稼働状態から取り外し、破壊する。これは、全ての核兵器関連施設の廃棄もしくは後戻りしない形での転換を含め、検証可能かつ後戻りしない形での核兵器計画廃棄のため、法的拘束力があり時間を区切った計画に沿ってできるだけ速やかに、ただ締約諸国の最初の会議で決めた締め切りより遅れてはいけない。その締約国は本条約がその国で発効してから60日以内に、本計画を締約諸国や締約諸国が指定した法的権限のある国際機関に提出。本計画は法的権限のある国際機関と協議される。国際機関は手続き規則に従って承認を得るため、その後の締約国会議か再検討会議かいずれか早い方に本計画を提出。 三、上記二項に当てはまる締約国は、申告済みの核物質が平和的な核活動から転用されていないことやその国全体で未申告の核物質・核活動がないことについて信頼に足る確証を与えるため、国際原子力機関と保障措置協定を締結。協定の交渉は二項で言及した本計画の履行が完了する日までに開始。協定は交渉開始から18カ月以内に発効。それゆえ締約国は最低限、将来において採択される可能性がある追加の関連文書にかかわらず、これら保障措置の義務を守る。三項で言及された協定の発効後、その締約国は国連事務総長に第4条での義務を遂行したとの申告を提出。 四、第1条(b)(g)にもかかわらず、領内やその他の管轄・支配している場所において、他国が所有、保有、管理する核兵器やその他の核爆発装置がある締約国は、それら兵器についてできるだけ速やかに、ただ締約国の最初の会議で決めた締め切りより遅れることなく、迅速な撤去を確実にする。そうした兵器と爆発装置の撤去に関し、締約国は国連事務総長に第4条の義務を遂行したとの申告を提出。 五、第4条が当てはまる締約国は、第4条での義務履行を遂行するまで、締約国会議と再検討会議に進展状況の報告書を提出。 六、締約諸国は核兵器計画の後戻りしない形での廃棄のための交渉と検証のため、法的権限のある国際機関を指定。検証には第4条の一項、二項、三項に従って、全ての核兵器関連施設の廃棄や後戻りしない形での転換を含む。第4条の一項、二項が当てはまる締約国に対する本条約の発効前に上記の指定が済んでいない場合、国連事務総長は必要な決定のため締約国の特別な会議を開催。 これから私たちのやることは決まっている。被爆国の国民として、戦争準備を進める安倍政権から平和を希求する政権へと替え、そのうえで、私たちの日本を誇りある「核兵禁止条約」加盟国とするのである。どう考えても、その答えしかない。安倍首相ふうに言えば、「その道しかない」のである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.07.07
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