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選挙は終わった。いい結果ではなかったが、ことごとく落胆するという結果でもない。たとえば、「立憲3野党38から69議席へ躍進!」というとてもポジティヴな見出しのニュースだって可能である。あるいは、民進党から出てきた立憲民主党の政党支持率がかつての民進党のそれを大幅に上回ったことも挙げられる。政党がその政治思想、意志を明確に示しさえすれば一定の支持が得られるのである。 これまで、市民プラス野党共闘という形の選挙では民進党員を候補者とすることが多かったが、憲法改正や脱原発についてはどことなく曖昧にしたままの共闘で、個人的にはもやもやした気持ちのままで選挙に臨んできた。 自民党にしても民進党にしても、選挙互助会としての要素が強く、リベラル保守から極右までまで抱えてしまっているという点ではまったく同じだった。それが、いまや議員数はともかくとして、政党は「右翼(極右も含む)」、「リベラル」、「左翼」と分けられるようになった。 リベラルを左翼とする人たちもいるが、リベラルは現行の国家システム、法システムを是認したうえで政策を考えるという意味では保守である。自民党や公明党は、歴史を逆に回したような国家体制を目指しているという点ではもはや保守ではない。憲法を無視する政策を強行していることから、右翼クーデター組織といってよい。 より良い国家を目指すという意味では、リベラルと左翼がそれを担うしかない。ごたごただったこの選挙を通じて、そのような政治的構図がすこしだけ明瞭になったことは、未来のためにはよかったのではないかと思う。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/10/27 18:13~18:34) 元鍛冶丁公園には50人が集まっていた。中には、衆議院全国比例区東北ブロック候補として選挙戦を闘ってきたふなやま由美さんの姿も見えた。 ふなやまさんは、司会者に促されて挨拶され、デモではコーラーを引き受けられた。選挙では東北一円を駆けめぐっていたというのに、疲れをまったく感じさせない姿と声に驚いてしまった。一番町(その1)。(2017/10/27 18:35~18:39) 選挙の間は、フェイスブックもツィッターも政治の話で満ち満ちていた。その中で、立憲民主党に人気が集まった機微に触れるようなツィッターの投稿を見つけた。 いま、政治の世界(というよりは政権党の世界)に溢れているのはディスコミュニケーションというコミュニケーションである。会話が成立していないのだ。 マスコミやネットでは、安倍首相を「息を吐くように嘘をつく」などと評しているが、私には、彼は「嘘つきで」はなくて、「ほんとうのことが話せない」人なのではないかと思えるのだ。それは、ほんとうのことを知らないということもあるのだろうが、眼前する事象を理解して言葉にすることができないのではないかとしか思えないのである。 ほんとうのことを話す能力がないために、質問されれば、とりとめのない言葉の羅列か、質問者への感情的な反発となり、あらかじめ準備された言葉は事実の裏付けがない政治的な美辞麗句ばかりで、それは誰が聞いても「嘘」としか思えない内容になってしまう。 彼は、政治の世界で語られる「言辞」については嫌というほど薫陶を受けてきたに違いないのである。不幸なことに、その政治言語を、事実とか真実、あるいは善悪や眼前する状況と関係づける能力に欠けているのである。善悪に関する言語の混乱。この症候を、国家の目印だと考えればいい。じっさい、死への意志をこの症候は示している! フリードリッヒ・ニーチェ [1] この言語の混乱を許していては、国家は「国家の死」に向かうのである。人によっては今、今度の選挙を最悪の結果だと評するが、「善悪に関する言語の混乱」を乗り越える兆しが見えてきたということもできる。まあ、それが政治家の「普通の受け答え」というのは情けないと言えば情けないが……。一番町(その2)。(2017/10/27 18:41) 人間というのは、世界や環境への認識を少しずつ進化せてきた。政治的、社会的認識も、長いスパンで考えればやはり進歩していると考えていい。しかし、歴史の時間を短く区切ると、進化どころか退化しているのではないかと思えてしまう。 先に引用したニーチェは、100年以上も前に亡くなっている。ナチス・ドイツから逃れ、フランス・スペイン国境で77年前に死んだベンヤミンは、次のように書いている。現代の人間のプロレタリア化の進行と広範な大衆層の形式は、おなじひとつの事象のふたつの面である。あたらしく生まれたプロレタリア大衆は、現在の所有関係の変革をせまっているが、ファシズムは、所有関係はそのままにして、プロレタリア大衆を組織しようとする。ファシズムにとっては、大衆にこの意味での表現の機会を与えることは、大いに歓迎すべきことなのだ(それは大衆の権利を認めることと同一では絶対にない)。所有関係の変革を要求している大衆にたいして、ファシズムは、現在の所有関係を温存させたまま発言させようとする。当然、行きつくところは、政治生命の耽美主義である。大衆を征服して、かれらを指導者崇拝のなかでふみにじることと、マスコミ機構を征服して、礼拝的価値をつくりだすためにそれを利用することは、表裏一体をなしている。 ヴァルター・ベンヤミン [1] 時代は変わって「プロレタリア化の進行」は「プロレタリアの二極化、貧困層プロレタリアの急増」とでも呼べるような状況になっているが、ファシズムの機制はまったく変わらない。 マスコミジャーナリズムは、あたかも自由な言説を謳歌しているように見えながら、じっさいにはほとんど自公政権の言論統制下にある。みんな、自由にモノが言えると信じて疑わないが、その「モノ」はテレビや新聞が政治的圧力下で創り上げたフェイクという時代である。自由だと思い込んでしまう隷属こそ現代ファシズムの特徴だろう。 そして「美しい日本」という幻想への耽美的趣味、テレビでは「すごいぞ、日本!」的な番組が氾濫している。もうすでに、ベンヤミンが描くファシズムそのものである。 進化とか退化とかいう前に、ほんの80年前のことを覚えていられない日本人がここにはいる。ドイツも日本も、70数年前の記憶を憲法の形で記憶化した。一方はそれを順守する形で西欧先進国のリーダーの道を歩み、一方はそれを形骸化することで東アジアの後進国への道を歩んでいる。 立憲政党の誕生が歓迎され、喜ばれ、支持される所以である。青葉通り。(2017/10/27 18:51~18:55) 脱原発デモのことを書こうというブログなので、選挙(政治)の話ばかりではなく、最後に原発事故関連の話題を一つ。 先ごろ、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」訴訟で国や東電の責任を明確に認める福島地裁の判決が出されたが、「子ども脱被爆裁判」も福島地裁で行われている。その第12回口頭弁論で新潟に妻子を非難させている福島大学准教授の荒木田岳さんの弁論内容が『民の声新聞』で紹介されている。 「政府や福島県が(原発)事故前に定められていた原発事故対応の手続きを守らなかったゆえに、避ける事が出来たはずの被曝を住民、とりわけ子どもたちに強要した。その責任は重大だ」 〔……〕「住民をいかに被曝から守るか、という原子力防災の目的はないがしろにされ、住民は情報の隠蔽ゆえに被曝を避ける事が出来なかったのです」と訴えた。 原発事故後の放射線モニタリング一つとっても、実測と予測の二方向で放射線の拡散を調べるよう事細かく決められていたはずだった。「『緊急時環境放射線モニタリング指針』(以下、指針)では、計測する場所も使用する機器も、計測方法も細かく決められていた。それは乾電池一個、鉛筆一本にまで及んでいた」。そうして得られたデータに従えば、福島県民にばかりでなく、さらに広い範囲の住民に対して避難が呼びかけられたはずだと指摘する。とりわけ、荒木田さんが重視しているのが、ウランが核分裂する際に発生する「テルル132」だ。 「福島県原子力センターは2011年3月12日の朝には大熊町や浪江町で、昼過ぎには南相馬市で自然界に存在しないテルル132を検出していた。それが意味するのはメルトダウンの蓋然性であり、住民被曝の可能性。しかし福島県はこのデータを隠蔽し、住民の避難に活かさなかった」 データの隠蔽ばかりではない。いわば、サボタージュとでも呼ぶべきことも行われていた。原発事故以前に定められていた除染(スクリーニング)基準値が被曝現場でどのようにごまかされ、被ばくにつながったか。そうした事情は、『見捨てられた初期被曝』[3] に詳しい。 福島事故で起きたこと、行われたことは、政府や県や電力会社がいまどのような被ばく防護基準や対策をそれらしく作成したとしても、住民の安全のためにそれが守られる保証はないということを示している。 原発事故が起きたら、被ばく限度を1mSv/yから20mSv/yに引き上げてしまうように法律そのものを変えてしまう。そのような政府の安全対策を信じることは難しい。再び事故が起きたら、また法律を好きなように改ざんして政府や行政はサボタージュを決め込むだろうと考えるのは、ごくごく自然な論理的帰結である。 引き続いている裁判において、政府や自治体の責任を厳しく問うこと以外にこうした事態を防ぐ手立てはない。もちろん、政権をそっくり変えて、行政の体質に根本的なメスを入れる方法がもっとも正しいことだろう。だが、今度の選挙結果は、それは先延ばしにせざるを得ない手段であることを示している。それが残念である。[1] フリードリッヒ・ニーチェ(丘沢静也訳)「ツァラトゥストラ 上巻」(光文社古典新訳文庫 2010年)p.97。[2] ヴァルター・ベンヤミン(佐々木基一編集解説)『複製技術時代の芸術』(晶文社、1999年)pp. 46-47 。[3] studey2007『見擦れられた初期被曝』(岩波書店、2015年)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.10.27
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衆議院選挙も県知事選挙も2日後が投票日だが、期日前投票を済ませた私の一票はもうどうにもならないことになったせいか、すこし心が落ち着いてきた。落ち着きすぎてネガティヴの方に振れているような気がしないでもない。ブログを書くのにたいした気力がいるわけでもないが、そのちょっとした気力がないのだ。それで、少し日記ふうに書いてみる。 3時半ころ、枕もとで老犬が小声で鳴く。私は雨合羽を着て、老犬には歩行補助ハーネスを装着して外に出る。スムーズにオシッコとウンチをしたので、抱きかかえて急いで帰る。 けっこう強い雨が降っているので、朝の散歩は取り止め。6時までリチャード・J・レインの『ジャン・ボードリヤール』という仙台市立図書館からの借用本を読む。途中、うつらうつらして10ページほど。夢中になるほど面白いわけではない。 6時ころから糠漬けの手入れ。今日一日分の漬物を取り出し、新しい野菜を漬け込む。わが家の一日分は、茄子1本、胡瓜1本、7cmほどの半割り大根、4cmほどの半割り人参だけである。茄子だけは明礬と塩で揉み、太ければ縦に浅く包丁を入れる。ちなみに糠漬け管理は私の担当で、妻はこれまで一度も糠床に手を触れたことがない。 糠漬けをテーブルに出したあとは、老犬の朝食を準備して食べさせる。最初は少し口をつけるがすぐに諦めてしまうので、最近はずっとスプーンで食べさせている。用意した分を食べ終えると、その食器に5種類ほどの「おやつ」なる老犬の好物を入れる。こちらは自分で積極的に食べる。食事とおやつはほぼ同量で、このセットで一食分としている。 こんなふうに書いていくときりがないので、以後簡略に……。 老犬の食事の後、義母をベッドから車椅子に移して食事を始めさせてから、仙台市の家庭ごみ集積所排出実態調査に8時から40分ほどカメラ持参で立ち会う。帰宅して朝食を済ませ、コーヒーを入れるが私は飲まないで、町内会集会所で開かれる介護予防自主グループ「川内げんき会」の写真取材に出かける。11時40分ころ帰宅、写真を整理して昼食に取りかかる。今日は、ミックスパスタのジェノベーゼソースである。ジャガイモとモロッコインゲンを加える。昼食も私の担当だ。 昼食後、白ワインで火照った体を1時間ほど休め、ごみ集積所実態調査と「げんき会」の様子を町内会のホームページにアップする。二人のヘルパーさんに入浴させてもらった義母の指の傷の手当と爪切りを終えるころには、老犬の散歩に出かける時間になる。私が金デモに出かけるため、いつもより早いのである。 一息入れてから着替え、元鍛冶丁公園に向かう。雨はずっと降り続いていて、けっこう雨足は強い。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/10/20 18:09~18:33) 定刻に10分ほど遅れて元鍛冶丁公園に着いた。雨を避けて屋根のあるステージの上で集会は開かれている。朝から降りつづく雨で参加者は少ないだろうと思っていたが、25人ということだった。今日は250回目の金デモで参加者が25人か、などと思いついたがさして意味はない。 集会が始まった直後に、県知事候補の「たたら哲(さとし)」さんが挨拶に来られたということだった。遅刻して直接お会いできなかったのが悔やまれた。一番町(広瀬通りまで)。(2017/10/20 18:36~18:38) 元鍛冶丁通りから一番町に出ても、デモが歩く中央部分にはアーケードがない。両脇のアーケードを傘も差さないで歩く大勢の通行人から見れば、わざわざ傘をさして雨の中を歩くデモ人はいつもよりは目をひいたのではないか。 一番町に入っても、傘の下のデモ人の表情を写真でとらえるのは容易ではない。私にとってデモの写真を撮る意味は人にあり、人の表情にある。雨に濡れてキラキラ反射する地面も美しいが、デモはやはり人である。一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/10/20 18:41~18:44) 広瀬通りを越えると全天型アーケードになる。撮った写真を眺めると、雨と傘に煩わされながら写したものより、ずっとよく写っていることがわかる。雨の中では、カメラ設定を微調整するということも煩わしく、シャッターの押し方も粗くなっているようだ。 雨ごときで左右されるのは情けないが、そんな程度である。帰宅して写真を整理すると、使える写真がいつもの半分ほどしかない。青葉通り。(2017/10/20 18:46~19:50) 日記ふうにブログを書くのは問題がある、そう気づいた。年金暮らしの日々の生活にそうそう変化があるわけではない。一度書いてしまえば、あとは同じことの繰り返しになるばかりだろう。 そういえば、世界には見知らぬことが多く、期待に満ちて毎日を生きていたはずの幼いころ、私が書いた2日目の日記は「きのうとおなじ」で、小学一年生になったばかりで私の日記は挫折したのだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.10.20
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10月22日は、衆議院選挙に加えて宮城県知事選挙の投票日である。だが、同じ日に町内会の防災訓練とその後の芋煮会があって、朝早くから準備が始まる。私は、防災担当のサブで、広報担当のカメラマンという役回りである。町内に住む留学生なども加わって100人を越える参加者が見込まれるイベントなのでけっこう大変なのだ。 昨年の同じ日には脱原発デモの一ヶ月に一度の日曜昼デモに重なって、せっかくの芋煮鍋もビールも一口も口にできずにデモに参加した。第4週の日曜日は妻が教会の奏楽を担当するので、ときどき芋煮会会場から自宅に走って義母の世話をするというせわしさで、ほんとうにへとへとになった。 今年は、日曜昼デモがない、それに、妻も奏楽担当を替わってもらい、家にいることになった。そうであれば、芋煮もビールもゆっくり楽しみたい。酔っぱらって投票所に行くのは嫌だ(投票所は少し遠いうえに坂の上にあって、いつもは車で出かけていた)。 というわけで、昨日の夕方、期日前投票に行ってきた。県知事選挙は、当然ながら「原発ゼロ」を訴えて立候補したたたら哲さんに投票した。多々良さんは、市民団体が結成した「新しい県政をつくる宮城県民の会」を選挙母体として、先の参議院選挙で全県的に成立した野党共闘の支援を受けている。脱原発知事は、私たちの切実な願いである。心から期待している。 また、私の住まいがある宮城1区では立憲野党の共闘が成立して、立憲民主党の岡本あき子さんが立候補している。地方区は当然ながら岡本さんの名前を書いて投票した。 全国区は、共闘のために予定候補者を取り下げた共産党に入れた。これもまた、仁義として当然のことだった。〈仁義〉は垢まみれになってしまった言葉であまり適切な感じはしないが、要するに、「義に応えるに義をもってする」と言えば大仰だが、そんな気持ちのささやかな一票である。 ありていに言えば、県知事候補の「たたら哲さん」も仙台市議会議員から共産党の衆議院比例東北ブロック候補となった「ふなやま由美さん」も、私にとっては何度も脱原発デモを一緒に歩いた大事な若い知人である。 私は、これまで「人柄を見て投票しましょう」などという主張をたわごととして退けてきた。選挙はいつも候補者の政治的立場、政治思想から投票してきた。それがたとえ「よりまし」という苦い選択だとしても誰に投票するか悩んだことはない。 しかし、今回は候補者を直接知っているので、政治的立場に加え、問題なく人柄も投票選択に加味することができるという充足感を味わった。ただし、最高裁判所裁判官国民審査は全員×というつまらない投票だったけれども……。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/10/13 18:10~18:34) 金デモ集会場の元鍛冶丁公園に向かって広瀬通りを歩いていて、晩翠通りの交差点に着くと裁判所の方からやってきた「たたら哲候補」の選挙カーが信号待ちをしている。晩翠通りを直進する車線だったので、元鍛冶丁公園へと晩翠通りに曲がった私に追いついてくるだろうと思った。 私はこれまで選挙カーに一度も手を振ったことなどないのだが、今度ばかりは大仰に手を振ってやろうと追いついてくるのを待ちながらゆっくりと歩いた。しかし、選挙カーはいっこうに近づいてこない。どちらかと言えば、スピーカーの音がだんだん小さくなる。 どうやら、夕方の混雑時の渋滞に完全にはまってしまったらしい。そうこうしているうちに元鍛冶丁通りに入るところまで来てしまった。こうして、人生初めての選挙カーに手を振るというチャンスは潰えてしまったのだった。 少しの遅刻で元鍛冶丁公園についたが、集会は始まっていない。金デモカーが到着していないので、スピーカーなどが使えないのだった。待ちかねて、肉声で集会を始めようとしたとき、金デモカーが到着した。大急ぎで荷物を運び出して、あらためて集会が始まった。 選挙の話題もあったが、やはり「生業訴訟」福島地裁判決が、政府、国の責任を認めたというニュースが話題の中心になった。賠償額や賠償範囲などで不満は残るけれども、前橋判決に続く良い判決だった。 また、デモの常連となった書道家が異様に長い横断幕を書き上げて参加していた。いつもであれば、18~140mmのズームレンズ一本でデモの写真を撮っているのだが、今日は35㎜だけを持参したので、狭い公園でどんな位置取りをしてもその横断幕を端から端まで入れるのは難しいのだった。斜めに入れれば向こう端の文字がよく見えないのだ。 40人のデモが元鍛冶丁通りから一番町に出たあたりで、35㎜レンズでは適切なアングルを確保するにはわが身を動かさざるをえないことに気づいた。そのことは初めから覚悟していたのだが、動いていくデモが被写体なので位置取りのためにしょっちゅう走らなければならないということに気づいたのである。 私にとってデモは散歩(街歩き)を兼ねていたのだったが、これからはジョギングを兼ねるという塩梅になりそうである。35㎜は単焦点の不便さがあるが、ズームレンズよりはるかに明るいので、夜デモに向いている。一週に一度のジョギングデモは当分続きそうだ。一番町(広瀬通りまで)。(2017/10/13 18:37~18:41) デモ前の集会でも、デモ中の呼びかけでも福島地裁判決が話題になった。 この10月10日、福島地方裁判所(金澤秀樹裁判長)における「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟、いわゆる「生業訴訟」の第1次訴訟の判決が出された。前橋地裁判決に続いて、国の法的責任と東京電力の過失をはっきりと認めるものだった。 生業訴訟原告団及び弁護団の声明は、国や東電の責任、過失についての判断を次のように要約している。1. 国が2002年の地震本部「長期評価」等の知見に基づき、2002年末までに詳細な津波浸水予測計算をすべきであったのにこれを怠ったこと(予見義務)。2. 予測計算をすれば、福島第一原子力発電所の主要施設の敷地高さを超える津波が襲来し、全交流電源喪失に至る可能性を認識できたこと(予見可能性)。3. 非常用電源設備等は「長期評価」から想定される津波に対する安全性を欠き、技術基準省令62号4条1項の技術基準に適合しない状態となっていたこと(回避義務)。4. 2002年末までに国が規制権限を行使し、東京電力に適切な津波防護対策をとらせていれば、本件津波による全交流電源喪失を防げたこと(回避可能性)。 そして、原発の安全運転のために規制権限を行使しなかった国の姿勢を「著しく不合理」と非難した。また、必要な津波対策をとらなかった東京電力についても過失があったと断言した。 さらに、年間10mSv程度の空間線量率が計測されていれば、放射線への不安や被ばくを避ける行動を被害と認めて賠償の対象とした。これもまた極めて重要な司法判断である。被告(国、東電)の「年間20mSv以下では健康リスクは極めて小さい」とか「健康被害は、科学的根拠のない危惧不安のたぐい」だとする主張を退けるばかりではなく、年間20mSvを帰還の目安とする現在の自公政権の政策を明確に否定するものである。 年間10mSv程度の空間線量率で被害・賠償とするなら、被害が生じない線量率は限りなく1mSv/yに近いことになる。福島の住民は20mSv/y、それ以外の国民は1mSv/yという差別的な二重基準そのものが否定されているのだ。本来、恣意的な二重基準を認めることは法システムとしての自殺行為なのだから、当然の判断と言ってよい。 前橋判決に続くこの福島判決は喜ばしいことには違いないが、じつは、原告の女性が「うれしいが悔しい」と語ったというニュースのなかに裁判の真実が見える。もともとこの民事訴訟は、主要な請求として「ふるさとを返せ」という地域の原状回復を訴えていた。しかし、この請求に対して、判決は次の文言で退けている。 原告らの旧居住地の空間線量率を本件事故前の値である毎時0.04μSv/h以下にせよという原状回復請求は、被告らに求める作為の内容が特定されていないから、民事訴訟として不適法である。 居住地の空間線量率を事故前に戻せという請求は、除染を完全に行えということに他ならない。にもかかわらず「被告らに求める作為の内容が特定されていない」と認定することは、除染は作為とは認めないということだろう。 除染が原状回復のための作為には相当しないとする判断は何を意味しているのか。故郷を取り戻すのに、効果的な除染など不可能な作為ということか。たしかに不可能な作為を請求しているのであれば、民事訴訟として不適法であると考えるしかない。 これは、「福島は、もとの福島に還ることは不可能だ」という司法からの宣告のように見える。ならば、福島の地域、故郷を取り返しがつかない状態に至らしめた犯罪を司法はどう裁くのか。その問題が厳然と残されることになる。次なる刑事裁判に残された課題は大きい。一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/10/13 18:45~18:46) グンター・トイプナーは書いている [1]。たとえ裁判官が長く苦しい熟慮と討議の後で訴訟当事者の双方が「権利をもっている」ことを知ったとしても、また、自分の判決によって一方の当事者に不法を行うことになることを知っていたとしても、正義の要請にもとづいて訴えを受理するか棄却しなければならない。第三の道の道は与えられていないのである。(『正義論』、p. 50) 福島判決は、政府の規制権限を行使しないという不作為と東京電力の過失によって原発事故が起きたこと認めたうえで賠償を命じるという〈法〉を行いつつ、生まれ育った父祖の地を返せという要求を却下するという〈不法〉を行なった。 私(たち)は、法が正義を行うと素朴に信じてきた嫌いがある。政治イッシュウがらみの裁判の多くが(とくに上級審で)権力寄りの判決を下すことに強い反発を抱くのも、いわば「法は正義をなす」と信じてきたことの裏返しの思いなのである。 しかし、ことはそれほど単純ではなさそうだ。トイプナーの論考は、ニクラス・ルーマンの法システム論を批判的に検討するという労作だが、そのルーマンの法社会学は、「正義とは法システムの偶発性定式である」と主張している。法的正義が偶発性によるというのは、正しい法は別様でもありうるということにほかならない。 ルーマンは、法システムのオートポイエーシスとしての法の自己変化を考えるが、トイプナーはもっとダイナミックな運動を考える。 法的正義は、すでに述べたように、法哲学的構築物でも法的な判断基準でもなく、法の内部で構造化される社会的運動であるように見える。したがって、以下の考察をあらかじめひとつの定式にまとめておくならば、法的正義とはつぎのような独特のプロセスであると言えよう。すなわち、それは法の自己記述のプロセスであり、法的作動の定型化した反復を中断させ、妨害し、阻止し、破壊する。そうすることによってあらゆる意味を超えた自己超越を法に強制するが、ただちにふたたび自らをさらなる法的作動を生み出しつづける圧力の下におき、まさにそれによって新しい不正義を生み出すことを自ら阻止する。 (『正義論』、p. 39)法的正義はつねに、古いものを不正なものとして切り離す要求に耐えるような法規範、裁判官の行為、法概念を見つけなければならない。それによって、正義に関してより高い次元とより低い次元とを区別することを容認する。というよりむしろ、そうした区別を必要とする比較視点が法のなかにもち込まれる。こうして、ほかのものよりも正しい法秩序とされるものは、ほかのものよりもよりラディカルに法秩序の自己超越を多様な異他性の次元にもち込み、またそれを要請し、ほかの法秩序よりもより正しいものであることを示すような決定や議論、規範を生み出すことになる。変革への圧力とは、変革のチャンスでもある。(『正義論』、pp. 52-3) ルーマンもトイプナーも法システムの理論を語っている。理論は現実を抽象化したものなので、ふたたび現実に還元しても当を得た具体的な理解に進むわけではない。それでもなお、私がいま考えていることは、日本の司法が直面している「フクシマ」を法システムが正しく扱いうるのかということである。少なくとも福島判決は、放射能汚染によって故郷を奪われた<不正義>への判断そのものを回避することしかできなかった。あるいは、回避するという法的不正義をなしたというべきかもしれないが……。 私が疑っているのは、法システム内部におけるトイプナー流の正義の社会的運動がヒロシマやナガサキやフクシマにも適用可能だろうかということである。つまり。現状では〈不法〉を行わざるを得ない法的正義がみずから「変革への圧力」となり「変革のチャンス」になりうるだろうかという疑いである。トイプナー自身が著書のサブタイトルで示した「正義は<不>可能か」という問いそのものを、福島判決を前にして考えている。 例えば、ハンナ・アーレントは「核分裂はまさに人間が作る一つの自然過程」で、それがもたらす結果は予言不可能だと述べ、「この予言不可能性を除き去ることはけっしてできない」と断言した。「この予言不可能性をうまく処理する望みが出てくるとしたら、それは、……〔核の自然過程に介入する〕行為を全面的に廃棄する場合だけだろう」と結論を述べている [2]。 原発事故のなかに本質的に内包される予言不可能性を法的正義が乗り越えることは永遠に不可能なのではないか。もちろん、法的正義はあくまで法システム内部の正義であって、けっして社会的正義ではないし、政治的正義でもない。 私たちがやらなければならないことは、きっと、社会的正義や政治的正義に訴えることで、原発も核兵器も「全面的に廃棄」することだろう。そうすることで、原発事故に内在する法的正義の不可能性を取り除くことができる。現在の法システムでは避けがたい〈不正義〉を取り除くことができるのではないか。 ルーマン流に表現すれば、法的正義に介入するのではなく、法システムの環境、エコロジーを変えるという方法をとるのである。当たり前のことだが、私たちは法システムの内部だけで生きているわけではない。全体社会を構成する部分システムとして法システムがあるのだ。だから、法システムに介入することではなく、法システムの外部、法システムの環境を変えようというのである。 私はいま、福島地裁の「生業訴訟」における原状回復請求却下の判決に法システムの限界ないしは不可能性が示されているのではないか、と切実に畏れている。この畏れをもっと明示的に示すためには、私の生噛りの法社会学、法システム論の理解をもっと深めなければならない。そうは思っているのだが、一方でそれは私の能力を超えているのではないか、そういう懼れもある。 考えてはいるのだが、なかなか理解は進まない。法社会学も法システムも難しくて、それを通じた世界理解なんて私固有の時間内ではとても間に合わないかもしれない。残された時間はあまりないけれども、人はあたかも無限に生きられるように振舞うといのは世界に対する一種の礼儀である。「正義の〈不〉可能性」ならぬ「法の〈不〉可能性」ならもう少しで辿り着けそうな気がしないでもないのだが(と、一応は書いておく)。青葉通り。(2017/10/13 18:49~19:55) デモが青葉通りを進み、大通り(国道4号、東二番町通り)を渡るのを後方から写して、今日の私のデモを終えることにした。いつもなら、地下通路を走ってデモに追いつき、解散時点の写真まで取るのだが、今日はこれまで十分に走った。地下通路の階段を駆け下り、駆け上がる気力はなかった。要するに、疲れたのだ。 デモが交差点を渡り切るところまで写して、カメラをしまい込んだ。2軒ほど本屋を覗きながらゆっくり自宅に向かうことにする。[1] グンター・トイプナー「自己破壊的正義――法の偶発性定式あるいは超越形式」、グンター・トイプナー編著(土方透監訳)『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』)(以下『正義論』)(新泉社、2014年)。[2] ハンナ・アーレント(引田隆也、齋藤純一訳)『過去と未来の間』(みすず書房、1994年) pp. 78-79。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.10.13
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〈赤いきつね〉の方がだんぜんおいしい。〈緑のたぬき〉は柔らかくて、歯ごたえがなくて、言ってしまえば、ぐちゃぐちゃで嫌いだ。もちろん、カップ麺の話である。 私は幼いころから小食で、母親にずいぶん心配された。そんな子どもが成人したら大酒飲みになって、それが祟ったのか、40歳で胃を5分の3も切除する破目になった。先天的にも後天的にも小食のままでこんな年になってしまった。 小食だが、それで十分生きられるというわけではないらしい。とくに昼食と夕食の間が耐えられないことが多い。そんなふうにお腹が空いた時には、量が手ごろなインスタント麺をよく食べる。たいていは、具をいろいろ工夫できる袋麺が多いが、それも面倒な時にはお湯を注ぐだけのカップ麺である。 作る手間が面倒になったときのカップ麺だから、熱湯5分の〈赤いきつね〉より3分で済む〈緑のたぬき〉がよさそうなものだが、蕎麦麺が柔らかすぎて私の舌はどうしても受け付けないのである。インスタント麺を食べるのに、こんなことを言うのは変だが、「急ごしらえ」というものにはろくなものがない。 私は、どう考えても〈緑のたぬき〉は嫌いで、〈赤いきつね〉が好きなのだ。一時期、黒いのも好きになりかけたが、ずっと若いころの話である。まだカップ麺はなかった時代のことだから、これはカップ麺の話ではない。肴町公園を出発。(2017/10/6 18:13~18:37) 集会の半ばごろに肴町公園に着いた。「あと2分くらいありますので、どなたか話される人はいませんか?」 司会者が携帯を耳に押し当てながら、そんな意味のことを言っていた。 一人のスピーチが終わって、電話の向こうに昨日(5日)告示された宮城県知事選挙の候補者「たたら哲(さとし)」さんが出たと報告があった。その後は、たたらさんが話すメッセージを司会者がマイクでみんなに伝えるという形で、原発を主要な選挙の争点とし、脱原発、女川原発再稼働反対を訴えて選挙戦を戦い抜くというたたらさんの決意が伝えられた。大拍手である。 今日のデモは35人。選挙が始まると、デモ人が減るのはいつものことだ。とくに市民共闘の候補者がいるときはなおさらである。もっぱら選挙に関わる人がいるのだ。 選挙が終わった後、その人たちが最高の笑顔でデモに戻ってくる。そんな選挙の結果を願いながら、デモ人35名は、暗い肴町公園から続く暗い細道を一番町に向かうのである。一番町(広瀬通りまで)。(2017/10/6 18:39~18:42) 10月に入って、集会は午後6時、デモは6時半出発と冬時間に変わったが、集会は闇のなかで始まり、闇のなかをデモは出発する。もちろん街灯はあって、集会には役立っているのだが、写真を撮る立場から言えば、もう十分な闇なのである。 あるプロのカメラマンが、デジタルの能力が上がって暗さにかなり対応できるようになったが、それでも夜の国会前の抗議行動の撮影はきびしいと書いていた。抗議する人々の素晴らしい写真で賞までもらったプロが苦労するというのだから、私が手も足も出ない場面があるのは致し方ない。 今のデジタルカメラは、「被写体が暗すぎます」という警告を出して生意気にも撮影を拒否するのである。張り倒したくなるが、年金生活になってからなけなしの小遣いで手に入れたカメラで、それもできない。私としては、設定を変えてまで強引に写すということはしないのだ。一番町に入るまで我慢すればいいのだから……。短気なのだが、そういう忍耐強さはある(まあ、貧乏性で面倒くさがりということだが)。一番町(広瀬通り~定禅寺通り)。(2017/10/6 18:42~18:49) 原発立地県の知事選挙において、脱原発を大事な政治的主張とする候補者は私たちの宝である。思えば、これまでの選挙の多くで、政権党も野党も原発問題を争点からはずすことが多かった。 しかし、このごろ、原発問題ははっきりと顕示的に語られる政治イッシュウとなった。その何よりの証拠は、〈緑のたぬき〉ならぬ希望の党が「原発ゼロ」を選挙公約に入れたことでも見て取れる。しかし、この公約は「花粉症ゼロ」などという訳の分からぬ公約と並べられているのでほとんど信用できないのだが、たとえ嘘と見破られても「原発ゼロ」と言っておく方が選挙に有利だと、あの極右ポピュリストは考えたということだ。 時代も情況もたしかに脱原発に有利に動いている。しかし、やる気のない「原発ゼロ」に騙されて票を投じたあげくに、「原発ゼロ」の公約が反故にされるという憂き目にあいそうだ。TPPがいい例だが、選挙後に公約とまったく反対の政策を行うというのは自公政権が得意とするところだ。その極右宰相と瓜二つの政治思想と政治手法を持つ自民党小池派の「原発ゼロ」を信じる愚かな人間がいるとは思えない。いや、そんな愚かな選挙民がいるとは思いたくないということだが……。定禅寺通りから晩翠通りへ。(2017/10/6 18:51~19:11) 一番町と比べれば、定禅寺通りや晩翠通りは格段に人が少ない。デモのコースとしては理想的とは言えないかもしれないが、人混みのなかで聴くよりも、コールの言葉が印象的に聞こえるのではないかと思う。 暗い道を一人で歩いているとき、しだいに近づいてくるコールの声。私だったら何を呼び掛けてるのかと、きっと耳を澄ますだろう。一番町では多くの人に伝えられ、定禅寺通りや晩翠通りではわずかの人の心深く伝えられる。そんなふうに楽天的に考えてみるのも悪くない。 陰影ばかりが印象的な被写体をファインダー越しに覗きながら、そんなことを考えているうちにデモは終わった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.10.06
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