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読むだけじゃなく詠んでるよ、という話。日付で言うと昨夜、ちょうど幾つか作ったもので、このままでは没だという句がある。 私の作句における大体のスタンス・季語には特に拘らない(うまく使えるものなら使いたい)・見たままを詠むことに特に拘らない(ただしあんまり虚構が混じると自分でも冷める)・五・七・五には大体拘る(自由律が美しいとは思えない)・暗いばかりのものは作らない(文芸一般、重く暗いようなのは一番簡単に出来る)・なるべく現代仮名遣い(多くの人に通じやすい方がいい) こう書くと曖昧でいい加減に見えるが、自分の中では結構厳しい。で、帰宅時に詠んだもの。まず何の説明もなく。背見知りの女の顔をついに見ず八分月下髪生える音抜ける音満月やでかい男が今日も死に闇夜田に黒子の影の百二百泣く妻と一族の横鳥糞河 ・・・・・・こう書いてみると、説明抜きじゃ分かりにくい句ばかりに見える。「背見知りの女の顔をついに見ず」 前を歩く女の背にどこか見覚えがある。通りすがりの人の顔など全然覚えないのに、背に限って覚えているとは妙なことだ。顔を見る気は別にない。以前もこういう思いがあったが「後ろ姿」というモタモタした響きの言葉が気に入らず完成しなかった。「顔見知り」を「背見知り」と変えた造語ですんなり行けたが、どちらにしろ大した句ではない。「八分月下髪生える音抜ける音」 たまには基本に返って月でも詠むか。満月にいくらか足らない今の月は何と言うんだっけ、あんまり雅になりすぎない方が好みだから「八分月」でいいか。ここで以前思いついたものの使えなかった「髪生える音」を思い出してくっつけ、抜ける音と続かせた。特に考えがあって出来た句ではないが、満月と思って変身しかけた狼男が、間違いに気付いて慌てて人間の姿に戻った。その時に生えた獣毛、抜けた獣毛の音、と読める。「満月やでかい男が今日も死に」 同じく月の句。実際の月とは違う。俳句に興味など全くない友人に俳句の説明をするならどういうふうにやるだろうと想像したら出来た句。「季語には特に拘らなくていい。たとえば『満月や』と上五出して、その後はそこら辺に見えるものでも、思ったことでも書いておけば十分俳句らしく見える。たとえば・・・」で、分かりやすく自分のこと「でかい男が今日も死に」と付けた。一日の終わりにでかい男が月を見上げて、「ああ、今日はこれから何もない。まるで死ぬようだ。昨日もこんな感じ。明日もそうだろう」くらいの意。実際に、背の大きい人・肝っ玉のでかい人・あそこがでかい人・政財界の大物、などいろいろな意味の「でかい人」は毎日死んでいるので、適当な割にスケールの大きい句。この中では一番気に入っている。「闇夜田に黒子の影の百二百」 今日はぽんぽん出来るから、じゃあこの闇の中の田んぼについても、という軽いノリ。「闇」「夜」「黒子」「影」と真っ黒なイメージばかりで繋げておいて、そんな景のあるはずがないだろうという突っ込み待ちの「暗い振り」の句。「泣く妻と一族の横鳥糞河」 マンションの駐車場で、女の泣く声がシンシンと繰返し続いていた。女の周りを家族か、親戚か、子供も混じって何も言わない一団が囲んでいた。関わり合いになりたくないので横を通り過ぎた。変わった出来事だから詠む対象としては申し分がないが・・・・・・私の感性では我慢出来ないくらいに暗すぎる。そこで、駐車場の近く、カラスの夫婦が電線に止まって毎夜糞を落とし続ける場所を思い出し、やや強引に「鳥糞河」と名付け、横に置いて暗さを紛らわせた。しかしとにかく「河」じゃないなあ・・・。 と、大体こんな感じで詠む毎日。以前は、一人句会と称してお題を設定、10分以内にとにかく詠んで、出来上がった12~17句程度(10分でもこれくらいは出来る)のものに註釈をつけ、改良を加え、良い句を選ぶという一人芝居をやっていた。これは自分でも思いもしなかった句が出来上がることもあり、楽しかったが、消耗が激しく、お題に気分が乗れないと全く良いものが出来なかったりで、しばらく中断している。 本当に気に入りの句は気軽に書かず、とってある。
2004/09/25
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詩がないと倒れる。暑い日には。好きな俳句は次々と並べられる。何か見たら詠めばいい。それでも詩は要る。出来れば子供と老人の詩が。「小説新潮」に毎月掲載されていた「今月の詩」から選んだもの。2000年に刊行されたものの文庫化。タイトルの由来は三歳の子の呟いた詩「あのねママ/ボクどうして生まれてきたのかしってる?/ボクね ママにあいたくて/うまれてきたんだよ」(田中大輔)からとったもの。全84編中26編が子供の詩というのは寂しいことなのか、詩の真理なのか。 大好きな詩でも持ち運べる言葉はそう多くはない。金子光晴の詩を愛好していたある軍人でも、落下傘で飛び降りる直前に口ずさんでいたのは流行歌の何でもないような歌詞だったとか。最近読んだものの何かに書いてあった。おそらく金子兜太。 息を 殺せ 八木重吉息を ころせいきを ころせあかんぼが 空を みるああ 空を みる 八木重吉詩集で一月は持つ。 (無題) 作者不詳誰も死んではいない誰も死んではいない誰もかも死んでしまった誰もかも死んでしまった 広島の原爆資料館のノートへ吐き出された言葉。 花に関する15のつぶやき 花田英三夜になると花は自殺のことを考える余り考え過ぎて咲いてしまうことがある(注・全15の断章のうちの13番目) 花は咲いたら死ぬ。 本に載っているのは短い詩ばかりではない。短い詩ばかり目に付くようになっている。短い詩ばかり見えるようになっている。虫の鳴き声ばかりが耳に入るようになってきた。目を離した隙に横綱が三敗目。 新潮文庫 2004年
2004/09/23
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まだ続く。よく出てくる花神社の本は、第一句集から全部、それ以降は自選なり他選なりで数百句収めた俳句いっぱいの文庫。蝸牛俳句文庫は選者が300句を選び一句ごとに脚注をつけたもの。「赤尾兜子」花神社 1996年 終戦の年二十歳。内地に留まり終戦。京大卒業後毎日新聞社に勤務。55歳で定年退職。翌年自死。 プロフィールから推測するのは安易なことだが、この人には「軽み」の入る余地がなかったのか、重く暗い句が多い。何百句と続けて読むと暗澹たる気持ちになる。定年後こそその軽みを手に入れるいい機会だったろうに。解説では同じようなことを親友の司馬遼太郎が書いている。 傑作句はどれもやはり暗い色。われ死せば冬の湾より囃し声ブランコ軋むため傷つく寒き駅裏も蛾がむしりあう駅の空椅子かたまる夜ひまわりの威おそれぬ日あり恐る日も「富澤赤黄男」四ッ谷龍 編・著 蝸牛俳句文庫 1995年「蝶落ちて大音響の結氷期」の作者。明治35年生まれ。59歳で逝去。句切れのところで一マス間を空ける事を、ずっと一本調子というのより、リズムが分かりやすくていいじゃないかと、俳句に馴染まぬうちは思っていたが、そればかり続くのを読まされてみると、読み方を強制される不自由感に耐えられなくなる。晩年の句はほとんどがその手法。句の出来に左右される部分もあるが。「やけくそに空缶(かん)を叩けば 日が没ちる」など目に入れたくなかった。 それでも若い頃のものは良い。一マス空いても良いものもある。恋びとは土竜のやうにぬれてゐるガラス窓壊れてしまふよい天気鶏交(さか)り太陽泥をしたたらし唖蝉や されば無音の地の乾き「加藤楸邨」中嶋鬼谷 編・著 蝸牛俳句文庫 1999年 俳句は師系を重んじる世界。師は誰、どこの結社に所属、どの俳句雑誌に投稿、なんてことがプロフィールにぎっしり記される。そんな気はないが、もし私が師と仰ぐなら、故人ではあるがこの人。俳味・重み・軽み・下ネタなんでもござれ、愛すべき句句句たち。金子兜太・原子公平その他諸々、彼に師事したこともよく分かる。長く生きた1905年生1993年没。長く生きた蝉時雨中に鳴きやむひとつかな火の奥に牡丹崩るるさまを見つ雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び糞塊のかぎろへり声うたとなりのんのんと馬が魔羅振る霧の中海底に何か目ざめて雪降り来「石田波郷」山田みづえ 編・著 蝸牛俳句文庫 2002年 金子兜太のライバルと言われていた人。楸邨-兜太の持つ飾り気のない人間臭さが足りない。上半身だけというか。男前というか。石田ということで三成という名が浮かぶ。切れ字に拘るあまり「「霜柱俳句は切れ字響きけり」なんて句を残した人。まとめて書いてるので一人一人についてあまり多くを裂いてないけれど、それぞれ大俳人たち。雁(かりがね)やのこるものみな美しき道傍に海あふれたる暮雪かな雪はしづかにゆたかにはやし屍室敗戦日空が容れざるものあらず「兜太・せいこうの新俳句鑑賞 他流試合」金子兜太xいとうせいこう 新潮社 2001年 伊藤園の飲料に印刷されてる「伊藤園俳句大賞」の選考委員である二人が、受賞した句を中心に、切れ字の効果、詠む対象の捉え方など語り合ってる本。せいこうが攻め兜太流す。読んでる最中友人来訪。「いとうせいこうめっちゃ好きやねん」こちとら興味は兜太のみ。せいこうが俳句を羨ましがる。散文書きとして。その気持ちよく分かる。せいこう :散文には切字のような言葉遣いはないから、改行してそれを表したりするわけです。例えば「青空があった。」で切ろうと思ったら、もうそこで改行するしかないんです。そこに何かが続いたら、近接の論理というやつで、隣りあっているものには必ず意味なり何なりが重なってくるということがあるので、青空のイメージが、次の言葉を支配してしまうわけですね。だから改行をしたり一行分空けたりして、何とか違うところへ持っていこうとする。「一九八五年であった」とか、意味的にかけ離れたフレーズを続けたとしても、やっぱり「青空」が近接する以上は、一九八五年は明るい年だったんだと暗示しているように思われちゃう。散文にはこれを引き離す手はおそらくないんです。だけど俳句では、「や」を使うことによって言い切って終わってしまう。 俳句を読みすぎて長い文章の書き方を忘れた。鶏よ空の高さを知ってるか(千葉県・石橋靖浩 第十回 高校生の部 大賞)谷に鯉揉み合う夜の歓喜かな 金子兜太「金子兜太」花神社 1998年 今更何か付け加えることもない。一番多く句を写した。木曾のなあ木曾の炭馬並び糞る死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む人等集り血を曳く犬を見過す夏水田の蛙あくまでも鳴き夜を制す青年鹿を愛せり嵐の斜面にて雪の海底紅花積り蟹となるや「わが戦後俳句史」金子兜太 岩波新書 1985年 戦中は新興俳句運動が国から弾圧を受け、戦後は戦中軍に協力していた(ように見える)俳人たちを叩く人があり、「俳句は第二芸術」と俳句を一段下のものとみなした桑原武夫の論文、それへの反論、等々、俳句関連の書物を読んでいると、俳人たちはいちいちに敏感に反応しているなと思う。そんなことどこ吹く風と淡々と句作を続ける、という態度をとることが俳人には難しいようだ。句以外で語ることが多くなるからだろうか。私が小説家の書くものは小説ばかりを読んでいるからそう思うのだろうか。「不条理な戦争で死んでいったものたちの分も俺たちが頑張らなきゃ」という戦後生き残った人たちの思い。それを実感出来たのはこの本でだったかは忘れた。戦中、文学を志すものの小説など書く閑はなくて、俳句を始めた人が多いという話は別の本。「草田男さんの句は好きですが、師となれば先生です」戦後、加藤楸邨宅に出向き、草田男につくか楸邨につくかという時の兜太の言葉。この瞬間が戦後俳句の方向をある程度決定づけたというのも言い過ぎにはならない。楸邨-兜太の系列に連なる次の俳人を捜し中。「榎本其角」乾裕幸 編・著 蝸牛俳句文庫 1992年 芭蕉の弟子の中で一、二を争い有名な人。芭蕉という聖域を今のところ意識的に避けている。特に深い意味はない。師匠の侘びスタイルを追わず都会風、伊達風の句を詠んだ人。蟷螂の尋常に死ぬ枯野哉我雪とおもへばかろし笠の上暁の雹をさそふやほとゝぎす隣から此木やにくむ蝉の声「原子公平」 花神社 1994年 一日書くのを遅らせるたびに書く本一冊増えてくる、そんな状態。 大正八年(1919年)生まれ。金子兜太らと同級。この世代に俳人が多いことから「大八世代」とか「一句世代」とか言う、と金子兜太がどこかで書いてた。多分そんなこと言ってる人あんまりいない。 写した句は多いが、100点満点中70点程度が多いかなという印象。愛するには物足りない。壁の蛾のそのまゝの夜明けにけり記憶読む空を燕の来ては消す秋風と煙草吸い合い海辺去る良く酔えば花の夕べは死すとも可 しばらく続く。
2004/09/17
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「すばる」に2000~2001年に連載されたものを集めた短編小説集。2002年10月、作者は大腸ガンで逝去。遺書のようなもの。闘病生活、リハビリの苦しみ、死の近い人に見えてくる景色など書きながら、一方では年下の女性写真家への恋慕の情や看護婦への好意なども赤裸々に記されていて、若いなあと思う。「芥川賞候補作のコピーを読んでいるうちに、いつのまにかずるずると椅子からずり落ちていた」なんて書き出しをやれるのはこの人くらいだろう。 相変わらず好きになれない文章なのに、作者の死を知っているからか、長く抱くように読んだ。最後『神の小さな庭で』で、公園に坐っている主人公が子供達を眺める場面で少し涙が出た。通院生活の愚痴や泣き言を家族や看護婦には言えないが、道端の雑草には素直に言葉に出来るという感覚、自分も死に近づけば分かるだろうという予感がある。 俳句を始めて3kg痩せた。集英社 2002年
2004/09/07
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「さあ 現代俳句へ」宗左近 東京四季出版 1987年 あくまで詩人として現代俳句に触れている宗左近の目は俳句に囚われすぎないところが信用出来る。俳句を始めてすぐに気付いた現代俳句の問題点をこの詩人も指摘している。「どうしてほとんどの句は退屈なのか」「どうして属目諷詠にいつまでも寄っかかっているのか」「どうして忌日にかこつけて退屈な弔句を作るのか」「俳人には芸術家意識が希薄なのか」等々。 それでも良いものは良い。蝶落ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男怒らぬから青野でしめる友の首 島津亮墓地は焼跡蝉肉片のごと樹樹に 金子兜太戦争が廊下の奥に立っゐた 渡邊白泉など、その後幾度も別の本の中で出会う事になり、その度に心震える句のいくつかはまずはここで出会った。 また、いかにも詩人が選んだのだなあと思える句もやはり好きで、ある句を「実に俳句らしいから」という形で好きになることは出来ない。自分の好むものが何であるか、俳句に関する本を読む毎に、次第に分かってきた。それは属目諷詠という虚子が作った伝統を遵守し過ぎている句の中にはあまりない。晩年や赤きとんぼを食いちぎる 山田耕衣この位の大きさの緑の翅のある猿を 大岡頌司 この本で試みた批評から生まれたらしき詩が幾つか思い当る。「小林一茶」宗左近 集英社新書 2000年 先の本の覚書で「現代俳句について語ることはこの本が最初で最後である」と語った詩人は13年後一茶について一冊書いた。芭蕉は一千句、蕪村は三千句それぞれ生涯で残した。一茶は二万句。しかしその中で秀句はせいぜい七十分の一、三百句程度だと詩人は言う。「一割程度読めれば上等」という私の感覚より大分少ない。選ばれた句には愛せるものが多い。春雨や喰れ残りの鴨が鳴鳴田螺鍋の中ともしらざるや小便の穴だらけ也残り雪江戸衆に見枯らされたる桜哉ひいき目に見てさへ寒し影法師ちる霰立小便の見事さよ猫の子がちよひと押へるおち葉哉蝶とぶやこの世に望みないやうに小便句二つ入れたのは、趣味だ。「痩蛙まけるな一茶是に有」が一茶の句では有名だが、人口に膾炙し過ぎていて、今更読んでも感じるものがない。しかし他にも数多くある蛙の句は実に楽しくて良い。夕不二に尻を並べてなく蛙人並に蛙もはやす山火哉足下の月を見よ/\鳴蛙一理屈いふ気で居(すわ)る蛙哉じつとして馬に鼾るゝ蛙哉人を吐くやうに居(すわつ)て鳴く蛙 気に入りの句を書き写すための手帳を買い、「人を~」の句を最初に書き付けた。「坪内捻典の俳句の授業」黎明書房 1999年 作者は「三月の甘納豆のうふふふふ」他、月別甘納豆連作句という変なことをやらかした人。柔らか目の人。高濱虚子の示した「俳句とはこうあるべき」という教えをあまり気にしてない人の本をなるべく選んで読んでいる。伝統を全否定する気はないが、頑なに守ることが大事とも思えない。伝統の力は引力として俳句が宙空に飛び散らないように地から放たれていればいい。 小中学校への俳句の出張授業の内容を編集した第一章、残念ながら、小林恭二著「「小林恭二 五七五で いざ勝負──別冊課外授業ようこそ先輩」の時と違い、学生の句に秀句は見当たらなかった。あちらと違って時間の少なさも影響しているか。 第二章「俳句の魅力」ではN女史の句として「春一番いつでも死ねると言う息子」。 第三章「現代俳句の世界」そろそろ現代俳句に馴れてきて見覚えのある名前、句に出会うこと多くなる。一冊の句集の均等な間隔が空いた文字列を読むのは苦手なので、こういった読み方の方が今は楽。梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ 林田紀音夫天文台では象が想像に遅れる 加藤郁乎鳥がきて大きな涙木につるす 阿部完市 第四章省略「やつあたり俳句入門」中村裕 文春新書 2003年 何にやつあたっているかというと、概ね高濱虚子。正岡子規の提唱した「写生」の概念を改悪し、世に退屈な俳句をはびこらせることになった元凶として。しかし虚子の元から出た数多くの素晴しい俳人たちのことも忘れないし、何より虚子の句も悪くないと書いている。実際その通りに見える。虚子みたいな悪人は好きだ。その新興俳句弾圧問題などいろいろ。実作の入門書ではない。桃の木へ雀吐き出す鬼瓦 上島鬼貫啼きながら蟻にひかるゝ秋の蝉 正岡子規玉音を理解せし者前に出よ 渡邊白泉「今日の俳句──古池の「わび」より海の「感動」へ」金子兜太 知恵の森文庫 2002年 俳句に興味を持ちだしてから、初めて新聞の俳句投稿欄を眺めていた時のこと。四人いる選者のうち三人までが、見事に退屈な句ばかりを選んでいた。よほど集まってくる句の質が悪いのか、新聞俳句なんてものはこんなものかと思っていた矢先、四人目の選を見て驚いた。それまでの句とは段違いのものばかりが集められ、「特別よい句だけをこの人に回したんじゃないか?」とまで疑った。その選者が金子兜太。図書館で俳句関連の本の列を眺めた時、彼の本が多かったので、「素人俳人が駄句を量産するのはこの人のせいなのではないか」と思ったものだ。この本を読む限りは、そういったことでもないようで。 自作を例に出して最初の形から試行錯誤を重ねて改句していく箇所には特に学ぶこともなく。どうも当然のことと見えて。しかし実作に参考に出来る理論の多さはこれまで読んだ中では一番。最も、多いに参考にしつつ、多いに忘れることにする。爆音で倒されるキリンの首林 大島地平牡蠣となる画家暁を壁に刺し 中沢和生雪の底浅くつきつめられた石 島本研二 「飯田蛇忽」福田甲子雄 編著 蝸牛俳句文庫 1996年「季節の名句」飯田龍太 角川書店 1996年 この二冊はやや足早に通り過ぎた。一句ごとに註釈・解説の入っている本なので、一瞥して感じ入ることのなかった句に関しての文章は飛ばした。蛇忽は龍太の父。二代俳人。註釈の中に「笛吹川」という大好きな名前が出てくるなど、深沢七郎の小説を彷彿とさせる蛇忽の句には憧れる。だが、蛇忽のような句は決して私には詠めないだろう。ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな 飯田蛇忽死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴 蛇忽山平ラ老猿雪を歩るくなり 蛇忽水あかり蝸牛(まいまい)巌を落ちにけり 蛇忽草童のちんぽこさせる秋の蝉 蛇忽秋の蝉蟹にとられて鳴きにけり 蛇忽 龍太の句にはまだそれほどあたっていない。「俳句という愉しみ」での句会メンバーの一人として好感は持っている。もの影のごとく蟹の子生まれけり 山本洋子耕せば土のぬくみの戦友くる 奥山甲子男凧いくさ果ては大空毟り合う 百合山羽公枯るるものに石も数へて風の中 鈴木昌平 引用しなかった秀句はどの本にもまだ多くある。 俳句への興味は今のところ、まだ尽きそうにない。
2004/09/02
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