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近頃頻繁に見かける雀より小さい鳥。だと思う。小さい、そこしか拠り所はない。11/29「鷦鷯(みそさざい)」三十三才(みそさざい) 8句 日本の鳥の中では最小である。羽には焦げ茶色で小さい斑紋がある。冬は人家付近に、繁殖期の初夏は山地にすむ。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)みそさざいの尾から月日が流れ出て大木下上見ず走るみそさざい名は調べずあれは雀の子供の子黄信号渡らぬ一つみそさざい馴染めぬから画数減らせ鷦鷯見えぬから数えぬものに三十三才囀る葉か尾羽ある葉かみそさざい風景画に濁点加える鷦鷯 鳥の身体と名前が合わない。「鷦鷯」という漢字も、「みそさざい」という間延びしたひらがなも。「三十三才」はひどい。 1句、何も考えず「みそさざい左から月右から木」という初案よりはまし。3句、「この小さな鳥は何だろう」という疑問は前からあったがそのままにしておいた。今でもみそさざいかどうか確証はない。もし子供にでも聞かれたらこう答えてやろう。4句、まだ車が来てるのに早く渡ろう渡ろうとするお婆さんがいて、もし飛び出したら押さえつけなければ、と考えていた。そういう街なんだな、やっぱり。6句「~ものに○○」というパターンは昔からよく詠まれてきた。鳥が小さくて見えないのと、数えたくない齢とをかけた。8句、小さな鳥とはいえ点々で済ませるくらいだから絵も小さいものか。「濁点」を後から絵に付け足した二つの点と受け取ってもらえるかどうか。
2004/11/30
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この日の夜中、木枯らし一番が吹いた。11/27「凩」木枯 8句 初冬に吹く強い風で、木を吹き枯らすということから「木枯」という。「凩」は国字で、「風」を意味する「几」と「木」を組み合わせたものである。この風が吹くと木々の枝が鳴り、木の葉を吹きとばす。人々は襟をかきあわせて冬の訪れを実感する。木枯は冬の初め、北風・寒風は半ば以降と使い分けが必要となろう。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)木枯や腹中の実寝転がる一本道凩避ける術はなし反魂香凩欲しがり吹き消さず街路樹刈られ老木枯が生き急ぐ下に右に壁に路地裏婆の背に木枯に向かわせるため種を蒔く三度逢ふ同じ凩別の場所窓の絵に凩の音貼りつけし 3句、反魂香は中国の伝説や日本の歌舞伎に(漫画やゲームでも)登場する、その名の通り死者の魂を呼び戻すお香。4句、虫がつかないようにか、枯葉舞い散らせないためか、街路樹の枝が無惨に伐採されている。木枯の枯らす暇がない。「凩」「木枯」、字面としては「凩」の方が好きなので、具体的に木を枯らせるような時以外はそちらを用いた。8句、「窓の絵」は部屋の中から窓を眺めてそこに見える外の景色。閉め切っているから凩が入ってくることはないが、ビュウビュウと吹き荒れている音だけが聞こえてくる。貼り付けられるものではないものを自分の意志で貼り付けたところが工夫。 秋とか、紅葉とか、法事とか、いかにも「詠んでください」的な風物人事にはどうも気が乗らない。植物にあまり心を動かされない。虫の音が消えたことが寂しい。なかでも詩情ゆたかな名所旧蹟をまえにして一句どうでげすかというのにはぞっとするこれくらい恐怖をおぼえる瞬間はない。飯島耕一『詩情の恐怖』より「どうでげすか」とは誰にも言われないけれど。
2004/11/29
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面白いなあ、好きだよ宗久。何かしらの宗教のバックボーンがあり、それでいて悟り切れてない人の書くものが好きなのかな。森内俊雄しかり。芥なんちゃら賞受賞作『中陰の花』は全然面白くなかったのに。やっぱ一作で判断するのはいけない。巧いとは言えないが、読める、引き込まれる、楽しめる。小川洋子はもういい。 六十年に一度御開帳する本尊、それは三年前から十二年に一度に変更された。どちらにしても滅多に見れない貴重な仏像ではある。それを戦後間もない頃、別の仏像と取り替えたという男が住職の前に現れ・・・・・・。 現役僧侶らしい話。しかし坊さん稼業に全く関係のない、併録作『ピュア・スキャット』も、人工透析を受ける身でありながら神輿を担ぐ決意をする女性主人公をよく描けている。感傷的に音楽に相対する男は『アブラクサスの祭』の主人公に共通する点がある。若き日の作者の面影か。現役僧侶は俗な事に詳しくないと思う、これは偏見。 人の話をそのとおりに聞くことなど、実はできないことなのだと無状は想った。そのとおりと云いながら、それはせいぜい自分の記憶の貯木場から似たような材料を無意識に探して似たような建物を作っているに過ぎない。しかもそれが本当に似ているかどうかは確かめようがなかった。解りやすくするために勝手な形容詞を付け加えたりする自分に無状は気づきながらも、あくまでも自分にとってのリアルを求めることはどうしようもなかった。過剰な竹藪の描写も山本はしなかったし女の脚が白いとも言わなかった。しかし言葉にされなくとも、無状にはその状況が鮮烈に浮かんでいた。その時から始まる女との奇妙な関係を訥々と語りながら、山本は女の容姿に関わる表現をほとんどしなかった。無状はいつのまにか、女の容姿に夕子を当てはめていることに気づいた。山本の記憶をどれほど歪めることかは判らなかったが、それは防ぎようのない記憶の合流だった。 記憶の変質、が大きなテーマ。四人の一人が憶え違いをしているのではなく、残りの三人が間違っていることもあるのだ、というようなことなど。強引な展開は多いが非難する気にはならない。 法事が近づいてきたからと、おかしな理由で手に取った玄侑宗久だが、予想に反して好きな作家の一人(その末端にだけれど)に加えられそうで、なんだかすごく嬉しい。吉田修一や小川洋子を読んでいた時にはなかった感覚が、湧いてきた。文芸春秋社 2002年
2004/11/27
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11/19「一茶忌」6句 陰暦十一月十九日。俳人小林一茶の忌日。信州柏原の農家に生まれる。通称弥太郎。幼少より継母に育てられたのだが、折合いが悪く、十四歳で江戸へ出て、二六庵竹阿に俳諧を学んだ。俗語・方言を用いつつ、自己の不遇な境涯に即した作品を残し、芭蕉や蕪村とは別の庶民的人気を得ている。晩年は郷里で逆境のうちに没、六十五歳。著書に『おらが春』『父の終焉日記』『七番日記』等がある。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)一茶忌や釣り人に似た鴨に会う一茶忌に鳴かぬ蛙がついてくる二つ雲行き違い遭ふ一茶の忌売り物の鴉酔わせし一茶の忌一茶忌に抱いた女はカエル口一茶忌に飛び回るものすべて蠅 一茶の句を写した手帳をこの時携えてなかったものだから、具体的に一茶の句を思い出しながらというわけではない。1句、池のほとりでそんな鴨を見た。2句、上五以外は以前作った句から持ってきた。11/21「波郷忌」風鶴記 忍冬記 借命記 5句 十一月二十一日、俳人石田波郷の忌日。本名哲大。大正二年(一九一三)愛媛県松山に生まれる。水原秋櫻子に師事し、のちに「鶴」創刊・主催。中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれる。韻文精神徹底を唱えた。肺疾患の闘病人生で、昭和四十四年(一九六九)没、五十六歳。(同上)波郷忌に綿毛どこまでも舞い上がり波郷忌や歳時記開く音止めり波郷の忌幽鬼の歌と擦れ違う波郷忌や明日呑む酒を今日に呑む波郷忌に煙草に火つけ吸いはせず 忌日を詠むのは難しい。あまり詠みたくはない。故人に思いを馳せながら詠むか、忌日は忌日として切り、別のものに目を移すか。結局多様に詠めてはいない。2句、どの季語を使おうかと歳時記をめくっている時、今日は波郷忌であったかと気付き、そこで歳時記を閉める。3句、夜、虚ろな足取りで何かの歌を唄いながら歩く女子高生とすれ違い、怖かった。11/24「蒲団」掛蒲団 敷蒲団 羽蒲団 腰蒲団 肩蒲団 蒲団干す 負真綿(おいまわた) 8句 布団は一年じゅう使う夜具ではあるが、最もありがたみを感じるのは寒さを防ぐために用いる時期であるので、俳諧では冬の季語としている。中に詰める材質は綿がふつだが、鳥の羽毛を詰めた「羽布団」は軽く柔らかい。「背布団」は紐をつけて背中に当てる、ちゃんちゃんこのような小さな布団。布団はもともとは「蒲団」と書く。坐禅の時に敷物にする小形の円座で、蒲(がま)の葉を編んで作った。これが布で作った方形の座蒲団となり、褥(しとね)を経て長方形の敷蒲団に変わった。贅沢品だったが、江戸時代の中期以降、もめん綿の普及とともに発達し、都市部を中心に一般に広まった。(同上)重ね着て重ね布団寝重ならず窓隙間布団出られず閉められず布団土やがて耕す鼻畑蒲団愛し見知らぬ猫に寝取られておまえさあいつも右膝出てるよな枕木まで布団担いで寝に走る誰も寝ていないのに布団を踏めない祖父横たう布団死者より温かし やや間が空いたので、詠みやすいものを選び、多めに詠む。どういうことを考えながら詠んでいたか書き出してみる。1句:まず季語に即した経験を思い出し、何も狙わず写生を心がける。寒くなってきたけれど暖房器具を出すほどでもない、重ね着して、布団を重ねて眠ろうとするが、重くて暑くて眠れない。眠りだけが重なってこない。2句:1句と同様。「~ず」が続いたので次は目先を変えよう。3句:「鼻畑」をまず思いつく。うるさい鼾を思い浮かべながら。しかしこれだと「鼻畑」が「布団土」を耕すというよく分からない状態。いじっても良くなりそうにはないのでそれはそれとして放り出す。4句:我が家に猫が入り込んでくる事はない。父方の祖父母宅にはよくあったそうだが。見知らぬ猫に入り込まれて初めて布団を愛しく感じる。したことのない発見。ありがち。5句:「布団」という語を使わずに「布団」について詠んでいると読む人に思わせたくて。これを俳句と呼ぶのは無茶。6句:一気に幻想に踏み出そう。線路の枕木を本当に枕にして眠りたい男が布団を担いで夜走る。ただの酔っぱらいの酔態になってしまった。7句:自由律をやってみよう。8句:これまでやってきた事を総合して、実景に則しつつそれでいて幽明な雰囲気で読む人を唸らせるようなのを詠んでやろう、という意気込みの割に 特に工夫もなく亡き祖父の姿を素直に。季節感が抜け落ちた。 使いやすい語はそれはそれで難しい。冬の季語に規定されているからといって、使えば何でも冬らしくなるわけではない。
2004/11/26
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ビリー・ザ・キッドやワイアット・アープが出てくるのは終盤になってから。カウボーイとガンマンの時代はそれほど長くはなかったらしい。ルイジアナ以西のフランスからの大雑把な譲渡、インディアンの受難の日々(100万人から2万人へ)、ゴールドラッシュ、対メキシコ戦争、南北戦争、ざっとだけど、アメリカ史なんて全然知らなかったもので、興味深く読めた。テキサス・レンジャーズやモントリオール・エクスポズと言われてもどこのチームかよく分からなかったものもやや分かるように。来シーズン始まる頃には忘れてる。 「六月十四日、新しく作られた墓を今日は七つ見た。六月十六日、十一の新しい墓を見た。六月十七日、六つの新しい墓を見た。六月十八日、今日は二十一も。六月十九日、今日は十三。六月二十日、今日は十。六月二十一日、今日は七つ。もしキャンプするのに都合のいい場所の方を通ったら、今までの五倍もの墓を見たことでしょう」 幌馬車隊を組織して西部へ向かう一団の中に居た女性の日記より。 さりげなく出てくる、メキシコ人やインディアンに混じって書かれてる中国人労働者たちについて詳しく書かれてないのが気になった。当時から彼らはどこにでも人を送り込んでいたんだろうか。ルイス=クラーク探検隊が西部へ向けて出発したのは僅か200年前のことに過ぎないけれど。 西へ西へ、のエネルギーがベトナムに向かわせたなんていう理屈は素直に聞けない。『デッドマン』『ミズーリ・ブレイク』といった、当時を舞台にした映画を思い出しながら読んでいた。『駅馬車』はインディアンを凶悪に書きすぎ、白人を格好良く描きすぎで、素直に思い出せなかった。岩波新書 1982年
2004/11/25
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新PC。しばらくは文章打つのも慣れない。 俳句と詩を経て現代に帰ってきたつもりで、とりあえず嫌悪感なしに読める作家を片っ端から借りて読んでいこうという趣旨のもとで小川洋子、玄侑宗久らと並びこの作者を選んだ。花腐し/松浦寿輝(07/01) では「しかし、この作者の他の本を読みたいと思うほどでもなく」などと書いていたけれど。 三篇それぞれ繋がりがある。『あやめ』『鰈』までは、素人の書いた小説みたいだ。別に小説本業でなくても食っていけるんだから、こんなもんかな、と感じた。前二編の反省かまたは蓄積か、『ひかがみ』だけは格段に良い。舞台となる、時代遅れの鳥獣店に似た店を知っているからかもしれない。ほとんど閉店後にしかその店のある道を通らなかったが、まだやっているんだろうか。飲み屋街の中に、鳥篭並べ、奥に爬虫類の隠れていそうな店。不思議と動物の匂いを辺りに撒き散らしているというわけではなかった。小説の中の店と同じように、ほとんどの動物が既に処分された後だったのかもしれない。「ひかがみ」とは膝の裏の窪みのこと。女陰のような描かれ方をしているから本物より女陰的で。 画面は大きくなったのに、使い勝手になれないから何するにしろ前と同じように全画面でやっていると、眼に入るものが多すぎて、頭が痛くなる。何か確かめるのが億劫になる。設定を微妙にいじってもどれもまだしっくりこない。季語修練を二日さぼった。一日だけでも何もやっていないという寂寥感に襲われる。 器用だけど下手、という印象。肝心のテーマ、核となるセリフと地の文がそこだけはっきり浮いている。「ここが大事ですよー」と説明されそうな。男前だけど演技が臭い。長篇ならば変わってもくるか。『ひかがみ』がなければ感想書いただろうか。各篇の繋がりはあるものの薄いから、『ひかがみ』単独でも読める。これだけを読んでいたら、好きになっていただろう、この作者。 手探り。いろいろな事。
2004/11/24
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石垣りんには大好きな『崖』という詩がある。そこで茨木のり子と見分けがつく。ごちゃ混ぜになっている現代詩人たちを区別する為に読み始めた各詩人の選集、しかし短期間に読めば結局同じことではないか、とも思う。とにかく茨木のり子には好きな詩もあるが、大好きな詩はない。 この本を読んでの大きな収穫、『りゅうりぇんれんの物語』に描かれた劉連仁の事件。詳しくはこことか他幾らでも検索したら出てくる。昭和十七年、東条英機内閣が「華人労務者移入方針」という閣議決定を行い、華北、華中から中国人四万人あまりを連行、強制労働に従事させ、七千人を死に至らしめた、とある。劉連仁は北海道で仲間五人と脱走し、他の四人が捕まる中一人逃げ続け、戦争が終った事も知らず十四年間山中で暮らし、昭和三十三年発見された。祖国に帰った劉連仁は迎えの列三番目に居た妻、逃亡中ずっと逢いたいと願い続けてきた妻に気付かず通り過ぎた。『りゅうりぇんれんの物語』を読んだ最近の読者は「これって本当にあった話ですか?」と聞いてくるそうだ。詩はあまりに長い為引用せず。 木の実高い梢に青い大きな果実が ひとつ現地の若者は するする登り手を伸ばそうとして転り落ちた木の実と見えたのは苔むした一個の髑髏であるミンダナオ島二十六年の歳月ジャングルのちっぽけな木の実は戦死した日本兵のどくろをはずみで ちょいと引掛けてそれが眼窩であったか 鼻腔であったかはしらず若く逞しい一本の木にぐんぐん成長していったのだ生前この頭をかけがえなく いとおしいものとして掻抱いた女が きっと居たに違いない小さなこめかみのひよめきをじっと視ていたのはどんな母この髪に指からませてやさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)もし それが わたしだったら・・・・・・絶句し そのまま一年の歳月は流れたふたたび草稿をとり出して嵌めるべき終行 見出せずさらに幾年かが 逝くもし それが わたしだったらに続く一行を 遂に立たせられないまま 最後の一行が出てこなかったからこそ完成された詩。「もし わたしだったら」に続く言葉が何であっても成長した木の枝に取り込まれた髑髏にはかなわないのだから。 小さな娘が思ったこと小さな娘が思ったことひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう木犀みたいにくちなしみたいにひとの奥さんの肩にかかるあの淡い靄のようなものはなんだろう?小さな娘は自分もそれを欲しいと思ったどんなきれいな娘にもないとても素敵な或るなにか・・・・・・小さな顔がおとなになって妻になって母になってある日不意に気づいてしまうひとの奥さんの肩にふりつもるあのやさしいものは日々ひとを愛してゆくための ただの疲労であったと あとは「わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって/とんでもないところから/青空なんかが見えたりした」の『わたしが一番きれいだったとき』こちらは有名。解説に載ってる詩人の写真は十分綺麗に見えるけれど。 漠然と並んでいた現代詩人の列に少しずつ好き嫌いの順序がついてきた。中央公論社 1983年
2004/11/22
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浄念という躁鬱質の坊主は先輩で雇い主である玄宗に対して鬱の時は「玄宗様」躁の時は呼び捨てまたはさんづけで呼ぶ。玄宗の呼び方でその章での浄念の状態が分かるという仕掛けが施してある。薬漬けになっている浄念の描写を見ていると、森内俊雄『氷河が来るまでに』を思い出した。学生の頃からロックに嵌りやや今では青臭すぎる歌詞を散りばめてあったり、ルー・リードやジム・モリスンについて語り出す浄念が町田康に重なった。実際に「精神病院にいた四ヶ月のあいだにジョン・レノンが撃たれ、町田町蔵の「INU」がデビューした。そろそろ自分の番だと本気で思った」という文章がある。 現役僧侶の書いた小説、という好奇心以外の何物もない、この人の本を手に取る時の気持ちは。だけど今回は予想以上に楽しめ、一気に読んだ。たしかに理有にも受け継がれた愚直なまでの純情とほん奔放な猥雑さ──。それは薬に関係ない浄念の本質のように思えた。多恵はまだ憎むべくもない理有の小さなちんちんをお湯のなかに眺めながら、もしかしたらそれは全ての男たちの、・・・・・・いや、ちんちんというものの本質かもしれないと思って苦笑していた。 浄念は今日もパイナップル味の缶チューハイにつきあってくれた。飲みたがる理有のコップにも少しだけ注ぎ、自分と多恵のためにも新しいグラスを出してきてくれたが、家事一切を手伝わない浄念が「浄念歩き」ながら黙々と立ち回ってくれる様子は、まるで萎びたちんちんのようだと思った。「ちんちん」が頻出すると引用しないではいられなくなる。 音楽について語られる言葉に距離を置きだしたのはかなり前。大袈裟に扇情的に読者を煽り立てる類の文章にうんざりしたから。あまり頭に余裕がないので、音楽聴きながら本を読んだり何か書いたりする事はほとんど出来ない事も音楽から私を遠ざけた。かろうじて、図書館から借りた本から文章を写す時、または週に30分ほど集中して好きな曲だけを聴く程度。この本の文章をいくらか写す時、意識してルー・リードやモリッシー、あとなぜかガロの入ったCD-Rを回して聴いていた。ああ、いいものだな、これは。しかし感情移入して聴けば身は持たない。浄念の語る音楽論は稚拙で時代遅れで馬鹿馬鹿しいものだけど、それだからこそ好感を持てる。お経を頼んだら来て欲しくない坊主ではあるが。 法事の時に出かける寺の坊さんに従兄の同級生がいる。まだ若いから身が軽く有難味は少なそうだけれど、背の低い坊主頭の従兄、ひょろ長いこちらは本当のツルツルのお坊さん、並べたら全く違う人間、俗世とあちらとの境界に引かれた一本の線がうっすらと見えるようで。 小学生のころは応接間にあったステレオで父親の買ってきた「知床旅情」のシングル盤が歌い、ぴんからトリオが唸り、姉のCCRやバッドフィンガーやアニマルズも聴かされた。浄念はまだ漫画の主題歌のソノシートをかけたりしていたが、そのうち「走れコウタロー」や吉田拓郎のシングルを買って聴きはじめた。おねえちゃんも誘うと聴きにきていた。中学生になると鹿児島でもライヴがあり、浄念や姉をそこに連れていってくれたのはその頃のおねえちゃんではなかっただろうか? 頭脳警察、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、四人囃子、遠藤賢司、みんな生で聴いて驚いたが、どこかで浄念が安心していたのも、もしかするとおねえちゃんの存在のせいではなかっただろうか。 懐かしいとか言ったら40代に間違われる名詞群。こういうものに感じるノスタルジィが小説に対する親近感を上げてるのか。逆に何も知らない人にはただの暗い坊主の話か。 玄侑宗久はもうちょっと読みたい。新潮社 2001年
2004/11/21
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11/16「捕鯨」鯨突 勇名取 捕鯨船 鯨見 5句 わが国の捕鯨の歴史は『古事記』や『万葉集』に、久治良、勇魚の名で出ており、たまたま岸に流れ着いたものを捕獲したことから始まる。船による捕鯨は、江戸時代の初め紀州太地浦で始まり長崎・高知・山口などでも行われていた。最近までは大船団を組んで南氷洋に赴き、鯨油をとり、肉は食用としていたが、資源保護の国際世論が高まり、現在では調査捕鯨しか認められていない。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)捕鯨船海泳ぐ姿見ず朽ちる金魚鉢と写真の中の捕鯨船ロビンソン モビー・ディックに種付けし獲物なくオーロラ巻き取る捕鯨船捕鯨船海鳴り止まぬ泣き止まぬ 給食に鯨の肉出てたとか知らない世代。3句、ロビンソン・クルーソーとモビー・ディックを無理やり結びつけて完全に失敗して捕鯨でもなんでもなくなってる。4句好き。5句、こういうのは簡単だけどやりすぎてもだめ。11/17「蒟蒻(こんにゃく)掘る」蒟蒻干す 5句 地下の球茎を蒟蒻玉というが、傷つけないように掘り出すのである。十月の下旬からこの仕事は始まる。洗い上げた蒟蒻玉は、皮を除いて薄切りにし一週間ほど干して粉末にする。群馬県が主産地。(同上)蒟蒻玉硬いと怒る孫にやる蒟蒻掘る嫁探す手つき三十路かな蒟蒻を掘る人の影追う土竜カメラの眼蒟蒻干す背に忍び寄る移ろわぬ日々破る為蒟蒻掘る 1句、蒟蒻好きの孫に「ほらこれが蒟蒻だよ」と掘り出した蒟蒻玉をあげる祖父。当然食っても硬い。怒る孫。次々と蒟蒻玉を放る祖父。次々と噛んでは次々に怒る孫。2句、三十代農夫になったつもりで。あんまり自分らしさを無くすとダメダメになる。11/18「冬の雨」6句 寒の内に雨が降るのは気温が高いからである。冬にしてはわりに暖かい気候になると雨が降り、感じは暗いがなんとなくやわらいだ気分になる。冬の雨といっても、北国では雨は珍しい。さあっと通り過ぎてゆく時雨に対して、音もなく冷やかに長めに降るのを特徴とする。(同上)降るものに白髪混じれる冬の雨冬の雨降り終わる様繰返し冬の雨水の留まるところなし迷い子の崩れる上に冬の雨冬の雨将軍の供血を流し冬の雨色街に降り歌となる この日雨降ってたから。5句、冬将軍の先触れとしてやってくる将軍の子分、彼らは雪ではなくやや冷たい雨として自らの体を降らしながらやってくる。6句、自分で書いた手帳の文字が判別するのに時間がかかった。何書いたかも覚えてなかったから。何千人と詠んできたようなのは作っちゃいけない。
2004/11/20
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一人題詠会と改題しようとするも、文字面が寂しいのでやめた。11/13「小春」小春日 小春日和 小春風 小春空 小春凪 小六月 7句 小春は「小六月」ともいい、陰暦十月の異称ともなっている。立冬を過ぎて日ごとに寒さが加わってくる中にも、よく晴れて風も穏やかな日和が続くことがある。移動性高気圧にすっぽり覆われるからで、これを「小春日和」という。「小春日」というとその中の一日のことをいい、またその日ざしの意ともなる。小春風・小春空・小春凪などと使う。寒さに向かう中でほんのひととき迎える暖かい日々を、春のようだというので小春と可憐に呼んだものと思われる。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)小春日や生けるもの皆人殺しバス待てば黄埃見える小春かな次の季を夏と思ひし小春の日小春来て金春一座が人攫う蒲団から女追い出す小春朝小六月飴を欲しがる祖母に会う小春には犬・猫・亀が夢を喰う 1句、こんなの書いたの覚えてない。人間は生きていたらどうしても誰かの死に関わってしまうという事と思う。3句、ほんとに「暖かくなってきたなあ、もうすぐ夏か」という勘違いをして。4句、金春一座というのは奈良発祥の能の一座。「小春」に「金春(こんぱる)」というただの駄洒落。役者の一座がやって来ると小さな子供が攫われる、というのは小林恭二『カブキの日』を思い出しつつ。 お天気キャスターが「小春日和の・・・」と使っていて嬉しかった。今まで何も思わず通り過ぎて来た言葉に気付く、道端の草に目が行くように。11/14「狩の宿」狩り小屋 5句 狩りを行うための宿舎。かつては山中に小屋をかけたが、狩のスポーツ化傾向の中で、旅館・民宿などを使用することが多くなった。明け方は獲物が多いため、前夜から宿泊する。(同上)狩の宿鹿似の女将角で突く狩小屋の壁に刺さらぬ矢は射てぬ犬追えば行き着く獲物狩の宿銃声が鶏卵産ます狩の宿昨日蟹今日熊眠る狩の宿 一題一句は艶めいた句を意識して混ぜているが、1句、これはひどい。本当にひどい。中年みたいにひどい。あと特になし。11/15「神渡し」神立風 5句 八百万の神は、陰暦十月になると出雲の大社に全国から集まるのだが、その頃に吹く西風を神立風とか、神渡しという表現で示した。おそらく、神無月に吹く風に神の出雲へ旅することを強く空想した結果の季語であろう。(同上)硝子戸の外に人見ぬ神渡し神渡し馴染みの壁にぶち当たる一斉に犬吠え始む神渡し立ちんぼのエクステ奪う神渡し石ころトン石ころトトトン神渡し 季語に振り回されすぎ。ただの風としてではなく、神を渡す風として扱い過ぎたために、どうしても意味が狭くなっている。いい俳句というのは大抵あまり具体的ではない。それなのにいくらでも拡がりを持ち想像力を掻き立てる、そういうものが多い。
2004/11/19
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今回も食い足りないのは、あまりにあっさりと読み終わってしまったせい。 俳句読みが一段落して、小説にすぐに帰る気になれずに詩集読み漁りそれにも疲れ、ようやく小説に帰っきたので、好き嫌いああだこうだ言わず、「読める」ものに手を出すことにした。 この作品集の前後の作品は何か、いつデビューかなど調べるためにGoogleで「小川洋子 年譜」で検索したらうちの日記が3件目に表示された。小川洋子の年譜が書いてあるわけでもないのに、邪魔だなあと自分のサイトを見て思った。 まるであぶり出しのようだ、と私は思った。子供の頃はよく弟と一緒に遊んだ。ミカンの絞り汁を筆につけ、半紙に書いて競争で解読するのだ。私はわざと弟の知らない漢字ばかりを書いた。ストーブであぶってもあぶっても解読できない弟は、やけを起こしてとうとう半紙に火をつけてしまった。『エーデルワイス』より ひっかかりなく読めるから、流れるから、読みやすすぎて心に打ち込まれる楔が足りない。各短篇の終端近くがどれも弱いものの、これまで読んだ小川洋子の中では一番気に入った一冊と思うのに。のに、漠然とした印象しか残っていない。読まれた後忘れられるのを、読者の頭から物語が消失するのを、望んで書いてるような。「消失」というテーマがあまりに多すぎるせいもあるか。こうして書いて始末をつけてまた忘却を加速する。小川洋子について同じことばかり書いている。同じようなことばかり書いていることは覚えている。ある短篇について何か書こうと、とても書きたいことがあってそれを家に帰ってから書こうとしていたのに、それがどの短篇だったのか今では思い出せない。 ふと見上げると、そこには壁が巡らされている。ごつごつとした不格好な石をどこまでも積み上げた、何ものも象徴していない、門ものぞき窓もない、ただの壁だ。風はそこにぶつかって渦を巻き、向う側にまでは届かない。壁は静かにそびえ続ける。 ああ、かつて自分が書いた言葉たちじゃないかと、私はつぶやく。原稿用紙の升目に一つ一つ閉じ込めた言葉たちが、こうして積み上げられている。そして私は、自分が何かの間違いにより、その壁の外側へ落ちてしまったんだということに、ようやく気づく。『蘇生』より ただ眠いだけ、ということもある。角川書店 2000年
2004/11/18
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文化誌というには、言語研究に関する著述が大半なのであまり的確ではない。1987年発行。今ではエスキモーの社会も大分変わっているだろうか。 指示詞──日本語の「これ」「あれ」「それ」にあたる言葉がエスキモー語では30種類もある。自分からどれくらいの距離か、それは上方か下方か、水平であるか垂直であるか、内であるか外であるか、など。これにより狩りの時など自分と獲物、仲間と獲物の距離が言葉一つで説明出来る。英語を話せるエスキモーでも狩りの時に英語は「全く役に立たない」らしい。とつぜんさざ波がたち、水かさが増し、まもなく強風が荒れくるった。舟は岸からかなり隔たっていた。老人は溺れ死にの危険をかんじた。娘の夫の復讐がおそろしくなり、父親は娘を(生贄に)海へ投げいれた。娘は舟の縁をしっかりつかんだ。しかし父は斧をだして、娘の指の第一関節を斬りおとした。間接は海に落ちるとクジラになり、爪はその髭になった。それでも娘はしっかり舟にちかづいた。父親はまた斧をだして、第二関節を斬りおとした。間接はアザラシになった。それでも娘はしっかり舟にしがみついた。父親が最後の関節を斬りおとすと、別種のアザラシになった。娘はこんどは手首で舟にしがみついたが、父親は櫂でもって、娘の左目をたたきだした。娘は仰向けに海へ落ち、父親は舟をこいで陸についた。エスキモーの説話「セドナ(海の女神)」より 父親に海へと叩き落とされた娘はこの後海獣の神となる。叩き落とされる以前に女と結婚していた犬も父親に騙されて海に沈み、父親も満潮の夜浜辺に身を横たえ波に身を任せる。いくつか紹介されていた説話のうちこれが一番好き。 自分たちを「真の人間」と呼び、対立する部族は「犬の餌」などと呼ぶとか、死んだ者の名前は次にその名を告ぐ者が生まれるまでは使ってはならないとか、その他いろいろ。岩波新書 1987年
2004/11/17
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別巻という事で趣が違い、文人俳句を集めたもの。小説家・詩人・劇作家、などか。全部読んでないから詳しい事は分からない。このボリューム(28句集分)を読む事にそろそろ疲れて来た。めぼしいところだけ押さえて済ませた。三好達治や安東次男あたりは読んでおいた方が良かったとも思ったが、一度切れた糸を結ぶのもしんどい。尾崎紅葉「紅葉句集」より泣いて行くウエルテルに逢ふ朧哉後の月句を売りに行く人に逢ふ この人について語れる事何もない。森鴎外「うた日記」より春の海を 漕ぎ出てて明す 機密哉便腹を 曝せばとまる 蜻蛉かな虫程の 汽車行く広さ 枯野哉馬上十里 黄なるてふてふ一つ見し この時代に「機密」を俳句に取り入れるなんてナウい人。やっぱり大好きだ。夏目漱石「漱石俳句集」より鳴くならば満月に鳴けほととぎす凩や海に夕日を吹き落す枯野原汽車に化けたる狸あり この人は漢詩に見るべきものがある(らしい)こともあってか、数が多い割につまらない句ばかり。それでも敢えて漱石の俳句を論じている本は結構あるから、ご苦労なことだ。石橋忍月「忍月俳句」より清風は人に至らず蠅の声人もすなる絢爛の句を花に吐 芥川龍之介、泉鏡花に特筆すべき句なし。結城昌治「歳月」より枯原を出るまでうしろ振り向かず六月の些事のごと訃をもたらさる遠蛙やむとき嗚咽洩れいだす朝焼けの溲瓶うつくし持ち去らる蓑虫や何にいのちを燃やすべき病みて三たびの除夜の鐘々を聞きつくす春愁や忘れしことはそのままに 別巻を借りた理由はこの人。数多くの俳句を紹介している本で彼の句が度々目に留まり気になっていた。本業は小説家。犯罪小説などで有名。何故彼がこれほど筋がいいかというと、同じ病院に石田波郷が入院しており、そこで知遇を得、句作に励んだため。波郷は56歳で逝き、昌治68まで生きた。 編集委員山本健吉・森澄雄・草間時彦・飯田龍太。解説村山古郷。1983年 河出書房新社
2004/11/16
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というわけで川崎洋をまとめて読んでみた。これまでも結構触れてはいたのだ。ただ意識の上の方に上っていなかっただけで。亡くなってからしかその人に気付かないなんてあまりに寂しい。意識して見れば毎日のように訃報欄で文筆家が死んでいく。知らない人の名前の下に時折聞いたことのある作品名がある。やがて忘れる。 こもりうたあかんぼはうすめをあけてうわめづかいなどするもんじゃないねむりなさいここはおやじとおふくろにいっさいをまかせてわるいやつがきたらとうさんとかあさんがちゃんとしまつをつけてやるからねむりなさいすこしぐらいいびきかいたってやっときこえるぐらいのいびきなんだからえんりょするこたないねむりなさい ベビーカーを押す母とその母か、姑かが何事か言い争っている。心配そうな眼差しで赤子が見上げると婆は「大丈夫よ~」と優しい声を赤子にかけた。その時の赤子の目が可笑しいと言っては悪いのだが、とても赤子とは思えない深淵な悩みを抱えた壮年の人の眼に見えた。この詩を読んだのはその風景に出会う前。 海で今年の夏 ついこのあいだ宮崎の海で 以下のことに出逢いました浜辺で若者が二人空びんに海の水を詰めているのです何をしているのかと問うたらば二人が云うにぼくら生まれて初めて海を見た海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだだからこの海の水をびんに入れて持ち帰り盥にあけて水が終日揺れるさまを眺めようと思うと云うのですやがて いい土産ができた と二人は口笛をふきながら暮れかける浜から立ち去りました夕食の折ぼくは変に感激してその話を宿の人に話したらあなたもかつがれたのかねあの二人は近所の猟師の息子だよと云われたのです という話も川崎洋が作り上げたもの、というオチも続くかもしれない。死んだ者の名が「大きな舟」という名なら、名を告ぐものが産まれるまで、または死の悲しみが薄れるまで、大きな舟そのものは違う名で、たとえば「多人数乗れる海を横切る乗り物」という風に呼び換えなければならない、という話を思い出した。あまり関係なく。小説ではなくエスキモーの風習。今もあるかは知らない。 新聞や週刊誌の見出しをコラージュして作った詩がある。たまに面白い組み合わせもあるが、全体としてはとても評価出来るものではない。幸い収録作は少ない。朝からコップ酒の高校生活一日に十六時間寝ていたコラージュ詩『履歴書』より 詩人の発見とその発見を発見していなかったことの告白。 にじにじが かかるとみんな空をふり仰ぐそのときはんたいがわの空にすらりと白一色の にじが でるのをだれも知らないわたしも知らない 花と魚の関係はなははなやではなひらくけどさかなはさかなやでさかない 解説日野啓三。故人の名が続くと気持ちは暗くなるのに、読み直した川崎洋の詩のほとんどは無邪気な顔。今年川崎洋、去年日野啓三・・・と錯覚で時を縮めて故人たちを近づけようとした。中央公論社 1983年
2004/11/15
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好きか嫌いか確かめるために読むこともある。大抵どちらか分からないままもう少し読もうということになっていつのまにか好きになってたり、多く読むうちについていけなくなり別れたりする。以前は好きになる基準は四冊というのがあったが、今ではそんなこともない。 段々に消えていく女主人公、『薬指の標本』などと似たような造り。こちらは長篇。日本人作家の長篇を読むのは久し振りの気がする。俳句や詩などの短いものばかり触れて来たから、やや厚めの文庫本を読み終えるのは途方もなく時間がかかる事の気がしたけれど、サラサラ流れる文章を読み進めるには苦労がなかった。生理的に受け付けない部分も今回は少ない。 時折何かが消滅していく島。ある朝消滅はやってきて、人は消えたものを見ても触れてもそのものに関する記憶や思い出が何も浮かんでこなくなる。木の実が消滅した時は島の木々から一斉に木の実が落ち、カレンダーが消滅すると冬のまま季節が変わらなくなる。そんな島に暮らす女性小説家が主人公。彼女が書くのは声を失うタイピストの物語。小説を読む人は少ない島だが、何かが失われる物語が好まれる。「小説というのは、最後まで読んでしまったら、もうそれでおしまいなのでございましょう? そんなもったいないことはできません。こうしていつまでも、手元で大事にしておきたいのでございます」 小説を読まない人に小説を渡しても思うとおりの反応は返ってこないよね、というのではなく。素直な気持ちを言葉に出せるおじいさんと小さい頃からの付き合いがあった主人公。亡くなった両親よりも彼との交流の方が深い。ただ一読者として男の目として見れば、あまりに無害でいい人過ぎて嘘臭くて好きになれないじいさんだけれど。それは関係ない。 新たな消失が生まれると、「記憶狩り」と呼ばれる連中が消失したものに関するものを片っ端から集め、焼き捨てる。島の住民の中には記憶を全く無くさない(無くせない)人も居て、彼らは強制連行され、その先は誰も知らない。 この「消失」の仕組みが分かりそうで分からない。例えば「犬」という文字を見て走り回ったり尻尾振ったりじゃれついてきたりする犬を想像出来るのは、私達が犬に関する記憶や経験があるからだ。犬を見たことも触れたこともない子供や、言語の異なる国の人に「犬」という文字を見せても彼らは私達が思うような想像は出来ない。大体そういうことなんだろうとは思う。しかし、おじいさんはとっくの昔に消失したはずのフェリーに住んでいるし、それが記憶狩りに破壊されることもない。鳥が消失しても空を飛び回るものはいる。物語の大きな流れの中では小さなことなのだけれど。 主人公担当の編集者も記憶を無くせない人で、彼女の家の隠れ家に匿うことになる。解説で触れられていたが、この生活が『アンネの日記』に似ている。この小説を書き上げた後、小川洋子は『アンネの日記』の舞台に旅立ち、『アンネ・フランクの記憶』という本を著した。こういった名作には子供の頃に触れておくべきだったな、とまた思う。 始めから最後まで消失に関する事ばかりの物語。かといって暗さ哀しさに溢れているわけでもない。読後感で一つ哀しいのは、描かれた物語をなぞるように、この話に関する記憶が自分の中から溶け出して消えて行くような感覚に襲われていること。この本に限らず、いちいち感想を書くとその本に関して一始末済んだようで、どんどん記憶は薄れていく。普段はそれを気に留めない。 無くしたものには出来るだけ気付かない方がいいんだ。講談社文庫 1999年
2004/11/14
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毎日本は読まなくとも、毎日何かしら詠むので、毎日更新は出来るのだけれど、それだけでいいのかと、どれも足を使って駆け回り這いずり回った挙句に出来た句ではないじゃないかと思うのだけれど、(だけれど)、そもそも季語を使いこなすのが目的だったと、ともすれば芸術家ぶりそうになる自分を地に引きずり落とした。自分で気に入るのもたまにしか出来ないくせに。11/12「北窓塞ぐ」北塞ぐ 5句 風雪や隙間風が屋内に入ることを防ぐために、北窓をしめ切ってしまうことである。家によっては目貼をしたり、筵などで覆ったりもする。一般には雪国の農家には窓は少なく、北向きの部屋は寝室などにあてられる。(現代歳時記 冬 角川春樹編 より)北窓を塞ぐ家なく冬過ぎる北窓を愛する猫が塞ぎおり縦の部屋北枕の下窓がある北窓を塞げば光らぬ星がある洞穴一人男死ねずに北塞ぐ 調べたらうちに北向きの窓はない。紙を重ねて窓の隙間に貼り付け、部屋の暖気を逃さないようにする「目貼」という言葉も覚えた。 3句、作ってる時はすごく面白い発想の気がしたんだ。5句、死を覚悟して山に入った男が、死ねずに洞穴で一夜を明かす、そのまま死ねずに住み着き、洞穴で暮らし冬を迎え、北の隙間を塞ぐ。山を降りればいいのに。
2004/11/12
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11/9「熊」月輪熊(つきのわぐま) 羆(ひぐま) 熊の子 熊穴に入る 5句 四国・九州・本州にいるのが月輪熊。北海道に棲息しているのが羆である。いずれも黒熊だが、胸部にV字型の白斑があるので月輪熊はすぐにわかる。羆は狂暴で人畜を襲うこともあり、体重が百五〇キロに達するものもある。普段、深山の森林に棲み、雑食性である。草木の根や新芽・木の実・蟹・蟻などを食べ、食物のない冬になると洞穴に入って冬ごもりし、この間に雌は子を産み、乳を与えて育てる。なお、信州では月の輪のない熊のことを犬熊と呼んでいる。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編)熊襲う悪夢日常なりし日々熊の子がおいでおいでと爪を研ぐ月の輪の熊の胸似の村の夜暗中模索触れた陰毛熊に似て晴れるから熊雨降るから熊が出る 6句の予定が作り忘れて5句止まり。熊まで季語とは恐れ入った(呆れた)。自作のものだけで自分歳時記などその気になれば作れるんだな。読み返すとつらくなりそうだけれど。誰でも詠むような句はやはりつまらない、1、2句。「の」の連続は醜いと言われるが、たまに使う分には大好きな形。想像の範囲を出ない句ばかり増えて来る。11/10「狐罠」5句 昔から狐はずるくて人間の少々の罠だと食い破って逃げるといわれ、狐罠の仕掛けは他の動物の罠にくらべると残酷な仕掛けが多かった。バネ仕掛けで、足を挟むものや、火薬を仕掛けて、狐が餌を食うと爆発するもの、餌に釣り針を仕掛けるものなどがあったという。(同上)狐罠優しき人が爆死する下唇三度舐めるも狐罠人去りて山一つ分の狐罠火事の跡骨抱き残る狐罠狐罠庭に見知らぬ女来る もう7~8年前になるか、「景山民夫爆死」の大文字がスポーツ新聞の見出しにあってその文字に笑った。死を笑うのではなく文字を。 3、4句は好き。子供が山で遊ぶ時、こういう罠にかからないものなのだろうか。11/11「寒弾(かんびき)」5句 寒中、朝早くからする三味線の猛稽古である。厳しい寒さのなかでの修行は、芸の上達が著しいと信じられており、とりわけ義太夫・長唄・清元・常磐津などの内弟子は、師匠の家で未明から猛稽古をする。寒弾に鶏起こされてまた眠る寒弾や郵便配達朗吟す寒弾の休みの日には三味も寝る眠りつつ手は曲鳴らす師寒弾大地震時計壊れて寒弾止まず 無理に冬の歳時記めくることもないと思いつつ。夜中に三味線の音が近所から聞こえてきたことが昔あったが、あれはこれのことか。それにしては朝までには止んだ。 頭で作った句には特に思い入れ出来ず。
2004/11/11
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11/5「逆の峰入」 秋の峰入 5句 秋、修験者が吉野から入って大峰山に参り、熊野へぬけるのをいう。昔は七十五日をかけるとされていた。(新版 俳句歳時記 秋の部より)修験者の歯こぼれ落つ逆の峰逆の峰鯉の口開け踏み登る逆の峰入るは大猿か山伏か訴訟起る新婚旅行に秋の峰繰り返し死に続けるや逆の峰 物珍しさから入ってもろくな句は出来ない。11/7「紅葉鮒(もみじぶな)」5句 紅葉の秋になると、琵琶湖にいる源五郎鮒は鰭が赤く変わってくる。それを紅葉鮒と呼んでいる。(同上)紅葉鮒血の吐きたるも中にありブルーギル紅葉鮒皆喰ひ終えし湖に紅葉はりはら鮒生る鴉突くまでは息絶えず紅葉鮒舟底に女転がす紅葉鮒 物珍しさから入ってもろくな 外来魚に追われて今ではまだ生き残ってるとは思えない風流な鮒。琵琶湖畔では死んだブラックバスやブルーギルの死体をつつく鴉を見た。妙なキノコが生えていたり、行った翌日台風に襲われる大津港がテレビに映ってたり。11/8「立冬」冬立つ 冬に入(い)る 冬来る 今朝の冬 7句 二十四節気の一つ。陽暦で十一月七日か八日ごろ。この日から冬に入るわけだが、日本の大半の地域ではまだ晩秋の気象である。冬の季節風が吹き出すのもこのころで地方により初霜、初氷の報を聞くことも多くなる。日ざしも弱く、日暮れも早くなり冬を迎える緊張感を覚える。とくに朝など冷気に身のひきしまることがあり、「今朝の冬」とはそのような思いをもつ立冬の朝のことをいう。(現代俳句歳時記 冬 角川春樹編 より)立冬は駄句量産のためにある亀の池のろま変わらず冬に入る今朝の冬肩振り回し雪探す何もなく膝まで冬に入らんとす風呂上り冬は何処かと全裸で言う立ち上がる冬の股間が立ち上がる立冬に会ひし人もう懐かしき 角川親子のセンスには全く共鳴出来ないが、紹介されている句は多く、季語の使い方の参考になる。発想を参考にしたことは一度もない。 1句、こういう季語はどうしても好きになれないから。2句、四天王寺の亀池を思い出しながら。3句、「もう冬なのか? じゃあ雪合戦だ!」と短絡な人。6句、多く作る時はどうしてもこういうのを混ぜたくなる。 秋の装いをしてもまだ暑いこの頃。暦の上では冬、なんて言うのもうやめにしないか。
2004/11/10
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「石がキリン」と読めば詩的を通り越して破壊的。 飯島耕一の時も思ったが、これまで読んできた色々な詩のアンソロジーの中で紹介されていたものが、やっぱり良い詩なので、まるごと一冊詩人一人のものを読んでも、衝撃的な出会いには残念ながらぶつからない。15年経っても海に辿り着かない、崖から飛び込んだ女を書いた『崖』がやっぱりこの人の一番だ。「生活詩」を書く人として知られているが、あまりそういう印象が私にはなかった。夜中に、砂抜き中のシジミを想い、鬼ババの笑いを笑う『シジミ』あたりがその代表なんだろうが、そういう類のがこの人の本質であろうと、それが一番優れているとは思えない。 そういうわけで、今までは知らなかった、病んだ父とそれを看病する「四番目の母親」を書いた一連の、若い頃の詩が新鮮に響いた。 貧乏私がぐちをこぼすと「がまんしておくれじきに私は片づくから」と父はいうのだまるで一寸した用事のように。それはなぐさめではない脅迫だ と私はおこるのだが、去年祖父が死んで残ったものはたたみ一畳の広さ、それがこの狭い家に非常に有効だった。私は泣きながら葬列に加わったが親類や縁者「肩の荷が軽くなったろう」と、なぐさめてくれた、それが、誰よりも私を愛した祖父へのはなむけであった。そして一年こんどは同じ半身不随の父が病気の義母と枕を並べもういくらでもないからしんぼうしてくれと私にたのむ、このやりきれない記憶が生きている父にとってかわる日がきたらもう逃げられまい私はこの思い出の中から。「家にひとつのちいさなきんかくし/その下に匂うものよ/父と義母があんまり仲が良いので/~略~/いやだ、いやだ、この家はいやだ。」『きんかくし』のこの最後の叫び、詩を書く技術身に着けておきながら敢えて幼児退行したように工夫なく叫ぶところに、真実味がある。一読して笑い、二読して笑えなくなり、三読したまた笑ってしまったけれど。 行く木が何年も何十年も立ちつづけているということに驚嘆するまでに私は四十年以上生きてきた。草が昼も夜もその薄く細い葉で立ちつづけているということに目をみはるまでにさらに何年ついやしたろう。木は木だから。草は草だから。認識の出発点はあのあたりだった。そこからすべてのこととすれ違ってきた。自分の行く先が見えそうなところまできて私があわてて立ちどまると風景に早く行け、と追い立てられた。 俳句を始めてから、花や虫や田畑に目が向くようになった。街路樹が裸にされているのを見て寂しくなったのは人生初めてだ。どうして今まで気付かなかったんだろうと思う事物が多すぎる。何もかも捉えようとすれば広すぎる風景の中にただ居ることさえ恐ろしく。 だから気を抜くことも覚えた。中央公論社 1983年
2004/11/09
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自選よりも他選のものを読みたい。この短編集を読んで作者が「右」寄りの人とはうっすらとして気配くらいしか感じない。年譜を見てやや驚く。こうした形でよく、現代作家達に関しての自分の無知に出会う。どこかで触れられていたように、小説家の中ではそっち寄りは少数派だ。どちらであろうとその点にあまり興味はない。「日本は今苦しい。お前たちは、千五百メートルの競泳の時のことを考えてみろ。最後の何分間かが実に苦しい。苦しい時は、勝利の瞬間が近付いている時だ。その時頑張らなくてどうするか。日本は今、最後の勝機をつかんで追いこみにかかっているのだぞ、分ったか」「分りました」 顔にいっぱい汗を浮べた年少の兵士たちが真剣な面持ちで答える。 自分がアジテーターであったと、そう思うことは、醒めてみると羞しいことであった。敗戦後の世界で、再びアジテーションの匂いのするものに対して、彼は極度に警戒的になった。自分自身がもう一度何かのアジテーターになることは、もとより一層願わしくなかった。「華かなるべき青春を戦争に奪われ、学窓から直ちに戦線へかりたてられた純真であわれな青年たち」と呼びかけられると、彼は、「ああそうですか」というより仕方ない。「先生、先生たち戦中派の人たちが、今こそもっと発言すべき時ですよ」と言われると、黙って横を向く。学生たちの一部から、彼はぬるま湯につかったような反動教授だと言われている。『青葉の翳り』より「ああそうですか」が好き。戦中戦後の思い出を抱えて同窓生のその後と対面する『青葉の翳り』は読み応えがあって自選短編集の表題になるくらいだから勿論いい作品なんだけど、『鱸とおこぜ』『スパニエル幻想』みたいな馬鹿馬鹿しくて可笑しい作品も楽しめた。 でも、十分楽しめたからこそ、この一冊だけでもういいやという気もするのだ、面倒だから。 講談社文芸文庫 1999年
2004/11/08
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編集大岡信・谷川俊太郎。この二人は正反対の人物だと思うのに、よくやれたな。 生野幸吉と混同しない為のメモ。・「空(そら)」の詩人・外国に行くと詩が書けなくなる詩人・「生きるとは/ゴヤのファースト・ネームを/知りたいと思うことだ。」の詩人 他人の空鳥たちが帰って来た。地の黒い割れ目をついばんだ。見慣れない屋根の上を上ったり下ったりした。それは途方に暮れているように見えた。空は石を食ったように頭をかかえている。物思いにふけっている。もう流れ出すこともなかったので血は空に他人のようにめぐっている。 結局同じ詩に目が行く。他にもいい詩がないではないが、これよりは下に。あとはポール・ゴーギャン。解説で引用されていた、座談会の一コマが面白かった。「そういうことをはっきり言ったほうがいいと思う。いつか秋山さんには話したことがあるが、僕らはあまりにも戦後の作家のいい読者であり過ぎた。しかもいろいろと褒めて論じてもさしあげた。彼ら、椎名麟三・野間宏・大岡昇平・三島由紀夫も吉行淳之介らも全部含めて、彼らにとって俺たちぐらいいい読者いないんだよ。また僕らが実に素直な子たちときてるだろう(笑)。長い間僕らはあの人たちを大事にしてあげすぎた。この座談会でまたあの人たちは素晴らしいといったんじゃ僕ら救われないんじゃないの(笑)。」「さっきは戦後派作家に対してもっとものわかりがわるくなるべきだと言ったけど、僕らの年代はあとに出てきた連中に対してももっとものわかりがわるくならないといかんと思う。それは本当に痛感する。もっと物わかりがわるくならなきゃ。どこもかしこもノッペラボウになる。」「そろそろ僕らも上と下に対して、本音を言って、今まで読者のふりをしたけど本当は大嫌いだったということをいうべきじゃないかな。」 熱心に何でも読み込んでるな、というのは確かにここら辺の世代の方の印象。上に名前の挙がってる作家を私は一人も好きじゃないので爆笑してしまった。この人の場合は大好きであって、嫌いでもあるのが違うところ。 一つ二つの詩以外に特別語れることもないので引用ばかりで済ませた。 付録の月報で大岡信と谷川俊太郎が対談している。リズムについて、五七調に縛られて来た日本語詩の歴史と悩みを話す大岡と、それらには最初から縛られていなかった谷川の詩観がよく分かる。大岡信で好きな詩は一つもない。中央公論社 1983年
2004/11/07
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喰い足りない。『博士の愛した数式』などの長篇ならこうは感じないのか。最後の『リンデンバウム通りの双子』が秀作だったので不平タラタラという事はないけれど。 表題作『まぶた』が生理的に受け付けなかった。15歳の少女が父親より年上の奇妙な雰囲気の男と島で密会を続ける。男の飼っているハムスターは病気でまぶたを切り取られたので目を閉じることが出来ない。ただのロリコン男と少女の話でも、少女の視点からフィルターをかけられて嫌悪感を抱かせないように描かれている。そこが気持ち悪い。 語り手が男の場合、女の場合で感じ方も変わってくるのかもしれない。小川洋子の短篇は悪夢に似て、やや非現実的な物語でありながら、一種気味悪さまで持つリアリティが随所にある。そこが力となり、また反発を感じさせるところにもなっている。「切り離されたまぶたは、銀色のトレイに載せられた。二つきちんと並んで、そう、病んで腐敗してゆく肉片には見えなかったよ。鼓動も温もりも、まだ失っていなかった。半透明の皮膚の向こうは桜色に染まって、少し潤んでいる。顔を近づけると、息でまつ毛が震える。ちょっと触れれば、恥ずかしそうにまばたきしそうだった」『まぶた』より「路地の角にある皮膚科病院の先生も、最近同好会のメンバーに入ったのよ。もうすっかりぼけちゃって、患者さんの診察は無理みたいね。聞いた話ですけど、初めて練習場に行った時、アコーディオンを抱えた人たちを見て、自分の患者だと思い込んだらしいですわ。胸に巨大な腫瘍のできた皮膚病の患者だとね。熱心にアコーディオンを触診していたんですって。今ではおとなしく、自分もユーモレスクを弾いているらしいですけど」『お料理教室』より「うまく説明できないけど、眠っていた場所っていうのは、体温が一番よくしみ込んでいるから、ベッドカバーや枕やナイトキャップを通して、その人を感じ取ることができそうな気がしてくるの。たとえその人が死者になっていたとしてもね」『詩人の卵巣』より 台詞部分だけ抜き出して読めば、陰惨な話ばかりに見えてくるが、各短篇そんな気配は起こっていない。それが小川洋子の力量の成せる技であり、特徴なんだろう(好きではない)。 先日「薬指の標本」を読んで感じた「サラサラ流れる小川みたい」な箇所もある。そこはとても気に入っている。 異様なプールではあったけれど、たたずまいはびくっとするほど綺麗だった。底のブルーと澄んだ水の色が溶け合い、それが太陽の光や、夜の闇の中に浮かび上がって揺らめいた。枯葉でも虫の死骸でも、水面に落ちたとたん、特別選ばれたもののようにきらめいて見えた。『バックストローク』より 彼女は杖を握り直し、次の部屋へ向かった。わたしと少年はあとに続いた。三人が動くと、床を漂っている古い空気が腰のあたりまで舞い上がってくるような気がした。コツコツと杖の音が規則正しく響いた。『詩人の卵巣』より こうして写してみると紙一重だ、先に引用した群と。相反するものだと思っていたのに。何気ない風を装いつつ物語り結末への伏線も散りばめられている。 誉め出してないだろうかと思いつつ。好きじゃないと言い聞かせつつ。新潮文庫 2004年
2004/11/06
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11/1「良夜」6句『徒然草』に「八月十五日・九月十三日は婁宿なり。この宿、晴朗なる故に、付きをもてあそぶに良夜とす」とある。このように良夜は名月・後の月の、激昂あまねき夜であるが、多く名月の夜が詠まれている。(新版俳句歳時記 秋の部 角川書店編より)サイレンに犬唱和する良夜かなののしり合う言葉も美なり良夜行窓越しに猫が良夜を舐めている良夜には辱められても仏顔空とぼけ老画家良夜を赤で描く照り光る小石のために良夜あり 5句、青とするか赤とするかいまだに悩んでいる。夜ならば黒、薄暗い色であるべきなのを赤と描く異常さ。しかし夕焼けと変わるまい。青ではどうだ。海に見えるかもしれない。緑では禍々し過ぎる。いまだに悩んでいる。11/2「菊枕」5句 干した菊の花を中身にして作った枕は、頭痛をなおし目を明らかにするというので用いる人がある。(同上)盲人は抱かずに殴る菊枕老いらくの恋に二つの菊枕菊枕貰ひし途端山居狂ふ二〇〇四年虚子の振りして菊枕山遠し足痩せ細り菊枕 いい加減殴る蹴るはやめようと思いつつ。2句目気持ち悪い。3句目、菊枕を貰った途端に精神と肉体がおかしくなった、山に住んでる人であろう、病と山居をかけ、病来ると狂うをかけている。11/3「文化の日」6句 十一月三日。国民の祝日。この日をもって「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ための祝日と定められたのは昭和二十三年。文化の日浮かれし女の細目愛す文化の日思想は熱く足は冷え燃えるもの古き家全て文化の日長生きのカマキリ歴史文化の日文化の日向日葵ようやく寝転がる文化の日買ひしベレーを焼く明日 旧仮名の使い方合ってるのかな。くだらない季語。こういうのは季語として認めるべきじゃない。2、4、5はその日見たまま。3句、火事を見たんだっけ? 6句、芸術家ぶろうと(祖父がいつもかぶっていた)ベレー帽を買ったはいいが、文化の日を過ぎるととても自分には合わない、似合わないものだとして、かぶらないだけでなく完全に縁を絶つ為に焼いてる様。11/4「落鰻」5句 鰻は川にのぼって七、八年をすごし成長すると、秋に川を下って海に入り、赤道近くの深海にいって、そこで産卵して一生を終わる。この川を下る鰻をいう。落鰻捕へる武者の振りをして腹は空く虫で釣られる落鰻落鰻に狙い定めて隠居来る川に酔うヌラヌラするな落鰻受験生に精をつかせる落鰻 ただただ初めて知った鰻の生態に驚いて。中身ゼロ。
2004/11/05
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このあたりの詩本はどれも似たようでいながら収録されてる詩は少しずつ違う。詩人の名前は見た名前ばかりなのに、重なっている詩は四~五分の一程度じゃなかろうか。400ページもないのに64詩人を紹介と詰め込み過ぎているので一人当たりの詩数は少なく、長篇詩もない。現代詩人の中で際だって好きな詩人がなかなか増えないのは、こういうものばかり読んでいたからかもしれない。 友 井上靖どうしてこんな解りきつたことがいままで思ひつかなかつたらう。敗戦の祖国へ君にはほかにどんな帰り方もなかつたのだ。──海峡の底を歩いて帰る以外。 井上靖の散文詩は退屈なものばかりと思っていたが、ここには良いものもあった。上にあげたものは散文詩じゃないが。昔、軒のかたむいたあばら家にあわれに貧しい一人の博徒がいた。老いたる博徒は自分の手でマッチ棒ほどの墓標を立てた。知り人から香典をあつめた。古タライに乗って枯野にはこばれていった。そうしてあばら家にもどって幾年か生きのびて屍は死んだ。伊藤信吉『花』より 田村隆一や宗左近に関してはもういい。福永武彦・中村真一郎のコンビもつまらないからいい。小山正孝や秋谷豊といった、これまで聞いたことのなかった詩人の詩はやっぱりどうも響かない。 で、御大。 黄いろい詩人 谷川俊太郎黄いろい詩人は、白い便器の上に置き忘れられたままだつた。別に揺れたりもせずに、そのまま座りつづけていたが、死んでいるのは誰の眼にもあきらかだつた。何故なら心臓は規則正しく一分間七十五回打つていたし、呼吸は米飯とジンのひどいにおいがしていたからだ。肉体にはKOされた痕跡はなかつたけれど、頭蓋の中にはいつのまにか、ピンポンのボールがつまつていて、それが彼の霊感の動力源だつたらしい。私は彼の背中をつつついて、ひとことふたこと友人めいたことばをかけてやつたが、彼はトイレットペーパーを読むのに夢中で、私には何も答えなかつた。私が出ていつてしばらくすると、水を流す大きな音がして、のぞいてみると黄いろい詩人はもういなかつた。あやまつて、大変計画的に自分を流してしまつたらしい。(さつぱりとしたいい奴だつたが)──まもなく三時の時報だろう。窓の外には五月の微風が吹いている。世界は非常にそつけない。「つつついて」が日本語に見えない。 山本太郎や大岡信と言った、どちらかという編者としてよく名前を見る詩人の詩は、どうもあまりピンと来ない。伊藤信吉もその一人だけど、彼には今回多分初めて触れたので。 鴉 入沢康夫広場にとんでいって日がな尖塔の上に蹲っておればそこぬけに青い空の下で市(まち)がさびれていくのが たのしいのだ街がくずれていくのが うれしいのだやがては 異端の血が流れついて再びまちが立てられようとも日がな尖塔の上に蹲っておれば(ああ そのような 幾百万年)押さえ切れないほど うれしいのだ 谷川雁や高見順や吉本隆明といった大きな名前の人たちの詩に乗り切れないのは、高尚めいてるからだろうか。ついていけないからだろうか。茨木のり子、新川和江、白石かずこ、富岡多恵子、石垣りんといった、後半に集められている女流詩人の作品は、それまで読んできたものと明かに異質であり、塊の持つ迫力が恐ろしかった。 早くしないと 川崎洋夕日が沈む時そのにぶい光が遠くの景色をみんなぼかしてふわふわと美味しそうな色にするさあ早くそれらをかさかさとかき集めなきゃそれ僕の手の中で横倒しになる森や屋根や煙突世界は四角で木が一本だけ生えていると思って死んでいった赤ん坊その赤ん坊のそばの窓早くその窓を集めなきゃその戸が男の手で閉められたばっかりに一生を台なしにした女早くその戸を集めなきゃ早くしないとある夕方巨きな腕がゆっくり空を掻き景色達はうっとりとその腕で空に溶けていってしまうから早くしないとさあ いつまでも、川崎洋を悼む。 解説村野四郎。鑑賞伊藤信吉、村野四郎、小海永二。中公文庫 1976年
2004/11/04
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飽きもせずすっかり習慣づいて毎日やってる。喜ぶ人がいるとは思えないが。10/28「落穂」落穂拾ひ 6句 刈り取ったあと、あるいは道ばた・庭先などに落ちている稲穂のこと。農家では米は一粒でも大切に扱う。落穂拾いは、ゆるがせにできない農家の仕事である。(新版歳時記 秋の部 角川書店編 より)落穂拾ひ絵より美ししゃがむ婆風吹くや落穂も女を探す旅へ落穂拾ひ稲刈る時より人が増え子が一人拾わずにいる落穂の目大男ただ息吸えば落穂来る拾わぬから怒る落穂がまた生える まずい具合に慣れてきたのか、数日前のことなのにどこで何を考えつつ詠んだのかさっぱり思い出せない。そのせいもあってか全て駄句。しかし断定口調の激しい季語の説明文。10/29「高きに登る」登高 5句 中国の古俗に、重陽に茱萸をつめた袋をさげて高いところに登って菊の酒をのむと齢が伸びるという伝えがある。これを登高と言い、踏青のように、秋晴の日に近くの山へハイキングにゆくことに用いれば、新しい意味が加わるだろう。(同上)楢山婆明日の予行と登高す狸皆高きに登りて腹を出す高きに登る夢見んとして落葉見ゆ女の背山と見て蝶登高す水溜りには高きに登る影映らず 1句、深沢七郎の小説『楢山節考』のおりん婆さんが姥捨ての予行演習にと自ら山を登っている・・・と季語の意味と全然趣旨が違う。4句に詠んだ女には別に一編の詩も書いたがキャラじゃないので割愛。蝶は入れ墨の蝶。5句は当たり前。10/30「桐一葉」一葉 一葉落つ 7句 秋のはじめ、風も吹かぬのに、大きな桐の葉がふわりと散ることがある。これを「桐一葉」または単に「一葉」という。『准南子』にある「一葉落ちて、天下の秋を知る」という言葉から来ている。桐はごまのはぐさ科の落葉喬木で、広卵形の濶大な葉が、秋にさきがけて落ちる。(同上)桐一葉落とすは昼の陽の光鼻水の垂れるを待たず一葉落つ空巣の子一葉落つにも咳一つ一葉せし木の股ぐらに手を入れる一葉落ち齢重ねる石畳小男や一葉に襲われ首を折る写生中一葉落ち来て紙を変え 2句、子供の頃、外で遊んでる最中に鼻水が出てきたもののティッシュもハンカチもなく、葉で鼻をかんだことがある。それを思い出しながら。3句、留守宅で金品を物色中の父親に合図の咳を送る見張りの子供。何を見てもびくびくして咳き込んでしまい、役に立たない。4句、言ってみたかっただけ。5句、こういうのを作っちゃいかんのだ、と思いつつ。10/31「二百十日」厄日 二百二十日 6句 立春から数えて二一〇日目。九月一、二日ころ。二百二十日はそれから一〇日目。この頃はとかく暴風雨が襲い、ちょうど稲の開花期なので農家は厄日としている。古く明暦二年(一六五五)の伊勢暦に歴注として載っている。(同上)二百十日夜を切っても夜が来る田が腐る二百十日を待ちもせず人違い厄日近くにいつもされ厄日の借り返すと農夫ぎららの眼二百十日二百十人前歯折る寝とぼけて傾き田に入る厄日朝 この日も随分と悪い。1句意味が分からない。2句、台風シーズンの前に洪水があったような気がするが、いろいろありすぎてどこだかいつだか忘れてしまった。3句、「人違い」を使いたかっただけ。5句、「殴り合ってる句ばっかり」と指摘されて冗談で乗ったらツッコミが返ってこなくて空しい。
2004/11/03
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なんだか嬉しい。新しい鉱床を見つけたような、全く手をつけて来なかったジャンル、人、時代。 太平洋戦争後半、日系移民は強制移住させられキャンプに住まわされた。その経験を幼い頃に持つ二世たちの詩が多く収められている。長いから紹介も出来ないがモモコ・イコ『話、話、そして話はつづく』、ローソン・フサオ・イナダ『アジアの兄弟よ、アジアの姉妹よ』など素晴らしい長編詩があるだけでこの一冊は価値がある。 安易に語ることは不可能。土曜美術社 1985年
2004/11/02
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俳句漁りの反動か、詩ばかり読みたがるこの頃。 序ちちをかえせ ははをかえせとしよりをかえせこどもをかえせわたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせにんげんの にんげんのよのあるかぎりくずれぬへいわをへいわをかえせ 一度は聞いたことのある、あまりに有名な詩。平和は崩れるためにある、と書けば別の物語。 作者は28歳の時爆心地から3キロ離れた自宅で被爆。36歳で死去。 後半、やや詩作ずれがし始めて、勿体ないなあと感じるが、原爆投下直後の街を描いた詩はどれも激烈で恐ろしく、詩は書くものではなく刻み込むものと思えてくる。兵器廠の床の糞尿のうえにのがれ横たわった女学生らの太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせばすでに動くものなく異臭のよどんだなかで金ダライにとぶ蠅の羽音だけ『八月六日』よりのけて 足のとこの 死んだの のけて『倉庫の記録』より 解説中野重治・鶴見俊輔。 そういえば、原卓也も死んでしまった。青木書店 1995年(新版)
2004/11/01
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