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一か月ほど前のことである。帰宅すると玄関フードの中に、このポット植えのお花がビニール袋に入って置かれていた。メモも何もなく、ただ置いてあったのだ。誰が置いたのか想像もつかず、きっとそのうちに電話などで連絡をくれるだろうと思っていた。しかし、時間が経っても何も連絡がない。親しくしている人何人かに問い合わせたのだが、「私じゃないよ」という人ばかり。うーん、お花は嬉しいけれど、誰がくれたかわからないのはやはり少し不安でもある。でも、お花には罪はないし、置いてあった場所の上にはちゃんと表札もかかっている。花泥棒は許されるというくらいだから、匿名のプレゼントはありがたくいただくしかないだろうと思っているがこの花を見るたびに「誰なんだろう?」と思い続ける毎日だ。届いた時はまだ数輪の花が咲いている状態だったけれど、今は次々と花が開いて楽しませてくれる。どなたかわかりませんが、ありがとうございます。ちなみにこれは一昨日の画像。今日は朝から雨で寒いです。
2018年06月27日
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私は自動車免許は持っていないのだが、原付免許だけは持っている。もう20年以上も前になるが、祖母の病院や老人ホームに通うために取ったのだ。今は、ただの身分証明書代わりなので、更新するかどうか迷ったけれど、今後、夫が入院したりすることになったら、また使うかもしれないと思い更新することにしたのだ。JRで行ける厚別警察署なら一日で更新手続きや講習を受け、すぐに免許証がもらえると聞いたので、初めて厚別警察署に向かった。いやー、早いし楽でした。最初からここで更新したらよかったと少し後悔。ちゃんと更新通知書に書いてあるのに、地元の警察署で手続きをするものだと思い込んでいた。みんな知っているんだろうか。
2018年06月14日
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このところ暖かい日が続き、裏の児童公園の桜が一気に開花していた。庭のエゾムラサキつつじ、レンギョウ、チューリップ、水仙も、次々と花が咲いてきた。何となく心ウキウキするのだけれど、PM2.5の影響なのか、空がどんよりとしている。ロシアの森林火災の影響などともいわれているが、実際はどうなのだろう。この季節になると、中国からの黄砂も飛来するだろうけど、このどんよりの中には混じっていないのだろうか。実は、数日前から少し咳き込んだり痰が絡む感じがする。風邪をひいているわけではないので、戸外の作業が続いているためにPM2.5の影響を受けているのかもしれない。やはりマスクをしなくてはならないのだろうか。(マスクは暑苦しく、息苦しいので嫌いなのだけど)
2018年04月30日
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16日、17日と二日間は息子の畑作業の助っ人。昨年末に剪定を待たずに雪に埋もれたブドウの木々は、ネズミにかじられたり、枝が折れたり、巻蔓が絡んでいたりと、番線に固定するまでの作業がとても面倒くさい。立ったりしゃがんだり、番線を引っ張ったり枝を切ったりの作業を、傾斜のきつい畑で続けるのは冬期間でなまった体にはこたえる。それでも、少しでも息子たちの手伝いができればと、母は頑張るのだ!体のあちこちが筋肉痛の昨日は、某団体の例会日。天気が良いので自転車で向かったのだが、これもまた筋肉痛に拍車をかけた。往路はそれほど辛くなかったが、復路は向かい風で疲れが倍加。帰宅して遅めの昼食をとった後は、めったにしない昼寝をしてしまった。夕方からはまた用事があって出かけたのだが、これまた遅めの夕食をとっていた時は西武戦で日ハムが勝っていて「今日は高梨投手が勝利かな」と思いつつ入浴した後は、まさかの逆転負け。またまたドッと疲れてしまう。ニュースといえば、財務省福田次官のセクハラ発言問題。相手が誰であろうと、あの発言はセクハラでしょう。接客業の女性なら「言葉遊びだ」と思う感覚が、私の考えではアウト。きっと、あの人は何も悪いと思ってないんだろうし、それを容認する空気は財務省にあるんだろう。あちらもこちらもどうしようもないと思いつつ眠りにつき、今朝の朝刊を開くと…。セクハラ被害女性はテレ朝社員 同社会見 週刊新潮に録音提供04/19 01:49 更新 北海道新聞 テレビ朝日は19日未明、東京都内で記者会見を開き、同社の女性社員が福田淳一財務事務次官によるセクハラ被害を受けていたと明らかにした。女性社員は福田氏との会話を録音しており、同社の篠塚浩報道局長は「福田氏のセクハラ発言は事実であったと考えている」と述べた。同社は近く財務省に抗議する方針。 同社によると、女性社員は約1年半前から取材目的で福田氏と複数回、一対一で会食した。セクハラ発言が相次ぎ、自らの身を守るため会話の録音を始めた。今月4日に飲食した際もセクハラ発言があったため、その後上司に報道すべきだと直訴。だが二次被害の懸念を理由に拒まれたため、週刊新潮に4日の録音データの一部を提供した。 篠塚氏は自社でセクハラ被害を報道しなかったことに関し「適切な対応ができなかったことは深く反省している」と陳謝。福田氏に対し「事実を認めないまま辞意を表明し、とても残念に思っている」と述べた。 篠塚氏は被害者が社員であることを公表した理由について「この女性は事実を曖昧にすべきではないという思いを持っており会見することにした」と説明。二次被害を防ぐため個人の特定につながる情報は公表しないとし、社員が記者かどうかや所属も明らかにしなかった。取材で得た情報を第三者に提供した行為には「不適切で遺憾に思う」と述べた。(玉邑哲也)女性記者は、上司に直訴しても相手にされず、このままうやむやにされるのは許せないと、やむにやまれず週刊誌に情報提供したのだろうし、その気持ちはよくわかる。きっと、会社にバレたら退職覚悟の実力行使だったのだと思う。それにしても、日本社会のハラスメント体質はどうしようもない。そうそう、同じ道新の記事の中で、麻生大臣が「じゃあ、福田氏の番記者を男だけにすればいい話だ」と言ったとも書かれていた。それも立派なセクハラ&パワハラだという自覚が全くない。救いようのない財務省と思われても仕方ないですね。まっとうな財務官僚も、当然女性官僚の人もいるだろうに、どんな気持ちでいるのでしょう。
2018年04月19日
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なかなかゆっくり会うことのできなかった友人と、久しぶりのおしゃべり。お互いに言葉を尽くさなくても理解しあえる友人は、とても貴重。いつも相手にチャンネル合わせをしながら話すことが多いので、楽しくも考えさせられる時間となった。
2018年04月07日
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救命女性に「土俵を下りて」海外でも波紋広がる4/6(金) 5:54配信 テレ朝 京都府舞鶴市で大相撲の巡業中に救命措置をした女性が土俵から下りるよう指摘された問題について、海外メディアでも波紋が広がっています。 イギリスの新聞「ガーディアン」は、「倒れた市長を助けようとした女性が神聖な土俵を下りるよう命じられた」と報じています。さらに、「女性は清められた土俵を汚すとみなされ、土俵に触れたり儀式に参加することは禁止されている」と伝えています。また、イギリスのBBCは、女性が土俵から下りた後に塩がまかれたことに触れ、「これが救命措置をした人への反応なのか」と日本国内の批判を紹介しています。他の主要メディアもこの問題を一斉に報じていて、女性の権利が広く認められた欧米では驚きをもって受け止められています。伝統には守らなくてはならない必然があるものもあるけれど、伝統にこだわってのこのようなことはバカバカしいと思う。伝統云々の議論は別として、私がムカついたのは別のこと。伝統的に女性が土俵に上がれない理由が、「相撲が女人禁制になったのは、もともと相撲は豊作を祝う儀式で、豊作を司る神が女神だったため、女性が土俵に上がると女神が嫉妬して、豊作が望めなくなるという説」からだという。はあ~ヽ(。_゜)ノ ?女性だけが嫉妬深いわけじゃないでしょう。それに、その説だって説得力なさすぎ。今回のことだって、「女性は汚(けが)れているから」なんてことが言われたりして、もうバカバカしいにもほどがある。汚れた女性から生まれた男性は、生まれながらにして汚れているってことですか?まあ、そう考えたら理屈に合うかも。その理由をここに書くと、男性が不快な気持ちになるだろうから書きません。私が言いたいのは、今でも伝統を盾にしてバカバカしい行動がされているということと、女だけが嫉妬深いわけではないでしょ、ということです。
2018年04月06日
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気になっていた宿題(?)を数日前に終えて、ホッと一段落。その後は、次の宿題(今年の助成事業申請書の作成)の手直し。実は、すでに90%はできていたのだけれど、一緒に協働する団体の事情が変わり、それによって計画書や予算書の変更をしていた。今日は役所の担当部署にそれをもって確認に行ったら、会場費が変更になったとか!わかった時点で教えてほしかったと内心ではムッとしたのだけど、まあ年度替わりの上に事務所の引っ越しもあったから仕方ないと思い、帰宅してからまた予算書の手直し。なんとかそれも終えて、ホッとしているところ。明日は申請書を提出に行く予定。これを提出したら、しばらくは急ぐ用事もあまりないと思うので、読むのを我慢していた「英龍伝」(佐々木譲著)を早く読み終えたいと思う。これは、『武揚伝』『くろふね』に続く、幕臣三部作の完結編だそうだ。申し訳ないけれど、先の二冊は読んではいない。佐々木譲さんは北海道出身の作家で、今までも何冊か読んだけれど面白かったという印象がある。実は縁があって、私が読み始めた本はサイン本。ちょっとした事情でお会いする機会があり、この本を購入してサインをいただいた。サインをもらいたくて買うことはほとんどないので、私にとってサイン本は思い出とセットになるはず。今、佐々木譲さんのHPを見つけて少し拝見していたのだが、彼は私と同世代。それを読んでいたら、ちょっと興味深い下記の文章があったのでコピペしておこう。ダカーポの特集「団塊の世代をめぐる攻防戦」 2004年 05月 24日 ダカーポが今週号で「団塊の世代をめぐる攻防戦、オレたちはそんなに悪いのか!」という特集を組んでいます。団塊世代の端っこ(25年3月生まれなので)として、最近の団塊バッシングは多少気になります。で、ダカーポを読んでみた。ダカーポに限らずこういうテーマの記事すべてにわたって言えることですが、編集部も発言者もみな、「団塊の世代」をそのまま「全共闘世代」だと定義しているようです。それって正しいですか。もうひとつ、「全共闘」を「世代」でくくって語る場合も、たいがいそれは「全共闘活動家」のことのようなのですね。インタビューを受けている立松和平、弘兼憲史、和田秀樹、保坂展人、みな同じ。でも、この世代の中のごく少数派であった「全共闘活動家」で世代を代表させてしまっていいでしょうか。わたしの記憶では、全共闘運動がもっとも活発だった1968年という年は、団塊の世代だけではなく、中学生から30歳前後まで、多くのひとがけっこう盛り上がって時代を楽しんでいたのです。68年を生きたのは、団塊の世代だけではありません。また、68年という年の特異性を抜きに考えれば、団塊の世代はひとくくりにできるほど単純に規定できるマッスでもなかったと思うのですね。あの当時、大学に進学しない同世代も75%はいたのだし。また、団塊の世代のいまが語られるとき、それは必ず「ホワイトカラーの社会人」ということも気になります。ほかの業種についている団塊の世代は、傾向がちがいますか? だとしたら、そもそも団塊の世代というくくりが成立しないはずですが。もうひとつ、団塊の世代が語られるとき、そこではこの世代の人口の半分を占める女性の顔が想像できないことも気になります。こういう記事では、はっきり言って、女性はまったく無視されている。生き方の例が提示されることはまずありません。これってわたしだけの感じ方でしょうか。おたく世代がけっして特権的ではないように、団塊の世代も、ひとまとめに攻撃できるほど特別な存在じゃない、と思うのです(統計上は比較対照する意味もあるでしょうが)。世代論って、ときどき血液型性格判断と同じように、いかがわしく感じます。 つまり私は、ほとんど無視されている女性の一人と言うことになる。悔しいけれど、当たらずとも遠からじと思うのが正直なところ。それでも、女性たちは必死に生きてきたのですよ。男性の陰になり応援団になり支えになりながら、頑張ってきたのですよ。それは、女性自身が古典的なジェンダー意識が刷り込まれていたし、いわゆる世間も女性の役割を古典的に規定していたから、それに適応せざるを得なかったわけです。私はそんな世間の常識の中で、「仕事をして自立する女性になりたい」と内心では強く思っていたけれど、しょっちゅう自己矛盾に悩んでいたような気がします。もともとあまり目立ちたくない気質だったことが、矛盾に拍車をかけていたかも。こう書いていて思うのは、そんな自己矛盾や葛藤の中で育てた子供世代に、良きにつけ悪しきにつけ影響を与えていることだろうということ。ああ、それが今の日本人の姿なのかもしれないと思うと、とても複雑な気持ちになります。私たちは何をしっかり反省すべきなのだろうか。
2018年04月02日
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先日の私のブログ「パラリンピックに思う」に、ショコラさんがコメントを書いてくださった。それは、私の考えていることにとても近いというか、補足説明をしてくださっているような気がしたので、こちらにコピーして載せさせていただきます。パラリンピックは、ほんとうに感動する。たとえ、メダルがとれなかった選手にも、心を動かされ、これまでの苦労に想いをいたし、よくやった!と心からの労いの気持ちが湧く。パラスポーツの競技を観ると、私はいつも、自分の苦しみが小さなことに気がつく。彼らから、勇気をもらう。そして、彼らの中に人間の尊厳をみる。今回のパラリンピックで、以前よりも障害者スポーツに対する注目度があがった。これがもっともっと進んでほしい。報償金ももっとアップしてほしいし、国民栄誉賞だって、受賞してもらいたい。少しでも、国民の啓蒙につながってほしい。障がいのある方のスポーツはとにかくお金がかかる。一人一人の障がいにあった補助具が必要。用具も高い。移動も健常者よりもずっと大変だ。用具や補助具を積んでの移動は、誰かにお願いしなくてはならないとか、自分で車の運転をしようと思うと、車を改造しなくてはならない。練習場も、遠い。仮に近くても、他の人が練習しない時間帯を使うことになる。車椅子テニスの国枝慎吾選手の練習コートでは、彼のために、駐車場係の人が、冬でも毎朝5時には駐車場を開け、準備をしてくれたそうだ。国枝選手は、「自分のメダルは、自分でとったものではない。自分を毎日、何年間も、休まず支えてくれた人がもたらせてくれたものだ」とスピーチした。パラスポーツの選手達の気持ちを代弁していると思う。そうしたことを、私達皆が、もっと知ろう。そして拡散しよう。私達は、いつ障がいを持つことになるか、病気になるかわからない。そして、老人になるのだ。彼らは明日の自分なのだ。そうした時に生きやすい社会が、成熟した社会なのだから、そうした社会を目指そう。パラアスリート達が、せっかくメッセージを送ってくれているのだから。政治家の方々に、お願いしたい。東京オリンピックとパラリンピックのための、民間基金を誰か作ってくれないか。そうやって、国民皆のために働くと、知名度は上がり、選挙で票集めの心配はなくなる。選挙資金も要らなくなる。票の確保ができるでしょう。国会でテレビ映りの時間が欲しいなんて、言わなくともすみます。(ショコラさん)私が障害を持つ人たちと関わりながら仕事をしていたのは、もう25年以上も前のことだ。その頃、「ノーマライゼーション」の考え方を啓発しようという動きがあり、車いすの人や聴覚障がい者、視覚障がい者の人たちと話し合ったり共に活動した経験がある。その中のお一人に、車いすマラソンに取り組んでいる人がいた。はっきり記憶してはいないが、まだ車いすでのマラソン大会もあまりなかったと思う。多分、国際障がい者年を記念して九州で「車いすマラソン大会」が開催されるようになり、それが唯一車いすでのマラソン大会だったはずで、彼はそれに出場し全国の車いすアスリートと交流していたと思う。そして、ぜひ北海道でも車いすで出場できるマラソン大会を開催してほしいと、仲間たちと活動していたように記憶している。その頃、日本ではマラソンを含むスポーツ用の車いすを販売してはおらず、彼はアメリカから購入していると言っていた。そのように、車いすでも義足でも義手でも、スポーツをするための補助具や車いすを手に入れるのは大変なところから、日本のパラスポーツは始まっている。また、車いす利用者には排泄や内臓の病気で問題を抱えている人も多い。体に負担をかけ続けているので、二次的な身体問題だってある。単に手足が動かないだけというわけではないのだ。移動用の車椅子とマラソン用の車椅子を積んで、車いす用に改造したワゴン車を運転して、彼はあちこちと走り回わり、その傍らにはいつも笑顔の奥さんがいた。「自分の姿を見て、多くの障害を持つ人たちが勇気を持ち、一歩踏み出してほしい」とも言っていた。彼は私たちの、そして障害を持つ人たちのオピニオンリーダーだったと思う。彼に学んだことは本当にたくさんあるし、その勇気と努力にも教えられることばかりだった。私が出会った時の彼はすでにそのような存在だったが、20代で仕事中の事故で大けがをして下半身マヒになってからの道のりは、言葉には表せないものがあったはずだ。だからこそ、彼は自分が車いすで走り回ることで、多くの仲間達にエールを送っていたのだと思う。もちろん、障がい者スポーツがもっと一般的になることが彼の願いだったことは言うまでもない。彼とは一緒に色々な仕事をさせていただいた。そのことについてはいつか書いてみたいとは思うが、彼を通して出会った様々な障害を持つ人たちと出会い、その生活の過酷さや世間の偏見の厳しさを実感もした。退職してからは、一緒に活動する機会はなくなり、今では年賀状のやりとりくらいの付き合いになってしまったけれど、彼の努力は現在のパラスポーツに間違いなくつながっていると思う。しかしそれが、彼が当時期待していたものになっているかどうかは、聞いてみなければわからない。ショコラさんのコメントに紹介されていたものを、ここにご紹介します。スロバキアの大回転のヘンリエッタ選手
2018年03月23日
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私には悪い癖が色々あるのだが、子どもの頃からの筋金入りの悪い癖は…。やらなければならないことが迫ると、好きな「本や文字を読みたくなる」こと。この場合の「やらなければならないこと」は、やりたいことではないのは当然のことだ。子ども時代では、テストの勉強やお手伝い、などかな…。大人になってからは、家事や子どもの世話など。仕事をしている時には、持ち帰り残業のようなもの。さすがに職場では、いくら嫌な仕事が押していても本の誘惑には負けなかったけれど。退職してボランティア活動などに関わるようになってからは、会報作りや提出書類づくり、関係機関との調整のために役所に行くことなど、期限がぎりぎりになるまで誘惑との攻防戦だ。そして今は、夏に実施する行事に関する準備と、それに合わせて作成予定の記念誌づくりの作業。まだ期限ぎりぎりではないので、先延ばししたい誘惑と綱引き状態。これではイカンとパソコンに向かうのだが結局、こんなことやってる。つまり、本の誘惑を振り切っても、最近は作業のためにパソコンを開くと、ついついネット記事など見てしまうのだ。さ、もうこれでオシマイにして、助成申請のために必要な書類などを作ることにしよう。
2018年03月07日
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町内で同じ班のご主人が、一週間前に亡くなられたと聞いた。「どこか悪いとは聞いてなかったけど…」と驚きながらお悔やみに行ったのだが、いわゆる突然死ということだったそうだ。入浴してから何も言わずソファーに横になり、奥さんが声をかけても反応がないので、驚いて救急車を呼び、病院で亡くなられたそうだ。75歳であった。苦しそうな様子もなく、同じ部屋にいた奥さんも気が付かなかったのだから、声を上げる間もなく意識を失ったのだろう。家族葬であり、同じ班内の人にも知らせなかったという。でも、お悔やみに行った私の顔を見るなり、「奥さんには知らせようかと迷ったんだけど。…ごめんねー」が最初の言葉だった。お線香をあげてから亡くなられた時のことをお聞きしたのだが、「私がそばにいて気付かなくて…。なんだか私のせいで死んでしまったような気がする」という。そんなはずもないし、そんなことを考えなくてもいいのだが、やはりそう思ってしまうのかととても気の毒になってしまった。二人だけの時にそのような状態になったら、まず救急車だろう。救急車を呼べば色々と説明することもあるし、もしも心臓マッサージの技術があったとしても、二つ同時には不可能だ。それなのに、身内の人から「すぐに心臓マッサージをしていたら…」などと言われてしまったとか。もーう、どうしてそんなこと言えるかなあ…。まあ、その人もあまりにも突然でパニックになってしまったのしれない。そんなことを話して慰めたり励ましたりしたのだけど、もしも私がそのようなことになったら、どうするのかと考えてしまった。それでも、苦しみがなかったことは奥さんとしても救いだったようだし、一日も入院したことがないというご主人だったそうで、ある意味見事な死でもある。うん、そのような死に方ならいつでもいいかもしれない。突然大黒柱を失った奥さんには言えないけれど、そんなことを思ってしまった。帰宅してから夫にその話をすると、「それは良かったなー、羨ましいな」とのこと。同年齢で、元気ではあるが少しずつ自分の老いを感じつつある夫は、それが正直な気持ちだと思う。いずれにせよ、入浴中にはまさか一時間後に自分の死が迫っているなんて考えもしなかっただろう。自分の死は、いつでもある日突然なのかもしれない。
2018年02月28日
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こんな記事を見つけた。眞子さまはなぜ自由に結婚できないのか? 「非戸籍の日本人」の苦悩 井戸 まさえ一読して、うーんとうなってしまった。象徴=シンボルに人権は無用ってことか。憲法等を改正するなら、こちらの方が重要なのではないか?日本の無戸籍者 (岩波新書) 新書 井戸まさえ著
2018年02月08日
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町内の商店の奥様が亡くなったとの連絡が入った。一月一日に倒れて救急車で運ばれたとは聞いていたが、それほど重篤だったとは…。まだ57歳なのに、ご家族もご本人もどれだけ無念なことだろう。以前に町内会の役員を一緒にやったことや、町内行事に参加していた時の笑顔が目に浮かぶ。とにかく、心からご冥福を祈るばかりだ。
2018年01月18日
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昨年の12月に書いた「80日間日本一周 フーテンすってんてん」飛鳥童 のブログに著者の飛鳥童さんからのコメントをいただいたことは驚いたし、とても嬉しかった。飛鳥さんと、この本を教えてくれた旧友Kさんとは知り合いだったので、私のブログにコメントを下さったのだ。そのことで、飛鳥さんやKさんからもメールをいただいたりして、色々と考えることがあったのでそれをブログに書こうと思う。私はブログの中で「ちょっと面白かったのは、彼がこの本の中で60代くらいの男性を「おじいさん」と書いていること。確かに、私も20代の頃には60代の人たちは「おじいさん、おばあさん」と思っていた。現在の飛鳥さんは、すでに70代だろう。自分が「おじいさん」と呼ばれる年齢という自覚あるかな?(^m^ )クスッ」と書いている。飛鳥さんも、コメントの中で「実は私自身も出版社から復刻本のお話しを頂いた際、44年振りに再読しましたが、旅先で出会った60代の方達に「おじいさん」「おばあさん」と表現していた事に“はっ”としました。ブログでも触れておられる通り、私が逆の立場ならばどうだろう!?たぶん「このやろう!」と怒ったに違いなく、手直しも考えましたが当時の平均寿命や時代背景が今とはかなり異なっているので、ま、いいかな!と、初版本には余り手を加えたくなかったのでそのままにしました。」とお書きになっている。確かに、私自身も20代の頃は60代の人を見たら「おじいさん、おばあさん」と感じていたし、今はその頃とは格段に平均寿命も延びているし、定年後も働く人も増えているから、老けこんではいられない状況だ。私自身、「人生二毛作」と考えているので、「60代は何かスタートするには遅すぎることはない」と思っている。つまり、あまり老人の自覚はなかったのだ。定年になって「これからが青春」という人だっているし、それもまたよしだろう。だから、飛鳥さんのコメントにも違和感はないし、大多数の同世代の人はそう感じるだろうとも思う。しかし、ちょっと天邪鬼な私はふと思ったのだ。私たちは、少し若さに価値を置きすぎているのではないのか…と。最近時々、高齢者が元気で「若いもんには負けない」と張り合ってどうする、と思うことがある。そんな時、心理的には必ず「今の若い人は…」というニュアンスが付きまとうからなおさらだ。それがすでに「老人の証拠なのに」と思う。また、年金支給年齢が引き上げられているから仕方がないけれど、定年後の再雇用も増加して、若い人たちの働く場所を侵食しているんじゃないかと感じることも多い。それでは、若い人たちが仕事の中で学ぶ機会を奪うことにも通じるのではないか。また、特に女性は「若さを保つのに必死」のように感じることがある。時々、娘と洋服を共有したりペアルックのようにして、姉妹と間違うような人がいるのだが、私の娘時代には考えられないことだったと思う。もちろん、若々しいことは悪いことではないし、私も年齢より老けて見られたらうれしくはない。また、同級生であまりにも老けて見える人に出会うと、心配にもなる。それは、年齢以上に老けて見えるということは、精神的・身体的にどこか不健康なことが多いからだ。また、年齢のせいにして前向きな心を失ったような人には、やはりがっかりもする。それを踏まえて思うのだ。やはり高齢者(老人)は、ちゃんと「老人らしく」した方が良いのではないかと。老人には老人でなくてはできない仕事があると思うからだ。私の考える老人の大切な仕事は、若い人を励ましたり応援したり、また長い時間の中で学んできた知恵を伝えることではないかと。同時に、若い頃には子育てや仕事で様々な人に支えてもらったりしてきたはずだから、その恩返しのためにも、少しは「私」の充実だけではなく、地域や他者への協力の活動を心がけたい。そのためには、「若いもんには負けない」という張り合う態度ではなく、若い人ができることは若い人に任せて、高齢者でなくてはできないことを探すことだと思っている。簡単なことでは、電車で若い人から席を譲られたら、たとえ立っていることが自分の健康のためであっても「ありがとう。助かります」とお礼を言って、素直に譲られることだ。「失礼な、ワシは年寄りじゃない!」と怒ったりするなんて、老人の風上に置けないと思う。「ありがとう」「お互いさま」は、老人がふんだんに使いながら若い人に伝える言葉ではないかと思う。年を取ると、勘違いや物忘れが増えてくる。それぞれにその対処法に苦労しているだろうし、私もそうなのだけれど、それに言い訳をしたり責任転嫁をするのは、やはり老人がすることではないだろう。これはなかなか難しいと自分でも思っていることなのだが、もしも迷惑をかけたり、相手に失礼なことになったりしたら、とにかく最初は「ごめんなさい」だ。私は今までの数々の失敗の中で、本気で心から謝ってその時できる限りのことをしたら、必ず助けてくれる人がいたし、何とかなってきた。それを態度で(時には補足として言葉でも)伝えやすいのは、失敗や勘違いが増える老人ではないだろうか。私としては、若い人に「おばあちゃん」と呼ばれた時には、「ハイハイ」と笑顔で応じられるおばあちゃんになりたい。こう書いていて、すでにあちらの世界に行っている遺族会で出会った人を思い出している。戦争でご主人を亡くして苦労をされたと思うけれど、いつもニコニコして「ありがとう、ありがとう」が口癖だった。若い頃には、内心で「ありがとうの大盤振る舞いだな」と失礼なことを感じたこともあったけれど、今はその素晴らしさが心に沁みる。そう感じられるようになったということは、私も少し「老人力」がついてきているかな。でも、あのおばさんの足元にも及ばない。まだまだ修行が必要のようだ。さて、私の理想の老人像は飛鳥さんのおかげで少しまとまってきたけれど、どのようなおばあちゃんに見られているのかはわかりません。ひょっとすると、「あんな天邪鬼な年寄りにはなりたくない」と思われているかも。理想と現実とは違うものなのです。
2018年01月07日
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私の最高齢の従妹が、体調を崩してから一か月で亡くなった。従妹と言っても私の母と同年齢の92歳。母の長姉の娘であり、母と同じ年に生まれたのだが、母とは叔母と姪の関係だ。子どもが多かった昔は、そんなことも珍しくなかったのかもしれない。同じ年齢で同じ地域に住み、同じ小学校→高等小学校で同級生だったから、母と故人(私たちはおばさんと呼んでいたので、これからは「おばさん」と表記する)は、色々な点で比較されながら育ったようである。おばさんは成長が少し遅めの子だったようで、母は同じ年ではあるけれど妹のように世話を焼き、私たちから見ても「妹分」というような接し方をしていた。つまり、ある時期までは母の方が優位に立ち、おばさんは母を立てながら接していた。だから、母は自分の方がすべてにおいて能力が高いと信じていたしそれがひそかな誇りだったようだが、高齢になってからは、様相が変化してきていた。母とは反対に、自分はみんなの世話になりながら生きてきたという感謝の思いや変なプライドとは一切縁がなく、人の話をよく聞き、明るく苦労も笑い飛ばし、ご主人を「私の旦那さんは世界一」とほめちぎり、好奇心のままになんでもやってみるし、そんな中で趣味も広がり仲間も増え、みんなに愛されるようになっていったようだ。いつものことだが、葬儀では故人のエピソードや人柄を初めて知ることが多い。おばさんとはしょっちゅう顔を合わせていたけれど、自分のことを話すよりも母の話を聞いてくれる人だったし、母はずっと妹分のように接していたので、私たちはおばさんの能力の高さを知る機会がなかったのだ。(しかし、私たち姉妹は「おばさんって賢い人だ」と感じていた)子ども時代には、早熟の子と晩熟の子がいるし、個性によってはそれが能力差にも見えることがある。今でいえば「発達障害傾向」の個性を持っていたら、なおさらである。しかし、発達障害傾向は成長につれて影を潜め、それがとても素晴らしい個性として花開くことがある。母は早熟だったようなので、子ども時代から青春時代まではそれを能力の高さと勘違いしたまま大人になったように思う。反対におばさんは、自分の能力が低いと思い込むところから始まったので、教えてもらったり助けられることは恥ずかしくもなく、それに対して「ありがとう」が口癖となり、自分よりできることがある人には賞賛を惜しまず、さらにそれを好奇心とセットにして色々なことにチャレンジができた。だから、お友達の輪も広がり、晩年は本当に楽しそうに日々を過ごしていたと思う。つくずく思う、人生はオセロゲームかもしれないと。不利になったと感じていても、ちょっとしたことで一気に状況は変化して、思いがけない結果をもたらすことにもなる。実はおばさんは、老人クラブではオセロゲームがとても強かったのだという。今までの私は、人生はトランプゲームかもしれないと思ってきたが、これからはオセロゲームも人生の例えにしようかと思う。おばさん、ずっと母に優しくしてくれたこと忘れません。「あんたの母さんには、小さい頃はお世話になったんだよ」とよく話してくれたのですが、92年間を通してよりお世話になっていたのは母なのだろうと思います。本当にお世話になりました。ありがとうございました。どうぞゆっくりとお休みくださいね。探したら「人生はトランプゲーム」と以前のブログで書いてました。
2017年12月23日
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今日こそ完了と決意して、年賀状を書いている。住所録はパソコンで作成しているのだから、宛名もパソコン印刷したら楽なのだけど、年に一度のご挨拶の人も多いので、頑張って手書きしている。年々「喪中」の人が増えているのは仕方がないのだが、今年は同世代の友人に配偶者が亡くなった人も二人いる。そんな年になっているのだと改めて思う。とにかく、今日中に書き上げることが目標です。
2017年12月19日
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雪がドーンと降り、そのあと降らなくてもいい雨が降り、グーンと冷え込み、道路はズルズル・ツルツルである。午前中はやらなきゃならない文書作成作業や、届け物のお礼状などを書いていて、さきほどそれをポストに投函してきた。想像はしていたが、路面の状態は高齢者にはとても怖い・怖いである。毎年のように知人の誰かが「転倒→骨折」の悲劇にあっているので、この師走にそんなことになってはならじと、注意深く注意深くソロソロと歩く。こんな時には、玄関先の最後の一歩まで気を抜いてはいけないのだ。北国のみなさま、どうぞお気をつけてください。
2017年12月13日
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この数日、息子たちの畑のある地域は大雪に見舞われている。まだ剪定作業などの畑の後始末が残っているので、私たちも手伝いに行こうかと思っていたのだが、「自分たちで何とかするから、来なくて大丈夫」と断られてしまった。やはり私たちは高齢者なので、手伝ってもらって体調を崩されたら大変だと思うらしい。ということで、私たちは心配しながらも雪の降らない地域でぬくぬくとしていた。夜になって、「作業のめどはついたのか?」と夫が電話をしたら、「仲間たちが手伝いに来てくれたので、最悪の状況は脱したから」とのこと。その分だけ来春の作業が面倒になるのだろうが、現状ではなんとかなったようでホッとする。息子たちの仲間には新規就労者が多い。さらに、そのような彼らを応援する人たちも多いようだ。だから、誰かが「SOS!」を発すると、都合のつく人たちが助っ人に行くネットワークがあるようだ。現在はSNSなどで仲間内で情報交換できるようで、その点は便利な時代だ。そのような助け合いネットワークを持っている彼らを頼もしく思うし、本当にありがたいことだと思う。昨今は、色々な理由で人と接するのが怖くなって孤立したり、さらにはひきこもる若者たちも増えている。そこまで至るには相当の傷つき体験や、求めても拒否されたりする経験が積み重なっているのだろう。その傷を抱えたままで生きることは、本当に辛く困難があると思うのだが、人間は決して捨てたものではないとも思う。困った時には助け合おうとするDNAは、きっと日本人の体の中に生きていると信じたい。ただ、「仲間なら助け合おう」という排他的なものもくっついているので、そこが難しいところだ。ともあれ、息子たちは助け合える仲間に恵まれているようで、本当にありがたいことだと思うし、自分たちの宝物として大切にしていってほしいと願う。
2017年12月02日
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関西に住む旧友から、久しぶりの電話があった。彼女は、私が4年生の時に関西から転校してきて、私のクラスメイトとなった。転校してきて直後に声をかけられ、積極的な彼女に引きずられるように友達になり、これまで色々なことはあったけれど、現在まで友達関係が続いている。最近は、年賀状のやりとりと時々のメールなどの付き合いが続いており、直接電話がくることは珍しくなっている。だから、携帯が鳴り声を聞いたときに、私が発した第一声は「あ、お久しぶり…。何かあったの?」であった。「うん、まあね。今月初めに母が亡くなったの…」ということだった。彼女は一人っ子だった。そのせいもあるのだろう、時々下校途中にある彼女の家に立ち寄った時、お母さんと彼女がとても仲良くて友達のようで、私は自分の母親と比べて少し羨ましかった。それに、二人の顔はとても似ていて、さらに性格も似ているようだった。(それは、成長してくるにつれて感じてきたことで、大人になるとさらに似てきたように感じてきた)以前のブログにも書いたことがあるが、当時の私はおとなしく目立たない子だったと思う。本が友達のような、みんなとワイワイ遊ぶことが苦手な子だったと思うが、本ばかり読んでいるせいか勉強はそこそこできていたようで、いつも何かの委員を押し付けられていたように思う。それも、言われたことを真面目にやっているだけの委員だったと思う。そんな私に、明るくて私から見たら「太陽の下で輝くひまわり」のような彼女が、私に「ねえ、友達にならん?」と声をかけてくれたとき、私はとても嬉しかった。なぜ?と少し不思議ではあったが、自分が認められたような気がしたのは、仕方がないだろう。もちろん、私は自分から転校生に声をかけるような勇気は持ち合わせていなかったが、誘われて断るような勇気もない子どもだった。ずっと不思議だった。なぜなら、彼女は私以外にもたくさん友達がいたからだ。転校してきたという不安などは私にはまったく感じられず、色々な人に積極的に声をかけていたし、勉強もできたしスポーツも得意な少女だったからだ。私とは全く違うタイプの彼女にあこがれを抱きながら、そんな彼女に声をかけてもらったことが嬉しかった。色々あった…、と先に書いたが、私はいつも彼女に引きずられているような関係だった。後に中学時代に転校してきた友とは少し違うが、彼女の言葉や態度に傷つくことも時々あった。だから私は、ずっと付き合いながらも彼女を「親友」とは本音では感じられないままだった。中学二年生の途中で彼女が転校した時、「文通しようね」と言ったのは彼女だったと思う。手紙を書くことは私は好きだったので、もちろん文通は続いた。やがて札幌の進学高校に進み、やがて関西に転居し、国立大学を卒業し、有名企業に就職し、結婚し専業主婦となり、両親と同居して子育てをしてきた。その過程で、私は「友達関係のように仲の良い母と子」というだけではない彼女の母子関係を知る。彼女のお母さんは、大切な有能な娘のために、自分のできる限りのことをしようとする母親だった。進学や就職に親のアドバイスがあることは普通かもしれないが、友達関係や恋愛、結婚に至るまで、お母さんは彼女にアドバイスをし続けたのだ。そして彼女も、そんな母親を多少は鬱陶しく感じながらも、「私のために言っている」と思う娘だった。しかし、はっきり言って「共依存関係」のような状況は、娘の心に様々な歪みももたらす。自分の状況に違和感を覚えるようになった彼女は、若い頃にはカルト系の宗教にはまったり、幸いなことにそこから脱してからは、「カウンセリング」を受けたり自分でも勉強するようになった。元々優秀な頭脳を持つ彼女は、自分と母との関係にも客観的な整理をするようになり、私も心理学や精神医学の知識を持つにつれ、彼女や自分自身の母子関係を見つめることになってきた。時々の再会や電話などの時には、結構そんな話をすることが多く、母親の愚痴を言いあい「私たちは、母親のようにはならないようにしようね」が合言葉のようだった。そんなやりとりの中で、私がとてもショックだったことがある。四年生の時に転校してきた彼女が私に声をかけたのは、お母さんの指示だったのだという。なんでも、転校してきたときにお母さんが担任の先生に聞いたのだという。「うちの子が、このクラスで友達になったら良い子は誰ですか?」と。するとその時の担任が「みらい(私のこと)がいいでしょう」と言ったそうだ。それを聞いたお母さんが、「みらいちゃんと友達になりなさい」と言ったのだそうだ。彼女はその話を、笑いながらアッケラカンと話した。その時の私は、あまりのショックに言葉もなかった。私は彼女に好かれて声をかけられたわけではない。あの、学校時代を通じて一番嫌いだった先生にそんなこと言われていた。その担任教師はえこひいきをする教師で、私は「先生のメンコ」と言われていたし、今では信じられないことであるが、テストの〇付けを手伝わされたこともある。だから、ダブルでショックだったのだ。それでも、その後の付き合いの中で私は彼女と友達になってきているし、今更それを恨むわけではない。小学四年生だもの、母親が「あの子と友達になりなさい」と言われたら、彼女も当然そうするだろう。どちらかというと友達の少ない私は、そのおかげでクラスメイトと友達でいられた面もある。私は、結婚を機に母親の支配や束縛からの脱出を図ることができた。しかし彼女は、一人っ子であることもあり、それがなかなかできないようだった。90代後半になっていたおばさん(これ以降、彼女の母をそう書く)は、転倒のけがや栄養失調などで何度も入退院を繰り返していたのだが、やがて食事がとれなくなり、入院して老衰死だったらしい。彼女の電話はその知らせだったのだが、「あれで良かったのかと後悔がある」という。何が後悔かと聞くと、食事をとれなくなったのだが、点滴などでの栄養補給をしなかったことらしい。「点滴はいらない」とおばさんが言うのでそうしたのだが、それで良かったのかと。私は少し驚きながら、「良かったに決まってるじゃない! 最後まで自分の意志を通したのだから、 おばさんも本望だし、あなたに感謝してるに決まっているよ」と本音で叫んだ。なのに彼女は、「そういってもらえたら少し気が楽になるけど…」という。その後色々話して、彼女が「そうだよね、もう枯れる時期だったのだもんね」との言葉で電話を切った。その後色々と考えてしまった。彼女はなぜ、「あれで良かったのだろうか」と思うのだろうと。もちろん、大切な人が亡くなった時には「ああすれば、こうしたらなら…」と思うことはわかる。しかし、彼女の場合は少し違うような気がするのだ。そして、ハッと思ったことがある。「彼女は、おばさんの直接の指示と承認や、感謝の言葉がなかったからモヤモヤしているのかも」。おばさんは生涯娘にアドバイスをし続けて、娘がその通りにすると「だから言ったでしょ。私の言うことを聞けば間違いない」と信じる人だった。こう書いていて思い出すことがある。随分以前のことだったが、私が所要で関西に行った時、おばさんは何かの病気で入院中だった。だから、彼女と一緒にお見舞いに行った時、おばさんは私に向かって言ったのだ。「みらいちゃん、ずっとこの子の友達でいてちょうだいね。 この子には姉妹がいないから、私に何かあった時には相談に乗ってやってね」と言いながら涙を流したのである。病気で気が弱くなっているのだろうとは思ったが、ふと傍の彼女を見ると、一緒に涙ぐんでいる。(決して命に関わる病気ではなかったと思う)私はとても戸惑い、一緒に泣くこともできず、(そんなこと言われても、何かあっても北海道と関西では…)と思いつつ、モゴモゴと返事をしたと思う。私が電話で言った言葉、「本当に長い間よく頑張ったね。十分親孝行したししっかり看取ったのだから、本当に立派だよ」は、私の本心である。そしてこの二人の関係は、やはり見事ということなのかもしれない。できれば、今までやりたくても出来なかったことがあったなら、それをやってほしいと思っている。とにかく、おばさんのご冥福を心から祈ろうと思う。
2017年11月30日
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仲良くしてもらうために、迎合やヨイショなど太鼓持ちのような態度は嫌になる。それに、嫌われたくないがために相手の言いなりに物をあげたり金を出したりは、イジメの構造と同じじゃないか。イジメの場合、イジメた相手は「そんなつもりじゃなかった」「イヤならイヤと言えばいいのに」と言うのが常。また、どこかを訪問する時にはお土産持参が日本の常識だけど、外国ではまた違うのかもしれない。訪問された側がお土産を渡すのが常識の国もあるのかも。不快な数日がやっと終わったよ。
2017年11月08日
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10月18日(水) 子育て支援関係ボランティア団体の例会。 11月のイベントの役割分担や打ち合わせ。19日(木) 札幌学院大学の講座の一日目。いつも一緒に参加するTさんとランチ後受講。20日(金) ブログ仲間であるK-nanaさんのブログで知った「親への手紙全国ツアーin札幌」に参加。 児童虐待に関心を持つ仲間であるIさんと参加する。 様々なことを感じたり考えさせられた講演会であった。21日(土) 息子のブドウ畑の手伝い。 帰宅したら、従兄の奥さんの訃報を知る。 従兄が三日間仕事で留守にしていた時の初日に脳出血で死亡し、帰宅した従兄が発見。 自宅で一人で亡くなり、約三日間発見されなかったとのことで、 取り調べや検視が長引いたという。 あまりのことに言葉もない。23日(月) 台風の影響で北海道は雪が降るという最悪な天候の中、従兄の奥さんの葬儀に向かう。 同じような時間に前川喜平さんの講演があり、当初は行く予定だったのだがそちらは諦める。 従兄の憔悴しきった姿に言葉がなかった。24日(火) 歯科医へ。 ぐらついていた歯を抜歯されるかもと思っておびえていたが、執行取りやめでホッ。25日(水) 息子たちのブドウ畑の収穫。予定以上の収量があったそうで、良かった良かった。ということで、今日はこれから札幌学院講座の二回目にこれからでかける。
2017年10月26日
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㋈26日札幌の中村屋旅館で、TさんとIさんの3人で久しぶりのランチ。実は、Tさんの精神状態があまり良くないようなので、心配になり会うことにしたのだ。どうしても息子さんが亡くなった季節になると、気持ちの上下動が激しくなるようなのだ。何とかこの季節を乗り越えてほしいと願う。私たちと話をする時には笑顔も見られるし、食欲もあるようなのだが…。27日代表をしている会のポスターの件で、担当メンバーと色々とやりとり。何とか間に合いそうでホッとする。29日世話人をしている会の例会日。初参加の人が二人で、ちょっと気や頭を使ってしまう。最近は、課題が複雑化している家族が増えているような気がする。私たちは簡単に「普通でいい」というけれど、普通って何だろうと思う。重複する悩みを抱えているのが普通と言って良いのではないか。だとすれば、「のんびり日々を過ごせる」ということは、本当にありがたいことなのだと肝に銘じなくては。夜、長男が所要のためにやってきて、一泊する。30日息子のブドウ畑の手伝い。収穫まであと半月くらいなので、一房一房のカビが生えたり未熟な粒のお掃除作業。疲れる仕事ではないのだが、結構肩が凝ってしまう。農業は本当に大変である。
2017年10月01日
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今まで小池さんについては、同じ女性でもあるしその度胸の良さや決断力、行動力はたいしたものだと思っていた。どちらかというと「好意的に期待していた」かもしれない。しかし、都知事選の時のことや今回のことを考えたら、ひょっとするとこの人、トランプ氏と通ずる気質なのかもしれないと感じている。敵を作り、批判を受け、人を傷つけても痛みを感じないというか、周囲が右往左往したり困惑したら、むしろ快感を覚える気質ではないか。だったら、本当に怖いなあ…。
2017年10月01日
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9月17日 町内会清掃日。いつものことであるが、協力する人の顔ぶれは同じ。 短時間なのだから、ちょっと出たら住みやすくなるのに。 9月20日 ⚪️⚪️会例会 。 9月21日 町内会花壇の除草。 以前協力してくれていた人が随分少なくなっている。年月を感じる。その後、伊達方面へ。 9月22日 久しぶりに、午後からlさんとおしゃべり。価値観や関心が共通する人と話すのは楽しい。 数日前から気になってメールしていた人から、やっと返信あり。ホッとする。 やはり、根拠のない胸騒ぎではなかった。 9月23日 蕎麦の脱穀。雨雲を見上げながら、3時に終了。唐箕作業まではできず。 妹が一泊旅行のため、実家で泊まる。 以上、iPadで。時間かかるし、疲れるな😕
2017年09月24日
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・トランプさんと安倍さんは何を話しているのやら… 会談と言っているけれど、何をお願いしているのかと勘ぐってしまう。 ・ミサイル、ミサイルって、それしか重大ニュースはないの 特にミサイルの性能なんかについて解説されても、私なんかわかりゃしない。 ミサイルでめくらましされているんじゃって、勘ぐってしまう。 そういえば、加計学園のことはどうなったんだろう。・裕次郎記念館、26年で閉館 行こうと思えばいつでも行けたけど、行こうと思わぬまま終わってしまった。 それに後悔もないけれど、あの建物これからどうなるんだろう。 何か有効活用できればいいんだけど。・明日は9月1日 本州では明日から新学期のようだ。 この日が児童・生徒が自殺することが多い日だということは知られてきたようで、 今日はテレビでもそのことが取り上げられていた。 「学校に行きたくない人たちへ」 9月1日前に、大人たちからのメッセージ続々 学校は死にたくなるような気持ちを耐えてまで行かなくてはならない場所ではない。 自分の心や体を守るために休む権利はあります。 学校に行くことは子供たちの義務ではない。 学校時代にひどいいじめで傷つき、そのPTSDで苦しみ続け、 ついに自殺したK君の命日でもある。 心からご冥福を祈りたい。 そして、明日がそんな悲しい日とならないようにと祈る。
2017年08月31日
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忘れっぽくなってしまって、携帯のカレンダーに予定を入れてなかったものは、昨日のことでも忘れてしまう。やっぱりちょっとした日記は必要かなと思うことも多々あるが、まあ忘れてしまうことは大したことではないとも思うし…。今ではこのブログが日記替わりでもあるので、ちょっとメモしておこう。8月25日(金)世話人をしている会の例会日。いつも一緒に活動するもう一人の世話人がお休みだったため、ちょっと疲れた一日。 8月26日(土) 前日の話でまとめなくてはいけない作業があり、整理する。最近はあまり文書作成作業をしていなかったのたけど、私って結構このような作業好きなのかも。ちょっとだけ、「私、まだ大丈夫かも」と思ったりして。このところ忘れっぽくなっているような気がすることがあり、ちょっと自信なくなっていたけど、これで多少自信回復。 図書館にリクエストしていた本が貸し出し可能のメールが届いたが、実は先日借りた本をまだ読み終えておらず、2~3日で読み終えなきゃと焦る。8月27日(日) 昨日作成した文書について、仲間と確認作業。 それに関するあれこれをおしゃべりして、多少ストレス解消も。 気の合う人と話すのは、本当に楽しい。 夜、長男が市内のイベントのためにやってきて、我が家に泊まる。8月28日(月)朝、息子の車で一緒に家を出て、 久しぶりに息子の畑の手伝い。風もあり涼しい一日で、作業も楽だった。ただ、作業はスクワットのような姿勢を繰り返す姿勢が多く、長時間続けたら膝にくるかも。終了後にちょっとしたイベントがあり、久しぶりに会う人たちもいて、息子たちがこのような人たちと協力し合っていることに感謝する。色々と苦労はあるだろうが、きっと何とかなるだろう。別用で出かけていた夫が、夕方迎えに来てくれて帰宅。夕食はすぐに食べることができる「すき家」の牛丼。8月30日(火)朝、6時ころ、北朝鮮からのミサイル発射通報の携帯が鳴り響き、ちょっとしてからサイレンや防災無線も鳴り響き、朝から恐怖感をあおる一日だった。朝のテレビもその話題一色で、なんだか政府もメディアも不安を煽っているようで不快であった。政府が緊張感を持つことは大切だと思うけど、この空気は何なんだ?午前中は、所属するボランティア団体の代表として、行政・指定管理者・ボランティア団体との意見交換会に出席。顔なじみの人が多いわけだが、「ざっくばらんの茶話会形式」のせいかどうかはわからないが、ある人からちょっとびっくりするような発言が飛び出して引いてしまう。どんなことがあろうとも、個人に恥をかかせるようなことをしてはいけない。私はその人達を知っているので、「ここまで言うか❕」と驚いた程度だが、知らない人はもっと驚いたことだろう。その後は何となく気まずい雰囲気がただよい、これじゃまずすぎると、ひょっとすると新たな槍が飛んでくるかもと少しビビりながら、ちょっとフォロー発言をしてしまった。新たな槍は飛ばずホッとする。しかし、私はこの会のおかげで、提出しなくてはならなかった書類をすっかり失念していたことに気付く。ものすごく慌てたし、完全に忘れていた自分にまたまた自信喪失だったが、きっと私には守護神がついているのだろう。ギリギリセーフで間に合うことだったので、帰宅してから必死に作成。それをメールで送信してホッと一息。 と、その時新たなメールが。これがものすごく重い内容で、さてどのように返信しようかと悩みながらその後の時間を過ごす。それでも何とか返信はしたが、大丈夫かなあ…。 ということで、結構バタバタした数日の備忘録でした。記録のために、北朝鮮ミサイルの北海道新聞記事を載せておこう。北朝鮮ミサイル「避難どこに」 地下に走る人も08/30 05:00 北海道新聞 初めて事前予告なしに日本上空を通過した北朝鮮の弾道ミサイル。政府の全国瞬時警報システム(Jアラート)情報に従い、地下鉄の駅などに避難した道民もいたが「どこに逃げたら良いのか分からない」との声も多かった。緊急事態に住民はどう身を守ればいいのか。 「ミサイル発射。頑丈な建物や地下に避難して下さい」―。29日午前6時2分、日高管内えりも町の主婦(75)の携帯電話がけたたましく鳴り、1通のメッセージを受信した。 「逃げるって一体どこへ」。女性は不安を抱えながらも1時間以上、テレビのニュースを見続け「海に落ちた」との続報を何度も確認し胸をなで下ろした。「まさか、えりもの上空を通るとは。どこに行けばいいのかも分からなかった」 政府は緊急事態情報が伝えられたら、爆風や破片を避けるため、屋外から頑丈な建物や地下への避難が有効としている。近くに建物がなければ物陰に身を隠すか地面に伏せて頭部を守る、屋内にいれば窓から離れるか、窓のない部屋に移ることを呼び掛けている。 札幌市白石区のアルバイト斎藤大樹さん(25)はJアラートに跳び起き、6分後には両親と車で最寄りの地下鉄東西線「南郷13丁目駅」に避難。「地下に逃げるしかないと思っていたが、いつ落ちてくるかと怖かった」。石狩や室蘭などでも市民が消防署や防災センターなどに自主避難した。 ただ道警によると、「どうしたらいいのか」「避難先が分からない」などの110番が、同日午前9時半までに全道で計95件に上った。自宅でミサイル発射を知った札幌市中央区の警備員伊藤守さん(54)は「Jアラートが鳴っても、どこにミサイルが落ちるのか見当も付かない。どうしたらいいかと不安が募るだけ」。 市民からは「避難時間の短さ」の指摘も。北朝鮮からミサイルが日本に到達するまでは10分程度とされ、29日もJアラートが発射を速報した午前6時2分からミサイルが道内上空を通過するまでは3~5分だ。 朝食の準備をしていた札幌市清田区の40代女性会社員は、スマートフォンのJアラートでミサイル発射を知った。自宅マンションは築20年以上。「ここにいては爆風でガラスが割れてしまうかも」。中学生の息子と車に飛び乗り、午前6時10分ごろには清田消防署に避難した。「どこに避難しても同じかもしれないが、とにかく安全な場所への一心だった」と振り返る。 同市中央区の職場で携帯電話でミサイル発射を知った学習塾講師の男性(38)も最寄りの地下鉄駅に走った。「発射から落下までは一瞬。頑丈な建物を見つけて避難するのは難しい」 青森中央学院大大学院の大泉光一教授(危機管理論)は「短時間での避難は難しい。政府はミサイルの飛来する地域などの情報をできる限り詳細に提供し、国民に必要以上の不安を感じさせないようにすべきだ」と語る。
2017年08月30日
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真夏日が続いて溶けそうだと思っていたのは、つい先日だったのに。 この数日は一転して、☔️⛈☁️が続いている。 今日は多分、20度にもなっていないのではないか。 毎朝、天気予報を見て着るものを考えている。 今日は当然、長袖に時々フリース。 本州では梅雨が明けたようだが、こちらは蝦夷梅雨か? 本当に近年の自然はバランスが悪すぎる。
2017年07月20日
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うだる道内10日連続真夏日 7月として20年ぶり 07/15 07:00 北海道新聞 記録的な暑さが続く道内は、14日も各地で気温が上がり、帯広市などで最高気温が36・2度に達するなど、全道173観測地点のうち11地点で35度以上の猛暑日となった。36・1度を記録した十勝管内幕別町糠内など13地点で、7月として観測史上最高を記録。道内上空にとどまっている二つの低気圧の間に向かって、暖かく湿った空気が流れ込み続け、暑さを長引かせている。 道内で最高気温が30度以上の真夏日となるのは10日連続で、札幌管区気象台によると、7月としては1997年以来20年ぶり。札幌市は34・9度、旭川市は32・9度で、ともに今年の最高気温を更新した。■熱中症31人搬送 道内では熱中症とみられる症状で救急搬送される人が相次いだ。北見市の北見工業高で生徒14人が吐き気や頭痛を訴えて病院に運ばれたほか、小樽市で4人、旭川市で3人など少なくとも計31人が救急搬送された。いずれも命に別条はないという。 気象台によると、道内の7月1~10日の平均気温は平年を3・1度上回り、1961年の統計開始以降、2013年に次いで2番目に高かった。11日以降も真夏日が続いている。 道内で厳しい暑さが続くのは、8日ごろから上空1万2千メートル付近の 偏西風 が弱まったことで、北海道の北西と北東に低気圧が停滞したため。二つの低気圧に向かって、南から暖かく湿った空気が流れ込むため、北海道上空が暖かい空気の「通り道」となっている=図=。 加えて日本列島南側の太平洋には大きく張り出した高気圧があり、暖気がさらに流れ込みやすい気圧配置となった。晴天が続き、日差しによる気温上昇も重なった。 日本気象協会 北海道支社の木村義昭 気象予報士 は「今回と似た気流や、気圧配置のパターンは過去にもあったが、今年はその度合いが強く、記録的な暑さにつながった」とみる。 ■ フェーン現象 も 北大大学院の佐藤友徳准教授(気象学)は、暖気の流入に加えて、山を越して暖かく乾いた空気が入り込み気温が上がる「フェーン現象」の影響を指摘する。14日に猛暑日となったオホーツク、十勝管内では、西寄りの風が日高山脈など山地を越えて、猛烈な暑さをもたらしたとみられるという。 気象台によると、暑さのピークは過ぎたものの、15日も猛暑日となる地点がある見込み。 16日以降は、低気圧の影響で曇りや雨の予報だが、気温は平年を上回る見通しだ。こんな猛暑が続くのは記憶にないぞ…と思ったら、20年前にもあったらしい。いやはや、私の記憶は全くあてにならないと確信した。でも言われてみれば、通信学生だった頃にスクーリングで「東京は暑い!」とゲンナリして北海道に帰ると、クーラーがないために「東京より暑い!」と思ったような気もする。ただ、スクーリングで上京しているのは八月のはずだから、その年は八月も暑かったのかな。しばらく息子の畑の手伝いに行っていないので、今日行こうかと思ったのだけど、「熱中症になったら困るから、今日はやめた方がいい」と止められた。「俺たちは徐々に暑さに慣れてきているから大丈夫だけど、お母さんは無理。想像を絶する暑さだから」とのこと。確かにね。手伝いに行って熱中症で救急車を呼ぶ事態になったら、いい迷惑だよね。明日は雨の予報なので、少しは涼しくなるだろうか。それとも、雨のせいで「蒸し暑く」なるのだろうか。
2017年07月15日
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暑い!北の大地…熱中症に注意7/8(土) 12:34配信 北海道放送北海道内は8日も暑さが続き、帯広では2日連続の猛暑日が予想されていて熱中症などに注意が必要です。 道内は8日も各地で気温が上がり、午前11時までの最高気温は十勝の浦幌町で33.5度、札幌も真夏日寸前の暑さとなっています。 7日、猛暑日の帯広はすでに33度を超え、8日も最高気温は35度の猛暑日と予想されています。 一方、オホーツク海側も遠軽町や北見などで午前中に30度を超えました。 北見の予想最高気温は34度で気象台は十勝と網走・北見・紋別、それに釧路・根室地方に高温注意情報を出し、熱中症に注意するよう呼びかけています。 札幌も最高気温が31度と予想されていて、こまめな水分補給などの対策が必要です。昨日・今日と猛烈な暑さが続いている。私の地域も、多分30℃を超えていると思う。近年はこのような暑い日も珍しくはないので、クーラーのある家も増えているかもしれないが、我が家はまだ扇風機のみ。ちょっと外に出て動くと、クラクラしてくる。私は暑さに弱いので、「クーラーがほしいな」と呟くのだが、暑さに強い夫は「こんな暑さは何日も続かない。夜になったら涼しくなるんだから」という。そりゃそうだろうけれど、この暑さ何とかしてほしいと思う。九州地方で豪雨災害に苦しんでいる人たちのことを思うと、文句を言ってはいけないとは思うのだが…。
2017年07月08日
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九州地方は豪雨での災害で大変なのだが、こちらは昨日から猛暑である。昨日は庭木の剪定や除草作業を夫と二人でしたのだが、途中で熱中症気味になって私はリタイア。一度そのような状態になるとなかなか回復できぬままに夜。残念ながら我が家にクーラーはないので、寝苦しい夜となった。今日は昨日以上に気温が朝から上昇。そんな中、叔母の家から「ハスカップ採りにおいで」と言われていたので、妹と二人で朝からでかける。「暑くならないうちに」と7時半にはでかけたのだが、すでに25℃は超えていたのではないだろうか。それでも一時間半くらい頑張って帰宅後は、ハスカップジャム作り。扇風機を抱えるように昼食と一休みして、現在二時過ぎ。本当は昨日の選定枝の片付けや除草作業が中途半端なのだが、ちょっと外に出てみたけれど、これでは熱中症確実だと家に入ってパソコンに向かう。この暑さの中、戸外での作業をしている人たち、どうぞ気をつけてください。
2017年07月07日
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北海道と熊本で震度5弱 深夜と未明に相次ぐ テレビ朝日系(ANN) 7/2(日) 6:20配信 1日夜遅くから2日未明にかけ、北海道と熊本県で相次いで最大震度5弱を観測する地震がありました。 1日午後11時45分ごろ、北海道安平町で震度5弱を観測する地震が起きました。震源の深さは27キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.1でした。この地震で、北海道苫小牧市で68歳の女性が階段から落ち、大けがをしました。また、北海道内を走っていたJRの貨物列車が運転を見合わせるなど影響が出ました。 一方、2日午前0時58分ごろ、熊本県産山村で震度5弱を観測する地震が起きました。震源の深さは11キロ、マグニチュードは4.5でした。この地震による大きな被害の報告は入っていません。気象庁は2つの地震について記者会見を開き、北海道の地震は過去の例から、周辺の活断層の動きでより大きな地震が起きる可能性もあるとして注意を呼び掛けています。また、熊本県の地震は去年4月の熊本地震に関連した活動の一つとしていて、同じ程度の地震活動が当分続く見込みだということです。昨夜は蒸し暑く寝苦しい夜だったのだが、ウトウトした頃にドドーンと突き上げるような地震にびっくりして飛び起きた。しかし、短時間で終わったのでホッとしたけれど、これからも少し注意しなくてはならないらしい。熊本の地震は昨年と連動しているらしいし、日本はどこでどんなことが起きても「想定外」とは言えない国だ。それでも原発再稼働しなければならないのですか?
2017年07月02日
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今朝6時になると、あちこちから運動会の開催を知らせる花火が打ち上げられていた。私が聞いただけでも4か所である。このところ不安定な天気で、昨日の予報でも傘マークがあったので、全く無関係の私も「どうか晴れますように!」と願っていた。昨夜は、いったい何個の「テルテル坊主」が作られていたことだろう。その祈りが通じたのか、現在は曇り空ではあるが青空も見える。せめて午前中だけでも雨が降りませんように。それでも、今日の当地の最高気温は17℃。風もある。ということは、結構寒い。息子たちが小学生と幼稚園の頃、一度だけだと思うが今年のように不安定な天気が続き、どちらの運動会も順延となり、4回も運動会のお弁当を作った年がある。さらに、延期された日も曇り空でとても寒くて、全身を緊張させ震えながら見ていたせいか、次の日は全身筋肉痛になってしまった。でも、あれほど最悪な運動会でも、過ぎてしまえば懐かしい思い出だ。運動会の早朝に合図の花火が打ち上げられるのはいつの頃からなのだろう。今は、色々な情報を一斉メールでお知らせできる時代だが、当市ではまだ「花火」の打ち上げで、近隣住民も運動会の開催を知ることができる。この「花火」の音が迷惑だという苦情が増え、花火の打ち上げをやめたというようなニュースを以前聞いたことがある。(私の町のことではないが)確かに、夜勤明け等の人にとっては多少迷惑かもしれないけれど、その人だって子ども時代があり、花火の音にワクワクした時もあっただろうに。そういえば、ずいぶん以前に小学校を訪問する機会があった頃、小学校の教頭先生から、「運動会時期になるとドキドキなんですよ」と聞いたことがある。運動会の練習の音楽や子ども達の声がうるさいと、苦情電話がくるのだという。情けない時代になったものだと思う。子ども達の元気な声をうるさいと不快に感じる大人が増えた社会では、子どもが健やかに育つことは難しいだろう。ともあれ、運動会の時だけでも雨が降りませんように。
2017年06月03日
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今日は町内会の春の清掃日。このところ寒い日が続いているが、今日は風も強くて本当に寒かった。一度暖かい気温を体感してしまうと、寒さを一層感じるようになってしまうのだろうか。それとも、すでに冬物の衣類を春物に変えてしまったので、重ね着で対処しているせいかも。先週花壇に植えた花の苗も、いじけてしまっている感じだ。そんな気温でも、雑草達はみんな元気だ。見習わなくちゃいけないね。最近は、iPadで書き込むことが増えている。これは記事のリンクを張れないのが不便だが、短時間でおしまいにしやすいのがいい。書いておきたいような良いニュースもあまりないですからね。あ、そうだ。北海道日本ハムファイターズが4連勝は、ちょっと嬉しいニュース。この調子で乗ってほしいけれど、流れに乗り切れない人もいるのでどうでしょう。近藤君やレアードの絶好調がどこので続くかも気になる。
2017年05月14日
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先月のうちに購入していた花の苗を、花壇やプランターに植え付ける。昨年は四月中に植えた後に冷え込み、花がすっかりいじけてしまって回復できなかった。ということで、今年は苗を買ってからしばらく実家のハウスで養生させていた。五月になったので、冷え込んだとしても致命的なことにはならないだろうと植え付けた次第。殺風景な庭さきや玄関先が、パッと明るくなった感じ。エゾムラサキツツジも咲いたのだが、冬の間に枝が随分折れてしまって、枯れた部分も多い。花壇の花たち、今年も元気に咲続けてね。
2017年05月01日
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一夜明けると、そこは雪国だった(涙)このところは、日替わり天気といえるかな。昨日は15℃くらいあったと思うが、今日は5℃にもなっていないだろう。雪は午前中に消えたからいいけど、朝から灯油ストーブをつけっぱなしである。せっかく開花したチューリップも、今日は慌ててきっちりと花弁を閉じたままだ。さて、明日はどんな天気になるのだろう。昨日は、福岡での3億8000万の強奪事件がニュースになったけれど、まだ犯人は捕まらないようだ。その後も、東京で多額の現金を強奪されたニュースがあったけれど、どうしてそんな大金を一人で運んだりするのか不思議だ。私なら、100万円でもビクビクすると思うけれどねえ。最近はちょっとした金額なら振り込みが一般的だと思うけれど、そうしない理由はどんなことなのか、多額の取引とは無縁の私はよくわからない。そういえば、女性問題発覚の中川俊直衆院議員は、自民党を離党したらしいが、他の失言議員たちは、彼がまたまた煙幕となってくれて、内心ホッとしてたりして…。もっといいニュースはないものか。
2017年04月22日
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楽天サヨナラで初10勝一番乗り!投も打も終盤強い日刊スポーツ 4/17(月) 8:00配信 栗山監督「何があっても納得」延長劇敗も投手気遣う日刊スポーツ [2017年4月16日19時7分] まだ始まったばかりと言っても、今年の日ハムは不安だ。まあ、私は北海道人ですから、どんなに負けても応援はしてますけどね。それでも、主要メンバーが怪我や不調の中で、今まで知らなかった若手が活躍する姿を見れたのは嬉しい。日本ハム 今季初笑!中田抹消もフレッシュファイターズ燃えた実は、この4月13日のソフトバンク戦は、今年初めて札幌ドームで観戦した。私は、この三人とも全く知らなかったので、これからの成長がとても楽しみである。ガンバレ、北海道日本ハムファイターズ。
2017年04月17日
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昨日は冬に戻ったような寒さだった。今朝はさらに戻って雪景色である。本州では、寒いとはいいながらも「桜吹雪」になろうかというのに、こちらは正真正銘の「吹雪」になるかもしれない。北国の春は、本当に行きつ戻りつ、かくれんぼである。
2017年04月13日
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先週の三日間は、実家の妹が不在のために実家で過ごす。91歳の母を一人にしておくのが心配というのが第一の理由であり、母の趣味のために作った温室の管理と、二匹の猫の世話が第二の理由。やることは全く大変ではないのだが、私にとって一番大変なのが母とのお付き合い。これが結構私にとってはストレスで、そのせいなのか最終日から腰痛が始まる。腰痛は若い頃から何度も経験しているのだが、最近何かで「原因が特定できない腰痛は精神的ストレスによるかも」などという文を読み、今回の腰痛はまさに心理的なものなのかもと思ってしまったり…。腰痛が始まった日曜日に孫たちが泊ったこともあって、そのバタバタも要因かもしれない。この二日間、できるだけ横になっていることに努め、今朝は昨日よりは動きが良くなった気がする。でも、今日予定に入っていたボランティア活動はお休みすることにする。この間ブログもお休みしているし、テレビニュースもあまり気にしていなかった。(実家では、母がテレビをつけっぱなしにしているのだが、耳が遠いので大音量。 その中で母の話しかけに答えるのには、こちらも大声となり、これも疲れる)でも、新聞は読んでいるので、色々気になることがある。中でも、思わずひっくり返りそうになったのが、中学校での武道に「銃剣道」が入れられたというニュース。銃剣道って、今では自衛隊の武術というイメージしかない。それに、これを中学校で取り入れるとするなら、指導者は(元)自衛官しかいないのでは?つまり、年々自衛官志願者が少なくなっているから、間接的な勧誘につながるのではないか。さらに言えば、教育勅語も適切に教材として使えるようになるとしたら、かつての「少国民育成」への道の第一歩かも。不安症の私は、ついついそんなことまで連想して、いよいよ腰痛がひどくなったのかも。
2017年04月04日
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昨日、購読している新聞の読者コラムに、「相手にされない」という文章が掲載された。私はこの人を多少知っているのだが、この文章を読んでなんだか悲しくなってしまった。「相手にされない」という題で、自分の主張が相手にされないことを自虐的に書いているのだが、このように堂々と書けるのは自分が悪いとは全く思っていない証拠であろう。自分が言っていることが正しいのに、それを理解しない相手が愚かだという論調なのだ。多分、幼少時から勉強のできる優秀な人だったのだろう。私より少し上の世代だから、学生時代に勉強ができたら教師からも級友からも一目置かれて、それだけでリーダーとして扱われてきたのだろう。だから、ずっと自分の弱点を知ることができず大人になり、色々挫折もしているはずだが自分自身にその原因があるとは思いもよらず、きっと現在の状況もあまり納得できてはいないのではないか。この人は、学者にでもなればよかったのになと思う。なまじリーダーとして扱われ、中には神輿を担ぐ人もいたので、物事は人に理解されたり、信頼されることがなければ成すことができないということを芯から知る機会がなかったのだろうか。このような文章を堂々と書いて恥じないとは、かつて多少関わったことがある者としては、とても悲しい。お願いですから、どこかのかつての知事のようにならないでください。ふと思う。このような人が、実は現在の政治家などに多いのではないだろうか。自分の能力を過信し、教養も知性も十分に涵養しないままリーダーとなり、庶民をバカにした態度を恥とも思わない人たち。そういえば彼も、かつては政治家の一人だったっけ。
2017年03月30日
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講師3人、危険予想せず=「雪山歩かせたかった」―経験による慢心か・栃木雪崩時事通信 3/30(木) 5:06配信 那須での登山講習会の時に雪崩が起き、高校生や引率の教師8人が犠牲になった事故は、どちらの立場に立っても本当にやりきれない。もしも我が子が、孫が、と考えると、誰かを責めたくなることも当然であろう。しかし、大勢の高校生を預かっている立場の人が、あえて危険を体験させようとするはずもない。(それは信じたいと思う)しかし思うのだ。私は冬山には登ったこともないし、吹雪のスキー場にも行ったことはない。でも、平地で吹雪に巻き込まれた体験は、高校生までに何度もある。小中学校は自宅から4キロあったので、冬期はいつも田舎道を徒歩で通学していた。学校を出る時は曇り空程度であったのが、1時間弱の間に天気が急変し、今でいうところの「ホワイトアウト」の状態で方向も見失い、道もわからなくなった時が数度ある。一度は「このままここで死んでしまうかな…」と本当に思ったこともある。フリーページ「私の吹雪体験」参照。私が道路脇の用水路に転落して死ななかったのは、運が良かったとかいいようがない。だから思う。自然は人間の予測通りにはならないのだ、と。自然を相手にした行動は、いつでも危険を伴うものなのだと。危険を完全に排除しようとしたら、雪山には行ってはいけないし、スキー学習すらもやらない方がいい。でも、それでいいのか…と。私は、人が自然と格闘する機会を減らし過ぎた結果、人が動物としての感覚を失い、自分にとっての危険を察知する能力を低下させ、生きるための力を弱めたのではないかと思っている。今回のことについては、関係する誰にとっても辛く苦しいことであり、残った者は生涯の重荷を背負うことになると思う。それは本当にやりきれないけれど、それが自然の中で生きているということでもあるだろう。主催者や引率者の対応に反省するべきことはしなくてはならないが、「イジメ」を放置していた罪とは根本的に違う。こんなときにイジメについて触れたのは、次のことがあるからだ。イジメがきっかけとなり、小学校4年生から学校に行けなくなった少年が、勇気を振り絞って高校進学を決めたという知らせを受けた。それも、自宅から離れた高校で寮生活を始めるという。この何年かの間、付き合う人は母親と2年前から週に一度の家庭教師の先生のみ。何度か家に行ったことがあるが、来客があるとすぐに部屋に引っ込んでしまい、私はまともに顔を合わせたり会話したことはない。少年が高校進学を希望していることはお母さんから聞いていたけど、私は内心では「通信課程かな」と思っていた。だから、急転直下のこの展開に本当に驚いているが、勇気ある一歩に心から拍手をしている。どうぞ、新しい生活が彼にとって良い経験となり、彼の明るい未来につながってほしいと心から願う。もう一人、高校進学直後にやはりイジメから不登校、休学、退学となった子が、四月から道立高校の定時制に進学するという報告があった。この話にも、本当にホッとしている。そうだ、もう1件ある。札幌市内の進学校で担任と合わず、かつ部活でも納得できず不登校→休学→退学となり、優秀な子でもあったので高卒認定で私大に進学したが(これは親の意向を汲んだものと思う)やはり本人が納得できずに休学→退学をした青年が、ひきこもっていた頃にはまったインターネット関係のつながりで、そちらの仕事につくことになったという。子どもには子どもなりの納得の仕方と、自分自身の歩き方を決める権利がある。これは、いつも子どものことで悩むお母さんと話をする時に、自信を持って言うことでもある。そして、親ができることは、子どもが自分の力で歩みだすことを信じて見守り応援するだけと。「子どもは親の思う通りにはなりません。でも、自分の信じる人生を歩めたら、それでOK。 いくら頑張っても思い通りにならないのが人生だと、私達はわかっているでしょ? 人生の先輩として、挫折も失敗も決して無駄にはならないと伝えていきたいね」と。今、希望に満ちた思いでいる人に水を差すつもりはないが、希望の大学に入ったり、良い仕事について喜んでいたりしても、そこからがスタートであり、ある意味次の荊の道の始まりかもしれない。だからこそ、今の喜びを大切に味わい、明日への糧にしてほしい。辛い思いも悔しさも悲しみも、さらには生涯の重荷も、それは大切な自分自身のものなのだ。何とかこの苦しい時期を乗り切ってほしいと願っている。
2017年03月30日
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このところ、政治不信や教育への不安感にさいなまれていたのだが、先ほど本州の友人から下記の記事の紹介メールが届いた。2016年度自由の森学園高等学校卒業式、校長の言葉 卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。 保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。 そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。 自由の森学園において授業というものの持つ意味は深く重いものだと思っています。 ここで話すいわゆる校長の言葉も、みなさんにとっての最後の授業というつもりで私は臨んでいます。 私は昨年の夏からずっと「 生命( いのち )の重さ 」について考え続けていました。 昨年の7月に起こった相模原の事件、何の罪もない無抵抗の障害者の方々19名が犠牲になり、また多くの方々が深い傷を負い、そしてまた、私たちの社会に大きな衝撃を与えました。 みなさんの中にも、この報道に接してどのように考えていったらいいのか立ちつくしていた人もいたかもしれません。 私もその一人でした。 9月の全校集会では、この事件について共に考えていこうといった呼びかけが教員の中からありました。 この事件の根底には様々な考え方が複雑に絡み合っていると言われています。 その一つとして「 優生思想 」があげられています。 「 価値がある人間・ない人間 」「 役に立つ人間・立たない人間 」「 優秀な人間・そうでない人間 」 といった偏った考え方で人間をとらえ、人間の生命に優劣をつける思想です。 また、この事件は「 ヘイトクライム 」( 憎悪犯罪 )の特質も持っていると言われています。 ヘイトクライムとは、人種・民族・宗教や障害などの特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や差別にもとづく、「 憎悪 」によって引き起こされる暴力等の犯罪行為を指す言葉です。 この事件の問題を「 常軌を逸した加害者の問題だ 」として、 軽々に判断し押し込めてしまってはいけないように私は感じています。 全盲と全ろうの重複障害を持つ 福島 智( さとし )さん( 東京大学先端科学技術研究センター教授 )は次のように書いています。 「 こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う『 新自由主義的な人間観 』と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。 そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。 しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。 生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。 」 「 役に立つ/立たない 」といった人間や生命を価値的に見ていく考え方は、いずれは自分も含めた全ての人の生存を軽視・否定することにつながっていくのだと福島さんは述べています。 人間の価値、生命の価値、生きる価値、そもそも人間や生命という言葉に「価値」という言葉をつなげるべきではない、 私はそう思っています。人間には、そして生命には「 尊厳 」があるのです。 尊厳とは「 どんなものによっても代えることができないもの・存在 」と言うことができるでしょう。 ここにいるみなさん一人ひとりもそうです。 あなたは何ものにも代えられないのです。あなたの代わりはどこにもいないのです。 人間をそして生命をも、取り替えることが可能なものとして「 価値的 」に見てしまう現代社会において、「価値 」ではなく「 尊厳 」という言葉で自分をそして自分の人生を見つめていくことが大切だと私は思っています。 当然その視線は、自分以外の他者やその人生をも見つめることにもなるでしょう。 そしてそれは「 どのような社会を目指していくのか 」ということにもつながっていくと私は思っています。 自由の森学園は、かけがえのない子どもたち若者たちをテストという一元的な価値で人間を序列化し評価するといった、 価値的に人間をとらえる教育のあり方をやめ、一人ひとりの学びを大切にした学校をつくりだそうとして誕生しました。 自由の森に集うわたしたちは、人間をそして生命を価値的に見るのではない「 ものの見方 」を、そして「 人間の尊厳 」を、学び続けていると言っていいでしょう。 今、社会には、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、ヘイト文書など、ヘイト・憎悪という言葉があふれています。 この「 憎悪 」に対するものは「 学び 」だと私は思っています。 学ぶということは本来、さまざまなことをつなげていく・結びつけていくことだと思います。 学ぶことによって、自然とつながり、社会とつながり、芸術とつながり、他者とつながり、そして、自分とつながる、 そんな学びをみなさんにはこれからも続けていってほしいと願っています。 最後に、ある詩をみなさんと共有したいと思います。 吉野弘さんの「 生命( いのち )は 」という詩です。 有名な詩なので、みなさんも出会ったことがあるかもしれません。 私は昨年の夏以来この詩が胸の中にあります。 『 生命 ( いのち ) は 』 作:吉野 弘 生命 ( いのち )は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする 生命 ( いのち )は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄 ときにうとましく思うことさえも許されている間柄 そのように 世界がゆるやかに構成されているのはなぜ? 花が咲いている すぐ近くまで 虻 ( あぶ ) の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も あるとき 誰かのための虻 ( あぶ ) だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない 卒業おめでとう。みなさんの健闘を祈ります。このような学校も、きっと日本にはたくさんあるに違いないと信じたいと思う。
2017年03月26日
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教育勅語を毎日唱えていたら、日本会議の面々や同系の政治家にも褒められるし詐欺まがいのことをしても大目に見てもらえるし、ついには首相周辺まで味方につけることができて、建前や前例に厳しい官僚までもが追随するようになり…。とうとう、前代未聞(でもないのかな)の詐欺事件の様相を呈してきてしまった。もう自分の役目は終わったと思っていたのに、こんなことに使われてしまうなんて、教育勅語も明治天皇もさぞかし草葉の陰で嘆きと怒りにもだえているんじゃなかろうか。教育勅語には、嘘をついてもいいよとは書いていないはずなのに…。「天網恢恢疎にして漏らさず」って言葉があるけど、籠池氏は知らないのだろうな。<稲田防衛相>「教育勅語自体が全く誤りというのは違う」毎日新聞 3/8(水) 19:49配信 田原総一朗「森友学園問題で逃げ回る自民党議員たちの『おびえ』」〈週刊朝日〉dot. 3/9(木) 7:00配信 教育勅語の周縁 森友学園の軍国教育 問われる自民党の姿勢 自民党の考える「主権者教育」は、国家の考えに従うということを自分で選ぶ国民を育てることのようだ。つまり、進んで国家権力に従う奴隷的人間が望ましい国民ということにもなり、権力者にとっては都合が良く、これを礼賛するのだろう。これでは、将軍様のいらっしゃるどこかの国と一緒じゃないか。「国民」を「臣民」ということは、そういうことだろう。だからこそ、国民主権が原則の現在の日本に、教育勅語はふさわしくないのだ。「教育勅語のどこが悪い」とか、日本会議に進んで共鳴している庶民は、もうその奴隷的精神に染まっていることでないのか。
2017年03月09日
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森友学園問題 産廃埋め戻し、財務局が促す 27年9月、協議記録に記載多分、これだけじゃないでしょう。ただ、こんにゃくはゴミにはならず、誰かがおでんにしてでも食べたでしょう。かつて、毒饅頭を食べたとかなんとかいうことが政界にもあったけれど、今度は「腐ったこんにゃく」or「こんにゃく食中毒」か!?野中さんに聞いてみたいな。まったく、どうなってるんだか。
2017年03月04日
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後始末は80パーセント終了先日のブログに書いたSさんの後始末は、昨日で何とか目処がついた。後は、住んでいた借家の片付けであるが、今週は夫が出かけているので、来週にそれを終えたら一件落着となる。彼女は、私たちが「関係ありません」と言ったら、完全に「身寄りのない老人」になる境遇だった。昨日は国民年金等の手続きに市役所に行ったのだが、私の立場は「知人」ということになった。血縁的には無関係なので、たとえこれから隠し財産が出てきたとしても相続権はない。それでも、葬儀や借家の後始末などで、概略50万円程は我が家の負担になりそう。思わぬ出費だとは思うけれど、付き合いのあった夫の姉達も高齢で息子たちの世話になっていて、これ以上負担をかけるわけには行かない。できないことではないので、この世でのご縁とそれができることを感謝して引き受けようと思う。これも共時性!?一昨日、このところのバタバタで連絡をとっていなかった友人にメールをする。彼女は、息子さんを亡くされてからも色々なことが続き、うつ病で二週間前まで入院していた。そろそろ退院しただろうかとメールをすると、なんとビックリのことを知らされた。彼女の、かつての入院中の友人が、やはり先週自宅で一人で亡くなっていたとのこと。彼女は時々メール交換していたのだが、先週初めからパタッと返信が来なくなり、胸騒ぎがしてご主人に頼んで自宅を訪問し、通院していたクリニックにも様子を聞きに行き、結局はマンションの管理人に頼んで見てもらい、亡くなっているのを発見したという。ちょうどその頃私は、Sさんの発見から葬儀などのあれこれでバタバタしていたのだ。私はともかく、退院したばかりの彼女がそのような事態に遭遇し、また病院に戻ることになるのではと心配である。ということで、数日後に札幌で彼女に会って話をすることにした。それにしても、どうして彼女はこのようなことに出会うのだろう。運命とは残酷でもある。そんな彼女と、どこかでシンクロしているような私は、彼女の運まで奪っているのじゃないかと思ったりすることすらある。森友学園の塚本幼稚園って、私と同じ年なんだ教育勅語斉唱は知っていたが、今朝の新聞で「五箇条の御誓文」や「軍歌」も唱わせていたと知り、少し予想はしていたけれどビックリもした。もう66年も前からこのような教育をしていたということは、卒園生も随分日本国中にいるということ。その人たちが「日本会議メンバー」となり、その子弟もそのような考え方で育てられている!?なんだか、背筋がザワザワしてきた。半世紀以上の教育の成果が、現在の日本の右傾化にもつながっているのだろうか。
2017年02月28日
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☆ニュースやワイドショーを見ながら最近はトランプさん関連の話題ばかりで食傷気味。そういえば、先日知人とおしゃべりをしていたら、どこかの予言者が「トランプ氏はアメリカ最後の大統領になる」と言っていたとかいないとか。何でも、ケネディ大統領の暗殺もオバマ大統領の登場も予言していたとか…。予言が当たるかどうか、ちょっとメモしておこう。こわもての国防長官が来日するらしいが、日本の防衛大臣はちゃんと会話が出来るでしょうか。「生前贈与詐欺集団」の話題も出ていたけれど、どうしてひっかかるのかなあ。私なら、「そんなに贈与したいなら貰いますので、手数料を引いて送金してください」って言うのになあ。(そんな話じゃないか…) ☆国会中継ずっと見ているわけじゃないが、たまたま見たときやテレビニュースなどで見る限り、金田法務大臣も稲田防衛大臣もひどいなあ。誰がこのような人をこのような大臣に任命したんだ。自分のいいなりになる人ばかりを主要ポストに集めるのは、米国大統領以上かも。(まあ、今更の話だけど)呆れることが多くても支持率高いのは、日米共通してるなあ。☆ツルツル路面にはビクビク知り合いで二人、ツルツル路面での転倒で骨折した人がいる。他人事ではないので、最近の外出時はリュックを背負い、一歩々々踏みしめるようにモゾモゾ歩いている。信号が点滅し始めたら、決して急いで渡らずに次の青信号まで待つ。横断歩道は少しカーブになっているので、要注意なのだ。何年か前に、横断歩道をあと一歩で渡りきるときに思いっきり足を取られて転んだことがある。幸いに骨折はしなかったけれど、しばらくはあちこちが痛かった。今ではそれだけでは済まないことになりそうで、本当に怖い怖い。早く春にならないかなあ。☆日本の教育行政は間違ってるよいじめ問題などで教育行政の対応や言い分には呆れることが多いのだが、その影で日々犠牲になっている子どもたちのことを思うと、呆れているだけではすまない。真面目に子どもたちの立場になって頑張る先生たちも、また犠牲になっている。少子化だというのに不登校の子供の数は減らず、つまりはその割合は高くなっているし、その間に深い傷を負った心は癒されぬままに大人になり、様々な社会問題(ひきこもりや心の病→精神障害)を引きおこす。その間にどんどん高齢化率も高くなり、介護保険制度も高齢者や事業者にしわよせがいく。こんなことを考え始めると、ため息ばかりだ。結局の根源は、やはり「教育問題」に繋がるような気がしている。英語教育よりも大切なことがあるだろうと思う。
2017年02月03日
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間接的な知り合いの米国人が、大統領選挙でトランプ有利となった頃から沈みがちになり、大統領に決まってからは、周囲で見ていても落ち込んでいるらしい。長年日本で仕事をしていて、日本人の妻子がいるのだが、ご両親はアメリカ在住なので一月に入ってからアメリカに帰省した。出発する時に「アメリカ人として帰国するのは最後になるかも」なんて、ジョーク交じりに話していたらしい。その心情を、心からお察しする。だって、最近テレビをつけてあのご尊(大)顔を見るたび、私もため息が出るし気分が落ち込む。そんな今朝、下記の記事を見つけた。トランプのむちゃぶりを日本の官僚たちが「むしろ歓迎している」ワケ週プレNEWS 1/21(土) 6:00配信 後日参考にするため、本文をコピペしておく。ついにドナルド・トランプが米大統領に就任した。 米国第一主義を掲げる彼の日本企業への介入も不安視されるなか、『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏は、「日本の官僚たちはトランプのむちゃぶりをむしろ期待している」と分析する。その理由とは? * * * トヨタを標的としたトランプ次期米大統領のツイートが猛威を振るっている。トランプ氏はトヨタがアメリカ向けカローラを生産する新工場の建設を、メキシコで進めていることを問題視。「(工場を)米国内に造らないのなら、巨額の国境税を払え」と批判したのだ。 これがトランプ氏の流儀なのだ。アメリカの国益を守るためと、今後もたびたび日本企業への介入をちらつかせ、時には実行することもあるだろう。 というのも、トヨタ以外にもメキシコを対米輸出の拠点とする日本企業はたくさんあるからだ。メキシコは賃金が格安な上に、NAFTA(北米自由貿易協定)によってアメリカに関税ゼロで輸出することができる。その利点を生かすべく、日本企業はメキシコに工場を造り、そこから対米輸出を行なってきた。 例えば、自動車メーカーだけを見ても、トヨタはメキシコで造った車の91%、ホンダは54%、日産は43%、マツダは29%をアメリカに輸出している。日本のメーカーにとって、メキシコは世界で6番目に大きい一大生産拠点となっているのだ。 トランプ氏はトヨタだけでなく、ホンダなどにもアメリカ国内での生産を迫るのではないかーーそんな不安感が日本の経済界に広がっている。本来ならば、日本政府はこうした恫喝(どうかつ)に毅然とした対応をするべきだ。しかし、ふたつの理由からできないと予想している。 ひとつは今の安倍政権が対米べったりの姿勢を隠さないためだ。特に安全保障では中国の脅威に対抗する必要もあって、ほぼアメリカの言いなり。とてもではないが、トランプ氏に盾突くようなことはできない。 ふたつ目は政府を支える霞が関の官僚たち、とりわけ、経済産業省あたりは、むしろトランプ氏の強面(こわもて)の通商戦略を歓迎していることだ。 トランプ氏は、世界一の権力者だ。日本のイチ企業が戦うのはしょせん無理。攻撃された企業は、経産省に「助けて」と駆け込む。そうなれば、対米交渉と日本企業との調整などの仕事ができ、そこに新たな権限や省益が生まれる。貿易や産業分野での規制がほぼなくなり、仕事が枯渇気味だった経産省にとって、「トランプ介入」はおいしい出番を演出してくれるチャンスなのだ。 気をつけなければならないのは、彼ら官僚たちにとっては「トランプ摩擦」が新たな飯のタネになっても、それを解決する能力は持っていないこと。結局、間に入って、うまく立ち回り、自分たちの利権拡大に利用するだけだろう。 例えば、トランプ政権が日本の自主防衛努力を求める動きを利用し、高額の米国製武器を買いましょうなどとご機嫌を取りに行く。その代わり、自動車のほうは少しだけ大目に見てもらうのである。 不安のタネは尽きない。日本が力を入れるインフラ輸出ではテキサス州のダラスとヒューストンをつなぐ時速400キロの高速鉄道路線に、新幹線の技術を全面的に採用することが決まっている。その見返りとして、日本に「製造工場を米国内に造り、部品も米国から調達しろ」と迫ってくることもありうるだろう。JRを所管する国土交通省なども出番を狙っている。 トランプ氏がごねるたびに、日本が右往左往し、官僚の利権が拡大する。そんな情けないシーンが続きそうだ。 早く自滅して欲しい…(-∧-;) ナムナム
2017年01月29日
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「一年の計は元旦にあり」と言うけれど、もう七草粥の日になってしまいました。何年か前までは、年が明けるときに「今年は〇〇をやってみようかな」なんて思ったこともあるけれど、今となっては何も継続しているものがない…まあ、昔から「三日坊主」のタチでしたから、それも当然かも。そんな私でも、本気でやりたいと思った時には続けられるんだと実感したのが、「通信教育での学び」だった。また、卒業の少し前から始めたボランティア活動も続いている。それも、あと数年で20年もたってしまうので、これをどのように卒業するかというのがここ数年考えていることだ。まあ、考えなくても私が病気で倒れたりしたら簡単に卒業できるのだが、できれば元気なままで卒業することが私の心からの願いなのだ。(それには、色々な理由がある)「高齢者の定義」が65歳から75歳に引き上げられる提案がされたようだが、確かに現代の65歳はまだまだ元気な人が多いし、高齢者と呼ばれたくない人も多いのだろう。私自身は何歳で高齢者と呼ばれようがどうでもいいのだけど、このニュースですぐに思ったのは、「年金受給年齢の引き上げ」への布石ではないかということ。働ける人は働いていいのだけど、60歳を超えた老化や病気などは個人差が大きく、働けない人が増えるのも事実なので、年金受給年齢は変えないで欲しい。私は、60歳前後から「抱負」を考えても長続きしないことはよーくわかったので、もう「抱負」なんて言葉を使わないことにしようというのが今後の抱負。そのかわり、「今年やったほうがいいこと」は密かに決めようかな。それすらも三日坊主になりそうだから、あくまでも「密かに」である。(すでに逃げの体制になってる…)
2017年01月07日
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2017年となりました。この三が日は、穏やかな天候のお正月でした。例年通り、年末30日のお餅つきから始まった年末年始でしたが、孫たちがいるおかげで一年が経過したことを感じることができました。そうでなければ、一昨年のことと昨日のこととが混乱してしまうような私たちです。世界や日本社会のことを考えると不安になってしまうのですが、まずは自分自身が穏やかに新年を迎えられたことを感謝しなくてはなりませんね。今年もマイペースにブログをつづけていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。皆様にとって、今年が良い年になりますように。
2017年01月03日
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多分今年はこれが最後の書き込みになると思うので、年末のご挨拶をさせていただきます。今年は、世界中あちこちで色々なことがありましたが、私自身は平穏な一年を過ごすことができました。また、気が向いた時にブログも続けることができました。昨年の今頃もそんなことを思いながらお正月料理を作っていたような気がします。このところ、毎日のアクセスが600を超えているのが通常となり、いったいどなたが読んでくださっているのだろうと思いつつ、それを密かな励みとして書いているところもあります。毎日変わり映えのしない生活をしているので、このブログを書いていなければ、自分の足あとは消えてしまうに等しいのです。本当に見知らぬ人たちにも支えられながら生きてるなと、あらためて感じています。一年間、ありがとうございました。皆様にとって、来年が良い年でありますように。
2016年12月30日
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もう年末になってしまい、色々となさねばならぬことがある。忘れてしまうので、主なできごとをメモ。12月16日(金)世話人をしている会の例会日。私がイベント好きな気質なら、「忘年会」となるのかもしれないが、通常通りの例会となる。前回初参加の人が来て、その後の経緯をお話してくれた。課題を持っていたり悩んでいる時に、誰かに話して気持ちや事柄を整理し、現状をそのまま受け止めてできることをやってみる。それがとても大切なのだが、なかなかできないのも人というもの。しかし、時々それがとても上手に素直に出来る人がいる。この方も、反省すべきことをちゃんと理解し、できることを見つけ、誰かのアドバイスを上手に生かし、次のステップに移ることができ、「みなさんのおかげです」と笑顔で話していた。この人なら大丈夫だろう。この人を信じてみようと思える素直さや、感謝できてそれを言葉に出来る人なら、どんなことでも乗り越えていけるだろうと思う。このような人に出会うと、本当に嬉しくなってくる。12月20日(火)世話人をしている会の会報の印刷と発送を、仲間のIさんと行う。この作業も、思えば18年毎月続けているわけだ。この会報にはいろいろな意味があるのだが、振り返るとよく続いたなと思う。始めた頃は、必要がなくなればやめようと思っていたのだが、状況は変わってないし、来年も多分続けているだろう。12月21日別の会の例会。この会は少し高齢化が進んでいることもあり、自分自身や家族の体調により欠席者が多かった。みんな様々な課題を抱えながらも、なにか自分でできることをしようとしている。例年一月の例会は「新年会兼」となっているのだが、どうもみんなの状況が心配なので、新年会は来年になってみんなの状況を見てからということになる。来年、みんな元気で顔を合わせることができますようにと、心から願う。12月23日~25日クリスマス連休というのに、何十年に一度のドカ雪。最初の日は、湿った雪で吹雪模様。つまり、「重いふきだまり」ができやすいので、夫と交代で除雪三昧。今回は、日中は湿っている雪が夜中に凍ってしまうので、朝は「ツルハシ、剣先スコップ、ママさんダンプ」の三点セットでの作業となり、本当に疲れた。千歳空港も除雪が追いつかず、空港で三日連続泊まり込んだ人もいるとか。苛立つし疲れてくるのはわかるし、気の毒だと心から同情するが、中国人旅行客が大暴れしたニュースには驚く。暴れたって絶対に飛行機は飛ばないんだけど。気質の違いを感じてしまう。この間にも、ちょこちょこと用事を済ませているわけだが、もう前日の出来事もはっきり思い出せない。まずいな。ちょっと(いや、かなり!?)老化現象が進んでいるかも。
2016年12月27日
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このところ、ニュースを見ても腹立たしいことが多いし、例年にない大雪でハードな除雪作業もあり、あまり心温まるようなブログを書けない状態が続いているような気がする。そんな中で、心から「すごいなあ」と思った人がいるので、そのことを書いておこう。Sさんは多分95歳、女性、生活保護を受けて一人暮らし。遠縁の人はいるけれど、家族と言える人はいない。夫も遠縁の一人で(多分、義母の従姉妹だと思う)、同じ市内に住んではいるが時々様子を見に行く程度。親密な付き合いではないが、さりとてまったく無関心なわけではない。年末にはいつも、「少しのお小遣い」を渡しがてら御機嫌伺いに行くのだが、今回訪ねると「もうお金はいらないから、暖かい寝巻きと下着が欲しい」と言うので、それを見繕って訪れた。小さな借家に住んでいるのだが、耳が遠いために外からも聞こえるほどの大音量でテレビを見ていた。彼女は若い頃に道北に嫁いだのたが、子供もないままに離縁して道央に戻ってからは再婚はしなかった。やがて、故郷からは少し離れたこの町になぜか住み着き、小さな小料理屋のような店を持った。私は結婚したことで彼女と出会ったのだが、その当時は地元の議員の二号さんだったようだ。どうも、彼女の店が田舎の議員だった彼の後援会のたまり場のようになり、後援会事務所のきりもりをするような形での関係だったようだ。しかし、やがてその人も議員を辞める年になり、その関係も終わったようだ。まもなく彼が亡くなった時には、自分の立場を考えてのことだろうが、葬儀にも参列していない。それまで住んでいた借家から二間だけの借家に移り住み、いつの頃からか生活保護を受けるようになっていた。夫のお姉さん達とは年齢も近いことから我が家よりは行き来があったようだが、義姉たちが「あんなに尽くしていたのに、哀れなものだね」と話しているのを聞き、私も何だか気の毒に感じていた。しかし、心の中ではどのように思っているのかわからないが、時々会っても見事なほどに愚痴を言わない人であった。きっと、彼女なりに精一杯生きてきた誇りがそうさせるのだろうと思っていた。かつて嫁いだ地方の人や、小料理屋をしていたり二号生活をしていた頃の人たちとは今でも付き合いがあり、その人たちが何くれとなく気にかけてくれているという。(除雪や買い物など、ヘルパーを頼んでいないので)今回驚いたのは、95歳になった今でも彼女はヘルパーもデイサービスも受けていないということだ。耳は遠いけれど頭はしっかりしていて、膝が悪くていつも足を伸ばしているけれど、今でも食事や掃除、洗濯、布団の上げ下ろしまで自分でしているという。訪ねた私たちに「布団があるんだけど、ワシいらんから持っていかないか」と言う。何でも、膝が悪いのに今でも毎日布団を出し入れしていることを知った人が、「もう年なんだから、敷きっぱなしでベッドがわりに使え」と、厚い布団をくれたのだそうだ。せっかくだから貰ったのだけれど、敷きっぱなしにしたら狭い部屋が益々狭くなるし片付かないし、厚い分だけ重いので、今までどおりの方がいいのだという。と言われても、私たちが「それじゃ、いただきます」というわけにもいかず、「そのうち使うこともあるだろうから、取っておいたほうがいいよ」と言ったのだが、私なら、今でも万年床にしたいくらいだ。その家にはお風呂がないので、入浴はどうしているのかと聞くと、「もう、風呂には行かないことにした」という。近所の銭湯がなくなってからは、時々は知人の家で貰い風呂などもしていたようだが、近年、知り合いの何人かが入浴の時に倒れたり亡くなったりしたのだという。「血圧が高いし、よそに行って倒れたりしたら迷惑かけるから、もう風呂はやめた」という。自分で体を拭いたりシャンプーは出来るから、それでいいのだという。時々は、近所の人に背中を拭くのを手伝ってもらうらしい。「みんなに助けられて生きてるさ。ありがたいことだ」という。さて、そんな彼女の生活を聞いて、どう思うかは人それぞれだろうが、私はそれを聞きながら、本当に見事だと頭が下がる思いがした。80年近く前、離婚した女が一人で生きることがどんなことだったか、私には想像がつかない。そんな中で小料理屋をやったり、縁あっての二号生活やその後の一人暮らしも、生きるための必然であっただろう。嫌な思いや、「これからどうしよう」と途方にくれる時もあっただろうが、彼女からはそんな話を聞いたことがない。もともと「肝っ玉母さん」のような性格ということもあるだろうが、「愚痴を言わない」という一つだけでも、見事な生き方ではないか。以前から、私は彼女の人生がどんなものであったのかという興味もあり、義姉達に聞いてみたこともあるのだが、あまり詳しいことは分かっていないらしい。ひょっとすると私に聞かせたくないこともあるかもしれないが、それだけでもなさそうだ。きっと、話してもらえたら波乱万丈のドラマがあるのかもしれないがこの世代の人たちの人生は、多かれ少なかれ波乱万丈なのだろう。そしてあらためて、自分のぬくぬくとした生活をありがたく思わずにいられない。
2016年12月25日
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