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もう12月になり、そろそろ年賀状準備をしなくちゃと、色々無料のテンプレートを探してみた。すると、日本郵便でも無料テンプレートを提供していることを知り、それを使うことにした。今ではパソコンで簡単に作れるので、夫と連名のものと自分の名前だけのものの二種類を作っている。これは、プリントゴッコで作るようになってからずっとである。年賀状は、私の場合は「元気でいますよ」という挨拶状だから、はっきりいってあまり工夫を凝らしたものではない。せめて、宛名とコメントだけは自分の手で書こうと思っている。手紙を書く機会もなくなり、年賀状の宛名も印刷してしまうと、文字をいよいよ書けなくなってしまうし、自分が貰っても裏も表も印刷のみだと何だかさみしいから。とりあえずデザインを決め、次は住所録の整理だ。このところ、次々と「年賀欠礼」のはがきが届く。他の人のブログで、ブログ仲間の逝去を欠礼はがきで知ったということを書いている人がいた。私は、この楽天ブログで知り合って、本名や住所を知っている人はとても少ない。だから、ずっとブログ更新をしていない人がお元気なのかそうでないのか、全くわからない。単にブログを書かなくなっただけなのか、それとも…。私のブログが一年以上更新されなくなったら、その時はそういうことだと思ってくださいね。
2015年12月05日
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昨日も息子のぶどう畑の作業手伝い。剪定後のぶどうの枝下ろし、巻蔓除去、番線下ろしなどの作業がまだまだ残っているので、本格的に雪が積もるまでに終わらせなくてはならないので、私たちも「猫の手」よりましだろうと助っ人に行く。昼食少し前に近くで新規就農した若者が来たので、一緒にお昼を食べながら雑談。その話の中で、少し気になる話を聞いたので、ちょっとだけ…。私の次男もそうなのだが、新規就農するにあたって国・道・市町村の新規就農者支援制度を活用する人がほとんどであろう。農水省のホームページに青年就農給付金、農の雇用事業というのがあったので、参考までにリンクしておく。これらの制度は、農業研修を受ける方も、研修生を受け入れる方も支援するもので、制度としてはとてもありがたいものだ。長男は二年ほど前に実習生を受け入れた経験もあるし、次男は現在も「青年就農給付金」を受けていて、自立するための期間の収入を支援してもらっており、この制度がなければ本当に大変だと思う。しかし、農業法人など研修生を受け入れる側が、この制度を研修生を「ただの労働者」として利用しているように感じられる場合もあるらしい。まあ、外国からの「研修生」という名の労働者を受け入れる企業があることはよく知っているから、研修制度の悪用もあるだろうとは思っていたが、同じ日本人同士、同じ仕事を志す者同士でこのようなことがあるとは…。考えてみれば、「ブラック企業」や「派遣社員制度の悪用」などは、国の後押しで成り立っている側面もあるから、驚くには当たらないのだろう。息子の仲間たちには新規就農者がとても多い。そして、彼らが働く周辺には従来の農家さんたちも多く、今までそのような話を聞くことはなかった。(ひょっとすると、私たちが心配するかと、あまりそのような話題に触れなかったのかも)ほとんどの地元の農家さんたちは、後継者がいなくて農業をやめることが多い中、あえて農業に取り組もうとする若者たちを喜んで受け入れ、色々な形で応援しようとしてくれている。「若い人にこの地に根付いてもらいたい」と、若者を育てようとする気持ちがあると思う。しかし、経営者感覚で若者を活用という名で利用する感覚の農業法人が、ジワジワと増えているのも事実なのだろう。これから新規就農しようと考えている人たちは、研修先のトツプがどのような理念で農業を考えているか、若者たちをどのようにじっくりと育てようとしているか、しっかりと情報収集をして自分がやりたい方向を考えながら研修先を選んで欲しいと思う。まあ、若者たちの中には「とりあえず農業を体験してみてから…」と思う人もいるだろうから、そのような場合は気軽に体験もいいだろうけれど…。ただ、労働力として利用しようという考え方の研修先では、多分本来の農業の喜びや醍醐味を伝えるよりも、研修生を雑用仕事の担い手にしてしまいがちになると思うので、農業に幻滅する場合もあるかもしれない。私はそれが心配なのである。ちなみに、「青年就農給付金」などは、就農しなければ全額返還しなくてはならないので、お気をつけください。
2015年12月03日
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起床してカーテンを開けると、完全に雪景色。幼い頃は、一夜にして風景の変わる自然に感動したものだけど、今では「嗚呼…とうとう冬になってしまった(;>_
2015年11月24日
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クラス会などでは、いつも色々な人から小・中・高校時代のそれぞれの体験談を聞くことになる。その中で、「子どもにとって、学校や教師の力の大きさ」を感じることが多い。いじめ問題や体罰、不登校、心身症などについては、私が現在関わっている活動ともリンクするので、それに類するエピソードについては特に耳もダンボになる。今回も、また新しいエピソードを聞くことになった。私たちの中学時代には、体罰は教育の一環として容認されていたと思う。しかし、今も昔も、子供にとって体罰はとても嫌な思い出となるだろう。罰される行為が自分にあったとしても、それはその子なりの理由や背景があり、一方的に大人(教師や親)から責められ、十分な弁明も許されず、問答無用に力で押さえつけられたなら、悔しさや反抗心だけが残ることにもなるだろう。私たちの担任は体罰主義者ではなかったけれど、「連帯責任」はよく言われたし、その延長線で体罰的なことも少しはあった。今回のクラス会でもその話題になったのだが、先生は「あれは俺が間違っていた。体罰も連帯責任も、今の俺は反対だよ」と言っていた。それに、先生はその都度何とか私たちを納得させようと言葉を尽くしそれを私たちは「長い説教」と受け取り、早く帰りたい一心で「わかりました」と言うことが多かったようだ。なんたって、先生にとって「一人の問題はクラスの問題」だから、私たちは「ながーいHRの話し合い」に耐えなくてはならず、それが面倒くさかったということもある。しかし、本当に納得はしていなくても、先生が一心に何かをわかってほしいと思っていることだけは伝わり、それがみんなの気持ちを徐々にまとめていったようにも思われる。そんなことを思い出しながら、昨今のいじめに関するニュースなどをネットで見ていて、下記の記事を見つけた。「体罰を認めた馳文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、自省」は一切なく、逆に体罰を擁護!」私は正直なところ、義家氏をあまり信用できずにいるし、この人を文科省の副大臣にする今の政権にも首を傾げる。しかしそれを容認するのが今の日本社会ということを、とても不安に感じている。私たちの担任もそうだったが、若い頃は突っ走ることがあるし、失敗もあるだろう。私はそのような行き過ぎた行為自体を問題にしているのではない。それを振り返ってする内省力がなく、かつての自分の行為を正当化するばかりの人は、人として成長していないということだし、信頼もできないということである。↑を書いたあと、さらに義家氏の記事検索をしたら、かつて彼が「小説宝石」(光文社)1月号から3月号に「路上の箴言」という小説(?)を書いたという記事を見つけた。もう、これが本当ならひどすぎる。彼はまだ自分の問題を直視していないまま、周囲に乗せられてここまできてしまったという人かもしれない。彼が非行から更生したという北星余市高校の恩師やかつての同僚も、もう手がつけられないという気分ではないか。北星余市高校は多くの苦しむ子どもたちを支え、教育の力で子供に生きる力を養ってきているし、その実績や教育力を私は信頼している。義家氏は、北星余市高校の鬼っ子なのかもしれない。
2015年11月07日
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なかなかブログを書けずにいたら、何だか億劫になってしまった。ブログも習慣になるとちょっとの時間でも気軽に書けるのだが、ご無沙汰してしまうとあっという間に日が経っている。それでも、三週間ほど前のクラス会については、少しでも書いておきたいと思う。今回は、私たちのクラスだけでの集まりは二十数年ぶりとなる。その間は、四年ごとに同期会という形だったからである。同期会の頃には常に15人前後の集まりになっていたので、今回もその程度と予想していたが、結局恩師を含めて22名の賑わいとなった。中学卒業以来の人や、本当に久しぶりの人もいて、幹事としてはとても嬉しいことだった。顔を見ても名前と顔が一致しない人もいるだろうと、「名札」を用意したが大正解。それでも少し思い出話が始まると、中学時代の顔になってくるのが不思議である。私たちの中学時代は5クラスだったが、「中学卒」で社会に出た人たちの参加が多くそれは他のクラスとは違う特徴と言える。その中の一人が、今年から定時制の女子高生となったという。彼女も本当に色々な苦労の多い人生だったようだが、ずっと恩師の言葉が心に残っていて、「私の心残りはコレ」と思って決意したそうだ。先生がどんな言葉を贈ったのかわからないが、教師の言葉というものは良くも悪くも重いものだとあらためて感じた。このような場で色々と昔話をすると、中学生の頃にはそれぞれの家庭環境や色々な思いを抱えながらいたのだなと、つくづくと思う。私は自分自身のことで精一杯だったから、みんなのそんなことには全く気付かなかった。いや、みんな自分自身のことが重ければ重いほど、そんなことを忘れるようとするように、学校生活や友達との繋がりを大切にしていたのかもしれない。私は万年幹事なので、いつも世話役としてウロウロすることになる。そんな私たち(幹事役は四人)に、みんなが口々に「いつもありがとう」と言ってくれる。あれほどクラスの中に友達がいないという不安を抱え続けていた私が、こんな形でクラスメイトの中にしっかり居場所があることが、何だか不思議な気がする。クラス会に出てこれる人は、その程度に健康で多少のゆとりがあるということ。中には病気で来れない人も、勿論いる。消息不明だったり、すでにこの世から早々に旅立った人もいる。久しぶりに出てきてくれた人の一人は、「次の機会には会えなくなる人がいるかもと思ったら、随分顔を出してないから敷居が高かったけど、後悔しないようにと参加した」といっていた。本当に、私もそんな思いがする。一次会の最後に幹事のKくんが言った。「このクラス会は、先生が百歳になるまで継続しますから、みんな次も元気で会おう!」私たちの担任は、私達と11歳しか違わない。つまり、その時我々は89歳。さて、誰が出てこれるのやら。何となく、次回は四年後という感じだったが、「いや、もっと早くやろうよ」という人もいる。さて、どうなることでしょう。昨日、出席者には写真を、欠席者にはクラス会の時に渡した名簿などの資料や当日の様子などのメッセージ付きで送り、私の仕事は終了。本当は、もっと色々なエピソードなども書きたいところだが、収拾つかなくなりそうなのでこれまでにしておこう。
2015年11月06日
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すっかりブログをご無沙汰している昨日、所要があり夕方から札幌にでかけた。土曜日の夕方だから、人が混み合っているのは覚悟していたが、異様な出で立ちの人と次々とすれ違って、ギョギョッとびくつきながら大通りの地下街を歩く。「今日は何かの仮装パレードでもあったのか?」「それとも、劇団四季のキャッツに影響受けたのか?」なんて、世間知らずの私は少し考えて、「アッ、そうか!」と納得。そういえば、テレビなどでハロウィンの話題が流れていたし、スーパーなどでもやたらカボチャ色のお菓子などが目についていた。道路際にはカボチャをくり抜いて目鼻をつけたものが転がっていたし、それが今日なのか…。それにしても、若い女の子達がなんであんなに変なメイクをしたがるんでしょう。待ち合わせていた友人も世間に疎くて、「ああ、魔女になってるつもり?」と納得することにした。魔女だけでなく、猫のつもりなのかヒゲを描いたメイクの女の子も結構いた。若い子だけではなく、小さな子どもに衣装やメイクをしたお母さんや夫婦連れも。親である彼らもまた、ちょこっとはそれらしい格好をしている。帰宅時の地下鉄やJR内も、そのようなメイクの女の子達がいっぱいで、異様なメイクの人たちに囲まれると、本人たちは楽しそうにはしゃいでいるのだが、こちらは何とも落ち着かず不安になってしまう。これって、何なんだ? それほどみんな魔女になりたいの? ハロウィンにさほど関心のなかった私も、昨夜のことで気になり、今ネットで確認してみた。ハロウィンさて、日本人はその歴史や意味をどれほど知っていてこのイベントに参加しているのだろうか。そういえば、わが町でも「カボチャのランタンを並べてギネスに挑戦!!」なんてイベントを某団体が企画し、私たちのボランティアグループにも「ランタン作りに参加を」という案内があった。例会でお知らせはしたけれど、特に会として参加することにはせず、希望者は自由参加ということにしたのだが、その時も私は心のどこかに違和感があった。確かにわが町の特産品の一つはカボチャだし、ハロウィンに乗じての宣伝効果や、老若男女の市民が一つの目的に向かうのは悪いことではない。でも、どうしてハロウィンに安易に乗ることにするのか、私はちょっと乗り切れなかった。クリスマスも、バレンタインデーも、みんな商業主義に乗っかったイベントと言える。楽しければいいじゃないか、むつかしいこと言わないで、と言われそうなのだが、私は「カボチャのランタン」までは何だか微笑ましく感じても、魔女の出で立ちはちょっと…と思う。それに、元々の宗教的な意味やその発生した地域の歴史を全く無視するような盛り上がりには、ちょっと…と思ってしまうのは、私が高齢化したせいだろうか。でも、見方を変えると、今の若者たちはみんな本音を隠しながらみんなに合わせてニコニコ暮らすことに神経を使っているから、この日ばかりは内面の悪魔をメイクで表現して、ストレス発散してるとも言えるかも。今や日本中が、昨日・今日はハロウィン仮装大会をしているのかな。まあ、この状態は平和だとは言えるだろう。
2015年11月01日
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先週も、月・火は息子の畑の手伝い。水曜日は、子育て支援関連組織の例会。来月の行事の打ち合わせ等がメインだったが、ちょっと気の張る役割を引き受ける羽目に…。木・金はまたまた畑仕事。土曜日、つまり昨日は、中学時代のクラス会。幹事だったので、午前から午後にかけて、クラス名簿の作成としおりなどの編集と印刷。ずっと多忙だったので、当日になってのやっつけ仕事になってしまった。(もちろん、少しずつ準備はしていたのだけど…)夕方からクラス会が始まり、二次会を終えて帰宅したのは午後11時。私は、よほどのことがない限り「二次会」は参加しない方なのだが、昨日は幹事だったので、参加しないわけにはいかなかった。この年になると、みんな昔が懐かしくなるもののようで、今まで不参加だった人も来てくれて、ワイワイとあっという間に時間が過ぎていった。みんなが喜んでくれたので、幹事メンバーも「良かったねー\(^o^)/」と満足感を得ることができた。ということで、今日は朝から洗濯などの家事や、何日かぶりに実家に顔を出し、買い物などをしていたらこの時間。やっぱり流石に少々疲労気味。今日は早めに寝ることにしましょう。来週は少しゆっくりできるかな…。クラス会の感想などは、あす以降に書く事にしましょう。
2015年10月25日
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たった数匹でしたが、雪虫が飛んでいました。もうすぐ雪が降るということですね。(o´Д`o)はぁーン、これから冬か…そんな今日ですが、日本ハムファイターズがCSファーストステージで、ロッテに何とか勝ってくれました。日本ハム矢野が決勝打「ファイターズ、サイコー!」 [2015年10月11日17時34分] 栗山監督「安心しました」道産子の大応援応え逆王手 [2015年10月11日18時20分] 久しぶりに矢野選手の「ファイターズ サイコー!」を聞くことができて、本当に良かった(´∀`)。栗山監督も、本当にホッとしたことでしょう。
2015年10月11日
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他の方のブログで、安倍総理の国連演説の時の会場はガラガラだったと知り、ネットで確認してみた。それがこれ。この時に一緒に見つけた記事。安倍首相のNY滞在。実働4日間滞在するもオバマ大統領会わず。会ったのはバイデン副大統領。鳩山、野田ですら会った。何故日本のメディアはこの異常事態を報じない。(孫崎享のつぶやき)(日本の世論を無視してまで)あれほど頑張って、アメリカのために(?)安保関連法案を国会で決めたのに、そんな冷淡な対応を受けたとなると、安倍総理の心中いかばかりかと思ってしまう。なんだか気の毒になってしまうが、客観的に見たら民主主義の本山と自認するであろう米国にとっては、これほどの追従外交をする国のリーダーを持ち上げるのは微妙だろう。日本を愛する国民の一人としては、本物の矜持を持つ日本を取り戻して欲しい。
2015年10月03日
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プーチン大統領のもとへ笑顔で駆け寄る 安倍首相の「小走り」は「微笑ましい」のか「みっともない」かJ-CASTニュース / 2015年10月1日 19時10分この時の映像を私も見ていたのだが、私がその時思ったことはちょっと違った。まず、先にプーチン大統領が着いていて、安倍首相は遅れて到着してのことだと思ったので、その遅れが作戦なのか、たまたまなのかということ。作戦だったとしたら、プーチン氏にフェイントをかけて、自分のペースに巻き込むつもりという、何ともしたたかで傲慢な彼の本質を、笑顔の仮面で隠そうとすることかという感じ。当然、私の中では好感は持てない。次に、本当にプーチン氏に(ある意味で)迎合する姿勢の表れなのかということ。アメリカにもロシアにもいい顔しようとしてるのかと、侘しさが湧いてくるので、これも好感とは程遠い。とっちにしても、最近の私は安倍首相に対しては信頼できなくなっているので、何を見ても批判的になってしまうのは自覚している。難民支援に970億円時事通信 / 2015年9月30日 8時52分 首相、PKO積極参加を表明 「さらなる貢献可能」共同通信 / 2015年9月29日 5時21分またまた海外でエラソーに大見栄切っている。私たちの国のトップリーダーは、そういう人なんですね。いや、国のトツプリーダーってほとんどそうなのかな。図書館の民間委託、めちゃくちゃな運営で訴訟続出!パートを時給180円で酷使Business Journal / 2015年10月2日 6時0分何年も前から、公共施設の運営が、民間会社のノウハウを活用した柔軟な運営と経費削減を目的として民間委託や指定管理者制度が次々と導入され始めた。公共施設によっては、もちろん民間が運営したものの方が効率的で市民サービスも向上するものがあるだろう。しかし、公共施設によっては「利用料無料」が原則だったり、福祉などそもそも人手がかかり、収益をあげることが難しいものもある。公共的な施設において一番重要なのは、その自治体がその事業に対してどのような理念や将来への方針をしっかり持っているかどうかが重要だと思う。私は図書館が大好きで活用させてもらっているから、特に図書館業務の管理委託にはしっかり関心を持ち続けたいと思っている。当市の図書館も一部管理委託になっているのだが、それを導入するときには関係する委員会に入っていたので、会議の際にいつもしつこいほどに強調していたのは、「当市の図書館運営について、公共図書館の役割の意味や、しっかりした将来への方針や理念を持つ人が、継続して図書館に関わり続けることのできる体制をとってほしい。そのためには、図書館司書資格を持ち、常に市民と接しながらニーズを把握し、やがて管理職になれる人材を育てることを約束して欲しい」ということだった。そして、「決して委託会社に任せきりにせず、必要とあれば厳しい処分も考えて欲しい」と。今では、図書館関連委員からは離れているので、私に何も言う資格はないのだが、上記のニュースは私にとっては「行政は何やってるんだ!」という怒りが沸くばかりである。民間業者は営利目的で受託するに決まっている。だからこそ行政は、しっかりと運営を監視してゆく義務があると私は思うのだが。<保育園>きょうだいが別々の園 福岡市250世帯悲鳴毎日新聞 10月2日(金)15時0分配信 ここも、何やってんだか!?
2015年10月02日
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この時期の連休をいつ頃からシルバーウィークと言うようになったのかよくわからないが、今年の北海道のシルバーウィークは晴天に恵まれ、きっと各地の行楽地は賑わったことだろう。しかし、私たちは一年中休日なので、わざわざ人ごみの中にでかけることもない。というわけで、大まかな備忘録。20日(日) 前の週に雨のために延期された町内清掃日。その後、庭の草むしりに汗を流す。21日(月) 実家に行ったり我が家の除草の続きをしたり、パソコンしたりと雑用の一日。22日(火) 息子の畑の一角に植えていた「蕎麦」の脱穀作業。 昨年、息子が近所の農家で使わなくなった脱穀機を譲ってもらったので、 今年からは「唐竿(からさお)」での作業がなくなり、 大正時代の作業から昭和の作業に文明開化。 しかし、仕上げに「唐箕(とうみ)」は使用したので、まだ昭和初期段階かな。23日(本日) 実家のハウスのビニールはずしや、花壇の花の整理などで汗を流す。明日は、息子夫婦と黒岳に行く予定。約20年ぶりの黒岳なのだが、てっぺんまで行けるでしょうか。シルバーウィークも終わって、あまり混雑していないことを祈る。
2015年09月23日
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大震災の時も、今回の水害でも、取り残された人たちの救助や搜索には、自衛隊員がいつも大活躍をしてくださる。もちろん、警察も消防署も、自治体も防災組織も、それぞれに自分自身の危険もありながら必死に活動してくださっている。それでも、機動力や装備では自衛隊という組織は本当に頼りになる。これほどの実力を持つ自衛隊を、他国のためにも使いたいという気持ちはわからないでもないが、やはり国土防衛、専守防衛に徹していただきたい。国際貢献や日本の平和の維持のためには、無理な憲法解釈をしなくてもできることはあると思うのだが。ちなみに、他国の災害の時に自衛隊を支援活動で派遣することは、私は全く反対はしませんよ。ぜひ、蓄積された経験や技術を他の国の人たちのために生かしていただきたいと思います。上記のグレーの文字の部分、maki5417さんのご指摘で問題があると自覚しました。削除しようと思いましたが、自戒のために残しておくことにします。重ねて、自衛隊には「国土防衛、専守防衛に徹していただきたい」ということを強調させていただきます。
2015年09月12日
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日本もかつては「福祉国家」を目指していたと思うのだが、いつの頃からか社会主義的施策が見直しされ始め、「新自由主義」なる言葉が飛び交うようになってきた。この主義の主導者は、親分アメリカだったこともあるのか、草木もなびくように国の政策も新自由主義に沿ったものになっていったように思う。私自身も、あまりにも旧態依然としていた「年功序列的」で「官僚主導的」な構造のマイナス面を感じていたので、「自由競争的な視点も必要」と思え、「新自由主義」に反対ではなかった。しかしやがて、その「自由」とは「自由に強いものが弱いものを駆逐する」ということに近いと感じるようになる。決して、「精神や個人の自由意思による選択の自由」ではなかったのだ。新自由主義で生き残れるもの、その効用を享受できるものは、そもそもお金や権力、そして能力で優位に立っていた人たちであって、色々な意味で不利な状況にある人たちは、いよいよ不利になってくるのだということを、私たちはもっと強く意識しなくてはならないと思う。現在世論を二分している「安全保障関連法案」だって、「派遣法」だって、教育改革だってみんな「強いものになろう。強くなれないなら、強いものに付く。あるいは強いものに迎合しよう」という感じだろう。ネット上でのネトウヨと言われるような人たちの多くは、決して本当に強い立場の人たちではないように感じる。自分自身はいつも世の中の不条理や不平等にキツイ思いをして、ストレスを抱えて生きていて、そのストレス発散のように「権力者たちの言説」を支持してその仲間入りしてい気分になり、より弱いように感じる人たちを叩く。私がそのように感じるようになったのは、この数年かもしれない。人間というものは、単に弱肉強食で生きている動物ではないはずだ。強いものが弱いものを守り、必要とあれば自分が多少損をしても弱い立場の人たちに寄り添い支え、助けたいと思う生き物のはずだ。だからこそ、他の動物とは違う文化を持ち得たのだし、様々な弱者を守る仕組みを考えてくることができたはずだ。強くなり、権力やお金を持ったものたちが、「自分の努力の成果だから誰にも渡さない」とするのは間違っている。たまたま様々な運や健康や人との出会いに恵まれていたから、その能力も発揮できたということだろう。持てるものは持たない者に対してもっと共感的な優しさを持たなければ、どんどんこの社会は住みづらくなるし、結果的には自分の生きる国を危うくしてしまうだろう。それを為政者に求めるだけではなく、自分の生活の中で実践していかなければならないと思っている。
2015年09月11日
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この一週間は、結構色々あって忙しく、かつ考えさせられた日々だった。まず、息子のお嫁さんの母方のおばあちゃんが突然亡くなり、年齢的には「天寿」と言われてもいいのだけれど亡くなり方がちょっと…で、葬儀のためにかけつけたお嫁さんとメールのやり取りで色々神経や頭を使った。その間にも、関わっている団体の行事のことや、そのメンバーの様々な話を聞く機会があり、これまた様々なことに思いを巡らせることになった。その間に、10月に開催予定の中学のクラス会の案内状発送準備で、幹事メンバーであるОさんと久しぶりに話す。彼女の人生にも山あり谷ありで、今はほんの少しだけゆとりができるようになり、かつては話せなかったことも色々と話してくれた。これもまた、人間が生きてゆくということの大変さや不思議さを考えさせられた。そして昨日は、昼間は息子の畑の手伝いで息子たちも孫たちも全員集合。やっぱり少しは疲れたので、夜の外出は少し気が重かったのだけど、小中学校の同級生が帰省していて集まるので出てこいという話になっていたのでヨッコラショとでかけてきた。みんなそれぞれ高齢者の部類に入っているのであるが、ここでもかつての同級生の近況や昔話、そして子供時代には知らなかったそれぞれの家庭の事情や育ち方の話を聞くことになった。本当に人がこの世で生きるということは、自分にはどうしようもない環境や社会情勢の中での試行錯誤と、失敗や反省の繰り返しだなということを感じる。それでも、こうやって何とか「今はまずまず幸せ。ここまでこれたのも色々な人のお陰様」となれば上々。努力が報われなかったように思える人や、自分自身や家族の健康問題、その他諸々の課題を抱えて苦労している人も多い。いくら心配しても、私たちが助けてあげることはできないし、できることは陰ながら応援したりすることくらいだ。こんなことを書いている私自身、明日はどんな運命が待っているかはわからない。今の平安を感謝しながら、今できることをやっていかなければと思う。
2015年08月30日
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ネットで記事検索していたら、こんなものに遭遇。「エリウヨ」なんて初めて知りました。富裕層でネトウヨが増殖中! あの高須院長も「中国機撃ち落とせ」「ヒトラーは無私の人」と暴言連発リテラ / 2015年8月22日 12時0分
2015年08月23日
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総裁選出馬、野田氏が含み北海道新聞08/22 05:00野田聖子前総務会長 自民総裁選出馬に含み 日本テレビ系(NNN) 8月22日(土)6時25分配信今のような状況になっても、自民党総裁選が無投票で安倍氏に決まるなんて、夫は「どうなってるんだ、自民党」と呆れている。私は、「まだまだ、わかんないよ。今は自民党内の魑魅魍魎が様子伺いでドロドロでしょう」。今朝はテレビの「安倍氏の続投が望ましい」などというニュースを見ながら、そんな会話。でも、その後野田聖子さんが「初当選以来、それ(首相)を目標としなければ堕落すると思ってやってきているので、毎回毎回考えてはやめたり、やめさせられたり色々ありますが、今も同じような状況です」 と言っているのを聞き、もうこの人に期待するしかないかと思った次第。「女性が輝く社会」なんて言いながら、安倍氏の重用する女性議員は私に言わせれば「男になりそこねて、女を武器にすることにした嫌な女」という最も嫌いなタイプが多い。そんな中で、野田聖子さんは「女性らしい潔さ」を感じるので好感を持っている。しかし、このように男に媚びずに信念を持つ女性を、男性はあまり好きではないのも一般的な話。負けないで、野田さん!貴女は周囲の雑音に負けずに「鉄の母」として、障害を持つ子供を育てている。私はその中で培われている人間観、人生観、そして社会を命の視点で見る姿勢を信じたい。
2015年08月22日
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昨日は70年目の終戦(敗戦)記念日。 終戦記念日:連合国のポツダム宣言を受諾した日本が降伏し、第2次世界大戦が終結したことを記念する日。1945年(昭和20年)8月15日正午から、天皇の玉音放送がラジオで流され、国民は終戦を知った。第2次世界大戦で戦死した軍人・軍属は約230万人、空襲や広島、長崎の原爆投下、沖縄戦などで亡くなった民間人は約80万人とされる。毎年、政府が全国戦没者追悼式を東京で行っているほか、全国各地で市民団体などが平和集会などを開いている。追悼式での首相の式辞と天皇陛下のお言葉が気になっていたので、この時はテレビをつけて見ていた。終戦70年、不戦・加害触れず 首相「戦後脱却」色濃く 天皇陛下は「深い反省」 戦没者追悼式08/16 05:00昨日は、前日の首相談話を「空疎な言葉」としてブログに書いていたのだが、さて戦没者追悼式では…まずは、天皇陛下のお言葉全文 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。安倍首相の式辞全文 天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。 遠い戦場に、倒れられたみ霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に命を落とされたみ霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。 皆さまの子、孫たちは、皆さまの祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆さまの尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたしたちは、片時も忘れません。 70年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してまいりました。戦後間もないころから、世界をより良い場に変えるため、各国・各地域の繁栄の、せめて一助たらんとして、孜々(しし)たる歩みを続けてまいりました。そのことを、皆さまは見守ってきてくださったことでしょう。 同じ道を、歩んでまいります。歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。わたしたちの今日あるは、あまたなる人々の善意のゆえであることに、感謝の念を、日々新たに致します。 戦後70年に当たり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく、そのことをお誓い致します。 終わりにいま一度、戦没者のみ霊に平安を、ご遺族の皆さまには、末永いご健勝をお祈りし、式辞と致します。戦争の責任ということを日本で一番考えてきたし今も自分の身に引き受けながら考え行動している天皇のお言葉と、戦後生まれで戦争によっての苦難を味わうことなく生きてきている安倍首相の言葉が同じであろうはずがない。そうだとしても、やはり安倍首相の言葉は「ボクたち頑張ってきたよ。これからも(アメリカの)善意と抑止力を信じて、常に謙抑を忘れません」と言っているように感じてしまう。そして、「(沖縄の)あまたなる人々の善意」が必要なのだと言っているようにも…。大体、ご遺族の皆様に「末永いご健勝」って、いくら常套句であってもどうなんだろう。戦争で生き残った人や犠牲者は、今も生きているのだ。悲惨な記憶や悲しみの中に、今現在も生き続けている人が多いことに思いは至らないのか。はっきりいって、この文言を起草した人やそれを納得して読んでいる安倍首相には、人の状況や気持ちに対する想像力というものが欠けているのではないだろうか。それに比べて陛下のお言葉は、常日頃の言行と一致しているから心に響く。安倍首相に不足していることを、きちんと人々に伝えてくださっていると感じる。日本に天皇皇后両陛下がいて下さって、本当に良かったしありがたいと思う。
2015年08月16日
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昨日は、ぶどう畑作業から帰宅してぐったりしながらパソコンチェックをして、アクセス数が目に入って、456789になりそうということだけ書いた。ちなみに、今のアクセス数は456962となっている。さて、今日は2000件目のブログなのだが…。今朝の新聞では、昨日の長崎の平和式典での安倍首相の挨拶に関する記事が目に付いた。「非核三原則堅持」 首相が明言、世論の反発受け対応一変 08/10 05:00つまり「非核三原則」ぶれる首相 広島→触れず/長崎→言及へ 世論の反応読み違う08/08 05:00ということは間違いない。広島の挨拶で「非核三原則」を明言しなかったのは、核の持ち込みについての嘘を重ねたくない気持ちが働いたのかなと感じていた。とにかく、建前としてというか、究極の目標を手放すことは危険なことなので、理由いかんに関わらずこれは首相に明言し続けて欲しい。それでも、首相の言葉にヤジがあったとか。祈る平和、消えぬ不安 長崎原爆の日 首相にヤジ、溝浮き彫り08/10 05:00「侵略」「おわび」公明が明記要請 70年談話で08/10 05:00公明党も支持者の突き上げがジワジワと効いてきたようだ。先日は、高校生がデモを行ったニュースを見た。安保法案 抗議デモ 高校生ら5000人「廃案」訴え(東京新聞2015年8月3日 朝刊)私が記憶する限り、高校生中心のデモはかつてなかったのではないか。ネットでは「平和ボケ」とか批判的な意見もあるようだが、少なくてもこの問題に関心を持つ高校生がいることに、私は心を動かされた。私には、「平和ボケはどっちだ」という気持ちも湧いてくる。先日、安倍首相の親衛隊員のような議員が、このような若者たちを「利己主義」と発言したようだが、その後彼がどんな経歴かとネットで調べたら、まさに自己中心的でご都合主義の、強いものに迎合する人のようである。こんな若者もいるけれど、自分に不利なことがあるかもしれないと思いながらも勇気を振り絞る若者もいる。健全な若者を大切に育てなくてはいけないなと思う。私はせめて、彼らの行動に拍手を送りたい。
2015年08月10日
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二日前までの猛暑の後のせいか、今日は22°Cくらいのようだが肌寒い感じがする。一昨日と比べたら、一気に10°は気温が下がっている。今日は「立秋」だそうで、文字通り秋風が吹いている感じ。本州はまだまだ猛暑のようなので、「みんな北海道においでよ」と言いたくなってしまう。涼しいので、お墓の掃除や庭の草むしりなどで機嫌よく過ごした。でも、明日はもう少し気温上昇かな。昨日に続き、明日も息子の畑の手伝いの予定。あまり暑くならなければいいのだけど。
2015年08月08日
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今日は、広島に原子爆弾が落とされてから70年。今年は国会で安保関連法案が議論になっているので、今まで以上の危機感を抱きながらこの日を迎えた。多分、毎年「ヒロシマ、ナガサキ」の日あたりに何か書いていると思うので、今年はそれを覚書として列記しておこうかと思う。2003年08月06日 「広島58回目の原爆の日」 2004年08月09日 59回目の「長崎・原爆の日」 2005年08月09日 60回目の長崎原爆忌 2006年08月06日 広島原爆忌2007年 ブログを書いている日が少なく、原爆忌についての書きこみなし。2008年 東北のお祭りツアーに行っていたようで、原爆の記述なし。2009年08月06日 広島平和宣言。原爆症認定集団訴訟終結2010年 多忙だったのか、この年のブログ更新は30数件のみ。2011年 この年も仕事してたのかな。この月は、泊原発についての記述のみ。 福島原発事故の後なので、やっと原子力発電が原爆と通じるものがあると、 その危険性を私を含めて多くの日本人が認識した年。2012年 この年も触れていない。毎年同じようなことを書いているような気がし始めていたかな。2013年08月17日 子どもの力をバカにするな…「はだしのゲン」閲覧制限等に思う2014年 去年もブログ更新が少ない。 意欲減退の年であったというか、自分の中でのブログの意味がちょっとわからなくなっていた。毎年のように何か書いているはずと思ったけど、意外とそうでもない。でも、毎年この日に在宅していたならば、様々なことを思いつつ一日を過ごしてはいる。昨年はブログが滞りがちだったけれど、今年はニュースネタを中心にブツブツ書いている。こうやって過去記事を読んでみると、その時々のニュースも忘れていることが多いので、その記録のためにでも続ける意味はあるかもしれない。昨夜は本当に暑くて寝苦しかった。こんな季節に原爆で焼かれた人たちの苦しさを思い、このような最悪の兵器が二度と使われないことを祈る。
2015年08月06日
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今日はこちらも30°を超えている。本当にどうなっちゃってるんだろう。我が家はクーラーがないので、扇風機にしがみつくしかない。午前中、親戚の農家のブルーベリーを摘んできたので、ジャムにしなくてはならないのだが、台所で火を使うのもためらってしまう。きっと今日は、あちこちで熱中症で倒れる人が続出ではないだろうか。みなさん、どうぞお気をつけください。
2015年08月05日
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先日テレビ番組で、「宿題代行サービス」というのがあることを知った。その時の番組が何だったのかはっきりしないが、関連する記事をみつけた。宿題代行サービスを使うのはあり?なし? 代行業者に依頼する親が急増中らしい相場は「各番組によると価格はドリル1冊7000円から、読書感想文は1枚400字詰めで小中学生2500円から・高校生3000円から、自由研究は1万3000円から、絵は1万8000円からなどと紹介されています。」らしい。このようなサービスがあるということはちょっと耳にしていたが、子どもの文字を真似たりなどと芸が細かくて(?)本当に驚いた。こんなサイトもあった。宿題代行サービス 宿題代行屋などの業者一覧番組での視聴者の意見では、記憶では三分の一がほどが「場合によっては賛成」という反応だったように思う。はっきり言って、こんなことになっているなら夏休みの宿題や自由研究はなしにした方が、子供への害がないのではないか。別のニュース番組で、夏休みに入る子どもたちに「夏休みは何を頑張りたいですか?」と聞いていた。夏休みって、休むためにあるものじゃなかったのでしょうか。学校で頑張り続けている子供たちに、十分な休養と楽しみを保障して、充電するものではないかと思います。単に、暑さを避けるための意味ではなかったはずだと思うけど。数日前、高校生のお子さんが不登校になり、半年ほど自宅にいたけれど転校したという話を聞いた。それは、メールやラインでの友達とのやり取りの中で、自分がイジメる側になってゆくのが嫌だというのが理由のようだった。どちらかというと元気なタイプの子で、イジメ側に近い友達関係だったため、自分がイジメられるようになるのも怖いし、迎合してイジメる側になりたくもなかったら、選択肢は転校しかなかったらしい。そのいじめの内容を少し聞いて驚いた。最近はネットも学校側からチェックされることが多いらしく、とても巧妙らしい。例に上げていたのは、「掃除を真面目にやるクラスメイト」に対し、「あの子、まじめだね」とか、「ガンバってるね」だけでも、本人たちにはわかるイジメなのだそうだ。だから、その字面だけをみてもイジメとはわからないし、何か指摘されても言い訳しやすい。そんな知恵だけは、どんどん強化されているのが今の現状のようだ。受験だの内申だのという目先のことに汲々として、そのためにはなんでもお金で解決して誤魔化す。そのことを何の不思議も疑問もなく受け入れるようになった時、どんな大人へと成長してゆくのだろう。代行サービスを見ていたら、当然だけど「大学のレポート」もあったし、「履歴書、ESなどの美文字清書」ってのもあった。こんなことでごまかしながら社会人となったら、その後もごまかしながらの人生しかないではないか。ごまかしを続けるのは本当にストレスがあると思うし、それでは精神的に健康になるはずがない。私は、このようなことで誤魔化した経験はないけれど、自分の本音を隠し続けるということは、子供時代からずっと続けていた。人に嫌われたくないから、いつも笑顔を作っていた。嫌いな人も、「あの人にはこのようないいところがある」と自分に言い聞かせ、「嫌い」という思いを封印していた。「理不尽だ、納得できない」と感じても、「私にはわからない理由があるのだろう」と押し込んだ。そんな心の動きは決して悪いことばかりではないと思うし、心の成長には少しは必要とも思うが、ジワジワと未熟な心を疲れさせ、やがて自分を責める要因となり、精神的にバランスを崩したこともある。「ごまかすこと」が当たり前になってしまうことは、倫理観・道徳観・正義感を鈍麻させるか、精神的疲労を蓄積させるかのどちらかだと思う。(いや、両方ですね)夏休みの宿題なんか、やめたほうがいいんじゃないですか?
2015年08月04日
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本州で国際的なボランティア活動に関わっている友人から、下記の情報が届いた。彼女の友人である、元共同通信記者からの情報だという。転送が何度かされているようなので、私に届いたメールをコピペする。たまりかねた村田光平・元スイス大使が、命を懸けて世界に情報発信したようです!下の手紙は元スイス大使が菅官房長官と舛添都知事に宛てた手紙である。 フクイチ(福島第一原発)の地下に沈んだデブリ(溶融核燃料)が、中性子線とトリチウムを大量に大気中に発散させている!という衝撃的な情報が書かれている。 問題は…、村田光平氏が国内の要人(菅義偉と舛添要一)に情報を上げただけではなく、ローマ法王やケネディ大使にも「中性子線とトリチウム情報」が発信されたということだ。この結末を、国際社会は注目するだろう。 世界的な要人の誰かが「中性子線とトリチウム情報」に言及したら…、冷温停止状態の嘘がばれて日本政府の国際的な信用が完璧に失墜するからだ。 菅義偉内閣官房長官殿 平成27年6月29日 村田光平拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。 再臨界に由来する中性子線量と溶解燃料棒と海水の接触から生じるトリチウムが全国に飛散し甚大な被害を生みつつあるという衝撃的情報をお届けいたします。 同情報が正しければ、ご報告済みの「週刊プレイボーイ」(2015.5.4)の下記指摘が現実になっていることを意味することになります。 「CTBT(包括的核実験禁止条約)に基づき「日本原子力開発機構」が群馬県高崎市に設置した高感度の放射性核種監視観測システムには、昨年12月から福 島第一原発の再臨界を疑わせる放射性原子ヨウ素131とテルル132、が検出され続けている。また福島第一原発2号機横の観測井戸では、今年に入って新た な核分裂反応の再発を示すセシウム134とトリチウムの濃度が高まるばかりだ。」 「質量がケタ外れに多い福島第一原発のデブリが「地底臨界」すれば、東日本どころか地球規模の超巨大原子力災害に突き進む! だからこそ海外の研究者や政府関係者たちも、福島第一原発事故処理の不透明な現状に対して不安といら立ちを募らせているのだ。」 この指摘を検証することは国民の間のパニックを回避するためにも重大な緊急課題と思われます。 もはや誰も信じない under control 発言を放置することに対し、世界中から批判が高まりつつあります。上の手紙のなかで熟読すべきは、ローマ法王宛とケネディ大使宛の英文の手紙である。この2通の手紙には、「中性子線とトリチウム」のことがシッカリと書かれている。 ケネディ大使宛の村田光平書簡は、オバマ大統領が必ず読むことになる。ローマ法王は世界中のキリスト教徒国家元首に大きな影響を与えます。 ローマ法王と、ケネディ大使は、人類滅亡に繋がる「中性子線とトリチウム情報」を知らない。オバマ大統領は、プーチンからの直通電話で「中性子線とトリチウム情報」は得ている。 国際社会がフクイチ産の「中性子線とトリチウム飛散の危険性」に関して、“共通の認識レベル”に達したとき、必ずオリンピック返上や、先ずはフクイチのデブリ鎮圧だ!との国際圧力が高まるでしょう。そのような外圧が高まれば、いやでも日本政府も重いい腰を上げざるを得なくなるでしょう。http://kurionet.web.fc2.com/Pope20150705.htmlhttp://kurionet.web.fc2.com/Kennedy20150713.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今、ネットを検索してみると、この情報を受けた人たちが私同様ブログ等で情報発信しているようだ。外圧の前に、自らの意思で政府はただちに重い腰を上げて欲しい。村田光平氏サイト関連ブログ ココログ里子のブログ「ローマ法王やケネディ大使にも「中性子線情報」が!他にもたくさんの情報があった。それぞれが、それぞれの別の情報も含んでいるのだが、読んでいると本当に絶望的な気持ちになってくる。私たちの日本はどうなっていくのだろう。
2015年07月27日
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リンクしている方のブログで、福島原発の状況についてドイツの調査機関が調べた「ドイツZDF フクシマのうそ」を見た。書きおこしたものがあったので、コピーしておく。 我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長でもう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。フクシマでも、だ。私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。(タイトル) フクシマの嘘(監督) ヨハネス・ハノ私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。ナカ氏はここで生活をし福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。(ナカ氏)私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけでその人たちの言うことなど誰も本気にしません。日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。原子力ムラ、というのです。彼らの哲学は、経済性優先です。この原子力ムラは東電、政府、そして大学の学者たちでできています。彼らが重要な決定をすべて下すのです。私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ彼は辞任に追い込まれた。彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。(菅前首相)最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、何もしなかったことです。原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。この過失は責任者にあります。つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。調査は2つの大陸にまたがった。まずカリフォルニアに飛んだ。目的地はサン・フランシスコである。私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事でフクシマにも何度も来ておりかなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。フクシマの第1号原子炉は70年代初めにアメリカのジェネラルエレクトリック社が建設しそれ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。そしてフクシマでは何度も問題があった。(ハーノ記者)東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?(スガオカ氏)亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。つまり、黙れ、ですよ。何も話すな、黙ってろ、というわけです。問題があるなど許されない日本の原発に問題など想定されていないアメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏もそれを変えようとすることは許されなかった。(スガオカ氏)1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていてそこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。(スガオカ氏)原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと彼がこう言いました蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。スガオカ氏は点検の主任だったので正しく点検を行い処理をする責任があったのだが彼の報告は、東電の気に入らなかった。私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。報告書も書くな、と言うのです。私はサインしかさせてもらえませんでした。私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると知っていたからです。(ハーノ記者)では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?(スガオカ氏)そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り日本の担当官庁に告発した。ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。それも日本のフクシマで、である。18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。佐藤氏は古典的政治家で皇太子夫妻の旅に随行したこともある。始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。それから、その信頼をどんどん失っていった。(佐藤前知事)福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届きその中にはスガオカ氏の告発も入っていました。経産省は、その内部告発の内容を確かめずにこれら密告者の名を東電に明かしました。それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。東電は、報告書を改ざんしていたというのです。それで私は新聞に記事を書きました。そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり17基の原発が一時停止に追い込まれた。調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。2004年に復讐が始まった。(佐藤前知事)12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。この疑惑は、完全にでっち上げでした。弟が逮捕され首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。彼の名はノリモトという名で遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。少し私の悪口を言うだけでいいから、と。中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。裁判で彼の無罪は確定されるがしかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。(菅前首相)ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対するあらゆる形での圧力が非常に増えています。大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。それは文化に関しても同じでスポーツやマスコミも含みます。このように網の目が細かく張りめぐらされて原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて国全体にはびこる問題なのです。誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。ネットワークは思う以上に大きい。多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。1962年以来東電の副社長のポストは原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。これを日本では天下り、と呼んでいる。しかし反対の例もある。東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し12年間、日本のエネルギー政策を担当しそれからまた東電に戻った。このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。河野氏の家族は代々政治家で彼の父も外相を務めた。彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り支配した自民党に所属している。原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。(河野議員)誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきたそして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。マグニチュード9だった。しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。津波は場所によっては30メートルの高さがあり町や村をのみこみ消滅させてしまった。約2万人の人がこの津波で命を失った。そして福島第一にも津波が押し寄せた。ここの防波堤は6メートルしかなかった。津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。(菅前首相)もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。しかし標高10mの位置で掘削整地しそこに原発を建設したのです、低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。(字数が多いので、続きは次のブログで)
2015年07月25日
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憲法学者をはじめとして、様々な学者・研究者が安倍政権のやり方に怒りの声をあげた。学者1万人超が抗議声明=強行採決「民主主義の破壊」―東京時事通信 7月20日(月)20時9分配信 今まで政治には無関心かと思われていた若者や主婦たちも動き始めた。(これだけは、怪我の功名というか、安倍政権の手法の成果と評価しなくちゃならないかな)<安保関連法案>戦争アカン…関西で広島で高知で若者や主婦毎日新聞 7月19日(日)22時9分配信 支持率の急降下のみならず、あちこちで安倍政権へのNOの意思表示がされはじめ、国民の視線を変えようとして新国立競技場の見直しを表明したけど、誰もこの顛末への責任をとらない状況に、多くの国民は安倍政権を見限ろうとしている。どんなに「丁寧な詭弁」を使っても、もう私たちは今の政権を信用できなくなっている。高村正彦副総裁は、「支持率が下がっても必要なことをする」ような発言をしていたがそれでは民主主義国家であることをやめようとしていると同じ。安倍氏も高村氏も、かつての特攻気分で突っ走っているのかもしれないが、特攻と違って支持率下がっても死ぬことはないですからね。さて、こんな状況でも自民党・公明党議員の皆さんは安倍首相についていくのでしょうか。支持率を無視した行動は、直接国会議員、それも若手というか新人議員のみなさんの政治生命に関わりますよ。もちろん、議員でなくなっても「元〇〇議員」などと名乗ることはできますから、一般人としてはちゃんと生きて行けますけどね。そして公明党支持者はどう考えているのか。今こそ公明党の存在意義が問われているのです。そろそろ目覚めてください。
2015年07月21日
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今朝の北海道新聞で、下記の記事を読んだ。自衛官募集で道内8万人の情報入手 卒業予定の高3生など 自衛隊07/19 07:30自衛官募集のダイレクトメールが高校卒業予定者に届くことは話題に上ったことがあり、その時は「そんな個人情報は、どうやってわかるんだろうね。やっぱり名簿業者かな?」などと話していたのだが、住民基本台帳の閲覧によると知って驚いた。早速、ダイレクトメールを送るための目的で閲覧出来るのかどうかネットで調べてみる。住民基本台帳の一部の写しの閲覧及び住民票の写し等の交付に関する省令(昭和六十年十二月十三日自治省令第二十八号)うーん、これではどんな時に請求できるのかよくわからない。と探してみたら、住民票ガイドの中のQ.住民基本台帳(他人の住民票)の閲覧方法、理由、制限、禁止などを教えて下さい。というのがあった。これによると ▼閲覧することができる場合 1. 国、地方公共団体の機関が法令の定める事務遂行(公用)のために閲覧する場合2. 統計調査・世論調査・学術研究等の調査研究のうち、公益性が高いと認められるものの対象者を抽出する目的で閲覧する場合 3. 公共的団体が行う地域住民の福祉向上に寄与する活動などで、公益性の高い事業を実施するために閲覧をする場合▼閲覧を拒否される場合 1. 閲覧対象の市民を特定しない請求は、公益上必要と認める場合を除き拒否されます。2. そのほか正当な理由がない閲覧について拒否されます。3. DVやストーカー被害者など、身体に危害を受けるおそれがある人を保護するため、被害者から申出が提出されている場合は、閲覧台帳から除かれています。ということで、国の機関である防衛庁が、法令の定める自衛官募集のために必要だから閲覧し、その情報でダイレクトメールを対象者に送るのは公益上必要ということなのだろう。安倍政権の言い方に倣えば、「法律上全く問題はありません」ということで、拡大解釈でも何でもないということか。でも、なんだかちょっと納得できない気がするのは私だけ?[関連記事]<安保法案 かすむ「平和」>自衛官募集、冬の時代 「危険増す」就活学生敬遠07/19 05:00隊員が集まらないと徴兵制になってしまうかも。ダイレクトメールは大目にみなくちゃならないか。
2015年07月19日
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内閣支持率37%に急落 不支持は51% 安保法案採決「良くなかった」73%07/18 16:57、07/18 20:57 更新新聞記事は各政党支持率についてもっと詳しく載せているのだが、上昇しているのは共産党。民主党は微増、公明党は微減である。それにしても、同じ与党なのにどうして公明党批判は聞こえてこないのだろうとずっと不思議に思っている。私の鈍い頭で考えられるのは、・安倍首相が目立つので、公明党が目立たない。・公明党はどうせ…と、公明党&学会員以外は相手にしていない。・公明党を叩くと何か不都合が起きることがある。(「何か」が何なのかは、全くわからないけど)・今までそれなりのブレーキ役をしていたから、公明党を信頼している。・公明党員は、そもそも党の方針を批判する思考回路を持たない。まあ、わたしなどが思いを巡らせることができるのは、せいぜいこんなところ。今の安保関連法案を本気で反対するなら、安倍首相だけではなくて公明党に対しても同様に批判しなくてはならないのではないだろうか。遅ればせながら、私はせめてこのブログで「何やってんの、平和の党。政権の腰巾着にならないで!」と発信しよう。
2015年07月19日
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内田樹氏のブログ「東京新聞(7月17日)」を読む。いつもながら内田先生の書く事は刺激的で、納得したくないけど納得できてしまう。(以下転載) 安保法制強行採決を承けて、東京新聞にインタビュー記事が載りました。転載しておきます。 世界平和を求めるとか、平和憲法を維持するとか、「きれいごと」を言うのはもうやめよう―。そんな不穏な心情が法案成立を目指す安倍政権を支えている。「結局、世界はカネと軍事力だ」と言い放つような虚無的な「リアリスト」の目には立憲主義も三権分立も言論の自由も法の支配も、すべて絵空事に見えるのだろう。 七十年前の敗戦で攻撃的な帝国主義国家日本は一夜にして平和国家にさせられた。でも、明治維新以来、琉球処分、朝鮮併合、満洲建国と続いてきた暴力的で攻撃的な国民的メンタリティーはそれくらいのことで消えたわけではない。抑圧されただけである。 表に出すことを禁じられたこの「邪悪な傾向」が七十年間の抑圧の果てに、ついに蓋を吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味である。彼らに向かって「あなたがたは間違ったことをしている」と言い立てても意味がないのは、彼らが「間違ったこと、悪いこと」をしたくてそうしているからである。 明らかに憲法違反である法案が強行採決されたベースにはそのような無意識的な集団心理がある。一部の日本人は「政治的に正しいこと」を言うことに飽き飽きしてきたのである。ただ人を傷つけるためだけのヘイトスピーチや、生活保護受給者への暴力的な罵倒や、非正規労働者のさらなる雇用条件の引き下げなどは「他者への気づかい、弱者への思いやり」といったふるまいが「胸くそ悪い」と言い放てるからこそできることである。 生身の人間として戦争を経験して敗戦を迎えた世代には、平和と繁栄という「敗戦の果実」をありがたく思う身体実感があった。占領も、属国化も、基地の存在も、「戦争よりはまし」という比較ができた。でも、そういう生活実感はもう今の人はない。平和憲法が敗戦国民どれほどの深い安堵をもたらしたか、そのリアリティがわからない。だから、憲法がただの「空語」にしか思えないのだ。 安倍首相が「戦争できる国」になりたいのは、戦争ができると「いいこと」があると思っているからではない。それが世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争がしたいのである。 彼は「悪いこと」がしたいのである。 国際社会から「善い国だが弱い国」と思われるよりは、(中国や北朝鮮のように)「嫌な国だが、怖い国」と思われる方が「まだまし」だという心情が安倍首相には確かにある。 これは安倍首相自身の個人的な資質も関与しているだろうが、明治維新から敗戦までは大手を振って発揮されてきた日本人の「邪悪さ」が戦後過剰に抑圧されてきたことへの集団的な反動だと私は思う。 法案が成立すれば、海外派兵は可能になる。それでも、米国がただちに自衛隊をイラクやシリアに配備するとは私は思わない。短期的には米国にとってそれが一番利益の多い選択だが、もっぱら米国の権益を守るための戦争で自衛隊員が日本に縁もゆかりもない場所で無意味に死傷者を増やして行けば、日本国内での厭戦気分が反米感情にいきなり転化するリスクがあるからだ。 「なぜアメリカのためにこれほど日本人が死ななければならないのか?」という問いに安倍内閣が説得力のある回答ができるとは思われない。 リスクを抑えて自国益を守るために、自衛隊員が死傷しても日本国民が「納得」するような用兵でなければならない。国防総省はいまそれを思案中だろう。
2015年07月17日
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日本最大の右派団体「日本会議」と安倍政権のただならぬ関係 みんな、そこでつながっている現代ビジネス 7月12日(日)11時1分配信 安倍政権関連記事を見ていたら、上記の記事に目が止まった。「日本会議」って、聞いたことはあるけど…と読んでみると!確認のため、日本会議のホームページを覗いてみる。色々な考え方の人がいるのは当然だし、考えを同じくする人たちが団体となって活動することも当然。しかし、最初の記事で海外特派員の「集団的自衛権行使を合憲としている憲法学者が3人いて、彼らはみんな、日本会議に属している。それは何を意味しているのか?」いう問に、慶応大名誉教授の小林節氏(憲法学)が次のように答えたそうだ。「私は日本会議にはたくさん知人がいる。彼らに共通する思いは、第二次大戦での敗戦を受け入れがたい、だからその前の日本に戻したいということ。日本が明治憲法下で軍事5大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いの人が集まっている。よく見ると、明治憲法下でエスタブリッシュメントだった人の子孫が多い。そう考えるとメイク・センス(理解できる)でしょ」 この言葉が本質を突いているとするなら、そしてそのような考えの人たちが沢山政治の世界で力を持っているとするなら、とてもとても不安である。少なくても私は、明治憲法の時代には戻って欲しくないし、軍事大国になることを望んではいない。
2015年07月13日
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リンクしているsowonさんの「あとから生まれてくるもののために」を拝見して、私がブログでの名前を「みらい」とした理由を思い返してみた。2003年にこのブログを始めるとき、どんな名前にしようかと考え、「これからの私の未来は?」というような感じで深く考えることなくつけたように思う。その時の私がイメージしたのは「私と身近な人の未来」だけだったかもしれない。当時はまだ50代に入ったばかりだったから、まだまだ自分のこれからを楽しみにしていたのかも。でも、多分通信で勉強していた頃には、これからの少子高齢化の兆しは痛感していたし、スクーリングで受講した社会学では、「介護保険」のことも話に出ていて、今後団塊世代が大量に高齢化して、介護の問題も深刻になるだろうとは感じていたので、日本社会の未来にもぼんやりした不安を抱いていたかもしれない。たとえ不安であっても、どのような社会であっても、私たちは生きてゆかなくてはならないし、生きるのであれば前向きに生きなくてはならないと思っていたと思う。念願だった大学も無事卒業し、自分なりにこれから(未来)の社会のために少しでも役割を果たしたいと思っていたはずだ。その一つとして、自分の通信での学びの体験を発信することが、後輩へのエールや参考になればと思ったのがこのブログ開設の主目的だった。私はとても自己中心的な人間なので、自分のために今何をすべきかと考えていたように思う。しかしそれは同時に、私の家族や親戚、友人・知人の未来と密接に関わってくることだ。そして、そのことが私の死後の現実世界にも無関係ではない。時々、とても不安な気持ちが募る時、「死んだ後のことはその時生きている人に任せるしかない」と思ったりする。具体的に言うと、今の安全保障関連法案や、原発問題、TPP問題、予想外の国民負担となりそうな東京オリンピックの競技場関連問題、などなどそして何より、この国の人たちが経済優先の価値観一色となり、精神がそれに反比例して貧しくなりつつあるような状況に、私はもっと危機感を持ち、今ささやかでもできることを考えなくてはならないのではないか。そのことを意識しながら、いつまでこのブログを続けられるかわからないけど、その時々の思いをつぶやいていこうと思う。
2015年07月03日
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前日にポリ容器「GS行く」=年金不満「自殺してやる」―新幹線放火・林崎容疑者時事通信 7月1日(水)12時12分配信 新幹線の中で焼身自殺という昨日のニュースには、本当に驚いた。自殺する人は多かれ少なかれ通常の判断力がなくなってしまった状態だろうから、焼身自殺についてもさほど驚きはしないが、走行中の新幹線の中というのはどんな発想だったのだろと思っていた。近くにいた人に「危ないから逃げなさい」と言ったという報道に、そのくらいの思いやりがあるならなぜ、と一層ハテナマークが点灯した。巻き添えになって亡くなられた方が、本当にお気の毒である。少ない年金だけでギリギリの生活をしている人たちは、身近にも多い。いやいや、年金も貰えず仕事もなく、やむをえず生活保護を受け、「申し訳ないから…」と少しの楽しみも我慢している人もいる。焼身自殺をした人の年金は、一般的に見て決して低い額ではない。年を取ると身近な人も次々とあちらの世界に旅立ち、次第に孤独感や今後の自分自身への不安にも向き合うことになり、知らず知らずのうちに自死への希求が強まる人たちが増えてくるだろう。そのような状況がジワジワと日本中に広がってきているのかもしれない。いくら頑張っても日本の少子高齢化は止まらないだろう。そんな中で経済成長ばかりをめざすのは無理があるし、格差が拡大するのも目に見えている。ハード面や社会システムのセキュリティを考えると同時に、人の心のセキュリティをどのように守るのか考えなくてはならないだろう。
2015年07月01日
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「問題発言」を繰り返すのは、安倍政権の高度な世論操作プロレスだと考えてみる藤代裕之 | ジャーナリスト 2015年6月30日 22時33分という記事を読み、一理あるなと感じた。すぐに読めるように、コピペしておこう。 自民党の大西英男衆院議員が、安全保障関連法案に批判的な報道について「懲らしめる」と発言したと報じられています。大西議員は文化芸術懇話会でも「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番。経団連に働き掛けてほしい」と述べ、党執行部から厳重注意を受けたばかりです。それも、谷垣幹事長が引き締めを図った直後で、党の面目丸潰れのはずですが厳しい処分が行われる気配はありません。 政府・与党は、報道圧力問題が安保法案審議に悪影響を与えることを警戒している。自民党の谷垣禎一幹事長は30日の党代議士会で「国会はますます緊張した局面に入る」と述べ、引き締めを図った。大西氏の発言は、この直後に飛び出した。 出典:安保批判報道「懲らしめる」=自民・大西氏が再び問題発言-与党幹部が不快感(時事通信) 大西議員は、昨年「子供を産まないとダメだぞ」というセクハラヤジで謝罪に追い込まれています。何度も「問題発言」を繰り返しているわけです。これは、作家でNHKの元経営委員でもある百田尚樹氏も同じで、文化芸術懇話会では沖縄の新聞(沖縄タイムス・琉球新報)を潰すと発言し、冗談だったと言いながら、その後に朝日新聞、毎日新聞、東京新聞も潰れてほしい、とツイートしています。 •「マスコミ懲らしめるには…」文化芸術懇話会の主な意見(朝日新聞) この問題発言に対して与党は一応諌める姿勢を見せています。文化芸術懇話会については、会を主宰した木原稔青年局長を「役職停止1年間」にし、「言いたい放題を言っていい、というものではない」(二階俊博総務会長)などとマスメディアに語るわけですが、下記記事を見ると批判そのものは容認している様子が伺えます。言葉では問題とは言い、軽い処分はするが、厳しい処分は行われないのです。 谷垣禎一幹事長は26日の記者会見で「クールマインドでやっていただきたい」と述べ、メディアへの批判が「報道規制」とならないよう党内に自制を要請。一方で「メディアに対しこの表現はどうかと思う時には批判、反論は当然あってもいい。ただ、主張の仕方には品位が必要だ」と語り、党内のマスコミ批判の声にも一定の配慮を示した。 出典:クローズアップ2015:自民勉強会発言 安保国会、新たな火種(毎日新聞) 安全保障関連法案や沖縄問題、歴史問題など重要案件で問題発言を行う → マスメディアや野党が批判 → 自民党の幹部が諌める → また問題発言を行うの無限ループが起きているわけです。以前なら、マスメディアや野党の批判が高まれば、議員辞職などで「終結」して結果が出たわけですが、議員らはソーシャルメディアを使い、謝る・言い訳する・開き直るなどと同時にマスメディア批判を展開し、メディア内からも下記のような記事が出てくるので勢いは削がれます。 •民主議員「書いた記者を外せ!」 政権担当時にも“報道圧力”(産経新聞) 問題発言のループにより、多くの人が「またか」と面倒になって問題そのものに無関心になったり、追求しているマスメディアや野党が「無力」であると感じたり、自民党幹部は諌めているのだからいいじゃないかと容認する空気が生まれたり、といった変化が起きているように思います。 西田亮介さんは、朝まで生テレビに自民・公明の議員が参加しなかったことについて下記のように述べています。 政治の側が、よりメディアを短期的な視点で、かつ積極的に、自らのプロモーションに活用しようとしているように見える。言い換えるなら、共存・協調関係から、対立・コントロール関係へと舵を切っている。出典:『朝まで生テレビ!』の与党議員の出演拒否に見るメディアと政治のパワーゲームの変容 問題発言をもぐらたたきのように目の前に繰り出すことで、安全保障関連法案そのものの議論が忘れさられたり、深く議論されなくなったり、しているのではないでしょうか。通常であればリスクが高い問題発言を、あえて「泳がせ」それに対して遺憾の意を表明することで、まともなポジションを取るという安倍政権の高度な世論操作プロレスなのではないか、というのは考えすぎでしょうか。 安倍政権は第一期の失敗から学び、メディア・コントロール、ソーシャルメディアと世論調査を掛けあわせた反応確認、ダメージコントロールなどが進化しています。マスメディアが従来通りの批判報道を繰り返しているだけでは、メディアゲームに敗北することになるでしょう。 本当に党の考えに反するものなら、もっと厳しい処分があってもいいのにそうならないのは、党の本音だからだろうとは感じていたが、「高度な世論操作」の意味合いがあるなら私たちはもっと厳しく見なくちゃならないな。このような世論操作に乗ってしまうのでは、戦争前後の庶民の反省を忘れてしまったということだろう。
2015年07月01日
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昨日は沖縄慰霊の日で、それに関連するテレビ番組も多く、様々なことを考えたり思い出したりしていた。沖縄戦では、北海道出身者が沖縄の人たちの次に多く戦死されている。主に旭川で召集された兵士たちは、最初は満州に派兵されたのだが、その後戦況が悪化し、沖縄に多くが転進させられ、あの沖縄戦を戦う事になる。私の父も同じ部隊にいたのだが、満州にいた時代に幹部候補としての教育を受けるために一時本土に戻り、その後沖縄に仲間たちと合流するはずが、遠く離れた北方の占守島への命令を受けたのだ。その時父は、「沖縄は果物も豊富だというし、暖かいところだしいいなあ」などと、沖縄に行った戦友たちを羨ましく思ったと語っていた。しかし、それが運命の分かれ道で、多くの北海道出身の戦友たちは沖縄で戦死することになった。前置きが長くなったが、今日書こうと思ったのは不思議体験のことである。父は晩年、多くの戦友が戦死した沖縄に行きたいと言い始め、10年ほど前に父母と私とで慰霊の旅にでかけた。その時のことは、左のフリーページ「沖縄の戦跡巡拝」に書いている。ブログではもう少し詳しく書いているが、今読み直してみると「不思議体験」については触れていないので、記憶をもとに書いておこうと思う。私は、両親との最初で最後ともいえるこの旅に向けて、ヘルパーとしての役割はもちろんだけど、記録としての写真を撮っておこうと思い、小型のカメラを持っていった。今はそのカメラはないのではっきり覚えていないが、オートフォカスで焦点が合えばシャッターが落ちるタイプのものであった。デジタルだったか旧式のフィルムタイプだったかは覚えていない。個人タクシーで戦跡ガイドをしてくださる「幸運タクシー」のUさんとホテルで待ち合わせたのは、まだ日が昇る前であった。(北海道と比べたら、日の出は随分遅い)不思議体験の初めは、このホテルのロビーで両親をカメラで撮ろうと思ったら、シャッターが落ちなかったこと。あまり写真を撮る方ではないので、「あれ!? 操作ミスか?」と別のところを撮ればシャッターが落ちた。なんでかなーと思っているうちにUさんと会い、その日の行程の打ち合わせをしているうちに、そのことは忘れてしまった。その後、Uさんの案内で、北海道出身の人たちの部隊が転戦していった行程を案内していただき、その部隊の人たちの多くが亡くなったであろうというガマに行った。残念ながら、そのガマがどこであったのか、今は全くわからない。父は、お酒と数珠を持ちそのガマに入り、私も父を支えながら入っていった。ここで最期の時を迎えた人たちは、どのような思いだったのか。そこに現地の人たちも一緒だったんだろうか。近くには「白梅の塔」もあったので、女学生たちもここで命を落としたのだろう。そんなことを考えていたせいなのか、私の体はなんだかとても重くなり、多くの人たちの気配を感じるような気がした。しかし、多分「そんな気がするだけなのだろう」と思いつつ、その場に用意してきたお線香とコップ酒を供え、合掌する父の姿をカメラで撮ろうとしたのだが、またもやどうしてもシャッターが落ちない。焦点を合わそうとカメラはウーンと唸りながら頑張るのだが、どうしても焦点が合わないようなのだ。「え? なんで? どうして!?」と戸惑う私に、Uさんが声をかけてきた。「みらいさんは霊感が強いのですか?」「いえ、そんなこともないと思うけど、変なことは時々あって…。実は、今朝も同じようなことがありました」「じゃあ、僕が撮りましょう。僕は全く霊感がないようなので、多分大丈夫でしょう」そしてUさんが手に取ると、ちゃんと写真は撮れたのだった。私の霊感は時々カメラを通して作動するようなのだ。カンボジアに行った時もそうだったし、仕事をしていた頃、遺族会の記念誌作りをしていた時も同じようなことがあった。その時には、とうとう見えないはずのおじいさんまでリアルに見えてしまって怖かった。南北の塔に行った時も、似たような感覚があった。この塔は、沖縄戦で亡くなった北海道出身の兵士や現地の人たちのお骨を集め、「南と北の人たちを祀る塔」として、現地の人や北海道出身者からの寄付金等で建立されたとか。北海道の旭川で召集された人たちの中には、当然アイヌ民族の人たちも多く、毎年アイヌの人たちがこの塔の前で慰霊の儀式をしているという。今、このブログを書くためにネットで情報を探していたが、沖縄の人達の中には、複雑な思いを抱く人もいらっしゃるようだ。そりゃそうだろう、日本軍は自分たちの命のために現地の人たちを見殺しにした事実がある。そして、それはある種の差別意識がなかったとは言えないだろう。だが、その時にガイドのUさんがっ言っていたのは、現地の人達と北海道出身の兵士たちにはとても良い関係が紡がれていて、それがあったからこそ、一緒の慰霊碑を立てることになったのだと。想像だが、アイヌ民族の人達と沖縄の人たちは、どこか風貌に共通するものがあるし、歴史的にも共通する苦難の記憶がある。(近年、DNAでも琉球民族とアイヌ民族はとても近いと証明されたと聞く)その塔の前には、アイヌの儀式に使う「イナウ」があった。その前に立った時も、何とも言えない感覚を体に感じたのだった。
2015年06月24日
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今日は、沖縄慰霊の日。<沖縄慰霊の日>戦後70年、不戦の誓い毎日新聞 6月23日(火)12時58分配信 あの壮絶な沖縄戦で、沖縄住民の四人に一人が亡くなったという。そして、沖縄の人たちの戦いは、70年後の今もまだ続いている。様々な思いをグルグルさせながら内田樹氏のブログ対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。2015.06.22を読んだ。うーん、納得できてしまうのが悲しい。日米は同盟関係というのは、幻想なのか。・・・ふと思った。男性(アメリカ)に従属したように見せかけながら、したたかに自分(日本)の信念を譲らずに通してゆく知恵を絞ろう。(私が政治家に死守して欲しい信念は、この70年間、押しつけであろうとあるまいと、決して戦わないという宣言をした憲法9条である。念のため)日本の女性は、この感覚理解しやすいんじゃないだろうか。命を育む役割の体を持つ女性は、その命を粗末にするような考え方にはついていけない。本当の意味で女性的な感性や資質のある政治家よ、出てこい!最近の女性の政治家は、男性化した女性か、男性の言いなりになる女性ばかりが目立つ。
2015年06月23日
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ハム 3度目3連敗…武田勝7失点KO「今の実力が浮き彫りに」スポニチアネックス 6月21日(日)7時1分配信 武田勝さんもだけど、日ハム自体も心配だなー。とにかく、点が取れないと勝てないんですから。昨日は斎藤クンが登板したようだけれど、何とか調子を上げて欲しいものです。昨日、一昨日は出かけていたので、帰宅して結果を見てガックリしました。
2015年06月21日
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ブログリンクしている「ぼちぼち7203 さん」のブログで、同窓会に関する記事を読んで刺激された。私は札幌近郊の田舎町に育ち、そのまま地元に根を張り続けたので、同期会・クラス会となれば必然的に幹事役となってしまう。田舎だけれど自衛隊が駐屯する地域でもあるので、転校生も多かった。だから、ずっと地元に残った人、転校で別の地方や本州に引っ越した人、高校や大学の卒業を期に地元を離れた人たちが混在する。団塊のシッポ世代なので、田舎なのに小学校三クラス(一クラス50人近かった)、中学校6クラス高校で3クラス(札幌圏にも進学できたので、成績の良い人たちは札幌に行った)。私は、以前のブログにも書いたけれど、中学生までは「大人しい、いい子タイプ」だったと思う。本を読むことだけが好きで、スポーツは全くダメ。つまり、人とワイワイ遊ぶタイプではなく、通学路も他の人達とは別だったこともあり、友達は少ない方だった。低学年の頃はマイペースで幸せだった私だが、小学校中学年の頃、「あれ、私には仲良しがいない!?」と気付いた頃から、私はどうやってみんなの仲間に入れるかと気になるようになってきた。しかし、読書が好きなことから、学校の成績は悪くはなかったようで、あの時代は成績の良し悪しで、4年生くらいまでは先生からクラス委員を指名されることがあったように思う。ということで、人前で話すことは逃げ出したい気質の私なのに、何らかの委員を引き受けるはめとなり、泣いて嫌がるほどの自己主張もできず、必死にその役割を果たし続け、やがては思い出すのも恐ろしい「児童会役員の立候補」なんて経験もするはめとなった。あの当時は、本当に登校するのが辛かった。ビクビクしながら頑張っていたけれど、そんな私の煮え切らない優柔不断な態度が気に入らない人もいる。ひょとすると、パッとしない私が、みんなに支持されているように見えるのが癪の種だったかもしれない。同級生となった彼女に珍しく口答えした私の一言が彼女の怒りに火をつけ、私にとっては地獄へ突き落とすような一言が返ってきた。その顛末については、フリーページの「Mとの思い出」にも書いた。ともあれ、私はその時からクラスメイト全員が私を嫌っているように感じるようになり、それまでも楽しいというよりは「頑張らなきゃいけない学校」が、「行くことが辛い学校」になってしまった。以上の経緯から、私には楽しい学校生活の思い出があまりなかった。いつも友人たちの様子を気にして、自分が嫌われないように、明確な仲間はずれにならないようにと腐心していたので、一緒に同じ場所にいたはずなのに、自分の笑っている姿はそこにはなく、多分、他の旧友たちにとっても「みらいちゃん、絶対一緒だったよ」と言いながらも、内心では「うーん、いないはずないけど、思い出せないな」のようなかつて流行った「透明な存在」に近かっただろう。でも、いつも必ず何かの委員をしていたので、私は記憶していなくても、私のことを知っている人は結構いる。そんな流れの中で、私は万年クラス会幹事となっていった。つまり、「頼んだら断れない人」なので、引っ越した旧友がこちらに来るときは私に連絡が入る。「〇〇の頃そっちに行くんだけど、みんなに会いたいな」なんて言われたら、条件反射のようになんとかしなくちゃと思ってしまい、近くにいる人に連絡をとり、再会の場を作らずにいられない。そんな私の傾向が強化されたのは、30代で難病で亡くなったクラスメイトSさんのことがあってからである。早くに病気と闘い始めた彼女は、クラス会で友達と会うのを本当に楽しみにしていた。しかし、その楽しみにしていたクラス会の頃に病状が悪化し、入院。入院先から電話をもらった。「みんなに会いたいよー。でも、どうしても外泊はダメなんだって。 ねえ、私が退院したら、全員でなくてもいいからまた会える機会を作ってね。」それが彼女との最後の会話となってしまった。退院したとクラスメイトから聞いたけれど、クラス会を開いたばかりだったし、私も仕事と育児で髪振り乱していた頃だったので、「もう少し後になってから」と、彼女との約束を気にしつつ先延ばししていた頃、彼女の訃報が届いたのだ。葬儀で彼女と最後の別れをした時、「みんなに会いたい」と言った言葉が思い出され、その思いが全身に突き刺さった。多くのクラスメイトが駆けつけてはいたけれど、もう彼女と話はできない。せめて、退院した彼女を誰かを誘って見舞えば良かった。そうでなくても、電話一本かければ良かった。その時の痛恨の思いが、「誰か一人でもクラス会をやりたいと言ったら動こう」という気持ちにさせている。彼女のことも「早世した友の思い出」として書いている。今年は、4年ぶりにクラス会を開くことになっている。そのきっかけは、私を地獄の苦しみに突き落としたあのMからの一本の電話。「ねえ、そろそろクラス会開くんでしょ。時期が決まったら早く教えてね」彼女はまだ現役で仕事をしていて、さらに息子夫婦や孫たちのサポートにも苦労している。彼女自身もガンで手術をして、その後遺症と戦ってもいる。関西に住む彼女は、年齢とともに短期間過ごした北海道を心の故郷だと思っているようだ。そしてなんと、私のことを「北海道がふるさとなのは、あんたがいるから」とまで言ってくれる。本当に、人とのつながりは不思議なものだと思う。クラス会で色々な思い出話を聞き、「そんなことがあったんだ」と思うことが多い私。はっきり言って、自分自身は楽しかった思い出が少ないし、言えることもないので、私は聞き役に回ることが多い。正直な当時の自分の気持ちを語ることは、友人たちを驚かせ、時には傷つけることになるだろうから。そんな私が万年幹事というのもおかしな話だけれど、今の私は、このような形でクラスメイトの中に居場所があるというのがありがたい。長い時間をかけて、私たちは友達になってきたんだなと思うのだ。
2015年06月16日
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先日のブログにも、少年Aの手記出版についての感想を書いたのだが、被害者遺族の土師守さんの出版社への抗議文を読み、本当にその通りだと思うので、ここに全文をコピーしておく。神戸連続児童殺傷 遺族、加害男性手記の出版社に抗議申し入れ産経ニュース / 2015年6月13日 23時8分 平成9年に神戸市須磨区で発生した連続児童殺傷事件で、加害男性(32)が手記を出版したことを受け、殺害された土師淳君=当時(11)=の父、守さん(59)と、代理人弁護士は13日、発行元の太田出版に抗議する申入書を送付した。全文は以下の通り。 貴社は、平成9年発生の神戸連続児童殺傷事件の加害男性から手記を入手して、6月10日発売の「絶歌」という題名の書物を出版しています。 上記の手記出版行為は、本事件の遺族に重大な2次被害を与えるものであり、私たちは、以下のとおり、強く抗議を行うとともに、速やかに同誌を回収するよう申し入れます。 犯罪被害によって近親者を奪われた遺族の悲嘆が甚大であることは言うまでもありません。 そして、遺族は、犯罪そのものによる直接的被害に加え、その後の周囲からの心ない対応や、過剰な報道により、その名誉や生活の平穏が害され、深い孤立感にさいなまされるなどの2次被害を被ることも少なくありません。 本事件においては、直接的被害の重大性は言うまでもないところであり、それに加え、事件後のセンセーショナルな報道などによる2次被害も重篤なものでありました。 遺族は、本事件により筆舌に尽くしがたい被害を被り、事件後約18年を経て、徐々に平穏な生活を取り戻しつつあるところでした。 また、私たちは、毎年加害男性から手紙をもらっており、今年の5月の手紙では、これまでとは違い、頁数も大幅に増え、事件の経緯も記載されていました。 私たちは、加害男性がなぜ淳を殺したのか、事件の真相を知りたいと思っておりましたので、今年の手紙を受け取り、これ以上はもういいのではないかと考え、少しは重しが取れる感じがしておりました。 ところが、貴社が本誌を出版することを突然に報道で知らされ、唖然(あぜん)としました。 これまでの、加害男性の謝罪の手紙は何であったのか? 今にして思えば、心からの謝罪であったとは到底思えなくなりました。 18年もたって、今更、事件の経緯、特に淳への冒涜(ぼうとく)的行為などを公表する必要があったとは思われません。 むしろ、加害男性は自己を正当化しているように思われます。 貴社の出版行為によって、本事件が改めて社会の耳目を引くこととなり、また、淳への残忍な行為などが広く社会に知られることとなりました。 もとより、遺族は、最愛の子が殺害された際の状況について、18年を経過した後に改めて広く公表されることなど望んでいないことはいうまでもありません。 私たちは、多大な衝撃を受けており、いたたまれない気持ちです。もういいのではないかという思いが完全に踏みにじられました。 このように、遺族の受けた人格権侵害および精神的苦痛は甚だしく、改めて重篤な2次被害を被る結果となっております。 貴社は、新聞報道によると、「批判はあるだろうが」、「反発やおしかりも覚悟している」などと開き直った発言をしているとのことです。 このように、貴社は、遺族の2次被害について検討した形跡は全くなく、むしろ、2次被害もやむを得ないと考えているようで、極めて配慮を欠き、悪質なものであります。 一般に、出版・表現の自由は国民を知る権利に資する点に価値があるとされております。 そして、貴社は新聞報道によると、「彼の心に何があったのか社会は知るべきだと思った」、「事実を伝え、問題提起する意味はある」などと発言して、本件出版が少年事件を一般的に考察するうえで意義があり、国民の知る権利に資するかの如く主張しておられます。 しかし、本事件は、わが国において発生した少年事件のなかでも極めて特異で残虐性の高い事案であり、その事件のいきさつなどを公開することによって、少年事件を一般的に考察するうえで益するところがあるとは考えがたいところであります。 また、一般的に言えば、加害者側がその事件について、手記などを出版する場合には、被害者側に配慮すべきであり、被害者の承諾を得るべきであると考えております。 従って、本件出版行為は、出版・表現の自由や国民の知る権利を理由として正当化しうる余地がありません。 もとより、出版・表現の自由は無制約のものではありません。他者の権利・利益を侵害することは許容されません。 貴社による本件出版行為は、公益的観点からの必要性も認められないにもかかわらずあえて加害者の手記を公表し、遺族の人格権を侵害し、重篤な2次被害を与えているものと言わざるを得ません。 従って、私たちは、貴社に対し、上記出版行為について強く抗議を行うとともに、速やかに本誌を回収するよう申し入れるものです。出版社は「言論、報道の自由」を金科玉条のように主張するが、倫理観というものは二の次らしい。本当にそれだけでいいのですか!?
2015年06月14日
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数日前、ある人の話を聞く機会があった。お子さんが軽度発達障害だったが今は社会人で自立している。ご自分は幼少時から家庭環境が最悪の中育ち、逃げるように結婚して出産したが、色々あってバツ2で子どもを育ててきた。そんな中でのストレスで精神疾患を発症し、現在も治療継続中。彼女の現在の一番の不安は、「身内に精神障害の人がいるし、私もこうなので、我が子もやがて発病するのでは」ということ。そして、人をあやめることにでもなったらどうしようと不安はエスカレートしてしまうそうだ。そんな風にどうして思うのかと聞けば、身内の人に言われたとか…。私は、このような話は45年前から聞き続けている。「お子さんの障害は、先祖のせい」とか、「そんな病気になった人はうちの家系にはいない」と配偶者の身内から責められたりとか、「祖先の供養をしないせいだ」「先祖の誰かの霊が悪さしている」などなど。それも、宗教関連で聞くことが本当に多い。そんなことを聞くと、私の心には条件反射のように怒りが吹き上げてくる。だからムキになって反論する。「誰だって、膨大な数の祖先を持っているのだから、その中には極悪人だって、善人だっているはず。当然、病気の人も障害を持っていた人や、大変な恨みを抱いて死んだ人だっているはず。自分の祖先を10代前まで遡れる人がどれだけいるかわからないけれど、あの日本で一番祖先がはっきりしていると言われている天皇家だって、きれいごとばかりのおウチじゃありません。そんな他人のいい加減な言葉を真剣に受け止めて、不安のスパイラルに入り込まないでほしい。」まあ、そんなことをもう少し穏やかにではあるが話した次第。今日、そのことを思い出して、「10代前までの先祖(両親も含め)が何人いるか数えてみた。私の計算が間違っていなければ、1024人。ついでに、歴代天皇の10代前はと調べたら、桜町天皇(在位1735-1747)だった。あと二代遡った祖先の数は4,096人になっちゃった。多分日本人だけじゃなくて色々な国(韓国、朝鮮、中国はもちろんその他の国だって)の祖先もいるだろうし、どんな人がいたっておかしくない。それもそうだけど、私の命はそれらのご先祖様が命をつないでくれたおかげと思うと、何ともありがたくなってくるじゃありませんか。それに、それだけのご先祖様の中には性悪な霊もあるかもしれないけれど、普通に考えたら大切な子孫に悪さをしたいとはあまり思わないんじゃないかな。(霊が存在すると仮定してだけど)それでも、時には見知らぬご先祖様たちに思いを馳せてみるのも悪くはないですね。
2015年06月10日
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このところ頻繁に、安倍首相が進めようとする「集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更」への不安を書いている。他にも私たちの生活により密接に関係する問題があるけれど、今はこのことが一番の私の不安の種である。生活のこと、老後のこと、病気や人間関係等々、私たちは日々様々な課題の波をかいくぐりながら生きているが、天災と戦争はそれらの心配事など些細なことにしてしまうように、根底から私たちの「生命」を脅かす。私は戦争の時代を実際には知らない。しかし、祖父母や両親から始まり、身近な人から色々な話を聞き、それがきっかけで日本の人々が翻弄された戦争関係のことを本やメディアで見聞きし、さらには現在も紛争の最中である国々の弱い立場の人たちを見聞きするにつれ、とにかく戦争だけは避けることができる日本であって欲しいと思う。そのためには、積極的でなくてもいい。消極的だと他国から言われたって構わない。だけどやはり、「卑怯だ」とまでは言われたくない。そのためには、日本がしっかりとルールを守る、つまり「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を守り続けることだと思っている。それでも卑怯な国が日本を襲うことがあるかもしれない。その時こそ、自衛隊が自衛のために戦うことができるようにしておく。それのどこが消極的なのだと、私は思う。私の周囲には、自衛隊関係者がたくさんいる。友人知人には、自衛隊員の家族も多い。私は自衛隊員に他国で他国の紛争のために、憎くもない他国の人に武器を向けてほしくない。自衛隊員は、命令に従うことを誓って隊員となったのだから、納得できなくても命令には従うだろうし、そうしなくてはこのような組織は成り立たない。その決意を私はいささかも疑ってはいないし、否定もしない。でも、やはり他国の戦争に巻き込まれて死ぬのは無念だろうと思う。戦争になったら、「明日があることを信じて」眠ることができなくなる。戦争になったら、若者が減っている日本だもの、徴兵制が導入されるに決まってる。色々な理由のもとに、表現や報道、集会の自由がなくなってくるに決まってる。今以上に、弱い立場の人たちは見捨てられ、差別され、その家族は肩身の狭い状況になる。敵国となってしまった国とは輸出入もできなくなり、食料も生活物資も入らなくなり、今の豊かな生活に慣れ切った人たちには、とても耐えられない日々がやってくる。他国の戦争に巻き込まれるということは、間違いなくそのようなことだと思うのだ。私が妄想を膨らませているだけなのだろうか。本当に安倍首相は、アメリカと一体にならなければ日本を守れないと信じているのだろうか。その根拠はどこにあるのか、私にはどうしても理解できない。大国はいつも、自分をさらに肥大化させ、絶対的権力と力で支配しようとするものだ。幸いにも、日本にはその大国が支援をして作成した平和憲法がある。これをしっかり守りぬくことが、一番の武器になるのではないかと思うのだけど…。
2015年06月07日
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今、我が家の庭はクレマチスが花ざかり。芝桜も一斉に開花しているし、名前がよくわからない花が何種類も咲いてます。同時に、様々な雑草と呼ばれる草たちも元気いっぱい。今日も、庭の草削りで汗を流しました。
2015年05月28日
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今朝の北海道新聞5面に「歴史と語る」吉田裕(一橋大大学院教授)の記事があった。敗戦後の日本の形(基盤)について、とてもわかりやすい記事となっているので、道新のサイトで見れないかと思ったのだが、残念ながら見つけられなかったので、一部を転記しようと思う。本当は全文を転記しなくてはわかりにくいかもしれないのだけれど、新聞の一面の記事を打つのは辛いので、私が肝だと思う一部のみ。(質問に答える形式の記事である)-この戦争の責任をどう考えたら良いでしょうか。「それには戦後史の理解が欠かせません。切り口の一つは、サンフランシスコ講和条約です。冷戦のおかげで、日本にとって寛大な講和になりました。条文のどこにも、日本の戦争責任についての言及がありません。東京裁判の判決を受諾することがうたわれているだけです。賠償についても、アメリカがテコ入れして、主要参戦国は請求権を放棄した。アメリカは戦争責任をあいまいにしたまま、西側陣営に引き入れることを重視したのです」-それでも、日本は国際社会への復帰が認められました。「日本国憲法があったからです。第9条で、戦争の放棄と戦力の不保持をうたう。第66条には、国務大臣は文民でなければならないとの定めもある。これは、オーストラリアと当時の中華民国が、日本の再軍備を阻む歯止めとして、加えるよう主張しました。さらに、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドのANZUS(アンザス)条約は当初、反共、反ソとともに、日本が再び脅威になった際に共同で対処する狙いがありました。これらが不完全な戦後処理を補う、と世界が認めたのです。-こうした歴史があるのに、東京裁判を否定し、憲法を改正する動きが始まっています。「それは国際社会に復帰した前提を覆し、日本外交の自滅につながりかねません。背景にあるのは、戦争体験者が減り、彼らが持っていた歴史に対する痛覚のようなものが薄れていることです。日中戦争以降の民間人を除く戦死者約230万人のうち、6割が病死、餓死でした。そうした無残な死の本当の姿を胸に刻み込んでいた。それが忘れ去られ、戦争の現実に対する想像力が衰えています」「同時に、私たちが立っている足場がどんな成り立ちでできているのか、それを冷静に分析し理解する力も衰弱しています。歴史的な思考能力です。戦後生まれが全人口の8割を超え、威勢のいい強硬論が飛び交う今こそ、この能力を身につけることが重要になると思うのです」日本が戦後急激な発展ができたのは、このような背景があってのこと。それは、東京裁判を受け入れることと平和憲法を根幹とする国づくりをするならば、他国への賠償をせずともいいという国際社会との約束があったからこそ。私はずっと、どうして戦後の日本が鬼畜米英として戦った相手を、あれほどたやすく受け入れたのだろうかと少し不思議だったのだが、国民にとってはこれほど寛大な処置で終わったということに、安堵と感謝の気持ちも沸き、喜んで受け入れたのではないかと思う。(もちろん、納得しない人たちも多かったのだろうが、当時の政治家たちはこの道しかないと思ったことだろう)多額の賠償をしなくてはならなければ、戦後も国民は塗炭の苦しみが続いたことになるのだから。70年前のこととはいえ、国際社会に国づくりの基礎として約束したことを守らなくては信用をなくすだろう。昨日のブログに紹介した「日本の歴史家を支持する声明」に名を連ねている世界各国の歴史研究者が、日本の今後の選択を見つめている。安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」とは、かつての約束をなし崩しにしてゆくということか。それは同時に、アメリカへの異議申し立てにつながることだろうし、安倍首相はそのあたりのことがわかっているのだろうか。こう考えてゆくと、安倍首相のやっていることは本当に辻褄が合わず矛盾に満ちたものではないか。一方ではアメリカに追従し子分のように振る舞い、沖縄を貢物のようにしながら、一方ではかつてのアメリカ等との約束を反故にしようとしているように、私には感じられる。
2015年05月09日
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学級崩壊の教室か 離席、読書、スマホ、居眠り…目を覆う“国会議員”のふるまい産経新聞 5月7日(木)12時5分配信 テレビ中継の時はこれほどひどくはないと思うが、これが通常の姿ということか。こんな人たちが日本の重要なことを決めていくのかと思うと、絶句である。学級崩壊の教室だって、これほど酷くないんじゃないのか?
2015年05月07日
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昨日は本当に暖かいというか、暑さを感じる日でした。午前中、訪問する用事があって自転車で出かけたら、なんと桜が満開4月の連休前に桜が満開なんて、私の記憶にはないような気がします。午前中訪問した方は、色々な事情でのシングルマザー。大体の事情は知っていたけれど、本当に苦労しながら健気に生きている人で、人間と言うものの強さと弱さ、この日本のダメなところとまだまだ大丈夫と思えるところ、いろんなことを考えさせられる時間でした。一人一人の力は弱くても、何とか助け合って支えあって、命ある限り生きていこう。そんなことをしみじみ思いながら帰宅しました。そして思ったのが、またまた集団的自衛権のこと。集団で自衛しなくてはならないのは、弱い立場の国々のことで、強い国に迎合したりするのは集団的自衛の権利とは言わないのでは…。安倍総理の「集団的自衛権」は、泥さんのいうように、「売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというもの」で、飛んで火に入る夏の虫かもしれない。さて、夜は日本ハムファイターズの地元のファンクラブからのチケットで、日本ハム対ソフトバンク戦の観戦のため、札幌ドームへ。メンドーサ、札幌ドーム初勝利(28日)04/29 05:00【日本ハム】最多貯金8!助っ人コンビで首位ガッチリ 2015年4月29日6時0分 スポーツ報知今まで本拠地では勝っていないメンドーサが、気合を入れて頑張りました。久々に戻ってきた陽岱鋼の一打席目のテーマ曲は「帰ってきたウルトラマン」。湧きましたね。六回裏の陽→中田→ハーミッダの打席は、ドームが割れんばかりの大声援で轟き、きっと大隣もやりにくかったことでしょう。お立ち台でのメンドーサとハーミッダ、本当に嬉しそうでした。勝った試合は本当に楽しかった!
2015年04月29日
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ドローンが首相官邸に落下したり、萩原流行さんが護送車に接触する交通事故でなくなったり、池袋の公園で高線量が検出されたりと、なんだか物騒なニュースが飛び交う毎日だけど、私たちといえば、息子のぶどう畑で作業に汗をかく一日だった。本日の作業は、午前中は畑周囲への電柵張り。午後からは、若木周囲の雑草除去。晴天に恵まれ、初夏のような陽射しの中で、朝の9時から夕方4時頃まで頑張った。さすがに太陽の下での一日仕事は疲れたけれど、周囲の林はほんのりと若草色に芽吹き始め、コブシがポッとぼんぼりを灯すようにまだまだ殺風景な林に春の訪れを知らせてくれている。その林の中では、鶯が「ケキョケキョ…」とさえずっている。随分歌声も上達してきたようだ。青空には白い雲が流れ、遠くの山々の残雪が輝いている。そんな自然の中にどっぷりと浸かっていると、疲れはするけれど体の隅々までリフレッシュするような気がする。やっぱり人間は自然の中で汗を流すことが大切だなと感じる一日であった。
2015年04月24日
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ハム大谷“二刀流”の出場ペースアップ 投手1試合+野手3試合デイリースポーツ 4月21日(火)6時59分配信 楽天戦でちょっとヒヤヒヤしたけど、さすがエースの大谷投手がやってくれました。マウンド上の表情も自然でとてもいいし、できれば彼の姿をいつも見たいという気持ちは私も同じ。(私の場合は、勝敗よりも可愛い彼の姿を見たいという祖母心理に近い)でも、同時におばあちゃんの気持ちとしては、あんまり無理して体を壊さないようにとも思う。今はまだ若いけれど、若い時期なんてあっという間に過ぎていく。彼は本当に野球の申し子のような若者だから、できるだけ長く現役で活躍して欲しい。私はあまり知らないけれど、多分若い頃にもてはやされて、やがて消えていった才能ある選手たちも多いのではないか。どうか大切に育てて、日本野球界の伝説にしてください。
2015年04月21日
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今年の北海道は、三月がとても暖かかった。3月の北海道内、過去最高の暖かさ 平均気温、平年を2・9度上回る04/02 07:00、04/02 07:56 更新 北海道新聞というわけで、例年ならばまだ雪割りをしていたりするのだけれど、我が家の庭も北側の日陰を残してほとんど雪が消えてしまった。今日もポカポカ陽気なので、うっかりスッピンで庭の枯れ草や落ち葉などを片付けていて、「アツ、日焼けしちゃう」と言えに入ってきたところ。これからの季節、外作業には日焼け止めクリームを欠かせない。チューリップも芽を出しているし、クロッカスもあと数日で花が咲くだろう。ということは、そろそろ息子の葡萄畑作業も本格的になるので、そちらにも馳せ参じなくてはならないかな。やはり春はいい。特に北海道の春は日々彩りが鮮やかとなり、春と初夏が同時にやってくる。都道府県の魅力度ランキング(ブランド総合研究所)では、北海道がダントツの一位らしい。色々と課題はあるし、何と言っても冬は長いし寒い。道民としては嬉しいけれど、住むには魅力度満点とは言い難いところもある。でも、全国的に見て魅力度が高いということは、まだまだ可能性を秘めているということ。この「魅力度満点」のブランドを大切にして、魅力の土台でもある安心安全な空気や水、豊かな自然とそこで育まれる農林水産物を、もっともっと大切にしていきたい。それを大切にするのには、競争原理、効率優先だけでは大きな間違いをするでしょう。今月は統一地方選挙がある。私たちも選択を間違えないようにしなくちゃ。と、話が少しずれたけれど、春の訪れを感じるのは本当にいいですね。
2015年04月02日
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時々、「巨椋修(おぐらおさむ)の不登校・ひきこもり・ニートを考える」というブログを読んでいる。今日拝見したら、常々私が思っていることと同じだったので、嬉しくなってしまったのでご紹介します。友だち100人いりません!2015-03-30これは、「一年生になったら」(まど・みちお作詞/山本直純作曲)という歌を少し批判的に茶化しているんですけど…。別に、この歌がダメってことではありませんが、友達はたくさんいたほうが楽しいよというイメージであるのは確か。最近は、友達がいなければダメだというプレッシャーが、大人にも子どもにも万延しているような気がします。私には、それこそがちょっと病的なような気がする。かくいう私も、子ども時代からずっーと友達が少ないことが不安でした。そもそも「友達」ってなんなのか、よくわからないところから始まってました。ちょっとおしゃべりをする人はいるけれど、当たり障りのない会話だけで友達といっていいのか!?悩みを打ち明け合うのが「親友」というものらしいけれど、ならば私には親友なんて一人もいないじゃないか。私を「親友だよね」と親友を強制する人はいるけれど、私は「違う」とも言えず怯えて曖昧に笑うだけで、彼女を親友とは思えない。これって、すごい裏切りじゃないかと悶々としたり…。小学校に入って以来、私の大きな悩みや不安の種は「友達」だった。その頃、こんな歌はなかったと思うけれど、自信をもって友達と言える子がいない私は、「私はひょっとしてダメな子かもしれない」と思っていた。もし「一年生になったら…」の歌が襲ってきたら、私は発狂していたかもしれません。いつの頃からか私は、「友達」とは知り合いでいいんだと思うようになった。そう思ったら気が楽になった。知り合いと付き合うんだから、状況によってはその人に少しは無理して合わせていいし、嫌な人だったら適当に距離をおけばいい。特に必要がなければ喧嘩することもないし、お腹のなかでアカンべーをしていても顔は笑っていてもいい。それは、人としての親切や思いやりってこともあるさと…。本当に友達と思える人は、実は今でもとても少ない私だ。それでも、全面的に信用し、自分の全てをさらけ出せるとは限らない。だって、私は人間というものに全幅の信頼はおけないと思っているし、それが相手を信頼して付き合う土台だとも思っているから。ともかく、あまり友達がいなくちゃいけないという強迫観念にとらわれる必要はないです。それでも、知り合いの中には良い人もいっぱいいるし、繋がりを大切にしたいと思う人に出会ったら、自分に出来る範囲で相手を大切にしていたら、きっと良い関係が紡いでいけるはずですから。
2015年04月01日
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私たちの国は民主主義国家であり、今の憲法だって現役ですよね。安保法案、今国会成立に5割が反対 全国世論調査北海道新聞 03/29 16:38、03/30 02:10 更新沖縄県知事、政府の姿勢「理不尽だ」 作業停止指示無効の判断に北海道新聞 03/28 18:22、03/28 19:42 更新「わが軍」発言 自衛隊の役割の曲解だ 北海道新聞社説 03/28 05:05
2015年03月30日
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大谷、ダル超え!緊張で“異常発汗”も初開幕&初勝利達成サンケイスポーツ 3月28日(土)5時0分配信 いよいよプロ野球が開幕。実は私は、日本ハムファイターズが北海道を根拠地にするまで、プロ野球には全く興味がなかった。息子二人と夫は、雪融けころから始まるプロ野球中継を見て盛り上がっていたが、私はその姿を横目で見ながら家事をするのが常だった。そして、「人の野球を毎日見て、何が楽しいんだか」なんて、心の中でつぶやいていた。それが2004年に本拠地が札幌に移り、私たちの身近でもファンクラブが結成されたりと歓迎ムード一色となり、さほど興味はなかったけれど「札幌ドームを見てくるか」と初めてプロ野球に観戦に行く。その時は外野席だったと思うが、私は当時の新庄剛志の姿にコロッと参ってしまった。ベンチから守備位置まで走ってくる姿の美しさや、観客の声に手を振る笑顔の爽やかさ。それまで、新庄の名前くらいは聞いていたけれど、顔と名前が一致していなかったのにである。新庄の名前と顔が一致して以来、テレビでも観戦するようになり、やがてその他の選手も見分けが付くようになり、そうなるとどんどんテレビ観戦が楽しみになってくる。そして今では、交流戦から選手の動向が気になり、昨夜はしっかりとテレビの前で応援体制をとるまでに成長した私である。今年は大谷投手はじめ若手がキラキラていて、とても楽しみだ。今のお気に入りは、「近藤クン」。なんとなく道産子を思わせる素朴さと、派手ではないがしっかりした仕事ぶりがいい。昔の同級生にもこんなタイプがいたなと思わせてくれる。さて、今日の先発は武田勝さんだというが、今年はしっかり仕事をしてほしいな。
2015年03月28日
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(表現のまわりで)差別発言、キャラで免責 寄稿・斎藤環 2015年2月24日05時00分面白いので、全文コピペしておきましょう。 日本の言論界を妖怪が徘徊(はいかい)している。「キャラの立った高齢者」という妖怪が。 いきなり何事かと思われたかも知れないが、とりあえず曽野綾子氏は間違っている。彼女が2月11日付産経新聞に記したアパルトヘイト容認コラムのことだ。彼女はこう書いたのだ。「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と。 彼女はその後のインタビューなどにおいても「差別ではなく区別」などと弁明しているようだが、これが差別主義者の常套句(じょうとうく)であることは論を俟(ま)たない。よって、その間違いぶりの論証はここでは控える。むしろ残念だったのは、この発言へのまともな批判が、おおむね海外発だったことだ。 日本ではこのコラムがツイッター上で“炎上”したが、日本のマスメディアはすぐ報じなかった。まず記事にしたメディアは2月12日付の「ジャパンタイムズ」、ついで「ニューヨーク・タイムズ」「ウォールストリート・ジャーナル」などの大手紙が追随し、2月13日には南アフリカ大使が産経新聞に抗議する事態にまで発展した。 しかし、その後の朝日新聞の取材に曽野氏は「ツイッターで興奮する人々」「安倍総理のアドヴァイザーだったことはない」「チャイナタウンはいいものだ」等のとぼけた反応を返すばかりだった。 なぜ日本のマスメディアはすぐに反応しなかったのか。これも現政権による言論統制の成果なのか。おそらくそうではない。今回のコラムは「あの曽野綾子氏」が、いかにも「あの産経新聞」に書きそうな内容だった。つまり“平常運転”なのでニュースバリューはなかった。もし曽野氏が「格差解消のために累進課税の導入を」などと発言したら一大ニュースだ。人が犬を噛(か)んだらニュースになる、とはそういうことだ。 曽野綾子氏は自他共に許す保守論客だ。しかも、たいへんキャラの立った言論人だ。過去にも「性犯罪に遭った被害者にも落ち度がある」「(震災直後に)放射線の強いところには高齢者を行かせよ」などの語録が知られており、まともな言論人なら、たとえ思っていても口に出せない“ホンネ”を代弁してくれる貴重な存在である。ついでに言えば保守論壇には、曽野氏に限らず、けっこう「濃いキャラ」の論客が多い印象がある。 そして、ここに陥穽(かんせい)があるのだ。 私たちは世界にもまれなキャラ文化の住民だ。キャラの立った保守論客のトンデモ発言すらも、「ああいうキャラだからしょうがない」と笑い、「ツッコむだけ野暮(やぼ)」と免責する程度には寛大だ。しかしこれは、「立ったキャラ」の言動については責任能力を問わない、という意味で差別であり、キャラの人権の否定にほかならない。保守論壇人といえども人権は尊重されなければならない。私は曽野氏の人権の回復のためにも、メディアが彼女をキャラとして差別し消費することに、強く反対するものである。 (精神科医)私もついつい、「あの人はそんな人だからどうしようもない」と見逃していることが多い。やはり、必要な時にはちゃんと指摘したり説得したりしなくては、その人を蔑視・差別していることと同じになるかもしれない。必要以上に非難することもまた同じことだし、うーん、難しい。少なくても、それはいかがなものかと思うことについては、意思表示は必要だろう。曽野綾子さんの発言については知ってはいたが、もうおばあちゃんだし、時代錯誤があっても仕方ないかな程度に思っていたのが正直なところだった。でも、考えてみれば有名人だし、今の時代には若い人にも受け入れられるのかもしれないと思うと、やっぱりまずいですね。彼女は普通のおばあちゃんではなく、「妖怪」に昇格(?)していたのでした。
2015年03月26日
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