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100分de名著「遠野物語」(1) 今さらながら、録画を見ました。正直、私の趣味です。昔、斜め読みしたので、今回じっくり文章を吟味したい。石井正巳先生のいう様に「100年前の人たちが何を考えて来たのか、ということを知ることは、私たちの持っている記憶の底を知ること」だと思うからです。それは即ち、私たちのいいところも悪いところも含めて、自らを省み未来を作ることに結びつく、かもしれない。 明治43年(1910)の小冊子。柳田国男が佐々木喜善から聞き書きを纏めたもの。私は、柳田が佐々木の成果を横取りしたのではないかとずっと疑問に思っていたけど、今回これを見て柳田の「成果」であることは確信した。非常に「主体的に聞いて、主体的に書いた」のである。 遠野の地方地図を初めて見た。小さな盆地の中に、縄文(狩猟民俗)から弥生(稲作民俗)そして江戸文化から明治の文化まで、日本の歴史が風景として堆積している。 序文にこう書く。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」平地人とは、テレビでは狩猟民を追いやった稲作民と解説していた。柳田は、この様に次々と新語を作ることが得意だ。日本民俗を体現する人たちという意味で「常民」という言葉もやがて作るようになる。平地人には、経済優先で昔の「大事なこと」を忘れた「現代人」のような意味を付加することが出来るかもしれない。 オクナイサマの事例など、昔は個人情報保護法などなかったから、実名で出ている。これは不思議だけど可愛らしい話なので、問題はないけど、川童の話はそうはならない。 五五 川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。 昔も発達障害の子どもは産まれるだろう。河童の子ならば、殺してもいいだろう、ということを、村人は河童に託して言い訳していたのではないか。 何度も書いたことがありますが、私は大学時代に民俗学の自主的サークル「常民文化研究会」に入っていたことがあります。そこで、岡山県の北のK村の民俗調査を泊まり込みでやりました。その時に出て来た「ウワサ話」が「キツネつきの家」というものでした。しかし、既に昭和56年にもなろうとしていた頃で、遠野のように明確な「話」としては残っていなくて、あまり深まりませんでした。指導教官の見解は「当時の金持ちを周囲が嫉妬して、その中の病気を持った者をそう呼んだのではないか」というものでした。 河童の話も、それに似ている。だとすると、精神疾患や子殺しは、正に現代の話でもある。人々の「負の話」に対する、眼差しと対応、そこにわれ我々は何かを学ばないといけないだろう。 それは、責任逃れということもある。臭いものには蓋をする、ということもある。また、河童を逃がす話にあるように、何とかして共存していこうという気持ちの現れもあるのである。
2014年06月14日
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今年の韓国旅行記の最終日はまだ書いていないのですが、実は釜山でV-CDを買いました。三個10000W(約1200円)で安いのです。その中の一枚に2000年の韓国映画の傑作「私にも妻がいたらいいのに」がありました。もちろん韓国語オンリーです。私にも妻がいたらいいのに(DVD) ◆20%OFF!原題は「ナド アネガ イッスミョン チョゲッタ」。日本語と文法が同じなので、ハングルがよくわからなくてもなんとなくわかりますよね。映画では、このせりふがまずは男のほうから、次には女のほうから出てきます。非常によく練られた恋愛映画です。主演は、私がともに韓国俳優NO.1に推すおふたり。ソル・ギョングとチョン・ドヨンさまです。その演技派が、今回はなんともごく普通の銀行員と学習塾教師の役を演じているところがすごい。ふたりとも『普通』に見事になりきっています。V-CDはDVDと違い、片面が1時間でいっぱいなので、たいていは二枚組みです。しかも、リモコンで操作できないので、機械に入れると、エンドレスでずーと再生しっぱなしになります。それがハングル学習には有効で、寝る前のミュージックとして数日流してみました。前に一回見ているので、筋はわかるのですが、やはり微妙なところがわからずに、今回新たにDVDをレンタルしてみてみました。『愛は勘違いで成り立つ』昨日思いつきで書いたことですが、まさにそれを証明するような映画です。けれども『恋愛はあいてをおもいやるあいで成り立つ』ことも描いています。新たな『愛の法則』です。雨宿り、傘、ビデオ、鉢植え、飴、コイン、手品、そのような小道具を見事に活かしながら、じっくりと二人の心理を描写します。ときどき見事に経過を省略して、集中してみないと突発に事態が変わったかのような印象を受けます。今回じっくり見させてもらって改めてすごい映画だし、二人とも監督の要請に見事にこたえていると思いました。ナドアネガイッスミョンチョゲッタ。
2007年12月08日
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「日本の次は中国だ。我々は喰われ、倒され、潰される。」やっと名作の誉れ高いこの作品を見ることが出来た。レンタルには出ていなかったのです。現在シネマクレールでフランス映画社の傑作選をしていて、この映画はその二作目。1945.8.15日本敗戦台湾開放から1947.2.27の戒厳令発布を経て1949の蒋介石国民党政府が台湾にやってくるまでの四年間、台湾郊外の林一家の3人の兄弟の運命を描く。製作: 1989年 台湾監督: ホウ・シャオシエン侯孝賢出演: トニー・レオン / シン・シューフェン / リー・ティエンルー / チェン・ソンヨン / ウー・イーファン / カオ・ジエ / 中村育代04年秋に、この映画の舞台になった九分地方に続くという平渓線に乗ったことがある。台湾旅行に行って1日フリー行動だったので、一日で帰ってこれる電車の旅を選んだのである。そのときのエピソードはここに書いている。その写真にも出てくる山間を抜ける電車が映画にも少し出てくる。映画のロケ地は行けば1日仕事になるので行かなかったが、私が行ったときにもまだ映画の雰囲気の面影を残していた。(台湾旅行の写真はこの前PCが壊れたときに消滅した。惜しい。)台湾の「本省人」たる林文清(トニー・レオン)、許、その友人の記者たちと、大陸から来た「外省人」の対立は、そのままこの片田舎にもやってくる。古くから商家を営んでいる林一家は政治とはかかわっていないが、戦後の波に翻弄される。台湾ではやっと87年に戒厳令が解除され、その二年後、89年にこの映画が完成したという。はたして2.27事件などはそのまま公開されるのだろうか、危ぶまれたらしいがヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞したこともあり、ノーカットで公開された。という。映画では、本省人が簡単な裁判で殺されていく様子、外省人が本省人のリンチにあう様子、許や文清への弾圧、そして兄弟の悲しい運命を、中国映画得意の歴史的な視点で持って見つめる。冒頭のセリフは林兄弟長男の文雄が吐き捨てるように言う言葉である。そのまま本省人たちの本音だろう。日本は51年間台湾を統治してきた。ただ、朝鮮と大きく違うのは、台湾人と日本人との個人的な付き合いはその後も綿々と続いたということだ。学校の教師だった静子と寛美(本省人、文清ののちの妻)はずっと文通を続ける。本省人と外省人が徹底的に憎みあっていないのも歴史が証明している。反対に言えば、長い間常に外からの統治にさらされてきて、そして交わってきた台湾人の知恵でもあるのだろう。私の旅行記でも、別のところでそのことは書いている。静子たちが去っていくときに台湾人の生徒たちのために教室で赤とんぼの歌を歌う。そのシーンが多くのことを語っているだろう。台湾の独自の風土も描かれる。山岳地帯で、湿度も高いけれども、冬には長袖が必要なのである。春雷という言葉もあり、日本とは違うだろうが、四季もある。何度も同じ角度から同じ場所が移される。このあたりは明確に小津の影響。そうやって季節の推移と時代の変化を見事に見せる。2時間40分。一度たりとも眠くはならなかった。
2007年11月26日
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この監督の作品を初めて見た。この映画の狙いも魅力も私にはわかるつもりだ。しかし、だからといってこの監督を認めていいものかどうか、私は今迷っている。監督・脚本 : ジャ・ジャンクー 撮影 : ユー・リクウァィ 出演 : チャオ・タオ 、 ハン・サンミン 山峡ダムの建設により年々沈みつつある街、奉節で、山西省から人探しにやってきた二人の男女があった。しかし二人はついに交わることはない。極貧層出身の男は16年間音信不通の妻を捜しにゃって来た。女の方はいまや開発会社の社長をしているというのに、二年間音沙汰がない夫を探しにやって来た。チンピラ、日雇い、立ち退きを迫られる大家、考古学者、会社役員、それぞれの階層の生活をドキュメンタリーとも言えるタッチで映す。ポッスス歌謡が効果的に使われる。てっきり美しい自然が前面に出てくるのかと思いきや、失われる街がテーマになっており、街の荒廃とともに人の心の孤独も映しとろうしている。テーマがそうだから、映像は瓦礫の景色、いつまでも洗ってていないシャツ等々決して美しくない。今までの中国映画とは違う。これを「気取った映像」と見るか、小津やテオ・アンゲロプスの再来と見るかで評価は大きく異なるだろう。正直私には退屈だった。最後までドキュメンタリータッチに徹すればいいのに、素人同然の主役や脇役にあまりにも多くのセリフを言わせる。そしてあのVFXは不要(プーヤオ)。きちんと計算された演技ならば、あの長回しには唸るかもしれないが、素人に任された「偶然の」演技には長回しは不要だ。しかし、けれども、奇跡のように開発の中で人の心が荒廃していく様を救い上げることは出来ている。現代中国には必要な作品であることは確かである。チャン・イーモウに継ぐ次の時代の作家だと期待されているという。次回作を見て見極めたい。
2007年11月24日
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最近見た韓国ドラマを二つ。先ずは大ファンであるチョン・ドヨン様が主役の「プラハの恋人」。出演者: チョン・ドヨン、キム・ジュヒョク、キム・ミンジュン、ユン・セア粗暴ながらも実直な性格の刑事・サンヒョンは、プラハに留学中の恋人から、突然に別れを告げられた。恋人の真意を確かめるべくプラハに向かったサンヒョンは、恋人が妊娠しているという事実を知り、大きなショックを受ける。恋に破れ、途方に暮れるサンヒョンは、やがてジェヒという女性に出会った。純真無垢で自分に正直なジェヒとサンヒョンは、ぶつかり合いながらも互いに惹かれ合うが、実はジェヒは現役大統領の娘にして、外交官でもあり…。(商品説明より)去年10月放送のドラマらしい。日本への輸入が早まっています。ドヨン様はおそらくこのドラマ収録の直後に映画「密陽」の撮影に入ったのでしょう。一体いつ実生活で結婚にいたるデートを重ねていたのか、不思議なくらいです。前回主演テレビドラマ「星を射る」では、ニートの役割だったが、今回はなんと大統領の娘。さすがドヨン様。なんの違和感もありません。聡明さ、純真さ、奔放さ、を全身で演じています。典型的な四角関係です。「グッキ」で理想に燃え、非業の死を遂げた主人公のお父さん役をやった人が徹底的な非情の敵役をします。いつかいい役になるかと思ったのだが、最後までならなかった。顔つきまで変えて、なかなかでした。「私の名前はキム・サンスン」韓国版「ブリジット・ジョーンズの日記」とも言える、ロマンチック・ラブコメディ。太目の29歳のパティシエが本音の独白をしながら、ホテル経営者の御曹司との恋の行く末を軽妙に演じる。最後、敵役の女性チョン・リョウォンが病気になるのだが、今までのドラマの常識だと、必ず彼女は不治の病になるか、実は○○していた、となるはずだった。そしてどろどろの展開になるはずなのだ。あの話の展開だと、当然私は○○だと思っていた。しかし‥‥‥。このあたりも新しいドラマのありようと言うことで50%以上の視聴率を取ったらしい。9月に韓国を旅して、なんと主要登場人物のうち、主役二人ではなく、脇役のチョン・リョウォンが『2つの顔の彼女』というコメディ映画で主役を張っており、もうひとり、ダニエル・ヘニーも「マイ・パート」(この映画は韓国滞在最後の夜に観た)と言う映画で、主役を張っていた。ヒョンビンも「百万長者の初恋」でトップスターだし、このドラマはどうやらスター発掘の源泉になったようだ。唯一ヒロインのキム・ソナが映画に出ていなかったみたいだが、どうやらつい最近まで芸能界からはなれていたらしい。プレッシャーに負けたのだろうか。
2007年10月03日
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パスポートもなく、金もそのときはたまたま無一文、ホテルの場所もわからない男と、上海の女性タクシー運転手が仕方なく一晩を過ごすことになった。「夜の上海」製作 日本・中国監督・脚本 : チャン・イーバイ 出演 : 本木雅弘 、 ヴィッキー・チャオ 、 西田尚美 、 塚本高史 、 サム・リー 二人はお互い恋の問題を抱えている。彼らを探すスタッフや恋人たちもお互い恋の問題を抱えている。実にシンプルなストーリー。普通なら、タクシー運転所と男が突然恋に落ちる等、陳腐なラブストーリーになりがちではあるが、この脚本はそうは描かない。そこはよいところである。言葉は通じないけど、なぜか想いは通じ合う。これが「旅のマジック」である。一期一会だと思うからこそ、真剣に相手に接するし、誠実に接する。ちょっとした小旅行にいってきたばかりの私にはとてもいとおしい一作。俳優もいい。ヴィッキー・チャオの魅力的な表情の変化。「少林寺サッカー」では気がつかなかったけど、やはり日本のアイドル俳優とは格が違う。しっかり地に足が着いているけれども、片思いの時にはとてもしおらしくなる女の子を見事に演じている。本木雅弘は脚本の悪さから、「ちょっとー‥‥‥」と思うようなセリフもあったが、基本的に安心してみていられる。二人の主役がいい存在感を出しているからこそ、気持ちよく見ることが出来た。脚本はよくない。特に竹中直人のパートは、おそらくわざと滑らす笑いを取っているのだと思われるが、あまりにも滑りすぎ。全て削ったほうがいい。どうして最初から筆談を使わなかったのか、等致命的な欠点もあり、作品全体としては、バランスは取れていない。
2007年09月30日
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キャスト トニー・レオン 金城武 スー・チー シュー・ジンレイ 監督 アンドリュー・ラウこれは明らかに香港版ハードボイルドだろう。過去の事件が元で刑事をやめてしまった酔いどれ私立探偵に、昔の仲間が絡み仕事が舞い込む。事件は解決する。けれども探偵はそれを喜ばない。映画にするには、二人の演技合戦が見もので無ければならない。しかし火花を散らすような演技合戦にはならなかった。トニーレオンの無表情は仕方ない。ふと見せる人間味も出来るだけ抑えている。あれはあれでひとつのやり方だろうと思う。金城武にはがっかりした。ストーリーに食われてしまって語り部以外の何者でもない。それではハードボイルドにならない。音響は必要以上に強弱を強調しすぎ。ドラマ性をそれで高めようとしている。あざとい。映像が素晴らしかったぶん残念だ。ハリウッドがリメイク権を買った。これに関しては賛成したい。なんといってもハードボイルドを生んだ土地でもう一度作ってもらいたい。
2007年08月01日
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実は読書感想文を書こうと思ったのだが、思い直して途中までしか紹介していない韓国ドラマのことについて書きます。とは、いっても私のことだから先ずはそれとは全然関係ない話から。heliotropeさんの紹介による太田光征さんの記事の「民主党が比例区定数の削減という公約を掲げていることを忘れてはなりません。民主党の1人勝ちを許せば、とんでもないことになります。」に次のコメントを入れた。前の前の衆議院選挙のときに 共産党があまり得票数を落とさなかったのに大幅に議席を落としたときに、短ければあと10年、長ければあと20年たてば、ほとんどの議席は二大政党に収斂され、共産党などの「頑固」政党は1~2議席しかないだろう。そしてその次の選挙では0になるだろう、とはっきり思いました。その思いはまだ消えていません。インターネットで少しはそれをきちんと自覚している無党派層がいることを知り、少し安心しましたが、それも想定内のことでしかありません。結局、来るべき国民投票「選挙」が主戦場、関が原になると私は思います。これには小選挙区は関係ない。政党政治も関係ない。だから無党派層自体も今までとは違う動きをします。大田さんの言われるような提起は、それを前提として少しでも護憲派有利にという気持ちなのだろうと思います。(2007年07月28日 09時47分26秒)何故小選挙区制がよくないのかと言うと、死に票がたくさん出るから、ということが一番ではない。少数意見の温存が、特に日本では図れないからである。なぜか。日本では新聞の信頼度が圧倒的に大きい。新聞が「民主か自民か」と書けば、一人区では簡単にそれ以外の政党ははじかれてしまう。公明党でさえ、例外ではない。やがて少数意見は抹殺されて時代が変わったときにすぐに復活することが出来なくなるだろう。少数意見がきちんと残される西欧と日本は違うのである。しかし、そんなにも新聞と言うのは、信頼できるものなのか。韓国はそうではない。と、ここでやっと韓国ドラマ「砂時計」の話題に移ります。前に韓国ドラマ「砂時計」とマスコミの問題を書いた。そのときは18話までしか見ていなかったので、あと四話分の感想が抜けている。とはいっても粗筋については書かない。前にも書いたが、このドラマは過剰なくらいにセリフが多い韓国恋愛ドラマとは180度違い、むしろセリフがない場面、映像と音楽のみによってつづられる場面がもっともドラマ性がある場面になっている。ヒロインのヘリンが獄中で拷問に耐えられずに仲間を売る場面、テスとヘリンの初めてのデート、再会したときのデート。ウソクの新婚場面。最後まで緊張が続き、長い長い最終の言葉にならないワンカットの場面で静かに終わる。最後の四話は背景には87年民主化闘争の勝利で全斗煥(チョンドゥファン)大統領が退陣するまでを描く。80年代前半だと思うが、総選挙の描写がある。与党は金をばら撒き、有力新聞で情報操作をして最初は楽観視をしていた。けれども名も無き俳優の市民は「こんな新聞のどこが信用できるか」「光州事件のときは市民を何千人も殺したあの大事件を全く報道しなかったではないか」といって、民衆闘争のわずかな情報を信頼していった。結果は与党の大敗北。これらの経験がやがてはインターネット新聞「オーマイニュース」などの隆盛に繋がる。日本版「オーマイニュース」が参議院選挙を前に鳥越編集長の辞任に終わっているのとは対照的ではある。やがて総括しなければならないが、(誰かして!)今回の参議院選挙、内容的にはブログが非常に頑張っている。ひとつ階段を上がったと思う。どこまで影響力を持てたか、は別として。 produced by「晴天とら日和」
2007年07月28日
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最近みたDVDから、簡単な感想。評価は★五つで満点。私のDVD鑑賞は小さなテレビだし、寝転んでみるので、情報量が少ない、集中力がない、よって本来の評価ではない場合があるということをまずはお断りしておきたい。「ウエディング・キャンペーン」「夏物語」「四月のキス」のスエ繋がりで見た作品。彼女が男勝りのカップリングコーディネーターの役をする。中年の農民の独身男性チョン・ジェヨンがウズベキスタンまで嫁探しツアーに行く。日本で言えば、フィリピンに嫁探しに行くようなものだ。しかし、韓国ではウズベキスタン。なぜか。この国には事情があり、朝鮮民族が多いのである。ほろにがコメディ。★★★「ファミリー」こんどのスエは刑務所を出所したばかりの娘。元警察官でいまは魚屋をしている父との葛藤を描く。チェ・ヒョンはいぶし銀の演技で白血病で死ぬ覚悟をした男を演じて見せる。スエは作品ごとに役柄を変えている。そういう形で育っていく女優なのだろう。タダ、「夏物語」の彼女は良かったけど、この二つは平凡な演技に見える。★★「サッド・ムービー」韓国は泣かすのが上手いねえ。感情を描くのが上手いのだろうね。けれどもそれだけ。俳優はそれぞれの役を無難にこなしているが、反対に言えば、掘り下げが少ないとも言える。上手いこと繋いではいるが、やはりひとつの映画に四エピソードを入れたのは良くなかった。主役級のチョン・ウソン、イム・スジョン、チャ・テヒョンよりも「箪笥」で恐い継母役をやったヨム・ジョンアのこんどは本当の母親役、「甘い人生」のヒロインが聾唖の声を出さないまま片思いをする遊園地のぬいぐるみ役をするシン・ミナの役が記憶に残る。★★★
2007年07月09日
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チョン・ドヨンssi、チュカヘヨ!カンヌ主演女優賞(「シークレット・サンシャイン」)の受賞おめでとうございます。大変遅くなりましたが、やっとお祝いの言葉を言うことが出来ました。これでやっと世界的な女優として名実ともに認められましたね。思えば、あなたのこの受賞作品のことを初めて知ったのは、去年の韓国旅行の途中、フリーペーパー雑誌の切れ端でした。あなたの話題だ、と思って一生懸命読んでいたらソンガンホと初めて組む映画の新作の話だと分かりました。その時はまだ韓国では「グムエルー漢江の怪物」が興行成績のトップを走っていたときで主演男優ソン・ガンホの話題が中心でしたが、当然私はあなたの新作映画が観れるのだと思って胸が高鳴りました。その時はまだ劇場であなたを観た事がなかったからです。今年の3月、エイズに犯された元売春女性と農業青年との純愛映画「ユア・マイ・サンシャイン」であなたを初めて銀幕で観て感激し、あなたの大ファン宣言をいたしました。ほんの数年の間に、不倫妻から小学生、地道な教師、海女(しかも二役)、聾唖者、貴族の貞淑な寡婦、と素晴らしい演技力をDVDで見せ付けられ、ファンであった私ですが、この作品で言葉にしなくても演技力だけでいろんなことを語るあなたに魅了されました。世界に認められるのは遅すぎたぐらいです。「シークレット・サンシャイン」では、初めて母親の役をするそうですね。しかも子どもに死なれた母親の難しい役です。賞をとったことで、日本での公開はもちろん、公開機会が早まることが予想されます。その意味では大変うれしい。「ユア・マイ・サンシャイン」のあとで探してあなたの主演テレビドラマ「星を射る」全八巻を先日なんとか見終わったところです。どうやら基本的な「売り」はチョ・インソンという年下のハンサムがスターとして成功しながらあなたとラブロマンスを繰り広げるという物語だったみたいですが、流石にあなたは「30歳パラサイト女性」になりきっていて、完全に主役男性を食っていましたね。台詞は無いけど、ちょっとした仕草であなたの心の葛藤がありありと分かるので、最初は無思慮な女性として登場したのに、終わりの頃はホント思慮深い女性に変身していました。脚本を演技で変えさせた例になりました。まあ、脚本的にはムチャクチャでしたが、韓国のテレビドラマなので、あきらめています。それでは次は銀幕でお会いしたいと思います。あっ、ご結婚おめでとうございました。 produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年06月07日
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韓国ドラマをほめたことはほとんど無い。ハングルの勉強ということもあって毎週1~2本は見ているのにもかかわらす、である。日本のドラマもそうだけど、それほどに私のドラマに対する不信感は大きい。あまりにも都合の良い話の展開。過剰な台詞。そして緊張感の無い映像。それらが鼻についてしまうわけだ。でも一方では、それらがある程度見出すと麻薬のように心地よい習慣になってしまうのでついつい毎週数日は寝る前に見てしまう。と、という書き出しで何を書くかというと、この「砂時計」(原題モレシゲ)はまだ全24話中の18話しか見ていないのであるが、さすが最高時70%近い視聴率をとっただけあり、緊張感がずっと持続していて、見ごたえがある。初めて全話見終わっていないのに褒めようと思う。「砂時計」出演:チェ・ミンス/コ・ヒョンジョン/イ・ジョンジェ/パク・サンウォン/パク・クニョン/ナム・ソンフン/チョン・ソンモ脚本:ソン・ジナ音楽:チェ・ギョンシク演出:キム・ジョンハクセリフが非常に少ない。一つのセリフの持つ意味が大きい。映像と音楽と演技によって多くのことを語る。時代背景をおろそかにしないが、説明的描写が極端に少ないので、まるきり韓国現代史を知らなければ理解するのが困難な場面が多々ある。もちろん韓国の人たちにとっては自明のことばかりなのだろう。三人の主人公はそれぞれ「恨(ハン)」を抱いている。両親とも不運の死を遂げ、貧民層よりヤクザの道を選ぶ、テス。貧しいが、父親の思いを継いで司法の道を選ぶ秀才でテスの親友のウソク。最初はウソクと、あとでテスと恋仲になるカジノ王の娘、正義感の強いヘリン。三角関係は韓国ドラマの定番ではあるが、ドラマの緊張感はずーと続く。7~9話にかけて1980年光州事件の描写が出てくる。この韓国独裁政権終末時における内乱鎮圧事件の描写は一部映画「ペパーミントキャンデー」でも描かれているが、このドラマほど詳しく描いている作品を私は知らない。光州事件のときヒロインは学生運動をしていて、KCIAの追及を逃れて釜山に潜む。海女のおばさんの家にかくまってもらうのだが、無学の海女でさえ、時の政府には反発を抱いている海女「光州のほうでは何か大変なことが起きているらしい。」ヒロイン「えっ、でも新聞では何も報道していない。」海女「新聞が何か真実を書いたことが今まで一回でもあったかね」 本筋とは関係ないが、このセリフがとても印象に残った。韓国ではそれほどに70年代、新聞の信用は地に落ちていたのだろう。だからこそ、韓国では大新聞社を追われた男たちが作った左派系新聞ハギョレ新聞は、いまでもある程度の信頼を勝ち取るし、インターネット新聞が日本より早くしかも徹底的に広がっていたのだろう。それが,ノムヒョン政権のデジタル革命に繋がっていく。日本とインターネットの土壌が違うということはこのようなドラマのなんでもないセリフからも見ることが出来る。現代のようにマスコミが日本人の世論に決定的な影響を与えるような情況を変えなくてはいけない、という危機意識が私にはある。けれども、いくらインターネットで頑張っても、即韓国のようにはいかないだろう、という根拠はこのあたりにある。‥‥‥というようなこととは別でも、純粋にドラマとしてモレ(砂)シゲ(時計)お勧めです。参考記事光州・全州・釜山への旅(2)(真ん中あたりに光州の国立墓地に言ったときのことを書いてある)『韓国のデジタルデモクラシー』あるいは日本の小さな希望 「韓国民主化への道」岩波新書 池明観
2007年04月19日
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監督 : パク・チンピョ 出演 : チョン・ドヨン 、 ファン・ジョンミン 、 ナ・ムニ チョン・ドヨンを初めてスクリーンで観ました。この感激をどのように伝えていいのかわからない。この映画の青年の言葉を借りて云うなら「ドヨンssi、あなたを死んでも離しません。何があってもあなたを守ります。」という心境です。もっとも彼女主演の映画はすでにDVDで何本も観ており、私の中では韓国女優ナンバーワンの地位はすでに占めてはいたのです。「ハッピイ・エンド」の不倫妻を見て瞠目し、「私にも妻がいたらいいのに」の普通の女性の役をしているのに驚愕し、「スキャンダル」で納得し、「我が心のオルガン」で26歳なのに小学生の女子の役をやっているのにさらに驚愕したわけです。彼女が韓国ナンバーワンの女優でなくてなんであろうか。でもなぜか彼女を映画館で見ることは機会を逸していたのです。たった一週間、一日一回の上映であろうと、初日に見に行ったのは至極当然のことです。ええ、泣きました。ぼろ泣きでした。一言で言うと、「エイズに冒された元売春婦の妻を一途に愛する青年の話」です。ええ、シンプルです。それがなんであろうか。ただ、二人の演技の圧倒的なリアリティに打ちのめされました。私も思い込んだら一途です。一度ファンだと決めたなら、これ以降の作品は、どんなことがあろうとも必ず映画館で見る所存です。
2007年03月24日
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監督 イ・ウンジン/チェ・チヨン 出演 チョ・ハンソン(オオカミの誘惑)/スエ(夏物語)/ソ・イヒョン/イ・ジョンジン (マルチェク青春通り)典型的な四角関係。ご都合主義の展開。けれども結局最後まで見てしまった。(DVD12巻)あなおそろしや、韓国ドラマ。一応「夏物語」のスエに注目してみていた。感情表現が豊かで、この四人の中では突出している。ただし、残念なのはあまりにもむちゃくちゃな性格をしていて、かわいそうなくらい。途中からあまりものひどさに生彩が無くなる。このドラマ、珍しく男性がヒロインに振り回されるという設定。ヒロインが四人の中では一番悪役に見えるという珍しいドラマになっている。私の大好きな「マルチェク」で主人公と対等と渡り合い、最後にはヒロインを連れて駆け落ちまでするイ・ジョンジンが出ているので期待していたのだが、なんともまあ、毒の無い役をやっていて、がっかり。魅力も感じられなかった。結局あの映画の演出が良かったのだということを発見した。チョ・ハンソンは正統二枚目スター。本来は悪者になる設定なのに、一番良い役になってしまった。おそらく、テレビ局の冒険だったのだろう。あまり話題になっていないところを見ると、失敗だったか。
2007年03月20日
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「ごめん、愛してる」 2005年 韓国出演者: ソ・ジソブ、イム・スジョン、チョン・ギョンホ、ソ・ジヨン、イ・ヨンハ演出: イ・ヒョンミン脚本: イ・ギョンヒ狐目で「千年の愛」で大根役者振りを発揮したソ・ジソブが、別人とも思えるほど見事に自分を捨てた母親に復讐を誓いながら、マザーコンプレックスから抜け切れない青年を演じている。一方のイム・スジョン。「箪笥」でゴシックホラーの美少女に徹していたと思えば、「アメノナカノ青空」では一転して死の病に犯されながら気丈な少女を演じ、去年韓国で見た「角砂糖」(仮題)では、騎手の役を体当たり演技で演じている。一作ごと性格が違う役を演じていて、韓国映画界がこの唇の分厚い美少女を大切に育てているなあ、という風に思えてほほえましい。このドラマでは、純粋無垢なスタイリストという役割。役にはなりきっている。お話は「ありえない」といういつもの韓国ドラマ。あんまりコメントしたくはありません。気になる方は写真をクリックしてください。私は韓国ドラマは、ハングルの勉強のためと、韓国映画の参考のために、週1~3本見るようにしています。よって基本的に辛口です。申し訳ありません。
2007年03月20日
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私は嬉しい。製作国 : 中国=日本=香港=韓国 このような布陣で、戦争と平和をテーマにして、このようなエンターテイメント大作が作られるに至ったこの10数年の動きは、後世アジアの文化史に残ることだろうと思う。監督・脚本・プロデューサー : ジェイコブ・チャン 音楽 : 川井憲次 原作 : 森秀樹出演 : アンディ・ラウ 、 アン・ソンギ 、 ワン・チーウェン 、 ファン・ビンビン 、 チェ・シウォン 戦国時代。趙と燕の国境にある粱城は、趙によって攻撃されようとしていた。10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。頼みの綱は墨家の救援部隊だったが、間に合いそうもなく、粱王は降伏を決断する。墨家の革離(かくり)がたった1人で駆けつけたのは、その直後だった。兵に関する全権を粱王から与えられ、早速城を守る準備に取りかかる革離。趙軍の指揮官・巷淹中は革離を好敵手と見なし、やがて激しい攻撃を開始する。(goo映画情報より)墨家とはなにか、HPの浅野裕一氏の解説に詳しいが、一言で言えば平和を求める思想家集団であり知識人集団であり、戦術家集団である。中心思想に『兼愛』(万人への愛)と『非攻』(侵略と併合の禁止)を置く。それを支えるために『尚賢』(能力主義の人材登用)や『節用』(節約主義)等『墨家十論』を説く。今回の物語は、緊急避難的にその中の『非攻』を実現するために『専守防衛』の技術を駆使した攻防戦になった。革離の知恵は優れているので、専守防衛は一時成功したかに見える。しかし結局大事なのは戦術よりも、内政だということなのだろう、革離の理想的な決着は行われない。映画が終わったときに、多くの観客が納得のいかないような顔をして劇場を後にしていた。残念ながら、『日本人の』万人に受けるような映画にはなっていない。(投降者の虐殺に対する革離の対応が不明等脚本的な不備もある。)けれども、私あの筋立ては正しいと思う。革離はもともと(原作でもそうだが)墨家が見捨てた粱の城を守るために一人でやってきたのだ。その時点で、墨家の理想が行われないことは宿命つけられている。それでも、侵略されれば粱のすべての住民が奴隷になり、あるいは殺され、陵辱されることに我慢がならなかった、いわば民族自決権の擁護のために『可能性』にかけて赴いたのである。革離が初めて迎える実践の中で悩む姿こそを、監督は描きたかったのに違いない。『兼愛』と(たった一人への)『愛』との葛藤、『非攻』と『専守防衛』との違い、実は非常に考えさせられる映画なのだ。憲法九条を変えろ、とか変えてはいけない、といっている両方にこの映画を見てもらって、議論をするのは非常に有益だと私は思う。女騎馬隊の隊長を演じたファン・ビンビンのきりりとした顔と女性としての弱さを見せた顔に好感を持った。
2007年02月12日
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監督 : チョ・グンシク 出演 : イ・ビョンホン 、 スエ 、 オ・ダルス 60歳を超えた今も独身を貫き通す老教授ユン・ソギョン。誠実な人柄で学生たちから信頼も厚く、その端正な容ぼうは、さぞ美青年だったであろう若き日の面影をとどめている。ある日、彼の元に「初恋の人を探すテレビ番組」への出演依頼が舞い込む。番組取材のために訪ねてきた構成作家スジンに、ソギョンは古びた1冊の本を差し出した。その本をきっかけに紐解かれるソギョンが生涯唯一愛した女性ソ・ジョンインとの秘密。そこには歴史の波に翻弄された男女の悲恋の物語が隠されていた…。(以上goo映画情報より)当時学生だったソギョンは友達に誘われるまま、農村の奉仕活動で10日間を過ごす。電気も通っていないその村でであった女性に恋に落ちる。女性は警戒しながらもしだいと学生に打ち解けていく。まあ、ハンサムだからね。途中、1969年7月20日、電気が通ったばかりの村でひとつしか無いテレビを囲みながら村総出でアポロ11号月面着陸のテレビを見る場面が出てくる。そのときまで私は60年代前半の韓国の話なのかな、と思ってみていたのだが、どうやら日本では東大安田講堂の頃の話しらしい。当時学生の中では朴大統領の三選を阻止する運動が盛り上がっていた。日本とは違って催涙弾であっけなく運動は潰される。けれども権力が最も警戒していたのは、北からのスパイ。ソギョンについてきたスジンは、大学紛争のさなか、父親が10数年前、北側の人間だったということだけでスパイ容疑で逮捕され、ソギョンも逮捕される。恋人の目の前で「この人は知らない」といってしまうソギョン。このときの二人をめぐる長回しが、秀逸。ただし、その後の二人の再会から別れまでがあまりにもばたばたと終わらせていて、不満である。二人が会うときにはいつも雨が降る。ものすごく湿っぽいラブストーリー。社会派の話かと思いきや、純粋恋愛映画でした。社会的な背景が分からないと感情移入しづらい所はある。それを差し引いても私は2人の気持ちのゆれを十分に描いていなかったとおものであるが、果たして評判はどうなることやら。軽い罪で逮捕してほこりが出てこないか調べるところや、有力者の父親がいるとすぐ保釈になるところは戦前の治安維持法のときの雰囲気とよく似ている。このころ、韓国は昔の日本を真似していたのかもしれない。
2007年01月30日
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