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2007年9月10日(月)去年の韓国旅行記をいいかげん終わらせないと(ドングリさんからのリクエストもあったし)怒られそうなので、これが最終回です。今年は長い休みが取れなくて、韓国旅行は行けそうにありません。いけるとしたら、来年1月2日から5日までくらいかな。では写真つきです。長文です。0釜山タワーからの眺め posted by (C)くま朝たっぷりと湯を溜めて広めの風呂に入る。アロマホテルは釜山でのマイご用達ホテルになってしまった。(去年3万Wと四万Wを間違えたホテル)今回はインターネット部屋。けれども時間がなかったので、楽天サイトを覗いただけ。朝は龍頭山に登った。ここから釜山の街並みが一望できる。たいていの観光客が行くところではある。けれども私はほかの目的で登った。釜山はずっと倭国から明治時代にかけての日本との交易との玄関口だった。江戸時代、その代表が草梁倭館なのであるが、場所がよくわからないでいたのである。1草梁倭館の場所 posted by (C)くまけれどもさすがに現地、草梁倭館があった場所が大体わかる。この公園の北側斜面だったのだ。1678年以降、釜山は日本の玄関口であった。200年間倭館は続き、日本の植民地時代にはこの一帯が日本人専用居住地になる。2詩碑「春が来たなら」 posted by (C)くま公園から少し外れたところでは、個人が設えたのか、詩碑がずらりと並んでいた。この写真の詩碑は題名のみはわかる。「春が来れば」である。韓国では詩は国民の中に溶け込んでいる。本屋の中で詩のコーナーは常に大きくスペースがとられ、駅の中に突然詩のポスターが張ってあったりする。至る所で詩があふれてている。3近代歴史博物館 posted by (C)くま近代歴史博物館に行くと、月曜なので残念ながら休館だった。この建物も1920年に建てられた東洋拓殖株式会社釜山支店だった。日本の経済侵略の前進基地である。4カクテキキムチの仕込み posted by (C)くま朝食はキムパブ(海苔巻き)。ちょうど私の席の隣ではお店の夫婦(?)が、日本にはお目にかかれないでっかい大根をサイコロ切りにして、カクテキキムチの仕込をしているところだった。「写真をとってもいいですか」と聞くと、あいやー、と言って奥さんは奥に逃げてしまった。5あさのあつこ「バッテリー」 posted by (C)くましばらく散歩。古本屋通りに向かう。日本型屋根の残留をわずかに見つける。古本屋で韓国の国語辞典を買う。英英辞典のようなものです。古本のなかにはすでに「バッテリー」の1~2巻があった。6豆腐汁定食 posted by (C)くま11時に荷物をとりにホテルに帰り、早い昼食を食べる。写真はオモニチョングッチャンの豆腐汁定食。例のシジミ汁専門店の斜め向かいである。写真のように非常に充実した定食である。ここもお勧め。アロマホテルから階段を下りたこの一角には美味しい定食屋さんが多い。そのあとは観光をせずにお土産漁り。DVDやV-CDを6個も買ったけど、しめて2万1千W。チョン・ドヨンの「私にも妻がいたらいいのに」やハン・ソッキュの「八月のクリスマス」も見つけて買った。リボンさんからのリクエストのあった朝鮮王朝最後の皇后「ミンピ」のDVDを聞くと、DVDになっていないそうでした。7穏やかな玄界灘 posted by (C)くま帰りもビートル。帰りも揺れなかった。非常に快適だった。ラッキーだったのか、それとも数年前の経験が特異だったのか。8日本に到着、博多駅ビル posted by (C)くま7時に博多駅に着いた。重い荷物はコインロッカーに入れて、(300円が高く感じる)深夜バス発の10:15までの3時間、博多の町に繰り出す。「左に曲がります、ご注意ください」と言うトラックが通り過ぎる。港から駅に着くまでのバスのことを思い出す。日本のバスが旅人に優しいのは確かだ。韓国の市内バスには路線図はなかった。土地勘がないと、なかなか乗れない。しかも停留所の案内はバスのアナウンスに任せているのだが、車長は大音響のラジオをかけていたりして全く聞き取れない。一方博多にはいたる処に路線図はあり、停留所の案内もアナウンスとともに、電光掲示板でもする。ただ気になるのは、アナウンスの前に必ず「ご乗車ありがとうございます」と言うし、運転手も無駄口を叩かないのはいいのだが、「ドアを閉めます」「発信します」と機械が喋っているようだ。我々は本当にそこまで詳しい説明を欲しているのだろうか。本当に欲しているのは、思いやりのあるサービスではないだろうか。韓国ではすべての運転手が「到着したら教えてください(トチャクハミョン、カルチョジョセヨ)」と言うと、きちんと教えてくれた。(ウルソンでは話しかけもしてくれた)きっと日本の運転手も教えてくれるとは思うのだが‥‥‥。9博多ラーメン posted by (C)くま日本での一食目はやっぱり博多ラーメンとギョーザ。替え玉もした。久し振りに博多の地下道を通ると、長い長い駐輪場が出来ていて、びっくり。博多遺跡の展示もしていた。思いもかけず遺跡見学が出来てよかった。10早朝の倉敷チボリ公園 posted by (C)くま深夜バスで朝の倉敷駅に着く。第三セクターで、計画段階から必ず赤字になって市民や県民に大きな迷惑をかけると、反対運動が起きて二回も市長選で争点になった駅前のチボリ公園が迎えてくれた。そうして最近決定したのであるが今年の大晦日でこの公園は廃園になる。責任者出てこーい。作る前からテーマパークで成功していたのはディズニーランドだけだったのに、バブル期の計画を軌道修正できない。官民癒着の歴史的な証拠である。さて、日本に帰って目に付いたことをもうひとつ。女子高生のスカートはどうしてあんなに短いんだ!!1,000(朝食) 10,000(国語辞典) 10,000(ポーチ) 5,000(昼食) 1,000(コインロッカー) 21,000(DVD) 4,500(お土産) 4,000(ハングル版「星の王子様」) 1,100(地下鉄) 11,600(入港料と油チャージ) 13,150(お土産) 550円(ビールとつまみ) 730円(ラーメンとギョーザ) 300円(コインロッカー) 6,900円(博多→倉敷) 200円(マクド) 340円(バス)
2008年09月27日
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その二から続く新石器時代の国内最大の遺跡展示館「石壯里(ソクチャンリ)博物館」があるというので行ってみた。バスが通らない不便なところ、というのである程度覚悟する。バスである程度行って、そこから歩いて途中でタクシーを拾うという算段だった。ところがなかなか拾えない。結局、錦江川べりの道を30分くらい歩いた。割と最近建てられたいい博物館だった。0709韓国の旅 石壯里博物館 posted by (C)くま石器時代の遺跡には詳しくないが、土の性質がいいためか骨の保存状態がとてもいい。動物や人骨が長期間にわたり残っており、石器も初期から後期までに至る推移が非常によくわかる。0709韓国の旅 人骨が良好に残っている posted by (C)くま人はより切れる材料を探し出し、より切れる加工の仕方を生み出す。人類はもしかしたら、いまだかつて自ら不便になる道を歩んだことはないのではないか。温暖化の下、人類は初めての選択を迫られているのかもしれない。それとも気がつかないままに、いつの間にか滅ぶのだろうか。0709韓国の旅 石器を数多く展示 posted by (C)くま骨に彫られた(?)土偶もあった。普通の土偶も、貝の土偶も韓国にはある。材料の豊富さでは韓国は勝るが、加工の洗練具合では日本のほうが勝る。土偶の使い方はまだ謎が多い。朝鮮半島にこれだけ多くの土偶があることは発見だった。0709韓国の旅 骨の土偶 posted by (C)くまタクシーでモーテルまで帰る。公州(コンジュ)バスセンターから大田(テジョン)まで行く。そこから乗り換えて、釜山(プサン)行きのバスに乗るためである。太田バスセンターで、コインロッカーにまたまた指紋で確認する方式を見つけた。個人情報の保護大丈夫かしら。0709韓国の旅 指紋判定コインロッカー posted by (C)くまバス待ち時間の間、大田で遅い昼食を食べる。済州島専門店があったので、そこでオギョルサル(豚の焼肉)を食べる。どこの部位かは不明。皮付き、軟骨付きの肉であった。2人前からしか注文できない料理だったので、食べ終わるころには腹がパンパンだ。0709韓国の旅 オギョルサル posted by (C)くままだ時間があったので、コーヒー店へ。味付けコーヒー? 高いのに、美味しくない。韓国はなぜかいつもお菓子と一緒にコーヒーが出てくる。0709韓国の旅 喫茶店のコーヒー posted by (C)くまこの店もそうだし、ほかの店もそうだが、店内の掃除はしているのに、窓が汚い。窓ぐらい拭けばいいのに。0709韓国の旅 窓が汚い posted by (C)くま大田で乗り換えに2時間30分を要した。釜山まで行くのに、5時間かけたため、釜山に着いたのは、8時すぎだった。早急に地下鉄ナムポドン駅まで行き、前回も泊まったアロマホテルにチェックイン。0709韓国の旅 アロマホテル posted by (C)くま荷物を置いて、映画を見に繁華街に繰り出す。いつも海外旅行をすると映画を観るのだが、今回は一度も見ていなかったのだ。意地のようなものである。作品は9:10の最終に間に合った。「マイパート」と言う作品。ドラマ「私の名前はキム・サンスン」で脇役で出たダニエル・へニーが主演。1975年捨て子としてアメリカ人に育てられ、海兵隊員として韓国に入国。親探しをする。案外すぐに父親は見つかる。そこから、英語と韓国語でお互い言葉が分らないまま、すこしづつ分かり合っていくという話。みたいだ。今回の私の旅と重なるところがある。しかし、物語としては平凡であり、予定調和でもある。「キムサムソン」のもう一人の脇役であるチョン・リョオンもこのとき「二つの顔の彼女」でやはり主役を張っていた。二人ともうまい役者ではない。ドラマで人気が出るとすぐに映画で主役を張らせるというのでは、かえって韓国映画の未来に不安を感じた。0709韓国の旅 映画「マイパート」 posted by (C)くまこの日、遅い夕食を11:30に食べた。テジクッパである。長い長い一日が終わった。0709韓国の旅 遅い夕食 posted by (C)くま1,100(バス) 1,000(朝食) 1,100(バス) 1,500(宋山里入場料) 1,100(バス) 4,000(タクシー) 1,500(石器博物館入場料) 600(ジュース) 7,500(タクシー) 3,500(バス公州→大田) 13,000(昼食代) 3,000(コーヒー) 20,000(バス大田→釜山) 2,000(茶とお菓子) 1,300(地下鉄) 40,000(モーテル) 7,500(映画代) 5,000(夕食)
2008年07月25日
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その一の続きである。教会からは公山城の山が見える。0709韓国の旅 教会ら公山城方面を望む posted by (C)くまちっょとした小高い山である。武寧王陵の宋山里古墳群もそうだが、小高い山が聖地になりやすい。日本もその傾向がある。しかし日本と違うのは、日本の王陵のある場所は多くは自分の支配地域が見える場所なのであるが、宋山里古墳群からはその下の城下町は見ることが出来ない。山の奥に墓を隠す気持ちが働いたのだろうか。0709韓国の旅 忠清南道博物館 posted by (C)くま忠清南道博物館に入る。0709韓国の旅 青銅の冠 posted by (C)くま04年のときに発掘現場に訪れた水村里(スチョンリ)遺跡から発掘されたという、王がかぶったといわれる冠のレプリカを見る。そうか、こんな見事なものがあったのか!!0709韓国の旅 奴婢売買証書 posted by (C)くま歴史的な文書も多く展示されていた。近代の展示ではやはり日本の植民地時代の遺物が多い。よくわからなかったのだが、「奴婢売買証書」なるものがあった。0709韓国の旅 賞状 posted by (C)くま戦争で半強制的に財産を寄付された「賞状」。演劇「族譜」でも、水原の両班である薛鎮英も日本の軍隊に半年分の米を「寄付」していた。そういうことに応えるのは、このようなたった一枚の賞状だったのだろう。0709韓国の旅 679 posted by (C)くま「国民生活改善基準」。(例えば「今一年衣服新調見合」と書いている。)これらは、日本国民にも当時国家総動員法の下行なわれたものではあるが、民族的に強制させられたかどうかで、記憶はまったく違うものになるだろう。日本の場合と程度の差はどれほどだったのか。それこそ、いい歴史研究の材料ではある。幸いなことにこの時代の文章は日本語で書かれている。公文章はすべて日本語なのだ。「韓国は植民地ではなかった」とどこかの教育長がのたまったそうだが、ちゃんチャラおかしいと、私は思う。この博物館にもあったし、0709韓国の旅 公州二股の木 posted by (C)くま密陽の寺の前にもあったし、0709韓国の旅 密陽二股の木 posted by (C)くまほかのところでも見つけているのだが、韓国の木々の中に二股に分かれている木が多い。もしかしたらわざとその様に育てているのかもしれない。(決していやらしい意味ではなく^_^;)陰陽思想の実践なのだろうか。帰国後、ハングル講座の先生に尋ねると、果たしてそううであった。意味はよくわからないが、男と女、陰と陽、二つに分かれることで力を蓄えるということはあるのかもしれない。それが根元で一つになっているのだとしたらなおさらである。もと来た道を戻り、宋山里古墳群に行く。未盗掘だった武寧王陵其の他の王様の墓があるところである。以前来たときと比べて、今回はカメラのデータ容量が何倍にもなっている。写真は撮り放題だ。先ずは墓が出来るまでをジオラマの連続写真でお見せする。0709韓国の旅 702 posted by (C)くま0709韓国の旅 703 posted by (C)くま0709韓国の旅 704 posted by (C)くま0709韓国の旅 705 posted by (C)くま0709韓国の旅 706 posted by (C)くま日本の横穴式石室とはまったく違う豪華な作りです。中国の影響を受けたといわれている。これは再現された石室内部。0709韓国の旅 710 posted by (C)くまそして、これは資料室から出て見える、古墳群の近景。ぽっかり現代韓国の墓と同じような大きさ。しかし内部では、黄金の靴、等の豪華な装飾品で溢れていた。0709韓国の旅 729 posted by (C)くま6C-7C段階でのこの金細工。日本はまだまだ遅れた国であった。0709韓国の旅 713 posted by (C)くまやっぱりリスに遭遇。今回は相当近くに近づいても木の実を食べるのに夢中で、逃げない。0709韓国の旅 やっぱりリスがいた posted by (C)くまその三に続く
2008年07月24日
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9月9日(日)霧の朝になった。道に迷う。迷ったままに坂の上に登る。0709韓国の旅 645 posted by (C)くま迷路のような横道に入っていく。0709韓国の旅 646 posted by (C)くま霧に包まれた百済(ペッチュ)の町がやさしい。0709韓国の旅 648 posted by (C)くまこの町では煙突付きの家が目立つ。この地域の特徴なのだろうか。(オンドルようの煙突ではあるのだろうけど) 坂の上で途方にくれていると、日曜の朝に小用を済ませて車で帰ってきたお父さんが家の前でタバコをすっていたので、坂の上から指差して「忠清南道博物館はあの辺りですか」と訊ねる。地図の上では公山城の隣なのだが、観光用の地図なのでやはり相当いいかげんなのだ。(韓国語の説明ではこの男の能力ではとうてい分らんようだ)と判断したお父さんは「Can you speak English?」と聞いてきた。「A little」。そうすると、ペンを貸してくれ、というのでボールペンとメモ帳を渡す。簡単な地図を書きながら、説明をしてくれた。0709韓国の旅 846 posted by (C)くまよくわかりました。まるきり違うところを歩いていました。結局、大きな道路に出て、幾つかめの信号を左に行った所だった。0709韓国の旅 657 posted by (C)くま一つ分ったのは、40代のビジネスマンにとって、いまや常識は日本語よりも英語なのだろう、ということだ。実は今日はもう一度40代の男性から英語で話しかけられた。忠清南道博物館に行くと、開館までにはもう少し時間があったので、その隣にある1934年に建てられた古い教会に行った。0709韓国の旅 656 posted by (C)くまそうすると、男の人がやってきて、ドアの張り紙を見て「信者の方ですか」と韓国語で話しかけてきた(ように思えた)。「違います。私は日本人でよく知らないんです。」と応えると、男はやはり「Can you speak English?」と聞いてきた。そうしてこの教会のことを簡単に教えてくれた。「今日はミサが休みだということを忘れていたんですよ」と言って頭をかく。「はあ‥‥‥」とやはり正確には聞き取れないので、曖昧に頷いて別れた。0709韓国の旅 652 posted by (C)くま朝食はキムパブ天国でキムパブ(1000W)。温かくて美味しかった。店によって、美味しさにも差があることが判明。
2008年07月23日
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バスは、7Cに百済の都であった熊津(公州)に近づく。壇君神話が残っているらしく、橋の飾りは珍しく「熊」である。0709韓国の旅 575 posted by (C)くま錦江の河川敷では運動会をしていた。0709韓国の旅 574 posted by (C)くま小さいバスターミナルに付く。歩いていくとすっかり迷った。自分のいる場所が分らないのだ。タクシーを捕まえて、観光案内所まで、と言うと、不審な顔をしながら200M先まで連れて行ってくれた。そんな近くだったのか!!なんとお金は要らない、と言う。タクシーで親切にされたのは、数えるぐらいしかない。こんな人もいるんだ。観光案内所のすぐそばの公州城ではちょうど観光用の閲覧の儀式をしていて、外からでも見ることができた。0709韓国の旅 576 posted by (C)くま観光案内所で地図を貰う。迷いはしたが、これでも二度目の公州なのである。(以前の旅についてはここ。ここで訪ねた水村里遺跡の遺物がどのような位置づけになったかと言うことは、この次の日に分ることになる)今回は、以前行ったことのないところを中心に回ろうと決めていた。先ずは、モーテルを決めて荷物を降ろして、国立博物館を目指す。04年に来たときには、まだ建築中で残念な思いをしたのである。バスで、武寧王陵の前までいく。店のオバサンに博物館の場所を聞くと、「あっち」だという。しかし、その方向に10分くらい歩いてもそれらしきものはない。また戻ってよーく聞くと一キロぐらい離れたところにあるらしい。地図では隣に書いているので、すっかり騙される。道理で観光案内所の人が武寧王陵からタクシーに乗りなさい、と言ったはずだ。けれども歩いていく。近代的なビルの公州国立博物館に30分くらい歩いて着いた。0709韓国の旅 580 posted by (C)くま博物館は武寧王コーナーと熊津の歴史コーナーとの二本立て。0709韓国の旅 583 posted by (C)くま熊津の歴史が興味深かった。ここの博物館では、珍しく説明版には英語と同時に日本語の説明がついている。0709韓国の旅 596 posted by (C)くま観覧が終わってまたとぼとぼと夕暮れの公州を歩く。武寧王陵があった辺りを西から眺める。公州は周りを高い山で囲まれ、中心を錦江が流れ、小さな丘は聖地になっている。なんでもない丘なのだが、そこは王陵になり、城がある。百済は昔の倭人から見ると、現代のニューヨークみたいなところである。昔の面影はいまはほとんどないが、自然の山々や草花だけは当時のままだろう。などと言うようなことを考えながら作ったのが以前書いた記事ではある。(「悠久の歴史に想い馳せ」参照)夕食は宿の近くの焼き肉屋に寄った。メニューにポシンタン(犬鍋料理)を見つける。写真のメニューの一番上にある8000Wの料理がそうです。(これ以降の記事に不快を感じる方はおられるかもしれません。私自身は悪いとは全然思っていません。ご意見は拝聴します。)ずーと食べたかったのだけど、街中の店は一人客には冷たいので食べさせてくれないのである。この店の人は快く一人でも応じてくれた。値段も安いし、明るい店だし、ラッキーだった。0709韓国の旅 634 posted by (C)くま料理がでてくると、漬け汁の作り方を教えてくれた。塩コショーにコチジャン?と酢を混ぜるらしい。臭い消しなのだろう。けれども食べると、唐辛子の刺激が強くて、全然くさくない。犬の肉には二つの部位がある。ひとつは筋肉質。これは鶏肉と牛肉のあいのこみたい。もうひとつは皮の部分。鯨の皮の部分と同じ。これはプリプリして、一昨日食べたスンデみたい。美味しかった。犬肉は強壮の源だと言われている。効いただろうか。0709韓国の旅 637 posted by (C)くま4,000(朝食) 30,000(博物館図録) 2,500(学食) 600(ジュース) 2,500(トースト) 1,000(みやげ) 7,500(バスソウル→公州) 1,100(バス) 1,000(博物館入場料) 7,000(みやげ) 1,100(バス) 11,000(ポシンタンとビール) 25,000(モーテル)
2008年07月22日
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久しぶりに韓国旅行旅日記の残りを書きます。今までの話は左のカテゴリーの「韓国の旅2」を参照ください。フォト蔵の写真を使っているので、クリックすれば二倍くらいに大きくなります。9月8日(土)今日は少しだけ早起きが出来た。快晴。先ずは「離れ部屋」(私の記事「次回の旅ではこの小説の舞台めぐりをしようと思う」参照)の舞台、九老駅に行くことにする。駅の前に繊維工場が続いている、というイメージだったのだが、着いてみると目の前に広がるのは住宅団地だった。0709韓国の旅 505 posted by (C)くま人の流れは団地から駅に向かう人ばかりで、駅前に人はたむろしていない‥‥‥してなくて当然、今日は土曜日だった。駅から大林駅までとりあえず歩いてみる。行き当たりの食堂に入ってカルククス(アサリうどん)を頼む。不味かった。副菜を全部残す。私としては異例のことではある。0709韓国の旅 510 posted by (C)くまでもこれこそが下町の味なのかもしれない。隣では行商を終えたばかりのような女性がキムチチゲを頼んでいた。0709韓国の旅 511 posted by (C)くまソウル大学によることにした。ソウル大駅前からバスに乗ろうとすると、山歩きの格好をした人たちが列を成していた。バスがどれも満員である。せっかくの晴れの土曜日、と言うことで登山客なのである。韓国のハイキング熱はすさまじい。ソウル大学はさすがに今まで一番大きい大学だった。門のところに案内所があって専門の人がいる。おかげで今回は迷わずに大学博物館までいけた。ここは、国立博物館を除いて、ソウル市内では一番充実した博物館である。0709韓国の旅 517 posted by (C)くま小学生の団体が見学に来ていた。0709韓国の旅 556 posted by (C)くまここはソウル市内で発掘された遺物の展示に詳しい。説明板の中の細かな解説は分らない。0709韓国の旅 552 posted by (C)くまよって、少し迷ったけれども図録を買った。値段の30000Wを悩んだのではなくて、リュックが重くなるのを悩んだのである。約一キロ、荷物が増えた。まあ、あと2日だ、我慢しよう。買う、と受付の人に言ったら、ずいぶん驚いて、しばらく待ったので、もしかしたら日本でソウル大学博物館の図録を持っているのは数えるぐらいしかいないのでは、と推測する。希望の方には、時代ごと写真に写してメールで送ることぐらいは出来ますよ。0709韓国の旅 567 posted by (C)くま学食で定食を食べた。2500Wのチケットを買ってセルフサービス、セルフ片付けである。日本とシステムは同じであるが、違うのはメニューが一つしかないのと、カクテキキムチは取りほうだいなところか。0709韓国の旅 565 posted by (C)くま学生と教授が三々五々食べに来ていた。おかずは美味しかった。全部頂きました。0709韓国の旅 564 posted by (C)くま大きい大学なので、もちろん大学内にたくさんの停留所がある。その一つの近くに、学生が書いたと思われるスローガンがあった。大学はこうでなくちゃ。書いていることもなかなかである。わたしの拙い訳では「615時代に逆行する国家保安法撤廃せよ」である。釜山、蔚山の大学等、三つの大学を見てわかったことは、韓国には立て看板は存在しないということである。すべて張り布で主張するのだ。0709韓国の旅 570 posted by (C)くま駅に戻り、電車で南部バスターミナルに行く。公州のチケットを買う。口が寂しいので、ついトーストとお茶を買った。0709韓国の旅 572 posted by (C)くまその二に続く
2008年07月21日
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昨日の続きです。昨日も追加で書きましたが、今回フォト蔵登録の写真をこちらに流用しています。クリックすると倍に大きくなります。0709韓国の旅 455 posted by (C)くま地下鉄をずーと戻って、ソウル観光の定番、景福宮(キョンボックン)に行く。ちょうど門番交代の儀式をしていていた。観光用にイケメンを揃えている。0709韓国の旅 456 posted by (C)くま去年まであった光化門が跡形もなくなくなっていた。復元工事中なのだそうだ。興礼門からソウル市街が見渡せる。これも貴重な景色ではある。0709韓国の旅 461 posted by (C)くま景福宮に来たのは三回目。0709韓国の旅 465 posted by (C)くま家を守るといわれている、屋根瓦の守り神の数は最高の八つを数える。0709韓国の旅 472 posted by (C)くま今回の目的は乾清宮と明成皇后(閔妃ミンピ)の碑を見るため。(閔妃事件‥‥‥1895年日本公使らが親日的な政権を作ろうと日本軍守備隊や大陸浪人を使って高宗の后を殺害した事件)ところがここも復元工事をしていて、今年の10月から公開だという。ほとんど出来上がっていたので、門の外から撮影はした。観光客もここまではあまり人が来ない。私もきたのは初めて。0709韓国の旅 469 posted by (C)くまつまりここは高宗夫婦水入らずの奥の奥の家だということなのだろう。宮ノ前は静かな池が広がる。今回裏門から出ると、驚いたことに青瓦台(大統領府)の前だった。本当はダメだけど、一回のみこっそり写真を撮った。去年は途中で近づくのをつ遮られたのだ。国家機密が隠されているのだろうか。警備の人の顔が割れるとまずいとか。(公開していた写真は削除しました。)0709韓国の旅 488 posted by (C)くま念願のソウルで一番美味しい参鶏湯の店土俗村で、一番高い参鶏湯つまり世界一の参鶏湯、オゴル参鶏湯(18000W)を食べる。こんなに高いとは思わなかったけど、その土地の最高級の味を知ることは大事だと、宮本常一も言っている。ついでだからお酒もつけた。味わった。もち米、栗、松の実、棗、朝鮮人参がはいっていた。ふつう酒一本はのみきれないのだが、今回はすぐに一本が空いた。一口一口焼酎で消毒しながら味わっていたのだと思う。美味しかった。0709韓国の旅 491 posted by (C)くま市役所近くのナンタ劇場へ「ナンタ」を観にいく。(宿で三割引の券をゲットしていた)行く途中の写真屋さんになぜかスターのイ・ビョンホンと一緒に写真に写っている女性の写真を飾っていた。こういうのを飾るというのは特殊なんだろうか。一般的なんだろうか。0709韓国の旅 688 posted by (C)くまひとつ気がついたのは、一般の写真屋では、個人の写真と言うのはほとんど飾らない。家族写真が圧倒的に多い。0709韓国の旅 497 posted by (C)くま「ナンタ」。徹底した無国籍エンターテイメント。blue組の公演。こんなエンタメだからここで毎日2公演数年間もやり続けていられるのだろう。ひとつ惜しむらくは、群像ミュージカルなので、ヒーロー、ヒロインがいなかったこと。ここも写真撮影禁止で、監視体制も激しかったが、こっそりと撮る。1,400(切手)4,500(トンカツ) 10,000(キョトンカード*ソウルのスイカカードのようなもの。地下鉄はチャージしながら払う。少し割引がある。) 3,000(景福宮入場料) 10,000(おみやげ) 21,000(参鶏湯) 300(コーヒー) 500(電話) 28,000(ナンタ)15,000(宿代)
2007年11月23日
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5日目 9月7日(金)0709韓国の旅 382 posted by (C)くま 0709韓国の旅 384 posted by (C)くま朝、ぐずぐすしていたら遅くなった。昨日書き忘れたけれども、泊まった宿はバックパッカーの定宿で「ゲストハウス・コーリア」というところ。寝るところとシャワーのみが付いた簡単なところ。なんとタオルや石鹸、トイレットペーパーまで置いていないことに朝になって気がつく。急遽ちかくのシュッポ(スーパー)という名の雑貨屋に買いに行く。石鹸の単語が分らず、手まねでやっと買える。「いくらですか」「2,500Wだよ」「2千‥‥‥?」すかさず隣にいた客が「2500円です」と教えてくれる。「ありがとう(円じゃなくてWね)」まったくもってどうして皆日本語がしゃべれるの?0709韓国の旅 385 posted by (C)くまセルフサービスで宿で朝食をとりながら、日本に出す(自分含めて)四枚のハガキを書く。郵便局を探し出して投函。韓国の切手にはなぜか糊がついていない。糊を貸してくれた。月曜までに届くだろうか。0709韓国の旅 397 posted by (C)くま 0709韓国の旅 395 posted by (C)くま5号線に乗り、誠心女学園駅前から歩く。この駅前の坂道約2キロがアリラン通りになっている。「アリランの歌」で紹介されている処刑場のアリランの丘ではない。ここへ来る前にあの本の丘はどこか、調べたり聞いたりしたのだがついに分らなかった。そのときこの日本の観光地図に載っていないアリラン通りを知ったのである。戦前の映画の名作「アリラン」の舞台になったところらしい。それをこの地区上げてアリラン通りとして整備している。駅を背中に右側の通りに洋画、左側の通りに韓国映画のレリーフが埋められている。そして丘の上に市立図書館と併設して映画館が作られていた。韓国映画の聖地を目指しているようだ。私などは歩いていて、とても楽しかった。洋画は「ジョーズ」に至るまでの名作ばかり。その選択には異論はあまりにない。(もちろん言い出したらきりがない。なぜ「ウエストサイド物語」があって「ローマの休日」がないのか等)洋画部門に「東京物語」と「七人の侍」もあった。嬉しかった。市立図書館の自習室では、ドラマでよく見かけるようにお約束のように熟睡していた。よだれをたらしてはいないかな?0709韓国の旅 414 posted by (C)くま 0709韓国の旅 404 posted by (C)くまずーと気になっていた韓国のトンカツをアリランの丘近くにある店で食べる。衣はカリカリとしてしいて合格品。ご飯が少ないことと、付け合せは韓国風。駅に戻り、思いついて、乗換えをしながら地下鉄一号線を一路、北に行けるところまで行くことにした。地図を見ると、ソウル市街から離れ相当北に行くことになる。途中から地上電車になる。すぐに険しい山々が見えてくるので、まるきり田舎に行くのではないか、と「期待」したのだが、延々と高層住宅街が続く。駅前の平屋も四合院タイプの昔ながらの家であり、日本のようにバラック小屋があったりはしない。ソウル郊外の鉄道沿線の生活環境は悪くないということが分った。田舎であるということは間違いないが、一方ではソウルという大都市のベットタウンなのであろう。0709韓国の旅 425 posted by (C)くま途中、国軍の戦車がなんでもないように線路に置かれたりしていて、韓国なのだなあ、と思う。0709韓国の旅 442 posted by (C)くま 0709韓国の旅 444 posted by (C)くま保山(ポサン)が終点だった。一号線は本当はそれより二つ先の逍遥山が終点らしいが乗換えが必要だったので、とりあえずここで下りて周りを散策。屋根はレンガ造りの平たい家が主流。なぜかネパールの用品店があった。久しぶりの晴れの日、ほとんどの家で唐辛子を干していた。おばあちゃんが時々かき混ぜている。ひとつの家でこれほどの唐辛子を消費するのだろうか。続く追記永遠のホホエミさんに教えられて、フォト蔵の写真をこの記事から使うようになりました。韓国旅行はこれでいこうとおもいます。ただし、いいところと悪いところがあって、いいところは、写真がブログの制限を気にせずほぼ無限蔵に使えるところ、ブログに小さく載せても、クリックすればある程度大きく見ることが出来るところ。悪いところは、思いもかけず二つの写真が綺麗に並ばないようです。手間がどうも人手間余分にかかる。見難いようでしたら、後でご指摘ください。
2007年11月21日
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バスターミナルで密陽駅(ミリャニョク)行きのバスに乗る。ソウルに電車で行くためである。 もうひとつ目的がある。映画「密陽」のロケ地のひとつがこの駅前広場なのだ。行ってみると、ロケ地を示すパネル展示もあったけれども、広場の真ん中に、チョン・ドヨン様のカンヌ女優賞受賞を祝う立て看がどーんと置かれてあった。いやあ、嬉しいですね(笑)(英語題名は「シークレットサンシャイン」だけども、絶対邦題は「密陽」がいいと思う。そこのところ、映画配給会社の方、よろしくね)電車でソウルに行こうと思っていたのだけど、たまたま時間が合ったので、初めてソウル行きKTX(新幹線)に乗ることにした。通常4時間50分かかる距離が2時間20分に短縮される。車内は飛行機並みの設備だ。テレビやイヤホン、専用雑誌が備え付けられている。 疑問に思ったのは、私が買ったこの切符である。「一人席?」と言うことで2,100W付いているのだが、本来の43,000Wにそれが足されるのならまだ分る。けれども、引かれて私が払ったのは、40,900Wなのだ。よくわからないのだけど、この新幹線の席はペア席しかないということなのだろうか。韓国では、食事にしても宿泊にしても全て二人一組で勘定する。もしかしたら、この席は二人で買っても、43,000Wだったのだろうか。それなのに一人で買ったので、ほんの少しだけ割引してくれたのだろうか。まさかね‥‥‥。(ご存知の方、教えてください)途中、私の隣にもう一人若いお兄ちゃんが座ったことは座ったのではあるが‥‥‥。ともかくも、この新幹線、早くて便利ではあるのだが、高級モーテル並みの値段もいやだったし、飛んでいく車窓の景色は旅の情緒がない。「もう二度と乗らないぞ」と心に誓う。 ソウル駅では昔の映画のポスター展が開かれていた。非常に興味深かった。1960年代までは映画の題名には漢字が使われているし、まだ日活映画のような言葉になっている。反日のはずなのに、色濃く日本映画の影響が見て取れる。「将軍のアドル(息子)」辺りから韓国映画独自のポスターになって来ている気がした。 どこかの労組が駅の待合室にテントを張ってストライキをしている。さすが、韓国の労組は強い。韓国民主化の原動力は労組なのだから、歴史的背景があるわけだ。けれどもこんなところにテントを張って、合法なのだろうか。と老婆心。宿は「ゲストハウスコーリア」にする。 夜は繁華街を歩き、適当な居酒屋でトントン酒(にごり酒)を頼んだ。一人でも断られなかったのでラッキーだった。パジョン(お好み焼き)をつまみに頼み、少し足りない気がしたので、スンデポックン(腸詰め肉の炒め物)を頼む。出てきたのは大皿のこんなもの。量を間違えた。半分くらい残す。後悔する。2,600(バス)3,000(入寺料)2,500(みやげ)2,700(ジュース、お菓子)2,700(バス)4,000(昼食)1,000(バス)40,900(密陽→ソウル)5,000(キョトンカード)4,000(絵葉書)22,000(宿)16,000(夕食)
2007年10月12日
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寺を出ようとすると、11:00のバスの時間まであと一時間もある。寺の前に掲げている案内板を見るとクムカン瀑布(滝)が目に留まる。行きに約1.5km。行って帰れない距離ではない。此処から先1.2kmというところで、進入禁止とかいて綱がはってある。ままよ、と登っていく。 だんだん道が細く、急になる。あと少しのところで、命綱こそあるけれども、運動靴では危ないと判断して引き返すことにする。実際滑って時々ヒヤッとする。万歩計をそのとき川に落としてしまった。もちろん拾って取り戻すことなんて危なくて出来ない。澄んだ川底にこの万歩計はいったい何十年沈むことになるのだろう。 行きかえりの道すがら、自然を十二分に満喫したので満足満足。ホホエミさん家のかんかん君じゃないけど、充分泳ぐことの出来そうな処もあったけれども、澄み切った川の流れを見るだけで満足する。ここまでは良かった。さすがに一時間では帰れなくて、バスに乗るのが遅れたけれども、11:40のバスがあるから昼過ぎにはモーテルに帰れると思っていた。ところが、待てど暮らせどバスが来ない。寺の受付まで戻り、聞くと、この時間帯はバスの発着場はさらに400m下ったところにあるという。やられた。これでバスターミナルに着くのが1:30ぐらいになる。バス発着場のチケット売り場の人に「バスターミナルまで」と簡単に言うと、「2600Wね」と日本語で返されてしまった。「オットケイルボンサラム アムニカ?(どうやって日本人と判りましたか)」と聞くと、「パルミムニダ(発音だよ)」となんでもない顔でおじさんは言う。こんな二言ぐらいの発音で日本人だと「確信」されてしまうのか、とへこむ。モーテルでは遅れたけれども、快く荷物を返してくれた。先ずは遅い昼食をする。タオン食堂に入り、定食は一人では断られるかなと思いながら、だめもとで頼むとOKしてくれた。これが素晴らしかった。イワシの煮付け、ワラビ、ふきのとう、ジャガイモ、しいたけ、インゲン、トーフ、ナスの天ぷら、キムチ、あとひとつは?、そしてご飯とアサリのスープ、これだけ出て4,000W!しかも普通は幾つかは外れのおかずがあるのに、今回はなかった。ご主人に「マシソッソヨ(美味しかったよ)」というとニコッと笑ってくれた。続く。
2007年10月11日
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9月6日(木) 四日目 雨は止んだようだ。風が強い。バスターミナルにコインロッカーはないので、荷物をモーテルに預けて表忠寺(ピョチュンサ)にバスで向かう。途中の村では、延々と夏目が続いている。こんなもの果物屋に売っていたっけ。それにしてはこんなにも栽培して、何に使うのだろう。子供のころはよく盗んで食べて怒られたっけ。‥‥‥などと思っていると、「棗(なつめ)」であったと思い至る。(私の子供の頃はこれを夏目と呼んでいたのです。小さいけど、赤く熟したときそのまま食べるとリンゴのような味がします。)韓国でよく使われる健康茶の原料ですね。参鶏湯にも入っていますね。 バスで走ること約40分、表忠寺は緑滴る山奥にある。風はさらに強くなっている。四溟大師(サミョンテサ別名松雲大師1544-1610)ゆかりの寺である。大師は壬辰倭乱(朝鮮出兵)の折には、義僧兵を組織する。そして家康の時代に和平方針を受け、捕虜3,000人の返還交渉をした人である。(銅像は密陽の博物館の前にあったもの)寺にはそのときの交渉の資料が展示されてある。次の写真は「捕虜送還文書」。この国交回復をきっかけとして、江戸時代12回にもわたる朝鮮通信使が始まったのである。 日本でも時々あるが、寺の参道には賽の河原よろしく石が積まれている。寺の中には、日本でも時々あるが、瓦に家族の名前などを書いて奉納をしていた。一瓦10,000Wはたぶん安い。 寺には古い謂れがありそうな3層石塔があった。冥府殿では亡き家族のことを思い(?)ずーと瞑想している人がいた。古霧井という休憩用の建物(?)に寝転び、しばらく外の自然を眺める。韓国には珍しいお盆を伏せたような優しい山が目の前にある。広葉樹林なので、紅葉期にはさぞかしきれいだろうなあ、と思う。強い風に応え、木々が波打つ。この辺りの自然は「聖なる山」として、陶器用の窯を焚くための採伐もされず守られてきたのではないか。と思う。落ち着いた気分になる。 韓国では、どんなに古い建物でも常に色を塗り替え、創建当時の状態を見せる。(写真参照)日本の「古いものは古いままにする」と言う価値観とは180度違う。しかし、私は寺の隅の方で見つけたこの瓦の「朽ち果てた」様子に趣を覚える。(写真参照)人工物が長い間に自然の力だけでここまで朽ちてきたのである。そこに長い自然の営みを見るからである。「わび」とか「さび」とかいうのは畢竟そのような「想い」なのではないか。続く。今回は三回に分けて送ります。
2007年10月10日
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小さい町ななので、歩いて繁華街まで行こうとしたが、そこまでは小さくないようだった。途中でバスを拾う。ここのバスは1,000W。蔚山は1,500Wだった。町によってバスの値段が全く違う。そうはいっても「歩き方」03年版には密陽のバス代は700Wと書いているので、交通費はこの2~3年で劇的に上がっているのである。 繁華街で降りて、川沿いの嶺南楼に登った。階段のデザインが面白い。斜めに平坦部分が続いていて、お年寄りでも自転車でも登れるようになっている。嶺南楼は国内最高の高さの楼らしい。(1884年創建) その奥に博物館がある。古代土器はおざなり程度にしかなく、仏教遺物が多かった。どういういわれがあるのか知らないが、阿娘の肖像画がかわいい。次の額は(なまめかしいからといって)「女の意」ではないですよ。「如意」と言うことらしい。 博物館の裏山に城壁があった。(密陽邑城)登ると密陽の町がよく見える。田舎かと思っていたが、倉敷ぐらいの小都市だった。 博物館で、チョン・ドヨン様とソン・ガンホ主演映画「密陽」(英語題名「シークレット・サンシャイン」チョン・ドヨン様カンヌ主演女優賞受賞)のロケ地巡りのパンフを見つける!!嬉しい(笑)今年公開の映画。絶対日本でも公開されるはず。(映画関係者の皆さん、お願いしますね!!)いち早くロケ地巡りです。と、いってもそのパンフを見てわかったのは、とりあえずチョン・ドヨン様がレコード店に行っている場面のみ。ノレバン(カラオケ店)で歌っている場所も書いてあったのだが、探しても見つからなかった。でも、この密陽オールロケみたいなので、私の歩き回ったところが映画に出ているかもしれない。 密陽と言うのは、そぞろ歩きをするにはもってこいの面白い町である。繁華街の周りを歩いたのであるが、普通の通りはまっすぐ直線道路があるのだが、ひとつ小道に入ると、まるっきり無秩序に小道が出来ている。いわゆる生活道路なのだが、勝手に家を作りました、その間が道です、と言うかんじ。だから入ると、どこに抜けるのか全く予想がつかない。この家々を結ぶ裏通り、気に入りました。「密陽」の監督もこの町のそう言うところが気に入ったのかもしれない。小道には下水が通っていて、道が全然汚くない。住民がきちんと掃除をしているのである。町の角々では、協会を示す十字架の家、仏教徒の家を示す飾りを掲げた家があちこちにあった。 寿司屋に寄る。三個990Wのいわゆるすしの安売り店。食べてみて、美味しかったらここで夕食をしようと思ったのだが、ネ浮屠タが全然か解凍されていなかった。早々に出る。夕食は適当な店に寄り、スジェビ。大きな骨付き肉がはいっている。韓国では、汁にご飯を入れて食べるのが普通なのたが、わざとご飯と別々に食べてみる。やはりこちらの方が素材の味がわかって美味しい。1,500(バス)300(コーヒー)900(コインロッカー)6,500(冷麺)7,400(蔚山→密陽)30,000(モーテル)1,000(バス)990(寿司)5,000(夕食)3,250(夜食焼酎とつまみ)1,000(メモ帳)22,577歩
2007年10月02日
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9月5日(水) 三日目 雨になった。遠く日本では、台風が来ているらしい。小学生たちのさしている傘がかわいい。蔚山(ウルサン)にくることにしたのは、加藤清正が築いたといわれる蔚山倭城を見たかったからだ。モーテルからしばらく歩くと、鶴城橋を渡る。その橋の向かいに小さな小山がある。秀吉の朝鮮出兵のおり、加藤がここに40日で山城を築いた。今はほんの少し城垣が残っているのみである。 この山城に何万もの朝鮮兵が取り囲んでいる絵がある。朝鮮側の反転攻勢の象徴となった戦いである。小山の頂上の説明版には、兵糧攻めを受けて小便も飲み、馬も食べた、とある。確かに小さな山城なので、取り囲まれたなら逃げる術はなかっただろう。 頂上では雨にもかかわらず、アジェンマ(オバサン)たちがフラフープをしたり、体操をしていたりした。鎮海でも見たのだが、フラフープが流行っているのだろうか。少しやってみる。すぐに腰から下に落ちてしまう。ほかには韓国では最古という大和寺址十二支像浮屠があった。 次の密陽(ミリャン)行きのバス(12:20)まで少し時間があったので、バスセンターの隣のロッテデパートを探検。ロッテはいうまでもなく、韓国では代表的な財閥である。デパートではレジャーを当然取り込んでいる。シネマコンプレックスが入っていた。写真のように現在上映と次の上映含めて10作品。日本の小さめのシネマですね。自国映画と洋画は半々といったところ。私は古城の町をイメージしてここに来たのであるが、この町はそんなことにはほとんど力を入れていない。デパートの窓越しに街を見ると、繁華街の隣に大きな高層住宅地を抱えている。そんな街の作り方は日本にはないが、ともかくも大きな工業団地を基礎にした韓国有数の大都会なのである。「現代」(ヒョンデ)を中心とする自動車、造船、石油などの産業の中心地らしい。と言うようなことをこの二日で学んだ。ロッテデパートの最上階で咸興(ハムン)冷麺を食べる。韓国を旅すること八回、やっと本格的な冷麺にありつけた。平壌冷麺と違い、この冷麺は赤くて辛い。けれども美味しかった。(写真では美味しそうに見えないですね。御免なさい。)よく見たら、ここはハムン冷麺の専門店。本物はスープの中に冷麺が浮かんでいるというわけではない。スープは麺に絡まるように染み込んでいる。麺は極細、そして非常に非常にコシがある。これでは確かにハサミで切っておかないと、食べにくい。密陽まで約二時間のバスの旅。気がつくと、山の上だった。天皇山を越えて麓に近づくと、一面リンゴ畑が続いていた。バスターミナルに着いて、とりあえずすぐ近くのモーテルに宿を決める。インターネットがないのと、シャワーだけでバスタブがないのを除くと、昨日の宿とあまり大差はない。冷蔵庫には無料のジュースがあり、お湯と冷水の出る水タンクが置いてある。クーラーもあるのに、なぜか必ず扇風機もある。扇風機に関してはどんな安宿にもある。今回は着いてすぐに二日分の洗濯をした。これで旅が終わるまで下着は持つ。扇風機のおかげで夜までには乾いていた。続く。
2007年10月01日
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蔚山まで約二時間30分。「歩き方」の扱いも小さいので、小さな町かと思っていたら、どうどうとした都会だった。 蔚山バスセンターについたあと、重たい荷物を担ぎながら昼食場所探してうろうろ。迷った末に写真のような豚焼き肉屋さんにはいる。そこで写真のような山菜ビビンバを食べる。一番上にあるキムチにこりこりとしたのようなものが添えてあった。店の人に聞くと、「ノコンドリ」だという。辞書に載っていない。副菜が七品ついていて、全て美味しかった。当たりである。その後バスに乗る。運転手に「ウルサンテハッキョヘカゴシップンで、トチャクハミョンカルチョジュセヨ(蔚山大学に行きたいのですが、到着したら教えてください)」というとOKしてくれたので安心する。蔚山は町が大きいので、移動にはバスを使わざるを得ない。しばらくすると運転手が「韓国のバスシステムは日本と全然違いますね」と日本語で声をかけてくる。習いたての日本語を一生懸命しゃべっているという感じだった。「あと15分で大学につきます」と教えてくれた。日本的遠慮で、あまり話しかけると運転に差し障るような気がして私の方からは話かけなかった。あとで韓国のバスはそんな遠慮は要らないのだということに気がつき、少し後悔。そういえば、昨日帰り道、途中自分がどの場所にいるかわからなくなり、モーテルに帰れずにとんでもないところに歩いていたとき、幾人か道を聞いて上手いこと伝わらず三人目に聞いたPC部品の店の中年のおじさんがなんと日本語をしゃべれた。彼が日本語が出来ても、このバスの運転手が日本語が出来ても、何のうまみもない(だってこの町には日本人はほとんど来ない)と思うのだが、韓国ではこういうことが時々あるのである。 蔚山大学の掲示板には、学内にあるという博物館の場所が載っていなかった。歩いている三人組に聞いても全く知らなかった。まあ、そんなことは日本でもよくあることだ。大学内にどんな施設があるか、四年間在学しても全く知らない日本の学生は多いだろう。次に聞いた二人組も知らなかったけど、事務所に聞いてくれて、案内までしてくれた。(労働組合の看板の方が立派であった^_^;) さすがに「歩き方」にも載っていない博物館である。バスセンターにあった観光地図に載っていたので来たのであるが、うーむ小さい。ひとつ目に付いたのは、この蔚山の山奥で発見された新石器時代の壁画の写真。私の写真では判り難いけど、なんと鯨の絵や、トラの絵まで描いている。確かにここ蔚山は鯨料理が名物なのだが、(一人旅の哀しさでそういう料理を食べることができない)まさか石器時代から鯨漁があったとは!!蔚山大学は釜山大学とは違い、日本の大学に近い猥雑な感じがあって好きになった。布にかかれたハングルの看板様式の文字もあった。「~」と言う文字の多用など、いまひとつ軟弱な感じがするのだけど、この文字の書き方はいかにも看板用に開発された文字みたいで嬉しい。残念ながら私の安い辞書では判らない単語があって意味がわからない。ハニムダ薫さん、出来たら教えて(笑) そのあと青銅器時代の遺跡の学習博物館に歩いていく。これも簡単な展示であった。蔚山はこういうことで観光客を呼ぶ必要がないから、最低限の博物館しか作っていないのだろあう。博物館の裏山に上ると、人が来ても仕方がない薄暗い場所なのに、なぜかベンチがたくさん置いてある。そこからバス停まで歩くがこれがまた遠かった。30分ほど歩く。 バスが来るのに20分待ち、モーテルに着いたのが7時前。なんでもいいや、と思って手近なルネッサンスモーテルに決める。「サーマンでいいよ」「3万Wね、手ごろジャン」と思ってカード決済。あとで領収書を見ると4万W。‥‥‥と言う顛末はすでに書いた(^_^;)食事は近くの肉屋。肉汁でした。あまりの辛さに焼酎を頼む。甘い。地元の焼酎でした。この焼酎は美味しかった。800(ジュース)1,000(バス)350(ハガキと切手)8,500(鎮海→蔚山)1,500(パイと茶)6,000(山菜ビビンバ)1,500(バス代)1,500(バス代)40,000(モーテル)4,000(肉汁)3,000(焼酎)2,700(コンビニでビールとカップラーメン)21334歩。
2007年09月24日
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9月4日(火)二日目朝散策に出ようとして、昨日の受付のおばあちゃんに「サンチェクハルケヨ」といって通じない。日本語で「散歩」といって通じる。へこむ。これはモーテルのすぐ近くにある「チェロ」と言う店名のブティック店。ハングルがなければ、昭和の初期に戻ったような店構えではある。 昨日昇れなかった展望台に行く。素晴らしい絶景が広がる。世界的にも珍しい8本の道路が放射状に伸びる中央ローターリーは展望台の西側である。日本海軍が自らの海軍旗を模して作ったのではないか、といわれている。満州の方にも日本が作ったこのようなロータリーがあるらしい。その奥西には韓国の海軍の軍艦が浮いていた。もちろん、展望台で貰った観光地図には載っていない。 遠くの普通の港ソクチョン湾、新興住宅地?キョンワ洞などを見る。 展望台から降りると、思ったところと違うところに降りたのでバスで移動。昨日歩いたところの近くで降りてしばらく散策。日本式のホームが残っている鎮海駅を見て、1912年に建てられたロシア風近代建築の鎮海郵便局に寄る。今は稼動していない。(ソン・イェジン主演の「ラブストーリー」で使われたらしい。)その隣に本館があるので、自分の家にハガキを出してみた。郵便局のアガシ(お嬢さん)が怪訝そうにのりをつけて切手を貼ってくれた。220Wのハガキに130Wの切手を貼る。これで国際郵便が出来るらしい。上手くいったので、次は送る場所を拡大してみよう。まるで寅さんのように「今、旅の途中です。思い起こせば、恥ずかしいことの数々‥‥‥」とか何とか書いて。モーテルに帰り、荷物を取って11:20発の蔚山(ウルサン)行きのバスに乗ろうとしておばあちゃんに挨拶をした。おばあちゃんに捕まる。おばあちゃんの韓国語はよくわからない。蔚山への行き方を一生懸命教えてくれているような気がする。馬山で乗り換えて‥‥‥などといっているのだろうか。大丈夫だよ、直通のバスが出るから。出発時間が近づいたことを知らせてさらならを言った。 鎮海の市街バスセンターはそう思って見なければ気がつかないような小さな建物である。そこの受付には「オリオンチョコパイ情」が売られていた。旅のお供に16茶ならぬ17茶とともに買う。チョコパイは徴兵期間中の若者の好物である。映画「JSA」で出てきますよね。甘いものに飢えているのだろう。バスセンターの受付にばら売りで売っているところが素晴らしい。写真はその二つの下に私の「旅ノート」が写っている。バスは蔚山に向かって走っていく。続きます。
2007年09月23日
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釜山に着いたら1時前になっていた。行き先はもう決めていた。ここに来る途中で図書館から借りていた「韓国の「昭和」を歩く」(祥伝社新書 鄭銀淑)と言う本を読んでいて、無性に「日本帝国海軍が作ったという鎮海のロータリーと郵便局を見てみたい」と思ってしまったのである。「歩き方」にも乗っていないところだけど何とかなるでしょ。釜山港の観光案内所で聞くと、西部バスセンターからバスがあるという。 その前に昼食をしに釜山の街を歩いていたら、去年の旅のときにすばらしい味だった「シジミスープ専門店」を見つけた。韓国最初の食事は外したくない。ここにする。今度はひとつグレードを上げてシジミ刺身ビビンバにする。蜆の貝をすべて取り除いている。細かい作業ではある。ここは全ての料理にサバの唐辛子味噌煮が出るのである。副菜8品がすべて美味というのは奇跡に近いのではないだろうか。(のちの体験でそういうことは決して奇跡ではないということを知る)正式店名と住所をメモしておく。「シジミ汁専門ソムジンガン」(中区東光洞2街10-4 電話246-6471)地下鉄を待っているとき、案内に韓国語、英語のつぎに日本語が流れた。これは去年にはなかった。韓国と言う国は日本人の観光に力を入れているわりには、日本語の案内が不足している。これは大きな一歩だ。西部バスターミナルから鎮海(チネ)に向かう。一時間半のバスの旅。韓国の川はそのほとんどは護岸工事をしていない。長雨のとき心配なのだが、一方では自然がよく残っているとも言える。蛍がたくさん飛びそうだ。 モーテルはバスターミナルのすぐ近くに決めた。重たい荷物をすぐに置きたかったのだ。少し不満はあるが、悪い宿ではない。宿番のおばあちゃんに「明日はチェックアウトは何時ですか」と聞いてみる。通じない。突然片言の日本語をしゃべりだした。韓国ではこういうことがよくある。もっとも彼女の場合、本当の片言なので、それ以降もなかなか意思疎通が出来なかったのではあるが。韓国の場合、老人は普段は日本語は使わない。けれども決して忘れたわけではない。 鎮海は韓国の軍港都市である。日本帝国海軍は日露戦争の直後にこの鎮海を海軍年にする。古い日本家屋がたくさん残っているのはそういうわけだ。木浦よりたくさん残っていると感じた。宮本常一に習い、とりあえず高いところに登った。「365階段」を登りきったところに展望台があるからである。ところが、ちょうど五時を過ぎていたので、開いていない。明日のリベンジを誓いながら、町散策。次は頂上の展望台の入り口に張られてあった鎮海全体の地図。こんなタイプの長屋は、今の日本では探すことは難しい。昔の軍港都市は今も韓国の重要な軍港都市で米韓合同施設もある。こんなマークになるんですね。 こんな看板を掲げた小料理屋もあった。「独島(竹島)褒章センター」?よく意味がわからせないけど、住民レベルで運動をしているのだという雰囲気だけがわかる。次は韓国海軍学校の門である。 鎮海は桜で有名な町。もともとは日本人がそこかしこに植えたのではあるが、戦後いったんは日本的な桜は撤去したらしい。しかし、この桜は日本産ではなく韓国産であるということが判明、いまでは22万本の桜がほとんど全ての道路に植えられる。このような桜並木の散策路も作られている。桜の季節には賑わうことであろう。その近くにあった日本風の家屋。 市場を散策。カルビタンを食べて帰る。340円(バス代)6900円(倉敷→博多)25000円(ビートル往復)500円(港使用料)300円(マック) これ以降韓国このときのレートは1円→12.3円6500(シジミ刺身ビビンバ)1300(地下鉄)4200(釜山→鎮海)25,000(モーテル)5000(帽子)1,000(タオル) 5,000(カルビタン)この日の歩数 約15,000
2007年09月19日
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9月3日(月) 一日目9月2日夜10時45分、倉敷チボリ公園のネオンが光る倉敷駅より博多行きの夜行バスに乗り込む。韓国に行くのはこれが多分8回目。韓国は「こだわりの国」である。日本国内を何度も旅をして飽きない人が多いように、私も全然韓国に飽きない。どんな「発見」と「出会い」があるか、今からワクワクしている。たった7日間の旅だけれども。 高速バスは11:30、消灯。足は何とか延ばすことは出来るが、それでも窮屈だ。面白い夢を三通りくらい見た。(もう忘れた)朝食は博多駅地下のマクドのソーセージマフィンセット。 地方(岡山)にいる私は、超格安航空券の恩恵にあずかることが出来ないために、貧乏旅をしようとすると、必然的に船の旅になる。最も安いのは下関フェリーの二等客船往復(約23000円)と青春18切符往復(約5000円)であるが、前の日の五時までに下関に着かなくてはならないために必然的に日本にいる二日丸丸無駄になる。博多ビートルにすれば、夜行バスが使えるので、前日出発は深夜になるために無駄感があまりない。(上手いこと割引を使えば、交通費は4万円で済む)しかしビートルを使ったのはこれまで一回こっきりだ。なぜか。ビートルは本当は使いたくなかった。以前初めて乗ったときにたった3mの波なのに、その揺れで死ぬような目にあったからである。しかし今回は神の助けか、0.5-1mの波で非常に快適だった。帰りもこれくらいの波でありますように。 沖ノ島が見えた。沖ノ島は玄界灘の間只中に浮かぶ周囲4キロ。高さ243メートルの孤島で、古代より航路の道標とされた神体島である。4半世紀から10世紀初まで600年の長い年月の間、大和朝廷が鏡・金指輪・龍頭・唐三彩・馬具、奈良三彩など最高級の豪華な品々を奉献し、対外交渉にかかわる重大な国家的祭祀を執り行った。現在23ヶ所の古代祭祀遺跡が発見され、12万点に及ぶ出土神宝は、すべて国宝、重要文化財に指定されているらしい。「海の正倉院」とも呼ばれている。前にここを通ったときは海が荒れていたので、全く気がつかなかった。博多港から最初に見える島であり、次は対馬しかない。古代の人々がこの島に対する想いが特別だったというのがよくわかるし、航海の無事を祈り、さらには外交の神様になったのも判る気がする。対馬からはさらに島ひとつない海が続く。そして突然高層住宅が続く陸地が見える。釜山だ。
2007年09月18日
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「歴史的な事件は2度起こる。最初は悲劇として、2回目は茶番として」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』カール・マルクス)偉大なるナポレオン一世(小泉)の後継者たるを自認して登場したナポレオン三世(安倍)であったが、そもそも三世(安倍)は一世(小泉)の栄光(「改革」を止めない)を纏うことで自分の権威を高めようという戦術なので、幕が開く前から既に茶番劇なのだ。それにしても全くの茶番だ。まったくのおぼっ茶番だ(ごめんなさい)気をとり直して‥‥‥。歴史を見るなら、出来ることなら射程をずーと長く持ちたいものだ。とこおとめさんから今年の正月連歌の試みに参加いただいていたが、そのコメント欄で本格的に万葉の歌ひと(?)としてデビューするというお知らせを頂いた。明日香村なので、私は参加できないけど、近くの方はぜひ。今年の夏お盆に結局連歌は出来なかったけど、来年正月にはぜひやりましょ。そのコメントに刺激を頂いて、この前の旅で撮った写真に歌を添えてみた。公州は百済王朝の都で昔は熊津(475-538)といった。日本列島で言うと雄略天皇の前後。そのときの大和王権と百済の結びつきは非常に強いものがあった。公州の最大の遺跡・武寧王陵の武寧王は日本で生まれたという説や子供は日本で客死したという説もあるくらいである。大和にとって百済は憧れの地であったに違いない。公州の地に佇み、そこにある空気や山々そして自然は当時のままの姿だったに違いないと思いながら写真を撮ってみた。いにしえの百済の都の土蜘蛛を遷してナラに起てしけるかも稲海をナラへと想ひ来し都 妹と遊びしエノコロの草まだ奈良という都はない。このナラは韓国の古語でもある。「国」と言う意味だ。追記一晩経ったあとに、最初に書いたことと、「歌」との関係を書き忘れていたことに気がつきました。マルクスがどのような意図で言ったのかは、実は読んでないので知らないのですが、政権担当者は政策方針を十数年のスパンで考える(日本の場合はたったの数年)のではなく、千年以上のスパンで考えるべきだ。と言う意味にとりました。「美しい国」とは最初の国つくりの頃はまさに朝鮮半島であったし、中国だった。いいもの(稲海の技術)も、わるいもの(土蜘蛛)も、もって帰っただろう。そのことを見つめるところから、お国(ナラ)の方針は決めていくべきではないだろうか。
2007年09月12日
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帰ってまいりました。昨日、ビートルで博多に戻り、今朝夜行バスで岡山に着きました。ついた途端に用事が二件あり、夜の10時までかかってしまいました。タイトな旅、今日のタイトなスケジュール、どちらも自分の大切な旅を充実したものにしたいと思って予定を立てたのだから仕方ありません。でも今年の旅は記録と言う点では大きく進歩しました。今年の旅の間につけていたノートは去年の1.3倍ぐらいの量があり、タイトな内容。写真の方は、去年は記録容量の関係で三週間600枚未満で終わっていましたが、今年は一週間で600枚を越えました。実はデジタルカメラを買い換えました。今までは電池式で三週間の電池代だけでも数千円かかっていましたが、この数年間のリチウムイオン式のバッテリーの進歩は凄い。一日100枚撮っても余裕だし、なんとプラグさえ専用のをはめれば、韓国の220Wでも充電できる。重たい電圧変換機など買わなくてよかったのです。しかも1Gのカードが2千円台で売っている。今年は写真枚数の制限を全く気にすることなく、気になったことは全て記録したと思っています。カメラも今までの大きいタイプからポケットに入れることの出来る小さいものに変えました。それでも写真の質は小さいほうがいいと言うことに気がついたからです。私のタイプはジャーナリスティックな写真です。少々のブレはお構いなしで撮る。だから貴重な写真もたくさん撮れたかもしれません。でもさらにいい旅写真を撮ろうとしたら、腕よりも人間的な魅力が必要なのでしょう。私なんか人間が全然撮れていないことにいまさらながら気がついています。疲れました。少しづつ、旅のレポートを始めます。
2007年09月11日
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蔚山(うるさん)のモーテルに泊まったら、また3万W(さんまのん)と4万W(さーまのん)を聞き違えて、いいところに泊まってしまいました。そこの部屋にインターネットが常備してあったので、なんとか設定を変えて中間報告。(ローマ字変換慣れていないので、少ししか書けません。)一日目は、予定を急遽変えて鎮海。よかったです。古い日本家屋が木捕以上に残っていて、発見もたくさん。蔚山はーーーー、これからです。ちょっと食べすぎ。でもよく歩きました。日本は台風は大丈夫ですか。こちらは今日から雨模様。
2007年09月05日
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薔薇豪城さんが永六輔の語る旅の五か条を紹介していた。薔薇豪城さんはこういう旅は贅沢だというけれども、貧乏になればなるほどこういう旅にならざるを得ません。独身だから女房は連れて行けないし。1・旅情報に頼るべからず 2・予定を立てるべからず。 3・荷物を持ち歩くべからず 4・旅は非日常と思うべからず。 5・女房と行くべからず。 永六輔も宮本常一が師匠だといっていました。宮本常一が父親から故郷を離れるときに送られた言葉「旅の10か条」と言うものがあります。(『民俗学の旅』講談社学術文庫 )私もこれを読んで出来るだけ真似したいと思っているのですが、凡人なのでなかなかです。でも高いところは出来るだけ登ろうとしていますし、車窓から見える屋根の形などはいつも気をつけています。韓国では江陵からソウルに向かう途中、一山を越えると屋根の形が綺麗に変わったのが印象的でした。村で屋根の形が統一されているということは、その村の求心力が強いということです。都会に近づくとばらばらになる。旅の10か条(1) 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。・・・(2) 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・(3) 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。(4) 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。(5) 金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。(6) 私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。・・・しかし身体は大切にせよ。・・・しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。(7) ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。(8) これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。(9) 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。 さて、今度の韓国への旅(9/3~10)は事情により、去年の三分の一の期間しか旅できません。超貧乏旅行は一回挑戦したので、今度は単なる身の丈あった貧乏旅行にするつもり。つまり売春宿には泊まらずに普通のモーテルに泊まり、食事も美味しいものを選んで食べる。予算は10万。やはり予定は決めていないのですが、釜山から密陽、蔚山、ソウルにいたり公州によって帰る遺跡と歴史の忙しい旅になるか、南回り統営、晋州をまわるゆっくりした海と食事のコースをとるか、まだ決めかねています。携帯で明日の朝までコメントを確認できるので、皆さんの意見も聞いてみたいと思います。今日はこれから、深夜バスに乗ります。明日の朝には博多です。韓国に入った後も、途中もしかしたらPC房に寄り途中経過を書くかもしれません。
2007年09月02日
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