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監督 : イ・ジュンイク 脚本 : チェ・ソクファン 出演 : カム・ウソン 、 イ・ジュンギ 、 チョン・ジニョン 、 カン・ソンヨン 今年の9月、韓国を一人旅をした。そのとき、この映画に出てくる仮面劇を安東の河回村で見た。ここでその内容にはいくらか触れているが、少し補足しよう。ここで見た仮面劇は「別神グッ仮面ノリ」と呼ばれていた。仮面をかぶってくる者はすべて神なのだが、映画のように非常に世俗的である。ひょうたんを一物に見せかけると言う荒業はさすがになかったけれども、女性の放尿場面はあった。ノリとは遊びという意味がある。神様に奉納する遊びであるから、タブーをなくすと言う意味もあったのだろう。だから彼らが王様の前で王様を揶揄する演劇をしたとしても、それ自体は別に画期的なことではないのかもしれない。(パンフを買っていないので、間違っていたら申し訳ない。)写真のように、観客に語りかけながら演劇をする。仮面をかぶっているときにはその役になりきるのであるが、もう一方では仮面をその場ではずすことも出来る。自由自在である。要は客にいかに受けるか、が重要で、企画ものなのだがきっちりてら銭を徴収していた。 私が見たのは貴族社会を揶揄する内容であった。しかし農民も動物たちに翻弄され、女からは馬鹿にされる。「馬鹿」の面が出てくるが、記事に書いているように彼はおそらく馬鹿であって馬鹿ではないのだ。うまいこと、あのあとお客を三人も中央に連れ出し、一緒に踊って見せたりする機転がある。この映画は民衆対貴族社会への人間同士の対決の物語でもある。頂点である、そして歴史上最も暴君の誉れ高い王様だけが、彼らの理解者になると言う皮肉。それは王様に「自由」がなかったからだ。韓国民衆の中に脈々と受け継がれた権力に対する批判精神、あるいは権威を笑い飛ばすと言う精神、それのみがこの映画の見所である。イ・ジュンギの美しさ、ならびに同性愛的な表現が話題になっているようだが、この映画のどこが同性愛なのか。もちろん匂わすような場面はある。けれども同性愛映画では全然ない。まあ、確かに彼は美しかった。そのように映像を作っているのだから当然ではある
2006年12月23日
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ハングルの勉強のために、出来るだけ韓国のドラマを見るようにしているのですが、いったん見出すと睡眠時間が減って困ります。演技的にも脚本的にもいまいちなんだけど、見るのに飽きない、というのはやはりすごい。「真実のために」1998年SBSイ・ヨンエ、ソン・チャンミン、ソン・ユナ出演 社会派ドラマである。通勤時の事故が労災かどうかを問う裁判、レイプ犯人が大企業のドラ息子、医療事故を隠そうとする大病院、子会社をわざと赤字にしてリストラをする財閥等々回を追うごとに社会の不正を正そうとする番組になっていった。パッケージはイ・ヨンエが1番大きく写っているが、主人公は新米弁護士ソン・チャンミンである。彼が出演した名作「グッキ」で女性主人公の子供時代を演じた俳優が医療事故で死亡する子供を演じ、サービスしている。大企業や金持ちの不正を許さない、そんな韓国国民の気持ちがよく現れた作品である。「正義のために」という題名のほうがすっきりするかも「秋の童話」出演ソン・スンホン、ウォンビン、ソン・ヘギョ。恋愛ドラマ。いわゆる赤ちゃん取り替えもの。 ただしこれだと兄妹のように育った男女は結婚出来るので面白くない。よって難病ものも入れてくる。珍しく決定的な悪人は登場しない。悪人ぽく登場したウォンビンが独り歩きする人気を得たせいかもしれない。ソン・ヘギョは最近「世界の中心で愛をさけぶ」のリメイクに出たが、お嬢さんに見えて実は芯のしっかりした役柄があっているようだ(「ホテリア」)典型的な波瀾万丈恋愛ものなので特に意見はなし。韓国では最高40%以上の視聴率をとったらしい。「群青の夜の羽毛布」出演者:本上まなみ、小日向文世、野波麻帆、玉木宏、監督:磯村一路、原作:山本文緒「紙屋悦子の青春」の本上まなみがあまりにもよかったので見てみる。四年前の作品。彼女の演技はまだ硬い。雰囲気はバッチリ。いいところもある。もっと映画に出て欲しい。(あらすじ)大学生の鉄男は、バイト先のスーパーで見かける美しい女性・さとるに密かな憧れを抱いていた。ある日、彼女が鉄男の前で貧血で倒れたことから交流を持ち、二人は付き合うようになる。丘の上の実家で母と妹と3人暮らしのさとるは、家庭的で物静かな一方で、自分からホテルに誘い大胆に愛を求めるなど、不安定な感情を持っていた。その原因は、厳格な母親の下で送る抑圧された生活にあったのだ。母親の監視は鉄男にまで及び、ついにさとるは心身共に追いつめられていく…。美人じゃなかったら、私なら早々に逃げだしていただろうか。わからない。本当は相当痛い話。痛さは伝わる。演技はイマイチ。
2006年12月22日
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墜落した米軍飛行士、はぐれものの北と南の兵士、彼らは導かれるように地獄絵の朝鮮戦争の世界から、戦争が始まったことも知らない山奥のトンマッコルへやってくる。宇宙を思わせる星々が彼らを迎え、久石譲の音楽が流れる。‥‥‥この時点でこの作品は宮崎アニメの骨換奪胎なのだと気がつく。『風の谷のナウシカ』の風の谷のようなトンマッコルで、異邦人が自分の姿を取り戻す物語である。しかし宮崎アニメがついに正面から描かなかった戦争を、ぎりぎりまでリアルに描いたという面で画期的である。ラストの丘の上での残酷で悲しい『美しさ』は必見。監督 : パク・クァンヒョン 音楽 : 久石譲 出演 : チョン・ジェヨン 、 シン・ハギュン 、 カン・ヘジョン ハングル講座の先生から感想を聞かれたので『チェミイッソ(面白い)』といったら、『私は面白くなかったです。あんな村はありえない。滑稽無等ですね。』と意外な答え。韓国でもそういう意見はそうとう大きいらしい。しかし、私たちはファンタジーなんだから滑稽無等は当たり前、その中に真実があると見るのであるが、韓国の人たちにとってはお父さん、おじいさんが朝鮮戦争で大勢死んだわけだから、そんなふうには見れないのかもしれない。それほどにお隣の国の戦争の傷は深いのだということなのだろう。「アメリカとともに戦争が出来る国へ」『美国(アメリカ)へ』『美しい国へ』の安倍内閣が今国会の最重要課題に推している教育基本法が11月10~14日の間に強行採決の危機にさらされている。ところがいまだに『なぜ教育基本法を変えなくてはならないのか』まともに答弁できていない。管理教育の締め付けがいじめや履修漏れを呼んだのに、基本法を変えるとそれがさらにひどくなることがまだ国民に浸透しきらないうちに拙速に採決に持ち込もうとしている。情勢と解説は2日の「教育基本法強行採決阻止へ今が頑張りどき」にも書いた。ぜひとも世論を盛り上げていきたい。北の兵士がトンマッコルの村長さんに聞く。「あなたはいつもニコニコしているだけ。それでこの村民を見事に統率している。秘訣は何ですか。」村長さんはニコニコして答える。『たくさん食べさせているだけだよ』思うに、『平和の条件』の最重要課題だろう。管理教育などとは無縁の世界がここにある。
2006年11月03日
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監督 : リュ・スンワン 出演 チェ・ミンスク リュ・スンボム英語の題名にしないで、『泣拳』とすれば、イメージがぴったりだった。『ロッキー』と『明日のジョー』のいい所取りをしながら、韓国らしい『恨』(因果)を晴らす物語になっている。あっと驚くような展開が無いのは減点対象だが、ボクシング映画は役者が身体をはる作品だけに見ているだけで面白いし、編集がいいので、退屈しないで見ることが出来た。名優チェ・ミンシクと新人リュ・スンボムの2人主役制も面白い。新人の彼はふてぶてしい面構えで、これからいろんな作品にオファーがかかるであろう。傑作ではないが、満足感の残る作品になった。この映画、生まれて初めて一人貸切で見た。いわゆる新旧俳優対決のタイプの作品なのだが、宣伝の仕方が悪かったのだろうか。
2006年10月18日
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監督 : ホウ・ヨン 出演 : チャン・ツィイー 、 ジョアン・チェン 、 チアン・ウェン 、 ルー・イー 、 リィウ・イェ 主演に劣らない存在感を示した茉の母親役で中年以降の茉の役も演じたジョアン・チェン。「胡同のひまわり」でも、印象的な母親役をやった。演技派の俳優かと思いきや、「シュウシュウの季節」という中国の「下方」問題、少女の「性」を扱った秀作を監督していると聞いてびっくり。(「オータム・イン・ニューヨーク」の監督でもある)そういえば、茉の恋人で上海事変が起こるとそそくさと茉を捨てて香港に逃げるチアン・ウェンも名作「鬼が来た」の監督である。このすごい二人を単なる役者として使うなんて監督は誰なのかと、調べると、『初恋のきた道』で撮影監督を務めたホウ・ヨン。新人である。けれども、透明感あふれる映像であった。期待の新人なのかもしれない。「あの時子供を生んでしまって、私は人生を台無しにした」と歳を経たジョアン・チェンはかつて自分の娘時代とそっくりな孫のチャン・ツィイーに言う。チャン・ツィイーは「でも生まなかったら、もっと後悔する人生になっていたかもしれない」という。この映画はそんな映画だ。ジャスミンの香水と、映画の雑誌と、写真館が三代の60年間を夢のように流れる。子供を生む場所、産婦人科病院を前に三人の女性はそれぞれの時代でしだいと態度を変える。男は時代に合わせて生き方を変えるけれども、女は時を経る度に強くなっていく。変わらないものと、変わるものを対比よく見せる。戦争と文化大革命を経ているのに、驚くほどにその「時代」は描かない。このような中国映画もあるのだ。ずいぶんと新鮮な気がした。
2006年10月17日
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しばらくは携帯投稿になるので、短文ネタのみアップします。日本に帰って1番にみたのがこの作品。親しくお話した韓国在住の二人は二人とも見ていて、二人とも「面白い」と太鼓判を押していました。いちおう舞台の漢江を散歩しました。映画をまだ見ていない段階だったので、地下鉄駅からでて、すぐみえる国会議事堂と公園との対比を頭に刻んだのですが、あんなに近いのにこの映画では一切出て来ませんでした。米軍の毒物不法投棄から生まれた怪物ですが、社会に対するこの監督の視線は病的なほどに冷めています。河岸を歩きました。コスモス花畑では恋人が記念写真をとり、、遊覧船がゆったりと往来し、ちょうど天気のよい日曜日だったので、家族連れも多くローラースケートする人、河を眺める人、まさに映画の雰囲気そのままでした。まさか売店があれほど重要な舞台になるとは思わなかったので、写真に撮ることも買い物もせず、大変残念です。怪物造形の見事さ、スピード、韓国らしい「親族」愛、ハリウッド的な予想を裏切る展開、見事なキャラ造形(ただしぺ・ドゥナのみは不満)、一級のエンターテイメントである。では傑作かというと詰めが甘いところがあり、太鼓判は押せない。この夏韓国では他に面白い映画が無かった。それが韓国で大ロングランヒットをしている大きな要因だろう。追記コメント欄で、考え方を変えて、やはりこの映画は単なるエンターテイメントではなく、現在の韓国の民衆の鬱積した「今にも怪物に変貌しそうな」気分をよく捉えた社会派映画だと、意見を変えたことを書いています。あわせてお読みください。
2006年09月25日
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最近DVDで見た韓国映画で、オススメ作品を二本。「マルチェク青春通り」監督・脚本:ユ・ハ出演:クォン・サンウ 、イ・ジョンジン 、ハン・ガイン イ・ジョンヒョク 、パク・ヒョジュンなんとも、胸を締め付ける映画だ。原題は「マルチェク残酷史」なんだそうだが、「青春通り」のほうがいい。1978年の話。朴正熙大統領暗殺の前年。1980年の光州事件まであと2年だ。軍事政権はいよいよその最後の姿を現そうとしていた。高校生にとっては、関係ない。その中でクラスの中の居場所を求めることのほうが大切だったし、それよりも何よりも、美しい彼女と話をするほうが、何よりも大切だった。暴力はむなしい。けれども、力を示さなければならないときはある。「目標を見つけた」クォン・サンウがつぶやく。……男の純情にはてんで弱い私です。去年これを映画館で観ていたら、必ずベストテンに入れていました。こういうことがあるから、イケメン俳優、韓流映画だといって避けるのは良くない。「スカーレット・レター」と同様、きつく戒めにしたいと思います。ところで予告編に出ていたビルの中での乱闘シーンがない。あれがいつ出てくるのか、待っていたので、ずいぶん肩透かしを食らいました。ハン・ガイン正統美人女優なのですが、あの後すぐ結婚したみたいですね。まあ、芸能活動は続けているみたいなので、またスクリーンで見たいものです。「トンケの蒼い空」監督クァク・キョンテク 出演 チョン・ウソン キム・ガプス オム・ジウォン キム・テウ 韓国のほうが、日本よりもさきに「ニート」を主演にした傑作をつくってしまった。一応事件はあるが、それは主題ではない。日常の中の自分の拠り所を見つける(おそらく)直前までの話である。チョン・ウソンは相変わらずいい。キム・ガプスは手堅いし、新人のオム・ジォンが平凡な女の子をやっていて、なかなか凄い。韓国は平凡な顔立ちの娘のほうが、演技派というのはどういうことなのだろう。監督は慶尚南道の方言を使い、地方都市蜜陽オールロケで、田舎の都市の日常をみごとに切り取る。韓国でも「格差社会」は「両極化社会」として認識されていた。IMFの傷跡はまだまだこの国には残っている。
2006年07月29日
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監督:チャン・ヤン 出演:スン・ハイイン 、 ジョアン・チェン 、 リウ・ツーフォン 、 チャン・ファン 「こころの湯」と同じく、変わりゆく下町を舞台に、父と息子の葛藤を描く。最初のころは中国版「三丁目の夕日」かと思ったが、ノスタルジー映画とは少し違った。終わり近くまで、子供が主人公なのかと思っていた。けれども違うのだということが、最後の最後で分かるという稀有な作品。題材を文革に求めずに文革以後にしたのが、今まで歴史ものとは少し違う。それと最終近くに出てくる、公園や道端で釣りや凧揚げや太極拳にいそしんでいる老人のスナップショットも少し心動かされた。結局いま生きている中国の人で、彼らが一番激動の時代を生きてきた人なんですよね。
2006年07月27日
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なんて男らしい映画なのだろう。「ココシリ」監督 : ルー・チュアン 出演 : デュオ・ブジエ 、 チャン・レイ チベット最後の秘境ココシリで、壮絶な大自然の脅威にさらされながら、密猟者から貴重な野生動物チベットカモシカを守るため、命をかけて有志で私設パトロール隊を組織す……いやパトロールとはいえない。密猟者と自然に対して「戦争」を仕掛ける男たちがいた。実話である。1996年11月の17日間の生死を別けた戦いを描く。何をして彼らはここまでのことをするのか。それがずっと疑問だった。さまざまな職種の男たちが仕事をやめ、無償で、パトロール隊に志願したの理由はなんだったのだろう。無償といっても経費は要る。密猟者から没収した毛皮の一部をその費用に回す。この作品は北京のジャーナリストの視線から描かれるのだが、彼が「それだと違法なので記事に出来ない。」という。隊長はぼそりと答える。「チベットには、巡礼の僧がいる。彼らは見た目は汚いが、魂は清らかだ。」好奇心で出来る仕事ではないのだ。数回フラッシュで、パトロール対の全員が映った集合写真が出てくる。そこには20名近く隊員が映っている。しかし記者が同行した隊員は10名もいない。だんだんと彼らは死んでいるのだということに気がつく。そして最初はのどかだったパトロールも次第と犠牲者が出てくる。何のために彼らはここまでのことをするのだろう。土地の自然の一部である動物を守ることがそんなに大切なのか。ココシリとは、彼らが命を賭ける山の呼び名だ。「青い山々」とも、「美しい娘」とも言われている。オールチベットロケである。雪をかぶった山、宇宙に近づくような星々、チベットの自然は美しい。「俺たちは、ここに来るとすぐに帰りたくてたまらなくなる。けれども帰ると、また来たくてたまらなくなるんだ。」彼らにとってココシリとはそういうものなのだろう。つまりこの自然は反面あまりにも厳しい。後半は映像でそれをいやというほど見せ付ける。ハリウッド映画なら必ず奇跡が起きて助かるような場面でも、容赦なく人は死んでいく。彼らは何を守っていたのだろうか。この自然を傷つける。そのことだけが許せなかったのだろう。500頭ものチベットカモシカの皮が、砂漠の荒野に並べられるシーンは圧巻である。しかし、密猟者たちも追跡者と同じく貧しい。「俺たちもこんなことはしたくない。けれども、放牧が出来なくなったのだから仕方ない。」そのようにつぶやく。背景には中国政府の急激な自然開発の後遺症があることは明らかだ。声高に中国政府を批判してはいない。けれども、文化大革命とか以外で歴史的な評価の定まっていない事柄についてこのような映画もできつつあるのだということを教えてくれたという意味でも貴重な映画。いや、それよりも何よりも、(こういう言い方も許して欲しいのだが)描き方がかっこいい。ハードボイルドな男たちばかりが出ている。ここ数年、チャン・イーモウやら巨匠はみんなハリウッド資本に流れていって正直不作続きだったのだが、やっと語るにたる作品が若い世代から出てきた。楽しみである。
2006年07月25日
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「デイジー」監督:アンドリュー・ラウ 出演:チョン・ウソン、チョン・ジヒョン、イ・ソンジェデイジーの花言葉は「秘められた恋」。典型的な片想いの三角関係を描く。なおかつ、鑑賞環境は93%がおば様方女性陣という居心地の悪さ。主演俳優には興味はない。では、面白くなかったのか、というと実はそうではない。誰かは誰かの為に。その誰かはまたほかの誰かの為に。人は誰かのために生きるが、往々にしてその想いは報われない。アンドリュー・ラウ監督らしい運命の交差、アクション場面。韓国映画らしい悲劇の構図。製作の意図はぴったり決まっている。オール海外ロケと、俳優人もまずがんばっている。悪くはない。三角関係はフランス映画が嚆矢ではある。私のベストはパトリス・ルコント監督の「歓楽通り」。あんまり評価されていないけど。
2006年06月11日
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実在の中国伝説の武道家・霍元甲が、清帝国に列強の侵略が強まっている1910年に自国の尊厳を取り戻そうとして始めた異種格闘技戦で戦うまでの話である。 監督 : ロニー・ユー出演 : ジェット・リー、中村獅童、スン・リージェット・リーは記者会見で言っている。「“武”という字は分解すると“矢を止める”つまり暴力を止めるという意味を持っています。人間は表面的にはずっと闘いをして、暴力の中で人間はおごりたかっているのですが、重要なのはその背後にある武力ではなく、如何にして戦争を止めること、暴力を止めることが大事なのです。」その精神はこの映画にピシッと貫かれており(復讐は復讐しか生まないと主人公に言わせている)、昔、ほんの少しだけ武道をかじった者にとっては「わが意を得たり」の作品でした。見事な武道映画でした。「姿三四郎」を髣髴させる精神と、アクション映画としてのエンタメ性とを併せ持った素敵な作品でした。お涙頂戴映画なのではないか、と思い、見るのが遅れたのですが、ちょっと違うと思います。確かに私は泣きました。けれども悲劇に泣いたのではなくて、久しぶりに「武」の真髄を見させてもらったことに対する喜びに泣いたのです。……すみません。少し長くなりますが、思い出話をしたいと思います。日本の棚田を思わせる景色が続く山村で、霍元甲は悟ります。「武術は強さを競うものではない。己に克つことを目指すものだ。」これと同じようなことを中学時代の柔道顧問、藤田先生が練習の合間に言っておられました。けれども、中学高校6年間柔道をしたのですが、このことが自分の心に届いていたかというと、少し疑問です。ただ、柔道を止めて随分経った今ならこのことが素直に届きます。当時はきちんとその意味は分かっていなかったけど、私には忘れられない試合がひとつあります。中学二年のとき、県南地区の団体戦、準々決勝のときです。私は五人のチームの中の中堅でした。実力はたぶん一番下だったと思いますが、体格のために三番手に入っていたのです。相手は地元の実力校です。しかも私の相手は(後で知ったけど)個人戦では優勝するくらいの実力者でした。私の前の二人はなんと負けていて、私が負けるとその時点でチームの負けは決定してしまいます。なんとしてでも負けないこと。それが先輩から言われた使命でした。相手は鋭い足技が身上です。必死に耐えました。三分を過ぎた頃から相手があせってくるのが分かりました。相手が技をかけてくるタイミングが見えてくる。その瞬間をねらって一回こっきりのツバメ返しをかけました。私は勝ち、チームも勢いついて、勝ちました。そしてそのときわがチームは準優勝をしたのです。相手の力を活かして足払いをすくって、ふわっと彼が宙に止まった一瞬を私は決して忘れない。私は彼より技量的には劣っていました。でも運で勝ったわけではない。最後まで諦めなかった。最後まで勝とうとした。……そのあとずーと分かっていなかったけど、今も良く忘れるのだけど、私はその時大切なものを貰っていたのです。ジェット・リーは記者会見でこうも言っています。「決して相手を倒すことが目的ではなく、倒さなくてもいいから自分自身に挑戦し、自分と戦って勝つことで本当の幸せがやってくる。」
2006年03月31日
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「力道山」監督 : ソン・ヘソン出演 : ソル・ギョング 中谷美紀 藤竜也 ソル・ギョングが主演なのでやはり観る事にした。さすがである。顔は似ていないのに、後半は力道山そのままに見える。肩をいからす仕草。ひきつる様な笑い方。この作品は2005年の作品である。しかも、90%は日本語でつくられた韓国作品である。それなのに、なぜ去年上映されなかったのか。答えは簡単で、日韓友情年を見越して作られたのに、去年がああいうことになったからだ。そのせいか、韓国ではあまりヒットしなかった。日本では上映が遅れた。しかしそんな作品ではない。力道山は戦前日本に相撲をするためにやってくる。そこで待っていたのは、相撲部屋における朝鮮人への徹底的な「いじめ」であった。しかし力道山も負けてはいない。タニマチの親分(藤竜也)を味方につけ、綺麗な日本人妻を貰い(中谷美紀)戦前戦後にかけて関脇から大関をねらえるまで成長する。しかし、民族の壁は大関を拒む。そこでインターナショナルなスポーツ、プロレスに転向するのである。力道山の生きる道は、最初のプロレス中継、シャープ兄弟との対決で決定される。私は生まれていなかったが、映画でこの対決を見て、「日本人として」アメリカ人にやられそうになった日本人チームが劇的に相手を倒す展開に思わず血沸き肉踊った。駅前の街頭テレビ前のものすごい人だかりの場面があり、韓国のW杯でのソウル前をイメージして大げさな描写かと思いきや、写真を見ると実際にそのくらい集まっていたみたいだ。彼が引っ込みがつかなくなるのも分かる。彼が日本人としての勝利に異常にこだわったのも分かる。例えばWBCで、もしイチローが本当は韓国人だったとしたら、イチローはもう引っ込みがつかなくなるだろう。(明日はガンバローぜ)この映画の10%はソル・ギョングが同郷の友人にのびのびと韓国語を話す。そこに彼の本音があるのだ、という構成である。「朝鮮人だからといって、差別されたくない。笑いたい。そのためには力が欲しい。」と力道山は言う。コリアレポート編集長の辺真一さんの講演を聞いたとき、野球の張本から聞いたといって、こういうこぼれ話を紹介してくれた。「力道山は彼を可愛がった。在日だからね。よく家に招待したらしい。(映画にある豪邸でしょうね)ある日、誰も入らせない、防音の部屋を見せてもらった。そこには豪華なオーディオ機器があるだけ。そしてそこにはアリラン等韓国の歌しかなかった。力道山は日本の英雄だといわれ、それにこだわったけれども、家に帰るとそうやって部屋に籠もりかろうじて精神の均衡を保っていたのだと思う。」残念ながらこの場面は映画にはなかった。しかし映画はまさにそのことを描いたのだと思う。そこには自分の複雑な気持ちを言葉ではなくプロレスでしか表現できない「渡来人」の悲しみがある。力道山と藤達也と中谷美紀は最後には喧嘩別れをするが、しかしそれは本心からではない。山本太郎扮するチンピラが力道山を刺すのも、山本は力道山のファンで単なる偶然である。(ここの事実関係は違う可能性のほうが大きいだろう)最後の場面はもっとも幸せだった時のソル・ギョングと中谷美紀のツーショットである。ここにこの映画の願いがある。
2006年03月18日
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2004年 韓国 監督: ピョン・ヒョク 出演: ハン・ソッキュ/イ・ウンジュ/ソン・ヒョンア/オム・ジウォン 刑事のギフンは、妊娠中の妻スヒョンを愛しながらも、美しい愛人カヒとの情事を楽しむ日々を送っていた。そんなある日、写真館の主人が殺害される事件が起こり、第一発見者の妻ギョンヒを取り調べたギフンは、彼女に言い知れない魅力を感じる。捜査が難航するなか、カヒから妊娠を告げられたギフン。冷たい言葉を浴びせながらも、カヒから離れられないギフンは、やがて生活の均衡を失いはじめ…。驚いた。イ・ウンジュが自殺する前こんな役を演っていたなんて。ミステリーの体裁を借りた、罪と罰を扱った作品である。思えば彼女が作品中死ななかったのは「オー!マイDJ」のみだろう。「愛と、死を見つめて」「永遠の片想い」「ブラザーフッド」「バンジージャンプする」で病死、殺害、事故とさまざまな死に方をする。「薄幸」という言葉がイ・ウンジュにはついて回っていた。また、それを体現できる代表的な女優だった。韓国映画は喜劇を除くと主役の死で終える作品が圧倒的に多い。それは何故なのか。単なる儒教文化とか、「恨」とか「情」とかいう理屈ではなく、一度韓国の人と膝を付き合わせ、議論したあと納得したいと思っている。(そのためにはハングゴの勉強をヨルシミやらなくちゃ)歴史認識以前にお互いの気質含めた相互認識も必要だろう。今回イ・ウンジュは、今までの清純派から180度転回し、不倫をしている。そしてそれは単なる不倫ではなく。更なる道徳的な罪を隠すものであるという難しい役である。最初彼女がクラブで歌う登場シーンは息を呑むほどに美しい。こんなに美しい彼女を見たのは初めて、そして最期になった。彼女は自殺の原因になったといわれるハン・ソッキュとの濃厚なラブ・シーンのあと、最後の衝撃的な場面に移るわけである。たった二日であそこまで行くのか(すみませんネタバレなしで書いているので何のことかわからんと思います)疑問があるので満点は差し上げれないのであるが、劇場での鑑賞を見過ごしたことを後悔する作品であった。私の推測ではあるが、彼女は裸を晒したから自殺したのではなく、作品が終わっても映画の役を脱け出すことが出来なくて自殺したのではないだろうか。それほどまでに彼女の演技は鬼気迫っていたし、儒教社会において保守的な彼女にこんな罪な役をやらせたのは、どういうプロデューサーかは知らないが、仕事は優秀であったが、人間としては失格であった。
2006年03月06日
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『美しき野獣』韓流映画はギャンブルのようなものだ。A級を目指して駄作になりB級を目指して傑作があるそういうわけで去年は幾つかの傑作を見逃してしまった。だから時々は見てみる。この作品はB級を目指してB級だった。日活アクション映画を髣髴させる。男の執念の物語であり、それ以上でも以下でもない。原題は『ヤス』(野獣)である。けだし、邦題よりもよほど内容を表わしている。最近DVDで見た『去年の傑作』について一言。「復讐者に憐れみを」始めは全然存在感の無かったソン・ガンホが見事に復讐者に変貌していき、ペ・ドゥナの瞳の演技がすばらしい。「甘い生活」これを見てイ・ビョンホンのロック説に対して意を強くした。こういう「暴力へ動く情」というべきか描き方は到底日本映画は追随出来ない。北野映画は主人公が一種の怪物となることでそれを実現するのであるが韓国映画では普通の人間が怪物的な行動を起こすのだ。
2006年02月22日
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監督 : チェン・カイコー出演 : 真田広之 セシリア・チャン チャン・ドンゴン ニコラス・ツェー リィウ・イェむきょく【無極】1 (形動)果てのないこと。限りのないこと。2 中国、道家の語で、きわまりない世界の根源をいう。のち、宋学にとり入れられ、易の「太極」と結びつけられ、宇宙の生成に先立つ存在として、宋学の重要な形而上的概念となった。(国語大辞典小学館)つまりこれは壮大なる占いの話ということで……。いや、花びらの散る場面、羽のみは無歓は掴むことができないところとか、おや、と思う場面はたくさんあるので、退屈からは免れました。結局最後のセシリア・チャンがどちらの男を選ぶのか、もっと内面的な演技をして欲しかった。チェン・カイコーらしい愛憎渦巻く作品なのですが、そこだけは不満でした。時間と人の想いとの関係を描いた壮大なファンタジー映画でしょう。もう一つ、まるで空気のように日中韓映画が作られるようになった。この十数年の進歩に拍手を送りたい。
2006年02月14日
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監督 : チャン・イーモウ日本編監督 : 降旗康男出演 : 高倉健リー・ジャーミンジャン・ウェンチュー・リンヤン・ジェンボー いい作品だった。思いのあふれる作品だった。私はこの映画に出てくる、『真心』を全て信じることが出来る。日本人の『真心』も中国人の『真心』も。ごめんなさい。少し映画を離れて思い出話をします。2001年9月上海の周りを一人ぶらぶら旅をしました。一日かけて郊外の水郷の村の周荘というところへ行きました。ミニバスなどに乗り継ぎながら、周荘のバスセンターに着くと周荘入り口までの約2キロ。ひつこい勧誘にあって自転車馬車に乗ってみる。(片道2キロ6元90円)。観光地周荘の中に入ると、またひつこい勧誘にあって、日本語がぜんぜんできないガイド(案内して写真を撮ってくれるという役割)を雇いました。(50元750円)マイペースで案内してくれるのには閉口したけど、人のよさだけは良く分りました。お互い言葉は全然出来ないけど、何とか通じるものです。彼のおかげで、言葉が出来ない私はたぶん乗れなかった観光船に相乗りで乗ることが出来ました(上の写真)。1日千円ちょっとしかならない労働で、彼は家族を養っているんだろうなと思いました。下の写真は昼食中の彼のスナップです。一緒にご飯を食べるとなんかお互いの生活まで分かるような気がするから不思議です。彼と比べると映画の現地通訳はなかなかインテリな男ですわ。観光客相手の彼らを全て信用することは出来ません。上海の街中で、詐欺まがいに巧妙に200元(3000円)の素人絵を買わされたという経験もしました。一方こんな経験もしました。周荘からの帰り道、バスは上海の街中をいつの間にか過ぎてバスセンターに帰ってしまったのです。ここは一体どこだろうか、と職員の詰め所みたいなところに寄って筆談で一生懸命近くの駅の場所を教えてもらいました。すると親切にも一人の職員が駅まで送ってくれることになりました。駅の近くまでいくと職員の友達にあって、どうやら友達に後を託した模様です。その友達は何と乗り換え駅までの切符を買ってくれてどうしても切符代の二元を受け取ってくれないのです。そしてメモを書いてくれたり、言葉で何度も乗り換えの方法を教えてくれました。ホントに私は何度も何度もお礼を言って彼と別れました。映画の中で、通訳の人がさりげなく謝礼を返しにくる場面があります。また、一人の客人を歓待するためにひと村あげての宴会をする場面があります。刑務所ではきちんと用意して「単騎、千里を走る。」の仮面劇をする場面があります。真心が人を動かす。真心が人に応える。高倉健ならそれが自然と絵になる。けれどもそれは決して特殊なことではない。政治の問題を置いても、歴史認識の違いで、日中間にはまだ越えなければならない河はあると思う。でもそれは必ず越えることの出来る河である。そのことを改めて思った映画でした。追記あとで読み返すと、これでは『意』は通じないかもしれないと思いました。私は健さんではないので、行間を読んでもらうという離れ業をしてはいけませんよね(^^;)この映画のようなコミュニケーションは、単なる観光で実感しようとすると難しいものがあると思います。特に中国人は金が絡むといやらしくなるように感じます。けれどもいったん、金からは離れると、健さんのような真のまごころに接したり、本当に困っている人に接すると、中国人は見返りを求めない行動をするのではないでしょうか。『中国人は……』という風に一般化してしまう危険性は承知しながらも、私は自分の経験で直感的にそう思っています。
2006年01月30日
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監督 : パク・チャヌク 出演 : イ・ヨンエチェ・ミンシクキム・シフイ・スンシン 女が主人公の復讐もの。はい、終わり。……というだけではさびしいので少しだけ。さすがに韓国映画、後半に仕掛けがあります。あの群像劇をもっと活かしてほしかった。そのためには前半で伏線を張ったり、後半部分をもう少し膨らませてほしかった。「オールドボーイ」みたいな圧倒的な暴力を期待すると肩透かしを食います。当然甘くない終わり方だけど、ナレーションでごまかしている。以上。
2005年11月29日
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監督・脚本 : イ・ジェハン出演 : チョン・ウソン ソン・イェジン ソン・イェジンの女優としての資質をみたくて観た。やはり監督によって相当違う。顔のアップの多用。監督はそれによって二人の恋愛に焦点を当てたかったのだろうと思う。けれども、演出は失敗したように思える。同じようなエピソードを重ねすぎた。ひとつのエピソードをもっと深く掘り下げていたらよかったのに。二人ともそれに応えるだけの演技力はあったと思う。チョン・ウソンはいい俳優になると思う。あんなに男臭い俳優はそういない。「MUSA武士」の主演俳優二人のその後の勝負はチョン・ウソンのほうに軍配が上がっている。
2005年10月28日
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四月の雪 監督 : ホ・ジノ出演 : ペ・ヨンジュン ソン・イェジン私は退屈しなかった。「八月のクリスマス」が好きならば、退屈するはずがない。古いタイプの二人が、倫理観に悩みながらも恋をする。一言で言えばそういう映画であるが、男も女も突然振ってわいた不幸のおかげでゆっくりとした時間の中で不器用な恋をするのである。ソン・イェジンは勢いだけで撮った「ラブストーリー」から比べると見事な飛躍をみせる。ぺ・ヨンジュンについてはどうしてもこの役がハン・ソッキュだったらなあ、と思ってしまう。終わり近くの号泣の場面にどうしても辛い点をつけてしまう。ハン・ソッキュならもう少し存在感のある泣きかたをしてくれたのではないか。しかし、この映画はハン・ソッキュではだめなのだ。6~7年前はいかつい顔がラブストーリーの主役を務めることが出来のだが、今は明らかに美男美女でないと主役を務めることが出来ない。美しさの基準は時代によって変わるというが、私たちはその「歴史的転換点」に心ならずとも立ち会ってしまったようだ。それは商業高校出身の大統領が成立したことと無縁ではないのかもしれない。学縁・血縁・地縁との決別が実力主義の時代(見た目の美しさも含む)をもたらしているのかもしれない。話がずれてしまった(^^;)日本ではこの映画は成立しない。今現在もあるかどうか知らないが、韓国ではつい最近まで「不倫が罪」であった。二人とも古いタイプの男女である。秋から冬へそして春へ女はゆっくりと成熟する。終わりがはっきりしない?とんでもない。実にはっきりしている。最後の歌が彼らの運命をきちんと描いている。
2005年09月24日
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二人の少女の売春に関する話かと思うと相当違う。韓国版「罪と(罰)」(^^;)「サマリア」監督・脚本・編集・美術監督 キム・ギドククァク・チミン ソ・ミンジョン イ・オルキム・ギドクの作品は「悪い男」に次いで二作目。相変わらず心理描写を拒否した演技。それがまた画面に不思議な緊張感を呼ぶ。ただし私は「エレニの旅」と比べるから余計に思うのかもしれないが、ちょっと中途半端な気がした。もっといらない台詞を排除したなら、現代劇から神話伝説にまで昇華したのに。「サマリア」とはユダヤ人から見た異教徒たちの土地の名前らしい。ここに出てくる男たちはみんな罪の自覚を持つ新教徒であるが、女の子二人は異教徒の土地「サマリア」の女であっただろう。途中、墓参りの場面がある。韓国はあのような土饅頭が墓なのである。一人ひとり土葬で祀ってある。土地が足らなくなるのではないか。その心配は不要である。墓参りしなくなったら土に還る。あの墓は韓国式昔(新羅時代)の古墳と同じ形。墓の前で行う直会(なおらい)。あの参り方(お供えは豪勢ではなくキムパブとチンロのみ)は彼の誠実で素朴な性格が現れていてよかった。ラストは納得。むしろ説明のしすぎ。
2005年09月05日
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監督 : イム・チャンサン 出演 : ソン・ガンホムン・ソリリュ・スンスイ・ジェウンチョ・ヨンジンソン・ビョンホパク・ヨンスこの息子はどうやら私と同年代らしい。この息子が27歳になるまで、韓国という国は独裁政権の国でとても怖い国だということが宣伝されていた。なるほど下痢しただけで「マルクス病」だとレッテルを貼られて、拷問にあったりしたのだから、怖いことは怖いのであるが、庶民はそれほどびくびくしながら生きてきたわけではなく、大統領の髪を刈っても別段庶民の暮らしをそのまましていたのである。朴正熙という大統領はあまり独裁者でひどい人物には描かれていない。その一方で、朴大統領暗殺後のどたばたで大統領になった全斗煥に対しては辛らつである。これはもしかしたら韓国庶民の偽らざる感情なのかもしれない。この映画は79年で終わる。しかし、実はこのあと8年が激動なのではあるが、理髪師を辞めた以上はここで止まるしかなかったのだろう。つくづくガンホの笑顔は素晴らしい。しかし、韓国の人たちの歴史の描き方の成熟していること。「ペパーミントキャンデー」にしても「殺人の追憶」にしても「ブラザーフッド」にしてもちゃんと自分の血肉にしてから、庶民の視点で、そしてちゃんと時代を見据えて映像にしている。日本の映画でこれが出来ているのはあるだろうか。山本薩夫に若干あった気がするが、庶民の視点に徹底しているのはなかった。チャン・イーモウの「活きる」にしても時代観が素晴らしい。日本人の歴史観について、いろいろ中国・韓国から言われるのも、全然根拠のないことではない。
2005年07月09日
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DVD「純愛中毒」を観た。 製作: 2002年 韓国 監督: パク・ヨンフン 出演: イ・ビョンホン/イ・ミヨン/イ・オル/パク・ソニョン 同時刻の交通事故がきっかけで、イ・ミヨンの最愛の夫の魂は弟のイ・ビョンホンの身体に宿った?構成は東野圭吾原作の「秘密」に似ている。(こっちのほうが複雑だか)イ・ミヨンが案外演技派である。注目。ところでイ・ビョンホンがあと五年位しておば様から騒がれなくなったとき、転進の方向として、かっこいい悪役をするというのはどうだろうかなと思う。私はこの人の雰囲気に手塚治虫「バンパイヤ」で見事な悪役に転身を遂げたロックの雰囲気を感じ取る。ぺ・ヨンジュンが手塚作品の中ではケンイチ君だとしたら、イ・ビョンホンは外国帰りの雰囲気を持ちかっこよく、なおかつ暗いイメージも併せ持っているとところなんかそっくり。原作をうまく料理する韓国のことだから、いっそ「バンパイヤ」を韓国でやったらどうだろう。今ならCGで違和感なくトッペイを狼に出来るぞ。あの作品のロックが、ロックの転身第一作だったのだから、イ・ビョンホンにぴったりだと思うのだが。(05.07.08記入)
2005年07月08日
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監督・脚本 : チョン・ユンチョル 出演 : チョ・スンウキム・ミスクソン・チョンウクペク・ソンヒョンアン・ネサン こういう映画にありがちな、自閉症の主人公がどえらいことをしでかすという映画ではない。では周りがすごいのかというと、どう見ても普通の、もしかしたらそれ以下の親だったり教師だったりする。しかし、なかなかいいのである。それでも、人間というものは、自閉症の子であれ、親であれ、教師であれ、時々ものすごく輝くことがあるのだ、ということを教えてくれる映画だ。自閉症の子(といっても20歳だけどね。彼の演技は素晴らしいの一言。)に話をする場面が多いので、勢い、基本的な会話や単語が飛び交う。韓国語聞き取りにはぴったりの映画かも。DVDは買いですね。お母さん役のキム・ミスクはどの映画に出ていたのだろう。「おかあさん」を見事に演じている。韓国ではマラソンを「マラトン」と読む。正確にはマr・ア・トンの言葉を縮めるとマラトンになるわけだが、マrは「馬」という意味もあるから、主人公がシマウマ好きなのは、よく出来た作り話なのだろう。この作品事実を基にしているといいながら、よく「作って」いる。自閉症の親と子供の関係というのは、世界初の映画ではないだろうか。(05.07.08記入)
2005年07月07日
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