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☆ 2月27日(土曜日) 旧一月十四日 戊申(つちのえ さる) 友引: 「日頃の鬱屈をせめてちょっとでも晴らすために、温泉に行こう!」優しい友人が無理やりというように誘ってくれて、出かけた。山梨県は甲府の市街の外れにある、坐忘庵という温泉宿である。甲府市街の中心地から北寄りのところに、武田神社があるが、その神社の背後の要害山というのを登っていくのだ。道はつづら折にカーブしながらどんどん高度を稼いでいく。途中に「←坐忘庵」と標識が出るが、車2台がすれ違えないほどの幅だし、いきなり急勾配になるので標識に従うのが少しためらわれる。それでも宿は矢印の先に有る筈だろうからとにかく本道を逸れて細い坂道に入ってみる。両側に山が迫る道を、対向車が来ないように祈りながら行くと、やがて視界が開け、広くも無い平坦な広場があってその向こうに二階建ての建物がある。それが坐忘庵だ。ここは要害山の中腹、標高780メートルの位置にあり、眼下に甲府の市街を望めるというのが、「売り」の一つである。この坐忘庵、正式には「坐忘という名の隠れ宿 積翠寺温泉古湯坊」という長ったらしい前句が付く。こういう勿体ぶった修飾語が付いているところは、得てして泊って見るとがっかりする場合が多い。建物も外から見た限り、近代風の普通の造りで、古民家風とか数奇屋風とかいった、一般の気を惹くようなものではなく、ごく当たり前の姿である。ところが実際にご厄介になって、翌日帰るときには、私自身すっかり気に入りファンになってしまった。その理由を挙げてみよう。(1) 先ずは当然の事ながらやはり温泉である。ここは法律的には「温泉」ではなく、「鉱泉」に分類される。今の温泉法では、源泉の採取場所での温度が25℃以下だと温泉とは呼ばないそうだ。ところで、温泉の監督官庁は何処なのだろう?環境省なのだろうか?それとも厚生労働省?何れにしろお役所がどういおうが、25℃以下であろうと、加温すれば立派な温泉である。源泉が発見されたのは鎌倉時代に遡るそうで、武田信玄の時代には、川中島の合戦などで傷ついた将兵の治療にも使用されたという伝説が残る、所謂「信玄公の隠し湯」の一つである。お湯にはメタホウ酸が多く含まれ、美肌効果もあるそうだ。源泉は41℃ほどに加温され、微かな硫黄臭を感じるほかは普通である。温泉は何処でもそうだが、少しぬるめだなぁと感じても、お湯に浸かっている間に、じわじわと汗が出てくる。これが気持ち良く、出てからも体のぬくもりは長く残る。坐忘庵では、大浴場の他に貸し切り露天風呂が二つあり、家族やワケアリの二人連れ、或いは今回のように友人同士で行っても、水入らずでゆっくり温泉を楽しめる。(ここは加水はしていないから文字通り水入らずだ。)貸し切り露天風呂には洗い場は無い。ただひたすらお湯に浸かるだけである。大浴場にも貸し切り露天風呂にもバスタオルが豊富に置いてある。温泉宿では部屋にタオル掛けはあるが、バスタオルを掛けるところは無いのが普通だ。だから湿ったバスタオルを鴨居にかけたりしなければならない。その点坐忘庵では常に乾いた新しいタオルを使用できるので、これは気持ちが良い。大浴場の脱衣場には着替えの浴衣も置いてある。これも一晩寝た後に、皺になった浴衣をパリッとした新しいものに着替えることが出来て、嬉しいサービスだ。お湯は能書きはともかく、それほど特徴を感じないが、それでも充分に堪能することが出来た。(2) 次は食事である。坐忘庵では四季折々に夕食のメニューを変えて出しているそうだ。我々が戴いたのは、冨士桜ポークのせいろ蒸のコースだった。冨士桜ポークというのは甲州ブランドの豚だそうだ。せいろ蒸というのは、宿の側では基本的に材料を刻んでせいろに並べるだけだから手間がかからない。その代わり素材の良さが決定的になる。当日は、こごみやたらの芽など山菜、そして大塚人参というこれも地物の人参などが野菜のせいろに並べられており、これら野菜が非常に美味しかった。甲州ブランドの豚も大いに美味しかったが、豚は豚だから大感動するほどのものでは無い。野菜のせいろを下に、甲州豚の薄切りを水菜を敷き詰めた上に並べたせいろを上に重ねて蒸す。他には、鯉のあらい、馬刺しのマリネ、刺身の盛り合わせ、煮物などの小鉢が並び、せいろが蒸しあがるまでのしのぎになる。総じて美味しく、量も適当で満足であった。注文した「無濾過生ワイン」の赤もメルローと甲州のブレンドで、中々結構だった。但し無濾過だから、最後の一杯には澱が混じる。だからこれは、「The last is the best!」などといって、他の人に飲ませるのが良い。朝食は、「薬膳」と銘打ったもので、土鍋で炊き上げた鯛めしが主体であった。旅館の朝食には焼き海苔に納豆、卵などが定番だが、そういうものは此処では並ばない。友人によれば旅館では夕食は板前の職人が調理を担当するが、朝食は板前より格の低い料理人(仲居さんという説もある)が食膳を整えるのだそうだ。だから、中々「朝食の美味しい」旅館は希少である。坐忘庵はその点「鯛めし」を目玉にしているので、上手い作戦だといえる。(3) 三番目にこれを掲げるが、客としては最も温泉宿の印象を左右されるところである。坐忘庵では、何より働いているスタッフの人たちが非常に良い。私は人も指摘する偏屈男で(自分ではさらさらそうは思っていないが、人がそういう。)、ちょっとでも言葉遣いや、客のあしらい方に引っかかるとつい絡みたくなる。絡むといっても、ねちねち苛めたり、怒鳴ったりなどはしない。高度な(!)冗談でどぎまぎさせたり、あえて相手が当惑するようなことを訊ねたりする程度のことだ。私はこれを「tough love」だと思っている。つまりは、相手を少しキツく教育しているのだ。それもこれも「愛」あればこそである。しかし、同行の友人はそう解してくれない。「そんなに苛めなくても」と却って顰蹙を買ってしまうのが常なのだ。偉大なるものは並みの大衆には常に誤解されるものである。坐忘庵でも私はこれをやらかした。一度は仲居さんが部屋に案内する際に、私の荷物だけ無視したからだ。大抵の温泉宿では、仲居さんが泊まり客の荷物を持つ。仲居さんが若いほっそりした女性であってもそうだ。こちらは、色男だと云っても、箸だけではなく自分の荷物くらいは自分で運べる。かよわげな女性に運ばせるなど男性として潔しとしない。・・・とはいえ、自分の荷物だけが無視されるとやはり面白くないのだ。他には・・・・他にも一杯tough loveを行使したので忘れてしまった。しかし、どんな時でも、又どのスタッフであっても厭な顔一つしないで笑顔で応接してくれた。のみならず、小気味の良いとすらいえる切り返しをしてくる。これは中々できるものでは無い。ついつい厭な顔をしてしまったり、或いは緊張してそれが態度に出てしまったりするのが普通である。宿の教育が行き届いているのは当然だろうが、仲居さんを含めて良い人柄の人ばかりを選りすぐったのであろうと思われる。温泉宿であっても、温泉と食事だけでは良い印象は得られない。温泉そのものは宿ではなく自然の賜物である。食べ物は突き詰めれば近郊のお百姓や漁師さんたちの賜物である。そう考えれば、接客に係る宿の人たちこそが宿の手柄である。その点坐忘庵は大手柄だといえると思う。後、館内の方々に書の額がかかっている。この宿のご主人の直筆になるものだそうだ。夕食時に銘々に配られるメニューも同じ書体で書いてある。ご主人は板長でもあるのだそうだ。私は書には造詣も何も無いので、ただ金釘流の下手糞な字に過ぎないじゃないかと思った。聞けば、メニューに描かれた食材の絵もご主人の筆になるのだそうで、それらは素朴でありながら中々に味がある良い画であった。そうなると、書の方も観る人が観れば良いものなのだろう。少なくとも方々に飾られていても、私の目の邪魔にはならなかった。信玄ゆかりの宿(といっても大半はインチキに決まっているが)と云えば定番の、古めかしい鎧や風林火山の旗指物がわざとらしく飾ってあるよりも、宿のご主人の金釘流(?)の方が遥かに結構である。坐忘庵、「隠れ里の宿」とはいえ、隠しておくのは勿体ない。それなりの人にはお薦めしたいお宿である。
2010.02.27
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☆ 2月21日(日曜日) 旧一月八日 辛丑(みずのえ とら) 友引: 松山椿祭り以前、川越の町の、通称「蔵造り通り」を歩いていたら、「キンカメ」というお店が目に留まった。「貴金属、宝飾・・・」などと書いてある。このお店の看板の、通りに面した正面に、「ないものはない」とあって、これが面白かったから目に留まったのだ。どういうことなんだろう?「ありとあらゆる物が有りますよ」と云っているのか、「店に有る物だけ。無いものは無いんだよ!」と開き直っているのか?どっちだろうと、そればっかり気になって通り過ぎたので、店は覗いて見ることもしなかったし、一体何の店なのかも分からないままだ。こうなると、この看板は果たして役に立っているのかどうか。街を歩いていると、時々面白いものを見かけることがある。そういう積りで歩いていると、思いがけないものを見つけることがあって、そんな時は得をした気分になる。先日は何処かの塀に貼ってあったポスターに、「短期アルバイト募集!」とあった。そして大きな活字でそう書いてある下に、それより小さめの字で「なるべく長く勤められる人、歓迎。」とあった。これ、一体どっちなんだろう?要するにこのアルバイト、短期なのか長期なのか?車のステッカーには、「子供が乗ってます」というのを良く見かける。これは、「だから、後から来る車は注意してください。クラクションを鳴らして煽ったりしないでください。」という気持ちだろう。そうしたらこの間、「大人が乗ってます」というのがあった。こういう車の後を走る時は、どうしたらいいのだろう?「ほのぼのレイク」の代わりに「ほのぼのレイプ」というのも見かけた。レイプはほのぼのしていないでしょう!だから衝動的に乱暴にではなく、計画的になるべくほのぼのとやりましょうというのだろうか?・・・・・なるほど!?でもそれはレイプというのだろうか?こういうものを考えるだけではなく、それを実際に作って売っている人も居るのだ。余りにエゲツないのには全く感心しないが、時に洒落たものに出会うと、日本人も中々捨てたものじゃないな、と思えるのだ。
2010.02.21
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☆ 2月20日(土曜日) 旧一月七日 辛丑(かのと うし) 先勝: 水戸の梅祭、旧七草昨日の雨水を過ぎたら暖かくなった。雨水は父の命日でもある。父は14年前のこの日に、長く住んだ岐阜の地で逝った。周辺に汚れ雪の残る寒い日だった。それで、昨日は父を偲ぶ意味もあり、彼が幼い頃遊んだ王子の周辺へ行ってきた。命日にも帰郷がままならない不肖の息子のせめてもの供養の積りだった。私の利用する西武池袋線では暫く前から線路の「二階建て化」が行われている。最初は練馬駅とその前後の駅が二階建てになった。これは地下鉄線との相互乗り入れが進んだせいだ。西武池袋線は、元々は池袋と飯能を結ぶだけの鉄道だった。父が未だ東京の人間だった頃には、西武電車は都心の人々の生産物を秩父に運び、秩父からはセメントを運んでくる電車だったそうだ。だから私が西武線の沿線に居を構えたと聞いた父は、「なんだ、汚わい電車に乗って三業地まで行くのか!?」と馬鹿にしたものだ。「汚わい」とは、人間の生産する醗酵前の肥やしのこと、つまりは新鮮な「●ンコ」のことである。「三業地」とは、色っぽい生業の集中する地域の事である。「芸者の置屋」、「料理屋」、そして「待合(芸者と客が待ち合わせて、そのう・・・ナニをなさる場所=今風にいえばラブホですな。)」の三つの業種に携わる方々が軒を連ねている場所を三業地といい、池袋のすぐ先、大塚辺りに、昔は大規模なものがあったそうだ。汚わいも三業地も今では死語になってしまった。つまりは父の感覚からすると、私はそんな臭くもいかがわしいところに新居を構えたわけだ。しかし、今は西武池袋線も池袋も全く様変わりしている。西武線は西武池袋線、西武新宿線と、共に都心と郊外住宅地を結ぶ通勤路線であると同時に、秩父の夜祭、長瀞峡、芝桜の里、小江戸川越などへ行くための観光鉄道にもなっている。今では汚わいもセメントも運ばない。そして池袋は山手線や埼京線などの他に、西武池袋線、東武東上線、地下鉄有楽町線、丸の内線、副都心線などが集中し、都内でも一大ターミナル駅の一つになっている。西武池袋線はこれらの内、地下鉄有楽町線と副都心線と相互乗り入れをしている。有楽町線は、その名の通り有楽町や永田町、銀座、木場などに行くことができ、副都心線は新宿御苑、渋谷などに、所沢や飯能などから乗り換え無しに直行できる。その接続点が練馬駅になっているので、この駅を中心として二階建て化が進んだのである。つい最近練馬からやや所沢寄りの、石神井公園駅の二階建て化が完成した。因みにこの石神井公園というのは、東京周辺以外の人には難読駅名なのだそうだ。これは「しゃくじいこうえん」と読みます。それで、今日西武池袋線に乗っていたら、石神井公園駅の付近で富士山が見えたのである。期待していなかったので意外だった。西武池袋線の沿線では、西方に富士山を遠望できる地点は未だ幾つか有るが、池袋に近づくほどにこれが無くなる。都心に近づけば近づくほど、周囲には高層建築のマンションなどが増えていくから、これは当たり前だ。石神井公園や練馬の辺まで行くと、富士山など見えるわけは無いと思っていたし、実際これまでは見えなかった。それが、駅の二階建て化のおかげで、目線の位置が上がったため、思わぬところで富士山を遠望できるようになったのである。私も日本人の一人なので、富士山を目にすると思わず見とれてしまう。お天気や雲の具合、それに季節によって富士山の姿も見え方もそれぞれに異なる。家々の屋根の彼方にくっきりとした姿が意外に大きく見えると、思わずその日は何か良い事がありそうな気になって嬉しい。都心と郊外を結ぶ電車は、土地の確保も大変だろうし、値段も高いだろうから、駅や路線の拡張は横方向ではなく縦方向にならざるを得ない。沿線に住む人たちにとっては、高いところを電車が走っていくのは余り歓迎できないことかもしれないが、乗っている側にとっては、車窓の視野が広がり、こうして富士山を眺めることができるようにもなるのである。今日の富士山は白い冠を戴きながら、やや霞んで見えた。空の方はもう春になってきたようだ。
2010.02.20
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☆ 2月6日(土曜日) 旧十二月二十三日 丁亥(ひのと い) 仏滅: 下弦「ブログ友達」の「釈迦楽先生」が、J.D.サリンジャーに関するブログを書いていらした。サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」という作品で(そしてこの作品のみで)有名だが、今年の1月27日に亡くなった。釈迦楽さんのブログはサリンジャーの追悼の意味もあった。ライ麦・・・は、青年たちの間で大人気になったが、その後自然に沈静化して行った。サリンジャーはこの小説の他に見るべき作品を遺していない。釈迦楽さんも多くの青年と同様、一時はこの作品に傾倒されたそうだが、その後は蔵書の一冊として書棚の一隅を占めるだけの存在であったらしい。この物語は繊細な感覚を持っている主人公ホールデンの語る二日間の物語だが、大方の読者青年は彼の姿に自らを自己投影してしまい、それが故に耽読し、傾倒することになりがちであったように思う。釈迦楽先生は、これを青春期の「文学的麻疹」だとおっしゃる。しかし、人間は誰しも変化していくものだし、特に青春の時代はその変化の速度が激しい。いずれこの麻疹は治癒してしまい、誰もがライ麦・・・を卒業していく。一方の作者の側からすると、こういう路線は永続し難い。だからサリンジャーはこれ一作で後が続かず、生涯一作のまま逝ったのだと。それで、ルーシー・ボストンを思い出した。彼女は、イギリスはケンブリッジの近く、ヘミングフォードグレイという田舎町に1982年に生まれ、60歳代になってから児童文学を書き始めた。「グリーン・ノウ物語」である。これはボストン夫人の住むヘミングフォードグレイのマナーハウスを舞台とし、「グリーン・ノウの子供たち」から「グリーン・ノウの石」までの全6巻で構成される。イギリスの小さな田舎町に住むおばあさんを訊ねてきたトーリーの冒険物語で、周囲の自然やそこに住んでいた人たちが、美しくも幻想的に語られる。分類すれば童話である。私は大人になってから読んだ。最初は評論社から出ている翻訳で読んだが、暫くして英語で読んでみた。そしたらこれが、ちゃんとした英語で書いてある。「ちゃんとした英語」とは、日本の童話に良くあるように「子供向けの言葉」ではなく、むしろ古風で典雅ともいえる英語で書かれてあるのだ。しかも、巻が進むたびにその英語が少しずつ変化している。英語も主人公と共に段々大人になっていくようなのだ。ボストン夫人は、マナーハウスの庭の手入れと共に、美しいキルトの作成者としても知られる。キルトは(私自身はやった事は無いが)一針一針の積み上げであると共に、常に出来上がりの全体の構図を頭に置いていることが必要なのだそうだ。つまり戦略が必要なのだと。ひょっとしたらボストン夫人は、グリーン・ノウ物語を綴るにおいても、キルトと同様戦略的に、徐々に言葉を変えていったのかもしれない。それで、彼女の「グリーン・ノウ物語は」麻疹ではなく、大人になってからも読み継がれる作品になったのかもしれないと思うのである。子供に対するに幼児語を使うのではなく、大人の言葉、それも現代語というより古雅なオーソドックスな言葉を用いる。この辺はやはりイギリス人の見識といえるのであろう。日本では、子供に幼児語を使うのはむしろ当たり前だし、老人に対してまで幼児語を使っている。これを深く考えるとすれば、結構深刻な問題が出てきそうにも思える。J.D.サリンジャーの訃報、釈迦楽さんのブログ、ルーシー・ボストン夫人、言葉遣い、・・・それでこんな連想になった。
2010.02.06
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☆ 2月5日(金曜日) 旧十二月二十二日 丙戌(ひのえ いぬ) 先負:【本の話】最近は、小説などは極力ブックオフで買うようにしている。ブックオフでの本の買い方は、普通の本屋でのそれとは違う。あそこは、小説類は作家名の五十音順で並べてある。だから、読みたい作家の名前を知っていないと本は探せない。それと、例えばネルソン・デミルのプラムアイランドを見つけたとする。但し、上下分冊の上だけで下は無かったとする。ブックオフでは売りに来た人が持ってきた本だけが並ぶから、プラムアイランドの下巻は、次に誰かが売りに来ないと書棚には並ばない。だから、いつ手に入るか分からない。そうなると、今この本を買って、読み始めるべきかどうか悩むことになってしまうのだ。こういう時、ネルソン・デミルのプラムアイランドの下巻が何処のブックオフにあるか探せると、そして有ったとすればそれを最寄のブックオフに回送できる。そういったサービスが付加されれば(既に行われているのかもしれないが)ありがたい。小説というものには当たり外れが多い。読んでみて「何だ詰まらない」と思った場合には、本の購入に充てたお金が非常に惜しくなってしまう。読書に充てた数時間も惜しくなる。しかし、そういう場合でもその値段が新刊本の数分の一、又はそれ以下であれば(最近は「105円本」のコーナーも、店によっては随分充実している。)、まぁ諦めもつく。逆に予想外に面白く読めた場合には、随分「お値打ち」なのだから、幸福感もひとしおなのだ。それやこれやで、若干の不満はあっても、私は最近ブックオフを利用するのである。つい先頃C.C.ベニスンの小説を、これまたブックオフで見つけて購入し読んでいた。C.C.ベニスンは前から知っている作家だ。イギリスの現王族に因むお城で起こる殺人事件を、エリザベス女王おん自らが解決なさる。そこにカナダから来ているメイドが絡む。けれんみが無い筋立てで、血湧き肉踊るアクションとか、ハードボイルドタッチなど何も無い。しかし、読んでいる内にバッキンガム宮殿や、ウィンザー城の内部に入りこむことができる。英国王族、特にエリザベス女王や、女王に仕える下僕やメイドなどにも交わることが出来る。翻訳で読んでいても、クィーンズイングリッシュの気取った響きが聞こえてくるような気分になる。就寝前に布団の中で読むと、心がまったりして、安らかに眠りに入る事が出来る。運が良いと、時々夢の中で女王陛下にお目にかかることすらできる。だからベニスンは、私の好きなミステリー作家の一人である。そうしたら、ページの間から「Hiroshi Morii: Replaceable Summer」と書いてある栞が出てきたの。これは森博嗣の「夏のレプリカ」の栞なのだ。夏のレプリカは私は未だ読んだことが無いが、森博嗣は名古屋大学の現職の工学系の先生で、彼の作品は「理科系のミステリー」として、かなり以前に有名になった。「すべてがFになる」とか、「封印再度」とか、一連のシリーズものは、当時私も出版されるや直ぐに買って読んだものだ。特に主人公の一人である天才少女、西之園萌絵嬢には、密かに恋心すら抱いた。この栞には講談社文庫と書いてあり、C.C.ベニスンの本とは関係ない。ベニスンの本の出版社は早川書房なのだ。つまり、この本の以前の持ち主が、自分の使っていた栞を挟んだままブックオフに売ったのだろう。なるほど、この人は森博嗣も読んで、C.C.ベニスンも読んでいるのだ。そう思うと、この本の見知らぬ前の持ち主に何とはなしに親しみを感じてしまう。こういうのも新刊本にはない、ブックオフならではの楽しみなのかもしれない。
2010.02.05
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☆ 2月2日(火曜日) 旧十二月十九日 癸未(みずのと ひつじ) 赤口: 越前永平寺涅槃会珍しくきっちりと予報通りに、この辺でも雪が降った。東京では何年かぶりの積雪だといっている。そういえばそうだったなぁ。東京では積雪と云っても1センチ程度のものだったので、もうとっくに融けてしまい、日陰の隅っこに残骸が残っている程度だ。首都圏周辺では、私の家辺りが2~3センチ。秩父の辺りは6センチの積雪だったそうだ。それにしても、この程度の雪で話題にするなんて、雪国の人には申し訳ないようなものだ。この頃は昔から立春寒波とか立春大雪といって、思わぬ寒さに襲われることが多い。冬の間、西高東低で安定していた気圧配置が、春に向けて少し変化してくるせいである。日本では明日は節分。明後日は立春ということで、そろそろ春への歩みが確かになってくる。キリスト教では今日はCandlemas (又はLichitmess)、聖燭節だ。方々の教会では蝋燭を灯して聖燭節を祝うのだという。もう一つ、今日はGroundhog Dayでもある。これは日本では余りお馴染みが無いが、いわば「春の訪れを占う日」とでも言ったらいいだろうか。Goundhogというのは地リスの仲間で、2月2日に冬眠から醒める(のだそうだ。でも、まさかね!)。そして穴から出てきて2種類の行動のどれかをとる(のだそうだ。やっぱり、まさかね!)。一つは、そのまま外に出て行く。もう一つは、外に出たら自分の影に驚いて又穴に戻ってしまう。もし、グラウンドホッグ君がそのまま穴から出て行けば、春はもうすぐそこまで来ている。逆に穴に戻っていってしまえば、春になるまでは未だ6週間ほど待たなければならない。と、そう占うのだそうだ。馬鹿になさるなかれ。アメリカ、ペンシルバニア州のパンクサートニーという町では、この占いが大真面目に行われており、占いの結果はニュースでも堂々と報道されるのだ。他の土地でも動物園などで、「春の訪れ占い」がされるところも多く、Groundhogを飼っていない動物園では、代わりにプレーリードッグやハリネズミが代理で占い師の役を務めるのだそうだ。2月の今日は、東洋だけでなく西洋でも春を待つ意味でのマイルストーンであることは同じらしい。クリスマスはほぼ冬至の時期と重なる。というより、キリスト教がヨーロッパに布教される際、冬至の日に合わせて、キリストの誕生日が移動されたのだ。このキリスト誕生祭(≒冬至祭)と春分の日のほぼ中間にあたるのが今日、つまり2月2日なのだ。Groundhog君が「春まで未だ6週間あるよ」といって巣穴に戻ってしまった場合、2月2日から春分の日まではやはり6週間ほどである。
2010.02.02
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☆ 2月1日(月曜日) 旧十二月十八日 壬午(みずのえ うま) 大安: 初午秀吉が夢に出てきてこう云った。「鳩山由紀夫殿は情報の収集が下手すぎる。あれでは、由紀夫殿の天下取りは半ばで潰えるぞよ。」と。豊臣秀吉はその評価が色々変化してきたことで知られる。江戸時代は、下層平民から天下人への大出世の主人公として、特に関西方面で庶民の英雄。明治時代から戦前にかけては、朝鮮半島から大陸へわが国を進出させようとしたとして、軍神。戦後は、一転して惣無事令、天下静謐など彼がやった(とされている)事績を採り上げて、平和の希求者。歴史上の人物に対する評価が、時代や施政者の変化によって変わるのは常のことだ。時代が変われば、或いは歴史の研究が進めば、英雄が梟雄に、偉人が凡庸な無能者に、奉仕者が弾圧者にと評価が変わってしまうことは良くあることだ。秀吉も例外では無い。今でも彼の事績や、その背後の意図には様々に異なる意見があるようだが、それでも秀吉が当時のライバルたちの中にあって、情報能力に格段に優れていたことだけは、様々な意見を持っている研究者のなかでも、一貫して共通の評価らしい。秀吉の情報能力が際立って発揮されたのは、有名な「中国大返し」である。本能寺の変の確定情報を秀吉が入手したのは、本能寺の変のわずか一日半の後のこと。城攻めを解いて敵と講和し、京に駆け登るための情報だから、複数の別ルートでの補強情報までも入手し、情報の確度を充分に確信した上での筈だ。(そうでないと信長に斬り殺される。)そして滞陣していた備中高松から京都までの235キロ余りを、1日半で取って返した。これは、昼夜ぶっとおしで移動したとしても、時速6.5キロものスピードに相当する。「ウォーキング」どころではない。むしろジョギングだ。しかも完全武装してのジョギングである。無論、馬や荷車、兵器、弾薬なども含めた大軍を率いての移動だから、いかに驚異的なスピードであったかと思う。それに行く先々でいつ敵になるか分からないような連中がいる。「大返し」の途中でも、情勢探知や兵站や宿所の手配などに、迅速な情報収集や指示が不可欠であったろう。この秀吉の(当時としては)常識外れのスピードによって、首尾よく信長を討ち果たしたものの、次の手を整備するために必須であった時間を奪われた光秀は、結局あえなく秀吉に破れ、天下は大きく秀吉の方に振れる事になった。光秀に必要であった時間は、当時の常識では、充分与えられて然るべきものであったにも拘わらず、である。更に云えば、光秀が本能寺で信長を討つ決意をするに至るまでにも、秀吉の策謀が大きくあったようである。四国における親信長陣営の構築に際して、秀吉の推す三好氏が採用され、信長の四国政策が大転換したこと。それによって、それまで長宗我部氏を推してきた光秀の立場が急速に悪化したことなどは、秀吉の打った布石である。又信長は既に、それまでの地付き大名の力を削ぎ、所謂「鉢植え大名」とすると共に、年功のある老重臣に替えて、近習や親族などの若手に、政権を支える重心を移す国家構想を明らかにしていた。つまり政権の若返りである。これも、織田家の筆頭重臣としての光秀の立場を脅かすものであった。秀吉はこの辺でどうも信長政権自体の持つ脆弱性を見抜いたようだ。彼はこの機に乗じて、長期政権の想定当事者であり、また自らの仕えるべき主君としての信長を見限ったフシもある。そうなると、最初の仮想敵は光秀になる。いずれにしても、秀吉は他の誰よりも情報の持つ意義や力を理解しており、ライバルより遥かに早く情報を入手し、或いは情報操作を出来る能力を持っていたのは確かなようだ。これは、秀吉がよく言われてきたように、「水呑み百姓の小せがれ」上がりではなく、方々を流浪して小商いをする行商人の出身である(という有力な説がある)からかもしれない。行商を通じて出来上がった人脈、そして当時の身分社会の枠から外れた場所に身を置くことで培われた、陋習や階層、伝統に囚われない、「外」からの現実的な視線が、秀吉の力の源泉になったかもしれない気がする。勢力内の若返りや組織構造の変革による、自らに対する危機感。仮想敵に対する情報戦と策動。こういったことは、戦国時代のことではなく、まるで今の自民党や官僚の世界の話をしているようだ。そうは思いませんか?理念や理想を掲げる人は、暗い部分や胡乱な意見に対しては、とかく耳や目を塞ぐ傾向がある。塞がないまでも、そういったことに拘わる情報は軽視する傾向がある。理念や理想を奉じる人たちは、本質的に性善説である。そうでしょう?このところ鳩山民主党政権はどうも段々分が悪い。小沢さんは、先頃までは暗に「検察の策謀」を匂わせること、そして検察の事情聴取に応じ、正々堂々と真実を説明するというポーズで、上手く乗り切れるかもしれないというところもあった。しかし、最近出てきた、「沖縄の土地を投機目当てで買った」という疑惑に関しては、これはどうもいけない。事実かどうかは知らないが、投機ということ自体が、その真の意図を検証できない性質のものだから、一般の印象は非常に悪い。政権自体も、財源の不足があからさまになってくるに連れ、マニフェストとのギャップが目立つようになってきた。様々な局面でマニフェストからの後退や、政策そのものの転換を余儀なくされるような事態になりつつある印象が強い。この辺は連日国会で俎板に乗せられ、かつての与党議員を中心に糞味噌に叩かれている。もう一つ、例の事業仕訳の一件では、有識者や財界などから相当の批判を喰らった。財政難の中、今まで無批判無反省に費やされてきた国費による事業を洗い直し、止めるべきものは止める、削るべきところは削るというのは当たり前のことだ。しかもそれを密室ではなく、国民に公開の場で行い、透明性を維持するというのは、今までの政権に無い画期的なことであるし、志は全く正しい。しかし、残念ながら結果として国民がこれに対してこぞって好印象を持ったとは云い難い。特に、あの青山学院卒の元女性タレント議員が、「世界で一番である必要はどこにあるのですか!?」と黄色い声で詰め寄った光景は、いまや漫才やコントにまで取上げられている。(勿論、件のスーパーコンピュータ開発プロジェクトは、元々どうやっても世界一などにはなれなかったことは、後ではっきりしたが。しかし、そういう事は余り目立つように報道されないし、国民大衆も無関心である。)また、科学関連の教育や研究・開発に係る事業予算が、やはり削減の対象になったことに関しては、ノーベル賞受賞者を始め、尊敬を集める識者からも猛反発や批判を喰らい、一般の心証を相当悪くしてしまった。「吝嗇家の集団苛め」が、まじめに事業に取り組んできた人たちを火焙りにした。極論すればそんな印象を残してしまったのではないか?これなど、減らす部分だけでなく、増額する部分もハイライトして、その点、その意義を高々と謳いあげる演出をして、国民の賛同と支援を頼むようにすれば、もう少しよい印象を残せたのではと思う。日本人は判官贔屓なのだ。若造議員やタレント議員に責められて、必死に応戦している姿を見せられれば、どうしても気持ちは応戦する側に傾いてしまう。さて、民主党の、しかも政権の中枢を担うような人たちは優秀な方々だと思う。マニフェストをまとめる際においては、当然しかるべく情報を(主に関係官庁から)集め、これを分析検討して、その上に理想や理念を反映させて、あのようなものが出来たはずである。それが、政権発足後わずか百日余りにして、その根拠である税収の低迷や埋蔵金の枯渇が深刻になってきたというのは何故だろう?彼らが馬鹿だったとは思い難い。これは、理想・理念に燃え、根本的には性善説である彼らが、官僚・旧与党の勢力によって、情報操作をされたとは言えないだろうか?民主党は野党の時代から脱官僚を公言してきている。だから官僚の側からすれば自らの基盤を危うくする仮想敵だとの認識は早くからあったはずだ。それが昨年の選挙で与党になることが確実になった段階で、官僚の対民主党戦略が練られ、それが発動されたのではないか?そして、選挙の結果が自民党の野党化を決したことによって、官僚勢力に自民党が加わった。自民党は野に下れば、数多くの権利や利権から外れなければならない。起死回生を果たすには今年の夏の参議院選がチャンスである。ここで議席数を増やすことに腐心しなければならない。そのためには、党首を若返らせ、集票力に限界がある長老議員にも引退願わなければならない。従って、国会の場では自民党が、行政の場では官僚機構がそれぞれの役割を担うことによって、民主党内閣の信用を失墜させ、先ず参議院選挙で勝利し、結果としてアンシャンレジームを復活させる。そういう構図があるのでは無いだろうか?民主党がマニフェストを準備する過程において、官僚側は今日斯くあることを想定して、マニフェストの根拠となる情報の提供に操作を行ったのではないか?とはいえ、流石に虚偽の情報を出すことはしなかったろう。そうではなく、いわば「情報提供の不作為」とでもいうことであったろう。つまり、嘘は言わない、然し聞かれなかったことは言わない。とか、データはありのまま提供する。しかし、データの意味するところ。プロの官僚としての見解。他のデータとの関係で示唆される可能性。そういったことは、自らはご注進に及ばない。不作為とはそういうことである。こういうことであったとすれば、マニフェストは早晩破綻する運命が予め用意されていたことになるのだ。自民党はそれを糾弾するタイミングだけを待っていれば良い。それと、民主党政権になれば、民主党内閣は行政府のトップであるから、官僚批判は自らできなくなる。それはとりもなおさず自らの指揮能力や掌握力の不足を露呈するものであり、自分で自分の足下を非難することになってしまうからである。余りに歪んだ考え方だと非難されるかもしれないけれど、繰返すが日本の官僚制度は世界に冠たる優秀なものである。特にキャリアと呼ばれる、その指導階層は同世代のコンマ数パーセント以下も居ないほどの頭脳優秀な人材である。自らの存在基盤が危うくなりそうな事態に直面すれば、それこそ我々などには想像もできない高等戦術を案出し実行できるはずだ。こうなると、官僚・自民党連合は秀吉であり、民主党は光秀という事にでもなろうか。明智光秀は、梟雄入り乱れる戦国の混乱を糺し、足利義昭将軍を奉じた旧秩序への復古を理想としていた。そして、彼の理念は忠義であった。つまり民主党の人たちとは異なる立場とはいえ、理念と理想、そして義を重んじるところがあった。逆に言えばそこが弱かった。光秀は信長を討つにあたって、義昭を信じ、近衛前久を信じ、上杉氏を頼み、毛利氏も頼もうとした。然し、結果として光秀は秀吉に対して情報能力という面で完敗したのである。そうなると、民主党政権も「三日天下」になってしまうのだろうか?秀吉は、今のような状況を見るに見かねて私の夢に出てきたのであろうか?もう一度彼が夢に出てきたら、「あなただったら、こういう時にはどうした?」と聞いてみたい気がするのだ。
2010.02.01
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