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☆ 5月21日(金曜日) 旧四月八日 辛未(かのと ひつじ) 大安: 小満、上弦 今日は二十四節気の「小満」。暦を見ると「陽気いよいよ高調して、万物ほぼ満ち足りる頃」とある。今日はこの辺りは、良く晴れて暑い。予報では30℃くらいまで気温が上がる真夏日になりそうだといっている。しかし、同時にこの頃は一年の内で最も雹害の多い時期でもある。雹は積乱雲で形成される。積乱雲は地表などが熱せられて激しい上昇気流が起こるところで生じる。積乱雲の中の水蒸気は氷結し、乱気流の中で激しい上下動を繰り返すうちに、氷の塊へと成長していく。それがやがて地上に落ちてくるのが雹である。真夏になると気温が高いため、氷の塊は落下する途中で融解し、大粒の雨となって降り注ぐ。しかし未だこの季節は、融解しきらないままの氷の粒が落下してくることが多いのである。雹は固体であるため、農作物に甚大な被害を与えるので、そんな気配があるときには警戒が必要だ。さて、昨日のブログにはおばあさん仮説を紹介した。我々の異母兄弟ともいえるネアンデルタール人が滅亡し、我々の祖先が急速に人口を増やし、世界中に広がるようになったのはおばあさんのお蔭だと。ここにもう一つ、現生人類がほかの種族を凌駕し、今の「繁栄」を築くきっかけになったのは、「声帯」にあるのだという説がある。つまり現生人類は、当時の異母兄弟と較べて、発声・発音能力に優れていたというのだ。我々が外界を「分かる」とか「認識する」というのは、あくまでも最初は個人的な体験である。こうした体験は個人に留まっている限り、その個人には役に立っても、集団や社会に伝播するには時間がかかる。しかし、われらが祖先はやはりDNAの悪戯で、それまでのヒトの仲間より格段に声帯や舌が発達していた。つまり音声を介して自らの習得した知識や経験を他の個体に伝達することが出来たのだ。最初は叫び声の調子で注意を促したり、簡単な信号をやり取りできる程度だったろうが、優れた声帯と舌のせいで、段々複雑な情報をやり取りできるようになっていった。それは、更に大脳の対応する部署を刺激し、言語能力は発声器官と大脳で並行的に進化していった。このことにより、集団での情報の迅速な共有化が可能になり、それは集団での狩りなどの際には大きな威力を発揮したであろう。更には結果として、大脳内でのネットワークが複雑化し、外界を、言葉を媒介としたイメージとして脳内に定着させ、それをも、やはり言葉を媒介として他の個体と共有できるようにもなったであろう。こうなると種族としての力は相乗的に増大する。脳の中の概念も徐々に高度に抽象化されたものになり、時間的にも広い視野と理解を可能にしていったはずだ。その最初の所産が、狩りにおいては毎年獲物となる獣の出没時期と経路を予測しての、集団での待ち伏せ攻撃であったろうし、やがては人類史のとって非常に重要な出来事になった農耕の発明であったろうと考えてもいい。農耕も元々は食べられる草の実を発見し、それを採集するところから始まった。やがて、食べ残した種子が発芽したのを見つけ、それが育つと又同じ実をつけることを発見した。それを太陽の動きや、雨風など季節や気候の変動と関連付け、元々生えていた場所に近い環境に適切な時期に種を蒔いて置けば、予想された季節に実がなることを覚えた。こういう一連の発見と、手段の習得は、経験と智恵の賜物である。それは、外界に対する認識と抽象化、普遍化の過程でもある。こういう過程に際しては、事象の理解の共有化、個別の経験の共有化が、共に強力な推進剤になる。その結果、集団で有為な作物を育てるという、農耕の発明と普及が実現できたのである。人類史において画期的な出来事は農耕の発明であった。狩猟や採集は他の動物でもやっていることだ。しかし、農耕は他の動物には見られない。何より農耕の発明によって、人類は定住を可能にし、それは再び出産や育児を促進し、人口増を可能にしたはずである。もう一つは、農耕によってそれ以前の「自然の流れの中で生きる」という形態から、自然の一部を改変し、資源や物質の循環に介入し、意識的に自らのために簒奪するという生活形態に変わったのである。狩猟も他の生命を簒奪するという点では同じだが、狩猟の場合、獲物の誕生や育成には関わらない。狩猟が「農耕化」した養牧や、家畜の育種、肥育はこの点で他の動物の狩りとは異なり、そしてそれは人類だけに見られる専売特許である。これらは現生人類の秀でた言語能力によるものだというのだ。ネアンデルタール人は、発声・発音能力において現生人類より劣っていたため、情報の交流や共同作業の高度化が図れず、絶滅していったのだと。ところが声帯は軟骨組織であるし、舌は軟組織であるから、化石としては残らない。だからネアンデルタール人とわれらが祖先の発声・発音能力を化石から検証することは出来ないのだ。しかしどちらの機能ともに、応分の筋肉に影響を及ぼすはずだ。筋肉は硬い骨に付着しているものだから、当然化石として残る骨にも何がしかの痕跡を見出すことは出来るだろう。この辺、司法人類学の泰斗ギデオン・オリバー先生にも、伺ってみたいものだ。
2010.05.21
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☆ 5月20日(木曜日) 旧四月七日 庚午(かのえ うま) 仏滅: 最近面白い話に出会った。人類がこれだけ地球上に繁栄するきっかけになったのは、おばあさんのお蔭だというのだ。これは「おばあさん仮説」といって、人類学者の長谷川眞理子という先生がおっしゃっている。人類の源流は今から700万年前にまで遡れる。これは人や霊長類の祖先が他の生き物から分離して独自の進化を始めた時期だ。我々、現生人類に直結する祖先は今からおよそ十数万年前に出現したそうだ。所謂ホモ・サピエンス・サピエンスである。その頃、人類としてはもう一つの種族がいた。所謂ネアンデルタール人である。我々の祖先とネアンデルタール人は、ほぼ同時期に共存していたらしい。共存といっても、交流とか交配があったわけではない。相互に偶然遭遇したりすることはあったはずだが、その場合にも何となくお互い敬遠しあう感じで納まっていたようだ。今の時代なら、直ぐ殺し合いになったりするのだろうが、交流も無い代わりに戦争も無かったようだ。ところが、ネアンデルタール人は徐々に衰退し、今から数万年前に最後の一人が死亡し、絶滅した。一方のわれらが祖先は、絶滅するどころかどんどん増え続け、発祥の地であるアフリカからヨーロッパやアジア地区に広がり、やがてアメリカ大陸やオーストラリアなど全世界に住み着いて増え続けた。数万年前のわれらの祖先たちの人口は、数千人とも数万人とも言われる。それが今では地球上に約70億人にまで増えてしまった。その理由が、おばあさんだというのである。高等動物でおばあさんがいるのは、我々現生人類だけだそうだ。この場合おばあさんというのは、閉経期を過ぎた女性のことである。平たく言えば子供を産まなくなった女性だ。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」にも似たようなことが書かれているが、生き物の使命は遺伝子をシャッフルして後世に引き継ぐことにある。そこには理念だの情愛などといった、高邁でウェットなものなど無い。従って、雄であれ雌であれ、生殖能力がある間しか生存価値は無い。少なくとも遺伝子の側から言えばそうである。だからそういう環境には(おじいさんは無論だが)おばあさんなんかは不要なのである。実際、類人猿にも、他の哺乳類にもおばあさんの存在は認められないのだそうだ。自然とはドライなものである。「母なる自然」といっても、それは文字通り母止まりで、祖母などはないのだ。ライオンなどは、一族で暮らしているのが観察されているが、一族の中の雌は伯母・叔母や姉妹の関係にあるものばかりで祖母はいない(とっくに亡くなっているか群れを放逐されている)のだ。女性(雌)にとっては、出産と育児とは重大な使命であり、大変な重労働である。何しろ受け継いだDNAを次の世代に子供という形で残さなければならない。だから、妊娠期間はもとより、授乳・育児期間は発情しない。再びライオンの話になるが、ライオンの雄はこれまた、自分のDNAを遺さねばならない使命があるから、既存の群れに忍び寄って雌を略奪しようとする。群れを統べる雄は自らのDNAを宿した雌や子供たちを守らなければ無いという、これまた天与の使命があるから、往々にして雄同士のすさまじい戦いが起こる。その結果群れ雄が勝てば群れは元の鞘に納まるが、若し外来の雄が勝った場合には勝者の雄ライオンは群れの子供を悉く殺してしまう。これは残虐などという意識によるものではない。ひたすら自らのDNAの指令に基づくものなのだ。雄は他の雄の遺伝子なんかではなく、自らのDNAを残す使命があるのであり、子供を殺された雌は、再び発情し受胎できるようになるからだ。現生人類は、今から十数万年前に何らかの形で、発情、生殖、育児に関わるDNAに変異が起こったようである。その結果、おばあさんが誕生した。つまり閉経後の女性も同じ群れの中で生存するようになり、娘の子供たちの育児を担当するようになった。こうなると、女性は出産後の育児という重労働から解放されるようになり、出産から再び受胎可能になるまでの期間が短くなった。実際現生人類の女性には限定された発情期などは見られない。これにより、現生人類の人口が急増することになったのだ。と、いうのが長谷川先生の「おばあさん仮説」である。ネアンデルタール人は、相変わらず旧態依然のままに留まったため、静かに衰退の途を辿り、やがてひっそりと絶滅したのだそうだ。・・・なるほどねぇ。そうだとすると、現代のように核家族化してしまった世界ではどうなんだろう。確かに一昔前までは、子供が生まれると、同居するか直ぐ近所に住んでいるのが当たり前だったおばあさんは(時におじいさんも)嬉々として孫の世話にあたるのが普通だった。しかし、現代は祖父母の家は、連休や盆正月に一時帰省する場所でしかなく、孫の育児などにはほとんど関わらない。おじいさんやおばあさんも、二人だけで温泉などに出かけて、老後を我が世の春と楽しみ、孫の育児など殆ど眼中に無いだろう。おばあさん仮説が正しいとすると、この頃の少子化傾向は必然的な帰結である。若しこれを解決しようとするなら、政府の力で二世代同居を推進する必要があるだろう。そうでなければ、人口は漸減の傾向を辿り、やがて少子高齢の平衡状態に落ち着かざるを得ないだろう。このへん、我々の利己的遺伝子たちは、どう考えているのだろうか?切歯扼腕しているのか、或いは「まぁ、今まで少しやり過ぎてしまったし、この辺でしょうがないな。」と諦めているのだろうか。
2010.05.20
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☆ 5月19日(水曜日) 旧四月六日 己巳(つちのと み) 先負: お蔭様で風邪もほぼ治ったようだ。喉の奥に居座っていた「赤ポチ」はどこかへ退散し、咳にも「粘り」が出てきて、その後それもほぼ収まった。しかし、未だ咳は時々ぶり返す。痰に粘りが出てくると、咳をするには余計に力が要る。前にも書いたように、咳が長く続くとマイコプラズマ肺炎の疑いがあるそうだから、それは勘弁して欲しい。とはいえ、特段の処方も無いのだから、まぁ自愛を続けるほかは無いのだろう。ところで、このところ再び事業仕分けが話題になっている。例の白服の淑女辺りは又大活躍だ。対象となっている公益法人からの出席者は、皆真面目そうな人ばかりで、それが色々問い詰められるのは見ていてお気の毒な気持ちがするけれど、答えを聞いていると随所にお粗末さがポロポロ出てくる。そんなものがあることも知らなかったが、塩を管理している法人があって、万が一に備えて塩の備蓄をしているのだそうだ。その量10万トン。この備蓄量が問題になっていた。塩は人間にとっては絶対必須のもので、これが無いと体内のバランスが崩れて、ひどい時は死に到る。だからこの法人は、非常時に備えて塩を備蓄しており、いざとなった時はその備蓄から塩を緊急に放出したりするのだそうだ。・・・なるほど。まことに公益のための深慮。不慮の事態にも民のことを考えて対処していくにはこういう組織も必要なのか。・・・とそこまでは良かった。件の白服の淑女が「それでは、今まで実際に備蓄から塩を拠出したことはあったのですか?」法人側、「先の阪神淡路大震災の時には、緊急拠出し喜ばれました。」淑女、「その時にはどれほどの量を放出したのですか?」法人側、(脇の事務方らしき人と書類を見た後)「14万トンです。」・・・えっ?備蓄量は10万トンじゃなかったの?それに塩が14万トンなんて、あの震災が如何に大変だったとしても、そんな大量の塩が必要だったのだろうか?塩なんてそのまま舐めたりはしないし、料理に使う量だって高が知れている。被害地域の人たちが14万トンもの塩を舐めたら、確実に病気になるか死んでしまうだろうに。そう思っていたら、案の定離れているところに座っていた別の事務方が何やら耳打ちするような様子があって、法人側、「申し訳ありません。14トンの間違いでした。」おいおい、何だよ。14万トンと14トンでは大変な違いじゃないか!なんともお粗末な話だが、他の大多数の公益法人もこういう辺り、大同小異なのではなかろうか。つまり、ミッションには高邁な精神が宿り、本来公益に資するものであって、仕事としてやりがいもあるのだろうが、運営に関する逼迫感に欠ける。コストといっても自分たちのお金ではなく、国からの支給だから余り気にせずとも良い。彼らには定性的な面だけが意識にあって、定量的・計数的な面でのモチベーションは弱いということなのだろう。要するに、法人側の善意悪意というより、ただ呑気なのだ。それが事業仕分けの対象となっていきなり計数面を問われる事態になり、慌てふためいているということなのだろう。世界で最大の債務国になり、税収は落ち込み、少子化の傾向は留まることがない中で、無駄な出費を切り詰めるのは喫緊の課題であることは言うまでもない。だから事業仕分けが必要な作業であるのは充分理解できるのだが、その適用範囲が余りに広く、対象の選択基準に一定のポリシーが見えないため、私は概して余り好感が持てない。このことは前にも書いた。塩や運転免許に関する公益法人と、基礎科学を追及する法人とが同列に扱われてしまっていることにはどうにも納得できない。日本は狭い国土に多くの人口を抱え込んでいる。この国は従って、これから何十年か先の世界の状況を先取りしているともいえる。だからこそ、この国の存在意義は、他の国に先んじて将来の地球社会に指針を示すところにある。そしてそれを牽引していけるのは、基礎科学(人文科学、自然科学を問わない)だと思う。ところがそれを担うべき法人に対しても、白服の令嬢辺りが見識もなく(と思える)切り込んでいくのは、いかにも僭越でかつ不遜であると思う。20世紀は遍く右肩上がりの「成長」を享受することが出来た時代であった。しかし21世紀は地球という有限な世界を前提に考えなければならない時代である。CO2の問題も根本はこういう視点によるものであるはずだが、それが排出量の売り買いという経済の話と連動してしまっているきらいがある。そういう中で、政権与党も野党も、この国の将来ということになると、どうしても「経済成長を如何に復活・継続させるか」という議論になってしまうようだ。特に自民党はこの点を盾にとって民主党政権を攻め立てる。対する民主党も、観光の振興などを言い立てるが、やはり「経済成長」を是としている点では同じである。「経済成長」というのは、端的にいって「自分以外の国に損をさせる」か、或いは、「地球内部の資源を他の国に先んじて専有する」というのに他ならない。物理の分野には「保存則」というルールがある。これはある系を考えれば、その系が閉じている限り、その中でのエネルギーの総量は一定であるということだ。経済の場合、エネルギーを「富」と考えれば同じ法則が成り立つ。この点は太陽エネルギーにしても同じである。太陽エネルギーは地球の埋蔵資源を使わないから、クリーンでエコなエネルギーだというのは、間違っている。太陽エネルギーを使うというのは、地球上に降り注ぐ太陽のエネルギーの一部を集約する、或いは本来地球には届かず、宇宙空間に拡散して行く太陽エネルギーを集約し、それを地球上に持ち込んで使うということだ。前者の場合には、それによってこれまで太陽エネルギーを享受してきた場所や環境が影響を受ける。後者の場合は、今まで自然に地球に降り注いでいたエネルギーに、新たなエネルギーが加算されることになる。いずれの場合も地球の環境には歪や擾乱をもたらすことになる。つまりは、今や将来に向けてのあらゆる事柄は、地球という観点から考えなければならない、或いはそう考え直すには絶好の(恐らくは未だやり直しが効く最後の)チャンスだというべきである。そうやって、今の事業仕分けの実情を見てみると・・・・何をかいわんや!という気分になってしまうのである。
2010.05.19
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☆ 5月12日(水曜日) 旧三月二十九日 戊戌(つちのえ いぬ) 先勝: 風邪を引いてしまった。この日曜日に「背骨の奥の方」がムズムズするような厭な感じがしていたのだけれど、夜になって咳が出るようになった。喉の奥に小さな赤い発疹が出来ていて、それが気になると咳が出る。無論実際には目に見えるわけではないが、喉の奥、嚥下する通り道の下側にポチッと小さい赤い腫れがあるように思えるのだ。その小さい腫れが引っかかっているような感覚で、私の体は咳によってそれを取り除こうとしているようだ。それにしても、咳をするのはかなりエネルギーを消費するようで、あまり立て続けに咳が出ると頭がぼんやりしてくる。鼻水も出ている。熱は特に無い。他の症状も無い。以前同じような状況だった(この時は「背骨のムズムズ」だけで、咳は出ていなかったような気がする)時に、葛根湯液を服んだら一発で治ったことを思い出し、薬局で買ってきて服用したが、今度は効かない。喉の奥の赤いポチッは消え去ってはくれないのだ。そこで、気が付いたのだけれど、私の周りには最近風邪っ引きが妙に目に付く。偶々街で行き会った知人は「風邪気味でボォーッとしている」と仰っていたし、友人の知人も風邪気味だそうだ。その友人自身も今日になって「喉が痛い」と言い出している。幸いどなたも症状は軽いようで、皆さん「風邪の引き始め」のような印象だ。先日「新型インフルエンザによる死者は普通の感冒と較べて極端に少なかった」という報道があったが、ひょっとしたら、このところの寒暖のめまぐるしい繰り返しで、潜在的「風邪っ引き」が急増しているんじゃないだろうか。そう思ったけれど、少なくとも私の周辺では私自身も含め、新型インフルエンザの特徴である高熱を発している人はいないので、普通の感冒か季節型インフルエンザなのかもしれない。風邪というのは元々中国医学からの名称で、風の中の「邪気」によって起こるという意味だそうだ。医学の世界では上気道炎とも言うらしい。いずれにしても感染症の一種である。風邪の症状としては、咳、喉の痛み、鼻水・汁が出る、鼻が詰まるなどの局部症状と共に、悪化すると発熱や倦怠感、頭痛など全身症状も出てくる。ひどい時は下痢や嘔吐に到ることもある。要するに風邪とは、ウィルスに感染して(但し、風邪の20%程度はウィルスではなく、マイコプラズマという細菌感染によるのだそうだ)、体がそれと戦うために起こる症状だ。だから、特効薬というものは無く、ひたすら養生すれば自然に治る病気である。勿論諸症状が辛くなれば対症療法としてそれぞれの症状に対応した薬を服用することになる。基本的に「風邪を治す」というのは、風邪の症状が出ている期間をなるべく短縮するということであり、そういう意味では「特効薬」というのは存在しない。私たちが自分で出来ることは、○ 発熱などによる脱水症状を防ぐため、こまめに水分を補給する。○ ストレスが大きいと免疫系の働きに悪い影響を与えるため、なるべくストレスを大きくしないようにする(と、いっても実際には難しいが)。まぁ風邪気味の時にはゆったりと音楽でも聴くか、読書も緊張を強いるサスペンス物を避けて、ほのぼのするような本を選ぶと言うことだろうか。ハーブティーを飲むなんてのも、水分補給の目的にも叶い、良いかもしれない。○ 当たり前だけど、喫煙は控える。○ 意外だが、最近の医学ではお風呂に入るのも良い効果があるそうだ(少なくとも、風邪を引いている時の入浴は良くない、ということは無いそうだ)。ゆったりと入浴するのはストレス解消にもなる。但し熱すぎるお湯に入ったり、長時間の入浴は却って体力が消耗してしまう。また、入浴の前後に余り温度差があるのも良くない。それはそうだろう。○ 解熱剤はなるべく使わない。風邪を引いたときの発熱は、体の中で病原体に対する免疫反応が起こっていることによるものだから、解熱剤で強制的にこの反応を抑えると、免疫の力による治癒が長引いてしまうことにもなるのだ。○ 酒飲みは風邪薬を服まない。風邪薬に含まれている成分(特に解熱成分)は、代謝産物として肝毒性を持つものを生じさせるそうだ。酒飲みはアルコールを代謝するために、薬剤を分解するための反応系が普段から高活性化しているので、この肝毒性代謝産物を多く生じやすい。だから、酒飲みの風邪っ引きは、市販の風邪薬は服まないほうがよい。又、風邪薬を服んだら原則禁酒するべきだそうだ。○ 抗生物質は効かない。 抗生物質は細菌に対しては有効だが、ウイルスには無効である。但し風邪を引いて1週間以上たっても咳が続く場合には、ウイルス性ではなくてマイコプラズマ肺炎の心配があるそうだ。この場合には、マイコプラズマは細菌なので抗生物質が有効ということになる。上に書いたことは、あくまでも「私たちが出来ること」で、昔からある民間療法と現代医学による所見を折衷したものに過ぎない。医学も一般論としては蓋然性を云えるだけで、個別には色々な変化が有り得る。こういう民間療法に依存し過ぎるのが危険なことは云うまでも無い。しかし、風邪気味だといってすぐに医者に行くのは、新型インフルエンザの兆候が無い限り、私としては余り感心しない。風邪の疑いで掛かるのは内科であり、内科は診療科の中でも一番「繁盛する」ところである。他の大勢の「病気持ち」の皆さんに混じって長時間待たされるのは(そして診療時間は大抵の場合5分以内だ)、却って消耗し、余計な病気まで貰ってしまうかもしれない。それより、上の「民間療法」を適宜遵守するほうが、少なくとも初期症状にあるうちは効果的なように思える。とにかく、今週中は気温の低い日が続くそうで、「九十九夜の泣き霜」の心配がある地方もあるとか。皆さんも思わざる風邪をお召しにならないよう、衷心からお祈り申し上げる。私は、・・・咳止めの薬でも(出来れば漢方薬を)買いに行ってこようか。
2010.05.12
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☆ 5月11日(火曜日) 旧三月二十八日 辛酉(かのと とり) 赤口: 長良川鵜飼開き今日は先日までの「夏日」とか「真夏日」とは打って変わって、この辺ではどんよりとした空からしょぼしょぼ雨が落ちてきて薄ら寒い。予報では大陸から寒気が運ばれてきているらしい。郷里の岐阜では、この日から鵜飼が長良川で行われる。鵜飼の歴史は千数百年前にまで遡ることができるそうで、爾来時々の天皇や戦国武将などにも愛好され、獲れた鮎は彼らに献上されていたそうだ。明治以後も鵜飼の鮎は宮内庁に献上されており、鵜匠は今でも宮内庁の職員だという。国家公務員というわけだ。鵜の捕らえる鮎は鵜の首の途中で絞められてショック死するので、針などによる傷が付いておらず、突然死の故に味も損なわれないのだそうだ。確かにこれから獲れる新鮮な鮎を塩焼きにし、蓼酢に浸していただくのは美味しい。香魚という名に恥じない微かな香りと、内臓にある苦味は、新緑を前に一献傾けながら戴くのにはまことに相応しい。それにしても、今日のような天候では、折角の鵜飼開きも寒いことだろう。残念なことである。鵜の喉越しの鮎は高くて中々戴けないが、そろそろ普通の鮎でも良いから食べてみたいものだ。何年か前の5月に、友人と横浜の倉庫街から山下埠頭に向けて歩いていた時のこと。「あっ、クローバーだ。」と声を上げて通りかかった草むらの緑に向かって走っていらした。この人は「四葉のクローバーを探すのだ!」と緑の中でご執心であった。その内今度は「あっ、シロツメグサが咲いている。」とおっしゃった。見ればクローバーの花がそこ此処に咲いているのである。どうもこの人にとっては、クローバーとシロツメグサは別物として記憶されていたようだ。クローバーとシロツメグサは同じ草の英語名と和名である。これは、明治の頃飼料として輸入されたものが野生化したものだという説がある一方で、幕末にオランダから幕府に献上されたガラス器などワレ物を運ぶ箱の中に、緩衝・充填材として、この草を乾燥したものが詰められ、その中に混じっていた種が自然に蒔かれて広がったという説もある。恐らくはその両者ともが正しいのだろうという気がする。クローバーの和名には「ウマゴヤシ」(馬肥やし)というのもあるし(但し「ウマゴヤシ」には、マメ科のウマゴヤシ属に属する別の植物もある)、シロツメグサを漢字で書くと「白詰草」で、緩衝・充填材として用いられていたことが知れる。クローバーの葉は、3小葉からなる複葉だが、時に4小葉やそれ以上のものもあって、特に4小葉のものは「四つ葉のクローバー」として珍重される。但し、四葉以上のクローバーも有って、今までには56小葉のものまで見つかっており、途中で葉の枚数でギネスブックに載せることが断念されたのだそうだ。四葉のクローバーは幸運をもたらすと言われているが、五つ葉のクローバーは特に金銭面での幸運をもたらすと云われ、逆に二つ葉のクローバーを見つけると不幸が訪れるとも言われているそうである。花言葉は意外や意外、「復讐」。他にも、「約束」とか「私を想ってください」というのがあって、むしろそちらの方が有名だ。恐らく「約束を破ったら承知しないぞ!」とか、「私以外の人を想ったら怨んでやる!」ということに繋がって「復讐」という花言葉になるのだろう。事ほど左様に、愛や善意と怨念や復讐とは表裏の関係なのだ。それにしても、草の部分はクローバーで、花の部分がシロツメグサというのはユニークだ。私はその人の「誤解」を正さないままにしてある。その方がこの先面白い。
2010.05.11
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☆ 5月10日(月曜日) 旧三月二十七日 庚申(かのえ さる) 大安: 愛鳥週間始まる今日の暦の「六輝」で「たいあん」と入力して変換したら、「対案」と出てきた。・・・そうだよねぇ。自民党も「五月末に普天間基地問題が決着しなければ、総理はクビだ!」とか、相変わらず能のないことばかり言ってないで、ちゃんとした対案を掲げて、正面からこの問題に取り組むべきだよね、そろそろ。よしんば由紀夫さんが辞めたからといって、アンタたちが適格者だということにはならないんだよ。昨日、ホトトギスなどの鳴き声を人間の言葉に聞き為すという話を書いていて思い出したことがある。随分以前のことになるが、アメリカのボストン郊外、レキシントンという町にしばらく滞在していた頃のことだ。訪問先の会社で、仕事をしていたら、会社の人間が、「君に電話だ」と取り次いでくれた。「誰から?」と訊ねると、「誰だか知らないが外国の人だ。」という。出てみると、イギリスの知人からの電話だった。彼はイギリスのロンドン北方の町に住む白人で、昔からその地に住んでいる。電話を私に取り次いでくれた人間も、ご当地に住み、MITにアルバイトで通っていた(会社の方がアルバイトだったかもしれない)生粋のボストンっ子であった。私が聞けば、どちらも「英語」であった。勿論それぞれ独特の「訛り」があることは私にも分かったが、その訛りを聞いて、電話の相手が米国内の人間ではなく、国外の「外人」だとは私には分からない。第一、「生粋のボストンっ子」の話すボストン訛りは、英語の会話に慣れていない私のような人間には恐るべき難解さ(ボストン訛りはBostonian Englishといって、フランス語のようなリエゾンが頻繁に使われるし、何より早口で有名なのだ)で、初めのころ他の人間に「彼はどこかとんでもない田舎から来たのか?」と訊ねて笑われたくらいだ。その彼が、電話してきた「正統的な英語を話す」相手を「外国人」だと取り次いだのがおかしかったのだ。イギリスの英語とアメリカの英語には、色々な違いがあり、言葉の使い方やアクセントの置き方、そして発声法にもそれぞれに相違があるようだが、専門家でない私には詳しくは分からない。何となく、アメリカ英語はイギリス英語に較べて平板で抑揚のない発音で話される。又、イギリス英語には婉曲な言い回しが多く、逆にアメリカ人は直裁な(彼らはそれをStraightforwardという)言い方を好む。それがイギリス人からすれば、「あからさまでガサツな英語」と思われ、逆にアメリカ人は「勿体つけてイヤミだ」と思われるらしい。アメリカ人がこのStraightforwardnessを好むことは、地域に拠らないものの用で、実際私はアメリカの別の場所で、帰りに車に同乗させてもらおうと、「Could you・・・」といったら「Could you だって!!」と眉を上げて驚かれた経験がある。アメリカ人は相手と訴訟をするつもりでも無い限り、こういうときには「Give me a ride」と普通に(真っ直ぐに)言うのだそうだ。相手が目上とか年上の場合でも、最後に「Sir」とか「Ma’am」とつけるくらいなのだと。私を含め殆どの日本人にとって英語はあくまでも「外国語」である。つまりは、生後随分たってから「頭で習得した言葉」である。だから、どんなに会話に習熟しても、アメリカ人やイギリス人など「ネイティヴ」のようには、英語は聞けないであろう。想像を逞しくすると、アメリカ人にとってイギリスの英語は、少し時代が古い京言葉のように聞こえているのではなかろうか?それに対してイギリス人はアメリカ人の英語を、東京人が関西の河内弁(それも現代の)を聞くように聞いているのかもしれない。しかし、この辺は我々「外国人」にとっては、決して体感できないところだから、少し悔しい気がする。そうするとかのMITのボストンっ子は、受話器を上げたら、向こうからのんびりした京言葉が聞こえてきたので、「外国人だ」と思って私にそういったことになる。そう思うと何だかほのぼのとおかしい。「Broadwayは広小路だよ」と私は以前何人かに云って歩いたことがある。我々からすればブロードウェイといえば何となくカッコイイと思っているが、現地の人にとっては、我々が上野や名古屋の「広小路」という同じ感覚で捉えているんだよ。そういうつもりで云っていたのだ。これは私にとっては「目から鱗」の感覚であった。同じデンで、西部劇で名高い「Rio Grande」は「大川」だし、「Holly Wood」はさしずめ「神田」だ。結構な発見をしたようで面白くて、他にも色々言い換えては披露していたが、周りはきょとんとするばかりで、余りウケなかった。ホトトギスの鳴き声を「天辺懸けたか」と聞くか、「特許許可局」と聞くかと書いたことからの、他愛も無い連想である。それに今日は愛鳥週間の始まりでもある。
2010.05.10
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☆ 5月9日(日曜日) 旧三月二十六日 己未(つちのと ひつじ) 仏滅: 母の日5月5日の拙ブログに引用した「夏は来ぬ」という唱歌には、冒頭に時鳥が出てくる。ホトトギスは、今頃の季節に中国南部やインド地方からやってくる渡り鳥だ。この鳥は、随分昔から日本人には親しまれていたようで、清少納言も、ホトトギスのその年の一番鳴きを聞くために夜明かしをしたそうだ。当時の風流人にとって、ホトトギスの初鳴きは初鰹と同じように貴重だったらしい。ホトトギスは日本人との付き合いが長いせいか、充てられる漢字も多く、時鳥の他に「杜鵑」、「子規」、「不如帰」、「杜宇」、「蜀魂」、「田鵑」などがある、どれもルビ無しで読むのは大変だ。この鳥は托卵といって、他の鳥の巣に卵を産みつけ、それとは知らぬ養い親に子供を育ててもらう習性があるそうで、無理やり育児を押し付けられる鳥はウグイスだそうだ。また時鳥は食虫鳥でもある。だから、ウグイスが卵を産みつけ、毛虫が這い回る頃にならないと日本にはやって来ないわけで、他の夏の渡り鳥よりは、渡ってくる時期が遅い。時鳥の鳴き声は、「テッペンカケタカ」(天辺懸けたか)と聞き為すのが有名だが、これは関西弁での話だと、金田一春彦先生の「ことばの歳時記」に書いてあった。「考えてみると、あれを『天辺懸けたか』と聞きなした人は、京都の人で、京都のアクセントなら『天辺懸けたか』ということばを言っているようにきこえても、無理のない話しだ。愛知県三河の鳳来寺山はホトトギスの名所であるが、あそこではホトトギスの声を「特許許可局」と聞きなしている。」そこで、実際に鳴き声を聞けないものかと、探してみたら見つかった。私のブログの僅少な「購読者」に中に、ここでも何度か引用させていただいた釈迦楽先生という方がいらっしゃるが、東京育ちで現在名古屋にお住まいの先生の耳にも「許可局」と聞こえていらっしゃるそうだ。果たして皆さんにはどう聞こえるであるだろうか?釈迦句先生は更に、「あと鳥の鳴き声で面白いと思うのはコジュケイでしたっけ、『チョットコイ、チョットコイ』、あと三光鳥の『ツキ・ヒー・ホーシー』です。」と教えてくださった。折角ネット上で鳥の鳴き声を聞く場所を見つけたので、同様に此処に掲げてみることにする。まず、コジュケイである。コジュケイは漢字で「小綬鶏」と書く。キジの仲間のこの鳥は渡り鳥ではなく、雑木林や里山に一年中いる留鳥である。昔台湾辺りから日本にやってきた鳥だそうで、寒いところが苦手らしく、東北地方の南部が生息地の北限で、雪深い日本海側には居ないそうだ。さて、その鳴き声だが、「ちょっと来い、ちょっと来い」と聞こえるだろうか?次にサンコウチョウ(三光鳥)である。この鳥はスズメ目カササギヒタキ科に分類され、日本には夏鳥としてやって来る渡り鳥だ。里山から低山にある暗い林の中に住んでいる鳥だそうで、その鳴き声が「月・日・星」と聞こえるから「三光」という名が付いたのだそうだ。その鳴き声だが、私には「ツキヒー・ホシホシホシ」といやにお星様に思い入れがあるように聞こえる。この鳥は渡り鳥ながら静岡県の県の鳥にもなっている。サッカーチームのジュビロ磐田のエンブレムにも、この鳥が月・日・星と共に描かれている。何処の局か覚えていないが、タモリの出てくる番組で「空耳アワー」というのがある。英語の歌の歌詞を日本語の句に聴きなすという趣向で、中々面白い。こうして、鳥の鳴き声を聞いてみると、今では街中では中々聞くことが出来ないけれど、どれもかつて何処かで聞いた覚えがある。覚えがあるということは、それ程昔のことではないということだから、まだそれなりの場所へ行って注意していれば聴くことが出来るのだろう。そういう鳴き声を私のように先入観の無い若者や子供たちが聞いたら、天辺懸けたかとか特許許可局、あるいは月日星などとは恐らくは聞き為さないだろう。どのような「空耳」になるか、ちょっと興味がある。
2010.05.09
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☆ 5月8日(土曜日) 旧三月二十五日 戊午(つちのえ うま) 先負: 世界赤十字デー昨日アップした私の「生徒会民主主義」というブログに、ponjoiさんという方からコメントを戴いた。ponjoiさんのコメントそのものは、私のブログをごらんいただきたい。この場を借りて、ponjoiさんにお返事をさせていただく。==============ponjoiさん;コメントありがとうございました。お住まいは飯能ですか。私の住む所沢とはご近所同士ですね。改めてよろしくお願いします。私は狭山湖には時々散歩に行くのですが、湖越しに軍用機の盛んな低空飛行が見えることがあります。あれはやはり横田基地なんでしょうか?遠目には大型の軍用機がタッチダウンの訓練をしているように見えます。戦闘機は飛んでいたとしてもおそらく、小さすぎて多摩湖のこちら側の岸からは見えません。又、先日用があって、中央林間まで行ってきましたが、折りしも上空を戦闘機(F-14か何かだったようです)が頻繁に低空旋回して行き、その騒音には相当参りました。当日はお天気も良く、訪れたマンションの窓を開け放していたのですが、騒音の中ではまともに話も出来ず、窓を閉め切りました。しかし、それでもいささか低減されたとはいえ、騒音はひどいものでした。あの辺は近くに座間キャンプがありますね。しかし座間キャンプには戦闘機は配備されていませんから、あの戦闘機たちも、やはり横田基地を中心としての活動をしていたのかもしれませんね。考えてみれば、日本は沖縄のみならず全土が何らかの形で基地に関わっています。その中で普天間基地問題が、報道の都度、騒音と、事故、自然破壊という点だけを主題に取り上げられているのは、やはりおかしい。騒音や事故への恐怖などの事情は、他の土地の基地周辺も同じですね。沖縄がハイライトされるのは、やはり歴史的な背景も大いにあるような気がします。元々沖縄は、14世紀以来独立した王国であったにもかかわらず、同時に薩摩藩と台湾の属国のような地位に置かれ、幕末の頃までは薩摩藩は琉球王国を、相当苛烈な搾取の対象にしていたと聞きます。明治になってからも、大同小異だったようで日本「本土」から見れば、どうしても「二流」の領土としての扱いだったようですね。そして、先の大戦の時には、本土防衛の尖兵・要衝とされ、社会的にも人的にも甚大な犠牲と被害を強いられたことは良く知られています。16世紀以降、まともな扱いを受けないままに、苛烈な不公平に甘んじさせられてきた。それが、いざとなった時には最前面の盾として利用され、そして日本の敗戦後は長きにわたって今度はアメリカの支配下に置かれた。返還後も基地はそのまま存続され、やっぱり日本本土を守るための盾としての歴史が続いたのです。これらの全ては琉球王国・沖縄の人たちの「民意」に拠るものでは決してなかったことでしょう。だから、沖縄の人たちの心根の深いところでは、日本という国に対する想いも大変複雑なものがあることだと思います。高校野球に出場するようになっても、出場する球児たちにはパスポートが必要だったそうです。その辺りが、日本本土内の他の基地周辺の町の事情とは大きく異なるのではないでしょうか?しかし、そういうことをマスコミは余り言いませんね。何となくそういう歴史的背景からは目を逸らして、騒音問題や米兵による犯罪、そして「美しい自然を守ろう」という観点からの話ばかりしているように思えます。沖縄の人たちの基地に対する思いは、とてもそんなものだけではない、もっと深いところでの怨念のようなものがあるはずです。しかも、その怨念というのは、米国とか日本の政府に対してというよりも、もっと幅の広い意味での「日本」というものに対してではないかという気がします。詳しく研究した上での話ではありませんが、太平洋戦争末期の沖縄での惨状も、大多数の日本人は「本土」決戦という逼迫間や切実な同朋意識を以って捉えてはいなかったという気がします。Ponjoiさんが仰る、「それらの人々はアメリカに対して、基地は作らせないけど一朝有事の祭は生命の危険を顧みずに我々を守ってくれ、とでも言う積りなのでしょうか。 虫が良すぎます。」というご意見は沖縄の人たちよりも、むしろ沖縄以外の我々日本人たちにあてはまるものではないでしょうか?沖縄の人たちは、上のような複雑な心情を内在させたまま、今まで実際に、黙々と日本と東アジアの防衛戦略のために基地の重圧を引き受けてきた。それに対して、他の日本人たちが贖罪の意識も何もないままに、浅薄な平和意識や環境問題の立場から、まるで沖縄の人たちと同じ立場にあるように反対論に組して、仲間のような顔をしている。沖縄の人たちには、本音としては、「おためごかしに、甘ったるいことを云ってるんじゃないよ!」という気持ちがあるような気がします。こういう中で、由紀夫さんが「ご迷惑をおかけして」とか、「多大なご負担をおかけしたことに・・。」と繰り返しても、空回りしてしまいます。由紀夫さんは恐らくは沖縄の人たちに向けてこう仰っているのでしょうが、それを聞くのは全ての日本人です。その日本人が、沖縄の人たちの現実論と、それ以外の人たちの情緒論(或いは迷惑論といってもいい)と、相互にかけ離れている以上、一方では「断固たる反対論」になり、他方では「他人事」或いは「優柔不断批判」になるのではないのでしょうか?沖縄の人たちの基地反対論は、民主党政権というよりは、沖縄以外の日本人たちに向けられているようにも、私には思えるのです。
2010.05.08
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☆ 5月7日(金曜日) 旧三月二十四日 丁巳(ひのと み) 友引:中学校や高等学校には生徒会というものがある。ここで今年の修学旅行は何処に行くかを決めるとする。その場合どういう状況が起こりえるかは概ね想像できる。先ず生徒会議会の席では、必ず誰かが「此処で決める前にクラスに持ち帰って皆で相談する必要がある。」と言い出す。これには特段の意見も出ないから、そうすることになる。各代議員は、この案件を持ち帰ってクラス会を開くことになる。そうすると、素直な生徒たちは、あそこがいいとか此処がいいと色々な場所を挙げるだろう。その内、「俺は修学旅行なんか行かないよ。勉強や塾が忙しくてそれどころじゃないよ。」という者も出てくるだろう。クラスの意見なるものを集約した代議員は再び集まって、生徒会議会が開催される。1クラスが行きたいところはこれこれの票数で此処とあそこ、2クラスでは・・・・という風に各クラスの意見が議場に提示される。中々まとまらないから、再度クラスへ持ち帰ることを誰かが提案する。再び各クラスでクラス会が開かれ、生徒会議会で1クラスは安芸の宮島が良いという意見が多数で、2クラスでは仙台の松島、3クラスは出雲が多くを占めた、などと代議員が発表し、トップ3の候補地からどれかを選ぼうなどとクラスに提案する。そうなると、俄然クラス中が騒がしくなる。「えーっ!宮島ぁー?あんなとこ、お杓文字位しかお土産なんてないよ。ダッサーイ!」、「松島なんて、島があるだけじゃん!自然に出来た地形を見に行くだけなんて、修学旅行の意味がないじゃん。」、「出雲なんて、日本の神道の聖地じゃん!特定の宗教に偏向しているんじゃないの?それって、学校教育の宗教的中立性に違反するんじゃないの?」と百家争鳴である。その内、中でも勉強が出来る、普段はネクラな真面目生徒が、「そもそも、何で修学旅行なんて行かなければ行けないのか?我々だってそれぞれに事情がある。良い学校への進学を目指して、塾を休めない者だって居る。○×君や△□さんなんかは(と、ここで何故か具体的な個人が名指しされる)、家の生計が苦しくて、お母さんを助けて毎日登校前と放課後には働いている。そういう人たちに、強制的に修学旅行に行けなんて権利があるのか?」と、いきなり深刻なことを言い出す。一瞬シーンとなったクラスの中で、やがて一人の女性徒が「修学旅行は何処かへ行くだけではなく、皆と一緒になって行動することに意義があると思います。それぞれ事情があっても、何日かを一緒に過ごし、青春時代の良い想い出作りをすることは大事だと思います。」と発言する。クラスの女の子たちは、「そうよねぇ。」、「やっぱり、枕ぶつけなんて楽しいもんねぇ。」、「でも、お風呂も皆で一緒に入るのよ!」、「キャー、やだぁ!恥ずかしい。」などとてんでに話し出し、並行して「あそこが良い」、「此処がよい」という会話も始まり、修学旅行不要論を開陳した男子生徒は不機嫌に黙り込んで、クラス会は収拾が付かなくなる。その結果どうなるか?学年全体での修学旅行ではなく、クラス単位か、同じ目的地に行きたい者だけで小グループを作っての分派旅行になるかもしれない。或いは、最後の最後に生徒課の教師連中が乗り出して、「此処へ行くのだ!」と決めてしまうことになるかもしれない。いずれにしても、何らかの形で修学旅行は行われるだろう。私は良く知らないが、文科省辺りで、例えば「教育指導要領」の中に「修学旅行は行うべし」と決めてあるのではないだろうか?そうなると、喜んで出かける者も居るかわりに、仏頂面で参考書を持参して不承不承参加するものも居るだろう。或いは風邪を引いたり、親戚の誰かを病気にしたりしてサボる者も出てくるに違いない。修学旅行ではなく、例えば「校区内の清掃奉仕」などがテーマであっても、本質的には変わらない。米軍基地問題は、いよいよ「混迷の様相を呈してきた」と、連日マスコミは報道している。民主党、沖縄や徳之島の方々、そして野党連中など、当事者の方々に対して失礼を承知で申し上げれば、このところの成り行きは、まぁ上に描いた生徒会のレベルに過ぎないように私には思える。色々な意見を聞いていると、不思議なことに「米軍基地は悪である」という点では、少なくとも全員が共通している。悪とは云わないまでも少なくとも「迷惑なもの」という点では共通しているとはいえるだろう。誰も「軍を持たない日本としては、米軍の駐留は大変に重要なもので、一朝異変があったときに我々を守ってくれる有り難い存在なのだ」とか、或いは「現状の世界情勢下、憲法第9条を遵守するためには、同盟軍の駐留は必然なのだ」と、表立って明確には言わないのだ。この点鳩山さんも言い方が下手だ。彼はほぼ上と同じ事を仰っているのだけれど、それでも発言の都度「沖縄の皆さんに多大なるご迷惑をおかけして・・・」とか、「多大なる犠牲を強いるもので・・・」とか、「ご迷惑」とか「犠牲」という言葉を連発なさっている。つまりは「米軍基地は厭で、迷惑で、在って欲しくない」という印象を植えつけているようなものだ。その上で「住民の皆さんには何卒ご理解を賜りたい」などと仰るものだから、云われた方は「はいそうですか」などという気持ちにはなれない。「基地を引き受けてくださる土地の方々は、我が国の平和と安寧のために、崇高な使命を引き受けてくださるのだ!」くらいのことを仰れば良いのにと思う。そうでなければ「米軍基地はごみ処理場のようなものだ」というのと変わりはない。閣内にいらっしゃる、かつて万年野党だった党の女弁護士党首は、まだグァムとかサイパンとか「国外」を仰っている。しかし、そうなった場合我が国を含む東アジア圏内での防衛上の具体的イメージはどうなるのかは、お示しにならない。「とにかく沖縄県内と国内は反対。後はアンタ考えてよ。」ということなのだろうか?今や最大野党の自民党はもっと情けない。何より論点を逸らしている。「政府の方針不統一のために沖縄など現地の人に無用の混乱を招いている。」とか、「5月中に決着させると明言したのだから、それが出来なかったら総理は退陣すべきだ。」とか、あくまでも政争のレベルの話しかしていない。「自民党が政権を維持していたらこうしていた」、とか「再び政権の座に復帰したら、具体的にこうする」とは、谷垣さんも仰らない。又別の野党は、「現在の米国追従の関係を破棄し、より対等な東アジア諸国全体での相互安全保障の同盟を樹立する」などと仰っている。これは間際になって、「そもそも、修学旅行なんて必要ない。」と言い出すのと同じだ。理念としては容認できるとしても、今この時点で持ち出す議論だろうか?他人の出した意見に反論する、又は批判する、或いはイチャモンを付けるのは簡単である。大方の同情や情緒的な賛同も得やすい。しかし、責任ある立場には、他人ではなく自分で具体案を出すことが求められる。そして自分で具体案を出すことは、敢えて自らを批判に曝すことでもある。学問の世界では、こういう議論をする際には境界条件というものを先ず定める。議論のテーマ、議論の目的、議論や推論の元になる条件などを定義し、議論がその範囲を逸脱しないようにするためのものが境界条件である。昔、学校時代の数学の問題で「Y=・・・・の関係があるとき、Xの範囲が○~△であるとしてYの・・・を求めよ」というときのアレである。或いは「地球の人口が今後・・・・と推移するものとして、その地域的偏差は過去・・・であった事を考え、今から50年間の・・・・を考えよ。」といっても良い。鳩山さんも、本当に「開かれ政治」を目指しておられるなら、基地問題に関してももっと早くにこれをやれば良かったのだ。例えば「我が国土の保全と国民の安全を維持するためには、・・・・だけの軍事力(防衛力)と防衛戦略上・・・だけの基地が必要である。現在米国軍の駐留基地は・・・・だけあり、我が国の自衛隊の基地は・・・に・・・ある。これを前提にして、今後10年間にわたっての最善の方策を講じる必要がある。」と境界条件をまず提示し、その上で「わが政権では・・・のように考える。より良いと思われる代案がある者は、具体的に申し出られたい。」とでも・・・。由紀夫さんは政治家になる前は、東大工学部を卒業し、スタンフォード大学で博士号を取得し、東工大で助手、専修大では教授をお務めになった、いわば優の付くインテリである。インテリが、特に理科系のインテリが政治のような場での弱いのは、直ぐに持論を客観化して、それに対する例外事項や、反対論を想定してしまうところである。それが由紀夫さんの語り口にも現れている。他の大多数の手練手管に長けた政治家連中と比べて、少なくとも由紀夫さんには誠実さは感じられる。直接の当事者としての苦悩も看てとれる。しかし、それが同時に生徒会長としては弱みとして見られていることも確かだ。制度上できるかどうかは分からないが、基地問題に関してはいっそ問題点を整理して国民投票にでもかけてみたらどうか。国民投票でなくとも、政府による緊急世論調査でもやったらどうか。世論調査は何もマスコミの専売特許ではないはずだ。内閣が今後の政治方針の関わる問題について、調査という形で広く意見を求めることはやってもいいはずだ。その際には、今やマスコミから「声なき声」みたいな扱いを受けている基地受け入れ賛成派の方々の意見も汲めるかもしれない。そうでもしないと、いよいよ生徒課の教師が出てくる可能性がある。自民党などには、生徒課の強面の教師を表舞台に引き出して、それを理由に一挙に政権を潰しにかかろうとする意図や期待が看て取れるような気がする。「中学校や高等学校の自治といっても、最終的には管理官、或いは監察官として隠然たる権力を持つ生徒課の指揮下での自治に過ぎない。そんなものは本質を糊塗した民主主義ごっこに過ぎない。」と、そんなことを言い出しそうだ。現政権が生徒会のレベルだとは、独り由紀夫さんたちだけを言うのではない。国民も中学や高校の生徒会のレベルだという気持ちも私にはあるのだ。
2010.05.07
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☆ 5月6日(木曜日) 旧三月二十三日 丙辰(ひのえ たつ) 先勝: 下弦根津美術館に行ってきた。最近は、とんと電車の切符を買わない。私はパスモというカードを買って、それを使っている。これは、電車で首都圏近郊を移動する時には非常に便利である。例えば、私の家から利用する電車は西武線である。その最寄り駅から、東京の南青山にある根津美術館に行くには、地下鉄の表参道駅で降りるのが便利だ。さて、私の最寄り駅から表参道駅に行く際にはどうするか。(1) 西武線で池袋駅まで行き、池袋駅から埼京線か湘南新宿ライン、又は山手線で渋谷まで行く。そして今度は地下鉄銀座線に乗り換えて表参道駅に到る。(2) 同様に池袋駅まで行き、池袋駅から地下鉄有楽町線で永田町駅まで行く。そして今度は半蔵門線に乗り換えて表参道駅に到る。(3) 西武線の練馬駅で地下鉄副都心線に乗り換え、明治神宮前で地下鉄千代田線に乗り換えて表参道駅に到る。これ以外にもまだまだ有って、例えば練馬駅から地下鉄大江戸線に乗り換えるとか、山手線を原宿で降りて地下鉄千代田線に乗り換えるとかいう行き方もある。これの何れを選ぶかということになると、一概には決められない。首都圏では、異なる路線間の相互乗り入れがとみに増えており、偶々やってきた西武線の電車が、例えば副都心線直通だったり有楽町線直通だったりすると、乗り換えるのが面倒だと言う理由で乗り続ける方を選んだりする。或いは運転状況によっては、遅れが出ていたり、どうかすると運転休止になっている路線を避けて、急遽別の路線を選択することにもなる。(最近殊更に首都圏の電車網には、人身事故だったり、信号故障だったり、或いは線路点検という理由だったり、とにかく運転休止や遅延が頻繁にあるのだ。)要するに、電車に乗った時点では、目的地までどういう経路で行くのが良いのかは決まらないことが多いのだ。こういう状況ではあらかじめ切符を買う事はできない。切符を買うには目的地は勿論、経由地も決めておかなければならないからだ。私の使っているパスモには、同様のカードも何種類かあって、総じて「ICカード」などと呼ばれているが、これは改札を通る時に駅名の情報が書き込まれ、改札を出る時に駅名が書き込まれ、改札に組み込まれているコンピュータによって料金が計算されて、予めカードに払い込んである金額の残額から引き落とされる仕組みになっている。つまり改札と改札の間だけで料金が計算されるので、その間の区間でどういう経路を取ろうが構わないようになっている。それに切符と違い改札を出る時に精算されるという「実績主義」を採っているので、予め料金を調べて切符を買う、つまり「前払い」するのとは発想が異なるのだ。上は、首都圏での話だが、他の町やその周辺ではどうか、私は寡聞にして知らない。恐らくは「大」の字が付けられる都市とその近郊地域では似たような状況ではないだろうか?さて、今回は携帯の路線情報サービスで調べた経路にしたがって、池袋駅から山手線という経路で行った。但し携帯の指示では渋谷まで行って地下鉄銀座線に乗り換えろという指示だったが、ささやかな反抗心を起こして、原宿駅から地下鉄千代田線に乗り換えた。要するに、渋谷駅で銀座線に乗り換えるためには階段を上に「登らなければならない」のを思い出して、地下鉄の乗るのに3階の高さに登らなければならない不条理を避けたのだ。結果到着時刻が早まったわけではなく、むしろ1~2分遅れてしまい、悔しかった。千代田線は銀座線より運転間隔が長かったのだ。こうして、異なる会社・路線間の相互乗り入れが進み、ICカードが普通になって切符を買わなくなると、お父さんの権威はまたしてもいささか失墜するだろうな。昔は、家族でどこかへ出かけるとなると、乗る電車や時刻を調べ上げて、どこでどう乗り換えて目的地に行くかを決定し、全員の切符を買うのはお父さんの専権事項だった。そういう局面で、久しぶりの父権を行使できて、嬉しい思いをしていたお父さんも多かったろうと思う。ところが今ではそんなことなど、少なくとも都内や近郊では無理になってしまった。父権などもう滅亡に瀕している中で、これからは何にそれを求めていくのだろうか?ところで、根津美術館の燕子花図屏風である。当日はお天気が良い代わりに、夏のような暑い日であった。根津美術館は暫く改装されていたようで、新装成ったのを記念する意味で尾形光琳を中心とする、所謂「琳派」の作品を集めて展示したのだそうだ。誘ってくださった方は、4年ぶりの燕子花図屏風に感慨深げの様子だったけれど、正直に言って私はさほどの感興を覚えなかった。件の屏風は18世紀に描かれたものだそうだが、300年以上も人の手を転々としながら、よく今まで遺って来たものだ(屏風は家の調度であり、壁にかけて鑑賞するだけであった西洋絵画とは、その取り扱われ方が自ずと違うはずだ)とか、こんな屏風を置ける部屋はどんなに広かっただろうかとか、そんな事ばかり頭に浮かんで、肝心な画そのものには感銘を受けなかったというのが正直なところだ。わざわざお声をかけてくださった方には、申し訳ない限りである。その代わり、といっては何だが、美術館の敷地内の庭はとても良かった。根津美術館は、元々は東武鉄道の社長でもあった根津嘉一郎さんの所蔵品を展示するために作られたのだそうで、根津さんのお屋敷跡が美術館の敷地になっている。お金持ちの庭園は流石のもので、地形に従い様々な木が植えられ、灯篭などもところどころに置かれている。折からの晴天の下で新緑が美しく、お庭の散策を大いに楽しむことが出来たのは良かった。尾形光琳より庭を誉めるなんて、再び申し訳ないことである。
2010.05.06
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☆ 5月5日(水曜日) 旧三月二十二日 乙卯(きのと う) 大安: 子供の日、 立夏「子供の日」は、元々は男の子のお祭りだったはずなのに、いつのまにか女権の伸長(?)の所為で、男が外されて、男女を問わず子供全部の日になってしまった。三月三日は相変わらず女の子だけのお祭りなのに、ずるい。ま、しかし、ひな祭りは祝日にはなっていないから、男の子の成れの果てとしてはその辺に多少の自慢を残しておくべきか。この日には菖蒲湯をたてたり、ちまきや柏餅を食べたりする。庭先には鯉のぼりが竿の先にはためき、遠くの富士山を望んで、兄弟で背比べをした・・・というのは、もう随分以前の日本の光景になってしまった。「せいくらべ」や「こいのぼり」と並んで、この季節に口ずさんだのは「夏は来ぬ」である。この歌は明治29年(1896年)に「教育唱歌」として作られたと言うから、その歴史は随分古い。大抵の大人はこの歌の一番はそらんじていると思うが、「夏は来ぬ」は全部で五番まである。ここにその全曲の歌詞を掲げておく。(一) 卯の花の匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ(二) さみだれの注ぐ山田に 早乙女が裳裾濡らして 玉苗植うる 夏は来ぬ(三) 橘の薫る軒端に 窓近く蛍飛び交い おこたり諌むる 夏は来ぬ(四) 楝(オウチ)散る川辺の宿の 門遠く水鶏(クイナ)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ(五) 五月闇蛍飛び交い 水鶏鳴き 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ各々今頃、初夏の情景を描いて、「窓近く蛍飛び交い」など、遥かに懐かしい気持ちがしてくる。しかし流石に百年以上前の歌なので、分かりにくい言葉も多い。「時鳥」は「ホトトギス」、「裳裾」は「モスソ」、「水鶏」は「クイナ」くらいは何とか読めるが、「楝」(オウチ)は読めなかったし、何のことか分からなかった。これは「オウチ」とか「アフチ」とか云う名のセンダン科の植物。今頃薄紫の花を咲かせる落葉高木で、その実は虫下しとして使われたのだそうだ。私自身はまだこの花の実物にはお目にかかったことが無い。明治の頃には唱歌に取り上げられるほどだから、極普通に里の近くに観られた木なのだろうか?因みにセンダン科といっても、「栴檀は双葉より芳し」の栴檀とは違う、双葉の頃から芳しい栴檀は中国名称で白檀のことなのだそうだ。さて、卯の花だが、これはウツギ(空木)という植物に咲く花のことだ。空木は枝の芯が中空になっているのでこういう名が付いたのだそうだ。ウツギはアジサイの仲間で随分種類が多いようだが、一般にはヒメウツギと呼ばれる、真っ白な花を咲かせる種類が好んで庭先などに植えられる。大豆から豆乳を絞った「滓」である「おから」の事をやはり卯の花というが、これはその色が真っ白でウツギの花に似ているところから、「おから」=「空っぽ」という音の連想を嫌って付けられた「ご婦人言葉」だそうだ。江戸時代以前の上流(或いは上流を気取った)女性は、食べ物の名前を下品なものとして嫌い、なるべく口の端に乗せないようにしていた。どうしても云わなければならない時には、婉曲で上品めいた名前に言い換えた。カブラは「カブ」に、ナスビは「ナス」に、田楽は「おでん」に、サツマイモは「オサツ」というように。さてウツギの花である。先日代々木のNHKの傍を通ったら、NHKホールを囲む生垣の一部に、この卯の花が花盛りになっていた。ところが近寄って鼻を近づけてみたが一向に匂いがしない。微かな匂いもないのである。そうすると歌の冒頭の「卯の花の匂う垣根」とはどういうことなんだろう。これではあの歌詞は嘘になる。ひょっとしたら歌の中の卯の花とは「おからの煮物」なのかもしれない。おからにヒジキや、竹輪や人参油揚げなどを細かく刻んだものを合わせて薄味で作る煮物もやはり「卯の花」と呼び、これには食欲をそそる良い匂いがある。母が作ってくれた卯の花を思い出す。立夏の頃、通りすがりの家の垣根越しに、卯の花を煮る良い匂いがしてきた。「夏は来ぬ」の情景は本当はそういうものだったのかもしれない。
2010.05.05
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☆ 5月4日(火曜日) 旧三月二十一日 甲寅(きのえ とら) 大安: みどりの日「尾形光琳の燕子花図屏風が4年ぶりに公開されているから観にいきましょう」と誘われた。これは南青山にある根津美術館で暫く前から開催されている。誘ってくれた人は、4年前にこの燕子花図屏風を観て大感動したのだそうだ。ところで燕子花図屏風の「燕子花」は「かきつばた」と読む。「かきつばた」は「杜若」とも書く。どちらも素直には読めない。この季節はアヤメ科の花が咲く頃で、カキツバタの他にも、アヤメ、ハナショウブも咲く。「いずれアヤメかカキツバタ」などという如く、それぞれの区別にはちょっとした知識が要るが、それはこのブログの本題ではない。ただ、同じアヤメ科でも、身近に見つけられるものがある。それはシャガである。シャガは漢字で「射干」とも「著莪」とも書くが、これまた素直には読めない。しかし今頃の季節、近くの里山に散歩にでも行けば、小ぶりのアヤメのような形の花を見かける。色はもっと淡い水色。花の中央近くにオレンジや黄色の模様がありその周囲に藍色のしぶきのような点が散らされる。シャガは種子を作らないため、人為的に移植されて増えていったらしい。そのため日本のシャガは全て同じ遺伝子を持っているのだそうだ。シャガは、街中の公園などにもよく植えられているので、今頃は思いがけないところにこの花を発見して楽しむことが出来る。因みに、明日の子供の日に菖蒲湯をたててお入りになる家も多かろうと思うが、湯船に入れる菖蒲はハナショウブとは違いアヤメ科ではない。あれはサトイモ科の植物で、花は付けるが根元近くに極地味な姿で咲くのみである。
2010.05.04
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☆ 5月3日(月曜日) 旧三月二十日 癸丑(みずのと うし) 仏滅: 憲法記念日今日は憲法記念日だ。日本には憲法記念日といえる日は年に2回ある。今日、5月3日は1947(昭和22)年のこの日に、現行憲法が施行されたのを記念する日である。現行憲法はその半年前、1946年の11月3日に発布された。いわば正式に予告されたわけだ。11月3日はしかし、憲法とは何の縁も感じさせない「文化の日」と呼ばれ、休日になっている。ところで、現行憲法は施行直後より改正の意見や主張が見られたが、このところ普天間基地移転などの問題を巡って、同様の議論が活発になってきている。憲法改正を主張する側に共通する主張は、当時からおおむね同じようなもので、先ず第一に敗戦国だったわが国が、占領下で米軍に強制された「押し付け憲法」であるというのは、改憲側の人たちに共通している。最近はもう一つ、現行憲法になって既に63年、実情に合わなくなったという、「老朽化」と言う主張も加わってきている。私も日本の国民として、自国の憲法が余所者に決められたものであることには、余り面白い気がしない。しかし、一部の人たちが言うように、当時のアメリカが自国の利害で憲法の内容を決め、それを戦勝国・占領者の強権で押し付けたという意見には、組みしない。アメリカと言う国は、ある部分で非常に理想的なものに憧れる国である。しかも、それに燃えてしまうと、すぐにそれをだれかれ構わず実行しようとする連中が多い。昨今いよいよ急な嫌煙運動もそうだし、ウーマンリブも然り、反捕鯨運動なども同じである。憲法についても、こういうお節介な面もあって、当時の米国側の連中が自らの理想とするところを日本において実現しようとしたであって、政略や世界戦略などの遠謀が働いた程度は殆ど少ないのではないかと思う。次に「老朽化」ということだが、憲法というものはそれ自体にかなり精神的・理念的なものを含むものだ。英語ではConstitutionというが、これは「構成」、「組織」などという意味の言葉で、同様の意味を持つConstructionよりは、堅く高邁な意味で使われる。他の法律や規則より上位にたって、崇高な地位を占めるべき法律、或いは規範と言ってもいいものだ。それが「老朽化した」とか「実情に合わない」と批判して改憲議論の根拠とするのは私はにはどうしてもしっくりこない。憲法議論になると常にハイライトされるのが第9条だ。折角だから、ここに全文を掲載しておく。憲法第9条は以下の二つの項からなっている。1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 どうもこの第2項の「戦力を保持しない」と、「国の交戦権」が議論の対象になっているらしい。第1項は理念としては至極全うに思える。しかし続く第2項ではその理念を実践するための具体的手段が書かれている。それが具体的な規制であるがゆえに、議論の集中するところとなっているのだろう。第2項を実践して果たしてこの国は現実に守ることが出来るのか?ある人がブログ上で、「憲法第9条がそんなにありがたく崇高なものなら、中国や北朝鮮にも採用させたらいいじゃないか。」という意見を書いていらした。その心には、「日本だけ武力放棄していたら、馬鹿を見るだけじゃないか」という事がおありなのだろう。或いは国際平和自体が未だに「正義と秩序を基調」とせず、現実には経済と軍事力を基にした「秩序」で維持されているのだから、日本がそういう「国際平和」に貢献しようとするにはやはり「軍事力」が求められるではないか。という考え方も有るようだ。理念と現実は常に乖離する宿命を持っている。その両者は常に折り合いを付けていかなければならない。その折り合いを付ける際にどちらの側に考えの軸を置くかといえば、私はやはり理念の方にすべきだと考える。理念が老朽化したとか、実情に即さないなどと言う考え方は、どうしても不自然である。理念は人間の時々の都合で安直に変更すべきものではない。私はそう思う。それにしても、憲法記念日をきっかけにして、そういうことに思いを致させてくれるのは結構なことだ。どうせなら、年に一回ではなく、「文化の日」などというよく意味の分からない名も改めて、「憲法発布記念日」に戻して、年に2度ずつ考える日を作ったらよいのではないか?
2010.05.03
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☆ 5月2日(日曜日) 旧三月十九日 壬子(みずのえ ね) 先負: 八十八夜今日は八十八夜。八十八夜は雑節の一つで、立春から数えて88日目にあたる。昨日付けのブログに、暦月の古名は旧暦で考えないと、本来の季節感が理解できないという趣旨のことを書いたが、立春とか立夏とか、或いは二十四節気のそれぞれなどは、太陽の運行を基にしているので、旧暦にも新暦にもその影響は受けない。八十八夜は暦の新旧に関わらず「今頃」なのだ。旧暦といえば太陰暦として、月齢に即して決められたのだと思っている人が時々いるが、明治の頃まで使われていた日本の暦は、太陽・太陰暦であったのだ。つまり「旧暦」は単純に太陰暦ではない。ところで、八十八夜から三日経つと二十四節気の立夏になる。東洋では立夏は夏の始まり。西洋では立夏は春の盛りとされている。八十八夜と言うと、それまでの寒暖の繰り返しがやっと安定し、霜害の心配も無くなって、お茶所では茶摘みが行われる。今日が八十八夜とテレビや新聞などで知って、「茶摘」の歌を口ずさまれる方も何人かいらっしゃるだろう。「茶摘」の歌のように、昔の小学校で教わった歌は、メロディーだけでなく歌詞まで大抵覚えているものだ。ところで、この「茶摘」の唄、一番は知っているとしても、二番をちゃんとソラで唄える方はどれほどいらっしゃるだろう?私は唄えなかった。そこで調べてみたら、二番の歌詞は:『日和(ひより)つづきの今日このごろを心のどかに摘みつつ歌ふ摘めよ摘め摘め、摘まねばならぬ摘まにゃ日本の茶にならぬ』だそうだ。何となく最後の部分は軍国主義の匂いがするが、「茶摘」の歌が出来たのは1912年、明治45年のことだそうだ。当時は富国強兵策盛んなりし頃だから、茶摘みも日本の国威発揚の一端を担わされていたのかもしれない。
2010.05.02
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☆ 5月1日(土曜日) 旧三月十八日 辛亥(かのと い) 友引:今日から五月。今年も既に三分の一が過去になってしまった。五月の古名は「さつき」で「皐月」と書く。「皐」と言う字は難しい字で、他にこの字を使う用例は殆どといって良いほど見ない。この字は俗字で、本字は「皋」と言うのだそうだが、この字も私は知らなかった。字の意味は「白い気が立ち上る沢」というのだそうだが、何となく深山幽谷を思い浮かべることが出来そうだが、それがどうして五月の名称に使われたのかは分からない。金田一春彦という言語学の先生がいらして、今はお父さんの京助さん共々雑司が谷霊園に眠っていらっしゃる。この春彦先生の「ことばの歳時記」によるとさつきの「さ」は田の神様に因んだものに使われる音だそうだ。「さなえ」も「さおとめ」もやはり田の神様に関係しており、「さなえ」(早苗)は田の神の苗、つまり稲の苗のことであり、「さおとめ」(早乙女、又は五月女)は、その早苗を神のおわす田に植える乙女のことをいう。田植えが終わると、田の神は安心して天に昇りお帰りになるが、それを「さのぼり」と称してお祝いをする。この「さのぼり」は「さなぶり」(早苗饗)と転訛して、未だに地方の農村では祝われているところがある。つまり、「さつき」とは「田の神の月」という意味に違いない、と金田一先生は仰る。・・・なるほど。ところで、こういう月の名称を考える時には、これらが古名であることを思えば、当然旧暦で考える必要がある。旧暦の月は今の暦より進みが遅いから、今年の場合、旧五月はいまの暦の6月12日から7月11日までの期間になる。そうなると、旧皐月の頃はもう田植えも終わっており、水田では稲の葉が青々と茂る頃である。すくすく育てば次の月、つまり文月になる。文月は「穂含み月」に由来すると言われ、稲が穂を付け始める頃とされる。だから皐月は、稲の結実に向けての大事な月だったのだ。因みに、「さみだれ」(五月雨)も、やはり「田の神の雨」という意味で、皐月に降る雨のことだ。つまりは梅雨の頃に降る雨と言うことになる。「さつきばれ」(五月晴れ)も本来は、梅雨の頃の貴重な晴れ間の意味であったが、明治時代に暦が改められて以来、ちょうど今頃の新緑まぶしい晴れの天気を言うことがむしろ普通になった。今行われている様々な行事も、お盆のように、地域によって旧暦と新暦が混じりあっていて、いささかややこしい。総じて云えば農業中心の生活からの離脱が、季節感にも影響していることなのだろう。
2010.05.01
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