2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全20件 (20件中 1-20件目)
1
☆ 8月31日(火曜日) 旧七月二十二日 癸丑(みずのと うし) 仏滅: 民主党がみっともないことになってきた。小沢さんが菅さんとこれから会談するそうだ。それも鳩山さんと輿石さんの介添えの中でだ。(子供みたいだから、二人だけで会うのは怖いのかな?)テーマは一言でいえば、「喧嘩しないで仲良くやるにはどうしたらよいか。」想定できる結果は、(1) やはり代表選挙はやることにして、菅さんと小沢さんが民主党代表(=日本国総理大臣)のポストを巡って選挙をする。(2) 小沢さんが選挙に出ないことにして、その代わり副代表か党幹事長のポストを(直接間接にしろ)菅さんが約束する。のどちらかになるのだろう。小沢さんに本当に野心と器量があって、つまり民主党も自民党もみんなの党もあれもこれも、がらがらポンとやって、「挙国内閣」(実質「小沢内閣」)を作るつもりなら(1)だろう。それとも、「小沢さんには暫く静かにしていていただく」といった菅さんへの怒りや嫉み、といった程度の腹いせなら、(2)で自分のポジションを確保しようとするだろう。私は(1)なんて気迫は最近の小沢さんには感じられないし、多分(2)に落ち着くような気がする。今の小沢さんには国を思って乾坤一擲、己を賭して日本のために殉ずる、などという高貴さはかけらも感じられない。それにしても、お粗末だなぁ。結局菅さんの足を引っ張る意図が見え見えじゃないか。小沢さんがごねて鳩山さんが狂言回しだ。鳩山さんは、こうやって政治的な影響力を行使する(=適当に狂言回しに利用される)ようなことがあってはならない、とおっしゃって、総理辞任後は任期満了を待って議員も辞めるはずではなかったか?山岡さんも、最後の最後まで戦闘態勢を誇示しろと小沢さんから指令を受けているのだろう。だから、話し合いがあっても小沢さんの出馬は変わらないといい続けなければならない。(でも少しずつ言い回しは変化し始めているけど。)そうして、今日の夕方頃になると、「党の融和を守るため」、「現在緊急の課題に応えるため」、「政治空白を作らないため」、「国民の期待と負託に応えるため」、と一杯色々美しい理由を散りばめて、菅さんと小沢さんの二人がうそ臭い笑顔で握手している絵が出回るのだろう。私の予想が間違っていれば、(1)になるが、その場合でも同じ理由が散りばめられるだろうことには変わりない。どちらに転んでも、ひとつだけはっきりしているのは、「国民の期待と負託」は彼らがもっともらしく言うほどには、もはや無いという事だ。折角あれだけの票を集めて、それこそ多くの国民の期待を集めて出来た新体制だったのに。もったいない。本当に勿体無い。お気の毒なのは、岡田さんや前原さん、更には政府の中で営々と苦労と努力を続けていらっしゃる方々だ。上つ方でのすったもんだの茶番劇に、彼らはさぞかし臍を噛む思いでいらっしゃるだろうと察する。こういう方々は、民主党での自らの理念だけを抜き取って、他の小さい政党や個人ともよく語らって、新しいグループをお作りになったら如何か?勿論、あのお三方(輿石さんも入れれば四人だ)は置き去りにしたままで。民主党政権も次の衆議院選挙ではもうおしまいだと思う。・・・・間違っていたら、ゴメンなさい。
2010.08.31
コメント(0)

☆ 8月30日(月曜日) 旧七月二十一日 辛亥(みずのえ ね) 先負: 【人間は考える竹輪である ? (4)】《我われは流れに浮かぶ竹輪である》我々が普段体の表面だと思っている部分だけでなく、「体の中」だと思っている胃や腸の表面も、実は元を質せば竹輪の(内側の)壁で、つまりは体表と同じ「外側」なのだと、今まで繰り返し述べてきた。つまり、「おなかは中ではない」。我々の体の本当の内側は、竹輪の肉の部分なのだ。言い換えれば生き物としての我々のアイデンティティは「竹輪の肉」にこそある。我々は、この竹輪の肉を、養い育て、外界に対して防御することを所与の作戦としているのだ。我々の体は約60兆個もの細胞から出来ているそうだ。そして毎日その20%ほどが死んで新しく生まれ変わっている。20%といえば約12兆個だ。つまり約1億4千万個もの細胞が、たった一秒の間に世代交代していることになる。そうなると、明日のあなたは、今日のあなたの8割しか「あなた」ではない?(残りの2割は誰だ!?)我々は、毎日水を飲み、ものを食べ、排泄をしている。呼吸もしている。その過程で行動したり考えたりするエネルギーを獲得し、連日全細胞の2割を更新している。山奥の渓流。そんなイメージを思い浮かべよう。川の流れがあるところまで来ると、一旦淀んで淵を作る。水は淵の中で緩やかに還流した後、やがて反対の端から下流に向かって又流れ去っていく。生命とはそんなものだといえるかもしれない。そうなると、我々は淵に浮かぶ竹輪のようなものだ。水は常に淵に流れ込み、くるくる回っては再び流れに戻っていく。そこに竹輪が浮かんでいる。竹輪の一部が水に溶けて流れ去ると同時に、又新たに竹輪の一部が作られてもいる。竹輪も大きな眼で見れば流れの一部であるのだ。こうして、我々は常に流れの中にある。その流れの中から必要なものを吸収し、竹輪の肉にしなければならない。不要になったものは流れに戻さなければならない。流れの中には色々なものも混じっている。だから、必要以外の様々な異物が入り込む可能性がある。我々のアイデンティティを守るためにはそういった異物が体の「内部」に入り込まないようにしなければならない。《マイ・タンパク質しか意味は無い》我々のみならず地球上のあらゆる生き物はタンパク質によって作られている。タンパク質はアミノ酸というものが沢山連なったものをいう。アミノ酸は更に分解すると、炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)になる。一部には硫黄(S)も含まれている。これらは全て地球上ではありふれたものばかりである。地球上に生命が生まれる際には、こうした何処にでもあるありふれたものを材料にしたのである。これらの材料が組み合わさって出来上がる有機化合物であるアミノ酸は約500種類以上あるが、地球上の生物はこの内20種類を、体を構成する材料として使用している。この20種類は、長いながい生命の歴史の中で選び採られたものである。言い換えれば、すべての生き物、そして我々の体は、20種類のアミノ酸を様々に組み合わせたタンパク質で出来ているのだ。ところでこのタンパク質は何種類くらいあるのだろうか。なんとその数は数千万種類にも及ぶのだそうだ。これはちょっと確かめてみればすぐに分かる。例えば、アミノ酸が5個つながって出来ているタンパク質があるとする(アミノ酸が5個というのはタンパク質としては単純な方だ)。それぞれのアミノ酸は20通りの選択可能性があるのだから、20を5回掛け合わせる、つまり20*20*20*20*20=320万種類ということになる。これだけの多くの種類のタンパク質の中で、我々人間は約10万種類のタンパク質を選び出して、体の材料にしている。選ばれたタンパク質以外は、我々にとっては異物である。我々のアイデンティティを維持していくためには、これらの異物は体の「内部」つまり竹輪の肉の方には入れてはいけない。実際のタンパク質は、アミノ酸が数十から千以上、複雑に組み合わさって出来ており、体の各部位を形造ったり、我々の体が様々な生理作用を営む際に使われている。タンパク質の主な働きを列挙すると;(1) 酵素:代謝などの化学反応を起こさせる。 (2) 生体構造を形成する。(3) 生体内の情報のやりとりに関与する。(4) 運動に関与する。(5) 免疫を司る抗体として働く。 (6) 栄養の貯蔵・輸送に関与する。などなど、およそありとあらゆる生命現象はタンパク質の働きによっているのだといえる。高分子有機化合物であるタンパク質は、その構成の仕方により、折れ曲がったり畳み込まれたりと、複雑な三次元構造を持つようになる。この構造によって、上に掲げたような機能が生じてくるのである。つまりこの構造が異なれば、上記の機能は発動しないか、発動しても誤った動作をもたらしてしまう。そして、類似のタンパク質であっても、生物の種が異なればこの構造が異なるが普通である。ある生き物にとって有用なタンパク質は、アミノ酸が多数結合する時の順番が自らのDNAによって、きっちりと記述されている。その結果その生き物にとって必要なタンパク質が、誤ることなく用意されることになるのだ。つまり我々にとってのタンパク質は「マイ・タンパク質」しか意味が無い。他の生き物のタンパク質を持ってきても、それは我々にとっては基本的に異物でしかないのだ。そうはいっても、我々は炭素や窒素などから直接タンパク質を製造する機能を持っていない。だから他の生き物の体を戴くのだ。野菜にしろ、魚にしろ、獣肉にしろ、我々は他の生き物を殺して食べることによって、エネルギーや体の源とさせていただいているのである。そうなると、元来異物であるタンパク質が体の「内部」に入り込まないようにするにはどうするか。我々の体は、極簡単に「タンパク質は取り込まない」という作戦を採用したのだ。つまり、疑わしきもそうでないものも、タンパク質は取り込まない。その代わりに高分子であるタンパク質をどんどん切り離していき、アミノ酸の形にまで小さくして、そこで初めて体の「内部」に取り込むのである。アミノ酸の形にしてしまえば、どの生き物にとっても共通の20種類に落ち着くのだ。これが「消化」である。アミノ酸さえあれば、必要なタンパク質は体の中で作ればいいのである。「よく噛んで食べないと消化に悪いよ」といわれるが、これは消化の極始めの段階しか捉えていない。つまり、「消化」とは、先ず口の中で咀嚼して他の生き物の体を細かく砕き、それを飲み込む。それが胃から腸へと「竹輪の内側の皮」を通過していく過程で様々な酵素を投入して、タンパク質の鎖を断ち切り、アミノ酸にまで分解する。それまでの一貫した過程のすべてをいうのである。アミノ酸の形になって初めて、竹輪の内側の皮に並んでいる細胞の膜が、「栄養物」だとして竹輪の肉の方に選択的に通してくれるようになる。それまで、つまりアミノ酸にまで分解される前のタンパク質は、我々の体にとってはエイリアンなのだ。だから、アミノ酸まで分解されなかったタンパク質は、そのまま排泄されてしまうことになる。我々の体は、自らのアイデンティティを守るために、異物に対しては様々な対抗手段を用意している。アレルギーやアトピー、拒絶反応、それに炎症などは、すべてこの対抗手段の発現の結果なのだ。つまり、あるタンパク質が足りないといって、タンパク質を食べることなんて、全く意味が無いのである。
2010.08.30
コメント(0)
☆ 8月29日(日曜日) 旧七月二十日 辛亥(かのと い) 友引: 【人間は考える竹輪である ? (3)】《「おなか」は中か?》さて、我々は一個の細胞から自身の歴史をスタートさせ、やがて竹輪になる。その後は竹輪の皮のあちこちが出っ張ったりへこんだりして、様々なパーツが出来ていくのだが、それは竹輪という基本形を壊すものではない。相変わらず一方の開口部(入り口の方は「口」と呼んでいる)から、他方の開口部(これは肛門と呼んでいる)までつながった、一本の管であることには変わりがない。竹輪の外側の皮(焦げ目が付いていて、これが香ばしくて中々美味しい)では、手足や指、目鼻や耳など、我々の外観を構成するパーツが作られていく。一方の内側の皮のほうでは、引き伸ばしたり部分的に膨らませたり、或いは折畳んだりして、胃や腸などが作られていく。つまり、竹輪の外側の皮も内側の皮も、竹輪本体からすれば「外側」なのだ。このことを頭に入れると、我々が普通に使っている言葉を考え直さなければならなくなる。なにしろ「おなか」は「中」ではなく、外なのだから。「ハラにイチモツ」といえば、竹輪の穴の中に何か怪しげなものが詰まっている人の意味で使われる。しかし、上等の竹輪の穴に、チーズや牛蒡の漬けたのを細く切って詰めるとおいしい。「ハラ黒い」とは、竹輪の穴の内側が真っ黒になっているから、これは美味しくなさそうだ。中だと思っていたものが外だということになると、ものの見え方も少し変わってくるから愉快だ。我々は「おなかに良い(悪い)」というのを、「体に良い(悪い)」と同じ意味で使っているが、実際には食べたものがお腹にある段階では、体の中ではなく竹輪の内側の管の途中に引っかかっているだけに過ぎない。つまり中ではなく、未だ外にあるのだ。「おなかに赤ちゃんが入っている」という。実はこれも体の中に赤ちゃんがいるのではない。受精後6週間頃になると、体の表面の二箇所が内側にくびれ込んでいって、袋小路の細い管が2本出来る。どちらも、口から肛門に続く竹輪の穴とは別物である。一方の管(ウォルフ菅という)は途中にさらに窪みができて、これが何れ腎臓や尿路になる。もう一方はミュラー管と呼ばれ、これがやがて子宮や卵巣になる。(因みに、男の子の場合にはミュラー管と呼ばれる陥没は元に戻って消えてしまう。男は、女性になり損ねた人間なのだ。この話も面白いけれど、いつか他の時にしよう。)つまり、「赤ちゃんがお腹に入っている」といっても、元を質せば子宮は「皮の窪み」であって、竹輪の穴ですらないのだ。しつこいようだが、「お腹」は体の内側ではなく外側なのだ。《人間の「竹輪の内皮」》竹輪の外側の皮の方はひとまず置くとして、竹輪の穴のほうの皮は色々に分化・発達していって、我々の生命にとって非常に重要な役割を負うようになる。今、テニスコートを思い描いてみよう。ここでは、テニスをするのではなく、一面のテニスコートを多い尽くすほどの大きさのシートを用意する。このシートの向かい合う二つの辺を貼り合わせると大きな管が出来あがる。これをつまんだり、細くしたり、小さな出っ張りを沢山作ったり、折畳んだり、更には途中に窪みを作ったりして、我々の体の中になんとか入れられるようにしてみよう。そうです、これが我々の竹輪の内側の「皮」の実際の有様。両端の開口部は、一方は口で他方は肛門だ。途中の出っ張りやくびれ、折畳まれたクネクネは、胃や腸、またそれらの部分である。この辺になると、竹輪のイメージからは随分遠くなる。それでも、本質的にはやはり「体」の「外側」、つまりこの複雑なチューブの中にあっても、それは未だ「体外」にあることに変わりはないのだ。《ここで再び余談》人間の始まりは一個の細胞である。この細胞が分裂していって、上に述べたようなことが起こっていく。一個の細胞が二個に、二個が四個に、四個が八個に・・・・・と分裂していくのだ。まるで麻雀の点数の数え方みたいだが、実際細胞はこうして増えていくのだ。さて、「完成品」としての人間は、幾つの細胞から出来ているだろうか?・・・我々の体は大体60兆個の細胞から出来上がっているのだそうだ。60兆といっても大きすぎて分からない。6の後に0が13個も付く膨大な数字である。それだけの数の細胞が、最初の一個から始まるのだ。それでは、一個の受精卵が60兆個の細胞に増えるまでに、何回細胞分裂をすることになるのだろうか?数千万回?100万回くらい?・・・実は46回程度で済むのです。たった46回で60兆個!これは、高校で教わった対数を使えば簡単に計算できます。つまり、倍々で増えていく細胞がn回分裂して60兆になるのだから;{2のn乗=6*10の13乗}この式の「n」を求めればいい訳です。そこで、両辺の対数をとって、・・・・ま、その結果n≒46となるわけです。(この稿まだまだ未だ続く)
2010.08.29
コメント(0)

☆ 8月28日(土曜日) 旧七月十九日 庚戌(かのえ いぬ) 先勝: 【人間は考える竹輪である-(2)】《寄り道:ヒトはいつから人間なのか》ここで、最近ちょっと印象に残った話に寄り道してみる。前の稿で書いたように、我々は一個の細胞からスタートする。それが分裂していって、やがて竹輪になる。その竹輪の部分々ゝが更に分化・発達していって、ヒトの形が出来上がる。それでは我々はいつから「人間」になるのだろうか?私は何時のころからかははっきり分からないが、疑うこともしないで自分を人間だと思っている。周りも私のことを人間だと思っている(はずだ)し、私も周りの連中のことを人間だと思っている。そういうことだ。しかし自分を人間だと思えば、それで人間なのだろうか?最近は、ものを言ったり、選挙に出たり、あげくに波乗りまでする犬がテレビに出ている。観ていると周りも、その犬を普通に人間扱いしている。してみるとあの犬は「人間」なのだろうか?(そうならば、一度じっくり話してみたい。中々味のありそうな犬である。)ヒトが人間であるためには、何かの基準がないと心もとない。第一私の人間としての歴史は何処まで遡れるのだろう?母親の卵子が父親の精子によって受精した時にまで遡れるのだろうか?実は日本の法律上では胎児は人間ではないとされている。刑法上は、出産の際、母体の外に出た瞬間に人間になる。その瞬間以降は、これを傷つければ傷害罪に、殺してしまえば殺人罪に問われる。しかし、「母体の外」に「何が」出た瞬間に人間になるのかは、法律には明確に規定されていない。頭の天辺が見えた瞬間なのか(逆子の場合には足だな)、体の半分以上(この表現も未だ曖昧だが)が出ればいいのか、それとも、全身が出きった瞬間をいうのか?帝王切開の場合にはどうなのか?聞いた話だが、昔東大の先生が、この辺のプロセスを黒板に板書して(絵まで描いて!)、実に詳細に講義をした。この先生の講義は、学生、特に男子学生に大好評を博したそうだ。つまり刑法上「いつ」人間になるかははっきりしない。(その先生が、「赤ん坊の頭がアソコから見えた時が・・・」と仰ったかどうか、正確にはよく覚えていない。)刑法には堕胎罪というのがあって、人工中絶などによって胎児を殺傷することは罪とされているが、しかしそれは傷害罪や殺人罪などではなく、つまり被害対象は人間であるとは看做されていない。つまりやはり胎児の段階では人間ではない。母体保護法という法律がある。この法律が1948年(昭和23年)に最初に制定された時には、優生保護法という名前であった。優生保護法も母体保護法も(優生保護法では障害児排除の色彩が強かったが)、基本線は母なる人の母体保護の観点から、堕胎罪の適用除外を定めようとするものであって、「胎児はいつから人間なのか」という問いに直接答えるものなどではない。母体保護法では、「胎児が母体外において、生命を保続することのできない時期における、医師の認定による人工妊娠中絶に対しては堕胎罪を適用しない。」と定められている。そうなると「母体外でも生命を保持できるまでに育った胎児」は、その時点以降は人間(というより、正確には未だ法律的人間ではなく「人間に準じるもの」といわねばならないのだろうが)と看做せるのだろうか?再び、ここでもその時期がいつなのかは、明確に示されていない。実際1953年(昭和28年)の厚生事務次官通知では、その「時期」の基準は「通常妊娠8ヶ月未満」(ということは「満32週未満」となるか)とされていたが、1976年(昭和51年)の厚生事務次官通知では「通常満24週未満」に変更され、さらに1990年(平成2年)の厚生事務次官通知において「通常満22週未満」に改正されて現在に至っている。つまり「準人間」になる時期も変動しているのだ。しかも、「個々の事例における時期の判定は、都道府県の医師会が指定した医師により判断される」。つまり、人工妊娠中絶実施限界とされる妊娠22週は、医師の判断によっても、その時期が変動し得るのだ。更には、死体解剖保存法という法律では、四ヶ月未満の死胎は人間の死体としては扱われない。だから、死胎が出るという話になると、製薬会社や化粧品会社の車が、密かに病院に乗り付けられたのだそうだ。一方で民法上では、相続、遺贈、損害賠償の請求に際しては、胎児であっても親子関係がはっきりしてさえいれば、人間としての権利を持っている。つまり、妊娠中の胎児であっても遺産相続人としての資格は持っているし、母親が事故にあったりした場合の損害賠償請求は、胎児の分も行うことができるのである。つまり民法では場合によって胎児も人間扱いされる。まとめると、日本の法律においては、先ず胎児は人間ではない。民法上は上記の三つのケースにおいてのみ人間である。と、そういうことになるのだ。(以上のかなりの部分は、『村上陽一郎著:「人間にとって科学とは何か」 新潮選書』を参考にしました。)・・・さて、これじゃぁどうもすっきりしないなぁ。ところで、日本には「お七夜」という風習がある。これは赤ん坊が誕生してから七日目(生まれた日も一日と数える)の夜に、赤飯や尾頭付きの鯛、昆布、紅白の麩などの祝膳を用意して家族で食べ、この日からお宮参りまでの約1ヶ月間、命名書を飾る。この風習は平安時代にまで遡ることができるそうで、「名づけ祝い」、「命名式」などともいわれる。お七夜といえば、なんの疑問も無くおめでたい行事だと思うけれど、その背景には少し怖いものがある。昔の日本では、赤ん坊が誕生しても、すぐにこれを公表したりしなかった。生まれてから七日間は内緒にしていた。この期間を通じて新しく誕生した子を、我が家の子供として認証し、育てていくかを考えていたのだそうだ。つまり言い換えれば、この期間内であれば、その家の当主の判断でその子を殺すことも捨てることも出来たのだ。七日目の晩になると、その子は晴れて人間と看做され、その家の子供として認証され、そして近所や縁者にお披露目され、家族から祝福を受けることになるというのだ。つまり、昔の日本は誕生しても七日間は人間ではなかったのだ。お七夜の本来はそういうことだったのだそうだ。今の日本の戸籍法では、誕生後14日目(生まれた日も入れて)までに、役所に出生届けを出すことに定められている。しかし、それまでの期間に赤ちゃんを殺傷すれば、当然罪に問われることになるのは勿論である。「いつから人間になったのか」は、色々調べてもどうも曖昧ではっきりしないが、最近では「いつまで人間なのか」も問題になっているのはご存知の通りだ。「人間である」ということの大前提は「生きている」ということであるが、この「生きている」ということも、人間に限って生物学的な意味と、哲学的というか倫理上の意味が絡み合っており、その両者は明確には分かちがたい。こうなると、「人間であることが分からないまま考え続けるのが人間である」となってしまうのだろうか?(この稿未だ続く)
2010.08.28
コメント(0)

☆ 8月27日(金曜日) 旧七月十八日 戊申(つちのと とり) 赤口: 【人間は考える竹輪である】「人間は考える葦である」、この言葉は17世紀のフランスの哲学者であったパスカルによるものとして有名だ。「人間は物理的には弱く卑小な存在に過ぎない。しかし考える力を持っていることによって、何よりも高貴な存在たりえる。だから考えることで、我々は自らを高めよう。」という主旨の言葉である。こういう言葉は何世紀も経った後でも、我々の心に響いてくる。人間はまことに考える葦である。しかし、生き物としての人間を考えてみると、「人間は考える竹輪である」といえるのだ。我々は、最初は一個の受精卵(細胞)から始まる。旅立ちの場所は母なる人の胎内である。細胞は受精後数日かけて、細胞分裂しながら子宮内に落ち着き、そこでさらに分裂を続け、やがて中空の細胞の塊(胚盤胞)になる。この段階では、つまりはゴムマリのようなものだ。暫くすると、ゴムマリの一部がくびれて内側に向けて陥没し始める。陥没の先端が反対側に達したところで、先端部が融合して、その部分に穴が開く。ここでゴムマリは一本の管になるのだ。この後は、この管の形を基本的に維持したままで、各部分が発達・分化していく。手や足や何やかやが出来ても、それは管の外側の表面が出っ張ったりへこんだりすることであって、一本の管であることには変わりがない。同じように管の内側でも発達・分化が進み、それらが胃や腸を作っていく。しかし相変わらず基本的には一本の管であることに変わりはない。数学に「位相幾何学」という分野がある。英語ではトポロジーといい、「柔らかい幾何学」とも云われている。トポロジーでは、ある形を連続的に変化させていくことで出来上がる色々な図形を数学的には同一であると考える。粘土のお団子を一本の穴で貫くとドーナツのような形が出来るが、このドーナツを引き伸ばせば管になる。この管の様々な場所を、引っ張ったりつまんだり、或いは膨らませたりすると、複雑な形を作ることが出来る。追加の穴をあけたり、くっつけたりしてはいけないのが、ここでのルールである。こうすればドーナツ(管)は取手の付いたコーヒーカップに変形させることも出来る。しかし、上のルールに従う限り、メガネや(ただし、レンズの無いメガネだが)クラッカー(穴が幾つも開いている)は作れないし、日本の茶碗(取っ手が無い)も作れない。穴を開けたり、或いは塞いだりしないと作れないメガネや茶碗は、ドーナツ(管)とはトポロジー的には別物なのである。頭の中で周りのものの形をトポロジー的に色々変化させてみて、別の何ものがトポロジー的に同じかを考えてみるのは、ちょっとした頭の体操にもなって面白い。しかし、ここではこの話はこれくらいにしておこう。さて、人間は口から肛門に穴が貫通している管なのだというと、いやいや、人間の体にはそれ以外にも色々沢山の穴が開いているじゃないか。そう思われるかもしれない。しかし、これらの穴は全て袋小路なのである。耳の穴も尿道孔も、胆管や膵菅など、消化器につながる穴も、肺につながる気道もすべて行き止まりの袋小路で、管をトポロジー的に変化させないで作ることが出来る。これは人間だけのことではない、すべての動物は同じく一本の管なのだ。それでも「一本の管」というのでは、何となく無味乾燥な感じがするから、「一本の竹輪」ということにしよう。竹輪は柔らかいし、生きてはいないけれど管よりは生き物のアナロジーとしては相応しい(それに何より美味しい)。ここで、パスカル以来の人間の定義を改めることにしよう。「人間は考える竹輪である」。中々いいじゃないか。これは、私が勝手に云っていることではない。分子生物学者の福岡伸一さんも云っていることなのだ。(この稿続く)
2010.08.27
コメント(0)

☆ 8月26日(木曜日) 旧七月十七日 戊申(つちのえ さる) 大安: 今「円高危機」がしきりと叫ばれている。だけど私にはどうも釈然としない。日本の円は米ドルやユーロに対して高くなっている。これは背景に円を発行している日本という国が、アメリカや欧州諸国に対して、より信用信頼されているということだ。だったら円高というのは日本にとって良いことではないか?それなのにテレビの定時ニュースでも「円高危機」は枕詞のように使われている。日本が信用・信頼されているのに、危機だというのは変じゃないか?実際には、日本への信用・信頼は積極的なものではなく、アメリカや欧州の方が「より不安だ」という消去法の結果で円が選ばれているということらしいが、それでも本質は同じだ。どうして、事あるごとに「円高危機」などと言うのだろうか?色々考えてみると、通貨の価値を決めているのは、一部の「思惑」や「風聞」によるものだ。どうもそういうことらしいと思えてきた。通貨は、それ自体「製品」として自己完結していない。製品やサービスなどとの交換に用いられる。そして異なる通貨同士も交換される。財務省によれば、一万円札の製造原価は一枚約22円、五千円札は約21円、千円札は約15円だそうだ。しかし22円を持っていっても一万円札は買えない(買えたらいいのに!)。お金の価値というのは、お金自体には無く、その背後にある何ものかによるのだ。昔は金本位制といって、通貨価値は金という金属の量と連動していた。このワインは金何グラムの価値に相当するか?それを日本では幾らの円で購うことが出来るか?アメリカでは同じワインが何ドルで売られているか?そうなると円とドルの間はどういう比率になるか?・・・例えばそういう比較法によって通貨間の比率(為替レート)は決められた。この場合地球全体での金の総量が決まっていれば、分かり易い気がする。しかし実際には金は未だ採掘されてその分増えている。一方では工芸品や装飾品、電子機器やその他の分野でも使用されて、その分散逸して減少していく。即ち金の総量は一定に決まっていない。金以外に地球全体での総量が常に一定に保たれ、全く使途が無い物質があれば、それを通貨価値の根拠に据えればいいけれど、そんな物質は見つかっていない。だから、何かの基準を設けて様々な通貨の価値を一様に決めていくことは困難だ。それならそんな基準を探す代わりに、通貨自体を共通の舞台で流通させ、相互に交換させることで交換価値が自ずと決まれば、それでいいじゃないか。そういう考え方になる。国や法律ではなく、お金そのものに自らの価値を決めさせる放任主義だ。外貨為替市場というのはそうして出てきたのだろうと私は思うのだが。こうなると、これを儲けるネタにしようという人間が必ず出てくる。必ず、だ。彼らは自分が持っている通貨が他の通貨に対して高くなれば儲かる。逆に廉くなれば損をすることになる。しかし、お金を使わなければ現実に意味は無いのだから、此処で言う儲けとか損は、あくまでも(実際に製品やサービスを購入するまでは)数字上の抽象的な意味でしかない。欲張り人間は、数字上の儲けを追求して一生懸命になる。そこで、ある通貨がこれから相対的に高くなりそうだと思えば、未だ高くなる前に「買おう」とする。逆に手持ちの通貨が今後廉くなりそうなら、値下がりする前に「売って」他の通貨に換えておこうとする。この「前に」というのが大事なのだ。つまりは、為替は予測で動くのだ。「予測」というと科学的な根拠があるような匂いがするから、面白くない。「予想」でも未だ勿体無い。これは「思惑」とか「噂」と言っておくのが適当だ。そして、そういう思惑や噂をもとにして他を出し抜くのだ。つまり抜け駆け。抜け駆けに勝った者が数字の上で「儲け」、遅れを取った者は「損」をすることになる。これらはお金でやり取りされる実際の製品やサービスの価値とは全く関係が無い。此処に現実面で大きな問題が生じる。始めの方で、「今の円高は日本という国が、アメリカや欧州諸国に対して、より信用・信頼されている所為だ」と書いたが、これは最早訂正したほうが良いだろう。正しくは「今、アメリカやヨーロッパより日本の方が未だ安全らしいという噂だから」円高になっているとすべきだった。此処までをまとめると、「為替の変動とは、欲張り連中が、実際の経済活動とは関わりなく、思い込みや思惑、又は風評で以って、少しでも自分の腹を肥やそうと蠢く結果として起こる現象である。」ということになる。違うだろうか?為替は従って、常時小刻みな変動を続けている。これは当然のことだし、自由経済を掲げる以上、欲張り連中が小刻みに儲けたり損をしたりするのは規制出来ない。動的バランスとして容認しなければならない。しかし、為替が大きく動いたり、或いは上昇・下降傾向を継続しそうなときには、実際の経済活動(お金の世界での数字上のやり取りを金融経済というのに対して、ものを作ったり売ったりする実際の経済活動は実体経済と呼ばれる)や、我々庶民の生活にも大きな影響が出てくることになるので、これは無視出来なくなる。例えば今のように円高になると、日本で作られた製品が海外で売れにくくなる。簡単のために1ドルが100円だったとする。ある製品を作るのに、原材料に20万円、下請会社での部品の加工賃に20万円、そしてメーカーでこれを製品として組み立てるのに20万円、つまりは原価が60万円だったとする(今の場合、流通経費や広告宣伝費などは考慮しないことにする)。最終製品は100万円で販売した(あくまでも一つの簡単な例です)とすると、製造会社での利益は40万円になる。今円高で1ドルが80円になったとする。日本では原材料は殆ど輸入に依存しているから円高になると原材料は廉くなって16万円になる。そうなると、製造会社の利益は4万円増えて44万円になる。10%の増益だ。いいじゃないか。日本の国内だけを考えると、円高は得である。輸入のワインやアメリカンビーフなどの輸入品は確かに廉くなるか、国内の販売元はより多くの利益が出るようになる。日本人が海外に旅行する場合にも、現地で色々なものが今までより廉く買えたり利用できたりする。しかし製品を輸出する場合を考えると、話は逆になってしまう。今までは(上の例では)製品を海外に1万ドルで売ることが出来た。ところが今度は、今までと同じ利益を確保しようとすると、現地での価格を1万2千500ドルにしなければならないのだ。その製品が日本でしか作れないものならまだしも(それでも値段が上がれば売れにくくはなる)、現地でも製造できたり、或いは他の国からも現地に入ってくる製品だったりすると、値段を下げないと競争できない。つまりは、今までどおり1万ドルで販売するという圧力がかかる。そうなると販売額は日本円に換算すると80万円になるから、製造会社の利益は20万円と半減してしまうのである。(輸入原材料の円高による値下がりを考慮すれば、利益は24万円となり、約39%の減少となる。)実際には、日本の製造会社と現地の販売会社などとの間では、引渡し価格などをドル建てで契約しているのが普通であるから、利益の変動の内の多くの部分はこれらとの取引から生じることになる。こういう利益の減少は製造会社が一人被るものではなく、当然関連会社や下請けにも波及する。そうなると相対的に経営の弾力性に劣る下請けなど、輸出関連の中小企業にはより大きな影響が出てくる。更には製造コストを下げるために、日本より人件費の廉い海外(特に東南アジアなどの発展途上国)に製造拠点を移す会社も増えていくから、今度は日本国内での雇用に大きな影響が出てくる。日本を支えるべき製造業が海外に出て行ってしまえば、産業構造の一部に空洞化ということも生じる。当然人件費も圧縮されることになるから、円高で輸入品や海外旅行が廉くなってもそれらを買える人間は少なくなってしまう。企業の業績が悪化すると、国の税収は減り、社会保障など色々な分野へのお金が出なくなる。膨大な国の借金も返せなくなる。つまりは、日本という国は経済的に信用も信頼も出来ない国に堕ちてしまう恐れがあるのだ。「日本は信頼できる」、「未だアメリカや欧州より大丈夫らしい」として円高になった結果がこれだから、考えれば皮肉な話だ。しかし円高に走っている連中には、「今」と「自分の損得」しか眼中に無いから、こういう大視野など望むべくもないのである。円高危機の「危機」の本質は実はここにあると私は思う。これは円高だけではなく円安の場合も同じである。要するに、一部の欲張り連中が、思惑や噂で我々の世界を引っ張りまわしているのだから、此処を何とかしない限り根本は変わらないはずだ。こういう状況で政府(日銀)が出来ることは二つ有る。ひとつは高くなりすぎつつある円を政府として売ることだ(それはドルやユーロを買うことでもある)。これを「市場介入」という。極端に言えば、欲張り連中が買いたいと思う以上に円が市場に潤沢に出回れば、円を買おうとする意欲は沈静に向かい、円高傾向は抑制される。トイレットペーパーだってマスクだって円だって、品薄になれば値段は上がり、充分に供給されれば値段は下がる。しかし、この場合政府は円を売って別の通貨を買わなければならない(そのためには日本政府は充分な資金が必要である)から、日本政府だけが単独には出来ないところに問題がある。もう一つは金利である。政府(日銀)の決める金利を公定歩合という。これは日銀が企業に貸し出す場合に適用される金利である。公定歩合を上げれば円を持っている人は利息が多く付くことになるから、余計に円を手に入れようとする。逆に公定歩合を下げれば、金利の上では円の魅力が下がり、従って円の価格は下がる方に向かう。しかし、これも今の日本の場合、公定歩合は0.1%と既に非常に低い水準にあるからこれ以上下げるのは難しいらしい。しかし、欲張り連中は再び噂に敏感である。政府や日銀が為替市場に何かしそうだという噂が流れると、為替は敏感に反応する。現に昨日辺りから政府首脳がしきりと色々なメッセージを流しているが、その度に円の価格は小刻みに反応している。だから、いっその事政府側から強烈なメッセージを流せばよいと思うのだが、実際のところ中々手詰まりでそうもいかないらしい。何れにしろ、欲張り連中(これを投資家というけれど、より正確には投機屋とかばくち打ち程度に云う方が良いと思うのだが)が、実際の我々の現実の世界を左右するほどの存在になってしまっているのが大問題であると私には思えるのだ。マスコミは「円高危機」と、あたかも遍く我々がその責任の一端を負うべき普遍的な危機のように云うが、これは一部の人間による人為的で作為的な行為の結果である。円高危機と聞いて我々までもが一緒になって訳知り顔に眉を曇らせるのはむしろ滑稽なのだ。投資家・投機屋の見識の無さこそ糾弾すべきではないのか?こういう見地から報道や解説をするところが皆無なのはどうしてなのかは分からないが、歯がゆい限りである。最後に、円高であろうが円安であろうが、結局銀行は損をしない、ただ得をする立場に居る存在であることも付け加えておきたい。(これを書き出すときりがなくなるから。)
2010.08.26
コメント(0)
☆ 8月22日(日曜日) 旧七月十三日 辛丑(きのえ たつ) 先勝: 【このブログは実際には8月27日に書いています。】民主党の代表選挙は9月14日(火曜日)に投票が行われる。菅さんが立候補することは既定のこととして、昨日(9月26日)の朝になって、小沢さんもとうとう立候補するということになった。つまり今度の民主党の代表選挙は、菅さんと小沢さんの二人で争われることになるのは、これで概ね間違いない。「何だかなぁ・・・」というのが、そのニュースを聞いた私の印象だった。「何だかなぁ・・・」というのは文字通りそのままの意味で、期待するとか驚くとかいう感情は入っていない。本来民主党という一政党の中でのリーダーの選挙だ。私は民主党員ではないから、そういう意味では特段の関心なんかは無い。日本の総理大臣は天皇陛下によって任命される。しかし、これは形式上のことであって、陛下がご自身で人選をされるわけではない。国会議員の選挙によって首班に指名された人物を陛下が任命される。陛下は淡々と(だと拝察する)これを受けて正式に任命なさるわけだ。ここで、「ちょっとこの人はどんなものかねぇ」と仰れば、中々面白いとは思うのだけど、恐らくはそれは出来ないだろうし、陛下もそんなことはおくびにもお出しになったことは無い(と思う)。国会議員の選挙になれば、最大議席数を占める党の推挙する人間が選ばれる。今までの場合、それはその党を代表する人間であった。だから、民主党の代表選挙とは日本の総理大臣を決める選挙だということになる。この過程で、議員を選ぶ選挙は有権者国民の投票によって行われるが、党の代表選挙や国会の首班指名の投票には、国民は参加しない。ここには「多数の玉突き」という理屈が適用される。「有権者国民の多数が選んだ議員の、多数を占める政党が、多数の党内有権者で選んだ人物だから、国会では多数の議員によって政府首班に選ばれる。天皇はその通りに任命なさる。だから結局は間接的だけど有権者国民が選んだのだ。」と、そういう論理である。しかし、我ら有権者国民としては、国の代表となって政治を動かす人物の選定まで、○△党に頼んだという積もりは実際には余りないから、何だか直接自分たちにかかわる人物を勝手に決められているような気分になる。だから「何だかなぁ・・・」なのである。それにしても、小沢さんはどうして立候補するつもりになったのだろうか?自分の政治資金問題には、ご自身は「清廉潔白」だと思っていらっしゃるのだろうし、立候補する事によってそれを公に表明することにもなるのだろう。しかし、検察審査会の云々は未決であることには変わりない。日本人はこういう面には(自分のことは棚に上げて)非常に潔癖症だから、どうも小沢さんのイメージは良いとはいえない。それに小沢さんには「胡散臭さ」が付いて回る。ご本人には失礼でお気の毒だとは思うが、小沢さんが動いたとなると、どうしても「ウラに何かあるぞ」と思わせてしまう。あの方は慶應大学のご出身だそうだが、小沢さんと「慶應ボーイ」のイメージは結びつけるのは難しい。本当に失礼だとは思うが、そうなんだからしょうがない。だから、小沢さんが民主党の代表戦に勝利し、従って内閣総理大臣に就任すれば、自民党や他の野党の中から人を集め、小沢流大連立政権を作る。そういう挙国内閣なんてものを作っちゃうんじゃないか、などという感じがしてくる。それも「未曾有の国難に直面するに際し・・・」などと外に向けては仰りながら、実際は密室で根回しを進めていく。そんなことを思ってしまう。鳩山さんや菅さんにはそういう雰囲気はなく、その辺が「小沢さんにはリーダーシップがある」と思わせる要因なのかもしれない。ほぼ一年前に民主党が第一党になり、政権政党になって、鳩山さん、菅さんと二人の首相を我々は経験した。色々どたばたギクシャクしてきてはいるけれど、少なくとも共通する印象はある。それは、「以前より政治の世界が見えるようになった」という印象である。自民党の時代の政治も政治家も、基本的姿勢は「民は依らしむべし、知らしむべからず」だった。それが民主党政権になって「開かれた」という感じに変わったのは確かだ。しかし我々日本人は独特の感性を持っている。秘密にされると無闇に知りたがる。同じ秘密を共有している感じがもてないと僻む。しかし、秘密が一旦明らかになると、すぐに飽きる。そして「あの人は口が軽い」と謗りすらする。だから日本においては「云わず語らず」が権力とか権威の源泉であった。国民の側では「知れ、悟れ」が、期待される条件であった。つまり日本は、言葉は軽んじられ、寡黙であることが尊ばれ、表情を読み、ハラを探り、密やかにことを進めることが好まれる国だったのである。我々はそういう感性を持っている。いわゆる先進諸国と呼ばれる国々では、言葉が自己主張や交渉、ひいては相互理解の道具である。それに対して、日本では言葉を惜しむことが権威や力の表象であるとされるのだ。だから今までの民主党政権は国民の間に「頼りない」という印象を強くしてしまったのである。この点、鳩山さんも菅さんも大した違いはない。「開かれた」という印象を与えると同時に、「有限不実行」、「頼りない」という印象も与えてしまったのである。その点小沢さんは余りものを仰らない。すぐにどこかに雲隠れなさる。人の話を聞くときには、瞑目なさっていて何だかよく分からない。この辺はまさに旧世代の政治家だ。つまり怪しげである。その怪しさが、却って「力がある」、「豪腕だ」、「強いリーダーシップがある」とされるのである。言い換えれば日本人の伝統的な感性では、小沢さんの方が指導者らしい雰囲気を持っているのだ。つまり、民主党の代表選挙は、日本人の政治に対する旧感性と新感性との葛藤でもあるといえるのだろう。自民党の大島さんが仰るように「コップの中の争い」よりも、もっと大きな意味が有ると思う。それにしても、今度の代表選挙は菅さんにとっても小沢さんにとっても、その後政界に残れるかどうかの分かれ目になるだろう。だからご両所にとっては、本音では代表選挙というよりは生存競争としての意味の方が強いだろうと思う。国民の側も、これでより政治への期待喪失に向かうのか、或いは渡辺喜美さんの党になだれ込むのか、今度の代表戦の結果、何らかの胎動が始まるような気がする。いずれにしても最近は、国民の側に政治リテラシーというものが折に触れて問われているように私には思えるのだ。因みに、菅 直人 1946年(昭和21年)10月10日生まれ、 戌歳 てんびん座 62歳小沢一郎 1942年(昭和17年)5月24日生まれ、 午歳 ふたご座 68歳ついでに、渡辺喜美 1952年(昭和27年)3月17日生まれ、 辰歳 うお座 58歳である。
2010.08.22
コメント(0)

☆ 8月21日(土曜日) 旧七月十二日 辛丑(みずのと う) 赤口: ちゃんとした本屋に行くのはうれしい。私のお気に入りは、丸の内の丸善本店と、池袋の駅の外れにあるジュンク堂本店だ。どちらの本屋も複数のフロアにまたがり、文字通り山ほど沢山の本が揃えてある。ジュンク堂は8階建てのビル全部が書店で、8階の語学・参考書のフロアから、7階の理工学書、医学書、経済・法学書、人文書、文芸書・・・と続き、1階には精算用の総合レジが並ぶ。(地下にも何か並んでいるが、此処は行った事がない。)レジは1階にしかなく、各フロアはひたすら本を探し、立ち読み(椅子も置いてある)する場所である。いつ行ってもレジの前には人の列が出来ており、それを見ればまだまだ書籍文化は健在であるとほっとする。東京は日本の政治・文化の中心地だとされているから、方々にちゃんとした本屋があるかといえば、それがそうでもない。大きな駅の構内や、私鉄の駅の駅頭には大抵本屋があるが、そういう本屋は通りすがりに立ち寄る本屋で、そういう人たちに向けての品揃えしかしてない。つまり、コミック本や、新刊の文庫本、話題になった小説の単行本、社会や政治(のウラ話)を暴き、バイアスの一杯かかった自説を売り込もうとする「プロパガンダ本」、別にどうでもいいようなことに関しての「教育・教訓本」・・・。こういう本屋は時間潰し用の本を買うために立ち寄るのがせいぜいである。丸善本店や、ジュンク堂のような規模の本屋に行けば、書物の中を徘徊できるという楽しみがある。先日ジュンク堂に行って、(暇だったし、何となく心寂しかったので)普段は行かない書架を巡って歩いた。獣医学と表示された書架には、「小動物の外科手術法」とか「伴侶動物の救命救急法」、「小動物の神経症大全」などと言う本が並んでいる。皆堂々とした分厚い専門書である。別の書架へ行くと、「秩父の山林の野鳥」とか「埼玉県の地質的基礎」などがある。更には、「日本のトンボのすべて」という本の隣に「赤トンボのすべて」という本が並んでおり、「赤トンボ・・・」の方が分厚くて立派で可笑しい。こういう本の著者は、自分の著作が多くの読者に読まれることを期待しながら一生懸命に原稿を書いたのであろう。書架に並んだ本たちは、私が手に取ると「この人は読んでくれるのだろうか」と、密やかな期待のオーラを送りつけて来るように思える。私は結局こういう本たちを買って読むことはないだろう。気まぐれに本を手にして、ぱらぱらと頁を繰るしかしないだろう。そうして本を書架に戻すと、何となく本の緊張が解けて、ホッという溜息が聞こえてくるようだ。しかし、刹那のそして恐らくは一期一会の邂逅を通じて、本とその後ろにいる著者の「気」に触れることが出来たような気持になるのだ。ちゃんとした本屋にはそういう楽しみがある。先日は7階にある理工学書のフロアを中心に徘徊した。そしたらそこの平積みのコーナーにディラックの「量子力学」を見つけて驚いた。発行元は岩波書店である。これは、朝永先生や、玉木、木庭先生などの翻訳による、P.A.M. Dirac著「量子力学 原書第4版」 の復刻版であった。オリジナルの日本での出版は1968年(昭和43年)である。私は大学時代、生意気にも出版早々にこの本を買ってきて、独りで苦労しながら読んでいたのだ。内容は勿論高度なものであったが、有名なブラケット記法は美しく、ややこしくも複雑な解析中心の本と較べて、思いのほかすんなりと頭に落ち着いたような気がして(あくまでも「気がした」だけだったと思うが)、読んでいるのが楽しかった。そして、誤植(計算ミスではないと思う。単なる誤植であったろうと思う。)がやたらと沢山あって、それを見つけてほくそ笑むという楽しみもあった。そうか、こういう本が復刻されるのか。それで、ふと思いついて一階上の語学コーナーに行ってみた。そうしたら有ったあった! 「英文解釈」と表示された書架に、研究社の『新々英文解釈研究』が並んでいるのを見つけたのである。私達はこの本を「ヤマテー」と呼んでいた。著者は山崎貞氏なのだ。先日同期会の集まりで、我が高校の英語教育の水準は凄かったという話になり、最近その「ヤマテー」が復刻されたのだということを誰かが言っていた。その本がちゃんと並んでいたのだ。「ヤマテー」の新々英文解釈研究は全部で112節に分かれており、それぞれに特徴的な英語の構文が合計で約千ほど掲げてある。私の卒業した高校では、この本を教材にして、正規の授業ではなく課外で勉強させ、定期的に試験を課していたのだ。要するに丸暗記させたのである。しかし、丸暗記というものが苦手で大嫌いだった私にも、ヤマテーだけは面白かった。掲げてある例文は教科書に載っているような無味乾燥なそれではなく、それぞれに如何にも英語らしい(と私は勝手に感じていたのだ)ものばかりで、暗記の課題としてよりもむしろ生きた英語表現として読んで楽しむことができたのだ。書架に数冊並んだヤマテーの内一冊だけが、閲覧用としてビニールの封印がかけられていない。(他のヤマテーは、すべて透明なビニールで丁寧に包み、封印してある。)それを手にとってパラパラめくってみると、懐かしい例文がどんどん出てくる。He is an oyster of a man. She is an angel of wife. ・・・・そう、この文、あったあった。そして、What is learned in the cradle is carried to the grave. そうそう、これもちゃんと覚えている。まさに「三つ子の魂百まで」だ。新々英文解釈研究は、1925(大正14)年の初版発行である。それを我が校は1960年頃から課外教材として採用していたようだから、もうその頃でもこの本は発行後30年以上経過した、参考書の古典だったはずだ。記憶の連鎖は続く。当時の我々にとってはもう一つの英語の課外教材があった。「マメタン」である。通称「赤尾の豆単」と呼ばれたこの本は、旺文社から出ていた「英語基本単語熟語集」(これは通常の単行本の大きさの本で「オヤタン(親単)」と呼ばれていた)の小型版で、初版発行はこれも古く、1942年(昭和17年)である。昭和17年といえば、日本は既に鬼畜米英を相手の戦争中だったはずだが、その頃は未だ学生は英語を勉強することが許されていたのだろうか?「マメタン」は文庫本の半分くらいの大きさで、表紙は赤いビニール装だった。頁を開くと、a、 abandon、 abbot、 abbreviate、 abdomen、 abduct、 ・・・・・ abyss、と続く(未だちゃんと覚えている)。我々はこのマメタンの指定された範囲の頁を暗記させられ、毎日授業の始まる前にテストを課せられたのだ。当時の我が高校の生徒は、いつもどこでもこのマメタンを持ち歩いていた。通学のバスの中で赤表紙のマメタンを開いている学生がいれば、それは間違いなく我が高校の生徒だったのだ。黒っぽい制服姿の高校生が、一様に赤い分厚い手帳様の本に首を突っ込んでいるのは、思えば異様な光景である。同じバスに乗り合わせる他校の生徒(我が校と長良川を挟んで反対側には、二つの高校があり、その内の一校は可憐にして美しい女生徒が沢山いるのが有名で、我が校の男子生徒の垂涎の的であったのだが)からは、一種の侮蔑と顰蹙を買っていたようだ。まぁ、今でいえば絵に描いたようなガリベン風体がウザッタかったのでしょうな。その後1966年(昭和41年)になって、我が校の「マメタン伝統」は中国共産党に注目されるところとなり、「毛主席語録」として数多の紅衛兵の必携品となったのは、有名である。(嘘です)ただし、マメタンの方は絶版にはならず、今も旺文社から後継本が継続出版されているようだ。単なる暗記本であったマメタンはさておき、今回ディラックの量子力学とヤマテーの復刻版にジュンク堂で出会うことが出来たのは、大いに懐かしかった。ただしディラックの復刻本は6千円、ヤマテーの方は3千円と高い!(どちらも税別価格)どちらも、こんなに高い本ではなかったはずだ。だから私も懐かしくは有ったが、購入するところまではいかなかった。この本たちも、私が書架に戻したときには、緊張が解けてホッと溜息を漏らしたことだろう。私は今後もちゃんとした本屋に徘徊しに出かけていくつもりでいる。
2010.08.21
コメント(2)

☆ 8月20日(金曜日) 旧七月十一日 辛丑(みずのえ とら) 大安: 【夜間飛行 ? 続き】「夜間飛行」は約半日以内の時間に起こった出来事の話である。ファビアンの郵便機がサンフリンからブエノスアイレスに向かって飛び立った夕刻から、嵐の中で消息を絶つ真夜中過ぎまでの、短い時間の出来事が、文庫本にして120数ページ、23章の中に凝縮されている。今度、随分長い時間の後で再読してみて、私には操縦士ファビアンよりも、むしろ郵便機の会社の社長であるリヴィエールという人物が強く印象に残った。リヴィエール社長は、まだまだほんの黎明期にあり、世論や官庁の批判も疑念も強い中で、夜間飛行による郵便業務を何か軌道に乗せようとしている。そういう中で、リヴィエールは不可避的に操縦士や通信士の命を連日、夜間飛行という危険に直面させなければならない。しかし、彼は操縦士に対して厳格に規則遵守、時間厳守を求める。天候のせいで遅れても、遅延は遅延だと減給や処罰の対象とする。空を飛ぶ者たちだけではない、地上勤務の者たちにも、彼の態度は極めて峻厳である。他社からの部品に責を求めるべき不具合であっても、容赦なく長年献身的に働いてきた人間を処罰し切り捨てる。リヴィエールは操縦士を含む社員に対し、決して情状を斟酌したりしない。あからさまな同情もしないし、ねぎらいの言葉をかけることも無い。物語の中でリヴィエールの心情はこう記される。(以下は光文社文庫の二木麻里さんの翻訳文による。以後の引用も同じです。)『・・・リヴィエールにとって人間とは、こね上げられるべき蝋の素材に過ぎなかった。この物質に魂を与え、意志を創造しなければならない。だが峻厳さで人びとを服従させるのではない。自己の限界を打ち破るよう彼らを駆りたてることが重要なのである。あらゆる遅延を罰すれば、それは不公平なことだろう。しかしすべての飛行場に、出発への意志をもちつづけるよう仕向けることになる。彼はその意志を創り上げていた。飛べない天候を、休息への誘いであるかのように歓迎する、そんなことは誰であろうとゆるさない。ゆるさないからこそ作業を貫徹する気概が生まれ、名もない雑務係までが待機時間をひそかな屈辱と感じるようになる。』・・・・『(リヴィエールは)おそらくは部下たちを苦しめていただろう、だが強い喜びも与えていたのだ。「ひとは追い込まなければだめだ」と思っていた。「苦しみと喜びが共に待つ、強い生にむけて追い込んでやらなければだめだ。それ以外、生きるに値する人生はない」』唐突だが、私は最近「真夏のオリオン」という映画を観た。しばらく前に封切られた映画だが、終戦記念日に合わせてテレビ放映されたのだ。これは太平洋戦争の終結の間際、沖縄沖に集結する米軍輸送船団に、最後まで残った日本帝国海軍のイ-77号潜水艦が単独で戦いを挑む物語である。潜水艦の艦長は倉本という若い海軍少佐である。倉本艦長は冷静にして深慮を巡らす艦長で、乗組員に接する態度は当時の帝国軍人とは思えないほど優しい。言葉遣いも命令口調ではない。同乗している回天の乗組員が、最後の出撃を要請しても、「もったいない」と肯んじない。もったいないとは、「そんなことで一つしかない命を捨てるのはもったいない」という意味だ。米軍駆逐艦の爆雷攻撃を受けて、海底に着艇し逼塞している間に、最年少の兵に、陸に残してきた女性から送られた手書きの楽譜を渡して、これをハモニカで演奏するように頼んだりする。楽譜に書かれている曲の題名が「真夏のオリオン」である。映画は戦後随分経った現代、ハモニカを吹いた少年兵が、訪ねて来た倉本艦長の孫娘に回想を語る形で展開される。リヴィエール社長と倉本艦長。この二人とも優れたリーダーであり指揮官である。しかし、二人のスタイルは、片や極めて厳格で、部下の前では「私」は無く、片や部下に優しくボタンのかけ忘れまで気遣ってやると、大きく異なる。リヴィエール社長は、実際には厳格一色の人間などではなく、心底では社員に対する親愛と同情に溢れている。しかし、それを表に出すことを自らに禁じており、それ故にいつも大きな葛藤を抱えている。彼は孤独であるが、その指揮、命令は誤ることは無く、社員からは恐れられながらも忠誠心を得ている。倉本艦長は、乗組員に対する親愛と同情を隠すことはしない。しかし、戦闘の局面々ゝにおいて彼の下す指示・命令は実に的確である。そして、やはり部下からは深く信頼されている。こうして二人を並べてみると、指導者、或いはリーダーとしてはどちらがより優れているといえるのだろうか。リヴィエール社長と倉本艦長、両者のマネジメントというものに対する姿勢は、お互いにヴェクトルが逆向きである。片や部下に対して、優れたものも劣ったものに対しても、一段と高い目標とか理念というものを掲げ示し、それに向けて邁進することを督励、というよりむしろ強制することによって組織を統率していこうとする。一方は、同朋意識や信頼感を醸成することで、組織を束ねていこうとする。どちらがどういう結果をもたらすかは、全く予想は出来ない。目標や状況によって、どちらにとってもどんな結果でも有り得る。両者に優劣などは付けられないのだと思う。一般には、倉本艦長のほうが好まれるだろうし、リーダーとしてもその方が心地よいから、リヴィエール社長より倉本艦長型になりがちだろう。私もそうであった。従業員を励まし、褒めてやり、一緒に酒を呑み、ご馳走し、悩みを聞いてやり、相談に乗りと、殆どおもねるような有様だったように思う。当時は、彼らを励まし、動機付け、親愛の情をつなげば、彼らはやる気を出してくれ、奮起してくれ、その結果会社も報われるだろうと信じていた。結果はしかし、悉く失敗であった。やる気を出すはずの彼らは、それぞれ勝手な方向に動いただけだった。危機に臨んでもそれまで「一蓮托生」などと言っていた奴から先に遁走していった。私は倉本艦長などには到底なれなかったのだ。或いは倉本艦長のマネジメントスタイルは、個人としての力量に優れ、能力的にも精神的にもある程度以上の水準を持っている集団においてのみ成立し得るものであるのかもしれない。リヴィエール社長の場合、夜間飛行を軌道に乗せるためには、自然の脅威、人為的過誤、そして当時の政治的圧力が障壁として立ちはだかっていた。そういう中で、局所的な事故や小さな成功に囚われず、遥かなゴールを目指して進み続けるためには、自らは同情と統制の間の矛盾と葛藤を抑え込みつつ、従業員の好意など期待せず、挑戦し続けなければならない。そのこと自体が、そしてそのことのみが、自分にとっての成功なのだ。そういうことなのかもしれない。私はそういう点でも、思えば極めて軟弱であった。従って私はリヴィエール社長にも到底なれなかったのだ。久しぶりに再び巡り合ったサンテグジュペリの「夜間飛行」は、短い物語にも関わらず、私には随分重いものを渡してくれてしまったような気がするのだ。ところで、幾ら赤道近くの海だとはいえ、真夏にオリオン座が見えるものだろうか?仮に南半球に行っても東西は変わらない。天空を巡る星座も空に昇ってくる時期は変わらないはずだ。今はそちらの方が気になっている。
2010.08.20
コメント(2)

☆ 8月19日(木曜日) 旧七月十日 辛丑(かのと うし) 仏滅: 【夜間飛行 - 承前】サンテグジュペリの「夜間飛行」を読んだ。最後にこの物語を読んだのは、大学の研究室にいた時分だと記憶するから、もう40年ほども昔のことになる。当時は辞書を引き引きフランス語で読んだと思う(と、ちょっとカッコつけさせてください)。私は大学では物理学を専攻したが、第二外国語は生来のへそ曲がりもあって、当時の「常識」に反してフランス語を選択した。物理学を専攻する者はドイツ語を選択するのが当たり前だったのだ。しかし、当時の物理学の中心はもうアメリカに移っていたし、「ドイツ語なんか馬のしゃべる言葉だ」と、誰かの言葉に影響されてもいた(それが誰の言葉だったかは忘れてしまった)。それに何より、フランス語は数学科の学生と同じクラスで、数学科には数は少なかったが女学生がいたのだ。そうして読んだ「夜間飛行」だったが、端正なフランス語と、無駄なく刈り込まれた文章は、フランス語の初心者の入り口に突っ立っているような私にもしっかり響いてきて、大いに感動させられたことを覚えている。最近書店に行って、光文社から「光文社古典新訳文庫」というのが発行されているのを見つけた。その中に「夜間飛行」があって、研究室時代の感動を思い出して懐かしさが募り、買ってきて読んだのだ。無論今度は日本語であってフランス語ではない。「夜間飛行」は1920年ころの南米を舞台にした、郵便輸送に携わる飛行機の物語である。第一次大戦が終わって、飛行機は急速に進歩しつつあったが、その頃の飛行機は、有視界飛行のみで、陽のある中しか飛ばなかった(飛べなかった)。せいぜい払暁に飛行場を飛び立ち、薄暮の終わるまでに着陸するのがやっとだった。許認可をする役所のほうも、夜間の飛行は危険だからと禁じていたそうだ。それを、夜間にも飛行させるようにして、船や鉄道など他の物資輸送手段に対して優位に立とうとした企業が萌芽しつつあったのだ。そういう企業の一つが拠点を置くブエノスアイレスの飛行場に、その晩チリ、パラグイアイ、そしてパタゴニアから三機の郵便機が、集荷した郵便物を貨物室に積み込んで飛んでくることになっている。その晩の南アメリカ一帯は晴れ渡った良い天気で、恐らくは三機とも順調に飛行し、無事にブエノスアイレスにたどり着くことが出来ると思われていた。ブエノスアイレスでは積荷の郵便物を別の飛行機に積み替え、今度は欧州に向けて飛び立つ予定なのだ。ところが、夜が更けるにつれアンデス山脈からパタゴニア地方一帯に大規模な嵐が襲ってくる。当時の気象予報の力では予測もできなかった嵐だ。他の二機は何とか無事ブエノスアイレスにたどりついたが、パタゴニアから飛んでくるはずの、ファビアンという操縦士と通信士を乗せた飛行機だけが遅れている。当時の飛行機は、今の軽飛行機程度の大きさしかない。その飛行機に操縦士と通信士が二人で乗り込む。操縦士と通信士の間はメモを書いた紙を渡すか、肩を叩いたり身振りでのやり取りしか出来ない。無論レーダーなどは未だないし、GPSが発明されるのははるか後のことだ。地上の要所ゝにも航空標識などはない。自分が正しい航路に乗っているかどうかは、積んであるジャイロだけで推測するしかない。後は地上の特徴を目視して自らの位置を修整するのと、地上との交信だけが頼りだ。地上にまばらに配置された通信基地と飛行機との交信は、短波無線によるモールス信号だ。地上からの気象報告も同様である。従って飛行機の行く先にどんな天候が待ち構えているかも、正確に分かるとはいえない。嵐が雷雲を伴っていれば、空電の影響で通信は途絶する。しかも夜だ。晴れていれば見えるかもしれない地上の町の明かりも、天候が悪ければ見えない。嵐に翻弄されば方角は勿論のこと上下の感覚すら覚束なくなる。当時の夜間飛行というのはそういうものだったのだ。ファビアンの操縦する飛行機は、休憩に降りたサンフリンからブエノスアイレスに北上する途中で、嵐に巻き込まれてしまう。そして、悪戦苦闘の末、雲の切れ間から束の間見えた星の光に魅せられたように上昇する。やがて飛行機は雲の上出るが、そこは月の光に照らされた嘘のように静謐な空間だった。この辺は、宮崎駿のアニメ「紅の豚」の中にも似たシーンがある。空中戦に疲労しきった操縦士は、知らぬ内に厚く垂れ込めた雲の上に出ている。雲の上は晴れ渡り爽やかなまでの青空だ。そこでは多数の小さな点が集まり、一条の光の筋を為してはるかな高空を流れていた。それらの点一つ一つは、空中戦で命を落とした操縦士の乗る飛行機なのだ。「紅の豚」の操縦士はそれに気づき、思わず自分も光の筋に合流したい気持ちに誘われるが、何とか機首を下げて再び雲の中に降りていく。ファビアンの飛行機の燃料も程なくもう底をつく。銀色の月の光に照らされた雲の海の上、この上なく平和で静謐な世界に留まりたい気持ちを無理やり押し殺し、再び嵐のただ中に降りていく。彼を待つ者たちの待つ地上に、帰り着く戦いを再開しなければならない。やがてファビアンの郵便機は、「降下中。雲に入る・・・・」、「・・・・なにも見えない・・・・」という不明瞭な通信を地上に遺したまま、消息を絶つのだ。
2010.08.19
コメント(0)

☆ 8月18日(水曜日) 旧七月九日 庚子(かのえ ね) 先負: 佐藤春夫の詩に有名な「秋刀魚の歌」というのがある。1922年(大正11年)、春夫が30歳のときの詩だ。他のたいていの人も同じだろうと思うが、私はこの詩が、何かの理由でやもめ暮らしをしている中年の男が、一人で秋刀魚を焼いて食べるという、物悲しくもしんみりした秋の情景を詠ったものだと思っていた。「男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食ひて・・・」とか、「さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせてさんまを食ふは、その男がふる里の習いなり。」とか、特に「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせて、さんまを食ふはいづこの里の習いぞや。」とかいう辺りは、そういう情景にぴったりではないか。時は秋の夕暮れである。独り家を離れて暮らしている男が、軒先に七輪を出して秋刀魚を焼く。恐らくは広くもない庭の向こうには夕暮れの明かりを彼方に残した海が見える。(その方が絵としては良い。)男はやがて焼きあがった秋刀魚を皿に乗せて卓袱台に運び(これも卓袱台でなければならない)、青々とした柑橘類の汁を搾りかけて、独りきりの夕餉の膳とする。男の脳裏にははるか昔に離れてきてしまった故郷の夕餉の膳がよみがえる。・・・と、まぁそんな情景を詠ったのだと思っていた。ところが、実際のところは違うようだ。佐藤春夫はこの時、知人の奥さんに想いを寄せていたのだそうだ。知人とは文豪谷崎潤一郎である。潤一郎は常套的に女性に恋をするたちだったようで、この時も娘までもうけた千代夫人をほったらかして別の女性に走っていた。春夫はこの時期前妻と離婚してバツイチである。千代夫人に対する同情が、やがて恋心に変わっていった。この日も春夫は潤一郎が女性を追いかけて留守にしている小田原の家に上がりこんだ。そして亭主のいない家で、春夫は千代夫人の幼い娘も交えて、三人で夕飯を食べるのである。食卓の上には秋刀魚の塩焼き。千代夫人は、春夫の故郷(彼は今の和歌山県新宮市の出身である)では焼いた秋刀魚に青い蜜柑を搾りかけるのを聞き知っていて、この日もそれが用意してある。ところで、この蜜柑というのは紀州蜜柑であろうか?蜜柑の果汁は秋刀魚には甘すぎて合わないような気がする。やはり酸味が強く、香りの高いすだちの方が秋刀魚の塩焼きには相応しいと思うのだが。それとも紀州蜜柑でもまだ青いうちにもいで来ると、充分な酸味があるのだろうか?その場合、東京の店でもそんな未熟な蜜柑が手に入ったのだろうか?まぁ、あまり詮索するのはやめておこう。食事をしながら、千代夫人と谷崎の娘(だろうと思うのだが)は、覚束ない手つきで箸を操り、秋刀魚のはらわたの部分を春夫に「あげる」というのだ。秋刀魚のはらわたは大人には大いに美味だが、小さな子には苦くて、ぶよぶよで敬遠される。それにしても小さな子がそんなことをしてくれるのだから、その子は春夫に既になついていたのだろう。一緒に食事をするのも初めてではなかったはずだ。そういう擬似家族的な情景の中で、春夫はこの詩を得たのだ。何だか、私の想像上のイメージとはえらい違いだ。独り暮らしの男のもの哀しさなどではない。秋刀魚をつつく母娘を前にして、春夫は「この先二人をどうしようか」と、とつおいつ考えていたことになってしまうのだ。ものの本によると、この後谷崎潤一郎は親しい友人でもあった春夫に対して、「千代を君に譲るから貰ってくれ」ということになる。そして、「かくかく斯様な次第で、谷崎は妻千代を佐藤春夫氏に譲ります。」と挨拶状を方々に出してしまうのだ。それもあろうことか、挨拶状は谷崎、千代夫人、春夫の三者連名であったのだ。昭和5年(1930年)のことである。これは文豪の大スキャンダル「細君譲渡事件」として新聞でも大々的に報じられたそうだ。1930年といえば、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれ、翌昭和6年には満州事変が勃発する。この頃から日本はどんどん戦争に向かっていくのである。そういう時局下にあっての「細君譲渡」だ。一体世間はこれをどう受け止めたのだろうか。ただ、春夫は千代夫人と再婚し娘(名前は鮎子というのだそうだ。秋刀魚に鮎か、フム・・・・)も引き取って、その後は家族として円満に仲良く暮らしたそうだ。鮎子はやがて春夫の甥に嫁いだ。谷崎潤一郎のほうは、その後も延々と女性遍歴を続けたのは、周知の通りである。まぁ何だかなぁ・・・。何れにしても私の「秋刀魚の歌」に対する、脳天気な位に素朴なイメージは大きく変わってしまったのだ。ところで、その秋刀魚。いつも今頃になると東北沖で秋刀魚の初漁獲の報が入ってくる。ところが、今年は海の沖には秋刀魚の群れらしきものも見えず、大いに不漁だったという。初入荷の秋刀魚はせりの段階で一匹400円にもなったそうだ。原因はまだ分からないようだが、このところ平常事になりつつある異常気象の影響で、日本の周辺での潮の流れに変化が起こっているのかもしれない。これがこのままで推移すると、秋刀魚は高級魚になってしまう。一品270円の居酒屋チェーンの店では、先ず食べられなくなってしまうだろう。日本の秋の食卓には秋刀魚は欠くことが出来ない。焼き上がったばかりの、薄い皮がまだフツフツいっているのに、すだちを存分に搾りかけ、醤油を少し垂らして熱々の身を箸でほぐして戴く・・・。願わくば今年の秋もそうであって欲しいものだ。さて、以下にその「秋刀魚の歌」を掲げておく。スペースの都合で、オリジナルの段落は私の勝手で変えてある。往年のイメージを壊してくれた佐藤春夫先生へのささやかな意趣返しである。上の話を聞いた後で、皆さんにはこの詩、変わらずに響くだろうか?・・・・・・・・・・・・あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ――男ありて 今日の夕餉に ひとりさんまを食(くら)ひて思ひにふける と。さんま、さんまそが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせてさんまを食ふはその男がふる里のならひなり。そのならひをあやしみなつかしみて女はいくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。あはれ、人に捨てられんとする人妻と妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、愛うすき父を持ちし女の児は、 小さき箸をあやつりなやみつつ父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。あはれ秋風よ汝(なれ)こそは見つらめ、 世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。いかに秋風よいとせめて 証(あかし)せよ、 かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。あはれ秋風よ情(こころ)あらば伝へてよ、夫を失はざりし妻と、 父を失はざりし幼児とに伝へてよ――男ありて今日の夕餉に ひとりさんまを食ひて涙をながす と。さんま、さんま、さんま苦いか塩(しょ)つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせて、 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。あはれ げにそは問はまほしくをかし。・・・・・・・・・・・・
2010.08.18
コメント(0)

☆ 8月16日(月曜日) 旧七月丘八日 戊戌(つちのえ いぬ) 先勝: 随分前テキサス州のエルパソという町に滞在していた頃のこと。訪問先の会社の社長に、「今晩は友人の家に誘われているから、一緒に行こう。」と誘われた。エルパソは西部劇に出てくるような沙漠の街だ。街の南側、メキシコとの国境を、リオ・グランデという、「大川」という名前が恥ずかしいほどの川が流れている。街の北方にはフランクリン山という岩山が北に向けて走っており、その稜線近くの一角には赤いコンドルのような形の岩がある。この山の東側にはフォートブリスという空軍基地がある。空軍基地はNATO諸国の空軍の訓練所でもあって、ドイツ空軍や日本の航空自衛隊などもやってくる。エルパソの人たちは、「だからエルパソは国際都市なのだ」とそれが自慢である。しかし、それら以外は乾いた平たい土地が広がるばかりで、全てが常に蒼い空と眩しい日差しの下にある。社長が車で連れて行ってくれたのは、七曲の坂道を延々と登っていった山だか丘だかの中腹だった。なれない土地での夜間のドライブだったから、自分がエルパソのどの辺りに連れて行かれたのかさっぱり分からなかった。行き着いた先は鋳鉄製の門で、それが道を閉ざしている。門の向こうは緩やかな上り坂になっており、あちらこちらにあるライトに照らされて、幾つもの邸宅が並んでいるのが分かる。そう、遠目に眺められた家々は私の感覚ではまさに邸宅であったのだ。連れの社長は、門の前から誰かに連絡をしていた。これから訪問する先の家の主人だった。すると、やがて門がゆるゆると内側に開いて、私たちの車は中に入っていったのだ。訪問した先の家がどんな様子だったかは、もう何年も前のことなのでよく覚えていない。しかし、食後に通されたのは、こじんまりした居心地の良い部屋だった。向こうの家は明かりを惜しむ。日本のように天井から吊るされた蛍光灯が、部屋中をくまなく照らすようなことはない。ソファの脇に置かれたスタンドの明かりや、壁のペンダントライトが柔らかな光を投げかけ、部屋の其処此処に暗がりができる。それがそこに集う人たちの間に、密やかな親密さを醸し出す。その部屋では私たちを含めて2~3人のお客と、その家の主人との間で、何事か秘密めいた相談がされていたように覚えている。共通の知人にメキシコ系の若い芸術家が居て、その芸術家はまだ余り有名ではない。彼らはその芸術家を援助しており、様々なツテで彼(確かその芸術家は男性だった)の作品と芸術家自身を世に出そうというような話だった。その芸術家も招かれており、作品を幾つか見せてもらったが、ラテン系の血を感じさせる力強い印象を受けた記憶がある。私にも、日本の美術館に展示できないかという相談があったが、私には当時は無論のこと今だって、新進の芸術家の作品を美術館にねじ込めるようなコネも力も無い。エルパソは街の中心部こそ小都市の趣を呈しているが、その邸宅は何処だか分からないが郊外のしかも丘の上にある。夜はあくまでも静かで暗い。別の部屋の大きな窓から望む下界は、彼方にポツポツと黄色いナトリウムライトが見えるだけだ。この丘の邸宅地域一帯は、五合目付近で丘の周囲にぐるりとめぐらされた塀で、下界からは隔離されているのだそうだ。下界への出入り口は先ほど私たちが入ってきた門と、もう一つある門との二箇所だけだ。どちらの門もガードされており、住民の承認がないと開けられる事はないのだという。この丘に何軒の邸宅があるかは聞かなかったが、要するにそれほど数の多くも無い資産家連中が集い、一つの丘を占領して砦を築いているようなものだ。アメリカの中でもテキサス、しかも片田舎といってもいいエルパソ辺りで、こんなガードを施してまで周囲を遠ざける必要があるのかと不思議であった。しかし、その邸宅の主人に言わせると、周りには「好ましからざる」連中も居て、そういう人たちに煩わされたくはない。こうして塀をめぐらせた中で暮らしていれば、塀や門のお蔭で未知の連中は排除できる。たまたま邸宅の一つに空が出来て、入居を希望する人が出た場合も、住民の承諾がないと引越しして来られないようになっているのだそうだ。こうやって隔離され防御された中で、親密な人たちだけが集まり、心地よくしつらえられた部屋で、仄かな灯りの下、無名の芸術家を世の中に送り出す相談をしている。何だか私も夢心地の気分で、しかし心地よかった。アメリカ人は、開放的で、知らない誰とでも気さくに話し、ちょっと親しくなればすぐに家に招待される。その辺はヨーロッパとは違う。そういうイメージがあるけれど、そんなことはない。私の経験からすると、気さくなアメリカ人とは主に中流以下の人たちであって、金であれ地位であれ、何らかの特権を持っているレベルの人たちはむしろ閉鎖的であるといえる。アメリカ人が閉鎖的であろうとすると、それは徹底していて、塀をめぐらし出入り口には厳重に警備を布く。ことにテキサスは銃規制もゆるいので、門番だって馬鹿にしてはいけない、腰のホルスターには、ちゃんと実弾の装填された本物の銃が納まっているのだ。こういうのは特権意識と資金力に裏打ちされた差別だ。私は元来そういうのは嫌いなはずなのだが、当夜は、自分も世間から隔離され、差別される側ではなくする側に加えられているのが、実に気分が良く居心地も良かったのだ。結局私の平等主義などと言うものは、抽象的で理念的な範囲を超えられるものなどではないのだろう。本当は自分が好まないものを排除し、不愉快な状況を外部に遮断して、同好同質の人同士で閉鎖的にしていたいのだが、それが出来る資金力が無いだけのことなのだ。エルパソの資産家の邸宅から、滞在していたモーテルの部屋に戻って、殺風景な部屋に今更ながら寒々しい思いをしながら、そんなことを考えていた。広く人と交わり、つまり社会の中で生きていくというのは、周囲に猥雑さを許容することでもある。厭な奴とも交わり、不愉快な思いもしながら、しかし自ら其処からは逃げ出さないということであるのだ。一週間ほど前から私のブログは(シニアコムというところにアップしている)執拗なコメント攻撃を受けている。どれもこれもブログの内容には全く関係が無い。出会い系交際サイトへの勧誘だったり、うら若き独身女性(?)から「寂しいからお付き合いしたい」という内容ばかりである。私は同じ内容のブログを楽天にもアップしているが、此方のほうは「私の裸を見てください」とか、人妻に肉体奉仕して幾ら儲けたとか、より直裁でえげつない。楽天のほうはトラックバックも盛んにされる。どちらも、見つけるたびに削除して回る。こういう手合いは自分で小さなプログラムを書いて、それが、掲載されている数多のブログを探索して回り、予めプログラムに仕込まれたキーワードか何かの条件に合致するブログに行き当たると、これも予め用意されたコメントを書き込んだり、トラックバックを仕掛けたりするのだろう。一旦「目を付けられた」ブログは集中的に何度も狙われることになる。楽天は開放的なブログだが、シニアコムのほうは「50歳未満お断り」というのを標榜している。従ってこれまでは、少なくとも私のブログはコメント被害にはあっていなかった。もともと私のブログにはコメントを書いてくださる方は殆どいない。それが急に、しかも執拗に狙われるようになったのは、しかも中身から想像するに明らかに無礼な、50歳には遠く及ばない若造がやっていると思えたのは心外だった。そのことをブログに書いたら、会員の「☆くっきー」さんという方が、「ブログの設定で『コメントを書くにはログインが必要』というオプションを指定すれば、防げますよ。」と教えてくださった。早速そうしようと思ったが、設定画面でためらった。予めログインしないとコメントを書き込めないということは、つまりはシニアコムの会員でないと私のブログにはコメントできないということだ。これはつまり、エルパソのあの塀と門で守られた邸宅地と同じではないか。ブログを書くということは、自分の文章を誰とは知らぬ衆目に曝すことである。それはつまり、私のブログは誰でも読むことが出来、誰でもコメントを書き込めるということでもある。従ってその中には不愉快なコメント、猥褻な落書きは有り得る。それを予め排除して、結果的にエルパソの邸宅の小部屋にしてしまうのは、ブログというものの本来の主旨に外れるのではないだろうか?こういうコメントには、いたちごっこであっても、丹念に消して回るべきではないのか。少なくとも私の書くブログは閉じたコミュニティを想定したものではない。そういうつもりで書いてはいない。だから、私はそのオプションにはチェックしなかった。だから今後も迷惑コメントを見つける都度削除して回ることになる。こうしてみると、私はあのエルパソの豊かな邸宅での、閉鎖的で心地よいひと時を懐かしみながら、その仲間に入れない現状への意趣返しに、あえてあのオプションを使う気持ちになれなかったのかもしれない。どうも今更ながら、私はかなり複雑ではっきりしない人間のようであるのだ。
2010.08.16
コメント(0)

☆ 8月11日(水曜日) 旧七月二日 癸巳(みずのと み) 友引: 前回は上野公園のアブラゼミについて書いた。セミの仲間は全世界で約三千種類も確認されているそうだ。大きいものは小鳥ほどにも大きい、十数センチにも及ぶのが居るらしい。小型のものは2センチくらいと「外米」程度の大きさしかない。同じ仲間とはいえ、大から小まで随分のバリエーションがあるものだ。セミは不完全変態をする昆虫だ。つまり卵から幼虫、幼虫は何度かの脱皮を繰り返して、その後成虫になる。成虫になる前に蛹を作る、蝶の様な完全変態をする昆虫とは、その点異なる。セミが地上に出てくるのは、交配と産卵をするためで、地上での命は概ね数週間である。セミは地中で幼虫の姿で人生(ではない)「蝉生」の大半の時間を過ごしているのだ。日本で普通に見かけるアブラゼミは、地中での生活は6年ほどだそうだ。春になって真っ先に鳴き始めるニイニイゼミは、前年産卵されたものが一年後に羽化しているのだそうだ。「蝉生」も様々である。アブラゼミなどは毎年出てくるが、蝉の仲間にはある周期でしか地上に現れてこない種類もあって、これを周期ゼミという。この周期ゼミの仲間に、素数ゼミというのがいる。北アメリカで見られるセミだ。北アメリカの素数ゼミは、13年ごとに大発生するものと、17年ごとに大発生するものと2種類ある。大発生すると書いたが、このセミには中発生も小発生も無い。つまり、他の年には全く世間に姿を見せない。この発生周期が共に素数だから素数ゼミと呼ばれるのだ。この素数ゼミ、2004年にニューヨーク州で発生したときには、その数約60億匹に及んだというから凄い。佃煮しても処理できないほどの数のセミが、街路樹や家の壁を埋め尽くし、地面は羽化しようと地上に出てきた幼虫の大群で埋め尽くされ、歩くことはおろか、車のタイヤもスリップするほどだったそうだ。こんなに沢山のセミでは、流石の芭蕉先生も、余りのうるささに静けさなど感じるどころではなかったろう。さて、素数とは自分自身と「1」でしか割り切れない正の整数のことだ。セミが素数などと言う概念を知っているはずはないから、こういう発生周期を持つセミが生まれてきたのには、何か自然の理由があったはずだ。静岡大学の吉岡仁教授(数理生態学)によれば、こういうことらしい。(それにしても数理生態学などという学問分野があるんだなぁ。)ずっと昔地球が、全球凍結するほどの非常に寒冷な環境にあったとき、セミの幼虫が地下で充分に成長するには10年以上の時間を必要とした。(又、吉岡先生によれば地下に居る時間が19年以上だと長すぎたのだそうだ。)それでも栄養不足は深刻で、充分に成長することが出来て地上に出てきても、地上の環境も悪く、成虫として交尾することができる個体数は容易に増えなかった。つまりこのセミの種としては存亡の危険があった。そこで、交尾期、つまり成虫になる時期の足並みを揃えることで、交尾チャンスを増大させ、より多くの子孫を残せる方向に進化の圧力がかかった。又セミは成虫になってしまうと他の動物の恰好の捕食対象になる。だから交配のチャンスを増やすようにするためには、食べられてしまう確率を織り込んで、なるべく多数の子孫を一度に残す必要がある。捕食する側の、主に鳥類の生活周期は3~5年だから、こういう周期と重ならなくて、且つ捕食習慣が捕食者側に定着しにくいほど長い発生周期である方が望ましい。そうなると発生周期は素数であるほうが良い。素数は1以外の他の数と公約数を持たないからである。こうなると、セミの幼虫が過不足なく成長できて、相対的に安全な発生周期は10年以上19年未満で、11年、13年、17年の何れかの素数周期となる。更には同じセミ同士でも、折角収斂した発生周期が交雑によって乱れてしまうと、12年ゼミや15年ゼミ、16年ゼミなどと分散してしまって、期待できるはずの大量発生が難しい。そうなることを防ぐためには、セミ同士でも、お互いに発生周期が重ならないほうが良い。因みに、「11年ゼミ」と「13年ゼミ」では143年毎、「11年ゼミ」と「17年ゼミ」では187年毎に、発生周期が重なる。「13年ゼミ」と「17年ゼミ」では、これが221年毎となり、一番長い。こういった事が長ぁ~い時間をかけて「進化圧力」として働き、最終的に13年ゼミと17年ゼミが現代まで生き残ったのだそうだ。素数ゼミは厳しい環境下で、大群という「数の力」をもってして、種の生き残りを図ったのだ。ところで、先日このブログでホシムクドリの大群について書いた。この鳥は多い時には数十万羽にも及ぶ大きな群れをつくり、それが空を飛ぶさまはまるで巨大なアメーバのように見える。時に黒く凝集し、或いは突然それが解け、又再びアメーバの触手が伸び・・・と、見ていると誰かに操られているか、又は巨大な集団意志が存在しているような気がしてくる。しかし、それは一羽のムクドリに組み込まれた単純なルール、つまりローカルルールが作用しているだけだと書いた。イワシやニシンの群れの集団遊弋行動もこの比較的単純なローカルルールの作用によるものだと。しかしムクドリやイワシがこういうルールを体得したのにも、何か「進化上の圧力」が働いた結果であるはずである。群れで暮らす生き物には「希釈効果」というものが働くそうだ。先ず、:単独生活では捕食者と出会った時に生き延びる確率が低くても、群れになれば自分が狙われる確率は減る。つまり、我が個体が殺される危険は希釈される。そして、群れの中に子供や病気などで運動能力の劣った個体がいて、それらが捕食されれば自分は助かる確率がより増える。このように常に群れを作り自分が捕食される可能性を低く「薄め」ようとすることを「希釈効果」というのだ。捕食者は捕食対象が緊密に群れている時には攻撃しない傾向がある。これは、如何に強力な捕食者でも、群れは全体として大きな塊として見えてしまい、それ自体に捕食者は大きな威圧感を覚えてしまうからだろう。我われが、イワシやムクドリの大群を見て、何となく巨大な集団意志を感じ、時に恐ろしさや気味悪さを感じるのと同様の現象が、捕食者にももっと原初的な形で感じられるのだろう。だから捕食者は群れの周辺を威嚇しながら、そこから脱落する個体を狙う。例えば、ムクドリの群れはハヤブサに追いかけられたとき激しく飛び回る。ハヤブサはその内群れからはぐれてしまった個体を狙う。群れからはぐれ、個体になってしまえば、それは美味しい餌にしか過ぎない。これは一見すると、群れが協調してハヤブサから逃れようとしているように見えるが、そうではない。そんな集団意識など無いのだ。ハヤブサは群れ全体を相手にはしないが、途中で諦めて群れから離れることはまず無い。その内群れの中のどれかが、タイミングを間違えるか疲れるかして、群れを離れる時期が必ずやって来る。ハヤブサはそのはぐれものをすかさず狙い、捕食するのだ。つまりムクドリの行動は、実は群れを守ろうとしているのではなく、群れから早く脱落者を出すことによって個々のムクドリが長時間飛び回らなくても済むような状況に持ち込むために、希釈効果を積極的に利用していると考えられるのだ。結局、群れ行動を確実に取ることが出来る個体が生き残りやすくなる。群れから外れた個体は捕食されてしまい、従って遺伝子を残せないので、全体としてはどんどん緊密な群れを作る能力を高めることになる。これはイワシでもニシンでも、或いは他の群れを作る生き物でも同様だろう。素数ゼミも、集団からの跳ね上がりものを排除していく過程を積み重ねて、現在のような習性を獲得するようになったと考えられる。群れとは、個体に対してそういう冷淡な面も持っているのである。ところでこの素数ゼミ、北米では低脂肪・高タンパクの健康食だそうだ。何しろ13年か17年に一度しかお目にかかれないレアものだ。珍味として、食用に供されているらしい。それにしても60億匹のセミだ。どう料理して食べるのか知らないが、何となく食欲は沸いてこない。でも我々だってイナゴを佃煮にして食べる(私は信州のイナゴの佃煮は好物だ)から、これは単なる食べず嫌いなのかもしれない。今度ニューヨーク州に17年ゼミが大発生するのは2022年の予定だ。その頃アメリカに行ってセミ料理に挑戦してみるかどうか、・・・・まだ決めていない。
2010.08.11
コメント(0)

☆ 8月9日(月曜日) 旧六月二十九日 辛卯(かのと う) 仏滅: 長崎原爆の日上野公園を歩いていたら、乾いた地べたに直径2cm位の穴が、幾つも幾つも開いているのを見つけた。周りは文字通り降るような蝉の声である。そう、これらの穴は蝉の幼虫が羽化するために、こじ開けて地上に出てきた跡なのだ。こういうものは、いったん見つかりだすとどんどん見つかるものだ。見回すとあちらにもこちらにも、およそ舗装の無い土の地面には遍く、沢山の穴が開いているのだ。近くの木の幹を見上げると、今度は蝉の抜け殻だ。茶色の油紙でこしらえたような小さな虫の形が、三対の足で樹肌にしがみついている。これも見つかりだすと際限なく目に付く。上野公園は人も知る桜の名所で、春には花見客が一杯やって来て賑やかなこと夥しい。そして夏になると蝉の大群だ。聞こえる鳴き声の殆どはアブラゼミだ。桜の木は、梨やリンゴなど他のバラ科の木とともに、アブラゼミの成虫に好まれる木である。春の酔客の騒ぐ声、夏のアブラゼミの大合唱。上野公園は徳川時代を懐かしんでか、賑やかなのがお好きなようだ。不思議なのは、酔客の騒ぎ声はうるさいのに、セミの声は大合唱でもうるさいと感じない。そこいらをそぞろ歩いている人も、うるさそうな風がない。これほど多数のセミが鳴いていると、全体が一種の音の雰囲気というか、環境音のようになってしまい、却ってうるさくなくなるのかもしれない。その証拠に先日私の部屋の前に飛んできて鳴いた一匹だけのアブラゼミは実にうるさかった。だから、芭蕉がセミの声を聞いて、染み入るような静けさを感じたのも分かる。山形の立石寺の芭蕉は、滴るような緑の中でセミの大合唱に包まれていたのだろう。その中で芭蕉の心は、却って深い静寂を覚えていたのだろうという気がする。しかもこのセミはアブラゼミだったはずだ。クマゼミやツクツクホウシは、鳴き声に余りにリズムがありすぎる。ミンミンゼミも同様だ。ヒグラシだと、静けさとの組み合わせは何だかわざとらしい。だから芭蕉の周囲は、独特のリズムもなく一様平坦に鳴き続けるアブラゼミの声に満ちていたはずなのだ。アブラゼミは、北海道から九州まで、日本全国に分布しているから、もちろん当時の立石寺にも居たのは間違いない。そして、山形地方では比較的夏の暑さが厳しく、アブラゼミの生息数はミンミンゼミを凌駕していたのだそうだ。だから芭蕉先生のセミはアブラゼミだった。しかし最近では、ご他聞にもれぬ都市化現象による市街地の高温・乾燥化で、立石寺のある山形市内でも、比較的高温乾燥環境を好むミンミンゼミの生息数が急速に増えているそうだ。そうなると、ミンミンゼミの三小節単位の鳴き声では、静寂さは感じられないし、ましてやアブラゼミとミンミンゼミの競演とでもなれば、静けさには程遠い。芭蕉の名句は当時の立石寺だから生まれたのであって、今の時代では無理だったろう。セミは羽化すると一週間ほどの命だと云われている。だから短命の果かなさの喩えとして引用されることが多い。しかし、これは俗説だ。水を差すようだが、実はアブラゼミは羽化した後も1~2ヶ月は生きて鳴いているらしい。夏の頃よく道端にセミの死骸が落ちているが、あれは殆ど鳥にやられたものだ。セミの体はタンパク質が豊富で、鳥たちの恰好の餌になる。夏場のセミは短命さの故ではなく、鳥に襲われて命を落とすのだ。それに、アブラゼミは羽化する前、地中で約6年間を幼虫として過ごす。つまりセミは短命どころか、昆虫仲間では類まれな長寿虫なのだ。
2010.08.09
コメント(0)
☆ 8月8日(日曜日) 旧六月二十八日 己丑(かのえ とら) 先負: 前回と前々回で頭の体操のつもりで、「宇宙人に会ったらどうするか」などという話を書いたら、存外詰まらない結論になってしまってがっかりした。宇宙人でも、UFOでも、心霊現象でも、超常現象でも何でも、凄い!と驚いたり感動したりするのは、刹那だけを切り取って、あれこれ深く詮索しないからである。改めて色々調べていけば、例外なく当たり前の詰まらない結論になってしまう。「幽霊を見たりといえば枯れ尾花」(だったっけ?)である。テレビ番組で時々超自然現象や心霊現象を取り上げて放送しているが、どれもこれも最後は必ず肩透かしで竜頭蛇尾になってしまうのも同じ理由だ。だから予め録音しておいた、聴衆の驚く声を随所で流したり、見せ場をわざとモザイクにしたりして、雰囲気を無理に盛り上げたり、視聴者を焦らしたりするのだ。私はあぁ言う番組は、最初から失望が予定されているので観ないことにしている。もう一つは、私の宇宙人のブログでもそうだったが、推論を進めていくのは同時に幾つもの仮定を積み重ねていくということに他ならない。これは自然科学分野に限らずおよそあらゆる学問の持っている宿命である。学問だけではない。政治家同士の論戦でも、商売上の議論でも、はては巷の井戸端会議でも、詰まるところは同じである。ただ巷間の議論と学問のそれとの間の違いはある。学問の場合仮定を立てたら、その仮定の妥当性を一つ一つ検証しなければならない。仮定が崩れたり変更があれば、その後の議論は全て変わってしまうからである。それともう一つ、境界条件というのがある。これは「この話はこういう範囲の中でのものであり、その範囲外には及ばない。」という条件を区切ることである。こういう取り決めをしておかないと、何をどういう立場で議論しているのかが分からなくなってしまい、とんでもない乱暴な議論になってしまったりするからである。数学以外の自然科学の場合には、もう一つ原則がある。「どんな理論でも現実の自然界において実証されなければ意味はない。」というのがそうだ。この辺は社会科学の世界では、強い要請ではないように思える。数学は実証を必要としないが、数学を思考する人間がそもそも自然の一部だから、論理科学としての数学は、最初から自ずと実証性を備えているといえるだろう。ところがこの辺りは巷間の議論では、はなはだいい加減である。仮定に過ぎない話を、あたかも所与の必然のように平気に言うし、それが反論の出来ない確定した事実のように、他の権威を借りて言い立てる。或いは相互に関係のない仮定を無理やり継ぎ合わせて、または逆に当然採用すべき仮定を適当に切り捨てて、自分の都合のよい論旨を捏造する。境界条件などというものは、はなっから気にしない。だから本来非常に局所的な議論であるはずのものを、当然普遍的なものであるように拡げていく。この辺は、幾らでもその例を挙げることができる。こうして仮定も境界条件もでたらめで、論理連鎖さえ恣意的に展開される議論は、逆に言えば常識破りで一見面白く、時に一種の影響力すら持つ。こういう議論を展開する側には、例外なく何らかの意図があり、時にそれは芬々たる臭気を放つ。臭いをさせながら周囲に伝播していくから、こういうのを屁理屈というのだ。学問の世界では仮定や仮説はあっても、結論は文字通り結果としてしかない。それに対して、巷間に見られる屁理屈には最初から結論が用意されている。そしてこういう屁理屈にこそ我々は日常曝されているのだ。最近の国会論戦なんかは、私にはその典型に思えたものだ。
2010.08.08
コメント(0)

☆ 8月7日(土曜日) 旧六月二十七日 己丑(つちのと うし) 友引: 立秋、仙台七夕さて、我々が会うことになる宇宙人は地球を乗っ取るためにやって来た、というところまで辿りついた。次は、それなら何人くらいの宇宙人が地球に来ているのだろうか?片道で千年くらい、或いはそれ以上の時間をかけてやって来るのだから、単に斥候隊として少人数でやって来て、その後母なる故郷の星に同じ時間を費やして帰還して報告や準備をし、それからまた改めて大挙して再び数千年を費やしてやって来るというのはどうも考えにくい。だから恐らくは、地球にやって来た宇宙人は、斥候でもあると同時に、そのまま永住する覚悟で、ある程度の規模の集団で来たのだろう。第一陣が地球に永住して、何事もないようなら通信手段を用いて故郷の星に、「大丈夫そうだよ」と知らせてやれば、通信は光の速度で進むから、彼らの母星では数十年もすれば(彼らの出発から数えれば数千年と数十年後)先遣隊の首尾を知ることが出来る。その後今度は大規模な移民団を(再び更に数千年かかるが)送り出すことになる。勿論、母星がまだ無事で、彼らの文明がまだ存続していればの話だ。そうすると、今地球に来ているはずの宇宙人は何人くらいだろう?まだ我々の歴史には、大量の宇宙人がやって来たという記録はないから。恐らくは今我々が会うことが出来るのは、比較的少人数の宇宙人の先遣隊であるはずだ。タンパク質生命体では異種間の交配は出来ないから、いつの間にか我々の一部が宇宙人との間の雑種になっていることはない。宇宙人は宇宙人で、地球人は地球人のはずだ。つまり、既に宇宙人と地球人が種として交じり合っていて、だから実際に大量の宇宙人の来訪は有ったけれど、その記録は宇宙人の意図に従って抹消されているとは、考えにくいのだ。アメリカにやって来たメイフラワー号には、102名の移民が乗っていたそうだ。移住後の遺伝子の多様性を保障しようとすれば、やはり宇宙人も少なくとも百人ほどは来ていると考えるべきだろう。冬眠航行にしても何にしても、これだけの人数を地球まで運んでくるためには、相当大規模な宇宙船が必要になる。因みにメイフラワー号は全長27m強、180トンの大きさだった。それに較べて宇宙人の宇宙船は真空の中を、高強度の放射線に曝されながら延々とやって来るのだ。放射線に対する防護壁、そして生命維持に必要な酸素や、覚醒航行中の食料などを、徹底した閉空間内でのリサイクル方式にしたとしても、宇宙船は相当規模になってしまうはずだ。そんな規模の宇宙船が地球の近くまで気づかれずにやって来るのは、ちょっと考えにくい。何しろ小惑星イトカワ(500m*300m程度の大きさ)だって、人類は「気づいて」いたし、イトカワは軌道要素の計算まで出来ていたのだ。しかし、その辺を追求しすぎるとこの話自体が成り立たなくなってしまう。(もうとっくに成り立たなくなっているか?)だから、この辺は宇宙人のはるかに進んだ科学技術で、何とかしたのだろうと考えることにしよう。さて、地球にやって来た彼ら宇宙人は、つまりはスパイだ。スパイだけれど、最早故郷に帰る希望のない、そこに永住を覚悟した、まぁ昔の言葉で言えば「残置諜者」だ。母なる星の将来を託された彼らは、後続するはずの同胞の未来のために、悲壮な使命感・決意と共に地球に降り立ったはずである。如何に科学技術が進んでいるにしろ、百人程度では無慮数十億の人類には、まともに立ち向かえない。だから、彼らはひたすら他日を期して、極力目立たないように努めるはずだ。だから見かけも身なりも極力普通の地球人に似せようとするだろう。彼らの科学技術を駆使して、殆ど地球人と見分けが付かないようにしたはずだ。言葉も勿論、習慣も地球人のそれに倣うだろう。だからやたらにUFOを飛ばして目立つなど論外だ。それに、「私は宇宙人だ」などと自己紹介をしたり、進んで自らの正体をばらしたりなどはしないだろう。さて、そうなると、我々はどうやって宇宙人に会うことができるのだろうか?結局我々には、よしんば宇宙人に会っていたとしても、それが宇宙人だとは分からないだろうということになる。言い換えれば、宇宙人は我々に混じってどこにでもいる可能性がある。しかし、誰にもはっきりとはそれが分からない。そう思って周りを見回すと、「ひょっとしたら宇宙人では?」と思える連中がかなりいるではないか。最近「あんなことをするなんて、世の中どうなっちゃったんだろう?」とか、「最近の人たちのやることが分からない!」いう事例が頻繁に見られるようになっている。電車の中で平気で飯を食べたり、人前で傍若無人の如く化粧をするのもそうだ。異常な権利意識の塊であるクレーマーや、モンスター・カスタマーなんてのもそうだ。特段の理由もなく群集に車で突っ込むのもそうだし、長寿の人たちが行方不明になっても平気なのもそうだ。「ペットボトルのジュースが変な味がするんです。いえ、冷蔵庫には入れてません。一週間前に飲んだ時のままです。その時は普通の味だったんですけど。」とか、「缶詰を温めたいけど、ガスコンロで出来ますか?」と消費者相談室に電話してくる(実話です)のも、宇宙人じゃないか?説明書にしてはいけないと書いていなかったからという理由で、毛を洗った犬を乾かすため、電子レンジに入れたというのも、宇宙人にまつわる古典的な話じゃないか?そうしてみると、宇宙人はすでに相当程度わが地球に地歩を固め、そろそろ本格的に人類を駆逐して、地球を乗っ取ろうとし始める段階に来ているのかもしれない。だから段々正体を露にし始めた。そうではないだろうか?さて、この長々とした思考実験も、結局「宇宙人に会っても分からない。」「分からないけれど、宇宙人はそこいらじゅうに居るかもしれない。」という、なんだか詰まらない結論になってしまった。折角暑気払いにと思ったのに、とんだ竜頭蛇尾だ。結局私も宇宙人に感化されてしまっているのかもしれない。或いは私自身が、実は宇宙人なのか?
2010.08.07
コメント(0)

☆ 8月6日(金曜日) 旧六月二十六日 戊子(つちのえ ね) 先勝: 広島平和記念日宇宙人に会ったらどうするか?明日は立秋だ。このブログには以前にも書いたが、暦に対する東洋と西洋の季節感覚は異なる。東洋では立秋というと、秋の魁のように考え、テレビなどでは明日になると「今日から暦の上では秋ですが・・・」という。必ず言うはずだ。しかし西洋での立秋は夏の盛りだと考える。秋だとは考えない。これは立春も立冬も立夏も同じだ。つまりは、日本人を始めとする東洋人の季節感は微分型であり、西洋のそれは積分型だといえる。だから、明日は立秋だけど暑い。当分猛暑は続くことになる。「立秋なのに暑いですねぇ」というのは実は変なのだ。暑いと特に脳細胞は甚大な影響を受ける。脳を構成するタンパク質は44℃で熱凝固を始め、正常に機能しなくなる。ニュースで、あそこは37℃の暑さだとか、今日は38℃を超えたとか聞いていると、脳が固まる直前で生きているような気持ちになり、怖くも憂鬱にもなる。だから、何とか脳細胞を活性化しておこうと思って考えた。それが「宇宙人に会ったらどうするか?」だ。まぁ、猛暑のさなかの思考実験というところだ。結論を言えば、「宇宙人に会っても分からないだろう」ということになってしまった。何となくつまらない結論だ。でも、そうなったんだからしょうがない。先ず前提として、宇宙人は居るのだと仮定しなければならない。これには何も科学的根拠はない。そうしなければ話が始まらないから、これもしょうがない。だから宇宙人は居ることにしよう。その宇宙人も我々に近い「地球型」と仮定しなければならない。地球型というのは、炭素と水素と酸素を主要な構成要素としている。つまりタンパク質から体が作られているということだ。珪素や他の元素から作られている知的生命体だって考えられるかもしれないけれど、そういう生命と我々人類が、何らかの形で交流が出来るとは考えにくい。また、宇宙人の生きる「時間のスケール」も、我々のそれと大体同じであるとしなければならない。一生が数百万年というような宇宙人だと、我々からすれば山や大陸を相手にするようなものだ。逆に一生が10秒だというような宇宙人だと、慌しくてしょうがない。どちらも、多分我々はそれを宇宙人だとは思わないだろう。相手を宇宙人だとすら気が付かないはずだ。こうなると、我々が会うことになる宇宙人は、限りなく我々自身に近いものになるはずだ。我々と同様に酸素の混じった空気を呼吸し、水が潤沢な世界で、タンパク質によって構成された身体を持っていることになる。次に我々は未だに、地球上に留まったままである。宇宙ステーションだって、厳密に言えば「地球の高空」であって、宇宙というにはおこがましい。だから、宇宙人のほうが地球に来てくれていないとダメだ。そうなると、必然的に宇宙人の側では、人類より科学や技術が進んでいるとしなければならない。先日のこのブログにも書いたが、日本の「はやぶさ」は、宇宙空間を世界最長距離航行した。60億kmの距離である。しかし、世界最長といっても太陽系の中の旅である。そして太陽系の中には、我々に匹敵できる知的生命体は居ないことが分かっている。そうなると宇宙人は太陽系外からやってくることになる。そして現在段階では、地球から見渡せる範囲に地球外生命は、まだ見つかっていない。しかし、太陽系の外に、惑星を持つ恒星は、近年になってどんどん見つかり始めた。タンパク質で構成される知的生命体は、高温や強い放射線にさらされる恒星には生まれないし、住めない。だから宇宙人は惑星系を持つ恒星に存在しているはずだ。現在見つかっている惑星系があるらしい恒星の内、おとめ座70番星(70Vir)(地球から78光年の距離)の惑星は、観測によると木星の約7倍の質量を持ち、かなり扁平な楕円軌道を描いている。親星からの距離は約4ヵ月の公転周期中大幅に変化するので寒暖差が激しいが、平均気温は85℃くらいだそうだ。この状態ではH2Oは水(湯?)になっている。そうであれば、海があるかも知れない。海こそは生命誕生の場である。この惑星に大気が、海が、生命が・・・と期待するのは先走りすぎるだろうか?しかし平均気温がこれでは、やはり大きな脳が発達する可能性はなく、従って宇宙人はどうも此処には居なさそうだ。またおおくま座47番星(47UMa)(地球からの距離は46光年)の惑星は木星の2倍くらいの重さで、約3年で親星の周りを回るっている。これは我太陽系の木星によく似た状態である。地球からの観測では、いかに大きな望遠鏡でも惑星の姿を観ることはできない。ハッブル望遠鏡でも、すばる望遠鏡でも、とても惑星を像として観測することは出来ない。惑星(系)を持っている親星(恒星)の軌道のふらつきを、ドップラー効果という現象を利用して観測し、それから惑星があるかどうか、あればどれくらいの質量で、どういう軌道を描いて親星の周りを廻っているかを、間接的に「観る」ことができるのだ。それも、惑星系の中でも最も大きい星の存在しか推測できない。だから、おおくま座でも「木星の2倍くらいの・・・」までは推測できるが、更に他にも地球のような環境の惑星があるかどうかは、我が太陽系の様子を参考にして推測することになる。つまり、おおくま座47番星の、木星型の惑星の軌道の内側にもっと小さな惑星が存在しているかもしれないという推測は出来るのだ。そうだとしたら・・・これはもうわが太陽系そっくりではないか。此処にはひょっとしたら宇宙人は居るかも知れない。何れにしても、我々の「ご近所」を探してみた結果は現在こんなところである。だからこの際、「おおくま座47番星宇宙人」が居ることにしよう。さて、そこから彼らが地球にやってきたとするならば、宇宙人は46光年の距離を旅して地球にやってきたことになる。ところで、1光年とは光が一年かけて進む距離である。換算すると約9兆5千万kmになる。更に換算すると、1光年は「はやぶさ」が7年かけて旅した距離の約1600倍である。つまり、おおくま座から地球までの46光年とは、「はやぶさ」の7年間の総航行距離の、7万3千600倍だということになる。若し宇宙人がこの距離を「はやぶさ」同様の技術で航行したとすると、単純に計算して51万5千200年かかる事になる。こんなに長い時間をかけてわざわざ地球に来るのは考えにくい。もっと短い時間でやって来られないと、何だか宇宙旅行の宇宙人にとっての必要性も、現実味も感じられない。だから、恐らくは宇宙人の科学技術は地球のそれより(少なくとも「はやぶさ」水準の技術より)はるかに高いレベルにあると考えるべきだ。長時間にわたる宇宙旅行をしのぐために、休眠(仮死状態)でやってくるという方法もある。(誰かのSF小説にもそういうのがあった。)その場合でも50数万年(しかも片道である)は長すぎる。宇宙船の中の生命維持装置の耐久性や劣化もあるし、何よりこんなに長い時間離れていると、故郷の星との靭帯が切れてしまうだろう。50万年といえばちょっとした地質的な時間ともいえるのだ。そうなると、故郷の星の文明が継続することができて、相互に何とか耐えられる時間というと、せいぜい千年から数千年程度ではないだろうか。つまりやっぱり宇宙人の科学技術は相当高いものでなければならない。次に、最も重要な点だが、宇宙人は何のために地球までやってくるのかということである。再び「はやぶさ」の例を取ると、はやぶさの年間運用費は約1億円だった。これは日本一流の超低コスト(要するに超ケチ手法)である。これを単純に外挿すると、宇宙人の宇宙船が地球にやって来るまでの運行費用は51兆5千200億円ということになる。勿論宇宙人のほうが科学技術の点でははるかに進んでいると仮定したのだし、航行期間も「はやぶさ」よりははるかに短いだろうと仮定した。それでも、「はやぶさ」には生き物は乗っていなかった。載っていたのは機械だけだ。宇宙船には宇宙人が、それもまず間違いなく複数が乗っているのだ。それを考えると、コストはもっとかかるかもしれない。何れにしても気軽に宇宙旅行に出かけられるほど廉い費用ではないはずだ。そうなると、宇宙人の目的は観光旅行などではないだろう。これだけの距離をこれだけの時間と費用をかけてやってくるのだ。よほど止むに止まれぬ理由があるに違いない。それでは、宇宙での孤独感を癒すために地球の知的生命体と友好関係を結びに来た?いやいやそんな甘っちょろい感傷的な理由ではなかろう。第一我々地球人だって、わざわざ大枚はたいて、自らの人生まで賭して、とんでもない遠方まで出かけて、原始人と友好関係を結びに行くだろうか?少なくとも私はぜんぜん行く気はないし、蓮舫さんは絶対認めないだろう。唯一考えられるのは、地球の環境への憧憬かもしれない。タンパク質系生命にとっては、豊かな海と多様な気候に恵まれた地球のような星は、まさに垂涎のまとであろうと思えるからだ。再び観光旅行などというものは考えにくいから、そうなると彼らは、地球に移住する、つまり地球を乗っ取るためにやって来たということになる。さて、これまでのところをまとめてみると、宇宙人は少なくとも数十光年のかなたから、地球を乗っ取るためにやって来た、非常に科学技術の進んだ、そして我々によく似た連中だ、ということになる。と、この辺りで一旦区切りとして、続きは明日のブログに譲ることにする。
2010.08.06
コメント(0)
☆ 8月5日(木曜日) 旧六月二十五日 丁亥(ひのと い) 赤口:私の利用する私鉄の駅のホームは暑い。快速急行(急行の一つ格上の電車。急行は私の駅にも停まります。)や特急の停まる主要駅からは一つ外れているので、電車を待つ時間は比較的長い。壁際にはベンチが並んでいるが、その上が明り取りのためにプラスティックの天井になっているので、晴れている日などは天井を通して陽光がベンチを暖めてしまう。壁際は風の通りも悪いから、ベンチに座れば楽だが暑い。だからこの季節、どうしても線路脇に立ったまま電車を待つことになる。そうして電車を待っていたら、一人の背の高い女性が私の脇に立った。最近の女性はすらっと背が高く足も長く、スタイルの良い人が多くなった。彼女もさっぱりとした着こなしで、派手過ぎずメリハリがきいた印象である。恐らくはこれから都心の仕事場に向かうのであろう。何となく好感の持てる人だった。と、ここまでは良かった。やおら彼女はおにぎりを食べ始めたのである。それが実に自然な動作なのだ。肩から提げたバッグを覗く。おにぎりを取り出す。包装を剥ぎ取る。おにぎりを口に運ぶ。私の視線など感じている気配もなく、周りを憚る風もなく、いつも通りの当たり前の所作を普通に繰り返している如く、動作は流れるようで、淀みがない。私はしかし驚いた。日中の駅のホームである。彼女は怪しげな人物などではない。むしろ楚々とした、・・・というのは少しオーバーだけれど、決して好感の持てない女性ではない。身なりも清潔だし、それなりの知性も教養もありそうな風情である。それが、立ったままおにぎりを頬張っているのだ。私は驚いたが、彼女の余りに自然な様子に、却って驚いている私のほうがおかしいのじゃないかと思ってしまった。私の世代は、立ったまま物を食べたりすると「お行儀が悪い!」と即座に叱られたものだ。どうかすると親の手が飛んできた。私より前の世代は、食事中に話をするだけで、「行儀が悪い!と叱られたそうだ。私の母などは、連れて行った遊園地で買ってあげたソフトクリームを、立ったままでは食べられず、ベンチが空くのを待っている内に溶かしてしまったくらいだ。公共の場所、公衆の行きかう場所で、立ったまま、或いは歩きながら物をたべるなど、乞食(差別用語です)か浮浪者(差別用語かな?)か、何れにしろ、まともな人間のすることとは看做されなかった。電車の中でも(大半は座ってはいるけれど)物を食べている人を良く見かける。おにぎりだけではない、サンドイッチだったり、ハンバーガーだったり、合間にペットボトルからお茶や水を飲んだりと、まるで車内がカフェテリアであるかのような振る舞いだ。化粧をしている女性も最近は良く見かける。ブラシを取り出して眉の辺りを撫でたり、口紅を塗ったり、コンパクトを開いて百面相をしたりしている。これにも驚く。良くあんなことが出来ると思う。化粧は他人に自分の様子を良く見せるためにするものだろう。それを車内で、他の人の視線など意に介することなく平然とやっている。つまりは、同じ車内に乗り合わせている我々は、彼女にとっては人間ですらないのだ。いったいああして化粧をした結果を見せる相手は、全く別の宇宙の連中なのだろうか?化粧は、舞台に出る前の準備として、本来密やかな営みであるはずだ。飲食など口を開けて他人に口中粘膜をさらすような行為も、本来は他人を憚る行為である。その証拠に動物は獲物や餌を食べる行為を、他の動物から隠れるようにして行う。化粧(動物の場合は毛繕いか)も、余程安全な中で、仲間同士の間でしか行わない。どちらも敵に対しては無防備な行為であり、無闇と公に行うものではないからである。例外は食物連鎖の頂点にいるごく一部の動物だけである。人間のマナーだって元をただせば、荒野で敵だらけの中、集団を作り、その中での統制と共生を円滑に進めていく上で出来上がったものであるはずだ。時代が進めば、マナーとか儀礼の内、統制に関わる部分はどんどん緩くなっていくのは分かる。しかし、生き物としての根源に近い飲食のマナーまで変わってしまうというのはどういうことなんだろう。やはり、種としての人間は今や変わりつつあるのだろうか?総じて「ウチ」と「ソト」をいう概念が、従来のそれとは大きく変わりつつあるような気がする。昔は玄関を出れば「ソト」だった。「ソト」は即ち「ハレ」の世界であり、其処に居る人たちは他人であって、且つ同類・同胞であった。だから、「ソト」では周囲の目を心がけ、恥を意識し、儀礼を重んじ、行動を慎んだ。今は「ウチ」とか「ソト」とは、そういう物理的な境界ではなく、個人の主観的な境界になってしまっているようだ。そしてその場合「ソト」とは全く自分とは没交渉の世界であり、其処に居る者も同胞などではない。単なるエイリアンに過ぎない。「あー、この人にとっては、私はエイリアンなんだなぁ」と、そう思いながら、向かい側の座席に座って一心にコンパクトを覗き込んでいるエイリアンを眺めていたら、睨まれた。私が彼女に、少なくとも人間として認知された瞬間であった。決して嬉しくはなかったけれど。思い返してみると、車内で飲食したり、化粧をしたりしているのは圧倒的に女性が多いようだ。男は・・・、男の場合は居眠りして隣の女性にだらしなく寄りかかる(なぜか寄りかかられるのは決まって女性である)オヤジか、座席を何人分も占領して横になり、大いびきをかいて顰蹙を買うオッサンくらいしか見かけた記憶がない。この点でも男にはどうも毅然たるものがないのだ。
2010.08.05
コメント(0)

☆8月4日(水曜日) 旧六月二十四日 丙戌(ひのえ いぬ) 大安:暑いさなかに、やりきれないニュースが話題になっている。都内の男性として最高齢と記録されていた男性が、実は30年も以前に亡くなっており、今般ミイラ化して発見されたというのだ。そうしたら続けて今度は都内最高齢の女性が、住民票のあるべき場所に不在であることが分かり、未だに所在が不明だという。共に路上生活者、所謂ホームレスなどではない。ちゃんとした家族も何名か居るようだ。男性の場合は、同じ家屋内に家族も同居していたそうだ。女性の場合も、やはり子供が三人居て、住民票はその人たちの間を記録では転々としていたようだ。男性は報道などによると、生前からいささか偏屈なところがあったような印象で、「もう誰にも会いたくない。自分は即身成仏になる。」と宣言して30年ほど前に自室に立て篭もったきりだったそうだ。女性は、子供たちそれぞれが、別の兄弟と一緒に居ると思っていたのだという。これも所在不明になってからは相当長期間が既に経過しているのだそうだ。それにしても、どちらも奇怪至極としか言いようがない。一体同じ家屋内で親族が亡くなってミイラ化しているというのに、平然と暮らしていられるものなのだろうか?自分たちの母親の所在を、何年もの間、その安否や消息も訊ねないままに放置して置けるものなのだろうか?どちらも年金や遺族年金などを家族が不正受給していた疑いもある、と聞こえてくると、親族であるにも関わらず(或いは親族ゆえか)生者に生臭いいやな業を感じる。住民票のある自治体もいい加減なものだ。自治体によって違うかもしれないが、ある程度以上の高齢になると、市役所や区役所から敬老の日に長寿のお祝いが届く。私の母も頂戴していた。しかし上記の二人に関わる役所のどちらも、祝い品を郵送するだけで一度も訪問したことがないのだという。だから役所は、てっきり「まだ生存している」と判断し、年金も払い込まれ続けていた。所詮お役所仕事だといえばそれまでだが、こういう状況を見ると「高齢者福祉」とか「お年寄りを大事にする」という言葉が如何にも白々しい。厚労省は流石に慌てたのか、高齢者に個別に会って直接面談するよう、急遽各自治体に指示したそうだ。そうしたら同じようなケースが静岡や福島など方々で出てきたそうだ。これからも更に同様の例は増えていくのだろう。それは間違いない。現在百歳程度の人たちは、先の戦争の頃には40歳位だった人たちだ。壮年期である。私のような若輩者は、話で聞いたり本で読んだりする程度だが、あの時代は戦時中も戦後も大変な時代だった。当時壮年であった彼らや彼女たちは、或いは国のために戦いに狩り出され、或いは銃後の家族を支え、敗戦後は貧困や食糧難に立ち向かいと、交々に辛酸を舐められたであろう。それが再び経済発展の波に乗ることができ、幸い長寿を重ねられたというのに、60年後には誰からも、家族からすら「知らない」、「そんな人が居たの?」と云われ、挙句の果てのミイラ化であり所在不明である。これじゃぁ、余りにもやりきれないじゃないか。これは平成の棄民だな。こういうことが当たり前のように方々で起こるようになると、もう人類は滅びるな。経済再発展、消費税アップ、ましてや地球温暖化などを心配する必要などない。その前に人間社会は存続させる価値もないものになるばかりだ。人類が他の哺乳類や霊長類を圧して、今まで発展してきた原動力の一つに、彼らと違って人類だけが高齢者を大切にし、社会構造の中で共存してきたという事が言われる。数多の動物の中で、おじいさんやおばあさんと生活を共にするようになったのは人類だけなのだ。おじいさんは地域社会や家族集団の知恵者として、おばあさんは育児を助けることで、社会の重要な構成員として存在していた。特におばあさんが育児を補助するようになって、女性の受胎可能期間は飛躍的に延びた。その結果数十万年前には、生息数としてはマイナーな存在でしかなかった人類は、今や地球全体に勢力を張ることが出来た。この事は以前にこのブログに「おばあさん仮説」として書いた。つまりは、今我々があるのは、おばあさんのおかげと言っても言い過ぎではないくらいだ。それが、特に20世紀後半になって核家族化が進み、おばあさんは(おじいさんも)田舎に置いてけぼりで、同居しなくなった。世界的に出生率が低下したのは、そのせいである。と、言ってもいいと思う。厚労省は「イクメン・プロジェクト」を進めるのだそうだ。これは「育児をする男性(Men)」からの造語だそうだが、くだらない。本来哺乳動物のオスには育児本能は備わっていない。それに育児を分担させるというのは、動物としての人間の本来に干渉するものだ。こういう社会的なストレスを受けることで、恐らくは男性の生殖能力は阻害されるであろう。イクメン・プロジェクトが女性の社会参画の平等性を狙うものならともかくも、種族保存、出生率の低下防止という観点からは、よい結果はもたらし得ない。と、私は思う。核家族化の挙句の果てに、自分の親にも関心を払わない。生きているか死んでいるかも「知らない」(それどころか死んでいても無視するのだ)というのでは、数十万年来人類の優位性を与えてきた要素を自ら放棄するのと変わらない。だから、もう程なく人類は滅びるのである。親だけではない、子供を育てる意欲がなくなった、自分の時間が欲しかった、とそういう理由で幼い子供を置き去りにして、必然的に死なせてしまうのも同類である。これはR.ドーキンス流に云えば、DNAの陰謀によるのかもしれない。この頃の人類の過度な増長と、周辺の環境や生物に対して弊害を垂れ流しにして恥じないやりようは、DNAにしても想定外のことだったのかもしれない。.そこで、DNAは種としての緩慢なる滅亡を選択した。云うならば種としての人類のアポトーシスである。地球上の全ての生命のルーツは、源まで辿れば共通の祖先としての原始生命に行き着く。DNAはその原初の記憶をどこかに留めている筈だ。それが全地球レベルでの警報を受けて、のさばりすぎている人類に対してアポトーシスプログラムを発動させた。そうじゃないと言い切れるだろうか?我々人類としては、せめて遅ればせながらおばあさんを大切にして、反省と恭順の意を顕わすべきではないか?ついでに言えば、男性としてはおじいさんも大切にして欲しい。おじいさんは人類という種の繁栄には、必ずしも積極的な貢献をしてこなかったかもしれないが、それでも智恵や経験の伝達者としての一定の役割は果たしてきたはずだ。だから、今更ながらではあるが、DNAによく理解してもらうために、おじいさん、おばあさんを大切にすべきなのだ。
2010.08.04
コメント(0)

☆ 8月3日(火曜日) 旧六月二十三日 丙戌(きのと とり) 仏滅: 下弦、秋田竿灯はやぶさは可愛い。鳥のはやぶさのことではない。日本が2003年5月に打ち上げた小惑星探査機の事だ。はやぶさは今年の6月、7年間に及ぶ孤独な旅を経て地球近傍にまで帰還し、はるばる持ち帰った、イトカワという名の小惑星のサンプルが入っているはずのカプセルを、無事オーストラリアの砂漠に投げ落とした。カプセルの中にイトカワのかけらが入っているのかどうか、まだ最終的な分析には時間がかかるそうだ。はやぶさは地球を飛び立って以来、7年間で60億kmにおよぶ距離を旅し、再び地球近傍にまで戻ってきた。60億kmといわれてもピンと来ないが、地球から月までの間を約8千回も往復する距離に相当するといえば、或いは地球と太陽との間を40回往復するといえば、・・・やっぱりピンと来ないか。何れにしても途方もない距離であることは確かだ。これだけの距離を旅した探査機はやぶさはどれほどの大きさかというと、縦横それぞれ1.5mで、重さ510kgである(太陽電池を広げた大きさを除く)。つまりは、ちょっと大き目の事務机を二つ繋げたくらいの大きさで、重さはトヨタのハイブリッド車プリウスの3分の1程度である。旅の総行程と比べればいかにも小さい。こんな小さな、しかし精緻な構造物が、60億kmという真空の中を旅し、しかも往きっ放しではなく、ちゃんと故郷にまで帰ってきたのだ。如何にもいじらしくも可愛いではないか。しかもはやぶさは、というよりこのプロジェクト全体は、横紙破りと言って良い位に世界の常識を覆したチャレンジの連続であったし、探査機はやぶさの飛行も幾多のハプニングの連続であった。先ず打ち上げに使われたM-Vロケットは、世界の主流をなす液体ロケットではなく、日本の伝統技術を駆使した固形燃料ロケットであった。液体ロケットは、車と同じように燃料バルブの調節によって、速度や方向などの微妙なコントロールが出来る。しかし固形燃料によるロケットは花火と同じで、いったん火を点けたらそれっきりである。だから、軌道に乗せるのに精密な制御を必要とする人工衛星を打ち上げたり、ましてや地球の軌道を遠く離れた惑星空間にまで、計算どおりに正確な軌道に探査機を運ぶのには固形燃料ロケットでは到底無理だ、というのが「業界」の常識であった。しかし、日本は糸川英雄博士以来の伝統と技術を駆使して、この難しい課題を成し遂げた。固形燃料ロケットは欠点もあるけれど、液体燃料ロケットに較べて、推進制御系がシンプルであるとか、燃料の管理・保全が易しいとか様々な利点も多い。その固形燃料ロケットにおいて、日本に肩を並べられる国は、他に何処にも無い。はやぶさは他にも数多くの、「世界初」を達成した。ざっと並べると;マイクロ波放電型イオンエンジンの初運用。宇宙用リチウムイオン二次電池の初運用。イオンエンジンを併用した初の地球スイングバイ。地球と月以外の天体からの初の離陸。地球以外の天体における、着陸した姿、まるのままでの初めての離陸(アメリカの月探査機などは、着陸した時の機体の一部を発射台として使い、発射台そのものは「宇宙ゴミ」として置き去りにしたままである)。世界で初めて、宇宙機の故障したエンジン2基を組み合わせて1基分の推力を確保。月以外の天体からの初の地球帰還(固体表面への着陸を伴う天体間往復航行)。そして、カブセルの中身の分析次第によっては、月以外の天体の表面からのサンプルリターン(試料持ち帰り)も勿論「世界初」となるのだ。イオンエンジンというのは、僅少の燃料で時間をかけてゆっくり加速しながら、最終的には非常な高速にまで到達できるエンジンだ。スイングバイというのは、天体の重力をちゃっかり借用して、「都合よく振り飛ばされる」という加速方法である。どちらも、日本ならでの「エコ」手法である。また、故障したエンジンを組み合わせて、宇宙空間で迷子になっていたはやぶさを何とか地球の近傍まで呼び戻したというのは、日本の技術者とはやぶさの「人機一体」とでもいうべき奮闘の成果であり、涙を誘う美談とも言える。この辺の詳しい記録を読むと、ますますはやぶさに可愛さが募るのだ。更に、はやぶさは、今までの宇宙探査の歴史で、最も小さい天体へ着陸し、そこから再び離陸した。また、宇宙探査機としては、最も長い期間(2,592日)、最も長い距離(60億km)を、最も長い時間にわたって動力航行し、地球に帰還した宇宙機でもあるのだ。(尤もこれらの記録は、まだ全部最終確認されたわけではない。)こうしてみると、ギネスブックの記録更新のリストみたいだが、「だからそれがどうしたの?」という人が必ず出てくる。はやぶさプロジェクトには総計で210億円程度のお金がかかっている。はやぶさ本体の開発費に約126億円、打ち上げ費用に約64億円、運用費に7億円程度、その他で約13億円だそうだ。「それだけのお金をかけて、ちっぽけな岩の塊(イトカワは長径530m、短径300mの「ちっぽけな」ピーナツ型、或いはラッコの形をしている)を調べて何の意味があるのですか?」「アメリカには幾らでもロケットがあるし、国際協力としてそれに相乗りすればいいじゃないですか。なぜ日本が独自にそれをやらなければならないのですか?」「世界一とか世界初とかいって、どうして二番じゃダメなんですか?」・・・こういう人には、何を言っても無駄かもしれない。少なくともロマンは分からない。小惑星を知ることは、我々の地球の由来を知ることでもあるのだ。我々の地球の過去を知ることは、同時に我々の未来を知る手がかりでもあるのだ。既に其処に開発済みのものがあるから、それを借りてきて利用させてもらえば良いと言うのなら、もうこの国の未来などないのだ。科学や技術の世界では、二番なんて意味がない。銀メダルなどない世界なのだ。そう力説しても、お金のことと「現実の直近の問題」しか見ようとしない人は、自分の狭くレベルの低い了見の範囲から出て来はしない。210億円は確かに大きな金額だ。しかし我が国のこの分野の予算は、アメリカのそれの10分の1にも遠く及ばない。アメリカの専門家からは、そんなはした金でよくやるものだと、半ば感心され、それ以上に揶揄されてもいるのだそうだ。トヨタ自動車の今年度第一四半期の営業利益は2116億円だったと、つい先ごろ発表された。大企業とはいえ、たった民間企業一社の、しかもたった三ヶ月間の利益が、はやぶさプロジェクトの10回分の費用よりも多いのだ。政治家の大半は、選挙での当選、そしてその結果としての権力の行使というもので動機付けされている。一般に相手をやり込めることには優れているが、(失礼かもしれないが)想像力には欠けている。だから、知見のない分野に対しては結果が出てからしか評価できない。結果を出すための未知への挑戦には、理解も及ばないし、あえて評価もしようとしない。日本の宇宙予算は2010年度の概算要求で17億円だったのが、事業仕分けなどの篩い分けによって5千万円に、更には3千万円にまで削られてしまった。その頃は、はやぶさは宇宙で迷子になっていたのだ。そして6月になって、長い迷走から目覚めたはやぶさが還ってきた。菅さんは6月14日、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーにお祝いの電話をかけ、「約60億キロメートルもの飛行の後、地球へ帰還できたことは奇跡的であり、日本の技術水準の高さを世界に強くアピールした。関係者の方々に心からのお祝いと労いを申し上げたい。」と仰ったそうだ。そして翌15日の参議院本会議では、後継機「はやぶさ2」の開発を推進する考えを示した。蓮舫行政刷新担当相は同月15日、「偉業は国民全員が誇るべきものだ。世界に向かって大きな発信をした」と高く評価なさった。昨年の事業仕分けで、後継機開発など宇宙開発関連予算を削減としたことについては、「宇宙開発は、私は直接担当しておらず、今一度流れを確認している」と釈明し、また「国民の様々な声は次期予算編成に当然反映されるべきだ」と語ったのだそうだ。全て後付の話でしかない。政治家には、少なくともこと学問や芸術に関する限り(他の分野でも同じかもしれないが)、理念やビジョンを語っても役に立たない。「これを支援すると国民に人気が出るよ。票になるよ。」という、彼らに通じる言葉で話さなければならない。その点でも、ちゃんと還って来たという事実を以って、無言の、しかし大きな発言をしてくれたはやぶさは可愛い。それに、イトカワへの着陸の確認が取れなかったり、途中で行方不明になったりした中で、マスコミやメディアはどんどんはやぶさに対する関心を失い、報道しなくなっていった。そういう中でも、インターネットを経由した情報発信は、着実に人々の注意を喚起していった。はやぶさの健気ともいえる帰還は、マスコミや政治家のプパガンダに依らずとも、確かに人々の心を打ったのである。この8月15~ 19日には、東京丸の内のオアゾ1階「OO(おお)広場」には、はやぶさが地球に送り届けたカプセルが展示されるそうである。何となく鬱屈した世間の中で、一生懸命生まれ故郷に帰って来たはやぶさは、無闇に可愛い。ワールドカップで日本チームの活躍に熱狂し、はやぶさの帰還にも感動する気持ちがある以上、日本人もまだ捨てたものではないかもしれない。私は何とかして暑さもものかは、丸の内まで行ってみたいと思っている。
2010.08.03
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1