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上賀茂神社の武射神事(ぶしゃじんじ)宮中の建礼門院でおこなわれていた五穀豊穣、無病息災の祈願したのが始まりとのことです。神職たちが裏に「鬼」と書かれた的に矢を射た後小笠原流・近畿菱友会(りょうゆうかい)による大的式 百手式(ももてしき)の奉納です。二組目は女性の組です最後の方が矢を射た後第二矢を射る準備をされます。衣服を整えて終了です。女性がお二人混ざった三組目です。少し場所を変えて見てみました。射るまでの所作は同じで先頭から順次に流れるように準備されます。2矢を放ってすべて完了です。5人の方が一人のように呼吸を整えて矢を射る姿は美しいものでした。
2021.02.06
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裏に「鬼」と書かれた的に矢を射て一年の邪気を祓う!上賀茂神社恒例の武射神事(ぶしゃじんじ)1月16日におこなわれました。土屋(著到殿(ちゃくとうでん)装束を整える場所のようです。)本殿で神事を済ませて神官による「蟇目(ひきめ)式」矢の先に付けた蟇目鏑(ひきめかぶら)が風を切りうなりをあげて飛びます。裏に「鬼」と書かれた的へ矢を放ちます(2019年の写真から)続いて4人の神職の方が中心ではないですが的を射抜いていました。的までの距離は約30m的の大きさは1.8mでそうです。距離や的については上賀茂神社へお尋ねしました。「百手式」神事が始まるころは小雨模様でしたが蟇目式が終わったころから晴れ間が見えてきました。邪鬼とともに雨雲も払ったようです。(^▽^)次回へ
2021.02.02
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1月8~14日の間おこなわれる恒例の寒中托鉢(たくはつ)僧侶の方の托鉢は見かけますが修験道の方の托鉢姿は見たことがなく今年は拝見したくて聖護院門跡まで出かけました。修験者の方が集まってこられた時気になるが・・・「今日は護摩を焚くの?」そんな声が聞かれました。いつもとは違うのかなぁ・・・。燈明から火が移されました。願い串がすべて焚かれて街へ出かけられるのかな・・・。と思ったらここで解散!≪あれぇ~!≫ お尋ねしたらコロナが感染拡大しているので今年は街へ出かけません。とのことでした。(>_<) ここでもコロナにより中止!街を行く修験者の姿は次年度に持ち越しです。これが・・『いつもと違う・・』ということだったのでしょうね。(苦笑)護摩壇の残り火に手をかざして厄除けなど個々に祈願して帰宅。たき火
2021.01.17
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本山修験宗総本山 聖護院門跡毎年1月に寒中托鉢が始まり今年も1月8日から14日まで宸殿前の白梅です。ちらほらと咲いていました。ちょっと早かったのか・・・境内は静か!護摩壇が設置されていました。毛皮が敷かれた場所は今日の祭事でえら~い方《導師というのかな・・・》が座る場所のようです。宸殿前に整列されて参拝本堂前に移動されて参拝頭巾を被っている方が偉い方でしょうねぇ。お二人おられました。ほら貝を吹く方と偉い方以外はマスク着用です。いつもと違うとのことですが興味津々でした。続く・・・。
2021.01.13
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2020年(令和2年)の大晦日交通機関の終夜運転が中止でした。「をけら詣り」の様子はどうなのかな…早い時間から出かけてみました時間まで高台寺や八坂の塔へぶらぶらと歩いて八坂神社へ戻ってきました。「をけら灯篭」に火が入るまでには時間がありそうですが境内は静かです。例年なら人・人・人の波です。19時を過ぎ、本殿の神事もぼつぼつ終わりをけら火が運ばれてくるころです。人の輪ができ始めました。八坂神社のお伊勢さん大神宮社へ寄られたように思います続いてをけら灯籠へ本殿横の二か所目の「をけら灯籠」へ自撮りされている方も例年ならこのようなゆうちょなことは無理と思います。誰も火縄を差し出す人もいなこのような光景を目にしました。火縄をくるくる回しながら帰宅される家族連れなど静かな大晦日です。何時の時代の京都なのか・・・(^▽^)例年なら西楼門から四条通へと人の波の八坂神社ですが・・・静か!以上で「をけら詣り」を終わります。
2021.01.05
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京都・八坂神社でおこなわれる大晦日の恒例の「をけら詣り」12月28日の鑚火式(さんかしき)一年間本殿内で燈し続けられる御神火を新たに作り「をけら灯籠」へうつされる神事12月31日の徐夜祭では境内に設置された「おけら灯籠」に神火を移し参拝者の願いが書かれた「をけら木を」を元旦早朝まで焚かれます。露店も並んでいますが1日からのようです。参拝者がちらほらです。例年なら人があふれているでしょうね。大晦日に「をけら詣り」をして竹で出来た火縄に「をけら火」を移し持ち帰って無病息災を願って神棚のローソクを燈し雑煮を炊くのが昔ながらの「をけら詣り」です。現在ではお釜がないので・・・時間には早いので高台寺の方へ歩いてきます八坂神社南門を出たところにある中村楼で立派な注連縄を見かけました。京都のお正月に見かける松飾りの「根引松」他所でも同じことがあるのかな。八坂の塔の周辺も人影をほとんど見かけません。塔の前に留まっているのは庭師のかたの車です。作業が終わったのでしょうか・・・、入り口で参拝されていました。高台寺から八坂の塔横に小さく京都タワーが寄り添って暮れてきたので八坂神社へ戻ります。続きます。
2021.01.03
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嵯峨嵐山に近い車折神社の火焚祭神火から火が移される頃には大勢の方が周りを取り囲みました。火は四方からつけられるのであっという間に燃え上がります。祈願されて火焚串の投げ入れ五穀豊穣、厄災除け、祈願成就ではコロナの収束を願いたいです。社紋!?法被がカッコ良かったです。ちょっと寒かった日です。参拝者は残り火で温まって帰ってゆかれました。==終わり==
2020.12.14
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祭神・清原頼業(きよはらよりなり)を祀る「車折神社」(くるまざきじんじゃ)芸能人が芸の上達を祈願してよくお訪れることで有名です。京福電車 車折神社駅で下車駅の前が神社です。難読駅名の一つです。神社の社名の謂れは後嵯峨天皇が嵐山へ遊行した際社前で牛車の一部が折れ動けなくなったことで「車折大明神」の神号が授けられたといわれています。5月14日に大堰川でおこなわれる平安時代を再現した舟遊びの 「三船祭」はここの延長神事です。嵐山に近く日曜日でもあり参拝者も多いです。11月23日はかまどの守護神、奥津彦神、奥津姫の二柱を迎えて五穀豊穣を、厄災消除心願成就を願う火焚祭がおこなわれました。神事後にお粥が配られるのですがコロナのためそれは中止です。火焚串が届くようで次々火床に納められています。続きは次回に。
2020.12.12
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春の田植えで山から迎えた稲荷大神を秋の収穫後に感謝して再び火とともに山へ送り五国豊穣を祈願する。伏見稲荷大社のお火焚祭は11月8日のことでした。三基の火床へのタイミングはほぼ同時になるように合わせておられます。火焚祭は神職の方が担いますが凄いなぁと思って拝見しました。火を鎮める忙しい熱い仕事です大祓詞(おおはらえのことば)が唱和される中、巫女さんの舞も繰り返されます榊、塩、清めの水で三基の火床を清めも繰り返しおこなわれます。全国から寄せられて願いの火焚串は十万本ともいわれています。各火床へ運ぶ神職の方はひとりで担当されて抱えた火焚串を力いっぱい投げ入れますのでさぞ疲れたことでしょうね。すべてが炎となって爽やかな秋空へ上ってゆきました。==おわり==
2020.11.22
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秋の収穫の後に五穀豊穣と万物を育ててもらった稲荷大神に感謝する祭典で古来より伝統ある行事とHPに記載されています。参加者にも配られた大祓詞(おおはらえのことば)を参加者も唱える中火床から立ち上る煙の中を全国から寄せられた願いが書かれている火焚串を抱えて火床との往復山積みの火焚串がなくなるまで繰り返し執り行われます。榊、塩、清めの水で三基の火床を清めるため繰り返しおこなわれます。他の火床へ向かわれます。神官の熱い日が続きます。記事も続きます。
2020.11.20
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春の田植えで山から迎えた稲荷大神を秋の収穫後に感謝して再び火とともに山へ送り五国豊穣を祈願する。伏見稲荷大社のお火焚祭11月8日です。毎年13時からですが、今年、現場に着いたら14時開始の掲示になっていました。1時間余分に開催を待ち~~。待ち時間の間に先日の抜穂祭の場所を見てきます。稲は綺麗に刈り取られてはざ干し中鳥たちはおこぼれを頂戴中本殿の左横の石段を上がり本殿の裏に出て千本鳥居へ入った横の広場がお火焚祭の祭場です。祭事開催の間際に開門いつもより参加者は少ないですがそれでも日曜日参拝や観光者は多く祭事場へも入ってこられます。全国から寄せられて火焚串が各火床へ運ばれた後厳かに祭壇の神火(種火)を。神火を三基の火床へ点火されます炎や雲に神や龍、狐が現れると面白いことをおっしゃっていた方がおられたのでちょっと真似て上の写真の炎を拡大してみました。何に見えますでしょうか?お狐様とは言いずらいですが・・・三基の火床から白煙が・・・。全国から集まった願いの火焚串が神官の手で火床へ運ばれます。==続きます。==
2020.11.18
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11月8日は禍にかく祭東山大路通りから白川北通りを市中の紅葉を眺めながらかにかくに祭の場所へ辰巳大明神京都御所から辰巳の方角(東南)の守護神としてまつられましたが今は祇園の芸妓、舞妓さんが芸事の上達を祈願されることや商売繁盛の神様として信仰されています。ここでアッと驚く光景に・・・。一筋南の白川南通りは結婚式の前撮りのオンパレード!6グループほどはおられたようです。しっかり打合せして ≪カシャ≫歩いて来てくださ~い!そこで、顔を見合わせて、ハイ にっこりして!OKで~す。≪録画終了≫確認中互いに重ならないように適当な間隔をとって「そこの方カメラに入りますので」カメラマンからの指示で慌てて避ける一般人。何故かどのグループも紅白の傘を差してます。前撮り優先区域になってましたぁ!本日の目的「かにかくに祭」は芸妓、舞妓さんが華やかに献花されるのですが・・・。準備もなく、静か!されるのかどうか?不安がよぎります。コロナウィルス感染予防のため芸妓、舞妓さんの献花はなく関係者のみとのことです。《クシュン》あっさり終わりました。(苦笑)・・・・・・かにかくに祭とは歌人・吉井勇氏はこよなく祇園を愛し、戦争によって中断し、昭和25年に再開した都おどりの作詞をするなど祇園甲部と関りが深く、吉井勇氏が詠んだ「かにかくに 祇園は恋し寝る時も 枕の下を 水のながるる」という歌碑が建っています。11月8日の祭事には芸妓、舞妓さんが白菊の花を献花されます。は
2020.11.10
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毎年10月25日におこなわれる京都・伏見稲荷大社の「抜穂祭」(ぬいぼさい)今年は晴天の中での稲刈りです。お一人ずつ鍬を手に祭事の稲刈り気のせいか緊張の面持ちのようです。稲刈りが始まると同時に雅楽の舞なれた手つきで次々に刈っては束ねられます。刈られた稲は神殿へ運ばれます。祭事は終了です。残った稲は後で刈り取られます。素足で他の入られるので脚は泥んこ側溝で足を洗って帰られました。お疲れさま~。出先で見かけた稲の干し方です。最近は稲の乾燥方法が機械化され田んぼで干される様子がほとんど見られなくなりました。稲の天日干しをネットで拝見するとはざ干し、地干し、立干し、架干し(かぼし)、棒掛けのなど地域で様々ですね。中には芸術的な干し方のところもあるようです。でも、その様子を見ると今年の豊作を感謝して、来年の豊作を祈願しているようにも思えました。・・おわり・・
2020.11.06
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狐が鳥居前にあるのは京都・伏見稲荷大社伏見街道に面した鳥居脇に狐が飛来してきたようです。くわえているの金色の者は・・・?北は京都・五条通りから南は国道24号につながっている伏見街道沿いに鳥居は立っています。道を隔てて向かいはJR稲荷駅です。伏見街道は京阪電車とも並行しています。千本鳥居はぞろぞろと人の波が続くのですが今は人影が途絶える時もあるようです。6月5日に植えられた稲の刈入れる「抜穂祭」(ぬいぼさい)10月25日です。千本鳥居から外れて神田へ猫が稲の番をしているのかな・・・。追われても追われても戻ってきて座っていました。抜穂祭を執り行く方々が来られたのを見計らうように猫は幕の向こうへ消えました。神官に続いて雅楽の肩や舞の方刈り入れをする方々の登場です。過去に伺った時は雨の中時期は現代、ビニールの合羽を着た稲刈りに蓑(みの)と笠を期待していたので、ちょっとガックリしました。雀はおこぼれを待っているのかな。今日は晴天!舞台準備もそろったようです。幕開けは次回に。
2020.11.04
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北野天満宮のずいき祭り新型コロナ拡大で神幸祭も還幸祭も巡行は中止還幸祭で御旅所から北野天満宮へ市中を練って奉納されるずいき神輿は本殿の脇に鎮座して拝見できました。10月1日~4日まででした。正面と後側は前回にアップしました今回は続きです。正面の」左側はわらしべ長者とタコ欄間(らんま)のわらしべ長者と鳥居の間に下がっている桂馬(けいま)はタコ正面の右側欄間は神社姫と金太郎金太郎の横に熊屋根はずいきです。鳥居の笠木(黒い部分)は海苔を何枚も重ねて貼っておられるそうです。四方の角を飾っているは「瓔珞(ようもく)」赤茄子、五色唐がらし家紋を糸に通して作られているそうです。「獅子頭」は頭芋を逆さにして根を頭髪に見立て阿吽の表情は彫刻して造っておられます。目は栗、左横は雄獅子舌は赤唐がらしだそうです。四方の輿のすだれにあたる部分は「平瓔珞(ひらようもく)」干しずいきに唐がらしの輪切りで梅ミョウガでウグイスを現しています。梅にウグイスはやってきません。やってくるのはメジロですが・・・、「梅に鶯」反対側の平瓔珞は松とミョウガで「松に鶴」(写真が見当たりません)「真紅(しんく)」斜めの赤い柱は千日紅の赤い花に糸を通して巻き付け文字は白い花で天満宮と現して麦藁の房をあしらっています。鈴は賀茂なすの似せて作られています。神輿の飾りの中で唯一の”金蔵”です土にかえることができる物で作られている御神輿です。来年は新しい趣向が拝見できることでしょう。今年、2020年のずいき祭りでした。
2020.10.24
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10月1日~4日は北野天満宮のずいき祭りです今年は神幸列も中止ですがずいき神輿はどうなるのかな。御神輿だけは北野天満宮に飾られるというので出かけました。写真の整理に手間取って記事の時期が大幅に遅れましたがアップします。本殿前も人が押し掛けることもなく静かです。ずいき神輿は本殿の左脇に鎮座していました。例年なら御旅所に飾られて10月4日の還幸祭に市中を練って北野天満宮へ奉納されます。豊穣(ほうじょう)農作物がよく実ったことを喜び感謝する祭です。起源は平安時代、北野天満宮のご祭神菅原道真公が大宰府で彫った木像を西の京の神人(じんにん・じにん)が持ち帰って祀り、秋の収穫物を供えたのが始まりと言われているそうです。※ 神人・・・(北野天満宮に所属する人)御神輿の屋根はずいきで造られ田や畑で採れるもの土にかえるもので神輿のまわりが飾り付けられています。北側正面です。毎年。四面を飾るものはその年のニュースになったものやおとぎ話などがモチーフです。当日までは”ないしょ!”ですすめられるそうです。欄間(らんま)は「花咲爺さん」以前にも見かけました。同じテーマが出ることもあるそうです。下の絵柄は鳥居の中の吊り物桂馬(けいま)は「兜」兜だそうですが・・・。正面の反対側(南面)はどうなっているのかな・・・。欄間の絵柄は「邪鬼征伐」桂馬の絵柄は妖怪の[あまびえ」絵柄のすべてが農作物、土にかえるもので出来ていますので毎年造られます。まわりの飾りなども。次回は東側と西側を・・・。また見に来てくださいね。・・・・・・・今日は朝から出かけていてブログの準備中にデータを保存しているPCの電源がダウンしたり写真は人を避けて撮っていますので四面を合わせるのに一苦労写真の整理に手間取りました。(苦笑)
2020.10.22
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三十三間堂(千体千手観音立像イメージ)春桃会(しゅんとうえ)の折は無料公開です。お花を見ながらぶらぶらと美人に眺められて河津桜も照れてるかな。(掲載をご了解いただいています。)夕日に何を思うのかな・・・。コロナウイルス拡大で寂しい春桃会(しゅんとうえ)です。=編集後記=前回の掲載したお守りの絵は以前にも描いていましたが遡って見ると以前のほうが丁寧に描いていたようです。(苦笑)
2020.03.13
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人気です!こっち向いて~~^^!コロナウイルスが拡大している中毎年開3月3日に開かれる三十三間堂の春桃会へ。目的は・・・桃の可愛いお守り今年もいただいてきました。目の前にピンクの花!今年は見に行けなかった「河津桜で~す!」お堂の中へ入れる時間の終わり近づいたのでお庭の散策を後に回して・・・行ってきます~。
2020.03.11
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二か所に護摩壇に火が入り炎と煙が空高く上がってゆく様は壮観です。毎年、おこなわれる「阿含の星まつり」炎の祭典、今年は47回目だそうです。風下でもないのに熱風で熱いです燃え上がると柄杓で水をかけて火の勢いを鎮めるのに修験者は大忙し。その傍ら護摩木を投げ入れられます。次々に投げ入れられる護摩木護摩木は何本かをまとめてありますが積まれた数は半端なものではなく15時半の閉会まで延々と続くのでしょう。子どもたちの修験者による山伏問答です。山伏の心得などをよく覚えていました。山伏と認められて祈祷の場に参入できたようです。この辺りで決壊の場から総本山 釈迦山大菩提寺へ行ってみます。途中にえびす神社が・・・!賑やかに「笹 持って来い!」福を授け、厄を払っておられました。えびすさんは一人ひとりに福を授けに・・・。お福さんは楽しく踊って!可愛い獅子舞さん総本山 釈迦山大菩提寺(しゃかさん だいぼだいじ)への道は大勢の方でお山は銀座通り!(現在こんな言葉は流行らないかな…)総本山 釈迦山大菩提寺の山門山門をくぐると目の前にまたぞろ階段です。社務所の屋根の向こうに大仏像(写真なし)が顔を出し本殿と相対相対するようにスサノオミコトもお祀りされています。神仏両界のお陰で写真はありませんが日本の神様、仏様、ブータンのパビリオンでは神様でしょうか。仏様でしょうか。この日はいろんな神様、仏様にお参りできたようです。(微笑)
2020.02.20
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個人が生まれながらに持つ星と毎年めぐってくる運気の星を供養してその年の幸運を祈る密教の秘宝とありますが・・・神事に山伏問答などもおこなわれ全て表現しがたいです。その様子は写真でも伝えにくいですが・・。神官によるお祓いに巫女さんの舞雪が舞うの中でおこなわれました。二つの護摩壇が据えられている結界を回る修験者舞楽の奉納四人の修験者が松明を持ち斧作法、法弓作法が護摩壇二か所でそれぞれでおこなわれます《かろうじて矢じりを・・・》(^▽^)宝剣作法が終わっていよいよ護摩壇に点火のようです。神事、仏式など開式をどうなるの?とカメラで追いかけているうちに点火!もうもうと立ち上る煙は生き物のようです。・・・続きます・
2020.02.18
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阿含の星まつりとは空に輝く星ではなく人の運命の星のことだそうです。密教では「運命の星」を分析して人の運命を知る方法を見つけだしたのが「密教占星術」だそうです。運命を見き分けるだけでなく悪い運命を好転させて運命を強くする開運法を編み出した。それは・・・”除禍、招福、運気・運気転換の秘宝”の密教最高の秘宝の一つだそうです。旧暦の年初めの節分に護摩を焚き星を供養する「星まつり護摩供」をおこなうそうです。(HPページより概略を抜粋)会場へ行くにシャトルバスが京都駅から出ています。シャトルバスを降りたところは会場への入り口の様なもの左や右に折れながら坂道が続きます。会場は山の中腹よりやや上にあるのでここから延々と坂を上がります。もう終わりかなぁ・・と思うとまだまだ上がありましたぁ。ほどなくほら貝の音ととともに下りてきたのは修験道の皆さんその数、600人とも・・・会場からはるか上にある総本山 釈迦山大菩提寺から下りてこられたのでしょう。戦国時代の行軍のようです。山から下りてくる修験者の列が終わらないうちに先頭は早くも会場内にやっと佛様の輿が山を下りてきたようです。雪が少し止みました。子どもたちの修験者も・・・。可愛いです。参拝者は40万人ともいわれています。修験者や参拝者が見守る中神仏両界の護摩供養の開式です。山伏の各種作法も拝見できます。護摩壇から立ち上る炎はなんと・・・20mを越します。
2020.02.14
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祝園神社の「いごもり祭」三日目の「綱曳きの儀」青竹で作られた綱を北と南の分かれて曳きあいます。園児や学童が集まるのを待っていました。子どもたちも集まってきたので「さぁー 始めましょかぁー」のんびりムードのお祭りです。「よーいドン」神主さんの掛け声で和気あいあいの三回勝負!神主さんが特に嬉しそうでした。短いですが下記をクリックして様子をご覧くださいいごもり祭 綱曳きの儀綱藤きの結果は北2:1南でも勝負けではありません。豊作や凶作を占うものでもありません。目的は・・・自分の病魔と引きあい病気に打ち勝つことです勝った側が「出森(いづもり)」へ運び焼却されますみんなで仲良くぞろぞろごろごろと・・・「出森」に到着山になっているのはごみではなくお正月の飾りなどです。「どんど焼き」と同じです。「出森(いづもり)」反逆の罪で武埴安彦(たけはにやすひこ)が斬殺された場所とされています。悪霊を鎮め、疫病退散を祈願されます。綱に火をつけて燃やすことは「送り火」と解釈されています。綱を切断して人々は写してはいませんが道の反対側からも火が消えるまで見守っておられました。「送り火」とされている焼却の間、神社では鎮霊と病気平癒、厄除けの祈願神事が行われているそうです。四日目の早朝にドーン! ドーン! ドーン!と「明けの太鼓」が村中に響きわたりいごもり祭の終わりを告げるそうす。うさぎさんはよそ者ながら心が和らぐひと時をいただきあたたかい気分で帰宅しました。ー完ー
2020.01.31
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祝園神社の「いごもり祭」の二日目の「御田の儀」で氏子に五穀を授け翌日も三日目は「綱曳きの儀」です。御田の儀では暗くて周りの様子がわからなかりにくかったので一回り二日目の御田の儀で白砂で清められた神田までの道をたどってみようと歩きましたが国道を越してまだ延々と続いていますした。ここの地域の西の端にあるようであきらめて引き換えしました。途中で見かけたいごもり祭のために戸口にむしろをかけたお家がありました。前回書きましたが戸の開閉の音がしないように戸はあけたままで入り口にむしろをかけてます。暗がりの中でも灯篭が多いなぁと思いましたが昼間改めて見て多いのにびっくり!神社の境内に前日にはなかった珍しい形のものが・・・結界だそうです四隅に立てた竹を注連縄で結び聖域と定める形は見かけますがこの形は初めて拝見しました。榊の葉を12枚重ねて荒縄で結わえたものが四隅に置かれていました。「お清め」だそうです。「綱曳きの儀」に使われる”綱”が引き出されました”綱”ではなく竹を引っ張ります。青竹を左右に三本ずつ付いています。竹が引綱になります・中央部分は青竹をあぶって曲げたものです。鳥居を中心に北と南に分かれて綱引き!? ”竹引き”と言ったほうがいいような…。(^▽^)真ん中に藁で作った芯を竹で包んだ輪(ドーナッツ型)が取り付けてあります。不思議な形の綱引き、これだけでも奇祭と言えそうです。行司役は神主さんです。園児や小学生など来ていない子がいるので予定の時間を過ぎたが・・・みんなで時間待ち~。さてこの結果はいかがなりますことやら次回に・・・。
2020.01.29
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京都の奇祭の一つといわれる京都・精華町の祝園(ほうぞの)神社の「いごもり祭」奈良時代から伝わる神事で「音無しの祭」ともいわれています。1月の最初の申(さる)の日から三日間おこなわれます。今年は1月18日~20日でした。一日目は一般公開されていません。二日目は暗闇(くらやみ)の中で五穀豊穣を祈る「御田の儀」主祭神は建御雷命(たけみかづちのかみ)経津主命(ふつぬしのかみ)天児屋根命(あめのこやねのみこと)日本神話に出てくる三神をお祀りされています。居籠(いごもり)祭は武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと・・古代日本の皇族)が謀反を起こし討伐されたが悪霊となってこの地にとどまり田畑を荒らしたため村人たちは忌篭もってこの霊を鎮めたという伝説に基づいて行われいるそうです。昔は祭りの間、住民は神を迎えるため音をたてないように、”家の中にこもる”ことになっていたようです。扉の開閉の音がしないように扉は開けたままにして入り口にむしろをかけ、料理は作りおいた精進料理を食べ牛や馬など家畜は遠い親戚に預けたといわれています。音をたてないように工夫する風習はすたれたそうですが祭りは受け継がれています。昔の様子を伝えておられるお家が二軒ありました。神事「御田の儀」は19時からおこなわれます下の写真は松明奉持者の衣装のようです。歴代の奉持者の方の写真が社殿に掲載されています奉持者は名誉なことのようです。本殿で火を起こし世話役の一人に渡し世話役が大松明に点火します。点火は本殿前の社殿内です大松明は12本の縄で12ヶ所を束ねられています。二本目の縄が燃えると「二つ切れた」の掛け声で大松明が担ぎ出されます。一足先に境内へ出て、外から様子は天井に鉄板がはめ込まれていますが天井をなめるように炎が・・・二本目の縄が燃え切れたのでしょう大松明が境内へ出てきました。宮司と松明奉持者が祝詞をあげている間松明は境内で待ちます。宮司の鈴の音を合図に「もうでござる」の掛け声で幸の森の神田へ向かいます。道は白砂で清められ大松明を先頭に神霊が続き農機具を入れた箱が運ばれます。農耕神事が終わって戻ってくるまで約1時間その間にいごもり祭の名物「とうがらし汁」を・・・。実際は”超辛い”のですがこれをいただくと風邪をひかないとの言い伝えがあるそうです。辛くないのも作られていましたので辛くないのをいただきました。神田から帰ってきた一行を「お帰りでござ~い」と拍手で迎え早速、松明がばらされます。白い衣装の方たちが松明を担がれた付き人です。松明奉持者からおんだ(種)が授与されました。神事で蒔いた五穀の種で、芽が出るということで、生きる力をもたらすものとして春に田へ蒔かれるそうです。ほとんどが明かりを消した暗闇でおこなわれました。由緒ある祭事ですが素朴な感じのお祭りに出会いました。三日目は「綱引きの儀」です。(^▽^)
2020.01.25
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京都・えびす神社の十日えびす祭の初日(8日)宝恵駕籠巡行の後に続きがあったのです。湯立(ゆだて)神事です。お神酒など供物を釜の中へ湯をくみ神前に供えた後笹で湯を降り注ぎます。無病息災、厄除けの神事です。湯がかかってもいいように準備している方も多いようでしたが・・外国の方も飛沫を浴びて”唖然”としながらも大笑い。湯立神事 終了つづいてお餅つきです。巫女さんたちがお餅を丸めます。外国の方は湯立神事やお餅つきを珍しそうに見ておられました。お餅は11日の残り福祭で配られるそうです。
2020.01.19
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毎年、1月4日におこなわれる恒例の「蹴鞠はじめ」御所で行われていた京の伝統行事蹴鞠の奉納です。NHKや民放、ケーブルテレビなど報道関係も取材されていましたのでテレビをご覧になった方は蹴鞠についての説明も流れてきて分かりやすかったことと思いますが…。拝殿の横に作られたた15m四方の鞠庭(コート)で水干、袴、烏帽子姿の鞠人が鹿革で作られた蹴鞠を沓の背でけり上げます蹴鞠は神官が木の枝で支えて鞠庭まで運び、グループの中の一番偉い方(座の中の上位の方)に渡し競技を始めるには・・・最初の競技者の中で上位の方に渡し鞠庭中央に置かれます。この日の競技の最初の作法です。次の競技からは最後に鞠を中央に置かれた鞠で始められます。鞠は鹿革二枚を縫い合わせて作られて、中は空気を入れます。鞠庭(コート)へ入られる時も退出時も礼儀正しく拝礼されます4人、6人、8人などで一組になりますがこの日は8人一組でした。座に着く順も決まっています。最初に一人ひとりがその日の鞠の調子などを見るために試し蹴りがおこなわれて競技がはじまります。「アリ」「ヤウ」「オウ」の掛け声が飛び交い、競技が進みます。終わるのは座の長になる方が鞠を手で受け止めた時が終わりです。昔、女性は参加できなかったのですが現在、保存会には女性もおられます。女性の方は烏帽子を被られません。ご参考までに。わたしも蹴ってみたい・・・。拝殿の周りに飾られた干支の絵馬左から八咫烏、令和、今年の干支子右回りに十二支が・・・。お守りをいただいて(購入)帰途へ今年はお天気に恵まれた蹴鞠はじめでした。-おわりー
2020.01.15
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1月3日におこなわれる恒例のかるた始め式大勢の参拝者です拝殿前に飾られた今年の干支の絵馬能舞台でかるた始め式模範試合も披露されます。自分たちでかるたを並べ小学生も素早く取っていました。かるたを綺麗採るように・・・と言われて緊張したお嬢さんも。皆さんは優雅な手さばきでした。元かるたクイーンと準クイーンで競技かるたの模範試合です。かるたは札は百枚のうち50枚を25枚ずつ自分の前に並べます。残り50枚はから札、間違えて取ればお手つきです。座の前には下の句が並んでいます。読み手が上の句を詠み上げますので前に並んだ下の句の札から上の句に続く下の句の札を探してとります。次の札は読み手が事前の下の句を詠み続いて次の札の上の句を詠みます。コツは・・・上の句の頭一文字、二文字を覚え下の句の頭一文字。二文字を覚えて取るなどコツはありますが・・・”言うは易し行うは難し”ですね。かるたが飛んだところを狙って・・・目も止まらぬ速さでタイミングよく撮れません。白く写っているのもかるたです。他の写真はどこに飛んでいるかおわかりでしょうか。出遅れたので人の間から撮りました。百人一首を覚えようと思いますがなかなか覚えられません。(苦笑)小野小町を選んだ理由は心情です。(^▽^)
2020.01.11
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山伏さんが火をつけるのではなく神前のローソクから移された種火で火床の中に組まれた護摩木に火がつけられました参拝者も護摩木を渡されて投げ入れます。水を注いで火力を弱めて物見高い見物人は少なく地元の参拝者が多い中でおこなわれ炊き上げられる皆さんの願いをともに見守る温かい雰囲気が素敵なお火焚祭でした。護摩木の炎がおさまったころみかんを火床へ暖を取りながらみかんが焼けるのを待ちます。焼きみかんをいただいて帰りました。煙の味がしました。湯立神事でしぶきを浴びて災禍除けに無病息災、お火焚きの焼きみかんをいただいて風邪をひかないで済むかも・・・。
2019.12.10
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京都の11月は神社寺院では一年間の護摩木を焚き上げる火焚祭(ひたきまつり)がおこなわれます。新日吉神宮(いまひえじんぐう)へ江戸時代からこの地にあったと言われる幹の周囲4m以上の「スタジイ」ブナ科シイ属京都市指定の保存樹です。本殿への石段を上がると二体の猿・・・狛猿です。御幣と鈴を持っている「神猿」です。災禍、病気、災厄が去ることに掛けているのでしょうね。神前のロウソクの灯から移された火は再度ロウソクに移しお火焚祭が始まったら火床に移されます。神社や寺院によっていろいろ作法が違うようです。神事はこのもと社でおこなわれるこのもと祭です。本殿の横にあるお社の前です。樹下・このもと。木下藤吉郎秀吉を重ねて幕府の目をくぐってきたようです。このもと祭が終わり湯立ち神事です。最初の湯は神前へお供えされます逆光で虹が見られるかなと思って位置を考えましたが・・・風も手伝って熱いしぶきが豪快に飛んできました。しぶきをかぶることで災禍除けなどできるようですが・・・熱かった!湯立ち神事がおわり皆さんは火床のほうへ移動火焚祭(ひたきまつり)は最後に火床で焼いた焼きみかんがふるまわれます。風邪薬です。・・・・・・・新日吉神宮は後白河上皇の御所・法住寺殿の鎮守社として現在の地の南に創建されたそうですが応仁の乱などの戦乱で廃絶状態他所へ再建、参道にあったので現在の地へ移されたようです。後に御白河天皇も祀ることで神社名も新日吉神社から新日吉神宮へ神社名を昭和34年に改められたそうです。
2019.12.08
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累々と並ぶ羅漢さんここは愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)その数に圧倒されてみていました。寺院には不似合いな!?秋をテーマにした歌が流れてきました。声楽家田中文子さんがピアニスト武藤美幸さんの演奏で献歌されました。ライブは約1時間半記憶が定かでありませんが10曲以上歌われたと思います。驚きましたが毎年だそうです。気温が下がり雨も降ってきて周りは傘をさしたり、上着を着こんだりここは辛抱・・・やっと山伏のほら貝の音が聞こえきました。本堂へ向かわれて・・・祈祷です。祈祷が終わって・・・天狗へ変身!舞台裏が見えるのご愛敬です。天狗さんのご登場!木を打つひょうきんな身振りですが待っている間にカメラが冷えたのか?待ちくたびれてカメラがなまけているのか?焦点が合わずピンボケが続きました。本堂まで魔除けの矢を放たれて本堂を一周されます。一周回ったところで天狗さんは山へ帰られたようです。(^▽^)見学者はなぜか、外国の方が多かったようです。平野屋さんまで戻ってきて甘酒をいただきやっと身体が温まりました。混ぜるのは横に置かれた枝を使います。元気が出たところで化野(あだしの)念仏寺へ千燈供養はこの位置から見ていました昼間見るとイメージが違いますね。帰りの道で見かけた狸さん村の祭りを見るような雰囲気の天狗さんの宴と狸さんも愛嬌があった化野散策でした。
2019.12.06
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夕霧太夫の法要「夕霧祭」で太夫道中も拝見した後、清凉寺を後にしてあだし野の町並みにそって歩き別名:千二百羅漢の寺「愛宕(おたぎ)念仏寺」へ愛宕念仏寺(おたぎ ねんぶつじ)は嵯峨野の愛宕山参道の山麓の入り口にありますのでJR嵯峨嵐山駅から約2.2キロほどの所にあだし野念仏寺があり化野念仏寺ここから山に向かっててくてくと11月10日ですから紅葉には少し早いようでした。25日頃は美しいだろうと思います。鮎の宿つたや平野屋約600m行ったところに愛宕念仏寺天台宗の寺院、ご本尊は千手観音京都・東山の六波羅蜜寺の近くに真言宗東寺派の末寺、「愛宕寺」として創建されようですが鴨川の洪水で建物が流され復興されたが廃寺のようになり天台宗の僧、千観が念仏を唱えていたことで愛宕念仏寺と改め天台宗に属したようです。その後も荒廃を繰り返し、1922年に現在の地へしかし、復興を目指すが失敗、1955年に西村公朝が住職を命じられたがあまりの荒れように引き受けるのをためらったそうです。清水寺の貫主・大西良慶の「草一本むしっても石一つ動かしても復興者と言ってもらえる。」自分も手伝うからと激励され復興に取り掛かったそうです。鷹巣桜石段をジグザグに上がって本堂前に到着参拝者が掘って奉納する「昭和の羅漢彫り」が1981年から始まったそうです。目標の500羅漢が10年後には1200体に達したそうです。本堂です。ここで行われるのが「天狗の宴」さて、天狗とは・・・。修験者のほら貝の音が聞こえてきました。
2019.12.04
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姿も美しく、芸に秀でた夕霧太夫の供養と太夫の舞の奉納「夕霧祭」が11月の第二日曜日に清凉寺(嵯峨釈迦堂)でおこなわれました。午後から予定している別の祭事の前に快晴につられて拝見にゆきました。庫裏を出て本堂へ向かわれる薄雲太夫(本堂での供養や舞は写真禁止)法要と舞を披露されて太夫道中へ「薄雲太夫」と思います。この後、太夫は嵯峨野の秋祭りに参加されるそうです。夕霧太夫は嵯峨野あたりの出生らしいのですが詳細はわかっていません。島原の置屋「扇屋」の太夫となり「扇屋」が大阪に移転したのに伴い大阪へ移転後6年で病死お墓は大阪の浄国寺にあるそうです。大阪でも多くの方がその死を惜しまれたそうです。
2019.12.02
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平安朝時代に年中行事として行われていた亥子祭旧暦の10月亥の月に餅を食べれば無病息災が祈願できるといわれています。京都御所の西、護王神社で唱和35年に考証再現されて今日に続いています。式司(聖上)と殿上(男)、十二単をまとった五名の女房で平安朝さながらに雅で厳粛に行われる祭事です。臼や杵など女房がしずしずと運び亥の子餅がつき始められました。臼に餅粉を入れ女房が水を差します。木が活けられた竹筒は飾りでなく水差しでした。(祭事ですから所作だけです)交互に水を差します。式司が杵でつき始めます。三色の餅をつきますので同じ所作を三回くりかえします。上座の者が「神奈月」の初句を発声式司以下殿上(男)が袖で口をおおい「いのちつくつかさ」女房が同じく袖で口をおおって「いのちつくさいわい」と唱えます。つき終わった餅を唐櫃に納めて御所へ届ける餅を殿上男に渡します。女房は餅つきの道具を片付けますが運んできた順と逆に片づけます。臼を片付けて餅つきは終了。せかせかした現代に逆行したのんびりムードでした。亥の子餅を御所へ献上する行列の出発京都御苑の中に入ったら灯りはなく真っ暗、写るのは提灯の明かりのみ。一行が踏みしめる砂利の音が響きます。亥子餅を献上して神社へ戻られます。平安朝絵巻のような亥子祭を終わります。ライトで照らしておられましたが歩くスピードが速くピントが合っていない写真になりました。
2019.11.16
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旧暦の10月の亥の日に餅を食べて無病息災を祈願六瓢箪 無病息災平安朝時代、年中行事として行われていた亥子祭は聖上(天子)自ら餅をつき宮使いの人へ配られた祭事が京都御所の西側に鎮座する護王神社で昭和35年に考証復活され今日まで続けられています。♪亥の月 亥の日の亥の子刻厄除け 三種(みくさ)の 亥子餅舂(つ)く つく つく つく命つく つく それ幸なーれ それ幸なーれ ・・・♪亥の子囃子もあるようです。紹介が終わった五人の女房がゆっくりと下がり奏楽が流れる中祭事の道具が運ばれてきます。餅をつくための「臼(うす)」が恭(うやうや)しく運ばれてきました。式司(聖上)の前に置きさがりますひとりがさがって次の人が餅をつくための「杵(きね)」を御折敷 強飯(おこわ) 粉水筒が一対女房それぞれが運びます。白菊、みみじ、鴨脚(おうきゃく=銀杏)忍草(しのぶぐさ=シダの1種)を式司の前に運びます。忍を一対時が止まったかと思えるゆっくりとした時間の流れの中♪時の流れに身をまかせ・・♪亥子祭の色に染められて見ていました。(^▽^)祭事に必要な道具が並べられて餅つきが始まります。
2019.11.14
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足腰の守り・護王神社は烏丸通を隔て京都御所の西側にあります。狛犬も「いのしし」です。「いのしし神社」と呼ばれています。イノシシと護王神社は和気清麻呂が宇佐八幡の御神託称徳天皇に伝えたところ弓削道鏡の激怒にふれ大隈国(おおすみのくに)へ流刑になりました。その途中、宇佐八幡に参拝に行こうとした際突然、300頭のイノシシが現れ宇佐八幡までの10里(約39キロ)の道を案内したといわれています。この霊イノシシを清麻呂公の随身とし亥年生まれの守護神として敬われています。亥子祭と亥子餅平安朝時代に年中行事として行われていた亥子餅の儀式は聖上(天子)自ら餅を撞いて配り無病息災を祈る儀式で大変厳かであったため「厳重(げんじゅう)」または当日が旧暦の十月亥月亥日のため「玄猪(げんちょ)」と呼ばれていたようです。10月の亥の月亥の日に餅を食べれば健康を保てると信じられてきました。亥子祭は護王神社で昭和35年に考証復活されたものです。亥子祭の「本殿の儀」で始まり一般は中へは入れませんので儀式はテントに映し出された映像で拝見できました。平安朝絵巻が繰り広げられる舞台です。平安朝時代にさかのぼってその時代に身を置いてください。(微笑)それぞれが歩まれるのは1秒間弱で一歩のゆっくりタイムです。今年の女房役の五名の方を紹介されました。(毎年募集されるようです)京都はもちろん、大阪や滋賀県などから応募されて方々です。《女房とは》朝廷や身分の高い人に仕えた女性使用人正式なら十二単を着用するのですが重くて身動きができませんので形だけにとどめていますと神社側の十二単についての知識など丁寧な説明でした。聖上役や殿上人(男)が揃い「御舂ノ義」(舂:うすに入れて搗くという漢字です)宮司が式司(聖上役)随時、進行が映し出されています。厳粛で優雅な様子は次回に続きます。今年の干支イノシシが狛犬の護王神社へ参拝して時の記事です。護王神社について記載しています。下記をクリックしてください。護王神社弓削道鏡(ゆげのどうきょう)奈良時代の僧侶この方についてはちょっとびっくりなでも・・≪あら まぁ~!≫の川柳があるようですね。興味がある方はウィキペキアを挿入しましたので下記をクリックしてください。(^▽^)弓削道鏡について
2019.11.12
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6月10日のお田植祭で伏見稲荷大社の神田に植えられた苗は立派に育ち10月25日の「抜穂祭(ぬいぼさい)」を迎えました。昼頃に雨が上がる予報でしたが雨は止む様子もなく降っています。本殿の神事の後、神田へ現代ですね。蓑(ミノ)ではなくビニールのレインコート姿伏見稲荷大社で長年お仕事をされている方が曰く蓑や油紙の合羽なら様になるのですが・・・と田植えの際と同じような配置でベテランの方が近くに・・・足元を見るとなんと・・”裸足”でした!ベテランの仕事は手早く、隣りの女性の列まで刈り取っておられます。雨のためでしょう。早々に祭事を終えられました。刈り取った稲穂を唐櫃(からびつ)に納めて土や雨で濡れた稲は唐櫃がよごれるのでしょうね。事前に綺麗な稲が用意されていたように思います。本殿へ運ばれました。刈り取ったお米は11月23日の新嘗祭(にいなめさい)現在の勤労感謝の日に大神へ御供えされるそうです。神様が新米をいただくのはしばらくお預けですね。(^▽^)追記脱穀後の稲は火焚祭で焚き上げされます。・・・・・・新嘗祭宮中祭祀のひとつで、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)、天つ神、国つ神、天地の神々簡単に言うとすべての神々に供え、天皇自らも食べて収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する祭事。今年は即位されて最初の年ですから大嘗祭(だいじょうさい)ということですねぇ。
2019.11.10
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日・タイ・カルチャー・フェアの帰りに粟田神社の剣鉾差しを拝見できました。粟田祭は10月14日、お天気がよくないので御神輿はビニールをかぶせているだろうと国際交流会館へ出かけましたが途中退座して戻ってきたら三条通りで・・・剣鉾の一行がさしかかりました。粟田神社の「剣鉾差し」をご覧ください。剣鉾は祇園祭と同じことで鉾先の件が輝きながら前後にしなり、鈴の音を響かせて周囲の悪霊を集めて清める役割があるようです。剣鉾は重量約30kg、長さ約6mほどあり先を真っすぐに立てて鈴がなるように鉾先を前後にしなるように進むのは技術がいるようです。鉾先大きく揺れれば拍手も増します。剣鉾は神社が保管しているのでなく氏子町内で管理して祭の際は飾りつけされ当日、巡行に加わるのも珍しいと思います。三人一組で交代とサポートをしながら進みます。三条通りも上空に電線が張られていないのですが上に電線が張られていると剣鉾を一旦倒して通過してからまた立てて進まれます。御神輿がやってきました。ビニールで覆われています。東山大路から狭い商店街(古川通)へ入ってきました上も横も目いっぱいです。祭で剣鉾を持っている神社は他もあり春と秋に剣鉾差しが見られます。タイとの交流イベントや祭の散策がでした。
2019.11.08
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本堂を極楽浄土にして地蔵堂を現世に見立ててご本尊の阿弥陀如来が二十五菩薩を伴い人々を極楽浄土に導く様子を現した「二十五菩薩おねり」が泉涌寺塔頭即成院(そくじょういん)で10月の第三日曜日に開かれました。本堂からL字に架けられた橋は約50m長さと約2mの高さで現世に見立てた地蔵堂(下の写真)へつながっています。ゆるキャラの「与一君と力し君」左:与一君 右:力士君即成院には那須与一の墓所がありますその関係でしょう。力士君は・・・皆さん???でしたがご本尊の阿弥陀様が姿を変え強い力でみんなを守るために現れた!?このような説明があったような・・・。舞妓さんの登場に嬉しそうです。おねりがはじまりました。来迎のために現世への道を清めます。一回目。二人の可愛い山伏さんは兄弟のようでした。現世まどの道を清めて戻ってこられました。お稚児さんもお花や供物を携えて現世はわたってゆきます。お守りになるお札がまかれてまかれた散華です。最後にゆるキャラ君たちも渡って渡り廊下の幅いっぱいのゆるキャラ君歩くのも大変です。五色のリボンは阿弥陀如来の手とつながっているとのことです。しっかり握ってお参りです。続きます。即成院は伏見の長者・橘俊綱が伏見大亀谷に創建明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)《神仏習合を廃して神道をすすめた》の結果無住たなり泉涌寺塔頭の法安寺と合併して現在の地に再建されたそうです。・・・・・PCを充電していて遅くなりました。
2019.11.02
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瀧尾神社のお祭りのだいご味は鎌倉時代から幕末までの歴代の天皇や皇族の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)」と呼ばれている「泉涌寺」真言宗泉涌寺派総本山の寺院へ御神輿を担ぎ込み仏殿前で差し上げです。僧侶の読経があり神仏習合の祭事が見られることです。泉涌寺 仏殿瀧尾神社から泉涌寺までは約1.3キロほどの距離です。先に拝観料を払って境内へパンフを見せて出入りをさせてもらえました。大門前で笛や太鼓で賑やかに纏(まとい)も披露した後こちらは「泉涌寺」(せんにゅうじ)仏殿前に僧侶が居並び御神輿を待っておられます。猿田彦大神を先頭に御神輿が担ぎ込まれます仏殿に向けて”差し上げ”のあと僧侶の読経がこなわれました。瀧尾神社へ帰って行かれました。毎年御神輿の先頭を行く剣鉾や龍踊があるそうですが今年はなかったようです。龍踊も見たかったのに残念です。この日は雨の予報が出ていましたので雨を覚悟で準備されたようです。予報で取りやめになったのでしょうか。しかし、カンカン照りの暑い一日でした。瀧尾神社の拝殿天井の龍は夜毎、抜け出して境内の北側に流れる泉涌寺の裏山から流れてくる今熊野川(現在は暗渠)へ水を飲みに行ったと言われています。そのためではないと思うますが一時、金網が張られたそうです。現在、金網はありません。このような話が生まれるくらいこの彫り物は立派ですね。境内に三嶋神社、愛宕神社、稲荷社、金毘羅宮、瀧尾天満宮、妙見宮のお社が建っています神仏習合は「粟田神社」の粟田祭の夜渡神事で知恩院前でおこなわれるれいけん祭も神仏習合です。翌日には御神輿が青蓮院へ入り祭典がおこなわれます。剣鉾や龍踊が見られませんでしたが瀧尾神社の神幸祭を終わります。
2019.10.18
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京阪電車の東福寺駅に降りたら改札口の近くや道路に法被姿の男性がたむろ一瞬御神輿が出たのかな!?と思い「お神輿はここを通るのですか?」と尋ねたら返ってきた返事が「夕方に通る!」間が抜けた質問をしたようでした。仕方がないので「夕方まで時間待ちね。ごゆっくり^^」笑っておきました。瀧尾神社は駅から80mほどの場所神社へ着いて納得しました。境内は日陰もなくが暑いので巡行時間まで駅周辺で休んでおられたようです。先発隊は女神輿力強く、足の運びも軽快に「ホイットー ホイットー」男性に負けていません。気合十分、男衆が担ぐ御神輿神社を出て細い道をゆき行列は東大路通を北へ進みます。JR東海道線の横を行く御神輿氏子地域を回って神社へ戻って昼食休憩の後、泉涌寺へ向けて巡行されるそうです。この先はお付き合わず神社へ暑いのでひとまず休憩します。・・・・・瀧尾神社については前回に記載していますが主祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)(別名:大国主命)や弁財天、毘沙門天をお祀りしている京都・東山区の「瀧尾神社(たきのおじんじゃ)」の9月末の日曜日におこなわれるお祭りです。瀧尾神社《境内の駒札によると》創建は不明だそうですが京都・洛東聾ノ谷にあった武鵜社(たけうのやしろ)が応仁の乱(1467~1477年)に焼失し、日吉坂に移転し「多景社」と称しさらに1568年に現在に場所へ移されて1704~1711年に瀧尾神社に改称されたそうです。現在の社殿は江戸時代後期1839年から翌年にかけて大丸の創業者・下村家により整備されたものだそうです。本殿は貴船神社奥院宮殿を移築したものだそうです。
2019.10.16
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19号台風により河川の氾濫で大きな被害が出ました。被害もなくブログがアップすることに気が引けますがご容赦ください。・・・・・・・・・・・・・・主祭神として太己貴命(おおむなちのみこと)(別名:大国主命)や弁財天(財宝も神)、毘沙門天(北方守護の神仏)をお祀りしている京都・東山区の「瀧尾神社(たきのおじんじゃ)」で9月29日にお祭りがありました。京阪電車、東福寺駅下車、左へ約80m瀧尾神社《境内の駒札によると》創建は不明だそうですが京都・洛東聾ノ谷にあった武鵜社(たけうのやしろ)が応仁の乱(1467~1477年)に焼失し、日吉坂に移転し「多景社」と称しさらに1568年に現在に場所へ移されて1704~1711年に瀧尾神社に改称された。現在の社殿は江戸時代後期1839年から翌年にかけて大丸の創業者・下村家により整備されたそうです。本殿は貴船神社奥院宮殿を移築したものだそうです。拝殿の天井に彫刻された龍は全長8mと言われています。大船鉾に新しく作られた龍頭はここの龍を参考にされたそうです。回廊に十二支の動物や霊獣の彫刻が施されているようです。下記の写真は本殿の左右の彫刻の一部です。手水舎の周りも彫刻が施されていました。絵馬舎に大丸の発展に沿って絵馬が掲げられていました。下記は創業当時の様子でしょうね。(株)大丸松坂屋百貨店との関わりは大丸の創業者・下村彦右衛門正啓が自宅があった伏見京町から行商に行く道中にあった瀧尾神社へ毎朝欠かさず参拝、後に大丸が繁栄したことから下村家が崇拝されたそうです。下村家が改修にかけた金額は2500両(現在に換算すると約5億)改修は本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎です。広くない境内は祭関係者でいっぱい。巡行に神官とともに同行されるお二人巡行への準備が進んできたようです。続く・・・。
2019.10.14
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菊酒上賀茂神社でおこなわれた「重陽の節句」中国で”九”という奇数は縁起が良い数字とされています。9月9日も”九”が重なるので「重陽」といわれ宮中などで菊酒を飲み菊の花についた露で肌を祓い災厄を祓った日とされています。神前に菊の花を供え延命長寿・災厄除けを祈願し、神事がおこなわれたあと烏鳴きや所作があり子どもたちの奉納相撲がおこなわれます。葵祭の斎王代も列席されます神事が終わって斎王代が細殿へ斎王代が見守る中神官がお二人で交合に土俵上で「8」の字に歩かれます意味をさつめいされたと思いますが記憶に残っていません。(;;)いよいよ烏(カラス)の登場です両サイドから飛んできます両サイドから飛んできます横に飛びながら弓矢などを運んできます「カーカーカー」 「コーコーコー」烏の鳴き声で互いに呼応します何を話したのでしょうねぇ。終わったら横跳びで天幕へ帰って行かれます。子どもたちが立砂の周りを三周後ろに赤い布をつけているのが「紅組」白い布は「白組」奉納相撲が始まりました子どもたちの力のこもった対戦風景はお顔を出せませんので「ぼかす」します神事・祭事が終わって素焼きの杯に黄色の菊の花びらが浮かんだ菊酒をいただきました。子ども相撲で元気をいただきました。・・・・・烏(カラス)は桓武天皇の東征の際、上賀茂神社のご祭神:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が八咫烏(やたがらす)に姿を変え先導した故事にちなむそうです。
2019.09.30
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化野念仏寺の千灯供養に合わせておこなわれる愛宕古道街道灯し子どもたちが描いた灯籠に導かれるように歩いて化野(あだしの)念仏寺に到着嵯峨野にある浄土宗の寺院です。山号:華西山 ご本尊は阿弥陀如来です。京都の東山の鳥辺野、船岡山の西側の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地でこのあたり一帯は風葬の地でした。多くの遺骸が野ざらしになっていたのを空海が目にして遺骸を埋葬して五智山如末寺を810~824年に開いたのが始まりだようです。入り口でロウソクをいただいて中へ(行事協力費として大人千円)8000体の石仏や石塔があると記載されています。灯がついていない石仏に各々がロウソクを供えておられます。石仏で囲われた中での写真撮影は写すことに気を取られて足元のロウソク立てが危ないので禁止です。写真は外回りからのみです。一本一本のロウソクは小さいですがたくさんのロウソクの灯に眩しくさえ感じます。化野念仏寺を後にして山の方へ上がってゆきます。見えてきたのが愛宕神社の鳥居です愛宕神社は愛宕山の頂上です夜は無理です。バスの本数も少なくなってきます。終バスに遅れないようにここでUターンしてもと来た道を戻ります。愛宕神社までの途中に千二百羅漢の寺と言われる「愛宕念仏寺」があります。千体以上の羅漢さんが並んでいます。秋の良い日に行ってみたいと思いました。
2019.09.28
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彼岸花の里秋のお彼岸は9月23日~26日今日が彼岸明けです。嵯峨野の北・嵯峨鳥居本の街道であだしの念仏寺・千灯供養に合わせて8月23日~25日愛宕古道街道灯し(あたごふるみちかいどうともし)が嵯峨鳥居本の街道沿いに手作りの灯篭が並び日没から火が入り夕涼みに訪れる方でにぎわいました。清涼寺(嵯峨釈迦堂)前を左へ道なりに歩くと灯籠が家々の前に並んでいます。絵は子供さん方が描き地域の大人が灯籠に組まれるそうです。同じような灯籠がならびますが子どもたちの力作ですしばらく歩きながらご覧ください。化野(あだしの)へは初めてきました。理由は某団体の行事「お化け大会」でのこと彼岸にちなんで住職の話を聞きそのあと食事をしながら互いに怖い経験を話す場のことです。仲良くさせていただいていた彼女がここへ来たとき金縛りになって動けなくなったと話されてことがありました。それを思い出すと近寄りたくなかったのです。(苦笑)化野(あだしの)念仏寺へいかが相成りますやら・・・。化野(あだしの)念仏寺嵯峨野にある浄土宗の寺院です。山号:華西山 阿弥陀如来がご本尊です。京都の東山の鳥辺野、船岡山の西側の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地でこのあたり一帯は風葬の地でした。多くの遺骸が野ざらしになっていたのを空海が目にして遺骸を埋葬して五智山如末寺を810~824年に開いたのが始まりのようです。当初は真言宗でしたが法然が念仏道場として華西山東漸院念仏寺と改め浄土宗になったそうです。化野とは仏教の言葉で「はかない」「むなしい」という意味があるようです。
2019.09.26
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義父が息子を殺す!痛ましい事件が起こりましたね。悲しいことです。京都へつながる六つの街道に地蔵尊が祀られています。8月22,23日に地蔵めぐりがされます。地蔵尊の回り方は自由ですが時計回り、逆回りが便利と思います。多くの方は自家用車やタクシー、最近はバスツアーもあります。今までは一か所へ出かけただけでしたが今年は六ケ所を回ってみたいと”一念発起”朝から出かけました。「恋塚浄禅寺・鳥羽地蔵」へ時計回りでスタート!地下鉄・竹田駅から徒歩で20分くらい鴨川が桂川へ流れ込む手前を超えます。平安京の羅城門から南へ延びる鳥羽街道になります。恋塚とは袈裟御前を顕彰する「恋塚」と呼ばれる五輪の石塔が境内に建っているため。京都市指定の保存樹です。樹高もあり昔は高い建物がなく樹高もあり千本通りからこの樹が見えたそうです。本堂には阿弥陀如来立像が安置されています。鳥羽地蔵を辞して地下鉄で烏丸四条へ戻り阪急電車で桂へ松尾・桂・西京極の二番目に「地蔵寺・桂地蔵」は丹波・山陰街道です。昔の”桂の渡し”の近くになります。六体の地蔵尊の内一番根元に近い最下部で刻まれたので「姉井地蔵」と呼ばれているそうです。阪急電車で戻り、地下鉄へ烏丸丸太町でバスに乗り換えて嵯峨野高校前で下車、三番目に周山街道の「源光寺・常盤地蔵」へ平安末期に源義経の母、常盤御前の庵の跡地六体の地蔵尊の五体を作り、残りの木で作られたので「乙子地蔵」と呼ばれているそうですもと来た道を戻り地下鉄・鞍馬口で下車、徒歩で四番目は鞍馬街道にあたる「上善寺・鞍馬口地蔵」へ地蔵堂には女性的な面差しから「姉子地蔵」と呼ばれているそうです。本堂は行基作と言われる阿弥陀仏坐像が祀られています。夜に六斎念仏が奉納されますが次へ急ぎます。(奉納六斎念仏は過去にアップしています)地下鉄・鞍馬口まで戻り烏丸御池で乗り換えて地下鉄東西線へ終点の六地蔵駅まで直行途中、四宮に地蔵がありますがここは地蔵寺まで夜店が並ぶので道中はにぎやかで明るいので安心ですが夜道になったらこまるので明るいうちに六地蔵へ先に参ります。奈良街道になる「大善寺・伏見地蔵」へ京と奈良を結ぶ交通の要所に建っています。最初に六体の地蔵が安置され「六地蔵巡り」の発祥の地にあたります。”六地蔵”の地名にもなっています。白塗りの地蔵菩薩像は重要文化財です。もと来た道を戻り地下鉄東西線で山科で下車、東海道にあたる「徳林庵・山科地蔵/四ノ宮地蔵」へ最終の六番目です。徳林庵へ続く道に両側に露店が並び大勢の参拝者で賑やかです。第54代仁明天皇の第四皇子・四之宮人康(しにもやさねやす)親王が出家して山荘を営んだ地、地名の由来になっています。この日は閻魔天も開帳されています。京の六地蔵巡りをざっとご紹介しました。各地蔵寺は最寄り駅から近い所で約300m遠い所で役1300mくらいの距離です。
2019.09.20
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濠川(ほりかわ)の寺田屋浜で行われる「伏見万灯流し」1868年の鳥羽伏見の戦いの犠牲者の慰霊とお盆の先祖供養・家内安全などの祈りを込めて濠川(ほりかわ)に灯篭が流されます。毎年、8月の第一土曜日です。ゆったりと流れている灯篭を追って下流へ移動月桂冠大倉記念館の近くで待ちましたが待てども流れていません。仕方なく来た径を引き返したらなんと!!灯篭が留まって渋滞状態竿で押しても戻ってきます。川下から吹き上げる風に灯篭が押し返させられているようです。早くもロウソクが消えかけている灯篭も待っていても仕方がないので帰ってきました。流れるとは限らないのですね。(^▽^)来年・・・リベンジかなぁ
2019.09.16
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うさぎさんもお月見!昨夜は中秋の名月雲が厚く満月が拝めないような雲行きで一旦はあきらめかけたのですがダメもとで上賀茂神社の賀茂観月祭へ出かけました。「月見団・にごり酒接待」が先着300名まで整理券が配られるので早くも長蛇の列です。時間が遅かったので整理券は当てにしていませんでしたが頂きました。お団子とお酒につられたわけではありません。念のため。 出かけるのが遅れましたので演目は途中からです和太鼓は上賀茂小学校PTA和太鼓クラブ「奏」の皆さんクロマチックハーモニカは木谷悦子さん和楽器は凛ひとえさんは横笛に歌も石見神楽京都瓜生山舞子連中の皆さん演目は「ヤマタノオロチ」高天原で暴れすぎて姉の天照大御神に追放された素戔嗚尊(スサノオノミコト)出雲国にさしかかった時河原で泣いている美しい娘クシナダヒメと両親に出会う。泣いている訳はヤマタノオロチが毎年来て八人の娘を食ってしまった。今年も来る時なので悲しくて泣いていたとのこと。ヤマタノオロチを退治するから娘を私の妻にほしい申し出る。強い酒を造ります。大蛇が酒を飲み酔いつぶれた時スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結ばれ・・・。めでたし、めでたしのお話です。八坂神社の東御座に載る女神はこのクシナダヒメです。目的を忘れるところでした。舞台が終わりかけた頃に雲の切れ間ができ満月が顔をだしてくれました。今年の中秋の名月を雲が隠してしまったようです。にごり酒ではなく辛口のお酒(神酒)でした。(^▽^)伏見の灯篭流しに戻ります。
2019.09.14
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平安京ゆかりの清め神事御手洗川足付け燈明神事燈明料¥300円を納めて北野天満宮の御手洗川へあちこちに蝋燭の火種があります。赤は良縁・縁結び・子宝・家内円満吹き抜ける風が強くロウソクの火が消えそうです。手で囲いながら自撮りの方も白は開運招福・心願や就職成就・趣味達成紫は身体安全・健康回復・病気平癒・延命長寿水から上がって緑は芸道上達・スポーツや成績向上・目的達成・業務成就黄は金運向上・商売繁盛・福徳将来・職務繁栄四色は立っていたが紫色がなかったので紫色を・・(微笑)燈明は五色白、黄、紫、赤、緑、の五色です。白:開運招福・心願や就職成就・趣味達成黄:金運向上・商売繁盛・福徳将来・職務繁栄紫:身体安全・健康回復・病気平癒・延命長寿緑:芸道上達・スポーツや成績向上・目的達成・業務成就赤:良縁・縁結び・子宝・家内円満あなたは何色で祈願されますか?迷いますしたぁ。(微笑)
2019.09.10
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ミシガンNIGHTが出航するびわ湖・大津港のびわ湖大花火大会久しぶりに出かけけました。日没の灯りが残る18:30にミシガンナイトの出航です。お楽しみいただければ嬉しいですこれにて幕!帰りは花火が終わると一斉に駅へ向かい駅が見えていたも長蛇の列でアリの行進、ホームまでなかなか行き着かない行きはよいよい、帰りがこわい!花火大会でした。(苦笑)アップがずれ込みましたが今年の花火でした。
2019.08.27
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7月28日に上賀茂神社で水まつり興味津々出かけました。恒例の手作り市が開かれおり書道や太鼓のパフォーマンスがありました。京都市立塔南高等学校書道部「賀茂の水祭り」は上賀茂神社の境内摂社・新宮神社の祭りです。高龗の神(たかおかみのかみ)水の神で龍神だそうです。農耕にはなくてはならない神様皆さんの願いが書かれた短冊を添えた絵馬神輿で願いが叶うよう祈願されます。地域を一巡し戻ってこられました青年部が担ぐ御神輿を”差し上げ~!”ささやかな差し上げでした~(^▽^)境内を流れる「ならの小川」へ思いっきり水をかけるように指示がでて涼しいことでしょうがびしょびしょ皆さんの願いは天に届いたことでしょう。京都・貴船神社の祭神が高龗神(たかおかみのかみ)です。上賀茂神社に摂社新宮神社があるのは賀茂川の上流にある貴船神社が川の氾濫などで参拝できなかった時に分霊を上賀茂神社に祀ったのが由来だそうです。×××××10月1日から郵便料金の値上げはがきや定形郵便物は一円、特殊取扱料金(5~10円)などです。いろいろ値上りしているから仕方がないのかもしれませんが年賀状の売れ行きも落ちているのにますます利用者が減るのでは・・・。此方のほうが水祭りより涼しく・・いや、寒くなりますね。(^▽^)
2019.08.21
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