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2008.05.20
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カテゴリ: Movie
<きのうから続く>
1956年夏、すなわち、舞台『双頭の鷲』初演から10年たって、コクトーのもとにエドヴィージュ・フィエールから手紙が届く。そこには、『双頭の鷲』をサラ・ベルナール座で再演したい、そのためにジャン・マレーにスタニスラス役を引き受けてくれるよう、コクトーから口添えしてほしいと書かれていた。

1956年には、マレーとコクトーはすでに一緒に住んではいなかった。南仏にいたコクトーはさっそくパリのマレーにフィエールの願いを聞き入れてくれるよう手紙を書く。「(『双頭の鷲』の再演が)実現すれば、哀れなぼくの老いにとって、幸福とも勝利ともなる」と書き添え、期待感を示した。

だが、マレーの返事はコクトーを落胆させる。「ぼくはもう42歳。スタニスラスを演じるにはあまりに年をとりすぎている。フィエールには、もっと若い役者と一緒に舞台に立つよう進言してほしい。それに、スケジュールのこともある。今年から来年にかけては、すでに7本映画が決まっている。とても舞台にさく時間はないんだ」。

コクトーから聞かされたマレーの進言をフィエールは拒否する。「ジャン・マレー以外のスタニスラスは考えられない」。彼女はいったんは再演を諦める。

そして、2年後の1958年4月1日。コクトーのもとにエドヴィージュ・フィエールから電話が入る。
「ねえ、ジャン、一生に一度のお願いよ」
思いつめた声だった。
「あなたから、あの頑固者にもう一度頼んでもらえないかしら。私の相手役を引き受けてくださいって」
「『鷲』のこと?」
「そうよ。私からも劇場からも、何度も頼んだのよ。再演に踏み切れないでいる理由はただ1つ、ジャン・マレーのほかに相手役は考えられないの。彼の影にだってなれる役者はいないわ。私にとって『鷲』がどれほど重要な作品か、彼に理解してほしいの。そして、彼の美しさ、威厳、天才抜きで私が『鷲』を演じる気持ちには、どうしてもなれないってことも」
「ジャノは、なんて?」
「例によって、同じよ。『年をとりすぎた』の一点張り。彼が年だというなら、私はどうなるの? なのに、彼は、『女王は君しかいない。でもスタニスラスは若い役者がやるべきだ』ってこう言うのよ。お願い。もしジャン・マレーを説得できる人間がこの世にいるとしたら、それはジャン・コクトー以外にはいないわ。年のことは言いたくはない。でも、私も50歳よ。もう少ししたら、本当に遅すぎることになってしまう。再演するなら早くしないと」
「ジャノがぼくの言うことを聞いてくれるかどうか、まったく自信はないよ」
と、コクトー。
「でも、できるかぎり話してみる」

コクトーはさっそくマレーに電話をかける。だが、マレーは最愛の人からの懇願にも、がんとして首を縦に振らなかった。逆に、スタニスラス役は広くオーディションで求めるべきだと主張した。
「いったい君以外の、誰を選べって言うんだ、ぼくのジャノ。エドヴィージュが『鷲』を再演しないのは、スタニスラスは君しかいないからなんだ。ぼくもまったく同じ意見だよ。ブリュッセルでも、ロンドンでも、ヴェネチアでも君は演じてくれた。それなのに今はどうして、そんなにも頑なにエドヴィージュを拒むんだ?」
「決してエドヴィージュを拒んでいるわけじゃないよ、ぼくのジャン。スタニスラスは12年前のぼくの役だ。12年だよ! あのころのぼくは、もう今のぼくじゃない。冷静に、客観的に今のぼくを見てほしい。どこからどうみたってスタニスラスをやるには年を取りすぎている」
「たしかに、ぼくは君を『冷静に』見るには、君を愛しすぎているかもしれない。ただね、君の謙虚さは、ときに自分を過小評価しすぎるよ。そんなことをしたら、ぼくらの敵の思う壷じゃないか」
「スタニスラスに必要なのは、何よりも若さと一途さだ。それをもっている役者を探すべきなんだ。君もエドヴィージュを説得してほしい」
「スタニスラスに必要なのは、単なる年齢の若さではないよ。それにエドヴィージュの相手となると、それこそあまりに若い役者は使えない。彼女の年が目立ちすぎるからね。だいたい、君は『円卓の騎士たち』のガラードも若い役者に譲りたいといってさっさとやめてしまった。『恐るべき親たち』のミシェルはもうやりたくないという。そうやって君が拒むから、ぼくの作品はちっとも再演されない。他の作家の作品はどんどん再演されているのに……」
涙声になるコクトー。
「誤解しないでくれよ、ジャン。ぼくにできそうな役があれば、必ず君の作品の再演に協力する。そうだ、『恐るべき親たち』の父親役をぼくにやらせてくれないか。息子役は無理でも、父親役ならやってみたい」
「だって、スタニスラスは君のために書いたのに。君がやってくれなければ、ぼくたちの『鷲』はもう終わりだ」
「ジャン、『鷲』は再演されるべきだよ。そして、再演されるよ。ぼくは知っている。あれはぼくだけのものじゃないんだ。今さら、エドヴィージュとぼくとで再演して誰が見に来る? 懐古趣味の観客を喜ばせるだけさ。でも若い役者がやれば、若い客が見に来る。そうやって『鷲』は引き継がれるべきなんだ。ぼくだけが独占してはいけないんだ」
「君は青春そのもの、真実の青春なんだよ。単に才能のある者、テクニックのある者はいるかもしれない。でも、ジェラール (注:ジェラール・フィリップのこと。コクトーは彼の才能を高く評価していた) が死んでしまった今、女優に対して偉大な『立て役』になれるのは、もはや君しかいなんだ」
「とにかくオーディションをやってみてくれよ。僕以上の役者が現れないなんて、どうして言える? やってみなければわからないじゃないか」
2人の気持ちは平行線のままだった。マレーはなんとか自分がすでにスタニスラス役にはふさわしくないことをわからせようとした。コクトーはなんとかマレーこそスタニスラス役にふさわしいことをわからせようとした。
結局、『双頭の鷲』のスタニスラス役のオーディションは、それからさらに2年後の1960年になってようやく行われる。

そして、コクトーはマレーへの手紙で、しつこく(笑)恨みごとを言っている。

「1960年6月4日 ぼくの善良な天使。『鷲』の稽古のため戻ってきました。おきかえようのないものをおきかえるつもりはありません。無理をしても、愚かな企てに終わるでしょう。だからこそ、無名の若者を育てようとしています」

マレーはマレーで、たとえ役を断っても、自分のコクトーへの気持ちが変わらないことをなんとか示そうと、離れて暮らすコクトーに愛をこめた贈り物をしている。ちょうどマレーからの贈り物を受け取ったときのコクトーの手紙。

「1960年6月24日 あの役は君が再演するしかなかったのです。真実の若さである君の天才、君の炎の代わりは、ただの若さでは務まらないのです。君にはいまさら言うまでもないでしょうが、新聞記者たちはぼくの言うことがわかりません。だから、ゆがめて書いています。君に手紙を書いているところへ、ちょうど、君から花が届きました。ありがとう。心の底から君にくちづけます」

「ぼくのジャノ、君なしでは、鷲の頭がひとつきり。それだってどうだか。ぼくは泣いています」


コクトーがオーディションの発表をすると、若い役者は口々に、
「どうしてジャン・マレーがやらないのですか」
と聞いてきた。コクトーは悲しげに、
「ジャン・マレーはスタニスラスが女王ほどいい役だと思ってくれないんですよ」
と答えた。
「いい役じゃないですって? なんともまあ」
名女優エドヴィージュ・フィエールの相手役には当然希望者が殺到した。だが、どうしてもコクトーはマレーのスタニスラスを諦めきれない。

夕食をともにしたある晩、「ピカソも役の年齢にこだわるのは間違っていると言っている」などとマレーに話し、マレーを怒らせている。
「ジャン、ピカソは確かに天才画家だよ。でも役者じゃない。演出家でもない。どうして、ぼくたちのことに彼を介入させるんだ」
臍を曲げてしまったマレーにコクトーはこんなふうに書き送っている。
「1960年7月12日 昨日の夜のあの夕食の席を恨みに思うのではありません。でも、ぼくはひどく悲しく、つい黙っていられませんでした。なにしろ、ピカソは君が好きで(非常に珍しいことです)、役の年齢にこだわるのは間違っていると、そうぼくに言っていたのです」「しかし、こうなった以上、苦い薬を飲み込まねばなりません」「お願いです。あの若い役者にしばらく時間を貸してやってください。彼に炎を魂を伝えるよう、やってみてください。君もぼくに、それだけは拒めないでしょう。このぼくは、君が望むことなら、なんだって、いつだって、やってのけます。君もそれはわかっている。哀れなぼくの心のすべてをこめて、悲しい思いで君にくちづけます」

こうして、マレーをスタニスラス役に復帰させることは、ようやく、完全に諦めたコクトー。『双頭の鷲』は再演され、初演の伝説的なヒットの再現はなかったが、それなりに評価された。1962年(つまりコクトーが死去する前年)、ドイツでの『双頭の鷲』の上演が決まり、コクトーは女優役も替えてエルランゲンとミュンヘンで舞台にのせている。

「1962年3月10日 大急ぎでパリを横切り、ミュンヘンへ向かいます。あちらでの君抜きの『鷲』には、頭が1つしかありません」
「1962年3月14日 ぼくの善良な天使。舞台はエルランゲンで大勝利をおさめました。ミュンヘンがどうなるか、明日を待たねばなりません。スタニスラスは君と同じように倒れようと懸命です。でも、世界中の誰一人、君と同じようにやれる者はいません」
「1962年3月20日 君抜きの『鷲』というのは気乗りがしません。だから批評などどうでもよろしい」


死の前年まで、「スタニスラスは君しかいない」と言いつづけたコクトー。皮肉なことにコクトーが亡くなるわずか1か月前に封切られたジャン・マレー主演の映画は、『スタニスラス上院議員』というタイトルだった。またコクトーの信念を裏付けるかのような奇妙な符合が、コクトーの死後35年たって起こる。

『双頭の鷲』では最後にスタニスラスが死に、それを追うように女王が死ぬ。1998年11月8日に84歳で ジャン・マレーが亡くなる と、そのわずか5日後に、91歳でエドヴィージュ・フィエールが亡くなったのだ。1週間もたたずに、自国の誇る名優、それも『双頭の鷲』で共演した2人を相次いで失ったフランスには衝撃が走った。当時の新聞は、当然、この不思議な巡り合わせを 記事で取り上げている

Her death, which prompted a wave of tributes from French political and cultural figures, came less than one week after that of Jean Marais, the handsome, swashbuckling French actor who played opposite Ms. Feuillere in Jean Cocteau's 1947 film ''L'Aigle a Deux Tetes.''


マレーは「できる役があれば再演に協力する」とコクトーに言った言葉を、1980年にエドヴィージュ・フィエールとともに実行に移していた。バーナードー・ショーの戯曲をコクトーが翻案した2人芝居『嘘つきさん』(初演は1960年、マリア・カザレスとピエール・ブラッスール)を再演したのだ。

これは『双頭の鷲』のあまりに暗示的な名場面。
女王「双頭の鷲…」
スタニスラス「双頭の鷲…(下の写真の台詞へ)」

双頭の鷲
女王「…鷲は死ぬ」。

<明日へ続く>





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最終更新日  2017.01.26 00:13:41


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