日々草

日々草

2005.06.07
XML
 このところ小泉首相の靖国神社参拝をめぐり、マスコミは様々な報道を流している。
政治的に微妙な問題でもあり、あまり発言したくない問題であるが私自身の問題としてもどうしても引き下がれない、主張しておきたいことがあるので、今日はこの靖国神社問題について書いてみよう。

 私の生家は300年余続いてきたお寺である。私はその寺で祖父母たちに育てられた。(フリーページ、私のおいたち)その祖父母たちに言われ続けたことの一つに、日本の社会で行われている冠婚葬祭が神仏混合であり、お寺の子供は仏教の教義に則して行わなければいけないということであった。

今のように靖国神社について、世間が喧しく騒いでいた時代ではなかったが、戦争で亡くなった人々が一様に神社に奉られるのはおかしい。神社で手をたたいて拝むな。手をあわせ拝むということを安易に考えてはいけない、というようなことを幼い私は聞かされていた。

死者の心までその本人や家族の意思に反して、神道によって縛ることはおかしい、間違いだと私は聞かされてきた。

 明治の新政府は江戸時代以降、仏教内部に吸収、融合されていた神道を分離・独立させ、神道による国民の教化・統合をめざした。
 1868年(明治元年)、神仏分離令を発して神仏混淆を禁じて神道の独立をはかった。そこで勢いづいた神官や平田派国学者は各地で寺や仏像・経典を破壊させた。世に言う廃仏毀釈である。
 1870年には大教宣布の詔が発布され、翌年の1871年には神社の社格が定められた。
このような歴史的な状況のなかで靖国神社は作られた(明治2年)。

日本は国教として神道を祀り上げてきたのである。

欧米列強に対抗して、国を近代化する為には、富国強兵を一刻も早く実現する必要が明治の新政府にはあった。手っ取り早い国民教化策として、神道は格好の史観であったのだ。

これって、近代民主主義国家といえるか。形式上も信教の自由を認めないで、真に自由な国家といえるか。国民一人ひとりの心の中まで国家が干渉するする国家は、まだまだ民主主義的な社会ではない。

そして、1945年(昭和20年)年、靖国神社は他の神社仏閣と同等の一宗教法人となるまで、78年の長きわたり戦死者を悼むと同時に、戦死をほめたたえる、いわゆる顕彰の目的で日本国民の中に存在してきた。

そして、宗教法人になった今も尚、靖国神社は自らの靖国史観をかかげて国民に宣伝強要している。
靖国神社の中に「遊就館」というのがある。ここでは戦争史の展示と自らの史観を宣伝するための書籍やグッズが販売されている。

「大東亜戦争」はアジア民族を日本の軍の力で解放する戦いであり正しかった。中国や台湾を日本の領土にしたのは、朝鮮や台湾の人々に恩恵をほどこすため日本領にしたのであり、植民地などではない。等々の歴史観は今も戦時そのままである。

 もちろん、この靖国史観に賛成で、この神社に祀られたいという人々は大いに祀ってもらったらいい。その信奉者たちが靖国を参拝するのは全くの自由である。おおいにお参りされたらよろしい。

 しかし、日本国の首相がこの神社を参拝するとなれば、それは少し意味合いが異なるのではないか。国が外交上、世界に発信してきた平和国家としての反省や行動(小泉首相も戦没者への追悼、平和を願う気持はおおいにあると常々発言している)とさえ、靖国の史観は反している。相容れていないのである。
むしろ靖国神社は歴代政府の戦争に対する反省を非難している。靖国側は自分たちの教義は現代も変わる事がないと言っている。

最近、戦争責任者と一般兵士を分祀して祀れという論調があるがとんでもない。靖国史観から分祀など有り得ないし、国民にとっても迷惑な話だ。外国向けの辻褄あわせに過ぎない。

神社に祀ること、それ自体を個人の自由意思にすべきだ。

死者の魂まで国に縛られたくない人もいるのだ。
一宗教法人が国家や国民を代表しているかのように振舞うとは何と傲慢なことか。
近代の民主主義国家の理念からも逸脱している。

近代国家の根幹は思想、信条の自由を認めるか否かにある。
このことが否定されている。

小泉某が個人的に靖国を参拝しようがしまいが全く自由である。どうぞご自由に。

しかし小泉首相が参拝するとなると其れは少し違うのではないか。
中国や韓国にもそれぞれ主張があるのは当然だし、大いに主張すべきだ。

しかし、国民としての信条の自由という観点でも国民は大いに発言すべきだ。

 国民の中には、無宗教の人もおれば、キリスト教の人もおり、神道の人もおり、仏教の人もおり、様々な人が様々な考えで生きている。

その人々すべてにとって、安らかに眠れる場所でなければ、戦死者を追悼することにはならない。
何よりも先ず、アジア全体が豊かで平和になるための粘り強い模索をすることが戦死者への供養ではないか。そうでなければ無駄死にだ。

 たかが78年間日本の歴史の全面に出たからと言って、それが何だと言うのだ。どうしてその史観が正しいと言える。学問的にもなんら検証されてはいない。
傲慢すぎる。

歴史はもっとダイナミックに動いている。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.06.07 16:58:34
コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

冨士子婆

冨士子婆

バックナンバー

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

コメント新着

背番号のないエース0829 @ 松谷みよ子 「私のアンネ = フランク」に、上記の内…
冨士子婆 @ Re[1]:夜来の雨(03/28) ミーシャ1225さんへ ブログの年齢間違…
冨士子婆 @ Re[1]:夜来の雨(03/28) ミーシャ1225さんへ お久しぶりです。…
ミーシャ1225 @ Re:夜来の雨(03/28) お元気そうでなによりです。 変わりなくお…
背番号のないエース0829 @ 学童疎開 「外間邦子 ~ 対馬丸記念館 ~ カテゴ…
幸達 @ Re:2018年 明けましておめでとうございます(01/02) 今後ともブログでどうぞ宜しく(=^・^=)
修楽7036 @ Re:早春の絵手紙から(孫娘の祝中学入学)(04/07) こんにちは♪  ごぶさたです。 絵手紙 …

お気に入りブログ

源氏物語〔12帖 須磨… New! USM1さん

ボチボチ剪定しながら ミーシャ1225さん

晩秋の風景 フォト安次郎さん

ピカさんの夢のある… ピカさん65さん
親仁の意見-50男… 渚のバラードさん

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: