日々草

日々草

2006.01.12
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カテゴリ: 学力について
2007年度から実施される全国学力テスト(1/11の日記続き)についての続き。

政府は全国学力調査(テスト)を2007年度から実施することを決め、06年度予算に調査費29億円を計上した。

諸外国はこの種のテストをどのように導入しているか。

まず、フィンランド。
2003年のOECD(経済協力開発機構)が行った国際学力調査で総合一位になり、学力世界一の評価を得たフインランドは、全生徒を対象とするテストではなく、生徒の5~10%が学力テストを実施している。
地域・学校の成績は公表されない。

特に成績が落ち込んでいる学校に対しては財政的、人的支援が手厚く行われている。成績低迷の学校の要請を受けて地方の教育委員会が派遣する支援教師は学級担任よりもさらに高い専門性を身に付けており、学習の遅れた子のサポートにあたっている。

フィンランドの教育実践は、学習の到達度をテストで判定するよりも、教師と生徒の相互交流の積み重ねを重視して評価し、競争と比較をやめて発達を強調するやり方である。

このような教育実践は、教師の力量の向上なくしては実現できないし、そのための教師の養成の経費や少人数のクラス編成など、公的な教育費がかなり多く必要となる。

このような評価の仕方を「形成的評価」といい、従来のテストに代わる評価方法として、その意義をOECD(経済協力開発機構)は高く評価している。

「子ども自身がなぜ勉強するのか理解しているとよく身につく」とヘルシンキ大学のマッティ・メリ教員養成学科長は述べている。(フィンランドに学ぶ教育と学力)

日本の子供たちも、現在このような教育実践、評価の仕方を行う必要のところにいる。
今の子供たちは、競争させて、尻をたたいて勉強させるには無理がありすぎる。物質的に恵まれていて、大部分の子どもは、学歴を自分の生活の糧にしようという切実な欲求はないのである。

ある意味でこの現象は人間の歴史の優れた前進、進歩を意味するのではないだろうか。
「学ぶ」ことの本来の意味、「学び」の原点に立ち返って学ぶことを子供たちは心の深いところで望んでいることになる。
「学び」の原点に立ち返った教育をする必要があることを意味している。

次にイギリスとアメリカはどうか。
イギリスはサッチャー政権時代の1988年に「全国学力テスト」を導入。
「イギリス病」と呼ばれた長期不況のなかで、社会の活力低下の原因として教育が批判を浴びたことから、学力向上策の一環として導入された。

特徴は学力テストによって徹底した学校評価を行うことにある。
中学卒業までに4回の到達度テストを行い、学校ごとの成績をすべて公表。成績の悪い学校は全職員の入れ替えや、それでも成績が悪いと廃校もありうる。
併せて学校の選択性も導入した。成績の結果は入学者の増減に直結し、学習障害児や移民の子の入学を断るなどの現象が起きている。

アメリカもブッシュ政権のもとで導入。全児童を対象とした学力テストを州ごとに義務づける。
テスト結果の悪い学校にはさまざまな制裁がある。

これらの制度を導入、実施したことでどんな問題が起きているか。
試験の点数を上げるのに役立ちそうにない実地見学や他の教科活動を中止し、かわって機械的な暗記と反復練習に集中するなどである。
「成功している」学校に生徒が集中して、教育活動に支障がでるなどである。

日本が2007年度から実施することになる「全国学力調査」はもちろんフィンドランド型ではなく、イギリス型である。

さらに将来、バウチャー制度の導入も視野にあるのかもしれない。
バウチャー制とは、家庭に教育サービス引換券を配って公私立学校を自由に選ばせ、学校に集まった生徒数(引換券数)に応じて予算を配分する制度である。
この制度と全国学力テストと結びついたら、テストの持つ意味は恐ろしいものになる。

テストの点数が教育の価値を決める唯一の物差しになったとき、どういう子どもたちが育つかは、今の大人たちが一番よく知っているはずである。





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最終更新日  2006.01.13 13:17:23
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Re:フィンランドの教育実践と全国学力テスト(01/12)  
エルク2005  さん
試験の成績が良いというだけで大学に進み、世間で言う大企業に勤めたサラリーマン。
トップダウンで言われたことを素直に頑張ることには、長けているけど、自ら、考え、創造していくことが出来ない。
これが日本の教育の結果である。

テストをしない、宿題を出さない、

だけど、子どもたちが学びたいと思える環境が欲しいです。

何のために勉強するのか・・・・原点ですね。

(2006.01.15 22:14:04)

学びたい時が学ぶべき時  
私の息子は、私が感じ悩み、さまよっていたこの国の、今の日本人の様々な問題点を、すべてではないが自分に関係する部分において強く受け止めていたことと思います。もっと早くにそれでも受験戦争に突入する意義を正しく伝えられれば、自分の学力をさらに伸ばして前向きにこの時代に挑んでくれたかもしれません。でも、残念ながらそれは出来ませんでした。やりたいことが見つからなくても、そのときできることをさせるべきだったと、反省しますが、今となっては学びたい・・と思うことに出会ってくれれば、そのとき学んでくれれば・・回り道は悪くはないし、その分人間として成長してから学ぶほうがずっと学ぶことに価値があるはずだと。
18で学びの方向など決まるはずがない。決められるような教育をしたいと、多くのものを見せたけれど、それがかえって彼の行き先を狭めた気がします。エルクさんのおっしゃるようなサラリーマンになって欲しくなかった。その気持ちだけは正しく伝わったようですが。正しく伝わった結果は、私にとっては後悔が多い結果でした。学びたいときが学ぶべきとき、その日が果たして私の息子に来るのでしょうか? (2006.01.16 19:53:58)

Re:年齢にふさわしい学びの時期がある?  
冨士子婆  さん
ミーシャ1225さん
ーーーー
私の息子も日本の教育の仕方になじまず、いつもはみだし、厄介者扱いで、さんざん親としては苦労しました。そう育てたのは勿論この親、私ですが。特に大学受験には苦しみました。結果的に日本の大学には行っていません。高校を卒業してから3年間ばかりは全く闇で、先がみえず親子ともどもさ迷っていました。その期間、息子には学ぶことの意義を働くことや生きることと結び付けて話し続けました。ある時は父親と殴り合いで議論しました。特に父親の役割は大きく、地獄のはてまで息子に寄り添い、援助すべきは援助して、道を指し示していました。とても私には出来ないこと。勉強においても自暴自棄になっていた時期もありましたが、3年目ぐらいから自力がついてきて、自信を持ち始め、自分で進路を切り開けるようになってきました。
結果的に米国の大学お卒業しましたが、本人曰く「日本の勉強のしかたは自分には合わない」。アメリカの大学は本当に息子の勉強意欲や能力を引き出してくれました。今は日本の企業に働いていますが、日本の大学のトップ中のトップの同期ばかりらしいですが、それなりにダイナミックにやりがいを感じて仕事しています。若者たちの再先端は大きく変ろうとしているようにも思います。続きは又書きます。字数の制限に引っかかりそう。 (2006.01.16 22:24:15)

Re:昨日のつづき。  
冨士子婆  さん
ミーシャ1225さん
>昨日の続き。昨日の記事に誤字がありました。最先端を再先端と変換ミス。おを「を」
幼年期、思春期、青年期、とそれぞれ人間の成長に見合った学びの内容が必用だし、時期を逃したらいけない学びもあると私は思っています。勿論これは学校の中でだけの学びを意味していませんが。とくに青年期までは、強力な働きかけ、いろんな意味ででの良い師に出会う必用があるのではと思います。子どもは自然に育つものではない、とりわけ青年期の子育ては現代社会では大切と思いますがどうでしょう。今社会が一番放棄しているのは、この青年期の子育てです。
私のところにも色々の青年がいますが、(たいていは困難を抱えている)親の働きかけが弱い、親が子どもに自分の全人生をかけてぶつかっていないように感じています。子どもが求めているのは、そういうう大人の必死の自分への働きかけと思います。私が親御さんにアドバイスすると「そのようには出来ない」と言われます。本当にできないのでしょうか。私には子どもへの愛情がその程度なのかなと感じてしまいますが。とりわけ青年期には父親が出番です。父親が余りにも冷たすぎる、「情けない、根性のないやつ」と言う捉え方です。これが多くの現代の親事情ではと思います。
今、青年は社会的にも生き辛い多くの困難を抱えています。これをどう援助し、乗り越えさせるか社会的にも大きな課題です。
最終的には、社会に放り込んで鍛えるのが手っ取り早いのかも、しかし放り込んでも、人として社会が鍛えてくれるどころか、益々退廃と堕落と言うこともあり得て難しいですね。
いずれにしても親が強力に、全力で、精魂かたむけて、子どもにぶつかっていくことは絶対必用で、その中で何をどう学べばいいかを子ども自身が模索していくこと必要だと思います。答案を親は示す必要ないし、示すことは出来ない。 (2006.01.17 10:18:50)

Re[1]:昨日のつづき。(01/12)  
たくさんのお言葉、お時間かかりましたでしょうに、ありがとうございます。
本当にもっと早く出会ってたくさんのアドバイスを頂戴できていれば・・・と、思います。
間に合わないことはないでしょうけれど、取り戻せない時間が悔やまれます。自分のことすら十分におえないでいるのですから、とことん息子に付き合うことはしなかったと反省しています。シドニーで自分のホームページを持って多くの人と関わって生きていた息子が今は、ワンクリックでなんでもできるインターネットが恐い・・という彼女と過ごしているせいか、インターネットすらせず、パソコンも置いたままの日々です。学びなおす気持ちなどないでしょう。今のままでも充分幸せだといわれれば、返す言葉はありませんから。こちらのサイトだけでも読んで欲しいと伝えましたが見る機会などないと。
向き合うことも伝えることも、もうできないようで何も言わずにいます。それでもいつか、学びたいと思うことがあるだろうと・・その日が来ることを願っています。
文字数不足・・・確かに限界がありますね。
うまく書けない部分もたくさんあって、上手に伝えられません。でも、自分の中できちんと向き合う機会をここでたくさん得ています。ありがとうございます。

(2006.01.18 20:04:23)

Re[2]:昨日のつづき。(01/12)  
冨士子婆  さん
ミーシャ1225さん

>間に合わないことはないでしょうけれど、取り戻せない時間が悔やまれます。

あせることはないと思いますよ。人生は長いのです。死んだようになっている時期が長い人生に10年あってもいいではないでしょうか。生きていることが大切です。社会も変ってきますし、そのときに力を発揮できるように冬眠が必要な人生もあります。
インターネットと若者という記事をいつか書きたいと温めているのですが中々書けません。本当にこの問題は色々な意味で若者に重大な影響を与えています。
若いお嬢さんがPCで心を病んでおられて、その方をささえて生活している息子さんは心優しい子なんですね。きっと。そのことで十分ではないのですか。お母さんが彼の心を汲んで、寄り添ってあげることが次へのエネルギーに通じるのでは。学ぶにはエネルギーがいります。そのエネルギーは湧き出るもので無理には出てきません。息子さんの今は寄り道ではなく、次への自立の格闘をしているのではないでしょうか。 (2006.01.19 15:33:27)

Re[3]:昨日のつづき。(01/12)  
ワンクリックが恐いのは、誰もやっていないからです。自分の周りにインターネットを利用して生活している人がいないんです。教育現場の人がこのあたりほとんど利用しません。私がフランスに行くのにすべてワンクリックでホテルからTGVから予約して格安で行ったり、美味しいものを格安で取り寄せたり、それらすべてが恐いのですよ。私と同年代の人がそういうならわかります。でも、若い人も同じです。だから視野が広がらないということにも気がつかないのです。それでももちろん生きていかれます。私にはそんな世界にもう戻ることは出来ないのですが、息子は戻ったのです。利用しなかったころの自分に。残念ながら寄り添っているのとは違うのです。でも、そうなれた原因の一つには、息子が以前シドニーで開いていたホームページ上でのトラブルがあるのかもしれません。詳しい内容は聞いていませんが、どこかに書き込んでそれが人を傷つける結果になって落ち込み何ヶ月もホームページを更新できずにいたことがあったようですから。そういう恐さはわかっているはずです。確かに急がなくてもいいですね。ゆっくり時間をかけて迷子になっているのも悪くはないかもしれません。原動力だけは身につけさせたつもりですから、きっと時期がくれば変わるのでしょうね。気長に見守ります。 (2006.01.23 14:40:54)

Re[4]:昨日のつづき。(01/12)  
冨士子婆  さん
ミーシャ1225さん
>-----
インターネットのプラスの面は確かの大きい。特に実生活が充実していて、実体験の豊富な人たちにはとても便利なものです。より世界を広げる道具になります。でも現実の実体験の乏しい若者たちには様々な弊害、人間的な発達を阻害するマイナス面は目に余るものがあります。必ずしも世界を広げるものではなく、世界をバーチャルの世界に縮小しているという現実があり、とても深刻です。
ミーシャさんの息子さんはその点でも理由は何であれ、PCなしの生活をしていると言う事実はむしろ私には希望にみえますけれど。真の学びはもっと別のところにあるようにも思います。

もっとも教育分野の人たちがPCに弱くインターネットもやれないのは問題ですよね。私のブログ読者でも一番読んで欲しい教師たちには訪問されていないと思います。
PCと若者については、いつか、まとまった記事を書きたいと思っています。

色々な方法でコミュにカーションできる青年。色々な仕方で人と交わることの大切さをミーシャさんのお子さんは体験中ではないかしら。わたしには素晴らしいことに思えますが。

(2006.01.23 23:55:03)

教えてください!  
りえこ さん
初めまして。大学で教育を専攻しており、全国学力テストについて調べています。偶然こちらにお邪魔することができました。フィンランドの学力テストについて資料を探しているのですがなかなか見つかりません。ここに書かれているフィンランドの資料はどこで得られたのでしょうか。教えていただければ嬉しいです。 (2006.11.12 22:51:00)

Re:教えてください!(01/12)  
冨士子婆  さん
りえこさん
>フィンランドの学力テストについて資料を探しているのですがなかなか見つかりません。
-----
これは、その当時(一月)、政府が来年度に全国学力テストを実施する予算を計上すると決めた、当時に新聞に載った資料を確か使って書きました。私は新聞を3紙購読しており、どんどんたまるので、切り抜いてスクラップしたものを、記事を書いたら捨てることに最近しており、今、手元にない上、どの新聞の資料を使ったか記憶が定かでありません。ごめんなさい。でも個人的にメールしてください。少しはお教えすること出来ます。
ちょうど、私もブログでイギリスの学力テストその後みたいなものを、書こうと思っていたところです。 (2006.11.13 10:08:27)

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