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この10月に酒税の改正がある。またこのタイミングで値上げを発表しているメーカーもある。そういった価格改定をすべての得意先に案内しなくてはいけない。そしてこの10月からはいわゆる「インボイス制度」がスタートする。我々商売しているものにとっては何かとややこしい手続きがある。また得意先への告知も必須となる。そういったことでこの9月は何かと忙しい。そこに加えてプライベートな案件もいくつかあるし、突発的な用件が期せずして入ったりして、休むヒマもない忙しさだ。ただそうは言っても、パソコンの前に座ればなんとなく関係のないところを開いていたり、身体的な疲労に耐えられずにボーっとしたりすることも多く、なかなか思うように進まない。今月中に何とかカタを付けられるのか、俺?
2023年09月16日
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ウチの店の旧くからのお客様の話。お互いに80代後半の老夫婦、彼らの息子夫婦はやや近いところで別居している。息子夫婦が何かと面倒見てくれるので、老夫婦はよく息子夫婦に贈り物をする。それを当店が受注・配達している。老夫婦から頼まれるのは決まって缶ビールのセットである。しかしこれを初めて息子夫婦の家に配達した際に言われたのが....。「すみません、ウチはビール飲まないので、これを何か他の物に替えていただくことできますか?」ハナシを聞くと夫妻はビールはあまり好きではなく、日常的にはもっぱらワインを嗜んでいるという。ウチとしては立場上その申し出を突っぱねることもできるが、なんとなく気の毒な気もしたのでご要望に応えることにして、本来納めるはずのビールセットと同価格で換算したワインとお取替えした。そして数か月後、その老夫婦からまた同じように、息子夫婦に缶ビールセットを贈ってほしいとの依頼があった。しかしどのみち前回と同じ展開になるだろうと踏んだ私は、事前にその息子夫婦の家に連絡を取ってどうするか尋ねた。一旦納品した後で交換をお願いされるのはたまったものではない、と思ったからだ。当然息子夫婦からは「同等の別の商品にしてもらえると有り難い」という返答が返ってきた。そういうわけで同等のワインを持って行った。そして同じことがその後何回も続いた。当店としては多少の面倒にはなるが、まあ対応できないというレベルではない。しかしこういうことがこれからも延々と続くのかと思うと、ちょっと気が滅入ってしまう。息子さんが一言「俺、ビールは飲まないんだよ」と言ってくれれば事態は劇的に変わると思うのだが、なかなかそう言え出せない状況なのだろう。もちろん当店からそれを促すなんてこともできない。そういうわけでしばらくは同じような対応が続くことだろう。親子といえどもどこかに遠慮とかそういうものがあって、スムーズな意思疎通がなかなかできないでいるんだろう。
2023年02月22日
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今日いらっしゃったあるお客さん。「すいません、小銭を使わせてもらっていいですか?」と言うので、ええどうぞ、と答えた。するとこのお客さん、2,970円のお買い上げに対して、 500円玉×2枚 100円玉×15枚 50円玉×6枚 10円玉×17枚という内訳で支払っていかれた。お店によってはこのような支払い方をされると文句のひとつも出るのかもしれないが、実はウチにとっては大歓迎だ。ご存じのように最近では銀行での両替に手数料がかかる。そのためかどうか知らないが、ウチの店で大きなお札を出す人が増えてきた。きっちりした額を持っていても「両替がてら」ということで大きなお札を出すということは目に見えている。そんなこんなでウチの店ではこのところ小銭の不足が慢性化している。小銭が不足すれば用意しなければいけないが、きょうびおいそれと銀行では両替できない。手数料が掛かるからだ。だから今日のこのお客さんのように率先して小銭を多く出してくれるお客さんというのはとてもありがたいのだ。それにしても話を聞いてみるとこのお客さん、小銭を出すのには「小銭がやたら溜まってしまう」というこの方なりの事情があるらしい。詳しくは聞けなかったが、どうも小銭がやたら集まってくる業種らしい。つまり慢性的に小銭が不足する当店とは真逆なのだ。小銭が不足しがちな当店、小銭が余ってくる店、この両者が上手くくっつけられたらどんなにか良いだろうか、と思うのだが、そこまではさすがに行政でどうこうできる問題でもないだろう。でも少なくともこの現状を知ってほしいと思う。銀行の両替が有料になっている現状では、両替というものはともすれば、国家レベルで対応するべきミッションになりつつあるんじゃないかと思うからだ。
2022年06月29日
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前にも書いたことがあったかもしれないが、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。これは商売人にとっては致命的なことだ。お客さんを名前で呼ぶことで親近感を植え付ける、ということがよくノウハウとして語られるが、それがなかなかできないでいる。それ以前の問題として、お客さんの名前を知るすべがあまりない。居酒屋など(特にカウンター)だとお客さんと相対している時間が長いので、お客さんの情報をいろいろ引き出せるチャンスはあると思われるが、物販の小売店ではなかなかそういうわけにもいかない。よほど仲良くなるレベルまで行くと、いろんな話を振りつつ聞き出すことは可能だが、2~3回来店した程度の方だと、そういうわけにもいかない。そういうわけでウチの店には、「名前を知らない」常連さん、という方が大勢いる。しかも今どきはみんなマスクをしているから尚更なのだ。
2022年05月25日
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一昨年の7月からレジ袋有料化が始まり、1年半以上が経つ。(この措置に関してはそもそも論として言いたいことはあるが、それはここではやめておく。)この流れに沿って、当店でもレジ袋代として1枚5円頂戴している。当初の予想では、当店のお客さんは大方レジ袋を購入するだろうと見ていた。コンビニで飲み物を買うのに比べて、当店の商品は押しなべて高単価で、なおかつ破損リスクのある瓶モノが圧倒的に多いからだ(ちなみに缶製品はさほど売れない)。例えば客単価3,000円とすると、それに対するレジ袋代5円というのは、ささやかなものだ。コンビニで安価な買い物をする際にレジ袋を断るのとは感覚が違うだろう。そう思っていたが、フタを開けてみると大半のお客さんがレジ袋を断るのだ。かといって持ち帰り用の袋を持参する人はごくわずかで、皆さん手に抱えて持ち帰っていく。クルマのお客さんの中には後部座席に転がしていくという人もいて、こちらが心配してしまう。そうまでして皆さんなんでレジ袋を使おうとしないのか?まあこれがいわゆる「抑止力」というものだと言われればそうなのかもしれない。ただこれが銭カネの問題ではないというのは、なんとなく察しが付く。つまりたかだか5円をケチっているわけではない、ということだ。かといって地球環境のことを常に考えている人がほとんどだとも思えない。これはつまり「レジ袋など求めるもんか!」という気持ちがそうさせるのではないだろうか。それは反骨心とかプライドのようなものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。実は私も同じような気持ちになることがあるので、なんとなくわかる気がするのだ。何だろう、この説明のつかない妙な気持ち....。
2022年03月09日
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物品やサービスを提供したその対価を期日までに受け取って初めて、「商売」は成立する。少なくとも私はこう思っているが、あながち間違ってはいないと思う。ただその対価の支払いが遅れることも少なくない。由々しきことだとは思うが、いろんな事情があるのだと思い、許容することも多い。それはあくまでも、「人間として」の私の融通だ。「人間として」相手の事情も顧みずドライに徹することはするまい、というまでのことだ。ただそれが「商売として」許容範囲内だと考えている人が、一定数いる。この溝は永遠に埋まることはないだろう。度を越した遅延に私が業を煮やして催促したとき、私のことを、血も涙もない人だと言った人もいた。言わないまでも同じように思っている人もいるだろう。でもね、「商売」って元来そういうものじゃないの?こっちだって苦しいんだから、あなたの「甘え」に付き合っているわけにはいかないのだ。
2021年03月31日
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2年前に「働き方改革」の一環として、宅配便の送料が軒並み値上げされた。劣悪な環境下に置かれている宅配スタッフの給料を上げるため、ということだった。宅配スタッフの苦労は、ほとんどの消費者が目の当たりにしているので、この値上げにはほとんどと言っていいくらい、反対の声は上がらなかった。それに「送料はどこかが負担して然るべきもの」とか、「送料無料などあり得ない」などという論理が声高に叫ばれていたと記憶している。つまり言い換えれば、「働き方改革」のためなら、消費者利益が多少損なわれるのはやむを得ない、ということが共通認識として生まれたように思う。その理念には概ね賛成だ、結構なことだと思う。ただそれならば、事業者が必要最小限の利益を確保するために、同じように消費者利益が多少損なわれることに関してはどうだろう?現在、いわゆるコモディティ化された商品のほとんどは、安値競争にさらされている。当たり前のことだが、その結果中小の事業者はこれにまったく参入できない状態だし、大手にしても結果的に中小の関連業者を疲弊させているケースが少なくないだろう。消費者にとっては1円でも安い方がいいに決まっているが、それは宅配便とて同じこと。小売店の「稼ぎ方改革」の一環として値上げいたします、という理屈は乱暴だろうか?
2020年02月07日
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ウチの店では、限定生産だとか希少な商品などは、発売前に予約注文を取ることがある。ただその際、トラブルが生じることも無いわけではない。一番多いのが、予約のキャンセル。軽い気持ちで予約したものの、いざとなると「やっぱ、いらねーわ」という人がたまにいる。返品などとは違うから実害は無いのだが、後の処置に困るのだ。先日ご来店した一見のお客さん。お会計が終わった後に、当店で今推しているある商品の紹介をした。その方は興味を持ったらしく、予約票に記入していった。そしてその商品が発売になってそのお客様に、入荷の報告をするべく電話をした。....まったく別の人が出た....。そう、その人は全く違う電話番号を書いていたのだ。その商品が発売になってから、かれこれ1ヶ月が経とうとしている。そのお客さんはまだ来ない。さあ、困った。連絡を取るすべが全く無いのだ。本来ならばその方が来店されるまでずっと待っているのが筋だとは思う。ただその商品は後になってしまうととても売りづらい商品だったりする。ましてやその方が注文した数は1本や2本ではなく合計10本....。それだけの在庫が残るとするとかなりのリスクだ。総合的に考えて、最終的に数日前にフリーで売ることに決めた。遅かれ早かれいずれはそうしなければいけないとしたら、今がそのタイミングと判断した。そして何とか年内に完売することが出来た。もちろん件のお客さんは来ていないが致し方ない。今回の例は特別だとしても、予約注文というのはいつも気を遣う。お客さんによっては、すぐに来ないといけないと思っている方もいればそうでない人もいて、その感覚にはとても大きい温度差があると思われる。なかなか取りに来られない方にはとてもやきもきさせられる。再度ご連絡しようと思うこともあるが、催促するみたいで嫌なものだ。予防策としては「発売後〇日以内にご来店ください」と最初に謳っておくという方法もあるが、こういうのもなかなか気が進まない。こうやって永遠に悩み続けていくのかもしれない。
2019年12月31日
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もう何十年も前、私が今の店を継ぐべく帰って来た時のこと。商品の価格体系表を作ってみて、ちょっと気が付いたことがあった。以前から当店の平均的な利益率は「○○%」と聞かされていたのに、計算してみると全品おしなべてそれよりも低いのだ。しかしその謎はすぐに解けた。この件で父と話をしていた時に、ある大きな誤りに気が付いたのだ。例えば仕入れ値が「A円」の商品に、20%の利益を乗せて売るとしよう。その時、売値はどういう計算をするか、皆さんもうお分かりだろう。いろんな方法はあるが、とりあえずは原価を「0.8」で割ってしまえばいい。「売値×0.8=原価」だから、その逆にすればいいのだ。しかし私の父や母はそうしていなかった。なんと、原価に「1.2」を掛けていたのだ。それで導き出される売価から割り出した利益率は16.67%だから、20%よりかなり低い。ただ父も母も、私にその間違いを指摘されるまで、まったく気が付いてなかったらしい。それが正しいと思い込んでいたから始末に悪い。私が正しい計算方法を説いても、すぐには納得していなかったようだ。私が指摘した時、両親は、「私たちは昔の人間だから....」と言い訳をしていた。でも、こと商売の根幹にかかわるようなことだ、世代論で片付けられるものでもなかろう。ただもっとびっくりしたのは、ごく最近、私よりはるかに若い同業者が、私の両親と同じく、上記のような誤った計算方法を用いていたことを知ったことだ。やっぱり単に世代間の差異ということでは無いのかもしれない。
2019年06月14日
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銀行の両替手数料が、このところじわじわと上がってきている。私がいつも利用している某地銀では、以前は100枚以下は無料だったのに、昨年秋から、最低ラインである「500枚以下」で540円掛かることとなった。他の銀行のことは知らないが、大方違いはないだろう。さすがに「タダで」というのは虫が良すぎると思うが、いきなり540円というのはさすがに堪える。例えば100枚くらいまでのカテゴリーを設け、108円くらいの設定にできないものだろうか?こんな状況だから、ウチの店だけじゃなくどこの店も困っていることだろう。そのためかどうか知らないが、ウチの店が時々両替所として利用される。普段から近隣の飲食店さんのご来店も多いが、もちろんストレートに両替を求めない。例えば1万円を出してタバコ1個を買う。そんな具合だ。これが1回くらいならたまたま小銭が無かったと解釈できるが、それを何度も何度もやられると、両替目的なのはほぼ明らかである。私もストレートに「両替してくれ」と言われたら断れるが、この場合一応れっきとした買い物であって、むげに断るわけにはいかない。そんな状態だからウチとしても細かいお金が無くなってくる。ただあまりこまめに両替するわけにはいかないので、後ろめたさを感じつつも、何か買い物に行く時には出来るだけ1万円を出すようになってしまう。他の人もそうしてるかもしれない。言ってみれば「負の連鎖」だ。そう考えると何だかバカバカしい。厄介者の(?)万札を互いに押し付け合って、無駄なエネルギーを消費しているに等しい。以前はその受け皿として銀行が機能していたわけだが、さすがにそれに振り回されるのにも限界がある、ということなのだろう。そういうことならこれはもはや国策として考えていかないといけないんじゃないか?10連休という政府が決めたバカみたいな長期銀行ブランクの中で、ついそんな愚痴もこぼしてみたくなる。
2019年05月02日
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先日、所用があって上京した折に、前から行ってみたかった「代官山蔦谷書店」を訪れた。事前情報によると、ここには各分野に精通した“コンシェルジュ”が常駐していて、自分がどんなものを欲しているかを伝えれば、それに適う商品を選んでくれるという。中に入ってみると、各売り場にそれらしい人はいた。まあ私は別に特段用は無かったので、コンシェルジュに頼ることはなかったが、全体を眺めていて、強く感じたことがあった。ここは、「〇〇という本が欲しい」と思って来るところではない。「何か面白いものはないかな」と思って来るところだ。カテゴリー分けが細かい、ということもある。例えば「旅行書」のジャンルの中で「沖縄」だけ独立しているとか。あるいは本以外の商品を抱き合わせで陳列している、ということもある。ワイン関係の書籍コーナーには実際にワインが置かれているし、バイク関係の書籍コーナーには本物のバイクが置いてある(売り物かどうかは定かではないが)。逆に買いたいものが決まっていて、それを目指して棚を探っていても、なかなか見つからない。そう考えると、「あえて探させる愉しみ」ということも提供しているのかもしれない。立地条件など何かと私の店とは条件的に異なる部分は多いが、いろいろと考えさせられた。
2018年12月08日
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「商売なんだから...」という言葉を用いるシーンは、いろいろとある。私が顧客から言われるパターンとしては、「(お互い商売なんだからさあ)もうちょっと便宜を図ってよ」というものが多い。逆に私が顧客に対して言うフレーズとしては、「(こちらも商売ですから)これでは採算が取れないんですよ」ということが多い。同じ「商売」という言葉でも、それが含んでいる意味合いは、提供する側と受ける側とでは往々にしてズレがあるようだ。普遍的な意味として一言ではなかなか片づけられないものなのかもしれないな。
2017年06月01日
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お客さんから商品の取り寄せの依頼を受けて、メーカーや問屋に発注する。その回答を待って、お客さんに納期の返事をするのだが、どうしても「“何事も無ければ”○○日に入ります」と言ってしまう自分がいる。その可能性はごく少ないにもかかわらず。お客さんから地方発送の依頼を受けて、宅配便で発送する。お客さんにその到着日を訊かれて、「○○日に着きますが、宅配便のトラブルが有ったら遅れるかもしれません」と言ってしまう。その可能性はごく少ないにもかかわらず。とにかく何かあった時、文句を言われるのが嫌なのだ。だからつい予防線を張ってしまう。そんな私の性質は、考えてみればずっと昔からあった。友達からの誘いが有りそうな時、たいてい空いている状況でも、「いつでもいいけど、何かあるといけないから、一応事前に確認してね」と言ってしまう。「いつでもいいから声掛けてね」と言っておいて、もしも都合が悪ければ謝ればすむ話(あくまでもその程度のこと、という前提の話)だが、どうもそれを良しとしない自分がいるのか、ついつい予防線を張ってしまう。予防線を張ると張らないとでは、相手の受ける感触は全く違うだろう。あんまり予防線を張ってばかりだと、ネガティブな印象を与えているかもしれない。要は相手の立場に立つよりも、保身を優先してしまっているのだ。そういう自分の性質がたまらなく嫌になるが、生まれ持ったモノはなかなか変わらない。でもここにこうやって書いたことを契機に、何とか変えていければ、と思う。
2017年04月26日
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以前のブログにも書いたことがあるが、週末近くなると店の千円札が不足してくる。当店の顧客である周辺の飲食店主が、タバコのような少量の買い物に一万円札を使うからだ。まあ、体の良い両替、というわけだ。それでも今まで何事もなく来れたのには、実はワケがあった。当店の得意先に毎週決まって土曜日に配達に行く飲食店があり、そこではその都度現金で集金する。で、その店ではよほど千円札が溜まるのか、当店への支払には千円札を多く使ってくれる。だから週末にかけて千円札が少なくなってきても、そのお店のおかげで何とか踏みとどまってきた。ところがその店が、訳あって先日閉店してしまった。さあ、これからどうしよう.....!?ひとつ考えたのは、我々が何か買い物をするときには必ず一万円札を使うようにする、ということ。ただそれでは1回に得られる千円札は4枚にしかならないから効率としてはよろしくない。それ以前に、我々がやられて嫌だったことを、今度は自分たちが他人に向かってすることになり、それはあまりにも身勝手なハナシだ。もうひとつ考えたのは、ATMでおカネを卸す時、1万円のところを9000円にするというもの。みみっちいが、これくらいしか考えつかないのだ。それにしてもこう皆が千円札に両替したがるとすれば、それはすなわち千円札の供給量が足りてないということでもあるわけだから、これは日銀に抜本的な対策を講じてもらうよりほかないのではないか!?
2016年03月28日
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ここ3日間の間に、私の携帯宛てに間違い電話が3件あった。その3件はいずれも違う人からだったが、共通しているのは「佐藤さんの携帯ですか?」と言って掛けてくることだ。一応「何番にお掛けですか?」と問い直してみるが、いずれも紛れもない私の番号だ。掛けてきたのは1件は某有名スーパー、1件は某大手宅配業者(あと1件は不明)。そこから推測されることは、どこかの佐藤さんがスーパーで購入したものを自宅に宅配を頼んだ、ところが配送伝票に記入した住所が間違っていて(あるいは長期不在で)、届けられない、仕方なく伝票に記入されている番号に電話したら、全然別の人(=私)が出た、つまり佐藤さんは電話番号を書く時に間違ってしまい、それがたまたま私の番号だった、結果、荷物は行き場を失って関係者を困らせている、といったところだろうか。こういう場合は結果的にどうなるんだろうか?ウチの店でも、お客さんが購入した商品を自宅まで宅配便で送ることはよくあるから、同様の事態は起こりうるわけで、対策考えておいた方がいいかな。
2015年11月23日
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ウチの店では基本的に“一般的に売れ筋のもの”よりも、“私が売りたいもの”を扱う。自分で納得したものでないと売るのに張り合いが無いし、お客さんにも伝わらないと思うからだ。ただ私自身が良いと思っているのに、実際になかなか売れない、という商品もある。そう、私の想いと実際の売れ行きとは、必ずしも一致しないのだ。私自身が大好きで惚れ込んでいる商品なのに、思うように売れずに、結果的にロス処分(=自家消費)に回ってしまう商品もある。そんな時私は、「うぅ~ごめんよ~、俺がふがいないばっかりに~」と心の中で涙するのである。普通ロスを出すほどの商品なら、二度と仕入れないものだが、懲りずにまた仕入れてしまう。今度こそは売ってみせるぞ、と心の中で呟きながら.....。悲しい酒屋の性、なのかもしれない。
2015年11月07日
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飲食店の生ビールサーバーで生ビールを出す際には、炭酸ガスが使われる。液化炭酸ガスの入ったガスボンベをビールサーバーにつなげて使うのだ。で、飲食店はそのガスを我々酒小売店から購入するので、ウチの店にも在庫を置いている。そのほとんどは固定の得意先に対して売るのだが、ごくたまにイレギュラーな売れ方もある。まあそのほとんどは、ウチの得意先でない飲食店が急に切らした、なんていうケースだが、今日のお客はちょっと違った。「生ビールに使う炭酸ガスって、こちらで扱ってますか?」と入って来た男性。最初は飲食店の方かなと思って対応していたら、どうも話がなかなかかみ合わない。「どんな大きさですか?」とか、「充填はここでしてもらえますか?」などという言い方から、そのガスボンベを使ったことが無いというのが分かった。「失礼ですが、飲食店の方ですか?」と尋ねてみると、何となくばつが悪そうな顔で、「いえ、違います」と答え、続けて説明してくれた。その炭酸ガスは熱帯魚飼育のために使いたいのだそうだ。ただ酒屋でそんな話をするのが何となく憚られたようなので、なかなか言い出せなかったらしい。実際に別の酒屋では断られたこともあったと言うし。まあウチにしてみれば、何もやましいことに使うわけじゃないので、いいですよと言っておいた。それにしてもそんな用途があったとはね。またやって来るかもしれないから、その時は熱帯魚の話など、いろいろ聞いてみようかな。
2015年10月16日
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先日、幼馴染のA君と話していた時、共通の幼馴染のB君に会いたいね、という話になった。B君はちょうど飲食店を経営しているので、じゃあ今度一緒に行こうか、とA君を誘うと、彼はちょっと気まずそうな表情を浮かべ、「最近アイツの店、全然行ってないからな~」と言うのだ。私としてはそんなの全然構うもんか、と思うのだが、A君は元来そういう性格なのだ。どうも友達だから普段から義理を果たしてないと、久し振りに合った時に気まずい、と思ってしまうんだろう。気持ちは分からないでもないが、かといってますます疎遠になってしまうのもバカバカしい。でもそういう人、結構多いのかもしれない。というのは、私にも思い当たる節があるからだ。例えば久し振りに街中で会った友人に、「また今度お店に寄るわ」と言葉を掛けられたりするが、社交辞令という以上に何となく申し訳なささを漂わせていたりする。例えばフェイスブックをやってると、誕生日にはたくさんのお祝いメッセージを頂くが、その中に「また今度お酒買いに行きます」というエクスキューズが入っているのも少なくない。ただどちらにしても、そういう人がその後来るかというと、実際はそうではなかったりする。おそらく日常的に他のお店を利用しているんだと思われる。自分の友達が酒屋をやっているのなら、そこで買わないと申し訳ない、というように気を遣って考える人は少なからずいるとは思う。ただ私は、友達だから自分の店で買ってもらえる、なんてことはちっとも思っていない。たまたま買いたいものが、友人の店とそうじゃない店とにあって値段も一緒、というシチュエーションなら、迷わず友人の店で買うが、そうでなければ別の店を選択することもある。特にお酒なんて嗜好品だからなおさらだ。自分が飲みたいと思うものが私の店に無ければ、他の店で買うのは至極まっとうなことだと思う。確かに友人がお客になってくれれば嬉しいことに変わりはない。でも友人が「友人だ」というだけの理由で、自分の意に反して私の店を選ぶというなら、申し訳ないがそれは私にとっては重荷になる。嗜好品の購入なんてのは、元来ワガママでいいものなのだ。そのかわり友人が、私の店の価値を認めた上で利用してもらえるのなら、最大級の感謝をする。
2015年08月28日
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他人から見れば、私は「働き過ぎ」と映っているようだ。「そんなに儲けてどうすんの?」などと、よく冷やかしを受ける。確かに私は休みも惜しんで店を開け、少しでも多く稼ごうとしている。だがそれは、そうしないとやっていけないからだ。別に私だって、人並み外れた贅沢がしたいわけじゃない。ただ....できれば、店のプチ改装をして、できれば、3人の子供を大学までやって、できれば、週に1回は飲みに行って、できれば、月に1回は家族で外食して、できれば、年に1回は泊りがけの旅に出て、できれば、読みたいと思う本をサッと買えて、できれば、聴きたいと思うCDをサッと買えて、できれば、趣味でバンド活動なんかもやって、できれば、今まで以上に全国の酒蔵を巡り、できれば、そのために必要な人材を雇い、そして老後、せめて食うに困らない程度の貯えを残しておきたい....と思っているだけなのだが、これってそんなに贅沢なことなんだろうか?
2015年08月11日
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この時期、お客さんから注文を受けたお中元の明細を、提携するギフト業者にFAXで発注する、という作業があって、いつもは妻にやってもらっているのだが、ここのところほかの用事でいろいろと忙しくしているので、私が代わって書くことが多くなっている。間違いがあるといけないので、ことさら丁寧に書かなければいけないのだが、考えてみればこれだけ丁寧に文字を書くというのは、最近あまりない。走り書き程度のメモ書きは日常的にあるが、レベルがまるで違う。で、書いていて思ったことが、私の字が決定的にヘタになっているということだ。私自身、決して達筆だとは思ってないが、硬筆に関してはそれなりに見える字を書いてきた、という自負があったので、この現実にはちょっとガッカリさせられた。真っ直ぐ引っ張ったつもりの線が波打っていたり、ペン先が自分の思うところに着かなかったり、果ては一文字一文字のバランスがまるっきりバラバラになっていたりするのである。少なくとも以前はここまでひどくはなかった。歳のせいだというにはまだまだ若いと思ってはいるが、これは普段から字を書いていないからに他ならないだろう。やっぱり字って、普段から書いてないと、どんどんヘタクソになっていくものなのかなあ。
2015年07月28日
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「1年の計は元旦にあり」とは世間一般に言われることで、皆さんも元旦にはそれなりに今年の目標などを定めていらっしゃることと思う。ただ私はそういうのをあまりしたことが無い。なぜかと言えばひとつには、毎年大晦日の夜遅くまで仕事をしてるため、正月の間は抜け殻のような状態になっているから、ということが言える。そんな中で正月に立てた目標というのは、今一つ現実的でなかったりして、後々まで徹底しないのがいつものパターンなのだ。その代わり、新しい年が始まって数か月経ってから見えてくる課題に対して、どうしよう、こうしよう、と考える方が何となくしっくりくる、ということも実感している。そう考えると、ちょうど年度替わりでもあるし、4月1日くらいで心機一転して新たな目標を設定した方が良いのではないか、とも思えて来るし、なんだか理に適っているようにも思う。そういうわけで個人的に今年は、4月1日に新たな目標を定めることにした。ただひとつ困るのは、4月1日に立てた目標というのは、須らく“ウソ”になってしまうんじゃないか、ということだ(笑)
2015年03月31日
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まだまだ寒々とした日が続いている。周りでは「早く暖かくならないかな~」という声もよく聞かれる。ただ私自身は、特にそこまで春を待ち焦がれているわけでもない。確かに北風にあおられるのは辛いが、この地方のレベルの寒さそのものは嫌いではない。逆に暖かくなってくると生じてくる、様々な不具合を考えると、そちらの方が憂鬱だったりする。私の仕事上のことで言うと、商品の管理の問題がある。ウチの店の取扱商品の中には、生酒などの“要冷蔵”商品も多くあるし、それ以外の日本酒についても、商品の特性に応じて冷蔵保存した方がいいものもある。こういった商品は、店内で管理する分には常に冷蔵庫に入っているので、とりあえず問題はない。しかし気温が上がってくると、冷蔵庫から出すや否や、ビンの表面が水滴で覆われてくる。これが厄介で仕方ない。お客さんが持ち帰るにしてもびしょびしょの状態だし、遠方に発送する場合だと、一旦常温に馴染ませて水滴をきれいにふき取ってから箱に入れなければいけない(生酒などはクール便を使うからその必要はないが)。しかしもっと困るのは進物の場合、特にお客さんがそのまま持ち帰る場合だ。ビンを箱に入れるなり紙に包むなりしなければいけないが、当然ながら水滴が付いていると上手く包めないし、ラベルを損なってしまう恐れもある。だから特に夏場のお中元時期のお持ち帰りには、あえて生酒を避けるようにすることもある。こういったひとつひとつが、仕事とはいえとても面倒で仕方ないのだ。それを考えると、いっそのことずっと寒いままでいいのにな、などと思ってしまう。
2015年02月19日
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前回のブログで、ウチの店がカード決済を導入したことについて書いた。本来ならそのことをお客さんに対して大々的に謳いたいところだが、ここで問題が起こる。ウチの店は基本的に私と、私の妻で切り盛りしているが、2人そろって居なくなる時間もあり、そういう時は私の両親に店番を頼んでいる。年老いた隠居の身とはいえ、永年酒屋で食べてきただけに、店番くらいは何でもない。しかしこの年寄りに、タブレットPCを使ったクレジットカード決済システムなど、あまりにもハードルが高かった。一応店のレジシステムなども使えているから、しっかりマニュアル化すればいいかと思ったが、クレジット決済そのものに対する不安感も相まって、ちょっと出来そうもない。そうなると両親が店番している時は、クレジットカードが使用できないということになる。しかしこのことを、お客さんにどう納得してもらえばいいか?そう考えると「クレジットカード使えます!」とアドバルーンを上げることがそうそう簡単には出来ないのである。さ~て、どうしたものか.....。
2014年12月24日
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私の仕事の形態から見て、タブレットPCなど持つ必要はないだろうと思っていた。ところがひょんなきっかけで、この度iPadを購入することになった。実は以前から、ウチの店でカード決済を導入しようと考えていた。しかし手数料の高さや事務の煩雑さが先に立って、ずっと躊躇していた。それがここへきて、「楽天スマートペイ」なるものの存在を知ることとなり、一気に導入に踏み切ったのだ。この「楽天スマートペイ」、手数料が他に比べて安いとか、入金が早いなどメリットは多いが、もっとも特徴的なのが、専用の端末を用意する必要が無く、スマートフォンやタブレットPCをその代用とすることが出来る、ということだ。これに申し込むと、簡易型のカードリーダーを送ってきてくれるのだが、それをスマートフォンやタブレットPCのイヤホンジャックに差し込むだけでOKなのだ。まずは私のiPhoneでやってみたが、これは問題なく出来た。ただ私も一日中店にいるわけではないので、私の留守中のことを考えて、妻のスマートフォンでも試してみた。結果は.....ダメだった。不思議に思って「楽天スマートペイ」のウェブサイトで確認したところ、スマートフォンの中にはこれに対応するものとしないものがあるらしく、妻の持っている機種(iPhoneではない)は、ズバリ“非対応”だったのだ。これでは私が店に居ない限りカード決済ができない、ということで、いっそのこと店用にタブレットPCを購入しようか、というところまで、一気に話が進んでいった。そしてとあるリサイクルショップで、手頃なiPhoneを見つけ、早速購入したのだった。ただそれを購入して以降、今のところカード決済を希望するお客はゼロ(^_^;)しかしそれなりにいろんな用途で使用しているので、まあいいかな、とは思っている。
2014年12月20日
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読書に関しては圧倒的な量ではないにしても、並の人以上には読んでるかな、という程度かと思う。ジャンルはまあまあ、ある程度は幅広く読んでるつもりだ。どうも自分のなかで、特定のジャンルに偏ろうとするのにストップを掛ける力が働いてるようだ。どんな物事でもそうだが、何かひとつのものに凝る、ということ好まない。実はいま自分には、こういうジャンルの本が求められている、優先順位はこっちである、ということが分かっていても、素直に従えない、そんな自分がいる。バランスというものを重要視するのだろう。ただそれは言い換えれば、「八方美人」とか「器用貧乏」という言葉にも置き換えられる。読書スタイルは、仕事ぶりにも通じる。今の私は、まさにそういうところで立ち尽くしているようなものかもしれない。バランス、と言えば聞こえはいいが、あれもこれもやろうとして、結局墓穴を掘りかねない。何かひとつのことにガァーッと向かえば、あるいは状況も変わってくるのかもしれないが、同もやっぱり思い切りが悪い。読書スタイルから変えてみるのも手かな?
2014年06月10日
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子供たちがいろんなアルバイトに精を出している。とても羨ましい。私なぞ、今この段階で違う仕事をしようと思ったら、それは即ち店を畳むというのと同義語である。複数の仕事を体験できるのは、学生の特権だ。このままフリー・アルバイタ-になってしまっては困るが、若者たちよ!今のうちにアルバイトでいろんな仕事を経験してみろ!
2014年06月09日
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余裕が欲しい。時間的にも、金銭的にも、精神的にも。もちろん「満ち足りて」無くとも良い。ほんのちょっとの余裕でいいのだ。何せ「余裕の無さ」というのは得てして、負のスパイラルを招くから。
2014年05月31日
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最近思うこと。ただ単に商品を仕入れて売る、というビジネスモデルは、少なくとも個人営業ではもう限界に来てるんじゃないか、ということ。何か新しい価値を提供していく。例えば誰かと協同して。それも全く畑違いの人だったり、とか。しかしその一方で、実際にモノが動かないことには収入にならない、との考えも私の中ではまだまだ支配的だ。さて、どうしたものかな~。
2014年05月05日
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仕事上でちょっとしたトラブルがあり、結果的に結構な損害を被る羽目になった。私としては自分の尺度での「常識」に基づいて、粛々と仕事を進めていたつもりだったが、実は相手にとってはそれが全く常識ではなかった、というか、そう思ってもらえてなかった。どうしても相手のあることなので、こちらの思い込みだけではどうしようもない。商売って、恋愛みたいなもんだな。どんだけ自分が正しいと思っていても、相手に好意を持ってもらわなければどうしようもない。このトシになって、今さらながら商売の難しさを痛感するなんて、オレもまだまだ若いのかな。
2014年04月19日
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久々に風邪を引いてしまった(と思いつつ過去ログを紐解くと、2年ぶりだった)。さほど高くはないが熱も出たので、出掛ける用事があったのも、無理は禁物とキャンセルした。もっともその出掛ける用事のために、この日は早くから仕事の段取りをつけ、代わりの人員も確保していたので、私が仕事を休んで寝ていても全く支障はなかった。自営業者が風邪で寝込んでも、なかなか替わりがいないだけに、おちおちと休んでいられないものだが、こんな風にあらかじめデザインされた状況の中に、ポンと上手く収まるようなタイミングで風邪をひくとは、私も自営業者の鑑のような男だなあ(笑)。
2014年02月28日
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4月に迫った消費税率改定に向け、現在着々と準備を進めている。まずは店内のプライスカードの書き替え、これはかなり前から妻にやらせていて、もうだいぶ進んでいるようだ。そしてPCに入っている商品マスターの書き替えだ。税率だけ「5%」から「8%」に替えれば済むんじゃないの?、と言われることもあるが、これはレジと連動しているため、商品ごとに売価を設定しておかなければいけないので、いちいち替える必要がある。それにもう一つ忘れてはいけないのが、通販サイトの売価書き替えだ。現在、自社サイトと某モールの中でやっているものがあるので、両方全部書き替えなければいけない。どちらの場合もそのベースになるのは、大元のPCの商品マスターとなる。そしてこれらの作業は、どうしても3月31日に一斉にやらなければいけない。で、それはさておき、ウチの店ではどうしても必要に迫られて、店のPCシステムを入れ替えることになっている。新しい機械は明日にでも到着するのだが、切替は4月1日ということにしてある。ただでさえバタバタする時期に、PCの引っ越しまで一度にやってしまうというのは、無謀な話かもしれないが、しかし考えようによっては、新消費税率での価格を反映した商品マスターを、今のうちから作っていけるわけで、その意味では3月末の負担を多少なりとも軽くすることはできるだろう。まあいずれにせよ、この3月はいつもとはまるで違う慌ただしさを味わうことだけは確実だ。
2014年02月25日
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1年経つのが早くなったなあ、とは歳を取るにつれ実感することだが、最近とみに感じるが「一週間の経つ速さ」だ。月曜日になったかと思うと、あっという間に週末がやって来る。これはきっと自分の中に、のんべんだらりとしたところがあるからに違いない、と思い、解決に乗り出した。具体的には何のことはない、週ごとにテーマと予定を設定して、その進捗状況を後でチェックするというものだ。「月間」ではそういうことをやった経験はあるが、「週間」では初めてだ。で早速、エクセルでそのための表を作った。そういえば私は、1年間を俯瞰するという意味も込めて、7年前から「EXCEL一行日記」というものをつけている。1年365日をタテ軸にとって、1日1行ずつその日のことを書いていくというものだ。これは1年間の歩みを後になって辿った時の達成感に浸る、ということと、1年間を視覚的に俯瞰する、ということが目的だ。なるほど確かにこれを見ていると、1年365日は相当なボリュームに感じる。画面をかなりスクロールしないと全体が見渡せないしね。ところが今回作った「週間」計画表は、ちょこっとスクロールすれば、すぐに1年分が見渡せる。これは大きな違いだ。もとより1週間の短さを痛感している上に、その“短い1週間”がたったの50回ちょっとしかないとなると、365日のボリュームなどどこへやら、という感じだ。上手く使って、有意義に日々を送りたいものだ。
2014年02月23日
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ビジネス書などを読んでいると、仕事の効率を高めるためには、個々の仕事に優先順位を付けることが必須、ということが当たり前のように書かれている。確かにその通りだと思うし、私もそれに倣って、自分が今抱えている仕事に優先順位を付けて、重要度や緊急性の高いものから手を付けていくようにしている。しかしそこは自営業、しかも個人商店だけに、それらの仕事ばかりに没頭していることは不可能だ。店にお客さんが来れば、出て行って応対しなければいけないし、配達の注文が掛かれば、荷物を積んで走っていかなければいけない。たとえそれらが、溜まっている仕事よりも優先順位が低いとしても、だ。商店主としては、今目の前にいるお客さんが、最も優先順位が高いのだ。もっとも店番や配達などのために余分に人員を配置できれば、そういった悩みは一気に解消するのだが、如何せんウチの店にはそれだけの余裕がない。プライオリティの重要性を十分に理解していながら、それがままならない現状に言いようのないジレンマを感じながら、今日も仕事に勤しんでいるのである。もっとも客商売なんて、所詮は「出たとこ勝負」みたいなものでもあり、そんな“ライヴ感”を楽しむつもりで仕事に従事するのも、それはそれでワクワクするものがあるが。
2014年02月07日
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前回のブログで、来年に迫った消費税増税のことに触れたが、消費税に関しては注文を付けたいことが、あと2つある。出来れば来年の増税時を機会に、検討してもらいたいと思う。ひとつは、前回増税時に義務付けられた「総額表示方式」を、見直してほしいということ。以前のブログにも散々書いたので、その理由はここでは割愛するが、とにかく増税時のプライスカードの書き替えの苦労はハンパではなく、しかも今回はそれが1年半後にも再度あるのだから堪らない。もっとも一方では、お客が払う金額が即座に分からないというデメリットもあるが、考えようによっては、反対にお客が支払う消費税額がリアルに分かり、担税感が一層強まる、というメリット(?)とも相殺されるのではないか。そしてもうひとつ、これが重要なのだが、消費税率を掛けた際に発生する小数点以下の端数の処理を、国で統一して欲しいということだ。現実には「切り捨て」と「四捨五入」が業者間でまちまちなので、いろいろと不都合も起こっているが、私は原則的に「四捨五入」に統一するべきだと思う。具体的に例を挙げよう。例えば本体価格115円の商品は、単純に消費税5%を上乗せすると、120円75銭となる。これが「四捨五入」なら税込121円となるが、「切り捨て」なら120円となる。ちなみに私の見たところ、現状では「切り捨て」派が大勢を占めているように思う。これはおそらく、「便乗値上げ」という、謂われなき批判を前もって回避しようと、ヘンに気を回し過ぎているからとではないかと考えられる。まあそれはともかくとして、115円という例にピンときた方がいるかもしれないが、これは缶飲料の標準的な価格だ。これはまず「税込120円」という設定ありきで考えられていて、それを税抜き価格にした時にいくらにするか、というところで、ちょっとした違いが生じる。「切り捨て」なら115円、「四捨五入」なら114円だ。これが1本なら特に問題はない。問題は複数購入した時だ。もっともレジなどの設定が端から税込になっている時は全く問題はないが、我々が仕事上伝票発行するときは、基本的に税抜きで、これはほとんどの同業者、仕入れ業者も同じだ。それではまず1本の時、「切り捨て」で「115円」の設定の時も、「四捨五入」で「114円」の設定の時も、税込み価格は同じく「120円」となる。これが10本になると、「切り捨て」で「115円」の設定の時は「1207円」、「四捨五入」で「114円」の設定の時は「1197円」となる。つまり「切り捨て」設定だと、複数購入の時には、切り捨てた端数が積もり積もって、設定された税込み価格(この場合なら1200円)よりも高くなってしまうわけだ。確かに「四捨五入」の時にも、端数の積み重ねによって、同じような現象が発生することが無いではないが、「切り捨て」の時に比べれば、その誤差はまだ許容範囲内だと思う。些細なことかもしれないが、すぐにでも「四捨五入」に統一して欲しい。どう考えてもそれによって「切り捨て」派が損害を被ることはないはずだから。
2013年05月22日
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前回、私の仕事用の靴のことについて書いたが、ついでに服装のことにも触れておこう。私の周りのリカーマン達を見ていると、若い人ならば「Tシャツ+ジーンズ」というのが定番だ。そして寒くなってくると、これに「トレーナー」とか「ジャンパー」がプラスされる。もっとも“若い人”とはいっても、私と同年代くらいの者でも同じようにしているが....。私も以前はそんなスタイルだった。しかし、40歳のバースデーを機に、ジーンズとは決別しようと考えた。確かに配達する時にはジーンズが一番動きやすくて良いのだが、商談で赴く先には必ずしもジーンズがふさわしくない所も少なくないからだ。一般的に商談だけなら、スーツ姿で臨むのが普通であろう。実際、大手の業務用酒販店の営業マン(営業専門のスタッフが居ることに、最初は驚いたものだ)などは、常にスーツ姿だ。かといって私の場合、「配達」と「商談」は日常の業務の中で常に入り混じっている。だからその都度着替えるなどということは、どだい無理な話だ。というわけで、その中間的なスタイルになっていった。具体的に言うと、下はスラックスあるいはチノパンの様なもので、上は夏ならポロシャツ、寒くなってくればちょっとカジュアル風なシャツ+セーター+ブルゾン、といったところ。何とも無個性で“無難すぎる”スタイルではあるが、前述の「配達」と「商談」だけでなく、「店頭販売員」としての機能性までをも勘案すると、そういうスタイルにならざるを得ないのだ。
2012年01月30日
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ウチの店では、宅配便は「ゆ●パック」と「S急便」を使わせてもらっているが、先日「ゆ●パック」絡みでちょっとしたトラブルがあった。ある男性のお客様から誕生日プレゼントとして、シャンパンを贈るよう依頼された。贈り先は遠方だったので、住所と名前(女性)を伺って、「ゆ●パック」で発送した。その後依頼主から先日電話があったが、えらくご立腹だ。その方がおっしゃるには、自分の自宅に「ゆ●パック」から、「ご依頼の荷物を無事お届けしました」というハガキが届いたとのこと。ただその贈り物というのがちょっとワケありで、家族には内緒だったのだ。しかし「ゆ●パック」から届いたハガキを受け取ったのは彼の奥方で、当然ながらそこでひと悶着あったらしい。どうしてこんなもの送ったのだ、ということで、怒りの矛先がウチの店に向けられたのだ。しかし正直言って、私はそのシステムについてはまったく知らなかった。取扱店である以上、弁解の余地はまったくないのだが、ウチは元々「ペ●カン便」の取扱店だったところ、「ゆ●パック」との統合によって、図らずもそうなってしまったという経緯があった。そしてその統合の際にも、「無事お届けしました」ハガキのシステムがある、ということは特に聞いてなかったのだ(言い訳になってしまうかもしれないが)。ちなみにそのハガキは、宅配伝票とセットになっていて、宅配伝票に記入すると、そのままカーボンでハガキに写ると言う仕組みになっている。そしてよく見ると、「お届け通知」の「必要・不要」を選択できるようになっている。しかし今までそのことすら気付いてなかった。クレームというわけでもないが、釈然としない気持ちを抱えつつ、日本郵便に電話を入れ、もしこの「お届け通知」の設定をしていない場合はどうなるのか、と聞いてみた。すると答えは単純明快で、「どちらにも丸印が付いてなければ、原則として送ることにしています」とのこと。しかしねえ、今回のようなトラブルに発展する可能性だってあるわけだから、ここのところはご一考して頂いてもいいんじゃないのかねえ、日本郵便さん。
2011年12月22日
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ウチの店では顧客向けに「ニュースレター」を配っている。来店された方や配達に行った先の方には手渡しで、それ以外の方には郵送している。中身に関しては「なんだ、ただの売り込みか!」とは思われたくないので、「売り」の部分はそこそこにして、時事ネタやエッセイ風な文章、あるいは「トリビア」的なウンチク話なども織り交ぜて作っている。さてこのニュースレター、現在は当店でお買い上げ頂いている方には、ほとんどお送りしている。極端なハナシ、1回しかご来店されてない方にもお送りしている。それはそれで構わないのだが、ここでふっとある疑問が頭にもたげてきた。これをお渡ししている方全員が読んでいるとは思わないが、まったく読んでおられない方にお送りすることに意味はあるのか、ということである。そう思ったのは、たまたまあるお客様にお渡ししようとしたとき、やんわりと断られたことがキッカケだ。もちろんそのお客様も“あからさまに”言ったわけではないが、無難な言い回しながらも、「もう読んでないから要らないよ」というニュアンスがストレートに伝わってくるような言い方だった。もちろんDMである以上、大きな比率のレスポンスを期待するほうが無理ということは分かっているし、そのためにはとりあえず「ヘタな鉄砲」よろしく、数打つ必要があることも重々承知している。しかしその一方で、端からまったく不必要だと思っている人に対し、いちいち経費を掛けてニュースレターを送るのはナンセンスではないか、というのもまた偽らざる心境だ。ここはひとつ、まったく要らないという人を配布対象から外そうかと思うのだが、ではそれをどのように見極めるか、それが問題だ。ひとつの方法としては、「もう要らない」という意思表示をメール、FAXなどの手段でしてもらうことだ。しかしそのための案内文を挿入したところで、端から開封しないのであればそれを見ることも無い。またたとえ「要らない」と思っていても、あえてそれを意思表示するのはちょっと憚られる、という日本人特有の対人意識も働くだろう。その反対に、「読みたい」と思っている人にだけ意思表示をしてもらう、という方法も考えられる。ただ人間というもの、よほどの強い動機がないと積極的なアクションを起こすまでにはなかなか至らないものだ。つまり読みたいと思ってもそのアクションが面倒だったりして、結果的にはほとんど返事が返ってきてない、ということは充分に考えられる。さあ、どうしたものか。あるいは割り切って、これからもすべての方々に送り続けるか。
2011年10月24日
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毎週金曜日になると、どうしても1,000円札が不足してくる。理由はカンタン、ウチの店に来るお客さん(飲食店関係者)が、こぞって万札を出してくるからだ。要は、体の良い「両替」だ。もちろんウチも、単なる両替だけならお断りすることもあるが、何かお買い上げであれば何を出されても文句は言えない。しかしこれがエスカレートすると、週末に1,000円札が枯渇してしまうのでは、という恐怖も感じる。一計を案じた私はある日、レジ横に次のような貼り紙を出した。 「1,000円札が不足しておりますので、なにとぞご協力をお願い致します。」どこかほかの店でも見かけるような文句だ。ところが張り紙を出してから数時間後、貼ったはずの貼り紙が消えていた。私の母が剥がしたのだった。何故あえてそれを剥がしたのか聞いてみると、「商売人が釣銭用意するのは当然やろ!?」と、至極当り前な言葉が返ってきた。あまりに単純明快な説得力の前に、一抹の不安を抱えながらも、その言葉に渋々従った。しかしそれ以降、実際に釣銭の1,000円札が枯渇したことは、一度も無い。危なそうかなと思ったときでも、いつも何とか踏みとどまっている。これはきっと「母の見えざる手」が、お客さんに1,000円札を出させているに違いない(笑)。さすがに商売人としては、私よりはるかに先輩だ。
2011年09月16日
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一人の女性のお客さんが血相変えて飛び込んできた。「すみません!これ置いていくから、お金貸して下さい!あとで必ず来るから!」手に持っているのは、とある焼酎。ウチの店の紙で包装されていた。それを見て私も思い出した。この方は数日前に来店されて、私が応対したお客さんだった。ことの仔細を訊くと、財布をなくしたのだが、今たまたまおカネが必要な状況である、ふと見るとウチの店で買った焼酎があるではないか、これで当座のおカネを借りられないだろうか.......ということで飛び込んで来たそうだ。借金のカタにウチの商品....というのもヘンな話だが、なんだか怪しげである。それ以前に、見ず知らず(その方は前回が初めてのご来店だった)の人におカネを貸すことが出来るほど、私はお人好しではない。しかしその一方で、何となく放っておけない雰囲気もあった。それなら、ということで私が出した結論は、「当店ではいかなる形でもお客様におカネをお貸しするということは致しておりません。その代わりこの商品が当店で購入されたことがハッキリしておりますので、返品として受け付けます」当店の場合、お客さん都合の返品は売価から一定の割合で引いているが、それでもこの方が「貸して欲しい」と言ってきた額よりも上だった。その方は何度も何度もお礼を言いながら、お盆明けにはまた必ずこれを買いに来ると言ってくれたが、正直なところ私はまったく当てにしてなかった。変に期待して来なかった時の、私自身の落胆がイヤだったからでもあるが、基本的に信用してなかったのだ。その方が昨日いらっしゃった。「お盆明け」という時期はとうに過ぎていたので、わたしも「やっぱり来るはずないな」と思っていた矢先だった。驚く私を尻目に、「あの時は本当に助かりました」と言いながら、件の焼酎の他にもいろいろとお買い上げいただいた。この時ばかりは私も、「絶対来ないだろう」と高をくくっていた自分を恥じた。それと同時に、あの時邪険にすること無く、返品という対応をしておいてよかった、と安堵した。ちなみに余談ではあるが、その焼酎というのは、限定生産のレア物だったのだ。そのお客さんが返品したあと、他のお客さんに数本売ってしまって、残り在庫があと1本になったとき、このお客さんの顔がチラッと浮かんだのだが、たぶん来ることはないだろうからと、いつでも売り切るつもりでいたのだった。それが売り切れる前の最後の1本......他で売ってしまっていたらと思うと、ちょっとヒヤッとした(別にウチの落ち度にはならないと思うが)。ただひとつ心残りなのは、そのお客さんにその焼酎を再度お買い上げいただいたとき、返品した時の価格で売ってあげればよかったのに、何も考えずに定価でレジを打ってしまったことだった。
2011年09月01日
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ウチの店によく来られる、あるお客様。20代位の男性で、温和な顔つきのおとなしそうな方だ。しかしこの方は、レジでおカネを払うとき、必ずおカネを“投げるようにして”出す。「何が不満なんだろう?」と思わないでもないが。片やこれまたよく来店される、あるお客様。40代位の男性で、ちょっといかつくておっかない感じの方だ。しかしこの方は物腰低く、レジで釣銭を渡すとき、必ず“両手で”受け取る。やりようによっては卑屈に見えたりもするが、この方はごくごく自然なのだ。別に「先入観」がどうのこうの、ということが言いたいわけではない。ただ、「人っていろいろだなあ」とは思う。
2011年07月28日
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ウチの店は歓楽街に比較的近いところにあるので、居酒屋やスナックの方のご来店も多い。いかにもスナックのチーママや、キャバクラの呼び込み風といった方が、よく足りなくなったモノを買いに来られる。彼らを見ていて気付くのは、商品の名前を知らずに買いに来られる方が、意外と多いということだ。この傾向は、特に外国人の方の場合、より顕著だ。店の中を、何かを探してうろうろしているので、「何をお探しですか?」と声を掛けても、「あ、いや、大丈夫です」と返される。しかしいくら探してもなさそうなので、「店頭に出してない商品もありますので.....」とか何とか言って商品名を聞き出そうとすると、結局それが本人も「分からない」というのだ。本人は商品の形状やラベルを見れば分かるようなのだが、その人の探している商品が、必ずしもウチの店にあるとは限らない。結局お客さんとしては、酒屋ならだいたいどこでも同じような品揃えだろう、という先入観があるから、あえて商品の情報(名称や形状など)をインプットするような面倒なことをしないのだろう。確かにチェーンストア化したところであれば、そういう前提も当てはまるかもしれないが、ウチの店にそれを求められても困るのだ。せめて商品名をメモしてくるか、その商品の空ボトルでも持ってきてくれれば、まず間違いはないのだが......。
2011年07月07日
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地元のとある中堅冷機会社、ここでは新入社員が入ってくると、その営業エリアをつぶさに回って営業させる。ただその「営業」というのが変わっていて、まず挨拶をした後、「お宅の冷蔵庫(もちろん店のリーチインクーラーのこと)の掃除をさせてください」と言ってくる。これがその会社の顧客なら不思議でもなんでもないが、そうでない店にまでそのように申し出るのだ。もちろんこれは恩を売っておいて、あとで何かの折に贔屓にしてもらおうという下地づくりなのは明白だ。中には「じゃあよろしく!」と言って、喜んで掃除してもらう店もあるかもしれない。しかし私は絶対にイヤだ。営業の本質とはそういうものではないだろう。自分のところの商品を買ってもらいたいなら、それが他社のものに比べていかに優れているか、あるいはいかにあなたの店のお役に立てるか、それを的確に提案できなければ、何にもならないと思う。なんだか一昔前の「モーレツ社員型営業」の亡霊を見るようで、それだけで言い知れぬ違和感を感じてしまう。
2011年06月28日
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「どうしよ、これ、ええんかいな?」 「うーん、別にええんちゃう?」 「えぇ、そんなんでええの?」 「ええで、ええで」 「大丈夫やで」複数の人間が関わる仕事の場合、そのやり方を巡って、上記のような会話が交わされることは、どんな職場にでもありうると思う。恥ずかしながら当店でも無いとは言えない。たいていは今までのやり方が「面倒臭い」とか、「こっちの方が安上がり」といったちょっとした「甘~い誘い」がベースになっている。そして、得てして場がこういう空気になってくると、それに異を唱えようと思っても、なかなか言いづらかったり、言ったところでどうせ自分には関係ないから、と端からだんまりを決め込んでしまうことも多いだろう。これを防ぐには、仕事を遂行する上での理念とかルールといったものを全員で共有し、それがぶれないように全員で気を配らなければいけない。しかし現実的にそれが出来ていないことが多いようだ。どこでも「甘~い誘い」には弱い。ユッケによる食中毒死亡事故も、あの焼肉チェーンや食肉卸業者を責めるのは簡単だ。ただその手の「甘~い誘い」というのがどこにでも転がっているということは、すべての人達が今一度、認識したほうがいいのかもしれない。もっともこれが、人間の生命に関わるレベルのことかどうか、という違いはあるかもしれないが、根っこは同じかと思う。
2011年05月11日
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昨日は学生時代の友人を訪ね、彼の地元でランチを共にした。彼が選んでくれた店は、地元で何十年も続いている老舗の洋食屋さんだった。それは街道から少々奥に入った住宅街の中に、ひっそりと立っていた。これだけ悪い立地でも結構お客さんが入るとのことなので、料理人としての腕は確かで、地元の人たちに必要とされているんだな、ということは充分に見て取れる。ランチのセットメニューをオーダーしたが、そこいらのこじゃれたレストランのような気取った盛り付けなどではなく、見た目は極めて素朴なのだが、しっかりした味だ。単純に「美味しい」というのではなく、「しっかりした味」というところに、私の言わんとするニュアンスを感じ取っていただければと思う。お値段も手頃で、いたく満足して店を出た。こういう「個人の」「普通の」店で食事をすることが、どんどんなくなってきているように思う。例えば先週、滋賀県まで行ってきたが、その際にも昼時になって何か食べたいと思ったとき、走りながら街道沿いの左右にずっと目を配っても、そこで目に付くのはどこにでもあるような、いわゆるナショナルチェーンの店ばかりだったりする。わざわざ街道を外れて個人の店を探す余裕もないから、結局そういう類の店で済ませてしまうことになる。個人の店が良くて、ナショナルチェーンがダメ、などという短絡的な結論で片付けるつもりはない。単に私自身が個人店のオーナーだということで、同じ境遇の店にシンパシーを感じるまでのことだ。例えば友人との飲み会のとき。たいてい仕事の都合でひとり遅れて合流することの多い私であるが、同行者から事前に「どこに行こうか?」という相談を受けることがよくある。そんなときに私の答えはいつも決まっている。「どこでもいいけど、チェーン店でないところ」(笑)ちょっとエラそうに書いてしまうと、個人経営の店はそれだけで「文化」だと思う。だから多種多様な個人経営の店が、それぞれ充分に潤いながら永く続けていられるところは、それだけで文化度が高いと言ってもいいと思う。文化は守り育てていかなければいけないのと同じく、個人経営のお店もそこへ通うことで支えていかなければいけない、と思う。とこんなことを書いても、結局は消費者の選択の問題であって、個人経営であろうがなんであろうが、良い店は続くし、そうでない店は淘汰される。これは厳然とした事実だから、店側ももちろん甘えるわけにはいかない。ただ地域の中で、ここはぜひ残って欲しい、という店があれば、それは地域の人々の手で支えていってやって欲しいと思うのだ。よく、どこそこの老舗の飲食店が廃業するということが明らかになると、閉店の日まで別れを惜しむお客がワンサカと詰め掛けて、口々に「やめないで欲しい」とのたまう光景が紹介されることがある。でもそう思うんだったら普段から来てればよかったじゃないか、と、そういうのを見ながら私はいつも思う。赤字ローカル線にも共通するハナシだな。しかしここまで書いて、これはひょっとしたら私が自分の店を正当化するために書いたと思われるんじゃないか、ということが心配になった。もちろんこれはあくまでも一般論であって、私自身はお客さんに甘えるつもりはない。しかし必要とされる店になりたい、ということは常に考えている。今日び、酒を買う場所なんていくらでもあるんだから、お客さんに必要とされなければ、我々が存在している意味などない、ということは自分たちが一番よく分かっているつもりだから。
2011年04月18日
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ウチの店が販売した商品についてのクレームというのは、長く商売をしていればまあそれなりにあるものだ。もっともウチの店サイドでの不手際ということはほとんどなく、何かあれば大半はメーカーに連絡して対処してもらう。メーカー側も手馴れたもので、代品の手配、商品不良なら現品の分析、場合によってはお客さんへの謝罪、などなどそれなりの処理を行う。ただここで気をつけておかなければいけないのが、そのクレームを発しているお客さんの性格だ。大きく分けるとふた通りある。まずは、とにもかくにも生産者としての責任を問う、という立場だ。この立場の方は、あくまでも商品の責任はメーカーが持つべきであって、販売者である我々は速やかにメーカーに連絡を取り、あとはメーカーが直接釈明すべきだ、と考える。私自身が消費者であっても、必ずメーカーから直接の説明なり釈明を求める方だから、こちらのタイプに属するのだろうが、世の中いろんな方がいるから、それが必ずしもいいとは限らない。で、もう一方のタイプは、あくまでも我々末端の小売業者を窓口とした説明を求める、というものだ。こうした方々に共通しているのは、自分たちはメーカーと直接相対したくない、ということだ。そこにはいろんな考え方があるだろうが、うがった見方をすれば、「素性を明らかにすることで、うるさいヤツだと思われたくない」といった心理も働くのかもしれない。そこで我々が気をつけるべきは、当のお客さんがどちらのタイプかを見極める、ということだ。実は私自身、過去に何度か逆の対応をしようとして、お客さんから嫌がられた経験があるからだ。ある時、とあるお得意先の飲み屋さんで不良品が出た際、私は代品と交換した上で、そのメーカーに連絡し、その飲み屋を訪問するように求めた。ところが件の飲み屋さんの店主にはそれが気に入らなかったようで、後から少々嫌味っぽい言葉を浴びせられてしまった。必要以上にコトが大袈裟になったようで、嫌な気持ちがしたようだった。別の時には、私自身が「大したことない」と判断して、メーカーに報告しなかったことに対し、ご立腹された事例もあった。本当にクレーム処理というものは、機敏に空気を読みながら臨機応変に対応していく必要がある。
2011年02月28日
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前回の話しの続きにもなるが、今や酒販業も、ITを抜きには語れなくなってきつつある。そしてそのもっとも具体的な事象として、楽天などのネット通販にその活路を見出す人は多い。私も機会があれば、いや、近いうちにネット通販に乗り出そうという気持ちはある。ただいわゆる「ショッピングモール」はちょっと引っ掛かるのだ。例えば楽天に出店している知り合いなどから話を聞いていると、いくらいくらの固定経費がかかるので、それをペイするためにはこれだけ売らなければいけない、それだけ売るためにはこれこれの広告を打ったり、ポイントの付与を増やしたり.......といった具合らしい。そして売上金額は把握できても、具体的にどれだけ儲かっているのか、というのがなかなかハッキリしないそうだ。要は、「数を売るための商売」になっているということだ。もちろん商売である以上、ある一定の売上を上げなければ商売は成り立たないし、それに対する目標というのも必要だろう。しかし「数を売るための商売」という意識が先走ってしまうと、それは大手資本の小売業と同じロジックになってしまわないか?とかく「数を売る」ことにこだわると、どこかで無理をしてしまうというのは世の常だ。そしてそれはたいてい、「価格競争」という形で現れる。現に楽天の中では、すでに価格競争が起こっている。「楽天最安値」などという言葉もあちこちで踊っている。こうなるともう、スーパーの安売り合戦さながらの様相になってくる。私の場合、一応基本的には自店サイト(まだ作ってないのだが.....)を「リアルの集客を行うため」のツールと位置付け、その上で当店に来店できない方への便宜のために、ショッピングサイトを設けようと考えている。まだ具体的には浮かんでないのだが、お客さんにどんな価値を提供できるのか、ということを優先的に考えたサイトにしたいと思っている。また、ネット通販の方がどんどん忙しくなってくると、リアルな商売の方が疎かになってしまい、ところによってはリアルの配達先を削った、という話も聞く。こうなってしまっては本末転倒だ。少なくともこうはならないように気をつけないと(それ以前にそこまで通販が伸びるかが問題だが)。
2011年01月26日
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私がツイッターを始めてから間もなく丸1年になるが、つい先日からは新たに「Facebook」を始めている。「Facebook」をやっていない方でも、今話題の映画「ソ-シャル・ネットワーク」の題材になっているもの、といえば、ピンと来るかもしれない。アメリカあたりではかなりの普及率を誇っているそうだ。もちろんどんなソーシャルメディアにも一長一短はあるから、「Facebook」がブログやツイッターに比べてどうのこうの、ということは安直には言えない。ただ、単純に比較するには基準が違いすぎるということもある。ちなみに「Facebook」は実名を使うことが大前提になっている。そのあたり、もしかしたら日本でブレイクするには、ひとつの障害になるかもしれない。ただ私は商売人であって、商売で使おうとする以上、リアルな立場をネット上で鮮明にすることはやぶさかではない。それにネット通販をやっていない私にとってはなおのこと、リアルなお客さんとのつながりが重要になってくるのは言うまでもない。そう考えると、ツイッターなどよりも「Facebook」の方が、商売には有用なのかもしれない、と最近感じている今日この頃だ。もっとも今はまだ、手探りの状態だが。
2011年01月23日
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「常にお客の立場に立って考える」とは、商売の基本だ。ちょっと発展的に言い換えれば、「お客都合を自分都合に優先させる」ということになるだろう。いろんな場でいろんな方が言っておられることでもある。もちろん私自身もこのことに関しては、肝に銘じているつもりだった。「つもりだった」という微妙な“過去形の”表現になっているのは、私自身が「自分都合」を「お客都合」に優先させようとしたケースが、このところ立て続けにあったからだ。「お客都合を自分都合に優先させる」ということは、自分が不利益を被るということでもある。そしてそれには、ふた通りのケースがあると思う。ひとつには自分がお客の都合により、肉体的・精神的に余分な労力を費やさねばならないというケース。そしてもうひとつは、お客の都合によって、金銭的に損失を被るというケースだ。実は私は前者のケースに関しては、比較的寛容な方だ。人様のためにカラダを動かすということには、あまり抵抗感が無いし、その結果として他人に喜んでもらえれば、こんなにウレシイことはないと思っている。しかしその反面、後者のケースに関しては結構シビアだ。そしてその要因として大きく関わっているのは、私が根っからの「ケチ」だということなのだ。いつからだろうか、私が自分自身のことを「ケチ」だと認識し出したのは.....。もちろんこのままでいいはずは無い。ましてや私は商売人なのだ、ともすればこのことが致命傷にもなりかねない。以前からそう思っていた。しかし頭ではそのように考えていても、いざ現場に立ってみると、自分の心の奥底に渦巻いている「ケチ」の魂が容赦なく囁きかけてくるのだ。もうここまでくると私の「ケチ」も、ある意味「先天的」な性質のようにも思えるが、何とかできないものだろうか?
2011年01月16日
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ウチの店では、お得意先から中元や歳暮の発送のオーダーを受けると、提携しているギフト会社に依頼し、そこの発送センターから先様へ送ってもらっている。言ってみれば「アウトソーシング」だ。そんな中で起こったトラブルだ。一昨日そのギフト会社から連絡があり、ウチの店から依頼したお歳暮の品が、お届け先(仮に“Aさん”とする)で「受取拒否」を食らったが、どうしましょうか、という内容だった。「受取拒否」ということは今までに無いわけではない。それは「あの人からこんなものを受け取るわけには行かない」といった、遠慮の気持ちからのことが多いのだが、今回はちょっと様子が違う。ギフト会社から送られてきた連絡FAXに、その「受取拒否」の理由が書かれていたが、それを見て不謹慎にも少々笑ってしまった。そのギフト会社からの配送は、某大手のSという宅配便会社が一手に請け負っているのだが、このAさんは「Sの荷物は受け取りたくない」と言っているらしいのだ。文脈から見る限り、この方はよほど「S」がお嫌いなように見える。あるいは過去にこの「S」の対応に対し、かなりご立腹された経験があるか、そんなところだろう。しかし困ったことにAさんは、別の宅配会社で再度送り直すことを要求しているのだ。しかも依頼主に分からないように、という条件付きで、だ。このギフト会社には他の運送会社を使うという選択肢は無いというので、ウチに対して、どうしたらいいものか、と泣き付いて来たわけだ。そこでギフト会社との相談の結果、たまたまAさん宅がウチの店からさほど遠くなかったので、「S」で留まっている荷物をウチの店に転送してもらい、それを私がお届けするのがベストであろう、という結論に達した。当然ながら荷物には「S」の伝票が貼られているので、まずそれを引き剥がし、その際に破れてしまった包装紙もウチの包装紙で包み替えた。そうやってその荷物をお届けしたのが昨日だった。お届けしたときに出られたAさんは、ただ無愛想に荷物を受け取っただけだったが、それからが大変。今日になってAさんがわざわざウチの店まで来られ、「S」で拒否した荷物をどうしてお宅が運んでくるのか、その経緯を知りたいとおっしゃる。どうもAさんは、発送元から再度「S」以外の宅配便で来ると思っていたようで、それが地元の一介の酒屋から来たものだから、不審に思ったのだろう。私はこれまでの顛末をひととおりお話し、ギフト会社の方で「S」以外の手段がなかったこと、発送元からの出荷が終了してしまっていて、再出荷が出来ないこともご説明し、この暮れも押し迫ったときにいち早くお届けするためには苦肉の策であったことを付け加えた。これで納得していただけるかと思いきや、Aさんはそれだけでは済まなかった。まずは発送元から受取先に至るまでの間に配送主体が変わるというのは、責任の所在も曖昧になりよろしくない(包装紙を包み変えたことも引っ掛かったのだろう)、そしてそういう対応を取るに至る経緯で、一切の説明がなかったのはどういうことか、とご立腹だ。そして最終的には、せっかくお届けした品(冷凍保存の食品)も、とても口にする気にはなれないからと、突き返してきたのだった。まあ確かにAさんの言われることも正論かもしれないし、私やギフト会社の取った対応も必ずしもベストではなかったかもしれない。私もとにかく丁重にお詫びしたが、しかしその一方で、結果的にAさんの「S嫌い」に何故そこまで振り回されなきゃいけないのか、という思いも無いではない(決して口にはしないが)。多様な考えを持つ人間が複雑に絡まりあって生きているこの日本の社会においては、「正論」と「わがまま」は紙一重であるとも言えるのではないだろうか。
2010年12月29日
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今年のような猛暑は論外だが、そこまで暑くはならなかったとしても、夏場の仕事でいつも困らされることがある。それは、「汗」だ。私は誰にでも自慢できるほどの、無類の「汗っかき」だ(もっともそんな自慢、誰もして欲しくないだろうが)。しかしこれが仕事をする上では、とかくマイナスに作用する。まず、汗まみれになった服を着たまま、その格好が不釣合いだと思われる仕事をこなさなければいけない。例えば配達の仕事で大汗をかいたまま、すぐ次のお得意先で商談があったり、店に帰って店番したりするが、いずれにしても汗まみれのままではちょっとみっともない。着替えたほうがいいかな、とも思うものの、そのサイクルが細かいが故に、現実的にいちいち着替えるわけにもいかない。また私が飲食店に配達にお邪魔するときには、その店のお客さんに接近することも多い。そんなときにもやはり気を遣う。お客さんだって、せっかくいい気分で飲んでいるときに、汗まみれの中年男が傍らを通り過ぎていくというのは、決して気分の良いモノではないはずだから。あるいは板張りや畳敷きのところを通って納品する場合、そこに私の汗が滴り落ちるということも無いではない。これとて首から掛けたタオルでこまめに汗を拭く以外、防ぎようが無いわけだが、100%防げるとは限らない。汗をかかないタイプの人間だったらどんなにか良いことか......と、ずっと昔から思っているのだ。
2010年09月09日
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