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やれ、専門誌で『シャトー・マルゴー』や『シャトー・ラフィット』よりも高い点数を得ただの、有名なワイン評論家・ロバート・パーカーが、「まだ名前の知られていない、最高のボルドーワイン」と絶賛しただの、ワインコミック『神の雫』の中で“『クイーン』(ロックバンドの)が聴こえて来るワイン”と評されただのと、何かと“話題先行の”ワインだ。ただそんなことはハッキリ言ってどうでもよい。しかし実際に飲んでみると、やはり素晴らしいものには違いない。栓を抜いた瞬間から、立ち上る複雑な香りが芳しい。口当たりは滑らかなのだが、結構骨太な印象だ。2005年ではまだちょっと堅いかな、という気がした。ただタンニンの渋みがしっかりしているものの、凝縮された果実味とうまくバランスが取れていて、不快な感じはまったく無い。そして残りを翌日飲んでみたが、こちらはまた随分丸くなった印象がある。何かこう、ビロードの生地で身体を包まれるような、そんな感覚だ。美味いのは誠に結構なのだが、変に騒がれた結果として品薄になったり、価格が吊り上がってしまっているのが非常に残念だ。
2008年05月27日
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私がお客さんに酒の説明をするとき、かなり高い確率でこう訊かれる。「これ、辛口? 甘口?」日本酒や白ワインなどなら、我々もそういった言葉を使うこともあるので、まだ納得は出来るのだが、赤ワインだとか本格焼酎、果てはビールや洋酒などについても「甘辛」を問われるようになると、正直疲れてしまう。とにかく日本人というのは、「甘辛」にこだわる。というよりも、「甘辛」にしか判断基準を見出せないでいるかのようにも思える。ただ誤解の無いように言っておくと、それはもちろん、消費者が悪いというわけではない。今までその判断基準で、ずっと世の中が動いてきたから仕方ないと思う。味覚というのは、もちろん「甘辛」だけで判断できるものではなく、実に様々な要素が複雑に絡み合って構成されている。昔から「五味」という言葉があるように、少なくとも味覚は5つの要素、すなわち「酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(カンミ、塩辛さ)」から構成されているといえる。ただ我々が普段酒を味見したり、それを言葉で表現したりするときには、これだけでは足りない。我々がよく使う表現として、「すっきりしている」、「コクがある」、「ボディが厚い」、「旨味がある」、「キレが良い」、などという表現がある。こうなると、「甘辛」の概念が「直線」であるならば、味覚の要素はもはや「平面」をも通り越した「三次元」の世界だ。それを「甘辛」という対立軸だけで表現するというのは、どだい無理な話だ。しかし多くのお客さんは、「甘口」なのか「辛口」なのか、どちらか白黒つけてくれ、とでも言いたげに、私の言葉を待っている。私が、「これはどっしりとしたコクの豊かなタイプで.......」などと説明していても、「で、辛いの?甘いの? 俺、辛口が好きなんやけど、辛口じゃないんなら止めとくわ」てな調子で、私の話の意図が通じないうちに、一方的に会話が片付けられてしまう。みんながみんなこんな調子では無いにせよ、ある意味象徴的な受け答えではある。話す側と聞く側の、感性の尺度が基本的にずれているというのは、結構深刻な問題だ。それが原因で、お客さんは自分の好みとまったく違う物を買わされたりすることも有り得る。ただ、だからと言って、これといった打開策がある訳ではない。私自身が、お客さんの感性を何とか推し量っていくしか無さそうだ。しかし心の中では、いつもお客さんにこう問いかけている。「そろそろ“甘辛”から脱却しませんか?」
2008年04月14日
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久し振りに『キリンハートランド』を飲んだ。私が知る限り、たぶん1980年代くらいから売られていた商品だから、『一番搾り』よりも古い、同社の「隠れたベストセラー」といえるかもしれない。確かに今は、量的にはわずかしか売れてないとは思うが、生き馬の目を抜くこのビール業界において、20年以上も現役を張っている商品というのは、それほど多くは無いからだ。ウチの店でもかなり以前、あるお得意先の飲食店がメニューに入れていた頃には取扱っていたが、その店が辞めてしまってからは全く扱いを止めていた。ところが先日、たまたま立ち寄った酒販店でこの『キリンハートランド』をバラで売っているのを見かけて購入し、早速その夜飲んだ。やっぱり美味いな~♪思えば私が心底「美味い」と思った、最初のビールだったかもしれない。もちろんそれ以前もビール自体が嫌いだったわけではなかったが、ただ「苦い」としか感じられない飲み物に過ぎず、積極的に美味さを感じつつ、味わって飲むものではなかったように思う。今改めて飲んでみると、薫り高く爽やかな香味、キメ細かな泡立ち、みずみずしい味わい、そのいずれもがピルスナービールとしては間違いなく一級品だ。ひと言で言うと、まるで「若草のような」ビール、という感じかな。コクのあるタイプが好きな方には少々物足りないかもしれないが、それでもかなり幅広い嗜好の方の口に合うのではないだろうか?しかも「麦芽100%、アロマホップ100%」のわりに、価格的にはレギュラー品の『ラガー』や『一番搾り』などとそう変わらないというのがスゴイ。個人的にはこれよりも単価の高い、同社の『ブラウマイスター』や『ニッポンプレミアム』よりも好きだ。そして改めて見てみると、このボトルがまた良いではないか。中央のデカデカとしたラベルが無く、そこにはこのビールのシンボルでもある「大樹」の絵が刻み込まれている吸い込まれるようなボトルの色のグリーンと、このいたってシンプルなデザインが、このビールの味を象徴しているように思える。こんな素晴らしい商材がありながら、キリンはどうしてもっとPRしないんだろうか?
2008年02月11日
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ドイツ国内のビールの消費量が減少しているという。そういえば以前、フランスでもワインの消費量が減少傾向にあるという報道を聞いた。いずれも総合的な「アルコール離れ」に起因しているようだから、例えば日本国内で日本酒の人気が下降線をたどるのとは少々事情が異なるものの、それぞれの国を代表する酒類が、ともにそのお膝元で消費者離れを起こしているという事実は、異国にいる私にとっても何となく複雑な心境だな。
2007年12月26日
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スクリューキャップのワインというと、国産ワインでは結構以前から存在していたが、海外のワインではなかなかお目にかかることが無かった。それが最近になって、わりと出回るようになってきた。特に多いのが、オーストラリア、ニュージーランドといった、オセアニア地域のワインで、特にデイリー用のリーズナブルなものだと、その比率は年々高くなってきている。そしてスクリューキャップのワインが出回るようになると、それを正当化するかのように、スクリューキャップの利点をアピールするような記述が、メディアなどで見られるようになって来た。曰く、コルクの場合だと、コルクの劣化に伴う「コルク臭」(専門用語ではこれを『ブショネ』と呼ぶ)が一定の確率で発生することが避けられないが、スクリューキャップにすることで、少なくともそれを回避することが出来る、というものだ。またコルクのワインは立てて保管していると、コルクが乾いて空気の通りが良くなるので酸化し易いが、スクリューキャップだと立てて保管しても何ら問題は無い、ということも言われている。なるほどいずれも理に適っている。しかしこと国産ワインにおいては、スクリューキャップなどずっと前から普及している。だから今挙げたことは、いまさらワインでスクリューキャップを導入するに当たっての、説得力のある要因にはならないではないか。となると、今までワインにコルクを使用していた背景には、コルクでなければならなかった必然性があるはずなのだが、不思議なことにどこを見ても、コルクの正当性について説明したメディアはあまり見当たらない。あくまでも私の理解の範囲内で言わせてもらえば、ワインの熟成には多少の酸素が必要なのだ。だからまったくの密閉状態よりも、コルクの隙間をわずかな酸素が行き来する状態が、熟成を必要とするワインには理想的だということだ。だからそれなりのステイタスを持った偉大なワインには、今後もスクリューキャップが使用されることはまず無いだろうし、逆にすぐに飲まれるようなデイリー用の安いワインなら、ヨーロッパの国々の中でも今後はスクリューキャップが席巻することになるかもしれない(その前に、従来のコルク素材とは違った新素材のコルクが、既に登場してはいるが)。ただ私が個人的に飲む分には、スクリューキャップよりもコルクの方がいい。ブショネのリスクはあっても確率的には低いし(実際今までに自分が開けたワインにブショネが混じっていたことは皆無なのだ)、何よりも私はあのコルクの質感が好きなのだ。私は今まで飲んできたワインのコルクはほとんど取っておいてあって、幾つかの箱に詰められているのだが、そんなコルクの詰まった箱を取り出してはフタを開け、コレクション(というほどのものではないが)を眺めていると、そこはかとなくシアワセな気分に浸ることができる。スクリューキャップ全盛になってしまうと、こうしたシアワセを享受できなくなってしまうのが、どうもイヤなのだ。
2007年12月23日
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素敵なお酒に出会った。過日ある卸問屋主催の試飲会に出かけたときのこと。例によって「何か面白いお酒はないかな~」と思いながらいろいろなブースを眺めていると、あるお酒のブースで法被姿の女性が、一生懸命お酒の説明をしているのが目に入った。『川中島 幻舞』というお酒だ。いまどき女性の営業さんはそれほど珍しく無いのだが、ちょっと気になって試飲させていただいたところ.......「う、美味いっ!」お米の旨味が充分に出ていながら、決して重たくなること無く、後口もスッと切れる感じで、また多分にフルーティーな風味もあり、バランスも良く、この日試飲した他のお酒とは、明らかに一線を画していた。いっぺんにこのお酒が気に入ってしまった。さらにその女性にいろいろお話を伺っていると、この方は営業の方ではなく、何と「杜氏さん」だったのだ。皆さんご存知のことかと思うが、酒蔵という場は古来より「女人禁制」なのだ。だから「女性杜氏」というのが登場したのはごくごく最近のことで、まだ全国でも何人もいない、珍しい存在なのだ。この杜氏さん=千野麻里子さんはこの酒蔵の一人娘さんで、大学で醸造学を学んだ後に、ごくごく自然にこの蔵に入り、前任の杜氏さんが病気で倒れた後にそのまま杜氏に就任されたそうだ。そしてこの『川中島 幻舞』は、彼女が杜氏になって初めて自分で作り上げた作品なのである。それだけにこのお酒に対する思い入れもたっぷりなのだろう、その場でちょっとお話しただけなのだが、彼女の素朴な人柄がお酒に乗り移ったような、そんなやさしい味がした。ついでながら『酒千蔵野』(以前は『千野酒造場』という名前だった)というこの酒蔵は、現存する酒蔵の中では全国でも7番目に古いという、由緒正しい蔵元だ。創業が1540年というが、お酒の名前にもなっているあの有名な『川中島の戦い』がこの10数年後のことだから、まさにその戦場となったこの地で、上杉謙信と武田信玄の戦いを見守ってきたということだ。参考までに武田信玄が陣中で、ここの蔵のお酒を飲んだという逸話が残っているらしい。ちょうどNHK大河ドラマ『風林火山』も大詰めで、この『川中島の戦い』の真っ只中だが、ドラマを観ながらこの『川中島幻舞』を味わうというのも、また一興かもしれない。
2007年11月29日
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昨日はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日ということで、私もそれなりにバタバタと忙しい日だった。なんだかんだと言いながらも、1年で一番ワインの売れる日には違いないのだ。1年の内でワインはこの時しか飲まない、っていうお客さんも多いしね。私としてはこれを入り口に、他のいろんなワインに枝葉を広げていってもらえるようにしたいのだが、そのあたりは如何せん力不足.......。しかしマスコミ報道なんか見ても、何だかまだこのワインがいかにも「特別なモノ」という捉え方がされているような気もするし、お客さんの感覚の上でも、同じことが言えるんだろうな。私としては、他のワインと同列上のものとして、あまり特別な意識を持たずに接してほしいと思うのだが。例えば昨日来られたあるお客さんの言われたことなど、最も象徴的に聞こえた。「え~と、ボージョレ・ヌーヴォー1本と、“普通のワイン”1本ちょうだい!」“普通のワイン”というところをみると、ボージョレ・ヌーヴォーは“普通じゃない”ワインなのか、と心の中で突っ込みを入れたくなるが、所詮こういった感覚が一朝一夕に変わるとも思えない。しかし考えてみれば、そのおかげで我々も解禁日に忙しい思いをして商売させていただいているのだから、間違っても文句を言う訳にはいかない。
2007年11月16日
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先日大阪に行ったときに、立ち寄った酒屋で買い求めたものだ(別に大阪でなければ買えないものでもないが)。『獺祭 純米吟醸 遠心分離50』『獺祭』と書いて『だっさい』と読む。山口県の『旭酒造』という蔵元で造られている。ここのウリは「酒米の高精白」と、搾り時の「遠心分離システム」だ。ここの看板商品に『磨き二割三分』というのがあって、この商品の精米歩合<23%>というのは、おそらくは今日本で最も高精米だと思う。ただ私自身はさほど精米歩合にこだわるわけではなく、私の買い求めたこの商品は<50%>の純米吟醸だ。それよりも「遠心分離システム」の方が、以前から気になっていた。これはどういうものかというと、発酵した「もろみ」からお酒を搾るとき、遠心力を用いて酒と酒粕とに分離させるというものだ。通常の酒造りでは、もろみに圧力をかけて“文字通り”「搾る」わけだが、圧力をかけた分、雑味も一緒に出てきてしまうし、圧搾機械の素材のクセが酒の味に付いたりすることもある。だからどこの蔵でも超高級な酒を搾るときには、もろみの入った袋を吊り上げて、自然の重みで「ポタッ、ポタッ」と少しずつ落ちてくる酒の雫を下で受け止める、そんないわゆる『しずく取り』という手法を用いることが多い(『雫酒』、『斗瓶取り』、『袋吊り』などと呼ばれることもある)。ただこの『しずく取り』というのは、もろみの量に対して搾られる酒の量が極端に少ない上に、おそろしく時間もかかるので効率が悪い。だからどこの蔵でも、よほどの高級酒にしかその手法は用いられていないので、なかなか日常的に口に入るものではないのが現状だ。そこで考え出されたのが、この「遠心分離システム」だ。詳しいメカニズムについては私にもよく解からないが、要は圧力をかけることなく、尚且つ時間も掛けることなく、『しずく取り』レベルのお酒を搾ることができるというものだと理解している。しかし日本発の導入ということで、コストやメンテナンスなどの面で幾多のハードルがあったかと思われるが、それでもこの内容で720ml@1,575円なら、決して高いとは思わない。肝心の味の方だが、残念ながら遠心分離システムの特質を酒の味の中に見出すというのは、ちょっと難しい、というか、そこまでする必要は無いかもしれない。結果的に美味い酒をリーズナブルな価格で飲むことができれば、それでいいわけだから。50%精白の純米吟醸のわりには、香りは控えめだが、吟醸香が鼻につくのがあまり好きではない私にとっては、これくらいがちょうどいい。スッと口に入って、口の中でふわっと膨らむ、余韻は残るがしつこさは無い。そして杯を重ねるごとに旨味が増していくようだ。試しにお燗もやってみたが、これがまたすごい。酒の中の米粒がキラキラと輝いてるようだ。こと日本酒に関しては「手造り」を尊ぶ風潮から、どうしても「機械化」というものには愛好家の間に多少の抵抗感があるようにも思える。この「遠心分離システム」にしても、一般的な評価がどうなのか、私にもよく分からない部分はあるが、例えば大手メーカーがコスト削減のために機械化を推進するのはともかくとして、常に「美味い酒を造りたい」という理念の下に進められるものであれば、それはそれでいいことではないかと思う。 獺祭 純米吟醸 720ml遠心分離
2007年09月04日
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先日の「日経流通新聞」に、『ミニマムライフ~巣ごもる20代』という特集記事があった。首都圏に住む20代の若者の生活意識や消費行動など、アンケート調査を行ったところ、実に興味深い結果が浮き彫りになったという。彼らはそのひとつ上の世代との比較で見ても、 「モノはあまり買わない、欲しいと思わない」 「休日は家にいることが多く、掃除洗濯などはマメにする」 「貯蓄には熱心」などというような傾向が、はっきり見られるようだ。特に消費行動について言えば、例えば昔から常に20代世代の興味の中心にあった「クルマ」、これにすら興味がなくなりつつある、というのが象徴的だ。確かに維持費はかかるし、端から休日などに遠出をしない者たちにとってみれば、クルマなど「無用の長物」なのかもしれない。ただクルマに関しては、首都圏と地方とで交通環境に大きな差があるから、全国一律に見た場合には、まだこの記事と同じ傾向が見られるとは思えないが、私にとってもっと深刻なのは、「酒を飲まなくなってきている」というアンケート結果だ。私も以前から何となく肌で感じていたことだが、いざこうやって具体的数字を目の当たりにすると、自身の不安感が裏打ちされたようで、なんとも暗澹たる気持ちになってしまう。今以上に小さくなるパイの中で、我々は商売を続けていかなくてはいけなくなるのだから、よっぽど考えてかからねばなるまい。ところで、なぜ酒を飲まなくなってきたのか?記事ではアンケート結果を受けて、「酒が弱いから」、「お金がもったいないから」、「飲みたいと思う酒が無いから」というところで結論付けている。もちろんそれも大きな要因には違いない。ただ私が思うこととは、若干ずれている。私などは最初酒を飲み始めた当時は、あまり酒を美味いと思って飲んではなかった。昔から酒に弱かったせいもあり、特に酒宴の場になると、内心戦々恐々とすることもあったりして、酒の味を心底楽しむという気分には程遠かったように思う。まあ私のような例は極端かもしれないが、それでも酒の飲み始めの二十歳前後の頃に、心底美味いと思って飲んでたヤツというのも、実際あまり多くはなかったんじゃないかと思う。カッコつけで飲む量を競ったり、酔った上での「武勇伝」を鼻高々にしゃべったり、とにかく酒というものは、皆で集まって騒ぐためのツールであって、しみじみと味わって飲むものではなかったように思う。しかし人は誰でも、必ずどこかで酒の「真の魅力」を知るキッカケに出会うときがある、これは私の持論でもある。そしてその転機というのは、概ね社会人になってからのことだ。例えば上司に連れられて飲みに行く機会があったりすると、普段仲間内で飲んでるような店とはちょっとグレードの違う店に連れて行ってもらえたりして、そういうところでは、普段口にできないようなお酒を飲ませてもらえたりもする。私などは実家が酒屋ということで、自分があまり飲めなくてもそれなりにお酒のことは分かってはいたが、そうでない者にとっては、こういった機会に初めて、酒の「真の魅力」に触れることになる(実際に私の友人には、そういった経験をした者が多い)。ところがこのごろでは、上司が若い者と一緒に飲みに行くといった機会が減ってきている。若い社員たちも、同世代との付き合いを優先する。その結果として、よっぽどグルメな嗜好を持った人は別として、なかなか良いモノに触れる機会というのが無くなってくる。いい加減な造りをして添加物をどっさり入れた酒を「日本酒」だと思い込み、「発泡酒」や「第3のビール」を「ビール」だと信じる。「ふぅ~ん、酒ってこんなものか」という認識のまま、歳を重ねていってしまう。あるいは今、居酒屋で定番の筆頭となっている「チューハイ」。チューハイが悪いということではないが、私に言わせればある意味“刹那的”な飲み物だ。どこの店でもバリエーションこそ多いが、例えば日本酒や焼酎、あるいはワインやシングルモルトウィスキーのように、その魅力に嵌まって、あらゆる銘柄を試してみたくなるような「深み」のある飲み物ではないのだ。というわけで、確かに酒の「真の魅力」を知ることの無いままに成長すると、「嫌いじゃないけど、別に金払ってまで飲まなくても........」という気になっても不思議ではない。我々の商売も、多くの人たちにお酒の魅力を伝えることが大きな使命ではあるが、まずは店に呼び込むということが、最初の関門なのである。しかし冒頭にも書いたように、最近の20代が「モノはあまり買わない、欲しいと思わない」という意識を持っているとすると、それはとりもなおさず、彼らの親たちが彼らの小さい頃から、欲しがるものを何でもかんでも買い与えていたという証拠に他ならないと思う。そしてこのことは我々も自戒すべきことだろう。
2007年08月25日
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昨日来店されたあるお客さんと、ちょっとした酒談義になった。その方が言われるには、「以前はずっとイモ焼酎を飲んでいたのだが、少し前に日本酒を飲むようになったらいきなり太りだしたから、最近また焼酎に戻した」ということだ。どういう根拠なのか深くは聞かなかったが、どうもそういうことらしい。この方の話に限らず、「焼酎に比べて日本酒は悪酔いする」とか「酔い覚めが悪い」など、いろんな所で焼酎と比較された日本酒が悪者になってしまっている。確かに「蒸留酒」である焼酎は、もろみに熱を加えることでその中にある不純物などを蒸発させてしまう分、「醸造酒」である日本酒に比べると不純物は少ない。ただ「不純物」と書くとちょっと誤解を与えてしまいそうだが、日本酒にとってはこれが「旨味成分」でもあり、日本酒の味を構成する上では欠かせないものだ。で、この「旨味成分」が「酔い」に及ぼす影響というのは、以前からいろんなところで研究されてきていて、様々な人たちがこれについて発表しているが、見方を変えればそれだけいろいろな解釈が可能だということもいえる。だから、「それらが悪酔いの原因になる」と言われれば決して否定は出来ないが、じゃあ100%そうなのかというと、必ずしもそうとは言い切れまい。つまり悪酔いの原因自体はいくつもあるにもかかわらず、たまたまそのときに日本酒を飲んでいたというだけで、その原因を日本酒に求めるというような、極めて短絡的な発想になっているとも言えるかもしれない。さらに言えば、「酔い」というものは人間の「思考」と深くかかわっているので、同じ酒量でもTPOによって酔い具合が違うということは、皆さんもきっとご経験おありだと思う。気の持ち様である程度酔い具合が変わるとすれば、「日本酒は悪酔いしそうだ」などと考えながら飲んでいれば、本当に悪酔いしてしまうということがあってもおかしくはないんじゃないだろうか?実際私自身は、いつも何にも考えずに飲んでいるからか、お酒の種類によって酔い具合が変わったり、翌日の辛さに差があったり、という経験がほとんど無い。だから昨今、焼酎に比べて日本酒がそういう意味で悪く言われているのは、ある意味「風評被害」のようなものだと思っている。私の愛する日本酒が、こんなつまらない原因で日本人に見捨てられつつあるとしたら、何とも悲しい限りだし、またこんなに腹立たしいこともない。ただ残念なことに、いわゆる低価格の日本酒は造りがいい加減な上に、モノによっては各種糖類とか酸味料といった、およそ「旨味成分」とは到底いえないような“真の意味での”「不純物」が多く混ぜ込まれている。そのようなヒドイ日本酒を飲んで悪酔いして、その怒りの矛先が「すべての」日本酒に向けられているという、大変な誤解が現実にあることも、付け加えておかねばなるまい。
2007年07月17日
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最近新聞などを見ていると、またまた新しい用語の登場だ。『第4のビール』確か『第3のビール』ってのは聞いたことがあるけどなー、とお思いの方も多いと思うが、この『第4のビール』ってのも今までは『第3のビール』のカテゴリーの中に入っていたものが、ここへ来て商品群が増えてきたために、従来の『第3のビール』と分けて考えなければいけなくなってきた、そういうものなのだ。具体的な商品名で言うと、キリン 『良質素材』アサヒ 『極旨』サントリー 『スーパーブルー』 〃 『金麦』サッポロ 『W-DRY』上の3つは既発売、下の2つはこれから新発売になる。もともと『第3のビール』ってのが何だかしっくり来ない言い方だが、これは『ビール』『発泡酒』とは異なった製法のもの(「ビールもどき」?)を総称するために出来た言葉だ。しかしこの『第3のビール』の中にも、ふたつの流派が存在する。麦芽以外の代替原料を発酵させる『雑酒流』出来上がった「発泡酒」と「スピリッツ」を混合させる『混合流』だ(名前は今私が考えた)。もちろん上に挙げた5品はすべて『混合流』だ。以前までは『第3のビール』のほとんどが『雑酒流』で、『混合流』はごくごく僅かだったから、何も問題になることは無かったのだが、ここへ来て先に挙げたような『混合流』の新商品が続々と新発売され、比率においてどんどんと『雑酒流』に近づいてきた。そうなると最早このふたつの流派を一緒くたに考えるのも無理があるということで、晴れて『混合流』が独立して、『第4のビール』と名乗るようになったのだ。とまあ、まるで相撲部屋の独立よろしく、『第4のビール』が成立したわけだが、何のことはない、これって単なる「マスコミ用語」に過ぎないのだ。じゃあ当のビールメーカーは何と呼んでいるかというと、『第3』も『第4』もひっくるめて『新ジャンル』という呼び方をしているのだ。『新ジャンル』というメーカーの呼び方も私からすれば、「もっとマシな表現は無いのかよ!」と言いたくなるようなシロモノだが、『第3』だの『第4』だのとマスコミに引っ掻き回されている現状も何となく面白くない。当の消費者の皆さんはおそらく、そんな細かいことはいちいち気にせずに、ただ味と価格で判断して飲んでおられるだけだろうからね。しかしここでフト思った。今後さらに今までにないような製法でビール風の飲料が出来るようになれば、そのときは『第5のビール』、『第6のビール』という形で登場するんだろうか?いい加減にして欲しいね。
2007年06月01日
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「山梨大生が急性アルコール中毒死、サークルの飲み会で飲酒」まったくいつまでこんなことをやっているんだろう?記事の中では、「イッキ飲みは無かった」という談話が載っていたが、普通の飲み方をしていて、急性アルコール中毒になることなどあるはずが無い。「死人に口無し」とも言うし、ここは何らかの無理な飲ませ方をさせられた可能性が高くはないか?私自身、アルコールには弱い体質なので、酒の無理強いをされる辛さはよく分かる。いまでこそ「アルコール・ハラスメント」という言葉も出来たが、私の若い頃はそんな概念すらなく、酒の弱いものはただただ肩身の狭い思いをするほか無かった。まだ大学時代は、たまたま私の属していた様々なグループのどれもが、酒の無理強いをするような無茶な先輩の居ないところだったので、それなりに平和に過ごせたが、卒業後に就職した先の会社には、今思えば理不尽な先輩・上司が居た。会社の宴席ともなると、「如何にして逃げるか」ということばかり考えていて、私には苦痛でたまらなかった。「注がれた酒は飲まないと失礼だ」......なるほど確かにそうかもしれない。しかしどうしても飲めない時の、礼を失しない断り方など、誰からも教えてもらえなかった。「誰でも練習すれば飲めるようになるから、お前は鍛え方が足らんのだ」......いや、そういう人ばかりではない。体質によってはいくら練習しても強くなれない人もいることは、科学的に実証されている。とにかく酒飲みの論理というものは、時として常軌を逸するものがあるが、不幸なことに言っている本人にはそういう認識が無く、また周りの雰囲気も彼に同調したりするから始末が悪い。これをお読みになっている賢明な方々には、よもやこういう理不尽な方はいらっしゃらないとは思うが、本来楽しいはずの酒の席が苦痛な席になったり、ましてやそれで命を落とすようになるなどもっての外である。
2007年04月27日
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昨日の日記の中で取り上げた2冊の本の内容には、読む人によっては偏った考え方がなされているという印象を与えるかもしれない。特にお燗を礼賛し、「『吟醸酒』や『生酒』などを冷やして飲ませる習慣が、日本酒をダメにした。」とこれらの酒を否定的に捕らえているくだりがあるが、これは決して「吟醸酒」や「生酒」を根底から否定しているというわけではない。著者が何を言いたかったかというと、造りのしっかりしていない酒は燗をすると腰砕けになってしまうので、そのカムフラージュのために敢えて冷やで飲むことを提案するとか、造りの悪さをごまかすために、醸造用アルコールを添加したり高い香りの出る酵母を用いたりして、敢えて軽やかで香り高い酒に仕上げるとか、そういう姿勢の蔵が少なからず存在するということなのだ。私自身も「吟醸酒」も「生酒」も、あくまでも選択肢の一つとしてお客に提案してきたし、これからもそうしていくだろう。ただひとつ、その中で気が付いたことがあるのだが、「吟醸酒」や「生酒」を気に入ってそこから入られた方が、日本酒のコアなファンに育っていく確率は案外低い、ということだ。即ち「吟醸酒」や「生酒」の魅力は、日本酒“本来の”魅力とはイコールでなく、言ってみれば「亜流」のようなものだと言える。端的に言えば、日本酒“本来の”魅力とは「米の旨味」と「熟成感」であると考えられるが、「吟醸酒」や「生酒」などの魅力はある意味その対極で、「薫り高さ」と「瑞々しさ」だと言える。もちろん、どちらかが正しくてどちらかが間違っている、というようなことではない。しかし「本流」の魅力を理解せずして、「亜流」にばかり接していると、いずれ飽きが来ることになるというのは、何も日本酒に限った話でもないだろう。事実、「吟醸酒」や「生酒」のブームを迎えても、その段階で日本酒の売上数量自体は決して増加に転じなかった。日本酒の人気が衰え、蔵元がバタバタと廃業しつつある今こそ、日本酒“本来の”魅力でお客を掴んでいかなければいけないと思う。ちょうど野球のピッチャーになぞらえると、「ストレート」が走ってなければ「変化球」が生きてこないのと同じことだろう。つまり「吟醸酒」や「生酒」のような、いわば「変化球商品」も必要だけれども、それも「ストレート」たる「基本の酒」がキチンと造られていなければ何もならない。また我々売る側も同様に、日本酒“本来の”魅力をキチンとお客に理解していただいた上で、TPOに応じて「吟醸酒」や「生酒」を勧めていくのが王道なのだろうな、と改めて感じた。
2007年04月23日
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ちょうど1年前くらいに、『ロゼワインを持ってお花見に出かけよう』という記事を書いた。ロゼワインの普及の一助になればと思ったのだが、残念ながらあれからさほど盛り上がりを見せないまま、今日に至っている。どうもロゼワインというのは、「飲まず嫌い」のような感じで敬遠されてるんじゃないか、という気がしてならない。前にも書いたように、このところのロゼワインは質的にも以前よりも格段に向上しており、かつてのような「色のついた白ワイン」といった感覚とはまた違った、「赤ワイン的な果実味」がふんだんに活かされたものが増えてきた。だから赤ワイン愛好家のニーズにも、十分耐えうると思っているのだが.....。ただこれが逆にスパークリングワインの分野となると、ロゼは結構盛り上がっている。もっともこの分野は「赤」がほとんど無いに等しく、その流れで言えば、まだまだ「ロゼ」は「“白”の亜流」という見方がなされているのだろうか?なんだかいつまで経っても、ロゼワインが不当な評価しかされてないようで、私としては面白くない。かつて『ロゼ・ダンジュ』のような“甘い”ロゼが一般ウケしていたがために、特にコアなワインファンからはソッポを向かれているのかもしれない。しかしながらある意味、ロゼ、しかも「辛口のロゼ」ほど日本人にマッチしたワインもないんじゃないかとも思う。これもまた約1年前に、『万能ロゼワイン』という記事に書いたが、料理との相性を考える上でロゼワインの守備範囲は意外と幅広い。というよりは、無難な選択肢として重宝する、ということが言えると思う。本来お酒と料理のマッチングというのは、双方の個性がそれぞれ相手の持ち味を引き出し合ってこそ意義のあることだ(日本では『料理の邪魔をしないこと』を、お酒と料理の相性を図る上での判断基準にする傾向があるが、コレは間違っている)。だからフランスなどでは、料理の一品一品に合わせるワインを事細かにセレクトする食文化が根付いている。それはそれでいいのだが、では我々日本人の、ごくごく普通の家庭の食卓において、ワインはどのような使われ方をすればいいのだろう。日本の食卓ではおそらく欧米の食卓に比べると、雑多な風味の料理が一度に食卓を賑わし、しかも日替わりでさまざまな食材が登場する。そんな中で一品一品に合うワインなど考えていたら大変だ。そういうときには、何にでもそこそこ対応できるものを1本用意しておくのが無難だ。そういうポジションに適応しうるのが、「辛口ロゼ」だ。確かにそれに合わない料理も中にはあるかもしれないが、レストランじゃないんだから、そんなことはあまり難しく考える必要は無い。日常の食卓を少々華やかに、且つ楽しくするためのツールとして、是非使っていただければ、と思う。
2007年04月01日
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以前からこのブログでも、「近々日本酒、それも“お燗”が再び脚光を浴びるようになる」という、半ば予言めいたことを書いたりしてきたが(2006年5月29日、2006年11月9日、参照)、何となく次第に現実味を帯びだしているようにも感じられる。純米酒などの「特定名称酒」のお燗をウリにしている居酒屋などもボツボツ出てきているようだし、各蔵元から最近リリースされている商品の中にも、そういう流れを意識したような造りのものが増えているような感がある。それに最近では、「お燗して美味しい酒」の代名詞としても有名な、福島県の『大七 生もと純米』が品薄になり、問屋レベルで割り当てになっているという話を聞いたが、これなども昨今の「お燗人気」を裏付けるものといえるだろう。こういった一連の動きは、私にとってもうれしい。私も1~2年前あたりから、お燗酒の旨さを提案をしてきたものの、お客の意識がついていっていないからどうしても話が進まないでいた。ここでブームがお客の意識のベクトルを少しでも変えてくれたら、私としてもうんと話がし易くなるだろう。ただこれがこのまま「ブーム」となっていくのが良いかというと、それはまた別だ。私が心配するのは、ブームが過剰に盛り上がったときのことだ。焼酎ブームの時のことを思い返してみるといい。さまざまなメディアが市場を煽るように焼酎を取り上げたが、話題はどうしても「少量生産」の「こだわりの品」に集中してしまう。その結果当然のことながら、そういった蔵元の商品は需要が供給をはるかに上回り、たちまち「幻」化してしまい、プレミアがついたとんでもない価格で取引されることになる。そして何も知らない消費者の方たちが、その値段が普通の価格だと思い込んでしまう。またそれ以外の、普通に流通している商品の中に、非常に良質なものがあっても、それをお客に勧めてみたところで、名前が知られてなければなかなか関心を持ってもらえない。かくしてブームとはいえ、現実にはそういったいびつな流通状況が続いていったのだ。今後私の予測どおりに清酒が再び脚光を浴びるときが来ても、こういった焼酎ブームのときと同じ状況になる可能性は高い。いや、もう以前から一部の銘柄では、実際にそういう現象が出始めている。まあもっとも、清酒というのは焼酎に比べて品質管理が格段に厄介だから、焼酎の時ほど過剰な在庫を抱える業者は少ないかとは思うが。とにかく実体が伴っていなくともメディアで騒がれる物、希少価値の物に、大枚はたいてでも飛びついてしまう日本人気質、これがいち早く改善されることを願わずにはいられない。
2007年02月09日
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最近、ビールを飲むときに、ちょっとこだわっていることがある。ビンであれ缶であれ、いったんグラスに移し替えて飲むというのは、基本中の基本だ。ただこのグラスというのも、一般的にはやや口径の狭い、小振りのグラスというのが多いかと思う(あるいはタンブラーとか)。私が今使っているのは、ウイスキーの「ロックグラス」のように、口径が広いものだ。ここに、泡がそこそこ立つようにビールを注ぐ。そしてこのビールも、冷蔵庫から出してスグではなく、少し室温に馴染ませてから開ける。これだけだ。ビールの温度を少し上げてから、口径の広いグラスに注ぐことで、より香りが立つようになる。また口径の広いグラスを使うメリットは他にもある。これは私の勝手な持論だが、ビールは口をすぼめて飲むよりも、口の端から端までグラスが当たるくらいの広い範囲で口に流し込んだ方が、そのふくよかさがよりいっそう引き立つ、そんな気がするのだ。そして口に流し込んだら、そのまま喉へ送り込むのではなく、いったん口に含んで舌の上でしっかり味わいたい。よく「ビールはノド越しの旨さだ」と言われるが、そもそもビールは清酒やワインと同じ「醸造酒」のカテゴリーに入るお酒だ。清酒やワイン同様に、香りや味わいをもっと楽しまなければ損だろう。もちろんすべてのビールにこういう味わい方が相応しいとは限らないから、その点はご了承いただきたい。
2007年01月29日
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例えば日本酒なら、高級料亭に行けば、大吟醸クラスの酒が普通の顔をして出てくるし、飲み放題をウリにしているような安い居酒屋などでは、何処の何て酒か分からないようなものが出てきたりする。例えばブランデーなら、銀座あたりのクラブなんかでは、高価なコニャックなんかのボトルが飛び交い、場末のスナックあたりでは、国産ブランデーのVSOPクラスが定番だったりする。例えばワインなら、レストランの格に応じて扱いワインのグレードは大きく開いており、場合によっては価格にして2ケタくらい違うこともある。こんなことを書いて何が言いたいのかというと、要は飲食店の格が大きく違うと、そこで扱う酒類の格も値段も、大きく変わるのが一般的だということだ。これは至極当たり前のことだろう。しかしこうした一般的な常識にも、例外がある。「ビール」がそうだ。例えばアサヒなら、高級料亭や高級クラブでも、あるいは安い居酒屋や場末のスナックでも、出てくるものは同じ「スーパードライ」だったりする。キリンなら、どこへ行ってもたいてい「ラガー」か「一番搾り」だ。まあ中には、『エビスビール』に代表される「プレミアムビール」という物もあるにはあるが、全体の中に占める比率は微々たるものだし、単価だってせいぜい50円か100円ぐらいしか違いが無い。それにだいたい高級な店がすべて、そういった「プレミアムビール」を使っているかというと、必ずしもそんなことは無い。つまり金持ちも貧乏人も、殊「ビール」に関しては飲むものがみな同じということになるから、考えてみれば面白いものだ。「ビール」の前ではみな平等とも言えるだろう(支払う単価はかなり違うだろうが)。しかしここへ来て、そういう図式にも少々変化が起きて来つつある。何年か前から居酒屋に進出してきている、『発泡酒の樽生』の存在がそれだ。これが今後どのような展開になっていくかは、今のところ何とも言えないが、少なくとも「貧乏人は発泡酒を飲め!」とばかりに、庶民的な呑み屋がこぞってこれに切り替わっていくようなことにはならないで欲しいと思っている。
2006年12月27日
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今まで何度かこのブログでも取り上げたが、地元の酒蔵で、米作りから仕込みまで一緒に酒造りに参加する、という企画があり、私は2回ほどしか参加できなかったが、そうして造られたお酒が先日手元に届いた。 よくよくラベルを見ると、「杜氏見習心得」として、私の名前が印刷されている(写真で黒く塗ってある内の一番左端)。なんだかちょっと気恥ずかしい気もする。参加者全員にこうした手の込んだサービスをされているのだろうが、その真心に感謝。早速飲んでみた。留仕込みのときに、発酵中のタンクから漂っていたのと、同じ香りがした(正確には、私たちが仕込んだものの隣の、同じ造りのタンク)。フレッシュで雑味の無い、すがすがしい香りだ。スペックは「純米原酒」だが、「原酒」のわりにはアルコール度は16度と、ちょっと低めだ。しかしながら、スムースな飲み口に反して、口の中で米の旨味がじわぁ~っと広がる感触だ。ボディもしっかりしているし、「しぼりたて」ではあるけれど、このまま熟成させても面白いだろうな。何にせよ、ほんの少しでも造りに関われたお酒をこうして飲めるというのは、何にも変えがたい喜びだ。それこそ始めから終わりまで関わった方だったら、感激して飲みながら泣き出しちゃうんじゃないかな。
2006年12月07日
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いわゆる「ビール類」の「新ジャンル商品」と言われている、『発泡酒』と『第3のビール』、これらは今や市場を完全に制圧したような感が有るが、お客と話をしている中でいつも思うのは、よく飲まれているワリには、その内容がどのように異なるのかということについて、ご存知の方が意外と少ないということだ。おさらいさせていただくと、『発泡酒』は原料に「ビール」と同じく麦芽を用いてはいるが、その使用量が酒税法で定める「ビール」の基準に満たないというものだ。そして『第3のビール』、こちらは大きく二つに分けられる。ひとつは、端から原料に麦芽を用いていないもので、その代用品として、大豆やエンドウなどから抽出したタンパクを用いて、あとはビール風の味になるように、人工的に味を整えるというものだ。もうひとつは、『発泡酒』にスピリッツをブレンドさせるというものだが、現時点では、前者の方が主流ではある(ちなみに酒税法上の区分は、前者は『その他の醸造酒』、後者は『リキュール類』となる)。こうしてみると、『ビール』と『発泡酒』と『第3のビール』を横一線に並べた場合、真ん中の『発泡酒』は、原料に麦芽を使っている分、限りなく『ビール』に近い存在のはずなのに、現在の業界内外での捉え方を見ていると、『発泡酒』を『第3のビール』と同じカテゴリーにしてしまっている。これはいかにもおかしいと思う。その考え方はともすれば、『発泡酒』と『第3のビール』が根本的に似たようなものであるかのような誤解を生む。それ以前に、この両者の定義の説明が難しいことも、分かりにくい原因になっているだろう。実際に、この文章の前半部分で私が記した定義を読んで、皆さんにご納得いただけるかどうか、非常に心許ない。そこで私は、こういうときによくお客に説明する例えとして、こういう風に言うことがある。即ち、『発泡酒』は『ビール』に比べて原料をケチっているから、『ケチビール』。『第3のビール』は『ビール』と同じような顔をしながら全然別物であるから、『ニセビール』。こういうことを言うと、これらの商品を愛飲しておられる方の中には、気を悪くされる方もみえるかもしれない。しかしながらこういう言い方が一番的を得ているからか、最も納得していただきやすいというのも事実なので、何卒ご容赦いただきたいと思う。
2006年12月05日
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キリンビールの創立100周年記念事業の一環として、明治・大正の『復刻ラガー』缶が、来月から限定発売される。その見本を入手したので、早速飲んでみた。実は何年か前にも、その「明治」・「大正」に「昭和初期」を加えた3種類の『復刻ラガー』がセットで発売されたことがあったが、そのとき飲みそびれてしまっていたのだ。まずは「明治」だ。ウェブサイトを見ると、「苦味が効いた重厚で調和のとれた味わい」とあるが、確かに苦味はかなり強い。ただボディは思ったよりも軽めだ。そして苦味と同じくらい、酸味が強いのが印象的だ(特に後口)。ドイツ人技師が、ドイツ産の麦芽とホップを使って造ったということだが、その割にはドイツビール特有の、あの芳醇さがあまり感じられない。そして「大正」。この頃からビールの副原料に「米」を使うようになった。そのせいだろうか、「明治」に比べて味わいがややまろやかになり、香ばしさも感じられる。苦味は相変わらず強いが、酸味は押さえられて、いかにも「ピルスナー」という感じの味に仕上がっている。今でこそ「麦芽100%」がもてはやされて、副原料の使用がともすれば「添加物」的に見られかねないが、こうして「米」を副原料に使用することによって、芳醇でコクのある味わいが実現できたわけだから、おもしろいものだ。こうしてみると日本のビール造りの歴史も、先人たちの苦労の賜物であったことが窺えるが、そういったかつての技師たちは天国から、今の「発泡酒」や「第3のビール」をどういう想いで見てるだろうか?
2006年11月13日
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先日、とある酒問屋の試飲会に出かけてきた。今回は清酒と焼酎が対象だったが、今回参加してみて改めて思ったことは、清酒業界は今、確実に「お燗の普及」に力を注いでいる、ということだ。考えてみれば一昔前は、清酒といえば「お燗」するのが常識だった。それが「吟醸酒」「生酒」などが一般化してくるにつれ、冷やして飲むことが奨励されるようになると、相対的に「お燗」が嫌われ始めた。あの「ツン」とくる匂いがイヤ、という声も、あちらこちらで幾度となく聞いた。まあもともと「冷酒」が脚光を浴びるようになったのも、「お燗」→「オヤジ」→「ダサイ」「野暮ったい」、という画一的なイメージを何とか打破したい、という業界側の戦略だったわけだからね。ただそれで一時は清酒の見直しの機運が出てきたものの、ワインや焼酎のブームに押されて、再び低迷期に入って今に至った。で、どうして今ここでお燗が見直されてきているのか?ここからは私の推測もある程度混じってはいるが、ひとつにはそれが日本酒固有の特性であるということ。考えてみれば、世界中に数多の酒あれど、「温めて飲む」酒というのは、「日本酒」と「老酒」くらいしか見当たらないのだ(焼酎やウイスキーなどのお湯割りも有るが、いずれもそれそのものを熱するわけではないから、ちょっと違うのだ)。つまり「温める」ことで、他の世界の様々な酒と差別化を図ろうという狙いだ。もうひとつには、提供する側(=メーカーでもあり、酒屋でもあり、飲食店でもある)が「酒の旨味を引き出す」手段として「お燗」を意識し始めたことだ。今まででも一部の料亭などでは、「お燗番」なる係りを設けて、温度にとことんこだわって酒を提供していたところはあったが、一般的な認識はさほどではなかったはずだ。酒小売店にしたって、「お燗するなら、高価なお酒はやめて、安いお酒で」などと、今考えれば実にいい加減なアドバイスをしていたものだ。そんな中で日本酒の嗜好もだんだんと「淡麗」な方向に向かって行き、一時は冷やして飲むスタイルが確立されたが、ここへ来てその方向性も変わりつつある。純米酒、しかも「生もと造り」や「熟成感」のあるものなんかが、これから脚光を浴びてきそうな予感だ。で、こういった酒になるとその旨味を引き出すのに、「お燗」は非常に重要な役割を果たすのだ。一時ブームになった「吟醸酒」なんかも最近のものは、かつてのように派手な香りを振りまくようなものはどちらかと言えば少なくなってきている。「お燗して飲む吟醸酒」などという触れ込みで売り出されている商品もあるほどだから、確実に方向性が変わりつつあることが感じられる。ぜひ日本酒を普段飲まない方にも、たまには一度じっくりとお燗酒を試していただければ、と思う。条件としては「純米酒」で、「酸度」「アミノ酸度」(裏ラベルに書いてある)が「1.5」以上有るものなら、たいてい「ヌル燗」で美味しく召し上がっていただけると思う。今人気の「ひやおろし」なんかも、ヌル燗で味わっていただくといいだろう。ただこの際、間違っても電子レンジなど用いないようにお願いしたい。スローライフっていうわけじゃないが、ちょっと手間をかけて「湯煎」でじっくりと温めていただければ、酒にとっても良いし、なにより気分的にも全然違うはずだから。
2006年11月09日
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以前田植えに参加し、その後収穫された米で醸す酒、現在その仕込みの真っ最中だ。前にも書いたようにこの企画は、自分たちが米作りから手掛けた原料を使い、醸造の各段階にもそれぞれ参加しながら、「自分たちで造った酒」を愉しもうという趣旨の、地元の某酒造会社の企画だ。実は田植えに参加して以来、幾度ものカリキュラム(?)があったのだが、稲の刈り取りは子供の運動会とかち合って欠席し、その後の一連の仕込み作業の日もことごとく平日に当ってしまい、全く参加できてなかった。で、今日の『留仕込』は運良く日曜日に当ったので、田植え以来のご無沙汰となってしまったが、朝から参加させていただいた。『留仕込』とは、通常3段階に分かれている清酒の仕込みの、最も最後の仕込みのことで、ちなみにこの3日前の最初の仕込みは『添仕込』、1日前の2回目は『仲仕込』と呼ばれている(1回目と2回目の間は1日間を置き、それは『踊り』と呼ばれている)。手順としては、2回目の『仲仕込』が済んでいる昨日までのタンクの中に、麹米と水を加えて1時間ほど置き、その間に昨日洗っておいた米(『留仕込』につかうもので、これは「麹米」に対して「掛米」と呼ばれる)を蒸す。掛米が蒸し上がったら、スコップで放冷機に移す。 そして放冷(冷ますこと)しながらタンクの中に送り込むのだが、この作業はエアシューターみたいなもので送られるから、あっという間に終了する。後は掛米を加えたタンクの中の「もろみ」を、櫂棒で攪拌するのだが、これが思いのほか力を要する。あとで筋肉痛にならないか、心配だ。ここまで終えたらあとは静かに発酵が進行するのを待つだけだ。そして約1ヵ月後に『上槽』といって、いよいよお酒を搾る日が来る。ただこの『上槽』の日程は、現時点では確定できない。気温の変化によって「もろみ」の状態も微妙に変化するので、その都度発酵日数も変更されることになるためだ。私の仕事の都合もあるので、個人的にはうまく日曜日に当ってくれないかな、と思っているのだが、こればっかりはどうしようもない。もろみは「生きている」のだから。
2006年10月22日
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ウチのお得意先の、とある料理屋の大将との会話。「リカーマンさん、サントリーのウイスキーで取り寄せて欲しいのがあるんだけど」「あ、サントリーだったら、何でも取り寄せOKですよ!」「で、これなんだけどね、お客さんの持ち込みなんだけど、ちょっと飲ませてもらったらスッゴク旨くってさー」(といってボトルの空き瓶を見せる)「え、コレって、もしかして......(^0_0^)」私は約2年前に、サントリーの『オーナーズ・カスク』について、このブログで触れたことがある。要するにサントリーの蒸留所に在庫されている樽を、樽ごと買い取ってもらい、その分を瓶詰めして購入者の元に送るというものだ。それで、冒頭の会話に出てきたウイスキーというのが、正にそれだったのだ。確かに手書き風のラベルに、<138/267>というようにボトリングナンバーもちゃんと入っている(数字はデタラメ)。しかし一時ニュースにはなったものの、現物を見るのは初めてだ。少しでも中身が残っていたなら、ぜひ味見をさせてもらいたかったところだが、あいにく空っぽだ。で、件の料理屋さんにはこう答えるしかなかった。「かくかくしかじかで特殊な商品なので取り寄せはできません。頂いた方におねだりしてくださーい(^^ゞ」
2006年09月29日
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今年も日本酒の「ひやおろし」のシーズンがやってきた。「ひやおろし」とは、冬場に搾った新酒を春から夏にかけて蔵の中でじっくりと寝かせ、秋になって外気温が下がってきた頃に火入れをせずに出荷されるもので、新酒の頃の荒々しく溌剌とした酒質とは打って変わって、熟成によりふくよかに、かつまろやかに変貌を遂げ、旨味もたっぷりと乗っているので、美味しい食材が豊富なこの時期には正にうってつけのお酒だ。そういえば昨年もこの時期に「ひやおろし」について書いたなー、ということをふと思い出して調べてみると、昨年は9月27日の日記でこのことに触れていた。今年よりも1週間遅かったな。思い返してみると、そういえば昨年は残暑が結構厳しかったような気がするが、それに比べれば今年はまだ涼しい方だ。まあそれはさておいても、昨年の今頃はあまりピンと来る人が多くはなかったこの「ひやおろし」だが、昨年よりはお客の認知度は多少は上がっているような気がする(といってもご存じない方がまだ圧倒的に多いことには変わりないが)。個人的には日本酒が今再び浮かび上がるための切り札に成り得る商材だと思っているので、ここでまた更に多くの人に、この旨さを知って欲しいと思っているのだ。
2006年09月21日
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昨日の夜は、『日本吟醸酒協会』という所が主催する「吟醸酒を楽しむ会」という催しに参加するために、名古屋まで出かけた。東京や大阪では以前から開催されていたそうだが、名古屋での開催は今回で2回目、しかも私は初めての参加ということもあり、結局最後まで勝手が分からないままウロウロしていた。名古屋の某ホテルのバンケットルームに会員蔵のブースが44、そこに蔵元からやってきた社長や営業担当者が陣取って、お客にお酒をサービスするのだ。どこの蔵元もそこの一番の自信作といえる商品を中心に持ち込んできており、商品単価(小売ベース)で見るとおそらく平均で3~4千円ぐらい(720ml)じゃないだろうか。それだけの品とあって、確かにどの酒も旨いのだが、このクラスの、しかも大吟醸や吟醸ばかりを2時間近くも呑み続けるというのは、正直疲れる。普段昼間に行われる酒販店向けの「試飲会」にもチョコチョコ出かけることが有るが、この時は昼間だし、後に仕事も控えているから、いつも酒を口に含むだけで味見をし、決して胃の中には入れない。今回のこの「楽しむ会」も形式だけを見ればそうした普段の「試飲会」とほぼ同じような形態だ。ただ今回は帰ってからの仕事は無いし、なにより5千円の会費を払って参加しているのだから、どうしても「飲まなきゃ損」という意識がはたらいてしまう。もともと酒には弱い私ではあるが、出てる料理ははっきり言ってショボイし、とりあえず飲むしかない。とにかくこれだけ多くの蔵元の酒を味わう機会なんて、滅多に無いのだから。やっぱりどうしても仕事の顔が覗いてしまう。もう、最近記憶に無いくらい飲んだ。ちゃんと家まで帰れるかどうか心配になるくらいまで飲んだ。だから後半はもう味もへったくれもなくなってしまった。それが惜しい。いろんな蔵元の方とも貴重なお話をさせていただいたが、後の方はもう頭に残っていないかもしれない。やっぱり仕事の延長みたいな感覚で飲むべきではなかったと思うが、会場の感じが普段の試飲会と変わらないので致し方ない。会場が立食形式というのも、ちょっと落ち着かない。どうせなら着席形式で、料理ももうちょっといろいろなものを出してもらい、料理と酒の相性などを落ち着いて吟味できるような環境ならば、なお良かったのではないかと思うが、まあこの人数ではちょっと無理か......。まあでも十分堪能させてもらった。帰りもちゃんと帰って来れたし(^^)そして帰りにはひとり1本(720ml)ずつ、出展蔵のお酒をランダムにお土産に貰ったが、私の中身は東北有数の銘醸蔵、『南部美人』の大吟醸だ。ぜひ飲んでみたかった蔵元だし、これだけで会費の半分以上はモトが取れた。確かな根拠はないものの、いずれまたそのうちに日本酒の波がやって来る、そう予感させるようなひと時だった。
2006年09月08日
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先日福岡市の「海の中道大橋」で起きた自動車追突転落事故は、何とも目を覆うばかりの悲惨な事故だった。3人の幼児を一度に失ったご両親の心中、本当に察するに余りある。リカーマンとしては飲酒運転は絶対に許されるべきものではないと思う。しかし一向にこれが無くならないのは、社会全体にまだまだ飲酒運転を許容してしまう土壌があるのではないかと思わざるを得ない。確かに何年か前に道路交通法が改正され、飲酒・酒気帯び運転に対する罰則が強化されたとき、飲食業やそれに関係する業界(つまりわれわれ酒販業界も含まれる)では、一斉にこれに対して異議を唱えた(声には出さなかったけど)。つまりこの法改正が業界にとって、死活問題になりかねないからだ。ただそこには、「ちょっとぐらいなら飲んだっていいじゃないか」という、一種の「甘え」が有ったことも否定できない。しかし今回の事件では、正にその「甘え」が災いを生んだと言ってもいいだろう。本人はもとより、同乗者も居たそうだが、本来ならその同乗者が運転を辞めるように促すべきだった。同乗者にも運転者と同じぐらい重い罰則があって然るべきだろう。もはや飲酒運転は、本人の自覚は当然としても、それにプラスして周りの人間の戒めがきちんと機能しないと、歯止めが効かない状態になっていると心得るべきだろう。とにかくリカーマンとしては、これ以上「酒」を悪者にするようなことはして欲しくないと思う。
2006年08月29日
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昨日の風呂上りのこと、風呂から上がったら飲みたいと思っていたワインがあった。ところが風呂から上がった私は、その足で冷蔵庫へ直行し、その中で冷えていた缶チューハイに反射的に手を出し、一気に飲み干してしまったのだった。風呂に入る前に、飲もうと思っていたワインのことなど、すっかり頭から離れていたのだ。この缶チューハイはたまたま店で長いこと売れ残っていた商品を引き上げて、何の気無しに自宅の冷蔵庫に入れておいたもので、私自身は普段、缶チューハイなど滅多に飲まない方だ。そんな私が、せっかく飲もうと思っていたワインを差し置いて、缶チューハイを手にしてしまうくらいだから、風呂上り直後の人間の嗜好というものは、かなり平常からかけ離れたものとなるのだろう。そういえば私の好みではないビールの筆頭である、ア●ヒのスーパー●ライなんかを飲みたくなるのも、こういうシチュエーションだ。あとは例えば、炎天下で長時間居るときとか、スポーツした後とか、そういうときにも当てはまるかな。逆に食事と一緒に味わいたいとき、あるいは寝しなにまったりと味わいたいときなどは、もっとコクのあるビールのほうがいい。要するに同じビールを飲むのでも、その状況や環境の違いで味わいも変わってくるだろうし、逆に言えばTPOに応じて違ったタイプのビールを使い分けることがあってもいいと思う。ところが今の日本では、そうするだけの柔軟性を持ち合わせている人は少ないような気がする。よく人が何人か集まれば、「あれのほうが旨い!」「イヤこっちの方だ!」といったビール談義に花が咲くのを耳にすることがあるが、自分の好きなブランドをとことん愛するのも大いに結構、だけどせっかくこれだけさまざまな味が巷に溢れているのだから、ひとつのブランドに凝り固まるのじゃなく、TPOに応じて使い分ける楽しみもあっていいんじゃないかな。
2006年08月21日
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先日の夏祭りで生ビールを販売していて、ちょっと気が付いたことがあった。そうたくさんというわけではないが何人かのお客が、「生中ください!」、「生中2つね!」などと言ってくるのだ。「生中??」無論われわれは単一の大きさの紙コップで売っていたので、「大」も「中」も「小」もない。まあ普段居酒屋などで言っているのが口癖になって、思わず飛び出したのだろう。ただここでふっと思ったことは、『生中』という言葉に象徴されるように、いまどきの生ビールは「中ジョッキ」がメインになっているということだ。まあ私も業界の人間の端くれとして気付いてはいたが、昔私が個人的によく飲みに行っていた時期は(今は仕事が遅いのであまり飲みに行けない)、「大ジョッキ」が主流だったような気がしていたので、どうしても私自身そのときの感覚が残っているようだ。もうひとつ思ったことは、「生ビール」とは言わずに「生中」と言ってしまうことだ。つまりそれだけ業務用でも「発泡酒の“生”」が広まってきているということに他ならないだろう。「発泡酒の“生”」を扱っていても良心的な店なら、メニューにちゃんとその銘柄を載せているが、中には銘柄を載せずに『生中 ○○○円』としか書かず、あたかも「生ビール」を売ってるような振りをしてちゃっかり「発泡酒」を出している店も有るやに聞く。(瓶で出すわけじゃないから)どこにも書いてないし、どうせ分かりっこないだろう、という魂胆がミエミエで、とても良心的とはいえない。そもそもは「発泡酒」や「第3のビール」に『生』の文字を乱用しすぎたことに原因があると思っている(このことは去年書いた日記を参照されたし)。そしてこの傾向はどんどん加速しており、今や『生』の字の入っていない「発泡酒」や「第3のビール」を探す方が難しいくらいだ。特に今年に入ってからは某メーカーから、『ジョッキ生』などというとんでもないネーミングの商品が発売された。缶に入っているくせに、何が『ジョッキ生』だ!たぶん「生ビールをジョッキでぐびぐびあおる様な感覚で飲んでください」というコンセプトなのだろうが、私に言わせりゃ「不当表示」も甚だしい。缶にもジョッキの絵が描かれてるし、外国人が聞いたら笑われるぞ。ちょっと話はそれてしまったが、『生中』という言葉からいろいろと思い巡らせてしまうのだった。
2006年08月08日
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焼酎に詳しい方ならよくご存知だと思うが、一口に「焼酎」といっても大きく分けて2つのカテゴリーがある。酒税法上の区分ではそれぞれ、「連続式蒸留しょうちゅう」と「単式蒸留しょうちゅう」という名称がつけられているが、あくまでも蒸留方法によって大別したもので、はっきり言ってこれだけでは何のことかさっぱり分からない。どういう商品が該当するかといえば、よく酒ディスカウンターの店頭などでどーんと大量陳列されているような、でかいペットボトルに入った無味無臭の焼酎、あるいは梅酒を漬けるときに使うホワイトリカー、それから最近多くなった韓国焼酎、これらが「連続式蒸留しょうちゅう」だ。そしていわゆる「イモ」「米」「むぎ」などといった原料の風味が前面に出ている焼酎と、沖縄の泡盛、これらが「単式蒸留しょうちゅう」だ(『本格焼酎』という呼び方もされる)。おそらく「連続式蒸留しょうちゅう」や「単式蒸留しょうちゅう」という呼び方は聞き慣れないという方がほとんどだと思うが、それもそのはず、これらの呼称は今年の5月から用いられ始めたばかりだからだ。じゃあそれまではどういう呼び方をしていたかといえば、「連続式蒸留しょうちゅう」は『焼酎甲類』、「単式蒸留しょうちゅう」は『焼酎乙類』と言っていた。これなら聞いたことのある方も多いだろう。それがどうして、あえてややこしい呼称に変わったのか。理由は簡単、「『焼酎乙類』では『焼酎甲類』よりも格下に見られかねない」というクレームが、いわゆる『本格焼酎』を造っている蔵元から上がったからだ。もちろん『焼酎乙類』が『焼酎甲類』よりも格下という事実はまったくない。それどころか昨今の世間の認識はむしろ逆かもしれない。常に安売りの目玉にされている『焼酎甲類』に対し、イモ焼酎を中心にプレミアム価格で取引される銘柄も今なお多い『焼酎乙類』の方が、ステイタス的には上かもしれない。まあどちらが上かはさておいて、甲類・乙類という言い方にずっと馴染んできたわれわれには、今回から始まった新しい呼称はまったく馴染めない。だいたい「甲」と「乙」で序列が生じるといったって、私くらいの世代にはピンと来ない。よっぽど通信簿が「甲・乙・丙・丁....」でつけられていた世代の方くらいじゃないのかな、そう思うのは。あるいはもっと単純に『焼酎A』『焼酎B』とか言うのはダメかな?もっともこれも『B』より『A』の方が上に見られるかもしれないが。そもそも製法においても、その風味においても、飲み方においても、大きく開きのある両者を、同じ『焼酎』というひとつのカテゴリーで括ってしまうことに問題があるのかもしれないな(いまさらこれはどうしようもないけど)。ただどちらにしても、消費者の方にはさほど影響の無いハナシではあるし、とどのつまりは美味しく呑めればそれで良い、ということなのだ。
2006年06月21日
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昨年の3月24日の日記で紹介したサッポロビールの『エビス超長期熟成』。この日の日記の最後に私は、>私は、といえば、数本取っておいてさらに長期熟成させて飲もうかな、と思っている(^^ゞと記している。実を言うとそういうことを書いたこと自体、すっかり忘れてしまっていたのだが、昨日自宅の冷蔵庫の奥の方で、この『エビス超長期熟成』が1本発掘されたのだ(いかにも『発掘』という言い方がピッタリくるような状況だった)。そこでやっとあの日記を書いた直後に冷蔵庫に入れたことをようやく思い出したのだ。ちなみに製造は2005年2月、賞味期限は2005年10月だが、まあそんなことは別にかまわない。はたしてどんな味になっているか.......。恐る恐るグラスに注ぐ。昨年3月のときと、色合いはそう変わっていないような気がする。そしてグラスを鼻のところに持っていく。ん? 前はやや香ばし気味の華やかな香りが鼻腔ををくすぐったのに、それがない。どちらかといえばちょっと老ねたような香りだ。一口含んでみる。なんだ、この薄っぺらな味わいは!泡持ちも格段に悪くなっている。やたらと苦いばかりで、酸味が増しているのも気になる。前も苦味は強かったが、ふくよかなコクもふんだんに感じられて、その両者がうまくバランスをとっていたように思う。残念ながらそのバランスはとっくに崩れ去っているようだ。こうして私の「エビス『超超超長期熟成』計画」は失敗に終わった。やっぱりいくら「熟成モノ」のビールだからといっても、容器に詰められて出荷された以上、飲むのはやはり早めであることに越したことはないようだ。そして「熟成」という行為はやはり、適切な条件の下で管理されてこそ、初めて出来ることであるということも改めて思い知った。
2006年06月07日
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『夏子の酒』で知られる漫画家の尾瀬あきら氏が、今再び日本酒の漫画を手がけられている。『ビッグコミック・オリジナル』に連載されている『蔵人(クロード)』という物語で、日本酒に魅せられた外国人・クロードが蔵人として働く姿や、母親と居酒屋を切り盛りするヒロインが日本酒の魅力に目覚めていく姿が、平行軸で描かれている。さすがに日本酒には非常に造詣の深い尾瀬氏だけに、いろいろなところに彼のこだわりが散りばめられているが、今回この物語を読んでいて特に印象的だったのが、「お燗」に対するこだわりをさりげなく描き出しているところだ。ただ熱々にして出せば良い、というこれまでのお燗のスタイルから脱却した、彼なりの新しい提案である。お燗に向く酒向かない酒の区別、温度を変えれば味わいも変わること、特定名称酒はお燗に向かないという認識の打破などなど、私も自分なりにお客に対して訴えていることが裏付けされたようで、うれしかった。確かに数年前から一部のグルメ雑誌などで、こういった新しいお燗に対する認識が語られ始めてはいたが、如何せん一般的にはまだまだ認識が低いと言わざるを得ない。恥ずかしながら私も昔は、「いいお酒(=特定名称酒のような高いもの)は冷やで飲んで、お燗するなら普通酒で」という、今考えればいい加減な勧め方をしていたし、同業者の中にもいまだにそのような感覚でおられる方も多そうだ。話は変わるが、イモを中心とする本格焼酎のブームは底を打ったと言われ始めている。確かに焼酎ファンの裾野は広がり続けてはいるが、伸び率は鈍化しているし、焼酎自体が話題に上がることも以前に比べて少なくなった。業界では次なるブームは何か、ということに誰もが気を揉んでいるが、私には日本酒の復権が再び起こるのではないかという気がしている。それを予感させるのが尾瀬氏のこの作品であり、そういう意味でも非常に期待している。ただブームになったからといって手放しで喜べないのもまた事実で、単なるミーハーの人たちがこぞって押し寄せて、ブームが去った後には何も残らなかったというのではあまりにも悲しいし、またメディアで取り上げられた一部の銘柄だけが“まぼろし化”してしまい、偏ったいびつなブームとなってしまうことも危惧される。そうなるくらいならいっそのこと、ブームになどならない方がいいとも言えるのだが、悲しいかな今の日本人というのは概して、ブームになってメディアに注目でもされない限り、消費者が自分の興味の対象外のものをなかなか見ようともしないという性質があるのだ(もちろんそうでない人たちも多いとは思うが)。とにかく私自身、焼酎よりも日本酒の方が好きということもあり、なんとか今以上に日本酒に目が向けられることを願いたいのだ。そして今一度お燗を見直すきっかけにもなってくれればと思う。
2006年05月29日
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「あー、職場で飲む酒は最高だーっ!」とは、かつて私が勤務していた会社の上司がよく言っていた台詞だ。終業時間を過ぎエライさんが帰った後、事務所で残業をしながらおもむろにビールや酒を飲むというのは、比較的よくある光景だった。別にたいしたつまみがあるわけでもないし、器だってそこら辺の湯飲みだったりするのだが、確かにこういうときに飲む酒は、不思議と旨かったような気がする。きっと「職場」というある意味「神聖」な場所と、「酒を飲む」といういわば「俗っぽい」行為のミスマッチ的な取り合わせが、感性をヘンに刺激して酒の味をもプラスに変えてしまうのかもしれない。もうひとつ思うことは、あくまで「残業」だから仕事が終わっているわけではないのだが、就業時間が終わったあとという一種の「解放感」というのも、関係しているだろう。ところで「職場での飲酒」といえば、今の私のマイブームでもある。「何言ってんだい、オマエの“職場”は売るほど酒があるじゃないか」.....ごもっともである。確かに酒のテイスティングを店内でやるのはしょっちゅうだが、それとこれとはちょっと違う。テイスティングはあくまで仕事の一環であり、仕事を離れてプライベートで同じものを飲んだとしても、まるで感覚が違うのだ。ウチの店は午前0時の閉店だから、自宅へ帰るとかれこれ1時近くになってしまう。以前は帰宅して一風呂浴びてから何か飲む、ということが多かったが、体のことを考えたとき、同じ飲むのでも出来るだけ遅い時間にならないようにした方が良いということに気が付いた。それなら、ということで閉店後の事務処理をしながら酒を飲むようになったのだが、別にそれで業務に支障を来たすわけでもないし(私の飲む量なんてカワイイものだ)、なにより非常に気分がイイ!ただもしも「いいよなー、タダでいくらでも飲めるんだから」などと思っている方が居られれば、私個人の名誉のために申し添えたいのだが、決してタダで飲んでいるわけではない。そりゃさすがに「定価で」ということは無いが、ちゃんと店にカネを払って飲んでいるのである。
2006年05月11日
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今月半ばに発売になる、サッポロの発泡酒の新商品、『雫(しずく)<生>』の試飲サンプルが来たので、早速飲んでみた。このところキリン『円熟』のヒットなどもあって、発泡酒にも“旨味”が求められているかのような状況下でのリリースだけに、そのあたりが気になるところではあったが......。いや、もう発泡酒でここまでのクォリティーが出せるんだなー、と素直に実感した。こと「コク」ということに関しては『円熟』に譲らざるを得ないが、旨味=ふくよかさはレギュラー物のビールと比べてもそれほど遜色は無いだろう。ブラインドテイスティングをしたら、ビールと間違う人も多いんじゃないかな?後口のキレの良さもウリのひとつみたいだが、コレは言ってみれば「余韻が無い」という言い方も出来るわけで、まあそのあたりは好き好きだろう。もっとも発泡酒ファンの方にはその方が良いのかもしれないが......。とまあいろいろ書いてきたが、画竜点睛を欠くというか、このパッケージデザインはさすがにいただけない。ハッキリ言って「ダサい」。ア●ヒみたいな「鋭角的な」感覚のデザインは無用だが、もうちょっとセンスよく仕上げられなかっただろうか。
2006年05月09日
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以前の日記(これやこれ)にも書いたが、このところロゼワインに興味が向いている。確かに私も今まではロゼワインに対して、それほど特別な印象を持っていたわけではなく、一般的な認識同様にやや中途半端な存在と捉えていたかもしれない。その価値観がゴロッと変わるきっかけになったのがこのワインだ。ラベルに描かれた大きなハートマークでおなじみのボルドーの銘醸蔵、『シャトー・カロン・セギュール』でつくられる『ロゼ・ド・カロン』がそれだ。これはあらゆる意味で私が今まで抱いていたロゼワインに対するイメージを根底から覆した。まず色からしてキレイだ。今までのロゼの多くがサーモンピンクのような、ちょっとくすんだ淡い色調だったのに対し、これはなんとも鮮やかな「赤」。もちろん「赤」といっても赤ワインではないのはもちろんで(赤ワインの色調はより「黒」に近いからね)、キラキラと透き通るような「赤」だ。香りもどことなくチェリーのような芳香が漂っている。口に含むと豊富な果実味が口いっぱいに広がる。これまでのロゼワインが、どちらかといえば「色のついた白ワイン」という感覚で、キビキビした酸味ばかりが目立っていたのが、この『ロゼ・ド・カロン』はその酸味が果実味とが絶妙のバランスで融合しているのだ。今までロゼワインといえば、白ワインに倣って「甘辛」で選別するのが普通だったが、もうこれは「甘口」だの「辛口」だの言う様なレベルではなく、ただ「ウマイ」としか言い様が無い。ボディもしっかりしていて、本流である赤の『シャトー・カロン・セギュール』のついでみたいに造られているとはいえ、丁寧に仕上げられていることが窺える。おそらく私がこれまでに飲んだロゼワインの中でも、トップに上げてもいいだろう。そんな由緒正しく中身も充実した逸品が、2千円でお釣りがくるような金額で買えるのだからオドロキだ。ただこのシャトーのメインとして生産されているわけではないので、1年に1回、しかも少量しか入って来ないのが残念だ。でももうすぐ2005年の新ヴィンテージの商品がようやくウチに入荷してくる。楽しみだぁー。
2006年04月24日
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昨日の日記でロゼワインのことに触れたが、ついでに言わせてもらうとロゼワイン、特に辛口のロゼに関して言えばもうひとつ、知られざる利点があるのだ。それは料理と一緒に楽しむ上で、非常に守備範囲が広いということだ。ご存知のようにワインと料理の間には密接な関係があって、昔からワインと料理との相性の善し悪しについてはいろいろ語られてきている。もちろんそれはある意味重要なことなのだが、同時に必ずしも絶対というものでもない。特にワイン文化が欧州ほどに根付いてない日本においては、決定的に事情が異なる。一般的な日本人庶民の食卓では、いろんなジャンルの雑多な料理が同時にテーブルの上を賑わせるということも多く、その一つ一つについてワインとの相性を検証していては、いつまで経っても食が進まない。こういうときその場をビシッと仕切ることができる存在があれば非常にラクだが、それが私にとっては辛口ロゼワインだ。「何にでも合う」という言い方は好きではないのだが、とにかくその順応性は万能だ。特に中華料理だとかフライものなどのように、一瞬どんなワインを合わせたら良いか思いあぐねてしまうような、それでいてポピュラーな料理にもスンナリとはまってくれる。ある意味「八方美人」的なワインだともいえるだろう。一家に一本、辛口のロゼワインを常備しておけば、どんなシチュエーションでも結構使えるのだ。
2006年03月24日
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今日はだいぶ暖かくなった。花見の季節ももうすぐだろう。花見といえば酒、というように日本人はすぐ短絡思考が働くのだが、もちろんわれわれにとってはビジネスチャンスだ。しかしただお客の言われるがままに売っていても面白くない。ということで今年はひとつ、「ロゼワイン」にこだわってみようと思っている。というのもこのところ、ロゼワインがちょっとしたブーム、とまではいかないまでも、見直されつつあると思えるからだ。そういえばロゼワインなんて、考えてみたらここ最近めっきり影が薄くなってしまっている。ひと昔前なら白とロゼで市場の大半を占めていたのが、例の赤ワインブームを境にだんだんと赤に押されていって、その存在価値が不当に軽んじられていたような気がする。ただもともと売れていたのだから、根本的に日本人の嗜好に合わないはずは無い。そこへもってきて近年、質的にもグンと上昇している感がある。以前よく売れていたロゼワインが酸味と甘味に象徴されるような、いわば白ワインの延長線上にあるものだとすれば、ここ最近のものはブドウ本来の果実味がもっと前面に出てそこにさらに渋味もミックスされ、これらの味わいがバランスよく交わった、どちらかと言うと赤ワインの延長線上にあるものと位置付けられるだろう。ワイン雑誌の記事にもロゼのアイテムが増えてきているし、今がタイミングとしては絶好とみた。それに「ロゼ」といえば「桜」色(強引だが.....^_^;)。ここはやっぱり花見で飲んでもらいたい。しかも夜桜よりは、さんさんとした春の日差しと桜の花びらが降り注ぐ中で飲むのがいい。桜が散っても、どうせこれからはアウトドアのシーズン。屋外で飲むワインは最高に気持ちがいい。難しいことは考えずに、ヨーロッパの現地の庶民がやってるように、バスケットにパンとソーセージ(サンドウィッチなんかでもいいね)とワインを詰め込んで、外へ飛び出そう。ロゼだったらそんなにキンキンに冷やすまでも無いから、現地に着いてちょっとぬるくなったぐらいでもいいだろう。グラスも要らない。紙コップかポリコップで十分だ。こんな風にカジュアルにワインを愉しむ風景がもっと増えてくればいいなー。
2006年03月23日
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あるお客から、パーティーの景品に使うのに清酒や焼酎の四合瓶(720ml)サイズの手頃なものを十数本、いろいろな種類を取り混ぜて持ってきて欲しいという注文を受けた。ただし各種1本ずつでしかも同じような価格帯で、という条件付きだ。ということで、千円台前半ぐらいの線で揃えてみることにした。まあこの価格帯は種類も豊富だからすぐに揃うだろうと思っていたのだが、いろいろと物色しているうちにちょっと困ったことに気がついた。清酒の方はそうでもないのだが、焼酎のこの価格帯のものだと、ほとんどが化粧箱に入っていなくて、裸のままなのだ。景品で使う以上、どうしても包まなければいけないので箱は必要だ。とりあえず知り合いの包装資材の業者で、簡易カートンを仕入れてきたのだが、なかなかこれにピッタリと収まる商品が無い。胴が太かったり、逆に細すぎたり、背丈が低かったりと、どれを取っても『帯に短し、たすきに長し』という状態だ。とりあえず物理的に入らないものは除外して、多少ガサガサでもそのカートンに収まるものから選び出した。こうして改めてみてみると、焼酎の小瓶の何とバラバラなことか。まだ清酒のほうが全体的に大きさも形も揃っているようだ。「バラエティに富んでる」といえば聞こえは良いし、確かに「見た目」も重要な要素だが、私たち売る者にとってはなんとも扱いにくいのだ。またいつかの日記で書いたことがあるが、この不揃いさが瓶のリサイクルを妨げている(というよりも、始めからリサイクルする気が無いか)とも言えるのだ。しかしここでまた最初の話に戻って、どうして清酒に比べて焼酎の瓶の多くは化粧箱に入っていないのか、再度考えてみた。化粧箱に入っているということは、当然ながら贈答用というニーズを想定しているということだから、もしかすると消費者は未だに「贈り物に焼酎なんて失礼じゃないか」という感覚を持っている、と蔵元のほうで思い込んでしまっているのではないだろうか?あるいは単なる「経費節減」か。
2006年03月09日
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プロフ欄にも記してあるように、私は酒屋のくせに酒に弱い。だいたい缶ビール350mlで真っ赤っか、そんな程度なのだ。昔からそれがコンプレックスになっていた。ただこのごろは逆の発想をするようになってきた。つまりよく飲む人とひと月当り同じだけの酒代を遣うとすると、私のほうがハイグレードな物が愉しめるということになるのだ。特に私の場合仕事柄、酒を飲むのも「勉強」のうちであり、その際あまり安いものばかりでは意味がないので、それでちょうどいいのだろう。かといって高い酒ばかり飲んでいるかというと、そうでもない。だいたい世間並みだと思う。だって店の酒を飲むにしても、ちゃんと店におカネを支払っているんだからね。やっぱり自腹切って購入したものでないと、印象には残りにくいものだから。
2005年11月29日
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今日はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日だ。今年は解禁寸前になって、「今年のはスゴイらしい」などという情報が飛び交い、そのせいかお客の反応も良く、用意していた分が今さっき完売となった。こうなると「もっと用意しておけば良かった!」などという気持ちが頭をよぎらないでもないが、昨年もポンポンと売れたのは解禁日当日だけで、その翌日以降は売れ行きもパタッと止まってしまい、売り切るのに少々苦労したということもあったから、まあこれくらいでちょうどよかろう。逆に変に売れ残っても困るからね。昨年辺りからコンビニがかなり力を入れていて、酒販免許のある店舗では軒並み店頭で大々的にアピールしているから、その影響も大きいと思う。まあそれはともかく肝心のお味の方は、というと、実は昨年・一昨年とは試飲した銘柄が違うので何とも比較しづらいところではあるが、「かつてない出来」と評された’03年のものに比べると、パワフルさには欠けるものの、その分溌剌とした酸味のみずみずしさが際立って、ある意味「普遍的なボージョレ・ヌーヴォーの味わい」といったところだろうか。でもそれでいいんだろう。もともと数多あるフランスの赤ワインの中でも、より「気軽に、カジュアルに」飲めるワインとして位置づけられてきた経緯を考えれば、それが必要以上に「濃厚で」「パンチの効いた」キャラクターになる必要はさらさら無いからだ。まあ「出来が良い」云々というのは、あくまでも売る側の宣伝文句に過ぎないから、飲む方としては、毎年美味しく飲めたという実感があれば、それで良いだろう。ちなみに私が今年飲んだのはコチラ ↓ <ジャン・ド・ロレール ボージョレ・ヌーヴォー>
2005年11月17日
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日本酒の宣伝文句の中に時折、「金賞受賞蔵」という文字を見かけることがある。「金賞」とは毎年行われている「全国新酒鑑評会」で、クォリティが高いと認められた酒に贈られる賞である。つまり「金賞」を受賞するということは、日本酒の蔵元にとってこの上ないステイタスなのである(最近はそう思わない蔵元もチラホラ出てきてはいるが)。だから受賞した蔵元はそのステイタスを最大限に活用するべく、自社の製品のPRに「金賞受賞蔵」という宣伝文句を使うことが多くなる。「金賞」を取れるだけの腕前を持つ蔵元だから、ここで造る酒は総じてクォリティーが高いんだぞ、ということをアピールするわけだ。ただここで問題になるのが、お客の中には「金賞受賞蔵」という触れ込みで宣伝されている酒が、鑑評会で「金賞」を取った酒そのものだと勘違いされる方が結構いるということだ。もちろん中には、「鑑評会に出品したそのもの」のお酒を市販する蔵元もある。鑑評会に出品するお酒というものは、その蔵元の技術の粋を結集して造る、その蔵元の最高傑作であるから、市販するとなれば生半可な価格では出せない。そうした場合そのお酒は、「金賞受賞“酒”」という触れ込みで売られることになるが、これが先ほどから私が出している「金賞受賞“蔵”」という文句と酷似しているので、勘違いされるお客がいても当然だ。意外と安価で出品酒が飲めるんだなー、と思って買って飲んでみたら、全然大したことのないお酒で、真相を知った後で「金返せ!」なんてことになりかねない。ここはやはり紛らわしい「金賞受賞“蔵”」という宣伝文句は、できれば控えたほうが無難だと思うのだが、どうだろう?
2005年11月09日
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既製品のチューハイというものは、結構種類が豊富に見えても意外と選択肢が狭いものだ。居酒屋などでチューハイを提供する場合、大きな店であれば、生ビールと同じようなサーバーで抽出した液体に、果汁のコンクをブレンドする「業務用」チューハイがほとんどだ。ただそういうサーバーを置くほどでもないような小さい店や、居酒屋以外の形態の店では、自分の店で焼酎とサワーをブレンドして作ることになるが、それが面倒なところは既製品のチューハイを使わざるを得ない。実際ウチの得意先の何軒か(たまたまいずれも中華料理店かラーメン店だ)では、今まで地元メーカーの既製品の「ビン入り」チューハイをお客に出していて、そしてこの商品がどのお店でも結構人気が高かったのだ。ところが今年になってその商品がメーカー生産打ち切りとなってしまった。そこで代替商品を探さなければいけなくなったのだが、前の商品と同じようなタイプのものがなかなか見つからない。だいたい「ビン入り」のチューハイというもの自体、最近はまず見かけなくなった。お店で出すものなので、「缶入り」ではいかにも格好がつかない。それに最近主流になっている大手ビールメーカー系のものは、皆一様に安いのだが、その分味の方は、以前使っていたものに比べると格段に物足りなさを覚える。わずかに老舗ブランドの『ハ●リキ』のラインナップに、前の商品と同タイプのものがあるのだが、各お店に試飲してもらったところ、いずれもお口に合わなかったようなのだ。でも仕方が無いのでその『ハ●リキ』をしばらく使って頂いていたが、今月になってこんな商品が新たに発売されていることを知った。 <タカラ チューハイ壜詰 レモン>昔ながらの『焼酎ハイボール』の味を再現しただけあって、炭酸の刺激がきつくて爽快、柑橘類のドライ感も豊かだ。それこそアルコール入りのサイダーかと見紛うような、最近の安いチューハイの中にあっては異色の存在だが、どのメーカーのものも代わり映えしないだけに、もっといろんな個性を持った商品が市場に出て来て欲しいものだ。もちろんこれを採用されたお店の方にも喜んでいただいている。
2005年10月27日
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昨日の日記で「地ビールの在り方」みたいなことを書いていて、ふと「じゃあ地酒の在り方はどうなんだろう」と思った。そもそも「地酒」という言葉の「地」は、何を意味するのか。おそらく元来は「地元」の「地」という意味であって、それは清酒が基本的に、生産されるお膝元で消費されるということが前提になっていると思われる。ただ最初は極めて限られた地域でしか流通していなかった「地酒」が、流通の発達とともに全国的に出回るようになって、いわゆる「地酒ブーム」なる現象まで起きるようになって来た。こうなると「地酒」の「地」は、「地方」(都市に対して、という意味で)の「地」ということになる。つまり昔からの「地元酒」という考え方に対して、「地方酒」という考え方が新たに出てきたわけだ。そして現在では、見たところこの2つの意味が混在しているような状況だ。確かに、ウチの店にもいわゆる「地酒」はいろいろあるが、お客に「地酒で何かいいのはないですか」などと言われると、「地元酒」か「地方酒」のどちらを出していいものか、ちょっと考えてしまうこともある。でも昨日書いた『ベアレン』の例を出すまでもなく、「地酒」というからにはやっぱり、地元の消費者を大切にする「地元酒」であって欲しいと個人的には思う。ただ全ての蔵元がそういった考え方であるとは限らないようだ。中には地元にほとんど商品を卸さないで、大都市圏の特定の地酒専門店にしか卸さない蔵元もあるように聞く。また別の話になるが、どこかの地方都市へ行って、そこの住民にその土地で最も人気がある銘柄を挙げてもらうと、全国的にその土地を代表すると思われている銘柄とは往々にして異なることが多い、という話も聞く。「地酒」が「地元酒」から「地方酒」に変わって行ったのには、マスコミの影響も大きいだろう。一時の『越乃寒梅』フィーバーから始まって、様々な“幻の酒”と呼ばれる銘柄が高値で取引されている最近の現状を見るまでもなく、特に希少性の高い銘柄にマスコミはすぐ飛びつき、またそれに踊らされている消費者というのもまた多く存在するのだ。年間たかだか数百石の蔵元でも、雑誌で権威のある人に褒めちぎられたりすれば、一夜にしてシンデレラになれる時代だ。もちろんタダという訳ではなく、そこには幾らかの掲載料(1回数十万円という話も!)が発生することになるのだが。まあ販売戦略はそれぞれの蔵元の問題だから、どれが良くてどれが悪いということは一概には言えないが、少なくとも地元を置き去りにしたまま全国に打って出ようとすると、いつかしっぺ返しを喰らうんじゃないかな、と心配になってしまうのだ。地酒専門店が増えて、またネット上でも様々な地酒が手に入るような便利な時代になり、地酒の在り方も昔とは様変わりしたが、まず地元を第一に、という原点を忘れず、その上でどんどん全国に発信して行ってほしいな、と思う。もっともそれと同時にわれわれとしても、他の地方の地酒も魅力的だが、それ以上に自分の「地元の酒」をもっと大切に売っていかなきゃいけない、というのも言うまでも無いことだが。
2005年10月22日
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盛岡市にある地ビールメーカー『ベアレン』の商品を、同社のネット通販で購入した。結構よく売れてるようなので以前から気になっていたのだが、やはり期待に違わぬ素晴らしい味であった。ただそのクォリティーに満足するとともに、もうひとつその理念に満足させられる部分があった。商品の入った箱の中に『ベアレンニュース』というフリーペーパーが同梱されていたのだが、それを読んでいて、同社が「地ビール」というものをどう捉えているのかがよく分かった。同社が開業前にあらゆる土地で市場調査を行っていたところ、いわゆる「地ビール」メーカーの商品が、案外そこの地元の人に飲まれていないということを改めて感じたそうだ。しかしやっぱりその土地の人の普段の生活の中で飲まれてこその「地ビール」であると確信した同社は、地元の人に『ベアレン』を知って、飲んでもらうために、イベントなど様々な試みをされ、その成果が徐々に実を結びつつあるのだ。地元の人々に認められた上で全国に発信していくことこそ、本当の「地ビール」の姿なのだ、という『ベアレン』の姿勢を、全国に数多ある地ビールメーカーは見習って欲しいと思う。今、「地ビール」の大半は、観光スポットだったりするからね(全部が全部とは言わないが)(^^ゞウチも定番の品揃えに地ビールがほとんど入っていないので、エラそうなことを言える立場ではないのだが、そこいら辺の普通の酒屋の店頭に、その土地の地ビールが当り前のような顔をして並んでいる光景、そういう光景が普通に見られる状況になればいいのにな、と思う。ベアレンの本格ビール3種15本セット【送料無料】
2005年10月21日
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2週連続で清酒・焼酎の試飲会に出掛けた。ひところ清酒といえば、「口当たりの良い」、「すっきりした」、「キレのある」、「クセの無い」、「辛口」というような要素が重要視され、これらの条件を満たす酒がもてはやされていたように思う。いわゆる『淡麗辛口』の時代だ。その流れがここへ来て変わりつつあるように感じた。それぞれの蔵元が今までにもまして、「味わい」を求め始めているようだ。生もと系の酒母を用いたり、熟成期間を長くしたりとやり方は様々だが、これによって今まで以上に、各蔵元の個性がハッキリしてくるのは間違いないだろう。またこの流れは、「お燗」の見直しともリンクしてくる。濃醇な酒は淡麗なものに比べると、必然的にお燗に適しているといえる。実際今までお燗はタブーと思われていた「吟醸酒」なんかについても、あえてお燗での提案をするところが見られた(もちろん「熱燗」ではなく「ヌル燗」だけど)。いずれにしてもいわゆる『淡麗辛口』を標榜するところは、あまり見受けられなかった。うがった見方かもしれないが、この流れは焼酎やワインのトレンドとも関係がある、ということは言えないだろうか?例えば焼酎なら、一時市場を席巻した『いいちこ』などのような比較的“クセの無い”麦焼酎から、個性豊かで味わい深いイモ焼酎へとシフトしてきている。ワインの世界でも、かつては“飲みやすい”「白」一色だった日本のワイン市場が、今や「赤」一色といってもいいほどの変わりようだ。イモ焼酎にしても赤ワインにしても、かつてはその「クセ」や「渋み」が受け入れられなくて、消費者から毛嫌いされていたのに、だ。つまり焼酎やワインの市場では、淡麗でクセの無い、サッパリした傾向のものからの脱却が一足先に行われていて、その流れが清酒の市場にも及び始めている、というのは考えすぎだろうか?
2005年10月14日
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「ビールは舌で味わうもんじゃない、ノドで味わうもんだ」自分が酒を飲める年齢になった時分、よくこういうことを言っていた人がいたもんだ。おそらく今、日本のビール好きの方の大半は同じ意見だろう。これはこれである意味正論だと思う。ただそれだけじゃちょっと物足りないんじゃないか、ということも感じるのだ。今までの暑い季節ならノド越しがいいだけでも十分だったが、これからの季節はどんな食べ物・飲み物ももっとじっくり味わいたい。ビールだってその例に漏れない。旨いビールは口に含むと豊潤な旨味とともに、馥郁たる「含み香」も愉しむことが出来る。今までは素通りだった「舌」に、ビールを存分に絡ませるのだ。そんな「口に含みたくなるビール」というのが、これからの時期は無性に飲みたくなってくるのだ。
2005年10月12日
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昨日は少年野球チームのバーベキューパーティーがあった。で、例によって私は生ビールサーバーを調達し、父兄の皆さんに生ビールを堪能してもらった。しかし当の私は、といえば、祝日は休みではないので、生ビールサーバーのセッティングと後片付けに来た以外は、10分ほど焼肉と焼きそばをつまんだ程度で、生ビールは1滴も飲めず.....(ーー;)悔しかった。あんまり悔しかったから昨日の閉店後、樽の中にビールの残りが少々あったのをいいことに、引き上げてきた生ビールサーバーと樽とガスを店で再びつなぎ、ひとりで生ビールを出して飲んだ。シ・ア・ワ・セ......(*^_^*)たぶん傍目から見たら非常にワビシイ光景かもしれないし、「クライ奴だなあ」と思われるかもしれないが、そんなことは構いやしない(だいたいこんな時間に誰か呼び出しても、ヒンシュクを買うだけだ)。至福のひと時だ。でもさすがにひとりだと、ペースがつかめなくて飲みすぎてしまう。今朝はしんどかった。
2005年10月11日
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キリンビールの商品で、『キリンラガー・ブルーラベル』という商品がある。この名前を聞いて、どんなビールだったか頭に思い浮かぶ人はそう多くはないかもしれない。もう新発売から数年経っていて、商品のライフサイクルとしては、もう既に衰退期に入っている商品だからだ。故に問屋でも在庫を置いておらず、ウチが注文するその都度メーカーから取り寄せたりしていたようだ。ウチの店でも売れ行きは決していいとは言えないが、ただウチのお客の中に、この商品のヘビーユーザーの方がいらっしゃる。通常顧客がひとりしか付いていない商品というのは、思い切って定番カットしてしまうことが多いが、なんせこの方の購入される頻度がハンパではないので、今までずっと定番とっして扱ってきた。ところがこの夏を以って、この商品がメーカー生産中止となってしまった。ひとりのお客とはいえとにかく売れる商品なだけに、とりあえずメーカー在庫が無くなる前にある程度のストックは確保したのだが、それももうすぐ底を尽きそうだ。それを踏まえてそのお客に、今後のことを相談した。その方はどうして『キリンラガー・ブルーラベル』を愛飲されていたかというと、味そのものよりも「糖質50%OFF」ということを重視されていた。実はそういったコンセプトの商品は他にもいろいろあるのだが、他はみんな見事に発泡酒(もしくは『第3のビール』)ばかりなのだ。でこの方は、「ビールでなければ絶対にイヤ」なのだそうだ。そういうことで私としても、「糖質50%OFF」の「ビール」を探してみたのだが、これがどこにも無いのである。そもそも昨今のビール会社の新商品というものは、一部のプレミアムビールを除くと、ほとんどが発泡酒(もしくは『第3のビール』)なのだ。市場全体が低価格にシフトしているから、という事情も解らなくも無いが、結果的に「ビール」愛好家にはどんどん選択肢が狭まってきている。私のメンツに替えても何とかしたいところだが、今回ばかりはどうも難しそうだ。
2005年10月07日
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今日はサッポロ『冬物語』の発売日だ。とはいえまだ10月も初旬、朝晩は結構涼しくなってきたものの、日中はまだまだ暑いと感じる日もあり、「冬」というにはまだまだ程遠い。正直まだ「冬」ビールを飲むなんて雰囲気ではない。この『冬物語』ももう10年以上続くロングセラー商品だが、確か私の記憶に間違いが無ければ、初年度は11月中旬の発売開始ではなかったかと思う。これがどんどんと早まっていった裏には、同業他社との競争があったのだ。『冬物語』のヒットに刺激されて他社もこぞって「季節物ビール」に参入し、少しでも他社よりも早く市場に出したほうが圧倒的に有利という思惑から、どんどんと発売時期が前倒しになっていったのだ。そしてこれは冬だけではなく、その後「雨後のタケノコ」のように出てきた、「春」「夏」「秋」のそれぞれの季節ビールについても、同じ現象が起きた。でもこうなるとビールのリリースと一般の季節感とが、まったく食い違ってしまうわけだ。こんな笑えない話もあった。あるメーカーで発売された「春」ビールは、桜の花びらが缶一杯にちりばめられた、いかにもお花見で飲みたくなるようなデザインだった。ただこの商品の発売時期は2月中旬、まだ冬だ。その上、―――――これはこういう季節限定ビールにはよくあることだが―――――初回の一斉出荷のみで販売は終了、という販売方法をメーカーが採っているのだ。これはこのタイプの商品が市場にダラダラと残って、バッタ売りの対象になるのを防ごうという、メーカーの政策だと思われる。その結果この商品は、3月半ばには市場からほとんど姿を消してしまい、満開の桜の下でこのビールが飲まれることは無かったのだ。まったくあの桜の花びらのデザインは何だったんだろうね。こういう極端な例でなくても、一般的にもビール関係の新商品というのは、まず発売時に最大のヤマがあり、そのあとは日を追うごとに「右肩下がり」で推移し、よほどのヒット商品でもない限りは1ヶ月も経てば完全にしぼんでしまう、というライフサイクルだ。だから商品が本格的に売れるのはどうしても、“旬”の時期がやって来る前になってしまうのだ。販売戦略上、「季節感を先取りする」ということも重要だろうが、先取りしすぎて本当の“旬”の時期に売られていない、なんてことではシャレにならない。当時から私は、ボージョレ・ヌーヴォーのように、メーカー各社で話し合って季節ビールの「解禁日」を決めたほうがいいんじゃないか、という提案をメーカーの営業マンにことあるごとにぶつけていたのだが、どうも俎上にも上らなかったようだ。ただ今は幸いなことに(?)、季節ビールの需要は一時に比べると格段に減り、競合相手も少なくなった。ここらで販売戦略も大事だろうが、「本当の“旬”に商品をリリースすること」を重視するよう、メーカーには考えて欲しいな。それにはやっぱりパイオニアであるサッポロあたりが、先んじてやらないと......。
2005年10月05日
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あるビールメーカーが、いわゆる『第3のビール』として販売されているある銘柄を今回リニューアルすることになったのだが、そのパンフレットを見て思わずちょっと苦笑してしまった。パンフレットには、このメーカーがこの商品に対して、事前にユーザーアンケートを実施した結果が盛り込まれている。それによると..... 1)ネーミングに関して・・・94%の人が「興味が湧く」 2)味に関して・・・・・・・80%の人が「おいしい」 3)パッケージに関して・・・90%の人が「買ってみたい」という結果だ。いずれも比較的高い数値だが、しかしこういう問いかけをされて、あえてネガティブな回答をしづらい日本人気質を考慮すると、この数値は額面ほど高いと思わないほうがいいだろう。それよりもその他にこんな設問があった。 「今後『その他の雑酒』の味は改良されてますますおいしくなると思いますか?」ちなみに『その他の雑酒』という言葉については、聞きなれてない方も多いかもしれないが、『ビール』でも『発泡酒』でもない、麦芽以外の原料を使用して造ったいわゆる『第3のビール』と呼ばれているものだ(S社の『ドラ●トワン』なんかがそれに当る)。で、この設問に対する解答は・・・76.4%の人が「期待している」、とある。「.....と思いますか?」と訊かれて「期待している」という答えもチグハグだなと思うが、それはさておいても、この場合もやはりこういう訊かれ方をして、「期待していない」というネガティブな回答をすることは、あまり考えられない気がする。誰だって美味くならないより美味くなった方がいいに決まっているからね。そう考えたらこの設問に限っては、限りなく100%に近い回答があって然るべきだと思うから、この76.4%という数字は、販売意欲を喚起させるにはいささか説得力に乏しい数字だ。しかもよくよく見てみると、傍らに「(N=89人)」とかいてあるが、これはきっとアンケートのサンプル抽出数が89人ということなのだろう。なーんだ、大手メーカーのわりに何百人、何千人のアンケートじゃなくて、たったの89人か!ということは、「期待している」人はそのうちのたった68人か!68人が期待している、というよりは、どうでもいいと思っている人が21人もいる、という事実の方が重いような気がするのだが.....。ヘタなアンケート結果を載せたことで、パンフレットの価値がグンと下がったんじゃないか(ただそこまで深読みしてる変わり者は私ぐらいかもしれないが)?
2005年09月29日
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台風17号が通り過ぎたら、途端に涼しくなってきた。まだまだ日中晴れているときは、まだまだ暑さを感じるが、朝晩は結構冷えるようになって来た。という訳でそろそろ『ひやおろし』のフェアをやろうかと考えている。『ひやおろし』って何だ? という方もたくさんいらっしゃるかもしれない。『ひやおろし』とはこれから11月頃にかけて旬を迎える、旨い酒だ。冬の間に搾った新酒を春に一度火入れ(加熱殺菌)をして、そのままタンクの中で貯蔵熟成させてひと夏を越させ、外気温が下がってちょうど酒の温度と同じ位になる頃に、火入れせずに瓶詰めして出荷される。ひと夏越させることで角が取れた丸みのある味になり、旨味も十分に乗った深い味わいに仕上がっているのだ。フレッシュな新酒とはまたひと味もふた味も違った、円熟した大人の味だ。秋になって美味しくなることから、『秋あがり』という呼び方もされている。昔の人は新酒よりも、どちらかと言えばこの酒を心待ちにしていたようだが、今の消費者の方にはまだよく浸透していないようだ。ここしばらく全体的に淡麗辛口的な嗜好が続いたこともあって、蔵元の方でもそんな嗜好とはある意味対極な味の『ひやおろし』というのは、あまり積極的にPRしなかったんだろう。事実ウチのお客でも『ひやおろし』が分かっている方はおそらくごく少数、だいたい名前からして「冷酒」を連想される方も多い。しかし消費者の嗜好も徐々に変わってきつつあるように感じるし、今年は今まで以上にアピールして行こうと思う。しかしこの『ひやおろし』だが、年々発売時期が早くなってきているように思う。蔵元同士が競合する中で、お互い牽制し合いながら徐々に出荷を前倒ししていっているようにも思える。早いところではもう8月の終わりごろから発売されているところがあったが、特に今年は残暑が長かったということもあるし、コレはいかにも早過ぎ(>_
2005年09月27日
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