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さっきも話しましたけど、ガス抜きさせていただきます。「こぶとり爺さん」むかしむかし、あるところにおじいさんが住んでいました。そのおじいさんは、右のほっぺたに大きなこぶがあってまわりのみんなからは、「や~いや~い、こぶ爺さん」ってからかわれていましたから、ちょっと偏屈なところもあって、村の集まりなんかにも参加しませんでした。今日は村のお祭りの日なんですけど、「こぶ爺さん」は山へ木を切りに出かけてしまいました。「祭りといったって、なんもめでたくないわい」ぶつぶつ文句を言いながら山へ登っていく「こぶ爺さん」それを影からこっそり聞いてたものがおりました。それは「山の神様」です。「あいつはトンでもねえ奴だ!・・村の衆が年に一度、わしに感謝して祭りをするって言うだに、あいつだけはいちども祭りに出たこたぁねえ!なんか罰を与えにゃあいかんなあ!!」そういうと雲に乗り、山のてっぺんの自分の住みかに飛んで帰り、さっそく配下の「赤鬼」を呼び、「あのこぶ爺さんの大事にしているものをとって来い!」って命令したんですよ。頭にきたのは「赤鬼さん」・・・・だって年に一度のお祭りの日は、配下の鬼達もお休みの日なんですから。「あいつのおかげで、せっかくの休みが台無しだ!あいつが山に来るから・・・・・そうか、山に来るからいけないんだ・・・山に来れないようにしてやろう」そういって、なにやらまじないを始めました。こちらは、「こぶ爺さん」赤鬼がなにやら変なまじないをしているとは知りませんでしたが、木を切るために持ってた斧が、ズンズンと重くなり、どうにも持っていられなくなりました。「どうしたんじゃろう?」実は赤鬼のまじない、・・・・触ったものが全て「石」になるというまじないで、斧が、刃だけでなくトッテの部分まで石になってしまって、どうにも重くて持てなくなっちゃったんです。それからというもの、触るものがみな石になるんで、「こぶ爺さん」はどんどん痩せ細っていきました。食べ物に触っても石になるんで食べられないんです。でも、ただひとつだけ食べられるものがありました。・・・・それは「昆布」そう、海で取れる「昆布」だけは食べることができ触ることもできるのです。山里に住む、「こぶ爺さん」はもう山で暮らせないことを知り、海の村へ引っ越しました。そして、そこではほかの魚とかは獲らずに、「昆布漁」だけの専門の漁師になりました。それから人は彼のことを「こんぶとり爺さん」と呼ぶようになりました。ある日のこと、いつものように「こんぶ」を獲っていると、「海の神様」が突然現れました。このころは、もうすっかり懲りて、神様のお祭りをきちんとするようになった「こんぶとり爺さん」でしたが、あいかわらず食べられる物は「昆布」だけでしたから、すっかりやせ細ってしまいましたので、かわいそうに思った「海の神様」が相談に来たのです。「おい、爺さん・・・・お前は山に戻りたいんと違うかのう?」「はい、山の神様のお怒りに触れ、昆布しか食べられなくなってしまいましたのでこの海に住んではおりますが、実は生まれ故郷が恋しいのでございます。」海の神様はそこで一歩のり出して来て・・・「そこで相談じゃ・・・・わしには山の神さんの怒りを解くことは到底できんが、あいつの最近の悩みを知っている。・・・・・その悩みをお前が解決してやることじゃ・・・・・それはな?・・・・」「海の神様」は、もう一歩のり出し「こぶ爺さん」の頭を触りました。「お前の髪の毛は、毎日昆布を食べておるからふさふさして真っ黒じゃなあ・・・・じつは山の神の悩みとは・・・・髪の毛が薄くなってきたことなんじゃよ」神様の悩みが「髪」っていうのなんなんですけど・・・・・・・「世の中の悩みというのは”四苦八苦”といってな・・・・・4×9=36、8×9=72・・・・併せると108つあると言われておる。そこで今日から108日の間、毎日山の神様の住みかに行って昆布をお供えしてくるのじゃ」その話を聞いて喜んだ「こんぶとり爺さん」毎日毎日、・・・・108日の間、海から昆布を採り、山の神様へお供えするということを続けました。満願の日・・・・・山の住み家から出てきた「山の神様」は、黒々ふさふさした髪の毛に手をやりながら、「お前のおかげで、これこの通り・・・わしの悩みは解消した。・・・ついてはお前の悩みを解消してやろう・・・・お前の願いはなんじゃ?」「私は、このふるさとに帰って何でも食べれるようになりたいのです。」それを聞いた「山の神様」・・・・ちょっと考えて・・・・・・「それはお前が祭りをおろそかにしていた時のこと・・・・いまのお前なら何の咎めもないことだから、何でも食べられるようにしてやるが・・・おまえが最初、神をおろそかにしたのはその右のほっぺたのこぶのせい!・・・そのこぶを取ってやろう!」こうして、何でも食べられるようになった「こんぶとり爺さん」・・・・右のほっぺたのこぶも取ってもらいましたが、どうも痩せていたのは、「このこぶが必要以上の栄養を取っていたせい」、だったようです。それからというもの・・・どんどんどんどん太り始め「こぶ爺さん」から、「昆布取り爺さん」・・・・・そして「こぶとり爺さん」になっていまは・・・・・「小太りじいさん」になったというお話し・・・・・・めでたしめでた(神はなが~~い友達)
2006.11.30
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昨日はね、ロータリークラブの「100万ドルの食事会」っていうのがあって、「新蕎麦」を5キロほど作って食べました。「100万ドル・・・・」って言っても、「食事に1億円掛ける」っていうんじゃないですよ!いい物を食べたつもりになって、その分貯金をしてボランティアに使いましょうっていう趣旨でね・・・・食事は質素でも、心が豊かになることから「100万ドルの食事会」って名付けられたものなんです。例年この時期に行われてるんですけど、今年も「新蕎麦」を自分達で打って、食べるんですけど・・・今年の蕎麦は、信州八ヶ岳産・・・蕎麦としては「横綱級」のものでした。500グラムずつ「コネ鉢」で捏ねて、麺棒で伸ばし広げて、「太さ1ミリ」くらいに切るんですけどね・・・これがゆでると、水分を含んで「1.5ミリ」くらいの太さになるんです。500グラムで・・・そうですねえ・・・10人前くらい・・・・麺を打って、茹でて・・・・5分以内に食べるんですから、美味しくないわけがない!また、日本酒がよくあいましてねえ・・・・・飲みながら食べながら、麺打ちしながら・・・楽しい時間をすごしましたよ。だし汁は、「山鳥」を使いましたが・・・・濃厚な出汁なんだけど、蕎麦がいいから負けてませんでしたね。飲みながら「麺うち」してたんで、最後のほうは「ウドン」のような太さでしたけど、まあ酔っ払って打ってますから、気にもなりませんでした。さて「赤いメガネフレームの女」ですけどね・・・・・・正直なところ、今現在、頭に浮かんだものをそのまま書いてるっていう格好でね。この先どうなるのか・・・私もさっぱりわからないんですよ。なにが困るってね・・・・・私なんでも「親父ギャグ」の方向にもって行きたくなりましてね、それを押さえるのが大変なんです。昨日も書いてて・・・・駄洒落を思いついちゃいまして・・・・それを「書かない」努力が大変だったんですよ・・・・・「シリアスに・・・シリアスに・・・・」。でも時々「ガス抜き」もしなくちゃ!・・・・・時々駄洒落がはいったとしたら、「ああ、いまガス抜きしてるんだな?」ってご理解ください。 赤いメガネフレームの女・・・・(その2)喫茶店を出てから、私は彼女を寮までタクシーで送っていきました。タクシーの降り際に、彼女は「この前のオー・デ・コロン・・・・アマゾンっていうのよ」ってぽつんといったんです。甘酸っぱいような匂い・・・どっちかというと優しい匂いを思い出し・・・「ずいぶん、野性的な名前なんだなあ」なんて考えながらアパートに戻りました。7月といっても、まだ真夏というには早い季節で、青森ではストーブを焚いてもおかしくない時期なんですけど、その日は夕方には戻るつもりで部屋を出ていましたから、2階の部屋の窓は開け放したままでした。朝方の洗濯物が軒下で揺れているのを取り込み、少しだけ星空を眺めていましたが・・・「アア、そういえば腹がへったなあ・・・・・・」その日は昼に、朝食と兼用のラーメンを食べたっきり・・・・あとは喫茶店で3杯のコーヒーだけでしたから、台所の小さな冷蔵庫を開けてみましたが、独身の気楽さから外食が多く、ほとんど何も入っていませんでした。「まだ、食堂やってるかな?」青森の駅前ならまだまだやってる食堂も多いんですけど、アパートは郊外にあり、この辺は早くにお店が閉まってしまうことを思い出して、車のキーを取り出しました。契約している駐車場から、会社からあてがわれているライトバンを出し、私はまっすぐ現場事務所に向かいました。さっきタクシーで送っていった彼女の寮の前を通り過ぎ、現場事務所に到着したのが11時ちょっと前・・・・そこから、青森駅前まで歩いて10分ほどかかりますが、駅前なら夜行列車に乗る旅人のための食堂がまだ開いてるはずです。途中、スナックなどの多い飲食店街を通ったんですけど、さすがに日曜日で開いてる店は数軒だけ・・・・さびしげな看板の明かりがところどころに灯っているだけでした。「駅前まで行くの面倒だな・・・・お酒でも飲んでいこうかな」そう思った私は、前に一度だけ入ったことのあるスナック「モン・プチ」が開いているのを確認し、ドアを開けました。「アラ、吉田君・・・おひさだねえ・・・・いつも、どこで遊んでるの?顔も出さないで!」一人でやってるママさんが、声を掛けてくれました。「覚えてましたか?・・・前に一度来たきりなんですけど・・・・」「覚えてるわよ・・・・あたし、いい男のことは、忘れないことにしているの」お世辞をいいながら「お通し」代わりの「裂きイカ」を用意して「で、なに飲むの?・・・・あたしも付き合うから」と注文する前から、冷えたビールの栓を抜きました。「水割りがいいなあ」「そんなこと言わないでよ!・・・・もう栓を抜いちゃったんだからさあ」どうやら、ママさんがビールを飲みたかったようで・・・・「じゃあ、いっぱいだけ」といって乾杯しました。「そういえば、牛山ちゃんどうしてる?」ママさんは、私をこの店に最初に連れてきてくれた先輩の名前をいいました。「いまね、トンネル工事が急ピッチで、でたくてもでれないらしいよ」「そう?・・・・先月まではまめに通ってくれてたから、そろそろHしてあげてもいいかなって思ってたんだけど、来なくなったからポイント下がっちゃったわよ。」カウンターの中でそんな「シモネタ」をふってから、ママさんはガスコンロに火をつけました。「今日ね、美味しそうな真鰈が手に入ったから、煮付けてみたのよ・・・食べるでしょ?」「ああ、おなかがすいて、食堂に行こうと思って出てきたんだ」「アラ、おなかがすいてるの?・・・それじゃあケーキがあるんだけど食べない?」カレイの煮付けの準備しながら、ママさんは冷蔵庫から小さなケーキの塊を出しました。それは、ほんとに小さな「バースデーケーキ」だったんですが、2切れ分だけ欠けていました。「今日はねえ、あたしの17回目の誕生日だったのよ・・・さっき娘が買ってきてくれたんだ」「へえ・・・・娘さんがいるんだ・・・・でいくつの娘さん?」「25歳・・・あの子もクリスマスケーキなら売れ残りだ・・・」そう言って「フフフ・・・」って笑いながら「あたしが17歳なのに、あの子が25歳じゃおかしいか!アハハハハハ・・・・・・」今度は大声で笑いましたね。「カレイの煮つけ」は、家で作ってきて、お店ではちょっと温めるだけだったんでしょう。ちょっとニコゴリがのこる程度に温めて、ケーキと一緒に出してくれました。妙な取り合わせでしたが、私は先に「カレイの煮付け」に手を出しました。外食が多く、家庭料理には縁のない生活が続いてましたから、その味付けはとても美味しいものでした。「とっても美味いよ!さすがお袋の味だね」「ありがとね・・・さっき娘もそう言ってくれたんだよ」ママさんは、うれしそうにそう教えてくれました。「そっちのケーキもお食べよ・・・・・うちの娘、そこのデパートに勤めててさ、デパ地下のケーキショップで注文してくれたんだよ」そのとき、・・・・「もしや?」って思いましたね。でも、それはすぐに打ち消されました。お母さんが青森市内に住んでいるのなら、なにも「社員寮」に住む必要はないでしょ?「その子の名前は?」「だめだよ!・・・うちの娘はうぶなんだから、あんたみたいな悪い男には紹介できないって!・・・・アハハハハハ・・・・・」さっきは「いい男は忘れない」って言ってた口から・・・・「あんたみたいな悪い男・・」っていわれて、私は苦笑しました。でも、このママさんと・・・どこか似ているような・・・・・・・・・・その夜は、ママさんと午前1時の閉店まで一緒に飲みました。
2006.11.30
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JUN太さんが、「こっちのほうがいいな!」って言ってくれたので、「赤いメガネフレームの女」っていうタイトルで続けることにしました。「童話のシリーズ」も棄てがたいんですけど、・・・・例えば、「こぶとり爺さん」なんか、意表をついた結末で面白いかなって思うし・・・「桃太郎異聞」っていうのも、視線を変えてみた「桃太郎伝説」で私は好きなんですけどねえ・・・マアこの次にしましょう。・・・・それでは夕べの続きを・・・・・・ 約束は7時半なのに、私は7時前からその喫茶店で待ちました。彼女が到着したのは8時ちょっとすぎ・・・・・・喫茶店においてあった週刊誌も2回読み返したあとでした。「ゴメンなさい・・・・メーカーから電話が入って・・・・」本当にすまなそうな顔をしながら喫茶店に入ってきた彼女は、赤いめがねをかけていました。「大丈夫ですよ・・・・もっと遅くなっても待つつもりでしたから・・・」私は微笑みながら、彼女に椅子を勧めました。彼女は「カフェ・オ・レ」を頼み、私は3杯目のコーヒーを注文しました。しばらくの沈黙の後、「あのう・・・鈴木さんっておっしゃるんですね。」さっき目ざとく制服の名札を読んで、「鈴木」という名前だけは確認してたんだけど・・・・・「下の名前、”紀子”っていうんです。・・・・あなたは吉田さんですよね?」「え?なんで知ってるの?」「おとといの朝ね・・・・工事現場の事務所で、”吉田”ってあなたのことを大きな声で呼んでたのよ」確かにその時は、現場の所長が工程打ち合わせの件で、私を大きな声で呼んでいました。「祐平・・・っていいます。・・・・吉田祐平」それからまたしばらく沈黙が続きました。注文した飲み物が運ばれてきてテーブルに置かれたとき、また私から話しかけたんです。「メガネをとった顔もすてきですね・・・・ずっととってればいいのに・・・」「マア・・・ありがとう・・・・でもね・・・中学生のときからずっとメガネかけてて、メガネをかけてるとホッとするんです。・・・・いまは先輩に言われてコンタクトにしてるんだけど、ほんとはメガネのほうが安心できるんだけどなあ」最後のほうは独り言のように・・・自分に言い聞かせるように話をしてくれました。「でも、今日はお買い物、・・・・・・お洋服は買われたんですか?」「イヤア・・・・」、もともとあなたに会いたかっただけなんで・・・・・・・と、口まででかかったんですけど・・・・何も答えませんでした。「ところで、今日は香水つけてないんですね?」彼女は「エッ?」といって、こくびをかしげました。「この前、僕が転んであなたにささえてもらった時、いい匂いがしたんですよ。」彼女はちょっと困った様子で・・・・「ふだんは香水なんかつけないんです・・・仕事が子供服だからね・・・妊娠中のお母様とかいらっしゃるんで、匂いのするものはつけないようにしてるんですけど・・・・」その日に限ってつけてたというんです。「でも、香水じゃなくてオー・デ・コロンですよ・・・・お土産にもらったんで、ちょっとつけてみたんです。」「香水」と「オー・デ・コロン」の違いなんてさっぱりわからない私は「彼からのプレザント?」って深い意味もなく聞いてしまいました。「それならいいんですけどね・・・・あたし可愛くないから・・・・・上司が海外出張したときのおみやげなんです。」「そんなことないよ、充分に可愛いさ!」あわててそう言ってしまってから、・・・・急にそんなことを言った自分が恥ずかしくなってまた沈黙してしまいました。彼女は、お昼のときもそうだったけど、顔を下に向けてクスクス笑っていましたが「ありがとう・・・そういってくれるの吉田さんだけよ・・・・でもね、デパートってちゃんと序列があるのよ?」序列といわれて、最初なんのことかと思いましたが「採用されるとき、一番可愛い子は一階の宝石とか貴金属やアクセサリーの売り場,次に可愛い子は婦人服、紳士服の売り場・・・・・で、あたしみたいなのは家庭用品とか子供服の売り場って決まってるのよ?」彼女は冗談のように続けました。「特にあたしなんか、子供っぽい顔してるからね・・・・採用されたときからずっと子供服なのよ」「そんなことないですよ!」って言おうとした私を押し留めながら彼女は更に続けました。「だって、あなただって、私が子供服売り場に最初からいると思ってたんでしょ?」そう言われれば、私はデパートに入った瞬間からまっすぐ・・・「子供服の売り場」に行ったのでした。「すみません」・・・・素直に謝りの言葉が出ました。「ううん・・・怒ってるわけじゃないの・・・・でも吉田さん・・・・あたしいくつに見える?」その時、トンネル工事のときお世話になった工藤先輩の言葉を思い出しました。「女に生年月日なんか聞くんじゃねえぞ!聞くんなら誕生日だけにしとけ・・・」だから「いくつに見える?」って聞かれても黙っていました。「吉田さんには関係ないことよね!」彼女は急にさばさばした表情になってそう言いました。「これから、お酒でも飲みに行きませんか?」なぜか、わからないけど、急に一緒にお酒が飲みたくなって・・・・・・・・「ありがと・・・・でも寮に門限があるの・・・・できたらあさって誘ってくれないかなあ?・・・水曜日がお休みだから、火曜の夜ならちょっと遅くなっても平気なの」その日はそのままお別れしましたが、たった一日のあいだに、彼女の3つの顔を覗き込んでしまったような・・・・朝の通勤途中の顔、昼の仕事場での顔・・・・そして夜の顔・・・・どんどんのめりこんでいきそうな予感がしていました。つづく こんなんでいいのかな?
2006.11.29
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今日は子供も早く寝ちゃって、今、ちょこっと水割りを飲みながら書いてます。童話はどうでしたか?もうひとつ試作品を作ってみようかと思っています。リクエストがありました、「男と女の世界」・・・・・・お茶ら気しないで、書けるかどうか、自信はないけど・・・一話完結ってことでね・・・書いてみようと思ってます。 アレは、今から20数年前になろうかと思います。私は、「青森国体」に向けての「地下道」の工事に入っていました。それまで、山の中の現場ばかりで、街中に出てくるっていうことじたいなかなかないことでしたから、ちょっとウキウキ気分・・・・その日も、現場事務所から測量の機材を担いで、40メーターほど離れた地下道工事の現場に向かっていましたが、近くにデパートの女子寮があって、すれ違う人はそこの住人・・・つまり若い女性ばかりでした。彼女たちが好む男性のタイプは、おそらく白いワイシャツがまぶしくネクタイの似合う公務員とか銀行員・・・・、一部上場企業の俗にいう「サラリーマン」たちだったと思いますが、そんなことはちっとも気になりませんでした。私はというと、工事現場ですから「作業服の上下」にヘルメット・・・・ネクタイの代わりに白いタオルを首に巻き、足元は、天気もいいのに長靴っていうスタイルですから、若い女の子とどうのこうのなろうなんていう気持ちはサラサラないのですが、「この女性たちと同じ空気を吸ってるんだなあ」って思うだけで、けっこう幸せな気分でした。工事現場は、JR線の「開かずの踏み切り」の下に地下道を掘り、交通渋滞を緩和しようとする工事でしたから往来する車の合間を縫って、舗道から車道にいったん出なければなりません。車道に下りた瞬間・・・「危ない!」って声がして、私は腕を引っ張られました。引っ張られたとき、その方向を見ると「必死な顔をした」赤いメガネフレームの女性が見えましたが、私はというと、背中に担いだ測量の機材でバランスを崩し転んじゃったんです。転んだとき、ちょうどタイミングよくその女性が測量の機材を掴んでくれましたから、ひっくり返ったのは私だけ・・・・・・「危ないなあ・・・・なんで引っ張るんだよ!」私は起き上がりながら、ちょっとぶっきらぼうに彼女に話しました。「あなたこそ、この往来の激しいとこで車道に出るなんて危ないでしょ!」「あのね!俺、この車道のど真ん中に地下道掘るんで、車道のど真ん中に行かなきゃ仕事にならないんだけど!」彼女が掴んでくれた「測量の機材」を、乱暴に取り戻しながら文句を言いました。彼女はようやく、「これから工事を始める建設会社の人・・・・」ってことに気がついたらしく、ちょっと顔を赤くしながら小さな声で「ゴメンなさい」って言ってくれました。彼女はそのあと、その場をすぐに立ち去り、二度三度振り返りながらぺこりとお辞儀していきましたが、私の元には、彼女がつけていた甘酸っぱい香水の香りが残されました。ちょっとその香りにひきつけられたのでしょうか・・・・・・測量作業の手元をするために、ちょっと遅れてきた作業員が、「監督さん。。。ちょっと可愛い子じゃねえか!」そういってからかいましたが、私はしばらく彼女の後姿を眺めてましたねえ。その翌日の事です。「きっと彼女はあの女子寮の住人に違いない」っていう妙な自信があって、昨日と同じ時間にまた、測量の機材を担いで同じ場所に立っていました。「デパートの社員なら出勤時間は同じ」・・・そういうつもりがあったのかもしれません。そして、昨日と同じ時間、彼女は同じ「赤いめがねのプラスチックフレーム」を掛けながらやってきました。「昨日はゴメンなさい」・・・・・そう声を掛けてくれるかな?なんて思いましたけど、彼女は気がついてもいない様子で、私の前を通り過ぎていきましたね。「マア、そんなもんだろう・・・」ちょっと残念な気持ちもありましたが、それはそれで、彼女の毎日の通勤を見守るっていうのが、私の楽しみになり、日課になったようです。日曜日で仕事が休みの日、私は朝から部屋の掃除をして、洗濯をして・・・それで、もうすることがなくなったとき、「あ、洋服でも買ってこなくっちゃな」・・・なんて考えました。洋服なんか買おうなんて思ってもいません・・・正直なところ、彼女の働いてる姿を見てみたいなあ・・・なんて思っただけだったでしょう。「どこの売り場なんだろう?」・・・・そんなことも知らないで、デパートに来てしまいました。「子供服売り場・・・・・」何の根拠もなかったんですけど、なんとなく5階の子供服売り場に行ったんです。「あ、いた!」ちょうどそのとき、・・・・彼女は3歳くらいの子供を連れた母親の接客をしていて、ちょっと飽きて来ているその子に、洋服を併せているところでした。「ちょっと雰囲気が違うなあ・・・・あ、赤いめがねがないんだ・・・」そんなことを思いながら、しばらくの間、その光景を眺めていましたね。その母親が水色のシャツと半ズボンを買い・・・・帰りしな私の横を通ったとき、彼女は始めて私に気がついたようです。ちょっとしたためらいがありましたが、私は彼女に近づきました。「いらっしゃいませ、何かお探しですか?・・・・・男のお子さんですか?」「いや・・・・ボクの服、探してるんですけど・・」彼女は一瞬キョトンとしていましたが、そのあと下を向いてクスクス笑い出したんです。「なにかおかしい?」「だってここ、子供服売り場ですよ?」確かに、私が着るのには小さすぎる洋服ばかりでした。「今日はメガネしてないんだね」私は思い切って、そう切り出したんですよ。「だって、子供服売り場だと、メガネってきつく見えるから・・・ここではコンタクトしてるんです。」それから、「今日はカジュアルなかっこうしてるんですね」って言ってくれました。「あれ?だれだかわかるの?」「ええ。毎朝会ってるんだもの・・・・・わかりますよ!」今は仕事中だからお話できないっていわれて・・・・・その夜、7時半にデパートの裏の喫茶店で会う約束ができました。その時間が来るまで待ち遠しかったなあ・・・・・・それまで本屋で立ち読みをし、前から見ようと思ってた映画なのに気もそぞろに見たりしながら、ずっとその時間を待ちました。約束は7時半なのに、私は7時前からその喫茶店で待ちました。彼女が到着したのは8時ちょっとすぎ・・・・・・喫茶店においてあった週刊誌も2回読み返したあとでした。「ゴメンなさい・・・・メーカーから電話が入って・・・・」本当にすまなそうな顔をしながら喫茶店に入ってきた彼女は、赤いめがねをかけていました。 この続き、読んでみたい?意見を聞かせてください・・・・・・お願いします。
2006.11.28
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「サンタさんにお願いするもの、決めたのか?」先日、次男に聞いてみました。「ウーーんとね、もう決めてるけどだめだと思う」自分が、今年はいい子じゃなかったから、サンタさんは来ない・・って思ってるみたい。「そんなに、悪い子だったか?」「だって、悠平君とけんかしたし、先生にもいっぱい叱られたし・・・・・」「そうかなあ、お父さんはいい子だと思うけどな?・・・でも自分が悪い子だって思ったんなら、来年はいい子になりますって、神様にお願いすれば、それくらいならお願いを聞いてくれるよ。」「神様に一生懸命お願いすればいいの?」「アア、今日からでも毎日お願いしてれば、クリスマスにはきっと間に合うよ」そういったとたん、彼はトットットットットッ・・・・・・駆け出しました。行き着いた先は、「神棚の前」「二礼二拍手」・・・・作法どおりに拍手を打ちまして、「神様、これからいい子にしますから、”ポケットモンスターダイアモンドのソフト”ください!」最後に、ちゃんと作法どおり「一礼」してお祈りしました。こんな可愛いくて愛しいわが子のために・・・・童話シリーズなんかどうかな?それも、「ナイトらしい童話のシリーズを・・・・」って考えたのが次の試作品です。皆さんの評価をお願いします。 「うさぎとカメ・・・・・・レオン」むかしむかし、まだ動物達が人間と同じように、普通に会話できていたころのお話です。散歩途中のうさぎさんが、ばったりカメと出会いました。「おや、カメさん、こんにちは・・・・」うさぎは、ちゃんと挨拶できたのに、カメは返事を返してくれません。もう一度・・・・今度はもっと大きな声で「こんにちは!!、かめさん!!」「うるさいなあ・・・・聞こえてるよ・・・・でも、挨拶したくないんだ・・・静かにしてくれよ」実はカメさん、うさぎさんの足の速さが気に食わないんです。お金持ちのカメさんですから、立派な運転手つきの自動車をもっているんですが、今日は運転手さんがお休みで・・・・・しょうがなく歩いていました。そこへ、「会いたくない」と思ってたうさぎさんが現れたんで、少々機嫌が悪い。「だいたいなんだね・・・・ちょっとぐらい足が速いかと思って、私の周りをいやみったらしく走り回って・・・私だってその気になれば、お前さんぐらいのスピードはでるんだ!!」そう言われて、うさぎさん(ハハアー!、私の足の速さに、ヤキモチ妬いてるんだ!・・・からかってやろう!)って言うんで「そんなに言うなら、カメさん・・・明日の朝、このふもとから、向こうの山の一本杉まで競争しましょうか?・・・・どちらが早く行きつくか・・・やって見ましょうよ!」からかうつもりでそう言ったんです。「ア、アア・・・明日の朝・・ワ・わかったそうしよう・・・・」カメさんも断ればよかったんですけど、意地もあってことわれませんでした。「翌朝8時、この場所で・・・」と決めて二人は別れたんですけどカメさん・・・・困りましたねえ.・・・・・・だって、どう考えたってうさぎさんに勝てそうもないんですから。「速く走りたい」って思ったから、無理して運転手つきの自動車を買ったくらいなんですもの・・・一生懸命考えているところに、友人のカメ・・・・じゃなくて・・・カメレオンから電話が入りました。話を聞いたカメレオン、早速カメさんの家にやってきました。「うさぎとの競争、面白そうじゃないか・・・・・」「そんなこと言ったって勝てないものは勝てない!」「じゃあ、お前さんの代りに、私がでようじゃないか!・・・カメとカメレオンを聞き間違えたってことにしてさ!」「そうは言っても、お前さんだって早いわけじゃないし・・・」「いいアイディアを思いついたんだよ」それはこんなアイディアなんです。私たち人間にとってはカメの顔なんてみな同じに見えますけど、動物達にはちゃんと違いがわかるんだそうです。でも、カメレオンだけは、その「背景」の色に変わっちまうんで、顔の違いがわかりにくい。ましてや、うさぎさんにとっては初めて会うカメレオンですから、その違いなんてわかりゃしないって言うんですよね。そう説明すると、カメレオンは仲間のカメレオン2人に電話をしました。内容はこうです・・・・最初のカメレオンはスタート係・・・・用意ドンでうさぎが走り出したら、家に帰ってもいいよ・・・って・・・二匹目のカメレオンには、途中の休憩所で寝ててくれ・・・・うさぎが通り過ぎたら帰ってもいいよって・・・・自分は、ゴールに先に行ってて、待ってるって言う計画なんです。こんなんでうまくいくのかなあ??一方、こちらはうさぎさんの家・・・・・・・張り切って帰ったうさぎさんでしたが、お父さんから叱られました。「お前って奴はなんてことしてくれたんだ!」実はお父さん・・・・「カメさんの会社」で働いていたんです。「お父さんをクビにするきか!!・・・とにかく明日は負けるんだぞ!」お父さんに叱られて、目を真っ赤にして一晩泣き腫らしました。そのせいで「うさぎの目は赤い」んですけど・・・・・・・朝、8時、うさぎとカメは昨日であった場所にいました。うさぎさんは、カメレオンは代わったってことで、最初は少々腹を立てましたが、「お父さんのためだ、どっちにしても勝つわけにはいかないや」と思いなおし、スタートを待ちました。「用意・ドン!」でも、最初のカメレオン・・・・スタートしたと同時に、家に向かって歩き出したんですね。最初からそういう約束でしたからね・・・・・驚いたのはうさぎさん・・・・カメレオンは逆方向に歩き出したんですからね。あわてて、うさぎも逆方向に走り出しました。それもカメレオンのスピードにあわせて走ってますからユックリユックリ・・・・・とうとう最初のカメレオンの家に到着してしまいました。振り返ったカメレオン・・・・「私は競争を約束したカメレオンじゃないよ・・・バイバイ」そう言って家の中に入ってしまったのです。「ア、しまった昨日泣き過ぎて、目を腫らし違うカメレオンを追いかけてしまったらしい」あわてて、スタート地点まで戻り、改めてスタートしました。途中のカメレオンですけど、速い筈のうさぎさんがなかなかやって来ないし、天気もよくポカポカいい気分で寝ちゃいました。急いだうさぎさんは、途中のカメレオンが寝ていたこと、それも背景の色に変わっていたので気がつくこともなく追い越してしまいました。さていよいよゴール・・・・・うさぎは「勝っちゃいけない」って思ったから、あちこちキョロキョロ・・・・カメレオンを探しながらユックリユックリ歩いてたんですけど、とうとうゴールしてしまいました。でもその時、杉の木に隠れていたカメレオンが「私の勝ちだ」なんていうんですよね。(アア、こいつら数匹でごまかしやがったな!)ウサギさんはそう思ったんですが勝っちゃいけないと思ってたんで拍手してカメレオンを褒めました。・・・・っていうとこの童話の教訓は「人を騙しても勝て」とか「長いものに巻かれろ」っていう話になるんでこのままで終わってはいけません。興奮しやすいうさぎさん・・・・このまま終わればよかったのかもしれませんが、騙されたってことで頭に来ちゃったんですよね。「あんたが先のゴールしたっていう証拠がないじゃないか・・・・同時かもしれない!」ってクレームつけちゃったんですよ。で、翌日、もう一度競争することになりました。今度はゴールにもきちんとした監視員をつけて・・・・・・・・・マア、カメレオンのほうの作戦はあまり変わりません。最後に杉の木のところで待ってるんではなく、ちょっと手前から走り始めればいいんですから。今度はうさぎさんが作戦を考えました。うさぎさんは、鷲さんに電話をしました。「明日、カメレオンと競争します。で、相談なんですが私を掴んで先のゴール近くまで乗せていってくれませんか?お礼は必ずしますから!」こうして翌日またレースがスタートしました。この日は、昨日スタート地点からまっすぐ家に帰ってしまったカメレオンのことがありましたから、順番を入れ替えて、昨日ゴールにいたカメレオンがスタートです。「用意ドン!!」スタートと同時に、ソラから鷲が降りてきて、うさぎとカメレオンを「わしづかみ」「いや、ちがうちがう!載せてくのは私だけでいいんです!」そう言ったんですけど、鷲はゴールに向かわず。。。まっすぐ自分の巣に戻ったんですね。この童話の教訓としては・・・「漁夫の利」ですかねえ、それとも「一石二鳥」・・・杉の木のゴールには、いつまでも、カメさんが待っていましたとさ!
2006.11.28
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「水戸黄門」が終わっちゃいました。次はなにを書こうかな?・・・なんて考えてます。「夢日記」には、まだまだ「ネタ」になるメモはあるんですけど、ちょっと休憩しようかな?「落語」のほうだって、まだ「リクエスト」のあった「らくだ」をやってないけど、こちらも休憩。じゃあなにを書けばいいんだろう?チャットの友人が「恋愛小説希望」って言ってたから、そっちを書いてみようかな?ちょっと悩んでます。夕方まで悩んで、もしかしたら今日の夜から、何かを書き始めるんでしょうね!
2006.11.28
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先日、ジュニアが熱を出したっていいましたよね。救急で精神科のお医者さんに見てもらったんですけど、どうも様子がおかしい。学校を3日休ませてもよくならないんで、4日目病院にいったらね・・・・「ヨウレン菌感染症」なんだって!むかしでいう「いずみ熱」っていう病気で、学校に出なくても出席扱いされる病気なんですって。けっこう流行ってるらしいですよ。報告が遅れてすみません・・・従って、「ナイト・ジュニア・コンボイ」のほうはジュニアが書けない状態でもありました。さて、「黄門様ご一行」は、今「江尻」に到着したばっかり!ここに、「三保の松原」があったんですよねえ・・・思い出していただきたいんですが、「与太郎」だった「私」が古道具のお店で、「あまの羽衣」を手に入れたんでしたよね。それが天女のもので、その羽衣を天女に返すために「三保の松原」を目指してたんです。ちょうど、駿府方面に向かう「水戸黄門」様と同行することになったんですけど、「天下を揺るがす一大事」のおかげで、すっかり忘れてましたよね。マア、ほんとのことをいうと、私の「夢日記」の中には、「天女に羽衣を返す」ことが中心でして、途中の事件のことなんか、ほんの少しだけしか書いてないんですよ。だけど書いてるうちに、その気になっちゃいましてねえ・・・・藤原一族の亡霊だとか、お七や義経さんの幽霊なんか出てきちゃって、だんだん収拾がつかなくなって着てたんですけど・・・・これで何とか終われそうな雰囲気になってきました。黄門様一行は江尻の宿で、弥七親分の用意した一軒家に隠れこみましてねえ、ここで作戦会議をすることになりました。「ご隠居、ここでのんびり敵の出方を待つより、早く駿府城に参りまして、徳川ゆかりの皆様に非難されるようお話しになられたほうがよろしゅうございませんか?」これは格さんのせりふです。「助さん」の本名は以前お話したとおり「佐々木助三郎」ですが、まだ「格さん」の本名を発表してませんでしたよね。テレビのドラマにはちゃんと役名として出てくるんですけど「渥美格之進」っていうんです。この格さんがまじめな人でしてねえ・・・・「早く駿府に行かねば!」って張り切ってるんですけど、私としては、それよりも早く「天女に羽衣を返したい」って言う気持ちのほうが大きいんですよ。「格さんや・・・・今ここで動けば、尾張相手の戦になろう・・・それよりわしに考えがある・・・ところで八兵衛さん、あんたにお願いしたいことがあるのじゃが・・・・」といって、私の耳元でコチョコチョ話したんですけどね・・・・中身は内緒ってことで・・・ところで、敵の大将はどこにいったんでしょうね?それは、飛び猿が答えてくれました。「実は、先ほど馬で江戸家老が江尻宿本陣に到着したんだ。おそらく、斉藤正三郎・・・いや藤原正衡は、本陣にいるはずだ・・・」大胆にも本陣に宿泊しているなんて・・・・「それでは私達も出かけましょうか?」黄門様はそういって立ち上がったんですけど、他の人たちはなにがなんだかさっぱりわからずに・・・それでも黄門様と一緒に立ち上がったのでした。さて、ここは「江尻宿本陣」・・・・・・本陣といっても江尻には本陣が二箇所あり、その西本陣のほうでした。江尻宿は本陣が2箇所、脇本陣が3箇所、旅籠が50軒、人口は6500人ほどの、大規模な宿場でした。従って、普通の旅籠のほうもけっこうな数の浪人や尾張藩士が泊まっていました。正式な大名行列は殿様と出立していて、今本陣にいるのは「殿様」を出迎える準備をしている役職のものたちでしたから、何も窮屈な「上司」と一緒にいなくても・・・・という感覚だったのでしょう。しかし、今、本陣にいるということは、この企みを充分に理解している尾張藩士ということになります。尾張藩士の中でも屈強な者たちであったことでしょう・・・・おりしも、本陣の大広間にて、藤原正衡を中心に会議の真っ最中!「正衡様、水戸光圀の殺害にはいまだ成功いたしておりませんが、この江尻宿に入ったという報告はまだ入っておりません・・・・さすれば、明後日に迫った駿府城のお茶会には先ず間に合わぬと思うが必定!・・・そうとなればわが殿、尾張公が謀反の企て、成就となりましょう。」「今、藤原四代の祖霊の皆様、駿府城にてさまざまな対処をされておられるじゃろう・・・」そのとき庭のほうから「カッカッカッカッ。。。。。。」、笑い声が聞こえました、「だれじゃ!」障子をガラッと開けた江戸家老、藤堂主膳が見たその姿は!「な、なんと!水戸のご老公!」「お主が江戸家老。藤堂主膳か?・・・・・おお、どこに行かれたかと思ったら、このようなところにおられたか・・・・・斉藤正三郎・・・・いや藤原正衡殿」「ええ!狼藉物じゃ皆の者出会え出会え!!!」ここで、おなじみのチャンバラが始まるのですが・・・・今日はテレビで見るのと様子がちょっと違うようです。今lここにいる仲間は12人と幽霊一人・・・・・人数が会わないでしょ?実は、私と「お七ちゃん」は、三保の松原にいたのです。そんなことはどうでもいいんですが・・・・・本陣での戦い・・・助さんも格さんも、飛び猿、弥七までもが、中で戦おうとせず、外へおびき出そうとしてるようでした。「正衡様、あなた様だけが藤原四代の祖霊様たちをお呼び出しできるのです。今、光圀を捕まえておけば企てはほぼ成就いたします。」藤堂主膳の声を聞き、「ウム!」と答えた「藤原正衡」は、目を閉じ神妙に祈り始めると、駿府の方向から4つの光が矢のように飛んできたのです。さて、光圀主従はどうしたのでしょうか?一行は敵を「三保の松原」方向に導いているようでした。敵が追いついたのは「羽衣の松」のある場所でした。「ようやく追い詰めたぞ!」尾張藩士たちに囲まれましたが、黄門様は少しもあわてませんでした。「八兵衛さん、準備はできましたかな?」「ハイ!、準備万端整いました。」そのとき、太平洋のかなたから徐々に光が広がりました。そして、神々しい声が響きました・・・・・・・・・「「藤原氏の亡霊たちよ。。。。。地に帰れ!」それは、心のそこまでずんと染み入るような声でした。その声を聞いたとたん、駿府の方向から飛んできた4つの光はその声に吸収されるように・・・・海のかなたへ吸い込まれていきました。そのあとは、なにが起こったのか?実は、藤原正衡と、藤堂主膳、そして斉藤外記の顔から、鋭さが消えたのです。「なぜ自分がこんなところに立っているのだろう?」・・・・そんな感じで3人ともきょろきょろしてるだけ・・・・まるで催眠術から解けたようでした。「おそらく”尾張公”も、この人たちと同じように、なにが起こったのかわからないような顔をしているでありましょうね」黄門様がそのように言いました。「おら、なんでこんなとこさ、いるだ?」藤原正衡は、哀れな様子でした。彼はもしかしたら本当に、藤原氏の末裔かもしれませんが、実際は奥州の田舎で百姓をしながら「自分の先祖が誰なのか?」なんて考える事もなく生活してきた男なんでしょう。それが亡霊たちに引っ張り出され、こんなところに連れてこられて放り出された感じになっちゃって・・・・・それからは、黄門様の手配でさまざまなことが行われました。先ず、尾張公ですが・・・「隠居」することになりました。藤堂主膳も、斉藤外記も「蟄居」を命ぜられましたが、二人とも、このたびのことを恥じて、切腹したようでした。藤原正衡は、「水戸家お預け」となり、ある時期まで「黄門様」の家で百姓をしていましたが、黄門様のお世話で「嫁」を貰い、水戸で末永く幸せに暮らしたそうです。さて、私がみんなと別れて三保の松原で何をしていたのかをお話ししましょう。実は、私は「天女」と交渉していたのです。「あまの羽衣を返す代わりに、あんたはなにをしてくれるんだい?」「何か願いをひとつ叶えましょう・・・・」「じゃあひとつ、お願いをしよう・・・・・・願いを5つにしてくれ!」「ええそんな子供じみたお願い!」でも、天女はその願いを聞いてくれたのです。箇条書きにするからそれを見てください。1.藤原四代の亡霊を退治してくれ。2.義経さんとお七を生き返らせてくれ。3.義経とお志津を結婚させてくれ。4.私とお七を結婚させてくれ。5.この二人に永遠の幸せと命をくれ。え?お願いひとつの中にいくつもの願いが入ってるって?そんなことはどうでもいいでしょう。その後私はどうなったかというと・・・・・今、ナイトサファリってなって現在に生きてるんですよ・・・・・え、お七?うちのかみさん、けっこうきついんですよ・・・・・そのころからちっとも変わってない!今でも、幸せに暮らしてますって!
2006.11.27
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「カウンター」がマタマタおかしくなってます!私、考えたんですけどねえ・・・・これは「楽天のオーナー」が儲けすぎちゃって、いろんなことに飽きてきたから、イタズラでやってんじゃないでしょうかねえ・・・だから、この「カウンターいじり」に飽きたら、この次は「それぞれのブログ管理者宛」、現金が送られて来るかもしれません。期待しないで待ってましょう。昨日は「薩堙地蔵尊」の祠での格闘劇を省略しちゃって申し訳ない!自分の頭の中では「助さんが見張りの浪人の後ろに廻り、口を押さえながら”道中脇差”でわき腹をえぐった」シーンとか「格さんが同じく背後に廻り、相手の首の骨を”ガギッ!”と折ってしまった」シーンなんか、出来上がってたんですけどね・・・・旅役者の座長なんて・・・・きれいな女形でね(坂東玉三郎並の・・・・)、それが、二人の浪人を、物陰から呼びましてね・・・二人の男が、花の下を長くして近づきますと渡し舟の渡し守が、近くの池に一人を引きずりこみ溺れさせ、小田原提灯屋が、提灯のタケ串を尖らせた物で、首の後ろから突き刺す・・・・・なんていうシーンもあったんですけど・・・かみさんから「買い物」頼まれましてねえ・・・省略しちゃいました。そんなこんなで、「お狸さま」奪還に成功したんですけどね、そのまま、暗い中を「興津宿」まで進んだんですよ。当時ですから、街灯なんてものもないんですが、案内するのが、「暗がりに慣れてる泥棒の手下」・・・それに小田原提灯もありましたから、けっこう早めに興津に着いたんですよ。ここでも、旅籠に泊まるわけにはいかなかったんですけど、「風車の弥七親分」が「農家の納屋」を準備してくれてましてね、そこに着いたときはへとへとでした。仮眠をして目覚めたときには、ほかの皆はもう起きていましたが、疲れ切った顔をしていましたね。でも、誰が用意してくれたのか、「塩むすびとお茶」がありまして・・・・そのお茶の香りがとてもたまりませんでしたねえ。さすが「遠州はお茶の国!」おむすびをほお張り、お茶で落ち着いたところで周りを見回すと・・・「飛び猿」も「弥七親分」もいました。興津と江尻の調査は終わったようです。「ご老公のお見立てどおり、江尻宿には浪人ではなく、尾張藩士たちが大勢集まっております。この興津にも、それから駿府城のお膝元、府中にも・・・・かなりの藩士たちが集まっておりますなあ」弥七親分が報告しました。「やはりそうでしたか・・・・・・」、ご老公の顔が、少し曇りました。「私の考えを、皆に話しておきましょう・・・・・」意を決したように、「ご隠居」は私たちに話し始めました。・・・内容はこうです。この事件の首謀者は、「奥州藤原氏の末裔・藤原正衡」ということになってましたよね。そして、参謀は「江戸家老・藤堂主膳」と「斉藤外記」こいつらを操っているのは、「奥州藤原四代の亡霊」だと・・・・・・でも、「ご隠居」はおかしいというのです。夕べ亡くなった「工藤立脇」は正直軽すぎる・・・あの軽い男が「お狸様」をそうそう簡単に盗みだせるわけがありません。それと、当初「斉藤親子」は、江戸家老を首謀者として、「尾張公」に直訴するといってましたけど、実は仲間だということがわかって、逃げ出しちゃったじゃありませんか。これは、はじめから「ご隠居」が「水戸光圀公」であるということを知ってて、近づくための手段だったんじゃないか・・・っていうんです。でなければ、あの連判状・・・・「お家騒動」を画策している証拠としてはあまりにも希薄な証拠!江戸屋敷を改装した絵図面も、実際は単純なリフォームでしたからね・・・・これだけの証拠では、江戸家老の「謀反」の証拠としては不十分だって言うことなんですよ。一番引っかかったのは、義経さんのこと・・・・・「藤原秀衡が、義経を可愛がったのは、義経を源氏の頭領として、頼朝を倒して”奥州藤原氏”が天下の覇権を握るため」・・・その言葉だったそうなんです。鎌倉幕府がそうだったように、婿である源頼朝を旗挙げさせ、その執権として勢力を振るった北条氏と同じやり方をしようとしたのではないかということらしいのですが、そのやり方を踏襲させるには、「江戸家老・藤堂主膳」ではあまりにもお粗末・・・「藤原家の亡霊たち」が本当に首謀者として狙ったのは・・・・・・・「尾張公」だったのではないかというのです。「尾張公を征夷大将軍として据え、その執権に藤原正衡を任ぜれば、それは亡霊たちの考えたとおりの筋書き・・・・・。」「斉藤親子」が、「ご隠居」に近づいたのは「水戸黄門」を味方にするため、あるいは途中で出来れば「ご隠居」を亡き者とするためではなかったんだろうか?もし、しくじっても「謀反人」は「江戸家老と斉藤外記」に責任をかぶせればいいし・・・・そんな説明をされたんですよ!「このたびの、駿府城での徳川家康公の菩提を弔うお茶会にしても、最初の言いだしっぺは”尾張公”だったっていう話ですぜ!」今度は「弥七親分」のせりふです。「五代将軍綱吉公は代理じゃが、徳川御三家、ならびに松平家の主だったものが集まるからのう・・・・ここで尾張公謀反となれば、天下はまた戦乱の世となろう・・・・お狸様が信長公、秀吉公の霊を解き放てば、更に戦渦は拡大を見るは必定!」「ご老公の眉間には更に深いしわが出るのでした。しかし、ここでこのまま待っていてもしょうがありませんから、それぞれ分散して、次の江尻宿を目指します。私と「ご隠居」と「助さんと格さん」が一緒、「お志津さんとお純さん」は鳥追い姿の三味線弾き姉妹としてそのあとを追います。私たちの前には「飛び猿と弥七親分」が先発し、弥七親分の手下達は私達の回りをつかず離れずしてついてきます。まもなく江尻というとき、なにやら数名の侍達に見咎められましたが、「ご隠居」の「越後の縮緬問屋・光衛門」という名前を信じたようで・・・・無事通過できましたが・・・・「しかし、あの言葉、駿府の役人ではないなあ・・・」「尾張藩士が、取締りをしているようで不愉快でございますなあ・・・」助さんと格さんが、ぶつぶつ文句を言っていましたね。江尻は、巴川の下流「砂洲」上に出来た宿場町で・・・・・「川の尻」という意味で「江尻」と名付けられた町なんですよ。この地にある有名なものというと、「久能寺」と「草薙神社」・・・・幕末になると「清水次郎長」なんていうのも出てきますけどね・・・・とりあえず有名なところというと、この二箇所ですかね。「久能寺」はおよそ1300年前、推古天皇の時代に「久能山」に建立された古刹なんですけど、武田信玄が「久能山」に「久能城」を建てたとき、この地に移築されたんだそうです。明治時代にその荒れた様子を見た「山岡鉄舟」が再建し「鉄舟寺」として呼ばれるようになるんですけど・・・・この時代はまだ、「久能寺」なんですね。もうひとつの「草薙神社」・・・・ここはご存知、スマップの「草薙つよし」が・・・でてくるわけないですよねえ(非常にサブイ!!)神話の時代、日本武尊がこの地で賊に襲われ炎に囲まれたときがあったんですけどね、その時少しもあわてず「天のむらくもの剣」を抜き、「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と唱えながら、草をなぎ払って延焼をを防ぎ助かったんだそうです。その時「天のむらくもの剣」から「草薙の剣」と呼ぶようになって、この地も「草薙」と呼ばれるようになったんですって。そんな昔から、あった町なんですねえ・・・・・・ア、そうそうもうひとつこの町で有名なものが・・・・・清水の海岸の方なんですけどね・・・・「はごろも伝説」で有名な、「三保の松原」があるんですよ・・・・ええ!!!「三保の松原」!!!!!!・・・・あらら、もしかして・・・・・・私の目的地ってここじゃなかったんでしたっけ?明日を待て・・・・・続く!
2006.11.27
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とうとう出ましたねえ!「奥州藤原氏四代の亡霊」が・・・・・・でも、この時期、幽霊や亡霊は「シーズン・オフ」だって叱られましたけど、いいじゃないですか!最近果物だって「旬」がなくなってますからねえ・・・・「ビニール栽培の幽霊」だと考えてくれれば・・・・さて、亡霊の言い分としては、「ヤマト民族と、ネーティブジャパニーズの怨念」の戦いってことなんですねえ。由比のお寺の本堂での対決は一瞬の静寂が、まもなく始まる壮絶な戦いを暗示させるような・・・・とその時!今まで黙っていた「義経」さんが言葉を発したのです。「秀衡様、泰衡殿!・・・私はあなた方にとって、いったいなんだったのでございますか!」血を振り絞るような声で、訴えるのです。「子供のころから親のように慕い、兄弟のように育ったあなた方を、私は殺されても恨んではおりませんでした。」「義経」はほろっと涙を流し続けます。「私が兄、頼朝から疎まれ、追っ手を差し向けられ、・・・それでやむなく”泰衡殿”が私を討ったのはやむをえない事だと存じております。・・・私が抵抗いたしましたのは、何の罪もない家来どもを助けてやりたいと思ったがため・・私一人なら自害して果てるつもりでおりましたのに・・」その時、どんよりとくぐもった声で「秀衡」が答えます。「義経・・・お主を匿い、育てたのもわが領土を安んじるため、それが裏目に出たとき、わしは清衡公に顔向けできんかったわい!・・・・お主は”安宅関”で囚われればよかったのじゃ!」そうすれば、「奥州藤原氏」は頼朝勢に攻められる事もなかった・・・というのです。「あなた方は領土の安全をお望みであった。・・・ようやく戦乱の世も終わり、平和になった世の中に、災いの種をまくという事がどれだけ愚かしい事かよくご存知のはず!」今度は「黄門様」がこういいました。「虐げられたわが民族の誇りを、さらにズタズタに切り裂くヤマト民族・・・これが許されてよいわけがない!・・・・マアよいは・・・旗挙はまだじゃ・・・・・それまでお主たとは生かしておこう!今日は囚われとなった”工藤立脇”を返してもらうために参った。・・・・」そう言ったとたん!・・「ギャァーーーーーッ!」一瞬のうちに、工藤立脇の体が「かまいたち」にでもあったように、切り刻まれたのです。そのとたん、亡霊たちは姿を隠しましたが・・・・しばらくの間は私達も呆然として何も手につきませんでした。こんな強い亡霊たちに、私達は勝てるのでしょうか?少なくとも私は、もうあきらめかけていました。でも、「黄門様」はあきらめてませんでしたねえ・・目の色が輝いていました。「これから、薩堙峠に参りましょう!」真夜中にこんなことを言うんですよ・・・・尋常じゃない!私達は「工藤立脇の死骸」をきちんと弔い・・・その足で、薩堙峠に向かいました。薩堙地蔵尊は、小さな祠の中にあり、その周りには10人ほどの浪人たちが警護してました。「今日は、”飛び猿”も”弥七”もいませんからな・・・・この人数で作戦を立てねばなりませんな」「お純」も「お志津」も忍者とはいえ、「くの一」ですからねえ・・・・ここは私が活躍しなきゃならんでしょ!・・・・ここで終わりかなと覚悟を決めたところに・・・「ちょっとお待ちを・・・・」と、「旅の一座の座長」がやってきました。「私は風車の弥七親分の手下でございます。・・・そして他4名、ただいま参上仕りました」「弥七親分」が手配してくれた手下・・・「旅の一座の座長」、「渡し舟の渡し守」、「小田原の提灯屋」、「三島大社の宮司」そして最後がなんと、「道具屋のおじさん」・・・・覚えてますか?このお話しの最初のころ・・・・私が「八兵衛」になる前は「与太郎」だったってこと・・そして、親戚のおじさんからいわれて「道具屋」になったってこと・・・・覚えてないだろうなあ・・・・その最初に「道具屋」になったとき、いろいろお世話してくれたのが「このおじさん」だったんですよ。このおじさんが「泥棒の手下」・・・・なるほど、盗んだものの中からどうしようもないものを売るには「道具屋」はいい商売かも知れませんね。黄門様が立てた作戦はこうです・・・・「10人くらいの浪人なら、一気に行っちゃいましょう!」作戦なんてものじゃない!・・・・とにかく、早くしないとまた亡霊が出てきちゃいますから、「助さんと格さん」が三人ずつ、弥七の手下のうち「おじさん」をのぞく四人で残りをやっつけちゃおう・・・そして「ご隠居」、「お志津」、「お純」そして私で「お狸様」を盗み出そうっていうだけのことなんです。で、めんどくさいので、盗み出しに成功して、その足でこんどは「興津宿」に向かいました。ってとこで興津宿の説明をちょっと・・・・・・・・興津宿のは東海道屈指の名刹「清見寺」があったことで有名な宿場町です。これは「白鳳時代」に建立されたもので「清見関」が作られたさい、その守護のために仏堂が建てられたんだけど、「徳川家康」が「今川義元」の人質だったとき、よく遊びに着てたという。その後、敵の武田軍の陣地になることを恐れ、焼き払われるが・・・江戸時代になってから再興された。おっと、時間だ!・・・・・・今日はこれまで!
2006.11.26
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今日は土曜日で久しぶりの休み・・・・朝からジュニアとバスケットボールをしたり、自転車で散歩に行ったりしてました。自転車である商店街を歩いてたら、中学のときの同級生が自分のお店の前に「クリスマス・ツリー」を飾り付けてました。でも、「和菓子屋かきもと」っていうお店なんですよ。クリスマスのときは、ケーキも焼くのかなあ?あ、もう一人、同級生に「お菓子屋さん」がいましてね・・・そっちのほうは「南部せんべい」専門店。「南部せんべい八戸屋」っていうんですけど、ちょっと前に話題になった「せんべい汁」なんかも作ってますから、ご注文は私にでも・・・・あ、ホームページがあるから直接のほうがいいか!さて、由比の町で、大勢の浪人がうろうろしてるんですけどね、その狙いがわからない・・・その狙いを知るために、浪人たちの幹部である「工藤立脇」を捕まえようってことになったんですけどこれがまた、一人で出歩かないんですねえ・・・・いつも数人で出歩くんですよね。「こいつを一人にするためにはどうしたらいいんですかねえ?」いろいろ考えた結果、ナイトがすぐ引っかかる方法・・・・つまり、「美人のお誘い作戦」がいいってことになったんです。「あそこのお店で10時前に待ってるから・・・・一人で来て・・・」なんて言われた日にゃ!もう単純ですから、友人をまいてでも独りになりますよね。その役割は、やっぱり「お純」さんですか・・・・だって「お志津」さんは顔を知られてますからね、ちょっと無理でしょう・・・で、男って単純ですからねえ・・・・・やっぱり一人で来ちゃうんですよ!そこを捕まえるのは簡単ですよねえ・・・・で、捕まえた工藤立脇・・・・お寺に連れてきましてね、ちょっと脅かしたら、ペラペラ何でも話しましたねえ。「殿が駿府城に入るのはあと一週間後、、その前日この地で旗揚げする予定だった」って言うんですよ。「この地を旗揚げの地と選んだわけは?」って聞くと・・薩堙峠の由来から話しはじめました。それによると、鎌倉時代、由比倉沢の海中から網にかかって引き上げられた「薩堙地蔵」を、この山に祭ったんだそうで・・・・で、この山の昔の名前が「岩城山」奥州藤原氏の領土のなかに、「陸奥国津軽」というところがあって、そこにある山の名前が「岩木山」・・・・なにやら関係がありそうじゃないですか!マア、津軽の話しをしますと、奥州藤原氏は「中尊寺の金色堂」で知られるように「黄金で彩られた文化」が発展した地域なんですけど、この「黄金」が、今の青森県の「津軽市・市浦地区」にあったといわれる「十三湊」っていうところから、荷揚げされたんですねえ。この「十三湊」っていう貿易港がわが国の貿易港としても大きなものだった事は有名ですが、津軽民謡「十三(とさ)の砂山」っていうのに残ってます。近江商人の「北前船」での交易もそうですけど、中国やロシアとの交易も盛んでかなり栄えた港町だったようです。その「十三湊」を守っている山が「岩木山」なんだそうです。だから、この「薩堙地蔵」に「お狸様」をささげ、この「お狸様」を破壊して「信長と秀吉」の亡霊を解放して徳川家に仇をなし、世を戦乱の世に戻して「奥州藤原氏」の覇権を手に入れようというものらしいんです。もちろん首領は、「藤原正衡」・・・斉藤親子の息子のほう・・・・斉藤正三郎なんです。そしてその参謀役が、江戸家老「藤堂主膳」、「斉藤外記」そして「工藤立脇」・・・・・工藤立脇も最初は無理だと思ったそうです。でも、「藤原四代」の亡霊が姿を現し、信じてしまった・・・というか「催眠術」にかかったように、ここまでのことをしてしまった・・・って話しました。そこまで聞いたときに・・・・・「お七」が・・「ああ~~~~~~!」って悲鳴をあげたんです!幽霊が悲鳴ですよ!幽霊が恐がるほどの怖いもの・・・・それはもっと恐い亡霊!でたんですよ・・・・いよいよ!「藤原清衡・基衡・秀衡そして泰衡」の亡霊が現れたのです。旅の一座の女芸人たちは、たちまちのうちに失神してしまいました。さすがに座長だけはしっかりとしておりましたが、動けるものは黄門一行とその座長、そして工藤立脇だけでしたねえ。「お前たちは藤原家の恨みを、身に受けるがよい!・・・・・ヤマト民族が奥州まで攻め上り我々の民族を攻め滅ぼした・・・・坂上田村麻呂の”蝦夷退治”という名目でな・・・・・しかし、蝦夷と呼ばれたわが民族は、もともとこの国に住んでいたもの・・・・あとから、乗り込んできたヤマト民族がわが国を蹂躙し、最後に残された我々も頼朝によって滅ぼされた。・・・・この恨み・・・はらさでおくべきか!」「奥州藤原氏」はもともと「十三湊」の領主であった「安部一族」の出てあった。大和朝廷は安部一族に内紛を起こさせ、一族同士で殺しあうように仕向けた。最後に残された「奥州藤原氏」も頼朝により、「義経を匿った」罪を負わされ、滅ぼされてしまったのだ。今現在、わずかに残されたのは北海道に渡った、あるいは住んでいた「アイヌ民族」などが、その血を残しているだけであろう。なんとも恐ろしい事が起こりそうな予感(また予感かい!)・・・・・明日はどうなる運命なのか・・・水戸黄門一行!明日を待て!・・・・続く
2006.11.25
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私の「カウンター」は、まだ減り続けてます。私は10000アクセスを大騒ぎのうちに迎えることができたんですけど、「JUN太さん」は30000アクセスを、なんだかわからないうちに越えたような越えないような・・・・・気にはしてないんでしょうけど、お気の毒様でした。ジュニアのブログですけど、皆さんに見てもらっててかなりうれしいらしいです。一生懸命、返事を書いてました。「みんな、お父さんのお友達なんでしょ?」返事を書きながら、ジュニアが聞いてきました。「・・・ってことは、お父さんとボクのお友達は一緒なんだね?」同じくらいの子供が、すぐに訪問してくれると思ってたらしく、それはそれでちょっぴり不満そうなんだけど、「お父さんの友達がボクの友達」っていう、これもまた棄てきれない感情が、彼の気持ちの中に生まれてるんですよね。「オヤジ」としても、「息子と一緒に酒を酌み交わして」いるような感覚で、ちょっとだけ「幸せ」を感じています。ちなみに、ほんとに「息子と酒を酌み交わす」っていうのは、長男が今年大学に入ったんで、まだ成人式前なんだけど「横浜」の「居酒屋」で経験させてもらいました。次男のジュニアとほんとに酒を飲めるのは、あと10年・・・・まだまだがんばらなくっちゃ!さて、由比宿のお寺の本堂で、「旅芸人一座」といっしょに泊まる事となった「黄門様一行」は明日からの予定を話し合いました。「このまま行くと、明日には江尻宿に到着しますなあ・・・・・」「由比」から「興津」、そして「江尻」までの道のりは15キロほど・・・・ほんのひとまたぎなんですけど、「薩堙峠」という難所があり、やっぱり丸一日かかりそうです。「しかし、なぜ浪人たちはこの由比に集まってるんでしょう?・・・・この小さな宿場町だから40人の浪人者は目立つんで、これが江尻や府中なら、人の数も多いですからなあ・・・どうしてもこの宿場町に集結している理由がわかりませんのじゃ・・・」そのとき「お志津」が、ひとつのアイディアを出したんです。「さっき、ここへ来る途中”お狸様”を斉藤親子に手渡した”工藤立脇”が小料理屋に入ってくとこ見かけました、。。。。狩猟でないにしても幹部には違いありません・・・・こいつを捕まえて・・・・」誘拐して口を割らせようってことらしんですけど・・・・・あごめん、寝ることにしました。またね
2006.11.24
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いいんだいいんだ・・・・わたしなんて・・・・・・「恵さん」も「マスター」も、ジュニアのブログに乗り換えるんだって・・・・・・でもジュニア・・・・これからスキーシーズンだからね!忙しくなるんだよ!。。。毎晩7時から8時半まで「ナイタースキー場」で、アルペンの練習だし、土日は毎週大会があるからね、なかなか書けないと思う。だから、皆さん、ジュニアが書いてないときはこちらにも着てくださいね。(アッ!・・・・私も毎日スキー場に行くんだった・・・)ジュニアも時代劇風なんで・・・・私もそろそろ「水戸黄門」を終わらせて、今度はSF風にしてみようかとも考えていますけど、これがなかなかね・・・終われそうもない・・・・私の「夢日記」ではね、最後悪人は捕まるんですけど・・・・「黄門様」も老衰で・・・・ってな結末だったんですよ。シリアスなドラマだとあるんでしょうけど、「勧善懲悪」の時代劇で、「主人公」が死んじゃうのってなかなかないですからね・・・・・・だから書き始めた当初、この結末だけが頭にあって、「そういうのがあってもおかしくないよな?」・・・なんて考えてたんだけど、書いてるうちに話がどんどん膨らんできちゃって、例えば「八兵衛とお七の恋の行くえは・・・・」とか、「義経とお志津はどうなるの?」とか、考えなければならなくなっちゃったんですよ。へんに登場人物を増やさなきゃよかった・・・・でもきっとナントカなるでしょ?・・・・いままでもナントカなってきたんだから・・・ってことで、「黄門様一行」は、浪人者がたくさん集結している「由比宿」へと入ってくるんですねえ。旅芸人の一座に紛れ込んでますから、普通の旅籠に泊まりません。興行主が準備した宿泊所は、お寺の本堂なんですよ・・・・一座の宿泊料金になると、とんでもない金額になるんでね、お寺の本堂に仮の住まい・・・興行の行われる「江尻宿」まで行っちゃうと、もう興行主が小屋がけをしてありますから、そこに寝ることになるんですけどね。でも、これが「黄門様一行」に幸いしました。由比宿には本陣、脇本陣がそれぞれひとつずつ、普通の旅籠は32軒あったようですから、一軒ずつ見張られてたんですよね。集結した浪人の数は40人弱らしいってことは、先乗りしていた「風車の弥七」親分が調べてくださってたんでね・・・でも40人くらいならナントカなるでしょう・・・・私はそう思ってたんです。だってコッチには、私と「黄門様」は役に立たないかもしれないけど、「助さんに格さん」、「飛び猿」に「弥七親分」・・・それに「くの一」の「お純とお志津」あとは、幽霊の「お七と義経」さんがいるんですからね・・・・この8人ならナントカなりますよね!でも、「ご隠居」、変なことを言い出すんですよ「ここは、私たちだけで大丈夫ですから・・・”弥七”と”飛び猿”は江尻に先乗りしてくださらんか・・・ここでもちょっと調べてもらいたいことがあるんでな」40人の敵に8人だから安心してたのに、有力な二人を手放すだなんて、「ご隠居」、おかしくなったと思いませんか?その二人だけにコソコソと耳打ちしたかと思うと。。。。「へぇ、わかりやした!」「弥七親分と飛び猿」はすぐ出かけようとするんです。「ちょちょちょちょ!ちょっと待っておくんなせぇ・・・ご隠居はあんなこといいますけどねえ・・残った人数で40人相手できるんですか?」その時、「風車の弥七親分」、少しもあわてずニコッと笑った流し目で、こう言うんですよ。「前に小田原宿で絵図面をおいらが取りに行くことになってたじゃねえか、・・・あの時な、”ご隠居”のことが心配で、小田原に住まわしてある子分に、江戸まで走らせて図面を取って来らせたんだよ・・・ついでに、江戸にいる子分を5人ほど、連れてこらせたから、ここは大丈夫だよ!」このせりふを言ったときの「風車の弥七親分」・・・・・今なら、「マツケン」か、「スギリョウ」ってな感じの流し目でねえ・・・・イヤア、惚れ惚れするねえ!ってことは6人に、5人の助っ人・・・それに役に立たない私とご隠居・・・13人という数に、(ヤソ教でもないのに)なんとなく不安を感じたんですけどね。マアなんとかなるだろう・・・ッてんで二人を送り出しましたねえ。さっき、「ご隠居」が耳打ちしたことはじゃっかん気になりましたけど・・・・それよりさっき、「弥七親分」が言ってたこと・・・・・「アッ!、ジャア絵図面が手に入ったんですね?」「アア、私のところに届いているさ」「ちょっと見せてくださいよ!」「ご隠居」は、ご自分の荷物の中から図面を取り出し、そこに広げました。ところがその図面は、何の変哲もない普通の「リフォーム用」の図面でしてね・・・・これなら盗むまでもない図面なんですよ。「これ、なにか仕掛けがしてあるんですか?」「いいや、何にもない・・・・・ただの図面だ」あらら、期待してたのに、なんのからくりもない図面・・・・つまんないなあ・・・マア、そんなにそんなに、いろんなことがあるなんて、実際にはありえないでしょうから・・・・こういうこともあるんですよね。「アア、なんだかおなかが空いてきましたねえ・・・」そこへタイミングよく、夕飯のお膳が・・・・・ここは「サクラ海老」の本場、漁獲高日本一の港ですから、とっても美味しい夕飯でした。事件はその翌日に・・・・・・で続くことにしましょう
2006.11.24
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今日は、確か「勤労感謝の日」でしたよね?でも、休んでいるのは家族だけ・・私はしっかり会社で仕事をしてました。この休日だけは、ほんと・・なぜかいつも矛盾を感じるんですよねえ?でも仕事を終え家に帰ると、次男が玄関までお出迎えしてくれて「お父さん、お仕事ご苦労様!」って言ってくれました。ほんと疲れが吹っ飛びましたよ!「ねえ、お父さん!ボクのブログで小説書かして?」ほんとはこれが言いたくて、玄関まで飛び出してきたんだけど、マアそれでも出迎えてくれるだけ可愛いじゃないですか!昨日ね、私が「教育長との懇談会」があったんで、自分ひとりで書いてみたらしいんですよ・・・でも、登録ボタンを押し間違えてきえちゃった。だから、今日は「お父さんに手伝って欲しい」ってことらしいんでね。夕飯を食べて、お風呂に入って・・・それから次男のブログを開いたんですけど、一昨日書いた文に「恵さん」と「京ともさん」のコメントがあったらね・・・・大はしゃぎですよ!小説より先に一生懸命お返事を書いてましたね。「ありがとうございました」って言うだけの簡単な言葉なんだけど、ついこないだ、「ローマ字」を習ったばっかりなんでね、けっこう時間がかかるんですよ!ましてや本文・・・・・「1000文字」くらいなんだけど1時間はかかったねえ!しかしながら、このお話しは、「銀玉」って言う漫画をモチーフにしたお話しなんだけど・・・・・・時代劇風なのに、「大江戸マートの自動ドアの前」で、新選組が出てきてチャンバラが始まったり、その戦いのさなかでも「スキヤキ」の材料を守ったり・・・まったくわけのわからない物語でね、だけど迫力は満点なんですよ。!!!(親ばかっていうな!!)ちょっとでも興味を持ってくれたら・・・・次男(ナイト・ジュニア)のブログ「ナイト・ジュニア・コンボイ」を読んでください・・・そして「お気に入り」の登録もよろしく!息子のブログの宣伝も終わった事だし・・・こちらの「水戸黄門」も、そろそろ取り掛かりますか!今日は吉原に到着したところからでしたね。この地は「左冨士」が有名な事、そして水が綺麗なんで「製紙工場」が適してたってことは前回お話しましたが、もうひとつ有名な事件があったんですよ。「富士川の合戦」って知ってますか?平清盛が亡くなった後、源氏が旗揚げをし、この地で源平が対峙したときがあったんですよ。でもね、「水鳥が羽ばたく音」に驚いた平家軍が、総崩れし、退却を余儀なくされたってことで有名になりましてね・・・「平安貴族」のような生活に慣れきった平家の凋落振りを、如実に現した事件といわれたもんですわ。今晩はこの吉原に泊まる事にしたんですが、この旅籠で「お志津」と合流しました。「飛び猿」は、旅を急ぐ「斉藤親子」を見かけて跡をつけて行ったんですが、途中「由比宿」に多数の浪人者たちが集結しているという噂を耳にし、報告のために吉原まで「お志津」をよこしたのです。「義経さん」は、「飛び猿」を助けるために一緒について行ったとか・・・・・そういえば、「風車の弥七」もそういう噂があるって言ってましたよね。弥七も調査のため、さきを急いで由比宿に向かいましたから、今頃は「弥七」と「飛び猿」、二人で一緒になって必死の探索をしていることでしょう。翌朝、蒲原に向かって出立しましたが、途中「鶴の茶屋」という茶店があるんですけどここからの眺めが最高でねえ。。。。富士山の中腹に芝生のように見えてるところがあって、そこが「鶴が舞う」姿に見えることから「鶴の茶屋」って呼ばれるようになったそうなんです。それはそれは見事なもんでしたよ!蒲原に着きましたが、ここは渡し舟で渡るために「川止め」で潤った町なんですけどね、水害と戦った宿場町とも言われてます。1699年の大津波の時には宿場の人、旅人60人も流されたそうです。私達が、この渡し場で船を待っていますと、旅芸人の一座がやってまいりましてね・・・・話を聞きますと、最近「江尻宿」のあたりでなにやら吉兆が現れているということで、その見物客でごった返しているという話し・・・・・由比、興津、江尻・・・・このあたりでいったいなにが待ち受けているやら・・・不安と期待がごちゃまぜになってきました。「ご隠居」は、この旅の一座が大いにお気に入りになりましてね・・・マア、一緒に旅してる仲間も「お純」「お志津」ともに、もとをただせば「くの一」ですから、曲芸の一つや二つできたりしまして、一座と一緒に旅をすることになったんですよ。船で渡り終え、一座の荷車を押しながら、座長の話を聞きましたらね、江尻の吉兆って言うのは「夜になると海岸の一部が昼のように明るく輝いて見える」ってことらしくってね、そんなことが本当にあるのかどうか、眉唾物なんですけど、この見物客を逃すのがもったいないと一座は急いでるんだそうですよ。この分だと、由比宿につくのもずいぶん早く着きそうだなあと思ってましたら、途中「御殿場道」っていうところがありましてね。「ご隠居」から聞きましたら、この付近に「蒲原御殿」って言うのがあったそうなんですよ。その昔、徳川家康が、竹田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するため建てた「蒲原御殿」でしてねえ、ここから下る道を「御殿道」って呼ぶんだそうです。サア、まもなく、由比宿・・・・・今までが平穏な旅だっただけに、明日はなにかが起こりそうな予感がします。ってことで、今日は早く寝ようかな!ジャアおやすみ・・・・・・・・続く
2006.11.23
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「カウンター」の調子がおかしいよね?記録が下がっちゃってるんだから・・・・この前の「10000人突破!」のときだったら大変!10000人目が二人になっちゃったら、景品が二重払い!「楽天広場」!どうしてくれちゃうんだよ~!!!!でも、いまだに私書箱に、何の連絡もないんですよ・・・・・まだ景品は手元にある・・・・・さて、昨日は「教育長」との懇談会があって、小中高のかくPTA会長が集まったんだけどね、教育長さんの発言にちょっと変だと思ったから発言したんです。「もし、いじめとか青少年犯罪の噂でも聞いたら、すぐに学校へ行って校長なり教頭に問いただしてください」これねえ・・・・逆だと思うんですよ。私のところにある父兄から、いじめの情報が入ったとします。「会長、こんないじめ問題があるって知ってるんでしょ?」私が知ってるならいいんですけど、知らなかった場合、「ええ?会長にも隠してるんだ!・・・」なんて言われるだけ・・・・「そんな会長なら要らないでしょうに」、もしくは「PTAなんて学校から信頼されてないんですね」っていわれるのが落ち!逆に、どんな小さなことでも報告してもらえたら、「もちろん知ってます。学校側ではPTAと連携を図り、速やかに対処してます。」って言えるでしょ?「うちの学校は報告・連絡・相談がきちんとできてるんだ!」っていう安心感が出てくると思うんですよ。そのてん、うちの学校はきちんと報告を頂いてますからね、昨日も教育委員会の「指導課長」さんから、「ナイト会長のところは、650人の児童数なのに、ほとんど問題ないですね」って言われちゃった。もちろん、皆無というわけには行きませんけど、「小さな芽のうちから摘み取ってしまう」っていうような、対処法が教師にもPTAにも浸透してる結果だと思います。例を出して言えればいいんだけど、最近「個人情報保護法」なんていうのがあってね、具体的なことを言えないのが残念です。ひとつだけ言うとね・・・(おいおい!いいのかよ!)教室で物がなくなったとかしたとき、「じゃあ、みんな・・・しっかり目を閉じなさい!・・・・・・・そしてやった子は手を上げてください」って言うんですって。デモね・・・・ほとんど手を上げる子はいないらしい・・・・それでも先生は・・・・「はいわかった・・・・正直に言える子ってすばらしいよね・・・・いま手をあげた子は、あとでいいからなんでそんなことをしたか、職員室に来て教えてくださいね」って言うんだって。そうすると、教室で手を上げなかった子でも、「職員室」で、「これこれこういう理由でやっちゃいました」って来てくれるんだそうです。これが「嘘も方便」って事だと思うんですよ。あらら、水戸黄門、書く時間が少なくなってきたな・・・・・「斉藤親子」が逃げ出したとこまででしたよね。「もうばれちゃいましたか・・・カッカッカッカッ・・・・・」って黄門様が笑っちゃったんだけど、これは、箱根峠で浪人たちが襲ってこなかったから、「斉藤親子が自分達の仕業だとばれた」ってことで逃げ出したからなんですよ。「頭脳明晰、度胸満点」の黄門様を騙しとおせるもんじゃない・・・・って「にせ親子」が逃げたんですけど・・・・逃げることも、黄門様にはお見通しだったんですね。そのまま、三島から沼津へと向かいます。沼津はこの当時から、「伊豆の魚介類を江戸に運ぶ」という港町で、漁船も30艘あったといいますから、漁師町でもあったんですよね。「鯛やひらめ」なんていうのが採れたそうです。先を急いで・・・・今度は「原宿」へ向かうんですけどね・・・・狩野川には橋が架かってなかったんで渡し舟に乗ることになります。船の来るのを待って、茶店でお茶を飲んでますとね・・・・「風車の弥七」と「お純」が現れるんです。そしらぬふりをして茶店に入いり、小さな声で「ご隠居様」に言ってるのを聞いていますと、「この先、原、吉原、蒲原辺りまでは順調に旅は続けられそうですが。。。その先由比でちょっとしたことが起こりそうなんです。」聞いてみますと、浪人者たちがこの「由比宿」にかなりの数、集結しているということ。。。。。そういえば「由比宿」・・・・・・神奈川宿での事件、覚えていますか?そそ、あの「浦島太郎の寺」の住職が「由比宿」の出身で、あのときの代官も「由比宿」の役所に勤務してたんですよ。この町は、「由比正雪」が生まれた町としても有名でね・・・・紺屋の生まれだと聞いてますけど、そのお店が平成の今でもあるんですよね。その屋号も「正雪紺屋」というらしいんですけど、慶安事件の首謀者のお店がその名前をつけたまま、残ってるっていうのも不思議な話ですよね。ともかく、渡し舟が来たんで、そのまま原宿・・・吉原宿まで足を伸ばしいます。原宿は平坦な道のりで14キロほど続きますが、土地が悪く、畑には適さないようで漁業で生計を立てている町なんですけど・・・ここは通り過ぎましょう・・・・続いて吉原宿・・・・アア、原宿から吉原宿までの道のりが、実は「富士山」を見るのには最高の場所って言われてることをお伝えしつつも・・・・今日の泊まりは「吉原宿」ときめてました。吉原は「大津波」がこのあとあって、今歩いてるよりずっと北側に路線変更するんです。だからここも「左冨士」が有名なんですね。また後年、水がきれいなことから、ここには製紙工場ができ栄えた町なんです。さて、今日の泊まりは「吉原」どまり・・・・明日は蒲原とおって由比の町へ入ります。続く
2006.11.23
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ちょっとだけ空き時間ができたから、ちょっとだけ書くね。今日はロータリークラブの例会がお昼にあって、出席してきたんだけど、ゲストは「高校生」だったんだよ。インターアクトクラブっていうのが高校にあってね、ロータリークラブの高校生版なんだけど、授業を抜け出して講演してもらったんだ。7月にタイでの交流会があってね、その高校生の彼が出席してきて、様々なボランティア活動をしてきたんだけど、彼なりのカルチャーショックがあったみたいでね。「自分はボランティア活動を通じて、世界に奉仕する人間になりたい・・・・・特にアジアを希望します」・・・なんてしおらしいこというんですよ。以前、私もカナダと台湾の留学生を担当して、「ホームステイ・プログラム」をやったんだけれど、預かってくれる家庭を探すと、ほとんどが”子供の英語の勉強のために”なんてことを言ってカナダ人のほうを預かってくれるんです。台湾人を預かってくれた家庭はシブシブ了承してくれた・・・っていう感じでね。でも、その台湾の子が、とてもすばらしい子でね・・・・日本にない漢字の名前の子なんで、カタカナで書くけど「チン・キセイ」っていう女の子・・・・「仏教美術の勉強のために日本留学」してる子でしたね。もう一方のカナダ人は、合気道を習いに来たっていってるけど、道場にもしばらく行ってないような子で、それも、フランス語圏のカナダ人だから、「英語の勉強」にはなりゃしない!もちろん、有数なカナダ人もいるんだろうけど、この二人に関しては、二人の優秀さを比べると「雲泥の差」でしたね。あれ以来、私は「留学生を預かってくれ」って言われると「アジア人」専門にしてます。「チン・キセイ」さんは、今では「台北の故宮博物院」にお勤めになってて、優秀な学芸員だそうですよ。そんなこと言うと、また日本の勝手な言い草で「大東亜共栄圏」をぶり返すんだろう・・・なんていう人もいますけどね。そんなことじゃなくて、優秀なアジア人を世界中に見せ付けてやりたいんです。まあ、そんなことはいいですけど・・・・・・水戸黄門一行は、三島にいよいよ入りました。無理した「箱根越え」だったから、皆疲れちゃってね・・・誰も口をききたくない。そこでお時間をちょいと拝借して、「ノーエ節」なんか歌っちゃおうかな!「三島女郎衆はノ~~エ、三島女郎衆はノ~~エ~~ 三島サイサイ、女郎衆は~お化粧が長い!♪」こんな歌詞でしたかね?・・・・・・でも、ここでミニ知識!「三島に女郎衆はいなかった!衝撃の真実!」・・・(東スポ風にしてみました)いないのに、歌ができちゃったんですねえ・・・・・不思議だなあまあそんなことはどうでもいいんだけど・・・(どうでもいいことが多すぎるなあ)夕食の時間になると、ある程度元気を取り戻し、おしゃべりが始まりましたねえ「箱根の峠からのくだり道・・・いやあ楽でしたねえ!」「そそ、三島大社まですんなり降りてこられましたからなあ・・」みんな笑いあって話してたんだけど・・・「斉藤親子」はクスリとも笑いませんでしたね。もしかしたら、浪人者たちが途中襲ってくる手はずになっていたのかも・・・・・・だけれど、浪人たちは皆捕まってますから、誰一人現れない「斉藤親子」はあわててたのかもしれませんねえ。翌日目を覚ますと、「斉藤親子」の姿が見えません・・・・・・・「あのお二人なら、先に出られましたよ?」旅籠の女中がそんな風に話してくれました。「もうばれましたかな?・・・カッカッカッカッカッ・・・・・・・」天真爛漫の笑い声で、まるで逃げるのを予想してたみたいでしたねえおっとごめん・・・途中でお客様・・・・アアこのまま時間がなくなるな・・・・じゃあ今日はこの辺で失礼!
2006.11.22
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今日は午前中が雨、・・・午後から雪へと変わる模様です。ナイト・ジュニアの熱は下がったのですが、それでも37度2分・・・今日一日休ませましょう。夕べ会社から戻ったら、「自分だけのブログが欲しい」なんていうので、作ってやりましたよ。「ナイト・ジュニア・コンボイ」ってとこだけど・・・・まだ最初の挨拶しか書いてない。マア、そのうち何か書き始めるでしょう・・・・さて、昨日の皆さんのコメントに「登場人物が多すぎる」なんて書かれちゃいましてね・・・・いまさら突然消すわけにも行かないので、ちょっと整理しましょうかね。東海道を駿府に向かって歩いてる水戸黄門の一行は9人(「黄門様」、「助さん」、「格さん」、「飛び猿」、「風車の弥七」、「お純」、幽霊の「お七」に「義経」それに、私「八兵衛」)あることから武家の親子連れ(斉藤外記、正三郎親子)と知り合いになります。聞けば、「尾張藩士」で、御家の内紛を、殿様に報告するために来たとか・・・・・それを襲って「浪人者の一団」があり、それとは別に「公儀隠密」のお志津が来たり・・・・てんやわんやになるのですが、あるとき、お志津が浪人者たちに誘拐されちゃうんです。で、幽霊の義経公が、浪人者たちの会話を耳にしたところ、「奥州藤原氏の亡霊」が関係あるって事、「尾張藩の秘宝、お狸様」が「信長と秀吉の霊」を押さえつけているって事、斉藤親子が実は浪人者の仲間であるようなこと、などを話すんですよ。「黄門様」に報告して、「お志津」を助け出し他あと、今度はお志津からも意外なことが話されて、・・・・それは斉藤親子が実の親子ではなく、息子「正三郎」が・・・・・ってとこで終わってますよね・・・いいですか?ここまで?じゃあ続けますよ!「それじゃあ、いったい正三郎の正体は?」私は、「ご隠居」に勢い込んで質問しました。「おそらくは奥州藤原家の末裔・・・・・この連判状の最後に名前の記してある”藤原正衡”という男であろう・・・・・」「それじゃあ、幽霊は関係ないんですね?ただの末裔・・・・・・」「いや、あの男は子供のころから、”藤原の天下取り”を叩き込まれているであろうし、さっきの幽霊の催眠術の話を聞けば、どうやら藤原四代の亡霊が取り付いているであろう」「じゃあ、”お狸様”はどうなってるんです?」「神奈川の宿で出会ったという”工藤何某”という男から手渡されたもの、おそらくそれがお狸様・・・・」「信長、秀吉の霊はもう、この世に現れて暴れまわってるってこってすか?」「それはまだであろう・・・・・尾張から持ち出されたとしても、まだ壊されてはいないはず!」だんだん、なぞが解けてきましたねえ・・・・・「皆さん、明日は早出を致しましょう。」「斉藤親子はどうします?」「今のところ気づいてはいない様子・・・・そのまま連れとして一緒に行きましょう・・・飛び猿はお志津さんと一緒に別に行動しなさい・・・・そうじゃな、・・・義経さんも一緒のほうがよかろう」その夜の内に、飛び猿、お志津、義経は旅立ちました。翌朝、斉藤親子に「急がねば、浪人者にまた襲われる」という理屈をつけて、一緒に旅立ったのは言うまでもありません。箱根の峠越えには草鞋10足必要だったっていうような話しもあるくらいで、かなりきつい山越えになりましたが何とか、「箱根の関所」までたどり着きました。「入り鉄砲に出女」ってくらいですから、男は簡単に出られたのですが、「お純」はかなり長い間調べられてました。先に行った「お志津」も調べられたんでしょうかねえ・・・・・実は「お志津」達は、関所を通らず「関所破り」をして山越えをしたんですよ。「箱根の関所」って明治まであったんだそうですけど、実際「関所破り」で死罪になったのは5人ほどだったそうです。それ以外の「関所破り」は、捕まっても役人の責任となるので、「道に迷った」ということにして軽い刑で済んだって事を聞きました。じゃあ、なぜ「お純」はそうしなかったのかって?もちろん、「斉藤親子」をごまかすためですよ。ナントカ無事関所を通過して、一行は三島の宿に入りました。この地は北条氏の「山中城」があったことで有名ですけど堅牢な城だったようです。また、この三島は「三島大社」で有名で・・・・旅の安全を守る神様として有名なんだけど、実は「源頼朝が源氏再興」を祈願したじんじゃなんですよ・・・・・ここに義経さんがいたら、ずいぶん複雑な思いだったでしょうね・・・・・・・無理やり「箱根越え」をして疲れたので今日はここで一泊するんですけどね・・・・今日はちょっと忙しいので・・・このあと続く!
2006.11.22
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昨日までの忙しさったらなかったんだけど、今日は突然暇ができた。マア、暇っていうほどでもないが、ブログが書ける時間はある。昨日新幹線の中で思いついた物語の展開を、ここに文章をこしらえて書き写すだけなんだから、時間的にもそんなにかからない。もしかしたら、私の才能は「文章を書く」のに向いてるのかもしれないなんて思い始めたやさき、小学校から「400字詰原稿用紙3枚でテーマ自由の原稿依頼」が来たんだけど、これがなかなかできそうもないんだなあ・・・・・・・毎日、「5000文字から9000文字」書いてるからねえ・・・1200文字って制限されても自己紹介だけで終わっちゃいそうなんですよ「字数の制限」って、今の私にはかなりきつい!原稿の締め切りは、今月いっぱい・・・・がんばらないと!!!マアとりあえず、続きを書きましょう。斉藤正三郎・・・・・こんな名前の武士は「尾張藩」にはいないなんて考えもしませんでしたよねえ。でも、公儀隠密のお志津がそう言ってるんだから・・・・探索結果がそうなんだから・・・・まず間違いはないんだろう・・・ジャア、あの「斉藤親子」の息子正三郎っていったい誰なんだろう?助さんだって、「江戸の道場で見たことがある」って言ってたし、「尾張藩士だと聞いている」っていうことも言ってたでしょ?その辺の事を助さんに聞くと・・・・「そう思ったんだがなあ・・・自信がなくなった」なんていうんですよ。その時、お七が「あっ!」なんて小さな声を出しました。「どうしたんだ?」「あの、あたしたち幽霊は・・・・脅かす相手を催眠術にかけるなんて簡単なのよ」「催眠術?」その時、「ご隠居」が私に「どうしたんだ?」と訊ねました。「お七ちゃん」の声は私にしか聞こえてないんだから、それは仕方ない事で、「お七ちゃん」のいったことを伝えると、「催眠術のう・・・・幽霊が催眠術・・・・・・」なんてまた考え込んじゃうんですよ。助さんが・・・剣術の達人、あの助さんが催眠術にかかっちゃう?そんなことはないだろうって思うんだけど、「お七ちゃん」がいうには、同じ幽霊でも、その存在を隠して催眠術が掛けられるのはよほど強い怨霊じゃあないかって言うんですよね。それじゃなきゃ、「お七ちゃん」や「義経さん」が気づくらしいんです。「かなり強い怨念という事じゃな。。。。」ご老公はそこまで言って、天を仰ぎました。「しかし、義経さん・・・・あなたは心当たりがおありじゃろう?」「義経さん」は心なしか青ざめた顔で(幽霊だからもともと青ざめてるんだけど)、「ハイ」と答えるんですよ。これを機に、義経さんはその姿を現し、お七ちゃんも一緒に姿を現します。「光圀殿のおっしゃる意味はわかります。」「ほう、あなたもやはり藤原氏の怨念と・・・・・・」「ハイ、もともと奥州藤原氏の祖、清衡殿は源氏とは敵同士・・・・源義家公にその父を討たれ、怨んでこそすれ、私を匿うなにものもなかった家なのです。たまたま、お家の騒動があり、そのとき源氏に助けを求めたのですが、それはあくまでも苦し紛れ・・・根流には”源氏憎し”という想いがあったことでしょう。それから三代・・・秀衡公は私を可愛がってくれたように思っておりましたが、おそらく将来、頼朝殿と私を競わせ、私が勝ったあかつきには、この私を利用し、藤原の天下を願ったはず・・・・私はもともと頭目には向かない性格でございましたから、きっとそうなったはずでございます。」かなりのショックを受けながらの発言だったでしょう。「この連判状・・・・・江戸家老”藤堂 主膳”、それに江戸詰の藩士”斉藤 外記”、・・・国表の藩士”工藤 立脇”・・・・いずれも”藤”の字が使われている苗字・・・・そのほか、安部何某、九条何某という名前も見える・・・・いずれも藤原一族・・・・・・」「ご隠居」は、そういう風に私達に教えてくれました。この連判状そのものが、奥州藤原氏の怨念のこもった「請願祈祷」の文書になっており、「藤原一族」が天下統一する・・という望みの文書でした。「しかし、秀衡様のご子息、泰衡殿に私は討たれました!」血を吐くような声で義経は吼えました。「藤原氏の願いは天下を取ること・・・・・あなたを討つことは目的ではありません。」たしなめるように「ご隠居」は言葉を続けます。「頼朝殿からあなたを討つよう、再三の申し入れ・・・またしても源氏の命令を受けなければならないのかという悔しさの中、泰衡どのはあなたを討ちました。それなのに、頼朝殿は藤原氏を・・・・平泉を攻め滅ぼすのです。このことから奥州藤原四代の怨念となり・・・・奥州藤原氏の末裔がこのような事件を起こしたのでしょう・・・・・この連判状最後の名前を御覧なさい!」「ご隠居」が指差したその名前・・・・・連判状の最後に、書かれた名前は「藤原正衡」この男こそが、奥州藤原氏の末裔、そして奥州藤原四代の志を受け継ぎ、「清衡」、「基衡」、「秀衡」、「泰衡」の霊に守られ続ける男、・・・そしてあの「斉藤正三郎」、その人だったのです。まだまだ説明は長くなりそうなので・・・今日はここまで!
2006.11.21
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夕べ帰ってきて、次男に「ケーキを食べないか?」って言ったら、「食べたくない」っていう返事・・・まだ具合が悪いんでしょうね?今朝はちょっと食欲が出てきたようなんだけど、朝からケーキはきつそうなんで、「10時ころ食べなさい」って会社に出てきました。夜に、熱が下がってればいいなあ・・・・・・・「スキヤキ・ウエスタン」のほうは、まだ何の連絡もありませんが、もしパクッた人が、今読んでるなら、なんか、コメントをください!・・・・待ってます。でも、「ブログ」にも著作権ってあるんですよねえ?目立ちたがりの私だから、ちょっと訴えてみようかな?・・・なんて考えたりしながら、続きを書きましょうか。前回で、かなりのヒントを出しちゃったけど、もう「先読み」をした人には、おうよその結末が見えてきましたよね。ほんとなら、浪人たちのお頭が、子分どもにそんな重要なことを教えるはずもないんですけど、浪人たちの会話を読んで見ると、かなりの部分を教えてる・・・・「奥州藤原の里、お狸様、信長と秀吉の霊、尾張、そして斉藤親子」私が「お頭」なら、絶対話しませんよね!それを聞いた「義経」が悩んだように・・・・もちろん「元・与太郎」の私「八兵衛」も悩むんですけど、「義経」さんの判らない物を、私に判るわけがなく、もちろん「ご隠居様」に相談するわけですよ。[なるほど・・・奥州の藤原一族が関係ありましたか・・・・・尾張をお狸様が霊を鎮守して・・・斉藤親子にも”藤”の字がありますからなあ・・・・」わけのわからない独り言を言うんですよ・・・・「ご隠居」最近ボケが出てきたんですかねえ・・・・なにしろお年ですから・・・・・「このことは、斉藤親子には内緒ですよ」最後に、声をひそめてそう言ってから、「飛び猿」を呼びました。「お前さんには、”義経”さんから聞いたお堂に行ってもらい”お志津”さんを助け出してもらいましょうか・・・・・・一人では大変でしょうから、”八兵衛”さんから手伝ってもらい”義経さん”お七さん”にもお出ましを願って浪人どもを一網打尽にしましょう!」私に助けろって言うんじゃなく、空中にそう言いましたから、私を守ってくれてる「義経公」と「お七ちゃん」に手伝ってくれといわんばかりですよね。・・まあいいけど・・・張り切ったのは「義経」さん・・・大好きな「お志津」さんを助けに行くんですから、「お七ちゃん」に風の起こし方とか脅かし方なんて教えてもらいましてね・・・・現場の「お堂」に到着。ここは「軍略になれている義経公」が作戦を立てます。「最初は、お七さんが入って脅かしましょう・・・・外に逃げてきたら今度は私が前方、お七さんが後方にいて挟み撃ちで脅かす。・・・その間に飛び猿さんがお志津さんを助け出す。」たいした作戦じゃないですけどね・・・・・私も聞いたんですけど・・・・「おいらはどうすればいいんだい?」「八兵衛さんは、総大将だから、その草葉の陰に・・・・・・」草葉の陰にいなきゃならないのはあんたでしょうに!・・・・・でも、ちょっと怖かったんでそうさせてもらいました。なんだかんだで立ち回りがあり~の、予定通り「お志津さん」を助け出しまして、浪人たちを縛り上げ手お堂の中に押し込めました。「どうしてあたしがここにいる事がわかったんだい?」どうやら、お志津さんには幽霊の姿が見えなかったようです。実はこれこれしかじかで・・・・・・説明をしましたところ、半信半疑ですけど信じてもらえたらしく、「義経さん、お七さん・・・ありがとう」天に向かって手を合わせて見せました。その足で、すぐぬ「ご隠居」の元へ向かったんですけど、お志津さんはいつもの伝法なしゃべり方ではなく、武家屋敷づとめのような口調で語り始めました。「私はご公儀の隠密でございます。水戸のご老公様には大変無礼を致しましたこと、お詫び申し上げます・・・・・」「お志津さん、私にはあなたの素性はわかっておりましたよ。それにあなたの狙いもね・・・・・。」そこで話を聞いているのは、私と飛び猿、助さんに格さん・・・それと幽霊だけ・・・・斉藤親子は呼んでいませんでした。ここから、ちょっと長いですけど、「お志津」の説明が始まります。「御公儀では、”尾張藩に不穏な動きあり”という探索結果が入り、調べましたところ、”お家転覆”を狙う尾張藩の江戸家老、藤堂 主膳のたくらみが発覚いたしました。はじめは連判状を作り、尾張公のお命を奪い、次の殿様を主膳の娘”お須磨の方様”のお子であらせられる”桐千代君”に跡目相続させるだけのことかと思っておりましたところ、そこへ”お狸様”盗難の報告・・・・これは何かあると思い、探索を進めておりました。ある日、主膳の屋敷から斉藤親子が出てまいりましたが、なにやらの旅仕度・・・どこへ参るのかつけてまいりましたところ、神奈川の宿で国表の侍、工藤 立脇という男から何かを受け取った様子・・・・これはあの”お狸様”ではないかと考えました・・・・・。」「ちょっとお待ちなさい・・・・あなたはあの親子の名前を助さんたちに尋ねたではありませんか?」「すべての藩士の顔を知っているわけではありません・・・・しかし、父親の斉藤外記の顔は存じておりましが息子の名前が確認できておりませんでした。・・・・そこで助さんに近づき、名前の確認をしたのでございます。。。。それに・・・」お志津は更に声を秘めました。「もし、斉藤親子の連判状がございましたら見ていただきたいのですが・・・・・」「ご隠居」は、斉藤親子から受け取った連判状をひろげました。最初気がつきませんでしたが・・・・・「義経さん」があっと声を出しました。もちろん聴こえたのは私だけなんですけどね・・・・・・・「源平藤橘・・・・・・」私は耳に聞こえたそのままを皆に話しました。「源平藤橘。。。。って義経さんが話してますけど?」「ご隠居」は・・「なるほど!」と膝を打ちながら答えました。「この連判状、わが国の四大姓の源氏、平氏、藤原氏、橘氏のうち、藤原氏の姓ばかり!」ここで、説明をすると「藤」と苗字のどこかについてるのは、もともとは「藤原氏」の出身だということ・・・・・つまり連判状に名前の載ってるのはほとんどが「藤原氏」の出身のものばかりということです。そこには「斉藤外記」の名前も連ねておりましたが、以前聞いたときには「江戸家老をたぶらかす為」に、連判状に名前を連ねたということでしたが、ここで不思議なことに、息子の「斉藤正三郎」の名前がありません。「私達の調べでは、斉藤外記には正三郎という子供はおりません。」お志津が衝撃的な発言を!・・・・・・・今日はこの辺にしとこうかな?じゃあまたあとで・・・続く
2006.11.21
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土曜日にね・・・三沢のホテルに泊まってテレビの芸能ニュースを見てたんだけど、驚いちゃったよ!映画の製作発表会のニュースでね、そのタイトルがなんと!!!!!!「スキヤキ・ウエスタン」これってどっかで聞いた事ない?私の日記の10月31日から見てください!「夢の続き(スキヤキ・ウエスタン)」っていうの書いてるんですよ!!!!しかも、主演の役者は日本人なのに、アメリカ人のカーボーイの役らしい。。。。そういう設定って、私と似てるよね。「わたしのスキヤキ・ウエスタン」の場合は、純日本人のわたしが主役なんだけど、血の繋がった妹が「はっきり!アメリカ人!!」つまり、画面のわたしは日本人なんだけど、気持ちはアメリカ人になりきってるんだよね。同じ時期に、同じタイトル、同じ設定を思いついたのか・・・それとも、私のネタを「パクッタ」のか・・・・どっちかはわからないけど、ちょっと気になるよね。いっとくけど、わたしがパクった・・なんて事はないですからね!「パクったんなら金払え!」・・・なんてことはいわないけど、このタイトル使ったのは、私のほうが先なんだからね・・・・そこんとこはっきりしとこうよ!ああ、それからご心配をかけた次男の熱なんだけどね・・・・・今帰ってきて確認したら、まだ37度7分もあって・・・・お土産のケーキも食べられないみたい・・・ちょっと心配だなあ・・・・さて、昨日は尾張藩の宝物の話しが出てきましたよね。でも、その宝物を盗ったといわれてる「斉藤親子」は、そのものがなにか知らない様子!「敵の頭目」と思われてた「お志津」は、その敵である浪人者たちに誘拐されちゃうし・・・この先どうなるのか、作者である私にもわからない!とりあえず、「お志津」が連れ込まれた、お堂にでも行ってみましょうか?お堂の中では、数人の浪人たちが酒を酌み交わしながらおしゃべりしてましてねえ・・・「うちのお頭はなにを考えてるんだか?」「まったくだ!奥州藤原の郷に天下の覇権を・・・なんぞという世迷言!・・・わしらにはまったく理解できん!」「奥州藤原の郷」・・・・・・その言葉を聞いて反応したのは、もちろん「お志津」を追いかけてきた「源義経」だった。(私が命を落とした奥州平泉・・・・・あれから既に400年か・・・・・・)義経にとって「平泉」は、第二の故郷でもあり、そして裏切られ絶命した終焉の地でもあった。浪人たちの話は続いていた。「マアどっちにしろ、戦乱の世にならなければ我々武士は存在する価値のないものになってしまう・・・ましてや我ら浪人は仕官する道を閉ざされたも同然!」「だから、徳川家から内紛を起こさせ、世の中を”関が原以前”に戻すというておられたが・・・それと奥州とどんな関係があったのやら・・まったくわからん!」「なぜ”尾張”なんじゃ?」「なんでもなあ・・・尾張徳川家には織田信長と豊臣秀吉の霊を押さえつける”お狸様”という像があってな・・・・それを徳川家から取り上げれば、信長、秀吉の霊が暴れだし、たちまち戦乱の世に舞い戻る・・・といっておられたが・・・・・・」「しかし、なんで斉藤親子を襲わせたんじゃ?・・・それがわからん!」義経の頭も混乱してきているに違いない・・・・・頭の中を整理しようと必死に考える・・・マア必死といっても・・・もう既に死んではいるのだけれど・・・・・(奥州藤原の郷、お狸様、信長と秀吉の霊、尾張、そして斉藤親子・・・)このばらばらの文字の羅列が・・・どこでどう繋がるんでしょう?義経の頭はますます混乱してきてんですけど・・・・・とりあえず「お志津」の命は別状無いようだし、いったん旅籠に帰り、「八兵衛殿と相談して参ろう!」「義経」って生きている間は、「奇襲の名人・軍略の天才」とか言われてたんだけど、政治とかにはまったくついていけず、だからこそ何にも考えずに「法皇様」に騙されて、官位を貰い・・・・・それが「兄・頼朝」から疎まれる原因になったんだけど・・・・もう少し自分の頭で考えて行動してれば、殺される事もなかったんじゃないですかね?「人に命令される事だけやってれば、楽だもんなあ」・・・・・マア小さいころから親と引き離され、鞍馬の僧侶や、平泉の藤原ひでひらに命令されながら生きるすべを探っていった義経ですから、ちょっと「Mッ気」もあったんでしょうね?幽霊ですから一瞬のうちに旅籠へ戻り、八兵衛である私に、今まで見聞きした事を全て話しました。あ、ごめんね・・・眠くなっちゃった・・・・ヒントがだいぶ出揃ってきたんで・・・・今日は寝るよ・・・おやすみ
2006.11.20
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私が家に帰っても誰もいない・・・・・どうしたのかなって思ってたら、次男とかみさんが映画「デス・ノート」を見にいってきたって・・・・・でも次男・・・ぐったりしてるんですよ!頭に手を置いてみると、けっこう熱い・・・「あらら!」市民病院の救急に連れて行ったら、熱が38度2分あってね・・・・・診てもらった先生が「メンタルクリニック専門」の先生で・・「デス・ノート」が恐くって「ストレスじゃないですか?」っていわれました。専門の先生に相談したらしく・・・・ちょっと待ってたら今度は「小児科」の先生が着てくれたんですけど、「ああ風邪でしょう・・・」っていわれて、点滴だけでした。で、点滴が一時間・・・・家に戻ったらもう22時でした。それから、ありあわせのおかずで「夕飯」を食べ・・・・・寝たら起きられないなあって思いつつ、ジャア、「水戸黄門」の続きでも・・・ってことで今ここに座ってます。あ、着物を脱いだとこまで書いたのに、ちょっと時間をおいたら、もう湯船に入ってました。惜しいなあ・・・・ちょうどその肌の白さときめの細かさ・・・贅肉がない・・・といってもそれなりに出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでるちょっとふくよかなスタイルの描写ができませんでした。マア、そのうち、また風呂に入るでしょう・・・・湯船に入ってるとこだけでも見ていましょうか!そこへ・・・・もう一人、誰か入ってきました・・・・誰だろ?ああ!こっちも顔を確認しようと思ってたら、スタイルがわかりませんでした!「あなた、お純さんだよね?」その声は「お志津」の声でした。二人は湯船で 、背中合わせに座りながら、だけれどもお互い微塵のすきもなく・・・・・会話を始めました。「あたしのことはある程度知ってるんだろ?」「あなたが、八兵衛さんがいってた”お志津”さんでしょ?」「やっぱり知ってたかい!・・・そうさ、あたしがお志津だよ・・・」「なんで斉藤さんたちを追いかけてるんだい?・・・・ただ国へ帰ろうとしてるだけなのにサア」「四国に帰るっていうんだろ?・・・なんで四国なんだろうねえ?」お志津も、「斉藤親子」が尾張の藩士だってことを知ってるようでした。「浪人物まで使って、あの人たちのじゃまをしようとするって、あの人たちがなんなのさ?」お純さんはカマをカケたみたいです。「浪人?あたしゃ知らないねえ・・・きっと尾張から来た刺客じゃないのかい?・・・あの親子は藩の大事な品物を持ってでたからねえ・・・・・」「大事なもの?・・・そりゃ聞いてなかったねえ・・・・それってなんなのさ?」「サア、なんでしょうかねえ?・・それがなきゃ、尾張の殿様も”ただの人”ってなもんさ!」お純はそこで一瞬考えました(連判状の事じゃない!・・・連判状がなくたって殿様がただの人ってことはないじゃないか!)そこでお純は、質問を重ねました。「あの浪人者たちも、それを狙ってたっていうのかい?」「そりゃ、殿様が殿様じゃなくなる品物だからねえ・・・・侍たちは躍起となって取り返そうとするだろうよ?」(これは確実に連判状の事じゃない)・・って、お純は確信しましたねえ。「で、あんたが何でそんなもの狙うんだい?・・・・あたしたちがそんな物もったって、殿様になれるわけじゃなし・・・・」お純がそう言いかけたとき、浴場の戸が開き、数人の女性泊り客が、がやがやと入ってきたのです。そしていつの間にか、お志津の姿はそこにありませんでした。「やっぱりあの子、ただの芸人じゃない・・・・いづれにしても忍者・・・・」お純は、そうつぶやくような独り言をもらしました。でもね・・・・・雲のように消えたように見えたんですけど・・・・このお志津の姿を追いかけてるものもいるんですよ。そう・・・幽霊の「源義経」さんが、お風呂場の一部始終を見てたんですよね。お志津が、この旅籠の入り込んだとき、その気配を感じたんでしょう・・・・それでその気配を追いかけていったら女風呂にそれが感じられたから入っていった・・・ってことです!けして、どこかの誰かのように「覗き」のために「女風呂」に入ったんじゃありません。だって、覗こうと思えばいつだってどこだって・・・入り込める幽霊なんですから・・・・・それではしばらくの間、お志津と義経のあとを追いかけてみましょうか?「女風呂」から抜け出したお志津・・・実はお純には10畳間ぐらいに見えた浴室ですが、実際は十二畳ほどの広さがあったんです。内装のさらに内側が、お芝居の「カキワリ」っていうか映画撮影のセットのようになってまして・・・つまり、お純が「壁」だと思ってたところはただの「ついたて」で、お志津がその裏に隠れたというだけの事なんですよ・・・・・そして、お純や他の客が風呂から上がって、各自の部屋に戻るころ、そこから抜け出しただけなんですけどね。「ああ、すっかり冷えちゃったよ・・・・もう一度、暖まってくりゃよかったな・・・」そう独り言をいいながら歩いていますと・・・・バラバラっと数人の浪人物が現れました。「お前がお志津だな?」そういうなり、彼女のみぞおちに当身を一発!「う・・・・ん」と倒れこむ「お志津」を、一人の男が担いで・・・・・義経はその「誘拐」を黙ってみてたのかって?そうなんですよ・・・・もちろん幽霊ですから助けようと思えば「お七」のように風を吹かせて助けられるんですけど、あっと言う瞬間でしたからね・・・・それにまだ幽霊としての活動に不慣れで、また自分自身、どんなワザを持ってるのかも把握してなかったんでしょう。そのあと「お志津」が小さな「お堂」び連れ込まれるまで、「義経公」はただ後を突いてくだけでした。一方、女風呂から出たお純。。。。。あっ、風呂上りでの着替えシーンをいれるのも忘れちゃった。マアいいけど・・・さっそく「ご隠居」に報告!「彼らが狙ってるのは連判状ではないようなんです、なにか殿様の大事なものを持ってないんですか?」斉藤親子も頭をひねるばかりで・・・・その品物ってなんなんでしょうね。。。。?続きます。
2006.11.19
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皆さんのおかげで「10000人突破」を確認してから出張に出かけられました。さっき帰ってきて、いなかった間のコメントを確認してましたけど、ほんと「涙の出る思い」ですねえ。(感謝、感謝・・・・・・・・)金曜日の夕方、5時過ぎに、「JUN太」さんにも会うことができたし、「ami」ちゃんとは、5時間もカラオケしちゃって・・・・・また、うちの「長男」クンも、わたしと次男のこの「ブログ」を読みにきてくれたようで、「親子のコミュニュケーション」が取れて、ほんとによかった!でもねえ・・・・・月曜日、また「東京出張」なんですよ!また、朝の4時に出なくちゃなあ・・・・・少々疲れました。いえいえ、今度は日帰りなんですけどねえ・・・・だから荷物は何にもないんですけど、もし会えるなら、「20日、月曜の夕方・・・・・東北新幹線八戸いき、”最終列車”の時間」までお茶してくれる人いません?たくさんの人に、会ってみたいなあああ、そうそう・・・・・昨日はね十和田市で・・・「青森県PTA連合会第42回研究大会」っていうのがあってね、たくさんの人とあったんだけど・・・・・その中に、やっぱり読んでくれてる人がいてね・・・驚いちゃった!トク丸さん、いつもありがとうね!あ、そうそう・・・・・・・・♪ピンポンパンポ~~~ン業務連絡、業務連絡!「むつ市連合PTA事務局」のノリちゃんの娘の「まいこちゃん」・・・・・このブログ、読んでくれてありがとうね!「お母さん、”喜び組”って何?」って聞いたようだけれども・・・・君も「ナイト喜び組」のメンバー表に登録しといたから!これからもよろしくね・・・・それで、今度、むつに帰ってきたら、この「おじさん」とデートしようね!もちろん、お母さんに内緒でね・・・・(見てないだろうなあ・・・・・・)なんて好き勝手な事をほざいてますが・・・・・・ほんと皆さんのおかげで、10000人突破できました、心から感謝申し上げます。さて「水戸黄門」ですが、どこまでいったんでしたっけ?あ、そうそう・・・・小田原でしたね?小田原城は1495年、「北条早雲」がここに住むようになり、城下町として栄えたんですけど、秀吉の北条攻めで、「北条氏」が滅び、その後「大久保」「安部」「稲葉」が城主を勤めるんですが、明治に取り壊されるまで、290年間、その威容を誇ったそうです。この地は、「二宮金次郎」の生まれ故郷としても有名ですけど・・・まだ、この当時は生まれてませんねえ・・・・それと、ここには「新田義貞」の首塚っていうのもあるんですけど、これ以上幽霊を増やしたくないんで、ここは飛ばしていきましょう名物は「かまぼこ」に「ういろう」・・・・でもこの当時はまだ作られてないかな?ああ、「ういろう」は、もうあったみたいです。それも、「京都から持ち込まれた伝統的な製法」で作られてるのもあるそうで、当時「医薬品」として食べられたそうですけど、この「平成」の時代でも、「医薬品」として作られてる商品があるそうです。さて、今日はちょっと急ぎの旅だったんで、疲れてたんですけど・・・「お七」の様子がちょっと変でしたから、私は彼女を誘って外にでてみました。もちろん、(義経以外の)他の人には見えない「お七」チャンですから、こっそり連れ出したんですけどね・・・・川っぷちにいって、「どうしたんだい?」って聞いたんですよ。「ここはね・・・・・私が”火あぶり”にあったあと、吉三郎さんが、私の菩提を弔うために、青銅のお地蔵様を建ててくれるとこなのよ」吉三郎とは、「八百屋お七がこの男に会いたいがために火付けをしたっていわれる人」で、吉祥寺の小姓「吉三郎」のことででしょう。彼が「お七」の菩提を弔うために、5メートルもの「青銅製地蔵尊」を建立したっていう場所は、小田原ではなく、「箱根の賽の河原」らしいんですけど・・・・私らにとっては、まだ生まれてもない男のことですから、特に感慨もない・・・・・・でも、こうしてシュンとしてる「お七」を見ると、抱きしめたくなってきました。「おいらじゃ、代わりは勤まんないのかなあ・・・・・・・?」「ううん・・・吉三郎さんは、あたしの事、好きでもなんでもなかったわ・・・・ただ私がかわいそうだから、お地蔵様を建てるのよね」「ジャア、おいらでもいいのかい?」「バカねえ・・・あたし、アンタが似てるからっていうより、ほんとに好きになったのよ!・・・だからもう死んでも放さないつもりよ!」おいおい、アンタはもう死んでるって!・・・・って口まででかかったんだけど、たとえ相手が幽霊ででも、私のことを好きになってくれる人なんか、今後出てくるわけがないし、ほんと一緒になってもいいかなって思い始めてました。旅籠に帰ると、もう一人の幽霊・・「源義経」さんも、物思いにふけってました。きっと、あの怪しい女「お志津」のことを思ってたんでしょうねえ。翌朝、早々に箱根に向かって出発した我々一行!いつもの4人に、今日は「飛び猿」「弥七」「お純」それに、「斉藤親子」の9人連れで歩く事にしました。それは、もし浪人者たちに襲われたら・・・っていうことも考えましたんで、いつもは姿を隠してる3人も同行したんですが・・・・・いやあ、初めてあって話しするようなもんですから、ちょっとは新鮮な気分でしたねえ。もちろん、このほかに「お七」と「義経」も一緒だったから総勢11人ですか・・・・今日は明日の「箱根越え」を考えて、箱根に泊まる予定ですけどそれでも17キロくらい歩くんですよね、でも、当時の箱根って何にもないんですよ・・・・・宿場だってあったかどうかわからないでも、こっちは「夢の世界」のお話しですからねえあってもなくても、そろそろ、「お純」の入浴シーンがなくっちゃ!箱根の宿に入ると、あちこちから湯煙が昇っていました・・・・日本人って温泉大好きですからねえ・・・・みんな早速お風呂に入ろうってことになりました。で、せっかくですから今日は、普段入ることのない「女風呂潜入ルポ」!といっても一行に女性は「お純」だけですからね・・・・(あ、お七は幽霊で足がどの辺からないのかわからないので、ここは”お純”に頑張ってもらいましょう)オ純がするするっと着物の帯を解きました。ってとこで、また続く
2006.11.19
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皆さんに大騒ぎさせてしまいましたが、「10000アクセス突破」ができました。終わってみると、なんとなく「祭りのあと」っていう感じで、ちょっと寂しいですねえ。これからも、「ナイトサファリ」と「ナイト・ジュニア」の親子競作ブログをよろしくお願いいたします。さっき、長男のパソコンにも招待状を送っておきました。私のは読まなくてもいいけど、「君の弟」が「お兄ちゃんに読んで欲しい!」って言ってるんだから、読んだらコメントを書いてあげなさいよ。さて、「水戸黄門」ですけど・・・いよいよ佳境にはいってきましたね!小田原の旅籠で、「尾張徳川家」の藩士親子から、「主君暗殺の陰謀」を聞いた水戸黄門主従は、その証拠となる連判状を見ました。「しかし、連判状が本物である・・・という証拠はないなあ」「もっと具体的な証拠となるものがあれば・・・・」「しからば、このようなものはどうでしょうか?」斉藤外記(父親のほう)が言うには、参勤交代で江戸に出仕する「殿様」のために、江戸の上屋敷が、何か普請をしたということ・・・・しかも、それは内密のうちに工事が終わり、江戸家老(藤堂主膳)だけが中身を知っているらしいという話しで・・・いかにも怪しい!「なんとか絵図面でも手に入れる方法は・・・・・・・」絵図面が手に入れば、屋敷の普請にどのような改造が加えられたかを知ることができます。「お屋敷出入りの大工の棟梁が絵図面を持っている」早速、「風車の弥八」親分が、江戸に立ち戻り、その絵図面を貰う、あるいは盗んでくるという手筈を整えましたけど、お茶会の席までに間に合うかどうか!・・・・・・・それと、私と助さんが「あの女・お志津」の動向を探る・・・・・「飛び猿」と「お純」は、朝方「斉藤親子」を襲った浪人者たちの素性を探りだす・・・ということになったんですけど・・・ここで私質問したんですよ!「あのお志津っていう女が、浪人者たちを動かしたんじゃないんですかい?」その質問に「ご隠居」は「おそらく違うであろうなあ・・・・もし、その女が黒幕なれば、”斉藤親子”の名前を聞いたり、行く先を尋ねたりはしないでしょう?」なるほど・・・襲った浪人者たちは、斉藤親子のことを知っていて襲った形跡があるし、駿府に到着する前に連判状を取り戻したいという行動に違いない・・・そう思えるんですよねえ。あ、ゴメン、明日朝4時出発だ・・・・もう寝なきゃね続きは日曜日の夜中だな・・・・・・さらばじゃ!
2006.11.16
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まだ、開設99日目のうちに・・・・10000人突破できました!11月16日午後10時40分でした。栄えある10000人目は・・・KANDA-KAZUさん、あなたでした!コメントを戴いた事はないんですが、何度も来ていただいていますね。ありがとうございます。私書箱に「住所とお名前」を頂戴出来れば、ささやかですけど粗品をお送りいたします。むつ市の地酒「関の井」にするつもりですけど・・・・・・・協力していただいた、皆さん、本当にありがとう!!皆さんと、オフ会する機会があったら、何か持って行きますからね!そういえば、「せんべい汁」がいいって言う人もいたなあ?
2006.11.16
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地獄で悟空とジャネンバが戦っています。ドガ!バギッ!!・・・キンコンカンキン!悟空が、ぶっ飛ばされながら言いました・・・・「ジャネンバ!・・・こいつほんとにツエ~!」「ハハーッ!、おれさまの針山地獄を見たか!・・・お前は、もう終わりだ!」ビシッビシッ!!「ベジータ!フュージョンしてくれ!」「わかったぞ、カカロット!・・・・・・フュージョン、ハッ!」「グルルルルルルルルルルッ!」べジータと悟空は、合体しました。「これが、スーパーゴジータ様だ!」「グルルルルルルルルッ(なに?)」カシャーンカシャーン!(剣の音)・・・バギッボギッ(殴り合い)戦いはまだまだ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ナイト・ジュニアの執筆活動はまだまだ続きます。
2006.11.16
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困ったことになりました!さっき連絡が入り、東京出張になりました。13時30分から15時までの用事・・・あさっては「十和田市での青森県PTA連絡協議会」の総会だから、東京一泊して朝の飛行機で戻りますけど、困りましたねえ・・・・・明日が、100日目・・・・10000人突破できるかどうか・・・確認が難しい!日曜日まで確認できないとなると・・・・・誰か、確認しといてくれません?10000人目の人は私書箱に連絡を!お願い!
2006.11.16
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昨日はスキークラブ「釜臥クラブ」のウェート・トレーニングの日で、夕方から午後8時半まで、みっちり練習をしました。帰ってから、「さて、続きを書こうか」・・なんて考えてるときに、テレビで「千島列島沖地震」のニュース!・・・それでも、津波は青森まで来ないだろうと、ノンビリしてたらね、役所から「パトロール」に出かけるようにという指示があり、そのまま出かけて、戻ったのが2時半・・・もう書けませんよ!朝、次男から「続きが書きたかったなあ」って言われたんだけど、この「水戸黄門」も「孫悟空」も、自然には勝てませんねえ。さて、水戸黄門のほうなんですけど、私は「お七」と「義経」の幽霊を引き連れまして、旅籠に戻りましたが、「いまから出発する」って言われましてね・・・・「話が違うじゃねえか」って怒ったんですけど、「ワガママな年寄り」ですから、「こうと決めたら」頑固です。あわてて支度したんですけどねえ、今日は「平塚」から「大磯」まで・・・・いや「小田原」まで行っちゃうのかな?道すがら、私、「幽霊が二人になっちゃった」こと、「ご隠居」に話したんですよ。「お七の幽霊」は「黄門様」も一度は姿を見てますからねえ、信じてもらえるんだけど、「よろい武者の源義経」については信じちゃもらえない・・・・って思ったんですよ。でもね・・・すんなり信じてくれましたね。「頼朝公に、”鎌倉にはいることを止められた”っていう思いがありますからなあ・・・奥州で討ち死にされたとは言え、首だけでも鎌倉へ入れる・・・・それが、幽霊となってこの地に現れたんでしょう」詳しいことはわかりませんが、マアとりあえず信じてもらったんですけど、それより、「ご隠居」は、今朝別れた「斉藤親子」のことが心配な様子でした。さっき、「お純」が「「飛び猿」からの手紙を託されて、戻ってきたんですけどね、「平塚」に入る手前で、あの「親子」、数人の浪人者に襲われたんだそうです。マア、けがはなかったらしいんですけど、「飛び猿」が通りがかりを装って助けに入ったら、浪人たちは逃げ出して、・・・でもあの親子・・・「礼」もそこそこに、すたすた行っちゃったんだそうです。「平塚」で「お純」に出会ったので手紙を託し、「飛び猿」はあの親子を追い続けてる・・・ってことなんですけど・・・・ヤッパリ小田原まで行きそうだなあ「平塚」に着いたのはお昼ごろでした。ここは、後々「安藤広重」が「南湖の左冨士」を描いたほどの風光明媚なとこなんですけど、ユックリしてはいられません!そのまま通過して、お昼の休憩は「大磯」に決めました。ここもなにやら、「幽霊」が出そうなとこなんですけどね・・・・・これ以上、増えても困りますから、早めに通過したほうがいいでしょう。(注;ここには番町皿屋敷の”お菊の墓”があるんだけど、この時点で、まだ事件が発生してないから墓もない)「平塚」から「大磯」までは3キロほど・・・・すぐ着いたんですけど、ここも「お昼の休憩」だけですぐ出発しましたね。大磯はその後、「湘南」という地名の発祥の地になるくらいのきれいなとこなんですけど、この由来は「中国湖南省にある洞庭湖のほとり、湘江の南側を湘南」って呼んでて、そこに景色が似てたから「湘南」って言われるようになった・・・ということは「水戸黄門様」でもご存じない!で、「大磯」から「小田原」まで16キロ・・・・・着いたのはずいぶん遅くなってからでしたねえ。小田原に着くと、すぐに「飛び猿」が現れました。「弥七」も一緒だったんですけどね・・・・「この先の、つるみ屋という旅籠に宿をとりました」私達の宿ではなく、「斉藤親子」が泊まってるってことなんですけどね・・・・・「私達もそこへ泊まりましょう」ってことで同じ宿へ・・・・・・到着すると、直ちに「斉藤親子」の部屋を訪れたんです。「私は、あなた方のあとを追いかけてまいりました・・・・・」「黄門様」・・・正直に言っちゃうんですよねところが「斉藤親子」。驚きもしないんですよ。。。。。「もしや、あなた様は・・・・”水戸のご老公様”・・・・・」ばれてる!「神奈川の宿で、水戸のご老公様が、悪人退治をされたというお噂をお聞きしまして、もしや・・・と存じておりました。」そりゃそうだ・・・・いまでいうなら、「塩爺・・・こと塩川元財務大臣」が直接、悪人退治をしたということだからねえ・・・噂だって大きく広まるさ!「私は、尾張徳川家の江戸詰め・・・斉藤外記目にございます。ミとのご老公様には隠し事を致しましてもせんないこと・・・すべて包み隠さず申し上げます。」普通なら、いくら「黄門様」でも隠すべきところは隠すんでしょうけどね・・・この斉藤さん・・全てを「黄門様」の判断に任せる覚悟のようです。「実は、我が殿にあらせられましては、ただいま、参勤交代の旅の途中!・・・・このたびは、駿府城におかれまして、”神君家康公”をお偲びしての”お茶会”が催されるよし、その会に出席されますわが殿に進言を致したく急いでおりました。」会話文だと、めんどくさいので、かいつまんで話しますとね・・・・・尾張の江戸家老が、殿様の暗殺を企ててるって言うんですよ・・・・・それで、江戸に入るのを待ってくれるよう、殿様にお願いしに来たって言うんですけどね・・・・・でも、言葉だけじゃ信じてもらえないだろうから、その悪巧みに加担する「連判状」が手に入ったので持参した・・ってことなんですよ。昼に襲われたのも、実はその連判状を狙われたらしくってねいよいよ、大事件勃発ですかな?おっと忙しくなってきたので、今日はこれまで!
2006.11.16
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皆さん、気がついているんですかねえ?私の、今書いてる「日記」の部分のタイトルが「航海日誌」ってことは、皆さんよくご存知なんですけど、BBS・・「掲示板」のほうのタイトル・・・「クルーズ・ミーティング」なんですよ。それだけじゃなくて、「掲示板」の最初の挨拶が・・・「ご乗船ありがとうございました」になってるんですけど「書き込み」をしていただいた方への「お礼」の挨拶なんですけどね、「下記」の通りなんです。 ここに書き込みをしてくれて方の 「ナイト喜び組」 入会を認めます・・・・・おめでとう! あなたも、知らないうちに、「ナイト喜び組」に、入会してますよ?
2006.11.15
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次男が突然「ボクも、インターネットでなにか書きたい!」って言い出したのが、夜の九時・・・ちょうど、私も「水戸黄門」を書き終わったところだったので、「ようし、じゃあ水戸黄門”むつ市の巻”書くか?」って言ったら、「そうじゃなくて、孫悟空のこと書くんだ!」っていうんですよ。それはいいんですけど・・・「ボクも、読んでる人からメールをもらいたい」って言うもんですから、登録させたんですけどね・・・・・「私の水戸黄門」が、「マア君の孫悟空」に負けちゃいましたね・・・・・・いまのところ、コメント数・・・「トリプル・スコア」の大差!気を取り直して、書き始める「ナイトサファリ」です。昨日は、前日、居酒屋で絡んできた女が、散歩中に井戸で水を飲もうとしてた私に声をかけてきたところでしたね。そして振り返ったところ、その女の後ろに二人の幽霊が立っていた、ってところまでお話ししました。この「夢」、なぜか幽霊が多いですよね・・・・「お七の幽霊」に「よろい武者の幽霊」・・・・まるで、スイスアルプスにでも行ったみたいに・・・・「ユ~レ~ヒィ~♪」(そりゃヨーデルだ)・・そそ、幽霊がヨーデル!(たまに、親父ギャグを入れてみたんですけど、いかがでしょう?)私は、「生きてる女」より、「お七チャン」達のほうに視線を向けてたようです。「ねえ、あんた、どっちを向いてるのよ?」「生きてる女」は、私の見ている方向を振り返りました。でも、どうやら、その女には「お七とよろい武者」が見えないようです。ここで、「幽霊が見える」って話しても、どうせ信じてもらえないんだろうから、「い、いや・・・なんでもない」私は、その女に視線を戻して答えました。「ちょっと教えてもらいたいことがあるんだけどサア・・・・」その女は、私により近づいてきて肩にしな垂れかかりながら、そういうのです。「私の名前は”お志津”・・・アア、あんたの名前は夕べ聞いたから知ってるよ、”八兵衛さん”だろ?」ヤッパリ、盗み聞きしてやがった!「夕べ話してた、侍二人組み・・今朝は早や立ちしたんだろ?・・名前教えてくんないかなあ?」「名前を聞いてどうすんだい?」「いえね、あたしの妹分が、あのわかい男に騙されたらしくってねえ」それで名前も知らないのか?・・・って言いたかったけど黙ってました。「名前は聞いてないなあ・・・・・四国に行くっては言ってたけど」「四国・・・・・・」その女は、ちょっと考え込んでいましたけど・・・・「ああ、ありがとね・・・・また今度あったら、お酒でもおごるから!」そのまま行っちゃいました。それより、「お七ちゃん」です。・・・・・・・私は彼らに一歩近づき尋ねました。「誰だよ、その男は?」「ああら、焼きもち妬いてるの?」・・・お七はからかうように答えました。「あんたこの井戸のこと知ってる?・・・・これはね”義経首洗いの井戸”っていうんだよ」「源義経」が「奥州藤原の里」で討ち死にをし、その首が「鎌倉」の「源頼朝」の元に届けられたとき、この井戸で「首」を洗って届けたんだそうです。「じゃあ、この人が”義経”さん?」「うん、この人も好きな人と引き裂かれ、殺されちゃったでしょ?だから、私に同情して応援してくれるんだって!」でも、そのよろい武者は、さっきの「生きてる女」が去った方向を見つめながらつぶやくのです。「お志津・・・・・・・」そう言えば、義経の恋人は「静御前」・・・・私は二人を引き連れて、旅籠に戻りました。「おい、どこに行ってたんだ!」・・・格さんに叱られました。「どこって?することもないから、町をあちこち歩いてきたんだよ!」「ご隠居様が出立なさるといっておられる!・・・すぐに支度をせい!」なんだよ・・・今日はノンビリするんだっていってたクセに・・・・あわただしい中、出立したのがお昼前・・・・今日中に「平塚」を通って「大磯」・・・いや[小田原]まで行けるのかなあ?
2006.11.15
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臨時ニュースです。この場は、うちの次男「マー君)が「孫悟空 対 ジャネンバ」っていうの小説で書くというので、お付き合いください。ジャア、マア君・・・どうぞ!!!地獄で孫悟空とジャネンバが戦っていました。「おめぇはだれだ」「ぐるるるるるるるるう。」「もしかして、ジャネンバか?」「ぐるるるるるるる(当たりだ)」「ジャア、勝負しようぜ」「ぐるるるる(いつでもいいぞ。)」「よーしかーめーはーめーはー。」「ぐるるるる(いたくないぞ)」「ならじゃんけん・・・・・ぐー」「ぐるるるる(ぐあーっ、)」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうです!!この地獄の戦いの臨場感!!さすが、うちの「マー君」!!・・・・・・・・天才だなあ!!(親バカ!!)さてこの続きは?(続くのかなあ?????)
2006.11.14
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明日とあさって、その翌日・・・・あと3日で10000アクセス・・・・できるかなあ?今朝の話ですけどね、次男が、「お父さんの水戸黄門、先生読んでるんだって」皆さんの中に、子供の担任の「中村先生」、いらっしゃるんですか?そういえば、PTAのお母さんたちも読んでくれてるんだから、「中村先生」が読んでてもおかしくないんだけど、いやあ、書くことをもう少し考えないとな!次男との会話、もう少しありまして・・・・・・「お父さんの”今の水戸黄門”、終わったら、今度僕にも書かせてよ!」「マー君が、水戸黄門の続き書くの?」「うん、僕は”むつ市”の水戸黄門が書きたいんだ」三保の松原で「天女」に「あまの羽衣」を返したら、今度は「青森県むつ市」に、水戸黄門が現れそうです。さて、「藤沢」に着いた私達ですが、夕食が物足りないので、私と「助さん」、居酒屋に呑みにいったんですよ。今日は、途中一緒になった親子連れのお武家様をずっと背負ってたんでね、だいぶ疲れたんですけど、「ご隠居様」から、「明日はもう一泊しよう」っていわれてたんで、気が楽なんですよ。ああ、一緒になった親子連れは、明日朝早く出立するって言ってましたから、もう会うこともないでしょうけどね。「あのお武家様たち、四国へ向かうっていってましたけど、ほんとですかね?」私、お酒のつまみに、そんな質問を「助さん」にしました。「ほう、お前もそう思ってたのか?」「え?助さんもそう思ってたんですか・・・・だってね、四国の藩士っていうのに、四国の訛りがまったくないんですぜ!・・・それで変だと思ったんだけど・・・・助さんも言葉で?」「江戸屋敷で生まれた、四国の藩士もいるからな・・・それだけで違うとは言い切れないが、実は・・・あの若い男、見たことがあるんだよ・・・・・江戸の道場でな」優男ですが、この「助さん」・・・まこと本名は「佐々木助三郎」っていいまして、柳生晋陰流の達人なんですよ。黄門様のお供をして歩いてますから、めだたないように免状までは戴いてないんですけどね。「確かに、尾張徳川家の家臣のはず・・・・だから、行き先は名古屋・・・・・」「なんで隠すんですかねえ?・・・名古屋なら名古屋っていえばいいのに?」「急ぎの旅といっておったからなあ・・・何か秘密の事でも・・・・・」その時、二人の間を割ってちょっと伝法な感じの酔っ払った女が割り込んできたんです。「あらあら、ここはお酒を飲んで楽しむ場所ですよ・・・そんなに難しい顔をしてお酒を飲んじゃ、お酒に失礼ですよ!・・・・サアサ、どうぞ一杯!」「おっとすまねえ!いやあ、姐さんのようにきれいな人から、お酒を注いでもらうと、つまみもいらねえや!」そういったとたん、店の中ですよ!突然風が吹いて、店の明かりがみんな消えちゃったんですよ。(お七ちゃんだ!)すぐに明かりはつけられましたけどねえ・・・あの女がいないんですよ「あらら、お連れさんどっかに行っちゃいましたねえ」店の女将は、あの女が連れだと思ったらしく、落ち着いてそう言ってたんですけど、私らがあの女の、飲み代まで支払う事になっちゃいました。そのまま、旅籠へ戻りましたけどね、「助さん」が変なことを言うんです。「あの女・・・・私達の話を聞いていたな・・・・・」そういえば、あんなに酔っ払って見えたのに、「あの女の飲み代」はお銚子一本だけ!女将が連れと思ったのは、同じ時刻に居酒屋に入ってきたからでしょう。あの女は何者?旅籠に帰ると、「ご隠居様」はまだ起きてらっしゃいました。「今、居酒屋でこれこれこういうことがありました。」「助さん」は、何事も「ご隠居様」に報告するんですよね。私の会社でも、「報告・連絡・相談」っていうやつをやってますけど、なかなかうまく機能してませんねえでも、会社の「会長」出張に、「秘書」が24時間、付きっ切りでお世話するなんていうのは、ストレスが溜まりそうなんだけど、助さんと格さん・・・・大丈夫なんでしょうか?さて、カラスカーで夜が明けまして、私達はもう一泊する事にしてましたけど、あのお武家様方が出立するっていうんで、「ご隠居」だけ朝の見送りに出るっていうんでね・・・・ほんとは寝ててもいいんだけど、助さんも格さんも起きちゃうし・・・・だから私も起きました。「昨日は本当にお世話になりました。」「いえいえ、旅先でのご病気はたいへんですから、助け合いませんとな」「拙者は、斉藤外記と申すもの、倅は正三郎と申します。ゆえあって主家の名は申し上げられませんが、今度お目にかかりましたら、きっとお礼仕ります。・・・それではゴメン!」二人は出立を致しましたが、なにやら黒い影が、そのあとを追っているようです。「あの二人、大丈夫ですかねえ?」私はまた具合が悪くなって、倒れないかと心配して言ったのですが、ご隠居」がこう言ったのです。「大丈夫、”飛び猿”が、あとを追いかけていきましたからな・・・・・」(ええ!、なんか事件でも起りそうな気配!)いつもならこの辺で、「また明日」ってことになるんですが、今日はもう少し・・・・・・・朝飯を食って、寝直ししようと思ったんですけど、「飛び猿」が追いかけて言ったって言う言葉が気になりましてねえ、寝付けないんですよ。そこで私だけ、朝のお散歩にでました。あちこち見て回りましてねえ・・・・時宗総本山「遊行寺」では、「南無阿弥陀仏」と手を併せて、ぶじに天女に「あまの羽衣」が返せるようにお願いしました。そのから、あちこち歩いたんですけど・・・・のどが渇きましてねえ・・・・・・・ちょうどそこに井戸があったから、水を汲んで飲もうと思ったら、「ちょいと、昨日の様子のいいお兄さん!!」声を掛けてきた女がいるんですよ・・・(あ、昨日の”飲み逃げ女!)顔を上げると昨日の女がいたんですけどね・・・・私ギョッとしたんですよ。イヤイヤ、その女の事じゃないんです。その女の後ろに、二人立ってましてねえ・・・・・・一人は「お七ちゃん」なんですよ。でもう一人が変わった格好で・・・・・鎧兜を身にまとい・・・って言うか戦国武将の格好なんですよ。「関が原の合戦」もとうに終わり、平和になってからだいぶ立ちますから、いまどき鎧兜なんて・・・・でも、「幽霊のお七ちゃん」と並んで立ってるという事は・・・・こいつも「幽霊」??まだ箱根の山も越してないのに・・・・幽霊の知り合いが増えちゃったなあ・・・ジャアそういうことで、また明日!
2006.11.14
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このたび、「100日で10000名アクセス」に立候補いたしました、「ナイトサファリ」です!あと一歩!あと一歩で当選をさせていただけます!皆さんの後押しで、何とか、滑り込みたい!そういう思いでお願いに参りました!最後の最後まで・・・「ナイトサファリ」「ナイトサファリ」をどうぞ、押し上げてください!よろしくお願いいたします!!(土下座) ・・・・選挙の街頭演説風にしてみました。
2006.11.14
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イヤア、ごめん、ごめん!昨日は、書いてる途中で急用ができちゃってね、登録したつもりじゃなかったんだけど「登録ボタン押しちゃったんです。だから、登録されてるのを見て、自分でもビックリ!お詫びを申し上げまして、改めて書き直させていただきます。神奈川を出て、保土ヶ谷にやってまいりましたが、実はこの先、「権太坂」って言う「東海道最初の難所」が待ち受けてるんですよ。だから普通は、神奈川で泊まらずに保土ヶ谷で一泊して、休養を取ってから「権太坂」を登るんですけどね、このたびは、一気に登ろうということになりました。ほんとに急な坂でしてねえ、途中「投げ込み塚」っていうのがあったんですけど、「格さん」に聞いたら、この坂で行き倒れになる人ってけっこうあったそうで、そういう人の亡骸を葬った塚なんですって!うちらは「年寄り」一人かかえてますからねえ、途中休み休み登りましたよ。2度目の休憩をして、歩き始めたころでしょうか?さっきわたしたちを追い越して行った「侍二人連れ」のうちの一人が、しゃがみ込んでいて、もう一人が、その背中をさすっておりました。しゃがみ込んでるほうは、うちのご隠居と同じくらいの年恰好、もう一人は若くって、私と同じくらいですかねえ。(注;夢を見た当時、私、高校生ですからね!)よけいなお世話ですけど、うちの「年寄り」・・・声をかけたんです。「どうなさいましたかな?」「父が急に、苦しみだしまして!」・・・・・(ああ、親子だったか)「アア、ここは難所といわれる”権太坂”ですからなあ・・心の臓が苦しくなられたんでしょう。・・・ちょうど薬を持ち合わせております、どうぞお飲みくださいまし。」なんの薬なんでしょうかねえ・・・「宇津救命丸」かもしれない・・・・・・・薬を飲ませ、しばらく木陰で休息をさせまして、息子さんと世間話を始めます。「これからどちらへ向かわれるご予定ですか?」「私達は、四国まで参ります・・・・少々いそぎ旅でございましたので、保土ヶ谷で休息もせずにこの坂を登ってしまいました。」はてな?・・・・・言葉を聞いても、四国のほうの訛りがありません。先日の神奈川での出来事、・・・・・私が「住職は神奈川宿の人じゃない」っていうのを聞いて、「飛び猿」は、はっと思ったんだそうです。「あの住職の言葉は、駿府辺りの訛りがある・・・・」で、先回りしていた「風車の矢七」と「お純」、3人で手分けして、「住職」の正体を見破ったんだそうです。そんな話を聞いていたので、この侍の言葉が「四国訛り」ではないって思ったんです。でも、余計なことを言うと、また叱られますから黙って聞いていました。「しかし、これほど苦しんでおられるなら、次の戸塚でお泊りになられたほうがよろしゅうございますな?」その時、木陰で休んでいた老人が。。。。「いや、少しでも前に進みたい・・・・今日は藤沢まで到着しなければ」苦しい中なのに、そんなこと言うんです。「わかりました・・・・ご病人を抱えて大変でございましょう。。。。私達は先日、神奈川泊まりでしたから、今日は藤沢まで足を伸ばす予定でございました。・・・お供いたします。」マア、旅は人数の多いほうが楽しいんでしょうけど、なにやらいやな予感が!「八兵衛さん、お前さん、そのお武家様を背負って差し上げなさい」ほら、やっぱり!・・・おいらこう見えても、「色男」だから「金も力もない」んだけどなあ・・・・「権太坂」のてっぺんまで背負っていきましたけど、イヤア、けっこうきつかった!そういえばこの「権太坂」の由来なんですけどねえ・・・・この急な坂道を歩いていた人が、あまりにも急なんで、近くを通りかかった老人に・・・「この坂はなんという坂ですか?」って聞いたんですが、その老人が耳が遠くって、自分の名前を聞かれたと思ったらしいんですよ。で、「権太だが、なにか?」それが「権太坂」の由来だそうで・・・・「豆知識」です!戸塚宿に着きまして、ここに泊まったらって何度も言ったんですが、どうしても「藤沢まで」ってこだわるんですよ。ところでこの「戸塚」ですけど・・・・皆さんは、「参勤交代」ってご存知ですよねえ。そそ、各藩の大名が、江戸まで大名行列で来る・・・・って言うあれですけどね、国を出るときから「大名行列」でくるわけじゃないんですよ。この戸塚までくると「隊列を整えて」ここから江戸まで「きらびやかな」大名行列になるんですねえ・・・・「天皇家」などの「使者」の出迎えも、この戸塚だったそうです。ここへ着くまでは、だらだらとした行列だったでしょうなあ・・・・・戸塚を出ると、今度は「大坂」っていう坂道になるんですけど・・・・コッチは下り坂ですからねえ、ちょっとは楽になりました。デモなんでこんな山の頂上のようなところに、宿場を作ったんでしょう・・・・もっと楽な道もあったと思うんですけど・・「鎌倉」への分岐点っていうこともあったんでしょうか。「大坂」を下って、まもなく「藤沢宿」に到着です。イヤア疲れました。この藤沢ですけど、一遍上人が開いた「時宗」の総本山「遊行寺」の門前町として栄えるんですが、「江ノ島弁才天」参拝のお客さんも多くって、ほんとに賑やかな宿場町でした。旅籠には、かなり遅い時間につきましたけど、そりゃそうですよ・・・・「年寄り二人」の「連れ」ですからねえ・・・・こうなるんじゃねえかと思ってました。晩飯だけは用意してもらったんですけど、物足らないんで・・・・・飲み屋に出かけることにしたんです。・・・・「助さん」と二人でね!「ひさご屋」っていう居酒屋さんでしたけど。。。。女将さんがきれいな人でね・・・ついつい飲みすぎて・・・そこで!ア、お出かけしなくっちゃ.....また明日だな?
2006.11.14
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神奈川宿での「浦島太郎騒動」・・・・ハチャメチャのうちに終わってしまいました。もっと中身の濃いもののはずだったんですけどねえ・・・・書きたいことが多すぎて、失敗です。もっと整理をしてから書かないといけませんね。さて、神奈川を出た水戸黄門一行、ほどなく保土ヶ谷に到着します。普通ですと、この宿場で一泊するんですけどね・・・・というのはこの先、まもなくのところに「東海道最初の難所」と呼ばれる「権太坂」があるんです。この坂が意外と長く、だらだら続く坂道ですんで、気持ちも萎えてしまうほどなんです。でも、神奈川でけっこう時間かかったでしょ?だから今回は一気に「権太坂」を登りきろうと考えています
2006.11.13
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13500文字あったのを、9980文字に減らしました。だから文章がうまく繋がってないかもしれません!わからないとこは、質問してください。しかし、20000文字くらいにしてくれないかなあ?・・・・楽天ブログ!
2006.11.13
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昨日はねえ、NHK大河ドラマ「功名が辻」を見てから書こうって決めてました。昨日の展開は、「関が原の合戦」で敗れた「石田三成」が捕らえられ、「六条河原」で打ち首になるところがメインですから、他の用事を早めに済ませ、テレビの前で待ってたんです。前にも話しましたけど、「石田三成」って、私の「ご先祖様」らしいんでね。それで気になって見たんですけど、詳しくはまた話します。「子孫」としては、「徳川家康の孫」である「水戸黄門」の話を書いてるのって、なんとなく複雑な心境なんですが考えて見ると、「家康」が子どもたちの命をとらなかったおかげで、今の私がいるんですからねえ・・・・・さて、昨日は、私が「運慶寺」境内で、地回り相手に起こした「奇跡」のおかげで、命を狙われそうになってるとこまで書きました。しょうがなく、私は旅籠を出て、「飛び猿」と一緒に隠れることになりました。「運慶寺」では「浦島太郎」が何もないところから翡翠の玉を出し、その翡翠の玉の占いによって、「失せ物」を発見するという、神通力を見せ始めているという噂・・・・・・・「そんなことができるわけねえ!」私がそういうと、「飛び猿」は「そんなことはわけなくできることさ!」・・・・・・・こともなげに言うんですよ。「お前が、相手の体に触れずに、地回りたちをふっ飛ばしたから、あいつらも躍起になってるだけ・・・・」そういうんですよねえ。・・・・・それはさておき・・・・・私も、ただ黙って隠れてるのは、いらいらするんで、「飛び猿」と一緒に、ご隠居の調べものをすることにしたんです。「住職は、もともと神奈川の人間ではない」ってこと、「10年前に運慶寺の先代住職の養子になった」こと、そして、「その先代住職がまもなく亡くなった」こと等・・・いろいろ調べたんですよ。その夜、「飛び猿」にそのことを話しますと・・・「飛び猿」は、ちょっと調べてくると言い残し、どこかに行っちゃいましてねえ・・・・帰ってくるなり、「ご隠居に報告に行こう」って一緒に旅籠まで行ったんですけどねえ、私は忍者じゃありませんから「旅籠の屋根に飛び上がる」なんて真似はできないんで、しばらくじっと、旅籠の裏で待っていました。小半時ほど待ったでしょうか・・・・・裏木戸から「ご隠居」が現れました。「お前の調べてくれたことは”飛び猿”から聞いた。・・・・そこでな、お前さんにちょっと頼みたいことがある。・・・・明日朝、わたしが用意する衣装を着て、”運慶寺”に行って貰いたいのじゃ。・・・その時は例の”あまの羽衣”も持参してもらいたい!そしたら今度は「ご隠居」・・・・・・天を仰いでこういうんですよ。「お七さんは、私の考えがわかるじゃろうなあ?・・・よろしく頼みますよ!」そしたら、爽やかな風がサアーッと流れましたねえ。翌朝、私は「飛び猿」にたたき起こされましてねえ・・・・「これに着替えろ!」って渡されましたのが、大昔の「漁師の衣装」・・・・・腰蓑をつけた、「絵草子」の「浦島太郎」の衣装って言えばわかりますかねえ?しょうがなくその衣装に着替えて、「運慶寺」まで出かけました。山門に着くと、そこには「ご隠居様」に「助さん」、「格さん」・・・・それに「巫女さん」の格好をした見慣れない女の人が一人いるんですよ。「ああ、この女は”お純”と申してな、・・・・私達の仲間じゃ!」「八兵衛、お前さん。”あまの羽衣”を持参いたしたであろうな?」「ああ、忘れないようにって”飛び猿”が腰に結わえ付けてくれましたよ」山門をくぐるとあんのじょう、「地回り」たちが集まってきて、わたし達を取り囲みます。「おうおう!よくぞ、ここへ来られたもんだなあ!!」「地回り」の兄貴分が凄んで見せましたが、ご隠居、少しもあわてず・・・・・「先日の騒ぎのことですかな?・・・・・うかがったところ、私どものこの男が、あなた方を体に触れもせず倒したことで、神通力ではないかと評判になっておるそうで!」「してみると、お前様方の浦島太郎様より、私どものこの男のほうが神通力は上のようですなあ・・カッカッカッカッカア・・・・・・・・」その時、本堂のほうから「住職」と「代官」そして「浦島太郎」がやってきました。「たまたま吹いたつむじ風・・・・・それを神通力とは片腹痛いわ!」「なるほどそうかも知れませんなあ・・・・・・しかし、たまたま吹いたにせよ、あなた方の浦島様は、いまだに神通力をお見せにならない!・・・・それをどのようにご説明なさるのかな?」「だまらっしゃい!・・・・浦島様は翡翠の玉をどこからともなく取り出し、その玉の占いで失せ物を見つけておるわ」「ほう、それが神通力ですか・・・・・」ご隠居様は、にこにこ笑っておいででしたね。(サア、ここで翡翠の玉のたねあかしをしてくれ!)そう思っていたのですが、「では、神通力は互角ということで・・・・・・」(ええ!あいつらの神通力はまやかしだけれど、おいらの神通力は”お七の力”で行った”正真正銘”の神通力じゃねえか!)ご隠居様はあっさり引き下がったんですよねえ。「それではどうです?本物の浦島太郎ならば、数百年も竜宮城に住んでおられた・・・・・・その竜宮城の絵を正確に描いてもらおうじゃありませんじゃ?」自慢じゃないけどおいらの絵は、何を描いても「台風の後か?」って言われるくらいの絵で、とてもじゃないが人様に見せられるような腕じゃない!相手の浦島太郎も、最初は困惑してましたが、わたしに絵心がないと判断したのか・・・・すらすらっと絵を描き始めました見たものを見たまま描くのもできないのに、まったく見たこともないものを描くことなんかできません。相手は既に書き終えて余裕の顔を浮かべていましたが、私は一筆すら動かしていません。「では見せていただきますかな?」ご隠居はそういうと、相手の絵を見始めました。「ほほう・・・中華風の見事なお城が描けましたなあ!!」相手の絵を褒めてどうするんだよ!「それでは、こちらの男の絵を見てもらいましょうか!」もちろん何にも描いてはいません・・・・これじゃ負けに来たようなもんじゃねえか!「ハハハハハ・・・偽者に竜宮城の絵は描けませんなあ」「住職」は大声で笑います。それにあわせるように、周りの「地回り」や「参拝客」も大声で笑いました。「そちらの浦島太郎さんは、なるほど上手に竜宮城を描かれましたなあ・・・・・しかし!」「むかしから浦島太郎のわらべ歌は、”絵にもかけない美しさ”・・・・と申しますぞ!」相手も怒りましたねえ・・・「なにを戯言を!!!」それでもにこにこして「ご隠居様」は続けるのです。「戯言は、あなた方のほうでしょう・・・・・翡翠の玉をどこからか取り出し失せ物を探し出す・・・こういう手妻はむかしからよくありましてなあ」この種明かしは、時間がないので、後ほど「魔法の木マスター」にお願いするとしまして・・・・・「この男の神通力、もう一つお目にかけましょうかな?」「ご隠居様」はそういって私と「お純」を手招きするのです。「この男がもっているのは”あまの羽衣”!・・・・・この女に着せますと、この女が宙に浮かびます。」羽衣は、天女が着るから空に浮かび上がることができるんじゃないのか?でも、もう後戻りはできません・・・・・「儘よ!」・・・・私は「お純」に羽衣を着せ掛けました。その時です!大風が、「お純」の体にだけ吹き付けますと、お純の体は、宙に舞い上がったのです!「「ええぃ!こいつらこそまやかしを使う妖術使いじゃ!怪しい奴!ひっとらえるのじゃ!・・・皆の者出会え、出会え!!」その叫び声を合図に、たくさんの「捕り方」たちや「地回り」が出てくるんですよねえ。「助さんや、格さんや・・・・・ちょっと懲らしめてやりなさい」「助さん」は相手から刀を奪い、峰打ちで相手を倒します。「格さん」はその鍛えた体で「柔術」を使い相手をなぎ倒していくのです。私はというと・・・・危ない目にはあうのですが、いつの間にか相手が吹っ飛んでいる・・・・そう「お七チャン」が守ってくれてます。しばらくの間、チャンチャンバラバラ!・・・・・・・そのときです!本堂わきから・・・「ダアーーーーーン!」・・・一発の銃声が轟きました。敵も味方も一斉にそちらを見たのですが、そこには銃を落とし、手首を押さえている代官の姿と、風車を持った一人の旅人姿の男が・・・・・・・・「静まれ静まれーーーーッ!!静まらんかーーーっ!」一瞬の静寂のあと、「助さん」の声が響きました。「静まれーーーっ!このお方をどなたと心得る!先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!一同のもの頭が高ーーーーい!控えおろーーーー!」今度は「格さん」がフトコロから、「葵の紋所」がついた印籠を取り出しながら叫ぶのです。印籠をみた一同は一瞬唖然とするのですが、はじかれたように膝まずき、ひれ伏しちゃうんですよ。「”運慶寺住職、由比正残”・・・おぬしは、由比宿にある実家の寺の次男として生まれたにもかかわらず、修行もせず、博打遊興三昧にふけり、あまつさえそれに意見した実の父親を殺害し逃亡したことは明白である。この神奈川宿まで流れ、かねて知り合いの運慶寺先代住職に取り入り、養子縁組が終わるや否や殺害した事実も突き止めておる。観念いたせ!!また”代官、黒橘鯨九郎”・・・・おぬしは、10年ほど前まで”由比代官所”与力として、勤めておったが正残が父親殺害の折、正残をわざと取り逃がしておる・・・・・わずかな金子に目がくらんで、正残を取り逃がし、3年ほど前この神奈川代官所に代官として着任するや否や”あのときの正残が運慶寺住職におさまっておる事をよいことに、悪巧みを画し、”浦島太郎伝説”で一儲けたくらんだことは明白!以前より、罪を見逃していたスリの手妻師”ましらの三次”が、浦島太郎の似顔絵に生き写しであることをよいことに、彼の者を”浦島太郎”に仕立て上げ、参拝の善男善女をたぶらかした罪は、断じて許しがたし!・・・・きっとご沙汰を待て!なお、その他のもの・・・・一人一人の罪業も明白である!」罪人達が引っ立てられたあと、黄門様は私にこういうんですよ・・・・「今まで、私の素性を隠しておいてすまなんだな・・・・・まだまだ旅は続くが今までどおり、”越後の縮緬問屋の隠居”として付き合ってくれよ・・・」そう言うんですがねえ・・・・・正直な話・・・・「水戸光圀公」ってだれ?だって、今まで偉い人なんかと付き合ったことがないし・・・・急に「水戸のご老公様」って言われても、何の事だか、さっぱりわからない八兵衛でした。
2006.11.13
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さっきまで、「神奈川宿」の完結編・・・書いてました。けっこう満足のいくものだったのに!ボタン押し間違えて消えちゃった!!!!!今日はもう書く元気なし・・・・・・・でも、頭にみんな入ってるから朝には書くからね・・・・待っててね・・・・ああ、疲れたーーーーーーーーー
2006.11.12
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今日は、日曜日のせいか、読んでくださってる方が少ないようです。マア、家族で行動する事が多いでしょうから、やむをえない事ですけど、自分だって今日はこれから子供と「バスケットボール」の練習するわけで、やっぱり、「100日目10000人突破」は難しいですね。今日は、ご隠居様が「にわかの腹痛」ってことで、神奈川の旅籠からでることができません。助さんはご隠居の看病・・・格さんはご隠居から指示を受けてどこかに出かけてしまいました。私はというと、昨日の「浦島太郎」が気になってたんで、もう一度「運慶寺」まで出かけてみたんですが、スゴクごった返してましたねえ。境内にはたくさんの露天商が出ていましてねえ・・・・いつの間に準備したんでしょうか、「金魚掬い」の代わりの「亀掬い」なんかも出てました。本堂脇には、たくさんの箱が積み重ねられてまして、「玉手箱饅頭」という名前で売られてたんだけど、どう見ても普通の菓子折りの箱なんですよ。昨日の今日なんで、箱にまで手が回らなかったんでしょうけど、「これで玉手箱」はひどいんじゃないですか?本堂の中では「ご神体(?)」である、例の「浦島太郎」が真ん中に座り、その横で和尚が参拝客に、なにやら「お札」を渡していました。お札を受け取ると、参拝客は「浦島太郎」を拝み・・・最後に小僧の待つところで「お賽銭」を上げるのです。その額も「一律1分」・・・1両が10万円ですから、1分は25000円ですよね。これだけ高価なお札なのに、行列は途切れることなく続いてましてねえ、コリャどれくらいもかる事やら・・・・そこへ、地回りのやくざがやってきました。「ははあ・・・お前だな!、”浦島太郎様”のにせものは?!」「にせものって、おいら、浦島太郎だなんて言った事もないや!」「とにかく、この辺でうろうろするんじゃねえ!地回りたちは、私の襟首を掴んで、裏のほうへ連れて行こうとするんですよ。でも、そのときですよ!私の周りだけ大風が吹くんですよね!でも私の立ってるとこだけは、「台風の目」のように、そよっとも風が吹いてなくて・・・・私を捕まえようとすると、風で吹き飛ばされるやくざたち・・・・「こっちへくるのよ」誰かの声に導かれて、私は寺の外に逃げ出しました。どこをどう逃げたのかわかりませんが、気がつくと海岸にいたんです。「危なかったわねえ・・・」 お七の声でした。「助けてくれたんだねえ」「そりゃそうよ・・・あなたを助けるためについてきたんですもの」「アンタにとって、俺ってそんなに大事なのかい?」「あたしは、こうと思ったら、その通りにしないと気がすまないの」好き嫌いはともかく、いったん助けると決めたらとことん助けるってことみたいでした。私は、そのまま、旅籠に帰ると・・・・助さんからお小言です。「なんで一人で運慶寺まで行ったんだ!」「あいつの様子が知りたくて・・・・・・」そこへ陰の声が・・・・・・・「おかげであんたは狙われることになりそうだ」境内で地回りとのやり取りを見ていた参詣客が「さっきの浦島太郎のソックリな人が、地回り相手の立ち回りで、神様がついてなければできないようなワザを使った」と騒いだんですって。今、地回りや代官所が、私のことを探し始めてるという事で・・・・なるほど、何もできない浦島太郎より・・・・幽霊が守ってくれてる私のほうが、神通力が強そうに見えますもんね。影が姿を現し、・・・・「お前はこれから俺と一緒に別なところに隠れよう」私を連れ出すんですよ。さてこの続きは!・・・・・またね「
2006.11.12
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ここで、皆さんに、お話ししておきたい事があります。それは何かというと、実はこのお話の「夢日記」・・・・・落語「道具屋」の夢の続きだってことはご存知ですよねえ。ってことは、この東海道の旅も、「夢日記」のメモには、そんなに詳しく書いてないんです。詳しくって言うよりも・・・・・「アメ横」のあと、すぐに三保の松原に来ちゃった・・・って言う感じなんですよ。メモには途中の旅の状況なんか書いちゃいないんです。「八百屋お七の幽霊」も「浦島太郎伝説」も・・・今この場でこしらえてるっていうのが事実です。だから、「このあと、どうなるんですか?」って聞かれると、「どうなるんでしょうねえ?」って返事するしかないんです。我ながら、いい加減な奴だなあって、反省してます。でも、書いちゃったものは仕方ない!・・・何とかしますからね!さて、「運慶寺」の和尚から、「浦島太郎」の似顔絵にソックリ!って言われちゃったんですけど・・・、そのあと、もっと吃驚することが起っちゃうんです。それは運慶寺の境内で、和尚と話をしている間に起っちゃうんですけどね。それは突然始まりました。「似顔絵に似てる」って大騒ぎをしてましたから、私らの周りは人だかりができていたんですが、その人だかりが「ウオーッツ!!」という喚声とともに割れたんです。なにが起こったのかさっぱりわかりませんでしたが、その人だかりが割れたところから、なにやら「見たことのある」人が現れたのです。ご隠居様も、助さんも、格さんも・・・・・驚いたような顔をしていました。「誰ですか?この人?・・・・どっかであった人なんだけど?」私が訊ねますと、ご隠居様が・・・・・・「・・・・・・・・おまえだ・・・・・・・・・」、って目を丸くしたまま答えたのです。目の前に立ってた男は、確かに私なんですけど・・・じゃあこの私は誰?その時、相手の男はわたしに向かって、「お前は誰だ!・・・・・私の偽者か?」「お前こそ誰だ!・・・俺の偽者のくせしやがって!!」そう答えたものの、自分が偽者じゃないって言う自信もなくなりかけましたねえ。「まあまあ・・・・・」ご隠居が間に入って、取っ組み合いになりそうなところを停めました。「こちらの男は、浦島太郎の似顔絵にソックリじゃが、私の連れの”八兵衛”に間違いない!、しかし、そちらのお前さんはいったいどなたじゃな?」「私こそ、浦島太郎!!!」その声を聞いた参詣の善男善女から、「ドーッ!!」とまた喚声が上がりました。そして、「本物(?)の浦島太郎」を担いで、本堂のほうに向かいました。さっきまで話をしていた和尚さんも群集と一緒に本堂へ行っちゃいました。「なんだいなんだい!さっきまで”あなたが浦島太郎”だっていってたくせに」「カッカッカッカッ・・・・お前さん自身が”浦島太郎”ではないと知っておるではないか?」こんな会話をしながら、旅籠に帰る「黄門様ご一行」道すがら、「運慶寺」に向かう群集がどんどん増えていきました。「本物なんでしょうかねえ?」「サア、どうなんでしょうか・・・・でも、本物で、この地域いったいを幸せにして下さるというのなら、それもまたよし・・・・・しかし、去年の似顔絵紛失が、ちょっと気にかかるところではありますなあ・・・」なにやら考え込んでいた黄門様・・・・・突然、あらぬ方向の声をかけるのです。「これ、飛び猿はおるか?・・・・おるならちょっと調べてもらいたい事がある。」その時、ご隠居の足元に黒い影が現れ・・・・・・「ははあ・・・!」「あの”浦島太郎”・・・・どこに宿をとっておったか調べてくれ!・・・それとな・・・・昨年”寺宝”の似顔絵・・・本堂に掛けてあったのが無くなったのに、役人が調べていない・・・・というのが少し気になりますなあ・・・・」その言葉を聴くと、「影」は一瞬で消えてしまいました。「い、今のはいったいなんなんですか?!!」「ああ、あれか・・・アレはわたしを影で見守ってくれる・・・・・飛び猿と申す男じゃ」「いったいいつから!!」今度は助さんが答えました。・・・・・「水戸藩下屋敷のときもおったし、アメ横でも、日本橋でも・・・・・さすがに鈴が森の幽霊のときはどうにもできなかっただろうが、いつでも私達の影になっている。」(ほう・・・4人だけじゃなかったんだな?)「他にも仲間はいるのかい?」「ああ、あと”風車の矢七”という元盗人と、”お純”という女芸人が私達より先に出発して、いろいろ調べ物をしている」この前まで、違う女の人が一緒に旅をしていたのだが、この旅からは、どうしてもついて来たいと言う女芸人を連れてきたのだそうだ。(これでいいかなあ・・・JUN太さん)「ほう、そんなに仲間がいるなら、”お七”チャンはいなくてもいいんじゃないのかな?」その時、突然の大風が、私一人に吹いてきて・・・私だけ飛ばされてしまいました。「カッカッカッカッカッ・・・・・お七ちゃんは、気性の荒い性格とみえる。。。。八兵衛、言葉には気をつけなさいよ」その夜、みんなが寝静まったころ・・・・ひとつの影が私達の寝ている部屋に現れました。「ご隠居様、ご報告に参りました。・・・・」さっきの黒い影・・・・飛び猿とかいう男です。「あの浦島太郎は宿を取っておりません・・・・・どうやら漁師小屋に寝泊りしている様子・・・今日からは運慶寺に寝泊りしておりますが、それがちょっと様子がおかしいのです。」「ほほう・・・・・どうしたのかな?」「今日アレから、代官所の取調べがございました。・・当地の代官 ”黒橘 鯨九郎”が取り調べに参ったのですが、調べた事は名前と年齢のみ・・・あとは、和尚が用意した、酒と女を・・・・・それにあの和尚もおかしなところがございます。・・・・浦島太郎を本物と思うならば、あの寺で一番りっぱな部屋を与えるはずでございましょう?あの和尚が浦島太郎に与えた部屋は、奥の6畳ひと間・・・・ここはもともと布団部屋として使っていた部屋でございます。あの寺にとって浦島太郎は”ご本尊”とも言うべきものを・・・・」「なるほど、それでは次はあの和尚の昔のことを調べてきなさい」黒い影はたちまち消え、周りはまた静寂に戻ったのでした。翌朝早くに出立予定のところ・・・・ご隠居がにわかの腹痛・・・・・しばらくの間、この旅籠に逗留する事になりました。「なんだかねえ・・・・この旅はおかしな事ばかり起こりやがる!・・・だってそうでしょ?・・幽霊は出てくるし、浦島太郎は出てくる!・・・・4人連れの旅のはずなのに本当は7人だとか・・・箱根の山の向うには化け物が住んでるっていう話は聞いた事があるけど、まだ箱根の山を越してねえのに!」(この隠居と一緒にいると、まだまだおかしなことが起こりそうだなあ・・・)なんて思いましたね。ここに何日逗留するんだろう?
2006.11.11
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昨日、皆さんにお願いしたら、239アクセスありました。いつもは150くらいですから、驚異的な数字ですよね!これなら、「100日目10000人突破も」夢じゃないです。それとね・・・カリフォルニアの作家「hirokochan」のコメントに、「次から次へとマア・・・アラビアンナイト・・」っていうのがありましたけど、私だって、そんなに「ネタ」の多いほうじゃないですよ!だいいち、「アラビアンナイト」って、「千一夜物語」じゃないですか!私なんてまだ「94日目」・・・・・あと907夜、書かないと追いつきませんし、書いたとしても、皆さんを満足させられるものじゃありませんしねえそういう意味ではやっぱり、「権威ある」物語は、違うなあって思います。でも、目標に置くには「アラビアンナイト」・・・いいかも!さて、昨日は「鈴が森刑場」で「八百屋お七の幽霊」に出会い、その霊を慰めるために、「川崎大師」にお参りにいったとこまで書きました。ついでといってはなんですけどね、「お七」から「この旅で、災難にあう」って言われましたんでね・・・・・お賽銭を「1朱」あげて、「厄除け」もお大師様にお願いしました。お参りを済ませ、今日の泊まりの予定は、隣の「神奈川宿」「神奈川宿」は、今でこそ「横浜」という大都市ですが、当時も「景勝地・袖ヶ浦」への観光客が多くってね、にぎわう宿場でした。思ったより早く、旅籠に着いたもんですから、「この宿場で、なんか珍しいとこはないかい?」って、旅籠の主人に尋ねたんですよ。「そうですねえ・・・・浦島太郎の伝説の残る”運慶寺”なんかどうです?」「浦島太郎」の伝説は、日本各地にあるって聞いてましたけど、「花のお江戸からこんなに近いとこに、「「浦島太郎」の伝説があるなんて・・・・・・あの物知りの「ご隠居様」も知らなかったようなので、みんなで見に行く事になりました。宿屋の主人から、しっかり道順を聞いてきたつもりだったんだけど、ちょっと迷いましてねえ・・・ちょうど通りかかった人に聞いたんですよ。「あのう・・・運慶寺って近くですか?」「ああ、浦島太郎の運慶寺ね・・・・それならこの道を真っ直ぐ・・・それから・・・」と、指を刺しながら私の顔を見た・・・・と思ってください。突然その人は、私の顔を凝視しながら、固まっちゃったんですよ・・・・・しばらく黙って、私の顔を見つめてましたね。「ああ、ゴメンなさい・・・・この道を真っ直ぐ行って、最初の角を右に曲がってください」ちょっとした時間をおいて、その男は私に答えました。(俺の顔に何かついてんのかい!)・・・・そう思いましたけど、「ありがとう」って言いましたね。でもねえ・・・・・お寺が近づくにつれて・・・道行く人がなぜか皆・・・私の顔を見て囁いてるのがわかるんですねえ・・・・・「ああ、ここだここだ!ご隠居!”運慶寺”につきましたよ!」お寺の山門をくぐると、そこに立て札が立っていました。「助さん」が読んでくれたんですけど、この「寺の縁起」が書かれてるらしいんですね。それによりますと、昔、相州三浦の住人で「浦島太夫」という人が、丹後の国に移り住みまして、そこで「太郎」が生まれたんですけど、太郎20歳のころ、「澄の江の浦」から「竜宮城」へ至り、、そこで「乙姫様」と「鯛や平目の舞い踊り」を見ながら3年暮らすんですよ。ある日突然、「望郷の念」にかられましてね、「澄の江の浦」に舞い戻るんですが、知ってる人はだれもおらず、やむを得ず相州三浦まで、両親に会いに戻ってくるんですけど・・・・・このとき両親が300年前亡くなってることを知らされるんですよね。落胆した「浦島太郎」は三浦の人たちに・・・・「私は、これから”竜宮城”に戻ります・・・・でも、そのうちにこの一帯を幸せにできる自信がついたら戻ってきます。」そういい残して、神奈川の海岸から亀の背中に乗り、「竜宮城」に行ってしまい、それ以来戻ってきていないという伝説なんだそうです。でもこの話しは、この寺のものではなく、「観福寺」という寺の「縁起」で・・・・その寺が廃寺になったので、さまざまな「寺宝」が、縁のあったこの「運慶寺」に移されたものでした。立て看板を、そこまで読んだとき・・・・・この寺の和尚が、泳ぐように私達のところにやってきました。「もし!あなたは・・・・本当に”浦島太郎”様では?!!!」私の顔を、まじまじと見ながら、その和尚はそういうのです。「なぜそのような・・・・・・?」ご隠居様が聞きました。「実は10年に一度しかご開帳してなかったのですが、この寺の”寺宝”に”浦島太郎様”ご直筆の”似顔絵”がございまして・・・・・・その”似顔へ”と、そちらの方がソックリ!・・・・・・・・・」昨日は「八百屋お七の恋人」・・・・・そして今日は「浦島太郎」ですか?「で、その似顔絵はどこに?」「それが・・・・・・いつもご本堂にお飾りしてありましたが、昨年の今頃、ある日忽然とお姿をお隠しになりました。」「誰かに盗まれたのですかな?」「それがまったくわかりませぬ・・・・ご自身でお隠れになったのではという噂がございまして・・・・それならば近いうちに、この地にお姿を現し、この地域一帯を幸せにしていただけるのではないかと・・・・・・」「なるほど・・・それで先ほどから、道行く人々が、この男の顔を見て、なにやら囁きあっておったのですな?」「先ほどから私のほうに”浦島太郎様”のお姿をお見かけした・・・という話が持ち込まれており、まさかとは存じましたが・・・・・・」ここに見に着たらソックリだったというお話でした。さてこのあとはどうなるのか?続けて書きたいんだけど、このあと、次男を「水泳教室」まで送っていかなくっちゃ
2006.11.11
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今回から、「落語」のカウントを少しお休みして「水戸黄門、駿府へ!」という事にしたいと思います。じっくり時間をかけて、「私も旅を楽しんでみたいなあ」なんて思ったもんですからね・・・そういえば、最近、仕事以外で旅行に行くという事がなくなっています。若いころはあんなに旅行したのに・・・・・・・・さて、早朝「品川宿」を出立しましたが、私自身はたいへん楽な姿になりました。昨日は侍姿だったんですけど、今日からは「古着屋」で町人の衣装を買い揃え、シャッチョコばって歩く必要がなくなりましたんでね、「肩の荷をおろした」っていうか、気持ちも晴れやかでした。通行手形も、私の分を「助さん」が用意してくれてましたが、どうも「水戸藩士 宇津狩八兵衛」のものではなく、「縮緬問屋手代 八兵衛」っていうものだったようです。マアどっちにしても、「偽造手形」には違いないんですけどすごく精巧にできてますからね、先ず「ばれる」心配のないものです。私にとっては、初の旅ですからとってもはしゃぎたい気分だったんですけど、他の3人がまじめな人だったから、我慢しておとなしく歩き始めました。一時間ほど歩いたでしょうか・・・・庚申塚の祠の前に、一人の女の子がしゃがみこんでいたんです。たった一人で、こんなさびしいところに・・・・・「変だなあ」とは思ったんですが、誰でもいいからおしゃべりがして見たいって思ってた私でしたから、その子の所へ駆け出していました。「ねえねえ・・・どうしたんだい、こんな寂しいところで?」その時、「格さん」が、何かに気づいたように叫びました。「八兵衛!近づくんじゃない!」その声にはじかれたように、その子は立ち上がり、私のほうへ近づいてきました。それも真っ赤な炎に包まれながら!!!!!!!!あまりに突然の事でしたから、私にはなにが起こったのかとっさには判断できませんでした。私の背中から、道中脇差をぬいた「助さん」が、気合もろとも、その炎を切り付けました。その瞬間、その炎は消えたのです。・・・・・・・・・・・・そしてどこからともなく、寂しそうな少女の声が響くのです。「ここは鈴が森の刑場でございます。・・・私の名前はお七・・・・ここで、処刑されたものでございます。・・・・・・・・・」「ゆ・・ゆ・・・幽霊!!!」私は腰を抜かしてしまいましたねえ。でも少し変です・・・・・・・だってこの「鈴が森刑場」は最近できたもの・・・・・ここで、こんな若い女性が「処刑」されたとは一度も聞いた事がありません・・・・・・・「ウ、嘘だ!・・・お前は狐か狸だろ!」「そう思われても致し方ございません・・・・・実は私は数十年後、この場所で火あぶりにされるものでございます。・・・・・恋しい方にお目にかかりたいがばっかりに、「付け火」をしてしまいました。・・・・・それが思わぬ方向に風が広がり・・・・”振袖火事”と呼ばれる大火となり、それがために処刑となったのでございます・・・・・」「それがなんで、私達を驚かせるのじゃ?」優しそうな声で、「縮緬問屋の隠居」は訊ねるのでした。「私は、処刑されて以来、この場を動けなくなってしまいました。・・・・・でも、恋しい方にお目にかかりたいという思いがつのり・・・時間を飛び越える事ができるようになったのでございます。」つまり、場所の移動はできないけれど、時間の壁は飛び越えられる。・・・だから、子供のころの「あの方」・・・・、でなければお年寄りになった「あの方」に・・・もしかしたら会えるかもしれない・・・・という思いで、そこにしゃがみこんでいたというのです。「そこへ、優しい言葉をかけてくださった”あの方”・・・・お顔立ちといい、お声といい・・・ソックリだったのでございます。・・・」私が、その「色男」にソックリだったから、「呪縛」が解け、移動する事ができ、想いがとげられたので「成仏」できるようになったというのです。「それじゃあ、あなたはこのまま成仏なさい・・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・・」「ありがとうございます・・・・・・・でも・・・・・・」お七の幽霊は続けます・・・・・「この旅で、何か、この方によくないことが起りそう・・・・・・・この旅の目的が成就されるまで私はこの方をお守りいたします・・・・・・・」あらら、幽霊が私を守ってくれるんだって!そのまま・・・・お七の声は聞こえなくなってしまいました。薄暗かった空が、急に明るさを取り戻し、今起った事は夢だったのか?(夢だってば!)・・・4人は無言のまま・・・・・東海道三大橋のひとつ、関が原の戦いのときに完成された「六郷橋」まで差し掛かりました。長さ200メートル、幅7メートルというりっぱな橋まで来ると、ご隠居様が、私に声をかけたのです。「八兵衛さん、体はなんともありませんかな?」「ええ、さっきまで・・・ちょっと疲れたなあって思ってたんですけど、肩が凄く軽くなったような・・・」「それならば良い・・・本当にお前さんを守ってくれるんじゃろう・・カッカッカッカッ・・・」ご隠居様独特の笑い声で、笑われたのでございます。「六郷橋」を渡ればまもなく「川崎宿」・・・・・今日は「神奈川宿」で泊まる予定でしたから、川崎は通り過ぎるだけの予定、でも、「お七の霊を弔ってあげましょう」というご隠居の言葉で「川崎大師」にお参りに行く4人でした。
2006.11.10
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水戸黄門のお話を続けようと思ったんですが、「私」の行きたい三保の松原のある江尻宿まで164.1km・・・・駿府城のある府中宿まで、174.6キロなんですよ。この間、20箇所の宿場町があるんですけどね・・・・・「黄門様」はお年寄りなんで、宿場町ごとに泊まろうと思ったんですけど・・・・・飛ばしちゃったほうがいいですかね?ちなみに、どこかといいますと・・・・・・日本橋→品川→川崎→神奈川→保土ヶ谷→戸塚→藤沢→平塚→大磯→小田原→箱根→三島→沼津→原→吉原→蒲原→由比→興津→江尻→府中品川は泊まりましたから、あと18箇所あるんですけど・・・・・中、・・・・飛ばしますかね?どうします?
2006.11.10
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まもなく「開設100日」って言いましたが、今日現在・・・・・「ブログ開設93日、ただいま、・・・8898アクセス」今、だいたい、一日150名くらいのアクセスですから、「10000名突破」はちょっと無理でしょうねえ。数字にこだわりはないんですけど、できたら励みになるかな・・・・・・・そういえば「8888」番目・・・・・・またまた「i mode」さんだったんです。お返事出したくてもできませんから、この場を借りて感謝します。昨日は、ちょっと熱があってね。最初書き始めたら・・・・咳も出始め・・・・寝ちゃいました。今日はもう、すっかり元気です!・・・・さあ、書くぞ!!!!「アメ横」で「黄門様ご一行」と合流した私が、自分の名前を秘すため「八兵衛」と名乗ったことまでお話しましたね。でも、旅にでる場合は「通行手形」が必要となってくるわけですよ。いったん家に帰って、母親に旅にでることを言うのですが、母親はびっくりしますよね。それでも、「天女」に羽衣を渡してくるってことは、「神信心」で行くんだからと、許可してくれるわけですよ。皆さんにも、言っときますけど、「神信心」で旅にでることを留めるってことは、よくないこととされてますからね。で、今度は、町役人に、通行手形の「発行」をお願いするんですけど・・・・・偽名での旅になりますからねえ・・・・・ちょっと無理みたいでした。「ああ、手形がないならなくてもいいよ!」親に旅の支度をしてもらってるとこへ「、八兵衛様」宛ての「水戸藩」からの手紙が着ます。「誰なんだい?八兵衛様って・・・・・?」母親は、何も知りませんけど、与太郎、改め「八兵衛」は、思いつくのです。(そういえば、あのお屋敷・・・・・水戸藩の下屋敷だったなあ・・・)字が読めませんから、例の道具屋のおじさんに来てもらって読んでもらいますとね。「何々?・・・ほう、お前を水戸藩でお召抱えになるって書いてある・・・・お前、侍になったぞ!」親子さっぱり意味がわかりません・・・・・・・「で、明日7つ・・・・日本橋に来れば、極秘の旅に出発するから、くれぐれも遅れないように」こうなると、家族・近所一同大騒ぎですわ!「侍になったお祝い」ってことで、近所からは「鯛の尾頭付き」が届くし、酒屋からは菰樽が届きます。道具屋のおじさんからは、「侍道具一式」が来るんですけど・・・・・「道具屋」の商品で余ったものを寄せ集めたもので・・・・・「紋付」なんだけど、左右の紋が違ってる「羽織」とか、どうせ使うことはないだろうと、「竹光の刀」・・・・そんなものが来るんですよね。「極秘の旅」も何もあったもんじゃない!町内中でドンちゃん騒ぎをし、そろそろ時間だということで、「侍の旅したく」をしてイザ、「日本橋」へ!町内中が、「日の丸の小旗」をもってお見送りに来ちゃうわけですよ。待っていたのは、「水戸黄門様ご一行」大騒ぎの行列を見て、驚いちゃいますよね・・・・・・でも、「黄門様ご一行」にも、水戸藩の江戸家老あたりがお見送りに来てますから、「黄門様達」は隠れ、その江戸家老が対応に当たりました。「八兵衛と申すのはその方か?」「ハハア!!!!!」・・・・普段、あまり偉い人と口をきいたことのない「長屋の連中」ですからみないっせいに土下座をして、お辞儀しちゃうんですよ。「ああ、そこまでする必要はない・・・立て、立つんじゃ!!」「おい、みんな!立てってよ!」先頭にいた男がこういうと、みなが一斉に立ち上がる・・・・・まるで、「北朝鮮のマスゲーム」のような騒ぎです。「八兵衛というのはその方か?」そう言われたんですけど、「八兵衛」・・・・昨日まで「与太郎」でしたから、気がつかない!しばらくして、ようやく気がついて・・・・「アア、ウッカリだ!」「オオ、名前だけ八兵衛と伺っておったが、姓は”宇津狩”殿であったか!」衣装だけは、「出来損ないの七五三」のようだったから、「武士」に見えたんでしょう。苗字が初めっからあったように思ったらしく、こうして・・・・・「水戸藩士 宇津狩八兵衛」が誕生したのであります。みなの、「バンザイ」の声に見送られ、日本橋を出発したのが「七つ」・・・「♪お江戸日本橋、七つ立ち~~~初登り・・・・」と歌われるように、このころ東海道を登る時間は7つ・・・・今なら5時~6時ぐらいの出発になりました。ちなみに、その当時の首都は「京都」・・・・・だから、東海道を京都方面に向かうから「登り」ですよね。この大勢のお見送りでどうにもならないんで、「ご家老様」は「ハ兵衛」と一緒に出発し、「黄門様達」は、まったく関係ない顔をしながら、あとを追うのでした。途中、「見送り隊」が見えなくなると、「ご家老様」が怒りましたねえ!「極秘の旅、と申したではないか?・・・なぜあのように大勢で・・・!!」そこへ黄門様がやってきまして・・・・・「マアよいではないか」って言うんですよ。「この者は、わたし達が、町人に化けるための隠れ蓑じゃ、・・・・このままの格好ではまずいのう・・・・品川で新しい衣装をそろえよう」日本橋を出て、いくらも歩かないうちに、今日の泊まりは「品川の宿」と決まりました。品川なんて、東京駅からいくらも行かないうちに着いちゃうんですけど、賑やかな場所だったらしいですねえ!公的に許された「遊郭」は、江戸では浅草裏の「吉原」だけだったんですけど、公的でない場所も必ずできましてねえ・・・・品川にもあったらしいですねえ。「遊女3000人」というくらい、賑わった吉原ですが・・・・・品川は「遊女」とは呼べないんですよ。(公的な場所じゃないから・・・・・)こちらは正式には「飯盛り女」・・・・・宿に泊まった人に、お給仕する係りってことなんですけど、なにをお給仕したものやら・・・・まじめな「ナイトサファリ」にはわかりませんけど・・・・・その人数も定かではありませんが、かなりの賑わいだったらしいですよ。翌日、朝早くに一行は出発します。目指すは「三保の松原」・・・・・・急に言われてどこにあったか思い出せない方もいらっしゃると思いますけど・・・・・静岡県の静岡市清水区(江尻宿)にあるんですよねえ・・・・・で、黄門様たちが行こうとしてたのは、「駿府の御城下」・・・・・・・・・今の静岡市(府中宿)ですね。もともとは「今川義元」の居城であり、徳川家康公が子供のころ「人質」としてとらわれていた城・・・・・「駿府城」よく、「徳川家康は静岡県の人」って思われがちなんですけど、これは「江戸幕府」を開き、そのまま「2代将軍 秀忠」に家督を譲ると、この駿府城に隠居してしまったからなんです。「まだ息子には任せられない」ってことで、ここで「大御所政治」っていうのをやっちゃうわけですから、「影の政府」(シャドーキャビネット)として有名になってしまったんですね。「シャドーキャビネット」・・・・・現在も「どこぞの党」でそういうの作ってますけど、発言もあいまいで無責任なのが多いですよね・・・・・もう一方もでたらめですけど・・・・・・・・文句があるなら「議院年金廃止」をして見なさいよ!ってどうでもいいことを挟んじゃいましたが・・・・・・あ、徳川家康の出生地!・・・・・・正解は、愛知県の岡崎市です。ってことは、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」・・・・・皆、「愛知県出身」でしたか!!!明治以降は、長州・・・・「山口県」が多いらしい(今のアベ総理もそうか)ですけど、一人ぐらい、「青森県出身」ってでないかなあ・・・・・私、横道にそれすぎですねえ・・・・・まだ東京を出ないうちに・・・・・・・・・明日へ続く
2006.11.10
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私、この楽天広場のブログ、「ジャングル・ナイト・クルーズ」を始めてから、まもなく開設100日を迎えます。おそらくこの調子では、100日目に「10000人突破」は難しいと思ってますけど、おひとりおひとりに、励まされながら、ここまで来れたことを心から感謝申し上げます。思えば、MSNのチャット仲間であった「きんちゃん」から、「ブログ作ったから見に来て?」っていうお誘いをいただいたのが始まりでした。最初、なかなか入れなくって、あちこちいじってたら、「きんちゃんのブログ」にはいる前に、「自分のブログ」を開設してしまったんです。「ああ、楽天広場のブログは、自分でも作らなくちゃ入れない仕組みなんだなあ」って勝手に思い込んじゃったんですけど勘違いでしたねえ。それでも、「きんちゃん」を通じて、たくさんのお仲間のブログを訪問し、来ていただくようになって、その方たちから、さらに若い仲間を紹介していただき、今日に至ってるわけですけど・・・まさか、中学生から70歳代の方までおいでいただけるとは思ってもいませんでしたよ。本当にありがとうございました。中学生、高校生の皆さんには、ちょっとHな文章もありますから、その辺は、耳を塞いでスルーしていただければと思ってます。また、私、この「ジャングル・ナイトクルーズ」のほかに、あと二つの「ジャングル・ナイト・クルーズ」を持ってます。ひとつは「CRURU」ブログなんですけど、北海道のチャット仲間からお誘いを受けて開設したんですが、こっちだけで手一杯!・・・一週間に一度だけ書く事にしました。もうひとつなんですけどねえ・・・・これは「セイクラブ」のチャット部屋「ジャングル・ナイト・クルーズ」なんです。MSNのチャット部屋がなくなり、行くとこもなくなったので、アチコチ覗いてみてたんですけどねえ・・・・たまたま、MSNのコミュにいってた「パンドラの箱」があったんですよ。そこで二人の仲間と仲良くなりました。それが「東京の主婦・amiチャン」と「静岡のトラック・ドライバー・たかちゃん」だったんですね。チャット部屋「ジャングル・ナイト・クルーズ」は、この3人で運営しようと決めました。オーナーは私、「ナイトサファリ」で、「たかちゃん」はホスト、「amiちゃん」は女性だから、ホストと呼ぶのはかわいそうだなあってことでホステス・・・ってことになってます。で、そのあと、どうしてもここの「チィママ」になりたいっていう「あゆむ」が参加してくれて、現在4人で運営していますが、私の影響からか、他の3人も「楽天広場」に、ブログを開設しました。「セイクラブのチャット部屋」は40代のカテゴリーで登録してますが、変な話し・・・この4人の中に40代は一人もいないんですよね私が50代でしょ?・・・・あとは20代が一人と、30代が二人、かんじんな40代が誰も運営に参加していただいてないんです。このチャット部屋の特徴としては、タイトルの前に「テーマ」って言うのがありまして、そこには「危険!!」って書いてある事が多いんですけど、それは、この部屋のホスト「たかちゃん」のダジャレが、非常にさむ~いために、注意喚起のための「危険!!」なんです。また、もうひとつの特徴としては、この部屋に、間違ってでも入ってきた女性は、強制的に「ナイト喜び組」に入会となります。特に意味はないんですけど、この次また部屋に来てくれるとナイトが「喜び気味」となるってくらいだけなんですけどね?この3つの「ジャングル・ナイト・クルーズ」がありますから、皆さん、他のとこも覗いてみて下さいね。さて、「水戸黄門漫遊記」なんですけど(「道具屋」の続きだってば!)・・・・・・あ、ごめん・・・・・急に眠くなってきちゃった。起きたら、すぐ書くから、今日は寝ちゃいます。
2006.11.09
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恵さんから、「一昨日の奴は、日光の手前(イマイチ?)だね」と言われてたのが、昨日は「日光に届いたよ(日光けっこう大和観光ってCMあったよね?)」っていうコメント!いやあ、ほんとうれしかったなあ!!!でも、ここで引き締めないと・・・・・東北道をずっと下っていくと、「秋田(飽きた)」まで行っちゃいますからね。さて、昨日は見事10両せしめた私ですけど、これを元手にもっと稼ごうってことで「上野アメ横」にやってくるわけですよ。「アメ横」は、修学旅行のとき、「スキー板」を探しに行きましたんでね、ぼんやりですけど覚えてて・・・・・・・・でも、この時代に「アメ横」があるわけがないんですよ。でも、そこはそれ・・・「夢」の世界ですから、時空を飛び越えちゃったんですよね。しばらく歩いてると、一軒の古道具屋さんが目に留まりました。(なんかありそうだなあ・・・)・・・・・ピンと来た私は、このお店に入りました。「ごめんよ!」暖簾をくぐり、ふと、店主の顔を見ると、これがまた怪しそうな・・・・・「へい、いらっしゃいまし!」揉み手をしながら、私の頭の先からつま先まで見おろしながら、値踏みをするように出てくるんですよ。「なんか、珍しいものあるかい?」私はちょっと引き気味に尋ねました。「いっぱいございますけど・・・・・いかがです?このしゃれこうべ!・・・・・征夷大将軍”源頼朝公”3歳のみぎりのしゃれこうべと言われておりますが・・・・」「ウ~ン、しゃれこうべはいらないなあ!」「では、こちら・・・・奥州南部藩・・・遠野という集落で発見されました”かっぱの頭の皿”!よそではナカナカ手に入りませんよ?」「おじさん、この皿、”伊万里謹製”って書いてあるんだけど?」「ああ、佐賀鍋島藩で”化け猫騒動”があったとき、こりゃあここにはいられないってんで、出稼ぎに行った”かっぱ”なんでしょうなあ・・・・・」「佐賀から岩手までかい?・・・・ずいぶん長旅だねえ・・・・・」「この”かっぱ”・・・その昔は中国で孫悟空と天竺まで行った”かっぱ”ですから、長旅は慣れてたんでしょう」ああいえば、こういう・・・まるで、実演販売のときの私のよう・・・・・・「アメ横の実演販売」で思い出しましたけどね、学生時代の実演販売のバイトで、年末に「アメ横のバナナの叩き売り」、頼まれたことがありましてね。一回きりだったんですけど・・・・・・・きんちゃん、この実演販売の口上が好きなんですよ・・・・「実演販売の巻」のとき、リクエストされたんだけど、書かなかったんでね、今日はちょっとだけ!「さあ、奥さん!今日はバナナを買ってもらうよ!バナナ、バナナと言っても、奥さんが普段食べてるバナナとバナナが違うんだ!奥さんが普段食べてるバナナは、大きいけど味が大味!南米はエクアドルあたりのバナナだよねえ?今日、あたしがもってきたバナナ・・・・・さあ見てちょうだい!色艶が違うだろ?まだ青っぽい南米バナナと違って、今日私がもってきたのは台湾産のバナナ!美味しそうだろ?南米産と台湾産!どこが違うかと言うと・・・・・さあ見て、見て、見て、見て!大きいけどボテーッとした感じの南米産に比べて・・・どうだい!ちょっと小ぶりだけど、どこか、お宅の旦那にも似た、この反り具合!あ、奥さん、夕べのことを思い出しちゃいやよ!味のよさは天下一品!これは食べてみなくても、奥さん形でわかるよね?・・・・・・・」これを、純情な大学生の私がやってたんですからねえ・・・・・・ちょっとだけ自己嫌悪!あ、おふざけが過ぎたようで・・・無駄なことしちゃいましたねえ・・・・・・「頼朝3歳の頭蓋骨」とか「伊万里のカッパの頭の皿」とか・・・・ひどいものを売りつけるお店があったもんで・・・・でもねえ・・・お店の奥のほうに・・・・・・キラリ光るものが!「おじさん、あれ見せてよ?」「エ?あれ?・・・・ああ、あれはだめだめ!・・・あれは”あまの羽衣”といって、とてもあんたには手が出せるようなもんじゃない!」人の人相、風体から判断したようです。「いくらなの?」・・・・訊ねてみますと・・・・「3両・・・いや、4両は頂かなくちゃなあ・・・・」その時、私の頭の中で、声が響くんですよねえ・・・・・・「”あまの羽衣”を私に返してください・・・・・・・」鈴をころがすような声っていうか・・・・・「デパートの放送係りの女性」が身をよじって案内してる声っていうか・・・・はたまた、うぐいすが「南天のど飴」をなめたような声でね・・・・思わず買っちゃうんですよ。あっけにとられてる店主の手に4両を乗せ、ひったくるようにして「あまの羽衣」を買ってきたんですが・・・・・「返して下さいって、一体どこに持ってけばいいのかな?」悩んじゃいました。そこへね・・・・さっき武家屋敷の前で別れた、「越後の縮緬問屋の隠居ご一行様」と出くわすんですよ。「アア、先ほどはありがとうございました。・・・・・おかげさまでこの爺も、面目が保てました。」「ああ、さっきの、おじいさん・・・・・・」(この爺さんなら、なんか知ってるな?)・・・そう思った私は、この爺さんに聞くんです。「”あまの羽衣”って知ってるかい?」「ああ、遠州”三保の松原”の伝説がございますなあ?」「それって遠いのかい?」「アア、かなり遠くにございますが・・・・私たちはこれから、そちらのほうに旅にでます。・・・・よろしければご一緒にいかれますか?」こうして、一緒に行くことになったんですけどねえ・・・・・・「ところでお名前は?」聞かれたときに、おっかさんに言われたことを思い出しました。「知らない人と、口きくんじゃないよ!」アラら・・・・どうしようかな・・・なんて考えまして、正直に言わないで隣の魚屋のおじさんの名前を、出すことにしました。落語によく出てくる名前ですけど、「大工の熊五郎」で「熊さん」、「魚屋の八五郎」で「八っぁん」で、そのままじゃ悪いなあってことで・・・・「八兵衛です!」ここで、「与太郎」が「うっかり八兵衛」に変わった瞬間でした。いよいよ、「水戸黄門漫遊記」はじまりはじまり~~~~!え?「道具屋」はどこに行った?
2006.11.09
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新しい読者さんが増えそうです、「トワママ」さん、よろしくね!新しい人が増えたとなれば、今日の雑文は10000文字近くまで書かなきゃな!ってそんなに無理する事はないか・・・・・でも、嬉しい事ですねえ・・・・雑文といえども心を込めて書いてますから。今日はお昼、銀行の頭取の講演を聞いてきたんです。空前絶後といわれた「イザナギ景気」が57ヶ月・・・・・で今好調といわれる日本経済は、さらにそれを上回る58ヶ月だそうです。でも、わたしにその実感はないんですよねえ。景気の良さが、私のとこだけ避けてるのかと思っちゃいましたよ。でも、今の好調さは、「大都市」、「大企業」だけが好調なだけであって、それも「リストラ景気」っていわれるような「人員削減」や「コスト低減」・・・それと「設備投資の手控え」なんかで、企業がスリム化しただけのこと・・・・・・そういわれて、「自分だけじゃなかった」って、ホッとしました。不景気には変わりないんですけどねえ・・・・・・・・・・マア、そんな話はおいといて・・・・・・・っていうよりは蹴飛ばしちゃえ!前のとこでは、「道具屋」の話しなのに、水戸黄門が出てきましたね。もっとも、主人公の与太郎さんである私は、知らないことになってますけど・・・・・で、私がひろったものを7両2分で飼おうって持ち掛けられるんですけど、私は断りました。なぜって、・・・・・バカだけど欲が深いんですよ・・・私(越後の金持ち商人が、7両2分っていうなら、きっと10両にはなるな!)なんて考えるんですよ。「いや、お屋敷に返すんならともかく、あんたたちが盗賊の一味じゃないっていう証拠もないし、これはお奉行様に差し出したほうがいいと思うなあ・・・・」助さんがカッとして立ち上がりましたが、ご隠居はそれを制して・・・・「まあまあ、そうおっしゃらずに・・・・・実はねえ、その品物にはいわく因縁がありましてな?」説明を始めちゃうわけですよ・・・・・「そもそも畏れ多きことながら、徳川初代家康公が徳川御三家の所領を、尾張、紀州、水戸に定められた理由をご存知かな?」そんなこと、私に聞かれても・・・でもそういえば、中途半端な場所だなあ・・・・・・なんて思いませんか?私なら、九州・四国・中国ブロックで一箇所!関西・東海・中部ブロックで一箇所!北海道・東北・北陸ブロックで一箇所!そして、関東は徳川総本家が守っていけばいいんじゃないかと思うんですけどねえ。紀州と尾張なら、近いから一人でも統治できそうだし、水戸がそんな重要な地域にも思えないし・・・(そこにお住まいの方、失礼しました。)「どうやって決めたんです?」私も興味があったから聞いちゃいました。「実はのう、伊勢神宮のご託宣があって・・・・・サイコロでお決めになられたのじゃ!」なんで伊勢神宮なのか?なんでサイコロなのか?って聞かないでくださいよ!すべて、私の「夢」の世界のお話しなんですから・・・・・・「サイコロをどのように使われたかは、家康公と伊勢神宮の神官だけしかご存じないことで、今現在でも伊勢神宮の秘儀中の秘儀とされておる。」「で、あたしが拾ったこの品物と、どんな関係があるんですか?」「まだ気がつかんかのう・・・その品物こそが、その東照神君家康公がお使いなされた”サイコロ”なんじゃよ」「エエーッ!」・・・あたしゃ思わず、ふところの品物を取り出しましたねえ・・・・もう磨り減っちゃって、ただの小さくて白い「石つぶて」くらいにしか見えませんけど、確かに「1」のしるしのあとには朱色が入ってましたね。「このサイコロが霊験あらたかなる事は、5代将軍綱吉様の御世になっても、国内は安定し、民百姓も平和に暮らしておることでわかるじゃろう」越後の縮緬問屋の隠居がそういうんですよ。「ジャア、おじさん、7両2分じゃだめだよ10両にしようよ」この私、10両以上のお金があることを知らない。(それ以上は数えられないから・・・)もし本当なら「国宝級」なのにねでも私は、この「サイコロ」を10両で売ることにしたんです。あ、ここでいっときますけど、この「伊勢神宮の秘儀」と「サイコロ」の話し、絶対他の人に話しちゃだめですからね!「徳川御三家の所領はこうして決めたんだ!」・・・・なんていったら絶対!・・・・・・「お前は、アホか?」って言われますから!実際のところ、いまだに私は理由がわからないんですけどね、想像してみると・・・・・・「紀州」は熊野信仰の本家本元だってことが関係あるんでしょうか?「尾張」は、織田家、豊臣家の発祥の地ですからねえ・・・どうもそのへんが?「水戸」は、有力大名の「伊達藩」「上杉藩」牽制のためじゃないかと思ってます。話は続くんですが・・・・・・この次は、その10両を元手に、何かいいものを買おうと思って、私、上野の「アメ横」近辺をうろつき始めます。当時、「アメ横」なんてあるわけはないんですけど・・・・そこはそれ・・・・「夢」の世界ですから時間も空間も自由自在なんですよね。この続きは明日にしますけど、明日はメルヘンチックな世界に・・・貴女を・・・男はどうするんだって?私、男性には興味ないですから・・・・・・・・
2006.11.08
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夕べは、低気圧の通過にともない、深夜まで、工事現場のパトロールをしていました。数週間前に、低気圧に津軽海峡沿いの工事現場がやられ、3日前に完成した工事が全滅しちゃって、総被害額87億円だったんですよ。何十年かかって作ったものが、一瞬ですからね・・・・・1600トンのコンクリートの塊が、数十個・・・全部ひっくり返ったんですから!(沖にある防波堤ですけど)マア、パトロールしたって、自然の力には勝てませんけど、心配になっちゃってねえ・・・・・そういうわけで、昨日の深夜は、続きを書けませんでした。幸い、私のとこは被害はなかったんですけど・・・・北海道は大変でしたね(竜巻)ご冥福をお祈りいたします。で、今日は「道具屋」の続きなんですけど・・・・・きのう書いたとこは、落語の本編そのままなんですよね。だから、「夢」の中といっても、自分の知ってる落語をそのまま書いちゃってます。あまり考えもしないで、会話文だけで書いちゃいましたから、つまんなくなっちゃってますねえ。恵さんが、「日光の手前」っていうのも無理はない・・・(「いまいち」ってことでしょ?)これで、皆さんが「落語」を嫌いになられると、私が「日本の伝統文化」をつぶした・・・ってことになりますからねえ。ナントカ汚名挽回をしたいと思います。でも、ここからは、「道具屋」のあらすじの次の部分・・・・つまり、私が「夢」の中で創作した部分ですからねえ・・・・古典落語っていうのは、名人上手といわれた「師匠」たちが、徐々に完成させたものでしょ?その続きを、高校生だった私が「夢」の中で作ったものですから、もっとつまんないでしょうね。と、先に言訳しつつ・・・・話しをつづけます。誰にも何にも買ってもらえない「道具屋」の私こと「与太郎」さんは、売れない理由を、自分のせいではなく、「売ってる商品」にあると思っちゃうんですよね。(ポジティブかな?)「おじさん、ちょっと店番してておくれよ、ちょっくら仕入れしてくる!」隣の道具屋さんに頼んで、出かけちゃいまして・・・・・・ここで、この落語に出てくる「符丁」(業界用語?)についてお話ししときますが、お客様が何も買わないで行っちゃうことを、「ションベンされる」って言ってます。この語源については、ほんとかどうか知りませんけど、二つの説がありまして・・・・・・一つ目は、「蛙のツラにションベン」なんていう表現があるでしょ?あれらしいんですよ。・・・・「買わずに行く」→「かわずに行く」→「蛙に行く」→「蛙のツラにションベンかけに行く」・・・そこから、ションベンが「買わずに行く」ことになったという説と、二つ目、「買わずに行く」が「厠(カワヤ)に行く」・・・・つまり、「トイレに行く」になまって、ションベンが 「買わずに行く」という意味になったという説があるそうです。これ、私が実演販売してたときの豆知識ですけど・・・・・・・でねえ・・・話しは元に戻しますが、どこに行くったって、アテがあるわけじゃないんで、とりあえず武家屋敷、大名屋敷がある方面に行くわけですよ。あらかじめご説明をしますとね、「道具屋」は、今の「フリーマーケット」のようなものですから、元手をかけないんです。家にあった不用品とか、知り合いの家の不用品をただでもらってきたり、ひどいのは「ゴミ箱アサリ」して拾ってきたものを売るんですよ。だから、「競売」にかけられた美術品や骨董品を競り落として売ったり、金持ちの家と交渉してそんな商品を仕入れる「古道具屋」さんと、「道具屋」はちょっと違うんですけどね・・・・「夢」の中ですからゴッチャになってるんですね。ある武家屋敷の前を通りかかりますとね、中がちょっと騒がしい・・・・門番に、なにがあったか尋ねるんですけど、そんなことに答えるわけがなく、追い払われてまたトボトボと歩くんですけど・・・・「いて!」・・・何かが頭に落ちて来たんです。どうやら、お屋敷の塀の向こうから飛んできたらしいんですけど、私、子供のころから「縁起かつぎ」するほうでしてね・・・・「当たった物は大事にしよう」っていうんでフトコロに入れちゃうんですよ。今でもそうなんですけど、「宝くじ」なんか買うとお財布に入れておくんですけどね、抽選が終わって外れたのがわかっても、一枚だけは財布に入れておくんですよ。これは「交通事故にあわない御守り」・・・・・当たってないクジですから、「自動車」にも当たらない・・・・っていうことなんですけどね。しばらく歩いてると、「アアちょっとお前さん」・・・・誰かが声をかけるんですよ。振り返ると、旅姿の商人二人組み・・・・「さっき、お屋敷から飛んできたもの見なかったかい?」「ああ、頭にぶつかったから拾っておいたよ」「それをちょっと見せてくれないかなあ?」私、「バカの与太郎さん」だから、素直に見せちゃうんですよね。「ああ、これだこれだ!」その商人の一人が懐にしまおうっていうのを、あわてて取り返すんですよ。「お前たち、泥棒か?」「ア、いや、これは悪かった、・・・・実はこの品物はな、当家の主人が大事にしておったもので、先ほど、屋敷の中で騒ぎがあったとき、盗んだ盗賊一味があわてて放り出したものなんだ。」「当家の屋敷ったって、あんたたち、お武家さんじゃないでしょ?・・・・どう見たって、越後あたりの”縮緬問屋”の手代みたいじゃないか?」そこへ・・・「カッカッカッカッカーッ!」・・・変な笑い声のおじいさんが現れるわけですよ。ここまでいうと皆さん、おわかりでしょうが、なぜか「水戸黄門」が現れるんです。「夢日記」のメモにそう書いてあるからしかたがない!でも、この「黄門様」、初代の「東野栄次郎」さんか、映画で見た「月形龍之介」さんか、よくわからなかったんですけど・・・・・いまイメージにあるのは東野栄次郎さんです。でも、この時点では、私はこの人が誰であるか知らないことになってまして・・・・・「おじさん、誰なんだい?」「いや、これは失礼・・・・私はあんたが今言ったように、越後の縮緬問屋の隠居で・・・光衛門というもんでしてな・・・・これは、うちの手代、助さんに格さんというものです。」「この屋敷の人が取りに来るならわかるけど、何で越後の商人がこの品物を欲しがるんだ?」「イヤイヤ、このお屋敷のお侍様方は、体面がございまして、ここに受け取りに参ることができませんのじゃ・・・・・どうですかな?7両2分で譲ってもらうわけには参りませんでしょうかな?」この7両2分という金額、今の金額に換算するといくらになるのか知りませんが、簡単にいうと、人間一人当たりの金額ということになってまして・・・・・・よく、お芝居や落語に出てくる数字なんですよ。この時代の貨幣単位ですけど「両・分・朱」って言う順番なんですけどね。「4進法」になってまして「1両は4分、1分は4朱」ですから、7両2分を小数点を付けて「10進法」に直しますと、7.5両ってことになりますよねこの他に、「銭とか文」いうのがありまして、4000文で1両換算なんです。屋台のかけそばの代金が、「ニ八そば」っていうくらいで16文ですから、1両で250杯のかけそば・・・・一杯400円として・・・・・1両10万円ですよねってことは7.5両(7両2分)は75万円ですか!人間一人当たりのお値段、75万円也!・・・・・安いもんですねえ!!あ、よけいな計算しちゃった・・・・明日へと続く!
2006.11.08
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落語シリーズも、7まで来てしまいました。「寿限無」、「羽子板」、「死神」と続けてきたんですが、まだ続けていいですかね?「道具屋」は、お約束しましたから書きますけど、リクエストで「らくだ」っていうのもあったんですよ。でも、「らくだ」に関しては、夢を見てないんで完全に「創作」になっちゃいますけどね。ブログには関係ないんだけど、「ナイト建設工業株式会社 社訓」のなかに、「お客様のご注文があったものに”できない”とはいうな!」っていうのがありましてね。うちの社員、できないって言えないもんですから、「努力します」って答えるんですよ。だから、私も・・・「らくだ」の創作を・・・・・「努力します!」だけどねえ・・・・読者の皆さんが「厭きた!」っておっしゃられるのを続けるのもねえ・・・・・だからこうしましょう?コメントを下さる方に、○か×か・・・・つけて頂きましょうよ!「続けていいよ」っていう方は○、・・・・「もう辞めて次を」って方は×を書いてください。そんじゃ、今日は「道具屋」の一席でご機嫌をうかがいますが・・・・道具屋・・・・最近じゃ、耳慣れない商売ですけど・・・・・そうですねえ・・・・今風に言うと「フリーマーケット」ですかねえ。道端の露天で、いろんな品物を並べて売るんですけど、「鼻のかけたお雛様」だとか、「足の折れて、自立できない蝋燭立て」とか・・・ありとあらゆる物を売ってるんですよ。で、よく落語に出てまいります、バカの代名詞、「与太郎」っていうのがやるもんですから、とんでもないお話しになってまして・・・・・・最初は、与太郎君、おじさんに呼ばれるんですよ・・・・「おじさん、なんかようか~?」「ああ、与太郎か、こっちにはいんな・・・お前を呼んだのはほかでもない・・・・さっき、お前のおっかさんが来て、こぼしていったんだよ」「最近年取って目が悪くなったから、よくこぼすんだよ・・・そいでおじさんが拾ってくれたの?・・・ごまかしてないだろうねえ?」「なにを言ってるんだよ!泣いてったっていうんだよ!!」「色男にはなりたくねえなあ・・・ちくしょう!」「なんだい、その色男にゃなりたくねぇっていうのは?」「年増、・・・泣かした!」「年増っていうやつがあるか、あれはおまえのおっかさんだ」「この道ばかりは別・・・・・・」「馬鹿な事言ってんじゃないよ・・・・お前が何の仕事もしてないから心配で死ねない・・・こう言ってんだよ!」「おっかさんが死なないなら、それでいいじゃないか・・・・・それともおじさん何かあ?・・おっかさんを殺したいのかあ?・・・・・・人殺し~~~~!!!」「おい、こんなとこで大きな声を出すんじゃねえよ・・・・でな、それじゃあってんで、おじさんがやってる仕事をお前に譲ってやろうと思ってな」「おじさんの仕事を・・・おいらに・・・・大家さんを!」「そうじゃねえよ・・・おじさんが陰でこっそりやってる仕事を、お前にやらそうてんだ、どうだ?」「おじさんが、陰でこっそり・・・・・・ああ、あれか~~~」「なんだお前知ってんのか?」「知ってるよう・・・・町内では誰もが知ってるよ!”ど”がつく商売だろ?」「・・・・ああ、たしかに”ど”がつくな!」「どろぼう・・だろ・・・・泥棒!!!!」「おい。また大きな声を出しやがって!!!やめろ、よせ!」「泥棒は、おいらできねえなあ・・・・・」「泥棒じゃないよ、馬鹿だなあ・・・・ところで、お前、町内じゅう知ってるって言ったな?」「ああ、おいらが噂を流した・・・だってこの前、夜中に大きな風呂敷包み背負って、こっそり帰ってきたじゃねえか・・・・・・アレは怪しい・・・・・」「よしなよ!・・・アレは道具屋の商売から帰ってきたんだよ」「道具屋?・・・道具屋って、あのお月様見て跳ねるやつかい?」「なんだ、それは!!!」「♪道具屋お月さん、見て、は~~ね~~る~~」っていうやり取りがあって、与太郎さん、商売にやってきました。「ああ、イッパイ出てるなあ・・・・みんな道具屋だ・・・・えっと何とかって言う人に聞けっていってたな・・・・その人がみんなやってくれるっていってたから・・・・このおじさんに聞いてみよう・・・・・・おい、道具屋!」「へい、いらっしゃいまし・・・なに差し上げましょうか?」「ヘエ・・・力持ちだなあ・・・じゃあそこのある大きな石を持ち上げてみろ」「なんだよ、冷やかしかい!」「いや、おいら、弦兵衛っていう道具屋の甥っ子で与太郎さんっていうの」「ああ、アンタかい、弦兵衛さんから聞いてるよ・・・うちにバカな・・・あ、い、いや・・馬鹿に丈夫な甥っ子がいるって・・・あんたがそうかい・・・じゃあ、隣に店だしな・・・・」っていうんで、店を準備するんですけどね「あらら、いろんなものがあるなあ・・・・表紙の取れた漫画本の足の折れて立たない蝋燭立て、それの鼻のかけたお雛様に・・・・刀に、鉄砲か・・・・・」でも道具屋さんって呼び声がないんですよ。じっとしてるのが苦手な与太郎ですから声を出しちゃうんですよね・・・・・この辺が実生活で実演販売の経験がある与太郎・・・・つまり私なんですけど、夢を見てたときは、そんなバイトするとは夢にも思わなかったんですけどね。声を出して呼び込もうって言うんですけど・・・・・「ええ~~~~~~~・・・・・・・・・・・」最初はなかなか、声が出せないもんなんですよ。「ずいぶん”え”が長いねえ」「”柄”の長いほうが汲みやすい」なんてことを言いましてね・・・・・だんだん調子がよくなってきまして・・・・・「え~~よってらっしゃい道具屋!出来立ての道具屋!あったかい道具屋!・・・」なんてことをいってますと「面白い奴が店を出したなあ」って客がつくんですよ「おい道具屋!」「ヘエ、いらっしゃい、お二階さんごあんな~~~い」「おまえんとこ二階なんぞないじゃねぇか」それじゃあ、前に廻ってそこにお座り」いろんな客が来るんですけど、最後の客が、田舎から出てきたばかりの侍でして・・・・「おい、道具屋!道具屋!」「へい、いらっしゃい」「そこなるタント見せ」「へ?タントにもちっとにも、これしかないんですが?」「そうじゃねえ・・・そこにある短刀を見せい、いうとんじゃ!」「ああ、短刀ですか・・・へいどうぞ!」「なんだ・・・手入れが悪いのう・・・刀がなかなか抜けんのう」「お手伝いしましょうか?」「おお、ジャアお前はそっちをもって引っ張ってくれ・・・せいので引っ張るんじゃぞ」こうやって二人で引っ張るんですけど、なかなか抜けない・・・・・「なか・・・・なか・・・ぬけん・・・のう・・・・」「抜け・・・ない・・・かも・・・知れ・・・ません・・ぼく・・・とう・・・ですから」木刀じゃ抜けるわけがない。「ああ、そこにある鉄砲を見せい!」「ハイどうぞ・・・・」「この鉄砲はなんぼじゃ?」「へ?」「この代(金)はなんぼじゃ?」「台は樫の木です」「そうではねえ・・・・金は?」「鉄です」「値は?!!」「ズドン!!」って言うので終わるんですけどねえ・・・・これは「夢」の続きですから・・・でも、明日ですよ?
2006.11.07
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いやあ、昨日深夜に書こうと思ったんだけど、急に「飲み会」が入っちゃってね・・・・「恐山」の関係の飲み会なんだけど、いま「法話を聞く会」っていう企画をしてるんですよ。「善男善女」を集め、曹洞宗大本山永平寺から講師を招いてね・・・お釈迦様のお話を聞くんですけど・・・私、司会と「曹洞宗の歌」の歌唱指導の係りなんですって!「楽譜」を渡されたんですけどね、作曲は「森田公一」さんなんですよ。それと、CDも一緒にもらって聞いたら、歌も「森田公一」さんでしたけど、まさか「宗教の歌」まで作ってると思いませんでした!ちなみに、恐山がお金を出して全国発売してる歌もあるんですが、こちらは「吉幾三」さんの、「約束 君に逢いたくて」っていうCDですけど、フォーク調で、今までにない「吉幾三」さんの魅力を引き出してると思います。東京でしか流れてないリフォーム会社(?)のCMで、吉幾三さんがCMソング歌ってたでしょ?・・・あんな感じかな?恐山では、「恐山だけの盆踊り歌」を依頼したんですけど、フォーク調ですから、ちょっと予定外だったですけどね。さて、落語「死神」の続きですけど・・・・・「貧乏から脱出する方法」っていう本を書いて、これがベスト・セラーになるんですけど、印税が手に入る前に、出版社の社長の持ち逃げされちゃって、けっきょく一銭も手に入らなかった私・・・さらに追い討ちをかけるように、本の印刷会社からは印刷代の請求が私本人に来て、それが全部借金ですよ・・・・・・いちおう、ベストセラー作家ですからね、「講演会」の依頼は来るんですけど、本のタイトルが「貧乏から脱出する方法」でしょ?・・・・講演会に来る聴衆が、全て「貧乏人」!だから講演のギャラも、「雀の涙」っていうより「ミトコンドリアの涙(?)」くらいなんですよ。「こりゃあ、しくじったなあ!・・・どうも、あの出版社の社長、おかしいと思ったんだ・・・・だってよう、背後霊が”弁天小僧だぜ?」「アア、あの背後霊ってそうだったんですか・・・よく存じ上げなくって・・・」「あいつは大泥棒ってことになってるけど、呉服屋に女装して行き、詐欺をしようとしたんだが、ばれて開き直り、少しばかりの金をもらって帰ったんだよ・・・でも実は、・・・・それは二重三重の罠になっててな、さらに大きな金を騙し取った詐欺集団の一味だったんだよ。」「へえ、そんな悪人が背後霊だったんですか・・・」「マア、しょうがねえなあ・・・・でも、一時の夢は掴んだんだから、そろそろいいんじゃないか?」「なにがですか?」「何がってオメエ!・・・俺も忙しいんだよ・・・そろそろ死んでくれてもいいころじゃないか?」「そんなあ!・・だって私、この目でその儲けを見てないんですから!」「そういやぁ、そうだなあ・・・・・」っていうんで次の手段を模索するんですよ・・・・・「あのう、死神さん・・・今回のことなんですけど・・・私に貧乏神はもうついてませんよね?・・・・ということは失敗する理由もなかったはずなんですけど・・・なんで失敗したんですか?」「そりゃあ、オメエ・・・長年、修学旅行の添乗員のように、貧乏神を引き連れて歩いてたからなあ・・・ちょっとは匂いが染み付いて・・・アアそういうことだったんだあ!!」「ということは、私から”貧乏神の匂い”が消えるまで、儲ける事は出来ないって事ですよね?」「マア、そういうこった!」「じゃあ、決めた!・・・私、死神さんのマネージャーになりますよ。・・・・自分で儲けられないなら、死神さんに稼いでもらって、それで金を掴みますよ・・・・・」「おいおい、そんな無茶な話しってあるかい!・・だいいち、死神にマネージャーって・・・・」「死神さんは、要領が悪いでしょ?・・・だって私をあの世に連れて行こうとしてから、もう一年、その間、一人もあの世に連れてってないでしょ?」「ああ、この前も携帯メールで、閻魔様からお叱りだよ!」「死んだ人を、いっぱいあの世に連れて行けばお給金も上がるんでしょ?」「そうだなあ、基本給が上がるしボーナスもつく・・・・・」「私、死にそうな人探してきますから、それと、私のように無駄な時間を作らないよう、スケジュール管理もしますから・・・お願いしますよ!」っていうんで、私、死神のマネージャーになりましてねえ・・・・・毎日、お亡くなりになりそうな方を探しまして、そこへ死神さんを連れて行く・・・途中からは大きな病院の看護婦さんと契約しましてね、亡くなりそうな方をいつでもピックアップできるようにしてたんですよ。おかげさまで、「死神」さんの成績もうなぎ上りでねえ・・・・よかったんですが・・・・他の「死神」も真似を始めましてねえ・・・・・マネージャーつきの「死神」が増えちゃいまして・・・こりゃあ、なんとか「大量の霊」を集めなくっちゃな・・・ってことになりました。で、当時ね・・・まだまだベトナム戦争真っ盛りで、・・・・「そうだ!ベトナムに行こう!」ってことになりましてね。「アメリカ軍」とか、「南ベトナム政府軍」とかにコネを作りまして・・・・あちこちの情報を掴みまして、そこに行っては10人、コッチに来て20人・・・マタマタ成績があがってきたんですよ!でも情報を貰うだけじゃ間に合わない・・・・・自分でスパイのような仕事につきましてね・・・自分から情報を探り出すようにしたんです。でもねえ・・・「相棒の死神」が、もともとトロイくせに業突張りでね・・・・・「それじゃあ足りない」って言いはじめるんですよ!困った私は・・・今度は逆スパイも始めちゃったんですよね。「ベトコン」のところに行って、「米軍」と「政府軍」の情報を流したり、新型兵器なんか、お土産に持ってったりしましたからねえ・・・・・で、・・・・・「死神からのお手当」、「米軍、政府軍からのお手当」、「ベトコンからの情報料」なんて、思った以上に高収入になったんですよ・・・・・・もう、ウハウハ状態でねえ・・・・・そんな時、「死神」が、こういうんですよ。「もうそろそろ、面白い目も見たことだし、いいんじゃねえか?」そこへ、「米軍」のミリタリー・ポリスが、私のところに来るんですよ。「オマ、エヲ~、ダブルエ~ジェントトシテ~、タイホシマ~~シュ~」何も、ここまで来て片言の日本語でなくてもいいですよね・・・・・・「お前を、二重スパイとして逮捕する」って言ってるんですよ。ばれないように、うまくやってたつもりだったんですけどねえ・・・・・どうしてばれたんだろう?答えは、私が逮捕されてる横で、報奨金を受け取ってる「死神」を見てわかりました。「スパイは死刑」・・・・・戦時下の軍事裁判ですから、これは当たり前!逮捕された翌日、私は壁の前に立たされました。目の前にはライフルを構えたアメリカ兵が・・・・・・そこへ、「死神」が現れましてねえ・・・・私「助けてくれ!」って頼みましたよ。「死神」でも神様は神様ですからねえ・・・・・・・・・・そしたら、きゃつは・・・・・・・・・「これでようやく、あの世に連れて行けるなあ・・・・・・・・・・」
2006.11.07
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チキショーネタで応募してくださいだって・・・だから応募してみます。来年もPTA会長で頑張ろうと思ってたのに・・・・かみさんから、離婚をいいわたされ、親権がなくなっちゃった!チクショー!!!! <IMG SRC="http://www.pressblog.jp/watch/page_watch.aspx?watchid=FFFFFFFFFFEFFC99F9F96F7FE" width="1" height="1">
2006.11.06
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お待たせを致しました!!ナントカ、「夢日記」の解読をすることができました。っていうか・・・・・解読してもしなくても・・・話しは終わらせなくっちゃね。で、これを読む料金ですけど・・・・実際、これは、人間には不可能でしょうってことばっかりなんで、「料金無料」ってことで、お話します。先ず「夢日記」4行について・・・なにが書いてあったのかというと・・・・1行目・・優しすぎる「死神」の商売2行目・・貧乏から脱出する・・・・貧乏神を追い出す(雰囲気)3行目・・ベトナム戦争・・・グリーンベレー4行目・・恐山「イタコ」・・・・お祭り以外、「いたこ」がいない!この4行目だけ、くっきりと覚えてるんですよ!恐山は、「夏祭り」と「秋祭り」があるんですよ・・・でね、この期間だけ、「イタコ」がお寺の境内に入ることを許されるんですよね。だって、恐山は「仏教寺院」(恐山菩提寺というのが正式名称)だし、イタコは「巫女」さんなんで、基本的には「神道」なんですよね・・・・・だから、きっと「死神」がみれるなら「幽霊」も見えるだろう・・・・ってことで・・・・・おっと、この先は本文で読んで貰わなくっちゃ!ということで早速続きを・・・・・・死神さんのせりふから、シーン34カット1、用意!・・・スタート!「おい、早くしてくれよ!それでなくても今月の予定、クリアーできないんだから!」「い、いや、その!・・・だって、私のこと可哀想じゃないですか?、だってそうでしょ?」私は生い立ちのこととか話し始めるんですよ・・・「生まれたのが昭和26年、日米講和条約が結ばれた年ですよ・・・・・そそ、団塊の世代っていうのより、ちょっと遅れた世代ってとこなんですよ。世の中の流行は、私よりちょっと上の年代が作ってるんですよねえ・・・・例えば、少年サンデーとかマガジンは、その人たちが小学校の高学年、GSブームと平凡パンチはその人たちが高校生・・・・だから、私は背伸びをしながらその人たちのあとを追っかけてたんですよ。ビートルズなんか、私、小学生でしたからねえ・・・・だから、いつもブームが終わってから・・・動き出す年代が私たちなんですよ。ダッコちゃンとか、フラフープ・・・・・兄貴たちは終わってましたから・・・・・・・・・・・」話を続けました。「そもそも団塊の世代は人口も多いんですよ!・・・・だから私が就職するときは、もう各企業とも人あまりが始まってましたからねえ。・・・・・ついてない世代・・・・それが私たちですから・・・・・・」「ほう、そうだったのか・・・・で、いつ、死ぬんだ・・・・さっきも言ったけど、コッチは急いでるんだから!」「生まれてからこのかた、ひとつもいいことなんかないんですよ。せめて一日でも、いいことがあって死にたいですよねえ・・・・・・」「一日だけ、いい目にあえればいいの?・・・・・・そんならそうしてやるから早く!」「え?そんなことできるんですか?」「痩せても枯れても、神様を名乗るからには、それくらいできて当たり前!」「じゃあ、一日だけでも金持ちにしてください・・・目の前にぱっと1億円!」「おいおい、俺には、そこまでの能力はないんだ・・・・・まだランクが下の神様だからなあ・・・・どうだい、金持ちになる方法を教えようじゃないか!」ってことで、「死神と私」・・・二人でいろいろ話しあうんですよ。「お前は、貧乏神や死神が見えるってことは、幽霊も見れるってことだな?」「見たかぁないんですけど、時々・・・・・」「話しをしたことは?」「いやいや!とんでもないこって!・・・・あたし、怖いもの嫌いなんですよ!!」「おやおや、俺の姿を見て平気なのに、幽霊が怖いのかい!」「怖いですねえ・・・・死神さんは誰にも何にも恨みはないでしょ?・・・・でも幽霊って成仏できないんだから誰かを恨んでるんですよ・・・・・それはあたしじゃないことはわかりますが、うっかり話しかけたりして、”アア、この男、あたしが恨んでる男にそっくりだからこの男で間に合わそう”なんてなったら大変でしょ・・・・・だから、話しなんか出来ませんてば!」「意気地がない男だなあ・・・・それでも一度試してごらんよ・・・アア、そこにホラ一人歩いてる」「歩いてるってあなた!・・・幽霊に足はないんですから、浮かんでるんでしょ?・・・アアこの女の幽霊か・・・」「おい、ちょっと寄ってきな!・・・古の男が話し聞きてぇってさ!」「今晩は~~~どうも~~~」「あらら、ずいぶん陽気な幽霊だね・・・・こんばんは!」「あたし、生きてるときはほんとに、陰気な人だったのよ・・・・でマア、話のうまい男に騙されて、銀行口座からごっそり金を取られ・・・その男に詰め寄ったのよ!・・・そしたらねえ、笑っちゃうじゃない?・・・・その男が逆切れして、あたしのこと刺しちゃった!あはははは・・・・・」おしゃべり幽霊の話はまだまだ続きます。「その男がいうには、”お前のような陰気な女は、誰も相手しないのに、俺が相手してやったんじゃねえか?金ぐらいよこせ”なんていうのよ・・・・・いいのよ金なんて・・・・でも、話せばわかるのに、すぐ、さびた包丁で私のこと刺しちゃって・・・ホラホラ見て!・・・刺し傷のとこ、錆が浮いてるでしょ?・・・これで恨み残っちゃったのよ!アハハハハハ・・・・・・・」「ナ?聞いて見ると案外怖いもんじゃないだろ?」「そうですねえ・・これなら・・・」「そこでだ!、俺はいつも恐山で見てるんだが、あの”イタコ”っていう人たち、けっこういい稼ぎになるそうじゃねえか・・・・お前”イタコ”になれ!!」で、イタコになるんですが・・・・なんてったって男でしょ?「男のイタコは信用できない」って、客が少ないんですよ・・・・・それでも死神が・・・・「マア商売は”あきない”っていうくらいだから、一週間もすりゃ・・・」って慰めてくれたんですけどねえ・・・二日したら、となりの仲良くなったイタコ仲間のおばあちゃんが、片付け始めましてね?「どうしたの?」って聞いたら、お祭り以外は商売できない・・・って聞かされて、「イタコ」廃業しちゃったんです。「季節物はだめだなあ・・・・じゃあ今度はこういうのどうだ?」死神は、新しい儲け話を語りだすんです。「お前、貧乏神がいっぱいついてて貧乏だったんだよな?」「そうなんですよ・・・・貧乏神の修学旅行みたいにいっぱいついて歩いてたんですけど・・・一人去り、二人去り・・・いまじゃ誰もよりつかねえ・・・代わりに死神が・・・・」「おいおい、疫病神みたいに言うなよ!って疫病神には違いねえけど・・・・・でなあ、貧乏神がいなくなってどうだ?」「どうだ・・って言われましても・・・・そういやあ、なんとなく、体が軽くなりましたねえ?」「そうだろそうだろ!それに、貧乏神がいなくなってから、少しだけでも金が入っただろ?」「そういやぁ、”いたこ”で若干、金が入りましたねえ!」「ってことはだ!お前は貧乏神から手を切る方法を知ってるってこった!」「いやあ、貧乏神からも愛想つかされていなくなっちゃっただけなんですけど・・・・・」「そんなのは言われなくてもわかってる!でも、最近ちょっと変わったと思わないか?」「そうですねえ・・・金を拝んだら思わずほっぺたの筋肉が緩んじゃって・・・それに自信っていうんですかねえ・・・猫背で歩いてて、いつでも10円玉が見つけられたのに・・・・最近胸を張って歩いてるから・・・・・・10円玉を見つけられない・・・」「みみっちぃこと、いうなよ・・・そそ、それだよ・・・・・お前本を書け!」その本のタイトルが「貧乏神から手を切る方法」・・・・・・その本が売れましてねえ・・・・・ちょっとしたベストセラー作家になっちゃうんですよ。「どうだい、これで心置きなく死ねるだろ!」「ちょ、ちょっと待ってください!・・・・まだ印税が入ってこないんで、売れたって言う実感がないんですよ・・・・」「まだ、だめかあ?ウ~ン、おれ、忙しいんだけどなあ・・・・」でね・・・・結果からいうと、その印税・・・・出版社の社長に持ち逃げされちゃうんですよ!あらら、まだ二つ目だ・・・・・・・この続きは明日・・・・・いや、今日の深夜に書きますから、待っててね!
2006.11.06
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